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行く - 2001年09月06日(木) ドクターはわたしのことを、日本人に見えないっていまだに言う。アジア系のハーフかなとは思ってたけどって。「絶対日本人じゃないよ。嘘だろ、日本人って」「なんでよ。正真正銘の日本人だよ。日本人ってどんなのよ? あたしはどう違うの?」「違うよ。日本人の顔じゃない。日本人はそんな顔してない」。わかんないよ。確かに、日本人の女の子ってもっと楚々としててきちんとしてて、柔らかくて儚げだとは思うけど。わたしって、粗雑で野蛮っぽい顔してるのかな。 証拠に日本語しゃべってみてよって、日本語知らないくせに言う。 「おなかすいた」とか「眠たい」とか、しょうもないことしか思いつかない。 「じゃあさ、おもしろいこと教えてあげる。英語じゃ『来る』っていうでしょ? 日本語は『行く』って言うんだよ。」 「へえ? なんで『行く』なんだろ?」 「わかんない。come の意味の『行く』だとは思うけどね。でも単語にすると『行く』なの。」 ドクターと話してると、いくらでもおしゃべりが続く。時間が経つのを忘れる。「ジムに行く時間、なくなっちゃったよ」って言いながら、「泊まってく?」ってドクターは聞く。だめだよ。あんな背中の開いた短いドレスで仕事に行けるわけないじゃん。 「きみと話してると、すぐ時間が経っちゃうよ」って、またあの人の言葉を思い出す。 わたしはドクターの腕の中で言う。 「お願いがあるの。」 「何?」 「Let me go. I wanna go.」 「わかった。」 ドクターは上体を起こす。帰りたいって言ってると思ってる。わたしはくすっと笑って言う。 「わかってない。」 そして抱きつく。 「・・・。日本語の You wanna go?」 「そう。」 「だって、生理だろ?」 「できるよ。」 「どうやって? 手で?」 「うん。」 ドクターはわたしを抱いてくれる。さっきのお返し。 「I came」って言ってから、「I went」って言い直してわたしは笑う。 「どこに行ったの?」ってドクターが聞く。 「天国。天国に行って帰って来た」。 ドクターは笑いながら、抱きしめてくれる。 今日はわたしは一日いつもと違うフロアで仕事だった。昨日の病棟の患者さんが気になって立ち寄ったときに、廊下を向こうに歩いてくドクターの後ろ姿をちらっと見かけただけだった。帰る時にペイジする。ER にいるって言う。「帰るの?」「うん」「ギフトショップのとこまで来れる?」「うん。でも ER でしょ? 抜けられるの?」「今ならちょっとだけ。顔見てバイって言いたいから」。 「今日はどうだった? 一日顔見なかったね」「あたしは見たよ、後ろ姿ちらっと」。いつも、仕事のことをどうだった?って聞いてくれる。あの人と一緒。ドクターは今日もまた泊まりらしい。夜電話するよって言ってくれる。 今日はとても辛い患者さんを二人診た。知らない男に性暴行を受けて、4日間吐き続けて高熱が下がらない小児科の ICU の13歳の女の子。お母さんがストローでジュースを飲ませようとしても、イヤイヤをして泣き続ける。それから、何もしゃべられなくなって、何も食べられなくなった、精神科の韓国人の35歳の女の人。来ていたお姉さんに、「お家で食べてる韓国の食事、彼女の好きなものなんでも持って来てあげてください」ってお願いする。土色の顔は無表情で、生きてる人とは思えない。 苦しい思いをいっぱい抱えて、それでも人は生かされる。 わたしはいつも思う。だから天国はきっととても幸せなところなんだって。あの娘が教えてくれたように。そして、どんな人だって、必ずみんな天国に行って、幸せに暮らせるんだって。 あの人の声が聞けるまで、あと4日。 -
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