無責任賛歌
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| 2001年04月30日(月) |
別れのトワレ/映画『名探偵コナン 天国へのカウントダウン』ほか |
先にお知らせ。 この日記にもたびたびギャグメーカーとして登場してくれる、私の女房であるが(そりゃ登場するわな)、こいつのことは今まで「女房」としか表記してこなかった。しかし、今回から改めて「しげ」と呼称することにする。 最近しょっちゅう女房は、「あなたは私への愛が足りないわっ!」と拗ねてるので、「女房」とか「家内」とか言う書き方もつっけんどんかなあ、と反省してやめることにしたのだ。もちろん、これは女房が自分でつけた芸名で、本名ではない。 掲示板等で女房のことを話題にしてくださる方も、よろしければ「しげさん」と気安く書いていただけるとありがたい。多分女房、もとい、しげもそれを喜ぶと思う。
なんだなんだ、今日は晴れると天気予報で言ってたのに、また雨が降ってやがるぞ。 しげは、「雨だよ、どうする?」と哀願するように私を見つめてくる。 「どうするったって、出かけるしかないじゃん。休みはもうないし。とりあえず昼まで待って、雨が止むようなら映画に行こうか」と答える。 それまではネットを回覧したり朝寝したり。
掲示板を開設して、早速友人や知人からの書き込みがあって、実はちょっとホッとしている。 こんなことを言っても誰も信じないかもしれないが、私はほかの人の掲示板に書きこんだり、メールを送ったりするのが無茶苦茶苦手である。 自分のようなつまらぬ人間が書き込みしたりメールを送りつけたりして、迷惑ではなかろうか、もしかしたら石を投げつけられ十字架に掛けられ大天使ミカエルにさらわれて釈迦や阿修羅王の監視役をさせられるのではないかと、内心ビクビクしているのだ。 ましてやフォーラムに長文の感想を書きこむなど、怖くてとてもできない。 ……ここで、やってるじゃんかと当然ツッコミが入るところでしょうが、だから、ニューヨークのスラム街で「ニ○ー!」と叫ぶくらいの勇気をふりしぼって書いてるんですってば。 その反動か、日記ではもう、私はかなり好き放題、まさしく無責任な態度で愚にもつかぬことを書き散らしている。 みんな私のこと嫌ってるだろうなあ、掲示板作っても何も書いてくれないだろうなあ、と、半ば閑古鳥が鳴くのを「覚悟」して、開設したのである。 それがもう、一日で何件もの書きこみ。これこそ感謝感激雨霰である。
日記ランキングでお知り合いになった少女漫画家さんから、「奥さんに優しくね」と書きこみしていただいたのはとても嬉しかった。 男はなかなか女ゴコロというものに気づかぬものらしい。 ほかの女性とのメールのやりとりをしげが嫉妬していること、私はワガママなやつだとしか受け取っていなかったのだが、「夫が自分以外の女性に時間とパワーを遣っているのは、浮気でなくても寂しいものです」という指摘は、そう言われるまで気付きもしなかった。 やはり私はしげに対していささか傲慢になっていたようだ。
「やっぱり女はみんな同じだよ」 と、しげは言う。 「俺がほかの人にしてることを自分にもされてないの、いやか?」 「うん。例えばあんた、昔の彼女と、空港でキスしたことあるでしょ?」 いきなり何を言い出すか、と焦った。 確かに私は、大学時代、上京していたので、福岡空港のロビーで当時の彼女にしばしの別れのキスをしたことがある。 ……青春野郎だったんだよ、悪いか(-_-;)。 「私にはしたことないじゃん、空港でのキス」 「……物理的にできねーだろ? 空港で別れ別れになるなんてことないんだから」 「でも今度、空港に行くじゃん」 「一緒に東京に行くんだろうが。別れるわけでもないのにキスなんかできるか」 「でも、別れる時あるじゃん」 「へ?」 「トイレに行くときとか」 ……わしゃトイレに行くたびにいちいち女房に「今からトイレに行くけど、待っててね。その間、キミが寂しくないよう、魔法をかけてあげるネ(はあと)」とか言ってキスせにゃならんのか!
それだけは絶対に避けたい。 空港でキスしない代わりと言ったらなんだが、今度からときどき女房にメールを送ることを約束する。 ああ、しかしもともとこの日記は私としげのおバカ日記にする予定だったのだ。いめーじは「ひろしとみさえ」。でもこのままでは、だんだん「ミッチーとよしりん」のノロケ日記に近くなってしまうぞ。どうしたらいいのだ。
昼から雨が上がったので、ワーナーマイカル大野城まで自転車をかっ飛ばして、『名探偵コナン 天国へのカウントダウン』を観に行く。 しげ、売店でコナンのポーチを買う。色は黒で金のメダルつき、シックでなかなかカッコイイ。私も『クレヨンしんちゃん』のハガキを手に入れてにやついている。おおっちゃんと太陽の塔が描かれてるぞ♪ ……病膏肓だなこりゃ。 場内アナウンスの「『クレヨンしんちゃん』は満席です、次の回を……」という声に、一人「よしよし」と頷く。 福岡では同時公開の『コナン』よりヒットしているのだ。公開期間は短いようだが、興行成績、結構いい線まで行くのではないか。
『名探偵コナン 天国へのカウントダウン』、アラはあちこちにあるが、ミステリーにアラはつきものなので、批判しだしたらキリがない。トリックがチャチ、というより無理があるのは毎回のことだし。 でも一応ネタバレしない程度に批判しとこう♪ 揚げ足取りだと言うやつもいるだろうが、ミステリーの批判は全て基本的に揚げ足取りになるものなのである。 今回の殺人の動機、江戸川乱歩の分類によるなら「異常な動機」の範疇に入るものだろう。でも「異常」ってことは普通の常識から言えば納得しがたい動機でもあるということだ。簡単に言えば「そんなつまらん理由で人殺すバカがいるか」ということなのだ。 犯人が、自分が犯人であるという証拠を、現場にあえて残していっているのも不自然。 感動シーンが今回、コナンと蘭、少年探偵団と、分散しているのもネックかな。サスベンスで見せる場合、基本ストーリーにサブストーリーが絡むと、失敗する例は多いのである。 他にも批判されて仕方ない面はいくつかあるが、全体として見れば、ストーリーを複雑にしすぎてかえってつまらなくなってはいるが、捻りの効いている部分もあり、まあまあの出来と言うところか。
大野城サティでヒレカツ、コロッケを買って、帰り道の途中の公園で、ピクニック気分で食べるつもりだったが、雨上がりの公園は妙にジトっとして、晴れやかな気分にはならないのだった。 帰宅して弁当を食べたあと、しげは仕事に備えて早寝。 私はエロの冒険者さんに借りていたDVD『怪獣ウラン』を返さねばならぬので、まだ見てなかったラストの部分を見る。
『怪獣ウラン』、邦題がまずいい加減で、「怪獣」ったってゴジラみたいなのでは全くなく、不定形生物である。 ドロドロしたモンスターと言えば、パッと思い出せるだけでも『ブロブ』『ターミネーター2』『美女と液体人間』『水神様がやってきた』などポツポツあるが、倒し方はもう、燃やすか流すか固めるかしかないのでオチが見えてしまうのが難点。 ストーリーは無難で、言いかえれば陳腐。でもB級SFと言っても、意味不明な描写が続くほどではないから、まあよくまとまっている方か。
8時にアクロス福岡前で待ち合わせして、AIQの方がたと中洲の「魚民」で飲み会。 なんだかなあ、大してスタッフワーク的なことしてないのにほとんど友達感覚でしょっちゅう顔を出してるけど、いいのかなあ。 でもいったんオタク話に花が咲くと、ほとんど傍若無人に振る舞っている。「人の迷惑顧みず、やってきました電線音頭」と言うヤツだな。 ノリにノって喋ってたおかげで何を食ったかほとんど覚えていない(^_^;)。 ああ、そうそう、金網籠に入った野菜をそのまままるごと、昆布のダシだけで鍋で湯がいた料理が美味しかったなあ。あの鍋はちょっと可愛らしくて欲しかった。100円ショップあたりで売ってないものだろうか。 日記に書かねばならぬので、みなさんのハンドルネームをお聞きするが、これをただ並べたら、もう印象は百鬼夜行である。 エロの冒険者さん、ゴクウさん、いちろうさん、しおやさん、アンジェリーナさん、都合で来られなかったが、ぴんでんさんとロデムさんが来てたら、さて、これはどういう集団なんだか(^^)。 でもウチの劇団の連中の芸名も並べてみると、ほとんどやおい同人誌のメンツだから、ヒトのことは言えないのである。 私のように普通っぽい名前の方が好きというのは珍しいのかなあ。でも、仮に私が「ロミオ剣崎」とか「にゃんころりん」とか言うペンネームを使っていたとしたら、多分劇団員から袋叩きにあうと思うんだが。
いつも話に出てくることではあるが、今回もしおやさんが「『ふゅーぷろ』と言って、何の解説も要らないというのはうれしいなあ」とおっしゃる。そりゃまだバックナンバー捨てずに持ってますもん。『奇天』も『幻影城』も全冊ウチにはあるのだ。カビてて古書としての価値はないけど。 でもそんなのはただの自慢話にしかならないので言わない。それにみなさん、どうせもっと凄いコレクションを持たれてるのに違いないのだ。 コレクションと言えば、先日この日記に書いた、しげ謹製のバチモン「しんちゃんサイン色紙」、しおやさんが「いいなあ、ほしいなあ」とおっしゃっていた。 確かにあれはしんちゃんとして書かれたものだし、今、しげに書かせたってそれは別のもの、その意味では「ホンモノ」として貴重かもしれないけど。 でももう少ししげに辛抱強い根性があれば、もっとイベント用のシナリオ、手に入ったろうになあ。
オタク話の全てを書いていたらスペースがいくらあっても足りない。 今回も箇条書き的に印象に残った話などいくつか。 ●ゴクウさんは「燃える闘魂」のTシャツを買って見せびらかしていた。これが赤地で超カッコイイ。英語だと「BURNING SPILITS」になるのだな。それからみんなで手もとにあるオタクグッズの見せ合い。 ●いちろうさんは脱脂粉乳が大好きだったそうだ。そんな人には初めて会った。ガキのころアレをムリヤリ飲まされて教育不信になった人間は多かろうに、やはり同世代だからと言って、ひとくくりで語るのは危険と言うものである。 ●アンジェリーナさんの職場の上司はホ○だそうである。しかも東大コンプレックスが強く、岡田斗司夫さんの本を「東大講師の方の本ですよ」と言ったら喜んで購入したそうな。……ちゃんと読んだのだろうか。 ●クーンツは「安っぽいスティーブン・キング」である(byエロさん)。 ●テレビQ(東京地方だとテレビ東京か)の深夜番組の『おやじ』はとても面白いらしい。 ●佐野元春はコミックシンガーである。 ●そのうち、エロさん主催の海外バカSF映画の上映会を開く予定。タイトルは『オタク・アミーゴス・セピア』になる予定である。
最後のは、『プッチアミ。』や『ミニアミ。』でもいいかも。 しかし一日経って書くと、細かいところは忘れちゃうなあ。もっと面白い話もあったような気がするんだが、また思い出した時にでも書くかな。
| 2001年04月29日(日) |
涙涸れるまで語ろう/DVD『新しき土』 |
みどりの日だってのに、朝から雨で、外は鈍色。 ああ、今日は『名探偵コナン』の映画を見に行こうと思っていたのになあ。 いろいろあちこちの映画館を回っているが、グッズの数と種類が一番充実しているのがワーナーマイカルである。 昨日『バンパイアハンターD』を見たときに、『コナン』『しんちゃん』『チキンラン』のグッズが一通りあるのを見て、初めからここに来りゃよかったんだよなあ、と思った。 キャナルシティは行き易いのだが、グッズの数は一番少ない。 トリアス久山にユナイテッドシネマは、自転車が唯一の移動手段である我々夫婦にとっては、遠くて、そうそう行けないのである。
昨夜寝たのが6時だったので、朝は寝坊。でも8時半には目覚める。って、2時間半しか寝てないじゃんか。 『アギト』は夕べのうちにビデオ録画をしかけておいたので、見逃す心配なし。先週に引き続いて、『超GALS寿蘭』を見る。 東京に住んでないのでよく解らんのだが、今時の渋谷系の女の子ってのはまだ「超」とか「ムカツク」とか喋ってんだろうか。福岡じゃずいぶん下火になってきてるんだが。そのくせ「親友」は「しんゆう」で「マブダチ」じゃないのな。「マブダチ」ってのは男の子しか使わないのか。 今回は友情をとるか勉強をとるかって蘭の友達の女の子が悩む話。なんだか『ハリスの旋風』や『ストップ!にいちゃん』にもそんなハナシなかったか。前回もそうだったが、毎回、古色蒼然とした物語を繰り返してるが、ホントに人気あるのか、このマンガ。 でも読者層は多分小学生から中学生が中心だろうし、トシヨリには古臭くても、若い子には新鮮なのかもなあ。 『デジモンテイマーズ』、『コメットさん』を見たあと、久しぶりに『サンデープロジェクト』を見る。当たり前だが特集は小泉政権誕生。 なんと内閣支持率が83.6%だそうな。橋本派を初めとした派閥のみなさんがたが一様に苦虫を噛み潰した様子をモロに見せているのが笑えてしまう。 利口な政治家なら、ここで人気の小泉政権にくっついて、構造改革、景気回復に一役買って、名を挙げようとするところだろうが、さて、マイナス志向が身に染みついてる政治屋さんに、そういう度胸のあるマネができるかどうか。 でも下手に小泉政権の足を引っ張るようなことすると、今後「悪役」以外の立場をとれなくなること、自覚してるのかな? 既に「悪役」を振られちゃってる橋本さんや野中さんの足元、崩れかけてんだけど、ご本人たちはご存知かどうか。 ああ、こんなに政治が面白くなる時代が来るなんて、21世紀なんだなあ!
録画しておいた『仮面ライダーアギト』が新展開。 ああ、録りのがさないでよかった。 真魚の父と最後に会っていた人物、どうやら美杉教授らしい。おお、「本当に怪しい奴は案外近くにいるものだ」という王道パターンだったのか。あまりにも出演者の演技がアレなものだから、誰が怪しいんだかもわからなかったよ。 でも今頃になって犯人のヒントのコップのことが解るなんて不自然だよなあ。 アギトの新必殺技、ライダーブレイクも今日が初披露。でもそれがどうやら謎の青年の仕組んだことらしいというのがなかなか捻っている。まだまだドラマは1/4を越えたばかり。さむいギャグさえ我慢すれば、『アギト』は今テレビドラマの中でなら思いきり楽しめるシリーズだぞ!
昨日、この日記を少しばかりリニューアルしたのだが、どうも女房に評判が悪い。 色がチカチカして見にくいというのだ。 最初は緑だったけど、どうも「地味」って印象が強かったし、それで黒に変えてみたけど、やっぱり評判が悪かったし、今度こそと思ったのになあ。 でも青色って好きなんだよう。またすぐ変えるのも何だし、何ヶ月かはこれで行くよ。 女房は、私が某マンガ家さんに送ったメールを見てもジェラシっている。 「私、メールもらったことないよ!」 「あのね、同じ家に住んでてね、どうしてメールを送る必要があるのよ」 「だってもらいたいもん」 じゃあ、何だ、私は女房と、「しげ〜(女房のペンネームです)、メール書いたよ〜、あとで読んでね〜」「ヽ(^o^)丿ワーイ、すぐ読むすぐ読む」「今読んじゃダメだよう、あとで読まなきゃあ」「今読みたいの! 読みたい読みたい読みたい!」「もう、しょうがないなあ、こいつぅ♪」とかなんとか会話して、女房のオデコを、ツンとかつつかなきゃならんのか。 死んでもヤだ(~_~メ)。
ふと思ったが、この「オデコをつつく」という行為、いったいいつ頃から一般化したのか。いや、実際に街中のカップルがやってるとこ見た記憶はないけど。 青春ドラマあたりがルーツなのかな、やっぱり。
女房、一昨日『チキンラン』見に行った時、映画の予告編を見て、『ハリー・ポッターと賢者の石』に興味を惹かれたよう。 「面白い?」と聞かれるが、原作買ったっきり、まだ読んでないのだ。こりゃ映画見る前に早いとこ読んどかないとなあ。 そう言えば『猿の惑星』の予告編も初めて見たが、美術デザインはやっぱりティム・バートン作品らしく、実にダークなムードだったのであった。ハリウッド・メジャーに取りこまれず独自のオリジナルな映画を作り続けている監督といえば、キューブリックなきあと、筆頭に挙げていいのがティム・バートンだと思うのである(テリー・ギリアムもいるけど)。 ああ、期待の映画がまた一本、増えていくなあ。
昨日、東京の友人が『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』を見てきて、早速感想を劇団ホームページの掲示板に書きこんだり、メールを送って来たりしている。 ははは、やっぱり予想通り、泣いてやんの。 ヒロシと年も近いし、むこうはウチと違って子供もいるし、余計胸にズンと来るだろうと思ったのだ。 もちろん、いいトシをした大人が泣いたからと言って、それは恥でもなんでもない。くだらない先入観や偏見で、マンガや、アニメや、ゲームやおもちゃを「大人になったら卒業するもの」と決めつけてしまうことのほうが、よっぽど恥だ。 『クレヨンしんちゃん』は立派な大人の映画である。テレビでどうせ流れるから待とう、などと思わず、今すぐ劇場に足を運んで欲しい。 若い人は多分、我々ほどに泣きはしないだろう。だけど、なぜ我々がこれほどこの映画に涙を流したのかはきっとわかる。 そして、私や、あなたが何から逃げていたかをお互いに語り合おう。
昨日の夕刊を一日遅れで読む。 「コミック館」というコーナーがあって、『キン肉マン�鏡ぁ戮筺悒螢鵐阿砲�けろ2』、『サル』、『キャプテン翼 ROAD TO 2002編』など、パート2、3ものを紹介しているが、見事なくらい私には興味がない。 それぞれパート1のころからまともに読んでなかったマンガばかりなので、思い入れがないのだ。 こんな有名なマンガを読んでないなんてそれでマンガファンと言えるのか、と叱られそうだが、私のサイフにだって限界はある。つまらないマンガを無理して買わなきゃならんという理屈はない。 それに「まともに」読んでないだけで、全部雑誌で通読はしている。同工異曲、予定調和の展開でアホな客を惹こうってマンガをいちいち記憶の隅に残してやらなきゃならんほど私ゃ親切じゃないぞ。 客に媚びるマンガが悪いとは言わない。才能が枯渇していることが明らかなマンガ家たちが、パート2ものに飛びつくと言うのは、もはやなりふり構っていられないのだろうな、と同情してあげられもする。 でもだったら、もう少し面白くする努力をしろって言いたくなるのだ。これらのパート2マンガ、どれもマンガ家たちの情熱がほとんど感じられない。かつてウケたパターンをしょう凝りもなく繰り返し、どうだ、お前ら客はバカだから、こうくすぐってやりゃあ、尻尾振ってついてくるだろう、という傲慢な態度が作画から見え隠れしているのだ。 本人たちはそんなつもりじゃないと思ってるかもしれないが、同じ絵コピーして貼ってりゃいいじゃんと言いたくなるような絵が続けば、情熱を疑われても仕方がないだろう。 誰とは言わんが、いい加減「フッ」はやめろよ、「フッ」は。
3月〜4月のコミックスベストセラー、何冊買ってるかと見てみたら、ベスト20のうち8冊。まあまあメジャーマンガ全般に目を通しちゃいるな、と自分で納得。ベストワンが『名探偵コナン』というのも幅広いファン層を考えれば当然。 でも20位に『市立戦隊ダイテンジン』が入っていたのには笑った笑った。 だから福岡人にしかわからんギャグ満載のこのマンガ、他地方の人にとって面白いのか? 「赤いからって威張んじゃねぇぞコア!」ってセリフがあったが、天神コアビルってレンガ色で赤いのよ、ホントに。 はっはっは、悪の組織、最初はアクロスじゃなくて○ーホークだったのね。って、現物見てないと笑えねえよな、これ。 いや、福岡って、秘密基地っぽい建造物ってやたら多いのよ。ダイテンジンの秘密基地は福岡タワーだし。 女房なんか、福岡にきて初めて天神イムズに入った途端、「み、未来都市」って口走ってたしな。確かに子供のころ想像していた未来都市の風景、一部では実現してるなあ。なにが凄いって、そういう巨大建造物の数々がこの十年ちょっとの間に全て立ちまくったってとこが凄いんだよね。 ……金の使い道間違えてるよなあ、福岡。 ……「蒲腐」ならぬ「カパプー」のキャラ、他地方の人だともう覚えてる人も少ないだろうなあ。
DVD『新しき土』見る。 知る人ぞ知る、1937年製作の日独合作映画である。何しろデビュー直後の16歳の原節子がですよ、振袖、洋装、花嫁姿と、その魅力を余すところなくスクリーンに見せていたというんだから、もうずっと見たい見たいとDVDになるのを待つていたんですよ。 でもねえ、なんといっても戦前の国策映画で、ナチスドイツと組んで作ったってだけでも無分別に流通させていいものでもないし、何より満州国を肯定して描いてる点が既にもうヤバイ(『新しき土』って満州のことです)。もう幻の映画として一生見られないと思っていたのに……。 まさかホントに見られるとはねえ。しかし見てみて確かにこれは聞きしに勝る珍品だと思いましたよ。 冒頭、延々と火山爆発と地震発生の様子が描かれたかと思うと場面がいきなり切り替わって、船上での日本人男性とドイツ人女性の会話。 「日本人はきびしい自然に鍛えられて大和魂を身につけるのです。火山、地震、台風……」 ……鍛えられた覚えがないなあ。それとも戦前は違ってたのか? 初手からツッコミどころ満載なんだけど、何より凄いのは原節子の家のウラには、厳島神社が広がり、近所には鎌倉大仏があるってことだ。 地理無視しとるやん。 これはやっぱり、日本の文化を知った気になってる外国の監督さんが、自分ではまともに作ったつもりのものがやはりズレちゃった、という、そういう映画なんだろうね。 ラストの字幕まで最高に楽しめました。ともかく人名が間違いだらけ。 主役の小杉勇は「クソゲ勇」になってる。なんかそんなにつまんないゲーム買ったのか? でも最高に笑ったのは、音楽の山田耕作。字幕を見ると「コサック山田」になってました(^o^)。
劇団のホームページに、リレー小説の第二回を書く。ノルマはさっさと先に片付けておかないとな。
| 2001年04月28日(土) |
掲示板開設!/映画『バンパイアハンターD』ほか。 |
え〜、まずはお知らせから。 今日から新しく、「掲示板」を新設いたしました。 個人ホームページを開設する時にはつけようかと思っていたのですが、女房が今日いきなり、「あんた、掲示板要る?」と聞いてきたので、「あ、作ってくれるんなら頼む」と言った途端、あっという間にどこかから借りてきてくれたのでした。 どうして女房がそんなこと言い出したのかちょっと謎なのだが、どうも例の少女漫画家さんと日記でやり取りしてるのを見て、まどろっこしくなったらしい。 なんだか妙に間接的になってたのは確かなんで、「掲示板使えよ」って気になったのかもな。 先方の日記でもずいぶん恐縮されてたんで、今日早速メールでお詫びをしておいたんだが、考えてみたら長年漫画ファンをやってきて、本物の漫画家さんに手紙を出したなんて生まれて初めての経験だった。
うわ、ちょっとドキドキ(*^。^*)。
……またまた失礼に失礼を重ねてなけりゃいいんだけど(+_+)。 とりあえず、この日記を読んでる人、言いたいことが今までにも多々あったんじゃないかと思うんで、遠慮せずにどんどん書きこんでみてください。 基本的にマンガやアニメ、映画の感想書いてることが多いんで、私の意見についての素直な感想、賛同、反駁などを書いてもらえたら(古い記事についても可)嬉しい限りです。 劇団のメンバー諸君はいつも遠慮してモノを言わないこと多いけど、私だって無責任に放言してるだけだからね、「小理屈言うな!」の一言だっていいんだよ。面と向かって言いにくいことも、ここでなら言えるでしょ?
ついでに背景の色も変えてみたが、いかがでしたでしょうか?
