無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年01月31日(月) 中尊寺ゆつこさん、死去/DVD『きまぐれロボット The Capricious Robot』

 しげ、またまた薬を飲みすぎて、朝方起きれず。
 最近は仕事に行かなくなった代わりに料理もちゃんと作るようになったんで、家事が全然できないとまでは言わずにすんでいるけれども、まだまだ「抜け」は多いのである。眠れないからといって、二倍も三倍も薬を飲んでたら起きられなくなるのは当たり前じゃないか。なんでもう少し自己管理ができないのかなあ。
 私だって子供のころは、寝付きは悪いわ朝は起きられないわで、かなり苦しかったのだが(心臓が弱かったせい)、瞬間で眠れるように「訓練」した。こういうのは「気合い」で何とかなる場合も多いのである。だから、小学校のころは病気がちだったのが、中学、高校と快眠できる状態が続いて、そんなに大病を患うこともなくなった。それが、大学を卒業するころからジワリジワリとまたカラダを壊すようになっていって、結婚してからは病気がトモダチみたいな状態に逆戻りしてしまった。これも、眠れないしげから夜中にいきなり叩き起こされたりしたのが重なったせいもあるのだ。
 自分が眠れないだけならまだしも、私まで巻き添えを食らわされたのではたまったものではない。父はしげが睡眠薬を服用していると聞いて、「薬に頼らない方がいいがなあ。お母さんは薬には絶対反対やった」と心配するのだが、私も自分のカラダは自分で守りたいのだ。「寝る技術を身につけろ」と何度も叱りつけたって、しげに自分で努力することが不可能なのであれば、薬に頼ってもらうしかない。
 30年も生きてきて、どうして「眠る技術」が学習できないのかってことについては、確かに疑問ではあるのだが、そういう人は実際にいくらでもいるので、単純に「気合いが足りん」の一言で片付けられはしない。これもやはり脳にもともと問題があるのだとしたら、神経科だけじゃなくて脳外科とかにも診察してもらう必要があるのかもしれない。そのへんのことも神経科でちゃんと話しているのかなあ。「最近は病院のほうはどう?」と聞いても「カウンセリングの兄ちゃんとは見た映画の話しかしてないよ」としか答えないんだけれども。

 寒波到来、朝から雪。
 今年は暖冬だと思っていたので、忘れたころにやって来た、という感じ。こないだ降ったのが大晦日で、あれが福岡では初雪だった。
 明日は全国的に大雪になるという予報だったので、職場でも予定していたスケジュールをいろいろ調整するための会議やら何やらが重なって大忙し。私の場合、明日は精密検査で仕事を休むので仕事を前倒しして片付けていたのが幸いした。まだ案件はいろいろあるのだが、できるだけストレスを溜めないようにしたいものである。


