無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年12月31日(月) 40歳のロンゲ……髪薄いってのに/『読者は踊る』(斎藤美奈子)ほか

 というわけで10回目の結婚記念日である。
 世間的には大晦日というのだけれど、なんでまたこんな時に入籍したかっていうと、これならそうそう忘れやしない、ってのが一番の理由だったりする。
 でも、しげはすぐこれを忘れるのだ。
 昨日が私の誕生日で、次の日が元旦だったりするものだから、どれが何の日だったかわかんなくなるらしい。それに記念日のプレゼントは買っちゃったし、しげは今日も昼から仕事だし(さすがに夕方でシマイだそうだか)、なんだか記念日を二人で過ごすって雰囲気ではないのだ。

 「せめて、年越しソバぐらい作ろうか?」
 こう言ったのはもちろんしげではなく私である。ウチでの料理はもう私が作ることになっちゃってるのな。
 「ソバも具も材料揃えてさ……」
 「作ってくれるの?」
 そういう会話をしたのが、夕べっつーか、今朝の夜中のこと。
 もうスーパーの類は空いてないので、コンビニに行くが、ポプラを選んだのは失敗だったかも。
 見事なくらいに「正月」を迎える雰囲気がない。
 年賀状くらいは売ってるが、それも微々たるもの。普通は年末に向けて、コンビニも「年越し商品」っていろいろ置いてないか?
 どうも売りきれたんじゃないようなのは、それらしいコーナー自体が全く作られてないためだ。
 一応、鏡モチや雑煮の材料は昨日セブンイレブンで買っておいたのだが、ソバだけはあとまわしにしてたのが失敗だった。
 仕方なく、まあ気分だけでもとカップソバを二つ買って帰る。


 宴会のあとなので、疲れ切っていて朝寝。
 しげにいきなり起こされたのは何時くらいのことだったか。
 多分、9時か10時か。
 「……起きりぃよ、父ちゃんとこに電話しぃ!」(ちょっと注をつけておくが、しげは広島生まれの北九州育ちなので、方言が相当ヘンである。したがってこんな博多弁はない)
 どうやら父から電話があったらしいのだが、今年は特に年末を一緒に過ごす約束はしていない。
 つーか、先日、食事でも時間が空いたらしないかと電話で誘ったのだが、「正月空けるまで予定が詰まっとる」と断られていたのだ。
 その辺の事情をよく知らない(って、ちゃんと言ってるんだが忘れているらしい)しげは、てっきり私が今日、父と会う約束をしておきながら、それを忘れて寝過ごしてるんじゃないかと怒っているらしい。
 しかし、そう気付いたのはあとになってからで、私もいきなり大声張り上げられて起こされた瞬間は、アタマが寝惚けているので、どうしてしげが怒っているのか解らない。
 「なん、どうしたん?」
 「父ちゃんから電話があったよ! だけん電話しぃ!」
 「何の用ね?」
 「知らんよ! いいから電話しい!」
 ともかく凄い剣幕なので、仕方なく父の店(床屋)に電話を入れる。

 「……電話くれたんやろ? なんか用ね?」
 「おう、仕事が暇になったけん、散髪に来んや?」
 そう言えばもう、二ヶ月くらい髪を切っていない。何度かお歳暮持って行ったりして、店に立ち寄りはするのだが、丁度折悪しく仕事中であることが多くて、散髪する機会がなかったのだ。
 けれど、ムリヤリ起こされたものだから、体調は頗る悪い(だいたい父は、私が寝ている時は起こさなくていいからとしげには言いつけてあるのに、しげはいつもそれを無視している。ワザと私の体調を崩そうとしてるのか?)。
 おかげで最悪の声で返事をしなければならない。
 「……昨日も仕事でさあ、そのあと飲み会もあって……」
 「飲んだとや?」
 「いや、飲んどらんけど」
 「そやろう」
 「ばってん、体調がよくないけん、さっきまで寝とった。しげにムリヤリ起こされたんよ」
 「そうや? なら来れんや?」
 「わからん。気分がよくなったら来るかもしれん」(博多弁を知らない人に注。博多では「行く」ことを「来る」とも言います。相手の立場に立った言い方なんですね)
 「ばってん、俺も4時くらいまでしか待てんぜ。お客さんもそのくらいで切れろうや」
 「なんね、お客さん、来よらんとね」
 「全然来よらん」
 文字ではわかんないだろうが、父は威張った口調で喋っている。ちょっと笑ってもいる。空威張りが好きなんだよねえ、博多んモンってのは。
 私もこれが虚勢だってのはわかるんで、つい言ってしまった。
 「……なんなら、散髪代払おうか?」
 「ばかたれ!」
 ……だから、寝惚けたアタマで会話するもんじゃない。これは昔ながらの職人に対しては失言である。前にも同じセリフを言って怒られたってのに、また同じ失敗を繰り返してしまったのだ。

 遠慮なく喋ってるようでいて、私と父との間にはもう随分と「距離」が出来てしまっている。母の死後、もう父と同居することが出来なくなったな、となんとなく感じるようになったが、それは父も同じであった。
 別に父と憎みあっているわけではない。
 以前、一緒に住もうか、と私が言った時に、父は「生活がもう、違うとう」とポツリと言ったが、まさしくそれが理由なのだ。
 父から見れば、オタクな私の生活は、自堕落にしか見えまい(ノ_;)。
 もっとも、父も戦前からの映画ファンで、何千本とビデオを地下倉庫に溜め込んでいる元祖オタクなんだが、同じオタクでも方向性が違うと、同居がしにくいものなんである。父が若いころならば衝突することもできたろうが(実際毎日のようにしてたし)、今や、衝突すれば確実に父の寿命が縮む。
 あまり会わない方がいい親子というものもあるのだ。

 ……失言のせいで、気分が、更にずんと落ち込む。
 結局、今日は行くような行かないような、曖昧な返事をして電話を切ったが、父に顔を見せる元気は全くなくしてしまった。
 口には出さなかったが、父は、多分ソバだのなんだの、いろいろ私たちのために用意もしていただろう。そういう父の気遣いが察せられるだけに、なおのこと行く気をなくしてしまったのだ。しげも仕事に出かけねばならないし、私一人で父と会う元気はない。しげが早目に帰ってくれば二人で行くことも出来るが、多分、時間帯は合うまい。

 案の定、4時ごろにまた電話がかかるが、しげはまだ仕事である。
 居留守を使ってそのまま寝る。
 ベルは20回ほど鳴って切れたが、これでしばらく父からの電話もなかろう。
 しかし、2001年も最後の最後でドラマを用意してくれるものだなあ。
 ……散髪、どうしようか。


 年末に買って、まだ読んでない本をしげが帰るまでパラパラとめくる。

 斎藤美奈子『読者は踊る』(文春文庫・700円)。
 一応これは『鳩よ!』に連載されていた『本とうの話』という「書評」の文庫化、ということになるらしい。
 らしい、と書いたのは、実は作者の視点が「作品」そのものの批評だけに留まらず、その本が世間でどう受け入れられて行ったか、そこに「ヘンな事情」がなかったか、そういった「周辺事情」の批評に腐心しているからなんですね。
 要するにこの本、『トンデモ本の世界』と同じく、「こんなヘンな本なのにそれが売れている」という視点で253冊の本を切ってるのである。
 しかも実にその視点が鋭い。
 これだけ本が出版されている、つまりは情報が溢れている中では、一つ一つの情報の意味を分析し理解していくのは並みたいていのことではない。どこかヘンだな、と感じつつも、それを見逃し、惰性の日々に身を置いて思考能力を低下させていることは多かろう。
 それを斎藤さんは一つ一つ暴いていく。その姿はまるでテレビ批評におけるナンシー関のようだ(誉めてんだよ)。
 例えば、例の藤村新一による旧石器遺跡捏造事件、アレの責任がジャーナリズム、特にNHKと朝日新聞社にあると斎藤さんはズバッと言い切るのだ。
 「捏造が起こる背景には『考古学フィーバー』がある」、それを煽ったのがNHKであり朝日新聞社だと言うのだ。
 確かにそうだよなあ。新しい縄文の姿とかで、以前はやたら特番組んでたもんなあ。当時の再現ドラマとか作ったりしてたし、斎藤さん曰く、「見たんか、それを!」
 まあ、視聴者の目を引くためには「ドラマ」作りも仕方ない、という意見はあろうが、斎藤さんの指摘は、そのドラマに、「現代日本人の常識をそのまま過去の社会に当てはめている」という点にあるのだ(もっとも、その指摘は作者自身のではなく考古学者中園聡のものだが)。
 梅原猛の『日本人の精神の故郷』中の「京都の大文字の送り火は弥生の美意識であり、青森のねぶたは縄文の精神である」という何の根拠もない記述に対しての、「では博多どんたくは何なのだろうか。岸和田だんじり祭は。浅草三社祭は?」のツッコミには笑った笑った。
 もちろん、博多どんたくは縄文とも弥生とも「どんたく」の語源となったオランダ語のZONDAG(ゾンターク…休日・日曜日)とももはや何の関係もなく、ただの観光のための祭と化している。
 ジャーナリズムの行う「洗脳」のシステムが、タイトル通り、読者(あるいは視聴者)を躍らせている。少しは頭を冷やせ、というのが斎藤さんの主張だ。
 結果的に、竹内久美子の利己的遺伝子もののように、『トンデモ本の世界』の世界とネタが被っているものもあるが、こういう周辺事情も含めねば、現代の本を批評するという行為はもう成り立たなくなってきているのではないか。
 そう考えると、この本、数ある書評本の中でも群を抜いたものであると言えよう。

 ただ、さすがの斎藤さんもオタク関係の事情には疎いらしく、明らかな事実誤認がいくつも見られる。
 1996年の「死海文書本ブーム」について、「その後アニメの『新世紀エヴァンゲリオン』がらみで再燃した」なんて書いてるが、その後も何も、「1996年」のブーム自体が、前年から始まったテレビ版『エヴァ』の影響なんだけど。
 多分、斎藤さん、映画版の『春エヴァ』『夏エヴァ』しかご存知ないのだ。
 また、桜井浩子とひし美ゆり子を比較して、「アンヌがこれほどの人気を誇っているのに対し、アキコへの思いの丈を語る男は皆無に近い」なんて書いてるけど、巨大フジ隊員に欲情した某氏とか、熱烈な桜井浩子ファンである唐沢なをき氏のことを知らないのであろうか。まあ、知ってるわけないな。
 斎藤さんにオタクなブレーンが付いたら最強になるようにも思うが、別に最強を目指す必要はないし、多分、間違いを指摘されても斎藤さんは訂正なんかしないだろうから、まあ余計なお世話はしないどこう。


 しげ、7時に帰宅。
 「パチンコ客がいねーから仕事がラク」だと。
 日頃はそんなに客が多いんか。って、深夜だもんなあ。
 しげ、速攻で落ちそうな気配だったので、二人でカップソバを食う。
 予測通り、しげ、そのまま爆睡。私は昼間たっぷり寝ているので、まだ全然眠気が来ない。とりあえず大晦日だし、紅白でも見るかなあ、と思って、テレビのスイッチを入れた途端、えなりかずきが『なんてったってアイドル』もどきのヘンな歌を歌っている。
 興醒めして、CSに切り変える。

 CS『ポピーざぱふぉーまー カウントダウンスペシャル』っつーか最終回。
 全39話ってのは長かったのか短かったのか。とりあえず来週からまた再放送するらしいけど。
 DVD発売は告知までされたのにどうなったのかなあ。何か情報流してくれるかと思ったけど全然なかった。
 けれど、コタツに入ってる清水香里とさし向かいで新年を迎えようとは、いかにもオタク(^_^;)。こんなやつそうそういまいと思ったが、あとで『ポピー』のファンページ検索して見ると、同じことやってるヤツが結構いたのだった。
 ううむもポピーファン、侮り難し。

 そのあと、なんと『ルパン三世』第一シリーズの1話から17話までの放送が始まり、もう何度見たかわからないのだがついつい見入る。
 作画枚数が当時のテレビアニメとしては破格、と大塚康生さんは『作画汗まみれ』で書いてはいるが、それでも『カリオストロ』などに比べると線も動きも粗く見える。にもかかわらず、キャラクターの描出力は、どのルパンよりも傑出している。
 第一話、『ルパンは燃えているか?』、での次元大介の初登場シーン、寝転がって足を組んでるそのつま先がゆらゆら揺れてるが、これだけで次元の余裕とアンニュイさの表裏一体、不敵とニヒルの混合、男臭さが表現されているのだ。
 もう、このころの大塚康生は最高である。
 峰不二子も、大隅正秋演出のころはワンカットごとに微妙な表情を見せている。……高校のころ、文化祭でアニメキャラ写真グランプリ(もちろん20年以上前だから、テレビ画面を接写したもの)を開いた時、新旧の不二子を並べたが、投票で圧倒的人気を得たのは当然旧の方だった(グランプリは南原ちづるに輝いたが。そういう時代だったんである)。キャラの力が違うんだよなあ。
 『7番目の橋が落ちる時』あたりまで見て、さすがに睡魔に襲われて眠る。
 ……今日見る夢はまだ初夢ではないのだな。


 A HAPPY NEW YEAR……

2000年12月31日(日)  20世紀の終わりの夜に……/『算盤が恋を語る話』(江戸川乱歩)ほか


2001年12月30日(日) ケーキとシュークリームと焼き鳥と/『ヒカルの碁』15巻(ほったゆみ・小畑健)/『細腕三畳紀』(あさりよしとお)ほか

 年の瀬も押し詰まってるさなかの誕生日である。
 誰のって、私のなんだけれども。
 別に年齢を詐称する必要もないので正直に言っちゃうけれど、今日で私は39歳である。
 30代最後の年だけれども、数え年だともう今年の正月に四十を迎えているので、感覚的にはもう「不惑」なんだなあ、という気持ち。
 しかし、孔子はよく言ったもんだね。確かに四十になると「惑う」ことはなくなってるもの。悩みは尽きることがないが迷いはないのな。世間の荒波、困った事態は連日奔流のごとく押し寄せてくるが、今更、自分の性格変えようがないしい、ってなもんなんで。
 オタクをやめよう、なんてのもついぞ思わない。自分で自分に、「そのまま行ってよし!」とGOサインを出してるような感じである。

 「しかし、人生の折り返し点は確実に過ぎたなあ」
 「なん、生きるのがつらいと?」
 「楽しいとかつらいとかいう感覚でとらえちゃいないよ。長く生きたいってわけでも、早く死にたいってわけでもないってことだよ」
 「以前はいつ死んでもいいとか言ってたくせに」
 「『死んでもいい』と『死にたい』は違うよ。別に俺は死にたいわけじゃない。ただ、確実にお前より先には逝くよ」
 「……ズルっ子やね」
 「お袋は若いころは『死ぬのなんて怖くない』とか言ってたけど、死ぬ間際になって『死にたくない』って言い出したものなあ。そういう覚悟の足りないことはこれから言いたくはないけどね」

 しげとは時々、そんな、死についてのヘンな会話をする。
 とりとめがないし、実のところ更にトシを取れば醜く生に執着しそうな気もする。理想は水木しげる氏のように、「私はもう半分以上水木さんではないのです」という境地になりたいとも思うが、寝惚けることの多い昨今、10分の1くらい、私はもう、有久さんではないのかもしれない。
 それもまた善哉。
 
 
 午前0時を過ぎて、ロイヤルホストで食事。
 ささやかながら誕生祝である。
 どこぞのホテルでディナーとかにならんところがいかにも庶民。だいたい明日も結婚記念日なんで、そうそうパーティなんか開けるわきゃあないのだ。
 誕生日と言えばケーキ、ということでしげの好みのショートケーキを二つほど注文。
 「ほど」というのはついでに私がシュークリームを頼んだからである。でも皮が固くて味は今一つ。
 さすがに深夜なので、いくつか料理を注文するが品がない。
 無難なところで定食を頼むが、店長がやってきて謝罪して20%割引券をくれた。固持するが是非にと言うので、仕方なく使う。別にその気はないが、なんとなく難癖つけて安く上げる客と同一視されるような気がして、こういうのは好きじゃないんである。
 店長が「夜遅くいつも来て下さってますから」と礼を言うが、しまった、こんなところでも顔を覚えられてたか、と苦笑。

 そのあとひと寝入りはしたが、実は今年最後の仕事の日である。
 さすがに午前中だけだが、もう眠くて眠くて。
 帰宅するなりまた泥のように眠る。誕生日は寝て暮らすってか。


 目覚めるともう夕方。
 今日はAIQの打ち上げというか御慰労会というか、要するに飲み会があるのだ。しげを叩き起こして、天神の中央広場まで急ぐ。
 待ち合わせの7時には20分ほど早目に到着。
 余裕があるとつい、福家書店に寄ってしまうのはオタクの人情だが、こういうオタクオタクした行動をしげは滅法嫌う。別にオタクが嫌いってわけじゃなくて、オタクがいかにもオタクであることを標榜するような行動に出ることが一種の「開き直り」に見えて、しげには傲慢に映るらしいのだが、かと言って、別に誰かに迷惑かけてるわけでもないのだから、これはしげの方がワガママを言っていると考えるべきだろう。
 だって、しげは自分がどこかに寄りたい時はやっぱり時間を気にしないで同じ行動取ってるんだから。
 一月の新刊が早目に出てるかと思ったが見当たらないので、落穂拾いのように旧刊を買いこむ。

 アンジェリーナさん、たけうちさん、エロの冒険者さん、しおやさん、獅子児さん、三々五々に集まってくる。
 たけうちさん、ロシアのコサックのような帽子をかぶっているので、なんとなくこれから南極に越冬隊員として行くか、八甲田山で死の彷徨をしようかという感じ。ああいう帽子は私も好みなんだが、似合いそうにないので買ったことはない。けれどそろそろ私の頭はだいぶ薄くなってきているので、帽子は被ったほうがいいかなあ、と感じている。いや、ハゲかくしってことじゃなくて、年寄りっぽいと電車で席譲られたりしかねないから(^_^;)。
 本の袋を下げていたので、しおやさんから「何買ったの?」と早速聞かれちゃったが、ちょうどそのとき買ってたのが内田春菊の『金玉』。……ちょっと天神のドまん中で見せるのは恥ずかしいかもしれないモノであった。
 いや、見せましたけど。もう「恥」というコトバが私の中からどんどん消えていくなあ。

 時間通りにみんなで近くの居酒屋へ。ぴんでんさんはそちらでもう待機しておられた。
 この店、焼き鳥を含めて品数も豊富で安く、味もなかなかなので、店名を出してもいいのだが、どうも周囲の客層がちょっと気に入らないので、一応控える。いや、いつ来ても妙に「徒党を組んだ連中」が多くてさ、トイレに行くとそこにタムロってたりゲロ吐いてたりで、ちょっと環境が悪いのである。

 オタクアミーゴス公演のビデオテープを獅子児さんからいただく。
 上下2本、計4時間の大作(^^)だが、それでも若干のカットはあるとのこと。
 幕前に某スーパーの「さかなを食べよう」という歌をなぜか今回公演のテーマソングとしてかけているのだが、これが一番しか入っていないそうな。
 もっとも聞いたことがある人はわかると思うが、あの「♪さかなさかなさかなー、さかなーを食べるとー、さかなさかなさかなー、アタマーがーよくーなるー♪」と、エンドレスでかかり続けてるやつを延々聞かされてもちょっと頭がクラクラするだけなので、それは構わない。
 当日は受付にいたりして、見ていない部分も多いので、明日が楽しみである。

 さて、飲み会になるともうぴんでんさんが毎回爆発してくれるのだが、今日も酒量が増えるにつれ、「どうしてあのエロネタを日記に書いてくれないのですか」と絡んでくること(^_^;)。
 うーん、別にエロなことを書きたくないと思ってるわけじゃなくて、これは公開日記なんだから、見る人によってはぴんでんさんの性格を誤解する人が出るかもしれない、そうなったら申し訳ないないなあ、という配慮のもとだったんだが、「ぜひ書いてください」と言われればもう、書かずばなるまい。
 ……先に言っときますが、ぴんでんさんはとてもいい人です(^^)。

 さて、ぴんでんさんは往年の山城新伍もかくやと言うほどのソ○プラ○ドの帝王でいらっしゃる(おいおい)。
 で、あるとき、いつものごとく、馴染みのソ○プ嬢と、とっても楽しいことをしていたと想像してください。
 ところがそのとき突然、ぴんでんさんの携帯にコールが。
 問題はその着メロである。
 オタクはやはりいかにもオタクな着メロを入れるものではないかとご想像されるだろうか(ちなみに私の携帯の着メロはしげが『ルパン三世(新)』を入れてくれている)。それはある意味「当たって」いた。
 突然流れたその音楽とは!

 「♪と〜っとこ〜、走るよハム太郎〜♪」

 いや、笑ってはいけない(^u^)。
 ぴんでんさん、根はとってもメルヘンな方なのだ。
 しかし、いくらメルヘンなぴんでんさんでも、今まさに最高潮と言うときに携帯に出るわけにはいかない。
 仕方なく楽しいことを優先させるわけだが、その間も「ハム太郎」は当然、流れ続けている。
 あとの次第は、ぴんでんさんの言葉をそのまま写す。
 「あれ、フシギなもんで、音楽が鳴ってると、腰の動きが自然とそのメロディーに乗って、動くようになるんですね、こう、「と〜っとこ〜、走るよハムたろ〜』っていうように(ポーズ付き)」。
 ……みんなもう、爆笑(≧∇≦)。
 更にトドメの一発。
 「……これでみなさん、これからハム太郎の音楽を聞くたびに私の腰の動きを思い浮かべてくれることでしょう」

 ……このように、ぴんでんさんはとってもイイ性格をしている人なのである。
 そして、実際、ハム太郎を聞くたびにクスリと笑い出す女が私の隣に生まれてしまったのだった。
 つくづく、洗脳されやすいやつだよなあ、しげ。  

 これからちょくちょく、ぴんでんさん語録も書いていくことになろうかと思うが、ぴんでんさん、未だにご独身の好漢であります。御本人は、結婚したらピッタリ遊びは止める、と公言していらっしゃいますので、お付き合いしたいという妙齢のご婦人がいらっしゃいましたら、私までご一報のほどをよろしくお願いいたします。

 ぴんでんさん、その後も『鉄人タイガーセブン』や『電人ザボーガー』など、ピープロ製作特撮番組の魅力などを語る語る。
 私も当然見ちゃあいたんだが、どちらかと言うと同じピープロ作品なら『宇宙猿人ゴリ』や『快傑ライオン丸』派であったので、その二作には、ぴんでんさんほどにはハマらなかった。この辺がやはり世代の差というものであろう。
 評論家の岩佐陽一がやはり『タイガーセブン』には相当感銘を受けているのだが、実はぴんでんさんと同世代である。そのことを聞くと、ぴんでんさん、「でも私、岩佐陽一、嫌いなんですすよ」と複雑な表情。
 これも一種の同族嫌悪ってやつだろうか。

 みんなで散々食って散会。
 次の集会は、年が明けた中ごろに、『シベリア超特急』の鑑賞会を行おうということになったが、みなさん、そんなに心にストレスをあえて溜めようというのか(^_^;)。


 雑誌『ドラゴンHG(ハイパーグレイド)』第1号(富士見書房・1000円)。
 あの伝説の(どこが)とり・みきとゆうきまさみの合作、『土曜ワイド殺人事件』の復活である。
 題して『土ワイ4 京都藁人形殺人事件』。
 もちろん、今度の主役も元マンガ家アシスタントの田渕A子(この名前で少女マンガファンはまず笑ってください)。
 アレから(何がアレからかはもういちいち解説しないが)A子は山にこもって修業していたのだった(なんのだ)。同時期になぜか起こる、「人間の死に方の通りに殺される藁人形」事件。そして群馬県警から京都へ出張捜査に現れた、あの頭が陰毛の(^_^;)田子二毛作と土手村の刑事コンビ。
 ストーリーはこんなだが、ともかく随所に描き込まれたマニアックなギャグの数々がわかる人にはわかって大いに笑える。
 登場人物がシルエットになってるシーンにさりげなく『煙突屋ペロー』がいたりしてな(^o^)。……みんなもどれだけネタがわかるか探してみよう!

 他にも、復活を遂げた結城信輝『ヴェルパーサーガ』、復活を遂げたゆうきまさみ+田丸浩史『マリアナ伝説』(復活ばっかりかい)などがメイン作品。……ちょっと雑誌としてはオタク向けすぎる気はするが、ドラゴンだし富士見だからいいのか。
 よくわかんないけど、声優やネットアイドルのグラビアまで付いている。このネットアイドルの木村紗雪って女の子が、「自分が生まれる前のマンガを読んで感想を書く」という企画ページを持たされてるんだけど、その第一回に選ばれてるのが江口寿史の『ストップ!! ひばりくん!』。
 ……もう、二十年前ってかよ。まだ完結してないってのに。
 この女の子、「『高円寺さゆり』が好き」、なんて書いてるが、このキャラが薬師丸ひろ子をモデルにしてることも知らないんだろうなあ。つーか、薬師丸自体知らないのかも。

 次号予告を見ると、『ダーティペア』や『地上最強の男竜』など、やっぱり続編企画ばっかりだ。2号出せるのかなあと思って発売日を見ると……12月?……まだ出てる気配がないぞ。売りきれたのか、やっぱりポシャったのか。
 吾妻ひでおが描いていればポシャったと確実に言えるんだが(^o^)。


 マンガ、ほったゆみ原作・小畑健作画『ヒカルの碁』15巻(集英社・410円)。
 年の瀬っこともあるのか、ジャンプコミックスが早めに発売されている。
 買うには買っていたのだが、一度読んでるものなので、慌てて読まなくても、と思っていたのだが、どうしてどうして、通読すると連載を待ち望みながらぶつ切りで読んでいた時よりはるかにリズムのある構成だったことに気付いた。
 佐為がついにヒカルの前から姿を消し、その姿を追って、因島へ、更には東京へ舞い戻り、「二度と碁は打たない」と泣き崩れるまでのヒカルの心理の流れが実にスムーズでリアリティがあるのだ。ドラマはやはりキャラクターの心のうねりが作り出すものなのだなあ、と感心する。
 連載の方はいよいよ塔矢との久しぶりの対決なんだけど、ここで完結させられれば、多少の物足りなさは残っても、いい締めくくりになるようには思う。けれど実際には、人気のある限り、これからも連載は続いて行くのだろう。そうなればそうなったで、ある意味、ヒカルが燃え尽きるまで(あしたのジョーかい)、あるいは時代をポーンとすっ飛ばして未来まで行っちゃってもいいかもしれない。ここまで来ると、多少トーンダウンしても、行けるとこまで描いて行ってほしいという気持ちも起こってくるのだ。


 マンガ、あさりよしとお『細腕三畳紀』(講談社・500円)。
 あさりさんの、恐らくは世界で唯一の「三葉虫マンガ」(^o^)。
 と言うか、三葉虫をネタにして、これまであさりさんが描いてきたギャグ・SF・ナンセンス・怪獣・特撮・魔女っ子・オタクマンガの手法を全てぶちこんだような、ベスト・オブ・あさりよしとおのような体裁になってるのが凄い。
 ……あさりさん、燃え尽きつつあるんじゃないのか。
 こう言っちゃなんだが、あさりさんは自分のオタク趣味さえ表に出さなければ、もっとブレイクしたっていいマンガ家なんである。ウケるネタ、ドラマツルギー、キャラクター造型、それぞれにおいて傑出した才能を持っていることはわかるし、例えばあさりさんが本腰を入れて、『ゴジラ』をシリアスに漫画化したとしたら、とてつもない傑作ができるだろう。
 ところがあさりさんが実際に描いちゃうのは『中空知防衛軍』であったり、今巻の『マーくんの場合』のような「怪獣対巨大三葉虫」だったりするのだ。パロディは日本においてはまだまだ市民権を得たとは言えない。偉大なる吾妻ひでおにして、決してメジャーにはなれなかった。パロディは、日本マンガシーンにおいては、自らをマイナーのワクに閉じ込めるものでしかないのである。

 今巻に『佐藤くんの場合』という短編がある。
 悪の組織に就職した平凡な青年が三葉虫怪人に改造され、「その日」が来るまで待機任務についている、その平凡な日々を描いたものだ。
 なんの変哲もないアパートの四畳半での普通の日々。
 三葉虫ということで近所の子供が石を投げる。
 同窓会の電話が来るが、もうこの姿では顔は出せない。
 何も知らない実家の母親から送られて来たラーメンを啜る。
 モビルスーツのプラモを買ってきて作るのが唯一の楽しみ。
 そして「その日」は来る。
 彼がアパートの窓から見た、最後の夕日の街並み。
 彼は呟く。
 「どうして平凡に生きようと思わなかったんだろう……」
 三葉虫の流す涙を見ながら、あなたは泣くだろうか、それとも、失笑するだろうか。確実に言えることは、これはオタクのためだけに描かれたマンガであり、オタクにしか理解できないマンガであり、これを読んで感動する、泣けるということがオタクであることの証明であるということだ。
 三葉虫がいなくなった街で子供たちが会話する。
 「どこかで元気にやってるかなあ」

 誕生日に、こんな感傷的なマンガ読んじゃイカンなあ(^_^;)。

2000年12月30日(土) 誕生日スペシャル/アニメ『フリクリ』5巻、『競作五十円玉二十枚の謎』(若竹七海)


2001年12月29日(土) これでもだいぶ短くしました。/映画『シュレック』/DVD『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』

 体調もいいので、朝からキャナルシティに向かい、映画『シュレック』を見る。
 AMCでは字幕スーパー、日本語吹替版をダブルで上映してくれていて、好きなほうを選べるのが嬉しい。こういうのがシネコンのいいとこだね。
 通常、私は字幕版を見るか吹替版を見るかで迷うことは全くないんだけれど、今回はしげが「マイク・マイヤーズもエディ・マーフィも嫌いだしぃ、山寺宏一さんの方にしようかなあ」と悩んでいるので、見るギリギリまで迷うハメになる。
 結局、「そういや、日本語版、藤原紀香だっけ?」としげが眉間にシワを寄せたので字幕版を見ることにしたが、なんか嫌わなきゃならない理由でもあるのか。確かに「客寄せパンダ」であることはハッキリしてるんだけど、予告のテレビ特番じゃ、そう悪い出来でもなかった感じだったけど。そう言えば『サウスパーク』にも出てたな、金魚役で(^o^)。
 ハマちゃんもどの程度のテンションでやってるのか気になるし、DVDが出たら吹替版も確認してみたいところだ。

 さて、映画本体の出来だけれど、見ている間、楽しめはしたのだけれど、商業論理に引きずられた映画作りにはやはり疑問は残る。
 ディズニー映画のパロディにするつもりならば、フルCGではなくてセルアニメーションで作んなきゃ意味ないじゃん、というのが実は致命的な欠点。
 『FF』もそうだったけれど、所詮は「CGでここまで出来るようになりました」ってレベルを越えられてないからなあ。唯一、CG作品をCGでパロったプリンセス・フィオナの『マトリックス』シーンは、ギャグのレベルとしては『最終絶叫計画』と変わりない。ここで「あえて『マトリックス』のパロディをやらない」というギャグに関しての厳しさがドリームワークスのスタッフには欠けているのである。でも、CMでこれを流しまくっているのはいかにもキャッチーだからなんだよね。商業論理が優先されている、というのは、そういうことなんである。

 アニメと言えばディズニーというイメージに挑戦した作品はもちろんこれまでにも世界各国で作られていて、本作はそれらの集大成であるとは言える。けど、それはまあ親切な解釈で、悪く言えば既成作品の稚拙なパクリとも言える。
 ドラゴンとの城での攻防戦は、構図や演出面から言っても、『やぶにらみの暴君』や『長靴をはいた猫』にインスパイアされていることは明白だし、ロビン・フッドのミュージカルシーンなんかメル・ブルックスの『ロビン・フッド キング・オブ・タイツ』そのまんまだ(『アリババと40匹の盗賊』も入ってたな)。 もっと言っちゃえば、おとぎばなしのパロディならば、テックス・アヴェリーの方がよっぽど切れ味のいいギャグを何十年も前にやっている。「赤ずきんが実は○○」とかな(^o^)。「お姫さまが実はお転婆」なんてこんな古臭い設定でパロディになると考えてるんだったら、パロディという手法自体、舐められたもんだなあ、と鼻白む思いさえする。
 つまり、ディテールを見て行くと、そのほとんどが反ディズニーの既成作品の寄せ集めになっているわけで、その点では芸がないと断ずるしか仕方がないのだ。

 確かに、ドリームワークスのアニメ部門がこれ以上失敗できない苦境に立たされていた、というのはわかる。
 『キング・オブ・エジプト』が成功したとは言い難いこと、セルアニメ(厳密には手描きではないけれど)だとウリがないことなど、それらの点を考慮してのフルCGという選択は確かに間違いではなかろう。
 実際に本国ではディズニーの『アトランティス』を蹴散らして大ヒットしているそうだから、「どうして手描きアニメにしなかったのか」なんて批判は野暮だ。そんな風に野放図に言い放ったところで、「それじゃ客は来ないよ」、の一言で済まされてしまうだろう。
 でも、結局それって、「本当に面白い映画を作ろう」という思いからはほど遠いのは否定出来ない事実だろう。
 同じネタで、日本のスタッフが作れば、ずっと面白くはなる、それは確実だ。。しかし、そうなると今度は毒が強すぎて、アニメ慣れしていないアメリカじゃ逆に受けなくなるように思う。でも、原恵一や大地丙太郎が監督した『シュレック』の方が10倍は面白くなると思うんだけど、それだったら見てみたいと思いません? 既に『クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの冒険』(こっちは本郷監督だけど)にそういう要素はあったけどね。

 ファークアード卿の悪役ぶりの見せ場が少なく(コイツがまた「やぶにらみの暴君」ソックリ)、ラストが盛りあがらないこともあるし、物足りなさはやたら感じる。オチもまあ、『美女と野獣』に反発すればああなることは予測がつく。つまるところ、「映画を見てビックリ」というワクワク感はあまり感じられなかったのだ。
 けれど、作画、演出、テーマの全てに渡って、これまでディズニー一辺倒でクソ駄作を乱発してどん底状態にあったアメリカアニメが、その呪縛から解き放たれて、ようやく鑑賞に堪えるアニメを作り出した、という点は大いに評価しなければなるまい。というか、アメリカ人にもディズニーに飽き飽きしてた人間も多かったんじゃないか。『パワーパフガールズ』のヒットと『シュレック』のヒットは、明らかに連動しているのだ。
 私の場合、似たような映画をこれまでやたら見ちゃってるせいで新味を感じないだけで、素直に見れば退屈することのない佳作なんである。
 日本じゃ本国ほどにはヒットしてないみたいだけれど、日本にも「ディズニーって、夢があるから好き」なんて目をうるませてる藤○朋○みたいな○○○はいるからねー、そういうやつらにはぜひ見せたいアニメだったりするのだ。
 
 しげに感想を聞くと「まあまあ」。
 まあ、そんなとこだろう。


 今日もラーメンスタジアムに行ってみようかと思ったが、既にホールが人で溢れ帰っていて断念。けれど、これは明らかに「反博多ラーメン」の機運が高まってる証拠じゃなかろうか。
 アンケート結果で、優勝するのは果たして博多ラーメンかその他のラーメンか。どこのらーめん屋に行ってもとんこつ細麺しかないって偏ってる状況を打破してくれそうな気配は確実に感じる。 

 でも、食い損なうと昼飯にはラーメンに拘りたくなるのである。
 ウチの近所のベスト電器を回って生ビデオテープを買いこんだあと、ウチの一風堂に立ち寄る。
 気がつかなかったが、しげと二人でここに来るのは初めてだった。私はときどき一人で食べに来てたんだが。
 「なん、いつの間にアンタ、来とったん」
 とウラミがましい目で見るしげ。でも私はしげだって、私に隠れていろいろ美味しいものを食べてることがあるのを知ってるので、聞き流す。
 広い通りに面しているとは言え、筑紫通りから横に入ったところにあるので、それほど混んでないんじゃないかと思っていたらアテが外れて、こちらも昼どきで満員、10分少々待たされた上に、学生らしい男ふたり連れと相席である。
 真向かいにいるからどうしても二人の会話が聞こえてくるんだが、やっぱり話題は「ラーメンスタジアム」。
 片方は横浜のラーメン横丁かどこかにも行ったことがあるとかで、「やっぱり横浜は美味い」なんて喋ってる。意見は意見としてわかりはするんだが、ラーメン屋の中で他のラーメン屋の話をするってのは、礼儀としてしないって感覚がこの人たちにはないのかなあ。メシに毒でも入ってない限り、その店の中でその料理の悪口は言わないってのは、誰にでもある常識だと思ってたんだが、今どきはそうでもないのか。
 ここのラーメン、麺の固さやスープの味が選べるので、とんこつ嫌いの私でもまあ、食べられる。たまには濃い味が食べたくなることもあるので、辛口を頼むが、やっぱり水を大量に飲まないと「舌にもたれる」。
 岡田斗司夫さんも一風堂には来たことあるそうだけれど、舌に合ったのかなあ。


 休日を堪能しようと、帰宅して、買ったままでまだ読んでない小林よしのりの『戦争論2』を探すが、見当たらない。
 ウチはともかく既に本棚に収納スペースがなく、床がどんどん平積みの本で侵食されて行っているので、どこに行ったかわかんなくなることが多いのだ。
 あちこち探して、ソファーの上にとっ散らかったしげの上着やら下着やらの中に『……2』と書いた本らしきものの背表紙が見えて、「あ、こんなところに!」と取り出してみたら、それはしげが買ったばかりの『螺旋回廊2』というエロゲーであった。
 ……たいして中身に差はないかもしれんが。


 DVD『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』見る。
 オタク的に細かいことを言うと、「地底怪獣」と書いて「バラゴン」と読むのが正しい(^^)。
 ついでに言うと、どこぞのライターが「怪物を、もともとは博士の名前である『フランケンシュタイン』と呼ぶようになったのは、この映画のせいではないか」なんて書いてたが、この混同は既に本国の『フランケンシュタインの花嫁』のときから始まっている。タイトルロールの「花嫁」ってのは理屈で考えると、博士の花嫁なんだけど、たいていの観客がエルザ・ランチェスター演ずる「怪物の花嫁」のことだと思ったのだ。
 しげは額が広いので、昔「フランケン」と仇名されてたそうだが、これも正確には「モンスター」と呼んであげなくちゃいけない(^^)。
 こんなどーでもいことに拘ってるから、オタクは嫌われるんだけどもな。特に女の子に。
 最近、某チャットで、それと気づかず中学生の女の子と会話しちゃったんだけど、初手から「私、オタクって嫌いなんです。すぐ自分の考え押しつけてくるから」と言われて、「オタクにもいいオタクと悪いオタクがあるんだと思ってください」なんて言い訳をして、自己嫌悪に陥ってしまった。
 オタクにいいも悪いもあるかい(-_-;)。女の子に嫌われたって、「オレはこれが好きだ!」と自信をもって叫ぶくらいの気概がなくてどうする。全く修業が足りんことである。
 いわゆる劇場版と海外版の2種類があると巷間伝えられる『フラバラ』(あまりこの作品省略して言う人いないと思うがめんどくさいんでこう略す)だけれど、今DVDのリーフレットで、ようやく「海外版と言われているが実はテレビ放送されたもの」との解説が入る。実際、劇場公開を見ていない私はこれを何度となくテレビで見ているのだが、そのたびごとに「海外版のみ」と言われるオオダコとの対決で終わるので、「なんじゃこの唐突なラストは」と不審に思っていたのだ。
 実際に「幻」だったのは、劇場公開のタコなしバージョンだったのである。実際に目にして見ると、結末の座りがいいのはやっぱり劇場版の方である。バラゴンを倒し、勝鬨をあげながらも業火の中、地割れの中に沈んでゆくフランケンシュタインの哀れさは涙をそそる。ガッツポーズ取ってるヒマがあったら、さっさと逃げりゃいいじゃん、というツッコミは置くとして(^_^;)。
 オタクならば先刻ご承知、本作には『サンダ対ガイラ』という日本特撮史上屈指の名作と言われる続編が存在する。アメリカとの版権が切れなきゃ、多分更なる「フランケンシュタインシリーズ」が作られた可能性もあるんだろうけれど、二作で終わっちゃったってのはちょっと残念。


 滞っている日記の更新を頑張る。
 横目で見ているしげが「10行ぐらいで書けばいいじゃん」と言い、私も納得はしているのだが、「ただこういうことがあった」だけじゃなくて、どうしても「ディテールを書きたくなる」のが人情というもののだ。
 しげの言動なんかも細かく書いていったら、今の文章の十倍は笑えるんだが、いかんせん、分量も今の十倍かかる。
 短くしてもどうしてもこれくらいはかかっちゃうのだ。
 まあ、性格だと思ってください。


 オタクアミーゴスの総合パティオを覗いてみると、唐沢俊一さんから、この日記の記事の一部を削除したことについてご返事がある。
 オタアミ当日の唐沢さんの言動を私が日記にアップしたことで、ご迷惑をかけたと言うのに、唐沢さんは「気にされなくていいですよ」と気遣ってくださっている。つまりは唐沢さん本人の気持ちは問題ないのだが、周囲がちょっと騒いだ、ということらしい。
 だからといって、いったん削除したものを再アップする気はないので(それなら最初から削除はしない)、その旨更に謝罪のご返事を書きこむ。
 唐沢さんの「悪口」は芸の一つでメチャクチャ面白いので、それを世間にご紹介する誘惑に打ち勝つのはなかなかに難しい。実際、「こりゃさすがに書けんわ」ということでオミットしているネタは、ほかにも数限りなくあるのである。しかし、世間には、悪口言われて本気で怒るココロの狭いやつがゴマンといるからなあ。
 悪口を許容できない社会というのはタブーが多い社会、つまりは未開社会であり、差別的な社会だということになるのだが、全く逆に捉えてる人も多いのだ。
 みんなで悪口が言いあえる優しい世の中にしていきたいけど、被害者の味方面したファシストがやたらいやがるおかげで、この国は随分キュウクツになっている。
 この日記で伏字しつつも悪口を書いていってるのも、そういう「自由な雰囲気」を作って行きたいからなんだけど、道はまだまだ遠いなあ、という感じなのである。

2000年12月29日(金) やっと年末


2001年12月28日(金) ラーメン・ファイト!/DVD『御先祖様万々歳!』ほか

 仕事は1時間でオフ。
 一応、今日が仕事納めなんだけれど、まだ明後日出勤しなければならないので、休みだって実感がない。
 1時間しかいないから、しげは職場の駐車場で待機。
 そのあとキャナルシティに回って、先日食べ損ねたラーメンスタジアムに初めて行く。

 横浜にもラーメン横丁だか博物館ってのがあるらしいけれど、そっちは街並みを再現してるだけなのかな。
 こちらは全国各地のラーメン屋を集めて、ラーメン日本一を客の投票で決めさせようという、『料理の鉄人』か『包丁人味平』かっていう感じの、ラーメン・アミューズメント(^o^)。
 ホールに入るなり、中央のモニュメントから、若本規夫の濃い声で「日本一のラーメン者は誰だ!」ってアナウンスが流れて来たのにはマジでのけぞった。
 こういうのも地方巡業っていうのかね(^_^;)。それにしても「らーめんじゃ」なんてアホなフレーズ、考えついたの誰なんだ。

 エントリーされてるラーメン屋は以下の通り。
 1,旭川 らーめん山頭火(さんとうか)
  (豚骨と野菜、干魚の白いスープ)
 2,北海道 らーめんむつみ屋
  (豚骨・鶏ガラ・昆布・煮干し・中国野菜(羅漢果))
 3,喜多方 坂内食堂(ばんないしょくどう)
  (豚骨スープに、塩味ベースの醤油)
 4,東京 らーめん香月(かづき)
  (豚骨スープに醤油と味噌)
 5,横浜 六角家(ろっかくや)
  (豚骨と鶏ガラの醤油スープ)
 6,博多 一黒丸(いっこくまる)
  (鹿児島産の黒豚と鶏ガラを煮込んだスープ・極細麺)
 7,宮崎 風来軒本店(ふうらいけんほんてん)
  (豚骨スープ)
 8,熊本 味千拉麺(あじせんらーめん)
  (豚骨スープ・「千味油」)

 あと、ラーメンギャラリー・みやげ館(各種ラーメン・ラーメン関連グッズ・博多名物の販売)ってのも一店舗。
 まさに「ゲーム感覚でラーメンを楽しむ」という、面白いんだか馬鹿げてるんだかよく分らない企画だ。

 開店早々だったが、もう店の前は長蛇の列。
 特に人気なのは、一見したところ、旭川ラーメンと喜多方ラーメンの2軒のようだ。
 10分待ちで入った、しげの目当ての喜多方ラーメン、あっさりしていて美味しい。麺の腰も充分で、細切りの紙を食ってるようなそのへんの九州ラーメンと比べると格段の差。
 具は肉以外にはほとんどなく、本当に麺とスープだけで勝負しているのが自信のほどを伺わせる。これなら確かに列ができるのも納得いくぞ。

 ラーメン食べるのに待ち時間が長かったせいで、映画の時間が中途半端になったので、見るのをやめて帰宅。
 カラダは丁度くたびれ気味だったので、昼寝ができてよかったかも。

 昨日もついに買っちまったDVD『御先祖様万々歳』BOX。
 実はレーザーディスクでも持ってるので、再度買う必要もなかったのだが、つい、オマケの「スペシャルディスク」とやらが気になってしまったのだ。
 これだからオタクはよう。
 一応、目玉なのは鳥海尚之原作、高田明美キャラデザインという、スタッフだけは豪華なインドファンタジー『フルムーン伝説 インドラ』のパイロットフィルムなんだけれど、これがほんの2分ほどしか収録されていない。
 若き日の押井監督の才気が感じられはするものの、いかんせん、インドの神々たちのキャラってのがもう、悲しいくらいに華がない。これじゃ製作にゴーサインが出なかったのも仕方がないねえ、ってな出来なんである。
 DVDのほうが操作はラクだし、買ったこと自体は後悔してないが、もちっと特典つけてくれてもよかったんじゃないかと、ちょっとだけグチが言いたくなったのであった。


 更に凝りもせず買った『チキチキマシン猛レース』BOX。
 初回と最終回を比べると、声優陣が格段にノリノリになっていった様子がよくわかる。
 第一話なんか、野沢那智のナレーション、ただの実況中継だもんね。ブラック魔王の大塚周夫も「するってーと」なんて言わないし。
 しかし、DVD見てたら、一日もあっという間である。

