日々日記
いちらんふるいあたらしい


2008年09月19日(金) 泣き言言いたい日だってある

白状しまっす。

寂しいなー。

この夏、行かず後家ズの残り3人のうちの1人も入籍して、残りが2人になった。
名誉終身会員だけは勘弁だな!

そして今の大学の友達も、なんか身近に好きな人ができたっぽくて
こないだうちに急に泊まりにきてさんざんのろけて帰っていったわ。

だんだん秋めいて涼しくなって来て、いや、寒くなってきて人恋しいってのもあって、

最近なんだか、寂しいのだ。

夕方、家々に灯る明かりと、夕餉の支度の匂いを嗅ぐと
今までなら実家を想像したもんだが、
最近は誰かと一緒に巣を作ったらどんななんかな、って思う。


ちょっとだけでいいんだ。
よっかかったりできる人がいたらいいな。って素直に思う。

四六時中は嫌だけど、一日のうちでほんの少しの時間でいいから誰かと群れていたいのだ。
ハグハグしたりしながら。

だからって、誰でもいいというわけにもいかないしー。

夏の魔法には振り回されて、秋の魔法には落ち込まされて。
季節って、季節って魔なんだわ。



って書いてアップした30分後にこんどは違うこと思いついて書き足すんだから
これだから自分って本当にもうっ。ってなわけです。

実家の稲刈りが終わったと連絡があった。

農家は稲刈りが済んでほっと一安心。
高齢化と兼業化が著しいので、我が家でも稲刈りを外注するようになった。

幸い故郷では依託業者さん(専業農家の人とかが家族ぐるみでやったり、
専業または兼業農家が何人かで組合作って請け負ったりしてる)が増加してて助かるんだと。

業者さんは毎年需要が増えてて、ひっぱりだこらしい。

稲刈り終わったら、安心してこんどは秋蒔き春野菜とか、
冬に向けていろんな作物の収穫をしたりとかする。


ってか、そんなようなことに思いを馳せてたら、なんで収穫ってものが尊いのか。
なんで、昔の人は秋に毎回収穫祭をやって、
大自然だの、神だのに、毎年御礼言ってたのか。って急に疑問に思ったのね。


でも今日は答えも同時に浮かんできた。
私が思うにそれはなぜかといいますと、人間には作物を育てることはできないからだー!!


んと、つまり、
人間は種をまいたり世話や手入れはできるけど、育つのはあくまで植物それ自体であり、
その成長や成熟って過程には、絶対に手を触れることはできないんだ、ってことに、
大昔の人たちは気付いてたから、そのことに畏れを抱き、そして感謝もしてたってことだ。

人間が、絶対に手をつけることのできない領域というものが世の中には確かにある。
農業になんていっぱいいっぱいある。そういうものだらけ、といってもいい。

それを人間は忘れがちで、全知全能みたいな気になったりしちゃうんだけど
それは大きな誤りだなぁー。って、しみじみ思った。


急に寂しくなったり、
はたまた感激したり、
突然気付いたり、

忙しいよー毎日。


inu-chan