無責任賛歌
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| 2005年02月21日(月) |
あ〜んあんあ、驚いた日記4 |
パソコンクラッシュ、金曜日に業者が来てくれるとの連絡。 説明書というものがいかに役に立たんかということである。
「TOHOシネマズトリアス久山」で、映画『ステップフォード・ワイフ』。 以前は「ヴァージンシネマズ」だったのが、去年から東宝系になった。『マトリックス・リローデッド』を見て以来だから、1年以上、見に来ていない。だって、遠いし、他に寄る所もないし。でも「天神東宝」ではこの映画やってないから、ここまで足を運ぶしかないのである。平日の夜だから仕方ないのかもしれないが、ただっ広い駐車場がガラ透き。他の映画館との差別化を図っているのは、THX、SRD-EX、DTS、SRDスナック付き、飲食テーブル、リクライニングシート設置のプレミアスクリーンなんだけれども、別に食ったり寝たりしたいわけじゃないのでたいした魅力ではない。今や通常料金の1800円という値段が普通の生活送ってる庶民にとってはもう大贅沢なのである。それを2400円というのはなんかもう庶民は映画見るなといってるようなものだ。……って久山でそれやってどうする(久山を知らない他地方の方へ。名前どおり、周りはただ山しかないとこです)。こんな商売の仕方して、存続していけるのかいな、と余計な心配。 でも、遠出までしたってのに、映画はおかなり寒い出来。『死の接吻』のアイラ・レヴィン原作だし、『ダーク・クリスタル』のフランク・オズ監督だし、と、ちょっと期待はしてたのだが、考えてみれば、オズ監督、『おつむて・ん・て・んクリニック』の人でもあったのだ。コメディの監督としてはまあ中の下くらい。「ステップフォードの女たちには秘密がある」ったって、どんな“秘密”かは物語の中盤で早々にバラされる。まあ、ラストまで持ってけるほどの謎でもないから、その判断は間違っちゃいないのだが、もともと原作のモチーフが「ウーマンリブに対抗する男たちの反逆」という、1960〜70年代にしか成立しないものだったので、それをウーマンリブ運動自体がお笑いになってしまった今、映画にしたところで、時代錯誤というよりもかなり悪趣味なものにしかならない。それをどうクリアするかがポイントだったと思うんだけれども、オズ監督が物語をコメディにシフトさせた結果、ミステリーなんだかSFなんだかコメディなんだか、どうにもどっちつかずのふやけた映画になってしまった。 ニコール・キッドマン、マシュー・ブロデリック、ベット・ミドラー、グレン・クローズ、クリストファー・ウォーケン(さらにはわれらがジョン・ロヴィッツも!)と、役者をこれだけ集めといて、持ち味を生かしきれているとは言い難い。つか、既成のイメージをなぞりすぎていて、かえってつまんなくなっているのである。知性派のキャリアウーマンだがケンのあるキッドマン、優柔不断の夫のブロデリック、ガサツで家事ひとつこなせない「殺したい女」なミドラー、上流志向で権威主義的なクローズ、そして正体がアレなウォーケン、どの役も以前、この人同じ役やってなかった? という印象なのである。これじゃただの“なぞり”で、パロディにも何にもなってないよ。 しげは見終わった後、「マシュー・ブロデリックって、グータロウさんに似てない? 顔じゃなくて雰囲気が」とか言ってたが、最後にはまあいい役になるけれど、途中はかなり軟弱だから、あまり誉め言葉になってないと思う。
19日に発表された第55回ベルリン国際映画祭、最優秀作品賞の金熊賞は南アフリカ映画の『U−カルメン・イン・カエリージャ』(マーク・ドーンフォードメイ監督)が受賞。見ちゃいない映画については何ともコメントのしようはないけれども、少なくとも日本から出品された『隠し剣 鬼の爪』(山田洋次監督)が受賞するほどベルリン映画祭のレベルは低くなかろうと思っていたので、順当な結果かもしれない。いや、『隠し剣』もそれなりにいい映画じゃあるけれど、感情的かつ説明的な台詞が多すぎて、とても世界に出せるほどのものとは言えなかったので、落ちてくれてホッとしているくらいである。先年金熊賞を受賞した宮崎監督の『千と千尋』だって、いつものエコロジーに説教臭いところなど、決してよい出来だとは言えない面があったけれども、全体としては人間の本質を聖俗ともに包括的に描いていた点で現代ファンタジーとして十分評価に値したと思うし、そのあたりを「投げ」ちゃった『ハウル』の体たらくを見ると、やはりグランプリにはふさわしかったなと思うのである。なんかね、いまさらなこと言っちゃうけどね、映画の「完成度」って、たとえエンタテインメントであろうとそういう「人間」が描けててるってことなんだよ。半可通なオタクは「人間が描けてなくたっていいじゃないか」とかすぐ言い出すけど、「人間は描けてないけど面白い」作品なんて存在しない。そういうものです。 『隠し剣』よりも気になるのは、落選したことでまた輸入が危ぶまれるんじゃないかと心配の『太陽』(アレクサンドル・ソクーロフ監督)だけれども、本気で日本が「民主主義の国」であると主張するのであるならば、どこかの会社、ちゃんと買い付けろよと言いたい。多分、昭和天皇を演じたイッセー尾形さんも、出演するに際しては極右翼に「命」狙われるくらいの覚悟はしてるはずだ。その意気に答えられないってんなら、日本の映画人は口が裂けても「映画に平和へのメッセージを込めた」なんて言うべきじゃないだろうよ。
2004年02月21日(土) 退院後のばたばた 2003年02月21日(金) しげ、テレビ出演!/『江戸川乱歩と少年探偵団』(堀江あき子編)/『クイーンフェニックス』上・下(横山光輝) 2002年02月21日(木) アホがアホを教育したってねえ/アニメ『七人のナナ』第7話/『鉄鋼無敵科学大魔號改』(唐沢なをき)ほか 2001年02月21日(水) 買い物ブギ/『ブギーポップは笑わない』第1巻(緒方剛志)ほか
| 2005年02月20日(日) |
あ〜んあんあ、驚いた日記3 |
『魔法戦隊マジレンジャー』第二話。 マジマザーがいきなり亡くなられてしまわれた。渡辺梓さん、てっきりレギュラーで出てくれるものだと思っていたのに。こんなに簡単に「目玉」を捨てちゃうなんて、スタッフは何考えてるのだ。それとも渡辺さんのスケジュールの関係だろうか。でも、これで来週から見る気が半減してしまった。朝寝が出来ていいけれども。 『仮面ライダー響鬼』第四話。 立花のおやっさんが下条アトムである。万年青年のイメージが強いけど、もうそういうお年になったのだなあ。でも飄々とした態度はなんとなく『鉄面探偵ゲン』の「十文字元」か、『さんだらぼっち』の「とんぼ」みたいで、これも石森キャラだよなあ、と思う。ひじきを買ってたのは「ヒビキ」とのシャレかな?(^。^) 明日夢の尾行を撒くためにともかく走りまくってたけど、弱っちそうに見えて実は「きたえている」らしい。いいなあ、こういうの。
J‐COMさんと連絡を取って、パソコンの「症状」を説明する。 やはりウイルスに感染したらしく、「初期化しかないでしょうね」とのこと。説明にしたがって、全てフォーマットのし直し。 実はネットにアップしていない時期にもこっそり書いていた「うら日記」もきれいさっぱり消えたが、案外ショックはない。もともと、自分の書いたものに執着心があまりないのである。生命エネルギーが少ないという見方も出来るが。 しかし、J−COMに接続しようとしたら、途中で「エラー」が出る。「アダプター」がうまく繋がってないとかいう説明が表示されるが、なんだかよくわからない。もう一度J−COMさんと連絡を取ったら、「無線の会社に連絡してください」とのこと。ますます何のことだかわからない。ともかく教えられた会社に電話してみたが、日曜日で休み。 あきらめて、しげに明日、無線の会社に連絡してもらうように頼む。「バッファロー」とかいう豪勢な名前だが、「ばっふぁろー」と叫びたいのはこっちのほうである。
亀の水交換して、また水を汲みに「レッド・キャベツ」へ。 私もしげも素寒貧なので、買い置きの食料が尽きたら、水だけで暮らさねばならない。水がまさにわれわれの生命線なのである。だからしげから「亀ごときのために水を」と文句ばかり言われているのだが、大きく育てば食えるかもしれないし(嘘)。 でも、先日、「ダイヤモンドシティ」でアイスクリームを食べたとき、「亀の甲羅エキス」から作ったというアイスを売っていたのである。全く、人間ってやつぁ、なんでも食うものなのだなあ。
2004年02月20日(金) 入院日記ファイナル……ってそんな大袈裟なもんか 2003年02月20日(木) 「歩き目です」(^^)/『名探偵コナン』40巻(青山剛昌)/『浪費バカ一代』(中村うさぎ)/『コレデオシマイ。』(山田風太郎)ほか 2002年02月20日(水) 福岡演劇事情/『KATSU!』1巻(あだち充)/『サムライ・レンズマン』(古橋秀之)ほか 2001年02月20日(火) 女房の家出/『× ―ペケ―』1〜3巻(新井理恵)ほか
| 2005年02月19日(土) |
あ〜んあんあ、驚いた日記2 |
岡本喜八監督、死去。 後一本くらいは映画を、と期待していたので、ショックは大きい。 天本英世氏がなくなられたとき、『キネマ旬報』で、追悼文として「『スラップスティックス』、面白かったよ」と一言だけ書いておられた。天本氏についての追悼文はファンと称する人々が百万言を費やしていたが、ほとんどロクなものがない。誰も天本氏の役者としての本質を見てはいなかったからである。舞台役者としての天本氏について触れていたのは、岡本監督のみであった。「人が人を知る」とはこういうことだろう。 同様に、岡本監督についても数限りない追悼の声が聞こえてくると思うが、監督が本当に作りたくて作れなかった「馬賊映画」について触れることのない追悼文はどんなに哀切が込められていようと、書き手の自己陶酔の文にしかならない。私も含めて、ファンというものは映画の作り手にとってはその程度の存在でしかない。でも個人の感想はまだましなほうで、新聞の「代表作は『日本のいちばん長い日』」なんて記事を見ると、「ふざけるな」と言いたくなる。 しげは岡本監督が好きだが、一切沈黙している。それが一番正しい態度かもしれないと思いつつ、私はこうしてあえて駄文をつづっている。若い人が、あまりにも岡本監督のことを知らないからだ。岡本監督の映画、テレビ、小説などの八割を私は見ていると思うが、個人的な岡本監督ベストテンを以下に挙げる。どんな作品か御存知ない方は、是非ネットやムックなどで調べていただきたい。
1 江分利満氏の優雅な生活 2 殺人狂時代 3 刑事コロンボ・燃えつきた映像(ノベライズ) 4 独立愚連隊西へ 5 ああ爆弾 6 幽霊列車(ドラマ) 7 座頭市と用心棒 8 戦国野郎 9 大菩薩峠 10 肉弾
岡本監督ファンからは「アレがはいってないじゃないか」と言われることは重々承知の上だ。ベストテンをベスト20にしたところで同じことだ。『姿三四郎』『太閤記』のような明らかな失敗作も含めて、岡本監督の作品が私は好きなのだ。
パソコン故障、しげに「何とかしてくれよう。パソコンがいかれたよう」と泣きつく。 しげ、パソコン画面を見て、「なんじゃこの『ハードコアセックス』ってのは?!」と私をジト目で見る。プログラムから削除を試みるが一切不可。「初期化するしかないよ、これ」と慨嘆。 ともかく、明日、J-COMのサービスセンターに連絡することにして、今日は修復をあきらめる。
2004年02月19日(木) 入院日記18/ドリカムな話 2003年02月19日(水) メイキング・オブ・SF・レビュー/『川原泉の本棚』(川原泉・選)/映画『宇宙大戦争』『地球防衛軍』 2002年02月19日(火) さだまさしファンだったことが恥ずかしくて言い出せないやつ多いと思うぞ。……私もだ/『シックス・ボルト』(神野オキナ) 2001年02月19日(月) 語源の楽しみ/ミステリチャンネル『ポワロと私』ほか
| 2005年02月18日(金) |
あ〜んあんあ、驚いた日記1 |
−初めにお断り申し上げておきますが、わたくしは、おっぱいぼい〜んな女の子の写真がいっぱいあるサイトとか、××が×××してるサイトとか、ともかくエロと名の付くサイトには何の興味も持ってはおりません。 いえ、わたくしも一応男ではありますから、色気らしきものを一切持ち合わせぬとまでは申しませんが、ただ、そういうところに足を踏み入れてしまえばどういう事態に陥るかは重々承知しているつもりでおりました。 ところが悲劇は突然起こったのでございます。わたくしの日記には日に百件ほどのアクセスがあるのですが、その大半は通りすがりさんでいらっしゃいます。たいていはgoogleサーチでいらっしゃる方ばかりなのですが、たまにどこぞのサイトから飛んでこられる方もいらっしゃいます。わたくしの日記の他に、どういうところを覗いていらっしゃるのかと、アクセス解析で遡っていたのですが。 いきなり目に飛び込んできたのは、お尻でした。いえ、最初はそれが何なのかわかりませんでした。何が起こったのかよくわからないといったほうが正しいでしょう。それから矢継ぎ早にいくつもウィンドウが開いてなにやら英語の文句が書かれてありましたが、なんのことやらよくわかりません。状況がわからないまま、ともかくそのウィンドウを片っ端からどんどん消していったのですが……。 画面がプツン、と音を立てて消えてしまいました。真っ暗。 ああ、遂にわたくしもやられたのか、とわたくしも真っ暗になってしまいました。
そういう事情なので、これからしばらく悪戦苦闘が続くのである。そのあたりのことをこと細かに書いて行くと、やたら手間がかかるので、これから先の出来事は箇条書き的に書く。疲れたのでパソコンはそのまま放置。明日になってこれが夢だったらいいな。
三崎亜紀氏から小包が届く。 先日のサイン会で、私の名前を書き間違えられたので、お詫びの品が送られてきたのである。確かにそういう旨のことを当日おっしゃってはいたのだが、お忙しい身でもあろうし、本当にそういうことをされるとは思ってもいなかったので、少なからず感動する。つか、私もうそんなことがあったの、忘れてました(^_^;)。世の中、傲慢を絵に描いたような作家も多かろうに、なんとまあ礼儀正しいことか。こうなったら、これから三崎さんを思い切りヒイキしたい。みなさん、三崎亜紀氏の『となり町戦争』をよろしく(はあと)。 名前を書き間違えられるのなんてしょっちゅうなので、いちいち腹を立てていたらきりがない。父などはいまだに間違って書かれたりすると頭から湯気出して怒ってるが、七十近くになってもまだ人間が出来ていないのである。名前なんて記号なのにな。
金曜エンタテインメント『おかしな二人 伊豆・天城越えオネエ旅 女郎蜘蛛殺人事件』。 筧利夫&KABA.ちゃんコンビの探偵もの。KABA.ちゃんはby himselfで、筧さんはそのマネージャーという役どころ。KABA.ちゃんのライバルがIZAMだったり、キャラクターの配置は面白いのだが、ストーリーそのものは別にこの二人が探偵役である必然性は特になし。ミステリードラマとしては下の中程度のレベル。シリーズにするつもりなら、もう少しドラマとキャラクターを絡めないと視聴者は付いてかないのではなかろうか。 今回、しげのたっての願いで番組を録画。しげは実はKABA.ちゃんのファンであった。なんでかよくわからんが。
2004年02月18日(水) 入院日記17/イタタな日 2003年02月18日(火) 迷宮の扉へ/『冥土』(内田百�痢Χ皸翕脹冂纏辧法拭悒廛螢謄�フェイス』3巻(叶恭弘) 2002年02月18日(月) くまくまくまっ/アニメ『エイトマン』第1話「エイトマン登場」/『すべてがFになる』(森博嗣原作・浅田寅ヲ)ほか 2001年02月18日(日) HPの原稿はまだ1/10程度です/ドラマ『百獣戦隊ガオレンジャー』第1話ほか
| 2005年02月17日(木) |
具合悪いんでたいして書くことない。/『富豪刑事』第六話「富豪刑事の遺体捜索」 |
体調優れず、仕事休み。 一日寝てたんで、書くことはたいしてないです。 本読んだり、テレビ見たり、『いたスト』したり(^_^;)。
木曜ドラマ『富豪刑事』第六話「富豪刑事の遺体捜索」。 ついうっかり今日が木曜だということを忘れていて、見損なうところだった。危ない危ない。
3年前、塚越智子(高橋睦美)という主婦が、別荘に行くと言ったまま行方不明になった。ところが、そのころ智子の夫の浩一(篠井英介)が、超高層ビル群の建設現場で、遺体らしきものを入れた大きな袋を抱えて入り、埋めているのを見たという目撃者・橋本(マギー)が、今頃になって現れる。橋本は、智子が当時手を出していた会社の株券を手に握っていたのも目にしており、それには血が付着していたと証言した。 3年前も事件は浩一の犯行ではないかと疑われていたのだが、狐塚(相島一之)の必死の捜索にも関わらず、別荘周辺では死体が見つからず、逮捕にまでは至らなかった。 本当にビルの下に智子の遺体が埋まっているのか? マスコミは大騒ぎして焼畑署の動向に注目するが、まさか確認のためにビルを掘り返すこともできず、死体が見つからない限りは殺人事件として立件することは不可能である。警察の威信はボロボロで、鎌倉警部(山下真司)たちは頭を抱えた。 「ちょっといいですか?」いつものように、美和子(深田恭子)のアイデアはトンデモナイものだった。犯人自身が死体を掘り返したくなるように、智子と一緒に埋められているとおぼしい株券の会社に投資して発展させ、株価を暴騰させようというのだ。 しかし事件は智子に金を貸したという女性・日向栄子(川俣しのぶ)が殺害されるという意外な事態に……。
今回も倒叙もので、犯人は篠井英介が演じている。 この番組について、「本格ものよりも倒叙ものの方がまだマシ」みたいなことを以前書いたことがあったように思うが、やっぱりトリックがヘタレな点ではたいして差がないかな。 いやね、出だしはちょと期待したのよ。「死体がビルの下に埋まっているかも」ということで、狐塚に「どうせ金の力でビルを取り壊して死体を捜せばいいじゃないですか、とか言い出すんだろう」と言わせておいて、美和子が「そんな経済が大混乱に陥るようなこと言い出すわけないじゃないですか」といなすあたり、少しは捻ってあるかなあと思ったんですよ。結果的には、映像トリックとしては非常にアンフェアなことをしてくれていたわけで、今更ながらこのドラマにミステリーを期待なんかしちゃいけないなということを痛感したのである。 と言いながら、毎回欠かさず見ているものだから、しげからは「ホントはアンタ、好きなんやろ」と言われてしまったが、誰がいつ「嫌い」だなんて言ったか。好きなものを誉めるのは単にその作品に溺れているだけで、批評としての意味を持たない。貶されるものが嫌われているものだと短絡的に考えられても困るのである。
2004年02月17日(火) 入院日記16/白昼の驚愕 2003年02月17日(月) 事故の顛末(^o^)�◆拭惶胸頬糎雲こΑ戞閉校殻�生)/『ハプニングみたい』(いとうせいこう・岡崎京子)ほか 2002年02月17日(日) ヘンなメール/『百鬼夜行抄』9巻(今市子)/『空前絶後のオタク座談会�◆.淵�ヨシ』(岡田斗司夫・山本弘)ほか 2001年02月17日(土) ゴミ箱はティッシュの山……鼻水で/『2001年映画の旅』(小林信彦)
| 2005年02月16日(水) |
白い、車に、変えたのは〜♪/映画『THE JUON/呪怨』 |
書き忘れてたけど、今年のバレンタインチョコの成果、二人+αでした。 何で+αかっつーと、14日、職場の机の上に、同僚何人かから「休日の旅行の土産のチョコ」を渡されたからなのだね。こういうのは義理チョコでもないし、何と言ったらいいものか。 つまりは実質二人からなんだけれども、そのうち、一つはいつもの女房の手作り。と言っても「勝負」かけてるほかの人への「タライチョコ」とかそこまでトンデモナイものではなく、一応「見た目」は普通のチョコである。 でも中身はやはり普通ではなくて、まるで岩石のように固く固く凝縮されてるのだ。どれくらい固いかと言うと、齧ろうとして歯を立ててみても、表面にちょびっと歯先の型が付く程度なんである。 なんでそんなヘンなもんばかり作るのか、全く理解不能なのだが、これも夫として妻への愛情を試されているということなのだろうか。それとも単なるイヤガラセか。 なんとかムリヤリ噛み砕いて食ったのだが、毎年こんなんばかり作られたのでは、そのうち年を取って歯が使えなくなったら、嘗めて溶かして食うしか方法がなさそうである。 でもさあ、これが毎回ゴルフボールくらいの大きさはあって、結構デカイんだわ。いったいどれくらい嘗め続けたら溶けるものなんだか。 もう一人のチョコくれた相手が誰かはヒミツなのだが、ちゃんと女房に事情は説明してあるので、浮気相手ではありません。お返しはしなきゃならんだろうけど。全くどうしてこうしょっちゅう浮気疑惑を晴らしていかなきゃならんのかねえ。
終日雨。昨日からまた咳込み始めていたのだけれど、風邪がやや悪化。 しげが破損した車を修理に出したので、今日から代車で通勤。 車の種類なんて私には分らないが、白くて車高が低くて2ドアで、ドアはオートロックじゃなくて、カーラジオはあってもCDもMDも聞けない、「昭和の遺物」といった雰囲気の車。まあ世の中には10年、20年と同じ車に乗り続けという人もいるだろうから、こういう車が残っていても不思議はないが、代車専門に回されてるのってこういう車が多いんかね。我々デブな夫婦が二人して乗り込むにはいささか狭く、しげはドアにスカートは挟まれるわ、ちょっと手を動かすとすぐにミラーにぶち当たってか角度が変わるわ、なんだか大変なのであった。
仕事を引けたあと、具合はイマイチだったけれど、映画を見にキャナルシティへ向かう。 来週は芝居を建て続けに見る予定なので、今週中に見に行かないと見損ないそうな映画が結構あるのである。 映画はアメリカリメイク版『THE JUON/呪怨』。アメリカでは2週連続でボックス・オフィスのトップを走ったのだが、日本では『フレディVSジェイソン』の75%の出足というから、なかなか苦戦しているようである。『着信アリ2』と客層がかぶっているのも痛いか。あっちはそこそこヒットしているみたいだが。
