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熱血青春日記(癒し系)
ゆう
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2005年09月07日(水)
酒と涙と男と女と社会学。

 今は台風の目のようで大変静かなのですが、今日は酷い雨でした。
 そんなわけで大学の講義も早めに切り上げてさっさと帰ることに。んで、ちょっと調べ物に飽きたので日記でも書いてます(駄)

 最近、自分の中で社会学が熱い。とうとう夏休みも終わってしまった今、大学では『ジェンダー論』という集中講義を受けています。2時限目から5時限目までぶっ通しの非常にきつい授業なのですが、社会学の中の一分野で主に社会学的性別差(例えば男性は働き、女性は家を守るというような性差)について論じる学問。流石に医学校ですから、生物学的な基礎を持つもの(解剖学的な構造の違い)として論じられています。その基礎である社会学の知識を得ようと友人と図書室から関係のありそうな本をかっさらってきて勉強していたわけですが、その社会学の中に「恋愛の社会学」というタイトルがありました。その中に
『恋愛は論じるものではなく、するものだ』
という名言を発見。さっそく「恋愛は暇人がするものだ」と言ってはばからない恋愛恐怖症患者のS田にこの名言を教えてあげました。「恋愛とは条件付けである」と言う徹底的な行動主義論者のT君と一緒に『恋愛は実証科学だ、実験が第一だ』と爆撃。お前らなんなんだとキレてました(笑)心理専攻組には色んな立場から研究しているやつがいるから議論が白熱しておもしろい。
 そんなこんなで勉強してるんだか遊んでるんだかわからない最近ですが、今日はマジメに前日の講義とグループワークの結果を踏まえて発表を行ったのです。テーマは『家事労働を考える』。アホなゆうさんはまたもやこの発表会の総合司会を担当することになったわけですが、コレがまたなかなか興味深い発表会でした。

 我々のグループでは、友人がなかなかに興味深いデータを引っ張ってきたので、それを活用することになりました。もし、主婦が職業だとしたら一体幾らの金額が支払われるか、ということを統計学的に調査。その結果、主婦、という職業は平均年収300万ほどの価値をもつ労働を行っているのだ。そんじょそこらのバイトより良い金額出てます。ところが実際に、家事労働に対して対価が支払われるわけではありません。この事を「Unpaid Work」(報酬なき労働)と言いますが、この無報酬労働に従事するのが日本国内では女性が圧倒的に多い。統計学的に見ても有意差(意味のある差)が認められますが、これは女性が家事労働向きだという結果なのか、ということについて論じるという、なんだか難しげに見えて簡単そうな、でも難しいどっちだよ的な発表会です。


 生物学的に見れば、育児には女性が必ず必要です。どこからを“育児"と定義するのか、僕は専門家ではないのでわかりませんが、妊娠から出産の10ヶ月10日は女性が担わなければならない役割です。医学的な研究論文からも、男性は子供を生み育てることができるかということについて、着床はしても流産か、着床後に消滅してしまうことが結論づけられています。それに、離乳食に移行する前は母乳を必要としますし、これは男性には担えない役割です。そりゃ、大手術でもすればできるかもしれないけど(^^;

 しかし、他の家事労働について生物学的見地からはどうか。これについては全く性差はないと考えられます。例えば介護現場で、同性でなければわからない痛み、苦しみがあったり、所謂下の世話や入浴時には不都合が生じるかもしれません。しかしそれを除いたとしても日常生活の中で、男でなければ、また女でなければ出来ないことなどあるでしょうか。育児だって、離乳してしまえば父親だけだって十分に育つんです。言ってしまえば遺伝的に繋がっている親じゃない赤の他人が育てたって何の問題もなく育つ。僕は発達行動学も発達心理学も専門ではないので詳しくはわかりませんが、よく育児現場では「母性」という言葉が強調されますけれども、医学的にも心理学的にも、必ず母親がいなければならないわけではないんです。育児に母親は欠かせないとする考え方を「母性神話」と言います。
 他にも例えば食事一つとっても、お母さんが作るのが当たり前になっている現代ですが、純粋に生物学的な見方だけすれば、個体差があるにしろ料理は男性のほうが向いているんです。なぜか。少しアレな話ですが、女性には生理というものがあります。この生理の前後で身体が求める栄養素が変動するため、女性の味覚というのが本人は意識しないレベルかもしれませんが、ガラリと変わります。そのためいつもより味付けが塩っぽくなったり、薄くなったりと味にバラつきが出てしまいます。一流コックに女性がいないのはそのためです。

