無責任賛歌
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| 2001年05月31日(木) |
多分まだ20世紀は終わっていない/DVD『なぞの転校生�供� |
ああしまった。今朝は体重計に乗り忘れてしまった。 夕べはしげの働いてるリンガーハットでたらふく食ったので、かなり体重が元に戻ってるような気がする。もしかして無意識のうちに体重計に乗るのをからだが拒否したのかも。 でもちゃんとメシ食ってるのに、今日も体調は優れず。 午前中は雨模様で気分も優れず。
職場で休み時間に同僚と昔話に花が咲く。 「東京オリンピック、覚えてます?」といきなり振られたときにゃ苦笑した。覚えてたらすごいよ、私ゃ1歳だったんだから。 外見が老けてるんでもっと年上だと思われてたんだなあ。まあいつものことなんで今更驚かないけど。 でも歳のワリにはアタマに相当白髪が混じってきてるのはちょっと寂しいかな。親父が今の私と同い年のころにはこんなに老けてなかったし。] 「今の若い子って、ホントに昔のことに興味持たないのね。私たちなんか、生まれる前のことでもいつの間にか知ってるのに」 その同僚、カステラ食べる時によく「帝銀事件」を思い浮かべるそうである。
大坂万博。 吉展ちゃん事件。 安保闘争。 よど号ハイジャック。 あさま山荘事件。 そういった70年代のキーワードとなる事件の数々が、やはり自分の心を形成してきたのだということに改めて気づく。『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』では、負のベクトルたるそれらの事件(万博を除く)が直接語られることはなかったが、ケンとチャコの行動のウラには明らかに潜在していた。
今だから笑って語れる話であるが、私も小学校の頃、学校に立てこもった経験があるのである。 理由は当然他愛無い。 いじめっ子に水を引っ掛けられ、そのまま授業にも出られず、階段の踊場に机でバリケードを作って、授業をボイコットし、担任教師に「水を引っ掛けたあいつに仕返しさせろ!」と要求したのだ。 完璧にあさま山荘事件の模倣であるが、今の若い人にはなんでそんなややこしいことをしたのか理解不能であろう。 「立てこもり」とか「持久戦」とかいう言葉が、ただの感情の発露に過ぎない行動に、なにかしら大層でご立派なことをやってるような気分を与えていたのだった。 時代だったんだねえ。 そのときの顛末も今思うと笑うしかない。 教師の取った対応もまたあさま山荘と全く同じだったからだ。 私の説得が不可能と判断した担任は、私の親に連絡して私を迎えに来させた。現実のあさま山荘の犯人たちで、親の説得に応じようとした者は他の仲間から「総括」されてしまっていたが、単独犯であった私は、簡単に投降した。 もちろん、泣きながらである。 親は私を叱らなかった。 子供のころから親に叱られなかった日は一日たりとてなかったのに、この「立てこもり」事件の時には親は全く私を叱ろうとしなかったのだ。 代わりに親は何と言ったか。 「教師が生徒一人一人のことを見てくれるなんて思うな」 小学生ではあったが、自分が政治犯の模倣を行っているのだ、という自覚が私にはあった。たかが子供のケンカを、いかにも政治的なもののように見せかけねばならなかったのは、はっきり言って担任がクラス内でのイジメを放置していたからである。 イジメにあっていたのは私だけではなかったのに、生徒の誰一人としてそれを担任に抗議しようとはしていなかった。しても担任が対処しないことは目に見えていたからだ。 私が泣いたのは、私の抗議がそのいじめっ子だけでなく、教師にも向けられていたことを、当の担任が全く無視したためだった。 担任はそのとき自分の監督不行届きを謝るどころか、私の面前で親に向かって「この子、病院に連れて行きませんか?」と言ってのけたのだ。 親が激怒したのは、言うまでもない。
今も昔も、生徒と本気で向き合おうとしている教師なんてただの一人もいない。それは断言できる事実である。
帰宅して二時間ほど寝る。 最近は仕事から帰るなり、疲れて一度寝て、それから起きてまた夜寝るという生活が続いている。 生活のリズムとしてあまりよくないことはわかるので改めたいのだが、どうにも睡魔には勝てないのである。
夜起きて、DVD『少年ドラマシリーズ なぞの転校性�供戮鮓�る。 特典で原作者眉村卓の市川森一によるインタビュー。と言っても新撮ではなく、十年ほど前、NHKギャラリーとして放送されたものである。 原作では転校生は「ギリシャ人のような美少年」として描かれているのだが、眉村さん、その描写を「西洋の美のほうが上とみなす偏見だった」と反省している。確かに、転校性が美少年でなければならない必然性はないのだから、これは仰る通りであろう。 それを考えると、ドラマで転校生を演じた星野利晴が決して美少年ではないことはかえってよかったのかもしれない。
関係ないが、この星野利晴君、顔立ちや雰囲気がウチの劇団の藤田君にちょっと似ている。あ、誤解のないように言っとくけど、演技の質が、ということね。 どこか現実感がなくって、周囲の空気が読めていないところなんか、こないだの舞台で演じてた役とそっくりだったりする。 藤田くん本人がこのドラマ見たらどう思うかな(^^)。
更に特典、高野浩幸と星野利晴のボイスメッセージも収録されているが、高野氏の話によれば、何と『超人バロム・1』のリメイクが企画進行中とか。 どうしてこう、誰も望んでいないリメイクまで企画されちゃうのかな(^_^;)。 絶対ポシャるに7万点。
晩飯はレトルトカレー。 上に乗せる目玉焼きを作っていたら、しげが「私にも作って」とねだる。 そんなん自分で作れよ、と言うのだが「あんたの作ってくれたもののほうが美味しい」と甘えてくる。 一見、私を誉めてくれてるようだが、よく考えたらしげのやつ、「私は目玉焼きすら美味しく作れません」と言ってるのと同じではないか。 アホらしくなって、フライパンに卵を落として「後は自分でやれ」とほっぽらかす。 こっちが疲れてるときくらい、逆に簡単なものでいいから作ってくれたら嬉しいのになあ。
今日はしげの仕事が休みなので、夜の散歩にしげも歩いて付き合う。 福岡空港の横を歩いている時、しげが突然、山の向こうに見える光を指して訊く。 「あれがアクシズ?」
「アクシオン(福岡にある体育施設)」だ、バカやろう。
でも、福岡って、本当に悪の組織みたいな名前の建物が多いよな。
| 2001年05月30日(水) |
まるでNENNEのように/『帰ってきたハイスクール!奇面組』(新沢基栄)ほか |
さてさて、実に順調に日記の更新が遅れている。 このままいくと、一週間分溜まってしまうのではないかというテイタラクであるが、時間が取れない時や、体調がすぐれぬ時と言うのはあるのだから仕方がない。 昨日も今日も、立ってるだけでこんなにツライのは何故なのかと考えてみたら、要するに下血が続いているので貧血を起こしているのだと気づいた。 ならば血肉となる栄養をつければよかろう、ということになりそうだが、せっかく体重のほうが85.0キロ、と少しずつではあるが順調に落ちてきているのだ。食べた途端にリバウンドで一気に 体重増加、なんてことにはなりたくない。 今日も朝から雨が降っているが、運動は欠かしたくない。
でもさすがに職場まで山を歩いて越えてくほどの元気はないので、行き帰りはタクシー。まあ、無理というほどの無理はしていないのである。 何度となくタクシーを利用しているので、偶然同じ運ちゃんのタクシーに乗ることもある。 今日も仕事帰りに乗った運ちゃん、以前、「体育館の上に停まって女子更衣室を覗いていたUFOを見た」という話を聞かせてくれた運ちゃんである。別にビリーバーってわけでもなさそうだけど(でもUFOってどうしてセコイことしかしないのか)。 「糖尿で最近運動してる」という話をすると、「私も以前に……」と糖尿話。不思議なもので、私の乗るタクシーの運ちゃんと話をしてると、たいていが糖尿。糖尿は糖尿を呼ぶのか? 夕べロイヤルホストまで歩いた話をすると驚かれる。確かに歩くと1時間以上はかかる距離だからなあ。
マンガ、新沢基栄『帰ってきたハイスクール!奇面組』読む。 去年の12月に出てたんだな、この本。 雑誌形式だけれど、単行本にするには6篇と短いので記事も含めてこういう形式をとったのだろう。 しかし驚くほどに変化がない。線に衰えがないのである。もっとも、ギャグのレベルも変化がないので笑うこともできないんだけれど。 もともとそういうマンガだから、貶すのも心苦しいのだが、学校では不良で通してる天野邪子が家の中ではお嬢様で、それが親にバレないように四苦八苦する、なんてシチュエーション、今時やるかい。 いや、当時から古臭いところが味ではあったんだよな、奇面組。 明らかに田渕由美子あたりに影響を受けた、けれどいかにも模写っぽくてうまくない絵がかえってなんだかほのぼのしてて、少年ジャンプの中では新鮮に見えた。 「変な顔だって個性さ」というストレート過ぎる主張(ギャグマンガに思想や主張は御法度だ)も、作者の若い情熱ゆえと許容して、マンガ自体はつまんなくても嫌いにはなれなかったのだ。 そういう性質のマンガだったから、アニメになった時は無残だった。 原作のつまんなさが増幅されてしまったからである。しかも制作は当時最低レベルにあった東映動画。『奇面組』『ついでにとんちんかん』『ウイングマン』と駄作が続けば「東映動画に原作出すな」と本気で言いたくなったものな。 で、『幽遊白書』しかり、『ONE PIECE』しかり、今に至るも東映制作のジャンプアニメに傑作は生まれていない。 しかし、『デジモン』のようなハイクオリティアニメも制作しているところを見ると、スタッフにチカラはあるのである。結局、東映スタッフは原作マンガ(特にジャンプ系)をバカにして作ってるのだよな。これ、三十年以前からの東映の悪しき伝統である。 『奇面組』のアニメ、新沢さん自身、相当テコ入れしたらしい。 初期はつまんなかったのが、後半、結構メリハリが利くようになっていた。 映画になった『決闘!三重の塔・珍拳勝負!!』(原作は五重の塔)はモロ『死亡遊戯』のパロティだったが、ボスを怒裸権榎道から若気市猿に変え、しかも声優にジャッキー・チェンのフィックス、石丸博也をアテるという粋なことをしてくれた。 もう忘れられてるアニメかもしれないが、あの映画版はスタッフも結構気を入れて作っていたと記憶している。 ああ、もう20年が経つのか。 「うしろゆびさされ組」も懐かしいなあ。あの曲、私としげのカラオケの定番の一つなんだがフリはもう忘れた。 マミマミはアキモトがかっさらって行ったけど、ゆうゆはどこに行ったんだろう。
マンガ、西岸良平『西岸良平名作集 ミステリアン』読む。 珍らしや、侵略モノ、週末モノの純粋SFである。 こんなもんを西岸良平が描いてたなんて、全然知らなかったファンも多いのではないか。 でも、『三丁目の夕日』というか『夕焼けの詩』というか(未だになぜ連載と単行本でタイトル変えてるのかわからん)、あれしか知らない人には意外かもしれないが、結構あのマンガの中でも、西岸さんはSFをやってるのである。テレビの『世にも奇妙な物語』にも原作をいくつか提供してるし。 タイトルはもちろん東宝特撮『地球防衛軍』から取ったものであろう。でもこのマンガでは宇宙から地球にやってきた宇宙人を総称して『ミステリアン』と呼んでいるようである。侵略目的で来ているミステリアンもいるが、多くのミステリアンは調査目的で地球人のフリをしているだけである。 要するにルパーツ星人なわけだな。そう思って見てみると、全体的な構想が『ウルトラQ・宇宙指令M774』によく似ている。キール星人っぽい侵略宇宙人も出てくる。多分、いや確実に『ウルトラQ』を見てるぞ、西岸さん。 でも、そういういかにもB級SFを換骨奪胎したような後半の展開より、最初の数作、特に地球にいて地球人に成りすましているうちに本当に地球人だと思いこんでしまう「地球病」という設定、これはなかなか秀逸だ(永井豪にもそんなマンガがあったけど)。 冨・権力・酒・セックス・ギャンブル。 ミステリアンの心を狂わせ、彼らのアイデンティティを破壊してしまうほどに地球に渦巻く欲望のエネルギーは強かったのだ。 ああ、なんだか1話を選んで舞台化してみたくなるなあ、こういうの。ちょっと前半はフレドリック・ブラウンっぽいSF寓話なのである。 なんのテレビ番組だったか忘れたが(だからこの日記書いてるの一週間遅れなのよ。へたすりゃこの日のことかどうかもあやふやだ)、ビートたけしや立川談志が「野党が小泉に具体案が無いって責めてるけど、ねえのはどっちだってんだ」とか「不況不況って言ってるけど、飢えて死んでるヤツ誰もいねえのにどこが不況だ」と吠えていた。 野党も好きになれないし、マトモな企業努力もしないで不況不況と騒ぐ連中にも嫌気がさしているが、お二人が語る内容にしてはありきたりというより、オヤジの放談というか愚痴だ。似たようなことなら私も言ってるぞ。 もう少しヒネた意見を言って欲しいなと思うが、それができなくなってる状況の方が由々しいことなのではないのか。
ふと思い立って、散歩がてらリンガーハットで働いてるしげを見に行き、晩飯もそこで食う。 しげは私を見てニヤニヤしそうになるのを一生懸命抑えていたが、それを見て私もなんだか笑いそうになる。 注意力のある人が見たら妙にぎこちないウェイトレスと客に見えたろう。 皿うどんを頼むが、いつもメニューが同じなので、あとでしげから「どうして毎回?」と聞かれる。 たいした理由じゃないが、ちゃんぽんは汁が多くて食べきれないだけなんだけどね。
何やかやと、夜の時間が取れず日記の更新が遅れていたので、記憶を辿りつつ深夜までかかって5/25日分(金)をUP。 先日ボーリング場で遊んだ時のことを書くが、書き終わったあとでいろいろ思い出すことも多く、書ききれない。 鈴邑君の浮気願望についても書いておけばよかったかな(^^)。 最近「若い娘はエエなあ〜(*^。^*)」とか「女子高生、もう最高!」とかトバしてるようだが、これはふなちゃんがオトナになったら、ちょっと危険なことになるかもしれない(^o^)。 それ以前に上(P)君に狙われてしまうかもしれないが。 愛上さんも気苦労が絶えなかろうなあ。 そのあたりのバカ話も書いていけばどんどん分量は増えるし、実際面白い話も多いのだが、プライベートに関わる部分もあるので省略。 それに、さすがに1時を回ると既に体力は尽きているし、明日の仕事に確実に響く。泣く泣く切り上げて寝る。 まあ、そこまで日記にイノチ賭けるくらいなら、さっさとホームページ作っちまって本や映画の感想はそっちに移せばいいのだが、より面白いモノをなんて欲を掻くから予定がどんどん遅れていくのである。 たいしたことできるわけでも無いのにねえ。
| 2001年05月29日(火) |
ヒステリー・ヒストリー/『オサムとタエ 早春残光編』(村野守美)ほか |
朝の体重、昨日と変わらず85.2キロ。 仕事中、フラフラして立ってられなくなるが、脱水症状だろうかと思い、お茶だの水だのをがぶがぶ飲む。 それでもどうにもカラダが持たなくなって、1時間だけ早引け。 これがまず間違いのモト。
帰宅するなり、しげが部屋の奥から声をかけてくる。 でも玄関先まで出てくるわけじゃなし、遠くで何と言ってたかよく聞こえないし、こちらは気分が悪いわけだし、まだ靴も脱いでなくて、と言った感じだったので返事もできなかった。 それでも何か声をかけてくるようだつたので、「聞こえないよ」と返事をしたところ、突然、「どうしたって言ってんだよ!」と金切り声を上げられる。
ああ、またヒステリーだ。 何度かこの日記にも書いているが、しげは時々前後の脈絡なく情緒不安定に陥り、ヒステリーを起こすことがあるのである。 冷静な時には冷静で、ヒステリー起こした時の自分のことを思い返して反省もするのだが、まあ、狂ってるときは狂っちゃってるので狂わないようにしろと言ったってそりゃ、無茶な話なのであろう。止めようったって止まらない。 日頃からココロのコントロールをしてくれてると助かるんだけどなあ、そうもいかないのかなあ。しかもたいてい私が疲れてるときとか具合が悪い時に限ってヒス起こしてくれるものだから、私の疲労は倍化するのだ。
「なに怒鳴ってんだよ、なんかイヤなことでもあったのか」 「別に何もねーよ、勝手に決めつけんなよ」 「じゃあ何を怒る必要があるんだよ」 「怒ってなんかいねーよ! 怒ってんのはそっちだろ!」 「俺がいつ怒ったよ! お前が怒るから俺も怒るんだろ!」 「あ〜そうだよ、正しいのはいつもアンタで悪いのはオレなんだよ」 「なにヒネクレてんだよ」 「ヒネクレてなんかいねーよ!」 「ヒネクレてるじゃねーか。自分で自分がどんな態度取ってるかもわかんねーのかよ」 「どーせオレがバカだからダメなんだよ。オレがバカでどうしようもないから嫌われるんだよ」 「いつ誰がお前を嫌ったよ。勝手に決めつけてるのはお前じゃないか、そんな態度とられちゃメイワクだよ」 「ホラ、見てん、メイワクって、オレのこと嫌ってるじゃないか」 「嫌ってねーよ!」 「ホントはオレに出て行って欲しいんだろ? オレが出て行かないんで仕方なく諦めてるんだろ! どうせオレは弱虫だよ。オナサケでアンタに飼ってもらってるだけだよ。アンタの言うとおりハイハイ言ってりゃいいんだよ」 「誰もそんなこと言ってねーだろ!」
ああ、こうやって書いてみても不毛だ。もちろん、ケンカの後半、しげはわあわあ泣きじゃくっている。 いや、しげのやつ、何となく泣きそうな顔してたから、つい私が「びろーん」って言って、からかったら、その瞬間、緊張の糸が切れたせいか、大声で泣き出しちゃって。 普通、口ゲンカの最中にギャグ飛ばすかね。ああ、骨の髄までギャグ人間なのが恨めしい。
それにしても、随分具体的かつ詳しく覚えてるもんだなあ、普通、ケンカって言えばお互い感情的になってるから、内容なんて忘れちゃうもんじゃないか、と思われる方もあろうが、要するに毎回、口ゲンカのたびに同じ会話を繰り返しているから、もう暗記しちゃってるのだ(-_-;)。
で、これから先はあまり書きたくないのだが、結局、しげをなだめるために、私は、私がいかにしげを愛しているかを具体的に細かく詳しく告白させられるのである。
絶対たくらんでヒス起こしてやがるぞ、クソしげめ。
あ、そこの奇特な読者の方、ノロケか、結局って、怒んないでね(^_^;)。 すみません。犬も食わない話でした。
間が悪い時は間が悪いもので、ケンカの真っ最中にいきなり玄関のチャイムが鳴る。 出て見ると、赤ちゃんを抱いた若夫婦がご挨拶。ウチの隣にお引越ししてきたのだ。 「すみません、子供がいますのでうるさいと思いますが」 「いえいえ、こちらも夫婦ゲンカの真っ最中でうるさいと思いますが」 そんなこと自分からバラしてどうする(ーー;)。 でも、このマンションに住んで足かけ10年になるが、ウチの隣に引っ越してきた家族がこれで三組目になる。 なにか私たちに問題でもあるのだろうか。 タオルを頂いたので何かお返しを考えなきゃなあ。
結局、早く帰宅した意味はなく、充分に休養が取れないまま、それでも夜の散歩は忘れまいと、すっかり腹を減らしたしげと連れだって、食事に向かう。 時間はもう10時を回っている。ってことは、6時間もケンカしとったんかい。ああ、時間のムダ。 だからどうせ仲直りするんだったら、最初からヒス起こすなよう(T_T)。 余計な気苦労させるな……って、だからそこで泣くなってば、バカしげ。
本屋を回ってロイヤルホストへ。 買ってきたばかりのマンガを読む。
佐藤竜雄・滝沢ひろゆき『学園戦記ムリョウ』2巻。 滝沢さん、エッチマンガから出て来た人のようだが、こんな丸っこい可愛らしい絵柄でエロ描かれていたら、さぞやそそることであろう……って、今回のマンガ、健全といえばこれくらいテレビアニメの王道を行こうとしているマンガもないくらいであるのだが。 どうやら遥か彼方の宇宙で行われているらしい戦争に地球も巻きこまれて行きそうな気配なのだが、それを選ばれし若者たちが救う、という、ありふれているが演出次第でどのようにも面白く出来そうな題材。でももう2巻目だというのに脇キャラ増やすばかりでストーリーそのものはまだ少しも進んでいないので(『ナデシコ』もそうだったなあ)、今のところは隔靴掻痒。 でも那由ちゃんの桃太郎と河童のコスプレはかわいいのであった(^^)。
村野守美(「もりび」って読むんだよ。男だからね、念のため)『草笛シリーズ オサムとタエ 早春残光編』、待望の復刊である。でもおそらく数十巻はあろうかという連作シリーズを一作だけの傑作選とはもったいない。 双葉社、ぜひ続きも出してえな。
たしか石子順か誰かの日本漫画史では「アニメの手法を漫画に持ちこんだ」という評価をされていたように記憶している。つまり、背景は細密な美術なのに、キャラクターはマンガチックってことなんだろうけど、その批評、間違いじゃないけど、水木しげるやつげ義春がとうの昔にやってる手法でもある。 で、今回久しぶりに読み返して気付いたけど、実際つげ義春に相当インスパイアされてるのだわ。 つまり『紅い花』のシンデンのマサジとキクチサヨコの関係にだな。 オサムとタエ、背丈が2倍以上も違うから、小学1年と高校生くらい違うと思ってたのに、5年と6年だったのだな。いくらそのころの男と女の成長に差があるからと言って、これは結構凄いデフォルメだ。 だからこそいやらしくなる一歩手前で抑制が効いてはいるけどね。
田舎の、小さな港町、小学生が全部で10人くらいしかいない町の、性に目覚める寸前の子供たちが見たオトナたちの人間模様。オサムとタエは主人公というより狂言回しの役割だ。 でもシリーズ中の『花梨の実』だけはまさしく村野守美版『紅い花』で、これだけはオサムとタエが完全な主役。 少女の性が少年には解らない。解った時には多分オサムとタエはもう思い出の中だけでしか心を交わすことが出来なくなる。思い出が懐かしく、甘酸っぱく、そして寂しいのは幼馴染が性の目覚めまでも共有してしまうからなのかも知れない。 いや、なんだか照れくさいけど好きだったんだよなあ、このシリーズ。
手塚門下ってことを考えると、オサムのネーミングもその辺からかな、という気がするが、手塚さんの奥さんは悦子さんでタエではなかったのであった。
今日こそは日記をまともに更新しようと思ったのに、しげのせいでなんも書けなかったのであった。これも一週間後に記憶を辿りつつ書いたものだ。 ウチに帰りつくなり、疲れ果てて寝る。 ああ、ゆっくり体を休めたいよう。
| 2001年05月28日(月) |
才能がないなんて言い訳だ/DVD『チャーリーズ・エンジェル』 |
休日が所用でツブレまくっているので、全然休んだ気になれない週明け。 体重は85.2キロ。もう一息で85キロを切られる感じだが、さて、何年ぶりであろうか。 いやいや、油断はいけない。楽観的になった途端、たいてい向こうからフンドシは外れるのだ。 ……ふと書いてみて気づいたが、今時の若い人はこういう言い回しも知らなくなってやしないかなあ。少なくとも桜雅嬢が知らないことは確実だと思われる。
先日、劇団メンバーの藤田君宛に送っていたメールの返事がようやく来る。 内容は予想通り「音響ってどんなことすればいいんですか〜?」という能天気なもの。 よしよし。藤田君はこうでなくちゃ。 劇団創立メンバーの一人である彼にしてこういうホニャラカだからなあ。 しげは「今のこの時期に音響プランが決まってるものか〜!」と喚くが、だから「音響頼む」と言われて、「自分がプランを立てるわけではない」あるいは「自分にプランが立てられるはずがない」と考えるのが藤田君なんだってば。
初歩的なことを今更書かねばならんものかなあ、とも思うのだが、結局は人がなぜモノを作ろうとするかってことなんだよねえ。 たいていの作家が「なぜ作家になったか」ってことを聞かれて答えるのは「既成の物語より、自分が書いたほうが面白いから」。人間ってのは贅沢なもので、ビクトル・ユーゴーやアレキサンドル・デュマやドストエフスキーを読んで感動してもそれ以上のドラマを求めるものなのよ。 読んだ小説、見た映画・舞台、それはみんな過去のものになる。 だから結局、人が「面白さ」を追求しようとしたらそれは必然、自分で何かを作り出そうとするしかない。その人に才能があるかどうかは関係ないのだ。
しげが藤田君とどういうやりとりするか知らないが、こちらの対処は風に柳である。ぼちぼちと行くから。
買ったばかりのDVD『チャーリーズエンジェル』、特典、コメンタリー、日本語吹替え、立て続けに見る。5時間くらいぶっ続けだな。 先日、ベスト電器のLIMBでこれを買った時、ZUBATさんが「なんでそんなモノを」と驚かれていたが、しげ曰く、「だってビル・マーレーが出てるし」と言ったのには私も一瞬絶句したが、確かに納得。 後半、敵に監禁されてからのビル・マーレーの独演は必見であったが、今回の監督のコメントで、これが全てマーレーのアドリブであることが解った。自由にやらせたほうが実力を発揮するタイプかどうかを見ぬいたマックジー監督、なかなかのものである。 最初見たとき、随分爆発した演出だなあ、と思っていたのだが、カットされた未公開シーンなんかを見ていると、下品になる一歩手前で抑えていることが解って、これは収穫。 トイレで男装したキャメロンとドリューがティム・カリーのナニを覗きながら世間話をするように「あんなに小さくて役に立つのか?」とからかうシーンをカットしたのはドラマのテンポからいっても正解だろう。 それにギャグとしては『裸の銃』シリーズレベルで、演じる二人がヤンキー上がりにしか見えない二人だから、確かに下品になりすぎる。昔のチャリエンだったら絶対に出て来ないギャグだ。それがイカンと言うのじゃなくて、このあたりで、旧作との差異がはっきりするということ。 でもナレーションにあるように「三人揃って頭が切れて」と言うのは「切れる」の意味が違うんじゃないかとツッコミたくはなったな(^^)。
『モンティパイソン・アンソロジー』、中味は『イン・アスペン』『パイソンズ』『パイソンナイト』の三本だが、最初の二本だけ鑑賞。 ここ数年のパイソンメンバーの動向も確認できた『イン・アスペン』だったが、ウワサの「遺灰で登場グレアム・チャップマン」、これはあくまでギャグで本物じゃなかった(^^)。途中で蹴飛ばしてこぼしちゃうんだもんなあ。 よく、この手の危ないギャグは日本じゃやれないと言われるが、けっこうゲリラ的にはやってるのだ。ウルサガタに気付かれちゃったら問題視されて幻になるけどね。 それにしてもDVDの付録のTシャツ、着ると汚れるしどうしたらいいのか。
| 2001年05月27日(日) |
今度の芝居のキーワードは「裸」です/『ヨイコ』(岡田斗司夫・山本弘)ほか |
体重85.4キロで変化なし。 まさか安定しつつあるのだろうか(・・;)。
朝から所用で太宰府天満宮へ行く。 窮地のM氏に偶然出会い、冷や汗。 私の職業がバレてしまうので詳しいことは書けないのだが、このM氏、二十年前から私のことを知っているのだ。 しかも私が今まで出会った人々の中でも三本の指に入るほどの毒舌家である。 「なんや、ブクブク太って。俺はこんなに痩せたのに」 問題点が二つ。10代のころの私と中年になった私を比べられちゃたまったものではない。確かに18歳のころの私の体重は62キロだけどさ。 もう一つの問題点。M氏は明らかに私より太っているのだ。……そう言えば私と同じ糖尿だって言ってたなあ。 でもM氏、私の体を気遣うでもなく、「梅が枝餅食え!」と言って奢ってくれるのである。酒の一気飲み勧められるのと同じくらいメイワクな話だが、断れないのよ、これが(T_T)。
昼飯はカレーとまたしても梅が枝餅。 この梅が枝餅、一応太宰府の名産ということになっているが、ほかの地方の焼き餅とどこがどう違うのかよく知らない。 ただのつきもちでなく、アンコをくるんで更に焼いて歯応えを出したのはわかるが、どこにでもありそうな気がするんだがなあ。でも美味しいので太宰府に来るとつい食べてしまうのである。ダイエットはどうなった(^_^;)。
仕事は夜までかかって、ようやく帰宅。 今週から3週連続で日曜出勤、出張が続くので体が持つかどうか自信がないのだがこれもめぐり合わせというものなのでし方がない。 帰りにガラス細工屋に寄って、しげに1センチほどの小さな猫の置きものを二つ買う。座布団の上で寝てるやつと、起きて伸びをしてるポーズ。こういう細かい工芸品も好きでいろいろ集めてみたいのだが、キリがないしなあ。 あと、お土産に「梅うどん」を1把買う。 梅を練りこんであるということだが、全く名産品屋ってのはいろんなことを考えるものだ。この伝でいくならあちこちで「桜うどん」「橘うどん」「きんかんうどん」「パイナップルうどん」「グアバうどん」「ライチうどん」「パッションフルーツうどん」となんでも作れそうな気がするな(^^)。
岡田斗司夫・山本弘『空前絶後のオタク座談会� .茱ぅ魁抛匹燹� 前巻までの田中公平氏に代わって、小牧雅伸、大槻ケンヂ、柿沼秀樹、大地丙太郎の各氏を呼んでの座談会。 伏字にしてることが多いとは言え、『hm3』なんて声優雑誌によくこんな放談が載ってるよなあ。 「声優のくせにアーチストと称する○○○○○」って、椎○○○る以外の誰だと言うのだ(^o^)。でも多分、椎○○○るファンもこの放談読んで喜んでいるのだぞ。だからオタクにゃマゾが多いと言われるのだ(誰が言ってるんだ)。
第一世代オタクというのがいったいどのへんから始まるのかは諸説紛々、意見が別れるようだが、私自身の経験から言えば、初め侮蔑的な意味合いを込めてSFファンやマンガ・アニメファンがそう呼ばれ始めたころは、あえて「私はマニアだ(オタクではない)」と言い張っていた。 実際、宅八郎とはいっしょにされたくなかったし。 でも、岡田さんが「オタクはエリートだ!」と主張する以前から(自分が別にエリートだとは思わなかったが)、議論になれば、オタクに偏見を持っている連中を言い負かすくらいのことはしていたのである。 「くだんねえ」とバカにするやつには「キミの人生ほどにはくだんなくないね」と言い放って怒らしてたし(森博嗣か)。実際、くだんない人生しか送ってないから、他人の趣味を蔑むことでしかアイデンティティを確立できないやつらなんだからな。 しかしながら、今思い返せば、私も「オタクで何が悪い」と言い切れなかった分、まだまだ精神的に弱かったのだなあと思う。 だからそれを言いきれた岡田斗司夫さんが何と言っても第一世代オタクなのであって、宅八郎はやはりオタクではない。そりゃ遡っていけば、平賀源内だって、アルキメデスだってオタクではないの。
なんでこんなこと書いてるかっていうと、パイオニアでありながら、岡田さんの評価が不当に低い気がしてしかたがないからである。 岡田さん、こういう放談でついつい言い過ぎるところがあるので誤解されがちなのだが、その精神は無茶苦茶繊細な方だ。暴言吐いてるようでいて、ゲストはきっちり立ててるんだよねえ。 「アンディ・フグって何?」って言い方、もの知らずのようでいながら(実際知らないんだろうけど)、ちゃんと大槻ケンヂにネタを振ってるんだよね。「アンディ・フグなんてくだらねえ」と言ってるわけじゃない。 これ、普通のひとに理解してもらうの難しいんだけど、オタクって、尊大な態度とるのも嫌いだけど、謙虚になるのもイヤなものなのよ。これまでずっと「なんでそんなことに興味を持つんだ」とバカにされ続けたウラミから、素直に教えを乞うことができない。 だから自分がよく分らない分野でも一応は見解を作って、「こういうもんじゃないの? 違う?」と論争をふっかけてしまう。 私も野球やサッカーには何の興味もないんだけど、話題を振られたら「やっぱ中田は現代のカリスマだよね」くらいのことは言ってしまうのだな。で、言うことがなくなるとついには「サッカーくじって不毛だよな」と攻撃的になるのよ。でもこれは「何も言うことがない」ことの不安から来る防衛規制なのだよなあ。 オタクが危なくなるのは、この「攻撃的な防衛規制」が増加して来たときである。過激な発言は「危険信号」なのだよねえ。だから岡田さんのことも世間がきちんと評価してほしいのだ。
今日の劇団の練習には見学者もいたそうだ。 しげたちがちゃんとあしらってくれたかどうか分らないのだが(そこまでソツがないならありがたいけど、無理だろな)、ちょっとでも興味もってくれたらありがたい。ハードなことやらない代わり、好きなことができるんだけどね、ウチは。
昨日、日記も書かずに書き上げたシナリオ初稿(でも3枚)、結構ウケたそうである。思いっきりベタなギャグなんだけどねえ。 今のうちはっきり書いておくが、私が不条理ものやホラーっぽいものしか書いてこなかったのは、それが一番演技をする上では簡単で、みんなの演技力を考えたら、とてもそれ以上のことは望めなかったからである。 例えば、恐怖に怯える演技、これ、舞台上で本当に怖がらせればいいだけなので、極端な話、いきなり大きな音でも鳴らせば誰だってビクッとする。 セリフをトチったり段取り間違えても不条理劇なら誤魔化せる。 でもギャグだのミュージカルだのはそうはいかない。冗談ではなく、0.1秒でも間を外せば、ギャグは確実にすべるのだ。それを本気でやろうってのかね? 私だってウケる自信はカケラもないんだが。 「ギャグで」とか簡単に言ってくれるが、そんな実力を持ってるやつは誰もいないのだ。傲慢になってるのかなあ、ウチの劇団のメンバーは。 でも同じことばかりやりたくはないというのは理解は出来るのである。 だからあえてここで言っておくが、みんな本当に舞台上で全裸になる覚悟はあるかね? 実際にやったら風紀紊乱になるから、やらせはしないけど、かといってその覚悟なしで舞台に立とうなんてやつと一緒に芝居やる気は私にゃないぞ。 しげは「ワハハ本舗」のこと、つまんないって言うけど、久本並の演技力もないやつがそれ言っちゃいかんな。観客の立場なら好き勝手言えるからいいんだけど、いったん役者になった以上は、自分にも同じ批判が返ってくることを覚悟しなきゃいけない。何だかんだ言ってても、ケツ出してナニ出してる『ワハハ』は凄いぞ。芝居が「非日常」の存在であり「ハレ」であり「祭」であり「神がかり=狂気」であることをよく知ってる。 キャストばかりでなく、スタッフに対しても要求されることは同じだ(まあ、お手伝い程度のひとは除くが)。舞台監督も音響も照明も、成功しようが失敗しようが恥をさらすことに変わりはない覚悟がいるのだ。 それでもみんながやるってんなら私は止めない。 みんな忘れてるかもしれないが、私は脚本も書いてるし、一番年上なんで名義上代表をやっちゃいるが、劇団の主宰じゃないんだからね。プロデュース形式をとってるってことは、みんな一人一人がこの劇団の代表だってことだ。それをくれぐれも忘れないように。
夜、CSで『Nia_7』『マイアミ☆ガンズ』などを漫然と見る。 『マイアミ』ってアニメ版ミニスカポリスって感じか? サブタイトルが「のけもの姫」で中身はエヴァのパロディでやりたい放題。デジタル処理が『セイバーマリオネット』並でヘタクソなのはご愛嬌か。 それにしても『パトレイバー』が受けて以来、女の子が活躍する警察ものってパターンが増えたなあ。 でも、女の子二人の警官が活躍するマンガの元祖って、柳沢きみおの『ミニぱと』が嚆矢のような気がする。故みず谷なおきの『ブラッディエンジェルス』や藤島康介の『逮捕しちゃうぞ!』より遥かに早い。小説じゃ高千穂遙の『ダーティペア』あたりがその変形で時期も早いが、やはり『ミニぱと』の方が先。だからあのドテチホが「私が女の子コンビものの元祖」と威張るのは大間違いだ。 それ以前にもありそうな気がするがちょっと思い出せない。誰か知ってる?
