ケイケイの映画日記
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2025年08月09日(土) |
「あのこと」(Amazonプライム) |

衝撃でした。妊娠の週を知らせる字幕が出てきますが、それに連れ、私の感情も変化していきました。今から60数年前。女性には人権なんか無かったんだと、思い知らされます。監督はオードレイ・ディヴァン。2021年のヴェネチア映画祭金獅子賞受賞作。
1960年代の中絶は違法だった時代のフランス。前途洋々だった大学生のアンヌ(アナマリア・ヴァルトロメイ)は、妊娠します。作品は彼女が堕胎するまでの数週間を追って、進んで行きます。ただこれだけです。ドラマも何もなく、焦燥しているアンヌを映すだけ。それなのに、女性は女性であるだけで罪深いと言われているようで、私を暗澹たる気持ちにさせます。
労働者階級の生まれのアンヌは、容姿端麗でクレバーで、ちょっと小生意気。寮の友人もいて、男性にもモテる。それが彼女の妊娠を知ると、一変します。私も当初は、中絶ばかりに気が行き、反省やお腹の子に憐れみを持たない彼女に、疑問がありました。しかし、映画進むに連れ、友人に罵倒されたり距離を置かれるアンヌを観て、未婚で妊娠するのは、そんなに悪い事なのだろうか?と思い始めます。彼女は強盗をしたのか、人を殺したのか?未婚の妊娠は、そんなに大罪なのか?
何とかしようと焦る彼女は、自分で中絶手術を試みるも失敗。女性器を傷つけただけです。恐ろしい。かつてはこうやって、命を落としたり不妊になった女性もいたでしょう。お腹の子の父親とは、まだ付き合い始めたばかり。「まだケリがついていなかったの?」と言う彼氏に驚愕。あんたの子だよ。アンヌの心身のケアは我関せず、ひたすら一緒に遊ぶ友人の機嫌を損ねる事を心配する。全くの他人事です。
そうなんだ、そうなんだよ。一緒に快楽を共にするも、妊娠・出産の重荷を背負うのは女性だけなんだ。それは法整備の整った、今も変わらないです。中絶すると非難され、出産するとキャリアの停滞。この時代なら、停滞どころかキャリアの終焉です。中絶しか選択肢が無いのです。
大昔、1970年代に中ピ連という活動をしていた女性たちがいました。奇天烈な団体で、仇花のように短期間で散ってしまいましたが、確か主旨は、ピルの解禁だったと記憶しています。バイアグラは僅か数ヶ月で日本では認可されたのに、ピルの解禁は、確か十数年かかったと思います。女性だけに貞操観念を植え付け、男性は薬を用いてもセックスさせる。甚だ疑問です。やり方は拙かったのでしょうが、この作品を観て、中ピ連の主旨は、間違ってはいなかったと思いました。
男子の友人から、闇で中絶をしてくれる女性(アナ・ムグラリス)を紹介して貰うも、料金が高額。自分に期待している親には言えず、私物を売り、果ては売春してお金を用意するアンヌ。自分の人生が係っているのです。しかし、一回目で子供は下りず、命の危険を冒して二度目の手術。子供を出産のような形で産み落とす場面が苛烈。女性器の間から、へその緒が見えます。本当に観ていて辛い。
寮の友人に頼んでへその緒を切って貰うも、大量出血のアンヌ。誰にも言わないでと止めるのを振り切り、友人は医者を手配します。胎盤が残っていたのではないかと思いました。命を取り留めた後、作品は安堵の表情を浮かべて、試験を受けるアンヌを映して終わります。
でも私は思う。ここからがこの作品の訴えたい事では、ないかしら?あの苛烈な数週間を過ごしたアンヌは、この辛い記憶を一生抱えて生きていくのです。その事を知って欲しくて、過酷なアンヌを映したのではないでしょうか?そこに子供の父親はいない。一人で罪を背負い、一人で罰を受けるのです。とても理不尽な事だと思います。そこまで感じてこそ、この作品の感想が完結するのだと思う。
原作者のアニー・エルノーは、ほとんどが自分の自伝小説だそう。「事件」のタイトルで書かれた、この作品の原作も、そうなのでしょう。中絶が正か否かは、誰が考えても否定される事です。しかしその選択を余儀なくされたとして、女性が他者から非難される筋合いはないと、私は思います。世の中はまだまだ若い女性たちに冷たいのだと、今から60年前を描いた作品を観て、感じました。私たちのような、子供を産み育て、今は余生を送る者こそ、彼女たちの味方にならなくてはと、痛感しています。
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