無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年01月31日(木) 血管をタテに切る女/アニメ『七人のナナ』第4話/『ガウガウわー太』2巻(梅川和実)ほか

 薬が効いてきたのか、やっと血便が止まる。
 これで油断ができないのが私のカラダで、ちょっとバランスを崩したら、またすぐ元に戻ってしまうのだ。
 でも、まあまあ調子回復とは言えるか。もう仕事は休みたくない。

 朝っぱらから車の中でしげと口喧嘩。
 しげが「イイよね、病気だと仕事サボれて」と言ったのがそもそもの始まり。
 いつもなら、私もまたしげがバカ言ってる、と聞き逃すのだが、昨日の今日なんで、こっちも抑えが利かない。
 「お前、それ本気で言ってるのか? オレがサボってるって」
 「なん、脅迫する気?」
 「何が脅迫だ、お前の物言いについて怒ってんじゃないか!」
 「ほら、やっぱ脅迫やん」
 この被害者ぶる卑怯さ。なんかもー情けなくなってきた。


 日本精神神経学会が、「精神分裂病」を今後「統合失調症」と改めることにしたとか。
 偏見をなくすためってことらしいけどさ、コトバ変えたって、病気に対する偏見自体がなくならなけりゃ、いずれ「統合失調症」だって偏見の目にさらされることになるだろうけどね。
 でも、このコトバが耳慣れないうちは、確かに多少は患者さんがサベツされることが少なくはなるだろう。
 「あの人『統合失調症』なんですって」
 「へええ、そりゃ大変ねえ」(←意味分らずに頷いてる)
 みたいな感じでさ。
 その意味では、とりあえずの「対症療法」にはなりえるし、その間に偏見そのものをなくしていこうってことを考えていくってんなら、まあ、話は分らなくもない。
 でも、まず断言していいと思うが、患者さんや病気に対する差別をなくそうって活動は、多分、全くされない。とりあえず、コトバ変えたからいいや、で放置されるよ、きっと。
 「偏見をなくす」なんて、その人と深く付き合わなきゃできるこっちゃない。それどころか、深く付き合えば付き合うほど、「偏見が深くなる」危険だってあるのだ。自分自身が差別と偏見の塊だって自覚することになるかもしれない(いや、絶対にそうなる)覚悟を、全ての人間にしろってか? そりゃ到底ムリってもんだよ。人間なんてイザってときには弱いんだから。
 あのさ、どうやったって差別される運命にあるなら、そんな「人の眼を避ける」ように逃げ隠れするような消極的な形を取るんじゃなくて、受けた差別をはね返せるような環境をどこかに作っとく必要があるんじゃないの?
 それは例えば法律の改正であったり、もちろん自分自身の力だって必要なんだ。それを今、誰がどこでやってる? 「やってるつもり」のやつらしかいないじゃん。イヤミな言い方になるけど、それじゃまるであえて「差別を温存」してるみたいにすら見えるぞ。
 まずは病気の人たちがもっともっと表に出て行ける、しかも差別されることのない「場」を作んなきゃなんない。ネットは、その環境造りにはすごく適してると思うけど、どうだろうか。
 

 帰りは仕事が遅れて7時。 
 しげ、なんだかブリブリしてるので、そのせいかと思ったら、「ウチ、ADSLがつながらないってよ!」と憤怒の形相(いや、そこまで酷くはないが)。
 よく聞いてみると、一応、申しこみ自体はやってみたんだそうだ。
 ところが、相手の係の人から、「つながることはつながりますが、必ずしもISDNより早くなるとは限りませんよ」と言われたんだと。
 「ああ、ウチはなんて不便なところにあるんだ!」と車を運転しながらしげは天を仰いでいるが(前見ろって)、立地条件だけの問題じゃないようにも思うがなあ。ブロードバンドと言っても、今一つ信頼できない感じだしねえ。
 しげのイライラがこっちにまで移りそうなので、ムリヤリ話題を変えて「そう言えば、頼んどいた洗濯物干し、やった?」と聞く。
 しげ、急に声が萎んで、「……やってない」。
 これで静かになってくれたか……って、問題はなにも解決しとらんがな。はよ洗濯物干せ。
 

 帰宅した途端、しげに電話。
 「なんの電話? 今の」
 「うん、今日またハカセ来るって」
 「来るって……昨日の今日で何しに?」
 「遊びに。友だち連れて来るって」
 「だからあ、部屋が片付いてないのにそう簡単に人呼ぶなよう!」
 じきに穂希嬢、M子さんを連れて来訪。
 劇団の人ではないので芸名はないが、こう、イニシャルで書くっての、何となく「少女A」っぽくてなんか書きにくいな。
 一昔前の女性雑誌によく載ってた非行少女の実録更正モノなんか連想しちゃうのよ(って、いつの時代だ)。

 「ほんの出来心からだった。
 その日を境に、M子の生活は百八十度変わってしまったのだ。
 ポプラの並木道。倶楽部活動ですっかり遅くなってしまったM子を待ち構えている男がいた。
 破れた学生帽。上ボタンを二個も外した学ラン。町内でも札付きのワルと評判のヨシオだった。
 『あっ、あなたは、ヨシオさん!』
 『へっへっへ、M子。今日はずいぶんと、ショッてるじゃねえか』」

 わはははは、昭和30年代だったら、もしかして流行作家になれるかもしれんな、私。……いや、秋元文庫とか、こんな感じの文体、多くってね。
 今でも、「ある女」に小説書かせると、こんな感じの古色蒼然とした小説書くけど。
 ああ、もちろん、しげのことですよ。
 何しろアイツの文体のベースは「南洋一郎」(←ポプラ社の『ルパン全集』の訳・作者ね)だから。
 とゆーか、ある一定の年代の人間まで(多分、昭和50年生まれくらいまで)は、たいてい南洋一郎か江戸川乱歩の文体に影響受けちゃうんじゃないか。特にセリフ回しに。
 何かに驚いたとき、人物のセリフに、つい「あっ」って付けないかな。ルーツはもちろんもっと古いんだろうけれど、直接的には乱歩や洋一郎の文に接したせいでそう書いちゃうんだと思う。そういった自分でも気が付かないところに影響を与えてるとこが、この二人が認められざる巨匠であるってことなんだと思うんだが。

 話が全然逸れたが、M子嬢、穂希嬢と雰囲気がよく似た感じである。
 まあ、穂希嬢とマトモに付きあってられるってことは、もう絶対にエロエロOK、「壁」を作る必要がないってことだろうから、もう初対面だってのに初手から飛ばす飛ばす。ちょっと、ここには書けないけど(^_^;)。いやもう、エロばかりでなく、もう一般の常識では計り知れないことを平気で喋くりまくってるんである。

 え〜っと、以下の内容はちゃんと穂希嬢の許可をとって書いてるので、誤解のないように。
 しげや穂希嬢が先日雑談していて、なんの拍子か、「正しい自殺の仕方」についてのトークが始まったんだとか。
 「確実に死ぬんなら、やっぱり手首切るのが一番ですよね」と穂希嬢。
 しげたち、ウンウンと頷く。
 「で、こないだ自殺しようと思って、手首切ってみたんですよ」
 しげたち、ウンウンと頷く。
 「確実に死ななきゃなあ、と思って、それには血管を切らなきゃと」
 しげたち、ウンウンと頷く。
 「で、左手のここ、血管が浮き出てるでしょ? これを切ろうと思ったんですよ」
 しげたち、ウンウンと頷……きかけて、おや? と首を捻る。
 「で、横に切っても深く切れなかったらいけないなあって、血管に沿ってタテに切ってみたんですけど、これがうまく切れなくて……」
 しげ、穂希嬢の肩をポン、と叩いて一言。
 「ハカセ、動脈と静脈の違いって知ってる?」

 いや、穂希嬢も穂希嬢だが、しげも「どうして自殺なんてしようと思ったの?」とか、そっちのほうを心配しろよ。
 理由を聞かなかったのはなぜ? と、しげに聞いたら「そんなんどうでもいいもん」。
 しげの前では、どんな不幸も相対化されちゃうんだよなあ。
 だからみんな、安心してしげにはいろんな相談持ちかけるんだろうけど。

 そんな話を聞いてたんで、さっそく穂希嬢に聞いてみる。
 「ハカセについてこんな話を聞いたんだけど」
 「なんでしょう?」
 「静脈をタテに切ったとか」
 「ああ、そうなんですよ、おかげで『絶対に自殺できない女』ということで評判をとって」
 評判なんか、それは。
 ともあれ、実にあっけらかんとしたもんだ。どんなフィクションよりも、現実に生きる人間のほうがずっとずっと強く、面白い。
 全く、ウチの劇団の連中にはいろんなことを教えられるばかりだ。穂希嬢も次に自殺するときには失敗しないように確実にね……って違うだろ、オイ。


 アニメ『七人のナナ』第4話「誕生!受験戦隊ナナレンジャー?」。
 そろそろ主題歌、歌えるぞ。カラオケに早く入るといいな♪
 今回、正式にナナたちに愛称がつく。命名者は友達の瞳。正統派メガネっ娘である。そしてナナレンジャーも正式発足(って発足するもんなのか、それ)。
 「ナナっぺ」「ナナっち」「ナナりん」「ナナっこ」「ナナさま」「ナナぽん」と名づけられたラストで、オリジナルのナナが、「私のはないの?」と聞く。
 「ナナはナナでいいじゃない」
 「私も欲しいーい」
 「じゃあ……ナナスケ?」
 「……ただのナナでいい」
 そう言ってうなだれるあたり、定番ギャグではあるけれど、元祖ナナを七人の中に埋没させないための適切な処置である。
 ああ、今川演出、デタラメになりそうで意外とツボは抑えてるな。
 けどまだまだナナレンジャーをドラマの中でどう生かすかは見えてきてはいない。やはり今後の展開を見守ってくことになるかな。


 「何か見たいビデオでもある?」
 と聞くが、「これだけたくさんあると、何を見たらいいのか……」と、穂希嬢、困惑気味。
 「穂希さんはエロが好きだからねえ。穂希さんが満足できるくらいのエロなんてウチには……」
 「いや、私別にエロが専門ってわけじゃ……」
 「おっ、アレがあった!」

 ふと思いついたのは、先日、某所にて手に入れた○○○○○○○○のビデオ。これにはあの○○製のエロアニメや、○○○○が声優として出演している『○○○○○○○ちゃん』というエロアニメも含まれていたのだ。
 エロと言ってもただのエロでない、ストーリーを明かせないのが残念だが、○○○○○に捨てられた○○○○みたいなやつが○○に育てられて○○○○も○○みたいになって○○○○○話とか、○○○にさらわれた恋人を助けるために、○○○○が主人公に○○○○○○○○しようとするが、結局○○○○○○○○○話とか、バカとしか言いようがないアニメが紹介されているのだ。
 こんなもんを妙齢の美女二人に見せるってのも、なんなんだが、案の定、この二人にとっては屁でもない。二人ともツッコミ入れながら受けてることったらない。
 で、見終わったあと、穂希嬢、「これってエロとは少し違うんでは……?」。
 いいじゃないの、気に入ったんなら。
 こうして少しずつでも○○○○○○○○のファンを増やそうという健気な活動なんであるよ。

 そのあと、DVD『少女革命ウテナ アドレッセンス黙示録』なんかを見せてるうちに、もう時間は10時。
 二人とも堪能しきった顔で(何をかなあ)お帰りになったのであった。

 しまった。エロなら『サウスパーク』を見せてやればよかった。


 マンガ、梅川和実『ガウガウわー太』2巻(新潮社・530円)。
 ああ、よかった。ちゃんと連載続いてるみたいで。
 『コミックバンチ』、発行部数が創刊当初の70万部から、やっぱり40万部ほどにまで落ちこんじゃったらしい。ジャンプ方式そのままに、アンケート人気の悪い連載がいくつか切られてく中、『わー太』もちょっと心配してたんだけど、どうやら『バンチ』にも少しはマシな読者がついてたらしいね。もっとも『バンチ』以外で連載した方が、梅川さんの将来にとってもいいんじゃないかって気はしないでもないが。

 今回は二重人格の犬・サンタと、狸のポン吉の復讐話。
 今時、タヌキのネーミングに「ポン吉」はないだろうとは思うが、タヌキ好きの男の子が勝手につけたって設定だから仕方ないか。妙にタヌキ伝説に詳しくて「団三郎」とかつけられても困るし。
 しかし、さすがに獣医さんのマンガだけはある。
 佐々木倫子の『動物のお医者さん』も好きなマンガだったけど、作者本人が実際に動物に接していた経験があるかないかの差が如実に出ちゃってるものなあ。『動物のお医者さん』には動物を飼うための覚悟なんてなーんも感じさせないマンガだったもんね(だから『おたんこナース』も徹頭徹尾ギャグかと思って読んだら結構マジメだったんで逆に引いちゃった面もある)。
 なんかもー、「かわいい』だけでペット買っちゃう人間のエゴイズムを告発してるようなもんなんで、『ハム太郎』のロコちゃんみたいな女の子が読んだら、胸をグサッと刺されちゃうんじゃないか。
 動物に意志がある、という昔ながらのメルヘンチックな設定であるにもかかわらず、ファンタジーにはなってない。サンタの病気も「膵外分泌不全」という食物から栄養を吸収する酵素が膵臓からうまく分泌されない病気(って、人間で言えば糖尿病じゃんか。ああ、仲間だ!)。実にリアルだ。
 だからサンタが二重人格になって、ゴミをあさったり、人を襲ったりしても、そういうこともありえることかもなあ、と納得してしまうのだ。
 確かに、動物の気持ちが分らない人間に対する告発的な面はあるのだが、それが説教臭くは見えないのは、何より「動物とどうしたらいい関係を作って行けるのか」という方に作者の目が向いているからだろう。
 外に向けて声高に叫ぶより、まず自分の足元をキチンと作っていくって態度が好感を呼んでると思うんである。

 『バンチ』買ってる人は、アンケートに『ガウガウわー太』って書いてね♪ 


 マンガ、柴田錬三郎原作・柳川喜弘作画『眠狂四郎』2巻(新潮社・530円)。
 あっはっは、ついに出たぞ高姫。
 狂四郎の敵は何人も現れたが、その筆頭と言えるのがこの驕慢な性悪女(マンガじゃ「こうひめ」とルビ打ってるけど、これ「たかひめ」じゃないのか)。
 総勢55人に及んだ11代将軍家斉の娘の一人(実在)。自分になびかぬ狂四郎を逆恨みし、執拗に刺客を送り続ける様子は、原作のページをめくるほどに凄みを増していた(女が権力を握れば戦争は起こらない、なんてタワゴト言ってるやつがいるが、西大后の例はどうなるかね。淀君はどうなるんだよ)。
 原作の柴田錬三郎さん、こういう権力握った女が自分のヒステリーで世の中をシッチャカメッチャカにする話が大好きらしく、もちろん淀君をモチーフにした作品なんかもたくさん書いている。けれど、狂四郎を手玉に取れるだけのキャラクターとして、この高姫は、シバレン悪のヒロイン中でも、白眉であろう。
 映画版『眠狂四郎勝負』では久保菜穂子が演じていたが、まだまだ毒が足りない。後の直接の原作がない『眠狂四郎女妖剣/多情剣』に登場した菊姫や、『眠狂四郎人肌蜘蛛』の土門紫の方がずっと妖艶かつ情念のかたまりのように描かれている。
 このマンガの高姫がこれからどうバケて行くか。
 米俵の上に立膝で座り、酒かっ食らってる豪快な姿を見せてくれてるけれど、これくらいじゃまだまだ。女性のキャラの描き分けがもう一つのところがあるので、もちっと精進してもらいたいところである。


 マンガ、雷句誠『金色のガッシュ!!』4巻(小学館・410円)。
 「残りの魔物が70名」と発表されたけれど、つまり「ある程度の長期連載」が保証されたってことだね、よかったよかった。10週打ちきりだったら、こんな数も出せないもの。
 もちろん、その70名が全員、ガッシュと清麿を襲ってくるはずもないから、二人の戦いは、せいぜいあと二、三十回ってとこなんだろうけれど、それでも10巻くらい、2年くらいは連載が続いてくれそうだ。ジャンプと違ってサンデーは人気が多少落ちても、まとまりがつくまでは連載を許してくれるところだから、雷句さんも自由に物語を広げてくれそうで、楽しみである。
 今巻、既に本筋と全く関係ない「巨大母」や「最低先生」なんてエピソードも入ってるし。
 頭はいいけど学校を休みがちな清麿を気に入らない遠山先生、「100点取られるのが口惜しい」とデタラメな問題ばかり出す。
 「重要問題(配点50点)私(遠山先生)の初恋はいつだ? そして相手は誰だ? フフフフ……どうだこの問題は! 授業でもやってない問題だ。解けるものなら解くがいい! フフフフフ……フハハハハ……ハーッハッハッハ!!」
 もちろん、遠山先生、このあとクラス全員に袋叩きにあうのである(^_^;)。
 「最低先生」じゃなくて「最バカ先生」だろ、これ。
 この、藤田和日郎譲りのムリヤリギャグ、しょーもないんだけど、好きなんスよ、すみません。

2001年01月31日(水) そうか、最近匂いに敏感になったのはそのせいか/『鉄甲軍団』(横山光輝)


2002年01月30日(水) どうしてくれよう。/『マジンガーバイブル 魔神全書』(永井豪とダイナミックプロ)ほか

 朝っぱらからまたもや眩暈。
 今日こそは仕事に行こうと思ったが、やっぱり挫折。
 なんだかなあ、職場に「すみません、休みます」って電話を入れるのもツライけどさあ、「どうぞ、ごゆっくり御養生下さい」って言われるのもそれはそれでツライのな。
 誰のエッセイだったかなあ、日本人と中国人とじゃ、病気の時の激励の仕方が全然逆だってことを書いてあったのを読んだことがある。
 「キミがいないと仕事が滞っちゃうよ、早く治して出てきな」というのが日本人。
 「キミがいなくても仕事はちゃんとやってるから心配しないで休んでな」ってのが中国人だとか。
 日本人は、中国人みたいな言われ方されたら「じゃあ、オレは会社にゃ必要でない存在なのか」って落ちこむってんだが、私、中国人的にしか言われたことないぞ(^_^;)。
 でも、「ゆっくり休んでください」って言われた方がコトバ自体に対しての感覚としてはラクなんだよなあ。「ツライ」と感じるのは「ああ、本当に休んで迷惑かけてるなあ、すまないなあ」と感じちゃうせいなんであって。
 でも、私のケツが私を便器から離したがらないのである。
 そんなに便座のぬくもりがほしいのか私のケツ。
 いつからTOTOと結託したのだ、ケツ野郎め。
 とゆーわけで今日もウチの便器は血で真っ赤に染まる。愛の証か。


 することがないので昼寝。
 というか、貧血状態になっちゃってるので、ひたすら寝るしかない。
 しげは芝居の練習だか買い物だかわかんないが、ものも言わずに出ていって、帰ってこない。
 夫の具合が悪くてもォ、妻は全然ほったらかしィ、何一つ看病してくれなくてもォ、それでもメシだきゃ食わしてやるのよォ、なんて健気なオレェ、オレェ♪
 ……勝手に歌作って歌ってもハラの痛みは取れやしないのだ。
 はにゃはにゃ。


 とか思ってたら、しげ、いきなり電話してくる。
 「あ、起きてる?」
 「……オマエの電話で起きたよ」
 「今からハカセ(穂希嬢のこと)、連れてくるから」
 「今からって……何?」
 「じゃ」
 「『じゃ』じゃねーだろ!」
 一方的に切られた電話の受話器を片手に、私は茫然として部屋を見渡した。
 汚い。
 そりゃ、当たり前である。
 ここんとこ、ずっと寝たきり生活だったもので、ゴミなんか全然片付けてないのだ。ええいくそ、お客さんを連れてくるなら、せめて二日前に、どうして連絡しておいてくれないのだ。今から帰ってくるなら、まだ小一時間は余裕があるとしても、とても片付けきれる状況じゃないぞ。
 だいたい、どんなに部屋が散らかっても片付け一つせずに、全て私に押しつけるってのはどういう了見だ。こっちが病気の時くらい、なんでちゃんとしてくれないんだ。オマエ人間じゃねーよ、と悪態ついたって状況は変わらない。
 こんな状態の時に客を家に呼ぶなんて、しげのアタマはどうかしてるんじゃないかと思うが、現実にヒトが来るって言われた以上は、片付けるしかない。
 とほほほほ(T.T)。
 青息吐息で、ゴミをまとめ、歩けるスペース、座れるスベースを空ける。
 ……ええい、このフンダラベッチャが! ソファの上に下着だの靴下だのほっぽり出すなとあれほど言ってるのに!
 洗い場に行って、洗濯しようと思ったら、二、三日前にしげに頼んでおいた洗濯物がやっぱり放ったらかされたままで、干されていない。結局、私が全部しなけりゃならんのだ。
 何日間履き続けてるかわからないしげのパンツと、既に異臭を放っている靴下を、洗濯機の中で生乾きになって干せなくなってるやつといっしょくたにして、ぐわらぐわらぐわらと回す回す。一回すすいだだけじゃ、とても匂いが落ちるものじゃない。二度、三度洗う。
 その間にとっ散らかってる部屋を片付けながら……眩暈を起こして倒れた。


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 以上、意識の空白でした。

 いや、ホントに落ちちゃったのよ。目覚めたらもう、心臓がバクバク。
 これで心停止してたら、今頃こんなふうに悠長に日記書いてないなあ。いやあ、危なかった。
 なんとかソファを座れる状態にして果てているところに、しげ、穂希嬢を連れて帰ってくる。
 「あ、明けましておめでとうございます」
 「あ、おめでとう」
 そう言えば、穂希嬢と会うのは今年初めてだ。
 「ごめん、まだ片付け終わってないけど、とりあえず椅子にでも座って」
 けれど穂希嬢、遠慮してるのか立ったままである。あるいはゴミをどけただけでソファが汚いので座る気になれないのかも。
 しげ、あとからのほほんと入って来る。
 「あれ? 片付けてんの?」
 「片付けてんのって……オマエが穂希さん連れて来るって言ったんじゃんかよ」
 「でも別に『片付けて』なんて言ってないよ?」

 あ、切れた。
 バカだバカだとは思ってたが、しげ、ここまでバカだったか。
 え〜っと、劇団のみなさん、これ読んでますか。
 私はもう限界です。みなさんがウチに遊びに来てくださるのは嬉しいのですが、しげはいつもこんな調子で、私に全て部屋の片づけをさせて自分では何もしようとしません。ですから、みなさんが訪ねてくる時、どんなに部屋が散らかってても、私はもうしげの手伝いはしません。
 部屋が臭くてもあちこちにゴミが散乱してても、知りません。それでもよかったらどうぞおいで下さい。一緒に部屋を片付けましょう。しげは放っといて。

 気持ちの上ではしげを怒鳴りつけたい気分だったが、穂希嬢がいたのでグッとガマンする。
 こういう私のガマンだって、しげには私が人前で体裁を整えてるからだっていうふうにしか映らないのだ。人前でしげを私が叱らないのは、それが即しげの恥につながっちゃうからだろうが。
 こうして日記に書いてる分には、私の虚構が混じってる、あえて露悪的にしげのことを書いてるって可能性だって考えられるのだ。だから、ウチに来て見て、「なんだ、案外片付いてるじゃん、しげさんが全然片付けしないなんて、やっぱりダンナのウソだったんだね」と取り繕うことだって出来る。
 人前でしげを罵倒しなかったのは、そんなふうに私がしげを気遣ってたってのに、そんなことにも気付いてないのだ。
 とゆーか、はっきり何度もそうしげに言ってるのに、3秒後にはしげは忘れているのだ。
 何をどうやったら、こんなバカができあがっちゃうのか。
 ああ、でも「気持ちが離れる」ってこういう瞬間のことを言うんだなあ。もちろん、しげが心から「ごめんなさい、私が間違ってました」という日が来れば、私の気持ちも戻るのだろうけれど、さて、これを読んでもしげが「ごめんなさい」と言えるかどうか。

 しげは、口で言いきかせても、すぐにヒステリーを起こすばかりで、マトモにモノを考えようとしないから、しかたなくこうして文章にしてるんである。
 ちゃんと書いとくけど、素直に「ゴメン」って言えたら許すからね。これは別に私が高飛車になって「許してあげる」なんて態度でいるわけじゃないよ、お前は勝手にそう思いこんで自分を正当化しようとしてるけど。
 自分が家事ほっぽらかしてるのは事実だろ? 「あんただって」とか「自分だって気遣いはしてる」とか言い訳をして、自分の身だけを守ろうとするな。それはただ卑怯なだけだ。守らなきゃいけないのは、自分の立場じゃなくて、「生活」だろうが。それを素直に反省しろって言ってんだよ。どんなに言い訳したって、一緒に暮らす基盤を自分自身で放棄してるのは厳然としてるんだぞ。
 自分が間違ってるとはっきりわかってるのに謝れない人間なんてクズだ。どうせ私はクズだよってヒガムのはもっとクズだ。このままクズに成り果てて、トシ取ってくつもりか?
 もういい加減で「素直に謝る」、これだけでも学習しろよ。意地を張るな。
 ハッキリ言われなきゃ分らないって、ハッキリ言ってもオマエがわかったためしがあるのか? だからバカバカ言われるんだ。

 「気持ちが離れる」と書いたが、これもお前は勝手に勘違いしちゃうだろうから、書いとくけど、「愛情」がなくなったって意味じゃないからな。単に「私だってもうトシなんだし、これ以上、お前に言葉をかける気力がもうない」という意味だよ。そこで「だったら言葉なんかかけてもらわなくてもいい」とかふてくされるな。醜いぞ。
 これだけ言葉を尽くしてもわからないか? こうして、お前に向かってること自体が、愛情でなくてなんだって言うんだよ。
 気づけ。そして働け。
 原因は全てお前にあるんだ。


 穂希嬢、何かのゲームの攻略法をパソコンでダウンロードしたかったらしい。
 私は黙々と片づけを続ける。
 なんか全然相手しなくて申し訳なかったけれど、ちょっとココロに余裕なくなってたもので。
 もちろん、しげはその間、何も片付けを手伝わない。
 30分ほどして穂希嬢の作業終わり。
 しげ、穂希嬢を送っていく。
 なんかもー、疲れた。
 
                                      ダラダラとアニメなど見る。 
 『キン肉マン�鏡ぁ戞△△◆⊇蕕瓩童�たけど初代キン肉マン、神谷明さんじゃなくなっちゃったのね。映画版までは神谷さんがやってたのに。ミートくんも松島みのりさんじゃなくなってるよう。作画は旧作より圧倒的によくなってるのに残念だなあ。でもギャグは相変わらずつまんない。リング上で屁をかまし合うなんて、ギャグ以前だ。こんなアホなとこだけ前作を踏襲してどうするんだよ。
 『シャーマンキング』、これもしばらく見てないうちに、ストーリーがわかんなくなってる。どうやらシャーマンファイトは始まってるみたいだけど、新キャラが増えてるなあ、女の子とか女の子とか女の子とか。みんなかわいいのはとりあえずGOOD。でもおかげで林原めぐみや犬山犬子の出番が減ってるのがオジサン、悲しいぞ。
 『テニスの王子様』、なんかマムシさんってのが出て来てますが、濃いキャラですねー。まあ、そんだけ。

 『ヒカルの碁』第十六局「saiはだれだ」。
 前回に引き続き、作画がとてつもなくいい。
 構図、テンポ、統一感の取れたキャラデザイン(言わずもがなだけど、作画監督がしっかりしてないと、各原画の印象がバラバラになる)、2週続けてハイレベルってのは、班態勢がしっかりしてるってことなんだろう。
 たまに作画が乱れるのは、どこか一、ニ班、おミソな作画監督のところがあるのかな?
 『ヒカルの碁』はネットでも公式ページをよく見るんだが、各話の脚本、絵コンテ、演出の記載はあるのに、作画監督だけがない。単なるミスか、苦情が来るのを恐れてか。でもビデオで録ってるから、誰の回がヘタレかは調べりゃすぐバレちゃうんだけどね(←イジワル)。
 今回の絵コンテの担当者を見てビックリ。「かみやじゅん」ってひらがなになってるけど、これ、『BLUESEED』、『ネオランガ』の「神谷純」監督だな? うわあ、なんちゅう豪華。脚本に難のある作品にあたることが多くて、もう一つ評価されてないみたいだけど、演出力はずば抜けてるヒトだ。
 ああ、『ヒカ碁』はDVD買うまいと思ってたけど、これで迷いが出て来たぞ。
 また驚いちゃったのは新登場の和谷、原作以上に美形だったんだよね。
 もちろん原作でだって特に「美形」の位置にいるキャラじゃないんだけど(佐為にアキラもいるし)、こうも整ったデザインで描かれちゃうと、なんだかオジサンまで頬がポッ(^^*)……ああ、いやいや、そのケはないぞ、私には。
 saiにネット碁で負けて口惜しがる和谷を初めはその口もとだけ映して、カメラをすっと引く、けれどカメラが和谷の半身を映すのは一瞬、窓の外まで引いて、そのまま上に上がり、空を見上げてやや呆けている顔を俯瞰で抑える。
 いやあ、うまいわ。
 和谷の負けて鬱屈していた心が、「saiって何者?」っていう思いに変わり、空へ広がって行くのを、ちゃんとカメラの移動で表現してるんだもの。アニメ誌も、こういう表現のテクニックをもっと特集してほしいんだけどなあ。「演出」が一番なおざりにされているのが今のアニメ誌の一番の問題点だと思うんである。
 でも、こうもいい作画が続くと、ローテーションから行って来週あたりはまた崩れるかもな。予告編見てみてもそんな感じだし(^_^;)。


 『ウンナンのホントコ』、24時間恋愛の第2週目。
 ともかく、ほぼ1ヶ月会い続けて、それ以降も会いたいと思ったら、百万円は諦めなきゃなんないって企画だけど、穴があることはあるよな。
 予めお互い示し合わせて、「もう二度と会いません」とウソついて百万円を手にして、こっそり会ってりゃいいんだから。
 けど、なんかねー、そういうダークなことってインチキだからやりたくないってムードが二人の間に漂ってるのが、もー見てるこっちはむずがゆーてむずがゆーて。
 いちいち1時間会ったあとに、日記を書かせてるんだけど、これがまた照れくさいやら何やら。女性の方の気持ちがどんどん彼に向かってて「私は相手にされてないのかも……」なんて切々としてきてるのに対して、彼は「彼女の本心が分らない」と戸惑うばかり。このすれ違いぶりがもう、臨場感のあることったら。
 原千晶なんか涙ぐんで「彼女の気持ちわかる!」とか言ってるし、いとうせいこうさんまで「おもしろい!」と真顔で(?)言ってるし。
 いやもう、結末がどうなるか、目が離せません。


 帰宅したしげと、食事に出かける。
 なんかもー、会話は上の空である。
 これから車の中ではできるだけ寝るようにしよう。

 ホンダで本を探してる間もしげはずっと「まだ? まだ?」とうるさい。自分が買い物してる間は私を平気で待たせとくくせになあ。
 そのあと、ロイヤルホストでビーフシチュー。心が寒いと温かいものがほしくなるね。いつもは買わないパンをしこたま買いこんだのも、多分ストレスのせいだ。 

 雑誌『怪』vol.0012(角川書店・1365円)。
 今回は天狗特集。
 民俗学ってのは、タテに流れるヒトの心を研究するもんだと思う。だから、ムカシの生活を研究するってだけじゃなくて、今の「俗」にだって目を向けなけりゃ、その流れは見えてこない。
 その点、この雑誌はよくわかってて、もちろん猿田彦伝説もキチンと抑えているが、「みうらじゅんのテングーを探せ!」なんて連載もあったりする。
 いいなあ、テングーTシャツ。天狗の鼻の部分だけが立体なんだけど(しかも長くて太い。もちろんアレのアナロジーである)、常に片手で持ってなきゃならないっていうのはどんなものか。着てるやつがいたら見てみたいぞ。
 テングードアノブ。鼻が垂れ下がるので、「象さん」に見えてしまうのがちょっとネック。篠原ともえもビックリしたらしいぞ。
 しかし、ほんとに巷に天狗は溢れかえってるみたいだね。「てんぐ寿司」「琉舞衣装の店・てんぐ屋」「天狗堂」「うどん・そば・てん狗」。最後のなんか、うどんとそばと天狗を一緒に売ってるみたいだ(だってロゴの大きさがおんなじだったし)。
 みうらさんによれば、尾田栄一郎の『ワンピース』のウソップもテングーだそうである。……そう言われると何となく納得できなくもないかな?(いや、ウソツキで鼻が長いってのはピノキオが元ネタなんだろうけどさ)
 けどどうしてみんなこんなに天狗が好きなのかってのは、考察しがいのあるテーマなんじゃないかね。
 もちろん、水木しげるさんのマンガ『神秘家列伝』の今回のお題は、『天狗小僧寅吉』。いや、凝ってるねえ(^^)。

 水木さんがこの雑誌のあとがきを書かれているのだが、「もう私は半分以上水木さんではないのです」とご本人が言われているくらいだから、この文章がやたらとおもしろい。
 ここ10年で読んだ文章の中でも、まさしくベスト級と言ってもいい。
 ちょっと長くなるが、一部を引用してみたい。

 「私はあと三、四ヵ月で八十歳になると思うと、『怪』の“あとがき”同様、なんだかピンとこない。こないだ、カナダのトーテムポールを観に行ったが、どんな田舎でもチャント建ててあり、しかもみな上手に作ってあるので二度びっくりした。
 そんなことを、糞をしながら考えていたわけだが、それでもどうもハッキリしないところをみると(昔はもっとハッキリしていた)、やはりボケたせいだろうか、なんとなく一日が、ゆかいになってきたのだ。というのは、〆切とか仕事の事が、どういうわけか、脳みそにしみこまないわけです。
 (中略)
 ボケを利用して生きるというわけではないが、神様がそうするのだろう。〆切でもなんでも平気だ。即ち、仕事をやろうとしないわけだ。
 ボケというものは、結局人を長生きに導き、幸福にするものだと私は思う(ボケこそ老人の救いである)。
 つい話がボケになってしまったが、“怪”はボケどころかますますハッキリしてきている。
 なにがハッキリしたのか分らないが、とにかく“面白い”方向にむかっているというわけだ。
 めでたし めでたし」

 ああ、こういう老人になれるんなら、人生、生きる甲斐もあろうってもんだ。世の中でボケを怖がる人は、知に生きているつもりで実は知の奴隷になっている人であろう。アタマのいいやつほどバカってのはやっぱり真理なんだよなあ。
 手塚治虫があれだけの作品を残しながら画竜点睛を欠いたのはボケを経験しなかったことにある。人間やっぱり長生きしなきゃね。
  

 原著作・永井豪、ダイナミックプロダクション・プロデュース『マジンガーバイブル 魔神全書』(双葉社・3675円)。
 なんか似たような企画本、前にも出てたような気がするが、それでも買っちゃうのは永井豪ファンの性(さが)か。
 資料は充実してるなんてレベルの話じゃない、ホントに「網羅」に近い、これ以上は望めまいくらいの完璧ぶり。初期企画資料から各作品、原作、テレビアニメ、劇場版の紹介や設定資料、ある限り出して来たって感じだ。
 アニメはキャラの絵柄がコロコロ変わって、あまりに劇画チックで好きになれない話もあったんだけど、私が好きだった回は、原作に絵柄が近くてさやかがひたすらかわいい白土武が作画監督だったものだったと判明。羽根章悦さんや奥山玲子さんもいいけど。
 『バイオレンスジャック』の『鉄の城』編や、『思いでのK君』にまで触れてるのはご愛嬌か。ともかく、豪ちゃんファンなら書棚の一番目立つところにドンと置いておきたくなる一冊である。

2001年01月30日(火) 昨日・今日・明日/『火の接吻』(戸川昌子)


2002年01月29日(火) 休み過ぎだって自覚はあるのよ。一応。/DVD『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』/『西岸良平名作集 蜃気郎�供戮曚�

 年初めだっつーのに、また仕事休み。
 有給を一番有効に使ってるな、オレ。
 でも、トイレに行くたびに自分の真っ赤な血を見る生活も飽きたぞ。いい加減で止まれ。
 いつまで経ってもしげが家事をしないので、洗濯やトイレ掃除などする。
 だから病人をこき使わせるんじゃねーってば。
 疲れて後はDVD三昧(疲れてるんだったら寝てろってば)。

 DVD『ジャングルはいつもハレのちグゥ』6巻。
 このシリーズもあと1巻で終わりだなや。
 物語はいよいよ「コンクリートジャングル編」。これはもうなんと言ってもロバさんの登場にトドメをさすね。
 いくらハレのかあちゃんがお嬢さまだからって、拳銃持ったボディガードがいるってのは変だろ、そこはテ○直後のマンハッタンかっ! てなマジメなツッコミはなし。やっぱ、「狙われている!」(狙ってないって)って一般人を撃ってくれるのがいいねえ。最近のマンガやアニメ、この程度のことでも自粛したりするし。戦争アニメで銃ぶっ放すのはよくても、子供向けや日常マンガじゃダメってかよ(`m´#)。
 もちろん、このロバさんの「たいしたことない出来事でも疑心暗鬼の末に針小棒大に解釈してしまう」ってギャグは、鴨川つばめや江口寿史が80年代にさんざんやりまくったギャグだ。けれど、最近このギャグのルーツはなにかなあ、と思ってて、気づいたのだ。
 これ、オー・ヘンリーの『最後の一葉』だわ。
 「あの葉っぱが散ったら私も死ぬの」って、んなわけあるかい!
 これが難病ものの少女マンガを経て、「思い込み激しいギャグキャラ」の造型に一役買ったってわけだ。いやあ、オー・ヘンリーって偉大なギャグメーカーだったんだねえ。
 ……異論・反論、お待ちしてます(^o^)。

 テレビはちょうどこの辺から見始めたころ。
 ギャグもぶっ飛んでるし、オタクマインドが横溢してるってのに、なんでたった26話で終わっちゃったんだか(だからか)。
 本郷みつる、原恵一に続く「第三の男」水島努をみんなでプッシュしよう!


 DVD『カウボーイビバップ 天国の扉』。
 テレビシリーズと比べるとイマイチだった映画版だけど、結局買いました。メイキングDVDから買ってるし、1巻だけないってのも淋しいし。
 ああ、でもやっぱり、オープニングからの10分巻は最高にイイなあ。
 あのオープニングがライブアクションで作られたものではないと知ったら、ディズニーを始めとするアメリカのアニメーションスタッフはみんな度肝を抜くことだろう。職人の仕事がアニメの世界にはまだ残ってんだよなあ。
 石橋蓮司のレンジィはやっぱり最高! こんなに楽しそうな石橋さんも滅多にない。
 でも、これがシリーズ最後のリリースだってのに、特典はそれほどついてなかったなあ。予告編にヤマちゃんのメッセージくらいで。
 確かに、映画はあくまで本編のみ、フロクなんて邪道って考え方も好きなんだけど、やっぱりオマケつきのお菓子って、ツイ、買っちゃうじゃん。メイキングなんかはやっぱり映画製作のドキュメンタリー的面白さが味わえて楽しいのだ。
 それとも、プロダクョンIG、意外と秘密主義でウラは見せないってか?


