無責任賛歌
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| 2001年11月30日(金) |
心臓止まってもDVD……バカ?/ドラマ『五辨の椿』第1回/DVD『ハレのちグゥ』3・4巻ほか |
11月も終わり。 月末ばかりでなく、年末は手元不如意なことが多いが、銀行に入院の保険料が降りているので、今月は少しばかりオカネに余裕がある。 っつーか、入院中に降りるようにしてくれよ。実際にカネ払うのはそのときなんだから……って、ちゃんと診断書が出ないとオカネが降りないってこと、わかっちゃいるけどさ。
昼過ぎから、急に心臓がバクバク言い出す。 なんだなんだ、この上わしゃ、パニック・ディスオーダーにでもなったのか。 いやまあ、生まれつき不整脈の持ち主なんで、時々あることなんだけどね。それにしても、ここしばらくは全然そういう兆候もなかったのに、いきなりどうなったんだか。 やっぱり仕事がツライのか。溜まってる仕事、あと一息で終わるかなって感じなのに、どうしてこういう時に。 座っていても胸が締め付けられるように痛い。 しかし、ここで倒れるわけにはいかない。 だって……だって……DVDのポイントカードが今日で切れるんだもの! 天神ベスト電器本店のLIMBで、スタンプを今日中に押してもらわないと、5000円分くらい損をしてしまうのだ。 ……あ、私は病気になっても、よっぽどのことがない限りアソビを優先するバカですので、同情なんてしちゃいけませんよ。 いや、ホント。
しげに電話を入れて、車で迎えに来てもらう。 「どうしたん、早引けなんてして」 「具合が悪い。ちょっと寝かして」 助手席のリクライニングシートを思いきり倒して横になる。 「すぐ帰るやろ?」 「……いや、天神に行って」 「なんで! 普通は病院やろうもん!」 「寝てりゃ治る!」 で、ホントにそのまま寝てしまった。寝たっつーより「落ちた」に近かった気はするが。 それでも、車に揺られているうちに、それがちょうどよい心臓マッサージになったのかもしれない。ノドから飛び出しそうに脈打っていた心臓、どうやら落ちついてくる。 「ああ……30分くらい寝てたな……着いた?」 「着かね〜よ! まだ博多駅!」 「遅いなあ」 「平日の昼間、天神コースが混んでないわけないだろ!」 「平日の昼間、天神に行くことなんてないから知らね〜よ!」 いや、冷静に考えたら間違ってるのは私の方なんだが。
しげブツブツ言いながら天神まで行く。 ベスト電器の駐車場は当然満席。中央公園の地下駐車場に乗り入れる。 私の心臓もそのころにはほぼ平常に戻る。 でもまだ何となくナマ汗は出てくる。どうも今週はカラダのコントロールがうまくいかない。
LIMBで、買い忘れていた『ら・ハッスルきのこショー』や『ナジカ電撃作戦』『ハレのちグゥ』などのDVDを買う。 ついでに迷いに迷っていた『名探偵ポワロ』(ホントは「ポアロ」にしてほしかったなあ。フランス語発音はそっちの方が近い)のDVDBOXを予約する。全3巻で、計じゅうまんえんだぜ。三ヶ月置きに出るとは言え、単発のDVDは買い控えないととても買えない。でもまだ『コロンボ』BOXも続いているのだ(-_-;)。 ……だって、私の周囲でこんなのまで買いそうな人、いそうにないんだもの(ToT)。しかし、『ポワロ』だって、しげがデビッド・スーシェのファンでなかったらとても買えないところだったのだ。 『シャーロック・ホームズ』もほしかったんだけどなあ。しげがこっちのほうにはそう入れこんでなかったし、多分いつかは女房子供を質に入れてでも買っちまいそうな心当たりがあるから、断念した。
……というわけで、『パワーパフガールズ』はビデオもDVDもBOXもまだ全然予約してないのである。 少なくとも、いくらファンでも、3種類全部はとても買えない。 BOXが出るのは先のようだから、ともかく『ポワロ』を買い終わったころに出るのを待つしかない。
近所のカレー屋『CoCo一番屋』で、しいたけの肉包みカレー。 そこに置いてあったスポーツ紙で、「紅白歌合戦のメンバーが決まった」というニュースを見る。 宇多田も倉木もサザンも出ない紅白になんの意味があるかよくわからんが、それでもちょっと見たくなったのは、「ザ・ドリフターズ」が「歌手」として登場するから。 応援では何度となく出場しているが、こうやって「選手」に祭り上げられたということは、「ドリフターズ」がコメディグループとしては完全に終わったのだ、ということを、紛れもない事実として私たちに提示したということなのだ。 淋しい。 認めたくない。 けど仕方がないのだ。 今や10代の子の殆どは「ドリフ」どころか加藤茶の存在自体知らなかったりしているのだから。
セブンイレブンで、やっと今週の『ヒカルの碁』を立ち読み。 ヒカルとアキラの絵的な成長、どこかイビツなものを感じる。無理に背伸びして心とカラダのバランスを崩してるみたいで。 ヒカルが囲碁の世界i戻ってきたのはいいけれど、そんなに早くアキラと戦わせていいの? 互角に戦うにしろ、一方的な勝負になるにしろ、試合後の盛り上がりがなくなっちゃいそうで心配なんだけど。
元ビートルズのギタリスト、ジョージ・ハリスンが29日午後1時半(日本時間30日午前6時半)、喉頭がん、肺がん、脳腫瘍の合併症により死去。享年58歳。 煙草の吸い過ぎが原因なんだってな。日本人にはピンと来ないのかもしれないけれど、これもドラッグによる中毒死なんだぞ。世の愛煙家、少しは自分たちのアタマがイカレてること、知っといたほうがよかないか。 いや、別に煙草を吸うななんてゴーマンなこと言いたいわけじゃない。 自分たちの行為がいかにも「正しい行為だ」みたいに開き直ってるヤツは多いけど、客観的にはそんなのただのアホにしか見えないんだってことくらいは知っとけよって意味だよん。 でも私ゃ基本的にアホは好きなんである。一般的に、ビートルズの4人のうち誰が好きかとファンに聞けば、そのほとんどがジョン・レノンとポールマッカートニーの二人を選ぶだろうが、私ゃ昔っから、リンゴ・スター、ジョージ・ハリスンがヒイキだった。 もちろん、この二人が「コメディに理解がある」からに他ならない。 リンゴには『おかしなおかしな石器人』という主演(バカ)映画があるし、あのしょーもない「リンゴ、摺った〜?」のCMも懐かしい。 ジョージは言わずと知れた『サタデー・ナイト・ライブ』のギャラ交渉のスケッチ。そして、なんと自分自身のパロディに対するコメンテーターとして登場した『ザ・ラットルズ』。宗教に走っちゃった人かもしれないけど、なんかこれだけで「いい人だなあ」と思えちゃうのだ。 当然、私は、リンゴとジョージの歌は一曲も知らない。でも知ってるジョンやポールよりも大好きだ。こういう「好き」のなり方だって、あってもいいだろう。
テレビのチャンネルを回し……いやいや、変えて、ジョージのニュースを探したが、ようやく見つけたのはBBC放送をそのまま流したCSニュースチャンネルだけ。 ポール・マッカートニーのインタビューがあったのはもちろんだが、モンティ・パイソンのマイケル・ペイリンが、「ジョージはすばらしい人格者だった」とコメントしていたのには泣けた(ペイリンは『ザ・ラットルズ』で、アップルの財産を持ち逃げしたマネージャーを演じている)。
でも、そこだけなんだよなあ。 NHK、民放、どこを見てもニュースは「雅子さまいよいよご出産か」ってことばかり。ヒドイとこになると、ただそれだけのニュースをひたすら繰り帰し流し続けている。 何しろアフガン関係のニュースすら、全く流れなくなってんだからこりゃ異常だ。いつ生まれるか分らないから臨戦状態でってことなんだろうけど、その間に起こってるニュースをみんな無視するってのは、日頃、自分たちが口角泡を飛ばして否定していた“偏向報道”ってやつじゃないのか。
雅子さんが男の子を生もうが女の子を生もうが、私ゃ別に文句つける気は全くないんだけれど、どうして「男の子が生まれれば皇位継承第一位」なんて、ニュースにしなくてもいいような解りきったことをキャスターがみんな異口同音に喋り続けているのか。 「子供」が生まれることを喜んでいるのではない。 「皇位継承者」が生まれることを喜んでいるのだ。 これって、日本人が誰一人として、天皇家を「人間」として見ていないことの証拠じゃないのか。こういうサベツを露骨に受けていながらニコヤカにしてなきゃならない天皇家の人々にはマジで同情しちゃうんである。
NHK金曜時代劇『五辨の椿』第1回。 今日は『太陽にほえろ! 2001』と、『浅見光彦・津軽殺人事件』と、これとが重なってたので、悩みに悩んだ末、『太陽』を録画して『五辨』を見ることに。 この判断、まあまあ正しかったか。 ご承知の方もあろうが、この『五辨』の山本周五郎の原作には、更にモトネタがあって、それはコーネル・ウールリッチの『黒衣の花嫁』である。 だから、これは女性復讐鬼の物語なんだけど、ヒロインがまるで現代の軽い女の子で、まるでらしくないのだ。それともこれはまだ普通の大店の娘のころなんで、かわいいだけの演技をさせてるのか? なんにせよ、「次回で化けるかも」って期待だけで話を次回に引くのは、ちょっと止めてほしかったよなあ。
DVD『ナジカ電撃作戦』第1巻。 エアチェックより、DVDの方が当たり前だが発色がいい。 しかし、女キャラはともかく。登場する男がみんなオジサンばっかで、若くてかっこいい男が敵にも味方にも少ないことに気がついた。 ……だから、見てる方も自然と「おじさんモード」でナジカやリラを見るように心理誘導されてるんだよなあ。 パンチラ見ててエロい気持ちになるのも仕方ないか(^_^;)。
DVD『ジャングルはいつもハレのちグゥ』3・4巻。 原作漫画より、ハレのテンションが高い高い。 グゥの方が魅力的、と考えてたけど、あのハレのマシンガントークがあってこそグゥのキャラが生きることに気がついた。 これ、まんま「上方漫才」やん。ハレのしゃべくり、興奮した時の「オール阪神」ソックリなのだ。じゃあ、グゥは「巨人」かっていうと、どっちかと言えば「中田カウス」か「花紀京」なんで、ちょっと工夫が加えてある。 一応シリーズとして「ウェダの家出の原因は?」って設定を縦糸にしている以上、ちょっとシリアスな部分もあるのだけれど、それがこのあたりのエピソードではそれほどジャマになっていない。 「おじいさん大好き」のダマや、「ウェダお嬢さま大好き鼻血ブー」のベルもそうだが、こういうエキセントリックなキャラを準レギュラー的に使うのは結構難しい。一発ギャグに近いから、新しい展開がないと、すぐに視聴者に飽きられちゃうのだ。 ダマは原作で再登場したときには以前ほどの迫力はなくなってたし(「バーサーカー!」のセリフは好きだったけど)、アニメの方はうまく処理してもらえるのかなあ。
2000年11月30日(木) チラシ完成!/『未明の家』(篠田真由美)
| 2001年11月29日(木) |
おトイレの音入れ。つまんないシャレですみません/『ほんの本棚』(いしいひさいち)/DVD『ゴジラの逆襲』ほか |
朝からなんだかスゴイ土砂降り。 外の空気も冷たい。 しげ、車を運転しながら「前が見えん後ろが見えん」と悪態をつく。 確かに、見えないなあ。滝のように流れる雨のせいで、ワイパーもムダに左右に動いてるだけって感じ。 朝は早くて薄暗く、帰りはもう夜で真っ暗、対向車のヘッドライトがフロントガラスで煌びやかに反射して、まあ、それ自体はとってもキレイなんだけれど、道そのものが見えんぞ、これで事故らないってのは奇跡じゃないか。 しげはブツブツ悪態だけついてりゃよかろうが、隣に座ってる私はどうしたらいいのか。 「怖い?」としげが聞いてくるので、半ば本気で「まあ、覚悟はしてるから」と答えたら、「何それ」と笑いやがった。 「死ぬときゃ一蓮托生だ、うれしいか」とこっちも悪態でもついてなきゃやってられねーって。
買い物がいろいろ残っているので、1時間早く帰ることにする。 まずは『ハリー・ポッターと賢者の石』のチケットを買わねば(そんなんで早退するなよ)。 しげに連絡すると、あまり喜んでる様子がない。日頃、私が仏頂面だと文句ばかりつけてるくせに、しげだって、私が何かに誘ったりしてもあまり嬉しそうな顔をしないのだから勝手なもんだ。 それでも時間通りに職場の駐車場までやってきているのだから、内心は嬉しくてたまらないのにガマンしているのだろう。 ちっ、照れてやがるぜ。
「食事どうする? 『めしや丼』でいい弁当があるんだよ」 「なんかそんなこと言ってたな。じゃいいよ、寄っても」 返事をしたあとで、ふと、あることに気付く。 「『めしや丼』、道路の右側にあったよなあ。ちゃんと中に入れるのか?」 初心者が右曲がりが不得意、というのは私も何となくわかってきたところである。 しげ、いともあっさり、「入るよ?」と答える。 ……ちょっと待て、「入れるよ」じゃなくて「入るよ」なのか? しげ、車をどうやって乗り付けるのだろう、と思っていたところ、結構ムチャな曲がり方をしてくれた。 キュキキキイキュキイイイイ。 うん、確かに「入ってくれた」な(-_-;)。
しげが勧めてくれた弁当、確かに量的にちょうどいい。 「彩弁当」という名前だが、サバの切り身、卵焼き、鶏唐揚げ、煮付け、みんな少なめでご飯も少ない。それで500円程度なので、糖尿にはちょうどいい感じ。でももう一品、何かほしい感じがするのは、最近、食が進んでるせいかな(^_^;)。 けれどチケット制という味気なさを除けば、種類も多く安上がりで、『めしや丼』は利用し甲斐があるのだ。
帰りもバイパスの広い通りを一気に三車線すっ飛ばして入りこむしげ。 キュキキキキキイッキュキュキキュキキキキキイッ。 おおいおい、雨が降ってんだぞ雨があ。 しげは私の顔から血の気がどんどん引いているのに気付いているのかいないのか。 「初心者の癖にムチャしてる?」 そういうセリフをニコヤカに、助手席に座ってる私に向かって言わないでほしい(ToT)。
この間まで、ずっと改装中だった、キャナルシティの4階の「福岡ジョイポリス」。今日来てみて、どうやら再オープンしたことを知る。 入場券制がなくなり、名前も変え、「クラブセガ キャナルシティ」として再スタート。隣のメガバンドールがつぶれちゃったし、このままセガは再開できないんじゃないかとか思ってたんだけど、ちょっとホッとする。これは意外と本気でうれしい。 そんなにゲーセンに入り浸る方ではないのに、なんでそんなに喜んでるかっていうと、これがやっぱり「映画」ガラミなんである。 だって、このまま雪崩式にAMCまで巻き添えくらってつぶれちゃったら、一番便のいい映画館がなくなっちゃうんだもの。 アミューズメントマシンは大幅に増大されたそうだ。 4階は、アトラクション、ブライズゾーン、体感ゾーン、プリクラゾーンをメインとしたフロア。 ちょっと遊んで行きたい気持ちが沸々と沸いてくるが、しげが早く帰りたがっているので断念。……上に上がると、ラーメン横丁みたいなのも出来るそうである。食べっくらが出来るんだったら、うれしいけどね。
AMCで『ハリー・ポッター』の前売券を買う。 なんと、明後日からの「当日券の前売り」までやっていて、しかも完売。 ……こりゃ、本気で『千と千尋』、抜くかもなあ。
クラブセガにちょっと寄ってUFOキャッチャーやろうとしたらしげが怒る。 「早く帰るよ!」 「何そんなに急いでるんだよ?」 「……トイレ行きたいんだよ!」 「そこの公衆便所に行けば?」 「ここのトイレ混んでるからヤだ!」 「ちょっとくらい待てるだろ」 「……待っても、音、聞かれるじゃん」 「聞かれたっていいじゃん」 「ぜええええったいヤだ!」 「ヤだったって、出るときゃ出るんだからしかたないし」 「アンタは平気なの? 音聞かれて……」 「平気だよ。男はみんなブリブリやるよ。職場でだって、人がトイレに入ってても隣のトイレに平気で入って、ブバッ、ビリビリ、ドバドバッ、バッチャーンッてやってるよ」 「ウソぉ!」 「行けよ便所!」 「行かないッッッ!」 ……それでガマンしすぎてカラダ壊したらどうするんだろうね。 昔のオバチャンは道端でも座り小便してたもんだがなあ。しげが上品ぶるなんて似合わないって。
福家書店を回って本を買いこみ、「スターバックス」で買ったばかりの本を読む。 マンガ、業田良家『百人物語』2巻(講談社・580円)。 マンガ本編よりも、表紙絵の「間違い探し」のほうが楽しい……なんて言ったりしたら、作者が聞いたら怒るかな(^_^;)。 1巻読んだときには、要するに主役の「ダーク」はドストエフスキーの『白痴』のムイシュキン公爵で、純太がラゴージンなのかなとか漠然と考えてたんだけど、あまり政治的、思想的なほうには流さずに行きそうな気配だ。 公園に集まるヘンな人たち、それだけで押して行ったほうがいいなと思ってたんで、2巻も特に盛り上がるでもなく話が淡々と進んで行っているのがいい。 離婚結婚を繰り返すダークの両親、ああ、このネタも確か赤塚不二夫のマンガになかったかなあ。それともモデルはエリザベス・テーラーか、唄子圭助か? エキセントリックだけれどこの二人に一番のリアリティがあるのは、こういう「ちょっとだけヘン」って人が世の中に満ち溢れているからだろう。
コンビニで立ち読みした『週間文春』、小林信彦の『人生は五十一から』で、「『1999年の夏休み』以降の金子修介についてはもっと論評されていいのではないのか」の一文を見つけて、なんとなく首肯。 「なんとなく」というのは、それ以前のポルノ作品を見ていないからだ。 小林さんがそれらを見た上で発言しているのかどうかはよく分らない。与えられた紙数の関係もあるのかもしれないが、小林さんの文章にはこういう韜晦やほのめかしがやたらと多くて、読者としては「はっきり言わんかい!」と、多少不快になることもままある。 文章家としての小林さんは好きだが、批評家としては三流という印象がしてしまうのはそのせいだろう。言ってることの根拠がはっきりしないのよ。 というわけで、小林さんの意見に明確に同意することは憚られるのだが、金子監督の考えるエンタテインメントとは何か、ということを分析することは、「日本映画がどうしてエンタテインメントとして一本立ちできないか」ってことを考える上で重要な意味があるんじゃないかとは思うのだ。 『1999年の夏休み』は萩尾望都の『トーマの心臓』の映画化だ。 ドイツのギムナジウムを舞台にした少年愛の世界を日本を舞台に描くのは不可能に近い。萩尾望都は以前、『小鳥の巣』を「北海道の全寮制高校を舞台に映画化したい」というオファーを、「現実のそれがどんなところか容易に想像つくので断った」という経緯がある。なのに、『トーマ』の映画化を承諾したのは、少年たちを全て少女たちに演じさせるという離れ業を考えついたからだ。 これって、『銀河鉄道の夜』を猫キャラでアニメ化した杉井ギサブロー(っつーか、ますむらひろし)にも共通する奇抜なアイデアなんだけれど、それが成功したかと言われると、うーん、と首を捻らざるを得ないのである。 「この映画は普通の演出では映像化できない」。これは誰でもそう思う。 だから普通は諦める。あるいはそんなんどうでもいいや、で強行する。日本映画の監督の大半はそんなバカだから、駄作ばかりが量産されるのは当然のことだ。けれど、金子さんはそこでいつもアクロバットなワザを披露してくれるのだ。 そのチャレンジ精神自体は歓迎したいことなんだが、たいてい着地に失敗するんだよなあ。『咬みつきたい』なんか、緒形拳が吸血鬼やるんだよ。「そのミスキャストが面白い」って、「ミスキャストはミスキャスト」だっちゅ〜に(-_-;)。 こんどの『GMK』(って言うんだって)も、多分、今までの金子作品同様、どこかが外れているのだ。それをどう評価するかってところなんだろうなあ。駄作になる方法をあえて取って来た今までのゴジラシリーズと一線を画するものにはなってるんだろうけれど、じゃあホントにエンタテインメントになってるのかと言うと……。 ええい、見てみなけりゃわかんねーや。映画に予断は禁物だい。
いしいひさいち『ほんの本棚』(東京創元社/創元ライブラリ・630円)。 いしいさんのミステリ好きは、一連のシャーロック・ホームズのパロディマンガにもよく現れている。 この本も、半分はいしいさんのミステリを中心としたパロディ四コマ。半分と言うのは、残りは別人の書評だからだ。表紙にはいしいさんの名しかないが、実際に本文を書いているのは、タブチコースケ・広岡達三・藤原ひとみの三氏。……なわけないじゃん(^_^;)。 バーナビィ・ロス以来、ミステリマニアはすぐこういうお遊びをしたがるからなあ。日本でも既成作家が覆面作家(山本周五郎)とか加田伶太郎(福永武彦)とか嵯峨島昭(宇野鴻一郎)、鷹見緋紗子(天藤真・大谷羊太郎・草野唯雄)などの変名で作品書いてたことはあったが、どうもこのお三方の場合は「既成作家の」というわけではないらしい。 目次をめくるとそこにちゃんと「文・いしいひさいち・富岡雄一・峰いづみ」とある。いしいさんに書評が書けるとは思えないから(失礼)、タブチと広岡は富岡さん、藤原センセは峰いづみさんという方だろう。けれど問題が何一つ片付かないのは、じゃあ、この「富岡雄一と峰いづみ」ってのが誰なんだかさっぱり分らないからである。 東京創元社の社員か、それとも新進作家か。それなりの文章は書けてるんだけど、いしいさんのマンガに勝てるレベルじゃない。いしいさんの鋭いツッコミを見たあとじゃ文章がかすんじゃうのである。 この富岡さんと峰さんがいつまでもタブチや藤原センセの仮面をかぶっていられるわけじゃなし、本気で作家になるつもりなら、こういうイタズラはかえって逆効果じゃないかと思うんだがなあ。
マンガ、後藤圭二『ゲートキーパーズ』2巻(角川書店・567円)。 明日の笑顔のたぁーめにぃー♪ なんつーか、テーマソングは好きだったけどねー。 オタアミ会議室なんかでは徹底的に嫌われてるアニメ『ゲートキーパーズ』だけれど、時代を1969年に設定する意味がないし、時代考証も間違ってるって批判は、実はあまり当たってないんじゃないかと思う。 昭和44年だよ。 リアルタイムで生きてたヒトならわかると思うけど、その年、第一次ウルトラブームは既に終わっていた。『ゲゲゲの鬼太郎』が起こした妖怪ブームも一年余りを経て下火、新シリーズが始まるまでには、まだ2年を待たねばならない状況にあった。ゴジラ映画は前年の『怪獣総進撃』で一区切りを迎えていて、『オール怪獣大進撃』を第一作として「東宝チャンピオン祭り」は始まっていたが、未だムーブメントを起こすまでには至っていない。 何かハッキリしたブームというもののない、しかし来年に万博を控えて、なんとなく期待感だけはあった、そういうモヤモヤした時代だったのだ。 そういう、言わば「スキマの時代」。 あの時、こんなヒーローものがあったら。 そういう思いがスタッフにあったのだろう。
DVD『ゴジラの逆襲』。 何年ぶりに見返したのかわかんないけど、ずいぶん単調なストーリーだなあ。 結局、「来たかアンギラさん、待ってたゴジ」ってだけなんだもんな。 コメンタリーは有川貞昌さん、円谷英二に次ぐ、東宝第2の特技監督になられた方である。 でも、話してることって、本人は自慢してるつもりかもしれないけど、失敗談に近いぞ。「1作目のゴジラは誰が中に入るかわからなかったけれど、2作目は中島春雄さんが入るとわかってたから、その体型に合わせた」だって? そんなだから2作目以降のゴジラが「人間臭く」なっちゃったんだよ。着ぐるみは人間的な動きを消すためのものなんだから、動きにくいところがあった方が怪獣にリアリティが出ていいのに。 例の「カメラをゆっくり回しちゃったドジ」もちゃんと説明してくれてる。 こういうコメンタリー、長谷川和彦監督なんかは「つまんない」と批判的なようだけれども、工夫すべきなのは演出形式や証言を引き出すための司会者の技術なんであって、映像作りのウラを関係者から聞ける喜びはやっぱりDVDに求めたいのだ。 現存する全てのスチール・絵コンテの完全収録もうれしい。 長年の疑問だった、「宣伝スチールのアンギラスはどうして背中がめくれているのか」は、アレが着ぐるみではなく、粘土模型の合成だと知って氷解した。つまりありゃ、ポーズつける時に背中が外れちゃったのだ(多分、粘土を作った本人は撮影にはタッチしてなかったんだろう)。 ……直しとけよ、それくらい。
CSキッズステーション『ナジカ電撃作戦』MISSION 008「欲望の空は戦い渦巻く炎と共に」 ケツが出ると一気にギャグっぽくなるなあ(^o^)。ああ、ゲストで登場の兵器会社の社長令嬢のことなんだけどね。もう典型的なタカビーなお嬢さまで「お〜っほっほっほ」と笑ってるし、当然、そんなヤツはこの『ナジカ』の世界では苛められキャラなんですよ。誘拐されて、戦闘機のコックピットにぶちこまれるのはいいとして、なぜ尻を上にしてるかな? ξ^▽〆オーホッホッホ。 しかし今回の空中戦の大迫力ときたら! 強奪された最新鋭ステルス戦闘機「オボロ」を追撃する七虹香とリラが乗りこんだ飛行機は、ボロボロの中古戦闘機バッカニア。……整備士のおっちゃん、声が青野武だ。こりゃ、綿密に整備されればされてるほど危険度が増してるんじゃないか。成原博士に整備されてるようでさ。 自爆こそしないけど、いろいろ芸は見せてくれるし。 ホーミングミサイルがいったん沈んで目標物に向かって飛んでく描写なんかは実にリアルで感動的なんだけど、いくらヒューマリットだからって、飛んできたミサイルを手で受けとめるってのはいくらなんでもちょっとスゴ過ぎ(^_^;)。ついてけないファンもそろそろ出て来てるんじゃないかな。いや、私は面白いからいいんだけどね。 リアルとギャグが渾然一体となってるのがやっぱり『ナジカ』の魅力なのだから。
2000年11月29日(水) オタクとは知性のことなり/アニメ『サウスパーク』5巻ほか
| 2001年11月28日(水) |
ひと月早いぞ誕生日/DVD『キカイダー01』第1巻/『マジンカイザー』2巻ほか |
体調は(っつーか、主に腹具合なんだけどさ)今んとこ小康状態。 日記の更新がずいぶん遅れているので、なんとか片付けたいのだが、オタアミ前後のことはあまりにネタが多すぎて、何を書いて置くべきか、結構迷ってしまうのだ。 何度かこの日記にも書いていることだが、私は「面白いことを書こう」とは思っていない。それどころか、「いかにつまらないことを書こうか」と迷いながら書いてるんである。 朝起きて歯を磨いた、実はこれだけ書いても「日記」は成立しちゃうんである。ただし、「歯を磨いた」という行為だけを書いても実は意味がない。 その人が使ってる歯磨き粉はなにか。どんな味がするか。ハブラシは何か。ハブラシはタテに使うかヨコに使うか。一回のハミガキにかける時間はどれくらいか。 そんなできるだけ瑣末な、どーでもいいように思えることを書き残しておくことこそが大切なのだ。百年後の人間、千年後、一万年後の人間にも「歯を磨く」という習慣は残っているかもしれない。しかし、21世紀人と比較すれば、それはトンデモナイ変貌を遂げているんなじゃなかろうか。 だって、今から百年前には、私たちが使ってるような「練りハミガキ」なんてものだってなかったんだもの。たいていの人は歯を磨くのに「塩」を使っていた。それで充分だったのだ。 だから、今、我々が使っているものや習慣、当たり前だと思って見逃していること、これを書いておくことの方が実は後世の人たちにとってはとても大切なことだったりするのだ。 AIQのエロの冒険者さんの日記を私は毎回楽しみにして読んでいるのだが、一番スバラシイと本気で思ってるのは、あの一連の「ウ○コ」の描写なのだ。……下らないと言うことなかれ。継続は力なり。あれを書けるのは(書こうなんてことを思いつくのは)日本広しといえどもエロさん一人であろう。 広瀬正の『もの』を思い出していただきたい。「こんなありふれたもの」と記録することを怠っていると、我々は、日本は「フジヤマゲイシャの国」、アメリカは「ヤンキーの国」、中国は……おっとっと(^_^;)。……てな、ステロタイプな姿でしかその時代が見えなくなってしまいかねないのである。
高橋葉介のマンガに『たった一人の日本人』ってのがある。 なぜか地球上から、たった一人を残して日本人が絶滅してしまう。日本人は最後の一人ということで希少動物扱い。憤懣やる方ない日本人は悲鳴を上げるが、ほかの地球人たちは、そんな彼の叫び声に耳を傾けようとさえしない。 最後に、地球上からそのたった一人の日本人を残して、地球人全員が滅亡してしまい、その一人残った「地球人」は宇宙人に命を助けられる。その瞬間、その「地球人」は気付くのだ。地球の歴史は全てその「日本人」の手で「創作する」ことができるのだ、ということに。
何が言いたいか、賢明なる読者諸兄にはもう、おわかりであろう。 もし、私が「ハブラシは横に引いて使うのが正しい」と書き、「そんなつまんないことなんか誰が書くか」とみんなが「ハブラシの使い方」について誰一人書き残さなかったとしたら、私が書き残した文章が、ハブラシについての唯一の文献、つまりスタンダードになっちゃうのである。 いや、別に唯一でなくとも構わない。 この時代、一番美味いラーメンは何か。 それについては、いろんな人がいろんな意見を書き残しているだろう。その意味では一人一人の情報としての重要性は低いように思える。しかし、そのデータを分析しようと本気で考える人間が後世現われたとしたら、ちょっとした意見でも、「傾向」を調べるための貴重なデータの一つとなるのである。
情報に優劣を付けてはならない。 しかし一回に書くことの出来る文章の量と時間は限られている。 私が苦労しているのは、どんな基準をもってしても、「どちらの情報の方を選択すべきか」の決定的な根拠にはなりえないというじじつがあるからなのだ。 ……オタアミのネタ、まだまだカットしたもの多いんだよなあ。もったいないよなあ。
なんだか世間ではウィルスが大流行らしい。 「エンピツ」の日記を覗いても、知り合いや有名人のサイトを覗いてみても、「ウイルスメールが来たよー」という話題がしきり。 以前私のサイトを襲ったウイルスメールはどうも私個人を狙った可能性が高かった(一日の間に何10通も連続して来たのである)。しかし今度はどうやら不特定多数。 話によると、クリスマスが近くなったり、お正月が近くなったりするとウイルスメールが流行るんだそうだが、これってまんま「他人の幸せがニクイ」パターンのような気がするがどうだろうか。
私「謎の添付ファイルが送られて来たけど、どうすりゃいいの?」 しげ「削除しなよ」 私「どうやって削除すんだよ」 しげ、ムッとした顔で添付ファイルをゴミ箱に入れ、削除する。こんなん自分でやれよって顔だ。 今のところ実害はなくてすんでるし、私自身はそれほど痛痒も感じちゃいないんだが、しげをイライラさせただけでも、犯人の意図(まあ愉快犯だってことは間違いないことだろう)は果たせたことであろう。
職場近くの「ボナペティ」という総菜屋でおかずを買う。ヤキソバ・かつとじ・肉じゃがコロッケなどなど。 ウチに持って帰って食べる時間はないので、車の中で二人で食べる。何となくピクニック気分になるのか、しげは結構喜んでいる。 いや、なぜそんなに慌てているかというと、今週末から始まる映画のチケットを博多駅のチケツトぴあまで買いに行くつもりだからだ。仕事が長引いたりしたらあっという間に店が閉まっちゃうので慌てているのである。 慌てすぎたんだろうか、しげ、おかずの入った袋の底を押さえながら、 「汁がこぼれた汁がこぼれた」 と、オロオロしている。 かつとじみたいな、つゆだくなものを買うからだ。ピクニックなら、つゆものは避けるのが常識じゃんか。
博多駅のデイトスで買ったチケットは、『おいしい生活』『ピストルオペラ』『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』の三本。 『ハリー・ポッター』もホントは買いたかったのだが、キャナルシティの分は売りきれ。直接キャナルまで行かないと売ってないらしい。しかも、まだここで扱っているトリアスなどのチケットは既に写真印刷のものが売りきれていて、コンピュータの券売機のもの。こりゃ相当ヒットしそうな気配だ。 帰りにメトロ書店にちょっと寄る。 本を物色していて、ふと気がつくとしげの姿が見えない。 どこへ行ったか、あのフーテン女が、と慌てて本屋から外に出たところに、しげが向こうから、ニヤニヤしながら歩いてくるのに出くわした。 「どこうろついてんだよ。また迷子になってたのかよ」 しげ、「プレゼント」と言って、いきなり紙袋を渡す。 「……なんだよこれ」 「開けてみて」 「開けてみないよ」 「……つまんないよう。開けてみてよう」 開けないとそこで泣くか踊りだすかしそうだったので、仕方なく中身を見る。 「……あ、サイフか」 そう言えば、今、私が使っているサイフ、チャックが緩んでバカになっていたのだ。 「うれしくない?」 「いや、うれしいけど」 「うれしそうな顔してない」 「もとからこんな顔だ。悪いか。それよりなんでいきなりこんなものを?」 「……誕生日のプレゼント」 「オイ、オレの誕生日、今月末だぞ。早過ぎるじゃん」 「いいんだよ、当日は忘れてるから」 「……」 「それと結婚記念日のプレゼントも兼ねてるから」 「……ただの手抜きじゃんかよ!」 喜んでいいのか悪いのか(+_+)。
しげが、「オレの日記なんか誰が読んでんだ」とかブツブツ文句を言っている。 相変わらず暗号で書いてるんで、解読するのに骨が折れるが、意外とこういうの、面白がってるヒトも多いんじゃないか。 今日の日記も読み解くのにちょっと時間がかかる。だんだん、主語も目的語も省略されて、俳句よりも短くなってきているのだ。
で。(「出」らしい。「出かけた」と言うことか) ね。(「寝」かな。昼はずっと寝ていたってことだろう) 雪、バカ。(「雪」は私のことだろう。なぜ私に悪態をついているのか、理由は謎だ) む化。(「ムカツク」か? だからなんで怒ってるんだよう) 置かず。(「おかず」を買った、と言うことだろう) 駅再府県。(「博多駅で、サイフと、映画の券を買った」ということらしい。いくらなんでも省略し過ぎじゃ) 痴愚と。(「仕事」らしい) 巨いく。(「新人教育をする」ことらしい)
一緒に暮らしてる私にまで分らないことも増えてきたなあ。
DVD『マジンカイザー』2巻。 第1巻でたいがいの有名機械獣はつかっちゃったと思ってたけど、まだキングダンX10やアブドラU3とかが残ってたか。でもホントに見せ場もなくどんどんコワしていくなあ。たとえヤラレメカでも大事に使わないと、ドラマ自体が死ぬぞ。 Zを失った甲児が新たにカイザーに乗り込むって展開になるのはわかる。けれど前巻のラストで、カイザーのあまりのエネルギーに堪えきれず、甲児は気絶してしまい、カイザーは暴走したはずだ。 なのに、今回は特に特訓してカラダを鍛えたわけでもないのに、甲児は「効きやがるぜ!」とヒトコトで済ましてカイザーを乗りこなしてしまうのだ。いくらなんでもこりゃ簡単過ぎるんじゃないか。 でも、Zもグレートも、原作同様、手をもがれ、カラダを貫かれて、まるで血しぶきのように油を飛ばす、その描写は今見ても充分ショッキングだ。 特に、今回四肢を裂かれるのはアフロダイA。メカなのにメカなのにメカなのにセクシーだよぉぉぉうぉぉぉう。 設定は変われど、基本的なストーリーラインや部分部分での描写は原作に忠実。これはやはり『マジンカイザー』という新たなブランドを作る必要があったとしても、最も永井豪マインド、マジンガースピリッツを反映した映像化ではないか。 ラストで、傷ついた剣鉄也と炎ジュンはシリーズからリタイア。 ということは、今後はZもグレートも出てこない、カイザーだけが機械獣軍団と戦い続けるってことなんだな。 そして次巻はついにアレが出る。原作ファンよ狂喜せよ、初めて映像化されるぞ、ガミア三姉妹が! あらゆるものを切り裂く金髪を持つ、美しき殺人アンドロイド、ガミアQ1・Q2・Q3。兜甲児の命をギリギリまで追いつめたあしゅら男爵の娘たち。旧テレビシリーズじゃ、ただの機械獣にされてたけれど、原作の『マジンガーZ』中、最も人気の高かった名キャラクターだ。 まさか生きてるうちにあの艶やかな姿を見られることになろうとはなあ。まさに感涙。 今回、「片目のつぶれた」兜十造(声・納谷悟朗!)もちゃんと映像化したのだ。多分、シリーズが進むにつれて、ブロッケン伯爵もピグマン子爵も登場してくる可能性が高い。 いや、今まで一度も映像化されなかった機械獣ドグラマグラや、マジンガー軍団、そして原作通りのドナウα1や美しきローレライ、フォン・シュトロハイム博士も登場するかもしれないのだ。 多少、シナリオがいい加減でも、こりゃもう期待しちゃうからな、オレは!
DVD『キカイダー01』第1巻。 わっ、たった25分間しかないぞ。 前の『キカイダー』が全12話、6巻だったから、てっきり全4巻なら8話だと思うじゃないの。 それが25分って……わあ、のっけからアーマゲドン・ゴッドの発動だ。もうビジンダーが出てきた。シャドウナイト、たった1巻で退場かよ。するってえと何か、たった100分の中に、あと、OOもザダムもワルダーもガッタイガーも出してくのかよ。普通の感覚じゃ出来るこっちゃないぞ。 ……よっぽど前のキカイダー、売れなかったんだろうなあ。シリーズが中断する危険もあったのを、監督を変え、巻数を少なくすることでやっとGOサインが出たんじゃないかなあ。 まあ前作は地味っちゃ地味だったし、テコ入れも仕方ないことなのかもしれないけど、私は好きだったぞ。 特に母親を出したとこなんか(原作には回想シーンにチラッとしか出て来ない)。 どちらかと言えばゆったりしたイメージのあった前作に比べて、ハイスピードな印象のある今シリーズ(おかげで作画もザツだ)、その路線変更があまり吉とは出ない気もするけど、ファンは見守っていくしかないのがもどかしいなあ。 ……オイ、予告編もついてないよ! ホントに大丈夫なのか?!