4時間くらいしか寝てないのに、朝の7時に目が覚める。 変だなあ、以前は次の日ゆっくり眠れるとわかってたら、12時間寝てることだってあったのに。 おかげで朝から調子がよくない。トイレに行ったら、なんと○○○、○○○○○○○○。あ、こりゃ風邪の悪影響がカラダバランスまで崩しちゃってるわ。やばいやばい。 なのに、女房は5月3日からの東京行きの計画に夢中になってて、こっちの体調不良は知るべくもない。やたらと「船に乗りたい船に乗りたい船に乗りたい」と絡んでくるが、三日間ずっと船に乗ってるわけにもいかんがな。第一そんなに乗ってたら多分私は確実に「船酔い」する。 じゃあ、女房はしないのかというと、先ず確実にすると思うんだよな。 けど女房のアホウは、目の前の快楽に身を任せて、あとで自分がどんな目に遭うか少しも考えていないのだ。
……シャブ中かい。
今日は一緒にワーナーマイカル大野城まで映画を見に行く予定だったが、女房がまたまたいつものごとくグズグズして、「傘忘れた」「時計忘れた」と取りに帰ろうとしたり帰ろうとしなかったり、いい加減イライラしてきた。 いざ自転車に乗っても、女房は「私が遅れたら置いてっていいから」と憎まれ口を叩くので、「なら初めから来るなよ。もう帰れ」と言ってウチに帰してしまった。 もともと今回の映画、あまり女房が見たがっていた作品ではないのだ。 でもいつだって、私一人で見に行くと言うと、たいてい「置いてきぼりにされる」と、毒づいてくるので、仕方なく連れて行っているのである。 見たくもない映画なら、行かなきゃいいと思うのに、女房は結婚十年になろうとしているのに、まるで夫離れが出来ていない。困ったもんだ。
映画『バンパイアハンターD』、菊地秀行の『D‐妖殺行』のアニメ映像化。 なんとワーナーマイカル創立10周年記念作品ということで、1000円興行。 これは嬉しい♪ でもろくに宣伝している様子もないし、あまり世間の話題にも上らない。 『アイアン・ジャイアント』のときもそうだったけど、ワーナーマイカル、戦略が下手だと思うぞ。 さて、映画の出来の方だが、天野喜孝のあの流麗な線を期待しているムキにはいささか不評だろう。というか、もともとアニメ化は非常に困難である。 以前のアニメ化の際には、もう絵を似せることはハナから諦めて、監督の芦田豊雄キャラで押しとおしていた。それも一つの手段だが、原作ファンがそれで納得するはずがないのも必然。 ましてやその後、天野キャラを硬質なアニメの線であるにもかかわらず、フォーカスやモノクロに近い色彩のマジックで美しく映像化した、押井守監督、名倉靖博作画監督による『天使のたまご』を見せられたあとでは、原作ストーリーにおんぶに抱っこの映像化では誰も納得すまい。 以前も菊地原作では『妖獣都市』を映像化して、その演出力に定評のある川尻義昭監督、さてどういう手法を駆使してくれるかと思っていたが。 うーん、作品そのものの出来はいいんだが、やはり天野キャラにはなりきれていない。パンフを読むと、作画監督の箕輪豊、初めから「天野さんの絵にはどうやったって負けちゃうので、キャラクターデザインをやるのはイヤだったんですよ」と敗北宣言している。……だから名倉さんは負けなかったってば。 アクションはアニメに苦手な奥行きのある動きに臆することなく挑戦し、迫力満点であるが、なまじ迫力があってリアルなだけに、バンパイアの跳梁する妖異な世界、というムードが今一つ出ていない。 バンパイアと人間の恋を、人類の文明が崩壊して一万年後の世界という設定をうまく活かしてラストへ持っていったそのアイデアは傑出しているし、ジンと来るセリフもあるにはあったのだが、なのに不満が残るというのはなんともはや。 原作イラストが天野さんでさえなかったら、こんな感想抱かなかったろうにねえ。 女房、見ても「まあまあ」としか言わなかったろうなあ、これじゃ。
帰宅してみると、女房ふてくされて寝ている。 本来、映画のあとは近所にできた新しいカラオケ屋に行く予定だったのだ。女房が熱心に誘っていたので、行かなかったなら行かなかったで、こちらの方はぶつくさ文句を言うに決まってるので、たたき起こして出かける。 でもなあ、どういう趣味してるんだかわかんないけど、ちょっと見このカラオケ屋、お城みたいなデザインでラブホテルに見えるんだよなあ。 入りにくいのを女房に押されて中に入り、会員登録すると、店員さんから、「機種は何になさいますか?」と聞かれる。 「セガカラに」と女房が言うが、生憎ここにはなし。仕方なく何があるか聞いてみて女房が選んだのが「孫悟空」。 「……どんな曲が入ってるの?」 「知らん。初めて聞くやつだから選んでみた」 「……賭けじゃん(・・;)」 こう言う賭けにはたいてい女房は負けちゃうんだがなあ。心配していたがやっぱり負けた。 ともかくアニソンが徹底的に少ない。5ページしかないというのはいくらなんでも少なすぎるのじゃないか。 歌う曲がなかなか見つからないので、開き直って女房と私、英語の曲ばかり歌う。 無謀だ。 女房、『イエスタデイ・ワンスモア』を歌ったのは『クレヨンしんちゃん』の影響かな。映画の中で流れたわけじゃないんだけど。 私もとりあえず歌えそうな曲を探しては歌ってみるが、もうしどろもどろ。 『オーバー・ザ・レインボー』、テンポがゆっくり過ぎてリズムが取れない。 『ローハイド』、テンポが速過ぎて追いつけない。 『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』に『レインドロップ・フォーリン・オン・マイ・ヘッド』、『シンギング・イン・ザ・レイン』、途中のメロディーを忘れている。 まあ女房も『マイ・ガール』や『スタンド・バイ・ミー』、『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』、『サウンド・オブ・サイレンス』など、ことごとくキーが合わなくて苦労してたみたいだったが。 今んとこ、なんとか私が歌えるのは『ペイパー・ムーン』と『ケ・セラ・セラ」くらいかなあ。 帰りに女房、「また英語の歌、練習に来ようね」と言う。 それはいいけど、女房の場合、先ず歌詞の読み方を練習せねばならないと思う。
“listen”を「リステン」と発音するなよ(-_-;)。
学生のころなら、友達から「リステンおしげ」と仇名がつくところだぞ。
朝の眠りが足りなくて昼寝。 夜中に起きて、女房とロイヤルホストで食事。20%割引券があるので、ここを先途と二人で食いまくる。 カラオケも食事も最近はきちっとワリカンにしてるのだが、女房、そうすると自分が余計に払うのがイヤなものだから、料理を余計に注文するのである。 今日もハンバーグにステーキ丼、穴子丼を二人で分け、女房更にデザートを頼み、これは一人で食う。
……だから太るんだってば。
『モンキー・パンチ責任編集 ルパン三世』。 雑誌形式で刊行されてた『ルパン三世総集編』がリニューアル。 確かに単行本が定期的に発行されている以上、雑誌をわざわざ買うことはない。付加価値がなけりゃ誰も買わないだろうってことで、今回は企画ページがてんこ盛り。 巻頭が千葉麗子との対談、書き下ろしCGイラスト、モンキー・パンチのインタビューやカルトクイズ、臼井儀人のパロディ漫画と一見充実しているのだが、どうも自画自賛的な編集ぶりが目に付いて、どうも好きになれない。 肝心の漫画のほうも、ずいぶんアニメ絵になってきたなあ。女の子なんか、ほとんどロリコンキャラだ。 以前に比べてグローバルな話も少なくなってきていて、そろそろネタギレな感じがしないでもない。実際、三十年も続いてりゃあ、とっくにルパン五世くらいの時代になっててもおかしくないんだから、無理はあるんだよなあ。
| 2001年04月27日(金) |
祝、2000ヒット/映画『チキンラン』 |
わははい、2000ヒットだ♪ 個人ホームページの立ち上げはどうなったって声も聞こえてきそうだが、いや、資料集めは進んでるんですよ。天知茂の明智小五郎シリーズは全話録画したし。 でもそれを整理し記録する時間がない……(-_-;)。 友達にも言われているのだが、やりたい事が多過ぎるのである。頭の中に浮かんでるコンテンツだけで10個近くあるのだからなあ。その記事全部埋めようなんて、そりゃ無茶な話ってもんだ。 実際、自分の満足できるようなホームページを作ろうと思ったら、スタッフを何人も雇って、プロダクションでも経営するしかない、という事はわかっちゃいるのだ。 金にもならんのに誰がそんなことするか。 と言うわけでホントに一人で取り組んでるものだから、やたら時間がかかるのである。でも一通り記事が揃ったら、たとえ途中でも立ち上げないとなあ。 とりあえず夏までには必ず、としておこう。でないと入院予定もあるし、確実に秋にずれこむものな(^_^;)。
女房がCSの「ヒストリーチャンネル」にハマってしまったおかげで、朝がたニュースを見ることすら出来ない。天気予報も見られないというのは本気で困るんだが、女房は意に介した様子さえない。 いやまあ、流して見てても面白くはあるけれどもねえ。なんでこう毎日、吉村作治の顔ばかり見てなきゃならんのか。 ちょうど小泉政権が誕生して、政治に興味のない私ですら、こりゃ面白くなってきた、という気がしてきているのである。腰砕けになる可能性は非常に高いのだが、「青二才に政治ができるか」という顔でふんぞり返っている他の政治屋どもの肝を冷やしてくれるだけでも溜飲が下がる気がしている。暴言や不適切発言の一つや二つなんだってんだ。 ともかく「閣僚からどんな発言が出てくるか分らない」なんて時代がこれまでにあったか。ご本人たちがどう思っているか分らないが、意外性という点では今回の内閣、「吉本新喜劇内閣」だと私は思っている(←誉めてんだよ)。 これは小泉総理が桑原和男に似ているという事で連想したわけでは決してない(^^)。
薬が効いてるおかげが、昨日一昨日よりはふらつかないでいるが、体がキツイのには変わりはない。 仕事が滞らぬよう、同僚の何人かに割り振ったりして、自分の負担を軽減しつつなんとかやり過ごすが、それでも午前中は椅子に座る間もないほど忙しかった。 傍目にもオカシク見えていたのだろうなあ。今日はやたらと「大丈夫ですか?」と聞かれる。去年だと、「見てわからんのか、大丈夫かどうかくらい」と内心ムッとしてたかもしれないが(と言うか、そもそもそういう言葉すらかけてもらえなかった)、今年は素直にありがたいと思ってしまう。 精神的な健康って、やっぱり大事だよなあ。 私の精神衛生上、一番ストレスを与えているのは、去年は職場だったが、今年は女房である。 状況はずいぶん改善されたものだ(^^)。
マンションの鍵が今日から付け替え。 帰宅してみると、なるほど、鍵穴がタテ型からヨコ型になっている。 空き巣が増えたため、ということだが、確かに今度の鍵は針金一本じゃ開けられないような工夫がされてある。 鍵は各戸4個ずつ配布されているのだが、女房に「1個くれ」と言うと、「私がまだ自分のホルダーにつけてないのに、アンタに渡すわけにはいかん」などと言う。 こういうアホなこと言われると本気で幻滅するんだよなあ。甘えてるつもりなのかも知らんが、会話する気をなくさせてどうするつもりか。 連休はなるべく女房と会話しないようにしないと、かえってストレスが溜まりそうだ。……って書いといても女房、少しも反省せんのだよ。やれやれ。
さて、またまた今日もネットで他人の日記の回覧。 一昨日の私の日記に、ある少女漫画家さんの日記を読んでいることを書いていたら、早速その方の日記に「読んだよ〜」という内容のことが書き込まれていた。 なんとありがたいことに、私の日記を「お気に入り」のリストに加えてくださっている。日頃、女房から「くどいんだよ、アンタの日記は」と言われていて、「性格だから仕方ないじゃん」とイジイジしていた身にしてみれば、読者が一人いてくださるというのはなんとも嬉しい。 私もあなたの日記を毎日楽しみに読んでますよ、とお礼のメールを送ろうかと思ったのだが、そこで、ハタ、と考えこんだ。 見も知らぬ相手からいきなりメールを送られる迷惑を考えると、いささか躊躇するものがある。何より、相手のご主人が気を悪くされるのではないかと心配になったのだ。 自分の妻が、夫そっちのけでパソコンにはまっていたりする場合(その漫画家さんのお宅がそうだとは限らないが)、あまり嬉しくは思わないだろうし、そこへメールなんかが届いた日には、どんなにココロのできた夫であっても、内心、穏やかではあるまい。 漫画家さんだからなあ、ファンレターとかで慣れてらっしゃるんじゃないかなあ、とは思うのだが、ともかく失礼は避けたい。 この日記を私信代わりに使うのも何なんだけど、これを読んでいらっしゃると思って、改めてお礼申し上げます。 誤解を招いたようで申し訳ありませんが、あなたの正体を本気で探りたいと思っているわけではありません。正体がバレると自由に日記も書けないでしょうから、あてずっぽうで「○○さんでしょ?」なんて言うつもりもありません。あなたの仮名すらここに書かないのは、あなたが誰であるかを探ろうという意志のないしるしだと思ってくださいませ。 ほんとにただ勝手に「どんな人なのかな」と思っているだけなのですが、日記の文章から、何も語られなくても、優しくお美しい方だということはそれとわかりますので、それ以上の詮索はしないつもりです。 重ね重ね、失礼いたしました。もしもこの文章も迷惑であるということでしたら、すぐに削除いたしますので、その旨メールででもお知らせください。 どうか、今後もお仕事に育児に夫の操縦に、頑張ってください(^^)。
……なんか読み返してみると、ちょっとナンパ文だな。 いや、つい昔のワルイ癖が。 これはこちらの女房の悋気の方がチト怖いかもしれない(^_^;)。
夜、女房を誘って、映画『チキンラン』を観に行く。 出がけに女房がまたグズグズしていて、しかもやっぱり新しいキーをなかなか渡そうとしなかったので、腹を立ててさっさと自転車をかっ飛ばし、先に行く。 いつもはそこまでのことはしないのだが、先にパンフを買っておかないと、帰りには売店は閉まってしまうのだ。 キャナルシティに着いたのは上映15分前だったが、売店に列ができていて、パンフとファンタを買うのに10分かかってしまった。やはり女房を置いて行って正解。こういう時に愛情はかけぬのがオタクのサガであることは全くもって『厩火事』。 場内に入ってすぐ予告編が始まったが、女房もようやく到着。私から離れたところに座るので、どうやら置いてかれたことを根に持ってる様子だが、どうせ映画が終わるころには忘れているだろう。 『チキンラン』、ご贔屓のイギリス・アードマンスタジオ製作の長編クレイ(粘土)アニメーションだが、実はあまり期待していなかった。 CGアニメーションの傑作を次々とモノにしてきたピクサーもそうだが、小さな製作スタジオがハリウッド・メジャーと組むと、たいてい作品が大味なものになってしまって、まあ、面白くないとはいわないが、「この程度?」と言いたくなるような出来に落ち着いてしまうことが多いのである。 ピクサーの『トイストーリー』シリーズも面白いのだが、短編の『ルクソーJr.』や『ゲイリーじいさんのチェス』の方が何倍も面白かった。 ましてやアードマンはあの『ウォレスとグローミット(断じて発音はグルミットではない。最初NHKで吹きかえられた時もちゃんと「グローミット」と発音してたぞ)』を作ってきたところである。……ドリームワークスと組んで、さて、面白いモノが作れるのかいな、と危惧していたのだ。 オープニングを見たとき、それは杞憂だったかと思われた。 養鶏場から逃げ出そうとするニワトリたち、ある時は変装し、ある時は地下道を掘り、何度も失敗しては主人に捕まって檻の中に連れ戻される。 この辺の展開がモロ『大脱走』のパロディで、畳み掛けるような展開にあのテーマソングそっくりの曲がかかって、大いに期待させられた。 ……でも、そこまでだったんだよなあ。 つまんなくはないんだけど、やっぱりハリウッド・メジャーの予定調和的展開で、全く意外性がないのだ。『ロング・トラウザーズ(これも『ペンギンに気をつけろ!』なんて言いたくない。ちゃんとNHKは『はきちがえたズボン』と訳して放映していた)』で、線路から脱線しそうな機関車のおもちゃに乗っていたグローミットが、とっさの機転で危険を回避したあの秀逸なアイデアに見られるような「おおっ!」というような展開が全くない。 寂しい。寂し過ぎる。 後ろに座ってたカップルは、女性の方が二回目らしく、彼氏にいちいち解説してやっている。見終わって、「ねえ、面白いでしょ」「うん、とても面白かった」と会話していたが、私は思わず、 「違う! アードマンの面白さはこんなもんじゃないんだ!」と言いたくなってしまった。……ホントに言ってたら変態だが。 ツマラナサの原因の一つは、はっきりしている。 チキンたちが喋っているのがダメなのだ。グローミットやベンギンは喋らなかったからこそ、あれだけの「演技」が出来たのだ。クレイアニメーションは、たいてい喋らせると失敗する。……そのくらいの基本がわかってないアードマンだとも思えないんだが。 なんだかこうなると、『W&G』の新作も、はたして期待できるのかどうか心配になってくるのである。
帰宅するとさすがに仕事疲れに映画疲れも重なって、布団に倒れこむようにして眠る。 女房との諍いの仲直りは明日に持ち越しである。
フト気付いたが、「オタアミ会議室」に書きこんだ『映画クレヨンしんちゃん』の感想、ニフティに加入してない人には読めないのだった。劇団のメンバーの諸君にはぜひとも何かの機会に(できればGW中に)見に行って欲しいので、ネタバレを承知の上でここに書く。 日本映画史上随一の傑作であることは保証します。
東京地方ではしんちゃん、ひまわりちゃん、女子アナ軍団の舞台挨拶もあったという(福岡にも来ないかなあ)『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』、公開初日に天神東宝まで行って参りました。 実は毎年初日に行ってるんですが、今年はちと様子が違う。もう毎回チケットが満席完売、これまでもヒットこそしてましたが、初日だからと言ってそこまでのことはなかった。おかげで仕事を早引けして(おい)映画館に駆けつけたというのに、入場できずに次の回を待ち、1時間並ぶハメになってしまいました。 思えらく、事前に情報を仕入れていたオトナたちが結構大挙して押し寄せたのではないでしょうか。それくらい今回の作品は70年代のノスタルジックなムードに浸れるガジェットがてんこ盛りだったのです。
・ ・ ・ ・ ・ ね た ば れ 改 行 ・ ・ ・ ・ ・
かすかべで開かれることになった「20世紀博」、大人たちは連日懐かしいかつての特撮、アニメ、おもちゃや遊びのとりこになって、だんだん子供化していく。 そしてある日突然起こる大人たちの失踪という逆ハーメルン現象、子供化した大人たちによる子供狩り。 ……あの可愛らしい絵柄でやられるものだから、意外に気付きにくいのですが、これは思いっきりホラーでハードなSFストーリー展開であります。 しんちゃんを初めとする、カスカベ防衛隊はパパやママたちを奪還するために「20世紀博」をウラで操る秘密組織「イエスタディ・ワンスモア」(しんちゃんは勝手に「オトナ帝国」と名づけてます(^_^;))に殴りこみをかけるのですが……。
既に冒頭の大阪万博再現、ウルトラマンならぬスーパー(ひろし)SUN対ゴモラモドキ(怪獣の名前もつけてほしかったなあ)のシーンで、あの当時を知る身としては感激に打ち震えてしまうのですが、それからこれでもかこれでもかというほどに繰り出される失われし20世紀の思い出の数々、魔法使いサリーが、セーラームーンが、ジャイアント馬場が、やたら丸っこい車やオート三輪が、同棲時代や夕日の下町が、あの時代を象徴する数々の名曲、『ケンとメリー』や『白い色は恋人の色』、『今日までそして明日から』をBGMにして、脳髄を直撃してくるのです。 ラジオから「♪なーあああ、いんてぃんでぃあーん♪」と『聖なる泉』が流れてきた時なんか、思わず「よしっ!」と(何が「よし」なんだか)握りこぶししてましたね。
ひろしたちオトナを子供に返していたのは、その時代の「匂い」。現実の21世紀はその「匂い」をなくしている。来るべきはずだった未来、失われた21世紀を取り戻すために、もう一度「20世紀」からやり直す。それが「イエスタデイ・ワンスモア」のリーダー、「ケンちゃんとチャコちゃん」(何となくサチコとイチローのほうが合いそうな気がするけど)の計画。 ひろしは自分の靴の匂いのおかげで、懐かしい匂いの世界から脱出することが出来るのですが、このときの回想シーンは、しんちゃん映画史上、屈指の名シーンでしょう。 万博会場でアメリカ館の月の石を見るために並んでいた親子、でも、あまりの行列の長さに閉口して、結局、親に説得されて子供は泣く泣く列から離れる……。 ……ええ、ええ、私も同じ経験しましたとも。1970年を幼稚園か小学校低学年で過ごした身なら、あのひろしを「アレはオレだ!」とシンクロさせて見ることでしょう。思わずあの時の甘言を弄して私をムリヤリ列から引き離したオヤジに対する殺意が31年ぶりに復活してきましたよ(^^)。 ……月の石かあ。今や北九州スペースワールドに行けば、別に並びもせずに間近で何十分だって見られるようになりました。あのときの無念を、どこにどうぶつけたらいいのやら。 それはそれとして、靴の匂いをかがされたひろしの脳裡を過去の走馬灯が駆け巡ります。 青春時代、彼女との自転車の二人乗り(やったやった)、就職、失敗を繰り返す新人時代(やったやった)、みさえとの出会い、結婚、生まれてくる子供(ああ、ほしいなあ)……そして目覚める今。しんちゃんが声をかける、「と―ちゃん、オラがわかる?」 えいくそ、思い出しただけでまたジンときちまうぜ、べらぼうめ(T_T)。 目覚めたひろしとみさえは、しんちゃん、ひまわりと、「20世紀の匂い」を止めるため、発生装置のあるタワーの頂上を目指して走ります。再び自分たち家族の21世紀を取り戻すために。 そうなのです。20世紀は確かに懐かしい。昭和のころに、60年、70年代に帰ってみたい。そういったノスタルジーを否定することは誰にも出来ません。 でもそれを否定するのではなく、まるごと飲みこんで21世紀に一歩を踏み出す、そうしなければいけない、少なくともしんちゃんたち21世紀の子供はそれを望んでいる。 「オラとうちゃんたちと一緒に大人になりたい!」……ここしばらく、「ずっと子供でいたい」アニメが多かった中、しんちゃんのこの叫びはマジで感動ものでした。 「大人になれよ」という押しつけがましい説教ではなく、自らの心の中から「オトナになりたい」という思いが生まれてくるドラマなのですから。 でもオタクにはややイタイ面はありますけどね。 ……ちょっと不安だったのは、展開は地味だし、こういうの、会場の子供たちには面白くないんじゃないかと思ってたんですが、ギャグシーンで笑うの以外、水を打ったようにシーンと、みんな映画に見入っていたんですよねえ。なんと行儀のよいことか。 やっぱり彼らは「しんちゃん」の視点でこの映画を見、とうちゃんたちの思い入れがよく分らないなりにも、「救いたい」という思いから映画に入り込んでいたのでしょうか。……子供なりの家族愛かな、やっぱり。 誰でしょうね、「『しんちゃん』見てると子供が生意気で反抗的になる」なんて言ってたやつは。
ほぼ大満足のこの映画の中で、ちょっとだけガクッときたのは、コサキンの芸ナシぶり。……「アッと驚くタメゴロー」も「ガチョーン」も「ヒジョーにキビシーッ」もまるで似てない。声質が真似できないならできないで、勢いくらいはほしかったのに、あれじゃとてもプロとは言えない出来でした。……私はコサキンの「面白かった芸」というものの記憶が未だにないのですが、ハテ、なぜ彼らは売れてるのでしょうかね? あと、原監督がお好きな気持ちはわかるのですが、もう『ブルースブラザース』のパロディは二番煎じの印象が強くなるんでやめた方がいいんじゃないですかねえ。
原監督に交代して以来、以前ほどのパワーを感じなくなっていたのですが、今回は久しぶりに堪能させて頂きました。……でもここまでの大ネタ振っちゃったあとだと、次回作に苦労しそうな気もします。でもぜひとも来年は第十作記念映画を作ってほしいものです。 ああ、『しんちゃん』の映画シリーズ、DVDになるのをずっと待っているのに、発売予定は全くないのか!
| 2001年04月26日(木) |
イシャはどこだ!/映画『黒蜥蜴』(1962年・大映)ほか |
朝になったら少しは具合もよくなってるかと思ったが、相変わらず眩暈が激しい。 寝汗はかいているが熱はないし、頭痛もしないので、風邪ではなさそうだ。 要するに自律神経失調症の類かと思って、ともかくも医者に行く。 診断は一言、「風邪ですね」。 眩暈と立ちくらみと吐き気と寒気しかしないのに? 「寝汗をかいてるってことは熱が出てるってことなんですよ」 ともかく医者にそう言われた以上は納得するしかない。栄養剤の注射をしてもらい、薬をもらう。心なしか、注射のおかげで気分が回復したような。
病院の待合に、大塚製薬発行の『OTSUKA漫画ヘルシ−文庫』というのがあったので、何気なく手にとってみると、この作者のラインナップが凄い。 ほんの小さな冊子なのに、横山隆一・前川しんすけ・二階堂正宏・浜田貫太郎・秋竜山・小山賢太郎・赤塚不二夫・あべさより・石ノ森章太郎・ヒサクニヒコと言った、錚々たる面々がズラリと並んでいるのである。でもなんだかいかにも大家の手遊びと言った感が強く、ほとんどマンガ的に面白いと言うほどのものではなかった。 唯一笑えたのが二階堂正宏の『生命の誕生』。だいたい、健康シリーズでなんで「生命の誕生」か、という気がするのだが、その生命の誕生を探るために、ビッグバン直後の宇宙へ「どこでも四畳半」で飛んで行く、というのが無茶苦茶だ。で、主人公の男の子の名前が「無茶雄」。……確信犯だな、こりゃ。 ほかにも『ぞうのはなはなぜながい』という絵本があって、この絵を『コロポックル物語』シリーズの村上勉が描いている。何気なく手に取ってみると、これが表紙には書いてなかったが、あの『ジャングルブック』のラドヤード・キプリング原作の童話であることに気付き驚いた。 さらにはその中に『クジラはなぜクジラになったか』という話が収録されていて、これの原作者が『アイアン・ジャイアント』のテッド・ヒューズ。 うひゃあ、なんだかさりげないところでとんでもないものを見つけてしまったぞ。ストーリーも結構ぶっ飛んでいて、クジラはもともと神様の畑に生えていた野菜だったそうである。あまりにでかいその野菜のせいで、ほかの野菜を育てられなくなってホトホト困り果てた神様、仕方なく動物たちにクジラを運んでもらって海に捨てた。クジラは塩を吹いてなんとか小さくなり、もう一度畑に戻りたいと今も塩を吹いているのです、というもの。 ……オチは『李さん一家』か『ヨダカの星』か。なんにせよなかなかの珍品である。 出版社等が判れば、と、あとでネットを検索してみたが、この本に全くヒットしない。……もしかして、結構な希覯本? もういっぺん病気になって(おいおい)、医者に行ってタイトルと出版社、確かめてこようかなあ。
仕事は今日から少し楽になる。 明日一日働けば三連休だし、ちったあ養生できようというもの。 何人かの同僚から「大丈夫でしたか?」と心配されるが、去年はこんなふうに気遣ってもらったことって、なかったなあ。この程度のことなのに、なんだか妙にうれしくなってしまう。 カラダはツライが、こうなると俄然働かねばなあ、という気になる。やっぱり去年の上司は人を使う術を知らぬやつだったのだとつくづく思うな。
帰宅してLD『黒蜥蜴』を見る。 個人ホームページを立ち上げるために、資料として以前買っていたのをやっと全編通して鑑賞。 珍品と聞いてはいたが、確かに凄い。エアチェックした『黒蜥蜴』、ウチには美輪明宏、小川真由美、岩下志麻版がそれぞれあるのだが、「踊る」黒蜥蜴ってのはこの京マチ子版だけだろう。 誰だ、『黒蜥蜴』をミュージカルにしちまおう、なんて考えたのは(^_^;)。 監督の井上梅次、言わずと知れた『嵐を呼ぶ男』の監督さんで、和製ミュージカルならお手の物であろうが、どうも違う気がする。思うに、こんな素っ頓狂な発想は、脚色の三島由紀夫以外にないのではないか。なにしろ、自分の戯曲にはもともと無かったミュージカル用の作詞まで手がけているのである。 ホームページには乱歩の原作、三島由紀夫の戯曲、新藤兼人の脚本の三つを比較して分析したものを載せようと考えているのだが、さて、完成はいつになることやら。 名探偵明智小五郎役は大木実、『恐怖奇形人間』でも明智を演じているが、どうしてこう「珍品」の明智ばかり演じているのか。
マンガ、半村良原案・田辺節雄作画『続戦国自衛隊』3巻読む。 アメリカ軍をタイムスリップさせ、自衛隊を壊滅させたのはいいアイデアだろう。まともに戦闘すれば侍が自衛隊に勝てるわきゃないんだから、このネタのポイントは、「いかに自衛隊を弱くするか」にかかっているのだ。 そして、この巻でようやく、この世界がパラレルワールドの日本であり、本来の歴史とは関係ない、という設定が出された。 これでもう、怖いもんなしである。歴史が変わるか変わらぬか、あと1巻程度で終わりだろうから、うまいオチをつけてもらいたいものだ。
「ハラ減った、ラーメンでも作って」と女房に頼んだら、「ハンバーグ」を作ってきた。 さて、これはサービスなのか反抗なのか?
唐沢俊一さんもようやく(と言っても、公開から1週間経ってないんだが)『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』をご覧になったようである。 感想を日記に書いただけでなく、唐沢さんにしては珍しく、オタアミ会議室の方にも書き込みをされて、ほぼ絶賛である。 正直言って、唐沢さんがどういう感想を抱かれるか、不安であったのだ。以前から唐沢さんの著書を拝読し、自分と似た感性を持っていらっしゃることを知り、共感も覚えていたのだが、似ているだけにかえって同族嫌悪的反発も起きる。 少しでも意見の違う部分があると、「いや、それは違うのではないか」と反駁したくなってしまうのである。もちろん、冷静になって考えれば、たいていはムキになる必要もない、少し視点を変えてみればそういう意見も有り得る、という程度の、許容範囲内のものに過ぎないのだが、なかなかそう落ちついて考えられるものでもない。 今回の唐沢さんのご意見の中でも、私は「この作品がカリスマとして、世のアニメマニアたちの常識をくつがえす力を持っていないのは、まさにその出来のよすぎるところに原因がある。ダイナミクスというのは、偏頗なものに宿るのだ。」というところで引っかかった。 考え方自体はまさしくその通りだと思うが、つい、「でもその『偏頗なもの』って、現実的にはたいていダイナミクスのカケラもなく、カリスマにすらなり得ないものが多いんじゃないでしょうかねえ」などと憎まれ口を叩きたくなってしまうのだ。 唐沢さんを毛嫌いする人間なら、更に「唐沢はアカデミズムを嫌うあまり、王動的な作品を否定している」と見当違いの難癖をつけてくるだろう。 もちろん、そんな行為に意味はない。これも唐沢俊一批判をする人間は全く気がついていないことなのだが、唐沢さんがアカデミズム自体を否定したことなどは実は一度もないのだ。 唐沢さんが批判していたのは、“従来の”アカデミズムが見逃し、取り落としているモノが世の中にあまりに多い、という点なのである。 実際に社会を構築し動かしているエネルギーは、「国語算数理科社会」のようなおベンキョウによって作られるものなどではなく、それ以外の得体の知れない様々な“ガジェット”の方にあるのではないか、と指摘しているのである。その論理の立て方自体は立派な「アカデミズム」である。 つまりは従来の知とは別の知の大系でモノを見ようとしているのであって、唐沢さんの「B級学」も、岡田斗司夫さんの「オタク学」も、それが「学」であり、アカデミズムであることは、しっかりタイトルで謳っているではないか。 私が憎まれ口を叩きたくなるのは、唐沢さんたちが、敵のそういった誤解をあえて引き出すために「B級」だの「オタク」だのといういかにも反発を買いそうな言葉を使って差別化を図っている点で、そんな言葉を使わなくても既に唐沢さんたちのやっている行為は「博物学」ないしは「考現学」の範疇で説明できるじゃないか、と言いたくなってしまうのである。 でもそんな大人しい言葉では、とても世間の関心を呼ぶものでないことは私も重々承知している。時には揶揄、時には皮肉、時にはハッタリと、様々な「演出」を試みねば、言葉は人の心に届かない。 真実が心に届くのではなく、たとえウソでも心に届いた言葉が真実となるのだ。 多分、『オトナ帝国の逆襲』についても、唐沢さんは冷静にその欠点をも見つつ、あえて「ベタ誉め」する方法を選んだのだろう。しかもそのやりくちが「この面白さ、若いお前らにはわかるまい、ザマーミロ」という挑発的なモノ(^_^;)。ううむ、私はさすがにそこまで思いきっては書けなんだ。やはりプロの方は辛辣である。 『キネ旬』などの夜郎自大な映画雑誌は、今年も『クレヨンしんちゃん』をほぼ無視するであろうが、このままあの傑作を埋もれさせていいわけはない。 宮崎駿がオタクたちのカルトからメジャーになったように、「原恵一」も21世紀を担うアニメ監督として、盛りたてていかねば、と、たかが一介の市井人は考えているのである。
| 2001年04月25日(水) |
おむすびころりん/『最終兵器彼女』4巻(高橋しん)ほか |
朝はまあ、何ということもなかったのである。 確かにひどく寝汗はかいてたけどね、「なんだなんだこの汗は。別に○○○○○○○ないぞ」と思いつつ、職場に行った。 昼にさしかかるころから、頭が重くなり、眩暈がして、歩くとパンチドランカーになった矢吹ジョーのように蛇行し始めた。 立ちくらみが激しく、ついには椅子から立ち上がれなくなった。 マジでヤバイ(゚-゚;)。 それでも仕事を中断するわけにはいかず、気力でやりぬく。 自分で言うのもなんだが、仕事がんばってるよなあ。これでどうして上司の覚えが悪いかなあ。やっぱり生意気に思われてるからだろうなあ。 特に反抗的な態度なんかとってないんだけどなぜかそう思われてるらしいのは、私の口調が慇懃無礼に聞こえるからなんだろうなあ。 だから女房からは「あんたの世界の中心にはサインポールが回っている」と言われてしまうのである。 わかってんなら改善せいってか? しかし、私が二歳のころの録音テープが残っているのだが、声質はともかく、口調は今と全く変わっていないのである。 『クレヨンしんちゃん』のカザマ君の「何言ってんだよ、バカだなあ」というセリフをもっと抑揚をつけて喋っていると考えてもらいたい。 ……二歳でこれだぜ。やなガキだよなあ。しかしいったいどこをどうやったらこんなガキに育てられると言うのだ。やっぱり職人の家に生まれたせいか? だとしても、ここまでどっぷり身に染みついてるものは、今更改善のしようもないのである。 ちなみにそのときのテープには、私が『ウルトラQ』のテーマソングを「だだだだ、だだだだ、だだだだ、だだだだ、だだ〜ん、だだ〜ン」と歌っているのまで収録されている(^_^;)。 それはそれとして、眩暈と立ちくらみと吐き気と寒気である(あ、増えてら)。 このままおさまりそうにもないので、明日病院に行くことにして、仕事をいくつか同僚に頼んで帰宅(別に早引けはしてないぞ)。 ああ、でもこれでまた、片付けなきゃならない仕事が溜まるんだよなあ。しわ寄せは翌日に来るのである。
晩飯は女房がコンビニで買っておいたやたら辛いビーフン。 またまた胃に悪そうだが、女房が意に介した様子はない。女房もこの日記読んでるんだからなあ。少しは夫のカラダを気遣って健康によさそうなものを作ってくれるなりしてくれてもいいように思うが、現実は全く正反対である。 もしかして、女房、私に殺意を抱いているのか?