 『名探偵ポワロ』BOX、第一巻から見ようとするが、30分もしないうちに落ちる。なんかふんばりがきかなくなってきたよなあ。

2000年12月28日(木) 初めてタグ使ってみました


2001年12月27日(木) ぷれぜんとってぷれぜんとってそーゆーもんか?/『パンゲアの娘 KUNIE』2巻(ゆうきまさみ)ほか

 今日はちょっと仕事に出るだけ。
 朝寝も出来るし、昼前に早く帰れるしで、いつもこの程度の仕事量だったらラクなんだが。
 天神まで出かけるつもりで、しげに職場まで迎えに来てもらおうと携帯に連絡を入れるけれど、しげのスカポンタンは、昨日、夜更かしでもしてたのか、いくらコールしても起きて来ない。
 これももう、毎度のことなんで、今更、文句を言う気も失せている。
 仕方なく、自宅近くのセブンイレブンまでタクシーで戻って、買い物をして時間をつぶす。
 そこで改めてしげに連絡を入れて、「天神まで出かけないか? 買い物もあるし、メシおごるぞ」と誘うと、ようやく思い腰を上げる気になったよう。
 昨日も似たようなパターンだったような気がするなあ。結局「メシ」「肉」で釣るしかしげを動かす方法はないのかなあ。
 「メシ」の一言で動けるんなら、初めから動かんかいと言いたいが、それができないってことはしげの頭の程度が日光猿軍団なみだってことなんだよな。なんだか、ビル・マーレイにビスケットをあげつづけて、破産しそうになるスティーブ・マーティンの気分である(わかりにくい例えですみません。でも解説はしません)。

 でも、呼び出されたしげ、なんとなく気分が悪そうな顔をしている。
 ありゃ、ホントにコイツ、具合が悪かったのかな、と気後れした時点で、もう、私の負け(-_-;)。
 「買いものって、何を買うの?」
 「DVD、買い損ねがあるんだよ」
 「……また、何買うの……?」
 「……『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』……」
 「……帰っていい?」
 「あ、お前への結婚記念日のプレゼントもあるから!」
 しまったなあ、まだなんにも考えてなかったのになあ。ともかくその場で何か考えつくしかないなあ。
 覚悟を決めて、まずは地下鉄の東比恵駅までしげの車で行く。
 天神まで車で行くのは、今の昼過ぎの時間帯だと、駐車スペースはほとんどない。
 以前、そういう無謀をして懲りた経験があるので、今回は、いったん、駅前の駐車場に車を停めておいて、地下鉄で天神まで出る算段なのである。
 ちょっとお高めの買い物をするなら、銀行でいささか軍資金が必要か、と西日本銀行の前に行くと……。
 あれ? なんか見たような自転車が……。
 うわあ、これ、先週の金曜に買い物に行ったとき、乗って来た自転車だ!
 帰りは自転車に乗って来たこと、すっかり忘れてて、タクシーで帰ってきてたんだった。
 ひい、ふう、みいと、六日もそのまんま。
 一応、鍵はかけてたけど、よく盗まれなかったよなあ。ボロなせいもあるかもしれないけど。
 おカネを卸して、自転車に乗って駐車場まで戻ってくると、しげが目を丸くする。
 「どうしたん! その自転車……」
 「いや、こないだ、乗ってきて、そのまま忘れてた……」
 「いつから!」
 「み、三日くらいかな?」
 ついサバ読んじゃったところが小心者なところである。
 しげも怒るより、私のマヌケを見られて楽しそうにニヤニヤ笑っている。……さっきまで気分悪そうにしてたのはどうなった。
 なんかもう、今日は完全にイニシアチブを取られそうな気配である。


 LIMBでDVDを買って、福家を回ったあと、天神コアのレストランで食事。
 そのあと、三越で、いよいよしげへのブレゼント探し。
 「やっぱ、結婚記念のブレゼントは指輪とかネックレスとかがいいなあ」とかいうので、その手の店を回る。
 「予算はいくらくらい?」
 と聞かれたので、小声で「まあ、5万以内?」と答えたら、しげ、店の中だと言うのに「そんなに!?」と大声をあげる。
 ……コラコラ、そんな声出したら、まるで私がン百万もするダイヤを買うようではないか。
 実際、しげは気がついてないようだったが、店員たちの目が、そのとき一斉にキラリと光ったのだ。
 しげのアクセサリーの感覚って、せいぜい一万円以内だと言うのに(考えてみりゃ、ホントに安い女だよな)。
 もう、店員さんがわざわざカウンターの中から出て来て、「ちょっと身につけてみられませんか?」とネックレスなんかを勧めることったら。
 それがもう、ホントに十万以上ってのばっかり持ってきやがんの。
 ……しげのスタイル見ろよ、三越にジャンパーとジーパンで来る女が、なんでそんなケバケバしい宝石つけるかって。
 腋の下を脂汗が流れるのを感じちゃいたが、表向きニコニコと、「他のもいろいろ見て、じっくり決めようよ」としげに声をかけながら、できるだけこの場を離れるきっかけを作ろうと必死である。
 結局、しげの気に入ったアクセサリーが決まらず、別の店に回ろうということになったが、この間、30分以上、生きた心地がしなかった。
 ……しかし、しげも、たいして買う気も無いくせに、冷やかすだけ冷やかすって、いい根性しとるわ。

 そのあと、年末録画用のビデオテープを買いにビックカメラに流れる。
 ウチの近所の電器屋にはあまり置いていないS−VHSの180分テープを買いこんで帰ろうとしたら、しげがパソコンの液晶ディスプレイの前で、じっと『ルパン三世カリオストロの城』の映像が流れているのを見ている。
 「どうした?」
 声をかけてもしばらくは答えず、ほうっとタメイキをついて、「これいいやろ?」と言う。
 「ああ、キレイだな」
 「……ほしいんよ。新しくパソコンも来たし」
 ちょっと、イヤな予感がした。おもむろに振り向いたしげはあたかも愛玩動物のような目で、一言。
 「買って?」

 というわけで、結婚記念のプレゼントは、KCSの液晶ディスプレイ(4万円ナリ)になったのでした。

 「結婚記念のプレゼントはアクセサリーとかムードのあるものじゃなくちゃ」とかホザイとったのはどこのどいつやああああああ!
 しげの具合もすっかりよくなったみたいだねー。
 ああ、よかったよかった。……なにがだよ。


 帰宅して(当然私は自転車で寒空を帰りました)、しばらくニュースともご無沙汰してたので、何気なくテレビをつけると、池田小学校児童殺傷事件の宅間守被告の初公判の日だった。
 宅間被告、開口一番、「座ったらあかんのか?」とやらかして、裁判長から「立ったまま聞いてなさい」とたしなめられる一幕がある。
 一応、「命をもって償います」とは言っているものの、だるそうに足を組んだりする態度に、マスコミはこぞって「反省の色がない」と怒りの報道。
 けどさ、反省するほどの理性があるんなら、もともとこんな事件、起こしちゃいないんじゃないの? それに、下手に反省されちゃうと、「死刑」に出来なくなったりする可能性もあるから、これは「正しい」行動と考えればいいんじゃないのかね。
 だいたい、遺族は被告が「反省」したら許せるんだろうか。
 どんなに反省したって、自分の幼子を奪われた恨みは消せないのではないだろうか。
 第一、被告が「反省」するためには、拘置所に「隔離」した状態では不可能だろう。遺族の恨み一つ受けない「安全圏」にいたのでは、もともと自分の犯した罪の重さを感じるきっかけ自体、生まれまい。
 弁護士がどんなに弁舌を振るって被告に反省を求めたところで、肝心なところでその言葉には「命の重み」が欠けている部分があるような気がする。努力している弁護士さんには悪いが、所詮は彼らだって遺族とは他人なのだ。
 「さっさと死刑にしてくれへんかなあ」みたいな被告の態度は、まさしくその「命の重み」が伝わっていない証拠だろう。それとも、その被告の「無反応さ」がまさしく精神病によるものならば(詐病説も報道されたが、これだけの事件を起こしてるんだから、そんなに簡単に判断できるもんじゃあるまい)、この事件は、回避することが出来なかった悲しい出来事としか言いようがないんじゃないか。
 報道を聞いていて胸糞が悪くなるのは、「どうしたら宅間被告を死刑にできるのか」という視点がウラに見え隠れしてる点だ。死刑にして終わりって問題じゃないだろうに。遺族のやりきれない思いをどうしたらケアできるのか、こういった事件の再発を防ぐことはできるのか、それを語っていくのが報道の仕事なんじゃないのか。
 マスコミ、もうこの事件を過去のものにしたがっているのである。


 野村佐知代、5000万円払って保釈。
 そんだけの金があるなら脱税すんなよって感じだが、追っかけのレポーターの方がどうにも見ていてイジマシイ。
 「野村ヒコク〜!」なんて言って怒鳴ってるが、こういう悪辣なヤツを憎悪する気持ちって、実は幸せな人間を妬む宅間被告の心情とたいして変わらんのよ。
「ヒトコトお願いします!」なんて、ホントにバカだもんね〜。裁判前に自分が不利になる発言するわけないっての。
 どんなに悪いやつでも、マスコミ報道を通してみるとみんな被害者に見えてくるからなあ。本当にその罪を償わせたいと考えてるんなら、そんな事件を「面白がる」報道なんかするな。事件を陰で笑って楽しむのは、居酒屋の酔客と“裏”モノの仕事なんだってば。


 アメリカ、ニューメキシコ州の教会で、『ハリー・ポッター』シリーズが焚書にあったとか。
 理由は「若い読者が魔術に興味を持つから」ということだったが、やっぱり宗教関係者にイカレたやつが多いのは、洋の東西を問わないようである。


 マンガ、ゆうきまさみ『パンゲアの娘 KUNIE』2巻(小学館・410円)。
 『廃棄物13号』以来のゆうきさんの怪獣ものってことになるのかな、これは。
 なんだかベムラーを細長くしたような怪獣が出て来たけれど、船を通り抜けてしまったってことは、これももしかしたら「残留思念」なのかね?(^o^)
 考えてみたら、「怪獣が実は思念体」ってのは「イドの怪物」あたりがルーツで、いい加減使い古されちゃってるから、それを『ゴジラ』に持ってきてるってことだけで、なんかゲンナリしちゃったのだな、私は。同じネタなら、たがみよしひさの『滅日』のほうが、ずっと面白いよ。あれも『デビルマン』が相当入ってるけど。
 ゆうきさんのホームページ、『逃げちゃダメかな?』もここ一月以上、全然更新されてないんだけけれど、先月のスケッチブックのコーナーで、今度の新作パトレイバーについて、「押井版とは違うよ」ととの但し書き付きで中身を簡単に紹介している。 
 「まんが版の『廃棄物13号』は“ウルトラシリーズ”の味わい入れてみましたが、映画『WXIII』は“怪奇大作戦”になっていて、まんがよりだいぶ怖い。ちなみに僕はどっちの味わいも好きですが、『パトレイバー』のファンが映画観たらやっぱ怒るかなぁ、とちょっと不安。良い映画にはなってると思うので、公開時には押井守脚本、プロダクションIG制作のフルデジタルアニメ『ミニパト』(かなり面白いらしい)との併映になりますから、こっち目当てにしてでも劇場に来てくれると嬉しいです。」
 もちろん行きますけどね。
 私は押井演出のパトもそうでないパトも両方とも好きなんだが、どちらにより親近感を抱くかと言ったら、やっぱり押井版になっちゃうのだなあ。それは、押井さんが海出した帆場英一と、ゆうきさんの内海課長という、二人の悪役キャラの違いを見てもそうと言える。内海さんも好きだけど、犯罪者としては詰めが甘いんだよな、性格は所詮子供だし。なにしろマンガ版は後藤隊長と帆場が知らずにタッグ組んでたようなものだから、内海さん程度じゃ敵うわきゃなかったのだ。
 『パト1』が好きなのは、後藤さんの「所詮負け戦」みたいな発言がズンと来るからなんだよな。
 こう言っちゃなんだけど、ゆうきさん、ホントに才能を出しきって作品描けたことってまだないんじゃないかと思う。だって、『パト』はやっぱ「ヘッドギア」って枷の中でしか描いてないし。どうしても押井守の影に隠れて、ゆうきさんの姿ってのが映像からは見えて来ないのよ。
 『廃棄物13号』は、パトシリーズの中でも異質だったし、ゆうきさんテイストは随分あったけれど、果たして単体の物語として面白かったと言えるかどうか。特車二課の面々を背後に回して作られた今度の新作が、とり・みき脚本、高山文彦監督の手を入れてどの程度のものに仕上がるか、そこからゆうきさんの資質も改めて浮かびあがって見えてくるんじゃないかと思うんである。
 そういうわけで、今度の映画は奇しくも、押井・ゆうき対決みたいな感じになってると思う。来年の期待したいアニメ映画、あまり多くはないんだけれど、やっぱり『パト3』に期待しちゃうのだ。
 ……『KUNIE』の感想がほとんどないな(^_^;)。


 マンガ、夏目義徳『トガリ』6巻(小学館・410円)。
 連載は既に巻末ボロページガ定位置になってて、おそらく余命いくばくもなかろう『トガリ』。それでも6巻以上になりそうなのは頑張ったほうかなあ。
 絵もだいぶ上手くなって来たのに、もう一つ「洗練」って言葉からは離れてるしなあ。
 前巻から登場の“ex”、ようやくメンバーの一人を倒しただけだから、本当ならもう4、5巻は続いてもいい感じなんだけど、せいぜいあと2巻ってとこかもしれない。
 持ち出してきたテーマが新人のマンガ家には重すぎる、ということはあったのかもしれない。単純なヒーローものにしたくなくて、「悪をもって悪を切る」設定を考えたのはいいけれど、おかげで、トウベエがいつきを助けるのにも「他人を守ろうとしてではなく、自分にとって気にいらなかっただけ」と、苦しい説明をせざるをえなくなってるし。
 でも、どこかで、「愛」で「トガリ」を使えるようになるって形に上手く切り替えられないと、まとまりがつけられなくなるんじゃないかなあ。 

2000年12月27日(水) やっぱり今日も眠い/『富士山 第4号』(さくらももこ)ほか


2001年12月26日(水) イベント近し、ネタは無し/『これで古典がよくわかる』(橋本治)/『だめんず・うぉ〜か〜』2巻(倉田真由美)ほか

 最近、気づいたことだけれど、私の寝つきのよさってのは、もしかしたら「睡眠」を取ってるんじゃなくて、「失神」してるんじゃなかろうか。
 なにしろ、寝ても疲れが取れないことがすごく多いんである。仕事の量はそうキツクないはずなのに、1時間ごとに休憩を取らないと、体がズンズン重くなるんである。食い過ぎ、という説もあるが、意外と体重は増えていない。それでも尿糖はしっかり出る。食わなきゃ眩暈がするし、食えばダルくなるし、どうすりゃいいんだ。
 目覚まし時計がなったのに、今朝は全く気がつかなかった。
 ……昨日は帰宅してからもちょっと寝たし、12時には布団に入ってたぞ。
 寝不足のせいではないので、なぜ起きられなかったのか、原因が解らない。
 おかげで今日は早出の日だったのに、遅刻。
 カラダがダルくて休むってことはしょっちゅうあったけれど、目覚めもしないなんてことはほとんどなかったのになあ。
 やっぱり心労が続いてるのかなあ。


 仕事が細々ながら続いているので、どうも年末だって感じがしない。
 それどころか、私の誕生日と、大晦日の結婚記念日も控えているのに、何か準備をしなきゃならない実感が湧かないんである。
 しげはしげで、10周年だから「スイートテンダイヤモンドがほしい」なんてフザケタことを言ってやがる。
 もちろん、実利主義のしげは、そんな換金しても元値の半分にもなりやしないものを本気でほしいなんて思ってるわけじゃないのだ。ホントに買ってやったら嬉しいことは嬉しいけれど、扱いに困ると自分でも承知している。
 なのに「ほしいなあ」、なんて臆面もなく言いやがるところが性格の悪いところだ。
 「ほしいものはあるしぃ、下手にほしくもないもの勝手に買われるとイヤなんだけれどぉ、これがほしいなってのを買ってもらうんじゃツマンナイからぁ、これがイイってのをなんとなくアンタが察してプレゼントしてくれてぇ、ビックリさせてくれるのがいいの」
 要するに、モノはほしいが、ちゃんとイベントに相応しい状況を作れ、と言いたいらしい。……この、結婚記念日は男がお膳立てするもの、という甘えが、しげの「オンナオンナ」してるとこなんだよなあ。日頃、ベタベタした女を嫌うようなこと言ってる癖して、どうしてこう自分に都合のいいときだけ女であることを振り回すかな。たまには、「お互いを祝う」という発想はできんのか。
 プレゼントなんて、なんだっていいじゃん。なのに、昔、図書券をやったら「こんなのはプレゼントじゃない!」って文句つけやがったしなあ。もう、結婚して十年も経てば贈り物のネタなんてないってば。
 ……『素敵な奥さん』でも贈ってやろうか。


 仕事を終えて、しげに連絡すると「キツイ、一人で帰って」。
 またかよ、と思いつつ、タクシーを拾って帰る。あれだけ毎日寝てて、どうしてカラダがキツイのか理解に苦しむよなあ。
 近所のジョイフルまで来て、もうそろそろしげも目覚めたかなと思って、もう一度電話して晩飯に誘う。安いのが取り柄で、味はまあ二の次って感じのジョイフルだけれど、私はそう嫌いではない。値段が高いワリにたいして味に拘ってない最近の中洲近辺の屋台に比べりゃ、よっぽど良心的ってもんだ。
 カルビキムチと豚の角煮を頼んでしげを待つが、すぐ近所なのに、10分、20分待っても全く来る気配がない。
 角煮はしげのために取っておいたのだが、いい加減来る気をなくしたのかと、一つつまんだところで、やっと来る。自分のものが手に入らなくなりそうだとすかさず現れるというのは、全くイヤラシイくらいに嗅覚の働くやつだ。
 「なんだ、もう食べてるんなら帰るよ」
 ……遅れて来ておいて、この言い草だもんなあ。ここで「じゃあ帰ろう」なんて言った日には、あとで「メシ食い損なった」「腹減った」とブチブチ文句を言うに決まってるのだ。
 「まだ注文するから、座ってなんか頼めよ」
 そう言って、仕方なくカレーライスを注文する。別に私はしげが食べ終わるのを待ってたって構わないのに。
 ……ああ、これでまた太るの? 私……(ToT)。


 アニメ『ヒカルの碁』第十二局「三将はお前だ」。
 今年最後のアニメ『ヒカ碁』、どのへんで区切れるかと思ったら、囲碁大会の直前。盛り上げるためにはもう少し先に進んで、アキラとの対決あたりまで行っておいた方がよかったような気もするけれど、話がダイジェストになっちゃうのもなんだから、まあ、無難なところかな。
 今回の目玉はなんと言っても、桑原本因坊の声を誰がやるのかってことだったけど、まさか、納谷六朗さんとはねえ……。
 悟朗さんならともかく、これはちょっとミス・キャストなんじゃないの?
 いや、六朗さんが嫌いってんじゃなくて、声が若すぎる(ホントはいいトシなんだけどね)。この手のジイさん声だと、もう、故・宮内幸平か永井一郎か八奈見乗児と相場が決まってたから、ちょっと目先を変えたのかもしれないけれど、1回だけの登場ならともかく、今後も出演するんだしなあ。
 ああ、こうなると倉田六段にもどんな声の人があたるのか、ちょっと心配になってきたぞ。私の心の中ではもうアレは林家こぶ平以外の声は思いつかないんだが(^^)。


 DVD『三大怪獣 地球最大の決戦』再見。
 若林映子のコメンタリーつきで見る。一時期、死亡説も出たくらい若林さん、世間に露出してなかったから、今もなお艶やかで若々しい声を聞くと、うれしくなってくる。
 若林さんが「金星人」を演じてたときのあの浮浪者風の衣装、あれはご本人の普段着だそうである。沢村いき雄から奪ったんじゃなかったのか(^o^)。しかし、女優さんが普段から着飾ってるわけじゃないって雰囲気がよかったんだよなあ。思えらく、スターが必ずしもスターっぽくないところが、サラリーマン喜劇でも鳴らした東宝のいいとこだったと思うんである。
 ラストの夏木陽介の記者と、若林さんの王女との別れの演出が、『ローマの休日』っぽいことは見た人ならすぐに気がつくところだけれど、あれは、本多猪四郎監督自らの指示だったんだなあ。関沢新一の脚本にもともとありはするのだけれど、若林さんが『ローマの休日』のファンなので、サービス的に行った演出らしい。
 記憶を喪失していたはずなのに、「あなたに助けられたことだけは覚えています」ってのは、こりゃいろいろラストを締めくくるのに結構使えるよなあ。……実は既に形を変えて自分の脚本の中で使ってんだけれど(^_^;)。すみません、前回のウチの芝居の『鴉』のラストは、『三代怪獣』のモジリです。気がついたやつがどれだけいるか(いね〜って)。
 もう、二人の距離は離れているはずなのに、ほんの一瞬だけ交錯する……って、これ、子供向け映画の演出じゃないよなあ。だったらどうして「みんなでキングギドラをやっつけましょう」なんてアホなこともやっちゃうのか(-_-;)。
 ギドラが後半ですっかり弱っちくなっちゃうのが、なんとも残念でならんよなあ。

 いろいろ興味深い話は多かったんだけれど、俳優さんの思い出話は、撮影の苦労は語れても、特撮の現場を知らないことも多い。
 だから、若林さんが、インタビュアーに「キングギドラは首と羽とシッポと、全部操演だったんですよ」と説明されて、「そうだったんですか?」と40年ぶりくらいにビックリしてるってのが、ちょっともの淋しい。
 当時の俳優さん、特撮ってものに対して、偏見とまではいかないんだろうけれど、さほど興味がなかったんだなあということがわかっちゃうんで。
 かと言って、わかりすぎるくらいわかってる京本政樹みたいなのも困りもんなんだけれど(^_^;)。

 しかし、DVDのおかげで画質がよくなるってのも考えもんなんだよなあ。
 もう、背景の空が書割りなのがバレバレだし、ピアノ線はおろか、キングギドラのウロコが剥がれてるのが見えたりするし。
 それでも新作のキングギドラより巨大感もあるしよく動いてるってのがどうもねえ。


 橋本治『これで古典がよくわかる』(ちくま文庫・714円)。
 タイトルがいかにも学習参考書みたいで全然キャッチーじゃないんだが(この「キャッチー」って言葉ももう死語かな)、更に「ちくま文庫」じゃ、いったい誰が手に取るんだか。
 「知識なんていらない、古典は『体』で覚えろ」という橋本さんの意見は痛快だし、さすがは『桃尻語訳 枕草子』を出しただけの人ではあるなあとは思う(もっとも後の『徒然草』と『源氏』と『平家』はつまんなかったけど)。
 ただねえ、「古典に出会わないままの人に古典の面白さを伝えたくってこの本を書いた」という橋本さんの気持ち、それはイタイほどわかるんだけど、結局この本を手に取るやつって、「黙ってたっていずれ古典に触れる」人間なんだよね。橋本さんが本来ターゲットにしたい「古典から遠い現代人」は、賭けてもいいけど、絶対にこんな本は手に取らない。
 実際に手にさえ取ってみれば、「平安時代の人間は漢文が読めなくて、竹のペンで振りガナを字の横ちょに書きこんでいた」とか、「兼好法師は文章を書き損じても紙を反古にするのがもったいないから、そのまま書いていた」とか、「なんだ、昔の人も別にエラクないじゃん」的な一行知識がてんこもりで面白いんだけれど、やっぱり「古典に遠い」人は読んだりしないのだ。
 それは、実はその人が「古典に遠い」んじゃなくて、もともと「勉強に遠い」人なんだよね。で、実は学校なんかで成績優秀で、バリバリ勉強してるように見える人たちだって、基本的には「勉強に遠い」人間なのよ。

 どういうことかっていうと、実のところ現代の日本で、とりあえず社会生活を送ろうと思ったとき、「これだけは必要」って知識が皆無になっちゃってるって状況があるのだね。
 「そんなことない、漢字の読み書きくらいは必要だ」
 「基礎的な算数くらいはできないと、おカネの計算一つにしても困るじゃないか」
 そう反論する人もいるだろうが、でも現実に「漢字が読めなくても」「算数ができなくても」暮らしてる人はゴマンといるので、この意見は成り立たない。そう思ってるのは「最低限の教養は必要」って幻想にとらわれてるだけなんだってば。
 もちろん、「完全に無教養」なんて人間もそうそういはしないから、現実には「教養に偏りのある」人間が寄り集まって、それぞれの知識を補完しあってこの社会は成り立っている。
 例えば、学校というシステムを考えて見ればそれは実に明確になるんであって、国語の先生は過去の古典にも通じ、現代文学もたくさん読破して、いかにも知識の権化みたいな顔をして授業をしている。けれど、英語は中一程度の知識もなかったり、因数分解もできないなんてやつらはゴロゴロいる。あるいは、ムツカシイ数式をいとも簡単に解ける数学教師が、初歩的な漢字も書けない、なんてことはよくあるのだ。
 だから、「数学できんとが、なんで悪いとや」という言い訳が全ての教養について言えたりするのだ。「国語ができんだって、英語ができんだって、歴史を知らんでも人間の価値とは関係なかろうもん」と開き直れるのよ、今ではね。
 世間は「あの教養もこの教養も」と、情報だけは提供してくれるが、実はそのほとんどのものを全て捨て去っても、生きて行けたりはする。で、要領よく、一部の知識だけを活用していけるやつは、脳みそがパーでも高学歴ってことになったりもするのだ。
 ……ご近所に、野球と女の会話だけで世渡りしてるようなやつ、いないかい? で、そいつの学歴聞いたら、ウソだろオイっていうくらい、偏差値高いとこだったりするんだよ。

 『桃尻語訳 枕草子』が出たとき、やはり賛否両論が巻き起こった。
 「否」について一言でいえば、「不謹慎」ってとこかな、笑っちゃうけど。
 この本でも、そのときの騒動の憤懣のあとがチラホラと文中に現れていて、「学校の先生はこの訳にマルをつけないかもしれないけれど、間違いではありません」と言い切っている。
 そりゃそうだ、「春は曙」を「春って曙よ!」と訳して、どこが誤訳になるのかね? たいていの国語教師は「この下には『をかし』が省略されているので、『(が趣深い)』を補わねばならない」とか言うのよ。
 ……趣深い、なんて日本語、日常で使ってる人、手をあげてみい。
 結局、従来のアカデミズムが、古典の世界を象牙の塔にしてしまっており、それは古典に限らず、全ての学問・教養の分野で普遍的に行われている、というのが現状であるのだ。

 この日記を読んでくれてる人のなかには、「古典に遠い」人も結構いると思いますが、「じゃあ一つ、『源氏物語』でも読んでみようかな」って人はいますかね?
 古典を理解する方法って、橋本さんもこの本の中で言ってるけど、「暗記して慣れろ」。これしかないんだよね。外国語を学ぶのと同じ。文法なんか実はどうでもいいんで、そんな「本文理解」には対して意味のないことを学校では一所懸命覚えさせようとするから、古典がどんどんわかんなくなる。
 「いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 『源氏物語』の冒頭で、人によっては何十回読んだってわかんね〜、と言うかも知れないけれど、他の部分もともかく読んでいくうちに、言葉と言葉の連関性が見えてくるようになるのね。
 例えばこの中にある「やむごとなき」って言葉が、ある一部の人々の形容詞としてしか使われてない、と気付けば、これが「気高くて近寄りがたくて、そのお方のご威光が子々孫々まで伝えられそうなくらいウットリさせられる」って意味だって気付いてくるのよ。
 ここまで詳しい訳は、辞書にもそうそう載ってないが、間違いじゃありません。「あてなり」って言葉にも「高貴だ」って意味はあるけど、明らかに「やむことなし」とは意味合いが違うもの。「止む・こと・なし」でしょ? 何が「止まることがないのか」って考えれば、その意味は辞書なんか引かなくても見えてくるよ。
 古典の楽しさってのは、こんなふうに「自分で語釈できる」ってとこにあるんだから。

 でも実はその楽しさって、ムチャクチャ苦労がいるのね。
 つまり、本来、『ターヘル・アナトミア』を前野良沢たちが訳したのと同じくらいの苦しさを必要とするわけで、これだけ情報が氾濫してて、他にも身につけなければならない教養がゴマンとあるのだ、とみんながてんでに思いこんでいる中で、そんなことに時間を割ける人間がどれだけいるかって。
 古典なんか知らなくても生きて行ける現状の中で、あえて古典を読む人間なんて、「苦労してでも古典が好き」って人しかいるわけないじゃん。
 まあ、古典を身近なものにしようと思ったら、あれだね、文書を書くときには言文一致をやめて全て旧かな遣い、及び古語で書くようにする、とかでもしない限り、ムリな話だね。そうすりゃ、みんな「必要なこと」だから、必死で古語を覚えようとする。
 ……マンガのセリフが全部古語になったら面白い気もするが、それじゃ、全員が『キテレツ大百科』のコロ助になっちまうな(^^)。


 マンガ、倉田真由美『だめんず・うぉ〜か〜』2巻(扶桑社・900円)。
 あらら、くらたまさん、離婚されてしまったようだね。
 ホームページのマンガには、「旦那さんの匂いを嗅ぐのが好き」とか「どんなにだめんずを渡り歩いても最後にいい男ゲットしたら勝ち」とか描いてたけれど、やっぱり旦那さんも「だめんず」だったってことなのかな。
 どういうわけだか「才能がないマンガ家」と叩かれることの多いくらたまさんだが、絵が下手だとか、取材の切り口が甘いだとか、その程度のことで叩かれるってのがちょいと解せない。
 結局それは表向きのことであって、実のところ「くらたま本人の性格がキライ」「なのに売れてるからもっとキライ」って、やっかみじゃないかな。
 何だか、小林よしのりが昔『ゴー宣』で、さくらももこの『いきもの図鑑』について、「あんな足で書きなぐったみたいなの」とかなんとか批判してたのと意識構造は似てる気がするなあ。

 ちょっとこれは、一部の女性には嫌われる言い方になるかもしれないけれど、ダメな男が選ぶ女ってのは、やっぱりダメな女なんだよね(^_^;)。
 完全にイイ男、なんてのはいないわけだから、私の「ダメな男」パーツの脳細胞でもって言えばね、「はたらかないで女に貢がせたい」って願望はどの男にもあるんですよ。
 じゃあ、どんな女ならイイかっていうと、「乱暴しても良心の呵責を感じないでいられる女」、つまりは「バカ」な女ってことになるのね。
 で、この「バカ女」の幅って、実はすごく広い。
 「生意気な女」
 「男に媚びる女」
 「嫉妬深い女」
 「自意識過剰な女」
 「恥知らずな女」
 「夢見てる女」
 「男を品定めする女」
 「男に理想を求める女」
 「男に優しくされたがってる女」
 「男の暴力に耐える女」
 「他の女の悪口を言う女」
 「自分が美人だと思ってる女」
 「自分がブスだと思ってる女」
 「コンプレックスのある女」
 「コンプレックスのない女」
 みんな、男から見たら「バカ女」です。……これじゃ女が全部はいっちゃうじゃんって思うかもしれないけれど、実はたった一つだけ、この「バカ女」の範疇に入らないパターンがあるのね。
 それは何かと言うと、「女神」なんです。
 あの、藤島康介の『ああっ女神さまっ』のイメージで充分です。
 つまりは、もう、男の全てを包み込んでくれながらあくまで気高く、完璧過ぎて、近寄りがたい女。
 そんなやつぁいねえ、と言われそうだけれども、実はごくごく稀にいます。実に自然体に女神様を演じてる女性が(^o^)。……そう、結局は演技なんですけどね、男を手玉に取ってるって自覚をおくびにも出さない完璧な演技者、ここまでくれば芸術じゃないかってくらい、悪意の全く感じられないピュアな微笑み一つで男どものハートを射抜いてしまうレディーってのはいるのですよ。
 イイ男を掴むってのは、「だめんず」を振り落とすってことなんで、「ああ、あんなスバラシイ素敵な人が、オレなんかを相手にしてくれるわけがない」と男に思わせるくらい、自分のレベルを高めないと、本当のイイ男はつかまらないのよ。
 で、イイ男なんてそうそういないから、女神さまは大抵独身のままです(^^)。
 だからまあ、女神様になれるはずもない、たいていの女性はダメ男に引っかかる仕組みになってる。だって、男が女に言い寄るってこと自体、「この女を自由にできる」って思ってるってことだし、それはその男の「だめんず」機能が働いてるってことなんだから。
 多少の「ダメ」を許すくらいの気概がなきゃ、ドツボのようなだめんずに引っかかるばかりなんで、くらたまさん、見事にこのパターンにハマっちゃってるんだよねえ。
 でも、いくらくらたまさんが「軽く扱ってよさそうな女」であっても、ホントに「軽く扱っていい」わけじゃない。やっぱり男の方に最終的には非があるとは思うけれど、バツイチで子持ちじゃ、「遊んで適当なところで捨てよう」って男が近寄ってくることは少なくなるだろうし、ムチャクチャひどいだめんずに引っかかることはなくなるんじゃないかな。
 いやまあ、私がくらたまさんの行く末を心配しても仕方ないかもしれないけれど。

 それにしても巻末のデビュー前マンガ、これは相当イタかろうなあ。
 10代の女の子がどれだけ現実を見てないかってことの証明みたいなもんだからなあ。なんかもう、モロにどこかで見たような絵だし。
 こりゃ、「だめんず」の餌食になってくれと自分からアミん中に飛び込んでるようなもんだよなあ。

2000年12月26日(火) 明日こそは眠るぞ/『ひっち&GO!!』1巻(永野のりこ)ほか


2001年12月25日(火) 怪獣道なんてないよ/『30独身女、どうよ!?』(岡田斗司夫)ほか

 朝というか、未明の頃、目を覚ましたら、しげがまだ帰宅していない。
 さて、さすがにどうしたのだと思って携帯に連絡を入れてみると、なんとまだリンガーハットにいる。
 「勤務時間は終わったんじゃないのか?」
 「ああ、なんか居残って話しこんじゃって……。もうすぐ帰るよ」
 夕べは職場で一晩明かしたらしい。
 こういうときに私は「あっそ」で済ましてしまうので、しげから「妻の身は心配じゃないのか」とか愛情を疑われてしまうんだけれども、だったらちゃんと連絡を入れて「遅くなるよ」と言えばいいのである。
 オトナなんだから、いちいち心配してもらえるなんて甘えちゃいかんがね。

 連休のあとの仕事くらい、やる気の出ないものはない。
 つーか、なんだか集中力が続かない。
 一通り年末の仕事は片付けちゃって、取りたてて慌てなきゃならない仕事がないせいかもしれない。
 けど、なんとなく意識は茫洋、何か喋ってるんだけれど、その自分で喋ってるセリフを片端から忘れていってる。単に寝惚けてる状態なのかもしれないけれど、ちょっと自分でもヤバイ状態だなと言うことがわかる。
 風邪にしちゃ熱はないしなあ、どうしてかなあ、と思ってたら、土曜日、医者に行かなきゃならんのを忘れていたことに気付いた(おいおい)。
 な〜んだ、薬が切れてたせいか。
 ……じゃないよな。ってことはこのなんともだるーい状態のままでこの年の瀬をすごさにゃならんということか。
 映画に行ってたりしてる場合じゃなかったよなあ……って仮に医者行きがあったことを思い出してたとしても映画にも行ってたろうけど。
 年末は病院も休みなので、次の通院は年明け。薬が少しは残っちゃいるので、それまでちびちび飲みながらなんとか持たせて行くしかないか。


 『キネマ旬報』1月上旬号を何気なく開くと、金子修介監督が、『“怪獣映画”監督の仕事』と題したエッセイを寄せている。
 円谷英二のムック本で、唐沢俊一さんが「金子監督は『ガメラ1』のときに、ガメラを回転させて飛ばせることに最後まで納得できなかったらしい」と伝聞をもとに批評したことについて、「監督が最後まで納得しないで映画を撮るなんてことはあり得ない」と反論している。
 この「回転ジェット」についてのやりとりは、多分、お二方の単純な誤解と行き違いだと思うし、金子監督が「企画段階で回転ジェットはリアルじゃないと思っていただけ」という主張するなら、それはそれで問題は終わりなのだが、気になったのは、そのエッセイのラストの部分。
 「僕が怪獣映画ジャンルを否定? この人(注・唐沢俊一さんのこと)の説く怪獣映画『道』という閉鎖空間から外れているからなんだろう。怪獣映画への道は険しいもんだね」
 ……皮肉か揶揄のつもりなのか知らないが、「大人気ない書き方だなあ」というのが第一印象だった。更に言えば、「怪獣映画監督」と自分を認識しているんなら、こんな下卑たモノイイはしてほしくなかったなあ、というのが正直な感想。
 もはや万人が納得する『ゴジラ』なんてものはありえない、ということは解りきっているのだ。だから今回の私から見れば「何それ?」的なゴジラだって、「世間の評判もまあまあらしいし、ずいぶんみんな心が広いなあ、それもありなのかなあ」と、映画の存在自体を否定しようとまでは思っちゃいなかった。
 それを、こんな「私の考える怪獣『道』の方が正統」(もともと「道」なんて言葉を唐沢さんは使ってない。これこそ金子監督の「曲解」だろう。言い替えれば、金子監督にはハッキリと自分の考える「道」がある、と主張したいのだと受け取れる)みたいな書き方をされると、これまで『ガメラ』シリーズを支持し、『ゴジラ』にも称賛を寄せて来ていた怪獣ファンたちの思いをかえって裏切ることにはなりはしないだろうか。

 だからやっぱり私は、今回の『ゴジラ』については、もうちょっと厳しい目で見る必要があるんじゃないかと思うんである。ちょっとばかし今までの『ゴジラ』より出来がいいからといって、妙にチヤホヤ持ち上げたりせず、「でもお前、そこんとこは考え方おかしいよ」っていうことは、ファンだからこそ、ちゃんと言っとかなきゃいけないことだと思うんだけど。
 ……なんだか、「どうしてみんなここまで『ゴジラ』を誉めるのか、という心理分析をするのも面白いかもなあ。

 勢いでオタアミ会議室にも同様の意見を書きこんで、そのあと、昨日の『世界まる見えスペシャル』で紹介されたという、22歳の金髪コスプレ娘「フランチェスカ」さんのサイトを覗く。
 みなさん、「やっぱ外人女のコスプレは違うわ」と垂涎の御様子だったが、所詮はモデルとは比較にならないシロウト娘、たしかに美人ではあるし、チチはでかいが、いかんせん、ウエストのクビレがない。
 更によく未ると、顔もちょっと二重顎、今後は太っていくことが明らかに予測できる。
 ううむ、この程度で萌えてしまうというのは、やはり今のオタクたち、ゴジラの件もそうだけれど、審美眼のハードル、えらく低い基準に見積もって、自分を慰めてないだろうか。
 スタージョンの法則にもある通り、「SFの90%はクズ」は全ての対象に汎用できるのである。
 だから、「『ゴジラ』の90%はクズ」だし、女性コスプレイヤーの90%は……
あわわわわ(^_^;)。


 神坂一『スレイヤーズすぺしゃる18 跡継騒動 森林レンジャー』(富士見ファンタジア文庫・504円)。
 もうスペシャルの方が本編みたいになっちゃってる『スレイヤーズ』シリーズだけれど、今回の劇場版ではついにナーガとアメリアが出会いか? みたいな雰囲気作っといて肩透かし、原作の方もナーガの出番がめっきり減っている。
 どーせ「おーほほほ!」と笑ってノされるしかないキャラなんだから、いい加減でアメリアと姉妹再会を果たさせて、盛り上げてほしいもんだが。
 ファンにはもうバレバレなんだし、18巻も引くネタじゃねーだろう。

 今巻の目玉は、ゼルガディスの活躍を描いた外伝、『ゼルガディス隴月草紙』ということになってるけど、ゼル自体はあまりギャグキャラにはできないから、必然的に回りをエキセントリックにするしかない。結果的に、ちょっとバランスの悪い作品になった印象。……ゼルが人間に戻るエピソードもいい加減で書いてやれよ。第3部のネタはないとか言ってないでさ。


 岡田斗司夫『30独身女、どうよ!?』(現代書林・1470円)。
 岡田斗司夫『恋愛の取説(トリセツ)』(現代書林・1260円)。
 ピンク色のタイトルロゴに、黄色いウサギのイラストという、40既婚男が手に取るにはちょっと躊躇するような表紙なんだけれど、「恥」という言葉はとうの昔に捨てているので気にせず買う。
 そして表紙をめくればアアラフシギ、まるで文学全集のようなニセの表紙が現れて……。
 よく見りゃオビに「友だち(30独身女)に見られても大丈夫! カバーを取るとニセ表紙が!」だって。
 ううむ、やっぱり「30過ぎても独身」ってのは女性の中では相当トラウマなのかもなあ。

 前作『フロン』は各方面でいろいろ話題になったようである。
 もちろん批判も多々あった。
 ネット上の書評を見てみると、代表的な意見は、「結婚が女性の幸せに繋がらないってのはわかるけれど、私は岡田さんの言うようなn対nの関係なんて作れない」とか、「私は結婚してるけど、別に不幸じゃないから関係ない」とか、「自分は岡田さんのパターンには当てはまらない」って言ってるものが多かった。
 こういうのは「私はカネ持ちだから貧乏人の苦労は分らない」と言ってるのと同じで、批判としてはちょっとピント外れなんだけれど、こういう意見が出て来るってこと自体、「30独身女問題」が結構深刻なんだなあと感じさせてくれる傍証になる。
 「やっぱ、30過ぎて女が独身でいるなんて、ちょっと問題あるよね」と思ってる連中が世間にゃゴマンといるってことなんだよなあ。しげがこの本を読んでひとこと、「家事とか子育てに縛られるとか、そういう結婚しなきゃいいんじゃん」と言いやがったが、おりゃあ別に「家事しなくていいよ」なんて言った覚えはね〜ぞ。オマエが勝手に自分の生活ラクにしてるだけだろうが。しかも、そのことに全く良心の呵責感じてないし(-_-;)。
 しげが言ってるのは「オトコの寄生虫になる結婚すればいいじゃん」と言ってるんであって、「結婚に意義を見出そう」というマトモな感覚があれば、そんな人間としてのプライド捨てたような結婚はできない。問題なのは、その「結婚の意義」ってのが十年一日「良妻賢母」以外のものが提示されてないってとこにあるのだ。
 この本が対象としているのは、実のところ結婚している、していないに関わらず、そういった「女の幸せは結婚」という精神的呪縛にとらわれている女性たちになのであって、最初から結婚の呪縛にとらわれてないしげなんかは対象外なんである。

 夢を捨てきれない女の人たちのために、長々と岡田さんは一冊丸ごと使って説明しているけれど、要は「結婚」以外に女性が生きていく方法があればいいのだ。結論は「独身でいいじゃん」ってことになるんだが、さて、こう思いきれる女性がどれだけいるだろうか。
 だってねえ、やっぱ女ってズルイのよ。
 オトコとつるむことが「チヤホヤしてもらえる」「タダでメシ食わしてもらえる」ことだと思ってるから。
 岡田さんは今回もまたオブラートに包むように包むように「恋愛を特別な日だけ食べるケーキなんて思っちゃダメ」なんて優しい言い方してるし、「30独身女はオトナ」とおだてちゃいるけど、ウラを返せば、「30過ぎて独身でいることに開き直れない女はバカでガキ」ってことでもあるんだからな。

 これからの時代、岡田さんの言うように、旧弊なモラルが徐々に解体されていくかどうか、それこそ「n対n恋愛」を実践する女性たちが社会の中枢に陣取るようにならないと、そうそう実現するものでもなかろうが、モラリストが往々にして差別的になることを考えると、そうなってほしいなあとは思う。
 ただオトコである私がそれ言うと、すぐに「つまりアンタも浮気したいからだろう」ってバカが言い出すのがヤなんだよなあ。岡田さんも『フロン』で「男に都合のいい論理」とトンチンカンな批判されてたし。
 あのね、たとえ世間が「n対n恋愛」を実践しようが、私ゃ別にその流れに乗るように、複数の女性と付き合おうとは思ってないのよ。それは、モラルがどうとかいうんじゃなくて、私としげとの関係が初めから1対1で成り立ってるからなんであって、それを解体しなければならない事情が現時点で発生していない以上、周囲がどうあれ、ウチは関係ないの。でもそれは「n対n」を否定しているわけでもないのね。
 つまり、力説するほどもなく当たり前のことなんだけれど、恋愛も結婚も「人それぞれ」ってことなんで、「ウチは岡田さんの例に当てはまらないから、岡田さんの言ってることは間違い」ってことにはならんのよ。例外で概論を図ってはならないってのは論理学の基本なんだが、そんなこともわからんバカ批評が多すぎるんだよなあ。

 明らかに、現代の日本において、「30独身女」問題はあるのであって、その問題自体から目を逸らした批判は、批判としての意味を持ち得ない。岡田さんの主張に対して反論するんなら、「結婚」以外の選択肢で、岡田さんの「n対n」案を上回るものを考えた上で、明確に提示しないと反論として成り立たないんだけどね。
 でも、どんな具体案を出したところで、結論は「独身でいいじゃん」に落ち付くと思うけどなあ。

 ウチの劇団にも誰とは言わんが30独身女になっちゃいそうな御仁はおられる。決して「結婚できない」タイプじゃなくて、結婚したら結婚したで「ステキな主婦」にだってなれそうなんだが、なぜか真っ直ぐな人生を歩んでおられる(^_^;)。で、彼女にどんな言葉が贈れるかっていうと、やっぱり「そのまま行ってよし!」なんである。

