無責任賛歌
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記




ホームページプロフィール掲示板「トーキング・ヘッド」メール
藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2003年05月31日(土) 追い込み日記/サボっていた男

 朝から久しぶりに通院。前回から数えてみるとほぼ半年ぶりではなかったか。
 サボるにしてもほどがあるというものであろう。
 案の定、主治医からはキツク叱られる。クスリの効果があったかどうかも、これだけデータが飛んでいてはわかるものではない。来月はちゃんと通院することを約束する。

 帰りにマルキョウで買い物。トイレットペーパーがなくなっていたので、まずはそれを買うが、食料も大量に買い込む。カレーやスパゲティなど主に非常食であるが、月末はたいてい非常事態になるので必要食となるのである。

 しげは夜、仕事があるので、風呂に入って寝る。
 私は買い置きの弁当を昼飯にして、あともうちょっとで追いつく日記の更新。鍋屋さんに頂いた『キノの旅』のDVDをやっと見る。未見の2話、3話、どちらもよく出来ている。キノに撃ち殺されたウサギの作画が悲壮感漂う見事なもの。もちろんこれは「人間の命も動物の命も等価」と見る者に認識させるための演出であろう。……やっぱこれ、DVDを買わないとなあ。

 よしひと嬢、夕方より来訪、先週に続いてのお泊まりである。
 今日は、ミッシェルガンエレファントのコンサートを見に福岡まで来られたのだが、最近のバンドはどんなものだか私にゃよくわかりません。
 先週はお疲れだったので何のDVDも見せられなかった。今日は『カレイドスター』『キノの旅』などをお見せする。

 定例チャットはヨナさん、鍋屋さん。
 ようやく鍋屋さんと『キノの旅』の話が出来る。予想はしてたが、原作ファン、アニメファンとの間で、『キノ』の人気は賛否両論、分かれているそうな。再はあるが、結構よく出来てると思うんだけどなあ、アニメ版。


 マンガ、丸川トモヒロ『成恵の世界』4・5巻。
 もしかして私が成恵にハマったのは、彼氏がオタクでも気にしないココロの広さゆえであろうか。嫉妬心は強いけど、まあこれは女のアクセサリーのようなものであろう。ただ、私には彼女にコスプレさせて喜ぶ嗜好はないのである。念のため。
 それにしてもパンチラの多いマンガだな、これ。わざわざ八木ちゃんオトナにしてまでパンチラ披露するかね。中学生のままじゃダメなんか(そっちは成恵の専売特許とか?)。
 えーっと、それから超ナマイキな人気声優「貝柱きりり」ちゃんって、なんかモデルがいるような気がするんですが気のせいでしょうか。「きりり語」使ってるあたりからの勝手な推測ですが、間違ってたらすみません。

2002年05月31日(金) 病気はハンデじゃないってば/映画『スパイダーマン』/『ミステリー民俗学者 八雲樹』1巻(金成陽三郎・山口譲司)ほか
2001年05月31日(木) 多分まだ20世紀は終わっていない/DVD『なぞの転校生Ⅱ』


2003年05月30日(金) 追い込み日記/懐かしの男

 職場への交通手段が変更になったので、通勤手当を支給してもらう関係から、新しく書類を書かねばならなくなった。これが実に面倒臭いのである。
 経路と交通手段と交通費を書かなければならないのはわかるのだが、いちいち地図を添付しなきゃならんのはどういうわけだ。しかも往路と復路では道が違ってるので、2枚も書かねばならないのである。
 でもって、苦労して書き上げた地図を持って、私が総務に持っていこうとしたと思いねえ。ところが、突然私は尿意を催した。昔の手術の失敗以来、私の括約筋はゆるんでいる。長くは持たないのだ。慌ててトイレに飛び込んで思う存分に放水。その間地図は口にくわえている。
 事件はそのとき起こった。
 私の目の前をコバエが飛んだのである。
 思わず私は口を開けた。ハラハラと舞い落ちる地図。一枚が見事に金魚鉢の中に……。
 私は贅沢は嫌いだ。日頃から節約を旨として生活している。紙一枚とてムダにしたくはないのだ。しかも極めて鷹揚なココロの持ち主で、細かいことには拘らないときている。
 そんな私が、添付すべき地図が「ちょっと」汚れたからと言って、わざわざ書きなおしたりコピーを取ったりできるだろうか。否である。
 というわけで乾かしてそのまま書類に添付しました。シワは糊付けしたときにできたものということで。
 ああ、なんてモノを大事にする私♪


 CS日本映画専門チャンネルで『あんみつ姫 甘辛城の巻/妖術競べの巻』、再見。昔はヘチャだと思ってたけど、こうして見ると雪村いずみもかわいいなあ。
 続けてアニメ版『おしん』。公開当時は「こんなもんアニメにしてどうする」と思って劇場までは足を運ばなかったんだけど、アニメとしてはムダに出来がいいんだよねえ。
 『柔の星』。主演が桜木健一でライバルが近藤正臣の柔道もの、と言えばどう見たって『柔道一直線』の映画化なんだけれど、権利が取れなかったのか原作に梶原一騎の名前はなし。それでも何とかテレビの人気番組にあやかって映画館に客を寄せようとする映画界のイジマシさ、このころからあったのだよなあ。それが逆に映画の斜陽を呼んだではないのかね。


 しばらく会ってなかった知り合いから電話がかかる。
 昔、その人が事件を起こして裁判沙汰になったときに、知り合い代表ということで私が弁護に立つことになったのだが、なんでよりによって引っ込み思案で寡黙な私に弁護を頼むかなあと思いつつ、慣れぬ熱弁を振るったのである。それが少しは効を奏したのか、判決は情状酌量のつく寛大なもの。当時は随分感謝されたものだが、それから当人は真面目に働くようになって、結婚もして子供も2人、元気でがんばっている(だから私は「一度事件を起こした者が更生するのは難しいという説は取らない)。
 電話は「今度3人目が生まれます」という報告で、今もこうして昔の縁を思い出して電話をくれるのが嬉しい。で、私の知り合いだからやはりオタクである。ひとしきり最近のテレビアニメの話なんかをする。「『ガッシュ』はいいでしょ」「作画がイマイチじゃないか?」程度の他愛ないもの。
 「また遊びに来いよ」と誘ったが、お互い忙しくてなかなか時間が取りにくいのが残念である。

2002年05月30日(木) タカリ女の言い分/『東亰異聞(とうけいいぶん)』1巻(小野不由美・梶原にき)
2001年05月30日(水) まるでNENNEのように/『帰ってきたハイスクール!奇面組』(新沢基栄)ほか


2003年05月29日(木) 追い込み日記/アカデミズムな男

 今朝しげから聞いた話では、しげのバイト先で、例の客あしらいのヘタな新人さんが、またトラブルをやらかしちゃったそうである。
 なんでも、注文を取り間違えたのを客に文句言われたら、「はあ? アンタが間違えたんだろう」とかなんとか言い返したらしい。
 怒った客と諍いになって、突き飛ばされて尻餅を突いたその新人さん、あろうことか親兄弟を呼び出して(その間に件の客は帰る)、店長さんにクレームをつけ出し、警察まで呼んだという。
 まあ、突き飛ばした客だって悪いと言えば悪いが、基本的にその新人さんの態度自体に問題があるのは誰の眼にも明らか。それを家族郎党(両親に姉さんだそうな)引きつれて店のほうに文句を言いにくるとはいったいどういう常識の中で生きてきた人々であるのか。
 世の中いろんな人がいるとは言いながら、あまり私生活でこういう類の人とは関わりあいになりたくないものである。でも、一定の確率でどこにでもいるんだよね。


 ようやく復活、出勤。
 まあ、予想していたことではあるが仕事が一気に押し寄せてくる。でもってこれがどうも再来週くらいまで続きそうなんだな。死ぬかもオレ。
 いやまあ、適当になんとかこなすつもりではいるけどね。

 銀行に寄らないとおカネを使い果たしているので、久しぶりにしげに頼んで帰りは一緒。なのになんだかしげの機嫌があまりよくない。
 「今日は中が悪い日とよ」
 「なんで?」
 「オレたちあんまり会わんほうがいいとよ。離れて暮らした方がきっと仲がよくなると」
 「今日は別に、会って何もケンカになるようなことしてないやん。お前が勝手に思いこんでケンカ吹っかけてるだけやろ」
 「今度からいちんち置きに仲が悪い日といい日、決めん?」
 言ってることが全然理解不能なのである。多分寝不足なのであろう。だいたいこいつは二、三日前も夢の中でオレにいじめられたと言って、現実の私に文句をつけるくらい理不尽なやつなのである。


 今日は仕事が遅出だというので、一緒にリンガーハットで食事。
 こないだ食べた冷麺セットゴマダレ味が美味かったからだが、しげもそれが気に入っているようだ。
 「けど、上の具は要らんと」
 つまりは麺とタレだけでいいということなのだが、それでホントに美味いのか? 
 「野菜は嫌いだとしても、鶏肉や卵は好きやろ」
 「煮卵は好かん」
 どこまでもワガママだが、ホントに「具は要りません」と注文したのには驚いた。店員さんもちょっと面食らってたぞ。
 私は普通に具入りを食べる。ついでにオデンも10本ほど頼んで二人で分けるが、予想通りしげは牛筋ばかり食う。豆腐も食えよ。


 夜のチャット、今日はあぐにさんも初参加。
 昨日の某先生の某日記で(^o^)、私らしき人物が話題になっていたので、いきなりからかいに来られたのであった。たまに顔出して下さったと思ったら、これだからなあ(^_^;)。
 その先生が某アニメ本の企画で、内外のアニメーションベスト20を選出されていたのだが、それが至極マットウな内容であったので、思わず感心して(でもって誤字もちょいとあったので)、「モノシラズの若い人への皮肉ですか?」みたいなこと書いてメールで送ったら、逆にその先生への皮肉かと取られたようなのである。
 日頃からアカデミズムを毛嫌いされている方なので、いかにも正統な作品ばかりを挙げてしまったことについては、ご本人もかなり気にされていたようで、私はイタイところを突いてしまったらしい。とは言え、その方がいかに嫌おうと否定したがろうと、その方の書きモノの根底に、極めて学究的な姿勢が見え隠れしていることは如何ともしがたいのである。ファンというものは残酷なもので、その作家の恥部をこそ愛するということもある。
 いや、別に知識や雑学は恥部ではないし、それが実はその先生の売りになってるんだから、いくら嫌ったって、自己否定になっちゃうだけなんだけどなあ。

 あぐにさんは某(今回「某」が多いな)ファーストフードの店でバイトしてらっしゃるのだが、客の傍若無人ぶりには結構閉口しているようだ。「店員が人間だと見なされていない」旨の発言もあったが、表向き身分も差別もないとされている社会にあっても(そう言われているからこそ)、実質的なヒエラルキーは自然発生してしまうのである。客へのもてなしは礼節の問題なんだから、「オレは客だぞ」って態度は自ら無礼を働いてることになるんだけど、まあそういう常識も通用しない時代になっちゃったんであるな。
 そのあともヨナさんも交えてマンガやアニメの話、ひとしきり。けれど12時にはきちんと切り上げる。健康的な生活を築こうとちゃんと考えているのである。


 『BSマンガ夜話』は最終日、『弥次喜多inDEEP』。しりあがり寿さんの作品は好きなものも多いのだが、『コイソモレ先生』とかこの『弥次喜多』とか今連載中の『メメント・モリ』とか、テツガクしちゃってるのはあまり感心しない。青臭いからである。四十過ぎたオトナの描くもんじゃないでしょ。
 高橋源一郎をゲストに迎えていしかわじゅんと「マンガの芥川賞だよねえ」とか言ってるが、「芥川賞的」ってコトバ、ニュアンスとして、「つまんないから誰も読まない」って意味も含まれてることに気付いてるのだろうか。
 昨日、一昨日は記録的なくらいに何百通も来ていたファックスが、今日は三通だそうな。さもありなん。
 しりあがりさんを取り上げるのはいいんだが、それが『エレキな春』や『おらあロココだ!』ではないところがNHKだからなのかなあ。そう言えば諸星大二郎のときも『妖怪ハンター』も『暗黒神話』も『孔子暗黒伝』も『西遊妖猿伝』も無視して、なぜか『僕とフリオと校庭で』だったものな。なんだかよくわかんない選定なんである。

2002年05月29日(水) 管理ってそういうことじゃなくてよ/DVD『絶叫屋敷へいらっしゃい!』/『ガンダムエース』7月創刊号ほか
2001年05月29日(火) ヒステリー・ヒストリー/『オサムとタエ 早春残光編』(村野守美)ほか


2003年05月28日(水) すっ飛ばし日記/耽美かヤオイな女たち

 夜更かしが過ぎたせいか、今日も仕事を休む。
 昼まで寝てたのも昨日と同じ。気持ちが鬱にならないよう、「明日は絶対仕事に行くぞ仕事に行くぞ」と自己暗示をかける。自分をマインドコントロールできてきるからここまでなんとかやってこれたんだろうなあ。
 
 『BSマンガ夜話』、ついに来たぞの『風と木の詩』。
 やっぱりチャットしながらの鑑賞だが、今日はヨナさん、鍋屋さんに加えて、こうたろう君(どういう意図があったかわからんが突然グータロウと改名した。チャットの中だけかそれとも今後全てこれで行くのか?)も参加。男4人でむさくるしいったらない(^o^)。
 雑誌を毎号追いかけるほどではなかったが、私も概ねリアルタイムで『風と木の詩』は読んでいる。まあどっぷりハマッてた女の子って、どこの学校にもいたから、やっぱり奨められるしねえ。
 この竹宮さん、萩尾さん、大島さんほかの24年組の登場が「少女マンガのスタンダードを作った。そしてそれまでの少女マンガを『古典』にしてしまった」とのいしかわじゅんの意見は、まあみんな言ってることではあるけれど、念を押すように確認しておきたいことである。私もそれを、当時実感しながら少女マンガを読んでた記憶がある。復刻されてはいるけれど、今や浦野千賀子の『アタックNO.1』とかは感情移入しては読めないもの。
 しかし、後の「やおい」に見られるように、ホモセクシュアルを扱った作品が『風と木の詩』のあとは、どんどん形骸化していったのも事実。なんつーか、元祖が元祖の枠を越えて昇華されちゃったものだから、模倣以上のものが生まれなかったって感じなのかね。言っちゃなんだが、今の少女マンガって、随分「安いところ」で手を打ってる作品が多いように思うんである。『フルバ』あたり読んでると、特にそういうこと感じますよ。
 それがイカンと言いたいわけではない。そればかりじゃジャンル自体が活性化しない、ということなのである。竹宮さん、萩尾さんを読んできた世代が新しくマンガ家になって、さて、時代を変えるほどのものを生み出してもいい頃合じゃないかって思うんだけどねえ。

 さすがに明日も休むわけにはいかないので、チャットは途中で降りる。管理人がケツまくったみたいで申し訳ないことでありんす。

2002年05月28日(火) 素敵なあなた(はあと)/CD『ぼういず伝説』/『コメットさん☆』DVDBOX2ほか
2001年05月28日(月) 才能がないなんて言い訳だ/DVD『チャーリーズ・エンジェル』


2003年05月27日(火) すっ飛ばし日記/メジャーかマイナーな男たち

 夕べ風呂に入って、つい眠りこけたら見事に風邪を引いてしまいました。だもんで、今日は仕事はお休みです。ああ、また仕事が溜まるなあ。
 昼まではずっと寝こんだまま。
 鼻水すすっても喉をやられても熱があっても頭痛と目眩と吐き気がトリプルアタックで攻撃かけてきても、パソコンの前には座る。せめて日記だけでも更新したいのだが、まあ、病状は悪化するわな(^_^;)。

