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| 2005年05月26日(木) ■ | 
 
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| 医は仁術 | 
 
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  だから、僕は確かに医大にいるかもしれないが、医学なんてサッパリ解らない。  習ってはいるけど、病気の簡単なメカニズムとその診断基準を教えてもらっているだけで、治療なぞ以ての外。  そう言っているのに絶えず健康相談を受けます。  今日も  「実は昨日から痔が痛み出してさあ……。どうしたらいいだろう」  と相談に来た野郎がいました。  どうしようと思っている間に病院に行けっつの。  そう思いながら、症状を細かく聞いたあと  「とりあえず病院に行って検査したほうがいいね。痔だと思ったら直腸がんかS状結腸がんってことがあるからねぇ」  と脅すと彼は恐怖にかられてすぐさま病院に行きました。やれやれ。(酷)
 
   その後図書室にて胃の病気についてお勉強をし、フムフム、おれの胃痛の原因は迷走神経の野郎だったのか、と合点し、そろそろ帰ろうと思う頃には九時過ぎている。  普段使わない頭をここ最近はフル回転させているから、さっさと家帰って寝ようと思っていたのですが、彼女とSさん、先輩が送れ送れとせがむので、仕方なく後ろに乗っけてやることに。  とりあえず先輩宅へ向けてしばらく車を走らせているとSさんの電話が鳴りました。  先月から兆候が現れていたうつ病の患者さんからで、なにやら冗談抜きで死にそうな声である。  実は前からこの人には相談を受けていたのですが、話を聞いただけの自分は、五月病だろうと本人に伝えていました。  ところが、その人連れて病院に行って、とりあえず内臓疾患ではないことを証明したあとで精神科にかかると、うつ病だとの診断。  何の薬か訊いていないけれど、恐らくSSRIあたりで治療中の身です。
   電話かけたのが最後の力だったようで、もう何を言っても聞こえていないふうなので、とりあえず苦労して何処にいるかだけを聞き出す。  判明した場所は現在位置から結構離れているところでした。  もっと早く発作起こせよな、と無茶苦茶なことを頭の片隅で考えつつ、とりあえず急がねば何をしでかすかわかったもんじゃない。  電話をかける気力があるのだから、まだ遥かにマシな病状と解ってはいても焦ってしまうのが人情。  誰もいない田舎道であることをいいことに、普段使いもしないキックダウンなんて使いながら50km/h超過の速度違反、一時停止無視、信号無視、合図不履行などなど考え付く限りの違反を犯しながら急行する。ふっ、軽自動車とはいえ、スバル製をなめるんじゃねえ。660ccでも無意味にいいエンジン積んでるんだぞ。  でも、所詮は120km/hが限界で、ああ、こんなことならランサー・エボリューションかスカイラインでも買っておけばよかった、せめて今度レースのライセンスでも取りに行こうかななどと考えて、ものすごい勢いで患者さんの目の前に車を急停止させる。  問題の患者さんは道の真ん中で行き倒れになってました。田舎ってすごいね。  とりあえず車に詰め込んだあと、話し相手などは他の人に任せて、明るい音楽でもガンガンにかけながら患者さん宅へ護送する。  車の中では絶えず私を好きな人なんていないのだ、だとか、死んだほうがマシ、などと言い続けている。  それを必死に皆で慰めるのである。もちろん、患者さんの気分がどこから来るものなのかということを、車内の全員は知っています。  何かの事件があったからそう思うのではなく、その人の場合脳に変化が起こっているのです。  神経伝達物質が少なくなっているんですね。  例えば、繁華街の道路はとっても賑やかだけど、ド田舎の道は人の影もなくて寂しい気がする。  これと同じ原理で、神経の間でやりとりが少ないから、結果としてそういう反応になってしまう。  しかし、誰からも愛されないという人に対して  「ああ、チミ。それはチミの脳内で器質変化が起こってシナプスがうんたらかんたらだから神経伝達物質がなんたらかんたら」  と講釈たれるわけにもいかない。それ故、無駄と知っていながらも、全く非科学的なことだが、言葉のみで慰め続けなければならない。  患者さんに何を言われても優しく優しく。我慢我慢。  死にたいといえば、あなたの生を望む人があると言い、自分は必要ないと言われれば、必要としている人は必ずいると言う。  こちらが絶対に正しいことを言っている。  なぜ自分の目の届く範囲だけを見て、私は必要とされていないと嘆くのだろう。本当に世界中どこにもいないと何故断言できるのだろう。  なぜ自分の足元を見もせずに、愛してもらえないと言うのだろう。相手が自分を好きか嫌いか、そんなことがわかるはずはない。愛は実体を持たないから、そこには無いと錯覚する。  だから人間というのは言葉を発明したというのに。どうして、その言葉で目の前にある愛を平然と無視するのだろう。  こちらは間違ったことは言っていない。全て正しいことを言っている。愛されない人間も必要とされない人間も存在しない。けれども相手は決してそれを信じてくれぬことは解っている。  それでも言い続ける。いくら巧みな言葉でも信じられないというのに。笑顔で道化者を演じ続ける。自分の無力さを噛み締めながら。
 
   全ての医療者は患者の病気だけを治せばそれで良いというわけは無い。  医は仁術なり。  教授が仰ったこの言葉に改めて、背筋が伸びる思いがしました。  治療はプロである精神科医に任せて、我々はその人を家まで送り届けました。  全く力にならないかも知れないが、何もしないわけにはいかない。  お礼のメールに 「どうもありがとう。みんなを家までよろしくね」とあるのを見て、やれやれと思う。  一体、おれは誰によろしく頼めば良いんだろう。
 
 
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