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2001年04月15日(日) |
ひねくれててかわいくないの |
世の中には変わってると言われることをうれしがる人が居るようだけどあたしには信じがたい。それは本当におかしいところまでいってないのだと思う。 あたしは変わってるとか云われるのが好きじゃない。それは個性ですよなんて言葉は慰めにさえならない。自分のそういう異端な部分で傷を負ってないからそういったことが平気で云えるんだと思う。感受性が強いとかいわれるのも戸惑う。
この前も卑猥な言葉をぽんぽん投げつけてくる人に抗議した。 あたしの意見は聞き入れて貰えたのだけど、「君は自分の意見を押し付けている、その限り僕とは対等にはなれない」 と言われつつも相手のほうが大人なので、 「どんなことでも理解するつもりで居るから何でも話してくれていいですよ」 と言っていただいた。 あたしは自分の記録を読み返して、ここまで曝せるのは顔が見えないからだと思った。弱みを曝せるのが仲の良い証拠だとは思わないけど。 でもこんな事を打ち明けるのはやはり怖じ気づく。 傷は芋蔓式に出てくるし。 差別は常だ。 神経症だと打ち明けられて全く怯まない人なんて居ないと想う。 心の風邪などと捉えてくれる人はどれくらい居るのだろう。 それでもあたしを今までのあたしと変わらず付き合ってくれるのは、あたしに対する愛と信頼があるからだと想う。 今ALL ABOUT MEを見返したのだけど、 友人に求める特質にあたしは 1 差別しないこと 2 信じてくれること 3 愛してくれること を挙げていた。 神経症だと打ち明けてもひかないで心配してくれる友人が あたしにはきちんと居るのだけど、 あたしの悪いところはそれ以外の人は要らないと思ってしまうことだ。 人を切ることは常だった。
前述の人にもいったのだけど、 「あたしの傷なんて曝しものにしかならない」と本当に想う。 軽い躁鬱状態だったとき先生に 「先生あたしこんなに醜態曝してて、みっともなくて、 ひとに厭な思いさせてて生きてる意味在るのか判らない。 あたしもっとかっこよく生きていきたいのに。」 と診察室で泣いたとき、先生は 「生きてていいんですよ。意味なんてこれから見つけて行くんです」 と慰めてくださったのだけど。
傷のことは同じくらいの傷がある人にしか判って貰えないような気がする。 断言するのは危険なのでそれはしないけど。
るう
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