2000年11月28日(火) 〆切はゴムのように延びる(^o^)/『蟲師』1巻(漆原友紀)ほか
| 2001年11月27日(火) |
癒されたいの?(-_-;)/DVD『ウルトラQ』6・7巻/『ギャラクシー・クエスト』 |
体調は昨日からぐずつき気味。 外は小雨で鬱陶しい。 溜まっている仕事をチビチビと片付けながら、自分でもココロが病んで来ているなあ、と自覚する。 自分で言いたいことではないが、私の仕事ぶりは決して有能だとは言えない。かと言って、自ら無能だと言いたくないのは、私の基準値から言えば明らかに「無能」と言いたくなる同僚が、自分はいかにも有能という顔をしてふんぞり返っていたりしてるからだ。 あ、これ、別に「私の方が有能なのにキィ、悔しい」とか、自分にプライドがあってそう言ってるわけじゃなくて、ウチの職場、たとえ謙遜ででも冷静な判断であっても「オレって無能だなあ」なんてことを口にしようものなら、確実に引きずり降ろされかねないところだからなんですね。いやあ、砂漠のような人間関係(^^)。 だからみんな有能なフリをする。 マジメにマジメに仕事をして、キレイごとだけ言っていて、仕事にアソビ心を持ちこもうなんてもってのほか。そのくせ、一朝コトあらば責任を取らないように取らないようにと立ちまわる。 なんだかなあ、ホントにドクター・スミスかネズミ男ばかりが跳梁跋扈してるとこなのな。 でも、そんな余裕のない環境じゃ、当然のように職場になんとなーくギスギスした感じが漂ってくる。 いつもだったらねえ、私も「まあなんとかならあ」みたいな感じで悠長に構えてるんだけどさあ、体調が悪いときだと、とてもそのムードに抗しきれなくってねえ。つい巻きこまれちゃって、どんどん気分がずーんと落ちこんでくるのよ。 ぼ〜っとして仕事が進まない、トイレに篭るとどうもウ○コのキレが悪くていつまでも出てこられなくなる、まあ、壁に白い虫が這ってるのが見えたりこそしないものの、これはちょっとなにか気分転換をしないとマズいなあ、という感じになってきているのだ。
で、なにげなしに、こないだ見返してたLD『火宅』のパンフレットを職場に持ってきていてね(なぜ持って来ていたかはヒミツだ)、それを同僚の女性に見られたのよ。 「あ、……これ……」 その人はウチの職場では珍しく、キレイ事をあまり言わないほうなんで、まあ、会話をするのはつらくはないんだけれども、こういう気分が落ちついてないときは、「これ、なーに?」程度の質問でも返事するのが億劫になっちゃってるんだよね。 正直言って、なに聞かれても返事したくないなあ、てな気分だったんだけれども。 「有久さん、川本喜八郎が好きなんですか?」 一瞬、アタマん中に風が吹きぬけたのを感じたね。 ちょっと間が開いて、思わず上ずった声をあげちゃった。 「は、はい、大好きです!」 「私も、『火宅』、好きなんですよ。上映会があった時にわざわざ見に行って……」 やっぱり、ココロが病んでいるなあ、と感じたのは、その瞬間、ちょっと泣きたくなってしまったからだ。 あのさあ、“川本喜八郎”って名前が、職場の同僚との会話ん中で交わされることがあるなんてこれっぽっちも期待してなかったからねえ。そりゃ、アニメ関係で「名前知らない」なんて言ってたら、「お前はそれでもアニメファンか」って言われるくらいメジャーな名前だけどさ、世間一般の人で、たとえ『三国志』や『平家物語』見てた人だって、スッと川本さんの名前なんて出て来ないんだよ。 アンタ、私が15歳若くて独身で、向こうも独身だったら、絶対デートに誘ってるよ。オタクはちょっとでもオタク的知識を共有する人間に出会っちゃうとすぐ、舞い上がってしまうのだ。……私以外にも身近に実例をいくらでも挙げられる気がするがあえて言うまい(^^)。 残念ながら相手も既婚であった。ちっ。 仕事中だし、その程度の会話しかしなかったが、それだけで気分が高揚してしまうのだから、私のメンタリティーはやはり相当単純にできあがっているようなのである。
その同僚の女性、そのあと、別件でなにか気に入らないことでもあったのか、いきなり、「ぶりぶりざえもん」と呟いた。 私が思わず「ぶりぶりざえもんがどうかしましたか」と聞いたら、「……そういうのは聞き流してください」と照れられる。 「いや、私も好きですよ、『ぶりぶりざえもん』」 「私は強いものの味方だ」×2 ……ここでハモるか(^o^)。 この程度で、気分がスッと晴れちゃうのだから、アニメの力は偉大だ。 いや、相変わらず、咳は頻繁に出てるんだけども。
ウチの近所に相次いでできている焼肉屋、先日からしげに行きたい行きたいとねだられていたのだが、仕事帰りの迎えの車の中で、しげが「腹減った腹減った肉食いたい肉食いたい」といつものピーチクを始めたので、そのうちの一軒を覗いてみることにする。 本屋に寄ったあと、目的の「一番カルビ」到着。 ……なんだありゃ。 小雨が降ってるってのに、店の前に4、5人の店員がノボリを持ってチャンピオンフラッグのようにぶん回している。 「えらっさいまっせー! えらっさいまっせー!」 ……呼びこみかい! しかし、いくらなんでも気が入りすぎてないか。 細い補導を占拠してるものだから、よけて通ろうと思ったら、車道に思いっきりはみ出すか、そのまま店に入るしかないぞ。 「ここね、開店後一週間くらいはすごかったらしいってよ」 「スゴイ感じはするけど……どうすごかったの」 「半額セールやってたんで、満席状態がずっと続いたって」 そりゃ、店がすごいんじゃなくて、客がすごいんじゃないか。狂牛病騒ぎのせいか、安い輸入肉に、今まで飢えてたチマタの人間が群がってったらしいな。 しげは肉は好きだが混雑は大嫌いなので(だから私が誘っても居酒屋のたぐいには絶対に入らない。劇団やAIQや職場の宴会のときだけが例外)、開店当初は来たがらなかったのだ。
店内は全て座敷席だが、テーブルの下がホリになっていて、足が投げ出せる。コレだけでもしげのポイントは高い。 正直言って、食欲はあまりなかったのだが、しげの「肉肉肉肉肉肉肉ぅぅぅぅぅぅ!」という言葉を毎日聞くのも面倒クサイので、食う覚悟を決めて、ロースにカルビにハラミにホルモンと頼みまくる。 と言っても、赤身は殆どしげの腹の中に収まる仕組みになっているのだ。私はおもにホルモン専門。脂身が多いとハラに持たれるので徹底的に焼く。脂が落ちてぼうっと燃えるところにサッと野菜を乗せてこれもキャベツがシナシナになるまで焼く。しげは焼き野菜を一切食べないので、野菜だけは食い放題だ。 赤身の肉も一つ二つは味見程度につまむ。ハラミが特にソフトで、多少焼きすぎていても、柔らかさを失っておらずウマイ。どうやらコレがこの店の目玉のようだ。 しげ、デザートにアイスクリームみたいなのを頼むが、焼肉と一緒にそんなの食べたら、覿面に腹を壊しちゃうんだよなあ。 腹コワしてでも好きなものを食いたいという、本能に対する忠実さは、ある意味感心するんだけどよう。 たらふく食って、二人で三千円程度。まあまあ良心的な店と言えようか。
もちろん、風邪引いててこんな暴食をしていたら(っつーほどでもないが)、胃に来るのは確実で、帰るなりトイレでげろげろ今食ったばかりのホルモンを戻す。 ……よし、ダイエット完了。 って、こんな生活繰り返してたら、確実に命縮むな(^_^;)。
DVD『ウルトラQ』6・7巻(完結)。 仕事の関係で、『あけてくれ!』に登場した天本英世さんにお会いした時、「『ウルトラQ』の思い出は?」とお聞きしたことがあるが、「もう覚えてないよ。一杯そんなのに出てたんだから」と言うことだった。 『デビルマン』の『妖獣ゴッド』と並んで、この「再放送の時だけ流れた」エピソードについては、実際に見た人間が少なく、当時の子供たちの間でも、「そんな話はない」いや「あった」、とケンカになったものだったが、もちろん私は見ていて、頑固に「ある」を唱えて、「ない」派のガキ大将に殴られていた。 今思い返すと、そこでオタクとオタクでない人間が区分けされていたような気がする(ホントかよ)。 なんにせよ、『あけてくれ!』は、そういった経過もあって、子供のころは全話中、最も好きなエピソードだった。
今ベスト5を選ぶと、必ずしもこれをベスト1に持って来るのか迷うのだが、完結記念に現在の私のフェイバリット5を挙げておこう。 1、『バルンガ』青野平義の奈良丸博士の演技は120点! 2、『悪魔っ子』子供の目ってどうしてこんなに怖いんだろう。DVDの映像で見ると恐怖は倍増! 3、『あけてくれ!』実は、淳と由利子の恋が描かれる唯一と言っていいエピソード。多分、これが『エヴァ』の列車シーンのルーツ。 4、『カネゴンの繭』昔嫌いで、今、好きになったエピソードとしては最たるもの。テーマソング聞いただけで泣くし。中川晴之助監督の少年を見る目はどれも優しい。 5、『1/8計画』。最後の1本はどれを入れるか迷った。今でも通じるSFの代表作と言うことでチョイス。でも、どうして由利子はこんな妄想を見たんだろうか。そっちの方が謎だ。
映像特典の最新インタビュー、佐原健二・西條康彦・桜井浩子の三氏は、当然おトシを召しておられて、すっかり括舌も悪くなっているのだが、「『ウルトラQ』が今も生きている」と断言してくださっているのは嬉しい限りだ。
DVD『ギャラクシー・クエスト』。 おおお! 特典の未公開映像が一杯! 劇場で見た時、シガニー・ウィーバーの前チャックはいつから半開きになってたんだろうと思ってたんだが、こんな肝心なシーンをカットするとは! お子サマも見るかもとカットしたんじゃないかって穿った見方をするヒトがいるかもしれないけれど、他のカットシーンを見てもわかるが、これは単に上映時間の尺と、映画のリズムを考えたための措置であろう。 アタマの中で、未公開映像をもとのシーンにはめ込んで行けばわかるが、ギャグの質がかぶったり、間が空いたりして、そこで映画のリズムが途切れちゃうのである。 言い替えれば、映画として『ギャラクエ』が非常にスッキリとした出来になってるってことでもあるんだけれど、あまり「破」がないと、その映画はカルトにはなりえなかったりする。 見返して思ったのは、一同中のおミソの「ガイ」の出番を、もちっと増やしてうまく使えてたらよかったのにな、ということである。だってあいつだけキャラが立ってないんだから、艦長たちのように「役を演じなければならない」必然性ないんだもの。もっと自由に、ヤケな行動とらして、『宇宙家族ロビンソン』のドクター・スミスみたいな、半裏切り者的キャラにしたりしてたら面白かったのになあ、と思うんである。 日本語版の吹替えはまあ、悪くはないかな。 サーミアンの口調を声優さんたちも原音と似せて、「か゜ぁ〜んちょだけが、た゜ぁ〜よりです」なんて喋ってるのはなかなかウマイ。 ああ、しかし、ティム・アレンに誰の声を持ってくるかと思ってたら、艦長は艦長でも、ブライト艦長だったとは(^o^)。いや、いい加減な感じが結構ハマってるんだけどね。ちょっと『パトレイバー』の時の内海さんみたいな雰囲気もあるし。 だったら、シガニー・ウィーバーには小山茉美じゃなくて、白石冬美を持ってきてほしかったな。……んじゃ、アラン・リックマンは玄田哲章か井上真紀夫かい。……もう、このネタのわかるヒトも少なくなってきたなあ。
2000年11月27日(月) 活字の本が読み進まない/『カスミ伝△(さんかく)』1巻(唐沢なをき)ほか
| 2001年11月26日(月) |
そろそろこの日記タイトルにも飽きてきてるんだけど/『社会派くんがゆく!』(唐沢俊一・村崎百郎)ほか |
オタアミもひとまず終わったことだし、日記のタイトルを、もとの『無責任賛歌』に戻してもいいいのだけど、公演終了後も「オタクアミーゴス」で検索かけて覗きに来てくれてるお客さんがいるみたいなんである。 しかも結構。 舞台裏の状況などを知りたい人もいるかもしれないし、お三方のご動向などをこまめにチェックされてるマニアな方もいらっしゃるかもしれない。 いや、言いませんよ、「なんて○○○な人たちだ」なんて(^^)。 こんな貧相な日記に来てくださるようなせっかくの貴重なお客さまがただとゆーのに、そんな天にツバするよーな、自分を棚に上げたよーなことは口が裂けても言えませんって(言っとるもどーぜんだがな)。 というわけで、まあ、あと1ヶ月くらいはこのタイトルで行きます。 今回の公演の上映会が終わるときくらいまでは。 でもって、また来年の販促が始まったらまた“オタアミ”をタイトルに入れるとゆー、そんな展開で行こうかなーと。 でも、もし「コロコロタイトル変えるな! 判りにくいわ!」というご意見の方が多かったりしたら、このままでいくかもしれません(←優柔不断)。いや、実のところタイトルにはあまりこだわってないんですよね。ちょいとした事情で30秒で決めなきゃならなかったタイトルだったりするもんで(そのへんの事情を知りたい人は、2000年8月3日のFirst記事をお読みください)。
ノドが痛い。 咳が止まらん。 昨日からの体調不良がノドに来てるぞ。風邪っちゅーより気管支炎か。 アメ飲んで押さえるが5分と持たん。 たしか、昔、医者でもらった風邪薬のあまりがあったなあと探して飲むが、効いた気がしない(よいこはマネしないでください。古い薬はかえって危険な場合があります。……知ってんなら飲むなよ)。 おおいおい、熱が出て来たぞ、知恵熱か?(壊れているのかもしれない)
体調を崩しているのは私ばかりではない。 しげも、昨日帰ってきてそのまま寝てから、もう16時間経ってるってのに、泥のように沼のように、浅瀬に打ち上げられたリュウグウノツカイかサッコファリンクスのようにノテッとして起きあがってこない。 死んでんじゃねーのか。 ともかく、普段は「オイ朝だぞ」とか声をかけたら、「ううん、ネムネム♪」とか、とか「起こすなボケが(`´メ)」とか、何らかの反応を示すのだが、今朝はそれもない。 疲れてるのはわかるが、それにしたってここまで眠り続けるというのは尋常じゃない。やっぱりカラダにどこか疾患があるんじゃんいかって常々思っちゃいるんだけれど、「ウチの妻は眠りすぎるんです」なんて、何科にかかりゃいいんだ。どこでもいきなり眠るってわけじゃないから、ナルコレプシーとかじゃなさそうだしなあ。
腹もシクシク痛むので、トイレに行くと、まあ、ナニがとってもキレイな紅色♪(あからさまな表現は自粛いたしました) うふっ、内壁のどこかが切れてるのね。 もうこんなことはしょっちゅうなので、カネもかかるし、いちいち医者には行かない。しばらく安静にして寝てりゃ治るだろうってんで、職場に電話を入れて遅刻して行くことにする。 とりあえず、こういう時、一食や二食抜いても平気な糖尿体質は便利だ(便利化?)。でも、のびのびになってる仕事を片付けるのにはえらく手間がかかっちゃうんだけどねえ。
結局、昼から仕事に行って、帰りはしげを携帯で呼び出す。 あのあともしげは更に寝続けて、18時間睡眠の記録を達成したのであった。 ちなみに、今までの最高は16時間くらいだったかな? あまり騒がないし、ペットにしとくにゃいいじゃん、という人もいるかもしれないが、起きたらこいつは寝てた分のエネルギーを取り戻そうと、ヒトの3倍は食うので、結局コストがかかるのである。 その間、当然家事は進まない。 誰かしげの嫁になって(T_T)。
マンガ、唐沢俊一編、好美のぼる著『あっ! 生命線が切れている』(二見書房・1449円)。 タイトルロゴにオドロ線を付けたい感じだけど、そういうこともHTMLが上達するようになったらできるようになるのかなあ。 「好美のぼる」については、唐沢さんが前書きで「曙出版の怪奇シリーズの大看板作家」と紹介しているが、実際、作品点数から行けば、手塚治虫に並ぶほどの大量生産をしていたのではないか。 にもかかわらず、私は好美作品を子供のころ殆ど読んではいない。 信じて頂けないかもしれないが、私は子供のころ、ムチャクチャ怖がりだったのである。だから怪奇もの、ホラーものの名作と言われるものでも、マンガファンを標榜しているわりには、案外読んではいない。 いや、読もうとは何度もしたのだ。 ところが読んでるうちに駄目になる。怖くなって途中を飛ばして結末だけを見る。あるいは結末も見ずに放っておく。 多分、私が小学生のころ読めた怪奇モノは、楳図かずおの『猫目小僧』ぐらいのものであったろう(あれは一生懸命「これは妖怪モノで怪奇モノじゃない」とココロに言い聞かせて読んだ)。 そんなんだから、未だに私ゃ楳図かずおの『黒いねこ面』も『ヘビ少女』も『赤んぼう少女』も読んじゃいないし、日野日出士の作品集も1冊として買わなかったし、ましてやズラリと並んでた好美さんのホラーシリーズだって、その黒々とした背表紙と気持ち悪いタイトルロゴだけで圧倒されちゃってて、手に取ってみようともしなかったのだ。
それが、今、こうやって読めるようになっている。 それどころか、読んで笑っている。 いや、これはスゴい変化だ。 恐怖と笑いは紙一重というが、その“紙一重を遊ぶ見方”を教えてくれた唐沢さんの紹介の仕方には、異論を持たれてる方もあろうが、素直に感謝したいのである。
と言いながら、唐沢さん、この作品集に関しては、『まんがの逆襲』などで使っていた、欄外にツッコミを書きこむ手法を一切排除している(これは80年代の少女マンガから始まった欄外書きこみブームのパロディにもなってて好きだったんだが)。 そんなツッコミ(言わば解説)は不要との判断からだろう。実際、表題の『生命線』を読んでると、なにも言われなくてもツッコミ入れたくなる描写が続出である。 無実の罪を着せられて自殺した息子の復讐を図る母親の物語って設定は、別に珍しくもなんともないが(和田慎二あたりがしょっちゅうやってた)、その方法として“人間の手相を切り刻んで運命を変える”ってのを思いついたってことがもう、尋常じゃない。 感情線を切られた実直な刑事がいきなり笑い出して「おめでとう!」なんて言うかフツー。おまえは碇シンジか。 頭脳線を切られた検事は、当然アホになる。「ここはどこですかァ 天国ですか!? 地獄ですか!? ヒハヒハー」。アホになるのはいいけど、この「ヒハヒハー」って笑い声はなんなんだよ。思わずあとに「パパパヤー」と続けたくなっちゃうぞ。 太陽線を切られた医者は、金の計算ができなくなって、無料で患者の治療をするようになる。……って、別に助手雇えば金は取れると思うけど。 いや、こういう設定やセリフのいい加減さもさることながら、脱力するのはやはり好美さんの絵である。怖がらせようと思って演出過剰になり笑っちゃうというのは、こないだ見た映画『陰陽師』の鬼のシーンでもそうだったんだけど、いくら手相が変わったからって、工事中のビルの鉄ワクの上で踊るなよ。 このへんは江戸川乱歩の『踊る一寸法師』とかのイメージを絵にしてるのかなあ。でもあれは文章だからいいんで、絵にすりゃホント、バカバカしくなっちゃうんだけど。
『死のハンドバック』は絵的に楳図かずおを相当意識している。 多分、出版社から、「楳図さんの絵で」と頼まれたせいだろうなあ。 好美さんに対する作家としての扱いがどの程度のものだったか、この一事をもってしても見当はつくのだが、それは決して好美さんにとって不名誉なことではあるまい。 山中恒のウケウリになっちゃうけど、大衆作家には大衆作家として、読み捨てられるくらいの通俗的な面白さを追求していく使命のようなものがあるんである。そしてその価値を読者だって、ちゃんと認識してかなきゃならない。 妙な選民意識持ってマンガを評価しちゃいかんよなあ、と思うんである。「名作」ばっか読んでるやつにそんなのが多いのは、経験上、よく知ってるし。 しかし、ハンドバッグから足が出て来て寝ている女の子を蹴り殺すシーンの恐くないことったら。 ……いや、子供のころにこれを読んでたら、やっぱり怖がったかなあ、とも思うんである。現実にありえないことが身の回りで起こるってことは、オトナにとってはバカバカしくても、子供にとってとてつもなく「怖いこと」に違いないからだ。 好美さんの視点、やっぱり小さな女の子に絞られてたのかなあ、とも思う。
と思ったら、巻末の『変身妖怪七変化』、SFヒーローものだよ。 絵柄が今度は一峰大二風になってるよ。確かにSFヒーローものの代表作家と言えば一峰さんなんだけどさあ。 多分、好美さんにしてみれば、あれだけ多作してるんだから、いろんなマンガ家さんのスタイルを取り入れたいと思ったのかも知れない。「よし、今度はSFヒーローものでいこう!」。けれど、出版社の関係から、「少女もの」「怪奇もの」というワク自体は外せない。 そこで、少女ヒロインが、「変身ヒーロー(♂)」に変身し、更に「妖怪」に変身して、世界各国から送られてくる「超獣妖怪」(このネーミングからすると、『ウルトラマンA』以降のマンガかな?)と戦うというトンデモナイ設定を考えだしちゃったのだ。なんで「妖怪」が「セブンマン」なんて名前してるんだよ。全部ごった煮にすればいいってもんでもないだろう(^_^;)。 ……この節操のなさって、初期のつげ義春によく似てるよなあ。というか、それが昔の貸し本マンガの流れを汲むヒトたちのエネルギーでもあったのだ。 たとえば、あれだけ独自の絵柄を築いている水木しげるが、その初期においてアメコミヒーローものの絵柄を駆使してマンガを描いていたことなど、今や誰が知るだろう。 多分、好美さんにはほかにも「水木しげる風」「さいとう・たかを風」「手塚治虫風」といった作品が数あるに違いない。「赤塚不二夫風」や「藤子不二雄風」はちょっと想像がつかないが(^^)。 そういうマンガも、唐沢さんやソルボンヌさんにもっと紹介していってもらいたいんだけど、引き受ける出版社がどれだけいるかなあ。
マンガ、好美のぼる『UAライブラリー8 うわっその子きれい殺す』(日本貸本漫画保存会・送料コミ810円)。 唐沢俊一解説、ソルボンヌK子&エロ上(誰?)ツッコミによる同人誌。纏め買いして、一冊の値段が分らないので、送料コミの値段を書いておきました。 値段や出版社名を明記してるのは、単に記録上のことを考えたてるだけなんで、現物をご注文されたい方は、ソルボンヌK子さんの宛先を自分でネット上で探してください。
タイトルは収録作品中に登場する既知外の女の子のセリフから取ったもので、実際には『魅せられた乙女』『幸うすき星』『テレビスター』の三本が再録。 デビュー当時は、好美さんが怪奇マンガ家としてではなく、ごく普通の(当時としては)少女マンガ家として出発したことがわかる。 初期の少女マンガは詳しく読んでないんでよくわからんのだが、絵柄的には矢代まさこに似ているような気がする(ソルボンヌさんは「わたなべまさこ入ってます」と指摘)。このへん、昔の女の人で(失礼)、少女マンガに詳しいヒト、よかったら教えてくれませんか(ってそんなヒト全国にどれだけいるんだ)。 あ、表紙絵は明らかに中原惇一のパクリだね(^^)。
しかし、昭和40年でもこの絵柄は既に古くないか。 多分作者は「絵の古さ」なんてことは当時微塵も考えていなかったのだろう。ともかく好きなマンガを真似する。それが読者へのサービスになる。そう信じていて、パクリじゃないかとかそんなことはアタマのすみにカケラもなかったのだろう。マネされたオリジナルを越えた低俗パワーみたいなものを生み出しているのだから、簡単に「パクリだ」なんてことは言えないのである。 実際、いろんなマンガを参考にしているために、大胆なポーズやアングルが駆使されていて、見ているだけでビックリさせられるカットが連発。これを文章でどう表現したらいいのか(^_^;)。階段の手すりが折れて、ヒロインの母親が落ちていくカットなんか、ソルボンヌさんは「まるでイタリア映画のようなダイビング!」と評しているが、こんな歪んだ水泳飛びこみみたいな落下、一体どんな映画に出てきたんかね。 ともかく、えらく繊細でウマイ絵と、ナゲヤリでヘタレな絵が混在しているのだ。それを作者が全く気にしていないらしいのがともかくスゴい。 少女マンガと劇画のごった煮はこんな初期作品から始まっていたのだ。 不幸な女の子が運命に翻弄され、最後にハッピーエンドになるという、少女マンガと言うより、『落窪物語』以来の日本女流古典文学の定番パターンを、臆面もなく展開させている当時の資本漫画のパワーには圧倒されてしまう。自殺しようとする少女をカモメが助ける、なんて超自然的な展開も当時はよくあったんだよなあ。 あっ! とすると、こんなところにも『オトナ帝国の逆襲』のルーツが! ヽ(^。^)丿
唐沢俊一・村崎百郎『社会派くんがゆく!』(アスペクト・1365円)。 2000年7月から、2001年7月までの1年間に起こった事件を、鬼畜なお二人が(^^)言い放題に論ずるというもの。 でも実はこの手の会話、酔った勢いであちこちの居酒屋じゃ誰でもが言ってるレベルのことなんだよねえ。いや、だから珍しくもなんともないと言いたいわけじゃなくて、こんな誰でもが感じることすら、出版物としては出しにくくなっている状況、日本人を「偽善」の中に閉じこめて現実逃避させようという風潮が蔓延していることに対して、なんとも腹立たしい思いをしているのである。
「17歳どもは『こんな平和でだらけた世の中なんか、何十年生きていたってもう大したことも起きやしない。自分で犯罪でも犯すくらいしか、刺激的なことなんかないんだー』とか妄想していたんだろうが、ちゃあんとガマンしていれば、米国同時多発テロのようなステキなものも見られ、日本もテロの標的になるかアメリカの報復戦争に巻きこまれるかというスリリングな経験をすることができるんだから、あせってはいけないのである」 内藤泰弘の『トライガン』を読んで、ビデオ屋を爆破した17歳についての唐沢さんの言葉だが、さて、これを「不謹慎」と本気で怒る人間が現実にいるのである。 いわく、「テロではたくさんの無辜の人間が死んでいるのに、その死を悼まず、ショーでも見るように楽しむのは人間としてどうか」とか。 どうかもなにも、アンタも「ショー」として見てるからそんな発言が出るんじゃねーか。自分の痛みとして感じるんだったらさっさとニューヨーク行って、瓦礫一つでも取ってこんかい。 戦争の恐怖は、ヒトの命が失われるからではなく、人間の意志が一つの線にまとめられて、他の意見が認められなくなる点にある。それはヒトを心から殺していることに他ならない。 「ショーとして見るな」とか「人間として」とか言ってる本人は、自分が戦争屋どもと同じ「他人を自分の意志で支配したい」と考えてるってことについて全く無自覚なのである。 彼らは、自分を「善人」側に置くことによって、「悪人」を糾弾することができるようになったと自己暗示をかけているのである。恐怖政治を行った皇帝が、自らを「天子」と呼んだように、「強権を発動する」資格を手に入れた気になっているのだ。
私はあのテロ事件が起こった時に、この日記で、「対岸の火事を決めこんどけ、哀悼の意だって表明する必要はない」と書いた。 実際、「死んだ人間に届くはずもない哀悼の念を、巷で表明する」ことに、「自己満足」以外のなんの意味があるか。それは、「おお、すげえコトやってくれたな」と楽しんで見たり、「別に私に関係ないしい」と知らんぷりを決めこむエゴイズムと、なんの違いもない行為なのである。 もっとキツイことを言えば、「死んだヒトを悲しむ気持ちを表しとかないと、人非人ってコトでサベツされる」という保身のためにやってることであろう。本気でやってるなら、自分の偽善性に気付いてないただのバカだ。 いや、保身に走るっての、気持ちとしてはわかるよ。誰だって自分の身はかわいいし、「安全圏」からもの言ってりゃ、少なくとも自分が攻撃されずにすむしねえ。 けどさ、それって、自分がサベツする側に回ってるってことなんだよ? 恥ずかしくないのか、人間として(^o^)。 はっきり言うが、無視決め込むよりよっぽどタチが悪い。積極的に加害者として振る舞ってるんだからね。 現実に、あの事件の直後に「テロは許さない」と言ってた連中、報復戦争が始まった途端、「日本が参戦していいのか」とか矛盾したこと言い出して、それでいて自分が矛盾したこと言ってることにすら気付いてないぞ。なんだい、結局、自分が死にたくないだけじゃねーか。そういうのを卑怯者って言うんだよ(こう言うとまた、「じゃあ、おまえは命が惜しくないのか!」とかバカなこと言い出すやつらが現れるが、そこまで論旨すりかえてることに気付いてないドバカな連中をまた論破するのは時間のムダなんで、誰かヒマな人がつきあってやってあげてください)。 自分が関われもしないことについて、意見を言えたような気になってんじゃね〜!
村崎さんと唐沢さん、この本を出したことで、また偽善者たちの中に敵を作ってないかなあ。お二人は鬼畜かも知れないが少なくとも卑怯者ではないよ。 私はこの本を読んで、ただの1ヶ所も不快感を感じなかったのだけれど(こういうことも珍しい)、でもまあ、実際に読んでみて、「やっぱり私は唐沢さんたちの考え方にはついて行けません」ってヒトに対して、考え方を変えろなんてことは言いませんよ。私ゃ善人みたいに心狭くないし(^o^)。 善人なおもて往生をとぐ、いわんや惡人においておや(『歎異抄』)。
2000年11月26日(日) オタアミが出て来た日/第3回オタクアミーゴス・IN・九州
| 2001年11月25日(日) |
オタアミ承前/『すごいけど変な人×13』(唐沢俊一・ソルボンヌK子)/DVD『金田一耕助の冒険』ほか |
実は昨日の続きです(^^)。 いや、書いてたら規定容量(原稿用紙20枚)越えちゃったもんで(^_^;)。
昨日の内容を読まれて、私が、AIQに批判的なのかとお感じの方もいるかもしれませんのでちょっと注を。 私は自分が身内だと思う人間に対するほど、容赦しません。 職場を貶すのだって私ゃ自分の職場が好きだからだし、きらら博を貶したのも「同じオタクなのになんだアレは」という怒りからだし、何より妻のしげを無慈悲なほどに斬って捨ててるのは、それはその、はっきりと書くのはシャクに触るんで書きたくないんだがアレだからです。
表現が過激である(らしい)せいで、誤解を招くこともしばしばだけれど、どんなに気を遣ったって、誤解したがるやつは勝手にします。 なにしろ、ウチの劇団の中にも、いくら言葉を尽くしても誤解しかできないアホウがいるくらいですから。 だからと言って、「誤解されるから」と語りかけることをやめるわけにはいきません。 歯に衣着せぬ物言いは、相手に期待しているからです。 今回のミスは、どうにも仕方がないという類のものではありません。全て、事前の準備さえあれば回避できるはずの些細なミスの集積でした。いや、実はトラブルが起こること自体に対して批判をしようとは思ってないのです。こちらの予測を越えた事態が起こることだっていくらでもありえるんですから。 要は一点、「要領を知らない」。 何に気をつけなければいけないか、それを考えていかねばならないというだけのことです。 AIQのみなさんがその期待に答えられない方々だとは、私は思っていないのです。
実際、昨日の宴会、別にAIQのみなさんと諍いになったわけでもなく、私が壁の花になったわけでもなく(イヤな宴会だと私はすぐそうなります)、楽しく過ごさせていただいたのであります。 しげもひたすら肉を食い続けてたし(^^)。
毎回、宴会となれば話題の中心となるのはぴんでんさん。 眠田さんとのやりとりも踏まえて、アブない話をしまくっている。 ご本人は「日記にいくら書いてもいいですよ。ホントに書いて困ることは喋ってませんから」と仰っているのだが、あそこまでハデな話をどこまで書いていいものやら。 だいたい、あの岡田さん、唐沢さんを爆笑させてるネタを連発しているのである。どうしてご自身のHPを立ち上げるなり、○○ライターになるなりしないのか。二束のワラジ履いたっていいと思うのに。
しげもぴんでんさんやZUBATさんと話していると楽しいらしく、ついくっつきたくなって困るのだそうだ。 「私、本番するんじゃなけりゃ全然OKなんだけど」なんてことをしれっと言うので、さすがのZUBATさんも引く引く。……もちろんしげは自分の言ってるコトバの意味がわかってない。 私「あのな、おまえ、その本番前っての、どんな意味で使ってんだよ」 しげ「……ん? 手をつなぐ」 ZU「それは、言葉の使い方、間違っとるよ!」 念のために言っておくが、しげは決して作為的にこんなこと言ってるわけではない。「天然」なのである。信じられないかもしれないが。
みんなでスタッフの特権とばかりに会場で取ったアンケートに目を通す。 手厳しい意見もままあり、やはり開場の不手際は何人かに指摘されている。でもこれは来年には確実に改善されるはずのものである。 「寒くて環境も悪かったけど、アミーゴスのお三方との距離が近かった去年の方がよかった」という意見は、「会場が変わって見やすくなった」という意見のほうが多い中では無視されかねないが、傾聴に値しよう。 そうだよなあ、ある種の「創世」に関わるような瞬間の熱気っちゅうか、オタクシーンの「つながり」というか、舞台と客席の「絆」を演出していく方法も考えていかなきゃいけないんだよなあ。 客席から登場してもらうってのもちょっとクサイし、お三方は嫌いそうだけれど、何かいいアイデアはないかな。
岡田さん、アンケートを読みながら、山口県を悪し様に書いたものを見つけて笑う。 「『山口の悪口はどんどん言っていいです』って、どうしてみんなそんなに山口嫌いなの?」 更にそのアンケート、佐賀の悪口も書いてある。 福岡県民の感覚から言えば、単にどっちも「田舎」って思ってるだけじゃないかと思うな。
福家書店さんに、今日の本の売れ行きを聞く。 なんと一番売れたのが夏コミ同人誌の『オトナ帝国の興亡』で、28冊だとか。 次いで、ソルボンヌK子さん編集の好美のぼる作品集、『うわっその子キレイ殺す』、唐沢さんの新刊『社会派くんがゆく』、岡田さんの『フロン』と続く。 やっぱり新刊が売れるのとと同時に、日頃は目にすることが少ない同人誌に興味が集中したみたいだ。 この日記見てるヒトで、当日、『オトナ帝国』買った方はいますか? 実はエロさんが巻頭評論、私が別名で小説1本書いてます。ご感想など頂ければ幸いです(^^*)。
宴会、10時過ぎにお開き。 岡田さんは一足先に帰られたが、唐沢さんはホテルの直前まで我々とおつきあい。 道すがら、ぴんでんさん、お友達の女の子と「今、カラサワシュンイチと会ってるんだよ」と携帯でやりとり。そのお友達、唐沢さんの熱狂的なファンらしい。 ぴんでんさん、唐沢さんに「口を利いてくれませんか」と携帯を渡す。 ああ、そんなことをしたら……(・・;)。 ぴんでんさん、相手が並木史郎か筑紫哲也かと間違えてないか。 受け取った途端、唐沢さんのマシンガントークが始まる。 「やあやあやあ、ぴんでんさんのお友達の方ですか。なんですか、聞くところによると、ぴんでんさん、○○○が○○○○○○だそうで。え? ○○? ○○○が○○で○○。ほうそれはそれは……」 もう周囲は大爆笑である。 私も思わずぴんでんさんに、「いいんですか? 今のも日記に書いても」と言ってしまう。 そのときだけは、さすがのぴんでんさんも立往生、箒を持った観音像になっていたのであった(←元ネタはわかるね)。
ゴクウ君ことロプロス君、カメラマンになりたいとかで、唐沢さんにアドバイスを受けている。 しかし、果たしてどこまで「本気」で相談してるのかな、と気になる。 多分唐沢さんにこういうことを話かけてくるファンとかも多いのだろう。「どうしたらライターになれますか」「どうしたらマンガ家になれますか」「どうしたら」「どうしたら」……。 「運と実力」っていう、わかりきった答えがあるのに、別の答えを求めてしまうのは、その時点で自分に運も実力もないことを認めてしまうことになっちゃうんだけどな。 もし本気で自分の実力認めてもらいたいなら、まず自分の作品を作って、それを発表していくこと以外にない。自分の作品が作れて初めて、唐沢さんに見てもらうなり、どこかの編集者を紹介して見てもらうなりすればいいのだ。 プロの世界は「何となく○○になりたい」程度の意識しか持ってない甘えたシロウトを相手にするほどヒマじゃなかろう。
ホテルでの別れ際に、「別にオタクアミーゴスでなくてもいいからさ、また九州に呼んでよ。落語家何人かと朗読会もやってるから」と仰る唐沢さんに、福家書店さんやZUBATさんが大喜び。 何となく来年はイベントがまたひとつ増えそうな気配であるが、果たして、みなさん、時間は捻出できるのかね。
で、やっと今日の日記(^o^)。 しげはもう二日酔いか気疲れか、「アタマが痛い」と言ってクルマを出してくれない。無理に起こすつもりはないので、久しぶりに一人で職場へ休日出勤。 実は正月休みも今年はないのだが、なんとかそれだけは避けて休もうと画策している最中である。不況の影響なんだよねえ、これも。
昼あたりから、咳が出て来て止まらなくなる。どうやらまた風邪を引いたらしい。体調がまた入院前の状態に戻ってきたのかなあ。
唐沢俊一著・ソルボンヌK子漫画『すごいけど変な人×13』(サンマーク出版・1365円)。 いわゆる「奇人伝」の類だけれど、初心者向けという感じで、研究者の目で見れば物足りなく感じる部分もあろう。一人あたりに費やしている原稿もごく短い。 冒頭のコナン・ドイルなどは、自伝や伝記の類を何冊も読んでるので、ドイルが実はホームズものを書くことを嫌ってたことも心霊研究に没頭したことも周知のことで、特に「そうだったのか!」と驚いたりすることはない。 むしろこの本に取り上げた人々のチョイスの仕方に唐沢さんらしさが現れていて、そこが面白いのだ。 北大路魯山人、宮武外骨、快楽亭ブラック、ウィルヘルム・ライヒ、岡本かの子、近衛文麿、ジョージ・アダムスキー、長谷川海太郎、白鳥由栄、エド・ウッド、力道山、岸田森。 いやもう、なんとバラエティーに富んでいることか。 『丹下左膳』の作者、林不忘こと牧逸馬こと谷譲次(ペンネームを三つ持ってたんである)を「長谷川海太郎」として紹介しているところも、唐沢さんのスタンスがよく解る。このヒトの「デタラメさ」は正しくその本体である「海太郎」自身にあるという見方だ。 私ゃ牧逸馬名義の『世界怪奇実話』シリーズ読んだおかげで、「マリー・セレスト号事件」を何十年もホントの話だと信じ込まされてたんだよなあ。この人の筆致、とても昭和初期に書かれたものとは思えないくらい、モダンでリズミカルで今も全く色褪せていないのである。それだけの筆力を持っていたからこそ三つのペンネームを使い分けるなんて離れ業もできたんだろう。 唐沢さんなら、彼に、作家・地味井平造と長谷川四郎という二人の弟がいることも知っていただろうが、限られた紙数ではとてもそこまで触れられない。もっと紙数を与えて、文庫化してほしいなあ。 圧巻はラストの岸田森。 彼の蝶好きは実相寺昭雄監督の思い出話の中にもよく出てくるが、ソルボンヌさんの漫画は、その一点に視点を絞って描かれており、わずか6ページの紙数にもかかわらず、まるで夢のような岸田さんの一生を描出することに成功している。 蝶の標本の部屋で一人、酒瓶を片手に虚空を見つめて孤独に過ごす岸田さんのカットが、都合、三度ほどコピーで登場するが、これがもう、たまらないくらいに切ない時間と空間を生み出しているのだ。私が今まで見てきた漫画の中でも、これは最も美しいコピーの使い方であると断言したい。コピーって、決して手抜きのための道具なんかじゃないんである。
アニメ『サイボーグ009』第7話「見えない敵を撃て!」。 脚本構成、演出、ともに第1話以来の傑作である。 原作のストーリーをなぞりながら、その後の009シリーズが内包していった、「神とはなにか、人間とはなにか」といった重厚なテーマもその中に織り込んでしかもちゃんとエンタテインメントとして昇華している。これほどハイレベルな脚本は、ここ十年のアニメを通してみても『エヴァ』など数本しか思いつかない。 冒頭で、008が東京を俯瞰しながら語る、神に関するモノローグは、『天使編』を予告するものだろうし、003が「雑音が多すぎて聞こえない……」と苦しげに呟くのは、肥大化しすぎた街そのものが「黒い幽霊」と化しているような不安さえ感じさせる。 それだけ「重い」テーマを孕みながら、鼻キズのヤスとノロマな少年のやりとりのシーンでは、しっかりアニメチックなギャグを飛ばしてくれていて、脚本家がドラマとしての緩急をよく心得ていることが判る。 009を育てた神父が実はブラックゴーストの一員だったという新たな設定は、『怪人島編』の伏線だろう(あの神父さんのキャラクター、『多羅尾伴内』からの流用なんだな)。009の苦しみはこれから始まるのだということをも予感させる。 いや、至れり尽せりの演出とはこのことだ。 0013が透明ロボットだったという設定は原作にはない。手塚治虫の『電光人間』あたりからインスパイアされた設定かとも思うが、石森さんのほかのマンガにもあったかもしれない。なんにせよ、0013が船に激突し転覆させるシーンなど、荘重な音楽とも相俟って怪獣映画を彷彿とさせる迫力である。 ただ残念なことは、これだけすばらしい傑作にしあがっていながら、原作では唖で知恵遅れの少年が、多少たどたどしい口調ではあっても、ごく普通の少年に置き換えられていることだ。 身障者をアニメに登場させたら何かと問題があるとの判断だろうが、それは結局、差別事象を隠匿しているのと変わりがない。原作は身障者差別を告発するために描かれたようなものなのになあ。 だから、視聴者のみなさんには、少年が呟くシーンのセリフを、心の中で原作どおりの「ウヘ……」というコトバに置き換えて御覧になることをお薦めする次第である。
『こち亀』『ワンピース』を斜め見。 『こち亀』は悪徳セールスの話で、『ワンピース』はワポルがぶっ飛ばされるあたり。 ネットなんかでは、ヒルルクの死をずいぶん感動的に紹介してる記述が多いけど、この辺、尾田栄一郎はまんま、なかいま強とかをパクって描いてるんで、私はちっとも感動できないんである。 これでしばらく原作の方だと「感動編」はお預けなので、これから先、話をどうひっぱって行くかだなあ。またぞろオリジナルエピソードを差し挟むのかなあ。
DVD『金田一耕助の冒険』。 公開当時、小林信彦が「日本にはパロディをキチンと作れる監督がいない」と言ってたが、半分首肯し、半分は失笑した。 「パロディ」というコトバにただの駄洒落やモジリ以上のものを求めるならば(別にただの駄洒落だって構わんと思うが)、それはその通りかも知れない。 しかしそう言ってる小林信彦だって、「ただの駄洒落」を『オヨヨ大統領』シリーズや『唐獅子株式会社』でやってるのだ。 メイキング・インタビューで、監督の大林宣彦が「パロディ映画ってのは、お客さんが自分から楽しもうとするかどうかで面白さが変わる」と語っていたが、実際、私は、このギャグセンスのカケラもない低レベルな駄洒落に満ちた、しょーもない映画が公開当時も今も大好きなのである。 いや、確かにしょーもないギャグも多いが、金田一耕助の内面にこれほどせまった映画もほかにはないのだ。
冒頭、物語はいきなり「戦後の」岡山を走る蒸気機関車の中から語られる。 女学生のクロスワードパズルを見事に解いて見せる金田一。 「その答えはインディアン・ライラック。百日紅です」 女学生は感嘆し、金田一の名を尋ねる。照れながら名乗る金田一。 「ああ、あの有名な……! 言語学者の!」 金田一、メゲて「……とるに足らぬ男です」と呟き、振り返る。 ここで、金田一京助と勘違いしたギャグだけを取り上げて、しょーもない、と断じた目の見えぬヒョーロンカのいかに多かったことか。 しかし、このギャグの秀逸さは、そのあとの「取るに足らない男」の方にあることを見逃してはならない。 これは実は、原作にある『百日紅の下にて』のラストでの金田一のセリフなのである。自分で自分のことをこんなふうに芝居がかって言うヤツをみなさんは信頼できるだろうか。 一般的には純情ではにかみやの印象を持たれている金田一が(そのイメージは石坂浩二が作ったものだ)、実は自己顕示欲の強い俗物であることを、この映画はいきなりファーストシーンで暴露し、揶揄しているのだ。 列車は、東京に到着する。 そこは、「現代の」東京だ。待ちうけている等々力警部は「岡山の磯川さん元気? 金田一さんも相変わらず快刀乱麻を断つ名推理みたいね」と磯川警部に比べて自分に人気がないことを僻み、羨んでいるかのように皮肉っぽく言う。 金田一シリーズが戦後の岡山を舞台にした作品に傑作が多く、作品数から言えばはるかに数の多い「東京モノ」にさっぱり人気がないことを揶揄するセリフなのである。 当時の横溝正史作品の読者は、「現代の東京」になんかロマンを求めてはいなかった。現実に幻滅していたからこそ、土俗的な横溝ミステリーに惹かれていたのだ。言い返れば、それくらい現実の犯罪にはロマンがなくなっていたのだと言える。 犯罪にロマンを! 不謹慎なセリフだろうが、ミステリーの魅力はまさにここにあるだろう。この『金田一耕助の冒険』は、懐かしき探偵小説にロマンを求めるミステリファンの「自分探し」の物語であったのだ。 そのことを大林監督は、よく判っていた。だから、原作小説だけでない、監督が愛してやまない数々の映画やCMやその他もろもろ、岸田森の吸血鬼が、三船敏郎の初代金田一が、片岡千恵蔵のホントの初代金田一が、峰岸徹の瞳の中の訪問者が、引退した山口百恵が、東映時代劇からは東千代之介が、高木彬光や横溝正史本人が、考えるゴジラが、星の数ほどのキャラクターたちがただ単に顔見せ程度に出てくるだけ出て来たのだ。 パロディに名を借りた、これは監督の「お遊び映画」だったのだろう。
実際、こんなに監督の一人よがりで作られた映画も滅多にない。 金田一耕助にビリー・ザ・キッドを、等々力警部にパット・ギャレットを重ね合わせて撮ったと大林さんは言うが、そんなん誰が気付くか。しかし言われてみればまさにその通りで、この映画の中での金田一耕助は、大好きなキャラクターや映画たちの間を駆け巡る、まさにイタズラ好きの少年だったのである。 最終的に夢のない犯罪に飽き足らなくなった金田一自身が、真犯人に変貌して行く過程、このへんには『熱海殺人事件』で犯罪にロマンを求めたダイアローグライターのつかこうへいのアイデアも反映されていると思うが、少年がイタズラに走るのは、つまらない現実をぶち壊し、革命を願うココロの現れにほかならないのではないか。 ああ、そうだ。 この映画の金田一って、『クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲』のケンにそっくりなんだ。回りにあるのはただそこにある懐かしい、いつか見た風景たち。だから、トシを追うごとに私はこの映画が大好きになっていくのだ。ギャグの元ネタが判らなくなるくらい古くなれば古くなるほど。
アニメオタクには、オープニングの和田誠のアニメーションも一見の価値ある傑作だと紹介しておきましょう。 欲を言えば、せっかくのDVDなんだから、ついでにテレビ放映時の改訂版音声も収録してほしかったなあ。百恵ちゃんにそっくりの不二子像に江木俊夫がキスするシーンで、テレビ版は百恵引退の直後だったんで、セリフが「どうして引退しちゃったの!?」に差し換えられてたリしてたんだけど。
疲れが取れず、咳も止まらないまま、泥のように眠る。 明日は起きれるかなあ。
2000年11月25日(土) 希ウィッチィズ/安藤希トーク&サイン会
| 2001年11月24日(土) |
オタクアミーゴス in 九州 2001 |
夕べ私はこてんきゅう、と寝たが、しげは寝つかれずに朝の3時か4時くらいまでゲームをしていたらしい。 だからどうしてオマエはそう、自分で自分の首を締めるようなマネを(ーー;)。 正味三時間ほどしか寝てないしげを起こして、バスと地下鉄を乗り継いで天神Z‐SIDE(発音が「ジーサイド」なんで、つい「G‐SIDE」って書いてましたがこっちの綴りが正しいです。すみません)へ。 しげから「髪が立ってる」と言われるが、そんなん気にする余裕はない。
到着は8時半、一応一番乗りだが、間もなくエロさんとZUBATさんもやってくる。 「夕べは眠れましたか?」 「ええ、ぐっすり。ぴんちゃんなんか『横になる』と言った次の瞬間、もう寝てましたよ」 やっぱり、「次の日がイベントだと眠れない」なんて、遠足に行く前日の小学生みたいなこと言ってやがるのは、しげだけなんである。 搬入口は9時ちょうどにならないと開けてもらえない。エロさん、「9時に集合でもよかったな」とボヤく。
時間つぶしに向かいのミスタードーナツで朝食を取ることにするが、私は打ち上げでたらふく食うことを考えて(考えるなよ)、ホットティーのみ。少し落ちついて外を見ると、天気は上々、これなら「雨が降ってるから」ということで出かけるのを取り止める人もそうはいまい。 会場が、昨年の小汚い西新某所からこざっぱりしたNTTホールに移ったことも、果たして吉と出るか凶と出るか。いろいろ懸念はあるが、泣いても笑っても今日が本番当日なんである。やれることをやるのみだ。
9時になって、AIQのスタッフもほぼ全員が集まる。 しかしここで最初のトラブルが発生。NTTホールからZ‐SIDE側に連絡が伝わっておらず、機材を詰め込んだぴんでんさんの車が駐車できずにしばらく立往生するハメになったのだ。 仕方なく、会場と連絡が取れるまで、路上駐車(天神は違反者だらけなんで、警察に出くわすなんて間が悪いことにならない限りは全然平気)して、どんどこ荷物を運び出す。
入口で通行証代わりの名札を受け取り、台車でモニターなんかを運びこんで行くが、通路がやたら狭く、ちょうど出勤してくる職員なんかとすれ違いまくるものだから、危なっかしくて仕方がない。 これも、路駐した職員入口から運び込んでいるためで、正規の駐車場からならこんな苦労をせずにすむのである。Z‐SIDE、意外と裁けてない。このへんで違約金少しはふんだくれないものか(アメリカならこの程度でも確実に訴訟ものだ)とかチラッと思うが、まあ、「和」の精神を重んじる日本人としてはそれもままならないであろう。
会場に入ると、思っていたより広い。 初め、公演終了後のサイン会、舞台上でやってもいいのではないか、なんてことをみなさんに話してたのだが、現実に会場を見てみると、何10人か並んでもなんとなく閑散としそうな気配である。 それに機材の配置と、搬出を考えれば、会場に人が残っている状態は避けた方がいい。 会場入口前のロビーも見て、こちらの方がサイン会には適当であろうと判断。しおやさんから、会場に向かって正面の壁で福家書店さんがお三方の著書を売って、受付側の壁でサイン会を行えば、ちょうど列が作りやすいことを説明される。 こういうことも実際に会場に足を運んでみないと判らない。というより、目で見れば一発で納得できることなんである。事前にいろいろ心配していたのは全くの杞憂であった。 ああ、もう少し早く正式スタッフになってたら、少しは時間が取れて、下見にも行けたのになあ。
けれど、ちとここで苦言を提しさせていただければ、会場見取り図を事前にスタッフ全員に配っておくことくらいは、演劇ならば基本中の基本、常識みたいなもんである。それは演劇というものが役者もスタッフも一体、舞台のことは全てみながアタマに入れておかねばならない必要性があるためなのだが、さて、イベントの場合、そういうことは必要ないのであろうか。 今回の私やしげの役割はロビーの警備ということになっているのだが、ならばホール内のことはよくわからなくてもいいのであろうか。 そうではあるまい。 昨日の日記にも書いたが、どんな突発事故が起こるか解らないのがイベントなのである。スタッフの人数が少なければ少ないほど、誰もが臨機応変に対応できる状況を作っておかねば、トラブルを回避することなどできなくなる。遠方から来ているスタッフもいて、周知徹底なんてことは望むべくもないことは解るが、それをフォローするための手立てが誰によってなされるのかすらハッキリしてないと言うのは、組織としては欠陥なのではないのか。 実は、あとでこの甘さがあるトラブルを呼ぶのだが、それはまたあとで述べる。
しおやさんから、受付の段取りについて伺う。 警備なんかの張り番や、買い出しなんかのパシリならなんということもないが、お金の計算や引継ぎとなると、根っから文系のアタマにはちと苦労である。懸命にやり方を聞くが、さて、私はちゃんと理解してるんだろうか。 呆れたことに、受付にキャッシャーが用意されていない。 アンケート用のエンピツも10本程度。しおやさん、「たいていみんな書くもの持ってますから」と仰るが、男性はともかく女性はそうでもないのではないか。それに、サイン会用のマジックも用意されてなかったから、別にそんなの必要ないと判断してそうしたわけじゃなくて、単に「忘れてた」だけのことだろう。 しげ、「言ってくれてたら、家にキャッシャーもエンピツも、一式あるのに」と、不満げ。昨日からずいぶんイラついていたが、段取りの悪さにそろそろしげがキレかけている。 「キャッシャーの代わりにタッパー買ってきてくれないかな」 タイミングよくしおやさんがそう言ってくれたので、しげ、買い出しに出かける。ここらで少し、外の空気でも吸ってアタマを冷やしておかないと、キレたしげが何をしでかすか分からない(^_^;)。
チラシをぺたぺたと会場案内の代わりに貼りまくって、公演前の仕事はひと区切り。 今のうちにと福家書店さんのところに行って、まだ買っていない唐沢さんの旧作・新刊などを物色。『年金入門』なんて、そんなのまで出していたとは気付かなかった。新刊もこの一月ほどのあいだに何冊も出ていることを発見。たいていのファンは旧作は持っているだろうが、新刊があるということは、結構売れ行きが伸びる可能性もあるのではないか。ソルボンヌK子さんの同人誌も積み上げてあるが、これは便乗販売か(^^)。 岡田さんのはほぼ全冊を買っているので、あとは単行本を持ってはいるが、文庫で再版になったのを買うことくらいしかできない。岡田さんのサインも欲しいのだが、「ぜひともこの本に」と思うものがないので、今年は見送ることにする。 去年はなかった眠田さんの単行本、今年は『オトナ帝国の興亡』も含めて数冊置いてある。 福家書店さん、「眠田さんのサイン会も開いてほしいんですがね」と仰るが、「ちょっと難しいでしょうね」と答える。やはり著作の数が大きく違っているので、眠田さんだけ早々とサイン会が終わってしまうことは目に見えているのだ。。イラストやゲームもいいけど、眠田さんには昔みたいにパロディマンガをたくさん描いてほしいんだけどなあ。 舞台の方はどうじゃらほいと思っていたら、ぴんでんさんたちが「モニターが映らない」と騒いでいる。ウチで貸し出したデジタルビデオカメラがコードをつないでも映らないというのだ。 あいにく、しげは今しがた外に出かけたばかりだ。私はもうずいぶんカメラを扱っていないので、操作のしかたなんか忘れている。 戻ってきたしげがカメラを確認してみると、コードの差し口を間違えていただけだった。 しげがブツブツと呟いているのに耳を傾けると、 「……前日に酒飲んでチェックしてないからだよ」 ……ああ、目が据わっている(・・;)。せっかく外の空気を吸わせて、アタマを冷やさせたのに、一気に元通りだ。 もうしげのやつ、いつ爆発してもおかしくないぞ。
11時に唐沢俊一さん、いちろうさんに案内されて到着。今朝5時までトークだったと聞いているが、一見するとそうは見えない。これがプロ根性というものか。 会場に入るなり、唐沢さん、あたりをぐるりと見まわして、「ほおお」と嘆息。これくらいのホールで公演することだって珍しくはなかろうから、この感嘆は「去年の会場よりずっと立派なところに移ったな」という意味であろう。控え室もただの楽屋ではあるが、去年よりは椅子がいい。少しは満足していただけたであろうか。 「お二人はもう?」 唐沢さんにそう聞かれて、 「11時半に来られるそうです」と答える。 ところがどっこい、岡田さんと眠田さん、ホテルは真向かいなのに12時近くになってもまだお見えにならない(^_^;)。 やっぱり博多の町をうろつかれているのかなあ、と思っていたらその通りであった。 11時50分ごろ、岡田さんは、ファンの人とご同伴でご到着。 眠田さんはもっとごゆっくり、開場後、12時を過ぎてダイエーホークスのバッグを片手に堂々の御凱旋であった。眠田さん、ご出身は関西なのに、ホークスタウンにまで足を伸ばすほどの大ファンである。これって、案外珍しいんじゃないかな。 しかし、いったい何をお土産に買われたのやら。
時間をちょっとだけ元に戻して、開場前。 機材トラブルはひとつだけに留まらず、接続コードが実は長さが足りなかっただの、そのコードを買いに行ったら、間違えたコードを買ってくるだの、ミスが連発する。 あれやこれやで、気がついたらもう12時。開場の時刻だ。 なのにまだセッティングは終わっていないというテイタラクである。 仕方なく会場前のロビーだけを開け放して客を入れる。 客もてっきり、座席に座れると思っていたのだろう。なのに入口前で待たされるのだからたまったものではない。福家書店さんがアミーゴスお三方の著書を売っているので、それを買って時間つぶししている人もいるが、10分も経てば到底おとなしくしていてはくれない。あとからあとからやってくるお客さんで、ロビーは満杯。予想以上に前売り以外、当日のお客さんもあるようだ。ありがたいありがたい。ありがたいけど、冬だというのに熱気が漂って、明らかに空気が悪くっていくのが判るのがなんともはや。 警備で立ちんぼの私に「まだですか」と何度も聞いてくる人も出てくる。こちらはもうアセをかきながら(ホントに)、「もうそろそろだと思います」を繰り返すばかりだ。 この階自体は本屋のスペースなのだし、これなら開場を30分遅らせて、本でも読んでいてもらってたほうがマシであったろう。
開演15分前になって、ようやく準備が整い、本開場。 入口は右と左に2箇所あるのだが、同時に開かねばならない。開場が遅れたので、そんな段取りはもともと組んでいない。いったん中に入って、エロさんに内側から同時に開けてもらうように頼む。
お客さんが入って、ようやく一息つくが、何となく、トラブルがこれで終わったようには思えない。 今のうちに、昨日約束を取りつけた眠田さんのサインを頂こうと、『オトナ帝国の興亡』を2冊握りしめ(いや、握りしめたらシワクチャになるってば)楽屋に押しかける。1冊は私のだが、もう1冊はよしひと嬢にである。 よしひと嬢、ずいぶん昔からの眠田さんのファンで、単行本も持たれているとかいう話を聞いていたので、勝手にサインをもらっといてあげようとたくらんでいたのである。 名前は明かさないが、よしひと嬢、本名はとても難しい、恐らくは日本中でもそうとう珍名な部類に入る人だ。 案の定、よしひと嬢の本名を書いた紙をお渡しすると、眠田さんとご一緒に唐沢さんも驚かれて、「……これ、なんて読むの?!」 読み方を告げると、眠田さん、「……ひらがなで書くからね。漢字だと書き間違えるから」。 よしひとさん、サインがひらがなだったのはそういうわけだったんです。日付けを書き間違えられてたのも謝られておりましたので、どうかそういった事情もお含みおきいただけますよう。
会場を走りまわって、トークネタのリクエストを集め、お三方に届ける。 楽屋裏でのおしゃべりなんかもちょっとキキミミ立てたい誘惑に駆られるが、ガマンして配置に戻る。 いよいよ開幕である。
会場はアミーゴス登場とともに一気に盛りあがる。最初からトークで飛ばしまくり、それがまたどんどんウケるので、ネタのビデオにいつまで経っても移らないくらいだ(唐沢さんの日記に「20分ほどトーク」とあるが、これは全くの勘違い。優に1時間10分、喋り続けだったのである)。 ただ、私は今回一切笑ってない。 交替でスタッフも会場の中に入れるのだが、客として見ていた去年までとは気分が違うのは当然だ。正式スタッフになっている以上、見ているのはアミーゴスの芸だけではない。 会場の雰囲気、音響その他の演出効果、そういうものに気を配りながら「観察」しているのだ。……笑ってられねえって。
ホールは確かに立派になった。 客席が傾斜しているので、フラットな床にパイプ椅子を置いただけの昨年の会場に比べて、お客さんがぐんと見易くなったことは間違いない。 音響も映像もずっとよくなっている。 ただ、会場の全員がラポールを起こす(狭い空間で興奮が伝播していくこと)には、せめてもう20人、人がいないと今ひとつ効果が薄い。一部の客が「無理して笑っている」状況も見えるのである。
オタクアミーゴスのネタについては、これもお約束で、詳細に紹介することができない。 新作ゴジラについても、公演ではそのストーリー、唐沢さんはかなり詳しく紹介してくれていたのだが、裏モノ日記ではあえて肝心なところはこれから見る人のために伏せてある。 従って、その内容については、眠田直さんがレポートをアップするのを待って、そちらを読んでいただきたい。 ……でも、これくらいはいいかな? 『パワーパフガールズ』が映画になるってよ! 会場でも女の子が「ええええっ!」て喜びの悲鳴を上げてました♪ 案の定、トラブルは続く。 音の調整がうまくいかないのか、会場の外まで大音響が響き渡って、ホール係の人が走り回ったり、デジカメをオートフォーカスにしたままだったので、画像のピントがやたらとブレたりする。 しげ、「何で昨日のうちに」をブツブツ繰り返しながら、機材の調整にロビーとホールを行ったり来たり。 こりゃもう、私の手には負えまへん(T△T)。
休憩に入って、来場してくれたよしひと嬢にようやくお会いする。 サインつき『オトナ帝国の興亡』をお渡しして、警備中で見られなかった映像ネタの感想などを聞く。 「○○人ってバカですね」 あああ、よしひとさんまで、そんな公開日記にUPできないような発言を(^o^;)。
段取りの悪さ、最後の最後まで途切れることがない。 公演が終了し、アミーゴスのお三方が挨拶しても幕が降りない。 ……このときになって、初めて気付いた。 AIQには舞台監督がいないのだ。 プロデューサー兼演出はエロさんだろう。各部所の責任者はいる。 しかし、現実の舞台を運営するに必要不可欠な舞台監督がいない。 舞台監督は普通、公演中は舞台袖にいて、インカムを使って、配置しているスタッフにいちいち指示を出す。ここで幕を下ろさなければならない、と判断したら、そこに配置している者に指示を出して、すぐに幕を降ろさせる。それが仕事だ。 たとえブタカンがいなくとも、スタッフが臨機応変に動けばいいじゃないか、と言われるかも知れない。しかしそのとき、私はその場で動くに動けなかった。他のスタッフも同様だろう。 だって、幕の上げ下ろしがどこで行われるのか、舞台袖でか、それとも調整室のボタン操作か、それすらも事前に知らされていないのである。動けるはずがない。 舞台上で岡田さんの声が響く。 「こういう時は幕を下ろすんだよ。……いないの?」 仕方なく、お三方、自ら舞台を降りていく。 ブタカンがいないということは、当然配置されるべきスタッフもいなかったということだ。臨機応変も糞もない。我々はその瞬間、みな、ただのデクノボーと化していたのである。 ちょっとしたミスに過ぎないよ、気にするな、とかばってくださる人もいるかもしれない。 しかし、ミスはミスでも、こんな低レベルな(と言って表現が悪けりゃ、基本的な)ミスは、普通、起こりえることではないのだ。恥ずかしくて、「ウチにはブタカンいません」なんて言えやしない(言ってるけど)。 公演中に、しかも舞台上で岡田さんにこんなセリフを言わせた時点で、私個人の意識の中では、この公演、完全な失敗である。
あ、日記タイトルページの「無事終了しました」ってのの「無事」ってのは、「コトナカレ」と読みます。
このとき、ロビーではもうひとつ問題が発生していたらしい。 しげと何人かのAIQのスタッフがそこにはいたらしいのだが、閉幕と同時に出て行くお客さんを裁くために、ドアについてた方がいいんじゃないかと動き出したと言うのだ。 受付の売り上げ放っといて。 しげが慌てて、売り上げを楽屋の方に移動させたものの、どこの世界に売り上げほったらかしてほかの仕事するアホウがいるのか。しげにとっさの機転が働いてなかったらどうなってたか。 もっとも、しげもこのときドジをやらかして、サイン会のために用意しておいたマジックをうっかり一緒に片付けちゃって、あとで往生したんだけれども。
しげは「AIQの指揮系統が全然分らない」と言ってたが、多分、そんなものはないのだ。まずもって、組織としての体をなしていないと批判されても仕方なかろう。
お三方はホテルにお戻り、片付けも昨年よりぐっと短い時間ですむ。 荷物の搬出をしながら、ZUBATさんに「ウチは段取り悪いですね。舞台監督はいないんですか」とボヤくと、「キッチリ決めても崩れちゃうんですよ。アバウトにやるのとたいして変わらないし」と言われる。 一理あるとは思うが、さて、本当に以前はキッチリやっていたのだろうか。 「舞台監督、有久さんにお願いすることになるかもしれませんよ」と言われるが、私もやれるものならやっている。多少の暗闇でも状況を判断しなければならない舞台監督の仕事は、視力が極端に悪い私には物理的に不可能なのだ。 自分で自分が恨めしくなるのはこんなときだ。
しげの体調、ますます悪くなる。 ただでさえ寝不足、イライラに持ってきて、空気の悪いところでずっと緊張していたので、腹痛を起こしている。 打ち上げまでやや時間があるので、天神中央公園でしばらく休む。この時間帯だともう真っ暗なので、家族連れもカップルも痴漢もいない。 しげはすっかりしょげてブツブツ言っている。 「段取り組みたいよ。そんなに動けないってわかってるけど、あんなんじゃ……」 AIQの状況は判ったから、なんとかしようはあるだろう、としげをなだめる。
打ち上げの飲み会、岡田さん、唐沢さんたちと喋るとついいらないことを言いそうなので、離れて座る。 すき焼き鍋、モツ鍋は美味かったのだが、つい食用酒をそれと知らず飲んでしまい、酔っ払う。 頭痛はしたが、キバラシにはそれもよいか。晴れてないけど。
なんだか長々と批判めいたことを書いてしまったが、もちろん、このままで終わらせるつもりはない。 来年はこんな失敗は起こらない、それをここに誓うために書いたことだ。別にエロさんの胃に穴をあけ、円形脱毛症に追いこむことが目的なのではない(^^)。 それはAIQのみなさんも、きっと同じ気持ちであろう。
2000年11月24日(金) ハートブレイク/舞台『人間風車』
| 2001年11月23日(金) |
純情エロさん/オタクアミーゴス前夜祭 |
オタアミ当日まであと1日! カウントダウン1!