DVD『ヤング・フランケンシュタイン』、見残していた特典映像などを見る。 私のフェイバリット・コメディアンの一人である故マーティ・フェルドマン、メキシコでのインタビューに答えている映像が収録されているのだが、あのバ○○○氏病かと思えるほどのギョロ目ではない。 斜視は斜視なのだが(メル・ブルックスのコメンタリーによると、横は見えても真正面は見えないそうだ。ほんまかいな)、普通にまぶたを閉じている。 あのギョロ目、演技だったのか! 『サイレント・ムービー』でもあの目で出演していたから、てっきり地顔だと思ってた。 しかし、フェルドマン氏の声、実にスマートでいい声である。 私が初めに出会ったのは、テレビの吹替え版。熊倉一雄氏のダミ声の印象が強いものだから、本人の声の方がかえって違和感あること夥しい。 ご存知ヒッチコックの声もそうだが、本人以上に本人にハマっているというのは、吹替えとしてはチト考えものではあるのだ。 個性的な声の人って、面白いけど、アニメならともかく生身の人間に声をあてるとなると、使いにくいことも多々あるだろうと思う。熊倉さんかアテると、どうしてもトラヒゲかブルートが喋ってるように思えてしまうし、大平透だとハクション大魔王か喪黒福造だ。 肝付兼太も、何やってもスネ夫だしなあ。 今時の声優は無個性だ、とはよく言われるが、ホントはそのほうがいい面もあるような気がする。
この日記、「エンピツ」というサーバーから借りて書いているのだが、先日の移転に伴って、お気に入りの日記を登録することができるようになった。 私も他人の日記を覗くことが好きなので(陰険と呼ぶなかれ。もともと平安朝の「日記」などは他人に読まれることを前提としていた)、アニメ・マンガ関係のものを中心にちょこちょこ覗いているのだが、意外に広範囲に渡ってマンガを読んでいる人が少ない。 ジャンプならジャンプ、サンデーならサンデーと範囲が決まっていて、それ以外のマンガにはあまり目を通していない様子なのである。 ……知り合いがみんなオタクだからなあ。マンガに通暁してるだけでなく、ウォーキング・ディクショナリーって連中がゴロゴロいるけど、世間一般ではあまりマンガを読まないほうが普通なのかねえ。 今の所、「アニメ/漫画」のジャンルでは投票数トップの方がいて、この方の日記を「お気に入り」に入れているのだが、これがどうやらプロの少女漫画家さんらしい。当然名前は変えてらっしゃるだろうから、どの雑誌にどういうマンガを描いているのか全く分らないのだが、さて、それを勝手に推理するのが楽しいのである。 主婦でもいらっしゃるようだし、ページ数は結構もらってるほうで、シメキリに追われてもいるようだから、新人さんではないようだが、少女マンガも範囲が広いからなあ。 ホントに勝手に、美人で『ちゃお』とか『りぼん』とかに描いてるんじゃないかと決めつけてるが、これってめちゃくちゃ失礼かも知れない。もし私のこの日記読んでたらごめんなさい。 ……『フィールヤング』とかだったらどうしよう(^_^;)。
今日も体調が優れず、10時には寝たのだが、4時間もしたら目が覚めてしまった。……疲れてるならぐっすり眠れそうなものなのに、眠っても眠っても起きちゃうってのはなぜだ。 女房が夜中に帰って来るのを迎えられるのはいいけど。 さて、その女房、今日はバイト先の「リ○○○ハ○ト」からとんでもない土産をもらってきた。 一目見て、思わず「なにこれ!」と口に出た。 ビニール袋に20個ほど、米の量で言えば10合は軽くありそうなオニギリの山である。 「あまったの」 いや、あまったからって、フツー、こんなに持って帰って来るかな(・・;)。持って帰って来るほうも持って帰って来るほうだが、持たした方も持たした方である。確かに女房はいつもモノ欲しそうに、今にも「ギブミー・チョコレート!」と言い出しそうな顔をしているが、まさか「同情するならメシをくれ」と言ったわけでもあるまいにアルマーニ。 やっぱり例の「超いい人」のマネージャーさんの善意であろうか。 女房の話によると、そのマネージャーさん、今日も『RED SHADOW 赤影』の特番を見ながら、「昔、この番組大すきだったんだ! 今のドラマはみんな夢をなくしてるよね!」とのたまったそうである。 ……その批評があたっているかどうかは別として、私はこの人と宮崎駿のそばにいたら、「ああ、そうですねえ」以外のセリフは吐けないような気がする(^_^;)。
マンガ、高橋しん『最終兵器彼女』4巻。 決して技術的に下手なマンガ家さんではないと思うのだが、ハテ、この人は「戦争の悲惨さ」を描きたいのだろうか、それとも「究極のラブストーリー」を描きたいのだろうか。 4巻を重ねても、敵の姿は一向に描かれず、戦争そのものも断片的に描写されるのみで、作者の視点がどこにあるのか、どうにも掴めないのである。 結局「戦争なんてその現場にいる人間にだって理解できるものではない」と言いたいのかもしれないが、だとしたら読者が「何を描きたいの?」という疑問を持ったとしても仕方があるまい。 思わせぶりな展開が続く中、シュウジもちせも浮気っぽい行動に走っていく。ちせが「兵器」であることは、確実に二人の間を遠ざけていくが、そもそも「戦争」というタームを持ちこんだ時点で、それは当然の結果である。凡百の戦争ドラマのフリをしたメロドラマが描いてきた定番にすぎない。 本気で作者がラブ・ストーリーを描きたいのなら、「戦争」を乗り越えてでもこの恋愛を成就させねばならない。 恋愛ものの鉄則は、たとえその二人が傷つき、現象的に別れることになろうとも、精神的な恋愛は必ず成就させねばならない点にあるのだ。 シュウジのちせへの思いが深まるのに反比例して、ちせの心はどんどん荒んでいって、なんだかラストでうまく着地しそうにない雰囲気になってきたぞ。大丈夫かなあ。
マンガ、橋口隆志『ウインドミル』10巻。 滝ちゃんの髪型もすっかり変わって、もう「アヤナミもどき」とは言われない感じになってきた。 もともと『エヴァ』の絵に似せて描いてたのはキャッチーな要素として確信犯的にやってたのかな。一度ファンをとりこめば、あとはマンガそのものの魅力で惹いてみせようと言う作者の自負の表れかも。 月刊誌で10巻を数えたと言うことは、充分人気があったということだろうけど、それでも作品的には小器用に纏まってる感がしてならない。なまじリアルな『エヴァ』の線を用いたために、「滝ボール」の「魔球」としての迫力が出ない結果になっているのだ。水原勇気のドリームポールを引き合いに出すのは酷かもしれないが、魔球的にはたいしたことのないドリームボール(「滝ボール」の方は「分身魔球」だけど、ドリームボールは所詮ただの「ホップ」だもんね)の方が魅力的に見えるのは、やはり線と演出の差によるところが大きい。 思いきったウソがつけていないのだ。 今回の表紙はビキニの水着の滝ちゃんだけど、結局は“そういうマンガ”だってことなのかなあ。
夜中にやっとテレビで、小泉首相誕生のニュースを見る。 政治家でも政治屋でもない、「青二才」政権の誕生は戦後初ではないのか。ほかの連中に期待できないからと言って、なんだかほとんどバクチのノリだなあ、という気がしてくる。 小泉純一郎にもっとも近い性質の首相を歴代の中から探せば、いかにも腰砕けそうなところが近衛文麿に似てるんじゃないかと思ってるんだが、さて、時代自体も“そっち”の方に流れていかないことを、一庶民としては祈るしかないよな。
| 2001年04月24日(火) |
ギャグマンガの地平に/『相原コージのなにがオモロイの?』ほか |
……今はいつ? 夜中なんだか明け方なんだかわからない。 夢を見ているのか、現実なのかもわからない。 でも、口の中になにか違和感だけがあるの。 ああ、冷たくて気持ちいい……。 でももうダメ。 意識はそのまままどろみの中に消えていく……。
……どれくらい経ったのかしら、また口の中に何かが……。 でも、これ、前のと全然違う。 ああっ、何なの? この口の中いっぱいに広がる刺激は……。 ああっそんなに何度も押しこんできちゃいやっ……。
……気持ち悪いからやめよう。下手に偶然この日記を読んだ人が、本気でその手の暴露日記と勘違いしたら敵わん。……どうもいきなりこんなスタイルで書き出しちゃったの、拾った『秘本』の悪影響かもしれんな。 ……要するに、寝ている私の口の中に、女房がアイスモナカとジャンバラヤを詰めこんで来たのである。 朝っぱらからそんな「どうぞ胃をコワしてください」みたいなもん、食わせるんじゃねーや。
あー、火曜日かあ。火曜日って何があったんだっけえ……。 って何か書けるほどのことがあるわきゃないのだ。 何しろ、帰宅して疲れ果てて、ぶっ倒れて爆睡して夜中に起きたんだから、仕事のこと書かなきゃ大して書くこたないのである。 とりあえず窓の外は雨。 ああ、今日もタクシーで通勤せねばならんのか。 税金も今月落ちるってのにイタイなあ。
病気休業中の同僚の仕事の代理、今日で終わる予定が明日まで延長。 臨時雇いの方が(うら若き女性が二人も助っ人)、本当なら明日から来る予定だったのだが、「すみませーん、健康診断があってえ、木曜日からしか来れないんですけどお」の一言で延期になっちゃったのだ。 いやまあ、健康診断はいいんだけどさ、こう体力の限界に挑戦するような仕事続けてりゃ、こっちのほうが健康診断はおろか、死亡診断がおりたって仕方ない状態になってきてんスけど。 マジでシャレにならんのに、私の口から出たセリフは「あ、いいですよ。木曜日からで。来ていただけるだけでありがたいです」 ……別に相手が若いねーちゃんだからってわけでは決してない。 ただの痩せ我慢だ。 ああ、中年パワー、もうひとふんばりってか? しくしく(T_T)。
『キネマ旬報』5月上旬号、ティム・バートン監督の新作、『猿の惑星』のスチールが紹介。 以前の作品はそのテーマの重さに比して映像自体は明るく「白い」印象が強かったが、今回のリメイク版は監督が監督だけにやけに「黒い」。 何となく、『砂の惑星』に印象が近いが、大丈夫かなあ? 猿の軍団(笑)のメイクを見ると、これがまたなんだか『キングコング』リメイク版みたいでまたまた心配になる……。 まあ、見てみないことには何とも言えないんだけどさ。 新作情報はといえば、海外では『三バカ大将』だの、こちらでは『化粧師』や『悪名』など、またまたリメイクばかりだ。『化粧師』なんか時代を大正に移すだと? なら石ノ森さんの原作使う意味ないじゃないか。 こういうバカ企画からでも、たまにとんでもない傑作が生まれることもあるから油断はできないんだが、それにしてもなんだか期待薄なものばかりで、気が滅入るのである。 「日本映画紹介」の欄で、なぜか今ごろ『サイナラ』『ちんちろまい』『独立少年合唱団』を紹介している。どれももう半年前の映画じゃないか。 さては記載するの忘れてたな、『キネ旬』。映画雑誌の老舗を謳ってるワリに、こういう情報漏れが多いのである。ほかにめぼしいのがないから買ってるだけなんで、もっときちんとした情報雑誌があればとっくにそっちに移ってるんだがなあ。文化映画や単館系まで、一応フォローしてるのはここだけだから仕方なく買ってる客もいるってこと、知っててほしいんだけどな。
夕方には雨が上がるが、帰りもやっぱりタクシーにせざるを得ない。 バスを乗り継いでちゃ、帰宅が9時過ぎになっちまうし。疲れて帰って来るが、やっぱりメシの用意はできてない。 女房が「ピザ、たのもうか?」ともちかけてくるが、そんなしつこいものばかり食べたくはないのだ。 そうすると、女房、外に出たはいいが、買い物をするでもなくほか弁を買ってくる。しかもさっき「しつこいのはいらない」と言ったばかりなのにキムチ丼なんかを買って来やがる。 あるものは食わねばならぬので食ったが、どうしてこうカンの外れたことばかりしてくれるかな、女房は。
風呂にも入らず10時に寝て起きたら、午前2時。ああ、4時間しか眠れないって、どういうわけだ。確実に体のリズムが狂ってきてるんだなあ。
マンガ『相原コージのなにがオモロイの?』読む。 相原コージという人、決して頭のいい人ではない。マンガ家にも天才型と努力型がいるとすれば、明らかに相原さんは「努力型」なので、言っちゃなんだが、その「努力」の過程が見える分、ギャグマンガ家としては弱いのである。 相原マンガを毛嫌いする人は多いが(ウチの女房もそうだ)、その批判のし方はたいていが「絵が汚い」「アイデアが陳腐」「説教臭い」というものである。 特にその「説教臭い」ところが反発を食らってるのだろうと思う。何しろ大上段に「ギャグマンガとはなにか?」と問い掛けてくるものだから、「えらそうにすんじゃねえ」と言いたくなる気持ちが読者の側に起こることも確かに当たり前ではあるのだ。 相原さんもそのあたりの読者の批判を常々肌身に感じていたのだろう、今回はそれを逆手にとって、客イジリならぬ客イジラセ、というとんでもない手段に出た。 インターネットに自分のマンガを載せ、読者の批判を仰いでギャグマンガを改訂していく。その過程そのものを発表していくという、言わば「メタマンガ」を目指したのだ。……『朝のガスパール』とか『笑い宇宙の旅芸人』のパクリとか言うなよ、小説とマンガとでは手法は似てても完成作はおのずと違うものになってるものだ。 匿名性の高いネットにおいては、批判を越えて、罵詈雑言が相原さんを襲うことは予測していたはずだ。相原さんは、その予測に従って、あえて「切れて」いく(予測してたからと言って、冷静でいちゃマンガにならんものな)。 でもそういった「メタマンガ」の試み自体が「陳腐なアイデア」とする読者もいて、「やっぱり相原コージはつまんない」と断じてしまったりするのだ。女房などは多分それで相原コージが嫌いなのである。 でもねえ。私はそれほど相原さんを嫌いになれないのよ。 なんたって自分のマンガを「つまんない」と貶した高千穂遙の本を、本屋に行って全部、後ろむきに入れ直したという人だ。バカな子ほどかわいいというが、「努力の過程が見える」というのも、それはそれで楽しめるでないの。 実は日本では、ギャグマンガは未だに差別されているのだ。はっきり言って相原さんがここまで罵倒されているのは、相原さん個人だけでなく、ギャグマンガが、ひいては全てのマンガ家自体が低く見られていることの表れにほかならない。 確かに相原さんのマンガはつまらないが、相原さん個人を罵倒するようなやつにマンガを愛する資格はない。日本が未だ読者の知的レベルにおいてマンガ後進国であることを証明した点で、本書は今世紀初の傑作マンガとなったと言えるのである。
マンガ、椎名高志『MISTER ジパング』4巻。 表紙は濃姫だけど、あまり出て来ない。信長の父、信秀の死と、その後の織田一族内の新たな権力闘争、平手政秀の死が今巻のメイン。……男のドラマだなあ。でも、椎名さんに求められてるものはそれと違うものだろうから、『GS美神』以来のファンは戸惑ってるかもしれないけど。 私はベタなギャグが減った分、以前よりずいぶん読みやすくなってるんだが。作家はやはり以前と同工異曲のものは書きたがらぬものだから、この変化もあたたかく見守っていけばいいと思うんだがなあ。
マンガ、高橋留美子『うる星やつら・所持品検査だ!』。 声優の日高のり子さんのインタビューで、京田尚子さん(『犬夜叉』の楓役だな)のエピソードが面白い。 お年を召した方であるから、『犬夜叉』の情念の世界を捉えるにしても、実にリアルな具体例を挙げられているそうなのである。 「昔の話でね、お妾さんと本妻が仲良くしてるんだけど、夜になると髪の毛同士が絡み合って戦ってたってね」 ……『犬夜叉』って、そんな話だったのか(^^)。桔梗が本妻でかごめが妾か? ……かごめが聞いたら怒りそうだなあ。
ああ、今日も『陰陽師』見逃した。 でもまあアレはたまに偶然見る程度でいいや。
| 2001年04月23日(月) |
駆けて行った白い雲/DVD『ヤング・フランケンシュタイン 特別版』ほか |
昼間、ポケットになにげなく手を突っ込んでみると、そこに一冊の文庫本が。 ハテ、これはなんの本だったかいのう、と目にしてみて、慌ててポケットの中に本を戻す。 タイトルは『官能アンソロジー 秘本』。堂々たるエロ小説である。 ……別にエロ小説に偏見はないが、日頃から読んだりする習慣はない。それがなんでそんな本を持っていたかと言うと、拾ったのである。 先日の劇団の打ち上げの帰り、電車に乗っていて、座席にポンと置かれていたのがこの本。というより捨てられていたのだな。マンガ雑誌の類だったら、そうそう持っていったりはしないが、こういう本を読むことは滅多にない。しかもメイン作家が南里征典、私はこの人を『未完の対局』のノベライズでしか知らなかったのだが、なんとアクション小説からエロ物まで書いていたのである。作家は食うためにはやっぱりなんでも書かねばならぬのだなあ、と思いつつ、ポケットに入れて忘れていたのだね。 でも、あのときは勢いで持って来てしまったけど、考えてみれば私も思いきったことをしたものだ。あのとき同席していたのは女房、鴉丸嬢、よしひと嬢、妙齢のご婦人方ばかりではないか。意識はしてなかったが、もしかしてみなさんに私が相当なスケベだと言う印象を植え付けてしまったのではないか。 いや、あの、アレはただ単に珍しいものはつい読みたくなってしまうという純粋な好奇心によるものでしてね、別に女体の神秘が知りたいとか、濃厚な描写に耽溺したいとか、よからぬ妄想に悶々としたりしたいとかいうわけではないのですよ。 ……ああ、いかん! 言い訳すればするほど中年オヤジみたくなってしまう。って中年なんだよなあ、私(タメイキ)。
昨日、久しぶりにオタアミに藤原敬之名義のままで『クレヨンしんちゃん』についての書きこみをしたのだが、早速反応のレスがついた。 最近はオタアミに書き込みするにしても、どのようなことを書けばレスがつくのか見当がついてきたので、多少「ねらって」みたのだが、反応は上々でうれしい(こういうことを書くと女房はすぐ「この策略家」となじるのだが、別に策略なんて悪辣なものではないぞ)。 要するに、「空白と多少の見当違い」を入れておけばよいのである。 「空白」は、その作品の重要な魅力にあえて触れないでいる部分。今回、ほとんど父親のひろしの視点で文章を書いたので、しんちゃんや子供たちの視点や描写についてはあいまいなままである。そうすると「なぜ、こんな大事なことを見落としてるんだ!」と反応がある。 また、「多少の見当違い」は、些細な点にこだわったように見せること。そうすると、「そんな細かいことに拘るな!」とか、逆に「もっと細かく分析せんか!」と反応される。 要するに「未熟者だねえ」という反応が来るってことだが、別にそのためにあえて無知なフリをしてるってワケではない。自分の無知な部分は無知なものとしてさらけ出してるだけだ。要は書きこみが活性化することで「映画、見に行ってみようかな」、という人たちが現れてくれればいいわけで、実のところ、人が映画館に足を運ぶのはその映画が誉められてるか貶されてるかにはあまり関係がなく、「話題になってるか」だけだったりするのだ。 もちろん、だからと言って、自分が感動したものをあえてけなさにゃならんなどと考えちゃいない。私はともかく素直にあの映画を見て感激し、帰りの道すがら人にどう見られようとかまうものか、と言いたくなるほどに涙に頬を濡らしていたのだ。 それをそのままあまり抑制を加えずに書けば、自然に突出した文章となる。反応はすべからくある。冷静で分析的な、ちょっといやな言い方をすれば気取った姿勢が必ずしも人の心に届くものではないということを自覚せねば、生きた文章を書くことはできないのだろう。
DVD『ヤング・フランケンシュタイン特別版』見る。 「特別版」と銘打っただけあって、これは最高に「買い」の一本。 コメンタリーはメル・ブルックス自身だし、メイキングではジーン・ワイルダーのインタビューが脚本が映画化される過程を追っていて出色だし、未公開映像やNG集もたっぷり、全てを見れば映画作りの過程が克明に解るという、これまで買ってきた「特別版」の中でも理想的な編集ぶりである。 しかし、あの有名なタップダンスシーン、ワイルダーのアイデアを初めブルックスが強硬に反対してたってのは面白いな。アレはコメディ史上に残るほどの名シーンだと言うのに。でも、ワイルダーの熱弁にサラリと気持ちを転換したブルックスの度量もたいしたものである。 今はなき、マデリーン・カーン、本によっては「マデライン・カーンと書かれていて、ホントの発音はどうなんだ、と思っていたが、みな一様に「マドラン・カーン」と発音している。……でも、こりゃ発音どおりには書きにくいなあ。
マンガ家のあすなひろし氏、肺ガンで死去。 と言っても実はなくなったのは一月前の3月22日だとか。新聞記事で知ったのだが、ネットでは既に訃報が伝えられていたようである。"新"聞の名が泣くのではないかと思うが、一介のマンガ家の死などどうでもいいと思ってんじゃあるまいな。 うわあ、また60歳だ……。本気でもうマンガ家60歳停命説を唱えてもおかしくないような気がしてきた。
あすなひろしへの思い入れを語るのは切ない。 作品をそう多く読んでいるわけではないが、私の感性の核をなしていることが明らかだからだ。 多分、一番初めに読んだマンガは『少年ジャンプ』に掲載されていた『山ゆかば!』だろう。調べてみると、発表は1970年、私はまだ小学生だ。それ以前から少女マンガ雑誌で活躍されてはいたようだが(デビューは1959年、『少女クラブ』掲載の『まぼろしの騎士』とか)、当時は私に少女マンガを読む習慣がなかったので、出会いは結構遅かった。 ともかく絵の上手い、そしてきれいな人だ、という印象だった。マンガを読んでいるというより、繊細な線のイラストを見せられている、という印象が強かったのである。しかも『山ゆかば!』はあのヒロシマを扱った作品であった。 ただ楽しく、自然の中で遊んでいただけの子供時代、しかし、あのきのこ雲を遥か彼方に眺めた時、自分たちがどういう時代に生きているのかを初めて知る……黒澤明が映画『八月の狂詩曲』で見せた手法を、あすな氏は二十年前に既に描いていたのだ。 同じ被爆経験を持ちながら、中沢啓治の『はだしのゲン』のようなイデオロギー的押しつけがましさのないあすな氏の作品のほうが、私にはずっと胸に迫るものを感じさせていた。 『海ゆかば』の歌も、『ビルマの竪琴』以前にこのマンガで覚えた。 そして多分、私の好きな短編マンガベストテンに入れてもよいであろう、『とうちゃんのかわいいおよめさん』。 妻と死に別れた乗合バスの運転手の父親と、気の強いバスガイドの娘の恋。お互いに思い合っていながら、父親は口下手で気持ちを口に出せない。バスがワンマンカーに切り替えられ(そういう時代だったのよ。今やバス自体に「ワンマンカー」という表示すら見かけなくなっちゃったけど)、娘が田舎に帰る日にも結局、父親はなにも言い出せずに見送る。娘の流す涙の意味に気付いていながら。 息子は二人をなじる。「どうして何も言わずに別れられるのか」と。二人はそれでも何も答えない。 口下手な父親は、たどたどしい口調でガイドをしながらもバスの運転手を続ける。そして、ある時、そのバスに一人の客を乗せた時……。 記憶だけで筋を書いてるが、これも多分、私が初めてマンガを読みながら泣いた恋愛ものだ。だって、ここに描かれてるのはただの恋じゃない、「職人の恋」なのだもの。……1973年の小学館漫画賞受賞作品である。 連載作品である『風と海とサブ』や『青い空を、白い雲がかけてった』もよかったが、私のあすな作品体験はこの二作に尽きる。 この十数年、氏のマンガを見ることはおろか、噂すら聞くことはなかったが、いったいどうやって暮らしていたのだろうか。遺作はどうやら1986年の『ながれうた』(未読)。 合掌。
| 2001年04月22日(日) |
おしゃべりラブ/DVD『キングコング対ゴジラ』ほか |
女房から依頼されていた次回の芝居の台本第一稿、夜っぴて書き上げようと思っていたのだが、仕事疲れが溜まっていたのだろう、睡魔に勝てずにくたばってしまった。 朝、何も原稿が進んでいないことを知った女房から、「ウソツキ」呼ばわりされるし、せっかくの休日だというのに幸先が悪い。 どうもまた体調を崩したらしく、立ちくらみがひどい。練習に顔くらい出そうかと思ったのだが、横になって休むことにする。
いつものごとく『仮面ライダーアギト』を見たあと、今日は『どれみ』に行かずにウラの『超GALS寿蘭』を見てみる。 制作がスタジオぴえろ、キャラクターデザイン田中比呂人(『METAL IDOL KEY』の人ね)、とあるので、おお、これは意外とイケルかも、と思って見てみたが、フーゾクが今時の渋谷になっただけで、十年一日の他愛ない少女マンガ。 と言うか、今時の女の子って、あんなにバカでしかもアレがカッコイイと思ってるのか? 自分で自分のことを「GAL」って呼んでる時点で私に言わせりゃダサいんだが。 続けて『コメットさん』第4話。 今回はライバルのメテオちゃんが出て来ない代わり、ご近所のパニッくんのお母さんが『奥さまは魔女』における隣のグラディスさん的役柄を演じている。前回よりマンガチックな表情が増えて(特にラバボー)、何となく『どれみ』風になっている。顔を崩すのはギャグマンガの定番になってるけど、『コメットさん』でまでムリヤリ笑いをとりに行こうとしなくてもいいと思うけどな。 ついでに『いつ見ても波瀾万丈』、石川ひとみの回を見る。B型肝炎で言われなき偏見を受けた話、会社から落ち目になった途端解雇された話、それをケロリと明るく話せるあたりがかえって苦悩の大きさを感じさせる。それほどファンというわけではなかったけれど、『プリンプリン物語』は出来ればリメイクしてほしいなあ。
DVD『キングコング対ゴジラ』を見る。 初見は多分、テレビか『東宝チャンピオンまつり』の短縮版だろう。この短縮版を作った時に、アホな東宝はネガフィルム自体を裁断したために、長らく『キンゴジ』は完全版が存在しない幻の作品になってしまった。 ビデオ発売の際、残されていた三番館用のフィルムをツギハギして、なんとか全長版は作ったものの、ネガと退色の激しいフィルムとでは、その画質の違いは如何ともしがたく、これ以上の復元は不可能かと思われていた。 それが今回、完璧とまでは言えないものの、遜色がないほどに修復されている。それだけでも今回のディスクには大きな価値がある。 コメンタリーは藤木悠氏と梶田興治氏。……高島忠夫が出ないってことは、やっぱり病状が悪いのかなあ。アナウンサーの話の引き出しかたが下手で、今一つ面白いエピソードが聞かれなかったのは残念だけど。 予告編のBGMに黒澤明の『隠し砦の三悪人』が使われていたのには驚き。そんなに古い映画だったんだなあ。
練習が終わった女房と待ち合わせして、イムズのシズラーで食事。 四割引券が郵送されてきたので、これも使わねばもったいないと、前々から約束していたのだ。でもこういう食べ放題の店だと、ついつい食いすぎちゃうんだよなあ。 女房から練習の様子を聞くが、桜雅嬢ことラブちゃん、相変わらず飛ばしているようである。 演劇の練習の一つにエチュードってのがあるのだが、あるシチュエーションを提示されて、それをマイムで演じてみるというものである。まあ、昔の『ジェスチャー』(古いなあ)のリアルなもんだと思ってもらえりゃいいかな。 ラブちゃん、お題を求められて曰く、「今日」。 ……いや、シチュエーションってのは、具体的に「夏の暑い日に」とか、状況を説明するものなのよね。「今日」って、いつの今日を指すんだか、わかんね―じゃね―か。 更に実はラブちゃんは隠れて×××××××××が判明。「『××、××、××』の三拍子揃ってるね」と女房は言うが、人は見かけによらないと言うか、ある意味見かけ通りと言うか。
キャナルシティに寄って、「無印」で女房のパンツを買う。 なぜか最近パンツが減ってきているそうである。「あれ? ここに干しておいたのにない」、ということらしいのだが、もしかしたら空き巣に入られてるのであろうか。 ……だとしたら、そいつはよっぽど不思議な趣味の持ち主であろう。 「ラ・ブ―ン」に回って、「百鬼夜行」シリーズを探してみるが新入荷が全くない。やっぱり高い金出して買わねばならんのだろうか。 諦めて帰ろうとした時、ふと、黒い箱のようなものが目にとまる。 なんと限定販売したはずの押井守・藤原カムイの『犬狼伝説』完全版、CD付きを千円引きで売っている。こ、これは買わねばと、慌てて購入、でもふと女房を見ると、いかにも渋い顔をしているのであった。 千円引きでも結構なお値段だったせいかな(^_^;)。
帰宅して早速CDを聞く。『紅い眼鏡を待ちつつ』って、もろベケットの『ゴドーを待ちながら』じゃないか。 内容はコミカルな会話劇、と言った感じで、『ケルベロス』シリーズの導入としてはいいかも。昼寝たせいで、なかなか寝つけなかったが、ラスト直前と言うところでまたまた落ちちゃったのであった。
| 2001年04月21日(土) |
帰り道涙道/映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』ほか |
わははい、給料が出たぞ♪ ということで、映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』を見に行くことにする。 何となく上司が「残業お願いできませんか?」と言ってたような気もするが、恐らく空耳か幻聴であろう(^^)。
帰宅して時間を調べてみると、2時20分の回に間に合うためには1時25分のバスに乗るしかない。時計は1時15分。 なのに女房は、予め出かける準備をしておくように言っておいたのに、布団の中で「ぐごお、ずびび、ふんがらべっちゃびー」と、寝ていたのである(毎回いろんなイビキを聞かせてくれるなあ)。 女房のケツをひっぱたいてバスに乗り込む。道中、女房と「間にあうか、間にあわないか」で言い合い。「地下鉄に乗り遅れなければ間に合う」と繰り返して説明してやってるのに、女房はまるで信用しようとしない。「遅れるよ、間にあわないよ」といつもながらの不安神経症ぶり。これさえなけりゃ、女房と出歩くの苦痛じゃないんだけどなあ。 天神東宝には15分前に着く。 ところが公開初日だったせいか、既にチケットは完売。……凄いなあ。去年もたしか初日に見に行ったけど、座れないほどじゃなかったのに。『クレしん』人気、未だ衰えずという感じでうれしい。 仕方なく4時20分の回を見ることにして、時間つぶしをする。 天神東宝に来たらハイテク回転寿司を食う習慣になりつつあるが、今日はあまりいいネタがなく、女房、やや不満足な面持ち。 「中とろが今イチ」なんて贅沢なことを言いやがる。ああ、でも寿司となるとなんでもうまく食えてしまう私のほうが、実は女房よりずっと小市民なのかも。いや、別に自分が貴族だなんて思ってないけどさ。 ベスト電器で予約しておいたDVDを買う。今月は旅行もあるので控えたつもりだったが、それでも一万五千円。福家書店に回って、マンガその他を買ってやっぱり数千円。……この辺で打ち止めにしておかないとなあ。
