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声で抱かれる - 2001年08月06日(月) 6時に終わるはずの仕事が、カウンセリングが伸びて、ドクターに別の患者さんのことで引き留められて、焦るからコンピューターに患者さんのデータをインプットするのを間違えて間違えて進まなくて、おまけに白衣を脱いだ瞬間に指輪がすぽーんと抜けて飛んで、どこに落っこったかわかんなくて探して探して、病院を出たのが6時25分だった。 車をぶっ飛ばす。渋滞を縫いながらちょっとでも隙間が出来るとレーンを変えて、ベルトのないヒールのサンダルは足が滑るから裸足になって、脱いだ右足のサンダルを助手席に置いて、急ブレーキかけるとシートの前に落ちるからブレーキ踏む寸前に右手でバッグとサンダルをしっかと押さえて、3回くらい後ろの車にホンクされて、高速を出たのが7時だった。 速い速い。やっと落ち着いてハイウェイは普通に飛ばして、ガスが無くなりかけてるけど明日の朝入れることにして、うちに着いたら7時半だった。 モーニングコールをかける時間。間に合った。 あの人はもう起きていた。 夕べは殆ど寝ずに仕事に行った。くたびれた声がだらーっと伸びて、しゃきっとできない。モーニングコールの前にちゃんと起きたあの人に「いつもと逆だね」って言われた。 夕べ、寝つけなかった。寝つけないからよけいなこと考えたのか、よけいなこと考えたから寝られなくなったのか。急に不安になって悲しくなって淋しくなって、どうしても声が聞きたくなった。だめって頭は思ってるのに、声を聞かなくちゃどうにかなりそうで、電話をかけてしまった。日本は夕方で、ちょうどふたつの仕事の合間であの人はうちにいた。びっくりした。仕事中だとすぐに切らなくちゃと思ってのに。声を聞いたら安心して涙が出た。泣くからあの人が心配する。不安になった理由はあったけど、言いたくなかった。彼女のことじゃなくて、別のこと。言わないからあの人がよけいに心配する。促されておそるおそる話してみたら、あの人は怒った。「僕を信用してないの? 僕が信じられないの?」。そう、そういう類のこと。それから話がおかしな方向に展開してく。そんなつもりはなかったのに。 あの人はこういうのを「ケンカ」って言う。わたしはケンカだなんて思ってない。でももうケンカなんかしたくないから、仲直りしようってあの人が言う。 「ほっぺた出してごらん。」 「ほっぺたじゃいやだ。」 「じゃあ、どこ?」 「くち。」 そして電話越しにキスしてくれる。 こんな瞬間が欲しくて、あの人に絡んでるのかなって思う。 「もう一回。」 またキスしてくれる。 「もっとして。」 笑いながら、またくれる。 「くち」なんて言ったから、電話のキスなのになんだか体に熱いものが走る。目の前にあの人がいるみたいで、腕を伸ばしたくなる。抱きしめてほしい。抱きしめてほしい。抱きしめたい。抱きしめたい。 「ねえ、しようか。」 あの人が囁く。 「だって、仕事は?」 「まだ時間あるから。」 電話越しに抱きしめられる。あの人の声に抱きしめられる。からだが溶けていく。そばにいるみたい。息がかかるみたい。髪に触れられそう。顔に触れられそう。指に触れられそう。愛おしくなる。愛おしくなる。あの時みたい。あの時を思い出す。もっと溶けていく。溶けていく。これは妄想? 違う。電話を越えて届くあの人の腕の中。 甘くて不思議な時間。夢みたいじゃなくて、見えないあの人を感じた。そばに感じた。中に感じた。 あの人が素敵なジョークを言って、わたしはくすくす笑いながら、電話の向こう側とこっち側に戻った。そして、いつもみたいなおしゃべりを始める。 「明日、起こしてくれる? 僕のこと信じなかった罰だよ。」 「わかった。じゃあ、頑張ってその時間に帰ってくる。」 「いいよ、ちょっとくらい遅くなっても。・・・もうちゃんと信じる?」 「多分ね。」 「なんだよ、それー。」 今までで一番素敵な魔法だったよ。 -
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