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最後の日 - 2001年06月28日(木) 次の週には一緒に旅行に行くはずだった。「一緒に曲作ろう」とも言ってくれてた。「そんなのわたし、出来ないよ」「きみがこういうのがいいっていってくれたら、それを僕がメロディーにするから」。そんな素敵なことが出来るんだ、ってどきどきしてたのに。 「もう会わないでいよう」。 そう言ったのはあの人だった。わたしが日本にいる間にわたしの秘密を見つけた夫は、あの人を脅した。夫から送られてきたメールに、あの人は怯えてた。わたしの不注意だった。夫はわたしのあの人専用のメールアドレスを見つけて、「秘密の質問」の答えをいとも簡単に探り当てた。バカみたいにまじめに作った「質問」に、わたしはバカみたいに正直な「答え」を入れてたから。夫ならわかる答えだった。夫はわたしとあの人のメールのやりとりを全部読んでしまった。 「もう隠さなくていいよ。全部知ってしまったから」。夫から日本にメールが届いた。「彼からも連絡があっただろう? 僕がメールを送ったから」。 血の気が引いた。絶対あってはならないことが起こってしまった。すぐにあの人に電話した。あの人はまだ夫からのメールを読んでなかった。読んだあの人は、夫と話をするから電話番号を教えてほしいと言った。怖かった。「なんで? 何を話すの? なんて言うの?」「大丈夫だから。心配しないで」。あの人の口調は優しかったけど強くて、わたしはそれ以上抵抗出来ずに、番号を教えた。 ふたりがどんな話をしたのか、本当のところはわたしには今でもわからない。 「だんなさん、きみのこと心配してた。電話してあげて」。わたしは黙ってた。夫のことより、夫とわたしのことより、あの人が心配だった。夫がどんなメールを送ったのか、聞いてもあの人は教えてくれなかった。夫が脅したということだけはわかった。「心配しなくていいよ」。あの人はそう言ったけど、だいたいは察しがついた。夫のしそうなことだ。わたしにはわかる。「今電話してあげて」。もう一度そう言ったあの人の言うとおりに、わたしは電話をかけた。 「とんでもない男だったよ」と夫は言った。「もう忘れるね? きみは悪い夢を見てたんだ。取り返しのつかないことになる前にわかってよかったよ」。夫はあの人をまるで犯罪者のように言った。あの人は「とんでもない男」を装ってくれたんだ。 「もう会わないでいよう。僕は申し訳ないと思ったよ、きみのだんなさんに。」 気が動転した。いや。いやだ。いやだ。そんなこと言わないで。 「あたし、どっちか選べっていわれたら、あなたを選ぶ。」 そのときのわたしには、それが全てだった。わたしは泣きながら訴えるように言った。あの人はそれに答えなかった。 「これだけはわかって。このことで僕がきみのことを、きみとのことを、嫌になったっていうんじゃない。ただ今は会わないほうがいい。来週会う約束はやめよう。きみが日本にいるあいだはもう会わない方がいいよ。」 冷静な口調だったけど、あの人は怯えてた。話をするほどに怯えが伝わってきた。 「友だちや家族にまで迷惑はかけられない。それから、彼女もいる。」 最後の一言がきつかった。だけど、それよりもあの人の怯えを取り除いてあげたかった。あの人をこんなにも怯えさせた夫が許せなかった。わたしがあなたを守ってあげる。どんなことしてでも、アノヒトからあなたを守ってあげる。アノヒトに、あなたが心配してるようなこと、絶対にさせない。そんなこと、絶対起こさせない。会うことが怖いというのは、わかってた。それでも会わなくちゃ伝えられない。顔を見て、伝えなくちゃいけない。 「もう一度だけ、会って。少しでいいから、どうしても話したい。ちゃんと顔を見なくちゃ話せない。お願い。会って。」 あの人の街からはうんと離れた友だちのところにいたわたしは、すぐには飛んで行けなかったし、あの人もそれは望んでなかった。何日かおいてから会うことを、あの人はやっと承諾してくれた。突然訪れた最後の日だった。 日記が見つかる心配をしたからか、同じ季節がやってきたからか、あの人がこのごろ優しすぎるからか、ずっと思い出してる。優しすぎるから怖いよ。悪いことはいつも突然やって来る。 -
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