 DVD『きまぐれロボット The Capricious Robot』。
 ネット配信のみだったスタジオ4℃製作の短編アニメーションがようやくDVD化。我々の世代にとっては「星新一」の名前は超ビッグネームであって、若い人たちが「それ誰?」なんて言ったりするのを聞くと、そいつの脳天かちわって味噌と醤油ぶっこんでかき混ぜて野良犬に食らわしてやりたくなるほどの怒りを覚えてしまうのだが、SFが浸透と拡散の末にマイナーになっちまった現代ではこれも文句付けたってどうにもならない現実なのである。
 だから、『コミック☆星新一午後の恐竜』『同・空への門』など、星新一のショート・ショートが新世紀のマンガ家たちの新解釈によって再話されていることは基本的には嬉しいことなのだが、同時に「この程度の試みで星新一が若い世代に浸透することはありえないよなあ」と悲観的な思いもどうしてもしてしまう。更に言えば1作1作の完成度の格差があるのも問題なのだ。それはこの『きまぐれロボット』の映像化についても言えることだ。
 今回アニメ化されたのは次の10作。
 1、『きまぐれロボット』(監督:芦野芳晴)
 2、『夜の事件』(監督:清水保行)
 3、『3つの願い』(監督:浦谷千恵)
 4、『ねぼけロボット』(監督:久保まさひこ)
 5、『文明の使者』(監督:千葉ゆみ)
 6、『謎のロボット』(監督:青木康浩)
 7、『スパイキャッチャー』(監督:青木康浩)
 8、『火の用心』(監督:清水保行)
 9、『襲来の目的』(監督:青木康浩)
 10、『薬』(監督:伊藤伸高)
 「初心者向け」すぎる作品のセレクト自体に問題がないかどうか、ということもあるのだが、作画技術がすばらしいのに、「これはおもしろい」と賞賛できるエピソードが少ない。というか、一本一本を見ていくうちに、そもそも「星新一は映像化には向かないのではないか」という疑問が心中沸々とわいてくるのである。
 星新一の本質を一言で表現するならそれは『未来いそっぷ』である。未来を想定した寓話であって、だからこそ舞台や登場人物は無国籍、N氏やF氏の姿や年齢は読者の想像に任される。それはイソップが登場人物の殆どを“無国籍”な動物に仮託して人生の真実を語らせた手法と同じである。どんな物語も小説も、時代、風俗、文化などの変化によって古び、その価値が変容することから逃れられはしないが、そこに少しでも普遍的な真実を与えようとするならば、主人公はやはり“象徴”としての無名氏でなければならない。すなわち、彼らに具体的な「姿」を与えること自体、それは星新一作品を否定することになるのだ。
 実際、狂言回しの博士のキャラデザインを見て、「なんじゃこりゃあ?!」と思ったファンは多いのではないか。寸詰まりのエーリッヒ・フォン・シュトロハイム(『マジンガーZ』でドナウα1を製造した科学者)みたいな姿はどう見てもマッド・サイエンティスト。しかし、星新一の想像した科学者は全部が全部、マッドな存在だったかどうか? 科学者は全てマッドな存在となりえる危険があるという寓意はあったとしても、それをデザインで予め提示してしまうのは解釈が根本的に間違っているのではないか。更に言えば「ずーっといいのよーん」なんてギャグにもならない陳腐な言い回しのセリフを喋らせるのは星新一に対する冒涜ですらあるのではないか。
 アニメーションとしては傑作だが、星新一としては駄作。アニメ『きまぐれロボット』はそんな印象である。もっともガイナックスの『小松左京アニメ劇場』みたいな超駄作に比べたらはるかにいい出来ではあるんだけどねえ(いしかわじゅんのキャラデザって段階でどうしようもなかったんだが、誰も止めるやつはいなかったのか)。
 いや、映像化自体に無理があるのなら、いっそのこと、星作品1000作を全編アニメ化してくれないか。それで、日曜の朝とか夕方5時台の帯番組とか、ともかく再放送を何十年も繰り返すのだ。そんなふうに『まんが日本昔ばなし』なみの作品数で「質より量」の展開を図るなら、たとえイメージと違う話があっても星新一作品の宣伝にはなると思う。SFの普及を本気で考えるなら、今時はそれくらいやらないと効果はないのである。


 マンカ家の中尊寺ゆつこさんが、31日朝、S字結腸がんで死去。享年42。
 オタク的なマンガは一切描かなかったので、私もそんなに注目していたわけではなかったが、それでもウチには『お嬢だん』の単行本がある。「風俗」(エッチな意味ではないよ)を描くことはそれこそ『北斎漫画』以来と言ってもいいマンガが持つ使命の一つである。「オヤジギャル」は名前を与えられた90年代こそ、ある意味特権的で目立つ存在として時代を象徴するオピニオンリーダーたりえた面もあった。しかし、現代女性にとっては、「女性のオヤジ性」なんてものは誰もが持っている一面に過ぎず、珍しくもなんともない。今やオヤジでない女性を探し出す方が困難である。その点で、いしいひさいちのような批評性を持たない「描写」のみで作られている中尊寺さんのヒット作のほとんどは、今や読むに堪えないものになってしまっている。しかし、「風俗」が時代とともに古び、忘れ去られていくものだからこそ、それを描きとめていく必然性がマンガにあることも事実なのだ。
 女性の手による「風俗」マンガの描き手は中尊寺さん以降、やたら増えたし、一概に「風俗マンガ家」という括りでは語れないくらいにバラエティに富むようになっている。倉田真由美やさかもと未明は作品内容からは中尊寺さんの系列にないように見えるが、実際は中尊寺さんが敷いたレールの流れにある。つまり、「美人マンガ家」が自ら顔出しして傍若無人な「オヤジ的」活動をし、それを作品とリンクさせて売っていくという路線である。倉田さんが初期はまさに「そういうマンガ」を描いていたことを想起すれば、このことは容易にご首肯いただけよう。さらに視野を広げれば、西原理恵子や太田垣晴子、小栗左多里だってこの系列に並べることができなくもない。これらの女性作家のみなさん、「オシトヤカ」な旧弊な女性のイメージと比較すると充分オヤジなのである(誉めてます)。
 そんな時代の流れの中で、中尊寺さんの個性は次第に埋もれていき、忘れられていった。近年は政治経済や海外情報のマンガにまで幅を広げていたということだが、つまりは風俗マンガ家としては食っていけなくなっていたということだ。そのことを一番実感していたのは中尊寺さん自身であったろう。
 地道な活動でそこそこ人気を保っていくことはできたと思うが、たとえ努力を積み重ねても、かつてほどの大ヒットを飛ばすことはまず無理だったと思う。だから「若過ぎる死」とか「これからだったのに」なんて押し着せの言葉で故人を追悼することは、“それだけで中尊氏さんの活動を総括し、忘れ去らせてしまう”ことになり、かえって無礼ではないかと思う。中尊寺さんが単に流行語を生んだだけの人ではなかったことをきちんと検証して書き残してくれるマンガ評論家はいないものだろうか。それを切に願う。