 DVD『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』。
 子供のころは実はあまり好きになれなかったんだよね、『サンダ対ガイラ』。
 なぜって、水野久美にくっついてるラス・タンブリンが嫌いだったから(^_^;)。
 いやはや、ツマンナイ理由で名作の評価を落とすような言動は慎まねばね。今見返してみても、ラス・タンブリンの大根&手抜き演技は、日本人の眼からみてもバレバレなんだが。
 しかし、前作『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』からの続きならニック・アダムスでいいじゃんかよう、どうしてタンブリンなんだよう。
 実際、疑問に思うのは、本当にこれって『バラゴン』の続編なのかなあ、ってことだ。タンブリンも水野久美も、いかにも以前からフランケンシュタインを知ってるようなこと言ってやがるが、役名違うじゃんか。
 水野久美、おまえいつからスエコからアケミに改名したんだよ。
 そのへん、昔は大らかだったのかなあ。だいたい、アチラじゃこの二作が続きものだって知ってるの、相当なオタクだけみたいだぞ。
 タイトルだって、ちょいとアチラの洋画データベースのサイトで調べてみたんだが、“Adventure of Gargantuas ”“Duel of the Gargantuas ”“The War of the Gargantuas”と、“Frankenstein's Monsters: Sanda vs. Gailah ”と正確に英語化してるものは少ない。ご承知のとおり、『ガルガンチュア』はフランスの伝説に出てくる巨人のこと。つまりフランケンシュタインとは縁もゆかりもありませんって体裁なわけだ。確かに「あれはフランケンの怪物です」って言われたって納得いかねえものな。
 そのサイトでは、評価が10個の星のうち、5個ついていた。
 『ゴジラ』(1954)が7つ星、『GMK』が9つ星(?!)であるのに比べると、たいして高くない。評価のコメントも、誉めてるのもあるが、「見るに耐えない」なんて酷評してるものもチラホラ。でもそれってやっぱりラス・タンブリンのクソ演技に絡んでる点が大きいみたいだから、あれさえなけりゃなあ、と無念に思うんである。合作だからってねえ、もちっとマシなキャスト組めなかったのかなあ。本当はジョージ・チャキリスがほしかったのに、断られてタンブリンに行ったんじゃないかって気すらするぞ。
 このころの東宝はやたらと海外戦略を取ってたような気がする。予告編を見てみても、「世界の東宝」なんて堂々と謳ってたもんなあ(東映もアニメじゃそんなテロップ流してたけど)。今見ると、結構恥ずかしいぞ。
 特典映像は、その海外版でのつけたし特撮シーンなどを収録しているけど、撮り直したものというよりも、日本版でカットしてたものを復活させたって感じみたいだ。
 ガイラが走り抜けるシーン、人間を食って吐き捨てるシーン、サンダ対ガイラの決闘シーンなど、結構見られるシーンがカットされている。残酷だったり、場面がうまく繋がらなかったり、そんなところがカットの理由だったんじゃなかろうか。


 マンガ、西岸良平『西岸良平名作集 蜃気郎�供戞柄侏媼辧�300円)。
 1巻ではあまり描かれなかった蜃気郎の失敗談もいくつか登場。
 怪盗もたまには失敗するって話を混ぜた方が親しみが湧く、と考えてのことかもしれないけれど、でも犯罪が見事に成功した時の話の方が圧倒的におもしろい。
 ただの怪盗話じゃなくて、不思議譚、怪談、ホラー的な話も混じっている。
 誰も知らない地下鉄が走ってる、なんて話は、都市伝説に取材してるんじゃないかな。西岸さん、ホントにいろんな所からモチーフを持ってきてるんだなあ。
 解説がわりに、地下鉄の紹介コラムが載ってるんだけど、東京には地下鉄博物館ってのもあるらしい。開業当時の上野駅が再現されてるっていうことだから、これは機会があったら見てみたいものだ。


 マンガ『スーパーロボットマガジン』vol.4(双葉社・680円)。
 ああ、巻頭から『ゲッターロボアーク』がハズれちゃった。
 一回だけの措置なのか人気がなかったのか。後者って気がするなあ。一度完結したものをまた続けるってのも、ねえ。
 代わりに巻頭に来たのが、富士原昌幸の『鋼の救世主』。
 なんだかもー、ただの対戦ゲームならともかく、∀ガンダムとザブングルとブライガーとガンダムXとマジンガーZとグレートマジンガーとゲッターロボとマジンカイザーとマクロスとコンバトラーVと、あと何が出てたっけ、ともかくこんなのが全部一緒くたになって、「マシンナリー・チルドレン」とかいう、エヴァもどきと戦ってたりしてるのだ。
 ストーリーっつーか設定はどないなっとんじゃ。『オレは悪魔だデビルマン』と同じで、誰かさんがむりやり作った世界なのか。つじつまが合わんぞ。ここまで来ると昔ながらのえすえふふぁんにはついてける世界じゃありまっしぇーん。

 もうこの雑誌で一番の楽しみなのは、はぬまあんさんの『いい旅ロボ気分』になりつつあるな(^o^)。
 �螢灰灰蹐龍�圧制御恐竜ロボ、こいつは燃えまっせ!!
 まだ一部の展覧会でしか公開してみたいだけれど、これが博物館あたりで常設展示されるってんだたら、私ゃ矢も盾もたまらず見に行っちゃうけどなあ。


 夜中にいきなりテレビからぴぽぴぽーん、と緊急ニュースのテロップが。
 また地震かなあ、と思っていたら、「田中外相更迭」だと。
 あちゃちゃ、ついにかぁ。
 まあ、よく持ったほうかなあ、と思ってたら、また、ぴぽぴぽーん。いや、「更迭ニュース」なら今見たよ、と画面に突っ込んでると、今度は「野上義二外務次官も更迭」だと。
 更にやっぱりというか、鈴木宗男衆院議院運営委員長も辞任の意向を示しているとか。

 コイズミ先生「ケンカの原因はなんなの?! 先生に言ってごらんなさい!」
 マキコちゃん「うえーん、よっちゃんが私の髪を引っ張ったのー」
 ヨシジくん 「ちがわい、先にマキちゃんがボクを突き飛ばしたんだい!」
 マキコちゃん「うそ! 私そんなことしてないもン!」
 ヨシジくん 「ボクだって髪なんか引っ張ってないやい!」
 マキコちゃん「引っ張ったもん!」
 ヨシジくん 「へーン、何時何分何秒だよう!」
 マキコちゃん「だって後ろでムッちゃんも見てたのに!」
 コイズミ先生「ホントなの? ムッちゃん!」
 ムネオくん 「知らねえよ! オレ、関係ねーよ!」
 コイズミ先生「もういいわ! みんな、今日はお昼ご飯抜き!」
 マ・ヨ・ム 『ええ〜?! そんなあ〜!』

 まあ、こんな感じか。
 裁定としては、なんの面白味もない結末になっちまったなあ、という印象だ。
 要するにNGOの締め出しを謀ったのは誰か、それを追求させないって結果だもんね。
 誰かも何も鈴木宗男自身が「そういう意図で言ったんじゃない」と、「言ったこと」自体は認めてるってえのに。
 小泉首相もねえ、「女の涙にゃ勝てないね」とか言ってたんだから、女と心中するくらいのハラを括ってくれてりゃよかったのに。「女に背中切られるくらいじゃないと女は描けません」と溝口健二も言ってたぞ。関係ないか。

 けどまあ、これで国民の判官贔屓が、田中真紀子への同情票を確実に集めることは間違いないな。案外、「次があるから」とかなんとか、それをカードに小泉首相は田中外相に更迭を納得させたんじゃなかろうか。

 「アナタはん、ウチを捨てなさりはるんどすか?」
 「泣くなおマキ、俺だってツレえのサ」
 「そない言わはっても、もうウチにはアナタはんしかおらしまへんのどす」
 「別に切れろと言ってるわけじゃねェ、二人の間にゃ、インターバルってものが必要なんだよゥ」
 「いやどす。ウチは片時だって、アナタはんと別れとうはおまへん」
 「耐えるのサ、おマキ、いつかまた、春も巡って来ようってもんじゃねぇかよゥ」

 もっとも、女にこんなこと言ってて、誠実なヤツなんて、まずいねえけどな(^^)。
 この程度のカケヒキくらいは青二才の小泉首相にだってできるんじゃないかって思うんだけれども、自分の人気が落ちるってことはあまり考えてないような気がする。まあ、「思いあがり」発言は首相になる前から頻繁にやってた人だし、今回も「思いあがった」末の勇み足なんだろうね。
 その辺まで読めちゃうところが、この国の政治がつまんないとこ。もちっと楽しめるキャラ出してくれや(って映画じゃないって)。

 どさくさに紛れるような形で、大橋巨泉もいきなり辞職。
 テレビは、記者会見の席上で、民主党の金田誠一衆院議員、社民党の福島瑞穂幹事長、辻元清美政審会長なんかが、「辞めないで」コールしながら取り囲む様子を映してたけど、こういう三文芝居が見てるほうに通じると思ってる分、こいつらは実に始末に悪い。
 政策がどーの、思想がどーのってことの前に、国民を舐めてなきゃ、こんなパフォーマンスはできねえって。でなきゃ、何もしなかった巨泉をどうして引き止める必要がある?
 「人権派」を標榜する連中って、こんなのが多いからやんなるんだよなあ。

2001年01月29日(月) 癒し癒され恋焦がれ。/アニメ『地球防衛企業ダイ・ガード』13巻ほか


2002年01月28日(月) 多分、しょっちゅう見ている夢/『おせん』其之三(きくち正太)/『END ZONE』1巻(えんどコイチ)ほか

 夜中の3時、ちょっと催してトイレに行く。
 いきなりしげが「起きたん?」と聞いてくる。
 体が起きてるだけで、覚醒しているわけではない。気分的には、トイレから帰ってきたら、また寝たいのだ。
 「なんだよ、オレ、トイレだよ」
 「帰ってきてからでいいから、背中押して? 痛いとよ」
 「しらねーよ、帰って来たら寝るよ。眠いんだよ」
 「お願い、約束したよ」
 「返事してねーだろ、勝手に約束するな!」
 なんか知らんがしげの背中のホネはしょっちゅうズレるんである。
 整体に行っても完治しない。いったんは元に戻ってもすぐにずれる。
 しょうがなく、時々私がしげの背中に乗って、平手で押して戻してやってるのだ。
 右の手首と左の手首を合わせ、掌を蓮の葉のように広げて、背骨の両側に広がるように当てて、グイと押す。
 そうすると、パキ、と音がして、ホネが元に戻るのである。
 「ああ、背中が軽くなった!」
 と、しげは喜ぶのだが、たいてい、私への報酬はない。
 常日頃、自分が何か頼まれたときにはお駄賃求めたり求めなくても勝手に取っていったりしてるのに、理不尽だ不公平だと思っていたのだ。
 その上、今日の私は寝惚けている。
 「早く早くぅ、上に乗って?」
 聞きようによってはすげースケベなセリフだが、もうこちらは乗れと言われりゃ乗ってやろうじゃないか、このクソ野郎ってな気分である。
 いつもは体重を乗せて押すようなことはもちろんしない。
 しかし、今日は思いきり、両掌にチカラをこめ、波動拳を放つがごとく。
 「破ッ!」
 「うっ!」
 なんか私の下で動かなくなった生き物がいるがよく知らん。 
 あとはまた寝た。
 多分、今まで書いたことも全部夢だろう。
 

 こんな夢を見た。 
 マンションの屋上に長屋があって、そこの真ん中の部屋に住んでいる。
 しかし、ベランダの向こうはずっと砂浜だ。
 屋上じゃなかったのか、ここは、と夢の中の私も疑問に思っている。
 どこぞのジジイがしょっちゅう、洗濯物を干しに砂浜に来ている。
 部屋の中を覗かれちゃ困るので、カーテンはいつも締めっぱなしだ。
 夢を見ながら、こんな夢を見ているとは、いったい私はどんな精神状態にあるんだろうと訝んでいる。
 あとでこの夢を誰かに分析してもらうために、ちゃんと忘れないようにしておかなければいけないと、部屋の隅に膝を抱いてうずくまって、一生懸命、呪文のように唱え始める。
 「砂浜にジジイ、砂浜にジジイ、砂浜にジジイ」

 こうまでして、夢を記憶したのだ。誰か分析してくれ。

 朝になって目覚めると、しげ、ぐっすり寝ている。
 「ほら、職場まで送っていってくれ」
 とつついても蹴飛ばしてもピクリとも動かない。
 夕べ、何か疲れることでもあったのだろうか。
 仕方なく、タクシーを拾って出かける。
 夕方までにはいくらなんでも目覚めるだろう。


 児童文学者・作家の上野瞭さん、27日に胆管がんで死去。73歳。
 記憶喪失の猫、ヨゴロウザと仲間たちの、野良犬たちとの攻防戦。
 理想の家族を演じることに堪えられずにホームレスになっていったお父さん。
 前者は『ひげよ、さらば』。NHKで連続人形劇にもなった。
 後者は『砂の上のロビンソン』。ドラマ化、映画化されて、そのお父さんの役を、テレビでは田中邦衛が、映画では大地康雄が演じていた。
 多分、上野瞭さんをご存知の方はこの二作と思い出が直結している人が多いのではないかと思う。
 もちろんこの二作を称賛するに言を待つものではないが、私が上野さんを知ったのはこの二作が発表される以前のことだった。
 あれからもう、20数年。

 『上野瞭ってひとの本、読んだんだけど、おもしろいね』
 『先輩も、読んだんですか? 面白かったでしょう!!』

 彼女とは、偶然同じ本を読み、同じようにおもしろがるということがままあった。それが何となく二人の仲を運命づけているように感じていたのも若さゆえのこと。
 『ちょんまげ手まり歌』『目こぼし歌こぼし』、何しろどの話もハッピーエンドを拒む。
 ちょうど、児童文学はこのままでいいのか、という議論が活発なころだった。
 子供向けだからということで、現実の社会をいささかも投影しない絵空事ばかり描いていていてもいいものか。
 上野さん自身、評論と実作の両面からその議論のウズの中に身を投じていた。
 結果、上野さんの作品はいずれもが、たとえ猫の世界を舞台にしたものであっても、「現実」を色濃く映しだしたものになっていたのである。

 私は、彼女と一緒に上野さんにお会いしたことがある。
 1984年、夏。
 講演会の後だったが、児童文学を研究している者です、と自己紹介したら、30分以上も時間を割いてお話をしてくださった。
 「現実とファンタジーとは必ずしも融合しないのではないか、現実を取り入れたら、おもしろさは半減するのではないか」、そんなことを質問したと思う。これも若気の至りで、上野さんの作品自体を揶揄しているようなつもりでいた。『ひげよ、さらば』の淋しいラストが、当時の私にはよっぽど腹立たしく思えていたのだろう。それとも、彼女の前でエエカッコしいでいたかったのか。
 上野さんは、そんな私の挑戦的な態度に、怒りを示そうともしなかった。「物語の力はそんな弱いものではない」。そんな意味のことを仰っていたが、その口調はあくまで優しく、しかも元気に満ち溢れていた。
 五十歳を越されてはいたが、身振り手振りも大仰で、作家にありがちなえらぶったところが微塵もなく、年に似合わず飄軽な印象すらあった。勢いに乗っている新進作家、そんな感じだった。
 「次はもっとおもしろいのを書くよ。まだ全然考えてないけど」
 そう言って上野さんは笑った。

 『砂の上のロビンソン』が上梓されたのは、その後、1987年。
 遺作、『アリスの穴の中で』は1989年。男が妊娠する話だ。映画『ツインズ』は前年に公開されていたが、連載執筆は『ロビンソン』の直後から始まっているので、アイデアとしては上野さんの方が早い。
 何より、今、男の妊娠を一つの寓意として語ることで、男の社会的脆弱さを暴いて見せた点で、上野さんの小説の方が一等おもしろかった。

 上野さん、あの時は、貴重なお話、ありがとうございました。
 あの時の彼女とはもう別れてしまいましたが(^_^;)。
 安らかにお休み下さい。
 

 眠田直さんのホームページ『MINDY POWER』で、「第一回日本オタク大賞」の受賞結果が紹介されている。
 受賞結果は以下の通り。

 ◎大賞 『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」(製作シンエイ動画・ASATSU-DK・テレビ朝日/原作臼井儀人/監督脚本原恵一)
◎話題賞 株式会社セガ
 ◎DVD賞 『ウルトラQ』
 ◎国際貢献賞 秋葉いつき
 ◎血糖値賞 チョコエッグ
 ◎佳作 『こみっくパーティー』
 ◎佳作 スタジオジブリ
 ◎唐沢俊一賞 『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』
 ◎岡田斗司夫賞 ちゆ12歳
 ◎眠田直賞 『パワーパフガールズ』
 ◎切通理作賞 『あずまんが大王』
 ◎氷川竜介賞 食玩「超人ヒーロー伝説」

 もう、選考の仕方自体が超オタク(^^)。つーか「スタジオジブリ」なんてのは意地悪以外のなにものでもないな。
 大賞は当然、これだよなあ、という結果か。
 今後、なんたら映画賞とかかんとかアニメ賞とか、あちこちのメディアでいろんなトップ作が発表されていくだろうが、『クレヨンしんちゃん』を見てもいない映画人や評論家気取りの連中のタワゴトなど、全部無視してよろしい。『GO』なんぞに票を入れたキネ旬御用達の評論家など、クズの集まりだ(と、見てもない映画をクズ呼ばわり)。
 ああ、これだけメジャーで、しかもオタク受けする映画が生まれた2001年の奇跡よ。
 あと、細かい解説してたらキリないので、一言二言だけ。
 秋葉いつきってのは日本人じゃありません。ロシアのコスプレ娘です。私はそれほど好みじゃねぇっす。
 『ちゆ12歳』、日記の筆致を見る限り正体は多分、男。
 でもそんなことはどうでもいいな。ともかく今一番、熱く、速く、オタク情報が手に入るサイトです。人格は疑われるかもしれんが。当然、私も「お気に入り」に入れとります(^^)。

 
 マンガ、きくち正太『おせん』其之三(講談社・580円)。
 料理マンガ……もとい、純然たる「和食マンガ」も3巻目。
 『美味しんぼ』も散々叩かれてたけど、和食オンリー、和食・アズ・ナンバーワンって感じのこのマンガ、結構叩かれてるんじゃないかなあ、憶測だけど。
 けど、私だって、和食と洋食、どっちが好きかと聞かれたらためらわずに和食と答える。ハンバーガーが食えなくても諦めはつくが、吸い物、味噌汁がもう飲めないということになれば、こりゃ本気で断腸の思いを味わわねばならなくなるからだ。
 やっぱり、和食のうまさって忘れてる人多いんじゃないかなあ? ほんのひとつまみの塩で味がガラリと変わっちゃうって話、『包丁人味平』でもやってたけど、実際、調味料が塩しかない貧乏生活を経験したことがある身には実感できる話だぞ。
 でもなあ、現実には大味な食生活を余儀なくされてるんだよあ。食卓に和食が並ぶことなんてないもの。とゆーか、味バカのしげと一緒じゃ、毎日がファーストフードかファミレスで、和食の玄妙な味わいなんぞ、どうしたって味わえやしないのよ。

 私はこのマンガで、親子丼って、三十分待って食うもんだっての、初めて知った。川波周五郎ってキャラが登場してきてそのことを語るんだけど、池波正太郎にそんなこと書いたエッセイでもあるんだろうか。いや、池波さんの食通ぶりは有名だけど、エッセイに直に当たったことはないもんで。
 

 マンガ、えんどコイチ『END ZONE』1巻(集英社・410円)。
 わあ、ホントに懐かしい、ひっさびさのえんどコイチワールド。
 とりあえず『少年チャンピオン』時代の『アノアノとんがらし』以来のファンなもので、つい買っちゃうんだよね。
 ギャグはともかく、この人のシリアスものはイマイチなんだけど。

 中身はもう、もろ『ミステリーゾーン』っつーか、『アウターリミッツ』っつーか、『週刊ストーリーランド』っつーか(^^)、要するにオムニバス不思議物語って感じなんだけど、テーマや展開はどこかで見たありきたりなものばかりなんで、コアな幻想小説、怪奇小説ファンにはクソおもしろくもないだろう。
 例えば、『マッチ売りの少女』。
 海水浴に来ている仲間の中で、ふと、『マッチ売りの少女』の話が出る。
 「あの話は実話でね、今も少女は幽霊になってさ迷ってるの。その少女は死ぬ直前の人間の前に現れて、一本のマッチに火をともして、その人の願いごとをかなえてあげるんだって」
 それを聞いた仲間の一人が、「やめろ!」と叫ぶ。
 ……はい、オチは読めましたね。
 これも、もとネタはアンブローズ・ビアスの『アウル・クリーク(ふくろうの河)』です。誰でも一回はネタにしたくなるのか『アウル・クリーク』。
 これを「ふくろうの呪い」と呼ぼう(^o^)。『シックス・センス』のオチにビックリするのは、恥ずかしいことなんだぞ。

 でも、なんとゆーかねー、えんどファンってのは、この「30年も前の子供向けマンガのテイスト」を持ち続けるえんどさんのこの「うまくならなさ加減」をとことん愛してたりもするのよ。工夫のないのが持ち味っつーか。
 そしてそれはえんどさんのデッサン狂いまくりの独特の絵柄だからこそ楽しめるのだと言っていいのだ。『ついでにとんちんかん』のアニメは、かえってデッサンが修正されて、フツーの絵になっちまってたんだよなあ。
 蛭子能収や渡辺和博をクリーンナップするようなもんじゃん。わかってないやつって、ホント多いよ。


 マンガ、つのだじろう『マンガ日本の古典32 怪談』(中公文庫・620円)。
 原作はもちろん、日本を愛し、日本の変貌を嘆いたジョージ・チャキリス……じゃなくて、ラフカディオ・ハーン(すんません、ベタなギャグで)。
 しかし、『怪談』の漫画化だから、つのだじろうにって企画は安易だよなあ。もっともこの『日本の古典』シリーズ、長谷川法世に『源氏物語』を描かせるというとんでもない組み合わせもやってのけてるが。
 もともとつのださんは、早くから自分一人で絵を描かず、アシストさんに主要人物まで任せちゃうということをやっていたので、今巻もエピソードごとに日々きゆうぞう氏や秦龍生氏のマンガが混じってくるというバラエティぶりなのだが、やはりつのだ氏自身が描いたマンガの方がずっと味がある。
 つのださんは、実は『ブラック団』のころのようなギャグマンガ時代のほうが好きだったので、『亡霊学級』『恐怖新聞』『うしろの百太郎』以降のマンガは、あの角ばった絵柄と、動きのないポーズだけが不規則に連続するコマ割りに閉口して、これだったら『虹を呼ぶ拳』のほうがまだマシ、と、あまりのめり込めなかった。
 オカルトものにはああいうケレンのある絵も効果的なんだなあ、見方によってはギャグとしても読めるし、とココロを広くして読めるようになったのは、後年のことである。

 さて、『雪おんな』『むじな』『ろくろ首』『耳なし芳一のはなし』あたりは定番だが、珍しいのは『生霊』。
 なんとつのださん、ここで安藤広重と合作している(^o^)。
 背景に広重の絵を使うだけでなく、コマによっては、広重キャラと自分のキャラを対話させたりもしているのだ。いや、これは珍品。幽霊の錦絵にフキダシを乗せて、「心の中では昼も夜も……憎み続けておりました」って、まんまやんけ(^_^;)。まさしく笑いと恐怖は紙一重だね。

 それにしてもこのシリーズ、藤子・F・不二雄氏の『落窪物語』が描かれずじまいだったのは、惜しみても余りある。わが国のシンデレラストーリーであるこの『落窪』、きっと藤子さんのニューヒロインが誕生したに違いないんだけどなあ。

2001年01月28日(日) 宴のあと


2002年01月27日(日) 寝ててもDVDだけは見る(^_^;)/アニメ『コメットさん』第43回(最終回)/DVD『マジンカイザー』3巻/『キカイダー01』3巻ほか

 今日はもともと日曜出勤の予定であったが、昨日があの調子だったので、欠勤届を出す。
 朝も起きられず、『アギト』の最終回を見損なう。……一応ビデオは仕掛けといたけどね。

 アニメ『コメットさん』第43回「瞳に映る輝き」。
 ああ、ついに最終回か。
 アニメ誌なんかを見てても、『コメットさん』を誉めてたのあさりよしとおくらいのもんだったけど、もっともっと、世間が認知していいアニメだったと思うぞ。ただ注文つけさせてもらえるなら、ラストはやっぱり地球と宇宙の問題に関わる話にしてほしかったな。ほとんどお妃選びの宇宙の話で終わっちゃったから。
 物語が終わってしまうのは淋しいけど、見損ねてた回(特に第1話!)を含めて、DVDでもう1回堪能することにしよう。


 『加藤夏季のファミナビ2月号』。
 『仮面ライダースーパー1』や『8マン』、『南くんの恋人』なんかの紹介。
 ナッキー(ハズい呼び方だけど、本人がそう言ってんだからしょーがねーや)は「『南くん』は私が『ステーシー』で共演した内田春菊さんの原作です」と紹介。でも、わざわざ自分が顔見知りであるかのようなことを言っておきながら、それ以上の具体的なコメントがない。さすがにじかに会って、何か含むところがあったのだろうか(^^)。
 今回、ナッキーのイベントでのコスプレの様子なんかも見せてくれてたのがなかなかに貴重。既に次の主演作も決まってるとかで、どうやら一発屋では終わらない感じなのが嬉しい。つーか、こんな短期間に主演映画が4本も連続するなんて、山口百恵、薬師丸ひろ子以来ではないか。
 あとは映画の出来がついてくるだけだ。とりあえずは『羊のうた』に期待しよう。
 

 DVD『マジンカイザー』3巻「甲児暗殺指令!」。
 ああ、もったいない、たった1話でガミア三体とも壊しやがった。
 一応原作通りの殺し方だから、キチンと作画してくれたのは嬉しいんだけど、やっぱり時間が機械獣大作戦の話になるわけだろう、だったら一体ちゃんと残しといて、次巻の引きにしてほしかったよなあ。
 けれどついに動くビューナスA原作版、そしてローリィ&ロールが見れたぞ。できたら原作みたいにあっさりした退場のさせ方じゃなくて、見せ場をいろいろと作ってあげてほしいもんだ。
 この分なら、次の次にいよいよブロッケン伯爵が登場するな。しかし飛行要塞グールはもう壊しちゃったし、どんなアレンジをさせるんだろう。


 DVD『キカイダー01 THE ANIMATION』3巻。
 わあ、冒頭でザダム死んじまったい。
 ホントに4巻で完結させるつもりだな。ミエ子も正体さらして死んだけど、そのあとがまにすぐさまリエ子・ビジンダーが座るってのはちょっと手っ取り早すぎるぞ。やっぱりどうしたってダイジェスト版になっちまう。……本気で、あとでロングバージョン作ってほしいなあ。
 つーことは、次巻完結、ワルダーもビッグシャドウもアーマゲドンゴッドも全部1話でってかい。……ムチャだよな、絶対。


 DVD江戸川乱歩シリーズ『白い乳房の美女/天国と地獄の美女/化粧台の美女』、立て続けに見る。
 毎月予約して買ってるDVD明智小五郎シリーズだけれど、LIMBのねーちゃんに「すみません、『白い乳房の美女』下さい」と言うのはちょっと勇気が要ったな。恥ずかしいとかじゃなくて、こういうのを堂々と言えるのはサドだと思うから(じゃあ私はマゾか)。

 『白い乳房の美女・江戸川乱歩の「地獄の道化師」』。
 タイトルに偽りありで、この白い乳房を見せるのが、お懐かしや片桐夕子なんだけど、劇中では「ブス」という設定。
 まあねー、このシリーズ、まだコドモ(ったって高校生だけど)で日活ロマンポルノの女優さんなんてグラビアでしか知らなかったわれわれに動く伝説のヌードをたくさん見せてくれてたからねー。
 そうか〜、これがあの片桐夕子か〜、という感じで見てたな、当時。
 でも、いくら実質的な主役が片桐夕子でも、それをタイトルロールに持ってくるのは憚られたんだろう、岡田奈々と白都真理のダブルヒロインを片桐夕子の前に持って来ている。この二人目当てで、「えっ? 岡田奈々が脱ぐの?」と思って見た人は、役の扱いの軽さにさぞ肩透かしを食らって激怒したことであろう。
 白都真理はこのときはまだ清純派だったので、ヌードは『人魚伝説』まで待たねばならない。でも確かにこの二人と並べられると、片桐夕子もブスに見えるよなあ。いくらポルノ出身とは言え、ちょっと扱いヒドくないか。
 しかしこれは断言してよいが、この作品、野上みや子役の片桐夕子と、綿貫創人役の蟹江敬三の二人で持ってるようなもんなんである。
 蟹江敬三、謎の彫刻家として登場し、あれだけ怪しい風体でありながら、実はいい人という意外性。いやあ、これって犯人の意外性以上のインパクトがないか(^^)。
 リーフレットも今回の蟹江さんの好演に一章を割いて、そのフィルモグラフィーを紹介しているのだが、「子供番組の宇宙人まで様々な悪役をこなし」とか遠回しに書かずに「ウルトラマンレオのブニョ」ってちゃんと書けよう。
 
 『天国と地獄の美女・江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」』。
 人見広介が伊東四朗ってキャスティングもぶっ飛んじゃうけど、大野役が小池朝雄ってのがビックリ。映画版『恐怖奇形人間』でも同じ役を演じているのだ(リーフレットでそのことに触れてないのは片手落ちだな)。明智役者とか、波越警部役者ってのはいるだろうが、大野役者ってのは小池さん以外にはいなかろう。っつーかそんな細かい所に気づいてるヤツあまりいないんじゃないか。もっとも脚色のしかたが全然違うんで、小池さん自身、同じ役を演じてたという認識はなかったんじゃないかと思われるが。
 原作には実は明智小五郎は出て来ない、ということになっている。
 微妙な言い方をしてるのは、もともと明智を登場させる予定だったのが、出版社を変えて連載したために、出せなくなってしまった、という経緯を持つからである。で、原作の探偵の名前は「北見小五郎」。こんなに名前も設定も近いんなら、全集にまとめるときに明智に戻しゃよかったのに。
 映画『恐怖奇形人間』でも、大木実が「明智小五郎」として演じていた。原作を読まれる機会があったら、北見を明智と読みかえてみてもらいたい。多分、何の違和感も生じないはずだから。
 テレビシリーズはあくまで「美女」シリーズなんで、原作は相当脚色されて、本来の主役、人見広介は後半リタイアして、千代子役の叶和貴子に焦点が移る。清純派の叶和貴子が脱いだってんで、当時は話題になってたけど、芝居がどへたくそだから、脱ぐしかなかったんじゃないかと覚めた目で見てたな、私。このときもう大学生か。つーことは『ギャバン』のすぐあとだろうな。叶和貴子には子供番組に出たってイメージを払拭しようってハラもあったんじゃないかなあ。
 でも最近見ないぞ。どこで何やってる叶和貴子。
 映画版でも、ラスト、そのチープさで茫然とさせてくれたあの「人間花火」、ちゃんとこのテレビ版でも実にチープな花火を見せてくれます。ただし「おかあさーん」と叫んだりはしないので過度な期待はしないよーに。

 『化粧台の美女・江戸川乱歩の「蜘蛛男」』。
 乱歩の長編作としては最初期の本作が、この土曜ワイドでドラマ化されたのが18作目ってのは遅すぎる気はするが(『一寸法師』がドラマ化されないのは今やサベツに引っかかっちゃうから仕方がないとして)、設定的にほかの原作とカブると判断されたからだろうか。『悪魔の紋章』も似たようなもんだし。でもだったらどうして『魔術師』のコンセプト借りてくるかな。原作別に復讐ものじゃないのに。なんだか新機軸を打ち出そうとして結局旧態依然の話になっちゃったって感じね。
 その分、キャストで見せようという印象が強くなっている。
 ヒロインの萩尾みどり、このころは横溝正史の金田一耕助シリーズの映画化でも『女王蜂』でヒロインを演じたりして、ミステリづいていた。演技力がある人だから、ヤワな脚本ではちょっと使い方がもったいなかったが。
 あと、蜷川有紀に早乙女愛、志麻いづみ。いかにも脱いでくれそうなキャスティングだ(けどこの当時の早乙女愛はまだギリギリ清純派。脱ぐのは『女猫』を待たねばならない。蜷川有紀はもう脱いでたのに今回は脱がず。残念)。
 ついでに松原留美子(『蔵の中』主演のニューハーフ)も出てるが、こいつが脱いだら大変なことになってたろう(今どこに行ったかなあ)。
 男優陣も中村竹弥、中尾彬、山本學となかなか渋い。だからこれでもちっと脚本がよけりゃなあ。

 しかし乱歩の映像化となるとどうしてヌードがらみの話にばかりなっちゃうかね。


 夜になってようやく起き出す。
 しげと、ブックセンターホンダに寄ったあと、「浜勝」で二人して定食を食べる。
 混んでるせいだろうか、麦飯が炊きあがってないということで、ちょっと待たされる。白飯もあるのだが、「浜勝」に来たらこりゃもう誰がなんと言おうが麦飯が一番である(しげは白米しか食わないけど)。
 先に来たヒレカツとエビフライのセット、カキフライを横目にじっと待って、その間、味噌汁をオカワリしてハラをやり過ごす。
 今日は案外少食なしげ、私が麦飯を待っている間に、オカワリいっぱいだけでご馳走さま。まだ体調が本調子じゃないんだろうか。珍しいこともあるもんだ。


 雑誌『ドラゴンHG(ハイグレード)』vol.2(富士見書房・1000円)。
 それにしてもゼイタクな作りだよなあ。ほとんどの連載がカラーつき。
 探すのに本屋を何軒も回ったから、売れてはいるんだろう。目玉が『土ワイ4』に『ヴェルパーサーガ』とゆー、まだ覚えてる人いるんかい的な作品なのだけれど、富士見は今やもう、オタクの総本山みたいなもんだから、そっち方面への販促はうまく行ってるんだろう。
 けど、連載の弱さはやっぱり気になる。
 今号からの新連載、内田美奈子『宇宙の未来はグリーンだ』、風忍『新・地上最強の男 竜』と逢魔刻壱『ダーティペアピースメイカー』。
 内田さんは4ページしかないし、『竜』は今更だ。『ダーペア』もデザイン変えすぎ。
 『土ワイ』だけのために高価なこの本を買い続けるのもどうだかなあ、とは考えるが、カラーページが多いのがどうしても心惹かれる原因なんである。

2001年01月27日(土) 祭りの前


2002年01月26日(土) 食事中には読まないで下さい。/『ラーゼフォン』1巻(百瀬武昭)/『増量・誰も知らない名言集』(リリー・フランキー)ほか

 給料が出て何が楽しいって、そりゃ、本やDVDがいっぱい買えるから♪
 ……いや、「いっぱい」はちょっと、難しいけどさ(充分いっぱいだろう、という声はこの際、無視する)。
 体調は相変わらず優れないけれど、今日を逃すと、買い物に行く時間が取れない。
 しげは今日も練習、ということなので、一人で天神まで出かけることにしたのだが……。

 いや〜、自分の体調、甘く見てたね。
 地下鉄に乗るまではたいしたこたあなかったんだが、着いた途端、ハラが急に「ふんごろぴー」と鳴り出した。
 慌ててトイレに掛け込んだが、何しろ普通の便ではない。
 血便どころか、便はほとんどなく、ただ血がダラダラと流れてくるばかりだ。いくらケツをシメたって、まるで効くもんではない。
 ズボンを下ろして便器に腰かけた時には、既にパンツはぐっしょり血塗れ。
 しょうがなくパンツだけ脱いで、とりあえず便器に水を流してジャブジャブ洗う。血と便の匂いが交じり合って、臭いの臭くないのったら(臭いんだよ)。けれど、水だけじゃとても匂いは取れない。
 仕方がないので、外を見まわし、人がいないのを確かめて、洗面所で洗浄液をつけて洗う。……あ、下半身は当然ズボンのみです。
 なんだかなあ、齢四十になろうってのに、公衆便所の洗面所でこっそりパンツ洗うハメになるとはなあ。
 駐車場そばの、あまり目立たないトイレだったから、人は来なかったけどよ、ちょっとヒヤヒヤもんだったぜ。
 ともかく、匂いを少しでも取ろうと、よく絞る。
 ノーパンのままじゃさすがに下半身が落ちつかないので、とりあえずしっとりしたパンツを履いて、トイレットペーパーをフンドシのように腰に巻く。特にケツの穴付近には念入りに。要するにトイレットペーパーで作ったオシメである。
 これぞ生活の知恵(違うって)。
 でも実際に小一時間は持つんだからバカにはなりませんよ、トレペの吸収力。

 なんかなあ、しげはよく私が仕事休むのがサボリじゃないかって疑ってるけど、こんなケツにシマリのない状態で仕事したらどんな事態になるか想像してほしいもんだってんだ。

 え? 買い物はどうしたかって?
 もちろん買って来ましたよ。
 ちょっと「作業」中にシャツに染みがついちゃったけど、多分、福家書店のおねえちゃんも、ベスト電器LIMBのおねえちゃんも気がつかなかっただろう。匂いはトレペオシメでしっかりガードしといたし。


 ひと月ほど前から、縁があって、別名を使って、某サイトで謎の小説を連載してるんであるが、ここしばらく体調が悪くて原稿が送れないでいた。
 ようやく、停滞していた何回分かの原稿を書いて、相手に送る。
 即座に先方からご返事があって、望外なことにお褒めの言葉を頂いたのだが、正直な話、恐縮するばかりである。
 なんかもー、最近は自分の書いたものを書き散らしてて全然見返してないからねー。とゆーのも、前にも書いたか知らんが、過去の原稿を読み返したり、一回書いたものをしばらく寝かしといてそれから加筆訂正したりすると、しげが「卑怯」って言うのよ。
 しげに言わせると「推敲」は「ズル」以外のなにものでもないらしい。誤字だろうと、文章のねじれだろうと、一度失敗したらそれを訂正してはならんのだそうだ。私にはそんな考えの方がバカだとしか思えないし、自分の書いたものに責任を持つのは当然だと思うんだが、あまりにしげが「ズルだズルだ」とうるさいものだから、ホントにたまにしか見返さなくなった。それも「これは前に書いたかなあ」という確認のためだけである。

 だから、今、私の書いてる文章はほとんど「無責任」の産物である。そんなもんを人のホームページに送り付けて、あまつさえ掲載までさせてるんだから厚顔無恥もいいとこなんだが、それでも先方に喜んでもらえると素直に嬉しい。
 反面、私もしげと長年暮らしてきたせいか、しげのダークサイドにかなり影響されていて(しげ本人はかなりペシミスティックな性格です。でも会った人間にそれと感じさせないのは、マジで記憶力がなく、自分の暗い性格まで忘れてしまうからです)、「どうせ外交辞令なんだ、本当は原稿送られて掲載せざるを得ず、困ってるんだ、打ち切るきっかけを探してるに違いないんだ」とか、つい思っちゃうこともあるのである(しかし、こうしてみるとしげの思考法って、人間としてダメだよな)。

 ところが、そちらのホームページで久しぶりにチャットをしてみると、「次の展開はどうなるんですか?」と質問の嵐。しかも過去ログ見ると、私がいないときでも「おもしろい」と言って下さっている人が多い。
 チャットって、短い言葉でヤリトリしなきゃなんないから下手な外交辞令が混じる余地ないのね。
 わあ、ホントに期待されてるんだ。
 なんかなあ、実生活じゃあまり楽しいことがないんで、嬉しくてついつい涙まで出てしまう。
 期待に答えられるだけのものが今後も書けるかどうか分らないけれど、時間の許す限り、そっちのほうにエネルギーを割いていこうと思うんである。
 でも、これで「ヒキコモリ」になっちゃったりしたらシャレにならんなあ(^_^;)。


 帰宅したしげに、「いやあ、今日はいっぱい血が出ちゃった」という話をしたら、「で、その血塗れパンツはどうしたの?」と聞かれる。
 「洗濯に出したよ?」
 「……オレの洗濯物も一緒に?」
 「もちろん!」
 「いやあああ! オレの服がきちゃなくなるううう!」
 「大丈夫だよ、二度洗いしてるし」
 「うんちがつくううううう!」
 「つかねーよ!」
 実際、洗ってるんだから汚れるわけないじゃん。何を勝手なこと言ってんだか。
 しかしなあ、自分の○○○○○○○○○○○は平気で私の洗濯物と一緒に洗うくせに、私のときだけ嫌がるというのは理不尽だよなあ。
 ウチでは便所掃除も風呂掃除も私の担当(つーか家事全般を結局私がやることが多い)んだが、汚いとこは全部他人に押しつけて自分だけキレイでいたいってのはやはり人間として間違ってる。
 「洗うのは洗っといたんだから、せめて干すだけは干せよな」
 「いやあああ!」
 「いやじゃない! じゃあ何もかもオレに押しつけて、おまえはこのウチで何をするんだよ」
 「……たまにするもん」
 「してねーよ! 自分の妄想の中で生きるなっ!」
 でもやっぱり、この洗濯もずっとほったらかすんだろうなあ。
 仕事の送り迎えもしょっちゅうサボるし、予想してた通り、日々の生活費は車を買う以前より逼迫してきてるのである。
 必然的にしげに渡す生活費もカットせざるを得ないが、それくらいは覚悟しておけよな。このバカ妻め。


 晩飯は「一番カルビ」で焼肉。やっぱりハラのことなんて全然考えてない……というより、うどんや雑炊食っても、薬飲み続けてもまるで治る気配がないならなに食ったって同じだ。
 しげにはロースとカルビの赤身肉、私はもっぱら牛ホルモン。狂牛病をこれほど気にしてない夫婦もそうはおるまい。


 マンガ、BONES・出渕裕原作、百瀬武昭作画『ラーゼフォン』1巻(小学館・560円)。
 百瀬さんって『マイアミ★ガンズ』の人なのだね。アニメの方しか知らんけど、こんな細い線であんな骨太のギャグやってたとは意外や意外。
 しかし中味はっつーと、つまんなくはないけどどうも入れこめる要素があまりないなあ。

 2015年、東京。
 突然始まった「外」との戦争。
 東京は実は時間の流れの違う閉ざされた世界だった。
 本当の世界の流れは2033年。
 謎の美女・遙によって外の世界に連れ出された高校生・綾人は、自分が「ラーゼフォン」と呼ばれる巨大なロボットの搭乗者として選ばれたことを知る……。

 なんつーかね、例えて言えばアヤナミのいない『エヴァンゲリオン』、ルリルリのいない『ナデシコ』を見ているような印象か。
 つまり、ストーリーのカギを握る謎めいたキャラがいないのね。
 ああ、いや、一応「クオン」って美少女キャラがいるにはいるけど、デザイン的に燃えないっつーか、どのキャラも似たり寄ったりにしか見えなくてさ。
 百瀬さん、キャラの描き分けがうまくないぞ。女の子キャラが髪型だけでしか区別出来ん。まずい絵じゃないけど、もうひとつ、華がないよなあ。
 アニメの方のキャラデザインは山田章博だってことだけどどんな出来なのかなあ。福岡じゃ木曜の夕方4時25分(東京じゃ月曜だそうだが)からの放送なもんで、『七人のナナ』を仕掛けている私は、まだ見たことがない。
 ううむ、誰かアニメの方見てる奇特なやつはいないか。


 マンガ、あさりよしとお『HAL はいぱあ あかでみっく らぼ』2巻(完結/ワニブックス・840円)。
 単発の連載が増えてきたなあ、あさりさん。長期連載する気力が続かなくなって来たのかなあ。『カールビンソン』が再開される気配もないし。
 『HAL』もネタ的にはもうちっと続けようと思えば続けられるネタではあるのだ。3巻くらいならキリがいいのに2巻となるとやっぱり打ち切りか? と勘繰りたくなる。
 別につまんないネタじゃないと思うんだけど、あさりさんの作風って、どこか若いころの立川談志に似てるのな(←乱暴)。客イジって遊んでるとゆーか、客の無知をさらけ出してものわらいにするとゆーか。
 まあ、バカにされて喜ぶ自虐的な客ばかりじゃないから、「何様のつもりだよ、エラソウにしやがって」と反発する客も出てくるのは自然の流れだ。それが、あさりさんにSFファンはついても、メジャーになりきれない理由だろう。
 でも、あさりさんのようなSFギャグを真っ向から描いてくれるような作家さんがくすぶってるってのは、SFの裾野が意外に狭いことの証拠だって気がするのだ。
 当たり前の話だが、SFのパロディはそれ自体、SFになっていなければならない。永井豪しかり、吾妻ひでおしかり、とり・みきしかり。先達たちが役目を果たし終えたかのようにリタイアしている今、あさりさんをもっとプッシュしてくれる出版社はないもんだろうか。

 近代科学が錬金術と密接な関係を持って発達してきたことは周知の事実だ。
 合理主義の象徴のごとく語られがちな科学が、意外にいかがわしいのは、例の大槻教授を例に出さなくても、知ってる人には自明のことなんである。
 擬似科学と科学の境界線なんて、専門の科学者にだって区別できないのではないか。つーか、あんたがエセ科学者でない証明なんて出来るのか? そうあさりさんは「科学」そのものに対して挑戦状を突きつけているかのようだ。

 冒頭の「冷凍睡眠技術」の胡散臭さ、あさりさんはギャグに仕立ててるけど、これって、「科学」の名のもとに合法的に行われてる殺人なんだからね。
 現実に治療不可能な病気にかかって、コールドスリープ状態に入ってる人々はたくさんいるらしいのだが、彼らを蘇生させる技術は現代科学にはない。つーか、「死体を蘇生させる」技術が発明されない限り、それは不可能なんだよね。冷凍させてる段階でみんな死んでんだから。
 そんなん科学でも無理だろう、と常識的にはそう判断しちゃうんだけれど、それが「科学」という言葉の持つ魔力だ。「未来の科学技術に期待する」……つまりは「科学はどこまでも進歩する」「いつかは全ての病気が治療可能になる」という根拠のない願望……いや、「信仰」だね、それに基づいて、嬉々として彼らはコールドスリープについたわけだ。

 今でも科学は庶民にとっては錬金術なんじゃないか?
 私だってパソコンの仕組みなんか全然知らないのに、こうして使ってるし。魔法の箱と変わりゃしないがね。
 このマンガのラストで、博士が「21世紀になったのになア…なんか科学の力は行き詰まっているよな」と切なく呟く。科学の発達は同時に科学の化けの皮がはがれていく歴史でもあった。
 宗教にハマった人間があるときふと、「今まで自分は何をやってたんだ?」と目覚めるように、結局は科学も人の心が作り出した「夢」に過ぎないことがわかってきたのだ。
 それでも、我々は「科学」に一縷の「夢」を見る。
 オウム信者が「それでもグルの思想自体はスバラシイ」と言い張るように。
 「夢」を語る者たちが須らく切なく見えるのは、どんなにささやかなものであろうと、それにすがりつかねば自分の心を維持できないくらいに、彼ら自身が脆弱な赤ん坊であるからだ。
 夢見てるヤツって、ママのおっぱい恋しがってるのとかわんないのよ。その夢がいろんな所で破れていく。われわれは赤ん坊のまま放り出される。それでもわれわれは、ママに捨てられたくなくて、相変わらずおっぱいを求めてさまよっているのだ。
 われわれは次に、何にすがりつけばいいのだろう?
 答えのない時代はもう始まっている。
 