ああ、しかしこの日記、一週間遅れで書いてるおかげで、細かいところが思い出せん。記憶違い等があったら関係者の皆様方、ご容赦下さい。
| 2001年05月26日(土) |
恐怖! ウワバミ女の逆襲(完全版)/『人造人間キカイダーTRIBUTE』 |
朝の体重85.4キロ。ちょっと揺り戻し。 けど、一気に87キロまで行くようなことはなくなった。 一応ダイエットは順調と考えてもいいのかな?
夕べは3時まで遊んだので、ゆっくり寝ておきたかったのだが、今日はなんとしてでもUさんと連絡を取らねばならない。 4時に寝て7時起き、ちょっとからだが疲れているが致し方ない。 そうまでして朝から何度も電話をかけるのだが全くつながらない。 ついに根負けして寝る。昼過ぎになって、ようやくUさんから電話。 「夕べ、何度も電話したんですよ」 ……さすがに私もちょっとムカッと来た。予め夜は都合が悪いということは言ってある。「遅くなってもいい」というからこちらだって何度も電話したのだ。モノを借りようという方が都合を自分の方にばかり合わせようたあ、いったいどんな了見だ。 それでも、この程度のことで怒るのもなあ、と思って、ぐっとこらえる。 「今なら時間が空いてますから、いらっしゃいませんか?」 「明日の朝じゃダメですか?」 ……電話だから気づかれなかっただろうが、さすがにこのセリフを聞いたときには眉間がピクッと動いちまったぜ。 「明日も朝から用事があります。今しか時間はありません」 「はあ、じゃあ今から伺います」 初めからそうすりゃいいのに(ーー;)。 やってきたUさん、ウチのビデオカメラがコード式なのを見て「バッテリーはないんですか?」と聞いてくる。ここしばらく、固定で撮影することが多かったので、移動用のバッテリーは使っておらず、部屋のどこかに紛れてしまっていたのだ。 「友達の結婚式の撮影に使うんで、どうしても移動しないといけないんですよ」 そんな都合まで知るか、と喉元まで出そうになったが我慢する。ああ、胃に悪い。 まず、自分がカメラ持ってないのに友達の撮影を引き受けるってのが、いわゆる安請け合いではないか。私なら「ゴメン、俺カメラ持ってないから」と断るぞ。だいたいその友達自体が自分でカメラ用意すべきものだろう。そのシワヨセをどうして赤の他人の私が引き受けてやらねばならんのか。 以前、いろいろとお世話になった人だから、こちらもムゲには断れないのだが、こういう理不尽な依頼が続くようだと、適当な口実を使って断らねばならないことも出てくるかもしれないな。 で、肝心のバッテリーだが、しげが本の山を掻き分けて探すが見つからない。 探している最中に、本の海に沈んでいたもう一台のビデオカメラ(バッテリー付き)を見つけたので、そちらの方をお貸しすることにする。 「ありがとうございます、助かります」と頭を下げていかれたので、確かに悪気はないのだが、どうも自分の行動を客観的に判断しきれていないところがあるのだなあ。 感情的になることも結構あって、ご自身もその欠点には気づいちゃいるようなのだが、セルフコントロールが今一つ下手なのである。 しかもそれをすぐに他人に気づかれて無用な気遣いをさせていることに気づいていない。それは結果的に他人に対する「甘え」になってしまってるんだけど。ウチの芝居の手伝いもなんだったらしてもらいたいなあと思ってたんだが、この分だとちょっと期待薄である。
今日から公開のアニメ『メトロポリス』を見に行こうと思って、時間をネットで調べる。 4:30から、とあったので、それに合わせて出かけてみると、時間は3:40から。私が見間違えたのか、表示が間違ったのかどっちだ。 ともかく、次の回を待って見ていては、エロの冒険者さんとこの『ギャラクシー・クエスト』上映会に間に合わない。 しかたなく時間つぶしに福家書店やベスト電器を回ることにする。
しげが「こ腹がすいたね」と言うので、天神コアの某喫茶店に入る。 これからエロさんとこで飯を食おうというのに、その前に食っとこうというのはどういう了見であるのか。やっぱりどこかにムシを飼ってんじゃないだろうな。 「真珠入りのアイスコーヒー」という妙ちきりんなものがあったので、頼んでみる。もちろん本物じゃなかろうとは思ったが、正体はタピオカであった。 なら見た目キレイかというと、コーヒーの中に黒々と沈んでいて目立たないのであった。……「真珠」って銘打つ意味ないじゃん。 でもタピオカが口の中でプリプリ動くのがくすぐったい感じで、なかなか面白い食感である。
ニュータイプ編『人造人間キカイダーTRIBUTE』読む。 原作マンガと特撮ドラマ、そして最新作のアニメと3者を比較するという、資料的にもなかなか価値の高いもの。 マニアならみんな知ってることだが、原作マンガ、石ノ森章太郎自身の手になるものではない。 当時多忙を極めた石森章太郎、下書きのみを描いて、実際の作画は細井雄二、土山芳樹、山田ゴロ、ひおあきらたちに任せたのだ。これはつまり、石森氏初の週刊連載『快傑ハリマオ』の下書きを手塚治虫に描いてもらってたのと同じパターンなのだね。 石森氏がどれだけ忙しかったかというのは、例えば、原作のラストで、ハカイダーのところへアキラたちを救いに行ったはずなのに、連載時にはそのことを忘れて、そのまま基地を爆破してしまったというトホホな結末になっていることを考えるとよく解る。 今回のムックで、そのことをアシスタントに指摘された石森氏が、「あ、いけね、忘れてた」と、単行本で1ページだけ子供たちを救助するシーンを書き足したことを披露している。つまり、その1ページだけが、石森氏本人の筆になる「キカイダー・ジロー」のシーンなのである。 それでも『キカイダー』が石森氏の代表作の一つであることに変わりはない。 以前も書いたことだが、「ロボットが人間になれて本当に幸せになれたのか」というテーゼは、人間の尊厳を謳う偽善性に対する痛烈な批判として、もっと評価されてもいいと思う。 でも『キカイダー01』に触れていないのは、アニメのパート2を作るつもりがあるからなんだろうな。欠点もたくさんあるし、今一つ話題になっていないようだけれども、石森原作アニメ化の中では間違いなく傑作の部類に入る本作の『01篇』を見たいファンは結構多いと思うんだけどなあ。
時間まで喫茶店で暇つぶししててもよかったのだけれど、しげが「寒い」と言い出したので、仕方なくベスト電器に向かう。 ちょうどベスト電器の前で、向こうから歩いてくるZUBATさんに遭遇。 オタクの行動範囲は狭いねえ(^_^;)。 メールや掲示板でやり取りしてるので久しぶりという感じがあまりしない。いったんはベスト電器を出て来たZUBATさんと、LIMBでDVDなどを物色。 私が『地球防衛少女イコちゃん』の蔵出し版DVDを手に取っていると、 ZUBATさん「またいきなりそんなものを」とお笑いになる。 「いや、この『電エース』が好きでして」って、今時、河崎実の『電エース』で会話ができるってのも、お互い、筋金入りのオタクなことだ。 私「戦隊シリーズの主題歌CDが出ましたよねえ」 Z「改めて買わなくても全部持ってます」 戦隊モノは残念ながら年代的に私のほうは薄いので、しげやZUBATさんには敵わない。しげがカラオケなんかでやたらと戦隊シリーズの主題歌を歌うのを聞いていると(特に『ダイレンジャー』は本編もいいんだよ!と力説するのを聞いていると)、もちっとテレビでおっかけとくべきだったかなあ、と今更ながらに後悔するのである。 これからのDVDの発売予定表を見て、ZUBATさん、 「『○○○×○○○○○ G○○○○』が10000円!?」と仰天。もちろん私は買うつもりなので、しげに見つからないようこっそりチラシを隠す。 オタクの道はたとえ妻がオタクであっても妻帯者には険しいのだ。……オタクが二人だと出費が2倍だしなあ。
気がつくと時計は7時を回っている。 バスに乗るZUBATさんと別れて、自転車でエロさんちに向かう。 もうあたりは暗くなっているので、私の視力では方向がよく解らない。地図をしげに渡して、妙に入り組んだ道(六つ角まであるぞ。ここはどこだ)を通って辿りついたのが約束の8時ジャスト。 遅刻寸前で危ないところであった。
お集まりのみなさん、しおやさん、ZUBATさん、福家書店の方、総勢六人、部屋の中はムシ風呂状態であるが、映画に見入っていて誰も文句を言わない。まさに暑い上映会である(^^)。 しげは「福家書店のひとだって!」となぜかワクワクしている。プレゼンターとかイベント関係者にもしげは同様の反応を見せるが、この辺の感覚がよくわからん。別にそれがいかんと言いたいわけじゃないけど。
改めて『ギャラクシークエスト』を見返してみると、初めはそれほど気にならなかったアラがいくつか気になってくる。 宇宙モノSFにはつきものの、「翻訳機」の問題だが、サーミアンが初め英語で語りかけるのはまだいいとして、敵のサリスまでいきなり英語を喋るのはどういうわけか。 同じくベイビー・エイリアンの惑星に空気がちゃんとある、というのもいい加減。翻訳機使ったんなら「テキオー灯」くらい出しといてもよかろうに。たいして描写に手間がかかるわけじゃなし。 更に言えば架空の存在だったはずのベリリウム球が実在していたのは宇宙は広いしそういうこともあるかと言えなくはないが、理論自体知らないはずのオメガ13をサーミアンが見よう見真似でともかく作っていたというのはさすがに無理がある。 B級SFやスペオペについて、そのあたりの細かい揚げ足取りは御法度、という暗黙の了解があるにはあるのだが、本作はそういった「B級性」にこそ「実在性」を見出そうってコンセプトの作品なのだから、逆になおざりにしてはまずいのである。 だからさ、地球人がタコ型宇宙人を想像してたら、ホントにそれがいたって話なワケで、つまりこれ、基本的には『ゴジラ2000』と同じ設定なわけよ。でもその出来に雲泥の差が生じちゃったのは、それを納得させるだけの映画的ウソをきちんと積み上げてるかどうかって違いにあるんで、一歩間違えれば『ギャラクエ』だって超駄作になってた危険はある。 『メカゴジラの逆襲』で、ゴジラがいる世界で恐竜実在説を唱えた博士が学会追放されちゃうような矛盾、『ギャラクエ』にもあるんだよな(^^ゞ)。 オタクに対する福音みたいな映画だから、ツッコミにくいんだけれど、ほんのちょっとの工夫で改善できたはずのミスなんで、やはり惜しいなと思うのである。
その後みなさんで居酒屋になだれこんで2次会。ぴんでんさんもここで合流。 今日『メトロポリス』に行き損なった話などをするが、その際、手塚治虫のSF三部作のタイトルがとっさに出てこず、焦る。 『メトロポリス』『ロストワールド』までは出たのだけれど、『来るべき世界(ネクストワールド)』がなかなか出なかったのだ。 「ええと、ええと、あの『フゥムーン』が出る……」とまで言ってようやく福家さんに教えてもらってああそうだったと膝を叩く。こんな基礎知識を忘れるたあ、とても手塚ファンとは言えない。考えてみたら私は『メトロポリス』だって、手塚晩年の改作(悪)版しか持ってないのだ。 オタク話に花咲く中、しおやさんがウチの劇団のホームページを雑誌に紹介してくれることに。これは本気で嬉しい。まだまだシロウトに毛が生えた程度の劇団でしかないが、誉められるにせよ貶されるにせよ、お客さんに見てもらわないことには話にならぬのである。 来年は少し広いところにコヤを代えて上演する予定でもあるし、お客さんにアピールする機会を増やしていきたいのである。
しげがいつものように(というかいつもよりよっぽど早いピッチで)カルピスチュウハイを空けていく。気がついたらジョッキに七、八杯だ。 あ、あ、あのね、こういう席では一応お金はワリカンってことになってるんだからね、一人だけがぶがぶ呑むってのはマナーに反するんだよって何度も言ったでしょ? ……って酔っ払いに何を言っても無駄なのである。 「だってチュウハイってお酒じゃないしい」 誰がいつンなこと決めた。 心配してた通り、二時間もしたらしげはすっかり出来あがって、自転車もこげなくなっていたのだった。 みなさんとお別れして、仕方なく自転車を押しながら、帰り道が同じだったぴんでんさんと、途中までご一緒して駄弁りながら帰る。 「いっぺんウチの劇団のぞきませんか?」 としきりに誘ってしまったが、ご迷惑だったかもしれない。
でも、明日練習だと言うのにホントに大丈夫なのか? しげ。 「らいりょうぶ、もう覚めへるしぃ」 覚めてないって(ーー;)。
| 2001年05月25日(金) |
ドームにぃ、轟くピンのぉ音ぉ♪/『ウインドミル』11巻(橋口隆志) |
朝の体重、85.2キロ。 じわじわと落ちて行っている感じでなかなかいい調子である。
午後から眼科に行くために休みを取る。 今日はもともと一日仕事をするつもりで、医者には明日行く予定だったが、医者の方から「早いうちに眼科に行け」と言われていたし、どうも周囲に心配させてばかりいるので、さっさと対処することにしたのだ。 当然有給休暇にだって限りはあるので、そうそう休んではいられないのだが、どうも仕事を休んででも今日のうちに医者に行っておいた方がいいような気がしてならなかった。 このカンは見事に当たる。いや、別に診断結果が悪かったと言うことでなく、今晩会う予定だったUさんと、やっぱり会えなかったのだ。もし今日のうちに病院に行っておかなかったら、もうUさんにビデオカメラをお貸しする時間が取れないところだった。 自分で言うのもなんだが、いざというときのカンだけで人生をなんとか渡ってこれたような気もする。いいのかそんな行き当たりばったりで、という批判はあろうが、まあ、結果オーライであろう。
昨日、内科の先生に近所の眼科医を紹介されていたのだが、さて、そちらにかかるか、それとも天神まで出てダイテンアイガン……もとい、天神愛眼の眼科にかかるかで、しげと揉める。 無精者のしげは近場でさっさとすましたいが、そのあと映画を見たりして遊ぶのなら、天神まで行ってもいいという。 「でも検査のあと、俺、目が見えなくなるけど?」 眼底検査には瞳孔を開くために目薬を射すので、そのあと四、五時間は、視界が真っ白になってしまうのだ。 天神に行ったなら、そこでどこかの喫茶店にでも入って時間つぶしをしなければならなくなる。私はそれでも構わないが、人一倍トロイくせにせっかちなしげにはそれは耐えられまい。 渋々納得したしげと一緒に、紹介された眼科に向かって自転車でツーリング。近所の病院ならともかく、天神から家まで目の見えない私を自転車で誘導して帰るのは確かに至難のワザだろう。
案の定、目薬を2種類も射される。 以前検査を受けた時には1種類だったような気がするが、なぜ増えたのか。 薬について詳しいわけではないが、確か『怪盗紳士ルパン』で、ルパンが変装するために眼にアトロピンを射す、という描写があったように思う。瞳孔が開き、どよん、とした眼になるというが、眼底検査に射す目薬もこれだろうか。 でもネットを「アトロピン」で検索しても「頻脈・気道の乾燥・消化管活動の抑制」としか書いてない。じゃあ、ルパンが射してたのはいったいなんだ? 自分の眼に射されているのが何の薬か解らないというのはちょっと怖い。誰か目薬に詳しい人はいませんかね?。
この間は右眼の後ろが痛かったが、今度は左眼の後ろが痛い。 しかし検査の結果、幸いなことに眼底出血はなかった。 網膜は相当薄くなってるので、いずれは失明するんだろうが、できるだけ先延ばししたいものだ。
検査後、視力がなかなか元に戻らないので、休憩も含めて、帰り道にあるカラオケ屋「シダックス」で、フリータイムで夕方まで過ごす。初めのうちはやはり目の前が白っぽくて曲のナンバーもよく読めなかったが、だんだん目が慣れてきて落ちついてくる。 前回来たときには「孫悟空」というしょーもない機種を選んで大失敗だったが、今回は「ジョイサウンド」で思いきりアニソン歌いまくり。結構新しい曲も入ってきてるぞ。 今までレパートリーに入れてなかった「カウボーイ・ビバップ(リアル・フォーク・ブルース)」や「ダイガード(走れ走れ)」なんかも歌ってみる。しげはしげで「エクセル・サーガ」を歌っている。 でもみんな初めてなんで音程はうまく取れないし、調子が出ない。でもしげといっしょのときくらいしか練習モードで歌えないからなあ。 久しぶりに「銀河旋風ブライガー」を歌って燃える。山本正之ソングの中では実はタイムボカンシリーズよりこっちの方が好きなんだな、私は。 前口上もちゃんと歌うぞ。 お呼びとあらば、即参上♪
マンガ、橋口隆志『ウインドミル』11巻(完結)。 エヴァモドキのキャラにソフトボールをさせるというだけのマンガであったが、今巻で完結。 しげが「いったいいつまで買ってんだよう」と文句をつけてばかりいたが、確かに終わってみるとありきたりのスポーツマンガ(&ちょびっとエッチ)でしたとしか言えない。 表紙が毎回、主役の滝ちゃんの「そそる」ポーズだったのが、今度はキスをしようとするドアップ。椎名隆志が昔『椎名百貨店』でやってた「こいつマンガにキスなんかしてやんの。変態!」っていう寒いギャグを思い出しちゃったよ(^_^;)。 この表紙の変遷一つ取ってみても、作者がこのマンガのウリを「そっち」方面に傾けて置いていたことがよくわかる。ラストが滝ちゃんの出産というのも「おこさまのためのエッチな時間はここまでね」とでも言いたげで、潔くケリをつけたというか、話を放り出したというか。 そんなに文句つけるなら、どうして私は完結まで延々と買いつづけていたのかと疑問に思われるだろう。でも私にだってそんなん、理由は思いつかないのだ。 何となく買っちゃうってこともあるのよ、しげが高橋美由紀の『9番目のムサシ』をなぜか買い続けてるようにね。
夜になったら映画を見に行こう、と約束していたのに、しげは一度外に出て帰ってきたら、もう外出はしたくないと言う。 なんてぐーたらなやつだ、とは思ったが、無理やり引っ張り出してまたヒステリーでも起こされちゃかなわんのでほっとく。
9時過ぎ、私がトイレに入っている最中に鈴邑くんから電話(なんでこう私がトイレに入ってる時に限って電話がかかってくるのだ)。 しげが取り次いで、トイレの中の私に向かって、 「今からボーリングに行かないかって。行く?」 「別にいいけど……」 気がついたら5分後にはもう出かける準備をしなければならなくなっていた。しげはもう大はしゃぎである。ついさっきまで出かけるのをためらってたのは何だったんだ。
鈴邑君夫妻、程なくワゴン車で(車に詳しくないので車種は知らん)ウチに到着。 もう十時を回ろうかってのに、ふなちゃん、まだ起きている。 「起きてて大丈夫なの?」 「あ、今、疲れさせたほうが、明日ぐっすり寝ますからいいんです」 規則正しい眠り方をしたほうがいいような気もするんだがどうなんだろう。 どこへ行くのか、と聞くと、筑紫野にあるボーリング場だそうな。……ってえことは山を越えて……なんだ、ウチの職場からそんなに離れてやしないではないか。とすれば結構な田舎である。 どんな田舎に出もパチンコ屋と○○○○はあるとはよく言うが、ボーリング場もその中の一つなのかなあ。 移動中の車の中で、ふなちゃん、しきりに「まんま、まんま」と喋っている。というかまだほかの単語を知らないらしい。 「その『まんま』って、食べ物のことなの? お母さんのことなの?」 と愛上嬢に聞いたら、一言、 「両方です」 食欲だけかい(^_^;)。 でも、考えてみりゃ、赤ん坊の親への愛情なんてその程度のもんなんだよなあ。
「途中で、上(P)さん拾ってっていいですか?」 「ああ、いいよ、久しぶりだなあ」 上(P)君というのは、鈴邑君の友達で、私とも旧知の間柄であるが、ここ数年というものご無沙汰していた。鈴邑君の話によると相当カッコよくなっているということだったが、会ってみると昔と全く変わっていなかった。いや別にカッコ悪いやつだって言う意味じゃないんだけど。 彼もまた類友であるのか、変わったところのある男で(でも別にオタクってわけではない)、言葉のキャッチボールに微妙なズレを生じさせる点で、藤田君にも似ているところがある。 以前、私の脚本で舞台に立ったこともあるのだが、私としてはキザでカッコイイキャラクターを演じてほしかったのに、どう演じてみてもセリフが上ずってしまい、「寅さん」にしか見えなくて、演出に苦労した覚えがある。 針小棒大のことをよく言うので、こちらも話には気をつけるようにしていたのだが、今日も、 「今度、鴻上尚史さんの芝居に出ることになりまして」 と言うので、 「ああ、よかったねえ。で、それは『鴻上さんの台本を演じる』ことなの? 『鴻上さん本人から指導を受けて舞台に立つ』と言うことなの?」 と聞くと、 「……前者です」 とか。 ……ワザと誤解されるように喋ってないかなあ?
ボーリングの結果は、1ゲーム目は、私が、2ゲーム目は上(P)君がトップ。ボーリングをするなんて、多分十年振りくらいだが、ストライクもスペアもまあまあ取れたし、そう腕は落ちていないようである。 でもボールの重さは14から11に変わっていて、確実にトシはとっていることが自覚できるのであった。 それにしても昔と違って、ボーリング場も変わった。 特にいろんなイベントが増えているのが特徴的か。 ゲームの最中だってのに、ボーリング場主宰の「みんなでピッタリ100ピン倒そうゲーム」が始まっちゃうし、えらくハデである。ボーリングって地味なスポーツってイメージだったんだがなあ。 店員さんとの一騎打ちとかもある。つまりストライクを取り続けられたほうが勝ちってサドンデスだね。鈴邑君、上(P)君、チャレンジして見事に玉砕したのであった。ご苦労様(^^)。 なんと「スプリットを倒したらワンゲーム無料」なんてサービスまであった。実は私は、学生のころ思い切りボーリングにハマッてたことがあるのだが、もし当時にそんなサービスがあったら、もう全財産使い果たすまでボーリングにのめり込んでいただろう。 若気の至りに至らずにすんでよかったよかった。 それにしても、しげのやつは私がストライクを取っても、拍手するどころか、仏頂面をするばかりなのである。 「アンタのくせに生意気だ」って、私ゃ最初からアベレージ100くらいは行くって言ってるのに。 妻にも応援してもらえないというのは寂しいなあ。 ♪ボールはひとぉつ 戦いつづけぇてぇ 振ぅりぃむぅけばぁ ひぃとりぃよぉ♪ ……ってか? 何の曲かおわかりだろうか?(^o^)
上(P)君をお宅に送り届けた後、鈴邑君夫妻とジョイフルで食事。 次の公演の打ち合わせなど駄弁る。 スタッフが足りないので、どうしよう、という話から、自然に藤田君はどうしてる? という話題になる。 しげが何度も打診しているのに今度の芝居に参加する気があるのかどうか、イエスともノーとも返事が全くないのだ。 「自分から動こうって意志がなきゃ参加する意味はないけどねえ」と私は言うのだが、鈴邑君はともかく、 「もう一回だけメールを打ってみましょう」と拘る。 別に藤田くんをオミットしたいわけじゃなし、それならばと鈴邑君が「音響を担当して欲しいんだけど、しげさんにメールを送るように」と藤田君宛にメールを送る。 でも勘違い度・思いこみ度に関しては桜雅嬢と双璧をなすハイクラスの藤田君の事である。また思いっきりトンチンカンな返事を返してくれるんじゃないかと思うと、楽しみではある。
ジョイフルから自宅はもうすぐそこなので、歩いて帰るつもりだったが、つい鈴邑君に誘われて家まで送ってもらう。 けど、そのおかげで細い路地に入る時、鈴邑君、車体を思いきり壁に引っ掛けてキズをつけてしまった。 ……申し訳ない、修理にオカネかかるようだったら出すから遠慮せずに言いなよ、鈴邑君。
もう3時を回っていたが、Uさんにビデオカメラの件で電話を入れる。 でもやはりつながらない。 本当に遅くなっちまったんだから仕方ないと言えば仕方ないが、だったら初めから「遅くなってもいいです」なんて簡単に言わないでほしいものである。 もう明日会うしか時間がないのだよなあ。 本当は明後日には仕事関係で出張があるので、できるだけ明日はゆっくり休んでたかったのだが。
この日記もちょっと更新が遅れているが、長いこと書いてると眼が痛むので、時間の余裕があるときにちょっとずつでも書いていくつもり。 で、やっと再編集が終わりましたが(現在5/31)、ごく少数であろう読者のみなさん、過去の日記にまで目を通して頂いてますでしょうか?
| 2001年05月24日(木) |
幻想の帝国(改)/『作画汗まみれ』(大塚康生)ほか |
仕事を1時間早退。しげと一緒に外出。 病院で、昨日の検査結果を聞く。 昨日は院長先生に診察してもらったが、今日は父が世話になっている担当の人。 この人が妙に明るくて、口調がどことなくトーンの高い長嶋茂雄である。 「んー、ここんところの値が高いですねー、運動されてますかー? お酒飲まれてませんかー? でも大丈夫ですよー、入院される時には一月前に言っていただければ確実に病室が取れますからねー」 なんだか入院するのがファーストフードの「今なら○○が付いてくる!」のキャンペーンみたいに聞こえてくるな。 血糖値自体は下がってきてるんだが、肝機能は悪化している。ちょっとした運動だけじゃやっぱりなかなか体調はよくならないのだなあ。教育入院はやっぱり必要かも。 「やっぱり一月くらいかかるんですか?」 「とんでもない、二週間で充分ですよ」 そのくらいなら仕事を休んでもなんとかなるか。時期を選んで近いうちに入院しよう。
しげはここの病院に来るのは初めてである。今までかかっていた医者は総合病院だったので、患者は多いし待ちは長いしで、しげは全く付いて来てくれなかったのだが、ここなら診療も短時間で終わるし、一緒に来ることができる。 帰りに本屋に寄って、何冊か本を買いこむ。
マンガ、がぁさん『背後霊24時!』2巻。 なんだか最近涙腺が緩くなってるなあ。 基本的にはえっちマンガなのに泣けるぞ、これは。 奈緒ちゃんがカツラ取るとことか、生えてくるとことか。 えっちってやっぱり大事なことなんだよなあ。がぁさんのマンガなら14、5歳くらいから読んでもいいように思うんだがどうだろうか。
大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』読む。 旧版はアニメージュ文庫の一冊で、ごく薄かったのだが、単にこの10年ほどの事績を付け加えただけでなく、過去の部分、特に虫プロとの係わり合いについての増補が貴重である。 以前出した時にはまだ手塚さんが生きてたから遠慮してたんだろうけど、もはや実に容赦がない。 アニメーターとしての手塚治虫が、どれだけシロウトだったかということを、技術的な面で具体的に説明してあるのだ。なんたって2コマ撮影と3コマ撮影の違いすら晩年になっても知らなかったってんだから、手塚アニメに一本も傑作がなかったのもそりゃ当たり前だわな。 と言うか、手塚治虫の作品、マンガもそうだが完成度という点で言えば傑作はほとんどないに等しいのである。断言するが、手塚治虫は天才では決してない。超人的な努力家であっただけだ。でも、プライドがあまりにも高すぎ、自分の欠点を認めようとしない傲慢な人間でもあった。 誰が見たって駄作である『火の鳥2772』を「海外では受けたんですよ」と威張ってたくらいだからなあ。 手塚治虫が死んだ時、宮崎駿が「手塚治虫がやってきたことは全て間違い」と言って物議をかもしたが、あれは別に手塚治虫に対する対抗意識ではなかったのだなあ。 誤解されると困るからちゃんと書いとくが私は手塚ファンだ。不完全で、いびつで、手塚さんのダークな部分が溢れてる作品は大好きである。だからこそ「ヒューマニズムの人」みたいな手塚幻想は壊れたほうがいいと思っているのだ。 手塚るみ子、アンタきちんと父親の作品読み取って発言しろよな。
他にも『ルパン三世 風魔一族の陰謀』が実質的に大塚さんの監督作品であることなど、今回明かされた新事実も多い。アニメファンなら必読の一冊であろう。
コンビニに『コミックバンチ』の第2号が出ていたので立ち読み。 巻頭カラーがこせきこうじの『山下たろ〜』に、巻中カラーがにわのまことの『TURKEY JUNKIE』というのは私の眼からは自殺行為なんだがなあ。 既に創刊号の売れ残りがコンビニの籠の中に何十冊も詰め込まれて返本されるのを待っている様子も目撃した。果たして何ヶ月持つのだろう(^_^;)。 編集長が堀江ポテト信彦だからなあ(江口寿史のマンガでお馴染み)。エディターとしてそんなに手腕があるとも思えないんだけど。 でも実を言うと、せめて1年は持って欲しいなあと思っているのだ。別に編集長に同情しているわけではなく、今度の芝居のネタにちょっと使ってるのね。もとネタが公演よりも早く消えちゃってたら、ちょっとタイミングを逸しちゃうんで、って私も相当非道(^^)。
福岡シンフォニックのUさん、ビデオカメラを借りに来ると昨日連絡があったのに、何の連絡もない。 夕方くらいから何度も電話をかけているのだが、全く通じない。 どうしたのかなあ、こっちも明日があるんだがなあ、と思っていたところ、11時を回ってやっと電話が通じる。 Uさん、寝惚け声である。 「あ、すいません、用事が出来ちゃって……」 「あの、ビデオカメラはどうするんですか?」 「明日、借りに行けますか?」 「夜はいないんですよ」 「明後日の朝は?」 「土曜ですね? 医者に行く予定なんで……」 「じゃあ、やっぱり明日の夜で……」 「でも、帰りが何時になるか……。1時か2時になるかも」 「かまいません、じゃあ明日お伺いいたします」 うーむ、昨日も都合が悪くなって、今日もダメってのは正直な話、困るのである。まあUさんも悪い人ではないのだが、どうも相手にペースを合わすのが下手なところがあるのだよなあ。 どっちかと言うと、今日これから借りに来る方がまだ時間的な余裕があると思うんだが。 それはともかく、明日夜遅く来ると言ってもアテにはならない。ちょっと対策を練っておく必要はありそうである。
今日の体重は85.8キロ。微妙に昨日より減っているが、さて、このペースで少しずつでも減って行ってくれるかなあ?
| 2001年05月23日(水) |
できれば私への電話はご遠慮下さい/『真夜中猫王子』2巻(桑田乃梨子)ほか |
この日記、CDで音楽をかけながら書くことも多い。 そのときの気分によってかける音楽は変わるが、もうトシがトシなので、余り若い人の音楽は知らない。 カラオケで劇団メンバーの諸君が歌うのを聞きながら、「おお、これは面白いな」と思う曲に出会ったりすることもあるが、記憶力がないので、あとでCD買おうと思ってもタイトルもアーチストも分らないのでどうしようもないのである。 必然、私のかける曲は、なつかしモノか、アニソン、映画音楽などに絞られてしまう。 三木鶏郎やエノケン、あきれたぼういず、クレージーキャッツ、伊福部昭に佐藤勝、大野雄二や久石譲に川井憲次、ヘンリー・マンシーニやバート・バカラック、山口百恵に林原めぐみ(^^)、実に節操がない。 もちろん山本正之とブルース・ブラザースは全CDを購入。もっともそれはしげが熱烈なファンになったせいなんだけれども。 でも見てお分りの通り、音楽に対してのポリシーなんて、カケラもないやつなんだよね、私って。
トコロガネー、ソンナワタシガネー、コンドノシバイノオンキョウモタントウセネバナランノヨ。
無謀だ(^_^;)。 人がいない劇団というものがどれだけ個々のスタッフに苦労をかけるものかということがよく分る。 演出のよしひとさん、どうかお覚悟を。あ、それと、以前録画しといてビデオの山に埋もれてたイエローモンキーのライブ、やっと見つけました。今度お渡しいたしますね。
で、今、私はパソコンにシティーボーイズライブのサントラ(小西康陽・金子隆博)だのをかけたりしているのだが、ときどきしげが片付け忘れたエロゲー『淫内感染』なんかがディスクボードに残ってたりして、困っちゃうのである。 朝っぱらから枕元で「あん♪」とか変な音を立てたりするしさー。おまえ、ホントに女か?