2004年01月31日(土) このくらいの文章ならたいして時間はかからんのだが。
2003年01月31日(金) 嗚呼、アニメ三昧の日々が……/『名探偵コナン特別編』17巻(阿部ゆたか・丸伝次郎)/『できるかな』(西原理恵子)
2002年01月31日(木) 血管をタテに切る女/アニメ『七人のナナ』第4話/『ガウガウわー太』2巻(梅川和実)ほか
2001年01月31日(水) そうか、最近匂いに敏感になったのはそのせいか/『鉄甲軍団』(横山光輝)


2005年01月30日(日) 三崎亜紀氏サイン会/『仮面ライダー響鬼』第1話ほか

 えー、先日の日記で「なんで『眞野裕子』で検索かけてくるやつがやたらいるんだ」と書いたら、またアクセスが増えて今日は30件。ウチに来るお客さんの三割だよ。だからウチは「眞野裕子日記」じゃないって言ってんのによう。いくら検索かけて来ても、画像もプロフィールも載ってないの。そんなに眞野さんのヌードが見たきゃ写真集を自分で買うか、映画館まで行ってその目でチチの揺れ具合でも目に焼きつけてきなはれ(-_-;)。
 ためしに私も「眞野裕子」と「真野裕子」でgoogle検索してみたんだけれど、前者は7000件中60番目、後者は100件中2番目にランクされてやがった。ウチみたいなささやかな個人サイトにまで情報求めてくるってのは宣伝情報がそれだけ少ないってことじゃないのか。プロダクション、ちゃんと売ること考えてるのか?
 映画を見た限りでは確かに体当たり演技ではあるんだけれど、ヌードってのはそれが即役者としての評価に結びつくとは限らない場合も多いんで、これから伸びるかどうかはまだ未知数だと思う。デビューが早いわりにはこれまでそれほど注目された気配もないし、『レイクサイド』自体、そんなに派手な映画ではないから、そのきっかけになるかどうか微妙だ。つか、あまり好印象を持たれそうな役じゃないしねえ。これからもヌードで売ってくような営業やってくと、先細りしちゃうんじゃないか……って特に注目もしてない女優さんの将来を心配してどうする(~_~;)。

 そんでもって、また「恵」から「精子くれー」のスパムメールが来やがった「(―ヘー;)。
 前は「めぐみ」名義だったけれど、やっと漢字が書けるようになったらしいね。でも、「いちよプロフィールも載せておきますね」の部分は変化なし。文章チェックはコマメにしようね。
 しかしniftyのスパムメールブロックの学習能力低いよなあ。毎回文面は同じなのにどうしてブロックできないんだか。


 カトウくんからしげに「『仮面ライダー響鬼』、見逃すと流行に乗り遅れちゃうぞ!」とのメールがあったとかで、しげは「今日はちゃんと早起きする」と言って目覚ましをやたら仕掛けていた。おかげで私は時計3個、携帯2つが鳴り響く音の洪水の中で7時に目覚めたんだけれど、しげはグースカピー。こいつには起きなきゃならないときに起きようという意志自体がそもそもないのだ。
 仕方なく『響鬼』の第1話、録画してやったのだが、先週の予告編でもちょっと危惧はしていたが、かなり「イタイ」出来である。これまで散々批判の嵐にあってきたスタッフがもう開き直ったものか、意味不明な新機軸を打ち出しまくりである。
 のっけからミュージカル“風”の出だしだけれども、これがまあ寒々とした出来で、見ていて悲しくなるほどである。歌って踊れる役者もいないんだろうけれど、それを編集だけでゴマカすってのはミュージカルをバカにしてるだけだわね。せめて『歌う大竜宮城』か『新宿少年探偵団』程度のセンスはほしかったが、アレじゃただの時間つぶしでしかない。ああいうことをやるなら、クライマックスの戦闘シーンだってミュージカルでやらなきゃ辻褄合わないでしょうよ。「新しいことをやろう」っていうんだったやりすぎるくらいにやらないと面白くもカルトにもならないんで、結局は中途半端で陳腐な印象をぬぐえない。まだ話は全然進展してないから、何話か見てみて続けて見るかどうかは考えよう。
 そのあと『ふたりはプリキュア』『レジェンズ』など見る。
 『プリキュア』、一応は最終回だけれども、来週から新番組で続くと思うと別れの場面も感動はできませんわな。