4時台の回も下手をしたら座れぬかもしれないので、1時間前に並ぶ。 それでも既に列には親子連れが二十組ほど並んでいる。でも躾が結構いい子が多いのか、走り回ったりする子はいない。 待ってる間に今買った本を読もうと思って、六道神士の『市立戦隊ダイテンジン』を読み始めたら、これがなんとエロマンガ。そうかあ、六道さん、そっち方面から出てたヒトだったのね。『エクセル・サーガ』だけじゃよくわかんなかった。 お子様がウッカリ覗いちゃ教育上悪いかと思って(抱っこされてて上から覗き込もうとすればそれができる子もいたし)、ほかのマンガと取り換えたが、女房は私が袋にもどした『ダイテンジン』を平気で読みだしやがった。 「だって覗くほうが悪いし」 そりゃそうだけどねえ。
待ってる間に、日渡早紀『未来のうてな』4巻(完結)、野間美由紀『パズルゲーム☆はいすくーる』33巻、読み切る。 『うてな』はまあ、無難な終わり方。 いじめの問題はきれいごとで片付けられることではないから、このマンガのようにハッピーエンドになっちゃうというのは、理想的過ぎるという批判も有り得よう。 かといってリアルに描いて希望のない終わり方をしたいかどうかは、その作家の姿勢の問題である。何となく駆け足でコトが片付いてしまった印象はなきにしもあらずであるが、短い巻数での完結の理由は、人気がなかったというより、作者が陰惨ないじめを描く前にやめたくなったのではないか。 早いとこ主人公を幸せにしてあげたかったんだろうなあ。おかげで作品的には『ぼく地球』ほどに濃くはならなかったけど。 『はいすくーる』、久々の高校生編。……今までずっとアダルト編が続いていたから、なんだか新鮮で初々しい印象。既に十年以上続いているから、香月が「おっはー」なんて言ったりするわきゃないんだが、まあそこはご愛嬌。 トリックはたいしたことないけど、陰惨な殺人は出て来ないし、肩が凝らずに読める点ではちょうどいいミステリ。本来ミステリは暇つぶしのためのものだしね。
さて、映画本編の感想であるが、これはもう個人的には今までのベスト作品、『ヘンダーランドの冒険』を凌いだ。 ともかく、映画を見ている時はおろか、外に出てからも、今見た映画を思い返すたびに涙が止まらなくなるのである。 女房は「あんたが泣くなんて珍しい」と自分の亭主を珍獣扱いしてくれるが、そう言われても泣けるものは仕方ないのである。いや、もともと涙腺は弱いほうなので泣くのはしょっちゅうなんだが、一応、私はオトナなので、人前になるとその涙腺を抑えることもできるのである。 でも今回はダメだった。 映画の感想も書いておきたいところだが、書けばまた涙が出てくるのでもう書かない。 ともかくなんでそこまで感動するかと疑問に思うなら、映画を見てちょ。お子様に混じって恥ずかしい、なんて思って行かないくらいなら(思うだけならいいけど、それを言い訳にするなら)、アニメファンをやめた方がいい。
帰りに「ブック・オフ」に寄って、安売りDVDを物色、帰宅してようやく『ダイテンジン』を読む。 しかしこんな福岡人にしかわからんネタ満載のマンガ、よくアニメにしたよなあ(エロ抜きだけど)。しかも原作では連載打ちきりのために動くシーンのなかった大天號、アニメでは最終回1個前でしっかり発動させてたし。 でもエクセルが渡辺にしっかり犯されてたのはちょっと悲しかったな。なんかまあ、アレっすよ、やっぱりイルパラッツォ様と結ばれてほしい、なんて思ってたりはするしねえ。……悪いか純愛嗜好で。 しかし和黒病院って、やっぱりモデルはあの……ああ、ヤバ過ぎてとても書けん(^_^;)。オーグラ劇場ってつまりあの……だから書けないってば。
夜、買って来たDVD『デジモンアドベンチャー/デジモンアドベンチャー・ぼくらのウォーゲーム』見る。 アメリカではちっとも受けなかったというこの映画版、そりゃ仕方ないよなあ、と改めて思う。これはもう、完璧に大人向けアニメであって、アニメ後進国でガキの集団であるアメリカ人に理解できるしろものではないのだ。 だいたいデジモンの進化を表すのにBGMにラヴェルの『ボレロ』を使うという抽象的な感覚自体がなんだか分らないだろう。 確かに、どちらも30分、という短い時間のせいで、設定が今一つわかり難い嫌いはあるが、「ワケ分らん」と放り出すほどのものではない。何より人物の表情をここまで豊かに描けているアニメはそうそうない。 おかげで日曜の『デジモンテイマーズ』が楽しみになっているこのごろである(^^)。
| 2001年04月20日(金) |
ただいま治療中/『クラッシャージョウ』(細野不二彦)ほか |
職場での健康診断の結果表を渡される。 この用紙が、年々カラフルに、しかも記載事項が複雑になってきている。 なんだか自分の病気が年ごとに複雑化して悪化しているように思えてくるんだけれど、こういうのって逆効果じゃないのか。 体重が肥満度1で収まってたのは自分でも意外だった。太っちゃいるけど百貫でぶってほどではなかったのだなあ。ついでに調べてみたが、百貫って375キロなのだな。……小錦以上じゃねえか。肥満度100ぐらい行ってるよな、アレは。 最近デジカメにはまって、女房が私の写真を撮りまくっているのだがそこに映っている私はどう見ても中年ぶとりのオヤジである。そんなん写してもクソつまらんのじゃないかと思うのたが、なにをトチ狂ったか女房は「ポスター作ってカレンダーにしようか」などとフザケたコトを言う。……テメエもその三段バラの水着ポスターでも作ってやろうか。 気色の悪い話題はさておき。 既に治療中のものについては今更の結果。 糖尿、中性脂肪、肝機能については治療中ということで「医師の指導に基づくこと」との所見。夏場はこれで入院しそうな気配なのだが、不思議なことにいつも血圧だけは正常なのだ。毎日ひいふう言ってるわりになんとかカラダが持ってるのは心臓がマトモに働いてくれてるおかげなのだなあ。 えらいぞマイハート。 今回の結果でよく解らんのはレントゲンで横隔膜に異常が見られたこと。所見にゃ「観察してください」って書いてあるんだが、自分で自分の内臓観察できね―から医者にかかってんだろーが。具体的にどこがどうでどういう問題があるか指摘しなけりゃ健康診断の意味ないじゃん。 でもいくら治療したって、体にガタが来るのが止められるわけじゃなし、だもんで働けるまで働こうって無理して、早死にするやつが日本人には多いと思うのである。お袋がだいたいそうだったしなあ。 その点、私は既に感覚的に余生を生きてる気分なので、入院する時は平気で入院してしまうのである。 兼好法師は「人間四十で死ぬのがちょうどいい」と七十歳の時に言ったが、自分ではそれなりの分別もでき、熱心に働いてるつもりでいても、四十過ぎの人間のエネルギーはどこか社会を停滞させる方向にしか動いていないのである。「若者に対して怒る」ってのが既に社会をリタイアしかかってる証拠だからねえ。 まともな大人は怒る前に自分が働くものですって。……少ないよな、大人。
テレビ『クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶ映画公開モーレツSP』、昨日読んだばかりの単行本、『エンピツしんちゃん』がもうアニメ化だ。 スペシャルバージョンの1回こっきりの放送みたいだけど、原作もアニメも、少しずつでいいからしんちゃんたちを成長させてほしい、あるいはたまにでいいから中学生編なんかも見てみたいという気がしている。 マンガのキャラがトシをとらないのを「サザエさん現象」と呼ぶやつがいるが、実はその類型に当てはまっているマンガというのは意外に少ないのだ。 例えば、一見何の変化もないように思われている『ドラえもん』にも、時の流れはちゃんと存在している。中学生や高校生、大人になったのび太が登場したこともあるし、『のび太の結婚前夜』のような感動編もちゃんと描かれている。だいたい『ドラえもん』自体がタイムマシンで未来から来てるんじゃないか。 江川達也は「『ドラえもん』はのび太が人間的に成長しないのがよくない」とバカな意見を吐いていたが、あの作者には基本的にマンガを読む力がないのだ。だから『タルるーとくん』が『ドラえもん』の二番煎じにしかなっていないことに気付いてもいないのである。 「しんちゃん」もまた成長しない子供ではない。幼稚園というユートピアを繰り返し過ごしてはいても、未来予想図を持たない子供ではないのだ。映画、テレビを何本も見ているうちに、いつの間にか私は、「ああ、この子がどんなオトナになるか見てみたいなあ」という気持ちにさせられている。それだけ、『しんちゃん』のキャラクターには血が通っているのだ。 しんちゃん本人もだが私はひまわりのオトナバージョンも見てみたいぞ♪ さあ、明日はいよいよ映画第9作の公開だ。初日に行くぞ、待ってろよ万博コンパニオン(何のこっちゃ)。
近所のカラオケのサービス券が今日までなので、晩飯がてら女房と出かける。 二人で行く時にはできるだけ練習を兼ねるので、日頃歌いつけてないやつや、所々忘れてるやつを確認しながら歌うことが多い。 そうか、金井夕子(覚えてるヒトいるかなあ)の『パステル・ラブ』、尾崎亜美の作詞・曲だったのか。フルコーラス歌えるような気がしていたが、やはり途中を忘れている。しかもキーが合わない(^_^;)。 谷山浩子の『猫が行く』(なんと大島弓子の『綿の国星』のイメージソングなんだよね)、15、6年ぶりに歌ってみたが、サビの部分のメロディーがどうしても思い出せない(帰宅して昔のカセットテープ引っぱり出して聞いてみようかとも思ったが、もう部屋のどこにあるのか分らない。さて、こんなマイナーなの、CD化されてるのかなあ?)。 郷ひろみ・樹木希林『林檎殺人事件』、驚くほどキーが合う。というか、音の高低がないおかげなんだけど。 そのことを女房に言ったら、 「じゃあ、あんたって、声はヒロミ・ゴー?」 ……んなわけあるか。 女房は女房で『チャコの海岸物語』だの『不良少女白書』だの、いったいいつどこで覚えたんだと言いたくなるものばかり歌う。 サービス券を使いきり、焼きそばとお好み焼きを食って、二人で3400円。まあこんなもんか。 近所に新しく出来たカラオケ屋にもまだ行ってないし、そのうち行かねばなあ(何が「ねば」だか)。
マンガ、高千穂遙原作・細野不二彦作画『クラッシャージョウ』文庫版読む。 細野さんのこの作品、もう買うの3冊目なんだが、再版されるたびに新作や加筆などの書き足しが増えるので、買うしかないのだ。なのに今回も完全版じゃなく、『復讐鬼の葬送』が未収録。なんでだ(-_-メ)。 ジョウがヒーロー然としたヒーローで、キャラとしての特徴が少ないものだから、その分SF的アイデアで攻めてほしかったんだけど、新作短編はそれほどのものではなかった。むしろデビュー作とのあまりの絵柄のギャップを楽しんだほうがいいのかも♪
| 2001年04月19日(木) |
今日は眠いので短いよん/『クレヨンしんちゃん』29巻(臼井儀人) |
今日は暉峻康隆とマイケル・リチーが死去。 だから別に今日の死亡者日記にしたいわけじゃないのに(-_-;)。 何を隠そう、隠すほどの意味もないが私はブンガクブの出身なので、近世文学の文献を読むのに暉峻さんの著書にはずいぶんお世話になった。なっただけでお礼はしていない(当たり前だ)。 マイケル・リチーの映画は『がんばれ!ベアーズ』と『フレッチ/殺人方程式』しか見てない。どちらも好きなコメディーだけれど監督としての才知はあったのかどうか。役者の才能におんぶに抱っこの映画だったようにも思うし。
だんだん暖かくなってきて、自転車通勤もひと汗かくようになってきた。 冬場はいちいち着替えるのも面倒臭いので背広のまま自転車で通ってたんだが、そろそろジャージにしないと汗だくで風邪をひいてしまうかもしれない。 暖かくなるにつれて、なんとイカレかけてた自転車のバッテリーも復活してきた。……寒いと充電機能って落ちるものなのか?
帰宅するとちょうど女房が餃子を焼いているところ。 そうかあ、今日の晩御飯のおかずは餃子かあ。あとは何かなあ、と思って待っていたら、出て来たおかずは餃子だけ。しかも見た目がほとんどふやけたワンタンである。 「失敗しちゃった♪」 見りゃ解るわ。 どうもバカ正直に説明書通り、水を入れて蒸そうとしたらしい。あれは水の加減がムズカシイので、油で炒めるだけで充分だったりするのだが。 女房自身も物足りない様子だったので、仕事に出かけたあと、スバゲッティを作っておいてやる。 私が寝てる間に、多分、あの欠食児童は喜んで食らいつくことであろう。サービスのいい夫だなあ。
マンガ『クレヨンしんちゃん』29巻読む。 しんちゃんの小学生編のタイトルが『エンピツしんちゃん』。するってえとやっばり「クレヨンしんちゃん」のクレヨンって、クレヨンでお絵かきするのが好きって意味なのかな。 小学生編まで出したってことは、いよいよネタギレかって気もするけど、テレビの視聴率はまだまだいいようだし、終わるに終われないっていうのが正直なところなのかも。 いや、早く終われって意味じゃないからね。
| 2001年04月18日(水) |
中華思想の尻の穴/『名探偵コナン』32巻(青山剛昌) |
山田智彦が死去……ってもういいや。(山田さんゴメン)
毎日がなんだかバカのように忙しいし、実際青息吐息で仕事をしているのだが、不思議と昨年より充実している。 去年は仕事量そのものは今年よりも少なかったのだが、それでも意欲がどうにも湧かなかった。「ベンチがアホやから」と言うのは、たいてい無能の言い訳だったりするのであまり言いたくはないのだが、実際、アホの下だと何やっても足を引っ張られるだけなのである。 でもアホが異動で消えたおかげで、私も仕事ができるようになったのだから、あいつがアホだったと断定しても、私の逃げ口上にはなるまい。 おっといけねえ、仕事のことは言わない約束だったぜ(^^)。
自民党総裁選そのものに興味はないが、小泉純一郎氏一人の足をほかの三人が引っ張ろうといている構図はなかなかに面白い。 派閥の解消を謳っているのは小泉氏だけであるから、1対3の対決となるのに不思議はないが、たとえ小泉氏が当選したとしても、その政治力を今から牽制しておこうという目論見は透けて見える。政治的な駆け引きで言えば小泉氏のような青臭い万年青年は、他の三人にかなうはずがないのだ。だから当選の可能性のない麻生、亀井両氏も余裕綽々としていられるのである。 政治家として長生きするためには定見を持たぬことが第一であるから、とりあえず自分の地盤を固める機会として総裁選を利用して、さて、小泉政権が木舟か泥舟か見極めた上で乗るか乗らぬかを決めようというのがお三方の目算なのであろう。どうせ小泉氏にあの三人が切れるはずもないし。
更に面白かったのは、四人が四人とも、靖国参拝肯定、李登輝前総統来日ビザ発行許可については意見が一致していた点であった。 日本の政治家がここまで露骨に対中国を表明したのは戦後初めてではないのか。あの粛清の文化大革命時にすら玉虫色の表現で批判を誤魔化していたというのに。 ここんとこ、中国の対外政策は素人目にもドジ踏んでばかりとしか見えないから、確かに擁護したって得はないもんな。 民衆は基本的にムズカシイ小理屈は好まない。 「病気を治療したい」と言ってる人間の入国を妨害するようなことをやってりゃあ、自ら敵に廻してくれと言ってるようなもんだ。 李登輝氏が日本との政治的結びつきを深めようと画策してるのは中国側が批判している通りだろう。確かにホントに病気かどうかなんて、わかるこっちゃない。しかし、それでもあえて見て見ぬフリをするだけの度量を見せなければ、悪者になるのは中国の方だということになぜ気付かないか。仮に本当に李登輝氏の健康が悪化でもした日にゃあ、中国は非人道的な国として、世界的に孤立しかねないんだぞ。李氏の行動はそこまで計算した上でのことだろう。既に情勢は李氏の思惑通りに進んでいる。どう転んでも李氏に負けはないのだ。 李氏の来日に外務省はあくまで反対しているそうである。あそこにゃ相当中国のスパイが入り込んでるというウワサがあるが、あながちウワサばかりと否定ができない感じじゃないか。 イデオロギーに拘っている国は融通が利かないからいやんなるのだ。だいたい「一つの中国」に拘るのだって「世界の中心はおれらだけ」って思想からじゃないか。 ……そう思うんなら思ってていいからよ、ケツの穴の広いとこぐらい見せろや、なあ。
女房が晩飯用にでかいハンバーグを買ってきている。 「お風呂入るから、その間に温めといて」 なんだ、作るのは私か。 ハンバーグだけでは物足りないので、ネギを炒めて目玉焼きにまぶす。あとは野菜炒め。ところが女房、ハンバーグだけでおなかいっぱいだと言って、野菜炒めは食べようとしない。 ……本当に少食になったのか、とも思ったが、これが肉ならやっぱり食うにちがいないのである。 私は女房が、「シズラー」で食い放題がしたいと、私の給料が出るのを舌なめずりして待っているのを知っているのだ。
何となく新番組バラエティにチャンネルを合わせる毎日であるが、今日は『せきらら白書』というくだんねー番組をついつい眺めてしまっていた。 番組表には「徹底調査で日本の実態をせきらら報告」とあるが、のっけから「親友って何?」というバカげた調査。 自分が親友だと思っている相手が、自分のことも親友だと思ってるか、というせきららというよりは底意地の悪い企画である。日本人ってマジメだからなあ、そう言われると、真剣に考えちゃうのだねえ。企画者の方はまるでマジメに考えちゃいないのに。 お年寄りが「友達はみんな親友」と答えてたのを少しは身に染みて考えたらどうかね。この調査がなんの結論も見出せないものだってことに気付けよ。 芸能人の頭よい度を高校の偏差値で輪切りにするってのもアホの真骨頂。ゲストの大橋巨泉に思いっきり批判されてたが、出演者から総スカンを食らうような企画立ててんじゃねーよ。
マンガ、青山剛昌『名探偵コナン』32巻。 今更トリックがど〜のと言ってもしょーがないのかもしれんが、焼死体がなぜ傘を握っていたかとか、犯人の証拠が色紙に残っていたとか、もちっと説得力のあるトリックが思いつけんのか。 絵柄は好きなんだが、どうもコナンがカッコつけてる割にストーリーがお寒いと、トホホ感が弥増してしまうのである。無理に本格物にしないで、サスペンス物で通した方がいいと思うんだけど。 そう言えば今回、満を持した感じでモリアーティ教授(をモデルにしたキャラ)が登場したけど、劇場第一作『時計じかけの摩天楼』に出て来た森谷帝二との関係はどうなってんだ。今度の劇場版『天国へのカウントダウン』にも、森谷帝二の関係者が出てくるという話だし(つまりモチーフは『空家の冒険』なわけね。……見る前からネタバレさせんなよ)、なぜそうモリアーティに拘るか。 関係ないが森谷帝二の声は大塚明夫。つまり『名探偵ホームズ』でモリアーティを演じた大塚周夫のご子息である。親子二代のモリアーティ役者ってのもなんだかなあ(^_^;)。
| 2001年04月17日(火) |
どこまで続く死のロード/ドラマ『陰陽師』第三回『迷神』ほか |
全くもう、どうしてこう連続して人が死ぬかな。 今日は小島三児が亡くなってしまった。 新聞記事には「『トリオスカイライン』の」と書かれていたが、ああ、そう言えばそうだったな、という記憶しか私にはない。 何しろ解散したのが私が小学校三年生の時である。大人はいざ知らず、子供には決めのギャグのないグループはよっぽどの芸がない限り印象に残らない。東八郎はともかく、コメディアンとしての小島三児はワリを食っていたように思う。 気がついた時、小島三児は既にピンだった。 でも、映画やドラマによく出てはいたが、脇役、というよりチョイ役以上の役で出ていたのをあまり記憶していない。 今、パッと思い出せるのは、『ルパン三世・念力珍作戦』のオカマのヤクザや、『金田一耕助の冒険』の床屋の店主である。どちらもワンシーンのみ、しかも、本筋と全く関係のない演技をしようとするあたり、まるで由利徹である。 よく見ると目の怖いひとである。コメディアンとして立つには、ちと濃すぎたのではないか。小島さんのツッコミを並の役者ではカワシきれないのである。だから、チョイ役以上、長丁場は預けられない。 実のところ、小島さんをうまく扱えたのは、やっぱりと言うかまたかと言うか、黒澤明だったりするのだ。 『どですかでん』での小島さんは泥棒役、ウケのたんばさんに渡辺篤、これは見事なキャスティングであった。 警官につかまった泥棒が、面通しのために再びたんばさんのウチを訪ねる。しかしたんばさんは「泥棒になんか入られませんよ」としれっと言ってのける。自分が庇われたことにも気付かぬ泥棒は、首を捻って帰っていく。この首の捻り方がいいのだ。 別に泥棒はたんばさんの優しさに触れて改心したわけでもなんでもない。でもたんばさんは相手がどんな人間であれ、同じようにものを施し、同じように相手に哀れみをかけるであろう。それは相手への同情ではなく、たんばさんの生き方のスタイルであるから。 獰悪だけど間の抜けた感のある小島さんの存在は、渡辺篤の飄々とした味わいとの対比が鮮やかで、さすが黒澤は喜劇もわかってるんだよなあ、と感心したものだった。 映像の撮り方に軽みが感じられないのが今イチだったが、あれはいい映画だった。小島さんのフィルモグラフィーの一つとして紹介してもよかったと思うんだがなあ。 関係ないけど『ONE PIECE』の「サンジ」って、小島三児から取ったんじゃないかな。ほかに「さんじ」って名前の人、知らないし。
『テアトロ』5月号に、『ラ・テラス』の批評が載っている。 これがまあ、私の意見とは正反対で、「役者はいいが、脚本がよくない」というもの。 人それぞれ、見方が違っていて当たり前であるので、初めは「おやおや」くらいの調子で読んでいたのだが、どうもこの批評家、根本的に脚本が読めないやつだということに気がついた。 「役作りが的確」と評しているが、脚本の出来が悪いのなら、役作りだって出来ぬはずである。批評の言葉自体が破綻しているのだ。 私に言わせれば、あの芝居は一にも二にも、役者の読解力が足りないために深みが生まれなかったのであって、脚本のせいではない。 例えば、テラスから落ちたはずの男たちが、なぜ毎回死なずに助かるのか、その不可思議な現象を登場人物はどう感じているのか、役者たちはどこまで突っ込んで考えたのだろうか? 口では不思議だと言っていながら、本当は誰もそれを不思議だとは思っていない、たったそれだけの解りきった事実すら、あの役者たちは理解していないのである。 ……不条理劇の批評はやっぱり日本じゃまだまだ確立されていないのだなあ。
帰宅した途端、女房が「餃子を食いたい!」と叫び出したので近所の「王将」に行く。 実はそこでは姉の娘さん(でも私の姪ではない。不思議不思議♪)がバイトしているのである。姉によく似てはいるが姉よりずっと美人だ。 てなこと言ったら姉ちゃん怒るな。どうせこの日記見る心配はないけど。 店に入った瞬間、こちらに気付いて微笑みかけてくれるので、こちらも会釈を返す。ところが女房は無愛想に挨拶もしない。 どうせ「向こうがこっちのことを覚えてないかもしれないから」とバカなことを考えてるのに決まってるのである。 ……んなバカなことがあるかい。 女房は対人恐怖症の癖がどうにも抜けぬところがあって、基本的に人との縁が薄いやつなのである。 ……解りやすく言えば、どんなに身近な人間であっても、しばらく会ってないと忘れてしまう。ウソのようだが本当の話だ。多分、夫である私にだって、二、三ヶ月も会わなければ、怖くて自分から声をかけることはできまい。私から声をかけてようやく私本人だと認識できるはずである。 そのアホな癖は治せよって、再三言ってるんだがなあ。 でも悪気はないので、女房のお知り合いの諸君、久しく会ってなくて女房の反応が以前と違って臆病になってたとしても、許してあげてくださいね。そちらから声をかけてくだされば、自然に気持ちがほぐれてくると思いますので。 で、結局、店からの帰りにもアチラはきちんと挨拶してくれたのに女房はまた無視。私は一生懸命、「お店にいる時は仕事だから馴れ馴れしくはしないよ」というポーズを取って女房をフォローするしかないのであった。 やれやれ(-_-;)。 あ、女房がも一つアホなこと言ってたのを思い出したぞ。 炒飯セット、唐揚げ、餃子つきに、私の頼んだ天津飯、トンポーロー、イカ天麩羅も分けてもらって、それで一言。 「最近少食になった」 ……そのハラに付いてる肉はなんだ。
テレビ新番組、『たけし・所のWA風が来た!』、司会がなんと山寺宏一。ちょっと浮いてる感じはあったが、ノリは悪くない。多少セリフのトチリはあったが、第2の古館伊知郎が狙えるかな、というような司会ぶりであった。 番組自体は海外に浸透してる日本の物件を探すという軽いナショナリズムなもの。アメリカの切手のデザインは日本人がやってるんだよ〜ん、とか、地下鉄の落書きを消す機械を発明したのも日本人だよ〜ん、とかその程度のもの。いやらしくなる一歩手前で止めたってところかな。 台湾で流行ってる日本の文字ってナ〜二? というクイズの最中に女房、仕事に出かける。 「帰ったら答え教えてね!」って、何入れこんでんだ。 ちなみに正解は「の」です。記号っぽくってカッコいいんで、「的」の代わりに使ってるんだって。ルーツは「洋服の青山」じゃないかって言ってたけど、そりゃ思いっきり眉唾(^_^;)。
『陰陽師』第三回、原作に芦屋道満、出て来てたっけ? 小説の方、一冊目と二冊目しか読んでないから分らないけどね。 でも寺尾聰じゃあどうにも役者不足だよなあ。 またぞろ今回も底の浅い恋愛ものに成り果てていて、味わいもくそもない。 マック○ファ○○ーか何かのCMで、松嶋菜々子が「あなたのことが凄く好きになった」とか、なんの捻りもないセリフを吐いてるのを見て(脚本は北川悦吏子だと)、恋愛もお手軽になったもんだと思っていたが、古代を舞台にしてまでトレンディドラマをやろうってのはどうした了見だ。 「CGに頼らないのがいい」とよしひと嬢だったか鴉丸嬢だったかか言ってたけど、私ゃいい加減、百鬼夜行を着ぐるみでもCGでもいいから出してほしいね。道真は丹波哲郎でも江守徹でも許すから。
| 2001年04月16日(月) |
オー・ド・トワレ/『夜刀の神つかい』3巻(奥瀬サキ・志水サキ) |
昨日、三波春夫と田久保英夫が死んだと思ったら、今日は河島英五と勅使河原宏が死去。何だか21世紀まで生きたからもういいやって感じで死んでいくなあ。 かと思ったら、雅子妃ご解任のニュース。なんとか2001年中には生まれそうな気配で、もしかして皇太子夫婦ですら「21世紀の初めにはなんとかね」と考えながらがんばったのかもしれないと思うと親近感も湧くんだがなあ。 でも実際、この一、二年、身の回りにやたらと腹ボテが多いのだが、なんでそう2000年とか2001年に拘るかね。年齢が数えやすい以外にメリットがあるとは思えんが。下手に人口が多くなっちゃうと、「団塊の世代」みたいに、学校の教室はギュウ詰めになるわ、進学就職の競争率は高くなるわ、損することの方が多いと思うのにねえ。まあ、多少は少子化が食いとめられていいのかもしれないけど。
勅使河原宏と安部公房の一連の不条理劇、日本での評価はまだまだ低い、と思っている。 『砂の女』も『他人の顔』もどれもみんな面白いんだけどな。 ともかく日本人というのは、自分の理解の届かぬものについては、「わけがわからん」とか「ひとりよがり」とかの言葉で黙殺しがちだからなあ。ピカソを「子供の落書き」と平気で言ってのけるバカがゴマンといる国である。 万人に理解される芸術なんてものはない。あると思うのは錯覚だ。だから、自分の理解できないものにだって、一定の評価はあるのだということを認めねばならない。なのに、そういう度量のないやつばかりだってのが情けないのである。
帰宅してみると、部屋の中が異様に臭い。 女房が生ゴミをまとめていたのはいいのだが、それを捨てにも行かずに部屋の中に放置していたのだ。 昼間ゴミを捨てに行く姿を見られるのが恥ずかしいから、と、たいてい夜になって捨てに行っているのだが、いったい何が恥ずかしいというのか。自分のウチのゴミを見られたくないというのは、要するに見栄を張りたいという気持ちの裏返しである。全く、バカの分際でおこがましい。
晩飯がないかと思って、パンを買って来ていたが、女房もほか弁を買って来ている。ほか弁も悪くはないが、昼間、買い物していてくれれば何か作ってやるのになあ。 女房に買ってきたチョココロネを見せると、「またコロネ?」と笑う。 ここしばらく、パンと言えばコロネを買っているので、女房は不思議に思っている様子である。別に大した理由はないんだけど。 「子供のころコロネが好きだったんだよ」 「……あんたの子供のころ、コロネがあったの!」 ……人を戦前生まれのような言い方するんじゃねえや。
アニメ『犬夜叉』『名探偵コナン』といつもの定番。 桔梗を演じている日高のり子さん、灰原哀を演じている林原めぐみさん、それぞれ、ハッとするような緊張した演技を見せている。 お二人とも、今回の作品を通じて、また一つ芸域を広げたんじゃないかな。ずいぶん自然な演技もできるようになってきたのだ。 声優さん独特の癖のある喋り方は、言ってみれば歌舞伎の所作事と同じで、厳密にいえば応用の効く演技とは言えない。顔出し演技のできない声優が多いのがその証拠だ。ベテラン声優であっても、癖がつきすぎると自然な演技ができなくなるのだ。 だから顔出しも声優も両方こなしてしまう故・小林昭二さんや穂積隆信さんなんかは、地味だがホントの名優だといえる。 で、女性でそういう人ってのが凄く少ないんだよね。最近ようやく戸田恵子さんが顔出しするようになってきたけど、まだまだ絶対数は少ない。日高のり子さんや林原めぐみさんは顔出ししていってもいいんじゃないかと思うんだけどなあ。