って、ホントに、あといちんちしかないですよ。 たしか二ヶ月くらい前からこのカウントダウン始めたけど、月日の経つのはマジで(イントネーション右上がり)早いっスね。 今更言うのもなんだけど、これ、当然『宇宙戦艦ヤマト』のパロディなんだけど、こういうことも若い人に対してはちゃんと書いとかないと、下手すりゃ「意味不明」なんて言われちゃうのである。世代のギャップって、ハンパじゃなくてデカくなってるんだよねえ。 ただ、もう一つ付け加えておくと、この「あと何日」ってネタ自体は当然『ヤマト』が初めてではない。もしかしたらそれ以前にも例があるのかもしれないけれど、私の知るかぎりにおいては、ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』の「死刑執行前○○日」って章タイトルがほぼ嚆矢と言っていいんじゃないか(それ以前の例も何かの本に書いてあった気がするんだが忘れた。ご存知の方、ご指摘下さい)。 オタクが狭い価値観しか持ってないって誤解されちゃうのは、知識がないのか、知っててしらんぷりしてるのか区別がつかないけれど、こういう有名どころをキチンと指摘してないことにも原因があるんじゃないか。
蛇足の蛇足の説明だけれど、「オタアミ」を「死刑執行」や「地球滅亡」になぞらえたのは、私の「客は来るのか」って危機感の現れであります。今のとこ、黒字になるか否かはギリギリの見込み。さあ、我々AIQはコスモクリーナーを手に入れて無事帰還できるであろうか?!(BGM宮川泰)
日記の更新を手早くやろうと思ってたんだが、しげから「今日は絶対部屋の片付けしてよね!」と言明されてたんで断念。オタアミの真っ最中にはとても日記なんか書けやしないし、日曜は出勤だし、こりゃ、休み明けの更新はムチャクチャキツイことになりそうだなあ(注・実際にこの日記を書いてるのは日曜の夜なんで、実際ムチャクチャキツイです)。 片づけする前に、新刊本やDVDを天神に買い物に行く。しげは「車で天神に行くなんて私も出世した」とか言ってるが、「出世」じゃないだろう、それは。 先月きあまりDVDを買ってなかったので(なのに貧乏)、今月分と合わせてまとめて買ったら、ちょっとオソロシイ額になってしまった(^_^;)。 あっ、しげの眉間にシワが寄ってる(・・;)。 「これだけ買ったってことは、ボーナスは使わないってことだよね」 私の顔も見ずにいい放つしげ。 「も、もちろん」と答える私。 実際、これはウソではない。なぜなら、ボーナスは本屋へのツケ払い(『日本国語大辞典』の代金、まだ払ってないのだ)に使うつもりだから(^^)。 更に、店員さんに「『ナジカ電撃作戦』、全巻予約します」と告げる私。 途端に「『ナジカ』買うの?!」と目をキラキラさせるしげ。 オイコラ、自分の見たいやつにならカネ使ってもいいんかい。 しかしどうしようかなあ。新作案内を見ると、『名探偵ポアロBOX』だの『パワーパフガールズ』だの、ほしいものがまた目白押しなのだ。いちいち全部買ってたらどうなることか。 既に店員さんからも「『ナジカ』を……」と言ったあと、「ほかにはよろしいですか?」と畳みかけられてしまっている。んなこと言われたってよう。おれのサイフはドラえもんの四次元ポケットじゃねえんだよう(T∇T)。
その足で福家書店に回り、買い忘れの本を何冊かとエドワード・ゴーリーの新刊の購入。ここに来ればあの本が手に入る、という目算のある本屋というのが福岡には少ないが、福家はその数少ない店だ。今はまだ控え目になってるが、以前は店内に入った途端に鬼畜本コーナーがあったりしてたんである。 東京の銀座本店は、ここまで偏ったシュミには走ってないらしいんで、やっぱりここにはその手の(どんな手だ)ヒトが多いってことなんだろう。 いや、よかよか(^^)。
食事を天神コアのラーメン屋で食べる。 ここは信州ラーメンとかで、博多名物と詐称されているとんこつスープに比べるとあっさりしていてシツコクない。 定食がギョーザつきでオカワリOKと言うので、朝から何も食べてなかったしげと二人、がっつくように食う。腹が減ってる時はラーメンだって美味いなあ。
帰宅して大掃除。 「私は居間と姉さん部屋(←よしひと嬢が泊まる部屋のこと)を片付けるから、アンタはトイレと風呂ね」 やっぱり私がトイレと風呂か。こないだしげに、さりげなくはっきりと(なんじゃそりゃ)「おまえ、たまにはトイレ掃除しろよ」と言ったが、しげは「うん」と答えてやっぱりやらなかった。自分の出すう○こが私の3倍臭いことを知らないな。……いや、知ってるから掃除したくないのかも。 かといって、文句言ったりケンカしたりしてるヒマはないので、ともかくサクサクと掃除。自然と力がこもり、舐めてもきれいなくらいに便器がキレイになって行く。ホントに舐めさしたろか。 って、それホントにやったらドメスティック・ハラスメントなんだよなあ。じゃあ、今私がしげから受けてる仕打ちはそうじゃないのかよう。
今日はオタアミのリハの日と聞いていたが、具体的な計画がハッキリしない。 AIQ実行委員会のパティオに、今日明日のタイムテーブルについて大まかな予定表は書きこまれているが、結構アバウトな部分もあるので、心配性のしげはやきもきしている。 「……会場にはいつ行くんかなあ」 「行かないんだろ? 特にそんな風に書いてなかったし」 「え? 会場リハやんないの?」 「ウチの劇団だって“前日”にはやらんだろう」 「それはおカネがないからだし……」 「そりゃAIQだって金が有り余ってるわけじゃなかろ?」 ともかくエロの冒険者さんに電話をしてみて、予定を確認。どうやら夕方ぴんでんさんとZUBATさんがウチまで迎えに来てくれるらしい。……って、お二人、ウチの住所知らないはずだが(^_^;)。 「そこは、近くなったら道を連絡して頂いて」 うーむ、確かにウチのマンションは、街道沿いで教えやすい位置にあるからいいのだが、もし複雑なところにあったらどうしてたろう。藤田くんチみたいに「こころもち道が広くなってるところの奥の細道に入って」とか、説明する方もわかりにくいと自覚してる場合があるんだから。
時間が空いたので、今のうちに仮眠。多分今晩と明日はろくろく眠れなくなるだろうし。 でも、こういう時間配分がうまくなったよなあ。こりゃもう、仕事と劇団と私生活の三重生活を送ってきた経験の賜物というものであろう。
で、ずっとZUBATさんからの電話待ちをしていたのだが、5時を過ぎてもまだ電話が来ない。おかげで2時間くらい眠れたから助かったけど。どういうわけか、久留米からウチまではほぼ一本道なのに道に迷われてたらしい。これはこれでなかなか器用(^_^;)。 マンションの側のホームセンターの駐車場でお二人にご挨拶。 前々から思ってたことだが、お二人、ブルース・ブラザーズのコスプレしたら絶対似合うだろうなあ。いやもう、ニコライとニコラスと言おうか、チックとタックと言おうか、ローレルとハーディ、アボットとコステロと言おうか、典型的なコメディアンのコンビにぴったりフィットするのである。ぴんでんさんが痩せられてスリムになっちゃったので、ジョン・ベルーシにはちょっと届かないのだけれど。 長らくお借りしていた日本語版『モンティ・パイソン・ライフ・オブ・ブライアン』のビデオをZUBATさんにお返しする。……そう言えば、これ見た感想、この日記にUPしてたっけ。もうずいぶん昔なんで忘れちゃった(^^)。 お二人は私たち夫婦を乗っけてエロさんのウチまで連れて行ってくれる心積もりだったらしいが、デジカメなどの機材はもうしげのロドリゲスに積み込んである。だから待ち合わせせずとも、直接エロさんちに行くことも可能だったのだが、如何せん、しげには、一度行ったことのある道でも間が空くと必ず忘れるという癖がある(←アホである)。私がナビすりゃいいじゃないかと言われそうだが、夕方過ぎると視力の弱い私には道が見えなくなるので役に立たない。 そこでぴんでんさんの車に先導してもらってエロさんちに向かうことにする。。これはこれで、若葉マークのしげ相手になかなか危険な策ではあるが。ありがたいことにぴんでんさん、これ以上はないってくらいに徐行してくれて、なんとかしげ、ついて行けた。
エロさんの事務所には既にしおやさん、獅子児さんがご集合。 ダンボール箱いっぱいの○○ビデオが積まれてあるが、これが全部明日のネタ(^^)。いやあ、もう、タイトルだけでも紹介してあげたいんだが、やっぱりそれはちょっとね。自然、明日への期待が膨らむ。 ここでいきなり、私にアミーゴスお三方へのお礼金の封書の上書きを頼まれる。いいいいいいいきなりなななななななんですかそれは。それはつまりわたわたわたわたわたわたわたしのじがおおおおおおさんかたのめにふれるということであり、それをおさんかたがおしおしおしおしおしおしおしいただくということであり、わあ、なんてもったいなや(TロT)。 言っとくけど私の習字の腕前は二級だ。一級には2回くらい挑戦したけどしっかり落ちた。段なんて遠いカナタなんである。 なのになのに。「私、二級ドマリなんですけど」と恥を忍んで言ったのに、「おお、級持ちというのがスゴイ!」と結局書かされることになったのだ。ああ、こんなことならせめて使い慣れてる筆ペンを持って来ればよかった……。貸していただいたモノに文句をつけるのはなんだけれど、くれ竹のやつって、筆先が固くてすぐハネるんで、運筆がえらく難しいのだ。 汗をかきつつ書いてしばらく、自分の字の下手さに赤面。……もう一度書道教室に通おうかな(ーー;)。
『ヤング・シャーロック』が好きなZUBATさんに、アレがいかにホームズの設定をないがしろにし、宮崎駿をパクった駄作か、みたいなことをエラソウに喋る。普通、その映画が好きだとわかってるヒトに対して、いきなり「アレはひどいですね」なんて言わねえよな。我ながら、生来のココロの狭さは今更ながら如何ともしがたいものだと痛感。 「『ギャラクシー・クエスト』の声優、ティム・アレンは鈴置洋孝ですよ」 「ああ、なるほどって感じですかね。アラン・リックマンは?」 「石塚運昇です」 「……何やってた人でしたっけ?」 「『バイオレンス・ジャック』とか」 「……そんなん見てる人いませんよ!」 「あとは『カウボーイ・ビバップ』のジェット……」 「どうしてあなたは鹿児島でやってないアニメばかりを!」 イヤガラセのつもりはなかったんですが。ZUBATさん、どうもすみません。
岡田さん、眠田さんを空港までお迎えに行く前に食事を済ませておこう、と言うことで、近所の居酒屋に移動。時間は6時少し前。 「え〜、予め申し上げておきますが、このあと機材のチェックと上映会も控えておりますので、ここはひとつ、7時半にはお開きをということで」 というエロさんの前口上で始まったが、そんな約束は酒の一杯も入ればみんなすっかり忘れてしまう。車なので酒を控えているしげといつもシラフの私は時間を過ぎても次々と料理を注文しまくるみなさんに呆れているが、これはもう、止めようがない。 いつもながらのぴんでんさんの○○ばなし、すごく楽しいのだが、今日ばかりはどうも乗りきれない。こういう時くらい、酒の飲めない自分の身がイヤになることはない。 さすがに8時半になって、エロさんが、「お迎えの時間がありますので」となんとか場を終わらせる。 ウチから持ってきたビデオカメラ2台のチェックをする予定だったが、そんな時間はもうない。機材担当のぴんでんさん、「あ、大丈夫です。当日でなんとかしますから」と仰るのだが、さて、酔っ払いの言質をあまり信用するわけにもいかない。しげに機材のチェックの時にはさりげなく側にいるように言っておく。 エロさんご自慢のPIANOでちょっとだけ『ウルトラQ/2020年の挑戦』を見ていたのだが、確かに大画面の迫力は感じるものの、残念ながら集中して見る余裕がない。そそくさとタクシーに乗りこみ、福岡空港へ向かう。
空港についたのは、ZUBATさんと私が先。あとのタクシーが到着するのを待って、またまたオタク話に花が咲く。 ZUBATさん、「どうして作品を好きな人は仲間、そうでない人は敵って区分けをするやつらが多いのか」と憤慨。「要するに作品の見方を知らないってことですよね」と私。いしかわじゅんではないが、好きだから貶すってこともあることを理解できない小児的観察眼しか持たないオタクってのも学生レベルでは多いと思うんである。 しかしいつまでたってエロさんたち来ないな、と思っていたら、私たちの側を通り過ぎてもう港内に入っていたのであった。全く何かに熱中してるとオタクってのはほんとに周囲が見えなくなっちまうからなあ。
9時50分、岡田斗司夫さん、眠田直さんご到着。 岡田さん、来るなりどこかと携帯でやりとり。昨年もそうだったが、垣間見るたび、岡田さんは空き時間にどこかのだれかと電話しているのであった。当たり前だがやっぱりお忙しい人なのだ。 さっきもZUBATさんが「いっぺん岡田さんに『どうしてGAINAXやめたんですか?』って聞いてみたいんですがねえ」と仰ってたが、とてもそんな余裕はなさそうである。 実際、今回のスケジュール、お三方ともキチキチである。 眠田さんは、公演終了後、打ち上げにも出ずにとって返さねばならない。 それで前日にラーメンでも、と眠田さんからの打診があったので、岡田さんともども、「元祖長浜屋」へタクシーで分かれて向かう。
福岡のラーメンは中洲を境に東の「博多ラーメン」と西の「長浜ラーメン」が争っているような状況だが、私に言わせりゃ目糞鼻糞の類であって、糞不味さを競ってるだけである。私は必ず替え玉をするようにしているが、糖尿である私がなんでそんなに食うかといと、そうでもして味を薄めないと胸がムカついてくるからだ。 これはもう、何度もこの日記の中で声を大にして言ってることなのだが、とんこつスープを美味いなんて言ってる博多人はニセモンである。移動するとき乗ってたタクシーの運ちゃんも生粋の博多っ子らしく、「博多といえばラーメンってことになるんですかねえ」とボヤいていたが、実際、あんな臭いもの、「安いから食う」以外に何の魅力があるか。 こういうこと書くとすぐにしげが「アンタが博多を代表してるつもりか」と突っ込んでくるのだが、その通りだ。何か悪いか。
他地方のヒトが博多のラーメンをやたら食いたがるのは、内心「名物に美味いものナシ」を実感するためにワザと食ってんじゃないかって思えてならない。おかげで、「博多で美味いラーメンの店知りませんか」なんてヨソから来たヒトに聞かれると、答えに窮することも多い。 そういうヒトには以前は私もヒネクレて、「札幌ラーメン」の店教えてたりしてたんだけど、最近はミソラーメンすら実はこっそりと「ミソとんこつスープ」になってんだもんね。なんかもう、情けなくってしょうがないのだ。 眠田さん、「博多に来ればラーメンですよ」とニコヤカにしていらっしゃるが、あんなんでご満足頂けたんだろうか。岡田さんは少なくとも美味しそうな顔はされてなかったが。
お疲れの岡田さんはホテルに帰ってそのまま就寝、眠田さん、もう少しみなさんとお話しがしたいと天神の町をふらふらと居酒屋を探し回る。 ところがもう11時を回っていて、たいていの店は12時で閉店、ゆっくりできそうな店が全くない。親不幸通りや西通りをぐるぐると20分あまりもうろついて、ようやくビル内の居酒屋「天狗」を見つけてそこに入る。
もちろん、ここでの眠田さんのお話、そんじょそこらじゃ聞けない面白い話なのだが、その性質上、全てを詳細に書けないのは残念である。 ……だってねえ、殆どがエロさんのお見合い相手と、ぴんでんさんのプライバシーに関わる話なんでねえ(^_^;)。 エロさんの日記でも「ちょっと書けない」と書いておられるから、それを私が書くわけにはいかないし。一応、ほんのちょっとだけ差し障りがなさそうなところをご紹介する。 私「で……どんな方なんですか。お相手は? 女優に例えると?」 エロさん「うーん……」 眠田さん「その聞きかたはオタクじゃないよ。……『モスピーダ』に例えると?(このあと畳みかけるようにアニメタイトルが並ぶ)」 エロさん「うーん?!」 ……眠田さん、それ、オタクというよりイジメっ子ですよ(^^)。 話の間中、エロさんは赤面しっぱなしだったが、眠田式恋愛術の極意は「いかにフラグを立てるか」(注・ゲーム用語で、イベントを発動させるための段取りをクリアーしていくこと)にあるとだけ書いておこう(^^*)。
眠田さん、ぴんでんさんには「いかに○○があと腐れなくてよいか」と力説される。ぴんでんさん「いや、それは正論ですが、それじゃ私は○○できないじゃないですか」。私が茶々を入れて「○○してもいいでしょう」(←こらこら) ……今思い返しても不謹慎極まりない。こんなん公開日誌じゃ伏字にするしかないやん(^_^;)。 このときの眠田さんの話を詳しく知りたい人は、メールででも聞いてつかあさい(^^)。
眠田さんをホテルまでお送りする途上、ちゃっかり「明日サイン下さい」とねだってしまう。快諾していただけるが、正式スタッフになっといてこういうことをねだるというのは、言ってみれば職権乱用なわけで、正直言って心苦しいものがあるが、やっぱり『オトナ帝国の興亡』、眠田さんのサイン入りで欲しいもの(^_^;)。 そのあとエロさんの事務所まで戻ってスタッフ解散、明日の集合は岩田屋G‐SIDE(私ゃ何度聞いてもこれが「ジェノサイド」って聞こえちゃうんだが)搬入口に9時。もう午前1時を回っているし、さっさと帰って寝ないとカラダが持たん。 しげは今日、打ち合わせが充分にできなかったことを気に病んでいたが、イベントってのは突発的になにが起こるか解らない。どんなに綿密に計画を立てていても、当日になって急に変更、ということもあり得るのである。まあ、神経質になって疑心暗鬼に陥るより、「なんとかならあ」くらいの気分でいた方が案外うまくいくんじゃないか。
帰宅して、録画しておいた『料理少年Kタロー』『カスミン』を見ながら寝る。もう、意識が混濁しかけているので、「水木一郎が濃かった」くらいしか記憶に残ってない。そのうちもう1回見返して感想書こう。
2000年11月23日(木) 勤労感謝の日スペシャル/『超オタク』(岡田斗司夫)ほか
| 2001年11月22日(木) |
親の死にメよりアニメ/アニメ『ナジカ電撃作戦』MISSION 007/『MISTERジパング』7巻(椎名高志)ほか |
オタアミ当日まであと2日! カウントダウン2!
何日か前のしげとの会話だけれど、ちょっと思い出したので、改めて記録。
「あのね、『だよ〜ん』を車の窓に貼ったから、あとで見てみて」 しげがいきなりそんなことを言うので、ちょっと驚いた。車の窓にステッカーみたいなのを貼るやつは多いが(内心アホかと思っちゃいるが)、わが女房ドノまでそんなアホの仲間になろうとはと落胆したばかりではない。よりにもよって、なんで「だよ〜ん」。 どんな情けない様子になってるかと、車を見てみたら、窓に貼ってあったのは「ダヤン」(←猫)。
……だからその「似てるコトバは全部同じもの」って発想でものを考えるクセ、なんとかせい(-_-;)。
今日も職場への送り迎えはしげの車で。 読者の方の中には、運転手付きの車を手に入れたようで、なんて贅沢なやつなんだとお思いの方もいらっしゃるかもしれないが、主導権はしげの方にあるので、うらやましいことでもなんでもないんである。 今日も帰りが予定より遅くなって、職場を出たのが6時20分。今日はしげは、7時からの仕事で、間に合うのにギリギリの時刻だ。 「あと1分遅れたらおいて帰るつもりだった」と、しげが芥川龍之介の『杜子春』の鉄冠子仙人みたいな無慈悲なことを言う。 かと言って、私が怒って「私に1分間時間を下さい」と鈴木健二で対抗しても勝てやしない。 結局、そのまま時間がないと言うので、しげのバイト先のリンガーハットまで同伴。どうせ晩飯もここで食えばいいかと、皿うどんを注文。新発売で小振りの明太子ご飯があったので、それも注文。昼飯食ってないから、これくらい食べても太りゃすまい。 しかし、妙なもので、あのリンガーハットの制服着てる時のしげって、いつも以上にコロコロと丸っこく見える。しかも、しげ、営業用に声のトーンを上げているのだけれど、目と顔は全然笑ってないので、ちょっと怖いのである。接客業だってのに、もちっと愛想よくなれんものだろうかねえ。 しげの言う、「店員全員から評判の悪い」新しく入ったマネージャーさん、何やら問題のある人だという話であったが、見た目の感じはそんなにヘンな雰囲気の人ではない。まあ、チラッと見ただけで、その人の人格を見抜けるほどの眼力は私にはないので、一見フツーに見えて実はこの人が……なんてコトもないわけではなかろうが、話を面白くするための誇張と勘違いだけで生きてるようなしげのハナシだから、どこまでが本当のことやらアテにならない。 こんな書き方すると、そのマネージャーさんにどんな黒いウワサがあるのかと気になる方もおられましょうが、まあ、他人のプライバシーに関するコトなんで、書くのは控えときます。 ……かえって事実よりずっと黒い想像されちゃうかな(^_^;)。
食後は自宅まで歩き。 帰りにセブンイレブンで、飲み物その他を買い物する。 しげからは、「今日は10時には帰るから、それまでに部屋を片付けといてね」と言われるが、終日の仕事でぶっくたびれていたので、なんだか頭がぼーっとしていて、遅々として進まない。 明後日にはよしひと嬢が泊まりに来るというので、ともかくまた、床の上を歩けるスペースは作っておかねねばと、乱雑に山積みされたビデオと本をなんとか部屋の隅に寄せていく。 そうこうするうちに10時を過ぎたが、今日は早く帰れると言っていたはずのしげが全然帰って来ない。つい先日も「3時に帰る」とか言っときながら、急に仕事が忙しくなって、結局帰ってきたのが朝の6時を過ぎてたことがあったけど、リンガーハットに夜中の4時5時に来る客って、いったいどんなんなんだよ。
世間の人は、妻の帰りが遅かったりすると、もしかして浮気でもしてるんじゃないかとお疑いなるかもしれないが、しげの場合、それは絶対にありえない。 だって今日は『ナジカ電撃作戦』があるから(^^)。まず確実にしげは浮気よりもウチで『ナジカ』を見る方を選ぶやつなんである。まあ、私もそうなんだが。
CSキッズステーション『ハンドメイド・メイ』第10話「メイっぱい」。 今までロクに見てなかったけど、最終回(たった10話って……本気で短いんでやんの)だけ見てもたいして面白くないな。 よく分らんが未来から来たメイドロボットがみんな主人公の男の子のところに押しかけてきたって話らしい。まあ、『ああっ女神さま』っつーか『ラブひな』っつーか、あの手のパターンのロボット版ですわな。最終回も、まあありきたりと言えばありきたり。ウィルスに感染して危ない(ロボットだけにコンピュータウィルスにっちゅーことやね)ほかのメイドロボットたちを、主役のメイが助けようとするけれど、その過程でメモリーが初期化されちゃって……って、もしかしてこれまでのハナシをじっくり見てたら面白く感じてたかもしれないが、私はもう今更またかいってな感じでこの手のパターンはちと食傷気味だ。 メイの声が『彼氏彼女の事情』にも出てた山本麻里安なんだな。かわいらしい声ではあるけれど、どうも印象に残りにくい。ハタチも過ぎたし、さて声優界で生き残れるかどうかはこれからだろうな。
『ナジカ電撃作戦』MISSION 007「殺意の弾丸は乾いた微笑みと共に」。 過剰運用のせいでメンテナンス中の(と言っていいんだよな、ヒューマリットなんだし)リラがいないので、ナジカの今日の任務は単独行動。 「リラがいなくて大丈夫かね」 「お忘れですか? 私はもともと一人なんですよ」 一見冷たく聞こえるこのセリフも伏線なんだよな。本当はナジカは少しずつリラに、というよりはヒューマリット全般に対して心を通わせるようになっているのだが、そのリラがいない時に、いかにもヒューマリット開発に関わっていそうな天才少女数学者スワンニーを保護する任務がナジカに下るってのがなかなか脚本、考えてあるね。 やっぱり毎回パンチラ尻見せは盛り沢山なんだが、それを抜きにしても(いや、抜きにしちゃ語れんが)スパイアクションドラマとして佳作にし上がってることは間違いないのだ。
で、そのあとの『アニメぱらだいす』ではリラ役の井端珠里がゲスト出演してたんだけど、この子まだ中学生なんだね。あのシロウトっぽい声は演技とばかりは言えないわけだ。いや、感情に乏しいヒューマリットって設定には実に合ってるんだけども。 中学生なのに背が意外に高い。見た目170センチくらいあるんじゃないか。そのせいなのか、猫背でずいぶん姿勢が悪い。役者としてやってくなら、声優ばかりじゃなくて舞台での演技なんかもしていかないといけないんじゃないかな、なんてどうもこのトシになると新人さんに対して勝手な世話焼き発言が多くなるな。これは決して私がロリコンなせいだからではないぞ。 いや、ホント。 『エイリアン9』の大谷ゆりの声もこの子がアテてたのか。シロウトっぽい声優を使うことに反感を示す人もいるが、例えどんなにうまい声優さんを使っても、子供の自然な演技にはかなわないってことはあるんである。 『となりのトトロ』と『火垂るの墓』が併映で公開された時、映画的な完成度は『トトロ』の方が優れていたにもかかわらず、声優に関しては本当に子供を使っていた『火垂る』の方がはるかにリアリティがあったことを考えると、私はやはり「日本の声優は世界イチィィィィィ!」なんて押井守みたいなことは言いたくないんである。 あと『キカイダー01』の第一巻の宣伝と、関智一と森久保祥太郎の対談もあったが、チラッと見ただけでは前作より作画レベルは落ちている感じ。けれど対談では前作よりずっと01のイメージに引きずられてアクション中心の話になってるらしい。さて、それで果たして原作のあの悲しいラストにちゃんと収斂されていくんだろうか。ちょっと不安要素が結構あるぞ。
結局、しげが帰って来たのは12時。 「何でそんなに遅くなったん」 「いきなり店長がこけてケガした」 「……なんじゃそりゃ」 「だから、椅子に乗って何か上にある物とろうとして、コケたんよ。で、介抱してるうちに客がドドッと来やがって、帰れなくなった。『ナジカ』今日はナマで見れると思ったのに」 ……「ナマで見る」って、コトバの使い方間違ってるぞ(^_^;)。 でもヒトのケガの心配よりも、仕事よりもアニメの方が気になるというのはなんとオタク道に適っていることか。しげは妻として女として人間としては最低だが、オタクとしては真に鬼畜であり、称賛に値するものだ。 いっぺん、オタク版『杜子春』を書いてみたいんだよな。当然ラストは両親が鞭打たれていても懸命にアタマの中でクラリスやヒルダや手塚治虫キャラの女の子のナマ足や『ガス人間第1号』に出た時の八千草薫のことを妄想しながら絶対に口をきかないのだ(←ヤなやつだね)。 しげをモデルにして女版で書くという手もあるがそうすると頭の中の妄想がダン・エイクロイドのみになるのでちとこれは面白くない。やっぱり男の邪念がパロディにするには一番か。 でもそんなの、既に誰かが書いてるかもなあ。もしリクエストがあれば、連載小説ってことで書いていこうかくらい考えてるけど、数少ない(←本気でそう思ってるので、想定してるヒトって10人に満たない)読者のみなさん、いかがでしょう?
マンガ、モンキー・パンチ原作監修・山上正月作画『ルパン三世Y』10・11巻(双葉社・840円)。 総集編を雑誌で読んでるし、と思って単行本の方はじっくり読んでなかったんだけど、なぜか読み損なってたエピソードもあった。 総集編に収録されなかったのか、単に私が買い損ねてたのか。もう、これだけ本買ってると、その辺の記憶は曖昧だ。 巻を追うごとに峰不二子がかわいいだけの女になっていったり、悪役がもう「バカな金持ち」ってパターンのやつらばかりで工夫がなかったりと、もの足りないところが多くなってきて、正直言って飽きてきてんだけど、原作マンガファンも旧シリーズファンも新シリーズファンもすべてを満足させる作品なんてもはや作れっこないんだから、まあこんなもんでもしゃあないか。
マンガ、鈴木由美子『ビバ! 山田バーバラ』1巻(講談社・410円)。 実はウチには鈴木由美子が『白鳥麗子でございます!』以下全て揃っていたりする。しげが新刊が出るたび必ず買ってくるのだが、本人は「別にファンじゃない」と言い張っている。 でも、私は知っているのだ。 しげが『白鳥麗子』を読みながら泣いていたことを。 鈴木さんの作品、なんだか女性の涙腺を刺激するツボみたいなものを押すテクニックが絶妙らしいんだよね。 この『山田バーバラ』でも、38歳のオバサンが偶然冷蔵庫の中に入って20歳のころの自分に戻れることを知り、若い男の子に恋をするって話なんだけれど、設定自体は考えてみたらかなりムチャクチャだ。なのに、やはりその「健気さ」が感動を呼ぶのは、かつて『白鳥麗子』の勘違いな恋に涙した元少女たちの心を打ったのと同じで、女性が男性よりもはるかに壊れやすい「夢」の中に生きているからなんじゃないだろうか。 「美」は必ず移ろう。男なら、そんなものに夢を託したりはしない。もっと確固たる夢、永遠に続く夢を見ようとする。だから、儚い夢にすがりつく女性を蔑み、差別もする。 例えば「そんなにまでして男にもてたいのか」なんて言いかたで。 けれどどうだろう、自分を整形しててでも美しくなりたいという女性の気持ちは、決して単純に「男にもてたいからだ」なんてところに収斂されちゃうようなものではないんじゃないだろうか。 多分、長い歴史の中で、ほかのいろんな「夢」は全部男に取られてきちゃってるのだ。「美しさ」ってのは女性にとって、男が女に残してくれたほぼ唯一の夢であり、アイデンティティなんだろう。 だから、「ビューティコンテスト」なんてのに賛成する女性も反対する女性も、実は「美」に価値を認めざるをえないと考えている点では同じなのだ。それが「男から与えられた」ものであるからこそ、反発する女性もいるわけだし、ほかに自分がすがりつける「夢」がないから結局それにすがりつこうとする女性も現れる。 その様子を見て男がほくそ笑んでいることをどれだけの女性が自覚しているだろうか。 実は私も鈴木由美子さんのマンガを読むとつい泣いてしまうのだが、それは白鳥麗子も音無可憐もこの山田バーバラも、恋するオトメというのが、男以外のものに強い充足感を抱くことができない精神的なカ○ワであることをあまりに露骨に表しているからにほかならない。 語弊があるのを承知でいうが、オタクが自分の趣味に拘泥するのだって、精神的カ○ワである。人間はみな自分が自分であるために何かに拘わろうとし、その結果、どんどんと既知外になっていく。でもその選択肢の多い男に比べて、女はなぜここまでその選択肢を狭められているのだろう。 「ほかにいくらでも女性の価値を認めさせる道はあるだろう」なんてセリフを簡単に吐けるオトコははっきり言って鈍感だ。女性はどんなにトシをとろうと美にこだわり続ける。その固定観念から本当に抜け出せる女性なんて皆無だ。言わば女性たちはみな不治の病に罹っているようなものなのだ。 ……そんな話見せつけられりゃ、泣くしかないじゃん。
マンガ、椎名高志『MISTERジパング』7巻(小学館・410円)。 黒幕の天回、いったいどの時代から来たのかと気になってたが、昭和20年とはいい時代を選んだなあ。読者の我々は当然それ以降の歴史をも知っているわけで、だからこそ、信長の、「その戦争のあとをお前は見るのをやめて逃げて来たんだろ? 何が『滅亡』だ、見もしなかったくせによ! 地球が吹っ飛んだわけじゃねーんだ、その先にも天下は広がってるはずだぜ!」というセリフを実感できる。 読者もまた、仮に今の時代に何かの逼塞感を感じていたとしても、そこから他の時代を夢見ることが「逃げ」になるのだという椎名さんのさりげない歴史認識を感じることができるのだ。その「逃げ」を許さない考え方自体にはちょっと異論もあるのだけれど、熱血派というか、いかにもサンデー系列の清く正しい少年マンガの王道を走ってる人なんだなあ、ということはよく分る設定なんだよな、これ。 しげが折り返しの「あなたの信長度チェック!!」がいたく気に入っていて、「アンタはいくつ?」とか聞いてくる。 「1、奇襲は得意な方だ。2、圧倒的な強さの敵が、勝負の直前突然不慮の死をとげてくれたことがある。3、大相撲を開催するのが趣味だ。4、家が安土城だ。」 ……1個もあるか。
『キネマ旬報』12月上旬号、東映50周年記念号。 東映が50周年と言われて、え、たったの? と思ってしまう人はやっぱりかなり古い人じゃなかろうか。確かに「東映株式会社」がスタートしたのは50年前の1951年(昭和26年)だけれど、これには前身である東横映画の年数は入ってない。1938年(昭和13年)から数えれば、63年。……それでもなんだか短い気がするなあ。つい何年か前、やたらと「映画100年」なんて言ってたし、東映初期からのスターたち、市川右太衛門、片岡千恵蔵、中村錦之助、大友柳太朗、大川橋蔵、東千代之介、みんな、みんな、死んじゃってるから、なんだか90年くらい歴史があるように錯覚しちゃってるのである。 やはり映画きそれだけ若い芸術なのである。 しかし本当に東映も昔日の面影がないなあ。高岩社長が一人気を吐いて、「『千年の恋』みたいなメジャーの作品を作り続けている映画会社は、今のところうちしかない」とか言ってるが、東宝の『ゴジラ』を無視する気か? 「『鉄道員』は東宝や松竹でやったらヒットしない」って発言も暴言に近い。……松竹はともかく、東宝の方が絶対もっとヒットしたと思うがなあ。直営館で言えば圧倒的に東宝が有利だろうに。 こういう現実を認識できなくて夢物語ばかり言ってるやつが映画会社の社長に多いのはなぜなんかね。基本的に映画関係者が「山師」だからってことなんだろうか。
2000年11月22日(水) 今日は眠かった……イツモのことだけど/『ルパン三世カルト2001』ほか
| 2001年11月21日(水) |
乗った人より馬が丸顔/アニメ『ヒカルの碁』第7局/『カスミン』1巻(あもい潤)ほか |
オタアミ当日まであと3日! カウントダウン3!