 昼過ぎから、作家三崎亜紀氏のサイン会に、博多駅の紀伊國屋書店まで行く。
 第17回小説すばる新人賞を受賞した三崎氏の『となり町戦争』は、ある日、静かに隣接する町との戦争が始まるという広報が主人公の北原修路にもたらされることから物語が始まる。けれど、これが普通の戦争小説ではないのは、全編を通してただの一度も具体的な戦闘描写が描かれないという点だ。それが「日常に戦争が介入する」というアイデアだけは共通している筒井康隆作『三丁目が戦争です』と、“戦争”に対するアプローチの仕方がの異なっているところである。
 北原には戦争の状況がさまざまな形で知らされる。スパイとして徴用された彼は、敵地である隣町に潜入もする。しかし、いったいどこでどのように戦争が行われているのか、いや、そもそもこの戦争が何が原因で始まったのか、全てが北原には見えないまま、時間だけが進行していくのだ。その間も確実に戦闘で人々は死んで行くのに、北原は最後までただの一個も「死体」に出会うことはない。
 ネタバレはこのへんで抑えておくが、読んで感嘆したのは、極めて非現実的な状況を設定していながら、全体としてはカフカ的な観念論に流れることなく、「日本人がこの60年間に経験してきた“現実の戦争”の性質」を象徴的かつストレートに描いていた点である。実際、「これだけ戦争に関わっていながら、その実態を知らない」国民というのはちょっといないのではないか。そういう状況に置かれている日本人の存在そのものが滑稽であり同時に悲劇的でもある。
 読んでつまらなかったらサイン会に行くのもやめようかと思っていたのだが、“現実がどうにもリアルに思えない”感覚で書かれた小説というのは、それだけで「SF」なのであり、「面白い」のである。ブラウンが、ディックが、スタージョンが、筒井康隆が、手塚治虫が、石森章太郎が、藤子・F・不二雄が、押井守が、いや、全てのSF作家が何らかの形のバリエーションでもって描いてきたテーゼである。要するに私はこれを「うおおおう、SFじゃんか!」と感激して読んだのだ。

 サイン会は2時からだったが、お客がなかなか集まらなくて、開始が5分ほど遅れた。
 現れた三崎さんの印象は、新人さんらしく物腰がやわらかくて、それほど作家然とはしていない。顔立ちはなんとなく小ぢんまりとした京極夏彦という感じである。
 事前に感想を書くメモを渡されていたので、「タイトルが『三丁目が戦争です』に似ていたので興味を持ちました」と書いておいた。三崎さん、それをチラッと見て、「ああ、『三丁目』ですね。よく比較されて批評されるんですけど、実は読んだことないんですよ」と仰る。てっきりあれを読んでインスパイアされたものと思いこんでいたので、これにはびっくりした。でも先ほども書いた通り、中身のベクトルは全く違うのである。
 「SFを意識されて書いたんですか?」とお聞きしたら、「いえ、SFということでなくて、幅広い人に読んでいただきたいと思いまして」と言われる。SFファンとしては寂しいお答えであるが、ど壺にはまったSFマニアは偏狭で冷笑的な人間が多いから、そういう人に読んでもらっても面白くはなかろうと思う。今はそういう時代なのだ。
 「恋愛小説としても楽しませていただきました」と言うと、「屈折した恋愛ですけれども」となんだかお照れになっているよう。つい、「いえ、恋愛にストレートも屈折もないんじゃないでしょうか。別れのシーンには、感銘を受けました」といささか若僧のような言葉が口をついて出てしまったが、気を悪くされた風でもなく笑って「有難うございます」とお答えになった。
 なんだか主人公の北原と三崎さんとがちょっとダブッて見えてしまったのは申し訳ない想像であった。

 サインをいただけたのは嬉しいのだが、私の本名、やっぱり間違えられて書かれてしまった。三崎さん、「サイン会があると一人は必ず間違えるんですよ」と何度も謝られていたが、「いや、友達でも時々間違えてますから。気にしておりません」と私も頭を下げて、お互い謝り合戦である。
 これだから珍名の人間はつらい。こちらが腹立たしくなるのではなくて、相手に恐縮されてしまうのがつらいのである。


