無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年02月28日(木) つっよいっぞガ〜メ〜ラ〜/『モーツァルトは子守唄を歌わない』2巻(森雅裕・有栖川るい)ほか

 今朝の新聞記事より。
 『ジュラシック・パーク』と安達祐実で有名な(^o^)暴君竜(昔ながらの恐竜ファンにはこの通称じゃなくちゃねえ)ティラノサウルスが、実は走ることができなかった、とする分析結果が『ネイチャー』に発表されたとか。
 要するに6トンと試算される全体重を支えて走るだけの脚の筋肉がなかったということなんだな。
 『ネイチャー』に載る論文は必ずしもマトモなものばかりでなく、トンデモ系のやつも多いって話を聞いたことあるけど、記事を見る限り、これはまあ信頼できる研究結果じゃないのかな。
 少なくとも、その「証明方法」が、科学にゃドシロウトの我々にもわかりやすい、ごく簡単なリクツで説明されてるからだ。

 今回の研究の中心になったのは、カリフォルニア大学バークリー校の大学院生、ジョン・ハッチンソンという人だそうだ。
 骨格や筋肉と動きの研究をもとに、動物が走るために必要な脚の伸縮筋の量を計算するモデルを作ったところ、ワニは片脚につき体重の7.7%以上の筋肉が必要だが、実際にはその筋肉が3.6%しかなく、結果として走ることができない。それに比べて、ニワトリは4.7%の筋肉が必要であるのに対して実際には8.8%あり、走ることができる、というように実際の事例とよく適合したんだと。
 ところが、これをティラノサウルスに当てはめると、片脚につき体重の43%、両脚では86%の筋肉が必要になってしまう。全身の86%を脚の筋肉が占めるなんてことはまずありえないわな。筋肉大移動でもせんかぎり(c.『3年奇面組』)。走れて時速40キロが限度なんだと。
 んじゃ、走れなかったら草食恐竜捕まえて食えないじゃん、ということになりそうだが、他の恐竜たちはもっと遅いので大丈夫なんだそうな(^o^)。

 しかし、そうなるとだよ、これまで「Tレックスは時速70キロで走れた」って言ってた科学者たちは、何を根拠にンなこと言ってたんだろうね?
 いや、昔から「恐竜は自重を支えきれなかったから滅んだ」って説は結構耳にしてたぞ。あえてそういう説も無視して恐竜を「走らせた」のは誰のどういう思惑があってのことなんだろうか。
 昔は直立型が多かった恐竜の骨格標本、あれがいつの間にやら、例の尻尾でバランスを取るような前傾姿勢に変えられて行ったのも、その方が「走るのに適している」と判断されたからだろう。更に言えば「恐竜恒温動物説」だってそうだ。
 まあ、恐竜の姿勢は他の動物との骨格の比較から考えても、まだ前傾姿勢のほうが自然かもしれないが、「恐竜が走れなかった」とすれば少なくとも「恒温動物説」は揺らいじゃうんじゃないか。ましてや「羽毛があった」とする説に至っては。

 私ゃ文系ど真ん中の人間だから、理系の人たちに対して多少失礼な憶測をしているのかもしれないけどね、科学者が本当に「論理的な思考の持ち主」かっていうと、違うんじゃないかなあって思うこと多いんだよね。大槻教授見ててもそう思うし。タトエが悪いか。
 けれど実感として思うのだ、私は高校時代、体重は58キロだったが今は8×キロだ。……マジで、体動かくなってるんだよ〜(T∇T)。
 ましてや恐竜だ。
 私のイメージの中には、もともと素早く走る恐竜ってのが全然イメージに無かった。『ジュラシック・パーク』を最初に見たときも、あのティラノの「素早さ」が、まったく「重量感」を感じさせてくれなかったから、幻滅してたのだ。どこがリアルなんだよ、この非現実的な特撮がって思ってて。
 思うに、科学者たちはある意味、文系の人間よりもよっぽどロマンチストなところがあるのじゃなかろうか。やっぱり、ティラノには猛スピードで疾駆してほしい、そういう「願望」が、現実を見ることから目を背けさせてる面がなかったかどうか。例のピルトダウン原人騒動だって、その「願望」で目が曇ってさえいなけりゃ、ドーソンの死亡以前にあの頭蓋骨がニセモノだって気付かれてたんじゃないかな。近くはわが国での旧石器捏造事件だってそうだ。
 「騙されやすい人」って、結局は自分自身に「騙されたがってる」ところがあるから騙されちゃうんだよね。我々は夢を見たがる。だからその夢をちょっとでも叶えてくれそうな言説には簡単に飛びつきやすい。けれど、すぐ覚める夢に取りついてもしょうがない、と考えるのが本当の理性なんじゃないかなって思うんである。


 アニメ『七人のナナ』第8話「英語で告白!家庭教師をやっつけろ?」。
 まあ、なんつーかねー、「日本語のヘンな外人の女の子」ですかあ。
 今川監督〜、今更こんなべったべたな定番やっちゃうんですかあ〜。
 で、カウボーイスタイルだし。
 なつかしのスパゲッティ・ジェーン(『ハレンチ学園』)を思い出しちゃいましたね。脱いでないけど。
 ヘンな大阪弁喋ってるし。
 レギュラーになるんじゃなくて一回きりのゲストだったからまだよかったけど、これ、ずっと出てくるんだったら見るの辛かったろうなあ。

 母から届いたエアメール。
 その手紙には、母が、知り合いの女性にナナの英語の家庭教師を頼んだという衝撃の事実が! そのヘンな関西弁を喋る家庭教師・メロディーの滞在期間は一週間。果たしてその間、ナナたちは分裂してしまったことをメロディーに隠しとおせるのか……。

 いや、できないんですけどね(^^)。
 でも、今回の話でようやくシリーズの流れが見えてきたなあ。
 つまりこれ、かわいい女の子キャラを使って、『セロ弾きのゴーシュ』をやりたいんだね。七人のナナが経験したことが、今はそうと気づかないけど、結局、本人のためになるっていう教育的なお話。
 ……ちょっと興味が減退しちゃったな。ネタが割れちゃうと。
 まあ、でも一番好きなナナさま(メガネっ娘)のエピソードをまだ見てないし、もちっと続けて見てみよう。

 そういえば本編とは関係ないが、「ポトリス」のCM、「あなたのポトリスが目覚める」って言って、子供の半ズボンの股間をアップにするってトンデモナイやつだったんだが、以前はそのジッパーの間からポトリスがはみ出てるって絵だったのに、最近はそれがなくなっている。……何ぞクレームがついたんだったらやだなあ。これくらいのギャグ、笑って見過ごせってば。


 昨日あたりからまたしげが「スシ食いてぇ」とうるさかったので、近所のマリンポリスでたらふく食う。
 ここの店にはなぜか出入り口にアメのキャッチャーがあるんだが、焼肉ならともかく、どうしてスシに? やっぱり生臭いんだろうかとか考えながら、100円で10個ほど取る。
 しげに一つあげようとしたけど欲しがらない。
 こういうのも「ちょっとした愛情」ってやつなんだが、鈍感なしげは全然気がつかないのであった。
 

 しげが買ってきたプレステ2のゲーム、『いただきストリート3』を二人でやる。
 モノポリーと双六をコキ混ぜたようなものなんだけど、カジノのコマがあって、9枚のカードをめくると1から9までの点数が出てくる仕掛けになっている。といってもめくれるのは3枚だけ。
 で、私が3枚めくったら7、8、9だった。
 しげがいきなり怒って「あんたインチキしたね!」。
 いや、どうやって……(ーー;)。
 ゲームやってると必ずこういう難癖つけるのやめろよ、しげ。
 結局勝ったのはしげなのに、ふてくされて寝てしまったのであった。


 先日UFOキャッチャーで取ってきたソフビのガメラ、ようやく組み立ててどこに飾ろうかと思案してたんだけど、ちょっといい場所がなくて、枕元に置いておいた。
 そいでもって、日記でもつけようとパソコンに向かってパコパコやっていた。
 突然、寝室から異様な声が。
 「はなあああああああああ!」
 なんだと思って覗いてみたら、ガメラがひっくり返って倒れている。
 しげは布団を引っかぶってて下半身がまる見え。
 絵に描いたような「頭隠して」なんとやらだ。
 どうやらしげがふと目を覚まして、目の前にガメラがあったんでびっくりしたらしい。ガメラが倒れてるのは突き飛ばしたかどうかしたんだろう。
 「おい、どうした?」
 声をかけたけれど反応がない。
 てっきり飛び起きたのかと思ったのにどうしたんだろうと近寄ってみると。
 「……グー……」
 寝てるし(ーー;)。
 つーか、イビキまで掻いてるし。
 これじゃ、びっくりして気絶するマンガのキャラそのまんまや。
 ……驚いたんなら目ぇくらい覚ませや。 


 マンガ、青山剛昌『名探偵コナン』36巻(小学館・410円)。
 あ〜、いつもいつも穴だらけのミステリ、ありがとうございます。
 ……シナリオライターつけろよ、大概で。
 今でもある程度トリックのブレーンなんかはいるみたいだけど、トリックのためのトリックに堕してるぞ。いくら少年マンガだからって、人間描写ってのは必要だろう。
 いっぺん、『コナン』のどこがどうヒドイか、事細かに全部解説してやりたい気になるんだがなあ。ミステリのルール守ってたらそれもできないしなあ。
 渚のトリックは時間が経てばすぐにバレるものだし、犯人が途中で罪の意識に駆られながらなおかつ連続殺人を試みる心理も理解しがたい。
 物理的にも心理的にも成立しようがないのだ。こんなあんぽんたんなトリックをみんなホントにおもしろがって読んでるのか? ……やっぱ、ただのキャラ人気なんだろうなあ。
 青山さん、絵柄に個性はあるんだけどさあ、肝心のキュラクターの描写力がないんだよねえ。松田陣平? このいかにも松田優作と陣内孝典を足して2で割ったみたいなキャラ出して、恥ずかしくないか。今までにどれだけのマンガ家がそれやってきたと思う? マンガが安っぽくなるだけだよ。


 マンガ、森雅裕原作・有栖川るい作画『モーツァルトは子守唄を歌わない』2巻(エニックス・580円)。
 ああ、『コナン』のあとでこんな上質のミステリを読むと心が洗われるナァ。
 いや、マジでね。
 もっとも、作中の暗号は楽譜にアルファベットを組み合わせたものだったんで、どうやって解いたらいいか見当もつかなかったけど(ーー;)。日本人の読者相手にそりゃちょっとヒキョーってもんだろう。
 モーツァルトと来ればサリエリ、というのはピーター・シェイファーの『アマデウス』以来の定番になっちゃったけど、今巻でもサリエリ、モーツァルトの死の謎を探るベートーヴェンを裏から妨害する。
 黒幕と見せかけて実は、という展開なのかそれともストレートに怪しいのか。こういう時代ミステリは、有名人をキャラとして使える分、無理にキャラを作りこまなくても、「ああ、こいつは怪しいぞ」と勝手に読者が思いこんでくれる利点があるのだけれど、言い返れば、それをどうひっくり返して意表をつくかってのも作者の技量にまかされている。
 しかし、今んとこ、探偵ベートーヴェンに退行できるだけの際立ったキャラってのが登場してきてないんだよなあ。だからと言って、これで「モーツァルトは自殺だった」みたいなオチだったらつまらないんだけど。
 チェルニーもただベートーヴェンに突っ込むだけじゃなくてもう一つ二つは「企んで」ほしいもんである。

2001年02月28日(水) せんと・おぶ・うーまん/『妖怪馬鹿』(京極夏彦・多田克己ほか)


2002年02月27日(水) さらばウルトラマン/『よろずお直し業』(草上仁)/『クロノアイズ』5巻(長谷川裕一)ほか

 『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の怪獣デザインで知られる成田亨氏が、26日午前9時半、多発性脳梗塞のため死去。享年72歳。
 ……もう、そんなお歳だったのだなあ。
 「ウルトラマン」という伝説を作ったのは脚本家の金城哲夫さんだったとしても、昭和40年代、子供だった私たちに「目に見える形」、即ちデザインとしてのヒーロー、怪獣のイメージを一変させる作品を生み出していったのが成田さんだったのだ。
 前にも書いたことあるような気がするが、成田さんや池谷仙克さんが数多くの怪獣、宇宙人のデザインを残してくれたおかげで、私たちの世代は「スター・ウォーズ・ショック」に会わずにすんだ。
 あれだけすばらしいデザインの数々に出会ってると、スターウォーズの世界なんてダサイとしか思えないもんね。ジャージャー・ビンクスなんてガンダーのパクリじゃないのか。しかも更にカッコ悪くなってるし。
 いたしかたのないことかもしれないが、ウルトラシリーズが続けば続くほど、独創的な怪獣デザインというものも減ってくる。しかし、それが必ずしもたいていのパターンが考えつくされたということではなく、デザイナーの才能と努力の差によるところも大きいのではないかという気がしてならない。
 ウルトラマンショップのソフビなどを見ても思うが、かつての作品をリメイクした新怪獣のデザインより、旧シリーズの怪獣の方がパッと目立つのである。
 クール星人にしろゴドラ星人にしろペガッサ星人にしろビラ星人にしろチブル星人にしろ、どこをどう捻り出したらあんなデザインを考えつけるものかね。「人が中に入る」ことを前提としない宇宙人も数多くデザインしているのだ、成田さんは。
 70年大阪万博の、太陽の塔内部の「生命の樹」のデザインも成田さんだったのだね。するとあれは、岡本太郎の皮を被った成田亨だったわけか。すげえ組み合わせだね。
 10代、20代の人にとっては、生まれる前のことなんて全て「歴史」でしかないのだろう。けれど、我々昭和30年代生まれにとっては、ウルトラマンも万博はついこの間の出来事だ。なのに、それがはるか昔のことのように言われてしまうことが多いのは、淋しくて仕方がない。
 その当時活躍していた人の死は、もはや過去は元には戻せないという現実を、否応なしに私たちにつきつけてくる。……ウルトラマンコスモスのバルタン星人は、やはり旧ウルトラマンのバルタン星人とは似て非なるものだった。言葉でうまく言い表すことができないのがもどかしいが、新作のバルタンは、結局は中に人が入った「ぬいぐるみ」に過ぎないのである。
 昔のもそうだろう、なんていう声も聞こえてきそうだが、そんなことはない。たとえヒューマノイドタイプの宇宙人であっても、中に人が入っているとは思えない……それが成田さんのデザインのすばらしさだったと思う。
 合掌。


 体調はやや回復してきたものの、半日、仕事していると、どっと疲れが。
 のどアメ舐めても舐めても咳が止まらないのよ、これが。
 実はなあ、もうちょっとしたらシャレにならないくらい忙しくなることがわかってるからなあ、こりゃ、今日は休んでその日に備えないとなあ、ということで有給取る。
 でももうこれ以上は休まないぞ。
 帰宅したらいつものようにしげは寝ている。
 けど今日は迎えのために起きる必要はないから楽じゃないかな。
 私もグデンと夕方まで寝る(そりゃ酒飲んだあとの擬態語だ)。


 シティボーイズのきたろうさんのHP、「PINKY YELLOW」にようやく次回公演の告知が載る。
 今回のタイトルは『パパ・センプリチータ』。
 いつもながらシティボーイズのタイトルセンスってすごくいい。意味不明なとこがだけど(^^)。
 きたろうさんの解説がまた振るってる。
 「パパは意味はないですが、
  センプリチータは意味がありそう。
  調べてみてください。
  調べたらがっかりします。」
 どこで調べるの、これ(^_^;)。
 「センプリ」と聞くとどうしてもモンティ・パイソンのギャグ、「センプリニ」を思い出しちゃうんだけど、あれはたしかグレアム・チャップマンのデタラメ造語のはずだ。タモリのハナモゲラ語みたいなもんね(もう誰も覚えてないか)。
 「チータ」ってのは水前寺清子か。昔、テレビドラマ『ありがとう』を見てたころは、水前寺清子が私の美人の基準だったなあ。
 いやまあ、そんな思い出話はどうでもいいのだが(+_+)。
 残念ながら今回の公演、いとうせいこうさんは出演しないが、代わりに出演されるのが、『ポケモン』のニャース、『マンキン』のまん太の声などでお馴染み、犬山犬子さん。もちろんもともと舞台の役者さんである。テレビドラマでも『ケイゾク』なんかに出てたからご存知の方も多かろうが、実はシティボーイズの前身、「ラジカルガジベリビンバシステム」の時代にも共演されていたのだ。
 きたろうさんのコメントは続く。
 「今まさに、外務大臣を筆頭に女性の時代だなという観があります。
  そこで犬山さんがゲスト。
  セクハラとか下ネタをいっぱいやりたい感じです。」
 いいなあ、セクハラ(^^)。
 でも犬山さんのご尊顔をご存知の方はお解りだろうが、セクハラのイメージとはちょっと結び付かないんだけれども(失礼)。
 けれど、これはもう、WOWOWで放送されるときにはP音で不適切用語が消えまくることは確実そうだ。
 やっぱりナマで見なきゃなあ。
 

 アニメ『ヒカルの碁』第二十局「プロへの道」。
 うーん、止め絵がまたちょっと増えてきたかな。
 けど一枚絵としての密度はそうは落ちてないので、不満を感じるほどではない。派手に動かすアニメじゃなくて、日常の描写を積み重ねることが主眼だから、作画枚数を抑えても微妙な表情を描くことができれば充分OKだろう。
 第1話のころに感じてた原作の絵との乖離もあまり感じなくなってきたし。
 声優の大仰なアニメ発声も聞き慣れてきて、以前ほどにはシツコイとは感じなくなってきたんだけれども、それでもヒカルと岸本のやりとりはちょっとクサクて閉口した。岸本役の櫻井孝宏さん、009を演じてるときは作画自体が派手だから気にならないんだけど、こういう静謐なキャラだと、どんなに抑えて声アテてても、妙にキザったらしくしか聞こえないんだよなあ。
 で、ヒカルの川上さんがいつもの能天気なウテナ声だから、もうなんか噛み合ってなくてねえ。アタマの中で一所懸命声を原作のイメージに近い形に修正して見てるんだけど、そこまでして楽しまないといけないのか(^_^;)。
 ともかくいよいよプロ試験編っつーか、「院生編」に突入だ。
 今んとこまだ出て来てないけど、越智の声は誰がやるのかなあ。私のイメージじゃ、田中真弓がピタッと来てるんでほかの声が思いつかないんだけど、ルフィで忙しいから無理かな。
 
 
 昨日に引き続き、今日もガストで食事。
 もちろん目当てはドリンクバーのアイスココアである。シツコクない甘さがいいわ、これ。
 しげは「たしか前食べた時、おいしかったよね」と言って、小エビのフリッターをオードブル(って大層なもんじゃないけどよ)に注文。
 前に私が注文して、少し分けてあげたので、やみつきになったらしい。中華料理屋の小エビのチリソースなどは、ムキエビをそのまま調理してあって、食感がプリプリしてるけれど、ここのは腹を裂いてヒラキにしてある。プリプリ感は失われるけれど、小エビのわりに大きい、という印象になるのだね。塩胡椒もそう利きすぎているほどではなく、酒のツマミには最適だろう。やみつきになるほどのものではないようにも思うが。
 小エビだのアイスココアだの、こんな程度のものでも何となくシアワセ気分になれるのだから、夫婦揃って安上がりっつーか、小市民なんである。
 しげ、よっぽど美味しいのか、いつもは遠慮がちにでも「分けてあげようか?」と言うのに、今日は黙々と食い続ける。メインディッシュのハンバーグもペロリと平らげる。
 私は自分の頼んだオムライスシチューを少し分けてあげたのだが、こちらはしげの好みではなかったと見え、いつもなら「もうひと匙」と、二口目を食べるのに食べない。確かにちょっと油っこくてしつこい味ではあったが、でも別に腐ってるわけじゃないのになあ。
 小市民のくせにこのあたりのスキキライはゼイタクである。
 こういうスキキライさえなけりゃ、しげのために料理作ってやるのもイヤじゃないんだけど。


 食事帰りにセガワールドに寄ったが、調子が悪くてUFOキャッチャー、全く取れない。ほんのちょっとしたタイミングを逃すと、取れるものも取れないしなあ。気がつくと千円つぎこんでたので止める。
 このヘンで止めちゃうのが小心者なとこだが、別に私ゃギャンブラーじゃないのでこれでいいのだ。


 マンガ、長谷川裕一『クロノアイズ』5巻(講談社・560円)。
 クロノアイズのメンバーの中で、唯一、まだ正体がわかっていなかった野性のエルザ(^o^)、実はミトコンドリア・イブであったことが判明。
 でもこの「ミトコンドリア・イブ」っての、私ゃガセっぽいと思うんだけどなあ。アフリカ人の女性って言ってたのもなんかあとで違ってるかもって、説が揺れ動いたみたいだし。第一、ミトコンドリアがパラサイトだって説だってまだ仮説の段階でしょ?
 長谷川さん、前の「毛皮の生えた恐竜」の時もそうだったけど、ちょっと新説を取り入れるのにせっかちなところがあるんだよなあ。でも、「あとで恥かいても、今、この説が新しくてオモシロイからマンガに描く!」という前向きな姿勢は好きだな。
 で……。
 主役が死にました(^_^;)。
 けど、なんたって作者が前向きな長谷川さんだからなあ。
 絶対助かるよなあ。
 たとえタイムパラドックスありまくりの設定になっちゃったとしても(^^)。今、臆面もなく「ヒーローは勝つ!」と言いきるマンガが描けるのは長谷川さんと島本和彦くらいのものだと思う。
 ……でも、二人とも女性のヌード描くとき、貧乳にする共通点があるのはなぜなんだろうな(^^*)。 
 

 草上仁『よろずお直し業』(徳間デュエル文庫・530円)。
 日本のフレドリック・ブラウン、草上さんの連作短編集。英語タイトルがついてて、『MAGICAL Mr.Fix−It』とあるんだけど、こっちのタイトルで売ったほうが売れるんじゃないか(^^)。
 デビュー当時のような、一読三嘆、これぞSF!と、読むものみな随喜の涙を流したという(ホントかよ)溢れる才気は薄まったものの、それでもSFの神髄を感じさせてくれる数少ない作家の一人が草上さんだ。
 目に見えない「命のネジ」を回し、「時を戻す」ことで、一度壊れたものを元の姿に戻す特殊能力を持つサバロ。
 彼のところには、思い出の彫刻や、名酒の壷や、恋人からの手紙など、「元に戻るはずのない」ものを復元してほしい、と願う依頼者がひっきりなしに訪れる。……あ〜、あれだね、『ドラえもん』の「タイム風呂敷」。あれのネタそのまんまだ。
 それはそれで、先行するアイデアがあったからって、小説として出来が悪くなきゃそれは構わないことなんだけど、ちょっとラストがなあ……。
 「あなたが直して来たのはモノじゃないわ、人と人の絆よ」って、登場人物の口から直接言わせるのは、いくらなんでもクサイし恥ずかしいよ〜。
 それって、言われなくても解りきった事実じゃない? そんなんただの「説明」にしかなってないよ、小説家が一番やっちゃいけない手だ。昔の草上さんならこんな安易な結末は作らなかったのに、40代半ばを過ぎてついに才能が枯渇したのかなあ。
 ちょっとした文章の匙加減の失敗で、感動を呼びそこなうことって、現実にあるのだ。最初の1、2話が面白かっただけに、惜しいなあ。惜しすぎるぞ。

2001年02月27日(火) 毛の話/『オトナでよかった!』(唐沢よしこ・唐沢なをき)


2002年02月26日(火) 伝統と革命の間/『蟲師』2巻(漆原友紀)ほか

 岡田斗司夫さんのホームページ「OTAKING SPACE PORT」の巻頭言に、歌舞伎についての書きこみがあったが、それがチョイと気になる内容であった。
 唐沢俊一さんが2月24日の裏モノ日記に、「岡田斗司夫氏は要するに、才能というものは遺伝するものではない(こぶ平を見ればわかる)から、ただ血がつながっているということだけで家元だの名門だのといって御曹子たちをもてはやすことが伝統芸能の衰退を招いている、と主張していた」、と書かれていたのを受けての発言である。

 「唐沢さん、僕は『歌舞伎は血統主義のせいでダメになった、と嘆いている』わけではありません。
 血統主義だから技術レベルが低いのは当たり前で、そのことから歌舞伎ファンは目をそらすべきではない、と言ってるつもりです。
 『面白くないし技術的にもダメだけど、でも伝統芸能だから素晴らしいんだ』というスタンス、いいじゃないですか。
 映画とか漫画とかアニメなんていう歴史の浅いメディアは、面白いとか素晴らしくなきゃ芸術的に意味はない。
 しかし伝統芸能の恐ろしさとは、『面白くなくてもダメでも、とにかく続いてるから価値があるんだ』という頑迷なようで深みのあるニュアンスまで射程に入れられる、というところではないかと」

 実際のところ、岡田さんのこの文章見て、ちょっとアタタ、と頭抱えちゃったんだけどね。
 言っちゃ悪いが岡田さん、思いっきりコトバの論理の筋を外してしまっている。
 全ての文章を引用するわけにはいかないから、要約するしかないんだけど、唐沢さんはつまり「歌舞伎ファンの神経逆撫でするような言い方じゃ、せっかくの主張が伝わんないから表現考えろよ」と言ってるんである。
 簡単に言っちゃえば「誤解を招くような書き方はモノカキならするなよ」ということ。
 もっとわかりやすく言えば、「シロウトがヘタなことを言うと、恥かくよ」(-_-;)。
 やっぱさあ、「血統主義だから技術レベルが低いのは当たり前」。
 こりゃあ、ちょっとマズイんじゃないか。
 歌舞伎ファンが激怒するのは当然だがね。
 だってね、岡田さんの表現のし方は「新劇」の立場に立っての発想なんであって、「歌舞伎」の伝統性を前提にした言語になってないんだもの。
 「面白くないし技術的にもダメだけど、でも伝統芸能だから素晴らしいんだ」。全然誉めてないって、これ(^_^;)。
 これをね、「従来の『歌舞伎』を旧劇として排斥し、西洋の心理的表現を取りこむことで成立して行った『新劇』の立場に立てば、『歌舞伎』の表現方法は大仰で古臭く、新劇的手法に慣れた大多数の現代人からはつまらなく見えるかもしれない。しかし、『歌舞伎』には『伝統』の中で培われた独特の技術があり、いわゆる『所作事』を知悉した観客にとっては、『新劇』以上に細やかかつ大胆な世界が映し出されているのである」、こう書きかえれば別に歌舞伎ファンは怒らんと思うんだがな。

 たとえば、歌舞伎には「おこつく」という動作がある。
 一瞬、舞台上でよろめいて見せる動きを言うのだけれど、これ、よろめいただけじゃなくて、そのあと、必ず「立ち直ってシャンとする」のね(ついでだけど、このときの囃子を通称「ポテチン」と言う。鳳啓助のギャグのこれが元ネタ)。
 つまり、「おこつく」ことで心理的動揺を示して観客の注意を引くわけだけれど、そのあとより整った姿勢を見せることで、その動揺から立ち直ろうとする意志すら見せる。けれど内面の動揺が消え去ったわけではない。はっきり言えば「から元気」だ。でも、その複雑な心理を観客は敏感に感じ取って、感動するのだ。そういった一連の動きまでも「技術的にヘタ」と言い切るのは、「無知」の謗りを受けても仕方ないんじゃないか。

 そういう「所作事」が、様式化というかパターン化されてしまうと、やっぱり漫才のキメギャグみたいなもので、繰り返されるうちにつまんなくなっていくんじゃないか、と思われる人もあろうが、そう単純なものでもない。
 必然性のないところで「おこつけ」ば、歌舞伎の観客だってやっぱり白けるのだ。いや、決められたところだって、ヘタな役者がやれば、舞台は確実に白ける。
 歌舞伎ファンの目は存外厳しいのだ。
 にもかかわらず、そういう歌舞伎の細やかさが、現代人の我々には見えなくて、つまらないもののように思われちゃってるってのは、例えば男が少女マンガの表現が稚拙に見えるのと同じで、「慣れてない」だけなんだよね。

 岡田さんは「歌舞伎に慣れてない」。
 それは確実だ。
 だから、御本人は「伝統芸能だからすばらしい」と誉めた気になっているようだけれど、結局、シロウトが余計な口を差し挟んでることにしかなってない。
 昨日の『アイランド』の話にも共通することだけど、「文化の違うもの」を理解することって、そんなに簡単なことじゃないのだ。「自分とこの文化ではこうだ」、「でもあそこんとこの文化はうちのと違う」「だからあの文化は間違ってる」……そんなことは簡単に言えるもんじゃないって、わかんないのかな、岡田さん。
 ある文化の尺度を絶対のものとして、別の文化の価値をダメだなんて言っちゃいけないってことは、基本なんだけどなあ。

 これが全く逆に、「歌舞伎も現代人の嗜好に合わせて変わるべきだ」というならまだわかるよ。猿之助さんの「スーパー歌舞伎」はまさにそれだし。
 その立場に立って「伝統遵守派」に対してもの申すっていうなら、納得はいくのだ。
 でも、「つまんないけど伝統だからいい」なんて立場は、結局なんなのかね?
 これ、歌舞伎に対してなにも言っていないに等しい。
 結局、岡田さんには歌舞伎に対する知識も関心もないのだ。
 それはシュミの問題だから別に全然構わないことなのだが、ならば岡田さんが歌舞伎について語る必要だって全然ないではないの。
 歌舞伎はね、面白いから続いてるの。それが普遍的ではないってだけのハナシで。
 で、歌舞伎ファンだって、世間的には歌舞伎がつまんなく思われてるってことは重々承知の上なのだ。
 だから今更、岡田さんに「歌舞伎ファンは目をそらすべきではない」と言われたって、「別に逸らしてないよ」のヒトコトで終わっちゃうのだ。
 そんなことより、今の歌舞伎がつまんないのは、その「所作事」をキチッと演じられる役者が減ったってことの方が大きいんだけどな。それは歌舞伎における血統主義が崩壊しかかっているからなんであって、岡田さんの主張とは全く逆なんである。

 どうしていきなり岡田さん、歌舞伎について語り出したかな?
 夏目房之介さんが歌舞伎ファンだから、なにか言われてカチンときたのか。
 そのへんは憶測だから、なんとも言えないし、「知識がなくても発言はできる」のだけれど、唐沢さんがせっかく注意してくれたんだから、せめて「勉強不足でした」くらいのことは感じてほしかったなあ。

 ああ、こういうこと書いてるからって、私が歌舞伎についてクロウトだなんて思わないようにね。演劇評論家の渡辺保さんの主張からのウケウリっスよ。私も歌舞伎はたまにテレビで見るくらいです。


 『キネマ旬報』2月上旬号に、アメリカ版『鉄腕アトム』の正式発表のニュースあり。
 タイトルが『Astro Boy』だってのと、アトムがCGってのは聞いてたけど、アトムだけでなく全てをCGIで制作することに変更されたとか。
 これは明らかに『トイ・ストーリー』以降のCGIアニメのヒットがもたらした結果だろう。『シュレック』『モンスターズ・インク』がヒットして、『アトランティス』がコケたとなれば、迷う必要もない。
 基本的に人間までCGで作画することを、私はどうも好きになれない。
 CGと手描きアニメの違いは、手書きアニメがコマ落としによって残像効果を出せるのに対して、CGはそれをしない、つまり、動きが「滑らか過ぎる」てしまうことなのだが、あれだけ細密な『ファイナル・ファンタジー』ですら、登場人物の動きは「人間」に見えなかった。いや、へたに細密だから、人間との動きの違いが目立つのだ。
 『トイ・ストーリー』や『シュレック』、『モンスターズ・インク』の絵コンテなどを見ても思うのだが、完成された映像より、はるかに溌剌としているのである。完成度をわざわざCGで低くしてどうするんだよって、日本の手書きアニメに慣れてる身にはそう感じられるんだが、現実問題としてアメリカじゃ、わざわざCGにしないと売れないのだろう。
 アメリカのアニメ後進ぶりはこういうところにも現われているんだよね。
 けどなあ、CGのアトムも見たくもないけどさあ、CGのお茶の水博士、CGの天馬博士、CGのタワシ、中村両警部、CGのケンイチ、シブガキ、タマオが出るのかよ。
 そいでもって、どうせ原作の絵なんか無視して、リアルな人間キャラになってよ、アメリカだから名前もビバリーヒルズ博士とか、ブラッシュ警部とか、ジョニーとかケンとか(あ、ケンイチだけは名前が同じにできるか)になるんだぜ、きっと。
 ……だったら俳優使ってくれたほうがまだマシじゃないのか?

 更に、ハリーハウゼンの『シンドバッド』シリーズの第四作製作の発表もあったけど、ハリーハウゼン、とうの昔に引退してるのに、なぜに「第四作」なんて謳ってんの? しかもやっぱりCGで作るって、ダイナメーションで作らなきゃ意味ないじゃん!
 なんだかアメリカさんのやることはようワカラン。
 ヽ(´∞`)ノ

 この冬の興行成績もどうやら出揃った模様。
 トップは今も上映中の『ハリポタ』だけれど、『もののけ姫』の記録は抜きそうだが、『タイタニック』までは届かず、という感じらしい。だいたい200億円くらいで落ちつくのかな。2作目、3作目で前の作品以上のヒットってのはなかなか難しいだろうから、記録破りはもうしばらくはないかな。
 あとは『バニラ・スカイ』が35億、『スパイ・ゲーム』が25億、『シュレック』もそのくらい、続いて『GMK』が20億。
 去年の『メガゴジ』が10億だってことを思い返すと、倍増だね。全く『ハム太郎』さまさまだ。でも、もう一本なにかアニメをつけて「チャンピオン祭」が復活してくれりゃ、正月だけじゃなくて、春・夏通じて長期のヒットも見込めると思うんだけど。 


 夕食はしげのたっての希望でガスト。
 なんでもドリンクバーのメニューが増えたそうで、「アイスココアが飲みたい!」のだそうな。
 なるほど、店に入ってみると、ドリンクバーのコーナーに、なんだか黒っぽいボックスみたいなのが一つ増えている。でもアイスココアと言ってたのに、機械はどう見てもホット用。
 どこにアイスが? と思ってよく見てみると、「氷を入れてアイスにしてください」の表示が! ……これ、アイスココアの機械じゃなくて、「ホットココアを氷で無理やりアイスにしてください」ってやつだったのね。
 これはつまりこういうことかな、初めからアイスの状態にしておくと、ココアが沈殿して薄くなってしまうんで、むりやりホットをアイスにしているとか……よくわからんな。
 けれど、こんなの薄くてぬるくて飲めないんじゃないかと思っていたのだが、実際に味を見てみると、これが意外とイケるのだ。
 初めから氷が解けて味が薄くなることを見越して、ちゃんと濃い状態にしておいたのだろう。濃さもいいし、冷た過ぎないのがノドに優しい。
 つい、3杯立て続けに飲んでしまったけれど、これ、意外にやみつきになっちゃいそうだな。


 マンガ、和田慎二『超少女明日香 式神編』2巻(メディアファクトリー・580円)。
 随分簡単にヒロインたちを殺して行くなあ、と思ってたけど、こういうオチに持っていくためだったのか。ちょっとムリヤリっぽい印象もあるけど面白いからいいや。
 なにより、タイトルの「式神編」ってこういうことだったのね……、とそのアイデアに脱帽。だってまさかねえ、チビ明日香が(もちろん変身前!)が何百人も出てくるなんて思わないってば。
 ごっつかわいい! ストーリーのちょっとしたいい加減さなんてもう気にならないくらい。
 おまけとゆーか、和田さんが竹本泉さんと雑誌で対談したときのカットを再録してくれているのも嬉しい。竹本さんの描く明日香、かわいすぎる! まるでホンモノと似ても似つかないくらいに(こらこら)。
 和田さんの描くイーナスはヘタだけど(おいおい)。
 けれど、いい加減で和也とのすれ違いネタは無理が出て来てるしやめたらどうかな。もう何度も一緒に戦ってきて「危険な目に合わせたくない」もないだろうに。
 いったん終わった作品を更に続けるってのが大変なのは解るけれど、「黄金ドクロ編」のような強大な敵はもう出しようがないし、あまり以前の作品のパターンを繰り返すのはどうなんだろう。
 それならいっそのこと第一作のウォーカー姉弟をもう一度出すというのはどうだ。たしかまだ死んでなかったし。


 マンガ、漆原友紀『蟲師』2巻(講談社・560円)。
 ああ、待ちに待った待望の2巻!
 しかも1巻にも増してハイレベルな作品群!
 私のつまんない批評なんか読んでるヒマがあったら、すぐに買って読め!
 ……常軌を逸してると思われようが、実際面白いんだから仕方ないじゃん。
 掲載誌の『アフタヌーン・シーズン増刊』でも表紙になっているくらいだから、そりなりに人気はあるんだろうけれど、珠玉の名編、という看板に偽りナシのこのシリーズ、売れてきたとは言ってもまだまだ世間の認知度は低いと思うんである。
 しかし一度読んでハマったらもう、人に伝えて「『蟲師』はイイっスよ!」と布教して回りたくなるその魅力、これは『エヴァンゲリオン』『オトナ帝国』に勝るとも劣らない。
 現に第1巻が発売された時、福岡天神の福家書店では、次々と新刊が発行され続けているにもかかわらず、増刷が入荷されるたびに必ず平積みにし、しかも「試し読み本」を用意して、「だまされたと思って手に取って読んでみてください!」のハリガミまでしてたのだ。
 だからプッシュ!
 これを読んだことがある人はすぐに自分のホームページで絶賛の感想を書き、出入りしているサイトがあったらそこでも「読め読め」と強要し、家族や一族郎党、友人知人には無理やり売りつけ、更に布教の輪を……。
 はあはあ。
 いけない、ちょっとばかし額の血管が切れちまったい。
 でも、一度読んだら、絶対そんな気分になることは保証するでよ。

 今巻で、なぜ蟲師のギンコが旅をしているのかも、巻頭の『やまねむる』で明かされる。「蟲を寄せる」体質の人間が「蟲師」になるのだね。しかしなぜ「彼ら」だけが蟲を寄せてしまうのか、その謎まではまだ明かされない。明かされなくても構わないけど。
 「蟲」は確かに人をついばむものであるのかもしれない。
 しかし、ギンコを初めとして、このマンガに登場する人々は、みなこの「世界との絆」をどこかでつなぎそこなっている人々ばかりである。
 口減らしに山に捨てられ、山に育てられた少年、コダマ。
 愛する男を里につなぎとめるために山の主を殺した娘、朔。
 蟲にその身をささげることで、里の安寧を保とうとする蟲師、ムジカ。
 満たされぬ心ゆえに蟲にその身を寄生させて生き神となる少女、あこや。
 父の見た虹の幻影を追い求めてさ迷う男、虹郎。
 蟲にとって代わられた息子を、それでも愛し育てていく母親、あき。
 彼らは、彼女たちは、原初の生命たる「蟲」に触れることでようやく自らの「心」を取り戻す。
 その様子はまるで、「悲劇」を経験せねば、人は人でいられないという諦観のようにすら見える。

 そして、『筆の海』のヒロイン、狩房淡幽。
 参った。
 マンガの中の少女に、こうまで打ちのめされることがあろうとは思いもよらなかった。
 その健気さ、そして強く、優しく、けれど儚げな憂いをその瞳に常に宿した少女。
 これほどまでに深い「思い」をリアルに描ける才というのはいったいなんなのだろう。
 蟲封じの家に、先祖の封じた蟲をその身に宿して生まれ落ちた少女の右足は、蟲のために黒く、墨のような痣に覆われていた。
 身動きすることもかなわぬその「蟲」を改めて封じるためには、彼女の「筆」で、蟲を紙に筆写し続けるだけの生涯を送らねばならない。
 蟲師たちの語る「蟲封じ」の物語だけが彼女を救うことが出来る唯一の望みだが、それはその一生にのみ終わることではなく、何十年、あるいは次の世代に生まれてくる「痣を持つ者」にまで受け継がれる宿命なのである。
 ギンコは語る。
 「蟲に体を侵食されながら、蟲を愛でつつ、蟲を封じる。そういう娘が一人いる」
 彼の言を聞いて思う。
 我々人間が持つ「心」そのものが実は「蟲」なのではないだろうか。
 我々は自らの心に侵され、それでも自らの心を愛し、自らの心を封じていく。
 我々が心と心で絆を作ることに悩み苦しむのは、まさしく「生きる」ことが、心に侵されていく過程に他ならないからのように思えてくる。
 なのに、淡幽は自らの宿命を受け入れる。
 蟲を受け入れる。
 自らの心を受け入れる。
 そして最後にギンコに語る。
 「生きているんだよ」と。
 そうだ。
 「生きる」ということは、このどうにもならない「心」を抱えていくことを憂えることではないのだ。この苦しみも、悲しみも、引き受けねばならない者たちが共通して持っている共感を持つこと。
 それが「絆」だということをこの足萎えの少女は語っているのだ。
 「蟲」は「群生」する。
 しかし、我々人間も、その儚い命を群生することにより満たしあっているのではないか。
 それは「癒し」などという適当な言葉で表せるような軽いものではなく、もっと深く、原初的なもののように思える。

 さあ、みんな、『蟲師』の2巻を買いなさい。

2001年02月26日(月) しみじみ草枕/『エクセル▽サーガ』(六道神士)7巻ほか


2002年02月25日(月) だめおんなず・うぉ〜か〜/『ネコの王』2巻(小野敏洋)ほか

 咳が出て止まらなくなり、仕事を休む。
 こないだ「もう仕事休まないぞ!」と決心したのにこの始末だ。
 ゆっくり横になって休みたかったが、しげがベッドを占領して、イビキをかいているので横にもなれない。
 ウチには奥にも寝室があって、そっちで寝られりゃいいのだが、しげが片付けないままでほったらかしてる本の山にフトンがつぶされてて、寝るに寝られない状況なのだ。本は枕元に置きっぱなしにするなと口を酸っぱくして言ってたのに、それを無視されつづけた結果である。
 仕方なく、パソコンの椅子によっかかって休むが、関節が咳をするたびに軋む。気分はさらに落ち込み、どうして家事一つしない妻にベッドを占領されたまま、私がこんなに苦しまなきゃならんのだと、その理不尽さを考えるにつけ、ますます頭痛が激しくなる。
 そんなに寝てたいなら、車で寝ろ。


 今晩から「BSマンガ夜話」。
 ラインナップは以下の通り。
 1、2月26日(火) 午前0:10〜『アイランド』尹仁完作・梁慶一画
   ゲスト/キム・スンヒョン、村上知彦
 2、2月27日(水) 午前0:05〜『青の6号』小澤さとる
   ゲスト/大槻ケンヂ
 3、2月28日(木) 午前0:05〜『課長 島耕作』弘兼憲史
   ゲスト/夢枕獏、北野誠
 4、3月1日(金) 午前0:10〜『おいしい関係』槇村さとる
   ゲスト/一条ゆかり
 基本的にこの番組は、私は「自分が読んだことある」マンガを扱った回しか見ないようにしている。
 となると、今回私が見られるのは『青の6号』だけってことになっちゃうのだが、今日の第1回の『アイランド』、多分『新暗行御史」にも触れるだろうな、と思って録画することにする。
 予想通り、『アイランド』と『御史』を比較対照するような形でトークは進んで行く。
 『アイランド』は未読なので、意見をさしはさむわけにはいかないが、みなさんのお話によれば、完全に日本のマンガと化した『御史』より、韓国で連載されていた『アイランド』の方がパワーはあるとか。
 いわゆる絵の技術も向上していて、きちっとした完成度を持っている『御史』よりも、なんだかわかんないし矛盾だらけだけど、勢いがある『アイランド』の方が「マンガとしてオモシロイ」と言いたいのだろう。
 リクツとしてわかりはするし、まさしく昭和40年代の「デタラメなマンガ群」に郷愁を感じる身とすれば、諸手をあげて賛成したいところだけれど、同時に「洗練された作品」ってのもやっぱりなきゃいかんよなあ、とも思うのだ。
 手塚治虫や石森章太郎は、当時としてはすばらしく「スマート」な作風だったのだ。彼らがオピニオンリーダーとなっていたからこそ、現在のマンガの隆盛はある。
 二枚舌のように聞こえるだろうが、我々はマンガやアニメを語るのに、「たかがマンガじゃないか」と卑下しつつそのデタラメさを賞揚することもあれば、「ただのマンガではない」と、その文学性を訴えることもしてきたのだ。その二律背反から弁証法的に、「マンガはマンガであってマンガだからこそいいのだ」という言い方もできるようになってきた。
 「どっちが面白いか」という単純比較だけでなく、もっと「マンガってなに?」ってとこまで踏み込んで話してほしかったなあ、と思う。それにはちょうどいいテキストだった思うだけに今回はちょっと惜しかったかなあ。
 ゲストのキムさんが、「日本化された『御史』の表情では我々韓国人は感情移入できない」と語ってたのはおもしろかった。
 日本人の「オイデオイデ」の手のジェスチャーが、西欧では「サヨナラ」になるごとく、これは「国によって通じる記号が違う」ということなのだが、それだけに留めておいていいことではない。ここにはまさに「文化の違い」が両国に横たわっていることの証拠があるのである。
 もちろん、これは別にどっちが悪いという問題ではない。「違ってるから、そのことを前提にしないと、意志の疎通はできないんだよ」ってことをお互いに認識しなきゃならないってことなのだ。
 日本人が笑っても、それが韓国人には心からのものと見えないことがあるかもしれない。それを常に考えておかないと、文化摩擦は拡大するばかりだろう。

 それはそれとして、『課長島耕作』(もう取締役まで行くみたいだが)を一度も読んだことないってのはやっぱり不勉強だよなあ。弘兼さんは『人間交差点』で飽きちゃってたし、団塊の世代だの全共闘世代だのにどっぷり浸ってたやつの書くものって概ねバカ本だったから(偏見じゃねーだろ、実際、一番どっぷりだったやつらはテロ起こしてるんだし)、全然読む気にならなかったんだけど、私たちの世代が全く興味を持たない本が今も売れつづけてるって現象はやっぱり凄いなあ、と思うのだ。
 不思議なもので、この世代の更に前の世代、戦後派だの戦中派の人たちの本になるとまた面白く読めるんだね。要するにこいつらに対して「自分たちは高度成長の中で苦労してたつもりかもしれないけど、結局はバブル引き起こしたバカの集まりじゃん」って思いがあるからなんだよなあ。
 でも偏見かもしれないし、そのうち読んでみよう。つまんなきゃ「やっぱりあの世代は」って言えるしな。