仕事を早引けして医者で検査に診察。 どうも眼底出血してたのが頭痛の原因らしい。出血したからって、治療のしようがないんだけれども、失明を先延ばしにする摂生くらいはしなきゃなるまい。 細かい検査結果は明日また来院した時に聞くことにして、糖尿の薬をもらって帰る。 ちょっとここの薬局について気になる点が二つ。 一つは薬局の名前の中に「アガペ」って言葉が入ってること。これ「神の愛」って意味だよねえ? なんだか薬屋の名前にはそぐわない気がしてさ、だって、薬が効かなくても「祈るのです。祈れば必ずあなたの病気は癒されましょう」なんて言ってうまく丸めこまれそうでねえ。 もう一つは待合室になぜか川原泉の『小人たちが騒ぐので』が置いてあるんだけど、これも「癒しマンガ」だからってことなの?
待合で読んだ週刊なんたらに、メル友がきっかけで殺人、という今流行の(^_^;)犯罪についての記事。 テレビなんかでは、またもや「出会い系サイト」を悪者にしようというキャンペーンが張られているが、記事を読むかぎり、女のほうが人妻であることを隠して少年と付き合った結果、殺されちゃったと言う、よくある話である。実際「メル友」っていうフックがなけりゃ、テレビで取り上げられる可能性も低いありふれた犯罪だ。 携帯やネットを悪者にしたがるってのはそれだけマスコミの価値自体を下落させることになるから、報道が躍起になって否定しようとする気持ち、分らなくはないが、はっきり言ってみっともないだけである。 要するにこの手の事件が起こっちゃうってのは、マスコミのマインドコントロールに浸るよりも、個人個人の情報ネットを楽しむほうを人々が選択するようになった時に必然的に発生する弊害の一つなんで、もちろんいいこっちゃないんだけども、どうにか回避できるものでもないのである。 またぞろ現実と空想の区別がつかない、とコメントするキャスターが出て来たが、自分の言質のほうが幻想だってことに気がつかぬやつが顧みられなくなることも必然であろう。 ネットは広大だ(^^)。
昨日の夕刊では小泉首相、「ハンセン氏病裁判について控訴する方針」、と書かれていたのに、今朝のニュースでは一転して「控訴断念」とか。 面白い。 小泉首相の「変人」ぶりは本物だ。 私も含めて、日本人が政治に無関心になってしまった原因は、結局それが「出来レース」だってことが、マスコミ報道から見えていた事実によるところが大きい。 「首相は今晩退陣する予定」なんて、なんで事前に判るんだよ、とツッコミ入れたくなるような報道ばっかりだったしな。それが森政権の末期から徐々に変わってきた。「マスコミに予測できない政治」が、戦後始めて誕生したと言ってもいいのではないか。ニュースを見ていても、記者が、「いったいどこに取材に行けばいいか分らない」と右往左往している様子が見えて笑えること。 マスコミ関係者って、政治家以上にエリートぶった鼻もちならない連中が多かったから、溜飲が下がる下がる。
しかも、小泉首相の今回の判断は、ご本人が意識してるかどうかは知らないが、ハンセン氏病患者に対する差別意識を封じる意識捜査を大衆に施したという意味で、画期的なものなのである。 明治の「解放令」以来ね、「差別はしちゃなんねーよ」って法律は何度も出されてるけどさ、「心理的に」大衆に浸透させることはとっても困難だったわけね。人間はどうしたって誰かを差別したがるものだから。昨日まで差別してたのに、今日から差別しません、なんて簡単に変われやしないのよ。 けど、今回、この控訴断念でハンセン氏病患者たちは「小泉首相」という強力な後ろ盾を手に入れたことになった。なのに今後「ハンセン氏病って、移るんでしょ?」なんて態度をとってたら、これは即「小泉首相」を敵に回すことになる。というか、これからは自分のほうが無知な差別主義者ってことで周囲から差別されることになるのだ。自分が差別されるのはみんなイヤだから、こりゃ、偏見は一気に減るぞ。 こんなマインドコントロールを大衆にしかけた点で、小泉首相の業績は歴史的快挙であった、と言っていいのではないか。
ではあるけれども、今や古本屋でも手に入らなくなったハンセン氏病患者への差別表現満載の栗本薫『グイン・サーガ』第一巻、未だに売っぱらわずに取ってあるのである。 まあ、歴史の証拠の一つとしてご勘弁下さい。
トイレに入っていたら、突然の電話。 当然出られないので、しげが受け取ったのだが、あろうことか、○○真っ最中の私に受話器を受け取れという。 「誰から?」 「福岡シンフォニックのUさん」 「ああ、ビデオカメラの件か。用件聞いといて」 「……出て」 「出られないよ。用件聞いといてってば」 「出て!」 しげ、突然、トイレのドアをガタガタ揺さぶり、かかっていた鍵をムリヤリこじあけ、私に電話の子機をつきつけた。 唖然とした。 しげの眼は完全にイッている。 「出られないって言ってるだろ!」 そう言ってドアを閉めたが、さて、しげはいったいどうしてしまったのか。
何度かこの日記にも書いていることだが、しげは、もともと極度の対人恐怖症で、私と出会ったころはほとんど口を開かないほどであった。 いったん心を開けば喋れるようになるんだけど、知らない人相手だと、まだ全然対処のしかたがわからぬのである。 Uさんはしげとも面識があり、別に知らない人ではないのだが、私に用事があって取り次いでもらおうとした時点で、しげにとっては「他人」になってしまうのだ。このあたり、ちょっと理解しにくいかもしれないが、そうなんだと納得してもらう以外にない。 「私の代わりに」用件を聞くことは、しげにとってはパニックを起こすほどに精神的ストレスを与えることになってしまったのだ。この程度のことでパニくられても困るんだが、今んとこしげ自身、セルフコントロールが出来ないので、それを前提に対処法を考えるしかない。 申し訳ないが、しげ本人に用事がある人は別に問題はないのだが、私に用事のある人は、できるだけメールか日記の掲示板か携帯のほうに連絡はお願いしたい。 どうしても電話でないと、という場合、しげが出たらすぐに私に電話を回さず、軽くしげと世間話をして下さい。そのあと、私が電話に出られる状態かどうかを聞いてみて頂けるとベストです。 間違ってもいきなり「幸次郎さんいますか?」なんて聞いたりしないように。
でもUさんもまだパソコンにネットつないでないのかなあ。 引っ越す前はつないでたのに、もしかして電話代節約してるのか? でもつないでた時も、私のほうは「掲示板のほうにいつでもお越し下さい」と言ってたのに、全然来てくれなかったしなあ。やっぱり直接声を聞かないと不安になるタイプなのだろうか。 電話はあまりウチはつながりませんから、ということは言ってあるのに、メールを一切使わないところがよく解らない。
ディズニーの新作アニメ『アトランティス』が『不思議の海のナディア』のパクリではないかと話題になっているが、もちろんパクリに決まっている。 ディズニーのアニメーションの歴史をちょっとでも紐解いてみれば、あそこがどれほどあこぎなことをしてきたか、日本人もいい加減気づいてもいいと思うんだがなあ。 アニメーション制作にあたって、お話よりもなによりもキャラクター至上主義を貫いているのは、他社の映像化を圧殺するためである。「ピノキオ」とか「ダンボ」と言われてあの丸っこいキャラ以外のイメージを思い浮かべられる人がどれくらいいるだろうか? 下手に「ピノキオ」を別のイメージで映像化しようとすると、先の実写版のように惨憺たる結果に終わるのである。 その証拠に、既に世界的にキャラクターが浸透している我が東映の『長靴をはいた猫』をディズニーは未だにアニメ化していない。勝てるわけがないしな(^o^)。 ともかくディズニーの権力思考はアニメの内容にも及ぶ。 昔は露骨に白人がいっちゃん偉いってイメージの映画ばっかり作ってたけど(『ピーター・パン』の主役は東洋人っぽいピーターじゃなく清楚なウェンディーのほうだってことは見りゃ解る)、最近のアラビアやギリシャや中国を舞台にしたアニメでも、結局はアメリカナイズして自分とこの文化に取りこんでて、「相手に学ぶ」って姿勢はカケラもない。 歴史のない国が、他国を蔑むことで自分とこのステイタスを誇ろうとしてる当たり、戦前の日本を彷彿とさせるね。そんなに自分とこの文化がサイコーだと思わなきゃやってけないのかねえ。 だから『パール・ハーバー』か。ベトナムは間違ってもディズニーは映像化しないよな。 才能のない連中がそれでも自分とこの作品を売るためにはどうしたらいいか。 一つは優秀な連中を自分とこに取りこむ方法。ピクサーやジブリとの提携がそうだね。 もう一つはあからさまな盗作。どうせ極東の島国のアニメなんだからパクったって、アメリカ人にゃバレないし、日本じゃかえってそのスキャンダルで売れるだろうって腹が見える。 日本人はバカにされてるのだよ? それでもディズニーがいいと言えるのかな? 百歩譲って、製作者の思想と完成された作品とは別にして考えるとしても、ディズニーの作品で傑作と言えるほどの作品がどれだけある? 大仰なだけで繊細さのカケラもないストーリーのどこに感動できるんだか私にゃまるで解らないがねえ。
マンガ、桑田乃梨子『真夜中猫王子』2巻(完結)。 ああ、意外とあっさり終わってしまった。悪の大臣がこっちの世界にやってくる、というところまではいいんだけど、どうも主役の王子が無気力なんで話が転がらないんだよなあって、それが桑田さんの持ち味ではあるんだけど。 面白いんだけど、キャラクターの人間関係が複雑になろうとした途端、いつも終わっちゃうのは作者本人が「醜いものは見たくない」と頑なになってるんじゃないかって気もする。 ツライ人生送ってきたのかなあ。 でもそのせいで、話がこぢんまりとまとまっちゃって、最近の作品は今一つ印象に残らなくなっている。旧作もほとんど絶版になっちゃってるしここらでもう少し広がりのある話というか骨太な作品を描かないとあっという間にこの作品も絶版だぞ。
マンガ、羅川真里茂『しゃにむにGO』8巻。 うーむ。コーチが出て来て展開がおもしろくなるかと思ってたけど、なんだかありがちな展開だなあ。原秀典の『やったろうじゃん!』とイメージがダブる。 コーチが以前は問題児ってパターン、少しくらい工夫してくれないかなあ。
長部日出雄『天皇はどこから来たか』 戦前、不敬罪に問われた津田左右吉が、実は新憲法発布以前に「象徴天皇制」を提言していた、というのは初めて知った。
諏訪大社の御柱祭は、以前テレビ中継をビデオに録ったことがあるが、恐らくは日本で唯一「人死に」が出ることが黙認されている祭である。 山中で切り倒された大木を下の神社まで曳いていく途中、何10メートルかを一気に坂落としするのだが、上に乗った人間が振り落とされて、毎回何人かは死ぬのである。 あまりそのことははっきりと本には書けなかったのだろうけど、これってつまり神様への生贄なんだよね。日本には宗教がないようなこと言ってるやつがいるけど、一遍各地の「祭」を見てみればいいんだ。 福岡の「山笠」だって、その陰で死んでいった者たちの昔話が残ってるんだからな。
でも、総じて目新しい意見や、長部さんならでは、と言えるような意見は少ない。ちょっと期待ハズレの一冊。
書き忘れるところだったが、今朝の体重は86.2キロ、昨日と変わりなしであった。なんか全然ダイエット日記になってないぞ、これ(^_^;)。
| 2001年05月22日(火) |
我々は夢と同じものでできている/『MY SWEET ANIME 私のお気に入りアニメ』 |
わはは。 やっぱり体重の野郎、86.2キロまで揺り戻してきやがった。 朝も昼も食欲がわかず、夜、寿司食っただけだってのに、どうして1キロも増えるんだよう。 やはり運動しないとダメってことなのか? 鈴邑くんから「栄養のバランスも考えないと」とのご忠告を受けたが、家族が二人しかいないと、バランスのとれた食材を買ってくると、野菜だの果物だの、どうしても余ってしまって腐らしてしまうのである。 結局、冷食に頼っちゃう結果になるんだよなあ。 と言うわけで、今、ウチの冷凍庫には、野菜の真空パック、牛肉、豚ばら肉、唐揚げ、タコ焼き、うどん、つけ麺などがぶちこまれているのである。
昨日、休んだツケで、今日は夜8時まで残業。 帰宅してみると、今日はしげも仕事は休みのようだったが、寝ていて全く起きてこない。なんだか本格的にすれ違い夫婦になってきてるぞ。 毎日残業してれば確かに仕事は片付くんだけど、しげが9時からのバイトをしている今、そんなことをしていれば、二人で過ごす時間が、全くなくなってしまう。 いや、別に寂しいわけじゃないんだけどね、特にマイホーム主義者ってわけでもないし。しげと一週間会わないでいても、休日に一緒にいられるんならいいや、程度の感覚なんだよねえ、私のほうは。 ところがしげの方は、それだけではどうにも満足できない、というより不安になってしまうらしい。会わないでいると私が本当に私であるのか、だんだん判らなくなってくるんだと。おいおい(^_^;)。 確かにねー、「男子三日会わざれば刮目して見よ」なんて言うけどさー、たかが何日か見なかったからって、自分の亭主が別人になってやしないかって、一昔前の侵略SFじゃないんだからさー。インベーダーが乗り移ってるわけじゃないんだよ? まあ、私がいきなり三人も現われたっていうなら驚いてもいいだろうけどさー(三田村信行の『おとうさんがいっぱい』ですな)。 でも、しげを不安にさせたいわけじゃないし、明るいうちに食事とジョギングもすませたいので、できるだけ早く帰るようにはしています。私は私なりに夫婦の関係の維持に気を遣っちゃいるのよ。 たまにこうして会えない日もあるんだけど、だからと言って、しげよ、次の日に決まって「久しぶり」って挨拶するのは止めてほしいんだけどねえ。 嫌味か?
「エンピツ」の日記中、最近人気の『七人の侍』、「日記」と言うよりは一種のギャグサイトで、どうやら『侍魂』とか言うサイトのパロディらしい。元ネタのことはよく知らないのだが、覗いてみると確かに面白い。 コミケの閉鎖性を当てこすったり、小泉首相の俗っぽさに突っ込んだり、読者をからかうようなクイズのアイデアもなかなか笑える。 ただ、どうにも気になってるのは、表紙にホントに『七人の侍』のスチールを使ってることなんだよねえ。いや、別に著作権がどうのって言いたい訳じゃないのよ。 インターネットってのは確かに無法地帯だ。著作権おかまいなし的なところがエネルギッシュで、おかげで各サイトが面白くなってる面はある。できればある程度の「引用」は許諾してもらいたいなあと思っちゃいる。 写真のパロディなんか特にそう思うわけで、コラージュを「著作権の侵害だ!」なんて言われた日にゃ、アンディ・ウォーホルだって出版禁止になってしまう。マッド・アマノ裁判を例にとるなら、パロディが元ネタの価値を高めることだってあるのだ。ちょっとからかわれたくらいで怒り狂い、弾圧しようってのは戦前の官憲と何ら変わりがない。というか、そういう権威的なものをからかうことにパロディの意味だってあるんだしね。 だからこそ、なのである。 『七人の侍』のスチール飾ってるだけって、それパロディにも何にもなってないんだよねえ。せめてイラストにするとか、工夫が欲しい。なら、そのこと相手に伝えりゃいいじゃんと言われる向きもあろうが、難癖ととられるのもいやなんで、直接相手の掲示板に書きこんだりはしない。
でもモノホンの『七人の侍』のDVD、いい加減で国内販売せんかなあ。今やコメンタリーができる俳優が土屋嘉男くらいしか残ってないってえのに。
『ヒカルの碁』のオフィシャルサイトやファンサイトを覗くが、やはり「アニメ化決定!」とウワサされつつ、詳細は全く判っていない。 それはそれとして、あちこちサイトを覗きながら気づいたことなのだが、私は初めてっきり、『ヒカ碁』のファンページは「佐為さまラブ」みたいなサイトばかりじゃないかと思っていたのだ。 ところが、めぼしいもののほとんどが「碁」の解説サイトである。もうマジメもマジメ、碁を全く知らない私にはチンプンカンなヨセだのハネだの、マンガ中で私が読み飛ばしている専門用語が解説なしで(解説するならそこから始めてほしい……)飛び交っていて、みんな真剣なのがよくわかる。 うーん、『ヒカ碁』が碁ブームを巻き起こしたってオビに書いてあった惹句、あながち誇大広告ではないのだなあ。今回の佐為VS名人の元ネタになる棋譜も実在してるそうだが、それだけリアルに描こうという作者の気概の表れなのだろう。 碁を知らなくても楽しめるマンガだが、碁を知ってたら恐らく3倍、4倍楽しめただろうと思うと、死んだおふくろにもっと将棋や碁を習っとくんだったなあ、と後悔しきりである。
夜、合唱団のUさんから電話あり。 知り合いの結婚式の撮影のためにビデオカメラを貸してほしい、ということだったが、ついでに聞いた世間話の中でちょっと驚いたことがいくつか。 一週間ほど前、東京で「野猿」の解散コンサートに行ったあと、「死ぬ理由もないが生きている理由もない」と遺書を残して飛び降り自殺した少女、Uさんの話しによると、どうやら知り合いの知り合いらしいのだ。 ということは私の見知らぬ子ではあるのだが、いやはや、こりゃあまりからかうようなもの言いがしにくくなってしまった。 宗教嫌いの私にしてみれば「命を大切に」なんてスローガンは宗教そのもので口が裂けても言えない。自殺した子にとっても、こんな言葉は一番自分から遠いセリフだったはずで、それを口にすることが偽善であるどころか死者を鞭打つ行為であることは明らかである。 死んだ子は「生きる理由がない」と言ったのだ。この世に生きるための絆がなかったのだ。今更「命を大切に」だなんて、その絆がなかったことの責任を、誰かに負わせるつもりか。それは死者にか、残された人々へか。 無駄だ。 誰にその原因があるかなんてことを話したって意味はない。それはただの事実に過ぎなかったのだから。その子は自分のことを「路傍の石に過ぎない」と言っただけである。 「死ぬ理由もないなら生きててもいいじゃん」という言質も遺書の言葉の意味を捉えきれてはいない。自分の存在が石のように希薄になっていけば、人はその存在を確認するために暴力的な行為に出ることが往々にしてある。 「私はただの石ではない」という主張である。 彼女の場合、それは内に向かって放たれたのだ。外に向かって、殺人なんかを起こされるよりは遥かに理性的な処断である。もっとはっきり言えば、彼女の自殺は一種の「自決」なのであって、それに対して他人がどうこう言える問題ではないし、言うべきでもない。
エスクァイアマガジンジャパン刊、『MY SWEET ANIME 私のお気に入りアニメ』読む。 歌手や俳優や評論家、映画監督などなど、ほとんど誰彼なく無節操に「あなたの大好きなアニメは?」とインタビューしたもの。 これについて書き出したら、いくら時間があっても足りるまい。
しかし、これだけは必見、というものを選べば、『幻想のルパン帝国』の作者である高橋実による、『カウボーイビバップ』の監督渡辺信一郎へのインタビューだろうか。 「スパイクを死なせることに意味があった」と監督は明言する。 『ビバップ』の主人公、スパイクの片目は義眼だった。最終回、彼は、「義眼で現実を見、本物の眼で過去を見ていた」と語る。ビバップ号での夢のような日々、あれは作りものの眼で見た風景だった。言いかえれば、あのアニメ自体がただの「虚構」であり、「夢」だったのだ。 男が本当の眼で、現実を見る時、彼は過去を見て死を選ぶことになる。スパイクの死はある意味自殺であった。
さっき書いた自殺した女の子のこととあまりにシンクロしていて、一瞬、気味が悪くなった。あの子は多分、自分自身の「現実」をやっと手に入れたのだ。夢の中に取り残されたのはむしろ私たちの方だろう。もし私たちのほうが現実だというのなら、口が避けても「命を大切に」なんて世迷言を言ってちゃいけない。それはそうあればいいと願う「夢」を見ているだけだ。 命が大切にされてる「現実」なんてないのだから。
あと、もう一つ二つ訂正。 巽孝之が東映動画の傑作、『わんぱく王子の大蛇退治』を「宮崎アニメ」、と言っているが、まだ宮崎駿は入社していないので誤り。 また、みうらじゅんが「昔はマンガとテレビマンガは同じものだったが、『アニメ』という言葉が生まれてから違うものになった」というのも認識不足。マンガとアニメは最初から全く違う。大塚康生の本でも読め。『作画汗まみれ』が新版で出るぞ。
しかしみんな、「アニメが好き」って口にはするけど、「アニメを読む」ことができてないだけでなく、内心やっぱりバカにしてるのが見えてくるのが腹立たしい。最近あちこちでしょっちゅう「アニメは社会的に認知されていない」発言を繰り返す庵野秀明、やっぱり今回も同じことを語っているが、『クレヨンしんちゃん』をバカにする連中のほうが世の中には圧倒的に多いことを考えると、宜なるかななのである(丁度今日、『学校へ行こう!』の「未成年の主張」で、「俺は『クレしん』が好きだ〜!」と叫んでたなあ)。 「マイ・スイート・アニメ」ってタイトル、皮肉か?
夜、いつものジョギング。毎日のことだけど、こう書いておかないとサボってるように思われるかもしれないのでやっぱり書いておこう。
明日、医者に行くかと思うとなかなか寝つけない。 「死」についてモヤモヤと考えていたせいだろうか。もっとも、自殺肯定のように受け取れる文章を書いたからといって、別に私が自殺したいと思ってるわけじゃないので、ご心配なく。 第一、自殺しようってやつが同時にダイエット目指すもんか(^^)。
| 2001年05月21日(月) |
アニメな『ヒカ碁』/『臨機応答・変問自在』(森博嗣)ほか |
おおっ、体重が一気に85.2キロに! やはり肉練すると効果がある……というわけではなく、また体を壊しただけなのだが。 何日か前から血便が出てたんだけど、今朝は特にひどくって、便器は血塗れ。いくら水を流しても、赤い飛沫は白い便器に滲んだまま一向に消えない。 こう書くとなんだか凄くひどいみたいだけど、私にとってこんなのはしょっちゅうなので、もはや自分の体を心配する神経が麻痺している。 放っときゃそのうち治るでしょ、とお気楽に構えているのだ。 しかし、どうも今回は何日経ってもなかなか出血が治まらない。無神経な私もチトヤバイかな、という気がしてきた。 私の血便の原因は今まで9割5分が痔、残り5分がポリープのせいなんだが、痔ならまあ、何ということもない。座薬を射しときゃいいだけである。でもこの残り5分の可能性があるだけに、いちいち医者にかからねばならないというのが面倒臭い。 例の頭痛の件もあるし、明後日あたりには仕事も暇になるだろうから、医者に行くことにするかな。
ともかく朝から腹痛がひどい。 トイレにこもりっきりで、午前中は仕事を休む。 全くタイトルを「半病人日記」にしちまったほうがいいんじゃないかって気がしてきたな。 午後からの仕事も適当に切り上げる。というか溜まった仕事を明日に回す。 明日は明日の風よ吹け、火よ燃えろ、水ようねくれ、地よ吠えろである。
外はまる一日雨模様で、しかも蒸し暑い。 そろそろ夏というか、梅雨が近いのだろう。 今のところ毎日続いていたダイエットのためのジョギングも、これではさすがにムリである。 でも買い物の予定があったので、自転車をかっとばす。 案の定、途中で歩道の真ん中に突っ立ってた自動車乗りこみ防止の鉄柱にぶつかる。スピードを落としていたのでケガはなかったが、あれ、ライトに反射するようにしてないと意味がないよなあ。
知り合いの本屋で、今週の少年ジャンプ、『ヒカルの碁』だけ立ち読み。 先週のあの怒涛のクライマックス、さて、今週はいかなる展開に? ……そうか、ついに「時」が動き始めたのだねえ。 しかし果たして本当に佐為の役目は終わったのだろうか? もしそうなら、彼が一旦は本因坊秀策の身に乗り移ったのは何故なのか。物語は明らかにもう一つの(恐らくは最後の)クライマックスに向かって走りつつあるが、更にもう一波瀾くらいはあるのではないか。 でも、ここまですっきりと盛り上がってきたのだから、無理に間延びさせずに、きちんと終わらせてほしいものである。
さて、それはそれとして気になる『ヒカルの碁』アニメ化のウワサであるが、やたらあちこちのサイトで「決定!」の 文字が踊っているが、オフィシャルページでの発表は未だにない。実際、プロダクションが制作したにもかかわらずプレゼンテーションに失敗して、スポンサーが付かずにポシャるということは、この世界ではいくらでもあるので、油断はできない。 テレビ東京系で10月からの放映予定であるとか、あの『エヴァ』『ウテナ』の大月俊倫プロデューサーがプッシュしてるとか、シリーズ構成は『ポケモン』『ビックリマン2000』の冨岡淳広だとか聞くが、さてどこまでがホントやら。 アニメ化なんてやめてくれ〜という声も多かろうが(私も基本的にはマンガのアニメ化自体に反対である)、じゃあたとえば宮崎駿が、高畑勲が、庵野秀明が、山賀博之が、押井守が、大友克洋が、りんたろうが、出崎統が、幾原邦彦が、河森正治が、今川泰宏が、大地丙太郎が、本郷みつるが、原恵一が、トレイ・パーカー&マット・ストーンが、富野由悠季が(^^)、ついでに死んでるけど手塚治虫が、『ヒカ碁』アニメ化に挑むとなったらどうだろうか。 なんかヤダ、と感じつつ、見てみたいとは思わないだろうか。少なくともこれらの人々なら、マンガの人気におんぶに抱っこの無難な(つまりは初めから駄作となる)作品を作ることは絶対にない。化けるかコケるか二つに一つだ。 ……適当にアニメ監督の名前を挙げてみたが、出崎統なんかはありそうだよな。杉井ギサブローは『タッチ』以来、無難になっちゃったので不可(^^)。
ヤマダ電器では約ひと月ぶりに生ビデオテープを20本、まとめ買い。 先月は東京行きもあったので、実は映画を一本もエアチェックしていない。贅沢しているようで、一応我慢するところは我慢しているのである。 でもやっぱり貯金は減る一方。ボーナスまでまだあと一月半あるのになあ。今月は乗りきれるだろうか。
回転寿司屋で寿司を五人前ほど折り詰めにしてもらう。 しげへの土産だが、多分あいつのことだから、一晩で全部平らげてしまうのだろうな。 こんなことを書いてると、しげから「自分の妻に対して愛がない」とすぐに文句を言われてしまうが、ただの事実を述べているだけなのにどこが悪い。私の言うこと書くことを否定したいのなら、食っちゃ寝食っちゃ寝の生活を改めればいいのである。
帰宅すると、タッチの差でしげは仕事に出ている。 パソコンに「冷蔵庫に寿司入れといたよ」とメールで伝言を残す。味気ないメールだが、何も書かないよりはマシだろう。ホントに、一週間くらいなにも送らないでいると、すぐにブーたれるのだから始末に悪い。これだからしげにメールを書くのはつまらないのだ。
森博嗣『臨機応答・変問自在』読む。 小説でもエッセイでもなく、森さんの工学部での学生とのあいだのQ&Aをまとめたもの。 全体的に学生の質問は幼稚で、森さんの回答はほぼ韜晦に終始している。森さんの性格の悪さがよく判る(^^)本である。 「この勉強は役に立つのか? 意味のあることなのか?」という質問に対して、「キミの人生に意味はあるの?」と質問で返すあたり、短気な学生なら腹を立てそうだが、「テメエみたいなバカは大学に来るな、帰れ」と言わないだけ、森さんはオトナである。自分の給料がどこからでているか、誰が学費を払っているかがよーく、判っているからだ。この返答のし方なら、誰かから何か文句を言われても充分「善意」の回答である、と言い訳が立つ。 でももっとオトナな人は、「人生に役に立たないことなんかないよ。みんながどこかで何かの絆でつながってるんだからね」なんてこれっぽっちも信じてない絵空事を滔々と語るだろう。 けだし、オトナになるということは詐欺師になることと同義であるか。 マンガ、あだち充『いつも美空』4巻。 おおっと、ようやく話が転がり出して面白くなってきたかな。 これまでほとんど進展らしい進展がなく、作者はもしかして本当にこのマンガをどういう方向に持っていくか考えてないんじゃないかと疑問に思っていたのだ。 美空は演技の才能をようやく見せ始めるし、ようやく仲間の超能力が全て出揃ったし、ライバル登場も長期連載のための布石でもあろう。特に、ライバルの鼻をあかすラストのオチは機転が利いている。 でも盛り上げるだけ盛り上げといて、『虹色とうがらし』みたいにストンと打ち切りやがったりするからアテにならんのだよなあ、この人は。 でもやはり少年サンデーの看板マンガ家はこの人でないといけない。『コナン』にいくら人気があっても、『コナン』のファンはサンデーのほかのマンガまで面白がって読んだりはしないのだ。
雨が少しでも止んだらジョギングしようと思っていたが断念。明日体重が元に戻ってなけりゃいいけどなあ。
| 2001年05月20日(日) |
念の入った話/DVD『NHK少年ドラマシリーズ なぞの転校生�機戮曚� |
今朝の体重は86.4キロ、昨日より200グラム増ではあるが、この辺はまだ誤差のうち、実質体重は現状維持と言ったところだろう。 ふと思ったが、もしかして、運動しているために筋肉が付いて重くなっているんじゃないのか? 動物の世界でもそうだが、鈍重なもののほうが実際にはエネルギー消費が少なく、長生きなのである。 たしか唐沢俊一さんもどこかで「動かないでただひたすら寝ているのが一番健康」と(疑問符付きで)書いてたが、人に会わなくてもものさびしくない人にとってはその通りかも知れない。
DVD『NHK少年ドラマシリーズ なぞの転校生�機抔�る。 リアルタイムで見ていた1975年、色気づいていた中学一年生であった(つまりこのドラマの主人公たちとほぼ同年代)私の目当ては、ヒロインの香川みどりを演じていた伊豆田依子であり、大谷先生役の岡田可愛であった。 SFマインドもセンス・オブ・ワンダーもなかったのである。 中年になった今のほうが、よっぽどドラマとしてのこの作品の価値が見えているのかもしれない。 主演は、『超人バロム・1』の白鳥健太郎と『田園に死す』の少年時代の寺山修司という両極端な代表作を持つ高野浩幸。 そして「次元ジプシー」という、結構いろんな人が書いていそうで意外に例の少ない設定の、タイトルロールの転校生を演じるのが星野利晴。この人はあと『幕末未来人』に出演してたことしか私は知らない。 もちろん、二人とも演技は大根である。でも何とも言えない新鮮さがあるんだよなあ。 1972年のオイルショック以来、高度経済成長は終わったのだと誰もが実感していた時代だった。ただのオカルトであるノストラダムスの大予言が、公害による環境破壊を予知していたのだと、信憑性を持って受け入れられていた時代だった。 そういう時代だったからこそ、次元ジプシーたちの核戦争に対する恐怖を、星野利晴は明らかに「本気で」演じていたのだ。「ジェット機の爆音に怯える子」というモチーフは小松左京の短編にもある。しかしあれは太平洋戦争中からタイムスリップしてきた子という設定だった。ノスタルジックでセンチメンタルではあっても、現代における切実感をもって迫ってくるものはなかった。 しかし、「核戦争は必ず起こる」という転校生のセリフは、あのころの私たちは「そんなバカな」と否定できるものではなかったのだ。 1970年代というのは、戦後の日本人が、戦争の恐怖を実感的に演じることのできた最後の時代ではないかという気がする。今や我々はSFという意匠をもってしても、そういう「切実感」を表現できなくなってしまった。 DVDで見返しながら、原作も読んでみたくなって、文庫本をひっくり返してみたが、驚いたのは解説をしているのが手塚治虫である。結構雑な文で、ヨイショ記事にしかなってないし、本作のモチーフについて、「『ダンウィッチの怪』(映画化されて『呪われた村』という邦題で封切られた)」と説明しているのは、「ジョン・ウィンダム原作『ミドウィッジの怪』(邦訳されて『呪われた村』、更に映画化されて邦題は『光る眼』)」の間違いだろう。『ダンウィッチの怪』はH.P.ラブクラフトのクトゥルーものである。でも、同じ関西系の付き合いで、『漫画少年』投稿時代から手塚氏と眉村氏に投稿仲間として親交があった.というのは意外だった。
先週から劇団の練習に参加しているので、朝、テレビがまともに見られない。『アギト』と『どれみ』はなんとか見られたが、『デジモン』と『コメット』はビデオに録画するしかない。しかし丁度空いているテープがないので諦める。来週からはビデオに仕掛けて出かけることにしようかなあ。
今日は比較的メンバーが集まる。 よしひと嬢、鴉丸嬢、桜雅嬢、穂希嬢、しげに私である。 ようやくよしひと嬢に、東京土産の『ラ・ハッスルきのこショー』のパンフレットを渡せたが、実はホワイトデーのお返しはまだしていないのである。いいのが見つからなくってねえ。ごめんなさい。 桜雅嬢はバイトで午後からの参加だというので、来るまでの間、散々、噂話のサカナにする。 実は桜雅嬢は社長令嬢であるのでお金持ちである。多分メンバー中、一番なのではないか。これはもう、サカナにしてくれと自ら言ってるようなものだ。今は某専門学校に通っているのだが、なんでもつい先日まで、そこの修学旅行みたいなものに参加してきたらしい。 「どこ行ってきたって?」と穂希嬢に聞くと、 「USJだって」 「なにそれ?」 「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」 「ああ、なるほど、贅沢だな」 「入学金が○○○○円ですから。パパに『専門学校行くから出して♪』って、ねだったって」 「……なんか許せんな」 「で、桜雅、私に電話したときにどこに行って来るって言ったと思います?」 「え? だから、ユニバーサル……」 「『USA』に行ってくるって」
……桜雅さんだなあ。 因みに今、桜雅嬢が目指している職業は、「カウンセラー」である。鴉丸嬢が誰しも思っているツッコミを言うが、当たり前過ぎるのでここには書くまい.