 サイン会の様子、もう少し見ていたかったのだが、劇団の集まりがもう始まっているので、そそくさと紀伊國屋をあとにする。
 千早駅で加藤君が迎えにくる予定だったのだが、到着してみると「すみません、歌の順番が回ってきたので迎えに行くのが遅れます」とのメール。つか、カラオケやってんのかよ。どこに集まるのか当日まで全く連絡がなかったのでどうしたもんかと思ってたが、カラオケじゃ打ち合わせも何もできないんじゃないか。まあ、一応劇団は休止期間であるから別に無理して打ち合わせしなくてもいいんだが。
 遅れてきたカトウくん、出口を間違えて教えてくれたので、いったん外に出ていたのを駅の構内を反対側の出口まで走らされる。昼飯食ってなくて、かしわむすびをぱくついてる最中だったから、走ってる間はかなりみっともない格好になった。売店のねーちゃんが笑ってたのがチラッと見えたが、俺を見て笑ってたのかなあ、あれ。。
 カトウくんの車似乗ってカラオケ屋に。集まっていたのは、桜雅嬢、加藤(草野)嬢、鴉丸嬢、其ノ他くん、よしひと嬢、ラクーンドッグさん。もう3時間歌いっぱなしな様子で、やっぱり今日の打ち合わせはナシらしい。なら私もなんか歌おうかと思っていたら、もう時間が来たらしく、『キャンディ・キャンディ』と『愛のメモリー』しか歌えなかった。まあ私の『キャンディ』は女性陣にかなり引かれていたようだったので、害毒を撒き散らすのは2曲程度でよかったかもしれない。一応後者は『富豪刑事』がらみということで。

 鴉丸嬢、其ノ他くんは早抜け、ラクーンさん、加藤さんはカラオケ屋の前でお別れ。カラオケ屋の駐車場でもみんなで加藤くんを「連絡が遅いぞ」と突き上げる。集まり自体は別にこれという目的がなくたって、いつどこでやっても構わないのだが、連絡が直前に来たりするのはさすがに困るんである。せめて2週間前に連絡もらえてたらなあ。お土産に持って来た「博多通りもん」(お菓子)もカラオケ屋の中で開けるわけにはいかなかったから、駐車場でみんなに配るハメになったが、事前にカラオケに行くと分かってたら、もちっと別のものを用意したと思うのである。

 残りのメンツでダイヤモンドシティに。そこのフードコートで食事しながら、月イチ程度で集まろうか、次はどこで何をするか、などをみんなで話す。打ち合わせと言えばこれが打ち合わせになるか。
 あとはもう延々と8時過ぎまでオタク話。これまた内容を詳しく書いていたらキリがないので省略するが、まあほとんどは映画『デビルマン』のワルクチである。未見の加藤くん、「そこまでひどいならかえって見たいです」と言っていたが、見る程度ですまさないで、これはぜひDVDをコレクターズボックスで購入してほしいものだ。いや、史上最低の映画がいかに作られたか、メイキングとかで見てみたい気もないわれてはないのだが、多分劇場に足運んだ人間でそこまで「勇気」を出せる人間はそうそういないと思う。ここは一発、加藤くんにぜひ「男」になってほしい。劇団内では加藤くんは「ほ○」と決めつけられているので、映画としてもピッタリだしな(^o^)。

 映画も見ようかと思っていたが、さすがに疲れたので帰宅。時計は10時を回ったころ。でも日記を書かにゃならんので、まだまだ眠れないのであった。

2004年01月30日(金) コスプレではない、ヘンソウである。
2003年01月30日(木) なんでも食うよ/『ブラックジャックによろしく』4巻(佐藤秀峰)/『プリズム』(貫井徳郎)ほか
2002年01月30日(水) どうしてくれよう。/『マジンガーバイブル 魔神全書』(永井豪とダイナミックプロ)ほか
2001年01月30日(火) 昨日・今日・明日/『火の接吻』(戸川昌子)