東京のマンションのベランダから大学教授のピーター(ビル・プルマン)が飛び降り自殺した。 それから3年、福祉を学ぶ交換留学生のカレン(サラ・ミシェル・ゲラー)は、行方不明になった洋子(真木よう子)の代理で、郊外に住むアメリカ人一家の介護を手伝うことになった。そこはビジネスマンのマシュー(ウィリアム・メイポーザー)が日本で仕事をするために新たに借りた一軒家で、彼は妻のジェニファー(クレア・デュヴァル)と軽度の痴呆を抱えた母親エマ(グレイス・ザブリスキー)の3人で暮らしていた。ところが、道に迷いながらもようやくその家にカレンがたどりついたとき、中は何者かが荒らし回ったかのように散乱しており、夫妻の姿はなく、一人取り残されたエマだけがボンヤリと天井を見つめていた。 突然、二階から聞こえてきた不気味な物音に、カレンは怯えながらも押入れのふすまを開ける。そこには、青白い顔の「俊雄」と名乗る少年(尾関優哉)が閉じ込められていた。すぐにケア・センターのアレックス(テッド・ライミ)へ電話をかけたカレンだったが、ふと振り返った彼女がそこに見たものは……。 慌てて駆けつけたアレックスは、放心状態に陥ったカレンと、眠るように死んでいるエマを発見する。カレンが発見したという少年の姿はどこにも見当たらなかった。アレックスの通報で駆けつけてきた中川刑事(石橋凌)は、そこがかつて、佐伯剛雄(松山鷹志)という男が妻の伽椰子(藤貴子)と息子の俊雄を惨殺した後、首吊り自殺した家であったことを思い出す……。
オリジナル版と基本的にストーリーや設定は同じ。 アメリカ版だからといって、『ザ・リング』のように舞台をあちらに移さず、日本を舞台にしたのは一つの判断として成功していると思う。向こうの俳優さんでも恐怖の幽霊を演じることはできるだろうが、日本人ののっぺりした顔の怖さというものもあちらさんに味わってもらうには、オリジナルの佐伯一家に再々々々々登板していただくのが一番であろう。でも、あまりの恐ろしさにアメリカ公開版ではいくつかのシーンがカットされたというから、もしかしたら藤貴子と尾関優哉のあの恐ろしい顔を目にすることは叶わなかったのかもしれない。DVDリリースの際は、ぜひオリジナルの恐怖を味わっていただきたいものだ。 物語は、オリジナル版よりも人物やエピソードをいくつか整理して、よりすっきりした形になっている。時間軸がエピソードによって前後する構成は今回も取られているけれども、オリジナルでは物語をブツ切れにして散漫な印象になっていたものが、ヒロインのサラ・ミシェル・ゲラーをよりフィーチャーして最後まで物語に絡めているおかげで、かなり引き締まった出来になっている。佐伯家の惨劇を幻視するのはオリジナル版では元刑事の遠山雄治(田中要次)だが、このキャラクターを中川刑事とカレンとに振り分けて、カレンが最終的に全ての真実を察知する、という構成になっている。必然的に遠山の娘のいづみ(上原美佐)の役もカレンが引き受けることになり、最後の恐怖も……ということになるわけだ。サラ・ミシェル・ゲラーファンにとっては満足満足の一本だろう。いや、角度によってはちょっとアレなカットもあるけど、ツンとした鼻と甘えん坊な唇が可愛いっスよ。ホントの年齢は27歳だけど、いや、充分女学生に見えます。『バフィー』シリーズはあまり熱心に見てなかったけど、遅れ馳せながらファンになろうかと思いますですよ。 オリジナル版に引き続きの出演は、当然佐伯家のお三方だが、もう一人、同じ「警備員」役で森下能幸も出演。しかもオリジナル版では伽椰子の呪いで死んでしまったものが、今回は助かる。「佐伯家に立ち入った者だけが呪われる」法則に従うと、無関係な警備員が死んでしまうのはおかしいわけで、細かい点だけれどもちゃんと辻褄を合わせているわけである。 『ザ・リング』も日本映画のハリウッド・リメイクとしてはかなり理想的な形だったが、清水崇監督がオリジナルの精神に拘り、プロデューサーのサム・ライミにそれを許容する度量があったことが、本作の成功に繋がったと見てよいだろう。ほんとにねえ、すごい快挙なんだから、もちっとお客さんが入ってほしいよねえ。 え? 怖いのはダメ? いや、それほどじゃないから大丈夫ですよ。怖がり屋のしげも今度のは「そんなに怖くなかった」って言ってたから。なんだかんだでやたらホラー映画に連れて行ってるせいか、しげにも少しは免疫ができてきたみたいなんである。これでオバケ屋敷で立往生することもなくなるんじゃないかな(昔、鴉丸嬢とオバケ屋敷に入ろうとして、入口で足がすくんで動けなくなり、係員に追い出されたらしい)。
しげが今日の日記に「トイレ最長記録は17時間。まだまだいける!」とか書いてるけど、これは「外出している間、トイレに17時間ずっと行かなかった」という意味であって、17時間トイレに入りっぱなしという意味ではない。だからどうしてマトモな日本語書こうとしないかなあ。誤解されるのは自分だというのに。
2004年02月16日(月) 入院日記15/凄いぞ昼メロ 2003年02月16日(日) 事故の顛末(^o^)� 辛饌罅悒▲僖奪塑屬旅極鼻� 2002年02月16日(土) 伏字伏字伏字伏字〜、伏字大行進、ヤァ!/映画『A*P*E』/『Heaven?』3巻(佐々木倫子) 2001年02月16日(金) なりたくて病気になってるわけじゃないやい/舞台『トランス'98』ほか
| 2005年02月15日(火) |
『のび太の恐竜2006』(仮題)?!/DVD『ダーク・クリスタル デラックス版』 |
大阪府寝屋川市中央小学校の教師殺傷事件の続報。 犯人の少年、取り調べに対して、動機は「いじめがなんたら」とか「誰でもよかった」とか「殺すつもりはなかった」とか適当なことを言ってるらしい。教師への恨みが目的であるなら、「誰でも」なんて無差別に狙う必要もないわけで、やっぱりアタマがイカレてるか、あるいはどうせ未成年だから死刑になることはないとタカをくくって「自分が悪いんじゃない」ってしおらしさを演出しようとしてるんじゃないかねえ。「凶器を捨てろ」と警官に声をかけられて、素直に捨てたってのも随分ものわかりがよすぎるのではないの。人を刺しても「死ぬとは思わなかった」って殺意を否認しておけば、減刑される可能性があることをちゃんと知ってたんだと思うぞ。 昔、私も似たような事件に遭遇したことがある。通っていた学校で、「苛められた」と思いこんだ生徒が、「苛めた」生徒にナイフを振りまわしたのだ。幸い被害者の生徒はかすり傷ですんだので、警察沙汰、新聞沙汰にはならなかったが、駆けつけた先生たちが止めに入らなければ、大惨事になっていたところである。加害者の生徒は日頃から言動がたどたどしく、確かにからかわれやすいところはあったのだが、パシリにされるとか暴力を振るわれるなどの具体的ないじめはなかった。加害者の生徒は「やらなきゃいつか自分がやられると思った」と供述していたが、全くの被害妄想であった。警察に届けなかった代わりに、加害者の生徒は当然退学。「動機がどうだろうと、やったもんが悪い」と、「加害者の人権」なんぞ知るかとばかりに厳罰を処した点で、うちの学校、結構マトモだったと思う。情状酌量を考えてやらなきゃならん人間と、そうでない人間とは、明確に区別したいものである。 フジテレビ『とくダネ!』で、犯人の17歳少年の作文を紹介する際、その氏名が判読可能な状態でウッカリ放送しちゃったとか。一応、名前の部分は黒く映像処理して見えなくしていたのだけれど、処理が不十分で文字が透けて見えたということだ。とんだ不手際ではあるが、凶悪事件が起きるたびに「未成年の実名報道」についての論議が喧しい折から、「ワザとやったんちゃうか、フジテレビ」というカングリがネット上では早速展開されている。 一応、キャスターの小倉智昭キャスターが番組中に謝罪して、広報部長の遠藤龍之介氏(遠藤周作の息子さん)が「技術的なミスで、意図的なものではない」とコメントを出しているので、ワザとじゃないことは確かだろうが(ヘタすりゃ自分のクビが飛ぶのにワザとやるバカもおるまい)、これで実質、犯人の実名は殆ど流布してしまった。 私自身も、未成年であろうと凶悪事件の犯罪者を擁護するような仮名報道は馬鹿馬鹿しいなと思っちゃいるのだが、ネットのドブネズミどもの陰気な愉しみに組したいとも思わないので、「犯人の17歳の少年」と表記するに留めておきたいと思う。たとえ実名や住所を知っても、その家とか関係者にイタズラ電話やら中傷メールとかしないだけの節度のある国民ばかりならいいんだれども、ここを先途とマス・ヒステリーに乗っかって「某巨大掲示板(^o^)」に実名書きまくるような猿どもと一緒にされたくはないからである。「未成年の犯罪」が起きて喜んでやがるからな、あいつら。 ヒステリーをいかに沈静化させるか、これくらい難しいことはない。実名報道ができないのは、「実名報道しろ」とヒステリックに騒ぐやつらがいるからである。「被害者よりも加害者の人権の方が守られている」のは、「加害者の人権を優先して、被害者の人権がなぜないがしろにされにゃならんのか」と感情的に叫びたてる連中がいるからである。冷静に論議ができなければ、たとえそれが大方の意見であったり正論であったとしてもそれが規制されるなんて逆転現象も起きてしまう。 「司法」という権威主義の固まりのようなところが、低俗な「巨大掲示板」なんぞがいくら騒ごうと、それに屈するように実名報道に踏み切るなんてことはありえないよ。犯人の実名をネットに晒す行為自体が、結果的に加害者をなんとしても世間の目から隠す方向に動いてあの手この手を使って擁護する結果になってることに、なぜ2○○○ねらーは気づかんのかね。所詮は鬱憤晴らしのための感情を垂れ流してるだけで、本当に逼塞した状況を変革させていくだけの実効力を持てないところがあそこの限界だなあと思うのである。
しげが「太極拳」のカルチャースクールで、「二十四式」という紙をもらってきた。 つまりは太極拳のいろんなポーズを表しているものらしいが、名前は分かっても、肝心なポーズがどんなものか分からない。しげもまだよくは覚えていないので、聞いてもはっきりとしたことは分からない。だもんで、名前から勝手に「こんなポーズであろう」ということを想像してみた。もしかして全然違ってるかもしれないが、そこはそれ、想像は自由だから(^o^)。 まずは名前から。
1 起勢(チシ) 2 左右野馬分鬃(ズゥオヨォウイエマアフェンゾン) 3 白鶴亮翅(パイフリィアンチ) 4 左右楼膝拗歩(ズゥオヨォウロオシアオブ) 5 手揮琵琶(シオウホイビイバ) 6 左右倒巻肱(ズゥオヨォウダオジュエンゴォン) 7 左攬雀尾(ズゥオランチュエウェイ) 8 右攬雀尾(ヨォウランチュエウェイ) 9 単鞭(ダンビィエン) 10 雲手(ユゥンショウ) 11 単鞭(ダンビィエン) 12 高探馬(ガオダンマァ) 13 右蹬脚(ヨォウドォンジィアオ) 14 双峰貫耳(シュアンフォングゥアンアル) 15 転身左蹬脚(ズゥアンシェンズゥオドゥンジィアオ) 16 左下勢独立(ズゥオシィアシドリ) 17 右下勢独立(ヨォウシィアシドリ) 18 左右穿梭(ズゥオヨォウチュアンスゥオ) 19 海底針(ハイテイゼン) 20 閃通臂(シァントォンベイ) 21 転身搬攔挫(ズゥアンシェンバンランチュイ) 22 如封似閉(ルゥフォンシビ) 23 十字手(シズシォウ) 24 収勢(シォウシ)
で、以下が中身の想像。 1 起きあがって威張る。腰に手を当ててスーパーマンのポーズ。歯が光っているともっといい。 2 左右に馬がいるので、どっちの馬のたてがみを撫でたらいいか分からない。撫でてどうするんだろう。 3 白鶴飲んで熱海に行こう。酔拳である。 4 左右の膝が棒になったので、ヨチヨチ歩きしかできない。あんよはおじょず、ころぶはおへた。 5 ビーバーと言えばエアコン。そよそよと動こう。 6 カルロス・ゴーンを左右からぶっ叩いて倒す。 7 左から雀のしっぽが見える。つまり左の腋毛を見せて匂いを嗅いでもらう。 8 右から雀のしっぽが見える。つまり右の腋毛を見せて匂いを嗅いでもらう。 9 SM。 10 四股を踏む。「ウンショウ!」 11 やっぱりSM。ほーほほほほほ! 12 高いところで馬を探す。山の中に逃げこんだのである。 13 馬を探し疲れて右足を痛めた。 14 ツイン・ピークス殺人事件。死体の耳にはピアスの穴が。 15 馬は結局見つからず、左足も痛めた。 16 実は僕、左の方が大きいんです。だからパランスが取りにくくて。 17 実は僕、右の方が大きいんです。だからパランスが取りにくくて。 18 宮崎駿を左右からぶっ叩いて鼻血を出す。 19 海底に針が刺さっている。これを抜くと地球の綻びが……。 20 マイケル・ベイの作る映画はどれもこれも見てると目がチカチカしてくるということ。 21 人生をもう一度やり直そうとしても挫折が待っているだけだということ。 22 後ろも前もガードしなさい。痴漢に注意せよということ。 23 スペシウム光線。 24 笑止千万。
「ポーズじゃないじゃん」というのも多いが気にしないように(^o^)。
しげが「今日はエコ缶さんとこの練習に早めに行かなきゃならない」とか言ってたので、迎えに来てもらえないのも困るなあと思って、仕事を少し早引けした。 ところが、5時になってもしげが出かけようとしないので、「練習、行かなくていいのか?」と聞いたら、「え? 七時でいいんだよ」なんて言う。どうやら言葉の行き違いがあったらしいのだが、よくよく問い質してみると、しげは裏方だから練習には殆ど出る必要がないらしいのだ。どちらかというと、勝手に押しかけてって、好き勝手なことを言って打ち合わせを引っ掻き回しているような様子なのである。「家事ちゃんとするから」とか言ってパートも辞めたというのに、毎日のように家を空けていたのでは約束が違うのである。叱り飛ばしたらシュンとして「アンタ中心にものを考えればいいっちゃろ!?」なんて口の利き方をする。「自分の仕事が何か考えろ」ということが言いたいのに、どうしてそんな風に自分が被害に遭ってるようなモノイイしかできないのか。 結局。今日も練習には行かなくてもよかったようで、なんのために早目に帰ったんだか意味がないのであった。居残りの仕事を同僚に代わってもらって有休取ったというのに、こいつは相変わらず自分の都合でしか行動しようとしない。それで何度も劇団辞める羽目になったというのにどうしてこうも学習能力がないかな。 ケンカでゴタゴタしたんで、テレビもあれこれ見損ねた。ああくやしい。
しげは空いた時間を利用して、ガードレールに引っかいて前輪の部分がボコボコッとへこんだ車をダイハツに持っていって、代車をもらってきた。「乗り心地は?」と聞くと、「怖い」と言う。 「アクセルは効かないし、ブレーキは効き過ぎる」……でも逆だとすごく困ることになるんだが(^_^;)。
今年の春は製作されない映画『ドラえもん』だが、一年置いた2006年の内容が発表された。なんと原点がえりの『のび太の恐竜』のリメイクである。 総監督には、TVリニューアルシリーズと同じ楠葉宏三氏。監督には『帰ってきたドラえもん』などで、その演出力を高く評価された渡辺歩氏。スタッフ・キャストともに全面入れ替えということで、さてどうなることやらと不安もかなりあったのだが、フタを開けてみると前々からファンの希望も高かった渡辺氏の登板ということで、順当な世代交代だなあ、という印象である。 藤子・F・不二雄氏亡きあとの劇場シリーズの迷走ぶりを見れば、「『ドラえもん』、もう終わってもいいんじゃないか」の声も巷では決して少なかったとは言えない。ただ、アニメってのはいったん終わってしまえばそれはあっという間に過去のものとなり果てる。手塚治虫が、横山光輝が、水木しげるが、石森章太郎が、赤塚不二夫が、永井豪が、二度三度どころか四度、五度、六度、と尽きることなくリメイクされていくのは「忘れ去られないため」の手段だ。『のび太の恐竜』のリメイクと聞けば、どうせまたぞろ「旧作のイメージを壊すな」とか知ったかなことを一席ぶちたがるやつらはいるだろうが、いったいあれが何年前の映画だと思っているのだろうか。現代の目で見れば旧『のび太の恐竜』はかなり古臭い。それはアニメ技術がまたまだだった、ということだけではなく、「SFとして」見るに堪えない描写が多すぎるのである。 『ジュラシック・パーク』を見たあとでは、ティラノザウルス・レックスが「二足で直立歩行している」というのは明らかに「おかしい」と分かる。それどころかプテラノドンは「羽ばたいて」飛んでいる。いや、そもそも『のび太の恐竜』というタイトル自体がまずい。フタバスズキリュウは、海棲爬虫類ではあっても、「恐竜ではない」からだ。なつかしアニメとして見る分には構わないが、現代の子供に見せるには不都合な部分が多々あるのである。 もしも藤子・F・不二雄氏が存命であったなら、SFに拘りのある氏のことだから、何らかの形で『のび太の恐竜』をリテイクすることは充分考えられる。数々のマンガで「ネッシー」を実在の存在として描いてきた氏は、それが完全に「捏造」であったと判明した直後、アニメ『モジャ公』では謎の恐竜として「ルケーレ・ムベンベ」を出してきた。恐竜の滅亡説も新説が出るたびに作中に取りこんでいる。その時その時の最先端の科学に目を配り、それを物語に生かそうとする姿勢が藤子氏には常にあった。だとすれば、「『のび太の恐竜』をリメイクするな!」の声は、単に自分の好きな「アニメ」に執着しているだけのもので、藤子氏の「精神」に共感しているファンのものだとはとても言えないのである。 私は「アニメのファン」ではなく、「藤子・F・不二雄のファン」であるから、声優が変わろうがスタッフが変わろうが、一向に構わない。というよりも、そんなことで怒りの声を上げる浅薄なアニメファンの方にこそ腹が立つ。あなたたたちが愛しているのは「自分の中のイメージ」であって、「作品」ではないではないかと。オタクの「痛さ」ってのはそういうところにあるんだわ。 現段階では、『のび太の恐竜』がどんな出来のものになるか分からない。この日記でも何度も繰り返しているが、批評の基本は(それが感想文レベルのものであっても)「見てからものを言う」である。私もリメイク版を見てまだティラノサウルスが直立歩行してたら怒るよ。まだ一年以上先のことでヒステリックに騒ぐんじゃなくて、「不安はあるけど期待しよう」くらいの余裕をカマシてほしいもんだけどねえ。
DVD『ダーク・クリスタル デラックス版』。 え〜、『もえたん』でも「ファンタジーの傑作」と紹介されている、『ダークリ』。今更紹介するのもなんなのだけれども、「2枚買ったら1枚タダ」ってキャンペーンに応募したらタダで入手できたので、久しぶりに見返してみたら、いやあ、やっぱり面白いんだわ、これ。1983年製作というと、もう20年以上前になるんだなあ。記憶が定かじゃないが、これ多分、大学時代の夏休みだったかに、当時の彼女と一緒に見に行ってる。映画もよかったから、二人の雰囲気もいい感じになったんじゃなかったかな。ゼミの友達もすっごく誉めてたのは覚えてるんだが。むにゃむにゃ。 現在のように巷にファンタジー映画が溢れかえっている状況と違って、そのころは「ファンタジー」と言えば、あとは『ネバーエンディング・ストーリー』やら『ラビリンス』やらがあるくらいで、ファンタジーファンにとっては「冬の時代」だった。そんな中で『ダークリ』がどれだけオアシスな存在だったか。 故ジム・ヘンソンとフランク・オズが、『セサミ・ストリート』以上のマペット技術とスーツアクトで構築したファンタジー世界。善のミスティック族と、対立する悪のスケクシス族(劇場公開時の吹替えでは「スケクシー」)。長きに渡る悪の支配を終わらせるために、悪を封印するというダーク・クリスタルを求めて、か弱きゲルフリン族の生き残り・ジェンは旅立つ……。 ストーリーはかなり『指輪物語』の影響を受けているけれども、何と言っても素晴らしいのは、次から次へと現れるこの世界の住人たちの造形だ。賢人の気高さを湛え、羊と牛を合わせたようなミスティックス。直立する巨大な鴉のごときスケクシス。花沢徳衛そっくりのオーグラ(^o^)。そしまあ、人間以上に人間らしい表情を見せてくれた美しき笑みと魅惑の唇の妖精・キーラ。「萌え」という言葉が当時あったなら、絶対に「キーラ萌え〜!」なオタクどもが食玩フィギュアを買いあさっていたことだろう。そんなんなかったけどよ。 なんかねえ。こういうの見てると『ハリー・ポッター』シリーズなんかはどうにもファンタジー“モドキ”にしか見えなくて困っちゃうのよ。いやもう、ファンタジーファンを自称するなら。これを見てないというのはモグリってなもんです。マジで。
2004年02月15日(日) 入院日記14/存在の耐えられない重さ 2003年02月15日(土) 今日はケンカしなかったね/映画『スコルピオンの恋まじない』/DVD『新八犬伝 辻村ジュサブローの世界』 2002年02月15日(金) ニンニクの家/映画『がんばれ!ジャイアン!!』/『キノの旅V』(時雨沢恵一)ほか 2001年02月15日(木) 携帯綺譚/『雨柳堂夢咄』5巻(波津彬子)ほか
| 2005年02月14日(月) |
明日、あなたも刺されているかもしれません/『戦後最大の歌姫伝説 美空ひばり今年17回忌 今甦る愛・幻の絶唱』 |
今年は2月、6月と、芝居を見に上京する予定を立てたので、例年ゴールデンウィークに観劇しているシティボーイズのライブは諦めようかと考えていた。なんたって、連休中は飛行機代がめちゃくちゃかかるのである。超割り、特割りに比べて2倍、しげと二人だから、出かけて1泊するだけで一気に七、八万円がすっ飛ぶのである。とても毎月のように上京するわけにはいかない。 ところが、ついこないだまではシティボーイズのファンサイトを覗いても何の情報も載っていなかったのに、いきなり九州公演が決まったというのだ。 しげは「『ちけっとぴあ』とか『e+』のプレオーダーにもまだ何の情報も載ってない」と言うから、まさに急遽決定したものだろう。会場が北九州芸術劇場で、しかも平日のみの公演だから、偶然スケジュールが空いてるかどうかして、いっちょやってこましたろうか、ということになったのではなかろうか。 福岡から北九州に行くのにだって、旅費はかかるのだが、たかだか往復二千円のことである。今や結構見応えのある芝居は、福岡よりも北九州で上演されることのほうが多いから、その程度の出費はもう計算のうちだ。なんたって、WOWOW放送開始から15年、上京して観劇するようになってからも4年になるのだ。毎回毎回、アンケートに「九州公演行って下さい」と書き続けてきた甲斐があった。なんかもー、マジで泣きたくなるくらいに嬉しいのである。 でもなあ、まだチケット取れたわけじゃないんだよなあ。なんたって、即日完売の超人気ライブである。果たして発売日に取れるかどうか。また電話半日ずっとかけっぱなしということになりゃしないか、今から気もそぞろなのである。
