私は、中学校の頃、自分はもう死んでもいいな、と思っていた。 くだらない事なんだけど、もう、生きてても面白い事はそうそう 無いのだろう、と、察して、何もかもを解った気になって、 この世を儚んでいた。
今になって考えるけれど、小学校高学年〜中学、高校くらいって、 きっと誰もが一度はそう考えるのでは無いだろうか。
“死にたい”なんて、考えるのは何故だろう。
もう面白い事は無い。だけど、死ぬのは怖いから死ねない。 そう思ううちに大人になって、人生に対する焦燥感も薄れていく。
勿論大人になっても辛い事は無くならないし、寧ろ悩む事だって 多くなるけど、それでも、来週のサンデーとマガジンは読んでから 死にたい、とか、来月封切りの映画を観てからでも遅くは無い、 とか、せめて○○をやってから死のう。とか思っているうちに
“何、いつでも死ねるんだ、別に今日じゃなくても良かろう”と 思う気持ちが大きくなって、どうでも良くなってくるのである。
…最も、私は大切な人を既に死別で亡くしているので、残される 人の事を考えたら自殺なんてとても出来ない。私は私だけの 物だけれども、誰かを困らせる為に死ぬのは、ゴメンだ。だから、 どんなに辛くても、天寿を全うするまで自分では死なない。
後に残る人の涙は、死んだ人には解らないから。 誰が一番悲しいかって、それは残された人だからだ。 ずっと、そう思って生きていかなければならないなんて、 そっちの方が辛すぎる。死ぬのは簡単だ。だから生きていよう。 生きるほうが辛いんだよ。人は。
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