 夜、なんとかがんばってチャットの番人。
 すぐに来られたヨナさんと、『BSマンガ夜話』見ながら『ファイブスター物語』についてなんだかんだと文句をつける。
 あれも面白いっちゃ面白いけど、いしかわじゅんも言うとおり、オタクマンガの域を出ないんである。『ねじ式』と『FSS』、どちらがメジャーかっての、岡田さんは「世代論」で切ってしまうけれど、そう単純に言えることでもない。
 ヨナさんも、「数十人集まった中で、つげ義春を知ってるのが自分一人ということがあった」と仰っていたが、それでも『ねじ式』や『李さん一家』や『ゲンセンカン主人』がメジャーであることに変わりはない。それは、我々が諺・故事成語の原典を必ずしも知ってなくても、日常会話でそれを使いこなしているのと状況はよく似ている。オチが「それから彼らがどうなったかというと」「実はまだそこにいるのです」パターンになってるマンガ、いったいどれくらいあるものか数えきれまい。『名探偵コナン』だって、青山剛昌はつげさんを一作も読んでないかもしれないが、やっぱり『李さん一家』チルドレンのチルドレンなのである。
 確かに『ねじ式』を若い人は読まないだろうけれど、文化的な広がりってのは、一つの作品が多数に受け入れられることだけではなくて、当人がそれと気付かなくてもいつの間にか間接的に影響を受けてるってことだってあるのである。
 今の若い読者が手塚治虫を読まなくなったからと言って、手塚がマイナーになったと言えるかどうか。いくら岡田さんが『FSS』はエポックメーキングな作品だと主張しても、そういった意味での影響力は極めて小さい。追随者がいないのである。
 つーかさ、あーゆー「設定病」に取りつかれた人って、普通はメジャーデビューできないのよ。同人誌ならともかくさ。『エルガイム』で一応名を売った経歴がなかったら、連載だって持ててたかどうか。
 私はだいたいいしかわじゅんと岡田斗司夫が対立した時には9対1の割合で岡田さんの方に付くのだが、この件に関してはいしかわじゅんの意見に賛成せざるを得ない。やっぱ大好きな作品についてだと、さすがの岡田さんも客観的な視点が持ちにくくなっちゃうんだろうなあ。
 けど、途中でほたらかしてた『FSS』、もう一度きちんと読みたくなってきたなあ。岡田さんの熱弁は決して一般のマンガファンに届くものではないだろうが、私が引っかかっちゃうというのはやっぱり自分にアニメオタクの血が流れていることを自覚せざるをえないのである。

2002年05月27日(月) また仕事休みました。/『コメットさん☆』DVDBOX/『ああっ女神さまっ』24巻(藤島康介)
2001年05月27日(日) 今度の芝居のキーワードは「裸」です/『ヨイコ』(岡田斗司夫・山本弘)ほか


2003年05月26日(月) すっ飛ばし日記/宍戸錠な男

 昨日録画した『玩具修理者』を見る。
 原作本もマンガ版も持っちゃいるのだが、今は本の山の中にお隠れになっておられる(^o^)。
 だもんで、話自体は今回が初見。……ってこれ、クトゥルー物だったのか。そう言えばそんなことどこかで聞いてたような気もするがすっかり忘れていた。
 ……そのころ、子供たちは、玩具が壊れるとこっそりと森の中の、「ようぐそうとほうとふ」のところに行って、玩具を直してくれるようにお願いしていた。「ようぐそうとほうとふ」は願いは必ずかなえてくれた。一眠りすると、壊れたおもちゃは元通りになっているのである。
 ある夏の暑い日に、その子は乳母車を押して、「ようぐそうとほうとふの森」にやって来た。乳母車の中の赤ん坊は、石段から落ちて動かなくなってしまったのだ。「ようぐそうとほうとふ、お願い、この子を直して。元のように歩けるようにして。笑ったり泣いたり、喋ったり、食べたりするようにして……」。しかしその子は知らなかった。「ようぐそうとほうとふ」は、お願いされたことだけしかしないということを……。
 “Yog Sothoth”を「ようぐそうとほうとふ」と発音するのは原作者の小林泰三さん独自のものじゃないのかな。普通は「ヨグ・ソトース」と表記されることが多いのだが。もちろん、クトゥルーの邪神たちは「発音できない綴り」を持っているので「これが正解」というものもない。私自身は一番最初に読んだ都筑道夫訳の『ダンウィッチの怪物』の「イオッグ・スートウート」ってのが気に入ってるんだが。
 ちなみにクトゥルーを都筑さんは「クート・ウ・ルー」と表記。これもなんだかヘンだけれど、映画の中では「くと・ひゅるるー」と発音。なんだかお笑いだが、「ようぐそうとほうとふ」の声を当てているのが美輪明宏なものだから、ヘンどころか切なく奥深く聞こえちゃうのがスゴイ。
 お話のオチはまあ、ありがちなんだけれど、期待してなかったわりにはいい出来でした。
 

 『別冊宝島 ブラックジャック完全読本』。
 ここしばらくのアニメ、ドラマ化作品についての資料は充実。web版のピノコを宇多田ヒカルが声アテしてたやつは私もチラッと見たけど、まあ、ブラック・ジャック、ピノコを作る時に声帯つけ間違えたんじゃないかって出来だったな。その意味ではリアルか(^o^)。
 でもやっぱり『加山雄三のブラック・ジャック』についてはコラムでちょっと触れられてるだけ。資料が散逸してるのか、何か権利関係が難しいのか、見ていたときは腹が立ったものだったけれど、幻の番組になっちゃった今は資料だけでも充実させてほしいものなんだけれど。

 ふとしげに、「お前、ピノコに似てるなあ。お前はオレのピノコだね」と愛の告白のつもりで言ったら、「アンタは宍戸錠に似てるね」と返された(知らない人のために念のため。宍戸錠も映画『瞳の中の訪問者』でブラック・ジャックを演じているのである)。なぜそこでお世辞でも「ブラック・ジャック」と言わんかな。ラブラブなムードがほしいとかしょっちゅう言ってるくせに、その雰囲気をぶち壊すのはいつもしげなのである。


 夜、ヨナさん、鍋屋さん、あやめさんとチャット。あやめさんは風呂あがりで参加。チャットがテレビ電話であったらよかったのに(^o^)。
 ホームページのトップページ、字が重なって見えると指摘を受けるが、さて、原因がよく分らない。ビルダーで作ってるときには全然問題がないんだがなあ。また少し弄くってみるか。


 今日からNHK『BSマンガ夜話』第26回シリーズ。今日は収録で福岡大学で5月11日に収録されていたもの。見に行こうかと思ってたんだけれど、気がついたら応募〆切に間に合わなかったので諦めたのだった。
 九州に合わせたのか、お題は松本零士の『銀河鉄道999』。毀誉褒貶激しいこの人を、比較的ソフトな口調でみなさん批評。やっぱり言われちゃうのは、あの巻紙とか描き文字とかメーターとか(^o^)、いろんな斬新なマンガ表現を開発したスゴイ人ではあるんだけれど、ともかく話が尻切れトンボなんだよなあ。
 私まだ、『ヤマト』と『ハーロック』のマンガ版の完結編、待ってるんだけど。アニメで結末つけてるからいいやって、マンガとアニメは別モノだろうに。
 それはそうと、メーテルの語源がなんだろうって、出演者全員が頭を捻ってたのにはビックリした。有名だと思ってたけどそうでもなかったんだなあ。岡田斗司夫さんがかろうじて「メーテルリンクからかなあ」と仰ってたが、その通りなんである。アニメシリーズ『メーテルリンクの青い鳥』も松本零士さんがキャラデザインしてたしね。星野鉄郎はいしかわじゅんが指摘してた通り、作詞家の星野哲郎からである。松本さんのネーミングって結構適当だからねえ。
 でも、会場からの質問で、「鉄郎やおいどんが食ってるラーメンは何ラーメンでしょう?」ってのには思わず首を捻ってしまった。九州のではなく、上京した時に食ってるんだから、トンコツではなかろう。塩か味噌か醤油か、東京では昭和30年代から40年代にかけて、どれが主流だったんだろう。なんたって「ラーメンライス」だものなあ。こんな炭水化物取りまくりのメニュー、誰が考えついたんだか。


 深夜アニメ、『花田少年史』を見たら、ちょうどオッパイ学生の幽霊編だった(^o^)。カラーで音楽が入るとより笑えるね。

2002年05月26日(日) マクド&マクド/『濃爆おたく先生』2巻(徳光康之)/『韃靼タイフーン』4巻(安彦良和)ほか
2001年05月26日(土) 恐怖! ウワバミ女の逆襲(完全版)/『人造人間キカイダーTRIBUTE』


2003年05月25日(日) すっ飛ばし日記/エロくて見せられない女

 夕べ帰宅したのが2時過ぎだったので、朝の特撮番組には間に合わず。
 『金色のガッシュベル』『鉄腕アトム』はなんとか見る。
 『アトム』はもう第8話。
 ロボット超特急「ネオンライツ号」の開通式に、アトムとお茶の水博士が招待される。ところがネオンライツ号には、ドクター・カトウ(七色いんこ!)によって、速度が700キロ以下に落とされると爆発する爆弾が仕掛けられていた。
 ……って、なんか『マリンエクスプレス』+『新幹線大爆破』みたいな設定であまり新味がない。これも該当する原作が思いつかないが(『白い惑星』?)、こういう単発読み切り的なエピソードで、全体のストーリーに特に関わらないやつは出来るだけ原作に近い形でやってほしいんだがなあ。でないと、「オリジナルなのに陳腐」って批判受けちゃいそうでね。
 声優は今回もネオンライツ号が古川登志夫でカトウが子安武人。古川さんはまあ、安心して聞けるんだが、子安さんがなんだかいかにもキテる感じの喋り方でさあ(まあキャラ設定がそうなんだから仕方がないが)、子供が見て「あの人、どうして爆弾しかけたの?」って親に質問したら、さあ、親はどう返事したらいいんだろ。昔なら「既知外なんだよ」のヒトコトですんでたから楽だったんだけどねえ。……子安さんもイロモノ色が年々強くなってきてるなあ(^o^)。
 あと、『ロボットボール』の回に出てたニャン子とそのパパが再登場(『電光』の時にもチラッといたよな)。準レギュラー化してるけど、原作のどのキャラに当たるのかがまたよくわからない。何かで見たような気はするんだが思い出せないんだよう。

 
 しげとよしひと嬢が練習に出かけたので、CS日本映画専門チャンネルの角川ホラー映画特集を連続録画。と言っても、パソコンで日記を更新しながら見てるので、中身は頭に入ったり入らなかったり。

 しげ、帰宅して鴉丸嬢から、お願いしていたホームページのイメージイラストをもらってくる。前に圧縮ファイルで直接写真に撮ったのを送ってもらってて、暫定的に載せてはいたのだが、当たり前の話だが、オリジナルの方がはるかに美しい。早速、載せるが、依頼したものの全部ではない。鴉丸嬢、筆は速いほうなのだが、結構リキを入れて何度も描き直してくれているらしいので、時間がかかっているのである。プレッシャーがかかっているのかな。普段はもう白昼堂々恥ずかしい話をしまくってるわりに実は繊細なところがあるんで、あまりせっつきたくはないのだが、こちらの予想以上にスバラシイイラストを描いてもらえると、やはりどうしても期待は大きくなっちゃうのである。
 ああ、もう小説の挿絵も、なんならマンガ版そのものも描いてもらっちゃおうかな……。
 とか考えてたら、しげがもう4枚、イラストを取り出して見せる。
 「なにそれ?」
 「前に鴉丸にもらってた4コママンガ」
 ああ、そういうのがあるならそれもホームページに載せちゃおうか……と思ってみたら……あの、エロ4コマでした(^_^;)。いや、プロのエロマンガ家を目指してるから、悪いこっちゃないんだけど。
 こりゃあ、さすがにそのまんまホームページには載せられない。摘発のネタはさすがに避けないとなあ。けど、こういうケッ作をそのまま埋もれさせるのももったいないから、キリ番ゲットした人にでも、プレゼントとして送ってさしあげることにしようかな。
 いやもう、開いた瞬間、凍りつくこと請け合いっスよ(^o^)。

 お客さんが来るかなあ、まあ来ないなら来ないで開店休業も悪くはない、と思っていたチャットに、早速、鍋屋さんがいらっしゃる。ありがたいことである。


 マンガ、一色まこと『花田少年史 総集編』2巻。
 感動ものばかりでなくって、なかなかバラエティに満ちてるんだな。童貞のまま死んだ学生がおっぱいにぱふぱふされて成仏する話が可笑しい。別にコドモマンガってわけじゃないから、もっと突っ込んだ描写にしてもいけないわけじゃないだろうけれど、そこを抑えてるのが一色さんの節度だろう。
 私は過激なエロマンガも好きだが、作家にはその人その人、持ち味というものがあるのだから、自ら表現を抑えるのであれば、それについて文句を言うつもりはないのである。

2002年05月25日(土) サヨナラを言いたくない人/『真・無責任艦長タイラー外伝 LOVE&WAR』(吉岡平・森小太郎)ほか
2001年05月25日(金) ドームにぃ、轟くピンのぉ音ぉ♪/『ウインドミル』11巻(橋口隆志)


2003年05月24日(土) すっ飛ばし日記/穴子に拘る女

 休日だが出張である。
 いい加減、クスリも切れてることだし、医者に行こうと思ってたんだが、いきなり上司から代理の出張を頼まれたのである。実は出張の場所が医者の近くなんで、ちょいと昼どきにでも薬だけもらいに行けなくもなさそうなのだが、「一日出張」という形を取ってる以上、そういうことすると「服務規定違反」とやらになるのらしいのだね。ウソじゃないのよ、実際に、以前、それで怒られたことあるから。
 いや、「私用はダメ」ってリクツはわかるんだが、カラダに関することだからそのくらいの融通は利かせてくれもいいような気がするんだがねえ、これもワガママなのかね? 医者がダメなら、道すがらコンビニや自販機で飲みモノ買ったりするのもダメなのか? ついでに郵便局で荷物送ったりするのは? 落とし物拾って警察に届けたらアウトか?
 なんだかよくわからんよなあ。

 午後からは、その代理を頼んだ上司もひと仕事終えて合流。
 近所のうどん屋で一緒にザルそばを食う。
 客は我々二人しかいなかったのだが、上司、お世辞か激励のつもりなんだろう、店の親爺さんに「大将、このそば美味いね。もっと宣伝したら繁盛するんじゃない?」と声をかける。けれど親爺さんは、苦虫潰したような顔で「ここで20年店出してやってますがね、ちょっと宣伝したくらいで客が来るようなら苦労はないですよ」とケンもホロロである。
 まあ上司の誉め方も見え透いちゃいるが、実際ホントに苦労してるんだろうなあ。今や博多で繁盛してるのはラーメン屋ばかりである。「博多の味はうどん」と刷り込まれてる身にしてみれば、現況は憂うべきことなのだが、悲しいことにうどん屋だって味が落ちているところが多いのである。
 この店のそばはまあ標準といったところだろうが、本気でうまい店に行こうと思ったら、ホントに「かろのうろん」くらいしか思いつかないのである。誰か隠れた名店っての、ご存知ありませんか。


 今晩はよしひと嬢がお泊まり。朝から来て芝居の練習をしてたのだが、他のメンツが集まらず、二人だけでテンション最低だったとか。やっぱり「楽しい」だけじゃ芝居をやるモチベーションて続かないからねえ。一人一人、「何をしたいの?」ってことから自問自答してかなきゃなあ。もっとも小さなシロウト劇団でそれやり出すと、途端にメンバーが減る例がほとんどなんだが(^_^;)。
 

 夜、せっかくだから一緒に映画を見ようということでトリアス久山に向かう。道がもう暗いので、しげ、運転しながら「今どこ走ってるのかわかりませぇーん」と無責任なことを言う。この夫にしてこの妻ありか(^_^;)。トリアスまでは曲がりどころを間違えなければ途中からずっと一本道だから、まず迷いようはないんだが、何しろ、昔それでも迷ったことのあるやつだからなあ。
 でもまあ、何とか前の車に付いて行って(前のがトリアスに向かわなかったらどうするつもりだったんだろう)、時間のロスもなくトリアスに到着。
 まずは「村さ来」で食事。単品をチョコチョコと頼んで、3人で分けて食べるが、しげ、「穴子だけは私のだ」と主張して一人で全部食う。なぜそこまで穴子に。よしひと嬢に、こないだしげと一緒に『Xメン2』を見に行ったとき、しげが時計を見てたのに、実は映画の時間を確認してなかった件を話す。「ひどいよねえ」と同意を求めるが、よしひと嬢、笑いながら「そこがしげさんだから」と肩を持つのである。いや、そう擁護されても苦労するの私なんですけど(-_-;)。
 そのあと、「徒然の湯」で1時間ほど時間を潰す。なんだかちょっとした旅行気分である。風呂上がりのよしひと嬢はオトナの魅力がもうプンプン(あまり誉めた表現になってないな)。もう付き合いも長いので(実はしげより長い)、私のほうもほとんどよしひと嬢に遠慮しなくなっちゃって、好き勝手喋りかけてるのだが、そうするとやっぱりしげはヤキモチを焼くのである。目に見えて機嫌が悪くなってるしなあ。じゃあ、私ゃ、人とは常に無言でムッツリして愛想悪くしてなきゃならんのかい。しげの要求は無理無法なのである。
 なんだかしげに気を使うことのほうが最近は多くなってきてるんで、本末転倒なんだよなあ。

