TENSEI塵語

2002年06月15日(土) W杯への熱狂の中で

昨日は、日本がチュニジアを2対0で破り、決勝T戦進出という悲願を達成した。
4年前までは、世界的には問題外と言われるような位置にいたのに、
ここまで飛躍できたのは、今回の開催地が日本であるというだけでなく、
国内の選手たちが、自分のチームの活躍を目標にするとともに、
このW杯での勝利と、そこに自分も加われることを願っての切磋琢磨に努めたためだろう。

全国各地での熱狂ぶりはすごいものである。
サッカー見たさに学校をさぼろうとする生徒も増産しているようだし、
街のいろいろなところに集まって、戦況を見守り、ともに喜ぶ姿も多いようだ。
多くの人たちが、強制でなく、自分の心の欲求から心をひとつにできるというのは
数日前にも書いたように、それ自体はとてもいいことだと思う。
それは、社会生活、集団生活の中での大切な要素だと思うのである。

ところが、不穏な噂も入ってくるのである。
ある国では、自国のサッカーチームを負かしたチームの国籍の人たちを、
街中で攻撃したり迫害したりした一団があるそうだ。
こういうのは言語道断である。スポーツは国と国との戦争ではないのである。
日本国内にはまだこういう事件はないようだが、悲しい噂を聞く。
戦勝に酔いしれた応援者たちが、はめ外してむちゃくちゃやっていたという噂である。
豊田のスタジアムでは、1戦目はそういう応援の場として開放してたようだが、
あまりにもマナーが悪いということで、2、3戦目はやめてしまったという。
開催市から遠く離れた名古屋でも、勝利と酒に酔いしれた一部の連中が、
街中で交通妨害したり、大暴れしていたというような目撃者の話を聞いた。
何か、しばしば感じさせられることであるか、そういう類のいいことがあったりすると、
何でも許されて当然の無礼講的状況になると錯覚するバカな人種も世間にはいるらしい。
まったくアホらしい話で、こういうバカな連中のために、
純粋に喜び、純粋に楽しもうとしている人間の心は損なわれてしまうのである。

私自身は、さまざまなスポーツのW杯にしろ、オリンピックにしろ、甲子園大会にしろ、
夢中になれるものには、夢中になっていいと思う。
人を害さない、人に迷惑をかけない限りでなら、自分が達成したわけでなくても、
大いに羽目を外して喜べばいいし、ともに喜びを分かち合えばいい。
若者たちが、その日になすべきことを放っておいてサッカー観戦に夢中になってもいい。
そうして、その感動を与えてくれたのは何か、ということをしっかりかみしめて、
自分自身が生きていく糧にして欲しいと、おせっかい爺のごとく願ってしまうのである。
悲しいのは、勝ちが勝ったというだけのことで終わってしまうことである。
戦勝に酔いしれて大暴れした者も、学校をさぼってまで観戦したいと願った者も、
そういう連中に限って、騒ぐだけで、翌日からは怠惰な生活を継続するものである。


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