マンガ、奥瀬サキ作・志水サキ画『夜刀の神つかい』3巻。 何だか意表を突こうとして、せっかくのいいキャラを敵も味方もどんどんムダに消してる気がするぞ。 これが山田風太郎みたいに敵味方の消耗戦になるんだったらそれはそれで面白いんだけど、下手すりゃジャンプマンガになるものなあ。 でも一磨を消した以上、その後釜になるべきなのは新しく吸血鬼にされたヒカゲでなければならない。そういう伏線を張ってきたのだから。……まさかこのままヒカゲを殺したりはしないよなあ。
| 2001年04月15日(日) |
My guest is my Lord/『まかせてイルか!』1巻(大地丙太郎・たかしたたかし) |
まずは貴重な読者のみなさんへのお知らせから。
この日記は「エンピツ」ってところから借りてるんだけど、URL変更を含むサーバ移転のためサービスが一時停止されます。以下の記事をご確認下さい。
●サービス一時停止及びURLの変更 日時 2001年4月18日(水)8:00〜14:00
●URL変更 2001年4月18日(水)の14:00に http://www.enpitu.ne.jp/usr1/10788/ に変更となります。
今後とも「無責任賛歌」をよろしく。 そしてちょっとでも面白いと思ったらメール、あるいは投票をお願いします。もちろん誹謗中傷も大歓迎(^^)。
トシをとると朝が早くなるって言うけど、女房もよしひと嬢も、寝たのは私より早いのに、なかなか起きてこない。 と言っても私も起きたのは9時。なんとか『コメットさん』第3話に間にあった。 おい、これ、本気で面白いぞ♪ キャラクターが地に足がついているのがなにより説得力があるのだ。 「お手伝いさん」という旧作の設定、さて、現代では浮いてしまうのではないかと思っていたが、「ホームステイ」ということで上手く処理。 藤吉家の子供たちにとってはよきお姉さんであり、父さん母さんからは地球の人々の愛と勇気を教えてもらう(展開になるはず)。 なんてったって、お父さんは「海の男」だ。これから先、本格的に職業としてのライフガードを描くようなら、宮崎アニメに匹敵するほどの傑作になるかも。クサクしないと言う条件がつくけど(^^)。 ……そうだよなあ、日本の魔女っ子ものって、もともと「教育もの」だったんだよなあ。なんで今ごろ『コメットさん』か、というのは疑問だったんだけど、やっぱり原点返りなんだね。今風の絵柄だと言うのに、肌触りが懐かしいのだ。CGも多用しすぎず、魔法の部分のみというように効果的な使い方をしている。 まだ3話やそこらで結論を出すのは早いかもしれないが、もしかしたら日本の魔女ものアニメ中、屈指の傑作になるかもしれない。
11時半、よしひと嬢起床。 昼には帰って部屋を片付けねば、というのを引き止める感じで『仮面ライダーアギト』と『パワーパフガールズ』を見せる。 ようやくアギトとギルスが接触、アンノウンが超古代文明と関係があるかも、というところでまた引き。 ……なんだかますます『仮面ライダー』から離れて『009・神々との戦い編』に近くなってきたなあ。 よしひと嬢も、話はともかく、やはり「役者の演技がどうも……」というご意見。確かに主役の翔一くんが特にアレだしなあ。 「でも、ヤンママに『癒し系』ってことでウケてるらしいよ」と言うと、よしひと嬢、思わずコケる。『クウガ』は結構ハマってたらしいが、今回はあまりご贔屓のキャラがいないらしい。 「……北条さんは好きなんですけどね、いかにもなキャラクターで」 まあねー、主役に嫉妬するエリート意識剥き出しのライバルって、確かにいかにもだけどねー、現実にもたまにそういうのがいたりするんだよねー、だもんで私はあいつが好きじゃない。 『パワーパフ』は例の『ダイナモ』の回。 「ほらほら、この辺のスローモーションがクロサワ」と後ろから要らぬ解説をする。でも向こうのスタッフって、よく日本のアニメや特撮や映画、見てるよなあ。中国やタイやベトナムもいっしょくたって感じはするけど、あるいはそれもワザとかもしれない。 日本人だって、アメリカを舞台にギャグ作ろうとしたらワザとステロタイプにするものなあ。このあたり、筒井康隆の『色眼鏡の狂詩曲』を読めば解る。
結局、よしひと嬢のお帰りは1時。どうもお疲れさまでした。 女房は未だに寝たままで起きてこない。 昼から出かけようと話をしていたのに、これだから女房と約束をするのがいやになるのだ。 仕方なく、昨日の日記を書き続けるが、どうした弾みか、書いたものがやたらと消える。登録しようとした途端にエラーが出るのだ。 夕方までかかってまるで登録できないので、ついに癇癪を起こして不貞寝する。
マンガ、大地丙太郎原作、たかしたたかし作画『まかせてイルか!』1巻。 1話完結のアニメシリーズのマンガ化、というか、何となく石立鉄男主演の『水もれ甲介』っぽいドラマの雰囲気。いや、印象だけだけど。 親のいない三人娘が湘南海岸で「便利屋」を開いてるって話なんだけど、名前が「海」、「空」と来て、三女が「碧」ってのが作者のこだわりを感じさせてよいのだ。 アホな作り手は三女を「陸」ってしちゃうところだけど、親が「あの海や空のように青々と」と願って子供に名前をつけていたとしたら、「陸」には絶対しないよな。最初から三人生まれると解ってるはずもないし、こういう細かい設定がキャラクターを生かしているのである。 『episode9・10/碧バイバイ』なんてドラマで見たいぞ。 娘を亡くした両親が、瓜二つの女の子を見つけて、養子に来てくれないかと頼む、という展開はよくあるが、こういう結末のつけ方をするとはねえ。 やるな大地丙太郎。
夜になって、ようやく日記がエラーを起こさずに登録できる。なんだか1日を殆ど無駄に過ごしてしまった。 さあこれでようやく眠れるなあ、と思ってテレビをつけたら三波春夫死去のニュース。 思わず「三波春夫が死んだよ!」と女房に向かって叫ぶが、女房は「ふ〜ん」の一言。……確かに女房のトシだとトヨカズの方がまだ近しいんだろうが「ふ〜ん」はねえよなあ、と思う。 ニュースはやたらと三波さんのことを「国民歌手」と強調していたが、私には全くそんな印象はない。 確かに一時期、紅白のトリはずっと三波さんが勤めてはいたが、お袋などは生前、三波さんをイロモノとしか見ていなかった。少しトシの行った世代なら、印象はこんなものである。しかし実はその「イロモノ」的なところが、三波さんの真骨頂であったと言えるのだが。 三波春夫は歌手と言うより一流のエンタテイナーであって、その芸域はとてつもなく広いのだ。広すぎて、偶像にすらなり得なかった。テレビはそんな三波さんを扱いかねたのだと思う。結局はあの「お客様は神様です」を、レッツゴー三匹にもの真似させる程度のものとしてしか認識させなかった。 昔はドリフのコントなどにも出ていた三波さんだが、普通、喜劇役者以外のゲストはどこか「浮く」ところがあって、それをレギュラーの面々が上手くイジることで笑いにつなげるものなのだが、三波さんは見事に場をさらってしまっていた。間の取り方が絶妙に自然なのだ。 まるで「舞台荒し」の北島マヤのようであった……って、たとえがムリヤリだがホントだから仕方がない。こういうヒトがしょっちゅうテレビに出ていては、芸ナシの連中はたまるまい。 幸いなことに、アニメオタクはあの『ルパン三世(ルパンVS複製人間)』で三波春夫の至芸に触れている。絶頂期の納谷悟朗とタメをはれたということが何を意味しているか、ちょっと考えてみればその凄さが解る。 そして極めつけの『ルパン音頭』である。 旧ルパンのハードな雰囲気を期待していた当時は、アレを聞いてメゲてたものだったが、何年か経って聞いたときに、エンタテインメントとしての『ルパン』を見事に表現しているという点で、新シリーズ以降では一頭地を抜いていることに気付いて、驚いたものだった。 コーラスを除いて、「ルパン」って歌詞に出てくるの、アレだけなんだよね。 ……『知ってるつもり』あたりがまた浅薄な取り上げ方するんだろうなあ、シベリア抑留のときのことを美談に仕立てたりしてさ。生前の三波さんはそのことについては黙して語らずを通してたんだけどねえ。
ついでに数多い三波春夫パロの中で、マンガに関して印象に残ってるものを二つ。 一つはコンタロウ『1、2のアッホ/ああ!国民放送の巻』。 国民歌手、南春生が某国営放送で『おまんた音頭』を歌うことになる。クリーンなイメージを大事にする国営放送のプロデューサーは、南春生が「おまんた」を「おまん○」と言い間違えないか心配して(←間違えるかい)、予め「おまんたってのは新潟県の方言で『あなたたち』の意味ですよ」というタテカンを映すことにする。 もちろん、主役のカントクたちが大暴れして、「おまんた」はめでたく「おまん○」となって全国放送されるのだが、何が笑えたって、パニックに陥ったプロデューサーが、事態を収拾しようとして、かえって「おまん○」を連呼しまくるところであった(^^)。 多分、当時少年マンガで「おまん○」という言葉を最も表記したマンガであったことは想像に固くない。私もこれでこの言葉を覚えました(博多ではもちろんアレのことは「ぼ○」っていうから。これも有名かな)。ついでに「国営放送」という言葉も。 もう一つはいしかわじゅんの『約束の地』。村田春夫という名で、村田英雄と合体させてるが、より三波さん側に近い。「素顔が地味」という意味も含めて。『ブルース・ブラザース』にインスパイアされたとおぼしいこのマンガを読めば、三波春夫が日本のジェームス・ブラウンであったのだなあ、ということがよく解る。 と言うかJBがアメリカの三波春夫なのだな。
| 2001年04月14日(土) |
土曜ワイド「女三人露天風呂殺人事件・湯煙の向こうに殺意が見えた」……ってウソだからね。 |
連休第1日目。 休みだというのに目覚めたのは6時。女房じゃないが、打ち上げだって言うんで緊張してるんだろうか。 夕べからの部屋の片付け、まだ全然終わっていないので、午前中はそれにかかりっきり。本を積み上げ、床を広げて、女房が掃除機をかける、その繰り返し。 昼前には二人ともすっかりくたびれ果てた。 ……出かける前に疲れてどうするんだろうね。 女房は仮眠、私は風呂に入ってひと休憩。……って、今から温泉行くのに(^_^;)。
実は朝の時点で、どこに行くのか知らなかったりする。 幹事は女房と鴉丸嬢の二人なのだが、初め私は金欠病で参加しないつもりでいたからだ。給料取りが情けない話であるが、来月東京行きが控えているので、そうそう散財は出来んのである。 で、結局、今日は鴉丸嬢と女房のおごり。 ……って、女房がおごってちゃ節約にならんやんか。
2時にJR吉塚駅で待ち合わせ。 女房と私は15分ほど早く着いたが、よしひと嬢もじきに到着。髪をバッサリ切られていたが、何かあったのだろうか……うーん、発想がオヤジ。 ともあれ、元気そうで何より。何しろ会うのはほぼ一月半ぶりである。 「台本進んでる?」と聞くと、 「てへへ(はあと)」と笑われる。おいおい。 一応シノプシスは膨らんだようだが、キャラ設定は詳しくなったものの、ストーリーはまだまだ人間どうしの葛藤が描かれてなくて、ドラマとしては弱い。完成までにはもうしばらく時間がかかりそうである。 20分ほど遅れて鴉丸嬢も合流。黒のブラウス、タイトスカートで、黒づくめ。一瞬「魔女」かと思った……って失礼な。家から駅まで数キロ歩いてきたそうで、そりゃ遅れるわな。帰りが遅くなることを土壇場で思い出したそうで、この子も相当あわてものである。
あわてものといえば、今回の打ち上げ、参加者はこの四人だけである。 なんでも女房が「14日はどうかなあ」と鴉丸嬢に問い合わせた次の電話で、もう「宴会場の予約取ったよ!」と他のメンバーの事情も聞かずに即決しちゃったそうなのである。 おかげで殆どのメンバーが「仕事で」「お金が」等の理由で欠席。 塩浦嬢は直前まで参加予定であったが、「大学の単位が」とドタキャン。 こうなるともう一回くらい第2次打ち上げを企画せねばならんのではないかな。
篠栗駅から送迎バスに乗って、「レイクサイドホテル久山」というところに向かう。なんだか豪勢だなあ。私ゃてっきりケチ臭い女房のことだから、どこぞのしもた屋みたいな温泉宿に行くのかと思ってたが。 ……つげ義春かい。 風呂が24種類もあるというのがウリだそうで、女房もその数に惹かれたらしい。 送迎バスの中で既にみんなのテンション、相当高くなっている。 鴉丸嬢は、昨日、職場で「明日温泉でしょ? がんばってね!」と激励されて来たそうな。温泉で何をがんばるのか。 女房は買ったばかりのデジカメを撮りまくる。例の事故の示談金でこっそり買っていたのだ。……以前も事故でお金をもらったことがあるそうで、これじゃホントに当たり屋である。 「あぶく銭で買ったカメラ〜♪」 と女房は踊っているが、なんだか人間が間違ってるぞ。
ホテル到着、腹は減っていたがまずは風呂へ。 入口のところで、鴉丸嬢に「ここからはお別れよ」と言われる。誰も覗きはしないっちゅ〜のに。どうしてみんな私を中年スケベ親父のように言うかな。……中年だからか。ぐすぐす(T_T)。
内風呂はなんの変哲もなく、そう広くもなくあまり面白くない。 早々に露天風呂の方に行く。 ●岩風呂……そう広いというほどでもないし、景色も悪い。というか回りが建物で何も見えない。「レイクサイド」って、湖はどこだ。女湯側か? 温度はぬるめで冬場は寒そう。 ●石菖(しょうぶ)サウナ……要するに菖蒲湯のサウナ版。匂いがよく、これはなかなかよかった。ログハウス形式にしたのは日本初だそうだが、別に初だからどうしたってものでもないよな。 ●檜湯……京都大学の丹羽ハカセが発見したSGES石(SUPER GROUTH ENERGY STONE)というモノを使用しているそうである。うわあ、スゲエ眉唾。って言うか、絶対にバチモン。 温泉宿のこういう効能はたいていウソというのが常識だろうが、それにしても「京都」の「丹羽」ってのが芸がなさ過ぎ(……そう言や、『仮面ライダーV3』のブラック将軍役の俳優さんに「丹羽又三郎」っていたよな。……ありゃ「ニワ」か)。しかも「スーパー・グロウス・エナジー・ストーン」だなんて、そのあと「メイク・アーップ!」ってつけたら巨大化しそうで怖いわ。 もしやと思って帰宅してから「京都大学」と「丹羽」で「GOOGLE」に検索かけたけど、案の定、引っかかったのはこの温泉の記事だけでした。 ●真珠風呂……看板に楊貴妃の絵が書いてあって、「浮いているのは真珠の粉末です」とあるが、どんなに目を凝らして、湯を掬ってみても、粉らしいものは全く見えない。でももしかしたらしょーじきものにしか見えない粉なのかもしれない(^^)。 湯は乳白色で、何となくスーパーで買った「なんとかの湯の元」である。……ホントに入れてんじゃねーのか。 ●薬湯……福岡の温泉センター、たいていこの薬湯があるのだが、卸売りの業者でもいるのか。謎の薬草をナップザックみたいな袋に詰めたモノを湯船に浮かせているのだが、色はどす黒い緑色で、匂いは腐ったお茶っ葉にそっくり。 5分も浸かっていると、皮膚の薄いところがヒリヒリしてくるが、薬が効いているのか、それとも単に傷口にカラシ塗ってるのと同じようなものなのか。 あとで聞いたら、よしひと嬢、全身が痛くなったそうである。 女房も事前にちゃんと教えてやればいいのに、コロッと忘れていたそうである。ひでえなあ。 ●打たせ湯……しょっちゅう肩が凝っているので、気持ちがいい。……最近、女房は肩揉んだり、腰をほぐしたりしてくれなくなったものなあ。グスグス、と感慨に浸る。 ●ワイン風呂……って、女風呂のほうにしかないんだと。男性差別か。 ●洞窟風呂……これも男湯の方には見当たらなかったぞ。男はどうでもいいのか。くそ。
なんだかんだで、1時間ほど入っていたが、女房たちは1時間40分も入っていた。……ワイン風呂が気にいったかな。 待ちぼうけの間、ロビーで天藤真の『星を拾う男たち』を読む。でも初めの短編二本しか読めず。 どうも旅行などに本を持って行く癖が昔から抜けない。 女房からは「一緒にいて楽しくないの?」と散々怒られているが、単に活字中毒なだけなんだってば。
風呂あがりに食事、私は炒醤麺(じゃーじゃーめん)を頼む。値段は700円で高過ぎ。量からいっても400円でペイするはずだ。よしひと嬢が食べたことがないというので、少し分ける。辛味を抑えてあるのでまあまあイケル味だったのではないか。 よしひと嬢はジャワカレー、鴉丸嬢は炒飯、女房は坦々麺。みんな一律700円である。……だって他のメニューは全部千円以上なのだもの。
そのあとよしひと嬢はくたびれて仮眠、残りはもう一度風呂に入って、7時にホテルを出る。 宴会は9時からなので、それまで香椎のゲーセンで暇つぶし。 「右脳テスト」なんてのがあるので、みんなでやるが、ボタンの押し方が分らず、最悪の結果。女房にも負けてしまったが、雪辱戦を果たそうと意気込むのもなんだよなあ。でも「推理力ナシ」とデータに書かれるのもちょっと腹立つな。 伊勢エビキャッチャーがあったのでやってみたかったが、女房が「万が一取れたら、どうやって持って帰るんだよ!」と怒ってやらせてくれない。 ……本当は生きてるエビが怖いくせに。
仕事が終わった其ノ他君と合流して、やっと五人。 宴会は香椎の「米米」という居酒屋。3500円で飲み放題のフルコースである。 肉や脂ものが苦手で酒も飲めない其ノ他君、ネバネバ系がダメでマグロの刺身のとろろかけが食べられないよしひと嬢、で、私も酒がダメなものだから、酒ばかり飲むヤツと食いちらかすヤツとに必然的に分かれる。 女性陣のピッチが上がること上がること、鴉丸嬢、あっという間に出来あがる。 其ノ他君、ほんのひと月ほど会ってないうちにすっかりたくましくなっている。ガテンな仕事してるせいだろうなあ、力コブが本気で凄い。 「それならもう女の子に間違えられないですむねえ」と言おうとしたら、 「この間も男にナンパされちゃって」と、フォローのしようがないことを言う。……美少年と言うものもこれでなかなかツライものがあるような。 「櫃まぶし、食べたことないんすよ、食べたいんですけどねえ」 と言うので、 「1500円するよ」 て言ったら、 「たけえ〜!」 と悲鳴。だってうなぎなんだもの。でもいつかご馳走してあげたいものだ。 其ノ他君とばかり喋っているので、鴉丸嬢が焼きもちを焼く。ああ、若いっていいなあ。 台本の話も少しするが、キャスト不足が深刻で頭を痛める。この分だと私も出演せざるを得なくなるが、相手役が女房以外の女性になった場合、女房のジェラシーが怖い。 「大丈夫だよ、芝居の最中は焼きもちなんか焼かないから」 と本人は言うのだが、 「ウチではどうなんだよ?」 と聞くと、 「焼きもち焼くのは夫婦のサービス(はあと)」 と軽く言ってくれる。そんなんマクドナルドのスマイル0円以上に要らんわ。 フルコースのメニューは焼き鳥各種、豚肉の卵とじ、生野菜のサラダの山盛り、手巻き寿司など。飲み放題を考えると、まあなかなか安い方であった。鴉丸嬢に感謝。
そのあと、カラオケ「KARAPARA」になだれこみ、午前1時までみんなで熱唱。ホントはここで藤田君も参加の予定であったが、ちかくにまで来ていながら、「駐車代金がない」ことに気付き、帰っちゃったのだのだそうな。……バカだなあ。 帰りがけ、其ノ他君はまた気分が悪そうにしてたが、大丈夫だったろうか。こちらもぶっくたびれていたのであまり気にかける余裕がなかった、申し訳ない。
よしひと嬢もお連れして、ウチに帰りついたのが午前2時。 女房もよしひと嬢も、そのままバタンキューと寝入ってしまったが、私はまだメール書きや前日の日記書きで寝られない。結局寝たのが午前4時。明日が休日でよかったなあ。
| 2001年04月13日(金) |
ファイティング・スイーパー/『こち亀』124巻(秋本治) |
昨晩、2時ごろまで寝つけなかったので、女房に「朝になったら起こしてくれ」と頼んで眠る。 ところが、朝目覚めてみると、もう7時。女房のやろう、またもやぐごが、うおあ、げびびぶーと高いびき。……昨日あれだけ寝ていて、またなんでこんなに眠れるのだ。 慌ててタクシーを拾って職場に駆け込み、ぎりぎりセーフ。うわあまた散財。 帰宅して「頼ンどいたのになんで起こしてくれないんだよっ!」と文句を言うと、「ダメって言ったよォ!」と言い返してくる。そんなん聞いた覚えがない。女房が心の中で言っただけか、私が頼んだ直後に落ちたかのどちらかであろう。 女房がよく私の事を「3秒で寝る男」と呼ぶが、実際、私は目を閉じた一瞬で落ちてしまうこともザラだ。で、夢を見ないときなどは、自分の感覚では目を開けた一秒後にはもう朝になっているので、睡眠と言うより失神に近いように思う。 ずっと子供の頃はどちらかというと寝つきが悪いほうだと思っていたのだが、いつから私はこんなになったのだろうか。体調的なものもあるかもしれないが、何となく心理的な作用のようにも思える。 現実逃避の願望が強いのかなあ、と思っていたら、今朝見た夢は、「ピーター・セラーズが来日して、ドサ回りのスタンダップ芸を見せる」というものだった。 どこかの地下の小さな小劇場なので客は百人もいない。その中の一人として私は、パーティグッズのヒゲメガネをつけたセラーズがタキシード姿で手品を披露しているのを眺めているのである。 「セラーズはとうに死んでるし、これは夢だな。しかし、セラーズほどのヒトをこんな場末で働かせる夢を見るなんて、俺はなんてひどいやつなんだ」……と、夢の中の私は考えているのである。 じゃあ夢の中の私の意識がはっきりしているのかというとそうではなく、「この夢、何度見たかなあ」と、今日初めて見た夢なのにそんなことを考えているのだ。 ……居たたまれなくなって目が覚めたら7時、ということだったのだから、セラーズのおかげで遅刻せずにすんだのかな。
帰宅して昨日の日記を書こうとすると、「今日こそ部屋を片付けてよ!」と女房がうるさい。 私は買った本のカバーは必ずつけておくことにしているので、そのままだと何の本だか分らない。それで表紙に筆でタイトルを書いておくのだが、未整理の本が溜まっていたので、それを書いていくだけで時間がかかる。 「私が書いてあげようか?」と女房がねだるような視線をこちらに向けるが、言下に「ダメ」と断る。 女房の字は小学校低学年並のへたくそさで、それでもまあなんとか読めなくはないのだが、問題なのは徹底的に字配りができない、ということである。何度か表書きを頼んだことがあるのだが、最初にどでかく書くものだから最後はジリ貧で、作者の名前を書けないことも多かったのだ。 なんとかタイトルを書き終わって、大きさごとに並べる。で、あとは本棚に並べたいところなのだが、既にウチには、本棚を置くスペース自体がない。つまりあとは床やテープルの上に平積みしていくだけである。 ……片付けとは言わんわな。数年後にはどうしたって別に部屋を借りるか購入せざるを得ないが、女房はやたらと「ロフトつき」の部屋に拘っている。……本の収納にまるで向いとらんやないか。
ウチの劇団のHPに、ようやくよしひと嬢とハカセ嬢の二人のプロフィールが新規で載った。
よしひと嬢、ここしばらく体調を崩したりしていて、とんと音沙汰がなかったので心配していたのだが、どうやら元気になったようで、ホッとする。 何と言っても演劇集団 P.P.Produceのマドンナであり、天照大神であらせられるお方だ。このまま天岩戸にお篭りのままでは、メンバー内の士気にも関わるところであった。これでようやく次の芝居の準備にとりかかれる目途が立つというものである。 それにしても、昔からそうだったが、初対面でよしひと嬢の魅力にコロリと参る男どものいかに多いことか。AIQの某氏もよしひと嬢を称賛されていたし、ウチのメンバーの某君も、今回のプロフィールの中のコメントで、優しい言葉をかけられて有頂天になっている。 ……でもねえ、よしひとさんはねえ、まあ、なんちゅーか、音無響子さんだし、天道かすみお姉さんだからねえ。……大変っスよ、これは(←何がだ)。
ハカセの芸名もどうやら「桜穂希」と決まったようなので、これからは「穂希嬢」と表記することにする。「桜嬢」だと「桜雅嬢」と似ていて紛らわしいからね。でも多分劇団内部では「ハカセ」と呼ばれつづけるように思うけど。 ……しかし、このプロフィール、ネコかぶってやがるなあ。こないだペラペラ喋りまくってた○○○○○○○○○○の話なんかはどうなったのだ。
マンガ、秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』124、巻読む。 いや、別に全巻買っているわけじゃないぞ。時々気まぐれで買っているのだ。 それにしても、四半世紀の間に秋本さんの絵柄も随分変わった。……実のところその変化が、進歩ではなく退行しているように思われるのが残念なのだが。 麗子やマリアのバストは初登場時に比べて2倍はでかい超巨乳になっているが、こんなんセクシーでもなんでもない。デッサン狂ってんじゃないか、こいつ、と思われるのがオチである。全体的にキャラクターがどんどん記号化しているのが、読んでいてつらい。 骨太で、今読み返すと劇画チックで読みにくかったかつての絵柄のほうが、キャラクターに命を通わせていたように思えてならない。
夜になっても部屋の片付けはまだまだ終わらない。 しかし、9時を過ぎた頃には猛烈な睡魔に襲われる。どうにも我慢しきれずにきゅう、と寝たところに、福岡シンフォニック合唱団のUさんから電話。 うわあ、しまった。先週、映画にお誘いしていたのをけろっと忘れていた。てっきりお怒りの電話かと思ったら、Uさんも約束をすっかり忘れていたのであった(^_^;)。 でもまあ、こちらがミスった事実に変わりはない。寝惚けた頭で必死に謝るが、向こうも夜中に電話してきて申し訳なかったと始終謝りっぱなしである。 「どうもすみません」 「こちらこそすみません」 「いえそんな、こちらこそすみません」 「いえいえそんなそんなこちらこそすみませんったらすみません」 ……下手な落語じゃあるまいし、何を謝罪合戦してるんだろうなあ(^_^;)。
| 2001年04月12日(木) |
驚天動地/『ストレート・チェイサー』(西澤保彦)ほか |
『國文学』5月号、今回はメディア特集。 佐伯順子という人が、波津彬子『天主物語』をとりあげて、少女マンガの「花と女性のコンビネーションによる視覚的相乗効果」についてやたら述べているが、なんだか三十年か四十年くらい前の古臭い少女マンガ論を読まされているようで、ああ、活字の人ってのはやっぱりこんなふうに世間とズレていくのだなあ、とシミジミ思った。 今時の少女漫画はめったに花をしょわせたりはしない。むしろ花を描くことを恥ずかしがるマンガ家も多いくらいである。波津さんだって、『雨柳堂』の方ではそんなに画面に花を散らしたりはしていない。 『天主物語』に花がやたらと散るのは、原作が泉鏡花であり、古臭さを演出するためなんだってことに、この佐伯ってヒト、気付いてないんだなあ。
週末、よしひと嬢がお泊まりされるかも、ということなので、数日前から「本を片付けてよ」と言われているのだが、肝心の寝部屋で女房がぐーすかぴーと昼寝をしているのである。 夜になったら起きるかと待っていても全然起きない。結局、今日は片付けが何も出来なかった。……部屋が散らかってたら女房のせいですので、よしひとさん、許してください。
さて、夕食をどうしようかと、冷蔵庫の中身を物色しに台所に行くと、珍しくも女房がおかずを作り置きしていた。 エビのチリソースに餃子、いか明太。なぜにこんな豪勢なマネを、と思ったが、肝心の女房が高いびきなので、ワケも聞けない。ともかく腹が減っていたので、食うことにしたが、さすがに量が多いので、エビチリは半分残す。 居間に戻って、パソコンの前に座り、ふとワキを見ると、フレンチトーストまで置いてある。なんでこんなにサービスいいんだ、なにか機嫌のよくなることでもあったのか、と首を傾げるが、どうせ理由を聞いても話すまいなあ、という気がしてきたので、構わずつまみ食いしながらパソコンに向かう。 エロの冒険者さんのホームページは毎日必ず読むようにしているのだが、掲示板に最近妙な「荒らし」が多くなっていてちょっと心配である。 「ここをクリックしてね」と描いてあるアドレスから、どうやらエロサイトに行けるらしいが、そんなん誰が覗いてやるかい。 「荒らし」の主の名前は変えているが、多分殆どが同一人物の仕業であろう。ホームページの品格を落としてやろうという意図なのだろうが、他のコンテンツを見れば、すぐにエロさんのHPがごくまともなところだと判明する。「荒らし」のやってることはほとんど無意味だと思うんだが、なぜこうもシツコク続けてるんだろうか。
「モーニング娘。」の新番組、『モー。たいへんでした』、だら―っと見る。未だに全員の顔と名前が一致しないが、それでも今世紀最初のコミックバンドとして、私は「モー娘。」を評価しているのである。いやマジで。 この見事なくらいに脳みそ空っぽな少女たちを使って、全く無意味な楽曲を立て続けに繰り出してくるつんくのプロデュース能力は、やはり称賛に値する。 素人を使って笑いをとる方法は、欽ちゃんファミリー、おにゃんこクラブと来て、現在のもー娘。に至る文脈の中で語ることが可能なのだが、日本の音楽シーンでは、そこんとこをきちんと評価してるんだろうか。