 リリー・フランキー『増量・誰も知らない名言集』(幻冬社文庫・520円)。
 こんなに薄いのに520円。216ページしかないじゃん。
 でもまあ、中味がおもしろかったからいいや。
 イラストレーターとしてのリリーさんは(こういう呼び方すると、タイガー・リリーみたいだな)よく知らない。私の認識はあくまで『サウスパーク』のキリストの声の人である。
 しかしキリストをやるだけあって(別に関係ないけど)、世の中に対する目の付け所も一味違うスバラシイ人だ。

 ここに集められてるのは全て「日常」の言葉だ。有名人は誰一人いない。
 けれどわれわれはともすると過去の哲人よりもそこいらのオッサンの言葉の方に何とも知れぬ「重み」を感じることがある。
 リリーさんが採取した「名言」は、例えば次のようなものだ。

 「別にあやまらねぇよ……」
 「感動してるんだァ!!」
 「中で出してないから、ヤッてない」
 「だって、上の方だけだもん」
 「もうちょっとで損するところだったよォ」
 「オレはここでいいからっ!!」
 「女ってさぁ……。なんかヌルヌルしてるよなぁ……」

 もちろん、それらの言葉がどのようなシチュエーションで発せられたか、逐一説明はされている。しかし、それを読む前にこれらのセリフをじっくりと噛み締めて読んでもらいたい。果たしてどのようなシチュエーションでその言葉が発せられたか想像してもらいたいのだ。
 そして、改めて、本文を読む。
 そこには予想もしなかった世界が待ち受けている。
 例えば、最初の「別にあやまらねえよ」。
 誰がどんな状況で発したセリフかお分かりだろうか。
 これ、リリーさんのビルの前で、野グソ(いや道グソか)してたホームレスのおっちゃんのセリフなんである。
 ……えーっと、どういう思考なのだろうかこれは。「ウンコがしたかったんだ、だからしたんだ、おれはホームレスだから世界がおれの便所だ」、そう言いたいのだろうか。それともただの照れ隠しか。
 リリーさんは言う。「何の意味もない」。
 多分そうなんだろうなあ、この「意味がない」という点において、この言葉は実に奥深いものとなってるって思うんだけれど、こーゆー感覚、おわかりいただけるだろうか。
 しかし、ウンのついた日にウンの話を読むことになるとはなあ。なんと西手新九郎であることよ。
 
 われわれのセリフはほぼありふれた、陳腐な言葉で占められているのかも知れない。誰もが似たようなセリフをどこかで発してるかもしれない。
 しかしそのシチュエーションはまさしく千差万別、各人各様であるはずだ。
 だとすれば「名言」はわれわれのそばにも転がっている。
 そう、日々のウンコの間にも。

2001年01月26日(金) 夢の通い路


2002年01月25日(金) 遊び倒す病人夫婦。バカである。/映画『修羅雪姫』

 まだ本調子ではないが、なんとか仕事には復活。
 周りの同僚、気を使ってくださる人と使わない人と、キレイに別れる。まあ、休み明けにはよくあることだ。
 過去の日記を読み返してみると、ホントに一月に一回くらいは病気で仕事を休んでいるので、実際に職場に迷惑をかけてることはかけてるのだが、それでも若いときのように無理して仕事に行くことはしなくなった。
 なんつーか、「私がこんなに頑張ってるのに」って僻んだ目でしか病人のこと考えない人間のことを気にしたって仕方がないっしょ。

 下血はもう2週間近く続いたままだ。
 うどんや雑炊とか、消化にいいもの食っても血は出てるので、多分、どっか腸内の内壁のどこかが破れてるんだと思うが、薬を飲んで自然治癒を待つしかないんである。
 要するに安静にして寝てるしかないんですけどね。仕事してて「安静」になんかできるわきゃないってば。でももう、これ以上は休めないから、たとえ下半身が血塗れになろうと、気張って行くしかないんである。
 とか言って気張ってたら、ああ、また下血が……(´o`;)。


 迎えに来てくれたしげも、まだ体調がよくなってない。
 「今日、映画行けないっぽいよ」
 「どうして?」
 「職場の飲み会があるから」
 「行きたくないから断ったんじゃなかったの?」
 「……風邪引いてたのに、そんなこと伝える暇なかったよ」
 「じゃあ、俺一人で映画に行くしかないなあ」
 しげは無言だが、淋しそうである。
 

 しげが仕事に出かけたあと、出かけようかどうしようか迷うが、結局行くことにする。見たい映画が目白押しなもので、チャンスは逃したくないのだ。
 もっとも、できるだけしげが「おいてきぼりにされた!」と悲しんだりしないやつを選ばねばならない。
 悩んだ末にAMCキャナルシティ13で、映画『修羅雪姫』。
 これも釈由美子主演なので、しげが「私をほったらかして若い女に走った」とか文句つけられる心配がなくもないが、私はそれほど釈のファンってわけでもないので、この程度は許してもらいたい。
 小池一夫(誤字ではない。当時は「雄」ではなく「夫」を使っていた)、上村一夫の原作とは時代設定を変えて、近未来SFアクション(という触れ込み)として仕立て上げたとのことだが、それでも小池一雄テイストを充分残しての映画化だ。……良くも悪くも。

 冒頭でテロップが流れる。
 「“その国”では、500年にも及ぶ鎖国政策が今も続けられていた。世界から孤立したまま、希望も絶望もなく、静かだが淀んだ空気が“その国”を支配していた。
 隣国で古来より近衛兵としてミカドに仕えてきた建御雷(たけみかづち)家は、帝政の崩壊とともに祖国を追われて“その国”にたどり着き、反政府組織の鎮圧組織として政府に雇われたが、やがて金さえ受け取れば誰をも殺す暗殺集団と化していた」……。

 脚本家がどんな設定を思いつこうがそれは自由というものだが、どうもこの、舞台が日本なんだか朝鮮なんだか中国なんだかよく解らんというのは、なんだか中途半端に感じられて、ちょっとノリにくい。
 パラレルな設定、というよりは全く時間軸、空間軸の異なる設定としたいならば、ディテールにも拘らねばウソである。
 ともかく登場人物は日本語を喋ってるんである。
 ではここは日本なのか。
 いったい現実の日本とはどこで時間軸が分かれたのか。
 「隣国」とは日本の一部か。「タケミカズチ」ということは出雲系か。となると日本の中に出雲王国があったということなのか。ならば歴史が分かれたのは千八百年くらい昔か。
 「鎖国」してるはずなのに、銃器やテクノロジーだけは発達してるのはどうしてか。オランダ経由か? 銃の種類はよくわかんないけど、どう見たって「日本製」じゃないぞ。アメリカや中国との関係はどうなってるんだか。
 この辺の設定はあまり凝りすぎずに、単純に「近未来」にしとけばよかったんじゃないかと思う。設定を見せるのが映画じゃないんだから。だいたいこんなテロップがなくったって、映画の中には入りこめる。

 建御雷家の次期党首・雪(釈由美子)は、自らの感情を抑圧し、冷徹に人を殺す刺客として育てられてきた。
 ある日、彼女の前に空暇(くうか/沼田曜一)と名乗る老人が現れ、雪の母・亞空(あぞら)を殺したのは、建御雷家の現首領・白雷(びゃくらい/嶋田久作)だと告げる。

 こういう物語のお約束として、「あの子が○○歳になった時に真実を告げる」ってのがあるんだけれど、もちろん、「もっと早く告げるか、敵の中に置いとかないで、早いとこかっさらっときゃいいじゃん」というツッコミはなし(^^)。
 敵に育てさせてた方が安上がりってことで納得しよう(していいのかよ)。


 建御雷を抜けた雪は、偶然、反政府組織の活動家である隆(伊藤英明)のアジトに転がりこむ。警戒する隆を見て、いったんはこの家を出た雪だったが、追っ手との死闘で空暇を失い、深く傷ついた雪は、再び隆のもとに身を寄せるしかなかった。

 まあ、ここからがラブコメになっちゃうのが小池一雄(^o^)。
 戦いの合間のほんのつかの間の夢ってやつだね。
 でも、定番つーか雄約束過ぎてて、感動には程遠い。釈ちゃんもせっかくのナイスバディ、背中しか見せないし。せめてハミチチ(何を言ってる)。
 でも「このまま二人で逃げよう」はないんじゃないの、イマドキ。
 『人狼』の時はこのセリフが実に捻って使われてて感心したもんだけど、こういう陳腐なセリフ、よっぽどアイデアがないと、話の流れ阻害するだけなんだけどなあ。

 そして最後の戦いにってことになるんだけど、アイドルにしては釈由美子、たしかに体を張った演技をしている。
 肝心のアクションシーンはほとんど吹替えで、しかも男だってことがバレバレなんだけど、それでも走ったり飛んだりの結構な部分、決めのポーズも釈ちゃん本人がある程度やってるのは事実だ。だから吹替えシーンとの繋がりにそれほど違和感がない。
 こないだCSで見た『スケバン刑事』なんかとは比べものにならない出来のよさだ。
 何より、アクションの見せ方、アングル、カット割り、スローモーションとの切り替え、演出が凝ってて、もう『RED SHADOW 赤影』は『修羅雪姫』の爪の垢でも飲んでろってくらい。
 でもそれしか誉めるところがないってのも事実だしねー。
 隆の妹のエピソードとか、佐野史郎の存在とか、ムダだし。
 もちっと話をスッキリさせて、ホントにアクションだけで見せていったら、もっとハマれただろうに、そこが惜しかった。


 映画が終わったのが11時過ぎ。
 しげもそろそろ宴会終わってるかと携帯に連絡を入れてみるが、まだ遊んでいる様子。
 「今どこだよ」
 「え? スターレーン」
 「……ってボーリングかよ! じゃあまだかえって来れないな? 先に帰っちゃうけどいいか?」
 「ああ、わかった」
 ……具合悪かったんじゃなかったのか……って、映画見てる私も妻のことは言えんのだが。
 

2001年01月25日(木) 思い出したが私は電話恐怖症だった/映画『アヴァロン』ほか


2002年01月24日(木) オタクのハマリ道/アニメ『七人のナナ』第3話/『山本弘のハマリもの』(山本弘)ほか

 今日もケツから血がジョビジョバ〜♪
 で、仕事はまた休み。全く、正月早々そんなに有給食いつぶしてどうすんだか。
 腹が落ちつくまで、昼はひたすら寝る。
 さすがに今日はちょっと医者に具合を診てもらわにゃなるまいと、午後から近所の内科に行って、薬を貰うことにする。
 しげと二人で診察してもらったのだが、診断は風邪。少なくともインフルエンザではなかったので、ホッと胸をなでおろす。
 もらった薬は全く同一。病原菌が同じなんだから当然と言えば当然なんだが、そんなんでもしげはうれしそうに「薬がおんなじ」とか言ってやがる。
 だから、風邪移したのはてめーだろうがよ。~凸(-~~- )

 積文館を回って、何冊か本を買ったあと、ガストで食事。
 私は腹のことを考えて雑炊と豆腐サラダを頼むが、しげは遠慮もなくハンバーグかなんかを頼んでいる。それでまた腹痛起こしても、わしゃ知らんぞ。


 アニメ『七人のナナ』第3話「七人みんなで一人のナナ?」。
 神社で行われるフリーマーケットに行きたいナナたちは、町内会長さんが持ち込んできた特撮ヒーロー・ナナレンジャーのコスチュームをちょっと拝借して(おいおい)、「これなら顔がバレない!」と、神社へ向かう。
 けれど何を間違ったか、ナナたちは、イベントショーに出演させられてしまった!
 ……まあ、予想出来た展開かな。
 ナナが七人に増えても、家の中に閉じこもってるだけじゃ話の広げようがない、そのための「ナナレンジャー」の設定なんだろうけれど、かといって日常、コスプレして街中をうろつくやつってのもあまりいないぞ(^_^;)。
 「同じ顔のやつが二人以上いる」というのはコメディの定番だけれど、実はそう汎用が効くネタではないのだ。結局、「入れ代わりギャグ」でしか使いようがないからねえ。
 チャップリンが『独裁者』で、床屋とヒンケルを一人二役で演じながら、入れ代わりネタをラストにしか使わなかったのは、そのネタでドタバタをやってもたかが知れてる、と判断したからだろう。けだし、慧眼である。
 結局、同じ顔なのに顔を隠すことでしかキャラを動かせないというのは、設定の生かし方を思いついてないからじゃないのかなあ。
 ちょっと今後の展開が心配になってきたぞ。


 DVD『名探偵ポワロ』1巻「コックを探せ/ミューズ街の殺人」。
 先に長編ものを見ていたので、ようやく第一巻、テレビシリーズの第1・2話を見る。
 言ってみれば番組が成功するか失敗するかという試金石的なエピソード、相当力が入ってるんじゃないかと思ったが、そうでもない。

 『コックを探せ』。
 アポも取らずにいきなりポワロの探偵事務所に飛びこんでくたクライアントは、なんだか日本のざーます婦人みたいに高慢ちきなオバサン。依頼は「宅の行方不明になったコックを探してほしいんざーますの(吹替えはぜひ「ざーます言葉」にしてほしかったなあ)」という平凡なもので、ポワロを落胆させる。
 それどころか、このオバサン、ポワロをためつすがめつ、「あなた本当に名探偵? 新聞社におカネ積んで記事書かせたの?」と失礼この上ないことったらない。ポワロが怒りを抑えつつも依頼を断ると、オバサン、「優秀なコックの失踪は、国家的重大事並の大事件なのよ!」とヒステリーを起こしてむりやりポワロに依頼を受けさせる。
 あとで、ポワロ、ヘイスティングスにこっそりと、「私がこんな事件を引きうけたなんて、ジャップ警部にだけは言わないでくださいよ!」と念を押す。
 でも当然のごとくジャップ警部は「なんでもポワロさんともあろうものが、コックをお探しとか……ま、根も葉もない噂でしょうがね」とどこからか情報を手に入れているのである。
 まあ、ニュースソースはそのオバサンだろうけど。ヘイスティングスだったらヤだな(^^)。
 ……でも、えーっと、ポワロってコメディだったっけ……(^_^;)。
 トリックはチャチだ……というより、ある有名なミステリー短編のトリックの流用で、特に濃いミステリファンでなくても、犯人やトリックは一発でわかるだろうって程度。
 ということはだ。このシリーズ、ミステリーとしてどうのこうのってことじゃなく、やっぱりキャラクターの掛け合いでドラマを作っていこうって趣向なんだな。本格ミステリって、地味で映像化には向かないから、こういったアレンジについては、あまり文句はつけられまい。……そう言えば、ピーター・ユスティノフの映画版ポアロシリーズも、後半、どんどんコメディ化して行ったな。
 
 『ミューズ街の殺人』
 「ミューズ」って、てっきり“Muse”(ギリシャ神話の学芸の女神たち。『ガンダム』に「ムサイ」って巡洋艦が出てきたけど、あれはこれのこと)のことかと思ってたけど、“mews”(厩舎)のことだそうな。……そんな単語、そのへんの英和辞典にゃ全然載ってないぞ。 
 この話のポイントは何と言っても「ポワロのゴルフ」だろうな。
 「大陸ではならしたものです」って、そんなすぐバレるウソをポワロがつくとも思えないけれど。見事にポワロの打ったボールはスライスしてどこかに行っちゃったのであった。
 今回のトリックはもう、ミステリーでは使い古された「左利き」もの。
 被害者が右利きだったか左利きだったかってのが推理のポイントになるのだけれど、今やそういうトリックが提出された時点で、ネタはバレてしまうので、やはり往年の古典を現在映像化することは、なかなか難しい。
 ネットを検索してみると、このテレビシリーズ、必ずしも好評を博してばかりじゃないようだが、もはやクリスティーだって充分「古い」んである。多少、ハメを外したようなコメディ演出があっても仕方ないんじゃないか……という気になってきちゃったよ、私も。


 山本弘『山本弘のハマリもの』(洋泉社・1365円)。
 ご一緒に同人誌まで作ったと言うのに、まだ山本センセイとは面識がない(夏コミ行きたかったな)。
 もっとも中年オヤジがわざわざ会いに行ったところで喜ばれるわけでもなし、ネット上だけでの知り合い、というのはよくあることである。AIQのみなさんとお知り合いになれたのも、エロの冒険者さんからお誘いがあったからなわけで、そうでなければ、今でも私はぼうっとネットサーフィンしてるだけで、そのうち飽きてこうして日記を書き続けることもなくなっていたかもしれない。
 まさしく、縁は異なものである(例えがちと違うな)。生きる活力というものは人から与えられるものである。

 「ハマりもの」というものも人から与えられた活力なんだろう。
 子供のころはみんな娯楽が少なかったから、友だちも含めてみんな同じものにハマっていた。マンガ、アニメ、特撮、怪獣、etc、etc……。
 逆に言えば、みんなが同じものにハマっていたから、わざわざ自分たちの知識を確認するための作業をする必要もなかったと言える。
 バイブルは大伴昌司の本だけで充分だった。
 けれど、今やわれわれの世界はたくさんの「オタク」たちで占められるようになった。今でも覚えているが、初めてAIQの会合に参加した日のこと、「あなたはどちらの方面に詳しいんですか?」と聞かれて返事に窮したことがある。
 自分が何かに詳しい、あるいはどちらの方面の趣味がある、ということについて、深く考えたことなどなかったからだ。大学のゼミで児童文学を専攻してはいたが、これとて、専門家というほどではない。……自分に得意な分野などあるのか? AIQのみなさんの濃い濃いオタク話を聞くにつけ、「自分はオタクじゃないなあ」という気がしたのも事実である。
 この日記の中で自ら「オタク」と名乗っているのは、もっぱら「私はオタクでない」という言葉が一般においては差別的に使われる場合が多いので、肩書きを背負うのに吝かではない姿勢を示すためのものである。
 濃い薄いで言えば、私はまだまだ薄いヤツで、原稿が書き溜まらず、未だに自分のホームページを立ち上げられないでいる。
 もっとも、こういうことを言うと、たいてい人から慰められたり叱られたりするんだよなあ。「充分スゴイですよ」とか、「謙遜したフリだけしやがって」とか。前者はよしひと嬢で、後者はしげだったりする(^_^;)。

 オタクは基本的に「知識」ではない。
 要はものを見る目、つまりは自らの「判断」に従って生きるかどうかだ。
 そうわかっていても、自分の「知識」や「判断」を人に披露するというのはかなり勇気が要る。どんな批判・ツッコミがあるかどうか分らないからだ。
 「知ったかぶりやがって、こんなところがオマエにはわかってないじゃないか」とか。
 でも、もちろん、そういうことを恐れていて、「語る」という行為、引いてはコミュニケーションが成り立つはずもない。勇気を奮い起こしてオタクは自らを語って行かねばならない。

 なんでこんなこといちいち書いてったかというと、この本、随所に「間違い」「勘違い」じゃないかと思われる表現が散見しているからだ。
 日頃、山本会長のトンデモ本批判を憎らしげに思ってる連中にしてみたら、ツッコミどころ満載のこれは、格好のターゲットになるのではないか。
 それをここで指摘するのは簡単だ。けれど、その場合、単なる揚げ足取りではないことを示さねば、個人が「語る」ことを封殺しようというファシスティックな行為と何ら変わりはあるまい。

 一例を挙げると、『悪魔の人形/THE DEVIL DOLL』の項目で、「二体の人形がテーブルの上でダンスを踊るシーン。踊る役者の姿をテーブルの上に合成してあるんだけど、何がすごいって、テーブルの表面がつるつるで、人形の姿がちゃんと反射して映ってるんである。どうやって合成したの、これ!? 分からん!」と書いてあるのだが、「あれ?」と思った方も読者の中にいるのではないか。
 私はこの映画見てないんだが、同じトッド・ブラウニング監督の『魔人ドラキュラ』や『フリークス』を見る限り、合成のような特撮技術は当時ほとんど使われていない。
 これ、単に巨大なテーブルをセットで作っただけじゃないのか。だったら姿が反射してても全然不思議じゃない。
 それとも「合成」だとわかる明確な要因でもあったのだろうか。
 その実体と反射の姿がズレてるとか。でもだとしたらそれは技術的にはたいしたことないってことにならんか。
 説明が不足しているせいで、山本さんの言いたい「すごさ」がこちらに伝わってきていない。

 つまり、ネタが多すぎて、一つ一つの印象がかえって薄まってしまっているのである。
 「戦隊サブタイトル文字数の法則」などはまあまあうデータが多めに紹介されているために「なるほど」と思わせるものがあるが、「NHK教育番組ウォッチング」などは、タイトルとあらすじだけの紹介で物足りない。スチール一つ載ってないし(転載許可が降りなかったのかもしれないけれど)。
 山本さんもそれを自覚しているのか、コラムの最後で、教育テレビの内容紹介をしているサイトのアドレスを参考に挙げている。でも、そういう他力本願な行為って、「ああ、そんなにおもしろい番組があるなら、私も見てみたいぞ!」という読者の気持ちをかえって萎えさせはしないか。

 私自身、ダラダラと下手な文章を書き散らして、「こんなモノがあるよ!」と紹介しながら気づいたことなのだが、「あたり障りのない文章」というのは、人に訴えかける力がないのである。
 「この本(あるいは映画など)、いいとこもあるけど悪いとこもあるしまあまあかな」と思ったとしても、そのことをそのまま書いたって、人は「まあまあの本か」としか思わないし、手には絶対取らない。
 ある意味、誉める作品は徹底的に誉める。
 貶すものはとことんまで叩きのめす。
 他人と意見が全く違っていてもかまわない。そのバトル自体が、作品自体の「強さ」の証明なのだ。……オタクの本とはそうでなければなるまい。


 マンガ、椎名高志『MISTERジパング』8巻(完結/小学館・410円)。
 途中をぽーんとすっ飛ばしていきなり本能寺。
 もちろんその前に本筋は一応終わっているわけで、破綻のないところに着地して、一応のまとまりはついたと言えなくもない。
 まあ、このマンガの秀吉が、朝鮮出兵したりするような秀吉になるはずもないとは思ったけれど、正直なところ、パラレルワールドネタを余り安易に使ってほしくなかった。
 何人も天回が出てくるのはちょっとシバリがなさ過ぎる。SFは何でも自由に書いていいってんじゃなくて、やはりある一定のセオリーを作っとかないと、物語自体がどんどん御都合主義的でフヤケた方に行っちゃうんである。
 最後はみんなして時空を越えて大陸に渡るらしいが、これはつまりジンギスカンネタってことか? ちょっと今時それをオチに持ってくるのはセンス的にどうもねえ……。


 夜、CSファミリー劇場をダラダラ見る。
 丁度『仮面ライダー(スカイライダー)』の最終回、第54話『さらば筑波洋! 8人の勇士よ永遠に…』をやっていたので、見てみたが……。
 いやね、この『スカイライダー』、本放映時は「ライダーの原典に回帰!」とか言っときながらどんどん脚本がスカスカになってったんで、最終回なんて見ちゃいなかったのだ(『ストロンガー』までは追っかけてたのになあ)。
 というわけでこれが実は初見だったりするのだが、本放映時に見てたら、腹立てて、テレビを投げ捨ててたかもしれん(しないって)。
 8人ライダーが集結ったって、一文字隼人(佐々木剛)と城茂(荒木しげる)以外の先輩ライダー、全部、声アテだけじゃん。しかもいきなり脈絡もなく登場するし。『ストロンガー』の最終回で全員が集まったのとは雲泥の差だ。
 ……予算のないテレビ番組の哀しさが見えてて、淋しいったらない。
 しかも敵首領の正体、巨大なドラゴンタイプの宇宙怪獣。……センスねー。ストロンガーの時の岩石大首領もセンスなかったけどさあ、一番強い敵だから巨大なんだって安直な発想、スタッフの誰か、イシモリを止めるやつはいなかったのか。まだ最初の『仮面ライダー』に出て来た、ゴーゴンみたいな一つ目のような、謎の存在であった方がずっと納得が行ったなあ。
 しかもこいつ、「足の裏が弱点」で、スカイライダーを踏み潰そうとわざわざその弱点をライダーの目の前に晒しちゃったもんだから、撃たれて瀕死になってやんの。……バカ? いや、もちろんこの場合バカなのは脚本家なんだろうけど。
 あまりに頭がぽかーんとしちゃったんで、夜はぐっすり眠れました。はい。

2001年01月24日(水) せがた三四郎、落つ。/映画『疾風! 鞍馬天狗』


2002年01月23日(水) 風邪まで引いちゃったよ、どうすりゃいいんだ/『西洋骨董洋菓子店』1〜3巻(よしながふみ)ほか

 風邪引いて仕事を休む。
 感染経路は間違いなくしげなんだけど、全然悪びれてないのな。
 「昼一緒にいられるねえ」なんて喜んでやがるし。
 でも別に何かやれるってわけじゃなくて、ただひたすら寝てるだけだ。変に期待するなよ、病気なんだぞ病気……(ーー;)。

 午前中はただひたすら寝て汗を流す。
 ともかく丹念に薬を飲む。常備薬が結構余ってて助かった。
 昼飯は外まで出る元気がないので、仕方なくお好み焼きを宅配。そんな濃いもの、と言われそうだが、二人してダウンしてるんだから、片方が調理というわけにはいかない。うどんの配達なんて、この近くじゃやってないし。ともかく食い物は食っとかないとカラダが回復しない。
 ピザよりゃマシだろ、と思ってたら、しげは「私はピザ」とか言い出した。「バカ、やめろ」という元気もないので、そのまま頼む。まあ、お好み焼きだって五十歩百歩だしな。
 食いはしたが、やっぱりあとでゲエゲエ吐く。
 胃が受けつけてないんだなあ。体力を消耗し、再び寝る。その繰り返しだ。

 しげはしげで、仕事を早退してきてるってのに、睡眠もろくに取ってない。
 「寝つけないんだよう。だって、平日なのに、昼なのに、アンタがいるんだもの、ドキドキしちゃって」
 なんだなんだ、結婚して十年も経つってのにまだオレにときめきラブ? と思わず赤面しそうになったが、すぐに後を継いで一言。
 「誰といてもドキドキするけどね」。
 ……ただの「動悸」っつーんだよ、それは! 対人恐怖症の後遺症じゃんか。

 寝たり起きたりトイレで血便流したり、合間に本読んだりDVD見たり。寝ても寝ても寝たりないのはやっぱり糖尿が悪化してんだろうなあ。

 DVD『名探偵ポワロ/砂に書かれた三角形』。
 DVDシリーズでいくと3巻目だ。1,2巻目は未見だが、しげはもう見ているので、仕方なく途中から。まあ、順序よく見なきゃならん番組でもないけど、(シリーズ自体が原作をアトランダムにピックアップして映像化してるんだから。原作発表の順序通りに見ようと思ったら、第一作の『スタイルズ荘の怪事件』のあと、『ゴルフ場殺人事件』が発売される夏まで待たなきゃならなくなる)飛ばして見ると、どれを見たかわからなくなりそうで怖くはある。
 原題は“TRIANGLE AT RHODES”で、直訳すれば『ロードス島の三角関係』。これも原作は未読だったので、マジメに事件を推理するつもりで見る。
 冒頭、探偵事務所に誰もいなくて、マンションのパーサーと郵便配達夫が会話をしている。ヘイスティングスは猟に出かけ、ミス・レモンは実家に帰省中、ポワロは地中海のイタリア領ロードスで休暇中、という設定を聞いて、「おお、テレビシリーズなのに海外ロケ! ……金かけてやがるなあ」と日本のテレビ事情に比べて羨ましく思った。
 でも問題だったのはここからで、のんびりするはずだった休暇中、ポワロは三角関係に陥った二組の夫婦・チャントリー夫妻とゴールド夫妻と知り合う。……事件の匂いを嗅ぎ取ったポワロは、それとなく彼らに「忠告」をするのだが……。
 うーん、ミステリの都合で、これ以上はストーリーを明かせないんだよなあ。というのも、この設定でビックリしたのは、「なんだ、これって、『○○○○○○』と全く同じじゃん!」ってことだったのだ。
 もしかしてトリックも……と思ったらまさにその通り。これ、原作は中編なんだけど、クリスティーはこれを元にして長編版の『○○○○○○』を書いたらしいんだな。調べてみると、この『三角形』とその某長編は、全く同じ年、1937年に発表されている。どうやらクリスティーは、同じトリックを使って、中編と長編とでは書き方がどう変わるかを試してみたもののようだ。それとも、前作で使ったばかりのトリックをまた使うとは誰も思うまい、と、読者の意表を突くことが目的だったのか?(まさかそりゃなかろうが)
 確かに短編を長編化したものに傑作が生まれることもあるけれど、せめて探偵役は変えてほしかったよなあ。だってそうでないと、「同じ年に全く同じ犯罪を思いついたヤツがいて、それを同じ探偵が解明する」というスゲー偶然な設定になってしまうもの。
 実のところ、一応礼儀として隠しちゃいるが、トリック自体はかなりチャチなんだよね。どうしてこの長編版も傑作扱いされてるかわからないんだけれど、多分、10人中9人が犯人もトリックも当ててしまうだろう。これじゃ「犯人あて」の楽しみがない。せめて語り口やストーリー展開くらいは変えようよう。殺害方法をちょっと変えただけじゃあ意味がないよう。……それともやっぱりクリスティーはもう「古く」なっちゃったのかなあ。

 買い物くらいはしないと、食料がないので、あふあふ言いながらしげと近くのコンビニへ。
 外はちょっと雪降りである。
 寒い。とことん寒い。
 こりゃ明日はまた病状が悪化しそうだ。


 アニメ『ヒカルの碁』第十五局「ネットに潜む棋士」。
 おお、今回の作画レベル、今までで最高じゃないか?
 インターネット碁を始めようとするヒカルに、三谷の姉さんが説明するシーン、この姉さん、名前も判ってないチョイ役キャラなんだけど、実に丹念に描きこんである。……しかも原作よりセリフ増えてないか?
 「ネット碁」というものを説明するために必要、という理由もあるかもしれないけれど、もしかしてスタッフがこの姉さんのファンで、出番を増やそうとしたとか、そんなんじゃないだろうな(^o^)。
 単純だけど、椅子に座ってるヒカルに、脇からかがみこむようにして、マウスの使い方を教えていくカット、実に大胆な構図が多くてドキドキさせられる(^^*) 。姉さんとヒカルの頬が近づいたり離れたり、あるいは胸越しにヒカルの表情をとらえたり。うーん、ほのかなエロスが。
 心なしかヒカルも「きれいなお姉さん」のそばで照れてるように見える。そうだよなあ、中学生になったばかりだもんなあ、年上の人に憧れる気持ちってあるよなあ。
 単調な印象に陥りやすいシーンを、堅実なカットの積み重ねで見せていく様子が実にうまい。何回か前のザツな作画がウソのようだ。
 ……と思ってスタッフ表を見てみたら、キャラデザインの本橋秀之さん本人。
 こりゃリキ入るはずだわ(^^)。
 それにしても、CMだと『テニスの王子様』のDVDはもう発売だというのに、『ヒカ碁』はまだ全然告知がない。
 ……まさかまたいきなりBOXで発売……?


 『ウンナンのホントコ』を漫然と見ていると、「24時間恋愛」という企画が立ちあがってて、これが結構おもしろい。
 『未来日記』の応用編みたいな感じなのだが、見知らぬ相手と1日に1時間だけ24日間、会い続けることができたら100万円、というなんだか冗談みたいな企画なのである。
 相手と会うのがイヤになり、約束をすっぽかしてしまえば、100万円は手に入らない。だから二人とも時間厳守で指定された待ち合わせ場所に向かう。
 しかし、果たして人は金のために見知らぬ他人と会い続けていられるものだろうか。ごく普通の道徳心を持ち合わせている者にとっては、それはかなり気持ちに負担をかけてしまう行為ではないのか。
 そこで、そのフラストレーションから脱却するために、人は自分に「ウソ」をつき始める。自分の「悪行」を正当化するために、無意識のうちに「言い訳」を考え始めてしまうのだ。わかりやすく言うと、事実を補強するための理屈をあとから作り出して行ってしまうってことなんだね。
 ……特に女のほうが。
 どういうことかと言うと、この企画に金のために乗ったはずの女性、本気で相手を「愛している」と思い始めてしまったのである。
 もちろん、それがこの企画のプロデューサーのまさに「狙い」であろう。つまり故意に「ウソから出たマコト」を狙って演出しているわけなんだね。
 なんだか他人をマインドコントロールしてるみたいでイヤだ、と思われる方もあろうが、それだったら「見合い」だって似たようなものだ。日常でもそれと知らせず誰かが誰かを演出するということは頻繁に行われている。「躾」や「教育」だって所詮はマインドコントロールだ。
 この企画のおもしろさは、「24時間」という限定性の中でも恋を演出することができるのか、という「実験性」にある。言い方は悪いが、「罪にならない人体実験」なのだ。さあ、来週はどんな展開になってくれるか、楽しみである。


 マンガ、よしながふみ『西洋骨董洋菓子店』1〜3巻(新書館・各546円)。
 よしひと嬢が熱烈なファンらしく、テレビ化された『Antique』を見て激怒しておられた(^o^)。
 テレビの方は見てないので、批評は控えるが、監督が『踊る大捜査線』や『サトラレ』の本広克行だから、あまり積極的に見る気が起きない。どーせ意味もなくタメて、かえって間延びしたシーンやカットの連続なんじゃねーのか(←偏見)。見てる人がいたら、ご感想を聞かせてほしいものだ。

 けれど、マンガのほうはスゴかった。
 なんかもー、ムズムズするおもしろさとでも言ったらいいだろうか(なんじゃそりゃ)。
 だいたい、よしひと嬢が好きなマンガや小説は、ある種の「偏り」があって、視点そのものはおもしろいのだが、場合によってはこちらが「引く」ことも多々ある(一生懸命遠回しな表現してるなあ)。
 だもんで、第一巻の1ページ目から、学ラン姿の二人が向かいあって、「なんだよ話って」「君の事が好きなんだ」で始まってるのを見た途端、正直な話、私は本を投げ捨てたくなった(^_^;)。

 だから私、ダメなんだってば、ホ○は。
 その方々の権利を侵害する気はないが、やっぱり耳元に吐息をかけてくれるのは女に限るのよ。
 アンタこれで、男同士の濡れ場(死語)が随所で展開されてた日にはよ、多分、夢でもうなされることになってたと思うよ。
 でも、展開が違ってたねえ。
 次のシーンで、「ゲロしそうに気持ちわりーよ!! 早く死ね このホ○!!」だよ。
 そしていきなりシーンが切り替わる。
 「ぶーす!!」
 おそらくさっきとは別のどこかの中学校、制服を着ないで歩いている女生徒がいて、男子から、からかわれている。そして「ぶす」の声につい反応してしまった別の女生徒のモノローグ。
 「なんで中学校ってこんなにびくっとしちゃうんだろう」
 さらにまたシーンが飛んで。
 若い少年ボクサーに、ジムの会長が「やっぱり網膜剥離だったってよ」と告げる。
 「俺やめんのやだよう」と泣く少年。
 またまたシーン変わって、ここからが現在の話(今までのは全て回想シーンだったのである)。
 いかにも堅物そうな父親が、居間でテレビを見ている長男を追い出して、冷蔵庫からおもむろにケーキの箱を取り出す。
 そして、にんまりと笑い、その中からイチゴのショートケーキを、崩さないようにそおっとつまみ出すのだ。

 ……いったい、これらの全く連続していないように見えるシーンに、どのような意味が、繋がりがあるのか。
 ここで、私はこのマンガ家さんの「語り口」に見事にハメられたのだ。
 実際、「繋がり」はあったのである。
 うーん、その辺の紹介については今回はやめとこう。ミステリと同じで、「謎」が解かれる楽しみは未読の人のために取っておくものである。

 でも一つだけ書いとけば、これはもうただのホ○マンガではなかったのだ。
 冒頭に出てきたホ○、ただのホ○ではない。
 「魔性のホ○、恐ろしいホ○伝説のホ○、好みの男はオールゲッチュ、厨房は一瞬にして情事の舞台になるという」究極のホ○だったのである。
 あああ、こんなにホ○ホ○ホ○と書いてしまった(-_-;)。夢に出るぞ夢に出るぞ。
 でも、これは確かに、いい脚本家と演出家に当たれば、上質のシチュエーションコメディとして成立するだろう。
 キャラクターの一人一人の個性がこれだけ綺羅星のごとく輝いていながら、その個性にストーリーが引きずられてもいない。過去の謎が一つ解かれるたびに、また新たな謎も生まれる。現在の時間そのものはただゆったりと流れているだけなのに、ドラマは大きなうねりを見せていく。
 何という構成力の妙であろうか。
 気になることを一つだけ挙げると、絵柄が明智抄さんに似てる気がするんだけど、ただの偶然なのだろうか。それともアシストかなんかやってたのかなあ。

2001年01月23日(火) ハードな日/『時の果てのフェブラリー』(山本弘)


2002年01月22日(火) 探偵小説の終焉/渡辺啓助『亡霊の情熱』/『サトラレ』1巻(佐藤マコト)

 朝刊に探偵作家・渡辺啓助(わたなべけいすけ)死去の報。
 19日午前0時35分、死因は肺炎、享年101歳。
 ……誤記ではない。本当に101歳で死んだのである。
 そして、ついに、日本で最後の探偵作家が消えた。
 森下雨村、小酒井不木、江戸川乱歩、甲賀三郎、横溝正史、木々高太郎、浜尾四郎、夢野久作、小栗虫太郎、大下宇陀児、水谷準、城昌幸、海野十三、綺羅星のごとく輝いていた戦前の探偵作家のたちの最後の一人が、まさしく天寿をまっとうしてこの世を去ったのだ。
 この高齢にもかかわらず、渡辺啓助は、決して忘れられた作家ではなかった。 時折、新作の短編、エッセイすら発表していたのである。
 100歳を迎えた昨年、『ネメクモア』という短編集が編まれ、新装版『創元推理21』はその創刊号を渡辺啓助・温の兄弟作家の特集に充てた。
 探偵小説ファンはみな思っていたのだ。
 ロマンの時代はまだ終わっていない。
 明治は、大正は、昭和初期のモダニズムは消えてはいない。
 まだ、われわれには渡辺啓助がいる。
 上記の作家たちの作品群をむさぼるように読んでいた中学・高校生時代を送ってきた私にとっても、渡辺啓助の存在は、まさしく「希望」であったのだ。

 追悼の意味を込めて、前記の『創元推理21』に再録された渡辺氏の『亡霊の情熱』の筋を紹介する。

 野瀬は女学校の新任教師。
 美少女、門馬ユリの相談に乗るうちに、教師と生徒の壁を越えて、お互いに恋心を抱くようになった。
 しかし、あくまで自分の立場に固執する野瀬は、その態度をなかなか決めかねていた。門馬もまた、自分の本心を野瀬に打ち明けられずに人知れず悩む。

 そこへ、門馬に恋する年下の少年、氷室が現れた。
 門馬は、ついに野瀬に自分の気持ちを告白し、氷室の誘いを断ると言う。
 動揺する野瀬。
 「僕は貴女の組主任ですから、貴女に代わって先方の少年に断ってやりましょう」
 しかし、それが恐ろしい悲劇の発端となろうとは、そのときの二人には知る由もなかった。

 氷室に会い、その情熱と真摯さに触れて、思わず知らずライバル心にとらわれてしまう野瀬。
 勢いで自分は門馬の婚約者だと告げてしまう。
 衝撃を受ける氷室。
 絶望の色が少年の顔を覆い、彼は通りがかった列車に身を投げた。

 やがて、野瀬と門馬は結婚する。
 初めは逡巡していた野瀬であったが、門馬の言葉が野瀬の決心を固めさせた。
 「嘘を吐いて、出鱈目を云って、あの人を自殺させたんですか、先生は――」
 野瀬は門馬の肩を掴んで言う。
 「僕は教師の臆病を捨てて結婚しよう。そうしてあの少年の亡霊と潔く戦おう」

 しかし二人の結婚生活はうまくいかなかった。
 ほんの少しの野瀬の冷淡。
 それが門馬に言ってはならない言葉を吐かせた。
 「あんな犠牲――あんな酷い犠牲を払ったくせに」
 野瀬は自分たちが氷室の亡霊にとらわれていることを知った。

 ある夜、門馬は何かに憑かれたように、氷室が自殺した鉄道のそばに佇んでいた。
 必死に取りすがる野瀬。
 振り切って飛びこもうとする門馬。
 列車が寸前に近づいてきた時、ほんの一瞬、野瀬の脳は混乱した。
 そして、野瀬は門馬を掴んでいた腕を放した……。 
  
 渡辺啓助の非凡さは、このときの野瀬の心理に、後悔も恐怖も一切なかったことを淡々と描写している点にある。
 恋する者同士、情熱的に結ばれた二人、そうであっても、その愛が永遠に間断なく続くものではない。
 ほんの一瞬、それこそ一刹那で通りすぎるごくわずかな時間、二人の間に底の見えない裂け目が生まれることがある。
 意識する間もないほどの時間であるので、多くの恋人たちにとって、そのような裂け目はなかったものとして忘れ去ることが出来るものである。
 しかし、まさしく悪魔のごときタイミングで、その一瞬が現実に二人の仲を引き裂いたとしたらどうだろう。われわれはそこで後悔に打ちひしがれるであろうか。
 ……いや、かえってわれわれは気づいてしまうのではないか。
 自分の情熱、愛情、嫉妬や憎悪、われわれの心そのものが我々を苦しめる元凶であることに。
 そして、それらから解放された瞬間こそが、われわれに真の自由と安心を与えてくれることに。
 渡辺啓助の目は、その一瞬を一も見逃していなかったのである。
  
 新聞記事には「1929(昭和4)年に雑誌『新青年』に『偽眼のマドンナ』を発表しデビュー」とあるが、補足説明が要るであろう。
 一つはこのデビュー作が、女優岡田茉莉子の父でやはり美男俳優として知られた岡田時彦の名義で書かれたこと(つまりゴーストライターだったわけね)、タイトルの読み方が「いれめのまどんな」であることだ。
 作品リストをあいうえお順で並べる時、間違えて「き」の項に入れちゃう人、多いんだよね。
 作家・故渡辺温は弟(もうすぐ創元で文庫全集が出る予定)、画家・渡辺東は娘。

 
 仕事が長引いて帰りが遅くなる。
 その旨、しげに連絡を入れるが、しげ、風邪が本格的に悪化してきたらしく、電話口でぜいぜい言っている。
 「……ごめん……げほげほ!……一人で……タクシーで……がほげへごほ!……帰ってきて……ぐへげひぶぺ!」
 なんか聞いてるだけでアワレになってくるな。
 あんまりかわいそうなので、せめてほか弁でも買っていってやろうかと、近所の「ほっかほっか亭」に寄ってみるが、こういう時に限って「改装中につき閉店」である。
 お約束な展開だなあ。
 仕方なく、コンビニ弁当をいくつか買って、それですますことにする。
 しげはコンビニのよりほか弁の方が圧倒的に好きなのだが、この場合、諦めてもらうしかない。
 私も家事をする元気はないので、夕食は「Coco一番屋」でカレーを食ってすます。
 そこで読んだスポーツ新聞で、映画監督倉田準二氏の訃報を知り、茫然。なんでこう、連続して好きな人が死ぬのだ。

