家族の幸せ1


 過去 : 未来 : メール 2003年05月23日(金)


今朝携帯に着信のお知らせがあった。

子ども達が幼稚園に行ってたときPTAの副会長サンをやった。
小さな幼稚園だったので3年のうちに1回は必ずやらなければならない。

同じ役員の中に外国人のシンリ−さんがいた。
彼女は日本にずいぶん10年くらいいたんだがあまり日本語が得意ではなくて友達があまりいなかったから、幼稚園の役員をやって友達を作ろうとしたらしい。

彼女の旦那さんはある学校で教鞭をとっていた。

子どもはうちの子と仲良く遊んでくれる(ケンカもずいぶんしたけど)女の子と男の子。二人とも日本で生まれ育っているので日本語は親よりも上手だった。



あるクリスマスシーズンに私たちは電車にのって名古屋のタワーズライツを見にいった。子ども連れでお互い旦那抜きで夕飯も食べて夜の街に繰り出すのは何だかワクワクした。そして帰りの電車では乗客はまったくいない車両で子ども達は「だるまさんが転んだ」をやり始めた。何だか銀河鉄道999の気分だった。



汚い居酒屋を借りて子ども達の合同誕生日パーティをしたこともあった。夜は大カラオケ大会。子ども達はおお喜びだった。ボーリングもしたっけか。
彼らは子どもを巻き込んでの楽しみ方をよく知っている。


シンリーは私のことをずいぶん頼ってくれた。私もこのEnglish speakerと友達になって自分の英語を磨こう!なんていう下心はどっかにいって真に彼女が好きになっていた。私たちは一緒にいるといっつも笑ってばっかりいた。彼女は本当に前向きな人だった。



ある日、彼女は急に自分の国へ帰ることになった。
私はシンディーが日頃子どもの英語力が低いとぼやいていたのでそろそろ子ども達も大きくなったから帰るのかな〜とくらいしか思っていなかった。



私たちは一緒に高山旅行にでかけた。
子どもたちがホテルの温泉にお父さんたちと入っている間に私たちはアイスクリームを食べることにした。


そこで彼女は国へ帰る本当の理由を話してくれた。




それは彼女の旦那さんが女子学生に手を出してそれをその学生が学校に訴えて学校側がその学生だけの意見をのみ、だれも彼を擁護するものはなくいずれは新聞沙汰にもなるという話だった。

彼女は子ども達を非難の目から守るために新聞沙汰になる前に帰るというのだ。そして旦那さんは日本で罪をつぐなってからじゃないと日本を出られないから一緒に帰れるはずもなく、また彼は日本で同じように教鞭を取ることも不可能になってしまったと言っていた。だから今度いつ彼と暮らせるのかわからない。




私は旦那さんが本当にその事件を起したのかどうかということよりも、まずシンディーの今の気持ちを考えるといたたまれなくなった。


彼女は言った。



"I don't cry. I don't cry."



私は真っ赤な目でそういう彼女を抱きしめた。

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