西澤保彦『ストレート・チェイサー』読む。 このところ忙しくて、マンガは読めても活字本を一冊読み切ることが難しかったのだが、これはまたトンデモナイミステリに当たってしまったものだ。 推理もののネタバラシはご法度なので、上手く説明しにくいのだが(この辺が「公開」を前提とした日記のツライところだよなあ)、これはもう読者間に賛否両論を起こすことを作者が意図しているとしか思えないトリックを創案している。 舞台はアメリカ。 とあるレスビアンバーで二人の女性と知りあったリンズィは、“トリプル交換殺人”を持ちかけられる。冗談で「上司のタナカを殺して」と頼んだリンズィは、翌日、本当にタナカが自宅で殺されたと知らされて、驚愕する。 しかも現場は二重に鍵のかかった“密室”であり、更に奇妙なことには、中で死んでいたのはタナカではなく、全く別人の東洋人であった……。 ……初めの展開はまさしく正統的な本格ミステリなんだよね。でも『少女の時間』や『SF JAPAN』の対談でやたら奇抜な作品を書いている作家さんであると紹介されていたし、文庫のオビに「感動の最終行があなたを待つ」なんて書いてあったので、さて、いったいどんな驚天動地のトリックをし掛けてくるものやら、と期待して読んだんですがね……。 うん、こりゃ確かに“問題作”だわ(^_^;)。 多分、読者の中にはあたかも『エヴァ』最終回を見た時の人々のように、「ざけんじゃねーぞ、バーロー!」と、本を床に叩き付ける向きもあるのでないか。 というか、ごく一般的な推理小説ファンであるなら、このトリックは、特に「密室トリック」については、「許せない」と感じて当然だからである。 どんなトリックかって? だからそれは書けないんだってば。 で、隔靴掻痒な文章になることを承知で、私の感想を書くとすると、これが実に微妙な言い回しになっちゃうのだが、「認めるが弁護はしない」としか言いようがないのだ。 この密室トリックについての「アンフェア」論争は必然的に起きると思われるが、少なくともアンフェアではない。ただ、これがアンフェアでないことが理解できるのはよほどのミステリマニアでなくては無理で、なんと解説の加藤朋子さんですら、このトリックが“どういう意味を持っているか”気付いてはいないのだ。なぜ、この小説がアメリカを舞台にしなければならなかったのか、その点に触れなきゃ解説にはならんのだがねえ。 しかし、その“意味”に気付いたからと言って、このトリックが評価できるかというとそうではなくて、やはり「それがどうした」と怒り出す読者も多いに違いないのだ。アンフェアではなくても、これはとてつもなく“インケツ”なトリックだからだ。 そして、このインケツトリックが更にオビにもあった“最終行”のトリックの伏線になっている。さすがにこいつはインケツな小説だな、と気付いたおかげで、ラストのトリックは見破れたが、畢竟、私は複雑な思いに見舞われた。 この作者、まっとうなミステリを書く実力はあるのである。それは、トリックの「仕掛け方」を分析すればはっきり証明できる。しかし、まず断定として構わないと思うが――作者は「まっとうなミステリ」などを書くつもりはサラサラないのだ。作者は読者と「知恵比べ」をしようとは思っていない。ただ、読者を「引っ掛けたい」だけなのだ。 いや、確かに私も、ミステリ読んでて久しぶりにトリックに引っかかりましたよ。でもね、心地よい引っかかり方じゃないんですよ。たとえアンフェアではなくても、こういうインケツを仕掛けねばならないほど、ミステリというジャンル自体が行き詰まっていることを証明しちゃってるんだもんねえ。 ……でもこういうインケツなトリックなら、私も今まで書いた戯曲の中で使ったことあるんだよなあ。 いじいじ。
夜中、そろそろ寝ようか、という頃になって、女房やっと目覚めて来る。今日は仕事がなかったらしい。 「……あ―っ、私のパンがない!!」 なんだ、お前のだったか。すまんすまん、外に出してあったから、私へのかと思っちゃったよ。 ……こりゃ、しばらくはネチネチネチネチと、この件で責めたてられるな。そのことが気がかりで、寝つけずについ夜更かし。……明日ちゃんと起きられるのだろうか。
| 2001年04月11日(水) |
ヒマなし貧乏/『学活! つやつや担任』A(吉田戦車)ほか |
同僚が結構大変な病気でずっと休んでいる。 休みに入られる前に、随分すまなそうな顔をされていたのだが、誰だって体調を崩すことくらいあるのだ。別にこちらに気兼ねする必要はない。 なのに世間では、休むことがさも最大級の罪悪であるかのように勘違いしている馬鹿がやたらいはしないか。露骨に迷惑がり、嫌味を言い、休職中の仕事を引き受ける見返りをワザとらしく要求する下品な連中である。休むのが女性だったりすると、セクハラ紛いのことを言ったりするやつもいる。それが上司だったりしたら最悪だ。 ニュースで学生の引きこもりが80万世帯とか言って騒いでいるが、大人だって、別にしゃにむに会社人間になることはないのである。上司や同僚とのコミュニケーションが取れなきゃ取れないで別に構いはしない。体の病気も心の病気も病気に変わりはないのだ。休みたいときゃ休めばいいのである。 それを保障してくれないような会社なら、そんなとこはじきに潰れるに決まってるから、さっさと辞めちゃえばいい。何も沈みかけた船に無理してしがみついている必要はなかろう。 幸いウチの職場は体制がしっかりしているので(……って、私が働いているのだよ。その同僚の分の仕事を片付けるために、毎朝早朝出勤をしているのだ)、どうか安心して養生していてもらいたいものである。 ただし、お帰りになった時に私の仕事ぶりを見て「なんじゃこりゃあ!」と後始末にひと苦労されるかもしれないが。 まあ、それはそれ(^^)。 私も夏場には入院予定なので、そのときにはこちらの仕事を代わってもらうつもりである。まあ、借金を先に返しておくようなものかな。
というわけで、最近は朝早く起きるために、なるべく早寝するようにしている。 12時に寝れば、6時まで6時間は眠れるなあ、と計算して、夕べも早目に床に入っていた。 朝、何時ごろだろうか、足もとに何だかよく分らない違和感。 体は目覚めないが、意識は夢現の境でモノが何かを探ろうとする。するとまた、なにやら足にドサッと何かがのしかかってくる。 ……ゴミ袋だ。 私の足がゴミ袋に押しつぶされていくのである。 どうやら昨日から部屋の片付けに目覚めた女房が、朝っぱらからゴミをまとめ始めたらしい。それはいい。それはいいのだが、なぜ私の足の上にゴミを置いていくのだ。 もしかしたら、私が時々かかる金縛りは女房のせいか。 幸い、私の足は臨時のゴミ置場だったらしく、あとで台所に移動されていったようだった。……ヒトが動けないからって、なんてことしやがるかなあ。
再び眠りについていると、隣の部屋から謎のひそひそ声が聞こえてくる。 どうやら女房が鴉丸嬢と打ち上げの宴会について打ち合わせをしているらしい。 もちろん聞こえるのは女房の声だけだが、何を話しているかは見当がつく。 「……ああよかった、もしかしたら、よしひと姐様と二人だけになるかと思ってた」 「……いや、おごってくれるんなら行くって」 「……うん、給料日前でおカネないから」 「……全部、ビデオと本に消えてるよ」 なんて話してやがる(+_+)。事実だから否定できんが(-_-;)。 あとで女房から聞いたのだが、鴉丸嬢、「お金がないなら出そうか?」と言ってくれてたそうである。 うーん、娘ほども年下の娘さんに気を遣わせてしまった(^_^;)。無軌道なオタク生活も考えものである。
昨日あたりから陽気がよくなってきたと思って、思いきってワイシャツを半袖にしてみる。 と思ったら今日は一転、肌寒い一日。 天気の野郎、ここんとこ挑戦的じゃねえか(~_~メ)。売られた喧嘩は買わずばなるまい。天気予報では今日は夕方から雨だそうだが、タクシーは利用せず、自転車でいつも通りの出勤。 夕方帰るとき、雨が降っていたら私の負け、濡れずに帰れたら私の勝ちである。 ウチに帰りつく寸前に雨がぱらつき始めたが、殆ど濡れずにすんだ。 勝利。 ふっふっふ、ここしばらくは全戦全勝だ。今年は結構、縁起のいい1年になるかもな。
自販機で烏龍茶の2リットルペットポトルを買っていたときのこと。 7、8歳くらいのガキンチョが近寄ってきて、いきなり「これ買って」と言ってきた。もちろん、見知らぬガキである。 「自分のおカネで買おうね」 といったら、プイと横向いてあっちに走って行った。 どうやら同じマンションの子供らしいが、こっちのことを知ってて声をかけてきたのだろうか。マンションには幼馴染の友達も住んでるが、そいつの子供ではなさそうだったし、なぜ私に声をかけてきたのか腑に落ちない。 まあ、親の躾が悪いだけかな、と思って納得すればいいだけの話である。 ……ふと、自分のセリフを思い出して、はっとする。 普通、こう言う時は「お母さんに買ってもらいなさい」とか言うんじゃないのか。しかし私は、小学生に向かって、はっきり「自分で働いたカネで買え」、という意識で喋っていたのである。お小遣い、なんて感覚は全くなかった。 親に、骨の髄まで職人根性を叩き込まれているのだ。自分が会社人間になれぬ理由が納得出来たような気がした。……因果なもんだなァ。 女房がいつの間にか吉田戦車のマンガ、『学活! つやつや担任』A・B巻を買っている。 この間本屋に行った時に「これ面白いよ」と勧めたんだが、あまり興味を惹かれた様子がなかったので、買わないでいたのだ。 私だって、際限なく本を買っているわけではない。女房が読みたくなさそうだったら、買うのを断念することもあるのである。……なんだ。結局買うのならそう反応してくれればよかったのに。 女房はよく私に「無表情で何考えてるか分らない」と文句をつけるが、女房だって人一倍無表情なので、他人から「怖い」だの「怒ってる」だの「たくらんでる」だの「思いつめてる」だの勝手に思いこまれちゃうことが多いのだ。 ……だからマネージャーから「困ったことがあったらなんでも言ってネ」なんて言われるんだよ。 認めたくはないが、私と女房は似たモノ夫婦であるらしい。 で、『つやつや担任』A巻。 吉田戦車の作品を「不条理マンガ」と呼ぶことにしばらく前から抵抗を感じている。安部公房を例にして言うなら、『壁』や『人間そっくり』のように、ある存在の持つ意味を揺さぶって見せるのが不条理モノの手法である。 でも実のところ、吉田戦車のマンガにおいて、意味は常に「確定」している。つやつや担任はつやつや担任だし、犬は犬だし、下手江は下手江である(かわいくて好きだな)。紫外線の影響だか地球温暖化のせいだか、どーでもいいんだが、「無生物が喋るようになった」世界観は基本フォーマットととして機能している。たとえ根拠が薄弱に見えても、これは「SF」ではあっても「不条理」ではないのだ。 別に吉田戦車の悪口を言いたいんじゃないんだけどね。看板に偽りありってだけの話。キャッチフレーズがほしいなら、「不条理」なんていかにも高級感を狙ったようなものじゃなくて「へんなマンガ」でいいじゃないのよ、ねえ。
マンガ、波津彬子『唐人屋敷』。 チャイナタウンのおはらい師シリーズ全1巻。長く続いても短くてもいいかな、という点では『雨柳堂』と同じだが、こちらのほうが長く続かなかったのは設定がありきたりだからかな。 こちらのほうがよりユーモラスだが、波津さんの絵はもともと線が固いので、キャラクターにギャグ演技をさせようとすると、ちょうどマジメなヒトが無理にシャレを言うとシラけちゃうように、浮いてしまうのである。 少女マンガ家は線を省略すると途端に下手になる人が多いが、これも伝統なのかなあ。
| 2001年04月10日(火) |
大江山枕酒呑草子/『カエル屋敷のベンジャミン』(玖保キリコ)ほか |
うひゃひゃ、いったん書いた日記があと三行、というところで突然消えてしまったがや。 かと言って、短くまとめて書くのも癪なので、大急ぎで書く。多少文章がへんてこなところがあるかもしれないが、そこはお見逃しねがいたい。これでまた鼻血でも出してぶっ倒れたら大笑いだな。
雨も上がって晴れ晴れとした上天気。 桜はおおかた散ってしまった、と昨日の日記には書いたが、通勤途中で、満開の桜の木を発見。 ……なんなんだありゃ。養分がよほどいいのか、根性が座っているのか。 花壇のアジサイの色が変化していて、その下に死体が埋められていることがバレる、というトリックがミステリにはよく使われているが、桜で何かアイデアが浮かばないかな、としばし考える。 ところがここ連日、仕事がやたらめったら忙しいので、なんだかワケの解らない妄想しか浮かばない。 「桜が咲いたように見えたが実はそれは梅だった」とか、「さくらんぼを食べたら錯乱した」とか、「桜の木を操っているのは実は桜井長一郎である」とか。 ……最後のはいったい何なんだ(+_+)。 やはりどこか脳のネジがぶっ飛んでいるのである。
仕事から帰宅、昨日まで足の踏み場もなかった部屋の中が、ごく細道ではあるが通れるようになっている。 近々また客があるので、女房がようやく部屋を片付け始めたらしい。 できればちょくちょく客には来てもらいたいものだ。でなきゃウチはあっという間にゴミの山にうずもれて崩壊してしまう。 部屋の中央に謎の紙袋が置いてあったので、ハテ、と中を覗いてみた。 『ONE PIECE』が全巻、さらにはウチにあるジャンプコミックスの一覧表がワープロ打ちされた紙が入れてある。 つらつらとそのリストを眺めていると、なんだかひどくなつかしい気持ちに襲われてきた。 『幽&魅衣』、『すすめ!パイレーツ』、『ストップ!ひばりくん』、『まじかるタルるーとくん』、『ついでにとんちんかん』……。アニメ化されたものも多いが、別にアニメになったから買い始めた、ということでなく、ほぼ全て初版で買ってたものばかりだった。先見の明があるな、と威張りたいところだが、数買ってりゃアタリも多いってだけの話なんだよね、実のところ。 『ブンの青シュン!』とか『三軍神参上!』なんて、今どきゃ誰も覚えちゃいまいな。 一番古いのは『ハレンチ学園』かな。これ読んでたころは女房なんかこの世に影も形もなかったんだよな。 ……年月は無情だ(T_T)。 ……しかしリストを見ているうちに、ハテ、と気づく。 そもそもこれは何なのだ? まとめて袋に入れてあるってことは、誰かに貸そうとしてるんだってことは解る。初めはハカセにかなあ、と思ったのだ。でもそれならウチに直接来ればいいわけだしなあ、と思っていたら。 夜になって、女房が仕事に出る時、その袋を持っていったので、ようやく仕事先の同僚に貸してあげるのだ、と見当がついた。 しかしどんなヒトに貸すのだろう。もしかして、あの、強烈に「ヒトがいい」というウワサの、マネージャーさんだろうか。……ウワサしてんのは女房だけど。 女房の話を信じる限り、マネージャーさんというお方は「青春一直線野郎」である。なにしろ女房に「困ったことがあったら、いつでも僕に相談してネ! 力になるヨ!」と、語尾がカタカナになっちまうようなおヒトだそうだから。 もしもマネージャーさんが『ONE PIECE』をお読みになったとしたら、どんな反応を示されるのだろうか。 「やあ、ルフィっていいやつだネ! ボクも冒険の旅に出たくなっちゃったヨ!」 ……あったこともないヒトをサカナにするのもなんだが、「旅人」が似合いそうなヒトのような気がするなあ。
藤原道長の『御堂関白記』に、清少納言についての記述があることを知り、興味深く読む。 藤原保昌の郎等に、清原某という男がいた。ある子細から、頼光四天王によって暗殺されることになるのだが、実はこの男の妹が清少納言である。 清原邸に四天王が押し入った時、清少納言もそこに同席していた。 そのとき彼女は僧形だったので、初めは兄ともども殺されかかったそうだ。しかし、とっさに彼女は前をはだけて「私は女よ」と主張し、あわやというところで助かったとか。 さて、道長はいったいどういう意図でこれを書き残したのだろう。 清少納言はこのとき既に五十歳、昔日の才女の面影はとうにない。 もともと、彼女の後ろ盾であった藤原道隆は、道長の兄であり、関白の地位を争ったライバルである。道隆が死に、権勢は道長に移り、必然的に清原家は没落して行くわけだが、老いた彼女へ追い討ちをかけるような文章ではないのか。 とても清少納言の機転を称えたものとは思えないのである。むしろ、老婆がしなびたチチをほっくりだして命乞いをする姿、それを嘲笑う意図が道長にあったのではないか。 ヤなやつである。 『大鏡』なんかじゃ、野心的な偉丈夫として理想化されてる道長だが、 「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることの なしと思へば」 なんて堂々と読んじゃう輩がいいやつのはずはないよなあ。 それにしても、清少納言と頼光四天王との間に面識があったとは意外であった。平安王朝女流文学と、鬼退治の頼光四天王とじゃ、イメージがどうも結びつかないんだよね。 でも考えてみたら、藤原保昌の妻はあの和泉式部であるわけだし、となれば、清少納言、紫式部と同時代人なのは当たり前なのである。 金太郎(知ってる人も多いだろうけど、四天王の一人、坂田公時のことね)も『枕草子』や『源氏物語』を読んでたのかなあ。 彼女たちが『大江山酒呑童子』について書き残してくれなかったのがなんとも残念である。
『キネマ旬報』4月下旬号、マギー・チャンの表紙が色っぽい。 ……でもこのひと、昔はたしか「マギー・チョン」って表記してたと思うのに、いつから「チャン」になったのか。まさか差別なんたらが原因じゃあるまいな。 しかも彼女のフィルモグラフィーを見てもジャッキー・チェンの映画に出てたことなんてまるで書いてない。文芸映画づいた途端、過去のコメディーやアクションものに出演してたことを隠したがる日本のアイドル(安田成美とか有森也美とか)は多いけど、中国人も似たようなものなのかねえ? 新作映画で面白そうなもの、まずは山本周五郎原作、和田夏十脚本(遺作?)、市川崑監督『かあちゃん』。前回の『どら平太』は浅野ゆう子と菅原文太という二大超大根役者のために惨憺たる出来になっちゃったが、今度は岸恵子だし、ワキも小沢昭一、中村梅雀、江戸家猫八と芸達者が多いから、多少新人を使ってるとはいえ、見られるものになるのではないか。うじきつよしとコロッケがちょっと怖いけど(^_^;)。 『RED SHADOW 赤影』、白影は竹中直人で、影一族の頭領だそうである。……影烈風斎はどうしたんだよう(・・;)。 原作の名前を借りるだけで話は全く別物、というのは仕方ないとしても、キャストを見ると随分「小粒」である。敵の頭領が誰なのか、記事が不充分でよく分らない。『キネ旬』はこちらが知りたい情報をまるで掴めてないのが昔からのネックなんだよなあ。 ささやななえこのマンガの映画化、『いきすだま 生霊』、三輪ひとみ、三輪明日美の姉妹が共演するらしい。『ラブ&ポップ』以来かな? この二人、若手の女性の中ではマジメに役者やろうって感じが見えるので、どんな「恐怖」の表情を見せてくれるのか、期待してしまうのだ。
テレビを漫然と見ながら、日記を書いたり本を読んだり。 新番組『めっけMON!』、センスのカケラもないタイトルにまず嫌気。 松坂牛のフルコースカレーつきだの、職人の手作り柳刃包丁などの値段をゲストに当てさせるってゲーム番組だけど、似たような番組がたしか外国のバラエティーにあったよなあ。……喉元までタイトルが出かかってるのに思い出せんけど。 それはそれとして、職人を扱ってる番組だってのに、その「芸」を値段に換算しようって下品さにむかっ腹が立って来る。岡江久美子や森公美子が値段を聞くたびに大げさに驚くのが、ヤラセなんだろうけどあまりに不快。 こんなんなら裏の『伊東家の食卓』を見てりゃよかった。……どっちもどっちか? 『学校へ行こう』、同様にヤラセがミエミエ。 「未青年の主張」、野球の審判やってるってオヤジが、娘の彼氏の「今度の休み、娘さんと旅行に……」の発言に「アウト!」……誰が考えたんだこの演出。 俳優志望という女の子が二人出て来て、「私たちはライバルで〜す、でも連続ドラマじゃ手しか映ってなかったし、2時間ドラマじゃ死体役でしたぁ」 ……そういう役を卑下するようなことを叫んでるうちは役者にゃ絶対なれねーよ。 他愛無い番組なんだし、そこまで腹立てんでも、とは思うのだが、演技に関してはどうしても見方がきつくなってしまうのである。 『ガチンコ』も見たのだが、腹立ったこと以外、内容は一日経ったら殆ど忘れた。 忘れて別にかまわん番組だけどね。
マンガ、秋月りす『かしましハウス』6巻。 四人姉妹の物語、と言ったら、たいていのヒトが『若草物語』を連想するだろうが、多分このマンガは、懐かしのテレビドラマ、『雑居時代』をベースにしている。 『雑居』の方は、実は五人姉妹なんだけど、性格設定がほとんど一致しているのだ。 いささかトウが立っていて妹たちに口うるさい長女、冨士真奈美がひとみ姉さん、次女で石立鉄男とくっつく大原麗子は飛ばして、三女で、ボーイッシュ、力持ちの川口晶がふたば、のん気な女子大生の山口いづみがみづえ、そして末っ子で生意気だけど姉妹中で一番のしっかりもの、杉田かおるがよもぎ。 父子家庭というところも同じだし、『雑居』が栗山家で『かしまし』が野田家、野山つながりってイメージの類似もある。 『若草物語』はだいぶイメージがずれるんだよね。 『雑居』の娘たちはそれぞれに経験を積み、新生活を目指して別れて行くけど、『かしまし』のお嬢様がたは、まだもうしバラくはトシをとりそうにない。ひとみ姉さんの花嫁姿が最終回になるのかもなあ。
マンガ、玖保キリコ『カエル屋敷のベンジャミン』。 玖保さんのマンガにしては、全1巻で終わり。人気がなかったとは思えないので、多分、初手から短くまとめるつもりだったんだろう。いわゆる『あしながおじさん』もので、あまり長く引いていけるネタではないのだ。……もっとも、これには『キャンデイ・キャンディ』の「丘の上の王子様」という特例がありますが(^_^;)。 主人公のベンジャミン、扶養能力のない養父母に育てられたために、家族への幻滅と憧れが内面に同居する複雑な性格になっちゃってるのだが、案外イギリスにはこういう子が多いのかもしれない。 「孤児」とか「母子家庭」とか、昭和四十年代までの梶原一騎マンガや吉屋信子系少女マンガのアイテムのように思われていたネタが、バブルを間に挟んで、リアルな設定となって蘇えってきているのである。もちろんその意味合いは、昔はあった「いつかは貧乏から脱出して幸せになるんだ!」式の、単純な未来への希望を語れなくなっている、という点で、随分変わってきているのだけれど。 子供を持つ、ということが「家族」を作ることになる……のだろうな、という微妙な自信のなさが、ずっと作品の底流にあるのが見えるのがもの寂しい。 それにしても、この主人公のベンジャミン、ヒネてるくせに惚れっぽい性格とか、頭でっかちで三白眼な顔とか、ウチの女房によく似ている。……女房の似顔絵書いてやる時にはこれを模写しちゃおうかな。
つい録画しそこなって、NHK総合『陰陽師』の第二回、後半をナマで見る。 ……また恋愛ネタかよ。これなら平安ものでやる必然性、まるでないじゃん。だから稲垣に現世と彼岸の間にある味わいを出すのは無理だってば。 時間がゆっくり取れないので、深夜に始まった『鉄甲機ミカヅキ』、録画しているのに見返せない。 でもどういうわけだか「第二夜」からの放送。……「第一夜」はどうなってんだよう。来月にはもうDVDになるらしいし、結局買えってか。ううううう(T_T)。
結局書きなおしたら量が増えてしまった。ああ、また眠る時間が減る……。
| 2001年04月09日(月) |
ハートブレイカー/『DRAMATIC IRONY』(藤崎竜)ほか |
一日遅れで日記を書いていると後になって、ああ、アレを書いときゃよかった、と思う事も多い。 もっともそう思ってるのは私だけかもしれず、奇特にもこれを読んでいらっしゃる方々もまた同じように感じていらっしゃるとは限らないのだが。 昨日、新調した背広を父親から受け取ってきた話を書こうと思ったのだが、次の日になるともう忘れている。親子の縁が薄いんだよなあ。 昔からそうだが、親父は私がほしいと思ったものをくれたためしがなく、いらないと思うものばかりくれていた。もらえるだけいいじゃないかとお叱りを受けそうだが、押しつけがましく、これを買ってやろう、あれを買ってやろう、とくれた挙句に、「金返せ」と言われることもしょっちゅうだったから、自然に感謝する気持ちが失せるのである。 昔、私の新居祝いに親父に「冷蔵庫はいるか?」と聞かれて、「うん、ほしい」と答えたら、購入したあとで、「金を出せ」と請求された時にはブチ殺したろか、と思ったものだった。もちろん、そんな金は払っていない。 人にモノをやるのなら、予め契約してるのでない限りは、見返りを求めるものではない。それが赤心というものだ。親父のおかげで私は「くれるものはもらう。でも感謝はしない」というケチ臭い人間に育ってしまったが、子供を素直ないい子に育てようと思ったら、やはり親自体が性格を変えねばなるまい。 お袋も親父のこのセコイ性格には苦労させられてたよなあ。
夕べからの雨が、今日もまる一日続く。そぼ降る雨でも篠突く雨でもない、ごく普通の雨だけど、こういうのはどう表現すりゃいいんだ。 前日まであれだけ満開だった桜も、すっかり散ってしまっている。 でも、ここしばらく雨が降っていなかったので、今年の花見シーズンは二週間以上に渡っていた。それにまだもう少し、これからつぼみを開く枝も残ってはいる。葉桜を楽しむ手合いもいようから、来週あたりまでは近所の公園、出店があるのではなかろうか。 女房は縁日好きなわりに、出店の前で「あれ、ホンモノのテキヤ?」なんてオソロシイことを堂々と口にするので連れていくのもちょっと怖いのだが。言っとくが私は逃げ足遅いぞ。女房を連れて逃げきれる自信はない。 そう言えば先日の花見でも、女房は公園内を徘徊する犬を見ながら、「犬が襲ってきても、あんたは助けてくれなかったもんね」と文句をつけていたが、いつどこで誰が犬に襲われたというのだ。そういうありもしないシチュエーションをでっち上げて、私が冷酷非道な人間のように吹聴するのはやめてもらいたいものだ。 もちろん、本当に犬が襲ってきたら、私は×××××××××××。
テレビを漫然と見ていると、ヤ○ボー○ーボー天気予報のコーラスがあのかわいかった子供の声から青年団のコーラスのような歌に変わっている。 うわ〜、つまんね〜変更をしてくれたもんだ。 カステラ一番の歌が滅多に流れなくなってしまった昨今、親子の世代間断絶を埋める貴重なCMソングだというのに。こういうのは十年一日、あまりリニューアルしないほうがいいのである。 ……と言ってる割に、意外とこの歌、フルコーラス歌えるやつって少ないのな。 「キミとボクとでヤ○マーだ♪」 のあとの歌詞を知らないやつが結構いるのである。毎回流れてるのになあ。 歌詞の引用は全部はダメなのかな? とりあえずよく知らない方のために問題の部分を。メロディーのほうは自分でお確かめ下さい。 「♪農家の機械はみなヤ○マー 漁船のエンジンみなヤ○マー ディーゼル発電、ディーゼルポンプ 建設工事もみなヤ○マー♪」 で、このあと「ちいさなものからおおきなものまで」と続くのである。オタクたるもの、これくらいは常識として歌えなければならない(なんでだ)。 宴会で歌うとウケるので、みんなもやってみよう(^^)。
マンガ、藤崎竜『DRAMATIC IRONY』。 第二短編集、ということだが、第一短編集の『WORLDS』の方は以前C−1くんに貸してもらって読んだはずだが、中身をきれいサッパリ忘れている。これだから本は自分で買っておかないといかんのだよなあ。 でも藤崎さんのマンガって、理に勝ちすぎててイマイチ面白くないんだよね。だから記憶に残らないとも言える。 表題作の『DRAMATIC IRONY』、別にゲーム内世界の物語にする必然性がない。新人賞だったらボツだ。 『ユガミズム』、他愛無いラブコメだが、その分だけ破綻がない。作者自身はこれが一番気に入ってないみたいだが、それがまだまだエンタテインメントが分かってない証拠なのである。妙な個性出す前にウケるストーリーの骨格を知っとくべきなんだがねえ。 『milk junkie』、英語題名をつけたがるのは悪い癖だ。でも中身はバカに徹していて、まあ面白いほうか。でも今更『エヴァ』のパロは恥ずかしいぞ。「世界の中心で牛乳と叫んだ巨人」ってか? 『異説 封神演義』、これを表題作にした方が売れるのに(^^)。藤崎さんは思い切りが足りないのである。 話は「望ちゃんがかわいいからあとはどーでもいーや」という出来映え。悪くはないけどね。 でもなんでスープーシャンは「ゾフィー」と鳴くのだ。アホらしくって好きだけど。 藤崎さんは素っ頓狂なデザインとギャグ以外見るべきものはないのだから、ヘタなテーマなんぞ入れずに、ギャグに徹した方がいいと思う。でなきゃジャンプの中じゃつぶれちゃうぞ。
マンガ、細野不二彦『ギャラリーフェイク』21巻。 ああ、さすがに巻数が増えて、ネタがかぶって来たか。フェルメールとメーヘレンのネタは以前大々的にやっちゃったから、どうしても二番煎じの印象がぬぐえない。仕事が増えてきたのか、絵が最近荒れ気味なんだよなあ。そろそろサラを物語に絡めて完結させたほうがいいようにも思うが、その前にいっぺんアニメ化してくれんかな。フジタには井上和彦が合うんじゃないか。で、サラは荘真由美に……って『美味しんぼ』かい。
マンガ、佐藤竜雄原作・滝沢ひろゆき漫画『学園戦記ムリョウ』1巻。 ミスマル中学校って、もしかして学園長はあのコの御先祖様? それはそれとして、佐藤竜雄監督久々のテレビアニメシリーズのコミカライズである。滝沢さんの絵柄はアクがなさすぎる嫌いはあるが、ほんわかしていて昔懐かしい味わいがあって、結構好みだ。 ただ絵柄はドラマ自体を規定してしまいかねない危険も孕んでいるので、ストレートなようでいて屈折した感情を持つキャラを動かしてきた佐藤作品に合うかどうかというとちょっと……という気がする。『ナデシコ』ほどのヒットはしなさそうだな。
前回の公演の打ち上げが14日前後になりそうだとか。 実を言うと、私は金がないので参加しようかどうしようかなあ、女房がおごってくれるならいいけど、ケチだし無理かもなあ。 どうせなら若い者だけでたのしくやってくれりゃそれでいいしねえ、トシヨリはでしゃばらずに引っ込んでますわい、ゴホゴホゴホ、なんて気持ちでいたのだ。 ところが女房は参加者が少なくなりそうなので、枯れ木の山もにぎわいで、来てほしそうな気配なのである。 でも温泉行きたいという女房の気持ちはわかるが、若い女性たちは気にしてしまうのではないか。オヤジが来るんでイヤだというなら私は不参加でかまいませんので(今更傷つく歳でもないし)、メンバーの淑女諸氏はご一報を。
