日々日記
いちらんふるいあたらしい


2009年05月04日(月) 怒れるデブ 着られる服が欲しいんじゃない。着たい服が欲しいんだ。

13号体型の者として、昨今のおしゃれを取り巻く現状に一言申し上げたい。

今日の日記は、デブという言葉を、自分と、そして自分と同じような体型で、
同じような気持ちで洋服について考えている人をひっくるめた総称として使います。

読むうちに不快になられたら、読むのをやめてください。
今、ちょっと腹が立ってるから、遠慮しないで「デブ」連発するから。


さて、本題。

アパレルの世界よ。
そろそろデブをお客様として扱ってくれないか。

9号で起こした型紙をそのままサイズアップして作ったような服はやめてくれないか。


わたしの10代、デブは『着たいもの』ではなく、『着られるもの』を着てきた。
20代、少しでも細く見える服を求めた。
服に自分の体型を合わせる努力をした。

それが普通であり、どうしても必要な行動なんだと思い込んでいた。

30代。
着たい服がない。似合う服もない。

市場は少しは変わったから、デブが着られる服は増えた。
サイズが豊富になったのだ。

しかし、依然としてデブの服はぱっとしないままである。

体型隠しは最重要事項じゃない。
わたしはこの体を恥じてない。好きだ。愛している。
そんなわたしの体を、もっと快適に、ファッショナブルに包んでくれる服が、ない。

アパレル業界よ、もっと真剣にデブに似合う服を追求してください。


まだ誰も手を付けてないから、売り手は儲かるはずだよ。
デブはそういう時代を待っている。

でも、アグレッシブなデブはそんなにいないので、
恐らく「あるといいなぁ」と夢見て待っている。

絶対儲かるし、絶対嬉しいと思うんだがなー。


できれば様々なブランド展開をしてほしいのだが、服は作れても、
他人の目を気にするデブが着てくれるかが問題。

「どう宣伝するか」が最大の問題だろうなぁ。

いわゆる9号、11号体型のおしゃれ女子、あるいは男子らから、
「あそこの服を着てるってことは、イコール、デブ」というふうに見なされてんじゃないかと
気が気でなくなって敬遠されてしまうとアウトだ。

デブ自身も、そのように思って尻込みする可能性も大だ。

でもさぁデブよ、いいじゃんよ。
この体を愛そう。

痩せたいデブばかりじゃない。
痩せられるデブばかりでもない。

着られるものを着て、着たいものを着ずに生きるのはもうやだ。
食べたいものを我慢して、時に過酷なダイエットで自分を服に合わせて行くのにもうんざりだ。


我が身を嫌ったってしょうがない。これしかないんだもん。
恥じたってどうしようもない。救いはどこにもない。
自分が自分を好きになり、自信を持つ以外にない。

この体で生きて行くんなら、もっと心地よくて、そしてご機嫌で生きていきたい。


昨今のファッションシーンにおいて「スタイルのいい」と言う時の「いい」が、

けっして、ふくよかさんとか、ぽっちゃりさんとか、おちびさんを
さしていないことはまぁ誰でも分かっていることだが、
もういいわ。たくさんだわ。

デザイナーも、市場も、ずっとデブを無視しているんだけど、
デブをおしゃれにできる才能持ってる人がいたら、わたしは最高に嬉しい!


もし真剣に、この方面の展開を考えてる人がいたらぜひ頑張って欲しい。
なんなら力貸す。

私は本気で怒ってる。
そして同時に、本気で今までなかった服を求めているのだ。


inu-chan