 映画は『マトリックス・リローデッド』。
 なのだが、疲れも溜まってたのか、上映中何度も落ちる。でも目覚めるたびに似たようなCGアクションシーンばかりやってて、全く面白さを感じられない。でも映画の半分くらい寝てたんじゃ、とても感想なんて書きようがないので、評価は保留にしときます。


 ホームページのコンテンツ、チビチビと更新していってたのだが、ついにチャットまで導入。掲示板も既にあるし、わざわざチャットまでなあ、と思ってたのだが、こないだこうたろう君と話をしている間に話題になって、なんか勢いで作っちゃったのである。
 まあ、お客さんと話をするならやっぱり日記に関しての批判なんかが多くなるだろうが(こないだちょっと読み返してみたら、「この日記書いてるやつって人格破綻者か?」と本気で思った)、私は誰の挑戦も受けますので、いつでもどうぞ。ただし私は勝つ自信はありません(^o^)。

2002年05月24日(金) カニの味がわからない/『かしましハウス』7巻(秋月りす)/『焼きたて!! ジャぱん』2巻(橋口たかし)
2001年05月24日(木) 幻想の帝国(改)/『作画汗まみれ』(大塚康生)ほか


2003年05月23日(金) すっ飛ばし日記/寝ると怒る女

 しげが今日は仕事が休みだというので、映画に誘ったのだが、「『あずみ』はどう?」と聞いたら吐き捨てるように「イヤ」と言う。
 こないだまでは「行ってもいいけど気乗りしない」程度のいやがり方だったのに、なんだってこんなに激烈に拒絶反応を示すようになったのか。まさか私が上戸彩目当てで映画を見に行こうとしてるなんて勘違いしてないか。
 基本的に私は時代劇は見に行きたいんだがなあ。実際この5、6年、駄作もあったが、時代劇映画がコンスタントに作られているのである。ファンとしてはぜひ応援したいって気持ちになるのが自然だと思うのだが、をヘンに疑われてるんじゃないかと思うと、なんとなく落ち着きが悪い。
 だからって、一人で行ったらまた拗ねるくせになあ。
 
 しげがまたまた「高い寿司食いたい」を連発するので、大河すしで牛ステーキを注文。肉が食えて喜んでるけど、最初から肉を買ってきて焼いて食った方が量も食えるし安上がりじゃないのか。寿司屋に来たならサカナ食えよ。

 BOOK OFFに寄って、中古のDVDをいくつか物色。
 DVD『ベティ・ブープ作品集』1、2巻、『ジュール・ベルヌの海底二万哩』など。
 ベティさん(という呼び方のほうが馴染みがある)はもちろん、後に韓国で作られたパチモンのほうではなく、オリジナルのフライシャー兄弟のもの。唯一のカラー作品である『ベティのシンデレラ』もちゃんと入っているし、珍品『ベティの日本公演』もある。しかしあの珍妙なデザインのキャラが音楽に合わせて踊りだすとホントにセクシーに見えるんだからアニメは魔法だよなあ。
 『海底二万哩』はホントに水中撮影してるシーンがあって、1916年の時点じゃ、撮影にどれだけ手間がかかったろうかなあ、と驚きと感心。


 DVDで『必殺仕掛人』の中巻をしげと一緒に見始めるが、見ている途中でウトウトし始めて寝てしまう。ハッと目覚めるとしげがぶんむくれ。
 「『一緒に見よう』って言って、見らんやん!」
 いや、私も別に寝るつもりはなかったんだけど……ゴメン、悪かった(-_-;)。


 マンガ『Q.E.D. 証明終了』15巻。
 『ガラスの部屋』『デデキントの切断』を収録。こういうキッチリ作られたミステリを読むとホッとするねえ。『ガラスの部屋』の密室殺人はちょっと苦しいけれど、アイデアとしては悪くない。もう少し状況を整理すれば完成度が上がったろうなあと思うだけに惜しい一編。『デデキントの切断』とは数学用語だけれど、知らなくてもちゃんと推理は出来ます。燈馬が始めて「ミス」をする話だから、ファンにはより一層楽しい。

2002年05月23日(木) 風邪さらに悪化/『パワーパフガールズDVD-BOX/バブルス缶』/『何が何だか』(ナンシー関)
2001年05月23日(水) できれば私への電話はご遠慮下さい/『真夜中猫王子』2巻(桑田乃梨子)ほか


2003年05月22日(木) すっ飛ばし日記/本な男

 仕事帰り、博多駅の紀伊國屋に寄って、DVDと本を買う。
 しげに送ってもらわなくなって、帰宅時間自体は遅くなってしまったが、気が向いた時に本屋に寄ることはできるようになった。もっとも、物色するのに時間がかかったりして、帰宅しても肝心の本読む時間が取れなかったりするのが難点だけれど。
 『攻殻機動隊SAC』も『オーバーマンキングゲイナー』も『プリンセスチュチュ』も、もう何巻も溜まってるのに全然見られないのである。


 マンガ、丸川トモヒロ『成恵の世界』2・3巻。
 すんません。ますますハマッております。
 いやまあ、せっかくのSF設定を生かしきれてなくて普通のラブコメになっちゃってる面もなきにしもあらずなんだけれども、やっぱ成恵の普通っぽさがいいんだよなあ。
 姉である香奈花のほうがなんで成恵より年下なのか(ウラシマ効果で年齢差ができてしまったのである)、周囲の人間、もっと突っ込むもんじゃないの?
 という気もするが、それが「成恵の世界」なのであろう(^o^)。
 ああ、もちろん八木ちゃんや長岡さんもいいですね。なんたって、SFマニアな女の子とか、古本屋の女の子って、「文学少年」のキモを突いてるよねえ。これがポエマーだったり、コンビニのねーちゃんだったりしたら、このマンガの魅力は半減してしまうと思うのである。いやホント。


 養老孟司『バカの壁』。
 新潮新書創刊のメダマがこれみたいね。
 このタイトルをごくフツーのタイトルと見るか、なんて過激なタイトルと見るかでも「わかる」人と「わからない」人との違いがわかるような。
 要するにさ、これを読んでそのナカミが「わかる」人ってのは、とうの昔に「そのこと」が「わかってる」し、「わかってない」人はこれ読んだって、「わかった気」にはなるかもしれないけれどもその実、やっぱり「わかってない」ことは間違いないから、ある意味、読んでも読まなくてもいい本なのである(^o^)。
 なんかコンニャク問答みたいで、私が何を言ってるのかよくわかんないという人は多分これ読んでも何にも人生に寄与するものはないから読まなくていいですよ。はい。

 
 マンガ、細野不二彦『ダブルフェイス』1巻
 手品好きの冴えないサラリーマンが実は大金融業の社長で、カゲの世直し屋だってのは、設定的にムリはありまくりなんだけど面白い。
 でも細野さんにはそろそろもう一度『さすがの猿飛』みたいな少年マンガを描いてほしいなあ。青年マンガだと細野さんの筆致、ちょっとどぎつくなり過ぎる傾向があると思うんである。

2002年05月22日(水) 風邪引き第一日目/『クレヨンしんちゃん映画大全』(品川四郎編)/『ビートのディシプリン SIDE1』(上遠野浩平)ほか
2001年05月22日(火) 我々は夢と同じものでできている/『MY SWEET ANIME 私のお気に入りアニメ』


2003年05月21日(水) すっ飛ばし日記/モンティ・パイソンな女

 仕事帰り、今日は久しぶりでしげの仕事が休みなので、買い物がてら、天神でメシを食おうと話をする。ところがしげのいつもの優柔不断で、いつまで経ってもどこで食事をするか決めきれない。わたしが「ここはどう?」「ここは?」といくら言っても生返事しかしないので、何をぼーっとしてるのか、こいつはもしかしたら私の言うことを全く聞いていないのではないかと思って問い詰めてみたらホントにそうだったのだった。
 「だって、天神の店なんて知らんもん」
 「知らんって、これまで10年以上も天神うろついて、食堂街だってしょっちゅう見回って、『この店に今度入ろう』とか言ってたじゃん。それでどこに行くか見当もつかんのか?」
 「だって、その時その瞬間、その店に入りたいなって思うだけで、それがどこだったか、名前も場所も覚えてないもん」
 「猿かお前は!」
 思わず激昂してしまったが、ここまで程度を超えた馬鹿だと、怒鳴りたくもなろうというものである。
 しげ、泣いて「ウチに帰る」と小学生みたいなことを言い出したので、「ふざけんな」とムリヤリ天神まで引っ立てる。イムズ、天神コアを経巡って、「入りたい店を探せ!」と厳命。
 しげ、ようやく天神コアの7階にバイキングディナーの店があるのを見つける。ビーフシチュー、ハンバーグ、サイコロステーキ、トンカツなど、肉料理を中心に1200円で1時間食べ放題。しげのためにあつらえたような店だが、もちろん最近出来た新装開店の店ってわけではなく、昔からあったのである。
 何のことはない、これまで何度もその横を通って「いつか入ろうね」と言い続けてた店のことを、あのトリアタマしげはキレイサッパリ忘れていたのだ。
 しげ、いきなりフリードリンクをがぶ飲み、そこへ肉料理をばかすか詰め込んだものだから、「おなかイタイ」と泣き出す。当たり前である。
 なんだか今日はしげの馬鹿の見本市。モンティ・パイソンに売りに出そうか。

 ベスト電器limbで、予約していたDVDなど購入。『必殺仕掛人』のDVDBOX、もう中巻だが、まだ上巻を見終わってない。
 しげ、ダン・エイクロイドのCDの新譜が発売されるというので注文してみるが、何分洋モノなので、入荷してくれるかどうかわからない。キャナルシティのHMCで頼んだ方が確実だったかも知れない。もっともダンの新譜ともなれば、どんな手段を使ってでもしげは手に入れようとするであろうが。
 あと、福家書店を回って、買い損ねていたコミックなどをまとめ買い。


 帰宅して、買ったばかりのDVD『ザ・リング』を吹き替えで見る。
 しげ、悲鳴を上げて「なんで吹き替えで見ると」と怒る。そりゃ、劇場じゃ字幕だったからだよ。
 その字幕の誤訳で有名だった例の「65回の妊娠」、吹き替えではちゃんと、65年度に妊娠、流産になってました。やっぱ戸田奈津子さん、忙し過ぎてポカやりまくってんじゃないかなあ。
 特典で「呪いのビデオ」完全版もついてくる。この映像で意味不明だったウジの湧いてるシーンとかも、実は劇場公開時にカットされた未公開映像の中に収録されている。劇場で堪能された方にもこれは必見の一本ですよ。


 マンガ、丸川トモヒロ『成恵の世界』1巻。
 ……イカン、はまった(^_^;)。
 どこでかっつーと、9ページの「まって七瀬さんっ」と和人が呼びかけたとこに、成絵が無表情で「ハイ私です」と言って肩をポンとたたいたとこ。でもって、立ち方が仁王立ちなんだよね、この子。こういうどこか女臭くないというか、サバサバしてるというか、そんでもって宇宙人という偏見に晒されてても元気を失わないというか、これだけ魅力があるのに自分がモテるタイプだとは全然思ってないというか。
 でもって、実際にこういう子って知り合いにいたからなあ。もちろん、シャイな私は告白なんかしなかったが(はるか昔のことだ、嫉妬するなよ、しげ)。
 なんだかSFのどうのというより、既視感でハマっちまいましたよ。いやもう、SFラブコメは避けようと思ってたんだけどさ(^_^;)。

2002年05月21日(火) ハコの中の失楽/『KATSU!』3巻(あだち充)/『アリソン』(時雨沢恵一)ほか
2001年05月21日(月) アニメな『ヒカ碁』/『臨機応答・変問自在』(森博嗣)ほか


2003年05月20日(火) すっ飛ばし日記/親を崇める子供たち

 一日楽な仕事。これが毎日だと嬉しいんだけどまあムリかな。

 アニメ『キノの旅』、「コロシアム」前編。
 ついにこれが来たか。折り返し点だから、持ってくるよな。陸の声が大塚芳忠さんだったのでちょっと笑っちゃったけど。いや、ミラウー・キャオのイメージが強いもので。

 『言語』6月号のエッセイで、言語人類学者の井上京子さんが、学生たちの修士論文の冒頭で、指導教員らへの謝辞に並べて、「両親に感謝申し上げます」と書かれたものが1996年以降に増えた、ということを書かれている。
 大学の卒論になんで親への謝辞を書くのかも疑問だが、なにより他者に対して語る場合、身内に敬語は使わないという「常識」が崩れていることに驚く。
 そこに挙げられている親への敬語の例は、他にも、「大学まで進学させていただいたうえに」「私を見守ってくださった両親」「勉学の機会を与えてくださいました両親」「この放蕩息子の面倒を見てくださった」「毎月の仕送りを絶やさず送って下さった」「四年間大学を卒業させていただいた」と、私の感覚からすれば、「お前ら百姓か」と言いたくなるくらい、親に対して卑下しまくっているのである。
 しかし、言語学をかじったことのあるかたなら、「ポライトネス理論」はご存知であろう。敬語は他人との心的距離を表している、というアレだ。即ち、「敬語を使っている」時点で、親は本人にとって、「他人」のカテゴリーの中に押しやられてしまっているのである。決して、本気で尊敬され愛されているわけではない。
 で、この「1996年以来」という記述が、私にはどうにも気にかかってならないのである。その前年、1995年がどんな年であったか。
 阪神大震災。地下鉄サリン事件。それもそうだが、ハッキリ言ってしまおう。1995年から1996年は、『新世紀エヴァンゲリオン』の年である。まあ、あのアニメを語る言葉は未だに錯綜し続けている感があるが、単純に、「思春期」の少年たちが主人公の碇シンジに感情移入した場合、一番「敵」として認識されるキャラは誰であるかを考えてみよう。答えはもちろん父親である碇ゲンドウということになる。愛しても愛されてもいない父親に「誉められたいから」とすり寄っていくシンジ君の気持ち悪さは、岸田秀じゃないが、レイプされたってのに意外と気持ちよかったもんだから、そのレイプした相手に媚を売り始める女のようであるが、この卒論で親に感謝してる連中の言葉にもそういう気持ち悪さが見え隠れしてないか。
 考えてみたら、私の親は、滅多なことで私を誉めたことはない。私は私で親の悪口ばかりを人前で言っている。内輪誉めのみっともなさってものは、肌身に染みて感じていたのである。別に我々親子が特殊だったわけではなくて、それは昔はホントにフツーだったのである。
 それがこうも崩れているというのは、やっぱりみんな、ふと気づいてしまったからではないか。親と子に、もともと絆なんてものはなかったんだと。
 「進学させてもらったり」「仕送りしてもらったり」「温かく見守ってくださったり」、それは親の愛情なのか? 自分の気持ちを「感謝の言葉」として表し、確認せねばならないということは、それくらい、親子を結ぶ糸は細く、ほつれてしまっているということなのではないか?
 切れた糸を懸命に手繰り寄せようとする哀れな努力を学生たちが始めたのは、やっぱりあのトラウマ刺激アニメの影響があるんじゃないかと思うんだけど、これも私の妄想かなあ。

2002年05月20日(月) もっとギャグを!/『蛇神さまといっしょ』2巻(桑田乃梨子)ほか
2001年05月20日(日) 念の入った話/DVD『NHK少年ドラマシリーズ なぞの転校生Ⅰ』ほか


