キレイな言葉はいくつもあるし、キレイな言葉で真実を 濁す事なんて割と簡単だ。結果が良くても悪くても、返事は ふたつ、用意されていて、その場に似合う言葉がいつでも 吐き出されるからだ。人はわりかしナルシストで、だから みんな長生きして行く訳なんだ。
テレビの中の2時間ドラマよりも辛辣で退屈。
事実はいつでもこんなんで、そんなにたくさんの起伏がある 訳でもなくて、だからみんなドラマを作りたがる。 単純な毎日を、普通に受け止めない。
私もそうだけど、奇麗事で終わらせればあとの心が痛まないから。
だけど、そんな言葉で飾りをつければ、自分の心の中身は スッキリするというのだろうか。ドラマや作り物の世界が提供 するストーリーは、全て自分以外のリアルじゃないもの。 なのにそれに沿った行動に自分を似せて、それで満足するのは なんで?
そんなものの為に生きているのだと思いたくは無い。 ただそこにある物をそこにある通りに受け止められたら、 それが汚くてもみっともなくても、誰も見ていなくても、いい。
誰かの為に生きるわけじゃないからだ。
他の人に評価される為でも、言いなりになるためでも、 お話しを作るためでもないことを確かめたいから、怒って、泣いて、 好きなようにする。そうでありたい。そうでありたい。 泣く人がいると、また思う。それでいいと、こっそり思って また文を書きつづける。
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