 じゃ、生物学的に見れば男女カンケーないってことで、では終わらないのが現実の問題。そこで登場するのが社会学、という学問です。どこの先生が言っていたか忘れましたが、社会学と言うのは、普段目にする「当たり前」のことを、まるで異邦人のように立ち止まって考える感性を身につけるための学問領域。社会学の中では「お母さん、お弁当まだ?」が「当たり前」ではないのだ。

 歴史的に、その身体の解剖学的な構造の違いから、文明の曙の時代には、男性は狩猟に従事し、女性は家事労働というスタイルがとられてきました。それに対して何の疑問も抱かないままに時代は進んでいきました。ところが、文明が進歩するにつれて、必ずしも生物学的に「男は仕事、女は家庭」ではなくてもよくなってきたんです。だがその社会システムが修正されないままに現代まで来てしまった。そんな訳でいまだに「お母さんが家事をする」という“常識”が出来上がってしまって払拭されずにいるのです。
 生物学的な縛りもあります。女性が出産する場合、どうしても「産休」というのを取らなくてはなりません。出産が終わり、ある程度育児も終えて保育園などに送り出し、社会復帰しようと会社に戻ってきた場合、そこに彼女の席はないのです。仕事内容によっては復帰の可能性も考えられますが、例えば時代の先端を行くような企業の場合、長期休暇は致命傷になります。戻ってきたときそこに見知った風景はなく、また1からやりなおし。そんな社員を会社は雇っておくのかという問題。
 最近では男性の育児休暇を認める風潮もありますが、男性にとってもそれは同じことです。休暇を終えて帰ってきた頃には、部下に仕事を教えてもらうことになっていたりする。自分の抜けた穴をまわりがフォローしなければならず、余計な負担をかけさせてしまうことになる。仕事がそれで廻らなければ、代役をいれ、本人が帰って来たらお前なんていらないよ、と一蹴されてしまうケースだってあります。
 これについて男性は女性よりも平均寿命が5年短いという結果からも推測できるでしょう。5年という期間が統計学的に有意な差を持つのかどうかという結論をつけるにはデータが足りないのであくまで仮説ですが、こうした就労に関するストレスの多さが男性に重くのしかかり、平均寿命が5年短縮されているのかもしれない。その考えで行くと、日本の女性は世界一平均寿命が長い。食生活や人種など色んな変数は考えられますが、もしかしたら日本女性は世界で一番ストレスを感じなくてもいい幸せな人たちなのかもしれませんし、それだけ女性の社会進出が遅れている何よりの指標なのかもしれない。

 価値観は世代ごとに急激に変化します。昔にはありえなかった「主夫」という考え方が社会的に認知されるようになってきている。それを上の世代にどう伝えていくかが重要です。「お母さんが家事をする」なんて「当たり前」ではない。偉大な親に感謝しましょう、ということで。

 まあ、授業時間内だけで考えたことだから掘り下げが浅いんですが、(日本人の「和」の心なんかも絡んでくると思うし)そんなようなことを発表しました。文面だけ見てるとカッコよさげですが、実際に質疑応答に入ったら

Q「男女平等に家事をする、という考え方では外での仕事量が統計的に多い男性が不利ではありませんか?」
A「そこは愛でカバーします」

Q「共働きの家庭では家事がおろそかになりませんか?」
A「明日やればいんじゃね?」

 という超適当な応答でしたが(駄)
 総合司会も特に困ることなく進みました。なかなか頭使うなあ。知恵熱出るよ。