女房が突然「あんたって傷ついたことってあるの?」と聞いてくる。 「そりゃあるよ」と答えてはみたものの、なんだか「傷つく」という感覚が確かに自分から遠い感情じゃないか、ということにフト気がついた。 他人と疎遠なのである。 物理的に人を避けているというわけではなく、付き合いは付き合いとしてそれなりに行動してはいるのだが、心を相手に預けてはいないのだ。だから他人が自分のことを何と言おうと、笑っていられる。 多分私を「傷つけられる」相手は家族や友人、劇団のメンバーなど、ごく少数の人々に限定されるのだろうが、なんだか優しい人ばかりで、到底私を傷つけそうなことを言いそうにない方々ばかりなのである。 ……もしかして私はなにか気遣われているのだろうか。 あ、でもこないだちょっと傷ついたこと思い出したぞ。 劇団の練習の時に、「俺も来年は数えで四十だよ」と言ったら、よしひとさんから「もうすぐ四十郎ですね」とすかさず言われてしまった。 ……ちょっと一瞬、口篭もってしまったが、オヤジだオヤジだと自分で言っていながら、まだまだスキがあったのだなあ。この程度で動揺するとは修業が足りない(^_^;)。
| 2001年04月08日(日) |
デイ・アフター/『漫画 巷説百物語』(京極夏彦・森野達弥)ほか |
朝になって台所を覗くと、なかなか楽しい情況になっている。 フライパンには卵がべたーっとこびりついているし、電子ジャーの周囲には米が散乱している。 さては女房のやつ、オニギリ作るのに櫃から直接コメを取ろうとしたな。いったんボールかなにかに移すという頭がないのか。要領は前にちゃんと教えているのに。 でも、悪戦苦闘しながら作ってくれたのだから、文句を言ったらバチが当たるかな。実際、私は充分満足してるのだが、女房は昨日はずっと「コンピニ弁当買った方がよかったかなあ」と拗ねていたのだ。 ちょっとぐらい大味でも、女房が作ってくれた料理のほうが美味いのに決まってるんだけどな。 ……大味で思い出したが、女房がバレンタインに送りまくったあの巨大なブロックチョコ、もうみなさん食されたのであろうか。
先週は新番組を見逃しまくったので、今日は気合いを入れて朝からテレビに齧りつく。幸い『アギト』も『どれみ』も筋がわからなくなるということは無かった。 『デジモンテイマーズ』第2話、ギルモンの声が野沢雅子。 ……息が長いなんてもんじゃないな、声優生活四十年を数えてなお主役が張れるってのは化け物である。もはや声優界の人間国宝と言ってもいいかもしれない。新人声優が雨後のタケノコのごとくワラワラ現れては消えする現状では、懐かしい声が聞けるだけでホッとするのも事実だが、その分、物語の中で「浮いて」しまっているのもまた事実で、それがちょっと悲しい。 作画は二話目でまだ安定している。主役の男の子が気弱なタイプで、およそ元気がないが、この子の心の成長が大きな縦軸になっていくのだろう。結構リアル路線を走っていきそうな気配だが、変に『エヴァ』モドキにならなければ面白くなるのじゃないかな。 『コメットさん』第2話、絵柄が今風になってたので、全然期待してなかったのだが、これが意外にいい出来。地球に流れてきた王子様を探すって、なんだか『ちゅうかなぱいぱい』みたいな設定だが、脚本は別に浦沢さんではない。 いや、何が驚いたって、これが旧作のリメイクではなくて、ストレートな続編だったってことだ。だって、先代コメットさんの娘って設定なのだもの。……もちろんこの「先代」とは九重佑三子のことである。声聞いたとき、思わず耳を疑ったが、ホントにホント、女王様の声が九重佑三子本人だったのにはぶっ飛んだ。ああ、ほっぺたにペケマークをつけられてたあのボーイッシュな女の子が今や……。マジでこれは感無量である。なんでも「二代目」大場久美子も出演予定とかで、歴代三人のコメットさんが勢ぞろいするわけである。ちゃんと大人のお客様も取り込もうという戦略はアザトイが、こういうの、嫌いではない。前田亜季も熱演で、危惧していたほど悪い出来でもない。こうなればぜひともあの「ペケマーク」の設定は残してほしいものであるが、無理だろうか。 コメットさんのライバルが「メテオ」ってのはハマリ過ぎ(^o^)。もちろんたかビーなお嬢さまでフェイト教授以来の自爆タイプである。どっちかっつ〜と私はこっちのこの子が見たくて次回も見てしまいそうだ。
今日は百道まで文化映画を見に行こうかと思っていたのだが、先週からの疲れがどっと溜まっていたのだろう、睡魔が短い周期で襲ってきて、どうにも体が動かない。日記も書けずに昼過ぎまで寝こむ。 練習に行った女房に、帰りに栄養のつくものでも買って来てもらおうかと思って、携帯に留守録を入れておくが、結局女房は気付かなかったようである。 帰宅した女房は何も買ってきていないどころか、いきなりハカセを連れてきやがった。部屋の中はゴミの山だというのに。 座れる場所がパソコンの前の椅子しかないので、そこに座ってもらって、劇団のホームページなど覗いてもらう。桜雅嬢のモザイク写真などを見てウケていたようだが、私は睡魔に勝てず、そのまま寝入ってしまった。ハカセは果たしてウチで楽しめたのだろうか。もし楽しかったのなら、また一人、悪の道にハマりこむ人間が増えたのかもしれない。
『ニュータイプ』『アニメージュ』5月号、福岡でやらないテレビアニメの情報に歯噛みしつつ読む。 『犬夜叉』映画化決定の情報に驚く。『うる星』『らんま』と映画になっているわけだから不思議ではないのかもしれないが、そのスケールと映画化ペースは確実に落ちてきている。それなのに併映なしの単独公開とはなんと思いきったことを。どうせインサイドストーリーにしかならないと判っていても、見に行っちゃうんだろうなあ。 『キューティハニー』3DCG化なんてニュースはどうでもいいとして(^o^)、問題は次の『ゴジラ』である。 ああ、やるんじゃないか、やめてほしいなあと、思っていたネタ、やっぱり金子のアホンダラはやりやがったぞ。 キングギドラはやっぱりヤマタノオロチになるのである。 いや、やってもいい。やってもいいが、ちゃんと特撮で見せてくれるのだろうな。『日本誕生』や『ヤマトタケル』のようなフザけた操演や『ヘラクレス』の“コピー”ヒドラの悪夢が……(T_T)。 更にモスラは鵺に、バラゴンは狛犬になったそうである。これでは玄武(ガメラ)と朱雀(ギャオス)の焼きなおしではないか。 ……キングシーサーが復活しなかっただけマシかもしれないが、この伝で行くなら、バランは野衾になり、ラドンは烏天狗になり、ヘドラは土転びになったと言っても成り立ってしまうぞ。キングコングは孫悟空に、メガロはカブトムシに、メカゴジラはアイボになったのか(だんだん常軌を逸してきた)。 『千と千尋の神隠し』、この間予告編を見て、題名の意味がやっとわかったのだが、宮崎駿が作ろうとしているのは、極めて古典的なファンタジーである。即ち、ルイス・キャロルの『アリス』シリーズ、C.S.ルイスの『ナルニア国物語』を嚆矢とする、「異世界の扉を開いたもの」が、再び現実を獲得するまでの物語。幽閉と脱出のキーワードが、主人公の少女自身の「名前」であるところなど、まるで『陰陽師』だが、東洋と西洋の融合的ファンタジーを作ろうとしているのかもしれない。……これで底の浅い説教さえしなけりゃ宮崎さんもいい人なんだがなあ。 宮崎さん推奨の『江戸東京たてもの園』というのが武蔵小金井にあるそうだ。上京したついでにちょっと行ってみたい気もするが、さて、女房はつきあってくれるだろうか。『千と千尋の神隠し』展も日本橋の高島屋で開かれるそうだが、見るべきものがあるだろうか。
京極夏彦原作・森野達弥漫画、『漫画 巷説百物語』読む。 WOWOWでシリーズ映像化されていた『京極夏彦 怪』の原作の漫画版だが、さて、一読三嘆とはこのことか。 一頁、二頁とめくるたび、比喩ではなく背筋に戦慄が走った。 水木しげるの再来、というより水木しげる本人が描いたとしか思えない妖怪画の世界がそこに展開していたからである。 もともと森野達弥は水木氏のアシスタントであった。どこかで名前を聞いたことがあるなあ、と思っていたのだが、80年代、三度目の『鬼太郎』がアニメ化された時、『コミックボンボン』に連載されていた『最新版ゲゲゲの鬼太郎』、あれを描いて中に『地獄童子』という新キャラを登場させていたのが森野氏であった。……ちょっと待てよ、森野氏は1963年生まれだ。ということは、あの漫画描いてたころって……高校生?! 早熟も早熟、これはちょっとした天才ではないのか。 水木氏は自分の絵にあまり拘らない人で、下手をすると鬼太郎までアシスタントに描かせてしまうことがある。再開された少年マガジン版『鬼太郎』は、一時期ずっと、辰巳ヨシヒロが描いていた。辰巳氏には悪いが、その線に水木氏の味はまるでなく、ダサいとしか言いようがなかったのだが、連載後半、絵が急に、昔の流麗な線に戻ったのだ。 ああ、水木さん、ちゃんと自分で描くようになったのだなあ、と思い込んでいたのだが、どうやら今にして思うと、あれも全部森野氏が描いていたのではなかったか。 もともと、森野氏の絵柄はアニメチックで硬質な絵である。『ジャック・ガイスト』などのイラストを見れば判るが、絵的にはあらいずみるいやこしたてつひろなどのオタク系アニメ絵のほうに近い。当たり前の話だが、水木氏の絵を真似る、ということは「模写」なのである。 好きなマンガ家の絵を模写したことのある人なら判るだろうが、マネったってそう簡単にできるものではない。どうしても自分の線が入りこんでしまうし、相手の絵に近づけようとすればするほど、線は勢いを失っていく。 石ノ森章太郎や藤子・F・不二雄の跡を継いで描かれた『ホテル』や『ドラえもん』を見ればそれは一目瞭然である。 夏目房之介、とり・みき、唐沢なをきのパロディマンガも、水木しげるの模写に関して言えば、それは「よくできました」レベルのものでしかなかった。 水木氏の絵を自家薬籠中の物としている、と褒め称えても、まだコト足りない。実のところ水木氏の絵は紙芝居時代、貸し本時代、週刊誌時代と、刻々に変わり、アメコミの影響を受けたことすらあるのだが、それぞれの時代の特徴を全て捉え、融合させるというとてつもないことまで森野氏はやってのけているのである。 例えば狂言回しとなる、御行の又市、ドラマでは田辺誠一が演じた涼やかな青年だが、森野氏は彼の顔になんと「鬼太郎」を持ってくる。しかも、後年の絵柄ではない、貸し本時代初期の、出っ歯でつぶれた片目を向き出しにした、あの“元祖”鬼太郎の顔である。 ……実は、貸し本時代の水木氏の線は、どちらかと言えば野太く、重たい印象を与える線であった。しかし、その又市=鬼太郎の顔は、最盛期の水木氏の流麗な線で描かれてあるのである。 つまり、又市の顔は、紛れもなく水木氏の絵でありながら、かつて水木氏によって描かれたことのない、オリジナルな絵なのである。こうなると、この絵をただの「模写」と片付けるわけにはいかなくなる。 よく見れば、山猫回しのおぎんも、事触れの治平も、考え物の百介も、全てのキャラクターが、かつて水木氏のマンガに出てきたように見えはするが、実はみな森野氏のオリジナルなのである。だから、このマンガには、水木マンガには必ず顔を出していたあの四角い顔にメガネで出っ歯の桜井昌一氏は登場しないのである。 更に森野氏は、「おりく」という自分の絵柄のキャラクターを、水木氏の線で描く、ということまでやってのけた。 これほどの天才を発揮した作家を、私は寡聞にして他に知らない。 怪奇とユーモアの融合、水木氏独特の間、その技術のすばらしさもさることながら、それをマンガとしての面白さにちゃんとつなげているとは、何という才能であろうか。 こんなに読み応えのある漫画に出会うのも珍しいことなので、今日は一日、布団の中で何度もこの本を読み返していたのであった。 ……実は私は、原作の『巷説百物語』を「文庫になるまで待とう」とまだ読んでいないのである。そこで更にその元ネタとなった、『絵本百物語 桃山人夜話』を紐解いてみると、原作小説が、「白蔵主」と「小豆洗い」の挿話を実に見事に換骨奪胎して小説化していることがわかる。と言うか、作中に登場する「山岡百介」と「桃山人」との共通点に気がつけば、ネタ本と小説との関係についてニヤリとすることができるのだ。 ついでだからドラマでの配役をここに書いておきましょう。 御行の又市(田辺誠一) 山猫廻しのおぎん(遠山景織子) 考物の(山岡)百介(佐野史郎) 事触れの治平(谷 啓) ……これも楽しいドラマでした。さっさとDVDにしてくれ。最終話だけ録り損ねてるのだ。
夜になって、豆腐やサトイモや糸コンニャクでけんちん汁のようなものを作る。結構いい味付けになったなあと思って、女房に残しておいたのだが、女房は豆腐をちょっと食べただけで食べてくれなかった。……やはり肉が入ってないとダメなのかな。
| 2001年04月07日(土) |
初めての花見/DVD『ブルース・ブラザースBBパック』 |
なんだか半端じゃなく仕事がメチャクチャ忙しくなってきたぞ。土曜日だってえのに、午後になっても帰れない。 4時近くになってようやくウチに帰りついた時には女房はフテ寝していた。 何度起こしても起きようとしない。 「待ちくたびれて寝ちゃったよう。なんで中途半端なときに戻ってくるのぉ?」 「どうせ昨日、明日花見だからって興奮して眠れなかったんだろう。さっさと起きろ!」 とたたき起こして、朝のうちに女房が作っておいた弁当を持って近所の公園に出掛ける。 桜は満開をちょっと過ぎた感じだが、さすがにこの近所の桜の名所だけあって、花見客が大挙している。公園の中には野球場があって、そこはその昔あのピンクレディーが『サウスポー』を歌ったということで有名なのだが(そんなん誰も知らんわ)、その周囲の芝生では早々とバーベキューを始めている。 「どこに座ろうか?」 「人のいないとこ」 ……そんなところあるか。弁当の中身を見られるのがイヤだというので、仕方なく、桜の咲いていないところに座る。何のための花見だ(^_^;)。 女房の作った弁当は昨日買ったオカズを、ロッテリアのオマケのピカチュウ弁当箱に全部ぶちこみ、更に入りきれずにお握りをパックに詰めたという壮大なものである。……よっぽどこの花見を楽しみにしてたのだな。 軽く四、五人分はある弁当を二人で平らげる。こうなることを予測していて、朝から何も食べていなかったので、一応腹には入るが、自分でもよくここまで食えたな、と内心思う。 タコのソーセージは作らないと言っておきながらちゃんと作ってあった。照れくさいので気がつかないふりをして食べたが、「あ、食べたね」とちゃんと女房はチェックしてくる。 鳩が飛んできてフンをしそうになったので、食べ終わる早々、その場を離れたが、考えてみれば結婚して以来、女房と花見をしたのは始めてである。満足したかなあと女房に聞いてみると、「理想と違った」と言う。 なんだか二人きりでラブラブなムードに包まれたかったらしいが、花見ってもともとそんなもんではないと思うが。 天神のベスト電器で『ブルースブラザースBBパック』を購入した帰りにも公園に寄って、タコ焼きを買って食べる。8個入り500円は高いと女房は言うが、タコがでかいのでこんなものだろう。いい加減昭和40年代感覚で物価を測るのはやめて欲しいものである。
帰宅すると女房は睡魔に襲われぶっ倒れる。 その間に一人で『ブルース・ブラザース』『ブルース・ブラザース2000』をメイキングも含めて立て続けに見る。 『ブルース・ブラザース』の方はディレクターズカット版、つまりは劇場公開でカットされた部分を復活させた完全版、と謳っているが、劇場公開版のほうが監督自らのカットによるものなので、この表現はおかしい。どうもこの「ディレクターズ・カット」という言葉の意味を知らないで使っている映画関係者も多いみたいだ。 第一作にはジョン・ベルーシが「神の御心は謎だ」と呟くシーンがあるが、このセリフ、劇場公開の時にはカットされていたもの。しかし、続編でダン・エイクロイド、J・エヴァン・ボニファントが同じくこのセリフを口にする。二作をつなぐ重要なセリフなのだ。 ちょっとマジメなことを書かせてもらえれば、『ブルース・ブラザース』はもともとアメリカのミュージカルシーンの中では継子扱いされてきたブラック・ミュージックの復権を目ざしたものだ。メイキングの中でダン・エイクロイドが、「アメリカン・ミュージック」とやや穏当な表現をしているのに対し、監督のジョン・ランディスは無邪気なことにはっきりと「ブラック・ミュージック」と言い切っている。……でなきゃアレサ・フランクリンやジェームズ・ブラウンにスポット当てたりはしないよな。WASPの歪んだキリスト教文化の中で、神の恩寵が受けられるはずのない音楽に「神の光をあてた」という点で、この作品、思いきり挑戦的な作品になっているのだ。 だから1作目に比べて2作目が「ジョン・ベルーシがいないから劣る」という意見は近視眼的だと言わざるを得ない。「1作目のリメイク」という言い方も当たらない。二作は根底においてちゃんとつながっているのだ。 ジョン・モートン演ずるキャブが「なぜ白人の私と犯罪者の白人のあんたが兄弟なんだ!」とエルウッドに怒鳴るシーン、でも黒人のソウルを忘れていたのはキャブのほうなのだ。キャブが自らの魂に目覚めるのは、第一作と同じく、ジェームズ・クリオファス・ブラウン神父の折伏による。J.B.に光を示されて悔い改めない者はいまい(^^)。 たとえてみるなら、手塚治虫に「キミ、マンガ家になりたまえ」と言われたら、そいつは他の誰から才能ねえぞと言われようと、マンガ家になる道を選ぶであろう。それと同じだ。でも手塚治虫だって、かつてのマンガ壇においては邪道扱いされてきていたのだ。 ホンモノのソウルはどこにあるのか、そこを見逃すと、1作目も2作目もなんだか素っ頓狂なふざけた映画にしか見えない。 神が本当にいるなら、聖書の教えが正しいなら、その使徒に犯罪者を選ぶのは当然だろう。キリストがマグダラのマリアを庇ったことをWASPの連中は忘れちゃいないか。 ……念のために言っとくがベルーシもエイクロイドもランディスもWASPではない。 それはさておき、2作目だけなぜか日本語吹替が収録されているが、これが最低に近い出来だった。ダン・エイクロイドはまた玄田哲章。好きな人だけど、エイクロイドはミスキャスト。声質もマシンガントークもまるで真似できていない。 というか、全体的な演出にまるでリズムがないのである。日本の声優はミュージカル映画になると実力のなさを露呈してしまう。 B.B.キングもJ.B.もチョイ役もみんな茶風林に演じさせるってのは何を考えてるのかなあ。日本人にソウルはないのだろうな。
| 2001年04月06日(金) |
プレ花見/『ミスター・クリス』3巻(秋本治) |
今日も朝から鼻血が出るが、もう休むわけにはいかない。 鼻薬を鼻腔に噴霧して、薬も飲んで、無理やり抑える。ああ、頭が重い鼻の奥が重い。なのに仕事は容赦がない。 薬の副作用か、気分だけは高揚しているのが恨めしい。 仕事がくそ忙しくて帰宅が8時。 1日ごとに1時間ずつ帰るのが遅くなってきてるぞ、女房はそろそろお冠だ、ヤバイなあ。 明日、弁当持って花見に行こう、と約束しているので、一緒に買い物に出掛ける。
ウチの近所のスーパーは10時まで開いているので、腹をすかした二人はまず「ガスト」でたらふく食って朝からの空腹を満たすのであった。 ファミレスのメニューなんてどこの店でも似たり寄ったり、かと思うとさにあらず、ここは時々何だかよく分らない料理を出してくるので、結構ご贔屓なのである。しかも、下手をすると人気がないのかいつの間にかなくなってしまうコトも多いし。 以前、みぞれあげもちを食べたとき美味かったので女房に分けてやるが、「べたつく」と言って露骨に眉間にシワを寄せる。……もちはもともともちもちしてるよ。そこまで嫌うというのは昔もちと何か相性の悪いことでもあったのか? すっぽんゼリーという名前だけ聞くと少しも美味そうでないものを頼んでみるが、薄い醤油味のゼリーという感じで本当に美味いんだかまずいんだかよく解らなかった。
本屋に寄って買ってきたマンガ、秋本治『ミスター・クリス』3巻を食事しながら読む。 秋本さんの漫画はともすれば解説的なセリフが入って、ストーリーの流れや盛り上がりを阻害してしまうところがあって、惜しいなあと思ってしまうのである。 ジャンボジェットを洋上の空母に着陸させるというアイデアは面白いが、その実現の可能性を先に解説しちゃうのはいただけない。普通は成功した後で理由を説明するのがセオリーなんだが。 シナリオ作りのあまりうまくない人だなあ、とも思うし、キャラクターも深みがない。肩肘張らずに読めるのがいいところなのかもしれないけど、『こち亀』がもしも終わったら、次作のプレッシャーに一番悩んじゃうのではなかろうか。
スーパーで卵やチーカマやハンバーグ、シューマイなど、明日の弁当のおかずを買いこむ。ソーセージは定番なので、絶対買うのだ、と言ったら、女房がやや軽蔑したようなジト目でこちらを見る。 「やっぱりソーセージはタコにしなきゃな」 「絶対にタコにしてやらない」 ああ、なんて微笑ましい夫婦の会話。
| 2001年04月05日(木) |
鼻血ブーって覚えてる?/『ブレーメン�供截牡�(川原泉)ほか |
昨日、根を詰めすぎたせいだろうか。朝起きてみると息ができない。 鼻血で鼻が詰まっているのだ。鼻をかむと、チョコボールほどの血ガタマリがゴソッと出てくる。頭がふらつき顔面が痙攣するが、寝不足だったわけではないので、やはり体調を崩しているのだろうと思い、仕事を休む。 でもこれで明日はまた仕事に追われることになるのだ。
というわけで昨日はずっとパソコンの前にいたのだが、今日はずっと布団の中。気持ちがどんどん鬱になるので、もうこれは夢の中に逃げこむはかないとひたすら眠る。ところがこういう時に限って夢の野郎は妙に現実的である。 あまりに現実的で忘れた。
寝ていても腹は減る。 女房は夜の仕事になって以来、昼はずっと寝ているので、仕方なく目玉焼きとレトルトのハンバーグで飯を食う。 するってえと女房は「一人で飯食いやがって」と文句つけてくるのな。仕方なく豆腐チャーハンを作ってやる。 鍋に作りおきしておいたら、勝手に食べていた。 「鍋の、食べてよかった?」 「うん、おまえのだよ」 でも、必ず食ったあとで聞いてくるというのは基本的に既成事実を積み重ねて事後承諾で物事を進めていくタイプだってことだよな。……イヤなやつ。
岡田斗司夫さんの「オタク日記」、2月分が更新されていたので読む。 「青少年有害環境対策基本法とメディアのあり方について」というテーマの座談会についての記事だが、いやはや、田原○一郎といい、民○党のなんたら議員といい(どうせ党に依存してるだけで自分の意見なんてないやつだから名前なんか書いてやらない。匿名にするのは相手のプライバシーや人権を守らないため、という場合もあることを知っておくべきだよな)、どうしていい大人にこうバカが多いかな。岡田さんも苦労させられてるよなあ。 「有害図書」の基準なんて恣意的なもんで、時代と環境次第だってことくらい常識だと思ってたんだが。「あんたの顔が有害」なんて言い出したらサベツでしょ? だったら「この表現が有害」って指摘することだってサベツでしょうに。 結局みんな、何かを差別したがってるのだよねえ。で、世の中には許容される差別と許容されない差別があると。 ……そんな中途半端なことを言うくらいなら、いっそのこと○○○○○○、○○○○○○○○○○。……自主規制してんだから、法規制しようなんて考えるんじゃねえぞ、既知外ども。
マンガ、きくち正太『おせん』2巻。 グルメまんがに共通して思う疑問は、「そりゃ話の上ではいかにも美味そうに描いてるけど、それホント?」という単純なコトだったりする。 だって漫画の中に出てくる料理って、まさしく「絵に描いた餅」なんだものな。ファーストフードが日本人の味覚を破壊したというのは本当かもしれないが、もともと破壊されても仕方のない貧弱な味覚しかなかったのだとも言える。それを憂えて見せても、老人の繰言と何の変わりもありはしない。 絵は面白いんだが、薀蓄が鼻についてきたなあ。
マンガ、川原泉『ブレーメン�供截牡�。 ……今気づいたが、この本、「ジェッツコミックス」なんだなあ。……『少年ジェッツ』はとうに廃刊されてるというのに、どういうわけかね? それはそれとして。 川原さんの絵が最近硬質化していることがちょっと気になる。宇宙船が味も素っ気もない直線と曲線で構成されてるとかそういうことではなく、人物自体が昔のふわっとした味わいを失ってきているのだ。 川原マンガの主人公たちはのん気そうに見えて神経質、傷つきやすい心の持ち主ばかりなんだが、それは多分作者自身にも当てはまるんじゃないかと思う。……今の線って、どこか余裕がないんだよね。それが心配。 なんだか最近はマンガの出来が云々というより、川原さんがマンガを続けている、ということだけでホッとするようになっている。
マンガ、榎本ナリ子『センチメントの季節』7巻。 大人の少女マンガだなあ。と言ってもレディースじゃないんだよね。 見知らぬかわいい女子高生が突然、部屋に訪ねてきて、「泊めて……泊めてくれたら何をしてもいいよ」と言う。男の欲望を充足させるためだけのような展開は、どうにもあざとくて好きになれない。 でも、現実の女って、そんなやつが多いんだよね。 結局、男の好むシチュエーション、男の好む姿態、男の好む愛の囁き。そんなものを与え続けることでしか自分の居場所を確認出来ない。 作者が意識しているかいないかは分らないが、今回のストーリーの骨子には『ファウスト』がある。「もう一度過去に戻れるなら」という普通はSFやファンタジーで描かれるべき題材だ。それを作者は、「現実」として描いた。夢想を現実化するためには、「あざとい展開」は不可欠だったのかもしれない。 『ファウスト』からあまりにも離れたところに少女たちは佇んでいる。少女たちの世界はあまりにも小さく狭い。 男には女を哀れむことしかできないのかもしれない。
マンガ、秋本治『こち亀’76』。 雑誌形態で出たものをつい購入。いや、今更124巻も揃えられませんて。 なぜ『こち亀』がここまで続いたか、という分析、意外と誰もやってないのね。岡田斗司夫さんが以前、「ドラえもん=両さん」説を唱えてたことがあったけど、ちょっと無理がある気がする。いつでもそれなりの人気があったこのマンガを誰も打ち切ろうとしなかったってだけじゃないのかな。 それにしても最初期の両さんは今より遥かに「まとも」だなあ。
マンガ、新井理恵『× ―ペケ―』4巻。 新井理恵って、『ケイゾク/漫画』を描いた人だったんだなあ。未だに女房買い続けてるけど、面白いか? これ。
「キネマ倶楽部」の会報が届く。 森卓也さんが毎号日本の喜劇役者について思い出を語るのだが、今回は柳家金語楼の巻。実は私が最初に覚えたコメディアンがこの人。多分、私は『ジェスチャー』のギリギリ最後に間に合っている世代である。 戦前の警察による芸能人の統合整理で、落語家をやめざるを得なかった金語楼は、そのころにはもう全く落語はやっていなかったが、それでも私にとっては、当代一の名人としてのイメージが親から刷り込まれていた。 例の『兵隊落語』のレコードを曽祖父が持っていて、母に繰り返し聞かせていたために、その母から「ヤマシタ、ケッタロー」のギャグを散々聞かされていたからである。 曽祖父曰く、「エノケンはドタバタやってるだけで芸はない。本当の芸人は金語楼だ」。 この評価が正しいかどうかは置くとしても、戦前、金語楼がどれほど高い評価を庶民から受けていたかが解るセリフだ。森さんも、安藤鶴夫の「恐らく現代のいかなる第一流の落語家も太刀打ちできない」というコトバを引用してその技量を称えている。 私が実際にその人の芸を見て「これはうまい」と思えたのは、古今亭志ん朝、春風亭小朝、立川談志の三人だが、もちろんその技量は昔年に比べれば落ちていることは否めない。円生も志ん生も私の記憶ではじいさんの芸だ。 早くに落語をやめたことが金語楼をして伝説の落語家たらしめたのではないかとも思う。
NHKの『真剣10代しゃべり場』に庵野秀明監督がゲスト出演していた。 テーマは「一人でいるのはいいこと? わるいこと?」という、本当に今時の10代はこんなことで真剣に悩んどるんかいの、とい言いたくなるしろもの。 本人たちは真剣かも知れんけどねー、そんなん語り合わなきゃならんもんかねー、という題材だけどねー。 と思ってたら、庵野さん、番組中についポロッと「まあ今度のテーマはつまんないから」と一言。ああ、身もフタもない(^_^;)。 確かに『エヴァ』だけ見てたら、このテーマ、庵野さんにあってるように見えるかもしれないけど、もう監督自身は次のところに進んじゃってるんだよね。いつまでも人が同じところにいるものと思っちゃいけないのである。
| 2001年04月04日(水) |
ちかれた日〜(死語)/映画『宇宙怪獣ガメラ』ほか |
昨日は開かなかった日記が、今日になってようやく復活。 しかし、不安は的中しており、2日の分が全てオシャカ(死語)になっている。というわけで、愚痴も含めて、2日の分の書き直しと3日の分をひたすら書き続けていたのであった。 日記に賭ける私の執念に女房もいささか呆れ顔である。 「なん、またおんなじの書きようと?」 「日記なんだから違うのかくのも変だろう」 そう言いながら、内容が微妙に変わっていくのが不思議なところである(^_^;)。実際、二日も経ちゃあ、何があったかなんて簡単に思い出せるものでもない。人間の記憶は1日経つと50%、2日経つと75%が失われると聞いたこともある。読んだ本の感想だって、変わってくるのだ。半年前の日記なんか読み返すともう完璧に他人である。「こいつ、なにバカなこと書いてやがるんだ」と、自分の日記を読み返して楽しめるのだから、これはもう何がなんでも続けねばなねまい。
でも、マジで書き直しはしんどい。 合間に本を読んだり、テレビを見たり、気分転換しながら、結局帰宅後の時間を殆ど費やして書き直すことになってしまった。 で、登録ボタンを押した途端、「エンピツ」からの案内が。 「ただいま、消失した分の日記を手作業で復旧しております」 もう書きなおしたあとじゃあああ! しかし、まさか、「エンピツ」のスタッフ、書きなおした上に過去の日記を再登録したりせんだろうな。これ以上私を脱力させんでくれよ。 女房曰く、 「自分で保存しておけばいいのに……」 そんな高度な技術は私にはない(-_-;)。
