W杯、日本の決勝T第1戦は、0対1でベスト8進出は成らなかった。 残念ながらほとんど見ることはできず、最後の30分近くをカーラジオで聞いたのだが、 開始直後のトルコの1点がなかったら、ぜんぜん違う展開になっていたかもしれないと 思わせるような試合展開だと感じさせられた。 後半に入り、時間の経過に従って、トルコは徹底的に防御を厚くしたように思われる。 この点については、目で見ていないので確かなことは言えないけれど。。。
夜、ついついテレビをつけてしまったら、韓国vsイタリア戦をやっていた。 韓国も0対1で負けていた。あと20分くらいの試合だった。 韓国も日本と同じ運命かな?と思ったけど、イタリアの選手に転倒が多いのが気になった。 ディフェンダーが強固に見えたけれども、イタリア選手の疲れが感じられた。 後半43分ごろの土壇場だったか、イタリア選手の動きが追いつかないという感じで、 韓国がシュートを決め、同点に追いついた。 すばらしい瞬間である。日本の応援者たちも、これを夢見ていたわけである。 その後の数分間にも、両者ともノーマークに近いシュートチャンスがあったけれど、 (それが勝敗の決定打となるのに)決まらなかった。
延長戦に入った。その後半には、イタリアは9人に減っていた。 イタリアの攻撃場面になると、イタリア選手が少なすぎる。 これではなかなか得点チャンスにするのは難しいように思われた。 それでも、両者なかなかシュートが決まらず、PK戦かな、と思わせた。 けれども、韓国の勝利は、延長戦終了まであと5分の土壇場に訪れた。 サイドから蹴り込んだボールをヘディングして、それがゴールに入ったのである。
このヘディングシュートは、わずかにかすったようなヘディングだった。 まともに当たってたら、キーパーの守備範囲内に捕らえられていたかもしれない。 けれども、まともに当たらなかったおかげで、球筋を少し変えた程度で、 ゴールの隅に転がり込んで、キーパーにも届かず、天地の差となる1点となった。 実力差のない勝負とは、こういう微妙な違いで明暗を分ける。 彼らと我々が試合をしたら、90分で100対0も不可能でないけれど、 彼ら同士の闘いでは、わずか1センチ、そして、一瞬の妙のやりとりなのである。 野球でも、セカンドフライとホームランの差は紙一重なのだろう。 その一瞬や、何ミリに賭ける、精神の闘いなのである。 それが、見ている者の心をも震わせるのである。
ただ、野球の場合は、ひいきのチームでないとなかなか興味を引かないけれど、 サッカーはそんなこと関係なしに、見始めたら行く末を見守りたくなる。 1点の重みのせいだろうか? その代わり、例えば5対0で後半に入ったら、野球だとまだ逆転を夢見て見続けるけど、 サッカーだとまったく見る気がなくなってしまう。 これはあくまでも、私自身の感覚であって、 サッカーファンは、そんなことないぞ、と反論するかもしれないけど。。。
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