 倉田準二(くらた・じゅんじ)21日午後7時15分、肺炎のため死去、72歳。
 先日CSで見た、人によっては時代劇の最高傑作とまで評する『十兵衛暗殺剣』はこの人の監督。
 けれど私たちの世代が一番親しんでいたのは、なんといってもテレビシリーズ『仮面の忍者赤影』であろう。……ちゃんとDVD買ってるよう。
 敵忍者の奇抜な設定や、破天荒なストーリー、独特の映像センスなど、様々な魅力が語られているが、私はなんといっても役者さんたちの演技を見るのが大好きだった。
 まだ映画が本編と呼ばれ、テレビシリーズに出る役者は軽蔑されていた時代、それでも新人や大部屋の役者さんたちが手を抜かずにエンタテインメントに徹して演じていた忍者たち。
 ……甲賀幻妖斎の天津敏さんも、暗闇鬼堂の原健策さん(松原千明の父ちゃんと言ったほうが今は通りがいいか)も、魔風雷丸の汐路章さんも、雲間犬彦・猿彦の二見忠男さんも、もう鬼籍に入ってしまった。
 もちろん、白影の牧冬吉さんも。
 有名スターの死に涙する人は多かろう。
 けれど、脇役一筋の人たちの死に対して、世間はどうしてこうも冷淡なのか。
 よく知らない、というだけならまだマシで、ないがしろにし、蔑みの目で見ている人間がどれだけ多いことか。
 牧冬吉の出演映画はたった12本である。
 倉田準二の監督作品もわずか12本。
 あれだけテレビでたくさんの時代劇を撮ってきた人が、映画の監督としては「つなぎ」にしか使われなかった。日本映画衰退の原因はそんなところにもあったんじゃなかろうか。

 それにしても新聞記事に「東映京都撮影所に所属し、『十兵衛暗殺剣』『飛び出す冒険映画』『恐竜・怪鳥の伝説』などの映画を監督」とあったが、『飛び出す冒険映画』ってサブタイトルだけじゃん。肝心のメインタイトル『赤影』が抜けてるぞ。配信元のミスがそのまま各紙に載っちゃったんだろうけど、誰も気づかないんだろうなあ、こういうミスは。
 淋しいなあ。


 マンガ、佐藤マコト『サトラレ』1巻(講談社・530円)。
 出来のよくない映画版を見ていると、絵が必ずしもうまいとは言えない原作マンガがえらく傑作に見える。
 ……と比較して誉めちゃかえって失礼だね。
 設定に難はあるものの、これは立派な佳作である。
 やはり「思念波が他人に漏れてしまう」という「サトラレ」のアイデアを考えついたことが何よりもスバラシイことだ。
 何しろ「サトラレ」は究極の正直者なんだから、必然的に周囲は「悪人」たることを運命付けられているようなものである。自分が「悪人」であることを押しつけられて落ちついていられる人間などいるわけはない。そこにドラマを作り出す余地はいくらでも生れてくる。
 ……美味しい設定だよなあ。
 もっとも作者は1話ごとに途端の苦しみを味わってるみたいだけれども。
 様々な環境で、たくさんの「サトラレ」たちが自分が「サトラレ」であることを気づかされずに活躍している。
 映画がほぼ一人のサトラレのみをフィーチャーしてドラマを作って行ったのは、2時間の映画として完結性を持たせるためにはごく自然なことだったろう。けれど、ドラマ的には多種多様なサトラレがどのように生きているのかを1話完結式で描いていく原作マンガの形式の方が、圧倒的におもしろい。
 映画のベースになった、西山幸夫・里見健一のエピソード以外にも、サトラレゆえに子供たちの間で孤立していく少年・野口浩くんや、思考を読まれながらも棋士の道を進もうとする少女・片桐りんの話を映像で見たかった読者も多かったのではないか。
 難しいかもしれないけれど、映画の続編を見たくなっちゃったぞ。
 監督、モトヒロから別のやつに変えて。

2001年01月22日(月) 月曜の朝は仕事に行きたくないのよ/『キノの旅3』(時雨沢恵一)


2002年01月21日(月) 妻の寝相と丈夫な膀胱/『夜と星の向こう』(今市子)ほか

 早朝出勤、今日もしげを起こさにゃならんかと思っていたら、私より早くしげが居間に……と思ったら、単に寝つけず徹夜してただけだった。
 またかい。
 別に起きてたからって朝飯の用意とかしてくれてるわけじゃないんだよなあ。
 夫は淋しいよ。『ここだけのふたり!』の「妻」ですら料理は自分で作るというのに。
 しげ、「寒気がする、風邪引いたかも」と鼻をグズらせているが、そんなことは当たり前である。毎晩、夜中に布団を全部蹴っ飛ばして、ハラ丸出しで寝ているのだから。
 私が気づくたびに掛けてやっても、丸めこみ、そのあと放り出す。風邪引くのも自業自得ってもんである。ああ、でも寝苦しい妻の身を夫が案じてやるところまで『ここふた』そっくり。
 妻って、「バカである」だけで絶対、得してるよな。


 昨日あれだけ寝て、夜も寝たのに寝足りない感じ。
 睡眠のサイクルが狂ってるせいもあるかもしれないが、それにしてももうちょっとゆっくりしたいものだ。早朝出勤や残業が続くと、本当にウチでは寝る時間しか取れなくなるので、なんとかしたいんだけれども。


 仕事が早目に片付き、ちょっと早く帰れそうだったので、しげに連絡を入れて「迎えに来れる?」と聞いたら、「来れん」と一言。でもそのあと追加の仕事がバタバタバタと入って、結局、定時の帰宅。
 何度ウチに連絡を入れても返事がないので、仕方なくタクシーで帰ると、しげは爆睡。なんだか午前中も買い物していたとかで、ホントに寝てなかったらしい。「寝られる時には寝ておく」というコントロールができないから、しげは気がついたら「24時間爆睡」なんてバカなこともしちゃうのだ。……でもそれでよくトイレが持つよな。

 私も疲れているので、そのまま夜まで寝る。


 仕事から帰ってきたしげに誘われて、めしや丼で夜食。
 つーか、晩飯食ってなかったっけ。
 新発売の「水餃子定食」を二人で頼むが、私はまあ美味しいと思ったのに、しげは「餃子の皮が厚い」と残してしまう。スープにトマトが入っていたのも気に食わなかったらしい。
 でも、飯がまずいって、単に風邪で鼻と舌がバカになってるだけじゃないのかな。
 しょうがなくしげの分まで食う。
 ……ああ、また腹が出て来たよう。しばらく体重計にも乗ってないが確実に80キロ越してるだろうな。


 帰りにファミリーマートで買い物。
 今週の『少年ジャンプ』8号、『ヒカルの碁』だけ立ち読み。
 ……『ヒカ碁』、ずいぶん後ろのほうに行ってるなあ。佐為がいなくなったのと、ヒカルの背が伸び過ぎたんで、人気が落ちたんだろうか。
 けれど、展開は果たしてクライマックスが来るのか、それとも新しい流れが始まるのか、というムードで久しぶりに盛りあがってきている。
 ヒカルの中の佐為の存在についに気づいたアキラ、果たして彼が真にライバルと見なすのは佐為なのか、今のヒカルなのか。


 マンガ(雑誌)『アワーズガール No.5 今市子大総集編【夜と星の向こう】』(少年画報社・630円)。
 これも去年出た雑誌だなあ。しげが本の山の中に隠してたので、ずっと読めなんだ。
 16年前に火事で死んだはずの「兄・龍一(リュウイチ)」が「施設」から帰ってきた。
 手放しで喜ぶ両親とは裏腹に、「弟・立一(リュウイチ)」は、兄の挙動に不審を抱く。電車を見ても驚く、文明をいささかも知らぬような態度、彼を追っているらしい「敵」の存在、彼を守護する役割を担っているらしい山椒魚(?)の化身・玄。
 やがて母親も、龍一は本当に自分の息子なのかと疑いを抱き始めるようになる。「施設」には龍一を育てた記録もなく、連絡をくれた係員も実は死んでいたのだ。
 やがて、立一の前に姿を見せ始める謎の女。「お袋様」と呼ばれ、龍一を16年間育てたらしい彼女の正体は何なのか。
 いきなり龍一を殺そうとした「町田のおばさん」は、立一たちともみ合った挙句に弾みで死んでしまう。しかしその肉体には「お袋様」の生霊が入りこんで蘇えり、立一たちを監視するようになる。
 ……なんだか筋だけ書いてると思い切りホラーなんだけど、これを細かいギャグでつないでるのが今市子さんの語り口のうまいところなんだよねえ。
 ギャグの一つだけでも紹介したいところだけれど、コマ運びと密接につながってるので、そのへんがムチャクチャ難しいのだ。

 初めて両親に会う龍一、「お父さん、お母さん!」
 でも自分たちに顔が似てないと困惑する両親、「あ……そう?」(「あ、そう」じゃねーだろ、自分の息子に!)
 二人に抱きつこうとする龍一、「十六年ぶり……!」
 玄と龍一を間違えたことを思い出した両親、「俺はなんかあっちのほうが息子って気が…」「あ…うん、私も」
 泣く龍一。「…なんか僕、来ちゃいけなかったみたいですね」(……アワレだ……)
 ううむ、文字で書くとやっぱりこの微妙な間のギャグが伝わりにくいなあ。

 で、これから、いよいよ佳境か……ってところで「つづく?」……総集編で「つづく」ってありかよ! いずれ単行本は出るんだろうけど、カラーページ、ポスター付きが特典の、まあ、悪くない買い物ではあります。

2001年01月21日(日) 日曜の夜は出たくないのに/『トガリ』(夏目義徳)1巻ほか


2002年01月20日(日) それでもアニメだけは見る/DVD『名探偵ポワロ エンドハウスの怪事件』/『フルーツバスケット』3・4巻(高屋奈月)ほか

 日曜の朝、今日はなんとか目覚ましを壊しもせず、8時に目覚める。
 目覚めたと言っても、夕べの夜更かしでアタマはふらふらしているので、『仮面ライダーアギト』の50話を見終わったあと、練習に出かけるしげの車に乗せてもらって、コンビニで飲み物の調達。
 帰宅するなり、また仮眠。でも『コメットさん☆』の始まる9時半にはまた目覚めてくるのだから、業が深いというかなんというか。
 てっきり今日が最終回、と勘違いしていたがまだ一週あった『アギト』と『コメットさん☆』、でもそのわりにはどちらも今一つ盛りあがりに欠けるように感じてしまう。

 『アギト』、2、3回見逃してるうちに、美杉家の人たちはどこかに行っちゃってるわ、G3−Xは北条が装着してるわ、氷川は左遷されてるわ、翔一はレストランのねーちゃんとなんかいい仲になってるわ、今までの話はどこへ行っちゃってんのよ、オイって感じの展開。
 いやまあ、見てなかったこっちが悪いんだけど(いつの間にか木野さんも死んでたらしいし)。
 50話も引っ張っといて、テーマが「アギト」=「ニュータイプ」で、新人類を認めるのか認めないのか、って程度の話なら、やっぱりこれ、『仮面ライダー』じゃなくて『イナズマン』じゃんってことになっちゃうぞ。もしそうなら、アギトのデザインはもっと生物的に、せめてアナザーアギト程度のものでないと、所詮は「仮面」被っただけって感じにしか見えない。
 いきなり翔一の彼女(真魚ちゃんはどこ行ったんだよう。しかも今度の女が「可奈」って……「マナカナ」かい)の顔がアギトになったの見たらさ、まるで「顔だけコスプレ」なんだよな。こんなん笑うしかねーって。

 『コメットさん☆』第42回『サヨナラの仕方』。
 最終回1話前、メテオさん主演の巻。
 ……いや、このパターンになるってことは分ってたよ。なんたって、「さよならするには辛すぎる」んだから。でも、やっぱりやるかなあ、「記憶を消してサヨナラ」。記憶に残してもらえないって淋しさって生半可なもんじゃねーぞ、あんまりあっさりと結末つけてほしくないけどなあ。……これも打ちきりの余波かな。

 メテオさん、星国に帰らなければならないということで、イマシュンとの思い出を強引に創り、風岡夫婦にも幸せになる為に旅立つと別れを告げて、記憶を封印。メテオさんの存在は(コメットさんも含めて)「イマシュンの心の中のマドンナ」ということに。……ああ、そんなふうに「夢」でササッと終わらせるなよ、演出にもう少しタメ持たさんかい! せめて、ふっとイマシュンに空を見上げさせてよ、そこに見えるはずのないメテオさんの面影なんか見せてよ、「今のはなんだったんだろう……」とか呟かせたりとか……。クサかろうがなんだろうが、「愛」の演出ってのはそれくらい大上段に振りかぶったっていいんだよ!
 ああ、もう、頼むからリメイク作ってくれ! 前田亜季主演の実写でいいから!(でもそんときゃメテオさん、誰がやるんだよ)
 今話の発見。メテオさんのあの「ダメだったらダメだったらダメなのよ!」ってリフレイン口調、やっぱりお母さん譲りだったのね。
 ……モデルは誰なんだ。劇作家・演出家の鐘下辰男さんもこんな喋り方するけど。「うんうんうんそうなんだそうなんだそうなんだ」。
 それとも、もしかしたら古川太一郎か。「あらま、これまたそんなことしちゃったりしちゃったりなんかして」。


 またもや睡魔に倒れて、昼過ぎまで爆眠。
 体が重いので風呂に入って汗を流し、またもやゴロ寝。
 日記だの原稿だの、溜まっているのに手をつける元気がないまま、ダラダラとDVDなど見て過ごす。


 DVD『名探偵ポワロ エンドハウスの怪事件』。
 原作は、早川ミステリ版では『邪悪の家』のタイトル。ってことはこのドラマ版『ポワロ』は創元推理版に依拠してるつもりのかな。
 原題は“Peril at End House”で、直訳すれば『岬荘の危機』ってところ。ストレートな邦題が多いクリスティー作品の中にあって、このまま訳すと確かにちょっとインパクトが弱い感じかな。でも『邪悪の家』は凝り過ぎってもんだ。
 原作は未読だったので、純粋に犯人当てを楽しむつもりで見たのだけれど、傑作の評判とは裏腹に、ミスディレクションがうまく利いていなくて、早々に犯人が分ってしまって拍子抜け。犯人の見当がつけば、動機もトリックも芋づる的に見えてくる。
 ただ、これは吹替版で見たせいがあるかもしれない。
 だって犯人の声が、あのヒトなんだよ(ミステリーのエチケットとして、誰かは明かしません)。「善人ぶったフリしてやがるけど、絶対犯人だよな、コイツ」って気がしてしまうのだ。……日本の役者って、層が薄いから(-_-;)。
 仮にもミステリだってことを吹替演出のスタッフも意識してだよ、キャスティングにはもっと気を使ってほしいもんなんだけどねえ。

 南イングランドに休養にやってきたポワロは、エンドハウスの美しき女主人、ニック・バックリーと知り合う。ところが、彼女はこの数日で、三度も命を狙われていた。そしてなんと今度はポワロの目前で,何者かがニックを狙撃した。ポワロは自ら謎の解明に乗り出すことを決意するが、名探偵の注意も虚しく、人違いか、パーティの最中、ニックの従妹マギーが射殺されてしまった。殺人者の魔の手は更にニックに忍び寄って行く……。
 途中、あまりにも謎の糸口がつかめないために、ヘイスティングスが根を挙げて、ゴルフをしに逃げようとするシーンがあるが、これはNHK放送の吹替版ではカットされていたもの。確かに本筋には関係ないとこだけどさ、こういうとこがドラマの美味しい部分なんで、できるだけテレビ放送の際もカットは少なくしてほしいんだけどねえ。
 アテレコテープがないために、その未放映シーンだけ、字幕スーパーになるんだけれど、予算をケチらずにちゃんと声優さんにアテてほしかったなあ。わざわざ大枚叩いてDVDBOXまで買ってるんだよ? 『コロンボ』はそうしてるんだし、できないことないと思うんだけどなあ。


 『サイボーグ009』第14話「再会の地で」。
 予想通り、原作の「ベトナム編」は、設定を008の故郷、ムアンバ共和国(原作じゃどこかボカしてたなあ)に移殖。ちょっと『黄金のライオン編』なんかも混じってるかな。
 現実にベトナム戦争が終わっている以上、舞台を変更するのはやむを得ないとしても、戦争の描き方があまりにも単純に過ぎないか。独裁者と独立戦線という単純な二項対立じゃ、結局は加害者と被害者、正義と悪との対立としか戦争を描けないのではないか。原作の凄さは、政府軍にもベトコンも、どちらにも正義はないとした点にあったんだけどなあ。
 「ベトナム編」は、後年、宇宙にまで舞台を広げることになり、「死の商人によって改造されたサイボーグ」という本来の設定が意識されなくなっていったことを考えると、もっとも『009』らしいエピソードだったと言える。なのに、アニメ版はそのあたりの描写が、カルピスウォーターを更に水で薄めたような表現に留まってしまった。……「ベトナム編」のプロローグの「戦争は人間の宿命なのだろうか?」というナレーションは、ぜひともピュンマに語ってほしかったんだけどなあ。それともラストに回したのか?
 ウンババ大統領(このネーミングもなんとかならんか)の「独裁」ぶりも全く描かれないのはどういうわけか。虐殺のシーンなんかはやっぱりテレビコードに引っかかるのか。DVDで出すなら、止め絵のカットでもいいから、実際にベトナムで行われた虐殺や空爆も描いてほしいもんだが。
 ついでに言えば、「サソリとカエル」の詩の朗読も。


 マンガ、高屋奈月『フルーツバスケット』3・4巻(白泉社・410円)。
 ああ、ちょうどアニメ見て、初めておもしろいなあ、とか思ったあたりだ。
 もちろん、綾女さんとゆーか「あーや」の高校時代のエピソードのことね。
 もっとも、長髪を咎められて「実は私は王族なんです」と校長を言いくるめようとするシーンや、歓楽街にしけこんだ生徒を弁護しようと「ボクに欲情したまえ!」と嘯くシーン、好きなんだけど、演出的には、アニメの方がずっとおもしろかった。
 これはギャグとしては誰でも思いつくネタなので、「間」が肝心なのである。高屋さんのコマ割り、残念ながら今一歩。
 あーやへの「アホかー!」のツッコミを、校長ほか二名にだけさせてるんだけど、そのせいでその場にいたほかの人たちの反応はどうだったの?(小さく描いてるけど)という疑問が起きてしまって、笑いを阻害している。
 そこを大地丙太郎監督は、一瞬で場のムードがどん底に落ちる演出をキチンとしていた。
 アニメ版、ずいぶん原作を補完していたのである。
 しかしこの「あーや」のキャラ、誰かに似てるなあ、と思っていたら、川原由美子『前略・ミルクハウス』の「涼音さん」なのだ。つーことは透は「芹香」か。……そっくりじゃん!
 そーかそーか、なんかいまいち『フルバ』にハマれねえ、とか思ってたら、川原由美子の二番煎じだったからか。いや、そう言っちゃ高屋さんに悪いかもしれないけれど、「十二支」の設定がなけりゃ、「男ばかりのいる家に貧乏な少女が転がりこむ」って設定、まんまなんだもの。
 高屋さんが『ミルクハウス』読んでることは間違いなさそうだし、『ミルクハウス』との差別化を図ろうとして、かえってストーリーに無理が生じてるところがあるのかも。うーん、こうなると、草摩一族にダークな影を落としている当主・慊人をいかに演出するかが、この先の展開が面白くなるかつまらなくなるかの分かれ目になりそうだな。

2001年01月20日(土) 英雄、果つる島/映画『アヴァロン』ほか


2002年01月19日(土) ハルオ再び/『ルパン三世 公式magagine』3号(モンキー・パンチ責任編集)ほか

 ああ、やっと土曜日。
 仕事が半日で終わるってだけで、どうしてこんなに気が楽になるのだろう。
 まあ、「明日から休みかあ、仕事が出来なくてツライなあ」なんて感じるのもどうかしてるが。
 でも、ウチの職場そんな感じのやつ多いし。
 おまえらみんな安藤昌益か(←知ったかぶりギャグ)。

 朝、起きてみると、しげが起きてパソコンをしている。
 「夕べ寝てないのか?」
 「うん、寝つけなくて」
 いつものことだが、何かイベントごとがあるとなると、しげは興奮して寝られなくなる。
 今日は午後から『ハリー・ポッター』を見に行って、そのあと、夜はエロの冒険者さん宅で『シベリア超特急』の上映会をする予定なので、眠れなかったらしい。
 「半日だけでも寝とけよ、カラダ持たんぞ」
 と言い置く。
 けど、これですんなり寝てくれるならこっちも気を使わずにすむんだが、たいていそうはならない。
 私を心配させたり面倒かけさせたり、自分にかまってもらうためなら、私の寿命を縮めてもいいと考えてるバカなしげのことだから、きっと寝ないんだろうなとタメイキをつく。

 案の定、仕事が終わって、職場に迎えに来てくれたのはいいのだが、しげは「眠い眠い」を連発している。
 「なんだよ、やっぱり寝てなかったんかい」
 「うん、なんか寝つけんやった」
 「どうすんだよ、映画」
 「行くっちゃろ?」
 「いや、その予定だったけど……。無理やろ?」
 「でも、今日行かなかったら、またいつ行けるかわからんよ?」
 「でも、行ったら確実に寝るやろ。今日は上映会もあるんだぞ。カラダが持つわけなかろうが」
 「……そうなんよ。上映会の方が絶対体力使うんよ」
 「……今日は帰って夜まで寝てよう」 

 というわけで、『ハリー・ポッター』鑑賞はまたしても延期。
 昼間は二人してひたすら寝てこますのであった。

 2時に寝て、7時にしげを起こす。
 いったん寝入るとへたすりゃ24時間寝つづけるやつだから、たかだか5時間寝たくらいでは、「ふにゃー」とか「みゃんまー」とか意味不明なことを口走るばかりで、いっかな目ざめようとしない。
 「おいコラ、今日は上映会だぞ、起きんかい」
 「うーん、アンタ一人で行ってきいよ。オレが行っても誰も喜ばんよ」
 「バカ言ってないで起きろ!」
 しょうがなく、布団を引っぺがして叩き起こす。
 こういう、どうでもいいことで手を掛けさせるんじゃないよ、まったく。

 車に乗って、一路エロの冒険者さん宅へ向かうが、まだ寝惚けているのか、しげ、やたらと車線を間違う。
 もう何度も通った道だというのに、この記憶力のなさはなんなのだ。
 「私ってばか?」
 と自己批評しているがその通りだ。
 自覚してんなら改めてほしいものだが、やっぱりばかだからそれもできないのだろう。 


 エロさん宅にお集まりの今日のメンツは、しおやさんにZUBATさん。
 『シベリア超特急』、前にも書いたが「ダブルマーダーバージョン」「ハンガリーバージョン」「アメリカンバージョン」の三つがある。
 だいたい、公開時の諸事情でカットされたとかいうのならまだしも、予め同じ映画で三つもバージョンを作ってるってこと自体、水野晴郎の「ハルオセンス」が光っているとしか言いようがない。
 更に言えば、「完全版」もあるみたいなのよ。完全版DVDが出たらそれも買えと言うのかハルオ。しばいたろか、こいつ 凸(-~~- )。

 「で、どれ見ます?」
 エロさん、即座に「そりゃ、どんでん返しが二つあるやつでしょう」と仰る。
 果たしてあれを「どんでん返し」と言っていいものかどうか、正直なところ、判断に困る。
 しかし、やはりあの、青天霹靂、傍若無人、茫然自失、驚天動地、粗暴乱雑、吃驚仰天、疲労困憊のラストを見ずして『シベ超』は語れまい。
 と言うことで、どんでん返し「アメリカンバージョン」を上映。

 上映中はもう、みなさんでツッコミの嵐である。
 「え〜っと、今、出て来た女は誰ですか?」
 「さっきの○○○○人ですよ」
 「……どうして××人の部屋に?」
 「××人に変装してるんです」
 「……顔、違うじゃないですか!」
 「髪染めてるじゃないですか!」
 「染めたら化けられるんですか! △△△が残ってるじゃないですか!」
 「だから、あとでその△△△のせいでバレるんですよ!」
 「じゃあ、今はバレてないんですか!」
 「だって変装してますから!」
 「だから顔が違う〜〜!!」
 『シベ超』とはそういう映画である。
 ZUBATさんは菊地孝典が出るたびに「木野さ〜ん」とエールを送っている(『仮面ライダーアギト』で木野役を演じているのである)。
 ZUBATさんの話によると、菊地さんのフィルモグラフィーには『シベ超』の記載がないそうだが、やはりキャリアからは外したくなるのだろうか。
 ともかく、チャチなセット、適当な設定、ご都合主義&意味不明なストーリー、私も見るのは二度目だけれど、みなさんと一緒に見るのでなければやはりツラかったろう。
 そして、ついにあの「ダブルどんでん返し」。
 「これはつまり……ということですか?」
 「ええ、ですから、この……は、……だってことなんですよ」
 「えっ?! てっきり……ということかと……」
 あまりにも衝撃が強すぎて、見るものが自分の心の中で、もっと納得のいく筋を構成しようとするあまり、「どんでん返し」の意味が掴めない者(しげのことだけどね)も出る始末なのである。
 ハルオ君がねー、「ネタは言わないでください」って言ってるから書かないけどねー、レンタルでもいいから『シベ超』見てみてくださいよー。世紀のケッ作であることは絶対絶対何はなくとも保証しますからー(←ナゲヤリな口調)。

 上映後、誰ともなく漏らした「ええもん見せてもろたわぁ〜」の声が、虚空に響くのであった。

 近所の居酒屋に移動して、今見たばかりの『シベ超』について、侃侃諤諤の大論争。店の人は「なんじゃありゃ」と思ってたんではないか(^_^;)。
 エロさん、「いやあ、ただつまらないだけだったらどうしようかと思ってたけど、楽しめました」……誉めすぎ誉めすぎ(^_^;)。
 しおやさんが「シベ超じゃなきゃ、見に来ませんよ」と仰るのを聞いて、オタクというものは本当に病膏肓、と苦笑。
 「あの変装に誰も気がつかないとはなぜなんだ」
 「多羅尾伴内なんじゃないですか?」
 「いや、多羅尾伴内も初期はあそこまでひどくなくてまともですよ」
 「そう言えば金田一耕助も……」
 気がついたら、話は南郷次郎や金田一耕助ほか、探偵映画の話にシフトしてしまっている。
 オタクの話はホントに脈絡がない。
 「で、『シベ超』2作目もあるんでしょ?」
 「ああ、ホテルでの殺人ってやつですね」
 「3作目も作ってるとか」
 一抹の不安が私にはある。
 全ての『シベ超』の上映会を、今後もすることになるのだろうかと言うことだ。
 ……やはり上映会の前はたっぷり昼寝をして、体力を温存させておかねばならぬようだ。
 やれやれ(-_-;)。


 居酒屋を出て、しおやさんと別れたあと、まだ何となく遊び足りない気分で、ほとんど徹夜の覚悟で、カラオケになだれこむ。
 とは言え、土曜の夜で、どこのカラオケボックスも満杯。
 「シダックス」は30分待ち、「とん珍かん」は20分待ち。
 それでもなんだかみんなエネルギーが有り余っている。
 しげも私も、体調は必ずしもよくなかったはずなのに、気分だけは無闇に高揚している。1時間だろうが2時間だろうが待ったるわい! みたいな気分になっているのである。
 結局、「とん珍かん」で20分待って、アニソンが少ないDAMに当たってしまったのに、ありったけのアニメソングを歌いまくる。
 しげが『魔女っ子メグちゃん』や『思い出がいっぱい(『らんま1/2』)』を、私が『スナフキンの唄』や『ガンバの冒険』なんかを歌うと、「この二人のレパートリーはわからん」とZUBATさんからからかわれてしまう。結構オーソドックスなつもりだけどなあ。
 エロさんとZUBATさんが、『愛・覚えていますか』を同時にエントリーしたのには笑った。こういうシンクロニシティと言うか、「間」の合い方、オタク同士には往々にして起こるのである。
 エロさん、ボイスチェンジャーで女声にして歌おうとしたが、機械の故障か全く変わらない。仕方なく、ZUBATさんと二人で合唱。
 男二人でリン・ミンメイかよ、と笑うなかれ。あのころの中高・大学生にとって、『マクロス』がただのアニメでなく、まさしく青春のバイブルであったことは間違いのない事実なのだ。
 ラスト、『帰ってきたウルトラマン』を歌うころにはエロさん、すっかりダウン。多分、何を歌ってたかも覚えていないのではないかな。

 お二人をご自宅までお送りしたあとの帰り道、しげがいきなり「腹が減った」と言い出す。
 「……今、食ってきたばかりだろう!」
 しげ、おもむろに、
 「……足りないもの」
 しげ、しおらしく見せようと、居酒屋では食うのを控えていたのである。
 この日記でしげがどれだけ大食漢であるかは暴露済みだと言うのに、何を今更。
 で、フォルクスに寄って、私はサラダバー、しげはステーキ。
 たっぷり腹に肉を詰めこんで満足なしげなのであった。


 モンキー・パンチ責任編集『ルパン三世 公式magagine』(双葉社・500円)。
 あ、いつの間にか3号目だと?
 しまった、2号目を買い損ねてるなあ。雑誌形式の本だから、もう古本屋で探すしかないなあ。
 単行本は単行本で買ってるのだけれど、特集記事や雑誌未収録作品など、この手の本にしてはずいぶん企画が充実してるんで、欠けなく揃えたかったんだけどなあ。
 巻頭はモンキー・パンチと江川達也の対談。
 それ自体はたいした内容はない(とゆーか裏話はたいてい知ってることばかりな)のだけれど、一点だけ、モンキーさんが「パイロット版のルパンの声、広川太一郎さんなんだよね」と言ったのに対し、江川さんが「スナフキンの声じゃないですか!」と言ったのは間違い。
 広川さんがアテてたのはもちろんスノークで(「はた、言うなれば……だったりだったりして」)、スナフキンの声は西本裕行。今日歌ったばかりだから間違いない(^.^)。
 モンキーさん、江川さんに「ルパンの監督やってみないか」と持ちかけているが、案外、実現したら面白くなるんじゃないか。少なくとも峰不二子のチチが盛大に揺れて揉みしだかれるだろうことは間違いないし(^o^)。
 実際に江川さんのイラストポスターが付いてんだけど、もう、峰不二子のエロいことといったらないのよ。乳輪でかいし(^^*)。

 いつもの山上正月の漫画版の総集編以外にも、島本和彦・安野モヨコ・細野不二彦・末松正博のイラストエッセイ、イタリア版ルパン、東京省(←作者の名前だ)のデジタルコミックなど、読み応えがある一冊。
 一番つまんないのが、原作者モンキー・パンチの3D−CGイラストってのがちょっと情けないかな。

2001年01月19日(金) DESERT MOON/『パタリロ!』(魔夜峰央)71巻ほか


2002年01月18日(金) バンパイアの夜/『ビッグマックプリーズ!!』(小屋一平)/『光の島』1巻(尾瀬あきら)ほか

 今朝もトイレに行ったら、食事の量減らしてるってのにまた血便。
 と言うか内容物がないから、血がただ流れるだけなんだよねえ。
 いったいどこまで続くんだろうか、この下血道は。
 ……こういう言い方するとなんか『子連れ狼』の「冥府魔道」みたいね。違うか。
 貧血を起こしているので、眩暈が激しい。
 もともと立ち眩みがしやすいほうなんで、できるだけ動かないようにしたいのだがそうもいかない。けれど、仕事をしていて生汗が出てくるに及んで、ああ、これ以上はもう無理だと判断して、仕事は午前中で早引け。

 帰宅したあと、ひたすら寝る。

 しげが仕事から帰ってくるのを待って、ブックセンターホンダへ。
 「……もう12時回ってるじゃん。本屋はもう閉まってるだろ?」
 「知らんやったん? ホンダ、時間が2時までになったやん」
 それは初耳だが、実にありがたいことだ。
 実際、私のように目が悪い人間にとって、昼日中の太陽光はちょっとキツイのである。
 夜の闇はしっとりとしていて親切だ。
 人の多い街中をしげと二人で歩いていても、我々は群集の中の二人を演じるしかないが、夜は世界がわれわれのものになる。
 夜はどうして8時間ほどしかないんだろう。
 せめてあと4時間あれば、眠って夢を見るほかにも、目覚めたまま夢を見ることができるのに。
 ……しかし昼間は貧血を起こして、夜に動き出すって、ホントに吸血鬼だよな(^_^;)。

 ロイヤルホストで食事。
 腹の調子が悪いので固いものは食べない。
 期間限定のポークシチューがあったのでそれを注文。
 しげ、なにやらステーキみたいなのを頼んでいたが、それ以外にも、サンドイッチを追加注文している。
 腹が減っていようが満腹であろうが常に口淋しいのはやっぱりココロの病気ではないのか。
 しげの希望は「出来るだけたくさんの種類の食べ物をおなかいっぱい食べること」であるのだが、だったら自分で料理がうまくなればいいのに、その努力は一向にしようとしないのである。
 料理のレパートリー増やすことが出来たら、小遣いアップしてやってもいいんだが。


 小屋一平『世界おもしろ比較文化紀行�供.咼奪哀泪奪�プリーズ!!』(心交社・1575円)。
 大げさなこと言うかもしれないけど、このシリーズ、200年経ったら、この時代の『奥の細道』たりえるんじゃなかろうか。
 第一作の『トイレはどこですか?』はまだ読んでないんだけれど、この二作目のおもしろさから推測するに、やはり相当な傑作である気がする。
 その国の文化を説明するのに、その国固有のモノを挙げたエッセイは数多い。
 日本で言えば、神社仏閣、フジヤマゲイシャにスシテンプラ、マンガやアニメにテレビゲーム、時代は変われど、そこに我々はどこか「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のナショナリズムを見出していたりする。
 ぼったくりバーやホテトル、公衆便所の落書きやロリコンアニメに「日本らしさ」を見出そうなんて考察はあまりなされない。
 「マクドナルド」や「コカコーラ」だってそうだ。
 このアメリカ資本であることがハッキリしている文化、ある意味、世界中を文化侵略していると言ってもいいものを、「その国の文化の産物」として見て行こう、という試み、これってこれまで皆無だったんじゃないか。
 チキンタツタって日本だけのバーガーだったんだよなあ。そりゃ「竜田揚げ」なんだから当然だったんだが、そう指摘されないと、いちいち意識するものでもない。
 中国の「黒胡椒バーガー」。
 韓国の「プルコギバーガー」。
 スペインの「マック・エキストラ」。
 ギリシアの「マック・ロイヤル」。
 インドの「マハラジャマック」。
 タイの「サムライポークバーガー」(笑)。
 冗談で書いているようだが、こういうのがホントにあるのである。
 それを著者はまさしく「そういうものを食べる」ために旅をし、マクドナルドが普及して行く様子、店の間取りや各国の接客の違い、生活習慣に至るまで、微細に自分の眼で確かめて行く。
 以前は発砲プラスチック容器に入れられていたビッグマック、今は簡易包装の紙の箱に変わっているが、あれの発祥がドイツだったとはなあ。
 ともかく1ページめくるごとに新発見、再発見の連続である。
 この本もまた、身近な、見過ごされやすいものにこそ我々の真実が潜んでいるとする、「考現学」の一書と言えるだろう。……一行知識がずいぶん増えたなあ。
 あ、マクドナルドについて触れているのは第一章で、第二章は各国の「コカコーラ」です。……ファンタ・ストロベリーって日本でもどこかじゃ売ってそうだけど。 
 

 マンガ、森口豁原案・尾瀬あきら漫画『光の島』1巻(小学館・530円)。
 基本的に尾瀬あきらという人は誠実な人なんだろうな、とは思う。
 日本酒の未来を憂えたり、三里塚闘争の意味を改めて掘り起こしたり。
 かつて『バビル2世』のコミカライズをしていたころがウソのようだ(『初恋スキャンダル』ですら、もう過去の履歴から消したいのではないか、この人は)。

 今回のマンガも原作となるルポルタージュがある。
 読んだことはないが、森口豁(もりぐち・かつ)という人の『子乞い・沖縄孤島の歳月』(凱風社・1890円)がそれだ。
 基本的な話はマンガ同様、日本復帰後、過疎化が進み、一時は人口が20人台にまで落ち込んだ小島、鳩間島(マンガでは唄美島)の小学校を維持するために、島民たちが島外から子供を呼び寄せるという、いささか乱暴な方法をとった過程が描かれているらしい。
 「乱暴」とは言っても、島民にとっては切実な意味を持つ。
 小学校が廃校になれば、行政に見捨てられ、廃村が決まるということだからだ。
 「ムリヤリ呼び寄せられる子供の人権はどうなるのか」との批判ももっともではある。しかし、「島の未来」を考える時、「なりふりかまってはいられない」というのが実情だったのだろう。
 廃村が決まって、島を退去したからといって、残された人々が生きて行ける保証はない。行政はそこまで面倒は見てくれないからである。

 ルポルタージュはその沖縄行政の杜撰さを告発するような内容になっているらしいが、尾瀬さんはそこまで踏み込んで書くつもりなのだろうか。
 今の所、マンガは沖縄の自然を豊かに描き、まずはそこに生きる人々の心の葛藤と、困難を乗り越えようとする強い意志と、優しさとを描いている。
 それはそれで実に爽やかな印象を与える。
 たった二人の小学生、光と由美。
 体の弱い由美が、両親と別れて落ちこむ光を慰めるシーンや、島に来たことの意味を確かめるように走るシーン、その姿には素直に感動してしまう。

 しかし、それでも一抹の不安を覚えずに入られない。
 似たようなテーマの高畑勲のアニメ、『おもひでぽろぽろ』が、無批判な「田舎賛美」に堕してしまったのと同じ轍をこのマンガは踏みはしないか。
 人の生き方はさまざまであるはずなのに、絶対的な「正しさ」を求めはしないか。
 全く逆に、たとえ子供を利用しようとしてでも島の未来が大事というオトナのエゴイズム、それを開き直って描くような、「正しい生き方をしているものなど誰もいない」という視点で今後のストーリーが展開されていくのならば、このマンガ、とても面白いものになっていくんじゃないかと思うのだが。


 マンガ、ヒラマツ・ミノル『アグネス仮面』1巻(小学館・530円)。
 『1・2の三四郎』再び。
 描き手は違うが、そんな印象のマンガだ。
 しげと結婚した十年前、テレビでプロレス中継を見ようとした瞬間、「アンタってプロレス中継見る人だったの?!」と蛇蝎を見るがごとく毛嫌いされ、隠れプロレスファンであることすらやめてしまった私にとっては、なんとも「なつかしさ」すら感じてしまう。
 なんたって時代設定が「昭和51年」だよ。
 まだ我々がアントニオ猪木に夢を持っていられた時代だ。
 あの「アントニオ猪木対モハメッドアリ」の異種格闘技戦が行われたのが昭和51年6月26日のこと。……かじりついてたよなあ、テレビに。
 あの迫力のカケラもない猪木のアリ・キックですら、梶原一騎が「アリのフットワークを防ぐには最高の技」という解説をマジで受け取っていたのだ。……だからチューボーだったんだよう(-o-;)。

 主役は海外武者修業から帰ってきた山本仁吾。
 ところが所属していた大和プロレスは、帝日プロレスのマーベラス虎嶋に乗っ取られていた。
 大和最後の刺客として虎嶋に挑んだ山本だったが、赤子の手を捻るように返り討ちに会う。
 そして、ムリヤリ「アグネス仮面」という名のマスクマンにさせられてしまうのだ。
 「キミの故郷はどこですか?」
 「埼玉県だ!」
 「埼玉県はブラジルに近いな!」
 「近いわけないだろ!」
 「福島県よりブラジルに近い!」
 「うっ…確かにそれはそうだが」
 「それじゃあキミをブラジル出身と言っても間違いではないな」
 「ぜーんぜん違うっ!!」
 でも、これで「アグネス仮面」にされちゃうんだからなあ(^o^)。
 でも案外、現実のタイガーマスクもウルトラマンもウルトラセブンも獣神ライガーもこんなノリで生まれたんじゃなかろうか。
 プロレスは夢である。
 たとえそのほとんどがヤラセであり八百長でありショーであったとしても、それが芸として完成されていれば、それを評価して何が悪かろうか。
 ……だからたまにはプロレス見せてくれよう(ToT)。もうゴールデンタイムでやることなんてないんだからさあ。

2001年01月18日(木) はな゛がつま゛ってくるしい/アニメ『ジャックと豆の木』ほか


2002年01月17日(木) 部屋の中を歩けるようになったよん(それが普通だってば)/アニメ『七人のナナ』第2話/『クレヨンしんちゃん』31巻(臼井儀人)ほか

 体調、そろそろギリギリの状態に。
 なんたって、血便が止まらないのだもの。
 ウチの便器は、既に洗っても洗っても、ほんのりピンクになってるぞ。

 しかし仕事は休めない。
 なんとか今日も息つきながら一日過ごして、しげの携帯に連絡を入れたら、またもやつながらなかった。
 しげも疲れてくたばっていたのだ。

 帰宅してなんとか『七人のナナ』の第2話「大混乱!7人そろって学校へ?」を見る。
 『おねがい!ティーチャー』も仕掛けておいたのだが、テレビタローの番組表が間違ってて、時間がずれていた。よくあることだし、たいして入れこんでなかったんでショックは少なかったが。
 『ナナ』は今回からオープニングがつく。
 ……戦隊もの?(・・;)
 うーむ、さすがは『味っ子』『Gガン』の今川泰弘。ただのSFラブコメにする気はないらしい。
 よく見ると画面の中にいろんな少女マンガ雑誌が。
 『りばん』とか『花ゆとめ』とか(^^)。
 『紅茶王女』や『フルーツビスケット』なんてのもあったぞ。まあこういうギャグ、嫌いじゃないけど、あまり楽屋オチ的なギャグには走らないでほしいな。。
 本編の作画も1話目ほど爆走はしていないが安定している。
 けれど、1年後には七人のナナが全て消えてしまう、それまでに一人のナナに戻らなければ、という設定はちょっといただけない。それって、科学者であるジイちゃんが方法を見つければいいだけの話で、ナナが努力してどうなるってものでもないんだから。
 もう少し設定がストーリーに絡んでくれれば、切実感も出るんだけどね。


 昨日の『ヒカルの碁』第十四局『三度目の対局』。
 録画していたのを見返す。
 前回ヘタレていた作画、なんとか持ち直している。
 監修の梅沢由香里さんはご結婚が決まったそうな。
 そう思ってみると「GOGO囲碁」も感慨深いか(何がや)。
 エンディングが観月ありさに変わったけど、サイクルが早くないか。半年も経ってないのに。


 疲れ果てているので、日記もつけずに泥のように寝る。
 ただひたすら寝る。……ああ、書くことが少なくてラクだ。


 夜、溜まりに溜まっていたゴミをやっと捨てる。
 ゴミ捨て場のゴミの半分以上がうちから出たもんだ。こりゃいくらなんでもヒドイな。
 まだもう少しまとめてないゴミが残っているが、しげは明日捨てると言っている。もちろん、明日になればしげは忘れているに決まっているので、聞き流す。
 そのうちしげのケツひっぱたいて片付けさせなきゃならなくなるのだ。


