先日、本屋でたまたまPHP文庫の、 「相対性理論を楽しむ本」 「量子論を楽しむ本」 「最新宇宙論と天文学を楽しむ本」 の3冊を見つけて買い、何度目の挑戦になるか、相対性理論入門を試みることにした。 今まで、こんなのはぜんぜんわからん、とあきらめていた分野である。 けれども、この「相対性理論を楽しむ本」は、題のとおり楽しんで読むことができた。 途中までをわかる範囲で要約してみる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「相対性理論」の「相対」とは、 「他との関係の中で成立する」という意味とともに、 「どれも正しい」「どれも平等に価値がある」という意味でもある。
「特殊相対性理論」と「一般相対性理論」がある。 「特殊相対性理論」は「制限つきの(限定的な)相対性理論」で、 物理的現象を観測する人が等速直線運動をしている場合に限ったものである。 「一般相対性理論」は、それを拡げて、加速度運動の場合にも使えるものである。
船のマストの上から石を落とすと、 船に乗っている人から見ると真下に落ちているけれど、 地上で船を眺めている人には、放物線を描いて落ちるように見える。
電車の車両の中央から、2つのボールを同時に前後に同じ速度で投げると、 同時に前後のドアに当たる。 けれども、地上にいる人が、その走っている電車の中の様子を見ると、 後ろに向けて投げられたボールは短い距離を遅く、 前方に向けて投げられたボールは長い距離を速く進んで同時に当たる。
光の速度は秒速30万キロメートルである。 この光の速度は、どう実験を重ねても、常に同じである。 物の運動の場合には「速度合成の法則」があるけれども、 光の運動の場合には「速度合成の法則」は通用しない。 それほど、光の速度というのは絶対的な数値を示している。
上の車両内での実験を、ボールに代えて光で行ったら、 見た目には、2方向の光が前後のドアに同時に達したように見えても、 実際には、後ろのドアにより速く達しているはずである。 車両の進行方向と同じであろうと逆であろうと、光の速度は変わらず、 距離は、後ろのドアまでの方が短くなるからである。
見た目には同じに見えても、実はわずかな誤差がある場合もあるのだ。 ボールの場合でも、同時に見えて、実は誤差があるのかも知れない。 あまりにもわずかな誤差なので、信じ込んでいるだけなのかもしれない。
光時計の実験。あくまでも、思考上の実験である。 15万キロメートルの長さの筒の中で、 光が往復30万キロメートルを往復すると1秒表示灯が点灯する。 その筒を、電車に乗せる。 電車に乗っている人は、その筒の中の光が真上に昇り、真下に降りて、 そうして1秒表示灯が点灯するのを見る。 けれども、地上に止まっている人が電車の中の筒を見ると、 光は真上・真下でなく、斜めに進むのである。 斜めに進むということは、距離が長くなるのであるが、 1秒表示灯の点灯するタイミングは、電車内の人が見るのと同じである。 地上から見ている人にとって、光は時速30万キロ以上で進んだのではない。 光はそういう影響をまったく受けないで、常に不変の速度で運動する。 ということは、動いている電車の中では、1秒がより長い、 1秒たつことがより遅い、ということになる。 これは、地上に置いた筒を電車内の人が見た場合でも同じである。 その立場によって、時間の長さが違うということが、 俄には信じがたいことだけれども、否定できないのである。
より長い、より遅い、といっても、日常生活では気づくほどのものではない。 秒速20キロメートルの、現実では超高速の宇宙ロケットでも、 計算上、16年間の間に1秒遅れる程度の遅れに過ぎない。 日常生活の中で気づくはずもない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨日ここまで読んだときに、もうやめられなくなった。 なんというミステリーであろうか。 読み進むにつれて、ますます不思議の世界へと、そして宇宙の不思議へと誘われる。
上に要約したのは、まだ「特殊相対性理論」の段階である。 「一般相対性理論」はさすがに難解だし、宇宙論も俄には信じがたい。 時間のとらえ方も、どうも私自身のとらえ方とちょっと違うような気もする。 けれども、この本は、驚異の認識をもたらしてくれたような、、、喜ばしい体験である。
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