貴乃花の脚を破壊してしまったあの優勝劇はいつだったかと、 この日記の記述を探すのに思わぬ時間を費やしてしまった。 2001年の5月27日だったようだ。1年半以上も前のことである。 そんなに前のことだとは思えなかったので、なかなか見つからなかった。 そんなに前のことだと思えなかったのは、貴乃花が休場している場所でも、 いろいろな取り組みを見ながら、その姿に物足りなさを感じ、 貴乃花の芸術品のような取り組みを心の中で反芻していたためだろう。
貴乃花のインタビューはひどい。 取り組み前の、トロンとした視線でタラタラやってるような仕切も嫌いだった。 けれども、時間いっぱいになってぶつかり合った瞬間から、 その動きは、これぞ相撲の模範とでもいうべき、芸術的な動きになる。 かつて私がもっとも好きな取り組みは、輪島−北の湖戦だったし、 二子山親方の現役時代や千代の富士のような柔軟かつ力のある力士にも感服していたが、 もう少しで、そうした名力士を総合したような横綱になりそうな気がしていた。 ところが、あの怪我である。 読み返してみると、14日目の武双山のまわしの緩かったことがわざわいした、とある。 本当にくやしい話である。
引退はやむを得ないと思う。 1年半も体調万全でない期間が続いたら、体力の衰えも当然だろう。 脚が治りきらないのに、出場を促した相撲協会の気持ちも、 その都度、もうちょっとそっとしといてやれよー、と思ったものだが、 急かす理由が理解できないわけではない。 いずれにせよ、何場所も休まねばならないようだったら、普通はクビなのだ。 けれども、その引退があまりにも淋しいのは、 ああいう相撲をとれる力士が、他に育っていないからなのである。
大相撲ダイジェストを見たら、貴乃花引退特集と称して、 22回の優勝を決めた一番を全部見せてくれた。 若いころは小さい体で、父親譲りの粘りのある相撲をしてたんだな、と再認識した。 確かに、強敵不在の中で、最年少昇進記録をいくつもぬりかえてきたかもしれないが、 ある時期から、粘りと力と型とを調和させた取り口になってきている。 あの怪我さえなければ、そういう典型的な相撲の型を体現してくれたに違いない。 私が口惜しいと思うのは、それが中座してしまったからである。
大相撲ダイジェストは、きょうの主な取り組みを駆け足で見せてくれたが、 期待する若の里も琴光喜も、貴乃花相撲とはほど遠い。 相撲の新たな楽しみを見つけるのに、かなり時間がかかりそうである。
|