TENSEI塵語

2002年04月08日(月) 心震わせる曲、を反省す

昨夜書いたものは、やっぱりどうもすっきりしない。
なぜそうなるかというと、実はいろいろな場面でかなり心を震わせていても、
高2からの数年間の間のマーラー体験が、さまざまの体験を曇らせてしまうというか、
あの感動に比べたら大したことはなかった、みたいなことになってしまうのである。

たとえば、さっき思い出したのは、エルガーのチェロ協奏曲だった。
わーーっとこちらをつかまえにやってきて泣かせてしまうほどの場面は、
第1楽章のたった2カ所である。そこはすごい熱っぽさである。
まさに、興奮のるつぼに入り込んでしまう。圧巻の水準である。
ところが、そうした大波も、案外あっけなく引いていってしまう。
何かもの足りない思いが残るし、2、3楽章まで聞いてももうそんなにおもしろくない。
それに対して、ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、全編すばらしい。
すみずみまで聞きたくなる。第2楽章など、特に泣かされる。
けれども、エルガーのあの2カ所ほどの興奮には至らない。

小学校3年生の時に、住んでいた郡上八幡町に岐阜交響楽団が来て、
小学校の講堂で休日に無料演奏会を開いた。
母に連れられて行ったその演奏会で、あくびをかみ殺しながら、
それでも、シューベルトの「未完成」はきれいな曲だと思い、
それ以上に、ハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」のワルツがすごく印象に残った。
「未完成」は中学時代に音楽狂になってすぐに何度も聞きまくったけれど、
「仮面舞踏会」は岐阜大学管弦楽団の演奏会で1度聞けたきりで、
あ、あの時の曲だ!! というすごい衝撃とともにさらに印象づけられた。
しかしなかなか聴く機会にめぐられないまま、次に出会ったのは10年前くらいだから、
あのころから20余年後、ということになる。
名駅のヤマギワだったと思うけれど、このワルツが流れていてハッと思い出した。
その時はなぜかCDを探すことに思い至らなかったのだけれど、
しばらくして、とりあえず吹奏楽版のCDを手に入れた。
それからしばらくして、吹奏楽譜を手に入れようと、
そのCDの楽団の事務局に電話を入れ、譜面担当者に電話を入れ、
その譜面の所有者である関西学院大学の吹奏楽部に電話を入れて、
ようやく楽譜を手に入れて、高校の部活で演奏した。
さらに、オケ版の演奏CDも手に入れた。
年を経て2度も演奏したこの曲(ワルツ)は今でも好きなのだが、
メロディーは実に魅力的だけれど、オーケストレーションも実にちゃちで、
とても上位にランキングできるほどの音楽ではない。
けれども、あの小学3年生のまったく平凡な坊主に与えた印象は並々でなかったのだ。

こういう感動の名曲というものは、やっぱり羅列すべきでない。
マーラーを知る以前とその後も区別しなきゃいけない。
年代によっても違うし、その時の精神状況によっても違う。
失意の中の感動もあれば、失恋の中での感動もあれば、孤独の淵での救いもあれば、
幸福感に満たされた共感もあれば、精神と因果関係をもたない感動もある。
演奏者によっても、泣けたり泣けなかったりする。
マーラーの音楽などはその最たるものだ。


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