2005年01月29日(土) 誰の名前を書きますか/映画『僕の彼女を紹介します』ほか

 CS日本映画専門チャンネルで自作他作を含めての三谷幸喜特集。
 朝からぶっ通しで見るが、それの感想を全部書いてる余裕はないので殆ど省略。見たことのある映画が多かったから、今更書くのもしんどいのである。
 東宝のクレージー・キャッツシリーズ、若大将シリーズ、駅前シリーズ、社長シリーズは、もう本数がありすぎて内容も全部似ているもので、いったいどれだけ見ているのか自分でももう分からないのだけれども、『社長漫遊記』は、多分中学生か高校生のときにテレビで見ている。宴会芸で三木のり平の天草四郎が加東大介のキリストに向かって「あんたキリストさん?」と声をかけたら「イエス!」と答えるというしょーもないギャグを覚えていたのだ。けれど若戸大橋の開通時に製作された作品だったことは忘れていた。「今度若松と戸畑が合併して北九州市になるんですよ。市庁舎は戸畑にできる予定です」とか三木のり平のセリフにあったけれど、「あれ? 小倉、八幡、門司は?」と首を捻ってしまった。もしかして五市合併する以前は、分割合併の予定でもあったのかと調べてみたら、確かに合併に関してはかなり紆余曲折があったようで、若戸大橋開通時にはまだ五市合併は成立していない。
〉1962年 若戸大橋が開通。(昭和37年9月26日)
〉1963年 門司市、小倉市、戸畑市、八幡市、若松市の5市が対等合併。
してみると、この映画、北九州の歴史の1ページを偶然記録していることにもなっていたわけだ。
 けど、若松で芸者にふられたモリシゲ社長が、シオシオになって博多のホテルに帰ってくるって、距離的時間的に見てムリがあるぞ。新幹線も通ってない昭和37年当時、若松・福岡間は快速に乗ったとしても乗り換えもあるし2時間はかかったはずだ。夜行に乗ったのだとしたら、もちっと早かったかもしれないけれど、それにしても遠い。なんでわざわざ博多にホテルを取るのか。それとも当時の若松にはホテルがなかったのか。……今度よしひとさんに聞いてみよう。まだ生まれてなかったろうけど。


 昼からしげを誘って、公開後一ヶ月を過ぎてヒット中ではあるけれども、そろそろ終映が間近の韓国映画『僕の彼女を紹介します』をキャナルシティまで見に行く。
 韓国映画をあまり見たことがないので(なぜかしげが毛嫌いするのである)、さて、どんなものだろうと思っていたら……。しげは見終わったあと「2時間が5時間のようだった」と怒り心頭に発していたが、実際、周囲でグスグス泣いてた観客がやたらいたのが信じられないくらいにみょうちくりんな映画なのであった。
 こないだテレビで見た『猟奇的な彼女』がまあまあ面白かったので、今回もちょっと期待したのだが、ともかく脚本が右往左往していて締まりがないというのが見ていてツライ。ヒロインが恋人と出会い、恋人の死に直面して苦しみ、新しい恋に生きるまでを描く、という流れを描くつもりなら、それだけでストレートに描けばいいんで、その中に「怪談ばなし」を長々と持ちこむもんじゃない。
 つまりどういうことかというと、恋人が死んで絶望のあまり、ヒロインは何度も自殺しようとするんだけれども、これがなぜか毎回毎回失敗するのである。薬を飲んでも医者に胃洗浄受けて助けられてしまうし、ビルから飛び降りようとしても、家出少年に絡まれて飛び降り損なう。ここなら誰もいないだろうと超高層ビルから飛び降りるのだが、突然ハトの群れが飛んで来て風船がいっぱい飛んで来て掌形のアドバルーンも飛んで来て、ヒロインを受けとめるのである。……こんなんギャグじゃないかと思って吹き出しそうになったんだけど、回りがみんな泣いてるのよ。こんなデタラメな展開でなぜ泣ける? わからーん!
 実はそれは死んで「風」になった恋人がヒロインを助けていたのだが、恋人は自分が風になった証拠に、昔、自分が雑誌のページを破って作った紙飛行機をヒロインの側で飛ばしてみせるのだ。不思議なことにヒロインが紙飛行機を開いて元の紙に戻しても、なぜかまたヒロインが危難に陥ると、どこからともなく折られた紙飛行機が再び飛んで来る。……風は折り紙も折れるんかい。
 恋人が死んで49日目、奇跡が起こって恋人が肉体を取り戻し、あの世に行く前に最後の抱擁をヒロインと交わすのだが、まあこれは露骨に『ゴースト ニューヨークの幻』のラストだわね。でも、アレは死んだ恋人の方がいかに自分が幽霊になってヒロインを守っていることを信じさせるかって設定だったから幽霊の存在を信じられたし、ドラマチックにもなったのだけれど、ヒロインの立場から描いちゃったら、身の回りでポルターガイスト現象が起こってるだけやんか。ヒロインは風が恋人かどうか確かめようと部屋中に風車を差しまくるのだけれど、窓を開けると突風が吹いてきて何百個という風車をいっせいに回す。……これってホラーの演出だってば。よくヒロイン、怖がらないよなあ。
 ヒロインは「どうしてももう一度恋人と会ってみせる!」とタンカを切って、あえて危険な任務に就き、麻薬密売犯に撃たれて生死の境をさまよう。そのとき「恋人は実は生きていた」という夢も見ているのだが、一連のキテる行動を見ていると、風だのなんだのという現象は、全てヒロインが見ていた夢か幻だったんじゃないかとすら思えてくる。……だってハトと風船とアドバルーンが協力してヒロインを助けるなんてオバカな展開、夢以外の何でありえる? それともこういうバカな展開を「純愛の奇跡」なんて受けとめられちゃうのが日本と韓国の文化の違い? ……いや、場内で泣いてた人間もやたらいたから、日本人でもこれを楽しめちゃう人は結構いるんだよなあ。いや、私もある意味楽しんじゃいるのだが、この感覚の彼我の差はなんなの。分からん。
 ラストはなんと『猟奇的な彼女』にリンクするという驚きの展開なのだが、キャストは同じでもキャラクターは違ってると思うけどなあ。
 まあこれはヒロインのチョン・ジヒョンをカワイイと思える人にとっては楽しめる映画ってとこですかね。コスプレもあるし。