2003年05月19日(月) すっ飛ばし日記/あるものが見えない女

 休日明けの仕事は結構辛いのだが、今年は比較的金曜のうちに準備ができるのでまあ、楽になった方である。

 今日は居残りせずに定時に退社、寄り道もせずに帰宅。しげも仕事が休みだったようで、ゆっくりする。
 壁のかけ時計が止まっていたので、電池を交換しようと椅子の上に乗る。
 しげに、「引き出しから電池取って」と言うが、しげ、見つけられず。
 「ないよ? 電池」
 「ないはずないよ、前にあったし」
 「でもないもん!」
 「……オレが探したらあると思うぞ?」
 で、実際に捜したらあったのである。しかも引き出しのすぐ手前に。
 いつもの展開だよなあ。
 しげ本人もすごく不思議がるのだが、「ないと思いこむと、目の前にあるものが見えない」ということは現実にあるのだ。某小説の某トリック、決して荒唐無稽ではないんだよねえ。

2002年05月19日(日) 今日は一日寝て本・ビデオ……っていつもや/『Sink』1巻(いがらしみきお)ほか
2001年05月19日(土) 地上の星々/『狼には気をつけて』2巻(遠藤淑子)


2003年05月18日(日) すっ飛ばし日記/やっぱリ肉食う女

 鉄腕アトム第7話『アトム対アトラス』。
 人間の心を取り戻してアトラスは退場。して見るとラム博士の性格はアトラスに習合されたと解釈すべきかな。原作みたいに爆発したわけじゃないから、復活もありえるかも。
 掲示板には以下のように書きこみ。

> 前後編のわりにはちょっとあっさりした終わり方になっちゃったなあ。
> まあアトラスってそんなに深みのあるキャラじゃないから仕方ないか。愛されたがってただけの子供だしな。
> しかし天馬博士がトビオを捨てた理由が気にかかるね。未だに「ロボットの進化」なんてことをアトムに吹き込むくらいなら、なぜ記憶を消してシステムダウンまでさせちゃったんだろう。原作通り「背が伸びなかった」程度のことじゃない感じだね。
> それにしてもお茶の水博士も、いくら長官を引き継いだからって、もしかして科学省破壊の原因だったかもしれないアトムを勝手に起動させようとしたんだから、なかなかのおヒトだね。
> やっぱりこの両博士の行く末が気にかかるのである。……物語のセオリーから行けば、どっちかが最終回近くで死なないといけないんだがなあ。


 日曜なんでひたすら日記書き。
 しげが「久しく焼肉食ってない」というので、麦野のウエストまで遠征して焼肉を食う。もちろんしげはひと皿三人前分くらいを二人前半くらい食って、「腹が苦しい」と言うのである。当たり前だ。

2002年05月18日(土) 世界の中心で馬鹿と叫んだ女/『彼氏彼女の事情』13巻(津田雅美)ほか
2001年05月18日(金) 増えるワカメのごとく……/『鬼切丸』20巻(楠桂)


2003年05月17日(土) すっ飛ばし日記/時計だけ見る女

 夜、ワーナーマイカル福岡東で『Xメン2』を見る。
 その前にサティの中をしばらく冷やかし。
 しげが父の日に親父に枕をかってあげたいという。なんだかよくわからないが、新製品で頭の乗せごこちが一味違うそうだ。だけど値段が1万円。ちと思案どころである。
 映画が始まる前に腹ごしらえをしておこうと、寄ったトンカツ屋のトンカツが油っこくて、コロモは固くて口ん中に刺さりそうで、ひたすら不味い。
 しかも、食うのに時間をかけすぎて、映画が始まる時間になってしまった。
 いや、悪いのはしげなのである。
 しげがポケットから携帯を取り出して、時間を見ていたから、私はてっきり映画の始まりの時間を確認していると思っていたのだ。
 「なんで時間が近いって教えてくれんやったん!」
 「え? オレ、時間見てただけだよ? 確認するのはアンタの仕事やん!」
 「時間確認してれば、始まりの時間を見てくれてるもんだって思うやろ!」
 「なんでオレを信頼するんね!」
 それを言うか、こいつ(-_-;)。
 まあ、ギリギリ映画には間に合ったからいいけどさ。

 『Xメン2』はまあ、いかにもなパート2モノでしたね。可もなく不可もなく。前作のミュータントの悲劇性は薄れて(マグニートーのナチスの収容所にいた云々の描写ももう描かれないし)、ホントに「エスパー同士の戦い」ってことだけが全面に出た感じね。ストライカーがなんでそこまでミュータントを憎むかも説明不足って印象。演じてるブライアン・コックスは『刑事グラハム』でのレクター博士役の人だけれど、あの時より随分太った。一瞬、同一人物とは気付きませなんだ。
 それにしてももう、ミュータントたちを出し過ぎである。ある程度活躍させる人物を絞ろうってことだろうけれど、サイクロップスは最初に敵の手に落ちて、ラスト近くになるまで再登場して来ないし、ストームやローグ、アイスマン、パイロと言った連中は彩りみたいな扱い。メインはやっぱりウルヴァリンとジーン・グレイの関係、プロフェッサーX、マグニートー、ストライカーの三つ巴の関係に絞られる。
 でも、プロフェッサーXって、今回とことん無能なのね。操られていたとは言え、いったんは全人類滅亡させそうになるし。こんなテイタラクじゃ、「ミュータントを排除せよ」って運動も起きるわなあ。なのにラストでとってつけたように「ミュータントは進化の始まり」とかナレーションを付けるのもちょっと興ざめだ。
 ああ、けど、前作でてっきり死んだと思ってたご贔屓のケリー上院議員役のブルース・デイビソン(『スパイ・ライク・アス』にも出てるよ)、意外な形で「復活」してたんで嬉しくなりました(^o^)。 

2002年05月17日(金) 追悼、柳家小さん/映画『モンスターズ・インク』/『カスミ伝△』2巻(唐沢なをき)ほか
2001年05月17日(木) 少しまじめな話/『コミックバンチ』創刊号ほか


2003年05月16日(金) すっ飛ばし日記/魔界な男たち

 しげがどうしても一緒に行ってくれそうにないので、一人でキャナルシティまで『魔界転生』を見に行く。帰りは1時間ほど歩きになるが、まあ仕方がない。
 一見して、誉めたい部分と貶したい部分の落差がはげしいので困った。前回の映画化のように、「若山富三郎の殺陣以外は全部クズ」ってくらいにハッキリしてりゃものの言いようもあるのだが。

 ともかく、原作を映画化するということはどういうことなのか、とか、そんな基本的なところから考察しだしたら、もう膨大な分量になってしまう。これはもう、説明不足、舌足らずになることは承知の上であえて乱暴なモノイイをさせてもらおう。

 山本弘さんの「SF秘密基地」では、山本さんご自身が天草四郎について「前作の沢田研次の方がマシだったのではないか」、と書いている。
 トンデモない話で、あんなオッサンのどこが十七歳の少年だというのか。映画のウソにしたって、程度というものがあるのである。かといって、今度の窪塚洋介がいいと言いたいわけじゃないのだが。
 そもそもクボヅカがどうのという批評自体、この映画に関してはあまり意味をなさない。主役はだいたい天草四郎ではない。たとえ脚本家や監督が、窪塚洋介を主役だと認識し、そのつもりで演出していたとしてもである。だって、元々の原作にそういう要素がないのだから、どんなに改変を加えようが、四郎が主役になれるはずないじゃないの。
 「魔界転生」というアイデアは、それまでの風太郎忍法帖の忍法・秘術とは性格が違う。それまでの忍法はあくまで登場する忍者たちの持つ「能力」としての忍法であった。しかし本作の魔界転生の秘術は、あくまで「裏方」にすぎないのである。
 映画版ではカットされているが、原作では島原の乱の実在の軍師、森宗意軒の秘術として「魔界転生」は設定されている。
 天草四郎、荒木又右エ門、田宮坊太郎、宝蔵院胤舜、柳生如雲斎、柳生但馬守、宮本武蔵の七人の魔界衆が蘇り、柳生十兵衛と戦うことになるのだ。だが、しょっちゅう主役のように描かれる四郎は、確かに森宗意の後継者ということになってはいるが、あくまで魔界衆の一人。しかも、元々剣豪ではないために、仕方なく「忍法髪切丸」という妖術の使い手として十兵衛と戦うことになる。こうでもしないと、たかが美少年ってだけでは「十兵衛と釣り合いがとれない」のだ(当たり前だね)。なのに、物語の中盤であっさり十兵衛に倒されてしまうのだから、全く、何のために出てきたんだか。
 原作のメインはあくまで、歴史上ではありえなかった、十兵衛と、剣豪たちの死闘。
 いや、宮本武蔵対柳生十兵衛を描くこと。
 これがこの物語のキモなのである。
 十兵衛が一人、また一人と魔界の剣豪たちを倒して行くのは、それぞれの戦いも圧倒的に面白くはあるのだが、あくまで武蔵を倒すための布石である。ラストは巌流島の決闘の再現。これを「ラストシーンとして」描かない『魔界転生』は『魔界転生』ではない。
 途中まで、映画は原作の精神を生かすように描かれて行く。
 荒木又右エ門は十兵衛と嬉々として戦う。右腕を飛ばされれば、四郎に向かって昂然と「右手をくれ」と言い放つ。自分の命令を無視するかのような又右エ門に四郎が自死を迫ると、「貴様のためには死ねん」と嘯く。
 たとえ四郎の方に魔界衆たちの生殺与奪の権限があろうとも、「剣豪」としての又右エ門たちのキャラクターを描いて行けば、天草四朗は、本人がどうあがこうと彼らを生かすための裏方、ただの脇役に過ぎなくなってしまうのである。
 精神的優位は常に魔界衆たちにあるし、そうでなければ物語は面白くならない。前作の映画化ではカットされた、柳生但馬守対宝蔵院胤舜。ともに十兵衛との戦いを望み、それが果たせなかった二人。この二人の戦いを描くことにどんな意味があるか、脚本家は、監督は考えなかったのだろうか。
 宝蔵院胤舜が「魔界もいいものぞ」と柳生十兵衛に嘯くシーンまでは、私はこの映画の成功を疑わなかった。胤舜の問い掛けに無言で答える十兵衛は、既に人の身でありながら、自らも精神的には魔界衆であることを肯定しているのである。

 ……なのにねえ、次にねえ、脈絡もなくさあ、いきなり対宮本武蔵が来ちゃうんだよ。
 しかも演じてる長塚京三がもう、どうしようもない。ただの優しいおじさんだ。セリフにも殺陣にも鬼気迫るところがカケラもない。こないだ東京ですれ違ったときの方がよっぽど雰囲気怖かったぞ。又右エ門にも胤舜にも但馬守にもちゃんと戦うモチベーションを与えて描写してたのに、なんで肝心要の武蔵をこんなチョイ役に使うんだよ。
 しかも、武蔵倒すの、十兵衛じゃないし(T-T)。
 でさあ、一応ヒミツってことらしいから、原作にない最後の魔界衆、隠しておくけどさあ、なんで大ボスがアレなんだよ。整合性も説得力もねえだろう。
 なんでこんな破綻が起きちゃったかって考えてみるとさあ、やっぱ「深作欣二の呪縛だなあ」としか思えないんだよね。天草四郎をメインに立てたりするような原作の改変、深作版からそのまんま頂いてるしねえ。
 でも、それやっちゃうと「絶対に面白くならない」こと、平山監督にはわからなかったのかなあ。
 「剣豪対剣豪」のドラマは次の十兵衛対但馬守で完結してしまう。しかも今度の天草四郎には「髪切丸」の忍法もない。装飾に凝って見せたって、盛り上がるものでもない。蛇足だけのシーンを見せられる方はもう、ひたすら苦痛だ。

 けれど、それだけの致命的な欠点があるにもかかわらず、私はこの映画を嫌いになれない。少なくとも細川ガラシャがHするためだけに蘇って腰ばっか動かしてたチンケで糞な深作版に比べりゃ、何百倍も面白いのだ。
 クボヅカがどうのってことに拘ってる阿呆には絶対に分からない、時代劇の魅力が横溢しているのだ。
 あのロングでじっくりと見せる殺陣の数々、カメラが寄ってばかりで殺陣がどうなってんだか分らない『五条霊戦記』と比べてみればいい。柳生但馬を演じた中村嘉葎雄は、『キネ旬』で「ぼくは殺陣がヘタだから」と卑下して語っていたが、ほかの役者の誰よりもその剣さばきは早い。私は劇場で何度息を飲んだことか。劇場に行くほどでなし、レンタルビデオでいいや、とか考えてる連中がさ、テレビモニターの小さな小さな画面で「なんだつまんねえ」とか言うんじゃないかと思うと、私ゃ涙が出そうになるよ。
 そして死に行く女たちのエロチシズム。クララお品役の麻生久美子の妖艶さと来たらどうだ。アレで勃たなきゃ男じゃないぞ。

 ……でも実際の話、劇場に足を運んでるのって、圧倒的に窪塚ファンが多いんだろうなあ。後ろにいたいかにもアタマ軽そうなバカップル、ラストで「何これ?」と不思議がってたけど、これはお前らのための映画じゃないんだよ(怒)。


 帰りにコンビニに寄って夜食を物色。
 ついでに永井豪『黒の獅子』2巻(完結)を買う。
 アイデア自体は好きだったんだよなあ。戦国時代を舞台に、不死身のサイボーグ、ビリィ・ザ・キッド、張飛翼徳、ユリシーズらが地球を襲う「白魔」の手で蘇えらせられる(なんか魔界転生みたいね)。
 でも、似たようなネタの『ズバ蛮』の面白さに比べて『黒の獅子』がどうにもつまらないのは、もうこのころの永井豪の絵から「若さ」が消えていたからである。本作には習作時代のオリジナル版があって、「永井豪展」で以前原稿を見たことがあったのだけど、やっぱりそっちの方が面白かったのだった。

2002年05月16日(木) で・じゃ・ぶぅ/DVD『アードマン・コレクション』
2001年05月16日(水) 鳥頭の女/『文鳥様と私』2巻(今市子)


2003年05月15日(木) すっ飛ばし日記/ベストテンな本

 仕事帰りに博多駅に回って、紀伊國屋でナケナシのお金をはたいて(おいおい)『アニメージュ』『ニュータイプ』の6月号を買う。
 ……まあ、アレですよ、好例の「アニメグランプリ」ですけどね、もうこの年になって『アニメージュ』なんか読んでる私が悪いのかもしれませんけどね、映画もアニメもトシや世代は関係ない、という意見も巷にはあるようですから、今の若い人たちだってちったあアニメ見てるんじゃないかと思ってたんですけどねえ……。
 掲示板に、つい、以下のように書きこみ。

> アニメグランプリは、『ガンダムSEED』だそうで。まあ、ラインナップ見てても思うのは、「俺たちが中学や高校のころはもちっと頭よかったよな」ってことだな(^_^;)。一応ご参考までにベストテンを。

> 1 機動戦士ガンダムSEED
> 2 あずまんが大王
> 3 犬夜叉
> 4 テニスの王子様
> 5 スパイラル ~推理の絆~
> 6 シャーマンキング
> 7 ONE PIECE
> 8 ゲットバッカーズ ~奪還屋~
> 9 おねがい☆ティーチャー
> 10 .hack//SIGN

> ベストテンにテレビ作品しか並ばないのは、今のアニメファンが自分の趣味に殆どカネを使わなくなったってことなのかもねえ。ああ、なさけなや(T-T)。

> ついでだから去年の私の見たアニメベストテンを挙げてみる。

> 1 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ! 戦国大合戦
> 2 プリンセスチュチュ 卵の章
> 3 ミニパト
> 4 WXⅢ 機動警察パトレイバー3
> 5 サイボーグ009
> 6 猫の恩返し
> 7 ほしのこえ
> 8 ジャングルはいつもハレのちグゥデラックス
> 9 あずまんが大王
> 10 攻殻機動隊SAC

> 次点は「おジャ魔女どれみドッカーン!」かな。もちろん「未来さん」編だけの評価だけど。
> ……重なってるの、『あずまんが大王』しかねーな。でも若い人には私の面白がるアニメって、つまんないのかなあ。『ワンピ』や『テニプリ』よりゃ遥かにずっととてつもなく面白いものばっかりだと思うんだけどなあ。

> まあ、濃いアニメファンの中には今更『アニメージュ』なんて買うほどの価値もないと思ってる人も多いと思ってるだろうけれど、今号は富野由悠季×原恵一対談というトンデモナイものが載ってるから、立ち読みくらいはしよう。
> 原監督の「未来なんてないですよ」って言葉、切ないよなあ。

 けど、1位の『ガンダムSEED』、得票数がたったの595票なんだよなあ。全国誌でたったこれだけ。やっぱり『ヤマト』『ガンダム』『エヴァ』並の「社会現象」としてのブームが存在しないと、アニメの世界ってのは日本じゃホントに細分化した、閉鎖的で小さな空間になっちゃうんだねえ。
 しかし、徳間書店の雑誌だってのに、『猫の恩返し』はわずか20票で34位。
 こうなってくると、ただ現象を分析するだけでなくて、今更ながらではあるが「アニメって何?」ってことを世代や生活層を越えて発信していく必要があるんじゃないかって気がしてくる。
 って、そんな大それたこと、私ゃやる元気も体力もないんだが。
 アニメ界にも「一人の芭蕉」が必要になってきているのではないか?