 ネットやあちこちのホームページで劇場版『とっとこハム太郎』の「毒電波ぶり」が話題になっている。
 オトナは全然面白くないのに、子供が食い入るように見ているのがフシギってんだが、ちょっとそれも過剰反応じゃねーかとは思うけどなあ。
 だってそんなの、かつてのゴジラ映画や東映動画に熱中していた我々と同じじゃないか。
 特に今回の映画、話の外形は昔から「ケンちゃんシリーズ」なんかでよく描かれてた「子供の家出」ものに過ぎない。
 子供なら、一度は考えたことがあるだろう、「自分はこの親の本当の子供ではないのではないか?」という思い、「自分はいつかこの親に捨てられる、あるいは殺されるのではないか」という思い、それに押しつぶされそうになって、子供は家を出る。
 たいていのドラマでは、最後に親と子が邂逅し、和解するというハッピーエンドを迎える。……いったい、この手のドラマ、何10本見せられて来たかねえ? ルーツを遡れば、『オズの魔法使』あたりまで行きつくんじゃないか。
 子供はだから、ロコちゃんとハム太郎との関係に親と自分を重ね合わせているのである。ハムハムランドは楽しいけれど、ロコちゃんのいない世界なんだもの。その「喪失感」があの映画全体に横溢しているのだ。それが子供たちの不安感を煽り、画面に集中させる結果になったのではないか。
 と、ここまで考えてて、ふと気づいた。
 ハム太郎は所詮ペットだ。ハムハムランドから帰ってきて、ロコちゃんに再び会えたからといって、最初に感じていた、ロコちゃんとの距離、人間と動物との差が本当に埋められたわけではない。だとすれば、これまでの「家出もの」とは、その点で全く一線を画するものがあるのではないか。
 だって所詮あれって見せかけのハッピーエンドでしかないもの。ハム太郎がロコちゃんの恋人になれる日なんて永遠に来ないんだから。ロコちゃんも、ハム太郎も、その現実から目を背け、とりあえずは居心地のいい、もう一つの虚構に逃げただけの結末なのだ、アレは。
 劇場の子供たちは、ひょっとしたらそこまで感じ取ってるんじゃないか。自分が「人間」として扱われているのではなく、親の「ペット」に過ぎないってことを。そしていつかは「捨てられる」ってことを。……そりゃ、食い入るように見はするわな。
 ……そう言えば、劇場で見たときも子供たち、ハム太郎のあとも全然元気がなかったなあ。彼らの未熟な表現能力では、自分たちが何に不安を抱いているか気がつかなかったかもしれないけれど、その不安は恐らく外れてはいない。
 君たちはいつか捨てられるのだよ、あるいは実はもう、生まれた時から捨てられてるかもしれないのだよ。早いとこ、それを自覚した方が自立の道も開けるんだけれど、小学生くらいじゃ、まだまだそれは難しいかもねえ。


 マンガ、臼井儀人『クレヨンしんちゃん』31巻(双葉社・560円)。
 『クレヨンしんちゃん 寒いけど、オラのハートはあっついゾ!号』(双葉社・380円)。
 アニメの方は時々しか見てないんだけど、モロダシ共和国のオマタさんは出て来てないよなあ。
 例の堺市のなんたら家族が「黒人を出すな」とか言って騒いだ悪影響がこんなとこにも出てるよな。アニメと原作のどっちが好きかって言われたらアニメの方、と答えるしかないんだけど、原作にしかないギャグもあるから、やっぱりついつい買っちゃうのである。
 私は『しんちゃん』については遅れてきたファン(映画版『アクション仮面VSハイグレ魔王』以降)なので、細かい設定は知らないことも多い。アニメと原作の違いもところどころしか解らない。
 『クレヨンしんちゃん百科』みたいな本が出ないかなとも思うんだが、子供向けだと中味がチャチなものにしかならないし、かと言ってオタク向けだとデータが細かすぎて売れない。
 やっぱり世間でのオタクの占める割合が増えてってくれないと、モノの供給自体、されなくなっちゃうのである。

2001年01月17日(水) 雪が溶けて川になって流れていきます/『これから』(夏目房之介)ほか


2002年01月16日(水) どんぶりめしがいっぱい/『パワーパフガールズ<DCコミックス版>』1巻(クレイグ・マクラッケン)ほか

 仕事が伸びて、迎えに来てくれたしげを1時間待たす。
 「やあ、遅れた、ごめん」と謝ったのだが、言い方が多少ぶっきらぼうだったので、「威張って待たせるな!」と怒られる。
 「別に威張ったりしてないよ」
 「うそ。『ごめん』って言いながら、ニヤニヤしてるし」
 「照れ隠しに笑ってるんだよ」
 「はん、笑って許してもらおうって魂胆だね」
 「……そうやって、波風立てて楽しいか?」
 「ほら、そうやって責任転嫁する。自分が悪いって思ってない証拠やん」
 「……今日はしつこいなあ、お前」
 「シツコイって……!」
 「寿司屋に行くか?」
 「うん行く!」
 ちょろいもんである。

 けれどふと見ると、寿司を食うにはサイフの中身がやや心許ない。
 さりげなく「それともほか弁がいいかな?」と言ったら、「そっちのほうがいい!」としげ、乗る。
 しげはその日その日で食いものの好みが変わる。
 「しばらくほか弁を食べてない」
 「しばらくカップ麺を食べてない」
 そういう、ちょっとした間を狙って誘うと、ホイホイと乗って来るのだ。
 安上がりですんで助かるなあ。
 それにしても、食いものだけでマインドコントロールができる妻ってのもラクなんだか情けないんだか。


 しげ、リンガーハットから余ったメシをもらってくる。
 しげはたまにそういうことをしてくれる。これまでにもバイト先を転々としているしげであるが、それが全て食いもの屋であるのは明らかにソレを狙っているからであろう。
 米を炊く必要がなくて助かりはするのだが、今日は量が異様に多かった。
 どんぶりに二杯、更に握ったメシも十数個。
 「なんだよ、この量は」
 「だって余ったんだもん」
 ドンブリでも一杯くらいならなあ、特に問題はないんだが、これだけあると一日では食べきれない。かと言って二日も三日も持たせてたら冷蔵庫に入れてたって、悪くなる。
 「……今から食うしかないか」
 しかし、オカズになるものが、ちょうどレトルトカレーしかなかった。
 ……ハラ、壊してるのにカレーかよ。
 明日のトイレが楽しみである。

 
 マンガ、竹本泉・中山星香・和田慎二・樹村みのり他『ねこミックス』1巻(宙出版・730円)。
 ネコのマンガだけを集めたアンソロジーって体裁だけど、要するに竹本さんに『ねこめ〜わく』の新作を描かせるために雑誌を立ち上げたわけだな。
 元ネタがアンダースン&ディクスンの『ホーカ』シリーズであることは明言している竹本さんだけれど、それがネコと美少女ってのがやっぱりいいよな(何度も書いてるがどうして竹本作品がアニメ化されないのか)。
 ただ、こういう同一テーマのアンソロジー、必ずしも傑作が揃わないというのも事実である。
 他作品との差別化を謀ろうと無理をしてヘンな作品が並ぶか、はたまた似たような作品が並んでしまって、印象が相殺されるかのどちらかだったりするが、さて、これは後者のように思う。
 一作一作を読んでみるとおもしろくはあるんだけれど、続けて読むと「またネコかい」。ほんとに猫好きにしか楽しくないって作品集になっちゃってるんだよなあ。
 
 気になるのは、竹本さんの『ねこめ〜わく』のサブタイトルが『……そろそろ』であることだ。
 これは「そろそろ歩く」ということなのか「そろそろ終わり」ということなのか。ずいぶん長く続いてきた作品だから確かに終わってもおかしくないんだけど。
 百合子ももうオトナになったしなあ。
 ネタも尽きて来たのか今回のカメラネタ、そんなにおもしろくなかったしなあ。
 でも竹本作品のベスト3と私が勝手に思ってる作品なんで(あとは『アップルパラダイス』と『さよりなパラレル』)、もちっとだけ続いてほしいんである。
 あと、読んで気に入ったのは、樹村みのりの『おかあさんがいない』。母猫の死を、物心ついたばかりの子猫の視点で描く。物語の起伏はないが、そこが無理をしてない淡々とした筆致なので、すんなり読める。
 坂田靖子の『猫ぼん』は続きものか?
 舞台はイギリス、大きな屋敷に家庭教師にやってきたマスコウィッツくん、出会った生徒のパティくんはどう見ても猫……久保キリコの『ちょべりぶ』みたいだけれど、物語はそれでオシマイ。次号も続くんじゃなきゃ、話にもなってないぞ。
 連載ものも単発ものも最後が全部「おしまい」なので区別がつかないのだ。


 マンガ、クレイグ・マクラッケン原作『パワーパフガールズ<DCコミックス版>』1巻(小学館・788円)。
 『PPG』の公式コミック。
 アチラのコミックが、原作・下書き・仕上げ・文字・彩色・編集と、完全分業体勢になってるのは知ってたけど、にもかかわらず、各話の印象が変わらないってのがスゴイね。
 作画が変われば面長なバブルスとかが生まれてもよさそうなものなのに(^^)。
 そこが、作家性を重んじて各話のキャラの顔が多少変わってたってかまわない日本のアニメと、何より作品のイメージを重んずるアメリカのアニメとの違いなんだろう。
 実際、アニメとの印象も全く違わないのだもの。
 アニメでは見られないエピソードを、一部は原作者のクレイグ・マクラッケン自身が執筆しているのだ。これはもう「公式」どころかアニメに連なる新作の『PPG』と言える。
 各話に石川裕人氏による日本語の解説がついてるのも親切でありがたい。
 でないと、PPGを倒したモジョ・ジョジョが、フルーツパイを出された途端に負けちゃうってネタ、何のことかわかんなかったもんね(わかんないでしょ?)。
 それにしてもアチラの5冊を1冊にまとめてもわずか130ページ。全ページカラーで、1話あたり150円ってとこか。まあ安いほうなのかな。

2001年01月16日(火) 雪の白樺並木、夕日が映える/『風の歌うたい』(吉田秋生)


2002年01月15日(火) チュパカブラってなんだよ/『機動戦士ガンダム ジ・オリジン ―激闘編― SECTION �機伸供�

 朝からハラが痛いなあ、と思っていたら、血便が出る。
 ああ、やっぱり体調崩してるんだなあ。
 血便そのものはすぐさま命に関わるなんてことはないんだが、ともかく貧血気味で疲れやすくなるのがツライ。
 少し柔らか目の食事をするようにした方がいいかなあ。


 帰りの車の中で、しげが「回転寿司に行きたい」と言い出す。
 まあ、寿司くらいなら、別にハラに響きはしないかな、と思い、「いいよ、ただし安い店でな」と返事をする。
 そのまま、寿司屋に向かってバイパスを走らせていると、ふと、一件の店しげの眼に止まった。
 急ブレーキ、急旋回。
 思わずシートベルトをぶっちぎって窓の外に投げ出されるかと思った。
 「な、なんだよいきなり!」
 驚く私を無視して、しげ、その店の駐車場にスルスルと車を止める。
 「やっぱり『王将』にする! 餃子食べたいし!」
 ……また、腹に応えそうなものを。
 けれどいったん店先に止まっちゃった以上、また出て行くのも店の人に悪い。
 仕方なく、定食だの餃子だのを頼むことにする。
 実際、安上がりな店だし。

 なのにしげ、餃子をぱくつきながらも浮かぬ顔。
 「どうしたん、美味しくないんか?」
 「うん、ここのあんまし好みじゃない」
 「……だったら最初から別の店にしろよ!」
 「だって餃子が食べたかったんだもん!」
 ……よくわからん理屈だ。


 帰り道、「ベスト電器」に寄って、ビデオテープを買う。
 ポイントカードが溜まってるはずだから、代金がかからないはずだと思いこんでいたのだが、前回使い果たしていたのを忘れていた。
 まあ、テープも昔に比べて(って、いつだよ)ずいぶん安くなったから、S−VHSを2、30本買ったからって、いきなり生活に響いてきたりはしないけどさ。

 そのあとマルキョウで食料の買いおき。 
 そこでまた一つ、ヘンな食玩が出ているのを見つける。
 「コレクト倶楽部 七不思議編」。
 出してるのは味覚糖か。七不思議ったって、バビロンの空中庭園みたいな正統派じゃなくて、どっちかと言うとトンデモグッズを集めたもの。
 このラインナップがなんか感動していいのか、それとも頭痛を覚えればいいのか。ちょっと以下にご紹介しよう。

 01.イースター島のモアイ像
 02.水晶どくろ
 03.黄金シャトル
 04.アレクサンドリアの大灯台
 05.ノアの箱舟
 06.ゼウス神像
 07.トロイの木馬
 08.バベルの塔
 09.ロードス島の巨人像
 10.天空城ラピュタ
 11.火星人来襲
 12.捕らえられた宇宙人
 13.異星人来訪
 14.エイリアン・グレイ
 15.ネッシー
 16.スカイフィッシュ
 17.ツチノコ
 18.モア
 19.ロック鳥
 20.チュパカブラ
 21.ビッグフット
 22.河童のミイラ
 23.人魚
 24.鬼

 脈絡がない点では永井豪マニアックスに匹敵するかな(^^)。
 「捕らえられた宇宙人」ってのは例のサルの毛を剃ったヤツである。既にネタバレしてるものまで「不思議」に入れるなよ。だいたい、宇宙人関係は「七不思議」か? 24種類ってのも7の倍数でもなんでもないじゃん。
 チュパカブラって、なんか吸血鬼みたいのらしいが、何の文献に出てるんだろう。『幻獣辞典』にあったっけ? 典拠を示すくらいはしてほしいよなあ。
 ためしに二個、買ってみたら、「灯台」と「鬼」が出た。
 まあ、悪いというほどの造型ではないが、フルタの妖怪シリーズと比較するとどうしてもチャチに見える。買い揃えるかどうかはそのときの気分次第だなあ。
 それに妖怪根付だって、まだほとんど揃えてないんだし。

 なんと『七不思議編』のほかにも『古代文明編』てのまであるらしい。
 ホントに誰が買うんだろうね。多分、それも私だ(^_^;)。


 『ニュータイプドットコム2月号増刊 ガンダムエース 2002 Winter No.003』(角川書店・650円)。
 タイトル見てて気づいたことが二つ。
 アルファベットでタイトルに『GUNDAMA』って書いてあるけど、これ、そのまま読んだら「グンダマ」としか読めないよなあ。新しい隕石の一種か(^o^)。
 あと、「No.003」とあるけど、3桁ってことは最低100冊は出すつもりなのかな。冗談でなく、『ガンダム』『Zガンダム』あたりまで描いたとしたら、そこまで行っておかしくはないけどね。

 実を言うと、単行本が出るまで、安彦良和さんの『機動戦士ガンダム ジ・オリジン』の感想書くのやめようかなあとか考えてたんだけど、二度目に読んだときは読んだときで新たな発見もあるかもと思って、書くことにした。
 今回は、『―激闘編― SECTION �機伸供戞�
 シャアとアムロの最初の対決だ。
 そう、その最初の一発を赤い彗星がよけて、それからシャアの一発をガンダムが盾で受けて……「これが……戦い!?」……そうだ、モニターに巨大な足が映って……蹴りまくられるガンダム!「未熟だな、連邦のパイロット!!」。
 うおおおお、聞こえてくるよ、渡辺岳夫のBGMが!
 この醍醐味、ファーストガンダムに入れ込んだ世代じゃなきゃわかるまいなあ。うひひひひ、これこそが早く生まれた者の特権ってヤツだね(年寄りの繰り言とも言う)。

 もちろん、テレビシリーズそっくりの展開もあれば、変更点もある。
 ブライトさん、テレビに比べてずっとバカになってるし(^o^)。
 「宇宙へ出たの始めてなんですよ。司令部での勤務が長かったものでね」ってセイラさんに言ってたセリフ、テレビで見てたときは、てっきり気弱になってセイラさんに甘えてたんだと思いこんでたよ。
 だって、テレビの作画は、結構ブライトさんを凛々しく描いてたし。少し上を見上げて、鈴置洋孝さんもキリリと思い深げに喋ってたんだよ。
 なのに今回のマンガ、ブライトさんの表情、上を見上げちゃいるけど冷や汗流してるし、片眉上げて口元が歪んでてさ、いかにもイヤらしいんだよねえ。
 ……とゆーことは何かい、これって、単に「ボクってエリートなんでナイーブなんだよねえ」って、セイラさんにコナかけてただけじゃん! 
 そ、そうか、それでセイラさんは「エリートでいらっしゃったのね」って答えてたのかあ!
 この勘違い、私の読解力が低いってだけの問題じゃないと思うぞ。
 たしか鈴置さんも、「最初はカッコいいヤツのつもりで演じてた」って言ってたから、それを安彦さんは始めから「いじられキャラ」としてブライトさんを描き直しているのだ。あああ、芸が細かい!

 ルナツーでのシャアの強襲もオリジナルな展開。
 「オレはシャアに勝てるかもしれないっ!!」ってのぼせあがってるブライトさんもいいなあ。戦ってるのは兵士だろうがよ。これでちゃんとブライトさんを「嫌いになれる」。
 シャアの不敵さもここで再確認。「おもしろい、こうまであなどり難い敵か!!」。
 そして出たぞ、ルナツー司令・ワッケイン。
 チョイ役だが結構好きなキャラだ。映画版ではブライトたちに同情して涙まで流して軟弱化したが、もうテレビシリーズ以上に酷薄な軍人ぶりを見せつける。
 ブライトさんの軍規違反を咎めだて、「せめて避難民をおろさせてください!」の嘆願にも「善処しよう」。
 ……絶対、やる気ないよな(^o^)。これがまさしく軍人として司令にまでなれた証なのであろう。

 安彦さんが、サイン会レポートで「ガンダムは『いらないしっぽだ』と言い続けていましたが、20年たって『あれはやっぱり単なる過去ではなかった』としみじみわかりました」と語られている言葉を聞くと、その境地に達せられた安彦さんに心から拍手を送りたくなる。
 「ジェームズ・ボンド=ショーン・コネリーと思ってもらいたくない」というような心境と似たようなものだったんだろうけれど、「代表作」ってヤツは何をどうしたってその人間についてくるものなんである。その覚悟の上で描かれる『ジ・オリジン』がどのようなものになっていくか、これを期待せずに何を期待しようか。

2001年01月15日(月) 雪は降る、貴女は来ない/『ウルトラマン対仮面ライダー』(池田憲章・高橋信之)


2002年01月14日(月) 原作と映画の間/映画『走れメロス』/『朱色の研究 夕陽丘殺人事件』(有栖川有栖・麻々原絵里依)ほか

 成人の日。
 ああ、三連休というのはありがたいなあ。自分のペースでやりたいことがやれるし。っつーかたいてい本読んだりDVD見たりなんだけど。
 三日も休みがあると何をしていいか分らない症候群じゃないもんね、私は。


 昨日録画しといたCSチャンネルNECO『走れメロス』をしげと見る。

 『走れメロス』の映像化は、恐らく腐るほどあると思われるが、そのほとんどが世に知られてはいまい。
 それはたいていが、NHK教育とかの子供番組でのダイジェストものだったりするからだ。
 では、本格的な映画化作品はあるのかと言われると、これが意外にもほとんどない。理由はおそらく単純に、「舞台がギリシャである」ため、日本人キャストでは映画化が無理だったせいだろう。
 しかし私は、それ以外にも、「超有名な小説が意外にも映画化されにくい」理由があるのではないかと思う。そのことをちょっと考えてみたい。

 それは要するに「手垢がつきすぎている」ということだろう。
 映画化しても新鮮さに欠けるのである。集客力につながるものとはちょっと考えにくい。
 更に言えば、「教科書に載るような作品は所詮、教条主義的な作品に過ぎない」。既成の概念の破壊と再編成が芸術の価値であるとすれば、『メロス』くらい魅力のない作品はないのだ。友情の物語など、描かれつくされ、語られつくされている。仮にそういうものを描きたいからと言って、その典拠を『メロス』に求める必要など全くないのだ。
 実際、この映画が製作された1992年、「なぜ、今どき『メロス』?」と、考えた人は多かったのではないか。
 太宰作品に限らない。過去の作品を今に蘇えらせようとするには、そこに明確なモチベーションが必要となる。芥川龍之介の諸作だって、黒澤明の『羅生門』(原作は『藪の中』)、豊田四郎の『地獄変』が知られているくらいのものだ。ほんの百年も経っていないような時期の小説ですら、現代での映画化は容易ではない。果たして『メロス』の映画化に、我々はどのような意味を見出せばいいのだろうか。

 では、『走れメロス』の映画が今までに全くなかったかというと実はある。
 しかも全て日本人キャストで。
 ならば舞台が日本なのかというとそうではなく、中近東の某国に移し替えられているのである。
 タイトルは『奇巌城の冒険』。
 主演、メロスにあたる「大角」に三船敏郎(……え?)。
 セリヌンティウス「円済」に中丸忠雄。王役は三橋達也。
 製作は東宝=三船プロ。つまりこれは、『大盗賊』で呂宋助左衛門に扮した三船が姉妹編として作った「冒険もの」なのである。
 三船とメロス。このミスマッチ感覚が実に楽しい映画であった。
 でもまあ、それは余談。

 しかし、今回の映画を見ていて、私は唖然とした。
 先にハッキリ言ってしまうが、これは太宰治の『走れメロス』とは全くの別物である。その精神においては真逆とすら言えるものだ。
 言うまでもなく、この『走れメロス』はアニメーションである。絵で描ける以上、原作通りの世界観を展開させることは不可能ではなかったはずだ。
 メロスに山寺宏一、セリネ(セリヌンティウス)に小川真司、ディオニシウス2世(この名は原作には出て来ない。史実に合わせた改変である)に故・小林昭二。
 なんともはやシブ過ぎるキャスティングである(もっともこれじゃウリがないと製作者が思ったのかどうか、女性陣には水沢アキや中森明菜を並べている)。
 こう芸達者が揃っているなら、やはり物語を原作に忠実に描いたとしても、ありきたりな印象にはならずにすんだと思う。
 しかし、監督のおおすみ正秋(あの『ムーミン』や『(旧)ルパン三世』の監督だ)は、全てにおいて原作とは正反対の解釈で物語を作っていたのだ。

 まず、メロスとセリネは竹馬の友ではない。
 これだけでも大胆な脚色なんだが、問題はその後だ。
 シラクサの町で初めて出会った二人、旅人のメロスと彫刻家のセリヌンティウス。気があったその日から二人は親友になる。
 城内に入りこんだメロスが、国王暗殺の犯人として捕らえられる展開は原作とも共通しているが、原作がその目的が事実だったのに対して、アニメでは「うっかり迷いこんだだけで国王暗殺の意図はない=王の誤解」とまたもや大きな改変。

 そして、これがもっとも大きな変更だろうが、セリネが身代わりを申し出たのは、メロスを助けるためではなかったのだ。
 ノラリクラリとしていてはっきりとは語られないが、どこかセリネはメロスの帰還を信じつつも「帰ってこなくてもいいかな」と思っているフシがある。
 酒で身を持ち崩していたセリネは半ば自暴自棄的な思いで人質に名乗り出たのだ。暴虐な王をたしなめるきっかけがほしかった、それだけだったようにすら見える。
 となると、ラストで殴り合う二人の行動の意味も、全くの別解釈が必要となろう。セリネがメロスに殴らせたのは、メロスの真意を疑ったからではない。彼を利用しようとしたからだ。
 原作では帰還したメロスに自分の不明を詫び善政を誓う国王だが、アニメでは最後まで反省はしない。結果、民衆は国王をシラクサから追い出してしまうのである。途中経過を見ていても小林昭二の憎々しい声で演じられているこの国王が最後に涙を流して反省するようには見えなかったが、これはどうやら史実のディオニシウス2世の事績に合わせた改変のようだ。
 つまり、薄っぺらなヒューマニズムでオチをつけた原作を、監督は拒否したのである。それが正しいか正しくないかの議論は置く。ここには、政治とは結局、戦いによってしかなされないと考えるおおすみ正秋のリアリストとしての目が働いていると言っていいだろう。


 ……いや、面白い。
 書き忘れたが、作画監督は『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』、『人狼』でアニメーションのリアル演出で、一つの頂点を極めたと言ってもいい沖浦啓之であるが、まだほんの少し型どおりの演技をキャラクターにつけている部分が見えて微笑ましい。
 ここから『人狼』までわずか数年でたどりついたってのがすごいよなあ。


 沖縄では一足先、昨日に成人式が行われていた模様だが、予想通り(^_^;)トラブルがあった模様だ。
 会場内に酒を持ちこもうとした連中が警備の者と押し問答の末、乱闘になって逮捕されたとか。
 昨日の新聞にも「沖縄は危険」とか書いてあったから、いかにも世間の期待に答えたような形で事件を起こしてくれたものだ。さすが、イマドキの20代(実際にコトを起こしたのは後輩の19歳の連中だったらしいけど)。外さないよねえ。
 またぞろ昨年のように「成人式のあり方は」とか言い出してるやつがいるけど、あり方もクソもあるか。どう対策を取ろうが、バカはバカだからバカをやるものである。バカじゃなきゃ、これだけ世間が騒いでるのにわざわざ逮捕されるようなコトをするものか。
 どうせなら下手に若者に迎合してイベント制を持たせるようなことはキッパリやめて、もう徹底的につまらなく、どこまでツライ目に忍従できるかを試す儀式にすればいいのだ。
 内容は名士の講演を延々6時間、会場は吹きっ晒しの野っぱらに正座、参加拒否者には罰金五十万円、それくらいやって、暴動起こすヤツを全員タイホ、ということにするのだ。これでいずれ犯罪を犯すヤツを未然にムショにぶちこんでおけるという(^o^)。
 まあ、冗談めかして言ってるけど、成人式が有名無実なのは事実だし。元々これって「イニシエーション」でなきゃならんのじゃないか? 「成人」になるための通過儀礼的なことやってるところが、どこか一県でもあるのか? 別にバンジージャンプをやれとは言わんが、「ハタチになったこと」を証明するような「行為」なくして「成人式」と言えるか。
 逆説的だが、とっつかまった連中は、「ハタチになったこと」を身を持って体現したのである。本人たちはそれで満足だろうから、十年くらいぶちこんどいてハタチの味を噛み締めておいてもらいたいものである。


 今日こそ『ハリー・ポッター』を見ようとしげを誘うが、しげは疲れて寝ている。今日を逃すとまたしばらく行けないというのに、ロングランになってるからと言って、のんびりしてやがるなあ。
 まあ、明日に疲れを残さないためにもそれはそれでありがたいんだけど。


 CSファミリー劇場で『ガメラ2 レギオン襲来』を見る。
 ああ、沖田浩之が出ている。
 未だに自殺の理由を知らないんだよなあ。遺族は当然知ってるんだろうけれど、余り口の端に上らせたくないんだろうな。
 しかし、ほんの数年前の映画だと思ってたけど、結構時間が経ってるんだね。
 冷静になってみるとともかく「ここで予算が使えなかったのは痛いなあ」というところが随所にある。
 自衛隊が地下道まで突入していて群体レギオンと戦うシーンがないのは不自然だし、草体レギオンの開花の様子は、アニメーションででもいいから見せなきゃ盛り上がらないよ。
 あとやっぱり永島敏行と水野美紀が敬礼して別れるっての、「今時の若いヤツがそういう『文化』を脈絡もなく、いきなり見せるのは不自然」だと思うぞ。
 ウチの女房も多分水野美紀と同い年くらいだと思うが、私が仮に戦場に行くことがあったとしても、敬礼で送りゃしないと思うのだ。新作『ゴジラ』で、私が宇崎竜童と新山千春のラストシーンに不自然さを感じてるのも、その辺に理由がある。
 それとも私が知らないだけで、「敬礼文化」ってのが世間では流行してるのか。んなことはないだろう。私は単に、『ヤマト』『マクロス』以降の戦争アニメの悪影響だと思うがな。アニメ感覚で実写を撮られてもねえ、文法が違うと思うんだがなあ。

 
 『すごいよ!マサルさん』5話、『これが青春だ』13話、『行け!ゴッドマン』7話など、ダラダラと見る。

 『マサルさん』は言わずと知れた大地丙太郎演出なんだけど、『フルバ』と演出の仕方が変わってないのな。とゆーか、『マサルさん』の演出のタイミングで『フルバ』も演出してるわけなんだけど、これって相当少女マンガから逸脱してるどぎついギャグだと思うんである。
 『フルバ』ファンは怒らなかったんだろうか。

 『青春だ』は、サッカー部部長を決める話。
 結局部長に決まったのはいったん学校を退学していた不良。つまり不良がいかに更生するかって話なわけなんで、これも時代だよなあ。「学校に来れないヤツ=苦労人」という図式も今じゃ完全に崩壊してるし。

 『ゴッドマン』、ただアクションだけを30分延々見せられるとツライツライ。
 ただ殴りあってるのを映してるだけで、見せ方に工夫がないせいだろうけどね。無駄なようでも人間ドラマがいるのだよ、子供番組と言えども。


 マンガ、北崎拓『なんてっ探偵アイドル』6巻(小学館・530円)。
 だんだん、アキラ以外のトリコロールが目立たなくなってきたなあ。
 3人のうち一人にだけ探偵能力があるって設定にしたのは失敗だったんじゃなかろうか。
 「ジッチャンの名にかけて」とか「謎は全て解けた!」とか決めゼリフを三人でやるようにするとか、ケレンを入れた方がいんじゃないのかな。……それじゃ『スケバン刑事』か。
 それと怪盗ものと鏡を使ったトリックは、もう『コナン』にだけ任しとけばいいんでやらないほうがいいよな。
 あと、殺人の動機はもう少し練ってもらわないと……。
 ……突っ込むほどのマンガじゃないですね。すみません。


 マンガ、有栖川有栖原作・麻々原絵里依漫画『臨床犯罪学者・火村英生のフィールドノート�◆ー訖Г慮Φ罅〕射杁峪�人事件』(角川書店・546円)。
 ……なげーよ、タイトル。
 1巻が出たの、2年以上前じゃないか? でもこの本も去年の10月に出てたの気がつかずに買い損ねてたんだけど。
 少女マンガ家によるミステリーの漫画化もずいぶん増えたけれど、70年代を引きずってるような古臭いセンス、もろレディースなクサイ演出、不必要に美形なキャラデザインの愚作(浅見光彦ものは、たいていそうだ)も多い一方で、原作をキチンと読みこんだ佳作も増えて来たのは喜ばしい。
 動きの少ないセリフだらけのストーリーを、作画の麻々原さん、見やすくうまくまとめている。
 原作の火村英生という探偵キャラクター自体には、私は余り魅力を感じてないのだが、アンニュイさを漂わせている作画デザインはなかなか秀逸である。ストーリー自体はまだ完結してないので、まだ感想は言えない。次の3巻がいつでるか分らないのがちょつとネックか。

2001年01月14日(日) 雪の断章/アニメ『ポール・グリモー短編集〜ターニングテーブル〜』


2002年01月13日(日) カメラ小僧にご用心/DVD『エコエコアザラク』/『ななか6/17』5巻(八神健)ほか

 しげとよしひと嬢、夜中の3時に撮影に出発。
 今しか時間がないということだが、風邪をひいてるってのにそりゃちょいとムチャだ。
 かと言って止められるものでもなし、しげにはトキワの「眠眠打破」、よしひと嬢には「エスタック滋養液」をあげる。
 まあ、これで少しは持ちゃあいいんだが。

 二人を送り出してひと寝入り。
 目覚めると9時過ぎで、今日も『アギト』を見逃した。
 ううん、最終回1回前だというのになあ。

 アニメ『コメットさん☆』第41回「タンバリン星国の誰かさん」。
 誰かさんって王子様だろうって野暮は言いっこなし。
 けど最終回1回前でいきなり別の王子様が現れたらタイヘンだな。
 先週は見逃したので、状況がよく分らないけれど、どうやらミラとカロン、ケースケの正体を知っていたらしい。
 ……どこにそんな伏線があった(^_^;)。まあ、毎週見てたわけじゃないからなんとも言えんけど。
 ケースケ=「タンバリン星国の誰か」の失われた輝きを捜すために、コメットさんは保育園など、自分が輝きと出会った人々の所へ連れて行く。
 けどここでちょっと気になるシーンがある。
 園児たちが粘土遊びをしている時、中の一人が突然泣き出して、「大きいの作りたいのに粘土が足りない」と駄々をこねる。すると先生がみんなに「誰か粘土を分けてあげて」と頼むのだ。
 ……普通、「わがまま言っちゃダメ」って叱らんか?
 いや、頭ごなしではなくとも、説得するのが当然だと思うんだが、子供のワガママにいちいち対処するのって躾にならんと思うんだが。
 多分これ、灰谷健次郎の『せんせいけらいになれ』に影響受けてんじゃないかなあ。できるだけ子供の自由にさせてやるのが個性を伸ばすことになるとかなんとか。でも実際にはある程度の制約がなければ子どもって考える力なくしちゃうんだが。
 コメットさんが男に変身して(でも結局ただの男装)、ケースケと男同士の話をしよう、という展開もちょっと安易だ。ラストに来て、ウチキリが響いて来たのかなあ。
 本筋とは関係ないけど、予告編のナレーションにビックリ。ムークが「これで故郷の妻と子に会える」……って、妻子持ちだったのかよ!?


 WOWOW『ノートルダムの鐘』見る。
 最近、著しく凋落の激しいディズニー。
 今度の『アトランティス』も、日米ともに興行成績が芳しくないらしいねえ。まあ、客を舐めきったような駄作を連発してりゃあ、それも当然な結果なんで、自業自得ってもんである。
 それでもこの『ノートルダム』は成績“だけ”はマシなほうだったんじゃないかな。一応、前作の『ライオン・キング』の余波があっただろうし。
 でも、実のところ、これがディズニー没落の原因の一つになったんじゃないかと私は勝手に邪推している。
 本作の原タイトルは“The Hunchback of Notre Dame”で、直訳すれば『ノートルダムの傴僂男』。ところが、オリジナルのオープニングタイトルにもちゃんと“Hunchback”と出るのに、日本公開版のみ、原題そのものまで改変して“The Bells of Notre Dame”としちゃったのは有名な話。
 こんな偽善的かつアホなマネさらしてるから、客が離れちゃうんだよ。
 元々、せむし男カジモドは、ロン・チャニーやチャールズ・ロートン、アンソニー・クインらが扮した由緒正しい“怪奇”映画の主人公として有名だった。けれど、意外や意外、原作は『レ・ミゼラブル』のビクトル・ユーゴーなんである。つまりこれって、堂々たるゴシックロマンの元祖なんだよね。
 それをまあ、よくもお花畑嗜好のディズニーが映画にしようと思ったものである。ある意味感動的だと言ってもいい。しかも悲劇的なラストで知られる原作を、ものの見事にハッピーエンドにしやがった。
 いや、これは果たしてハッピーエンドか?
 カジモドは幸せになれたのか?
 確かに鐘撞男は、その醜い容貌にもかかわらず、人々に受け入れられた。
 しかし、エスメラルダと結ばれたわけではなかった。
 真実、製作者が差別に対して怒りを覚えていたなら、この結末では決してカジモドの心の傷が癒されるものではないことに気づいただろう。カジモドはエスメラルダと愛し合えてこそ、幸福になれたはずなのである。
 だから逆に言えるのである。ディズニーはカジモドを人間として認めてなんかいないのだと。……だって、冒頭に描かれてたように、彼は所詮、「異教徒」なんだから。
 正直な話、見ていてむかついた。こんな馬鹿げた、唾棄すべき映画はない。ディズニーの語る「愛」は歪みに歪みきっているのだ。


 口直しに加藤夏季でも見ようと(^o^)、DVD『エコエコアザラク』見る。
 『ステーシー』の前に公開された、加藤夏季初主演作品だが、映画的な仕上がりは圧倒的に『エコエコ』のほうが上である。……ああ、けど、それって単に「比較すれば」ってことね。『ステーシー』がそれだけひどいってことなんで、『エコエコ』が「傑作」って言いたいわけじゃないのよ。

 加藤夏季が演じるのは、当然、主役である黒井ミサ。
 彼女が初めて「魔女」として目覚めるまでを描く、というのが今回の映像化のコンセプトだが、もちろんそんなのは原作にはない。
 第一、原作じゃミサの両親、ちゃんと今もいるし。
 この映画のように「覚醒」しつつあるミサのせいで両親が死に至る、なんて話にしちゃ、『エコエコ』らしくないんだよなあ。どこかホラーだけれどユーモラスな部分があったのもマンガの『エコエコ』の魅力だったんだから。
 それに、レイプされそうになったことがミサの魔力が覚醒したきっかけ、という設定も安易だよ。……『サルまん』の「イヤボーンの法則」そのまんまじゃんか。だから原作じゃ、そういうやつらを凝らしめるのはもうミサが魔力を自在に操れるようになった後ならいくらでも出てくる設定なんだよ。映画が原作から離れて、オリジナルでやりたかったんならやりたかったで、も少し頭ひねった設定は出て来なかったものか。
 それにさあ、世間がみんな「ミサが犯人か?」と疑ってるとき、未だ完全な覚醒に至らないミサが「私が殺したの……?」って涙ぐんでんだけど、見てるこちらは「そうだよお前が犯人だよ」って知ってるわけだから、同情のしようがないんだってば(-_-;)。
 脚本、『星空のむこうの国』の小林弘利じゃん。ああ、一人よがりなファンタジーばかり書いてるからこんなザツな脚本書いちゃうことになるんだな。

 けれどまあ、加藤夏季が恍惚の眼差しで虚空を見つめながら「エコエコアザラク……」と呟いてるのを見ると、やっぱ、思わずゾクっとしちゃうっスよ。
 十有五歳にして、ここまで妖艶な美をたたえる「魔」の魅力を表現しているとは、恐るべし加藤夏季。原作の古賀新一が、これだけ帳尻のあってない脚本なのに、加藤夏季を見て「ミサだ!」と言ったのも納得である。少なくとも鼻炎声の佐伯日菜子よりは遥かにミサらしい。……ああ、いや、佐伯日菜子のミサもそれはそれで嫌いじゃないけどね(何を弁解しているのかな)。
 それを引きたてる脇役陣に、光石研や蛍雪次朗ら、芸達者を揃えているのもいい演出だ。加藤夏季ファン以外にも、一応この映画は楽しめますよ、とは言っておこう。


 『サイボーグ009』第13話「倫敦(ロンドン)の霧」。
 話は「ほぼ」オリジナル。
 ……だって、007=グレート・ブリテンが、かつて自分が捨てた女の娘と出会う話なんだもの。日曜7時台になんちゅー生々しさか(^_^;)。
 タイトルの『ロンドンの霧』ってのは、グレートがかつて役者だった時代に最も得意としていた演目のこと。ところがその上演を前にして、グレートは、大劇場からのオファーというサクセスと引き替えに、同じ劇団員で恋人でもあったソフィーの前から立ち去ったのだ。
 ……あの、それはいいんですけど、グレートの恋人の名前、原作じゃオリビアなんですけど。細かいようだけど、一応オリジナルな展開で行くとしても、そういう基本設定そのものは大事にしてほしいんだけどね。004=アルベルト・ハインリヒの恋人がヒルダじゃなくてハンナとかアンネローゼだったりしたらファンは許さんでしょうに。
 しかもまた作画が間に合わなかったらしくって、一番感動的なシーンになるはずの、ソフィーの墓の前でグレートが娘のローザと語り合うところ、原画つないだだけのカットがボロボロ出てくる。
 DVDじゃちゃんとリメイクしてよね、頼むから(T.T)。
 けれど脚本は無理にブラック・ゴーストと絡めた展開を除けば(今回、ブラック・ゴーストを出す必要はない)、なかなか大胆で面白い。
 ローザはグレートに「私はあんたの娘じゃないわ、あの後ママはほかの男と結婚したの」とか言ってるけど、ホントにそうなら、わざわざグレートに墓参りさせる必要ないじゃんか。
 つまり、ローザは間違いなくグレートの娘なんである(多分スタッフは「あえて」そのことを認めんと思うが)。006とともにギャグ担当と思われがちな007だけど、やっぱり一番人生の悲哀を噛みしめて来てる「オトナ」なんだよなあ。……ああ、だからもっといい作画監督と演出と、チョーさん以外の役者を007に当ててくれ!
 なんつーか、イマイチ乗りが悪いんだよね、長島雄一。もっとも、それは作画が間に合ってないせいなのかもしれないけど。
 しげは『このまちだいすき』のチョーさん以来、彼のファンらしいんだけど、わしゃどうせギャグやってくれるんなら、007には「ナンタルチャ!」だけでなくって、「ミルクちゃん、大統領はさみしいダス」とか、楽屋オチくらいはやってほしかったけどねえ。いや、無理なのはわかってるけど。


 練習から帰ってきたしげと、ガストで食事。
 今日の撮影の話などを聞く。
 「あの例の『姫』の衣装を着て、撮影したわけ? 鴉丸さん」
 「そうだよ」
 「志賀島で?」
 「そうだってば。脚本にそう書いたのアンタやん」
 「ロケ地まで指定しちゃいないよ。なんかなあ、志賀島はなあ、イメージに合わないんだけどなあ。……雨も降ってたろう?」
 「合間に撮ったよ。でも今日しか時間取れないからしかたないやん」
 「……近くに人がいたら、面食らったろうなあ」
 「いたよ」
 「近所の人?」
 「うんにゃ。カメラマン」
 「……カメラマン? カメラマンって……何のカメラマン?」
 「しろうとカメラマンじゃないの? 『写真撮らせてください』って言うから『いいですよ』って」
 「なんでお前たちの写真なんか撮りたがったんだよ」
 「知らないよ。多分、風景でも撮りに来たけど、雨降ってるし、いい景色がないとこへ急に『姫』が現れたんで、撮りたくなったんじゃないの?」
 「撮りたくなるのか? コミケじゃあるまいし、カメラ小僧かそいつは」
 「だから知らないってば」
 なんだかなあ、仮にその人が普通のカメラマンだとして、なにかの展示場でその写真に「志賀島の日常」とかキャプション付けても誰も信じないだろうなあ。
 しかし、しげたち、よく断らなかったよな。
 「すみません、撮影はちょっと困るんですけど」と一言言えばいいだけなのに。
 もしかして、その写真がいろいろヨコシマなことに使われる可能性は考えなかったんだろうか。……こないだ私に姫のスカートが地面につかないように持ち上げさせたときには「めくるなよスケベ」とか言いやがったくせに。
 つーか、考えてみたらウチの劇団のメンツ、ほとんどみんな元(あるいは現)コスプレイヤーなんだよな。それはもうそれとしてナニされても承知の上ってことなのかもなあ。……ホントかよ(ーー;)。

 よしひと嬢、やっぱり2時ごろでダウンしてお帰りになったとか。
 うーむ、風邪引いてるのにわざわざ来て午前3時から雨降りの志賀島で撮影して更に練習って……そりゃ倒れるわな。
 インフルエンザも流行ってるみたいだし、こじらせなきゃいいんだけど。