 直接本の内容と関係はないが、気がついたことが一つ。
 私は決して女性にモテるタイプではないが、昔っからなんか知らんが、女の子に「相談」を受けることは多かった。たいていは「恋愛相談」なんだけれど、なんで寄りによってオレ? と疑問に思っていたのだ(正直な話、私の恋愛経験はそう多くない)。
 でも、岡田さんの「女の子の相談はオカマになって聞く」ってのを読んで、ハた、と気付いた。
 いや、別に私がオカマだってんじゃなくて(^_^;)。
 要するに私ゃ「男」ってのを前面に押し出さないで女性の話を聞いてるんだなあってことに気がついたってことなんですよ。「男」だと、どうしても女に対して「下心」が生まれちゃうもんね。そうすると、女から見た「余裕がある」「面白い」「オトナの」男ではなくなってしまう。だから相談一つ求められない。でも私の場合、周囲の女性からは「男」として見られてないんだけれども、そのことに全然痛痒を感じてないのね。別にいいじゃん、と思っている。だから、逆に女性から相談を持ちかけられてるのだ。
 ……「有久幸次郎」って名乗ってるのに、以前「女の人ですか?」なんてメールで聞かれたワケもやっとわかった。
 岡田さんが書いてるように、女性の話を「男」として聞いても、それは相談に乗ることにはならないんだよね。だって、「男」ってのは基本的に「女」の言い分を認めないものなんだから。
 男はたいてい、女性の井戸端会議的な「いい男いないよね〜」とか「所詮、オトコって若い子に行くのよね〜」みたいなセリフを聞くと、プライドを傷つけられたように感じて、「いい女だっていないじゃね〜か」とか、ムキになったりする。
 けど、それじゃあ、いつまでたっても女の子の相談には乗れやしない。
 文章では私もこうして「女なんてなあ」みたいなこと書いてるけど、直接話を聞く時には、「そうだよな、男って結局いつまで経ってもガキなんだよ」とか「ホントはオトナの女性のほうが魅力的なのにねえ」とか、あたかも女性の言い分に迎合するようなことを言っちゃったりしてるのだ。
 ……そりゃ、下手に女の子に反発して、延々グチを聞かされるよりは、そっちのほうが彼女は気分がよくなるわけだし、これがいわゆる舌先三寸ってやつなんだけれど、どうしてこういうワザを私が身に付けたかってえと、私が女だらけの中で育ったからなんだよなあ。まあ、女性との付き合い方に、多少は馴らされてるってことなんだろう、多分。

 だからこないだも、ある女の子から、「彼氏が私の行動にいちいち文句つけてうるさいんです〜、どうしたらいいと思いますぅ?」なんて聞かれたときに、「彼氏は自分の方がオトナだって思ってるけど、ホントはそうじゃないんだよ。君の方がオトナにならなきゃいけない」みたいなことを言っちゃってたのだ。
 ああ、岡田さんと全く同じ手口だ(^_^;)。
 結局、「男としてのプライドを捨てて、相手を口説こうと思わなければ、女の子にはモテる」と言うことなのだよなあ。
 まあ、思春期の性欲を持て余してる男にはなかなかムズカシイことだろうけれども。30も近いってのに、持て余しまくってるウチの劇団の某くんにも、この本、読んでもらいたいもんだな。

2000年12月25日(月) 男はみんなえっちだってば/『羊のうた』5巻(冬目景)


2001年12月24日(月) イブの焼肉/DVD『三毛猫ホームズの推理』/『シベリア超特急』ほか

 休日でも真っ先に早起きするのは私だ。
 しげもよしひと嬢も、昨日の『009』マラソンで疲れたのか起きて来ない。
 一人で購入したばかりのDVD『三毛猫ホームズの推理 ディレクターズ・カット』をかけていると、少しずつゾンビが蘇えるようにしげもよしひとさんも起きてくる。

 『三毛猫ホームズの推理』は、もちろん赤川次郎のシリーズものの中でも第一等の人気を博しているものの第一作で、途中からこのシリーズを読み始めた人には、片山義太郎兄妹に、こんなハードな過去があったとは信じられないくらいであるかもしれない。
 ミステリ界に留まらず、小説、映画を含めたエンタテインメントの世界は80年代以降、どんどん軽く、薄くなっていった。赤川次郎はそういったライト・ノベル作家の旗手のような言われ方をされることが多いが、大ブームを呼んだ『セーラー服と機関銃』にしたところで、決して、軽い内容ではない。
 女子高生が殺人事件に巻き込まれたり、女子高生が麻薬密売に巻き込まれたり、女子高生が遺産相続争いにまき込まれたり、女子高生が実は吸血鬼だったり、女子高生がヤクザの親分になったり、多少、突拍子もない設定ではあっても、そこにはオトナになることの「痛み」が描かれていた。でなきゃここまでヒットはしませんって。
 ところが、赤川原作の映画化作品は数あれど、作者本人が納得したものはほとんどないのが実状だった。
 相米慎二、根岸吉太郎、井筒和幸、崔洋一、澤井信一郎、金子修介といった、錚々たる監督たちは、よく言えば個性的、悪く言えば一人よがりな連中で、「赤川作品の魅力は何か」と言うことに全く興味も関心もなかったのである。赤川次郎が認めた監督が、岡本喜八と大林宣彦という「職人監督」であったことには注目していい。
 大林に関しては異論もあろうが、「アイドル映画」を撮ることに全く躊躇していない点で、他のええかっこしい監督とは一線を画している。だからこそ『ふたり』を見て、赤川次郎は『あした』も、そして秘蔵っ子とも言える『三毛猫ホームズ』の映画化を許可したのだ。
 主演の陣内孝則、正直な話、彼については、ハデでワザとらしい「濃い」演技しか出来ないと世間は思いこまされているんじゃないだろうか。いや、私も、この『三毛猫』を見るまではそう思ってたのだ。
 だって、片山義太郎って、血を見ると貧血起こす「お嬢さん」って仇名がついてるくらいの小心者って設定なんだよ? 陣内にそんなん出来るなんて思わないじゃん。
 ところが、初登場シーンからして、彼がまあ、実に繊細なのだよ。
 「お嬢さん!」と声かけられて、「……はい?」と振り返る表情の情けないこと!
 う、うまい! これぞ片山義太郎! 石立鉄男、どっか行け!
 役者として評価されていない人間に息を吹きこむ演出の冴えを見せられる監督が、今、どれだけいるというのか。まあ、さすがにここまでたくさん映画作られると、ちょっと閉口気味ではあるのだけれど、大林映画、まだまだ捨てたものじゃないですよ。
 栗原警視役の役者さんが実にイイ感じだしてんだけど、よく見る顔なのに誰だかわからないんだよなあ。誰か教えてくれ。

 密室トリックについて、よしひとさんが鋭いツッコミを入れるが、丁度二十年前、大学の推理研で先輩と論争したことがあったのを思い出した。
 私は「肯定派」だったんだけどなあ。やっぱりビジュアルで見せるとムリっぽく見られちゃうかなあ。チェスタートン式の「現実には起こりえないけれども虚構の上ではリアリティがある」トリックとしては許容範囲だと思うんだけれども。


 しげたち、芝居の小道具の猫耳などを作っているので、側で『マジンカイザー』『キカイダー01』『ナジカ電撃作戦』などをかける。
 ところがつい、調子にノってとんでもないものをかけちゃったのがウンの尽き(^_^;)。


 DVD『豪華愛蔵仕様 シベリア超特急 特別編集版』。
 製作・監督・原作・脚本、マイク水野。
 そう言えばアメリカじゃそう名乗ってたんだよなあ、水野晴郎。
 もしかして、ハーフかクォーター? 単にそう名乗りたかっただけ? ほぼ99.999%、後者って気はするが。
 なんで「特別版」かっていうと、反戦色の強いダブルマーダーバージョンと、ラブロマンス中心のハンガリーバージョンとどんでん返しが二つあるアップテンポのアメリカンバージョンの三つを全部収録してるからだと。
 水野晴郎のコメントに「みなさまのおかげで大評判の」とか「どうか三つとも見比べてください」とか書いてるが、そんなに自信があるのか(^_^;)。 全部はとても見切れないので、アメリカンバージョンをかける。

 それにしてもウワサには聞いてたが、聞きしに勝る出来だなあ。
 出来がいいとか悪いとかじゃなくて、壮大な勘違いで出来ているとしかいいようのない作品。もしかしたら、どうせ何作ったって貶されるんだから、最初っから「怪作」にしちまえ、という開き直りで作ったんじゃないかって穿った見方すらしたくなってくる。
 一応、パッケージに、「この映画の結末は決してお友達に話さないで下さい」と書いてあるので、伏せとくけどね、伏せる価値ないぞ、このどんでん返しは。
 じゃあ、そのどんでん返し以前がミステリとして出来がいいかというとさにあらず。

 あのね、ぼくね、ばかだから、よくわかんないんだけど、れっしゃのなかでひとごろしがあります。
 どんどんひとがしぬけれど、これはこうかんさつじんだということがはじめからばれてました。
 で、どんどんひとがしんでいって、のこったようぎしゃはふたりだけなんですが、それじゃあ、このふたりがはんにんってことなのかなあ、とおもったら、そのとおりでした。
 これがみすてりってことなんですか?

 だいたいなあ、密室列車で交換殺人やる意味がどこにあるんだよう。
 遠距離で、時間もずらしてなきゃ、意味ないだろうがよう。
 『オリエント急行殺人事件』と『見知らぬ乗客』を合体させたらミステリになると思ってんのか。
 『オリエント』が名作たりえたのは、犯人が限定されやすい状況にもかかわらず、あえて列車内の殺人を選んだところに犯人の動機が隠されてたんであって、ボンクラにそうそう作れる設定じゃないのだ。何を血迷った水野晴郎。
 しかもなんだよ、あの真犯人の挙げ方は。
 脚本以外にもセットのしょぼさとか役者の未熟さとか、いくらでも欠点は挙げられようが、とても書ききれるものではないし、何より、水野御大の棒読み大根演技の前には全てがかすむのだ。


 結局、よしひと嬢に、「ミズノ、何か勘違いしてるよ〜」と頭を抱えさせてしまった。今度来られたときには、黒澤の『野良犬』でも見せて、口直ししてもらおう。


 夕方、よしひと嬢が帰られるのと入れ代わるように、ぴんでんさんからが連絡があり、パソコンを設置してもらう。
 これでしげと私と、交代せずにパソコンが扱えるようになったのだ。ありがたやありがたや。
 ウチに来るなり、ぴんでんさん、本棚を眺めて「オタクの部屋ですねえ」と仰るが、あまりレアものはないのでお恥ずかしい限りである。
 で、いきなり『シベ超』やら『八俣大蛇の逆襲』を手に取られるのは、人間としていかがなものか(^o^)。
 「玄関先にまで本が!」と笑われてしまったが、ベランダにも洋画ビデオがはみ出ていたことまでは言い忘れたのであった。


 その場で誘われて、天神まで出かけて行って、エロの冒険者さんを交えて飲み会。
 着替える間もなく、普段着の作務衣のままだったのでさすがに寒い。ジャンパーだけを羽織って、下はサンダルで、という格好なので、天神をうろついてる時はさぞや浮いてるように見えるかもしれないが、天神にはヘンな人も多いので実はさほど違和感はないのだ。
 仕事で付いて行けないしげから、「エロさん、お見合い相手のMさんとどうなったのか教えて!」とウルウル目で頼まれていたが、そんな人のプライバシーについて突っ込んだことなんて聞けないので、ちょっとだけ訊く。
 どうやらアレがアレしてああなったらしいのだが、ホントはアレをああしてああすればよかったんじゃないかとか、もしかしてアレをああしてああなってるのかも知れないけどそのへん隠してんじゃないかとかいろいろ想像するが、まあ、エロさん自身が日記に書いてること以上のことは書けないので、あとは勝手に想像するように。

 店の名前は失念したが、七輪の炭火で肉を焼く店で、肉の質も悪くなく美味い。
 気がついたら、やっぱり「今度のゴジラはね〜」なんて話になる。正直な話、オタアミ会議室にだって、余りこき下ろした書き方はしたくなかったんだが、あんまり絶賛が多いと、バランスとるのに逆の意見ももっと書かなきゃならないなあ、という気がしていたので、結果的に、エロさんの意見を否定するようなかたちになってしまい、まずはそのことについて謝る。
 エロさん、「有久さんの意見はいいんですよ、○○○○○○○○が『○○○○○○』と比較して○○○○○なんて言いやがるのが許せなくて」と、激烈なことを仰る。
 まずはやはり、どんな映画でも「語られる」ことにこそ意味がある。
 語られもしない映画は「存在しない」のと同じだ。

 「有久さん、今日は語りますねー、いつもはやっぱりセーブがかかってんですか?」と聞かれるが、言われてみて初めてそうだろうなあ、と思う。
 いつもはしげが隣にいるので、二つの意味でセーブがかかってしまうのだ。一つはしげをほったらかして自分ばかり楽しく喋ってたらあとでヤキモチ焼かれるなあ、という自己保全と、しげが飲みすぎてぶっ倒れないようにという監視の意味とである。
 だって、宴会の時のしげって際限ないし。
 しげが加わってから、AIQの会合でワリカン代が1割くらい増してんじゃないかと心配なのである。

 エロさんから、今日はフランスのオタク、セバスチャンがテレビに出る日ですよ、と教えられたが、うっかり失念して、ビデオを仕掛け忘れていた。
 オタクに対して偏見の念を抱かせるようなものじゃなきゃいいがなあ。


 ぴんでんさんにウチまで車で送って頂いたが、車中のふとした会話で、ぴんでんさんがまだ『ガンドレス』を御覧になってないことを知る。
 知ってる人は知ってるが、士郎正宗キャラデザインという振れ込みで劇場公開された本作、封切日に作画が間に合わず、線画に色塗っただけの状態のカットがてんこもりだったのだ。
 一応、後で完全版が作られたのだが、DVDはその劇場版と完全版を両方収録しているというもの。……笑ってもらおうということか?
 スタッフも随分途中で逃げたらしく、パンフレットにはスタッフ表のところにシールが貼ってある。
 「ウチにDVDありますが、御覧になりますか?」ということで、またまた、とっ散らかった部屋にぴんでんさんをご案内(^o^)。

 結婚当初は、部屋に人が来るたびに、「なんだこの汚い部屋は(と言っても今よりはずっとキレイだったが)」と思われるのが恥ずかしくて、しげに「どうして片付けないんだ!」と怒鳴りまくっていたが、今やもう、私は枯淡の境地に入りつつあるのである。
 ああ、しげはこの先一生、私がどんなに怒っても悲しんでも苦しくても辛くても、それでも家事はしないやつなんだなあ、と悟ってしまったからだ。
 誰か時給千円でウチの部屋、片付けてくれる人いないか。

 せっかく来て頂いたのだから、と、押入れの奥から、秘蔵のソノシートなんかを取りだし、お見せする。親に相当数捨てられているので、秘匿して残っているものはごく少ないのだけれど、今見るとこりゃレアだな、と思えるものも結構ある。
 アニメ化以前のプロモ版『タイガーマスク』主題歌は、さすがのぴんでんさんもご存じなかったようだ。
 「猛虎のマスクに光る目は〜、悪役ど〜もを一握り〜、リング狭しと荒れ狂う〜、岩石落としだ飛行機投げだ〜、タイガーマスクに〜、敵はな〜い〜、僕らの夢だ、チャンピオーン、僕らの夢だ〜、チャンピオーン♪」(記憶だけで書いてるので、細部に多分間違いあり。「一握り」ってことはないよなあ。「ひと睨み」か?)
 という歌なんだが、知ってるやつはそうそういまい。いかにもバチモンな歌詞だが、作詞はちゃんと梶原一騎なんである。つまりは梶原一騎自体がバチモンだったなによりの証拠という価値があるわけなのね(^o^)。
 ともかく当時のソノシートには必ずドラマが付いており、私が持ってるのでも、『鉄腕アトム』『宇宙少年ソラン』『ビッグX』『ゲゲゲの鬼太郎』『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』ほか、テレビの再編集もの、新録ものが数十枚はある。
 ぴんでんさん、「こういうのこそ、MDに落として保存しておかないと!」と仰るが、さて、今でも聞けるものがどれだけあるだろう。
 けど、ふと思いついたのは、当然こういうドラマには絵が付いてないのである。マッドテープよろしく、適当な絵をこちらででっち上げて、もとアニメとは似ても似つかぬ絵で紙芝居風に仕立てたら、結構笑えるものができるんじゃなかろうか。音がちょっと割れてる方がかえってレトロな感じが出るだろうし。
 AIQのみなさんの秘蔵のものを集めて傑作選作ったら、結構面白いものができるんじゃなかろうか。そのときは『日本語版モスラのテーマ』も出しますよん。

 『ガンドレス』には、ぴんでんさん、充分堪能していただけたようである。
 このように、劇場公開に制作が間に合わなかった例というのは、あと高畑勲の『火垂るの墓』ってのがあったが、あれは線画であったにもかかわらず、絵として見られた稀有の例であった(高畑作品は好みじゃないが、その作画レベルはやはり評価せねばなるまい)。
 『ガンドレス』はその完成版ですら演出が凡庸以下である。『ダーティペア』の新シリーズOVAを演出した時は、矢田部勝義監督、結構いい出来のもの作ってたのに、どうしちゃったのかなあ。
 しかし、こんなどーしょーもないアニメまでわざわざ購入してるもんだから、ぴんでんさんには「幅広過ぎですよ」、なんて言われちゃうのだ。
 ……でも、クズをクズとして評価していく、あるいはクズの中にほんのかすかな宝石を発掘する、そういう姿勢こそが、我々の文化の意味を、人類の行く末を望見する基本的な態度と言えるのではないか。
 とか言い訳してるのはなんだかんだで自分のオタクとしての薄さを誤魔化してるだけなんだよね、どうもすみません。

 しかし、クリスマス・イブが男3人の飲み会とは侘しいなあ。
 おおっと、これは禁句だったかも。

2000年12月24日(日) 昼寝したので今日の休日は短かった/『ルパン三世』7集(山上正月)


2001年12月23日(日) 幸せを配る人/映画『アメリ』/『あひるの王子さま』2巻(森永あい)ほか

 今年最後の『コメットさん☆』第39回は、「サンタビトになりたい」の巻。
 打ちきり(多分全46話)が決まったってのに、作画陣が手を抜かずに作ってるのが嬉しいなあ。
 しかし、これだけ「近年稀に見る良質のアニメ」と言われつつも、結局『どれみ』に勝てなかったってのは(直接の裏番組じゃないけど) 、所詮「オトナが子供に見せたがる」アニメであって、子供はさほど魅力を感じなかったってことなのかなあ。

 ゲームギャザの別冊で『OTOMEX』というアニメ雑誌(女の子向けというキャッチフレーズではあるけれども、中身は実質、美少女アニメ専門)が発刊されたが、その第1号、既に『コメットさん☆』を「名作」として特集している。
 なんと12ページを割いて、名場面集、スタッフインタビュー、関連グッズ紹介などなど、既発のアニメ誌がおざなり程度にしか紹介して来なかった『コメットさん☆』の魅力を細部に渡って披露。メテオさんの小特集まであるんだから、これは嬉しい(あ、ちなみにウチのしげは、目を半開きにして悪巧みの微笑を浮かべているときのメテオさんに、顔がソックリです)。
 しかも、前田亜季のインタビューだけで見開き使ってるし。
 でもやっぱり人気がイマイチなのかなあと思えるのは、未だにムックが1冊も出てないってことなんだよねえ。この特集でも、「ムックが出来るかもしれないのでお便り下さい」なんて欄外に書いてあったりするんで、相当内部事情は苦しいのかも。
 ……人気が出てればなあ、スペシャル版で九重祐三子・大場久美子・前田亜季三人揃い踏みの実写版コメットさん復活編が見られるんじゃないかと期待してたんだが。

 「メテオさん恋の行方」編もクライマックス。
 てっきり、イマシュンの心はコメットさんが本命で、メテオさんは哀しい思いをするんじゃないかと思ってたけど、そうはならなかったのでホッとする。
 ムークから、イマシュンに作ってもらった曲が、実はコメットさんのためのものだった、ということを聞かされたメテオさん、いったんは彼とのイブの食事会を、コメットさんにゆずろうとする。けれど、どうしても彼に会いたい思いが募って、遊覧船のレストランに姿を見せる。
 悲しみをたたえた瞳のメテオさんに、イマシュンが言うのだ。
 「コメットさんは憧れの人。今度は君のために曲を作らないと」
 ……ああ、ガキのクセして女殺しなヤツ! オレだってそんなセリフ言ったことないぞ!(言ってたら気色悪いが)
 でもなあ、私がしげに似たようなこと言おうとしても、何を作ってやればいいと言うのか。歌は作れないし(作ったとしても自己陶酔的なものしか作れねーし)、「君のためにエロマンガを描いて贈るよ」じゃバカだし。
 ああ、考えてみたら、恋愛の引き出しが極端に少ない男なんだよなあ、オレって。


 今日はゆっくり日記の更新が出来るかなあと思っていたら、昼過ぎ、いきなり練習に出ていたしげから電話があって、「今日、よしひと姐さまがお泊まりするから部屋片付けといてね」だと。
 何でも舞台用の小道具の作成が間に合いそうにないので、急遽泊まりこみで作ることにしたのだとか。
 ったって、ほとんど床面積の見えないこの部屋をどう片付けろと言うのか。
 ブツクサ言ってても仕方ないので、チビチビと片付けているとあっという間に夕方。


 『サイボーグ009』第11話「幻影の聖夜」。
 部分的に原作の「赤い靴編」のイメージを取ってはいるものの、基本的にはオリジナル。
 初期の原作には各サイボーグキャラクターの人間性を掘り下げた話は少ないから、放浪編にかこつけて、後期の短編からそれらしいエピソードを取り出してきて、先に紹介しようってんだろう。新らしい視聴者にサイボーグキャラに親しんでほしいという措置かな。
 でもまあ、フランソワーズにライバルがいるってのと、「いつまでも踊っていたいという幻想の中にいる」(原作ではフランソワーズではなくライバルの方)というエッセンス的なものしか原作からは取り出してない。
 フランソワーズの兄のジャンも、原作で登場しているのは「誕生編」と「時空感漂流民編」の2編のみだが、今回のキャラデザインは「誕生編」をベースにしている。

 フランスの港に立ち寄ったドルフィン号から降り、つかの間のクリスマス・イブを楽しむフランソワーズ。
 生き別れた兄・ジャンや、バレエ団からブラックゴーストに誘拐された過去を思い出しているうちに、フランソワーズは、何者かの気配を感じ取る。そして彼女は、かつてのバレエのライバル、ナタリーに出逢う。
 数十年が過ぎているというのに変わらぬ姿の彼女に。
 この「変わらない姿」って設定も、石森の短編『昨日はもうこない、だが明日もまた……』からのインスパイアだろう。
 原作のあちらこちらから設定を抜いてきてツギハギして、結局、『009』とは別の物が出来あがったという印象だ。
 しかも、第2話ほどひどくはないけれど、やっぱり作画が間に合ってないし。
 幻影のナタリーに向かって、レイガンを撃つフランソワーズ。
 でもレイガンから光は出てないし、ナタリーもそれを避けるんだけれど、体を横に動かすだけで、光の軌跡はない。言葉にするとちょっと伝わりにくいと思うけど、相当マヌケな映像だぞ、これ。
 ……DVD発売のときには第2話ともどもちゃんとリメイクするんだろうなあ。してもらわないと困るよなあ。
 ちなみに『009』DVD情報は以下の通り。

 DVDサイボーグ009『バトルアライブ1〜誕生〜』LIMIT(仮)
 (完全初回生産限定板)AVBA-14296 定価7000円(税抜)
 2002年3月27日発売予定
 特典として「サイボーグ009島村ジョー」アクションフィギュア(ADI限定カラー)を封入。

 ……まさか、30分1話で7000円取る気か……?
 フィギュアなんぞ要らんから、適正価格で売ってくれ……って、多分、DVD制作も間に合わないから、時間稼ぎなんだろうなあ。


 7時過ぎにしげとよしひと嬢、迎えに来る。
 せっかくだから、みんなで映画を見に行こう、ということになったのだ。
 ところが、何を見に行くかがなかなか決まらない。
 「『スパイキッズ』か『シュレック』にしようかと思ってたんだけど……」としげ。
 「で、どっち?」とよしひとさんに聞いても「うーん、どっちでも」。
 で、どっちにするのかが、決まらないんだな、これが。
 ハッと思い出して、「そういえば『アメリ』見たがってなかった?」とよしひと嬢に聞く。時間を調べるとなんとか間に合いそうだ。
 キャナルシティに行く予定を、急遽博多駅に代えるが、さっきまでしげたち、博多駅で買い物をしてたそうなんである。
 なんだ、だったら迎えに来てもらうんじゃなくて、私の方が出かけて行けばよかった。

 シネリーブル博多駅は、拡大上映で1・2、2館とも『アメリ』を上映中。
 そんなに期待されてたのか『アメリ』。
 ジャンピエール・ジュネ監督作品を『エイリアン4』でしか知らない人はちょっと不幸かも。ああいうハリウッド・メジャーに飲みこまれちゃうと、どんな個性派監督だって、その持ち味を減殺されてしまう。できれば『デリカテッセン』あたりを見て評価してほしいものだ。
 アメリカ製のコメディと違って、フランスのコメディは同じようなストーリーであっても、キャラクターの描き方が相当違う。ひとことで言えば、アメリカ製のには作り物めいたワザトラシサがあるんだけれど、フランス映画には、どんなにヘンなキャラを描いてもどこかに「生活感」が感じられるのだ。
 出だしの小気味よさといったら、ここ十年私が見てきた映画の中でも出色の出来だ。
 冷たいお父さん。
 好きなことは工具箱をひっくり返して、中の道具を全部きれいに磨き上げ、また元に戻すこと。
 神経質なお母さん。
 好きなことはバッグをひっくり返して、中に入ってるものを全部確かめて、また元に戻すこと。
 そんな二人の間に生まれたのが、空想好きなアメリ。
 好きなことは、不思議な動物とお話しすること。
 金魚の“クジラちゃん”と仲良くすること(たまに自殺未遂するけど)。
 両手の指先にラズベリーを差しこんで、はじからパクパク食べること。
 クレーム・ブリュレのカリカリの焼き目をスプーンで壊すこと。
 サンマルタン運河で水切りすること。
 そして、周囲の人々を観察し、想像をたくましくすること。
 つまりはアメリはフランスの“不思議ちゃん”なのである。
 こういうコミュニケーション不全の不思議ちゃんのリアリティを創作するってのはなかなか難しいものだけれど、フランス映画はそういう「ちょっとヘンな人」を描くことにかけては世界一なんじゃないかってくらいに上手い。
 それはもしかしたらフランス人はヘンなやつばかりってことなのかもしれないな(^^)。

 だから、アメリの周囲の人たちもみんなヘンな人たちばかり。
 モンマルトルのカフェ“ドゥ・ムーラン”のマダムは元サーカスの曲馬乗り。
 煙草売り場のジョルジェットは鬱病気味。
 骨をポキポキ鳴らすのが好きなウェイトレスのジーナ。
 ジーナにふられて嫉妬でストーカーになった常連客のジョゼフ。
 夫が浮気相手と南米に逃走して事故死しているアパートの女管理人。
 アーティチョークを宝石のように扱う食料品店のノロマなリュシアン。
 一生をルノワールの贋作製作に捧げる“ガラス男”デュファイエル老人。
 もう、こいつらが次から次へと紹介されるたびに、ワクワクしてくるんだよなあ。

 「群像劇」というジャンルがある。
 ゴーリキーの『どん底』あたりが代表的なヤツだけれど、特定の主役を作らず、特定のドラマも作らず、ただある特定の場所、ある特定の時間の中での人間模様を描く。
 ただたくさんの人間が出てくるってだけじゃないのね。それぞれの人物にそれぞれ別々のドラマがあるのが特徴。だから『渡る世間は鬼ばかり』みたいな、キャラクターが全てが橋田壽賀子の傀儡でしかないような駄作は「群像劇」じゃないのだ。
 一本筋を通すキャラがいたっていいんだけれども、ともかく出てくるキャラは全員が主役。そうでなきゃならない。黒澤明の映画は(特に山本周五郎原作のは)、『赤ひげ』も『どですかでん』も見事な群像劇だったねえ。
 で、『アメリ』なんだけれども、ふとした偶然で、アパートの秘密の場所に隠されていた40年前の玩具の小箱を発見したアメリは、それを元の持ち主にこっそり届けてやる(このコッソリってところが、いかにも対人恐怖症なアメリらしいところ)。
 持ち主が「奇跡が起こった!」と大喜びしたことで、アメリがすっかり勘違いしちゃうんだね。自分の人生の使命は、不幸な人々に奇跡の幸せをこっそりもたらしてあげることだと。
 もちろん、それは一般的な感覚で行けば、「おせっかい」でしかないんだけれども、そのことにアメリは気付かない。そしてそのことが、かえってアメリの心を傷つけちゃうことにもなるんだけれど……。

 何がいいって、このアメリを演じるオドレイ・トトゥ、この新人さん(モデル出身だそうな)が実に不思議ちゃんの雰囲気出してんのよ。
 ショートボブの髪に長身の猫背。
 美人……かもしんないけど、基準からはちょっと外れた感じの彼女が、首を突きだして、ニコッと笑う(しかし、全編通してこの子が喋るシーンがムチャクチャ少ない。このへんもリアルだよなあ)。笑うだけで、次の瞬間、「何かが起こるかもしれない」という予感を感じさせるんだよなあ。

 さて、「人を幸せにしよう」というアメリにも気になる男の子が出来た。
 遊園地のお化け屋敷とセックスショップで働くニノ(実は幼馴染)。
 しかも彼には、スピード写真のブースのまわりに落ちている破り捨てられた写真を集める趣味がある。
 こんなヘンテコな設定、よく思いつくなあ。
 つまりは、ニノって、フランスのヘンなオタクなんである。
 ……セバスチャンか(^_^;)。って、ホント、セバスに雰囲気似てんだよ、細くて地に足がついてない感じで、演じてる俳優さんもそのまんま。
 向こうのオタクって、やっぱり日本の「メガネデブ」みたいに、オタクになりやすいパターンってのがあるのかなあ。
 さて、彼に告白できないアメリは、偶然手に入れたニノのコレクションブックを使って、彼との奇妙な鬼ごっこを始めるんだが……。

 その顛末はぜひ劇場で(あるいはビデオで)御覧頂きたい。
 特にオタクな人々には「オタクにだって、オタクな恋人が出来る(ことだってある)んだ!」というささやかな希望を持たせる映画になってます(^^)。
 あ、なんだ。しげのことか。

 よしひと嬢も、『アメリ』はお気に入りのご様子。
 滅多にパンフを買わないよしひと嬢が帰りにしっかり買っていた。
 しげはというと、疲れていたのか珍しくも上映中はほとんど爆睡。
 どっちかっつーと、予告編で流れていた三池崇史監督のミュージカル・コメディ『カタクリ家の幸福』(あの『クワイエット・ファミリー』のリメイクね)の方に興味が移っていたのだった。


 帰宅して、よしひと嬢に、先日プレゼントに貰った『耳に残るは君の歌声』のブランデーを差し上げる。
 私は酒が飲めないので、こんなふうにたまにお酒が手に入ったりしても、たいていは死蔵しちゃうことになるか、お客さんに振る舞うことになる。
 しげも、宴会だと際限なく飲みまくるが、ウチでは一適も飲まない。
 おかげで、いったい何年前のか分らないワインとかもウチにはあるんだが、ホントにああいうの、腐ったりしないのかなあ。酒には詳しくないんでわかんないんだけども。


 よしひと嬢、『サイボーグ009』をしばらく御覧になってなかったというので、7話あたりから連続で見る。
 原作ファンの立場からすればちょっとどうかな、と文句つけたくなる出来の作品も多いんだけれども、意外と『深海の悪魔』『オーロラ作戦』なんかもウケたりしている。
 もう、若本規夫さんが「ザァァァァンブロウゾ!」なんて思いっきり溜めて演じてるのなんか、笑われちゃったものなあ。
 まあ、笑うのも仕方ないけど。


 マンガ、森永あい『あひるの王子さま』2巻(角川書店・420円)。
 まー、なんちゅーか、救いよーがない展開になってるねー。
 ギャグなのに。
 チビでブサイクでオタクだった麗一くん、魔法で美少年になりはしたものの、憧れのゆみこちゃんに告白できないまま、顔の不自由なリカコ先輩には言い寄られるわ、お祓いされてゆみこちゃんには近づけなくなるわ、挙句の果てに、実は血の繋がりがないと判った蘭ねーちゃんに犯される始末。
 ……ギャグのはずなのになー(^_^;)。
 これで蘭ねーちゃん(どーでもいーが『コナン』と紛らわしいな)が妊娠でもしたらどうするんだろう。
 よくある少女マンガのパターンなら、素直にブサイクに戻った麗一とゆみこちゃんがカップルになるってハッピーエンドがセオリーなんだけれども、どうもそう簡単にはいかないような感じなんだよなあ。
 さて、この先どんな悲惨な状況が麗一くんを待ち受けていることか。
 ……「なし崩しに、リカコ先輩とも関係持っちゃって、そのことがゆみこちゃんにバレる」に千点(^o^)。


 マンガ、天樹征丸原作・さとうふみや漫画『探偵学園Q』3巻(講談社・440円)。
 えーっと、作中に登場する暗号文書、「暗号技術も発達してない戦時中の超単純な暗号」とかタワゴト言ってるけど、いくらなんでも「いろは」を置換しただけの小学生にも解けるようなものは採用してません。
 この天樹とかいう原作者は、戦時中の知識がないのか、それとも読者のレベルを低く見積もってるのかどっちかわからんけど、こんな「有り得ない」暗号なんか持ち出された日には、「この暗号そのものが偽文書である」なんて穿った見方しちゃうじゃないか。
 この一歩間違えば詐欺に近いトリックに先鞭をつけたのは、あの高木彬光だったりするんだけれども、森博嗣や藤岡真も実は似たようなことをやっている。しかもずっと下手な形で。彼らのミステリをマトモなミステリとしては評価できないのは、この「現実的には有り得ない」ことを「小説の上では有り得ること」としてキチンと展開してないせいだったりするんだよね。いっそのことSFミステリにしてしまえばスッキリするのにどうにも中途半端なんである。
 で、『Q』に話を戻すと、「神隠し」のトリックもどうも大坪砂男の『天狗』のパクリっぽいんだよなあ。どっちのトリックも4巻で真相が明らかになるんだけれど、私の予想がいい意味で裏切られることを望みたい。
 まあ、ムリだろうけど(^^)。


 マンガ、高円寺博原作・永井豪とダイナミックプロ漫画『まぼろしパンティ』(笠倉出版社・1890円)。
 すみません、こんなもんまで買ってます(^_^;)。
 『けっこう仮面』の続編で、月刊少年ジャンプに連載されてたのは1981年のこと。ギャグ漫画家としての永井豪はもうこのころは半死半生の状態で、「枢斬暗屯子男」なんて、当時だってトホホなギャグでしかない。
 ドカベン、がきデカ、パタリロ、ブラック・ジャック、リンかけ、翔んだカップル、ダッシュ勝平などのパロディも、これで笑ってくれってのはちょっと読者に難行を強いるようなもの、と言いたいくらい芸がなくてつまらない。
 にもかかわらず、当時ついつい読んでしまっていたのは、ひとえに私が若かったからなんである。
 ……いいじゃんかよう、恥ずかしい過去の一つや二つ、だれにだってあるってばよう。
 しかし、イマドキの若い人には、このもとネタになってる『まぼろし探偵』ってマンガ自体、わからないんだろうねえ。つーか、作者の桑田次郎の名前すら知らないんだろうなあ。
 隔世の感あり。

2000年12月23日(土) 天皇誕生日スペシャル/『本格推理マガジン・絢爛たる殺人』


2001年12月22日(土) 夢診断/映画『耳に残るは君の歌声』/『冬の角川アニメ』/『蛇神さまといっしょ』1巻(桑田乃梨子)ほか

 朝方ヘンな夢を見たので、面白がって某サイトの某掲示板に書きこむ。
 (なんで「某」かっつーと、そこでは私は自分の職業とかも全部バラシちゃってるからなのだ。私の正体知ってるヒトは、そこんとこご留意ありたい)

 私がいるのは近所の公園である。
 突然、尿意を催した私は、どこか公衆トイレはないかとあたりを探した。
 しかし、公園のクセにトイレが影も形も見当たらない。
 えい、しゃあねえや、立ちションですましちまえ、と、適当な場所を物色する私。幸い人影はない。丘の陰にかくれて、そこの芝生に向かって、今まさにナニを出したところが……。
 「あら、有久さん、こんなところでナニしてるんですか?」。
 なんじゃ、いきなり! さっきまでだれもいなかったじゃんかよう!
 職場の同僚の女性たちがゾロゾロと、そこにピクニックにやって来たのだ。
 あまりに唐突だったので、ナニをしまうヒマもなかった。
 私はどうしようもなく、ナニを出したまま、その芝生の上にうつ伏せに倒れこんだ。
 でも、ホントに慌てていたので、ナニが私の頭の上からはみ出てしまったのだ!(なんでそんなに長い)。
 更に慌てた私はそのはみ出たナニを右手で隠した。
 その結果どうなったかというと……。
 芝生の上で私は「UFO」のポーズを取っていたのである。

 バカな夢だね〜。
 でもネタ的に面白いかなと書きこんだら、速攻でぞろぞろとレスがついた。このサイト、シモネタ好きが結構揃っているのである。
 曰く「ナニが大きくなればいいという願望ではないのか」。
 ……それ、唐沢なをきのマンガにあったぞ(^_^;)。
 つまり、うざったい夢を話したがるヤツを敬遠する方法として、なんでも「それはフロイト的に言えばオマエのちんちんがちっこいことの象徴なのだな」と言うという、ムチャクチャ陰険なイタズラである。
 「オレの目の前に道があってな」
 「それはオマエのちんちんがちっこいことの象徴なのだな」
 「その道を真っ直ぐ行くと塔があってな」
 「それはオマエのちんちんがちっこいことの象徴なのだな」
 「その塔の上からお姫さまがオレに手を振ってるわけよ」
 「それはオマエのちんちんがちっこいことの象徴なのだな」
 ……殴られねえか、この意地悪。

 まあ、今回のこの夢、二十四万五千六百七十三歩譲って、私のナニが小さいということを認めてもいいのだが(^^)、なんで「UFO」のポーズを取る必要があるのか、そこんとこも納得いくように説明してもらいたいものだ。
 

 今日から正月映画が一斉に公開。
 今年は見たい映画が軽く10本くらいはあるものだから、効率よく見て行かないと、打ちきりにあうヤツは下手すりゃ見そこなってしまう。
 で、今日は一気に2本をハシゴすることにして、まず、KBCシネマ北天神に向かう。
 ところが、車で行くのは初めてなので、しげ、パーキングを見つけられずにぐるぐるぐるぐる同じところを回っている。
 時間には余裕を持って出て来たのに、だんだん間に合うか間に合わないかギリギリになってきて、気があせってくる。
 しかも尿意は催すし。
 仕方なく、いったん車を降りて、目の前の公園に公衆トイレを探しに……って、おい、今朝のはこれの正夢かあ?!
 でもまあ、UFOのポーズは取らずにすんだが。


 映画『耳に残るは君の歌声』。
 初日と言うことで、ブランデーのボトルのプレゼントが先着100名さまにという、なかなかイキなはからい。
 この映画、前売券にも「この映画を見て流したあなたの涙を溜めて下さい」というキャッチフレーズで、小さなガラス瓶、その名も「涙瓶」というのをオマケにつけている。これはちょっと恥ずかしいけど、ロマンチストなお客さんへの宣伝方法としてはなかなか妙手ではないか。

 『オルランド』『タンゴ・レッスン』も見ていないので、サリー・ポッター監督の映画はこれが初体験ということになる。
 第2次大戦期、ロシア系ユダヤ人であるために、名前を奪われ、歌うことを奪われた少女フィゲレの、生き分れた父に再会するまでの物語……と、あらすじだけ書いちゃうと、今までにこれと似たような題材の映画やドラマは腐るほどあるわけで、何か今更だなあという印象である。
 けど、じゃあなんで見に来たかというと、主演女優があの、クリスティーナ・リッチなのである!
 故・淀川長治風に言えば、「はい、おわかりですか、このヒロインのお嬢さん、どこかで見たことありますねえ、かわいらしいですねえ、まあ、あの『アダムス・ファミリー』のウェンズディ、ウェンズディが、こんなに大きくなっちゃったんですねえ」てな感じなんである。
 『アダムス』のころから、「役柄を掴む」ことが抜群にうまかったリッチ嬢であるが、今回もその抑制の利いた演技を見ているだけで、「映画」を見ている感覚に浸れるから不思議だ。
 まあ、私は、女優さんは額が広くて、眉と目の間が狭い、童顔だけれどもちょっとケンがあるってタイプの顔が好きなんで、リッチ嬢、まさしくそこんとこに敵中しちゃってるもんだから、映画の出来は二の次でついつい評価が甘くなっちゃうんだけれども。
 いや、でも映画の出来が悪いってことは決してない。
 画面ごとの描写が実にしっかりして落ちついていて、破綻がない。キャラクターの行動もいちいち納得がいくのだ。

 例えば、自分になびこうとしないフィゲレに腹を立てたオペラ歌手ダンテが、フィゲレがユダヤ人であることをドイツ将校に伝えるシーンがある。
 ダンテの車の前に立っているドイツ将校が、フィゲレを見て「知り合いか?」と聞く。
 車の中には、ダンテの恋人、ローラがいる。ローラはフィゲレの親友でもある。そして、ダンテがフィゲレにも言い寄っていることを知らない。
 ダンテはしばらく言いよどむ。
 車から少し離れ、しかしローラにも聞こえるハッキリした声で「ジプシーたちと仲がいいが、彼女自身は違う」と言う。
 次の言葉が出て来ないので、ダンテを見る将校。
 更に間を置いて、車に背を向ける。そして静かに、つぶやくように言う。
 「ユダヤ人だ」
 そして、車中のローラの顔が蒼白になる。
 つまり、ダメな演出と、そうでない演出との差がどこにあるかっていうと、この「間」なのだね。
 ダンテをただの悪役にするのなら、この「間」は要らない。
 彼を激昂させ、卑屈な表情でチクらせて、ユダのように金をもらう演出をすればいいのである。
 しかしこの逡巡の間は、自らがユダになることを自覚したダンテの苦しみと、ローラとの決別を覚悟した間の両方を表現している。こういう細かい演出、ハリウッドのエセエンタテインメント作品には見られないんだよねえ。
 最初、私は勘違いしてて、「これ、ホントにハリウッドで作ったのかなあ」なんて考えてたんだけど、全然違ってて、英仏合作映画だったのだ。

 劇中、オペラ曲を初めとして、いくつもの歌が流れるが、残念ながら全てプロの歌手による吹き替え。クリスティーナ・リッチ本人の声は聞けない。
 それは仕方ないんだけど、しげは「生まれて初めて『暗い日曜日』が聞けた。別に聞いただけで自殺したくなる歌じゃないね」と喜んでいた。……いや、ちょっと興味の持ち方、違ってないか(^_^;)。いい曲だぞ、これは。


 キャナルシティに回って、食事をしようと思ったけれど、今月オープンしたばかりのラーメンスタジアムは長蛇の列で入れない。
 福家書店を回って、「ラ・ブーン」のリンガー・ハットでちゃんぽんを食べる。しげが社内割引券を持っているので、ちょっとした節約にはなる。
 この程度でも年末で出物が多い時期には助かるのだ。


 映画『冬の角川アニメスペシャル』。
 半分の2本は短編とは言え、4本立てとは往年の『東映まんが祭り』を髣髴とさせる。けど中身は完全にオタク向けだけど。 

 『あずまんが大王』。
 5分ほどだがよく動いている。
 動きすぎてるせいで、間が詰まりすぎてて、笑えない。……やっぱ、10分は要るでしょ。

 『デ・ジ・キャラット 星の旅』。
 なんか、にゃ〜にゃ〜鳴いてたみたいだけれど、それだけで鬱陶しくなったんで寝た。

 『スレイヤーズぷれみあむ』。
 映画では初めてメインストーリーのガウリィ、ゼルガディス、アメリア、ゼロスが登場するけれど、はっきり言ってストーリー上必要なのはガウリィだけで後はいらん。特にゼロスなんか、いつものように「それは秘密です」って言ってるだけで、ここにいる必然性、ないし。
 こういう「映画版だから顔見せ興行」的なハナシって、よっぽど才能がないとキャラが死ぬんだよね。
 でも、「すぺしゃる」の後もちゃんとナーガが生きてるってことが分ってよかったよかった……って、『スレイヤーズ』シリーズを読んだことない人には何が何やら分らんアニメだろうなあ。

 『サクラ大戦 活動写真』。
 広井にあかほりに藤島にと、思いきり美少女萌え〜なオタク向けなゲームがルーツだから、どんなにシリアスにやったって、基本的にはバカアニメ。
 けれど、「太正十五年」という架空の日本の設定は実は結構いいんじゃないかと思っている。ただ、スチームパンクな世界設定は、唐沢商会の『蒸気王』の方が早いから、やっぱり「二番煎じ」的印象は拭えない。
 他にも欠点は数々あって、ラチェットというキャラクターを出しておきながら、このキャラ設定がどうもイマイチ魅力的じゃなかったりする。
 クール・ビューティで、効率優先の合理主義・完全主義者。
 だからこそ、最後の最後で、事件が全て終わった後で、自分の主義を崩されたと感じた彼女がサクラを殺そうとするのも納得できない展開ではないのだが、それを舞台公演中に演技に紛れてやるってのは、ちょっと「イッちゃって」ないか。
 だからどうもラチェットに感情移入できないんである。しかも、結局みんなの掛け声で凍りついていた心が溶けていくなんてあまりにも適当な結末のつけ方で、ちょっと恥ずかしくないか。
 でも何より納得できないのは、外人なのに全然巨乳でないところだろう。
 ……オタク向けにアニメ作ってる自覚があるんだったら、『トップをねらえ!』のユング・フロイトみたいな演出くらい考えろやい。
 けど、オープニングのミュージカルシーンは、CG使ってヘンテコになった『ミニハムず』よりはるかにハイレベルだ。更にラストが泉鏡花の『海神別荘』とはなんて通好みな。
 メインストーリーはどうでもいいから、最初と最後だけ楽しもう。
 ……煙管かい(^_^;)。


 帰宅して、買いこんできたマンガやらDVDやらを片っ端から見る。
 世間では不審船がどーのこーのと喧しいが、こんな解りきった事件まで、遠回し遠回しに報道してるのを見るのは腹立たしいので無視。


 マンガ、桑田乃梨子『蛇神さまといっしょ』1巻(白泉社・410円)。
 今更だけれど、桑田さんのマンガがこれだけほのぼのした雰囲気なのにどうしょうもなく切なくなるのは、恋する男女の間に横たわる壁というか溝が、ほとんど乗り越えることが不可能に思えるくらい、高かったり深かったりしてるせいなのだ。
 『恐ろしくて言えない』の女の子は二重人格で、これはなんとかハッピーエンドになったけれど、そこまでにものすごい紆余曲折があったろうことは想像できる。
 私の桑田マンガベスト1『ほとんど以上絶対未満』は、相手が女に変身しちゃったかつての親友だ。いくら恋したって、愛することが友情を裏切ることになるんだから、この恋、成就するはずがない。
 ほかにも相手がホモだったり幽霊だったりと、もしも作者が内田春菊だったら、『南くんの恋人』よろしく、どっちか一方を殺すしかないってくらいに、恋する二人の仲は常にカタストロフを予感させている(幽霊はもともと死んでるが)。
 で、今度は「神様と人間の恋」だものなあ(蛇神だけど)。
 ……永遠に存在する神様と、年老いて死ぬ人間とじゃなあ。結末見えてるじゃん。
 「オレとずっといっしょにいてくれ」
 と千沙の手を握る蛇神さま。
 「逆だよ蛇神さま」と答える千沙。
 「蛇神さまがあたしたちといつもいっしょにいてくれてるんでしょう? だからみんな、そういう思いでここに手を合わせに来るんだよ。それこそずっと……この先、あたしの子供や孫やその子供まで」
 千沙にしてみれば、いっしょにいることはできない神様への最高に優しい愛の告白の言葉だ。
 けれど、蛇神さまにとって、どうしようもなく残酷で絶望するしかない言葉でもある。
 だから神様は記憶を自分で封印する。愛の記憶を。
 こ、これで私に泣くなというのはムリだ。毎回私は桑田さんのマンガ読んで、ギャグに笑いながらラストで泣いているのだ。
 そして、千沙にソックリなひ孫の千奈が蛇神さまの前に現れる……。
 わあ。またなにかどうにも切ない終わり方しそうな設定だ。ムネが苦しくなるようなラストはこのトシになるとツライのよ、頼むから、ハッピーエンドにしてくれよう、桑田さん。


 マンガ、山田風太郎原作・石川賢作画『柳生十兵衛死す』3巻(集英社・530円)。
 どうやら無数のパラレルワールドが存在しているらしい世界設定が明らかになる。これなら、前作『魔界転生』ともちゃんとリンクできそうだな。
 宮本武蔵と佐々木小次郎の設定が『魔界』と違ってたのも、「忍者小次郎に剣豪武蔵が破れた」世界からやって来たってことのようだから。
 ついに、もう一人の十兵衛、室町時代の十兵衛満厳が顔見せ程度だけれど登場。時空の漂流民となった十兵衛三厳は、栄禄三年、信長が覇権を得ようと台頭して来た時代に流れ着く。
 スケールが原作をとっくに越えちゃってるので、このままだと10巻、20巻じゃ収まらないんじゃないかって雰囲気まで漂ってきてるが、うちきりにならないよう、「ビジネスジャンプ」読んでる人はアンケートをよろしく(^^)。
 いや、そこそこ人気はあるんじゃないかな、今回巻頭にカラーページまで収録されてるし。


 マンガ、島本和彦『吼えろペン』3巻(小学館・560円)。
 女性キャラが少ないからって、「仮面編集女」ってのはちょとやり過ぎという気もしないでもないが、熱血野郎の島本さんだから、なんでもアリなんだろう。
 しかし、さいとう・たか……もとい、ジャイ藤キック先生の「うわっはっはっはっ! その原稿なら来週から取り掛かるからやってない!」(シメキリが来週なんだよ)というセリフのリアルなこと(^_^;)。
 やっぱりモデルがいるキャラはギャグも爆裂してるなあ。
 でも「サブリミナル鷹」って、誰のパロディだ?