夜、『ブラック・ジャック』『名探偵コナン』『世界まる見え!』『キスイヤ!』と続けて見る。どれも気に入って見ている訳ではないのに、どうして毎週チャンネルを合わせてしまうのか自分でも謎なのであるが、それが人間の不思議というやつであろう。 続く『スーパーテレビ特別版 戦後最大の歌姫伝説 美空ひばり今年17回忌 今甦る愛・幻の絶唱』。 美空ひばりの養子(本当は甥)の加藤和也と、浜田光夫の娘さんとの結婚披露宴に絡めて、美空ひばりの軌跡をたどるもの。それにしてももう亡くなって17年になるんだなあ。美空ひばりを知らない若い人もいくらでもいる時代になっちゃったんだなあ。 美空ひばりに関する番組はもういやというほど見てきていて、その神格化のされ具合が鼻につく部分もあって最近はあまり見ていない。これも「流れ」で偶然見ただけのことなのだが、まあやっぱり「美空ひばり伝説」を補強するものでしかなくて、その音楽性とか大衆性とかに本気でメスを入れようとしたものではない。本当はそれをちゃんとやらないと、美空ひばりを知らない若い人が見たときに「なんでこんなケバイおばちゃんの特集なんかやってんの?」って誤解を生むことになりかねないと思うのだが。 従来の「ひばり」特番の何が鬱陶しかったかと言うと、関係者が口を揃えたように「歌が人生でしたね」と繰り返すインタビューばかりが延々流される点なのである。「一卵性親子」も「弟の事件」も表層的になぞるだけでは“にも関わらず、美空ひばりの歌や映画が庶民の心を掴んだのはなぜか”ということが一向に分からない。 美空ひばりは、よく「昭和」を象徴する歌手として称えられるが、実際は「戦後」を象徴する歌手なのであり、「復興」のイメージと美空ひばりを切り離して語ることはできない。ハッキリ言った方がいいと思うが、昭和も40年代後半になれば、既に美空ひばりは大御所ではあっても「過去の人」であり、時代はフォークからニューミュージック、そしてアイドル全盛の時代へと移り変わっていっていた。美空ひばりが「スター」として時代と“寝ていた”時期は、戦後の20年ほどで終わっていたのである。だからこそ、NHKも「弟の事件」を理由に、彼女を『紅白歌合戦』から“降ろすことができた”のである。 しかしだからと言って、美空ひばりの価値が貶められるわけではない。妙な神格化がかえって美空ひばりの真価を見誤らせる危険があるというだけで、彼女が大歌手であることは紛れもない事実である。 それまでにも流行歌手はたくさんいたが、「歌に生き、歌に死ぬ人生」を意図的ではないにしろ、初めて社会的に“演出”したのが美空ひばりという存在であった。マスコミからのバッシングや病魔との戦いは、「私には歌しかない」という熱情を彼女にもたらしたが、それらの「物語」は後続の演歌歌手たちにこぞって“模倣”された。そしてそれは「生きるしかない」敗戦後の庶民の姿にもぴったりと重なっていたのである。その決して上手いとは言えない、聞きようによってはダミ声にすら聞こえる独特の歌声は、どんなに朗らかに歌おうともどこかに哀愁を帯びており、高額所得者に名を連ね、「ひばり御殿」と称される豪邸に住みながら、美空ひばりにはどこか「不幸」の影が付き纏っていた。それらの要素はみな、戦後復興期から高度成長期にかけて庶民が味わってきた「苦労」を体現したものとして受け容れられてきたのである。だからこそ、カツカツの生活の中で、それでも卓袱台を挟んで親子で食事をする暖かさに安らぎを覚えていた「昭和」の人々には、『柔』や『悲しい酒』が、すんなりと我が心の歌として口ずさまれていたのだ。貧乏も借家住まいも知らない現代の若い人たちが聞いたなら、彼女の歌はいったいどのように受け止められるのだろう。ダサイだろうか。お笑いだろうか。だとしたらこんなに悲しいことはない。 今回の番組にはその手の視点が悉く欠けていて、「こんな歌手がいたんですよ」程度の中身しかなく、その意味ではまるでつまらない。けれど、それでも加藤家に所蔵されていたものであろうプライベートフィルムなどが紹介されていて、息子・和也君への彼女の溺愛ぶりが、そのスキンシップぶりや笑顔とはまるで正反対に、「努力して努力して不幸から脱却しよう」と懸命になっているように見えて痛々しく、涙をそそらないではいられない。ここで哀しみを感じるか感じないかで、「昭和」を生きてきた人間かそうでないかが分別されるのである。この「笑顔の裏の悲しみ」こそが、「戦後の昭和」という時代の本質であった。「昭和」のイメージの色濃い役者たち、例えば渥美清も、中村錦之助も、「無国籍」と言われた『渡り鳥』シリーズの小林旭ですらも、実はその「悲しみ」を映画の中で体現していた。そしてそれは現代の若手の歌手や役者からは完全に失われてしまったものなのだ。 ……でも、美空ひばりと小林旭との結婚について一切触れなくなったのはなぜかなあ。どちらの家に遠慮してるのかは分からないけれども、本気で伝記番組を作る気なら、避けちゃいけないことだと思うんだがなあ。暗黙のうちに「タブー」になっちゃってるのだろうか。
夜、外出して、エコ缶さんとこの打ち合わせから帰宅したしげが、「なんかまた乱入事件が起こっとるよ」と言う。「乱入」と聞くと私はどうしてもタイガー・ジェト・シンやハルク・ホーガンやラッシャー木村を連想してしまうのだが、プロレス関係の事件ではなかった(そういう連想をする私の方がオカシイ)。 午後3時すぎに、大阪府寝屋川市初町の市立中央小学校に、包丁を隠し持った17歳の少年が侵入し、男性教師1人と女性2人を刺した。背中を刺された教諭の鴨崎満明さんの傷は右肺から心臓にまで達しており、間もなく死亡した。駆け付けた寝屋川署員によって少年は取り押さえられたが、取り調べた結果、寝屋川小の卒業生と判明した。 同じ大阪ということで、どうしても宅間守による池田小殺傷事件を想起してしまうが、今回は犯人が少年で、被害者が教師ということだからベクトルは全く逆である。「弱者」をターゲットにした宅間守に対しては世間やマスコミの怒りは容赦がなかったが、さて今回またぞろ起きた「未成年」の犯罪に対してはやはりテレビなど表だったメディアでは「犯人に対して怒りを覚える」式の発言は聞かれない。その代わり、「警備体制はどうだったのか」という、責任を何としても学校側に求めようとする論調の方が目立っている。「下校時で正門は開いたままだった」「監視モニターの前には誰もおらず、警備員も雇っていなかった」「校長・教頭は出張でいなかった」など、「学校の不手際」「安全対策の不徹底」などが取り沙汰されているが、学校側に油断がなかったとは言わないが、これって、未成年である犯人の「責任」についての言及から問題を逸らそうとしているだけではなかろうか。 実際、いくら「警備の徹底で安全対策を」と言ったところで、限界があろう。宅間事件のときだって、ああした「乱入」事件が初めてだったわけではなし、行政や教育機関、あるいは地域が、これまでの「教訓」に基づいて何か対処ができるものかどうか、どんなに真剣に対策を取ったところで、どこかに“綻び”が生まれてしまうことは否めないと思う。 今回も、初め犯人の少年は普通の訪問者のふりをして、鴨崎さんが職員室に案内しようと背中を向けたところを刺したと言う。無害な庶民のふりをされては、身を守ることなんてそうそうできることではない。フェンスを高くしようが、警備員を雇おうが、本気で隙を突こうとする犯罪者にとってはたいした障碍にはならない。佐世保の小六少女殺害事件などは内部の犯行ではないか。 ネットなどを見てみると、犯人がゲームに熱中していたからということで、そちらに責任転嫁しようとする向きも相変わらずないではないが、さすがにこの手の馬鹿意見は「煽り」的にしか見られなくなっている。少年犯罪がこれだけ異常化し複雑怪奇なものになっている現在、たかがゲームだけに原因を求めることには無理があるし、その手の意見を口にすれば大谷某のように袋叩きに合うことが誰の目にも明らかだからだ。 その大谷某は、今回の事件に関して「それよりもそういう異常な犯人が現れないような社会環境を形成していく方が重要ではないか」という意見を述べているようであるが、一見、以前よりはマトモなことを言っているようでいて、これとても実効性を考えれば無理な注文つけてやがるなあとしか思えない。社会の基本が家庭にあるとすれば、核家族化共働きが普通で子供とろくろく顔を合わせることすらできず、教育機能が崩壊している状態で、なんの環境が整えられようか。地域だって、休日に子供を受け入れる施設や交流の場を充分に設けていないのが実情である。 今度の事件の犯人も、両親は揃っているし、兄弟もいたと言うが、それでも何の対処もできなかったのだ。たとえ社会が正常に機能していても、既知外は出る時は出る。「動機は何か」なんてことを追及したって、結局、人間の心の闇など誰に解明できるはずもなく、再発防止にはまるで直結しないことはこれまでの事件が証明しているとおりである。 「集団下校だって、危ないよなあ。手当たり次第に殺そうと思ってるやつにとっては『狙って下さい』って言ってるようなものだし」と言ったら、しげがサラリとこう言った。 「だから、誰か一人犠牲になってる間に、逃げたり通報できるから集団で行動するんだよ」 ……要するに通り魔的犯罪を防ぐ手段など基本的にはないのである。そりゃ、取れる対策は全部取ったがいいに決まっているが、「絶対の再発防止」は夢想でしかない。我々は今、隣にいる人間が突然狂人と化して襲いかかってくる危険性を覚悟して生きねばならなくなっている。しかし、世も末だとは嘆くまい。昔から既知外はいくらでもいたし、そういう危険性がなかったわけではない。逆に現代、世相がこれだけ荒んでいるにも関わらず、凶悪事件を起こす子供が何万人に一人しか出ない、という見方だってできるのだ。 情報の伝達が、そういう危険性に鈍感だった時代を過去へ押し流してしまっただけのことだ。侃侃諤諤の議論のあとに、最後は少年法の改正を求める声が高まるのは、せめて犯人を死刑に処することでしか庶民の溜飲が下がらないからではないのか。
で、今日も深夜にしげと『いたスト』。寝たのは3時かなあ(^_^;)。
2004年02月14日(土) 入院日記13/どこまで食えるか 2003年02月14日(金) いろいろあらあないろいろね/映画『火山高』/映画『黄泉がえり』/『爆笑問題とウルトラ7』(爆笑問題ほか) 2002年02月14日(木) 夫でも義理チョコ。……夫だから?/アニメ『七人のナナ』第6話/『金田一耕助の帰還』(横溝正史)ほか 2001年02月14日(水) だから初心者なんだってば/『わが師はサタン』(天藤真)
| 2005年02月13日(日) |
吾妻ひでお復活!/『魔法戦隊マジレンジャー』第1話ほか |
昨日の日記で、「全シリーズを丹念に買ってたのが『いただきストリート』だった」と書いたら、しげから「『アイドル雀士スーチーパイ』はどうした?」とツッコミがありました。そう言や、結構シリーズ買ってたなあ。 かないみかさんのとっても楽しい声を聞きながら、そうかあ、かないさんは旦那さんの山寺宏一さんと……と想像を逞しくされた声優ファンもいっぱいいたろうと思われる(嘘)。 まあこれもヒマツブシにはいいんだけど、私、脱がしゲーは萎えるんで。いや脱がせたら脱がせたで一応ちゃんとスクロールして見はするけどさ。
『魔法戦隊マジレンジャー』第1話「旅立ちの朝 〜マージ・マジ・マジーロ〜」。 ……タイトル書き写しながらも脱力感が漂っちゃうんだけれども、もう戦隊シリーズつて、タイトルも内容も何てもありっつーか、節操なくなってるよなあ。原作が実は『ゴレンジャーごっこ』だと言われても納得しちゃうぞ。いやまあそれは今に始まったことじゃないんだけれども。 ともかく今回のキーワードは「魔法」である。またロートルが何を言うとるかと若い人の顰蹙買うかもしれないが、「魔法じゃSFじゃないじゃん」。少なくとも、これまでの特撮番組は、『5年3組魔法組』みたいなまんま魔法ものを除けば、「魔法」的なものが出てきても、何かそれらしいリクツをつけて“SFっぽく”してはいたのである。いや、別に戦隊ものがSFである必要は全くないのだが、SFに拘っちゃいないんだなということが実感されてしまうとなんかまた一つ、心の中に大切に仕舞っていた大切なものが、カタッと音を立てて外されてしまったような、そういう寂しさを覚えるのよ。魔法の変身アイテムが携帯(“マージフォン”だと)って、『プリキュア』じゃん(+_+)。 でもまあ、そもそも戦隊シリーズに何かを期待しているわけではないから、主人公・魁(マジレッド)がいきなり鉄塔によじ登って子供が飛ばした風船を取ってあげようとしていても、「ワザトラシイつかみだ」なんて思わない。実は魔法使いだったお母さん、「あんなムチャをする子に本当の勇気は分からない」とか言って、魁一人だけに携帯を渡さなかったくせに、他の四兄弟が危難に陥ったところに魁が「何の用意もなく」飛び出していったら突然掌を返して「それこそ勇気よ!」って言って携帯を魔法で転送するってのは矛盾してるんじゃないのかなあ、なんて思わない。ええ、思いませんとも。 若手五人の芝居はもう毎回アレなんだけれど、一家のお母さん役の渡辺梓さん、随分芝居がしっかりしてる人だなあ、と思って調べてみたら、無名塾の人だった(仲代達矢さんとこね)。まあ当たり前だが、正義側ではマジマザーがイチバンカッコイイのである。
『仮面ライダー響鬼』三之巻 「落ちる声」。 一乃巻に続いて、またもやオープニングは「通学サイクリングミュージカル風」だけれど、メロディーが『かえるのうた』(つか原曲はドイツの民謡)で、それを「き、き、き、き、きききききききき、きたえよう」とか替え歌にしているから、1話よりずっとお間抜けな雰囲気になっている。もともとヒビキがこの歌を1話からずっと口ずさんでいるから、それがヒビキに憧れる明日夢にも移った、ってことなのだろう。空に浮かんでいる雲までがカエルの形なのがおかしい。 どうやらこのミュージカル風演出、今後も定着するようだ。第1話を見たときには「なんだこのお寒い出だしは」とちょっと憤っちゃったのだが、あくまで「お間抜け」路線で行くというのならこれもアリか。明日夢くんの歌う歌がヘタクソなのはもうちょっとなんとかしてほしい。ああいう演出は「歌だけは上手くないと映えない」ものなのである。 ヒビキ役の細川茂樹の飄々としたオジサンぶりが何となく金田一耕助っぽくて、演出の悪ノリな部分がそう気にならなくなった。明日夢がショックで試験に落ちるかもしれない、と言われて、慌てふためく様子もかわいい。『アギト』のころ、劇中でやたらつまらないダジャレを飛ばしてたのは腹が立ってたものだったが。 ただ、展開がギャグっぽくなっている分、敵の妖怪との対決が逆に取ってつけたようになってる印象はある。今回の敵はヤマビコ。でも外見は赤面猿といった感じ。前回もオスメス型の妖怪(「怪童子」と「妖姫」と言うのだそうな)と巨大蜘蛛が出てきたから、最後に出て来たデカイのが「巨大ヤマビコ」になるのかな?
で、あと一日何をしていたかというと、昨日に引き続き、『いたスト』やってました(^_^;)。 だからゲームは魔窟なんである。
読んだマンガの感想を最近なかなか書けないが、これだけは絶対書いとく。 と言っても、旧作の再版が殆どの吾妻ひでお作『オリンポスのポロン』1、2巻。これが「ハヤカワ文庫」から出版されていることの意味も、今の若い人にはわかんなくなってるんだろう。……あのね、ここだけの話ですが実は吾妻ひでおって、「えすえふ」なんですよ。 『おちゃめ神物語コロコロポロン』と改題されて1982年にテレビアニメにもなったから、20代の人は知らなくても、まあ30代以上の人ならば覚えている人もいるとは思う。ギリシャ神話をベースにして、半人前の女神ポロン(太陽神アポロンの娘)が、一人前の女神になるべく頑張るという、いかにも少女マンガ的な物語だが、実は吾妻ひでおのマンガの中でも、最もロリ度が高い。ロリコンブームの中でこれが吾妻まんがアニメ化の第1号に選ばれたのもそれが理由だろうが、残念ながらスタッフがヘボヘボで、ポロンが全然可愛くなかった(二作目の『ななこSOS』はちょっとマシになった)。今回描き下ろしの「あとがきまんが」を読むと、当時の監督、まるでやる気がなかったらしい。『J9』の監督もやってて、それなりに人気はあった人なんだけれどもねえ。 今でも私は「こーわくない、でもこっわっいー、はーずかしいー、でもうっれっしー♪」って『ポロン』の主題歌が歌える。でも実はそのころ大学生だった私の下宿にはテレビがなくて、実家に帰ったときくらいしか『ポロン』は見たことなかった。じゃあ、なぜ主題歌が歌えるかというと、吾妻ひでおのファンだった某友人が、学内だろうと道端だろうと、人目も憚らずに口ずさんでいたので、横で聞いてて自然に覚えてしまったのである。私のことをロリだと勘違いする人がいるが(女房と結婚したとき、向こうが18歳だったから誤解を招いたのだ)、ロリ度においてはその友人の方がはるかに上だった。だって俺、吾妻ひでおはともかく、内山亜紀までは集めてなかったもん。これだからオタクはよう。 本当は吾妻ひでおの世界は更に幅広く、最先端のSFをまんがの形でコアなファンの間にも浸透させていった。『やけくそ天使』『贋作ひでお八犬伝』『不条理日記』『スクラップ学園』『陽射し』『メチル・メタフィジーク』などなど……。 つまりそれくらい「吾妻ひでお」は80年代の「SFファンの(およびロリコン)のカリスマ」的な存在だったわけであるが、まあ、この『ポロン』がヒットしなかったのは痛かった。多分、みんな次の「吾妻アニメ」に期待したファンはたくさんいたと思うが(特に『スクラップ学園』は誰もがアニメ化されると固く信じていた)、『ポロン』と『ななこ』の二作で、吾妻アニメはその歴史を閉じてしまったのである。 今、原作マンガを読み返してみると、パロディでありながら、『ポロン』は意外にも原典であるギリシャ神話にかなり忠実である(オリジナルキャラであるポロンですらパエトーンをモデルにしていることを今回あとがきまんがで吾妻さんは明かした)。ペルセウスと結ばれるのがアンドロメダではなくメドゥーサだったりするという改変はあるが、それは吾妻さんが蛇女に変身させられたメドゥーサを哀れんでいるからだろう。ブラックなギャグの背景にある吾妻さんの優しさがこのあたりにも垣間見える(だって、メドゥーサのキャラ、まんま当時吾妻さんがファンだったアグネス・チャンなんだもの)。そういう発見も今読むと新鮮だ。 2巻の解説で、山本直樹さんがこう書いている。 「現在の日本のマンガの半分は手塚治虫が作ったものです。あとの半分はつげ義春が作ったものです。で、その二つを一番最初に融合させたのが吾妻ひでおだったと思うのです。」 山本さん自身、「暴論」と称するこの意見。私も賛成したいと思うのである。 あ、それからあとがきで、エロースのモデルになったアシスタントの「K君」というのは、マンガ家の沖由佳雄のことだけど、この人もすごいロリな絵を描いてて今でも同人誌は出してるみたいだけど、商業誌ではあまり見かけなくなった。この人も私は好きで『プチ・アップルパイ』とか、この人のまんがが目当てでずっと購読してた時期があったのだが、誰か消息知ってる人はいませんか(やっぱり私もロリか)。
2004年02月13日(金) 入院日記12/退院決定! 2003年02月13日(木) 絆創膏綺譚/『逆説の日本史7 中世王権編』(井沢元彦)/『魔法使いさんおしずかに!』1・2巻(竹本泉)ほか 2002年02月13日(水) たくさん書いてるけど半日は寝ている(^^)/『ギャラリーフェイク』24巻(細野不二彦)ほか 2001年02月13日(火) 明日寂しい思いをする人は読まないで下さい/『コロンブスの航海』(J.P.チェゼラーニ)ほか
| 2005年02月12日(土) |
死んでもゲーム/舞台『BIGGER BIZ 〜絶体絶命!結城死す?〜』 |
『ウルトラマンネクサス』、もう19話まで行っちゃってんだなあ。 カメラマンさんが怪獣(ビーストなんて言いたかねえよ)に踏んづけられて死んじゃったれど、別にジラースへのオマージュじゃないよなあ(^o^)。前作『コスモス』がなんだか「憎むな殺すな許しましょう」みたいな甘ったるいお話しで顰蹙買った反動か、どんどん辛気くさい話になってるけど、妙にシリアスなストーリーに影響を与えたと思しい平成仮面ライダーシリーズが、新番の『響鬼』ではかなりおふざけな色合いを前面に押し出していることを考えると、せっかく復活した新生ウルトラシリーズ、何となく当てた褌を外されちゃった感がなくもない。 そう言えば、劇場版『ULTRAMAN』のラストで、『ULTRAMAN2』の予告が流れたけれども、これが今度阪神大震災10周年祈念に合わせて作られるっていう次回作のことなのかね?
昼から天神西鉄ホールで舞台『BIGGER BIZ 〜絶体絶命!結城死す?〜』。 後藤ひろひと脚本、G2演出による『BIG BIZ 〜宮原木材危機一髪!〜』に続くシリーズ第2弾。1作目を見ていないので、話についていけるかどうか心配していたが、殆ど杞憂。何しろ松尾貴史(未だにキッチュと呼びたくなる)が出てきただけで舞台空間がいきなり「いかがわしく」なってしまうのだから、これまでの背景などの説明は一切無用と言ってもいい。そこにいるだけで他人の神経を逆撫でし、事態を紛糾させ、破壊と混乱を呼ぶトリックスターを造形することは日本的なしっとりした風土の中ではなかなかに難しいことなのだが(『寅さん』だって、人情に流れないと話が成立しない)、舞台をシンガポールという怪しさ満載のトチに設定したおかげか、シメっぽい要素はカケラもない。よくもまあこういう純粋にピカレスクなシチュエーションコメディが作られたものだと感心する。三谷幸喜が失速気味な今、舞台でのコメディはこの二人のコンビが一番旬じゃなかろうか。
かつて電話一本で幽霊会社を設立して100億円を稼ぎ出した「ドリームチーム」の面々は、今はバラバラになってそれぞれの生活を送っていた。 「結城ビッグ・ビズ・エンタープライズ」の社長に収まっていた結城(粟根まこと〈声のみ出演〉)は、新入社員・加賀(坂田聡)を連れて、ミラノの大富豪デルベッキオの代理人・川島(三上市朗)との取引契約のためにシンガポールのある古ホテルの一室にやってきていた。偶然にもそのホテルのオーナーはかつて「ドリームチーム」の一員だった絵描きの神崎(後藤ひろひと)。さらに商店街の懸賞に当たったという結城の天敵・いい加減男の健三(松尾貴史)もホテルにやってきていた。かつて健三に散々翻弄された結城は彼に出会った途端に発作を起こし、気絶してしまう。大パニックに陥った加賀は、健三と相談して何とか事態を収拾しようとするのだが……。気弱で押し出しの効かないマニラ支店長・青木木太郎(八十田勇一)は勘違いの連続で更なるトラブルをまきおこし、天才ハッカーの皿袋(松永玲子)はインターポールに追われていたのがなぜか仲間の危機を察知して駆けつけてくる。しかし実はこの契約のウラには、とんでもない陰謀が隠されていたのだった!