 マンガ、八神健『ななか6/17』5巻(秋田書店・410円)。
 そろそろアニメ化の企画が立たないのか、『ななか』。
 嵐山の妹(純和風剣道少女)なんて、お約束テコ入れ&アニメ用キャラって感じがしてならんが。
 つまりはそろそろネタ的に煮詰まってきてるんである。
 前巻登場の稔二のライバルっぽかった女たらし御神渡は早々と退場、雨宮さんの稔二への告白もうまくごまかして、さして大きな「山」にはならなかった。
 今一歩のところで踏み混みが足りないんだよなあ。いい加減、周囲もななかに何が起こったのか気付いてもよさそうなもんだが。
 その、たまに覚醒する17歳のななか、どうやら6歳のななかとは別人格、と言うことらしい。するってーと、これは「幼児退行」ではなくて「多重人格」ってことになるわけだな。
 どうもこれも、後づけな設定のような気がしてならないんだが、連載もめでたく1年を経過して、「二人のななかの心のせめぎあい」でもうちょっと盛り上げようってことなんだろう。
 でも「どっちも同じななかだ」って陳腐なセリフを稔二が吐きそうでヤだなあ。『密リターンズ』の時もせっかくの設定をジャンプシステムの中で陳腐な対決モノにスライドさせられてった轍を踏まないでほしいんだけどね。

2001年01月13日(土) 正月の半ばに/『天才伝説 横山やすし』(小林信彦)


2002年01月12日(土) 寝(られ)る場所そろそろ作らんとな/『仮面ライダー激闘ファイル』(岩佐陽一)/DVD『本陣殺人事件』ほか

 夜中の2時くらいにいきなりしげに起こされる。
 「よしひと姐様が泊まるんだから、部屋片付けようよ」
 ……そんなん、以前からわかってることだろう。
 だったら、日頃からチビチビと片づけしておいてほしいもんだ。だいたい片付けったって、本を寄せることとゴミまとめることくらいしかしようがない。
 しげが寝室を片付けてる間、ゴミをまとめるが、ムリヤリ起こされたんで気分は最悪。こっちだって、睡眠時間を確保しておかないとからだが持つものではないのに。
 1、2時間、片付けると、もうカラダが持たない。しげが仕事に出かけたので、そのまま寝る。
 
 しげも仕事が終わって1、2時間仮眠。
 なんでそれだけしか眠れないかっていうと、今日も公演のための練習があるからだ。
 しかも、今日は撮影の下見のために志賀島まで行くらしい。
 ……睡眠2時間で運転……。
 なかなかハードな旅になりそうだが、なんでこんなスケジュール立てるかなあ。

 昼間のうちに掃除を頼まれたが、体調優れず、やはり寝たり起きたり。
 夕方になってようやく風呂とトイレを掃除、ゴミをまとめる。
 半端でなくゴミが溜まって、台所から溢れ始めている。
 しげは日頃、全く家事をしない。だから、せめてゴミ出しくらいはしろよ、と言いつけている。なのに、それすらサボリまくっているので、こんなテイタラクになっているのだ。
 しげは「昼間はゴミを出しに行くのを人に見られたくない」なんてほざいていてやがるが、夜は仕事に行ってるんだから、昼に出すしかなかろう。その程度の理屈も理解してないのである。
 第一、なぜゴミを出す姿を見られたくないのだ。
 生活してれば、ゴミが出るのは当たり前じゃないか。それを恥ずかしがるというのは見栄っ張りにもほどがある。
 ともかく、誰か人を泊めるのなら、その準備は日頃からしておくことだ。今後もこんなふうに夜中に人を叩き起こすようなマネをさらすようなら、もう片付けなんか一切手伝わないからな。
 ……というわけにはいかないんだよねえ(-_-;)。
 結局、同じ部屋に住んでるんだから、私だって生活環境はなんとかしなけりゃなんない。なんだかんだ言って、少ない時間を使って、私が片付けることになるのである。で、それを期待してるんだよ、あのバカしげは。凸(`△´+)
 もう、こうなったら本気で家政婦さん雇っちゃおうかなあ。
 もちろん、出費は全部しげ持ちである。反対できる根拠があるなら言ってみろよ、しげ。


 NHK教育『エスパー魔美』第二回「超能力は友情の敵?」。
 『カスミン』との録画の切り替えができないので、こっちの録画は総集編のときにと諦めて、今週からナマで見ることにする。

 魔美の所属するダンス部で、ベストポジションを狙う多恵子が、魔美の親友・幸子に怪我をさせるため、床にビー玉を転がす。
 それに気づいた魔美は、思わず超能力を使ってビー玉をテレポーテーションさせてしまった。幸子は無事だったが、その瞬間を幼なじみの高畑くんに目撃されてしまい……。
 自分こそが「エスパー」だと信じ込んでいて、「エスパー服」まで作り(このへんは原作をいい意味で逸脱しててヨイ)無茶な特訓をしていたのに、真実を教えてくれなかったことで傷ついた高畑くん、勢いで魔美と絶交してしまう。
 魔美の弁解の言葉も高畑くんの耳には届かない。
 結局、魔美は誕生日に貰ったコンパクトを高畑くんに返す。
 そのとき初めて、本当の事を言い出せなかった魔美の優しさに気づいた高畑くんは、コンパクトを改造して魔美の超能力を引き出すための「エスパーガン」として再生させる。

 これは、ギリギリのところで原作がうまくアレンジされたと言えるんじゃないかな。プレゼントの意味が微妙に変わったところが粋だし。
 出演者の演技はともかく、ストーリーはまあまあかな。
 ただ、原作では高畑くんが魔美の超能力に気づくまで結構、話数を引いたと思ったが、2回で早くも気づく展開。
 これはできるだけ単発のエピソードを増やそうってスタッフの判断だろうな。でもこの辺がミニシリーズの宿命というものなんだよねえ。

 もっとも、既に私の関心は井端珠里にしかないので(^^*)、もう、魔美の「てれぽぉぉぉぉぉてぇしょん!」も許せちゃうね(^o^)。
 今話で、井端珠里演ずる相原幸子が、実は高畑くんにラブだったということも判明。もちろん、こんな展開も、原作にはないので、これが果たしてラストに関わってくるのかどうか。でも、こういう設定をキチンと生かせなかったらつまんなくなっちゃいそうだけどなあ。
 次回は例の「ハザマローン」のお話。原作中でも屈指の名編である。これは、できるだけ原作に忠実に、下手なアレンジはしないでほしいもんだけどどうなることやら。 

 
 夜9時過ぎ、しげに連れられてよしひと嬢、ウチに来るが、明日は3時起きで撮影に行くとかで、風呂にはいるやいなや、すぐに寝てしまう。風邪も引かれているということで、ちょっとおからだが心配だ。
 いつものようにビデオやDVDをお見せする時間はないので、せめてものお礼と言うことで、オタアミ公演のビデオ(お客さんとして来てくれたのだ)を差し上げて、更に岡田斗司夫さんの『30独身女、どうよ?!』、『恋愛の取説』をお貸しする。
 これは誓って言うが、よしひと嬢が御年○○歳だからと言って、それに対してのイヤミのつもりは全くない。岡田さんの主張が本当に女性にとっての福音となるのかどうか、ご意見が伺いたいと思ったのだ。
 よしひとさま、もしよろしければ、メールででも掲示板ででも、読んだご感想を聞かせて下さいませませ。お礼はなんかさせていただきます。
 でも、遅読なことでは一部で有名なよしひと嬢のことだから、さて、読み終わられるころには既に○○歳ということに……。
 あ、いやいや、だからイヤミな意図なんて全然ないんですってば(^o^;)。
 
 よしひと嬢に頼まれて、深夜1時過ぎから『ラブサイケデリコライブ』を録画する。
 ……なんかもう、見てても私の世代ではちょっとよくわかんない音楽だなあ。
 雰囲気的には70年代テイストがあるようでいて、歌詞やメロディーは今一つ「臭み」がなくて、どこかあっさりしている印象。いや、ただの根拠のない印象だから、間違ってたらゴメンナサイだけど。
 しかし、カラオケでもよしひと嬢の歌う曲って、やっぱり90年代以降のやつが多いんだよなあ。よしひと嬢とも、結構トシが離れてるんだと、イヤでも実感。
 なんだか、どんどん自分がジジイになってってるようで、正直な話、ツライんだけど、かといって、今更若い人に合わせて新曲覚えていくってのも、いかにも「若作りしてます」って感じがミエミエでみっともないしなあ。
 多分、私が覚えた曲で一番新しいのは、『コメットさん☆』の主題歌『ミラクルパワー』だ。……やっぱアニソンかい(^_^;)。


 岩佐陽一編・著『仮面ライダー激闘ファイル』(双葉社・1890円)。
 一部で(あるいは全部か)「デンセンマン」と揶揄されてる今度のライダー、『龍騎』だけれど、さて、キリよく三部作でウチドメになるかそれとも第二期(あえて「二期」と言おう)ブームを起こすのだろうか。
 「人気」を測るバロメーターの一つに、そのシリーズが「映画化されたかどうか」ってのがある。旧ライダーシリーズは何度となく映画化されたし、『アギト』もテレビシリーズの映画化としては初めてアダルトな視点で作られもした。
 しかし、我々オタク世代が子供のころ狂喜したのは、実に単純明快な劇場版の大量再生怪人軍団対複数ライダーの対決だった。ロケ地はテレビシリーズとたいして変わらないけれど、やはり採石場の崖の上にズラリと何十人も居並ぶ怪人軍団の勇姿にはゾクゾクさせられたものだ。
 そこに着目して、テレビ、劇場の「複数ライダー共闘編」のみをピックアップして特集、ってのはウマイ手ではある。シリーズがここまで広がっちゃうと、仮面ライダーのムックも、一つヒネリを加えないと特色は出ない。未発表の設定資料も多数収録しているってのがまた、この手のムックを今まで集めてきたマニア泣かせなことだ。
 けれど実のところ私は「ウルトラ」世代ではあっても、ど真ん中のライダー世代ではないので(だいたい、『V3』で既に離れてったヤツが多い。一応『ストロンガー』最終回まで見てたのは、私のオタクとしての意地みたいなもんだ)、まさしくライダー世代である岩佐さんの筆致はちょっと感情過多で鼻白む印象がある。
 『ウルトラマンT』について、「本来『ウルトラ』は子ども向けであるべき」なんて書いてるのは、心底ガックリ来る。もともと『ウルトラQ』が子供向けを志向した企画じゃなかったのは周知の事実なのに。
 この「アニメや特撮は子どものもの」発言をする人は、未だにこれが作品評価として有効だと思いこんでいるようだが、実のところ、具体性に欠けた抽象的なモノイイに過ぎない。
 だいたい、何をもって「子供向け」とするのか、岩佐さんはちゃんと考えてモノ言ってるのかね? 愛? 正義? 友情? 夢? そういうテーマは「子供」にだけ限定されるものではない。「子供向け」ってのは、たとえ語彙が少なく理解力に乏しい子供に対してであっても、難しい内容を直観させる技術を指すのだ。それを具体的に指摘した上での批評でないと、簡単に「子供向け」なんてコトバは使えない。明らかに岩佐さんはコトバの使いどころを間違えている。
 ……こんな批評モドキなことばっかり言ってると、いずれファンからも相手にされなくなっちゃうぞ(もっとも芝山努も宮崎駿も同種の発言を行ってるが、あれは実作者としてのポーズが必要なんで、単純比較はできない)。
 岩佐さんの思い入れに対してケチつける気はないけど、でもやっぱりさ、言っちゃなんだけど、ただの顔見せ興行的な脚本で、ドラマ的に出来の悪いものも結構多いんだよ、ライダー共闘編。


 DVD『本陣殺人事件』。
 原作・横溝正史、音楽・大林宣彦、脚本監督・高林陽一、金田一耕助=中尾彬、1975年・ATG作品。
 こう詳しく書いておかないと、『本陣』の映像化は何本もあるので区別がつかない。
 しかし、この一編が数ある横溝正史映画化の中でも白眉であることは間違いない。たとえ予算の関係で時代が原作の昭和14年から現代の昭和50年に移され、金田一耕助のスタイルもお釜帽にヨレヨレの和服ではなく、ヒッピースタイルに変えられていてもである。

 旧家の頭首としての威厳を保とうとする田村高廣、薄幸の美少女を可憐に演じた高沢順子、事件の鍵を握る腺病質の次男・新田章、謎の三本指の男(スチール見たときはこれが金田一かと思った)の常田富士男、忘れちゃいけないもう一人のヒロイン、当時は清純派(^^)の水原ゆう紀(命名はホントに水島慎司だ)、まさに金田一のパトロン及びパートナーに見事ハマッた加賀邦男&東野英心(当時は孝彦)。
 更に、後年の脂ぎった演技とは比較にならない爽やかさを漂わせる若き日の(痩せてる)中尾金田一。
 みな、低予算、寄せ集めのキャスト、マイナス要因だらけの中で、よくぞこれだけの名演を披露してくれたものだと感心するしかない。

 そして音楽。
 琴の音に乗せて、か細い老婆の声が歌う「因果は巡る糸車、無常の風ぞ吹き初める」とまさに横溝正史の世界観を凝縮したようなテーマソングの作詞作曲は、なんと大林宣彦!
 これも断言しちゃうけれど、数ある横溝映画監督の中でその世界観を最もよく理解していたのは、市川崑でも野村芳太郎でも篠田正浩でもなく、大林宣彦だったと思う。……ほかの金田一って、どれ見ても「切なく」ならないのよ。

 もちろん、監督、高林陽一の手腕を称賛しないわけにはいかない。
 葬式で始まり、葬式で終わる。
 その構成にも現れている通り、これは「殺人」の映画ではなく、「死」の意味自体を問う映画なのだ。
 実際、これほど一つ一つの映像に「死」の色が色濃く現れた横溝映画はほかにない。
 日本刀の光も、水車の水飛沫も、屏風の鮮血も、全てが「死」を暗示し、一柳家の人々が常に死にとらわれた歴史を繰り返してきたことが描出される。他の映画が単に事件現場の悲惨さを描くものとしてしか扱っていない密室殺人の現場が、まさしく彼らの「運命」の結末としての鮮血の映像美を作り出しているのだ。
 金田一と言えば石坂浩二や古谷一行だと思ってる人には一度ぜひ見ていただきたい映画なんである。

2001年01月12日(金) 一陽来復


2002年01月11日(金) 先陣争い雪隠の役/『雪の峠・剣の舞』(岩明均)ほか

 仕事が遅くなったので、てっきりしげは怒って帰ってやしないかと思ってたが、携帯に電話を入れたら、「今向かってるとこ」だと。
 偶然にも私の仕事の遅れと、しげの寝坊が一致したのだ。
 本当なら、私は仕事が遅れたのを謝らねばならず、しげも寝過ごしたのを謝らねばならぬはずだが、なんだか偶然が縁起がいいような気がしたので、そのまま食事に出かける。

 一番カルビの割引券を何枚も貰っているのだが、期限が今月いっぱいである。
 使わなければ使わないでもすむのだが、どこで食事してもそれなりのおカネはかかるのだから、二人で千円安くなるなら悪くはない。
 ロースを中心に、鶏肉、ハラミ、牛ホルモン。
 ホルモンと言えば牛だと思い込んでいた私、メニューに「豚ホルモン」があるのを見て、頼んでみるが、これが焼いてみるとほとんど溶けてしまって、食い出がまるで無かった。これは失敗。
 デザートにぜんざいソフト、甘くはあるけどこれがしつこくなくてまた美味い。糖尿に甘いのは禁物じゃないかと言われそうだが、米から取れる糖質だけでは栄養に偏りが出るのでたまには構わないのだ。……ということにしておこう(ホントは果物から摂るのがベスト)。

 しげ、たらふく食ったはいいが、「ハラが痛い」と言い出す。
 というか、何であろうと食ったら必ずしげは腹痛を起こすのだ。どうももともと胃腸が丈夫な方ではないようなのだ。
 だったら、日頃から消化にいいものを食えばいいのに、うどんとか雑炊とかは「腹に溜まらんから食った気がせん」となかなか頼もうとしない。
 それで「食い過ぎてオナカ痛い」なんて言われたって、同情なんかしてやんないのである。
 もちろん、私も胃腸はめちゃ弱いので、帰宅すると二人でトイレの取り合いになってしまう。
 と言っても、先に入るのはたいていは私。
 なぜかしげは、全ての服を脱いでからでないとトイレに行けないので、そのスキに私がささっとトイレに入れてしまうのだ。
 ……先にトイレに入って、それから服を脱げばいいのに、結婚して10年、なぜそのことに気がつかんかな。やっぱり天然なんだろうな。
 こういうことを書いたから、じゃあ、次からしげが真っ先にトイレに駆けこむようになるかと言ったら、多分そうはならない。
 だってしげ、記憶力ないもの(^_^;)。次に帰宅したときには「先にトイレ」ってこと、絶対忘れてるのだ。
 「トイレは先に入れる」。
 クズでノロマでバカな妻を持って得する、数少ない利点と言えようか。


 FBS(日テレ系)金曜ロードショー『風の谷のナウシカ』を見る。
 もうすぐDVDが出る『ナウシカ』。
 ビデオはエアチェックで持ってたんで、LDはずっと買わずにいたんだけれど、待っててよかった。
 それはそうと、久しぶりに見返した本作だが、当時あちこち抱いていた不満を再確認、やっぱりこれを宮崎駿の代表作と言っちゃイカンよなあ、という感想を新たにした。
 ともかく、宮崎駿が世間的に評価されるのが遅すぎたんである。
 『ナウシカ』『トトロ』、この辺からオタク以外の人間も「ミヤザキハヤオ」という名前を認識し始めたと思われるが、もう「旬」は過ぎちゃってたのだ。
 冒頭の王蟲の抜け殻をナウシカが見つけるシーン、ナウシカの一人言の多いこと。「キレイ」とか、思わず口にしちゃう感動の声ならばともかく、いくら日本人より表現がハデな外人とは言え(ナウシカは外人だよな?)、不自然だ。
 こんな説明的なシーン、以前の宮崎駿だったら決してしなかった。長編を作り始めてからの宮崎駿、ディテールの作りがあちこちいい加減になってるんである。次作の『ラピュタ』でも、パズーが作ってた飛行機の始末つけないままだったし。
 けれどCGなんか影も形もなかった時代、あの王蟲の蛇腹の動き(担当したのは『エヴァ』の庵野秀明である)に、観客が(それこそオタク非オタクに限らず)歓声をあげたことは記録しておかなきゃいかんだろう。実際、アニメ技術に歓声が起きるなんて経験、そうそうあるこっちゃないのだ(この『ナウシカ』が公開された1984年には、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の友引高校内の合わせ鏡のシーンでやはり歓声が起きた。多分こんな年は二度とない)。


 『ナウシカ』のウラだったので見られなかったWOWOW『スケバン刑事』、ビデオ録画して見る。
 『スケバン刑事』三部作の中では一番人気が高かった2代目麻宮サキこと五代陽子の南野陽子だけれど、今見返すと、やっぱり表情作るのが精一杯で、アクションはまるで腰が入ってないなあ。
 走るときも両手上げて女の子走りしてるし、演技指導する気が演出に全くないのが丸わかり。「演技」がなけりゃ、どんなに素材がよくたって役者は光らない。これじゃ当時、南野陽子が「日本一セーラー服が似合う美少女」と呼ばれてたことなんて、誰も信じないだろうな。
 ほぼ間違いないと思うんだが、テレビシリーズで鉄仮面着けてたときのキレのいいアクションは、吹替えだったんだろう。


 マンガ、岩明均『雪の峠・剣の舞』(講談社・714円)。
 『風子のいる店』のころは地味な印象しかなく、あれだけヒットした『寄生獣』もそれほどにはハマらなかった。
 必ずしも下手な絵ではない。表現力がないわけでもない。
 いや、日常の中に潜む何かがふと表に現れて、非日常に変化する「空気」をコマの中に表す技術には確かに長けているとは思うのだ。
 けれど、絵に「華」がない。なのに、『寄生獣』を見ていると、どうもこの作者、自分の表現したいものと自分の絵柄とのギャップにあまり気づいてないんじゃないか、という気がしてならなかったのだ。
 しかし、今回の作者初の歴史作品というこの二本。
 ハマっている。
 それなりに面白い作品はいくらでもあるが、再読、再々読に堪えるものなど滅多にない。それがこの作品、作者の地味な線、地味な演出が「堅実」さとなって、ひとコマひとコマの人物の表情、思いが読む者の心を打つ。一昨年読んだ漆原友紀の『蟲師』以来の感激だ(これも新刊が出んな)。

 『雪の峠』。
 関ケ原の戦いで西軍についた佐竹家は、敗戦後その責を取らされ、常陸から出羽に移封された。この後は、何をするにも徳川家の意向を汲んで行動せねばならない。
 藩主、佐竹義宣は、新たな居城を定めるにあたって、腹心渋江内膳と謀り、「窪田」を領府とする旨を、家臣たちに徹底させようとした。
 しかし、関ケ原で義宣が西軍につくよう決定したことを遺恨に思い、更には下賎の出身たる渋江内膳の台頭を許すまいとする旧家臣たちは、もと上杉謙信の家臣であった客分、梶原美濃守を立てて、「横手」の地を推す。
 戦さのない「平和」にあっての新たなる戦さ、内府家康をも動かす知略と権謀のせめぎあいが、内膳と美濃守の間で繰り広げられる。

 まずは、この渋江内膳の、線目で締りのない口もとの、一見凡庸としたキャラ、それと対照的に半白髪、美髯に老練さを漂わせる梶原美濃守との丁丁発止ぶり、そのキャラ設定が、史実に取材しているリアリティを更に弥増しているのが見事である。
 というか、ほんの脇キャラに至るまで、その他大勢的な無駄なキャラがほとんどいないのだ。これは稀有と言っていい。
 豪放磊落な川井伊勢守。狸親爺な和田安房守。若く実直な梅津半右衛門。多少腑抜けたかつての戦国武将、先代佐竹義重。酷薄な威厳を示し妖鬼と化した、回想の中の上杉謙信。
 そして、静けさと穏やかさをたたえつつも、最後に藩主としての厳格さ(あるいは残忍さ)を示す、当代佐竹義宣。
 ああ、まるで一編の映画を見ているようだ。
 これはもう、具体的にオチは書かないでおくので、ぜひとも読んでもらいたい。歴史を物語として描くとは、こういうことだと示した最上の実例である。

 『剣の舞』。
 『七人の侍』の冒頭、志村喬が扮する勘兵衛が、剃髪し、坊主に扮装して盗賊に人質にされた子供を助けるエピソードがある。あれは黒澤明の創作ではなく、このマンガにも登場する、剣聖・上泉伊勢守の話だということだ。
 ほぼ史実に忠実に描かれた『雪の峠』と違い、本作は、伊勢守の弟子、一説によればその剣技は伊勢守を越えていたとも言われる疋田文五郎の過去を、榛名(はるな)という少女を主人公にして創作している。

 戦乱の中、野武士に家族を殺され、凌辱された榛名は、復讐を誓って、疋田文五郎の弟子になる。
 つらい過去を持ちながら、普段の榛名はどこか茫洋としていて(このへんは「風子」以来の岩明ヒロインの定番だ)、文五郎は彼女に剣術を教えながら心が和むのを覚えていく。
 しかし、その結末は……。
 その後、文五郎と柳生石舟斎とが立会いを行ったエピソードは、いかにも創作っぽいが、どうやら史実であるらしい。私はこの話を池波正太郎の伝記小説で読んでいたのだが、それによると実際には石舟斎は伊勢守とも立ち会っていたらしい。もちろん、負けたのは石舟斎のほうである。
 だから、そのときの文五郎の心情がマンガに描かれていたものとは違っていたことは明らかなのだが、「時代小説」というのはもちろん、史実を再現することに目的があるのではない。
 剣豪小説はつまるところ、作者の考える「剣」の意義を表すものだ。
 一応、伊勢守が目指したのは人を殺す殺人剣ではなく、「活人剣」であったと言われる。だからこそ怪我をさせぬための「竹刀」も伊勢守は発明した。
 しかし、文五郎はどうであったか。
 伊勢守の一番弟子でありながら、奥義を授けられたのは石舟斎であったのだ。そこに岩明さんは、自分の考える「剣」とは何かを創作する余地を見たのではないか。
 文五郎は言う。
 「遊び」だと。
 そして、岩明さんの描く文五郎は、恐らく死ぬまで「遊ぶ」ことしかせず、「真剣」になることはないのだろう。
 剣の道など「たかが知れてる」のだから。

2001年01月11日(木) 一週間が長いなあ/映画『ノース 小さな旅人』


2002年01月10日(木) ヒメ様ご出座/アニメ『七人のナナ』第1話/『トランジスタにヴィーナス』3巻(竹本泉)ほか

 仕事帰りの車での出迎え、「今日は時間通りに来るよ」と、しげが言っていたので、こちらも時間に遅れまいと、職場の前で待つ。
 ところが、約束とは裏腹に、5分待っても10分待ってもしげのロドリゲス(何度も言うがしげの車の名前だ)はやって来ない。
 いい加減シビレを切らして、もう一度携帯に連絡を入れる。
 「どうした? まだ来ないのか?」
 「今、向かってるとこ。もうすぐ着くよ」
 「寒いから少し歩くよ。坂の下で落ち合おう」
 「だめ! 職場の前で待ってて!」
 「……なんでだよ。こっちも歩いた方が、早く会えるだろ?」
 返事がないので、職場から離れて歩き始める。
 しばらくして、向こうのほうからしげのロドリゲスが……。
 あれ?
 しげの隣に乗ってるのは……。

 「つまんない。KC、全然驚かないんだもん」
 車の助手席でホントにつまんなそうに声を上げたのは鴉丸嬢だ。
 まあそれなりに驚いちゃいるんだが、かと言って、「わあ、ビックリした!」と言ってのけぞるほどのトシじゃない。
 でも、しげが「職場の前で待て」と言った理由がこれでわかった。
 鴉丸嬢、今度の舞台用の衣装、白雪姫かシンデレラって感じの(でも色は真っ赤)ビラビラを身につけていたのだ。
 「この衣装で出て来て、『KC〜!』って言って迎えようって思ってたのに」
 全くそういうイタズラだけはすぐ思いつくヤツらだもんなあ。
 けれど、準備に時間がかかって、職場までたどりつくのが遅れてしまったそうだ。肝心なところで間が抜けてんだよね。
 しげ、運転しながら説明をする。今日はこの衣装で撮影をするんだそうだ……って、どこで?
 「ウチのマンションでだよ?」
 「マンションのどこで」
 「玄関」
 「人が来るじゃん!」
 「だからアンタに一緒にいてもらおうと思って。なんか言われたら説明してね」
 日ごろ私のことを、見るからに胡散臭いとか普通にしてても浮浪者っぽいとか変質者っぽいとか散々悪口言ってるくせに、こういう時だけ責任者扱いか。卑怯なヤツ。
 でも、ドラマじゃあるまいし、通りすがりのマンションの住人が、姫の衣装に身を包んだヘンな人間がいたのを見たとしても、「アンタ誰!」なんて咎めだてするより、見ないフリして逃げるのが自然だと思うんだが。
 事実、その通りだったのである。あのとき不安な思いを抱いたマンションの人たち、どうもスミマセンでした。


 TVQ(テレ東系)アニメ新番、『七人のナナ』第1話「第1問!ナナ×7=ナナ?」。
 『味っ子』の、『Gガン』の、『ジャイアント・ロボ』の今川泰弘の新作ということで大いに期待。
 期待しすぎると見てみて「なーんだ」ってことになることが多いが、これは違った。
 まずは冒頭の語り口がいい。
 宅配便がいかにも旧家風の鈴木家に尋ねてくる。
 受け取りに出たのはごくフツーの女の子、ナナ。ところが、ナナの後ろからチラチラと現れるのは、もう一人、二人、三人……七人のナナ。
 「どうしてナナが七人になったか」ってのは、この冒頭の騒動の後に語られるのだ。やっぱり「ツカミ」がうまいよ、今川監督。
 しかも第1話だけあって作画のテンションもハイレベル。ガラスに映る通りがかりの人間までしっかり作画してんだもんなあ、芸コマ芸コマ。CG処理もうるさくなく、効果として使いどころを弁えている。この正月からの新番アニメはそれほどたくさん追っかける気はないんだけど、多分、これが最高の1本なんじゃなかろうか。
 けど監督、自分まで堂々と出演するのはやりすぎじゃないスか。

 バレンタインデーの日、憧れの神近君にチョコレートを渡そうとして、木枯・林葉・森沼の3人トリオに邪魔されて、せっかく作ったチョコを捨てられてしまうナナ。日頃は引っ込み思案なナナ、いつもならここですっかり挫折しちゃうところだが、親友の小野寺瞳に励まされて、もう一度チョコを作ろうと勇気を奮い起こす。
 ところが今度はオーブンレンジが見当たらない。
 どうやら研究者である六造ジイちゃんが、屋根裏の工房に持っていってしまったらしい。ナナがオーブンレンジを取り返そうとして、オーブンで焼かれていた中の物体を取り出そうとした瞬間……。その物体は輝きを放つや、7つに分裂し、ナナを異空間の中に取りこんでしまった!
 そしてその光が収まった後、ナナは七人のナナに分裂していた!
 笑ってばかりのナナっち。怒りんぼのナナっぺ。泣いてばかりのナナりん。のんびり者のナナっこ。冷静沈着なナナさま。ちょっとヘンな(女っぽい)ナナぽん。

 ……はい、おわかりですね、これ、もろにディズニーの『白雪姫』の七人の小人のパロディです。すなわち、「白雪姫」はあこがれの神近君というわけ。
 だもんだから、初めこそ普通の少女ラブコメの雰囲気になるかと思いきや、後半、新たに作ったチョコを七人のナナのうち、誰が手渡すか、と争い始めたとき……。オーブンから出て来た7つのプリズムハートが輝きを放ち、七人はスーパーパワーを発揮!
 空は飛ぶわ、京都(なんだろうな舞台は)の古寺や五重塔を爆破しまくるわ、街を破壊の渦に巻き込んで行く! って、お前らダーティペアかっ!
 ……やっぱりマトモなアニメ作る気はないみたいだぞ、それでこそ今川監督の真骨頂。テレビコードなんか気にせず、イクとこまでイッてほしいもんである。
 それにしても、声優さんがもう新人さん(なんだろうな)ばかりで全然わかんない。わかるのはジイさん役の麦人さんくらいだ。「鈴木ナナ」役が「水樹奈々」ってのは、タイトルに合わせて付けた芸名か? 島田陽子とか早乙女愛とか松田聖子みたいに(例が古いね)。
 のワリに、みんな意外に演技がウマイんだよねえ。主役の声、ちょっと渕崎ゆり子に似てて好みなほうだ。声優ブームが志望者を増やして層を厚くしてきてるのかなあ。だったらいかにもアイドル路線に走ったようなブームも、少しは役に立ってたのかもしれない。恐らく「どのナナが好きか」みたいな感じでファンも増えると思うが、私は当然、「ヘンなナナぽん」だ!(って力説してどーする)


 WOWOW新番『おねがい*ティーチャー』第1話「教えてティーチャー」。
 最初こそ謎の光が郊外に落ちて、それを目撃した主人公の記憶が消され……と、シリアスな感じで始まったのに、後半、SFっぽくなりながらも結局は巨乳セクシー女教師に純情な生徒があーもされたりこーもされたりとゆー、『いけない!ルナ先生』みたいな展開になっちゃったぞ。
 声優がまた井上喜久子おねえちゃんで「最優先事項よ!」を連発するんだが、何が最優先なんだか。
 どうしたんだ脚本の黒田洋介。自分で自分に癒しを求めたか。……まあ、『スクライド』も平行してやってるし、いろいろフラストレーションも溜まってるのかもな。


 『オフィシャルブック THE ゴルゴ学』(小学館・1890円)。
 謎本でゴルゴについてテキトーなことダベってたような本はあったけど、ここまでデータ主義に徹したオフィシャルブックもなかなか見当たらない。何しろゴルゴと寝た女のリストだけならいいが、そのときの「もだえ声」までリストを作ってるんだからバカだよなあ。
 「あ、あ……」「おお〜!! ああ〜!!」「アンン〜ッ! オオオ〜ッ!!」「あああ……トオゴオ……」「Oh! Give it to me!」って、そうかそうか、英語ではそうやって求めるのか……って、そんなんまでデータ取るか普通(-_-;)。
 で、私が選んだ(選ぶなよ)笑えるもだえ声ベスト3(ベストなのか?)。
 1,「すてき!! ああ……雨のサントロペ!! 恋のサントロペ!!」
 いやね、そりゃ雨も降ってて、そこはサントロペなのかもしれないけれど、例えば日本で「ああ……雨の中洲、恋の中洲!」とか「雨の道頓堀、恋の道頓堀!」とかヤってる最中に言うか? 売れない演歌じゃあるまいし。外国でだって普通、こんなセリフ言わんと思うぞ。
 2,「おおお〜っ ち、ちくしょうっ こ、こんなのってあるのォ!! 悪魔!! 人殺しっ!! あああ〜っ」
 ちゃんとゴルゴの正体を知っているところがすごいねえ。でも嬉しいなら素直に「天国よ〜」とか言えよ。もちろんこの女は後でホントに殺されるのである。
 3,「お、男だよっあんたは男だよ〜っ!! 煮えてるよ〜っ!! 煮えたぎってる!! オオオ〜ッ!!」
 ……男だとなんか煮えるみたいです。
 つくづく、アホとしか言いようがないが、これって充分、「トンデモ本」ってことにならんか?

 そのほかにも、「ゴルゴは何発タマを撃ったか」とか「ゴルゴは何回拷問を浮けたか」とか「ゴルゴは何回笑ったか」とか、ホントにこんなん調べてなんになる、と言いたくなるようなシャーロキアンぶりである。となると、いわゆる「粗探し」も結構あって、「人に背中を向けない」はずのゴルゴが、背中をポンと叩かれるシーンを収録するとか、なかなか意地悪なチェックもしている。
 それにしても、ここまで綿密(って言っていいのか)なデータを作っていながら、初期の『ゴルゴ』の脚本を多数書いた小池一雄のインタビューが無かったり、ちょっと腑に落ちない面も多い。……やっぱり、小池一雄とさいとう・たかをって、仲違いしたのかなあ。

 高倉健主演の映画版がどうしてあんな駄作になったのかをさいとうたかを自身が「脚本を勝手に改竄された」とインタビューで答えていたのも興味深い。クレジットにはさいとうさんと、さいとうプロのK・元美津の二人の名前しかない。なのに脚本が似ても似つかぬものであったとしたら、それはいったい誰の仕業であるのか。
 似たようなことは、同監督の『人間の証明』のときにもあり、抑制の効いた松山善三の脚本が、実際の映画では饒舌なシマリのないものにやはり改竄されていたのだ。この映画では、ラストシーンで松田優作が「母親っていったいなんでしょうね」と言わせてくれと頼みこんで、一応撮影はしたがカットされた、という経緯も語られており、どうも「東映」という映画会社自体、現場での脚本変更を実に安易に行っていたフシがある。
 黒澤明が『トラ!トラ!トラ!』を東映で撮影しようとしたとき、スタッフのその余りの杜撰な仕事ぶりに切れて、それが「黒澤明ノイローゼ」の噂につながっていったことは有名である。そのせいで、『トラ!トラ!トラ!』の監督は途中で黒澤監督が解雇され、深作欣二・舛田利雄にバトンタッチさせられるという事態にまでなった。黒澤監督が東宝以外で仕事をしたことは一度や二度ではない。大映でも松竹でも映画を撮っていたが、ここまでのトラブルを起こしたことはついぞない(松竹では『白痴』の「フィルムをタテに切れ!」事件があったが、映画自体はちゃんと完成させている)。そう考えると、やはり「東映」という会社の映画製作の体質自体にいろいろ問題があるとは言えまいか。
 『ゴルゴ』から話が逸れたが、軍事・兵器・世界情勢に通暁したミリタリーマニアをブレーンにつけるくらいの態勢を取らないと、『ゴルゴ』の実写化って、難しくはあるまいか。さいとうさんが言うように、「砂漠の中を裸の銃を持ってウロウロする」アホなゴルゴを見せられるのは閉口なのである。 
 

 マンガ、竹本泉『トランジスタにヴィーナス』3巻(メディアファクトリー・580円)。
 和田慎二の勧めにもかかわらず、なかなかエロに行かない竹本泉の、今んとこ一番エッチ度の高いマンガ(^o^)の3巻目。
 カラーページなんか、乳首見せてないだけでほとんどイーナスのフルヌードばっかりなのに、なぜ思いきりが悪いかなあ。まるで出し惜しみしている元アイドルのようではないか。
 まあ、イーナスも17歳以下の女の子には手を出さないと決めているようだし、一応、モラルはあるってことなのかな。……あったって、マンガだから関係ないよな。
 しかし、これだけ美少女キャラを描ける竹本さんの作品が、一度もアニメ化されてないとはどういうわけだろう(『あんみつ姫』は除く)。ゲームのアニメは本人も作ってるんだから、アニメ化に反対してるわけじゃないと思うけどなあ。確かにほとんどの竹本作品、作風はほのぼのしてて、ある意味、起伏に欠けるストーリー展開だから、『あおいちゃんパニック』とかがアニメにしにくいのはわからなくはない。
 けど、『さよりなパラレル』やこの『ヴィーナス』なんかは結構アニメに向いてると思うんだけどなあ。
 特に今巻の『少女の園』編、キューネフ姉妹やギャウコズ先生、人気出ると思うんだけど。

2001年01月10日(水) 史上最悪の日/アニメ『プロジェクトA子』


2002年01月09日(水) 多分初雪/映画『大菩薩峠』(岡本喜八監督版)ほか

 突然の仕事が入ったせいで、しげ、昨日はほとんど寝ていない。
 それでも一応、車で送り迎えはしてくれたのだが、外は雪ちらついていて、メチャクチャ寒い。
 これが初雪だろうか。今年はどっちかというと暖冬の傾向じゃないかと思うんだが、大雪になったらしげ、とんでもない事故を起こしそうだよなあ。大丈夫かなあ。


 本屋で買いこんだ本を片っ端から読む。
 日記に追われていると本を読む時間がなくなるので、たまに一気にまとめ読みしたくなる。その分、また日記の更新が遅れるわけで、
この悪循環、何とかならないものか。


 アニメ『ヒカルの碁』第十三局「それぞれの決意」。
 正月休みがあったってのに、ちょっと作画が荒れている。
 岸本と日高が歩いてるシーンなんて、宙に浮いてるし。外注に出したのかな?
 せっかくの折り返しの節目にあまり乱れた作画の回を持って来ないようにしてもらいたいものなんだけど。
 原作はキャラの描き分けがしっかりしているのに、今回は目の描き方なんかがアキラと三谷が同じだったりする。まあ、確かにどっちもツリ目なんだけど、どうも輪郭線で立体感が表せてないせいで、目鼻が全部「貼り付けられてる」印象が強い。いや、実際に貼り付けて動かしてるんだろうけれど、それをそう感じさせない回もあったのになあ。
 『ヒカルの碁』は、今回、次回でいよいよ本格的に始まるといっても言いのである。アキラがプロの道を歩き始め、その後をヒカルが追う。ここで気を入れてくれないと、原作の人気が落ちかけてんじゃないかって時に、アニメのほうまで視聴率が落ちることになりかねないぞ。


 マンガ、魔夜峰央『パタリロ西遊記』3巻(白泉社・410円)。
 今巻のエピソードの中に、「斉天大聖と名乗った孫悟空(ってもパタリロなんだけど)が、近隣の妖怪たちと親交を結ぼうとしたところ、牛魔王だけが刺客を送ってきた」という話がある。
 ギャグにアレンジしてはいても、原作の設定は結構生かしてるような印象を持っていたので、「あれ〜? 確か原作じゃ牛魔王も最初から孫悟空と仲良かったような気がするけど」と、ドドメ色の海馬をひっくり返して記憶をあさってみたけれど、どうにも自信がなかったので、原作を読み返してみようと書庫(一応そんなもんがあるのよ)を覗きにいってみた。
 でも、どういうわけか『西遊記』がない。いや、もちろん中国語の原本じゃなくて、翻訳したヤツなんだけれど、岩波文庫で五、六巻本だったよなあ、とか思いながらあちこち見てみるがやっぱり見つからない。
 で、ハタ、と気づいた。
 オレ、『西遊記』買ったことね〜じゃん!
 いやあ、これは盲点だった。
 自分のギャグ嗜好はテレビアニメ『悟空の大冒険』から始まってると信じ、マンガ、アニメ、特撮の悟空ものはどんなものでも一応目は通してる(最近の『最遊記』はちょっとついてけませんが)と自負してたのに、「原作」を持っていなかったとは!
 考えてみれば、こういう有名どころの本って、中高生のころに、図書館でいろんな訳を読み比べたりしてたからなあ。もう自分で買って持ってる気になっちゃってたんだろうなあ。多分そういう本、意外と多いぞ。『三国志』は人形劇ドラマになった時に買った記憶があるから大丈夫だと思うが。
 ネットで「牛魔王」で検索してみたら、『最遊記』関連ばかりで閉口した。でもやっぱり、悟空が水蓮洞にいたころに、牛魔王とは義兄弟の契りを交わしていたようである。魔夜さん、細かいところでアレンジ加えてるんだなあ。
 ついでに思い出したことだけど、往年のテレビドラマ、堺正章主演の『最遊記』では、小島三児が牛魔王を演じていて、児島みゆきの羅刹女と痴話ゲンカをするシーンなんかもあったりする。そりゃ、いくらなんでもイメージとして情けなさ過ぎるんじゃないかと思ったもんだったが、原典にあたってみると、やっぱり牛魔王は恐妻家だったりするのである。
 しかし、ネットを見てて思ったことだけれど、『西遊記』を本格的に研究してるサイトって、結構少ないんだね(工事中なのは結構あるが)。ホームページを作るのにどんなコンテンツを立てればいいか迷ってる人も多いみたいだけど、意外と狙い目はいろんなとこにありそうだぞ。


 マンガ、宇野亜由美『オコジョさん』5巻(白泉社・410円)。
 アニメのほうは仕事から帰って来たときにはたいてい終わりがけなので、実はOPはまだ見たことがない。
 1巻を立ち読みして、「ああ、『オコジョさん』だけじゃなくていろんな話が入ってるんだ」と言ったら、しげがいつの間にか5巻まで買ってた。
 しかも1〜4巻まではどこに行ってるかわかんないので、いきなリ5巻から読み始める。
 『オコジョさん』『オコジョ番長』『ダーリング』の3シリーズが収録されてるが、最後の『ダーリング』は人気がなくて打ち切りになったようだ。………うーむ、確かにそんなに面白くはない。アニメになったほどだけど、『オコジョさん』だって、かわいいだけで実力がない動物キャラが空威張りしてるおかしさがウケてるってだけだって気がするぞ。
 実際、一番面白い漫画が「あとがき」だからなあ。「ほんとうにアニメとはもうかるのですか? いつもうかるのですか? 誰がくれるのですか?」という作者の述懐が切実だ。以前は月収3万円だったそうだし、やっぱり、「マンガ家とアニメーターの下積みは今でも貧乏」ってのは間違ってないのだ。
 でも、なんだかこの、いかにも偶然アニメ化されただけで「十年経ったら忘れられてそう」な雰囲気の作風が、なんとなく親近感を感じさせはするのである。できればせいぜい半年間の人気だろうけど、その間に少しでも印税と原作権料で小さな家でも建てといたらと思うんである。
 ……って、見も知らぬマンガ家さんの将来を心配してどうするかね。