 DVD『スタイルズ荘の怪事件』。
 『名探偵ポワロ』BOXの第11巻。
 以前、テレビ放映されてた時に見ているが、改めてDVDで見ると、いろいろと発見がある。
 制作が後回しになったので、巻数は後ろの方にあるが、もちろんこれがアガサ・クリスティーのデビュー作にしてエルキュール・ポワロ最初の事件である。しかし、ある程度短編シリーズで慣れた後でのドラマ化というのが結果的に良かったんじゃないか。デビッド・スーシェのポワロのちょこちょこチマチマトした仕草も堂に入ったものだが、ヒュー・フレイザーのヘイスティングスも実に当たり役である。ただ、今回の話では、ヒロインに振られるあたりがちょっとあっさりしすぎてたキライがあったが。
 処女作にはその作者の原点が詰まっているとはよく言うが、実際、この作品の設定や、トリックは、手を変え品を変え、後に書かれた作品に流用している。ドラマ化にあたっては、実に原作に忠実にトリックを描いている。
 忠実過ぎて、犯人が犯人っぽい演技しすぎるおかげでトリック丸わかりってのもどうだかなあとは思うんだが。
 画質はDVDのわりにはそれほどよいというほどでもない。暗い画面だと、特に演出ってわけでもないんだろうけれど、何が映ってるんだか全然分らないときがある。テレビドラマだからってことなのか、それがちょっと残念な点だった。
 BOXは全3巻、ドラマ自体まだ制作され続けているので、現在までの分のみということになる。
 したがって、元旦、二日に放映される予定の『メソポタミア殺人事件』と『白昼の悪魔』はBOXには入らない。『白昼』はピーター・ユスティノフの『地中海殺人事件』と同じ原作なので、見比べてみるのも楽しそうだ。

2000年12月22日(金) 祝、大ヒット/『封神演義』23巻(藤崎竜)


2001年12月21日(金) オトナ買いってコドモしかやらねえよな/アニメ『キカイダー01 THE ANIMATION』2巻

 どうもここんとこ、しげとケンカすることが多くなっている。
 原因は昨日も書いたが「しげが寝てばかりいる」ことにあるのだが、そうしょっちゅう怒ってばかりいるのもナニなので、ちょいと優しくしてやろうかと思って、仕事を1時間早く引けることにする。
 ところが、携帯に連絡を入れると、やっぱり反応がない。
 帰るとやっぱり寝ているのだ。
 どうしてこいつは人のタイミングを全部外してくれるかなあ。
 「おい、一緒に食事でも行くか?」
 「ふにゃへこふー」
 「買い物があれば付き合うぞ?」
 「ひらふぇん、んはー」
 どうやら、「今は眠たいから、アンタ勝手に行ってきていいよ、ただしお土産は買って来てね」と言ってるらしい。
 なんでそんなん判るんだと言われる方もおられようが、まあ、フィーリングってヤツ?(^_^;)
 でもこれで我々夫婦がツーカーだとか、「以心伝心」だなどと考えてもらっちゃ困る。少なくとも私の意志がしげに伝わったことなんて、この十年全くと言っていいほどないことは断言できる。
 断言できるのが虚しいが(T-T)。
 仕方がないので、ほったらかして一人で出かけることにする。
 いつまでも宇宙人と会話してたってしゃあないし。


 一人での買い物も久しぶり。
 しげを気にする必要がないから、ゆっくり自分のペースで回れるんだが、こういうことを書くと、しげは必ず「私と一緒じゃヤなんだ」などとヒガむんだよなあ。
 男女のジェンダーを差別に結びつけるような物言いはホントはしたくないんだが、あえて言わせてもらうと、こんなセリフ、男にはそうそう言えない。
 なぜって、恥ずかしいのよ。
 想像していただければわかると思うが、男が「オレと一緒じゃイヤだろう」なんてヒガんで言ったりしたら、こりゃもう「情けない男」の典型みたいに言われるのを覚悟しなきゃならない。
 ましてや、「オレみたいなヤツと付き合わない方がいいぜ」とか「どうせオマエだってオレのことをいつか嫌いになるさ」とか「所詮オレはこんなヤツさ」とか言って嘯いてるヤツ。本人は自虐的なポーズ決めて、カッコつけたつもりになってんだけど、これがもう、見てるだけでイタくてイタくて(-_-;)。
 誰のことを言ってるかってーと、劇団メンバーの藤田くんのことなんだが、つまり男だろーが女だろーが、ヒガむって行為はただただみっともないだけなんだってことが言いたいんだよね。
 だから藤田くんレベルにまで人間の程度落としたくなかったら、ヒガむのをやめなさいってんだよ、しげさんや。


 天神、福家書店で本を買いこんでいると、偶然ばったりAIQのしおやさんに声をかけられる。
 私は目が頗る悪いもんだから、街中で知人とすれ違っても気がつかないことが多いのだが(で、恨まれたりするのな)、人から見つけられることはよくある。相手の目がいいのか、私が目立ちやすいのかよく分らないが、世間に埋没して生きていたい私にしてみれば、なにか自分に落ち度があったかと、ビクビクしてしまうのだ。
 ましてや今日は一人だし。
 もし、しおやさんから「奥さんはどうしたんですか?」と聞かれてたら、私はとっさにウソがつけないから、「最近ナカが悪くって」なんてつい言っちゃってたろう。そこまでは聞かれなかったので、ちょっとホッとする。
 その時点で既にマンガを十冊ほど買ってたのだが、文庫本を何冊買おうか丁度迷っていたところだった。
 しおやさん、無責任に「迷ったときは買うんだ!」と煽ってくれるので、ついまた5冊ほど買う。最近、文庫本も高くって、1冊千円近くするものも多いんだよなあ。
 実を言うと、職場の内情が苦しいので、今月から減給措置が取られてるんである。「据え置きはしますが減給だけはしません」と何年か前に約束してたのはどうなったのかなあ、と思いつつも、やっぱり買いたい本は買っちゃうのだ。
 「いやあ、人がムダ遣いしてるの見るの楽しい」
 と、しおやさん、本当に楽しそうである。
 「これからDVDも買いに行かなきゃならないんですよ」
 と言うと、更に喜ばれる。でも考えてみたら「買わなきゃならない」ものではないんだよな。「好きで買ってる」ものなんだから、安月給に文句言ってちゃいかんのである。

 ベスト電器LIMBで、『名探偵ポアロBOX』vol.1ほかを一気買い。
 さあ、今日一日で何万使ったか。でもその分生活必需品は切り詰めてるんだから、ゼイタクとは言われたくないんである。オタクであるってだけで、やっぱりゼイタクなのかもしれないけど。


 DVDアニメ『キカイダー01 THE ANIMATION』2巻。
 前巻で死んだかと思ってたシャドウナイト、一応生きてたらしい。
 昔の実写版ではザダムに引き継がれたけれど、原作じゃ途中でどうなったのか消えちゃったから、そこんとこもキチンと描いてほしいものである。
 今回は前半がビジンダー、後半がガッタイダーとの戦いで、もう原作を短い尺数で消化しようってんだから慌しいことったらない。
 作画レベルも、ひどいと言うほどではないが、ちょっと物足りないところは多々ある。どうも『009』第1話のレベルと比較しちゃうから、ちょっとやそっとの演出じゃ満足できなくなってるんだよねえ。
 それでも、原作以上にダサダサなデザイン、デカイばかりで役立たずのガッタイダーは置いといて、ビジンダーのアクションはなかなか見せる。ちゃんと原作の01の「オカチメンコ」発言もあるし。
 ナニより、堀江美都子さんの声が涼やかで、ああ、これ聞けただけでも買って正解だったかな、と、とりあえずは満足。ビジンダー=ミエ子が、リエ子を襲えないって設定は確か原作にはなかったと思うけれど、伏線の張り方としては悪くない。その理由のつけ方によっては腰砕けになりそうな心配はあるけど。
 でも一番の改変は、キカイダーOO=レイの製作者が、ジローではなく風天和尚になってることだろう。するってーと、原作のイチロー一人の放浪編は全部カットで、次回はいきなりOO登場ってことになるんだな。とすると、ザダムも出るのか。下手したらワルダーももう出してくるかもしれない。
 けど、それくらいのペースじゃなきゃ、全4巻じゃ終わらないよなあ。
 おかげで中身が随分薄味のダイジェスト版って感じになっちゃってるけど。

2000年12月21日(木) 北野武は先生役が合うなあ/映画『バトル・ロワイアル』ほか


2001年12月20日(木) ゴメンね、素直じゃなくってっ/『名探偵コナン』35巻(青山剛昌)ほか

 今日もしげは迎えに来ない。
 しげに連絡を入れようとしたら、携帯の電池が切れている。
 使った覚えはないから、何かの拍子にロックが外れたらしい。仕方なく公衆電話で家に連絡を入れたが、全然応答がない。
 こりゃ、しげのやつ、また寝過ごしてるな、と思って、タクシーを拾って帰宅したら、家にしげの姿がない。
 もしやと思ってしげの携帯に連絡を入れる。
 「……今、どこにいるんだよ」
 「アンタの職場」
 「時間通りに迎えに来てないやん」
 「だって携帯に連絡入れてくれんし……」
 「携帯の電池が切れてたんだよ。ここんとこずっと迎えに来てないし、今日もてっきり寝てるんだと思って帰って来ちゃったよ」
 「……オレが悪いん?」
 このモノイイで、ムカッと来た。
 「オマエが信頼できるんだったら、俺も待つけど、ここんとこずっと寝過ごしてばかりだろうが! カラダの具合もよくないってのに、寒い中待ってられるか! なんで先に『ごめん』が言えないんだよ!」
 遅れた理由を聞いても要領を得ない。自分では遅れたつもりはない、なんて言ってるけど、少なくとも5分以上は遅れてるんである。車内に時計はあるから、これは確実にしげがウソをついているのだ。
 失敗したことは仕方ないけど、どうしてそれを見え透いたウソで誤魔化そうとするのか。そこんとこがしげの根性がネジクリ曲がっているところなんである。

 昨日のビデオ録画の件だって、「ゴメン」のヒトコトがやはり出なかった。
 私が怒る前に、「ああ、ごめん」と言える謙虚さがしげにありさえすれば、こちらも「いいよ、俺も気がつかなかったし」と言って、コトは丸く収まるのである。なのに、しげには「先に謝る」ことに対して歪んだ防衛規制が働いていて、素直に謝ることができないのだ。
 「申しわけないことをした」という感情がしげの心からは欠落している。
 これは別にしげを悪く言っているのではなくて、しげ自身が自認している心の欠陥である。つまり、しげは生まれてこのかた、誰に対しても「反省」したことが一度もない人間なのだ。あるいは、「反省」という感情の動きが理解できない人間だ、と言ってもいい。
 欠落があるなら埋めればいい。
 どういうときに、人は「悪かった」と反省するのか、ということを今までにも何度もシミュレーションさせてみたのだが、やはり「反省」という感情はしげの心の中に育たない。
 例えば、「人のものを借りてなくしてしまった」ときに、どういう感情がしげの中に生まれるかというと、「申し訳ない」ではなくて、「失敗した、叱られるかも」という相手に対する恐怖心だけなのである。相手が優しい人間であったとしても、「ああ、これで相手に嫌われるかも」と思うばかりで、「悪かった」とは思わない。
 この心理は尋常ではない。
 普通に成長していく過程で、ここまでのトラウマを抱くことは普通、有り得ない。しげの過去において、何かが(あるいは誰かが)、しげの心をひどく歪ませたに違いないのだ。
 ここまで強固な恐怖心を植え付けたのはいったい誰なのか。
 私は、しげ本人よりも、そこまでしげの心を歪ませた「何か(誰か)」を本気で憎んでいる。
 そして、しげに「反省」の気持ちを生み出させ得ない自分自身がもどかしくてたまらない。
 ここで私がしげにキチンと反省させないままでいるせいで、しげは周囲から「卑怯な人間」だと思われることが多いのだ。これが口惜しい。どう弁解しようと、客観的に「悪い」のはしげということになってしまうのだから。
 でも私は、しげの夫ではあっても保護者ではない。
 しげに「バカヤロウ」「アホンダラ」「ヘチャムクレ」「スットコドッコイ」「テレスコステレンキョウ」と罵倒する以上のことはできないし、しちゃいけないことだ。
 「自分が悪いと思われるような状況を作るな」「もしそれでも悪いという状況になったと判ったら素直に謝れ」。
 それこそが、しげ自身の「身を守る」ことになるんだけれど、しげはもうずって、「守り方」を間違えたままだ。
 でも、それは私にも治せないことだ。結局、しげが自分自身の心を「治す」意志を持つようにならない限り、どうにもならない。
 私の思いが、いつかしげに伝わる日が来ることを祈るばかりである。
 もう十年、祈ってんだよう(T∇T)。

 しげ、眉間に皺寄せ、仏頂面のまま帰宅。
 ああ、やっぱりセルフコントロールができていない。
 結局、しげは自分のチカラではヒステリーを治められないのだ。
 それって、ぶっちゃけた話、ココロが幼児のままってことなんだけれど、自分でオトナになろうとする気がしげにない以上は、私がフォローするしかない。
 ……泣きたいなあ(T-T)。ってもう泣いてるけど。
 で、私の方から「いつまでも怒っちゃいないよ」というポーズを見せなきゃいけないので、ことさらしげを食事に誘うことにする。
 ここでしげが私の腹立ちを抑えようと行動してくれたら嬉しいんだけどなあ。
 ホントに、そんな気遣いをしてくれたことが一度もないぞ。
 ああ、愛のない家庭(T.T)。
 これで私が浮気一つしないってのは、我ながらすごいモラリストだと思う。つーか、私の心の中の「女」的部分がそれを許さないんだろうなあ。もちろん、そういうトラウマを私に形成させたのはお袋である。
 こっちのトラウマを外すのもなかなかできないんだよねえ(^_^;)。
 
 倒産したはずなのになぜかまだ建ってる近所の積文館書店で、マンガを物色したあと、モスバーガーをテイクアウト。
 しげの機嫌、すぐによくなる。
 ホントに、肉だけ食わしときゃおとなしくなるやつなんだよなあ。
 ……なんだか、一昨日見た「ハム太郎」に、いやにしげがダブって来るぞ。
 主題歌を替歌にしたら、そのまんましげのテーマソングになりそうだな。
 「と〜っとこ〜、走るよしげたろ〜、だ〜い好きなのは〜、肉と肉〜と肉〜♪」
 ホントに延々、それだけだもんな。


 アニメ『ナジカ電撃作戦』MISSION 011「惜別のミッションを少女のまごころと共に」。
 ナジカもあと1話で終わり。
 ということで、ついにリラが「私はナジカが好き……でも、ナジカの考えていることが分らない」と、マスターへの「疑問」を抱くようになる。
 マスターに対する反逆ってのは、もう、『メトロポリス』(←フリッツ・ラングの方ね)以来というか、それこそ『R.U.R.』以来というか、『人形の家』以来というか(「そりゃちゃうやろ」ってツッコミが入りそうだが、実は構造は同じだ)、定番ではあるんだけれど、そのフォーマットに「スパイアクション」を持ってきたってとこがこのシリーズの秀逸なところだったと思う。
 いや、決してパンチラだけでなく(^_^;)。
 ともかく、ナジカというキャラクターが、感情移入しにくいキャラになってるってのは、これは多分、監督の「故意」だろう。男を見下してるそぶりがアリアリだし、スパイにしては冷静さを欠いているし、どうやら麻薬もやってるっぽいし、こんな女、早いとこ抑えつけてヒイヒイ言わしたれ弦人、とか思ってたファンは多分、私を含めて三人くらいはいたであろう(^^)。
 その分、注目はどうしてもリラに回る。
 マスターを守るために、あえてマスターに「ウソをつく」ヒューマリットもいるというのに、リラの精神的成長は異常に遅い。それはやはりナジカが心のどこかでヒューマリットを拒絶しているからだ。
 愛されることを知らない「コドモ」の心が、いつまで経っても一定の「殻」の中から抜け出せないのは必然である。しかし、「殻」の中に閉じ込められた心は、いつか歪んだ形で爆発するだろう。
 最終回って、そんな感じになるんじゃないかなあ。
 

 マンガ、青山剛昌『名探偵コナン』35巻(小学館・410円)。
 光彦の謎の行動の理由を探ろうと少年探偵団が追いかける話、ネタはバレバレだけれども、伏線の張り方、解決の仕方に基本的にムリがないのは評価できる。
 けれど、またぞろ「黒の組織」ネタをかぶせてきたおかげで、話がスッキリまとまらなかった。別にミステリーは殺人事件だけじゃないんだから、光彦のエピソードだけで押していってもよかったと思うんだがなあ。黒の組織を出したおかげで、かえって、光彦の影が薄くなって、哀とのカラミも全然感動的でなくなってるんである。
 ……もう、デビューして随分経ってるけど、このドラマツルギーをまるで理解できてないってこと、ひょっとしたら致命的なことなんじゃないか。今んとこ『コナン』が受けてるけど、次回作は厳しいものになるかも。
 今度の映画、野沢尚の脚本だってことだけど、コナンがタイムスリップするのか夢オチにするのかは分らないが、シャーロック・ホームズと対決するらしい。それくらいぶっ飛んでるとかえって面白くなるかもなあ。まあ、間違っても夏目漱石は出さないでほしいが(^^)。
 

 マンガ、高橋留美子『犬夜叉』24巻(小学館・410円)。
 「七人隊」なんて味気ないネーミングはちょっとなあ、という感じだが、「グループ」が敵になってるってのは、「霞谷七人衆」「根来十三忍」(←もちろん『赤影』の敵キャラ)とか、「黒之巣四天王」(マジメに考えるとアホなネーミングだよな。悪いのは広井かあかほりか?)とかと同じで、キャラクターを際立たせるにはいい手だ。
 この手ので私が一番好きだったのは永井豪の『イヤハヤ南友』の「イヤハヤ・ハテサテ十人衆」だったけれども(^^)。
 それはそれとして、夢骨に蛇骨、なかなかいい味出している。特に蛇骨のヘンタイぶりがいい。しばらく『犬夜叉』にも飽きてきてたけど、これがクライマックスへ向けての伏線のネタだとしたら、なかなかよく考えたものである。
 映画もやっぱり行きたくなってきたなあ。


 マンガ、原作尹仁完・作画梁慶一『新暗行御史』2巻(小学館・580円)。
 マンガ自体は面白いんだけど、「文秀(ムンス)」って主役の名前、どうしても忘れちゃうなあ。ヒロインも「山道(サンド)」って、日本人の感覚だったら、絶対可憐な(けれど滅法強い)美少女だとは思わないし。
 しかし、普段、山道はいったいどこに隠れてるんだろう。
 てっきり、山道は実はとうの昔に死んでいて、幽霊となって文秀を守ってる……ってことなのかなあと思ってたら、「曼陀羅華」のエピソードでそのネタをしっかり使ってったし。
 今回は文秀の過去がチラッと垣間見える話だったけれど、恐らくは最後の敵となるだろう「阿志泰(アジテ)」が、「奇跡」を使って民衆をペテンに引っ掛けてきたやつらしいということは判った。それは「柳義泰(ユイテ)」のように、死者を生き返らせる能力なのか、それとも……。

2000年12月20日(水) 敵国降伏/CGアニメ『ポピー・ザ・パフォーマーのひみつ』ほか


2001年12月19日(水) 厳密な計算/『透明な季節』(梶龍雄)/『コータローまかりとおる!L』2巻(蛭田達也)ほか

 会議で帰りが遅れて、時間は午後7時。
 てっきりしげを駐車場で待たせているものと、慌てて外に駆け出したが、車は影も形もない。
 携帯で呼び出してみたら、しげはしっかり家で寝ていた。
 しげ本人は「そんなに寝てないよう」といつも言い張っているが、現実にこうやって寝過ごして迎えに来れないことが、ここんとこ慣習化している。
 夜道を自転車で通う私の身が心配で車の運転覚えたんじゃなかったのか。
 なかったんだな。ああ、愛が風化していくってこういうことなのね……って、しげの愛が濃かったことなんて一度もなかった気がするが(-_-;)。

 しかし、よくもこれだけ毎日毎日寝ていられるものである。
 具体的に見てみると、しげが仕事から帰ってくるのが、午前3時過ぎ、それから1、2時間ほどして寝るので、就寝は午前5時頃。
 当然、私が出勤する7時には熟睡していて起きない。たまに寝ないで起き続けていることがあるが、週に一日か二日、下手をしたら全くない週もあるのだ。
 じゃあ、帰りは迎えに来てくれるかと言うと、これも週に二、三日くらいのもの。4時に起きてる時もあれば、私が帰宅しても、仕事に出かける直前、午後9時くらいまで寝ている時もある。
 これを具体的に計算してみると、朝晩とも寝つづけて、最大14時間くらい寝ている日が週に一日か二日ある。
 続いて、朝送って夜迎えに来ない、あるいは逆に、朝寝ていて夜迎えに来る日が二、三日。これは10時間ほどの睡眠になる。
 そして頑張って朝も夜も迎えに来てくれる時は週に一日あるかないかだけれど、6、7時間ほどの睡眠の計算になる。けれど、帰宅したあと1時間ほど仮眠を取ることも多いから、やっぱり8時間くらいは寝ているのだ。
 つまり、どう少なく見積もっても、しげは一日平均9時間から10時間は寝ているのである。これを「寝過ぎ」と言わずしてなんと言おう。
 これでも「自分は寝てない」と言い張るのなら、ちゃんと睡眠時間を日記に付けておけよな。「暗号」ばかりじゃなくて。もう日記の内容、なにが書いてあるんだか全然判読できんぞ(ーー;)。
 結局、タクシー代を使っちゃうことになるので、おカネは出て行くばかりだ。
 愛はないないおカネは減る減る。
 ああ、風がココロを吹き過ぎる。
 (T^T)(^T )(T )( )( T)( T^)(T^T) ヒュルルル……。 

 それでも「ボナペティ」に寄って、しげの晩のおかずを買ってやる自分が健気である。
 ここは毎日少しずつメニューを買えてくれているのが嬉しいなあ。できればつぶれずに長く営業してほしいものだ。
 しげの好物のカツトジは今日はなかったので、豚の角煮・スパゲティ・茄子の肉詰め・肉じゃがと、できるだけしげがヨダレを垂らしそうなモノを選ぶ。

 買い物をしているとどうしても『ヒカルの碁』の時間には間に合わない。
 しげにもう一度携帯から連絡を入れる。
 「あ、7時27分から『ヒカ碁』録画してくれる?」
 「ええ〜? そんなんワカラン」
 「テープは新しいの使っていいから。ケーブルで10チャンネルに仕掛けて」
 「……失敗しても怒らん?」
 「怒らん怒らん」
 しげは寝起きだし、脳ミソ足りんなしげのことだから、ちゃんと記憶しているかどうか気になったが、これはもう、わが妻を信頼するしかない。

 で、信頼ってやつは必ず裏切られるのだ(-_-;)。
 帰宅してみると、しげ、テレビを点けていない。
 悪い予感がして、「ちゃんと7時27分から録った?」と聞いたら、「え? 半からじゃないの?!」
 ……今まで、いつも早めに始まってたのも忘れて、こちらの言ったことも聞き漏らして、録れてるかどうかの確認もしなくて、結局本編の初め数10秒が切れた状態で録画していたのだ。
 ああ、なんてお約束なやつ。
 「怒らない」と約束したし、こんなことはしょっちゅうなので、今更怒る気にもならないが、こう連続して失敗を繰り返せるというのもちょっとあるこっちゃないぞ。
 でもまあ、これで「『ヒカルの碁』のDVDを買うぞ」と言っても、しげは断れまい。転んでもタダでは起きんぞ。くくくくく……(T-T)。


 アニメ『ヒカルの碁』第十一局「最も卑劣な行為」。
 ダケさん、本格的に三谷を攻めるの巻。
 作画も安定していて、まあ、悪い出来ではない。
 よく見ると、ヒカルの学生服の影の付け方が最初のころよりも原作に近くなっている。さて、こういうところも原作ファンがクレームつけて変えさせたのかな。でも、中学生編になって間がないから、自然とスタッフの中に「原作に忠実に」という思いが広がっていったのかもしれない。
 大胆な演出を望むか、原作への忠実さを望むかは一概には言えない問題なんで、せいぜい「慣れない表現のし方で、作画が乱れなきゃいいがな」くらいしか言えないなあ。
 梅沢由香里さんの「GOGO囲碁」のコーナー、ごく初歩的な石取り問題らしいのだが、既に全然解らない。お袋にもっと囲碁も将棋も習っとくんだったなあ。母親が死んだ時に一番心残りだったのは、実はそのことだと言ったら、バチアタリなやつと思われるかもしれないが、事実だからしかたがない(^_^;)。


 マンガ、蛭田達也『コータローまかりとおる!L』2巻(講談社・410円)。
 敵のアメリカ忍者、名前がみんな実在、ないしはマンガの忍者の名前をもじってるんだなあ。
 トビー・ケイトーは「飛び加藤(加藤段蔵)」だな。小島剛夕の『半蔵の門』では、家康に自分を売りこんで、自在に涙を流す技を見せていたが、史実の加藤は武田信玄配下になろうとして失敗、殺されたらしい。忍者ファンには人気の高いキャラを敵ボス(中ボス?)に持ってくるあたり、蛭田さん、なかなかわかってらっしゃる。
 オーザ・ルイってのは「大猿」のことたろうな。言わずと知れた白土三平の『サスケ』の父ちゃんだ。えらくあっさりやられちゃったが、「分身」はいないのだろうか(←『サスケ』読んでないとわかんないネタ)。
 ちょっとわかんないのがくノ一のシーノ・タッカー。
 もしかして、これ、マンガ家の「椎名高志」のモジリか? ちょうどこないだまで「忍者マンガ(『MISTERジパング』)」描いてたし。


 梶龍雄『透明な季節』(江戸川乱歩賞全集11/講談社文庫・1250円)。
 最近、ミステリというか推理小説は、50歳……せめて40を過ぎた人間が書かないとまともなものは書けないんじゃないかという気がしている。
 紋切り型の「人間が描けていない」という評価はしたくないから表現を変えるけれど、どの小説を読んでも「行動が不自然で説得力に欠ける」人物がやたら多いのだ。
 トリックに拘るあまり、そんな結末があるかい、と本を投げ出したくなることが多々ある。
 しかし、じゃあ、老練な作家によって書かれたミステリが面白いかというと、今度はミステリとしての発想が陳腐で、読後感は「それで何が面白いの?」とこれまた作者に問いかけたくなる。
 江戸川乱歩賞を取った作品であってもそれは同じで、本作はどうやら後者に属するもののようだ。
 なにしろ「人間が描けている」ために、出てくる人物に聡明なヤツが一人もいない(^_^;)。しかも「戦時下に起こった事件」ということで、警察もあまり捜査に積極的ではない。
 だからこの事件が「迷宮入り」になったのは(なっちゃうのだよ!)、「時代」のせいなんであって、つまりはこの事件の真犯人は「戦争そのもの」とも言えるのだ。
 ある意味、そのこと自体、非常に特異なトリックと言えるかもしれないが、いささか卑怯ではある。だって、事件そのものは単純というか謎らしい謎もなく、多分、「現代であれば」迷宮入りになるような事件ではないのだもの。

 戦時下の旧制中学校で、軍国主義の権化のような配属将校・諸田、通称「ポケゴリ」が射殺される。
 主人公の少年、芦川高志(作者自身をモデルにしていると思しい)は、犯行時刻、現場近くで、「スパイ」の疑いのある教師・北上、通称「アオセビ」を目撃するが、彼が自分の憧れの女性、薫(ポケゴリの妻)の隠れた恋人であることを知ると、複雑な心情にとらわれはするものの、その事実を証言せずに沈黙を守る。
 ポケゴリの死は戦時下においては「不祥事」と見なされ、やがて捜査も打ち切りとなる。しかし、未だに事件に疑問を抱く刑事・時川が高志の身辺に近づいてくる。アオセビも謎の行動を取り始め、高志の疑惑も次第に深まっていく……。

 設定は多分に魅力的だ。
 戦争が次第に悲惨の度合いを増してきて、学生たちの日常もどんどんときな臭くなっていく描写、しかしその中にあって、年上の未亡人、薫に寄せる少年・高志の思いが行き場を失い、少しずつ壊れていく様は読んでいてやはり切ない。
 だからこそ、事件の真相が「犯人の遺書」だけで語られる結末はあまりに安易だし、拍子抜けだ。もう一つくらいどんでん返しを見せてくれないと、ミステリを読みなれた読者は納得してくれないのではないか……と思っていたら、佐野洋以下、受賞の選評もみんな「推理小説的骨格の弱さ」を指摘している。
 要するに、他の作品が「カス」なんで受賞したってことなんだね。
 で、他にはどんな作品が予選を通過したのかとリストを見てみたら……。
 斎藤澪『この子の七つのお祝いに』
 岡嶋二人『くたばれ巨像』
 井沢元彦『大沢家の崩壊』
 各氏の名が(^_^;)。
 斎藤さんの横溝正史賞作品、乱歩賞落選作だったんだなあ。この人もこの一作で消えたし、岡嶋さんは二人に分裂するし、井沢さんは言霊使いになるし(^^)、やっぱり受賞する人と落選繰り返す人とじゃ、資質に差があるのかもね。

2000年12月19日(火) 多分、ココロが病んでいるのです/『名探偵コナン』30巻(青山剛昌)


2001年12月18日(火) バラゴンには女の人が入ってるんだよ/映画『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』ほか

 今日こそは『ゴジラ』を見ようと、1時間早退。
 なんか休んでばかりと文句言われそうだが、有給を消化しなければならないので、チビチビ休んでいるんである。
 職場まで車でしげに迎えに来てもらって、一路天神を目指すが、腹をすかしたしげ、「マクドナルドに寄る」と言い出す。
 「テイクアウトするってこと?」
 「ドライブスルーに行くの!」
 「……持ち出すって意味では同じだろう、でもそれじゃあ……」
 疑問を訴える間もなく、しげはするするとマクドナルドに入っていく。
 セットメニューやら何やらを買って、再び道に戻って、ようやく「疑問」を口にする私。
 「……で、運転しながらどうやって食べるの?」
 「……ああっ!」
 それでも天神に着くまで、何度かの渋滞の合間に頑張ってしげはハンバーガーを平らげたのであった。
 器用なやっちゃ。

 しげ、それでも食い足りないとかで、天神東宝一階の寿司屋で100円寿司。
 今日は先にチケットを買っておいたので、劇場前に慌てて並ぶ必要はないのだ。
 この「博多新鮮組」という店、以前はネタが高かったのが、不況の折からか全皿100円になっている。それはそれでありがたいのだが、おかげでせっかく溜めておいたスタンプカードが無効になってしまった。たまにしかスシを食わないと、こういうことになるのである。
 ……たまにしか食えね〜って。


 開場10分前に行ってみると、そこそこ客が並んで入るが、混雑しているほどでもない。やっぱり混んでたのは初日だけかなあ、とちょっとサビシクなる。
 全く期待はしていなかったが、入場プレゼントのゴジハム人形、私にもしげにもくれる。……余ったのか? もしかして。
 グッズがいろいろ出ているが、これはイイ! というほどのものはナシ。
 いつもはメダルをほしがるしげも「ゴジラやハム太郎はいい」とほしがらない。
 せめてなんか記念に、とキーホルダーを一つだけ買う。
 これまではたれぱんだのキーホルダーだったのだが、明日からはゴジラ対キングギドラだ。


 『劇場版とっとこハム太郎〜ハムハムランド大冒険〜』
 途中でウトウトしちまったから、マトモな批評はできないけれど、子供向けアニメということを考えても、ずいぶん薄味な展開だと思う。
 飼い主のロコちゃんが人間の友達と遊んでるのを見ていて、ヤキモチを焼くハム太郎。……そんなペットってのもヤな存在だぞ。マジメに見てれば、まずここでキャラクターへの感情移入が阻害されてしまう。
 人間と言葉を交わすことのできない動物の悲しみってのを、もう少し演出で強調できれば面白くなったかなとは思うが、それには基本的にあのかわいいだけのキャラデザインを変えなきゃねえ。目を細めようが泣かそうが、感情が伝わらないキャラデザインなんて、無意味だ。
 テレビシリーズの方はあまりじっくり見たことないんだが、アレかね、『ぼのぼの』みたいに、いろいろムツカシイこと考えるんだけれど、所詮はハムスターなんて、下等動物なんで、どんな感情も三歩で忘れるっていうナンセンスギャグって感じの話なのかね。それならそれで面白いけど、長編劇場版には向かないよなあ。 
 樋口真嗣が担当したという「ミニハムず」のCGシーン、よく動いているしアングルの取り方も面白いのだが、ワザとCGバレバレの映像作ってるのにはなにか意味があるのか? 人形がぐるぐる回ってるだけにしか見えないし、見ていて気色悪くなってくる。ゴジラよりよっぽどこっちのほうが子供に見せるにゃ問題があると思うが(^^)。


 で、いよいよ『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』である。
 無理やりしげを連れてきたこともあって、願うような気持ちでちったあ面白い出来であってほしいと思ったが、見終わっての感想は、「ああ、これは少なくともしげが面白がる映画じゃないなあ」ということだった。
 ヒトコトで言えば、映画として面白くない。平成シリーズにも顕著だった、煩雑な設定や要素が多すぎて、物語がやたら滞る愚をまたぞろ犯してしまっているのだ。
 更に言えば、怪獣たちが戦っている理由をいろいろコジツケているがそこに説得力ってものがカケラもない。
 いったい、金子監督は、どういう映画を作りたかったんだろうか。

 パンフレットには、「怖いゴジラ」「戦争の亡霊としてのゴジラ」「悪役ゴジラ」……つまりは「第一作の原点としてのゴジラ」を描こうとしたとある。
 でもその三つのうち、どれか一つでも達成出来たものがあるだろうか。
 まず、ゴジラは平成シリーズ並みに、相変わらず怖くない。
 そりゃ、幼い子供はゴジラが鳴いただけで怖がるかもしれないが、いくらゴジラが人を踏み潰そうと篠原ともえを殺そうと(^^)、「ゴジラは怖い」「ゴジラ憎し」という感情は生まれてこないのだ。
 それはひとえに、2番目の「戦争の亡霊としてのゴジラ」の設定を作り間違えたところに原因がある。
 天本英世扮する伊佐山老人の言によれば、ゴジラがなぜ現代日本に現れたか。それは、我々日本人があの戦争の記憶を忘れてしまったからだという。……おいおい、それってゴジラが実は小林よしのりってことかよ(^_^;)。
 腐りきった日本に鉄槌を下すためってんなら、ゴジラはいいことしてるんじゃないのさ。
 実際、篠原を殺すゴジラと、暴走族を殺すモスラとに差異はないのだ。結局、悪いヤツら、ふざけたヤツらが殺されているだけなのであって、殺される人間たちに観客は同情しない。
 どうしてあそこでシノハラ使うかなあ。あれが野村佑香だったら、私はきっとゴジラに際限のない憎しみを感じたであろうに(^^)。
 ……いや、今のは冗談だが、演出が結局甘いのである。だって、「人が死ぬ」ったって、死体の描写が全くないんだし。

 第一作のゴジラがなぜ怖く、憎らしかったか。報道の使命に燃えたアナウンサーたちを殺したからだ。戦争で生き残った母子を踏み殺したからだ。
 だからゴジラへの「ちくしょう」という叫びが切実に響いた。
 確かに、ヘリコプターがバラゴンアタックで落とされ死ぬシーンがあり、ヒロインが「あの人たち、死んだ……」というセリフもあるが、第一作とは重みが明らかに違う。それこそ、「戦争の記憶を忘れた」人間たちがいくら死んでいったって、ゴジラへの憎しみはわかない。
 更に言えば、ゴジラが「戦争の亡霊」なら、日本を襲うより、アメリカに行くのがスジではないのか。それともゴジラもまた自虐史観の持ち主か(ーー;)。
 結局、ゴジラはただ無意味に暴れているだけだし、ヤマト三聖獣も、いったい何をゴジラから守っているのか解らない。人間を守ろうとしているのではあるまい。ならば「自然」を守っているのか?
 だったらこの三聖獣こそ、真っ先に日本人を、人類を、滅ぼすべきだったろう。ゴジラ出現よりももっと早い段階で。

 結局、今回のゴジラ、怖くも戦争の象徴にも悪役にもなってないのだ。監督の意図通りの映画になってないという時点で、これはもう「失敗作」と断じていいのではないか。 

 なのに、なんかネットでもこれを絶賛してる人、多いんだよなあ。
 これだけ設定やストーリーに破綻がありまくりなのに「破綻がない」なんて言ってる人まである。これはもう、ずっとゴジラ映画に不満があったんで、ちょっといい点があったらそれがすごくよく見えちゃうという、「だめんずに引っかかる女」みたいに怪獣ファンがなっちゃってる結果ではないのか。
 下手にこんなもん誉めてたら、もっといいもんが出てきた時に、「アイツ、あんなもん誉めてたんだぜ」とか言われちゃうぞ。

 そろそろ東宝には本気で特撮映画を作ってほしいんである。
 ゴジラに結局頼ってしまうという体質自体を変えてもらわなけりゃ、寅さんに頼ってた松竹の二の舞だ。
 そのためには、ホントはこんな言い方はしたくないのだが、「オトナの鑑賞に堪える」映画を作ってほしいんである。もちろん、ただ威張ってるだけの「自称オトナ」でなく、「映画を見る」ことに長けたオトナが楽しめる映画を、ということだ。
 これはもう、ウラミを込めて言わせてもらうが、日本人の自称オトナは、本当に腹が立つくらい映画を見ない。アニメや特撮は初めからガキの見るものということでバカにする。そのクセ、そいつに教養があるかというと、『脳内革命』を読んで真に受けてたりする程度の脳しか持っちゃいないのである。
 ……ホントは、そういうバカは相手にしないで映画が作れたら一番いいんだろうが、そうもいかない。第一、日本の特撮・アニメ界の場合に問題なのは、その作り手自体が「自称オトナ」ばかりだってことだ。少なくとも平成、新世紀ゴジラシリーズを見る限り、そう断定されても仕方ないと思う。
 「この程度の内容で充分」
 そういう「侮り」が制作者たちにあるのだ。
 それが見えるうちは、今回のような注と半端なゴジラを誉めることは、特撮映画製作の道を断ち、怪獣映画のジャンルを衰退させることにしかならないのである。

 誤解のないように言っておくが、今回のゴジラ、私は相当に「気に入って」いる。トシ食ったせいで涙もろくなったせいもあるんだろうが、『ゴジラVSキングギドラ』以降、私は『ゴジラVSスペースゴジラ』を除いて全てのゴジラ映画を見て泣いているのだ。
 もちろんそれは、小高恵美の「あなたがいるから」みたいな腐れたシーンなどではなく、全て特撮シーン、「このカットが撮れるようになったか!」という感動の涙なんである。
 『ゴジラ2000』でも、冒頭の10分には泣いた。
 『×メガギラス』でもビルの壁に張りついたメガギラスの群れに泣いた。
 今回はバラゴンの勇姿である。森林を押し進み、ゴジラと対峙するあの健気な姿、誰が泣かずにいらりょうかってなもんである。
 でも、そんな喜びは、オタクにしかわかんないのだ。
 オタクにしか判らん映画作ってどうする。
 オタク以外の人々にも楽しめる作品を作らないと、「評価」ってのはしてもらえないのだ。
 レベルを下げるわけにはいかない。
 特に、『ゴジラ』の場合、観客の中には既に百人百様の理想のゴジラ像が存在している。もはや何を作ったって、万人を納得させられる作品なんて作れっこないのだ。
 だから、この新世紀シリーズのように、毎回設定をリセットして作りなおす試み自体は、「多種多様なゴジラ」を見せる手立てとしては有効だったかとは思うのである。少なくとも、「今度のゴジラはひとあじ違うぞ!」ということだけはアピールできたんだから。
 何度リセットしてもいいから、「いいもの」を作ってほしい。それだけが願いだ。

 しげが面白かったのは、ゴジラ、バラゴン、モスラ、キングギドラの皮膚をタイトルバックにしたオープニングだけだったとか。
 後の1時間は苦痛だったか。……またこれでDVD買う時、しげの目が釣り上がるじゃんかよう。
 
 劇場を出て来た人たちの反応もどうもイマイチ、といった雰囲気。
 親子連れとオタクな人たちが半々といった感じだが、見た後、たいてい「面白かった〜」とか反応があるんだが、みんな黙々と帰っている。「口にしたくない」って感じがアリアリだ。
 日によって反応は違うんだろうけど、一つのムーブメントを作るほどの作品ではなかった、というところが正直なところだろう。
 帰りに次回『クレヨンしんちゃん』の前売券を購入。
 オマケに手裏剣(吸盤つき)が付いてくる。パソコンの画面に向かって投げるとホントにピタッとくっつくスグレモノである。ゴジハム人形よりよっぽど気が利いてるな、こういうの。


 帰宅すると、こうたろうくんからメールが届いているが、画像が重くて開かない。多分また何かジオラマを作って送ってくれたんだろうが、さて、どうやったら開けるようになるものか。しげに何とかしてもらうしかないが、こうなにもかもしげに頼りっぱなしじゃイカンなあと思いつつ、まだ『HTML入門』は数ページ読んでいないのである。
 ……画像の開き方くらい覚えないと(ーー;)。

 『ゴジラ』について、オタアミ会議室に書きこみ。
 多少、さっき書いた感想とダブる部分もありますが、出来るだけ冷静に振舞おうとしつつ、そうなりきれてないところがお茶目なので、以下に再録します。nifモノじゃなくて読めない人のためでもありんすえ。



 総合的にはおもしろかったからいいや、ということで誉めてる方が多いようですが、私はもう、ゴジラってのはトンデモ映画として楽しむしかないかなって気がしました。
 「ツッコミどころ」程度じゃありません、そもそも「ゴジラは残留思念」「ヤマト聖獣」などなどの基本設定自体が破綻しまくってるのに、通常の意味での「傑作」って言葉はあたんないんじゃないでしょうか。
(中略)
 テロ映画に指定されようが、そういう設定なら、初めから、アメリカを攻めるがスジでしょう。
 そこがまずもって根本的な設定ミスだと思うわけです。ゴジラが日本で暴れる説得力を持たせようとして、見事に外してます。
 いや、映画の「流れ」としても、その設定ミスが足枷になってて、前半のテンポがタルくてもたつきまくってるんですよねえ。人物の行動原理がハッキリしてないものだから、「こいつなんでこんな行動とるわけ?」ってのがネックになってて、観客が映画にノりきれない。
 新山千春演ずる由里が無意味に怪獣に近づきたがるのもアホですが、まあ、これは「江戸川由利子の末裔」ということで許しましょう(ホントは許しちゃいかんと思いますが)。
 けれど、天本英世演ずる伊佐山(だいたいこいつがホントに伊佐山だったかどうか、わかりゃしない)が「ゴジラは残留思念」と言うのを聞いて、由里たちがなんの根拠もなくみんな信じちゃうなんて、あまりにもヘンじゃありませんか? 普通、少しは疑うでしょう。もしかして、こいつらみんな、この時点で天本英世のマインドコントロールによって洗脳されちゃったのか(笑)。それともあいつら全員モルダーなんでしょうか?
 ……あ、そう言えばこいつらみんな、[オカルトBSのスタッフ」だって設定だった(笑)。
 でも、主役が全員「ムー」者だなんて、観客に「登場人物に感情移入するな」って言ってるようなものではありませんか。
 まあ、あの映画の中ではゴジラやヤマト聖獣をバカにするやつらはみんな死ぬ運命にあるみたいですから、主役をのーてんきな信者さんにしなきゃならなかったのも仕方ないのかもしれません。でも、私は申し訳ないんですが、宗教映画にはノれません。

 「英霊」の問題に話を戻しますと、天本さんのセリフを聞きながら、なんだか、『はだしのゲン』で、広島に原爆落とされた直後にお母さんが天皇批判したのを思い出しましたねー。まあ、日本軍部の不甲斐なさはあったにしても、落とされた方の落ち度ばかりを責めて、肝心の大量殺戮兵器を落とした方の人道上の罪を責めないんなら、そりゃ結果的に原爆投下を認めたのと同じですって。
 それともなんですかね、ゴジラの霊の中には太平洋で死んだアメリカ兵の霊も混じってるってことですから、死んでからも日本兵はアメリカ兵にこびへつらって、日本を攻めることにしたんですかね。そんな情けないゴジラ、ゴジラじゃないやい!
 「日本人が堕落したからだ」って天本さん怒鳴ってましたけどねー、それはその、英霊たちの思いじゃなくて、天本さんご自身の怨念なのでは(^_^;)。で、天本さんがそう言ってるってことは、要するにヤマト聖獣の思いだって、実はゴジラと変わらなくて、今の日本に対して憤ってるってことですからねー(だからバラゴンもモスラも日本人を平気で殺してる)。
 つまり何が設定上、一番破綻してるかって、あの怪獣たちが闘わなきゃならない理由がないってことなわけです。

 ……なんだかいつぞやのゴジラVS沢口靖子もガクッと来ましたが、今度のは要するにゴジラVS天本英世。そう思って見ると確かに笑えて楽しいんですが。
(中略)
 ゴジラ映画に相応しいベストとは言えないんじゃないですかね。
 特撮は確かに誉めるべきところもあるけれど、ギドラがキングギドラになったって、口で言うだけじゃねえ。あれは絶対、ヤマタノオロチに変化させなきゃ怪獣ものとは言えません。
 もう「ゴジラ細胞」だの「残留思念」だの、妙な理屈はどうでもいいです。映画の流れがもたつくだけだから。
 平成ゴジラにやたら目立ってたしょぼいメロドラマの影がやっと薄くなったと思ったら、今度は軍人の護国意識だの、親子の交流だのと、怪獣に襲われてるってのに、何を自己陶酔してばかりいるキャラがウロチョロしてるんでしょうか。
 これを誉めるなら、『オール怪獣大進撃』もキチンと評価すべきだと思います。
 だって、怪獣がユメマボロシって点では同じじゃないですか。

2000年12月18日(月) もしかしたらあなたも覗かれてるかも/『だから声優やめられない!』(山寺宏一)


2001年12月17日(月) はったらっくおっじさん/『BEST13 of ゴルゴ13』(さいとう・たかを)

 週遅れどころか、ついに十日遅れ日記になってますが、さて、私の記憶力はどこまで辿れるのだろーか。
 ともかく、そろそろ爆走だ!

