一橋的雑記所
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2005年01月22日(土) |
たとへば其処に在ること。 |
それだけで心を満たす存在があって。 それは決して「永遠」なんて不確かな色を纏う事無く。 それでも確かに其処に在るもので。
そのことがただ。 その現在がただ。 嬉しかったり幸せだったりするだけなのです。
そんな感じで。
少しポジティブな書き出しなどを試みてみたりする。 胡乱が枕詞の一橋にて御座いますです、皆さま、ごきげんやう……(平伏)。
といふのも。
己の落ち込みの根底には。 己自身が如何に信用の置けない人間であるか、といふ。 自己評価が横たわっており。 多分にそれは。 他者に対する期待、の大きさとも深く関わるものですから。 他者への期待とか甘えはそして。 他者への評価の手前勝手な厳しさとも表裏一体な訳で。
余計に。 落ち込む行為そのものに対する自己嫌悪やら何やらも綯い交ぜになって。 どうにも浮上し難い域へ自身を追いやってしまうのですが。
最近になって。 そんな自分を少し距離を置いて眺めたり。 放置したり(ヲイ)できるやうになってきた感じがして。 それが、少しだけ、ではあるけれども。 己の気鬱を軽くするのに効果的な気がしていたりなど。
多分それは。 其処に居てくれるだけで良いからと。 側に居てくれるだけで良いからと。 本当に想ったり、想われたりする相手が己には。 少なくとも今この瞬間には、居るといふことを。 以前よりは無条件に、肯定する事が出来るやうになったからだと思っていたり。
ええと。
言葉にして説明したり分析したりすると。 何故にこうも胡乱で掴み所無くそして意味不明な代物にしかならぬのか(汗)。
つか。
ちょいと唐突ですが。 ここに。 姉妹制度、といふものがありまして。
これは。 己が愛する作品『マリア様がみてる』に存在する制度でありますですが。 此処においては詳細を説明するのは、まあ、今更な感も御座います故、割愛(え?)。
で。 その形や内実や現れ方はそれこそ、作品文中にある通り。 「百組いれば百通り」なものなのでありますですが。
今の己にも有り難い事に。 お姉さまと呼び、妹さまと呼び得る方が存在するのでありますですが。
己の不確かな心の在りやうに。 多分、独りでは持て余すしかなかった思考の迷走に。 シンプルで素直でとても有効な「重し」を与えて下さるものが。 己にとってのお姉さまであり、妹さまな訳なのでありますです。
己のやうな人間でも何処か安心して。 恐らく、馬鹿みたいに無条件に安心しきって。 誰かに想われていると信じたり。 誰かを想っていると信じて良いのだ、といふ。 奇跡的な関係といふ、「重し」。
「此処に居て良いのだ」といふ、単純明快な、許し。 それを信じる事が出来るか否かは結局は己の心の問題でしかないのだけれども。 そしてそれはもしかしたら、「マリみて」世界におけるそれのやうに。 あくまで「期間限定」なものでしかないのかもしれないけれども。
けれども。 永遠を信じなくても大丈夫。 今、こうして己が居る事、あなたが其処に居る事を。 何の留保もなく信じる事が出来るだけで。 どれだけ、この心が救わるか。
そしてそんな想いを。 己的お姉さまや妹さまだけではなく。 己が愛する人にもいつか、ちゃんと。 安心して示せる人に、存在に。 なれたらなあと、思えた事実が。
多分、今の己をこうしてこの地に繋ぎ留めて居てくれるのです。 光を求める心を、肯定させてくれるのです。
とはいっても。 喉元過ぎれば熱さ忘れる事甚だしい己的胡麻粒大脳味噌の事。
きっとまた直ぐに見失ったり自己嫌悪に陥って。 誰の目にも届かない。 誰の声も届かない所へ潜り込んだり引っ込んだり。 したくなっちゃう日が訪れる事もまた疑いない事実なのですが…(駄目ぢゃん)。
ともあれ。
今日この日。この時の己は。 そんな「重み」を支えに、何とか独りで立っておりますのです。
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