 食事を作る元気もないので、しげに弁当かなにかを買ってきてくれるように頼む。しげは私が具合の悪いときほど何もしてくれないから、本当は頼みたくなんかないのだが、実際にカラダがきつくて外に出る元気はないし、確実に病状が悪くなるとわかってるので仕方なく頼んでいるのだ。
 でも案の定、しげ、「風呂にはいんなきゃなんないからすぐには無理」とか言い出す。
 外に出るなら風呂はあとにしたっていいだろうと思うが、頼んでるのはこちらのほうだから、待つことにする。
 ダラダラダラとしげ長風呂。
 「メシ頼むよ〜」
 と再度言うけど、無視される。
 シツコク頼んで、やっと「じゃ、行ってくる」と着替えて出かけるしげ。
 「でも本屋も回るから遅くなるかもよ」
 遅くなるなら先に行っとけ! と思うが元気がないのでガマン。 
 10分。
 20分。
 ……1時間。
 いくらなんでも遅過ぎる。あと1時間でしげのバイトの時間だ。
 仕方なく携帯に電話を入れるが繋がらない。
 メッセージを入れ、しばらく待つが返事がない。
 再度呼び出すけれど同じ。
 もう時間的に、しげは仕事に出かけている時刻だ。
 日頃、人にはいろいろ食事作らせるくせに、こっちが具合が悪い時にはこの仕打ちか。
 切れて、携帯に最後のメッセージを入れる。
 「もう、お前は家に入れん」

 そのまま、玄関の鍵を締めて寝る。
 午前3時、帰宅したしげがドアベルを鳴らす。
 ドアを蹴っ飛ばしたりしてるので、何も反省してないことははっきりわかる。
 電話を掛けてくるが、これも無視。
 少し間をおいて、もうアタマが冷えたかと連絡を入れるが、謝るどころか「なんで締め出すん!」と激昂。
 電話を切る。

 しばらくして、また電話を入れる。
 しげは近所のファミレスで悠々と飯を食っていた。ますますカチンと来る。
 「まだ自分が何やったかわかってないのか?」
 「……ご飯、買ってこなかったこと?」
 「どうして頼んだこと無視したんだよ」
 「仕事の時間が早まったんだよ。買いに行く時間がなくなったから」
 「じゃあ、どうしてその連絡入れなかったんだよ」
 「……忘れてたから」
 やっぱり弁当頼まれたのを「忘れた(多分本屋回ってるうちに)」のであって、仕事の時間が早まったってのは言い訳なのだ。
 自分の失敗を誤魔化すつもりでまた見え透いたウソをつく。
 しげが今まで何十回もやってきた手だ。
 ここまで「ごめんなさい」の一言はしげの口からは全く出て来ない。
 「携帯に伝言も入れたろ? 最初に謝れば、俺だって怒ったりしないのに、どうしてすぐに謝れないんだよ」
 「伝言聞いてないし」
 「俺には携帯使えってしょっちゅう言うくせに、自分に送られたのは見ないってか。そんな勝手があるか?」
 「……ごめん。これから家事もちゃんとやるし、朝晩の送り迎えもするよ。だから家に入れて」
 どうせその場限りのウソだろうなとは思ったけど、「ゴメン」と言ったので、一応、家に入れる許可は出す。
 けど、こういうしげのウソにつきあってられるのも、まだ私の体が動くうちだけだ。しげは口では私と一緒にいたいといつも言っている。けれど、「いたい」だけで「私と一緒になにかする」じゃないのだ。子供が「パパとずっと一緒」と言ってるのとレベル的に全く変わらない。「一緒にい続けるために自分が何をしなければならないか」を何一つ考えていないのだ。
 私は別に「家事をせよ」とかそういうことを言ってるわけではない。
 別に私は一人でだって生活していけるし、実際、結婚する前の方が生活は楽だった。それをあえて「私と一緒にいたい」としげの方から言ってきた。
 なんのために?
 「世話をしたい」としげは言った。でも現実としてしげは家事をしているわけではない。
 では、代わりに何をするのか。
 しげは私のために「何か」をしたいと思っている。
 いつも自分から「これこれこういうことをするよ」と私に約束する。
 けれど、一日としてその約束を守ったためしがない。
 結局、「自分のできないこと」ばかりを考えるから、できないままなのだ。
 家事ができないなら、なぜ私に頼まないか。
 朝の送り迎え、それができないなら、なぜ初めから「タクシーで行って」と言わないのか。
 うちにカネを入れるから、メシは食わせてくれ、と言うのなら私はそれだって別にかまわないのだ。
 なのに結局、何もしない。
 それでいて、毎月の自分の生活費だけはしっかり取ろうとする。
 だから私は「おまえは寄生虫か」と怒るのだ。
 考えていない。
 結婚して十年も経つというのに、しげは未だに私と「何をするのか」を考えていない。いくら「考えろ」と言っても、アタマが悪いので、「自分のできること」が思いつかないのだろう。それはしげが、「自分を見ること」から逃げているからにほかならない。
 これでは私のほうが、トシを取ったときにしげと一緒にはいられなくなる。
 でも、同居することが物理的に不可能な状況を作ってるのはしげ本人なのだ。
 本気で反省する気があるんだったら、いい加減で気付いてほしいもんだが、とことんバカだしなあ。
 約束を破ったなら、そのペナルティをどうしたらいいか、せめてそれくらいは自分で考えてほしいのに。

 帰宅するなり、しげ、速攻で寝る。
 やっぱり、さっきの反省はウソだったなあ。
 ダメ男に引っかかる女と、ダメ女に引っかかる男とではどっちが不幸なのか、とつくづく考える。
 どっちもバカなのは共通してるけどさ。
 とほほ。
 

 マンガ、小野敏洋『ネコの王』2巻(小学館・560円)。
 巨乳系とロリ系のキャラの差がこれだけハッキリしてるマンガも珍しい。
 っつーか猫女神様、ちちデカ過ぎや(^_^;)。
 今回は「巨大ブルマ」の話と、ケルベロス退治と、ちくわぶが美味しい話と、小学生のスクール水着にビンビンの話……ってなんや分らんな(っつーかエロマンガかこれは。半分そうかもしれんが)。
 まあ、話より何より、チチだのシリだのの露出度が高いからなあ。チチのない小学生の描写が、「シリ」に集中するあたり、作者のリビドーが奈辺にあるかがハッキリしてて潔いと言えば潔いのだが。
 でも私はチチよりシリより、カナガキのキャラが好きだな〜。
 セロのライバルで、世界征服を企むネコ! と言いつつ、ただの「ドジ」なとこはロケット団というかモリアーティと言うかガキオヤジと言うか、かわいいんだけど。アニメでこれの元祖たどったらやっぱり『ハッスルパンチ』のガリガリ博士あたりになるのかな……って、例え古過ぎ?
 でもエッチな絵柄だけど、昔なつかし「まんが」のムードはあるんだよ。
 猫の王にどんな使命があるか分らないけど、あまり話をでかくしないで、ご近所猫騒動モノでいってくれたほうがいいなあ。

2001年02月25日(日) 誰もいない海/『シイナのファブリオ▽』(がぁさん)ほか


2002年02月24日(日) ベスト・オブ・ザ・魔女っ子/DVD『コメットさん☆』BOX SIDE A/『ワンピース RED』(尾田栄一郎)ほか

 今日は寝過ごさず……っつーか、チャットであんまり寝てないんだが。
 で、やっと見られた『忍風戦隊ハリケンジャー』第2話「巨人とカラクリ」。
 このサブタイトルが『巨人と玩具』のパロだなってこたあすぐにわかるんだけど、もちろん話の中味とはなんの関係もない。
 なんのためのパロか。意味なくていいなあ。
 このへん、なんとなく吾妻ひでお的。
 えーっと、で、お話の方だけど、よくわからんが、今度のヒロインのねーちゃんは演歌歌手になったらしい。まあ吹替えじゃなきゃとりあえず音程は外してないか。
 敵のねーちゃん二人は片方が色っぽ系で片方が天然系らしい。
 私は天然系の子がかわいいと思った。
 まる。

 ……なに? ほかに感想書いたほうがいいかい?
 
 
 『仮面ライダー龍騎』第04話「学校の怪談2」。
 本編にはサブタイトルが出てないけど、オフィシャルサイトには紹介されている。
  ……やっぱり昔みたいに「怪奇!くも男」とはいかないなあ。
 アレもシリーズを重ねるにつれてやたら長ったらしくて、バカバカしいものに変わっていったけど、一応今回は反省してるのか、長ったらしいだけで覚えられないようなのは今んとこはない。
 この「カッコイイサブタイトルを」ってことに関しちゃ、『エヴァンゲリオン』はすっごく貢献してるね。
 「学校の怪談」ってのは……ちょっと、ギリギリの線かなあ。
 特に怪談があるわけじゃないからねえ。

 蓮にかかった幼児虐待の容疑が晴れる(^o^)。
 ライダーがいったんは疑われるってのが定番になってきてるけど、ライダーがライダーに疑われるってのはちょっと外してないか。
 本郷猛が緑川ルリ子に父殺しを疑われて感じた悲しみは、本郷が既に改造人間にされてて、人間であるルリ子との間に埋めることのできない亀裂を感じたったって設定があったからこそ、視聴者の胸にもズンと響いたんだけどな。
 なんだか今回、主役がライダーになってしとまう悲しみがないなあ。


 DVD土曜ワイド劇場の江戸川乱歩シリーズ『湖底の美女/天使と悪魔の美女/白い素肌の美女』、立て続けに見る。
 自分のホームベージに明智小五郎のコーナーを作ろうと思って、ずっと買い続けてるんだけれど、このブックレットが解説者の私的な感想ばかりで、資料として心許ないのが歯がゆい。
 ともかくキャスティングすらきちんと書かれてないってのはどういうわけなんだろうね。もっともだからこそ、「明智のページを作る余地はあるな」と判断したんだけども。いろんな人が明智のページ立ち上げてるけど、年譜にしろ研究にしろ、未だし未だしのものが多いのだ。
 でもこっちも相当調べないと対抗できないし、おかげで時間かかっちゃってるんである。
 19作を数えてマンネリ化して来たこのシリーズ、ついに脚本の宮川一郎、監督の井上梅次が降板、脚本は篠崎好、監督は村川透、長谷和夫に変わる。
 途端に美保純は脱ぐわ高田美和は脱ぐわ鰐淵晴子はボンデージるわ、エロ度一気に倍増。こんな露骨なテコ入れもないな(^o^)。
 ともかく何度か見返して、なんとかデータを取らねば。


 DVD『コメットさん☆』第1話〜4話。
 うっひゃあ、何これ、この完成度!
 本放送の時、第1話は見損ねてたんだけど、『サリー』も『アッコ』も『マコ』も『チャッピー』も『リミット』も『チックル』も『モモ』も『マミ』も『ペルシャ』も『エミ』も『ファンシーララ』も束になってもかなわない、魔女っ子アニメ史上最高の第1話だよ、これ!
 脚本、作画、演出、全てここまでのレベルのものを作ってたとは、驚天動地、返す返すもなぜ本放送のとき見損ねてたか……。
 あ〜、今まで結構『コメットさん☆』をプッシュして参りましたが、ちょっと訂正します。
 今までの私の感想、全てにおいて愛が足りませんでした。
 この第1話の設定を見ずして、『コメットさん☆』は語れません。
 改めてここに宣言します。
 『コメットさん☆』はイイ!
 2話以降の九重佑三子のナレーションはまだない。

 星国の舞踏会、華やかに踊る人々の輪から離れて、暗い廊下を走り去る少女のシルエット。
 「姫様!」
 という呼び声だけが虚しく谺している。
 突然、向こうからも走ってくる少年の影。
 すれ違いざま、暗闇の中、輝く何かが宙を舞い、廊下に落ちる。
 少女に目もくれず走り去る影。
 落ちた「輝き」に白く細い指が伸びる。
 振り返る少女に初めて光が当たって……。
 そして、オープニングソングのタイトル。
 「輝き」が宙に浮かぶ。
 「コメットさーん!」
 「はーい!」

 静謐の中の緊張、光と影のコントラスト、まさしくこれは一編の詩、いっぺんの映画!
 なによりヒロインの少女をここまで美しく登場させた例がこれまでにあったろうか! 演出によっぽど自信がないと、ヒロインを真正面から捉えずに、「見返り」で初登場させる(しかもやや俯瞰のアングルで!)なんてとんでもないこと、やれるもんじゃないぞ!

 ああ、もう、ディテールの一つ一つまで全部解説したくなるくらい「演出」っつーのはこうやるんだ! と誉めそやしたくなるんだが、そうもいかない。
 ともかくキモだきゃ書くぞ!

 『コメットさん☆』のあらすじはもう、たいていの人がご存知だろう。
 地球に逃げて行ったタンバリン星国の王子を追って、やってきたコメット、けれど実は王子様なんてどうでもいい、お母さんがかつて素敵な思い出を作ったという地球への憧れ……。
 ただそれだけのためにコメットは鎌倉の街に降り立つ。
 けれど、コメットは地球で散々な目に逢う。
 食べ物もない、住むところもない。
 雨に降られて公演のベンチで泣き濡れる。
 脚本と演出の凄さは、ここでも最大限に発揮される。
 おカネがなくて食べ物も買えないコメット。
 昔のアニメだったら、「カネもないやつにものは売れねえな!」と怒鳴らせるところだ。ちょっとした行為でも「善悪」をハッキリさせたいつもりかもしれないが、考えてみたらこんな不自然な、芝居がかったセリフはない。
 ところが、コメットにおカネがないと知った街の人たちは、ただ「困る」だけなのだ!
 街の人たちは、ごく普通の人たちだ。
 悪人であるわけもない。
 目の前に11、2歳の女の子がいて、おなかをすかしているようなら、かわいそうだと自然に思う。
 かと言って、5、6歳の子供ならともかく、ある程度大きくなってる少女に、食べ物をおごってやるほどの親切は普通、しない。
 ただ、「困る」だけで。
 うわあ、すごいよすごい、この人間洞察力! 
 紋切り型でない、こんなリアルな描写をやっていたとは!
 あのねアンタ、こんなん、『どれみ』が100話束になったってかなわん描写ですがな。
 この「リアルさ」、最終的にコメットを救うことになる藤吉家のママにも共通している。彼女がコメットさんを救ったのは、半ば子供たち、ツヨシくんとネネちゃんの懇願によるところが大きい。
 慈愛に満ちた人柄が設定されていながら、それでも初め沙也加ママはコメットさんを警戒し、いかにも家出少女っぽいこの子をどうしたらいいか、迷うのである。
 コメットさんが外人であること。
 ホームステイ先が見つからずに困っていること。
 「困ったさんは助けましょう」と日頃子供たちに教育していること。
 コメットさんのママと連絡がついて、ようやく責任の所在がはっきりしたこと。
 あくまで「お手伝いさん」として働いてもらうこと。
 これだけの事実を確認し、条件が整ってやっと、藤吉家はコメットさんを受け入れるのだ。
 ただのキレイゴトの愛情だけで行ってることではない。
 
 これだけリアルな設定でドラマを作るとは、いったい何者だと思ったら、脚本、元シンエイ動画で数々の藤子アニメを作ってきた、おけやあきらさんだったのだ。日常の中からファンタジックな非日常を描き出すことにかけちゃ、もうベテラン中のベテランではないの。
 つまりこれって、おけや版『チンプイ』だったんだね!
 ……オレ、ホントに今まで『コメットさん☆』の何を見てきたんだろう。

 特典映像で三代に渡る各コメットさんのインタビューを収録しているのだが、これがもう、普段の喋りが舌足らずで聞き取りにくいこと。
 大場久美子は「あのー」を「あにょー」と発音するし、前田亜季は「〜じゃないですかァ」と普段の喋りはホントにただのコギャルだ。
 それが本編となるとどうしたことか、二人とも声がはっきりと涼やかに聞こえるのだから、あれはやはり演技力なのだ。
 うう、やはりDVDで見返すといろいろ発見があるよう。高かったけど買った甲斐があったよう。オタクにはブックレットのあさりよしとおの解説および脚本家インタビューが読めていいぞ。皮肉を込めないあさりさんの文章が読めるって、『コメットさん☆』に関してだけではなかろうか。


 アニメ『サイボーグ009』第19話「悪の化石」。
 原作の「ディノニクス編」のほぼ忠実なアニメ化……のはずなんだけれど、こ、これは今までで最低、最悪の出来!
 いくらなんでも、全編外注とバンクだけで一本作るかあ!?
 どれだけヒドイって、007がヒマラヤの雪男に変身するシーン、SEが「ポン!」と音を立ててるのに、007の絵はバンクなので、変身してない。
 ……DVDのリテイクで、本編を作る余裕がなかったのかなあ。
 これはさすがに、発売する時はほぼ全編、作画しなおしだろう。
 このままで売ったりしたら、買い手が暴動起こしちゃうぞ。
 来週の「ああ、クビクロ編」は結構動いてるなあ。
 とりあえず来週一回はなんとか持つってところか。次でまた崩れるだろうけど。


 夜は「一番カルビ」で食事の予定だったが、予想外に混んでいて、しかも「30分待ちです」なんて軽く定員さんに言われちゃったもんだから、ちょっと腹を立てて、ちかくの「浜勝」で、食事。
 どっちにしろカロリー高いぞ、控えなくていいのか。
 でもここでも結局20分待たされた。
 麦飯にとろろで何杯でもご飯がイケる。


 しげ、腰が痛いとかで、本当は映画を見に行く予定だったが中止。
 おかげで最近は見たい映画も見られずに終わることが増えている。
 ああ、『ジェボーダンの獣』ももうすぐ終わっちゃうなあ、結局、見られずじまいか。
 実は私の体調の悪化より、しげのワガママのせいで映画見られないことの方が多い。
 そのくせあとで「あ〜あ、見られんかった」とかブチブチ文句言うのがしげに腹の立つところである。
 もう、いつかヒマ見てひとりで映画に行っちゃおっかなあ。


 夜、ちょっとだけチャット。
 某サイトにおいては、私はまあ何やら謎の文章を書いたりもしているのだが、意外なことに結構読者の方がいて、面白がってくれているようなのである。
 根が単純なので、誉められるとそのまんま素直に受け取って嬉しくなる。おかげで筆が進む。
 もし貶されてても、「なにクソ!」とまた筆が進む。
 結局、“書く”ことが好きなんだよなあ、私。
 楽しんでいただけてるようでありがたいこってす。
 私はある理由でとっても辛いんですが(^_^;)。

 
 マンガ、夏目義徳『トガリ』7巻(小学館・410円)。
 どうやらあと1巻で終わり……ってのは「打ちきり」と考えていいんだろうな。
 トウベエが、全部の「咎」を集めきれずに終わるのか、『どろろ』みたいに一気に現れるのか分らないけど、終わることはどうもこの7巻あたりから予告されてたんだろう。
 せっかく登場させたばかりの「EX」のメンバーをどんどん殺している。……連載が続くんだったら、生かしといて再登場させたところだろうけど。
 ああ、でも結構面白かったのにありきたりな結末に落ち付きそうな気配だなあ。心の中の「悪」も飲み込んで一つの統合された人格になる……ってビリー・ミリガンか。
 でも絵は、華がないわりにだいぶ安定してきていて、もう一息でバケてくれるかもなあ、程度にはうまくなってきている。とりあえず最終巻に期待。


 尾田栄一郎『ワンピース RED』(集英社・600円)。
 ……ああ、コミックスサイズだったから新刊と間違えて買っちまった。
 キャラクターブックだったか。
 あ、でも『ロマンスドーン』が読めたからいいか。
 『ワンピース』第1話の原型作品ってことだけど、マンガとしての演出技術は、その第1話のほうが格段に上達している。
 とゆーか、アレが尾田さんの頂点だってのが淋しいんだよな。
 『ダ・ヴィンチ』の読者評がちょうど『ワンピース』だったけど、やっぱり「最近のは面白くない」って意見が多いんである。完全に『ドラゴンボール』の悪いパターンにはまっちゃったな。尾田さん、今のうちにキチンと貯金しといて、連載終わったあとに備えといた方がよくないか。あるいはイラストレイターに転向するとか。
 マジで考えといた方がいいと思うがなあ。

2001年02月24日(土) それはせんせい/アニメDVD『エクセルサーガ』への13巻(完結)ほか


2002年02月23日(土) トンデモさんが一杯/映画『カタクリ家の幸福』ほか

 しまったしまった。
 昨日NHKBS2で見た映画『姿三四郎』の感想を書くの忘れてた。
 と言っても黒澤明の有名なデビュー作ではなくて、岡本喜八が三浦友和主演で1977年に映画化したもの。
 公開当時は見に行こうかどうか迷った末、上映時間が2時間半で、しかもヒロインが秋吉久美子ってんで止めたんだが、止めて正解だったかな。
 いやね、秋吉久美子も悪い女優じゃないけど、芝居に幅がある人じゃないからね。乙美はダメだよ乙美は。可憐で健気でだけと心は強くってってクラリスみたいなキャラだからな乙美は。
 70年代のよ、シラケ派女優の代表だった秋吉久美子に演じられる役じゃあないのだ。
 ヅラは合わねえわ、セリフは棒読みだわ、拗ねた顔も現代っ子で明治の空気はまるで出せてねえわ、かわいくもなんともねー。
 こんなブスな乙美を私は認めん!(`‐´≠)凸
 あ、特撮ファンには三四郎の最後の敵、檜垣兄弟が矢吹二郎と宮内洋ってのがキモです(滝和也と風見志郎の共演!)。
 特に宮内さんの「あきゃきゃきゃきゃー!」って叫ぶ既知外演技が必見(いや、ホントに基地外って設定なんです。よく放送したな、NHK)。


 誰か期待してる人がいるかもしれないので(^^)、『千と千尋』金熊賞に関わる続報。
 どうせこの受賞で、誉めるにしろ貶すにしろ、トチ狂ったことを言うヒョーロンカが出るだろうなあと思ってたけど、期待に答えて早速出たよ。
 しかもお約束の人がねえ。
 まずはオタクアミーゴス会議室で紹介されてた毎日新聞の記事を抜粋。

 東浩紀氏の『千と千尋』評でありんす。

 僕はもともと宮崎アニメが好きだし、「風の谷のナウシカ」以降は全作品を見ています。ただ今回の「千と千尋」には、僕は否定的なんですよ。これまで宮崎監督は繰り返し、「少女の成長物語」を描いてきました。しかし今回の「千と千尋」だけは違う。主人公の少女「千尋」は物語の中でちっとも成長しない。

 異世界に迷い込んだ「千尋」は、常に指図されるがままに行動する。指示通り新しい場所に向かい、人に会い、次々に襲い来る困難をクリアしていく。このプロセスはロールプレイングゲームとそっくりです。

 「千尋」自身はその過程で、迷いもしなければ、悩みもしない。主体的な決断を下すこともほとんどない。「自分は本当はどうしたいのか」と自問する場面がない。主人公の内面の葛藤(かっとう)が一切描かれていないのです。

 これまでの宮崎映画では、主人公は悩みに直面し、自分の人生を主体的に選び直す人物として描かれてきました。ところが「千尋」は、迷いや悩みの契機となるはずのさまざまな困難を、幸運なハプニングやアイテムだけで解決してしまう。
(中略)
 この20〜30年の間、社会は徐々に変質してきた。面倒くさい内面を必要とせず、適切に役割分担(ロールプレー)することで円滑なコミュニケーションをはかる社会へと変わってきた。誰も「自分の本当の願い」などに直面しなくても生きていける。僕はこの変化を「動物化」と呼んでいます。人間も、文化も、社会のあらゆる領域が「動物化」してきていると言っていい。

 ああ、のっけからなんて恥ずかしいこと言ってるかな。
 「『風の谷のナウシカ』以降は全作品を見ています」
 ……そんなんジマンにもなんにもならんて。
 知識量なんて、常に上には上がいるんだから、「これだけ見てる」って威張るやつくらいアテにならないものはない。
 っつーか、恥ずかしい行為だぞ。それは。
 しかも威張るにコト欠いて『ナウシカ』以後……。それ、宮崎監督のフィルモグラフィーの1/10も見てないじゃんか。マニアは『わんわん忠臣蔵』で宮崎駿がどこの動画を担当したかまで知ってるぞ(私は知らんが)。
 知識がなければ批評ができないというわけではない(もっとも東氏の無知ぶりは「これでよう『千と千尋』を評論しようなんて考えたなあ、と言いたくなるくらい低いが)。
 批評の主眼となるのは知識よりも分析力、洞察力であるからだ。
 けれど、その分析する力も、東氏の場合、ちょっとトンチンカン過ぎるんじゃないかという気がしてならない。
 「これまで宮崎監督は『少女の成長物語』を描いてきました」
 「主人公の少女『千尋』は物語の中でちっとも成長しない」
 半可通がよく言うセリフ……というか、これ、宮崎監督自身が言ってるセリフとか、他の批評家が言ってたことをを鵜呑みにしてるだけなんだよね。
 宮崎さんは、『ナウシカ』を作った時に、「なぜ少女を主人公にするのか?」と聞かれて、「現代では男に力がなくなっている、女をヒロインにするしかないでしょう」と語ってたり、今度の『千尋』についても、「今まで私が描いた少女は映画の中で成長したけれど、今度の千尋は成長しない」と語っている。
 東さんは、実はそれを「何の批評もせずに」ただ「それがよくない」と語ってるだけだ。
 でも、『ラピュタ』でも『もののけ姫』でも主役は男だし、千尋が本当に「成長していない」と言えるのかどうか。
 いや、そもそも少女にとっての「成長」とはなんなのか。
 人間にとって「成長」とはなんなのか。
 単に体が「おとな」になる、ということを指しているのではあるまい、ならばそれが「精神的成長」を指すのだとすれば、どのような状態に変化することが「おとな」だと言えるのか。
 そのあたりの基本的な洞察がなされていないから、結果的に東さんの文章は全て勘違いの連続になってしまう。
 
 「常に指図されるがままに行動するプロセスはゲームとそっくり」
 出ましたねー、「ゲーム」論。
 でもこの「ゲーム」って言葉を「会社人間」とか「全体主義国家の人間」とか「家長制度」とかに置き換えたって通用しちゃうんだよな。
 要するにいつの時代、いつの社会であっても誰かが誰かを支配し、虐げようという構図は存在するんで、別段「ゲーム」に例えなきゃならない必然性なんてないのよ。
 第一、千尋は「あの世界から脱出する」ために、まずはハクの言うことを聞かざるを得なかったわけで、最初の段階で反逆してたら千尋死んでるでしょうに。
 アホな批評。
  
 「主人公の内面の葛藤が一切描かれていないのです」
 「さまざまな困難を、幸運なハプニングやアイテムだけで解決してしまう」
 千尋がみんなが嫌がるヘドロだらけの河の神を洗ってやったり、淋しそうなカオナシを中に入れてあげたり、勇気を奮い起こして銭婆のところへ旅立ったり、の描写は、全て心の葛藤なしに、しかもただのハプニングで行ったことなのかねえ?
 第一、千尋、何度も泣いてるじゃん。
 そりゃ、心にどうしたらいいかわからないっていう「葛藤」があるからでしょ?
 宮崎さんが「千尋は成長する子じゃない」と言ったのは、「もう、あの年頃の女の子には、おとなの力が心の中に眠っていて、それが目覚める物語だ」という意味で言ったんだけどね。
 読解力のないアホが言葉を言葉通りに受け取ると、東さんみたいにトンチンカンな解釈をしちゃうことがある。
 他山の石、他山の石。

 「面倒くさい内面を必要とせず、適切に役割分担することで円滑なコミュニケーションをはかる社会へと変わってきた」
 それ、ここ最近じゃなくて、近代以前の社会もずっとそうだよ。
 日本も世界も、「人間の内面」が生まれて来たのは、「職業選択の自由」が生まれた産業革命以降だってことはハッキリしてるよ。「親の職業を継がなくてもいい」自由が生まれたから、「自分はどう生きたらいいか」ってことが人間共通の命題になったってことは社会学の基本中の基本じゃん。
 中学生以下の知識しかないのか、こいつは。

 なんだかここまでレベルの低い批評を読んだのも、例の『エヴァ』騒動以来かなあ。
 こんなアホ批評を載せた新聞の方もやっぱりアホばっかってことなのか、それとも「どうか笑ってください」ってことなのか。
 なんにせよ、こういうトチ狂った批評が生まれて来るのも、『千と千尋』が国民的なヒットになったって証拠だ。なにを言われたって、一度培った評判は、宮崎さんが少女にイタズラでもしない限り落ちはしないんだから(^o^)、どうかもっともっと、宮崎監督には大ヒット作を作っていってほしい。
 そうすりゃもっともっと世界中からトンデモ批評が寄せられて楽しいから。


 作家の山本弘さんが、『山本弘のSF秘密基地』というHPを16日から開設している。
 わずか数日で4000人を突破するという盛況振りだが、人気者の宿命っていうか、早速、掲示板に荒らしが入って来ている。
 例の「ホロコーストはなかった」とやらかして、花田紀凱さんの『マルコポーロ』を廃刊に追い込んだ御仁の書き込みである。
 トップページに「トンデモさんお断り」とハッキリ書いてるのに、全く効果がなかったようだ。つーかねー、最近のと学会本読んでてもねー、「この物件がトンデモです」って紹介してる人の方がちょっとトンデモっぽい気がしてててねー、こんな「お断り」文なんか掲げてたら、かえって「自分はトンデモじゃないぞ」と思いたい人々が大挙して押し寄せてしまうのではないかという懸念があるのだ。
 というわけで私も掲示板に書きこみ(^^)。
 一生懸命自分がトンデモでないふりをして、小林よしのりを貶したりするのであった(あ、でも私本当に「南京虐殺」はちっとはあったと思ってるからね)。 面白かったのは、高木彬光のトンデモ本、『成吉思汗の秘密』を紹介したら、ある人から、「どうしてこの本がトンデモ本なんですか?」とレスがついたこと。
 30代後半以上の人なら知らない人もあまりいないと思うけど、これ、あの源平合戦のヒーロー、源義経が実は奥州平泉で戦死してなくて、大陸に渡ってジンギスカン(チンギス・ハーン)になったってことを証明しようとした小説なのね。
 この義経=ジンギスカン説ってのは、中国大陸の覇権の正統性を謳うために、近代になってやたら語られ始めた説なんだけど(説そのものは近世から庶民間にあったが、これも清朝に対抗する意識があったと思われる)、ともかくその推理の証拠ってのが、「義経がジンギスカンにならなかったという証拠がないから、義経はジンギスカンだ」というアホなもの。
 ……んなこと言い出したら、私が小泉純一郎でないという証拠がないから、「私=小泉純一郎」だってことも証明できちゃうぞ。田中真紀子でもいいな。
 しかも小説のラストで更に決定的な証拠として挙げられた理由がもうただのオカルトで……。まあ、後は自分で読んでみてください。ミステリなんで、結末だけは隠す(必要ない気はするけど、一応の礼儀)。
 昔は角川文庫だったけど、今は「ハルキ文庫」で復刊されてます。
 この『成吉思汗の秘密』や、架空戦史の元祖、『連合艦隊ついに勝つ』、更にはヘタレSFの『ハスキル人』と、高木さんには「三大トンデモ本」があることはミステリファンのあいだではつとに有名だったんだが、若い人たちはもう全然知らなくなっちゃってるんだろうなあ。
 やっぱりこのHP、トンデモさんが寄ってくるページになりそうだな。


 芝居の練習帰りのしげと待ち合わせて、シネリーブル博多駅で、映画『カタクリ家の幸福』。
 以前見た韓国映画、『クワイエット・ファミリー』の三池崇史監督によるリメイクだけれど、あまりの意味不明さにぶっ飛ぶ。

 オープニングがいきなり粘土アニメ。
 レストランの皿の中から突然現われたキューピーちゃん、悲鳴を上げたお客さんのノドチンコを見て一目ぼれ、思わずちぎってプロポーズするけど、チンコちゃんはキューちゃんの腕をすりぬけて空の彼方へ。
 追いかけたのはいいけれど、カラスに食べられ、キューちゃんは哀れ糞に。
 けれど不屈の闘志で復活! でもやっぱり、カラスに食べられる(^o^)。
 そのカラスめがけて飛んで来るまきざっぽう!
 パカーンと当たって、カラスくんはひゅるるるると地面に落っこちたのでした。
 ……って、何? このオープニング。
 あーこれが本編に何か関係するかっつーと、しません。全くしません。
 強いて言えば、これから起こる全ての不幸はキューピーちゃんを飲んだカラスを殺したタタリか?

 このまきざっぽうを投げたのが、カタクリ家のマイペースお爺ちゃんニヘイ(丹波哲郎)なのでした。
長年勤めたデパートをリストラされたカタクリマサオ(沢田研次)、知り合いに「ここにもうすぐ大きな道路が通るから」とそそのかされて、つい建てちまったペンション「白い恋人たち」。
 でも火山の中腹の荒野に経ったペンションになんか、客は来るはずもない。
 テレビはどこのチャンネル回しても竹中直人しか映らないし(^o^)。
 たまに通りかかるのは死出の旅かの巡礼さん。
 お気楽なマサオの妻テルエ(松坂慶子)、子連れで出戻りしてきた娘のシズエ(西田尚美)、ヤバい事件で会社をクビになった息子マサユキ(武田真治)、シズエの娘ユリエ(宮崎瑶希)、そして愛犬ポチ(ガタピシ!)。

 家族の間に険悪なムードが流れる中、ついにやってきたお客様第一号!
 けれどやけに陰気なこの男、部屋に入るなり、「たどりついたら行き止まり〜♪」と踊り出す。
 ……そう、予告編で知ってはいたが、これは「和製ミュージカル」だったのだ!
 それにしても、一曲目をいきなり「自殺の歌」で始めるか?
 このミュージカルのセオリーはずしてるところがいかにも怪作。
 翌朝、家族で起こしに来てみると、男は部屋のキーを首に突き刺して死んでいた! なんでそんな難儀な死に方を。
 驚いてミュージカるマサオ・ニヘイ・マサユキ・テルエ。
 ……踊ってる場合かよ(ーー;)。
 ここで警察沙汰になっては、二度とお客が来なくなってしまう!
 悩んだカタクリ家の面々は、裏山に死体を埋めることに……。

 それからというもの、やって来る客来る客、死んだり死ななかったり。
 人気絶頂の力士・歌の海は女の子連れでやって来て腹上死。
 女の子は歌の海の下でぺちゃんこになって腹下死(^_^;)。
 またまた裏山へ埋めに行くカタクリ家。
 でも、次に泊まったいかにも行き詰まった貧乏そうな一家四人は「あの……ヒモを貸していただけますか? 丈夫なやつ」とか言って期待させときながら(おいおい)、期待に反してそれは切れたベルトの代わりなのだった。

 一方、町に出たシズエは、自称イギリス王室出身アメリカ軍人のリチャード佐川(忌野清志郎)と知り合う。
 ひと目で恋に落ちた二人は急接近。
 で、やっぱり踊るのよ。
 「らりるれ ローズ色の世界〜♪ たちつて ときめきながら〜♪」
 私は〜今までぇ、これほどぉ〜、いい加減な作詞を〜、見たことがなぁい〜♪(『悲惨な戦い』のメロディーで)。
 書いたのは脚本の山岸きくみさんだそうだけれど、何者だ。パンフにプロフィールが書いてないぞ。ネットで検索しても、あとは『つげ義春ワールド「やもり」』しか書いてない。謎だ。

 すっかり妄想のトリコになったシズエに、リチャードは、「シィズエのこぅとぅ、エぃリザベスおぅばさんにセッツメイするたぁめにィ、イぃギリスへ行ッかなくてぇはぁ。でもミーにはおカネが今ないディス。飛行機代、貸してくゥれマスかァ?」と借金の申しこみ。
 ……イギリス系アメリカ人(ってなんだよ)が「イィギリス」なんて発音すんなよ(ーー;)。
 実は、リチャード佐川は名うての結婚詐欺師だったのだ!
 ……バレバレやがな。
 ペンションまでやってきたリチャードを怪しいと見破ったニヘイは、格闘の末、リチャードを崖から突き落としてしまった! いや、トドメさしたのはシズエだけど。
 ついに殺人か!
 しかも、てっきりガセだと思っていた道路が、ペンションの前から裏山にかけて開通することが決まったのだ!
 ……え? 裏山……?!
「……移し変えなくちゃ! 死体!」
 ペンションへ向かってやって来るパトカー!
 突然乱入する殺人犯!
 脈絡なく爆発する火山!
 踊るカタクリ家の面々!(だから踊ってる場合か!)

 ……あ〜、この映画の超絶的かつ、信じられないラストをご紹介したいところですが、さすがにそこまでバラすと映画を見る楽しみが殺がれると思いますので、隠しておきます。
 ともかく、この日記を書いてる今でも、あのラストはもしかしたら私の妄想か白昼夢ではないかと疑っております。
 アレは確実に『シベリア超特急』『ちんちろまい』を越えました。
 もう三池監督にかなう人は世界に存在しないと断言していいでしょう。
 ……誉めてんのか、これ。

 ああ、でも、惜しむらくはムダなカット、ムダなシーンがちょこちょこあること。あと10分短くしたら、シマリのいい映画になってたのになあ。
 沢田研次と松坂慶子のデュエットがヘタクソにしか聞こえないのはワザとそう歌ってるのか、ダンスが『勝手にしやがれ』&『愛の水中歌』のヘタなパロディにしかなってないからか。
 なにより、これだけのキャスト揃えてて、ホントに踊れるのが武田真治ただ一人というミュージカルにあるまじきものすごさが、この映画の全てを語っているだろう。
 ……ニッポンにもラジー賞作ろうよう。
 お客に投票させるんだったら、票集めしてやるから(^^)。


 帰りにUFOキャッチャーに寄ったら、一発で「ガメラ3」のソフビをゲット。これがまたリアルに出来てて、高さも20センチくらいあって、ごっつカッコエ〜んだわ。
 カタクリ家の幸福のオスソワケだろうか(^o^)。


 しげ、車の中で、今日、其ノ他くんが練習に遅刻したことに腹を立てたことを話す。低血圧がひどい其ノ他くん、しょっちゅう練習に遅刻しているらしいのだ。
 「でも、腹は立てたけど、嫌いになったわけじゃないんだよ。なのに、鴉まっちがビビって、『間に立った私はどうすればいいの!』ってハラハラしてんの」
 「……間に立たなきゃいいんじゃん」
 まあ、それでもうっかり立っちゃうのが鴉丸嬢の心配性なところだろうが。
 「あんまりビビらせるなよ。だって実際に怒ってりゃ、いくら『嫌いになってない』って言ったってそうは見えないだろ?」
 だいたい私がしげを怒った時は、しょっちゅう「嫌いになった?」と聞いてくるのだ。自分だって人に怒られたらビビるくせに、他人のちょっとしたミスを許せないとはココロが狭い、狭すぎる。
 ……不満そうな顔してるなあ、しげ。
 やっぱり分かっちゃいないんだよな。
 
 またまた「びっくりドンキー」で食事。
 珍しいものが食べてみたくてパインハンバーグを頼む。肉と果物って意外と合うよな。
 しげ、カフェオレを頼むがこれが苦かったらしく、泣きそうな顔になる。
 こんなこともあろうかと、私は例のコーラ三本分は入ってんじゃねーかという「びっくりコーラ」を頼んでいる。
 カフェオレをもらって、コーラを二人で分けて飲んだが、たまにこういうカンが働くところが自分でもコワイ。
 大学時代、「なんでオマエに彼女がいる!」と散々文句つけられたが、まあ、要所要所で女の子のツボを押さえてたせいだろう。大層なことでなくってさ、ささやかでいいのよ、たまにその子がほしいものを先読みしてあげる程度でね。
 でも、しょっちゅうやってると期待されるっつーか甘えられるようになるからやらない。女の子はある程度飢餓状態に置いておいた方が付き合い易いんである。
 そういうインケツなところが人間としてどうかと言われそうだな(^_^;)。


 夜はまたチャット。
 別に示し合わせたわけでもないのに16人も集まる。
 けど、残念ながら身近なネタばっか喋ってたんで、詳しく書くとさ、見られたくない人に見られた時、とっても困る状態になりかねないので書けんのよ。
 悪しからず。

2001年02月23日(金) 哀愁列車/『ちょびっツ』1巻(CLAMP)ほか


2002年02月22日(金) また買ったぞDVDBOX/『墨汁一滴』『ボクのらくがき帖』『石ノ森マンガ学園』(石ノ森章太郎)ほか

 年がら年中風邪引きまくってる感じだが、今日もノドが痛い。血便は薬がやっと効き始めたのか、ここ数日は止まっているのだが(やっとかよ)、今度はノドに来やがった。
 一つが終わると次のが来るって、までローンがローンを呼ぶようだな(借りたことあるのかよ、おめーは)。

 仕事もひと段落ついてるので、半日で帰ろうとしげにメールを入れるが、「ごめん。ムチャキツイから、一人で帰って」とのこと。
 ……確かに私もキツイが、かといって、またタクシー使うのも散財だしなあ。
 せっかく時間があるのだから、と、そのままバスと地下鉄を乗り継いで天神へ。
 今日は『コメットさんBOX(上巻)』と『仮面の忍者赤影/第三部根来編』というデカイのが二つもあるので、他にもほしいDVDがあるのだが、泣く泣く諦める。……と言っても、悩んでいるのは『シベリア超特急2 完全版』(劇場公開版に更に「どんでん返し」を付けたとよ)とか『クイーンコング』だったりするのだが。
 ……AIQのどなたかが買わないかなあ……と言っても、みなさんが既に「あのBOX」や「かのBOX」をご購入の予定であることも知っているので、押しつけるように「買ってくれよう」なんて言うことはできない。
 劇団の連中はそろって貧乏ときてやがるし。
 ……そういえば東京のこうたろうくんにも「『シャーロック・ホームズの冒険BOX』(NHKの実写版の方ね)買ったかよ」と聞いたら泣いていたっけ(^o^)。
 家族がいるとなあ、どうしても泣く泣く諦めるって事態になるからなあ。
 けど、家族がいなけりゃいないで、今度は歯止めがなくなってカネもないのにBOX衝動買い、なんてことになりかねないのだ。
 そうなると今以上に生活が逼迫するのは必然なので、これでもガマンしているブツがゴマンとある。
 私だって、『コメットさんBOX』をゲットするために、『どろろ』BOXと『悟空の大冒険』BOXは諦めたのだよ。
 服なんて買わなくていい!
 食事は毎日カップラーメンだ!
 タクシーなんか使うな、歩くか自転車だ!
 溜めたカネは全部イベントかハード・ソフトに回せ!
 オタクたるもの、こう行きたいとこだね。

 「LIMB」を回ると、ちょうどこの連休限定で「石ノ森章太郎版画展」をやっている。
 たいてい「松本零士」とか「天野喜孝」とか、この手の「版画展」は、法外な値段で複製リトグラフなんかを売りつけようってのが殆どなんで、あまり足を踏み入れることはしないのだが、今回は『サイボーグ009』の原画展示があるというので、つい覗いてしまう。
 う、うわああああ!
 まさしくナマのナマのナマ原稿、しかも「009誕生編プロローグ」に「地下帝国ヨミ編」最終回!
 あの、「ジョー、君はどこに落ちたい?」のシーンが石森さんが今描いたばかりのような筆致で筆致で筆致で!
 原画には、印刷されたものでは防護服なんかに貼られてたトーンが一切ないのね。代わりに薄く色鉛筆で青く塗ってある。たしか出版社によって、トーンがあるものとないものの異動が激しいから、この「鉛筆」は色の指示で、その時々で版下作ってトーン貼ったり貼らなかったり、色塗ったり塗らなかったりしてるんだろうな。
 白黒マンガをカラーマンガに描き換えたりする機会があることを考えての処理だろう。たしか『009』、オールカラー版が出たことあるし。
 斜線はやっぱり時代が時代だから、全部手描きだなあ。
 この辺はアシスタントだろうけど、そう線に乱れがないのはさすが。なのにちゃんと温かみがある。定規で引いた線じゃ、この味は出ないんだよね。
 ああ、見に来てよかった。
 やっぱり売り子が「スーツケース買いませんか?」と寄って来たけど(^_^;)。

 スーツケースは買わないで、ネクタイと、『墨汁一滴』と『ボクのらくがき帖』の2冊を買う。
 ネクタイはちょっとシックな薄いグレーか銀色の(色弱なんで細かい色の区別は分からん)地に、うっすらと009の柄が浮かんでいる。ポツンと何ヶ所かだけ、赤い防護服を着た009が。
 これくらいならたいして派手じゃないし、職場にもしていけるな、と購入。ほかにちょっとほしいもので、抱き枕があったんだけど、お値段がちょっとお高めだったので断念。
 やっぱり売り子が側に寄ってきて、「あっ、この絵柄が私も一番好きなんですよ!」と見えすいたおべんちゃら。だから、版画は要らんてばよ。
 そんな手にやすやすと乗るほど、私が若いムスメに弱いように見えるのかねえ。
 まあ、タマには弱いのは否定せんが(^o^)。


 福家書店に回って新刊の小説やマンガなどを購入。
 歩きながらでもげほげほと咳が出るのでだが、あと映画『カタクリ家の幸福』の前売券を買わねばならないので、博多駅に回る。
 つい、紀伊國屋書店に足を向けたのがウンの尽きで、扶桑社文庫から山田風太郎の『妖異金瓶梅』の完全版が出ているのを発見。今までの版は『銭鬼』と『人魚燈籠』の二編が未収録だったのだ。
 ……全部読んではいるからまた買うのもなあ、と思ったが、考えてみたら、細かい内容は忘れている。すぐには読まないだろうが、「保存用」と自分を騙して購入。
 既に角川文庫や廣済堂文庫で買ってる、という人もおられようが、これはもう一度買いなさい(^^)。値段は820円とお高いが、江戸川乱歩、高木彬光が「山田風太郎本格探偵小説の最高傑作」と絶賛したシリーズなのだ。

 考えてみたら昼飯もまだ食ってないや、それで力が出ないんだと、バスチカのラーメン屋で遅い昼飯。
 博多のラーメンではここが標準のようなもので、可もなく不可もなし。
 食べ終わってバス停に上って行くと、ちょうどグッドタイミングでバスが来る。タクシー代を使わずにすんでよかったよかった。