 同僚が足を怪我してビッコを引いている。
 「どうしたんですか?」
 「いや、起きたら急にこうなってて……」
 「病院には行かれないんですか?」
 「いやそんなヒマないですよ」
 内心「休めよ」と思いながら、口では、はあ、そうですか、と言うしかなかったが、なんだか、このへんの感覚が世間の人々と私のズレであるのだなあ、としばらく黙考。
 私のようにしょっちゅう病気で仕事休んでる人間は、世間的には「ダメ人間」の烙印を押されてるんだろう。けれど、そういう烙印を押しちゃうヒトは、自分が病気になったときには自分自身も「ダメ人間」の烙印を押されてしまうってことを、どの程度自覚してるんだろうかと思うんである。
 多分、ウスウスは感づいているのだ。
 だから、「病気になったって休んでられない」と思い、無理をし続ける。
 そういう考え方って、自分を追いつめちゃうことにしかならんと思うんだけどなあ。けど、無理をさせる会社の方がおかしいんだ、なんて考えたりしたら、即座にクビになりかねんから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないね、今のご時世じゃ(´o`;)。

 しかし、それで一番迷惑を被っているのは、病気を抱えつつ、なんとか頑張って仕事しているヒトたちなんだけどね。
 ともかくちょっと休んだら白い目で見られるのはなんとかならんものか。
 「今日はなんか、仕事行きたくない気分だしい〜、なんか課長の顔見てるとムカツいてくるからあ〜、休んじゃお〜っと」てなこと言って仕事サボリまくるヤツと同レベルに見られてるんだもんなあ。
 しかし、いくら抗弁しようと、ちゃんと診断書まで出していようと、結局は「使えないヤツ」ということで十把ひとからげに見なすのが、世間というものなのである。
 それで身を粉にして働けったってねえ。
 どう言われたって、やっぱり自分のカラダの方を優先するよ。こちらの身を考えてくれない職場のために尽くしてやらなきゃならない義理はないって。

 コドモのころ、「世の中をよくする」ってことは、「人間が働かなくてもよい社会をつくっていく」ことだと思っていた(←もちろん、これは「水木しげる」史観である)。高度経済成長だって、オトナたちは、「これだけ働きゃ、あとで楽できるだろう」という考え方のもとにやってるんだと思っていた。
 多分、その見方はそう間違ってはいないと思うんだが、それがだんだん積み重なって行くうちに、「働いてない自分は自分でない」という感覚がみんなの身に染みついてしまったんじゃないか。
 日本人のアイデンティティが「働く自分」「職業人としての自分」だけに集約されちゃってるんである。だから病気になったり、定年退職したりして、それを喪失してしまうと、自分が自分でなくなってしまったように感じて、呆けてしまう。ひどい場合は自殺する。
 それはもう、世間が人間を「肩書き」でしか判断しなくなっている、というか、それがないといられない「不安症候群」に罹ってるからにほかならない。
 今の失業率が一向によくならないのも、「景気が悪い」以上に、結局はリストラされた人たちが、自分の「肩書き」的なものに拘ってるからだろうという気がして仕方がない。
 40歳を過ぎたら就職口がない。
 なら、どうして屋台を引かないか。
 リストラされても多少は退職金が出るだろう。百万あれば、屋台は用意できる。月十万稼ぐのだって難しかろうが、人一人暮らして行くのならそれで充分だ。妻や子供にも働かせれば、生活はもっと楽になる。高校くらいまでなら、奨学金で子供を学校にやることだって可能だ。
 結局、自分に「何かができる」なんてゴーマンな気持ちがあるから、仕事が見つからないのだ。私だって、もし無職になったら、今みたいなオタク生活は捨てるよ。今、ウチにある本とビデオ見返すだけで余生を充分楽しく暮らしていけるし。
 充分ゼイタクかな。
 ……ああ、でも今の私がクビになったら「病人」ってことでどこも雇っちゃくれないんだろうなあ。実際、10年先まで働けてる自信はないし、細々とでもやれる仕事を考えてくしかないかなあ。


 なんか、こういうことをぼんやりと考えてるのも、体調が一向に回復しないせいである。結局、カラダがだるくて立ってられなくなったので、2時間ほど早めに帰宅。

 しげがパソコンを使っているので、「使い終わったら教えてね」と言って、布団に潜りこむ。
 するとしげが「使うんなら使いーよ」と言う。
 「いや、お前が使ってるから使っていいよ」
 「アンタが使いたいんだったら使えばいいって言ってるじゃん!」
 「オマエが先に使ってるんだから俺は後でいいよ!」
 「いい、もう使わん!」
 「オレも使わん!」
 気がついたら口げんかになってたが、これって「譲り合いのケンカ」コントそのまんまだ。
 「漫才みたいな夫婦」とはよく言われるが、単に知能のレベルが低いだけなんだよなあ。
 

 ふてくされたんで、横になってプレステ2でゲーム。
 と言っても、新しいゲームはほとんど知らないので、『いただきストリート』なんて、もう3、4年前のゲームをやっている。
 しげが『桃鉄』の新作を買ってきているので、仲がよいときゃ二人でやるんだが、今日は一人サビシク、コントローラーをいじくる。
 でも、気がついたらハマってて、もうしげのことなんか忘れてるのだ。
 ずいぶん薄情な感じだが、なあに、しげだって、メシ食って一晩寝たら、今日のことなんてケロリと忘れてるから、お互様なのである。
 ああ、やっぱり我々夫婦って同レベル……(-_-;)。


 マンガ、さいとう・たかを『READERS’CHOICE BEST13 of ゴルゴ13』(小学館・1800円)。
 1969年以来30年以上、休載することなく続いている『ゴルゴ13』の読者選出ベスト13。
 ベストの中身を見てすぐ気がつくのは、ゴルゴの正体を探ったエピソードが高順位に来ている、ということだ。
 11位『ミステリーの女王』
 6位『毛沢東の遺言』
 3位『芹沢家殺人事件』
 1位『日本人・東研作』
 と、十三本中、3分の1を占める。
 確か十年以前に人気エピソードを募った時も、1位は同じく『東研作』だったと思うから、初期からの『ゴルゴ』ファンは、根強く今もファンであり続けているのだ。
 しかも、このベスト13には、ほんの数年前の作品も収録されている。新しいファンもちゃんと取り込みながら連載が続いているのだ。しかも、そのレベルが落ちていない。これは驚異的と言っていい。
 いしかわじゅんが『漫画の時間』の中で、『ゴルゴ13』の擬音の描き文字が変化していないことを挙げて、「作家の努力不足」と断じていたことがあったが、それは見当ハズレな批判というものだろう。確かに「今どき銃声に『ズキューン』はないだろう」という意見も判らなくはないが、30年間続いている連載で、「音」だけ変化させられるものでもない。絵柄が自然に変わっていくのは仕方がないにしても、ゴルゴのキャラクターを含めて、「変えないでほしい」部分は多々あるのである。
 正直にここで告白しちゃうけれど、私は世界情勢を『ゴルゴ』を呼んで間に合わせていた時期が確かにあった。MI6の長官はずっとヒュームって言うんだと思ってたものなあ(笑)。
 政治を扱った物語には、どうしても作者の思想性が出る。『沈黙の艦隊』をどうしても称賛する気になれなかったのは、エンタテインメントから一歩も二歩も踏み出していて、それがどうも「反則」だと私には思えていたからだ。
 ゴルゴ13には思想性がない。
 彼はあくまで非情のスナイパーである。
 ビジネス上のルールには厳しいが、依頼主の思想性には頓着しない。時によっては右も左も関係なく依頼を受ける。世界情勢がいかように変化しようと、そういったゴルゴのキャラクターだけは変わらなかった(どんどん寡黙になっていったが)。
 そこが実に小気味よかったのだ。
 70巻くらいまでは全作読破してたんだけど、気がついたら120巻を越えている。未読作品も多いのだが、今回読みなおして、既読作品の中にも、つかこうへいご推薦の『海へ向かうエバ』のように、短編漫画として珠玉と言っていいくらい絶妙な構成の作品があったことに気付かされた。
 インターネットカフェに行って、1巻からまた読み返してみるかなあ。

2000年12月17日(日) 今世紀最後のゴジラ/映画『ゴジラ×メガギラスG 消滅作戦』ほか


2001年12月16日(日) 週遅れ日記・記憶はどこまで手繰れるかっ!?/DVD『バトルロワイヤル』ほか

 そろそろ爆走しなきゃなあ、と思いつつ、雑用と体力不足で日記書くヒマがないぞ。これ書いての今やクリスマスだぜ。記憶を掘り起こしつつ書くのにもそろそろ限界が来ているのである。
 つーことで、ぱぱっと行こう。


 DVD発売も目前の『パワーパフガールズ』第50回「ちっちゃくなあれ/NANO OF THE NORTH」 。
 敵はミクロサイズのロボット「ナノボット」なのだけれど、誰がなんのために作ったのか、なんて説明が全くない。
 多分原タイトルの「NANO OF THE NORTH」ってのに何かパロディと言うか、意味があるんだろうと思うけれど、「北のナントカ」ってタイトルの映画とかで思い浮かぶのは『北の家族』(NHK)くらいだ。
 高橋洋子、可愛かったなあ。って、PPGの話じゃないね。

 なんとか朝起きして『PPG』は見られたものの、そのあとまた睡魔に襲われて寝る。睡眠自体も二、三時間寝たらまた目覚めてしまって、熟睡できない。
 なんかまたカラダのバランス狂ってきてる感じだ。

 『コメットさん☆』第38回 『キモチの災難』。
 メテオさん主演編と言っていい、今週と来週の前後編。
 イマシュンとの愛の行方は? って感じの話だが、昔の魔女っ子ものなんかと比べて格段にドラマが進歩したよなあ、と思えるのは、こういうライバル少女がただの憎まれ役だった70年代と違って、生身を感じさせる演出が随所に見られるところだ。
 あの、みなさん私をただの二次元少女フェチと思わないように(-_-;)。否定もせんが(せんのか)。
 コメットさんのココロはケースケの方にあるのだから、イマシュンとメテオさんがくっつこうが関係はないはずなのに、つい怒鳴ってしまうと言うのも、脚本、演出ともに芸が細かい。
 少女マンガやアニメを馬鹿にしちゃいかんよ。ミヤザキもアンノも少女マンガ題材にすると、なかなかの佳作を作ってんだから。
 次週はメテオさん失恋か? みたいな感じになりそうなんで、いよいよラストスパートに入るのだろう。
 ……それはいいんだけどよ、『コメットさん☆』のDVD、なかなか出ねえなあと思ってたらよ、なんとバラ売りしないでBOXのみの販売だとよ。
 だからオレだって際限なく金があるんじゃねーんだようおうおう!


 で、前田亜季つながりで(おいおい)、中古で買ったDVD『バトルロワイヤル』を見る。
 『ビデオのお姉さん』完全版なんて特典映像がついてたりするが、私がみやむーに燃えていたのは既に6年も前なので(^o^)、既に私にとってはなつかしビトである。アニメの声優としても最近あまり聞かないしなあ(そう言えば緒方恵美も結局どうなっちゃったんだ)。タイトル忘れたが例の自衛隊映画といい、どうしても「ね〜ちゃん、アニメで食えんで汚れ仕事もやっとるんかいのう」てな印象になっちゃうんだよなあ。所属はまだJACなんだろうか。
 もう一つの特典映像、北野武と前田亜季との会話を収録した「幻のエンディング」というやつ、確かにドラマとしてはいいシーンなんだけれども、映画の流れからいって、「エンディングとしては余計」だ。
 キタノがどうして典子だけを助けようと動いていた理由がそこにはっきりと描かれているのだけれど、これをラストに持ってきちゃうと、物語が秋也と典子の物語から、キタノと典子の物語にスライドしちゃうのである。しかし、そういう「カット」の判断が出来たんなら、あの余計な字幕の数々もカットしといてくれたら、もっと完成度が上がったと思うんだがな。
 監督ってのは、たとえ映画の出来がイマイチになろうと、どこかに自分の趣味的なワガママを通したくなるものらしい。


 映画の時間を調べてみると、てっきり夜はやらないと思っていた『ゴジラ』、日曜日だけ7時台に1回やるようである。
 ……平日は3回しかやんないんだよな。なのに日曜日だけ6回やるってことは、ハナから「平日、大人の客は来ない」と踏んだな、東宝。
 まあ、適切な判断だろうけど。
 でも、昨日見損ねていたので、早いうちに見ておきたいと、しげを誘いに練習会場まで行ってみる。

 着いてみるとちょうど練習が終わったところ。
 よしひと嬢、「からだは大丈夫なんですか?」と聞いてくれる。
 あ、一応この日記読んでくれてるんだなあ、一週間遅れでアップしてるのに、と嬉しくなる。
 映画の件は、しげ、一言のモトに「あ、鴉っちを送んなきゃなんないから、ムリ」と一蹴してくれる。
 でもせっかく私が来たからと言うことで、其ノ他くん、鴉丸嬢、私としげの四人で、カラオケになだれこむ。
 しかし既に新作の『009』だってカラオケで歌えるようになってるってのに未だに『コメットさん☆』は入らないなあ。……童謡だと思われてるのか?
 なんかストレス溜まることでもあったのか、鴉丸嬢、今日は特に熱唱。でも「グローブは難しい」と言って、『009』は早々にパス。調子が悪いのかな、とちょっと心配になるが、少食の鴉丸さんにしては結構食事を注文していたから、まあ大丈夫なんであろう。
 私も、初めて歌った『フリクリ』がまあまあ歌えたんで気分がよくなる。こうやって地道に少しずつ、レパートリーを増やしているのである。ほんの1、2年ほど前まではカラオケに行った回数なんて、右手で足りるほどだったのに、こうもハマるようになっちゃったのはなぜなんだろう。どっちかと言うと昔はヨッパライに絡まれるのが嫌いで、「宴会」自体が嫌いだったのになあ。「酔客はうまくかわせばいいや」と鷹揚になっちゃったせいなのかもしれない。
 こうなると、意地っ張りで偏屈だった昔がちょっと懐かしくもあるのである。まだちょっとシッポ引きずってるけど(^_^;)。
 其ノ他くんにリクエストされて、『グレートマジンガー』『ゲッターロボ』を熱唱。やっぱ、主題歌としては『Z』より『グレート』の方が燃えるよなあ。鴉丸さんは私を見てちょっと怖がっていたが(^_^;)。
 其の他くんには「堪能させていただきました」と言われてしまったし、これでは次回までに『マジンカイザー』も覚えねばならないではないか(^^)。
 ともかく、しげが車で、酒を飲まないから、実に安心してのびのび歌えるのだ。

 三時間目一杯歌って、其ノ他くん、鴉丸嬢をウチまで送る。
 車中、鴉丸さんから「『バンパイアハンターD』のDVD買う?」と聞かれたが、「映画で見てるし」と答える。
 鴉丸嬢に、「てっきり買うと思ってたのにい」と残念そうな顔をされるが、スマン、私には『コメットさんBOX』&『名探偵ポアロBOX」という大物が控えているので、そんな駄作(でもないけどまあまあ程度の出来)に関わってるヒマはないのだ。
 「東京のこうたろうくんが、『其ノ他くんの書き込みがなくなったのは、オレがヘンな書き込みばかりしてたせいかなあ』と言ってたよ」と伝えたら、其ノ他くん、半端でなく焦る。
 「誤解だって伝えといてくださいよ〜」ということなんで、ここに伝えときます(^o^)。


 帰宅して、ビデオに録画しておいた『サイボーグ009』を見る。
 今回は第10話「オーロラ作戦」。
 旧シリーズでもアニメ化されたことのある原作は数少ないが、これはその一つ。タイトルは『南極の対決』。でも、見てたのなんてもうウン十年前だから原作に忠実だったかどうかなんて覚えちゃいない。
 でも今回の新作は、ストーリー的にはほぼ原作に忠実。ただ、敵の司令官がオカマ言葉なのはちょっと違うんじゃないか。
 機械を狂わせる「マッド・マシーン(この名前、『鉄腕アトム』にもあったな)M‐1号」が「兵器を狂わせる」という設定に微妙に変更。「機械」を「兵器」に変えなきゃならない根拠がよく分らないなあ。サイボーグたちの「武器」としての特徴を強調したいんだろうか。それとも今は、携帯の電磁波でコンピュータの誤操作が起こるなんて実例があるから、「機械を狂わせる」ってこともタブーに引っかかるのだろうか。
 「ドルフィン教授」を「フィンドル教授」に、「イルーカ」さんを「シンシア」に変えたのは、まあ納得しないでもない。いかにもマンガマンガしすぎてるものなあ。じゃあ「張々胡はどうなる」という指摘は置いておく(^_^;)。
 作画はキャラの顔が崩れない程度には安定。でもアングルや動きにそれほどの工夫がなく、やはり今一歩。
 第一話がすごくよいんじゃなかったら、テレビアニメとしてひどいというほどでもないんだけど、ヘンに期待させられちゃった分、なんかレベルが低いと感じちゃうんだよねえ。その辺がちょっと損かも。


 『アニメージュ』『ニュータイプ』1月号。
 新作情報で「はや?」と思ったのは、『ルパン三世 生きていた魔術師』。
 ……OVAで4月3日発売だとお?
 タイトル通り、あの旧シリーズ第2話、大和屋竺脚本によるシリーズ最高傑作、『魔術師と言われた男』の「白乾児(パイカル)」が生きていたという、とんでもない作品だ。こりゃ、傑作になるか駄作になるかって感じの、ギャンブルのような続編だなあ。
 もちろん、見ないことには批評も出来ないから、これ以上は特に言うこともないのだが、スチールだけを見るとちゃんと「蒼ジャケ」のルパンである。けれど、パイカルの声はオリジナルの江角英明さんじゃなくて、野沢那智。……ちょっとテンション高くなりゃしないか。だいたい、江角さん、今でも『こち亀』で署長役なんかやってるのに、どうして起用せんのか。……多分いろいろオトナの事情があるのだろうな。
 ほかにも気になるアニメ情報をいくつか。
 『最終兵器彼女』のアニメ化。テレビか劇場かはまだ判らず。
 でも、やっぱりやめときゃいいのにって感じだよなあ。輪郭線を曖昧にしてる高橋キャラがアニメに向くとも思えんが。
 ストーリーはアレはアレですから、見る前に文句つけてはいけません(^^)。
 『おジャ魔女どれみドッカーン!』……さすがにこれで打ち止めちゃうかな。もう小学6年生だし。また一人増えるみたいだけど、こうなるとはなちゃんももう喋れるようにならないと不自然だよなあ。
 それ以前に、みんな体型が変化してないのに「6年生」ってのも無理ありすぎだがね。この幼児体型のまま、『セラムン』みたいに「高校生編」まで行っちゃえばそれはそれですごいアニメになりそうだけれど(^^)。
 ほかにも触れたいことがないではないが、もう体力が続かんのでこのへんで。

 ああ、当日の日記が書けるようになるのはいつの日か……。

2000年12月16日(土) あの感触が忘れられないの


2001年12月15日(土) 映画行き損ない/竹本泉『ぴこぴこのきらきら』(竹本泉)

 日記の更新がマジでヤバイことになってきたので、このへんで本気でスピードアッブします。短いけどすみません。m(__)m

 仕事は残業、しげと待ちあわせて映画に行く予定だったが、昼の部には間に合わず、夜行くことにする。
 それまでの場つなぎに、誕生日が近くなると送られてくるロイヤルホストの20%割引券を使って、天神のシズラーで食事。サラダバーは食べ放題だけれど、胃が小さくなっているので、思ったほどには食べられない。
 以前は大きかったカレー・バターライス・固焼きソバのコーナーが小さくなっている。どういうわけか、たっぷりあったミートソーススパゲティがいきなりウェイトレスさんに下げられたが、なにかマズイことでもあったのだろうか。そういうのを見ちゃうと食がなかなか進まない。……って、しっかり2皿は食べましたが。
 その辺の貧乏症がなかなか治らないのである。

 始まる1時間前に行ったのに、天神東宝、『ゴジラ』は座席が完売で見られない。ちょうど子ども連れのお母さんが「立見でも見られませんか?」と聞いているところに出くわしたが、今はどこの映画館も立ち見を行ってないことを知らないのだ。
 私も、福岡の映画館がこの十年でどんどん完全入替制に切り代わっていく様子を目の当たりにしてきた。それは確かに観客がゆったりした雰囲気の中で映画を見られるおかげでいいのだけれど、あの、ぎゅうぎゅうに詰められるだけ詰めて、立ちっぱなしで2時間、汗だくで目まいがしつつも映画を食い入るように見ていた子供のころも、やはりなんだか懐かしいのである。
 このお母さんもそんな経験した世代なんだろうなあ、ギリギリ「東映まんが祭り」か「東宝チャンピオン祭り」世代かな、と思いながら、泣きそうな子どもには気の毒だが、『ゴジラ』がヒットしてくれてるのは嬉しいなあと思う。

 そのまま真っ直ぐ帰るのもシャクなので、しげを誘って、先日行き損なってたジュンク堂の地下、GIGA天神(すげえ名前だ)に寄ってみる。
 フロアは広くて、新品以外にも中古のCD、DVDもあり、品揃えはそう悪くない。
 『海のトリトンBOX』が、新作コーナーと中古コーナーの両方で売ってるのには笑えたが。たいていのDVDは2割から3割引、5割近く引かれているのもあるし、初回特典つきのまま売られているものもあるので、新作を買う前にこちらに立ち寄って物色した方が安上がりな感じだ。
 しげも、この店は気に入ったようで、早速ゲームコーナーで新作(らしい)エロゲーをゲット。最近はしげも気を使ってか、声が漏れないようにヘッドホンでエロゲーやるようになったので、ヘンな声でいきなり夜中に起こされる心配はなくなったんだけど。そこまでしてエロゲーやりたがる情熱ってなんなんだか(^_^;)。


 20年ほど前に起きた「イエスの箱舟」事件の「千石イエス」こと、千石剛賢氏が死去。78歳。
 あの騒動のあと、なぜか福岡で教会をおっ立てて信者たちと共同生活を送ってたので、ときどき地元放送の番組に出て、そのごくフツーな生活ぶりを見せてくれていた。
 報道には「謎の生活」みたいなことが書かれていたけれど、多分、本人たちは別に秘密にしてたわけでもなんでもないんだと思う。
 事件当時はまさに「プレオウム」的な騒がれ方をしていて、私もてっきりこりゃ現代のハーレムみたいなもんかと勘違いしてたけど、現実には信者たちの家族の方に問題があるケースが多かったようである。千石氏と信者たちとの間に性の乱れのようなものはなかったようだ。事件当時、千石氏も病気になって、医者に担ぎこまれてたりしてたし。
 どちらかというと、この事件は、カルト宗教の問題よりも、家庭崩壊の脈絡で語られるべきではなかったかと思われる。メディアがもう少しマトモな取材をしていれば、残された家族の信者への暴力行為、謂われない偏見も浮きぼりになっていたはずだからだ。まさしく脱会不能なオウム事件とは性質が違っているのである。
 今回、マスコミが改めて取材に行ったところ、留守番とみられる女性が「何も分かりません。もうやめて下さい」と困惑した様子で訴えたということだが、そういう心境にもなるだろう。私は葬式なんて儀式は好きじゃないが、他人の儀式を土足で踏みにじっていいとまで考えちゃいない。「取材」する前に、御線香の一本でも(クリスチャンだとお祈りだけか?)って感覚がマスコミからは完全に消えてるのだよな。
 だいたい、ウラを取らずに突撃することが「取材」になるんだと勘違いしてること自体、マスコミにいるやつらが低劣なアホンダラばかりだってことを証明している。我々庶民は、よほどのニュースでない限り、ニュースに即時性は求めていない。誰か有名人が死んだのなら、最低、その葬儀の日取りさえわかっていればいいのだ。他人の生活踏みにじってまで得られた情報を聞いて喜んでるほどヒマじゃないってば。

 中洲にある集会所を兼ねた千石氏のスナック、「シオンの娘」は多分今後も営業していくのだろう。いっぺん野次馬根性で覗いてみたいと思いながら、しげ連れて行けるような雰囲気のところでもなかろうし、折伏されるのもちょっとヤなんで(^^)、行ったことはない。
 誰か行ったことある人がいたら、どんな雰囲気のところか聞いてみたいところだが、多分ヘンなとこは全くないと思うな。


 マンガ、竹本泉『ぴこぴこのきらきら』(宙<おおぞら>出版・600円)。
 前に雑誌の特集かなんかで読んでた短編が多いけど、一応、竹本さんの「少女まんが」の新作。
 竹本さんにエロマンガ描いてほしいと思ってるのは和田慎二だけじゃないと思うが、完全にそっちに行っちゃうと、少女マンガの注文が来なくなるんで、竹本さんも「ちょっとセクシー」どまりがギリギリなとこなんだろう。
 でもなんつーかですね、『ぱたぱたガール』なんかでコスプレした女の子どうしが頬染めてよりそってるカットなんか見ると、ああ、せめてレズものでもいいから見たいとか思っちゃったりするくらい、ほのかなエロさがあるんですよ、竹本さんの絵には(^^*)。

2000年12月15日(金) 今日の日記も「スゴイ」?/映画『夜にも奇妙な物語 映画の特別編』


2001年12月14日(金) 多分それは美しさではない/映画『ピストルオペラ』

 一日ゆっくり休んだので、体調はまあまあ。
 ……だったんだけど、仕事に行くとまたすぐ逆戻りだ。
 ともかくシフトが変わったせいで、仕事量が以前の1.5倍、午後になったころには冗談じゃなく眩暈でクラクラしてくるのよ。
 はふーはふーって、息つきながら仕事してるもんだから周囲の眼がヘンなもの見てるようでそれもキツイ。
 もちろん忙しくなってるのは私だけじゃないんで、鬱憤が溜まってる同僚もやたら多いんだけど、文句言っても聞き入れる余地がないからね、ウチの職場。
 このシフト、あともう1ヶ月ほど続くんだけど、既に何人もの同僚が倒れかけている。さあ、これでウチの職場に未来はあるのか(^_^;)。


 しげが「今夜は仕事がないよん」と言うので、予定を早めて映画を見に行くことにする。
 私の仕事が終わるのが、定時で5時15分、映画の開始時刻が6時半。
 映画館までの距離はそう遠くないので、スムーズに行けば40分ほどで着く予定であった。
 なのに着かない。
 高速が作られてもあまり渋滞の緩和に貢献してない気がするなあ。
 職場からウチの近所までで既に30分くらいかかっている。
 しげは運転しながら「間に合わんよ間に合わんよ。映画の前に食事する時間もないよ」とうるさい。
 「食事はマクドナルドでテイクアウトすればいいじゃん。映画自体に間に合わなかったら、どこかで食事して帰ったっていいし」
 予定がうまくいかなければそこで他の対応を考えるって発想に欠けてるんだよなあ。


 心配していたほど車の流れが悪くもなくなったので、なんとか6時10分ほど過ぎて博多駅に到着。マクドナルドと紀伊國屋に寄ったあと、シネ・リーブル博多駅で、映画『ピストルオペラ』を鑑賞。
 清順美学清順美学と、なんで鈴木清順の映画にだけ「美学」を付けるのかなあ、他の映画作家に美学はないのか(まあ、ないのもあるけど)、と、実はこの言い方には内心ちょっと反発している。
 だって、これ、決して誉め言葉じゃないもんね。「芸術」とか「アート」とかいう言葉同様、まともにモノが見えない、いやそもそも見ようともしていないアホンダラが、自分の理解できないモノを「なんやワケわからん」と言いたいんだけれども、でも世間的には評価されてるもんだから、貶すわけにはいかないなあ、貶したらこっちがバカだと思われるもんなあ、ということで、とりあえず持ち上げとけ、という意識で使ってる言葉に過ぎないからだ。
 もっとはっきり言っちゃえば差別語なんだよ、こんなの。
 もしも鈴木清順自身が「ボクの美学はね」なんて言い方したとしたら、こりゃ本物じゃないってことになっちゃうでしょ? だから鈴木清順の映画を評するのに「美学」なんて言葉を使ったものは一切信用しちゃいけません。
 でも、清順さんのスタッフでも、堂々と「美学」なんて言ってるバカもいるしなあ。ヤレヤレ。

 実際、鈴木清順の映画を、単に色彩だの構図だの編集だの、表面的な映像美だけで捉えようとすれば、それはある種、浅薄な、毒々しい一人よがりな映像、と切って捨てることだって可能なのである。『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『夢二』の三部作の映像にしたところで、映画としての構成を無視して、一画面だけのデザインを取ってみれば、そうオリジナリティのあるものとは言えない。ちょっと前衛気取りの映像作家なら、『ツィゴイネル』の砂場の蟹の映像くらい、オレでも作れらあ、と豪語するやつはいると思われる。
 解りやすく言えば、「わけがわからない」映画を作るのは、実は誰にだってできる、ということなのだ。清順映画は、「誰でも思いつく模倣可能な映像」の集大成だったりするのである。
 だから巷には「ミニ清順」が氾濫していたりする。
 押井守の『紅い眼鏡』だって、堤幸彦の『ケイゾク』だって、鈴木清順のマネをしていないと言えるかどうか(クエンティン・タランティーノは堂々とマネしてるそうだが『レザボア・ドッグス』は見てないのでよく解らん)。
 ……ちょっと、ここらで注を入れとかないと誤解されそうだから言っとくけどね。私ゃ清順映画を否定しようとしてるんじゃないのよ。映像だけを切り取って評価したらいけない、と言ってるだけなんだからね。

 面白いのは、今回の『ピストルオペラ』において、鈴木清順自身が、自分の映画が、映像としては決してオリジナルなものではないのだ、ということを、堂々と提示していることである。
 オープニングのタイトルバック、このCG映像がデザインから字体に至るまで、実に清順清順している見事な作りなのだが、実はこれは、『ガメラ』シリーズの樋口真嗣の手になるものなのだ。つまりここで鈴木清順は自身の映像の「模倣」を他の監督に作らせ、それを自作のタイトルバックに使うというややこしいことをやってるということになる。
 模倣が本物の中に取りこまれる。
 これがどういうことかお解りだろうか。
 自作の『殺しの烙印』の続編として作られたこの『ピストルオペラ』、この映画の最大の特徴は、これが「鈴木清順による鈴木清順のパロディ」だという点にあるということなのだ。

 ストーリー的には、確かに本作は『烙印』の後日譚という形を取っている。
 宍戸錠が前作で演じた殺し屋、花田五郎は、落魄して偽片足の平幹二朗となって現れているんだから。
 けど、よりによって、こんなに似てない俳優に演じさせる続編ってあるものかと、前作を見ていたものは誰だって思うんじゃなかろうか。人を食ってるどころじゃない、足の長さが全く違うでないの。パタリロの等身が縮んだのと同じくらい、これは全くの別キャラになっちゃってる。
 ……私も鈴木清順の作品をたくさん見てるわけじゃないんだけれども、いつも思っていたのは「このストーリーでどうしてこんな映像を作るか」ということだった。アクション映画でありながらアクション映画のセオリーを外し、情念の世界を描く話を硬質なオブジェで埋め尽くすようなパラドキシカルな映画を作りまくってきている。
 本作も「アクション映画」と言いながら、映像自体はほとんど動いていない。キャラクターを追いかけて画面が動く、なんてシーンが、極端に少ないのだ。
 まるで予算のないアニメで、「止め絵」を重ね合わせて作った作品を見せられているような印象すらある。俳優が走りまくる『太陽にほえろ』的世界とは全く違うのだ。
 なのに面白い。
 面白く見せるためのセオリーを外しているのに、ひたすら面白いのだ。
 主演の江角マキコは殺し屋のクセに動きにくい和服をまとって登場するし、ほかの殺し屋も金髪に黒マントだの、車椅子にジャージの男だの、不死身の怪しい外人だの、山口小夜子だの(^o^)、目立つやつらばかりだ。
 謎の少女は江戸東京たてもの館に住んでやがるし(^^*)。
 大和屋竺に歌わせてた『殺しのブルース』を樹木希林に歌わせたりする感覚はなんなんだろう(^_^;)。このヘンなシーン見るだけでも、入場料金払っただけの価値はあるぞ。
 こんなのを「美学」とかエラソウな言葉で評しちゃいけない。
 これは緻密に計算された「デタラメ」である。
 ヘンではあってもバカではない。
 ヘンとヘンを集めてもっとヘンにした映画だ。
 つまり、「どうしたらストーリーに忠実でなく映画化できるか」と考えていったらできあがったのがこの映画なのだ。でもそのデタラメさが心地よい。いい加減さがさわやかだ。

 ストーリーに忠実な映画と言うのは、実は観客の見方を固定化するものである。観客がカタルシスを感じているのは、安楽椅子に沈みこんでいる心地よさなのであって、自由な風を受けて空を飛翔する爽快感ではない。
 ストーリーと映像が乖離することで生まれる爽快感、自作をも変容させて映像化する、その方法論・スタイル。それこそが「清順美学」ってやつの本質なんじゃないだろうか。
 清順作品がヒットしなかった理由はその辺にあるんだろう。日本人は何だかんだ言って、自由な想像力の中で遊ぶ楽しさよりも、予定調和の物語の中に入りこんでヌクヌクする安心感の方を選んじゃうのである。
 でも、それって映画じゃないじゃん、って私は思うんだけどなあ。

 帰りに期待の映画、『アメリ』の前売券を買う。なんだかんだで、この冬見たい映画の前売り、もう4、5本買ってることになる。でもまだまだ全然見たりないんだよなあ。
 しかもたいていの映画が2週間サイクルで変わりやがるし、休日出勤なんぞしてたら、映画に行く時間が取れんがな。

2000年12月14日(木) 差別語なんて知らないよ/『銭豚』(ジョージ秋山)ほか


2001年12月13日(木) 寝寝寝寝寝/DVD『エイリアン9』vol.3ほか

 はっはっは。
 朝起きたらちょっと自分が狂ってることに気がついたんで、仕事休んじまったい。
 って、こんな書き方したらシャレにならんなー。
 要するにからだのバランスが狂って、仕事に行ってもシャレにならん失敗しそうなんで、休むしかなかったってことなんだけどね。
 朝起きたら、全身がダルくて生汗がダラダラ出てて、しかも下痢が止まらんという状態だったんで、このまま仕事に出かけていたら多分職場でしかぶって(←博多弁でウ○コをおもらしすること)いたことであろう。

 あたまがふらふらしているので、あー、それもいーかなー、しごとばでぶりぶりもらしたりしたらそしたらもうしょくばからもあいそつかされるしゆっくりまっしろなおへやでずーっとずーっとやすんでられるもんなーとかかんがえたりしてたりしてたりしてたもんで、だいぶおかしくなってきてるなーってじぶんでもわかっているのでやすんだほうがいいよーってもうひとりのわたしがいったの。

 ……大丈夫か、おれ(^_^;)。
 初めは1時間くらい休んだら出かけようと思ってたんだけれど、内容物全部出しきってるはずなのにワキバラがキリキリ痛むので、「すんません、一日休みます」と職場に電話。
 電話に出たのは上司ではなかったが、「お大事に」という言葉にイヤミがないのを聞くと、誠に申し訳ないという気になる。
 つまりは今まで私の病気に関しては散々イヤミばかり聞かされてきたってことなんだよなあ。ふと振り返ると、ああ、脳みそが沸騰しそうな思い出があれこれと……。
 私の職種は、ノイローゼでやめてく人間が毎年ン千人もン万人も出ると言われるくらい苛酷な仕事なんである。で、その原因ってのの筆頭に挙げられてるのが「職場の人間関係」。
 ……殺伐としてるよー、マジで(-_-;)。
 考えてみたら、私のように繊細でナーバスでビビッドな神経の持ち主がこんな職場に今まで勤めてこれたというのは奇跡に近いのである。
 そのせいで、ほんのちょっとした優しさとか、いたわりの言葉とか、そんなもんにえらく敏感に反応するようになってしまった。
 私がしげと結婚しちゃったのも、しげの全くの気まぐれの本人はたいした意識もなく何気なく言ったたわいもない言葉が、えらく私の疲れきったココロを打っちゃったってことにあったりするのだ。
 若気のいたりってあるよな(^_^;)。

 とゆーわけで、今日はたいしたことが書けません。
 いや、元気なときだってたいしたこたあ書いてないが。


 DVD『エイリアン9』vol.3「夏休み ボウグ 絶命」。
 前回、恐怖心からエイリアンのみならずボウグまで殺戮してしまったゆりの夏休み編。
 というわけで、エイリアンってなんなのかとか、なぜ小学生にエイリアン退治が任されてるのかとか、そういうメインのストーリーが全く語られないのに、ちょっと意表を突かれた。
 富沢さんの原作は『ミルククローゼット』でもそうだったけれど、ドラマの中で設定を説明するってことを極力拒否したマンガを書く人なのだが、これはちょうど我々が古典文学を読むのとよく似ている。
 古典の作者は、今の時代の人に向けて「未来のあなた方には分らないでしょうが、これはこういうことなんですよ」なんて解説してくれないし。
 「解説」が入るとドラマがだれるってこともあるんだろうけれど、そりゃ確かに『ガンダム』でも「ミノフスキー粒子」の説明なんて一切しなかったし、『エヴァ』に至っては謎を残しまくりだったけれど、まさか1巻使ってのほほんと夏休みお遊び編やるとはなあ。ドラマ展開を1回遮ってまでも小学生のスクール水着を映像化したかったのか(^_^;)。
 しかしアニメーション技術の点から見ると、この『エイリアン9』、現在、世界のアニメを見渡してみても、ほぼ最高レベルにあるといっていい。
 あの、斜め上からのアングルで、人が椅子に座る動きを、その重量を感じさせるように描くって、どれだけすごいことか、ご理解いただけますでしょうか。こういう日常の細かい描写が実はアニメの最も不得意とするところなのだが、それをサラリとやってのけてんだものなあ。
 すげえぞ、GENCOにJ.C.STAFF(『ウテナ』や『エクセルサーガ』作ったとこだな)。
 これで原作の絵がもちっとよけりゃなあ。
 かわいいけど、キャラの描き分けが出来ないのはマンガとしちゃ、どう言い訳したって下だもんなあ。


 マンガ、倉田真由美『突撃くらたま24時 〜東京デンジャラス探訪〜』(白夜書房・900円)。
 ここしばらくアタマがぼんやりしてるし、更新遅れて一週間前の記憶を今書いてるしで、この本もいつ読んだか記憶にない。
 もう感想書いた気もするが書いてない気もするのでとりあえず書く。
 もしどっかに書いてたら読者の人教えてくれ。もう過去の日記読み返す元気もないでな。
 もう三年くらい前に『ブブカ』で連載してたっていう『だめんず・うぉーかー』ブレイク以前のくらたまさんの突撃ルポマンガ。でもオビでさいばらりえぞう師匠が「くらたま! ぬるい突撃ばっかやってんじゃねーよ!!」と書いてる通り、最初のうちこそ多少はSMパーティでムチ持ったりしてたが、ねるとんパーティで出会った彼とは面倒くさがってバックレちゃうし、石原裕次郎13回忌は行列の多さに取材を途中でやめちゃうし、確かにヌルい。いしかわじゅんが言うほど「才能がない」とも思わないが(西原理恵子と比較するってのは、そりゃアンタ、「手塚治虫に比べて才能がない」と言うのと同じだってば)。
 まあ、結婚前の(すぐ離婚したけど)痩せてたころのくらたまさんのグラビアをが見られるのがウリなのかな、この本は。
 自画像と違って美人です。
 それはそれとしてびっくりしたのは、実はくらたまさんが○○○の○○○○○○で、実は私も○○○○で○○○○○○○○○○○ので、○○○○○○○○れば、くらたまさんの○○○○○○を○○○○○○○○のである。ということは、○○○○の○○○○○ると、くらたまさんと○○○○○○○○○○○○○できるかも……。うふふ♪
 伏字にするとなんかすげえイヤらしいことがあったように見えるな(^o^)。
 ああ、でもこういうのも縁というのだろうか。

2000年12月13日(水) 小山田いくの模写もできます/『まんがサイエンス7』(あさりよしとお)


2001年12月12日(水) 鶏は卵を音を立てて生む/『獣星記ギルステイン』2巻(酒井直幸・田巻久雄)

 物まねの江戸家猫八さんが10日、心不全のため死去。享年80歳。
 なんかまた訃報が続いているなあ。
 代表作のように言われている『お笑い三人組』はうろ覚えの記憶しかないから、やっぱり印象に残ってるのは映画『お葬式』の不気味な葬儀屋だったりする。
 いや、もちろんものまね芸はちょくちょく演芸番組で見てはいたが、ドラマの中でその芸を披露することは少なかったから、若い人の中には猫八さんの芸を見たことないって人もいるんじゃないかなあ。
 今のテレビのバラエティがほとんどクソになり果ててるのは、こういう方々の芸の面白さを紹介する時間を設けてないってとこにも原因があることは確かだ。それに対して憤りを覚えてる一般視聴者がいてもおかしくないと思うんだけど、そんな意見がテレビ雑誌なんかの読者コーナーに載ったりすることもないよねえ。ホンモノの芸が見たいって思ってる人なんて、もういなくなっちゃったってことなのかな。
 今度の紅白にはドリフが出る。
 ドリフだって、私たちの世代に言わせればクレージーキャッツの足元にも及ばないんだけど(なのになぜかしげも同意見だが)、それでも今『ドリフ大爆笑』の再放送なんか見ると、みのもんたが出るバラエティもどきに比べりゃはるかに面白いんだものなあ。
 猫八さんの芸はもう忘れられていたと思う。
 ご本人がドラマの中でその芸を見せることを避けておられたようだが(それは訳者に徹するという清廉な態度ではあったろうが)、演出家にもっと頭があれば、ごく自然な形で猫八さんの芸を披露する脚本、演出も書けたのではないか。
 実は私は監督としての伊丹十三をあまり評価してないんだけれど、それは毎回「喜劇」を作っていながら、あの人が俳優に要求していたのは、「演技」であって「芸」ではなかったからだ。
 何が言いたいかっていうとさ、つまり、あれだけの役者揃えていながら、『お葬式』は「マルクス兄弟の喜劇」にはなりえていなかったってことなのね。一人一人の演技に「芸」というか「花」がないわけ。猫八さんの使い方もそうだが、菅井きんにあんなフツーの長ゼリフ喋らせてどうする。伊丹映画、どれも詰めのところで工夫がないのだ。
 ……なんか猫八さんを悼む文章になってないね。すみません。
 付け足しみたいだけど、鶏が卵を「ぽこ」って音を立てて生むという表現を世間に知らしめた(もちろんウソだけど)猫八さんの業績を最後に褒め称えておこう。……だって、ネット見ても、モノマネの芸自体に触れた追悼文が見あたらないんだもん。