昨日、急にアクセス数が減ったと書いたが、今日になったらまた元通りになっていた。……どころかいきなり30件ものアクセス。しかもやっぱり半分は『フルメタル・パニック!』の検索(^_^;)。 だからWOWOW、いい加減、延期やめてちゃんと放映しろよ。テロを勝手に想起するのは神経過敏な既知外だけだってば。 けれどこういうささやかな(というか勘違いの)アクセスでも楽しいのは、この日記読んだ方が「なんじゃこりゃ」と首捻る様子が想像できてしまうからであろう。……私も性格ワリぃな(‐^▽^‐)オーホッホッホッホッホッホ。
しげが免許を取って以来、ずっと職場への送り迎えをしてもらっていたが、今日は事情があって自転車。朝方しげは「眠い眠い」と連発していたから、少しは楽させてあげられたかな。 うおおう、久々の山越えはマジで腰に来るぜ(;>_<;)。 しかも今日の仕事のスケジュール、半端な量じゃないのだ。息抜く瞬間がまるでない。これでミスをするなと言うのはまあ無理というものであろう。……って何をやったんだお前(^_^;)。
自転車で来たのは、今日は出張があったせいもある。 なにしろ免許が取れない身なので(まあ視力がないってだけなんだけど)、しげに車で送ってもらわない限り、足は自転車しかないのだ。 ……しかしいかに近所とは言え、仕事の合間にちょっとだけ出張ってのは結構キツイぞ。 けどね。仕事がキツイのに文句はないのよ、実は。
この日記では、私がいかにグータラかってこと書いてますけどね、ここには「誇張」ってもんが入ってんですよ。言わば「読んでもらうための演技」ね。 もちろん私が全くグータラでないってことはないんだけれど、石部金吉の文章なんて、読んでたって面白くないじゃござんせんか。世の中、「私ゃグータラでない」なんて明言できる人間なんていないでしょ? 言えたらそいつはただのアホです。人間みんなグータラだ、マジメなフリした誰かさんが、誰かを蔑むなんてただの「妬み」でバカらしいじゃん、というスタンスで書いてるってことなんですよ。
でまあ、ここで職場の悪口を言うのは極力控えているから書かないけどさ、実を言うと今日はもう、ムカついて、憤懣やる方なくハラワタ煮え繰り返って、怒髪天を突いて、腹かいてぐらぐらこくようなことがあったのよ。 私は他人にバカにされたり侮られたりすることはたいして苦ではない。ヒトは弱い生き物なんで、実は常に誰かを差別してなきゃ生きてられない。これは差別を肯定するのか否定するのかという次元とは全く別の、ただの事実である。 だから他人が私の抜けてるところや茫洋としたところを見て蔑み侮ることで、気が晴れたりストレスが解消したりするんだったら、他のところに被害が行かずにすむだろうな、なんて考えてしまうのである。実は、これって母親からのウケウリなんであるが。「人を馬鹿にする人間になるな、人に馬鹿にされる人間になれ」……いや、前者はともかく後者はちょっと違うんじゃないか、と若いころは思ってたけど、トシ食ってきてみると、この言葉の意味、なんか否定しきれない現実感があるのだ。 苦労人だったのかなあ、私の母親も。
ちょっとわかりにくいだろうから、サンプルを挙げると、それは黒澤明の『椿三十郎』に登場する城代家老・陸田を演じた伊藤雄之助みたいなヒトである。 伊藤雄之助は実に冴えない御面相をしている。だから若侍たちも日頃昼行灯みたいな陸田を馬鹿にしているのだが、実はそう見せてる間に、藩内の次席家老や御側用人が不正を働いている動かぬ証拠を集めて、穏便にコトを済まそうとしていたのだ。 そのことを見抜けなかった若侍たちは、あろうことか黒幕の大目付のところに不正のことを報告に行ってしまう。そして、城代は某所に監禁され、それを助けるためにいよいよ無頼の浪人・三十郎の登場、ということになるのだが、このときの三十郎を演じた三船敏郎の城代評がよかった。 「自分が馬鹿にされると知ってて平然としてられるだけでも大物だ」 こういうヒトが私の理想の人物像なわけです。 ……なんかなあ、まだ私は怒っちゃうからなあ。伊藤雄之助の境地にまでたどりつくのにはまだまだ時間がかかりそうなのである。
仕事は6時に終了(ムリヤリさせた)、銀行でおカネを卸して、ようやくサイフの中身が重くなる。 急いで帰宅したかったので、自転車に乗ったままケータイでしげに電話するが、馴れないコトはするもんじゃなくて、つい不注意で正面から走って来たトラックに衝突して私は死にました。
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いや、死んだら日記は書けないってば(-_-;)。 こんなつまらないジョークを飛ばしてると友達いなくなるんである(だったらするなよ)。 ホントはちょっとコケかけただけですけどね。でも危ないことに気づいたんで、電話中は自転車漕がないようにしました。
しげに、予め車の用意をしてもらって、私がマンションに着いたら、そのまま車に乗り換えて、食事に出ようと誘う。 ケータイの向こうでしげが心配そうな声。 「でも、私仕事が9時からあるんだけど」 「7時前には帰りつくよ。もう途中まで来てるし」 「……じゃあ、待ってる」 ……ところが私の観測は甘かった。私の体力が落ちているのを忘れていたのである。山越えの坂道はとてもペダルが踏めず、手押しで歩いて登る羽目になった。 結局、車に乗り込めたのは、7時ちょっと過ぎ。 「間に合わんやん!」と怒るしげに、「じゃあ近場でささっとラーメンでも食うか?」と聞いたら、「……焼肉」とヒトコト。 這い、食べましたよ、たっぷりと焼肉。新しく焼肉屋がオープンするというのでそっちに行ってみたら開店は明日。仕方なく近所のちょっと高級な肉を食わせる店で食う。予定より千円以上かかったが、まあ、しばらく貧乏生活味わわせちゃったし、罪滅ぼしのつもりである。
しげの仕事の時間ギリギリなので、ウチまでは送ってもらえず、近所のセブンイレブンに落としてもらう。 パンやお茶、牛乳などのほかに、マジックを何本か買う。あわよくば、眠田直さんや岡田斗司夫さんにサインしてもらおうなんてこと考えてるのだ。できたら眠田さんには『オトナ帝国』同人誌に(^^*)。唐沢さんには去年頂いたんだけれど、お二方からはまだなのだ。 でも私は小心者なので、こういうときはどう切り出したよいか、タイミングがつかめないことが多い。なんかなあ、失礼なことしそうで、結局サインペン握り締めたまま、トボトボ帰るなんて、アイドル追っかけの女子中学生みたいなことになりゃしないかと心配なのである(してどーするよ)。
『ヒカルの碁』第7局「お前とは打たない」。 うん、さりげない演出がちゃんとドラマを作れるようになってきたぞ。スタッフが題材に馴れたのか、作画も濃密になってきた。 碁石を打つ瞬間の残像処理、盤面に置かれた石の一瞬の振動、そんなものまでキチンと作画しているのだ。 それも充分すごいことだけれど、更に感心したのは、学校での授業風景の描写が実に丁寧だったことだ。上下可動式の黒板を上げる先生の手をアップで映し、ロングで教室全体を捉え、先生のアップに移る。学校のムードを表現するだけだから、声はなし。 「よくあるじゃん」と言う人もいるかもしれないが、こういうふうにカットを三つに割ってちゃんと作画してるって、今時珍しいよ。たいていは止め絵のパンだけで誤魔化す演出の方が圧倒的に多いんだから。この黒板の「上下可動式」ってところまでちゃんと見せてる演出、本筋とは直接関わらない描写だけれど、意外にこういうことをキチンと描ける演出家って少ないのよ。 そして、それがアニメの世界観をリアルなものにしていくんである。 塔矢アキラの眉毛が髪の毛と色違いで前髪の外に浮いてる作画、第1回から気になってたんだけど、部分的に原作通りの髪の下に眉毛が隠れるリアルな表現に戻ってるカットもある。原作のオマケマンガの方に、スタッフの「その方が表情が出るから」という言い訳の発言が出ていたが、それはつまり作画の腕が未熟なだけなんで、原作通りの描写でも充分に表情を表現することが可能、という自信を持ったスタッフも現れてきたのだろう。 結構水準の高いアニメになってきたぞ♪
疲れたので日記も書かずに寝る。 でも、なんとしても明日、明後日のうちに更新の遅れを取り戻さないといけない。だって、さうしないとオタアミが終わったあとで、「オタアミまであと○日!」なんてマヌケなこと書くハメになっちゃうもんな(^o^)。
マンガ、あもい潤・NHK・NEP21『カスミン』1巻(NHK出版・420円)。 アニメのコミカライズって、絵柄が極端に違ったりダイジェストになったり打ち切りになったり担当マンガ家が変わったりとか、トラブルが多くてつまんないものも多いが、これは実に完成度が高い。 いや、正直言って、ここまでアニメのイメージを崩さず、なおかつちゃんとツボを押さえたマンガとして成立してるとは思ってもみなかったのだ。もちろん、絵柄はアニメとは微妙に違うのだけれど、そこに違和感がないのは、キャラクターの捉え方が適切だからだ。うっかりヘナモン(変化するもの。オバケとは違うらしい)の屋敷で暮らすことになったカスミと、ヘナモンの頭、仙左右衛門との頑固ものどうしの意地の張りあい、天然キャラの桜女さんやマサエ先生、いや、小さなヘナモンの「ぬれぞうきん」や「ポトポット」に至るまで、「このキャラはこんなこと言わない」ってところが微塵もないのだ。いやあ、あもいさんスバラシイっスよ(^^)。 今のところアニメの『カスミン』、全話録画してるけど見返してない。マンガ版とじっくり見比べるのもいいかな。 ああ、それとNHKはアニメのコミカライズはすぐに絶版にしちゃうので、買うなら今しかありません。実はもう、『飛べ!イサミ』だって再版してないみたいなんです。……ちょっとヒド過ぎますよねえ。
マンガ、魔夜峰央『パタリロ!』73巻(白泉社・410円)。 もう感想書かんでもいいような気はするが。73巻だぜ73(^_^;)。 どういうわけか今巻ではやたらと自然環境破壊の問題についてタマネギの一人に長広舌を振わせているが、なんか以前読んだことのある本のウケウリだ。これだけ連載が長くなると元ネタをいっぺん咀嚼して、それから作品として出すってことが難しくなってるんだよね。まんまストレートに元ネタがわかるものもしばしば。 ……なのに魔夜さんに関しては全く起こる気が起きないのは何故なのかなあ。もう「またやってる」くらいにしか思ってないし。空気みたいな存在になってるってこと? でも確かに、何となく『パタリロ!』がこの世から全くなくなってしまったら、「春の心はのどけからまし」って気分になってしまうかも。そう言えば、ふと、「そろそろ『パタリロ!』の新刊が出るころじゃないかな」、って探してること多いし。 うわあ、中毒症状起こしてるのか? オレ(+_+)。
2000年11月21日(火) 酒飲みには常識なのかも/『入院対策雑学ノート』(ソルボンヌK子)
| 2001年11月20日(火) |
オタアミに行くぞオタアミに行くぞオタアミに……/『COMAGOMA』1巻(森下裕美)/『おさんぽ大王』1巻(須藤真澄)ほか |
オタアミ当日まであと4日! カウントダウン4!
あなたはオタアミに行きたくなるあなたはオタアミに行きたくなるあなたはオタアミに行きたくなるあなたはオタアミに行きたくなるあなたはオタアミに行きたくなるあなたはオタアミに行きたくなるあなたはオタアミに行きたくなるあなたはオタアミに行きたくなるあなたはオタアミに行きたくなるあなたはオタアミに行きたくなる
え? なにか今日はウルサイって? さあ、そりゃサブリミナルってやつじゃないですか?
今日は定刻通りに帰るはずが、いきなり残業。 車で迎えにきたしげ、およそ30分ほど待たされてしまい、いやもう、怒るまいことか。 ったって、仕方ないっちゃ仕方ないんだものなあ。 あなたはオタアミに行きたくなる 腹をすかしたしげ、「ラーメン食いたい」と言い出すが、サイフの中には14円しかない。実はその状態が一週間ほど続いているのである(^_^;)。 しげが「どこか食べに行く?」と訊くので、私が「いや行かん。サイフに14円しかないから」と言うと、やたらケタケタと笑うのだが、可笑しい状況では全然ないぞ。行こうかどうしようかなんて、初めから迷いようがないのだ。
でも買い置きの食料があるので大丈夫。今日は酢豚とヒジキ、フカヒレスープ。これでカロリーは300kcalに押さえてあるのだ。しかも、しげが「おいしそう♪」と言ってピンハネするので、ますます低カロリー。ダイエットに一番よいのは「貧乏」である。あなたはオタアミに行きたくなる
『FF:U ファイナルファンタジー・アンリミテッド』第8話「ソイル〜マガンのしんぞう」。 よくわからんが敵らしいコドモ(タイラント伯爵なんてたいそうな名前がついてやがる)は「神」になるために「オメガ」を探しとるんだそうな。てことは、既に「アルファ」は手に入れとるんか。なんか『仮面ライダーアギト』と設定がかぶるな。まあ、よくある設定だけどさ。 今話でピストってサメモドキの怪人が出てきて、配下の「四凱将」ってのがようやく揃い踏みしたわけだけど、こいつ、4人の中で一番頭がイイと威張っているみたいだが、フツー、自分でそういうヤツに頭イイやつはいないって。 それにこいつの声が子安武人だし(^_^;)。この人はもー、私のココロの中では『少女革命ウテナ』の「お(ほ)い、お(ほ)い」の冬芽サマ以降、「ギャグキャラ」としか認識出来なくなってるので(あのアニメは同時期の『マスターモスキートン』よりよっぽどギャグだった)、声を聞いただけで笑いのスイッチが入っちゃうようになってるのである。 いやもう、「風」からマガンを奪い取ったはいいものの、挑発されて篭めたタマ(なんとか言う名前がついてたみたいだったが忘れた)の色がショッキングピンクだったかウルトラマリンブルーだったか、ともかくその色の選択のハデさっつーか、シュミの悪さ、やっぱ子安だよアンタってなもんで、笑うた笑うた。 昔ながらのFFファンには評判悪いみたいだけれど、私は結構ノってきた。いや、なかなかヌケたとこ見せてくれるギャグアニメっスよ、これ。 「オロカ面」も出てくるし(←オスカーのことね)。 あなたはオタアミに行きたくなる
CSチャンネルNECO『探偵事務所23・くたばれ悪党ども/銭と女に弱い男』続けて見る。第一作は鈴木清順監督のイカレた傑作との評判のヤツだが、私はこれが初見。 カラー版の『くたばれ』が第1作で、第2作の『銭と女』がモノクロって、普通と順序が逆。まるで木下惠介の『カルメン』シリーズみたいだな。確かに意味なしミュージカルシーンは楽しいが、いい味出してるのは探偵事務所の副所長役を演じてる初井言栄。若いし、メガネかけてて、いかにも探偵の相棒って感じで、最初、初井さんと気がつかなんだ。しげは見てて「北林谷栄だ」と言い張るし。 だからその「名前が似たことは全部同一人物か親戚」って発想でヒトを認識するのはいい加減で止めろ。 しかしこのころの宍戸錠はホントに足が長くてカッコイイなあ。裕次郎も人気のもとはその足の長さだったみたいだけど、「足をもてあましてる」感が一番強かったのは宍戸錠ではなかったか。このヒトにはこういうやさぐれた探偵とか殺し屋なんて役が一番似合うんであって、間違っても博士役なんてさせちゃイカンのだ。 ……東森博士はまだしも、ブラックジャックと谷博士はやっちゃいけなかったよなあ。
なんか急に、この日記に飛んでくる人が激減している。 一日に20件程度のアクセス数が、多いほうなのか少ないほうなのかはよく分らないけれど、今日は5件ほどしか人が来てない。っーか、いつもGoogleとかで検索してくるヒトが一人もいないのだ。なにしろ、ここ1ヶ月くらい毎日来ている「フルメタル・パニック!」が気になってるらしいヒトビトすら、誰一人来てないのだから(やっぱり複数なんだろうなあ。特にたいしたこと書いてないのに覗きに来てるし)、これはやっぱり「異常」事態と言わざるを得ない。 単なる偶然なのか、それともネット上で何か事故でもあったのか。それとも私は何かマズイことでも書いたりしてたんだろうか。 なんか気になるなあ。 あなたはオタアミに行きたくなる
NHKで昨日再放送した『タイムトラベラー』で、“裏”モノ会議室にツリーが出来ている。 なんか差別用語がどうのこうのと書きこんでる人が多いが、それは別に『タイムトラベラー』を題材にしなきゃ語れんことでもないんだよなあ。せいぜい城達也のナレーションに触れてるくらいのもんで、なぜかみなさん、「作品の出来」に触れることをあえて避けてるみたいだ。 NHKらしく脚本は説明的過ぎるし、SF設定はご都合主義だし、セットはチャチだし、島田淳子(浅野真弓)も「伝説の美少女」ってほどじゃなかったし。まあ、そりゃ「謎の転校生」なんかも含めて、実は少年ドラマシリーズ、SFドラマとしては当時から結構弱かったんだけどもね。 でもまあ、もっとひどい『赤外音楽』とか『11人いる!』とか『ぼくとマリの時間旅行』なんかもしっかり見てたんだよなあ。SFドラマの絶対数自体が少なかったから。まあ、なんとか水準レベルと言えたのは『幕末未来人』くらいのもんじゃなかったろうか。ヒロインの美しさという点でも、古手川祐子は群を抜いていたし。 『ぼくマリ』は高瀬春奈が脱がないのが最悪。脱いだらもっと最悪という説もある(^^)。でも今見ると、その最悪ぶりも笑えていいのよ、これが。 やっぱりどんな駄作・改作だろうが、ちゃんと残しとく必要はあると思う。
金がないので、今、マンガを買ってくるのはもっぱらしげ。しげのマンガの趣味がわかる一端だ。 マンガ、竹田エリ『私立T女子学園』10巻(完結/集英社・819円)。 作者の性格が歪んでる点では新井理恵とタメ張るんじゃないかと私は勝手に思ってたんだが(だって歪んだキャラしか出て来ないし)、オビに「キリがいいからやめました」って書いてあるのも、「だらだらいつまでもつまんね〜マンガ描き続けてるやつ多いよな〜、恥ずかしくね〜のかよ」とか考えてんじゃないかと想像すると、やっぱりこのヒト、性格歪んでるんだろうなって気がする。 デブな友達に向かって、「背中にブラジャーつけて背中の肉を集めて『両面おっぱい』してほしいの!」なんて、男だったら絶対言えんぞ。誰か試して見れ。 私はこのヒトの毒舌マンガ、まだまだ続けられると思ってたんだが、しげは「10巻も続けばもう飽きた」とニベもない。まあ、恐らくこの作者より性格が歪んでヒネクレてネジくり曲がっているしげにはこの程度のマンガは笑うほどでもないのであろう。 あなたはオタアミに行きたくなる
マンガ、森下裕美『COMAGOMA コマゴマ』1巻(集英社・840円)。 ありゃりゃ、また『少年アシベ』始めたのか、と思ったら、ワイド四コマでアシベとゴマちゃん以外にはスガオくんくらいしか出て来ない(スガオくん、初めてアシベと同じコマに入れてよかったね)、前作とは全くテイストの違う新作。なんか雰囲気的には前作は『元祖天才バカボン』だったのが今度は「元祖」の取れた最初の『天才バカボン』に戻ったようなシンプルさ……って、このたとえのわかるヒトは確実に30代以上だろうな(^_^;)。 いや、新キャラがいないわけじゃなくて、母ちゃんの父ちゃんと母ちゃんが(つまり爺ちゃん婆ちゃんだ)新登場してるんだけど、そのせいなのか今回はあの大会社社長の父方の爺ちゃんは登場しない。 そういうところに作者が拘ってるのは見てとれるが、読者の要望は「旧キャラをもっと出せ」だと思うのだ。ゴジラかい(^^)。その要望に屈せず、今の路線でずっと森下さんが押しとおせるか、その経過を見て行く方が作品自体よりずっと面白そうだ。 それはそれとして、森下さんの『荒野のペンギン』、文庫で復刻してくれないかなあ。
マンガ、須藤真澄『おさんぽ大王』1巻(エンタープレイン・890円)。 これだけ旧刊なんだけれど、改訂版の初版なんだそうな。 前のとどこか違ってるとこあるのかなあ。比較できないからわかんないけど。こういうのたいてい「表紙だけ」だったりするんだよなあ。 ほのぼのファンタジーばっかり描いてるかと思ってたら、こういう探訪記マンガも描いてたのね、このヒト。でもメリハリが効いてて、これが実に面白い。ともかく期待に胸ワクワクで出かけたその土地々々の名物に、次々と裏切られてく展開は秀逸。なんだかつげ義春の『リアリズムの宿』を思い出させるなあ。 花見の場所取りに何度も失敗したり、競馬ですりまくるのは、ご本人にはお辛い思い出だろうに、よくここまで笑いを取るように描いていることか。 ああ、また一冊、継続して買う本が増える……。 あなたはオタアミに行きたくなる
夜、こんな夢を見た(←漱石を狙ってんのかい)。 今日は会ったこともないひい爺ちゃんの葬式である。 ところが私は劇団の仕事が忙しく、爺ちゃんの葬式にも出られなかった。 実は西原理恵子やナメダルマ親方やたぬさんやすえいどんたちと麻雀をしていたのである(←いきなり矛盾。サイバラさんたちが出てきたのは『どばくちさいゆうき』を読みながら寝たためであろう)。愛ちゃん(サイバラさんのアシストさんね)が私を物差しでビシビシと叩いて「早く葬式に行きなさいよ」というので、仕方なく親父の店(注・床屋)に行く。 行った店は、なぜか今はもう潰れてなくなってる前の店(このへんで夢だと気付くべきであるが、どうして夢を見ている最中はそのことに気付かないのであろうか)。 もう夜中でみんな寝静まってるので、仕方がなく二階に上がると、親父は愛人とグースカピーと寝ていた。ああ、おとうさんがあいじんをつくってたなんて、そんなのいやだあ、と中学生みたいな感覚になってよく見たら、どんどんそいつはボヤけて親父かどうかわからなくなったのであった。仕方なく下に降りてみると、親父は店を大改装中であった。ああ、やっぱりあの愛人と寝ていたのは親父じゃなかったんだとほっとする(じゃあ、誰だったんだよ、そいつは)。 店の入口がワキにあって狭いので、真正面のガラス戸を取っ払って入口にしようというのだ(子供のころ、ガラス戸を磨かされるのがイヤで取っ払っちゃいたいと思ってた記憶の反動だろうな)。 親父は私が葬式に出なかったことに立腹していて、罰を与えると言う。 「オトナになったお前にこんなことを言うのは気が引けるがな。もうテレビは見ちゃだめだぞ」(子供のころ、やたらテレビ禁止・マンガ禁止を食らっていたのである) んなこと言ったって、ウチに帰ったら、私がテレビ見たって親父にバレる気遣いないじゃん、親父はバカかとは思うものの、ああ、これはぼくのこころをおとうさんがためしているのだなという少年のような心の私は親父の言葉を素直に聞く。 で、二階に上がって、速攻、テレビを点ける(^_^;)。 そこはひい爺ちゃんの遺体が置いてある部屋である。実はもとの私の部屋。葬式用に親父が勝手に改装してたのである。でも私のことを気遣ってか、新しいパソコンなんかが置いてある。私が帰ってきた時、自由に使えるためであろう(でもそういうのって、たいてい親父が私物化しちゃうんだよな)。 優しいココロになっていた私は(いつもは非道なんかい)、ああ、ジイちゃん、一度も会わなくってごめんねと(私が生まれる前に死んでるんだから会えないのは当然なんだが)、その痩せ衰えた手を握ってモミモミしてやる。 するとどうだろう。今まで死んでた青白い爺ちゃんの顔に赤味がさし、生き返ってゆっくりと立ち上がったではないか。 「……トイレ」 生き返って最初のセリフがそれかい。ヨチヨチ歩き出す爺ちゃんに、その部屋で寝ていた婆ちゃん(婆ちゃんもとっくの昔に死んでたはずだが)が気付いて、抱きとめる。 「ああ、爺ちゃん、ホントは生きてたのに気付かなかったんだね。ごめんね、ごめんね」 婆ちゃん泣いているが、私はまた爺ちゃん死にはしないかなと心配なのであった。
夢日記を書いてばかりいると気が狂う、という俗説があるが、それはそのままありのままを書こうとして、自分自身の鏡像の中に没入してしまうからであろう。ツッコミ入れながらだったら、自分の夢でもそれは他人事であるから心配はない。それに、そうしょっちゅう、夢の内容覚えてるはずもないし。 もとから既知外だからこれ以上基地外にはならんのだろうというツッコミもあろうが、まあ、それはそれということで(゜▼゜*)。 あなたはオタアミに行きたくなるぅぅぅぅぅぅ!
2000年11月20日(月) 通勤だけで力を使い果たしてる日々/『薔薇の木に薔薇の花咲く』(いしかわじゅん)ほか
| 2001年11月19日(月) |
「“ブラック”ユーモア」って言葉も差別表現だってさ/LD『道場寺・火宅』/『Q.E.D. 証明終了』11巻(加藤元浩)ほか |
オタアミ当日まであと5日! カウントダウン5!
なんだかまたアクセス数が増えてるなあ、と思ったら、また勝手にリンクを貼られているのであった(^_^;)。なんかこういうパターン多いね、最近。 もちろん、私は迷惑になんか全然感じちゃいない。読んで下さる方がいるだけで嬉しいんである。こないだは「貶した批評しかコピペされない」みたいなことを書いたのだが、今回は好きな本について書いたものが紹介されたので、正直言って嬉しい。欲を言えば、そうやって来てくれた人が掲示板に足跡残してくれないことかな。でもまあ、そういうのを強制的にお願いするのは私の好みではないので、それもまあ仕方ないかなと。 でも、そのリンクしてくれた人のところから更に辿って、アメリカのエドワード・ゴーリーについて調べているサイトにも行けた。こういうのがネットの楽しみってもんだろう。そのサイトの紹介によれば、この人の絵本、今月また新刊が出るみたいである。こりゃ買いのがさないように気をつけとかんと♪ ゴーリーについては、本国では何十冊も単行本が出ている人気作家だが、それでも一部の絵本は絶版状態、ましてや日本では未だに数冊の単行本しか出ていない(『ミステリマガジン』なんかには紹介されていたようである)。毒のある内容で、子供が読んだらトラウマになりそう、と以前も日記に書いたが、人間、トラウマの一つや二つあった方がいいよな。 順調に新刊が出てるってことは売れちゃいるんだろうけど、あまり世間的な評判にはなっていないようである。こういうイイ本はメディアもどしどし紹介してほしいんだけどな。ブラックユーモアが受容されない社会ってのは、つまりは偽善が横行する社会なんだからさ。
でも、その「ブラックユーモア」が日本的な土壌の中ではなかなか受け入れられがたかった理由も解らなくはないのである。常に共同体幻想に基づいて生活することを伝統としてきた日本のムラ社会にあっては、基本的な「シキタリ」は「偽善」をベースにせざるを得なかったからだ。いわゆる「和」の精神ってやつだね。ブラックユーモアがその「和」を解体する方向性を持つものである以上、世間知においては忌み嫌われるのも道理なんだよなあ。 だからブラックなギャグを一つカマすにしろ、そこには手練手管が必要になる。あえて偽善の側に組するように見せかけて相手をひっくり返すなんてこともやらねばならんこともあるのだ。これってね、口で言うほど簡単なことではないのよ。 私自身、この日記の記述は公開日記であることを考慮して、ずいぶん押さえて、毒を薄めて書いてるつもりなんだが、もしかしたら世間一般の通念ではまだまだ毒舌叩いてるように受けとられてるのかもしれない。以前、何人かの人から「キツイこと書いてる」って言われたことあるし。でも、だとしたらみなさん、よっぽど傷つかない人生を歩いてこられたのかなあ……って、これがキツいヒトコトになるのかな(^^)。でも私はたいていこういう人物批評をするときには、「かなあ」とか婉曲的な表現に留めているんであって、「傷ついた弱者のフリしてるゲス野郎」とか、そこまでは言ってないのよん(^^*)。 それにそんな直接的な表現は、ヒネリも何もないただの事実に過ぎないんで、面白くもなんともないしね。
下痢したときのウ○コはどうしてこんなにコゲ臭いんだと仕事。 ……いや、AIQのエロの冒険者さんのネタをちょっとパクってしまいました(^^*)。やってみると、なかなかいいフレーズ思いつきませんね。エロさんの才能と根気に脱帽いたしますです。継続は力なり……って、括約筋に一番チカラ入ってる感じだけど。 ああ、でもホントは仕事がムチャクチャたまっていて、ウ○コしてるヒマもないのだ。っつーか、スケジュールが押して押して。ポカやミスは続出するし、なんとかしてほしいっスよ……ってなんとかするしかないんだが。特に明後日出張せにゃならんのだが、その準備にえらく手間取ってよう。 ここでヒトコト言いたいこともあるが、ただの事実の指摘に過ぎないんで控えておこう(^^)。
冷蔵庫の食料も尽きてきたので、スーパーに寄って買い物。 しげは安売りの肉を親のカタキのように買い漁る。私はトンとろとお茶のみ。。「おカネがないからいろいろ買えない」とか言っときながら、こういうとき、しげはガマンが効かないんだよな。手元不如意ならそれはそれで生活の仕方があるだろうに、そういうときだけゼイタクをしたがるのは、基本的に性格がギャンブラーである。
『Dr.リンにきいてみて!』第38話「囚われた明鈴!常盤覚醒」。 ともかく福岡で見られるアニメにはひととおり目を通してやろうと思って見るようにしてるんだけれど、間が合わなかったりで未だに見られてないアニメも多いんだよな。友人からは『はじめの一歩』見てくれって言われてんだけど、深夜の2時や3時までそうそう起きてられんしビデオは常時録画予約状態だし(ーー;)。でもこないだ『哲也』はチラッと見て、その濃さに驚いたよ。しかしなんで今阿佐田哲也がブームになったのかね。 まあ、それはそれとして、この『Dr.リン』も巡り合わせが悪くて、もう38話だってのに見たのは初めてだ。もう設定なんか全然わかんねーよ(^_^;)。印象はまあ、『セーラームーン』+『ちゅうかなぱいぱい』かいってなもんなんだが、ファンの方にはたとえが悪いんかな。
『犬夜叉』第51話「心を喰われた犬夜叉」。 久しぶりにじっくり見る『犬夜叉』、ずいぶん話が進んでいるなあ。ついに2年目に突入だし映画も公開されるし、『うる星やつら』ほどのブレイクは望めないにしても、『らんま1/2』に近いセンまではいけるんじゃなかろうか。私は原作の方にはもう大ぶん覚めているんだけれども。高橋留美子さんの才能と努力を否定するつもりはないが、連載が長期に及ぶと息切れすることはどうしても回避できないし。 犬夜叉とかごめの痴話ゲンカとか弥勒の珊瑚へのセクハラとか、場つなぎのギャグが余り効いてない気がするんだけどね。『人魚』シリーズに『らんま』ぶちこまれてもなって思うんだが、サンデーの読者にはこれくらい毒抜きしとかないと着いてけないのかもなあ。 こういう妖怪ものって、たいてい虫の化身が出てくるんだけど、妖怪・蛾天丸、手塚治虫の『どろろ』に出てきた「まいまいおんば」に似せまい似せまいとしてどうしても似ちゃったところがご愛嬌か。でも、繭吐く妖怪出そうと思ったら、誰でもその繭に捉えられるネタを考えついちゃうのは仕方ないよな。更に遡った元ネタは当然『モスラ』だろうけどね。 蜘蛛の化身出したり蛾の化身出したりとか、そういう表面的な工夫じゃなくて、内面的なキャラクターのバリエーションが少ないから、どうしても退屈な展開になるんだよなあ。敵がいくら出て来ても、殺生丸と奈落以外はどうせザコキャラじゃんって感じにしか見られないのは物語展開としては不利だと思うけどなあ。
『名探偵コナン』第258話「シカゴから来た男」(前編)。 さて、今後の展開のキー・パーソンの一人となるか、ジェイムズ・ブラック氏が登場。原作読んだときから、英語のトリック(いや、そんなたいそうなもんじゃない……っつーか、受験生英語しか学んだことないやつが作ったってことがバレバレのクズトリックなんだけどさ)があるもんで、声優は誰になるんかと思ってたんだが、家弓家正さんとはねえ。 いや、いくら家弓さんが名優といえども、こりゃ無理だよ。「よくできました」のレベルにも達してない。聞きやすさを考えて日本人のキャストを考えたんだろうけど、これはやっぱりイギリス人をキャスティグしなきゃなあ。確か以前、外人が出るエピソードではそうしてたと思うんだけど、一回こっきりのゲストじゃなくて再登場することを考えたら、それは無理と判断されたのかな。 あと、NEXT CONAN’S HINT、簡単過ぎ。P&AをまんまPANDAって表記するなよ。こういうご都合主義にも程があるトリックまで使わなきゃならないところに、原作者の生みの苦しみがあるんだろうなと同情はするが。
しげに「いい加減で、人が読んでわかる日記書かんか」と言ったら、「オレの日記見てるのはアンタだけだ」と言い返される。 そうでもないんじゃないかとは思うが、反応はしにくいというのはわかる。私はいちいち「この謎の文句はなんなんだよ」と突っ込み入れられるが、ただ読んでるだけの人が毎回質問するってのも難しかろうからなあ。 じゃあ、私が解説してこちらの日記にアップしていくことも考えてはみたのだが、その場合ちょっとマズイ点があってできないのだ。……いや、私の本名(&愛称)が実は巧みに(?)織り込まれてるんで、それがバレちゃ困るってことなんだけどね。
8時過ぎにはもう、疲れ果てていて眠くて仕方がなかったのだが、しげが「私が帰ってくるまで起きててね」なんてトチ狂ったことを言ってくる。 「帰ってくるまで」って、午前3時じゅねーかよ。そこまで起きてられるか、と思っていたが、寝て起きたらピッタリ3時なのであった。いやもう、しげの喜ぶまいこと。でも、別に私の相手をするでもなく、そそくさとパソコンに向かってるのな。起きてる意味ないじゃん。 ……しかし、最近3時に目が覚めることって多いんだよなあ。私のカラダはしげのライフサイクルに合うようにいつの間にか改造されちゃってるのであろうか(-_-;)。
LD『道場寺・火宅』、ちょっと用があって久しぶりに見返す。 川本喜八郎さんもホントに数年に一本くらいしか新作発表してないけど、食べていけてるんだろうかと心配。 人形アニメーションはセルアニメ以上に残像表現が作れないので、風などの表現がどうしても不自然になる。川本さんが『今昔物語』などの古典に取材したのは、多分意図してのことではなかろうが、この違和感が逆に一つのムードとなっていて、ずいぶん緩和されている。『鬼』が傑作たりえたの理由は、更に歌舞伎・能の所作を人形の演技に取り入れた点にもあるだろう。 でも実は川本さんの作品で私が一番好きなのは、安部公房原作の切り紙アニメ『詩人の生涯』だったりする。寓話化されてはいるけれども、露骨過ぎるくらい労働者革命を賛美している作品なので、本来私の好みの作品にはなり得ないはずなんだが、一枚のジャケツに変化した老母が息子の命を救い、みながジャケツを纏っていくエンディングはやはり感動的だ。『ホルス』みたいに「みんなで剣を打つ」ってのが青臭く偽善的で押しつけがましいのに対して、本作のように「それはやはり感動的な光景ではなかったか」と疑問形で提示してくれた方が、ずっとこちらのココロにスッと入りこんでくるものだ。
マンガ、加藤元浩『Q.E.D. 証明終了』11巻(講談社・410円)。 11巻まで続いたってことはちゃんとこの作品を読んで評価してる人がいるんだ。よかったよかった。相変わらず絵はヘタだけれど、プロットはしっかりしてる。……そうなんだよなあ、この人の作品、マンガじゃなくて小説にした方が生きるトリックが圧倒的に多いのだ。 特に『冬の動物園』はマンガ向きじゃないよ。絵にしたらどうしてもウソっぽくなっちゃうもの。でも小説で書いてたら、短編ミステリの秀作として評価されただろうな、きっと。 『寄る辺の海』も、もう少しページ数に余裕があって、個々のキャラクターを書き込めていたらもっともっとよくなったのになあと思うと惜しくて惜しくて。いや「惜しい」ってことはやっぱりスゴイことなんですよ。だって、『コナン』も『金田一』『探偵学園Q』も、この『Q.E.D.』のレベルには遠く及んでないんだから。
2000年11月19日(日) 約束は果たしたよ、こうたろうくん/『キッド・ピストルズの慢心』(山口雅也)ほか
| 2001年11月18日(日) |
休日満喫テレビ三昧/『パワーパフガールズ』第46回/『サイボーグ009』第6話ほか |
オタアミ当日まであと6日! カウントダウン6!
夕べはしげが帰ってきた3時ごろに目が覚めちゃったので二度寝。 でも、やっぱり寝つけず、いつもよりちょっと早く6時頃に目が覚めた。寝つけなかったのは夕べ見た夢のせいかもしれない(^_^;)。 一日の平均睡眠時間が6時間だなあ、たまには8時間くらいゆっくりと寝たいなあ、とか思っていても、早寝するとやっぱり6時間で起きてしまうのである。……ジジイになってきたってことかな、これ。 いやね、『エンピツ』の日記をあちこち覗いてて思うのはさ、書いてる人ってたいていが20代の女性みたいな気がするのね。私みたいにもうすぐ四十郎の中年男(あるいはそれ以上のトシの人間)がどれだけいるかって考えたら、殆どいない気がするのね。なんだか一人だけ浮いてるなあと思いつつ、その「浮き具合」を楽しんで読んでくれてる読者の人もいるんじゃないかなと勝手に思ってるわけですよ。 でも、日記書くのって楽しいと思うんだけれど、どうしてこんなにオトナの男が少ないかね。もともと日記は、日本においては10世紀末まで、男のみに許された特権であった。ところが平仮名の発明が一気に女性に日記文学発展の道を開かせた。そこには紀貫之というネカマの元祖(ご承知の通り『土佐日記』は女性に仮託して書かれた)が仕掛人となったという背景はあるものの、「日記」という自己表出の方法を最大限に活用したのが女性であったという事実は否めない。それ以前に男性によって書かれていたであろう漢語による日記は、現代、ほとんど価値を見出されていないのである。 結局、男は事故を表出する手段としては「小説」などの純然たるフィクションに流れるしかなかった。現実をも虚構化する女性のパワーを、男性はついに持ち得なかったのである。それは「日記」を客観的な事実の表記としてしか認識できなかった男の限界でもある。しかし、高度に複雑化して現実を客観視すること自体不可能になった現代、もう一度過去の女性に倣って、男が目の前の現実を自分のものとするための手段として、日記を書き始めてもいいのではないか。 それは男の、男による、男のための日記である。 ……いや、さ○系じゃなくて(^_^;)。
今日はともかく一日ぐでっとテレビを見てようと決心。来週はいよいよオタアミ当日で、休みとは言えゆっくりは出来ないと踏んでるからだ。
『パワーパフガールズ』第46回「ともだちになりたい!/SUPERFRIENDS」。 ここしばらく30分一本の長尺版が続いて放送されてるみたいだけど、今回はそのボリュームに足るだけの名編。 PPGの隣家に引っ越してきたのは同じ幼稚園に通うことになるかわいい女の子、ロビン。この出会いの描写の演出がきめ細やかで実にイイ。 垣根越しにこっそり覗き見しながら引越し荷物を確認しているPPG。 「ドレスがあるわ。女の人よ。ハカセの恋人になってくれるかも」 「ドレスがあるからって女の人とは限らないわ(おいおい)」 「ダンベルがあるわ。男の人よ!」 「マッチョな女の人かも。それでハカセと恋仲になって……」 「ベッドがあるわ!」 「……なーんだ、夫婦ものか」 「見て! おもちゃ! 子供がいるんだわ!」 おもちゃの箱の陰からこちらを覗いていたロビンの前に飛び出して行って思わず声をかけるバターカップ。 「あなただれ? 年はいくつ? なにが好き?」 「私はロビン……幼稚園で……好きなのは象」 「象を食べるの?」 おとなしげなロビンにブロッサムとバターカップはすぐうちとけるが、バブルスは何となく気に入らない。けれどロビンが「新しいおともだちとドッジボールとかしたい!」と言った途端に目の色が変わる。 「ウチに遊びにおいでよ! おもちゃとかたくさんあるよ!」 PPGに案内されて、ハカセと会うロビン。 「紹介するわ。これが私たちのパパ」 「そうなんだよ、うっかり間違ってこの子たちを作っちゃったんだ」と言いわけするハカセ。ロビン、にっこり笑って、「大丈夫です。私も間違ってできちゃった子供ですから」 思わず目が点になるハカセ。
ながながと記憶を頼りに書いてみたが、なんだかもう、ガサツで単調なアメコミとは一線を画していることがご理解いただけようか。キャラクター描写が堂に入っているだけでなく、最後のギャグなんか、ギャグでありながらロビンの孤独感をさりげなく表している。 なにしろ、隣家のご夫妻、最後まで一度も姿を現さないのだ。
「どうしたの?! みんな宙に浮かんでる!」 「実は私たち……スーパーパワーの持ち主なの」ロビンに嫌われるかも、と不安な顔になるPPG。 「そうなの? 私もスーパーパワー持ってるのよ」 「……ホント?!」 ロビン、片頬を顰めて痙攣させて見せる。思わず笑うPPG。 先週の『FF:U』の、小手先のセリフだけの言い訳に比べて、なんと説得力のある表現であることか。
大の仲よしになった四人だけれど、なにしろPPGはスーパーパワーの持ち主。タウンズヴィルの町を救いに毎日出かけなければならない。楽しく遊んでいてもそれは一瞬。 ひとりぽっちで残されるロビンと、PPGの活躍を交互に見せながら、ロビンの孤独を歌うBGMがかかる。ロビンの寝室の扉がゆっくりと閉じ、真っ暗になって音楽も終わる。 ああ、ダメだよ、日曜の朝っぱらからこんな悲しい演出しちゃ。トシ食ってただでさえ涙もろくなってんだからさあ。 ここまででずいぶん時間を使っちゃったおかげで、後半、淋しいロビンの心に取り入ったプリンセスが、ロビンに万引きを唆す展開がやや駆け足になっちゃったけど、間違いなく本作はこれまでのエピソードの中でも出色の出来である。やはり『パワパフ』は簡単に見逃せないなあ。 いや、ギャグがずっと続く間に、たまにこういうの差し挟まれるとついホロリときちゃうってパターンじゃあるんだけどさ。 ……昔、とり・みきの『クルクルくりん』でも死んだ少女の人格がくりんに蘇えって、その子の父親と出会うって話に泣かされたことあったなあ。
『仮面ライダーアギト』第41話。 わあ、やっと翔一が記憶を取り戻しそうだ。 ……よく引いたよ、ここまで。52話構成ならこのあたりで、という計算を立てたんだってことは理解出来るけれど、ちと長過ぎた気はするな。引くだけでドラマが進まない時期もあったし。 けれどシリアスな展開を出来るだけギャグでつなごうとするのはいいけれど、翔一と氷川の関係をムリヤリギャグにするのはちょっとねえ。緊張感なくすだけじゃないのかな? しかも前回は「栗」で今回は「アイスクリーム」だよ。毎回「食いものギャグ」で行く気かい(^_^;)。 随分謎が解かれて来たとは言え、まだまだ思わせぶりは残っているのである。 謎の手紙の送り主「雪菜」(『幽遊白書』かな、ネーミングソースは)とは誰なのか。 翔一の過去を知るらしいアナザーアギト・木野の「記憶喪失になる前は、お前も過去にこだわっていたんだ!」のセリフ。 謎の青年の「人類は私の子だ」のセリフ。 そして復活した最強のアンノウン、エルロード。 ……プロデューサーが「『サイボーグ009/神々との闘い編』を参考にしてます」とか気になることを発言しちゃってるので、まさか「未完」で終わるつもりじゃねーだろーなと心配になってるんだけど、ホントに広げた風呂敷はきちんとたたんでほしいものである。
『も〜っと! おジャ魔女どれみ』第40回「ハナちゃん、イモを掘る!」。 女の子にとって、イモはどれほど必須アイテムかという話(^^)。 あいこが買ってきたサツマイモを、大喜びで焼きイモにして食べるどれみとももこ。けれど、はづきとおんぷは「おならがでるから」「太るから」と言って、食べるのをいやがる。途端に激怒するあいこ。 「イモはなー、食物繊維たっぷりで栄養満点でお百姓さんが一生懸命作ってくれた最高の食べ物なんやー! おならがなんやー!」……あいちゃんテンション激高。女の子の食べ物っつ〜より、関西人必携の食べものってことなのかね(^_^;) 結局、はづきとおんぷもみんなで食べて、その美味しさに頬が落ちるくらい感激。 ハナちゃんにも食べさせようと思ったのに、野菜ギライの呪いのかかったハナちゃん、どうしても食べてくれない。 あいこは叫ぶ。「こんなおいしいもの食べられへんなんて、ハナちゃんかわいそうや……。よっしゃ! うちがぜったい食べさせたる!」。 そこで新鮮なおイモをハナちゃんにあげようと、電車に乗ってイモ畑を目指すが……。やってきたあいこの姿を見て、みんな呆然。……あ、あれは、もんぺ?! ……いやあ、どれみちゃんたちの(特にはづきの)もんぺ姿は実に似合っててよかったなあ。今回の見所はそれだけです。少なくとも私にとっては(^^)。
『コメットさん☆』第34回「星の絆」。 ……え? コメットさんに敵がいたの? 「あの方」って誰よ? 予告されてて登場してないキャラって言ったら、タンバリン星国の王子様だけれど、それってケースケのことじゃなかったのか?(←勝手な予測) ともかく「ハモニカ星国臨時裁判所」とか「監獄星」なんて仰々しい設定、『コメットさん』の世界観にはちょっと合わないと思うんだが、もしかしてこれ、テコ入れか? それとも打ちきり? 「姫さまほったらかし罪」で捕まったラバボーの代わりに一時的にやってきた 「月人」が、“タンバリン星国”の住人ってことは、裏にいるのはやっぱり……ってことになるんだけど、あまり予測できる展開にはなってほしくないなあ。
CSファミリー劇場『加藤夏季のファミナビ12月号』、新作紹介が『太陽にほえろ!<スコッチ編>』や『陽暉楼』。紹介が今月はえらくあっさりしてるな、と思ったら、加藤夏季主演の新作映画、『羊のうた』のレポートのためだった。 先日の東京国際映画祭に正式コンペティション作品として出品され、あえなく沈没(^_^;)しちゃった本作だが、予告編映像を見るかぎりではそう悪そうな出来ではなさそう。原作の頽廃的な雰囲気は出てるような気がする。 監督の花堂純次って、テレビドラマ『永遠の仔』の監督の人だったんだな。あれは最初の1、2回を見ただけだったけど、多少思わせぶりな演出が鼻につきはするが、作品作りについては、原作とがっぷり四つに組んで、きちんとドラマ性を浮きあがらせようとする姿勢があったなという感じがしていた。 けれど加藤夏季は喋らないとやっぱりいいよなあ。最大のネックはすぐに上ずるあの声質なんだが、今回はそう喋るシーンもないし、案外いい雰囲気が出せてるんじゃないか。 いやもう、映画祭でのティーチインでも「あの家って、昔は病院だったんですか?」とか、設定よく解らずに演じてたことバレバレの質問監督にしてるし、実像と演技の格差を感じさせてくれてもうGOODっスよ(^^*)。 なのにインタビューじゃ「今までは役と自分とが別だったんだけど、今度初めて『私は千砂なんだな』って思えました」とか言ってるし。……うーん、実の弟と血を吸いあいたいのか、君は。 チラリと『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』のフィルムも流してくれてたけど、ゴジラの吐く白熱光(原作第一作表記に準じてます)がガメラのプラズマそっくりだったのには笑った。これもあちこちで評判がいいみたいだけれど、期待しすぎて裏切られた経験はいくらでもあるので、なるべく情報入れないで見に行こう。
しげ、練習から帰ってくる。 いつもならここで二人でお出かけでもして食事をするのだが、給料日前なので質素にテレビを見るだけ。
ANAのCM、『アルプスの少女ハイジ』のパロディ。 「クララ、クララが立ったわ!」 「クララが一万円!」 ……なんだかよく意味がわからなかったが面白いんだろうか。CMに往年のアニメキャラが出るのって実はあまり好きじゃない。ソルマックの『ど根性ガエル』もそうだけれど、あんな中途半端な復活のさせ方するんなら、スペシャルでもいいからちゃんとリメイクしろって言いたいね。 ハイジとクララはオリジナル版の通りだけれど、アルムおんじは宮内幸平さんが亡くなっているので別の人。でもいやに声が若い。……誰なんだ?
『回復!スパスパ人間学』。森本毅郎司会のバラエティーらしいんだが見たのは初めて。コンセプトはなんだかよく分らないけど、これが結構面白い。 今回は、「女に嫌われる女」の特集。その条件として、「人の話を聞かない女」「自慢する女」「男の前では態度が変わる女」などを挙げるのは定番だが、笑えたのは、「なぜ女が女に嫌われるのか」それを脳のメカニズムから説明してるんだけど、これを役者にコスプレさせて演じさせてるのね。視床下部が暴れようとしてるのを普段は前頭葉が押さえてるんだけど、押さえきれなくなると暴走する……って、これ、『エヴァ』じゃん! そうかそうか、あれもA10神経がどうのこうのと、脳のメカニズムをちょっとかじった庵野さんがそれをまんま作品化したってことは聞いてたけど、庵野さんの女性コンプレックスから生まれた話だったわけだ。 考えてみりゃ、エヴァって最初の「女」なんだから、その行動原理が女であることは当たり前だったんだよなあ。……しげがしょっちゅうヒステリー起こすのも、前頭葉が未発達なせいなんだな。納得納得。
『だあ!だあ!だあ!』 チラチラ見てたけどじっくり見るのは始めて。これ、再放送だよな? 男の子と女の子の同居物に化け猫が絡んでるって感じなのか? エンディングがtrfの『BOY MEETS GIRL』だったのでちょい懐かしかった。
『サイボーグ009』第6話「消えた博士を追え!」 サブタイトルがちょっちダサイなあ。せっかくの0012登場話だってのに、もう少し気を引くタイトル思いつかなかったのか。 開巻早々、ドルフィン号(?)をペインティングするサイボーグたちの姿が描かれるけれど、002がいかにもアメリカ軍風のペイントする上を005が“無言で”消してくのがなかなか深い。うーん、原作に描かれたことは殆どなかったけれど、005、やっぱり侵略者であるアメリカ人の002に対して含むところがあったんだろうか。 ベースは原作にあるけれど、今回は0012の正体も含めてずいぶん脚色が加えられている。コンピュータの姿のみだった0012にちゃんとマダムの姿が与えられてるのが最たる変更だけど、これもちゃんと石森キャラしてくれてるのが嬉しい。でも怪しい洋館ものにするなら、もう少しアイデアおりこんでほしかったかなあ。 一応、作画は安定していて、部分的にはひとコマ作画もある。けれどいくつかバンクがあるのは、やっぱり作画スケジュール、相当追われてるのかなあ。 さて、来週はいよいよ前半の山場の一つ、0013登場の巻。エンディングにもしっかり登場してくれてるし、『ボンボン』なんかに代表される石森さんお気に入りの山下清系列のキャラだ。どうか作画が荒れてませんように(^_^;)。
『こちら葛飾区亀有公演前派出所』、いつの間にかOP歌ってるのが天童よしみで『いなかっぺ大将』のパロディ。こんなんどれだけの人間に解るってんだ(^_^;)。 しかも、本編が両さんの顔がつるんつるんにハゲてどんな顔だったか解らなくなるっていう話なもんだから、OPも両さんの顔に全部モザイクがかかってるっていう凝りよう。たまにこうやって遊んでるのかな。スタジオぎゃろっぷ、なかなか濃いスタッフがいると見える。 『ワンピース』、とりあえずワポルの下っ端はチョッパーが倒す。小さくなったり大きくなったりの変化、マンガじゃよくわからなかったけれど、アニメだといい効果出してるなあ。来週で一応ひと区切りなんだろうけれど、このままアラバスタ編に入るんだろうか。もう少し場つなぎしないとまた間延びした展開になりゃしないかな。
『笑う犬の発見』。 トーマスのネタがハム太郎に代わってる。わざわざOPアニメまで作っててしかも意外にその作画かイイところがスタッフが結構リキいれてて笑える。 イナカの学生に扮したウッちゃんが、女の子と毎回イイセンまで行って振られるコントが結構気に入ってるんだが、今回のお相手は桜井幸子で、教育実習の先生役。……かつてテレビ版『高校教師』で、彼女が教師との禁断の愛を演じていたことを思い出せば、このコントの面白さは倍増するであろう。 「あなたが私のことかばってくれたおかげで先生になる自信がついたわ!」 「じゃあ、オラと一緒に写真撮ってくれっぺか?!」 「……イヤ。それだけはイヤ。だってあんた、それナニに使うか分らないでしょ?」 ……桜井幸子、本気でイヤそうに言うんだもんなあ。多分実際にナニに使われたことを想定して言ってんだろうな、このセリフ(^_^;)。誰だ、こんな身を切るようなギャグ考えついたのは。あくまでフィクションでも、これ面と向かってやられるとオトコはツラいぞぉ(-_-;)。 ゲストの西川きよしが一番面白くないのはこういう番組の常だね。
CSチャンネルNECOで『うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー』『うる星やつら完結編』の2本再見。 ああ、『うる星4』も脚本が井上敏樹だったよなあ。するってえと、この「街が夢を現実化する」ってネタ、『アギト』のプロトタイプか。……んなわけないな。公開当時「なんだかよく分らない」と悪評紛々だった本作だけど、廃棄された街のゴミがネットワークを作り意志を持ったと考えれば、SFとしてちゃんと見れるし、「街」を「映画」そのものの寓意と考えれば、「思い出だけでも生きていける」のセリフも、実感をもって受けいれられようと言うものだ。少なくとも、それまでのネタの寄せ集めの完結編よりはよっぽど完結編らしかったと思う。
マンガ、ももせたまみ『せんせいのお時間』3巻(竹書房・590円)。 しげがいつの間にか買ってた学園4コマ。4コマも昔はホントにいい加減な線のものばかりだったのに、キッチリ少女マンガしてるというかアニメ絵してるというか、ともかく絵は可愛い。ただよくもわるくも「典型的」なんで、同じ可愛い系でも、あずまきよひこのような線にキョーアクさがにじみ出ているものと比べると、どうしてもインパクトが弱い。主人公の「27歳だけど童顔」って設定も、似たようなアイデアは竹本泉や加藤四季も使ってるし、ギャグのパワーはそっちの方があるのである。それに3巻もそのネタで引っ張るのはもう無理がある。 第一私は「28歳のクセに下手すりゃ中学生か高校生に見える」女房を持っているので、この手のギャグには笑えないのよ。 ……どこぞの店に夫婦連れで入るたびに「お父さんに買ってもらってよかったね」なんて言われるんだよなあ、マンガじゃあるまいし(-_-;)。こんな苦労、童顔の女を妻に持った者にしかわかるまい(当たり前だ)。
2000年11月18日(土) 今年はコンサートで眠らなかったぞ/福岡シンフォニック合唱団コンサート
| 2001年11月17日(土) |
多分愛してるんだろう/『料理少年Kタロー』第7話/『カスミン』第7話 |
オタアミ当日まであと7日! カウントダウン7!