前半三時間は肉練。腹筋も今や2、30回が限度。開脚もまるで三角定規程度にしか開かない(もちろん45度部分ではない)。ダイエットもそうだが、この硬くなった体が今更ほぐせるのだろうか。 それにしても、未だに足が180度開くしげの野郎はなんだってんだ。こっそり毎日、酢でも飲んでんじゃないのか。
昼過ぎて、桜雅嬢も到着。 US“J”土産のクランチチョコは美味しかった。 穂希嬢が、「なんでそんなとこに行けるんだよう」と文句をつけると、桜雅嬢、一言で答える。「船で」。 だから誰も手段は聞いてないって。
後半は台本の討ち合わせなど。 鴉丸嬢、自分の役名が「織姫あや」であることに抵抗を示す。どうにも恥ずかしいというのだが、本心はそんな瑣末なところにはあるまい。 名前の問題にかこつけてはいるが、シナリオそのものに乗りきれないのに、「つまんないよ、これ」と言うのが憚られているのだ。遠慮せずにポンポン文句言っていいのになあ。 鴉丸さんはいつもそうだが、ガサツに見せかけていて実は気配ってばかりいる。それって、結構疲れると思うんで、劇団の中ではもっと無遠慮に振る舞ってほしいものだ(えっちネタはちょっと突っ込みにくいけど)。酒を飲ませてストレスを発散させるという手もあるが、鴉丸嬢は酔うととてもカワイクなるので、今度は其ノ他君のほうが気が気じゃなかろう。 それはそれとして、シナリオ自体、名前だけでなく、全体的にもっとコメディーにせねばならぬので、イチから練り直さねばならない。でも練り直しのアイデアが今んとこ思いつかない。来週までに何とかなるのか? 因みにマンガ家のアシスタントを演じる其ノ他君、本人がその場にいないのに、勝手に役名は「牽牛星彦」にしようというアイデアが出たが、ほんとにそれでいいのだろうか。出したのは私だけど。
鈴邑君参加により、ホームページのほうのリレー小説も、順番のクジの引き直し。しげ、嬉々としてアミダクジを作る。なんでこんなことになるとこいつは燃えるかなあ。 前回のクジでは、連続してよしひと嬢がトリを引いてしまったので、「ラストじゃなければどこでもいいです」なんてことを言っている。内心、クジが引き直しになったのを喜んでいるのだろう。 でもなあ、そんなことを言ってるとなあ、ラストをねえ、引いてほしいなあなんてねえ、念を送りたくもなってくるのだよ。 「ラスト引けえ〜、ラスト引けえ〜」と心の中で祈ってたら、よしひと嬢、ホントにラスト引いちゃいやんの。 よしひと嬢、「なんでェ〜!」と悲鳴を上げていたが、もちろん偶然で、私の念のせいではあるまい。毎回、必ず念を送ってるけど。 もちろん、私が毎回真ん中あたりで無難な位置にいるのも全くの偶然である。 世の中に不思議なことなんてないんだからね。
練習後、しげは疲れ果てて帰宅。 私はワーナーマイカル福岡東まで、ついに三度目の鑑賞となる、「映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』見る。 桜雅嬢、穂希嬢も誘ってみたのだが、桜雅嬢はバイト、穂希嬢は「映画を見ると酔う」のだそうで、断念。 まあ、桜雅嬢が行かないのに、穂希嬢だけ連れて映画を見るわけにもいくまいから、仕方がないと言えば仕方がないのだが、私としてはそんな都合は無視してでも、一人でも多く、この映画を見てほしかったのである。でも「『急用でバイト行けなくなりましたあ、すみませーん』とでも電話入れろよ」とまではさすがに言えなかった。私もまだまだ小心者である。 桜雅嬢を感動させ得るほどならこれは本気でホンモノと言えたろうに、惜しいことをしたものである。
今更、詳述はしないが、これで結構、気になっていた細かいところまで確認できた。しかし三度見て全く飽きなかったというのは凄いことである。映画館まで三度も足を運んだというのも『ブルース・ブラザース2000』以来だが、もっともそれは、都合20回は通った女房につきあってのことである。私自身の意志で映画を2回以上見に行ったっていうのは、リバイバルのあった『太陽の王子ホルスの大冒険』『風の谷のナウシカ』『エヴァンゲリオン』くらいのもの、封切り時に繰り返し見たというのは、多分、今回が初めてだ。 しかも見るたび泣いてるってのもね。 しかも3回が3回とも、感動の質が違うのである。 いや、あえて視点を変えて見るようにしたのだが(そうでなければ三度も見る必要がない)、三度の涙がみな泣き所が違うというのは、それだけ、本作の多様性を表していると言えるだろう。 最初はしんちゃんの、次はひろしの、そして最後はケンの気持ちで見た。 そして、しんちゃんがうらやましいと思った。 今回気づいたこと。 匂いのエネルギーが消えた時、ケンははっきり「あいつらも外で生きる道を選ぶ気になった」と言う。この「も」は素直にとれば「ひろしたち」が洗脳から解かれたことを指すように聞こえるが、果たしてそう断定していいのか。 「また家族に邪魔された」というケンの最後のセリフ、この「また」も、しんちゃんたちとキジバトを並べていると取れるが、それ以前に何かがあったという解釈も成り立たないか。 見終わった結果、ほぼ同人誌用のネタが頭の中で固まった。インサイド・ストーリーが何本か書けそうなのである。後は時間を取って書き始めるばかりであるが、休日がゆっくり取れないのがイタイ。 果たして6月末に間に合うのか?
映画の帰りに久しぶりに博多駅の紀伊國屋書店に寄る。 欲しい本を絞るのにひと苦労。 コンビニで弁当を買って帰るが、しげは仕事までのひと休憩、ということで、グーグー寝ていた。 「メシ買ったぞ」 と声をかけても「……うん」と生返事。でもきっと、一日経つと、この弁当がいつの間にか消えているのだ。しげはそういうやつである。
マンガ、高橋留美子『うる星やつら テンからの贈り物』。 高橋留美子インタビューが最終回まで行っちゃったけど、この次からは『めぞん一刻』や『らんま1/2』や『人魚』シリーズの話になるのだろうか。この裏話だけが目的で買い続けてるようなものなので、あまり売れてないみたいだけど、刊行し続けて欲しいものだ。
| 2001年05月19日(土) |
地上の星々/『狼には気をつけて』2巻(遠藤淑子) |
朝起きたら目が痒い。 鼻水もダラダラ垂れてくる。 また風邪がぶり返してきたのかと思ったが、熱はないのだ。 ハテ、と首を捻ってハタと気づいた。
これって花粉症?
いや、そんなマサカと否定しつつ、どんどん痒くなる目に不安は増すばかり、これまで花粉症のしげに対して、「若いやつは自然に耐性がないよなあ」とか散々バカにしてきた私が花粉症だなんて、ウソよウソウソ信じないわ、とオカマ言葉になりつつ否定してもやっぱり鼻はずるずるびーのままなのである。
からだのバランスが崩れてきたのかなあ。無理なダイエットのせいだろうか(どこがだ)。今朝の体重は86.2キロ。昨日より600グラム減ったが、もとに戻っただけと言えなくもない。 しげが目をこするたびに「目を悪くするぞ、こするな」と言い続けていたが、自分がその身になると目をこすらないではいられない。風呂に入って何度も目を洗ってもすぐ痒くなってしまうのだ。こんな時に限って常備していたはずの眼薬が見つからない。 仕方なく目は真っ赤、鼻がズルズル状態で仕事に行くが、こんな時に限って職場の周りの除草作業なんかがあったりするのだ。 ははははは、粉が舞っとる舞っとる。
それでも仕事が半ドンなだけマシか。 帰宅してウチの中に入ると少し目の痒みも治まる。 しげは餌を待つ雛鳥のようにいつものごとく腹を減らしていたので、買っておいた冷凍食品のそばメシを作ってやる。 要するに焼きそばプラス焼き飯という炭水化物カップリング、カロリーありまくりの商品で、しかも包装袋には「ドロソース使用」というよくは分らないが思いきり濃そうな名前が。神戸名物だそうだが関西系はやはり味覚が普通ではないなあ。 同じ関西系と言うことで舌が合うのだろう、しげ、美味そうにぱくつく。 さらに同じく冷凍食品のつけ麺も作ってやったら、この上なく嬉しそうな顔で食っている。 「これいくら?」と聞くので、「100円」と答える。 「安いじゃん! どこで買ったん!」 「コンビニ」 「コンビニでも安い食べ物あるんだ……」 これでスーパーまで遠出しなくても、ちょっとした食料調達なら近所のコンビニで充分と言いたいのかな。なんにせよしげの頭の中が食いもので占められていることは間違いのない事実であろう。
マンガ、遠藤淑子『狼には気をつけて』2巻。 去年から出てたらしいんだが気づかずに買い損なってた。危ない危ない。好きなマンガ家さんで今まで全ての単行本を買ってはいるのだが、ともかく絶版になりまくりの人でもあるので、買い忘れると後が大変なのだ。『エヴァンジェリン姫』も『退引町』も、全部絶版なんだもんなあ。 白泉社、見切りつけるの早すぎるんだよ(-_-;)。 しげが古本屋で見つけて買ってきてたのだが、ラッキーであった。表紙にシワがよっててちょっと汚いけど、ま、しゃーないか。 絵は上達しないし、キャラクター造形の幅は狭いし、だからだいたい同じような話しか作れないので、決してトップ人気が取れる人ではないのだが、なんとも言葉にできない魅力のある人ではあるのだ。 その物語がたいてい「生意気で突っ張ってるけど、ホントは寂しがりやなやつが、同じような心の傷を持ってるやつと慰め合う話」なせいかな。でもこうして筋を書いちゃうと身もフタもない話ではある。でも「慰め合おうとして、不器用なんでそれがうまくできない」って所がポイントなんだよな。それに乗れるか乗れないかでこの人に対する評価は180度変わると思う。 今巻でもキーワードになるのは、多分、ラスト近くのあのセリフである。 いつもはこまっしゃくれたガキであるアレクサンドラが(「大財閥の天才お嬢様」って設定がまた、嫌味)、精神的ストレスから口が利けなくなって、やっとの思いで出した言葉が「どこにも行かないで、私さびしい」。 この余りにもストレートなベタなセリフを言わせちゃったら、物語は終わるしかない。でも遠藤さんのマンガってのは、この「たった一言」を言うまで、2巻、3巻と心がつながりそうでつながらない関係をキャラクターどうしに続けさせるところにあるのだ。しかも毎回そのカップルってのが「姫と家来」とか「女主人と使用人」とか、恋に障碍のある間柄ばかりだからなあ。 今回も「社長令嬢とボディガードの探偵」というカップリングだけど、今、二人に関係が出来たら、相手は子供だし探偵フォレストくんは犯罪者だぞ。危ないなあ(^_^;)。
昼は鼻の調子が悪いので休んでいたが、夜になって、さて、運動をしに出かけようかというころになって、なんとなく勘が働いてグズグズしていると、10時ごろになって、鈴邑くんからいきなり電話がかかってくる。 たまにこういう勘があたることもあるが、日頃はまあ8割はハズレているので、私が霊能力者として商売をするのは無理なようである。 (そう言えば、昨日だったか、久しぶりにテレビで北條きく子を見たな。誰か覚えてる人いる? 今や「北條霊峰」とか仰々しく名乗っていて、いかにも昔からの霊能力者でございってな顔してたが、もと女優ってことを隠さにゃならんところが眉唾なんだよなあ)
電話で応対していたのはしげなのだが、結構な長電話の後、受話器を置くなり、 「今から鈴邑さんの車でドライブに行くよ」 「はあ?」 何だかよく分らないうちに出かける準備をさせられ(と言っても私は運動をせねばならぬのでジャージだ)、マンションの玄関で待つ。 「どこへ行くんだよ」 「車に乗れるのが楽しいんだから、目的地はどこでもいいの」 お前はそうかもしれんが、私はどこへ行くのか知らんと不安になるほうなんだよ。 ほどなく鈴邑、愛上夫妻到着。ふなちゃんは後ろのチャイルドシートでウトウトしている。もう体重が10キロだとか。10ヶ月で10キロってのは重いんじゃないか、と言ったら、生後17ヶ月の子供並なのだそうな。いいのか、そんなに重くなって。鈴邑君も愛上さんもスレンダーなのにどうして娘がこんなに大きくなるのか。次に会うときは車の天井突き抜けてやしないだろうな。
車でどこに向かうのかと思ったら、油山であった。福岡近郊の山で、小学校のころの遠足で六年間通いつめた山である。 「このあいだしげさんと昼間来たんですけど、今日は夜景を見ようと思って」 しげのやつ、いつの間にそんなことしてたのか。意外と夫にヒミツがあるやつである。
車で登るのは初めてだなあ、と思っていたら、山道の途中から突然の渋滞。土曜の夜に、こんなに夜景を見に来るやつがいるとはなあ。よっぽど金がないのか。 前の車のナンバーを見ると、大分である。 思わず私が「大分くんだりから何故来るかね」と言ったら、鈴邑君、 「あれはメル友で知り合った二人ですね。今日初めて会って、意気投合して、じゃあどこへ行こうか、じゃあ福岡のきれいな夜景を見せようってことになって、のこのこ女が付いて来てるとこですよ」と言う。 うーむ、設定が細かい。 「ホラホラ、くっついてるくっついてる」 なるほど、前を見ると運転席のとこの影がピッタリくっついている。ちょっとムカッと来たので、 「あれは殺られるな。いや、もうあいつは一人殺ってる。後部座席には死体があるのだ」 などと不謹慎なことを言う。今はちょっとこの手の冗談を言うのはタイミングが悪いか。
ようやく山頂に到着、狭い駐車場は満杯で、警察が交通整理をしている。反対車線を逆走して登ってくるバカな車が追い返されて行くのを見ていいキミだとほくそ笑みつつ、下車。寝ていたふなちゃんを起こして連れ出さねばならないのがちょっとかわいそうだが、車内に置きっぱなしってわけにゃいかないものな。 夜景は福岡市がほぼ一望できて、とてもきれいなのだが(と言っても私の視力では福岡タワーしか分らん)、ともすると愛上さんがふなちゃんを手すりから上に抱えて景色を見せようとするので、落っことしやしないかとハラハラする。母親だからそんなことはないんだろうけど、私はそんなところが妙に心配性なのである。 地上の星もきれいだったが、いつか、山間の、地上の明かりがなにもないところで、満天の星空を見てみたいものだなあ。実は私は天の川を、生まれてこのかた、2回しか見たことがないのである。 街中に住んでるとそんなもんだ。「都会には夜空がない」って、詩になるなあ。いや、誰でも思いつくだろうけどさ。
帰りながら、劇団のこと、ホームページのことなど、打ち合わせする。 仕事や子育てのことなどがあるので、全面参加は無理だが、鈴邑君、舞台監督はやれそうである。愛上さんはメイクか。二人とも、チョイ役でもいいから板に立てれば舞台映えするのにもったいない話ではある。 リレー小説も鈴邑君の参加が決定。これでまたバラエティに富んだというか、どんな展開になるか予想もつかなくなりそうで、楽しみである。ラストでオチをつける役になりさえしなけりゃね。
帰宅して、すっかり腹を減らしたしげを連れて、運動がてらロイヤルホストまで。もう夜も遅くて食事はできないので、スープだけにしようと思って頼んだトムヤムクンが超激辛。トムヤムクンを飲むのは初めてだったが、要するに唐辛子だけで作ったスープなわけね。……好き嫌いはないほうだが、多分私の一生でこのスープを飲むことは二度とあるまい。……舌がいてーよう(ToT)。
| 2001年05月18日(金) |
増えるワカメのごとく……/『鬼切丸』20巻(楠桂) |
なんかもう朝の体重書きたくなくなってきたけど、マジメにダイエットしようと思ってるんで書く。 86.8キロ……(-_-;)。 しげに「運動してる分余計に食ってるんだよ」と言われるが、そこんとこ自覚があまりない。私としては以前より食ってない気がしてるんだがただの気の迷いか? どっちにしろ、こうじわじわと体重が上がっていくんじゃかなわない。今日から昼飯を抜く。これで効果がなかったら、そんときゃ晩飯を抜いてやるぞ、思い知れ(誰に向かって言ってるんだ)。
昨日よりは頭痛が収まっているが、たまに何かの拍子でズキュンとくる。でも夕方頃にはほとんど異常がなくなった。どこかで血管が詰まったりしてたのかも知れないがよく分らない。 とりあえず危機は脱したようだが、これが破裂したりした日にはクモ膜下出血とやらでオダブツになるのだろう。 ダイエットは今や私のライフラインである。
マンガ、楠桂『鬼切丸』20巻(完結)。 80年代に少年マンガ誌に登場した女性マンガ家たちは、何人かを除いてたいてどこかに行っちゃったけれど、楠さんは健闘してた方か。 女性はセリフ回しが粘着質的な人が多いので、少年マンガは今一つ合わないのである。『鬼切丸』もその点では読みにくいマンガだったので、特に買おうとは思ってなかったのだが、しげが気に入ってずっと買っていたので、何となく読んでいた。 でも最後の数巻は、「鬼魅香」の登場で俄然面白くなっていた。やはり女性の「無自覚の悪意」を象徴したようなキャラクターってのは、オソロシイけれども面白い。でも少年マンガとしては相当異質だったし、20巻続いたとはいえ、さて、これは成功作だったと言っていいのかどうか。絵柄もどんどん耽美系になって行ったし、昔ながらの少年マンガに慣れてる私にしてみれば、やはりちょっと取っ付きにくいのである。ホラー系の女性マンガ家も冬目景とか斎藤岬とか増えてきたし、これから楠さん、苦戦するのではなかろうか。 どっちかと言うと私はお姉さんの大橋薫さんのほうが親しみやすい。でも最近は大橋さんのマンガにもご無沙汰。題名でちょっと手に取るのが憚られるのもあるし(^_^;)。
帰宅してテレビ『クレヨンしんちゃん』を見たあとは爆睡。やはり疲れがたまっているのだ。 12時に目覚めてしげと散歩。私は足が早いのでしげは自転車で併走。しっとり汗を掻いて適度な運動である。これでまた明日も体重が増えてたらどうしよう(T_T)。
| 2001年05月17日(木) |
少しまじめな話/『コミックバンチ』創刊号ほか |
朝から突然、頭にキリで刺したような激痛が。 場所はどうやら右目の奥のような耳の奥のようなあたりなのだが、咳をしたり、頭を振ったり、天頂あたりを掻いたり、歯噛みしたりすると、ビビッとくる。 原因がよく分らないが、昨日耳かきをした時にどこかから血でも出したのだろうか。でももう一度耳掻きしてみても何も出て来ないのである。 なんだか怖いなあ、脳溢血の兆候かなあ、お袋もばあちゃんもそれで死んでるもんなあ、とちょっと恐怖。しげがしきりに「医者に行け」と言うが、脳溢血は医者で治る病気ではない。倒れて何時間の治療が勝負で、助かるかどうかはほとんど運である。しげのやつ、私が倒れても慌てるばかりで何もできないような気もするので、多分私は助かるまい。ホントに運だよなあ。 ただの耳の筋肉痛ならいいんだけど(そんなんあるのか)、もし私がいきなり死んだらしげのことは劇団のみんなによろしくお願いしたい。あいつは死体嫌いなので、下手をしたら私の死体をそのまま放置して、死体損壊の罪に問われかねないのである(←この辺マジね)。 葬式は一切しなくていい。親父やその親戚がなんと言おうと、役所の手続きだけで充分だ。骨もどこの寺にも埋葬する必要はない。許可が取れれば玄海灘にでも捲いてくれりゃいいのだ。 誰かが文句言ってきたら、この日記を見せてほしい。 私の葬式を出そうなどという人間は、たとえそれが私の肉親であっても、私の敵である。そのことはここに明言しておく。
私を善人だなどと思っている人間がたまにいるが冗談ではない。 私は本気で宗教が嫌いなのだ。父親の位牌を蹴っ飛ばした織田信長に本気で共感してる人間である。こういう人間は今の社会では悪人以外の何者でもない。 母親の葬式には付き合いで出ただけだ。 父親にも「お父さんが死んでも葬式出す気はないよ」と言い放ってるやつである。もっともこれは姉が反対してるんでどうなるか分らんが。 自分の死後くらい自分で決めさせてくれ。別に弔われなくてあの世に行けなくったって化けて出たりはしないからさ。
マジメなヒトは上記のようなことを読むと怒るかな? でも、この件については、一切の文句は受け付けないのでそのつもりでね。死んだ後のことで言い合いしたってこんな不毛なこたぁない。
作曲家、團伊玖磨氏死去。 この春にも来福して、西公園かどこかの桜を見てったんだよなあ。たしか福岡の桜に因んだ作曲もしてたはずなんだが、聞いたことはない。 「團琢磨のお孫さんなんだよ」、と言えば、一昔前の九州でなら、それだけで通じたものだったが、今は爺さんのことはおろか、伊玖磨氏についても若い人はほとんど知るまいなあ。 でも実を言うと、私も伊玖磨氏については、その作曲家としての業績よりも文筆家としてのほうが印象が強いのだ(ついこの間、『パイプのけむり』についてこの日記に書いたばかりだったなあ)。 映画音楽のフィルモグラフィーを見ていても、結構見てる映画が多いのに、音楽は頭に浮かんで来ない。 三船敏郎主演の『宮本武蔵』三部作が伊玖磨さんだったか。「たらーららっ、たらーららっ、たらったらった、らったらった、らったらー♪」ってアレだな。これは覚えやすくてすぐに音楽が思い浮かぶのだが、大げさにカッコつけすぎであまり好きな曲ではなかった。『ぞうさん』や『やぎさんゆうびん』もメロディーラインそのものはそんなに好みではなかった。 原作まで担当した、ハナ肇主演の『馬鹿が戦車でやってくる』をまだ見たことがない。ずいぶん親しんでたつもりだけれど、その世界観の一端にだって、まだまだ触れていなかったのかもしれないなあ。
昨日の新聞を見返してみて、長者番付が発表されているのを見る。 歌手や芸能人に興味はない。「その他」のところに漫画家さんが並んでるのを見ると、ほぼ全員が「アニメ化」のおかげで番付に乗っていることが分る。 これが世間の「マンガ家になればボロ儲け」幻想を生み出してるんだろうなと思うと、あまり喜ばしいことでもない。唐沢なをきさんが「ドラえもんみたいなマンガ描きなさいよ」と親戚から言われるというのは、ホントにいい迷惑であろう。 そう言えば私も以前、ある人から「ルーカスやスピルバーグみたいな誰にでも解る芝居は書かないんですか?」と聞かれたことがあったな(^^)。これはルーカスやスピルバーグに対する差別ではないかと思うけど、どうよ。
しげが携帯電話を新しい機種に代えた。なんだかボディがメタルで未来的でカッコイイ。ただ、音が以前のものよりやたらうるさい。「おじゃ魔女どれみ♯」とか「スパイ大作戦」なんかをダウンロードして遊んでるのだが、いきなり耳元で「じゃっ、じゃっじゃっじゃっ、じゃっ、じゃっじゃっじゃっじゃっじゃっ」とかやられた日にゃ、心臓が飛びあがっちまうのである。 でも、画面に「エクセルサーガ」で音楽が「どれみ」とか「スパイ」って、合わねえよなあ。
さて、朝の体重。 書きたくないけど……86.2キロ。また増えてるじゃんか!(-_-;) 運動して食事量も減らしてるのになぜ増える。 神秘だ。謎だ。怪奇だ。 寝てる間に私は何か回りのモノを取りこんでるのか。
トーベ・ヤンソン、ラルス・ヤンソン『ムーミン・コミックスvol.10 春の気分』読む。 このシリーズもずっと読んでいるのだが、感想を今まで書き損ねていた。 コミックス版のムーミンたちって、いやに俗っぽいんだよね。どうもファンタジーの住人たちって感じがしないのである。 今巻でも、ムーミン谷を出て南の島にやってきたムーミン一家、大金持ちに勘違いされてホテルに泊まったはいいものの、支払いに困って、スノークのお嬢さんがカジノで儲けた金で何とかやり過ごすって……どこがファンタジーだ(^_^;)。こりゃ、一昔前の赤塚不二夫か藤子不二雄のギャグマンガだよ。 日本ではアニメのイメージが強すぎて、持ち上げられすぎてる気がするが、私が昔から好きだったのは、この俗っぽい原作版ムーミンの方だったのである。
仕事帰りにコンビニに寄って、話題の(^^)新創刊雑誌『コミックバンチ』を買う。 ……なんで表紙が松田優作。原哲夫、かぶれたか? 原哲夫『蒼天の拳』、中身を読むとますます松田優作。 「殺さないでえ」「ダメ」って、映画『蘇える金狼』のまんま流用じゃないの。こういうのはオマージュとは言わないんだけど、その辺の感覚が原哲夫にはないのかなあ。 北条司『エンジェル・ハート』、ああ、これはやっちゃいけない。冴羽潦は完璧に終わってたキャラなのに、こういう形で復活させちゃあなあ。まさか、本当に香は死んだのか? 旧作のファンは怒るぞ。 それにしても、目玉の二作が『北斗の拳』と『シティーハンター』の続編というのは、新潮社もやることがアザトイねえ。続けて2号は買うつもりがないが、潰れた時にどうやってオチをつけるかが見モノではあろう。 『眠狂四郎』はマンガとしては意外と面白い。ただ、原作の最初期からマンガ化してるので、狂四郎がまだまだ破天荒になりきれていない。武部のジイサンとの狐と狸の化かしあいが見られるようになってくると、これが面白くなって来るのだが。 ついでに言っとくと、市川雷蔵の眠狂四郎、世評は高いが、武部仙十郎をきちっと描いていない点では到底『眠狂四郎』映像化の決定版とは言えないのである。
マジで頭痛がひどくなってきたので、日記も書かずに寝るが、やはり頭痛で目が覚める。明日もこの調子だったらやっぱり医者に行くかなあ。
| 2001年05月16日(水) |
鳥頭の女/『文鳥様と私』2巻(今市子) |
夕べは何とか遅れていた日記を書き上げ、寝床に入ったのが午前1時。 つまりもう今日になっていたのだが、連日こんなに夜遅くまで起きていたのでは、カラダが持たない。できるだけ早く寝たいのだが、なんだかうまく寝つけない夜もあるのである。ところがそんなことを言うと、しげは私を「ウソツキ」呼ばわりするのだ。 前にも書いたことがあると思うが、しげが私につけた仇名は「3秒で寝る男」である。横になった途端ぐーすかぴーではしげが怒るのも無理はないが、これが私の生理であるからどうにもならない。 夕べもちょうどしげのバイトが休みだったこともあり、なんだったら寝ながらDVDでも一緒に見ようかと思っていたのだが、そっぽを向かれてしまった。 で、実際にその3秒後にホントに寝ちまってるってのが我ながら情けない(-_-;)。
朝風呂に入りながら、マンガ、今市子『文鳥様と私』2巻読む。 エッセイマンガの類は実はあまり読まない。 日頃、「ありふれた日常こそ記録に残す必要がある」と主張しているのに、まさしく日常の記録を読まぬとはどういうわけかと糾弾されそうだが、実は意外とその「ありふれた日常」というやつを活写しきれてないものが多いのね。 例えば風呂に入って歯を磨くと歯茎から血が出る、いや、これは私のことなんだが、ああ、血が出たなあ、水を口に含んで排水溝に吐き捨てる、水が赤い、もう一度含んで吐き捨てる、まだ赤いなあ、もう一度含んで……。 一見退屈そうに見えるかもしれないが、そうではない。 ここでマンガ家さんが十人いたとして、私と同じ経験をしていたとすると、十人が十人とも「慌てて見せる」のである。すわ、歯槽膿漏か、このトシで歯が抜けやしないか、口臭は大丈夫か、などなど。マンガを面白く見せようとするのは構わないが、演出過剰なのである。しかもみな同じような表現になっているのは、結局はありふれたものをありふれたものとして描けない、技術の未熟さを露呈しているのだ。 今さんのマンガは『百鬼夜行抄』を初めとしてみな好きなのだが、この『文鳥』だけは、その無意味な過剰さが気になった。と言っても、つまらないとはっきり言いきれるほどではないところが微妙なのである。 まあねー、飼ってる文鳥がホモらしいと解ったからって「この家の文鳥は腐っている」とまで言うことはない。
朝の体重、85.8キロ。微妙に減ったけど、さて少しずつでも落ちて行くのか?
