昨夜、妻との雑談の中で、さ〜〜〜っと閃いたことがあった。 妻の小学校では今、「総合」の時間を朝の15分の活動を週3日やることによって、 週1単位時間分に充てようという案が大いに支持されているというのである。 「そんな分割方式でもいいのか?」と驚いて訊いたら、 それは帯タイムといって、それでもいいと認められているのだという。 それを聞いたら、さっと閃いたわけである。 今やっている朝の読書を、10分×5日で週1時間分とする。。。
ほんの少し、本来の早朝読書の趣旨と異なる要素が入らざるを得なくなるかもしれないが、 こうすることのメリットは大きい。 授業という規定になることによって、先生たちは今よりも指導しやすくなるだろうし、 平気で何時間も遅刻してくる生徒が増えつつある、その歯止めになるだろう。 文部省の規定では週25時間やれば十分なはずなのに、 週30時間か、31か、32か、、、というバカげた論争が行われている中で、 7限目を設定することなしに、31時間、なんて曲芸もやってみせることができる。 (それにしても、ホントにこれはばかばかしい議論だ。 教師がここまで愚かになって、一体どうなってしまうのだろうか。。。) 何よりも、うんざりするような、わけのわからない、細かい、負担ばかり増える、 その癖、どうせ大した成果もなくて、机上のプランだけがもてはやされる 「総合」の時間を、もっとも実り多い時間にすることも可能である。
実際、多くの高校の教師が戸惑っているのである。 LTだけでも持て余している。それなのに、そこから進路関係の問題も「総合」に奪われる。 で、LTだけでなく、「総合」にもそれ以上に悪戦苦闘しなければならない。 進学校の多くは、最初からその時間は受験演習に充てて、有名無実にするつもりでいる。 それに比べれば、何と良心的な試みではないか。
学校で7、8人の人にこの考えを話してみた。ほとんど賛成の声を聞くことができた。 最後に話した教務主任は10分ずつの分割が認めてもらえるかどうかわからないと言った。 最初に話したのは、現に目下「総合」の企画作りにあくせくしている研修部主任だった。 彼は、それは可能だから提案してみたらいいのではないか、と言ってくれたけれど、 3時間後、資料の綴りを持ってきてくれて、引っかかるところがあるかもしれないから、 ちょっと読んで検討してみた方がいいと、資料を貸してくれた。
・・・まったく、読めば読むほどこういう資料には腹が立ってくるのである。 ていのいい机上の空論をお説きになっては悦に入っていらっしゃるのである。 いろいろな子どもを直視していない証拠である。 そうして、観念でしか子どもを見ていない証拠である。 何でこんなやつらに振り回されなければならないのであろうか。。。 まったくばかばかしい限りである。いつもそうなんだけど。。。
腹が立ってきたので、この件についての詳しいことは、また後日。
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