 WOWOWで『シベリア超特急』ナイト。
 水野晴郎が「このシーンはなんとかという映画のどのシーンにオマージュを捧げたっていちいち解説するんだけど、それぞれのシーンがドラマに絡むわけじゃなくて無意味に点在するもんだから、更にヘンな映像になっちゃうんだなあと実感。知識だけじゃ映画は作れねえって見本じゃないか。

2002年05月15日(水) 目出物雄三ってキャラが某マンガにいたね/『まんが アベノ橋魔法☆商店街』(鶴田謙二)/『ガウガウわー太』3巻(梅川和実)ほか
2001年05月15日(火) 本を売るならBOOKOFF/『BLOOD THE LAST VAMPIRE 2000』(玉置勉強)


2003年05月14日(水) すっ飛ばし日記/モテる男の心中

 『國文学』6月号、有島武郎特集。
 劇作家兼俳優の斎藤憐が有島武郎について語っている。
 夏目漱石の死が明治時代の死であったように、有島の心中は大正時代の死であった、というのがその論調。その論法自体、否定はしないが、有島一人に象徴させて語るのも少々乱暴だな、とは思う。でも、コトバってやつは乱暴なくらいじゃないと面白くないもんな。収まりのいい言葉はあまり心に残らないのである。
 してみると、昭和の死を象徴する作家は、三島由紀夫でも川端康成でもなく、やっぱり手塚治虫しかいないよな、とつくづく思う。
 ブンガクの素養は私には殆どないので、ほかの記事を読んでも初めて知ることばかり。有島武郎がこんなにもてまくっていたとはなあ。結婚後も外国に「心の恋人」がいたりするのである。小説読む限りじゃ、融通の利かないマジメ人間、という印象しかなかったんだが。
 ……と考えながら、ふと、この人、どんな小説書いてたっけ? と思ったら、その中身を全く忘れてることに気がついた。つーか、『或る女』なんか読んだこともないぞ。
 あわてて、一応読んだことのあるはずの『一房の葡萄』『かたわ者』『ぼくの帽子の物語』などを読み返してみる。……ホントに忘れてるわ、中身(^_^;)。
 『一房の葡萄』なんて、子供の泥棒の話だったんだなあ。昭和40年代くらいまでの少年小説や少年マンガにはよく出てたよなあ、泥棒少年。貧乏ゆえに盗みはするけど、回りの愛情のおかげで罪を悔いて更生するってパターンね。この小説がそのパターンの原典かと思ったけれど、別に主人公、貧乏っていうほどの貧乏じゃないよなあ(本人はそのつもりだけど、戦後の大衆の貧乏は、大正時代とは比べものにならない)。キリスト者としての「許し」を描くことの方が主眼にあったと見るべきか。
 『かたわ者』は自分の傷碍を売りものに金を稼いでいた盲人と足萎えが、奇跡の力で傷碍が直るんだけれど、生活の業を失って途方にくれるという話。
 今だったら発表するだけで大問題になりそうな題材だけれど、一面の真実はあるよなあ。間違ってもこういう小説を「差別的だ」と難癖つけて絶版になどしないように。
 『ぼくの帽子の物語』は有島版『夢十夜』。子供がどこかに行った帽子を探す話。夢の話だから何のことだかわけがわかんないんだけど、それがナンセンスで面白いのである。

 カネが全くないので、昼飯抜き。
 夜は、買い置きのスパゲティを食うが、これまでしげがたかりに来る。自分は中華丼買ってるくせになあ、私を餓死させるつもりか。って実はどうせピンハネされると思って余計に作っといたんだけど。

 『バイオグラフィー・サタデーナイトライブ』後編。
 最近のSNLレギュラーは、映画に主演でもしてくれない限り、誰が誰やらもう全然わからない。それでもクリス・カッタンなど、有望な新人を未だに輩出し続けているようだ(主演映画『コーキー・ロマーノ』はテロ事件の煽りをくらってコケちゃったらしいが)。
 あちらのコメディは主演が日本でよっぽど有名でない限り、ビデオ発売でしか公開されないなんてことも多いから、こういう番組をチェックしておかないと、おもしろいやつを見逃しかねないのである。

2002年05月14日(火) 2001年アニメグランプリ/『ななか6/17』7巻(八神健)ほか
2001年05月14日(月) 今日の実験……失敗/今週の少年ジャンプ『ヒカルの碁』


2003年05月13日(火) すっ飛ばし日記/リズムな男の死

 しげがいつの間にかパソコンを新しくしている。
 こないだから「パソコンが故障したよう、ネットにつながらないよう」と泣いていたのだが、業を煮やして思いきって買っちゃったらしい。小金溜めこんでやがったな、こいつ。
 でも新しいのを接続したのに、またぞろこいつがネットにつながらない。仕方がないので、しげは今、私のパソコンを使っているのである。
 こういうとき、私は何の手伝いも出来ないのでひたすら無力感を感じるのみである。やっぱりもちっとパソコンの基礎知識くらいは入れとかないといけないよなあ。


 翻訳家の井上一夫氏が、昨12日、肝硬変のため死去。享年80。
 訃報はいずれもイアン・フレミング『OO7』シリーズやエド・マクベイン『87分署』シリーズの翻訳家として紹介しているが、その遺作が何だったか、書かれているものを見かけない。作家や役者についてし、そういった記述は詳しいが、翻訳家については配慮が行き届いていないように思える。
 記録を調べてみると、その翻訳をほぼ一手に引き受けていた『87分署』シリーズは、1997年の『ノクターン』を最後に、山本博氏にバトンタッチされている。このころから体調を崩されたのだろうか、この時点で既に74歳だから仕方ないとは言えるのだが。
 翻訳小説を読んで、「この訳者の文章はうまい!」と唸さらせるような経験は滅多にない。もともと文法体系の違う言語を訳すのだから、ある程度は不自然な面が残るのは仕方がないにしても、意味不明の文章を羅列されてはたまらない。以前も書いたことのある井上勇氏の訳などは最悪であった。
 私が「この人の訳なら」と信頼できたのは、清水俊二氏や長島良三氏など数少ない。それは誤訳が少ないという基準での判断ではなく、「日本語としてこなれているか」「文にリズムがあるか」という点にあった。そしてそれは井上氏の訳にも強く感じたことである。ともかく井上氏の文章は美しかった。

 一例を挙げる。
 ジェイムズ・ハドリー・チェイス『ミス・ブランディッシの蘭』(創元推理文庫)の冒頭部分(ついでだけど、このタイトルの訳も省略が利いている。本来は『ミス・ブランディッシに蘭は捧げず』。ちなみに映画化された時のタイトルは『黒い骰子』(1948)、『傷だらけの挽歌』(1971)である。) 

> ことの起こりは夏の朝、七月のある朝のことだった。朝日はもやの間から、早くも顔を出していて、舗道にじっとり置いた露は、すでにかすかな湯気を立てている。町の空気は、すえたようにそよとも動かない。激しい暑さ、日照り続きの青空、なまぬるい誇りっぽい風――まったく七月というのは、やりきれん月だ。
> 眠りこんだサム爺さんをパッカードに残して、ベイリーはミニーの食堂に入っていった。ベイリーは機嫌が悪かった。まえの晩に深酒をしたあげくのこの暑さでは、気分は少しもよくならない。舌はざらざらするし、目はごろごろする。
> はいってみると、食堂には客はひとりもいなかった。まだ早いし、女が床掃除をすませたばかりのところだった。掃きよせたごみをまたいではいると、ぷんとくる料理と汗の匂いに、ちょっと鼻の頭にしわをよせる。
> カウンターに寄りかかっていた金髪の女が、ピアノの鍵盤みたいな歯を見せて、にっと笑った。そばに行くまで、そいつは映画女優みたいなしなを作って待っている。そのうちに、熱がさめてしまったのか、くせの強い黄色の髪のカールをたたいて伸ばしながら、薄いドレスをすかして大きな胸をベイリーのほうにふり立てる。
> 「眠れなかったんでしょう?」女はいった。「まったく、すごい暑さね……」
> ベイリーは女に苦い顔をしてみせると、スコッチ・ウィスキーを注文した。女はカウンターの上にびんをぱたんと置くと、グラスを押してよこした。
> 「坊や、うまくやったんでしょう?」女は軽口をたたいた。「きのうの晩、無理しちゃったんでしょう? 顔を見れば、わかるわよ」
> ベイリーはぴんとグラスをとると、テーブルへ移って尻をすえた。じっとおもしろそうに見つめている金髪を見かえす。
> 「何かすることがあるんだろう。おれのことはほっといてくれ」

 「ことの起こりは(7音)夏の朝(5音)、七月の(5音)ある朝の(5音)ことだった(5音)。朝日はもやの(7音)間から(5音)、早くも顔を(7音)出していて(5音)、舗道にじっとり(7音)置いた露は(6音)、すでにかすかな(7音)湯気を立てている(8音)。」
 七五調を基調に、音を漸層的に重ねながら畳みかけるようなリズムを作り出していることがおわかりいただけようか。
 これがもともとの日本語ではなく、翻訳文なのだから恐れ入る。部分的には意訳も行われているのではないか。

 これだけでは納得いかない方のために、もう一例。
 パット・マガーの『探偵を探せ!』(創元推理文庫)の冒頭である(ちなみに、本作の原タイトルは“Catch me if you can”。最近も同じタイトルが映画に使われたねえ)。これは、『蘭』ほどに七五調に拘ってはいないが、別の意味で短い音の組み合わせが単なる情景描写以上の効果を生み出している。 

> 九月末のその夜、魚網荘の二階正面の寝室を窓からのぞいたら、胸打たれるような家庭的な光景が目に映っただろう。暖炉にちょろちょろ燃える薪の薄明かりで、旧式な四柱式大寝台に横たわっているフィリップ・ウェザビーと、そばの小さな揺り椅子に腰をおろしているその妻の姿が見えたに違いない。よくよく見れば、フィリップの頬が紅潮して息苦しそうなところから彼が病気だということはわかったろう。それにしても、見る人間が男だったら、チクリと羨望の念を禁じえない――その女の心配そうなまなざし、ときどき夫の額に汗ばんで垂れかかる髪をかき上げてやるやさしい手つき、「眠るのよフィル、眠りなさい」と呟く彼女の胸の底から出る歌うような調子がうらやましくなるのだ。

 擬音の使い方もうまいが、単語の選定も自然。元の単語は分らないないけれども、「まなざし」「かき上げてやる」「やさしい手つき」という言葉を、「視線」「かき上げる」「手の動き」などと置き換えてみれば、効果の違いは歴然だろう。語り手の「うらやましくなる」感覚がより読者に伝わるのがどちらか。
 翻訳ってのはこうじゃないとね。

 最後に、代表作、『OO7』シリーズの第一作、『カジノ・ロワイヤル』(創元推理文庫)の冒頭をご紹介。

> 午前三時、カジノの匂いと煙と汗は吐き気がするくらいだ。やがて、はげしい賭けからくる――食欲と不安と神経の緊張のあかみたいなものがたまってできた、魂のただれのようなものに耐えられなくなり、五感が目をさましてそれに反発する。
> ジェームズ・ボンドは、急に自分が疲れているのに気がついた。ボンドはいつも、心身の限界を心得ていて、それによって行動しているのだった。そのおかげで、うっかり気をぬいたり、勘が鈍くなったりするような、へまの種になるようなことからまぬかれていられるのだった。

 40年も昔の訳文だけれど、なんとみずみずしいことか。
 でも、ちょっとだけ気になるのは、創元版のボンドの名前の表記は「ジェームズ」なのに、ハヤカワ版の時は「ジェイムズ」と、なぜか書き分けられていること。もしかして有名な話なのかもしれないが、寡聞にして私はその理由を知らない。それぞれの出版社の意向に沿ったためかもしれないけれど、同じ訳者で表記が違うというのは何となく収まりの悪いことである。今回の訃報に関してもそこまで突っ込んで書かれているものはなかった。
 『ミステリマガジン』で追悼特集でも組まれれば書かれるかもしれないけれど、こういうちょっとしたことでも、気にかけてくれる人がいてほしいものなんだけれど。


 うちの中にゴミ袋が溜まり始めている。出るたびに捨てにいけばいいのだが、私もしげもすぐに忘れてしまうのである。いや、私の場合は単なるど忘れであるが、しげは、「ゴミ捨てられない病」なのである。
 「だって、人に見られたら、『あいつ。ゴミ捨ててやがるぜ』って思われるし」
 思わん思わん。仮に思ったとしても、それがどうだというのか。
 これも視線恐怖症の一種なんだろうな。
 ……でも、このたまってるゴミ、ホントにどうしましょ。

 久しぶりにナマでアニメ『キノの旅』を見る。もう五話まで進んでるのか。話は線路の上の三人の男、働かなくてもいい国、多数決の国、どれも原作では皮肉の利いている話で、これを組み合わせたのはなかなか慧眼。
 録画し損なってた分は、鍋屋さんにダビングしてもらっているのだけれど、なかなか見る機会がない。リアルタイムで見るやつを優先させると、どうしても録画分が後回しになってしまうのである。鍋屋さん、申し訳ない。


 CSヒストリー・チャンネルで『バイオグラフィー・サタデーナイトライブ』前編。「バイオグラフィー」シリーズが個人ではなく番組を特集するのは珍しいが、それだけSNLがアメリカの文化に定着しているということなのだろう。
 これまでいったい何十人、何百人の人間がこの番組に関わったかは分らないが、その全員にインタビューすることは1時間番組前後編ではとてもムリである。ジョン・ベルーシの初公開のカメリハなど貴重な映像もあったが、勢い、どこか説明不足で隔靴掻痒、という印象になってしまうことは否めない。
 それでもチェヴィー・チェイスの結婚による降板劇について、プロデューサーのローン・マイケルズが「今でも彼とは変わらない友達さ」と屈託なく語っているのに対して、当のチェイスが沈鬱な表情で「やはり、何かが変わったよ」と呟いていたのには胸を打たれた。
 しげの好きなダン・エイクロイドはインタビューなし。過去の映像がちょっと流れただけなのは残念だった。

2002年05月13日(月) アッパレパソコン大合戦/『アニメージュ』6月号ほか
2001年05月13日(日) 愛の嵐/DVD『BLOOD THE LAST VAMPIRE』コンプリートボックス


2003年05月12日(月) すっ飛ばし日記/帰らない男

 仕事が長引いて帰宅が12時。
 こうなるとさすがに書くことがない。つーか、もう今日じゃないじゃん。
 ……と思ったら、なぜかしげが家にいる。布団に横になったまま、こちらを見もしないで拗ねるように声をかけてくる。
 「今まで何しよったと?」
 「仕事だよ。お前こそ今日は仕事は?」
 「休んだ」
 「なんで?」
 「知らん。なんか行きたくなくなったと」
 普通なら、こういう時、私はしげを叱るのだが、やめた。私の帰りが遅いんで、気にかかって仕事に行けなくなったのだろう。
 この程度のことで心鬱になってしまうのも困りものだが、克服するのはしげが自分自身でやらないといけないことである。それに昔と違って、一日休んだからと言って、次の日からもう職場に行けない、と泣きじゃくることはさすがにもうないだろう。いつまでも心が成長しないように見えて、ホントに少しずつではあるが、しげもオトナになってきているのである。

 で、風呂に入って寝た。

2002年05月12日(日) 懐かしき人々の狂乱
2001年05月12日(土) 今日までそして明日から/『私はスポック』(レナード・ニモイ)