ここんとこ、しげのロドリゲス(スズキのWAGON‐R)のBGMが『ブルース・ブラザース2000』から『ザ・ラットルズ』に代わっている。
この日記を読んで下さってるような奇特なオタクの方なら、もう説明するだけ野暮ってもんなんだが、一応簡単に説明しておく。 イギリスの伝説的コメディ番組である『空飛ぶモンティ・パイソン』の一員であるエリック・アイドルが(この人のコトまで説明してたら、またやたら長くなるので省く)、ニール・イネスと組んで、ビートルズのパロディ・バンドを作り、あたかも『ラットルズ』というグループが実在したかのようにでっち上げたニセドキュメンタリー番組なんである。 パロディであるから、ビートルズの四人に当たるキャラクターだけでなく、当然オノ・ヨーコもいるわけで、これが女ナチスのキャラで登場してるのを見たときには爆笑した。いやもう、チョイ役でジョン・ベルーシやビル・マーレイ、ミック・ジャガーや本家ジョージ・ハリスンまで登場するというトンデモなく豪華なモノである。こういう番組の常としてクレームは相当つけられたらしいが、放送にあたっては幸いダン・エイクロイドの登場シーンが多少カットされたに留まった(ビデオ版では復活)。 何よりスゴイのは、番組み中に演奏される30曲余りの音楽が、本家ビートルズの音楽と比べて遜色がない出来だったってことだ。事実、「ラットルズ」のCDが発売されたとき、「あれは本当にビートルズが歌っている」というウワサがマコトシヤカに流れ、それはかなり多くの人に信じられた。「チーズとオニオン」なんて曲にいたっては、ジョン・レノン本人が「オレはそんな曲歌ってない」と明確に否定したにもかかわらず、「いや、あれはレノンの声だ」と言いはる人がいて、アホなことにジョン・レノンのアルバムにうっかり収録されたりもしたくらいなのだ。 ウソだと思うなら、輸入CD買って聞いてみればいい(日本版は多分廃盤)。歌詞もメロディーも、「本歌取り」の名前がこれほど相応しいものはない。今すぐ聞けない人は、“ALL WE NEED IS LOVE”が“ALL WE NEED IS CASH”ってタイトルになって、あのメロディーラインで演奏されるオカシサを想像していただきたい。
残念ながら、ソフトな歌声で知られるエリック・アイドル自身は、ラットルズの一員、ダーク・マックィックリー(誰のパロかはよく解るね)を映像の上では演じていても歌そのものはオリー・ハルソールによる吹替えである。これは当時エリックが盲腸で退院した直後だったためだが、エリックの声でポールの……ああ、いやいや、ダークの声を聞きたかったと思ってるファンは私だけではあるまい。 あと、『ザ・ラットルズ』というのは初めビデオで発売された時の邦題で、現在入手できるDVDは『ラトルズ 4人もアイドル?!』という腑抜けたタイトルになっている。全く、日本人のこのギャグセンスのなさってのはどうにかならんもんかね。
土曜で半ドンなんだが、ちょっと残業があって、しげとの待ち合わせは1時半。「遅い」としげはぶすくれ顔。いきなり遅くなったわけじゃなくて、「遅くなるよ」と予め言っておいたのにどうして怒るかなあ。 「すぐにはウチには帰らんけどいい?」 「どこか寄るとこあるんかい」 「それはヒミツ♪」 何がヒミツだ。しげは私がちょっとくちごもったりすると、根掘り葉掘り隠しごとがないか聞いてくるのに、自分は常にヒミツを持っていようとするのだ。要するにそれだけヒミツにしたいアコギなことをやっているということだろう。たいていは金をちょろまかしたり金をちょろまかしたり金をちょろまかしたりしてるのだ。
着いた先は近所の博多区民センター。なんだ、ホントにヒミツにするほどのこともないじゃんか。 今年の劇団の公演、キャナルシティ横の「ぽんぷらざ」を予定しているのだが、その抽選にずっと外れまくっていたのである。苦肉の策で、数ヶ月分、一気に予約を入れたら、今度は二つも当たってしまった。おかげで片方、予約を取り消さねばならなくなったのであった。 土曜の午後のせいだろう、体育館や公園が隣接しているセンターの駐車場、満杯で車を停めるスペースがない。仕方なく路上駐車に近い状態で、車の出入り口の場所に一時駐車して、しげだけが走って予約取り消しに向かう。私は車中で誰か人が来たときの言い訳役(+_+)。 幸い5分ほどでしげは帰ってきて、怖いあんちゃんにすごまれることはなかったのであった。
結局、予約が取れたのは5月11日になった模様。こりゃまた半年も先とは伸びたものだが、スタッフも少なく常時集まれるわけでもないウチの劇団にとっては、練習する余裕ができたってことか。まあ、その間に「できちゃった結婚」するやつがポコポコ出なきゃいいんだが(^^)。
帰宅した後、ロドリゲス洗車。 しげ、バケツにお湯を汲んで、えっちらおっちら駐車場まで運ぶ。重い荷物を持つとしげはバランスが崩れるせいか、必ず首を傾げて歩くクセがあるが、頭がフラフラして、日頃から知恵の足りないしげがますますおバカに見える。 30分ほどかけて車体を一通り磨いていくが、中古のわりにはたいした傷がない。この間からパンパー引っ掛けたりいろいろぶつけてるのに、そういう傷もたいして目立ってないのだ。磨いていくうちに、ツヤも出て来て、何となく新車っぽく見えてくるから不思議である。 しかししげ、部屋の片付けはマトモにしようとしないくせに、自分の車となるとこんなに一生懸命にきれいにしようとするんだなあ。つまり日頃掃除しないのは、私のために家事するのはイヤだってことだよな。 それなのにこうしてしげの洗車を手伝ってる自分が健気過ぎて泣けてくるったらありゃしない。とほほ(T.T)。
RKB『ウルトラマンコスモス』第19回「星の恋人」。 軍事衛星「アンジェリカ」の攻撃コンピューターが誤操作し、たまたま通りかかった飛行物体に反応して攻撃を仕掛けた。 ある日、トレジャーベースの施設見学にやってきた一人の美青年、それは先日アヤノを事故から救った青年だった。だが、彼の正体はミゲロン星人・レダ。アヤノに衝撃波を与え、人形のように操り、EYES司令室から「アンジェリカ」を宇宙ステーションに激突させようとする。飛行物体に乗っていたのは彼と、彼の恋人。そしてその恋人はあの事故で命を落としていた……。 まあ、つまり宇宙人の復讐話なんだけれど、ありふれてると言うか、陳腐な印象は免れない。第一、ムリヤリ怪獣を出してコスモスと対決させる必然性が全くないのだ。「復讐のエネルギーを怪獣化させる」なんてめんどくさい設定になんかしないで、ミゲロン星人の正体が怪獣だったってことにして巨大化して戦わせた方がずっとスッキリする。いや、宇宙人をナマミの俳優に演じさせたりせずに最初から怪獣でやればよかったんだ。 比較しちゃ悪いかもしれないけれど、異形のモノの悲しみを打ち出してた初期ウルトラマンには遠く及ばない。
NHK教育『ドラマ愛の詩・料理少年Kタロー』第7回「美人陰陽師のユウウツ」。 タイトルだけ見ると、マジメな料理ドラマなのかと思いきや、こないだは江戸時代からKタローのご先祖様の料理人(池乃めだか!)がタイムスリップしてくるし、今回は安倍晴明の子孫で実はキツネの化身に元気の出る料理を作ってやるという、そんじょそこらの料理マンガなんかとは毛色が二色も三色も違っている。 つまり「どんな世界でも料理で人を救える」って料理万能ドラマだったわけだね。来週はついに宇宙に飛び出し熱唱する水木一郎と対決するらしい。なんじゃそりゃ(^_^;)。 でも、こんなヘンテコな「SF」まで制作するなんて、完全にこの『愛の詩』シリーズは平成の「少年ドラマシリーズ」になりおおせたな。今のところDVD化されてるのは『六番目の小夜子』だけみたいだけど、『まぼろしのペンフレンド2001』も『お嬢様は名探偵』も『浪花少年探偵団』も、とっとこDVD化してほしいもんである。
NHK教育『カスミン』第7話「ポトポット、悩む」。 『バンパイヤンキッズ』を見るのも飽きてきたので、ウラの『カスミン』、第一話以来久しぶりに見る。 カスミンとヘナモン(素直にオバケとかもののけって言ってほしいなあ。設定を作りこみすぎるとかえってクサくなるんである)たちとの同居もまあうまくいっているらしい。 合唱コンクールの発表が近いカスミだが、クラスのみんなはてんで部活だ塾だとまるで協力しようとしない。同じようにポトポットも屋敷のみんなのお茶の好みがてんでんバラバラなのでてんてこ舞い。ついにはノイローゼになってお湯すら沸かせなくなってしまう。 結末は無理せず落ちついて、何もかも自分一人でしょいこもうとしないで、という、いかにも本郷みつるさん的な終わり方をするのだけれど、子供向けとは言え、もうひと捻りほしかったかな、と思う。どうも全体的に、脚本や監督が気負って作ってるとこあるんじゃないか。 ギャグが今一つ効いてなくて、話の中に説教くさいところがチラホラ見えてきちゃってるのである。……「教育」だからしかたないのかなあ。
夜、こんな夢を見た。 ある日、劇団のみんなとどこぞの居酒屋で飲み会をしている。 しげが突然「私もようやく独立できるようになったよ」と言い出す。 私はドキリとして、それでも心の動揺を隠しながら「なんだ、仕事でも見つかったのか」と聞く。 しげは私を睨みつけ、「結婚するんだよ!」と怒鳴る。 実は、夢の中でしげは私の妻ではなく愛人なのであった。 劇団を維持するために夫婦のフリをしているだけなのだった。 みんなは口々に「おめでとー」「おめでとー」と拍手をするが私だけは機嫌が悪い。思わず「だ、だ、誰とだよ」と聞き返す。 「なんでそんなことまでアンタに話さないといかん。他人やん」とニベもないしげ。 あくまで高圧的に「言えよ、誰とだよ」と詰め寄る私。 「私にだってプロポーズしてくれる人はいるよ。Aさんとか、Bさん。Bさんはハイヤーでいつも私を山越えで送ってくれるし」 知らない名前を告げるしげ。二人もいるのか、それにしても「ハイヤー」なんて今時あるのか、第一どこを山越えしてるんだと首を捻る私。 しげが急にニコニコする。見ると、居酒屋の入口から入って来た若くて背が高くて保坂尚輝の顔をもっと精悍にしたようなヒゲを生やした男が入ってくる。 しげ、その男の腕に飛びついてうっとりとしなだれかかる。 しょ、しょ、しょうがないもんな、べ、べ、別に、お、お、おれの女ってわけじゃないんだししし、と震える手で酒を飲む私。 「そいつが新しい男か?」と聞くとしげは「ううん、別の人」と答えて、なのにそいつと手に手を取って居酒屋を出ていってしまう。 追いかけるわけにも行かず、酒を煽る私。ふと見ると、目の前のテーブルには小ナベになみなみと水が注いである。 「これ飲めるのかな」と隣の父に聞く(どうして劇団の席だってのにオヤジがいるのかね)。 兄が、「飲まん方がいい」と忠告する。 でも私は鍋の水を一気に飲み干してしまう。で、やっぱり飲まないほうがよかったと気がつく。その水は涙の味がしたからだ。
わ〜、照れくさい夢(^_^;)。 夢の中で私、自分にとってしげはベストハーフだと思いこんでるんだもんなあ。ついこうして日記に書いちゃったけど、しげが読んで喜んだりしたらヤだな(+_+)。 いや、読まないはずはないって解ってんだけどさ。たまには女房サービスしておかないと、しげのやつ、周囲に私が冷酷無慈悲なド外道のように吹聴するので、誤解を解くのにひと苦労するのである。
2000年11月17日(金) 一日一ドジ女房/東野英心死す。
| 2001年11月16日(金) |
若葉マークはどこへ行く/歌劇『さまよえるオランダ人』(ドイツ・ザクセン=アンハルト歌劇場)ほか |
オタアミ当日まであと8日! 8日しかないのだ!
脚本家、永原秀一(ながはら・ひでいち)氏が、14日、心不全のため死去。享年61歳。 特撮関係ではあの悪名高き、『惑星大戦争』及び“はちよん”『ゴジラ』の脚本及びノベライズまでやっちゃったので、才能のない人のように思われてるが、その辺が難しいところである。何たって、あの時期の『ゴジラ』は(今でもそうだが)シバリが多くて、誰が書いたって駄作にしかならん状況だったしなあ。 マンガ『松田優作物語』の中に、松田優作と永原秀一のカラミを紹介したエピソードがある。泡坂妻夫のミステリ『乱れからくり』が映画化された際、主演の松田優作が酔って「こんなシナリオがやれるか!」と引き裂いたというのだ。激怒した永原が「俺は自分の命かけて脚本書いてんだ!」と松田に謝罪を求め、松田が頭を下げた、という一件があったらしい(マンガでは永原の名前を隠してはいるがバレバレ)。 しかし、松田優作を弁護するわけではないが、あの『乱れからくり』はプロデューサーの田中文雄も認める超駄作であって、私も原作をズタズタに改竄して魅力のカケラも残さなかったシナリオには当時本気で激怒していたものだった。だいたいこの人、本格ミステリには向かない人なのである。 じゃあ何がよかったかというと、新聞記事にも載っていたが、この人の代表作はなんと言っても『狙撃』だろう。 若きスナイパーと年老いたスナイパーの決闘を描いたこの映画、やや現実離れはしてたが、加山雄三のもったいつけ演技はともかく、おそらくこれがほぼ遺作に近い森雅之の名演が光る傑作になっていた。ラストの砂漠での対決はまんま西部劇だったけど、脚本家のオマージュが感じられる名シーンだったと思う。……別にガンマニアってわけじゃない私が唯一好きな銃がモーゼルなんだけど、それはこの映画で岸田森が持ってた銃だったりするのだな。 実はあとはたいした映画の脚本書いてない。『野良猫ロック』シリーズは見てないからなんとも言いようがないが、『蘇える金狼』はまあ魅力的ではあったけれどシナリオ自体はメリハリがなかったし。 ちょうど今、CSファミリー劇場で『西部警察』やってる。やっぱり脚本はいい加減(^_^;)。でも「命をかけて書いてる」ってのは案外本当だったのかもなと思う。永原氏の脚本からは理性とか知性ってものが決定的に欠けていたし、だからこそ「情熱」だけがこの人の原動力だったんじゃなかろうか。
今日は久しぶりの観劇の日である。 先日の日記にも書いた通り、しげがアンケートでチケットを当てたのだ。 ハナキンとはいえ、平日の夜のことで、最近残業も多く、果たして行けるものかどうか危ぶんでいたが、ちょうど今日だけ早引けできることになった。っつーか、ムリヤリ休み取ったんだけど(^_^;)。 いきなり仕事を入れられたらオシマイなので、職場に退出時間通りにしげに車をつけてもらい、さっさと乗り込む。時間は4時半。チケットの引き換えは5時半からだが、会場の福岡サンパレスまでは通常なら30分、ラッシュ時でも2倍かかるということはあるまい。充分余裕で着けると、安心していた。していたのよ、ホントに。
しげが地図を私に渡し、ナビをしてくれと頼む。 「……箱崎まで行って、左折しようと思うんだけど」 「……箱崎? なんで?」 福岡以外の方には地名を出しても解るまいから、ちょっと解説するが、要するにすげえ遠回りなのである。 「箱崎まで行かなくても、五斗蔵か二又瀬から左折すればいいじゃん」 「だってそっちの道行ったことないし」 「箱崎は行ったことあるのか」 「うん」 「行った道しか通れないってなんだよ。遠回りして間に合わなかったらイミないじゃん」 「……じゃあ、アンタが案内してよ!」 「だからナビしろって言ったんだろ?!」 なんだか出発から前途多難である。 結局、五斗蔵から空港横を通って博多駅へ抜ける道は相当渋滞しそうだという判断で、二又瀬から左折する道を選ぶ。それならあとは一本道でサンパレスに着く。 「二又瀬なら多分混んでないよ」 「なんで?」 「なんでって……勘だよ」 「でもアンタすぐ私を騙すし」 「今、おまえを騙して損するのはオレもだろ?!」 「ホラ見てん、やっぱりいつも私を騙してるってことやん」 なんだか会話するのがイヤになってきたので黙る。早目に出発したのだから、渋滞はそうひどくないはずだが、それでもスムーズに進んでいるとは言い難い。しばらく一車線の一本道なので、横道から入ってくる車や、先を走るバスや、信号なんかでやたらと止まる。ちょっとイライラが溜まりつつあったが、ようやく五斗蔵まで来て、車線が二つに増える。 「よし、そこを真っ直ぐ」 しげ、スイッと車を右車線に。 「……あッ!」 「……どうした?」 「……真っ直ぐ行けん」 「? どうして」 「右にしか曲がれん」 「オレ今、真っ直ぐ行けって言ったやん!」 「だから、右と真っ直ぐと、両方行けると思って右に行ったら行けなかったんよ!」 「……矢印ちゃんと見とけよ!」 「見落とすんだよ! よく!」 「威張って言うな! じゃあどうすんだよいったい」 「……右に曲がったら左の細道に入って、グルッと迂回してもとの道に戻る」 「……じゃあ、そうしな」 信号が青になり、右にギュンと曲がるしげ。 細道に入ってぐるぐる回らなくても、真っ直ぐ行って、Uターンできないものかと思って、そう言おうとしたら、しげ、左の細道に入らずにそのまま直進した。 「……今の道、左に入るんじゃなかったのかよ!」 「あッ! 忘れたッ!」 「忘れたって、ほんの5秒前に自分で『左折する』って言ったんじゃんかよ!」 「だから5秒前のことでも忘れるの!」 「だから威張って言うなあああ!」 ……もうずいぶん行数がかかりましたので、結論だけ書きます。もとの道に戻るのにキッチリ10分かかりました。 そして福岡サンパレスに着くのにも1時間かかりました。 若葉マークって、やっぱりスゴイです(T∇T)。
駐車場がどこも満杯なのでなぜかと思っていたら、サンパレスの隣の福岡国際センターで大相撲九州場所が開催されていたのであった。なるほど、道端をおすもうさんがちょこちょこ歩いている。もう今は全然相撲に興味がなくなっていたので、九州場所が始まっていたことも忘れてたよ。 なんとか駐車場を見つけて入りこむ。サンパレスの隣なだけあって、20分100円とボッている。少し離れると30分100円のとこもあるってのに。でもそちらに回って駐車できなかったら困るので、ともかくそこに停める。
福岡サンパレスでチケットを引き換えて座席を確保。 しかし開場は6時半なので、それまで時間つぶしのため、ベイサイドプレイスを散策する。 ベイサイドに来るのも久しぶりだなあ。キャナルが出来る前はここまで足を伸ばして買い物することもあったんだが、近場で買い物が出来るとなれば、こんなとこまで遠出することはまずない。すっかりお見限りで、もう1年以上来てなかったんじゃないかな。 波止場には見た目20メートルほどのでっかいクリスマスツリーがもう立てられていて、サンタの人形もあり、ここだけクリスマス気分になっている。 でも港に停まってる船の名前は「きんいん」とか「おとひめ」で、純和風。ここもなんだかみょうちくりんなスポットだよなあ。まだ時間帯が早いのか、客の姿は殆ど見かけないので、ゆっくりと回る。
ここへ来るといつも、私は中央の水槽柱を見ることにしている。水族館って好きなんだよ。多分、動物園の4.7倍好きだ。もしかしたらこれも『うる星やつら2』の影響かもしれないな(^.^)。 でも余りにいつものことなので、しげは「また?」みたいな顔をしている。 ウミガメが好きなので、まず真っ先に泳いでないか目で追う私。 あの、前ビレを横に広げて泳ぐ姿の優雅さ、気高さよ♪ 『ガメラ2』でガメラがそうして飛んでくれたのが、どんなに嬉しかったか。『恐竜図鑑』で古代の巨大ガメ「アーケロン」がそうやって泳いでる絵を見て以来、私はウミガメフリークなのである。 でも、なぜだろう、以前来たときにはいたウミガメ、今日は泳いでいない。岩場に隠れてるのかと思って柱の周りをぐるぐる回るが、いるのはウツボばかり。いやウツボも好きなんでそれはそれでいいんだが。 「どうしたのかなあ、死んだのかなあ」 不安げについ呟いた私に、しげが無慈悲なヒトコトを返す。 「うん死んだ。死んでるよ」 ……やっぱりこいつには「愛」はない。ううううう(TロT)。
ベイサイドのモスバーガーで食事。ほかの店は軒並み高いので、給料日前で苦しい我々はこんなところで食うしかないのだ。 『キネマ旬報』11月下旬号をしげに見せて、冬の映画、何が見たいかを聞く。 「『ハリー・ポッター』は行くやろ〜? あとは『スパイ・キッズ』に『シュレック』かなあ」 「『シュレック』? 考えもしてなかったな。どこに引かれたん」 「……えーっと……声優?」 「誰が出てたっけ?」 「マイク・マイヤーズにエディ・マーフィ」 「どっちもおまえが嫌いな俳優やん」 「そうなんよ」 「だったらなんで」 「なんか、出てくる姫が昼はいいヒトで夜は意地悪いヒトになるって」 「……なんじゃそりゃ。そんなんだったらオレ、まだ『アトランティス』見に行ったほうが面白いと思うぞ。あと『ゴジラ』とか話題になってるし」 「……どこで?」 どうせオタクの間でだけだろう、と言いたげなしげの目線を感じたので会話を打ち切る。そろそろ開場の時間だ。
ドイツ・ザクセン=アンハルト歌劇場日本公演2001/リヒャルト・ワーグナー歌劇『さまよえるオランダ人』。 生まれて始めて見る生のオペラ、しかも本場ものである。 こんな場末の劇場じゃどれほどの音響効果があるか心許ないが、結構期待してしまう。 S席と言うので前の方かと思ったら、Sでも結構後ろの方。おかげで両袖に立てられた字幕ディスプレイ、私の貧弱な視力では平仮名がかろうじて見れるくらいで殆ど見えない。字幕を一生懸命見るだけで時間が過ぎそうなので、意味が知りたいときだけ見ることにして、話はまあ、仕草や動きで解るだろうと見当つけ、舞台に集中する。 音響はやっぱり劇場のせいで最低。上演前のトークショーで、演出のヨハネス・フェルゼンシュタイン氏が「ドイツのオペラハウス並だ」とリップサービスをしていたが、それがホントならドイツの本場、よっぽど貧弱な劇場しかないってことになるぞ。「ドイツは国立劇場ばかりなのに日本は芝居が民間で行われている、素晴らしい」なんて言ってたのも文化の遅れをバカにされてるとしか思えん。 演奏は手抜きしてるとは思えないのに、ともかく胸に響いて来ないのだ。CD聞いてるのと変わらん。いや、オーディオ設備次第じゃ、CDの方が感動があるかもって言いたくなるくらい、反響がない。……東京じゃBunkamuraオーチャードホールってとこで上演したんだなあ。きっといい劇場なんだろうなあ。ただチケットなんで文句も言えないが、もちっといい劇場で聞きたかったよ。 今「聞く」と書いて「見る」と書かなかったが、オペラは演劇的に見ればやはり歌舞伎と同じで様式のものである。現代劇のような微妙な人間の心理を表現するものではない。ともかく、ヒロインやたらと両手広げてるし。 しげはその大仰な表現に、上演中、クスクスしっぱなしだった。 芝居が終わって、しげが聞いてくる。 「結局、あれ、どういう話なの?」 「……つまり、『呪いのかかったオランダ人が7年に一度陸に上がって、そのとき貞淑な女に愛されたら呪いが解けるんだけど、せっかく見つけた女には昔の男がいて、裏切られたと思ったオランダ人は自分から去ってって、女は自分の貞淑を証明するために海に身を投げて自殺する』って話じゃないの?」 「やっぱ、それだけ?」 ホントに、たったそれだけのドラマに2時間以上かけてるのである。なにしろ歌は簡単に言えば「好きだ、愛してる、お前は運命の女」なんてセリフを延々言ってるだけだし。……ボケ老人の繰り言かい。でもこれ、ワーグナー30歳のときの作品なんだよねえ。途中、何度かウトウトしてたんだけど、ハッと目が覚めるとさっきとシチュエーションが全く変わってないし(^_^;)。 「……要するに、これ、色既知外の男と、思い込みの激しい女の恋ってこと?」 「そうなるよなあ。ずっとオランダ人に会えることを夢見てた女だってんだから」 「でも、怖いよ、あんなにオランダ人の絵見て話聞いてただけで自分が運命の女だって思えるってのは」 ……『ウルトラマンコスモス』のムサシ少年みたいなもんだな。「ウルトラマンは本当にいるんだ!」って。でも実際に「フライングダッチマンは本当にいるんだ!」って言い張るやつが現代にいたら、即日、どこぞに入れられてしまうだろうな(^o^)。 で、面白かったかどうかってことだけど、もちろん面白かったのである。トンデモ芝居だってことで。
帰宅すると疲れてそのまま睡眠。おかげでまた日記が書けず、更新が遅れる。……追いつける日は本当に来るのか?(-_-;)
2000年11月16日(木) 風邪がまだ治らんがな
| 2001年11月15日(木) |
お客様は皆の衆です/『真・無責任艦長タイラー�の瑳�編』(吉岡平)ほか |
オタアミ当日まであと9日! 9日しかないのだ!
気がついたらこの日記のカウンター、劇団ホームページのカウンター数を上回ってしまっている。 「演劇集団 P.P.Produce」なんて名前だけは仰々しく謳っちゃいても、もちろん全くの無名なわけで、そんなイナカのささやかな小劇団にしては、演劇関係のサーチから来るのか、2年ほどで延べ一万人、カウンターはまあまあ回転している方であろう。 少なくとも、更新もままならず、何年間もほったらかしになってるHPがゴロゴロあることを考えれば、ちゃんと続いている方なのは間違いない。 なのにである。 たかが日常のウダウダを書き連ねてるだけのこの日記の方が、更に短い期間で劇団HPを追い越しちゃったのだよ、ハテサテどうしましょ? これって、やっぱりあちこちから検索かけてくる人が日に10件以上あるおかげだろうな(^_^;)。ホントに固定ファンが少ないページだ。 なんだか最近は『フルメタル・パニック!』で検索かけてくる人が異常に多いのだが、放送延期が気になってる人なんだろうか。でも、必死こいてこれだけの分量の記事の中から目的の記事を探し出しても、「いつになったら放送解禁するんだよ」くらいのことしか書いてないし、結局、無駄足だと思うんである。 ……怒ってないかなあ、そういう人。いや、ホントに申し訳ないことをさせております。なんだったら、掲示板に怒りの書きこみをしていただいて構わないので、どうぞご遠慮なく。 あと、加藤夏季のホームページからちょくちょく飛んで来られてる方がいるんですけど、もしかしてお気に入りの中にでも登録して下さってるんでしょうか? いや、イイっスよね、加藤夏季(^^*)。 何はともあれ、そういう奇特な方々によって、このカウンターは回っているのだ。皆様に敬意を表して、もう少し中味のあることを書かねばとも思うが、もともと頭の中身がスポンジなもんだから、そうもいかないのである。 とりあえず気持ちだけ。
みんな、愛してるよ!!
気持ち悪かったですか? どーもすみません「(^^; ) 。
もうなんちゅーか忙しくって7時半過ぎまで残業。 昨日あたりからまた咳がひどくなってきていて、ホントはさっさと帰りたいんだが、人任せにはしてられない仕事も多いんで仕方ない。 もちろん、今日は遅くなるってことは予測がついてたことなので、しげには「帰りは7時過ぎになるよ」とは言っといたけど、まさか30分も遅れちゃうとはなあ。 迎えに来てくれたしげ、8時過ぎには仕事に行かねばならないので、いい加減シビレを切らしていた。もう10分も待たせるようならさっさと帰られるところだった。いやあ、危ない危ない。
メールのやりとりをしてると、しげがこちらをジト目で見て「そう言えばアンタ、女の子のメル友ばかりやね」と言う。 「んなこたねーよ。掲示板なんか殆どZUBATさんとのやりとりばっかりやんか」 「顔知ってる人は別なの!」 「……おまえ、ムリヤリ嫉妬しようとしてない?」 実際、そうとしか思えないんだがなあ。だいたい私が女性と会話することだけでなく、男と話そうが職場に行こうがコンビニで『プレイボーイ』立ち読みしようが、それだけでジェラシるしげだから、いちいち相手にはしてられないんである。 あの、ウチのしげはいくらヤキモチ焼いても、相手にネットストーキングまではしませんので、どうぞご安心してメール下さい。私が3時間ほど愚痴聞かされるだけですみます(^_^;)。
CSキッズステーション『ナジカ電撃作戦』MISSION 006「美しき野獣の瞳は孤独の影と共に」。 ミッションが毎回ヒューマリット回収に限定されちゃった感じだなあ。見る前はもう少し幅の広い話になるかと思ってたけど。もちろんそれで面白くないってわけじゃなくて充分面白いんだけど、未だに世界観とヒューマリットの概念が語られないままミッションだけがどんどん進んでるってのは見ていてちょっと座りごこちが悪いんである。 でも今回の話、なんだか士郎正宗の『ブラックマジック M‐66』とよく似てるなあ。もっとも人型ロボットが暴走するって話はそれこそ原典は『フランケンシュタイン』なんだろうけど。 これまで回収したヒューマリットも充分高度な戦闘能力を有していたけど、今回のBBBは、戦闘能力をさらに強化したコンバットモデルだそうな。極度に筋力を解放したそのパワーには、ブローニング50もパンツァーカンプも全く効かないほどだが、結果的に「時間切れ」で回収できたって結末もちょっと物足りない。BBB奪還を狙う別の組織の存在もストーリー展開の上ではあまり必要がなく、カットして、BBBとのやりとりに絞った方がもっと面白くなったんじゃないかなと思う。 あ、今回初めて次話への「引き」で終わったが、少しは設定を示してくれるのかな。
吉岡平『真・無責任艦長タイラー�の瑳�編』(エンターブレイン/ファミ通文庫・672円)。 ついにタイラーがパコパコになる。 って、『タイラー』のストーリー知らない人にはなんだかよく分らないだろうな(^o^)。でも説明し出すと長くなるのでしない(←イジワル)。 けれど以前のようなおポンチな展開ならともかく、こう話がリアルになっちゃ、なんでアザリンに不敬を働いたタイラーが許されちゃうのか、いまいち納得がいかなくなるなあ。だってロナワー殺した敵じゃん。もっと分らないのは、ル・バラバ・ドムを始めとして側近たちが全然タイラーに怒りを感じないことで、こりゃいくらなんでも不自然。 タイラーがタイラーであるってことだけで信頼を勝ちえて常勝ロードを歩むってのは、今イチ理解しがたい展開なんだけどな。
2000年11月15日(水) みんな妄想の中に生きているのね/『リアル国家論』(教育資料出版会)
| 2001年11月14日(水) |
『千と千尋』新記録!/アニメ『ヒカルの碁」第6局/ドラマ『死者の木霊』 |
オタアミ当日まであと10日! 10日しかないのだ!
今朝の新聞各紙の囲み記事。 『千と千尋の神隠し』がついに『タイタニック』を抜いて、日本興行記録の新記録、261億円の興行収入をうち立てた。 てゆーことは配収は半分の130億。ジブリに入るのは更に半額の70億ほどか。税金でごっそり持ってかれるとしても、まあ、3、4年はスポンサー付かなくて収入が入らなくても新作を作ってられる計算になるな。 予想通り、宮崎監督、今回もまた引退宣言を撤回したそうで、めでたいめでたい。『千と千尋』作ったときに、「『もののけ姫』で引退するんじゃなかったの!? ウソつき!!」と憤ってた人は多かったようだが、あの人の「引退する!」はデビュー映画の『ルパン三世 カリオストロの城』以来の口癖なんで、こちらは今更オドロキもしない。押井守からも「またほざいてるけど、どうせジジイになるまで作りつづけるに決まってる」と揶揄されてたくらいなのだ。そんなことくらい、昔からのファンなら誰でも当然知ってることなんで、世間の一喜一憂を見るにつけ何を躍らされてるんだかと思っちゃうのだが、つまりは「宮崎」ブランドが浸透したの、本当にここ数年なんだってことなわけで、つくづくオタクな野郎はまだまだ少ないんだなあと感じてしまう。 ……だって、若い人の中には『ルパン』も『コナン』も知らないってやつゴマンといるんだから。
そんな中で、「宮崎の原典はやっぱり『長猫』のオッカケだよな」とか、「いやいや、やっぱり『ガリバー』のあのロボットがパックリ開いて中から美少女が」とか、「何を言う、『わんわん忠臣蔵』のころからあった反手塚治虫のスピリットが」などと言い出したりした日にゃよ、かえって「なにワケわかんないこと言ってんの? このオッサン」とか言われるようになってしまうのである。 ああ、この程度の知識、我々の世代なら、別に知ったかぶりでもヒケラカシでも何でもなく、ただの常識だったのに(T∇T)。 けれど本気で宮崎駿を語ろうと思うなら、『ナウシカ』以前、『太陽の王子ホルスの大冒険』と『長靴をはいた猫』の2本くらいは少なくとも見ておかないといけないと思うんだが。あの共産主義的共同体幻想と、男尊女卑的エンタテインメントの2本の間の振幅が、その後の宮崎作品のベースになってることは疑いようもない事実だからだ。 つーか、日本のアニメーションを語る上でこの2本見てないってのはいくらなんでも不勉強過ぎるってもんだろう。リアルタイムで見てない世代だって、ちょっとでもアニメに興味があったなら、どこかでその名声は聞きかじってるはずだぞ。 もし「え〜、そんなの知らな〜い」とか、「そんなん絶対見ないといけないなんて決めつけイヤ〜」とか言い出すドアホウがいたら、逆さ吊りにしてムチ打ってドテっぱらに風穴開けてカツブシ詰めこんで猫けしかけて簀巻きにして御笠川にたたっこんでやる。凸(-_-メ)
それにしても朝日新聞の見出しには笑ったねえ。 「『千と千尋』、『タイタニック』を沈める」だもの(^_^;)。 『タイタニック』が1年あまりで立てた記録を四ヶ月で更新、それは確かに事実だろうが、『もののけ』が『タイタニック』に抜かれてたことがそんなに悔しかったのかね。朝日、根は国粋主義なんだな。 既に日本人の五人に一人が見ている計算になる『千と千尋』、多分、上映終了時には三人に一人が見ているくらいになってるんじゃないかと思われるが、ここまでヒットちゃうとオタク的には少しは反発したことも言いたくなってしまう。 前記の「『ホルス』が」云々もそんな気持ちの表れの一つなんだが、それで新しいファンに嫌われたりでもしたら、オタク新世紀を担う新しい世代はいつまで経っても育たない。オタクなウンチクを披露したくなったり、「キミキミ、それは違うね」なんて指を立ててちっちっちとやってやりたくなるのをグッとこらえて、メルヘンでファンタジーなやりとりもしてみせねばならぬのである。 だから「『千と千尋』のキャラの中で何が一番好きですかぁ?」なんてこと聞かれて、内心、アホかおどれらと思いながらも、「うーん、カオナシかな♪」「え? やっぱりそうですかぁ♪ 私もぉ♪」なんて、媚びに媚びたヤリトリもせねばならないのだ。 マジで(←イントネーション尻上がり)。 ほんなこつ、しろしかっちゃんねえ(´o`;)。
話はちょっと変わるが、しげから聞いた話。 ウチの劇団の某女性(特に名を秘す)の新恋人君が、どうもそういう「ちっちっち、違うね」君というか、典型的な「サロンのバカ」君らしいのだ。 先日の練習に久しぶりに顔を見せた某嬢、彼氏を連れてきていたのだが、なんだか演劇にもいろいろ一家言を持っていたらしく、そのあたりのことを喋ったあと、「どこの劇団が好きなの?」としげに聞いたそうな。 しげが「シティボーイズかな」と答えると、彼氏君、「シティボーイズは劇団じゃないよ」と言い返したとか。 確かにしげの返答はピント外れで、シティボーイズは劇団ではなくてユニットと言うべきであろう。シティボーイズ単独のプロダクション、つまり「組織経営」が存在していない以上、彼らがラジカルガジベリビンバシステムだったころからそれは変わらない事実だ。しげを見てると私だってしょっちゅう「それは違うぞオイ」と言いたくなるので、その彼氏君がツッコミ入れたくなった気持ちも解らなくはない。 しかしである。 通常、「あなたはどこの劇団が好きか?」という質問の趣旨は「劇団」というカタチにあるのではなく、「どのような傾向の芝居が好きか」という内容の方にある。だから必ずしも適切な答え方でなくたって、相手の好みがわかるものであったからには、それにツッコミを入れるってのは野暮というものだ。つーか子供だがね。 よしひと嬢がその某嬢とプライベートで会ってたときにも、その彼氏君はいきなりやってきて、何やらいろいろ口角泡を飛ばして喋ってったらしい。 その彼氏君、某嬢の大学のセンパイだということだが、「あのキョージュとならオレ言い負かせるぜ」とかいうような意味のことを自慢げに言ってたとか。論争を勝ち負けで判断するやつにロクなやつはいないが、その彼氏、話を聞くかぎりではどうも「ハズレ」っぽい。 某嬢の前の彼氏がとてもいいヒトだったので、反作用的にみんなから評判が悪くなってるのかなあ、とも思うが、某嬢の性格というか、オトコを見る目のなさを考えると、そういう「ハズレ」に引っかかっちゃった可能性も否定は出来ない。
なんだか某嬢、私にも会いたがってたという話だが、もしかしたら、その彼氏君と私とを「対決」でもさせたかったのだろうか。 そりゃ私も若い時はよ、青くせえSF論争だのミステリ論争だの散々やったがねえ、勝ち負けに拘るようなやつはもう高校のころを最後に卒業してるんだけどなあ。「それは違う」君に会ったら、もう論争にならないって解ってるし。 相手との論争が、他人に見てもらって面白くなるという目算があるなら、不毛に見える言い合いも実は不毛ではない。それは一つのショーなんで、バカ話の応酬なんかはそういう性格のものだ。けれど、「相手を言い負かす」とか「自分の意見の正しさを証明しよう」なんてことしか考えてないやつが相手だと、論争を受けて立つ方も。それを見てる方もつまらないこと、この上ないのだ。 仮にその彼氏君に会うことがあったとしても、私ゃ受け流すと思うがな。
誤解が多分あろうから、ちょっと付け加えておくが、この日記でも映画やマンガや小説をいちいち俎上に上げては誉めたり貶したりしてるが、実は私は自分の意見に全く固執していない。当たり前の話だが、意見とか批評なんていうのはその作品の持っている情報をどう選択するかによっていくらでも変わる。更に言えば、「この作品はこう評価するのが正しい」と思いこんでる人間の気持ちを変えさせることはかなり難しいし、変えさせなきゃならない必然性もないのだ。 だから、私がいくら「『ヒカ碁』はいいよ!」と力説しようとも、「ヒカルのメッシュがイヤ」という意見の持ち主に対しては何一つ言える言葉がないのだ。 また逆に、「『ワンピース』は第一話で終わっている」という私の意見に対して、「『ワンピース』の真骨頂はアラバスタ編だ!」と反駁してくるヒトがいたとしたら、「それは違う」なんて言い返すつもりもない。 ただ、相手がちゃんと「他人が見て楽しい論争をしよう」と考えていることが見えた場合は、「バロックワークスのキャラクター造型は確かに画期的だよねえ」とか言って論争に乗ったっていいのだ。 要するに語り合うも争うも、結局ヒト次第ってことなのである。私が某巨大掲示板に一切書きこみをしないのもそういう理由であります(^^)。
今日も残業、仕事は6時半過ぎまでかかる。 おかげで迎えに来たしげ、「『テニプリ』が見れんやん」とブー垂れる。 そんなに面白いかなあ、『テニプリ』。確かに笑えるところはあるけれど、キャラ造型もストーリー展開もなんかムリがあって、そんなに魅力感じないんだけどなあ。 というか、最初から主人公が滅法強くて、他人をコバカにして相手の足元掬うようなパターンを作っちゃってるので、ドラマ的にはイジクリようがないのだ。これじゃ強い敵を出せないし、出してもキャラが崩れるからつまんなくなるのは眼に見えてる。「弱さ」のないキャラって、魅力が出ないのよ。 「今から帰れば後半だけでも見られるじゃん」 と言うと、「後半だけなんて、ははん」と鼻で笑われる。なんだよその「ははん」ってのは。 『ヒカ碁』はしっかり録画予約してあるし、私は『テニプリ』は見れる時だけ見られればいいのだ。
買い置きのトンとろを焼いて丼飯。塩胡椒が付いていたが、以前それで炒めたら辛過ぎたので、今日はただ炒めるだけ。 以前から「うまいぞ」と言っても信用しなかったしげ、二、三切れ食って、やっと「コリコリしてうまい」と言う。 けれど「でも油がちょっと多い」とやっぱり文句を言う。超偏食のクセして注文付けるんじゃないよ。
TVQでアニメ『ヒカルの碁』第六局「美しい一局」。 演出的に関心したのは、このままではトーナメントに勝ち進めないと感じたヒカルが「佐為、おまえが打て」と呟いた時、わざと口パクとアテレコをずらしたこと。その口パクがちゃんとそのセリフ通りに動いたと解るキメの細かい作画。 ああ、こういう演出が頻繁に出てくればアニメの方も面白くなるのになあ。オーソドックスな演出と陳腐な演出は紙一重で、あまりに定番という印象が続くと、どんなに好きな原作のアニメ化でも、次の回を見たいという意欲が失せるものである。今のとこ、どうもヒカルと佐為の声に馴染めないので、ちょっと見ててもイマイチ高揚感がないのだが、そこいらを脚本と演出がカバーしてくれりゃあな、と思う。
RKB毎日放送『オフレコ!』、ネットストーカーの特集。 「迷惑メール」ってやたら騒いでるから一体どんなのかと思ったら、たいていはエロサイトの紹介メールが勝手に送りつけられてるのを言うみたいである。 ウチにもそういうのがたまに来るが、「メイワク」とは感じなかったな。いや、利用させてもらったってわけじゃないけど(^.^)。 「迷惑」とまで言ってるんだったら、何らかの「被害」がなくてはならないわけだけれど、さて、これが警察に訴えて取り締まれる程度のものなのかどうか。受信するだけで受信料がかかっちゃうんだったっけ。たいていは無料配送が多いんじゃな伊かと思うけれど、だとしたら物理的な被害がないから、「無視しなさい」ってコメントだけで終わっちゃうんじゃないかな。 しかし驚いたのは、いったいどこから迷惑メールの送り手は個人のメールアドレスを探り出すのかと思ったら、コンピュータソフトが無作為に英語を並べ替えて勝手に配信してるだけなんだね。実在するアルファベットに偶然ぶち当たれば続々とメールを送れるわけで、だったらアドレス自体、個人情報を保護する方法としては基本的になんの効果もないってことになる。やっぱり無視して削除するしか対処法はないんじゃないか。 そんなのより厄介なのはやっぱり「出会い系サイト」を通じて知り合った相手からストーカーされてしまうとかいう被害じゃないかな。しかし若いムスメがいとも簡単に出会い系サイトを利用するってのはいったいどういうわけなんだか。利用しなけりゃ被害にあうことだってそもそもないわけで、わざわざそんなとこを覗いてみるってのは、そうでもしなけりゃオトコと出会えないくらい飢えてるってことなのか。だったら被害に逢うのも自業自得ってもんである。
私もネットで知り合った方々とのメールのやりとりが最近何件か重なったが、それが女性相手だったりすると、確かにどんな人かな、ということを想像したりはする(男ならせんのか)。 でも実際に会ってみたいとは基本的に思わない。それを期待してやりとりしてるわけでもないし、ペンフレンドの昔から顔の見えない相手に対する想像というのは概ね実物よりもはるかに美化されているものだから、現実の私に会えば幻滅されるに決まっているのだ。 まあ、夢は夢のままでいさせておいた方がいいかな程度の虚栄心は私にもあるので、ネット上でトシの2、3歳程度は若く誤魔化してもいいんじゃないかと思っている。実際にはしてないけど(^_^;)。
TVQ『女と愛とミステリー 内田康夫サスペンス 死者の木霊』。 内田康夫のミステリーは浅見光彦ものを10冊読んで飽きちゃったので、この“信濃のコロンボ”竹村警部シリーズはまだ一冊も読んだことがない。たしか以前は堺正章がこの竹村警部に扮してたはずだが、今回は中村梅雀にキャストを変えての新シリーズ開幕。さて、原作とのイメージはどちらがより近いのか。 ミステリーとしての出来はたいしたことないので、もっぱらキャストの演技に注意がいくが、中村梅雀、声だけだと中村梅之助に驚くほど似てきた。翫右衛門・梅之助・梅雀と、よくもまあ、血が薄まりもせず受け継がれて来てるものだ。 けれど芝居はどうも梅雀さん、今一ついただけない。気負いがあるのか、臭くて軽いので、人情味を出したいのかユーモラスにやりたいのか、どうも中途半端なのである。上司がまた里見浩太郎ときてるから、現代劇だってのにセリフに妙に「タメ」があって、自然な感じがしない。 まあ、売れセンの役者使ってないし、一応スタッフはマジメにキャスティングしたんだろうけれど、ちょっとハズしてるかも感は拭えないのであった。
2000年11月14日(火) 年7回は風邪引いてるな、私/『まどろみ消去』(森博嗣)ほか
| 2001年11月13日(火) |
また書く原稿が増えそう(^_^;)。/『時をきざむ潮』(藤本泉)ほか |
オタアミ当日まであと11日! 11日しかないのだ!