 帰宅して後は夜まで泥のように眠る。


 今夜もまた某チャットで『グインサーガ』話。
 「某」「某」となんではっきりどこのサイトか書かないんだと文句を言われそうだが、書きたくっても書けない事情があるのよ。わかってる人にはバレバレなんだけどもさ。
 初めは、『グインサーガ』の第1巻、『豹頭の仮面』が、ある病気の方を差別する表現があったということで、改訂された話から始まって、「差別とは何か」ってな話題、引いては「現代教育論」みたいなマジメな話に移って行く。
 「現代のサラリーマン教師に、本当に教育改革ができるのか」とかいう話になるものだから、昔っから学校否定論者である私は、「できるわけねぇベ」と茶々を入れる。
 そこでつい、断定的な言い方をしてしまったものだから、おかげでチャットに参加した何人かの人を怒らせてしまった。
 言葉遣いには気をつけなきゃならないなあとは思うが、でも、言葉で伝達できる情報量なんて実はすごく少ないのである。本気で相手と心と心をつなぎ合わせようと思ったら、諍いくらいは覚悟して当然なんである。
 誤解は必ずあるのだから、何が誤解かをハッキリさせていこうという会話こそが、一番していて楽しいのだ。
 こーゆーマジメな話がここのチャットで展開されることは珍しいのだが、日頃はシモの話とかシモの話とかシモの話とかしかしない人間が、その底のとこではマジメなんだなあ、ということがわかってオモシロイ。
 根っからフザケタ野郎ってのはもしかしたら私だけなのかも(^_^;)。


 石ノ森章太郎『墨汁一滴』『ボクのらくがき帖』(H2O・2500円)。
 説明の必要もないほど有名な、若き日の石森さんほか、赤塚不二夫、長谷邦夫、徳南晴一郎、高井研一郎ほかが集結して作っていた肉筆回覧誌、『墨汁一滴』。その中から石森さんの執筆した分だけを集めたものと、石森さん個人のスケッチブックや絵コンテ帖から抜粋したデッサンや未発表マンガを集めたもの。
 トキワ荘グループの中で、「天才少年」と称されていた石森さんだが、絵自体を見ると、「これくらいのデッサン力なら、今日びの美術学校に通ってる学生でも描けるんじゃないか、と誤解されてしまうのではないか。
 けれど、石森さんの凄さは、その描く「スピード」にあったと伝えられる。
 「よほど自信がないとあの線は描けない」と評したのは藤子Fさんだったと思うが、マンガのみならず、生物や人物の素描においても、その直観的な対象把握能力は発揮されたのであろう。
 オードリー・ヘプバーンや、ジャン・ギャバンの素描など、精密なデッサンもあればラフなやつもある。実際にマンガに使えそうなキャラクター化したものもあれば、アート風なものもある。まるで一つの対象からどのようなデフォルメが可能であるか、あらゆる方法を試そうとしているかのようだ。
 ……私もやったのよ、へプバーンは何枚も。
 やればやるほど、似ねえ似ねえ(^_^;)。
 必ずしもうまいとは言えないデッサンも多いが、その全てに感じられるのはマンガに対する情熱だ。
 線を一本引く。その線がつながる。やがて線が形をなし、人になる、家になる、山になる、風になる。
 この無から有が生まれて行く過程が、まさしく自分の手によって紡ぎあげられているのだという快感を一度味わったら、絵を描くことが(たとえヘタでも)好きでたまらなくなる。
 その思いが伝わってくるのだ。この画集からは。
 ちょっとくらい値段が高くたって、へっちゃらだい(ホントか?)。


 今日は石ノ森三連発。
 石ノ森章太郎『石ノ森マンガ学園』(集英社/ホーム社漫画文庫・700円)。
 石森章太郎は、マンガ入門書を何冊も描いている。
 もちろん、それは手塚治虫の『漫画大学』などの顰に倣ったものだろうが、昭和40年代までの一時期、マンガ家を目指す者にとって、石森さんの『マンガ家入門』、『続・マンガ家入門』は、手塚さんの諸作以上の「バイブル」であった。
 もちろん、私も、学校の図書館にあった『マンガ家入門』をページが破れるほどに熟読した(破んなよ)。
 私も手遊びにマンガを描いたりするが、よく「高橋留美子に似てる」とか言われてるけど、ベースにあるのは石ノ森章太郎であり、永井豪なんである。
 藤子・F・不二雄さんが当時マンガ家入門書を描いていたら、そちらにもハマったと思うが、残念ながら『藤子不二雄漫画ゼミナール』を藤子さんが描くのは昭和50年代に入ってからである。しかも、質・量ともに、とても石ノ森さんの労作に及ぶものではなく、ガックリしたものだった。
 何より、情熱が違った。
 単に「マンガの絵が描ける」というレベルの問題ではない。
 プロットの立て方、ストーリーの組み立て方、構図、コマとコマの間、後に夏目房之介・竹熊健太郎が分析していくマンガの心理的効果を、自作の『竜神沼』などを例に使って、微に入り細に入り詳細に説明してくれていたのだ。
 今でも、マンガ家入門書みたいなものは色々な形で発行され続けている。けれど、例えば私が『コミッカーズ』にいまいちハマれないのは、そこに「テクニック」重視のあまり、マンガにおける「ドラマ」とは何かって要素が欠落してることが多いからだ。
 石森さんの技法は、今の眼で見ると稚拙に見えるかもしれない。
 けれど、我々マンガ少年は、何よりあの昭和40年代、石森さんの「新しき人目覚めよ」のコールに魂を揺さぶられたのだ。
 「この本を読めば、マンガ家になれる」、ではない。

 「この本を読んで、マンガ家になろう」、みんな、そう思っていたのだ。
 実はまだ思い続けている(^_^;)。

 この本は、『マンガ家入門』のさらにその後、「少年キング」に連載されたものを単行本化したものを、30年ぶりに新編集して再刊したものだ。前著ほどにページが与えられていないせいか、やや薄味の印象があるが、それでも『佐武と市捕物控』や『さるとびエッちゃん』など、自作を使った作品分析は貴重である。
 特に『サイボーグ009』ファンには、その設定資料が紹介されているのが必見だろう。


 マンガ、水木しげる著、京極夏彦監修・装幀、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 ゲゲゲの鬼太郎』2巻(講談社インターナショナル・998円)。
 今回はバラエティー編というところか、セレクトされたのは『水虎/THE H2OGRE』『妖怪城/GOBLIN CASTLE』『おばけナイター/NIGHT GAME WITH MONSTERS』『磯女/THE BEACH WITCH』『猫娘とねずみ男/CATCHICK AND RATMAN』『夜叉/THE YASHA』の6本。
 「妖怪」を、一つとして同じ訳で表してないのはスゴイが、だとしても「水虎」が「エイチ・ツー・オーグル」ってシャレはちょっとふざけてるよなあ。もっとも水木さんのマンガには怪奇ものでありながら天然のユーモアが混じっているから、何となくピッタリしてるような気もする。
 「カマイタチ」を“PSYCLONE”と訳すのは迷ったんじゃないかなあ。確かに風が真空を作って人の体を切る現象だけれど、言葉を直訳すれば、“SICKLE WEASEL”だし、こっちのほうが妖怪っぽくはある。
 けど、「鎌を持った鼬がどうして旋風のことなのか?」って説明はできないから仕方ないかな。
 あちこちよく見ると、意外と訳しかたが適当である。
 猫娘がねずみ男に飛びかかる時の音「ぴょん」が、英語では“PYOING”……こりゃいくらなんでも造語だろう。ほんとに外人さんに伝わってんのかって気もするけど、その適当さも水木さんのマンガらしいのかな。
 どうせ異文化の産物、根っから理解できるわけもないんだから、ヘンな言葉が出て来て混乱するのも、読む楽しみの一つと考えてもらおうかな。『時計じかけのオレンジ』みたいに(^o^)。

2001年02月22日(木) 霧の摩周湖(行ったことない)/『スレイヤーズすぺしゃる』2巻(神坂一・トミイ大塚)ほか


2002年02月21日(木) アホがアホを教育したってねえ/アニメ『七人のナナ』第7話/『鉄鋼無敵科学大魔號改』(唐沢なをき)ほか

 仕事に余裕が生まれてきたので、本もちょっと読めるようになってきた。
 マンガも好きだけど、やっぱり基本的に私は活字中毒なんである。

 晩御飯は、ほっかほっか亭のほか弁。
 つくづく自分とこで料理作らん家庭だなと思うが、私が主婦なら、安上がりでうまい料理を毎日作ったって、飽きたりしないんだがな。
 私は野菜いためとハンバーグ&ミニカツ弁当、しげはビーフ弁当とチキン南蛮。全部平らげて言うのもなんだが、もう少しあっさりした弁当ってないのかな。


 アニメ『七人のナナ』第7話「夜食モグモグ! 料理勝負も受験のために?」。
 もちろん、「今川泰宏監督」でもって、「料理勝負」と来れば、アレを思い出さないわけにはいくまい。
 そうっ! 「味皇様」であるっ!(^o^)
 ……実はちょっと期待しちゃったんだけどね、突然、謎の老人が乱入してきて、ナナの料理を食べるやいなや、宇宙空間にワープして「うまいぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!」……んなことするワケないって。
 でも、「夜食勝負」とかテーマを設定するあたり、確かに料理マンガっつーか料理ドラマの基本を作っちゃったんだよね、アレが。
 
 熱を出して倒れたナナに代わって学校に行ったナナっち、その日の調理実習で、神近くんに食べてもらおうと意気込んだはいいものの、完成した料理をテーブルに運ぶ時に、木枯、林葉、森沼の3人組に足を引っかけられて、せっかく作った料理を床にぶちまけてしまった。
 そこでナナっちは、一週間後に3人組と料理勝負をすることになってしまうのだけれど……。

 ナナたちに頼んで、全国から一流の素材を集めて……って、こないだの『009』とおんなじ筋やがな。けど、その食材が間に合わなくって、ナナっちが使える食材はお米と卵だけ。
 フランス料理をこっそり取り寄せてた3人組には勝てそうもない……ところが、その残された食材だけで作ったおにぎりと卵焼きこそが「夜食」にピッタリ、ということで、勝負はナナっちの勝ち。

 まあ、オチの見えた話ではあるんだけれど、主役をオリジナルナナからナナっちに移してるところがミソかな。多分これからそれぞれのナナが主役のエピソードを積み重ねて行くんだろうけれど、ちょっと小ぢんまりとまとまってきてるような印象だなあ。今川監督のファンはもう少し破天荒な展開を期待してると思うんだけど。


 ああ、つい『キャプテンウルトラ』と『サクラ大戦』見損ねた。
 いや、絶対見なきゃならんほどじゃない番組だけどさ、『サクラ』見てるとね、横山智佐って声優として未来がないような気がして、つい同情して見ちゃうのよ。
 CSファミリー劇場『南くんの恋人』第2話。
 先週の第1話の感想も書いてなかったなあ。
 悪口書きまくると思ってる人、いるでしょう(^^)。
 なんたってよう、この番組に出てる○○○○がよう、チバレイに○○○○○○○○○○○○○○、チバレイ、役者を引退しちゃったんだもんなあ。
 私に悪口以外の何を書けというのか。
 しかし主演の高橋由美子、芝居へったくそだなあ。
 いや、他にうまい俳優がこの番組にどれだけ出てるかってと言やあ、その通りなんだけれど、それにしてもヘタだ。顔だちはそう悪くないのに演技力のなさで損してるよなあ。……後に『ショムニ』で色モノに行っちゃったのもわかるような。


 『ここがヘンだよ日本人』、もうすぐ最終回ってことで、なんか「ここヘンサミット」とかいうのを先週から放送してるけど、ある意味、総集編だってのに実につまんない。
 最初は、日本人のヘンテコさをホントに外人さんたちに指摘させる感じの番組だったんだけど、集まって来る外人さんたちがどんどん「ヤラセ」っぽくなっちゃったもんねえ。
 疑いの眼でモノを見るのはよくないことかもしれないが、あの苛められたって女の子の演技っぽさはなんなんだろう。
 東洋系にしか見えないアメリカ人が「鯨は人間より頭いいんだよ!」とアタマの悪い発言をするのはなぜなのか。
 「ホモは精神病」と、医学的知識を無視して叫ぶアフリカ人たちは「黒人は白人より種族的に劣る」と言われたら納得するのか。
 ノストラダムスの大予言を外した連中が新たに解読をし直して平然としてられる神経はなんなのか。
 これが単に出てる外人たちがのきなみアホだってんならまだいいんだが、そういうキテレツな言動で視聴者を面白がらせてるつもりなら、芸としてはちょっと低劣すぎないか(この「低劣」というのは番組自体が「下らない」とか「下劣」という意味ではなく、製作者が視聴者のレベルを低く見積もってるって意味である)。
 ま、終わる番組だから別にいいけど。


 夜、チャットをしていてマンガ家のねこぢるさんの話題になる。
 マンガ家の死に方でどうにもやりきれないのは、自殺と過労死だと思う。チャットでは自殺の原因はラリってたからじゃないかと推測されてた方がいたが、ラリってても死にたくなる人とそうでない人はいるだろう。
 夫のねこぢるyさんがそのあたりの事情を黙して語らぬだけに、何となく推測することも憚られるが、あんなに世間の悪意に敏感な人は、自分自身の悪意ゆえに死の道を歩むこともあるのだろうか、という気がしている。
 憎まれっ子世に憚るではないが、世に永らえる者の多くは、自分自身の悪に無自覚であることが多い。それを我々もまた気付かずに「善人」と呼んでいるのだ。
 世の中、もちっと悪人が増えててくれたほうがいいんだがな。


 夜から雨が降る。
 本を買いにブックセンターホンダへ。
 今月、やたらとモノイリがあるってのに、本ばっかり買ってていいのか。む


 マンガ、唐沢なをき『鉄鋼無敵科学大魔號改』(講談社・735円)。
 タイトルだけだと見逃しちゃいやすいんだけれども、『鉄鋼無敵科学大魔號』の続編。だから「改」なわけだね。
 この「改」って、やっぱりルーツは『紫電改のタカ』あたりになるんかな。若い読者(いるんかそんなん)のためを考えると、この「紫電改」についても詳しく述べねばならんのだろうが、そんなん原稿用紙100枚使っても書ききれんわ。日本海軍の戦闘機の名前だということだけ知ってもらえりゃ、とりあえずタイトルからして唐沢さんがレトロなイメージを持ちこもうとしてるんだなってことがわかるであろう。
 だいたいこの「大魔號」のデザイン自体、大阪万博で公開されたロボット「信介くん」をモデルにしている(現在は「ゆうばりロボット博物館」で見られるとか)。『オトナ帝国』のずっと以前に、「万博」をキーワードにしたマンガをさりげなく描いてるあたり、唐沢さんの着眼点のスルドサが感じられるね。
 ……こうやって唐沢さんのマンガのもとネタ探しを始めたら、それだけで原稿用紙四百枚くらいかかってしまうのでやらないが(せめて「少年キッド」のもとネタが武内つなよしの『少年ジェット』で、「これはトクダネだわ!」の淀川ゆにこが『ウルトラQ』の江戸川由利子だってことくらいは解説せんでもわかってほしいんである)、もちろんネタがわかんなくったって面白いものは面白い。
 あ、でも、東宝特撮映画『海底軍艦』を先に見てると、今回は面白さが倍増するかも(^^)。

 レトロなモノが往々にして「ヘンテコ」に見えちゃうのは、その時代の価値観は、ほかの時代から見たらいつだって「ヘンテコ」だからなんであって、だったらそういうのを全部集めてもっとヘンにしましょ、みんなヘンならええじゃないか、という絶対平等の愛で唐沢さんのマンガは貫かれているのだ。だから楽しい。
 あっ、でも関西ネタで間寛平の「あへあへ」をさせてたのはポーズが違うぞ。しかもネタ的に吉本新喜劇が東京進出した十年前以降のネタしかないもんなあ。「このへんでカンベンしといたるわ」も池乃めだかのネタだと思ってんじゃないかなあ、唐沢さん。あれ、もともとは花紀京のネタなんだが。
 だいたい、「誰がカバやねん」の原哲男に触れずして吉本を語ってはならぬというのは吉本フリークの鉄則である。「船(せん)・場太郎です」も「いっいっいっいっいっ(木村進)」も「やめなはれ、やめなはれ、やめなはれ……やめろっちゅーとんのが○×△□……!(山田スミ子)」も唐沢さんはご存知ないらしい。
 おかげで「ネタが古すぎるのだっ!」てのがギャグとして利かないんだよなあ。これだけはこのマンガで唯一白けたギャグなんだけど、これは北海道出身の唐沢さんにはムリな話だろう。不得意な分野でギャグをかますもんじゃないってことなんだよな。
 考えてみたら、九州に生まれて何が得だったかって、関東と関西の番組が両方見られてたってことなんだよな。関東の落語も関西の漫才も子供のころから日常だった。『シャボン玉ホリデー』と『藤山寛美の3600秒』を同時期に見られてたんだもんねえ。
 もしかして東京でも見られてた関西の番組って、マンザイブーム以前は『てなもんや三度笠』くらいのもんじゃなかったのかなあ。藤田まことだけはしょっちゅうクレージーキャッツの映画にゲスト出演してたし。
 藤田まことと中尾ミエが婚約者同士で出演した時は東京・大阪・九州の笑いが揃い踏みしたことになるんだが、当時はお笑いの中に自分が入れられるのはイヤだったろうな、中尾ミエ。
 ……なんか、唐沢さんのマンガとなんの関係もなくなってきたからこのへんでやめよう(^o^)。

 
 マンガ、西岸良平『西岸良平名作集 蜃気郎�掘戞柄侏媼辧�300円)。
 3巻で完結か。
 せっかく新登場させた蜃気郎の妹、黒猫やまとが3話だけしか出てこないってのがちょっともったいない感じだけど、ダラダラ続いてもつまんないからこのへんが妥当なとこか。
 それにしても「黒猫やまと」ってネーミングセンスはなんとかならんのか。「蜃気郎」がよくできてるだけに、このいい加減さがちょっとガックリくるんだよね。まあ、それが西岸さんらしいとこなのかもしれないけれど。


 高木幹夫・日能研『自分の子供は自分で守れ 「学力」ってなんだろう 日能研はこう考える』(講談社文庫・580円)。
 なっげータイトル。土曜ワイドか(^^)。
 こういう副題がやたら長ったらしいのは、たいていの場合、読者・視聴者を「これくらい説明してやらないとわかんないだろうな」ってバカにしてるので、たとえその中味がどんなに胸を打つものであったとしても、あまり信用しちゃイカンのである。
 ……とは言え、「円周率3.14が『およそ3』になる」キャンペーンを張った日能研、一気に「日本人の学力はどうなるのか?」と煽りたてて反作用的に「塾の必要性」を訴えることに成功しただけのことはあって、その辺のホンネはあまり表に出してない。
 そのへんが巧妙っつーか、ちょっと卑怯だ。

 中学までで教育は終わり、とする「完結教育」を選ぶか、中学は高校、ひいては大学進学のための準備、とする「進学準備教育」を選ぶか、今の親たちはそれを考えてない、とこの本の作者は述べてるが、親たちにそういう選択を任さないようにしてきたシステムについては、塾である日能研にも責任の一端があるのではないかねえ。
 だいたい、親が「義務教育だけで教育は充分」と考えてる実体が、この日本の家庭にどれだけあるというのか。「円周率問題」では、生徒の学力低下を危惧する世論に追いたてられるように、文科省は「教科書の内容は最低ライン」と苦し紛れの言い訳をしたが、それで「あ、子供はこれだけ勉強したら、それ以上やらなくてもいいんだ」と納得した親なんていなかったぞ。

 学力が低下したって、生きて行く上で困ることなんて、別に何もない。
 しかし、日本の親たちはみんな、そんなふうには考えなかった。
 「せめて高校だけは出ておかないと」。
 「高校卒業の資格がないと、就職もできないぞ」。
 「中卒なんて恥ずかしい」。
 「たとえその教育の中味がどんなに社会的に無駄なものであろうと構わない、子供を高校・大学と進学させたい」。
 そう考えたのが日本の親たちのホンネであるのだ。
 2、30年前なら、そのへんにザラにいた、「別に高校の資格なんていらない商売をすればいいじゃないか。屋台引けよ屋台」ってな発想で子供を教育してた親は、今や日本のどこにもどこにもいなくなってしまった。
 ……あのさ、3.14ショックっていうけどさ、私たちだって、最初に円周率を習った時は「3」って習ったんだよ。それを小学校高学年で、「実は3.14」って「覚えさせ直された」わけ。その当時「だったら最初から3.14って教えとけよ」って釈然としなかったこと覚えてるからね。
 「『およそ3』についての学力低下」を叫ぶんだったら、もっと昔に言っとけよって。
 学校五日制に対する親の不安だって、結局は「自分の子供だけが落ちこぼれて行くんじゃないか」というのがその正体なんだよね。逆に言えば、「自分の子供が抜きん出ることができるなら、学校五日制には反対でなくなる」ってわけ。
 だから、今、学校五日制に賛成してるのは、ホントに数少なくなった「学校の勉強よりももっと大切なことが人生にはある。休みの日はどんどん遊べ」と考えてる親か、全く逆に「休みが増えればウチの子は自ら学んで勉強する。レベルの低い学校の授業を受けずにすんでラッキーだ」と考えてる親かの、両極端に分かれてしまっている。
 でもそんな親は全体の1割。
 たいていの親は「他人のことなんて考えてないエゴイスト」だ。
 よく「自分さえよけりゃいいのか」とか「人に迷惑をかけるな」とか言って子供に説教タレる親がいるが、そういう親はそのセリフ自体が「平等」を装った「差別」であることに気づいてないもんね。自分がラッキーな立場に立ったら、絶対にこんなこと言わないんだからさ、こいつらは。
 「子供のため」なんてことも親はよく言うけど、それは「自分の子供のため」であって、「みんなのため」じゃないのだ。あ〜見苦しい。

 で、文科省は「そんなエゴイストの親は相手にできまへんわ。ウチラは『これだけの学力』しか生徒に提供せえへんさかい、後は塾で学ばせるなと、勝手にしなはれ」と今回の改訂で言い放ったわけだ。まあ、結果的にそうなったってことではあるんだけれど。
 はい、そこに「塾」が付け入る隙ができちゃったわけですね。
 日能研がズルイのは、タイトル通り、「子供の教育は親が考えろ、学校にまかすな」とは言ってるけれど、ターゲットにしてるのは「勉強なんていらないじゃん」って生徒じゃないってことなんだよね。
 だって、「今時、中卒で就職できる企業なんてない」って事実を、この本の中じゃひとっことも触れてないんだから。
 あえてそのことに「触れない」ことで(触れりゃ、それを解消する手段だって提示しなきゃなんないけど、「塾」がそれをするわけない)、親を「進学準備」のための「塾」に誘おうって魂胆だからね。
 所詮は「塾」だって「商売」よ、当然なことだけどさ。

 確かに、教育改革と行政改革が連動していないという知名的な欠点が今度の改訂にはある。中卒で教育過程を修了させるつもりなら、その時点で就職できる受け皿を、各官公庁がまず率先して広げてかなきゃなんないのに、全く逆にどんどん公務員は「狭き門」になってきている。
 いや、だいたい「教科書の内容は最低ライン」とするなら、義務教育修了者は全員「満点」でないと卒業させられないことになるが、そこまで指示してるかね、文科省が。
 結局、「文科省のやることは信用できない」というキャンペーンが功を奏して親たちはゾロゾロと、「塾へ塾へ」と流れる現象を生み出したわけだ。
 けどさあ、この本でもチラッとだけ触れてるけど、ここまで不況が続いちゃうとさあ、「学歴」ってやつがどんどん意味なくなっていくんだよね。みんながみんな「せめて高校」「せめて大学」でゾロゾロ高学歴目指したって、結局は学力のアベレージが下がるだけで、結果的に「学歴」を無効力化することにしかならんわけ。
 「分数ができない大学生」が問題になってるが「九九のできない大学生」だって量産されることになるわけだな。「学力低下」を心配するなら、そういう「社会状況」こそを心配せねばならんのだけどね。
 だとしたら。
 意外とこの杜撰な教育改革、文科省は故意にやってる面があるのかも知れない。
 なぜなら、文科省は同時に「高校・大学の統廃合」も積極的に行っているからだ。
 少子化のせいで誰もが楽して進学できるようになってきた。だからもっと高校大学を狭き門に、というのは分かる。けれど、狭き門にしたって、入って来る連中がやっぱり「みんな揃ってパープー」じゃ状況は改善されない。
 休日に塾にも行かず呆けた連中と、そうでない連中とでは、当然、差がつくはずだ。「大多数の生徒の学力を低下させる」ことをすれば、「それでもなお休日を使っても勉強するやつ」はホントの実力者ってことになるのではないか。
 「自発的なエリート」、これを文科省は生み出そうとしてるのではないか。

 ……んなわけないな。
 だいたい、休日に親から塾に行かせられる子供のどこに本当の意味での「自主性」が生まれるかいって。エリートどころかエゴイストを量産するだけだわ。
 行き当たりばったりの教育改革がどこへ迷走して行くか、これからが楽しみだねえ。

2001年02月21日(水) 買い物ブギ/『ブギーポップは笑わない』第1巻(緒方剛志)ほか


2002年02月20日(水) 福岡演劇事情/『KATSU!』1巻(あだち充)/『サムライ・レンズマン』(古橋秀之)ほか

 福岡には「ももちパレス」という演劇・コンサート専門の劇場がある。
 名前通り、百道(ももち)にあるんだが、「よかとぴあ」が開かれる前には、この百道ってとこ、ただの海水浴場で、そんなに年がら年中賑わってたとこじゃ無かった。
 今やホークスタウンが出来て、福岡の集客率ナンバーワンかツーかってとこにまでなっちゃったんだけど、そうなる前から、私はときどきこの「ももちパレス」に行っていた。
 もちろん、演劇の公演を見に行くためにである。
 夢の遊眠社の『半神』の福岡公演もここで見た。あのころの野田秀樹はおもしろかったなあ。
 東京の名だたる劇団が福岡公演を打つ時には、たいていここを使っていたのである。というか、20年以上前になると、福岡で演劇が上演可能なところと言ったら、少年文化会館(高校演劇大会の類はたいていここで上演される)か、福岡市民会館(歌舞伎や新派はここを利用することが多い)か、郵便貯金会館(現在のメルパルクホール福岡。単発の公演はここが多い)くらいしかなかったのだ。
 しかもこれらは全て「演劇専門」というわけではない。
 「ももちパレス」は、演劇人にとっては、「唯一」福岡で本格的な演劇を見せることのできる劇場だったんである。
 しかし、今、福岡の演劇事情はぐっと変わった。
 大劇場、といった感じの施設が、この20年で立て続けに建てられれていった。
 博多埠頭の「福岡サンパレス」を初めとして、「大野城まどかぴあ」や、川端の「博多座」、住吉キャナルシティの「劇団四季福岡」。
 「宗像ユリックス」はちょっと遠いけど(なぜか三谷幸喜の芝居はここが多い)。
 これらと競合するのに、「ももちパレス」は福岡都心部からいかにも遠かった。なにも百道くんだりまで行かずとも、公演が打てるようになったのである。と宇今日の劇団は、こぞって福岡都心部に公演の拠点を移した。
 必然的にももちパレスは寂れて行く。百道自体に客は集まっていたが、魅力のない芝居にまで足を伸ばす客は少なかったし、たまにいい公演をやっても、ホークスタウンに集まる野球バカどもは、演劇を見るような知性をカケラも持ち合わせてはいなかったのである。
 で、ついに決まっちゃったわけだ。
 ももちパレスの廃止が。
 
 昨日、2月19日、特に公演があるわけでもないのに、仲代達矢・山本圭・栗原小巻の三氏が福岡市庁を訪れた。
 ももちパレス存続の陳情である。
 俳優座や無名塾、実は毎年のようにこの「ももちパレス」で公演を打ってたんである。
 福岡に住んでる人でも意外と知らない人多いんだよねー。
 理由は簡単。
 平日、火・水・木の三日間とか、そんな集客率がいかにも悪そうなときしか上演しなかったからなんだよ。
 どうして土・日を避けたかって?
 避けたわけじゃない、土・日は予約がいっぱいで、公演打とうにも打てなかったんだ。
 どこぞの婦人会の日舞の発表会とかのせいでな。
 それでも仲代さんたちはしょっちゅう来てくれてたんだよ、福岡に。見に行きたくてもいけなかったけどさ。
 なのに廃止だ。
 あくまで「ももち」に拘ってた仲代さんたちが改めてほかの劇場を探すのには骨が折れる。下手をしたら、福岡公演自体を断念しなきゃならないことだってありえる(福岡にプロデュース公演は多くても劇団の巡業が少ないのは「ペイしない」ってのがやっぱり大きいんだよね)。
 だから陳情に来られたというのも、おカネのことよりもなによりも、「福岡の人たちに芝居を見てもらいたい」っていう心からの気持ちなんだろうけど……。
 いくら市に陳情してもねえ、いったん廃止が決まったものをそうそう取り消しはできないんじゃないか。
 おそらく、というか確実に仲代さんたちの陳情は無視されるだろう。
 政治的に動いてどうにかさせるってこと、演劇人はホントに不得意だ。 


 ちょっとおカネがはいったので、仕事帰りにしげとラーメン屋で食事。
 なんの気なしに入った店だったけど、餃子とラーメンが意外においしい。
 しかも、なんの記念日なんだかわからんが、この店、今日に限ってラーメンが半額!
 つまり、二杯食ってもおカネは一杯分!
 あのね、アナタ、300円のラーメンが150円で食べれるとですよ、こげなうれしかこつ、ありまっしぇん(T∇T)。
 おかげで、つい、替え玉をしてしまう。
 カロリーめちゃ高いのに。
 ここんとこ確実に胴回りが太くなってんのに。
 でもラーメン、うまかったんだよー。
 餃子はしげにはイマイチだったみたいだけど。全くどうしてそんなに餃子にだけはウルサイのだ、贅沢者め。
 ああ、次の検査の結果がコハヒ……(自業自得だっつーの)。


 アニメ『ヒカルの碁』第十九局「ヒカルの実力」。
 あっ、やっとヒカルのじーちゃん登場。
 本当なら第1話で登場しとかなきゃならないのにカットされてたものな。もしかしたら監督交替って、そういう原作改変に対する抗議が強かったせいもあるのかも。
 けどまたちょっと作画が荒れ出したな。
 それでも各話ごとの差がそれほど激しくないから、まあ見れるけど。

 コンビニに寄って、原作マンガの方も見てみるが、小畑さん、絵がさらにうまくなってるのがよくわかる。今の絵で連載初期のシチュエーションをもう一度描くとああなるのね。いやーアキラくん美しいわ。
 原作者のほったさん、第2部のために韓国の取材をしてるってことだけど、やっぱりこれからは「ヒカルVSたくさんの棋士たち」編になるのかな。


 夜、東京のこうたろうくんから「ジブリ美術館のチケットが取れたよ」と電話。
 ははは、これでたとえシティボーイズのチケットが取れなくてもゴールデンウィークの東京行きは決定だ。
 それはいいんだが、問題は交通費。
 少しでも安く上げるにゃどうしたらいいかしげに調べてもらったんだが、ともかく連休を外せば一人いちまんえん以上得するんだそうだ。
 つまり、東京には4月の27、28、29と行く予定なのだが、26日の夜に出かけて、30日の朝一番で帰れば、飛行機代がそれだけ浮くのである。
 しげはそうしないか、としきりに誘うが、そうなると、30日に仕事を休まないといけなくなるし、はて、どうしたものか。
 「あのさあ」
 「なに?」
 「そうやって、飛行機代を浮かせるのはいいけど、その分、宿泊費がかかるわけじゃん。それはどうすんの?」
 「だから、飛行機代が安くついた分より安いとこに泊まるの」
 「たいした差がないんじゃない? それなら前日に多少高くても早目に帰ったほうがよくない? 仕事前に休めるし」
 「いいと? どこも回れんよ?」
 「回れんも何も、俺が行きたいとこに絶対行かせてくれんやん。それじゃ余計にいたって意味ないし」
 「そんならいいよ、一人で行けば!」
 だぁかぁらぁ、そこでどうして拗ねるかなあ。
 もっとも、その私の行きたいところが「神田神保町古本屋巡り」であることが問題なのかもしれないが。
 ちょっとこの件はもう少し話がもつれそうである。


 もう習慣になりつつある深夜のチャット。
 なぜか今日は「貧乏メシ」話で盛りあがる。
 「ご飯に醤油だけで食ってた」程度はみんな経験してるんだなあ。どうしてみんなそんなに貧乏。
 私の場合、大学時代に貧乏だったのは、生活費を削って本と映画におカネをつぎこんでたせいなんで、同情には値しないんだが。
 「カップラーメンを水だけで食う」とかもみんな実験してたんだねえ。でもあれ、まずいだけだから、まだ舐めるだけの方がましなんだけど。
 「齧っちゃダメ、舐めるべし!」と書きこんだら受けた。
 ……実践理性は純粋理性を凌駕するってか?
 「ここのメンツはサバイバルになっても生き残れるなあ」の書き込みに、「でも健康管理ができずに死ぬ」のレスがついたのに爆笑。
 このホームページを本にして売ったら売れるんじゃないかとの意見も出てたが、さて、管理者の方がそんなしちめんどくさいことをされるかどうか。
 それに、こういう会話をだけに知られることもなく、参加者だけが共有する楽しみ、そういう一種の「特権意識」ってのも楽しかったりするんである。
 例えて言うなら、悟りを開いた仏陀が、「こんなステキなこと、人に教えたくないな!」としばらく悟ったことを隠してた心理につながるような(聞くだにインケツなオヤジだな、仏陀って)。
 「究極の贅沢」ってやつなんだよね。チャットって。


 マンガ、あだち充『KATSU!』1巻(小学館・410円)。
 ボクシングものかあ。
 前にもやったぞ、『スローステップ』だったっけ。
 また、二番煎じでいいのかあだち充……と言っても、今更あだち充がどう作風を変えればいいのかって言われりゃ答えようがないね、やっぱし。
 実際、ちょっとでも「いつもと違う」ことしようとすると人気出なくなるものね、あだちさんの場合。
 私の好きなあだち作品は『虹色とうがらし』と『いつも美空』だったりするんだが、前者が11巻、後者は5巻で打ち切られた。結構描いてるじゃんってことにゃならんのだよねー、なんたって20巻、30巻出すのがフツーの人だから。
 で、この二作に共通してるのがSFだってこと。
 別にSFとしてイマイチってほどでもないから、やっぱり「あだち充とSFのイメージが合わない」という読者の思いこみのせいで人気が出なかったんじゃないかなあって気がする。
 でも、作家のイメージをこうって決めつけるのって、その人の幅を狭くさせるだけだ。ちょっとくらい違和感を感じたって、ある程度自由に描かせる度量が読者の側にもないと、本当はこれから面白くなるはずだったせっかくの作品を、充分に楽しめないままに終わらせちゃうことにもなりかねない、それってすっごくもったいないぞ。
 その点、今回はSFのエの字も出て来ないから、それなりに人気は出るんじゃないかな。結局スポーツラブコメしかあだち充には要求されてないのかと思うとさびしいけど。

 好きな女の子とお近づきになりたい……という極めて不純な動機で、その子の父親の経営するボクシングジムに通うことにした高校1年の里山活樹。
 けれど意中のその子、水谷香月は、父親嫌いが高じた大のボクシング嫌いだった……。
 展開としては、活樹の意外なボクシングの才能が目覚める……って感じになるんだろうけど、結局は天賦の才能があった、みたいな展開、あまり好きじゃないんだよなあ。
 才能とか努力とか、そんなもんをいちいち付与しなきゃ、人は人を好きになる資格がないってことなのかね。その人の性格さえありゃいいんじゃないの? ……って感じのマンガを描いてたころのあだちさんの方が好きだったな。
 実は、「なんの才能もない、優しいというより優柔不断、さらにスケベで、スポーツや勉強の取り柄もない」男の壺がなぜかモテるって話、あだちさんは一つしか描いたことないんよ。
 それが『みゆき』なんだね。
 この話の活樹も、ボクシングの実力が全然伸びなかったらいいのにな。伸びたらその辺のよくあるボクシングマンガと同じになっちゃうし。
 ……と言いつつ私は『はじめの一歩』は全く読んだことがないのであった。


 古橋秀之『サムライ・レンズマン』(徳間デュアル文庫・770円)。
 うおおおおお! おっ、おもしれええええ!
 いやもう、びっくりしちゃったっつーかなんつーか、次のページをめくるのがもどかしい小説に出会うのなんてひっさしぶりだよ、ヤマちゃん(誰やそれ)。
 いや、実のところ、そんなに期待して買ったわけじゃなかったんだよね、この本。
 スペースオペラの金字塔、E・E・スミスの『レンズマン』シリーズは、確か中学生の時に少年向けにリライトされたSFシリーズ(当時の少年たちはたいていそれでSFに触れたんだがどこの会社の何というシリーズだったか忘れた)で一冊(多分『銀河パトロール』)を読んだだけで、全作は読んでない。中味も忘れた。 
 どっちかと言うと、私は日本初のCGアニメと言われた(^o^)映画版『レンズマン』やその続編のテレビアニメシリーズ、コミカライズ版の村野守美や三浦みつるのマンガで、レンズマンシリーズには触れている。どれも「若き」キムボール・キニスンが成長していく物語で、筋は殆ど『スター・ウォーズ』(と言っても『レンズマン』の方がモトネタなんだけど)。
 ああ、あと、あれも読んだな。栗本薫のパロデイ『エーリアン殺人事件』。主役の名前はゴールデンボール・キニスン。ベッタベタやがな。
 まあ、薫ちゃんはどうでもいいんだが(^^)、こういう「元祖」スペースオペラが、「日本で」アニメになったりマンガになったりってのは、当時なかなか不思議な現象だった。『キャプテン・フューチャー』なんて、NHKでアニメ化されてたんだもんなあ、出来は最悪だったけど。
 けれど、『レンズマン』のアニメの方は、初期のCGのどうしようもなさを除けば、割合よくできていた。テレビシリーズが作られたのも宜なるかなである。
 でなければ、この『サムライ・レンズマン』、買おうなんて気にはならなかったろう。
 ……でも、まさか一読三嘆、もう次の作品が読みたい! なんて気にまでさせられることになろうたぁね。
 ホントに瓢箪から駒、予想もしてなかったことだったんである。

 だいたい、このタイトルだけ見たら、ああ、『レンズマン』のパロディかって思うでしょ?
 いかにもパチモン風だし。
 ちっちっち(人差し指を立てて横振り)。
 違うんですよ。
 これ、ギャグでもなんでもありません、至極マットウな小説……っつーか、「正統な」小説だったんですよ。
 どういう意味かって?
 ふっふっふ、知りたいでしょう。
 わかりました、教えましょう、けどね、けどね、これは、私と、あなただけのヒミツですよ、誰にも言っちゃダメですからね(……それは……無理だろう)。
 これね、この『サムライ・レンズマン』ね、なんと、なんとなんと、アチラの『レンズマン』の権利持ってるエージェントとちゃんと契約して書かれた、「正統な」レンズマンシリーズの続編だったんですよ!
 ……驚いた?
 私も驚きました。

 あのキンボール・キニスンが、クリスが、ウォーゼルが、バスカークが、ふたたび悪の宇宙海賊ボスコーンと戦うために集結する!
 そして、銀河パトロールの新しきエース、タイトルロールにもある通り、武人であり、群がる敵を振れることなく投げ飛ばすアルタイル柔術の使い手、己の道を、剣の道を極めることにその命を賭ける、新しきグレー・レンズマン、シン・クザク!
 しかもねえ、しかもねえ、これがなんと「盲目の美剣士」なのよ!
 それって、つまりさ、アレだよ、ね? う、「宇宙の机龍之助」!
 アニメ世代には、『ルパン三世』の石川五右衛門がよりストイックに、かつニヒルになって登場、と言ったほうがピンと来るかな。
 いやもう、「どっひゃー!」だね!
 こんなとんでもないアイデアを思いつく作家がいようとはいようとはぁ!
 もう、このカッコよさをどう説明したらいいんだろう!

 恒星トランジア。
 要塞ビルに篭城する麻薬業者を前にして、若きレンズマン、銀河パトロールのウィリアム・モーガンは途方に暮れていた。
 そこに突然、衛星軌道上からレンズを通じて、もう一人のレンズマンからテレパシーが送られてくる。
 「今から突入する」
 耳を疑ったウィリアムの目の前で、まさしく宇宙から「垂直落下」してくる一つの物体!
 あれこそが装甲宇宙服に身を固めたシン・クザク!
 「余計な手出しは無用」
 轟音とともにビルに墜落!
 そして、ウィリアムが中に駆けつけた数分後には、シンは、既に麻薬業者の組織を壊滅させていたのであった。

 くううううう、かっこえええええええ!
 いや、この後もいちいちストーリーを紹介していきたいが、それでは未読の人の興味を半減させてしまうことになる。
 後はぜひ!
 そのおもしろさをご自身の目で確かめてほしいのだ。

 でも、もうちょっとだけ言わせてもらえれば、ヒロインのキャット・モーガン、この子がもうとんでもなくイイ!
 いくつもの種族からなる多種族混成姉弟の長女、一人で何人もの妹弟たちを育てていかなければならないために、隕石工夫の仕事につき、すっかり男勝りなケンカヤロウになった。
 けどな、定番かもしんないけどな、そういう子だからこそ、優しさの本当の意味を知ってたりするもんなんだよ。
 彼女の啖呵を聞いてみれば、そこに人への思い、人の心を踏みにじるものへの怒り、それが思いっきり溢れてることに気がつくハズだ。
 ああ、もう、抱きしめたいぞ、キャティ!(勝手に愛称で呼ぶなよ)  

 ところでシン・クザクって漢字で書くと「孔雀真」? 

2001年02月20日(火) 女房の家出/『× ―ペケ―』1〜3巻(新井理恵)ほか


2002年02月19日(火) さだまさしファンだったことが恥ずかしくて言い出せないやつ多いと思うぞ。……私もだ/『シックス・ボルト』(神野オキナ)

 きょうのお仕事。
 シュレッダーの前に椅子を置いて座る。
 要らなくなった書類をどんどこぶちこむ。
 うぃーん、ばさばさばさ。
 ときどき詰まるので、ペン先でほじくり出す。
 ほじほじほじ。
 また、うぃーん、ばさばさばさ。
 急に機械が、へにょにょにょにょ、と止まる。
 「ごみがたまりました」の表示。
 ゴミをビニル袋に入れてまとめる。
 機械が止まると、途中まで突っ込んでた紙がまた詰まってしまう。
 ほじほじほじ。
 またまた、うぃーん……。

 これで一日は終わり。
 全く、忙しいんだかヒマなんだか。


 さて、みなさんに、ここでクイズを出そう。
 大修館書店の『言語』という雑誌に、投稿されてた質問だ。
 「氷やドライアイスから立ち上るあの白い気体、名前は何というでしょう?」

 かち。
 かち。
 かち。
 かち。
 かち。

 ちーん。

 さて、君の答えは何かな?
 靄(もや)? うーん、それは水面に立ちこめてる気体のことだね。ちょっと違うなあ。
 霞(かすみ)? 霧(きり)? それも山とか平野とか、広範囲なところに一面、立ちこめてるって感じだよね。

 では、正解を言おう。
 「ゆげ」である。

 氷のゆげ?
 どうして?
 「ゆげ」って「湯気」って書くんでしょ? 氷から出てるのに湯気?
 変じゃん! ……というみなさまの声が聞こえてくるようだね。
 でも、これホント。
 ちゃんと『日本国語大辞典』に書いてあるんだよね。氷から立ち上る白い蒸気のことって。

 それでも納得いかない人のために、じゃあ、もう一つの正解を教えよう。
 「けむり」である。

 ケムリって、火が燃えたら出るやつじゃん!
 漢字だって「煙」って「火へん」がつくぞ!
 もっと納得いかーん!