雑誌『言語』6月号、特集は「話し言葉のスタイル」。 ゲストが第三舞台の鴻上尚史。『あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント』と言う本を出版した関係での『言語』登場、ということらしいが、あちゃちゃ、そんな本出してるとは気がつかなんだ。近々、買いにいかねばな。 「話す時に大切なのは内容よりも語り方」というのは当たり前のことなんだけど、それをスタニスラフスキー・システムに絡めて説明してるあたりが、鴻上さんの語り方のうまさである。でもこれ、その「語り方」のセオリーが読めてしまったら、「中身がないことがバレてしまう」という、言ってみれば諸刃の剣なんだけどな。 もちろん一番いいのは「内容があって、しかも語り方もうまい」であるのに決まっているのだ。知識がなければ語り方を思いつくこともないし。
帰宅してジャージに着替えて、しげと一緒に買い物がてらのジョギング。 こうして日記に書いていると、そうそうサボるわけにもいかないから、三日坊主にならずにすむのはいいことかも。けど、それだけの効果が現われないのはちょっとツライ。 しげが「アンタ、だんだん太ってきてない?」とオソロシイことを言う。毎日結構汗をかいているというのに痩せないとなれば、肉や脂肪が骨にしがみついて取れなくなってんじゃないかって気さえしてくる。これはもう、ボクサー並のトレーニングをせねばダイエットは無理ということなのか。 でも即断は避けねばならない。とりあえず一週間ほどは様子を見よう。
体が鈍っているので、軽く走っただけでも息が切れる。 しかも、はいているジャージが、最大に太っていた時のものなので、ゴムが伸びきっていて、やたらずり落ちてくるのだ。ジャージを片手で引き上げながら走る姿ってのは相当みっともない。しかも、なぜか着ているTシャツは「新日魂」のロゴ付き真っ青。これ、ゲーセンのUFOキャッチャーで取ってきたやつだな。 こういう怪しい男が道を走っていたら、普通の人は目を合わさないようにして道を避けるのが無難であろう。 米や野菜を買って、帰宅。野菜はカレーのための材料である。久しぶりに冷蔵庫の中がいっぱいになったが、油断をしてはいけない。 しげは買ってきた物をそのまま放置して腐らすことが多いので、ときどきチェックを入れねばならないのだ。今朝も、豆腐麺だかなんだかを一週間も放置して腐らせていた。食べないのならなぜ買うのか、そこんとこの思考回路が私にはよく解らんが、多分、もずのはやにえと一緒で、とりあえず取っといたまま、忘れているのであろう。文字通り鳥頭である。 買い物に行くだけ行って、しげは「仕事だから、片付けといてね」とさっさと出て行ってしまった。まだ時間に余裕があるくせに、この程度の家事もしたがらないとは怠け者にもほどがある。 これで「愛のメールがほしい」なんて贅沢だとは思いませんか?
何となく本を読む気にもなれず、DVDで『なぞの転校生』を書けたら、また数分で落ちてしまった。おかげでこのDVD、何日か前から見始めているのに、未だに感想が書けない。 休日を利用するしかないかなあ。
| 2001年05月15日(火) |
本を売るならBOOKOFF/『BLOOD THE LAST VAMPIRE 2000』(玉置勉強) |
雅子妃のご懐妊が正式発表。 これで生まれてくるのが女子だったら、コトは面白くなるんだがなあ。 当然、皇室典範は改正され、女性天皇が実現するだろう。 天皇制がどうのって問題は私にゃどうだっていいのだが、面白くなるぞ、と内心ニヤニヤしているのは、例の、「大相撲の土俵に女が上がれない」というアレである。 あの問題を世間が本気で解決する気がない、というのは、未だに誰も相撲協会に対して、「皇族の女性が土俵に上がりたいと言ったらどうするのか?」という質問を投げかけないからで、結局はマジメな相撲ファンなんて日本人には一人だっていないってことなんだよね。 シキタリがどうのって言ってるバカが多いが、女の血をケガレとする習俗はもともとの神道とは無縁のものである。 卑弥呼の例を出すのはあまりに当たり前過ぎるけどね、いわゆるご託宣ってやつはほとんど女性によってされてたんだものね。神楽でもなんでも、その「舞台」に女性が上がるのは別になんの問題もなかったのよ。 でも、相撲協会もメンツにこだわってるからなあ、「わざわざ天皇陛下に上がってもらうようなところではありません」とか言い出しそうだな。 だったら女に限らず、今、表彰のために上がってる男もみんな、そんな「穢れた土俵」に上がることを拒否しちまえばいいのだ。 「土俵はデブで醜いブタ男が取っ組み合うのを高みから嘲笑って見るための場所だから、そんな穢れたところには上りたくない」とか言ってやってね。いずれ女性が土俵に上がれる日も来るだろうが、そのときまで相撲人気がどんどん下がって行くことを切に願うものである。
朝、しげからメールが届いている。 全く、私が愛想のないメールばかり送ってるから、てっきり腹を立ててるのかと思ったら、そうではなく、一昨日の日記の訂正についてだった。「名前の字が違う!」とか、「公演は2月とは限らない」とか、まあ、致命的な間違いと言うほどではない。 これまで、私の日記の中に誤字とか書き間違いなんかがあっても、「後から訂正するのはズルイ」とか言ってたくせに、自分のコトとなると文句つけるなんてずるいよなあ、と思いつつも間違いは間違いなので言われた通りに訂正。でも名前の字はともかく、予定は未定なんだから、2月公演の予定ってのも間違いじゃなかろう。これは特に訂正しなかったが、ここで「5月までずれこむこともあるかも」と書いておこう。 これで文句はないな? ても、口で言えばいいものをわざわざメールするってことは、やっぱり遠回しに「メールくれよ」と言うしげの要求なのかも。 まあ、そのうち(^^)。
今朝の体重は86.0キロ。 一昨日と変わらず。 一朝一夕で結果が出るとは思っちゃいないが、あれだけ歩いて、食事も控えて、1グラムも変化なしたあ、どういうわけだ。 今日はもう少しハードにやってみようかな。
なんて考えたバチが当たったのかも知れない。 詳しい事情はここでは語れないが、今現在、私の腰は笑っている。 筋肉痛は足から背中にまで走り、一時、杖がなくては一歩も動けなかった。 まあ、悪いのは職場なんだけどもよ、またぞろこれ覗いた職場のやつが「正当な批判」まで圧殺しようってのは目に見えてるから、書かない。 全く、悪口言われる覚悟もなくて○○○○やってるアホンダラばかりだからなあ、ということを味方の同僚と語り合ったのであった。 いや、バカな職場にいるとはいえ、みながみなバカというわけでもないのがありがたいことです。
帰宅するとしげはぐわらぐわら寝ている。枕元にこないだ私が「BOOK OFF」で買って来てやった『サイ・ファクター』が山積みになっているので、今日はずっとそれを見ていたらしい。しばらくしげ個人のホームページも更新されてないし、がんばってるのだろう。 「BOOK OFF」と言えば、例のマンガ家たちが揃って「BOOK OFF」反対運動を起こしてる件、“裏”モノ会議室によれば、たいていのマンガ家は勝手に名前使われてるだけらしいが、雑誌に写真が載ってた藤子Aとかさいとうたかをとかちばてつやとかはマジで怒ってるのだろう。 こうたろう君も以前、「マンガ家は出版社のダシに使われてるだけじゃないか」と言っていたが、ダシに使われてるのがダシガラみたいなマンガ家ばかりだというのが哀れを誘う。 60歳を過ぎるとどうしてマンガ家は死ぬかボケるかしか、しなくなるのだろうか。
マンガ、玉置勉強『BLOOD THE LAST VAMPIRE 2000』。 小説、アニメ映画、ゲームとメディアミックス展開してきた作品の完結編。 キャラクターデザインがアニメ版より「病的」な印象を受ける。アニメの結末はそれなりのさわやかさを感じさせたが、このマンガ完結編の終わり方はある意味せっかくの世界観をぶち壊しにしているとも言えよう。 しかし私はその世界観において、アニメよりこのマンガ版の救いようのない結末の方が好きだ。異形のもの、片輪なもの、自分たちに似て非なるものを我々は常に蔑んできた。少しくらい人間はそういったものから復讐されてもいいように思う。 私がアニメ版に感じていた不満が、ダークなものの存在をヒロイン然として描いたその甘さについてだったのだと、このマンガ版を読んでようやく気がついた。
三日遅れ、二日遅れで書いていた日記が、ようやく当日分まで追いついた。 これで明日からリレー小説の続きが書けます(^^)。
| 2001年05月14日(月) |
今日の実験……失敗/今週の少年ジャンプ『ヒカルの碁』 |
朝起きて体重計に乗る。 寝汗も結構掻いているから、さて、何キロくらい落ちたかと思ってみてみると……。 85.8キロって、なんで? 500グラム増えてるじゃん! メシはおろか水分だって取ってないのになぜ増える。 まさか誰かがこっそりと、私のからだの中に空中元素固定装置でも埋め込んだのであろうか? 俺って実はキューティー・ハニー?
ファンのみなさん、ごめんなさい。
でも実際、理由が判らない。妖怪『寝肥(ねぶとり)』ってのが『桃山人夜話』に紹介されているが、あれは「女の病の一つ。大鼾をかいて色気なく騒々しいから愛想もつきるという。寝相の悪い女も変化の一つとか」ということだから、しげはともかく私には当てはまらない。 謎だなあ。<(@_@)>?
昨日の歩きがもう筋肉痛で来ている。 トシをとると痛みが来るのに日がかかるというが、一日で来たということは、まだまだ私は若いんだろうか。 んなわけねえな。 ともかく、今日は仕事しながらからだを動かすと、あちこちに痛みが走るのであった。
仕事帰りに自宅のマンションの隣の商店で、弁当を買い、ついでに今週の『少年ジャンプ』を立ち読みする。 基本的にマンガは単行本を買う主義なので、雑誌はざっとしか目を通さないのだが、もう何週間も続いている「藤原佐為対塔矢行洋」戦、そう『ヒカルの碁』のこれまでで最大のクライマックスの結末が気になってたまらなかったのだ。 佐為勝つか、名人勝つか、名人が勝っちゃったら、佐為の正体がバレちゃうわけだから、勝たせるわけにはいかないよなあ、でもそれで終わったら、やっぱり予定調和でつまらないよなあ、一体、作者のほったゆみさん、どんな手を使う気だ? と、期待半分、不安半分で見てみたら……。 凄い。凄すぎる。 ある意味、この展開は当然といえば当然であった。 しかし、「佐為対名人」の決着に気を取られていた私にしてみれば、これはまさしくウッチャリを食らったようなもの。脱帽、なんて言葉じゃ表現しきれない、これはまさに奇跡としか言いようがない。 少年マンガの王道を行くということは、ある意味、旧態依然としたパターンの繰り返しに堕することでもある。『少年ジャンプ』においては、連載が長期化するにつれて、初めは面白かったのに、似たような、同じような話が繰り返され、作品自体のエネルギーがどんどん消耗されていった。 その最も古い例は本宮ひろしの『男一匹ガキ大将』だった。 ウチのメンバーにはジャンプファンが多いので指摘するのは心苦しいのだが、鳥山明も、ゆでたまごも、車田正美も、高橋陽一も、今は尾田栄一郎も、この連載長期化による物語の引き伸ばしによる駄作化から逃れられてはいない。 それはマンガ家の才能をすり減らす悪しき「ジャンプシステム」のせいであることは、マンガファンなら先刻ご承知であろう(この間こうたろう君からもらった『MAD☆キャラバン』には、当時のジャンプシステムのために牛馬のごとく扱われているマンガ家の様子が戯画化されて載っている)。 なのにほったゆみさんはそのシステムに負けていないのである。 これを奇跡と言わずして何であろう。 私は軽々しく人のことを天才などと呼ぶことは憚るほうなのだが、ストーリーテリングにおいてほったゆみさんが手塚治虫をも越えていることは断言していい。少なくとも今後、『ヒカルの碁』をマンガ史において扱わないマンガ批評家を私は批評家として認めないことは間違いない。 なぜ、『ヒカルの碁』だけがジャンプシステムの波に取りこまれずにすんだのか、ということは、なかなか難しい問題である。とりあえず、ほったゆみさんが自分自身知悉している「碁」を題材にしたため、ということは言えるだろう。しかし、他にも分析すべき点は多々あるように思える。今後の展開にしたがって、もう少し突っ込んだ読み方をしてみたい。
今日も今日とてパソコン三昧、もうオタアミに『クレしん』については書きこむまいと思ってはいるが、ROMしているとやはり「その意見はなあ」とツッコミたくなって、手がウズウズしてくる。病膏肓であることだ。 エロの冒険者さんが、ご自分の日記の中で、名前は出していないが、私の勘違いに言及して弁護してくれている。 最初『オトナ帝国』を見たとき、ケンの「21世紀もあと30分で終わりか」と言うセリフを、「2100年の未来から現在をタイムカメラかなんかで覗きながら喋っている」と勘違いして受け取り、「ケンとチャコは未来人」と思い込んでいたのだが、これ、単純に「21世紀をあと30分したら20世紀に戻してやる」という意味だったのね。 初期設定では「ケンとチャコは過去の世界から来た」ということになっていたらしいが、それも映画の中では消えている。あくまであの二人は我々と同じ時間軸の上に存在しているのであろう。 それにしても、ただの誤解を「それだけケンとチャコが謎めいているからだ」とフォローしていただけるとはありがたいやら恥ずかしいやらである。 なんだか他にも勘違いしているところがあるような気がして、もちっとだけ上映が続くなら、もういっぺんくらい見に行きたいような気もしているのである。幼稚園の先生トリオによるセーラームーンのセリフ、「……お仕置きよ!」というのは聞こえたが、その前が聞き取れなかったし。 なんだかまた、しげを喜ばせちゃう結果になるのかな(^_^;)。
さて、今日もお散歩がてらのダイエット。 ともかく体重の増加を食い止めねばならない。 昨日よりも運動量を上げるつもりで、いつもは自転車で行く本屋まで、歩いていく。多分、距離的には往復4、5キロはあるはずである。 出がけにしげが「飲み物買ってきてねえ」と言っていたのを思い出して、スーパー「大栄」に寄る。 そのときふと、もしや……と思い、お菓子のコーナーを覗いたら……。
あ、あった! もはや手に入らないかと諦めかけていた「ゴジラ名鑑」、「キングコング対ゴジラ」が! こうたろう君からプレゼントされた「モスラ対ゴジラ」と合わせて、四体中、二体ゲット。 後は「初代ゴジラ」と「ゴジラ対デストロイア」だ。 え? 「デスゴジ」はもう持ってたんじゃなかったかって? それがねえ、グスグス(T_T)。どういうわけだかゴジラの右手がポッキリ折れてたんですよ。 パソコンの上に前向きに飾ってたのが、いつの間にか左横向きにされてたんで、ずっと気がつかなかったんだけど、てっきりしげがウッカリ折っちゃって、横向きにして誤魔化してたのかと疑っちゃった。おかげで「知らねえよ」としげの怒ること。 まあ、あれは多分まだ在庫がキャナルシティで売ってたし、今度、買いなおせばいいや……と言いつつ、また売り切れてたらどうしよう(・・;)。 ともかくゲットした二体は、もう破損したりしないよう、透明ケースに入れたまま飾っているのだった。
結局1時間20分ほどかかって、帰ってきたら、しげはもう仕事に出かけていた。でも飲みものはたっぷり買ったし、冷蔵庫に入れておけば勝手に飲むであろう。「ふくれん」のグレープフルーツ水、カロリー抑え目で1000mlパックが100円というのは嬉しい。
マンガ、吉田戦車『つやつや担任』B巻。 A巻読んでから一月くらい経ってるなあ。『スピリッツ』に連載されていたときに時々立ち読みしていた時には面白かったんだけど、まとめて読むとギャグのパターンが同じで、ちょっとダルく感じてしまうのだった。 『伝染るんです。』の頃に比べると、随分判りやすくなっていて、『戦え! 軍人くん』のころのギャグに回帰した感じを私は受けたが、「吉田戦車ってみんなどれもわかんなーい」という感覚のものにはその違いもよく判らないのだろうな。 前にも書いたと思うが、異常なキャラクターを出してはいるが、『つやつや』のギャグの骨子は昔ながらのボケとツッコミなのである。決して「不条理ギャグ」なんて大げさなものではない。『伝染』の方がまだ、キャラクターのそういった定番のやりとり自体は破壊されていた。 それを退行、と見るのは酷に過ぎるだろう。ギャグマンガ家の「延命」ほど難しいことはないというのは、我々が子供のころ大好きだったギャグマンガ家がほとんど現在「壊滅」状態にあることを見れば否定できない事実なのだから。
寝る前に再び体重を量ってみたら、86.2キロ。……また増えてるじゃん。 まあ、食うだけ食ってトイレに行ってないからこんなもんなのかもしれないけどさあ。
布団に横になって、DVD『BLOOD THE LAST VAMPIRE』、今日はデジタルマスターバージョンを見る。 でも、一日間を置いて見たせいか、オリジナルバージョンとどこがどう違うのかよく解らない。どっちもキレイに見えるんだがなあ。 そのうち、ゆっくり時間が取れる時にでも、じっくり見比べてみよう。
| 2001年05月13日(日) |
愛の嵐/DVD『BLOOD THE LAST VAMPIRE』コンプリートボックス |
部屋中のカレンダーをめくるのを忘れていたのだが、今日になってようやくめくる。 今時『エヴァ』のカレンダー掛けてるやつも珍しいだろうが、今月は『少女革命ウテナ』の長谷川真也描く綾波という、イラストとしてGOODなもの。姫宮アンシーが綾波のコスプレしてるようなもんだが、ともかくふとももがもうとんでもなくセクシー。こんな肉感的な綾波も珍しかろう。 それをトイレに貼ってるってのがまたなんとも(^_^;)。
今日は二週間ぶりの練習日だが、しげから依頼されていた脚本の第一稿、朝6時の時点でまだ仕上がっていない。 夕べ早寝をして、起きてから書き上げるつもりだったのだが、ついまた眠ってしまった。しげは「ウソツキ」と私をなじるし、えいくそと一念発起して、二時間で脚本を仕上げる。多少、荒削りなところはあるが、第一稿だからそう問題はあるまい。
しげは仕事のミーティングがあるとかで、予約している練習部屋は、私が開けに行くことになっている。ところが、脚本を印刷していたら、あと一枚というところで用紙が品切れ。予備の紙のありかが分らず、ウチを出るのが遅れる。 慌てて自転車をかっ飛ばし、10時ピッタリに「パピオ」に到着。もう穂希嬢(どうも「ハカセ」と呼ぶほうがしっくり来るなあ)は来ていて待っていた。 「てっきり私も遅刻かと思ってたんですけど」 起きたのが9時25分で、慌てて同じく自転車をかっ飛ばしてきたそうである。 今日集まる予定なのは、あとしげとよしひと嬢だけでちょっと寂しいが、二人が来るまでにできたてほやほやの脚本を穂希嬢に読んでもらう。 受けはイマイチ(^_^;)。 やはり「わけが分らん」と言われる。一人よがりな芝居を書いてるつもりはないんだがなあ。どうして毎回同じ批評ばかり言われるかなあ。何か人間として欠けているところがあるのだろうか。
1時間ほどして、しげとよしひと嬢、ほぼ同時に到着。 とりあえず肉練から、ということになったが、私は特に練習着を用意して来ていない。しげが、 「なんで準備してないの!?」 と怒るので、 「だって演技するわけじゃないし……」 と答えたら、 「もう決定してるんスけど、あんたのキャスト入り」 ……は? 「いや、たしかに他に人がいなけりゃって言ったけど」 ややしどろもどろになる私に、しげの一言。 「いないんだよ」
と言うわけで、多分4年ぶりの舞台出演が決定。 おかげで普段着のまま肉練させられたが、『灼熱ブギ』(vo.田中真弓)にノって踊れってのは、四十男には無理だよう(T_T)。
今回の芝居は二本立てのオムニバスである。 まだ正式タイトルは未定なので、便宜上、A・Bと呼ぶが、今日の相談で演出とキャストだけは決まった。
A 脚本 勘よしひと 演出 嶋田悠太 出演 藤原敬之(夫) 勘よしひと(妻) 桜 穂希(友人)
B 原案 嶋田悠太 脚本 藤原敬之 演出 勘よしひと 出演 鴉丸 誠(織姫あや) 嶋田悠己(日高ありす) 其ノ他大勢(河合亜季夫)
……ホントに決定なんだろうな。しかし変だなあ。ウチはもっとメンバーは多いはずなのになんでこんなにオモテに出てくるやつが少ないのかなあ。 まだ物語の筋をあかすわけにはいかないが、私は、特撮ドラマの脚本家で、家では気の弱い亭主、といった役どころである。なんだか私には合わない気がするんだけど。 シノプシスを読んだかぎりにおいては、鈴邑君か藤田君のほうが似合いそうなんだが、二人とも仕事の都合で裏方しかできないというのならしかたがないのである。 ……でもね、でもね、あのね、結構おいしい役なんだよ? なんたって、ウチの劇団のマドンナ、よしひと嬢を奥さんに、更には穂希嬢を愛人にできるんだから。 今からでもお二方のうちどちらか、私の代わりにやってみない?
随分私が臆病だなあ、と、ご疑念を抱いている読者もおありなのではないか。 しかし、同時に、私が何を恐れているか、賢明な読者ならばお判りであろう。 そう。しげの嫉妬である。
「あのな、これはな、芝居なんだからな。夫婦ったって、あくまで演技なんだからな?」 「わかってるけど?」 「じゃあ、練習中、ヤキモチ焼いたりしないな?」 「当然じゃん」 「……ウチに帰っても焼いたりしないな?」 「……なんで? ウチのことはウチのことでしょ?」
「……」 「……」
見える。私には見える。 練習が終わったあと、家に帰るなり、しげは背後から妙に優しげな、それでいて生暖かい声で囁くのだ。
「……今日は、楽しかった?」
うわああああああ。\(*o*;)/
公演は来年2月の予定である。それまで針のムシロが続くのか。 誰か助けて(T_T)。
練習のあと、天神のベスト電器に回って、予約していたDVDを何枚か、それからしげに頼まれた戦隊ヒーローシリーズの主題歌曲集のCDを買っていく。 ご機嫌取りもこれからは頻繁にしないとなあ。 先日のチャットで知った、モンティ・パイソンのアンソロジーも予約。しげはパイソンファンなので、これも喜んでくれるだろう。 実はも一つ、ついに出る『仮面の忍者赤影』のDVDBOXも予約したのだが、しげは赤影が嫌いなので、このことは内緒にしておかなければならない。 帰りに菩提寺の横を通るが、すっかり散財しているので、母の日のお参りは止める。どうせ今年7回忌だし、そのときまとめてやるからカンベン、お袋。
それにしても、本当に演技するとなると、とても今の体調、体型ではやっていけない。マジで体重を落とし、体力をつけねばならない。 実際、ロバート・デ・ニーロ並の努力をせねば、脚本にあるような、「妻を抱きかかえて走る」なんて演技ができるわけがないのだ。実は、自分の体重を足で支えるのも限界に来ている。 なぜなら、今の私の体重は、86キロなのだから。
ああ、ついにばらしてしまった……。 って、知り合いはみんな知ってるんだけど。 というわけで、今日からこの日記は、『無責任賛歌 兼 ダイエット日記』となりました。果たして本当に2月までに痩せられるのかどうか判りません。なんといっても公演までもう9ヶ月しかないのですから。まずは今晩から、夕食後毎日軽くジョギングをします。 目標、65キロ。……ホントかよ(・・;)。
とりあえず、30分ほど走って、フロに入ったら、85.2キロになりました。まあ、ここからが出発点ですね。
今日買った、DVD『BLOOD THE LAST VAMPIRE』、コンプリートボックス、レギュラー版とどこが違うのか、まさかフィギュアが入っててどうのなんてアホなもんじゃなかろうな、と心配していたが、オリジナル版と、デジタルマスター版、特典映像の三本立てに、寺田克也のピンナップとショットボード集、シナリオが付いて来るのだった。 と言っても、オリジナルとデジタルマスターとどう違うのか、目の悪い私にもわかるのだろうか。 とりあえず今日はオリジナルフィルムのほうを見てみるが、印象は劇場で見たのと同じ。CGが手描きアニメと馴染んでいるのが凄い。 『青の6号』、『ゲートキーパーズ』の「GONZO」も、CGだけはハイレベルだが、この『BLOOD』の、「プロダクションIG」の方が、演出としてのCGの使い方が手馴れている感じで、頭一つ抜き出ている印象である。 でも「CGが凄い」ってことばかりに注目しちゃうのも問題なんだよなあ。
| 2001年05月12日(土) |
今日までそして明日から/『私はスポック』(レナード・ニモイ) |
あっ、また投票ボタンが変わってる。 「押せば〜?」って、しんちゃんかい(+_+)。
福岡の映画館は、某ホ○劇場を除いて全て踏破してるつもりだが、去年新しくオープンしたばかりのワーナーマイカル福岡東(粕屋町)にはまだ行ったことがなかった。 ちょうど今日から『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』が始まるので、場所の確認がてら、二度目の鑑賞。 正直なところ、もう二度目だし、最初に見たときほどの感動はあるまい、とたかを括っていたのだ。第一今度は、同人誌のためのネタを確認するためだから、メモ書きに気を取られて、映画の話の流れについてはいけまいと思っていたのだ。 ところがぎっちょん(←古い。でもこれ語源はなんなんだろね?)。 私はルノアールのココアより甘かった(←c.江口寿史)。
メモを取るたびに、1回目には見のがしていたカットやセリフに気がつくだけでなく、あちこちに張られていた伏線にも改めて気付く。 そうか、「スナック・カスカビアン」でしんちゃんたちがオトナになったのも「匂い」のせいだったのね。
ひろしの回想シーンは子供のころ、父親銀之助との二人乗り自転車のシーンで始まり、現在の家族の自転車シーンで終わる。そうか、「家族」は21世紀も繰り返すって、この時点で語られてたんだなあ。というか1回目そのことに気付いてなかった私がバカ。 前にもここで泣いたのに、今回も泣いてしまった。しんのすけの「とうちゃん、オラのことわかる?」のセリフに続く、ひろしの「ああ、ああ」と言うセリフ、こんなに情感がこもっていたのか。 声優陣の、一つ一つのセリフに込められた思いが伝わってくる。1度目は泣けなかった「俺の人生はつまらなくねえ!」のセリフにも泣けた。なぜここまで私ははまってしまっているのだろう。でもそんなことわからなくてもいい。後半、私の涙は一瞬たりとも乾く間がなかった。
音響もまるで違っていた。 特定の映画館を非難したくはないので伏字にするが、前回『オトナ帝国』を見に行った○○○○は、スピーカーをスクリーンの裏に置いただけのクソ設備であった。 冒頭シーンのビートルが、玩具ハウスに隠れたカスカベ防衛隊を探すひろしの足音が、5.1チャンネル(多分)サラウンドで聞こえてくる。 極めつけはクライマックス、タワーを駆け上るしんちゃんのBGMだ。 こ、こんないい曲だったとは。もはや涙は止めど無く流れている。 音楽、荒川敏行と浜口史郎。この二人の名前も忘れはしないぞ。
思わずハッとしたカット。 走るしんちゃんの姿に見入っている夕日町商店街の人たち、魚屋で「お魚くわえたドラ猫」が逃げて行くのにも気付かない。 あの『サザエさん』のルーティーンに町の人たちはもう背を向けている。 『しんちゃん』と『サザエさん』のどこが違うか。 『サザエさん』は既に様式の枠からはみ出ることなく伝統芸能化している。しかし、『しんちゃん』は永遠の幼稚園児でありながら、まだ今を生きていたのだ。
「とうちゃんの足の匂いより臭い匂いはないぞ」、そう言ってしんちゃんは走る。ケンが「足の匂いでも止められない」と言っているのに、全く聞いていない。しかも、ひろしが足止めをくらって足の匂いがなくなっているのに、しんちゃんは意味もなくタワーを駆け上がって行く。 デタラメだ。 ケンとチャコが自殺を思いとどまったのも、しんちゃんの勘違いとキジバトのためだ(あんな高いところに巣を作るとはあの鳩も相当おバカ)。 こんなにいい加減で、偶然に頼った結末はない。 でもだからこそ感動を呼ぶのだ。 ケンがふとつぶやいたように、私たちは近頃走らなくなった。意味のない行動を取るのが恥ずかしくなっていた。そつなくやり過ごすのが大人になることだと思っていた。 でも無意味で、無責任で、自由で、おバカな行動が、世界を救うことだってあるのだ。『うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー』で、あたるがラスト、意味もなく走って世界を救ったように。 もう一度走ろう。 ただ意味もなく、夕日に向かって。 『クレヨンしんちゃん』は別にシリアスな話に変わってしまったわけではない。やっぱり今回も今までと同じく、「おバカが世界を救う」物語だったのだ。
映画が終わって、しばらく立ちあがれなかった。二度見て、一度目以上に泣いた経験は生まれて初めてである。もう迷いはしない。私の最高のフェイバレット・アニメは文句なくこの『オトナ帝国』だ。
今回も私が泣いたので、しげが喜ぶこと喜ぶこと。 映画館の隣の「SATY」で、オムライスをぱくつきながらも、いつもはさほど映画の感想を聞こうともしないくせにやたらと「どうだった、どうだった?」と聞いてくる。 ちくしょう、また泣かせようとしてやがるな。どうもこうもねーや。 俺はお前と出会えてよかったよ。お前と一緒にこれからも生きていけるのが嬉しいよ。あの映画見ながら、そんなことを考えていたんだ。でも、そんな気恥ずかしいセリフ、お前を目の前にして言えるか。 ここで書いたからいいだろう。直接、俺の口から言わせようなんて思うな、バカタレが。
連日オタアミ会議室を覗いているが、そろそろ一通りの感想は出尽くした感がある。実のところ、肯定派、否定派も含めて、私の予想をはるかに越えた意見が現われなかったことにホッとしている。 その映画が認知、評価されるためにはとにもかくにも話題にならなければならない。しかし、いつぞやの『エヴァ』論争のように、「『エヴァ』を認めない者はアニメファンではない!」と言い切るようなファナティックなやつらが現われるようになると、その作品は正当に評価されなくなってしまう。 薄いカルトは作品を世間に認知させる推進力となるが、濃いカルトは、作品の評価を地に落とすのだ。 一見、感情的なやりとりに見えながら、『オトナ帝国』ツリーはごく冷静にそのテーマについての語り合いが続いていた。本当にこの映画が『ホルス』や、『カリ城』や、『うる星2』のように、カルトとなり得るかどうかはまだまだ未知数だが、その下地を作るお手伝いはできたように思う。 ということで、私としては最後のつもりで、今日の日記に書いたようなことを書きこみ。 ツリーを最初に起こしてから、都合、7回くらい書いたかな? でも4つのツリーで80近く書き込みがあったから、まあ10分の1、このくらいのはしゃぎぶりなら、会議室のみなさんに対して、そう迷惑にもなっていまい。
レナード・ニモイ(富永和子訳)『私はスポック』読む。 これは凄い。 自伝の類というものは、たいてい我田引水的な自慢話になるか、露悪的なスキャンダル本になるか、どっちかである。いずれにせよ、書き手の意図とは裏腹に、その伝記の作品的評価などは無視されて、ゴシップについての興味から読まれてしまうことが圧倒的に多い。 実際、「作品として」読むに値する自伝など数少ないのだ。 ましてや『スター・トレック』については、これまで数々の「ウワサ」が流されてきた。Mr.スポック役のレナード・ニモイとカーク船長役のウィリアム・シャトナーの確執などは、ある意味「常識」でさえあった。 しかし、この自伝、冒頭から度肝を抜いてくれる。なんと、「スポックからニモイに宛てた手紙」で「物語」が始まるのだ。 それからもニモイは随所でスポックと対話しつつ、自らの軌跡を客観的に捉えようとする。これはまさしく演劇における「狂言回し」の手法である。 映画『チャーリー』がこれと似たような手法を取っていた。ある俳優の回想を、記録者が質問を繰り返す形で誘導していく。ともすれば、自己弁護的になる俳優の言葉を、記録者は冷徹に問い質し、道を作っていく。ああ、そうか、これのルーツは『ハリウッド大通り』だ。 そう、これは一篇の「小説」だ。 『スター・トレック』サーガのスタッフ、キャストたちとの関わり自体をサーガとした、「創作」なのである。
エピソードの一つも紹介しないのは不親切かもしれないが、どれを選んでよいやら判らないくらい、笑える話のオンパレードなのである。 「カーン役のリカルド・モンタルバンの筋肉隆々の胸はホンモノだった」と書いてあるのを読んで、そう言えば『サタデー・ナイト・ライブ』中のスケッチ、「どっちがモア・マッチョ」にしっかりモンタルバンの名前が紹介されてたなあ、と思い出す。いや、そんな、他人のマッチョさにいちいち驚嘆して見せんでも(^_^;)。 犬猿の仲と思われてるのを承知で、ワザとシャトナーと喧嘩して見せたり。 スポックのくせにいつもユーモラスなのだ。 「スポックが恋しいか? いや、なぜなら彼はもう私の一部だから」。この言葉には素直に感動する。渥美清も寅さんについて似たようなことを言っていた。これが言えるのは、一つの役に固定されることが演技者としての死につながりかねない俳優にとっては、恐ろしく勇気がいる言葉なのである。 なのに、この「物語」の末尾は、ニモイに向けられたファンの女性のこの一言で結ばれる。 「あなた、レナード・スポックでしょ!」 感動。