2003年05月11日(日) すっ飛ばし日記/ギャグで怖がる女

 アニメ『鉄腕アトム』第6話『アトラス登場』。
 原作のデザインを生かした感じのアトラス。製作者はインディアンのラム博士ではなくて、天馬博士に変更。支配者と被支配者の構図は残されているものの、ラム博士の悲痛な叫びがアニメで聞かれなかったのはやっぱり寂しい。
 人間の少年の記憶を移植、という設定はアトムの誕生に関しても生かされるのだろうか。
 
 昼間寝て、夕方起きる。夕べもぐっすり眠ってるはずなのに、それでも昼間眠くなるのはやはりからだのバイオリズムが狂ってるんだろうか。

 夕方、地上波で『高田純次のミステリーツアー』というのをやってるのを偶然見る。高田純次が作家に扮して、ミステリを書くための取材をしに山田まりやらと一緒に岡山を回るというもの。
 途中、『ぼっけえきょうてえ』(あれは怖いというより切ない小説でした)の岩井志麻子が実体験の怪談を語るなどの企画もあり。なんでも子供のころ、箪笥から足が生えていたのを目撃して、数年後、お爺ちゃんが死んだ時に「この足だ!」と気付いたのだとか。
 「それってギャグじゃん」と私なんかは思うのだが、しげはこれだけでも怖いらしい。「テレビ消しぃ!」と悲鳴を上げる。首とか手ならともかく、足で怖がるってのは、いくらなんでも怖がりすぎじゃないのか。最初怖がろうとしてた山田まりやですら「怖くなかった」と言ってたのになあ。


 マンガ、秋本治『ミスタークリス』5巻。
 コンスタントに新作が描かれるようになってめでたい。オビに「バイバイ」とかあるんで最終回かと騙されてしまったよ。
 こっちのほうもアニメ化してくれないかな。声優は神谷明で(おいおい)。

2002年05月11日(土) つんでぶで……謎の言葉(^o^)/DVD『日本誕生』ほか
2001年05月11日(金) ちょっと愚痴を言いたい夜/『荒野の出前持ち』(石川賢)


2003年05月10日(土) すっ飛ばし日記/イラストな女

 休日だけど出張。
 帰宅してみると、鴉丸嬢が遊びに来ている。
 タイミングがいいなあ。こないだから、ホームページに華がないんで、彼女にイラストを描いてもらおうと考えていたのである。渡りに船とばかりに依頼する。
 「いいけど、どんなの描くの?」
 だいたいのイメージイラストを描いていたので、それを取り出して見せる。
 「あ、それさっきまでしげさんと一緒に見てたんだよ」
 しげめ、また人に何の許可もなく勝手に。
 「それ、そのままホームページに乗せるつもりじゃなかったと?」
 「オレ、自分の絵のヘタさは知ってるよ。うまい人がいれば。その人に描いてもらうよ」
 しげ、意外なことを聞いた、というように目を丸くしている。しげの心の中では私は常に唯我独尊、人を人とも思わぬ傲慢野郎、と見られているらしいが、もちろんそんなのはしげが自分の傲慢さを誤魔化すために、私を極悪非道の人間に見立てているのである。
 鴉丸嬢、「じゃあ、ちょっと描いてみるね」、と言って私のラフをもとにサラサラと下書きを描く。やっぱり描き込んでるだけあって、構図の取り方も立派なものだ。「まだヘタだよう」と謙遜するが、そんなことを言ったらしげの絵はいったいどうなってしまうのか。小学生だって今どきはもちっとマシな絵を描くぞ。
 自分のマンガも描かねばなるまいに、快諾してくれてありがたい。これで彼女が本当にプロになれば、描いてもらったイラストにプレミアが付くことは必至であろう。あくまで計算高い私なのであった。


 CSでアニメ『成恵の世界』第1話。
 原作の方にはあまり注目してなかったが、見てみるとなかなかいい出来。SFだったのか、これ。普通のラブコメかと思ってたよ。
 ああ、でも見るアニメ絞ろうと思ってた矢先なのになあ。

 『ガンダムエース』、ついに月刊化。
 『ガンダム The ORIGIN』、セイラさんがガンダムに乗りこむシークエンスはカット。あれは劇場版『哀・戦士編』のときも劇場で失笑を買っていたシーンだったので、カットは仕方ないところだろう。ファーストガンダムを聖典化して語る人は多いが、結構ダサかったり臭かったりするシーンは多いのだ。
 トニーたけざきの『ガンダム漫画』、相変わらず面白い。いいなあ、サクにサム。海洋堂、フィギュア化しないか(^o^)。月刊化したことでもあるし、単行本は10年先かと思われてたが、これで5年先くらいに縮まったかもね。
 しかし、ホントにこの2本くらいしか読めるマンガがないなー。

2002年05月10日(金) 人生は重い荷物を……。/『新映画宝庫 Vol.4 スタークラッシュ 大宇宙映画放浪編』ほか
2001年05月10日(木) 仕事復帰、半分だけだけど/『× ―ペケ―』6・7巻(新井理恵)


2003年05月09日(金) すっ飛ばし日記/すれ違いな二人

 さて、また読み応えないだろうけど、すっ飛ばします。

 去年から今年にかけて若干のリストラがあったので、警備担当の当番も回数が増えてしまったのである。居残りすること自体は別に苦ではないが、ホームページの更新の時間が取れなくなるのがどうもね。

 帰りが遅くなるので、今日もしげは迎えには来ないはずであった。
 けれど、今日は仕事がないと言うので、珍しくも迎えに来ると言う。
 それで寒い中、駐車場まで出てみるが、しげの車の影も形も見えない。つーか、夜も更けてて真っ暗闇じゃ、軽トラと人力車の区別もつかない。そんなんが停まってるものか。
 仕方なく、携帯に電話を入れる。
 「今どこ? 姿が見えんよ」
 「ああ、ごめん、ウチで寝とった」
 姿が見えないはずである。だって来てないんだもん。
 せっかく時間が空いてるなら、一緒に食事でもと思っていたので、職場の近くのミニストップで待ち合わせをする。
 ほどなくしげがやって来たので、「めし、どっかで食うか?」と聞いたら、「うんにゃ」と首を横に振る。
 「なんで?」
 「飲み会があると」
 つまり、仕事がない日は飲み会の日なのである。なんかホントに生活時間帯が合わなくなっちゃったなあ。

2002年05月09日(木) 明日は誰の夢を見るかしら(^o^)/『スーパーまるでん』3巻(森下裕美)ほか
2001年05月09日(水) 病気で寝ててたいして書く事ないはずなのに(^_^;)/『死神の惑星』1・2巻(明智抄)


2003年05月08日(木) ある終焉③

 昨日書いた掲示板への書き込みが、今日になって、批判サイトの方にコピペされている。
 わあ、やっぱりウチのホームページ、いろんなとこから覗かれてるんだな。
 そこは、例の閉鎖されたサイトに対する批判サイトなわけだから、私の「批判文」は反作用的にやたら持ち上げられたかっこうになっている。しかし、もちろん私はあれを「善意」で書いたわけではない。

 一つは妻への牽制のためである。
 かつて、そこの管理人さんに対してかなり激烈に怒っていた妻が、今回のサイト閉鎖を知って、なんだかまたモヤモヤしたものを感じているらしいのである。要するに「あれだけキレイゴト並べといて、さっさとケツまくって逃げるのかよ」というところだろうが、逃げる人は逃げるのである。文句言ったところで仕方がないと思うのだが、妻はなにしろ次の行動の予測ができない人間であるので、ヘタをしたらフォローのしようがないことをやらかしてしまいかねない。ともかく私の方が先にリアクションを取っておいた方がいい、という判断が一つ。

 もう一つは、どうやら陰で私を散々悪者にしてきたらしい取巻きの人々から、何らかのリアクションがあるだろうか、と考えたからだった。その人たちがここを覗いているのでなければ、これは私の一人相撲に終わるのであるが、どうやら誰かがここをROMし続けていることは間違いないようなのである。
 その人たちが、仮に、これまでは管理人さんの虚言にうまく乗せられていたのだとしても、一方的な情報のみで物事を判断する愚に自分が犯されていた可能性に気がつけば、どこかで何かの反応をしてくれるだろうと期待したのである。
 もし逆に、何の反応もないようであれば、管理人さんが取巻きの人々の「善意」によって潰されていったことの間接的な証明になる。取巻きさんたちはまさしく、甘い言葉で管理人さんの心を殺していったのだ。
 そして、リアクションはあった。私の予想した形ではなかったが。

 私の書き込みをコピペした人は、その取巻きさんの一人だろうか。もし、その人が、自分は管理人さんをずっと甘やかしてきたのかもしれない、と考えてコピペしたのだとすれば、私の愚かな試みも少しは効を奏したと言えるのかもしれない。

 こうたろう君に電話をして、コピペされたことを伝える。これからどうするかは「様子見だね」という会話をしたが、彼が私のあの書きこみを読んで「優しいねえ」と言ったのにはちょっと困ってしまった。
 友人というものはありがたいもので、物事を善意に解釈してくれるが、私がまるで善意の人でないことは、私自身がよく知っていることだ。
 どちらかというと、私は取巻きの人たちのこれまでの善意と愛情溢れる言葉に、相当虫唾が走っていたのだが。
 人間、優しくなったらおしまいである。

2002年05月08日(水) ピンクの象は出て来ません/『ホーリーブラウニー』1巻(六道神士)ほか
2001年05月08日(火) 38℃線突破/『なみだ研究所へようこそ!』(鯨統一郎)


2003年05月07日(水) ある終焉②

 昨日の閉鎖されたサイトについて、今の時点での感想を書いておく気になり、掲示板に以下のように書きこみ。

> 大好きだったあるホームページが閉鎖してしまいました。
 以前はしょっちゅう遊びに行ってたのだけれど、まあいろいろあって、たまにROMするだけになってました。
> それでもそこの管理人さんには元気で頑張ってほしいと願ってはいたのですが、すっかりお疲れになってしまったようです。客観的に見れば、閉鎖に至った原因はご本人に大いに責のあることなのですが、最近はもう、ほんの少しも自らを省みる余裕さえなくなってしまっていたように見えました。
> 同情はしません。ご本人はいつも同情されることを求めていましたから。それに応えることは、その人の心を殺すことになります。そして、その人の周りには、その人の心が死ぬとわかっていて、見え透いた同情の言葉を投げかける人たちが随分といたように思います。
> でもそういう人たちほど、自分こそが管理人さんの一番の味方だと思い、管理人さんもその人たちが本当の味方なのだと勘違いしていたようです。それは単に馴れ合いの生み出した幻に過ぎないのですが。
> 本気でその人のことを思うのなら、みんな、もっとその人の思いこみを揶揄し、罵倒し、心を傷つけ、自らの愚かさに気づかせてやればよかったのに。しかし、そこまでその人を愛した人は誰もいませんでした。
> みんな、「安全なところからの物言い」を繰り返していただけです。
> それにのに管理人さんは、端から見ればスカスカで中身のない言葉を、自分が愛されているのだと錯覚し、まだしも管理人さんを思う忠言を口にする人々を排斥していきました。それは、どう言い訳をしても、その管理人さんの愚かさに違いありませんでした。
> みんな、自分が「利口」だと思っています。そんな人間なんていないのに。なぜ、その人は素直に自らの愚かさを認められなかったのでしょうか。そうすれば、空虚な言葉に振り回されることも、サイトを閉じることもなかったでしょうに。「愚かさの徳」を忘れた人々の姿は、いつも切なく、寂しいものです。
> 陰で笑ってる人がいますね。
> その人の正体には早くに気付いていましたが、それを伝えても管理人さんには信じてもらえなかったでしょう。今もそうかもしれません。
> そのことを思うとき、私はただ深く、静かに絶望するだけです。

 最後の一行は、実は友人の言葉を引用したものである。
 当の管理人さんがこの文章を読むことがあるかどうかはわからないが、読んでもその意味を理解できるどうか、心許ない。これを書きながら、かつて全ての言葉を曲解され、言ってもいないことを言ったと思いこまれ、どう語りかけても言葉の通じない思いをした記憶が蘇えったからである。
 これに誰かのレスが付くとは思ってもみなかったが、鍋屋造物さんが即座に「人は自分の都合の良い事しか聞き入れない」と書きこまれたのを見て、更に寂しくなった。気持ちはわかる。キツイ言葉は耳にイタイし、慰められれば誰だって嬉しかろう。けれど、自分に都合よくモノゴトを解釈することの愚だって、人は知ってるはずなのだが。
 ヨナさんは「外側に起こる現象は、すべて自分自身の内面の反映」とレス。サイト閉鎖の挨拶の管理人さんの挨拶の中で、再三「サイト閉鎖は自分がいたらないせい」と語っているが、そんなことを本気で考えてはいないことは、文面で「自分のどこがどういたらなかったのか」を具体的に全く語っていないことからも見当がつく。
 その方の口癖に、「あなたは本気で悪いと思ってますか?」というのがあった。その言葉が相手にどう取られるものか、全く本人は気付いていなかったようだが、これは「人は本気で謝りなどしない」ということを前提とした発言だ。普通、何の根拠もなく「相手が本気ではない」という決め付けを行って、まともに相手をしてもらえるはずもないし、逆に考えれば、そう発言した自分自身が「本気で謝らず、口先だけで生きてきた」可能性をも露呈している。
 私は怒りはしないが寂しかった。

 管理人さんを批判していたサイトには、擁護派の方の弁として、私がウラで画策して批判者を集め、その方を苦しめているように煽っている書き込みもあった。そんな事実は全くないのだが、どうも取巻きさんたちはそのデマを信じているフシがある。「そう思いこまなければ自分のほうが加害者になる」ことを恐れる心理が、管理人さんやその取巻きの人たちにも働いているのだろう。歪んでるよなあ。本人たちはピュアなつもりなんだろうけど。
 自分以外の誰かを悪者にしなければやりきれないのもまた、人の心理とは言え、それもまたどうにも寂しいことである。どうしてそうまでして、自分が「善人」でいたいのだろうか。それは結局、世間の何物をも自ら受け容れる姿勢を持たない行為であるのだが。


 ホームページを開設してみたはいいものの、なかなかコンテンツを充実させられない。普通に仕事をしていれば、パソコンの前で何かをできる時間なんて限られているのだが、それにしても画面が「工事中」のままでは、せっかく来ていただいた数少ない読者の方々に対しても申し訳ない限りである。
 だもんで、自分で何かを書けないなら、人のフンドシで相撲を取ろう、ということで、やんさんから頂いたノンフィクションをサカナに、「FADイレギュラーズ」というコンテンツを立てる。
 中身は御覧の通り、やん嬢の「バカな男に引っかかったよ」(実は今も引っかかったまま別れられていないようである)話なのだが、そこに私が、「バカはお前だ」というツッコミを散々入れるという極悪非道なもの。でもさあ、この子の行状見てると、みんな何か言いたくなるのよ、ホントの話。
 まあ詳しくは書けないけど(実は以前チラッと書いたことあったんだけど、やんさんにダメ出し食らって削除した。コンジョねえなあ)、若いワリに(若いからかも)結構危なっかしい生き方をしていて、「お前、ちったあ人生考えて行動しろよ」と言いたくなってしまうんである。
 で、これもまた当然のことながらそういう忠言は右から左に抜け出て行くものなのである。余計なお節介だと言われるだろうが、全くの他人ならいざ知らず、一度関わりを持った相手に対して「人には人の考えがあるから」と距離を取るのは、私ゃあまり好きではない。ギャグめかして書いちゃいるが、結構あのツッコミは本気なのである。
 相手の尊厳を尊重することと、コトナカレで距離を取ることとをあえて混同させるような卑怯な行為はしたくないんだよね。

2002年05月07日(火) この文も詭弁かもしれない(^o^)/アニメ『十二国記』第五話「月の影・影の海 五章」
2001年05月07日(月) フライド・エッグ・ムーン/『三毛猫ホームズの恐怖館』(赤川次郎・竹内未来)ほか