 『別冊宝島626 殺し屋1(イチ)パーフェクトガイド』(宝島社・780円)。
 原作マンガは、第1話しか読んでない。あのヤクザマンションに忍び込もうってとこね。
 単行本を今まで買ってこなかったのは、別につまんなく思ってたわけじゃなくて、単にほかに買う本が多いのと、どう見てもしげ好みじゃないから控えたってだけ。
 でも、連載は完結したみたいだし、映画にもなったぞってんで、ガイドブックを買ってみた。
 ああ、てっきり主演は浅野忠信だと思ってたんだけど、違ってた。大森南朋(おおもり・なお)って主演はこれが初めての人らしい(『ビッグ・ショー』とか『三文役者』に出てらしいが未見)。
 いやあ、いいわ、この人の「顔」。
 これは悪口じゃなくて言うんだけど、タレ目で今にも泣き出しそうな、いかにも典型的な「いじめられっ子」の顔なわけ。
 原作のイチとは全く似てないのだけれど、ひとたび特性スーツを身に纏い、殺人マシーンと化すと、凄まじい戦闘能力を発揮する、というギャップを感じさせるのに、この顔は結構有効なんじゃないか。
 マンガを映像化するとき、必ずしもキャラクターに似ている役者をアテる必要はない。要はそのキャラのエッセンスを感じさせることができるかどうかなんだから、『陰陽師』の安倍晴明=野村萬斎だってアリなわけだ。実際、顔だけ見ると、今度の映画版、ワザと「似てない」キャスティングを狙ってるみたいだ。
 キズだらけの小池朝雄みたいな顔の柿原が浅野忠信(しかも金髪)だし、がっちりメリハリのきいた顔の「ジジイ」は、どっちかっつーとあっさり系の顔の塚本晋也。
 イメージが合ってるのは金子役のSABUくらいか。
 それにしても、映画監督を役者としてこれだけ本格的に使ったってのは、そうそうないんじゃないか。もちろん、それ以外のキャストも、こう言っちゃなんだが、常識からは相当ズレている怪優が多い。だいたい手塚とおるが出ている映画にマトモなヤツがどれだけあったかねえ(^^)。
 たいした興味はなかったけれど、俄然、興味が湧いてきたぞ。でも、しげは一番行きたくなさそうだよなあ。どうやってだまくらかすかなあ(^o^)。
 スタッフのインタビュー記事も楽しいが(CGI担当の坂美佐子が「三池監督の映画は好きじゃない」と堂々と言い放ってる大らかさがヨイ)、目玉なのは巻末の単行本未収録の『殺し屋1 誕生篇』。
 イチの「暴力でしかイケない男」に対して、殺し屋組織の女スカウトが登場しているのだけれど、これがまた「痛めつけられないとイケない女」(^_^;)。……なんだかここまでトホホな設定を堂々と展開されると、それだけで楽しくなっちゃうね。
 

 CS時代劇チャンネルで、『大菩薩峠』(仲代達矢主演/岡本喜八監督/宝塚映画/1966年)を見る。
 細かく書いておかないといけないのは、もちろん『大菩薩峠』の映画化には、他にも有名なのがいくつもあるからだ。
 最初の映画化、大河内伝次郎主演、稲垣浩監督の1935年日活製作版は見ていないが、1957年からの東映製作、片岡千恵蔵主演、内田吐夢監督版三部作と、1960年からの大映製作、市川雷蔵主演、三隅研次監督版は見て、片岡千恵蔵、机龍之助やるにはデブすぎ、とか思ってたもんだった(新国劇の緒形拳版もあったな)。
 原作は中里介山の大長編小説。山岡荘八の『徳川家康』、栗本薫の『グイン・サーガ』がその分量で凌駕するまで、日本で最長を誇っていた作品だ。しかも、この大長編で作者は単なる時代劇を超えた、この世で流転する人間曼陀羅を描こうとしてたってんだから、根性が座っている。しかも、書ききれなくて途中で作者死ぬし(^_^;)。
 物語の冒頭、大菩薩峠で老巡礼を意味もなく惨殺する無明の剣士、机龍之助のイメージは、後の眠狂四郎にも多大な影響を与えた。市川雷蔵がその両者を演じていることは奇縁でもあろう。実際、何の動揺も見せずに巡礼を切るシーンは、初めて見たときには戦慄すら感じた。
 だからこそ、私は机龍之助の決定版は市川雷蔵だと思っていたのだ。
 アルチザン・岡本喜八が、既に「決定版」のある『大菩薩峠』に、どのように色をつけてくれるのか、それを期待して見てみると……。
 まず驚いたのは、「色」がついていない(^_^;)。
 内田版、三隅版がカラー映画、特に内田版はその極彩色の映像美が高く評価されていたのに、あえてモノクロ映像で挑んだその勇気。……でも、思うんだけど、時代劇って、やっぱりモノクロが一番合ってると思うんだけどね。
 『侍』の雪の桜田門外のシーンでも思ったことだけれど、血の色の赤はモノクロ映像だと漆黒となる。これはそのまま「闇」の暗喩となるのだ。映像はナマのものをそのまま映し出すものではなく、そこに様々な寓意を付与させていくものである。その点、『大菩薩峠』にはモノクロ映像が合う、と提示して見せた岡本監督の判断は、正しかったと言えるのではないか。
 しかも、仲代達矢の机龍之助は、「迷いながら」、巡礼を斬るのだ。
 仲代の見開いた目、震える頬がそれを表している。
 龍之助の剣が、闇に落ちていく描写は過去の作品にもあったが、それは彼がお浜と幾太郎という妻子を失ってからのことだ。こんな早い段階で、それこそ本性的な無明を龍之助が抱えていると描写したのは、岡本喜八が初めてであろう。
 あの長大な原作をどうまとめるかと思っていたら、途中を大胆にカットして、それまでの映画が三部作で描いていたところまで、一気に見せる(それでも原作26巻中、たった2巻分の映画化)。
 その分、龍之助を仇と狙う宇津木兵馬の描写がやや淡白になった印象はあるけれど、ラストの大殺陣は他の映画化にはない大迫力である。
 それにしても、今見るとこの映画、超豪華なキャストだ。東宝が最も意気軒昂だった時代に作られた幸運に感謝しなければなるまい。見てるだけで嬉しくなってくるので、知らない人のために、その一部をちょっと紹介します。

 机龍之助 .......  仲代達矢
 お浜 ...........  新珠三千代
 お松 ...........  内藤洋子
 お松の祖父 .....  藤原釜足
 宇津木兵馬 .....  加山雄三
 宇津木文之丞 ...  中谷一郎
 裏宿の七兵衛 ...  西村 晃
 与八 ...........  小川安三
 机 弾正 .......  香川良介
 お絹 ...........  川口敦子
 やくざの浅吉 ...  田中邦衛
 神尾主膳 .......  天本英世
 中村一心斉 .....  佐々木孝丸
 芹沢 鴨 .......  佐藤 慶
 近藤 勇 .......  中丸忠雄
 大橋訥庵 .......  久世 竜
 島田虎之助 .....  三船敏郎

 内藤洋子のお松とか、七兵衛の西村晃、与八の小川安三なんて、こんなハマリ役、ほかにねーよな。
 特に、「可憐」という言葉は内藤洋子のためにあったと言ってもいいくらいだよ。昔、友人との間で、もしも『ルパン三世 カリオストロの城』が実写化されたら、という話題になったときに、「クラリス役やれる役者なんていねー」とみんな口々に言ってたんだけど(ロリコンが揃ってたんである)、私一人、「若いころの内藤洋子!」とコブシを握りしめて力説したものだった。あのおデコと真っ直ぐな眉毛はそれだけでロリコンにとっては凶器である(あ、あとヒロコ・グレースを力説してたヤツがいたな)。
 実際、『赤ひげ』のころの内藤洋子に「おじさま?」なんて甘えられたら、今の私でも落ちるぞ(落ちるなよ)。
 そして何と言っても神尾主膳の天本英世! いやあ企んでる企んでる(^^)。続編ができてたらもっと活躍してたと思しいだけに、一作だけで終わっちゃったのがホントにもったいない。
 こうなると、原作でも剣は合わせてないから仕方ないんだけれど、仲代龍之助と三船虎之助の対決も見てみたかったなあ。三船さんを使いこなせたのは黒澤明だけだとかドナルド・リチーなんかは言ってるが、岡本喜八の映画を見たことがないのか。『独立愚連隊』でも『侍』でも『赤毛』でも、三船敏郎の豪放と繊細の両面をちゃんと見抜いて描いてるぞ。

 
 夜、遅くまで起きていたので、夜食についそばメシをつくって食べてしまう。
 こんなこってりしたものを食ってたら、次の検査、いったいどうなるかな。

2001年01月09日(火) 仕事初め


2002年01月08日(火) ココロはいつもすれ違い/『女王の百年密室』(森博嗣・スズキユカ)

 仕事が本格的に再開したってのに、鬱、またぶり返す。
 思い出さなければ鬱にもなりようがないのだが、思い出してしまうものは仕方がない。思い出すことで自身のアイデンティティも形成されるのであるから、鬱もまた自分が自分である証拠だ。
 でも、こう鬱が続くと、自分がなんで鬱になってしまったのか、その原因の部分を忘れてたりもしてるんで、あまりアイデンティティの確立とは関係なくなっちゃってるんである。
 バカだね、どうも。


 しげから、「今日は練習があるから、迎えに来れないかもしれない」と聞いていたので、夕方、仕事が終わるとさっさとタクシーで帰る。
 帰宅してみるとやっぱりしげはお出掛け中。
 念のため、携帯に連絡を入れてみるが、つながらないので、「帰ったよ」とメッセージだけ入れておく。

 あとでしげから聞いたのだが、このとき実は、しげは鴉丸嬢と一緒に、私の職場まで迎えに来ていたらしい。
 「“KC”(鴉丸穣は私のことをこう呼ぶのである。高峰か)を迎えに行くなら、ついでに其ノ他くんちにも寄って(はあと)」と鴉丸嬢が言うので、回ってきたのだとか(其ノ他くんのうちは、私の職場の近くにあるのである)。
携帯に連絡を入れた時はたまたま移動中だったそうで、ちょうどすれ違った格好になってしまった。
 二人して、待たされたウラミで散々私の悪口を言ったらしいが、しげの場合、「迎えに来れない(かもしれない)」と言って、「やっぱり来れたよ!」という例が今までに一度もないのだから、そんな不透明な言質を信用しないのも、私にしてみれば当然なことだ。
 第一、今日だって、鴉丸嬢が一緒じゃなかったら、しげが迎えに来なかったことは火を見るより明らかなことなんだから。

 けれど、実際、鬱で体調も壊しかけているので、二人に付きあって其ノ他くんちまで行かなくてよかった。あまりセルフコントロールができない状態で人と会うと、相手をつい不快な気分にさせかねないからだ。
 ともかく夕方を過ぎたばかりだけれど、目を明けてられないくらいに疲れてたので、ともかくぐったりと寝る。
 夜になって起き出して、マンガなどパラ読み。
 ちょっと小説の類が最近読む時間が取れなくなってきていて、活字にも飢えてるんだが、日記の更新にやたらと時間がかかって、まとまった時間が取れなくなっているのだ。
 ……だから10行ぐらいで日記を書いちゃえってば。


 マンガ、森博嗣原作、スズキユカ漫画『女王の百年密室』(幻冬舎・735円)。
 小説版はまだ単行本しかないので、文庫になるのを待とう、と思ってたら、先にマンガ版が出やがった。
 森ミステリを認める人、否定する人、それぞれに言い分はあろうが、否定派の批評の大半が、「本格のフリして本格でない」「トリックがチャチ」「トリックがインチキ」とか、そういう「マットウな」批評だったりする。
 しかし、そのあくまで「本格」に依拠した批評は、果たして本当に森ミステリに対して有効なのだろうか。
 『冷たい密室と博士たち』でも犀川創平が言明していた通り、例えば「密室を作る方法」などは、「どうにでもなる」のである。これだけ科学技術が進歩している現在なら、一般の読者が知らないような専門技術を駆使したトリックで不可能犯罪を構築することも可能であろう。いったん、そういうことを考え出すと、読者の裏を掻くトリックの案出など実に容易だ。だからこそ新本格の作家たちは、旧態依然と言われようと、「外界から閉ざされ」、科学技術も捜査も及ばない「雪の山荘」モノに固執していたのである(たいてい、携帯電話は「圏外」だ)。
 そういう特殊な設定にしないと、現代、あるいは未来のミステリは、その謎を解明しようとする試みどころか、「謎」自体が成立しなくなる。すべてが「無意味」だということにもなりかねない。
 森ミステリは、まず、そこを突き抜けたのだ。
 トリックなどはどうでもいい。
 では何が森ミステリの謎であるのか。
 それは、「彼は何者か」ということである。
 犯人が誰か、ではない。最も理想的な犯人らしい人物は、森ミステリにあっては常に明白である。恐らく「犯人を当てる」だけなら、十人中九人がそれをアテてしまうだろう。
 しかし、では、「犯人である『彼』は何者なのか」。
 この答えに解答することは容易ではあるまい。森ミステリの探偵たちも、それを最後まで突きとめ得ぬことは往々にしてあるからだ。そして、「犯人」と表裏一体である「探偵」。主人公たる彼らもまた、自分自身に無意識のうちに問いかけることになる。「『私』は何者なのか」と。

 女王が統治する幸福な楽園。
 不満や恨みのない世界でなぜか起こった殺人事件。
 「SFミステリ」の体裁を取っているために、従来の森ミステリが嫌いだった人も、余計なハードルを越える必要はないだろう。
 ここでは「どんなトリックも神の名のもとに可能」なのだ。殺人事件の、密室の謎を解く必要はない。そんなものは「どうにでもなる」。
 読者が思い致せばいいのは、主人公サエバ・ミチルの秘めたる思いにであり、マイカ・ジュクの警句に込められた思いにである。彼はミチルが「神に導かれた」と言い、「女王」もまた、旅人であるはずのミチルの名を「神のお告げ」によって知っている。
 「神」とは何かを推理しても、それは意味がない。もちろん、その答えがラストで明かされはするが、それ以外の何10通りの解決だって、読者は想定し、作者が提示したもの以外の答えを自分が信じたところで全く構いはしないのだ。
 「僕は生きているのだろうか? まあだいたい生きてるってとこ? 悪くはない。悪くはないよ」
 ミチルの、最後のこの痛みをともなった言葉を噛み締めることが、森ミステリを味わう一番の方法だろう。多分我々も「だいたい」でしか生きてはいないのだから。
 

 しげ、8時過ぎに帰宅するなり、また出かける準備を始める。
 「……どしたん? 今日は仕事なかったんやないんか?」
 「……うっかり電話取ったのが失敗……」
 しげ、眉間にシワを寄せて、いかにも口惜しそうな、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
 どうやらリンガーハット、急な欠員が出て、助っ人をしげに頼んできたらしい。せっかくの眠る時間がなくなって、しげ、本気で臍を噛んでいるのだ。
 「リンガーハットからの電話は取っちゃいかんね!」と吐き捨てるように言う。でも電話に出た時点で「負け」だわなあ。

 実は私も、休日、職場からあった電話は取らないことにしている。
 それで大事な仕事だったらどうするんだ、と非難されそうだが、実際に電話に出てみると、たいした用事でもないことが圧倒的に多いのだ。
 いっぺん、電話に出ずに、次の日になって誰かから何か言われるかと思ったら、全く何も音沙汰がなかったので、私の頭の中では、「職場からの電話は休みを邪魔するイヤガラセ」としか受け取れなくなった。
 ……いやね、ほかの同僚が休んでる時も明らかに「イヤガラセ」の電話してるとこも、何度も目撃してるのよ。人間性で言えばサイテーの部類に入るヤツってゴロゴロしてるもんでね。
 本当に大事な用事なら、間を置いてでも二度、三度と電話をしてくると思うんである。それがない以上、わしゃ、休日の電話には絶対に出んぞ。第一、休日に私が家にいる、と思いこんでるのはどうしてだ。


 俳優の加賀邦男さんが、7日に心不全で死去。享年88歳。
 特撮ファンには『仮面ライダーV3』の風見志郎の父親役で有名であろう。
 ……って、何シーンも出とらんわ、そんなん(ーー;)。
 けれど、ついそんなのを例に出さなきゃならないくらい、脇役が凄く多い人ではあったのだ。かと言ってヘタクソってことはなくて、往年のオールスターキャストの映画の中でも、割り当てられるのは重厚な役が多かった。
 訃報の記事には『大菩薩峠』あたりを代表作としてあげているが、調べてみると、役は米友。……内田吐夢版だよなあ、片岡千恵蔵が机龍之助の。米友ってのは心優しい槍の名手の役なんだけど、加賀さんだったかどうか記憶にない。もちっとましな紹介、できなかったのかなあ。
 ついこないだDVDで見たばかりの『本陣』、フィルモグラフィーでは最後になっている。テレビではお見かけしてたけど、映画でとなるとあれが遺作になるのか。……って、もう30年近く前だぞ? あれほどの名優が、それ以降、一度も映画に出なかったのか。映画界が、役者、名優をいかにキチンと使わずに来たかってことの証明みたいなもんだなあ。
 二男の亀山達也、三男の志賀勝も俳優だけど顔は似てないと思う。加賀さんのような美形から、志賀さんのような個性的な顔が生まれるというのがまた面白い。

2001年01月08日(月) 成人の日スペ……じゃないよ


2002年01月07日(月) 食い放題に泣く女/『エンジェル・ハート』2巻(北条司)ほか

 朝、しげを起こすが、全く反応がない。
 最近、「食いものにだけは優しい」なんて言われているので、他の面でも優しいところを見せてやろうと寝かしてやる。
 昼過ぎに迎えだけ頼む。

 今日もまた昼食は「スタミナ太郎」で食い放題。
 なのに、朝方なにか余計に食いでもしたのか、しげ、皿を2、3枚しか交換しない。
 「……やっぱりこの店、嫌いなのか?」
 しげ。首を横に振って、
 「この店、種類がたくさんあるやん?」
 「うん」
 「……でも全部は食べれんやん?」
 「……うん」
 「それが悔しいとよ」
 と言ってため息をついたその目には涙まで滲んでいる。
 ……2、3枚皿を交換して、焼肉だのトンカツだの寿司だの食ってて、それでもまだ食いたいと言うのは、やっぱり「餓鬼」にとりつかれてるんじゃないのか。

 正月休みももう明けるので、ちょっと豪遊しようかと、西銀を回って、おカネを降ろす。
 と言っても、回るのは積文館(本屋)とゲーセンだ。
 ゲーセンといっても、私はUFOキャッチャーくらいしかやらないんだけど、今日は調子が悪くて、千円ほどスってしまう。まあ、是非ほしいってほどの品もなかったから、まあいいか。
 『GMK』のガシャポンがあったので、2回ほど回してみる。
 一つ目はキングギドラ2001で、やっぱり首が短い。どういうわけかもう一つはジェットジャガー。……なぜ今? 別に復活の兆しがあろうとは思えないが(されても困るぞ)。

 外は小雨が降って寒い。
 なのにこの冬はあまり風邪を引いてはいない。雪もまだちらつく程度だし、暖冬なのかな、今年は。
 こういう年の翌年は反動で災害が起きることも多いので、そこそこ雪くらいは降っておいてほしいんだけど。

 帰宅してひと寝入り、あとはひたすら日記を書く。
 既に「追いつく時は追いつくさ」くらいの感覚で書いているけれど、さて、それでも毎日読みに来てくれる人がいるというのは嬉しいことだ。
 でも、もう記憶がほとんど飛んでるので、マンガの感想なんか、書いたか書かないか、思い出せんのよ。いちいち昔の日記読み返して確かめるのもめんどいし(第一、それをやるとしげが「自分の文章に浸ってる」とイヤミを言う)。
 同じ本を二度三度読み返したりするから、なおのこと記憶が混乱しちゃうのだが、仮に二度書きや間違いがあったとしても、「一篇読んだぞ、その記述」ってツッコミがあればあったで楽しいと思う。
 その際にはどうぞ掲示板等をご利用下さい。

 マンガ、北条司『エンジェル・ハート』2巻(新潮社・530円)。
 オビに「100万部突破!」と麗々しく書かれてるけれど、なんだかんだで『バンチ』で一番売れてるの、これなんだな。『シティーハンター』人気、未だ衰えずといったところか。
 槙村香の死と、その心臓を移植された少女「殺人兵器・グラス・ハート(G・H)」、というトンデモナイ設定で始まったこの新シリーズ、しげが旧作のファンだったものだから(私は途中で買うのやめた。設定が突拍子もなくなったのとキャラの描き分けの下手さにあきれて)、ついつい買ってしまってるが、意外に面白くなってきた。
 冴羽潦(漢字がねーよ。ホントはケモノ偏だ)とG・Hの出会い、もう少し引くかと思ったけれど、2巻でもう合流。愁嘆場もあまり長くなく、すぐにアクションに移って行くテンポの早さは悪くない。
 歌舞伎町を無人にし、そこでG・Hを追って来た青龍部隊と戦おう、という潦の作戦、勝手知ったる狭い空間でゲリラ的に敵を翻弄しようってことなんだろうけれど、この手のパターンのアクション作品は、これまでにもマンガ、映画を問わず傑作が目白押しなので(『ホームアローン』だって基本的にはそうだもんな)、どう差別化を図るかがカギとなりそうだ。
 しかも街一つを使ってってのは、なかなか度胸のいる設定だぞ。2巻の段階では、潦がどんな「ワナ」を仕掛けているか、まだ分らないけれど、単に「爆薬を仕掛けて一網打尽にする」とか「鏡を利用して誤射させる」とか、それこそ使い古された手だけはやってほしくないよな。
 ……しかし、潦の「コンドーム持って勝負パンツに着替えて来い」というセリフだけで「地域の完全封鎖・SATに出動要請」と読み取った冴子のカンもすごいよなあ。これが腐れ縁の効果ってヤツか(^o^)。
 それから、もうそろそろG・Hの本名も明かしてほしいぞ。


 『コミック伝説マガジン』No.4(実業之日本社・380円)。
 今回のメインは『ワイルド7』復活編、『飛葉』だけれど、元のシリーズはあまり熱心に読んでなかったので、ラスト、飛葉がどうなったかよく覚えていない。確か死んだか行方不明になったかしたかだったと思うけれど、そのあと『新ワイルド7』とかも描かれてたよなあ。どこからどうつながってるか、わかんないや。
 もっとも旧作のほうもムチャクチャ個性的な構図と話運びで、コマとコマがどうつながってんだかわかんないマンガだったけど。

 復刻マンガは藤子不二雄Aの『怪物くん/新年パーティはザ・モンスターズでいこうの巻』。単行本収録の際には「新年パーティ」が「仮装パーティ」に改変されていたので、オリジナル版としての復刻である。
 集まってくる怪物の中にキング・コングやサイクロプス、ジョージ・パル版『宇宙戦争』の火星人やらハエ男、ギルマン他、モンスター映画ファンがニヤリとするような面子が揃っているのがニヤリとするところ。けれどやっぱり藤子さんオリジナルの怪獣「ノールス」は、「ノンビラス」と名前を変えられたまま。この程度のコトバ狩りに対抗することすらできんのかねえ、出版社は。
 『筒井康隆全漫画RETURN』、今回は私の一番好きな『色眼鏡の狂詩曲』。アメリカの少年が作者の元に送りつけてきた「日中大戦争」という小説を漫画化したもの、という設定なんだけれども(もちろん実際には筒井さん自身が話も絵も描いている)、これなんかトンデモ架空戦記ものや映画『パールハーバー』の元祖みたいなもんだよなあ。中共が日本に向かって原爆ミサイルをぶっ放すけど、軌道を外れて全世界に落ちまくる、という話事態もキテレツだけれど、日本にまだショーグンがいたり、中共のコンピューターが猫の毛の静電気で動いてたりとディテールが偏見に満ち満ちているのが大笑い。
 けれど今回の作者解説で、絵的なギャグのほとんどを夏目房之介が案出していたことも披露された。全く、知らない間に夏目さんのファンになっていたんだなあ。

2001年01月07日(日)  ああ、あと三日休みが欲しい(贅沢)/アニメ『人狼』ほか


2002年01月06日(日) 言えない話と男の優しさと英語落語と/『西岸良平名作集 蜃気郎』1巻(西岸良平)ほか

 今日も朝から日曜出勤。おかげで『アギト』を始め、朝の番組は軒並み見られず。
 最終回が近いものばかりだってのに、どうしてこんな時に仕事をさせられるのか。
 ええいこれはオタク差別だ、この世からオタクを消してしまおうとする陰謀だ、きっとそうに違いないと歯噛みつつ、マジメに仕事。
 小心者だから職場に「アニメ見るので休みます」とは言えない(もちろん小心者でなくたって言えない。そんなことくらいはわかってますってば)。
 こういう時にはたいてい面白いことが起きるんだが、その辺、アップできないのが残念なんだよなあ。
 私自身は実は全くモラルのない人間なので、他人のことなんか一切考慮せずに、仕事場で起こった出来事をそのまんま書き散らしたりしたくなる衝動がしょっちゅう起こるんだが、社会的にはモラルを重視せねばならない立場にいるので、そうもいかないのである。
 それでも「この世の中にギャグにしていけないものなんて何一つないんだ!」と言うとり・みきさんの叫びはココロの励みになる。「世の中言っていい事と悪いことがある」なんて偽善に従ってたって、つまらないものね。
 定年退職したら思いっきり書き散らしてやろう。
 そのためにもあと20年は生き続けたいのである。


 仕事帰りはタクシー。
 しげが練習に行っているので久しぶりだったが、偶然、以前「UFO見たことありますよ」とネタを振ってくれた運転手さんであった。
 私の仕事上のことでいろいろ話をしたが、これまたここにはアップできない。外形だけ、差し障りのないように言うと、私は職場では常識がないように言われることが多いが、それは結局「タテマエ」を無視してしまうからなんである。でも、その「タテマエ」が大きなひずみを生んでいることは、世間の「常識」なんで、そのことを指摘するとたいていの人から大いに頷いてもらえる。
 私を知る人は信じないかもしれないが、たいていのメンタルテストで私は「無難な常識人」と出てしまうのだ。もちろん、私自身、そんなの信じちゃいないが、「常識に基づいて行動しよう」という感覚で選択肢を選べば当然そうなる。その「常識」とは、ウチの職場の常識ではなくて、「世間知」としての常識である。
 ちなみに、ウチの職場の「常識」に基づいて受けると、これがたいてい「ブラックリストタイプ」になるのな(^o^)。
 ウソのようなホントの話である。
 運ちゃんからは降りる時に「がんばってくださいね」と激励されてしまった。「自分が正しい」と思いこんでるやつらしかいない中で仕事をするってのも並大抵ではないよなあ。
 そのへん、せめてしげだけでも感じてくれると嬉しいんだけど。


 『サイボーグ009』 第12話「なぞの無人島」。
 さて、今回のこれはもう完全オリジナルかな。それとも石森さんのSF短編にこんなのがあるのかも。……なんか「ロボットが意志を持つ」ってネタ、あまりに多すぎて、オリジナルだとしたら新味がない。ストーリー的に必要な話とも思えないし、なんでこういう話を挿入するのか?
 偵察機トルドーで食料調達に出かけて遭難し、無人島に漂着した005、6、7。まあ、このメンツってだけで「ギャグ編」だってことはわかるけれど、そのわりに余りギャグが利いていない。ヒドイと言うほどではないが、作画のキレが悪いせいで笑えないのだ。
 三人が沼や岩場や流砂で立往生するシーンを、画面の切り替えでなんとかギャグっぽく見せようとしているが、この効果がともかく薄い。そのあとの007のリアクションが枚数不足で不充分なせいだ。
 無人島は、ブラックゴーストの廃棄された軍事施設だったとわかり、一行は監視ロボットと出会う。006とこのロボットの間に友情が芽生え、三人の危機を救う、という展開はもう充分読めるんだから、演出に工夫がないと楽しめるものではない。
 どうして「ロボットに意志なんてあるはずがない」というアンチテーゼをきちんと見せておかないのかなあ。意志のないはずのロボットが意志を見せる、そこに感動が生まれるのは『ジャイアントロボ』以来の鉄則だろう。なのに最初から006とロボットが友情を交わしているように描写していったら、予定調和でしか話が終わらないじゃん。『ロボ』は横山光輝でイシモリじゃない、というご指摘もあろうが、だったら『大鉄人17』はどうなるのか。『ロボ』のパクリ、と言われてもしかたがないぞ。しかも稚拙な。
 こういうのを典型的な「シロウトの脚本」というのだ。外形だけなぞって魂がこもってないっていうことだね。脚本の根本歳三、『キカイダー01』に続いての脚本で、多分これ以前に脚本経験はない。なぜよりによって『009』にシロウトを使うのよ。義理かコネか?
 ……せめて構成の大西信介がダメ出ししててくれたらと思う。それとも、それもできないくらい、スケジュールが押してたのかなあ。あとはDVD化する時に作画に手を入れてもちっと面白くしてほしいと思うけれど、最悪ってほどじゃなし、中途半端にまあまあの動きだからほったらかされる可能性も大きいかな。
 やれやれである。
 「放浪編」はもういいから、いい加減で「ベトナム編」に行ってくれ。


 しげの帰宅を待って、また「めしや丼」で食事。
 前回と同じく「鶏鍋」を注文する。一旦気に入ったら、同じものをしばらく食べつづけるのが私のクセなんだが、これは栄養が偏る原因にもなる。でも鶏鍋は野菜も入ってるし、それほど偏食ってことにはならんだろう。
 それでもちょっと味が濃いかな、と思って肉をしげに分けてやる。
 いつものように、しげは「いいと? 肉が減るよ?」と聞くが、分ければ減るのは当たり前だ。それとも肉がほしくはないのか。
 「食べ物にだけはアンタ、優しいね」
 「だけはってなんだ。なんでもオレは優しいよ」
 「……他の人に聞いてみてん、アンタが優しいかどうか」
 「みんな言うよ、オレが優しいことに、しげだけが気づいてないって」
 「それはアンタが、オレ以外の人間に優しいってことやろ?」
 ……肉をもらったってのに、どうして浮気者扱いされなきゃならんのかなあ。
 

 夜、何気なくテレビを見ていると、外国人の女性が、高座に上がって落語を演じている。しかも全部英語で、所々に「ソウゼンジ」とか「アダウチ」とかいう単語が混じる。
 なんだなんだ、と番組表を見ると、『NNNドキュメント'02 新春企画 RAKUGOでGO! 英国人女性・ ダイアンが行く』 という番組だとわかった。
 女性は、大阪の下町で暮らすイギリス人のダイアンさんで、自分で着物も作り、華道と茶道の師範を持っているとか。
 で、彼女は落語を英語圏の人にも知ってほしいと、年末にロンドンで開かれた「日本フェスティバル」に出演しているところなのだ。ダイアンさんの演目は、彼女をこの世界に導いた故・桂枝雀の『宿屋仇』。
 ううん、この落語は聞いたことがないぞ。もちろん、英語で聞いていても、間の取り方の悪さは伝わっちゃうし、実際その場の観客が感心しながら見てはいても笑っちゃいないんで、ウケてないんだなあ、ということはわかるが、こういう人がいるのは嬉しい。
 「落語が外人にわかるかよ」という意見もあろう。異文化を簡単に移植などできないというのもわかる。確かにそうかもしれないが、だったら、海外からの移植分化で作られてきた日本文化自体を否定することになりはすまいか。
 初めは模倣、練られてオリジナル、ということは将来的に充分考えられることだ。スタンダップコメディに対するシッティング・コメディってのが英語圏に生まれたっていいんじゃないかなあ。
 別に「日本」が世界共通の言語になることを望んでいるんじゃなくて、新しい文化が生まれることを期待したいんである。
 ……それはそれとして、桂枝雀全集のCD、ほしいんだけれど、映像がついてないってのがネックなんである。これがDVDだったら揃えたいんだが……って、だからそんなもん買うカネなんてないってば。


 マンガ、『西岸良平名作集 蜃気郎』1巻(双葉社・300円)。
 このシリーズも連載時に読んでた記憶があるんだけれど、やっぱり『漫画アクション』に連載されてたのかな? そのへんはもう、ウロ覚え。
 ミステリ的にも意外とトリッキィで、『三丁目の夕日』でしか西岸良平を知らなかった私が、彼を見直したキッカケになった作品でもある(だからエラソウに言うなってば)。
 タイトルはなんだか「魔天郎」みたいだけれど、これは横溝正史の『真珠郎』にインスパイアされたものと考えていいだろう。小林信彦のパロディもあったし。「○○郎」ってシャレ、犯罪者をイメージさせたりするのかな。
 もっとも怪盗の造型としては、若きディレッタント、といった感じで、「真珠郎」の残虐さはない。やっぱりルパンの落とし子で、女性と淡い恋もするが、入れこみはしない。ロボットに化けたりするあたり、乱歩の『青銅の魔人』も入ってる。ドイル他のトリックを流用しているあたりも、できるだけマンガをバラエティに見せようとする作者の意図が見られる。
 すごい傑作、というほどではないが、通常の西岸ワールドとは一風違った味わいを楽しめる一冊であることは間違いない。

2001年01月06日(土) ああ、今日は土曜か。今気づいた(^_^;)。/映画『ビッグムービー』


2002年01月05日(土) 食って寝て食って歌って/ドラマ『エスパー魔美』第1話/『ピグマリオ』7巻(和田慎二)

 仕事は午前中のみ、昼飯をどこで食うかでしげと揉める。
 「スタミナ太郎でいいんじゃない?」
 と私が言うと、「ホントはスタミナ太郎好きなん?」と言われる。
 そりゃ、千円以内で食べ放題なら魅力だよ。特にこう鬱が続くと、食って発散することくらいしか出来ないし。
 見た目、余り変化がないように見えるかもしれないが、それはもう、常識人として生きようとする私の修練の賜物であって(^_^;)、鬱の中に逃げこもうとする私を、もう一人の私がなんとかフォローしているのである。
 ……そうだよなあ、私がつい、しげに対して怒ってしまうのは、しげが自由にヒスを起こすのを見て、「俺はこんなにガマンしてるのに」と思ってるからなのだよなあ。
 もちろん、たいていの場合「自分だけが」と考えているのは間違いであって、相手だって相当ガマンを強いられているのに違いないのだが、そのことに気づかないのがストレッサーズである証拠なのである。
 実際、食って気分が晴れるわけではないことを知ってて食に走る状態が既に鬱。あとはひたすら寝て鬱をごまかすしかないかなあ。


 と言うわけでもないが、昼はたっぷりと睡眠を取る。
 今夜、映画を見る予定なので、途中で眠らないようにするためだ。四、五時間は優に寝て、英気を養う。
 本当に養えたかどうかはわからんが。

 夕方に起きて、NHK教育『エスパー魔美』第1話を見る。
 予告編段階で感じていたことはすべて的中。
 やっぱり個人的な感想としては、主演が魔美のイメージとは程遠い。意外にビックリしたのは、どこまで改変されるかと思っていたストーリーラインが結構原作に忠実だったこと。もちろん、画家のお父さんの前でヌードモデルになる描写はないが。
 原作者自らが、「魔美のヌードを出したのは少年マンガの限界に対する挑戦」と言い切っていたのだから、これこそが「原作の改悪」と主張をすることはできるだろう。下手にこういうことをされると、制約の少ない映画やOVAで、もっと魔美のイメージに合う女の子で、ちゃんとヌードで映像化してほしいという気持ちも起こってくるのである。
 いや、誰かにではなくて、自分でもホームビデオででもいいから藤子作品を映像化するなり戯曲にしたててみたい気は起きているのだ。無謀だってことはわかってるけど、この魔美を見せられると、どうしてもそう言いたくなる。
 オリジナルな設定で、魔美の親友が出てくるけど、これが『エイリアン9』『ナジカ電撃作戦』の井端珠里。まあ、魔美に比べりゃ遥かに顔出しに堪えてるけど、でもやっぱり動きはシロウトだなあ。……って、そりゃ14才だから仕方なかろうが。
 しかし、次の『カスミン』との間にCMが全く入らず、ビデオ録画の切り替えが出来ない。これはもう、『魔美』のほうは総集編再放送を待って録画するしかないかなあ(って、やっぱり録るんかい)。 


 今日こそは『ハリー・ポッター』を見に行こうと、6時過ぎに玄関を出た途端、しげの携帯にエロの冒険者さんから連絡が入る。
 「ぴんでんさんがこちらに来ているんですが、飲みに来ませんか?」とのお誘いである。
 今日を逃すとまたしばらく映画に行く時間が合いそうにないから、どうしようかとしげに聞いてみると、満面に笑みをたたえて「飲む!」と一言。やはり、こういう機会は逃さないのだなあ。

 エロさんのご近所の居酒屋でともかく食う。
 大人数での宴会も楽しいけれど、小人数だと、自然、周囲のことを気にしなくなるので話が自然と過熱する(人が多いと、話題についてこれない人がいないかとか、そんなことを気にしてしまうので、つい自分が喋るのを控えてしまったりするのだ)。
 「最近のバラエティはどうしてつまらないか」みたいな話題から始まって、ぴんでんさんがいきなり「コメディアンは独身に限る論」(なんだか『目黒のさんま』だな)をぶち上げたものだから、もうテンションが一気にリミッターを越えてしまったのだ。

 曰く、「結婚すると家庭に安住するからコメディアンはつまんなくなる。『ダウンタウン』の松本がよくて浜田がよくないのはそのせい。松本はピンでも立てるが浜田は立てない。『爆笑問題』も太田の方がいいように言われてるが、太田もやっぱりピンでは立てない」とか言うものだから、エロさんも私も猛烈に反論する。もちろん「家庭を持ってて大成したコメディアンもいるのではないか、タモリやたけしはどうなる」、とかなんとか。
 ぴんでんさん曰く、「家庭を持ってても真のコメディアンは家庭の破壊者になる」。いわゆる「芸のためなら女房も泣かす」ってヤツだろうか。
 なるほど、以前、筒井康隆が「現代作家がつまんなくなったのは品行方正なやつらばかりになったからだ」とかエッセイで書いてたが、既成の概念を破壊することが身上みたいな作家、芸人、コメディアンが小ぢんまりと収まってたらつまんなくなるのも当然だろう。
 横山やすしが伝説化されちゃうのは、あの人が最後の「破天荒型コメディアン」だったからかもしれない。

 コメディ論は延々と続き、とても全部をここでは書ききれないのだが、途中、エロさんが「グループキャラクターとしてのコメディを確立したのは『ドリフターズ』が最初だ」という発言につい「クレージーキャッツは?」とツッコミを入れてしまう。
 「クレージーは結局、ハナさん植木さん谷さんくらいで、あとは個性がない」と言われて、「でも他のメンバーだって……」と、クレージーの名前を挙げながら、ハナ肇、植木等、谷啓、犬塚弘、桜井センリ、石橋エータローと来て、最後の一人の名前がスッと出て来ない。
 なんと、エロさんもぴんでんさんもしげも七人目の名前をど忘れして出て来ない。
 「図らずも私の論が証明されたでしょう」とエロさん、勝ち誇る。ううむ、ドリフも好きだがクレージーはもっと好きな私にしてみれば、「そんなことない」と言いたいところだが、実際、初期の「クレージー映画」では、最初の三人以外はホントに十把ひとからげ的に扱われていた例も多いので、これも反論がしにくい。
 なんとしても最後の一人を思い出そうとして、ふと、心の中で、「そう言えば『無責任艦長タイラー』の中でクレージー・キャッツはパロディにされてたよなあ、植木等は『ジャスティ・ウエキ・タイラー』で、ハナ肇は『ハナー提督』で……」と考えていたら、スッと名前が出てきた。「……『ジェット・シン・ヤスダ』……『安田伸』!」。
 みんな、「ああそうだった、なんで忘れてたんだろう」と頷きあうが、まさかみなさん、私がこのときタイラーがらみで思い出したとは全く気がつかなかったであろう。
 全く、オタクはこういう連想しないとモノが覚えられないのかねえ。

 私もこのときは酔っていた。
 升酒が店のサービスで振る舞われて、運転のために飲めないしげの代わりについ飲んじゃったのだが、何しろ白酒飲んでも三三九度の杯でも酔ってしまうくらい分解酵素を持たぬ私であるから、これはもう効果覿面である。
 ついつい言いすぎもあったと思うが、ご容赦願いたい。
 実際、大学時代、酒グセが悪く、知り合いに多大な迷惑をかけたことがあるので、体のこともありはするが、酒は本気で断っているのである。

 せっかくだから、ということでカラオケに行こう、という話になったが、エロさんのご近所、めぼしいカラオケ屋がない。
 そこでうちの近所のシダックスまで遠征。
 初心者のクセして思いきり遠心力をかけてカーブを曲がるしげの運転にエロさん狂喜する。……本当に飲んでなかったのか? 私の目の届かないところで(つーか隣にいたけど)、こっそり飲んでたんじゃないのか(←あ、もちろん冗談だからね)。
 深夜だってのに部屋が込んでいて、アニソン関係の充実した機種がない。
 それでも歌える限りの特撮、アニソンをみんなで続々入れる。
 先日からピープロ番組の話題で盛り上がっているので、ぴんでんさんもエロさんも『快傑ライオン丸』『宇宙猿人ゴリ』など歌いまくる。私も対抗して『怪獣王子』を探したが見当たらない。けれど、あとになってよく考えてみたら、サビの部分以外忘れているのだ。「オーラー!」のあたりだけね。
 ああ、恥をかかなくってよかった……と思いつつ、次までに思い出しておこう、と考えているんだから我ながらバカである。
 ずっとあちこちのカラオケで探していて見つけられなかったCoCoの『思い出がいっぱい』(『らんま1/2』)を見つけて思わず歌う。男が歌って楽しいもんじゃないが、やっぱり酔っていたのだ。
 気分を盛り下げてしまったかもしれないが、これも平にご容赦。多分ある程度まとまった酒を飲んだのは数年ぶりだ。


 そのあとお二人をエロさんのお宅までお送りして散会。
 ここ数日間の鬱がちょっと晴れた気がする。

 もう少し、思い出したことなど。
 私のこの日記が、更新が滞りつつもなんとか続いていることについて、エロさんから、「十日も前のことをよく覚えていますね」、と言われるが、もちろん朝から晩まですべてのことを思い出せるほど記憶力がよいはずもない。
 断片的な記憶を並べるだけでも、ずいぶんものごとを覚えているように錯覚させられるだけで、つまりはたいしてモノを知ってるわけでもないのに、知ったかぶりをして周囲をケムに巻く「サロンのバカ」と同じ作用が働いてるだけなのである。
 実際、ぴんでんさんが「細川ふみえが脱ぎましたね!」とコブシを握り締め随喜の涙を流していたのがこの日のことだったか、先週のことだったか、もう全然覚えていない(^_^;)。
 私も確か対抗して、「今週の『プレイボーイ』で加藤夏季と栗山千明がグラビアに出てるんですけど、表紙には釈由美子の名前しかないんですよ!」とか言ったように思うが、もちろん、雑誌の発売日なんかを調べればいつのことだったか確定できることなのが、誰がそんなんイチイチするものか(-_-;)。
 とりあえずは「いろいろ雑誌を丹念にチェックしてるんだなあ」ということだけ押さえておけばいい問題だし(押さえてどーする)。