実直で融通が利かない新入社員を演じる坂田聡が、トリックスターである松尾貴史や松永玲子によってどんどん狂気の世界に引きずりこまれていく過程は、まさしくマルクス兄弟以来のナンセンスコメディの醍醐味である。個性的なキャラクターが交錯しドラマを盛り上げていくアンサンブルの具合は実に見事だが、その中でもやはり光っているのは松尾貴史の狂いっぷりだ。ジンバブエ歌劇団の衣裳を次から次へと取り替えて、悪魔、法王、アラブのテロリストと千変万化、更には声色を駆使して詐欺を働いていく様は、ゾクゾクするほどの快感。シナトラ狂いの後藤ひろひととトム・ジョーンズ狂いの三上市朗の「どっちが上か」対決も無意味で可笑しい。 そうそう、この芝居、コン・ゲームドラマとしても実に周到に出来ているのである。だもんでトリックとかそういうのを詳しくはバラすわけにはいかないのだが、DVDが発売される予定なので、ご興味のある方は御購入してみていただきたい。通販しかないとは思うけど。
帰りに「ベスト電器」でしげがエコ缶さんの舞台で使うかもしれないというインカムを物色。どれも高い。しげが品を見ている間、こちらはヒマなのでゲームコーナーなどを見る。新撰組のゲームが出ていたが、キャラデザインが和月伸宏さんなのに、映像はCGで似ても似つかない。こんなんデザインしてもらって意味あるんかいな。マンガのキャラクターのままでなぜいけないのか。3Dじゃないと動かしにくいってんなら、キャラデザインをマンガ家に依頼しなきゃいいと思うんだがねえ。
いったん帰宅して、しげの作ったチョコレートを持って父の店に行って手渡す。 挨拶もそこそこに、「ヤマダ電器」に回って、DVD−RWと『ドラゴンクエスト&ファイナルファンタジー いただきストリートSPECIAL』を購入。こないだからしげが「買って買って」とうるさかったので根負けしたのである。 私はゲームの類は殆どやらない。格ゲーやRPGにはもともと興味がなかったので、ドラクエもFFもどれがどのキャラだか全然分からない。アドベンチャーや落としゲー、ボードゲームは昔、ちょっとだけやった。ちょっとというのは『同級生』『to heart』といったシリーズくらいで、これも『センチメンタル・グラフィティ』に腹立てたのが原因でやめた。 そんな中で全シリーズを丹念に買ってたのが『いただきストリート』だったのだが、これがまあ、クリアーするのにやたら時間がかかるのである。要するに人生ゲーム+モノポリーみたいな双六ゲームなのだが、隠しキャラを探し出すためにトーナメントを全て勝ち進んでいかなければならない。これがまた、1週間や2週間じゃ利かないのである。その間、本は読めない、目は疲れる、頭痛はする、それだけ努力しても何か人生に益するところがあるわけではない、全く時間の浪費以外のナニモノでもないのだが、その「時間の浪費」くらい楽しいことはないのである。だからと言って、「時間の浪費こそ人生の贅沢」とか詭弁を弄するつもりはない。単に馬鹿なだけだ。 でまあ、買って、早速しげとゲームをやり始めたはいいのだが、これがもう予想通り、全然中断できない。しげは睡眠薬を飲んでいるので、目はしょっちゅう閉じてアタマは舟を濃いでいるのだが、それでもコントローラーから指だけは離れないのである。時々目が白目を剥いていて口は半開きなのに指だけは動いているので気色悪いのである。で、気がついたら朝の6時である。私も頭痛で目の奥が痛い。 ……だから本当はもうゲームから卒業したかったんだよなあ。若いうちはいいけどよ、40過ぎてゲームなんかにハマッてるとカラダ壊すだけなんだって。でも一度ハマッた経験のあるやつはなかなか足抜けできないものなんだろう。私は酒もタバコもやらんが、ゲームで死んだ、なんてことにでもなったら泣くに泣けんが、冗談じゃなくそうなる可能性があるような気がする。 「藤原敬之は死んでもコントローラーを離しませんでした」って、教科書に載る……わけねえって(+_+)。
夜、11時より2時間ほどチャット。前回に引き続き、新設したJavaチャットである。 参加者は、しげと私に、鍋屋さん、あやめさん、初参加のぴの。さん。 話題は次回のオフ会についてなど。今月26、27日に上京する予定なのだが、未だに参加人数と場所が確定しない。以前参加された方の何人かにも連絡を取りたいのだが、いかんせん、こないだしげが私のパソコンのデータをいじくって間違ってメールのデータを全部消してしまったのである。そういうわけで、こちらから連絡が取れない状況にあるのだが、初参加の方でも私の馬鹿ヅラを拝んでみたいと仰る奇特な方がおられましたら、メールを下さいませ。 回線が混雑しているせいか、みなさんやたらと飛ばされる。自分で探してきただけに、Javaチャットが不評で、しげはちょっと腐っていたが、ログが殆ど残らないのはかえってキラクに喋れる分、いいんじゃなかろうか。
2004年02月12日(木) 入院日記11/存在の耐えられないデカさ 2003年02月12日(水) ラブラブブラブラ/『逆説の日本史6 中世神風編』(井沢元彦)/『バロム・1』1巻(さいとう・たかを)ほか 2002年02月12日(火) 気がついたらマヨラー(笑)/『ブギーポップ・アンバランス ホーリィ&ゴースト』(上遠野浩平)/『大秘密』(W・パウンドストーン) 2001年02月12日(月) 来年の『ゴジラ』はあるのか/『アニメージュ』『ニュータイプ』3月号
| 2005年02月11日(金) |
狂っても人生/映画『新暗行御史』 |
朝のニュースで、開成中、桜蔭中の合格発表の模様を中継。 そのへんでハナ垂らしてるガキンチョとはまるでオツムの出来が違ってそうなキリリとしたお顔だちのお子サマたちが「やった〜!」なんて満面の笑みで叫んでるんだけれども、一番喜んでるのは塾だの家庭教師だので既に湯水のごとく投資している親御さんなのであろう(^o^)。お父さんが涙まで流してるの見てると、全く親って辛いよなあと思う。 翻って私自身も親に大学まで出してもらったわけだが、しょっちゅう言われていたのは「一人っ子だからこそ大学までやれた。お前に兄弟がいたら大学まではやれなかった」である。大学でバイトして奨学金をもらっていても、物価の高い東京では、学資生活費の大半を親に頼らなければならない。ゼミの教授には「大学院まで行かないか」と勧められてはいたのだけれども、当時の親の経済状況がそれを許さなかった。と言っても実家自体が貧乏だったということではなく、何度か日記にも書いてきた親戚どもに金をたかられまくっていたからである(だからその親戚が今更いけしゃあしゃあと借金を申しこみに来たところで、私が相手にするわきゃないのだ)。そんな状況であっても、大学まで出してもらったのだから、親には充分感謝をしているのだが、その半面、高校時代は家業の手伝いばかりさせられていて父には「うちで宿題なんかするな!」と怒鳴られて、受験時ですら勉強に専念させてくれなかったのは今でも恨みに思っている(おかげで宿題が間に合わずにしょっちゅう先生に叱られていた)。全く、教育熱心だったのかそうでなかったのか、よく分からない。要するに子供が自分より勉強ができることに劣等感を感じていたただの馬鹿だったのだ。テレビに映っている親御さんたちも充分馬鹿っぽいが、ウチの馬鹿親は子供の足を引っ張るばかりだったから、それよりゃよっぽどマシだよなあと思う。 テレビに映っている子供たちの中に、「これからの進路は?」と聞かれて、「それは社会の“混沌”の中で自分で見つけていきます」とか答えていた子がいた。いかにも優等生的な様子で、こまっしゃくれた言葉遣いではあるのだが、こういう年頃は、覚えた言葉をともかく会話の中に使ってみたいものなのである。まだ世間ずれしていない証拠で、かえってかわいらしいくらいだ。ただ親は微笑ましく見守るばかりじゃなくて、もちっと言葉遣いに気をつけるように注意したほうがいいとは思う。 コメンテーターは「荒れる子供たち」を想定しているのか、「こういう勉強に専念する子供たちもいないといけませんね」とか言ってたのだが、舌の根も乾かぬうちに「塾に通えるのは一部の子供だけで、今のゆとり教育は貧乏な子供たちの学習の場を奪っています」と言って批判したのにはガクッときた。不況不況とは言うものの、そこまで貧乏なうちが今の日本にどれだけいるというのだろうか。1パーセントもいないんじゃないか。 学力に格差ができて何が悪いのだろう。有名進学校に合格した子供たちは、まさにその「ゆとり」の時間を有効に使って学力を伸ばしたのである。今「ゆとり教育」に文句をつけてる連中は、みんな土曜日曜は怠けて遊び呆けてたやつらや、その親たちだけではないのか。学校の授業というものはどうしても成績が真ん中あたりの子供を標準にせざるを得ないので、トップクラスの子供たちにとっては退屈なものでしかない。「分かりやすい授業」などというものは、そういう子供たちにとっては邪魔でしかないのだ。だから早い段階で勉強する子としない子に「格差」をつけて、する子には「ゆとり」の時間を使ってどんどん学力を伸ばしてもらう。才能のある子が周囲にムリヤリ合わせられて「出る食いは打たれる」状況になっているのを改善することが「ゆとり教育」の目的なので、落ちこぼれのために考えられた施策ではない(いや、落ちこぼれだって、時間を有効に使えば授業に追いつくことは可能なはずだ)。かけっこで横一列にゴールさせて誰も一番にしないような「悪平等」には文句をつけるくせに、自分たちの努力不足は棚にあげておいて、勉強での格差をなくせと文句を付けるというのは卑怯なだけではないか。今、自分たちが唱えている「ゆとり教育」反対の声が悪平等のそのものなのである。 落ちこぼれて何が悪いか。落ちこぼれたからといって卑屈になり他人を羨むその精神自体が差別的ではないか。その人の人格を見ず、学力だけで内面を勝手に推し量っているくせに、それでどうして自分たちのほうが正しいなどと思いこめるのか。もしも自分が落ちこぼれなかったら、そいつらは決して「ゆとり教育」に反対はしないはずである。目を覚ませ。自分たちが馬鹿なのは誰のせいでもなく自分だけの責任だし、どうしてオレだけひどい目にあっているのだというのはただの被害妄想だ。「ああ、自分は馬鹿なのだな」と気がついたら無理に進学しないで自分の道を探し、さっさと働いたほうがよっぽど人間的には立派だろう。「進学しかない」という狭い判断が自分の人生の道も狭めてしまっているのである。 「でも、せめて高校まで進学しないと就職口がない」とか文句垂れる馬鹿親もまだいるが、それこそ高卒以上しか採用しない「会社」に文句を付けるべきで、批判の矛先が学校や文科省にというのはお門違いも甚だしい。ゆとり教育はもう十年以上前から推進、段階的に実施されてきたもので、そのことはさんざっぱら告知されてきたにも関わらず、対応を怠ったのは企業や会社の方なのである。安上がりだからとか言って外国人の不法就労者を雇ってないで、さっさと中卒に門戸を開け。日本をダメにしてるのはそいつら中小企業だ。 それなのに文科省では「ゆとり教育の見直し」とか言って、「内容の削減はともかく、授業時間の削減はよくなかった」とか言っている。これは全然逆で、授業時間の削減を行って内容を凝縮しなければならないのである。伸びる子はどんどん伸ばし、落ちこぼれる子は落ちこぼらせる。そうしなければ、日本の次代のリーダーは馬鹿どもに足を引っ張られるばかりだ。こんな腰砕けの姿勢じゃ、またぞろ愚民にいいように翻弄されるだけだぞ。いい加減、馬鹿はほっとけ。
夜、シネテリエ天神までアニメ映画『新暗行御史』を見に行く。 東京では昨年のうちに公開が終わっているのだが、福岡ではやっと今月になって公開、でもってモーニングとレイトの二回のみで一週間のみの限定公開。今日がもう最終日である。なんかもー、泣くに泣けんよ(+_;)。パンフレットを買ったら「単行本10巻12月発売予定!」とか書いてあるのな。とっくに買ってるって。 長大な原作を1時間半のワクにはとても収められないので、原作の「新・春香伝」と「曼陀羅華」だけを抽出して映像化。そのアイデア自体は悪くないのだが、何と言っても原作の「序章」における「暗行御史」の初登場シーンの意外さ、鮮烈さにはまさに度肝を抜かれたので、これを映像化してくれなかったのはやや恨みに思う。もっとも、原作ファンはとっくに文秀(ムンス)の正体を知っているわけで、製作スタッフは序章を映像化しても今更だよなあ、と判断したのかもしれない。しかし、映画で初めて『信暗行御史』に出会ったという人もいるはずで、そういう人が改めて原作を読んだらかなり興を殺がれることになる。 本郷みつる脚本は、春香(チュンヒャン)が山道(サンド=暗行御史の護衛)となっていく過程を描く形で二つのエピソードをうまくつなげており、その点でソツはないのだが、ストーリー展開の意外性などは失われていて面白味にも欠ける。いや、それ以前に原作を未読の人間にはかなり不親切な作りになっていて、聚慎が滅びた後、文秀がどうして旅をしているのか、彼がやたら呼吸器を使っているのはなぜなのか、あるいは柳義泰(ユイテ)が島民に外法を施すのはなぜなのか、物語を牽引するための説明が殆どなされない。原作を読んでいる私ですら、画面を右往左往するキャラたちをただ漫然と見せられるばかりで、いっこうに物語に惹き込まれなかったから、初見の方はなおのことだろう。本郷さん、『クレヨンしんちゃん』から身を引いて以降、今一つパッとしないのが寂しい。 劇場公開ではなく、テレビシリーズだったらなあ、とも思うのだが、そうなると作画のクオリティを図れるかどうかも疑問なので、痛し痒しだ。 いや、作画がいいと言っても、実際に「見れる」のは山道のアクションシーンくらいのもので、ほかは総じて平板なのである。原作の梁慶一の絵は日本のマンガキャラをかなり意識したものなので、アニメ向きかと思っていたのだが、それでもマンガとしては充分濃密だったのだろう。アニメキャラクターになった途端にその魅力が半減している。 それでも昨日までに見た『オペラ座の怪人』や『きみに読む物語』よりはよっぽど面白いのである。日本映画はダメダメだという人は多いが(これは日韓合作だけど)、ダメ率で言えばハリウッド映画の方が圧倒的に数は多いので、何でもかんでもハリウッドが一番みたいなマスコミの流したエセ情報に洗脳されないでモノは見ていただきたいものだ。
2004年02月11日(水) 入院日記10/さらば関西人 2003年02月11日(火) 映画を見る以外に休日の過ごし方なんてあるんですか/映画『音楽』/『プーサン』/『エデンの海』/『日本一のホラ吹き男』 2002年02月11日(月) うまいぞもやしマヨネーズ/『ONE PIECE ワンピース』22巻(尾田栄一郎) 2001年02月11日(日) 水の中の失楽/アニメ『も〜っとおじゃ魔女どれみ』1・2話ほか
| 2005年02月10日(木) |
宮崎駿監督、栄誉金獅子賞/映画『きみに読む物語』ほか |
仕事中、しげからしょっちゅう「ダンスのこと聞いてくれた?」とメールが来る。 一応、話を持ちかけて来た同僚に聞いてみたのだが、びっくりして笑われて「わかりません」と言われてしまった。ま、それが当然の反応だろう。 迎えに来たしげにその旨を伝えたのだが、それでも一向に納得しようとしない。それどころか「ダンスの振りつけも考えたのに」なんて言う。だから振り付け考えるのも踊るのもウチの会社の者なんで、お前は無関係なの。なんでそれが理解できないかなあ。
帰宅して休憩したあと、ダイヤモンドシティへ映画を見に行く。 少し早めに出かけて、私は「フタバ図書」で本を物色、しげはゲーセンで「クイズマジックアカデミー」に熱中。 映画が始まる前に軽食でも取ろうとフードコートで待ち合わせをしていたのだが、時間になってもしげが来ない。携帯で連絡入れても来ない。日頃こちらが時間に遅れそうになるとツノ出して怒るくせに、自分がゲームにハマると「まだ途中だから」とか言ってんのである。「約束の時間守れないならゲームなんかするな!」と怒って、しげのために買っておいたタコ焼きを一人で全部食った。守れる約束を守らなけりゃ怒られるとわかっててなぜ破るか、馬鹿に何言ったってムダなのかよ、やっぱり。 そういうわけで、しげには「マジアカ禁止令」出しましたので、カトウ君もよしひとさんも、しげをマジアカに誘うのは遠慮して下さい。ほかにも時間かかるゲームは全て不可です。
ワーナーマイカル福岡ルクルで映画『きみに読む物語』。 原タイトルが「The Notebook」。そのまま日本語に訳せば「帳面」(^_^;)。「きみに読む物語」という邦題は実に見事、と言っていいのではなかろうか。でもいかにも「純愛ブーム」に乗った印象もあって、実はそんなに好きじゃない。 しげがこの手の恋愛ものを見に行きたいと言ったのも珍しいことなのだが、やっぱりアルツハイマーの恋人の記憶を取り戻させようと老人が懸命になってかつての自分たちの物語を語っていくというコンセプトに惹かれたのだろう。 要するにこれまでにも何度となく作られてきた「記憶喪失を取り戻させる」ってパターンの一つの映画で、そこに「アルツハイマー」って設定を持ってきたことがミソなわけで、つまりは基本的に「老人性痴呆は治らない」という前提があり、だからこそそこに「奇跡」を演出する余地があるのである。 けれど、いつぞや下半身不随のクリストファー・リーブが車椅子から立ち上がるCGのCMを流したら、「同じ症状の患者に無用な期待を与える」と非難されたように、「アルツハイマーも治るのだ」と安易な期待を患者さんたちに与える危険性があるということを考えると、この映画、そんなに手放しで誉めるわけにはいかない要素が多分にあるのだ。本当にアルツハイマーという病気と向き合うのなら、「記憶をなくしてしまってもう二度と戻ることのない相手といかに人間として関係を作っていけるのか」というテーゼについて考えざるを得なくなるはずなのだが、その視点がこの映画には全く欠落しているのである。 つまりは全編キレイゴトなわけで、そりゃユメだけ見てたい気持ちも分らないではないけれど、だからと言ってそんなに人間のキタナイ面は見たくないのか、それで人間ドラマなんて作れると思ってんのかよ、ふざけんじゃないと、製作者に説教したい気分にすらさせられてしまったのだ。まあそんなことはしないし、できる機会もないけど。 しかしそういうコンセプトの映画なら、物語のメインは物語を語る老人のほうに傾かなきゃウソなわけで、それが延々だらだらと若いときの回想シーンが殆どを占めるってのは何なんだろうなと思う。お定まりの一目ぼれ、お定まりの親の反対、お定まりの別れ、戦争、お定まりの再会、お定まりのライバル出現などなど、陳腐な展開ばかりが続く。しかもこれがまた実に主人公たちに優しく都合よく展開するんだから、なんてまあ苦労知らずで幸せな人生送ってんだろうなあと鼻白む気分にさせられてしまうのだ。 身分違いの恋を糾弾するヒロインの両親は、娘と口喧嘩はするけれども、殴って言うことを聞かせようとかそんな暴力的な態度は取らない。男に対してはそれこそ何一つ文句を付けないので、差別的なくせに紳士的なのである(^o^)。戦争の描写もおざなりで、男は親友を亡くして、これが男のトラウマになるとか、後の展開に尾を引くのかなと見ていたら何にも触れない。ドラマ展開としては友達死に損なんである。 まー、つまりはこれ、レイティングを気にしてヤバそうなシーンなんて最初から作ってないんだね。製作者が本気で映画作ってないことがようわかりますわ。「こんな映画作りをしちゃいけない」という見本みたいなものだ。昨日の『オペラ座の怪人』もひどかったけれど、これまた輪をかけてひどい。既に今年のワースト映画の筆頭である。 それから後もご都合主義の連続で、いったんは別れた二人、それぞれに愛人や婚約者を作るんだが、再会したとなるといとも簡単に主人公たちのために文句も言わずに身を引いてくれるのである。んなアホウな展開があるかい。でも、主人公たちの愛と別れに涙してる客もやっぱりいるんだよねえ。私もトシ食って涙もろくなってるけどね、さすがにこんなクズ映画で泣けるほど自己陶酔に浸る人生は歩いてきてません。「純愛映画」なんて銘打ったもので出来のいい作品なんて殆どないんだから、そんなん見て妄想に浸って時間を浪費するんだったら、現実に自分自身の恋の道を真剣に考えましょうよ。 老人役のジェームズ・ガーナーとジーナ・ローランズが熱演しているだけに、なんか悔しくすらあるのである。
帰宅して、録画しておいた木曜ドラマ『富豪刑事』第五話「ホテルの富豪刑事」を見る。録画してまで見なきゃならんのかと言われそうだが、もう私は自暴自棄である(^_^;)。 焼畑署管内で長らく対立・抗争を続けている暴力団、竜神会と不知火組。 抗争激化の果てに、ようやく双方が手打ちを行うことになったのだが、何がきっかけで再び危険な事態が勃発しないとも限らない。そこで手打ち式の成功を願う神山署長(西岡徳馬)は、暴力団を担当する四課の課長・大橋警部(大和田伸也)に応援を依頼する。しかし実は、彼と鎌倉警部(山下真司)とは、お互いをライバル視する間柄にあった。 今回の事態になんとしても捜査係だけで対処したいと考える鎌倉警部。しかし、100人近くの暴力団員が宿泊するホテルや立ち寄りそうな場所の全てに部下を配置するには、少なく見積もっても三千人の捜査員が必要となる。捜査係の面々がすっかりお手上げ状態で頭を抱えている中、またまた神戸美和子(深田恭子)がとんでもないアイデアを提案した。 一つの大きなホテルを除いて、管内のホテル・旅館の全てに署員の家族を予め宿泊させ、暴力団員を泊まれなくする。結果として暴力団員たちは残る一つのホテル、美和子の祖父・喜久右衛門(夏八木勲)がオーナーであるエンジェル・ホテルに宿泊せざるを得なくなるが、それなら少ない捜査員でも充分監視ができる。ほんの数億円の支出ですむ、と美和子は微笑む。 いつものように鎌倉警部以下は呆れはてるが、いつものように神山署長のプッシュで美和子の案は採用され、ついに手打ち式の日を迎える。エンジェル・ホテルに現れたのは、不知火組組長・水野(寺田農)たちと、若頭の新谷(ガッツ石松)に付き添われた竜神会会長・福本(細川俊之)たち。しかし、いよいよ手打ち式の直前に、一般客は全てシャットアウトしたはずのホテルに、アメリカの大富豪・ジョーダン(マイケル・ゴインズ)夫妻がやってきてしまった。そして焼畑署署員たちを嘲笑するかのように、二つの殺人事件が起きてしまう……。
ゲストの役者だけは今回かなり豪勢。ホテルの支配人役で小木茂光さんも出演している。よく知らんけど、スピードワゴンというコメディアン二人組もチンピラ役で。でもこのあたりは殆ど使い捨てみたいなチョイ役である。楽しそうに被害者を演じている細川俊之はまだしも、たいした見せ場もない寺田農など、わざわざ有名どころを使わなきゃならなかったのかとアタマの上に疑問符がぽこぽこ浮かんでくる。使うんなら使うんで美味しいシーンとか用意してやるのが役者に対する礼儀ってもんでしょうに。 腹を立てつつも五回続けて見てくると、どうやらスタッフはマトモなミステリーとしてこのドラマを作ろうという気はあまりなくて、コメディとしての面を強調したいのだな、ということは見えてくる。もちろん原作がもともとスラップスティックギャグとミステリーの融合という破天荒な設定なので、ギャグ主体の映像化になるのはアリっちゃアリなのだが、そのギャグセンスが『トリック』なみという実にお寒い状況なのはどうにかならないものか(だから脚本家が『トリック』の人だから)。……筒井康隆、剣山踏んづけて「ギャ〜」とか叫んでないで、脚本チェックくらいしてやれよ。 ガッツ石松を「今」使うなら、どうしても「OK牧場」を言わせたくなるのは気持ちとしては分かる。昔の高瀬実乗の映画を見ていて彼が「あーのね、オッサン、わしゃかーなわんよ」と言わなかったらガックリするようなものだ(譬えが古いがこれくらい適切な譬えもめったにないので、ご了承頂きたい)。けれど『笑の大学』の「猿股失敬」のようなもので、これくらい要らないセリフもない。西村雅彦のセリフをそのままに言えば「これで笑える客の気が知れない」である。フカキョンが「『OK牧場』ってなに?」と首を捻るが、私は脚本家の首をこそ捻りたくなった。 ミステリーとしては活字の場合は生きるトリックも映像にするとこんなにダサダサになるものかと情けなくなった。まあ『ホテルの富豪刑事』は原作短編の中でもちょっと無理があるエピソードなのだが、それにしても美和子の提案の奇抜さが本当に奇抜なものとして視聴者を驚かすというレベルにまで板っていないのは悲しい。エンジェルホテルだけに100人以上空室があるなんて状況があったら、いくらヤクザが馬鹿でも警察の企みに気付かなきゃおかしいよ。「まさかそんな大掛かりなことが警察にできるはずがない」と判断する以上に異常な事態なんだから。警察の存在には気付いてるけど“あえてその計略に乗った”って展開にしたほうがまだドラマチックになろうというもんだ。 短編を一時間持たせるために付け加えたもう一つの殺人事件も馬鹿馬鹿しいくらいのクズトリックで(つか、トリックになってない)、脚本家の頭をこそ打ち抜きたくなったが、メイントリックの方も、犯人役をあの人にやらせちゃダメでしょうよ、としか言えない。それともまさかコイツに犯人役をやらせはしないだろうという意外性を狙ったのつもりなのか? だったら大失敗だよ、それ。 それにしてもいつまで経ってもフカキョンがお嬢さまにも名探偵にも見えてこないのはどうしたらいいんでしょうかねえ。配役交代が無理なのは承知なんで、私ゃもう脳内変換で別の役者想定して見てますよ。でもそういうときに「お嬢さま」を演じられる女優として思い浮かぶのが若いころの原節子とか久我美子とか香川京子とか山本富士子とか桜町弘子とか北沢典子とか、これもまた古くて若い役者を思いつけないのが現代の女優不在を切実に感じさせてしまうのである。