昨日の飛行機墜落、テロではなく事故の可能性が高まったのだそうな。 なんでも片方のエンジンがいきなり落っこっちゃったらしいのだが、原因は不明。同型機は以前にもエンジンから火を吹いたことがあり(そう言えばそんな事故があったっけ)、一万時間毎の点検を義務付けていたが、その点検直前に起こったというものらしい。 それにしても、マスコミ報道、事故らしいとわかって落胆している様子がアリアリ。「現場のスタッフ」が未練たらしく、「原因が分らない以上、何かが仕掛けられた可能性も捨てきれません」と軒並みコメントを付け加えているのが滑稽。……ハトでも飛び込んだんじゃねーのか(-_-;)。 そうやって、「ちぇっ、テロじゃねーのか、つまんねー」と無慈悲かつ無責任な発言が出来るのは、当時者でなく公の場にもいない庶民の特権なんだけれど、日頃「社会の木鐸」を標榜しているマスコミがそこまで下卑たところにまで落ちた報道してることに対して無自覚なんだから、これをバカと言わずして何がバカだと言えようか。 で、事故らしいとわかった途端、ニュースはもうアフガニスタンの北部同盟による首都カブール制圧、タリバン撤退をいつも通りのドラマ演出で報道してるのな。……ワイドショー以外の普通のニュースでも、BGMにアニメや特撮の音楽を使うのが完全に普通になっちゃったけど、そのことに違和感感じてるやつ、送り手側にも受け手側にも少なくなってんだろうなあ。やっぱり使うだろうと思ってた『パトレイバー2』はもう、やたら頻繁に流れてるし。ここまで使われてるんだったら、川井憲次さん、使用料を申請してもいいんじゃないかなあ。それとも申請できないように法律がなってるのかな? よく知らんけど。 そう言った「演出」が、既に「情報をより正確に伝える」ことを目的とするジャーナリズムからかけ離れていることは今や論をまたない。これはもう、「戦争ドラマ」であって、「戦争」ではないのだ。そう感じるのが不謹慎だというのなら、もっと冷静な報道してみい。もちろん、そんな視聴率が取れもしないようなことするマヌケはマスコミにはいないだろうけど(^o^)。
仕事帰り、迎えに来てくれたしげと、職場近くの総菜屋でおかず買い。 車で通るとつい見逃してしまうようなところにあって、あまり繁盛してないようなところだが、今日は2台も車が停まっている。 「なん、『売れてない』って、ウソやん」 としげが私を責めるが、人がそんなに入ってる様子がないってのはその通りなんだが。たまたま何人か客がいただけで繁盛してるって考えるのもおかしかないか。夕方のこの時間帯で、客が二、三人って、少ない方だと思うがなあ。 毎日少しずつメニューも変えているようなので、出来るだけ珍しいものから買う。 栗コロッケ・チャーメン・鶏の香味揚げ・豚肉と豆腐とほうれん草の炒め物など、合わせても600円程度。これを二人で分けるんだから、なかなか良心的な価格。しげはデミグラスハンバーグに拘って二つ買うが、当然これはしげだけのもの。 私は自分の買った分はしげにも当然分けるつもりでいるのだが、しげは自分のものを私に分けようとしたことが殆どない。たまにハッと気付いて「食べる?」とか聞いては来るが、「食べるか」という疑問形であって、「食べなよ」ではないのだ。そんな、「ホントは自分で独り占めしたいんだけれど、がっついてると思われたくないから一応聞くけど、出来れば『いいよ、全部おまえが食べなよ』と言ってほしいなあ」って秋波がビンビン伝わってくるような視線を向けられちゃあ、「じゃあ貰うね」とはとても私には言えない(^_^;)。 食いものに関してここまで本能的になれるって、お前は闇市世代か。 帰宅して早速食事。しげ、鶏肉をウマイウマイと言って殆ど平らげる。「辛そうだったんで買うのやめたんだけど」とニコニコしながら口一杯に頬張っているが、店の中であまりに未練たらしくしげが鶏肉見つめてたから、私が買ってやったことに気がついてないのだ。 だから、自分の言動のせいで何を考えてるか周囲からはバレバレだって事実に少しは気付けよ。ああ、恥ずかしい。
『FF:U ファイナルファンタジーアンリミテッド』第7話「地下鉄 じげんトンネルのてき」。 CGとの違和感はあっても、とりあえず作画は悪い方ではないので、ちょこちょこと見ているが、FF初心者な私には、どのへんがどうファンタジーなんだかよく分らんなあ。少なくとも古典的な「剣と魔法」の世界でないらしいことは1話から見当ついたことではあったのだが。 ファンタジーの難しいトコロは(SFでもそうだけど)、住む世界が違う人間の価値観をどう表現するかってことにある。文化が違えばものの見方が全般的に違うのも当たり前なのだ。しかし、あまりに違いすぎると、見るものはキャラクターに感情移入するスキがなくなってしまう。その辺の匙加減が難しいんだが、どうもこのアニメのスタッフはそのあたりをずいぶん大雑把に考えてるような感じだ。 新登場の少女・ルー、これが実は狼少女(別にオオカミに育てられたんではなく、オオカミに変身する少女な)だったんだけど、正体がアイとユウにバレた時の会話のやりとりが思いっきりマヌケ。 「私の正体を知って怖くないの?」 「だってこの世界に来てビックリすることばかりだし」 いや、コケたねえ(^o^)。 つまり、オオカミ少女くらいいて当たり前の世界だってことでしょ? 実際ムチャクチャ化け物出て来てるよ? それでどうしてたかがオオカミ少女ってことだけで差別されちゃうわけよ。だったらチョコボ差別はないのか。 ファンタジーに安易に現実の設定持ち込んでんじゃないよ。 よく、ゲームクリエイターには最先端の才能が集まってると言うが、シナリオに関する限り、私ゃ今んとこそんなヒトを寡聞にして知らない。ゲーム版のFFのシナリオもこんなものなら、少なくとも「最先端」って惹句だけは外したほうがいいと思うな。
最近ネット上で知り合った女性の方から、ホームページを立ち上げるので、なにか原稿を書いてくれないかとメールで依頼される。 この手の依頼があると、お調子モノの私は一も二もなくホイホイ引きうけてしまう。けれどたいていシメキリを破ったり、書いたはいいものの読むに耐えないしょーもないものを書いてしまったり、依頼主に迷惑かけちゃうことも多い。 そのたんびに落ちこんで、しばらく旅に出たくなったり、部屋の隅っこでブツブツ呟いたり、壁を這う白い虫を何百匹も潰したり、富士の樹海か東尋坊に行きたくなったりするのだが、たいてい一晩寝ると迷惑かけたこともケロッと忘れてしまうので、またぞろ同じ失敗を繰り返すのである。いや全く、厚顔の至りで申し訳ない。もちろん、引き受けたからには今度こそちゃんとした面白いものを書こうと意気込んではいるのだ。でも過去が過去だけに、果たしていかが相成りますことやら。 いやいや、問題はそればかりではない。 内容はともかく、依頼の具合では、そちらのHPでは、私の本職を明かした上で書かねばならないような気配なのである。何度かこの日記にも書いていることだが、諸事情により私はネット上では私の本職を隠している。私は別に明かしたってかまわんと考えてるのだが、なにしろねえ、こんな無責任極まりない日記を書いてるやつが職場にいるってことが世間に知られただけでも恥だと考えるようなバカなとこに勤めてるもんでねえ。それに実際、ウチの職場、世間的に見てワルいこと全然してないわけじゃないし。その辺のところを私にバラされちゃ困るのだろう。 と言うわけで、依頼された原稿も、仮に私の職業を明かすとしても、私が福岡に住んでるってことや、年齢なんかも(ことによると性別も)偽り、相当脚色して書かねばならないのである。うわあ、難しそう(^_^;)。 そういうわけで、仮に私の原稿が掲載されたとしても、私の職業を予めご存知の方以外には、この日記を読んでくださってるみなさんにもそのHPをお教えするわけにはいきませんので、その点、ご容赦下さい。
しげが、居間のソファーにその巨大な体を投げ出してブツクサ文句を垂れている。 「こんなとこにカバン置かないでよ!」 寝るのにジャマだ、と言いたいらしいが、そのソファの上にしょっちゅう3日も履きふるした靴下だのなんだのを放りだしてるのはしげなのだ。 「置くとこないから置かせといてよ。枕にしたっていいからさ」 なんとなく不満そうな顔でしげはこっちを向いていたが、おもむろに、「毛抜き取って」と言い出した。 何をするかと思ったら、私のカバンを脇息にして、いきなりムダ毛の手入れを始めたのだ。 「おいコラ!」 「なに!」 「オレのカバンを脇に挟むな! 匂いが移るだろうが!」 「移らんよ。ワキ臭くないもん」 「移る!」 「移らんてば! さっきお風呂に入ったばかりだもん!」 「汗が滲み出してくるだろ! ええいどけい!」 むりやりカバンを引ったくってニオイを嗅いだらやっぱりクサイ! 悶絶する私を見てしげはケタケタ笑っている。そのときになって私はようやくしげの策略に引っかかったことに気付いたのだった。 ああ、居間のニオイの性で頭痛が……(+o+)。
藤本泉『時をきざむ潮』(江戸川乱歩賞全集11/講談社文庫・1250円)。 現在ヨーロッパで失踪中の藤本泉。 作品を読むのは初めてだが、その奇矯な人となりについては以前から興味があった。 幼いころを東海地方の山村で過ごしたことがその人格形成に多大な影響を与えたらしい。土俗的な伝奇ミステリー「エゾ共和国」五部作は、中央の支配に未だ染まらぬ東北の民人たちを巡る事件の数々を物語ったもの。 彼女の特異な取材方法は、その土地を舞台にした小説を書くために、実際にその土地に数ヶ月から数年に渡って移住するという、徹底した現地主義を取ることだった。行方不明になったのも、一説にはヨーロッパの少数民族問題を取材中に秘密警察に捕らえられ、処刑されたとマコトシヤカに言われている。 ……なんだかその経歴を知るだけで、どんな作品を書く人なのか知りたくなってしまうじゃないの。
で、読んだ感想なんだけど、期待して読んだだけに肩透かしの感は否めなかった。 乱歩賞の選評にもあったが、「文章は抜群にうまく、人物も魅力的に描かれているが、推理小説としては弱い」というのが一貫した意見のようだった。 探偵小説芸術論じゃないけど、「ミステリとしてはよいが人間が描けていない」「人間は描けていないがミステリとしてはよい」なんて批評をよく耳にする。 でもまあ、こんな批評の形をなしていない言質を用いる作家は、不遜な言い方ではあるが基本的に三流だと私は思っている。 また、「ミステリが人間を描く必要があるのか」という島田荘司以下の新本格作家たちの意見も同様にアホだ。 人間を描けていないミステリがミステリの体をなしているはずがないし、ミステリとして完成度が高ければ、人間が描けていないはずはないからだ。なんか乱歩賞の審査委員、初手からミステリをバカにしていながら批評していないか。
本作がミステリとしてヨワイのは、やはり人物が描けていないからである。主人公が魅力的に見えるのは、主人公の心理が丹念に描かれているせいだが、読みこめば読みこむほど、その行動原理に一貫性がなく、行動原理もハッキリしない。 三陸の海岸で起こった、二組の若者の事故死。捜査に当たった高館刑事は、その白蟹村の住人が誰一人として自分に協力しようとしないことに不審を抱く。やがて、彼らの捜査妨害は、高館の命を奪おうとするほどにエスカレートする。 まず、白蟹村の人々がなぜそこまで「まつろわぬ」のか、その説得力ある描写が皆無なのが、致命的である。「閉鎖的な村ってそんなもんだよ」と言われりゃそれまでだが、読者がそんなことを常識視する社会に生きているわけではないことは、実作者としては考えておいて然るべきことではないのか。 主人公の刑事の行動が分らない、と書いたのは、真相に近づくたびに何者かから何度も殺されかけたというのに、ラストシーンでは「自分が命を狙われるとわかっている場所」にわざわざ出かけていっていることである。いくら仕事熱心だからと言って、捜査本部が解散された事件で、あそこまでストーカー的な調査を繰り返すというのはどういうことなのか。彼の行動はいちいち偏執狂的である。 ずっと昔、なにかの雑誌の座談会で、藤本泉が「横溝正史の『八つ墓村』が好きだ」と語っていたが、あれも横溝作品のほかのものに比べたらミステリとしてはやや落ちるものだったが、土俗性は最も濃いものであった。……本人は無自覚なのかも知れないけれど、この人、本当はミステリが書きたいわけじゃないんだろうねえ。……多分。
2000年11月13日(月) 泣いてるようだが怒っているのです/『藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版』4巻
| 2001年11月12日(月) |
だからアメリカは戦争好きなだけだってば/『ザリガニマン』(北野勇作) |
オタアミ当日まであと12日! 12日しかないのだ!
朝、鏡を見て、つくづく白髪が増えたなあ、と思う。 去年から今年にかけて一気に増えて、1年で5歳はトシを食ったみたいに頭は半白状態。 しかもこの休日の二日、ヒゲを剃らないでいたらいつの間にかヒゲの中にも白髪がチラホラ増えている。うわあ、ついにヒゲまで来たか。初めてヒゲ剃ったのだってついこないだだって気がしてたのに。 こういきなりだと、江戸川乱歩の『白髪鬼』もあながちウソじゃねーよな、と思えてしまうんである。 白髪もそうだが、髪自体がすっかり薄くなってしまって、そのうち禿げるのは時間の問題。オヤジもすっかり薄くなっちまったし、ジイさんがだいたいツルっパゲだったし、まあ覚悟はしてるんだが、しげが「デブでも○○でもギャランドゥでも構わないけどハゲだけはイヤ」と、愛情のカケラもないことを言ってくれてるので、ヨイヨイになったころには見捨てられるのはまあ間違いのないことだ。 胡蝶の夢だね、人生は。
北野勇作『ザリガニマン』(徳間デュアル文庫・500円)。 「デュアルノヴェラ 新・中編シリーズスタート!」とオビには大きく謳ってるけど、中編で200ページ足らずで500円ってのはいくら文庫の値段がひと昔の単行本並になったからって言っても、ちょっとボリ過ぎじゃないのか。それともこういう新シリーズを出したってことは、デュアル文庫、そんなに売れてないのか。今んとこ一番充実したSFシリーズ出してくれてると思ってたのになあ。 紙質がいいから、この値段でも仕方がないのかもしれないけれど、せめて380円くらいにしてほしいなあ。昔のジュブナイル文庫っていったら、200円くらいで買えたんだから。 それはさておき、書き下ろしの本作、『かめくん』の姉妹編である。 なんとなく日常の中でそこにいて、何となくたまに人類の敵と戦って、なんとなくいなくなるメカかめくんの、何となく温かいような切ないような、ちょっと言葉にしにくい味わいの前作は、読後の感想も本を読んだような読まなかったような、すぐ忘れてしまいそうな忘れられないような、淡くて愛しい感じの作品だった。 かめくんの敵はザリガニだったけれど、どうして敵がザリガニだったのかは、この『ザリガニマン』で明らかにされる。オチの部分に関わるのでハッキリとは書けないが、結局は愚かな人類が自分で撒いたタネだった。しかもモチーフが『うる星やつら2』。自分の今いる現実があまりにバカバカしいなら、フィクションの世界に生きたっていいじゃないか、現実をフィクションで塗り替えたっていいじゃないか。多分こういう感覚、相当我々の世代の脳ミソに刷り込まれてしまってるんである。 まあ、そのフィクションが主人公のトーノヒトシにとってみれば、必ずしも「ザリガニマン」なんてダサイものであってほしいわけはなかったんだろうが、思いついてしまったものは仕方がない、“生み出された虚構は必ず現実として存在する”というフレドリック・ブラウンの『発狂した宇宙』説が、ここでも生きているというわけだ。 面白かったのか面白くなかったのか、笑えたのか泣いたのかよく分らない、でもそのメロドラマに行きそうで行かない、その寸止めの筆致が、北野勇作の特質なんだろう。そこはやっぱり好きなんだろうな、私は。
まだ月末になったわけでもないのにもう財布の中はカラッケツ、しかたなく買い置きの小エビとグリンピースを薄口醤油とみりんで煮詰めて、卵でとじて食べる。ああ、これは久々のヒット料理かも。けれどマメ嫌いのしげはちょっとつまんだだけで食べないのであった。この偏食はもう一生治らんのだろうな。
しばらく仕事が忙しくて、テレビのニュースも見ていなかった。 CSのニュースチャンネル、同じニュースを何度も流してくれているので初めに聞き逃しがあっても安心。新聞を読んで確かめたりしなくても、結構、事件の細部まで確認できる。 埼玉で、スーパーダイエーの屋上から、下の立体駐車場に女子中学生二人が飛び降り自殺のニュース。 遺書らしきメモが十数枚残されていたそうだが、ニュースで取り上げるのは当然のように内容をごくごくかいつまんだだけ。要するに「生きていく意味が分らない」ということだそうだけど、十数枚の内容がそれだけで説明できるはずもなし、やはりマスコミはプライバシーの関係で肝心なこと隠してるんじゃないかと勘繰る。 9割9分の確率で、この二人、多分レズだろうね。 「クラスでイジメにあっていた」「二人だけヘンな浮き方をしていた」などの周囲の証言とも一致するし。だとしたら、いつもは自筆の遺書が残ってればそれを堂々と公開するマスコミが、今回に限って「自粛」した報道をしていることの理由も納得がいく。 だからこれ、「自殺が二人」じゃなくて「心中」なんだと思う。「親から勉強のことで叱られた」っていうのも、「二人の仲をとがめられた」と読み替えた方がいいし、「生きてく意味が分らない」っていうのは「ほんとは二人で生きていたかった」ってことだろう。死んでもなお二人の真実が隠されたままってのはそっちの方がずいぶん差別だと思うんだけどな。仮に二人がレズじゃなかったとしても、自殺の動機が隠されてることは紛れもない事実だし、中途半端に隠すくらいなら、報道すること自体、控えたらどうなんだろうね。
またまた某巨大掲示板にこの日記がコピペされる。 今度はミステリ関係の本の書評だった。 どういうものがコピーされるかと思ったら、たいていはある作品をクソミソに貶した場合に限るようだ(^o^)。誉めても「あ、そう」で終わるけど、貶すと「よう言うた!」って感想を抱く人が多いみたいなんだね。 でも、お客さんがたくさん来てくれるのはいいのだが、こちらの掲示板やメールの反応が全くないのはちと寂しいな。これが私がうら若い女性だったら、からかいの書きこみがドドドっとあったろうに。 ……実は私って、現役女子高生のぴちぴちぎゃるだったんだけど、信じる?
日記を書いているうちにだんだん頭痛がして来る。 どうも風邪を引いたらしい。出来るだけ早いうちに日記を更新しようと思うのだが、どうにもパソコンの前に座っているのが苦痛になって横になる。
……と思っていたら11時過ぎ、またもやとんでもないニュースが。 はい、アメリカでの飛行機墜落の事故です。 でも、リアルタイムで見ていると、情報が錯綜している様子がよく分るね。 初め女子アナが「アメリカン航空ボーイング767型機が着陸間際にクイーンズ地区に墜落」って繰り返し喋ってたけど、すぐに「587便エアバスA300型機」と訂正された。 それどころか、現場にいた人間が「ヘリコプターが飛行機を撃墜したのを見た」とか言っている。……んなバカなことあってたまるか。武器がないからこそ乗っ取りテロやったってのに、テロリストたちがヘリを扱えるわけないし、第一、それならそのヘリでホワイトハウス狙うに決まってるじゃないか。たかが民間機墜落させてどうする。 事故かテロかはよく分らない、と報道してるが、これで分るのは、アメリカ自身、「テロや戦争を無意識のうちに望んでる」ってことだ。ああ、また連日あの既知外どもの百万言を聞かされなきゃならんのかね。
2000年11月12日(日) せめて漢字くらいは……
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日記・日記・日記/アニメ『サイボーグ009』第5話/『八犬伝』13巻(碧也ぴんく)ほか |
オタアミ当日まであと13日! 13日しかないのだ!
今朝も『パワーパフガールズ』を見逃す。 年々体力が衰え、エアチェック一つするのにも気力体力を使うようになると、もう、DVDが出るのを待とうかって気になってくる。 けれど、そんなこと言ってたら、ちょっと気に入った番組は全部買ってかなきゃならなくなる。そんなのは物理的にムリな話だ。 今放送されてる番組だって、DVDが出るのを全部買ってったら、ハンパじゃない額になる。 ……いいアニメなんだけど『コメットさん』買うのは勇気がいるし。『ナジカ電撃作戦』も別の意味で勇気がいるし(アニメージュに付いてたポスターもしっかりパンチラ・モリ○ンだったぞ。いいのかホントに)。 それを考えると『009』はなんて無難なアニメなんだ(^_^;)。
『仮面ライダーアギト』第40話。 アナザーアギトのエピソードも意外とあっさり終わっちゃったなあ。 残り10話強というところで、展開も早くなってるけれど、翔一をアギトと知った氷川の対応、ちょっとギャグにし過ぎじゃないか? 何となく意地を張っちゃうからと言って、なんで栗を皮付きで食わなきゃならないのか、どうもギャグセンスがちょっとズレてんじゃないかって気がしてしょうがない。 しかし、正体がわかったからと言って、アギトに変身したあと翔一の声で喋られても、違和感があって仕方がない。今まではずっと黙ってたから、変身後は人格の変化もあるのかなあ、と漠然と納得してたんだけど、あのアギトのままで「一緒に戦いましょう!」って青春野郎なセリフ吐かれてもなあ。 けれど残り話数が少なくなってきたということは、キャストのみなさん、次の仕事を探さねばならない時期に来てるということだ。ちゃんと、秋山莉奈ちゃんのプロダクション、今後の展開考えてるんだろうな? またぞろ数年後にはアダルト、なんてことしてくれるなよ!
『もーっと!おジャ魔女どれみ』第39話「学芸会!主役はだーれ?」。 チラチラ見てたけど、久しぶりに本格的に腰を据えて見た気がするなあ。 ……いつの間にかまた変身ポーズが変わってやがる。ピンクレディーじゃあるまいし、ワンクールごとに振り付け変えて客の気を引こうなんて姑息なワザは使わんでほしいものだが。 学芸会の演目を、ぽっぷが提案した『長靴をはいた猫』と、えりかの主張する『シンデレラ』とで争うのだけれど、これはもしかして「東映動画」と「ディズニー」の戦いの暗喩か? カングリ過ぎかもしれないが、『シンデレラ』に軍配が上がったっていうのは、一応ディズニーの顔を立てたという感じがしてしまう。 それにしても相変わらず作画レベルは素晴らしくいいなあ。バンクの変身シーンがやたら長いおかげで、作画枚数が稼げてるからかもしれないけれど。
『コメットさん☆』第33回「時には王女のように」。 ながながと続いたミラとカロンの姉弟編、今回で完結。 のわりにはイマイチ盛り上がりに欠けてるんだよなあ。 問題は話に一本筋が通ってないせいだと思う。バトンの大会に向けて練習を続けているコメットさんたちだが、問題点が三つあった。メンバーのみちるがなかなか上達しないこと、大会出場には選手が6人必要なのだけれど、あと一人足りないこと、ミラとカロンがもうすぐタンバリン星国に帰らねばならないこと。 はっきり言って話を詰め込み過ぎである。メテオさんにメンバーに入ってもらうことで、最初の二つはクリアできるのだけれど、これだけで充分30分一本の作品になる。ミラとカロンの話が絡んだおかげで、印象が散漫になってしまった。 しかも、二人が帰る時期を遅らせてもらうために王女の権威を利用して使者に承諾させる(たとえ礼節を尽くしての対応だとしても)というのは、解決策としては卑怯ではないのか。 メテオさんも、今回はコメットさんたちに翻弄されるばかりで精細を欠いていた。魔女姿になったり王女の正装をしたり、バレエダンサーみたいなスタイル(バトン大会なのになぜ?)になったりとコスプレ的には楽しかったんだけれども。
昼間はひたすら日記の更新。 ほぼ一週間分ほど溜まっているので、一気に行きたかったんだが、長いこと画面を見つめているとだんだん目がチカチカしてくる。二日分ほど書いたただけでダウン。今週中に追いつくかなあ。
TVQ(テレ東系)で『最強の漫才大全集』の再放送。 先日、本放送を録画しといたんだけれども見返してなかったので、ここで見る。今見てもダイマル・ラケットの漫才が面白いってのが正直言ってすごい。やりとりのテンポはやすきよに比べりゃ超スローテンポなんだが、余裕があるのな。 ああ、そうか、カウス・ボタンの妙にゆったりした間の漫才は、ダイラケ譲りだったんだな、と今回初めて気付いた。全く、お笑いに関して日頃からエラソウな口きいてるわりに、不明な点は未だに多いのである。 現在、主流となってるぶつかり合うようなアップテンポの漫才のベースは、てんやわんやあたりから始まっているらしい。それを世間に浸透させていったのはやはりやすきよの功績なんだろう。けれど私が好むのは、いかにもゆっくりと、「なにかたくらんでる」ような雰囲気を漂わせるピカレスクな漫才なんであり、ダイラケ→カウスボタンや、岡八郎&花紀京の系譜なのである。……東京でこの味が出せるのはやっぱり爆笑問題だけだろうなあ。
しげが練習から帰ってきたあと、AIQのチラシを置ける店はないかと博多駅近辺を回る。 本当は某書店を頼みにしてたんだが、「ウチは基本的にそういうことはしませんので」のヒトコトでニベもなく断られる。けれど、駅近辺でオタクが来そうな店って、もう殆ど見当がつかない。しげは「イベント関係のとこじゃないと無駄じゃない?」と言うが、その「イベント関係」の場所ってのと「オタク」の溜まり場ってのが必ずしも重ならないから困るのだ。前において貰ったトコロもいまいちチラシが減ってないらしいし、どうしたらいいのかなあ。
ウサ晴らしにキャナルまで足を伸ばし、福家書店で本を買いこむ。 ここでも『なんてっ探偵アイドル』6巻はもう売りきれ。そんなにヒットしてるのか、『なんてっ探偵アイドル』。でも必死になって探すのもなんだか恥ずかしいんだよなあ、『なんてっ探偵アイドル』。三度も言うなよ(^_^;)。 そう言えば『ゲートキーパーズ』の2巻も買い忘れてたぞ。 ……私もなんでこうもどうでもいいマンガばっかり買ってるかな。 しげからも「あんた時々ホントにどうでもいいマンガ買うよね」と言われるが、ある日いきなり『ナニワ金融道』だの『ミナミの帝王』だの『本気!』だの読み出すやつに言われたかないって。
ケンタッキーで食事。 昔はホントにチキンしか売ってなかったけど、今はハンバーガーだのなんだの売ってて、軽食には丁度いい。というか、イマドキはメインのチキンの方が焼き過ぎで身がパスパスになってて不味かったりする。 きのこのグラタンを頼んでマンガ読みながらゆったり。
マンガ、和田慎二『ピグマリオ』5巻(メディアファクトリー・819円)。 わあ、和田慎二に初めて感心したぞ。 本筋とは関係のない番外エピソード『クルト歩く岩と出会う』。 これがもう、ドラマ展開、描写ともに素晴らしいのヒトコトに尽きる傑作。 物語はタイトル通り、クルトが巨大な「歩く岩」に出会うところから始まる。なんとなくその上に乗ってしまうクルトだが、突然、黒づくめの一団に襲われる。男たちはその「岩」の持ち主で、クルトがその「岩」を盗み出したと思いこんでいたのだ。 はたして「岩」はどうやって、なぜ歩いていたのか。 それはあえてここには書かないが、この作品が傑作たりえたのは、これが一つの「寓話」でありながら、たとえばなしには収まらない、強い「真実」を訴える力があったからだろう。 本筋の方は小さなオリエとの再開で、また新たな展開が望めそうな気配。でも本筋に戻るとまたいつもの説明過剰のつまんない話になりそうだから、ときどき短編の番外編を載せてってほしいと思う。……って、とうの昔に完結してるんだからそりゃムリな話だよなあ。
マンガ、滝沢馬琴原作・碧也ぴんく漫画『八犬伝』13巻(角川書店・880円)。 ついに八犬士勢ぞろい……って、なんか盛りあがらないなあ。 最大の山場と言ってもいい、蟇田素藤のキャラクターがただの小悪党の域を出ない、陳腐な造型で、到底八犬士の敵ではない、と思わせるところが弱点。 妙椿もあっさり殺されちゃうしなあ。アニメ版と離れて、独自の展開するはずだったのに、これじゃアニメの方がなんぼか上だ。 けどあと2巻、おそらく扇谷定正との安房大戦を描くんだろうけど、これが原作の方でもやや散漫な印象を残すところなんで、オリジナルになって構わないから、今度はキッチリとクライマックスに持っていってほしいものだ。
TVQでアニメ『サイボーグ009』第5話「鋼鉄の涙」。 はあはあ、なるほどなるほど。 各キャラクターの過去のエピソード、こうやって小出しにして紹介していくのだな。 004、アルベルト・ハインリヒ。 東ベルリンから西ベルリンへの亡命に失敗し、恋人ヒルダを殺してしまった、サイボーグたちの中でももっとも苛酷な過去を持つ彼だが、アニメでは「ドイツ」の「ド」の字も出て来ない。これはやはり歴史的整合性を考えた上での「ボカシ」なんだろう。けれどあえて国名を出さなくても、ヒルダの「自由なのね……私たち……」の最期の言葉で、充分暗示はされている。少なくとも過去の歴史を知ってるものにとっては。 若い人にはこの「亡命」ってことの感覚自体がピンと来ないかもしれないけれど、アニメの中で社会情勢をクドクドと説明するのも興醒めだろうから、この程度の描写が限界かも。 原作では0011はあっという間に倒されちゃうので、1話持たせるのは苦しいんじゃないかと思ってたら、一度倒されたのがまた立ちあがる、という展開に変更。でもこれは必ずしも成功していない。どうして一度倒されたのに復活できたのかも描写不足でよく分らないし、004がトドメをさせなかったってのも、0010相手には遠慮なくミサイルぶっ放してたくせに、と、ちょっと一貫性に欠ける。やや脚本が迷走したようで、004とコズミ博士の囲碁を挟んでのやりとりが楽しかっただけに、今話は特に惜しい出来だった。
TNCアニメ『ワンピース』第87話「VSワポル軍団!バクバクの実の能力!」。 2週ほど見逃してる間にヒルルクの話は終わっちゃったみたい。チョッパーの回想シーンでチラッと出てくるけど、演出はそう悪くなかった感じだ。見逃して損したかもなあ。 このワポル編は、原作でも悪役のキャラがいまいち立ってなくて(ワポルですら中ボス程度のイメージしかない)、戦い自体にはあまり盛りあがりがない。その分、「チョッパーがいかにして仲間になるか」って描写に説得力を持たせることが出来るかってことなんだけど、原作は明らかにそれに失敗してたが、アニメも原作通りだったために、見事にその轍を踏んでしまっている。 つまり、あの「海賊の旗」なんですね。 ワポルがふっ飛ばそうとした旗を、意地でも倒さなかったルフィーだが、いきなり「おまえなんかが汚していい旗じゃないんだ!」て叫ぶのがあまりに唐突過ぎるんだよねえ。ヒルルクのこと、ルフィーは知らなかったはずだし。 あれじゃルフィーはただの既知外だ。顔も完全にイッちゃっててコワいよ。 そもそもあのマンガの世界における「海賊」の概念がワザと不明確にしてあるところが物語の曖昧さを助長しちゃってるのた。……「海賊」って結局「賊」じゃないわけ? 悪いことするキャラは少年マンガじゃ御法度なんだろうけど、盗みを働かない「海賊」なんて海賊じゃなかろうに。
『笑う犬の楽園』、前回のアレンジバージョンのコントばかり。定番ギャグがあるのはいいけど、それ以外のオリジナルも毎回入れてけよ。番組自体、硬直化するぞ。 『知ってるつもり 山田風太郎』、ゲストの解説コメントが極力押さえられてるのはいいけど、やたら挿入される風太郎語録、たいてい知ってるものばかりで新味がない。 しかもその「死生観」にだけスポットを合わせている。ちょっと紹介に偏りが あるんじゃないのか。や、山田風太郎ってのはねえ、その程度のヒトじゃないんだよ、わかってるかあい?
2000年11月11日(土) 今日はなんだかイタイ話ばかり/『ZERO』(冬目景)ほか
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AIQ機動!……いや、とっくにしてるんだけども/『不死身探偵オルロック』(G=ヒコロウ)ほか |
オタアミ当日まであと14日! 14日しかないのだ!
気がついたらひと月くらい医者に行っていないのである。 最近体調が悪いのは薬が切れてるせいかと気付き、慌てて出かけることにする。 「お〜い、しげ〜、医者行くけど車出してくんない〜?」 「なん、連れてってほしいとね?」 しげ、フフンと鼻で笑って嬉しそう。 私がモノを頼むと決まって機嫌がよくなるのは、常に人の上に立っていないと気がすまないしげの「一番病」(c.水木しげる)であろう。 ……しげが手塚治虫をキライなのも同属嫌悪なのだろうな。
病院と言っても、検査はしても結果が出るのは翌日以降だから、薬を貰って帰るだけである。どっちかと言うと、しげと買いものをするほうが目的なので、そのまま博多駅に向かう。 「……ちょっと待って、博多駅に行くの?」 「うん。紀伊國屋で買い忘れてる本買いたいんだけど」 「どこ停めるん。道はあ!」 「道はあるだろ」 しげが初心者マークであることを無視して、キツいヒトコトをカマすと、地図を見ながら駅前へ向かったが。 「はい、そこを左に曲がれば、道が……道が……ない……(・・;)」 道路工事で、川に架かっていた橋がキレイさっぱりなくなっていたのだ。 「道ないじゃん!」 こういう偶然のギャグをカマされると、神様はいるなって気がしてくる。多分、パタリロみたいな顔をしてるんだろう。
博多駅前でパーキングを探して駐車。 しげは初めて博多駅まで来れたと有頂天である。 「紀伊國屋」での目当ては碧也ぴんくの『八犬伝』13巻だったんだけれど、売り切れてるのか見当たらない。北崎拓の『なんてっ探偵アイドル』6巻もない。来ただけ無駄だったかな、と思って本棚をつらつら眺めていたら、『不死身探偵オルロック』のタイトルを発見。 ネットでお知り合いになった方の日記に、この作品が紹介されていて、『サイボーグ009』のパロが載ってるとか。それだけで買っちゃうというのも衝動買いに近いような感じだけれど、表紙の絵がゲテゲテしてるわりに線がスッキリしてたので、興味が湧いて買う。 DVDコーナーに行くと、『パールハーバー』発売のチラシが。 しげが目をウルウルさせて私を見つめながら、意を決したように囁く。 「……ねえ、たったワンシーンのダン・エイクロイドのために『パールハーバー』買うって言ったら、バカかな」 「そりゃバカだろ」 バカだが結局買うことになるんだろうなあ。 しかし、ダン・エイクロイドが出てれば必ず買う、ということになるのなら、たとえどんなクソ映画でも買っていかねばならなくなるのだ。 ……『アルマゲドン』とか『タイタニック』にダンが出ていなくてよかった……ってまだ見てないんだけど(^_^;)。
車に乗せてもらうようになって便利になったことは、移動しながら本が読めるようになったことである。これまでは自転車に乗っての移動が殆どだったから移動時間がもったいなくて。 車中で買ったばかりの『オルロック』を読む。
マンガ、G=ヒコロウ『不死身探偵オルロック&プロフェッサーシャーボ』(エンターブレイン・703円)。 パロディネタが古かったり新しかったりで、作者が何歳なんだか見当がつかん。コマの間の取り方がいかにも同人誌で、多分そっちから出て来た人じゃないかとは思うんだが、性別もよくわからんし、絵もいろんなとこから影響受けてる感じで特定しにくい。要するに正体不明。 マンガ読む場合、作者がどんな人かってこと、あまり関係ないじゃんと言われるかもしれないけれど、パロディマンガの場合は世代ごとの作品に対するアプローチの仕方の違いってものが、作品の評価に直結する場合もあるので、そう無視していいもんでもない。 もちろん「オルロック」って名前使ってるからって、映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』に思い入れがなきゃならんってことはないんだけれども、『マジンガーZ』や『名探偵カゲマン』、『ワンピース』、『フータくん』、『幽戯王』などなど、パロディにする対象に脈絡がないのが、ちょっと気になる。日野日出志のパロなんか、「ファミ通ブロス」で描いてどれだけの読者がわかるのかなあ。ちょっとひとりよがりになってて、パロディにしきれてないところが結構あるのだ。 けど描きなれてくうちに間が一定しない「同人誌グセ」も抜けてくだろうし、これから伸びて行きそうな感じはある人だと思う。へたにパロディやらなくて、普通のギャグマンガ描いてみたらいいんじゃないのかなあ。 ウチの近所の知り合いの本屋に寄って、今月の『アニメージュ』と『ニュータイプ』を買う。『アニメージュ』にはスタジオジブリの新作の紹介がちょこっと。『ハウル』と題された新作の監督は『デジモンアドベンチャー』の細田守。 以前も『海が聞こえる』で外部に監督を依頼したことはあるが、「新しい血」を求めようとするジブリの苦悩が見えるようだ。 記事を紹介してるのは高校の先輩の高橋望さんだが、この人も一度ジブリを辞めている「出戻り」なのである。いかにも順風満帆に見えるジブリだけど、中の事情はいろいろあるようなんだね。 フロクで定番の新番アニメソングブックがついてんだけど、歌える曲がイッコもねーよ。もちろん、「知らない」んじゃなくて「歌いたくない」のだ。『009』をどーして裏声で「やーくーそーくーのー、あのばーしょでー、もーおーいーちーどー、かんじてー」とか間延びした歌い方せにゃならんのだ。 おじさんは悲しいよ。(T^T)(^T )(T )( )( T)( T^)(T^T) ヒュルルルル……。
スーパー大栄で食料を買い込む。 しげはひたすら肉・肉・肉。私も一応肉は買うが、他にもエビだのマメだの、いろいろ種類は取り揃えるようにしているのだ。この世に肉屋だけあればいいみたいな単調な食事で、しげはサビシクないのだろうか。
帰宅して、劇団ホームページの連載小説をちゃちゃっと仕上げる。リレー小説なのに、前回書いたところからてんかいにあまり変化がないので、思いきって登場人物を何人か殺す。次回、オチを書かねばならんのは私なんだが、その段階で10人も20人も人間を書かなきゃならんようになっちゃタマランからだ。 でもおかげで話が『エヴァンゲリオン』モドキになってきた。あまり似ないようにどう変化させてオチをつけるか考えるのは結構大変だと思うんである。他のメンバーのみなさん、あまり私に苦労させないで下さいね(^_^;)。
アニメ『バンパイヤンキッズ』第5話「バンパイヤンハンターと対決ゾヨ」。 やっぱりアタマから見てないと細かい設定が解らない。 バンパイヤンのパパさん、風船見て狼男に変身しちゃったけど、バンパイヤンって吸血鬼じゃないのか。 バンパイヤンハンターのゴドーとヘルヘル(この爺さんが「ヘルシング教授」の役回りなのかな?)が今回から新登場らしいのだが、こいつらの話聞いてても、どうしてバンパイヤンが退治されなきゃならないのかがよく解らない。要するにモンスターだから? となると、今後お話は「モンスターだって仲間なんだ!」みたいな方向に流れそうで、ちょっと興味は半減。裏番組の『カスミン』1本に絞るかなあ(って、録画するばかりでろくろく見返してないけど)。
さて、いよいよ「オタクアミーゴス!」公演2週間前ということで、今日は8時からAIQの会合がある予定。 しげと二人で待ち合わせ場所の天神地下街中央広場に十分前に着くが、まだどなたの姿も見えない。 さては、と福家書店を覗いてみたら、アンジェリーナさんがおられた。 「誰か福家にいるかと思って」とおっしゃってたが、誰の考えることも同じである。 時間ピッタリにしおやさん、エロの冒険者さんが合流して、打ち合わせは地下街のロッテリアで。遅れてぴんでんさん、ゴクウくんも合流。 福家書店でのチケットの売り上げ、現時点で昨年より30枚ほど少ないようなのである。販促がうまく行ってないということもあるのかもしれないが、どうも福岡のオタクの方々の食い付きがイマイチな気がしてならない。潜在的なオタクはもっともっと多い気がするのに、こうも売り上げが伸びないというのはやはりこれも不況の影響だろうか。 ウチの劇団のメンツもチケットを買ってくれない、それどころかみんなプータローばかりで劇団の月千円の会費も払わない、という話をしたら、しおやさんから「情熱がないのか」とキビシイことを言われる。客観的に見てもそれはそのとおりなんで、もちっとなんとかならんかとは思うのだが、実際、みんな悲惨な生活してるからねえ。けど少なくとも○○○○○○○で○○○○○○○○になって、○○○円○○○で、○○作ってるアホンダラからは多少は搾り取ってもいいかもしれんとは思う。
まあ、それはそれとして、お互いなかなか打ち合わせの時間が取れないとは言え、当日の役割分担が2週間前というのは準備という点で心細い。お話を伺う限り、当日の舞台、殆どエロさん、ぴんでんさんにまかせっきりになりそうだが、お二人に事故があったらどうするか。 我々夫婦は警備の係になったので、直接機材のことについては口は出せないが、いざという時、近所から機材をレンタルできるところを確保しておくとかしてあるのだろうか、とか余計なことが気になる。 MCはZUBATさんにお願いしたいということだが、いろいろとご都合もあろうに、当日は絶対来られるものとみなさん決めつけている。多分私もその通りだとは思うが(^_^;)、やはり次善の策は講じておく必要があるのではないか。もちろん、エロさんにやっていただく以外ないのだが(^o^)。 しげは私よりも神経質で、当日のタイムスケジュールが判然としないことに不安感を抱いている。もちろん、フタを空けてみねばわからないことも多かろうが、あまり交替などは気にせず、定位置で動かないスタッフもいたほうがいいとは思うんである。 昔、ある上映会を企画した時、私がリーダーみたいな役割だったおかげで、映画館のロビーに控えっぱなしで全く映画が見られなかったことがあったが、スタッフってのはそんなもんだと思っているのである。 ……なんでこんなこと言ってるかというと、去年のオタアミで、スタッフが会場の比較的前の方で観覧していたのを唐沢俊一さんが「スタッフがあんないい席で見てる!」って見咎めたってことがあって(もちろんギャグでなんだけれども)、それが気になっちゃってるからなんだね。やっぱ、スタッフは控え目にしてないと、「きらら博」の二の舞になっちゃうと思う。
打ち合わせが一通り済んだので、某居酒屋に移動して(名前を明かしてない理由はおわかりですね。ハイ、貶すためです)、ひたすらオタクばなし。 といっても面白い話は殆どぴんでんさんの○○話なので、なかなかここには書けなくて困る(+_+)。 「いやあ、今、一番純な人たちって、○○○○○関係の人ですよ」 私はよく分らないから、頷くしかないのだ(^_^;)。 東京、札幌のオタクアミーゴスにまで出張っていかれているので、そこでのネタの報告もしてくださるが、これも他言無用になっているので、やっぱり書けない。なんでも札幌のお客さんはエロネタだと引くそうだが。根性座ってないぞ、北海道人。 全体、オタクアミーゴスの宣伝をしたくても、そのネタ自体、門外不出、禁断の過激ネタが多いのでやるにやれないのだ。こんなに面白いのになあ、どう面白いか具体的に言えないんだものなあ。 エロさんから新購入のプロジェクターPIANOで再生した『ウルトラQ』がいかに美しいかを聞かされて垂涎の思い。こういう話を聞くにつけ、いつかオカネモチになりたいとは思うのである。
それにしてもこの居酒屋、店に入って案内されたはいいものの、そのままほったらかしでおしぼり一つ持ってこないわ注文は取りに来ないわ頼んでも品はないわ、いくら忙しくて人手が足りないからって、ほどがあろうってものである。おかげでゴクウくんがパシリになって注文取りに行ったり来たり。ぴんでんさんから「おまえは今からおれのロプロスだ!」と名前を勝手に変えられる始末(^o^)。 今、流行りのトンとろ、これはまあ美味かったが、所詮はキワモノ、値段が安いこと以外でとりたてて目玉になるような料理もないのである。 初めはここをオタクアミーゴスのお三方のご接待に使う予定だったらしいが、即座に中止決定。しかしそうなると今からまた一席設ける店を探さねばならないということで、これはなかなか大変なことである。 今日初めて知ったことだが、岡田斗司夫さん、魚類が全くダメなんだそうな。博多の有名どころの店というのは、たいていが魚料理の店なので、これはイタい。私のように酒を全く飲まない人間は、もともと宴席になるような店自体、よく知らないのである。場所探しはほかのみなさんにお任せするしかないようである。
しおやさん、アンジェリーナさんとはここでお別れ、残りのメンツでカラオケへなだれこむ。もちろん、それから先は予想通りのアニソン大会。 自然とみなさん熱唱系になる。ロプロスくんの超ハスキーボイスの『一休さん』は必聴。 けれど私がつい、ふざけてボイスチェンジで『悲しみよこんにちは』を女声で歌ったものだから、急にみんなノッて女性ボーカルの歌を歌いまくる(^_^;)。 エロさんの『愛・おぼえていますか』、これももうなんというか、つまりその、ともかく必聴(^^*)。
気がつけばもう午前2時。 帰りは天神から博多駅まで1時間ほどずっと歩いたのだが、さすがにしげが「眠い、トイレ行きたい」と言い出したので、タクシーを拾って帰る。就寝はもう4時。 明日が休日でよかった(´o`;)。
夕刊に左幸子死去の報。死因はがんのため。享年71歳。 一般的には美人とは言えないのかもしれないが、私の個人的な趣味ではこの人の顔(というか表情)は大好きだった。 妹さんの左時枝も、娘の羽仁未央も好きなんで、私はこういうツリ目でちょっとケンのある顔にヨワイのかも知れない(じゃあ石野真子ファンなのはなぜなんだ)。 「演技派」との評判は、もっぱら、今村昌平監督『にっぽん昆虫記』、内田吐夢監督『飢餓海峡』の2本の名声によるところが大きかろう。前者は未見だが、後者は社会派推理の名作との評判に騙されて(ミステリじゃないやんけ)ワクワクしてみて、見事に肩透かしを食らった。 伴淳三郎の演技も『どですかでん』の時のような余裕がないし、三國連太郎の殺害動機も弱い。唯一、救いだったのが、左幸子のかわいらしさだった。 うん、あの映画の左幸子って、ともかくかわいかったのよ。内田吐夢が凄かったのは、はかなげな印象の売春婦・杉戸八重に、バイタリティの塊みたいな左幸子を配して、なおかつそこに永遠の少女性を与えたことだろう。 「犬飼さんだ! やっぱり犬飼さんだ!」 ただ一人自分に優しくしてくれた犬飼多吉を抱きしめながら死んでいく時のその叫びの切なさ。この愛と殺人が交錯するシーンを、後続のミステリ作家がどれだけパクったことか。 左幸子はこういう「突っ張ってるけどかわいい娼婦」のイメージを、『幕末太陽伝』の「三枚起請」の花魁役で既に演じてたりする。最近は「熟女バトル」の代表の一人みたいな感じでテレビに出ることも多かったけれど、それでも何となくかわいらしさは滲ませていた。 うん、誤解してる人も多かったかもしれないけれど、かわいい人なんですよ。左さんは。
2000年11月10日(金) 今日は本読みすぎて感想書ききれない/『クトゥルー怪異録』(佐野史郎ほか)ほか
| 2001年11月09日(金) |
いちまんななせんえんの幸福/『GUN BLAZE WEST』2・3巻(和月伸宏)ほか |
オタアミ当日まであと15日! 15日しかないのだ!