『パワーパフガールズ』、全話録画するのもなんだかなあ、と思っていたので、8話ほど録画した後やめていたのだが、今日は「巨大ロボ・ダイナモ」が登場するとあって、久しぶりに見る。 おお、四月になってオープニング、エンディングともにリニューアル。こういう日本版だけにつけられたオープニングというのは、ビデオ化されたときにカットされることも多いので、結構貴重である。『サウスパーク』もビデオにはテレビ版のオープニングと次回予告がないしなあ。以前のものよりアップテンポで、今回のほうが好みかな。 本編は予想以上の怪作。ベースはやっぱりマジンガーZ+アフロダイAってとこだ。アチラのロボットアニメは『フランケンロボ』みたいに擬人化されたものの方が普通だから、やっぱりこれは日本のアニメの影響なんだろうな。結末は『ダーティペア』だし。 だいたい敵がいくら巨大怪獣だからって、巨大ロボを出す必然性は全くなく、これ、純粋に博士の「趣味」の産物なのである。しかもデザイン的にはどう見たって「ダイナモ」の方が紛れもなく悪のロボット。目はブラックオックスみたいな半月型だし。光線は出すわ、怪獣の発射するトゲを跳ね返して街は破壊するわ、まあ渋谷のガメラ状態ですわな。 で、肝心の怪獣は、自分のトゲがささって弾けちゃうてんで弱っちい風船怪獣だったってオチ。「ありがとう博士!」じゃないだろう。 アメリカは俗悪番組のレイティングが厳しいと聞いてるけれど、こんな暴力的でモラルのカケラもない番組を堂々と子供に見せてるんだから、どこまでウワサはホントなんだか。
チャンネルNECO、ガメラ特集2日目、で、何を放映したかってえと『宇宙怪獣ガメラ』だよ(^_^;)。 知らない人のためにちょっと解説すると、旧ガメラシリーズは、昭和40年『大怪獣ガメラ』から昭和46年『ガメラ対深海怪獣ジグラ』まで、全7作作られて、製作会社の大映がいったん倒産して打ち切りになってたのね。 それを再建したのが先年亡くなった徳間康快社長なんだけど、平成ガメラシリーズで復活する前、昭和55年に旧シリーズのフィルムをそのまま流用して、宇宙人が送り出す怪獣から地球を守るために戦うガメラ、という旧シリーズとは全く関係のない設定ででっち上げちゃったのがこの一本なわけです。 で、主演の良い宇宙人を演じるのがマッハ文朱。……当時私ゃ高校生でしたからねえ、さすがにお子様に混じってこれを見にいくことは出来なかった。……精神的な意味でなく、親が許さないという物理的な理由によるものです。で、何年か後、テレビで初めて見て……。 どう感想を言っていいものだか(・・;)。 世の中にヘタレた映画は数多くあろう、日本特撮史上の汚点に『惑星大戦争』や『宇宙からのメッセージ』を挙げる人もいるであろう。でも『宇宙怪獣ガメラ』に比べりゃ、オリジナルな分だけ充分映画になってる。 でもこれは旧ガメラシリーズのファンですら忘れたくなるような出来なのですね。 夢の中でガメラが宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999と競演したり、亀有公演前派出所が出て来たりという不必要なサービスが悪い、とかいうレベルではない。ともかく旧作をツギハギして、間をよい宇宙人と悪い宇宙人のやりとりだけで埋めてるだけだから、物語にメリハリというものが全くないのだ。 いったい大映はこの映画をなぜ作り、どう売ろうと思ったのか、それが全く見えてこない。 『スターウォーズ』がブームだ、なら日本でも『惑星大戦争』を作ろう、安易だが、そこには日本的かつ山師的な興行師の思惑というものが見て取れる。しかし、『ゴジラ』もまだ復活していない、日本人が怪獣に全く背を向けていた時点で、なぜ『ガメラ』か? もうこれは、大映にはSF作品がそれしかなかったから、と考えるしかない。でなけりゃ、もともとアトランティスの伝説に残る巨大カメ、という旧シリーズの設定をわざわざ変えてまで「宇宙もの」に仕立て上げた意味が理解できない。安易を通り越して完璧に狂っているのである。 ……でもねー、それでもねー、この作品、嫌いになれないんだよねー。 なぜかって、それがまた実に単純な理由なんだけど、「ガメラが敵怪獣を倒す順番」なんですよ。 バルゴン→ギャオス→バイラス→ギロン→ジャイガー→ジグラ、これが旧シリーズの順番。 ギャオス→ジグラ→バイラス→ジャイガー→ギロン→バルゴン、これが『宇宙怪獣ガメラ』の順番。 つまり、露払いがギャオスで、シメがバルゴンなわけです。この二頭がその設定及びデザイン的に他怪獣といかに別格的な意味を持っていることか。ゴジラに対抗できる名怪獣が、モスラ、キングギドラ、メカゴジラであるとすれば、ガメラのそれはバルゴンとギャオスしかいない、そういうことなんですね。旧シリーズからつきあってきた怪獣ファンならば、ご理解できることなんです。 ……本当に単純な理由(^_^;)。 あ、別にこの映画見てね、なんて勧めませんよ。でも、平成ガメラを見ちゃったあとでは旧ガメラは見られねー、と思ってる方々、映画は一作一作、別の視点で楽しむことが出来るものです。つまんないと簡単に断定できるのは自分自身がつまんない見方しかしてない場合だってありえるということを考えておきましょう。 どんな駄作でも楽しめない映画はない。 これ、私の実感ですが、信用できないって権威主義的な方には、故淀川長治氏も同じことを言っていたと付け加えておきます。いやみだなあ。
で、この後DVD『ガメラ 1995〜1999 軌跡』を見たら、金子修介と樋口真嗣が「『宇宙怪獣ガメラ』は痛い」と喋っていたのだった。わはは(^_^;)。
昨日、シティボーイズライブのDVD購入特典、『シティボーイズ インストア ライブ』が送られてきた。 早速見たかったのだが、私が日記を書いているスキに女房が先に見てニヤニヤ笑っていたので、なんとなく一緒に見る機会を逸していたのだ。確かに日記書きばかりで女房と夫婦の会話をあまりしてないなあ。ここ数日女房の態度がえらく冷たいが、きっと拗ねているのだ。 やっぱりいくらなんでも1時間程度で書き上げるようにしないとなあ。ながら族でやってるから結局は3時間も4時間もかかってしまうのである。 それはそうと『シティボーイズ』、キャンペーン風景を連続して録画したものだが、編集がよく工夫されていて、ダレ場がない。 ただ、ラストで大竹まことさんが、ライブももう長くないようなことを発言されていたのが気になった。確かにお三方、もういいお歳ではある。そうそうライブを続けてもいられないだろう。しかし本当に面白い喜劇を見せてくれる舞台というのが少ない今、お三方にはもう少し頑張って欲しいなあ、と切に思うのだ。 ……爆笑問題、なぜ舞台をやらんのだ。
| 2001年04月03日(火) |
ボクの地震、キミの地震/ドラマ『陰陽師』第一回ほか |
夕べ眠くて仕方なかったが、朝起きるともう8時。 うわあ、まるまる8時間も寝ちまったい。仕事疲れとは言え、こうも寝過ごすってのはやっぱり体が鈍りまくっているのだ。 外は小雨。慌てて今日もタクシーで出勤するが、明日こそは絶対に早起きするぞ。
今日も目一杯仕事。となると日常雑記的なことは何も書けないかというとそうでもない。一日が仮に1時間しかなくたって、その間に「できごと」はあるのだ。
某新聞の記事、福岡県北九州市の「指導力不足教員に関する人事管理研究協議会」が、4月2日、七項目の「判定基準」をまとめて市教育長に報告したとか。でもどういうわけだか、そのうち三つしか紹介してない。 1,適切な生徒指導をしないなど、教員としての使命感や責任感に欠ける。 2,子供との人間関係を築くことができないなど、子供の立場に立った対応や教育的愛情に欠ける。 3,指導計画書を作成できないなど、基本的知識や指導の工夫に欠ける。 これだけでも納得できるようでいてどうにも曖昧な基準。どうも変だな、と思ってほかの新聞を調べてみると、割愛された項目の中に、「疾病のある者」と書かれてある。 それじゃあなにかい、教師が○○○だといつ倒れるか分らないから学校に来ちゃダメとか、○○○で○○○だと生徒が怯えるからダメとか、そんな意味かい。 そんなつもりはない、と、この基準を設けたやつは言い出すかもしれないが、じゃあ、この病気なら適格、この病気だと不適格、なんて決めていいものなのか? こんな基準自体が差別なんだってことに気づいてないのだ。 実際、教師や生徒だけでなく、どの職場でも、地域でも、この病人や身体障碍者を表向き受け入れるようなそぶりを見せつつ、現実的には排除しようって風潮が例の日の丸・君が代法制化以来じわじわと顕在化してきてるように思えてならない。 なんだか胸糞が悪くなったので、久しぶりに“裏”モノ会議室にこの件についてコメントを書きこむ。今回は特に反応なくてもいいや、と思ってたのだが、志水一夫さんがコメントをつけてくれて、やっぱり嬉しかったのだった。 夜、また軽い地震。この間の余震なのかな、と思ったら、中国四国だけでなく、東海地方でも地震があったらしい。 今度は本の山も殆ど揺れることはなく、大して動揺もしなかったが、それでも女房は慌てふためいている。 「どうしてくれる?」 どうしてくれるって、何をどうしろというのかね。いつも思うのだが、女房は興奮するとTPOを全く無視したセリフを吐くので何が言いたいか解らなくなるのである。 「どうしてって……余震だろ?」 「誰の?」 「『誰の』って、なんで『余震』に『誰の』なんて修飾語がつくんだよ!」 やっぱり何が言いたいのかよく分らない。もしかしたら「余震」を「預金」と聞き間違えたのではないか。だとしても預金が地震と何の関係があるのか。 女房の脳内構造は常に謎である。
WOWOW新番組アニメ『魔法戦士リウイ』、後半だけ見られる。 作画レベルは上、シリアスな絵柄でファンタジーかと思ったらギャグだった。スケコマシの魔法使いの話らしいが、事前の情報をあまり仕入れていなかったので録画はしていない。まあ、無理して録るほどのこともなさそうだったけど。 チャンネルNECO、今日から『ガメラ』特集、『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』、多分7、8年ぶりくらいに見る。 ああ、本郷功次郎に上田吉次郎も出てたんだよなあ。蛍雪次朗のお師匠の蛍雪太朗という人も出ているらしいのだが、顔を知らないので誰だか分らない。 今見返すと特撮は相当チャチで、空中戦が映えないのだが、それでもギャオスが地上で羽ばたいて砂塵を巻き起こすあたりは迫力がある。鋭角的な目がギャオスの冷酷さを表現していて、やはり私は、新版ギャオスの丸っこい目よりも好きなのだ。 ああ、この映画、中洲の今はなき松竹ピカデリーが大映直轄の映画館だったころに見てるんだよなあ。四歳で映画館に連れてってもらってたってのも今考えると凄いな。というか、三歳のとき『バルゴン』も見てるんだが。どっちも死んだばあちゃんに連れられてである。ばあちゃん、映画にどんな感想持ってたんだろ。 新作は脚本の伊藤さんが『キングコング対ゴジラ』を参考にした、と言っていたが、見比べてみると、意外なほどに旧作との共通点がある。ギャオスを捕獲するために、既存の施設を利用し、それが失敗して結局はガメラに頼ってしまう展開などがそうだ。結構、このパターンの元祖に近いのではないか。 そうなると、ギャオスが太陽に弱い、という設定も新版に残しておいて欲しかったなあ、と思うのである。
時代劇チャンネル『鞍馬天狗』13話、最終回。 本放送のとき、てっきり最終回は見逃していたと思い込んでいたけど、ちゃんと見ていた。 そうだそうだ、殆ど打ち切りじゃねえかって思いたくなるくらい、いきなりな終わり方だったんだよなあ。 明治維新がやってきて、実は杉作は女でしたって展開があるものと思っていたのに、ラストはいきなり慶応2年から明治に飛んで、洋装の草刈正雄と藤真利子、伊藤つかさが踊ってるんだもの。 ……やっぱり本当は2クールやる予定じゃなかったのかなあ。最終回のゲストが峰岸徹って、どう考えても弱いし。
『刑事鬼貫八郎12 まだらの犬』 うわあしまった、この原作短編、読み逃してたぞ。鬼貫警部シリーズはたいてい読んでたのになあ。 12話まで続いているということはやっぱり人気があるんだろうけれど、できれば原作通りに丹那刑事を主役にして、鬼貫警部がバックアップする形にして欲しいよなあ。大地康雄は役者としては好きだけど、鬼貫のイメージとは似ても似つかない。原作者も気に入ってないと明言してるのだから、別の局でもうちょっときちんとしたものをつくってくれないかな。 無理だろうけど、満州舞台にした『ペトロフ事件』から時代設定も戦前にしてね。 チョイ役の小宮孝泰がいい味出してたな。この人がテアトルエコー出身で『宇宙戦艦ヤマト』にも出てたって、『ブンカザツロン』読んで初めて知ったんだが、となるとコント赤信号の中では一番役者の経験積んでるってことか。女グセが悪くなきゃ、もうちょっと売れてたろうにな(^^)。
NHK『陰陽師』第1回。 期待はしてなかったが、塩浦さんからぜひ録画しといてくださいと頼まれてたので、ともかく見る。ホントは『鬼貫』の方を録画したかったんだけど。でも出来はどっちもどっちだ。 原作者は満足してるようなことをどこかに書いてたが、温厚で知られる夢枕さんだから、内心、腹立ててても本音は漏らすまい。小説の原作者としては、もう少し怒ったってよかったのではないか。 つまり作りが岡野玲子のマンガ版に相当引きずられているのである。特に杉本哲太の博雅は原作よりマンガ版をベースにしたとおぼしい。マンガ版はデフォルメされた丸い目のせいでちょっとオッチョコチョイの面が強調されてるが、原作の博雅はあくまで「漢(おとこ)」なのである。杉本の博雅もただのマヌケにしか見えない。 稲垣は稲垣だ。マジメな人なだけに、この人、実は役者としては華がない。一生懸命やればやるほど、小ぢんまりとしちゃって、ミスキャストにしかならないという悲しい運命の人なのである。それをあろうことか晴明役を振るとはねえ。NHKも酷なことをするもんだ。 全何回かな? 5、6回のミニシリーズにしとけばいいと思うけどな。
「エンピツ」のトラブルのせいで、日記の書きこみが不可能になる。それどころか、昨日書いた日記まで消えている。 怒りの雄たけびは昨日のリテイク日記をどうぞご覧あれ。
| 2001年04月02日(月) |
桜の森の満開の下/『イギリス人はおかしい』(高尾慶子)ほか |
どひゃあああ。に、日記が、日記が消えてるうううう! 現在これを書いているのは4月4日の午後6時20分。昨日の夜、日記が開きにくいなあとは思っていたのだが、故障があったらしくて、2日の分からまるまる消えてしまったのだ。 この年度初めで仕事も忙しいってのに、「エンピツ」の野郎、なんて事故を起こしてくれるのだ。おかげで今日一日で三日分の日記を書かねばならなくなってしまったではないか。 ……愚痴ってるヒマはないぞ。二日前に書いた文章なんか殆ど中身を忘れてるが、なんとか思い出して書こう。
今日から年度初めである。 ワープロだのなんだの、職場に持っていかねばならない荷物も多いので、タクシーを利用する。 道端の桜を横目に見ながら、そろそろ七分咲きかなあ、昨日女房を花見に連れていかなかったのは悪かったなあ、などと考える。週末まで桜が咲き残っていたら、『ブルースブラザース』のDVDを買いに行くついでに花見としゃれこもうかな。 そう言いながら、気温はここ数日まだまだ肌寒い。昨日などは雨までぱらついていたのだ。 そんな雨の中だってのに、近所の公園では夕べも場所取りの花見客が何十組もぶるぶる震えながら毛布かぶって徹夜していたのだ。……根性あるなあ、というより、劇場アニメの初日に徹夜で並ぶオタクを嗤えねえぞ、お前ら。そんなに酒が飲みたいか。 でも春先のイベントって言ったら、花見くらいしかないししょうがないのかもしれない。「花祭り」は地味だし、第一何か飲んだり食ったりして騒ぐって類のものでもない。『OL進化論』か何かのマンガで「食いものと結びついていないイベントは弱い」とか言ってたが、なるほど納得である。
願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ
西行の辞世として有名だが、これ、そんなに悲壮な歌じゃないんじゃないかな。如月は当然旧暦なのでまさしく今ごろ。満開の花の下では酔生夢死、過去も未来も星座も越えて全ての悩みを忘れていられるのだ。西行って、ただポケ〜っとしていたかっただけなんじゃないかな。 死体なんか別に埋まってないと思うぞ、梶井。
職場の部署が変わったので、ぶたくそ(「メチャクチャ」の意。女房がしょっちゅう使ってるが広島弁か?)忙しくなり、帰宅は午後7時過ぎ。 おかげで『水戸黄門』の第1回、頭から見損ねた。 私のフェイバリット黄門様は何と言っても月形龍之介なので、石坂浩二はどうにも人間的深みに欠ける。ヒゲがあるなしの問題ではないのだ。ドラマ自体は今までの設定を全てリセット、将軍家との確執からコトを始めるという骨太路線を選んで、なおかつ怪しい忍者風の者たちをも暗躍させるという時代劇エンタテインメントの定石をきちんと踏んでいる。でも役者がどうしても弱いんだよなあ。 いくら人気があったからといって由美かおるを出しつづけるのはどうもねえ。体型は崩れてないが、エロキューションはもうボロボロで舌が回ってねえぞ。
女房と何かやりとりをしたような気もするし、日記にも一回何か書いたような気がするが忘れた。ともかくこの日は眠くて眠くて、後半の記憶が薄いのである。後日、思い出す時があったらまた書くかもしれない。 女房のネット友達が、オープンしたばかりの「ユニバーサルスタジオ・ジャパン」に行ってきたというので、早速そのレポートを覗いて見る。 そのお友達というのも、女房同様、ダン・エイクロイドのファンで、『スニーカーズ』のポスターの前で記念写真を撮ったりして、なんとも微笑ましい。 で、結構穴場で客が少なかったという、我等が「ブルース・ブラザース・ショー」。残念ながら雨天のため野外ショーは中止、握手会に変わったそうだが、ジェイクもエルウッドもあまり本物には似てなかったそうである。……まあ、『ベルーシ ブルースの消えた夜』ほどひどくなけりゃ許せるだろうけどなあ。 女房に「USJに行きたいか?」と聞くと、「ちょっと」と答える。ファンとしては「モドキ」は許せない、という気分と、でも見てみたい、という気分とが内心せめぎあっているのかもしれない。 でも「ブルース・モービル」は写真で見る限り、鉄製の拡声器もついた立派なものだったぞ。ああ、これだけでも見に行きたいよなあ。 スヌーピーがブルースブラザースのコスプレしたポスターが展示されていたようだが、売ってるものならこれはぜひ欲しいな。よく見ると「THE BEAGLE BROTHERS」と書いてあって、これはウマイ! でも、エルウッドがスヌーピーってのはわかる気がするが、ジェイクをオラフにさせるのはちょっとどうだかねえ。兄弟逆じゃん。言わずもがなだけど、オラフはスヌーピーの弟の一人の太っちょで、スヌーピーの兄はスパイクなのである。体型で選ぶとどうしてもそうなっちゃうんだろうなあ。……じゃあ、ウッドストックは誰だ? キャブ・キャロウェイか?
高尾慶子『イギリス人はおかしい 日本人ハウスキーパーが見た階級社会の素顔』読む。 以前、マークス寿子というイギリスかぶれの女性(イギリスの貴族と結婚し、離婚したのに未だにマークスなんて名乗ってんだよねえ)の書いた『大人の国イギリス子供の国ニッポン』という本を読んで頭に来たことがあった。 なにしろ、「イギリス人には泥棒が多いが、それは盗まれる日本人のほうが油断をしているから悪いのである」ってなことを堂々と書いているのだ。そりゃ油断するなって心構えは必要だろうけど、それでイギリス人の泥棒行為を正当化しようってのは頭がおかしいとしか思えない。 高尾さんの本もそんなアホなこと書いてるのかと思ってたら、さにあらず、イギリス人のよい点悪い点、日本人のよい点悪い点、それを客観的に捉えようとしている。福祉や動物愛護の点ではイギリスは優れているが、教育・モラルの点では最低である、と高尾さんの筆致は容赦がない。 雇い主である映画監督、リドリー・スコットについても、潔癖症で小心者、そのくせ貴族意識だけはあるというイヤな面をはっきり書いている。 なのに、イギリス人やスコット氏についての悪印象が高尾さんの文章からはほとんど感じられないのだ。それは、高尾さんがそういった彼らの欠点を知りつつも、やはり彼らを愛していることが伝わってくるからに他ならない。 ……それでもちょっとだけ文句を言わせてもらえれば、イギリスの若者が堕落したのは「ビートルズ」のせいではないと思うぞ。
マンガ、高橋留美子『うる星やつら・酔っ払いブギ』読む。 この辺の原作、ちょうどアニメが始まったころのだなあ。でもはっきり言って『うる星』全体の中では凡作が続いていた時期だ。アニメも最初の1・2話はなかなかの出来だったが、それ以降はろくにスタッフが集まらなかったらしく、作画も脚本もガタガタの駄作が続く。 それでもファンが離れていかなかったのは、唐沢俊一さんも『ブンカザツロン』の中で語っていたが、高橋留美子が、初めて自分たちと同じ魂の持ち主が、マンガの受け手としてではなく、作り手として現れた「仲間」であったからだ。 「るーみっくわーるど」というキャッチコピーにもその意識は表れている。高橋作品だけでなく、作者自身が当時の我々のアイドルであったのだ。『うる星』だけではない、『めぞん一刻』の初期の頃、「響子さんの正体は?」「惣一郎さんって誰?」と胸をドキドキさせて、隔週刊の『スピリッツ』が発売される日をどんなに待ち遠しく思っていたことか。 だから、『らんま1/2』の病気休載以降、高橋さんが何か違う方向に行ってしまった、と感じたとき、私立ちの世代は、スウッ、と冷めたのである。ちょうど『エヴァ』完結編でみんなが何も語らなくなってしまったように(^^)。 多分それは、高橋さんは我々の代表としてマンガを描いているのだ、つまり、あのマンガは我々が送り出しているのだ、と我々は勝手にシンクロしていたのだけれど、実は高橋さんはあくまで高橋さん個人であったのだ、という当たり前の事実に気づかされてしまったからである。 ……それくらいショックだったのだよ、「らんまのヌード」は。 高橋留美子と小山田いくにだけはヌードを描いてほしくない、なんてアホなことを考えていたのだよなあ、あのころは。「○○ちゃんだけは絶対脱がないで!」なんて喚いてるアイドルオタクと同レベルではないか。 それを思うと、あまり面白くない回にも目をつぶって「面白い」と思い込もうとしていた『うる星』のころが甘酸っぱく懐かしいのである。
マンガ、尾田栄一郎『ONE PIECE』18巻読む。 既に脇役・適役の方に魅力が移ってしまっていて、主役陣がまるで動いていない。せっかくルフィの兄貴まで出して「道標」を示してくれたのに、物語はまたアラバスタなんたらの脇道、回想シーンへとなだれこんでいく。脇道じゃ所詮ルフィの人間的成長はなく、予定調和の言動を繰り返すだけだ。 サンジに「ナミさーん」としか喋らせないのもいい加減やめたらどうだ。マンネリの面白さを追求する類のマンガじゃなかったはずなのに。 それはともかく、バロックワークスのキャラのいくつかはよくできている。もう、それで読んでるようなもんだけどね、私は。 いや、Mr.2・ボン・クレーはいいっスよ。「おかまーウェイ♪」呆れるほどに意味がない(^^)。
| 2001年04月01日(日) |
四月バカ/『ブンカザツロン』(唐沢俊一・鶴岡法斎)ほか |
最近、日記にばかり時間をかけるなと女房がうるさい。 私の場合、一気に日記を書くのではなくて、何行か書いては本を読みビデオを見、数時間かけて書いているので、女房はその間、私と会話も出来ないと拗ねるのである。 確かに長々書きすぎて間延びした文章になってるなあ、とは危惧していたので、今月からは出来るだけ簡潔にまとめていくことにしよう。 ……できるんかね。
今朝も寝坊して『仮面ライダーアギト』も『デジモンテイマーズ』も『コメットさん』も見そこなう。うわあ、体が休みに慣れてボケてしまっているのだ。休日だって寝過ごしても8時には眼が覚めていたのに。ちょいとここらで少し気張っていかないと、ぐーたらが身に染み付いてしまうぞ。 昼から花見にでも出かけて、ついでに親父のところにも顔を出そうと思っていたのに、こないだコケたとき打ちつけた左肘がシクシク痛んで、外出する気が失せる。 今日は結局一日寝て本読むだけの生活か。って、いつものことだけど。
CS時代劇チャンネルを漫然と見る。『銭形平次』、『侍』、高橋英樹版『旗本退屈男』など。 『平次』は殆ど後期のころのもの。京本政樹が一心太助みたいな役で出ていることからそれと知れる。これも相当な長寿番組だったが、最後のころは白塗りの大川橋蔵自体が他の俳優の間から浮いていて、見ていて痛々しい。当たり役を持つということは役者冥利に尽きることかもしれないが、年寄りの役に自然に移行していけなかった場合、どうしても無理が生じる。『平次』の終了も当時の報道は勇退のように書いていたが、実際はやはり視聴率の低迷だったようである。年月くらい残酷なものはないのだ。 『侍』、郡司次郎正の『侍ニッポン』の岡本喜八監督による再映画化。……ということだが、原作もその前の大河内伝次郎や東千代之介版も私は見ていない。でもなぜか前から知ってるような気になっちゃうのは、西条八十作詞のヒットソング『侍ニッポン』の歌詞、「人を斬るのが 侍ならば 恋の未練が なぜ斬れぬ」が梶原一騎原作のアニメ『侍ジャイアンツ』の中で「球を打つのが野球屋ならば、あの子のハートがなぜ打てぬ」と替え歌されてるのを聞いてるからだったりする。 多分もともとこの話、時代劇版のメロドラマなんだろう。それを岡本監督は三船敏郎主演の幕末裏面史、みたいに映画化しちゃったのである。……いい役者使っちゃいるけど、木に竹を接いじゃったような印象になってるのはそのせいなんだろうな。 『旗本退屈男』、よくもまあこんな忘れられてた珍品を放送するなあ。市川右太衛門のイメージが定着していて、誰が演じたって非難されて当たり前だろうに、さらりとやってのけている高橋英樹はむしろ清々しい。原作のイメージには意外とこちらの方が近いようにも思う。 丁度ゲストに『ウルトラQ・バルンガ』で奈良丸博士を演じた青野平義氏、『機動警察パトレイバー』の榊班長役、阪修氏が出演していた。穂積隆信氏の知的悪役ぶりも楽しい。 何気なく見流していたドラマも、今見返すといろいろ発見があって面白い。やはりテレビも映画も文化的財産として残していかなければならないのだ。
21世紀研究会編『人名の世界地図』、これだけ人名の語源が纏まった形で出版されたのは珍しいのではないか。とても全部は書けないのでいくつか感想を。 「チャップリン」に「牧師」という意味があると初めて知った。『偽牧師(ピルグリム)』って映画、自分の名前に引っ掛けて作ったのかどうかわかんないけど(アチラの人も自分の名前の由来を知らないことが多いらしい)、チャップリンならそれくらいのことしそうな気がする。 『奥さまは魔女』の「ダーリン」はホントは「ダレン」で、別に愛する人、という意味ではないそうだ。となるとあれを「ダーリン」と訳した日本語訳者の功績はとてつもなくでかいことになる。なんたって『うる星やつら』にまで影響与えてるんだからねえ。 世界的には伝統的な名前を継承している国が殆どで、日本のように新しい名前がどんどん生まれる例は少ないようだ。
唐沢俊一・鶴岡法斎『ブンカザツロン』読む。これについても書きだしゃキリがないくらい面白い。ちょっと誤植が多いのが気になるけど(「森繁久也」って誰だよ)。 オタク第一世代と第二世代、という分割の仕方が正しいかどうかは疑問もあるのだが、自分がやはりオタク創世記のケツっぺたにいたのだなあ、ということは確認出来る。女房が鶴岡さんと同い年なので、お二人の会話がちょぅど私と女房の会話にシンクロしてくるのである。おかげで女房が私のどこが好きでどこが嫌いかも見えてくるってのがどうもね(^_^;)。 「オタクは『道』より『術』」、つまりはテーマよりメソッドってところには共感してるんだろうけど、実際には唐沢さんも「道」的なことは結構語られているのである。私も似たようなもんで、気がつくと女房への言葉に説教が混じる。黙ってりゃこれで女房にも尊敬されるんだろうになあ。 「道」を志向しちゃう人間ってのは結局、自分がバカに見られたくないと思ってるだけのバカなのだ。 「バカ」どうしの雑論、と作者たちが語っているように、どの時代だって、世の中を本当に動かしているのはひと握りの天才ではなく衆愚である。自分が衆愚であることを自覚したところからしか時代は見えて来ない。ただ、時代の見えないバカも多いことは多いんで(見えなくってもいいんだけどね)、その点、「いいバカ」と「悪いバカ」が世の中にはいる、という鶴岡さんの指摘には共感できる。もちろん「いいバカ」というのが「オタク」を差すことは言うまでもない。 一言で言ってしまえば「オタク術」ってのは「考現学」であるわけで、データの収集それ自体に意味があると考えているようなものだ。私がこうやって日記に愚にもつかないことを書いているのも、この2001年の日本人の生き方の一例を世に残すことの意義を思うからに他ならない。存在することにのみ意味はあり、あとの理屈は勝手についてくるってのが、3歳以降の私の人生哲学である(大げさな)。テーマがどうとか、ビジョンがどうとかはあまり考えていないのである。たかが一素人の日記ではないか。 この日記を読んでくださる方々から、過分なお褒め(あるいは批判)を頂くことは多いが、書いてる本人はバカやってる、という自覚しか持っちゃいないのです。現代においては、こういった形で他人に関わろうとすること自体、バカ以外のなにものでもないってことでしてね。だから「凄いですねえ」とか「読みがいがあります」とかいう言葉よりも、出来れば「それ、違うんじゃない?」と言っていただける方が、バカたる私には嬉しいのですが。
なんだかんだでちょっと長目になっちゃったな。一日分のネタって、たとえ寝て過ごしてたって、書き出せばいくらでもあるものなのだ。面白い文章になってるかどうかはともかくとして、芝居をやろうって人間がネタの一つも思い出せないというのは情けない、という意識があるのである。 だから劇団のホームページに書きこみが出来なくなったのはマジで悔しい。ああ、早くホトボリが冷めんかな。そしたらこっちの方はウラ日記にしてもっと濃い話が出来るんだけど。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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