8月に開催される第62回ヴェネチア国際映画祭で、宮崎駿監督が栄誉金獅子賞を受賞することが決まったとか。これで宮崎さんは、ヴェネチア、ベルリン、カンヌの三大映画祭の全てで一応何らかの受賞経験があることになった。 けれども、こういう「栄誉」賞ってのは、本当はもっと早くに受賞させなきゃいけなかったんだけど、時の運であげ損ねたり、もう引退寸前で「功労賞」としてあげる場合が殆どなので、あまり嬉がってもいられないのである。つまりは「これからあんたがなんか映画作ってもコンペには参加させないよ」って意味なんだよね。だから来年以降、宮崎さんが映画祭に参加しても受賞はもうさせないよって言ってるようなものだから、招待作品になるか、特集上映になるかのどちらかしかなくなっちゃったのだ。まあそれだって確かに「栄誉」ではあるんだけれどもね。 それだけ宮崎駿の実力が認められて「脅威」に感じられたってことでもあるから、まあいいか、とも言えるのだが、できればヴェネチアでも“本当の”金獅子賞を取ってほしかったと思う(『ハウル』でではなく次作で)。三大賞のグランプリを取ってる日本人は一人もいないわけで(黒澤明がヴェネチアで『羅生門』、カンヌで『乱』の二冠。ベルリンは惜しいことに『隠し砦の三悪人』で監督賞)、その可能性を持っていたのは宮崎さん一人だと思っていたのだ(北野武は難しかろう)。 確かに最近の宮崎作品のレベルの低下は昔からのファンにとっては悲しいくらいなのだが、それでもなおそのへんのおざなりな作りのアニメに比べればはるかに出来はいいわけで、未だにアニメに対して偏見の強い日本では、アニメの面白さを理解・浸透させるためには、こういう「外国での賞」という権威が「外圧」となって働きかけないと、アニメの製作環境自体が整わないのである。これだけアニメが活況を呈していながら、本当に世界に通用するアニメを作っているスタジオはジブリを始め、数えるほどしかない。宮崎さんにはせめてあと二、三作は「外圧効果」のある映画を作ってほしいと心から願っているのである。
2004年02月10日(火) 入院日記9/お薬の正しい飲み方 2003年02月10日(月) 夢見が悪い日ってあるよね/映画『金髪の草原』/『うさぎとくらたまのホストクラブなび』(中村うさぎ・倉田真由美)ほか 2002年02月10日(日) 男が女に暴力を振るうワケ/『仮面ライダー龍騎』第02話「巨大クモ逆襲」/アニメ『サイボーグ009』第17話「決戦」ほか 2001年02月10日(土) 「html」って、はいぱあ・てくのろじい・まきしまむ・ろぽ……じゃないよな/映画『狗神』ほか
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一応、北朝鮮戦について書いておこうか(^_^;)/映画『オペラ座の怪人』 |
朝方っつーか、真夜中に「金龍」にラーメンを食べにいく。 ここんとこ一ヶ月ほどしげがマジメに食事を作っているので、外食は少なく、せいぜいマクドナルドでオニオンリングを買ってきたりするくらいだった。けど、しげの作るメニューは全部鍋煮こみである。手料理はありがたいのだが、さすがに一ヶ月ほとんど同じメニューだと(ちょっとだけ具材は変わるが)、さすがに飽きる。一番飽きてきているのはしげのようなので(だったらメニュー変えればいいのに)、「ラーメン食いたい」と言い出したのである。 もしかしたら1年くらい食べてなかったんじゃないかと思うが、「味噌煮込みカレーラーメン」という新メニューがあったので注文。中丼程度の大きさの鍋に、名前通りのやや汁っぽいビーフカレーラーメン、それに温泉卵と小ご飯が付いて出されてくる。初めに温泉卵をカレーに混ぜて熱さと辛さを和らげてラーメンを食べ、そのあとの残り汁にご飯を入れて雑炊にして食べるという趣向。 麺は、固さは選べるが基本的に縮れ麺。ただし普通の固さを注文しても結構軟らかくて、縮れはそれほどではない。けれどいわゆる博多ラーメンの細麺ではないのは、カレーに絡めるのだから、細麺では味も歯応えもなくなってしまうからだろう。その判断は正しい。カレーに味噌をどの程度混ぜているのかは分からないが、ルーはなかなかコクがあって、ビーフの量はそう多くないけれども、これだけを単体ですすってもほどよい辛さで楽しめる。ある程度をすすって適度な量にしてご飯を混ぜるのが最後まで美味しく食べられる秘訣のようだ。 「替え玉」「雑炊」は博多ラーメンの伝統みたいになっているが、さてルーツはどのあたりなのだろう。松本零士が昭和40年代に「ラーメンライス」をマンガに描いているから、北九州の方が歴史は古いんじゃないかと思うが、これも「とんこつラーメン」同様、久留米の方が早いのかもしれない。どちらにしろ、私の子供時分には博多のラーメン屋には殆ど替え玉制などは見かけなかったし、戦前をそう古くは遡れないと思う。 これまで散々「博多ラーメンは不味い」と言い続けていたが、時々あちこちの店を覗いてみると、こうした新メニューが増えていて、総じて味の工夫がなされている。4、5年前までは巷に溢れていた「とんこつのみ」の臭いだけのラーメンはかなり駆逐されてきた。となると、「あんなもんは博多人の本当に好きなラーメンじゃねえ」と散々文句を付けてきたのだが、肝心のそのムカシの博多ラーメンがいかに不味かったのか、それを証明することがかえってできなくなりつつあるのである。中洲あたりの屋台ラーメンならばまだまだボッタクリみたいに高くて不味い味を保証してくれてるんじゃないかと思うが、わざわざラーメン食べるためだけに行くことはなくなってるし、そこまでの冒険心もないからなあ。誰か勇気のある人、行ってみないか。 他地方のかたで、博多に来られる機会がある方も、ぜひとも「ラーメン食べ歩き」をお試し下さいませ。
P.P.Produceの日記リンク、全員とは言わないまでも参加者が増えて活況を呈しつつある。カトウ君の恋バナも面白かったが、ちょうどこちらが『キスイヤ』にかけて恋バナ書いた直後に読んだら、「浮気は許せん!」とか似たようなことを書いてたので、何をシンクロしてやがんだ、とちょっと照れ臭くなった(^_^;)。カトウ君も『キスイヤ』見たことあるのかな? 「愛人を、自分のマンションの部屋の、なんと真ん前の部屋に住まわせて、しかも妻にも愛人にも気付かせずに暮していた男」なんて話を聞いたら、その男に対して殺意を抱くのではなかろうか(^o^)。 ……でも、いい男ですよ、カトウ君は。確かに説教臭い分、軽〜い感じの女の子が付き合うには重いかもしれないけど、浮気の心配はないでしょう。これ、女性にとっては結構ポイント高いと思うんだけどねえ。本人は「おっぱい星人」だと公言してますが、なに、つるぺたでもずんどーでも幼児体形でも、いったん付き合い始めたらそんなこと気にしないであなたを愛してくれますでしょう。ただ、オタクな趣味は結婚してもやめないと思うから、そこは我慢しましょう。これはもう、オタクと結婚する際の業だから。 え? オタクは嫌いだから、ほかの男を探す? 冗談言っちゃいけない。今の日本の男で、オタク以外の男はみな全て「浮気します」よ。「浮気をしない」ことがオタクであることの逆証明みたいなものなんだから、そんな「オタクでなくて私だけに優しいセレブな男」なんてユメを見てちゃいけませんて。いや、それは既に「妄想」です。 ……杉田かおると結婚した鮎川さん、きっと「杉田かおる」オタクだったんだろうなあ。たまに「チイ坊」とか呼んでたりして(^o^)。
しげがついにバレンタインチョコを完成させてカトウ君や其ノ他君に送ったのだけれども、結局現物を私は見ずじまいである。そのあたりのこともカトウ君の日記を参照して頂けると今回はまたどういうネタに走ったか、お分かり頂けると思う。こんなふうにここの日記とメンバーの日記もシンクロしたりリンクすることもあるので、こちらだけ覗いていらっしゃる方もごヒイキにして頂けると嬉しい。カトウ君、自分の日記がほかの人の日記の「お気に入り」に入れられるのをとても喜んでおりますので。かわいいなあ。
できれば其ノ他君や鴉丸嬢も日記書いてくれると嬉しいんだけど、カツカツの生活してるからなかなかネットにも繋げないらしいからなあ(本人たちの責任じゃない部分も大きいんだけどさ)。 なんでもないこと、書いたって意味がなさそうなことの方が実は面白いんで、せめて掲示板とかに書き込みしてくれると会えないときでも情報交換できるんだけどね。
私は本名のほうでも芝居関係に近い仕事もしているのだけれども、そちらの内容はいろいろ差し障りがあって、こちらの日記に詳しいことは書けない。 P.P.Produceの芝居のほうはあまりお客さんに受けないんだが(^_^;)、本職の方では顰蹙買うくらいに受けているのである(←私の本職知ってる方は、このあたりの微妙な言い回しに注意してね)。 ……で、近々、ちょっとばかし舞台に立たなきゃならなくなったのだが、これがまあ、「ダンス」があるんですね(^_^;)。 「どんなダンスなんですか?」と担当に聞いたら、「『オースティン・パワーズ』のような」と仰る。『オースティン』と聞いて私が真っ先に思い出すのは第3作『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』オープニングでの「バック転するスティーブン・スピルバーグ」である(^o^)。思わず「バック転もあるんですか?」と聞いてしまったが、それはないとのこと。けれど、かなり激しい踊りにはなるようで、体力的に踊れるかどうか心配ではあったのだが、断わるに断われない事情があってウラに徹するというわけにもいかなかった。スケジュール的に東京行きと重なってんだけど、大丈夫か、オレ。 というような経緯をしげに話したら、急にしげが「オレも踊りたい! オレも踊る!」と言い出した。 「踊るって……お前、オレの仕事とは何の関係もないやんか」 「家族やん!」 「そんなん理由になるか! だいたい何で参加したいんだよ!」 「だって踊るっちゃろ!?」 「ダンスだから踊るよ」 「ね!?」 「何が『ね!?』だよ! 意味わから〜ん!」 ともかく練習の見学だけでもさせてくれ、とあまりにしつこく懇願されたので、一応担当に話を通じてみるとは言ったのだが、この常識のなさは何なのかね。私がしげを甘やかしてると見る向きもあろうが、そういう方はいっぺんしげと実際に会話してみるとよろしい。「ダメなものはダメ」が通じないイカレたアタマの人間も世の中にはいるのだ。実際に「どうしてもダメ」という形が出ないことには、しげは絶対に納得をしないのである。
レディースデイなので、女性は千円均一。私も駐車場割引が効くし、あと一回映画を見るとポイントが溜まって招待券が手に入るので、仕事が引けてからすぐにキャナルシティに向かう。 先に「ラーメンスタジアム」の「日向拉麺 一心不乱」で、しげと「黒のこくとんこつ」と「白の塩とんこつ」を分けて食べる。 店員さんに「麺は太麺と細麺、どちらがいいですか?」と聞かれたので、太麺を注文。とんこつとは言っていても、これも「国内産豚骨を24時間煮込んだスープ」と「昆布・醤油・魚醤等16種類もの材料をミックスした秘伝の元ダレ」によるもので、臭みはないがかなり濃い。太麺だからよかったものの、細麺ではそのスープに「負けて」しまうだろう。黒の方がやや辛味がある感じなので、白をしげに回して、主にこちらの方を私が食べる。開店当時の混雑はもうないので、待たずに食べられるようになったのもよかった。今日はラーメン尽くしである。
映画は昼間じゃなきゃ見る気になれない長〜い映画、『オペラ座の怪人』。 ロン・チャニイ主演のゴシック・ホラーの傑作『オペラの怪人』(映画紹介本でもDVDでも『オペラ座の怪人』と勝手に改題されているものが多いが、「座」がないのが正式な邦題である)をこよなく愛する身にすれば、「ミュージカル化」の時点で「ふざけんな」って感じる部分もあるのだけれど、まあ、『デビルマン』見たあとだと、心が宇宙よりも広くなってるから(こればっか)。 絶賛してらっしゃる方もいらっしゃるようですから、まあそんなに文句はつけませんよ。ええええ、傑作で泣けるんじゃないですか、バカップルには。 アンドリュー・ロイド=ウェーバーには作曲とプロデュースの才能はあるかもしれないが、ドラマ作りと映画の才能はまるでない。それは「『シカゴ』の成功を見て、『オペラ座の怪人』の映画製作を決めた」なんて発言していることでも分かる。あれはねえ、ミュージカルが嫌いな人、「何で普通の芝居をしていたのがいきなり歌って踊り出すんだ」って拒否反応を起こす人たちにも違和感なく見てもらうために、映像化する際に「ダンスシーンは殆ど妄想」って設定を付け加えてるの。そういう「映像化に関するアレンジ」が何もされてないではないの(構成の変更とかは効果的な改変のうちには入らない)。 映像化に当たって危惧をしていたのは、「オペラ座」をリアルに造形すれば造形するほど、その舞台に立っている役者たちがなぜか「英語」を喋り、「現代音楽」を歌って踊る違和感が弥増すことである。舞台は「見立て」の芸術だからそこがあまり気にならないんだけど、映画だとそれは「ヘン」にしか映らないから。外国映画で、日系人が純粋な「日本人」を演じたときのカタコトのおかしさを想起していただければおわかりでしょう。 危惧は当たったどころか、ロイド=ウェーバーが大馬鹿だということを露呈しているほどにひどかった。役者たちは「英語」を喋るどころか、「フランス語訛りの英語」を話しているのである。ムリヤリ日本語に訳せば鼻声巻き舌で「コ゜ーキケ゜ン、イッカーカ゜デースカァ、マドモアゼール?」なんて喋ってるようなものである。……お笑いにしか聞こえねえよ。しかも歌になった途端に訛りみんな消えるし(^_^;)。 まあ、そこいらあたりは英語もフランス語も気にならない人にはどうでもいいんだろうが、ドラマも全体的に間延びがしていて、もうしつこいくらいに主題曲ほか同じ曲が繰り返し流れるものだから、飽きてくるのである。「ここぞというときだけ歌う」って緩急がどうしてできないのかねえ? 役者に魅力が殆どないのも痛い。ヒロイン、クリスティーヌを演じたエミー・ロッサム(『ミスティック・リバー』の死体役(^o^))が、始終トロンとした目で口は半開きで馬鹿にしか見えないのも痛いが(まあ、こういうのが「イイ」って趣味の男もいるんだろうけれど、映画としては説得力ねえやな)、ファントムのジェラルド・バトラーにしろ、ラウルのパトリック・ウィルソンにしろ、一人の女を取り合う男の熱情を表現しきれたとは言い難い。つかやっぱ、地下で憎しみ合う二人が歌いながらのツーショットって、笑えはしても、感動はしにくいと思うんですけどねえ。 一番「見られた」のはマスカレードのシーンだけれども、これとてもやはりダンスが現代風なための違和感は拭えないし、カメラがやたらアングルに凝ってカット割りもやたら細かいのがかえってオペラ座自体を狭く見せてしまっていて、空間的な広がりが感じられない。言っちゃなんだが、ロイド=ウェーバーの舞台を一部特撮を加えただけで映像化した『キャッツ』のほうがよっぽど舞台の躍動感を伝えていて面白い。それどころか、歌唱力、ダンスともにレベルが低い劇団四季の舞台版のほうが、総体としては面白いくらいなのだ。……ダメダメじゃん、映画版。
帰宅したら、サッカー北朝鮮戦、日本の辛勝とのニュース。 サッカーにそもそも興味がないんだけど、ここんとこのマスコミ報道の状況には興味があった。「報道ステーション」なんかはやたら北朝鮮の選手をクローズアップして好印象を与えようとしていたし、テレビ朝日ほどではなくても、「お互いの国家間の事情を越えてスポーツでの交流を」というキレイゴトを垂れ流してる局も多い。 けれど、スポーツはそもそも「代理戦争」としての意味で始められたもので、その「事実」は現在も少しも変わっちゃいない。「そんなことはない」と仰る方は自分にウソをついているか偽善者かただ鈍感なだけのあほんだらだ。 「日本勝った」って、喜んでる自分は何? 国によって人種によって、その喜び方にも差がないか? 差別や偏見もなく、ただ純粋にスポーツの勝敗だけに一喜一憂してる? ありえるかい、そんなこと。勝負は「勝つこと」を目的にしてるんだろうが。「勝った」と嬉しく感じる感情がある時点で、それは自国に対する「戦争協力」なんだよ。国家間の文化交流はありえても、スポーツでの交流なんて出来ませんて。既に北朝鮮の選手、「リベンジ(復讐)」とか言ってるじゃんか。 だからと言って、サッカーで日本を応援するな、なんて言いたいわけじゃない。「日本人は平和主義だ」なんて虚妄を口にしてんじゃないよ、と言いたいだけなんである。素直に「北朝鮮倒せて嬉しい」と言ったらどうかね。私だって嬉しいか嬉しくないかどっちかと言われりゃ嬉しいよ。根拠もなく自分たちのほうが「兄」だと思ってる糞ったれな連中が苦虫ツブシてるだろうと思えば小気味いいわい(もちろんそんな国民ばかりじゃなかろうが、少数だろうね)。テレビ局が“本当に”日本のテレビ局で、日本人向けにデンパ流してるんなら、もちっと堂々と日本人のホンネを伝える努力をしたらどうかね。それじゃ国家間に亀裂が走ると及び腰な人も多かろうが、今はもうそういうことを言っていられる段階かね? 「拉致犯罪者国家に一矢報いたざまを見ろ」くらい言ったっていいんじゃないの? その程度でギクシャクするくらいならとうの昔に戦争になってるわな。日本人の謙譲の美徳を「なにか企んでる」としか受け取れない文化の国に生まれ育ってる連中なんだから、これまでもウソと脅しで駆け引きして来たんだろうが。「戦争する気はないが、あんたたちは人間的に嫌いだから交流なんかしたくねえ。在日の人たちは差別を受けない程度には保護する。だからお前らもさっさと拉致被害者返せ。でなきゃ経済制裁だけにとどまらねえぞボケ」って主張はもっとしてよかろうよ。あっちの国じゃ最初からそれやってるでしょうが。 一度こじれた感情は百年や二百年では消えないのだ。差別心や、偏見のない人間なんていない。お互いに憎んで憎んで、憎み疲れて、そしてそれでも相手と付き合わなきゃならない事実を受け容れなきゃならなくなったときにようやく差別を越えて全てを「水に流せる」可能性が開けるのだ。だからこそ「戦争と平和」は紙一重なんである。本気で平和を考えるんだったら、「憎しみあったギリギリのところでそれでもなお戦争だけは回避する」高度な判断力と政治力を持つ必要があるんじゃないか? なのに、それを学ぶ機会を日本人は「話しあいましょう」のキレイゴトと、「臭いものにフタ」でずっと奪われてきたんとちゃうか。 そういう「なあなあの歴史」を一切隠匿したままで報道しようとしない偽善的なマスコミを私は嫌ってるだけなんである。つか、そういう「なあなあ」を演出して、ウラで北朝鮮と繋がってるところが気に入らないんだけどな。……ああ、また小林よしのりの主張と似てきた(^_^;)。 本気で「平和的交流」なんてことを考えてるなら、「徹底して相手を憎む」か、政治オンチな人なら、そもそも「スポーツ自体に何の期待も持たない」か、両極端などちらかの姿勢を取るしかないんじゃないかね。ただ何も考えずに「日本バンザイ」と唱えていたら、逆に思想の脆弱さにつけこまれて誰ぞに折伏されちゃうぞ(^o^)。 戦争か平和のどっちに転ぶのかの道は、そこから生まれるのである。悲しい事実ではあるが、平和は戦争の可能性を“具体的に”覚悟した上でなければ模索できない。口だけ「平和」と唱えていて、何がどう好転するというのか。 というわけで私はこれからもサッカーの試合を見る気はないし、スポーツの話題も殆ど書かんでしょう。繰り返すけれど、誰がどんなに否定しようと、「国家間のスポーツは全て政治であり、戦争です」。ああ、サポーターがみーんなドロシー・カタロニアに見える(『ガンダムW』ね)。
2004年02月09日(月) 入院日記8/エニシング・ゴーズ 2003年02月09日(日) 見た、読んだ、食った、太った(^_^;)/映画『今宵ひと夜を』/『仮面ライダーSPIRITS』4巻(石ノ森章太郎・村枝賢一)ほか 2002年02月09日(土) ほーりつも人が作るもの/映画『まあだだよ』/『仄暗い水の底から』(鈴木光司・MEIMU)ほか 2001年02月09日(金) お姫様を探せ!/アニメ『タッチ・CROSS ROAD 風のゆくえ』ほか
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でかるちゃー!/『鬼平犯科帳スペシャル 山吹屋お勝』ほか |
仕事は午前中までで、午後から医者へ。 職場までしげに車で迎えに来てもらうのはいつものことだが、時間が昼過ぎなので、来れるかどうか朝の段階で予め聞いていたのだが、しげの返事は「間に合わんかもしれん」。 てっきり「昼間は寝てるから」という意味かと思ったらそうではなくて、午前中、「ダイヤモンドシティに行くから」とのこと。 「何か買い物?」 「うんにゃ。カルチャーセンターに通いたいと」 思わずズッコケそうになったが、そう言えばこないだからどんな講座があって、これとこれとかやってみたいとか話してたのを思い出した。なんでズッコケそうになったかと言うと、しげの顔と「カルチャー」という言葉の間に、ギンヌンガガップほどの溝があるように感じたからである。 このところのしげは、劇団の方がひと段落ついて、プレッシャーから解放されてホッとしている面もあるのだけれど、同時に「さて、これから何をしたらいいのだろう?」と途方に暮れたような精神状態に陥って、いささか心のバランスを崩してしまったような言動もないではなかったのである。だから、何かやりたいことがあるんだったら、そりゃええこっちゃと思って、「やればあ?」と甚だテキトーに返事していたのであった。 そういう次第なので、何の講座を受講するのかも今朝まで覚えていなかったのだが、「で、何を習うの?」と聞いてみたら、「太極拳」と答えた。 今度は聞いてもズッコケはしなかったが(とりあえず見学だけだと言うし)、「なんでまたいきなりそんなのを」と聞き正してみてもあまりはかばかしい返事は返ってきそうになかったので、ともかく、「終わって間に合うようだったら迎えに来てね」と答えておいた。 ところが、迎えに来た車に乗り込んだ途端、しげは「入会、申しこんだけえ」。 「……早いな。じゃあ、これから毎週通うのか」 「うん、毎週火曜日。参加する人の都合で変わるときもあるらしいけど」 「何人ぐらいおるん?」 「3人」 「……そりゃまた、えらい少ないな」 「一ヶ月受けたらやめてく人も多いみたいよ。今残ってるのはずっと続けてる人みたい。家族だったら割り引きも効くって」 「平日の昼間だってのに、オレが通えるわけないじゃん」 「夜開いてる講座もあるけどね」 しげはどうやら私にも何か一緒に通ってほしそうな様子である。かと言って、どんな講座があるのか、どれくらい時間を取られるのか、費用はいくらか、そんなことが一切分からない状態では何も返事のしようがない。 「あと、舞台美術の講座があって、こっちはボインちゃん(細川嬢)誘ってみようと思うんだ。忙しくてムリかもしれないけど」 細川嬢なら確かに興味を示しそうではあるが、なんだかしげ一人が興奮して突っ走ろうとしているように見えなくもない。ほかにもどんどん「巻き添え」が出なけりゃいいがねえ。
診断の結果はポリープも良性で危険はないとのこと。 ホッと一息はついたが、医者からは「年に1度は腸検診を受けることをお勧めします」と釘を刺される。ポリープができやすい体質ではあるから、という理由らしい。 「ポリープが一つ見つかると、確実にほかの場所にもありますから」。……なんて言われちゃったけど、なんだかゴキブリが腸の中で繁殖しているみたいで、気分はあまりよくないのである。
夜、7時からTNCで『鬼平犯科帳スペシャル 山吹屋お勝』。 父親の墓参の帰り道に刺客・相川彦蔵(嶋田久作)に襲われた火盗改めの長谷川平蔵(中村吉右衛門)。平蔵の気迫に気圧された彦蔵はいったん姿をくらますが、それは平蔵に恨みを抱く盗賊、霧の七郎(平泉成)に雇われた男だった。 三ヵ月後、従兄の三沢仙右衛門(橋爪功)と息子・初造(金田明夫)が、平蔵の役宅を訪れる。今度、仙右衛門が山吹屋という茶屋で働いている女中のお勝(床嶋佳子)を嫁に貰うというので、その品定めをしてほしいというのだ。平蔵は、同心・木村忠吾(尾美としのり)を連れて山吹屋を訪れるが、現れたお勝に忠吾も太鼓判を押す。 なにか腑に落ちぬ心持ちの平蔵は、密偵の五郎蔵(綿引勝彦)に、お勝の素性を調べるよう命じた。五郎蔵は配下の関宿の利八(吉田栄作)を大店の主人に仕立てて山吹屋に差し向けるが、お勝の正体はかつて盗賊だった利八の連れ合いだったおしのだった。おしのは復讐の念に凝り固まった霧の七郎が仙右衛門の命と金蔵を狙うために放った「引き込み」だったのである……。
スペシャルでの復活だけれど、池波正太郎の原作は使い切ってしまっているので、今回は以前映像化されたもののリメイク。それでいいなら、これからも人気の原作をリメイクしていけば、現在「テレビ時代劇唯一の良心」であるこのシリーズ、まだまだ続けて行けるだろう。 何度か日記にも書いているが、正直な話、池波正太郎を私は時代劇作家としてはそれほど高くは評価していない。と言っても比較対象としているのが岡本綺堂の『半七捕物帳』だから、こりゃハナから太刀打ちできるものではないのだが。言っちゃなんだが池波さんの作るドラマって、ハラハラドキドキする要素がほんとに希薄で、手垢がついたような人情話が多いんだよね。山本周五郎と比較しても骨格の甘さが目立つんである。そのあたりの弱さをカバーしてるのが「料理ウンチク」なんだけれど、それだけで作品評価をするのもどうかと思うしねえ。 けれどキャラクター造形は念入りに練られていて、血肉が通った味のあるキャラクターを多く生み出している。全然面白くないというほどではないのだ。池波さんは、自作の映像化に際して時代考証にかなり拘っていた、という話も聞いているし、実際、出来上がった映像を見ていると、凡百のエセ時代劇にはない「江戸」の魅力がやはり横溢はしているのである。最近の時代劇じゃあ、町中を歩く物売りの声すら流さない作品が増えたが、私も「石見銀山、ねこいらず」なんて声が聞こえてくると嬉しくなってしまうのである。 刺客に襲われた平蔵が、草履を脱いで、腰を落として股割りになるのもいい。これだけで他の時代激とは出来が違うことが一発で分かる。そういうディテールに拘っている「絵」が次から次へと繰り出されるのだから、確かに感激しないではいられないのだ。 にもかかわらず、どうしても違和感を拭えないのは、やはり脇やゲストでどうにも「時代劇っぽくない」役者が増えてきていることである。尾美としのりが出てなきゃ、私ゃこのシリーズもっと熱心に見てると思うんである。吉田栄作もどうにもヅラと顔が似合わなくってよ。多少地味でも構わないから、次作があるなら、江戸の雰囲気を演じられる人にゲストに来てもらいたいと思う。
