新指導要領の国語科の説明とかいうことで、教育センターまで行くはめに。早朝から2時間近い旅になった。 苦労して行って、ムカムカさせられるばかりの講習会だった。
新指導要領では、「論理的に意見を述べる能力」「適切に表現する能力」の育成が 特筆すべき目玉らしくて、配当時間についても指定されているようである。 年間140時間として、「話す・聞く」に15時間、「書く」に30時間などと。。。 言語活動例として、講師はすごく具体的なつもりかもしれないが、 「スピーチ・説明」「報告・発表」「話し合い・討論」などとあげている。
彼らにとっては、画期的な発想なのだろうか?? なぜ、こんなあたりまえのことを仰々しく、しかも浅薄に講習しなきゃならないのか?? そんなこと、教員になる前から、あったりまえにわかっとるわぃ!!と、 ただただ、ばかばかしく、腹立たしい限りである。 そんなことは、たいていの国語教員がこうしたいと望みながら、 どうしてもなしえないために、苦しみ続けていることである。 大体において、四半世紀前、考えない、物言わぬ学生こそ良しとして、 自治活動をことごとくぶっ潰してきたのは、誰だったのか。 正義よりも、わがまま勝手を見て見ぬフリをするようにし向けてきたのは誰だったのか。 無気力・無関心・無責任を助長させて良しとしてきたのは誰だったのか。
それだけではなく、こういう指示を下す人々は、高校生の実体をどう見ているのだろうか。 学校によっては、1時間静かに座らせたままで授業を進めるのが至難の業である。 やっとこさ秩序維持に成功したとしても、自由発言を求めた途端に、 私語の嵐となり、授業とは無関係の大騒ぎが始まったりもするのである。 悲しいけれど、それが実態である。
まだまだ言いたいことは山ほどあるのだが、講習会でも言いたくてしょうがなかったが、 わずかな質疑応答の時間に、整理して簡潔に言えるほど内容がまとまらなかった。 もう悔しい限りである。言いたいことがあまりにも多すぎたのである。 てめぇらは何も知らぬアホだ、と講師にも司会にも、主催者側の全員にぶちまけたかった。
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