 「大場つぐみ=ガモウひろし説」の興奮も覚めやらぬ今日この頃ですが(私だけ?)、『デスノート』関連の微笑ましいニュースが、なんと中国で。
 遼寧省瀋陽市の文具店が、“名前を書くだけで相手をのろい殺せる”という触れ込みの「死亡筆記」というデスノートそっくりの商品を販売したところ、これを小中学生たちがこぞって買い求め、その光景を地元紙が報じたことで、これを規制すべきかどうかという論争が起きているのだそうな。ノートは数ページおきに「最初に死因を、後から名前を書けば相手は40秒後に死ぬ」と説明が付いているそうだから、明らかに「デスノート」のパクリなのである。
 多分、日本でも似たような商売を考えついたアコギな人間はいっぱいいたんじゃないかと思うが、集英社がそんな商品の製作を認めるはずもないし、出すとしたらやっぱりウラでやるしかない。でも摘発されたときのリスクを考えたら、単価は安かろうし、ペイしそうもないや、と判断してみんな遠慮したんだろう。DVDの海賊版と同じようにはいかないのである。
 その点、お隣りさんは相変わらず遠慮がないというか、底辺で生きてる人たちはおよそ考えられる限りの非道な振る舞いを平気でするのである。これを買った子供たちが、陰気な遊びに興ずることを承知の上で売ってるわけだし、そのもとになったのは中国人が日ごろ文化的に見下すことの多い日本のマンガである。日本の文化侵略を実質的に認めてることにはならんか。思想的には反日でも、商売となると親日。なんかの本で「中国人の二枚舌」のことが書かれてあったけれども、こういうバイタリティーはある意味、日本人も見習わなきゃならん面もあるのかも。実際、見習い過ぎてる人もたまにいるが。

 以前、日記に書いたことがあったような気がするが、『デスノート』というマンガの怖さは、「もしも本当にデスノートが存在したとしてそれを手に入れたら、自分はそこに誰かの名前を書くだろうか」と自問自答させられることである。『デスノート』の基本アイデアは、藤子・F・不二雄の『ドラえもん/独裁者スイッチ』や『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』『神さまごっこ』と同じで、「絶大な力を与えられたものはどうその力を行使するか?」というテーゼを、最も象徴的な形で凝縮したものだと言える。……さあ、この誘惑に勝てるかどうか、正直な話、私には自信がない。自らの正義を信じて「キ○・○○○○○」くらいの名前は書いてしまいそうになる。もちろんその瞬間に「独裁者」と化すのは私自身であるわけだが。
 「いいじゃん、書いても。殺したいやつがいない人間なんていないだろ? キレイゴト言うなよ」という声も私の心の中にはあるのだが、「絶対に誰の名前も書きたくはない」と考えることは果たして本当にキレイゴトなのか。ノートが実在したとして、それが大量にばら撒かれたら、確実に人間は滅亡する。ノートが夜神月ほか、少数の人間にしか与えられていない「特価」的なものであるからこそ、あのドラマは成り立っている。だとすれば、ノートが与えられた時点で、その人は神、ないしは悪魔に等しくなったようなものだ。脆弱な精神しか持ちえない人間に、果たしてそのプレッシャーに堪えることができるのか? 嫌いなヤツだけを消し去るだけに留まらず、自暴自棄になって全人類を消し去ったのび太のようになるか、筐底の奥深くノートを仕舞いこんで封印するか焼き捨てるか、どちらかになるのが落ちではなかろうか。夜神月は、既に前者の道を歩き始めている。
 自らが神となるか悪魔となるかの選択を与えられて、あえて書かない道を選ぶのは、善人ぶっているわけではない。「恐怖」からの逃走である。