しげの火曜日の日程は、あと「ぽんプラザホール『火曜劇場』」の観劇である。 「学校や会社帰りに気軽に見にいける平日公演を定着し、実験的な新しい演劇等を試演する機会を提供するため、火曜日を中心に有料公演をする」というコンセプトのもので、ほぼ毎週、地元の複数の劇団が交代で公演を打っているのである。先週見た「制作集団アントンクルー」の芝居もこの「火曜劇場」の企画。ウチの芝居を手伝ってくれた富田嬢、堤嬢の「改・FREE’ズ+」も名を連ねている。 ひと公演の料金はそれぞれ千円から二千円前後だが、各団体の公演を1回ずつ見られる通しチケット「ファイヤーパス」なるものもあって、これをしげは購入しているのである(「『火曜』だから『ファイヤーパス』なんだね」と私が言ったら、しげは「おお、そうだったのか!」と目を丸くしていた。相変わらずマヌケである)。 芝居によっては帰りの時間がかなり遅くなるようなものもあったので、私はファイヤーパスは購入しなかった。今回の芝居もタイトルだけを聞くと面白そうではあったのだが、今月は見たい映画も多いので、先立つもののことを考えて控えることにした。 すると帰宅してしげが、今日の芝居はこうだったああだったとうるさいこと。こちらが何かしていてもしょっちゅうを声をかけてくるのだから閉口する。こんなことならしげに付いていって、自分も見ればよかったかもしれない、とちょっと後悔する。
2004年02月08日(日) 入院日記7/お散歩の日 2003年02月08日(土) 敬三の乗る船/映画『シミキンの無敵競輪王』/『ワンピース』27巻(尾田栄一郎) 2002年02月08日(金) サルでもわかる『ハリポタ』/『パワーパフガールズ』2巻(クレイグ・マクラッケン原作)ほか 2001年02月08日(木) ザッツ・エンタテインメント!/2000年度キネマ旬報ベスト・テン
| 2005年02月07日(月) |
金ならないっ!/『ルパン三世officialマガジン』VOL.3 |
昨年の被害総額がン百億とか言われております「振り込め詐欺」、いっぺんウチにも来たら面白いなあとか不謹慎なことを思ってたのだけれど、いや、冗談でもそういうこと思うもんじゃないですね。 ……と言っても、私が被害にあったってことじゃなくて、ウチの職場の同僚の話。こないだは親父んちの近所(ハカセんちの近所でもある)の公園で空港勤務の女性が殺害されたりしたし、身近に事件が起こることもあるのである。 事件の内容はこれまで報道されてきた手口と全く同じである。ちょっとだけ違うのは、同僚の自宅に電話をかけてきた相手が、通常の「警察官」ではなくて、ウチの「支社長」を名乗ったってことだ。 「ご主人が女性社員にセクハラをして、被害を受けた社員は『訴える』と言って困っている。何とか表沙汰にしないようにしたいから、金を振り込んでくれないか」。 当然、その「セクハラした夫」は「泣きじゃくっていて電話口には出られない」というのである。あまりにも「典型的」なので、電話を受けた奥さんは騙されずにうまく撃退したそうなのだが、「交通事故」のほかにもこういう「セクハラ」ネタも「振り込め詐欺」の一パターンとして流行っているようである。 社員一同の前で苦笑いしながら事件の報告をしてたのが、当の名前を騙られた支社長なんだが、笑い話ですましちゃっていいものかね。言っちゃ悪いが、こういう「何とか事件を表沙汰にしないように」と動きそうな、ちょっと気弱な感じの風貌してんだよ、ウチの支社長(^_^;)。つか、別のことでいろいろカクシゴトしてないかねえ。 その点でささやかなリアリティはあるんで、こういう事件が連続したら、うっかり引っかかっちゃう社員のお宅もあったかもしれない。もう同じ犯人はターゲットとしてウチを狙ってくることはなかろうが、「騙せそうな人間が集まってる職場だ」と犯人にナメられたことに関しては、自省も必要ではないかと思うのである。 でも、前にも日記に書いたと思うが、ウチの場合、この詐欺に引っかかる心配だけはない。なんたって「振りこむだけの金がない」(^_^;)。仮にしげが電話を受けたとしても、次のような会話がやり取りされるだけだ。 犯人「お宅のご主人が、セクハラしたんで、示談金100万円を振りこんで下さい」 しげ「そんな大金、うちにはないです」 犯人「ご主人が困ったことになってもいいんですか?」 しげ「はい、構いません」 犯人「それでも奥さんですか?」 しげ「セクハラするようなやつは旦那でも何でもないです。さっさと警察にぶちこんで下さい」 犯人「……せめて10万円くらい払えませんか?」 しげ「そんな大金、うちにはないです」 犯人「5万では?」 しげ「あなたが100万、ウチの口座に振りこんでくれるんなら、私が亭主を訴えてあげてもいいです」 しげは金にはとてつもなくイギタナクて、逆に金をせびられる可能性もあるので、詐欺を考えてる人は気をつけましょう。もっともしげはコミュニケーション不全なので、知り合い以外の電話にはそもそも一切出ないんですが。
残業で帰宅は7時半。『ブラック・ジャック』は見損ねたけど、『名探偵コナン』に間に合った(貶してるわりにちょこちょこ見てるのな)。チャンネルはそのまま、漫然と『世界まる見え!テレビ特捜部』『キスだけじゃイヤッ!』と続けて見る。いちいち日記に書いてないけど、実は毎週月曜日はこの流れで『サルヂエ』あたりまで見てるのである。 しげから「なんでそんなに熱心に見てるの?」とバカにされてしまっているのが『キスイヤ』なのだが、別に熱中してるわけではないが、気がついたら毎週見てるんである。なんだかねえ、出てくるカップル、みんなバカばっかなんだが、「彼が浮気しててえ」なんて女性が涙ぐんでるのを見ると、つい画面に向かって「そんなヤツとなんか別れちまえ!」とか突っ込んでしまうのである。ああ、オヤジだ(+_+)。 今日出ていた男がまた、女を三股、ほかにキープも十人いるというプレイボーイで、同棲してる女性にそのことをなじられても「オレ、人を好きになるってことが分かんないから」とか「オレの好きとお前の好きは多分違うんだよ」とか開き直って言ってやがるんである。そりゃ「ぼくたちラブラブで〜す」なんてベタベタしてるバカップル見てると確かに「こいつらの好きって犬と変わらんな」なんて思っちゃうし、人間心理を突き詰めて考えて行けば「好きとは何か?」に対する答えなんて簡単に出せないことは納得できるんだが、それを三股の言い訳にすることとは次元が違う。個々人の恋愛観は違っていて当然だから、そこで相手との間の「すり合わせ」が必要になってくるわけだが、それを根本的に否定しているわけで、そんなカップルがうまく行くわきゃない。 ところがいったんはその男と「分れる」と言っていた女性、自分が妊娠していることを知ってヨリを戻しちゃうんである。「彼もほかの女と別れたから」とか言ってまた頬染めたりしてるんだが“そんなの男のウソに決まってるではないか”。 まあ、番組の性質上、ヤラセもかなりあるんじゃないかとは思うけれども、それにしてもどうしてこう浮気して悪びれない男がこうも多いのか、そこんとこがよくわかんないのである。いや、そりゃ私だって女房が鬱陶しくなったときに偶然きれーでやさしーねーちゃんに会ったりしたら、ついグラッと心が揺れ動いたりする心理は分かんないわけでもない。でもねえ、だからと言ってそういう女性とどうこうなりたいとまでは思わないのよ。たとえ向こうから迫られたとしてもそんな気には全然なれない。いやさ、道徳がどうのこうの言う以前によ、浮気がバレたあとの修羅場とか後始末とか慰謝料とか、リスクを考えたら浮気してトクすることなんて何もないってこと、バカにも分かるリクツだから。何だかんだヘリクツこねたってよ、結局浮気する男ってただの妄想野郎で女性や世の中ナメてるだけなんじゃないのか? そう言えば、「浮気は文化だ」とか嘯いてた某タレントさんも離婚の原因になった愛人から振られちゃいましたね。まあ、自己正当化することしか考えてない男の末路なんてそんなもんでしょうよ。
『モンキー・パンチpresents ルパン三世officialマガジン』VOL.3。 またまたマンガ家を交代させて続けているコミック版『ルパン三世』だけれど、今度の深山雪男版の単行本タイトルは『ルパン三世M』になっていた。これでようやく気付いたんだけれど、先代の山上正月版が『ルパン三世Y』だったのはつまりマンガ家さんのイニシャルだったんだね。今後も時々マンガ家を代えて存続して行くのなら、同じイニシャルのマンガ家さんになったらどうするんだろうとか考えちゃうけど、そういうのは余計なお世話かな。 でも深山版のルパン、あまり長く続かないんじゃないかなあ。線固いし。 付録に旧ルパン三世のアバンタイトルだけを集めたDVDが付いているけれども、これが「お宝アニメ」なんて表紙で紹介されてるのな。もうこの第1シリーズを見たこともない若い人もたくさんいるってことなんだろう。でも1971、1972年当時、この視聴率が一ケタだったという旧『ルパン三世』をリアルタイムで1話も見逃さずに食い入るように見ていた身にしてみれば、『ルパン』と言えばこの第1シリーズの前半、「大隅正秋演出ルパン」以外にはないのである。 視聴率低迷で監督交代、打ち切りに至った旧ルパンにまつわるエピソードの数々は、ファンの間では有名なものも多いけれど、前号から始まった当時の文芸(シリーズ構成)担当の飯岡順一氏のインタビューには、これまで語られていなかったこともかなり含まれていてマニアなら必読である。監督変更後、「Aプロダクション演出グループ」の名称で高畑勲と宮崎駿が演出にあたったことはもはや周知の事実だが(これが宮崎駿の初監督作品である)、飯岡さんの話によれば、実際の演出の打ち合わせは殆ど高畑さんとの間で行われていたそうで、「宮崎さんは脚本の打ち合わせには参加したことがありません」ということである。名作とされるエピソード『にせ札つくりを狙え!』『7番目の橋が落ちるとき』『ジャジャ馬娘を助け出せ!』などは『カリオストロの城』の原型になったと言われているが、実は基本アイデアはあくまで脚本家であるさわき・とおる、宮田雪、松岡清治諸氏の手になるもので、宮崎さんは演出上のアイデアを付け加えたに過ぎなかったということになる。もちろんこのことで『カリオストロ』の名作としての評価が低くなるわけではないが、『カリオストロ』製作当時、宮崎さんがしきりに「アニメは数多くの人の手になるものだから監督だけがクローズアップされるのは不本意だ」と発言していたことの意味はこのあたリにも理由があったのではなかろうかとも思える。『カリオストロ』の基本アイデアに宮崎さん独自のものは意外に少ないのだ。 飯岡さんが高く評価していたアイデアマンが小山峻一郎という人で、旧ルパンの立ち上げから飯岡さんの片腕となり、脚本も何本か担当していたのだが、路線変更のために全てお蔵入りになってしまった。せめて少しでもということで一本だけ担当したのがルパンの宿敵、ガリマール警部(脚本段階ではガニマール)三代目との対決を描いた『どっちが勝つか三代目!』。あのラストの「ニセモノ大集合」のナンセンスシーンは、高畑・宮崎路線のコミカルなルパンに対して「暴力と狂気、ナンセンスとセックスの毒が全くなくなった」と反発していたという小山さんのせめてものレジスタンスだったのかもしれない。「もうホンモノのルパンはいなくなってしまった」という意味で。
2004年02月07日(土) 入院日記6/けーかほーこく 2003年02月07日(金) ベスト?/『赤ちゃんをさがせ』(青井夏海)/『じつは、わたくしこういうものです』(クラフトエヴィング商會)/映画『白夫人の妖恋』 2002年02月07日(木) びっくりにびっくり/アニメ『七人のナナ』第5話/『なんだかコワレ丸』1巻(矢也晶久)ほか 2001年02月07日(水) ♪それ行け、不倫不倫不倫、どこまでも♪/『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』ほか
| 2005年02月06日(日) |
特撮と絵画展と映画と美術展とアニメとドラマと/映画『ベルヴィル・ランデブー』ほか |
しげのチョコ作りが佳境。 なのはいいけれど、台所の排水溝がチョコカスで詰まってるんだかなんだか、水が流れなくなってて汚水がたぷたぷ溜まってんだけど。いい加減、掃除しろよ(-_-;)。
8時ピッタリに目が覚めたおかげで、オープニングだけ録画し損ねちまったけれど、今週もしっかりと見た『仮面ライダー響鬼』第2話。ヒーロー対怪人じゃなくて、鬼対妖怪という印象がかなり強くなっていて、多分これでまた「こんなの仮面ライダーじゃねえ」って怒りの声はチマタに溢れたことだろうが、さて本当にそうか。 翻って、最初期の旧仮面ライダー1号を思い返して頂きたい。モデルはバッタと言うが、そのマスクやスーツのカラーは緑と言うよりは黒に近く、およそ従来の「正義のヒーロー」とは全くイメージが違っていて恐ろしげですらあった。 仮面ライダーとは本来その「異形」さこそが原点にあるので、それは石森章太郎自身がライダーの「原作」マンガを手がけた『仮面ライダー』『仮面ライダーアマゾン』『仮面ライダーBLACK』の三作に共通するモチーフである。さらに原型となった復讐のヒーロー『スカルマン』のデザインを考えれば、ライダーが「みんなのヒーロー」でもなんでもない、ダークな存在だってことは論を待たない。その意味で、今回の響鬼はハッキリこの「原点」の系譜に連なっているのだ。 だいたい「こんなの仮面ライダーじゃねえ」って声は、平成仮面ライダーどころか、既に2号ライダーのころから出てんだ。「変身!」って掛け声だって、ポーズだって、旧1号ライダーはやってなかったってのはムカシのファンにとってはトリビアでも何でもない「常識」。島本和彦じゃないが、「ライダーは旧1号のみ」という思いがある人間は、かえってほかの全てのライダーは「許す」しかなくなるのである。……あのね、“少年ライダー隊”やら“ライダーマン”やら、“電波人間タックル”だってかつてのファンは“許して”来たんだよ? ライダーがアタッチメント使うのはオッケーで、カード使ったりディスク使ったりしちゃダメって、そりゃスジが通らんでしょうよ。 だからライダーが未だにバイクに乗ってないとか、敵さん(でっかい土蜘蛛)の背中にまたがって、バチで太鼓叩いてその振動で爆発させて倒したとか、そんなの別にどうってこたあねーんだって。そもそも「ライダーキック」だって充分馬鹿馬鹿しかったんだから。……第2話を見てない人は何のことだかよくわかんないでしょうけど、そういうシーンがホントにあったんですよ。信じてもらえないかもしれませんが(^_^;)。 だから、阿部川キネコのマンガ『辣韮の皮』に出てくるライダーオタクのジャスティスなんて、旧ライダーのコスプレして「平成ライダー許せん」なんて言ってるけど、あんなのはライダーファンとして見た場合は単に自分のシュミに拘泥してるだけで、石森章太郎テイストなんて何も理解しちゃいない痛いオタクに過ぎないのである。……キミもそうなってはいないかね。 昭和ライダーを神格化して『クウガ』以降を全否定する連中は、やっぱりその時代をナマじゃ知らない世代か、知ってても本気でライダーファンじゃなかった知ったかぶりのスノッブだろう。今度の第2話でますます日本中のライダーファンは震撼したと思われるが、もうあそこまでぶっ飛んでくれてりゃあさ、旧ライダーがどうのこうの言わないで、広い意味で石森テイストのダークヒーローものと思って見てこうかって私みたいなロートルは思うんですよ。前回のミュージカル風演出にはヘタレたけれど、今回は演出、編集のテンポもよくて、役者のヘボ演技もさほど気にならない。少なくとも出だしの時点では平成ライダーシリーズ中一番面白いと言っていいと思う。 ……なんだか『ゴジラ』と同じような擁護の仕方をしてるが、もしかしたら『響鬼』が平成ライダーシリーズの「ファイナル・ウォーズ」になるんじゃないかという予感もしないでもない今日この頃なのでした。まる。
続けて『ふたりはプリキュア マックスハート』第1話。オープニングが「マックスハート」って合いの手が入るだけってのはなんだかなあ。レギュラーが3人になるならタイトル変更したらどうなんだ。内容については敵さんがまた復活とかで先週までの戦いはなんだったんだって思うけど、番組改変になんてこんなもんだから怒ったって仕方ないやね。でも、ああいうロリータファッションのヒロインのブームって、まだ続いてるんかね。さすがに街中でゴスロリ少女を見かけることも福岡じゃ最近はなくなってきてるけど。
まだ寝惚けてウワゴトを言ってるしげを叩き起こして、天神三越へ。 あるツテから招待券をもらったので、9階ギャラリーの「池田あきこ展」を見に行く。しげは以前、ダヤンのシールを車の窓に貼っていて、てっきり池田さんのファンなのだろうと思って誘ったのである。ところが、しげはグッズコーナーばかり見ていて、展示されてる原画はろくろく見ようとしない。 「ファンじゃなかったの?」と聞いたら、「キャラクターが好きなだけで、原画や話には興味がない」とのこと。会場をさっさと出て、グッズをいろいろ物色し始めたので、私の方はポツンと取り残されてしまった。結局たいしてほしいモノはなかったようで、わざわざ誘うほどのこともなかったようである。 しげと一緒に出かけて一番ペースが違うのがこの手の美術展で、私は気に入った絵に出会ったらその絵の前でじっくり鑑賞するとか、そういうことも好きなのだが、堪え性がないと言うか、そもそも絵心がないと言うか、しげにはそれがまるでできないのである。買い物するときにはこちらの予定も考えずに急いでる最中でもウインドウの前で立ち止まって長っ尻するくせによう。そもそも舞台をやってて美術を鑑賞する目がないというのはどういうわけだ。こういうところがしげの努力不足なところなんである。 結局、美術展に行った時にはじっくり見るヒマがないことが多いんで、図録を買わざるをえなくなるのだが、原画のペンタッチまでは図録じゃわかんねえし、足を運ぶ意味があまりないのである。一応、大学じゃ児童読物とかの研究を専攻してたから、絵本とかこういうのをオレはじっくり見たかったんだよ。 作者の池田さんもサイン会のために来られていたのだが、時間の余裕があるにも関わらず、せっつくしげに追い立てられて会場をあとにした。
シネテリエ天神でアニメ映画『ベルヴィル・ランデブー』。 昨年、広島国際アニメーションフェスティバルで見たシルヴァン・ショメ監督の大傑作だけれど、福岡での公開はようやく今週から。東京では昨年末に公開されているが、地方では年越し、これでは『キネ旬』とかの投票にも間に合わない。ロードショー公開は数ヶ月に渡ることも多いので、アンケートのシメキリを1月そうそうに設定するのはやめてほしいんだよなあ。偶然広島で見てなきゃ、とても「これはいいぞ!」と昨年のうちにお勧めなんかできないのである。まあいくらお勧めしても、誰も見てくれないけどな(~_~メ)。 こういうアート系の映画はなかなかTVでも流さないしDVDにもなりにくい。なっても初回売り切りですぐ絶版、小さなレンタル屋だと置きもしない。すぐに「幻の映画」扱いになっちゃうんで、公開中に足を運ぶしかないんだけれど、テレビアニメしかアニメとして認識してない似非アニメファンや、日本のアニメが世界一だなんて錯覚してるアニメナショナリストは、ホントに全然興味示さないのな。自分たちがどれだけゴーマンな見方しかしてないか自覚してないんである。 あのね、本気で面白い作品を見たいって気があるんだったらさ、部屋に閉じこもってないでもっとカラタを動かせよと言いたいのよ。なんで毎週毎週、キャラ萌えだけで中身はスカスカのたるい某テレビアニメばかり見てられるのか疑問なんだよ、オジサンはさ。 しげは『ベルヴィル』を見て、「セリフないけど、ちゃんと表情で何考えてるのか分かるね」と言っていた。そういう「表現力」がそもそも某アニメ(具体例はたくさんあるので特にどれ一つとは挙げない)にはないのである。まあ比較すること自体が『ベルヴィル』に対して失礼なのだが。
それから大濠まで足を伸ばして、福岡市美術館へ。今日一日は予定があれこれあって大忙しである。 目当ては、前回、ウチの劇団公演の美術を担当してくれた細川嬢の大学卒展。さっき書いたようにしげが美術に興味示してくれないから、なかなかこういう展覧会にも来れない。ここの美術館に来たのも10年ぶりくらいじゃないか。前来たのは確か「手塚治虫展」の時だ。 美術系の大学で有名どころと言えば、福岡では数えるほどしかないので、逆に言えば福岡で本気で美術関係に進もうという人間は1ヶ所に集中することになる。市民ギャラリー室二つ、特別展示室二つを借り切り、絵画、写真、ポスター、絵本、装飾、調度、陶芸、建築モデル、アニメなどなど、何百人もの作品がひしめき合っているのだが、これが見ていて実に面白い。中にはもちろん「なんだかなあ」って感じの凡庸なもの、一人よがりなものもあるが、総じて若さのエネルギーで魅せているのである。才能の息吹が感じられる作品も実に多く、この中から頭ひとつ抜き出て世に羽ばたいて行こうとするには並々ならない根気と努力が必要だろうというのがヒシヒシと感じる。言っちゃなんだが、同人オタクの腐女子のレベルは全体としてはかなり低いよ。技術の面だけでなく、「人に魅せる」ことに関して、志に差がありすぎるんである。自己充足に陥っていて、他人との間に壁を作っといて、それでいてモノを売ろうってのはベクトル歪んでないか。 ……まあ、それはそれとして、この何百点の作品の中から細川嬢の作品を探さねばならないわけだが、これがまたひと苦労でした。こういうときの常として、探しモノは必ず最後に見つかるものであるが、会場を四つ回って、細川嬢の作品が展示してあったのは、最後に回った特別展示室でした。もっとも、そのおかげでほかの人の作品もじっくり見られたのだが。 細川嬢の作品は土管を模した鉄製の椅子が二つ。色は黒っぽいのと茶色っぽいの(色弱の言うことなのでアテにしないように)、シックでいい感じで、インテリアとしては洋間ならばどういう部屋でも汎用が効きそうである。肌触りもよくて頑丈、黒い方には両端に互い違いに取っ手が付いている。機能とデザインのバランスを取ることはなかなか難しいと思うが、部屋にこの椅子を置くことを考えたとき、取っ手が互い違いになっているということはつまり、これはどちらからも座れて足を取っ手のない方に伸ばせる仕組みになっているわけだ。ちょっとした工夫だけれども、よく考えられている。作品のタイトルを見てみると、「のびやかであること」。なるほどその通り(^o^)。管の中は物置にもなるかな。 私は職人の家系に生まれているので、道具や調度というものは「使えなけりゃあ意味がない」と思っている。使うのがもったいなくて飾る場合もあろうが、初めからデザインだけが先行していて、床の間に飾ることが目的になっているようなモノは好まない。細川さんの作品、ウチじゃあ狭くて置けないが、広いリビングのある家なら、充分「使えて」しっくり来るのではなかろうか。 写真集も隣に置いてあったのだが、こちらは舞台美術を撮影したもの。布を切り取って空間を演出し、照明に工夫を凝らし、幻想的なイメージを作り出しているものが多い。写真だけではよく分からないが、実際にそこに人を立たせたとき、布の隙間から光が当たって、役者の表情が能舞台のように揺らめく効果も出せるのではないかと思わせる。そこ間で計算しているとすればたいしたものである。浅倉摂さんの舞台にこういうのがあったので、影響もあるのだろうかと想像する。
細川嬢に会えることは期待していなかったのだが、ちょうど作品を見ている最中に細川嬢が見える。食事か何かで外出していて、今し方帰ってきたところだとか。しげが「ボイんちゃ〜ん!」と仇名で呼びかけるが、場所柄をわきまえてないのが痛い(~_~;)。細川嬢があまり気にしてないから有り難いのだが。……だから人に勝手に仇名付けまくる癖、直せって。 「お世辞は好きじゃないから」と前置きをして、しげと二人で作品を誉める。細川嬢、「嬉い」を連発する。私もしげもつまらないと感じたら知り合いのものでも遠慮なく貶してしまうので(でないと「批評」として信用されないでしょう)、素直に受け取ってもらえるのがこちらこそ有り難い。摂さんの名前を出したら、案の定、「大好きなんです」と仰る。 細川嬢、初めはインテリアデザインの方に進むつもりだったのだが、今は舞台美術の方に目が向いているとか。来年は上京して大学院を受験したいと考えているとのこと。根気と貧乏に耐える(^_^;)努力は必要だが、才能はあるし、細川嬢ならやれるんじゃなかろうか。ほかの人の作品の影響を受けても、そこからオリジナルなものを積み重ねていければ、決してモノにならないことはないと思う。つか、なってほしい。 「上京する前に一つ舞台公演打って、美術を頼もうか」なんて話まで飛び出てきて、細川嬢も「喜んで」と言ってくださる。それはそれであり難いのだが、いささか先走りの感すらある。だって、そうなると私ゃ、あと半年以内にまた一本脚本を上げなきゃならないわけなんだわな。全くどこが「劇団休眠中」なのか。