 でも、中国語でも「煙」の字をアテてるんだよね。
 要するに、「それを出すものが何であるか」ってことは全く昔の人は気にしてなかったってことなんだね。
 白くて気体だったら、それは全部「ケムリ」。
 コトバが意味を正確に伝えるものなんかじゃないってことが、こういう実例からもよくわかるねえ。


 アニメ『しあわせソウのオコジョさん』第20話「ツカハラ、夢の日々/オコジョ番長!日直編」 。
 たまにしか見ないんで今まで気がつかなかったけど、アニメのオコジョさん、「コジョピー」って名前がついてるのね。
 原作では確かナナシだったと思うけど。
 原作が短いから、1話にするのにいろいろアレンジ加えてるけど、どっちかっつーと、面白くないギャグを面白くしようと腐心してるようにも見えるな、原作者には悪いが。
 でもまあ、オコジョに日直をさせるのは無理がある……と考えたところで、あっ、これって、何かのパターンに似てると思ってたけど、小林まことの「What's Michael?』じゃん、とやっと気がついた。
 うーむ、おもしろくはあるけどイマイチハマれんなあと思ってたのは二番煎じだったからか。納得。


 夜、しげが、「もやしマヨネーズ、自分で作っても全然おいしくならん」とブチブチ文句を言うので、湯がいて、よく水を切ってメシに乗せてつくってやる。
 「どうだ? うまいか?」
 「……うまい」
 やっぱり作り方がザツなだけだな。

 更に目玉焼きに生姜焼肉、ごま塩フリかけのおにぎりを作ってやる。
 「食べ終わったら、皿渡せよ」
 「ああ、わかった」
 この「食べ終わったら」というのは、私は「自分の分を食べ終わったら、残りを渡せ」と言う意味だったのだ。だって、目玉焼きも二つ、生姜焼きも山盛り、お握りも四つ作ったのだ。
 普通、これ見りゃ「二人分」と誰もが気付くと思う。
 でも「はい、食べたよ」と返されたのは、カラの皿。
 「……オレのは?」
 「……ああ、ゴメン、全部食べた」
 すぐ謝ったから許したけどさあ(しげが「謝っても許してくれない」と私のことを非難するのがウソだということがこういうところでもわかる)、でも気がつけよな、量見て……って、考えてみりゃ、日頃から二人前三人前をペロリと平らげるしげに「二人分」という感覚がないのも当然だったのだ。
 宴会とかじゃ、ネコかぶって少食のフリするくせに。かぶらんときもあるからもうバレてるか、こいつの本性。


 ニュースを見ていると、宮崎駿が、金熊賞の受賞記者会見で「自分の映画が子供をダメにしてる」と発言。
 わあ、また例の「宮崎節」だ。
 もちろん、こんなことを宮崎さんが本気で考えてるわけないんで、だったらとうの昔にアニメーター辞めてるに決まってる。
 世間じゃこの宮崎さんの「言ってることとやってることが違う」ことに反発してる人も多いようだが、なあに、昔からのファンにはこのテキトーぶりが楽しいんですって。
 だって、『やぶにらみの暴君』パクリまくっときながら、「今の若いアニメ作家はみんなコピーのコピー」なんて言っちゃう人ですもん。お前はオリジナルマモーか。
 もちろん、宮崎さんにホラ吹いてるって自覚がないわけがない。あの無責任さ、テキトーさは明らかに確信犯なんである。
 あのさ、植木等の無責任男、公共の場では「これからのニッポンはぁ」とか、必ず大層なこと言ってたよね、あれと同じなのよ。あるいは『炎の転校生』の伊吹。
 「心に棚を作れ!」
 自分を棚に上げずに、ものが言えるか! ってのがモットーみたいな人なんだから、我々はそのいい加減さを楽しんで見てりゃいいのである。
 ……ジブリのスタッフは大変だろうけど。


 東京都世田谷区の東急田園都市線三軒茶屋駅で、昨年4月、銀行員の牧顕さんが暴行を受けて死亡した事件で、東京地裁は19日、傷害致死罪に問われた少年二人に対して、検察側の求刑通り、懲役3〜5年の実刑判決を言い渡した。
 とまあ、ここまでなら、ごく普通の裁判なんだけどもね。
 さて、このあとが見モノだったんである。
 裁判長の山室恵氏、判決後に、「酔った被害者が絡んだとはいえ、命を奪われるまでの落ち度はなかった。遺族らの無念さは察するに余りある」と述べたあと、「唐突だが、さだまさしの『償い』という歌を聴いたことがあるだろうか」と二人の被告に問いかけたのだ。
 ……あの、私、正直に言いますが、テレビの前でこけました。
 あの、ガッコーのセンセーが生徒叱るんじゃないんですよ、裁判ですよ、しかもよりによってさだまさしの『償い』〜?
 あの、私がコケた理由、ちょっとわかりにくいと思うんで、さだまさしの『償い』、ちょっと引用しますね。

  月末になるとゆうちゃんは 薄い給料袋の封も切らずに
  必ず横町の角にある郵便局へ とび込んでゆくのだった
  仲間はそんな彼をみてみんな 貯金が趣味のしみったれた奴だと
  飲んだ勢いで嘲笑っても ゆうちゃんはニコニコ笑うばかり

  僕だけが知っているのだ 彼はここへ来る前にたった一度だけ
  たった一度だけ 哀しい誤ちを犯してしまったのだ
  配達帰りの雨の夜 横断歩道の人影に
  ブレーキが間にあわなかった 彼はその日とても疲れてた

   人殺し あんたを許さないと
   彼をののしった被害者の奥さんの涙の足元で
   彼はひたすら大声で泣き乍ら
   ただ頭を床にこすりつけるだけだった
 
   それから彼は人が変わった
   何もかも忘れて 働いて 働いて
   償いきれるはずもないが
   せめてもと毎月あの人に仕送りをしている


  今日ゆうちゃんが僕の部屋へ泣き乍ら走り込んで来た
  しゃくりあげ乍ら彼は一通の手紙を抱きしめていた
  それは事件から数えてようやく七年目に初めて
  あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り

  「ありがとう
   あなたの優しい気持ちはとてもよくわかりました
   だからどうぞ送金はやめて下さい
   あなたの文字を見る度に主人を思い出して辛いのです
   あなたの気持ちはわかるけど
   それよりどうかもうあなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」
 
   手紙の中身はどうでもよかった
   それよりも償いきれるはずもないあの人から
   返事が来たのが ありがたくて ありがたくて
   ありがたくて ありがたくて ありがたくて
 
   神様って思わず僕は叫んでいた
   彼は許されたと思っていいのですか
   来月も郵便局へ通うはずの
   やさしい人を許してくれてありがとう
 
   人間って哀しいね だってみんなやさしい
   それが傷つけあってかばいあって
   何だかもらい泣きの涙が とまらなくて
   とまらなくて とまらなくて とまらなくて

 あー、この詩を読んで感動した人にはすみません、私はこの詩にゃ全然泣けんのです。
 裁判長は、「この歌の、せめて歌詞だけでも読めば、なぜ君らの反省の弁が人の心を打たないか分かるだろう」と諭したとか。
 さらにさだまさし本人も、「交通事故で夫を亡くした知人から聞いた実話が元になった歌です。加害者を許した被害者と、被害者からそのような言葉を引きだした加害者の誠実さの両方に心を動かされました。裁判長は二人の少年に、誠実な謝罪こそが人の心を開くんだと言うことを訴えたかったのではないでしょうか」と話したとか。
 そうかあぁ?
 「加害者が被害者を許した」って、ホントにそうかぁ?
 いや、広義に解釈すれば「許す」範疇に入ってると言えはするだろうけれど、この詩の中の被害者の奥さん、はっきりと「あなたの文字を見る度に主人を思い出して辛いのです」って言ってるんだぜ?
 前後の「あなたの優しい気持ちはとてもよくわかりました」とか「もうあなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」とか、方便でしょ?
 「二度とアンタとは接点持ちたくない」って言ってんだから、これ、完全に「拒絶」じゃん。普通「拒絶」を許されたこととは言わんぜ。
 これなら、自分のクビ締めながら泣いてる相手に向かって、「気持ち悪い」って言ってやるやつのほうがよっぽど相手を許してるだろう(^o^)。

 この奥さんが優しい人だってのはそうかもねえ。
 「『あなたの手紙を受け取ると、こいつカネさえ払ってれば償えると思ってるのか、ああ殺してやりたい復讐してやりたい』って気になるから手紙送らないで」なんて書かないもの。いや、もともとそんな人じゃないんだろうけどさ。
 仮にこの「ゆうちゃん」が誠心誠意、償う気で送金してたとしても、それは被害者の生を取り戻すことにはならない、どうやったって償うことなんてできないんだって「限界」を露呈しているのだ。
 それをよくもさだまさし、「やさしい人を許してくれてありがとう」なんてあまったるい解釈ができたもんだ。
 さらにそれを引用する裁判長も、これで本気で被告が反省すると考えたのかね。ヘタすりゃ、「送金し続けたらいつか加害者の遺族も許してくれる」なんて甘っちょろいこと考えた可能性だってあるぞ。なんたって実刑とは言え、人を一人殺しといてわずか3〜5年で出てこれるんだからよ。
 詩なんてさあ、読む人間によってどうとでも解釈できるんだから、こういう「裁判」みたいにキッチリした解釈を下さなきゃいけない時に語ったりしていいものじゃないよ。
 そう思いません?

 
 神野オキナ『シックス・ボルト』(メディアワークス/電撃文庫・640円)。
 うーん、エヴァンゲリオンチルドレンか? これも。
 作者はそう思われたくないかもしれないけどさあ、イラストからして似てるんだからしゃあないって。
 2015年(ジェッターマルッスゥー♪)、異星人から一方的な宣告を受け、地球の存亡を賭けて限定戦争が行われることになり、戦士として選ばれたのは17歳の高校生たちだった……。
 ってまあ、なんだかモトネタを探るにこと欠かないような設定もそうだけどね、読んでてアタマ抱えたのが、主人公たちのネーミングよ。
 真永見由宇(まなみ・ゆう)!
 久遠院氷香(くおんいん・ひさか)!
 間月 蛍(まづき・けい)!
 アイラ・クォレル!
 黒原梨津絵(くろはら・りつえ)!
 ……どこの世界の人間じゃ。
 安藤隆信(あんどう・たかのぶ)って普通の名前のやつも出てくるけど、ザコキャラだし、何となくあの俳優さんに名前が似てるんで、もしかして作者がファンか? という疑いも捨てきれない。
 しかもよう、氷香と蛍はレズの関係でさあ、でもそのことが本筋にはさして関係してこねーの。単なる「彩り」ね。……んな彩り、要らん。
 黒原っつーのが地球人側の司令官なんだけど、これが主役陣たちと全くと言っていいくらい関わらない。……だったらこんなキャラクターなんかいらねーじゃん。黒原が無能な副官を罷免するエピソードなんがジャマなだけだ。そういうの書けば戦争のシリアスさが出せるとでも思ってるのか? 甘いよなあ。
 もちろん、戦いの中で死ぬキャラも出て来てさ、戦争ってなんなんだよう、みたいな展開もあるんだけど、それがもうどうしようもなく甘い。
 愛する相手が殺されて、それまでは冷静だったやつが途端に激昂して、敵に向かって絶叫しながら突進してくなんて陳腐な展開、これまでどれだけ見せられてきたことか。ロボットアニメか。
 もう、ホントに妄想の中だけで作ったって匂いがプンプンしてるよねえ。
 あれっスよ、高校の文芸部崩れで、今までヤオイ小説しか書いてなかったような女の子がだよ、私もえっちものばっかじゃなんだしぃ、ちょっとシリアスなものを書いてみようと思ってぇ、それからぁ、SFにもしてみましたぁ、っつーてよ、書いてみたはいいけれど、やっぱり自分のシュミモノになっちゃったって、そんな感じィ?
 こないだ読んだ『コンセント』も結構恥ずかしい小説だったけど、この『シックス・ボルト』も相当恥ずかしい。いろいろリクツをこねくり回してるけど、結局アンタがやりたいことって耽美? ってのが見えちゃうとこがねえ。
 この流れって、絶対『グイン・サーガ』っつーか栗本薫の悪影響だよな。
 せめて、ヒロインの名前を権田原花子にしても、ちゃんとシリアスが書ける筆力を身につけてから小説は書こうね。



(訂正&お詫び)
 ……とかなんとかヒデエこと書いたら、作者の神野さんから、「名前は実在人物と重ならないためにワザとしたことです」とご丁寧なメールを頂きました。うーん、こんな無名日記のいい加減な記事にまで目を通していただけるとは……。
 この日記を書いた時、こう思ったのは事実なんで、今更削除はしませんが、ネーミングの件については私の完全な誤読ですので、ここに訂正させていただきます。作者の神野さんにも不快な思いをさせてしまいました。申し訳ありませんでした。



 ああ、一回書き上げたやつがなんかパソコンがイカレて消えちまったんで。UPするのに時間がかかっちまった。
 うっうっうっ、神様に見離されてるよう(T-T)。

2001年02月19日(月) 語源の楽しみ/ミステリチャンネル『ポワロと私』ほか


2002年02月18日(月) くまくまくまっ/アニメ『エイトマン』第1話「エイトマン登場」/『すべてがFになる』(森博嗣原作・浅田寅ヲ)ほか

 さてさて、まあとりあえずは“めでたい”ことから。
 宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が、第52回ベルリン国際映画祭の最高賞の金熊賞に、イギリスとアイルランドの合作でポール・グリーングラス監督の「血の日曜日」と並んで選ばれた。
 センパイが作ってるアニメであるにもかかわらず、『千と千尋』を私は貶しまくっている(^^)。だってさぁ、実際、過去の作品(『ナウシカ』以前ね)よりつまんないんだから、しゃーないじゃん。
 もっとも、映画祭の都都逸だか洋喇叭だかの審査員たちが、宮崎アニメに触れたのはこれが初めてかもしれないし、ショック受けたのもわからんわけでもない。審査員長はインドの人だっていうから、宗教的な偏見がなかったのも幸いしたんだろう。
 もちろん、この受賞に不服な人たちも、世界には多いと思う。
 『ハリー・ポッター』と同じように、「あのような原始的アニミズムを礼賛するような反キリスト教的映画は云々」とかなんとか、バカガイジンが喚き出すんだろうってことも見当つくし。
 誉めるにしろ貶すにしろ、文化的背景を何も知らずにガイジンさんはモノを言うから、今回の受賞だって、そんなに素直に喜べるものじゃないんだよねえ。

 けど更に予測がつくのは、日本のジャーナリストやヒョーロンカ連中が大慌てで、かつて『千と千尋』を貶してた人が誉め直したり、逆にあくまで頑強に否定したりとか、醜態をさらすだろうってことだ。
 ちょうど、黒澤明の『羅生門』をその年の5位に留めた『キネマ旬報』の評論家連中が、同作がベネチア映画祭金獅子賞を取った直後から、掌を返したように
誉めそやし始めたように。
 他人の批評とか、賞を取ったとか、そんなこととは関係なく映画を見ることができる評論家ってホントに少ない。気がついたらそういう「権威」に振りまわされてたってことが、アタマよさげなヒョーロンカほどあるんだよな。

 当たり前の話だが、どんな映画にだって、いいとこ悪いとこ、両方ある。
 視点を変えてみれば、いいものを悪く、悪いものをよく評価することだってできる。
 だから、批評をする際に絶対に考えておかなければならないことは、自分が、あるいは他人が、それぞれどういう文化的フィールドに立ってモノを言っているのか、それを明確にする必要があるってことだ。でなけりゃそれはただの「感想文」にしかならない。
 「批評」とか「評論」ってのは、実は単体で成立するものじゃなくて、他人との間で交わされる弁証法なんである。だって、批評って、その批評するための対象となるべき概念がなきゃ成立しえないんだし、その時点で「対象=他者との接点」は生まれてるわけよ。そんなこともわからないエセ評論家がどれだけ多いことか。

 宮崎さんがそういうエセ評論家を相手にするはずもないから、たいていは犬の遠吠え程度にしか聞かれないだろうし、そんなヒョーロンモドキは泡沫のように消えていくだろう。
 本当に消しちゃならないのは、「『千と千尋』が賞を取った」なんて、ただのお題目じゃなく、ある映画が人に見られ、語り継がれ、また人に見られて行く、その「中味」であり、そういう過程をたどる「歴史」なんである。
 さあ、せっかくベルリンがきっかけを作ってくれたのだ。
 まだ食わず嫌いで『千と千尋』を見に行っていないやつ、誉めるも貶すも君の自由だ。今から映画館に走れ。
 しげ、お前のことだよ。


 頭痛が激しい。
 しげが「不潔にしてるからやん。風呂に入って歯磨いて髪洗ったら治るよ」というのでそのとおりにしたらますます痛くなった。
 しかたがなく寝たら、そのまま五時間、くたばったまま。
 寝る時間が不規則になって、またまた体調不良に。
 夜、しっかり寝たいことは寝たいんだけど、夜ほどやりたいことが増えるんだよね、ホントにどうしたらいいんでしょ。


 CSファミリー劇場『エイトマン』第1話「エイトマン登場」。
 平井和正・桑田次郎の原作は『8マン』だがアニメは『エイトマン』。周知のことだが若い人のために老婆心です。
 放映期間が昭和38年11月7日から39年12月24日ってことは、私ゃ0歳から1歳だよ。
 でも、確実に本放送で見てるし(再放送を見た記憶はない)、「あ、『鉄腕アトム』や『鉄人28号』より絵がカッコイイ!」と思った記憶はあるから、0歳でもうモノゴコロはついてたんである。アイキャッチは「おお、こうだった!」ってはっきり思い出したし。そんなこと言ってるとなんかすごいみたいだけれど、私と同世代の人間ってたいていそうなんだよね。当時はオトナたちはシャカリキになって「テレビばかり見てるとバカになる」って、百万言を費やしていたが、テレビアニメが私を初め、当時の子供たちの脳を活性化させたことは間違いないことなんである。

 もちろん、40年も前の、テレビアニメ創世記の作品であるから、脚本も稚拙、作画技術・演出ともに稚拙、というのは事実である。
 今の子供たちが見て面白がるかっていうとそれは確かに難しかろう。
 にも関わらず、意外に、本当に意外なのだが、ドラマツルギーの骨格自体は結構しっかりしているのだ。これには驚いた。

 警視庁の刑事・東八郎(声・高山栄)はピストル強盗・でんでんむし(声・近石真介……多分)追っていた。しかしそのワナにかかり、逆に車で轢き殺されてしまう。
 そこにやってきた谷大和博士(村松為久)、東八郎の脳がまだ生きている、と死ぬ前にその人格と記憶を開発したばかりのスーパーロボット・エイトマンに移植する。
 しかし、スーパーパワー、高速移動、変身能力などを有するエイトマンだったが、東八郎の死体が残っている以上、元の刑事に戻ることはできなかった。でんでんむしを捕まえたエイトマンは、そのとき救った関サチ子(上田美由紀/現・みゆき)を秘書に、探偵事務所を開くことにする。
 警視庁には七人のセクションが七つある。しかしエイトマンはそのどれにも属さない八人目の男……その正体は谷博士と田中善右衛門捜査一課長(天草四郎)しか知らないのだ。

 脚本は原作者平井和正本人。
 谷博士がちょうど東八郎の殺害現場に現れたのはなぜかとか、谷博士が八郎の死体を隠しとけば元の刑事として復帰できたんじゃないかとか、設定の細かいミスはいくらでもあるんだが、八郎がロボットになってしまった悲しみ、自分の力を悪用することすら可能というジレンマ、それを乗り越えて正義のために戦う決意、その感情の起伏こそがドラマツルギーを生み出すのだとツボを平井脚本は抑えてるんである。
 まあ、悪党の名前が「でんでんむし」であるとか(コケるとホントにでんでんむしになる。オイ)、警官が何十人も一台のパトカーに乗りこむとか(『ブルースブラザーズ2000』の40年前……ってモトネタは『オペラは踊る』だね)、このあたりの今見ると苦しい場つなぎギャグが、もともと脚本にあったとは思えないけれど、技術の無さを細かいカットの畳み掛けでカバーして見せようって演出、なかなか意欲的である。

 関係ねーけど、この記事書くのに、エイトマンのスタッフとか声優とか、ネットで調べたけどまとめてキチンと書いてるサイト、ひとつも無いぞ。
 昔のアニメのデータ、やっぱりどこかでキチンと保存しておこうよ。


 給料日前でそろそろ生活費が底をついてくる。
 もちろんDVDボックスとか買わなきゃカネは減らないのだから、自業自得である。
 食事を安上がりですませたい時はガストに限る。
 ということで、今晩のメシは目玉焼きハンバーグ380円、二人で760円。 最初は「吉野家に行こうか? 200円かそこらで牛丼食えるよ」って言ったんだけど、しげが「吉野家って牛丼か牛丼か牛丼しかないんよ、選べないじゃん!」とのたもうたので、ガストにしたのだ。
 でもここだって安いの食おうと思ったらハンバーグかハンバーグかハンバーグしかないんだが。


 夜はまたまたチャット。
 『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』の話やらで盛りあがる。いいオトナが「私も泣いた」「俺も泣いた」なんて喋りあってるなんて、異常な状態(^_^;)。
 そこのHPの管理人の方が、「まだ『オトナ帝国』」を見ていない」と仰るので、みんなで「見ろー」「見ろー」と洗脳する。
 もう、こうなると立派な宗教だ(^o^)。


 マンガ、森博嗣原作・浅田寅ヲ作画『すべてがFになる』(ソニーマガジンズ・651円)。
 えー、私が買ったのは「ソニーマガジンズ」版ですが、今は「幻冬舎」に版元が移っとります。ずっと読んでなくてほっぽらかしてたんで、感想書くのが遅れちゃいました。
 うーむ、浅田さんの絵は嫌いじゃないんだが、小説読んでるとやっぱり違和感あるなあ。
 犀川はもっとムサイ印象だったし、萌絵ちゃんはもうちょっと理知的な顔立ちを想像していた。黒目がちっつーか、どこを見ているかわかんないようなキャラデザインで、どっちかっていうと白痴的にすら見える。
 いや「白痴的」ってのは私の主観か。見る人によってはかわいいのだよ、これが。
 もちろん萌絵ちゃんは犀川の「ホームズ」に対する「ワトスン」なんだから、絵にする時はバカっぽく描いたっていいんだろうけど、それは実は安易な手段。理知的に書いて理知的でない行動取らせた法がリアルなんだよな、本当のとこは。
 けれど、マンガになっても、原作小説の、ミステリーのトリックとしては物理的に成立不可能ないくつかのミス、修正されてないね。もっとも修正のしようもないし、修正する気もないんだろうけど。でもオビに「ミステリィ」と銘打つのはやめたほうがいいよなあ。


 マンガ、北崎拓『なんてっ探偵アイドル』7巻(小学館・530円)。
 ……なんか、5、6巻まとめて1回の感想で充分じゃねーかって気がしてきたなあ。一応ミステリィだから、ルール守ってトリックのミスとかいちいち書かねえしよう。
 もっとも更に5、6巻も続くかどうかわからんが。でも7巻まできたし、意外と行くかも。行くのかホントに(+_+)。
 でもスゴイよー、怪盗リストのピアノ消失トリック。
 どんなバカなミステリ作家でも、ここまでのバカトリックを考えつけるか(いや、考え付いても恥ずかしくて書けんだろう)ってくらいスゴイからねー。
 いいよなー、今はどんなバカでもミステリーが書ける時代で。こんなんでいいのなら、ホントに百本でも二百本でもミステリー書けちゃうよなあ。
 まあ、思いっきり貶してるけど、絵が安定してきてアキラちゃんがかわいいので許す。多分8巻も買う。マジかよ(^_^;)。

2001年02月18日(日) HPの原稿はまだ1/10程度です/ドラマ『百獣戦隊ガオレンジャー』第1話ほか


2002年02月17日(日) ヘンなメール/『百鬼夜行抄』9巻(今市子)/『空前絶後のオタク座談会�◆.淵�ヨシ』(岡田斗司夫・山本弘)ほか

 疲れて朝は熟睡。
 確か『忍風戦隊ハリケンジャー』は今日からだったと思うが見損ねた。
 何度かこの日記にも書いていることだが、「戦隊シリーズ」は私の世代だともうあまり思い入れないんだよねえ。しげからも「アレはいいコレはいい」と勧められちゃいるんだけど、積極的に食指は動かない。
 言っちゃなんだが、劇団の連中が殆ど戦隊シリーズのファンなのは、単に子供のころに洗礼受けたからってだけの話じゃないのか。今の眼で見ても、ドラマ。映像センスともに出色の出来である『ウルトラQ』なんかと比べると、レベルが違い過ぎる。
 やっぱり私にしてみれば特撮・SF番組の数ある中の一本って位置にしかないんで、しげが戦隊シリーズの主題歌曲集を買うの見てると、「いや、買うなとは言わんが、それより先に買っとかなきゃならんもんがもっとあるんじゃないのか、『ウルトラシリーズ全曲集』とか伊福部昭とか」と思ってしまうのだ。
 ……え? 別にどっちも買わんでいい? 失礼いたしました。
 「戦隊シリーズ」があまり特撮ファンの中でも面白いモノとして認識されてなかったってのは、ゆうきまさみが「でもあのカット割りは評価できる」と言ってたことでも証明できる。ただそれも10年以上前の評価だし、コアなファンが増えていけば、ちったぁ鑑賞に耐えるもの作んね〜となってスタッフも考えたりするんじゃないかと思って、私もときどき見てみたりはするんだが、なぜか私の見る回に限って、すっげーつまんなかったりするんである。
 それでもさすがに1・2話はくらいは物語のフォーマットでもあるし、少しは気を入れてるんじゃないかと思うんで見てみようとは思ってたんだがなあ。
 なんにせよ、「食わず嫌い」は嫌いである。
 見もしないで「どうせつまんないんだろ?」と決めつけることは私が一番嫌うところなので、ともかく来週はなんとかがんばって起きて見てみよう。


 『仮面ライダー龍騎』第03話「学校の怪談」。
 ああ、何かいきなりガラス割ってますけど(^_^;)。
 ええっと、ガラスっつーか鏡の世界の中で、龍騎とナイトが戦ってる様子、優衣からは見えてるわけね?
 それは優衣だけに見えてるわけじゃなくて、通りがかりの他の人にも見えてるんじゃないの? だったらなんでみんな騒がないのよ、それとも気がついてるのは優衣だけだったってこと?
 割ったガラスの破片がどうなったか。
 なんと、鏡の世界の方と、現実の世界の床と、両方に落ちてったのだ!
 これって、分裂したのか?
 こちらの世界で壊したモノが、アチラの世界でも壊れる。これは解る。
 けれど、向こうで割れた破片が同じく向こう側に落ちるのっておかしくないか?
 しかも、鏡の中での爆発とかがこちらの世界に影響を与えた気配はないんだよなあ。
 ……待てよ、考えてみたら、こちらの世界にいる人間が鏡の世界にはいないじゃん。
 もしかしたら、私が見落としてたのかもしれないけれど、アレって「鏡の世界」なんかじゃないんじゃないのか。なら、アレは全くの別次元なのか。
 ああっ設定がよくわから〜ん!


 メールチェックなどして、ここしばらく、ウィルスも送られてこないし平和だよなあ、と考えていたら、なんだかよくわからないがイタズラメールらしいモノが来ていた。
 まあ、その人が偶然この日記を見つけて(いや、可能性はありそうなんである)「自分のことだ」と思っちゃったりしたらヤヤコシイことになりそうなので、詳しい内容はここには書かないが、どうもオツムのネジがちょびっとヒン曲がっている人らしい。
 ああ、やっぱりこういう人っているんだよなあ、こういう人と日常的に付き合ってる人って大変じゃないかなあ……とか考えてたけど、当面のその人のターゲットは私なんである(^_^;)。
 さて、どう対処していいものか、と思案に暮れたが、いい解決方法も思いつかなかったので、困って知り合いなどに相談してみる。
 結論は、「知らんフリしとけばあ?」。
 それで向こうが何も言ってこなけりゃそれに越したこたぁないな。


 アニメ『サイボーグ009』第18話「張々湖飯店奮闘記」 。
 脚本が久方ぶりの大西信介さん。
 作画も安定していて、ようやく安心して見られる話になったかなあ、という感じ。
 ……やっぱり、今回のシリーズ、スタッフの層が薄いんだろうなあ、脚本を含めて、出来のいい回とショボイ回の差が激しすぎるもの。
 黒い幽霊団との新たな戦いに移る前に、サイボーグたちの生活の拠点を作っておこうってことなんだろうが、原作とは微妙に設定が違ってるな。
 つーか、009、エピソードによって、レーサーだったりギルモア博士の研究所の助手だったり、立場が違うんで、まあ、どれかに統一する必要はあったんだろうけど。
 一緒に生活していた仲間が、張々湖の料理で実は繋がっていた、という設定が秀逸。
 特に、戦後も残る地雷のせいで、村に届けるはずだった食料を一気になくしてしまったピュンマが、張々湖に鍛えられたことを思い出して小麦粉だけで料理を作るエピソードは、ほんのわずかな時間に『009』のテーマが凝縮されたかのような名創作。
 「料理」はまさしく生活の根源であり、我々の日常を築き上げる原動力となるものだ。その「日常の力」こそが、たとえ戦地であっても平和を取り戻していく唯一の力となりうるのだと、訴えているようではないか。
 で、唯一、張々湖から料理を習わなかったジェットだけがワリを食う、というオチも粋だ。
 まあ、料理は国境を超えて絆を作る、みたいな『美味しんぼ』的な話になっちゃってはいたけどね。
 ……これも、原作からは「張々湖が高名な料理評論家を迎えるために、食材を009たちに集めてもらう」ってとこしか使ってないから、脚色の妙ってとこだろうね。フランソワーズのチャイナドレス姿は原作よりも数段グラマーなプロポーションで、GOOD(^^*)。009もさりげなく(でもないか)誉めるあたり、意外とタラシだよな。そのワザも教会で覚えたのか。
 ……え? なんで009だけ名前で書かずにナンバーで呼んでるのかって?
 ジェラシってるからに決まってるだろう!

 しかし、どうもこの秀作の快進撃も今週までのようだ。
 来週放映予定だった『まぼろしの犬編』が急遽『ディノニクス編』に差し換え。しかも予告編の作画、また全然動いてない。
 ……また、落としたのかよ(-_-;)。


 マンガ、今市子『百鬼夜行抄』9巻(朝日ソノラマ・800円)。
 ……最近、買ってる本の「妖怪」率、高くなってる気がするな。
 1巻買った時にはまさかこんなに続くとは思ってなかったけど、もしかしたらホントに百話行くんじゃないか。
 となると今ちょうど折り返し点、というところかな。
 主役の飯島律、7巻で大学生になったから、18巻まで行けばどうしても社会人にならざるを得ないけど、『返礼』の回で、1年ほど妖魔にとり憑かれた時期があった、と紹介されているから、その間の「書かれざる物語」を書いて行けば、結構それくらいは持つんじゃないかな。
 しかし、9巻も重ねているというのに、語り口のウマさにますます磨きがかかってるってのには仰天する。そんじょそこらのミステリ作家よりよっぽどミスディレクションがうまい。
 それでもミステリファンのハシクレとして、「これはここでこう引っ掛けてるな」と作者のワナに気づいて真相に辿りつくことも多いのだが、今さんヘタすりゃ二重三重の引っ掛けを用意してるからねえ。
 『笑う杯』に出てくる「大奥様」と呼ばれる謎の老婆、こいつが幽霊か妖怪の類だろうってことはすぐにわかる。作中に「年とった家政婦さんがいる」とかいうセリフが出てくるから、一瞬、その人のことかとも思ってしまう。家政婦と見せかけて実は……というパターンかなと。
 ところがさりげなく「自殺した最初の奥さん」とか書いてあるものだから、あ、さてはこの人の幽霊だな、「家政婦」は引っ掛けだな……と思ったら更にそれも引っ掛けなんだもの。
 いや、ほかにも『隣人を見るなかれ』なんか叙述のトリックとしても傑作。別にミステリマンガじゃないのに、どうしてそこいらのミステリマンガより数段優れたトリック使いまくってんだよ。
 後書き読むとさあ、意外と行き当たりばったりに描いてるんだよねえ、作者。多分、作者、自分がミステリ史上に残るトリックを考案してるんだなんて、これつぽっちも気付いちゃいないぞ。……才能だなあ。
 『コナン』とかに飽き足らない人は、『百鬼夜行抄』を読むべし(ほんとかよ)。
  

 岡田斗司夫・山本弘『空前絶後のオタク座談会�◆.淵�ヨシ』(音楽専科社・1575円)。
 伏字だらけのオタク座談会もはや5冊目、よく続くよなあ、クレームも相当来ているだろうに。
 もっとも「あの伏字は私のことでしょ!」なんて怒鳴りこんで来たりした日には、その人が伏字の本人だと自ら白状しちゃうようなもんなんだが(^o^)。
 今回のゲストは伊藤秀明・かないみか・原恵一・渡辺宙明の四氏。
 『hm3』の客層考えてみると、この連載が続いているのが不思議なくらいなメンツだ。ギリギリかないさんが「声優」なわけだけれども、表紙飾る方ではないし。
 けれど、オタク界の裏話を、多少のタブーはあっても比較的突っ込んで知ることができることってそうそうあるこっちゃない。前方に立ちふさがる壁を乗り越え、更に10冊、20冊と続いてほしいものだ。

 最初のゲストの伊藤秀明氏、わかりやすく「サンダーバード研究家」と紹介されているが、その程度の肩書きで収まりきれる方ではない。「なんでもコレクター」でいいのではないか(ホントはセルワーク・イラストレーター)。
 ともかくこの人がいるおかげで世の中にLDボックスだのDVDボックスだのが氾濫したのだということがよくわかる対談。つまりは我々からおゼゼを搾り取る悪魔だな(^^)。
 何がアコギかって、例の『NHK少年ドラマシリーズ』のDVD、『タイムトラベラー』のスチールがDVD発売のあとに見つかったので、「『七瀬ふたたび』なんか一度商品化したやつだから、ここに入れればいいじゃありませんか。フォトギャラリーに入れたら絶対マニア買いまっせ!」なんてNHKにアドバイスしてるんである。
 ……そうかあ。『七瀬』、もうビデオテープで持ってるんだがなあ……。
 今回のDVDには『タイムトラベラー』のスチールが収録されてるのかあ……。せっかく買わずにいたのに、買わなきゃならなくなったじゃないか!
 伊藤さんとはそういう人である。

 かないみかさん、山寺宏一さんの奥さんであることは知ってたが、田上和枝さんの娘さんであることは忘れてたなあ。
 そういや、小川びぃさんの声優辞典に書いてたっけ。
 かないさんのイメージってやっぱりメロンパンナちゃんなのかな、一般のイメージは。
 『アイドル雀士スーチーパイ』で散々スーチーを脱がしまくった私としては、どうにもかないさんの「も〜う、エッチィ!」と言うセリフが耳について離れないんだが(おいおい)。あ、あと、『究極超人あ〜る』の西園寺えりかの「あははははははははは!」をやれる声優がいたという感動もあったね。
 ……代表作じゃないか。
 それと、この対談中に「田中公平が●●●●の悪口を言うと1時間でも2時間でも喋る」というのは誰のことだかすぐにわかるのだが、しげがその人の大ファンなので、その答えは言わない(^^)。

 『クレヨンしんちゃん』の監督、原恵一さん、拙稿を読んで頂いているのでしょうか、恐縮です。
 って、去年の夏コミで山本弘さんが出した『オトナ帝国の興亡』のことね。
 この対談の中でも、名前は出てないけど、私の原稿のことに触れていただいてて、すっごく嬉しかったのだが、雑誌掲載時にカットされてた部分にも、私の発言を取り上げていただいてる部分があった。
 もちろんネタにされていじられてるんだけど(^_^;)。
 でも、岡田さんや山本さんにイジってもらえるようなものが一応は書けたんだなあ、と思うと、感慨無量。
 ああ、今年も同人誌作りたいなあ。

 渡辺宙明さん、読み方は「ちゅうめい」でいいんだそうな(ホントはミチアキ)。中野昭慶を「しょうけい」と読むのと同じ(注に本名は「あきよし」って書いてあるけど「てるよし」だよな、確か)。
 この人の歌も結構カラオケで歌うこと多いけど、『忍者部隊月光』は歌い忘れてたなあ。私もさすがにこれは再放送でしか見てない。でもいかにもチュウメイ節のルーツで燃える曲なんだよなあ。
 あのイントロのデンデケデンデケが007のメインテーマだって話してくれたの初めてじゃないか。なるほど、言われてみればその通り。……「げっこ〜う、げっこ〜う、忍者〜、ぶーた〜い〜」って、若い人にゃ全然わかんないネタだね、すみません。
 『ゴレンジャー』の「バンバラバンバンバン」もチュウメイさんのアドリブ作曲か。わかるなあ。秘蔵エピソードの紹介はこの対談が一番多いかな。
 ヒーローソングの秘密を知りたい人には必読!

2001年02月17日(土) ゴミ箱はティッシュの山……鼻水で/『2001年映画の旅』(小林信彦)


2002年02月16日(土) 伏字伏字伏字伏字〜、伏字大行進、ヤァ!/映画『A*P*E』/『Heaven?』3巻(佐々木倫子)

 ああ、やっと土曜日。
 急ぎの仕事がないので、有給を取って休む。
 昼までぐっすり。
 なんかいろいろ夢見たみたいだが忘れた。

 昼1時半から、TNC(フジテレビ系)で、みのもんた司会の法律番組『ザ・ジャッジ! 得する法律ファイル』の再放送があってるのを漫然と見る。
 ホントにこの手の番組増えたよなあ。そんなに訴訟国家になっちゃったって印象、ないんだけれども。
 けれど、こないだ見た『訴えてやるゾ!』ほどには面白くないな。
 爆笑問題のギャグでなんとかショー化してるけれど、扱ってる事件自体はそんなに判断に迷うほどこムズカイシイものじゃない。
 不倫相手の男の妻から慰謝料を請求された、払わなければならないかって、当たり前やん。こんなん相談してどうすんの。
 それに「太田のそーっとやってみよう!」とかいうどうでもいいコーナーまである。デパートの商品売り場のベッドコーナーでどこまで寝てられるかって、こんなん法律問題でもなんでもないやん。
 

 外に出るのが面倒臭いので、しげに食事を作ってくれるように頼んだけれど、ノラリクラリと反応しない。
 しかたなく、「あんかけラーメン作ってやろうか?」と言うと、顔全体でにぱあっと笑う。人に何かをさせて自分はしたくないという人間の最下層にいるヤツだ。
 それでも生き物は大切にしなさいと親から薫陶を受けているので、インスタントだけれども、あんかけに卵と豚肉、醤油を加えて増量、あんかけラーメンとあんかけ丼にしたてて、二人で食う。
 2人前分のラーメンをしげは一人でペロリと食うが、作ってもらって嬉しいなら、自分も人に作ってやる喜びを覚えろよな。


 夜8時から、AIQの会合……っつっても実質、飲み会だけど。
 次回開催の予定が未定なので、当面、何かを早急にせねばってのはないようだ。
 代表のエロの冒険者さんに「秘蔵映像の紹介なんかできませんか?」と提案してみるが、あまり気乗りではない様子。オタクアミーゴスのお三方にトークを交えて紹介してもらえれば、面白いと思うんだけどなあ。
 エロさん、ぴんでんさん、ウチのしげと、こないだもお邪魔したエロさんちのご近所の居酒屋になだれこんで、テンプラの盛り合わせやら、土筆の卵とじやらをサカナに、なんかもー、ちょっと大きな声では言えないような話をたっぷり。
 エロさんの○○○○○○が、実は○○○○○で、○○○なっちゃったとか、ぴんでんさんから聞いた話で、○○○○○○の○○○は、実は○○○○○○○の○○○○○○と○○てて、○○○○○○○○であるとか。
 さすがにこれはヤバイんで、日記には書かないつもりだったんだけど、お二人から「伏字で書いて下さい」と頼まれたので書く(^^)。どうぞご自由にご想像下さい。……しかしなんでみんなこんなに伏字がスキなんだ。

 じゃあ、私も伏字で書こう♪
 いつものごとくカラオケに移動することになって、お二人をしげの車に乗せての移動中、酔っ払ったぴんでんさん、突然、「有久さんは○○○○○○○○○○○○○○か?」と聞いてくる。
 血相を変えたエロさんが、「いきなりおまえはなんちゅうことを聞くんじゃ!」と激昂。
 「いいじゃないですか、聞きたいし」とにこやかなぴんでんさん。
 すかさずしげが「○○○○○○○○○?」と答える。
 今度は私が「お前は何を言うとんじゃ!」と吼える。
 ぴんでんさんはおお喜びで「ああ、やっぱり○○○○○○○○○○○!」。
 まあ、カンのいい人にはどういう会話かお分かりだろうが、私もにこやかにこういう会話が出来るようになったとは、オトナになったんだなあ♪ と思うんである。

 カラオケでは例によって例のごとくアニソン・特撮ソング縛り。
 ぴんでんさんが『ワイルド7』に『マシンハヤブサ』の望月三起也2連発(つーか、これだけしかないよな)をかませば、エロさん、対抗して『赤影』を二度入れて歌う(いや、単に入れ間違えただけなんだけど)。
 しげも定番で『宇宙刑事ギャバン』とか歌ってたけど、もう一つの定番、戦隊シリーズは歌わなかったなあ。ぴんでんさんが歌うと思って遠慮したんだろうか。
 実際、私もオタアミの方々と歌いに行くときには、それぞれにお好きな歌があるだろうから、できるだけその辺を外して歌うようにはしてるんである。……そういや、『マジンガーZ』ってほとんど歌ったことがないなあ。あれは思い入れが強すぎて歌うと泣いちゃうので歌えないんだが(^_^;)。
 しかしどのカラオケ屋に行っても、どうして『コメットさん☆』は(毎回言ってる)。


 DVD『A*P*E』。
 1976年製作の米韓合作映画ってことだから、まさしくあのリメイク版『キング・コング』公開に合わせて急遽でっち上げられたパチモン映画なんだろう。
 冒頭、いきなり海上の船が爆発し、そこに閉じ込められていた巨大ゴリラが逃げ出す。
 既にこの時点での特撮がへにょへにょのはにゃはにゃなんだけれど、もう河崎実の『地球防衛少女イコちゃん』レベル。いや、これでも誉めすぎか。
 ミニチュアバレバレの船が炎上して、海に逃げたゴリラ(泳がずに歩いてたから浅瀬なんだろう。浅瀬でランデブー!)、そこへやってくる巨大ザメ!
 このサメも一目でラバーで作ってるだけなのがバレバレなんだけど、あとでゴリラの縮尺見ると、ミニチュアから判断して、どう小さく考えても2、30メートルくらいの身長はあるんである(もっとも、ゴリラのサイズ自体、画面ごとに伸縮してるが)。となると、このサメも優に20メートル……ジンベエザメだってそこまでデカクねえぞ。
 で、こいつとくんずほぐれつの格闘……どころか、ゴリラは動かないサメ持って振りまわし、襲われてるフリにやっつけてるフリの一人相撲してるだけ。
 ……ドリフのコントにあったよなあ、こんなの。

 深夜の波止場の倉庫街に上陸したゴリラ、何にハラを立ててるのか、倉庫をメチャメチャに破壊。しかも落ちてたドラム缶を観客に向かって投げる投げる。
 ……ここで、この映画、実は公開当時3−D立体映画として作られてたんだろうってことが分るんである。多分、赤線と青線(まあやらしい)が入ってて、セロハンつけたメガネをかけて見るようになってたんだろうな。
 この倉庫のロングシーン、構図から言って、『ガメラ対バルゴン』によく似てるんだが、これからあとの特撮シーンも、特撮映画に限らず「なんかこれ、どこかで見たな」的なシーンが続出するのだ。しかもそのマネっぷりがオリジナルに比べるとかなりしょぼい。合間合間に必ず「立体」シーンが挿入されるんで、ドラマのテンポが崩されてしまうことも夥しい。

 もう、この時点で映画自体の出来は見当がつくんで、もう筋を紹介しても余り意味はない感じなんだが、一応概略だけを書く。
 冒頭のシーンを全く無視して、アメリカの有名女優マリリン・ベイカー(頼むからこんな露骨なネーミング、やめてくれよう)が来韓。それを追うように恋人のトム・ローズ(なんかこれも野球選手をイメージさせるネーミングやね)もやってくる。
 撮影中もイチャイチャしまくる二人だったが、当然のようにゴリラはマリリンを見つけてさらっていく。
 国防軍が出動し、どこぞの採石場で(^o^)繰り広げられる大攻防戦!(のつもりなんだろうな、しょぼいけど)軍が攻撃を加えている間に、トムはマリリンを救い出す。
 しかし、マリリンをソウルの軍司令官の家に匿ったのもつかの間、どこから金髪女のフェロモンを感じ取るのか、ゴリラは見事にマリリンを見つけ出し、また採石場に連れていく。
 で、トムは再び軍の攻撃の合間を縫って、マリリンを救出し(全く同じ展開やんけ)、ゴリラは全身、浴びるように銃弾を受けて死ぬ。
 ラストカットは沈む夕日のハレーション(^_^;)。

 え〜、ツッコミどころは満載なんだけどもな、例えば韓国軍の演習フィルムを流用したらしくて、ヘリコプターや戦車は全部ホンモノなんだが、それがゴリラと戦うシーンがほとんどないとか(陸戦兵士がライフルと手榴弾で戦ってんである。)。
 ドラマシーンの半分はトムとマリリンのラブシーンか、軍司令官と在韓米軍との電話での会話だとか。
 この、「アメリカから俳優わざわざ呼んだんだから、出演シーンを多くしてやんなくっちゃ」的なムダなシーンの続出が(というより、それだけで成り立ってる)、見ていてともかくダレるんだよ。だいたい、アメリカ俳優ったって、2線級、3線級のヘボ役者なのは見ていてバレバレで、曲りなりにもラス・タンブリンを使った『サンダ対ガイラ』とは比べるべくもない。
 ネットで検索してもこいつらの出演作、テレビドラマのチョイ役がチラッとある程度だものなあ。せめて女優がよ、色っぽいとかかわいいとかなら、どんなクダラン映画でも、見ててそれなりに楽しめるんだけどさ、トウの立ったただのオバちゃんだもの。ナンシー・アレンを崩して二重顎くっつけたような。
 サービスのつもりか知らんが、映画内映画で撮ってるやつがエロ映画でさあ(そんなんわざわざパッキン女優連れてきて撮るなよ韓国)、下着にガウン一枚で男に襲われまくって(出演シーンはほとんどそのスタイル)悲鳴を挙げて谷間とふとももとパンツを見せまくるんだが、見ててこれほどエッチ心をそそられないエロシーンも珍しい。
 他のシーンも、筋が単純だから、同じカット、似たようなシークエンスを繰り返して尺を伸ばすばかりで、ドラマが全く存在しない。ソウルの街は全てダンボール製で、採石場の岩は全て発砲スチロール。特撮レベルは『ウルトラファイト』か『行け!ゴッドマン』かそれ以下。
 もう、「とほほ」と言うしかない。
 これは断言出来るが、ウチの劇団で製作費十万円ぽっちで、デジカメで撮影しても、これより百倍はマシな映画作れる自信があるぞ。ミニチュアは紙とリカちゃんハウスで充分、着ぐるみなんかいらない、巨大カイジュウはよしひとさんちで飼ってるネコ使えばいいし。タイトルはもちろん『C*A*T』。三日で撮れるな(^o^)。

 調べてみて驚いたんだが、この映画の監督のポール・レダー、あの『ピースメーカー』『ディープ・インパクト』のミミ・レダーの父つぁんなんである。
 このポール・レダー自身、出たがりなのか予算節約のためなのか、映画に映画監督役で出演してるんだが、娘のミミ・レダーも(当時20代前半)、インタビューで父の仕事の照明助手などをちょくちょくやってた、と答えている。ということ箱の『A*P*E』もミミ・レダーが手伝ってたのかも……?
 そうかあ、この映画が、パニック映画をいつかは自分も撮る! と彼女に決意させるインスピレーションの源泉になって、ミミ・レダーに『ディープ・インパクト』を撮らせたのかあ……ってんなわけあるかい。


 マンガ、佐々木倫子『Heaven?』3巻(小学館・1400円)。
 随分前に買ってたんだが、しげが部屋のどこかにほったらかしたまま、適当に山積みした本の中に紛れこんじゃってたので、今まで読めなかった。
 ……他にも『攻殻機動隊2』とか『陰陽師』10巻とか、どこに行ったかわかんない本がゴマンとあるんだがな。探し出して横にどけといてもそれがまた移動させられるので、いつのまにやらまた行方不明。
 もう、窓をつぶして本棚にぶちこむしかないかなあ。

 それはそれとして、この第3巻、「ビッグコミックスプラス1シリーズ」ということで「特製ロワンディシー仕様ミトンセット」というのが透明ケースに入って付いている。
 割高だとわかってても、こういうフロクには弱いんだよなあ。使う予定もないのに買っちゃうのだ。……銭がたまらんはずや。