 ここんとこ、またワイドショーあたりでは話題らしい田代まさしの逮捕。
 ただのノゾキかと思ったら、覚醒剤も押収されたとか。
 勝手な憶測だけれども、前回の盗撮事件より前からクスリはやってたんじゃないかなあ。まともな神経持ってたら、謝罪しなきゃなんないときに、「ミニにタコができる」なんてギャグ、飛ばすわけないもんなあ。
 ニュースはどこも「復帰はもう絶望」発言を繰り返してるが、そう言いつつ復帰した芸能人、腐るほどいると思うがな。いや、復帰がいけないと言いたいわけじゃないのよ。マスコミはホンネでは別に田代まさしがどうなろうと気になんかしちゃいないんだよね。ニュースになるから報道してるだけでさ。そのくせ、言ってることは妙に正義派ぶってて、キャスターたちが「復帰させるべきではない」みたいな態度を暗に匂わせてるのがどうにも気に入らないのよ。
 田代まさし本人については悪い印象は持っちゃいない。芸なしだけど(^_^;)。
 あの田代さんのノリってのは、言っちゃ悪いけど、クラスなんかでちょっと面白いやつがいて、結構みんなにウケてるんで、調子に乗ってシロウト参加ショーに出たら、またこれが結構ウケたっていう程度のレベルなんだよねえ。
 そこが昔から痛々しくて、だからこそ嫌いにはなれなかったんだけど、もう十年昔だったら、シャネルズとしてはともかくも、コメディアンとしてはまずデビューできてない。もともとゼロだったんだって思い切れれば、更生することだって可能だと思うけど、芸能界の甘い汁吸っちゃってる人間で第2の人生送れたって人、そうそういない(吸い損なった人ならまだ戻れるんだけどね)。
 なんかもう、無理しないで、ゆっくり養生しろよって言いたくなるけど、そう言ってあげらける人ももう周囲にはいないんだろうなあ。なんかもう、この人に関するニュースは見たくないな。

 
 しげ、体調が優れないらしく、車での送り迎えが出来ない。
 それで雨の中を濡れながら帰る。
 電話口でのしげの息遣いがいかにも苦しそうだったので、「ボナペティ」に寄って、クリコロッケ・鶏肉・焼きビーフン・カツトジ・茄の肉詰めなんかを買いこみ、更にミニストップで栄養剤も買う。

 ところが、帰ってみればしげは、昨日買ったパソコンデスクを元気に組みたてている。
 ……なんだったんだよ、あの電話口でのタメイキ混じりの声は。
 しかもどこかに置き忘れてきたのか、大枚はたいた栄養剤千円分がない。うわあ、ミニストップか乗って来たタクシーの中かどっちかに忘れてきたか。
 ああ、もったいない!
 もちろん、悪いのは私なんだが、ヘラヘラ笑いながらデスクを組みたてているしげを見ていると、なんだかどうにもムカムカとヤツアタリしたい気分になってくる。
 実際にはあとでしげが3倍返しでネチネチ文句つけてくるのが解りきってるから、やんないけど。
 しげ、要領が悪くてなかなかデスクをセッティングできない。
 「はあーん」「ほわっ」「ひえーん」と情けない声をあげ続けるので、うるさくなって仕方なく家具の場所移動を手伝う。
 しかしこのデスクにパソコンが鎮座ましますのはいつの日か。


 11日(火)の唐沢俊一さんの日記を読んで、オヤッと気付いたことがある。
 すずきぢゅんいち監督の『ひとりね』にからんで、珍しく(と言ったら失礼か)唐沢さんがマジメに映画を論じていたのだ。
 「映画監督は裏方なのである。観客になって楽しんでしまってはいけない。いや映画に限らず、全ての創作において」
 小説で例えるなら、シャーロック・ホームズよりコナン・ドイルが前に出てきちゃいけないってとこだろうか。この批評が「マジメ」だと言うのは、日頃、唐沢さんが主張されている「“裏”モノ」としての姿勢と真っ向から対立する概念を提示されているからだ。
 その裏方たるべき監督が、観客になって楽しみ、つまんないトンデモ映画を作りまくった代表的な例が、あのエド・ウッドだったりする。それに、唐沢さん自身、『すごいけどヘンな人』で取り上げた人々は、みんな出しゃばりばっかりだ。
 現実的には、監督が出しゃばろうが出しゃばるまいが、その作品の客観的評価とはあまり関わりがない場合が多い。評価が高くなるか低くなるかは、観客のその時代時代の感じ方のムーブメントに左右される面が大きいのである。
 唐沢さんの書かれていることは「創作者の心得」を表したスローガンである。だから間違ったことを言ってるわけじゃないんだけど、これは結局、唐沢さん自身の自戒の念として書かれているんだと解釈するのが自然であろう。
 つまり、唐沢さんは、「自分は“裏”モノを観察することは好きだけれども、“裏”モノそのものにはならないぞ」と言っていることになるのだ。
 ……当たり前か。ミイラ取りがミイラに、バードウォッチャーがトリさん自体になっちゃ、話にならんからねえ。っつーか、破滅するって(^_^;)。


 マンガ、酒井直幸原作・田巻久雄作画『獣星記ギルステイン』2巻(小学館・560円)。
 新登場キャラはサラの兄、ミハエル。
 いかにもアニメ化を狙ったような美形キャラ&コヤスなセリフ回し(←やたら「タメ」の多い某声優さんのこと)なのはご愛嬌だが、こういう激悪なやつにはそういうカッコつけが実に似あっている。好きなんだよなあ、「私は滅びぬ!」なんて、打消しの助動詞だけ古語で喋るようなやつ(^o^)。1巻読んだときにはリアル路線で行くのかと思ってたけど、そうでもないみたいね。結構ケレン味たっぷりの話になるんじゃないかな。
 声優さんが誰になるかは知らないけど、是非コヤスでお願いしたい(^^)。
 で、案の定こいつもギルステインで、未だ自身をコントロールしきれていない伊織を翻弄するのだ。おかげで伊織、ナイスバディのヘレナさんに、あんなことまでしてしまうし(^_^;)。
 どんなことをしたかは、マンガを実際に読んでみよう。

2000年12月12日(火) モロボシダンは不滅だ!/ドラマ『ウルトラセブン・果実の熟す日/約束の果て』


2001年12月11日(火) 夢の宮崎で盆踊り/『伊賀の影丸/邪鬼秘帖の巻(下)』(横山光輝)ほか

 朝、いつものようにしげに車で送ってもらおうと思って、寝ているしげを起こそうと声をかける。
 「おい、行くぞ」
 しげ、細目をあけて泣きそうな顔になって言う。
 「……ダメ、ムリ」
 その表情が真剣だったので、私も何かあったのかと不安になる。
 「何? 具合が悪いか?」
 「……宮崎なんて行けん」
 「……はあ?」
 「あんた今日、宮崎まで出張やろ? 道わからんし、行ききらんよ」
 ……息を整え、しげを小突いてヒトコト。
 「夢と現実、ごっちゃにすなっ!」

 時々この日記にも書いてることだが、しげはしょっちゅう夢であったことを現実と錯覚するクセがあるのである。寝起きの時はもちろんだが、ヒドイときになると起きてパッチリ目が覚めてるときでも、「アンタ、私を苛めたね?」とか、身に覚えのないことを言ってくる。
 私自身も記憶力には自信がないほうなので、あまりしょっちゅう言われると、ホントにそんなことしたかなあ、という気になることだってあるんで迷惑なんである。
 ……しげの妄想の中じゃ、プロポーズしたのも私からってことになってるしなあ。
 月の下、二階の窓辺のしげに向かって、私が下の道から愛を囁いたって言うんだが、そりゃ『ロミオとジュリエット』のシチュエーションそのまんまやないけっ! 実際はしげの方からコクられてんだけど、それ認めちゃうとしげの心の中では私に対して「負け」を認めたことになるらしいんだな。
 なんでやねんって(-_-;)。
 10年先には真実はしげの負けず嫌いの妄想の前に覆い隠されてしまうのかもしれない。

 ああ、なんで「宮崎」かってのも見当がつくぞ。
 多分、「シーガイアに行きたいなあ」くらい考えてたんだろうなあ、それ以外に「宮崎」の風物なんかしげは知らんだろうし。

 
 またぞろなんだかカラダがだるくなってくる。
 昨日の日記に、「1時間早く帰った」と書いたが、早く帰ったのは今日だった。昨日は一応頑張って就業時間ギリギリまでいたのだ。
 いや、更新が遅れているせいで、一週間前の日記を今(12/17)書いてるもんでよ、記憶も大分混乱してるんだよ。
 読んでる人には「昨日だろうが今日だろうが、テメーの行動なんか、いちいち気にしてなんかいね〜よ」と突っ込まれそうだが、多少の脚色や演出はあれど、ベースとなる事実は抑えときたいのである。それがいわゆる“虚実皮膜”ってやつなんで。

 で、しげに「どっか手っ取り早く栄養補給できるところに連れてってくれー」と頼みこんで、またゼイタクにも「すし大臣」に寿司を食いにいく。
 これでまた数ヶ月は寿司はガマンしよう。
 食い納めのつもりで食うので、前回は食わなかったウニも食う。
 ここのウニは美味い。
 そらもう、そんじょそこらのスーパーで売ってるようなアルコール漬けのウニとは比べものにならんほど美味い。
 けれど高い。
 そらもう、そんじょそこらの寿司屋のウニと比べても、なんでこんなにと言いたくなるくらい高い。二カンで850円だぜ、オイ。
 「新鮮さを保つため、少なめに回しております」ということなので、回転してくるのはカンピョウ巻とかそんなんばっか。
 それで回転寿司と言えるのか、と言われそうだが、もともとこういうネタ勝負の店は回転式にしたくはなかったんじゃないかと思うんである。けれど、実際、イマドキの若いもんの中には、職人さんの「へい、らっしゃいっ!」て掛け声が怖くて寿司屋に入れんというような(しげだ)アホンダラも増殖してるんで仕方なくそうしてるんじゃなかろうか。
 というわけで、ウニは頼まねば来ない。
 ウナギもトロも、サーモントロも流れて来ない。
 全部500円以上だ。
 でもカラダがダルいとその分なんか思いきり散財したい気分になるんで、思いきって注文する。
 ついでに新発売というカニ汁も。
 美味い。どれも死ぬほど美味いーいいいっ!
 けれど財布は思いっきり軽くなっちゃったのであった。

 しげはいいよなあ。
 タマゴサラダ一つで満足出来るんだから。
 「高いの食わなきゃ量を食えるのに」
 って、だから寿司ってのは質より量なんだよっ!


 しげが哀願するような目をして、「ねえ、GOODAY(←近所のホームセンター)に寄っていい?」
 と聞いてくる。
 しげがこういう甘えるような目をしたときには大抵高い買い物をしたがっているのだが、案の定、目的はパソコンデスク。
 ぴんでんさんからパソコンを譲ってもらうことになっているので、先に机だけ買っとこうってんである。
 そりゃ構わんのだが、さっきのウルウル眼は、つまり私に運んでくれと言うわけだな?
 だから、私ゃ具合が悪いんだっちゅーとんのに(-_-;)。
 実際、手に力が入らないので、しげに「そこの端を持って」と言われても、たいした役に立たない。ほうほうの体で二人して部屋の中に運びこむ。
 「組みたてはまた明日にでもしてくれ」と頼んでぶっ倒れる。
 早いとこカラダが回復してくれないと、しげにこき使われ殺されるな(T.T)。
 

 マンガ、西岸良平『タイム・スクーター』(双葉社・300円)。
 今や手に入りにくい西岸氏のSF短編を復刻してくれるこのシリーズ、ありがたいことはありがたいのだが、初出を一切書いてくれないのがなんとも隔靴掻痒である。
 なにしろ絵柄があまり変わってない人だから、これらの短編が果たして70年代に書かれたのか90年代に書かれたのか、それすらも区別がつかないのだ。
 「宇宙戦艦ムサシ」なんてギャグが出てくるところを見ると、70年代後半かなあとも思うのだが(80年代に入るともう恥ずかしくてパロれんだろう)。
 まあ、そういうちょっと外したギャグはともかく、西岸さんの『三丁目の夕日』などで見せているノスタルジーが、実は現実の社会への絶望に裏打ちされているものだということが、これらの短編から見て取れるのだ。
 『キリコ』なんか、超能力少女が精神病者扱いされて閉じ込められているなんて身もフタもない設定から始まっているが、特筆すべきは彼女の見る幻影だ。『夕日』シリーズだって、時々「悪夢」がモチーフに使われるが、ここに描かれる「幻覚」のイメージは、ひたすら血みどろで、残虐の一言に尽きる。
 許せてないんだろうなあ。
 西岸さんには、現代がやはり、虚飾に彩られた醜い世界にしか見えていないのだ。だから時折発表する短編には、その「幻影性」を象徴するような表現が多々現れる。
 それはいささか平板な表現で、多少説教くさくはあるけれど、西岸作品を「現実を否定したノスタルジー」だと思いこんでいる人には、ちょっと冷水を浴びせかけるような効果を挙げていると思うんである。


 マンガ、横山光輝『伊賀の影丸/邪鬼秘帖の巻(下)』(秋田書店・300円)。
 影丸たち公儀隠密、秋月藩乗っ取りを企む黒木彈正に雇われた阿魔野邪鬼たち辻斬り浪人と、忍者軍団土蜘蛛党、三つ巴の戦いも終局。
 そりゃ最終的に勝つのは影丸ってことはわかりきってるし、ヒーローってのはたいてい性格が真っ直ぐ過ぎて、イマイチ個性がないんだが、それを補ってあまりあるほどに他のキャラクターたち、死んでいく浪人や敵忍者に個性があるのがもう楽しくて仕方がない。
 以前、横山光輝キャラ総出演の『ジャイアント・ロボ』というアニメシリーズが作られていたが、『鉄人28号』『魔法使いサリー』『仮面の忍者赤影』『バビル2世』『マーズ』『闇の土鬼』『水許伝』『三国志』などなどから、たくさんのキャラクターを持ち出してきていたのに、なぜかこの『伊賀の影丸』だけは無視されていた(マンガ版にはひとコマだけ出演)。
 巻数から言えば『三国志』『鉄人28号』に継ぐ代表作なのにどうしてこれだけオミットしたんだか。
 誰もが指摘しているように、横山さんのキャラクター造型の魅力は徹底的なパターン描写にある。表情、ポーズともに、この場面でこういう感情のときにはこんなアングルでこう描いて、というのが全て決まっているのだ。
 そういうマンネリでありながらツマラナクならないのは、ドラマのツボを横山さんが抑えているせいだろう。「ここで邪気が『フフフ』と不敵に笑いながら出てくるぞ」という期待感、これは歌舞伎を見るのと同じ感覚だ。
 古臭い手法かもしれないが、こういうケレン味を今の漫画が忘れがちであることも指摘しておく必要、あるんじゃないかな。

2000年12月11日(月) デジタルビデオ、どれがいいか?/『藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版』5巻


2001年12月10日(月) “神様”を読むこと/『SFJAPAN vol.3 冬季号 手塚治虫スペシャル』ほか

 書き忘れていたことから。
 挿絵画家の小松崎茂氏が、12月7日、心不全のため死去。享年86歳。
 グラビア集や伝記本も持ってて言うのもなんなんだが、私はあまり小松崎さんの絵を「魅力的」と感じたことがなかった。
 ある世代以降の人間が、手塚治虫や石ノ森章太郎のいかにもマンガマンガした絵柄を受け付けないのと同様に、小松崎さんの影響を受けて登場して来た次世代のイラストレーターたち、例えば高荷義之氏らに共感はしても、その先駆者たる小松崎さんのメカ描写にはイマイチ入れこめなかったのだ。はっきり言えば、私の子供のころには、小松崎氏の絵はもう充分、「ダサく」なっていたのだ。
 小松崎氏がもしも大戦期の軍艦や戦闘機のみを描き続けていたら、こんな印象は持たなかったろう。氏の骨太の線は、過去へのノスタルジイを喚起させるものとしては有効に働いていたからだ。
 しかし、正直な話、SFやら未来予想図やら描かれると……ちょっと待てって言いたくなる設定も結構多かったんだよねえ。
 だって海底軍艦「豪天」だしなあ。
 先端にドリルだしなあ。
 地上ならともかく海底でドリル使ったら、船体自体が回転すると思うが。
 いくら映画がウソを語るものとは言え、ものには限度ってものがあるんである。野暮は言いっこなしなんて言わないように。まだ熱光線かなにかで岩盤を溶かしていくって設定にしてくれてた方がよっぽど納得いくよ。要するに発想が貧困だってことなんだよね。
 過去の東宝特撮、小学生でも分るような設定ミスがやたらとあった。さてこれは小松崎さん本人に責任のあることなのか、それとも東宝の製作部に責任のあることなのか。
 どっちにしろ、「そんなに魅力的でない」と感じていた理由、おわかりいただけたであろうか。もちろん、小松崎氏の科学イラストの先駆者としての業績を貶めるつもりはないんだけれども。


 具合が悪くなって、仕事を途中で切り上げて帰ることにする。
 しげに連絡を入れて1時間早く来てもらい、車のシートを倒して横になると、「自分ばっかり寝て」と文句をつける。
 しげは夜が仕事なので、今は昼間に寝ている。
 ちょうど私が仕事している間、グーグー寝ている。
 しかし、そうなるとつまり、1時間早く来てもらうということは1時間寝る時間を削ってもらってるってことになるわけだ。しげにしてみれば、確かに文句の一つも言いたくなるのだろうけれど、無視して一人でタクシーなんか呼んだりするとそれはそれで機嫌が悪くなるのだ。
 素直に感謝したくてもこれじゃなかなか感謝できないよなあ。


 腹が減っているので、ともかく栄養を補給したいと、ブックセンターホンダで本を買って、諸岡のロイヤルホストでマカロニとスパゲティのセットを食べる。
 腹が満ちると気分自体は少しは落ちついてくるが、今度は胃もたれを感じるようになる。
 つくづく難儀なカラダしてるよなあ。


 マンガ、高橋留美子『うる星やつら/恋人泥棒』(小学館・300円)。
 この雑誌スタイルのコミックス、いちいち感想書いてないけどずっと買っちゃいるのである。ここしばらくは古川登志夫さんのインタビューなんかが載っていたが、今号はメガネ役の千葉繁さん。
 ……うわあ、白髪が増えたなあ。
 最近あまり声を聞いてない気がするけど、多分もう50歳くらいだろうし、昔みたいなハイテンションな死後とは避けてるのかな。それとも音響監督や演出家としての仕事の方が多くなってるんだろうか。
 『うる星やつら』のアニメが原作をも凌駕する傑作となりえたのは、押井守監督と千葉繁さんとの出会いがなければ(『タイムボカン』シリーズで出会ってはいたが)ありえなかったろう。
 「アフレコ現場の床には血が飛んでいた」というのは、他のキャストの証言もあることだし、誇張ではあるまい。メガネのあの血管が切れそうな声は、本当に血管切らせながら声を張り上げてた結果なのだ。
 『ワンピース』じゃバギーをやってたみたいだけど、できればもっと出番の多い役で出演してほしかったなあ。ウソップの役、昔だったら絶対千葉さんがやってたと思うんである(『幽遊』の桑原にあたる役だもんね)。
 若いアニメファンの方々にも、千葉さんの命懸けの演技を今からでも追っかけて、『うる星』中でも傑作の声高い『さよならの季節』や『スクランブル! ラムを奪還せよ!』なんかを見てほしい。役と役者が一体化した稀有な名演がそこにはあるのだ。


 『SFJAPAN vol.3 冬季号 手塚治虫スペシャル』(徳間書店・1800円)。
 う、うわあ、こりゃすごいぞ!
 もう、これはプロの作家さんたちによる「手塚治虫同人誌」と言ってもいい。
 パロディと言うか、パスティーシュと言おうか、手塚ファンの作家たちによる“新作”小説の数々。
 井上雅彦『ブラック・ジャック』(イラスト・小島文美)
 太田忠司『W3』(イラスト・あさりよしとお)
 大塚英志『ふしぎなメルモ』(イラスト・羽海野チカ)
 梶尾真治『鉄腕アトム』(イラスト・村田蓮爾)
 草上仁『ミクロイドS』(イラスト・安倍吉俊)
 田中啓文『三つ目がとおる』(イラスト・安彦良和)
 五代ゆう『バンパイヤ』(イラスト・篠原烏童)
 二階堂黎人『火の鳥』(イラスト・大本海図)
 牧野修『ビッグX』(イラスト・菅原芳人)
 森奈津子『リボンの騎士』(イラスト・多田由美)
 山田正紀『魔神ガロン』(イラスト・開田裕治)
 若木未生『ルードウィヒ・B』(イラスト・なるしまゆり)
 更にはとり・みき、唐沢なをき、水玉螢之丞のマンガ、小松左京、うしおそうじ、校條満、中島梓、池田憲章、米澤嘉博のインタビュー評論、有栖川有栖、上遠野浩平、貫井徳郎、ひかわ玲子、藤木稟、古橋秀之、山本弘、伊藤伸平、草��琢仁、藤原ヨウコウ、星野之宣、安永航一郎、わかつきめぐみのエッセイ、永井豪と寺田克也、杉井ギサブローと富野由悠季の対談、そして、これが一番の大目玉、未完に終わった手塚治虫自身のオリジナル『COM版 火の鳥・望郷編』!
 思わずほとんど目次を引用してしまったけれど、そうでもしなけりゃこの豪華さ、とても伝えきれないだろう。

 残念なことに、手塚治虫という存在は、若い世代、特に手塚氏自身がターゲットにしていた10代の少年たちにとっては、もはや“神様”でもなんでもない。過去の人、というより、存在自体を知らない者も多いというのが実情だ。
 手塚治虫が亡くなってもう12年、その間、手塚治虫の“伝説化”“神格化”は徐々に進んでいった。
 しかし、それはたいていシンパの証言によってその偉大さ、ヒューマニズム、未来への視点などが語られるばかりで、その作品自体を鑑賞する機会はかえって減ってきている。
 その是非はおくとして、石ノ森章太郎、藤子・F・不二雄両氏の作品が、作者を変え、継続されつづけているのに対して、手塚作品は、『コミック伝説マガジン』の『鉄腕アトム』の例のように、継続性を拒否されている。
 作品が生きる、ということは、誰かによって語られる、ということではない、読まれ続けることだ。そして、本当にその作品世界が愛されているものは、作者の死後も数多くのパロディ、パスティーシュを生む。
 シャーロック・ホームズしかり、アルセーヌ・ルパンしかり、ジェームズ・ボンドしかり。
 なのに結局、手塚作品は神棚の上に飾られたまま、ただ拝まれるだけの存在になってはいなかったか。
 そのことを考えると、この本は手塚氏の死後、初めて生まれたと言っていい「手塚作品の新作」なのである。手塚治虫ファンならずとも、これだけ読み応えのある本を見逃す手はないと思うがどうだろうか?

 もちろん、全ての作品が傑作、というわけにはいかない。
 実はまだ全部読んではいないのだが、読んだ中でも大塚英志の『メルモ』なんかは、作者自身がオトナになったメルモと恋に落ちるという自分の妄想をそのまま引き移しただけの作品で、ちょっと開いた口が塞がらない。
 読者が望んでるのは手塚治虫の「新作」「続編」なんであって、手塚ファンのオナニーではないのである。
 いみじくも梶尾真治がこう書いている。
 「自分だったら、どんなアトムが読みたいかと考えてたら……やっぱり『書かれていたかもしれないアトム』なんだなあ。」
 残念ながら、今回新作“マンガ”の手塚作品は一本もない。『コミック伝説マガジン』の轍を踏むまいという配慮が働いたのかもしれない。けれど、例えば今回あさりよしとおが描いた『W3』や『やけっぱちのマリア』のイラストを見て……彼の手になる「新作」を読んでみたいと思った人は私のほかにもいないものだろうか。
 手塚信者のヒステリックな叫びは無視していい。
 私だって、描かれざる『どろろ』の妖怪退治の旅を、『バンパイア』の続きを、『火の鳥/アトム編』を、『トイレのピエタ』を読んでみたい。
 手塚氏の筆によってそれが叶えられないなら、複数の作家によってそれを続行させるくらいの勇気あるエディターがいたっていいんじゃないか。


 『NEWTYPE THE LIVE 特撮ニュータイプ No.1』(角川書店・980円)。
 モロ、『宇宙船』の二番煎じなんだけれども、氷川竜介氏による「ふしぎの海のナディアに見る特撮魂」などの見るべき労作もある。
 ともかく『仮面ライダー』『ウルトラマン』ともに復活を遂げていたからこそ創刊できた雑誌であることは間違いない。2号以降も買うかどうかは分らないけど、1号の印象、そう悪くはない。ライダー、ウルトラマンともに第一作からちゃんとフィーチャーしてあるので、旧作を見てみたいという若い人が増えてくれると嬉しいなあ。

2000年12月10日(日) 外見でしか人を判断できないヤツ/『あずまんが大王』1・2巻(あずまきよひこ)


2001年12月09日(日) 短いけどともかく更新/アニメ『サイボーグ009』第9話「深海の悪魔」ほか

 仕事が溜まっているので、したくもない日曜出勤。
 もっとも、手早く片付けて午前中で帰宅。
 よし、今日こそは遅れている日記の更新をしようとハリキルのだが、結局書けたのは一日分。適当に短くはしょって書いちゃえと思いながら、これが書き始めたら本気になっちまって止まらないのな(^_^;)。
 これも一種の病気なんだろうが、そろそろしげが本気で怒りかけているのである。「私がパソコン使う時間がない!」
 ……普通、家族が怒るのって、「私のことを見てくれない」ってことじゃないのか?(ーー;)
 ともかくそういう事情なんで、さすがに少しは急ぎますわ。
 なんだか、みなもと太郎の『風雲児たち』の「爆走」を思い出すなあ(←連載が長引きそうなんで、二十年分の歴史を一気に二ヶ月で描き切ったってやつね。)。

 昼は寝た。
 だから書くことない。
 ということにしておこう(なつかしの龍角散ネタ。あの男の子の名前がどうしても思い出せないんだけど、覚えてる人いる?)。


 アニメ『サイボーグ009』第9話「深海の悪魔」。
 原作『放浪編』にあたる最初のエピソード。
 なんだけれど、原作で使われてるのはコズミ博士との別れのシーンくらいのもので、ストーリー自体はほぼオリジナル。
 0013ロボットの電子頭脳の争奪戦、という設定自体は面白いのだが、そのためのドラマ展開における工夫がやや足りない印象。前のアニメシリーズでもなあ、ブラックゴーストのメンツがたいてい小悪党的な印象しかなくて、もう少しキャラ掘り下げろや、死の商人だろ、てめーら、てなこと感じてたんだが、今回のゲストのベルクもザンブローゾもただのチンピラにしか見えないものなあ。
 海底ものとなると必ず巨大タコ(ないしはイカ)が出るのはもう定番になっちゃってる感じだけれども、もちろんモトネタはジュール・ヴェルヌの『海底二万里』だったりする。今度の『アトランティス』でもやっぱりそんなのが出てたらその発想の貧困さを笑ってやろうと思ってたのに、先にやるなよ、しかも『009』で。
 『怪人島編』や『海の底編』でも似たようなネタ、かぶっちゃうんだから、さっさと『オーロラ作戦編』に行っちゃえばよかったのに。作画がまあまあなだけに、ちょっと脚本の弱さが目立った回でした。


 『こち亀&ワンピーススペシャル』。
 こち亀は毎年恒例ボーナス争奪戦の話。
 カネにがめつい両さんが、借金払いたくないからって、逃げるためにカネを使いまくるってのは話を作りすぎてる気がしてどうにも笑えないが、すぐ終わるかと思ってたこのアニメももう4年も続いてるんだよなあ。
 『こち亀』がメジャーかマイナーか、というのは意外に大きな問題で、秋本治もこぼしてたが、未だに『こち亀』の正式タイトルを言える人は少なかったりするのだ(若い人もトシヨリも)。両さんは知っててもフルネームは言えない、ボルボ西郷や日暮寝留男の存在は知らない、いや、マンガ自体読んだことないって人も結構多い。あれだけオタク的要素が詰めこまれた作品でありながら「ただなんとなく有名」ってのは、結局は「木を見て森を見ず」状態で、実質的には「マイナー」ってことになるんじゃないのか。
 でも、結局、どんなモノだって、「知ってる人は知っている、知らない人は知らない」のであって、「メジャー」って観念自体が幻想なんだよな。10代で『鉄腕アトム』知らない人だってもうザラだし。
 『こち亀』もあれだけ長く続くと、時代時代のネタを中に取り入れている分、「キワモノ」としての価値もずいぶん高くなっている。秋本治がアグネス・ラムに入れこんでて、作中にも登場させてたことを覚えてる人も少なくなったろう。
 けれど、当然のようにアニメはそういった「キワモノ」的要素は排除していこうとする。でも、それは『こち亀』の魅力を半減させることにしかならないので、アニメはどうしても薄味にしか感じられなくなる。私が、マンガはともかくアニメのほうを熱心に見る気が起こらなかったのはそういう理由だ。
 にもかかわらずアニメ版もヒットしている。
 となると、誰も話題にしないのに視聴率だけは稼いでいる『サザエさん』『ちびまる子ちゃん』化してるんじゃないかなあ。『こち亀』の場合は、それは不名誉なことのような気がしてならないんだが。

 『ワンピース』、アラバスタ編開幕ということで、No.2ボン・クレーも本格的に再登場、そしてエースもチラッと顔見せ。
 ああ、しかしエースは古川登志夫さんか。ルフィが田中真弓さんだから、あたると竜之介が兄弟役か……ってこのタトエも若い人にはもう分らん。
 全く、文化の継承はどんどん途絶えているよな。どこの学校にもオタクな先輩がいて、十年、二十年前のアニメや特撮についてもアツク語ってレクチャーしてくれてたものだったが、そういう伝統自体、今の学校教育の中では途絶えているんだろうなあ。
 ボン・クレーの矢尾一樹さんも声変えてずいぶん頑張ってるぞ。『ワンピース』、結構、要所要所でベテランの声優さん使っているのだ。話がつまんなくなってきた分、そのへんでカバーしてくれなきゃな(^^)。


 『ニュース23』で、野村佐知代の脱税の手口がいかに杜撰だったかを検証している。
 そりゃ、キャラクターそのものが杜撰なのに、手口だけ緻密ってわけがあるかい(^o^)。今回の脱税発覚、息子であるケニー氏の告発によるものだそうだが、マトモな神経持ってる人間だったら、たとえ身内でも「アレはいくらなんでも」って思うよなあ。
 まあ、日本の税制がいい加減だってことは分る。脱税したくなる気持ちも分らないではないし、小額の脱税ならやってる連中は多いであろう。
 でも今回の事件は「アンタがやるなよ」って感覚で見られてる面が大きいのだ。貧乏人がチョイと誤魔化すんじゃなくて、思いあがった金満家のクソババアが標的になったもんだから、みんな拍手喝采してるのだ。
 庶民の溜飲はこれで下がったのである。だったら、これ以上のシツコイ報道はかえって逆効果だ。堂々と苛められる人間が現れてくれたからって、喜んで苛めるってのは結局自分たちの醜さを露呈するだけだ。
 野村監督も辞任することになっちゃったし、このへんでサッチーの存在自体を忘れてやるのが報道する側としても潔いと思うんだが、まだまだハイエナみたく食らいついていくんだろうな。
 ああ、やだやだ。

2000年12月09日(土) 今日はちょっと食いすぎた/『分化祭ウラ実行委員会』1巻(江川達也)ほか


2001年12月08日(土) レディのタメのオタクスベース/映画『おいしい生活』(監督ウディ・アレン)

 昨日、クッションに入れ損ねたビーズがぱらぱらと床に落ちている。
 踏んで痛いものでもないから、別に困りはしないのだが、昨日落とした量に比べていやに数が多い。
 ふとしげを見て、「……アレからまたこぼした?」と聞いたら「てへ」と笑いやがった。
 「てへ」じゃないだろう、片付けろよちゃんと。


 今日こそは映画に行こうと思っていたが、月に一度の通院日であることを忘れていた。
 ……忘れるなよ。
 しげを叩き起こして病院まで車で運んでもらう。
 「私がいないと病院にも行ききらんのやね」とか生意気なことを言いやがるのでそっぽを向いて無視する。
 検査の結果は、予想していたとおりではあるが、血糖値が退院時より100以上も上がっている。やっぱり運動量が減ってるもんなあ。
 時間に余裕があれば、食事だってカロリーきちんと計って調理できるし、もう少し運動もできるんだけど、今んとこそんな時間を捻出するのなんて、望み薄だしなあ。
 ううむ、これはまた来年入院しなきゃならんのかも(^_^;)。 


 先月福岡に進出して来た大阪に本拠を構える大手本屋のジュンク堂、今日ようやく足を運んでみた。
 確かに4階建て、地下にはDVDコーナーなどもあり、一見すると広さや本の種類は申し分ないように見える。
 けれどまず入口が表通りに面していないせいで目立たないし、中に入っても書架の高さが身長を越えて天井近くまであり、高すぎて見通しが利かない。しおやさんが「本屋じゃなくて図書館」と言ってたがその通りだ。どうにも動きにくくて、居心地が悪いんである。
 それに本があると言っても、紀伊國屋や丸善と比べて特に個性があるわけでもない。演劇の本なんかは博多座の紀伊國屋の方がよっぽど充実している。
 もう少し本屋としての個性を出していかないと生き残りは難しいと思うんだがどうだろうねえ。
 天神コアの「さぼてん」でトンカツを食べた後、福家書店に回る。
 相変わらずオタク色の強いこの本屋、こちらの方が私なんかはずっと落ちつくのだ。

 映画を見るまでの時間をどうつぶそうか、しげと相談。
 私は「まんだらけに行こうか? 映画館にも近いし」と言ったのだが、しげが「マツヤレディス」と断言。一瞬目を丸くする。
 福岡に住んでいない人には注が必要だろうが、その名前からもお分かりの通り、女性客をメインにしたデパートである。天神の中心街が三越の開店で南に移行したので、最近は苦戦を強いられているようだが、それでも土曜ともなればオシャレな若者たちが結構来店している。化粧っ気のないしげが積極的に行きたがるとはいったいどういう風の吹き回しか。
 「あのね、よしひと姐様に聞いたんだけど、8階が『おたくフロア』に変わってるんだって」
 「……はあ?」
 行ってみて驚いた。
 ビデオ、DVD、フィギュア、コスプレ、確かにオタクグッズがワンフロア、そこかしこで売られている。
 「『でじこ』の猫耳、今度の芝居に使えるかなあ」
 「……自分で作った方が早くねえか」
 しげ、「ガンダム」のTシャツをしげしげと眺めて(シャレかい)、「ああ、これほしいなあ」なんてことをブツブツ呟く。でも、まさかこんなところに来るとは思っていなかったから、そうそうグッズを買い込めるほどの資金は用意してきていない。
 ふと脇を見ると、ワゴンに山積になってる小さな箱が。
 わあ、こ、これは永井豪のギャグキャラクターのミニフィギュア!
 題して「永井豪マニアックス」!
 いや、実際何がマニアって、そのラインナップだ。有名どころもあるにはあるが、中には知ってる人は知っている、知らない人はこれ何? とキョトンとしかねないマイナーマンガのキャラまで取り揃えてあるのだ。
 『ハレンチ学園』からは、NO.01 ヒゲゴジラ/NO.02 パラソル先生/NO.03 オッピャイ先生/NO.04 柳生十兵衛みつ子。
 『けっこう仮面』NO.05 けっこう仮面/NO.06 サタンの足の爪。
 『れすらマン』NO.07 れすらマン(ジャントニオ猪場)。
 『よくふか頭巾』NO.08 よくふか頭巾/NO.09 冷奴。
 『屋台王』NO.10 やきとり魔人。
 『廃人20面チョ』NO.11 ポール玉玉/NO.12 イボ痔小五郎。
 『キッカイくん』NO.13 キッカイくん。
 『へんちんポコイダー』NO.14 へんちんポコイダー。
 『オモライくん』NO.15 オモライくん/NO.16 オコモちゃん。
 永井豪ファンならずとも、思わず「なんじゃこりゃあ!」と叫ぶのは必至であろう。……はっきり言ってチョイスのしかたがデタラメである。
 『ハレンチ学園』、十兵衛は当然としても、主役の山岸八十八、イキドマリ、アユちゃん、丸ゴシ先生、マカロニ先生と人気キャラを差し置いてどうしてパラソル先生、オッピャイ先生か。
 ジャントニオ猪場やよくふか頭巾やヤキトリ魔人を知ってる人間がどれだけいるというのか(私ゃマンガも持ってるけど)。
 他にも永井豪のギャグマンガはもっとある、『まろ』は、『あにまるケダマン』は、『おいら女蛮』は、『江ノ島ドジラ』は、『馬子っこ金太』は、いやいや、あの『あばしり一家』はどうしたのか。
 それとも第2弾を出すつもりでいるのか。
 ……売れねえって(^_^;)。
 で、結局二個買ったら、冷奴とヤキトリ魔人が出て来ました。感想はありません。
 隣のショッパーズプラザ、リーブル天神で、来年のカレンダーをいくつか買う。今年は『クレヨンしんちゃん』、『あずまんが大王』、『ヒカルの碁』の三つ。あとまだ買ってはいないが、しげに「猫カレンダー」は買わされる。
 できればエヴァもちょっとほしいかな。
 ともかく、今年もウチの中は狭いくせにカレンダーだけは豊富だ。


 映画、『おいしい生活』。
 ウディ・アレンの新作を見るのも久しぶり。しげは私に内緒で新作が出るたびに見に行ってたようなのだが、私ゃ下手したら『カイロの紫のバラ』以来じゃないか。二十年近くウディ・アレンから離れてるぞ。
 それはそれで当然と言えば当然なのである。ここ十年以上、メロに流されちゃってたからなウディは。乾いた笑いを求めていた若いころの私には、ウディの「変節」が許しがたかったんである。
 でも今回の映画には過剰な恋愛描写はない。定番通りのコメディーだが、まるでチャップリンの遺髪を継ぐような伝統的なコメディ演技を、ウディが披露していたのには我ながらびっくりした。


 東京のこうたろうくんからお歳暮が来ていたので、あわててこうたろうくんへ電話。礼を述べてやっぱりオタクな話を延々1時間。
 さすがにつかれたので寝た。

2000年12月08日(金) ぐるぐるにゃーぐるぐるにゃー/映画『インビジブル』


2001年12月07日(金) なっまえっ、そっれっはっ、もっえっるっ、いっのぉちっ/『ガゥガゥわ−太』1巻(梅川和実)ほか

 新宮様の名前が敬宮愛子(としのみや・あいこ)に決まったそうな。
 常識のないやつはまた、「敬宮が名字で愛子が名前なのかな」とか、「え? 天皇家ってみんな名字が違うの?」とか言い出したりするんだろうな。
 当たり前の話だが、天皇家には名字がない。
 名字はあくまで天皇家が臣下に与えるもので、名字のことを「姓」とか「氏」とか言ったりするのは、まあ、神主さんが氏子を持ってるようなものだ。戦時中の「天皇の赤子(せきし)」って意識もこの辺から来てるわけやね。
 だから、未だに日本には差別が残ってると言う人も多い。「天皇制をなくせ」というわけだが、となると、天皇に「名字」を与えることになるのか? でもそれじゃ本当の意味での差別の撤廃にはならないよな。「名字」そのものが天皇を中心とした「家長制」の象徴なわけだから。
 だから、本気で差別をなくそうと思ったら、名字そのものをなくしちゃわなきゃならないのである。ただの「太郎」と「花子」になるわけだ。それじゃ何百人もの「太郎さん」「花子さん」がいて区別がつかない、と仰るなら、名字の代わりにセカンドネームをつければよろしい。「太郎=次郎」とか「花子=雪子」とか。
 え? 二人いるみたいで漫才コンビみたいだ? なら、「家」という継続性を無視した名字をつけていいってことにしたらどうだ。つまり親が子供に名字と名前の両方をつけるわけ。
 「私は山田太郎だったけれど息子は里中悟にしよう」とか。
 ……個別認識ができればいいだけなら、これで問題は生じないでしょう。

 それにもかかわらず、「差別反対!」を唱える人たちが「名字の撤廃」を唱えないのは、本気で差別をなくそうなんてことは考えてないからなんだね。
 「やはり家族の絆は必要だ」とか、「私も親の名前を継ぎたい」とか、名字を撤廃しないリクツはいろいろつけようとするけどさ、でもそれは結局「差別はなくせない」と言ってるのと同義なんだよ?
 名字が違ったくらいで壊れるような絆なら捨てっちまえ。
 名字を継ぎたいってことは結局自立したくないってことだ。
 たとえ具体的に親の七光りを期待してるわけじゃなくても、既成のものに依存したがる心が「階級」というシステムを温存してきたのだという認識があまりになさ過ぎないか。
 本気で差別をなくそうと言いたいんだったら、そこまで考えて主張しろ。

 もちろん、私は「名字をなくせ」なんて言おうとは思わない。
 もう、はっきり言っちゃうけど、本当のところ、ある程度の差別は必要だと思ってるからだ。
 私だけではない。
 全ての人がだ。
 差別をなくせと言ってる人も含めて、実は全ての人々が、意識的ないしは無意識的に差別を必要としている。
 それは、「誰かを差別すること」によってしか、人は自己のアイデンティティを確率できないからだ。
 「自分が自分であろうとすること」それは結局「他人は自分と違うこと」を認めることに他ならない。
 「アイツとオレは違う」……この判断の中に、自分の優越性を持ちこまずにいられる人間がどれだけいるだろうか。

 こういうこと書くとまた「差別主義者」とか言われちゃうから、また念のため付け加えとかなきゃいけないんだけどね、私ゃ別に「ユダヤ人虐殺」を肯定したりする気はサラサラないからね。
 「人間はいや、生命は基本的に他者を差別することでしか生きられない」って根本的なことを言いたいわけ。その前提を無視した差別撤廃論は、全て机上の空論にしかならないって言いたいだけなの。
 どんなに「差別すまい」と思ったって、自分を守るために他者をないがしろにしてしまうことは誰にだってある。自分が差別をしてしまうことの覚悟と、自分が差別されたときに他者を許す心との、両方を持とうとする意志のない人間に、「差別」について語ってほしくなんかないのだ、私は。

 まあ、それは余談であって、今回の命名でビックリしちゃったのは、出典が「孟子」からとは言え、「愛子」の読みが「あいこ」だったことなんだね。
 それのどこがおかしいの? と言われるかも知れないけれど、愛子ちゃんのひいひいばあちゃんにあたる大正天皇のご生母、柳原愛子は「やなぎはら・なるこ」という読みかただった。つまり、天皇家の子女は基本的に和音読みするのが普通だったんだよね(中宮定子とか彰子を「ていし」「しょうし」と読むのは通称で、ホントは「さだいこ」とか「あきらこ」とか読んでたとおぼしい)。
 そのへん、天皇家も「日本の」ってことに拘らなくなってるんだなあ、という感慨があったんである。
 それにしても、これで日本中に「敬子」ちゃんや「愛子」ちゃんって付ける親が増えたりするのかなあ。でも紀宮清子内親王ご誕生の時に「清子(さやこ)」って子供が増えたって話はあまり聞かなかったが。


 ネットではもう一つ、今月初めに起きた誘拐された子供の名前で話題が盛りあがっている。
 「騎士」と書いて「ナイト」と読ませる。
 親のナルシシズムをまんま子供に押しつけてる馬鹿さあたりがからかいの対象になっているのだけれど、こうまで極端でなくても親が子供に余計な思いを押しつけてる例は多くないか。
 例えば昔に比べて一段と増えた女の子の外人名前。
 「麻里安」だの「珠里」だの「恵美」だの「莉奈」だの(なんかみんな特撮・アニメ系で見たような)、指摘されなきゃ「あれ、それって外人名前だったっけ」と首をかしげられるくらい浸透してるものだってある。まあ、「迦芽崙」とか「如出依」とかいうトンデモナイつわものはそうそういないだろうけれども「日本人とも外人ともどっちでも取れる」という微妙な線を狙った名前はホントに増えたね。「めぐみ」なんかも、「メグ」って呼べばあっと言う間に『若草物語』の世界。
 それに比べて、男の外国人名前はなかなか作れない。
 どっちにも取れるって、「丈」、「譲次」とか「健」くらいだもんな。映画監督には「吐夢」ってのがいたがあれはあくまでペンネームみたいなもの。たまには「弁蛇民」とか「歩婆人」とか付ける馬鹿が出てくりゃ面白いんだけどな。
 そのことを考えると、この「騎士」くん、「当て字で読ませる」という行為がやっぱり「日本語」と「外国語」の妥協の産物なワケで、実はそれほどトンデモってほどでもない。だってローマ字で書いたら「NAITO」なわけで、「KNIGHT」にはならないもの。
 やっぱりこれから21世紀を担う子供たちにならば、親は、そんなどっちつかずの姑息な付け方するんじゃなくて、たとえどんな差別や迫害を受けようが、それをふっとばすほどの珍名・奇名をつけてってほしいとは思うまいか。
 アニメオタクならば、女の子に「アンシー」だの「セイラ」だの「クラリス」だの、堂々とカタカナのまんまでつけたいものだよなあ。
 ……うちにムスメが生まれたら「ヒルダ」にしたいな(^^)。
 ああ、息子はいらん。後のドキドキ感がないから(なんのだ)。


 昨日に続いて晩飯はゼイタクにスシ。
 しかし回転寿司のクセに「すし大王」のネタはバカ高。そうそう来れる店じゃない。こないだ来たのはいつだったっけ。もう半年以上前じゃないか。
 なのに結構繁盛してるようなのは、種類の豊富さによるところが大だろう。思いきって食ったトロが一皿850円。これだけで既におなか一杯だ。
 しげのここでのお気に入りは山盛りの卵サラダの軍艦巻きである。
 しげは卵好きだが、店によって、同じ卵焼きでも好きなものとそうでもないものに分れているようで、ここでは普通の卵焼きのスシは食べようとしない。別の店ではご飯なしの大卵焼きのみを食べたりする(それって既にスシじゃないじゃん)。
 要するに「スシの雰囲気」が好きなんだろうなあ、味音痴だし。ちなみにウチで卵焼きを作る時は必ず目玉焼きなんである。どういう拘りなんだか。