あちこちハシゴしたのでいささか疲労。 夕方4時ごろに帰宅して、7時までは遅目の昼寝。 7時半からNHKでアニメ『アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル』第25話「プリマス行き急行列車 前編」。 パディントン駅を出発したプリマス行き列車の一等客室の座席の下から、女性の刺殺体が発見される。その女性、フロッシー・キャリントンは、アメリカの鉄鋼王ハリデイの娘だった。ポワロと旧交のあったハリデイは、彼を屋敷に呼び、事件の調査を依頼する。ヘイスティングスとメイベルは、犯人はフロッシーの夫、キャリントン卿ではないかと推理するが…… この短編は原作もドラマも未見。だもんで、どんなオハナシかいなと思って見てみたんだが、「クリスティーは短編はヘタ」の評判通り、前編見ただけで話も犯人もトリックもバレバレ。いや、ホントに当たってるかと思って、ドラマ版の方も見てみたら想像していた通りだった。なんかもう、『名探偵コナン』レベルのつまんなさだねえ。ただ、これは原作がチャチだって、それだけの罪じゃないんだわ。そりゃ罪はもう監督以下スタッフにあるのは間違いない。 これはもう、声を大にして言いたいんだが、ミステリーのノウハウを知らないスタッフにミステリーアニメを作らせるんじゃない。「キャラデザインを見ただけで犯人の見当がつく」作品がミステリーと言えるかって〜の。 まあ、これでも第1回のころに比べればそうとうマシな出来になったということであるが、五十歩百歩ではなかろうかね。……でも映画『デビルマン』見たあとだと、もうなんだって許しちゃう気分だからこれもまーいっか(^o^)。いいよもうなんだって。メイベル萌え〜のひとも世の中にはたくさんいるんだろうし、みんなどんどん萌えちゃってくだしゃんせ。「ポワロ×ヘイスティングス」もオッケーだ。
続けて大河ドラマ『義経』第五回「五条大橋」。 オープニングが前半のクライマックスになんなきゃいけないはずの義経(遮那王)と弁慶の出会い。三百行くらい悪態つきたくなるのを抑えてヒトコトで言えば、「月だの桜だの、そんな演出で殺陣ができねえのゴマカシてんじゃねえ」。 タッキーとマツケンに殺陣を期待しちゃいけないのは分かってるけど、それにしても、もう少し何とかならなかったものか。弁慶の攻めを義経がヒョイヒョイ跳んでよけるのをデジタル合成で見せるのは仕方ないとしても、それがワイヤーワークよりしょぼいってのはどういうことよ。欄干に上ってるときふらついてんだぞ、合成なのに。 そもそも義経と弁慶、二人のキャラクターが軟弱なので迫力も緊迫感も生じないのだ。義経はもっと涼やかな魅力があってこそだし、弁慶はもっと豪放磊落じゃないとコントラストは生まれない。チャンバラ“ゴッコ”が見たい視聴者はあまりいないと思うけどねえ。それとも軟弱なキャラに設定したほうが腐女子は「弁慶×義経」が想像できて楽しいのか。 総じて今回の大河、女優陣が弱い。上戸彩と石原さとみの初々しい魅力に、松坂慶子以下の臭い演技が全然太刀打ちできていない。いや、石原さとみだって静御前がまだまだ板に付いてないんだけど、松坂慶子、無意味なタメが多すぎて鬱陶しいんである。時子なんて重要な役になんでこんな大根使うかなあ。 今回、一番見られたシーンがやつぱり渡哲也清盛と、丹波哲郎源三位頼政の髭切りの太刀を巡るやり取りだったというのは、これから先のドラマの出来を暗示してるようで苦笑せざるをえないのである。この二人、史実では源平合戦の前に早々と「退場」しちゃうものねえ。見所がどんどん減っていくぞ。
2004年02月06日(金) 入院日記5/こわれた女 2003年02月06日(木) 新聞がみんな同じに見えるのは気のせいですか(~_~;)/DVD『明智小五郎対怪人二十面相』/『D坂の殺人事件』(江戸川乱歩) 2002年02月06日(水) なんかもー、下血とともに生きる毎日ね/『幻竜苑事件』(太田忠司・大塚あきら)/『よみきり▽もの』1巻(竹本泉)ほか 2001年02月06日(火) 文化はやはり相対的なもの/『NOVEL21 少年の時間』ほか
| 2005年02月05日(土) |
『九州発言者塾 第一回シンポジウム 日本国に自立・自尊は可能か』/ドラマ『古都』 |
だーかーらー、「眞野裕子」「ヌード」で検索して来ても、何の情報もないっつーてんの!(+_+) ……やっぱさー、これだけパソコンが普及してネット人口が増えたのって、そりゃ、ビジネス上の理由とかもあるんだろうけれど、アダルト系が目当てってのも相当高い率であるんだろうねえ。小学生のパソコン普及率も高くなってるけど、「とりあえずパソコンさせときゃ時間潰してくれるから」なんて放任するんじゃなくて、「親が必ず一緒に使う」ってのを最低条件にしないとイカンと思うよ、古臭い道徳観かもしれないけどさ。
昼から天神・アクロス福岡へ。 『九州発言者塾第一回シンポジウム 日本国に自立・自尊は可能か“防衛・外交そして教育”―講演と討論―』を聞きに行く。しげも誘ったんだけれど、「他人のお喋りずっと聞かされ続けるのはイヤだ」と断わられた。いや、それが「講演」なんだけど(^_^;)。 出席者は九州大学教授の清水昭比古氏、月刊『発言者』主幹の西部邁氏、漫画家の小林よしのり氏、作家の佐藤洋二郎氏。 いろいろ物議を醸しまくっていらっしゃる方々ばかりですが(^o^)。こういう講演を聞きに行ったとなると、すわ「こいつ信者か」とか「コヴァか」とか白い目で見られてしまうのだけれど、別に私ゃ右でも左でもござんせん。つかもう、今の時代、右か左かって区分け事態があまり意味なくなってきてるなあと実感するんで。いるのはもう、キチガイかそうでないか、その違いだけだ。でも実体験としてメイワクかけられてきたのは圧倒的にヒダリの方々ばかりだわね。人の話ってまるで聞かないんだ、あいつら。 庶民の力など微々たるもんで、歴史だの政治だのは個人の思いがいくらあったって変わるこっちゃないし、また変わっちゃマズイ面もあるだろうと思ってるもんで、政治的なことをこの日記で書くことは控えるようにしてはいるのだけれども、世の中見ているとなんだかなあ、シロウト考えでもこれはヘンだよなあ、と思うことはいろいろあるんである。だから、こりゃさすがに無視はできないなあって大事件が起こったときに、「これはオカシイ」と書くことはあるんだけれど、そうするとこれが西部さんや小林さんの言ってることと一致することもちょくちょくあって、アイタタとなっちまうのである(もちろん違う部分もたくさんありますよ)。 そうすると、自分が漠然と考えているモノの考え方の基盤に何があるのか、自分が何に拠って立ってモノを言っているのか、自分と意見の違う人たちは何に拠って立ってあんなにヒステリックになれるのか(^o^)、そういうことが気になりだしてしまうので、本を読んでるだけでは飽きたらなくなって、直接その人たちの話を聞いてみたいという衝動にも駈られてくるのである。そういうわけなんで、会場でやたらウンウン頷いたり拍手したりするヤカラと意識は違うので、あまり誤解されないようにお願いします(^_^;)。このシンポジウムには、某協会も背後で絡んでるとかいう話もありますが、そっち方面との繋がりも私は全くありませんので。
講演のタイトルは以下の通り。 1「福岡から日本国の自立・自尊を問う」清水昭比古 2「米中のはざまで日本国の自立をめざす」西部邁 3「戦後外交史と国家戦略」小林よしのり 4「教育、自立への道」佐藤洋二郎 でも殆どタイトルに縛られないざっくばらんな話ばかり。つかみんな「自分史」を語るんだね。全部の内容を細かく書いてるととても書ききれないのですごく乱暴に纏めてしまうと、以下のようになろうか。 清水氏 「城山三郎の『落日燃ゆ』を読んでください」 西部氏 「東大辞めたあと好き勝手したけど、そういうことも大事」 小林氏 「庶民感覚だとやっぱ『反米』のポーズ取るしかないじゃない」 佐藤氏 「歴史は言葉でしか遡れない」 あまりポイント突いてないかなあとは思うが、日頃ぼんやりした生き方しかしてない人間が他人の言葉を捉えるときはこんなもんである。 実のところ、みなさんのお話はこれまで著書に書かれていたことを繰り返しているのが多くて新味はあまりなかったのね。けれどやはりナマで話を聞くと、ああ、この人のこういうところに「共感」してるんだなあ、ということは感じるから、一応、聞きにきて損したとは思わないようにしよう(^o^)。 小林さんの「庶民感覚」という言葉に納得するのは結局は私も自分が庶民でしかありえないことを自覚しているからだ。政治的にはアメリカ・ブッシュに追随しなければならないことは理解していても、原爆落として人道上の罪を犯したとは思っていないアメ公に対して感情的に信頼を寄せる気にはどうしてもなれない。イラクへの自衛隊派遣だって喜んじゃいない。そこで石油がどうとか北朝鮮がどうとか言い出すヤツがいるのだが、そういう「現実主義」の「正論」聞かされたって、納得できないのが「庶民感情」というものなのである。日頃「人間は感情の動物ですから」とか言ってるヤツに限ってそういうときだけ道学者みたく「理性」を持ち出して来るのはちと卑怯に感じるんだけどね、私は。 もちろん、小林さんの意見にだって諸手をあげて賛成というわけにはいかない場合もある。「北朝鮮がミサイル撃ちこんでくるんだったら、こっちも報復できるようにしなきゃだめでしょ」という意見には「それが口実にされて本気でミサイル撃ちこんできたらどうすんの」と思わないでもない。でもあの国のデタラメさを思えば、「経済制裁は慎重に」という姿勢だけじゃ何も進展しはしないのも事実なのである。結局はどこかで何かを「覚悟」しなければならなくなるのだ。小林さんはそこで「核武装」まで考えているらしく、それは確かに一つの答えではあるのだけれども、私はそこまで踏み切っていいかどうかということになると「やめたがいい」ということにどうしてもなってしまうのである。なぜかって、私は基本的に日本人を、人間を信用していないからなのだ。つか、“全ての人間を信用できる”楽天家でないと、「核武装が戦争抑止に繋がる」とは言えないのではないか。 人間は弱い動物である。それは肉体的にも精神的にもそうだ。プロメテウスが火をもたらしたことは、人間に「知恵」を与えもしたが、同時に「戦争」をも与えた。どんなに平和を望もうと、いったん与えられた「技術」を冷静にコントロールできるメンタリティを人間は持ちえない。諸刃の剣が使われなかった例がどれだけあるか。「専守防衛」は既に拡大解釈されて「イラク派兵」という形で行使されている。「イラク派兵反対」を唱えるなら、「核武装」も否定しなければならないんじゃないか。小林さんだって、「武器を持ってるだけで使わずにすむ」と思っちゃいないと思うんだけれどもねえ。
講演後はパネル討論。 清水氏がまず口火を切ってこう語る。 「今、学校では弁論大会をやらなくなった。その代わりにディベート大会なるものをやる。『原発についてどう思うか』というテーマで、賛成か反対かを討論させるのだが、自分の意見を言わせるのではなくて、予め賛成か反対かの立場をクジで決めて、ネットで情報・根拠を集めて討論させるだけだ。しかも、トーナメントで勝ち進んで行くと、さっき賛成だった生徒が反対の立場で意見を言わされることもある。こんなアメリカ追随の、定見を持たせない教育があっていいのか」 西部氏が補足して説明する。 「アメリカは徹底した個人主義の国だから、ともかく自分の意見を押しつけようとする。だから『他人の立場に立ってみる』という形のディベートもそれはそれで意味があった。しかし、日本がそれをそのまま導入しても意味はない。なぜそんな無意味なことが行われるかというと、結局は日本人からコモンセンス(常識)が失われているからだ。しかしそのことで学校教育に期待しても限界がある。教育は『知育』と『徳育』に分かれるが、今失われているのは『徳育』の方で、それは家庭において、地域においてなされるべきで、その復活が必要だ」 そこで小林氏が場を盛り上げようと極論を言う。 「知識はマンガ読んでれば手に入る。わしは学校で習う前に『影』の字が書けたけど、『伊賀の影丸』のおかげだ」 最後に佐藤氏が「何事にも中庸が必要で」とまとめる。 つか、まとまったのかどうかはよく分からないけれども、要するに「伝統の基盤は家庭にある」という論調はみなさん共通していることなのだ。
しかしそこでやはり疑問に思うのは、これから先、どれだけ「家庭」とか「地域」に期待ができるか、ということなのである。 ちょうどパネル討論のときに学校のセンセイとやらが、「ゆとり教育に反対している親をどう思うか」と質問していたが、そりゃあもう、バカ親だとしか言いようがあるまい。小林さんがこの質問に答えて、「知識をムリヤリ詰めこむことも大事で、学校は必要だと思う。けれど、仕事が忙しいからとかいう理由で、朝の飯も味噌汁も作ってやらないような親をわしは許さん」と仰っていた。まさしくその通りだと思う。その通りだとは思うが、小林さんがいくら「許さん」と仰ろうと、そんなバカ親ばかりがどんどん増えているのである。 子供の「学力低下」をどうするのか、文科省が押し進めてきた「ゆとり教育」に文句をつけ、路線変更を求める声は多いが、これがつまりは「学校以外の教育機関がこの日本には存在していない」ということ、「家庭には教育能力が殆どなくなっている」ことの逆証明だってことに気付いてる親がどれだけいるのだろう。知育も徳育も、今の親は子供に対してできなくなっているのだ。その最悪な状況が、果たして一朝一夕に改善できるものだろうか。 西部さんは、「詰めこみ教育が効果を挙げた例はギリシャの昔以来、歴史上一度もない」と断言されたが、家庭は、「ゆとり」と「詰めこみ」のどちらの教育も、知育と徳育のできない、ただの「他人どうし」がなぜか一緒にいるだけの空間に成り果てているのである。 ウソだというのなら、子供をお持ちのご家庭の親御さん、自分に対してこう問いかけてみて頂きたい。あなたは自分の子供の勉強を何年生まで見ていられるのか。「そんなのは学校の仕事だ」と言い訳した時点であなたは負けである。昔の親は、いろはも漢字も算数も、学校があってもみんな「家庭で」教えていたのだ。教科書を読む力があれば、家庭教師を雇わなくても親が子供を教えられるはずである。 また、子供に「ウソをついてはいけない」といつまで本気で教えていられるか。「大人はみんなウソをついているのに、どうして子供だけついちゃいけないの?」と子供から問われたときに、「うるさい」とかなんとか適当なことを言って突き放してはいないか。たとえ世の中がウソだらけでも、そんなに簡単にウソをついていいわけではないと、なぜ自信をもって言えないか。それはアナタがウソまみれの人生を送っているからではないのか。 その程度のことにも答えられない「親」と称するただの「他人」が、「ゆとり教育」に異を唱えて人口の7割を占めているのが現状なのである。そんな国家のどこに未来があると言えよう。 その流れを止めようというのが「ゆとり教育」の本来の目的だった。「学力低下」も当初からの予測通りで、落ちこぼれていくやつにムリヤリ勉強させて表面的な学力だけを底上げしてみせても社会で通用する「実力」のある人間は育たなかったという「現実」を踏まえて、「余裕の時間を本当に有効に使える人間を育てよう」というのが目的だったのである。だから、今「学力低下」だの何だのと騒いでるバカ親どもは、「自分の子供が余暇を有効に利用できなかった」連中ばかりで、そんなバカ親の子供は、たとえ「詰めこみ」されたって、やっぱりバカな人間にしか育たないのである。それはまさに「詰めこみ教育」されてきた今の親たちの姿そのものではないか。 文科省も腰砕けというか、やっぱり中にいるのは「自分の子供だけは違うだろう」と楽観していたバカ親ばかりだったので、路線変更をやり出しているのである。これで、せっかく余暇を利用して自分の勉強ができるようになった子供たちの足が引っ張られることになる。この国はいったいいつまでこんな「悪平等」を続けていけば気がすむのだろうか。
夜、上戸彩主演のドラマ『古都』を見る。 川端康成がラリってるときに書いた内容が何もない小説なんだけれども、なぜか映像化が繰り返されている。岩下志麻、山口百恵に次いで二役の少女を演じる上戸彩だけれども、これはどうもミスキャストっぽい。そっくりな双子が登場するからといって、『ふたりのロッテ』みたいに入れ替わりをモチーフにしたわけではなく、自分とそっくりな人間がいることで現実の実感が揺らいで行く、『ウィリアム・ウィルソン』的な幻想小説としての面白さが『古都』の主眼なのである。それを普通のドラマに仕立ててもねえ。 原作読む力のない脚本家と演出家じゃ、それも仕方ないんだけれど、渡部篤郎のストーカー的演技はドラマの中で唯一狂気を感じさせていてよかった。原作のエッセンスをつかめてたの、渡部さんだけだったんじゃないか。
夜、久しぶりのチャット。直前に告知したにも関わらず、宇津見さん、鍋屋さん、あやめさんが参加。ありがたいことである。私としげの二人だけで向かい合わせでチャットするハメになるんじゃないかと心配していたのである。体力的にそうしょっちゅうはチャットは開けないが、またたまに掲示板の方で告知しますので、よろしければちょくちょく覗いて頂けるとありがたいのである。
見逃しかけてた映画関係のニュース。 かなり以前から何度もウワサをされていたのだけれども、OO7シリーズの最新21作目が『カジノ・ロワイヤル』に決定したそうな。 御承知の方も多かろうが、この『カジノ・ロワイヤル』こそが原作者イアン・フレミングが1953年に発表したOO7ジェームズ・ボンドシリーズの第1作で、早くもその翌年、最初に映像化された作品でもある。もっともそれはアメリカのCBSテレビによる"Climax!"という単発テレビシリーズの一編としての映像化で、ボンドを演じたのはバリー・ネルソン(『大空港』『シャイニング』)、敵役ル・シッフルは名優ピーター・ローレ(『M』『カサブランカ』)という布陣だった。アチラではDVDも出ているそうだけれど、残念ながら日本では依然、未公開。当然私も未見だが、バリー・ネルソンの風貌はキザったらしいアメリカンってな雰囲気なので、さて、女にだらしなくても決してニヤケてるわけじゃないイギリス紳士のボンドのイメージに合っていたかどうか。 アルバート・ブロッコリ率いるイオン・プロとMGMによる“本家”OO7シリーズが『ドクター・ノオ(OO7は殺しの番号)』を皮切りにスタートしたのが1962年、当然『カジノ』も映像化候補に挙がっていたのだが、このフレミングの処女作に関してだけはその映像化権をチャールズ・K・フェルドマンが握っていた。てなわけで、彼が1967年にコロンビア映画でジョン・ヒューストン、ケン・ヒューズ、ロバート・パリッシュ、ジョセフ・マクグラス、ヴァル・ゲストと五人の共同監督というムチャクチャな体制で、本家とは全く関係なく作りあげたのがコメディ映画ファンに語り継がれることになる『OO7/カジノロワイヤル』(DVDタイトルからは「OO7」が省かれちゃってるけどね)。この大怪作については語り出したらキリがないから省略するけど、そういった事情で、フレミングの原作が15作で尽きてしまって、オリジナル映画を作らざるを得なくなっても、イオン・プロは『カジノ・ロワイヤル』の映画化だけは断念してきたのだ。 そのあたりの事情に変化が生じて来たのが昨年あたりからクエンティン・タランティーノが『カジノ』をリメイクしたがっているとのウワサ。どうやら今回、MGMとバーバラ・ブロッコリ(アルバートの娘)は、タランティーノの機先を制する意図で、ついに「ジェームズボンド21」として『カジノ』の映像化に着手したと見てよいようだ。……コロンビアから権利買い取るの、高くついたろうなあ。 まあ、タランティーノが作れば映画はまたトンデモナイものになることは分かりきっているので、何としてもそれは阻止しようってバーバラさんは考えたんだろうね。気持ちは分からないでもないが、フェルドマン版『カジノ』のデタラメさを愛する人々にとっては、タランティーノ版が見られないことはちょっと残念に思っているんじゃないかと思う。私もそうだし。 ただ、製作発表はあっても、主演のピアース・ブロスナンはボンド役を降りることを表明しているし、現在決まっているのは監督のマーティン・キャンベル(『ゴールデンアイ』以来の再登板)、脚本のニール・パーヴィスとロバート・ウェイドほか一部のスタッフ、役者ではジョン・クリーズのQとジュディ・デンチのMだけだ。この程度の状況で製作発表(しかも公開予定は来年である)というのはいささか早過ぎる気がするのだけれども、これはもしかすると、ウワサとして流れていた次のボンド役、コリン・ファレルやエリック・バナ、ジュード・ロウ、ユアン・マクレガー、オーランド・ブルームといった人々の誰かが色よい返事をしたんじゃないかというカングリもしたくなる。でもこの中の誰一人として「ボンド」と言われてピンと来る人がいないんだがなあ。ブロスナンのイチオシはファレルだそうだけれども、まだ20代じゃ若過ぎないか。 けれどこれで残念がっているのは日本の香川県だろう。レイモンド・ベンソン作で、タイガー田中(『OO7は二度死ぬ』では丹波哲郎が演じた)の娘も登場するシリーズ最新作『赤い刺青の男』の映画化の希望と撮影の誘致の署名を活発に行ってたんだけれども、これがみんなパアになっちゃった。仕方ないとは思うけれど、せっかくだから 一部分だけでも日本ロケしてくれないものかね。
2004年02月05日(木) 入院日記4/気持ちのいい検査(* ̄∇ ̄*) 2003年02月05日(水) タクシー慕情……演歌だね/DVD『銀座カンカン娘』/『総特集 江口寿史』 2002年02月05日(火) ゴーマンかましちゃ、いけまっしぇん/『コンセント』(田口ランディ)ほか 2001年02月05日(月) 恐怖のブラック・メール/『真・無責任艦長タイラー1 入隊編』(吉岡平)
| 2005年02月04日(金) |
『魔女の宅急便』実写化?(゚o゚)/映画『レイ』 |
先週休んでた分の仕事が押せ押せで、一日がかり。 けど結局、完成しないまま、来週に持ち越し。まあ月曜日がシメキリだから遅れたことにはならんのだけれども、今日中に片付けておきたかったなあ。月曜日生きてるとは限らんのだから(シャレにならん)。
帰宅してひと休憩してからキャナルシティへ。ここんとこ見たい映画が立て続けに上映されるので、追いかけるのも大変なのである。 AMCで映画『レイ』。 「レイ」と聞いて真っ先に綾波レイとか火野レイとかアムロ・レイを思い浮かべる人はオタクの定番ではあるけれども、ちょっとも少し趣味を広げていただきたいかな(~_~;)。レイ・ハリーハウゼンやレイ・ブラッドベリが浮かんだ人は今どきはもう病膏肓の域なんだろうねえ。私がそうだが。……『0課の女』? まあ人は好き好きですから構いませんけどね。 もちろん映画のタイトルの「レイ」はレイ・チャールズである。ほかに誰がいるよ。 つまらない前振りで申し訳なかったが、アメリカでは大ヒット、DVDも発売した途端に売り上げトップを記録したというのに、日本では、確かに『オーシャンズ12』とか『オペラ座の怪人』とか、強敵がいるのは分かるけれども、興行収入ベストテンにも入らないという状況。「レイ・チャールズ」って言っても、若い人は全然知らないんじゃないの? と悲しくなってしまったからである。しげも最初に知ったのは『いとしのエリー』からだって言ってるしなあ。 とは言え、ここで「レイ・チャールズのアメリカ・ミュージックシーンにおける偉大な軌跡」を語るつもりはない。語りきれるはずもないし、語れるだけの音楽的素養も私にはない。言えることは、『レイ』が一人のミュージシャンの半生を描いた伝記映画としては殆ど稀有と言っていいくらい出色の出来だ、ということである。 伝記映画の大半がつまらないのは、たかだか2時間か3時間程度の時間では一人の人間の人生を描くことなど到底かなうものではなく、薄味のダイジェスト版になってしまうものが殆どだということだ。だから内容を「濃く」するために、その人物の人生の一時期だけを切り取る、という手法を取った映画のほうが最近では多い。『ネバーランド』もそうである。 ところがこの『レイ』は、レイ・チャールズの幼少期からヘロイン中毒から脱する60年代までの30年間ほどを殆どダレさせることなく見せてくれている。 一つはもちろん、レイ自身の「音楽」の魅力による。ナット・キング・コールやチャールズ・ブラウンのモノマネに過ぎなかった彼が、「オリジナル」に目覚めるまでの苦闘、ゴスペルとの融合、カントリーへの回帰、音楽性が変容していく軌跡を克明に描いていることが「流れ」を生んでいる。 しかし、この映画に芯が一本、貫かれているのは、ヘロイン中毒による幻覚がレイを襲ったときに現れる「水」のイメージが、彼の幼少期と直結して何度となく繰り返されているためである。観客は始めあの「水」が何を意味しているのか探ろうとし、その正体が判明したあとは、レイが中毒から脱してどのように救われるかを想像する。その間に途切れがないためにダレずに見ていられるのだ。 レイの音楽も、愛も、苦しみも、全ては幼少期の母と弟の間で起きた出来事が底流にあってレイの人生を支配、抑圧してきた。そんなレイを本当に救えるものは家族の愛でもなければ親友でも愛人でもなく、結局、「音楽」であった。センチメンタルな要素を極力排したその冷徹な視点が、この映画を人情悲喜劇に堕することから救っているのである。