2003年05月06日(火) ある終焉①

 連休明けで仕事が溜まりに溜まりまくっている。同僚はみんな休日返上で出勤して片付けてるんだよなあ。そもそも休日潰さないとこなせないような仕事を自ら増やしてるのはいったい何のためだと思うけど、まあ私の常識は職場の常識とも世間の常識とも全然違っているらしいので(自覚なしかよ)、まあ仕方がないのである。まあ、しげを駐車場で待たせる心配がなくなったので、残業できはするんだけどね。手当てつかねーけど。

 帰り道、晩飯を物色しにローソンに寄る。
 新発売で、これはもう当然九州限定商品だろうが、「九州味好み弁当」ってのを売っている。地元の味ったって、世代が違えば味覚も違うわけで、何をもって「九州味」と呼ぶかは決めつけられもしないが、逆に言えば、「これが九州味だ!」と誰かが言い出して、それが受け入れられればそれが九州人好みの味ってことになっちゃうのだ。わしゃまだラーメンの「とんこつ」を博多人好みと認めたくはないが。
 中身を見ると、チキン南蛮・甘~い玉子そぼろ・ごぼう天・明太子・焼き鯖・黒豚入りつくね・がめ煮・焼きラーメンと、確かに九州のスーパーの惣菜売り場によく並んでる品を一つところにぶちこんだ感じ。でもこの中で博多っ子好みの品ってったら、がめ煮くらいじゃないかな。甘くて糖尿には悪そうだが。


 帰宅してネットを散策していると、1年ほど前まではよく出入りしていたあるサイトが閉鎖されていた。
 ROMだけはしていたものの、そこの管理人さんとは、全く交流がなくなっていた。以前、メールでの言葉のやり取りの行き違いから仲がギクシャクしてきて、果ては妻がその人のことをとことん憎むようになったので(妻は、私が相手のことを本気で気にかけるようになると歯に衣着せぬモノイイになることを知ってるので、本気で嫉妬したのである)、これはもう絶縁するしかなかろうと諦めたものである。
 興奮すると自分を律することのできない性格の方で、どうやら私以外の人とも随分トラブルを起こしてきたらしいことがほかのサイトでも話題になっていたのであるが、結果的に批判の嵐に耐え切れなくなったのが閉鎖の理由であるようだった。

 その「批判」については、私も最近になって読んではいた。中にはたいした根拠のない、誹謗中傷に近いものもありはしたが、全てがそういうものばかりではない。真摯に管理人さんのためを思っての忠告もあった。恐らくは自らの心の弱さを糊塗するためであろうが、その方には相当に強い虚言癖があったのである。しかし、それをたしなめる言葉に限って、管理人さんは無視をし、自らを慰める言葉のみを受け入れていた。
 苦笑するしかなかったのは、かつてその方が私に対して罵倒を浴びせていた言葉が、そのままその方に対して返されている例が数多くあったことだ。表の顔をきれいに取り繕うことの愚を私は指摘したのだが、そのときにはその方は激昂して反駁した。その言葉がそのままその人に対して投げかけられていたのである。二枚舌を使い分けてきたことを指摘された格好になったその方の心境は、果たしていかがなものであったろう。
 そのサイトに集っていた定連の人たちは、懸命にその方を擁護していたが、実はそれは、私を擁護し、その管理人さん自身を責めたてる言葉になっていたのである。その方の内面を知らぬ人たちの無自覚な行為とは言え、随分とその方にとっては酷な仕打ちをしたものだ。

 けれど、私はふと考える。
 管理人さんを慰める取り巻きの人たちは、本当にその方の性格の破綻に気付いていなかったのだろうか。
 ネット上のやりとりであろうが、しばらく会話をしてみれば、その方の感情の起伏の激しさに気がつかないはずはない。場合によってはその方の暴走をたしなめる必要も生じていたはずなのである。
 なのに誰もがその方のことをさも聖人のように誉めそやしていたというのは、いったいどういう心理なのであろう? その表現はいささか気持ち悪いほどであったのだが。

 結果的に、私はその方が、取巻きの人たちの「誉め殺し」にあったと思うのである。
 サイトを開けば、それは衆人に公開されることになる。誰にどう批判されることも覚悟しなければならない。それは、批判する相手が名乗りをあげようか匿名であろうが関係のないことだ。サイトを閉じることは、結果的に「誰からの批判も一切受け付けません」と宣言するのと同じことになる。それなら、もともとなんのためにサイトを開いたというのだろう? その方が誰の批判も受け容れる覚悟があったなら、こうしてサイトを閉じる必要もなかったのではないか?
 つまりはその方は本当は自分を慰める言葉、癒される言葉だけがほしかったのである。そして取巻きの人々はその管理人さんの心の弱みに付けこんだ。恐らく最後まで管理人さんは、自分が取り巻きの人々に「利用」されていたことに気がつかなかったことだろう。
 管理人さんはサイト閉鎖の挨拶で、未だに「どんな批判でも受け付けます」と気丈なところを見せているが、これも恐らくは自らを守るためのうわべだけの言葉だろう。その方は自らの紡ぎ出す美しい言葉だけに浸る生き方を選んでしまった。それはそれで別に悪いことでもなんでもないのだが、もともとそうなることを望んでサイトを開いたわけではなかったはずだ。
 そこまでその方を追い込んだのは、明らかに「取巻き」の人たちなのである。「批判者」たちの方ではない。
 だから「取巻きさん」たちに問いたいのだ。あなた方は管理人さんに何をしたのか、「自覚」はあったのですか、と。
 

 マンガ、鳥山明『ドラゴンボール 完全版』11・12巻。
 ピッコロ大魔王の復活は、当時は随分盛り上がったものだったが(キャラデザインも画期的だった)、同時に『Dr.スランプ』以来の鳥山さんのトボケた味がほぼ完全に払拭されるきっかけになったアタリでもある。
 ピッコロの上目遣いに相手を睨めつけるポーズが、リアル化していく孫悟空にまで伝播していくのだ。私はこのへんからもう、惰性でしか『ドラゴンボール』を読まなくなっていったのだが、実際にはこのあたりから人気の更なる高騰が始まっているのである。
 しかも女の子に。
 「やおい」という言葉を私が耳にするようになったのがいつごろからか、もうハッキリとは覚えていないが、80年代後半はまさにやおいの時代と括ってもいいようなくらい、私の感覚では付いて行けないアニメに女の子のファンが集中した。
 それまでにも女の子が熱狂したアニメもないわけではなかった。しかしそれは同時に男の子たちにもエポックメーキングな作品として評価を受けていたのである。『海のトリトン』などはいい例だ。しかし、ドラマ的にも作画的にもオソマツの一言に尽きるのに、女の子だけが熱狂するアニメやマンガが、この時期からドッと増えていくのだ。
 世の30代、40代の男性諸君、あのころ、『聖闘士聖矢』や『鎧伝サムライトルーパー』や『天空戦記シュラト』のネタを女の子から振られて、どうしていいのかわからなくなった経験、ありませんか。
 当時は「なんでやねん」と思っていたものだったが、今にして思えば、それはやはり抑圧された女の子たちが、自分語りを始めた一つの例なのだろう。自分を語るのに予めキッチリと作られたドラマは想像の幅を広げるのにジャマなのである(だからドラマが劇的な展開を迎えると、「こんなの私の○○じゃない!」と泣き騒ぐ)。
 最近流行ってるらしい「ドリーム小説」もそうだが、ドラマを楽しむのではなくて、自分の物語にキャラクターや設定を利用しているのである。まあ、一見、女の子たちが自立し始めたようにも見えて、悪くないのかもしれないけれど、そうやって新しく作られた物語が果たして他人の共感を得るものになるかって問題が残ってるんだよね(^_^;)。
 私も自分を主人公にしてアニメの設定の中に入りこんで一発、小説書いてみようか。……でも特に「この世界に入りたい」ってのないしなあ。『ドラゴンヘッド』とか、絶対いやだもんな(^o^)。

2002年05月06日(月) やっぱり類友(^_^;)/DVD『シティボーイズライブ』/DVD『ブギーポップは笑わない』ほか
2001年05月06日(日) 襟足に寒気/『仮面ライダーSPIRITS』1巻(村枝賢一)


2003年05月05日(月) 東京の空の下④/映画『ボイス』ほか


 目覚まし時計がなる前に起床。朝風呂は気持ちがいい。
 飛行機は7時発なので、6時半には到着しなければならない。始発電車では間に合うかどうか心許なかったので、タクシーで羽田空港へ。
 土産を買う時間もないかと思ったら、7時前だというのにもう店が開いている。さすがは羽田。職場の仲間に雷おこしを買って行く。
 なにしろ私はこういう(どんなだ)性格なもんだから、同僚とトラブることも珍しくないのだが、天変地異の予兆か、今年の同僚たちとは結構うまくやれているのだ。土産の一つも買わねばなるまい。
 帰りの飛行機も無事、墜落することなく博多に到着。
 記憶の薄れぬうちにオフ会のレポートをホームページにアップする。けれどやっぱり途中で力が尽きて中断。イラストまではとても描けなんだ。

 旅行中に録画しておいたケラリーノ・サンドロビッチ作の舞台『SLAPSTIC』を再生して見る。
 ハリウッド・スラップスティック創世記のコメディアンたち、裏方たちの騒動を例の「デブくん」事件を絡めて描いたものだが、脚本の「練り」が薄いので、せっかくの役者たちの好演がイマイチ生きてこない。ロスコー・アーバックルを話題にするなら、ちゃんと「デブくん(fatty)」って呼ばなきゃ。
 史実に則ったフィクションって、舞台だとよっぽど慎重に描かないと「浮く」んだよねえ。舞台って、ナマな分だけ映像よりずっと観客との間の距離が近くなっちゃうから、実在人物のイメージと役者のイメージの齟齬も拡大されてしまう。「○○○○がそんな喋り方するのか?」なんて感じさせちゃったらもうアウト。井上ひさしの芝居は宮澤賢治や樋口一葉など、実在人物を扱ってるものが多いけど、どれもこれも役者に過剰な演技をさせて悉く失敗してる。ケラさん、どうも井上ひさしの悪いとこ踏襲しちゃってる印象だ。せっかく面白い題材なのに惜しいなあ。


 続けて、CSで『ロード・オブ・ザ・リング 吹き替え版』を見る。字幕版よりこちらの方が原典に忠実でわかりやすい、と言うことだったけれど、やっぱり「声の質」が違うからねえ。誤訳があってもやっぱり私は字幕派なんだなあ。


 ひと寝入りしたら夜。ちょっと生活のリズムが狂ったなあ。
 でも、しげがせっかくの休日だから映画に行こう、と持ちかけてきたので重い腰を上げる。でも何の映画に行くのか決めてない。しげに「何が見たい?」と聞いてもいつものデンで不得要領。
 痺れを切らして、
 「一番時間の早い映画に行こう。それでいい?」
 「うん」
 とお互い納得して、ワーナーマイカル福岡東に行ったら、すぐに始まるのは『ボイス』だった。
 ホラーに弱いしげ、墓穴掘り。┐(~ー~;)┌

 映画の感想自体は、掲示板に以下のように書いた。

> 携帯という最近のアイテムを除けば、話自体は20年くらい前に作られてた因縁ものみたいな感じですね。演出はキッチリしてるけれど(でも『リング』っぽい)、悪く言えば特に可もなく不可もなくという感じで、印象に残るほどじゃない。笑えたのは真犯人が死体を壁に塗りこめるシーン。おまえ、いつ左官屋の修業をしたんだ(^o^)。
> まあ、ヒロインのねーちゃんは中山美穂と中山忍を足して2で割った感じで、美人です。見所はそれくらいかな。
> 世間で評判の子供の怖い表情は演出過剰で私にはイマイチ。子供の顔ってね、もっと怖く撮れるんだよ。

 ただ映画を離れたところで、ちょいと気になったことがあった。
 それはこの映画を作るに当たって、監督以下制作者は、子役の子とその親に重々、この映画に出ることについて因果を含んであげたかどうかってことだ。
 世間でもこの子の演技が「怖い」と専らの評判であるが、私に言わせれば、ホラー映画のキャラクターとしては全然怖くなんかない。目を剥いたり悲鳴を上げたり、ああいう表情をする子って現実にもいるんだけど、そのことにみんな気がついてないのかな? もちろん、それはヒステリー症状を起こしている子だ。
 なんだかみんな、安易にコワイコワイって言ってるけどさ、つまりは「ヒステリーを起こしてる子は怖い」って言ってるのと同じことなんだけど、そうハッキリ口にしちゃっていいのかねえ。現実と虚構の区別のついてない連中は、私生活でこの子のことを嫌ったり避けたり、あるいはいじめたりしないだろうか?
 なんか『エクソシスト』のリンダ・ブレアーのその後を思いだしちゃったけど、この映画に出たことで、この子がいわれのない偏見や差別を浮ける危険は充分にあると思うんだけど、そこまで覚悟して監督や親は出演させたのかな?
 もちろん私は、こういう子供の教育に悪そうな映画を作るなと言いたいわけではない。これがリスクのある映画造りであることを承知の上で作ってるのかなあ、と疑問に思ったのだ。「誰かにからかわれても、これはちゃんと一人の役者として演技したんだから、誰に恥じることもないのよ」とこの子に言い含めてるのかなあ、ということなんである。
 『修善寺物語』じゃないけど、自分の作りたい作品のために役者を犠牲にするのは芸術の精神から言っても本末転倒だと思うけど、まあ、この映画が実際にはそんないい加減な造りでないことを祈るばかりである。

2002年05月05日(日) トンデモさんの系譜/『こんなにヘンだぞ!『空想科学読本』』(山本弘)ほか
2001年05月05日(土) 東京ドドンパ娘/葛飾柴又寅さん記念館


2003年05月04日(日) 東京の空の下③

 朝はぐっすり。夕べっつーか、徹夜でカラオケだったからそれも当然なんだが、それでも11時には目覚めて、こうたろう君一家と秋葉原へ。
 学生時代には電気街だったアキバが、いったいどれくらいオタクな街になってるんだろう、と思って駅から降り立った途端、GAMERSのデカイ店がどどんとあってたじろぐ。いきなりでじこかよ。しかも歌手の新曲披露のイベントがあるとかで、黒山の人だかり。その姿格好を見る限り、どう見てもお仲間である。のっけからイタイことったら(^_^;)。
 こうたろう君はこうたろう君で、「おっ! 海洋堂ショップだ!」といきなり家族ほっぽらかしで飛びこんでいく。息子さんは喜んで付いていくが、奥さんと娘さんはもう置いてけぼりである。これが日本の正しい父親像であろう(^o^)。
 東京まで行って食玩買うのもなんだかなあ、と購入は控える……というわけではなくて、買ってったらキリがないなと思ったんで諦めたのだ。ワンフロア全部フィギュアの店なんて、二十年前の常識だったら考えられんがね。
 しげ、何やらほしい食玩があったらしいのだけれど、広過ぎてとても探し出せるものではない。そのあとも何軒か店を回ったが、結局、見つからなかったようだ。
 それにしても、もう手に入らない古い食玩の類が、もう千円とか二千円とか、軽く高騰している。それでも売れてはいるんだろう、古本業界もそうだが、オタクが群がるマーケットって、インケツな(本人たちはマットウなつもりの)商売人も集うんだよなあ。
 そのあとも2、3時間かけて何軒か、アニメグッズのショップを回る。自分でもよく体力が続くなあと思うが、やっぱりドーパミンが出まくっているのであろう、全然眠くない。しげは、職場への土産などを物色、『ワンピース』のお菓子なんかを買っている。東京土産に『ワンピ』はねえだろう、とは思うが、明日、空港で買い損なったらいけないから、だそうな。朝が早いからその可能性もないではないが、知らんぷりして、「お土産買い忘れちゃった、てへ♪」って芸当はしげにはムリなんだろうなあ。