 それはそれとして(こればっかや)、本編の内容だが、相変わらず主役の伊賀君に恋の芽生える気配もなく、ただただロワン・ディシーでの苦労の日々が描かれている。トレンディドラマだったら、主役がドジを繰り返しながらでも、同僚の女の子と恋に落ちる……という展開が必ずあるもんなんだが、だいたいこのマンガの舞台になってる「ロワンディシー」ってフランス料理屋、ハナからウェイターしかいない。
 唯一いる女性はオーナーの黒須仮名子だけれど、確かに本作のヒロインであり美人ではあるのだけれども、その場のノリだけで料理店を経営しているというキャラクターだから、恋が芽生えるはずもない。
 今巻も、フランス料理店だってのに、客が「箸出せ」「お茶出せ」「コーラ出せ」「ひじきの煮物出せ」と理不尽な要求をするのに従業員がいちいち答えて行く健気な話(そういう客、ホントにいそうだよな)とか、大雪に降り込められて客ともども右往左往する話とか、覆面記者の来訪にみんな怯える話とか、墓場でジイちゃんの幽霊に会う話とか(レストランと関係ないやん)、ストーリー展開だけを見たら、とても青年マンガとは思えない。どっちかっつ―と、ご家族みんなで楽しめるシットコムではないのか。
 ……のわりにはなぜか荒俣宏氏が東京路上観察会の人として顔出し出演している。何なんだろうね、これは。

 考えてみたら、少女マンガ時代から、佐々木さんは純粋な恋愛ものを描いたことが殆どないんだよな。恋愛を題材にしていても所詮は「勘違い」だったり「誤解」だったり、ともかく登場人物の性格がみなどこか歪んでいて、マトモな「恋」に発展する余地がないのだ。……もしかして佐々木さん、「恋愛嫌い」?
 活動の場が青年誌に移ったのも分らないではない。
 まあ、おもしろいからいいけれど、色気がちっとはほしいなあ。キャラクターそのものはエキセントリックで個別認識はできるんだけれども、下手に絵柄が整ってるせいで、登場人物の一人一人の印象が希薄になっちゃってるんだよね。これが惜しいところなんである。

2001年02月16日(金) なりたくて病気になってるわけじゃないやい/舞台『トランス'98』ほか


2002年02月15日(金) ニンニクの家/映画『がんばれ!ジャイアン!!』/『キノの旅V』(時雨沢恵一)ほか

 仕事が混んでないので定時に帰れるようになった。
 ありがたいありがたい。

 今日はどこにも寄らずに帰宅するつもりが、結局「マルちゃん」に寄って二人でうどんを食う。
 ところが、しげの目当てのコロッケは売りきれている。
 仕方なく、しげはチクワを食って誤魔化している。
 かわいそうなので、私が頼んだ肉うどんの肉を分けてやる。
 それだけじゃ物足りなかったのだろうか、しげは帰りにコンビニに寄って、おからと餃子を買って食った。
 また、この餃子、いったいニンニクをどれだけぶち込んだものなのか、食ったあとのしげの口が異様に臭い。そりゃもう、田口ランディの『コンセント』で「口から死臭を漂わせる男」ってのが出てくるが、あんな感じか。
 もう、たまらなくて部屋の中を逃げまわるハメに。
 風呂に入って、歯を磨けって言ってもなかなかそうしないのはやはりイヤガラセだろう。普段は私に対して「歯は磨いた?」とウルサイくせによう。
 おかげで部屋中がニンニク臭くなる。
 ……この匂い、消えるかなあ。


 KBC(テレビ朝日系)アニメ『早春! ドラえもんスペシャル』見る。
 今日の目玉はオタク人気の高かった『がんばれ!ジャイアン!!』。
 岡田斗司夫さんが『オトナ帝国』と並んでプッシュしてた作品なだけに、そんなにいいのかと見てみたが、確かに佳作ではある。
 でも藤子さんが亡くなるまで、30面下げて堂々と『ドラえもん』映画を毎年見に行ってた身にしてみれば、素直に出来がイイって言いたくないところがあるんだよねえ。
 これまでの『帰ってきたドラえもん』や『のび太の結婚前夜』、『おばあちゃんの思い出』などの短編をリメイクしてきたのは、はっきり言えば、長編が藤子原作を離れてレベルダウンしちゃったのを補うための苦肉の策って感じが強い。事実、「長編より併映の方が面白い」と感じてた人、ネットを検索してみても意外に多いのだ。

 確かにこの映画、見所はたくさんある。
 最初の5分で、その「動きのよさ」にまず感心しちゃうね。
 ジャイ子のマンガを取り上げて、からかいながら逃げるジャイアン。
 信号でちょっと立ち止まり、足踏みしてまた脱兎のごとく走り出す、その作画のタイミングのよさ! クルリと後ろを振り帰り、ジャイ子との距離を測り、追い付かせるように見せかけてまたパッと距離を空ける。
 何がスゴイって、こういう軽やかな動きをジャイアンにさせるために、今回の映画版では、普段のテレビシリーズより「幾分痩せさせて」いるのだ! おまえはロバート・デ・ニーロか、ジャイアン!
 美術もここまでやるかってくらいに凝ってる。
 何しろ、剛田酒店の内部が、卓袱台はあるわ、テレビはチャンネル式だわ、小津安二郎か! ってツッコミたくなるくらい、昭和40年前後を再現しているのだ(もともと時代の変化の緩やかな物語だけれど、今回は特にあの時代の部屋の中の「薄暗さ」まで再現している凝りよう)。
 そういう技術とか演出とか、細部で惹きつける要素はたくさんある。
 けどねえ、やっぱり「藤子不二雄じゃなくなってるじゃん」ってとこも同じくらい随所にあるのよ。
 ストーリーは『シラノ・ド・ベルジュラック』をベースに(なぜかトキワ荘系のマンガ家さんでシラノ好きって人多いね。手塚治虫、石森章太郎、赤塚不二夫、みんな『シラノ』を一回は描いてる)、マンガ家の卵であるジャイ子と茂手モテ夫くんの恋の成就をジャイアンがサポートするって話だけれど、原作の方、それほど「感動」を押し売りするような話ではない。「結構いいとこあるぞ、ジャイアン!」って程度の話なのね。
 でも、そこが藤子さんの作劇の「抑制」が利いていて粋なとこなんだけれど、映画にするとどうしてもその「抑制」のタガを外してしまうことになる。今までの短編シリーズも、映画にするためのやむを得ない脚色だったとはいえ、「クドイ」のである。
 みんなに散らばったジャイ子の原稿を集めてもらったけれど、3枚足りない。けれど、ジャイアン、「全部そろったよ」と嘘をついて、ただ一人、雪の降る街を原稿を探しまわる。確かに感動的なシーンではあるけれど、この「自分の力で誰にも頼らずやらなきゃ」っての、『帰ってきたドラえもん』のときののび太をジャイアンに移殖しただけだし。っつーか、このパターン、『ドラえもん』シリーズではあまりに多すぎて、今更映画でこのネタ使って感動呼ぼうとするなよ、とちょっと腹立たしくなるのだ。
 しかも今回は、原作の藤子マンガがあるにもかかわらず、改めて「映画用の原作マンガ」まで藤子プロに描かせている。……それは、違うんじゃないの?
 だから、確かにアニメとして佳作なのは認めるけれど、たとえて言ってみれば、「『ルパン三世 カリオストロの城』って、面白いけど、モンキー・パンチのルパンじゃないよね」ってのと同じ感想を抱かざるをえないのだ。
 でも長編シリーズに比べりゃもう、はるかにスバラシイ。
 長編もオリジナルやるんじゃなくて、他の藤子作品をベースに「ドラえもん化」するとかさ。そういうこと考えてくれた方がまだいいな。ほら、『UTOPIA 最後の世界大戦』とか『海の王子』があるじゃんかよう。
 やれよシンエイ動画。

 岡田さん、『BSマンガ夜話』に出たときに藤子さんをフレドリック・ブラウンに例えたりしてたから、『ドラえもん』の原作、結構読んでるはずなのに、実のところ思い入れは少ないんじゃないかなあ。まあ、褒めてもらってるんだから嬉しいんだけど(って、自分が藤子ファンの代表みたいな言い方してんじゃねえよ)


 時雨沢恵一『キノの旅V ―the Beautiful World―』(メディアワークス/電撃文庫・535円)。
 オビに「一応言っとく ――さよなら。」なんて書いてあるから完結編かと思った。読んでみると別にこれで終わりってわけでもないみたいね。もっともいつどこで終わってもおかしくないシリーズではあるけど。
 ああ、しかしこのセリフが出てくる第四・五話の『英雄達の国』……作者、思いっきり遊んでるんだよなあ。
 2話連続のこの話、もうサブタイトルが“No Heroes”“Seven Heroes”ってなってるの見ただけで、私なんかは、ああ、と思っちゃったんだけど、もう若い人にはなんのことだかわかんないんじゃないかな。

 キノが訪れた廃墟の町。
 しかしそこには「人」がいた。そして、キノはいきなり銃の襲撃を受けた。
 身を守るために応戦するキノ。
 一人……また一人、敵を倒して行く。
 七人。
 そして最後の敵を倒したとき、その男は言う。
 「俺たちは英雄になれなかった……帰って来たらみんないなくなっていた……せめて最後ぐらいは英雄として……」
 そのあと「勝ったのは俺たちじゃない、村人たちだ(いなくなってるけど)」とか言い出すんじゃないかと心配しちゃったよ(^_^;)。

 つまり時雨沢さん、「キノVS荒野の七人(あるいは七人の侍)」がやりたかったんだね。
 禿頭の男。
 背が一番低い男。
 口の回り中髭の男。
 筋骨たくましい大男。
 帽子を深くかぶった男。
 痩せて長身の男。
 大きなリュックを背負った男。
 もう歴然としてるよな(^_^;)。
 でも生き残るやつが誰もいないのが作者の皮肉なんだろうか。

 第八話「用心棒」に出て来た「師匠」ってのは、キノの師匠の若き日だろうか。それともまさか成長したキノ?
 こうやって伏線張った以上、『キノの旅�此戮呂舛磴鵑判颪�れるのだろう。次作をまた期待したい。  


 マンガ、鬼頭莫宏『なるたる』8巻(講談社・530円)。
 中学生編が始まって、暴力シーンやえっちシーンも増えてきたかな、と思われる『なるたる』だけれど、鬼頭さんの絵、一般的に言われている「暴力マンガ」のイメージ(まあ、原哲夫あたりを想起してください)とは程遠い。
 線は細いし、別に血がだくだく流れるような描写はない。キャラクターはみな肋骨ねーんじゃねーかと言いたくなるくらいの細身だ。鬼頭さんの描く女の子に巨乳はいない。一番チチがあるのは女装したのり夫かも(^o^)。
 でも、妙にリアルなんだよね。
 小沢さんの操る“龍の子”に襲撃されたシイナ、思いっきりグーで顔殴られるけど、もう頬骨が陥没してんじゃないかって言いたくなるようにイタイ絵だ。
 小沢さんの回想シーンも、エロというよりまず先に、見ていてイタイ。
 シイナ襲撃に失敗したあと、小沢さんが壊れていく姿もやはりイタイ。
 どうしてそんなにイタイ絵ばかり、イタイ物語ばかり書くのかというと、やはり「痛み」なくして人生ならんやという小泉純一郎みたいなことを作者が考えているからだろう。

 シイナの母、玉依博士は述懐する。
 「繁殖をしない龍の子は生命体ではない。しかし、生物を必要とし、原子を再構築して生物以外の物質を作り出せる。ではなぜ生命だけは作れないのか。
 生命とはなにか? 死とは何だ?」
 ようやく明確な「コトバ」として、作品の中心テーマが語られた印象だ。
 「命」や「魂」、それが本作の重要なモチーフであることは間違いないが、しかしストーリーは必ずしも一般的なイメージでの「生命の賛歌」なんて方向には向かっていない。
 今しがた書いた通り、このマンガはあまりに「イタイ」のだ。
 既に何人もの人間が死んでいる本作だが、実は死んだ人間よりも生き残った人間たちのほうがどんどん傷ついているのである。身も心も。

 生は死を意識したときに初めて相対的なものとして概念化される。
 だとすれば、龍の子が「死」の象徴であることは必然ではないだろうか。
 「生」は「性」であり、われわれは「性」の営みによって「生命」を生み出すのだが、それは同時にわれわれが「命」を外部に投げ出すこと、即ち我々自身が「死」に一歩近づくことに他ならない。
 このアンビバレンツに作者は答えを出していこうとするのだろうか。
 それはある意味、とてもツライ、徒労になりそうな心配すらあるのだけれど。

 折り返しに作者のコメントが載っている。
 「『差別用語』を禁じることで問題は解決できるのでしょうか。
 言葉が『差別』をしているわけではありません。
 そこに、その意味を付与してるのは、人間の意識なのですが」
 もちろん、「言葉」に責任を転嫁することによって、自らの差別意識を糊塗しようというのが、「言葉狩り」の正体である。だから鬼頭さんの書いていることは至極マットウなことなのだが、なぜ、今、こんなことを「作者コメント」として書かなければならないのか。
 作品が作品なだけに、その「表現」について、どこかから「横槍」が入ったりしてるのかもしれないなあ。
 『アフタヌーン』はその作品ラインナップからしても作家に自由にものを描かせている雰囲気があるので、おそらく大丈夫だとは思うけれど、どうでもいいことで「連載打ち切り」になんてことにはならないでいてほしいものだ。

2001年02月15日(木) 携帯綺譚/『雨柳堂夢咄』5巻(波津彬子)ほか


2002年02月14日(木) 夫でも義理チョコ。……夫だから?/アニメ『七人のナナ』第6話/『金田一耕助の帰還』(横溝正史)ほか

 ははは、バレンタインだ、バレンタインだ。
 進駐軍のバレンタイン少佐が、飢えた日本の子供たちにチョコレートを配った日だ(c.ゆうきまさみ)。
 しげからは一応、例の高さ10センチの「円柱」チョコをもらったが、包丁で切ってもカケラが出るばかりで、うまく食えない。
 舐めるしかないのか、こいつは。
 でも其ノ他くんがもらったという、直径20センチの「チョコボール」もらうよりはましかもしれない。……もうそれって既に「バレンタインチョコ」の範疇を越えてるって。
 ともかくその「ボールチョコ」に比べるとちっちゃい「円柱チョコ」、義理チョコのうちの1個なんだけど、「義理」っつーより「量産型」と言ったほうが相応しいような気がしたぞ。
 全く、これだからオタクは(+_+)。


 昨日よりは少しはマシだけどやっぱし眠い。
 薬がホントによく利いてるわ。
 でもだったら血便もそろそろ止まってほしいもんだが。
 相変わらず、出ちゃ止まり、出ちゃ止まりの繰り返しなんである。
 おかげで、トイレの便器、すっかり血塗れで、っつーか、血塊がこびりついていて、取るのにひと苦労するのである。しかも、何度拭いても、次の日にはまた血便が出るので、結局、エンドレスになっちゃうんである。
 今日もしげから「血を拭けよ」と命令されるが、こっちも気がつかないことはあるのだ。それより何より、汚れてたら自分が拭こうって発想はないのか、この女には。


 晩飯はまたまたまたしげの誘いに乗って、「一番カルビ」。
 てっきりまた肉が目当てかと思ったら、「白玉黄な粉ソフトクリームが食べたいとよ」。なんだ、今日はデザートがメインか、と一瞬そう思ったが、でもそれは別に「肉を食べない」という意味ではなかったよな、と気がつく。
 いつもいつも「肉が食いたい、肉が食いたい」だと、ホントの餓鬼のように思われると表現を変えたかな?
 でも「目的物」をカモフラージュした気になってて、実は全くそうはなってないってのが、いかにもしげらしい。
 でも席に座ってみると、しげの目当ての「白玉黄な粉ソフトクリーム」は期間限定商品でもう作っていない。
 今の限定商品は、「いちごソフト」である。
 実は私も「白玉黄な粉」、ちょっとほしいなと思ってたのだが、ないなら仕方がないと、「いちごソフト」を注文。
 ……あとで気付いたが、品がなけりゃないで、別に無理に頼む必要ないんじゃんか。そんなに「白玉黄な粉」に惹かれてたのか、私。
 これじゃしげを笑えんなあ。

 セット頼むより単品の方が安上がり、とロースにホルモン、鶏もも肉といつもの定番を注文。でもこれも定番だが、赤身肉はよっぱりしげ一人が、ほぼその全てを食いつくした。
 しげが食い終わって「おなかキツイ」とうめくのもいつもの定番。
 そりゃ、肉は三人前頼んだしな。で、全部食ったしな。胴回りが2倍になるのも当然だよな。
 精算時にまた2割引券もらったので、そのうちまたしげに誘われるだろう。
 しげの「肉ロード」は永遠に続くのである。


 アニメ『七人のナナ』第6話「受験番号623! 深夜ラジオで大騒動」。
 まあ、623(ムツミ)が326(ミツル)のパロだってことはわかるけど、DJとかやってんのかな? ただのイラストレーターかと思ったけど。
 ともかく6話まで見てきて、今川監督、ありとあらゆる「受験ネタ」をやりたいんだな、ってことが見えてきた。
 受験の時期って、なぜか深夜ラジオにハマるんだよねえ。今の学生がどうかは知らないが、私は「谷山浩子のオールナイトニッポン」と「アニメトピア」がココロの友だった。……なんてオタクの定番(^_^;)。
 今はあまり聞かなくなったよなあ。ラジオまでチェックしてたら、本気で寝る時間がなくなっちまうし。おっと、先にストーリー紹介しとかないと、何のことやらわけがわからんな。

 抜き打ちテストで赤点、教頭先生からイヤミを言われて落ち込んでしまったナナ。
 深夜、気分転換にラジオを聴いていると、人気DJ623の番組の中で、「Y・K」君という男の子からのFAXが紹介される。
 なんとそれは、ナナのことを励ましている内容だった。もしかして「Y・K」って、「優一・神近」?
 嬉しさのあまり、ナナは番組に「Y・K」くんへの感謝の返事を送るが、623がついうっかり「鈴木ナ……」と本名を呼んでしまったために、深夜ラジオを聞いていることが教頭先生に知られてしまい……。

 後半、ナナが「受験生はみんな同じ思いをしながらがんばってるんだ」と切々と語るシーン、今川監督としては感動的なものにしたかったのかもしれないけれど、 残念ながら「泣かせる」演出って、実は今川監督、そんなに得意じゃない(本人がどうやら得意だと思ってるらしいところは勘違いも甚だしいんだけど)。
 演出過剰、ご都合主義、つまりは「やりすぎ」て白けるってことなんだよね。『ジャイアントロボ』も毎回感動の押しつけで、7話も続くと、ちょっとばかし食傷気味になって、泣く気も起こらなくなってた。
 今回も、ナナに「決め」のセリフを喋らせようって意図は判るんだけど、そこまでの展開がいささか強引。さっきまでできなかった数学の問題が、ちょっと「やればできるよ」と言われただけで、ホントにいきなりできるようになるし。
 ……プラシーボ効果ってことなの?
 んな妙ちきりんな展開されても客はついてこれねーって。誰も今川監督に「感動もの」を作ってもらおうなんて考えちゃいないんだから、素直に「アニメ界の島本和彦」を目指してほしいもんである。

 あと、エンディングで623の声優が「?」になってるけど、石田彰じゃないのか。神近くんと二役で。イントネーションがそのまんま「歌はいいねえ」とか言い出しそうだったぞ(^^)。


 CSで『キャプテンウルトラ』『サクラ大戦』『南くんの恋人』『パワーパフガールズバレンタインスペシャル』と立て続けに見るが、これ全部の感想書いてたら字数オーバーしちゃうので省略。
 来週の分に2話まとめて書けたら書こう。
 まったく、毎回どうしてこんなに書きまくってんだろうかね。


 横溝正史『金田一耕助の帰還』(光文社文庫・680円)。
 あああ、横溝の横溝の、金田一の金田一の未読短編を読める日がまさか来ようとは……!
 21世紀万歳!(何のこっちゃ)
 実際、今年は横溝正史生誕100年。ということは亡くなってもう21年も経っちゃったのか。
 横溝正史死去を聞いた途端、
 「おおお、『女の墓を洗え』は!? 『千社札殺人事件』はどうなるの!?」と思ったものだったが、ついに予告されていたそれらの新作は、書かれざるままに終わってしまった(T-T)。
 横溝正史が恐ろしいのは、古稀を迎えてなおその創作意欲が衰えないばかりか、レベル的にも『悪霊島』のような、細部に至るまで目の行き届いた佳作を執筆していたところで、『象は忘れない』みたいな腑抜けたものしか書けなくなっていたクリスティーをはるかに凌駕している。
 まさしく、名実ともに「探偵小説の鬼」だったのである。
 だからこそ、社会派推理全盛の昭和30年代、横溝氏が意気消沈していたことが今更ながら悔やまれる。遺作と言われている『上海氏の蒐集品』だって、この時期に既に書かれていたまま、雑誌掲載のアテがなかったものだ。
 ああ、この時期「探偵小説のロマンは消えていませんよ!」と横溝正史を叱咤激励する編集者がいてくれたら……。
 だから、私はたとえラリってるトンデモ野郎でも、角川春樹は大好きなんである(お近づきになりたくはないが)。
 彼がいなければ、『仮面舞踏会』『迷路荘の惨劇』『病院坂の首縊りの家』『悪霊島』の、晩年の四作、横溝長編の中でも上位に位置する長編群は生まれなかった。
 ギリギリではあるが、なんとか間にあった。
 そして、現在の、横溝ブームを源流とする新本格ブーム、更には『金田一少年の事件簿』以降のマンガのミステリブームも当然、起こりえなかった。
 ……コラ、そこの「コナンくん萌え」のオタオンナ、君のオタクライフは、それくらい横溝正史と角川春樹の恩恵の上に成り立ってんだぞ、「えーっ、でもそんなムカシの作品なんて難しそうだしー」とか言わないで、原作読みなさい。
 『本陣殺人事件』『蝶々殺人事件』『獄門島』『夜歩く』『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔が来りて笛を吹く』『不死蝶』『女王蜂』『白と黒』『悪魔の手毬歌』、どれ一つとして駄作はない。JETのマンガなんかで代用させるなよ。

 この『帰還』は、一度短編として発表されたものの、後に長編化されたために、全集にも文庫にも収録されていなかったものを探し出して収録したものだ。横溝作品は手に入るものはなんでも、それこそ角川文庫はコンプリート、時代小説・捕物帳に至るまで読みまくった(でもまだ『朝顔金太捕物帳』とかは読んでない)私だが、さすがに原型作品は雑誌を捜すしかなく、2、3篇しか読んでいない。
 こんな企画が通る日がまさか来ようとは、本気で生きててよかった。つくづくそう感じる。
 確かに長編版に比べれば完成度は落ちるのだが、それでも『壺の中の女』(長編版は『壺中美人』)のトリックが違っていたりと見所は多い。
 『毒の矢』『渦の中の女』など、今のネット環境のチェーンメール、迷惑メール
の問題を先取りしている。昭和30年代の作品でありながらモダンなのである。
 金田一耕助シリーズは、一般的には岡山県を舞台にした地方モノの人気が高いが、実は彼の特徴の一つとして、「都会の孤独者」って面が明確にある(そりゃあんな汚らしい和服姿でいちゃ、都会じゃ浮くわな)。
 この短編集に収められたものは殆どが東京ものだ。
 都会の奇を猟る、まさしく初期の明智小五郎にも通ずる金田一耕助の、テレビや映画のイメージとは全く違った「本当」の姿を、堪能してもらいたい。

 解説の書誌もなかなかキチンとしてるのだが、『支那扇の女』は同タイトルの短編が原型、と書いてあるのはちょっと違う。
 もともとは『ペルシャ猫を抱く女』(「キング」昭和21年7月号)という短編があって、それが、
 →『肖像画』(「りべらる増刊」昭和27年7月号)
 →『支那扇の女』(「太陽」昭和32年12月号)
 →『支那扇の女』(東京文芸社刊/昭和35年7月)
 という過程を辿ったものだ。これは既に中島河太郎氏の研究で判明していたことだし、解説の浜田知明氏も先刻承知の事実なのだから、ちゃんと記載しておくべきである。
 ……横溝オタクは多いからな、こういうことにはちゃんとしとけよ、光文社。


 マンガ、久保田眞二『ホームズ』2巻(集英社・620円)。
 あ、考えてみたら、1巻はネットカフェで読んだんで買ってないや。
 しまったなあ、買わなきゃならんかなあ。
 ムードはいいんだけどねえ、ホームズのキャラクターもいかにも「らしい」し。もっともそれは作者の力っつーより、ベースにしてるのがNHK放送のジェレミー・ブレット主演版だからだろうけど。
 とゆーか、この作者、そのテレビ版しか見てない可能性だってあるな。
 今回、ついにあのモリアーティ教授が登場するんだが、彼を「赤毛連盟事件の黒幕」としたのは、そのNHKのグラナダテレビ制作版なんである。その設定をそのまんまこのマンガでも踏襲してるけど、その一点だけでも版権が生じないかなあ。
 ……黙ってりゃわからんか。
 あ、でも巻末の口絵のホームズはピーター・カッシングっぽい。
 いっそのこと、1巻ごとに別俳優のホームズを登場させるってのはどうだ。
 ウィリアム・ジレットのホームズ、ジョン・バリモアのホームズ、ベイジル・ラスボーンのホームズ、クリストファー・リーのホームズ、ピーター・クックのホームズ、クリストファー・プラマーのホームズ、イアン・リチャードソンのホームズ、チャールトン・ヘストンのホームズ、ロバート・スティーヴンスのホームズ、ニコル・ウィリアムソンのホームズ、岸田森(これが言いたかった!)のホームズ。

 ミステリとしては、今回もまあこんなもんかいな、という程度の出来。
 まあ、当時のイギリスの雰囲気をマンガで味わうって考えた方が楽しめるかな。
 けど、喋ってる言葉は英語のはずなのに、“Lucifer”をどうして「ルチフェル」と発音するのだ。敬虔なクリスチャンは日常でもラテン語を使うのか?
 「リュシファー」か「ルシファー」って発音しろよ。

 ……関係ないが、多分、生え抜きのシャーロキアンならば、今、アフガンあたりに取材に行ってるジャーナリストに知り合いがいたら、帰国するのをウズウズとして待っていることだろう。
 もちろん、「君はアフガニスタンに行っていましたね?」と言うためである(言わずもがなだが、ワトスン博士はホームズに会う前に軍医としてカンダハルに着任してるんである)。
 

 マンガ、佐藤マコト『サトラレ』2巻(講談社・530円)。
 きわどいシチュエーションで毎回よく描いてるよなあ、佐藤さん……と思ったが、この話って基本のストーリーラインは「相手にバレないようにことを運ぶ」って昔ながらのシチュエーションコメディなんだよね。
 「自分が魔法の国の王女様であることをバレないようにする」
 「自分の婚約者がニセモノであることをバレないようにする」
 「自分の家がホントは貧乏であることをバレないようにする」
 でも『サトラレ』が面白いのは、その「バレないようにする」ってのが、本人が懸命になってるんじゃなくて、周囲が、しかもその「本人のために」行おうとしてるってことだろう。
 だから物語の印象がとても「優しい」。
 しかしそれはこの物語を成立させる重要な要素であると同時に、物語を根底から破壊してしまう危険すら孕んでいる。

 里見健一も、木村浩も、星野勝美も、大槻翔も、片桐りんも、西山幸夫も、自分がサトラレであることは知らされてはいない。
 もちろんそれは彼らが「天才」であり、社会的に保護される価値があると見なされているからである。
 しかし、それはあくまで「政府」や「自治体」「会社」などの組織の論理なのであって、そういった「天才性」を抜きにして彼らサトラレを守ろう、とする周囲の人々の活躍によって物語は紡がれていくのだ。
 それはまさしく、映画版を見たときにはクサイな、と思った「サトラレだって人間です」というセリフ、彼らにたとえ「天才」という価値がなくたって「人間」という価値がある。そこに物語の論理が依拠しているからにほかならない。
 だからこそ、ここに最大の問題も生じてくるのである。
 「サトラレ」が「人間」ですらなくなったらどうするのか?
 つまり「人間」としての価値すらなくしてしまったら。
 大槻翔が「殺意」を抱く物語、話は随分あっさりと終わってしまったが、これ、そんなに簡単に結末つけられるテーマではないのではないか。
 「サトラレ」が天才ではなく「ただの人」であったら、あるいは「人でなし」であったら、それでも「彼らを守る」物語は作れるのか。
 ……ただのシチュエーションコメディで終わらせるにはちょっとハード過ぎるモチーフを内包している。でもそのことに作者自身、すでに気付いているはずだ。だから、里見健一と木村浩という二人のサトラレをついに「接触」させた。
 果たしてこの結末はどうなるのか。

 木村浩が自分のことをサトラレであると知る物語、あるいは西山幸夫と小松洋子の間に生まれた子がサトラレであった場合、洋子は夫と子供のどちらを選ぶのかという物語。
 その二つの物語のどちらかが、このシリーズの最後になるのだろう。
 単純に考えれば、この物語の結末は悲劇でしかありえない。
 しかし佐藤さんがここまで描いて来たのはすべて彼らサトラレを「守る」物語だった。
 だとすれば、どんなに乗り越えることが困難な設定であっても、決してアンハッピーエンドにはしないという決意をしているはずだ。
 その決意に揺るぎがないことを願う。

2001年02月14日(水) だから初心者なんだってば/『わが師はサタン』(天藤真)


2002年02月13日(水) たくさん書いてるけど半日は寝ている(^^)/『ギャラリーフェイク』24巻(細野不二彦)ほか

 さて、今日もマジメにお仕事お仕事。
 なのに仕事中、何度も落ちる。
 下手をしたら机に向かっただけで落ちる。
 別に寝不足じゃないしなあ。たっぷりとまではいかないが、最低でも6時間は寝てるのに、なぜなのだ。
 ……と思ってたら、ふと、理由に気がついた。
 ここんとこ、薬をマジメに飲んでいるのである。
 おかげで、あれだけ続いた下血もようやくなくなっているのだが、今度は薬の「副作用」が出たというわけだ。
 何しろ、ウトウトとして眠るってんじゃないからねえ。
 気がついたら寝ている。いや、寝てるんだから気付いてない(^_^;)。
 きっとアレだろうなあ、私が寝てる間に職場のみんな、「またこいつ寝てやがる」とか思ってるんだろうなあ……と思っていたのよ、また疑心暗鬼になっちゃってさ。
 そしたら、ふと、寝ている私の横で同僚の会話が。
 「……起こしましょうか、有久さん」
 「いや、具合が悪いんよ、そっとしといたげよう」
 仕事があるのに、私が寝ている間、その仕事は同僚がせねばならないというのに、気遣ってもらえるなんて!
 すぐに起きて仕事をせねばと思ったのだが、今度は涙が出てきて顔を上げられないのであった。
 あ、5分後には何もなかったかのように目覚めて仕事に戻りましたので、ご心配なく。ホラ、マジメでしょ?

 
 車で迎えに来てもらったしげに頼んで、職場の近所の本屋に寄ってもらう。
 買い損なってた今月の『アニメージュ』と『ニュータイプ』を購入するためである。
 「貧乏でもアニメ雑誌買うおカネはあるんやね」と、しょっちゅうしげからイヤミを言われてるのだが、今日はなぜか無言のまま。
 ついに諦めたか。いや、まずそんなことはありえないので、何かを企んでる可能性はある。これは注意せねば。……ってそれも疑心暗鬼かも。

 メシをどうするかでしげと口論。
 相変わらずつまんないことでケンカする夫婦だ。
 と言っても要するにしげが優柔不断で、「おいしいもの食べたいけどおカネが減るしぃ」とかいうアホな悩みに私が怒ってるだけである。
 うどん屋のマルちゃんに入って、おのおの注文をすると、全く偶然に同じメニューを注文してしまう。いか天うどん、コロッケのせ。
 我々夫婦は、果たして気が合ってるのか合ってないのか。
 そのまま注文するのもシャクなので、さらに追加でエビ天を頼む。
 けど結局そのエビ天も、二人で分けて食べるのであった。
 ……なんだかなあ。


 帰宅して、早速アニメ誌に目を通す。

 『アニメージュ』3月号。
 松本零士の語る「宇宙戦艦ヤマト復活」なんてのは、「おいおい、もうヤマトが成功するかどうかにアンタの情熱はジャマなだけだよ、次世代のアニメーターとかにまかせな」と言いたくなるが、松本節はもう留まるところを知らない。
 「今作は最新の科学的知見に基づいて描くつもりです。たとえば宇宙が一つでないことがわかっていますが」……って、パラレルワールドのこと?
 そう言えば、最近パラレルワールドの実在の可能性を示唆した論文が『ネイチャー』誌に発表されたとかなんとか聞いたことあるような気はするが、所詮は仮説だろ?
 「わかっています」ってなんで断言できるんだよ。それに、「パラレルワールド」の概念なんて最新の知識でもなんでもないぞ。
 ヤマトは新作でも迷走しそうである。
 ……でも私、やっぱり見に行っちゃうんだろうなあ、性懲りもなく。

 こないだこの日記に悪口を書いたばかりの(^o^)大森望氏のエッセイ、東浩紀氏の『動物化するポストモダン』を容赦ないくらいにコキ降ろしている。
 東氏は、「90年代のオタクたちにとっての文化とは、『キャラ萌え』だけで、作家や作品は関係ない」って主張してるんだけど、大森氏にはそれが「どうして?」と疑問なんである。
 東氏の著作はまとまった形で読んだことはないので、明言はしにくいが、散見する文章から見ても、ちょっとトンデモがかってるように思える。なんつーかね、思いついたことをあまり検証しないでそのまんま口にしてる感じなんだよねえ。まあ、私の文章にもその傾向があるんでわかるんだが(^_^;)。
 ガンダムファンとエヴァファンの違いを、前者が「ガンダム世界を精査し充実させる」人たちだったのが、後者は「デザインや設定にばかり関心を集中させていた」人たちに変わって行った、と東氏は書いているらしい。
 まあ、そういう人たちも一部にはいるかもしれないが、それがそれぞれの世代の「代表例」のように、東氏が断定して書いていたとしたら、そりゃどうだろうか、と大森氏が疑問を持ったというのも理解できるのである。
 大森氏は「キャラ萌え」などは単に「作品評価軸の多様化・細分化」に過ぎないんじゃないかと喝破してるが、その方がすんなりすべての現象を説明できる。単純なことをコムズカシク説明して、いかにもアタマがいいように見せかけるというのはアタマが悪いことの証明なんである。
 評論家ってさあ、オリジナルな意見を吐いているようでいて、実はマスコミだの、自分の取巻きだのに迎合した付和雷同的意見を述べさせられてる例って多そうなんだけど、そのわかりやすい例じゃないのかな、東氏の場合は。

 庵野秀明監督の次回の「実写」映画、『流星課長』の製作、順調に進んでいるらしいことが伊藤伸平氏のマンガレポートで紹介されている。
 アニメ化でなく実写でって考えたのは、アニメにしたってしりあがり寿さんの絵じゃ「萌え」られないと考えたからだろうか(^o^)。
 けど主演が「松尾スズキ」ってのもイメージわかんが。
 「自動ドアのマリア」が「小日向しえ」って誰だ。ちゃんとケツはデカイのか。「ほほほほほほほ!」と笑ってくれるのか。興味はつきんが絶対ヒットはしないな。まあ、『エヴァ』の余韻はまだ続いているし、まだあと数年はペケ企画を立てても庵野さん、暮らしては行けるだろう。
 奥さんにも収入あることだし。
 ……そういや、どうして「安野モヨコ」だったのかなあ。
 やっぱり『フリクリ」で安野モヨコの絵柄パクったあたりから、実は既に関係が進んでいたのか。でも今までウワサのあったみやむーとかセガールのムスメよりも「オタク的」に思えて、なんか納得しちゃうんだよね。だって所詮、声優や俳優って、オタクに消費されるイメージの一つではあっても、オタクそのものじゃないもん。
 やっぱり実作者どうしってのがお互いを理解しあえていいかもね……って、だったらあさりよしとおの離婚はどうなるのだろう。片方が同人系っつーか「やおい」だとダメってことか(^_^;)。
 
 毎年恒例の「アニメグランプリ」のとじこみハガキ、もう十年くらい送ってないが(それまでは送ってたんかい)、今年は『オトナ帝国』があるのでちょっと迷っている。
 アニメファンったって、統一的な「ガンダム」ブーム、「エヴァ」ブームは過去のものだし、ファンのシュミはもう多様化しちゃってる。
 あるアニメのファンが、別のアニメファンを罵倒することなんか日常茶飯事だし、自分もアニオタのくせに、アニオタ男を毛嫌いするような簀巻きにして玄海灘にぶちこみたくなるようなクソ同人女も存在する。
 ……ハタチを半ばも過ぎてもアニメや特撮が好きなんて言ってるやつはよう、どう転んだってフツーのビジネスマンとかビジネスウーマン、爽やかで優しいスポーツマンとか、夫に尽くすヤマトナデシコなんかとの縁はできねえんだよ。いちいち相手を選んでんじゃねえや、ナニ様のつもりだ。……おっと、話が逸れた(^_^;)。
 どうせグランプリは『千と千尋の神隠し』、そうでなくても『最遊記』とか『フルーツバスケット』あたりになるんじゃないかって思うんで、一票投ずるのもアホらしいっちゃアホらしいが、「それでもやはり一票を投じてみたくなる」ファンがいるのかどうか、気になるのである。
 要するに、『アニメージュ』のファン層が今どのへんにあるのかがわかるんだよね。けれど、『オトナ帝国』1位が無理でも、せめてベストテンには入ってほしいし、『コメットさん☆』や『サイボーグ009』が上位に行かなかったら、こりゃ本気で「今のアニメファンって、何を見てるんだ?」と言いたくなるのだよ。ああ、この程度の薄いドラマで感動できてしまうくらい、自我がヨワイんだなあって、寂しくなっちゃうのよオジサンは。  
 
 『ニュータイプ』3月号。
 「金子修介の東京電影公司」が最終回。
 「監督・金子修介はヒットメーカーということになっているが意外にコケてる」とか自分で書いてるが意外でもなんでもないぞ。つーか中ヒットはあっても、興行収入30億行こうかなんて大ヒットは今回が始めてじゃないのか。
 だいたい、マトモな特撮ファンなら、今度のゴジラ、なぜ特技監督を立てなかったか、と言うこと、もっと文句を言ってもいいように思うんである。神谷誠は後に追いやられ金子修介、金子修介、金子修介。更に言えば、特撮B班監督を受け持った『メガゴジ』の手塚昌明監督、クレジットすらされてないぞ。これ、本人は納得してるのか。
 金子監督自身の演出能力は、やはりいろんな意味で穴がある。
 発想自体は面白いが、一つ外すともうヘタレ、画面構成能力とドラマを盛り上げる編集能力に欠けるってのが金子修介の昔から今に至るまでの変わらん特徴だ。いったい自称金子フリークってやつぁ、ちゃんと『1999年の夏休み』とか『咬みつきたい』とか『上海パラダイス』とか『卒業旅行』とか見てきてものを言ってるのか。
 今回の映画も、「そのカット割りは、シロウト同然の切り返しのミスはなんだ!」ってのが随所にあるぞ。ドラマがつながってないのになんでみんなそう感動できるんだか。やっぱり「今までのゴジラ映画があまりにひどすぎるので相対的によく見えてる」「併映のハム太郎に対する身びいきから誉めてる」特撮ファンの屈折した心理が映画の評価自体を捻じ曲げてるよなあ、という印象が強い。オタクの「巧みの眼」はどこに行ったんだよう。
 ……あ、何度も言うけど、それなりには面白かったんだからね。今度の『ゴジラ』。まあ、『ガメラ3』程度にはだけど。

 『鈴木伸一のアニメ街・ラーメン横町』、ついにあの幻のスタジオ・ゼロ製作『鉄腕アトム・ミドロが沼』がDVDBOXに収録されることが決まったそうな。
 知ってる人には有名なんで、書かんでもいいことなんだが、藤子不二雄(F・A)・石森章太郎・つのだじろう・鈴木伸一各氏の手になる珍品。鈴木氏も謙虚に「作品の出来映えはともかく」と仰ってるが、なあに、TVアニメ創世記の作品はどれも大同小異、視聴者が想像力を駆使して見なけりゃどれもこれも見られたものではない。
 それが復活するだけでも嬉しいのだから……だからもう、DVDBOXなんて買えないんだってば(T∇T)。

 久しぶりにグラビアに『超時空要塞マクロス』の飯島真理が登場。全く古いオタクはすぐこんなところに引っかかっちまう(^_^;)。
 PCゲーム版『ギャラクシーエンジェル』の主題曲を歌うための来日(知ってる人は多いと思うが、今はアメリカで活動してるんである)なんだそうな。
 ああ、でも小じわは増えてるが老けてねー! ぱっと見、四十過ぎに見えないよ。一時期『マクロス』の名前を嫌ってた時期もあったみたいだけれど、『マクロス』ファンに自分が支えられてきたという自覚を持って活動されてるということで、これは嬉しい。人間がホントに充実した活動が出来るのって、そういう経験を経た四十歳以降なんだよなあ。
 自戒。


 『目撃!ドキュン』、元ピンクレディーのミイのインタビューを放送、「解散の真実は!?」なんてCMが流れてたんで、かつてピンクレディーがウチの近所の野球場で『サウスポー』を歌いに来たとき自転車をかっ飛ばして見に行ったという恥ずかしい過去を待つ私としては見ないわけにはいかない。
 でもミーちゃん(四十過ぎの人に「ちゃん」づけもどうかと思うが)の回答が
「あんまり覚えてない」。
 なんじゃそりゃああああ!
 アメリカから帰国してたら、話題がなかったマスコミが勝手に解散説流してて、おかげで疲れ切ってた二人、解散を決意したんだそうな。
 ……マスコミの罪ってやっぱデカイよなあ。


 アニメ『ヒカルの碁』第十八局「アキラ対sai」。
 うーん、作画は安定してるんだけれど、音楽のつけ方がちょっとなあ。
 闇の中からsaiの手がすっと出てくるあたりの音楽がともかく派手。ここはもっと静かに、冷たく心に突き刺さってくるような演出をしてほしいんだけれど。
 けれど後半は音楽・作画ともに安定。
 監督がかみやさんに変わって着実にスキルアップしてるな。ええこっちゃ。
 「saiはヒカルかも!」とパソコンルームに飛び込んできたアキラの前でヒカルが見ていたネットの画面は、原作ではジャンプのホームページだったけれども、アニメではマンガのものに変更。
 これは将来版権がどこかに移っちゃったとき、放映できなくなることを恐れての措置かな?