 夜は、部屋の中のクッションが大分ぺしゃんこになってきたので、しげが買って来たビーズを二人で入れる。これが意外と重労働で、1時間は軽くかかってしまう。
 それというのも、発泡スチロール製のこのビーズ、静電気のせいでやたらと服にくっついてくるのだ。袋を空けてクッションの中に落としても、ふわりと浮き上がってきて袋の表面を舐め、こちらの服に飛んでくる。
 これをいちいち小休止してはクッションの中にひと粒ひと粒入れていくのだから手間がかかってしょうがない。いいかげんで疲れてダウン。


 夜は某サイトでチャット。
 事情があってそのへんの詳しい事情は書けないが、とっても楽しい会話が楽しめたのであった。
 しげが一時期チャットにはまってたわけ、分るなあ。


 マンガ、梅川和実『ガゥガゥわ−太』1巻(新潮社・530円)。
 「コミック・バンチ」コミックス創刊第2弾。
 動物の言葉が理解できる主人公、というのは決して目新しい設定ではないが、その主人公が「言葉がわかるのに動物を嫌ってる」ってところに作者の工夫がある。
 社(やしろ)動物病院の息子、太助はモノノケの子孫(コマイヌ様とオイナリ様の間に生まれた……うわあ、スゴイ異種婚)。
 かわいい女子高生、船越みさとに連れられて病院にやってきたガウ犬(=すぐ噛む犬)・わ−太と触れ合った時から動物の言葉がわかる能力に目覚めた。
 人間と(特に女の子と)親しくなりたい太助にとっては、ドーブツの声が分るなんて力は邪魔なだけ。わー太を引き取ることになってもケンカの毎日である。
 けれどそんな中でいろんな動物たちと触れ合って行くうちに太助の心の中で何かが変わっていく……と、そんなストーリー。
 コメディタッチではあるけれど、実にハートウォームな話だし、絵柄もずいぶんかわいい。これが原哲夫の『蒼天の拳』なんかと一緒に「バンチ」に載ってるってのは相当違和感があるんじゃないか。
 まず線が細い。『山下たろ−くん』の1/20くらいかな(←適当)。細いだけじゃなく、動物のキャラ、相当に描きこんである。もちろんギャグキャラになることもあるが、基本的なデッサンは相当積んでる感じだ。黒目がちな眼、一本一本の毛の柔らかさ、そんな細かいところにまで気を配って描かれている。人間のキャラも繊細な印象なんだけれど、それ以上に「動物を描きたい!」という作者の気持ちが伝わってくるようだ。
 うまい新人さんはイマドキ珍しくなくなってるんだけれど、それにしても群を抜いたうまさだ。……ホントに新人か? この作者。
 で、この作者、どういう人かと気になって、ネットで調べてみた。どうやら女性らしい。しかも、今はどうだか知らないがもともと獣医さん。……動物を好きなのも当然か。
 マンガの中で、耳にイタズラでホチキスをつけられて血だらけになってる犬(わー太)が病院に運ばれるシーンがあるのだが、多分これ、作者自身の経験じゃないのかな。
 犬や猫の気持ちがわかったらいい。これは、マンガ上の定番だからということではなくて、作者自身の思いから生まれてきた自然な設定なのだろう。……だとすると、ますます、「定番」だけを追い求める“ジャンプのシッポ”、「バンチ」にゃ似合わない作品だよなあ。

 実際、新連載の予告ページには、たしか「かわいい女の子キャラマンガ」みたいな紹介のしかたがされてたように思う。……いや、そりゃヒロインのみさとはムチャクチャかわいいが、あくまでワキ。主役は太助とわ−太のデコボココンビだ。「女の子もの」と「ドーブツもの」とじゃ、全然ジャンルが違うやんけ。宣伝の仕方がデタラメだ。
 バンチ、もしかしたら雑誌戦略においてジャンプのクソなところだけ踏襲してるんじゃないか。
 作者の梅川さん、デビューはもともと「少年ガンガン」だったとか。そこから「バンチ」が引き抜いたってのは、やっぱり梅川さんの「絵柄」に魅力を覚えたからだろう。でもその理由が案外いい加減なものだったんじゃないかって懸念がしてならない。「メインが『蒼天』じゃ雑誌の色が濃いからさあ、フワっとしたかわいい絵柄の女の子マンガも載せようぜ、『マガジン』の『ラブひな』みたいにさあ」とか適当な理由で選ばれたんじゃないかな。
 そう言いたくなる理由はもう一つ、この連載、始まったばかりだというのに、どうやら一度打ちきりの危機を迎えたらしいのである。これもネットで知ったのだが、編集部がある種の路線変更を作者の梅川さんに伝え、それを拒否したところ「打ち切り」をちらつかされたというのだ。
 「売れるためだからと言って、そこまで話を壊す事は出来ないんです。なんだか壊れていく作家の気持ちが少し分かったような気もします(笑)。
 漫画を一体何だと思ってるんだ。打ち切りって言えばなんでもきくと思ってるんでしょうか。」
 というのが梅川さんのホームページに載せられた言葉。一体どんな要求をされたかは憶測するしかないんだけれど、どーせ「みさとちゃんのヌード出してよ」とかそんなレベルのことだろう。商業原理としてのジャンプシステムを評価しないわけではないが、バカに編集させちゃいかんよ、絶対。

 本作のエピソードの一つに、「自分が黒猫であるために飼い主に不幸を呼びこんでいるのではないか」と悩む猫の話がある。
 何気なく我々も見逃していることだが、これって明白な「黒猫差別」だよなあ。もしかしたら、こういう根も葉もない迷信をまともに信じてて、黒猫を捨てたり殺したりしてる“現実”もあるんじゃないだろうか。そういうことについても作者はずいぶん怒り心頭に発してるんだろう。
 話に固さは残るが、「定番」だらけの『バンチ』の中では、一番読んでて面白いマンガだ。『バンチの良心』と言ってもいい。こういうマンガ家さんが、つぶれていくようじゃ、日本のマンガシーンもジリ貧だろうと本気で思う。もし、ホントに打ち切りになっても、どこかが拾ってくれよ。意外と何でもアリの『チャンピオン』あたりが合ってる気もするが。


 マンガ、矢崎存美原作・安武わたる作画『ぶたぶた』(宙出版・730円)。
 徳間デュアル文庫シリーズの『ぶたぶた』のマンガ化。
 作者にゃ悪いが、原作のマンガ化としては可もなく不可もなくといったところで、こっちを先に読まれたら、原作の続きを読みたくなくなっちゃうんじゃないかって気もしてしまう。
 つまりはレディコミのコマ割りでファンタジーを描くことにムリがあるんだろう。説明が長くなりすぎるのではしょって書くが、レディコミのコマ割りの特徴の一つに、遠近感を曖昧にする、というのがある。出来るだけ背景をボカし、二人以上をコマの中に描き入れることをせず、モノローグを多用し、映画的モンタージュを持ち込んで、画面をファンタジックにしていく。
 確かに『ぶたぶた』は現代の御伽噺ではあるが、レディコミの持つファンタジー性とではあまりにも質が違ってやしないか。『ぶたぶた』の面白さはもっとリアルな現実の中にファンタジックなものが混じりこむ違和感 ――まさに演劇的な―― 点にあるんじゃないかと思うのである。現実そのものをファンタジックに描くレディコミじゃ、その違和感は表現出来ないのだ。
 ロボトロニクスがもっと向上して、「生きているようなぶたぶた」が作れるようになったら、映像化もいいかなと思えるんであるが(CGじゃダメだねアレは)、今は小説読んで想像力膨らませるだけで充分じゃないかなあ。
 あ、そうか、『シュレック』にあまり興味が湧かないのはアレがCGバレバレだからなんだな。


 マンガ、石ノ森章太郎原作・MEIMU漫画『キカイダー02』3巻(角川書店・5670円)。
 世間ではご批判もいろいろあるようなMEIMU版『キカイダー』だけれど、21世紀に石ノ森作品をフィーチャーして行くプロジェクトの一貫として考えれば、色々な試みがあっていいと思う。
 ハカイダーの脳が光明寺博士のものでなく、兄、イチローのものであるという改変も別にいけないとは思わない。ドラマ上の変更は演出の範囲内だし、その改変があってなお、石ノ森ワールドが壊れていなければ、それはその世界の幅広さを証明することになるからだ。けれど、やっぱりハカイダーの眼には表情があって欲しかったな。俯くと不敵な笑いに見えるところがよかったんだから。
 「ダーク」が滅びてもいないのに、早くも名前が語られた「シャドウ」の存在、どうやらジローたちの味方でもないらしい風天(「瘋癲」と改名……いいのか?)和尚による“六体”の01の開発。この怒涛のアレンジはどうだ(と言われても困ろうが)。
 となると、「イチロー」としての01は登場しないのか。それどころか結末も大巾に変わるのだろう。ジローの破壊やミツ子の死なんてことも考えられる。こうなると自分でも空想を膨らませて「こういうキカイダーもありか」なんてストーリーを作りたくなってくるなあ。いや、私にはキカイダーのメカ描くだけの画力はないけどさ。
 ……それに、それって「同人マンガ」って言わんか(^_^;)。

2000年12月07日(木) 仕事三昧、遊び半分/『虚無医院』2巻(林光默)


2001年12月06日(木) 他人の日記ネタ。Aさんすみません(^_^;)/『ナジカ電撃作戦』MISSION 009/『韃靼タイフーン』2巻(安彦良和)ほか

 昨日の日記、短く書くと言っておきながら長いじゃね−かとお叱りを頂いたのだが、実はあれでも短くなっているのである。
 つーか、読んだ本の感想、書いてないしな。
 実際、一番行数を食うのは読書の感想なので、それを省いたら、この日記、多分、中身はほとんどスカスカになる。
 ホームページを立ち上げたら、読んだ本の感想は別枠にして……とか考えてたんだけど、そうなるとこの日記を『エンピツ』の「アニメ/漫画」のジャンルに入れておく必然性がなくなってしまうのだよなあ。
 いい解決方法がないものだろうか。


 今日も今日とて、しげの車で行き帰りのお迎え。
 車の中で、しげ、いきなり「ねえ、○○さんの日記、読んだ?」と聞いてくる。
 「日記っていつのだよ」
 「昨日の」
 「……今まで仕事だったのにどうやって読めるんだよ」
 「それがね、すごく面白かったんよ!」
 ご当人に許可を取っていないので、あえて本名は伏せて仮にAさん(♂)としておこう。
 このAさん(♂)、私の知り合いの中でも最強の部類に属する超オタクである。オタクであるが故の運命ででもあろうか、30ウン歳の今日に至るまで、浮いたウワサ一つない。いやあるのかもしれないが、多分、イタイ思い出が多そうなのであえて聞いたことがない。
 日頃から「いいんですよボクは。独身のおかげでこんなにオタクライフがエンジョイできるんですから」と言い放ち、海外のB級SF収集をライフワークとし、輸入DVDの山に囲まれて暮らしているのである。
 さて、そんなAさん(♂)なのだが、実はなんと、ただいまお見合いの相手Bさん(♀)との甘くアツイ関係が進行中なのである。とは言え、純情を絵に描いたようなAさん(♂)のこと、Bさんとお知り合いになってからのデートはほんの数回、恐らくは、まだ手を握ったことすらない清い清い関係であろうかと推察される。
 で、Aさん(♂)の12/5付けの日記に、最新のBさんとのデートの様子が描かれているというのだ。
 「て、なんて書いてあったの」
 「Bさん(♀)を映画に誘ったんだって」
 「何の映画?」
 「それがね……うぷぷ」
 しげの目がカマボコの断面のようになった。
 「じらすなよ。何見たんだよって」
 「……『ハリー・ポッター』だって!」

 「ぶわはははははは!」

 二人して笑いをかみ殺すのに苦労したした。いや、結局笑ったけど。
 ただし、この笑いには多少、補足説明が要る。
 以前、かなりこのお見合いの進行に本気らしいAさん(♂)を囲んで、「恋愛指南術」みたいなことを話したことがあるのだ。
 「映画はね、デートに誘う方法としてはよくないんだよ。映画にばかり見入っちゃって、相手をほったらかしちゃうから。だから映画に行く時には、よほど慎重にタイトルを選ばないと」
 ある人がそう仰るのをAさん(♂)、大きく頷きながら聞いていたが、『ハリー・ポッター』がその成果か。
 
 しかもAさん(♂)、そのBさん(♀)が「『ハリー・ポッター』、人が多くて見られなかったらどうしよう」と心配しているので、わざわざ指定席のチケットを買ってあげたというのだ。
 「けなげでしょ?」
 「けなげだねえ。教えを守ってるねえ。フラグを立てているんだねえ」
 「で、映画が始まるまで、ハードロックカフェでお話ししてたんだって!」
 これはもう、我々夫婦に笑ってくれと言っているようにしか思えない。
 実は、ウチの劇団に、女の子にもててもてて仕方がないが、必ず振られる因果なヤツがいる。で、今回のAさん(♂)の行動、「ファンタジー系の映画」といい、「ハードロックカフェ」といい、そいつの行動パターンとバッチリ一致しちゃってるのだ。
 大丈夫かなあ、Aさん(♂)。
 もちろん私は、Aさん(♂)の幸せを切に望むものではあるが、禍福はあざなえる縄のごとし、好事魔多し、渡る世間は鬼ばかり、世の中どこにどんな落し穴があるか解らない。
 日記を読むかぎり、そのAさん(♂)の嬉しさというか、幸せそうな笑顔というかニヤケタ表情っつーかが浮かんで見えて、もう、我々夫婦は顔を見合わせるしかないのだが、そこにAさん(♂)の油断が生じないとも限らない。
 ここはぜひ慎重な態度を崩さず、慌てないで、しかし進めるところは進めて、確実にフラグを立てて行ってもらいたいのである。
 だってこんな面白そうなネタ、我々もずっと楽しんでいたいもの(^^)。

 で、帰宅してAさん(♂)の日記を読んでみたら、『ハリー・ポッター』見に行ったことについて、こんなコメントが書かれていた。
 「あー、今笑った人、前に出てきなさい、怒らないから、ただ、耳を片一方殺ぎ落とすだけだから、正直に言いなさい」

 「ぶひゃははははひ、うひうひゃははははは」
 ああ、Aさん(♂)「本気」だ。
 人生って、なんてステキなんだろう(^^)。


 このように私は妻との日々の会話をセキララに書き綴っているのであるが、意外にしげのウケがいい。
 こんな万年健忘症の生活無能力者のどこがいいのかわからんが、「かわいいですねえ、奥さん」何ぞと言われたりするのである。
 何か書きかた間違ったかなあ。
 しげと面とむかって話ししてると、本気でイライラしてきて、ベランダから逆さ吊りしてやりたくなることもしばしばなのだが、まだ筆が甘いのかなあ。
 もちろん、日記に書くにあたって、しげの言動をそのまま逐一、移し書きしているわけではない。冗長なところは省略しているし、逆に主語や目的語がはっきりしていない部分を補ったりもしているのである。実物のしげに比べると、1.8倍増しでリコウになっていると言ってもいい。
 しげ本人は、この日記を読んで、「なんか、独身男が、自分には妻がいるって思いこんで書いてる感じだね」とか言ってやがるが、じゃあ、「しげの日記」を書いているのも私ってことになるのか。
 どんなに知性を捨ててもあそこまで前頭葉が欠落してるような文章、書こうったって書けるもんじゃないぞ。

 その通り。
 信じられないかもしれないが、あのへんないきもののしげは、実在するのである。


 焼肉の2割引券を手に入れたので、また「一番カルビ」で食事。
 私もしげも、ロースは食うがカルビは脂っこくって、あまり食わなくなっているので、セットを頼むより単品で頼んだほうが安上がりだと気付く。
いつものロース、ホルモン、ハラミのほかに、今日は牡蠣の味噌漬けを頼んでみるが、食わず嫌いのしげは、やっぱり味見しようともしない。充分焼いてもまだ汁が中に残っていて香りがよく、ちょっと食べてみる価値はあると思うんだがなあ。
 精算時に、店員の女の子から、「二度目ですね」と言われて、割引チケットをたくさん貰う。たった二度にして、なんか顔を覚えられてしまったらしい。
 「そりゃ、あんたみたいな浮浪者顔、目立つもん」
 と、しげは言い腐ったが、自分が目立ってるって発想はないのか。
 一見して年齢不詳、性別すらやや怪しい、首が据わってなくてもしかしたらちょっとアブナい人かもって印象のやつなんて目立ってしょうがなかろう。


 帰宅してオタクアミーゴスのパティオを開くと、唐沢俊一さんの書き込みがある。
 先日のオタアミの打ち上げの2次会で、唐沢さんの発言をいくつか私が日記にUPしたのをたしなめられたものであった。
 うわあ、し、しまった、アレはまずかったのか。
 確かにそうかもなあ、アレを書かれたってことは、アレがアレする可能性もあるわけだから唐沢さんはお困りになるかもなあ。でもかえってアレしてくるナニも現れる可能性があるわけだから不利益にはなるまいと考えたんだけど即断だったのかなあ。
 早速削除しようかとも思ったのだが、ちょっと困ってしまったのは、十中八苦、それは私のことだろうと思えるのだが、名指しはされてないので(それはもちろん唐沢さんの気遣いであるのだろうけれど)、かえって身動きが取れなくなったことである。謝罪しようにも謝罪できない(^_^;)。

 オタアミのことに限らないけれども、自分の見聞きしたことで、「これは書けるな、これは書けないな」と判断して取捨選択している基準、一応、自分の中に設けてはいるのだ。
 要するにそれを書くことで、「その人が不利な立場になるかどうか」ということなのである。

 先日の宴会でも、ぴんでんさんから「アレは書かないのですか?」と聞かれたあるコトがあったのだが、「いや、アレはさすがに」とあえて書かなかった。
 アレは確かに面白いネタなのだが、アレをアレのままで書いてしまうと、ナニがナニだというように誤解されてしまう危険性が大きいのだある。
 もちろんナニはナニではありませんよと説明することは可能なのだが、それがまた更なる誤解を生じさせる危険もあるのだ。
 私はコトナカレ主義は大嫌いだし、アレを書くことはアレに対する理解を深めるきっかけになると思うので、別に書いて不都合は生じまいとも思うのだが、少なくともそれを書いたあと、それに対処する立場に私があるのならばともかく、現実にそうではない以上、私が書くべきことではないという結論を出さざるをえない。
 だからアレは書くまいと決めたのである。
 さっきから、何のことだかよく分らないだろうけれど、そういうことなんだってば。

 うーん、こういうときはハッキリと「アレは困ります」と名指しで仰ってくださったほうが助かるのになあ。そのことで私がAIQの中での立場が悪くなるなんてことはないのである。モトから私はこういうヤツだし。
 唐沢さんの懸念がどこにあるのかについても、先ほどアレだのナニだのと書いた通り、だいたいの見当はつくので、件の記事の一部は削除するのが当然だろうとは思う。
 これは、以前、職場から難癖つけられたときとはケースが違うので、裏日記を作って記事を保存しておくこともしないつもりだ。
 ただ、ビミョーなたしなめられ方をされた以上は、こちらもビミョーな対応をしなければならんのかなあ、とか余計なことを思って悩んじゃったのである。
 ……ああ、腹芸ってムズカシイよん(+_+)。
 結局、散々悩んだ末に、結局、素直に当該の記事は削除することにした。
 頑固に「削除する」「削除しない」どちらにも拘っているわけではないということはここに明記しておかねばなるまい。
 ……こんなこと書いてて、アレが私のことを指してるんじゃなかったら、私も相当トンマだな(^_^;)。
 いや、そんなことないよな、アレは私だ。すみませんすみませんすみません(ToT)。

 ついでですから、みなさん、これまでの記事で、「これはダメだよ」ってのがあったら、どうぞ遠慮なくメールででも掲示板ででも、お知らせ下さい。ただの難癖などではなく、明確に根拠があると思われるものについては、誠実に対応させていただきます。


 CSキッズステーション『ナジカ電撃作戦』MISSION 009「勇壮なる砂漠の獅子は女神と共に」。
 またまた新タイプのヒューマリット、エリスが登場。
 ギルダ王国の反政府組織の首謀者アテナに仕えるエリスは、アテナの忠実なるコピーだと言える。
 そのアテナが理想を捨て、政府軍への投降を決めた時、エリスはアテナをアテナとして認めずに殺害する。
 うーん、所詮、ヒューマリットはヒューマリットで作りもの、と言いたいのかな、この話は。でも、実はナマの人間だって、こんなことやっちゃうヤツは多いんだよね。
 「君がそんなやつだとは思わなかった」
 そんなこと言うヤツ多いでしょ? 人間がいつだって一つの色に染まってると思いこんでるやつ、あるいは他人もそうだと決めつけたがるやつ。
 自己同一性がないのが人間の正体なんだけど、そう言いきっちゃうと自分のことも他人のことも見えなくなる。その恐怖から逃れるために、人は「人間とは」「私とは」と自問自答する。でも、そんなことしたって、結局自分自身の曖昧さは事実としてあるわけだから、不安から逃れることなんてできやしないことなのだ。
 意外とハードな終わり方するのかな、『ナジカ』も。
 でもこれで「ナジカも実はヒューマリットでした」って結末になっちゃったら、まんま『ブレードランナー』なんで、それは避けてほしいんだけれども。
 いや、展開が似てきたので気になっちゃったのよ。


 マンガ、安彦良和『韃靼タイフーン』2巻(メディアファクトリー・540円)。
 1、2巻で描かれた「函館事件」の5年後、今度は前巻ではヒロインには違いはないが、ワキの印象があったデコ=近藤日出子を主役に据えて、激化するロシア内戦を描く。
 まあ、あれだけの「クーデター」を「函館“事件”」と表現しちゃうあたり、安彦さんの歴史認識の冷徹さが見て取れる。
 実際、十年前の中国の「天安門“大虐殺”」だって、日本も中国も「事件」ですませちゃったって現実があるもんな。もし、本当に日本国内であんなことが起こったとしても、それを素直に「革命」とか「クーデター」とか、日本の政府及びマスコミは報道しないような気がする。結局はただの小さな「事件」。日中戦争を「日華事変」と言い張ってたのと同じ発想だ。現在だって、何かにつけ、コトナカレなんだよなあ。
 安彦さん、それを念頭に置いて1、2巻を書いたんじゃなかろうか。60年、70年のシッポを引きずってる安彦さん、多分、平和ボケの日本に相当怒っているのだ。政治色が強くなって、エンタテインメント性が薄くなってしまいそうな気配があるのはちょっと気になるのだけれど、あくまで物語を主人公が引っ張って行く展開にしていってくれたら、つまんなくなることはないと思うんである。


 マンガ、佐藤竜雄原作・滝沢ひろゆき漫画『学園戦記ムリョウ』5巻(NHK出版・500円)。
 アニメの方、ずいぶん見逃してるので、ほとんどマンガ版でカバー。刊行ペースが早いので、カットされてるエピソードは意外に少ないんじゃないかな。
 物語はいよいよ佳境と言うことで、反銀河連邦が「宇宙連盟」という、これまたただの反乱軍ではないような設定らしいことが見えてくる。
 敵をただの敵として描かないその姿勢、『ナデシコ』でもそうだったけれど、実はごく初期からの日本のアニメの王道なのだ。『ナデシコ』のあとだとどうしてもコツブに見えちゃうのがネックだけれど、うまくオチをつけられたら、『ムリョウ』もそこそこいい出来になるんじゃないかなあ。
 劇中劇をやたら挿入したがるのも佐藤作品の特徴だけど、モモエ様主演の『こゆるぎ野郎』の全編、見てみたいぞ。『ゲキガンガー』みたいに1話使ってやってくれんかな。NHKじゃムリかもしれんが(^^)。

2000年12月06日(水) 人は年6回風邪を引く/『冒険配達ノート ふまじめな天使』(赤川次郎)


2001年12月05日(水) おばさんのタイホ/『おさんぽ大王』2巻(須藤真澄)ほか

 実は先日から仕事の形態がムチャクチャ変化してしまったのだが、これがもう、実に生活のリズムを崩してくれてるのである。
 職業がバレると困るんで、具体的には書けないのだが、これがもうまんま「朝三暮四」で、全然仕事が楽になってないのだ。
 しかもなあ、なんだかなあ、年末も正月も仕事がありそうな感じなんだよなあ。
 年末のスケジュールを考えただけでちょっと眩暈がしてくるんである。

 数少ない読者のみなさんへご報告ですが、体調も最近よくなったようなまた沈滞気味のような微妙な状態が続いているので、ちょっと日記の方、短めに書いていきます。更新も一週間分遅れてますし(これ書いてるの、もう11日なのよ)。
 短いと面白くないや、と言われるとツライけど、短くなったおかげで読みやすくなったと言われるのもちょっとサビシイかな。
 いや、ゼイタクな悩みで。

 朝方、カラダの自由が利かずに遅刻。
 仕事サボりたいわけじゃないんだが、起きられないときゃ起きられない。
 同僚の顔が笑っていながら引きつってるのを見て恐縮。

 一日ダルくても溜まった仕事は片付けにゃならぬ。
 何の因果か会議の司会なんてものもやらにゃならなくって、最悪の体調で臨む。案の定、長引く長引く。
 結局しげを1時間待たせる。

 しげ、ここしばらく、時間通りに迎えに来てくれなかったのに、今日は鬼の首でも取ったようにヨロコブ。
 「結局、意味ないやん。二人はすれ違い夫婦」
 怒りながら、こっちを責める口実ができたとばかりに笑ってんじゃないよう。(ToT)。

 保険の配当金が○万円出たので(伏字にしたってしげの日記でバレバレなんだが)、それでロドリゲス(何度も言うがしげが買った車)の代金を一括で払っちゃおうと言うのだ。
 基本的に私もしげもローンは嫌いなので、払える時に全部始末をつけておきたいのである。
 あるカネはいつ消えるかわかんないからパッと使っちゃえって人間でもあるのだが。おかげでローンもないが貯金もない(^_^;)。

 車中での夫婦の会話。
 「食事はどうする?」
 「うーん、『ポナペティ』で惣菜買って帰ろうかなあって……」
 「……今、通りすぎたじゃん」
 「悩んでるうちに曲がりそこなうんだよ!」
 「じゃ、どうする? スーパーかコンビニに寄るか?」
 「いいけどぉ」
 「……って、なにまた通りすぎてんだよ!」
 「ここは車通り多いから一度入ったら出られないんだよ!」
 「じゃ、どうすんだよ、メシは!」
 「あんた、帰ったらなんかあるんやろ?」
 「……レトルトカレーが」
 「じゃ、いいじゃん、それで」
 「……お前、生き方自体が間違ってるよ!」

 で、実際その通りの食事(T△T)。
 レトルト暖めてる間、『テニプリ』見損ねる。


 アニメ『ヒカルの碁』第九局「目ざわりな奴!!」。
 伊藤・小島・奥村の三人が塔矢アキラを「目隠し碁」で苦しめるエピソード。
 この「目隠し碁」って言葉、本当にあるのかなあ、と日本国語大辞典を見たけれど載ってない。まあ、専門用語まではカバーしきれないのも仕方ないだろうけど。
 ……いや、もしかしたら昔は「めくら碁」って言ってたんじゃないかと思ってね。どうも最近、この手の言葉の言い替えに敏感になっちゃってるもので。
 アキラの窮地を救う日高先輩、原作では某アニメの綾○レイソックリなんだけれど、微妙に髪が頬にかかりすぎないように気をつけて、印象がダブらないようにしてあるのが芸コマ(^^)。
 このキャラも好きだったんだけどねえ、当たり前の話ながら、海王中編にしか登場しなかった。
 葉瀬中囲碁部を後に背負って立つことになる金子さんも初登場。
 思うに意外と隠れファンが多いんじゃないかな。アニメ版は原作よりもちょっと細めに、かわいらしく描かれてるのであかりがちょっと嫉妬するのも何となく納得。
 声は「ゆきじ」さん? 誰かと思って検索してみたら、『ゲンシくん』の声の人だった。……あのアニメ、何回かしか見てないからあまり印象に残ってないなあ。でもちょっとハスキーで声優向きな声でなかなか好ましい。
 新谷真弓さんもそうだが、私はちょっとダミ声系の女優さんに惹かれるところがあるのだ。今後の演技次第ではゆきじさんもごヒイキになるかもな。


 さて、世間は「サッチー」逮捕で揺れている。
 脱税ったって、そりゃやってるだろう、あの人ならって感じで私にはあまりにも当たり前過ぎてインパクトがない。
 でもマスコミはホントに喜んでるよなあ。
 いかにも悪役然としたキャラクターが、いかにもな犯罪を、世界情勢が混沌としているさなかに、実に卑近な例としていかにもなタイミングで起こしてくれたのだ。
 これを喜ばない手はないよねえ。
 国税局もとうの昔に脱税に気付いてたのを、金額がデカくなるまで取っといたんじゃないか。経歴詐称だの、契約不履行だの、その程度のコツブな犯罪でこれだけのキャラクターを逮捕しちゃ申し訳ないって理由でさ。

 でも、ホントにそんなに大層な人か? 「サッチー」って。
 もともとスキャンダラスな人だったのかもしれないけれど、所詮は市井のオバチャンでしょ? あのヒト。
 「有名人」ってことにいつの間にかなっちゃったけど、あの人、実はタレントでもなんでもない、ただの「野村克也夫人」じゃないの?

 確かに本人が「有名人っぽく」、ノって振る舞ってたってこともあるんだろう。でも、どうしても驚嘆しちゃうのは、よくもまあ、これだけ「悪役」然としたキャラクターを作り上げることができたよなあ、ということだ。
 ある意味スゴイか? マスコミも。
 まさに筒井康隆の『俺に関する噂』。
 三浦和義事件以来、現実に「ただのヒト」にニュースバリューを付与して「事件」をデッチ上げる手段をメディアは学んでしまったのだ。「でもあの事件は本当にやってんじゃないの?」と思われてる方、私が言いたいのは事件そのものじゃないのよ、事件の周辺まで「事件に仕立て上げられていく」ことを言いたいわけ。……だって、あの時は三浦和義を悪役にし立てるために「過去のスワッピング」の事実まで報道してたぞ。そんなん事件に関係ないやん。
 でも、これならいくらでも「ニュース」が作れる。実に効率的な方法なのだ。そして、「なんの関係もない周辺の事実」が、じわりじわりと三浦和義の「悪役」像を作り上げていった。今度の「サッチー」騒動と似てないかな?

 果たして、我々一般人がマスコミの「洗脳」にうかうかと乗っちゃっててもいいものなのか。
 既に彼女を「サッチー」なんて呼んでること自体、マスコミに心理的に誘導されてしまってる証拠だ。これ、池田小学校乱入事件の宅間守を「タクマ君」と呼ぶ心理と共通してないか。
 だからあの人、ただの「野村佐知代」って普通の人なんだってば。
 普通の人だから、普通の人の感覚で脱税をし、当たり前の結果として逮捕されちゃったのだ。
 新聞にまでデカデカと載っけなきゃならんようなニュースじゃないよ。
 でも、どうせまた「ミッチー」も出てくるんだろうね。
 マスコミに躍らされて。

 ……ま、みんな踊りたいなら踊れば?


 マンガ、須藤真澄『おさんぽ大王』2巻(アスペクト・893円)。
 しげがいきなり、「ねえ、こうたろうさんの家って、『千社札博物館』?」と聞いてくる。
 まだ『おさんぽ大王』の2巻を読んでなかった私は思わず「なんやそれ」と言ってしまったが、目にしてみて、なるほどそうか、と納得。以前、こうたろうくんが「『おさんぽ大王』にうちのことが載ってる」、と言ってたが、確かに絵で見るかぎり、家の間取り、中の様子がそっくりだ。
 須藤さんが地元墨田区の「小さな博物館運動」を探訪するってものだが、このマンガ、基本的に「旅にロマンはない」というつげ義春の『リアリズムの宿』路線で書かれてるものだから、常に須藤さんの「来て見てみりゃあ、こんなもんかい」という、「挫折」が描かれている。
 でも、せっかく取材してもらっても、描かれる内容が「挫折」じゃあ、取材されるほうにしてみれば多少イヤーンな感じになっちゃうところがあるのだ。
 けど、読むほうにしてみれば、だからこそ「そういうところに行ってみたい」と思うものであって、どんなに「コペンハーゲンの人魚姫像ってつまんないよ」と言われてもやっぱり実物を見てみたくなる。
 なんか私もこうたろうくんちを隅々まで見たくなっちゃったぞ。悪趣味なのは承知してるが(^_^;)。

2000年12月05日(火) NOT THAT IT MATTERS/アニメ『鉄腕アトム・ミドロが沼の巻』


2001年12月04日(火) 「ピー」って口で言わんでも/『ワンピース』21巻(尾田栄一郎)/『うまんが』1巻(新井理恵)ほか

 映画『ハリー・ポッターと賢者の石』が、公開二日間で興行収入の16億円を抜く新記録を達成したとか。これまでの1位が『スターウォーズ エピソード1 ファントム・メナス』の15億円、というから、抜いたと言っても大した差はないが。
 「あれ? 『千と千尋の神隠し』は?」という疑問が出そうだが、子連れが多い『千と千尋』は入場者数で勝っても興行収入はおっつかないのである。……だって、子供二人分でもオトナ料金に届かないんだぜ。
 となると、『ハリー・ポッター』、どの程度『千と千尋』に迫れるか、ということだけれど、結構、抜いちゃう可能性はあるんじゃないか。今んとこ、口コミで入ってくる情報は「まあまあ」。試写会時の提灯記事よりこの「口コミ」ってのの方がよっぽどアテになる。少なくとも退屈するってことはなさそうだな。
 原作を買ってるけど、「映画見るまでは」と未だに読んでないんで、どの程度原作と違うかも分らないし、本当に「画期的なファンタジー」なのかどうかも見ないことにはなんとも言えない。


 今日は定刻に仕事が終わる。
 なのに、しげの携帯や自宅に何度コールを入れても、呼び出し音がなるばかり、ウンともスンとも返事が帰って来ない。
 「ただいま、電話に出ることができません。“ピー”という発信音の後に、メッセージをどうぞ」
 留守電なのは仕方がないとしても、なんかこの「ピー」というコトバを聞くと、ただそれだけで、なんだかむかっ腹が立っちゃうのは私だけかな。
 あんちくしょう、朝、送ってきた時に、「帰るときは連絡入れてね、きっとだよ」とか言っときながら、しっかり寝入ってやがるな(-_-メ)。
 「……迎えに来れないみたいだけど、今から帰るよ」
 どうせメッセージ入れたって、聞いてやしないんだろうなあ、と思いながら、それでもピー音の後にヒトコト入れないといけない気がするのは、留守電のマナーを守れる人間が世の中にムチャクチャ少ないことがわかったからだ。
 以前はウチの電話も外出する時は必ず留守電を仕掛けていたのだが、最近は全く仕掛けなくなった。ともかく、メッセージ入れずにそのまま切っちゃうやつが多いんだね。どうせセールスの類だからだろうな、と思ってたんだけど、ある時父親もなにも言わずに切ってることがわかって、留守電仕掛けるのをやめた。
 なんで肉親から無言電話かけられなきゃならんのか(`m´#)。

 しかたなくタクシーで帰ると、やっぱりしげは巨大な大根足をほっくりだして寝汚なく寝ている。声をかけても「んがっ」とイビキを返すばかり。
 腹立つな−(`m´#)。せっかくコンビニでハンバーグを買ってきてやったというのに。しげを気遣う自分のほうがバカバカしくなって、レトルトカレーを温めて、買ってきたハンバーグを乗せて食う。
 ストレス&暴食って、糖尿に一番悪いんだよなあ(ーー;)。


 ようやく、アニメ『しあわせソウのオコジョさん』をマトモに見られる。
 今日は、第10話「雪とゆうたとカラアゲと」「オコジョ番長!登場編」の2本。
 なんだなんだ、この「オコジョ番長」ってのは、と思ったら、この原作、完全な続きものじゃなくて、オコジョさんがいろんなキャラクターに扮して、たくさんの別々なアナザーストーリーを作ってるわけなんだね。
 『パタリロ』と『猫間天狗』と『パタリロ西遊記』の関係みたいなもんか。ってタトエが古いな(^_^;)。
 スゴイ番長が来ると思ったら、ちびっこいオコジョだったってのはギャグとしてはあまりにミエミエで笑えない。教師がやたらと生徒を見捨てて逃げたがるのも、よくあるパターンだから、もう少しキョーレツな演出を考えないとねえ。
 まあ、無理して早く帰って見なけりゃならんほどのものでもなかったなあ。


 『FF:U ファイナルファンタジー・アンリミテッド』第10話「屋敷〜サギソウのおもいで」。
 「サギ」のキャラクターデザインがなかなか面白い。FFもずいぶんたくさんのシリーズがあるようだから、毎回こういう形でゲストキャラが出てくるんだろうなあ。
 しげに言わせると、世界観がデタラメ、ということだけれど、つまりだからこそタイトルが「アンリミテッド」っていうことなんだろう。もとのFFがどんなものか知らないから、かえってこのシリーズ、CGの使い方の下手さ加減を除けば、結構楽しめてるのである。


 マンガ、尾田栄一郎『ONE PIECE ワンピース』巻二十一「理想郷」(集英社・410円)。
 カバーを外すと、クロコダイルがパンダマン(^o^)。ジャンプコミックス系でこの手の遊びは昔はさせてもらえなかったのに、太っ腹になったなあ。とゆーことは、古本屋にカバーが外れた状態で並ぶ時はパンダマンが背表紙(^u^)。
 初めて読むやつが、「このキャラはどこに出てくるんだ〜!」とか騒いだりしてな。こういうお遊びはメチャクチャ大好きだ♪
 ジャンプ本誌の方は、どうやらやっとこすっとこアラバスタ編が終わってるみたい。
 どうせなら、ビビとここまで旅してきてるんだから、彼女を音楽家ってことにして、フネに乗せてもよさそうだけれど、なにしろ相手は王女だしなあ……。
 パターンとしては、次代の国を支えるために、ってことでルフィたちとはお別れってことにしちゃうんだろうけれど、そうなるってーと、確実に話がつまんなくなるのな。キャラクターがパターンに殺されちゃうってことなんだよね。
 本気で面白いマンガは、キャラクターが作者も予想外の行動を取って、パターンをぶちやぶるくらいのパワーを見せるもんなんだよね。

 まあ、それはそれとして、21巻の内容。
 バロックワークスなんてものを出しちゃったおかげで、今まで積極的には戦闘に参加してなかったナミまで「対決モノ」のパターンにハマっちゃったんだけど、面白いことは面白いのな。
 果たして作者がそういう方向の作品を書きたかったのかどうかは別として、『リングにかけろ!』あたりから始まったジャンプお得意のグループ対決形式、これは誰が書いても確実にウケる。『幽遊白書』なんて、作者が手を抜いててもウケてたんだから悲惨なものだ。
 ビビとミス・ダブルフィンガーの戦い、話としてはよく工夫されている。ウソップからもらった「天候棒」が最初は役立たずか、と思わせる展開も楽しい。「まあっきれいなお花(はあと)」には笑ったし。
 でも、「せめてみんなに迷惑かけないくらいの強さは欲しいし……」とかいうキャラだったか? ナミは。いや、ナミも成長してるんだって言い訳はできるだろうけれど、結局、ナミを対決ものに巻き込むための後付けのリクツなんだよね。
 ナミだけじゃない、主要キャラクターの性格がここんとこパターンの中に取りこまれて、どんどん「薄く」なってることに気付いてる読者がどれだけいるのだろう?
 このパターン、一回やると後の話も全部それでいかなきゃならなくなるって大きなリスクがあるのよ。下手をしたら次の連載まで……。
 つい最近も、『るろうに剣心』の和月伸宏が、『ガンブレイズウェスト』でツブれてるだろ? このままいけば尾田さんも確実にツブれるぞ。どんなに面白くっても、編集部に強要されようが、「グループ対決パターン」は絶対やっちゃいかんのだ。
 ……ホントに尾田さんのファンなら、これから先、似たような話の拡大再生産が続いて、どんなにツマラナクなっても、決してファンをやめないくらいの気概が欲しいんだけど。それが「作家を育てる」ってことでもあるんよ。


 マンガ、新井理恵『うまんが』1巻(小学館・590円)。
 カバーを外すと続きマンガ……って、『× −ペケ−』でもやってたな、この人。きょうは「表紙めくりマンガ」ばかりだ(笑)。
 まあ、私も唐沢なをきと椎名高志のマンガを買う時には必ずカバーを外すようにしているのだけれど、買った全てのマンガ、いちいちそんなことしないものな。これもふと思いついてめくったらあったし。
 気がつかずに見逃してる表紙ウラ漫画、まだまだあるかもしれない。

 それはそれとして、相変わらず性格の悪いキャラばかり出すマンガを描き続けている新井さんだけれど、4コマよりこっちの続きものマンガのほうが合ってるとは思う。
 しかし一歩間違えればエロになりそうなギリギリの線で成り立ってるよなこのマンガ。まあ、謎の幻獣(って馬のぬいぐるみじゃん)「まくまく」がどこから来たかなんてのは実はギャグマンガなんだからど−でもよかったりする。ともかく主役の皐月がどれくらいまくまくに振り回されるかを見るのが眼目なんだから、もっと舞台を町内だけに留めずに広げていったら面白くなるんじゃないかな。
 

 CSファミリー劇場『火曜日の女・ある恋人たち』第1回。
 なんつ−か、こーゆー昼メロっぽいの、そうそう見ないんだけどね。
 ふとタイトル字幕見たら、原作がノエル・カレフじゃないの。『名も知れぬ牛の血』なんて、読んだこともない。
 どうやらこの『火曜日の女』シリーズ、知る人ぞ知るミステリーシリーズだったらしい。アンドリュー・ガーブ、ウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)、ビル・S・バリンジャー、シャーロット・アームストロングという海外作家(しかしアイリッシュを除けばマイナーどころばかりだ。原作権料が安いからかな)、松本清張、夏樹静子、笹沢左保、小峰元、横溝正史などの日本作家の原作を脚色したものと、オリジナル作品とで構成、ほぼ5年に渡って、今で言う「ミニシリーズ」を製作している。
 しかも、オリジナルの脚本家たちも、現在の目で見ると驚くようなラインナップである。
 生田直親、松木ひろし、石松愛弘、佐藤純弥、松田寛夫、小山内美江子、菊島隆三、池田一朗(隆慶一郎)、鎌田敏夫、市川森一、山田正弘、佐々木守、津田幸夫、降旗康男、澤井信一郎、倉本 聰、中島丈博、松田寛夫、池田一朗、桂 千穂。
 なんちゅーゼイタクなシリーズ。当時もう少しトシ行ってたら絶対ハマってたよなあ。

 しかし放映されてたのが昭和46年じゃ、さすがに私もまだ子供で、大人向けのミステリー番組を見るにはムリがある。このころはせいぜい乱歩の少年探偵団シリーズくらいしか知らなかったし、横溝正史に出会うのは翌年だ。多分、クリスティーだって読んじゃいない。NHKの『明智小五郎事務所』も、何回かは見ていたが、ちょっとオトナのムードについていけなかった。
 それがいきなリノエル・カレフに惹かれるわきゃない。
 主演の大空真弓の息子役が竹尾智晴なんだが、これってバイキンマンの中尾隆聖だよな。この手の番組って、結構、昔の声優出演度が高いんで、なんかそっち方面で見てしまう自分がちと情けない。
 なんか大空真弓の息子が事故にあって、それから家庭に不協和音が……って感じの出だしだけど、第1回だけじゃまだ先が見えないので、筋の感想は全話見てから書こう。


 『ファミリー探検隊』 金子修介。
 ああ、しまった、もうパート3だ。前2回、金子さんが何を話してたか、聞き損なっちゃったなあ。
 もうあちこちのメディアで語ってるとおり、「今回は悪役としてのゴジラをキチッと書こうと」とか「前々から新山千春を狙っていた(主演女優としてね)」とか、なかなか挑戦的な喋りを披露してくれてるが、肝心の特撮映像の紹介が少ない。
 特に今回、「あまり見どころを見せすぎても」って判断なのか、それとももう「ゴジラの取材なんて」という反応なのか、メディアへの露出が少ない気がするんだがどうだろうか。イメージが固定化してる作品をヒットさせるには、「以前とどれだけ違うか」ってことをガンガン宣伝していかないといけないと思うんだけど、その辺、東宝はよくわかってないんじゃないか。


 『劇画ゴルゴ13』第7話「キャサワリー」。
 これは、実写の高倉健版でも千葉真一版でもなく、ましてやただ角ばっただけのヘリコプターが飛んでた自称CGアニメとやらのヘタレ作品でもない。
 劇画の原画にコンピューター処理を施して、セリフや効果音などの文字部分を消して背景を書き足し、さらにコマを彩色した上で、テレビ用に撮影したっていう珍品なのだ。
 まあ、大島渚の『忍者武芸帳』に近い作りだね。アニメにするより安上がりって発想で作ったのがミエミエだ。
 でもゴルゴの声が小川真司ってのは外れすぎてないか。
 平田博士だぞ幻夜だぞプロフェッサーギルだぞ(実写のチョイ役、数知れず)。あまり骨太な役は似合わないよ。
 「キャサワリー」とは、ヒクイドリのことで、ゴルゴの命を狙う女殺し屋の仇名。ああ、そう言えばこんな話も原作にあったなあ、と思い出す。死んだお袋が『ゴルゴ』好きだったんで、多分百巻くらいまでは原作読んでたのよ。
 原作でも比較的、早い時期の作品なんで、もう絵が荒い荒い。脚本も今見るとチャチで「ゴルゴでなくてもキャサワリーがレズだってこと、誰でも見ぬけるぞ」って気になってしまう。
 どうせこういう形で映像化するなら、もっと絵が安定したころの作品を選んだほうがよくはなかったかなあ。


 CS見続けるうちに気がついたら深夜。『秘密戦隊ゴレンジャー』で、一つ目仮面が「交通ルールを守らない虫は?」とか「目で見ないで舌で見るものは?」とかしょーもないクイズばかり出してるのを見ながら寝る。
 ギャグがつまらないほど、脱力感がドッと得られて睡眠には役立つのだな(^o^)。

2000年12月04日(月) 仕事休んでマンガ三昧(^_^;)/映画『戦場のメリークリスマス』ほか


2001年12月03日(月) 平和だねえ。/『蒼い時』『華々しき鼻血』(エドワード・ゴーリー)ほか

 昔、立川談志が高座でマクラに振ってた話。
 暗い事件が多いって言ってるけどよ、世の中明るいから暗い事件がニュースになるんで、明るい出来事がニュースになってたら世の中暗いってことなんだよ」
 ……ここ数日、明るいニュースばかり報道してますねえ。