昨日の日記に書き忘れた分。 しげ宛ての封書が届いていたのだが、これが西日本新聞社からの通知。 いったいなんじゃらほいと覗いてみると、中味は「ドイツ・ザクセン=アンハルト歌劇場オペラ『さまよえるオランダ人』」の招待状。 「あ、これ、『ファントム・ペイン』の時のアンケートに答えたやつが当選したんだよ!」 ああ、そう言えばそんなの書いたっけ。 しかし「当選」? マジかよ。 しかも「S席2名」ってことは……い、い、いちまんななせんえんのせきをにまいいいいい!? 西日本新聞、なんちゅー大盤振る舞い! いやあ、しげってこんなにクジ運よかったっけ。まるで毎回福引で海外旅行が当たる野原しんのすけ一家のようだ。オペラだから当然全部ドイツ語なんだろうけれど、字幕は一応つくみたいだし、何より本格派のオペラを見られる機会なんてそうそうあるもんじゃない。 こりゃなんてラッキー! ……と思いきや、日時が11月16日、平日の金曜日で、開場が5時半、しかも場所が福岡サンパレス!? 仕事があるじゃん! 遠いじゃん! どーやって行けっちゅーの! ……ううう、これはもしかしたら仕事によっては行けないかも……(TロT)。 しげも「バイトを休まなきゃなんないじゃん、『芝居があるから休ませてくれ』なんて言いにくいよう」と悩んでいる。 全く、勤務時間も終わってるってのに、夕方からちょっと遊ぶくらいのこともままならない生活なんて馬鹿げてるっつーの!
朝は晴れていたのだが、夕方からポツポツと雨模様。 こういう時、しげがクルマで送り迎えしてくれるのは嬉しいなあ、と思っていたら、帰る時間になってもしげが迎えに来ない。 どうしたのかと思って自宅に電話したら、息も絶え絶えな声が電話の向こうから聞こえてくる。 「ああ……ごめん……なんか、むっちゃ疲れて、迎えに行けん……」 「なん、どしたんね」 「わからん……でも、たぶん疲れてるだけ……帰れるんやったら自分で帰ってきて……」 帰れるんやったらって、じゃあ「帰れん」と言ったら迎えに来れるようになるのか。ンなわけないじゃんか。 仕方なく一人で帰ることにするが、バスと電車を乗り継ぐと、クルマで家まで15分のところが、今日は雨天で車の進行が遅くなったせいもあったのだろうか、なんと2時間かかる。 ……遠回りにもほどがあるぞ。
なけなしの金をはたいて弁当と栄養剤を買ってくるが、食欲のないしげは口をつけようとしない。 具合が悪くても仕事には行くようだから、ちょっとくらい飲んでいけばいいのに。 ふと気がついて訊いてみた。 「『ナジカ』見た?」 「うん、見た」 ……ビデオ見る元気だけは残ってるんじゃないか、このガキゃ。
CSキッズステーション『ナジカ電撃作戦』MISSION 005「深紅に染まる水平線ははかなき夢と共に」 わあ、これまでも面白かったが、この第5話、今までで一番の傑作だぞ。 これまでの話だと、第1話を除けば「ヒューマリットは誰?」というミステリ的興味で引く部分が大きくて、前半はやや動きに欠ける部分があった。それは多分に「作画枚数の節約」という意味もあったと思うが、今回は開巻後すぐにヒューマリットが登場する。 ナジカを船上からライフルで狙う少女。これがもう、尼僧姿の女の子というキョーアクな(何がだ)もの。あまり動かさずにサスペンスを盛り上げる方法を、キャラクターに和服を着せることで凌ぐとはこれはなかなか秀逸なアイデアだ。でもやっぱりパンチラはあるのね(^_^;)。……和服の下はノーパンじゃないのか? いや、そんな作画できないことはわかってるけどさ。
長距離弾道ミサイルが奪われ、母国転覆を狙うカイデル将軍(声・大塚周夫!)の手によって発射されようとしている。その野望を阻止するためにナジカとリラはカイデルの民間船に潜入するが、尼僧姿のヒューマリット・コハル(声・西村ちなみ!)が攻撃をしかけてくる。 幼い姿のコハルに、つい攻撃の手を緩めてしまうナジカ。その隙をついて、コハルはリラを海中に叩き落し、ナジカを追いつめる……。なんかもう、「美しき小悪魔」って感じでいいよ、コハル。ナジカに腕を取られて「痛いよ……」と苦しげにうめく声がまたキョーアクだし(だから何が)。こんないいキャラクターがたった1話で使い捨てってのはなんてゼイタクなアニメか。 それにしてもカイデル将軍、和服だったり船内に茶室作ったりする日本趣味なのは、まあ、わかるとしても、なんでまたヒューマリットにコスプレさせるのにわざわざ尼僧姿……?
マンガ、和月伸宏『GUN BLAZE WEST ガンブレイズウェスト』2・3巻(完結/集英社・410円)。 3巻で終わりってのは全くの打ちきりなわけだけれど、ダラダラ長く続く連載が多いジャンプの中にあっては、まあ、キリのいい終わり方をしたと言っていいんじゃなかろうか。 ともかく、中書き、後書きで言い訳を書くのが好きな和月さん、今回も「準備もなくて連載が始まった」「○○のキャラは○○のマネ」などなど愚痴ばかりだけど、『るろうに剣心』の時もそうだったが、過剰な卑下はかえってイヤミにしかならない。『おじゃ魔女どれみ』のおんぷちゃんとこりすが似ちゃったって、そんな偶然の一致まで恥ずかしがってどうするんだろう。 キャラクターや風俗が西部劇じゃないということは実はたいした欠点じゃない。時代考証にとらわれて、マンガとしての面白さが相殺されるより、自由奔放な想像力を駆使してくれた方がずっと面白いからだ。逆にその発想の飛び方が不充分だった面すらある。 それよりもプロットが全く『ワンピース』と重なってること、なのに連載のGOサインを出したジャンプ編集部のバカさ加減の方が問題にされて然るべきだと思うなあ。 ジャンプももう2、3回はチャンスをくれるだろうから、和月さんにはこれにメゲずに(愚痴る元気があるなら大丈夫だろうけど)次回作に向かってほしいもんである。
2000年11月09日(木) だって猿なんだもん/『グーグーだって猫である』(大島弓子)ほか
| 2001年11月08日(木) |
エロに偏見はありません/『伊賀の影丸 邪鬼秘帳の巻(上)』(横山光輝) |
オタアミ当日まであと16日! 16日しかないのだ!
マンガ『フクちゃん』の作者、横山隆一氏死去。 92歳というのはもちろんすごい高齢なのだけれど、こういう仙人然とした人はそうそう死なないような気がしてたので、なんだ、まだ100歳になってなかったのかって思っちゃうのが不思議である。 もちろん戦前からずっと活躍してたマンガ家さんで、いくら長く連載を続けたとは言え、『フクちゃん』の連載が終わったのが昭和46年のことだから、若い人にはどうしてもある程度の説明が必要になる。 しげに「横山隆一さんが死んだよ」と言ったら、案の定、「誰それ?」と言われた。 「『おんぶおばけ』(「おんぶぅ、おんぶぅ、おんぶぅ、ららら♪」)の作者だよ」と答えると一応納得してもらえたよう。しげはぎりぎりリメイク版のテレビに間にあった世代なのだ。坂本千夏が声をアテたテレビアニメ『フクちゃん』(「ウソウソホント、ホントウソ〜♪」)のことを考えると、一応今の20代後半から上の世代なら、なんとか「横山隆一」の名前に反応してほしいんだけれど。 私の場合はともかく作品自体に出会う前に、母から「アカチバラチー」とからかわれていたので、その世界観は何となく知ってはいた。 日本の庶民の生活を描いたマンガといえば誰しも長谷川町子の『サザエさん』を思い浮かべようが、実際に作品に当たってみればわかるが、諷刺性があり、毒の強い『サザエさん』に比べ、横山さんの『フクちゃん』は実におっとりしている。より牧歌的かつ抒情的なイメージを考えれば、日本の生活マンガのスタンダードは、横山マンガの方に求められて然るべきなのではないか。 実際、『サザエさん』に与えた影響は少なくないものがあろう。
私の持っている『フクちゃん� 戞聞崔娘厂_菠幻法砲任蓮�解説の小野耕世がある四コマを「忘れられないもの」として紹介している。 フクちゃんとキヨちゃんが風船の取り合いをして、うっかりして風船が手から離れて飛んで行く。その途端、フクちゃんが言う。「キ、キヨちゃんにあげるよ」空に昇り小さくなった風船を見ながらキヨちゃんがポツリと呟く。 「ボクのだね」 小野さんはこれを読んで涙ぐんでしまったと言うが、私も同じだ。長谷川町子にこれは描けない。国民栄誉賞に相応しいのは果たして長谷川町子であったのかどうか。
横山さんが戦前の『新青年』で活躍したミステリの挿絵画家であったことや、「おとぎプロ」を創始した戦後日本のアニメーション作家の草分けで『おんぶおばけ』や『フクスケ』を制作したことなど、もっと新聞記事は大きく書いておいていい。 若き日の手塚治虫が、横山さんとこでアニメの技術を習おうとしたことがあったのは有名なエピソード。……そう言えば、『フクちゃん』に出て来たでかっ鼻のアラクマさんは、手塚治虫の漫画に出てくる「力有武」とそっくりである。パクったな、手塚(^_^;)。
昨日に続けてまた仕事でポカ。 でもこれも昨日同様、私一人のミスとも言えない。ともかくやたらと仕事の段取りの悪い職場で、しかもミスが起きれば責任のなすくりあいという殺伐としたところなので、まあ、責められりゃスイマセンとあやまっといた方がお互い傷は広がらない。 でもこういう態度取ってるところが「無責任」に見られるわけなんだよなあ。以前、偶然この日記を上司が見て激怒してたが、図星指されて怒ってんだから果たしてホントに無責任なのはどっちなんだか。 この日記を「エンピツ」に移転させてしばらく経つけれど、もういい加減で元に戻したいのだ。けど、まだまだもちっとホトボリ冷ましとかないといけない状況が続いているんで、愚痴はこのへんにしとこう。
しげ、今日は劇団の練習があるから、送りはできても迎えはムリかもよ、と言ってたのだが、夕方6時頃になって、鴉丸嬢をクルマに乗せて迎えに来てくれる。 「アンタ、今日ビデオの録画とか有る?」 「……『ナジカ』があるけど11時過ぎだよ」 「じゃあ、其ノ他くんちに付き合わない?」 「いいけど、なんで?」 「其ノ他くん、バイク買ったんだって。それを見に行くの」 それだけかい。でもまあ、それだけのことでちょっと会おうかってなれるのがトモダチってことなんだろうなあ。 でも付き合うのはいいのだが、其ノ他くんちは実はすごい山の中にあるのである。街灯もまばら、目標ブツはなし、果たして初心者のしげに辿り付くことができるのかどうか。 鴉丸嬢がナビをするのだけれど、これがまた凄まじい。 「そこまっすぐ行ったらあ、左に看板っぽいものがあるからあ、そこの道らしいところを曲がってえ」 「看板っぽいもの? 道らしいところ?」 「多分病院か何かの看板なんだけどぉ、ほっそ長いの。で、道があるんだけどぉ、奥の方にあってわかりにくいの」 なるほど、実際そのあたりに行ってみると、道の左脇が横に広がって広場のようになっていて、その奥に看板と細道が出ている。でも「ぽい」とか「らしい」とか、もちっとわかりやすい説明ができないものか。 ともかく、なんとか十数分かけて其ノ他くんちに到着。
其ノ他くんは仕事から帰ったばかり。ひとっ風呂くらい浴びたかろうに、わざわざ庭に連れ出し、バイクの鑑賞会。 ガタイはでかいが車輪は小さく、実は50CCだとか。本人は免許取りたてて怖くてご近所以外にはまだ乗って行ったことがないそうだ。 兄ギミの藤田真也くんにも久しぶりに会えるかと思ったのだが、どこぞに出かけて遊び呆けているらしい。いろいろとヒトとしての道を踏み外していることを弟の其ノ他くんから聞く。さすがにここには書けないが、鴉丸嬢曰く、「落ちるんならもっと別の方に落ちればいいのに、あっちに落ちたら面白くない」 ……いや、弟くんの前でそれを言うのはちょっとキツイんでないの(+_+)。
ひとしきりバイクとクルマを見せあって、外は寒いので中に移動。 いや、いつまでも外でダベっていて、しかも芝居の練習まで庭で始めようとしたので、いくらなんでもそりゃ近所迷惑と、其ノ他くんちの部屋を借りることにしたのだ。 今度の芝居ではダンスのシーンがあるのだが、そこんとこの息がイマイチ合わない。なにしろ、鴉丸嬢、其ノ他くんと見詰め合っただけで吹き出しちゃうのだ。恋人同士だから照れるのはわかるけどさあ、と言ったら、誰とでも見つめ合うのは苦手なんだそうな。でもそれじゃ役者ができないじゃん。 逆に其ノ他くんは全く無表情で見つめることができる。 「……どうして笑わないの?」 「根性」 まあ、そうだわな。
ひと通りダンスの型を決めるが、鴉丸嬢が腰を捻って痛がるし、動くたびに「○○○○○○!」と淫らなことを口走るので(^_^;)、適当なところで切り上げる。あとは四方山ばなしに花が咲く。 其ノ他くん、ウメ味のお茶が好きということで、実際に湯呑の茶に梅干を入れて、爪楊枝で丹念につぶして溶かしていく。……若いのになんだかえらくご隠居風だ(^^)。いや、こういう庶民的なのって好きだけどさ。 鴉丸嬢も『サイボーグ009』にハマった由。けど、彼女もそうだが其ノ他くんも、旧シリーズはおろか新シリーズを再放送で見たこともない世代。20代前半でももう石森章太郎はダメなんだなあ。 やっぱりアニメの再放送は始終テレビで5時6時台にやってくれてないと、文化の継承ってのはできないんである。
8時過ぎ、鴉丸嬢を自宅までお送りする。 後部席に座ってグデッとしてたら、助手席の鴉丸嬢が珍しくマジメな声で、 「あ、ちょっと言っとこうと思ったんだけど」と声をかけてくる。 「……何?」 「今度、エロマンガでデビューしようと思ってるんだけど」 「へえ? 持ち込み?」 「ううん、応募」 「そりゃいいね。そっちの方がデビュー早いし、実力はつくし」 「で、話は○○○○○○○○○○○○○○にしようと思うんだけど」 「いや、それは○○○○○○○○○○○○にした方がいいんじゃない?」 ……これ以降は、どうせ伏字だらけになるのでやめとこう(^o^)。 けど鴉丸嬢、若いだけにストーリー作りは多分に荒削りだけど、絵の実力はプロ級なんで、デビューの可能性は充分あると思う。 「触った時の皮膚感というか、感触が感じられるような絵が描きたい」なんて言ってるのも頼もしい。エロマンガの本質がちゃんとわかってる発言だ。 『快楽天』あたりを狙ってるそうなんで、もし数年後に「鴉丸誠」という名前を見かけることがあったら、ぜひ買ってあげてください。本人は純でスケベな美人です♪
帰りが遅くなった上、ぶっくたびれていたので、日記も書けず、『ナジカ電撃作戦』もビデオを仕掛けたまま、そのまま落ちる。 更新が遅れるとそれだけあとでヒイヒイ言う目にあうのだが、いたし方もない。
マンガ、横山光輝『伊賀の影丸 邪鬼秘帳の巻(上)』(秋田書店・300円)。 『伊賀の影丸』も多分全巻は読んでないんだよなあ。 秋田書店刊行のサンデーコミックスの類は、子供のころたいてい貸し本屋で借りて読んでたから、手元にあるやつはごく少ない。あってもたいてい親に捨てられた。手塚治虫の『W3』や『どろろ』、石森章太郎の『サイボーグ009』、赤塚不二夫の『おそ松くん』、楳図かずおの『猫目小僧』と言った一連の作品も、全て貸し本で読んでたんで、単行本で買い揃え始めたのもずいぶんあと。『おそ松くん』は巻数が多すぎて、未だに買えていない。絶版になってるのも多いし、発行されてても『どろろ』や『009』は差別用語に引っかかる部分は削除訂正がされてるし、今となっては手に入らないものも多い。 『影丸』も阿魔野邪鬼の話はいくつか読んだ記憶があるんだが、ラスト、結局影丸は邪鬼を倒せたのかどうか。ご承知の方は多かろうが、この「不死身の邪鬼」のもとネタになったのは、山田風太郎の『甲賀忍法帖』に登場する薬師寺天膳である。こいつを倒すのにはもう一つ上を行く一種の超能力と言ってもいいワザが必要だったのだが、影丸にそんな能力はない。結末を知りたいが、どうやら現行の単行本はどれも「不完全版」らしいのである。 完全版が出るまではと待ち続けて30年、いい加減で「横山光輝全集」が企画されてもいいと思うのだが、作者がイエスと言わないのだろうか。
今回の話も、影丸最大のライバルたる邪鬼の面目躍如、秋月藩乗っ取りをたくらむ黒木彈正の配下として暗躍しつつ、秘密を知るものとして密かに彈正に雇われた忍者集団土蜘蛛党とも渡り合い、そのウラをかいていく。 ただ不死身と言うだけではない知者なのだ。そこに幕府隠密の影丸も絡んでくるのだけれど、実質的な主役は影丸ではなく邪鬼。いや、この権謀術数、二転三転するストーリー展開、たとえこれがいくつかの先行作品を参考にしているとしても、40年以上も前のマンガとは信じがたいくらいだ。 やはり40年前に『伊賀の影丸』は東映で、松方弘樹主演で映画化されているが未見のまま。LD出た時買っときゃよかったかなあ。阿魔野邪鬼は山城新伍が演じてたそうだか、見ないで言うのもなんだがミスキャストだったんじゃないか。ちゃんと不死身にしといたんだろうか。
2000年11月08日(水) チンジャオロースって漢字変換できねー/『家出のすすめ』(寺山修司)
| 2001年11月07日(水) |
暗号解読/アニメ『ヒカルの碁』第五局/「西原理恵子のご託宣ポストカード」ほか |
オタアミ当日まであと17日! 17日しかないのだ!
今日はどうやら仕事上、ちょっとポカをやらかしたらしい。 らしいってのは、そのミスに気付かないまま帰っちゃったので、手違いに気付いたのが翌日になったから。ミスの中身はどんなのかってーと、ある仕事の担当になってたんだけど、見事にそれをすっ飛ばしてしまったのだ。 原因はまあ、予定表にあったスケジュールを私が見落としたってことなんで、悪いのは私なんだが、始末に悪いのは、何度も表を見て確認しておきながら、それでいてミスったってことなんだなあ。 ただねえ、ちょっとだけ私も言い訳というか、文句言いたいのはねえ、そのミスした原因ってのが、「私の名前が書き間違えられてる」ってことにあったわけよ。 私はこの日記やネット上では有久とか藤原とか名乗っちゃいるが、これはどちらも本名じゃない。私の本名は、日本でも珍名に属する名字なんで、ウチに来る配達物の半分くらいは文字を間違えて送られてくる。 もう何十年も間違えられ続けているので、もう慣れっこになって腹を立てたりすることはなくなったけど、ただでさえもともと視力が弱い上に誤字までされちゃうと、「これは自分のことだ」って認識できないこと多いのだ。 それがあるから、私も注意に注意を重ねてるつもりなんだけれど、やっぱりミスが起きるときは起きちゃうんだよねえ。まあ、すごいミスってわけでもなかったから、一応、フォローはできたけどさ。
それにしても、怒りはしないが、未だに名前書き間違えられると、淋しい気分にはなる。二十年来の親友に名前書き間違えられた時には、さすがにちょっと二、三日は落ちこんだし。 一時期、本気で拗ねてた時期には名前書き間違えた相手にはこちらも相手の名前をワザと誤字って返事出したりもしてたんだが、もっと淋しくなってやめた。 ……え〜、知り合いのみなさん、私から手紙貰って、「名前が違うじゃん!」と怒った経験がおありの方、実はそういう事情があったんです。子供っぽい真似をして申し訳ありませんでした。すみません。 今はもう、間違えられやすい名字の家に生まれた不運だと言うしかないなあ、と達観してますです。
でも、世の中不思議だなあ、と思うのは「名前が違いますよ」と言っても「すみません」と謝りもせず、やはり、間違いのまま押し通す人がたまにいることだ。 (例) 「いやあ、吉田さん」 「……私、山田ですけど」 「ああ、そうでしたね、吉田さん」 「いや、だから山田ですってば」 「それはどうも吉田さん」 「……」 冗談みたいだが、相手が珍名であるかないかに関わらず、こういう人は実在するのだ。多分、脳の回路が、一度インプットした情報の修正をとことん嫌っているからなのであろう。 で、日本人の数%は確実にこの類の人間だ。筆頭は誰もがこの人を想起するであろう某「ミスター」(^_^;)。
6日、イギリスの劇作家、アンソニー・シェーファーが心臓発作のため死去。75歳だった。 ミステリ作家の実力を評価する基準として、小説にしろ戯曲にしろ、その表現形式をいかに熟知して利用しているかってことを見る必要があると思う。 そう考えると、この人の『スルース(探偵)』は、「舞台だからこそ」成り立つ作品だったと断言できる。本作はローレンス・オリヴィエ、マイケル・ケイン主演で映画化されたが、実はその「舞台だからこそ生きる」トリックが、映画では完全に死んでしまっているのだ。 この舞台ならではのトリックがどれだけ凄かったかというのは、一昨年、劇団四季が福岡で日下武史、下村尊則主演で公演されたものを見た観客の中に、芝居が終わって全てのトリックが明かされてなお、その真相に気付いていない者が多数いたという事実でも証明できよう。ロビーに出てきた観客がペチャクチャ喋ってるのを聞いてると、ホントに殆どの人間がよくわかってなかったりするのだ。なにしろ、私と一緒に見に行ってたUさんも、私が解説するまで、自分が騙されてたことに気付いてなかったものなあ。 更に言えば、この『スルース』を上演するなら、できれば四季とかそんなでっかい劇団じゃなくて、ホントに小さな、メンバーの確保すらままならないようなごく小人数の劇団でやった方が観客が引っかかる確率が弥増すのである。映画版のオリヴィエとケインじゃ、もうかえってバレバレ。でも、私も最初に舞台で見ていたら、見事に騙されてたかも知れない。 トリックを明かさないでこんなこと書くとどんなんだか気になる人もいようが、ミステリの作法として、真相は明かせないので、未見の方はどうかご容赦。でもこのトリックは形を変えて、押井守が殆どの自作で使ってます。……あのヒト、ホントに演劇マニアだからねえ。 あ、ネットで検索して、スジを書いてる人いないか探してみてもムダですよ。確かに本人が真相だと思ってること書いてるヒトも何人かいたけど、やっぱり肝心要のトリックについてはみんな騙されっぱなしだったから(^_^;)。
なんやかやと、この『スルース』一作で語られることの多いシェーファー氏だけれど、映画の脚本も多数手がけている。 新聞記事にはアルフレッド・ヒッチコック監督の『フレンジー』しか紹介されてなかったが、あのアガサ・クリスティー原作、ピーター・ユスティノフ主演によるエルキュール・ポアロシリーズ『ナイル殺人事件』『地中海殺人事件』『死海殺人事件』三部作の脚本を担当していたのが彼。前作のアルバート・フィニー主演、ポール・デーン脚本、シドニー・ルメット監督の『オリエント急行殺人事件』が本格ミステリ屈指の傑作だったために、どうもこの後期のシリーズは過小評価されがちなんだが、それは主演が原作のポアロのイメージから程遠いのと、監督が二流に落ちたせいで、脚本そのものはキッチリ本格ミステリしてくれていて悪い出来ではない。 ただ、あまりにもキッチリとセオリーを踏んで観客に対してフェアに臨んでいるせいで、『スルース』のような表現媒体そのものをトリックに利用するような大ワザは使えず、ちょっとミステリに馴れたヒトなら、犯人もトリックもすぐにわかってしまうというちょっとした欠点はあった。このへんのDVDも既に既発なんでほしいんだけど、ビデオはもう持ってんだよなあ。 あと、『アマデウス』の劇作家ピーター・シェーファーとは双子の兄弟。『アマデウス』も一種のミステリとして見れるし、二人揃って相当なマニアだったのだ。年を召していたとはいえ、残念なことである。
今日もなんとか早目に帰れる。 帰宅してテレビをつけたら『スクライド』のラストのあたり。 しげはどういうわけかすっかり疲れていて、一緒にアニメ見ようかと誘ってもノってこない。 こないだからしげは「今一週間で楽しみにしてるアニメは『ナジカ』と『テニプリ』」と言ってたから、てっきり一緒に見るもんだと思っていたのに、アテが外れた。 初めから一人で見ると思ってみるのと、二人で見るはずが一人になって見るのとではこちらの気分のノリも自然と違ってくる。なんだかいつも以上にちょっとしたセリフの陳腐さが気になって、なかなか楽しめないのであった。
アニメ『シャーマンキング』第十九廻「2人のビッグソウル」 負けたらシャーマンキングへの道が閉ざされてしまうっていうのに、葉はいつも通りのんびりした態度。まん太があせってせっついてもどこ吹く風ってのはもとからの葉のキャラクターなんだろうけど、相手になる道蓮の方が「俺は絶対シャーマンキングになる!」なんて必要以上に力んでるんじゃ、初めから勝負はわかりきってるじゃないの。盛りあがらないよなあ。 飄々としてるけど強いってキャラクターを主人公にするんだったら、基本的に対決ものは御法度なんである。弱そうに見えて強いってのがその魅力なんだから、階梯を一歩一歩上がって行くような「努力もの」とは水と油じゃないか。こうえいうところ、何でも対決ものにすりゃウケるという「ジャンプ」の手抜き編集ぶりが露骨だ。月影兵庫みたいに放浪ものにした方がずっとキャラが生きるのに、どうしてこう同じような展開ばかりさせるかなあ。 ああ、あと細かいとこだけど、「摩多霊園」ってネーミングセンスはなんとかならんのかな、ギャグマンガじゃないんだから。
『テニスの王子様』を見ている間に、ウトウトして私も眠る。 仕事があるしげは「8時半に起こしてね」と言ってたが、つい寝過ごすところだった。しげ、ぎりぎりの時間に慌てて出かける。 『ヒカルの碁』第五局「覚醒の予感」。 うっかり寝ちゃったけれど、これはビデオに録画しておいたので、改めて見返す。女の子人気のたかい加賀だけど、私は女じゃないので関心はなし。連載当時からこのキャラ、あまりいらないなあと思ってたんだけど、物語が複雑になってる今の原作と比較すると、キャラの底の薄さが目立つ。 塔矢アキラに同情を受けたからって、将棋に走ったり「塔矢に勝った」とか感情的になって嘯いてちゃ、ヒカルのライバルとしても仲間としても座りが悪くなるのは仕方がない。キャラを立てるためとは言え、あの扇子もリアリティを完全に無くす原因になってる。スタッフもそのへんを感じているのか、キャラクターデザインが濃いわりには、加賀は原作ほどには動かない。原作つきアニメの難しいところは、人気キャラほど動かしにくくなるということだろう。
FBS『ザ!世界仰天ニュース』。 詐欺師の手口を紹介している番組だが、たいていはまあ何十年も前から使い古された、なのに今でも引っかかるヒトが多い、老人相手の詐欺ものばかり。 けど、1999年限定で香港であったという「千年蟲」事件は言わば「流行新語」を利用した詐欺で、なかなか面白かった。 言うまでもなく「千年蟲」とは「YK2」、例の2000年にコンピューターが誤作動するかも、というアレのことだったんだけど、中国人の中には「千年蟲」ってのを本当に何かの病気の原因になる虫だと勘違いしてたヒトも多かったらしい。で、「千年蟲」に効く薬を売りつける詐欺が現実にあったとか。 ……って、そのネタ、唐沢なをきの『電脳炎』にあったじゃん。日本人が勘違いするならわかるが、なんでそのコトバ作った中国人自身が勘違いしてんだよ。前々から思ってたけど、国民性なのかどうだか、中国語って、なんか大雑把で語彙力少ないよなあ。
FBS『レッツ・ゴー!永田町』。 もう何回目なのかな、初めて見たけど、現実の政治をこうストレートにパロディにしたドラマも珍しいなあ。田中角栄が首相だったころはやたら多かったけど、今こんな番組が企画されるってこともやっぱり小泉人気の表れなんだろうな。 でも、和泉首相の岩城洸一ってのはちょっと違うんじゃないかと思うんだけど、田坂外相の室井滋はもうクリソツ。いや、ベースはモノマネなんだけど、首を傾げて振り返るとこなんか、つい笑っちゃったよ。 ドラマは何となくショボそうだけど、気が向いたら来週も見てみようかな。
しげの日記がこないだから漢字変換しないままで書いてるもので、殆ど意味が解らない。 ただでさえ、文章化しないで単語を羅列するだけなのに、下手に意味のあるコトバに変換してくれるので、かえって何のことやらわからなくなるのだ。昨日のもやっとの思いで判読した。 送り。(←「自動車で私を職場まで送ってくれてたことを指すと思われる) サム。(←「寒い」だな。いきなリ外人の名前が出てきたら驚くぞ。サムと何かあったのか) ロワイヤル、本、スタンド。(←「ロイヤルホストに行って、本屋に寄って、ガソリンスタンドに行った」ということらしい) 猫の用にさまよう。(←「ように」だな) デザート作戦失敗。(←よくわからんがデザートを食べそこなったらしい) ね。(←「昼寝した」と言うことだな) 向かい。(←私を職場まで「迎え」に行ったことを指す。日本語は正確に使え) 勝つ。(←「トンカツを食った」と言いたいらしい) まま。(←「まあまあ」か? 何について言ったものか意味不明) 損だけ?(←「今日はそれだけで書くことないかな?」と言いたいのだろうか) ア、お手紙。(←どうやら私の友人から、手紙がしげ宛てに届いたことを指すものと思われる) お間ムリ。(←最初「おかんむり」かと思ったが、その友人の封書に、「交通安全のお守り」が封入されていたのだった) つける場所探す。(←車のどこにお守りをつければいいか、場所を探した、ということ) お返事書こう。(←これはそのまま) お休み。(←さっさと寝なさい)
……時間が経ったら、私でも判読できんぞ。備忘録のために始めたくせに、日記を暗号にしてどうすんだよ(-_-;)。
「西原理恵子のご託宣ポストカード」。 二日続けてサイバラかい(^_^;)。 なんでもケータイ用に描いたイラストが横長で使えなかったので、急遽ポストカードにしちゃったそうだが、まあ、一般的な感覚だと人に送れるモノが一枚としてないのがやっぱりすごいなあ。逆に言えば、このハガキを送られて怒らない人は真のディレッタントであろう。 友達に「金額でゆうと二千円くらいの友情。」ってハガキ送ったら怒るかな、とちょっと考えて、劇団のメンバーも含めて、私の友人にそんなケツの穴の狭いヤツはいない、ということに気がつき、ホッとした。私は実に友人・知人に恵まれている。 蛇足的説明だけど、この「金額でゆうと」ってのは当然「山下清」の「軍隊の位で言うと」のパロディね。 AIQのみなさんには、年賀状がわりにこの中の一枚をお送りすることも考えたが、多分みなさん、ご自分で買っていらっしゃるだろうから意味ないか。元日に「夕ぐれまでいじりたおす日。」(ナニをいじるかは自明)なんての送られたら、みなさん狂喜しそうではあるが。 悲しいことに、職場のつきあいでこういうギャグにつきあってくれそうなイキな人が殆どいない。上司に「明日はきっと今日より悪い日」なんて送ったら本気にしそうだしなあ。つくづくツマラン職場に就職したものである。 以前出してたシールもそうだけど、こういうギャグに対して喜ぶ人と顔を顰める人と、人間は確実に2種類に別れる。喜ぶ人がどんどん増えてけば、世の中ずいぶん住みやすくなるんだけどなあ。
2000年11月07日(火) 昔の映画も見よう……/『笑わない数学者』(森博嗣)
| 2001年11月06日(火) |
10年ぶりのスプラッタ/『西原理恵子の人生一年生』(西原理恵子)ほか |
オタアミ当日まであと18日! 18日しかないのだ!
オタクアミーゴス九州公演開催までもう日がない。 なのに、私んとこに「え? オタアミのチケット、まだ残ってるんですか? 買います買いますう!」と目をウルウルさせてやってくる美少女が一人もいない(来るかドアホ)。 まあ、美少女が来ないのは仕方がないにしても、せっかく公開日記登録してるのに、もうちょっとオタク度高い人いないのかなあ。ウチの劇団メンバーにもちょこちょこと声をかけちゃいるんだが、しげの宣伝の仕方がもう噴飯もので、まるでなっちゃいないのだ。 「楽しいよ〜、客がもうみんな濃くって濃くって、汗臭くて、太ってて、ウンチク垂れの、小うるさいの、もう3時間そこにいるだけでムンムンして息ができなくなるわ、馬鹿笑いされてアタマはガンガンしてくるわ、トリップできること間違いなし!」 キサマは日本のオタクを全て敵に回すつもりか。 ~凸(-~~- ) いやもう、みんな引く引く。それでもよしひと嬢だけは「行きますよ〜」と言ってくれているので、やはりウチの劇団一のツワモノだなあ、とはつくづく思うのだ。
確かに、しげがハンパなオタクを鬱陶しいって言いたくなる気持ちはわからなくはない。 私も、昔、広島アニメーションフェスティバルに行った時、座席の後ろでゲストの対談中もずっと、まさしく「サロンのバカ」的なウンチク垂れまくってたオタク連中に「うるさい、黙れ」と文句つけたことはある。 けど、それをはオタクであるかないか以前に、マナーを守れているかどうかって点を問題にしただけだ。私だってハンチク野郎には違いないんで、自分だけがモノ知ってるような態度は取れないし、ネットのあちこちで明らかにオタクそのものを敵視するような「ウザい」と吐き捨てるような言い方をすることはやっぱりできない。 なんだかんだ言っても、彼らは仲間なんである。
しげはどんなにおかしい映画や公演でも、声を出して笑わずに見るやつなので(単にステゴザウルス並に反応速度が遅いだけかもしれんが)、せっかくのギャグが周囲の笑い声で聞こえないと言うのは、腹立たしいことでしかないのだろう。けど笑いたい時に笑うなというのは無理な話だし、オタクが汗臭いのは宿命だ(^^)。それに目くじら立てるのは女に向かって「ちんちんついてないくせに威張るな」と言うようなものである。 広い心で見守っていただきたいものである。
で、当日でもいいから、オタアミにご興味あるヒト、ぜひ来てね。
今日は比較的早めに帰宅できたので、『FFU』を見ようかと思っていたのだが、しげが「腹減った腹減った」とうるさいので、諦めて外出。 「『浜勝』と『ロイヤルホスト』どっちにする?」 「どっちでもいいよ、どうせ『ロイヤル』はデザート食いたいだけなんだろ?」 「実はそうなんよ」 「で、しかも食いたいのはデザートの上のクリームだけだろう」 「……うん、そう」 「なら行く意味ないじゃん」 「だから『浜勝』でいいんだけどさ、あとで『ロイヤル』でデザートだけ食べようかって思っても、腹いっぱいになってて、いつも食べられんとよ。悔しい」 悔しいって、自分が食い過ぎなきゃいいだけではないか。いつまで経っても自制心のかけらも育たんやつだ。こいつ、婆さんなってもこんなかなあ。
「ブックセンターほんだ」で、何冊か本を物色。 「浜勝」では新発売とかいう松茸のホワイトソースかけカツ定食を食う。松茸ったって、薄く薄く切ったのが数切れ入ってるだけ、しかもホワイトソースで味も風味もまるで消されている。食感すら殆どない。……こんなんシメジでいいじゃん。 だったら頼むなとも言われそうだけど、なんか「新発売」とか「フェア」ってやつに弱いんですよ。ささやかなゼイタクをつい望んじゃうのは庶民の心理ってもんなんである。 しげは思った通り、メシを際限なくオカワリし続けている。ただ飯はいくらでも入るってことか。でもこれだけ食っても、1時間もすれば「小腹がすいたね」と言い出すのだから、全くどんな消化吸収能力を有しているのか。いつもいつも言ってることだが、しげの胃はブラックホールがバイストン・ウェルに通じているに違いない。 しげの働いてるリンガーハットの系列の店なので、社員割引が利いて六百円の得。「リンガーで食べて割引されるより、浜勝で割引してもらう方がおトクな気がせん?」としげ。 そりゃ、おまえが肉好きだからだろう。どこで何をどれだけ食おうが、割引率が同じなら、お得な率も同じなんだが、結局人間の損得勘定なんて、欲望の度合に比例するものなのだ。
コンビニに寄って、今週の「ジャンプ」を立ち読み。 『ヒカルの碁』、ついにヒカルが囲碁の世界に戻ってくる。佐為がどんな形で復活するのかと思っていたら、碁そのものに佐為が宿っている、という結末。 こう文章で書いてしまうと、あまりにも当たり前で意外性のない結果のようだが、なかなかほったさんのシナリオ、小畑さんの作画で、キチンと感動的に見せているのはさすがである。 「こんなところにいたんだ、佐為」という、ヒカルのつぶやきと涙、ダシに使われた伊角には悪いけれど、たとえ佐為の姿が消えても、この物語はこれからもやはりヒカルと佐為の二人三脚でいくのだ、という道をハッキリと示して、言ってみれば「第一部」の締めくくりとしては、妥当な終わり方と言えるのだろう。 ……それにしても、ヒカル、細くなって背が伸びたよなあ。 アニメでまだ小学生のころの丸っこくてチビなヒカルを見ているから、そのギャップがえらく激しい。形ばかりの「成長ドラマ」は多いけど、ヒカルくん、ホントに心身ともに成長してるよ。 逆を言えば、問題点はまさしくそこにあるのであって、紛れもなく「人間」を描いているこのマンガ、このまま続ければ終わりようのない物語に突入していくことにもなってしまう。人間の成長に「結末」をつけることなんておよそ不可能なことだからだ。 これまでの「成長もの」(特に梶原一騎の影響を受けた青春マンガ)は、たいてい主人公のまだ見ぬ未来への雄飛を暗示して終わるか、あるいは突然の死亡、崩壊、破滅で終わるかのどちらかのパターンでしか終わらせられなかった。『ヒカ碁』はおそらく前者のパターンで終わらせるしかないとは思うのだが、ここまで盛り上げてくれると、更にこちらの予想を思いっきり裏切るような終わり方をしてほしいとも思ってしまうのである。 無理な注文かもしれないが、そう期待したい。おそらくヒカルを追撃する新世代のキャラクターも今後は登場してくるだろうことを考えれば、まだまだ、このマンガから目は離せないのだから。
『西原理恵子の人生一年生』(小学館・1050円)。 「100%サイバラ雑誌」と銘打ってはいるが、第2号が出るかどうかは1号の売れ行き次第ってトコロがいかにもサイバラさんらしくって正直。 でもツマンナサの極地で誰が買うんだって思ってたさくらももこの『富士山』だって4号出したんだから、西原さんにはぜひともキリよく「3号雑誌」で昇天してほしいものである。サイバラさんに大ブレイクは似合わないよん。 ああ、でもホントに『富士山』の四億五千三百八十万倍は面白いぞ、『人生一年生』。 語りだしたらキリがないが、まずビックラこいたのが西原理恵子オリジナル本格焼酎の通販。西原さん自身がちゃんと試飲したってんだから、これはもう、絶対の信頼に値しよう(^o^)。 しかし凄いぜ、銘柄が「俺の武器」に「どこへ行く」だもの。ホントに飲んだらどこへ行っちゃうやら解らんぞ。ヽ(^。^)丿 ああ、でも他に上がった名前の候補で、「ぜってー売れねー」と言いたくなる「目がしばしば」とか「チルチルメチル」とかも捨て難いぞ。戦後すぐのころ、アルコール類が払底していたころ、メチルアルコールの混じった酒を飲んで、目をやられたヤツがしこたま出たって話(ホントかどうか知らんが)、知ってる人も少なくなったろうなあ。
新作マンガの『ぽぺぱにゃ』、相原コージの『なにがオモロイの?』と同じコンセプトで、『コロコロコミック』に持ちこんだり、街頭アンケートを取ったりと、実にイタイ企画をやってるんだが、相原さんの場合、本人がマジだけにギャグになりきれてないのに対して、西原さんは才能の格の違いを見せつけている。 嘲笑われること、無視されることを承知の上でやってる余裕がちゃんとギャグになってるのだ。……そうなんだよなあ、相原さんのマンガが笑えないのは、本人の「一生懸命さ」が裏目に出ちゃってるからなんだよなあ。 多分この企画、西原さんから相原さんへのエールだ。確かにマンガ家だって芸人、体を張ってナンボなんだけれど、客を構えさせちゃいけないんである。やっぱり「どうしたら面白いギャグが書けるか?」というコンセプトを提示した時点で相原さんはギャグマンガ家として死んじゃってるのだ。もちろん、その「死んじゃってる」状況を楽しむという意地悪い楽しみ方はできるんだけれども。
しげと二人で「サイバラ黒キャラ占い」をやる。 一応、卯月田麻裕って占いの先生に監修してもらってるようだけれど、多分中味は相当デタラメ(^_^;)。 「ゲッツ板谷タイプ」なんて、「俺が正義、俺が法。竜巻のように人を振り回すが、よいほうに働けばどこかのシマを束ねられる。意外とセクシーだが同性しか寄ってこない」。 ……そんなタイプ、日本中どこ探したってゲッツ板谷一人だ(* ̄∇ ̄*)。 しげは「コータリンタイプ」。 「一見腰が低い人、内心では高みから人を見下ろす、こっそり唯我独尊キャラ。究極の見栄っ張りで友達少ない」 おお、当たっている! これは意外と人間の奥底まで見ぬいているのかも! で、私はというと、「花田編集長タイプ」。 「熱しやすく冷めやすい、スーパーお天気屋キャラ。」……そうかあ? 趣味とか結構持続する方だけどな。でなきゃ40年近くも怪獣ファンやってねーよ。 「出世は早いものの、職場を転々としたりします」 出世もしてねーしする見込みもないが転職もしてないぞ。 「一度逆境にあうとそのまま挫折しやすいので道を外れないように注意しましょう」 このへんは当たってるか外れてるか判別はしにくいな。今までの人生、順風満帆と見るか逆境だらけと見るかは解釈次第だしな。しげとの結婚はどっちなんだよ。 つーか、私ゃ仕事がらみで花田さんと話したことあるんだけどな。ちょうど「マルコポーロ」廃刊の直後だったんだけど、『UNO』創刊したせいか、全然元気だったんで、意気消沈してる姿を期待した私は拍子抜け。 で、会ってみて感じたことだけど、どう考えても私とあのヒトとじゃ、タイプはまるで違うがね。 そのとき「花田さん、私の職業についてどう思いますか?」と訊いたんだけれど、「お人よしのバカばっかりですねえ。人の話、すぐ素直に信じちゃうし。少しは『疑う』という世間知を持つべきだと思いますよ。だからすぐコトナカレ主義に走るんですよ」と思いっきりこき下ろされてしまった。でもまあ、当たってるので私は全然怒らない(^^)。……考えてみたら、言う方も言う方だが、笑って聞いてる方も聞いてる方だからやっぱり似てるのか?(・・;) さて、これだけで私の職業が判った方はメール下さい。先着1名の正解者の方に、花田さんのサイン“なし”本を贈呈します♪
他にも青木雄二との「脱税」対談やら、いいかげんにしろサイバラ編集者座談会やら、まあちょっと、中味を紹介しにくい企画がてんこもり。 「絵がかわいいんだか汚いんだかわからない」と、食わず嫌いのヒトもいるかもしれないが、西原理恵子は多分21世紀を代表するマンガ家の筆頭に挙げていい実力と才能を持っている。表層的な社会現象と流行だけでしか文化を語れぬ有象無象が多すぎるせいで、いまいちブレイクはしていないのが残念だけれど。 少なくとも、西原さんのマンガを読んで、「このヒト嫌い」というヒトは「人生負け組」に入ってることは間違いないので、他人を判別するのにすごく役立ちます。ご一読を乞うものである。
帰宅して、CSちゃんねるNECOで『うる星やつら・オンリーユー』と『うる星やつら2・ビューティフルドリーマー』を見る。 この2本も何度見たかわかんないけど、間を置いてみるとホントに飽きが来ないなあ。 劇場版第一作は監督本人は「つまんない」のヒトコトで切り捨ててるけれど、それはこれが実に映画の「教科書」的作り方をしているからだろう。 導入、展開、クライマックス、オチ、ドラマツルギーもパターン通りだし、このカットのあとには切り返してこのカット、音楽はここで入れて、といった細かい演出も、実に的確。……でも逆に言えば、映画学校の優等生が作った映画って言われてもしかたがないくらい定番すぎるキライはある。つまり「破」がないし「個性」がないのだね。 映画のリズムが崩れることを承知の上で、劇場公開時にカットしたシーンを「完全版」として挿入したのも、その「破」をあえて作るためだったのだろう。その証拠に、完成度の高い第2作にもあたるが未来社会をさ迷う場面などがカットされているにもかかわらず、そちらの方は未だに復活していない。 ……でも、ホントに『ビューティフルドリーマー』は傑作だよなあ。 大学生のころ、最初に見たときには「ラムの世界の中にどうしてもう一人のラムがいるのか」ということの意味がよくわかんなかったんだけど、あれ、ラムの自己欺瞞なんだな。 つまり、マドンナとしてのラムはあくまで美しく、でもホンネの「責任取ってね」のラムは自分と切り離して見ないフリしているのだ、あの女は。……ああ、女性経験が増えるってことは、こんなわかんなくていいことまで見えちゃうようになるってことなんだなあ。大学時代の私って、なんて純でナーバスだったんだろう(^_^;)。 もちろんそれは社会的弱者たる「女」の自己防衛の手段でもあるのだけれど、映画はつまるところそういう「女」を描くものなのであるという、究極の映画論をあの世界の「演出家」たる「夢邪鬼」に語らせちゃったがために、『うる星2』は究極の映画にもなりえたのだ。 おかげで、それ以降に作られた『うる星』はテレビも映画も、全てラムと夢邪鬼の手のひらの上で動く作品に塗り替えられてしまった。『2』ほどの密度を持った世界観を持って作品を構築しえたのは、やまざきかずお監督他の人々にバトンタッチされてからあとは、わずかに『うる星やつら4・ラム・ザ・フォーエバー』1本を数えるのみである。
しげが仕事に行ったあと、肉野菜炒めを作ろうと思って包丁でタマネギを切りかけたら、見事にすべって左の人差し指をザックリ切ってしまった。抑えても抑えても血が吹き出るのが止まらない。 以前も「あんたの血、薄いね」とケロリと医者に言われたことがあったけど、なんかまたそうなってるのかなあ。 だいたい、結婚して以来、十年、指切ったのなんて、数えるほどしかない。もしかしたら初めてかも。 しょっちゅう切ってるしげとは雲泥の差なので、結構慌てる。バンドエイドを何枚張り替えて押さえても、間からジュクジュクと血が滲み出して来る。水で流したり押さえたりを繰り返して、10分ほど悪戦苦闘して、やっと血が止まるが、ジンジンした痛みはおさまらない。相当深く切ったらしいけど、治るかなあ。糖尿もあるし、新陳代謝だって衰えてるだろうから、ずいぶん時間がかかるんじゃないかなあ。 なんだかこんな小さなことですらビクつくようになっちゃった自分がちょっと情けないなあ。
2000年11月06日(月) 別に国際化したいわけでもなし/『大人の国イギリスと子どもの国日本』(マークス寿子)
| 2001年11月05日(月) |
行かなかった博覧祭/『陽だまりの樹』1〜7巻(手塚治虫)ほか |
オタアミ当日まであと19日! 19日しかないのだ!