 『ヒカ碁』を見たあと、疲れ切ってそのまま熟睡。
 おかげで『ウンナンのホントコ!』、24時間恋愛の結末を見損なったので、気になって(気にするなよ)目覚めたあとネットで検索してみると、女のほうが「男の人の気持ちが本当かどうか分らないから」という理由で100万円を選んだらしい。
 なんかネットじゃ女の不実に対して非難轟々だが、やっぱりヤラセだったんじゃないかね。仮にヤラセでなかったにしても、たかが24時間あっただけの、しかもテレビの企画で知り合った人間どうしに「愛」を求める視聴者の心理もどうかと思うが。
 予め「テレビのショー」として見ていただけのくせに、自分の思い通りの結末にならなかったからって何をいきりたってんだかね。
 いいじゃん、女が愛よりカネを選ぶのは『金色夜叉』以来の日本の伝統だってば。


 某マンガ家さんからメールが届く。
 詳しいことはその方に迷惑が掛かるかもしれないので書かないが(ああ、そこのあなた、勝手に誰のことか詮索しないように)、お元気そうだったので嬉しい。
 ちょっとびっくりしたのは、その方のHPを覗いてみて、そのマンガ家さんの知り合いの知り合いが私の知り合いであったことに気づいたことだ。
 そのことはマンガ家さんご本人にお伝えはしていないのだが、これって、いわゆる「ともだちの輪」ってヤツ? 人間、ホントにどこでどうつながってるかわからんもんだよなあ。


 マンガ、細野不二彦『ギャラリーフェイク』24巻(小学館・530円)。
 急にコピーを多用するようになったなあ、細野さん。
 美術界の「ブラック・ジャック」(^^)、藤田玲司の活躍を描くこのマンガ、当然、その話の中に世界中のかつての名画が多数紹介されてきていたのだが、実際にある絵画でもこれまでは細野さん自身が模写することが多かった。
 それがコピーに切り替わったのだから、これって、「引用」として認められたってことなのかなと思う(いちいち転載許可もらってたら、カネがいくらあっても足らんはずだ)。
 だとしたら、これはめでたいことだ。
 世の中には、実作者のくせに、自分自身の作品を勝手に引用されたり、解釈されたりするのはイヤだなんて言い腐ってるおおバカヤロウがゴマンといるが、いったん自分の手を離れたからには、それは万人のものなのである。
 だいたい完全なオリジナル作品なんてこの世にゃあるまいが。作品の中に「神」を出したらみんな教会に著作権料を払わなきゃならないのかよ。
 批評も引用も、新たな作品を作るプロセスなのであって、明らかな「剽窃」「盗作」とは一線を画してるのだ。細野さんが名画を「引用」しているのは許容されて然るべきである。

 面白かったのは、7話「美神法廷」。
 アルブレヒト・デューラーの贋作を真作と偽って売った容疑で、裁判にかけられることになったフジタ。そして検察側の鑑定証人として呼ばれたのは旧知の三田村小夜子館長だった。
 日頃、フジタに対してライバル意識の強い彼女だけに、フジタに不利な鑑定をするのではないかとサラは心配するのだが……。

 絵画の「真贋論争」ってのはシロウトの私の関知する世界じゃないんだが、実際、何度かこのマンガでも扱われてきた話題ではあっても、その評価って結構揺らいでいた。たとえば「巌作が真作よりも優れていたら、どう評価するか?」とか。映画『国士無双』だあね。
 この話も実のところ「真贋判定」といった鑑定から言えば、三田村館長の下した判定は納得しがたい点はある。デューラーのモノグラム(イニシャルの組み合わせ)は明らかにニセモノ。しかし「絵」そのものはどうか?
 「ニセモノというにはこの絵には“品”がありすぎる」
 ……これ、マジメに考えたら根拠にはならんよなあ。
 でも、『何でも鑑定団』見てて、たまに思うことではあるが「これはニセモノ」と言われたものでも、実にイイ味出してる絵があったりするのだ。
 要は購入した者が「ホンモノ」と思って満足できりゃいいんじゃないのかね。投機目的で絵を売買してたようなかつての日本企業の腐れアタマどもの手から、「ホンモノ」の絵画がどんどん流出していることだけは、バブル崩壊のよい点だったのかもしれないね。

 あ、それとコトバの単純なミス。7話の最後の方で、フジタが「押しも押されぬ」と言ってるけれど、これは「押しも押されもせぬ」あるいは「押しも押されもしない」が正解。もちろん、「揺るぎもしない」という意味なんであって、「押しも押されぬ」なんて日本語としての意味すら通じてないよ。

2001年02月13日(火) 明日寂しい思いをする人は読まないで下さい/『コロンブスの航海』(J.P.チェゼラーニ)ほか


2002年02月12日(火) 気がついたらマヨラー(笑)/『ブギーポップ・アンバランス ホーリィ&ゴースト』(上遠野浩平)/『大秘密』(W・パウンドストーン)

 もやしマヨネーズに凝っちゃってるので、仕事帰りにしげとスーパーに寄って、もやしを買い込む。
 けど、このなんでも調味料は「マヨネーズ」って人、最近増えたらしいんだよなあ。
 通称「マヨラー」って言うらしいけど、おかしかないか?
 いや、その行為じゃなくて、文法が。
 どうせ和製英語なんだろうけれど、「〜を好きな人」って言い方なら、単語のあとに“ian”とか“er”とか“ee”をつけるんじゃないのかね?
 だから「マヨネージャン」とか「マヨネーザー」とか……。
 やっぱ語感が悪いか。でも「マヨラー」だっていかにもバカ臭いぞ。
 第一「ラ」音なんて、「マヨネーズ」って単語のどこにもないじゃんか。
 せめて「マヨナー」って言えんのか。

 ちょっとここで面白い考察をさせてもらうと、この「〜ラー」という言い方、いわゆる「アムラー」とか「シノラー」の流れなんじゃないかって考えることもできるってことなんである。
 「マヨラー」って言い方には、あまり後ろ向きな感じがない。だいたい自分で自分のことをそう呼称してたりするんだから。
 つまりはこれって「ファッション」の一つなんであって、「私は安室奈美恵が好きなの〜」ってレベルで「私、マヨネーズしか食べられない人なの〜」って言ってるんじゃないのか。
 偶然、「安室」のロ、「篠原」の「ラ」がラ行音だったから、「ラー」という言い方が定着しちゃったんじゃないか。
 でも、オタクの誰もが一度は思うのは、「『アムラー』も『シノラー』も、怪獣の名前みたいだよな」ということであろう。オタクの10人中6人が「ケムラー」を、3人が「ベムラー」を、1人が「デスラー」(^o^)を思い浮かべたろうことは想像に難くない。
 もちろんここで、実際にアムラーの外見も……なんてことを言っちゃうと、迷惑メールがどっと押し寄せてくることになるので書かないのである。
 

 晩飯はスーパー前の「マルちゃん」でうどん。
 しげは月見うどんコロッケ、私はカレーうどんコロッケ。
 そんな濃いもの食って、もやしダイエットはどうなった(笑)。


 夜、東京のこうたろうくんに緊急の電話。
 ゴールデンウィークに公演予定の『シティボーイズミックス presents パパ・センプリチータ』のチケットの予約を頼むかどうかの確認。
 「一枚頼むよ」ということだったので、ホッとする。
 実は上京した時にはこうたろうくんの家に泊めてもらってることが多いのだが、そのたびに「シティボーイズに全く興味がないのに付き合いで一緒にいてくれてるのかなあ」とか、「ホントは「たかが芝居のためにわざわざ上京?』なんて思ってるんじゃないか」とか考えてて、ドキドキものだったんである。
 いや、彼がそんな人ではないということはわかっちゃいるんだが、疑心暗鬼というか自意識過剰というか、小心者はつい考える必要もないことも考えてしまうのである。
 電話をしている最中に、こうたろうくんが突然、「ちょっと待って、今こっち地震で『揺れてる』から」
 「……エッ!?」
 もちろん福岡は微動だにしていないから、一瞬、状況がつかめなくてきょとんとする。それにこうたろうくん、非情に冷静で、口調が少しも乱れていないものだから、ますますどの程度のものなのか解らない。
 慌ててテレビを見ると、確かに関東地方で地震の速報。時間は午後10時44分。
 関東地方を結構広範囲で襲っている。東京は震度3くらいだが、地方によっては震度4、5のところも。……掘建て小屋とかだったら、倒壊してるのもあるんじゃないか。
 こうたろうくんが電話口に戻って来たので、思わず「どうだった!?」と聞いてしまったが、どうにかなっていたら電話口に出て来ないって(^_^;)。
 「子供が起きてきちゃったよ」と、こうたろうくん、笑ってるが、こんな時、やっぱり真っ先に子供のことを心配するんだなあ、とホロリ。
 用件は一応終わったのだが、必然的にそのあとの内容が濃いこと。
 そこまで書いてたら、この日記の字数制限をオーバーするので省略(^^)。


 夜中にまたまたチャット。
 私も私だが、どうしてこの某掲示板には毎夜毎夜(昼もだけど)人が集まるのだ。みんなそんなに寂しいのか。
 いや、これは揶揄ではなくてね、チャットやメールなど、ネット通信の弊害を説く人は多いもので、それはそれで理解できないことでもないので、参加する以上は「自分の心の慰め」のためにチャットに集まってる方々を利用しちゃいかんなあ、と自戒しているわけです。
 それにしても「某掲示板」なんてまどろっこしい書き方、そろそろやめたいんだが、この日記では私の職業を隠しているが、アチラではもうバンバン正体明かしまくってるので(けど福岡に住んでるのはヒミツ)、二つがつながっちゃうと、パズルを解くように私の正体に近づかれてしまうので、まだまだヤバイのである。……ったって、固有名詞はどこにも出してないのになあ。
 職場に基地外さんが多いと、こんなことまで気を使わなきゃならんのが面倒くさいことこの上ないのである。


 上遠野浩平『ブギーポップ・アンバランス ホーリィ&ゴースト』(メディアワークス/電撃文庫・578円)。
 『ブギーポップ』シリーズも第10作(11冊)。
 時間が前後しつつ、わずか三年から五年程度の間の出来事を十作も書くというのはなかなか大変じゃないかと思うが(少し整合性も怪しくなってるし)、まあ、もともと「本筋」というのがある話じゃないから、いっか(^^)。
 考えてみたら、「外伝」だけでストーリーを続けていくってのも、ウマいアイデアだよな。「とりあえず今までの話は横に置いといて、新しいキャラで始めます」ってことも出来るんだし。
 というわけで、今回もいきなりの新キャラ登場(^o^)。

 駐車場で自転車を盗もうとしている少女、濱田聖子を偶然見かけた高校生・結城玲治。
 未来に何も希望を持たない彼は、気まぐれで「こっちのほうが速いぜ」とスクーターを盗み、聖子と一緒に逃亡する。
 しかしそのスクーターにはどういうわけか、プラスティック爆弾が仕掛けられていた。
 運よく爆発からは免れた二人だったが、その爆弾を仕掛けたらしい謎の男たちに追いかけられるハメになる。
 男たちの車を盗み、更に逃亡を続ける二人に、カーナビの画面に突然現われて語りかけてきた包帯だらけのイタチのCG“スリム・シェイプ”。
 イタチは二人に、いたずらっ子のように告げる。
 “ロック・ボトム”。それは世界の敵たる兵器。その解放を阻止すること。
 「世界の運命は君ら二人の肩に掛かっているんだぜ」……。

 ある意味、このCGイタチの「スリム・シェイプ」の方が、タイトルロールの二人より目立っちゃいるんだが、実のところこのキャラクター造型はそう深いものではない。彼の正義感(?)は、そのバックボーンになっている設定のわりにはいささか浅薄だ。
 やはりなんといっても魅力的なのは、ホーリィこと濱田聖子と、結城玲治ことゴーストの「俺たちに明日はない」コンビ(^^)。
 うん、ホーリィはいいわ、なかなか。
 「いつかあたしが、なんていうか――うまくやれる時が来る。あたしはどっかでズレてるけど、それがいつか、ぱちっ、とうまくハマるときが来るのよきっと」
 こういう根拠のない自信を持ってるやつって、現実には単なる妄想家だったりするんだけど、物語の中なら人生に前向きなキャラってことでヨシ。
 そのあとでちゃんとゴーストから「そんなことばっかり言ってるから、カスみてーな男にばかり引っかかるんだよ」って茶々入れられてるし。
 この二人にボニーとクライドのイメージが重ねられてるのはハッキリしてるんだけれど、そういうルーツ探しは本作の場合、あまり意味はないな。これはかつての映画へのオマージュでもなんでもない。
 なんだかなあ、みんなうんざりしてると思うんだよねえ、男と女がそこにいりゃあ、必ず惚れた腫れたの話になるってのが。
 恋人、しからずんば他人、みたいな両極端でなきゃ許せないのかね。でも、そうでない男女ってのを書いてみたい、読んでみたい、という欲求が、90年代のクソつまらんトレンディドラマの残骸の果てに生まれてきてるんじゃないか。
 恋人でも友達でもない、全く偶然の係わり合いで誕生してしまった、「犯罪者」コンビ。それがホーリィ&ゴースト。できれば今後のシリーズにも出演してほしいけど……難しいかな。
 もちろん、ブギーポップ・宮下藤花に炎の魔女・霧間凪もちょびっと登場するが、あまり出さなくても話作ることが出来たんじゃないかってくらいに今回は番外編的。
 しかし、『歪曲王』『ペパーミントの魔術師』の寺月恭一郎がどうしてあんな「遺産」を残したのか、いかにも意味ありげに登場してきてほとんど何もせずに去って行った雨宮世津子こと“リセット”はこれからのストーリーにどう絡んでくるのか、だいたいこの「世界の敵」との戦いに終わりはあるのか、など、伏線が増えるばかりで、10巻を費やしてもまだまだ先が読めない。
 でも、できればせめて20巻くらいで抑えてくれないかな、トシヨリにはこうも増え続けるキャラの名前を全部はとても覚えられないし。『大菩薩峠』じゃないんだからよう。


 ウィリアム・パウンドストーン/田村義進訳『大秘密 ―噂・都市伝説・憶測の真相あばきます―』(“BIG SECRET”/早川書房ハヤカワ文庫・693円)。
 マクドナルドがネコの肉使ってるとかミミズの肉使ってるとか、マコトシヤカな(そうかあ?)都市伝説はたくさんあるけれど、その中にはアメリカ経由のやつも結構多い。
 その真相を調査しようってのがこの本の趣旨なんだけれど、まあ、面白いことは面白いが、マジメ過ぎて「ツッコミを楽しむ文化」を持つ我々日本人としてはちょっと物足りなかったりする。

 「ケンタッキー・フライド・チキンには11種のハーブとスパイスが使われてます」という宣伝文句がウソだってことを、食品研究所に依頼して確かめさせてるんだけど、これってただの詐欺じゃないのか。
 11種類どころか、その材料は次の通り。
 鶏肉・油・スキムミルク・卵・小麦粉・塩・黒胡椒・グルタミン酸ソーダ。これだけ。……結論。ケンタッキー・フライド・チキンは下北沢の一般ご家庭でも作れます(^^)。

 ほかにもコカ・コーラのレシピとか、郵便物をただで送る方法とか(でもこれは注意深い郵便局員なら見抜くと思うぞ)、嘘発見器に嘘つく方法とか(残念でした。この方法はもう八十年も前に江戸川乱歩が考案してます。その方法の欠陥も含めてね)、ユリ・ゲラーの超能力のヒミツとか、サブリミナルCMに効果はあるのかとか、題材そのものは興味深いんだけど、「そんなんわざわざ説明されんでもわかる」ってネタも多いんだよねえ。
 結局は読み物なんだから、ただ、「アレはインチキだ!」って叫んだリ、そのインチキさを説明するだけじゃなくて、「そういうインチキを考えつきたくなる人のココロの面白さ」にまで、思いを致してほしいものなのである。

2001年02月12日(月) 来年の『ゴジラ』はあるのか/『アニメージュ』『ニュータイプ』3月号


2002年02月11日(月) うまいぞもやしマヨネーズ/『ONE PIECE ワンピース』22巻(尾田栄一郎)

 寝床をよしひとさんに明け渡し、ソファはしげに占領、必然的に私は床で寝たので、起きてみるとカラダが痛い。
 実際、三時間ほどしか寝てないので、ちょっと吐き気もする。
 なんとか寝る空間を作らないとなあ。

 テレビを付けると『大岡越前』の再放送が。
 加藤剛の老け具合(あれほど刮舌のよかった人が、近年は聞き取りにくいこと)と、キャストを見ると、結構最近のやつらしいが、まだフィルム撮影だ。
 してみると、あの月曜ナショナル劇場のシリーズがビデオ画像に切り替わったの、そんなに古くないのだな。何しろ、もうあの番組枠を丹念にチェックしてないので、そのあたりの事情はよくわかんないのである。


 しげとよしひと嬢、早々に芝居の練習に向かう。
 その間、チャットで教えてもらった、ダイエットにいいという「もやしマヨネーズ」を作ってみることにする。
 茹でたもやしとマヨネーズを混ぜるだけ、という手軽なものだが、一味足りない気がしたので、胡椒を少々加えて、ご飯にかけて食べると滅法ウマイ。
 昨日、一足先にそれを作って食べていたしげは、「水っぽくておいしくない」と言ってたが、さほど「水っぽい」感じはしない。
 ……水切りが不充分だったんじゃないのー?
 なんだかなあ、インスタントラーメン作っても、しげが作ると私よりなぜかマズイんだが、結局はザツな作り方しかしてないからじゃないのか。自分の努力不足をあたかも食材の責任のような言い方をするのは潔くないよなあ。

 食ったら疲れ果てて寝る。
 夕べゆっくり眠れていなかったので、夕方過ぎまで熟睡。
 ああ、また日記の更新ができなんだ。


 カバヤから出ている食玩、『ゲゲゲのしげる妖怪絵巻』を四つほど買って組みたてて飾る。
 もうパソコンが2台あるから、古いやつの前や上に飾っても、しげに捨てられる心配はない。
 他にもキングギドラだのジェットジャガーだのロック鳥だのを並べていると、なかなかに壮観である。
 ……でも女っ気がないなあ。今度『あずまんが』のガシャポンでも買ってこようかな。
 この『妖怪絵巻』、水木画伯の画業満50周年を記念しての発売というのだから、結構気が入っていて、先行のフルタの『百鬼夜行』ほど精密ではないが、見ていて「楽しい」ものに仕上がっている。
 「大かむろ」はちゃんと扉の向こうから顔を出しているし(伝説では扉を開けるとそこに巨大な顔が……ということになっている。いわゆる「大首」ですな)、「砂かけ婆」の足元からはちゃんと砂が舞いあがっている。
 「塗り壁」を出すなら海岸か森の中だよな。墓場はちょっと……というのは民俗学的見地からだけど、そこまでやっちゃうと、凝り過ぎってもんか。
 よかったのは「死神」で、ちゃんと死体から魂取り出してるポーズ。
 この「死体」が、あのメガネの桜井昌一なんである!
 いやあ、長生きはするもんだなあ、まさか桜井昌一のフィギュアを手に入れることが出来ようとは(^o^)。

 さて、フィギュアの出来もさることながら、この食玩のもう一つの目玉は、水木しげる御大の「メッセージ」である。

 「この『ゲゲゲのしげる妖怪絵巻』という名前はわたしが付けたんですが、わたしは小さい頃『ゲゲ』と呼ばれていたんです。そのときに会ったのんのんばあというおばあさんから聞いた妖怪の話は、とても怖くて楽しいもので、今でも覚えていますョ。
 だからこの人形は子ども達に買って欲しいですね。そして大切にずーっと持っていて下さいね。
 カバヤさんもこれからずーっとシリーズを出し続けて下さい。ワハッハハ」

 「だから」がどう「だから」なのかよく分らないけれど、「ずーっと出しつづける」のは無理じゃないかなあ。「鬼太郎」はともかく。「死神」のフィギュア欲しがるやつがこのニッポンにどれだけいることか。
 ……結構いたりして(^_^;)。


 しげ、帰ってくるなり、ベッドで横になっている私に、「よしひとさんの布団に頬をスリスリとかしてないやろね?」と睨みつける。
 「するか、アホ! ちゃんと、布団は片付けとるわい!」
 「よしよし、少しは人の道を弁えとるね」
 「人の道ってなんじゃそりゃあ! おまえならスリスリして匂いをくんかくんか嗅ぐんやろ!」
 「するに決まってんじゃん!」
 ……あの、よしひとさん。あなたがウチに泊まったあと、しげは布団に頬をスリスリするそうですが、そんなことをさせててもいいものでしょうか。


 夜はまたまたチャット。
 もはや病膏肓である。明日は仕事だっていうのになあ。
 

 マンガ、尾田栄一郎『ONE PIECE ワンピース』22巻(集英社・410円)。
 折り返しのところに、「日本人の中でも読解力がスゴイのは漫画をよく読む人。スバらしくない?」なんて作者のコメントが載っている。
 うーん、それはその通りだけどねー、その「漫画」の中に『ワンピース』は入ってないよ、多分。つーか、さも自分のことのように書くのって、思いあがってきてないか、尾田栄一郎。第2の小林よしのりにでもなるつもりか。
 ……あ〜、そういやまだ出て来てなかったか、Mr.7。
 なんか音楽家みたいな格好してるが、こいつが実はルフィたちの仲間になったりしてな。そりゃないだろうけど。
 今更とってつけたように登場させるあたり、どーせしょーもないヤラレキャラなんだろうってのがバレバレなんだが、既にストーリー自体は破綻しまくりで、すっかりつまんなくなってる本作の中で、こういうキテレツなキャラが続々登場してくれるのだけが唯一の救いである。
 ……でさあ。
 この「ミス・ファーザーズデー」ってさあ。
 なんで「蛙」のコスプレしてるのかってことだけどさあ。
 「父の日」で。
 「父帰る」……「父カエル」……「父・蛙」って……もしかしたらそーゆーこと?
 まあ、何やってもいいですけどね、もう。
 でもようやく次巻で『アラバスタ編』も終わりだろうな。
 伏線張るだけ張りまくってるから、本気で30巻、40巻を狙ってるんだろうけど、だったらもう少しオリジナルなストーリーを作ってってほしいもんだ。
 だから何度も言ってるけどいい加減でシャンクス出せよ。
 

 俳優、原健策氏、7日午前7時、老衰のために死去。享年96歳。
 我々の世代だと、なんと言っても『仮面の忍者赤影/根来編』の根来十三忍の頭領、暗闇鬼堂のつけバナオヤジ。
 薄い唇から漏らすように喋る独特のセリフ回しがいかにも悪の頭領らしいカンロク出してたなあ。
 原さんはもちろん“プレ・赤影”とも言うべき映画『大忍術映画 ワタリ』にも出演していて、ワタリの敵、伊賀崎六人衆の一人、「トリコ」を演じている。
 相手の動きを封じて無数の蛾に襲わせる忍法「カカツツミ」でワタリを窮地に陥らせるけれど、この作画が当時の東映動画の精鋭、森康二、菊池貞雄、羽根章悦のお三方。……考えてみたら「合成」という形だとは言え、すごく豪華な共演だよなあ。赤影のときより濃い演技で(下っ端だからかえってハデ)金子吉延を圧倒する姿、印象に残っている。こいつも早いとこDVD化してほしい。
 後年は渋い脇役を演じることが多かったが、デビュー当時は白塗りの2枚目だったんである。
 伊丹万作の名作『赤西蠣太』(志賀直哉の原作と結末が違うところがよい)で、主役の片岡千惠藏が「醜男」という設定だったのに対し、その親友である青鮫鱒次郎役の原健作(当時の芸名は字が違う。このことに触れている記事は一つもなかった)の男っぷりが目立っていた。
 このころの顔は、今見ると、なるほど、ムスメさんの松原千明に似ているのである。……それにしても、おとっつぁんが五十ナンボの時の子供なんだよなあ、松原千明。不敬懇談会のときなんか、ちょっと恥ずかしくなかったかな。

2001年02月11日(日) 水の中の失楽/アニメ『も〜っとおじゃ魔女どれみ』1・2話ほか


2002年02月10日(日) 男が女に暴力を振るうワケ/『仮面ライダー龍騎』第02話「巨大クモ逆襲」/アニメ『サイボーグ009』第17話「決戦」ほか

 今日はよしひと嬢がお泊まりということだが、わざと部屋の片付けをしなかったら、いつもは汚い部屋でも平気で客を通すしげが、さすがに一部だけではあるが掃除をしていた。
 穂希嬢のときは全く片付けようって気を起こしてなかったけれど、よしひと嬢だけはさすがに別格なのか。客によって、掃除の質を変えてるってのもイヤらしいよな。どういう基準でランクつけてるんだよ。
 なんと、寝室だけでなく、トイレ、風呂も一応、磨いてはいるんである。こんなことは滅多にない。
 でもトイレのゴミは捨ててないし、まだまだ甘い。
 日頃片付けるクセをつけてないから、やっぱりどこか抜けているのだ。
 家庭を作るってことがどう意味を持ってるのか、少しでも自覚があれば、要領もだってよくなるだろうに。


 今日は日曜出勤。しげは一日芝居の練習なので、車で送ってもらうのは行きだけ。私は半日だけの拘束なので、先に帰宅する予定なのである。
 今日はそんなにキツイ仕事じゃない。
 合間に本も読めたりするんで、これくらいのペースなら余裕を持てる。
 けれどおかげで、朝の番組はほとんど見られなかった。
 1話も録画したし、『仮面ライダー龍騎』だけ、ビデオ録画をしかけておく。

 帰宅して、早速、『龍騎』第02話「巨大クモ逆襲」を見る。
 映像見てるだけじゃ、設定がよくわからんのだよなあ。これ、『ガンダム』以来の悪癖で、とりあえず映像の勢いで見せちまえばオッケー!って感じで、かえって視聴者置いてきぼりにしてる面もあるんだよなあ。
 あとでもう少し詳しい説明が出てくるんだろうけれど、ミラーワールドとカードデッキの関係くらいは、ちょっとくらい説明があってもいいんじゃないか。でないと、真司が「仮面ライダーになろう」と決心するモチベーションたりえないからだ。
 ……実際、どうして真司はライダーになろうって思ったんだよ。
 神崎優衣が兄・士郎を探すために戦っているから……って、つまりは女のためか? そんな風にしか見えないぞ。
 話には聞いていた、「仮面ライダー同士の戦い」、これの意味もまだ説明はされない。引くだけ引いて、「結局『イナズマン』じゃん」だったアギトみたく、もったいぶらないでほしいんだけどなあ。だいたい、そんなことやってたら、モンスターの影が薄くなっちゃわないか? 既に3話でそうなりかけてるぞ。

 遅れに遅れている日記をがんばって更新。
 けれど、休日でもなぜか書ける量はたった一日分。
 ……時間があると、一日の密度を濃くしたくなるんだよねえ。
 因果な性格であることだ。


 マンガ、モンキー・パンチ原作・監修、山上正月作画『ルパン三世y』12巻(840円)。
 10巻あたりから感想書いてなかったような気もするが、なんっつっても総集編の感想も書いてるから、ゴチャゴチャになるのよ。内容ダブってるし。
 主要キャラ以外の敵が弱いよなあ、と思ってたんだが、「1話では倒されない」月虎一族が登場。
 これが旧原作のネズミ一族とかシャードックとかシークレット7とかみたいに、コケオドシじゃなきゃいいんだけどね。たいてい、最後は悪あがきして惨めに死んでくから。
 本当に怖い敵は、死に方も美しくなきゃいけないのだ。


 アニメ『サイボーグ009』第17話「決戦」。
 感じとしては第一部完、と言ったところか。
 前回と合わせて前後編で時間もとってあるし、作画も整ってるしで、そう悪い出来でもないんだけれど、とうもストーリーに安易さが目立つ。
 ああ、なんだか前のアニメ化のときも『エッダ編』から始める、と聞いてウキウキしてたら、原作と似ても似つかぬ展開、そして場つなぎのエピソードのあと、ネオブラックゴースト編に入ったものの尻切れトンボで終わりという、なんともヘタレな結末を迎えてガックリきたもんだったけど、同じような感じになってきたなあ。
 
 死んだと見せかけて、ブラックゴーストの要塞・デーモンズロックの内部にサイボーグたちが潜入、そこまではいい。
 けれど、コントロールルームをあまりにあっさりと占拠しすぎる。
 そんなに防備がいい加減なのか? これまでの回でも、どこか軽々しく、愛嬌すら感じさせるような描き方すらされていたが(作画は悪かったが、まだ姿をあらわさずに003を操った『幻影の聖夜』の方が組織の底知れなさを感じさせていて怖かった)、ブラックゴーストの組織の卑小さがここでも悪いかたちで目立っている。
 基地が次々と殲滅されていくのに業を煮やしたスカールが、遂に自ら指揮をとり、ようやく、サイボーグの機能を停止させる特殊な電磁フィールドを発生させる新兵器・テスラによって、00ナンバー達とギルモアをとらえる。
 けど、ここでスカールのやつ、009に言うんだな。
 「どうだ? 一騎打ちをして勝ったらおまえたちを助けてやろう」
 ……仮にも世界のウラで暗躍する死の商人のボスが、今更そんなガチンコやってどうする。ジャッキー・チェンの映画じゃねえぞ(あの映画はそれはそれで楽しいが)。
 こういうベタな展開やってくれると、先がミエミエになっちゃって興味が湧かなくなるんだけどなあ。
 案の定、スカールは「たかが00ナンバーにやられるとはァァァァァ!」とかなんとか、負け惜しみの定番セリフを吐いて死んでいく……っつってもサイボーグだから、また復活するんだろうけど。
 ああ、陳腐。
 来週からは番外編かあ。
 「張々湖飯店」や「クビクロ」、「ディノニクス」あたりをやるみたいだなあ。もう、オリジナルはいいよ。キチンと原作を消化してくれ。
 場つなぎやるってことは、ちゃんと「ミュートス・サイボーグ編」のときにはキチンと脚本も作画も間に合わせますってことだな? ちゃんと1年付き合うつもりなんだから、途中で打ち切られたりするなよ。


 夜、昨日の余韻が覚めやらず、またもや某サイトのチャット室に顔を出す。
 でも昨日のように何十人も来るはずもなく、せいぜい四、五人。
 けれどその静けさもまあまあオツに感じられるのである。
 内容は例によって詳しくは書けないんだが、こういうチャットの常連に自分がなる日が来るとは感慨無量である。
 だって、昔は、文章の書きこみのやりとりで、心のこもった会話が出来るなんて思ってもみなかったからね。
 それどころか、気がついたら今日も昨日に引き続き、チャットでアニメカラオケやってしまってんだよ、バカだよねえ。
 「さぅあぁ、ぃよぅみぐわぁあえぃれぇ、るあぁいどぅいぃぃぃん、るあぁぁぁぁいどぅいぃぃぃぃん!」。
 ……神の御心は謎だ。


 しげ、よしひと嬢をお連れして、練習から帰ってくるが、ほぼ午前様に近い。
 はやくお休みしていただくのが本当なのだが、つい、話しこんでしまう。
 チャットの余韻が残ってるか(^o^)。

 しかもネタはもの珍しくも「恋愛論」である。
 言い出しっペは私。
 「こないだ貸した岡田斗司夫さんの『30独身女、どうよ!?』、どうだった?」
 考えてみたら、私が本をお貸ししたもともとの理由ってのが、実際に30(に近い)歳の女性がこの本をどう読んだか、ナマの声が聞いてみたい、という興味本意なものなので、よしひとさんにしてみれば、いささか失礼なハナシなのである。
 にもかかわらず、そのあたりを気にせずに喋ってしまわれるのがよしひとさんの「イイ人」なところだ。
 でもそういう「善人さ」が、かえって心配になっちゃう面はあるんだが。

 それはそれとして、しげが以前反発したような感想、よしひとさんは持たなかったらしい。
 「読んでみて、結構その通りなんじゃないかなって思いました」
 「その通り」というのは、おそらく「現代では、結婚は女性にとってはデメリットでしかない」とか、そのへんの記述のことだろう。
 続けて、よしひとさん、「私、実のところ、“恋愛感情”ってわからないんですよ」と言う。
 ふむふむ、それは女性からはよく聞くなあ。
 「性欲ならわかるんですけど」
 ……あ、そう? ちょっとコケそうになった。
 「女性って、あまり性欲ないって聞いてたけど」
 「ありますよ!」
 ……力説するなあ(^_^;)。
 「……付き合うって、結局ギブ&テイクじゃないんですか? 精神的なものにしろ肉体的なものにしろ、何かを与えて与えられて、という関係が成り立たないと、結婚なんて考えられないし」
 それはそうだろう。
 たとえ本人は「無償の愛」を与えているつもりであっても、たいていは「自分は無償の愛を与えている」という「満足感」を手に入れているわけであるから。
 「私はこれだけあるものをあげるけど、あなたは私に何をくれるのって言いたいんですよ。でも、別に相手との“生活”はほしくないんですよね」
 「ああ、だから“性欲”ってことか」
 確かにその図式ならわかりやすい。
 「んじゃ、例えば、“カラダだけの付き合い”でもいいってわけ?」
 「はい」
 おおっと、こいつぁ、またまた、大胆発言(^o^)。
 「でも、それって男にとって、ムチャクチャ都合がいい女ってことにならない?」
 「たぶん、そうなんじゃないですか?」
 「でも、男がよしひとさんに求めてるのは、そんな“都合のイイ女”像じゃないと思うけど」
 「そうなんですか?」
 「今までつきあった相手って、よしひとさんにやたら気後れしたりしてなかった?」
 「さあ?」
 「男から暴力振るわれたことはないでしょ」
 「ありますよ!」
 「……それは意外。オレもよしひとさんのこと好きだったって男、何人も知ってるけど、みんな『じゃあ告白すれば?』って言ったら、しないんだよね」
 「ああ……そう言われれば、最近、昔の男友だちから、やたら『実は昔、好きだったんだよね』って言われます」
 「どうしてみんな、はっきり言えないと思う?」
 「どうしてなんですか?」
 「みんな、『ボクなんかにはよしひとさんは釣り合わない』って言ってんだよ」
 「えええええええ!?」
 「自分が“マドンナ”に見られてるってこと、気付いてない?」
 「全然!」
 「よしひとさん、“癒し系”ってコトバ嫌いでしょ」
 「……大っ嫌いです!」
 「でもね、男がよしひとさんに求めてるのって、たいていそれなんだよ」
 「えええええええ!?」
 「一緒にいて安らげるとか、優しく包んでもらえるとか」
 「……それ、“私”じゃない!」
 「……でも、さあ、例えば、ここに、超オタクな、見るからにコミュニケーション不全なヤロウが勇気を奮い起こして、『ぼ、ぼ、ぼく、実はよしひとさんのこと好きなんです』と言って告白したとしましょう」
 「……はあ」
 「あなた、この人に、『ウゼえんだよ、オマエみたいなオタク、さっさと死んじまえ!』って言えますか?」
 「言えませんよう!」
 「たとえ自分のタイプじゃなくっても、『少し考えさせて』とか言って待たせない?」
 「……はあ。かも」
 「ほら、“癒し系”」
 「どこがですかあああああ!」
 「……あのさ、“癒し系”の女性には『優しい』とか『人の話を聞いてくれる』とかのほかに、一つの大きな特徴があるのよ。何かわかる?」
 「さあ?」
 「『めぞん一刻』の響子さんみたいなタイプだよ?」
 「そう言われても……」
 「“鈍感”ってこと」 
 「ななななな、何が鈍感なんですか!?」
 「よしひとさんを好きになるような男はね、よしひとさんが自分の気持ちに気付いてくれなくっても構わないわけよ。もともと自分にとっちゃ高嶺の花なんだから。告白しなくて遠くで見つめてるだけで充分なんだけど、仮に告白して振られちゃってもいいの。玉砕覚悟って言うより、『振ってくれたほうが嬉しい』んだから」
 「……なんだかわかりません」
 「わからないから、いいの。男はよしひとさんをマドンナと見なした時点で自己完結してんだから。それに気付かれちゃあ、かえって困るし」
 「だから、私、マドンナなんかじゃ……」
 「そう思うなら、はっきり言わなきゃ。『おまえなんか気持ち悪い』とか『近寄るな』とか。本心でなくていいんだよ、演技で言えりゃ」
 「演技でもそれはちょっと……卑怯だと」
 「よしひとさんを好きになるような男ってのは真性のオタクだからね。いっぺん、『気持ち悪い』とか言われて傷つく必要があるんだよ。『エヴァ』のラストシーンみたいにさ。
 それがオトナになるためのイニシエーションなの。
 男が、オトナなオタクになるためには、一度はそうやって女性に傷つけられる必要があるんだから、構わないの」
 ……スマンね、私も言われたことあるよ(-_-;)。オタクが一度は通る道だ。いてててて。心のキズが(^_^;)。
 もちろん、私もそんなことを言いながら、よしひとさんが決して、男に面と向かって「気持ち悪い」とは言えないことを知っている。
 知ってて「そう言え」と言ってんだから、それはそれでキツイ物言いではあるんだが、そうでもしてもらわないと、男って、自分自身の幻想から外へ出られなくなるのだ。
 「男はさあ、女に“幻想”しか持てないんだよ。
 だって、男は最終的に、どうやったって、女には勝てないから。
 だって、男は女から生まれたんだから。
 マザコンでない男はいないし、だから男は女の前ではいつだって分裂してる。女に甘えたい自分と、そんな自分を情けなく思ってる自分とにね。
 だから甘えたい自分を誤魔化すために逆に女に暴力を振るったりもする。
 でも、どっちも同じことなんだよ、結局、男は女の実像を見もせずに自分自身の“思い”だけで女に当たっちゃってんだね」
 「ああ、なんか『ホーリィ&ゴースト』みたいな」
 「……上遠野浩平の?」
 「はい」
 「……しまった。まだ読んでないや」
 とかなんとか喋ってたら、もう深夜の2時。すっかりよしひとさんの睡眠時間を削ってしまったのである。
 「いや、ごめんねえ、つまんない話で寝かさなくって」
 「いえ、いいんです。楽しかったから」
 そこで、そんなふうについ優しく言っちゃうもんだから、のぼせあがる男も出てくるってことに気付いてないんだからなあ(^_^;)。
 よしひとさんには『どうよ』を熟読して頂いて(あげてもいいから)、ぜひ「そのままいってよし!」のスピリットでがんばってもらいたいものである(何をだ)。

2001年02月10日(土) 「html」って、はいぱあ・てくのろじい・まきしまむ・ろぽ……じゃないよな/映画『狗神』ほか


2002年02月09日(土) ほーりつも人が作るもの/映画『まあだだよ』/『仄暗い水の底から』(鈴木光司・MEIMU)ほか

 あっ。今日から三連休か。
 っても、明日休日出勤があるんで全然そんな印象がなかった。
 三日休みがあって、最初か最後の一日が休みならまだ連休なのになあ、と一瞬思う。
 でも、一日休めて仕事の準備を整えて、仕事が終わればまた休める、と考えれば、合間の仕事もまたヨシ……なわけないじゃん。
 

 CSチャンネルNECOで映画『まあだだよ』を見る。
 もちろん、黒澤明監督の遺作で、公開当時は劇場まで足を運んだのだが、改めて見返してみると、日常ドラマにもかかわらずセリフ回しが妙に時代がかっている。
 特に香川京子のセリフの発声、どちらかというと舞台的でリアリティが感じられない。しばらくテレビにも映画にも出てなかったから、自然な喋りができなくなっちゃったのか? なんで注意しなかったかな、黒澤明。松村達雄の方は徹底的にしごいたくせに。
 ……と考えて、ハッと気がついた。
 いや、この映画、確かに内田百�里鬟皀妊襪砲靴討呂い襪�、彼の「伝記映画」を作るつもりなど黒澤明にはなかったのではないだろうか?
 『どですかでん』以降の黒澤作品に、今一つリアリティが感じられなくなっている理由の一つには、色調の問題もある。
 長年の撮影・編集生活ですっかり目をやられていた黒澤明には、「自然な色」をフィルムに再現することが不可能だった。
 だから逆に毒々しい色を塗りたくるように映像を作り、それが必ずしも日常のリアルを必要としなかった『乱』や『夢』ではプラスに作用した。日常描写が中心になっているために錯覚してしまうが、それと同じ感覚でこの『まあだだよ』も作られているのではないだろうか。
 『まあだだよ』の色調は『夢』などに比べると抑えられているが、かといって「リアルな」色調にはなっていない。霞んでいながらどこか明るい。部分的にその「色」が突出して現れるところもある。さながら『天国と地獄』の煙だけがカラーであったように、「突出」している。
 それは例えば、愛猫・ノラをなくして憔悴した百�寮萓犬侶┝茲鬚靴燭茲Δ粉蕁覆い筺▲曠鵐箸砲靴討鵑世韻匹癲砲妨修錣譴討い襦I當未隆篤弔覆蕁△△鵑僻鷂充妥�なメイクはしない。しかし、黒澤明は先生の悲しみを表すのに演技だけでは足りないと考えたのだ。あの隈取は、百�寮萓犬虜埜紊痢峇蕎陝廚任△蝓△修慮紂�逆に百�寮萓犬呂匹鵑匹鵝崘鬚�」なっていく。
 もちろんその「白」のイメージは、感情を殺ぎ落としていった果てにある「仙人」のそれであろう。
 その意味で、晩年の黒澤明の演出スタイルは、ファンタジーに近いものになっていたと考えるべきだろう。

 『まあだだよ』のファンタジー性を評するのに、ラストの夕焼け空を挙げる評論家は多いけれども、その少し前のシーンで、実はその「前フリ」のような奇妙なシーンが登場している。
 それはもちろん「まあだ会」の一同が会する「祝祭」的な空間である。
 集まった人々がただひたすら百�寮萓犬鮟吠,垢襪世韻痢�奇妙キテレツなシーン。そこに「誉められたい」黒澤明像を見出すのはやや浅薄な見方だ。
 あれは、『どん底』の馬鹿囃子の反転であるし、『赤ひげ』における「歓喜の歌」でもある。また、『七人の侍』のラストの田植え歌でもある。『夢』のラストシーンの村祭が一番近いかもしれないが、要するにミュージカルのラストナンバーなのだ。
 物語は、すべて最後の「祭」によってコトホギ、カムアガリさせられる。
 映画自体を「祝祭」と見る黒澤明の思想がどんどん純化されて行った果てにあったのがあの「まあだ会」のシークエンスなのだ。
 だとすれば、その前哨として歌われる『大黒様』のリフレインに、黒澤明が何らかの意味をこめないでいられるだろうか。
 「大黒さまは誰だろう。それは君たちだ」
 ノラを懸命に探してくれた弟子たちに、先生はそう言う。
 しかし、「大黒様」とはいったい本当は誰だったのか?

 以下に、『大黒様』の歌詞を引用する(多分もう著作権切れてるよな)。

 一 大きなふくろを かたにかけ
   だいこくさまが きかかると
   ここにいなばの しろうさぎ
   かわをむかれて あかはだか

 二 だいこくさまは あわれがり
   きれいなみずに みをあらい
   がまのほわたに くるまれと
   よくよくおしえて やりました

 三 だいこくさまの いうとおり
   きれいなみずに みをあらい
   がまのほわたに くるまれば
   うさぎはもとの しろうさぎ

 四 だいこくさまは だれだろう
   おおくにぬしの みこととて
   くにをひらきて よのひとを
   たすけなされた かみさまよ

 ここに「禊」のイメージ、あるいは「キリストの奇跡」のイメージを見ることもできようが、黒澤明が信じたのはおそらく徹底的な「善意」だ。
 黒澤明にとって「神」は、汚れをすべて取り去り、純化した「白」のイメージ、絶対の「善」の象徴だったのだろう。
 映画本編で歌われるのは四番の一節まで。
 「大国主命」の名は歌われず、そこで画面はフェードアウトする。
 もちろん、「大黒様」は「神」にほかならないが、それは「大国主」などという一人神に収斂されるものではない。だからそこで歌を切った。
 そして、「まあだ会」は、たくさんの「神々」が集うところとなるのだ。
 ただひたすらに美しく、優しい人々の。
 だから切ない。
 それは夢だから。
 まさしくファンタジーだから。
 ……やっぱり映画は二度三度、繰り返し見るもんだね。
 9年前、こんなふうにこの映画を見ることはできなかったから。

 公開当時も思ったことだが、百�寮萓犬魃蕕犬襪里肋沼蔀M困任呂覆�、黒澤明自身であるべきだった。少なくとも、松村達雄には「百�里魃蕕犬襪里任呂覆ぁ∋笋魃蕕犬討�れ」と演技指導すべきであった。
 なぜなら「先生」は「司祭」だからだ。
 そして、映画に司祭がいるとすれば、それは「監督」以外にはいないからだ。
 そこがちょっと惜しかったなって思うんである。


 何気なくテレビを見ていると、FBSの島田紳介の司会の番組で、『絶対に訴えてやるゾ! 芸能人VS最強弁護士団爆笑法律バトル第4弾』ってのをやっていた。
 こんなトラブルにあったらどうする? って、NHKの『生活笑百科』みたいな番組だけれど、アレを見てていつも思ってたのは、「この弁護士さんの判断ってホントに正しいの?」であった。
 その点、この番組が面白かったのは、弁護士を四人並べていたことである。
 つまり、どっちが勝つかってのが、弁護士さんの判断によって割れるのね(^^)。ある程度一致するんじゃないかって観測はほとんど外れて、全員一致の判断は数えるほどしかない。
 やっぱり、法律って、アナがありまくりなのだね。

 「夫が自分と結婚する前に整形していた。慰謝料は取れるか?」
 これが意見が割れるんだよねえ。
 「精神的苦痛を受けたんだから取れる」
 「イイ男と一緒にいられてハッピーだったんだから取れない」
 どっちがホントなんだよ、要するにウマイ弁護士に当たれば取れるってことかい。
 しかし、ゲストのえなりかずきをサカナにして「ヘンな顔だから訴えてちゃ、えなりくんの立場はどうなる」と弁護士が言ったのには、妙に説得力があったな(^o^)。

 「人に貸した車を、自分が使いたくなって、借主に黙って使ったので窃盗罪で訴えられた」
 これがなんと全員有罪。
 借主に一種の既得権が生じるらしいのな。
 マジメに考えると理不尽だけれども、そのへんを誤魔化すつもりだろうか、借主をグラマーなねーちゃんに仕立てて「色香に迷った男が悪い」風に演出してるんだよね。これはちょっと、テレビ的過ぎてアザトイなあ。

 「氷川きよしがコンサート中、最後の一曲を歌ってる途中で腹痛で退場。チケット代は払い戻してもらえるか?」
 「やだねったら、やだね」を歌ってない段階なら払い戻してもらえるそうな。
 ……ホントかよ。
 どっちかっつーとトラブル避けるためにあえて返却してるって気がするけどな。

 できれば「四人」じゃなくて「五人」にした方が奇数だからはっきり結論が出るのに、それをやらんのは「結局、法律はようわからん」ということだからなんだろう。
 結論。何か問題が起こっても、すぐに諦めない。
 ともかくゴリオシだろうが自分の主張を通せばなんとかならなくもない。
 キマリってその程度のものなのよ。


 ぼんやりしていて、アニメ『カスミン』を録画し損ねる。
 今まで1話も逃さなかったのになあ。
 チャンネル間違えちまったい。
 NHKの番組はなかなかDVDにならんので、再放送を丹念に調べとかないと、二度と見られなくなりそうだ。
 うー、くやしいよう。o(ToT)o


 夜、11時から、某さんに誘われて某サイトでチャット大会。
 今、その名前もサイト名もここで公表できないのが残念なのだが、時期が来ればこんな無意味な気遣いをすることもなくなろう。
 いや、もう、気がついたら総勢25人が集まってるというとんでもないチャット大会。
 ログが数秒置きにどんどこ下に流れて行くという凄まじさ、読むだけでも大変なのだが、参加している人たちはみな、気後れ一つせず、発言しまくり、ただの文字の羅列なのにまるでその場に人の姿が見えるほどの臨場感である。
 これこそチャットの醍醐味か。
 集まってこられた方も、中学生から四十過ぎのオトナまで、有名無名を取り揃え、多士済々、交わされる内容も、プライベートからオフィシャルまで、オタク話あり、えっち話あり(まあ♪)の、バラエティに富んでること。
 にもかかわらず始まったばかりのオリンピックの話は一切出ない。
 「メダル取りそこなった選手のコメントにしか興味はないですね」と書きこんだら、みなさんから至極同意を寄せられる。なんちゅーイジの悪い人ばかりが集まっていることか(^_^;)。
 でも、オタクはやっぱりオリンピックなんか無視しなきゃあね。

 中学生の女の子が「『ルパン三世・カリオストロの城』を知らない」と言えば、集まったオタクが一斉に教え出すし、「○○○ってなんですか?」と聞くと、その方面の方が懇切丁寧に教えるし。いいのか、オイ(^_^;)。

 あまり詳しく中味を書けないのが残念だが、これくらいチャットが楽しいものだとは思ってもみなかった。
 ときどきは今までもやってたのだが、おおハマリしそうな気配である。


 マンガ、鈴木光司原作・MEIMU作画『仄暗い水の底から』(角川書店・546円)。
 原作短編集から『仄暗い水の底から』『夢の島クルーズ』『漂流船』『海に沈む森』の四本をセレクトしてコミカライズ。
 最初はいろんな人にマンガ化させてた鈴木光司作品だけれど、ここんとこはずっとMEIMUさんの続投だ。
 確かに今までのマンガ家さんの中では一番うまくはあるんだけど、ホントに鈴木作品に合ってるかな? ちょっと表現が過剰だって気がするんだけど。
 ごくありふれた日常が反転してしまうのが「恐怖」につながるんだから、日常の絵がそもそも気味悪いんじゃ、全然怖くはならんのである。
 楳図かずおだって、普段の絵はごく普通の絵だぞ。
 同じような理由で私ゃ御茶漬海苔が全然怖くないんである。無理にこわがらそうってのが、まるで琴線に引っかかってこない。
 でも、「それなら日野日出志はどうなるんだ」って言われるとヨワイんだけども。まあ、あの人は特別特別(^^)。 