 小泉純一郎首相まで、「女性天皇を否定する人は少ないと思う」と発言するに至ったが、だから「少ない」のに、これまで皇室典範が全く改訂されなかったのはなぜなのか、みんな触れようとしないのはどうしてなのかねえ。
 だからいるわけでしょ、例え少なくっても強硬に「男性天皇」に拘る人たちがさ。しかもそいつらは一切、メディアに姿を現そうとしてないんだぜ。
 報道がそこを突っ込もうとしないのはどうしてなんだよ、靖国の時にはああまで騒いだのに。

 その小泉内閣の支持が、一時期70%台まで落ちていたのが、再び80%まで回復したそうな。
 理由は「道路交通公団や特殊法人改革が進んでいるから」ということだそうだけれど、進んでるかあ? これもメディアで散々「イメージ先行」と批判されてるのに、支持率はなんだかんだ言って安定している。ネットなんか見てても、「小泉首相を支持しない」という意見、結構多いのに(っつーか、批判意見しか見ないぞ)、どうして支持率が下がらないか。
 結局さあ、「小泉さんもアテにならねえよな」とか日ごろ言ってるやつだって、「支持しますかしませんか?」と聞かれたら、「いや、しないってわけじゃないよ」と腰が引けて、イエスの側に回ってんだろう。私も「支持するか?」と言う聞き方だされたら、「どっちでもない」とは答えにくいし。「実績」はなくても、「期待」を込めて「支持する」と言っちゃいそうなんだよねえ。
 結果として、「支持する」人が圧倒的に多い、という実態のない数字だけが先走ることになる。なってんじゃないかな。
 アンケートとか出口調査とか、こういうのが基本的に「情報操作」の手段なんだってことはニュースを見る時の常識として知ってなきゃいけないのだ。ホントはね。

 実際、マスコミはどこの国でも情報操作をするものなんだが、ちょっと疑問なのは日本の場合この「常識」が当てはまるのかどうかってことだ。
 つまりね、この質問のし方、あえて小泉支持の高さを数値化してみせて、国民の政治意識の低さを反作用的に批判する手段かなあなんて考えることもできるんだけどね、さて、どうでしょう、そこまでのアタマが今の日本のマスコミにあると思いますか(^^)。
 つまり、「情報操作の手段」だけが横行しているけれど、その「目的」が全く意識されてないんじゃないか、その「手段」にマスコミ自体が振りまわされてないかって言いたいわけ。小泉支持はどこまでホンモノか、それを突っ込んで取材したニュースを私はほとんど知らない。

 イメージ先行というもの、バカにしていいものではない。
 小泉さんを一所懸命ヒトラーになぞらえようとした党があったが、「悪」であれなんであれ、印象付けることが出来れば、それを「善」のイメージに転換することだって可能なのである。
 もちろんそのためには情報捜査のエキスパートが背後にいることが必要なのだが、小泉首相の離婚歴もまるでマイナスに響いていないことを考えると、なかなかのヤリ手が首相の後ろにいるんじゃないかな。
 今年の「流行語大賞」の授賞式に小泉さん、わざわざ出席したが、これなんか綱渡りのパフォーマンスである。
 「この問題が山積の時期に何やってんだ」という批判だって受けかねないのだが、見事に「決意表明の場」にしちゃうんだもんなあ。「聖域なき改革」って、実際上、日本が「聖域だらけ」だってことを証明して見せただけなんだがね、今のところは。

 その流行語大賞、「生物兵器」なんて私にとっては別に流行語でもなんでもない耳慣れた言葉まで受賞している。もっとも、そう感じるのはアニメファン、特撮ファン、軍事オタク、そういう連中かな(^_^;)。
 つまり一般的には全然知らない言葉だったってことなのか。
 ……世間って、そんなに無知? 
 「同時多発テロ」というコトバ自体がノミネートされなかったのも理解に苦しむなあ。こっちのほうがよっぽど人口に膾炙したんじゃないかと思うんだけど、流行語大賞には、やっぱり希望あふるるものを選ばなきゃってことなのかねえ。……だから、暗いニュースが流行ってるほうが世間は平和だってことで(冒頭に続く)。


 夜、友人のこうたろうくんから電話。
 しばらく日記の更新も遅れてるし、たまに書きこんだ内容が「病気だ発作だ」と縁起でもないことなんで、心配してくれたものらしい。
 のわりに「イヤ、たまには声聞きたくてさ」とかこちらに気遣わせまいとするココロ遣いをしてくれるのがなんとも嬉しい。
 しばらくメールも送ってなかったので、近況や、劇団のことなんかを延々と喋る。
 「やっぱりパソコン者の仲間を増やしたいよなあ」とか話すんだけど、劇団の連中、ほんとにビンボー人ばかりなのだ。
 もっと働けよ……(+_+)。
 気がついたら結構な時間を話していた。遠方からなのに、相当電話代使わしちゃったようだ。オタクは話し出すとトマラネエからなあ(^_^;)。いや、申し訳ない。


 マンガ、和田慎二『ピグマリオ』6巻(メディアファクトリー・819円)。
 いいなあ、天才彫刻師バッコス。
 「精霊の像を彫るなら精霊を見に行かなくちゃ」と、人間の身でありながら天界に行こうと考える。
 虹の端っこをつくり雲を積み上げて天界に登る。
 オリエの姿を見て、ガラティアの像を彫り上げる。
 「天才バッコスに不可能はなーい!」
 実は『ピグマリオ』の世界観から行くと、ただの人間にこういう能力があるのは設定的に矛盾なんだけど、なんかこういう飄々とした浮世離れしたキャラ、好きなんだよね。
 オリエもクルトと一緒に旅するようになって、これでようやく折り返しの6巻、けれど和田さんの構想は現行の十倍はあったそうなのである。するってえと、メディアファクトリー版でも120巻、元の白泉社版27巻は構想通りなら270巻。……マジでライフワークになるじゃん(^_^;)。
 ファンタジー系の作品書こうとするとどうしてみんなそんな大言壮語吐くようになるかね、栗○薫みたいに。


 エドワード・ゴーリー/柴田元幸訳『蒼い時/L'Heure bleue』(河出書房新社・1050円)。
 山口百惠引退作……ってこのネタも若い人にはもう分らん(^_^;)。
 ああ、でも毎回、巻末の柴田元幸さんの詳細な解説は非常にありがたい。
 アメリカ人であるゴーリーの絵本のタイトルがどうしてフランス語なのかっていうのは、英語圏の慣用句で、「黄昏どき」を表すそうである。
 日本人だって、カッコつけてトワイライトなんて言ったりするから、そんな感じなんだろうな。して見ると山口百恵、結婚前に既に人生の黄昏を感じていたか?(いや、アレはまだ若い時って意味だろうけど)
 確かにこの絵本、全編“青”で統一されている。
 カバーを取ると、装丁も真っ青だ。
 “T”というセーターを着た2匹の犬(獏?)の黄昏どきの会話をただただ綴ったもの。解説によれば旅嫌いのゴーリーが唯一遠出したというスコットランド旅行での思い出を綴ったもの、ということだが、ゴーリー氏、黄昏どき以外はずっと寝てたんだろうか。
 ゴーリーの絵本は本文を全編紹介することにしてるので(そうしても実物の絵を見ないとその魅力は解らない)、ちょっとお付き合い願いたい。番号を付したのは私だが、それは本作がストーリーに連続性のない惹句集形式だからである。

 1、あいしあお 。(←「あ」の字は半分欠けています。「お」の後には多分「う」が入るるはずなのでしょう)
 2、生きることじゃなくて、生きてもらうことが大事なんだ。
   そのひとこと、ほかのいくつかと一緒に 書き留めておかなくちゃ。
 3、週に一日僕は___しない。でもそれが何曜かは誰にも言わない。
   先週は木曜だったろ?
 4、ワインはすごく早くあったまる気がするね。
   君の考えてることが重要なのか 僕にはわかったためしがない。
 5、___たちにはかなわないねえ。
   こっちがあそこに住めばの話さ。
 6、僕は絶対 他人の前で君を侮辱しない。
   君の言うことはすべてつながってるってこと 僕はつい忘れてしまう。
 7、パセリのサンドイッチが食べたいな。
   僕の知るかぎり 今はその季節じゃないね。
 8、人生のすべてが メタファーとして解釈できるわけじゃないぜ。
   それはいろんな物が 途中で脱落するからさ。
 9、僕がいつも言っているとおりね。
   わかってるさ、ただ君がそう言うのを本当に聞いたことは一度もないと思うけど。
 10、カンパンヨー−イス ノ リョーキン ワ トクベツ ニ イクラ デス カ?
   キブン ガ ワルイ。(←これ、原文も日本語です。でもこれが一番意味不明。どうやら「船酔いしたので甲板で一休みしたい」ってことらしいけど、ニューハンプシャーで船に乗ることあるのかいな)
 11、それって沈没よりひどい運命じゃないかな。
   でもこれ以外のなんてないぜ。
 12、______って作家なんだね。
   紹介してあげられるかどうか ちょっとわからないなあ。
 13、あっちの方で 僕らには思いもよらないことが起きている。
   ひょっとして 何か未知の 恐ろしい状況のせいかも
 14、違うふうになると思ってたのに。
   <まったく同じに/とにかく違うふうに>なったじゃないか。
 15、Foodとは?
   ニューハンプシャーにある小さな町。

 ううん、正直な話、柴田さんの解説は面白いんだけど、肝心の訳が原文のニュアンスを伝えきれてないな。
 2なんか、「生きてることより、生きてくことのほうが大切さ」とした方がずっといいし、そのことへの返事も「覚えとくよ。もっとも覚えとかなきゃならないことはほかにもゴマンとあるけどな」としないと、マジメ腐った意見をからかって揶揄してる様子が伝わらない。
 4も、ごく普通の感覚の持ち主なら、「ワインって、すぐぬるくなるよな」「何をどーでもいーこと考えてんだよ」って訳すぞ。冷えたワインの温度が、常温中に放置しといたら高くなることを「あったまる」とは言わん。
 最悪なのは6。これは「僕は絶対、君を人前でバカにしたりなんかしないさ」「君が何を言おうがいちいち覚えちゃいないよ」としないと、ホントにワケ判らんじゃないか。原文は“I keep forgetting that everything you say is connected”。直訳すれば、「君の言うことの一つ一つがどうつながっているのか、僕には記憶しきれない」ってとこか。実際、哲学っぽいこと言ってる人って、やたら喋くりまくるけれど、頭が混乱してるだけってことも多いしねえ。
 訳者の柴田さん、米文学者の研究者ということだけれど、研究しすぎて肝心の言語感覚がなくなってきてないか。訳を読んでみて意味不明に見えるのは、原文のせいじゃなくて訳の下手さのせいじゃないのかな。

 もちろん、原文そのものにしかけられてる韜晦もある。
 15では「Food」ってのはニューハンプシャーにある町のことだと言ってるけれど、そんな名前の町はないそうだ。けれどこれも、やたらコムズカシイことを言いたがる相棒に対する「もうあんたには付いてけまへんわ」っていうナゲヤリ発言だと思えば、全然難しくない。
 文学者とかいうアカデミズムに毒された人たちが勘違いしてることは、「哲学」ってのがやたら御大層なもんだと思いこんでる点にある。西欧じゃよう、「テツガク」なんてよう、別にお偉いさんの机上の空論じゃなくて、そのへんのオッチャンオバチャンだって日常フツーに感じたり考えたりしてることなんだよ。
 フォレスト・ガンプ曰く、「人生はチョコレートの箱みたいなもんだ。何が出て来るか分らない」。誰もが思いつく比喩こそが普遍的なんだよ。
 と言うわけで、訳者が一番「むずかしい」という8の訳の「正解」をご紹介。
 「人生を何かに例えるのってムズカシイね」
 「考えてるうちにワケわかんなくなるからだろ」
 だからこの本、「ものごとを難しく考えるなよ」って本なんだよ。訳者にこそ、このコトバの意味をちゃんと考えてほしいもんだね。

 今度からゴーリーの本紹介する時には、自分で訳した分を紹介した方がいいかなあ。でもそうすると今度は誤訳がボロボロ出るに決まってるのだ(^_^;)。
 

 もう一冊、ゴーリー本。
 同時発売の『華々しき鼻血/The glorious Nosebleed』(河出書房新社・1050円)。
 「鼻血」本だけに、今度は装丁も全部赤。青本と赤本の同時発売なんて、凝ってるなあ(^。^)。
 表紙に、岩場で鼻血出して卒倒してる男と、そいつを無視して彼方を見つめる二人の男の絵が描かれている。
 で、裏表紙には、その鼻血の跡を匂う犬の絵。
 実は表題の「鼻血」、この二ページにしか出て来ない。どんなに個人的に大層なデキゴトでも、所詮は犬が舐める程度のことでしかないってことを言いたいのかな(^^)。
 本文はゴーリーお得意のアルファベットもの。残念ながらこればっかりは日本語で「あいうえお」に置きかえることは不可能。というわけで、本文紹介はもとのABCの単語も併記します。

 A Aimlessly    あてどなく こだちを さまよう。
B Balefully    まがまがしく こ(子)らにらむ いきもの。
C Clumsily    ぞんざいに きょう(供)された プディング。
D Distractedly  きもそぞろに ホイスト。
E Endlessly    とめどなく あみたる マフラー。
F Fruitlessly   いたずらに ちかしつ さがす。
G Giddily     くらくらと すなちで おどる。
H Hopelessly   やるせなく みつめる まどのそと。
I Inadvertently  うかつにも さんばしから おちる。 
J Jadedly     ものうげに もてあそぶ ビーズ。
K Killingly    ばっちりと きめた さんにんむすめ。
L Lewdly     わいせつに わがみ をさらす。
M Maniacally   らんしん ひろまを かけぬける。
N Numbly     ぼうぜんじしつ きしゃのなか。
O Ominously    ふきつに よびりん なりひびく。
P Presumably   さっするに トランクの なか。
Q Quickly     てばやく てばなす。
R Repressively  ねちねちと よくあつてきに こごと。
S Slyly      ひみつり(秘密裏)に かけら ほうむる。
T Tearfully なきぬれて へやを とびだす。
U Unconvincingly しらじらしく しゃくめい こころみる。
V Vapourously   おぼろげに おくじょうに うかぶ。
W Wilfully    こい(故意)に くるま ぶつける。
X eXcruciatingly たえがたく うたわれた うた。
Y Yearningly   せつなげに みおくる さりゆくひとを。
Z Zealously    むがむちゅう なにもかも かきとめる。

 わはは。知らない副詞がいっぱいだ。
 多分、英語圏でもそうそう使わないような副詞も集めてるんだろうな。
 絵がないとなんのことを説明してるのかわからんと言われる方もあろうが、一つ一つの短文自体、相互にまったく脈絡がないので、例えばAさんがどうして木立ちをさ迷ってるのかは全然分らないのである。
 町中で、道端で、私たちは誰かとすれ違い、ほんの一瞬だけ見知らぬ人と時間と空間を共有することがある。
 それは例えばほんの断片的な会話を聞いたりすることであったり、ちょっとした喜劇的、あるいは悲劇的情景に出くわしたりすることでもある。
 喫茶店で、恋人同士の別れ話の現場に、偶然、立ち会った時の至福感を味わった方はおられようか。ここに紹介されている情景は、ちょっと普段出会うことのない、そういう人生の断片集なのだ。
 そしてそれを描きとめているのが、“Z”のエドワード・ゴーリー自身というわけ。

 訳文については『蒼い時』同様、「もちっとこなれた訳はできんのか」と言いたくなるが、全部はとても触れきれない。
 「ぞんざいにきょうされたプディング」なんて日本語じゃねーって(^_^;)。プリンをプディングって発音するやつも私は嫌いだが(^^)、絵はウェイトレスが客に出したプリンがひっくり返ってるところなんだから、「乱暴に出されたプリン」とかでいいんじゃないか。何を気取って「供された」なんてコトバ使わなきゃならんのか(原語は“served”だから間違いじゃないが、こういうところにこそ訳者のセンスが表れるのだ)。

 でも、本作がゴーリーの代表作の一つだってことは間違いないところだろう。
 ゴーリーの絵本は決して子供向けのものではない。
 子供に自らの陰部を晒して見せるヘンタイ男を描いた“L”など、うっかり子供に見せてしまって、「ねえ、このおじちゃん何してるの?」なんて聞かれちゃったら、親は返答に窮してしまうだろう。
 ……それを狙ってたりしてな、エドワード・ゴーリー(^o^)。
 ABCの名前を持つ子供たちが次々に死んでいく『ギャシュリークラムのちびっ子たち』同様、ABC物にはゴーリー氏、思いっきり乗っちゃうようである。

2000年12月03日(日) この日記も歴史の証言/映画『エクソシスト2』ほか


2001年12月02日(日) ナンビョーY子さんのHP/『新世紀エヴァンゲリオン』7巻(貞本義行)ほか

 ナンビョーY子のリカバリ室
 http://homepage2.nifty.com/nambyo-yko/

 なんだかいきなりのURLで驚かれたでしょうが、これは本日付けでめでたく開設いたしました、ナンビョーY子さんのHPであります。

 え? ナンビョーさんを知らない? 嗚呼。それは大変残念。
 では、ソルボンヌK子さんの『男前。』はご存知でしょう。
 なに? それも知らない? 嗟乎。それは大変無念。
 ならば、唐沢俊一氏の一行知識ホームページもご存知ないか。
 ご存知ない。噫呼。それはもう、なんというかとてつもなく怒り心頭というか怒髪天を突くというか、おいコラその素っ首前に出しやがれこのダンビラでぶった切って犬の首とすげ替えてやらあと言うか。

 まあなんだか坂口安吾と筒井康隆を混ぜたような下手な趣向でご挨拶いたしましたが、掲示板でも紹介ずみですが、先日から私が懇意にさせていただいているナンビョーY子さんのHPが立ち上がりました。

 ナンビョーY子さんは、「悪性褐色細胞腫」という悪性疾患と闘病中です。全国でも数例しかないという珍しい病気ですが、5年以内の生存率が0%といわれるほどの難病なのですが、持ち前の元気で、発症してからも5年以上、頑張っていらっしゃいます。
 ふとしたことがきっかけで、Y子さんからメールを頂き、お話をうかがう機会に巡りあいました。唐沢俊一さんの一行知識ホームページ内にある、ソルボンヌK子さんの日記、『男前。』で楽しいメールのやりとりをされていたのがY子さんです。
 私はシメっぽい話が好きではありません。
 病気やケガを自慢すると、「不謹慎だ」とか、「同情を買おうと思ってるんじゃ内か」とか言われることもありますが、そうではありません。
 「病気」はその人のアイデンティティなのです。
 なにをムチャ言いよるんや、とお怒りの方もいらっしゃるかもしれませんが、例えばこう考えてみてください。
 先天的にある種の病気を抱えて生まれて来た人がいたとします。ならばその人は、そういうカラダに生んだ両親を恨みながら育つものでしょうか。必ずしもそんな人ばかりではないと思います。他人を「健常者」と呼び、自らを「障害者」と認識する。予めオノレとタニンとを差別化してみるから、ウラミや憎しみ、嫉妬の心が起きる。
 そんなふうに考えなくても、人は自らの病気を友としてつきあっていくことが出来ます。横溝正史などは、70を過ぎて持病の結核が治ってしまった時、親友と別れるほどの寂しさを味わったと言います。
 私たち病人がなにかをしようとして突然襲ってくる発作、怪我や病気の苦しみ、痛み、それはまるで病気を見捨てて行こうとするのを引きとめるビョーキちゃんのジェラシーのようです。
 だから私たちは病気自慢をするのです。

 私の妻のしげは、私が抱えている病気や、過去にあったケガの話をすると、「いいなあ」と言います。「カッコイイ」とも言います。「そんな経験、したことないもの」と。
 実際、その病気と戦ってきた、乗り越えようとしてきた、それが私たちの心を形成し、成長させていったことは間違いないことなのです。病気なくして今の自分はありえない。そう認識した時、果たして人は「病気自慢」しないでいられるものでしょうか。

 Y子さんのからだは、手術5回を経てもなお、肺に4個の腫瘍がのこっています。けれど、Y子さんはHPを立ち上げたのです。
 「インターネットを通して、難病と闘っておられる方と共に 励ましあったり、あるいはバリバリの健康体の方達の元気を たくさんいただけたらという想いを込めて立ち上げたHPです」
 Y子さんの巻頭言です。
 Y子さんのエッセイや、ソルボンヌK子さんとのやり取りの記録、Y子さん以外にもここに集まった人たちの楽しい「闘病記」、コンテンツは盛り沢山です。ぜひともみなさん、お立ちより下さい。

 ホントは相互リンクしていただける手筈になってたんですが、リンクの張り方が分らない……(^_^;)。
 パソコン操作は全てしげの指示を仰いでいる(っつーか、私はマジでデクノボー)ので、しげと一緒にいるまとまった時間がないと、どうにもなんないの。……ううう(T∇T) 。


 夕べアソビ過ぎたのだろう、今朝も寝過ごして、『パワーパフガールズ』には間にあわず。来週こそは7時から『パワパフ』見るぞ。
 芝居の練習に出かけようとするしげに、「帰りはいつになる?」と聞いたら、公演が近づいてきているので、今日から練習は6時半までになるとか。
 それじゃ、日曜に映画に行くのはほぼ不可能じゃないの。ホントになかなか一緒になれないなあ。行き帰りの送り迎えがなかったら、一日に会う時間がマジでなくなっちゃうよなあ。
 いや、別にいつもいつも一緒にいたいわけじゃないんだが、一緒にいないとしげの機嫌がどんどん悪くなるのだ。ストレスを自分でうまく発散できるやつならいいんだけどねえ。セルフコントロールのできないやつだから、結局、私がお守りせねばならない。
 ……こんなこと書くと決まって、しげは「一緒にいるのイヤなんだ」と拗ねるんだよな。ちゃんと「いつもいつも」って注つけてるのに。どうもこういう無意味なジェラシーごっこをして楽しむ悪いクセがしげにはあるのである。……それって、人前でイチャツクのと同じくらい恥ずかしいことなんだって自覚を持てよ、頼むからさあ(ーー;)。
 

 『ガオレンジャー』はなんかクリスマスネタ。ちょっと気が早いな。雰囲気がアダルトになったとか聞いてたんで久しぶりに見てみたけど、別にいつもの戦隊もの。私が見る回ばかりハズレにあたってるのか?

 『仮面ライダーアギト』第43話。
 津上翔一の本名は沢木哲也だった、……と分ったものの、美杉家では相変わらず「翔一」扱いされるムリヤリギャグ。何度も書いてるが、コメディリリーフとしてはこの美杉家の人々と翔一のやりとりなんかも、氷川と翔一のかけあい漫才同様、ストーリーの邪魔にしかなってないんだよなあ。
 そろそろ真魚をちゃんとヒロインとして立たせて、どうやら秘密の一端を握ってるらしい美杉教授を悪役に仕立ててほしいんだけどなあ。もう後10話ないぞ。
 既に次の『ライダー』の情報もいろいろ飛びかってるし、ファンの気持ちは次作に移りかけてるのだ。ここでキチンと盛り上げないと、せっかく新世紀を迎えて石森ブームがおきかけてる(と私は勝手に思ってるが)流れが途絶えちゃわないか。

 『コメットさん☆』第36回「みんなの王子さま」。
 ああ、切ない顔のメテオさんがいっぱいだあ。
 今回は世界で活躍中の有名デザイナー、アイコ・キミハラはイマシュンこと今川瞬の母親だった! というスキャンダルネタ。
 イマシュンこそがタンバリン星国の王子様か? と思っていたメテオさんの落ちこみぶりが激しく、あえてコメットさんとイマシュンをくっつけちゃおうというヤケな行動まで取らせてしまう。
 こういう魔法ものの常として、ライバル魔女は絶対に幸せにならないから(^_^;)、メテオさんのヤケっぷりも分らなくはないんだが、「スピカおばさまが地球人と結婚した」という設定が、案外「メテオさんとイマシュンがいずれくっつく」という結末の伏線になってると思う。もしそうなら、このアニメ、ライバル魔女が幸せになる初のアニメになるかも。
 ……はい、相変わらずメテオさんに入れこんでおります(^^*)。


 『サンデープロジェクト』で、田原総一朗が新宮様の後継問題について熱弁を振るっている。
 「皇統が直系の男子のみっていうのは軍国主義の名残でしょ?」
 こういうことをハッキリ言えるのは、なんだかんだ言ったって実際に田原さんくらいのもんなんだからね。
 菅直人、田原さんに詰め寄られても「私は女性天皇でいいんですがこれは慎重に決めないと」なんてノラリクラリ。だからだれも女性天皇に反対してるやつがいないのに、どうして「慎重に」なんて言うのだ。結局この日本の中心を担ってるのが右翼だってことを証明してんじゃないか。
 気分が落ち込んできたので夕方まで寝る。
 ああ、日記の更新が進まねえ。


 で、起きたらもう6時過ぎ。
 ああ、なんとか『009』録画出来た。
 アニメ、『サイボーグ009』第8話『トモダチ』。
 うわあ、なまじ完成度がムチャクチャ高いだけに、先週も感じた不満がフツフツと湧き上がってくるぞ。
 今回、ドラマの合間に挿入されるギャグもなかなかいい。
 実は私は、ギャグ担当になっている006や007はちょっとワザトラしすぎていまいち好きではなく、かえって日頃ギャグをやらない002とか008が崩れたりするのが楽しかったりするのである。
 いや、「ドルフィン号」の名付け親が003というのは至極納得。さすがセンスがおばあちゃん(←誉めてんだよ)。
 それを聞いた002が「ドルフィンごう〜!?」と驚愕するシーンがもう大笑い。そりゃ、ウェストサイドのヤンキーが納得するネーミングじゃないよなあ。「だからドルフィン号はヤメロ!」と名前が連呼されるたびに悲鳴を上げるのがいかにも002らしくっていい。キャラクターが生きてるよなあ。
 そしてブラックゴーストの幹部たちも今回一斉の登場。原作のプロローグで登場した死の商人たち、アニメでは009誕生のエピソードを先に持ってきてたので今までカットされてたんだけど、この0013のエピソードに挿入するというのは実にうまい演出だ。
 スカールがマンガチックなのはやっぱりちょっとどうかなとは思うけれど。ドクロのマスクもアレだけどさ、マントは翻すし、透明ロボットが姿が見えちゃった時の「なにぃぃぃぃぃ!」って絶叫はなんなんだよ。だから若本さん、濃すぎなんだってば(^_^;)。だいたい、あんな胡散クサイやつ信用していいのか、一応ウラの世界でのトップなんだろう、死の商人さんたちよう。
 しかしやはり不満は随所にある。
 作画が間に合わなかったらしくて、アテレコがズレてるところが目立つのもそうだけれど、0013との対決、前の0010との対決と比べると、加速装置のシーンのエフェクトのかけ方が甘くなっている。多分、残像一つ一つに「ブレ」をかける時間的余裕がなかったのだ。
 そして何より、やっぱり0013は唖のままにしとかなきゃ。口が利けないからこそ、必死で地面に指で「トモダチ」となぞる。これが泣けるんだからさあ。断言してもいいが、0013を唖にしたからって、どこぞの団体から苦情が来たりはしないよ。もしあったとしたら、そっちのほうがよっぽど差別者だ。
 ムリかもしれないけど、DVDが発売される時には、作画のリテイクだけじゃなくて、設定も原作通りに戻してほしいよなあ。
 さあて、いよいよ来週からは原作の「放浪編」に入るみたいだけれど、単発エピソードで綴るのか、それとも一気にベトナム編に行くのか、それともそれすら飛ばしてミュートス・サイボーグ編に行くのか。1クールだとそこまでが限界なんだよなあ。となると「地下帝国ヨミ編」まで行くためにはどうしたって2クールはいるぞ。
 みんな、海産物一家物語なんか見てないで、どんなに作画がヘタレても、ちゃんと009を見よう!


 『ワンピース』の感想は字数がオーバーするので簡単に。
 チョッパーの旅立ちだけで今週と来週の2週に分けるのはちょっと引き伸ばしすぎじゃないかなあ。
 ヒルルク名言集も三週続けてとなるとちょっとくど過ぎ。感動は押しつけ過ぎると覚めるよ。


 マンガ、立花晶『デジタルまんが生活』(白泉社・890円)。
 並み居る周囲のマック者の勧誘と脅迫に負けず、ウィンドウズマシンを駆ってデジタルコミックとホームページの作成にいそしむ過程を面白おかしく綴るコミックエッセイ。
 『サディスティック19』の作者らしく、ふつーの実録マンガのようでいながら血を吐くわゴルゴるわ、いや〜楽しい楽しい♪
 未だにホームページを立ち上げられない私にとって福音の書となるかと丹念に読みこむ。……結論。ホームページはムチカシイ……(+。+)。

 ホームページの参考書にも使えるやつと使えないやつとがあるんだね。しかしホントに「カウンターを付けるのは人気や技術を人に知らしめたいため」なんて批判的に書いてる本があるのか? 感謝の気持ちってのだってあるだろうになあ。
 オタクアミーゴスのお三方でも、カウンターの付け方が三者三様なのが面白いのだ。唐沢さんがカウンターを付けてないのは恐らくムチャクチャアクセスが多いだろうから数なんて問題にしてないからだろうし、岡田さんの「メール数でのカウント」ってのも「通りすがりの人でなく真摯なファンの人の数を」って気持ちからだろう。眠田さんは普通のカウンターだけれど、「来てくださった方はみんな歓迎」ってのがホームページの管理者としては当たり前の感覚だろう。

 タイピングソフト体験レポートの回、私は特にタッチタイピングに魅力は感じてないんだが、どうして『ゴルゴ13』に「手乗りキリン」とか「海水ブラジャー」とか意味不明な文章が出てくるのか、わけがわからんところが面白くて、つい買いたいなあなんて気分になってしまった(^o^)。
 ターゲットを狙ってる最中に「キッコウしばりのエキスパートの試験てあるのかな」なんて考えてんじゃねーよ、デューク東郷。

 巻末の野間美由紀、山田南平、水樹和佳子、杉崎ゆきる、早坂静、田村由美のパソコンライフを見るにつけ、ここまで技術が上達する日が私にも来ることがあるのかとしばし落胆。ブツブツブツ……。


 マンガ、GAINAX原作・貞本義行漫画『新世紀エヴァンゲリオン』7巻(角川書店・567円)。
 買ったあとで気がついたんだけど、14日に限定版でフィギュア付きコミックスが出るのな。
 しまった。そっちで買っときゃよかった。
 ……誰か、300円でいいから、このコミックス、引き取らない?(^_^;)

 貞本版エヴァをお好みの人もいるんだろうなとは思うのだけれど、どうもアニメが先にあってからのコミカライズってのは、漫画家にとっては分が悪いように思う。せめて同時平行ならばともかく、後追いはそれなりの工夫をせねば、「なんだアニメと同じじゃん」と軽くあしらわれてしまう。
 かと言って下手に設定を弄くると、「アニメと違う!」と叩かれるハメになるのだ。
 博多弁で言えば「やおいかん」(=どうにもならない)のよ。
 今巻、アニメにはなかった加持の過去が語られる。彼はやはりセカンド・インパクトで孤児となっていたのだ。でもねえ、それを語ってるのが、あの最強の使徒が襲撃してくるときなんだよ。アニメでは加持が戦闘を背景にスイカに水を撒いてるあたりだ。
 アレは、シンジが「偶然、加持に出会って」、「目の前に危急存亡のときが迫っているというのに、それでもスイカに水をやっている」というシチュエーションだったからよかったのだ。もう一度エヴァに乗らなければならない。しかも早く。そういうシンジの決意を引き出すのに充分な緊迫感が生まれていた。
 けれど漫画じゃ加持がシンジを地下室に連れていくのな。場所を移動させたことで緊迫感のあったリズムが崩れた。「そんな悠長なことしてるばあいかっ!」てなもんだ。
 加持の過去を語らせるなら、もうちょっと、時と場所を考えるべきじゃなかったかなあ(見開きカラーページの加持の仲間たちのイラストはステキだったんだけどねえ)。
 このアレンジは明らかに失敗だと思うけれど、面白い演出もある。
 初号機がダミープラグを拒絶して、無数のスクリーンにシンジの顔が映し出されるシーン。演出的には劇場版『機動警察パトレイバー』第一作での「babel」の文字が無数に映し出されるシーンとほぼ同趣向なんだけれど、「エヴァにはエヴァの意志がある」と見せつける方法として考えるとこれはなかなかの妙手だ。
 テレビよりもずいぶん早い段階で、カヲルくんこと使徒タブリスも登場。
 カヲルくんも本当に罪な存在だったよなあ(^o^)。
 しかも今回、いきなリヌードでの登場だよ。次ページでシンジくんもヌードになってるから、何を考えての演出かはもうなんつーか、モロにアレだよね(^^*)。
 全国のヤオイ少女たちを狂喜させたのは、まあ、庵野さんのタクラミだからそれはそれでいいとして、結局、南極で見つかった「彼」を「アダム」って名づけたのは、ネルフの勝手なんだよなあ。
 要はただ、先史文明を築いた巨人を蘇生させたってだけのことじゃないのよ。少なくとも、従来のSFにはよくある手で(中身忘れてるけどホーガンの『巨人』シリーズがそんなんじゃなかったっけ)、あのときあんなに大騒ぎするほど目新しい設定でもなんでもなかったのだ。
 それより私が未だに気になってるのは、アダムの魂をサルベージして人間に移したのがカヲルくんだとするなら、あの入れ物としての肉体はいったい誰で、またなんでああいう美少年の肉体にしたのかね。……キールのシュミか?(^o^)

2000年12月02日(土) 『BLOOD』=『プロジェクトA子』?/アニメ『BLOOD THE LAST VAMPIRE』


2001年12月01日(土) ご生誕。/DVD『ラ・ハッスルきのこショー』

 さて、12月1日は将来休日になるのかどうか(^^)。
 「また女の子か」とまではハッキリ言わないものの、どの放送局のニュースも、そういうニュアンスがウラに見え隠れしているのがイヤらしい。女で何が悪いというのだ。
 「万世一系はどうなる?」なんてテロップが流れてるのを見ても、結局、日本は戦前と少しも変わってないんだなあと感じて、暗澹たる気分になる。昭和天皇が人間宣言した時点で、神の子孫としての皇統の系譜も否定されたはずなのにねえ。放送局には「万世一系」という言葉を使うにあたって、「このコトバはマズイよ」と指摘できる知識のあるやつが一人もいなかったってことなのか? そこまでバカの集団に成り果てちゃったってのか?
 第一、ちょっとでも歴史をかじってりゃ、天皇家がやたらと途絶えてるってこと、常識なはずだ。継体天皇はいったいどこから来たのか、考古学的に証明できるものならしてみろ。
 歴史認識がどうのこうのという前に、知識そのものが欠けているのだ。
 「あとつぎは女でもいいのではないか」
 「いや、あとつぎは男でなければならない」
 今更こんなことを言い出してる連中は、昨日の日記にも書いたが、どちらも結局、皇室を「人間」としては見ていないのだ。個人として自立しえない脆弱な精神が、「天皇家」をその精神的支柱として利用しているだけだ。
 だいたい世間一般の人々は、皇室典範が男子を正統としていることも知らなかったようだし、皇室に男児がずっと生まれていなかったことも知らなかったやつらが大半じゃないのか。
 日頃は興味も関心もないくせに、どうして平気で旗が振れるのか。なにを彼らは「めでたがって」いるのか。
 

 また下痢で仕事は遅刻。
 こうしょっちゅうだと、職場での人間関係、最近ようやく調子がよかったってのに、またぞろ悪化しそうだ。
 でもねー、血便って、マジで貧血起こすんで、血が作られるまでは静かにしてないと、フラついて仕事にならないんですよ。

 結局職場には2時間ほど顔を出しただけで、すぐに取って返して帰ってきて寝る。せっかくの土曜日なので映画にも行きたかったのだが中止。
 昨日買ったDVDを見たり、本を読んだりして一日過ごす。


 DVD『シティボーイズミックス presents ラ・ハッスルきのこショー』。
 ああ、やっぱりDVDでも『ラ・ハッスルチエコショー』は収録されてない。恐らく「時代の風潮」とやらが変わるまではムリなのだろう。愚痴は以前の日記でも散々言ったので今回は省略。
 でももう一度だけ、一言だけ言わせてもらえるなら、芝居ってホントに「一期一会」なんだよ。そこでそのとき集まった人だけが共有できるユメでありマボロシなのだ。
 ……だから今度の5月にある(予定)のライブ、誰か一緒に行こうよう。
 

 しげも昼間は丸一日寝ている。
 なんだか最近、しげの描写が「寝ている」「食っている」の二つに集約されつつあるような気がするが、事実だから仕方がない。
 一応、寝ている耳元で「映画に行くか〜?」と囁くが、ウンともスンとも反応がない。これで「行く!!」と飛び起きられたら、下痢ピーのハラを抱えて出かけねばならないところだった。
 ホッ(´o`;)。


 夜、8時からAIQの集まり。初めは「反省会」の予定だったが、参加者が少ないとかで、結局ただの飲み会(^^)。
 昼間ゆっくり眠れたので、体調は大分回復している。
 7時になってもまだ寝息を立てているしげを起こして、出かける支度をさせる。
 「出かけるぞ、早く着替えろよ」
 「……はうあっ!!」
 「……どうした?」
 「“ぱんつ”がないっ!」
 「ないわきゃないだろ。洗濯はしょっちゅう“オレが”やってるぞ!」
 「でも、ないっ!」
 「探せよ、きっとあるから」
 「……仕方がない、あんたのを履こう♪」
 「……ちょっと待てええええい!」
 というわけで、あの日のしげは私のパンツを履いていたのだった。
 ……書いていいと言ったから書いたぞ、しげ。文句あっか。
 
 朝方に比べるとカラダも動いてくれるようになった。車で東比恵まで出て、それから地下鉄で天神へ。
 二十分ほど早く着いたので、福家書店を覗いて、新刊マンガを何冊か買う。時間に余裕はあるのに心配性のしげは「間にあわんよ遅れるよ」とうるさい。何となく買い損ないがある気はするが、せっつかれて中央広場へ。
 ほぼ時間通りに、エロの冒険者さん、獅子児さん、しおやさん、ぴんでんさん御集合。しかしつくづく思うが、AIQの女性率は少ない。私もオタクアミーゴスに興味を持ってくれそうな女の子の知り合いは結構いるのだが、とある事情でなかなか連れて来れない。
 でも、そのうちうまいこと舌先三寸でだまくらかして連れてきたいなあと悪巧みをしているのである(^^)。

 獅子児さんはビックカメラでビデオテープを山ほど買い込んでいる。これに全部、先日の公演をダビングするのだから大変だ。なんだか申し訳なくて、すぐにでも自分の分の代金を支払いたくなってしまったが、「現品引き換えでいいですよ」と言われる。
 あとでサイフの中身を見たら、今払ったら今月の生活が苦しくなるところだった。いやあぶねえあぶねえ(^_^;)。やはりその場の思いつきだけで安請け合いなどしてはならないのである。

 エロさんに売れ残りのチケットをお返しするが、ほんの少ししか捌けなかったので、申し訳ない。
 思えらく、私のような30代、40代になろうという年代のオタクは、すでにほとんど社会人としての生活に追われていて、オタクライフを突き進むなどということは簡単には出来ないのだ。
 以前、エロさんが「オトナ一人で『クレヨンしんちゃん』を見に行くのはツライですよ」と仰ってたことがあるが、実は家庭持ち、子持ちの方が行きにくいということの方が現実には多いのだ。
 一人なら、恥ずかしいのはガマンできる。しかし、妻から、子から、「ええ〜っ? 『しんちゃん』なんか見に行きたいのぉ〜?」と言われてしまったら、もう見に行くなんて不可能に近い。……私も、しげと一緒に『しんちゃん』を映画館に見に行けるようになるまで、四年を要したのだ。
 あの「家事よりも趣味」を実践しているしげですらそうなのだから、下手に「家庭的な妻」なんか持った日には、オタクライフが瓦解することは、火を見るよりも明らかであろう。
 ……だから、瓦解した知り合いばっかりなのな、私の周囲って。ああ、やっぱり若くてちょっと世間の常識から外れてるようなムスメをだまくらかしていくしか手はないかなあ。


 店の名前は忘れたが(ということにしておこう)、某居酒屋で、盛り上がる。土曜の夜で混雑していて、周りがウルサイのはこの間の宴会とゴッツである。
 今日はしげも運転があるので酒は飲まない。いつものようにしげが酔っ払ってクダを巻くんじゃないかとハラハラすることもないので、安心して騒げる。

 先日、日記にオタアミの顛末をゴチャゴチャ書いた一件について、エロさんから「お耳に痛いかもしれませんが、先にパティオに書くようにしてください」と言われる。
 いえいえ、痛くなんか全然ないです。
 この日記、基本的には「ウソ」しか書いてないが(^^)、あの時ばかりは自分も責任の一角を担って参加している以上、どこまで「ホント」を書けるのかってことは、いっぺんやってみないといかんなあと思っていたのである。
 ともかく本職の方で、「都合の悪いことは全部ヒタ隠し」って環境の中にいるものだから、AIQではそんなことはしたくなかった。もちろん、“私の判断において”これは書いておいた方がいい、これは書くべきではないという判別はしたが、それが適切であったかどうかは第三者の判断を仰ぐ以外にない。その前段階で自主規制は極力しない、それを基本方針としたのだ。
 つまり、これはパロディにおける著作権の問題と共通することである。
 自分の表現が、誰かに不利益を与える可能性を鑑みつつも、それがなされるべきと思った時、人はその表現を止められるのか。それを規制してよいということになれば、政治漫画における揶揄は弾圧の憂き目にあうであろう。
 もちろん、AIQは揶揄される政治家のような「強者」ではない。だからこそ、書く上で第一義に考えたのは、「これを読んで客が『オタクアミーゴス!』に興味を持ってくれるかどうか。逆に敬遠されるようなことにはならないか」という点にあった。
 自信があるわけではないが、客を減らすつもりで書いてはいない。仮に事前にパティオで内容を説明していたとしたら、「これはAIQの“情報公開”のためには必要なことです」と公開する理由を説明していたろう。AIQがどういう組織か、未だに判らずに怖がってる人はいるのである。
 そのことを説明せずに日記に書いてしまったことについては、確かに非は私にあるのだ。実質、事後承諾のようなことをAIQのみなさんに強いた結果になってしまったことはいくら頭を下げても下げたりない。
 すみませんごめんなさいもうしません。
 o(ToT)o (T^T)(^T )(T )( )( T)( T^)(T^T) ヒュルルルル……。
 今後はストレートな意見はまずパティオに書いてからUPしますんで、見捨てないで下さい(^_^;)。

 私の謝罪から始まっちゃったので、いつになく話題が「AIQいかにあるべきか」という固い話に流れる。
 しおやさんの激烈な客勧誘の精神に思わず傾聴。
 こういう話になると、しげも多いに乗ってくる。
 「段取り立てるの大好きですから」
 おいおい、そこまで大見栄切っちゃっていいのかよってなくらいだ。
 ともかく、みなさんが「来年は今年の轍は踏まない」と断言されたのにはいたく感動。……いや、ホントにもう少しで落涙するところだったんだよう(ToT)。なんか、こういう熱気のある中に身を置いたのって、一体何年ぶりだろうか。 
 

 エロの冒険者さんが、「号外は御覧になりましたか?」と仰ったのを聞いて、最初その「GOGAI」という単語の意味が判らず困惑。
 しばらくして、「ああ、子供が生まれたのか」とようやくその意味に気付く。
 見せていただいたその号外、もちろん赤ちゃんの顔写真はなく、ご夫婦のいつぞやの写真が代わりに載せられている。
 ぴんでんさん、「実は今日が私の誕生日で」と仰るのでビックリ。
 「けど、仮に将来12月1日が祝日になっても、そのころの私には何の関係もなくなってるんですよ」
 「そうでもないかも」って可能性を述べるのは、さすがに不謹慎かな(^_^;)。

 しおやさん、天神の某スポットについての黒いウワサを語る。
 ちょうどしげがトイレに席を立ったので聞かずにすんだが、某スポットにはナニが出るらしいのだ。
 いろんな店舗が入れ代わり立ち代わりそこに入るのだが、絶対長く続かない。夜中になるとそこのナニにナニがナニするのを何人も目撃したと言う……。
 わあ、そこ、しげに「行こう行こう」と誘ってたとこだ(^_^;)。
 にもかかわらず、しげはなぜか意固地に「行きたくない」と言ってたが、さてはカンが働いたか。でもそういう話を聞いた以上は、絶対そこにしげを連れていかねばな(^o^)。


 宴もたけなわだが、適当なところでお開き。獅子児さんは翌日があるということで抜け、残りのメンツで2次会へ。
 エロさん、「俺はまだ語り足りない!」と吠える(^_^;)。
 で、高砂の「ドラゴン商店」に河岸を移す。

 しおやさんのHPなどで、ここの存在は前からウワサに聞いてはいたが、いやいや、実にオタク好みのスポットだ。
 入口が狭く感じるのは、こういう店の常として、引き戸のすぐ脇にまで、なにやかやと売り物が押し寄せているからである。
 玩具、フィギュア、駄菓子。思わず「何もかもみな懐かしい……」なんて呟きたくなるねえ。
 ガンダムが、ルパンが、マジンガーが所狭しと並べられた一角を通りぬけると、その奥は小さなカウンターバー。テーブルはたった二つ、多分、10人も座れない。
 壁には本棚、これまたオタク垂涎のマンガがズラリと並んでいる。わあ、林静一作品集だ。結局私はこの人のマンガ作品は『赤色エレジー』しか知らないんだよなあ。
 酒やおツマミは全部引き換え制。明朗会計でこれもよろしい。
 すっかり酔っ払ってるエロさんに、みんなでよってたかってその私生活(ホラ、アレですよ、例の件です。詳しくはエロさんのHPをご参照♪)を根掘り葉掘り暴露させようとするが、たとえ酔っても口は固いエロさん、どうしても真実を語らない(^_^;)。
 ……やっぱり、これの3倍は飲ませないとダメか。

 次回の上映会での再会を約して解散。

2000年12月01日(金) エクソシスト=悪魔じゃないよ/映画『エクソシスト ディレクターズカット版』



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