昨夜、菜々まつ様に活力をいただいた私は、きょうもがんばってつらい仕事に従事した。 きょうは入学生と保護者たちへのガイダンスの日だったが、 朝から放送機器の準備、、、なんてのは、どうということもない仕事である。 今回から自ら提案して、朝の読書とその本の用意について話すことになったのである。
私は、どうも今もって人前で話すのが苦手である。 なにしろ、中1の歳までは、人前では何一つろくに話せなかったのである。 人前で話すことについては、クラスのワースト3の地位を争っていたほどである。 あのころは、人前で話そうとすると頭が真っ白になるばかりでなく、 準備しようと思っても、話すべき何ものも思い浮かばなかったほどである。 今でも、自分の番が近くなると、話すべき内容が消えて見えなくなるとともに、 あれもこれもそれも次々に浮かんでくるという両極端が交錯して、 半ばパニック状態に陥ってしまう。会議の席でも似たようなものだ。 それでも、何とか予定していたことの8割程度を順序立てて話してしまうのは、 中・高時代に生徒会で、即座の答弁の修行を積ませてもらったおかげだろうか。。。 あのころは、職場の会議ではついぞ出会ったことのないほどのキレ者が何人もいて、 ちょっとでも言葉を誤ったり、言葉が足らなかったりしたら 取り返しのつかない事態に陥る恐れもあり、ホントに気の抜けない日々だったのだ。
読書の説明は、言い忘れたこともいくつかあったけど、 ちょっと予定時間を超過して終わって、午後は職員会議で「お願い」をさせてもらった。 実は、これはきょうの予定にないことだった。 でも、11時ごろ校長室に呼ばれて、「来年度も図書主任を」の依頼を受けた際、 来年度、読書時間をどのクラスも確実に確保できるべく考案した いびつな時間割案を認めてもらうために、きょうの職員会議での決定を願ったのだった。 前回の職員会議では、いろんな思惑が発言されて、紛糾し、収拾困難な様相だった。 きょうは、こうするしかもう選択肢がないんだということを説明して、 いびつな時間割で試行せざるを得ないことを理解してもらわなければならなかった。
ところがその前に1時間ほど準備できる時間があったのに、頭の中で渦巻いているだけで、 ちょっともその筋立てがメモできないのである。 もうホントに不甲斐ない限りである。情けない。 けれども、喋りはじめたら、ソフィストのような悠々たる弁論とまでは行かず、 言葉を探し探しの、詰まり詰まりの、甚だ頼りない演説ではあるけれど、 大体考えていたようなことを話すことができた。 大体私のスピーチは、会議でも結婚式でも、何でもこういう不器用なものになるのである。 今回は、私自身が、これは絶対いいと思っているわけでもないので、 まぁ、いわば、苦しい答弁、というべきものだから、なおさらである。
会議の面々を見渡すと、それでも何か言いたそうだが、 どう言おうかとまどっている姿もちらほら見える。 けれども、発言がないので、司会者が承認としてまとめてしまった。 後からひとつだけ意見が出たけれど、建設的な提案として処理されて、私の提案は決着。 運営委員会から数えると8度目の闘いで、ようやく決着したのだった。 実に後味の悪い決着ではあるけれど、条件整備だけきっちりやっておかないと、 次の段階に進めない。とにもかくにも、イヤ〜〜な役柄である。
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