| 2001年05月11日(金) |
ちょっと愚痴を言いたい夜/『荒野の出前持ち』(石川賢) |
多少の眩暈は残ってるけど、もう休んじゃいられない。 昨日までの仕事の失敗をとり返さないとなあ(←マジメ)。
また職場の上司が下手にこの日記読んだりするようなことがあると曲解するだろうから、念のため付け加えとくけど、「熱発して寝てるはずなのに、マンガ読んでるじゃないか!」という批判は受け付けねーぞ。 私は熱発してなきゃもっと本を読んでいるよ。 せめてマンガでも読んでなきゃ身が持たないくらい活字中毒なんだよ、こっちは。一日の半分以上あふあふ言って寝込んでるくせに、それでもパソコンに向かったりしてるのは、バカではあるけど、仕事サボって遊んでるわけじゃねーや。そうでもしてないと自分が情けなくて神経がもたねーんだよ。 「パソコンに座れるくらいなら出てこい!」と言いたいんだろうが、それは足腰立たないくらいヨイヨイじゃないと仕事を休むの許さないって言ってるのと同じだってこと、自覚してるか? てめーら蟹工船か。 仕事に行けない精神的挫折感から気を紛らわしてることすらそうやって曲解するくらいお前らは「健康」なんだよ。この健康バカめ。ガキのころからどんなに鍛えても体力がつかなかった者の身になってみろってんだ、この○○○。
うーむ。溜まってんなあ。だからこれ、仕事ができないヤツアタリなんだけどね。上司がこれを読まないことを切に望む(^_^;)。
それでも昨日の下手な仕事のフォローをして、早退することもなく帰宅。大分調子が上がってきたかな。来週はまた本も読めないくらい忙しくなるだろうなあ。
ここしばらくテレビもまともに見ていなかったので、東京で女子短大生が刺殺された事件についても特に関心を抱かないでいた。 東京でこうたろう君も「うちの近所なんだよ」とお子さんのことを心配されていたが、今日やっと犯人が捕まり、通り魔的ゆきずりの犯行であることが判明したようだ。 「かわいい子だから襲った」と言うのがいかにも「サルだなあ」と思わせるが、ニュースキャスターがまたぞろ「最近の若者は」と言うバカ論調で語り始めるのも業腹だ。 これって、体育系部活動のイジメが先輩から後輩へと受け継がれるのと同じで、「俺たちも昔、最近の若者はだらしないとか言われて来たから、今度は自分たちが言う番だ」と錯覚してるんだよな。こういう「バカオトナ」がやたら増えちまったおかげで「子供をきちんと教育しなければならない」という愚にもつかない論調が世間をまかりとおることになってしまう。それがイジメなんだって。 自分たちのそういった発言のせいでイジメ構造が維持されてるんだってことにいい加減気付けよ。
活字に飢えていたので、本屋に行って買い損ねていた文庫の新刊を買いこみ、ロイヤルホストで食事。ソースカツ丼を頼む。 マンガ、石川賢『荒野の出前持ち』、食事をしながら読み切る。 まあ今の目で見ればギャグマンガとしてはそう笑えもしないが、最初期の石川賢が本当に永井豪の絵に似ているのには驚いた。『ウルトラマンタロウ』や『キューティーハニー』の頃にはもうはっきり絵の違いだけでなく、テーマ性も違うことに気づくようになるのだが。でも「永井豪の絵に似ている」ことで出版社から使われていたことに対して怒らずに仕事をこなしていたというのは、石川さん、えらいなあ。プライドを本当は傷つけられていたろうに。 ふと目の前のカツ丼を見ると、いつの間にかカツが減っている。しげがくすねているのだ。……別に言えばやるのにどうしてこう、卑怯な行動に出るかな。これだから貧乏性は……。 「もう元気になった?」 と何度もしげに聞かれる。でもこちらの身を心配して言っているようには聞こえない。何となく「もう少し病気でいればいいのに」と言っているようにも聞こえるのだ。私が元気だとあまり構ってもらえないと思ってるんだろうな。あくまで自己中心的なやつである。全くもう……。
『キネマ旬報』特に面白い記事なし。 『アニメージュ』『ニュータイプ』、新番組で面白そうなものは少ない。安彦良和が『ガンダムエース』と題して、あのファーストガンダムのリメイクをマンガ化するというのがちょっと燃える。でも随分絵柄も変わってるしなあ、面白くなるかなあ。フラウ・ボウやセイラさんにまた会えるのは嬉しいけど。
夜、11:30から、生まれて初めてチャットに参加する。 お相手はオタク・アミーゴスの方々。クレヨンしんちゃんの話から、特撮の話など、目で追い、字を打ちこむのに懸命で頭がついて行かない。 みなさんに迷惑かけたかなあ、と、落ちこみながらキイを叩いていると、またぞろやきもちを焼いたしげが横からやいのやいのと声をかけてくる。 どうにも集中できないので、1時間ほどでリタイア。 でも機会があればまた参加してみたいものである。
| 2001年05月10日(木) |
仕事復帰、半分だけだけど/『× ―ペケ―』6・7巻(新井理恵) |
ふと気がついたら、この日記の投票ボタンの文句がまた変わっている。 最初はたしかしげが「読んだら押す」にしてたんだよなあ。それを「強制的」と受け取った方がいらっしゃったので、私が「長いけど面白いと思う人はココを押してください」に変えて、そしたら今度は「押してみる?」に変えられていたのだ。 当然、変えたのはしげだ。別に変な言葉になってるわけじゃないが、変えなきゃならない理由も解らない。 「別にどんな文句だっていいじゃん。なんで変えたの?」 としげに聞いたら、 「あんたが他の女の言うことを素直に聞くのが許せない」 と来やがった。 こんな些細なことを根に持つとはつくづく難儀な女を女房にしちまったもんだ。ジェラシーもここまで来るとかわいげがないんだがなあ。 でもこれ以上変えると家庭争議に発展しそうなので、このまま行きます。ご不快な方もありましょうが、まあウチの家庭を守るためだと思って、ご容赦下さい(^_^;)。 でも日記をいろんな人に読んでもらうというのはやはり面白い。トラブルもあるが、人と関わっていくものである以上、トラブルの全くないコミュニケーションというものも有り得まい。 ただ、シャレにならない喧嘩をするつもりもこちらにはないのである。見知らぬ方の日記を読みながら、いろいろツッコミを入れたくなることも多いのだが、さて、この人とは同じ土俵に立って話ができそうかな、と判断するのはこれでなかなか難しいのだ。 今のところ自分のお気に入りに入れている日記はほんのいくつかなのだけれど、映画関係の批評を書かれている方などは、『キネ旬』の批評よりも適切なことを書かれてたりして、読んでいて楽しい。更新が少ないのが残念だけれど。
今日はさすがに仕事に行く。 熱だけはとりあえず下がったしな。でもやはり半日もすると立っていられなくなって、早退する。というか仕事をしてても能率が上がらないというか、全く仕事になっていないのが自分でわかるのがツライのだ。 今日やった仕事はほぼ全部明日以降やりなおさなければならないだろう。体調は戻りつつあるが、精神は自己嫌悪でボロボロだ。 「大丈夫ですか」と同僚に声をかけてもらうたびに涙が出そうになるのをこらえる。不惑のトシだってのに、惑うことは未だ多しだなあ。
帰宅して寝ていると、しげがまた「サボリ〜」とからかってくる。 今日こそはこのアマ、いてこましたろう、と思って起きあがった途端に爆笑。 しげがとても変な格好をしていたのだ。 「なんで笑うの?」 「変な格好だからだ」 「どこが変なん」 そう言ってしげはまた変な格好をする。途端にまた私の腹の皮が捻りあがる。 「ひひひひひ、お、お、お前は俺を笑い殺す気か」 「そこまで笑うほうが変だよ」 「そんなこと言うとおまえがどんな変な格好してたか日記に書くぞ」 「いいよ?」 と許可をもらっているので、しげがどれだか変だったか、ここで書いてもいいのだが、あまりに哀れなのでやはり書かないことにする。 読んでる人はできるだけ自分の思いつくアホな格好を思い浮かべてください。「キング・タット」の比じゃないので。
大分調子がよくなってきたとは言え、あまり本などをじっくり読めるわけでもない。久しぶりに伊福部昭の音楽が聞きたくなって(『オトナ帝国』の影響だな)、『完全収録 伊福部昭』を適当に聞く。 『聖なる泉』や『マハラ・モスラ』は何度聞いてもいい。 ただ、歌詞カードがアルファベットで書いてあるのだが、耳で聞く限り、その歌詞通りには聞こえないフレーズが結構あって、未だに正確には歌えないのだ。 第一『マハラ・モスラ』自体、歌詞には「MAHAL MOTHRA」と書いてある。これじゃ『マハル・モスラ』じゃないの。 万博のテーマソングも伊福部さんが作曲してたんだよなあ。『オトナ帝国』の最初のシーンも音楽がウルトラマンより東宝特撮っぽかったのは、その関連もあるのかも。 『キングコング対ゴジラ』メインタイトル、一部歌詞を覚え間違えているところがあり、口ずさみながら覚えなおす。でも考えてみると、 病人が青ざめた顔で「あ〜し〜、あなろい、あせけ〜、さもあい」とボソボソ歌ってる姿って相当怖い。 オタクが一般的に「変なやつ」と思われちゃうのはこんな時なんだろうなあ。
井上ひさし編集の『寅さん大全』を読み返しながら、寅さん映画について記憶違いしていたことなどを正す。 ずっと思い出せなかった、寅さんが柴又に帰ってきた時に声をかける「おい、○○屋、相変わらずバカか?」の○○の部分、「蓬莱屋」だった。昔は忘れることってなかったのになあ。こんなこともなかなか思い出せなくなってきているのだ。 ついでに言えば『大全』をいくら繰ってみても、 寅さんが宇宙大怪獣ギララと対決したのが第何作だったか 書いてない(もちろん夢の中でです)。井上ひさし、怪獣をないがしろにしていることがこれで判明。やはりあの男に日本文化を語らしちゃいかんな。 ……でもホントに第何作だったっけ?
SF作家の山本弘さんから、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』同人誌の参加受け付け承諾のメールが届く。 オタアミ会議室で募集があって、すかさず参加メールを送ってしまったのだが、わずか二日で発行が決定したということは、相当数の参加者が集まったと見て間違いなかろう。でもシメキリが六月末と「ヒジョーにキビシーッ」。 それにプロの方々が多数いらっしゃるだろうから、私のようなド素人が駄文を寄せるのも本当はかなり迷惑なはずだ。それを快く承知してくださったのだから、これは本当にありがたいことである。 これで、もう一度映画を見に行く決意が固まった。書きたいことは頭の中に膨れ上がっているので、それを「読ませるもの」に整理するためにも今度は映画を見ながらきちんとメモを取ろう。おおっまるで小林信彦(別にこの人以外の評論家だってメモは取るだろうけどね)。
で、またまた怒涛のごとくツリーが伸びているFCOMEDYのオタアミ会議室、覗いてみると、やっと議長の岡田斗司夫さんが書きこみされている。 ところがどうしちゃったんだろう、一応誉めてはいるんだけど、「21世紀の限界」なんてことを言い出しちゃってる。 詳しい論旨が書かれてないのに何か意見を述べるのはまずいかも知れないが、岡田さんの『未来玩具』や『失われた未来』を読む限り、万博後のあの不安と絶望の未来を経験した身としては、素直に「家族」が21世紀のキーワードになりうるということを信じられないのかもしれない。 私も『未来』を読んで泣いた。確かに私にも「未来を信じていた」時代があったし、それがいつの間にか消えていたという喪失感を味わってきていたから、岡田さんが何を言いたいかは見当がつく気はする。 それに岡田さんは今アレしてるから、しんちゃんは特にアレなんだろうなあ、とも思うので、本当は依頼原稿とかならともかく、オタアミ会議室には書きたくなかったんじゃないかなと思うのである。 でも、事情はどうあれ、岡田さんが冷静さを欠いていることは間違いない。ある作品について「これがこの作家の限界だ」とか「この映画の限界は」と言い出すことはもっとも安易な批評方法だというのが常識だからである。実際にはそれは批評者自身の読み取り能力の限界を露呈することになるので、駆け出しならともかく、ベテランの評論家がこんなもの言いをしたら笑われてしまう。そんなことも解らない岡田さんだとも思えない。 多分やっぱり今アレなんだろうなあ、と思うと、無理やり岡田さんをあのツリーに引っ張り出そうとした何人かの人に、少しは思いやりの気持ちを持てよ、と言いたくなってしまうのだ。 書きこみしないことだって自由なんだぞ。
マンガ、新井理恵『× ―ペケ―』6・7巻(完結)。 しげがいつの間にか買ってるマンガ、ようやく完結。 私はあまり面白いと思わないんだがなあ。他人を笑うギャグがストレート過ぎて捻りがないし。「女なんて恨みとねたみだけでできてる」みたいな感じで同性に対しては特に辛辣になんっちゃってるしなあ。 だからカタルシスがあるのかなあ、しげにとっては。 イカン、こういう書きかたするとまた誤解を招きそうだ。でもフォローのしかたも思いつかんので、とりあえずそういうことにしておこう(何をだ)。
| 2001年05月09日(水) |
病気で寝ててたいして書く事ないはずなのに(^_^;)/『死神の惑星』1・2巻(明智抄) |
風邪引きさん三日目。 熱はどうやら下がったようだが、腰が立たない。三歩歩くと眩暈で倒れそうになる。 台湾に生息する「百歩蛇」という蛇に噛まれると、百歩歩かないうちに死ぬというが、それで九十九歩まで歩いてあと一歩のところで立ち止まってガマンしてるってギャグ、誰が書いてたっけなあ。 というか「百歩蛇」なんて知識、私ゃどこから仕入れたんだ。川原泉のマンガからだったような気もするが、「川口浩探検隊」だったかもしれないし、どうにも思い出せん。 ……なんか未だに熱に浮かされてるような文章だが、これを書いてる時点では、もう風邪はほぼ治っているのである。普段から熱に浮かされてるようなやつなのだな、私は(^_^;)。
というわけで今日も仕事には出かけられず。 しげは「またサボリ?」と人の心が思い切り傷つくような言葉を言ってのけてくれる。あいつはな〜、私がな〜、なに言われたって傷つかない鉄面皮野郎だと思ってるんだよな〜。休みたくって休んでるわけじゃないのにな〜、身内からそんなこと言われたら切なくて悲しくてし方がないのにそれもわからんよ〜なやつなんだよな〜。 こいつのこのセリフを聞くたびに、私は自分の心が太平洋のように広くなったなあ、ということを実感するのである。 ……十年前だったらしげの野郎、ぼてくりこかしてるよな。もっとも、そうしなくなったのは、10年間で私のほうの体力が衰えちゃったせいなのかもしれんが。
一日寝てりゃ治るだろうとタカを括っていたのが間違いだったのだろうと、医者に行こうと思うが、腰が立たないのでは自転車にも乗れない。 「しげ〜、タクシー呼んでくれない?」 「なんで!? K病院でしょ!?」 歩いても7、8分しかかからないところにあるのだから、しげの不満は一応わかりはする。でも、そんなこたぁ、こっちだってわかっちゃいることなんだがなあ。 ともかく喧嘩する元気もないので、ムリヤリタクシーを呼んでもらって医者に行く。 「付き添いはしないよ。退屈だから。その間、買い物してるから終わったらケータイに電話入れな。タクシー呼んでやるから」 優しいんだか冷たいんだかわからん(ーー;)。 ともかく逆らう元気もないのでしげの言うとおりにする。 それにしても私が病気してるときって、どうしてしげはああも生き生きとしてるのだろう。 なんだかジェリーをいたぶる時のトムのようだ。 ……いや、確かに似てるぞ。眉を吊り上げ目を輝かせて舌なめずりしてる顔なんかそっくりだ。 ……誰かブルさん呼んでくれ(T_T)。
注射一本打ってもらって、薬ももらって飲んで、後は横になってりゃいいだけなんだけれども、やっぱり一、二時間も寝てたら、退屈してくる。 寝てたら咳も比較的小康状態になるので、動いてもいいような気になるのがまあ錯覚なんだけれども、そうやって体調を悪化させてしまうのは、しげと同じ程度の脳みそしか私が持っていないという証拠である。 まあしげの脳みそは溶けててドロドロで、私のは風が吹きっさらしていて、塵になって舞ってるくらいの違いはあるだろうが。 ……大して変わらん。
で、今日もしげの寝てる隙にパソコンの前に座って、『クレしん』の評判などをあちこち覗く。 あまり健全な精神の持ち主は見るものではない巨大掲示板、2ちゃんねる、ここしばらくほとんど覗いていなかったのだが、さてどんな悪口雑言が書き込まれているのやら、と覗いてみた。 ……意外や意外、絶賛の嵐である。 映画板、アニメ板、ともに、割合的には賛9、否1くらいの割合。 その否のほうだって、まともに映画を見たとは思えない煽りや荒らしがほとんど、ほぼ貶している人間がいないに等しい。 夏目房之介さんが以前書きこみをされてた頃に、荒らしの書きこみが極端に減ったことがあったが、やはり「ホンモノ」の持つ力は強いのだなあ、と気分が心地よくなってくる。 ただ、中にはやはり「そんなに傑作?」という疑問の意見もある。 泣かないどころか白けちゃった、という感想で、理由は「なつかしさ」を喚起するためのガジェットが表面的ななぞりに過ぎない、ケンとチャコの行動原理が分らない、などの不満によるもののようだ。 しかしこれは個人の感受性の差によるものなので、映画自体の欠陥というわけにはいかない。誤解を招かないようにもう一言付け加えておくと、感動できないのは受け手の感受性が劣っているというわけではなく(劣ってる人もいるけど)、人によって感激のツボが違う、ということであるのだ。
しげを引き合いに出すと、やたら怒られちゃうのだが、しげが『オトナ帝国』を見て泣かなかったのは、あいつが人非人だからではなく(人非人でないとも言わんが)、過去に郷愁を感じるにはまだまだ若い、ということである。別に悪いことでもなんでもないのだ。 しげはあくまで自分のことを「もうオトナだよ!」と主張するかもしれんが、いっぺんあいつと直に会話した後であれを「オトナだ」と実感する者はそうそうおるまい(^^)。 こんなことを言うと恥ずかしくなっちゃうのだが、あの映画は「守るべきもの」を持っている人間にとっては心にズシンと来る映画である。日頃、能天気なしげの顔を見てると、「こいつをいざってときには守ってやらなきゃならんのか」という気になることもあるが、あの映画を見た後だと、「こいつを守ってきてよかった」と思うし、「これからも守って行こう」という気にさせられるのである。まあ気持ちだけだけどね。
他のサイトも軒並み好評、唯一、朝日新聞の「アニマゲドン」だけが「後半シリアスでしんちゃんらしくない」と見当ハズれの批評をしているだけであった。ラストでケンとチャコの自殺を食い止めたのは、しんちゃんのおバカであるのにねえ。
マンガ、明智抄『死神の惑星』1、2巻読む。 頭がぽ〜っとした状態のまま読んでるので、設定がよくわからないのだが、未来の、宇宙の話らしい(^_^;)。 『サンプル・キティ』を読んだときにも思ったが、明智さんはマキャベリスティックな女性を描かせると抜群にうまい。対する男はたいていマザコン(^^)。 しかも必ずと言っていいほど明智さんはキャラクターの「過去」を掘り下げて描くが、これがただの回想シーンに堕することなく(『ONE PIECE』と比べるとその差は一目瞭然)、世界と人間との関わりについての深い洞察があることがよくわかる。 鈴木エリザベートのキャラクター造形は特に出色。生きられるはずのなかった子供、生まれて十数年を培養槽の中で過ごし、知能自体は成長していても、全く人の感情に触れることもなければ、社会の「ルール」を知ることもなく、現実を知覚せざるを得なくなった少女。 自然と彼女の模索する「生きるための方法」は、人間の感情も含めて「データ化」することに費やされた。喜怒哀楽ですら、彼女にとっては脳によってシミュレートされた思考パターンに過ぎない。でもそれゆえに人間の心がいかに欺瞞に満ちているかを、明智さんは鈴木エリザベートが政治家へと歩んでいく軌跡を辿りながら読者に提示していくのである。 ……しげが明智さんにハマるのもわかる気がする。しげ自身、この鈴木エリザベートみたいな「感情をシミュレーションしないと生活できない」やつだからだ。もちっと社会のルールを覚えなさい。
| 2001年05月08日(火) |
38℃線突破/『なみだ研究所へようこそ!』(鯨統一郎) |
ついに熱発して倒れる。 職場に休みの連絡を入れて、あふあふ息をつぎながら万年床の上で天井を眺める。 しげに「おまえの風邪が移ったのかな」と言うと「私のせい?」と拗ねられる。 「なんでおまえのせいだよ、ウィルスのせいだろ」というと照れてモジモジしてやがる。 それはいいから。 おまえの方こそ具合がよくなったんならメシつくってくれよう(T_T)。
しかし、なんだかこうしょっちゅう休んでいると、ホントに自分が仕事拒否症じゃないかって気がしてくるなあ。 かと言って、この世で何より仕事が好きとか仕事をしてないと落ちつかないとか(そりゃワーカホリックだって)いうほどのことはないけど。
仕事もせずに寝ているだけだと落ちつかないので(一行前に書いたことはなんだよ)、頭がふらついてるのにパソコンに向かって日記などを書く。当たり前の話だが、文章自体に病気の痕跡は表れないから、日記の文は元気そのもの、それどころかやたらハイですらある。
FCOMEDYのオタアミ会議室、『クレヨンしんちゃん』のツリーがそろそろ頭打ち的記述が目立ってきたので、なんかちょっと引っ掻き回してやろうかと、幾つか「疑問」を書きこむ。 映画の批評で何がつまらないかと言えば、「この映画の正しい見方はこうだ」と決めつけてしまうことくらい読んでいて白けるものはない。作り手に映画を作るモチーフなりテーマなりがあるのは当たり前の話であるが、そんなもの受け手にとっちゃどうでもいいことなのである。 映画を見る者は百人百様、ある人が面白いと思うことが別のある人にとってはつまらなく感じることは多々あるが、それはどちらかが正しくてどちらかが間違っていると言うことでは決してない。 どうも『しんちゃん』の面白さが「まだ見ぬ未来への希望」(X星人かオノレらは)の一言に収斂されていきそうな気配があったので、「それならあれだけのなつかしネタを散りばめる必然性だってないじゃん」と、ちょっと不満を感じ始めていたのだ。
この指摘が誰からも語られないのが不思議なのだが、この「オトナ帝国の逆襲」事件そのものがしんちゃんにとっては「忘れられない思い出」となっていくはずのものなのである。 ではそれはどんな意味を持った「思い出」なのだろうか? 「思い出」……「記憶」と言い換えてもいいが、人間のアイデンティティを形成する核となるものが「記憶」であることは説明の必要もあるまい。「記憶」がなければ人は人ではいられないのだ。 つまり「過去への郷愁」は人間の自己確認としての「記憶」の再確認なのであって、それを否定することは自己の否定と同じことになる。「思い出」は消せないのだ。 しかし、われわれ人間は、ときとして、自分の記憶を「改竄」してしまうことがある。記憶違い、勘違い、忘却などがそれだ。しかしそれも実は、自分の人格を守ろうとする我々の脳の作用にほかならない。 思い出してみるがいい、「イエスタデイ・ワンスモア」はしんちゃんにとっては「オトナ帝国」でしかなかったことを。ラストでケンちゃんチャコちゃんが「バンジージャンプをしようとしていた」と勘違いしていたことを。 しんちゃんは自分の幼い脳では理解できないことを理解できるものに置き換えて認識していっているのだ。それがたとえ事実と違っていたところで構いはしない。その勘違いした「記憶」があってこその「しんちゃん」なのだから。 この映画で肯定されているのは、そうした過去の出来事を「どんな受けとりかたしたっていいんだ」という当たり前の事実に他ならない。つまりは「間違った人生なんてない」という絶対的な人生肯定である。 ひろしの人生も、みさえの人生も、ケンとチャコの人生もみな「勘違いの人生」だったことは見ていればすぐにわかる。でもその人生は決して「つまんなくない人生」なのだ。
あ、適当に書いてたけど、この論調、同人誌に載せる原稿の元ネタになるな(^^)。
予想通りわずか半日でスレッドが急に伸び出した。 どうもオタアミの人たちはそれなりの意見を持っている人が多いので、素直にこちらが意見を書いただけだと、「ふ〜ん、そうなの」で済ましてしまうことが多いので、なかなかレスをつけてくれないのである。 ふっふっふ、みんなうまいこと乗せられてやがるぜ。 ……って、こんな書き方するからしげに「策略家」などと言われてしまうのだなあ。単に「みんなはこのへんのことにあまり触れてないけどどうして?」って思ってただけなんだけどね。 でも、疑問の一つは単に私の勘違いだったので結果的にとっても恥ずかしかったのであった(^_^;)。
横になって久しぶりに活字の本を読む。 鯨統一郎『サイコセラピスト探偵 波田煌子(なみだきらこ)なみだ研究所へようこそ!』。 相変わらずつまんねータイトル(ーー;)。『とんち探偵一休さん』と言い、このセンスのなさはなんなのだろう。マジメなミステリファンなら「なみだきらこ」の名前だけで引くぞ。 まあそのツマラナサが中身にまで悪影響を及ぼしてなければ問題はないんだけれども、残念ながらミステリとしての出来は未だし未だしである。 この人のデビュー作、『邪馬台国はどこですか?』がおもしろかったのは、「歴史上の事実」という、言わば「既定のこと」をムリヤリこじつけて読み替えていく楽しさにあったのだ。でもそれを普通のミステリでやっちゃ、「ムリヤリのこじつけ」が残るばかりだ。 日本ミステリ史上、そのムリヤリのこじつけをミステリとして成功させ得たのは泡坂妻夫「亜愛一郎」シリーズ以外にない。それは泡坂氏がその世界観自体をきわめてエキセントリックに構築していたがために成功した稀有な例なのであって、普通の文体で同じことをしても失敗するのがオチなのである。 キャラクター造形が面白かったんで、最初は期待したんだがなあ。 1話目、2話目を読んで最終回のネタが読めてしまった。文章が下手なので伏線がかなりはっきりバレてしまうのである。次の作品を買って読むかどうか、かなり微妙になってきたなあ。
| 2001年05月07日(月) |
フライド・エッグ・ムーン/『三毛猫ホームズの恐怖館』(赤川次郎・竹内未来)ほか |
朝から微熱、からだがダルく悪寒もするので、職場に連絡を入れて、遅刻して行く。仕事を一つこなすたびに熱が上がるような気がして(気のせいじゃないって)、帰宅するころには眩暈は最高潮。 咳は出るはクシャミは出るは、こないだ風邪にかかったばっかりだと言うのになぜだ。どうして世のウィルスは私ばかりを狙い撃ちしてくるのだと思いながらの帰り道、マクドナルドの垂れ幕にダブルたまごバーガーの写真が。 ああ、そう言えばしげはたまごバーガーが好きだったよなあ、マクドナルド自体は「食べるものがない」と敬遠しているのに、たまごフェアの時だけは寄りたがってたものなあ、とぼんやり思い出す。……こんな書き方してるとしげが過去の人のようだ(^o^)。 やはり熱に浮かされていたのだろう、ふらふらと吸い寄せられるように店に入ると、気がついたらたまごバーガーばかり四つも注文していた。 で、帰って見るとしげも珍しく、かしわめしにとり弁当を買って来ていた。鶏と鶏でかぶってるじゃないか、材料から料理を作ってくれないのかと考え出すと悲しいが、お互い具合が悪いのだからし方がない。ともかく栄養をつけないと体が持たない。……と食べながら気がついた。 しげの買ってきたのが鶏、私の買ってきたのが卵、あ、こりゃ気が合うじゃん♪
やっぱ熱あるわ、おれ(ーー;)。
『犬夜叉』『コナン』を漫然と見るが、ああ、『コナン』のOP替わっちゃったなあ、パラパラのブームもあっという間だったからなあ、くらいの感想しか浮かばない。冗談でなく、見ていたはずなのにストーリーが全く思い出せないのだ。熱が出始めていたのであろう。 それでもパソコンの前に座り、メールチェックなどをしているのは業か(^_^;)。
外に本を買いに行く元気はないので、しげが山積の本の中に隠していて、私がまだ読んでなかったマンガを何冊か読む。
赤川次郎原作・竹内未来作画『三毛猫ホームズの恐怖館』。 ミステリーの少女マンガ家によるコミック化が、この数年でドッと増えたが、正直言って、「これは!」というものに出会えることは少ない。 もともとミステリマンガの「傑作」というもの自体が少ないのだ。二階堂黎人が手塚マンガのミステリ性に注目して短編集を編んだりしているが、客観的に見ればたいしたレベルではない。 絵で見せるマンガは、映画と同じで、サスペンス・スリラーならともかく、本格ミステリにはあまり向いていないのだ。ましてや基本的に叙述トリックを基本とする小説がマンガになった時、その魅力が半減するのは如何ともしがたい。 その点、もともとたいしたトリックを使わない三毛猫ホームズシリーズなら(初期のはいいのもあるけど)、キャラクターの魅力で見せられる、と踏んでのマンガ化かもしれないが、片山義太郎も晴美も石津もありきたりな少女マンガキャラで収まっているのが残念。
青山剛昌原作・太田勝と江古田探偵団作画『名探偵コナン 特別編』10巻。 わあ、一年前に買ってたマンガなのに、まだ読んでなかった。まあ先に11巻、12巻読んでたからって困るもんじゃないからいいけど。 で、コナン恒例揚げ足取り(^^)。ネタバレだけど別にいいよな、コナンだし。 「悪夢の逃避行」。このトリック、ワゴンの前に人が来たら一発で終わりです。 「メッセージ」そんな暗号残して死ぬくらいなら、その前にちゃんと子供の仲直りくらいさせなさい。 「消えた女優」蘭や小五郎を拉致するメリットが犯人にはありません。自分の犯行をバラすようなものです。 「浜辺の殺意」犯行の証拠自体を隠蔽しなければトリックがトリックとして成り立ちません。コナンが来なくても警察が捜査すれば犯人は簡単に捕まります。 「ぬいぐるみの謎」ダイヤはヒモでは結べません。 「臥竜湖の怪事件」恐竜が今も生きているなんて信じる人はいません。 子供向けとは言え、「特別編」シリーズは本編にもましてひどいね。チャチでもいいから整合性のあるトリックを考えてほしいなあ。
ウチの劇団のホームページのリレー小説『ピクニック』、よしひと嬢のところでストップしていたが、しめきりギリギリになってようやくUP。 と言っても、物語の展開は前回のしげのところからほとんど進展しておらず、登場人物たちは未だに目的地にたどりついていない。 ううむ、2回目を受けたときに、目的地の描写をするかどうか迷って、まあ、あまり想像の余地をなくしてもなあと遠慮してその直前で止めたのだが、こうなると解っていたら、さっさと現場にたどりつかせるべきであった。 リレー小説の難しいところはいろいろあるが、書き手によって物語のテンポが食い違ってしまうこともその一つだ。 合作とちがって「打ち合わせナシ」が建て前のリレー小説の場合、ともすれば、意外過ぎる展開や逆に間延びした展開、視点の変化やいきなりな人物の登場など、物語の整合性を狂わす要素が続出してしまうものだが、それを回避することは実は並大抵のことではない。 3回目、4回目の内容は明らかに最初の2回のテンポからすると間延びしている。実は意外な展開で物語の方向性が見えなくなるより、こちらの方がずっと厄介なのだ。支離滅裂な展開は支離滅裂で対抗すればなんとかなるが、間延びした展開には一応の結末はつけねばならない。無視するわけにはいかないのだ。 でも残り回数は4回……(・・;)。 10回、20回と続く話ならともかく、短編の場合、無意味なシーンの挿入は極力避けねばならない。8回予定の話で回想シーンまで入れてどうするんだよ、と私はしげに言った。 いや、回想シーンを入れたいなら入れたって構わないよ、けどね、それにはちゃんと意味があったのだ、ということを示す展開を、後を継ぐ者は考えなければならないんだよ? おまえ、後の人がなんとかしてくれるとしか考えてなかったろ? ……半分終わった段階で、解かねばならない伏線は何一つ始末がついてないのだ。どうせーっちゅーねん。 なのにしげの野郎、「だったらもっと伸ばせばいい」とこきゃあがった。 それは「ルール違反」と言うものだ。 こうなると相当アクロバティックな展開を見せねば始末はつきにくい。いくつかアイデアを思いついてはいるがそれが使えるかどうかは次のこうたろう君がどんな展開を見せてくれるかにかかっている。 頼むよ、こうたろう君(T_T)。