 マンガ、和田慎二『ピグマリオ』7巻(メディアファクトリー・819円)。
 やはり、本筋の長編になると語りのムリが目立つ和田慎二。本人は長編を書くのが好きなのかもしれないけれど、基本的に短編マンガ家だと思うぞ。
 人間に変身したメデューサが、恋に落ちた相手をいきなり石化させる展開も唐突過ぎる。あくまで悪の存在である面を失わせまいとするための措置だろうが、キャラクターが膨らんで行くのを無理に型に入れようとしたための失敗であることは明らかだ。ストーリーテリングに自信を持っている人間が犯すミスの最たるものがこれである。物語をキャラクター指導で暴走させられないのね。結局、話が小ぢんまりしちゃう結果になるんだよなあ。
 ポセイドンとネプチューンの兄弟、というネーミングセンスも、多分連載当時だって相当ダサかったんじゃないかな。言語発達的にも文化的にも、元を辿れば全く別種の二つの「神」をくっつける無謀さ、これって言ってみれば「大日如来」と「天照大神」が姉妹で同じ話に出て来るようなもんだぞ。……例えがわかりにくいか(ーー;)。
 ジンギスカンと源義経が実は兄弟で……ますます例えが解りにくくなりそうなんでやめる。要するに水と油をくっつけるようないい加減さが、話を作る前に立っちゃってるのだ。
 二人のオリエが出会うことで、クルトと精霊のオリエとの決別を予感させる展開も甘い。だいたい精霊のクセにショタコンってだけで、オリエは精霊としての資格を失ってないか?(いや、ショタコンがイカンということではなくて)
 この先、自分の愛情をコントロールできずに精霊のオリエがメデューサの側に寝返る、なんて展開になると面白いんだがな。でも、それも定番と言えば定番かな。

2001年01月05日(金) やっぱウチはカカア天下か


2002年01月04日(金) 消えた眼鏡と毒ガスと入浴シーンと/『テレビ「水戸黄門」のすべて』(齋藤憲彦・井筒清次)

 昨日からの鬱、続く。
 本当は今日も仕事は休みなんだが、諸事情で出勤。
 と思ったら、朝方、メガネをなくして職場に遅刻。
 「め、メガネはどこ?」なんて探してアチラにぶつかりこちらにぶつかり。
 なんかギャグマンガみたいだが(『丸出だめ夫』でもやってたよな)、私の視力は本気で失明してもおかしくないくらい悪くなってるので、マジでこんなことがあるのだ。
 結局、メガネはあったのだが、ちょっと公開日誌では書けないようなところにあったので、そこはまあ、あまり突っ込まないで下さい(^_^;)。
 
 しげに車で送ってもらいながら、夕べ、しげにとんでもないことをしてしまったことを思い出した。
 運転中のしげに向かって、おもむろに口を開く。
 「……ああ、オレ、お前に謝まんなきゃなんないことがあったよ」
 「何!」
 しげの目が釣り上がる。
 「悪気はなかったんだよ。偶然だし、ちょっとした過ちだし……」
 「だから、何!」
 「夜、トイレに行こうとしてね……ちょうどお前の顔面の前で屁ぇこいちゃった」
 「……ひ、ひどい!」
 「もろに、しかも特大にデカイの。覚えてる?」
 「覚えてね〜よ! でもひどい!」
 「むせてたねー、げほがほ咳込んでたし。でも目覚めないんだよな。……気がつかなかったんだったらまあ、いいか」
 「……アンタが寝てる時にもしちゃるけんね」
 「だめだよ、それは!」
 「なんで! お返しやん!」
 「ワザとじゃないのにお返ししたらいかんよ!」
 「……オレが失敗したらワザとじゃなくても許さないクセに、自分だけはワザとじゃないから許せって、ズルイやん!」
 「いつ、お前を許さなかったよ」
 「都合のワルいことは忘れるんやね」
 「忘れてね〜よ、お前が勝手に捏造してるんだろ〜が!」
 「してない!」
 ……おかしいなあ、しげに謝るはずだったのに、いつの間にケンカになってるのだ。 


 仕事から帰ってきて、速攻で寝る。
 昨日も寝て寝て寝て寝て寝続けたんだが、全然ココロもカラダも回復した気にならないからだ。
 しげも夜は仕事なのでさっさと寝る。
 お互い、寝たのは3時前だが、私は2時間ほどでやはり目が覚める。しげはイビキがひどい。
 で、その間、頑張って、パコパコと去年の日記の更新。
 普通、十日も更新が遅れりゃ、やる気をなくして中断ってことにもなってもおかしくはなかろうが、それを再開させてしまうのが、私の鉄面皮なところである。
 つーか、これも一種のビョーキかね。
 なにしろ、これでも自分としては随分ハショって短く書いてるつもりなんだから。


 『テレビ「水戸黄門」のすべて』(講談社・1575円)。
 著者名が「テレビ「水戸黄門」研究会」となってるけれど、実際は齋藤憲彦・井筒清次、二人のライターによる共著。
 かつての「謎本」もたいていは「なんとか研究会」という体裁を取ってるのが多かったが、どうして名前を出さないのかな。個人で責任は取りたくないってか。
 前に本屋で見かけてはいたけれど、立ち読みしただけでわかる中身の無さ、資料としてはスカスカだし、著者の勝手な思い入ればかりがダラダラ綴られてる三流の本。こんなんならネットでデータを検索した方がはやいと、買わずにいたのに、しげがうっかり買っちゃってたのだ。
 何がつまんないって、著者たちは、各俳優の生年月日や経歴すら把握してないのだ。東野英治郎について、「(黄門を演じるまでは)冴えない平凡な男と言った役どころが多かった」なんて言い切ってるが、俳優座の重鎮で、豪胆な男から小市民まで様々な役を演じ分ける実力の持ち主をよくもまあ、単純に言いきったもんだ。……少しは調べろよ。
 しげも読んで「つまんなかった」と言ってたが、やっぱりある程度立ち読みしないと本は買えないんだよなあ。
 しかし何が一番腹が立つって、由美かおるの入浴写真が一葉も載ってないことであろう。……売りどころ間違ってるよな。

2001年01月04日(木) ああ、つい映画見てると作業が進まん/『快傑ライオン丸』1巻(一峰大二)ほか


2002年01月03日(木) 貧乳の夢と鬱と別れのシミュレーションと/『ドラマ愛の詩スペシャル キテレツ』/『本気のしるし』4巻(星里もちる)

 今年の初夢、私は『スレイヤーズ』のリナ・インバースになっている。
 なんかいろいろ冒険をやってたみたいだが、起きて10分もしたら忘れた。
 でも、「女になりたい」って願望が私ん中にあるのか。
 それとも「ドラグスレイブ」でも誰かにぶちかましたいのか。
 どうしてナーガじゃないのか(^^)。……いや、巨乳は好きだが、自分が巨乳になりたくはないな。リナもイラストで見る限り、本人が気にするほどムネに不自由してるというわけでもないのに、やはり周りにいるが巨乳過ぎるというのが自意識過剰に陥らせているのだろう。
 ……で、これで一年の何が占えるんだよ(-_-;)。

 
 NHK教育、早朝から『ドラマ愛の詩スペシャル キテレツ』を見る。
 元旦にやったやつの再放送。
 こういうスペシャル版だと、どうしても原作の換骨奪胎がひどくなるが、それほどでもない。コアな藤子ファンはCGのコロ助なんかに違和感を覚えるだろうが、私なんぞは声を小山茉美さんがアテてくれてただけで、まあいっか、という気持ちになる。
 ただ、CGの口の動きがたるいせいで、小山さん、それに真っ正直に声をアテていて、アニメ版よりえらく間延びした口調になってたが。
 スペシャルだけあって、ゲストの俳優が実に豪華。
 キテレツのパパが山寺宏一。原作のキャラとは似ても似つかないが、もと発明家を目指してたって雰囲気はよく出てる。
 ママは山下容莉枝。ずいぶん老けちゃったけど(私は『マルサの女』のチョイ役出演のころからこの人のポケっとした雰囲気が好きだ)、コロ助を見て動じない「のんきな母さん」の雰囲気をリアルに演じていたのは見事。たいていの役者さんがこういうぽやっとした役柄を当てられると、どうしても浮世離れした演技しちゃうんだけど、それは藤子キャラじゃない。SFの世界の住人でありながら、みんな地に足がついてるんだよね、実は。
 頑固爺さんの役で加藤武、その奥さんに藤村志保。けれどタイムトラベルして過去に戻ったのに、周囲が加藤武がいきなり老けたのに気がつかないってのはちょっとムリがあるぞ。歴史も安易に変わっちゃうし。
 子役や若手の俳優さんたちもよく頑張ってて、悪い出来じゃないんだけど、オチを『ドラえもん』の「ウソ8OO」から取って来たのはちょっとズルイよなあ。「キテレツ」は「キテレツ」でちゃんと完結させなきゃ。


 夕べのの鬱がぶり返す。
 何をする気もなくなり、気がついたら『いただきストリート』を延々とやってるが、アタマの中はなにも働いていない。


 マンガ、星里もちる『本気のしるし』4巻(小学館・530円)。
 やっぱりと言うか、そうしないと連載が続かないことはわかってるけど、いったん縁を切ったはずの浮世に、辻はまた惹かれて行く。
 次から次へと、男を変え、ウソをつきつづける浮世を信じようとする辻。
 冷静に考えれば、男がなぜこうも女のウソにだまされるかと訝るところだろうが、やはり「破滅型」の人間というのはいるのだ。
 浮世だけでなく、浮世を愛し始めた辻もそうなのだ。惹かれあう男と女は、どんなに違っているように見えてもどこかで接点を持っている。
 「浮世さんは悪くない」、そう語る辻だが、もちろん、そんなことはないと、心の奥底では知っている。浮世から裏切られるためには、まずは信用しなければならない。そのための自己演出だ。
 浮世を責め苛みたい辻のサディズムが、あえて彼女を無防備なところにおいていることに、辻は気づいて入るのか。
 「地獄に落ちたがっている」
 刺激のない人生に飽きたらないと、そうなる。男はそうして女を罠にかけ、自分もまたその穴の中に落ちるのだ。

 ……鬱の時に、こんなマンガ読むなよなあ。
 また鬱がひどくなるじゃないか。


 「……おれが浮気してさ、お前に『別れてくれ』って言ったらどうする?」
 「……あんたはそんなこと言わないよ、『別れてくれ』なんて」
 「どういうこと?」
 「自分に責任があるような言い方をあんたはしないってこと」
 「……そうだなあ、ホントにそういうことになったら、『こんなオレなんか、お前はもうイヤだろう』とか言いそうだな」
 「ホラ、見てん。だけん、あんたが喜ぶようなことはしちゃらんよ」
 「別れてやらないってこと?」
 「別れてやってもいいよ。けど、あと、つきまとうから。そういうの、オレ得意だし」
 妻にストーカー宣言されてしまった。
 けれど、そこでしげを鬱陶しいと思わないのは、私もやはり破滅型の人間だからなんだろうな。

 鬱。

2001年01月03日(水) 初夢。……初夢だってば/『雲竜奔馬』5巻(みなもとたろう)ほか


2002年01月02日(水) オタアミビデオと平成生まれと夜のドライブと/『ナジカ電撃作戦』FINAL MISSION/『名探偵ポワロ 白昼の悪魔』ほか

 正月二日目。
 なんとか三が日くらいは仕事を休めることになったが、同僚は元日も今日も明日も働いているのである。
 こういうとき、自分だけ遊んでいるのは悪いなあとは毛ほども思わないので、まだ見ていなかったオタアミビデオなどを見返す。
 公演中は受付に座っていた時間、見られなかった部分を改めて見る。
 門外不出がタテマエなので(毎回概要のレポートだけは眠田直さんがホームページにアップしているのだが、今回はまだのようである)、内容を詳しくは書けない。
 ただ、当日は気がつかなかったが、ビデオで見ると、みなさんの息継ぎの具合などがよくわかる。例年よりもお三方が過密スケジュールの合間を縫っての強行軍のためにお疲れだったのだということが冷静に観察できるのだ。それでもあれだけのテンションを保てたのがみなさんのプロ根性であろう。
 むう、やはり次回は余裕を持ったスケジュールを取って頂いて、二泊三日くらいの日程を立てた方がよさそうだ。となればその分予算も余計に計上せねばならず、必然的にチケットを今年以上に捌かねばならない。
 一つアイデアとして持ってるのは、毎回二部構成でやっているのだから、前半、後半それぞれでも二千円でチケットを捌けないかな、ということである(通しだと三千五百円だから、値段的には妥当だろう)。これなら、時間の都合でこれない、チケットが高くてどうも、という人も来やすくなるのではないか。もしかしたら「半分だけ見ればいいや」という客が増えて、かえって減収、という危険性もあるのだ。このあたりの「読み」が私にはどうにも苦手である。
 有能なスタッフの募集もしたほうがいいよなあ。


 NHK教育、『ドラマ愛の詩』の『料理少年Kタロー』の再放送を見ていたら、次回のシリーズの予告編が流れる。
 なんと、藤子・F・不二雄の『エスパー魔美』。当然、実写版である。
 うーむ、確かに「少年ドラマシリーズ」に相応しい題材かもしれないが、原作やアニメのイメージが定着している身としてはどうも違和感がありまくりである……。と考えてハタと気付いたのは、そうだよ、今時の中高生って、『エスパー魔美』のアニメ見たことないやつばっかりだって気づいてしまった。
 調べてみると、アニメの放送期間が、1987(昭和62)年4月7日から1989(平成1)年10月26日まで、全120話。
 主演の魔美を演じる笹岡莉紗が1988(昭和63)年生まれの13歳。
 ……見てるわけねーじゃん。つーかなにかよ、来年度っつーか、今年はついに平成生まれが中学生かよ! ……昭和天皇、あと十年は再生糟に入れてでも存命させといてほしかったとしみじみ思う(T_T)。
 てことは、これが若い子にとっては初体験の魔美か(ちょっとイヤらしい言いかたになったが他意はナイ)。じゃあ、過去のイメージを引きずる必要はないしんだよなあ。魔美の髪型が両端トンガリじゃなくて、テールになってたり、ホントにフランス人とのクォーターなのか、赤毛でタレ目だったり、これもアリなのか……と思いつつ、あの「てれぽぉぉぉぉぉぉぉ、てぇぇぇぇぇぇしょん」って気の抜けた掛け声だけはなんとかしてほしいと切に思うのであった。


 録画しておいた『ナジカ電撃作戦』FINAL MISSION「華麗なるエージェントは邂逅の薔薇を心に」を見る。
 ストーリーはとことんハードになってるのに、やっぱりナジカもほかのヒューマリットたちもパンティー見せまくりなのがなんだかなあ、という感じではあるが。
 しかし最終回にもかかわらず、まだ伏線張るか西島克彦監督。
 ついに登場したと思ったヒューマリットの生みの親、レン博士はヒューマリットが変装(変身?)したニセモノだったし、結局「何故ヒューマリットは生み出されたのか」って謎は未解決なままだ。7話に登場した天才少女数学者スワンニーとヒューマリットとの関係はどうなったんだよう。
 自我を持ち始めたリラも、ついにナジカとの決別のときを迎える。
 自分が守らなければならないヒューマリットの子供、アルファと出会ったためだ。
 ああ、絵はとことん美しい。作画陣、最後のひと踏ん張りだ。
 花吹雪の中、お互いに銃を向け合うナジカとリラ。
 ナジカはどうあってもアルファを回収しなければならない。それが任務だ。
 しかしリラはアルファと一緒に行きたいと願う。
 『ナジカ』もまた、これまで数限りなく普遍的に描かれてきた「創造者と被創造者」「神と人」「親と子」の葛藤を主軸にした物語であったのだ。誰にも答えられない問いかけを内包し続けるそれの。
 銃声が鳴る。
 倒れたのはどちらか。『柳生連也斎』のようにそれは描かれない。
 ナジカは再び一人の任務に戻る。雑踏の中、ナジカが見かけたのはリラとアルファの二人。あれは現実か幻影か。
 微笑むナジカ。
 ……オチの付け方として、まあヘンではないけれど、なんか残尿感……いや、物足りなさを覚えるなあ。公式ホームページを覗くと、「続編を睨んでるんじゃないか?」と憶測してる人がいるが、そりゃ作ってほしくはあるが(なんたってたった12話だ)、そういう取らぬ狸の皮算用は余りしてほしくないもんである。

 途中からほとんどヒューマリットの回収話になっちゃったけど、純粋なスパイアマションも見てみたかったし。全話通して見て一番の傑作はやっぱり5話の「深紅に染まる水平線ははかなき夢と共に」だったかな。作画レベルも最高だったし、なにより尼僧姿のヒューマリット、コハルの冷徹さが光る。9話の「勇壮なる砂漠の獅子は女神と共に」のエリスも印象深い。転向したマスターを、マスターとして認識できなくなったヒューマリットが自らマスターに成り代わる……。融通が利かないヒューマリットだからって設定だけど、洗脳されてこんな状態になってる人間も現実には腐るほどいるしねえ。
 多分、我々人間は、たいして立派なココロは持っちゃいないんだろうな。……
ううむ、パンチラアニメでこんなに深刻に考えさせられることになろうとは。やっぱりミヤザキハヤオばかり見てちゃいけないね。


 NHK総合『名探偵ポワロ 白昼の悪魔』見る。
 今も続くデビッド・スーシェ主演版『ポワロ』の最新作。
 ピーター・ユスティノフ主演版『地中海殺人事件』と原作は同じなので見比べてみるといろいろ面白い。
 原作はアドリア海が舞台なんだけど、映画では地中海に変更。今度のテレビ版ではどこだったんだろう。NHKのホームページの解説には「小島」としか書いてないけど、ここが実にいいムードなんだわ。
 普通、島に渡るんなら船で、と思うでしょう。ところがポワロたちが使うのは高足の水中(上?)車。つまり浅瀬をずっと、車に乗って行く格好なんですね。まさに「浅瀬でランデブー」(←「オタアミ」見てる人にしかわかんないネタ)。
 原作に登場しないヘイスティングス、ミス・レモン、ジャップ警部を登場させるために、突然体を壊して倒れたポワロを、リゾート地に行かせて運動と食事療法の付き添いをさせるとか、ちょっとした変更はある。……なんだか糖尿病である私と境遇は似てるが、私にはリゾートで休む余裕はないのだ。ちょっと羨ましいぞ。
 結局、ポワロが体調を崩したのは、ヘイスティングスが紹介した食堂が食中毒を出していた店だとわかり、ヘイスティングスが恐縮するオチがつくのだが、そういうエピソードを紹介するなら、もう10分は尺がほしいところだ。後半展開にやや慌しさを覚える。
 けれど、概ねストーリーやトリックは原作通り。
 ラストで真犯人にポワロが首締められて殺されかけるところまで再現(映画じゃグーで殴られてた)。
 けれど、この原作、リゾート地を舞台にしてるからいかにも映像化に向いてるように見えるけど、メイントリックは活字ならではのものなんで、映像で見るとバレバレなんだよね。
 昔の映画版も、当時つきあってた彼女と一緒に見て、途中でトリックがわかったもんだから、ついそれを口にしちゃって、顰蹙をかってしまった(当時は原作は未読だったのである)。
 「クリスティーがそんな単純なトリック使うわけないでしょ?!」と彼女は怒っていたが、最後まで見るとその通りだったので、凄くプライドを傷つけられたような顔をしていたのだ。もしかしたらフラれた原因はそれだったのかもしれない(^_^;)。
 ミステリーの女王などと呼ばれてはいるが、クリスティー作品はトリック的には同じパターンの繰り返しで、要領さえ掴めば犯人やトリックはすぐわかるのである。特に映像にしちゃうと、名作の誉れ高い『アクロイド殺し』だってただの凡作になってしまって、つまらない。純粋にミステリーとして楽しみたい人は、クリスティーは小説に限定した方がいいと思う。

 『ポワロ』シリーズが名作たり得ているのは、そういった映像化に向かない原作の不備を補ってあまりあるキャストの演技力に負っていると思う。
 以前は私の思う最高のポワロ役者は『オリエント急行殺人事件』のアルバート・フィニーだったが、今は確実にデビッド・スーシェだということが出来る。歩き方から仕草まで、むちゃくちゃ作りこんでるものなあ。もっとも、舞台版のチャールズ・ロートンのポアロなんかは見たことないので、ユスティノフと比較したらってことなんだけどね。名優で知られ、『情婦』でウィルフリッド卿も演じているロートンなだけに、もしかしたら出来がよかったのかもしれないけれど(でも作者は嫌ってたそうである)。
 更に言えば、最高のヘイスティングス役者もヒュー・フレイザーである(声が富山敬さんから、安原義人さんに変わった。しかたないことだけどイメージがピッタリだっただけに残念)。
 と言っても、これも他には、映画『ブラックコーヒー』『エッジウェア卿の死』のリチャード・クーパー、『ABC殺人事件』のロバート・モーレイ、テレビ『エッジウェア卿の死』『死者のあやまち』ジョナサン・セシルの三人くらいしかいないんだが。しかも前の二人のは未だに日本未公開。わしゃいい加減、30年も待っとんじゃ。たいがいでビデオ化せんかい。

 デビッド・スーシェは、クリスティーのポワロを全作演じたいと意欲を見せているらしいが、それはぜひとも願いたいところだ。特に『オリエント急行殺人事件』と『カーテン』は是非に。
  

 マンガ、高屋奈月『フルーツバスケット』1、2巻(白泉社・410円)。
 もう何年も「大貧民」やってないなあ。
 地方によってはこのトランプゲーム、「大富豪」と呼んでるが、どの程度の地方差があるものなんだろうか。
 いや、マンガの中でみんなで「大貧民」するシーンがあるってだけのことなんだけど。
 それはそれとして、じっくり読んでみて、これがようやくファンタジーものだってことを知った。テレビでアニメ見たときは、草摩の一族が十二支の動物の物の怪に憑かれてて、異性に抱きつかれるとその動物に変身してしまうなんて気がつかなかったのだ。ちょうどそこのところだけ、見逃してたんだねえ。
 ううむ、伏線の張り方が「思わせぶり」の域を出ていない、つまりは語り口がまだまだ固いってことは言えるんだけど、キャラクターの作り方はなかなか面白い。
 主役の透、しげは「気に入らん」と評価が厳しいが、まあ、天然パーな女の子ってのは定番だし。しげも似たようなもんだ。
 脇キャラがなかなか楽しいしね。神楽や花ちゃんみたいにダークなやつは好きだ。……そりゃ、電波やってりゃ成績もどん底みたいに悪かろうよ(^o^)。こういう、一見エキセントリックだけど、妙なリアリティが魅力で読んでるやつもいるんじゃないか。これは続けて買ってみることにしよう。


 マンガ、文月晃『藍より青し』1〜3巻(白泉社・530円)。
 これもアニメになるってんで、とりあえず三冊ほど買ってみたが、中身は『ラブひな』だった。
 大学生の男の子のアパートに、18年間ずっと彼のことを思い続けてきた許婚の和風美人が押しかけて来るって、ベタベタな展開なんだけど、家同士のしがらみなんかも語られてて、これは結構ハードに面白くなるのかなあ、と思ったら、2巻でもう失速した。
 博多弁を喋る外人とか、ドジで巨乳なメガネっ子とか、いくらなんでもちょっとありがち過ぎんか。
 しかも博多弁デタラメだし。
 博多弁では「どぎゃん」とは言わんぞ。「どげん」だ(「どぎゃん」は「佐賀」!)。しかももう若いヤツは普通に「どう」って言ってて、そんな古い言葉、もう使ってないよ。
 博多弁らしさを出そうとして、昔の言葉を復活させてるんだろうってことはわかるけど、だったら「ばり(=とても)」なんて、ギリギリ今の20代しか使ってないような流行語を混ぜるな。中途半端であっちこっち無理が生じている。
 ……作者、博多の人間なのかなあ。
 1巻で中味は完結してるんで、後は女の子増殖させて行くだけなんだろうね。これは多分、続きは買わない。途中からSFものになりでもしたら別だが(^o^)。


 正月も二日からしげは仕事であるが、12時には上がって帰宅。
 まだ開いてる店もあろうから、深夜の食事に出かけることにする。
 車に乗りこんだ途端、しげがポツリと呟く。
 「このままどこまででも行こうか」
 「……なんだ、そりゃ」
 「アンタは、どこまででも行きたい?」
 「……どこまでもは行けねーよ、海にぶつかるじゃん」
 「……面白味のない男」
 しかし、しげはホントにどこまででも行き始める。
 「どこかで食事をするんじゃなかったのかよ」
 「するよ」
 そう言いながら、しげはどことも知れない夜道を、ただひたすら車を走らせる。……なんかあったのだろうか。
 冗談でなく、道に迷いそうになったので、「こっちに行かないと帰れなくなるぞ」と指示して道を修正するが、たまにこいつはこういうことやるんである。
 もともと対人恐怖の激しいしげである。フラストレーションが溜まることも多かろう。気晴らしに、いろいろつきあってやりたい思いに駆られることもあるが、現実にはそうもいかない。
 やはり私は私で「仕事」は大切なのだ。明日のことを考えずに、どこかにたまには出奔、というわけにはいかないのだ。
 「めしや丼」で食事。
 期間限定の「鶏鍋」が安いわりに美味い。

 帰宅して布団に潜りこみ、妻の思いに答えてやれない自分の不自由さを感じて落ちこむ。かと言って、「自由」な職業なんてないのだ。
 全く、正月そうそう、何で鬱になるか分らんな。

2001年01月02日(火) 眠い一日/ドラマ『不思議の国のアリス』ほか


2002年01月01日(火) ぬかるみとミッフィと腐れた餃子と/映画『スパイキッズ』/『降魔法輪』(さとうふみや)ほか

 え〜、数少ない読者のみなさま、新年明けましておめでとうございます。

 と言いつつ、これ書いてるの、もう十三日ですがな(^o^)。
 ほぼ2週間遅れにもかかわらず、灰色の脳細胞をフル回転させての記憶力再現日記(既に備忘録ではないな)、本年もよろしくお願いいたします。

 無差別テロで始まった21世紀も2年目に突入。
 こう、いかにも時代の節目を象徴するような事件が起きると、キリストさんが2000年前に生まれたってのもなんか信憑性があるような気がしてくるよねえ(ホントは数年ズレてるらしいけど)。
 しかし、1年って、経つのがはやいよ。ついこないだ、パソコンを扱い始めたばかりって感覚なのに。でも、去年の今もこうして日記をパチパチ打ってたのは間違いない事実なんである。
 劇団の宣伝日記のつもりで書き始めたのに、既にそんなフォーマットはどっかに消え失せている。じゃあ、今はどういう理由でこの日記書いてるのか、そのモチベーションはいったい何なのかってことなんだけれど、あまりその辺深く考えてもしかたない気がする。まあ、「男の意地」ってことにしとこう、とりあえずは。

 ふと気づいたが、去年の公演から数えてもほぼ1年が過ぎている。
 当初予定していた1年1本の上演ペースも、もうすっかり崩れた。
 十人ちょっとのメンバーがいながら、なかなか公演を連続して行えないのにはいろいろと原因はあるんだが、一つは私の脚本執筆の遅れもあろう。
 てことで、今年の抱負。
 シメキリまでに脚本は上げます。
 できなかったらしげにダイアモンドの指輪を買ってあげよう。
 とりあえずアイデアだけは10本でも20本でもあるからね。思いきりエロいのやってみたい気もするが、女性陣の反発食らっちゃうかなあ。


 元日の朝、まずは家中のカレンダーを張り替える。
 玄関の『クレヨンしんちゃん』は毎年の定位置、新顔の『あずまんが大王』は寝室。
 トイレには『エヴァ』に変わって『ヒカルの碁』だ。ファンが聞いたら「トイレに佐為様を!」とか怒るかもしれないが、別に佐為で○○○○するわけじゃなし。
 正月そうそう下品でスミマセン。(^^)ゞ
 コンビニで買ったミニ鏡餅をパソコンデスクの上に置く。パックなので、長持ちするのがいい。これだけでちょっとは正月気分になれる。

 しげを起こして、雑煮の代わりにカップ汁粉を食う。
 しげの偏食は雑煮嫌いにまで及んでいるので(何がイヤなのか分らない)、仕方なく「モチさえ食えりゃ」ということで妥協してるんである。

 年賀状の返事を書いて、それを出すついでに日吉神社まで初詣。
 毎年、初詣はたいてい深夜なのだが、今年はしげが爆睡していたので、昼かららになった。まあ、二度、三度、寝たり起きたりしながらウロチョロするよりはまとめて出かけた方がラクはラクだ。
 地元の小さな神社なので、そんなに混んでいない。
 車をどこに停めたらいいのやらと、案内表示に従って行ったが、駐車場らしいところはない。はてオカシイとよく見ると、やや傾斜になった木々の間の土手みたいなところに、何台かの車が停まっている。
 「ここに停めろって?」
 しげ、思わず素っ頓狂な声をあげるが、そこ以外に場所はない。
 恐る恐る車を進めて行くと、助手席に座っていてもなんだか車がズブズブと沈んで行くような感触が伝わってくる。地面が結構なぬかるみになっているのだ。……街外れの神社だし、日頃、車で人が来るようなところじゃないからなあ。もともと駐車場なんてないんだなあ。去年までは自転車で来ていたので、駐車場がないなんてことには気付かなかったのである。
 前に入ってた車が、ぬかるみにタイヤを取られて、往生しながら土手を上がって来て、出口から出て行く。反対にウチの車はぬかるみにハマるように下降して行く。こんなところに停めて、帰りは出られるのかと心配になるが、後ろからも車が来ているので、もうあと戻りはできない。

 ようやっとのことで車を停めて、境内に向かう。
 土手から本殿は目と鼻の先なので、鳥居も潜らず賽銭箱の前まで行けてしまう。さすがにそれはマズかろうと逆戻りして手洗い。しげはちょっと水をつけただけであとは手を拭こうともしない。冷たいのがどうもイヤらしいが、一応こういうのは礼儀なんだがなあ。
 参拝しようとサイフの中からお賽銭を探すが、小銭が3円と、あとは5百円玉しかない。いつもはけち臭く、百円玉くらいしか入れないのだが、今年はうっかりして十円玉すら切らしていた。
 しげに「小銭ない?」と聞いたら、これまた偶然しげも持ってない。
 「しょうがないなあ。500円2枚、入れようか?」と言ったら、しげが血相を変えて無言で首を横に振る。
 「……じゃあ、3円?」
 しげ、ニッコリ笑って首をたてに振る。
 ……ちょっと神様に悪い気もしたが、結局、今年のウチのお賽銭は、しげが1円、私が2円。さあ、ご利益はあるのか、これで。

 二人で御神籤を引いたら、しげは末吉、私は吉。……え〜っと、どっちがいいんだったか忘れた。まあ、吉が出たからって、それなりにトラブルのなかった年はないんで、所詮は気分の問題。日頃、宗教嫌いを標榜してる私が、初詣だけは曲がりなりにも毎年ちゃんとやってるのは、そうやって自己暗示をかけるためなんだよね。
 今年の札と破魔矢を買って帰る。
 実は去年のも一昨年のも買って、焼かずに取っている。年が改まったんだからそういうのはよくない、とおっしゃる方もおられようが、だから私ゃ、信心で初詣してるんじゃないんだってば。一昨年から思い立って、十二支の絵馬を記念にそろえようと思ったのよ。
 帰りのぬかるみは、ちょっとてこずったけれど、タイヤを新しく替えてたおかげか、なんとか土手をかけあがることができた。 

 そのまま映画を見にキャナルシティに向かう。
 正月で、道は車の姿もほとんどない。日頃はやっぱり仕事の車ばかり通ってるってことなんだよなあ。それでもキャナルシティに着いてみると、駐車場は満杯に近い。車が道を通ってないのに駐車場にだけは続々車が入ってくるってのはどういう現象なんだ。辻褄が合わんぞ。

 キャナルシティは元日から初売り。
 毎年買ってるミッフィの福袋、今年もしげが目をキラキラ輝かせて「いちまんえんのを買う」と張りきっている。
 もう昼をだいぶ回っていたので、売りきれていないか心配していたが、長引く不況のせいか、昨年は今の時間帯では残り5個くらいしかなかったのに、今日は20個以上余っている。
 中の品は表書きされているので(最近の福袋は親切だ)、しげ、どれを選ぶか迷う。いくら待っても決められないので、待ちきれなくて、向かいのゲームコーナーに行って時間をつぶす。QOOのサラダボールを2個ゲット。これが今年のゲーム初めか。

 ようやく毛布入りの福袋を買って、いったん荷物を駐車場の車に入れる。ああ、去年まで荷物を持ってヨタヨタひいこらうろついてたのに比べるとなんとラクなことか。みんなマイカーを欲しがるわけだよ。
 時間を調べてみると、映画までまだ間がある。
 ラ・ブーンにはオープンキッチンがあって、マクドナルドや弁当屋、お好み焼き屋、洋食屋、丼もの屋など、10店ほどの店が並んでいて、どこの店からでも注文できるようになっている。
 まだ食べたことのないある店で、カツ丼と餃子を頼むが、ここの餃子がえらくまずい。皮は固いだけだわ、肉は生煮えだわ、あとはただただ油っこいだけ。かと言って捨てるわけにも行かず、つい口直しに別の店でタコ焼きを頼む。
 美味いけれど、またこれでちとばかし太ったかも。


 映画は『スパイキッズ』。
 元旦で千円だから、多少、出来が悪くても余り損した気分にならずにすむぞ(^^)。
 まあ、スパイ同士で結婚したおとっつぁんとおっかさんの危機を子供たちが救うっちゅう、それだけの映画で、仕掛けはたいてい読めるから、あまり興味もなかったんだけれど(『シュレック』もそうだったんだけどね)、しげが見たがったんで見ることにしたのだ。
 企画自体がバカ映画なんだし、筋立てについてどうこう文句言う作品じゃないってことは重々承知しちゃいるんだけれど、それでもやっぱり、設定が安易だし、詰めが甘いってことは言いたくなっちゃうんだよねえ。
 かつてはスパイであったことを両親が隠している、ってのはもちろん定石なんで文句はない。
 ママが寝物語としてパパとの馴れ初めなんかを話すんだけれど、娘も息子もそんなのママの作り話だろう、と信じようとしない。問題はそこからで、だったらその「昔語」はとことん荒唐無稽でないとギャグとして機能しないんだよ。それこそOO7を凌駕するくらいでないとねえ。
 結婚式の最中に襲われて、二人で崖下にハート型のパラシュートで飛び降りる、程度じゃ「冒険」とは言わないよ。ミサイル基地を一つ大爆発させるくらいのことはしなきゃ。
 それに、「パパとママがもとスパイだなんて信じられない」、なんて話にするんなら、パパがアントニオ・バンデラスでママがカーラ・グギノなんて美男美女じゃまずいだろう。もっとブサイクで情けないキャストにしなきゃ。つーか、コメディアンの方が絶対にハマる。それこそダン・エイクロイドやスティーブ・マーティン、ビル・マーレイとかが演じた方が、ずっとカッコイイぞ。
 マイク・マイヤーズが『オースティン・パワーズ』でそのセンを狙ったんだから、そういう企画も考えられたと思うんだがなあ。
 まあ、それでもその辺はたいした傷じゃないんだけど、ともかく主役の二人の子供が全く冴えないし可愛くないってのが一番の問題かな。ホントに何の個性もないただの子供なんだもの。

 主役陣が軒並みダメダメなんだけれど、困ったことにまるで反作用のように脇役陣が最高にいいんだよねー。
 敵ボスのフループを演じるアラン・カミング、このキャラクターがもう、思いっきりキテて、モロ私の好みである。
 ホントは悪の組織のボスで発明家なんだけど、一応、表の顔はテレビの子供向けファンタジー番組のホストってことになってる。このショー自体がまた、むちゃくちゃサイケでグロなんだよね。なんたって、出てくるキャラが実はみんな悪の組織の改造人間なんだから。まあ、ショッカーがそのまんまテレビショーをやって正体をカモフラージュしてると思ってもらえればいいかな。……って、カモフラージュできるんかい(^_^;)。番組のテーマソングがなんとダニー・エルフマン! 道理で『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』ソックリのスコアだと思った。
 このフループ、世界征服が本職なのに、カモフラージュのはずの自分のショーを面白くすることの方に興味が行っちゃってる本末転倒野郎。「何がボクの番組に足りないの?」なんてオカマっぽく嘆いてるものだから、ナンバー2のミニオン(『ギャラクシー・クエスト』でタコ宇宙人と絡んだトニー・シャルーブ!)はいつもヤキモキ。欲を言えばこのへんの二人のやりとりがもっと漫才チックになってくれた方がよかったかな。
 更に、敵の女スパイに『新スーパーマン』『トゥモロー・ネバー・ダイ』のテリー・ハッチャー。彼女は後半、アッと驚く「変身」を見せてくれる。……美人は何やってもトクだねえ。
 そして黒幕の大富豪、ミスター・リスプにいい加減『T2』のT−2000と言われるのはイヤだろうロバート・パトリック。シワも増えて、苦みばしったイイ中年になったねえ。
 残念ながら、この脇役陣、次回作の『スパイキッズ2』には誰も出演しないらしいんである。代わりにリカルド・モンタルバンが出るらしいけれど、もう『カーンの逆襲」の時ですら顔がシワだらけだったし、悪役としてはちょっと弱くないかなあ。もしかしたらまだムネはモアマッチョなのかもしれないが(^o^)。

 しげ、見終わって「やっぱりバンデラスはラテンでいい」なんて言ってる。
 結構気に入ったみたいだけど、この程度の設定ならあかほりさとるでも書けるぞ。日頃から「中途半端に面白いのは嫌い」とか言ってるくせに、まさしく中途半端な『スパイキッズ』がよくて、どうしてあかほりは許せないのか。
 ちょっと偏ってるぞ、しげ。 


 帰るとしげ、早速、ミッフィ袋を空けようとするが、セロテープが貼ってあって、うまく剥がれない。
 しげが愛玩するように私を見る。こういう時のしげの目はマジでエサを求めるウサギのようだ。
 「お願い、剥がして?(はあと)」
 ミッフィの袋だから、外側も当然ミッフィ印である。
 テープをきれいに剥がせばまたバッグとして使えるのである。けど、どうしてそれを私にまかそうとするかな。こういう几帳面な作業は全部私に回されるのだが、実際、それを拒否してしげにさせると必ず失敗するのである。
 不器用にもホドがあるんじゃないか。
 きれいに剥がしてやると、ニコニコして喜ぶ。
 ……いいよなあ、年中アタマん中が盆と正月なヤツは。
 
 
 夜、友達何人かと電話で元日の挨拶。
 地元の友人が少ないので、ウチに年始回りはない。
 私はここんとこ気分は浮いたり沈んだりだが、みんなはそれぞれ元気なよう。
 今年も世界的に事件はいくら起きてもいいけれど、私と私の関係者には累が及びませんように。


 コミックス『Bstreet(ビィストリート)』vol.7(幻冬社・998円)。
 情報に疎くて気がつかなかったのだが、ソニー・マガジンズはコミック戦略から撤退してたんだな。
 スコラ→ソニー→幻冬社と慌しいが、出版元や版型が変わるたびに『退魔針』買い直してるこっちの身にもなってみい。
 ってことは、買い損なってた『Bstreet』のvol.5も絶版か。うひゃあ、早いとこ古本屋探さなきゃ。
 ミステリマンガ専門のこの雑誌式コミックス、今回からの新連載は桑田乃梨子さんの『888(スリーエイト)』。
 ささやかではあるけれど一応「本格ミステリ」にしてるあたり、桑田さんの誠実さを感じる。こういう同テーマのアンソロジー雑誌の場合、他者との差別化を測って搦め手やSFミステリを書いたりするのは結局「逃げ」になっちゃうからねえ。てっきりギャグだと思ってたら、それが伏線だったってのはウマイよなあ。ミステリの礼儀でその中身をここに書けないのは残念だけども。


 コミックス『コミックエンゼルズ』(幸福の科学出版・683円)。
 正月そうそう何読んでんだって感じだが、“裏”モノ会議室でも話題になった、『金田一少年の事件簿』のさとうふみや描く『降魔法輪』が載ってるのがこの本。
 福岡じゃどこの本屋にも置いてなかったんで、やっぱこういうのは通販ででもない限り買えないのかなと思ってたら、しっかりジュンク堂で平積みになってたよ。ううむ、まさしく「質より量」ってか、恐るべしジュンク堂。

 で、読んでみたけど、やっぱりやってたよ、「エル・カンターレ・ファイト!」。
 ぶわははははははは(^▽^)。
 まあ、なんちゅーか、マンガとしてはよくある悪霊退治モノで、別にさとうさんがなんたらを信仰してようがしてなかろうが、気にせずに読めば『マガジン』に載ってたって全然おかしくないマンガなんだよねえ。
 実際、この、悪霊を退治する掛け声(?)のところ以外には、大川隆法を暗示させるようなところはほとんどない。これって多分、オウムが作ってたアニメやマンガが、自分とこの教義を説明することよりも、教祖の麻原彰晃のカリスマ性を前面に押し出して胡散臭くなってたんで、それとの差別化を図ろうとした結果じゃなかろうか。
 それまで一所懸命、オカルトではあるけれどもインチキっぽくない体裁を整えていたのに、キメんところで「これくらいはいいかな?」と出しちゃったって感じかな。
 さとうさんも随分絵がうまくなったし、女の子キャラなんか、今やってる『探偵学園Q』よりずっと可愛いんだけど、これはさすがにシリーズ化されまいなあ。続きが読んでみたい気はするけど。
 一応アンソロジー集なんで、ほかにも冒険ものや恋愛もののマンガ(でも悩みは全部オカルトで解決!)が載ってんだけど、もう同人誌以下のレベルでハシにも棒にもかからない。話のタネだけにこんなマンガ買ってんじゃね〜よって、ちょっとだけ思う(^^*)。


 マンガ、奥田ひとし『新天地無用! 魎皇鬼』2巻(角川書店・588円)。
 表紙の魎呼、えらく巨乳になってるな。まあ、嫌いじゃないが(^^)。
 『天地無用!』シリーズも長いよなあ。最初のOVAから数えたらもう十年にならんか。
 てっきりこないだの劇場版『天地無用! in LOVE2 〜遙かなる想い〜』で終わったと思ってたら、OVAシリーズとテレビシリーズ&劇場版は設定が違うので、OVAシリーズの方はまだ完結してないってことなようだ。
 このコミック版はOVA版に依拠しているので、今度の新シリーズテレビアニメ『天地無用! GXP』(旧キャラは登場しないらしい)と、OVA第3期発売予定に合わせて、またもやのメディアミックスとして、新シリーズが再開してるんだけど、まだファンが付いてるのかなあ。
 今更もう、あまり話題になってないような気がするんだけど(だったらこうやってコミックス買ってるのはなぜだよ)。
 まあ、私は「マッド・サイエンティストもの」としてこの『天地無用!』を気に入っているので(つまりは鷲羽のファンなのよ)、今回みたいに「ブラック鷲羽」が登場して、もしかしたら、ちょっとうっかり地球ふっ飛ばしちゃうかも(はあと)、みたいな展開は大好きだ(^o^)。久方ぶりの神我人の登場(回想シーンだけど)、となれば、まあ、ネタは『パトレイバー劇場版』だなと知れるけれど、結末にアイデアを凝らしてくれりゃ多少のパクリについては文句はない。
 ああ、でもさすがにOVAまではもう買いません。完結ったって、もう、どこで完結したって別に構わないって感じになっちゃってるから。

2001年01月01日(月) 2001年元旦スペシャル



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藤原敬之(ふじわら・けいし)