誰かと私の人生は、ベクトルが同じであっても、 同一になることは絶対に、無い。
それは、家族だろうと恋人だろうと、旦那だろうと そうだと思う。私は私。他人は他人。この間には溝がある。
この一線を踏み越えた時、人はダメになって行くのだと思う。 その溝の名は、『依存』と『妥協』と『惰性』である。
考えるのがメンドクサイ時がある。 人に流されれば楽な事もある。
だけど、NOとYESはしっかり言える自分でなくちゃ。 そう、言い聞かせている。
…彼が私を置いてパチンコに行ったら、それはそれで淋しい。 だけど、私だって私のやりたいことを邪魔されたくないから、 淋しいけど、OK。
私を全部、理解して、私の考えてる事が見透かすように、解ったら、 そこに恋はなくなるのでしょう。それが私にとって一番の悲しみ。
だから、時々行方不明になるから、私を必死で探して下さい。
私はバカのひとつ覚えみたいにあなたの人生にくっついて居たくは無い。
男と女は、昔ひとつの同じ生き物だったんだとか。 もしもその時“人間”が、「男」と「女」に分かれてなかったら、 今、出会って重なり合っても、何の感動も感覚も、満たされずに 居るのだろう。
誰かと触れ合って、摩擦で熱を感じたり、見詰め合ったりしたいのは、 そうして半身を確かめ合ってるからなのかな。
私たちは女と男だから、一緒になっちゃダメなんだ。 同じになっちゃダメなんだ。 それは、プライベートな部分。…それが一緒になっちゃったら、もうあなたと 居る意味はほとんど無いに等しい。
そうならないように、必死で逃げよう。抵抗しよう。
私があなたにならないように。あなたが私にならないように。
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