しげのチョコレート制作が本格化。家の中はチョコ臭が充満していて空気が濃い。 甘ったるくて気分が悪くなるが、喚起すると寒くなるし、なんで2月なんて一年で一番寒い時期にこんなイベントを仕掛けやがったんだとお菓子業界に悪態の一つもぶつけたくもなる。 テレビで言ってたけれども、近年は、本命チョコ、義理チョコのほかに「ご褒美チョコ」で、自分で自分に贈るチョコの割合が増えてきてるんだそうな。「義理チョコ」ってのもいかにも日本人的な人間関係のしがらみを感じさせてあまり好きじゃなかったが、自分にご褒美ってのも寂しいなあ。クリスマスも「自分に乾杯」か? 「負け犬」でもいいやって開き直るんだったら、「チョコだって食わねえ」という気概が欲しいやね。
米バラエティ誌によると、ウォルト・ディズニー社は、宮崎駿監督の『魔女の宅急便』を実写映画化することにしたとか。 今のところ分かっている情報は、角野栄子の原作を基に、『イノセント・ボーイズ』の脚本家、ジェフ・ストックウェルが脚本を執筆するということだけれど、ここんところの「実写化」「ハリウッド映像化」の中でもこれが一番のビッグニュースってことになるんですかいね。いや、「次は何が実写化されるか」ってのはオタク間の話題によくなるところだけれども、『魔女宅』というのはちょっと思いつかなかったねえ。考えて見ればファンタジーだし、いかにもディズニー好みだし、『ナウシカ』や『ラピュタ』を実写化するよりはるかに予算がかからずにすむだろうし、ありえないことではなかったのだが。 そうなると気になるキャストは誰やろか、ということになるのだが、アチラの若い女の子って言われてパッと思いつくのは、私ゃ、エマ・ワトソンかダヴェイ・チェイスかダコタ・ファニングくらいなんである。 エマ・ワトソンじゃもうこれはどうしたってハーマイオニーになっちゃうわけで、魔法使い繋がりでイメージが固定されるのは本人やプロダクションも嫌う可能性が高かろう。ダヴェイ・チェイスは『千と千尋の神隠し』『リロ&スティッチ』の声アテでディズニーと縁が深いけれども、なんたって「貞子」なわけだし、顔出しするとなるとイメージがかなり違ってくる。ダコタ・ファニングはイメージ的に悪くはないけど、前二人の年齢の15歳に比べるとまだ10歳で幼い印象。もっとも、映画が実現するころにはちょうどいいトシになってるって可能性もあるから、こちらのほうがかなり有力かもしれない。けれど、『宇宙戦争』に『シャーロットのおくりもの』に『不思議の国のアリス』などなど、ちょっとこの子は映画に引っ張りだこと言うか、いささか出過ぎの感すらあるから、新鮮味は少し薄れてしまうかもしれない。……まあ、新人さんが起用される可能性が一番高いとは思うけどさ。いっそのこと、日本人から選んで安達祐実にさせるというのはどうか。こないだ初めてナマで見たけど、あの子なら、あと10年くらいは17歳で押し通せるぞ。いやマジで背丈ちっちゃいままでストップしてるんだって。グラビアとかはかなりムリしてるんだなあと驚いたんだから。あれなら続編作る場合もモーマンタイだぞ!(冗談なんで本気に取らないように) けど、映画化が実現するとなると、当然ディズニーランドにも『魔女宅』のアトラクとかショーとかが展開されることもありえるわけである。アニメ版と同様のクライマックスになるなら飛行船の大活劇が「体感」できるわけで、そっちの方が興味深いのである。
2004年02月04日(水) 入院日記3/またヘンな夢を見た 2003年02月04日(火) 予想通りに世の中が動くって味気ないね/DVD『パパ・センプリチータ』/『名探偵コナン 10+PLUS SDB』(青山剛昌) 2002年02月04日(月) チョコレート一本勝負/『何だかんだと』(ナンシー関)ほか 2001年02月04日(日) HOME,SWEET HOME/『犬の気持ちは、わからない』(押井守)
| 2005年02月03日(木) |
チャットルーム新設/『DEATH NOTE(デスノート)』5巻(大場つぐみ・小畑健)ほか |
チャットルームをホームページに新設。と言っても作ったのはしげだ。 これまでのチャット部屋も廃止したわけじゃないんだが、「スピードが早いから」という理由でしげが借りてきたのである。ログは残しにくいらしいけど、「おしゃべり」は消えていくのが宿命みたいなもんだからまあいいかね。 土曜の夜にとりあえず練習の意味でしげと二人で入ってみる予定なので、ついでに我々夫婦とおしゃべりしてみたいとお考えのもの好きな方はご遠慮なく起こし下さい。何も出ませんが(^o^)。詳細は掲示板をご参照のほどを。トップページを経由せずにいらっしゃる方は次のURLまで。 http://www.avion.co.jp/jetchat/chatpage.php3?00227728
木曜ドラマ『富豪刑事』第4話「富豪刑事のキッドナップ」。 出来悪いなあと思いながらも1話も見逃さずに見てますよ、『富豪刑事』。決してフカキョン目当てじゃなくて、あくまで筒井康隆ファンだからなんだけれども、筒井さん、このドラマに本気で納得してるのかなあ。内心怒ってるか諦めてるかどっちかだと思うけれども。でも出演している筒井さんは、頭を打ってフラフラして倒れるというコメディアン定番の演技を、上手いとは言えないけれども実に楽しそうに演じている。ご本人は「番組がヒットしたら続編も書こうか」とか言ってるらしいけれど、本気なのかなあ。あんまり楽しそうなので、文句付けるのが憚られるんだけれど、今回もやっぱりドラマ自体はトホホな出来なのであった。
工場経営者・高森陽一(吹越満)の息子・英一が誘拐され、犯人から一千万円が要求された。鶴岡(升毅)ほか焼畑署の刑事たちは、身代金の受け渡しに向かう陽一を尾行するが、犯人に警察の存在がばれてしまい、金も見事に奪われてしまう。犯人は緊急配備された検問を見事に突破していた。布引(寺島進)は、犯人がなぜ一千万という金額を要求してきたのか、ちょうど従業員の給料一千万円が金庫に保管されていたことから、身内による狂言誘拐と推理し、陽一の妻・歌子(星野光代)を疑う。 犯人は警察に通報したことに腹を立て、さらに一千万円を要求してくる。神出鬼没の誘拐犯に焼畑署の刑事たちは途方に暮れるが、美和子(深田恭子)は「重くて身動きがとれないほどのお金を用意したら」と提案し、自分が一億円を用意すると言い出す。
トリックも真犯人もバレバレで、小学生の推理クイズレベル。こんなんで騙される警察がいたらお目にかかりたい……と言いたいところだが、バカでマヌケでかつての評判も地に落ちた感のある警察だったら、焼畑署刑事たちなみのドジもやらかしそうである。つか、実際の誘拐事件でもこのドラマ以下の信じられないミスやらかしてる例、いくつもあるんだよなあ。これではどんなバカ刑事が出てきても「リアリティがない」という批判ができないのである。困ったもんだ。 でも、『富豪刑事』シリーズならではの、「いかに大金を使って犯人を追い込むか」というアイデアもイマイチ効いていない点で、やはりマイナス。「一千万でいいんですか?」「なら一億円だ!」なんて小学生だって騙せないような誘導に乗るなよ……って、でも「降り込め詐欺」がこれだけ流行ってると、この程度の口車でも人って簡単に騙せそうだよねえ。 現実がフィクション以上にバカげてるおかげで、リアリティ云々が言いにくくなってんだけど、だからと言ってバカばっか出してもドラマは面白くならないのだ。やっぱり話はもうちょっと練ってほしいよ。 落ちは「上手い脚本家と演出家だったら」効果的だったと思うけれども、やっぱり使い古されたネタではあるから(つか、こないだのアレもコレだったね)、もちっと工夫が必要だったと思うんである。フェアなつもりかどうか知らんが、余計なヒント与えすぎ。もう本格ミステリはやめて倒叙形式でやった方が、まだ見られたものになるると思うけどねえ。 夏八木勲が、昔は「篭脱け詐欺もやったもんだ」って言ってたのは映画『白昼の死角』を受けてのセルフパロディのつもりなのかなあ。こういうのもわざとらしいとシラケるんである。
最近は小説もマンガも含めて、読んだ本の感想を書く余裕がなくなってるんだけれども、こいつだけは書いとかなきゃなんない。なんたって今一番ホットなミステリーコミックだからね。 大場つぐみ原作・小畑健作画『DEATH NOTE(デスノート)』5巻。 とは言え、“人気取り”だけが目的のジャンプマンガにしては面白いと絶賛してきたけれども、さすがに連載一年を経過しようって時期になると、旧来のジャンプマンガ同様、「引き伸ばし」も顕著になってくる。第2のキラ、弥ミサに続いて、第3のキラ「ヨツバキラ」まで登場させたのはそのあたりの思惑がちょっと露骨だなあという印象。夜神月とLとの一騎打ち的緊迫感が、これでかなり薄れてしまっている。 もちろんそれで一気につまんなくなったというわけではない。月が自らの記憶をなくすことによって、月とLに一時的に(なんだろうけれど)共同戦線を張らせ、ヨツバキラに対抗させることで「対決」要素はちゃんと残している。ヨツバ幹部8人の中の誰がデスノートを持っているのか分からなくすることで、誰がその人物か推理させるという謎解きの要素もちゃんと盛り込んではいるのだ。 けれど1、2巻のころほどのワクワクするほどの面白さはさすがに薄らいできた。『デスノート』をしても引き伸ばしによる構成の混乱を避けることはできなかったか、という残念な思いがヒシヒシとしてくるが、こうなるとドラマの着地点をどのあたりに置くか、“本気で”考えてほしいものである。ただ「人気があるから」という理由だけでムダに連載が長期化したせいで絞りカスみたいにボロボロになっちゃった作品や作家さんをこれまでいくらでも見てきてるから。 でも仮に『デスノート』がつまんない終わり方をしたとしても、原作者を取り替えさえすれば小畑さん自身は生き残れるだろうから、あまり心配はないのかな。
2004年02月03日(火) 入院日記2/またヘンな人に会ったよ 2003年02月03日(月) 世界は非常識でいっぱい/『ホスピタル』1・2巻(唐沢なをき)/『軽井沢シンドロームSPROUT』2巻(たがみよしひさ)ほか 2002年02月03日(日) ラーメンファイト!2/映画『ヴィドック』/『萌えろ!杜の宮高校漫画研究部 辣韮の皮』1巻(阿部川キネコ) 2001年02月03日(土) 笑いの王国/『かめくん』(北野勇作)ほか
| 2005年02月02日(水) |
ない袖まで振らせようとするな/DVD『鉄人28号』6・7巻 |
2月に入ってしげがソワソワし始めている。 お察しの方もいらっしゃるだろうが、14日のバレンタインデーが目前に迫っているからだ。 もとはと言えば、其ノ他君との「勝負」から始まったこのバレンタイン戦争、牛乳パック大から始まってボールやパラソルチョコを実物大で作るという年々巨大化の一途を辿っていたのだが(其ノ他君もよく食ってたよな)、このまま行けば等身大チョコくらい作りかねないよなあと心配していたのである。 ところが今年は、チョコを渡さなきゃならない相手が増えたとかで、さすがに巨大化路線を取るには予算が尽きてきたらしいのである。その代わり「ネタで勝負!」と、ない知恵をいろいろと振り絞っているようなのだが、その「ネタ」がどんなものなのか、想像するとちょっと怖い。ちゃんと「食べられる」ものなんだろうなあ。 ……いやね、『愛エプ』見てたら、デヴィ夫人とか杉田かおるとか光浦靖子とか、トテモ人間が食えそうにないようなシロモノを作ってんだけどさ(鮟鱇鍋なんだけど、よく洗ってないから内臓の内容物がまんま鍋の中で腐臭を漂わせてるんである。……辛そうに食ってた高見盛の顔が実に哀れ)、しげの料理の腕もあれと大差ないのだ。……いや、ホント。 今んとこ私がそこまでの被害に遭ってないのは、そんな「鮟鱇」なんて、初めから失敗すると分かっている食材をしげに使わせてないからである。 ただ形に凝るだけならいいけどねえ、へんな「ネタ」仕込んでさあ、悲しい気持ちになるようなものは作らないでほしいと言うか、あまり悪趣味なものに走らないでほしいなあと切に願うものなのである。
今日から出勤の予定だったのだが、トイレに行ったら便がまだ水。昨日飲んだ下剤、えらく効き過ぎである。歩いてる最中にも漏らしそうだったので、とても出勤できる状況ではない。職場に連絡を入れて欠勤。これでまた仕事が滞るなあと思いつつも、一日寝て過ごす。風邪も治っているわけではないので、音のしない部屋で咳だけが響いているのがやたら寂しい。え? しげはどうしてるのかって? そりゃ、寝てるに決まってるじゃありませんか。
DVD『鉄人28号』6・7巻。 第十五回『不乱拳の弟子たち』から第二十回『まだら岩の怪人』まで。 正太郎が正義に目覚めてようやく物語がオーソドックスな冒険活劇になってくれるかと思ったら、いきなり敷島博士の乱れた性関係(^o^)が語られるというまたまた辛気臭い展開。普通のドラマとして見たら決して悪くない脚本なんだけど、やっぱり深夜アニメで子供向けではないわな。だったら横山光輝の絵柄に似せようとする必要もなかろうに。 原作でも人気ロボットであるロビーをたった1話で使い捨てるのは贅沢と言うより考えナシだし、VL2号はやっぱり空を飛ばない。なにか思惑があってあえて鉄人に空中戦をさせまいとしてるのかね? 今川監督は。 十七回以降はビッグファイア博士、クロロホルム探偵、ニコポンスキー、PX団と原作での人気キャラはシャネル・ファイブを除いて殆ど登場。けれどやっぱり展開は「金田博士はスパイだったのか?」なんてことで正太郎が悩むという鬱陶しいお話に。だーかーらー、そーれーはー、『ジャイアント・ロボ』んときに「フォーグラー博士は本当にバシュタールの惨劇を起こしたのか?」ってやったときの二番煎じじゃないのー? いくらビッグファイア博士にびっくりジャンプをさせたり、PX団首領に片手挙げ笑いさせても、横山光輝の表面をなぞってるだけにしか見えないのである。 せめて千住明の重々しい音楽だけでも差し換えてくれたらまだマシになると思うんだがなあ。
夜、父から電話。 親戚からの借金の申し出、断わったとのこと。そりゃ、いくらなんでも「1300万貸してくれ」じゃ、借金の桁がデカ過ぎるというものである。庶民が右から左へスムーズに動かせるものじゃない、というよりはそんなカネがあると思ってるほうがどうかしている。 仮に手持ちのカネがそこそこあったとしても、返すアテの全くない相手に親戚とは言え誰がホイホイと貸すものか。非常識を通りこしてキチガイ沙汰なんだが、それを堂々と頼み込んで来れるあたり、父が親戚からナメられてるのは一目瞭然なのである。義理とか世間体とかを考えさせれば押しきれるだろうと、アチラも甘えてねだってきたんだろうが、それが通用してきたのは父がまだ働き盛りだったころまでである。もう父だって親戚づきあいをあえてしなきゃならんトシでもないし、縁を切ったところで今後困る事態になることはない。それでも私にわざわざ相談してきたということは、最後の最後で踏ん切りがつかなかったんだろうが、そこがいいトシして情けないのである。だいたい親戚なんて、「血が繋がってるだけの他人」以外の何だというのだ。世の中、親子・兄弟でもカネが絡めば血で血を洗うがごとき醜い争いを繰り広げるのはザラだというのに、借金申し出てきた時点で縁切る覚悟ができなくて、なんで世渡りができようか。なんだかなあ、やっぱオヤジって基本的に「善人」なんだなあと思ってしまうのである(注・誉めてない)。生前、お袋から「苦労知らず」と言われてたのもムリはないのである。 だから、借金を断ったと聞いて、ようやく「そりゃ、よかったね」で終わるかなあと思っていたら、父がまたとんでもないことを言い出した。 「それでなあ、俺に断わられたから、今度はおまえんとこに借金申し込むって言いようったい」 「はあ!? なんで?」 「それくらい切羽詰まっとうってことやろう」 「……まず、自分とこの家と土地売って借金返せばいいじゃん! でなきゃ自己破産せな!」 思わず怒鳴ってしまったが、それこそ名字も違う、四親等も離れてる親戚から借金申し込まれる筋合いなんてない。これはつまり、「アンタが貸してくれないなら、息子にたかってやるぞ」という、父に対する「脅し」である。こんな下司な親戚とよくもまあ、これまで付き合ってきたものだと思うが、ホントにウチの親戚こんなやつらばっかりなんだよなあ。私の人格の根底に人間不信が横たわってるのも仕方ないのである。 まあ、「脅し」である以上、私のところにホントに借金の申し出に来ることはまずないと思うが、もしホントに来たら、「まず、今までの借金、全部返してからそれ言ってね?」と静かに返事してあげようと思っているのである。
2004年02月02日(月) 入院日記1/3年ぶり 2003年02月02日(日) 閃光の意味は/アニメ『明日のナージャ』第1回/『グーグーだって猫である』2巻(大島弓子) 2002年02月02日(土) ファンタジーの地平に/映画『ハリー・ポッターと賢者の石』/『バイリンガル版 ゲゲゲの鬼太郎』(水木しげる) 2001年02月02日(金) ゆっくり休もう/舞台『人間風車』ほか
| 2005年02月01日(火) |
「ポリープ」って音の響きは美味しそうなんだが/舞台『ジャン・コクトーの「声」より』 |
朝から下剤飲んで、病院で内視鏡の検査。 以前も経験があるので、詳細は省略。ケツカメラは前はかなり気持ち悪かったんだけれど、今回は体力消耗してたせいもあるのか、腹がちょっと張るくらいで苦痛はなかった。前回同様、今回もポリープ発見。カメラで見た印象は、腸壁に張り付いたマッシュルームみたいである。 どうやら私は定期的にポリープができる体質らしい。放たっといたら腸の中ポリープだらけになるんか? ってことは、ケツカメラも定期的に突っ込んでもらわなきゃならんってことかよ。トホホ。 大雪の中、帰宅して夜まで寝る。
6時過ぎからお出かけ、キャナルシティ横の「ぽんぷらざホール」で、制作集団アントンクルー番外公演『ジャン・コクトーの「声」より』を見る。 地元劇団の芝居はあまり見ない。自分とこの劇団もそうだけれど、やっぱねえ、一人よがりな人間ばっか集まっててさ、「一般の人に見せられるもの」をちゃんと作ろうってところが少ないから(ウチがカンパ制でおカネ取らないのは、練習見てるとどうしても「そんなんで芝居やってるつもりか」って思いがしてしまうから)。 だからと言って、地元劇団の芝居は絶対見ないとまでは思わなくて、芝居の企画によっては「これは面白そうだ」と思って見に行くことがある。ハッキリ言えば80年代以降の小劇場演劇作家の作品を扱った演劇はどこの劇団が演じても大同小異でもう見たくはない。今回はジャン・コクトーが原作ということで興味を持った。
男から別れを告げられた女。 寂しさに耐え兼ねて、女は睡眠薬で自殺を図るが、友人マルトに助けられて一命を取り止める。そしてその翌日の深夜、女は男からの最後の電話を待っている。 電話のベルが鳴る。しかしそれは男からのものではない。1920年代のパリでは、電話の混線は日常茶飯事であった。見知らぬ女から何度となくかかってくる電話に苛立つ女。ようやく男からのベルが鳴る。 女は昨夜の自殺未遂を悟られないように、明るく振る舞う。しかし、男のつく嘘に気付いたとき、女もまた嘘の上に嘘を重ねるようになっていた。 そして、再び混線する電話。電話の向こうの、名も知らぬ女は、ずっと、二人の会話を聞きつづけていたのだ……。
びっくりしたのはやはり主人公の「女」を男性に演じさせていたことだ。これはかなりな「冒険」で、大失敗に終わることも覚悟の上の勇気ある演出だと思う。 多少、女顔した男性なら、黙って立っているだけなら女に見えなくもないが、声を出して動いてしまうとこれはもうどうにもごまかしようがない。演技力がある俳優であっても、完全に女になることはできるものではない。ましてや、ヘタクソが演じればこれはただのオカマにしか見えないのである。美輪明宏などは、「男でも女でもないもの」として存在しているが故に圧倒的な存在感を観客に感じさせてくれるが、あの域にまで達するのはそんじょそこらの俳優には殆ど不可能に近い。 だから主演の菊沢正憲氏、熱演ではあるのだが、首の動きや足さばきにところどころ「男」ないし「オカマ」が見えてしまうのはいかんともしがたいのである。けれど、プロの役者だってこんな演技をやれと命令されたら「やれるかい」と逃げたくなる人も多かろうから、果敢に挑戦されただけでも素晴らしいし、少なくとも1時間は舞台を持たせることはできたのだから、決してひどい出来ではない。女には見えないからこそ、観客は自らの想像力を駆使して「見立て」ようとする。その想像力を阻むほどにヘタならば問題なのだが、そこまでのことはなかったので、充分演劇として成立していると言えるだろう。元気がありすぎて女の孤独までは感じられなかったのが残念だが。衣裳もユニセックスなブラウスにスラックスで、へたにスカートなどを履かせて「女」を強調しなかったのもよかった。
コクトーと言えば不条理劇という印象があるが、これは随分とストレートな芝居のように見える。しかし、姿の見えぬ相手と「声」だけで繋がる「電話」の存在自体がコクトーにとっては不条理極まりない存在だったのであって、ましてやそれが自分が全く知らない女に聞かれ続けているとなれば、これは恐怖を喚起する悪魔の道具にすら思える。現代では、コンピューター制御でこんな混線は殆ど考えられなくなってしまったが、ちょっと前だと携帯電話の盗聴問題は携帯の普及を阻む大問題であった。 顔の見えない無情な声、耳には届かない気配だけの声が、女の心を侵食していくこの芝居は、普通の芝居のように見えて実はやはり「現実の不条理」を描いたものなのである。 そういったコクトーの感覚が現代人には伝わりにくくなっているだけに、『声』を舞台に乗せるには演出上の工夫がかなり必要だろうと思われるが、そういう点にはあまり注意を払ってはいなかったようだ。電話をわざわざフランスから昔のものを取り寄せたり、小道具には凝っていたけどね。
アニメーション映画賞関係のニュースも、残すところはアカデミー賞くらいになってきたが、その前哨戦ともいうべき第32回アニー賞が、先月30日に発表。 作品賞のノミネートは『イノセンス』『Mr.インクレディブル』『シュレック2』『The SpongeBob SquarePants Movie』の4本で、最有力候補は『インクレディブル』だった。結果は大方の予想通り、『インクレディブル』が作品賞を獲得。それどころか、監督賞、音楽賞、アニメ効果賞ほか、10部門を制覇するという快挙である。 『インクレディブル』の映画自体は私も感嘆して見たし、作品賞受賞自体に反対はないのだが、さてまあ『イノセンス』が一部門も受賞できず(作品賞、監督賞、アニメ効果賞、音楽賞でノミネート)、『インクレ』が10部門全部受賞となると、アメリカは自国ビイキが過ぎるなあと思ってしまう。いや、世間の評判に引きずられて、審査員がみんな「インクレ熱」にかぶれただけではなかろうか。どうしてもそんな風に疑ってしまうのは、「最優秀声優賞」が、『シュレック2』のアントニオ・バンデラスや『インクレ』のサミュエル・L・ジャクソンら錚々たるメンツを蹴散らして、エドナ・モード役のブラッド・バード監督本人に与えられた、という冗談のような結果ゆえにである。そりゃあねえ、確かに女性の声にしか聞こえない名演だったなあと思いはするけれども、ブラッド・バードは美輪明宏じゃないでしょう。ヒッチコックの作品で助演男優賞に監督本人を選ぶようなもんで、ファンは喜ぶだろうけれども賞としては問題があるんじゃないか。 同様に、『イノセンス』がその思想性から作品賞は敬遠されるとしても、アニメ効果、音楽に関して言えば、『インクレディブル』が『イノセンス』より優れているとは言い切れないと思う。「インクレびいき」が、『イノセンス』の評価を総体的に貶める結果になってるんじゃないかといささか腹立たしい気持ちにすらさせられてしまうのだ。 CGアニメーションの進化を認めるに吝かではないのだが、それでも生身の人間の「感情」を表現するのにCGキャラクターは「余白」がなさ過ぎる。それに気付かずにCGアニメに馴らされてしまっているアメリカ人の鈍感さでは、商業アニメ以外のアートアニメーションの表現力は決して理解できないのではないだろうか。 さて、そしていよいよ残るは「本命」アカデミー賞であるが、これも十中八九、『インクレ』が受賞するだろう。対抗馬の『シュレック2』『シャークテイル』だが、前者は敵としてはお話にならないくらい寒々とした出来映えで、後者は未見だが予告編を見る限りではやはり二歩も三歩も後塵を拝しているように思われる。 昨年、アカデミー賞は、“アメリカ以外のほとんど全ての国で”映画賞を受賞しまくったシルヴァン・ショメ監督の傑作『ベルヴィル・ランデブー』を落として、出来としてはそこそこの『ファインディング・ニモ』を受賞させた。今年は、アニー賞に作品賞にも監督賞にもノミネートされなかった『シャーク・テイル』をノミネートして、『イノセンス』を落とした。アカデミー賞は作品の出来だけではなくて、「ヒットしたかどうか」も考慮に入れると言うが、だったら一昨年、小ヒット程度の『千と千尋の神隠し』に受賞させたのはおかしいということになる。なんだかそのときの「意趣返し」のように身ビイキをしているようで、もう散々言われているアカデミー賞の「不透明性」を感じてしまうのである。 これで来年『ハウル』が作品賞を受賞でもしたら、やっぱりかなり「政治的判断」が作用したと思われても仕方がないと思うけどね。なんとなくそうなりそうだなあ。
2004年02月01日(日) しばしのお別れ。 2003年02月01日(土) オタクについて考える夜/『コラムは誘う ―エンタテインメント時評 1995〜98―』(小林信彦) 2002年02月01日(金) 餃子、餃子、餃子〜、餃子を食べぇよおー♪/『真・無責任艦長タイラー�ァ”�活編』(吉岡平)/『東西奇ッ怪紳士録』(水木しげる)ほか 2001年02月01日(木) だ〜れだ?/舞台『菜の花の沖』
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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