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熱血青春日記(癒し系)
ゆう
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2005年06月20日(月)
がんばる

もう少しだけがんばってみて、と言われるのが嫌いだ。
そもそも自分は十分にがんばっている。
もう少し出来たかも知れないが、手を抜いたつもりはないのだ。
大体が、自分の部屋から一歩出るだけで既に十分がんばっている。
常人にはわかるまい。ドア一枚開けるのにどれほどの勇気が必要か。


と、ちょっと文芸的に書いてみる。
さて土曜から今日までは仕事尽くしでした。
夏前ということで、ここいらで講師どものケツひっぱたいて売上倍増を狙う本部の罠です。
そんなわけで、たいした額にもならない仕事をセコセコやってました。


日曜日には全体講師研修会があり、月曜日にはグループミーティング。
全講研、と略されるこの研修会は、全国に展開している我が塾の北海道支社職員が一同に会するデカイ会議で、もちろん北海道支社長もいらっしゃいます。
以前は会社全体の社長、つまり一番エラい人が見えたりもしたのですが、とにかくその一番規模の大きな集まりでは、研修の名の元、講師の研究発表というのがあります。
まあ要するにあるテーマにそって自分の論を展開するもので、毎年講師の何名かが選出されるのですが、何故だかその内の一人に自分が入ってしまいました。
しかも発表順は一番最後。トリやん。

それでテンパりながら教育書を読み漁って小論書いて資料を作ってと大忙しだったのですが、失礼ながら今年の発表は去年に比べて全然レベルがガタ落ちでした。
自分は当たり前だと思ってパワーポイントでスライドを作ってきたのですが、そんなことをしたのは自分だけ。
レジュメもなければスライドもなく、ただ壇上でお喋りして終わると言う先生が多くて驚きました。
配布資料配る人に限って、それ読み上げて終わりというのがあったり。
大体、教育関係の発表っていうのは、曖昧すぎる。
はっきりとわかる数値など何もなく、ただこんなことがあったよ、と報告するケーススタディの形をとっていました。
理論の枠組みも曖昧。こうすると成績が上がったからこうだ、という短絡的なものが多い。
反証とか、研究デザインとかあるだろと、心理だけども理系学部のゆうさんは思うわけです。
まあ、カッチカチの文型人間である自分の発表にんなものはないので逆に良かったんですが(笑)


そんなわけで、皆すげーから一人くらいヘンなのがいてもわからねーだろーと超適当に書いた発表が目立ってしょうがない。
自分の発表は、要約すると、まず従来の暗記型教育から、なぜと考える、言わば思考型教育への転換をしゃべっちょこきました。
まあ要するに
「This is a pen. と言う文章の否定形はisの後ろにnotだぞー覚えとけー」
と詰め込むのではなく、何故be動詞の後ろのnotが来なければならないかを説明し、本質を理解させるということを説きました。
我々は暗記の名人を大量生産しているのではない。
後は科学的教育の実践。教育実践の人は教育に心理学など必要ないと言う人が多いのですが、そう言う人は暗記型の教育しかやってないのだ。
詰め込むだけなら心理学なぞ必要ないに決まっている。そう言う風にしか教えていないから。
そうではなくて、なぜと考える教育の実践。
例えば、A君は毎日授業中に騒ぐから毎日注意する。叱らなきゃ騒ぐ、とよく先生は言う。
自分はこの考え方が不思議でしょうがない。
怒るとその場では大人しくなる。だから騒いだら怒るのが良いんだと何故考えられるのか?
「毎日騒ぐ」という事実から、「叱る」ことが問題行動を解決する手段として適切ではないことはわかるはず。
「騒ぐ」→「叱る」という単純な図式ではなく、何故騒ぐか、何故叱ってもやめないかを考える。
そこに科学的な思考の第一歩があると述べました。
そして生徒にも科学的思考力をつけさせること。
そのため、講師は答えをそのまま教えるのではなく、自分で考えさせる。
時に生徒の問題点を写して自分で気付くための鏡となり、暗い道を照らす街灯となりながらガイドしていくとまとめました。

発表が終わった後は支社長の総括。
マイク握るなりいきなり説教ですよ(笑)
自分の発表直後なのでなんだかピンポイントで怒られている気がする。
しかも「叱るばかりが教育ではない」と言った直後に怒られるから尚更(´Д`;)

支社長の理論はこれまた凄いものでして。
数字は嘘をつかない、講師の仕事は成績をあげること、教室の存在意義は売上倍増、生徒・保護者はお客様、先生に対する生徒の信頼度は売上となる、金を儲けて税金を納めることは社会人の存在意義で勤めである。赤字を出す教室は存在価値がない、社会への背信行為である。
だいたいこんなこと言ってました。
教育論もめちゃめちゃで、うるさい奴は叱らないとダメだ、そうしないとそいつは堕落する、質がダメなら量で補え、勉強時間は確保させろ(=塾に来る回数を増やす=売上)。
生まれてこの方、あんなに金と言われたことはありません。
とにかく全てが金・金・金。多分一生分の金を聞いた気がします。



所詮は時間講師という身分だからよくわからないけど、働くと言うことは大変だなあ。
社会に出るということはこんなにも厳しいものなのかと思いました。


会議が終わり、全体解散の後、会議室の隅で報告書を書いていたら、一人の先生がやってきました。
入社してまだ三ヶ月目なのだが、ゆう先生の理論には感動した、自分のぼんやりした考えを言葉にしてくれた気がして目が覚めるようだった、と社会のシガラミを知らない目で力説していました。
近くで聞いていた同僚が
「やっぱ金じゃねえよなあ」
と支社長理論の愚痴を言い合い、しばし盛り上がりました。


一体、先生って言うのは何の為にいるのだろう?
成績を上げるためだけに存在するものなのだろうか。
確かに民間企業だから、利潤追求を第一目的とすることはわかる。


“教師”というのは、確かに職業の名ではある。
でも、“先生”っていうのは職業じゃない。
先生と言う言葉は、割に合わない仕事に奉仕する人たちへの、敬意を込めた称号だ。
金の為ばかりじゃないんだよ、馬鹿野郎。
支社長にそう言えばよかった。