 昼飯はみんなでなんとかいうステーキ屋へ。血の滴るようなステーキをほおばる。最初の予定では、このあとは神保町に回って、古本でも探そうかと思っていたのだが、案の定、しげが愚図りだす。しげも古本に興味がないわけではないのだが、私と一緒だとペースが合わない、というのである。
 「じゃあ、どうする?」と聞いたら、これがまたうまくしたもので、駅の方を見やると「交通博物館」の看板が。こういうものにはしげは惹かれるのだ。
 本当はこうたろう君一家ともここでお別れの予定であったが、交通博物館に行く話をしたら、「なんだ、それなら俺たちも付き合うよ」と、結局、ゾロゾロ(^o^)。
 館内では、海、空、陸の交通の歴史を、ミニチュアや実物大の模型で展示。
 アナウンス付きでJRのいろんな列車がジオラマの中を走りまわるのを解説してくれているのだが、列車マニアでない私にはどれがどれだか全然わからない。それでも列車がトンネルに入るとどこから出てくるのかなと目で追ってしまうのだから、未だに精神的にはコドモなんである。
 リニアモーターカーの模型、実際に浮いて走る様子を見せてくるのだが、これが一方の壁からもう一報の壁に激突するという雑なもの。壁にぶつかるたびに撥ねあがって、なんだか事故を起こしてるように見えるんですけど、いいんですか(^_^;)。
 こういう展示ものは、見てるだけで楽しいから退屈しなくていいのだが、しげがいちいち「こういうのってあんたの時代にあった?」とか聞いてくるのには閉口。だって輪タク(自転車で客車を引いてくやつね)」を指しながらそう聞くのである。いったい私をいつの生まれだと思っているのだ。
 「だって、オレのイメージじゃ、アンタって、進駐軍の時代からいて『ギブ・ミー・チョコレート』って言ってるんだもの」
 それは私の親の世代だって(-_-;)。
 こうたろう君のご家族も楽しんでいたようでよかった。内心、せっかくのゴールデンウィークを我々につきあわせてしまって、申し訳ない気持ちで一杯だったのである。

 時間の余裕はまだあったが、しげがそろそろ疲れてきている様子だったので、早々にホテルに移動することにする。時間はまだ4時くらいだったので、こうたろう君は「ほかを回らなくていいの?」と気にしてくれたが、いえいえもう充分堪能させていただきましたよ。トシを取ってくると、あちこち走りまわるより、一つところをゆっくり回るほうがラクなんである。
 こうたろう君たちとは秋葉原駅でお別れ。ホントにお世話になりました。もしかしたら来年もお世話になります。その時はまた息子さんたち、大きくなってるんだろうなあ。願わくば大人になっても清く正しいオタクであらんことを。m(__)m ペコペコ。
 結局、秋葉原での買い物で、私が手に入れたのは『キノの旅』のトートバッグだけ。これも博多のアニメイトで売ってる可能性はあるのだが、最近はあまり行かなくなってるし、デザインがよかったからここで買っとかないとなくなっちゃうだろうなあと思ったんで。


 ホテルは、明日の朝が早いことを考えて、空港の近く。
 入ってみるとワンルームマンションをそのままホテルに改造したらしく、廊下がそのままベランダである。しかもドアがウチのマンションとデザインが一緒。なんだか福岡に帰ってきたかのように錯覚する。
 中に入るなり、二人ともしばらく爆睡。
 晩飯は近所の和食屋で掻揚げを頼む。昨日オフ会で食べた掻揚げが美味しかったからだが、当然のことながら、その辺の定食屋での掻揚げと、昨日の高級料亭でのそれとでは、トテモトテモ比べものにならないのであった。
 いや、ホントに昨日の雷神揚げ、美味しかったんですよ。
 そのあと、スーパーで夜食や明日の朝食をいくつか買い込む。福岡で「ラーメン焼き」と言ってるものを、東京では「焼きそば」という名で売っているのを発見。「焼きそば」と言えば福岡では「ソース焼きそば」しか指さないんだが。

2002年05月04日(土) 日記書きの一日/アニメ『アタックNO.1』/『低俗霊DAYDREAM』3巻(奥瀬サキ・目黒三吉)ほか
2001年05月04日(金) ウナセラディ東京/江戸東京たてもの園/『ヒカルの碁』12巻(小畑健)


2003年05月03日(土) 東京の空の下②/舞台『シティボーイズ・ミックスpresents/NOTA 恙無き限界ワルツ』

 ぐっすり寝たつもりだが、睡眠時間は4時間程度。それでも8時には目が覚めてしまうのだから、トシヨリの朝は年々早くなつてきているのであろう。10年、20年なんて、ホントにあっという間だ。
 朝食の席で(これもいつものごとく、こうたろう君にたかっているのである)、芝居が始まる午後まで、お台場に行ってみないか、と誘われる。今回、芝居とオフ会以外の予定は全く立てていないので、二つ返事で誘いに乗る。

 デックス東京ビーチ・シーサイドモールってところの4階に「台場一丁目商店街」(通称レトロ商店街)というのができてるんだとか。昭和30年代の東京の下町を再現してるそうで、要するに『オトナ帝国』の夕日街商店街である。マジで『オトナ帝国』見た連中が企画立てたんじゃないか。
 行ってみると、なるほどよくできてはいる。駄菓子屋だの玩具屋だの食堂だの床屋だの、昔風の店が建ち並ぶ中に射的屋まで混じっていて、どっちかというと商店街というよりも縁日っぽい雰囲気を作ろうとしている印象である。チンドン屋まで流れてくるのはちょっと演出過剰であるが、ガキがそのあとをついて歩いてる様子を見ると、昔もオレたちゃそうだったよなあ、と感慨深い。
 こうたろう君の息子さんは射的が大好きらしく、何発も撃ってはタマを無駄にしている。実は私は、子供自分に射的というものを殆どしたことがない。母が「お金の無駄遣いだから」ということで、縁日に行っても絶対にさせてくれなかったからだが、今思うに、本当の理由は母がとことん銃嫌いだったからではなかったろうか(刀は嫌いじゃなかったようだが)。
 こうたろう君に「一発撃ったら?」と言われて試しに撃ってみたが、やっぱりへなちょこな方向に飛んでいくのであった。

 でもなあ、よくできてはいても、やっぱりこれって、作りものなんだよなあ。『オトナ帝国』風に言えば、形はあっても「匂い」はない。人が生きて生活してる雰囲気はないし、未来への夢はない。昭和30年代はやはり過去なのである。

 人出も多く、ちょっと油断したらこうたろう君たちとはぐれてしまう。パーラーで軽食を取って、そろそろ芝居の時間が気になってきたので、外に出る。買い物をしようかと思ったけれど、荷物になるので諦めた。こうたろう君とはここでいったんお別れ。


 天王洲アイルには公演の1時間ほど前に到着。
 しばらくぶらぶらするが、しげ、やっぱり今一つ元気がない。去年もオフ会の前はこんな調子だったし、先日も「オレってやっぱり人がいるとこダメなのかなあ」とか呟いてたから、本人も気にしちゃいるのだろう。
 どんなに「他人は自分のことをそんなに気にしてるわけじゃない」とリクツで納得しようとしても、感情では「みんなに嫌われてるかも」と思ってしまうのである。
 そういうことを考える方が逆効果だとわかっていもどうしてもそう考えてしまうのだからやっぱりビョーキなんだよなあ。で、その情緒不安定を私にやつあたりすることで紛らわそうとするんだよな、こいつは。もっとも私に当たらなければ、しげは自分自身に向かってそのストレスの矛先を向けてしまうので、ある程度は受けてやらなきゃしょうがないんだが、こちらだって体力の限界というものはあるのよ。
 しげは、私と一緒にいても、全然口も利いてくれん、と怒ることがあるが、しょっちゅうしげと会話してたら体力が持たないのである。いざって時のためにペース配分をしているのだから、無視するのも愛情の形と考えて納得してもらいたいのである。納得できなくてもしろ。


 シティボーイズ・ミックス・プレゼンツ『NOTA 恙なき限界ワルツ』。
 今年のゲストは中村有志さん、YOUさん、五月女ケイ子さん。五月女さんは新参加だが、きたろうさんの引きだそうな。もともとはイラストレーターで『新しい単位』なんかの挿絵を書いていらっしゃるが、舞台経験は3回程度だとか。でも役者の面白さは必ずしも経験に左右されないし(ベテラン俳優が子供や犬に食われることがあることを想起していただきたい)、実際、どこか現実からちょっとズレたような不思議ちゃんっぽい雰囲気を出していてかわいらしい。
 けど、じゃあ、今回のこの公演、成功だったかというとそうでもないのだ。ハッキリ言って、ここ十年の中では最もレベルが低かった。やはり脚本家、演出家が若手に代わったせいだろう、どうにもシティボーイズのキャラクターを生かしきれていないのである。
 ともかくねえ、シティボーイズの舞台が面白いのは、どのスケッチも何らかの狂気に彩られてるからなんでね、『笑う犬』レベルのギャグやったってさ、そりゃ『テレビでやればいいじゃん』ってことになっちゃうのよ。

 実際、面白かったと言えるスケッチは二つだけ。
 一つは映像(スケッチじゃないじゃん)。
 楽しげに山へピクニックに出かけた一同。ところがなぜか斉木さんだけが一人山道に取り残される。慌てふためいて道なき道をさ迷い、ほかのみんなを探しまわる斉木さん。
 途中、崖道でフラついて、お握り入りのバスケットが崖下へと転がり落ちて行く。ここをスローモーションで撮影しているのは、もちろん『戦艦ポチョムキン』のパロ(^o^)。
 夜。きたろうさんの家の玄関のベルが鳴らされる。ドアを開けると、そこに立っていたのは泥だらけの斉木さん。
 斉木さん、驚愕しバツの悪そうなきたろうさんの前で泥だらけのバスケットを開き、泥まみれのお握りを差し出して無表情で一言。「さあ、食べよう」。
 震える手で泥にぎりを口に持っていくきたろうさんの額に汗が……。
 どうしてみんなが斉木さんを置き去りにしたのかは謎だが、斉木さんの無表情は怖いよ。こういうところはハーポ・マルクスの狂気に通じるところがあるね。

 もう一つは「首の皮一枚ショー」。
 斉木さんの司会で、世間の「首の皮一枚さんたち」を集めてのど自慢をやらせる。やらせてる場合か(^_^;)。
 大竹・きたろうのリストラ男二人による「地上の星」とかね。
 でも最高だったのは、クリフハンガーYOUさんを助けに現れた、中村有志ASIMO。間にあわね~って(^_^;)。

 冗談抜きで、今年、中村有志さんがいらっしゃらなかったら、いったいどうなってたことか。やっぱりシティボーイズには中村有志さんにいとうせいこうさんがいてこそ(そして演出は三木聡さん)、映えるのである。


 さて、このあといよいよ当「f.a.d. agency」の、というより「無責任賛歌」の第1回オフ会となるのだが、そのいきさつはトップページからの別コンテンツをご参照頂きたい。これだけで確実に規定枚数オーバーしちゃうからね。

2002年05月03日(金) ジンクス再び/『ジャングルはいつもハレのちグゥ』9巻(金田一蓮十郎)ほか
2001年05月03日(木) 東京行進曲/舞台『ラ・ハッスルきのこショー』ほか


2003年05月02日(金) 東京の空の下①

 さあ、いよいよ明日から三連休。でも飛行機に乗るのは今晩。これも、少しでも飛行機代を安く上げようという庶民の切ない知恵である。
 飛行機が6時台の出発なので、1時間早めに職場を出る。
 バスと地下鉄を繋いで福岡空港へ。今朝やっと荷物の準備をしたというしげは(当然寝ていない)なんだか気乗りがしないのか、バスの中で「もう帰ろうか」なんて言い出す。福岡空港内のレストランで食事してる最中にも同じことを言いだすので「あほ」と一喝。しかしこいつはどうして旅行とかの前になると情緒不安定になるかね。

 今回の飛行機はANA。乗ったらなんと最前列である。事故があったら確実に死ぬ席だなあ。上を見てみても荷物の置き場が見当たらないので、足元に置いていたら、スチュワーデス(と言っちゃいけなくなっちゃったらしいが新名称なんて覚えてない)のお姉さんに、後ろの方の荷物置きに入れるよう、指示される。しげも私も、疲れていてすぐに寝る。でも、今や飛行機は、東京・福岡間をわずか1時間ちょっとで飛んじゃう時代なのである。たいしてゆっくり寝るヒマもない。

 なんとか飛行機は落ちずに羽田空港へ。
 しげ、「こうたろうさんにお土産買ってない!」と、慌てて東京土産の店を物色。……まあ、東京人はかえって東京土産を買ったりしないものだろうから、それも悪くはないか。私も「博多の女」とか「博多ぶらぶら」とか「に○かせんぺい」(「せんべい」ではなく「せんぺい」なのである)とか、滅多に買わないものなあ。
 浜松町まで出ると、こうたろう君と娘さんが迎えに来ている。息子さんはこんな夜中にサッカーの練習だそうな。今はどの家庭でも昼間は都合が悪くて、人が集まらないのだろうか。
 娘さん、ほんの1年ほど前は、まだまだ赤ちゃん言葉で「アカチバラチー」としか聞こえなかったのだが、今年はもう「藤原さん、『明日のナージャ』見てる?」なんてしっかり聞き取れる。子供の成長って早いなあ。
 こうたろうくんのワゴン車に乗せてもらって、いつものように二日間の居候に(^o^)。

 今回は冗談ではなく手元不如意であるので(あれだけDVD買って、映画や舞台を見まくっていれば当然である)、お土産も本当に安上がりで済ませている。
 こないだNHKBS2で放送されてたポール・グリモーの『王と鳥』を録画したDVD。金額にしてせいぜい3~400円というところか。これで二晩も泊めてもらおうというのだから、厚顔無知にも程があるのである。こうたろうくんご夫妻が人格者じゃなきゃ、とてもできることではない。いやもう、ひたすら感謝ですよ。
 あと、『プリンセスチュチュ ―卵の章』のDVD全3巻をムリヤリ貸す。楽しんでもらえればいいな♪

2002年05月02日(木) 私は病院に行くかしら/『COMAGOMA コマゴマ』2巻(森下裕美)ほか
2001年05月02日(水) 行って来ます。/『20世紀少年』5巻(浦沢直樹)ほか


2003年05月01日(木) メモ日記/淡白なメールの夜。

 明日はいよいよ東京行きである。
 なんだけれど、どういうわけか今一つそういう雰囲気がない。なんか旅立つ緊張感とか、ワクワク感とか、そういうのにちょっと欠けているのである。年に一回の風物詩になってるせいかな。慣れてきたなあと自分でもわかるのは、年々荷物が軽くなってること。着替えの類は下着の類なら殆ど現地調達である。コンビにで買った方がかさばらないんだよな。行きは土産の手荷物が多いけれど、渡した後は軽くなるので、着替えが増えても荷物の量としては変わらないのである。
 それと、あの事前準備魔のしげが、今回はえらく静かなのだ。
 いつもなら、「ねえ、もう一週間後だよ! 一週間後の今はもう俺たち東京にいるんよ!」と騒ぎ立てるしげが、何一つそのことを言わないのである。いったいどうしちゃったのか、と思って聞いてみたら、「いつもそれで行く前に疲れてるから」なんだそうな。
 それにしても、前日になっても荷物の準備もしてないのはなあ。結局慌てるハメになると思うんだが。

 夜、最終確認の電話をこうたろう君に。
 一日目と二日目はこうたろうくんの家に泊めてもらうので、飛行機の便を知らせておくよう、しげに頼んでおいたのだが、どうもへんなメールを送ったらしい。
 「世界一そっけないメールをもらったよ」と笑っていたので、何のことか、と思って詳しく聞いて見たら、挨拶も何もなく、ホントに「○○○便」とだけ書いて送ってたそうなんである。
 「あんまり素っ気ないんで、最初、何か藤原を怒らせるようなことしたのかと思ったけど、ああ、これはしげさんだなと気付いたんで」。
 その通りである。しげには悪意とかそういうのは全然ないのである。つーか、ヘンに媚びるような挨拶をこうたろうくんに対してするのはかえって失礼だとでも考えたのであろう。これでもしげにしてみれば最大級に知恵を絞った結果であろうから、許して頂きたいところである。
 ともかくしげとヤリトリするときは、世間の常識は通用しないので、勝手ながらその点、ご了承頂きたい。


 マンガ、野中英次『クロマティ高校入学案内』。
 こんなもんまで出たか。巻頭の写真マンガ、写真漫画にする意味が全くないところがいいね。マスクド竹之内(正体は編集者さんだそうな)、表情が全くないし。
 単行本未収録漫画も読めて、おトクな一冊(そうか?)。

2002年05月01日(水) 疲労度の爪/『コミック伝説マガジン』No.6ほか
2001年05月01日(火) 実は某大学推理研OBです/『チーズはどこへ消えた?』(スペンサー・ジョンソン)ほか



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)