| 2001年05月06日(日) |
襟足に寒気/『仮面ライダーSPIRITS』1巻(村枝賢一) |
GW最終日。 外はこれ以上ないってくらいの快晴でしかも暑い。 なんだか東京から帰ったら、急に夏が来ていたような感覚。 しげが「今日は出かける?」と聞くが、「具合が悪いのに出かけられるか」と怒る。 「でもお土産持ってかないと腐るし」 ああ、そういう意味か。私はてっきり、またしげが体の不調を押してどこかに行きたがってるのかと思った。 都庁で抹茶饅頭を父に、姉には空港で「空飛ぶでかドラ」を買ったのだが(選んだのはしげ)、賞味機嫌が明日まで。是が非でも今日中に届けねば間に合わない。 本当は朝のうちに届けようと思っていたのだが、疲れてすっかり寝過ごした。夕方出かけることにして、午前中はのんびり過ごす。
日曜の朝とて、『アギト』『GALS』『デジモン』『コメット』と、いつものように漫然とテレビを見るが、ぼーっとして頭に入らない。旅行中の日記を書かねばならないのでパソコンに向かうが、わずか三日前のことだというのに忘れていることが多く、全然書き進まない。日記はやっぱりその日のうちに書いておかないとなあ。(旅行中、ヨタロー君がいろんななぞなぞを問いかけてくれてたんだけど、ほとんど忘れていて書けない。答えは思い出せるんだけど質問の方が正確に思い出せないのね。やっと思い出せたのが「外国の人の帽子はどこの国?」「オランダ」ってやつ)
さすがにまるまる三日、世間から離れていると、いろいろ面白い出来事が起きている。 北朝鮮の金正男らしき人物が強制退去のニュース、素直に受け取れば日本に対する挑発行為、ということになるのだろうが、どうもあの顔と体型を見ていると、世間の「ディズニーランドに愛人連れてきたアホ」との見方のほうが妥当に思えてくるから不思議だ。 拉致疑惑のご家族が「交渉の切り札に使えたのに」と嘆く気持ちも解らないではないが、既にその感覚も常軌を逸している。「目には目を、歯には歯を、拉致には拉致を」ってハムラビ法典じゃあるまいしねえ。 そんな強硬な外交ができるくらいなら、とうの昔にやってますって。良かれ悪しかれ、首相が代わろうと、日本の弱腰綱渡り外交はそう簡単に変わりはしないのである。北朝鮮も安心したのではないかな。
ネットであちこちの日記やサイトを覗いてみて、気になる記事もいくつか。 唐沢俊一さんが5/4の日記の中で、内川清一郎版新東宝映画『一寸法師』について、「小林青年が宇津井健」と書いているが、これは結構誤解を招く書き方である。 確かに宇津井健は「小林章三」という役を演じているが、これ、原作に登場する「小林紋三」にあたるキャラクターで、あの少年探偵団の「小林芳雄」とは別人なのである。どうも唐沢さん、そこを勘違いしている様子だが、誰か突っ込み入れなかったのだろうか。 以前、ホームページの方で、一寸法師役の和久井勉の扱いがDVDではないがしろにされてることを憤ったものだが、唐沢さんも「一寸法師役の人」と書くのみで、名前を全く紹介していない。乱歩の『探偵小説四十年』にしっかり記載されているのに、そこまで調べなかったのだろう。 お忙しい中でのミスだろうが、ちょっと残念なことではある。どうも唐沢さんの周辺には古いミステリのファンが少ないような気がする。
オタアミ会議室での映画『クレヨンしんちゃん』の感想もゴールデンウィークを利用して見に行った人が続々と書き込みをしていて、嬉しい。みなさんちゃんとツボを抑えていらっしゃるなあ。早目に書き込んでいなかったら、私もとても恥ずかしくて書きこみできなかっただろう。 ともかく「アニメ」、「子供向け」という括りがネックになって、アレだけの映画を見に行かない人がいるのが残念でならないのだ。旅行から帰ったら、てっきり劇団のホームページにメンバーの「見ましたよ!」という書きこみがあるものと思っていたのに、結局見に行ったのはよしひと嬢だけらしい。「ああ、ウチのメンバーですらまだアニメに偏見持ってるのか」という気がして悲しいのだよ、私は。 予め誉めすぎると、実際に見たときに、「なんだ、こんなもの」と思われる危険もあるので、これでも抑えて書いているのだが、気分的には『クレしん』を見てもいないで「アニメファン」を標榜してほしくない、とまで思いこんじゃっているのだ。少なくとも、私がこれまで見た全映画の中のベスト5に入れることに吝かではない。『ヤマト』『ガンダム』『エヴァ』んときだってここまでハマリはしなかったぞ。どうしちゃったんだ私(^_^;)。 子持ちでもない限り、見に行くのがツライのは解るけれど、今週で公開も終わってしまう。AMCなかま16だったら夜8時35分からでもやってるぞ。ホラ見に行けやれ行け。
「エンピツ」に登録されてる日記の中で、この日記の「読んだら押す」の登録ボタンが「強制的で不快だ」と書かれているものがあった。 ああ、そう思う人もいるかな、と思って早速書き換えたのだが、今度はしげの方が「いやなら押さなきゃいいじゃん」と立腹している。 日記の内容について批判されたのなら、私だって自分の名においてこの日記を書いているのだから、きちんと対処しようと考えているが、直接内容と関係のないところで誤解を生じるのは私の本意ではない。この程度のことで喧嘩をする方が馬鹿馬鹿しいのだ。 これが直接、私宛てのメールで「あなたの日記は不快です、改めなさい」とでも書き送ってきたのだったら、私もしげのように「余計なお世話じゃ」とはねつけるところだろうが、相手は自分の日記で自分の思ったことを素直に書いただけだ。何の問題があろうか。 どうやら相手はお若いレディーのようだが、だから私がコロリと言うことを聞いたわけではないので嫉妬すんなよ、しげ。
5/3の日記を書いた時点で疲れ果てて昼寝。 気がついたら夕方で、慌てて父の店に向かう。
改めて書くのもなんだが、私の実家は床屋である。 4月からこっち、毎日が無茶苦茶忙しくて、散髪するひまもなかったが、ようやく伸びに伸びた髪を切ってもらった。もうしばらくしたらマジで『クレしん』の「ケンちゃん」並になりそうだったので、ようやく頭がさっぱりする。
実は父には今度の東京旅行のことは事前に話してなかった。 別に私と父の仲が悪いわけではなく、いちいちそう言うことを話すことではないとお互いに思っているだけなのである。父自体、どこかに旅行することを予め私に話したことなどほとんどない。いつも帰ってきてから「ホラ、土産だ」とせんべいだの昆布だのを渡してくれるのが常だ。 今回も特別どこに行くなど教えなかったのだが、ちょうど東京についた初日に、私の携帯に「今から散髪に来んか?」とかかってきたのにはビックリした。いや、さすがに東京から福岡に散髪には行けない(そう言えば、しげの携帯にも桜雅さんから「遊びに行ってもいいですか?」と連絡が入っていたな。意外と我々夫婦の行動はメンバーにも知られていないようだ)。
でも会う早々、何となく父の顔が険しい。 トシをとってくると、自分に内緒で遊んでいたのが腹立たしくなるのかなあ、とぼんやり考えていたらそれは違った。 バリカンをかけながら父がポツリ。 「お前、どこに泊まったとや」 語尾上がりの質問口調ではない。とがめだてをする口調である。 「……こうたろう君ちだけど?」 「ご家族がおろうもん」 「うん……」 お、怒っている。これは本気で怒っている。それが証拠に、そのあと全く口を開かない。 ともかく人に迷惑をかけるのが徹底的に嫌いな親父だ。友達とは言え、そのご家族の団欒を邪魔したとあってはどんな言い訳をしようと(いや言い訳をしようものならなおのこと)絶対に許しはしまい。 いつもは散髪をしてもらうときにはお互い軽口を叩き合うのだが、今日はただただ静かな時間が過ぎて行く。 次に父が口を開いたのは、「10月末は休み空けとけよ」(母の七回忌なのだ)だった。 冷や汗が額を流れるのがわかる(゚-゚;)。 帰りには「お前がなかなか来ないから渡せなかった」と笑いながら、しげへのホワイトデーのお返しをくれたから、いつまでも怒っていたわけではなかろうが、こりゃ今度東京に行くことになったら、もうこうたろう君ちにお泊まりはできないなあ。 ……現実にタカリ魔になってたし(ーー;)。
帰りに積文館に寄って本を買い、ガストで食事。 そろそろ本気で体がダルくなってくる。帰宅して日記の続きを書いたころには、さて、明日仕事ができるかという状態になってきていた。ヤバイなあ。
石ノ森章太郎原作・村枝賢一作画『仮面ライダーSPIRITS』1巻。 絵自体が石森さんに似ているアシストのシュガー佐藤より、よっぽど村枝さんの方がマンガとしての仮面ライダーを自分なりに昇華していて面白い。 ストーリーとしてはあくまでテレビシリーズの続編という形をとっているが、キャラクター造形は村枝さん独自の解釈に基づいて描かれており、藤岡弘、佐々木剛、宮内洋のイメージで今回の1号、2号、V3を見てしまうと肩透かしを食らうだろう。 V3なんかほとんど少女マンガの美形キャラだし(^_^;)。 でも石森さん亡きあと、ただのモノ真似の続編を描かれたって読者はそれはそれで納得すまい。多少、「原作と違う」部分があろうと、『仮面ライダー』という作品に込められた石森テイストを21世紀にどう伝えていくかという情熱のこもった作品になっていれば、そこは評価していかねばならないのではないか。 ライダーもシリーズを重ねるにつれ、当初我々の胸を打った「孤独な戦い」が描かれなくなっていったが、今回のマンガにはそれが感じられるのである。 2巻以降、人気の高い1号あたりでなく、だんだんマンネリ化していったスーパー1とかZXあたりの続編を描いたとき、このシリーズの真価が問われるのではないか。
| 2001年05月05日(土) |
東京ドドンパ娘/葛飾柴又寅さん記念館 |
東京旅行最終日。で、子供の日兼端午の節句。 昨日、博品館では鯉に乗ったミッキーマウスだの、金太郎の格好をしたスヌーピーなんかを売っていたが、これ、案外海外のコレクターにとっては貴重なアイテムになるかも。
今日もピーカン。でも東京は福岡ほど暑くない。年間平均温度では、確か一、二度だけ福岡の方が高かったはずだ。東京は今が一番しのぎやすいころかも知れない。
……いい気候だというのに、寝冷えしたせいか、朝っぱらからしげが「気分が悪い」と言い出す。 夕べも布団を蹴飛ばして寝ていたので何度も掛けてやったのだが、結局ムダだったようだ。 自宅にいてさえセルフコントロールが下手糞で、病気になっても「退屈だよう」と駄々をこねてうろつきまわり、かえって病状を悪化させることが多いのだが、まさか旅行中に具合を悪くするとはなあ。ホントにペース配分ができないやつだ。 「たっぷり8時間寝てるのにどうしてダルイんだよう」と嘆いているが、ヘソ出したままそれだけ寝てりゃ、具合も悪くなろうってもんだ。今更、途中で旅行を中止するってわけにはいかないので、無視する。
今朝もやっぱりこうたろう君は朝食を用意してくれている。 今更断ることもできず、開き直ってタカリ魔になった我々夫婦は、出されたパンにぱくぱく食らいつく。 ああ、チーズパンが美味い(*^。^*)。 こ、このままでは済まさないからな、福岡に着たときには逆に山積のパンで迎えてやるぞ。 ふと、目の前の空中を不思議な物体がス〜ッと通りすぎて驚く。 「とっとこハム太郎」のヘリウム風船だ。 「昨日プレゼントにもらったやつだよ。重りでちょうど空中に浮くようになってるんだ」とこうたろう君が説明。 そう言えば娘さん(こうたろう君が「キノコ」でいいよと言うので、今度からそう書きます)は「ハム太郎」の大ファンだった。 ヨタロー君がすぐぽんぽんと叩くので、こうたろう君が「そういうのイジメだから止めなさい」とたしなめている。 この手の風船は当然私の子供のころにはなかった。今更このトシになってほしがるわけにもいかないので私も買うことはないが、案外こうたろう君本人が喜んでるのではないか。 しげもなかなか気の利いたものを買うものである。
今日で旅行は終わりなので、余り遠出はせず、こうたろう君の家の近所の名所を回ることにする。 で、それがどの辺かって言うとね、なんと寅さんと両さんで有名なあのあたりなわけですよ。 私だって、大学時代は東京に住んでいたのだが(しかもあの狂乱の80年代に!)、大学と神保町の古本屋街以外にはほとんど出歩かないという実にもったいない生活をしていた。 おかげで実は柴又帝釈天に行くのも今日が初めてなのであった。ああ、恥ずかしい。 驚いたことに帝釈天は実に狭い。参道も狭いが、境内も狭い。なんだかだだっ広い気がしていたのはやはり映画のマジックか。 「神社じゃねえんだからお参りってのは変なんだけどな」とこうたろう君。 「神仏習合じゃねえのか? 七福神祭ってるし」と私。 こ承知の通り、七福神は神道仏教の神様仏様の雑煮状態である。建物の造りがいかにもタクミのワザ風で、よく見ると柱の飾りが狛犬に獏。規模は小さくとも、いや、逆に小さいからこそ、造形的にはノートルダム寺院のガーゴイルにも負けてないのではないか。
帝釈天を抜けて矢切の渡しへ。 細川たかしのイメージはカケラもない(当たり前だ)、実に田舎びた渡し舟。 草の生えた普通の川岸に、申し訳程度にひょろりとつき出している細い板の上を渡り、無造作に差してある澪標の間を抜けて、10人乗れば満杯の舟に乗り込む。 乗客が多いときにはさっさとモーターで行くという話だが、今日は朝も早く、船頭さんはゆっくりと櫓で漕いでいく。 こうたろう君、「鬼平の世界だねえ」と呟く。 江戸情緒が味わえる、という点では確かにこれは貴重な船だ。モーターボートでいくんじゃ情緒もへったくれもないと思う人もいるかもしれないが、ナニ、「田舎もんがこんなとこまで観光に来るんじゃねーよ、めんどくさいからモーターでさっさといっちまうぜ」という感覚が江戸情緒なのである。 で、渡った向こうは千葉県(^^)。見渡す限りの山と田圃である。 田舎もんはさっさと千葉へ行ってろ、という感じも実にいいなあ。 更に土手を降りて川をひとつ越えて歩いていくと、『野菊の墓』の記念碑があるそうだが(そうか、あれは千葉の話だったか。つまり松田聖子は久留米の田舎から出て来て千葉で名をあげてアメリカに行きそこなってポシャったと言うことだな)、しげが疲れそうなのでそこまで歩くのは控える。 再び矢切の渡しを渡って、東京へ戻る。今回の旅行は一都一県に渡る旅行だったな(^o^)。
「葛飾柴又寅さん記念館」、まずは入口の寅さんが館名の看板文字をとりつけそこなっている銅像がおかしい。 撮影に使っていた「くるまや」のセットをそのまま移設しているが、ここで団子を注文できればもっと楽しいのになあと思う。 寅さんの映画シリーズを見ていた人ならご承知の通り、「くるまや」はむかし「とらや」だった。実際柴又には「とらや」という団子屋があり、どうやらそこからクレームがついて変更されたらしいのだが、それが40作目のこと。なにをいまさらという気がして理解に苦しむ。 「とらさんに戻ってきてほしいからとらや」だったはずなのに、これでは寅さんがかわいそうだ。 渥美清晩年の十作ほどは、渥美さんの病状が画面から見えるばかりでなく、映画の造りそのものが「松竹の看板作品だから」という「延命措置」がされている様子が露骨過ぎて、脚本も演出も雑の一言に尽き、余りに痛々しく、私は未だに見ていない。 森川信もいない。 笠智衆もいない。 太宰久雄もいない。 吉田義夫もいない。 なんでこんな寂しいシリーズを続ける必要があったのか。 私は『となりの山田くん』でジブリが松竹に大損をさせたのは、隠れ寅さんファンであるジブリの松竹に対する復讐ではないかと睨んでいる。
記念館を見て歩く間中、こうたろう君、寅さんの真似をして「おう、相変わらずバカか?」とか言いながら、解説をしてくれる。受け答えをしてあげたいが私がさくらの真似をするわけにもいかない。 柴又の帝釈天のミニチュア、記念館のスペースがもっと広く、これが「たてもの園」のように出入り自由だったらもっとよかったのに、と考えるのは欲かな。
売店の「下町や」で、Tシャツを買う。しげとペアで、「労働者諸君!」「貧しいねえ、君たちは」とどでかくプリントしてある挑戦的なもの。これを着て中洲あたりを歩いていたら誰ぞから因縁をつけられそうだが、気に入ったモノは仕方がない。 親父への土産になるものがないかな、と物色していると、こうたろう君が森田憲次のイラスト付きの寅さん標語集を「お父さんへのお土産に」と買ってくれる。 「いや、もういいよ、それくらい自分で買うから」と言うが、「いいんだよ、親孝行の真似事がしたいんだよ」とこうたろう君。 そう言えばこうたろう君のご両親はなくなっていたのだった。 ち、ちくしょう、私を泣かす気だな、そんなこと言われたら断れないではないか。帰ったら親父には早速「相田みつを」を外して「寅さん」を掛けるように言っておこう。
参道の「川千家」でうな重を食べる。福岡のより随分うす味だが、これでもこうたろう君には濃いという。私はこれくらいの味のほうがウナギの味がしてちょうどいい。ウナギをゆでただけの料理もつまんでみたが、くにくにした食感が面白い。 ここでこうたろう君、私の昔の恥ずかしい話をしげに散々暴露する。 エロビデオ上映会を「俺、彼女いるし」と言って見なかった話とか。青春(バカ)野郎だなあ。今なら絶対見てるんだが。 ここでも食事をおごられっぱなしである。 しげに「なんでさっさと出さないんだよ」と耳打ちするが「だってこうたろうさん早いんだもん」と、聞きようによってはとっても危険かつ失礼な会話をする。 「東京の人は先に出したがるってホントだったんだ」としげは感心していたが、自分が人並み以上にトロイという事実を忘れちゃいないか。
帰りに「ビッグ・フット」(店名の由来はやっぱりアレかな?)という玩具屋に寄って、例の「ゴジラ名鑑」や「百鬼夜行」シリーズがないかと探すが、ゴジラはもうなく、「百鬼夜行」は定価の二倍の値段をつけている。ちょっと腹が立ったので何も買ってやらないことにする。 でもショーウィンドーに飾られていた30センチほどのゴメスのフィギュアは前傾姿勢で、うねった尻尾もリアルで、ちょっとほしくなってしまったのであった。 ベムラーのフィギュアも前傾姿勢だったが、こうたろう君は「ベムラーはあのひょろっと突っ立ったところがいいんだよ」と拘りを見せる。ふと気付くとしげが退屈そうにしているので、オタクな会話はこの辺で打ち切る。しげも相当オタクなんだが、ウルトラ第一シリーズをリアルタイムで経験してきた世代の思い入れにはついて行きにくいだろうからなあ。何しろしげのウルトラ初体験は『80』なのである。 こうたろう君、ヨタロー君にウルトラマンのガシャポンを買ってあげるが、これにウルトラマンが入っていなかったためにもう一度買いに行かされる羽目になるのであった。……生まれ変わったら私はこうたろう君ちの子供になろう。っていつだよ。
午後から、こうたろう君のご家族も一緒に、日の出桟橋からハーバークルーズで東京湾一周。3階建ての、思ったよりでかい船で、600人乗りだとか。 時間になると同時にこうたろう君たち、屋上まで上るが、これはしげが外の方が好きだろうと気遣ってくれたのだろう。ありがたいことだ。 出発が連絡の関係からか遅れたが、船好きのしげは具合が悪かったのが本当か、と言いたくなるくらいにはしゃいで、船上を走りまわり、スクリューの回転を飽きもせず眺めている。 私は下手に動くと酔うことが解っているので、ここではひたすら休憩モード。一日のうちこういう休憩タイムを入れておかないと、からだが持たないトシになっているのだ。
そのあとパレットタウンに移動、残念ながら1時間待ちで大観覧車には乗れなかったが、トヨタ自動車のテーマパーク、「MEGA WEB」はまるで万博のパビリオンのようで、新しくて懐かしいのであった。 自動車が本当に「自動」で動き、運転の必要がなくなれば、事故も渋滞もなくなる。そういう未来が、確かに実現可能なところまで来ている。21世紀はホントに来たのだと思うと嬉しい。
車で羽田まで運んでもらって食事。 しげ、本気で具合が悪くなってきていて、薬を買いに行かせるが、薬を買わずに土産を買っていた。バカだねホントに。なぜそこまで無理をするか。 意識も朦朧としていたのだろう、食事をしたレストランに荷物を忘れて探しにいくひと騒動もあった。いつものケチのかたまりのようなしわん坊のしげなら、自分の荷物を忘れるなんてことは絶対にない。 でも、また無理をしてしげは展望台までついていくのであった。
東京の夜景はすばらしい。ここで実は密かに持ってきていた双眼鏡がやっと役に立った。葛西の大観覧車のイルミネーションが刻々と変化するのを30倍ズームで見る。 でもこれが今回の旅行の見納め。 こうたろう君ご一家も、我々に付き合うのは本当に疲れたろうに申し訳ありませんでした。お土産もたっぷりいただいてしまいました。特にコンタロウの『MAD☆キャラバン』をいただけたのは最高に嬉しかったのでした(あんな名作を廃品回収に出そうとしないように)。 次回はもう少しおカネを貯めて、ホテルにも泊まり、余りご迷惑をかけないようにします。 お互い、無理な気遣いはしないようにね。
帰りの飛行機は5分遅れただけで無事に出発。 飛行機の中では二人とも疲れ果てて寝る。このころから私も、しげの風邪が移ったらしく、だんだん体がダルくなってくる。 明日一日休みを残しておいてよかった。 とりあえず、あとは何も考えずに寝よう。
| 2001年05月04日(金) |
ウナセラディ東京/江戸東京たてもの園/『ヒカルの碁』12巻(小畑健) |
東京旅行2日目。 昨日の曇天はどこへやら、今日は一日気持ちのいいほどの晴天である。
朝の4時か5時ごろ、しげが寝ている私を揺り動かして起こそうとする。 「ねえ、起きて、退屈」 どうもまた興奮して寝つけずに目が覚めてしまったらしい。 しかし私とて体を休めておかねば残る二日を乗り切れない。 「おれのポケットに入ってる文庫本でも読んでろ」と言って、また眠る。 しげにしてみれば相手にされなくて不満だろうが、短い旅行に夫婦も親子もないのだ(だったらするなよ旅行)。
起きたのは朝の8時。 たっぷり寝かせてもらったので、体調は頗るよい。 二階の部屋を借りていたので、さて、こうたろう君のご家族がもう起きているのかどうか、よくわからない。 気配で多分もうお目覚めだろうと降りて行くと、お目覚めどころか、もう朝食の準備までして下さっている。 ああ、コンビニで食べようと思っていたのに、またお世話になってしまった。
ここでこうたろう君の息子さんと娘さんにご挨拶。 夕べは会えず、代わりに息子さんがコレクションしているらしいウルトラ怪獣のガチャポンの群れにお出迎えされたのだが、ようやくご対面である。 うわあ、お父さんによく似ている。 娘さんはお母さん似かな。 ……実はこの二人、この日記の中でなんと呼んだらいいのか困っている。 お父さんは「与太郎でいいよ」と言うが、そうもいくまい。しげはお兄ちゃんが与太郎なら妹は与太子?」と言うがますます変だ。しんちゃんとひまちゃんでもいいのだが、本人の許可を取ったわけでもないので、味気なくはあるが息子さん娘さんのままでいく。
お父さんがこの二人を立派なオタクに育てようとしているらしいことは、これまでもメールのやりとりで知ってはいたが、実際に目の前で、親子の会話がオタク化しているのを聞くのはなんと言ってもうらやましい。 ちょうどこの日の朝は、私がプレゼントに持ってきた『デジモンアドベンチャー』のDVDをかけて親子で見ていた。 お父さんが「アグモンは進化する前はなんて名前だったかな?」と聞いて、息子さんが「チビモン?」と答える。 「チビモンじゃないよ……あ、コロモンだ」てな会話だ。 ありふれた会話に聞こえるかもしれない。 けれど私は親父やお袋とこんな会話をしたことはない。オタク差別はまず親からというのが30年前の常識だったからだ。 ああ、俺も子供のころ、親父とこんな会話をしてみたかったなあ、と、見ているだけで泣きそうになるのだ。 こうたろう君に案内してもらっている間、息子さんは車の中でウルトラシリーズの主題歌CDを延々と流しているし、「有久さんはどの怪獣が好き?」なんて聞いてくる。ガチャポンの怪獣もよく覚えていて、「ブラックエンド」なんてマイナー怪獣を簡単に答えたりする。その「自由さ」がうらやましい。 子供の頃、怪獣とかマンガに関することを聞くこと自体、私の親父は許してくれなかった。何度もマンガを捨てられ、自分で描いた怪獣図鑑を破られ、映画のパンフを破られた。まさしく私は「抑圧された児童」だったのである。今思い返してみても、よく親を刺さずに生きてこれたと感心してしまう。 もちろんそれをしなかったのは、マンガを読めなくなるからにほかならない。そこまでされても、いや、そこまでされたからこそ、私は怪獣好きをやめられなかったし、マンガを読むのを諦めなかった。 今、親父は、「大人になったお前と酒を飲みたかったのになあ」と愚痴を言う。でもそれは無理だ。私が病気になって禁酒をせざるをえなくなったからじゃない。今までに一度だって、私は親父と本気で腹を割って話をしたことがない。させてもらえなかったのだ。 夜、遊び疲れた息子さんをおんぶしているこうたろう君を見て、つい「うらやましいなあ」とつぶやいてしまう。 独り言だったのに、小耳にはさんだしげが、「おんぶされたいの?」と聞いてきたので、「お父さんっていいなあってことだよ」と答える。 このあたりの感覚がしげに通じないのもちょっと悲しい。しげはまだまだ「おんぶされたい」側にいる人間なのだ。 でも、もしかしたら私もそうなのかも知れない。
時間が前後したので元に戻そう。 午前中のうちに、ぜひ行きたかった「江戸東京たてもの園」まで、こうたろう君ご一家とドライブ。 先月の『アニメージュ』で、宮崎駿が「ここはいい!」と力説していたので行く気になったのだ。江戸・東京の旧家をそのまま移転したもので、マスコットキャラクターの「えどまる」という虫も宮崎駿デザインである。
お子さんたちはちょっと面白くないかも、と、小金井公園で遊ばせておいて、初めはこうたろう君としげと三人で西の方を回る。 田園調布の家や山の手の家を見て回るが、いちいちこうたろう君が解説してくれるのがありがたい。 「田園調布の家なんて別に金持ちって感じじゃないんだよ、本当の金持ちは山の手」 要するに田園調布は成金の家ってことなのかな。でも成金でもテラスのある家なんかに住んでみたいぞ。 麻布の家なんか、使用人の間ですら広い。 「有久の下宿の部屋がこんな感じだったよな」と口さがないことを言ってくれるが、実はその通りだから仕方がない。あの頃は六畳一間に本を積み上げてその隙間の中で生活していた。……今もそうか(^_^;)。 こうたろう君、すっかり喜んで、「でも、こんな家に住んでたら貧乏人は怒るよ。俺、怪人二十面相の気持ちわかっちゃった。こんなとこに住んでたら南方から帰って来る子供の顔なんか忘れてるよ」と悪態つきまくっている。 あのー、ガイドさんもいるんだけど、いいの?
結構子供たちも楽しめるかも、と、途中から奥さんたちも合流。 高橋是清邸、2.26事件の殺害現場も見ることができた。二階で殺されてたのだなあ。余りに広くてすぐには見つけられず、使用人に案内させたそうだが、実際どん詰まりの部屋である。 そのまさに殺人現場で息子さん、畳の上でゴロゴロ転がって遊ぶ。 知らないということは楽しい(^^)。 しげが高橋是清のシルクハットに燕尾服の写真を見て、「昔の人ってホントにこんな格好してたんだ」と驚く。確かに今時は誰もそんなスタイルをしないが、だとしたらたまにデパートで売ってるシルクハット、誰がなんのために買ってるのだ。
たてもの園の中の「蔵」といううどん屋で昼食。 看板に「武蔵野うどん」と解説されていて、貧しい農家で小麦粉も少なく、野菜だのなんだのを練りこんで作ったものだそうな。 そのせいか、麺自体の色が濃く、細くてやや平べったいのに腰が強くモチモチして歯応えがある。汁の味は東京のうどんにしては濃い方。 これはぜひ食して行くだけの価値があるのではないか。 ふと壁を見ると、トトロがうどんをすすっている小さな額縁が。店員さんの話によると、ご本人もよく食べに来られるそうである。 息子さんが「(映画の)クレヨンしんちゃん見たの?」と聞くので、「うん、見たよ、泣いちゃった。お父さんも泣いてたろう?」と質問し返すと、「今も泣いてるよ」と返事。 見るとこうたろう君は笑っていた。 息子さんはしんちゃんがコンビニでカンチョーするところが一番面白かったそうである。……大人になったらもう一度見返そうね。
農家、風呂屋、荒物屋、花屋、化粧品屋、居酒屋、何もかも、私たちの子供の頃にはいくらでもあったものだ。 来園しているおじいさんやおばあさんが、すれ違いざまに「珍しくもない」とぼやいていたが、それは違う。今はまだ探せば残っているかもしれないこれらの建物は、あと10年か20年でほとんど消えてなくなるだろう。 囲炉裏も、縁側も、七輪も、ベーゴマも、みんな歴史上の知識の一つに過ぎなくなる。 ありふれたものの保存くらい難しいものはないのだ。 日記もそうである。 10年ほど前、元禄時代の御畳奉行、朝日文左衛門の『鸚鵡籠中記』という日記が『元禄御畳奉行の日記』としてベストセラーになり、ドラマ化、漫画化(石ノ森章太郎や横山光輝)されたことがあった。武士の普段の生活が描かれたものとしては稀有のものだったからである。それくらい、普段のことというのは残らない。 私の日記は自分の妻からですら「くどい」と言われてしまうが、ありふれたことをできるだけ書き残しておきたいと思うからである。今生きている私たちには珍しくもないもの、つまらないできごと、実はそれがとても貴重なことだったりするのだ。
売店で土産物を買って、新宿へ。 しげが「高いところに行きたい」というので、東京都庁の展望室でひと休憩して、軽食。 いちいち周囲の建物の高さを見てはこうたろう君と「ゴジラはどのくらいの高さか」と会話するところがやっぱりオタク。 120メートルのギドゴジですら、都庁から見下ろせばチビなのだ。ましてや初代ゴジラの50メートルなんて、今更東京で暴れさせられやしない。 21世紀には21世紀のゴジラ像を築き上げなければ、もはや再度の復活はないのではないか。
銀座に出て、博品館で土産物をまた物色。 店名を見ただけでは何の店だか見当がつかないが、おもちゃ屋である。 しげがエルビス・プレスリーの飛び出すバースデーカードを発見して狂喜する。カードを開けた途端、エルビスのどでかい顔が飛び出して来たらこりゃ驚くわな。……即座に買っていたが、そんなハタ迷惑なもの、誰に送るつもりなんだ。
そのあと、どこかのステーキ屋で夕食。 さっきの博品館で、しげはいつの間にかお子さんたちへのプレゼントを買っている。 「子供の日のプレゼント」と言って手渡すが、こんなさりげない気遣いができるなんて、どうしたんだ、しげ。 ドジでノロマで無遠慮なお前らしくないぞ。 ステーキの肉は量は多いがなんだか薬臭くて変な味であった。
夜の銀ブラもオツなものである。 こうたろう君は「あんなところにもユニクロが」と、東京の街が変貌していく様を嘆くが、それがまた時代の顔であることも否定できない。 路上で「今の政治は間違ってる」と呟く浮浪者がいる。 演歌に合わせて踊る40代のオバサンパフォーマーがいる。 目を合わさずに通りすぎるが、それもまさしく今の東京の風景なのだ。 8時の鐘が銀座の街に鳴り響く。 光る時計台をデジカメで撮った。観光客が多分これまでに何万人も撮ったであろう時計台、でも今撮った時計台は、今日のこの日のこの時刻を指しているのだ。
「ああしまった、ここが『双子探偵』の舞台になった神社なのに」と、こうたろう君が嘆く。 例の銀座のど真ん中にある神社ってやつだな。なるほどもうシャッターが降りていて、そこが神社なのかどうかも全く分らない。 でも大丈夫だよ、こうたろう君、また来るから。 まだまだ見て回りたいところが、東京にはたくさんあるのだ。
こうたろう君の家に帰って、さすがに疲れたらしいしげは、「もう寝る」と言って実際布団に入った途端に寝息を立て始めている。 私もゆっくり休もうとしたが、つい枕元にあった『ONE PIECE』1〜18巻と、『ヒカルの碁』1〜12巻を読み始めたら止まらなくなってしまった。 『ヒカ碁』の12巻は未購入だったので、連載のどこまで収録されているか確認した。 新初段シリーズが終わったあたりかあ。これがプロになっての第一の山だったところだな。このあと更に……。となるのだが、そのための伏線として実に見事である。 さりげなく和谷と越智が主役に絡まない形でコメディリリーフを務めているあたりも脚本の芸が細かい。しつこいギャグは却って白けるという緩急の妙をよく知っているのだ。 新登場の倉田もうじき名人(^^)、この作者たちのキャラクター造形の幅の広さを感じさせて実にいい。ここまで緻密に作られていると、やはりアニメ化はムズカシイだろうと思われる。『シャーマンキング』がひと足先にアニメ化だそうだが、ほぼ同時期に連載が始まったこの二作、つまりは『ヒカ碁』のほうはポシャったということなのかな?
