午前中の教科会議で、どうして国語科にこれだけの負担が来るのか、解せなかった。 それにもかかわらず、それぞれの個人的思惑が飛び出して、 こうなればよいと思っていたことが、ことごとく崩されて行く。 まぁ、二進も三進も行かんなぁ、、、と喫煙室でしばし思案して、 少なくとも担任数をひとつだけどこか他教科に回すしかないと結論が出て、 教科主任をあえて買って出て、教科主任会議に臨むことにした。 図書主任兼教科主任は、昔の図書主任なら楽勝だっただろうけど、 今の図書主任には、増やした仕事に支障があって困るけれど、やむを得ない。 その時教科主任をやってもいいと渋々申し出ていた人に任せていては、 本当に教科の負担を軽減してきてくれるか、不安だったからである。 今までも、たいていこういう期待は、裏切られている。
その時は、どうすればいいのか皆目見当がつかなかったけれど、 会議の席で、何か糸口を見つけて、どうにかしなければとだけ考えていた。 ところが、幸いにして、会議前に社会科主任とすれ違ったとき、 独自に算出した授業時間配当表を見せて、説明してくれた。 向こうとしても、そうすることによって自分の科の応援を期待していたわけである。 それは、理科と英語が持ち時間数が極端に少なく、負担が軽いので、 担任をもう少しお願いしようという筋だった。 そのために、失礼にならぬ程度の強硬な弁論を執拗に展開して、 何とか目的を果たすことができた。
この午後の会議に、何と4時間半も費やしている。 前半の2時間だけでも、もううんざりして、頭が変になりかけている。 こういう会議は、私的なわがままから上層部の失策まですべて背負い込んだ あちらを立てればこちらが立たずの混迷を運命づけられているから、 パズルを解くよりもうんと厄介なものである。 こういう論議に神経すり減らしている者がいる一方で、 家でくつろいでいる者もいる、その不条理はいったい何なのだろう。。。
会議が終わっても、3、4人の先生といろいろ話す必要があった。 とりあえずの解決はみたものの、重圧は増すばかりである。 すっきりするどころか、ますます憂鬱になるものである。 これで本当によかったのかと、疑問を引きずり続ける。
帰路に着きつつ、娘に電話で夕飯準備の指示をする。 妻もまだ帰っていない。 今年もますます多くの負担を押しつけられて、管理職と調整しているのだろう。 短大出だから管理職とか主任とかからは無縁だけれど、 子どもを育てる、子どもを活かす、という点においては、 私など足元にも及ばぬほど有能だから、いろいろと押しつけられてしまう。 駆け引きは有能でないので言いくるめられて、そのしわ寄せが家族に来る。 彼女が駆け引き上手なのは、相手が私の時だけである。
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