気がつかないうちに北九州博博覧祭が昨日で閉幕。 いっぺんくらい覗きに行こうか、としげと話をしていたのだが、「パビリオンを見たい」私と「露店でメシ食いたい」しげとでは目的がまるで違うので一緒に行く意味がないのである。 行ったついでによしひとさんや塩浦さんにも会えるかもよ、とか話してたんだが、やはり「見たいもの」が本当にそこにないと、近年とみに重くなった我々夫婦の腰はなかなか上がることがないのだ。 先々月「山口きらら博」に行ったのも、偶然しげの誕生日に「オタきら」があったからで、そういうことでもない限り、そうそうこういうイベントに大枚はたいて出かけるようなことはしなくなっている。 別にトシをとってエネルギーがなくなったってことじゃないぞ(ちょっとはそれもあるけど)。出かける余裕(主におゼゼの面で)があれば、本の一冊を買うか、映画の一本を見に行くか、そっち方面にエネルギーを費やしたほうがずっと満足感が高いことはわかりきってるからなのだよ(←トミノ喋り)。
結局我々は行かずじまいだったわけだが、あれだけ200万人達成が危ぶまれていた北博、夜間割引などの効果があったか、閉幕寸前にやっとこすっとこ210万人の入場者数目標を達成できたそうである。それだけを聞くと、いかにもめでたいような感じだが、割引での達成なら、収入は予定より大分目減りしてるんではなかろうか。これをもって成功と言うのはちょっとムリがあるように思う。
ともかく、何のための博覧祭か、誰に向かってメッセージが投げかけられているのか、皆目分らない、徹頭徹尾上滑りの企画だったように思う。多分、企画者の間ではこんな会話が交わされていたことであろう。 「今度、ウチの会社でもパピリオン出すって」 「出すって、何出せばええんね」 「さあ? テーマは『響きあう 人・まち・技術』ち言いよう」 「ようわからんやん。とりあえずウチの会社が『地球に優しい』とこ見せればええんやろ?」 「あ、紙のリサイクルの流れとか、模型で見せたらええやん!」 「で、再生紙で作ったお土産売れば……」 「再生紙ノートとか」 「再生紙ダンボール箱とか」 「再生紙牛乳パックとか」 「再生紙ティッシュペーパーとか」 「再生紙トイレットペーパーとか」 「再生紙バッグとか」 「再生紙ハンバーガーとか」 「再生紙Tシャツとか」 「再生紙パソコンとか」 「再生紙呪いのわら人形とか」 「再生紙となりの女子大生のお姉さんとか」 実際に見に行ってないので、本当にどんなもの売ってたかは知らないのだが、何かヘンなものはありませんでしたか? よしひとさん。 結局「金を落としてほしい」「北九州でだって博覧祭は開ける」、それだけでぶち上げたようなシロモノだったことは行かなくてもハッキリしていた。性格がネジくれている私などは、そのパビリオンのヘタレ具合を見に行くだけでも楽しいのだが、しげはそういうのを見ていると、本気でハラを立ててしまうのである。 やはりしげの方がおカネにはがめついのだなあ。だったらたまに衝動的にムチャ高い買い物するのはやめようね。
で、昨日は東京国際映画祭も閉幕。コンペ部門のグランプリは『スローガン』だそうな。『羊のうた』は見事に落っこっちゃったみたいだが、ううむ、加藤夏季の神通力(んなもんあったんかい)、審査委員長のノーマン・ジュイソンには通じなかったか。まあ、男臭い映画ばっかり撮ってた人だからしゃあないと言えばしゃあないかなあ。 そんな中、石ノ森章太郎原作の『化粧師 KEWAUSHI』が最優秀脚本賞を受賞している。あまり期待してなかったんだけど、意外な拾いものになってるのかも知れない。福岡まで果たして流れてくるかどうか。
今日も残業。しかも7時過ぎまで。 「5時には終わるよ」としげを待たしてたのだが、まさか2時間も待たせることになるとは私も思ってもみなかった。 怒って先に帰っちゃうかなと思ってたのだが、今日は終日雨で、私をほったらかしてはおれなかったらしい。 一応優しくしてくれてはいるようだが、頼んでおいた洗濯はきれいさっぱり忘れているのだ。本当に、いっぺんにいくつものことはできないやつなのだなあ。
晩飯はウチの近所のマクドナルドで、グラタンバーガーのスーパーバリューセット、しげのオゴリ。おカネが入るのにもうちょっと日にちがかかるので、ここしばらくはしげにたかるしかない。だいたい私としげの立場はそのときサイフに入ってる金額の多寡で決まるので、今日明日なんかは私はしげに頭が上がらない。 店内に置いてあった『SPA!』の10月10日号を斜め読み。 鴻上尚史さんの連載『ドンキホーテのピアス』は、『ファントム・ペイン』関連のことについて。 鴻上さんは十年の封印も「劇団の力を信じて」のことだと言う。ああ、こういう物言いが、鴻上さんの「青春野郎」なところなんだよなあ、とは思う。 もちろん劇団の可能性を私だって否定したいとは思わないが、「劇団内での体験したくもない人間関係のドロドロも覚悟すべきだ」という言い方は、二重の意味で傲慢だ。 一つは、これが若い、これから劇団を作ろうって人に向けて語られてること。あのね、これからそういう苦労をしそうな役者さんたちに対してはね、「何も忠告なんかしないで黙って苦労をさせること」が一番の親切なの。言わずもがなのことを口にしてるってことは、自分が苦労したことをひけらかしてることにしかなってないんだよねえ。 もう一つは、そんな人間関係のドロドロなんて、別に劇団だけに限った現象なんかじゃないってこと。あたかもそういう苦労が演劇だけの苦労のように言い放つってのは、ただの特権意識だ。 つまり、鴻上さんは本当に演劇のことだけをひたすら考えてきて、本当に真面目に考えてきて、自分たちが面白いものだけを作ろうとしてきて、で、結局、自分たちだけが面白がってるものしか造れなくなっちゃってることに気付いていないのだ。 ああ、これじゃ役者たちの「声」が客席まで届かないのは当たり前だなあ、となんか淋しくなってしまった。なんだかんだ言いながら、鴻上さん、演劇界の最前線にいることは間違いないのに、それがこのテイタラク? 封印にどれだけの意味があるのかなあ。
関係ありませんが、チキンナゲットのソース、私はマスタード派、しげはバーベキューソース派です。昔は私もバーベキューソースの方が好きでしたが、あの甘ったるさが気に入らなくなってマスタードに変えてしまいました。 バーベキューソースで食べるやつなんて、お子サマだと思うんですが、いかがでしょう。
ここ数日、日記の更新が滞っているのだが、なぜかアクセスしてくる人は少しずつ増えてきている。たいていはgooやGoogleからなのだが、今日、妙なところからアクセスされていたので、ちょっと吃驚した。 名前はあえて明かさないが、某巨大掲示板からのアクセスである(バレバレやな)。 この日記、私が読んだ本、見た映画などについて、ホントに遠慮ナシに好き勝手な事を書いているのだが、そのうちの某映画についてケチョンケチョンに(と言うほどでもないが)貶した文章に、いつのまにかリンクを張られていたのだ。 他にもその映画に関する記事などにリンクは張ってあるのだが、その中で批判的なことを書いてるっつーか、揶揄しているのは私一人である。 そう言えば以前、この日記にその映画のタイトルで検索かけてた人がいたが、さてはその人のしわざか。どこの誰かは知らないけれど。 もちろん私に許可を得たりとか言うことは全くなく(仮に、貼ってもいいですか、と聞かれてたとしても、多分断らなかったと思うけど)、全くの無断リンクだが、いったい読んだ人はどんな感想を持ったのかなあ。そういう人にこそ、ウチの掲示板を利用してほしいものなんだけれど。
残業ですっかり疲れていたのだろう、最初、しげがパソコンを使い終わったらコンビニにでも行く予定だったのに、横になったらそのまま泥のように眠ってしまった。 遠くでしげの「出かけんとお?」というコトバが聞こえたような気がするが、夢かも知れない。
マンガ、手塚治虫『陽だまりの樹』1〜7巻(小学館)。 昔、雑誌連載で読んではいたが、飛び飛びだったので、まとめて読む。 やはり手塚さんがうまいなあ、と思うのは、おそらく架空の人物である主役の伊部谷万次郎、それと手塚さんの三代前の先祖、手塚良仙とが、全く違和感なく絡み合ってることだ。 ウソはホントに、ホントはウソに近づけることで虚実皮膜の境地は生まれる。晩年の手塚さん、そんなハイレベルにまで辿りついていたんだろうか。 前、読んだときも気になってたんだが、徳川家定とハリスの会見時、家定がいきなり横を向き、床を踏み鳴らすと言う奇矯な行動を取るのだが、それを「黒子」への合図、と書いたのは手塚さんの推理だろうか、それとも文献に証拠が残っていたのだろうか。
2000年11月05日(日) 「小鹿のバンビは」って歌は日本版だけ/アニメ『バンビ』ほか
| 2001年11月04日(日) |
デリケートにナビして/映画『紅い眼鏡』/アニメ『ターザン』/アニメ『サイボーグ009』第4話ほか |
オタアミ当日まであと20日! 20日しかないのだ!
せっかくの休みなので、午前0時から、眠らずにそのままCSチャンネルNECOで押井守特集、『紅い眼鏡』と『TALKING HEAD』を見る。 もちろんどちらも初見ではないが(劇場で見たかったが、どちらも福岡には来なかった。当時は押井守も超マイナーである)、ビデオ、LDになった途端、繰り返し見て、すっかり押井守フリーク度を一気に跳ね上げさせてしまった快作である。 いやあ、『紅い眼鏡』では、千葉繁さんの熱演はもちろんのこと、玄田哲章さんの意味なしダンス、チャイナドレスも艶やかな鷲尾真知子さん、猫印が似合う田中秀幸さん、リアルな立ち食いのプロぶりを魅せてくれる天本英世さん、なんと言っても、世界映画史上に残ると私が断言して憚らない兵藤まこの妖精もかくやの超絶的な美しさ。こんなにオタク心をくすぐってくれる映画も滅多にない。日本映画ベストテンを選べと言われたら、やっぱり私ゃ『紅い眼鏡』を入れちゃうなあ。 今、見返して気がついたこと、これ、映画のワク組というか、「状況」だけで成立させてる映画なんだね。何しろ、百々目紅一がこの街に「帰ってくる」という「状況」はあるのだけれど、「なぜ帰ってきたのか」は一度も語られない。主人公の「行動原理」が描かれない映画なんてフツー、ありえんわ(^_^;)。もちろんそれは押井守の確信犯的演出なのだろうけど。 押井守を語るのに、「繰り返される時間」とか「夢」とか「今いる現実の不確実性」とかいろんなキーワードがあるのだけれど、これ、実はモチーフ(素材)ではあるけれど、テーマ(主題)ではないのだよ。「愛」だの「正義」だの「平和」だの、テーマがなきゃ映画は作れない、あるいは作っちゃならないなんて考えてる連中は、映画をテーマに従属させてるだけだ。 映画は映画そのもので成立する。それを示してくれるから押井守は面白いのだ。
あ、ちなみに「TALKING HEAD」ってのは、映画の登場人物が観客に語りかけてくるかのように見せるために真正面から顔だけを撮るショットのことです。だからこの映画のラストも「TALKING HEAD」。『アヴァロン』もそうでしたね。 NECOの押井特集、このあともまだ『宇宙貨物船レムナント6』と続くが、これは厳密には押井作品じゃない。監督は万田邦敏という人、押井さんは「総合監修」という肩書きだけれど、実際には殆ど名前を貸しただけらしい(「レムナント」って命名は押井さんだそうだけれど。「面影」とか「名残」って意味だけど、押井さんは「残りもの」とか「端切れ」ってニュアンスで付けたようだ)。それなら『ケルベロス』を放送した方がよかったろうに。押井さん自身、この映画については「日本人が本格SFやるのはムリだ」と言いきっちゃってるんだよねえ。
夜が明けても朝っぱらから住んでるマンションの会合。議題は築10年を迎えるマンションの大規模改修工事の件。 しげと結婚してすぐに新築のこのマンションに入居したので、結婚10周年ってことにもなるんだなあ。しげは「あんたと知り合って、もうすぐ人生の半分以上になるよ」なんて言われると、自分もえらく年取ったような気分になるが、実際この10年で白髪は増えるわ、髪自体が薄くなるわ、肌の張りはすっかりなくなるわ、だいたい日々の生活で無理が利かなくなるわで、中年化どころか老人化はしっかり進んでいるのである。 人間って生き物なのだなあ、ということを自分の体で実感する毎日、そのうち目もつぶれ身動きが取れなくなるのもそう遠い将来ではない。それまでできるだけ読みたい本を読み、見たい映画を見てたいものだ。 って、実際そうしてるけど。
で、そういう生活を志してる身に、マンションの会合なんて時間の浪費に過ぎんのだが、改修工事の話なら顔を出しとかないわけにはいかないなあ、とマジメに出てみたのだが、出席者は50世帯くらいあるうちのわずか10世帯程度。 しかも、「なんでこんなに出席が悪いんだ」と延々一時間も怒鳴り続けるオッサンが一人いてうるさいのなんの。 実際、この十年、この人は同じことばかり言ってて、逆にそのせいで人が集まらなくなってんだけど、その自覚がないんだよねえ。そのくせ「こんなに人がいないんじゃ、協力はできん」とか抜かしてやがる。自分にもとからやる気がないくせに人のせいにしてんだもんなあ。
ああ、こんな下らん会合のせいで、日曜の朝のアニメ、全部見逃した。もう二度と出んぞ、くそ(いや、出ないわけにはいかないのだが)。 疲れきって部屋に戻った途端、睡魔に襲われて寝る。 しげはとうの昔に練習に行ったらしくて部屋には不在。しげはこのマンションの会合に絶対出ようとしないが、私だって出たくて出てるわけじゃないのに、イヤなことは全部を私に押しつけてるんだものなあ。少しは私の苦労も肩代わりしてほしいものだ。
昨日WOWOWで放送してたのを録画してたディズニーアニメ『ターザン』を見る。 どんなに酷いアニメかと思ったら、それ以下だった(^_^;)。 ……なんだあのターザンのキャラデザインは。『グレイストーク』のクリストファー・ランベールのまんまじゃないか。これは盗作にはならないのか。で、ターザンと言えばあの雄たけびの「ア〜アアアア〜、アアアア〜」だけど、これはジョニー・ワイズミューラーのころのものをそのまま使用。……版権はちゃんと取ってんだろうな。ディズニーアニメは数々あれど、ここまでバチモン臭いやつはさすがに初めてじゃないか。 更に文句をつければ、映画の背景に白人至上主義があることはミエミエである。 騙されちゃいけないのは、アメリカ人たちがこういう密林ものを映像化するときにジャングルを蹂躙する悪役の白人を配置するのは、自分たちの差別意識を糊塗するための姑息な手段に過ぎないってことだ。 「オウ、ワルイノハ、ジャングルミダスハクジンノホウデース、ジャングルノケダモノタチ、ジユウニサセナケレバイケマセーン」 てめーらに言われなくたって、もとからジャングルは自由なんだよ。だいたいそのジャングルの獣たちを擬人化して白人の演技つけさせてるのはなぜなんだ。ケモノたちも白人並に知性があるから殺しちゃいけないとでも言いたいのか? で、ターザンの方には逆に四つんばいさせたりして、ゴリラ的演技をさせてやんの。……骨格が違うから、そんな動きはできませんって。 「ワタシタチニンゲンモー、ケダモノタチノォ、ナカマニィ、ナレマース」ってことかよ。この、「未開のものに阿って摺り寄る」態度のイヤラシさはどうだろうね。 要するに白人の方がえらいと内心思ってて、他の民族や動物たちを「低いもの」と見なしてるから、そういう腐れた演出をつけちゃうのだ。昔のジョニー・ワイズミューラーの時代だってそこまで酷い演出はしてないぞ。 ……いやもう、ゴリラたちが人間っぽいしぐさするたびデザインがリアルなだけに気持ち悪くて。 子供向けアニメが動物を擬人化するときは、そのデザイン自体をカリカチュアするのが普通だ。ミッキー・マウスはそうしてるのに、なぜ『ターザン』ではそれをしないのか。ディズニースタッフ、頭の中がウニになってんじゃないのか。 ……ま、原作のバローズのファンや、昔の映画のファンは見ないほうがいいよな。 基本的にアニメが何かわかってないスタッフが作るとディズニーアニメが出来あがるのだ。っつーか、ディズニーがアニメで出来のいいの作ったことなんて殆どないけど。 ウォルト・ディズニーは今年生誕100年だそうだが、私ゃ坂妻生誕100年の方がよっぽど意義があると思うぞ、いや、マジで。
夕方、しげが穂稀嬢を連れて帰ってくる。 気がついたら穂稀嬢、延々とエロばなしを3時間(^_^;)。いやもう、とても内容はここには書けないっス。早いとこ独立してパソコン買ってネットやれよう。上を下へのくんずほぐれつの文章、ネットに流したら、ヘンなファンがつくこと受けあいだぞ(^^)。 でも、穂稀嬢の彼氏はと言えば、穂稀嬢にもっと清純でいてほしいそうである。けれど、それはちょっと無理な相談だと思うのだが。いや別に穂稀嬢が汚れてるって言いたいわけじゃないけど(^_^;)。
アニメ『サイボーグ009』第4話「死闘の果てに」。 原作ファンには先刻ご承知の0010の設定だが、先週の予告編でもちゃんと隠してくれていた。こういう細かい配慮も、今回のアニメ化が決定番と言いたくなる根拠の一つ。 001が睡眠中、009が負傷中という中で、残りの00ナンバーサイボーグたちが一致協力して0010に立ち向かい、あわやというところまで追いつめる描写は、原作にないオリジナルだが、これがもう盛りあがること盛りあがること。 樹木の間を縫うように移動することで、0010の加速装置の効果を減殺し、空中に飛び出したところをすかさず攻撃、海に叩き落して電撃をも使えなくする。ああ、なんてチエのあるシナリオ! シナリオにはやはり知性が必要なのだ! そしてそこでついに0010の秘密が明かされ、それからは原作通りの展開になるのだが、このつなぎが実にスムーズで違和感がない。 ちゃんと原作の名セリフも使ってくれてるんだから、ねえ、おいちゃん!(だれや) 原作の換骨奪胎の見本のような展開は、もう生きてこのアニメが見られてよかったと言いたくなるほどに感激的でありました。
で、今回判明した原作にはない超オドロキの新設定。 009を看病する003が告白する。 001から004までの四人は、プロトタイプで、大戦直後に改造が行われ、そのときから彼らの時間が止められてしまったのだとか。 003が淋しく微笑んで呟く。 「……こんなおばあちゃんでがっかりした?」 009はただ黙っていただけだった。 しかし、それではいけない! 誰かが003に返事をしてあげねば! そうだ、私が代わりに答えよう! 「そんなことはないよ003、君はきれいだ! 美しい! 星よりも月よりも太陽よりも輝いているよ! 本当に眩しいくらいさ!」 何を言ってるんだ私は! ……ああ、旧知のキャラだというのにこうも簡単に転ぶことになろうたあ思わなかったぜ(^_^;)。 マジメなことを言えば、これで004のベルリンの壁のエピソードが描けるようになったってことだよな。……でも003の兄ちゃんのジャンはどうなるんだろ? 爺さんで登場させるのか? 008あたりは傭兵経験があるような設定に変えられるのかなあ。
穂稀嬢をしげの車で送って志免まで。 穂稀嬢のナビが、裏道細道を選ぶ初心者泣かせのもので、しげはしょっちゅう「くわーっ!」とか「なんだとーっ!」とか叫びながら運転している。 「あ、その道、行って下さい」 「……暗いやん」 「信号のある道、嫌いなんですよ」 「……信号のある道、選んでくれえええ!」 私もそう切に願いたい(ーー;)。 初心者ができるだけ安全運転を心がけるのは当たり前の話だが、乗ってる人間は案外乗り心地が静かなものだから、つい「運転がうまい」と錯覚してしまうのである。穂稀嬢、「彼の車に乗ってるより断然いいですよ」と言うが、しげは慣れてないからおとなしいだけなんだってば。今まで事故が起きてないのは僥倖だって面もあることを、しげの同乗者になるなら知っておいてほしいのである。 でも穂稀嬢の彼氏、そんなに運転が荒いのだろうか。なんでもサイドブレーキに助手席の穂稀嬢の手を乗せさせて、その手ごとブレーキを握って運転してるそうだけど。……危ないことなの? それって。
穂稀嬢を送り届けたあと、帰り道で「ほんだらけ」という古本屋による。 サトウハチローの『トコちゃんモコちゃん』が100円だったので思わず狂喜。でもサイフを持ってこなかったので、しげに買ってもらう。 駐車場から車を出すときに、しげ、電柱に車のケツをぶつける。幸い事故と言うほどのものではなくて、電柱にも車体にも全く傷がついていなかったが、しげはしょっちゅう後方確認を忘れているので、そのうちどこかでカマを掘られることになりそうな気がする。 あと、夜はちゃんとライトをつけようね。
先日に引き続き、晩飯は「スタミナ太郎」。 けれど前の轍を踏まぬよう、焼き肉は控えめにして、おかずを何種類も取り揃える。しかし、出物が多くて、生活費が苦しいときに限ってこうゼイタクをしたくなる心理って、一体何なんだろねえ。
マンガ、八神健『ななか6/17』4巻(秋田書店・410円)。 いや、いきなリ婦人警官の看護婦の、コスプレものに路線変更されても(^_^;)。 一応、その辺の話は場つなぎのエピソードで、後半が本編、という感じだが、そろそろななかの記憶が戻るかも、というネタで引っ張るのも辛くなってきた感じ。で、ついに雨宮さんの告白、という展開になってきたんだと思うが、マンガのセオリーから言えば、雨宮さんの恋が報われるはずはないのである。 でも、この話ほどアンハッピーエンドが似合わない話もない。もともとななかが6歳児の心に戻ってしまったのは、「人生やりなおし」のチャンスだったはずだからだ。稔二くんは、ななかだけでなく、雨宮さんも幸せにしなければならない。そうでなければこのマンガは終われない。何となく作者がそこまで考えずに話作ってないかなあと心配になるんだけど。
2000年11月04日(土) まさかあの人があんな人だなんて……
| 2001年11月03日(土) |
10000HIT!o(^▽^)o /映画『エボリューション』/『電脳なをさん4』(唐沢なをき)ほか |
オタアミ当日まであと21日! 21日しかないのだ!
え〜っと、おかげさまで、10000HITを達成することができました。 これもひとえにみんな私のおかげでございます(←もうだれが元祖かわかんなくなってるギャグ)。 見事10000番をゲットされた方には何か粗品を差し上げようと掲示板に告知までしていたのですが、残念ながらご連絡はありませんでした。この日記の読者の半分は、Googleやgooなどで検索をかけてくる人なのですが、ここ何週間かは、「フルメタル・パニック!」で検索してくる人が異常に多い。日に数件は必ずあるという状況。 そんなん私は「放送延期はなんでなんだ」と喚いただけだっちゅーのに、それ以上の情報提供には答えようがないっスよ。こういう人がキリ番ゲットしても、連絡して来ないだろうことは仕方のないことではあります。 ましてや、10000番をゲットした人はどうやら「あずまんが」で検索してきた人らしい。日記のタイトルにオタクアミーゴスを入れちゃったせいか、よっぽど濃いあずまんがネタを期待したものか。 んじゃ私は「ちよちゃん解剖図」とかをイラストにして載せとかなきゃならんのでしょーか。どっちかっつ〜と私は榊さんかおーさかを描きたい(もっとも私の絵だとどれもこれもラムちゃんになってしまうのがネックだが)。せーふくで随分抑えられてるが、アイツら結構張りのいいムネをしていると見ている(見てどーする)。
それにつけても、つくづく、ホームページ立ちあげなきゃならんなあと思うこのごろである(と言いつつ、もう1年が経とうとしているのであった。はっはっは)。この日記にはホントに毎日、好き勝手なことばっか書いてるけど、オタクな情報の発信地には全くなり得ていないのだよねえ。
さて、今日は朝からキャナルシティで映画『エボリューション』。 公開初日の第1回目から行こうってんだから、リキ入ってるように思うだろうが、もちろん入っているのはしげである。 雨降りだし、今日もロドリゲス(今度、正確な車種をしげに聞いておこう。軽だってことはわかるが、形状をうまく説明できん)で行く予定だったのだが、ウィンカーの調子が悪いということでいきなリ車検に出しているので、バスと徒歩である。 キャナルシティ、交通機関を利用すると非常に便が悪い。博多駅から10分ほど歩かねばならないのである。 もっともしげは私と相々傘で並んで歩けて嬉しそうだが、しげとの身長差が15センチあるので、歩幅を合わせるのがヒト苦労なのである。しかも、私が一生懸命同じ足を出そうとするのに、しげは逆の足、逆の足を出そうとする。 「コラ、左足から出せって言ったろ?」 「え? でもそれじゃ二人三脚にならないじゃん」 「そりゃ、足を結んでる場合だろうが!」 言っとくが、並んで歩くの、今日が初めてじゃないからね。この会話を私はしげともう何十回もしているのだ。なのに、10年一緒に過ごしてて、しげは未だに寄り添った歩き方一つ覚えない。なんで私ゃ自分の妻と雨ん中、おしくら饅頭しながら歩かにゃならんのか。 ……雨はヤだねえ。
映画『エボリューション』、『ゴーストバスターズ』のアイバン・ライトマン監督だけに、そう外したものは作らんだろうと思ってたら、筋立てが全く『ゴーストバスターズ』だったのには呆れた。 つまり、進化していくエイリアンを退治しようとする主役チームを、おバカな軍幹部が自分たちのメンツのために排除するけれど、最後の土壇場で主役たちが見事エイリアンを撃退、大逆転の勝利ってパターン。 キャラクター配置もまんまで、女に手が早くて陽気なオーランド・ジョーンズをビル・マーレイに、学究肌のデビッド・ドゥカブニーをハロルド・レイミスに、抜け作ショーン・ウィリアム・スコットをダン・エイクロイドに置き換えたら、あらビックリ『ゴーストバスターズ』のできあがり……ってことは、つまりこれもドナルド・ダック、ミッキー・マウス、グーフィーの『おばけ退治』と同趣向ってことになるのだな。 もっとも、余りにそのまんまじゃいくら何でも芸がないと、多少のアレンジはしていて、ドゥカブニーが、研究熱心な余り、かつてワクチンの開発に失敗して国防軍の男性数万人をインポにしてしまった、という輝かしい経歴を付け加えてはいるが、このギャグが余り利いていない。 ともかく、主役のドゥカブニーがどうしようもないくらいの大根、これがもう映画のテンションを下げてることったらないのだ。コメディ演技が基礎から全くできていないのである。もちろん、これはふざけて大仰な演技をしろということではない。動きにリズムが全くないので、ギャグの間をことごとく外しているのだ。『Xファイル』ではたっぷり観客を笑かしてくれたけれど、あれは本人だけはマジメな演技をしてるつもりなのを勝手に観客が笑ってただけなのであって、ドゥカブニー自身に客を笑わせるだけの演技力があったわけじゃない。 やっぱりシロウトをコメディに使っちゃいかんよ(-_-;)。 だから、ダン・エイクロイドが市長役で登場してきて、きっちり抑えたコメディ演技をしてくれると実に安心して見れるのだけれど、それで映画が面白くなるかと言うとそこまでにはならない。ああ、ともかく一つ一つのギャグが浅くて笑いにまで至らないのがもどかしいったら。 ああ、あともう一つ、エイリアンをシャンプーで倒すってオチ、ゆうきまさみの『鉄腕バーディー』のパクリでした。つくづくハリウッドって、オリジナルな芸がなくなってきてるのな。
帰りに福家書店と博多駅の紀伊國屋に寄って、買い損なってたマンガを何冊か買う。 本題にカネを使って貧乏になったので、昼飯はバスセンター地下の安い定食屋で、私は400円のカツ丼、しげは同じ値段の天丼。もっともこれを二人で半分分けするのだから同じことだが。 ここのカツ丼、安いだけで汁が甘ったるくべとついていて実に不味い。天丼に至っては、ネタの不味さだけが舌に残るひどいもの。なのに堂々と看板に「某マンガでここが美味しいと紹介されました」と謳ってある。そのマンガも結構有名なグルメマンガなのだが、作者は実はとんでもない舌バカじゃねーのか。それとも昔は今より美味かったのか。
夕方、ずっと『カスミン』の裏番組で見れなかった『バンパイヤン・キッズ』を見る。久しぶりの愛川欽也の声優復帰作品だが、すごく面白いと言うほどではない。 偶然、写した人を一番本人の嫌う姿に変えてしまう呪いのカメラを作ってしまった吸血鬼のパパが、人間を困らせてやろうとするが、そのカメラをトラックの上に落としてしまい、その行方を追ってドタバタを繰り広げる、という定番ギャグ。 でも、「呪いのカメラ」ってネタと、その「オッカケ」ネタとを合わせるのはそれぞれの面白味を相殺しちゃう結果にしかならない。ギャグってものをライターが分かってないのだ。それとも子供向けギャグだから、ホントに呪いのカメラを使用するシーンを作っちゃいけませんなんて規制があるのか。 絵柄は確かにマンガチックで可愛いけど、これも毎週追いかけるほどじゃない。
マンガ、唐沢なをき『電脳なをさん4』(アスキー出版局・1470円)。 今回の新ネタは『マクマクアザラク』『まっく道』『ブラック・マック』など。考えてみたら、一巻で出て来てもいいくらいのネタじゃないか。まさしく「世に元ネタのタネは尽きまじ」だなあ。また、1巻から延々と続いているネタも『マッキントッシュあらし』『Macロボiマッキーン』などがあるが、逆になぜこんなマイナーどころを延々と続けてるのか、という疑問が感じられるところがいかにもなをきさんらしくてよい。でもついに『あらし』もネタが尽きたか最終回。ということはこのマンガ自体、次巻で終わるのかなあ。残念だなあ。 やり残したネタはなかったろうか。っつーか、余りに有名過ぎて、これやってないっての、まだいくらでもあるとは思うが。 今巻でちょっと残念だったのは『クレヨンしんちゃん』の模写が絵柄を似せて描かれてなかったことである。まあ別にいいんだけど。
『コミック伝説マガジン』No.3(実業之日本社・380円)。 今度のメインは望月あきらの『ゆうひが丘の総理大臣』だったけど、なぜこれが「伝説」で復活なの? 望月あきらなら代表作は『サインはV』か『ローティーンブルース』のほうだろうし、先生もので考えても『ドカドカドッカン先生』のほうが先で、マンガとしての完成度もそっちの方が高い。『総理』が選ばれたのは単にテレビ化されたやつだからってことなんじゃないのか。 やっぱり復活させるマンガの選択が特定の世代に阿ってる印象は拭えないのはこういう雑誌の宿命か。 しかも新作は毎号往年の輝きがすっかり褪せたものばかりで、かえって単行本未収録の坂口尚『ウルフガイ』や山上たつひこ『岩風呂くん』の再録などの方がよっぽど面白い。でもこういうイヤごとばかり言ってること自体、No.1の『鉄腕アトム』みたいな珍品が描かれる根を断つような行為になっちゃうので、まあ、「もちっとマンガの選択に気をつけようよ」くらいに留めておくのが無難かな。 夏目房之介が熱狂的なツツイストだったってことは知ってたけど(『伝説巨神ツツイング』を覚えている人はいるかな)、実際に筒井康隆のマンガのアシストをしてたんだなあ。『ワイド仇討』の下描きは全部夏目さんによるものだそうな。言われてみると、陸蒸気の中での歌舞伎風の演出なんか、夏目さんっぽい(っつーか、手塚治虫の影響なんだろうけど)。 実のところ、この雑誌で一番読み応えがあるの、『筒井康隆全漫画』の再録と解説だったりするのだ。この機に、また筒井康隆の新作マンガを、というところまでいってくれると面白いんだがなあ。
2000年11月03日(金) 文化の日スペシャル/映画『マン・オン・ザ・ムーン』ほか
| 2001年11月02日(金) |
スカートの下のお花畑/『HUNTER×HUNTER』13巻(冨樫義博)/『20世紀少年』7巻(浦沢直樹)ほか |
オタアミ当日まであと22日! 22日しかないのだ!
いきなりだが、本日は身近である事件が起こったので、それについて書く。 と言うのが、職場の同僚の知り合いが盗撮の現行犯でタイホされたのだ。 新聞を読んでいた同僚が、急に「ああ!こいつ知ってる!」と言い出したので、なんだなんだと私も新聞を覗いてみた。
今朝の西日本、読売両紙によると、博多駅前のビルの某書店(あそこだろうと見当はつくが一応伏せとこう)で、某高校の某教師32歳(西日本の方には実名も載っていたが、これも伏せる)が、女子高生17歳の背後に立ち、ショルダーバッグに仕込んでおいた特殊レンズ付きのビデオカメラで、スカートの中味を撮影していたのを、警備員に発見されて取り押さえられた、というのである。 更に自宅を調べてみると、路上や学校内でスカートを盗撮したビデオテープが十本見つかった。犯人の教師は独身で、「女性とうまく交際できず、鬱憤を晴らそうと、約5年前から盗撮を始めた」と供述しているんだそうな。
女性とうまく付き合えないのなら、ソープとかに行きゃいいじゃないか、何も女子高生のパンティ覗かなくてもよかろうにとも思うのだが、ここが犯人が教師である、という点で、一般人の感覚とは違っているのかも知れない。 私は思わず同僚に、「どんな人だったんですか? いかにもそんなことしそうな人だったんですか?」と、芸能レポーターみたいなことを聞いてしまったが、同僚の返事は「いや、マジメで頭の切れる人でしたがねえ」という当たり前のもの。 要するに学究肌で世間知には疎い、というタイプだったのであろう。 以前、「“裏”モノ会議室」で、どこかの新聞の読者欄だったかに載ってたという現役教師の、「男性教師の前で女子高生が平気でナマ足見せたりするんですよ! 欲情するのも当然じゃないですか!」なんて内容の投稿が俎上に上げられて、「おい、そりゃ欲情する方が異常だよ」と突っ込み入れられてたのを思い出した。なんか、その投書のヌシとこの犯人、どこか似通った印象があるんだよなあ。 榎本ナリ子の『センチメントの季節』みたいに、「女子高生だから」「制服を着てるから」欲情するって感覚は、相当幻想性が強い。フェティシズム自体を否定するつもりはないし、日常は小さなフェティシズムの集積と言ってもいいくらいだが、せいぜい「どこそこの学校の制服は可愛いね」くらいで留めておくのが無難だ。明らかにこの犯人、その一線を越えている。 でも、果たして、このバカ教師たちだけが特別ヘンタイ的な教師だったのだろうか。
いや、教師がみんなヘンタイだと言うつもりはないが、私には、少なくともたいていの教師が、自分の価値基準がどれだけ世間の常識との間に齟齬を来たしているか、自覚していないんじゃないか(というより、教師だけが持っている共同幻想の中にいて、世の中がまるで見えてないんじゃないか)って気がしてならないのである。 なんだかなあ、学生の頃、教師から叱られるたびに「口で言って分からんか!」ってフレーズをよく聞かされてたけど、聞くたびに「この教師アホや」と思ってたもんである。だって、結局これって「口で言って分らないから、怒鳴ったり暴力を振るっていいのだ」という自分の「暴力」(精神的なものであろうと物理的なものであろうと)を肯定するための口実として言ってるだけなんだもんね。更にはそのことが生徒にバレバレだってことにすら気付いてないのよ。私は叱られながら、なんでこいつはこんなにバカなんだと内心呆れていたもんだった。 こんな知能程度の低さが現れるような言葉を平気で口に出来るって、いったいどういう精神構造をしてるんだろうと謎に思ってたものだけど、要するにこれも教師が「幻想」の世界にいることの証明なのだね。 教師は多分一人一人が自分なりの「理想」やら「信念」を持ってるんだろうけど、生徒であるこっちにしてみりゃそんなん自分になんの関係もないことなのである。なのに、自分の「信念」が生徒に通じる、「生徒は善導できる」と考えてる時点で、全ての教師は自分の幻想の中に閉じこもってしまっているのだ。 熱血教師とヘンタイ教師はその幻想性において実はごく近しい。どっちも生徒にありもしない「特別」な何かを見出してしまっているという点においては。彼らが見ているのは常に現実にはありえない美しいだけの「お花畑」である。
もちろん、我々は何一つ幻想を抱かずに生きて行くことはできない。「現実を生きる」なんてことはそれ自体が滑稽な「幻想」だ。だが、自分の持っている幻想が他人に受け入れられるものかどうか、それを判断する力は生きていく上で必要不可欠なことだ。なのに教師にはそれが決定的に欠けているのではないか。 私ら夫婦にはまだ子供がいないけど、いたとしても学校になんかやりたくない。いや、マジで。 親が子を学校にやるのは、実のところ「ほかに選択肢がない」「行かさないわけにはいかない」という消極的な理由が殆どなんじゃないのか。「学校」に行かなくても社会人になる手段が他にたくさんあれば、そっちを選ぶ親だってドッと増えると思うのである。 生徒が教師の幻想、いや妄想に付き合わされて、被害を被っている点では、授業も痴漢も同じことだ。義務教育なんて小学校だけで充分だし、高校への進学率が90%越えてるなんて、生産人口の高齢化を招いてるだけだ。いい加減、学校制度の縮小、廃止、民営化も含めた構造改革もやっちゃったほうがいいと思うんだけどなあ。そうすりゃ教師たちも、ちったあ世間に近い幻想を持ってくれると思うんである。
誤解のないよう言っとくが、私が否定してるのは「学校」であって、「学」自体じゃないからね。念のため。
あと、「特殊レンズ付きカメラ」というのがどんなのか記事だけではよく分からなかったが、通販かオトナの玩具屋で購入したのだろうか。そっち方面には疎いんで、どんな品なのか誰か知ってたら教えてください。いや、別に購入はしませんが(^^)。
今日も行き帰りはしげに送ってもらう。 なぜか帰りはまた駐車場で20分待ち。時間は予め教えてあるのに遅れて来るのは「どうせまた残業で待たされるんでしょ」と怒ってるのかも。でもまだ秋だからいいけれど、真冬に待たされるとマジで風邪引いちゃうよん。 (T^T)(^T )(T )( )( T)( T^)(T^T) ヒュルルル。 しげは今でも充分寒いのか、カーエアコンで暖房を懸命に入れようとするが、なぜかフツーの風が送られるばかりで、まるで暖かくならない。 「えい、もーいい! 暖房なんか入れちゃらん!」 とスイッチを切るが、それじゃますますイミないじゃん(^_^;)。
銀行に寄ると、マンションの管理費がなぜか今月はいつもの月の倍額引き降ろされている。今月から駐車場代がかかるのは分かるが、そんなに? 管理会社に聞いて見たら、あと三ヶ月にいっぺんの水道代も引かれているのであった。 うわあ、月末までの予算の計画が思いっきり狂っちまったぞ。これでしばらく、買い置きのレトルトパックだけでやり過ごさなければならなくなってしまった。……しげの送り迎えで、タクシー代が随分浮くと考えていたのだが、計算違いだったなあ。 でも、そんなこと言いながら、コンビニに寄ったら「おっ、『HUNTER×HUNTER』の新刊♪」とか言って買ってしまうのである。自分で自分の首を締めるとはこのことだ。
しげ、車庫入れのときに後方の車を気にしたのか、なんの気なしに「悪りいね」と口にしたあとで、「『悪いね』と言ったら思い出すことって一つだよね」と聞いてくる。 「……わりいねわりいね、ワリーネ・ディートリッヒ?」 ちょっと疲れ気味にそう言ったら、しげ、得たりや応、とばかりに「だよね!」と笑う。 小松政夫さん、お元気かな?
林忠彦『文士の時代』(朝日新聞社)。 バー「ルパン」での太宰治の写真が一番有名になったことが、生前の林さんには痛し痒しだったらしい。どの世界でもそうだが、作者の代表作と思っているものが世間の認める代表作とは違っている、ということはよくあることだからだ。 確かに、作家たちの写真を眺めて行くと、太宰の写真と比べて遜色のない、いい表情のものがゴマンとある。有吉佐和子の若いころがあんなに可愛いなんて、ちょっと信じられないくらいだし。 けど、そこにこそ写真と言うものの芸術性の特殊さがあるのだと思う。写真家の技術や意図が被写体をいかようにも見せられると言うのは当たってもいるし外れてもいる。被写体なくして写真がありえないことを考えればそれは自明のことだ。被写体のオーラ(この言葉は好きではないのだが)が写真の方向性を決定付けてしまうことも往々にしてあるからだ。 個人的には微笑む坂口安吾や柴田錬三郎も見てみたい気がするが、それは被写体があくまで拒んだことであるのだろう。苦虫を潰したあの顔が、「文士」として撮られるべき彼らの「顔」なのである。
マンガ、冨樫義博『HUNTER×HUNTER』13巻(集英社・410円)。 ……あれ? 記憶と話がつながってない。 クラピカ、いつの間にクロロ捕まえたんだ。センリツなんてキャラ、記憶にないぞ。……もしかして私、12巻読み損ねてる? これだけ続きもののマンガ買ってりゃ、買い損ねもあるかもしれないし、買ってて読み逃してたり、読んでても次の日にゃ忘れてたり、いろいろあるたあ思うんだが、それにしてもこう、きれいサッパリ忘れるかな。 やっぱり、昔ほど冨樫さんのマンガ、面白いと感じてないんだろうなあ。
マンガ、浦沢直樹『20世紀少年』7巻(小学館・530円)。 肝心なところの謎は隠したまま、まだまだ引いてもう7巻。ようやく「血の大みそか」の謎が語られてるけれど、まだまだ20巻以上は費やしそうだし、「トモダチ」の正体が明かされるのはずっと先なんだろう。 実は、私は勝手に友達はケンヂ自身と思って読んでいる。……って、それまんま『プリズナー』じゃん(^_^;)。もちろんもっと意外な人物を浦沢さんが描いてくれることを期待してるけど。
2000年11月02日(木) 部屋片付けてたらあちこちから○○が……/『古館伊知郎トークブルース・お経』
| 2001年11月01日(木) |
ヒミツな情報/アニメ『ナジカ電撃作戦』4話/『クラダルマ』5・6巻(柴田昌弘) |
オタアミ当日まであと23日! 23日しかないのだ!
以前よりこの日記をご覧になっていらっしゃる方には先刻ご承知のことであるが、私は諸事情により、ここでは職業や本名を一切隠している。 おかげで仕事がらみで面白いことがあったりしても、心の中はカキたくてカキたくてカキたくてたまらないのだが、カカずに我慢しなければならなくて健康に悪いことこの上ない(なぜカタカナで書く必要があるのだ)。 今日も職場で、「おお、そうだったのか!」ということがいろいろあったのだが、具体的にはチト書けない。 で、差し障りがないように、今日仕入れた情報だけ書いておこう。
「叶姉妹は『叶姉妹』という名のユニットであり、本当の姉妹ではない」
もしかして公然の秘密で、私が知らなかっただけかもしれないが、私は今日初めて知ったことなので、ここに記録しておく。 もう一つ、こちらは「叶姉妹」ほどのインパクトはないけど、やっぱり今日仕入れた情報。
「おすぎは今、月に36本のコラムを抱えている。1本あたりにかける時間はほぼ2時間というハイスピード。あるときは某番組収録の間の2時間の昼休みで仕上げたこともある」
さて、ど〜して私はこんな情報を手に入れることが出来たのでしょ〜か?(^^)
まあ、これだけで私が何の仕事に就いてるか推理できたら立派なものだ。実は、メールをくれたヒトには全然平気でバラしてるんだけどね。 私の本職や本名を知りたい人はご遠慮なくメールを下さい。いや、中年男の本名なんか知りたくもねえって突っ込みはありましょうが(^_^;)。
昼から夕方にかけて篠突く雨。 朝がたは小春日和と言っていいほどにヌクヌクしてたのに、全く秋の空は変わりやすい。 関係ないが、よく「女心は秋の空」と言うが、あれ、もともとは「男心は秋の空」だったらしいのですね。 しかもこれ、「男の心が変わりやすい」ってのは男女間の関係について言ってたものらしいのだ。なるほど、昔は実質上、一夫多妻制だったわけだから、男の心がコチラの女からアチラの女へ、と、ひょひょいひょいと移り変わってたのもごくありふれたデキゴトであったのだろう。 でも今は「女は気まぐれ」って意味で使うことの方が多いよな。現代では「女のワガママに振り回される男」ってイメージの方が強いけど。戦後強くなったのは……ってアレか?
雨は幸い、帰り際にはすっかり上がった。 こないだからしょっちゅうしげを駐車場で待たせているので、今日は勤務が終わるなり、残業入れられないよう、慌てて引き上げる。 けど、駐車場に行ってみるとしげのロドリゲスがまだ来てない(やっぱりこの名前なんとかならんか。車の名前だと思ってもらえないぞ)。 電話してみると、寝惚けた声が「ふぁ〜い」と聞こえてくる。 「……寝てたんかい!」 「あ、ごめん、今から行く」 秋は日が落ちるのがはやい。 6時にはもうあたりは薄暗闇、しかも寒空に30分待たされてようやくしげがやってくる。 「なんで寝てたんだよ、終わる時間聞いてながら」 「ああ、昼間ハカセと彼氏が来てたから」 「なんだ、また昼間遊んでたのか」 「面白かったよ、彼氏が既知外さんに襲われた話とか聞いたし」 「なんだそりゃ」 「いきなりみんなが集まってるところに乱入してきて、『ネタは上がってるんだ! 喋らないとこうだぞ!』って言って“自分”を刺したんだって」 「……ネタって何?」 「誰もわかんなかったんだって。面白いでしょ?」 面白いって言っていいもんなのかね、そりゃ。
晩飯はしげが前から寄りたいと言っていた「スタミナ太郎」に。 バイキング形式の店で、90分2000円とまあまあ良心的な店。ドアには「当店の肉は純アメリカ産で、狂牛病の恐れのある和牛は一切使っておりません」の張り紙。 狂牛病で死ぬ可能性なんて、食当たりで死ぬ可能性よりはるかに低いと思うが、日本人がデマに弱いのはもう永遠にかわんねーんじゃねーかって気がする。 もちろん、しげと二人でノドから溢れるほどに肉を食う。 接触でいが小さくなってるので、とても入りきれず、便所でモドしながら、それでもひたすら食う。 もちろん、糖尿病の身でこんな暴食、やっちゃいけないのだが、なんだか仕事がたて込んでて、ストレスが溜まってたらしい。 腹がしげも私も半端でなくデバる。 帰宅した途端、体が重くてバタンキューと横になる。 でもしげは間を置かずに仕事。マネージャーさんが変わって、仕事の日が不規則になったらしい。金曜日、一緒に映画に行くのも難しくなってきてるなあ。
CSキッズステーション『ナジカ電撃作戦』MISSION 004「偽りの星(スター)は 甘い罠の香りと共に」。 毎回、ヒューマリットを回収せよって指令が下るわけだけど、そんなに危険なもんをなんで開発したんだか、実は4話経ってもよくわからない。っつーか、この世界、どうやら「全地球規模の地殻変動で、地球全体の陸地の17%が水没して後30年余り」って設定(『コナン』かい)らしいんだけど、その辺の説明も特になし。 もっとも、そんな説明なんかどうでもいいアニメなんだけどね(^^)。 今回は、人気アイドルグループ「4C’zNs」が登場、という話であるせいなのか、パンチラ度がいつにも増して多い。この中にまぎれ込んだヒューマリットを探しだせってのが今回のミッションなんだけど、外見だけではヒューマリットかどうか判別することは難しい。でその証拠は、シリに書いてあるシリアルナンバーを確認することだって……。 なぜシリ?(^_^;) そりゃ、シリを見せる以外の理由はないんだろうけれど(^_^;)。
しげは今、新番アニメの中で『ナジカ』が一番気に入ってるらしい。 オヤジ感覚で好きになってるわけじゃなきゃいいけど(^^)。
マンガ、柴田昌弘『クラダルマ』5・6巻(少年画報社文庫・各620円)。 描き下ろしの表紙絵のシンシアがスッゲー色っぺくて(なおかつ悪どそうで)エエなあ(*`▽´*)。 連載時は妙に顔が縦長なキャラが多くて(というか顎がやや広がっててイマイチかわいくない)、ちょっと乗り切れなかったのだ。 更に言えば、柴田さんの描くエッチシーン、この頃はまるで「そそる」ものがなかった。あれだけ濃厚なエッチシーンの連続なのに、コマとコマの間に「しっとり感」が漂ってないから淫靡に見えないんだよね。っつーか、ただひたすらハードなだけだから、情感が生まれない。 そういう効果を狙ったってわけじゃなくて、スケベなマンガ描きたがってたわりに、作画技術が追いついてなかったんだろうな。「照れ」もまだまだ残ってて、教団がどーのシヴァ神がとーのと、口実を思いつかないとSEX自体が描けなかったのかも。でもどーも絵が記号的になって行くんだよねえ。 後半は大分今の絵柄に近づいてきてるはずだから、もうちっと期待してみておこうかな(何を期待するのだ)。 今巻でどうやら将介と由麻とシンシアは「三角関係」になることを予見させて終わるが、それじゃ下手をしたら『ウルトラマンティガ ファイナルオディセイ』になりかねんぞ、なんて不謹慎なことを考えてしまった。 ……って、作者が見てるかどうか分らんが。
2000年11月01日(水) 夢で他の女と会うのも浮気なんて言うなよ/『文鳥』(夏目漱石)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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