 『キネマ旬報 2月下旬決算特別号』、2001年度ベストテンの発表。
 その詳しい選評を見たくて……というより、『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』がどの程度まで食いこんでるかなあ、と思ってリストを見てみる。
 もともとアニメに偏見のある雑誌だから、たいした期待もしてなかったけれど、24位と意外な健闘であった。
 これはひとえに10点を入れた三留まゆみさん(早坂みけさんという名前を覚えておられる方はどれだけおられようか)のプッシュによるところが大きい。
 コメントなど、「これを見ずにベストテンを語ることは『人生捨ててる』といっていい」。
 いやあ嬉しいったらありゃしない(それにしてもこんなコメントを寄せるということはほかの評論家連中、見もしやがらなかったな)。
 それにしても腑に落ちないのがSF評論家・翻訳者の大森望、『アニメージュ』にも「いいオトナがノスタルジーに浸ってていいものか」みたいなことを書いてたけど、ただの1点も入れてない。
 じゃあ、何が大森さんの1位かっていうと、邦画が『千と千尋の神隠し』で、洋画が『アンブレイカブル』。
 ……はあ?
 『千と千尋』はまだわからなくもないが、全体でも66位(大森さんの10点がなければ130位。ほぼ最下位に近い)、読者投票ベストテンに至っては選外のあの愚作に満点を入れるぅぅぅぅぅ?
 あほだ。
 『キネ旬』誌では数少ないオタク系の評論家だと思ってたのになあ。
 『千と千尋』に一票も入れてない三留さんとちょうど真逆ではないか。
 ……この二人の間に何かあったんかな?
 けど、これでわかった。
 断言するが、大森望に映画はおろかSFを語る資質はない。
 石上三登志と見識はごっつだ。
 今後は大森さんの誉めるものは駄作、貶すものは傑作、そう考えて映画を見るようにしよう。
 ……問題なのは翻訳本だよな。大森さんだから読まないってわけにはいかないし。もしほかの人が訳してたらもっと面白くなってたはずだって観点で読むことにしよう。先に五目くらい置かせるわけやね(^^)。

 結果的に、邦画のベストテンは次の通り。

 1『GO』
 2『ハッシュ』
 3『千と千尋の神隠し』
 4『EURICA』
 5『風花』
 6『リリイ・シュシュのすべて』
 7『まぶだち』
 8『ウォーターボーイズ』
 9『光の雨』
 10『赤い橋の下のぬるい水』

 ……見てるの『千尋』だけやがな(-_-;)。
 いや、見たいと思った映画ばかりではあったが、ことごとくしげが嫌って見に行けなかったのだ。
 『キネ旬』の評論家連中も、ベストテンにこれだけ露骨に非エンタテインメントの作品ばかりを並べるってのは、偏ってるにしてもちょっと行き過ぎじゃないかって気はするが、それを避けまくるしげもやっぱり逆の意味で偏ってないか。
 ホントにこれらの作品がベストテンに値するのかしないのか、見てない以上は何も言えないではないか。
 「面白くもない作品を見たってしょうがない」と言い訳するかもしれないが、それこそ、そんなのは見てみなけりゃわからん。
 以前はここまで外したりはしてなかったぞ。
 どうも、しげの映画に対するアンテナ、最近鈍ってきてると言わざるを得ない。

2001年02月09日(金) お姫様を探せ!/アニメ『タッチ・CROSS ROAD 風のゆくえ』ほか


2002年02月08日(金) サルでもわかる『ハリポタ』/『パワーパフガールズ』2巻(クレイグ・マクラッケン原作)ほか

 岡田斗司夫さんのオタク日記に、映画『ハリー・ポッターと賢者の石』についての批評が書かれているのを読む。
 岡田さんがお気に召すほどのものではないよなあ、というより、ハナシのタネ以外にわざわざ見に行ったりはしないんじゃないか、と思って読んでみたら、予想通り、誉めてない。
 「定番通り」「わかりやすいだけ」って批評は岡田さんでなくてもできるが、『スタートレック』と対照させて、「SF及びファンタジーの発展の歴史を逆転させた」と切って捨てているのは、岡田さんならでは。
 今や、SFの歴史的俯瞰に関しては、岡田さんくらいしか語れる人はいなくなっているのではないか。知識的な権威はいくらでもいるが、歴史の批判的検証については、どの評論家の批評もすっかりヌルくなってしまっているからである。巽孝之さんの文章が物議を呼んだのももうだいぶ前だしなあ。
 もちろんそれは、SFやファンタジーの権威を高めようと、「なんでも誉める」池田憲章の戦略でもあった。けれど、現在の眼で見れば、その罪もやはり大きかったのだとは言えまいか。
 結果的に、SF、ファンタジーのフォーマット自体が適当かついい加減なものにしか認識されなくなり、オタクどうしの相互の会話がかえって不可能になる弊害が生まれちゃってるんである。
 簡単に言えば「『ハリー・ポッター』は果たしてファンタジーか?」という議論自体が成り立たなくなってるんだよね。「別にそんなんどうでもいいじゃん」ってことになっちゃってね。
 でもね、批評不在のジャンルに未来はないのよ。
 あえて「ハリー・ポッターは本当におもしろいのか?」ってのを読者論の観点からも見直して行くこと、必要になってくんじゃないかと思うけどね。
 ヌルい批評に馴れきってる若い人は、岡田さんの批評、的を射ているだけに、その舌鋒の厳しさに反感を抱きそうな気がする。なんたって岡田さん、ハッキリと「『ハリー・ポッター』見ておもしろがるやつはバカ」って言ってんだから。
 ……すんません、ちょっとおもしろかったっス。
 だってハーマイオニーかわいいし(^_^;)。
 とりあえず私も日本のSFと海外のSFと日本の幻想小説と海外のファンタジーには弱いので(全部やんか)、少しずつでも読もう。
 『ゲド』も『指輪』も、中学高校で読んだはずなのに、中味をスッカラカンに忘れてるし。


 アニメ『クレヨンしんちゃん』は、「サボテンの花が見たいゾ」「試験の前は眠れないゾ」の二本。
 映画の予告はもう始まってるけど、多分まだ絵コンテ全部上がってないんだろうな。でも作画にはもう入ってるはずである。
 こんなムチャクチャなスケジュールで毎年水準以上の作品を作ってんだから、シンエイ動画のスタッフ、すごいよなあ。
 「サボテンの花が見たいゾ」。
 園長先生ネタは毎回定番の「怖い顔」だけど、原作にあった頬のキズアト、アニメじゃ描かれないよなあ(原作でも最近は描かれてない)。
 もうすぐ花の咲くサボテンを見ながらニコニコ顔の園長先生だけれど、カザマくんが自転車にはねられそうになったのを、とっさにサボテンの鉢植えを投げつけて助けるという話。
 この投げるシーンの作画がまたスローモーションとコマ落としの組み合わせで凝っててさあ、こういう『しんちゃん』の作画研究、ファンはもっとアピールしてってほしいんだけどなあ。
 「試験の前は眠れないゾ」。
  極度のあがり性の四郎くんをどうやったら眠らせられるか、野原家があの手この手を考えるって話。これもよくある「眠るための方法」ネタだね。
 実際にはどうやっても眠れないって結末はわかってるんで、それをディテールでどう見せるか。
 しんちゃんの「レースクイーンを数えよう!」はそりゃかえって眠れなくなるわなあ(^^)。でも「かあちゃんを数えよう!」で四郎くんが吐き気を催しちゃうのはみさえさんに悪いぞ。
 うーん、みさえさんは美人じゃないってのがあの世界ではお約束なのかなあ。ムネなしケツでかはわかるが、みさえさん、美人なほうだと思ってたんだが。ならはしみきさんの声も好きだし。
 ななこおねいさんが黒髪だったけど、前からそうだったっけ?


 夜食(と言っても実質上の晩飯)、今日も、しげが「びっくりドンキー」に行きたいというのでつきあう。
 けれどさすがに今日は「びっくりコーラ」は飲まず。
 ハンバーグの種類が多く、最初はフルーツハンバーグを頼もうかと思ったが、迷ってスパゲティハンバーグに鞍替え。
 まあ、迷うっていっても、しげのように食ったあとまで未練たらしく「あっちのほうがよかったかなあ」とかブチブチ文句を言い続けることはしないので、あっさりしたものである。
 けど毎日夜中に20分もかけてハンバーグ食いに行かんでも、近場でどうにかならんものなのかね。


 夜中の3時ごろか、いきなりしげに起こされる。
 なんだか急に買い物に出かけたくなったらしいんだが、だからと言って、寝ている私まで起こさなくったってよう。そっと寝かしとくくらいの優しさがほしいぞ。もちろん「勝手に行け」と断るが、寝ている途中で起こされたので、また体調を崩してしまった。
 こういう迷惑かけるの、やめてほしい。マジで。


 マンガ、竹本泉『しましま曜日』2巻(エンターブレイン・780円)。
 リニューアル版完結編。
 でも後書きは新作なんでそれだけのために買う。
 だってよう、『あおいちゃんパニック』も『あんみつ姫』も元版持ってるからってリニューアル版買わなかったら、今になってほしくてほしくてほしくてほしくて、でももう手に入らないんだよう。
 「服に着られる女の子」って設定、確かにおいしーよなー。
 一幕の舞台劇にもできるしなー。でも一番向いてるのは連続テレビドラマだろう。とり・みきの『くるくるクリン』みたいな感じで、毎回キャラクター変えられるからねえ。
 一見SFとはなんの関係もないようだが、これ、ネタ的には『ねこめ〜わく』と共通してるのだ。人間はアイデンテイティを確立できないと「模倣」という行為に出るものだからね。
 だからして、『しましま』はそうは見えないかもしれないけど、ちゃんとSFなんですよ。
 知ってる人は知っている、今、日本でSF漫画の王道を描いてるのは竹本さんなんである。
 ……2巻ぽっちじゃやっぱり少ないぞ。もっともっとSFなゆかりとかSFなゆかりとかSFなゆかりとか描いてほしかったのにな。


 マンガ『コミックねこだけアンソロジー ねこミックス』vol.2(宙出版・730円)。
 まあ、『ねこめ〜わく』以外はパラパラとしか読んじゃいないし、多分、これ買ってる読者の大半がそうじゃないかとは思うんだが、とりあえず2が出て3の予告も載ってるってことは売れたんだろうな、よかったよかった。
 これで『ねこめ〜わく3』が出るのも早まるね。
 でも、今回の新作、『ねこめ〜わく……よりより』の「よりより」って何?
 お話はやっぱりマイヤーにだまされた猫たちが「サボテン市」をサボテンの仮想をする祭と勘違いしちゃうっていつものパターンなんだけど、やっぱりさりげなく竹本さんのSF魂はキャラクターのセリフなんかに現れてる。
 「自分たちがしていることが妙なことだと判断できるかどうかが知的生物かどうかの分かれ目になるのだ。その判断が自分でできなければ意味ないだろう」
 ハッキリとは書いてないが、これ、明確な宗教否定。
 「盲信は文明ではない」と、竹本さん断言しちゃってるのだ。
 そう考えるとこの地球上に、下等動物がどれだけ充満していることか。


 マンガ、クレイグ・マクラッケン原作『パワーパフガールズ<DCコミックス版>』2巻(小学館・788円)。
 オフィシャル・コミックも2巻目で、今回も5話収録、オールカラー。
 わざわざ「DCコミックス版」と銘打ってるのは、なにか他の版があるのかね? 日本だけで作ってるやつとか。
 でも今回は原作者のマクラッケン氏、1巻のときみたくストーリーの執筆まではしてない。向こうの連続ドラマも、原作者はフォーマットを作るのみで、実際の作劇は個々のライターが、ってことになることが多いみたいだから、しかたがないのか。

 でもギャグの過激さは特に薄まっちゃいない。
 第1話、「アブないテレビゲーム」で、モンスターに破壊されるタウンズビルの街を見ながらユートニウム博士のいうセリフがいい。
 「銀行が襲われた! ポーキーオークス幼稚園が襲われた! でもそんなことより許せないのはアンチョビ工場が襲われたことなんだ!」
 ……あ〜、そんなに好きですか、アンチョビ。
 解説によれば、アンチョビはアメリカじゃ人によって好き嫌いがすごく激しい食材らしい。塩辛くてサカナ臭くて。
 てことは、博士ってやっぱりちょっと偏ったシュミの持ち主らしいね。

 モジョが妖精に変装する話とか、ビジュアル的にすごい話も収録されてるんだが、圧巻は第4話の『おいでよハッピーランド』。
 バブルスが夢中になってる子供番組の『ドクターポッポのハッピーランド』、この番組が急に「おカネを送ってちょ! よい子のみんな!」とヘンなキャンペーンを始める。実はドクターポッポは悪人だったのだが、それに乗せられたバブルス、街中からおカネを盗んでスタジオまで運んで行く。
 それをたしなめるブロッサムのセリフが、ユメもチボーもないったらない。
 「バブルス!? ここにあるものは全部作り物なのよ! ドクターはね、俳優がお芝居してるだけなのよ!」
 あー、なんだかオタクに聞かせたいセリフですねー。『サタデーナイトライブ』でスタトレイベントに集まったトレッキーズに向かって、ビル・シャトナーが「夢から覚めろ!」って言ったギャグを彷彿とさせるねえ。
 「子供番組なんかいい加減で卒業しろ!」ってブロッサムに言われちゃコタエるよな。
 でも、この『パワパフ』のオチがすごいのは、そう言って説教したバターカップとブロッサムが、二人揃ってやっぱり子供番組の『カラテ・カルロのクラブハウス』にハマっちゃってるとこ。
 例えて言えば「『忍風戦隊ハリケンジャー』なんて見るなよ! オトナなら『仮面ライダー龍騎』を見ようぜ!」ってなもんか。……たいして進歩しとらんわ。
 コミカライズだからって馬鹿にしちゃイカンよ、『PPG』ファンならコミックすも揃えるべし。DVDボックスはいよいよ3月13日、『ブロッサム缶』がダッコちゃんつきで発売だ。


 マンガ、駒井悠『そんな奴ァいねえ!!』7巻(講談社・570円)。
 考えてみたらオタク系のマンガの多い『アフタヌーン』にこのマンガが載ってるって、違和感ないのかな。
 ギャグマンガとしても似たようなネタが増えてきてる感じで、ちょっと煮詰まって来てるし。
 ダジャレ率が増えてきてるのも気になるなあ。今更、ダジャレはダジャレ単体ではギャグにならないってのは誰しもわかりきってることだけど、それをギャグとして成立させるためには、そのしょーもなさを他のキャラにどう受けさせるかってとこに作者の技量が現われる。
 それがもう、みんな疲れ切ってるだけだし。

2001年02月08日(木) ザッツ・エンタテインメント!/2000年度キネマ旬報ベスト・テン


2002年02月07日(木) びっくりにびっくり/アニメ『七人のナナ』第5話/『なんだかコワレ丸』1巻(矢也晶久)ほか

 三日続けてしげが迎えに来てくれなかったので、さすがに金欠病。
 バス使えばいいじゃんと言われそうだけど、だからバス乗り継ぎだと2時間かかるんだってば。
 今日はさすがに切羽詰ってるんで、時間通りに迎えに来てもらう。
 アテにしてんだから頼むよ、もう。


 アニメ、TVQ『七人のナナ』第5話「決定!神近君の志望校?」
 受験生を主役にしてるせいか、なんだか設定が生臭くなってきたなあ。
 基本的にはお気楽アニメなんだろうけれど、なんたって今川監督だから、妙に「こだわり」が出て来て、のほほんと見過ごせないところが現れてくるのね。
 もともと、あこがれの神近君と一緒に特進クラスに入りたくて、なんとかしてテスト問題を事前に知りたい、って前回の展開からして、実写でやってたら結構リアルになっちゃいそうな設定だったんだけど、今回は、「神近君の志望校を知りたい!」。
 おいおいパターンが前と同じじゃん。しかもナナの妄想、ますますエスカレートッてか?
 もちろん、オリジナルのナナがその欲望を抑えてる分、他のナナがそれを代行しちゃうわけで、ナナぽんが、テレビで見て覚えた催眠術を使って神近君の志望校を探ろうとすることになる。
 あとの展開はアニメらしくドタバタになるんだけど、このアニメ、魔女っ子ものによくある「魔法の使い方を欲望のままに使ったら、大変なことになる」ってパターンを毎回やろうってハラなんだろうか。そう考えると、なぜ七人のナナの性格が全部違うのかってことも納得いくけど、そんな「欲望爆発アニメ」なんて、ヘタすりゃ際限なく暴走しかねんぞ、『エヴァ』みたく。
 どっかでうまいこと折り合いつけるとは思うけど、ヘンな方にねじまがらずにちゃんとエンタテインメントしてほしいよなあ。


 CSファミリー劇場『キャプテンウルトラ』第1話「バンデル星人襲来す」。
 ひっさしぶーりの再放送だなあ。
 なんかねー、我々の世代だと、今更『キャプテンウルトラ』について語ることなかったりするんだけど、多分若い人はもうぜーんぜんわかんないのよ、これも。
 ヘタすりゃよう、「知ってるかー! 『キャプテンウルトラ』ってさあ、光瀬龍と都筑道夫が監修してたんだぜ〜!」とか言ったって、誰それ? になっちゃうし。
 せいぜい「『キケロ星人ジョー』って、小林稔侍が演じてたんだぞー!」くらいしか通じなかったりするが、もうこんなネタも今更でよう、ホントは口にもしたかぁないのである。
 でも、若い人に、1950、60年代以降の特撮、オタクの歴史を語っていこうと思ったら、ほんのちょっとのベタなネタだって、疎かにはできないのだ。
 「いや〜すげーぞ、アカネ隊員の拷問シーン! もうあの表情とアエギ声聞いてるだけでちんちんおったっちまうぜー!」
 おっとイカン、この手のネタは唐沢なをき先生にお任せすべきであった(^_^;)。

 CSキッズステーション『サクラ大戦』第壱話「さくら帝都に来る」。
 テレビシリーズは福岡じゃやらなかったんで初見。
 しげが徹底的なあかほりさとる嫌いなんで、こればっかりはDVDは買えない。
 でもしげ、CDだけは買ってんだよな。
 だったらDVDだって……いや、今のは口が滑っただけだよ。

 ゲームのアニメ化、と言っても、ゲームは主役がプレイヤー本人なわけだから、そこをどうするのかなあ、と思ってたら、主役はあくまで「サクラ」なわけだね。横山智佐の声は、常々主役にゃちょっと向かんのじゃないかと思ってるんだが(本人が「声優声」にするのに苦労したって努力は理解できるけれども)、『プリティサミー』みたいな毛色の変わったキャラならともかく、こういうサクラみたいな普通の女の子役だと、どうも作り声っぽくて真実味っつーか切実感に欠ける。作画が意外に良かったんで、その違和感が目立つのだね。
 ……いや、逆にその作画が曲者なのかも。
 ムダに細かいっつーか、技術はあっても演出がチグハグだぞ、マッドハウス、ってのは私個人の印象だけではないと思う(『メトロポリス』を見よ)。オープニングなんかほとんどライブアクションでえらく動きが細かいんだが、アクションそのものは全然ハデじゃないんでライブにする意味が解らない。
 いや、ライブにあのサクラの藤島康介キャラの首が乗ってるもんだから、木に竹を接いだようで、気色悪い感じすらする。映画版のミュージカル演出は動いててもそんなに気持ち悪くなかったんだけどなあ。
 まあ、本編は普通のアニメでそこまでひどくはなかったが、今度は脚本がどうもイマイチでねえ。

 はるばる仙台から帝都・東京を防衛するために「帝国華撃団」にやって来た美少女、真宮寺さくら。ところが、目当ての住所が大帝国劇場のもので、そこが「帝国歌劇団・花組」であると知り、戸惑う。
 このへんの設定はゲーム版でプレイヤーが「大神」を演じるときにもあった展開だけれど、なんで予め入団者に、帝都の防衛上、「華撃団」を「歌劇団」にカモフラージュしてますって教えておかないのだ。
 おかげで、劇場内を困惑して歩き回るさくらが、公演中の舞台に入り込んでしまって公演をめちゃくちゃにしてしまうってお約束の展開になっちゃうんだが、責任はきちんと連絡してなかった米田司令にあるんじゃないのか。
 このドジが原因になって、さくらは団員みんなからスポイルされちゃうというベタベタな展開になるんだけれど、まあ、マリアやすみれが怒るのは分かるとして、自閉症のアイリスがぬいぐるみのシャトーブリアンに「あなたもサクラが嫌いなのね」なんて呟くシーンは気持ち悪いだけだぞ。
 いじめられてるさくらにアイリスだけは心を開く様子を見せる、くらいの展開、なぜ考えられないかな。どうせあとで仲間として理解しあえるようになると判っちゃいても、それなりの伏線は張っとくのが脚本ってもんだろ。
 そのへんの「中途半端さ」が、しげのお気に召さないとこだってのはわかるんだけど、『はいからさんが通る』とか、大正ロマンやら和服美人って好きなんだよ、オレ(^_^;)。
 多少のキズはあるだろうし、舞台版の『サクラ』はいくらなんでもアレだとは思うけど、そこまで毛嫌いせんでもいいじゃん。


 CSファミリー劇場『8マン すべての優しい夜のために』。
 あーあー、これがウワサの実写版『8マン』ね。
 ……宍戸開、アゴでか過ぎ。8マンはアゴ細くねーとよう。
 サチコさんも全然かわいくねーぞ。原作みたくショートヘアでもなかったし。
 まあ、どーせ低予算だろうとは思ってたけど、『8マン』と来れば「デーモン博士」なのに、外人さん雇うほどの予算はなかったと見え、これも登場はなし。
 キャスティングからして既に『8マン』じゃねーよなあ。
 ベースは原作の『決闘』で、谷博士の実の息子のケンと、8マンとの戦いを描くんだが、その谷博士が宍戸錠なんだから、いくらケンが「実の息子よりロボットを選ぶのか!」と怒ったところで、映画を見た十人中十人が、「いや、実の息子は宍戸開のほうだよ」とツッコミ入れたであろうことは想像に固くない(^o^)。
 まあ、それ以前に、脚本がどーにも橋にも棒にもかからんヘタレだから何言ってもなって気はするけど。
 8マン誕生の前半をすべて高橋悦史のナレーションで説明しまくるって、それ、脚本じゃねーって。


 しげ、今日は早帰りでまだ12時。
 ハラが減って辛抱たまらん、外食したいとわめくので、しげのオススメ、『びっくりドンキー』というハンバーグの店に行く。
 しげが今まで行ったことのない新しい店に行きたがるというのも珍しいと言えば珍しい。
 でもやっぱり「肉」の店だ(^o^)。
 ドアのところにやっぱり「ウチの肉は安全です!」と力説したビラが貼ってあって、ホントに今は大変なんだろうなあ、と同情。
 みんなちゃんと肉食えよ。今ならどこも安いぞ。
 メニューが木製ででっかくて、店員さんが、立てて観音開きのように見せてくれるのに驚く。チビの店員さんだったら、手が届かなくて苦労するんじゃないかって感じだし。
 ハンバーグ専門だけれど、ステーキもある。けど初めてのときにはスタンダードなものを注文するようにしてるので、300gハンバーグ定食を頼む(どこがスタンダードだ)。
 メニューに「びっくりコーラ」とあったので、「何がびっくりなんかね?」としげと相談して、二人で頼んでみることに。
 「すいません、食事より先に持って来てください」
 「かしこまりました」
 ……で、運ばれてきたコーラ、確かに「びっくり」だね。
 およそ高さは30センチ近くはあったかな、まあ、例えてみれば、オリンピックの優勝カップにコーラが入ってましたって感じかな。一応、カップは足つきなんで、容量はせいぜい1リットル程度だとは思うけれど。
 いや、飲むのにひと苦労。ゲップ出まくるし。
 でも肉はおいしかったなあ。
 しげが「また来る?」と聞くが、それは自分が「また来たい」ということだろう。だったら素直にそう言えよ。
 食い意地が張ってるのなんてもうバレてんだから、今更隠してどうなるかい。


 マンガ、矢也晶久『なんだかコワレ丸』1巻(集英社・410円)。
 どんな話か全く知らず、表紙に平安貴族風の3頭身キャラが書いてあったので、何となく面白いかも、と衝動買いした一冊。
 ウン、とりあえずハズれじゃなくて、ひと安心。
 主人公の中学2年生の少女、蘆屋ゆうりが、実家の骨董屋の蔵に仕舞われてた箱の中から、かつて天才陰陽師だった動く人形「壊レ丸」を発見、復活って、なんだかどこかで聞いたようなパターンなんだけれども(^^)。
 実際、話としては(『ヒカルの碁』+『うる星やつら』+『らんま1/2』+『犬夜叉』+『おじゃる丸』)÷5、あとちょっとだけ『陰陽師』風味って感じ?(なんじゃそりゃ)
 まあ、蘇えった過去のなんたらが、女三姉妹の家に同居して、現代の怨霊を退治するって話、確かにありきたりかもしれんが、人形のクセにこいつの目標が「すべての女体征服」って、おいコラ、それだけの能力をソノことにしか使わんのかい! ってところがGOODね(^_^;)。
 男が果てしなくスケベ、という生臭い設定をアニメ絵で緩和して、ファンタジーにまで昇華しちゃった高橋留美子の功績は大きい。
 このマンガは絵的にはやや硬質な線で、同じアニメ絵とはいっても『るろ剣』とかに近い感じだけれど、イヤミがなくて読みやすい。ジャンプコミックスでも月刊のほうだから、システムに取りこまれなくてすむ分、これから面白い展開も図れるんじゃないかな。

2001年02月07日(水) ♪それ行け、不倫不倫不倫、どこまでも♪/『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』ほか


2002年02月06日(水) なんかもー、下血とともに生きる毎日ね/『幻竜苑事件』(太田忠司・大塚あきら)/『よみきり▽もの』1巻(竹本泉)ほか

 急な仕事が目白押し。
 貧血は慢性的な状況になっちゃってて、すげー疲れている。
 一気に片付けた方が職場の信頼は上がるんだろうけれど、こっちの体力が持つわきゃない。なんとか時間をずらしながらゆっくり片付ける。
 トイレに入ると、ふっと意識が薄れて落ちる。
 ああ、布団の中で寝たい。
 けどそんなに有給ばかり取ってられねーし。
 ふと、目を覚ますと、ケツから血がぽたぽた垂れてるのが分る。
 ああ、またちょっとパンツ汚しちゃってる。
 下を見るとパンツをつたって便器の中にドス黒い血だまり。
 薬が利いてる時は収まってるのに、利かないときの出血が激しいのだ。
 ここんとこ、この下血のせいで貧血を起こすのがしょっちゅう。
 なんか長生きできそうにねーよな、とつくづく思う。

 今日で三日連続でしげは迎えに来ない。
 なんかもう何を言ってもムダかな。
 仕方なくタクシーを使ってるが、おかげで月のタクシー代がどんどん増えている。自転車で通ってたころの方がまだマシだ。
 今度から、タクシーで行くことになったときは、その分の代金をしげから返してもらおう。そう決めたぞ。 


 アニメ『ヒカルの碁』第十七局「追憶の一局」
 あっ、先週は気がつかなかったが、シリーズ全体の監督も、西澤晋さんから、かみやじゅんさんに変わってる。
 やっぱり、作画の悪い回があったせいで、突き上げでも食らったのかな。
 でも実際に、演出、作画が格段によくなったからなあ。
 つーか、今日のヒカル、等身が伸びて急にオトナになってやんの。顔つきなんかも、どっちかっつーと、原作の最近のヒカルに近い。おかげで動かすと、やや足が余るような動きになってるけど。
 監督変更で、多少、引継ぎがうまくいってないところがあるのかな?


 『ウンナンのホントコ』、24時間恋愛を途中まで見て寝る。
 何となくヤラセっぽいところが見えてきたので(ヤラセなんだろうけど)、飽きちゃった。


 マンガ、太田忠司原作・大塚あきら作画『狩野俊介の事件簿 幻竜苑事件』(秋田書店・540円)。
 原作は以前読んでたんだけど、ミステリーとしては、その人間消失トリックが「実は抜け穴があった」という、やっちゃいけない類のものなので、憤慨した覚えがある(私は基本的なルールとして、トリックのバラシはしないが、作者自体がバカで、ルールやぶりをしてる場合は別だ)。
 「少年探偵」って設定、小説の中じゃ珍しいけれども(ジュブナイルは除く)、マンガじゃ腐るほどあるから、突出したイメージがなく、個性に乏しい。絵柄もかわいらしくはあるが、硬質な描線で、キャラクターの表情が単調。コマワリも平凡。しかも原作がヘボときちゃ、読んでて高揚感がない。
 だいたいこの「俊介」シリーズ、文庫のイラストを末永徹朗さんが担当していて、こちらの方がはるかにうまいのだ。マンガにするなら末永さんに描かせろよな。


 マンガ、あもい潤『カスミン』2巻(NHK出版・420円)。
 結構刊行ペースは早いみたいだけれど、見つけるのに時間がかかるんだよなあ、NHK出版。
 2巻をやっと見つけたと思ったら予告でもう3巻が今月発売だってやんの。
 でもおかげでヌケのエピソードも少なく、ダイジェスト版という雰囲気もない。『ムリョウ』もそうだけれど、NHK、アニメのコミカライズについてはすごく良心的なのだ。描かされる漫画家さんは大変だろうけど。
 1巻のときにはアニメに合わせようとしていた絵の線も、随分馴れてきてのびやかになってきている。髪を下ろしたカスミンなんか、将来がタノシミなくらいの美しさだし(こらこら、アニメキャラだってば)。
 「帽子男」の線の崩れ具合がキャラクターを表しててイイねえ。こういう「ねずみ男」タイプと言うか、『魔女っ子メグちゃん』のチョーさんタイプと言うか、セコいコウモリ男が出てくると、ドラマの起伏が生まれて面白くなるんである。
 でも霧の一族と霞の一族って二項対立的な設定は、かえってヘナモンの世界観を単純で狭いものにしやしないか。「なんだかよくわかんないけどいろんなモノがいる」って方が「ツクモガミ」的だと思うんだけど。
 第一、霧と霞ってどう違うんだよ。
 位置? 高度? 密度?
 靄(もや)との違いは?
 無理なドラマ作りに躍起になっちゃうと、ありふれた設定に堕しちゃって、つまんなくなっちゃうぞ。


 マンガ、竹本泉『よみきり▽もの』1巻(エンターブレイン・756円)。
 えーっと、まず、『おんなじかんじW』。ふたごの性格がどっちも同じで、入れ代わって遊んでるうちに自分たちでもどっちがどっちかわかんなくなっちゃう話。ふたごがかわいい。
 『まんほ〜るのあう』。え〜っと、まんほ〜るの下には「あうの人」がいて、人が見てないと外を覗いてるらしいです。だから、ついうっかりマンホールを踏むと「あう」と言います。都市伝説でホントにありそうだな。
 『あっちの屋根こっちの屋根』。すごく目がいい女の子が校舎の屋上で、向こうの学校の子と手を振り合います。そんだけの話。目がいい人っていいな。
 『わらいの園』。美人だけど、「げひょひょ」とか「だひゃひゃ」とか、ヘンな笑い方をする女の子はホントにいます。ウチのしげは美人じゃないけどツボにハマると既知外のように「きゃはははは」と笑います。
 しかし笑美子ちゃんが見に行った『フライングハイ13』って……。そこまで続くかっ!(続けてくれたら嬉しいけど、もうコメディから撤退してるそうだからなあ、ズッカー兄弟)
 『ゆれる100万ボルト』。忠子ちゃんはメガネを外すと、目が悪いのでウルウル目の色っぽいおねーさんになります。そういう子いるよな。男は自分に気があるのかと勘違いするけど。だから女の子はむやみに男の子に顔を近づけてはいけません。これ、ホント。
 『みちのまんなかに岩』。道の真ん中になぜか岩があります。そんだけ。でもスキだな、こんな話。
 竹本さん、あとがきで「読み切りシリーズだと、しばりがない分楽だ」、と言ってるが、普通の連載でもシバリのない話ばっかり作ってるように思うが。でも面白いから全部ヨシ。

2001年02月06日(火) 文化はやはり相対的なもの/『NOVEL21 少年の時間』ほか


2002年02月05日(火) ゴーマンかましちゃ、いけまっしぇん/『コンセント』(田口ランディ)ほか

 なんだか世間は雪印、雪印だねえ。
 この牛肉関連の話は前に書いたんで二度も三度も書かんでもいいような気がしてたんだけど、ニュースキャスターがまた世間を洗脳させようって感じで「危険」「危険」ってデマ撒き散らしてるしさあ。
 いい加減、世間も諦めて肉食えよ。うちのしげなんか、何も気にせずに肉に食らいついてるぞ(犬の名前ではありません。妻です)。
 景気が悪くて消費が落ち込んでるってのに、買い控えしてどうすんだよ。
 事件が発覚する前に食ってたんなら、今更買い控えしたって手遅れだし、事件後はかえって検査を綿密にやってんだから、危険はなくなってるといっていい。「何万頭も検査できないからミスがあるかも」なんて、んなこと言ってたらどの食品だって危険だよ。『買ってはいけない』と同レベルのデマ流してんじゃねえやニュース23。
 雪印の担当者が、国産牛と輸入牛のラベルを張り替えたんだって、アホが踊らされて肉食わなくなったからだろうが。その程度のアタマなら狂牛病にかかったってたいしてかわらねえって。


 田中外相が更迭されて、小泉内閣の支持率が一気に30%だか40%だかに落ちこんだんだそうな。
 予想された展開だけれど、政治も所詮、大半の国民にとってはワイドショーに過ぎないってことだよなあ。それで政府に「不景気対策をなんとかしろ」なんて言うなってな。文句つけるヒマがあったらその分働けや。
 こんなこと書いてるとまたぞろウィルスを送りつけられそうだが(^_^;)、別に高飛車にモノ言ってるわけじゃなくて、世間は世間、オレはオレ、ってスタンス取ってるだけなんで、余り深く拘らないで頂きたいものである。
 だいたい、知人にリストラされて本気で困ってる人もいるのに、こんなこと書いてるのは相当鬼畜なんだが(こらこら)、大局的に見ればその通りなんだから擱筆するつもりはない。
 ああ、しかし、新聞によると、わが職業に関してもいよいよリストラの嵐が吹き寄せてくるような気配なんである。自分ではそれほど無能だと思ってるわけじゃないが、上司はまずそうは見てないしな。一年後は私も「政府は何やってるんだ!」なんて叫んでるかもしれないな。


 今日もしげは寝すごして迎えに来ず。
 「来れるか来れないか分らんものをアテにはできん」と言うのだが、そう文句をつけると、しげは、「何? オレはアンタを乗せさせていただいてありがとうって言わなきゃなんないの?」と悪態をつくのである。
 誰がそんなことを言ってるか。
 車に乗せてもらうことは素直に嬉しいと思うが、渋々仕方なくされるのは私だっていやだ。
 朝、いちいち起こして、帰りもしげは昼寝をしているから、携帯にメールを入れて起こしているのだが、それも、しげがそうしてくれ、と言うからである。「送り迎えをしたい」と言ったのはどこの誰だ。
 で、その通りにしたら、「私はあんたの奴隷か」みたいな言い方をするのだから、私が機嫌を悪くするのも当然じゃないか。
 こちらもいちいち下らんことで言いあいしたくないので、ぶっきらぼうに言い放つ。
 「じゃあいいよ、もう明日から乗らないから」
 途端にしげの態度が変わる。
 「……なんで。乗っていいよ!」
 やっぱり乗せたいんじゃないか!


 しげの日記の更新も遅れ気味であるが、これも「もちっと内容が判るように書けよ。オレですら分らん」と言ったら、いきなり拗ねて書くのを中断したんである。
 「せめてひらがなで書けば?」と言ったら、ピタッと書くこと自体、やめてしまったのだ。
 こんなん、文句というほどの文句か?
 仮にケチつけられたからといって、「私は私のスタイルがあるんだから、これでいいの!」と言い返せばいいのである。それが「表現者としての自負」ってもんだろう。
 演劇に携わってる者は、日常だって「舞台」と地続きになってると言っていい。常に演技者、表現者の眼で世間を見ることが肝要なのだ。なのに、ほんのちょっと「文句つけられたから書きたくなくなった」とか、おまえは千本ノッコか(←『ラヂオの時間』)。
 「なあにい? ジュースは炭酸はダメって言ったでしょ? もういい、今日は仕事しない!」ちょうどこんな感じか。
 「気分が殺がれたらやらなきゃならないこともしない」「注文つけられてまで書きたくない」なんて、表現者としての自覚がないと言わざるを得ない。
 もちろん、作家にだって、「おだてられないと書けない」なんてタイプの人もいないわけではない。
 でもたかが「しげ」が大作家を気取ってどうするのか。
 しげは、私の方がエラソウにしてると言っているが、それは書くときのスタイルなのであって、文章を書き続けるということに関しては、私は自分の文章に責任を負ってるつもりなんである。
 結局、しげは、自分の書いてるものに自信がないから、傲慢な態度を取って誤魔化しているだけなのだ。こんな、自分の失敗を、さもこちらの落ち度のように責任転嫁し、すり替えてものを言うような卑怯な態度を取っていて、恥ずかしくはないのか。
 ……ないんだよなあ。
 しげには私が劇団に顔を出さなくなった理由だって、少しも分っちゃいないんだろうな。

 もうしげに弁当を買ってきてやるのもやめた。
 迷惑かけて悪いって気持ちを起こさない相手に、何かをしてやろうって気にはこちらもなれない。
 だいたいメシ代は渡してるんだから、これ以上たからせる必要もあるまい。
 

 アニメ『しあわせソウのオコジョさん』。
 帰宅が早かったので、初めてオープニングを見る。
 なんと音響監督が『海のトリトン』の塩屋翼。子役から始まって今や監督かあ。人って成長するんだねえ。当たり前だけど(当たり前でないヤツをソバで見てると実感がわかん)。
 音楽も天野正道と豪華だが、肝心の監督の山本裕介って人がどんな人なのかよく知らない。新人さんなのかもしれないが、これから頭角を表してくるのだろうか。
 内容は原作の3巻あたりか。
 への字口の女の子がツチヤにラブレターを渡す話が原作にもあった(いけね。この日記に感想書くの忘れてた)。
 あのキャラ、思いこみが激しいタイプで、マンガキャラとしてはスキだ。現実の女ならイヤだが。
 続けて『FF』も久しぶりに見てみるが、筋がもーどーなってるのか分らんのであった。


 田口ランディ『コンセント』(幻冬社文庫・630円)。
 作者の名前自体が気になってて、この人いったい何者? とか思ってたんだが、どうやらネットアイドルみたいなところから作品が人に知られてったらしい。
 それにしても謎だね、「ランディ」。
 これって男名前じゃないのか? 本名か? ペンネームか?
 もしペンネームだったら、ちょっとセンスを疑うが。

 でも本編はなかなかに面白い。
 ヒロインが冒頭からやたらと男とヤリまくって、私のようにマジメ一方な(^o^)人間には、ちょっと感情移入がしにくいのだが、それにもちゃんと意味があるということがラストでわかる仕組みになっている。
 というか、ネタはそんなに目新しいものではない。
 要するに「コンセント」ってのはオマ○コのことで、一見コミュニケーション不全のように見えるヒロインが実はシャーマンとしての素質を持っていて、男は女につながることによって自らの精神世界とチャネリングする……ということらしいのね。確かに、娼婦=シャーマンってのは古来からの伝統だからねえ。
 ある意味ありきたりなこの設定を、ランディさんは魅力的な筆致で描いていく。やっぱり語り口がうまいとネタが普通でも読めるもんなのだ。

 孤独な兄の衰弱死、それに遭遇して以来、ヒロインには人間の「死臭」が嗅ぎ分けられるようになる。怯えた彼女は、かつて自分と不倫の関係にあった精神科医の門戸を叩くが……。
 この導入が読む者を一気に作品世界に没入させていく。
 死んだ兄が踏み切りに佇むイメージが、ヒロインの前にフラッシュバックとして現れる。幻覚? 妄想?
 それとも兄は自分に何かを語りかけたいのだろうか。
 そして自分はなぜ気がついたらセックスをしてしまっているのか(^o^)。

 ともかく出会った男と気がついたらヤッているというこの設定がすごいね。
 「語り口がうまい」と書きはしたが、文章は粘液質で、キャラクターのセリフも、むだに説明的で過剰である。なのに、印象としてはどこか明るいのは、作者が、逼塞した人間の精神をどこかで解放したいと願ってるからじゃないか。

 ランディさんが庵野秀明と対談したのは分る気がする。
 要するにこの小説のヒロイン、アヤナミだしね。
 けど、女性がアヤナミを描くと、対照的にこんなに男が惨めに見えるようになるとは予想もしてなかった(^_^;)。
 すべての男はやはりマザコンなのであろう。

2001年02月05日(月) 恐怖のブラック・メール/『真・無責任艦長タイラー1 入隊編』(吉岡平)


2002年02月04日(月) チョコレート一本勝負/『何だかんだと』(ナンシー関)ほか

 職場で新聞を読んでいると、三面記事に曲芸師の海老一染太郎さん死去の報が。70歳、死因は胃がん。
 なんだか、「死ぬ」ってことが一番似合わない人が死んじゃった、という印象である。正月には必ず染之助染太郎のお二人の曲芸が見られるものだと思ってた。来年、それがもうないというのは不条理にすら思える。
 子供のころは、「正月」と言えば「三波伸介」だった。三波さんが亡くなってからは、染之助染太郎がそのイメージを一手に引き受けていた感がある。これでもう正月をイメージする芸人さんって、いなくなっちゃったんじゃないか。
 兄は頭脳労働、弟は肉体労働、というイメージが強くて、染太郎さんは何もしてなかったように思われがちだが、そんなことはない。染太郎さんの方がしゃもじか何かをくわえて、その上にヤカンだのなんだのを乗せる芸を昔は披露していた。
 「これでギャラはおんなじ」のギャグが当たったので、あえてテレビではそういう芸を見せなくなってたのではないか。結果的に染之助さんの傘回しと、「いつもよりよけいにまわしております」の囃し声だけが突出して印象付けられることになった。不思議なもので、ホントに余計に回していたら、永遠にまわし続けなければならなくなる計算だが、見ていると本当に長く回しているように見えるのである。これもお二人の芸の力であったのだろう。
 似たような芸を見せる人はこれからも現れるかもしれないが、もちろん比較できるものではない。芸人というのはつくづく一代限りのものなのだなあ、と思う。
 20世紀の「正月」は、これで終わった。
 染之助さん、これからどうするのかなあ。
 

 しげ、行きは送ってくれたが、帰りは電話に応答がない。
 仕方なくタクシーで帰って、途中でコンビニに寄って買い物、弁当をお土産に渡す。
 散財させられたのに親切にするなんて、理不尽なんだが、少しは私の愛情に気づいてほしいのよ。
 むりかな。


 日韓共同制作ドラマとかいう『friends』を途中まで見たが、こういう合作映画となると、どうして文化摩擦の恋愛ものにしかならないのか。
 発想が『蝶々夫人』のころから一歩も出てないんである。
 合作でSF作るとか、ミステリー作るとか、それくらいのことはできんのかい。それにしても、フカキョン、デブったねえ。
 走るとチチは揺れるようになったけど、見事なくらいにウエストがない。顎の下の肉は、さすがになんとかしないとマズイんじゃないか。
 アイドル脱皮して演技派ってのはまず無理っぽいからなあ。
 このへんがもう限界なのかもしれないなあ。……『リング2』でちょっとはいいかなと思ったんだけどもね。

 しげ、バレンタインデーに向けて、チョコレートを山ほど買って来ている。
 ともかくイベント好きなしげのことであるから、「標的」に対してどんなチョコを贈ってやろうかと虎視眈々と狙いを定めているのだ。
 しかも、しげは「かわいくて喜ばれる」チョコを作ろうなどという気はサラサラない。
 もらった相手がいかに困惑するか、あるいはしげの「挑戦」にいかに立ち向かってくれるか、その反応を楽しみに、「勝負チョコ」を作るのである。
 ちなみに、去年「勝負」を受けた其ノ他くんは、しげが贈った「牛乳パックにチョコ流しこんで固めただけの2リットルチョコの塊」を、一週間くらいかかって食ったようだ。
 そして今年、既に冷蔵庫の中には直径20センチを越える「ボウル」が二つ並んでいるのだ。
 ……私にはささやかなのでいいからね、ウン(^_^;)。


 ナンシー関『何だかんだと』(世界文化社・1050円)。
 文庫になるまでいつも待ってるのに、しげがさっさと買っちゃってた『何様のつもり』シリーズの最新第7弾。
 うーん、なんだかいつものキレがないなあ、ナンシーさん。
 つーか、もうこのテレビの末期的状況に、「何を言ってもムダ」と思ってるんではないか。
 例えば「橋田壽賀子」である。
 世間には『渡る世間は鬼ばかり』を本気で「おもしろい」と思ってる人が多いのだろう。
 毎週、あれを見るのが楽しみ、という方もきっとおられるのだ。
 けれど、それでもあえて言うけれど、橋田壽賀子の脚本の実力は全ての脚本家、シナリオライターの最下位に属する。
 設定・構成のデタラメさ、キャラクター造型の支離滅裂さ、セリフの非現実性、なにより社会や人間を洞察する力の低さ、何一つとっても誉められる点がない。ヒトコトで言って「幼稚」。それが『渡る世間』のレベルだ。
 理由は簡単で、作者がもう年寄りでボケてるからである。
 なのに橋田壽賀子は未だに権威であり続けている。
 ナンシーさんは、『笑っていいとも』に出続けている(2001年4月当時なので今はさすがにもういないんじゃないか)ことに対して、「つまらないからやめろというバラエティの正義を行使しても無駄であるという意識の共有」と書いている。
 ……そうなんだよなあ。橋田壽賀子はひとつの例だけれど、それがえなりかずきであろうと、三原じゅん子とコアラであっても同じことである。
 もう、「何を言ってもムダ」な状況で、ナンシーさんが「あれはなんだよ」、と言い続けたところで、どうにもなりはしないのだ。
 無理にそこでコトバを重ねようとしても、それは空回りするばかりだ。

