TENSEI塵語

2002年03月08日(金) 「砂の器」を見た

きょうは予想よりも早く帰れたので、帰路をCD屋寄り道コースにした。
そして、「砂の器」DVDを買って帰った。
一昨日、北さんに「宿命」のCDを貸す前にちょっと聞き直してみたら、
やっぱりこの映画も抗いがたい良さがあると思って、欲しくなったのである。

夕食後、やっぱりさっそく見たくなってしまった。
その前に見るべきものが、橋本さんが貸してくれた「屋根の上のVn弾き」を始めとして
いくつもあるのだけれど、やっぱりどうしても見たくなってしまった。

実にいい映画である。
清張原作の骨格に、肉や血色まで与えた映画だと言いたくなる。
戦後の音楽界に、あんな曲のあんなコンサートが脚光を浴びるなんてことはないはずでも、
清張原作どおりに現代音楽(コンピューターミュージック)では映画にならないし、
あの音楽をバックにした親子の旅の場面こそが、この映画の見所なのである。
また、最初から見直しても、実に緻密な構成で展開されている。
大学時代に有楽町の名画座で体験したとおり、
立ち見で見ていても、立っていることを忘れてしまうほどの名作である。
(そういう意味では、同じ監督の「事件」「鬼畜」も名作である)

しかし、このキャスト陣、何とかならなかったのかな、
と数度目かを見直して、改めて疑問に思う。
俳優がもっとうまかったら、文句なしに日本映画の代表的作品に推薦できるのに。。。

丹波哲郎は、全体としていい雰囲気を出しているけれど、肝心なところで説得力を欠く。
森田健作は、全体的に大根役者である。学芸会並みである。
そして、肝心の加藤剛。
ピアノを弾くまねも、指揮姿も、ちょっとひどすぎる。
せっかく親子の旅の映像とBGMに陶酔していても、
ピアニストの姿を見ると、興ざめしてしまうのである。
そうケチつけながらも、もう数回見直しているわけだけれど。。。

不思議でしょうがないのは、あれほど映像にこだわりを見せているのに、
俳優の動きが絵になってなくても、そこにはこだわってないことだ。


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