さて、東京旅行も明日が最後。ゆっくり寝て疲れを残さぬようにしないと、と言いつつ、今日は私の方が気が高ぶってなかなか眠れないのであった。
最後に一つ、豆知識。ザ・ピーナッツの名曲『ウナセラディ東京』って、イタリア語で「東京の夕方」って意味です。“Una sera di Tokyo”ってことね。
| 2001年05月03日(木) |
東京行進曲/舞台『ラ・ハッスルきのこショー』ほか |
えーっと、今、朝の6時。 1日が終わってないのになぜいきなり書き出してるかというと、旅行から帰って、三日分の日記を書くのを少しでも軽減しようという、セコイわざなわけです。 従ってこの日記、どうせまた編集しなおすんだけれども、とりあえず本日の分のPart1ということで。
ようやく荷物の準備が終わったとこ。ほぼ半徹夜だな。 本当はもう何時間かは寝てられるはずだったけど、3時に帰ってきたしげが、私をたたき起こしたのだ。 いや、実はね、ついにテメエの女房にメール送るハメになっちまってね。 ……たいしたことは書いてないんだよ、昨日一日、仕事場で何があったかとか、そんなことしか書いてない。 なのになんであんなに喜ぶかねえ。でもうれしいのはそれとして、寝てる夫を叩き起こすんじゃねーよ。芝居見てる最中に眠っちまったらどーすんだ。
コンビニで買ったシェーバーが使いやすい。 旅行用だから、と安物を買ったのだが、本体をクイッとひねると、ケースが反転して刃の部分が出てくるしかけ。手のひらサイズで小さいのによく剃れるのだ。 旅行グッズを購入すると、ちょっとした小物で気にいるものを見つけることが多いが、このシェーバーはなかなかのヒット。
マンガ、竹本泉『てけてけマイハート』1巻。 24歳なのに中学生にしか見えない女の子……子じゃないけど、の物語。 なんだかしげを見てるみたいでやな設定だなあ。 でももっと近いのは『ここだけのふたり!』の奥さんのほうだけどね。
で、Part2(^^)。
荷物を極力減らして福岡空港へ向かう。 1時間以上も早く出ているのに、心配性の女房は「ギリギリだ」とベソをかいている。 世間では搭乗手続きの30分前に着くことを「ギリギリ」とは言わない。
今回の旅行、旅費だけでン万円してしまったので、東京での食費その他はしげに借金、泊まりは友人のこうたろうくんチになだれ込むという、極めてハタ迷惑な計画である。 さすがに手ぶらでお邪魔するのも非道なので、土産の一つも買おうかと、空港の土産物屋を物色する。こういう時、オタクは絶対まともな土産物を選んだりしない(^^)。 数年前からこの博多の土産物というのに、キャラクターものが異様に増えてきているのだが、「カールおじさん」も「ミッキーマウス」も「ハローキティ」も、みんなハッピ着て「山笠」に乗っているのである。 しかもみんな明太子味。 ……これって、アレですかね、博多以外の人間に明太子の偉大さを知らしめてやろうという博多人の傲慢さの表れではないですかね。 言っときますが、こんなもん自分で買って食べる博多人はいません。 明太子そのものは私も好きですが。 ……こんなの送られたって困るだろう、という感じだが、実は以前東京に行ったときにも私は友人に「山笠キティちゃんの高菜」を送っているのである。 アチラの娘さんがキティちゃんのファンだというのに味をしめて、今回は「山笠キティちゃん長浜ラーメン(ピンクとイエローの器付き)」を買う。友人の困った顔が見えるようだ(^^)。
さて、土産も買ったし、登場手続きも済んで、あとは乗りこむだけ、という段階になって、場内にアナウンスが。 「天候不良のため、10分ほど発着が遅れております。もうしばらくお待ち下さいませ」 ああ、ちょっと、遅れているのかあ、まあ、曇ってるからしかたないかなあ、とのん気に構えていたのだが、出発時刻になっても状況に全く変化がない。 アナウンスが突然、 「出発予定の機体が、天候不良のため上空で旋回中です」 に変わった。 おいおい(・・;)、と思って空を見るが、確かに雲って小雨がぱらついてはいるが、ひどい天候のようにも見えない。それとも上空にアンバランスゾーンでもあるのか、とだんだんイライラしてくる。 待合の前の席では、やはり同じ飛行機に乗るらしいおじさんが暇つぶしに例の『チーズはどこに消えた?』を読んでいる。……なんだか状況に似合ってる気はするが、ここで、「いつまでも待っていても仕方ない、ほかの手段を探そう!」と考えたって意味ないよな。つくづく役に立たん本である。 ようやく機体が到着した、ということで、バスで機体まで運ばれる。これがまた空港の端から端までの移動で、えらく時間がかかるのだ。 スカイマーク、他の会社に比べて、ちょっとないがしろにされているのかも。 ようやく乗りこんで、いざ出発かと思ったら、またもやアナウンス。 「ただいま出発時刻が大幅に遅れております。あと15便後の出発ですので、しばらくお待ち下さい」 絶対、差別されてるぞ、スカイマーク。
待ちの間、仕方なく本でも読んでいようかと、持ってきた文庫本を広げた途端、しげが「旅行になんで本を持ってくるの!」と怒って取り上げる。 「だって、退屈だし」 「私と話したくないの?」 「そうじゃないけど、今はできないじゃん。出発すんの待ってんだし」 「……解った」 「本、返してくれる?」 「私が読む」 ……仕方ないので、私は機内サービスのオーディオで、寄席と漫才を聞いていたのだった。
山遊亭金太郎の「善哉公社」、ぜんざい屋がもしもお役所だったら、という発想は面白いのだが、ぜんざい一つ食べるのに書類に住所氏名年齢、職業まで書かされ、窓口をタライ回しにされるまではまあ笑えるが、本巻と別館が四駅も離れていたり、違約金が30万円だったりと、エスカレートのさせ方がいきなり過ぎて笑いが急に引く。語り口も今一つ解説的でトチリも多く、これで真打とはなあ、とちょっとガッカリ。 Wモアモアの漫才「妹の結婚式」はまあまあだったが、トリの三遊亭夢太朗の「寝床」がまたひどかった。古典なので筋を書くのはは省くが、義太夫を聞きに来ない人間の数を増やしすぎているのである。そうやって長引かせておいて「半ば」で終わりってのはちょっとひどいのではないか。 このオーディオサービスの落語、他の航空会社でもやってるが、スカイマークは本数も少ないし、縁者も今イチな人ばかりである。やっぱり予算が足りないのか?
結局出発は到着時刻を越して、1時間40分遅れで福岡空港を飛び立った。 その間、斜め前の席で、小学生くらいの子供が「窓際の席がいい」と泣きじゃくり続け。それをまた母親が全くしつけられない。「落ちついて」というばかりで、実質放任状態である。 昔と今を単純に比較するのも年寄りの繰言みたいでアレなんだが、ウチの母親だったら、5分も私が泣いてりゃ便所に引っ張ってって、ケツひっぱたいてるな。いや、それ以前に、私は子供のころから、「外では泣かない」ように徹底的に躾られているのである。 「外で泣くようなら旅行にも映画にも二度と連れていかない、外だろうとなんだろうと、尻をひっぱたくし、“やいと”をすえる」 それくらい、幼児虐待でもなんでもないのになあ。 私が隣の席だったら、このガキ、泣けないくらいに脅してやるんだがなあ、と思っていたが、1時間以上泣き通してそれに影響されたか、あっちでもこっちでも子供が泣き出した。 たまりかねて後ろの方の窓際のおばさんが「代わってあげようか」と申し出たが、ガキは「やだ、あっちの席がいい」、とまだ泣く。 結局、ガキから「指名」された窓際の女性二人に頼みこんで、その母子が席を移った途端、ガキはケロリと泣き止んだのだが、もしかしたらこいつら、初めからそれがねらいでやってた確信犯だったんじゃないかなあ。 この母子は幸いである。 もし窓際にいたのが私ら夫婦だったら、絶対席は譲らない。それどころか、この母子、多分、飛行機自体を降りることになっていたただろう。 ……ガキガキと悪く書いてしまったが、子供に罪はなく、悪いのは親であることは明らかだからだ。
飛行機からの降りしな、この母子をチラリと見たが、ガキの顔は宮川大助そっくりだった。育て方間違えると顔も歪んでくるのかなあ……って宮川さんごめんなさい。
羽田空港に着いたのは1時過ぎ、迎えにこうたろう君が来ている。 「すまない、待ってる間あんまり腹減ったんで、先にカレー食べちゃった」 ……いや、謝るならこっちの方だってのに(ーー;)。 モノレールで浜松町まで、外は小雨といってもほとんど傘を差す必要もなく、なんであんなに飛行機が遅れたか、やっぱりよく分らないのだった。
六本木まで地下鉄で移動、ハードロックカフェ東京で、少し遅い食事。 こちらの建物は福岡のホークスタウンにあるものと比べるとひと回りほど小さい。でも建物の壁面にでっかいキングコングの人形がぶら下がっているのは東京だけのようだ。 店内に入り、席に着いてビックリ、壁にまたでっかい「サ○ババ」の写真が飾られているのだ。 「なんでサ○ババ?」とこうたろう君に聞くと、 「しっ! あれはジョン・ベルーシだよ」と言う。 ……もちろん冗談で言っているのだが、もしかして何か「触れてはいけない事情」と言うものでもあるのだろうか。 謎が多いぞ、ハードロックカフェ。 こうたろうくんはカレーを食べているので、ハンバーガーもサンドイッチももっぱらしげと私とで食う。なのに払いの方は、いつの間にかサラッとこうたろう君が払っていたので、我々は先ず負け1でスタートしたのであった。 これ以降、何やかやと「どちらが払うか」で勝ち負けを競っていたのだが、くどくなるので書かない。でもトータルすると3勝10敗くらいで負け越した気がする。これじゃマジでタカリ魔だな。 こうたろう君、ほんとにどーもすみません。
芝居を見るまでには時間の余裕がありそうだったので、目黒まで回り、「目黒寄生虫館」に行く。 大学時代、いっぺん話のタネにここに行ってみよう、と思っていたのに、行きそびれていた。昔はいかにも怪しげな、秘密の研究所か衛生博覧会か、という雰囲気だったらしいのだが、何年か前に改装されて、今は外観はすっきりしたデザインのちょっとしたデートスポット、と言ってもいい感じになっている。 実際、カップルも結構来てたし。 中に入ると、思っていたよりずっと狭い。 倉知淳のミステリ『日曜日の夜は出たくない』の舞台にもなっていたので、まず「作中に登場するエレベーターはどこだ?」と探してみたのだが見当たらない。あのあたりの描写はやはりミステリとしての創作なのかな、と思って展示物を見て回る。 やはり8.8メートルの日本海裂頭条虫(サナダムシ)、というのが圧巻。横に「これと同じ長さです」と、8.8メートルの紐がフックに引っ掛けてあって手に取れるようになっているのだが、確かに長い。手繰っても手繰っても終わらないのだ。こんなのに寄生されてたら食っても食っても終わらんのじゃないかという気がしてくる。 しげのあの食いっぷり、もしかして寄生されてるのではなかろうか。 こうたろう君、葛飾北斎の描いた陰嚢象皮病患者の絵を見て感心している。これはバンクロフト糸状虫が脚の付け根のリンパ管に寄生するためにリンパ管および皮下組織が増殖する病気である。 つまりき○たまがどでかくなっちゃう病気なのですね。 これがまたどれだけでかくなるかというと、股間にサンドバッグを引きずってるくらいどでかい。ウソだと思ったら、みんなも目黒寄生虫館に行ってみようね。 しげは劇団のメンバーへの土産として、寄生虫ハガキを買いこんでいる。この「もらって困る」ものばかり買う、というのは我々夫婦の悪癖なのだが、文字通り「粗品」なのであるから、我々の謙虚な心の表れとして受け取っていただきたいものである。 寄生虫Tシャツも売っていたが、しげは「思ったほど立体的じゃなかった」と買わなかった。フタゴムシのロゴマークなんか、ちょっと見ただけだと蝶々みたいでかわいかったのになあ。 最後までしげは「寄生虫饅頭があれば買ったのに」と悔しがっていたが、そんな売れんと解ってるもの、誰が作るか。
「寄生虫館」の裏手にちょうど中井英夫『虚無への供物』で有名な目黒不動尊がある。 と言ってもこうたろうくんにそう言われるまで忘れていた。これだから濃いミステリファンは油断がならない(^_^;)。 細い、民家の間を微妙に蛇行している一見参道のようには見えない路地を抜けて行くと、目黒不動尊の裏手に出る。表に回る間にも急勾配の坂道をぐるりと降りていくが、木が道に差し掛かって、曇り空ではあったが、晴れた昼の日でもこの小径はやや暗いのではないかと思わせた。 こうたろう君、街中なのに鬱蒼とした雰囲気に感心したのか、「いやあ、これはミステリーの舞台になるよ」と呟く。 なるほど、死体の一つや二つ転がっていてもおかしくない……って、お不動様に対して失礼な。 残念ながら不動尊は閉ざされた扉の向こうで拝むことができなかったが、なぜか本堂の裏手で雨ざらしになってる大日如来像などはじっくり見物できたのであった。 こうなると残る目赤、目白、目黄不動も全部回ってみたくなるなあ。
天王州アイルまで戻って、時間待ち。 海が近いので、しげはやっぱりはしゃいでいて、ずっと外で海を見ていたい様子であったが、さすがにこちらは1時間も潮風にさらされたいとは思わない。芝居の時間まで喫茶店で過ごす。 「ここもバブリーな建物なんだよなあ」とこうたろう君。 「でもそういうのがたくさん建ってくれたほうがいいよ。芝居が見られるから」と私。 芝居だの映画だの、制作に関しては基本的に山師的な特徴を持っているものなのだ。おかねもちのオトナ達をうまい具合におだてて乗せて、自分たちの芝居をコヤにかけさせてもらわねばならぬのである。 いつぞやの「二国」問題なんかもその延長線上にあるよなあ、と私なんかは思っているのだが。その第二国立劇場も今回の旅行で通りすがりに見られた。イヤハヤ、予想通り、ムダにでかい建物である。 喫茶店の名前は忘れた。多分スターバックスみたいな店。しげに言わせりゃちょっと気取った感じの店は全て「おしゃれカフェ」である。 アイス・カフェ・ラテを注文するが、内心、たかがアイスコーヒーに何を気取ってそんな名前を、と舌打ちしている。こういう男は女の子との間にムードを作ることが徹底的に下手である。
劇場、アートスフィア前には花輪の山。 へえ、こんな人もあんな人も、と見ていてなかなか面白い。ビートたけしとか所ジョージとかに混じってなぜか宮崎哲也。どこで誰とどう知り合ったんだか。 笑ったのはきたろうさんに送られていた「クウガと愉快な仲間たち」からの花輪。未確認生命体も仲間の中に入ってるのか? 芝居のパンフを買って、買い損ねていたCDも購入、シティボーイズのグッズでもあれば買いたいなあ、と思ったが、そういう類のものはない。 「そんなん作っても売れんやろ」としげが言うが、「寄生虫饅頭」に拘ったアホに言われたくはない。
いよいよ『ラ・ハッスルきのこショー』の始まり。 オープニングからいきなり五人の方々がある正装をして現われたので場内爆笑。 いずれWOWOWで放送されるし、それを楽しみにされてる人もいるだろうから、詳しい内容はここでは書かない。 でもシティボーイズのお三方と中村有志、いとうせいこうのお二方のコンビネーション、3年ぶりでカンが狂ったりしてないか、とか、演出家が代わったので、ギャグのレベルが落ちてないか、とか心配していたのだが、それら不安の全ては杞憂。 いやあ、ナマはやっぱり気持ちいいっすよ! ビデオを通しても面白かったスケッチの数々、ナマだと感動は5倍、10倍に匹敵する。メンバーの諸君もぜひとも今からおカネをためて、来年はみんなで東京に行こう! 一月で一万円ずつ貯めれば、余裕で二泊三日できるぞ。
ああ、でも今回も放送禁止になるんじゃねえかってネタ、結構あったなあ。 『ラ・ハッスル千恵子ショー』、下手すりゃ全編カットされるんじゃないか。 おっといけねえ、内容に触れねえと言いつつ、つい筆が滑っちまったい。 芝居についてはここまで。
こうたろう君のウチに泊めてもらうのはもう十何年ぶりだろう。 思い返すと学生のころからこうたろう君には世話になりっぱなしだったなあ。 「息子たちが楽しみにしててねえ、有久さんに会えるって」 ……どんな紹介のしかたしてるんだか。残念ながらもうお子さん方はお休みだったので、奥さんにご挨拶して、部屋に案内してもらう。 もう布団が用意されていて、布団マニアのしげは早速寝転がってご満悦。実際こいつには肉料理と白いメシと布団をあてがっておけば一生幸せだろう。
お風呂をいただいて、福岡から持ってきたDVD『エクセル・サーガ』最終巻をこうたろう君、しげと私の三人で見る。 最終話は実はテレビでは未放映だったので、こうたろう君は未見。 ああ、しかしこれは血はドバドバ吹き出るは、ホ○ルが出て来て幼女の巨乳は出てくるは、とてもご家族で楽しめるアニメではないなあ。そんなもんを夜中に見てケラケラ笑ってる我々って、いったいなんなのだ。 こんなバカアニメを「これで悔いはない」と言いきるほどに待ち望んでいたこうたろう君も人の親としてどうか。 ……って、DVD持ってきたのは私だって(^_^;)。 こうして東京の夜は更けて行く。いや、どこの夜も更けるけど。
| 2001年05月02日(水) |
行って来ます。/『20世紀少年』5巻(浦沢直樹)ほか |
昨日、掲示板に劇団メンバーの書き込みがないよう、と書いたら、早速よしひと嬢とC−1君から書き込みがあった。感謝。 パソコン持ってるやつ、あとはあまりいないからやりとりができるのはここいらまでか。 でも鴉丸嬢や穂希嬢が書きこんできた日にゃあ、掲示板がシモネタで埋めつくされることは目に見えている。 そのときは、AIQのエロさんに引き取ってもらおうかな♪(念のため注。エロさん本人は決してエロな方ではありません)
旅行前にまた訃報と言うのも悲しい話だが、映画監督のケン・ヒューズ監督が死去。 誰だそれ、と言われても仕方がないくらい日本では無名であろう、この監督、私のフェバリット・コメディである『OO7/カジノロワイヤル』の監督の一人なのである。 一人、と書いたのには理由があって、この映画、複数の監督にバラバラなシーンを撮らせて一本の映画にしたてたというとんでもない作りの映画なのだ。 「OO7」、と聞いて、ショーン・コネリーやピアース・ブロスナンを思い浮かべて、ああ、あのスパイアクション映画ね、と思ったら大間違い。原作無視どころか、脚本もデタラメ、よくパロディ版OO7と評されるが、そんなハイレベルのものではなく、ただただアホでベタで寒いギャグのオンパレード、ただ「バカ映画」としか言えないシロモノ。 だもので、この映画、筋が全くつながっていない。主役はコロコロ代わるは、設定は変わるは、で、なんなのあの結末は、という、多分映画を見た半分以上の客が腹を立てて帰ったであろうほどにいい加減なのである。 そんな映画をなぜ私が好きなのか? それは、コメディとは「笑える」映画ではなくて「呆れる」映画なのだ、ということに開眼させてくれたからである。 何しろねえ、悪の組織スメルシュを探索するために、OO7ジェームス・ボンドが七人出て来るんだから。中には女のボンドもいるぞ(^^)。 ホンモノのOO7を演じてるのはデビッド・ニーブンなんだけど、その甥っ子がウディ・アレンって、なんでイギリス人の甥がユダヤ人なんだよ。 誰がこんなギャグ書いたか分らないんだけど、監督のケン、翌年に同じくイアン・フレミング原作の『チキ・チキ・バン・バン』の監督を、これまた原作無視のミュージカル・コメディに仕立てていることを考えると、その辺結構関わってるのではないか。 未見の方はぜひとも一見、そして呆然としてほしい。
帰宅して、しげと近所の「ガスト」で外食。 オムライスシチュー、味が今イチ薄いが、その方が私にはちょうどよいのだろう。 トラベルセットなどをコンビニで買って帰ることにするが、しげ、言い間違えて「トラブルセット」という。 ……ホントにあったらどんなシロモノかな。持ってるだけで災厄が訪れる……って、呪いのアイテムじゃんか。ほしくないなあ。
しげは今日も仕事。旅行の前日くらい休みを取ればいいのになあ。 「だって三日も休むのに、前日休めないよ」 でも疲れて旅立って、肝心の芝居の最中に寝たりしたらもったいないと思うけど。 しげが出かけたあと、ようやく明日の東京行きの準備を始める。 当然着替えのための衣服をタンスや押し入れから取り出さねばならぬのだが、そのタンスや押入れの前にも本が平積みで山になっている。 先ず、その本を横にどけねば、と、手に取って。 はい、オチが見えましたね。 気がついたら本を読んでいて、準備が全然進まない。 準備が一応終わったのはようやく2時。……一応、というのは、まだ洗濯した下着が乾いてないからです。 あとは翌朝。
マンガ、浦沢直樹『20世紀少年』5巻。 ああ、20世紀編は大河ストーリーのプロローグだったのか。 一昨日の飲み会で、「もうすぐ終わるんじゃないか」とか言って話題にしていたが、こりゃ完全に読みが外れた感じ。多分、これは20巻はいくな。 本当のヒロインは「彼女」なわけだ。キャラデザイン的には従来の浦沢ヒロインと大して変わりがないように見えるが、何しろバックグラウンドに5巻を費やしている。多分ありきたりな展開にはなるまい。 そう言えば飲み会の中でゴクウさんが「マンガ家三大なおき」って言ってたな。「なおき」という名のマンガ家はみな天才だそうである。 曰く、「浦沢直樹」「唐沢なをき」「山本直樹」。 ……納得だなあ。
神坂一原作・トミイ大塚作画『スレイヤーズすぺしゃる』3巻。 帯にアメリア登場、と、あったので、もしやついに「ナーガ」とのご対面? と思ったが、すれ違いでやんの。 ……まあ、そうするしかないよな。
ちと疲れたので今日はここまで。 まだもちっと買いとくことはあるのだが、それも帰福後。 それではみなさん、行って来ます(誰に向かっていっとんじゃ)。
| 2001年05月01日(火) |
実は某大学推理研OBです/『チーズはどこへ消えた?』(スペンサー・ジョンソン)ほか |
わあ、また雨だ。 先週の「ずっと晴れ」の天気予報はどうなったんだよう。 しかもつい今日が月曜日である気になって、早出の日なのに寝過ごしちまった(月曜は遅出なのです)。 ああ、5分遅刻。 しかも慌てて走ったので職場の玄関で派手に転んじまった。 ……転んだ直後は痛くなかったのに、夕方頃からビキンビキンと筋に沿うように痛みが走るようになった。 明後日から旅行だと言うのに、ひどくならなきゃいいがなあ。
今日も仕事は目白押しで休む暇もないのだが、いい加減活字に飢えている。 ちょこちょこと読み進めている本は何冊もあるのだが、なかなか読み切れない。そう長くない本でも読もうかと、『裏モノ会議室』でも話題、というより「(笑)」になっている例のあのベストセラーを読んでみた。
スペンサー・ジョンソン『チーズはどこへ消えた?』。 もう大爆笑(^O^)。 物語としての深みなんかありゃしない、ただの熱血スローガンだけで出来あがっているバカ本であり、トンデモ本である。もっとはっきり言っちゃえばオウム真理教の教本とレベル的にはほぼ同一だ。 マンガで言えば『巨人の星』であり『エースをねらえ!』であり、ハマるやつはハマるだろうが、要するに一見怠惰に見える保守派(ほんとはそんなことないけどね)を蔑み、「変革」という名のもとに弱者を疎外し迫害しようっていうクソみたいな本だ。 こんなもんに感動してる連中が多いってのは情けないが、これで「民衆は洗脳されたがってる」ってのがはっきり解るという点では面白いね。 世の中に「パロディにされるために生まれてきた」本があるとすれば、これはまさしくそうであろう。私はこの本の「チーズ」という単語を全て「チ○チ○」(←わかんないヒトのために、解説しよう。ペ○スのことだよ)に置き換えて読んだ。「チーズ」は全ての求めるものの象徴だって言ってんだから、著者は怒るわけにはいかないはずだ。 ありがちだけど、この本が語っているもっともらしいスローガンの質がそれくらい低レベルだってことが、よーっく、わかりますよ。チーズだかなんだか知らないけど、人間は「目標」なんてモノを持ってたら現実的にはロクなことをしないんだけどね。 さあ、みんなも「チーズ」をいろんな単語に置き換えてご覧♪
疲れて帰宅すると、しげがパンを買ってくれている。 「食べていいか?」 と聞くと、「イヤ」と言う。 私のために買ってくれたのに食べちゃいかんというのは意味が解らない。 「なんで食べちゃいけないんだよ」と文句を言うと、 「……残して」 ……半分こしたいんだったら最初からそう言え(ーー;)。
NHKBS2で『ゴーストバスターズ』見る。 DVDも持っているのだが、字幕がテレビ用だと微妙に違う。 「ゲイトキーパー」が「門番」なのは同じだが、「キーマスター」を「かぎ師」ってのは意味が通らんぞ。要するにこれはホテルの鍵の管理人と同じことなんだから、「鍵番」でいいんだよ。 笑えたのはあのビル・マーレイがウィリアム・アザートンを罵倒するシーン。 「はい、市長、こいつはタマナシ(peck)です」 これが「こいつは怒りんぼです」に変えられていた。 怒りんぼって……かわいいぞ。 これでアザートンがマーレイに殴りかかろうとするんだけど、それじゃホントに「怒りんぼ」じゃん。……もしかしたら、これ、改訂をNHKに命じられた翻訳者が、やけになったのかも知れないなあ。
続いて見た『シャーロック・ホームズの冒険』は『ソア橋事件』。 横溝正史の『本陣殺人事件』の元ネタになったやつだな。トリック自体は今や古色蒼然としてしまった感があるのに、今でもじっくり見られるのは、キャラクター造形が古びてないからなんだよなあ。 新本格の作家たちが見習って欲しいところである。
山田風太郎原作、石川賢作画、『柳生十兵衛死す』1巻。 既に『魔界転生』を漫画化し、ただでさえ面白い原作を更なる奇想をもって最高に面白くしてしまった経験を、そのままこの「柳生十兵衛三部作完結編」にも応用してきた。 イヤ燃えましたよ、何たって、『甲賀忍法帖』のあの不死身の薬師寺天膳が、柳生十兵衛と激戦を繰り広げるのだ! 石川賢は、風太郎忍法帖で『バイオレンスジャック』をやるつもりだ。 恐らく、『伊賀忍法帖』も、『九ノ一忍法帖』も、『柳生忍法帖』も、もしかしたら『妖異金瓶梅』や『明治波涛歌』まで、全てその石川ワールドの中に取りこんでいくかもしれない。 注目の一冊である。
先日、日記ランキングつながりの少女漫画家さんからのメールで、「私の正体、推理してもいいですよ〜♪」とのご許可を頂いた。 なんだかお互いに気遣いあって妙なことになってしまったが、どうやらお怒りではない様子なのでホッとする。 私の人となりをご存知の方は先刻御承知だが、一見、シニカルに見せかけてはいても、基本的には青春野郎なのである。マジで『飛び出せ!青春』が人生のバイブルだった時期があった(「LET'S BEGIN!」だぜ!)。 ……何が言いたいかっていうとさ、私ゃ未だに女性に対しては幻想を抱いてるとこあるわけよ。なんかね、推理しようにもね、いわゆるマドンナ像みたいなものが頭ん中に出来あがっちゃってて、その漫画家さんについては、既に夏目漱石の『三四郎』の美禰子がパラソル持って歩いてるものだから(古いな)、もはやほかのイメージが想像できないのですよ。 でもまあ、乗りかかった船だ(いつだよ)。 勝手に想像しちゃおう。
まず言えること。 彼女は「さくらももこ」ではない。 清水に住んでないし、ご主人はいらっしゃるし、あんなおっちょこちょいのとんちんかんでもない。
彼女は「玖保キリコ」でもない。イギリスに住んでない。
彼女は「美内すずえ」でもない。 ちゃんと連載は続けられてるようだし、第一アレがアレしてアレになったりしていない。
彼女は……。 アカン、消去法で行ったらキリないがな。 ちょっと視点を変えねばな。
プロフィールによると、お仕事が少女漫画家・美少年漫画家とあるが、わざわざ「美少年漫画」と書いてあるところがヒントかなあ。でも二十年前なら「美少年漫画」なんて『風と木の詩』と『摩利と新吾』くらいしかなかったけど、今は腐るほどあるしなあ。……幼年誌には描いてないかな。 むしろ月産「40〜50ページ」というのがヒントになるかも。 月刊誌でも普通は30ページくらいが普通だから、これは2誌以上に渡って描いているか、月二回刊の雑誌に描いてるかどちらかじゃないかな。 ただ、今のところ日記からは数誌に渡って描いてるような感じはないから、やはり月二回刊誌か? うーむ、パッと思いつくのは『花とゆめ』くらいだけど、きっとほかにもあるよなあ。 漫画家さんはよく自分の漫画の欄外に近況報告描いてるから、それを手がかりにするというのもアリかも。ともかく独身やデビューしたばかりの人は除かれるだろうし。 ああっ、もう推理するためのデータがない(+.+)。
うーむ、やっぱり「ジッチャンの名にかけて」ってわけにはなかなかいかないな(^_^;)。
今週、どういうわけだかエンピツのランキングの得票数が増えている。 先週まではどんなに行っても15票くらいが限度だったのに、今週は三日でもうそこまで達してしまった。 なんでかなあ、と思っていたが、実はしげの仕業であることが解った。 と言っても、しげ本人が何度も投票ボタンを押してるわけではない。 しげは、ちょこちょことこの日記の環境設定などを変えて使いやすくしてくれているのだが、その投票ボタン、今までは「投票」としか書いてなかったのを、「読んだら押してね」に書き変えていたのだ。 こりゃ、何も知らない人が読んだら、「なんだろう?」と思って、とりあえず押すわな。なかなか卑怯なワザを使うやつである。 このワザ、シティーボーイズのライブ『ウルトラシオシオハイミナール』にあったギャグネタの応用だな。
『シティボーイズミックス ラ・ハッスルきのこショー』、いよいよ明後日見るために東京行きである。 この日記も5/2〜5/3の間更新が停止しますが、よろしければその間も投票ボタンをよろしく。 結構、日記を書く励みになりますもので。
それにしても劇団のメンバー、掲示板に全く書き込みしてくれんなー。 ……もしかして、身内なのに読んでくれてない?(・・;)
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☆劇団メンバー日記リンク☆
藤原敬之(ふじわら・けいし)
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