 「『好きな俳優は渡部篤郎』と言う人たちはなぜ自身満々なのか」。
 ナンシーさんのこの問いかけ、つまり渡部篤郎のファンが、「私はそんじょそこらのアホタレのファンじゃないのよ、あの渡部のファンなのよ、だからアタシもエライのよ」と言いたいんだろうと分析する。
 「非ミーハー宣言」「私はバカじゃない宣言」「感性に自信あり宣言」。
 渡部以外でも、浅野忠信や永瀬正敏のファンはみんなそうだとも。
 その分析はまあ、当たってんじゃないかと思う。
 でも、エッセイの内容はそれでおしまい。っつーか、それ以上、ナンシーさんも言いようがないのだ。
 その「エラソウ」な渡部ファンに何かを言ってやれるのか。
 「別に渡部のファンだからって、アタマがいいわけでも、イケてるわけでもないよ? あんたはね、ただのブス」
 ……言ったって、しょうがないよね。
 つまり、ナンシーさんのエッセイ、もうすっかり「ナゲヤリ」になってるんである。
 ナゲヤリの文章を読んだってつまらない。
 けれどそういう文章がまさしく今のテレビの最悪な状況の象徴ではあるのだ。

 ちなみにしげは、熱烈な渡部ファンです(^_^;)。 

2001年02月04日(日) HOME,SWEET HOME/『犬の気持ちは、わからない』(押井守)


2002年02月03日(日) ラーメンファイト!2/映画『ヴィドック』/『萌えろ!杜の宮高校漫画研究部 辣韮の皮』1巻(阿部川キネコ)

 頑張って早起き、新番組『仮面ライダー龍騎』『おジャ魔女どれみどっかーん』『ギャラクシーエンジェル』と立て続けに見るが、なんか余り琴線に引っかかってこないなあ。
 『龍騎』は「鏡の世界での戦い」ってのがありきたりだし、やっぱりキャストの演技がみんな『アギト』以上にど下手クソで、見れたものではない。もっとも、あのシロウトっぽさがウケてるってんだったら、「演技とは何か」ってことを私は基本的に考えなおさなきゃならんのかも。
 でもあのナイトと一緒にいた女の子はまあまあかわいくて好みだ。あれでセリフ回しがもちっとビシッとしてくれりゃファンになっちゃうのにな。
 けど鏡の世界に入りこんだのにどうして龍騎もナイトも右利きのままなんだ。ディテールがいい加減だと視聴者はみんな見る気なくすぞ。
 『どっかーん』は1話で一気にハナちゃんが嫌いになったので、次も見るかどうかは不明。現実にワガママ女を何人も相手にしてる生活してるのに、アニメの中までワガママを見て楽しくなれるものか。
 『エンジェル』はギャグも作画もへタレ。
 でもまあ、1話で全てを判断するわけにはいかないから、ちょっと様子見ってことで。


 DVD『ガス人間第一号』。
 しげから「LD持ってるのにまた買ったの?」と言われるが、なんたって、コメンタリーが八千草薫ご本人だからねー。
 撮影当時は、八千草さん、谷口千吉監督と結婚したばかり。
 しかもその谷口宅に足しげく通っていたのが『ガス人間』の脚本家の木村武。
 八千草さんは当事者だからぼかして喋ってるけどさあ、木村さん、絶対に八千草さんに惚れてこの脚本書いてるんだよねえ。
 「あの映画が八千草さんの映画の中で一番です」ってはっきり言ってるんだもの、木村さん。もちろん私も大賛成。女性の可憐さと魔性とを同時に表現したという点で、稀有の演技である。
 もちろん、それはひたすら八千草薫を恋慕し、その情熱を捧げる土屋嘉男の名演と相俟っての効果でもある。
 人間ドラマがへぼい日本の特撮映画の中で、この『ガス人間』は唯一、主役たちのドラマが“見られる”映画でもあるのだ。
 関係ないが、ウチの親父のかつてのマドンナが八千草薫。
 なんでまた二代に渡って八千草さんにイカレてるんだか(^_^;)。


 アニメ『サイボーグ009』第16話「突入」。
 原作の換骨奪胎で、『誕生編』のラストあたりをここに持って来た感じか。
 計画の失敗に業を煮やしたスカールが、いよいよ自ら指揮を執るって設定だけど、作画はまあまあいいのに脚本がヘタレ。
 なんかねー、セリフが定番過ぎて生きてないのよ。必然的にキャラクターも、人間としての演技がつけられなくなってる。
 009が0013のくれた木彫りのウサギを見つめてるってのも、0013のエピソードから随分間をおいてないか? だったら間に番外編やらベトナム編を入れちゃマズイよな。リズムってのが壊れちゃうよ。
 しかも009を慰めようってつもりなのか003、いきなり踊り出すし。
 そんな百年も前の三文ドラマの演出、今更やるかあ? 動かしゃいいってもんじゃないんだぞ。フランス人だからそれくらいするとでも言いたいのか? そんなフランス映画があるなら言ってみろや。
 ……『シェルブールの雨傘』? あれはミュージカルだっ!!
 それからスカール役の若本規夫さん、好きな人だけどあれはやっぱり違うよう。「ぬわぅあぅあーあにぃぃぃぃ!?」って、歌舞伎じゃないんだからさあ。
 大西信介も脚本から離れてるし、紺野直幸が作画監督やったの、第1話だけだ。どうなってんだよ、このスタッフの枯渇ぶりは。


 練習から帰ってきたしげを誘ってキャナルシティへ。
 晩なら少しはすいているかと、ラーメンスタジアムへ行くと、それでも人気の店は相変わらず長蛇の列。
 看板を見ると、1月の投票結果が出ていた。
 九州ラーメン三軒VSそれ以外のラーメン五軒、結果は僅差で九州ラーメンの勝ち。しかし、今見た感じでも列が並んでるのは喜多方ラーメンや旭川ラーメンなんだが。
 まあ、身びいきはあろうから、初めから3対5の対決にしたんだろうけど、かえって判官ビイキを招いたのかな。

 ともかく喜多方や旭川には30分待っても入れそうにないので、「横浜 六角家(ろっかくや)」に入る。
 しげは餃子を目当てにしていたが、どういうわけか「都合で餃子とシューマイは中止しています」の張り紙。
 都合ってなんなんだ。料理屋でそういう不明瞭なことやってると、即、客足に響くと思うが。
 空いてるとは言っても、それでも10分は待たされる。
 カウンターにやっと座ると、比較的早くラーメンは運ばれて来る。
 豚骨と鶏ガラの醤油スープ、表面にこってり油が浮いているので、どんなに濃いかと思ったら、そうでもなかった。もっとも待たされて結構腹が減っていたので、今日の舌はちょっとアテにならないが。どっちにしろ、麺が細麺なので、私の口には今一つ。
 それでも食べているうちに口のなかがもっちゃりしてきたので、カウンターに置いてあったとんがらしを汁に混ぜたら、入れすぎて、臭みはなくなったが舌が痺れた。ちょっと失敗。

 「あー餃子食べそこなった」
 と、しげが口をとんがらせているので、もう一軒、「熊本 味千拉麺(あじせんらーめん)」に入る。
 ここのラーメンは、豚骨スープに、秘伝のタレ「千味油」を混ぜたものとか。いや、これがまたムチャクチャ辛い。さっきとんがらしで痺れた舌が更に痺れるくらい辛い。
 しかし、麺には腰があって、スープとまあまあ合っている感触。
 しげはとりあえず餃子が食べられて満足のよう。 


 映画『ヴィドック』。
 帝都の平和を守る名探偵・明智小五郎は、世紀の殺人鬼、黄金仮面を追っていた。
 ついにある工場で黄金仮面を追いつめた明智だったが、逆に窮地に追い詰められ、奈落の底に身を落とす。
 翌日の新聞は、大々的に「名探偵・明智小五郎死す!」の報を流した。
 探偵事務所で留守を守っていた小林少年は悲しみに沈む。
 そこへやってきたのは、明智小五郎の伝記を書いていた探偵作家、江戸川乱歩。
 「二人で明智くんの敵を取ろう!」
 乱歩と小林少年は、明智が捜索していた人々を辿り、黄金仮面の正体に迫ろうとする。

 事件はもともと、二人の男が落雷で殺されたことに端を発していた。
 その奇怪な殺人方法の謎が解けず、警視庁の波越警部は、明智に事件の捜査を依頼する。
 明智は落雷した死体の帽子に、避雷針となる銀の櫛が残されていたことに気づく。それは謎の女、緑川夫人のものだった。

 乱歩は、緑川夫人に会い、夫人もまた明智とともに事件の謎を追っていたと告げられる。
 振り出しに戻った事件。
 その間も、事件の鍵を握る人間が次々に殺されていく。
 まるで乱歩の行く先々を狙いすましたかのように。
 それでも黄金仮面の目的が、人体実験による不老不死の霊薬を作るという悪魔の研究にあることが見えてくる。

 そして乱歩、小林少年、緑川夫人、波越警部は、明智の死を見届けた老人を発見する。彼は、まさしく明智が命を落とした工場に潜んでいた。
 老人の口から語られる黄金仮面の正体は誰か。
 彼は自らの仮面をも剥ぐ。
 その姿に驚く一同を尻目に、おもむろに彼は言う。
 「犯人はこの中にいる」……と!

 え〜、冗談ではなく、『ヴィドック』はこういう筋です。
 フランス・ミステリーが江戸川乱歩のルーツだってことが証明されたような映画でしたねー。これはもう、無条件でお薦めです。犯人やトリックはミエミエなんだけど、そんなこと言ってたら、この伝統的な「怪人対名探偵」の古典的ストーリーは楽しめませんな。
 なんたって、ヴィドックは、実在の人物であるにもかかわらず、もと怪盗にして後の名探偵、変装の名人、フランス警察はおろか近代警察制度の基礎を作り上げた稀代の英傑。
 ジャン・バルジャン、アルセーヌ・ルパンを地で行った……っつーより、モデルになった人物であります。もちろん、本邦においても、明智小五郎、獅子内俊次、多羅尾伴内ほかの名探偵の造型に、多大な影響を与えた。
 こんなキャラをただの伝記もののキャラクターとして描いたって面白くない、つまりは遠山の金さんや鬼平が実在してるのに自由に脚色されてドラマ化されたように、ゴシックミステリーのキャラクターとして、最新の技術で映像化したのがこの映画というわけ。
 いや、この映画の撮影に初めて使用されたというウワサの24pHD、この映像解析度のスゴサはどうだろう。『写楽』の江戸の町なんか目じゃあない、10世紀パリの頽廃を、抉るように毒々しく描出していく。
 新人監督のピトフ、CFディレクター出身だというが、その映像センスが長編映画でも如何なく発揮されている。エロもグロもナンセンスも、見事に映像美として再現したその辣腕に拍手である。
 これはもうぜひとも、『ヴィドック2 死美人劇場』とか、『ヴィドック3 奇形人間の妖奇』とか(タイトルはテキトー)、続々と猟奇的かつ妖美な世界を描いていってほしいものだ。
 ヴィドックにはうってつけの俳優、ジェラール・ドゥパルデューの勇姿の再現と、謎の鏡仮面・アルシミストとの再対決をもう一度、というのは、誰もが願うことであるだろうから。
 

 マンガ、阿部川キネコ『萌えろ!杜の宮高校漫画研究部 辣韮(らっきょう)の皮』1巻(ワニブックス・819円)。
 あ、イタタタタタタ!
 ま、マンガを読んだだけでこんなにグサグサと来るとは……!
 先に忠告をしておく。
 ココロに余裕のないオタクはこれを読んではいけない。
 特にマン研で同人誌作った経験のあるヤツは(^_^;)。
 オタクが歩いてきた道、歩こうとしている道、そこで「イタイ」経験をしなかったオタクはいまい。
 しかし、それをバネにして、我々は道を切り開いてきた。
 言わばその「イタイ」思いは、オタクであるための「通過儀礼」、イニシエーションであったのだ。さながら女性が「ブス」と言われた時から「女」にめざめるように(喩えが外道)、「オタク」は「気持ち悪い」と言われてオトナになるのだ(だから『夏エヴァ』のラストで腹を立てたオタクのみなさん、アナタがたはオタクとしてはまだまだ第一ステージです)。
 アニメ『オタクのビデオ』あるいは『コミックパーティ』または永野のり子の諸作。
 受難の道を描いた作品はこれまでにもあった。それらは、たとえオタクの「イタイ」姿を描きながらも、最後は「希望」で終わってくれていた。
 けれどこのマンガは、某マン研の、現在進行形の物語なんである。ラストがハッピーエンドになるかどうかなんて、まだわからない。
 だからイタイ。
 ひたすらイタイ。
 さあ、オタクはこの痛さにどこまで耐えられるか!

 「スキですっ!! つつつきあってくっください!!」
 「いやよ 滝沢くんて詩織の抱き枕(通販)抱いて寝てそうなんだもん」 
  図星だった。

 ヒトコマ目からこれだよ。
 詩織の抱き枕はないけど……アヤナミの等身大タオルケットなら……。あ、アニメイトで買ったやつ……。
 あ、イタタタタタ!

 「月子センパイ、イヴって何か予定入ってますか?」
 「ん……多分コピー本の原稿をやってると思う……なんかもうすでにテンパっちゃってるんだるんだよねー まあ毎年のことなんだけどぉー(苦笑)」
 やっぱそうだよね……わかってた……ボク ホントはわかってましたー!!
 この時期 破局をむかえる同人女は多いといいます……

 これを読んで笑えない女性が、ウチの劇団には数人いる。
 高校卒業してウン年になるのに、未だにこの状況つづいてるらしいし。ホントに人生、それでいいのカシラカシラ。

 すんません。
 今回、細かいストーリーを引用して説明していったら、私自身、すごく痛いんで、ちょっと控えます。修業が足りんなあ。
 一応、あと一つだけ、しげの絡みのエピソードを。

 「このマンガで、電車の中でコミケカタログ堂々と広げる女の子が出てくるでしょ」
 「ああ、あの天然ボケのキャラね」
 「でも隣にいた主人公が、『あの分厚い本が何なのか分るのもオタクだけだから恥ずかしくない』って言ってたじゃん」
 「ああ」
 「あれ、ホントだよね。オタクの行動の意味なんてオタク以外には分らないんだから」
 「……それでホッとしたって?」
 「うん」
 「つまり、お前、自分で自分がオタクだってことを認めたわけだな?」
 「……はああああああっ!」

 なんか、無差別で読者にキズを作りまくってるよな、この本。
 「ボクはオタクじゃない!! ただのアニメファンだ!! ←オタクの言いワケ」 アイタタタタタタタタ……(/_;)。   


 夜中にしげ、また「どこかに旅だとうか」なんて言い出す。
 だからそこで私がホントにコワレちゃって、「いいよ、どこまででも行こう」なんて言い出したらどうするつもりなんだ。
 やっぱ、破滅型のヤツとくっついちゃった苦労ってのは一生続くんだろうなあ。

2001年02月03日(土) 笑いの王国/『かめくん』(北野勇作)ほか


2002年02月02日(土) ファンタジーの地平に/映画『ハリー・ポッターと賢者の石』/『バイリンガル版 ゲゲゲの鬼太郎』(水木しげる)

 朝っぱらから寒い中を出張。
 ……と思ってたら、それほど寒くはなかった。外での仕事なんで、寒いとトイレが近くなって困るんである。
 半ドンで仕事を終えて、出張先までしげに車で迎えに来てもらう。
 携帯の電源を切ってたんで、しげが連絡がつかないやん、と文句を言うが、切ってたのはちょっと周囲の事情があってベルを鳴らされたら困る、ほんの10分程度の間だ。
 間が悪かっただけなんだからそんなに怒るなよう。

 でも気分はなかなかに高揚している。
 今日こそは……今日こそは……、ついに、あのっ! アレを見にキャナルシティに行くのであるよ。
 「道がわかんねー」と叫ぶしげに地図を示す。
 「……真っ直ぐ行って、一回曲がるだけじゃん」
 基本的に「地図を読む」という行為が、しげにはできないのではないか。

 キャナルに着いて、映画の時間を見ると、もう少し余裕がある。
 ラーメンスタジアムを覗いてみたが、一時期ほどの大混雑ではないが、それでもどの店も結構な長蛇の列。
 諦めて、河岸を移して、某和食の店に入る。
 しげはカツ丼、私は貝汁定食を頼む。
 この貝汁の中のあさりが、どういうわけかやたらと砂を噛んでて、食うたびに口の中でじゃりじゃり、音がする。
 しげはこれが嫌いで貝類は一切食べようとしないが、これも一つの味わいなんと思うんで、日頃の私はあまり気にしてない。でも、ちょっと今回のはいくら何でも多過ぎ。何しろ砂の入ってない貝が1個もなかったのだ。
 も少し、砂出しに手間かけてほしいよな。ちゃんと一晩塩水に浸しといたのかなあ。


 映画『ハリー・ポッターと賢者の石』。
 さてさて、やっと見てきた超ヒット作であるが、誉めようと思えば誉められるし、貶そうと思えばとことん貶すこともできる、なんとも困った映画なんであった(^_^;)。
 つまり、良くも悪くもファンタジーとしてはスタンダードなんだよね。『寅さん』や『水戸黄門』を今更、貶してどうする、みたいな感じかなあ。

 ストーリーを紹介するのは、この日記の趣旨じゃないんで、多少はしょるけど、いじめられてる継っ子が、実は魔法使いの子だと分って、魔法学校に入ってメキメキ頭角を表す、そんでもって、因縁のある悪の魔法使いの復活を阻止するって話。
 おお、すごい、数行で『ハリポタ』の全てを言い切ってしまった(^.^)。
 『ハリポタ』否定派は、この余りに単純過ぎる設定にあきれかえったってところも大きいのだろう。
 この、大ヒットはしているが、徹底的な批判者もいるという状況、“あの時”と実によく似てる。状況が似てるのは当たり前なんだよね、だって、その「映画」自体、この『ハリポタ』と内容がそっくりなんだから。
 お気づきの方は多かろう。ネットを検索してないのでよく知らないが、同じ指摘をしている人も多いのではないか。『ハリポタ』は、その構造において、1977年の『スター・ウォーズ』と全く同じなんである。
 ともかく、映画公開前の情報がやたら飛び交ってて、「すごい、おもしろい、革新的!」などと煽りに煽られ、いざフタを開けてみたら……「なにこれ?」という状況まで同じってのはなんだか悪夢的ですらある。人間って、何十年経っても全然進歩しないんだよなあ。
 もちろん、『スター・ウォーズ』を否定するつもりで言ってることじゃない。あれはSFじゃなくてファンタジーだというのは、公開当時も言われてたし、ルーカス自身も近年そう主張していたことで、今更そのSF性とかを否定したってしかたがない。
 この「なにこれ?」というのは、「ファンタジーとして余りにもスタンダード」いう謂にほかならない。けれど、定型には定型の価値はあるので、それを一概に否定していいものではないってことはあるんだよねえ。

 ハリー・ポッターは『みにくいあひるの子』であり、『シンデレラ』である。
 預けられたダーズリー家では、徹底的にこき使われ、いじめられる。
 しかし、11歳になった時、「魔法学校」からの案内状が来る。彼は悪の魔法使いヴォルデモートの魔の手から唯一助かった、伝説の男の子だった。
 この「実は高貴の出」というのは、厳然たる身分社会において、一つの理想物語として描かれつづけてきた、貴種流離譚の定型である。
 どんなに努力したって、身分の壁がある限り、報われることは決してない。もしあるとすれば、実は自分が高貴の出であるという、自分でも知らない運命が発覚した時だけだ。そんなはかない夢にしか、かつての西欧の人々は希望を託せなかった。
 この「努力よりも血」という発想、民主社会が現実のものとなった現代ならば否定されてるかというと、そんなことはない。やっぱりいくら努力したってある程度以上にはいけないという「限界」はちゃんと残ってるんである。
 だからなんとゆーか、『ハリポタ』つまんねーぞ、とは簡単には言いにくいのよ。だって、だれだって、「こんなに苦労してるのに、生涯報われる日なんて来ないんだ」って思って生きてたくはないじゃん。たとえ根拠なんてなくっても、「いつかは僕にも」「いつかは私にも」って、希望をもって生きてたいのよ。
 努力して努力して苦しんで悩んで、そんな物語なんて、自分と重なりすぎてて見てたくもない。映画は夢でしょ? 自分の夢が努力せずに叶えられた方がいいじゃない。だって、これまで散々苦労はしてきたんだから。これ以上、苦労なんてしたくない……。
 だから、ハリーがいじめられるのは10歳まで。
 あとはもうトントン拍子である。ルーク・スカイウォーカーも、たいした努力なしにあっという間にフォースを使いこなしちゃったけど、あんなの見てると、宮本武蔵の終わりなき求道がバカみたいである。
 最後には努力タイプのハリーの女友達、ハーマイオニーに、「私はただの優等生、本当に便りになるのはアナタよ、ハリー」なんて言わせちゃうんだから。
 こんな「努力したって無駄」「なにもしなくても力が手に入ったほうがいい」的な物語に熱狂してしまうほどにアチラの人々の精神は疲弊しきってるんである。

 映画が公開されて、一部のクリスチャンが、「魔法の肯定はキリスト否定である」と、『ハリポタ』を焚書したような報道があったようだが、日本では「アホか」みたいな記事でも、アチラじゃ結構深刻な問題ではなかろうか。
 神様を信じても救われない、直接自分が力を持てた方がいい、ってとこまで人々の心が変化しているのだと見たら、そりゃ、クリスチャンにとっては脅威だろう。

 そういうキリスト教社会の限界が実感できない私にしてみれば、『ハリポタ』を完全否定まではしないけれど、もちっと「努力」の方にウェイトを置いた展開にならなかったものかとは思う。でないと労働者諸君は、ホントの意味で報われはしないじゃん。おいちゃん、悲しいよ。
 どこぞの書評には「努力した者も報われる展開がある」とか書いてるものもあるようだが、「も」であって「が」でないサビシサに、自分で書いてて気づいてないのかね。

 じゃあ、振り返って見て、日本でのヒットはなんなのか。
 やっぱりみんな、「努力なんてしなくて力が手に入ったほうがいい」と考えながらあの映画を見てるのか。
 ……無意識的にはもう少し複雑な気がする。
 もちろん、『堤中納言物語』や『山椒太夫』のような貴種流離譚が日本にもないわけではないけれど、それよりも我々庶民の生活に密着している日本のスタンダードは、「高貴なものに救ってもらう」パターンなんである。
 マジメに努力してれば、いつかは「水戸黄門」や「遠山の金さん」に助けてもらえるってことだね。
 だから日本人が感情移入するのは、初めはハリーでもじきにロンやハーマイオニーのほうに移って行くんじゃないか。
 いや、私はハーマイオニーに同情しちゃったよ。
 一番努力してるのに、結局おいしいとこはハリーに持ってかれちゃうんだもの。なんかねー、『エヴァンゲリオン』の惣流・アスカ・ラングレーがさあ、どんなに努力してもあのバカシンジに届かないときの口惜しさっつーか、『ガラスの仮面』で姫川亜弓が「所詮私は努力してるだけ、天才なのはあの子、北島マヤ」と歯噛みしてるシーンを思い出してさあ、少しはハーマイオニーに気を使ってやれよ、せめて最終対決のシーンでは、ハリー、ロン、ハーマイオニー、三人揃って悪い魔法使いに対抗させろよ、と言いたくなっちゃったもんね。

 この三人の間柄も定型だよなあ。
 トム・ソーヤーとハックルベリー・フィンとベッキーというか、コナンとジムシィとラナと言うか。するってえと、ハグリッドはダイス船長か。
 となると、宮崎駿がこの『ハリポタ』を見てどんなことを言うか、ちょっと聞いてみたいように思うが、おそらく『スター・ウォーズ』をこき下ろした時と同じようなことを言うんだろうな。
 曰く、「人種差別映画」と。
 メタファー変えれば、これ、「ボクは黒人だけど実は白人だったらいいな」物語だもんね。ディズニーがそうであるようにね。
 しかし、その宮崎駿が大っ嫌いなタイプの映画を見にいく人間は、おそらく『千と千尋』に行く人間と、大半が重なってると思うんである。宮崎さんも、「『ハリポタ』ヒット」の報には複雑な心境かも知れない。

 しかし、ファンタジーなんて見たこともない、という初心者には、この程度のスタンダードであった方がとっつきやすかろう。
 「『ハリー・ポッター』おもしろかったあ!」という女の子がいたら、「もっとおもしろい本、教えようか?」と言って、ル・グィンの『ゲド戦記』を読ませてコマすっちゅう手はあるし(と言いつつ完結編、まだ読んでねーや)。
 あ、もちろんJ.R.R.トールキンの『指輪物語』や、C・S・ルイスの『ナルニア国物語』『別世界物語』、ジョージ・マクドナルドの『リリス』などてもよいです。
 リリアン・スミスが主張するように、ファンタジーは作品の構造なのではなく作者の思想・人格とイマジネーションに起因するものなのだ。多分、ローリング女史よりは彼ら・彼女たちのほうがより深い洞察を人間に対しているとは思う。
 
 
 帰宅して間もなく、宅配便。
 しかも結構かさばる大きさ。
 んなもん、何も注文した覚えがないので、なんじゃらほいとラベルを見ると、「エアーベッド(ダブル)」の文字。
 ……何、これ?
 思わず、しげの方を見る。
 「通販で買っちゃった、てへ(はあと)」
 「『てへ(はあと)』……って、いくらしたんだよ!」
 「高くないよ、○○○○○円」
 「高いわあ!」
 全く、人にDVDだのなんだのとムダ遣いするなと、散々うるさく言ってやがるクセに、自分が買い物する時は相談もなしかよう。
 あ、あの、一つ注意しておきますが、しげが「ダブルベッド」を買ったからと言って、そこに「深い意味」を感じ取ってはいけません。
 しげはただ単に、「自分が広い布団で寝たい」。それだけです。
 それだけなんですよ。
 とほほ。
 (T^T)(^T )(T )( )( T)( T^)(T^T) ヒュルルルル……。


 マンガ、水木しげる著、京極夏彦 監修・装幀、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 ゲゲゲの鬼太郎 GeGeGe−no−Kitaro』(講談社・998円)。
 一時期、マンガの英語訳が流行ってたが、ああいうのは実際に海外でどの程度出版されたんだろうか。士郎正宗なんかが海外でもカルトな人気、とか聞いたりはするけれど、「ほかのに比べりゃ」みたいなレベルらしいし。
 日本のマンガはやはり独自の発展を遂げて独特の文化を作り上げている。それに直に触れる機会が多くあって、馴れていなければ、読んで楽しみ、正当に評価することは難しいだろう。
 それが、いきなり『鬼太郎』である。
 水木しげるがアメコミ調のマンガを描いてたのは貸本時代までだ。『鬼太郎』を少年マガジンに描くころには、もう、あの独特な飄々としたセンにかなり近くなっている。

 英訳されたのは『ゆうれい電車』に『大海獣』。
 妖怪退治ものをあえて外したのは、鬼太郎の多彩なイメージを初めから海外の読者に固定されたくないという配慮からだろうか。でもこの二作、ねずみ男と鬼太郎の仲がいい作品なので、キャラクターどうしの絡みよりも話の面白さで選んだというところなのかもしれない。
 英訳本となれば、日本語独特の表現がどう訳されたかということが気になるところだが、『鬼太郎』の場合は当然「お化け」「妖怪」である。
 『ゆうれい電車』では“ghost”、『大海獣』では“goblin”と、訳し方を変えている。
 京極夏彦の解説では、更に、“monsters(怪物)”、“spirits(精霊)”、“ghostlike creatures(幽霊のようなもの)”、“demons(悪魔)”、“godlike entities(神様のようなもの)”という解説を加えている。……確かに、砂かけ婆あや塗壁を外国人に説明するのは難しそうだ。

 ほかにも、「ほうほう」と頷く訳、首を捻る訳などあって面白い。
 「線香」は“bearning sticks”。でも、この訳だけじゃなぜ棒が燃えてるのかわかんないんじゃないかなあ。あれってもともとは死体の腐臭をごまかすためだったんだね。
 「お守り」は“good−luck charm”か。でも向こうじゃ蹄鉄みたいなもんじゃなかったっけ。携帯用の「お守り」ってのとはこれもちょっと違う気がするが。
 「ねずみ男」は“Ratman”。当たり前だけど、ちょっとカッコよく聞こえちゃうなあ。夜の町で正義を守ってそうだぞ。
 「大海獣」が“leviathang”というのは、なるほど、ではある。
 単に“sea monster”なんて訳すより、気が利いてる。このマンガでは鯨の先祖「ゼオクロノドン」(正しくは“zeuglodon<ゼウグロドン>”であることが今回の英訳で分った。水木さん、結構こういう用語の転記ミスは起こしてるんである)ということになっているが、もちろんその造型は実在したそれよりも、はるかに「妖怪」的である。
 けれど、これまでに発表されたイラストやゲームに紹介されている「レヴィアタン」あるいは「リヴァイアサン」のイメージと大海獣とでは、かなり隔たりがないだろうか。私が見たことがあるのは、巨大魚、怪竜、海蛇、あるいはタコである。……と思って、念のためネットで調べてみたら、「くじら」とい説もあるのね。つまりは伝説性が高く、固定されたイメージというのはないということなのだろう。

 広告でほかの英訳マンガも掲載されてるが、そのタイトルが結構凝ってるんだねえ。
 感心したのは、『ひみつのアッコちゃん』。“Akko−chan’s Got a Sectet!”だと。原タイトルより「どんなヒミツなの?」と聞きたくなるね。

2001年02月02日(金) ゆっくり休もう/舞台『人間風車』ほか


2002年02月01日(金) 餃子、餃子、餃子〜、餃子を食べぇよおー♪/『真・無責任艦長タイラー�ァ”�活編』(吉岡平)/『東西奇ッ怪紳士録』(水木しげる)ほか

 血便が止まったと思ったら、また復活。
 なんだかもう、一生付き合うしかないのかって気になってきたなあ。いや、血を出すのは一向に構わんのだが、このなんとも言えないカラダの重さっつーかダルさっつーか、眩暈が何とかなってくれりゃあいいのだが。

 仕事が片付いて、帰ろうとした瞬間に仕事が舞いこむ。
 別に仕事をするのは構わんのだが、どうしてもう少し早目に連絡してくれないものかな。何かこちらが帰るのを見透かして、その直前にイジワルでもしてるかのようだ。
 「今日は時間通りに帰れるよ」と連絡して、しげを呼んでおいたのに、職場を出たのは10分遅れ。しげ、私をウソツキ呼ばわりする。……でも、いつも叱られてるからって、こういう時だけ怒鳴り散らすって、なんか人間がせせこましいよな。

 アニメ『クレヨンしんちゃん』見る。
 今日は「ドアが壊れちゃったゾ」「こっちのおイモが食べたいゾ」の二本。
 毎週、安心して見られるアニメなんて、本当に『クレヨンしんちゃん』くらいしかないが、それはシンエイ動画が長年の経験でちゃんとスタッフを育ててきた成果であろう。単に無難に仕事をこなすんじゃなく、スタンダードの中にスタッフの個性が光っているんである。作画監督ごとの味わいを楽しめるのも、『うる星やつら』以来じゃなかろうか。
 そんなことをつらつら考えてたのも、Aパートの作画が、思いっきりデフォルメされてたから。何しろみさえの目とシワの区別がつかないくらいで(^^)。
 こりゃてっきり、湯浅政明さんの仕事かと思って、スタッフ表を見てみたら、作画監督は大塚正美さん。ああ、そうだった、大塚さんも極端なデフォルメする人だったっけ、と、まだまだ未熟な自分のオタク度に赤面。しげには「間違えたやん」とバカにされるし、やっぱりもっともっとアニメを見ないとなあ。


 『ミュージックステーション』について、この日記に書くことはあまりしてないが、ちょくちょく見ちゃいるんである。
 ただ、アイドルの名前も曲のタイトルも、もう覚えきれなくなっちゃってるんで、日記に書こうと思っても、「ええ〜っと、なんか女子高生の格好してメガネかけた金髪の女の子が踊りながら歌ってたんだけどかわいかった」みたいなアホな文しか書けないのである。まあ、実際、アホだから構わんと言えば構わんのだが。
 じゃあなぜ今日は書けるかといと、「観月ありさ」が、『ヒカルの碁』のエンディングソング、『ヒトミノチカラ』を歌ってたから(^^)。
 あ、曲はいい曲ですよ。
 あともう、二、三週したら、詞も覚えて、カラオケのマイ・レパートリーに入れるつもりです(何をそこまで一所懸命になってるのか)。
 でも、なんかもー、端切れをベタベタくっつけたよーな衣装に、ドレッドにし損なったようなヘアスタイルで、もうオジサンの私にはこれのどこがいいのか皆目見当がつかない。それよりもなによりもムチャクチャ太ったぞ観月ありさ。
 その二重顎はなんなんだ。『ナースのお仕事』映画版の仕事はちゃんとやれてるのか。もっとも、私は『超少女レイコ』には引っかからなかったので、観月が満月になろうが別にかまわんのだが。


 しげは、今日は仕事が早上がりだというので、1時を過ぎて、ブックセンター・ホンダに行く。で、一緒に食事。どの店に入るか、いつもひと悶着があるのだが、今日はしげに目算があったらしく、すんなりとリンガーハットへ。
 ただし、入ったのはしげが働いてる空港通店ではなく、諸岡店の方である。……やっぱり自分の同僚が働いてるとこにノコノコ食事にゃ行きづらいわな。

 リンガーハットでは、1月10日から、「ひとくち餃子」のキャンペーンをやっている。
 しげが大の「肉」好きであることは、この日記にも何度となく書いているが、中華料理に関しては「餃子」フリークである。実際、しげのお眼鏡に敵う餃子はなかなかない。
 なのに、思いっきりチェーン店の大雑把な味であるリンガーの餃子がしげの好物ってのは、ちょっと首を捻りたくはなるが、私も新発売の餃子があると聞けば、一つ食してみたいとそぞろに心は動く。
 というわけで晩飯は餃子に決定。
 なんでも西日本限定のフェアらしく、「関東・関西・中京地区の店舗では『ひとくち餃子』は販売しておりません」とのことである。関東方面にお住まいの方にはゴメンナサイ。
 ……いや、うまかったんだわ、これが(* ̄∇ ̄*)。
 味が3種類用意されていて、さて、どれを選ぶか迷う。
 「ホットマヨネーズ味」、餃子にマヨネーズ? と訝られる向きもあるかもしれないが、タコ焼きにだってマヨネーズをかけるのだから、餃子に合わないってことはない。容易に味が想像できるし、ハズレでないことは確か。
 「特製からかじゃん味」、唐辛子と赤いパプリカを使った、ホットなソースということだけれど、昔は辛党な私だったが、最近はそうでもなくなった。ちょっと迷うところだ。
 「みそダレ味」、さあ、これがちょっと想像がつかない。純正赤すりみそを使用ってことだけど、濃いみそ味だと、餃子の味をかえって損ないはしないだろうか。
 結局、無難に「マヨネーズ味」。
 餃子の焼き加減も固からず柔らかからずちょうどいい。
 もっとも、確かに一口サイズで小さいのだが、いくつか皮がくっついてて、二個、一緒に食べなぎゃならなかったりする。普通の大きさの餃子だったら、皮がくっついてても自重で離れるので、二個同時に頬張ることはせずにすむのである。小さくするならちゃんと離れるように焼けよな。
 けれど、味は、マヨネーズが餃子の香ばしさを引きたてていて、頗る美味。こりゃあとを引くねえ。
 フェアは2月末までらしいので、あと2回は来て、残りの味を確かめてみたいものである。

 「ひとくち餃子1皿ご注文ごとに、引換補助券1枚差し上げます。3枚集めれば、もれなく“ひとくち餃子一皿”をプレゼント」というキャンペーンもやってて、ちょっとほしくなる。
 餃子柄の皿なんて、手に入れてどうする、と言われそうだが、なんであろうとオマケには弱い性格なんであるよ。


 コンビニで、買い物ついでに『少年ジャンプ』を立ち読み。
 『ヒカルの碁』、とりあえず今週で一応の区切りということらしい。
 でも、原作者のほったゆみさんは、本来、ここで最終回にするつもりだったんじゃないかな。それを編集部から延長を要請されたってとこじゃなかろうか。
 「佐為編」終了、なんて書かれてるけど、じゃあ、次からは別の幽霊が現れるのか(^^)。まあ、そんなことはないだろうけど、ここですっきり終わってんだから、引き際を考えたほうがいいと思うんだけどねえ。
 結局、『ヒカ碁』もクソつまらんジャンプシステムの中に取りこまれちゃうのかなあ。そうならずに、更に面白い「第2部」を作ることが出来たなら、これは本当に漫画史上に残る名作になりえると思うんだけど。


 吉岡平『真・無責任艦長タイラー�ァ”�活編』(エンターブレイン/ファミ通文庫・672円)。
 表紙のアザリンちゃんとユーミ&エィミィは吉崎観音さんのイラスト、口絵と本文の挿絵は藤本秀明さん。
 基本デザインは吉崎さんなんだけど、やっぱり全然イメージが違うんで、ちょっと戸惑う。吉崎さんの女の子、みんな「ナナ」になってる。もうちょっと顔の区別がつくように描けないものかな。
 よく見ると、吉崎さんと藤本さんじゃ、ユーミとエィミィのホクロ&タレ髪の位置が違ってるぞ。マニアはそういう些細なところまで見るから気をつけておかないと。

 ようやく「パコパコ」だったタイラーの意識が復活。
 けれど、一度ロボトミー手術を受けた者が再生するって、ちょっとムチャじゃないか。まあ、「タイラー」にいちいちリアルを求めても仕方ないのかも知れないけど。
 前回も書いたけれど、最初の小説版は「ギャグ」だったからいい加減な設定も許せたのだ。小説としての完成度をあげようとして、フィクションとしての面白さを減じてる点、もちっと注意してほしいんだけどねえ。
 それはそうと、ユーミとエィミィが出て来た途端、私のアタマの中には、「かないみか」さんの声がポン、と出てきてしまった。どうしてもアニメにイメージが引きずられてるんだよなあ。アザリンは当然、笠原弘子だし。だからアザリンちゃんがタイラーに一糸纏わぬ姿でせまるシーンなんか、どうしても笠原弘子の声がダブって……ああ、イカンイカン、また妄想が。 


 マンガ、藤島康介『ああっ女神さまっ』23巻(講談社・460円)。
 ずいぶん前に買ってたんだけど、すっかり本の山の中に埋もれてて、読み忘れてた。
 螢一のとうちゃん&かあちゃんの登場だけれど、息子や娘に、桂馬さん・鷹乃さんと呼ばせる親ってのもちょっとなあ。
 「肩書きで呼び合うほうが個人の人格を認めていないみたいでいやだ」という理屈は、一応理解はできなくはないが、ムカッとくる読者もいるんじゃないかな。たいていの家庭じゃ「とうさんかあさん」と呼ばせてるんだろうから、これ、結果的にそういう家庭をバカにしてることになってんだけどね。
 もっとも、『女神さま』の作者も読者もそんなことに気がついてないってことなのかもしれんが(←おまえが一番バカにしとるわ)。
 そういう家庭環境を出すのならそれはそれでかまわんのだが、あまり簡単に「理由」を語らせるべきじゃないのだ。螢一自身がそういうバカなキャラクターだって思われるぞ。


 マンガ、和田慎二『ピグマリオ』8巻(メディアファクトリー・819円)。
 クルトの母は実は……というのが今回解ったヒミツ。
 ……ならガラティア母さんは? 
 実は同一人物とか、光の面と闇の面とか、生き分れの姉妹で子供を取りかえっことか、まあいろいろ理由はこじつけられそうだな。なんだかファンタジーというより、新派の田舎芝居みたいになりそうだけど。
 もしかして和田慎二、その場その場の思いつきで設定考えてないか? アスナスはどんどんマザコン野郎になってくし、マリウスはまんま十三代石川五右衛門になっちゃってるし。どう収集つけるつもりなんだか。
 新しく出て来たメデューサの三姉弟も、いかにもザコキャラっぽい。
 つーか、和田さんのマンガの弱点は、心底怖い敵を造型する筆力がないところなんだけど。おかげでどんなにクルトが敵に苦しめられても「こんなチンピラに主役がやられるわけないよな」という感想の方が先に立っちゃうのだ。
 しかも今度の敵、「天空の城」だと。
 ……ああ、なんて貧困なイメージ。それをまた大仰に描くからますます白ける。もう少しオリジナルなアイデアってものがこの人にはないのか。
 せめて、「ピグマリオ」の謎だけはキチンと解いてほしいもんだけどねえ。


 マンガ、水木しげる『東西奇ッ怪紳士録』(小学館文庫・750円)。
 奇人伝、というヒソカなジャンルがある。
 いや、ヒソカというわけではないが、歴史のオモテに華やかに登場してくるわけではないが、そのヒトの珍妙な性格や奇行などが自然、世間の言の葉に乗って、風評として伝わる。それを収集したものと言えばよかろうか。
 この発想は、おそらく司馬遷の『史記』の『列伝』あたりから、連綿と続いている伝統でもある。王侯貴族のような著名人よりも名もない人物にこそ目を注ぐ、対象は哲人・賢人である場合もあるし、ただの刺客である場合もある。風評がもとになっているためにその姿は虚実皮膜、しかしだからこそ面白い。たとえ虚偽が混じっていようが、「彼はこれこれしかじかな人物である」と世間が思いたい「理想の姿」がそこには描かれているのだ。
 それを確かめていく行為は、まさしく、民俗学や考現学や“裏”モノ見聞にも通じるものであり、唐沢俊一氏が『すごいけど変な人×13』を書かれたのも宜なるかな、であるわけだ。

 奇人、奇人を呼ぶ。
 水木しげると言う当代随一の奇人による奇人伝、これまでにも南方熊楠などを取り上げていた氏であるが、ついにと言うか当然と言うかようやくと言うか、本格的に奇人伝に乗り出したのが本書。これが現在の『神秘家列伝』につながるわけである。

 風来山人こと平賀源内(彼自身が奇人伝の最高傑作、『風流志道軒伝』をモノにしている。もちろん中味は実在の志道軒とはほとんど関係がない)。
 二笑亭主人・渡辺釜蔵。
 アドルフ・ヒトラー(水木氏がヒトラーの伝記を描くのは二度目だ。もちろん「奇人」としてのヒトラーを描くのである)。
 創作か事実も混じっているのか、アフリカ・サンガ村のボロタハム氏。
 フランスの妖怪城主シュヴァル。
 鳥人幸吉。
 この脈絡のないセレクションがスバラシイ。

 個人的に好きなのが水木氏を中心とした『貸本末期の紳士たち』。
 多分、昭和40年かそれより少し前の時代の物語。
 ちょうど私が物心がついたころのことだ。
 熱烈な水木ファンなら、『ゲゲゲの鬼太郎』ほかの水木マンガに登場するキャラクターが、実在の水木氏の友人たちをモデルにしていることをご存知だろう。

 つゆき・サブローこと杉本五郎氏(本名は露木三郎だそうな。ややこしい)。
 マンガ家でありアニメーターでありフィルムコレクター、古書コレクターとしても著名、かつ、唐沢俊一氏のお師匠さんでもある氏であるが、水木マンガに登場する時はあの「吸血鬼エリート(霧の中のジョニー)」。
 水木さんの似顔絵は実に大胆な線にもかかわらずそっくりなんだが、氏もホントに「エリート」そっくりである。水木さんのご友人の中では珍しくおカネもちであったらしい。
 氏のマンガで今、入手できるのは、『QJマンガ選書06・寄生人』(太田出版)しかない。しまった、まだ買ってなかったなあ。

 メガネで出っ歯の山田こと桜井昌一氏。
 私は、『悪魔くん(『千年王国』)』の蛙男も桜井氏がモデルじゃないかとニランでたが、桜井氏との会話の中から『悪魔くん』のアイデアが生まれたことを、今回、明かしている。「小切手は持っているが現金は持っていない」といういかにも胡散臭い貧乏クサさがいいなあ。このマンガは氏が兎月書房にいたころだろうか。夫婦喧嘩でよく奥さんに殴られてたみたいだ。

 マンガ家・宇田川マサオ。
 本編では「歌多川雅男」とちょっと名前を変えて登場。
 さすがにこのヒトのマンガは私も読んだことがない。『ばったり侍』というのらしいのだが、多分1960年前後に出版されて以来復刻はされてないのだろう。かつては紙芝居で当てておお金持ち、今は四畳半のド貧乏でも「希望」だけは妄想並みにある。それがかえってモノガナシイ。
 顔はまんま「妖怪いやみ」。この「いやみ」というキャラクターも水木さんはお好きらしく、三度も鬼太郎と戦わせている。

 ネズミ男・上田。
 『ねぼけ人生』によれば、「山田円太郎」というのが本名だそうだ。やっぱり少女マンガを描いたリしてたらしいが作品名は不明。ネズミ男の描いた少女マンガって、錯綜して入手したら結構な価値にならんかなあ。本編中ではやっぱり貧乏だが、後に印刷会社の社長に収まったそうな。成功したネズミ男というのも「合わない」ようだが、何となく果たせぬ夢が果たされたのかな、という気がして、ちょっと嬉しい。

 黒洋万平。
 名前を変えても容貌ですぐに分る、言わずと知れた「白土三平」である。
 『忍者武芸帳』が三千部売れただけで貧乏仲間から大富豪扱い、というのが笑っていいのか切ないのかってところだが、その怪異な容貌はやはり見るだけで「奇人」だとしか言えない。プラットフォームのベンチでホームレスのように眠ってたのも実話だったんじゃないか。

 つげ義春。
 このころ家賃を2年ほど溜めてたとか。
 水木さんのアシストをしていたというのは有名だが、女の子を描くのが苦手な水木さんの代わりに描くことも多かった。絵柄が変わっちゃって、今はつげさんもあのころの可憐な少女の絵は描けなくなっている。奥さんの佐々木マキさんと一緒になって、おカネもちにはなったようだけども。
 「つげさんどうして上にのびるんです」
「いま三畳にいますから。どうしても上と下にしか空間が残されていないのです。横は荷物でいっぱいです」
 だったら私も、上に伸びてたはずだが。大学時代はそんなとこに住んでたし。
 いや、子供のころは裸電球の下、親子三人で横に並ぶことも出来ず、父はモノ置きに寝ていた。タテにしか伸びようがなかったはずなのになあ(^_^;)。

 そうだ。
 あのころはみんな、みんなが貧乏だったのだ。
 貧乏だったけど、楽しい時代だった。水木さんのいうようにオモチロイ時代だったのだ。……だめだなあ、すっかりオジサンは昔を懐かしむようになっちゃったよ。
 涙。

2001年02月01日(木) だ〜れだ?/舞台『菜の花の沖』



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藤原敬之(ふじわら・けいし)