 もちろん、「擬似デスノート」で人が死ぬことはありえない。その事実を前提として知っているからこそ、子供たちは平気でノートを使える。中学生の一人は、「たくさんの友達がデスノートを持ってるよ。勉強に疲れた時とか、嫌いな先生の名前などを書いて遊んでるんだ」と話したという。それはまさしくただの「遊び」にすぎない。しかしおそらく、日本人の大多数がここで、忌まわしく忘れてしまいたい“あの”事件を思い出したのではなかろうか。
 1986(昭和61)年2月、東京都中野区立富士見中学校2年生の鹿川裕史君(当時13)が、「葬式ごっこ」などのいじめのために首吊り自殺をしたあの事件である。事件後、教師も含めて、いじめに加担したクラスの人間たちは、「あんな『遊び』で鹿川くんが死ぬなんて、誰も想像していなかった」と口々に言っていた。「あてつけで死んだんだ」と非難する者さえいた。あの事件を聞いたときに感じた怒りと似たような感情を、今回も感じた人はいなかっただろうか。
 デスノートの流行と、「葬式ごっこ」とは、「遊び」や「冗談」が人間の死に繋がる可能性を考えない、想像力が欠落している点で同根のものであるのだろうか。それとも実際にデスノートの流行で人が死んだわけではないから、これと葬式ごっこは似て非なる別のものであるのだろうか。
 私は二つのものは同質のものであると考える。ただしそれはいじめの加害者やデスノートの購入者に、想像力がないからではない。彼らには逆に、悲しいほどに想像力が横溢しているとさえ言えるのである。

 たとえデスノートが販売されていなくても、自分で勝手にデスノートを作って引き出しに仕舞っている子供たち、あるいは大人は、日本中にたくさんいるのではないか。
 実を言うと私も、「いつか殺してやるリスト」「こいつだけは許さないリスト」なんてのを小学生のころには作っていた。ただし「作っていた」とは言っても、それは「心の中に」であって、具体的にノートに書いておいたわけではない。
 別にそれを実際に書いたとして、もしも人に(具体的には親に)見られて「ウチの息子は他人をこんなに恨むような卑劣な人間なのか」と思われたらどうしよう、なんて思って怖がっていたからではない。もしも、万が一、たとえ一億分の一以下の可能性であったとしても、「その“恨み”が現実化したら」と想像すると、まさしく自分自身の「恨み」の強さに自分自身が押し殺されてしまうように感じたからである。
 私は「絶対に死んでほしい」と思う人間の名前しか心のノートに書きはしなかった。だから思うのである。鹿川くんの事件の子供たちが、「まさか死ぬとは思わなかった」と口々に言っていたのは絶対にウソであると。「『まさか死ぬとは思わなかった』という言い訳が成り立つと知っていたからこそ、“本気で”鹿川くんの死を願っていた」のだ。それが「人間」というものだ。

 デスノートを今買っている子供たちが、どうして心のノートに殺したいやつを書きとめるだけでガマンができないのか、そう考えてみればいい。既に彼らは「想像」から「実行」に一歩踏み込んでいる。「『これで人が本当に死ぬわけがない』という言い訳が成り立つから、“本気で”ノートに名前を書いている」のである。鹿川くんの事件は、鹿川くんが死ななければ事件になるはずがないものだった。デスノートの件だって、人死にが出なければどうということがないが、そのノートを「ほら、おまえの名前をノートに書いてやったぜ」と当人に見せつけるやからなど絶対に出て来ないと、どうして断定できるだろう。それが誰かの死に繋がらないと、どうして言いきれるだろう。「書く」という行為と「思う」という行為は決定的に違う。「読まれない」ことを前提にした文章などはありえない。書かれたものは、たとえその読者が「人間」ではなかったとしても、必ず「誰かが」読むものなのだ。「呪い」がたとえ何十億分の一であっても「実効力」を持つのはそのためである。

 これも何度となく書いていることであるが、私も、この日記を公開している以上は、私の文章を読んで傷つく人間、怒る人間、あるいはショックで死ぬ人間が出る可能性を覚悟して書いている。どんなに注意を払って、人を傷つけないやさしい文章を書こうと努力しても、最終的に文章を受け取る人間は、自分の思いたいようにしかその文章を受け取らない。こちらが「遊び」や「冗談」のつもりだろうと、結果として“本当に”被害者が出てくれば、私は何らかの「処罰」を受けるか、あるいは自らの手で自分に裁断を下さざるをえなくなるのだ。それは責任を取る、ということではない。他者を傷つけた者に回復できる名誉、取れる責任などは存在しない。これも何度も言っている通り、簡単に「責任ある行動を」などと嘯く人間はこの世で最も信用ならぬ人間である。罰か死か、選択はそれしかないのだ。

 だからと言って、私はノートの販売を教育上問題があるから禁止せよと言うつもりはない(いや、パクリだから、ちゃんと取り締まらなければならないのだが、それは置いといて)。中国の遼瀋晩報は、「ノートは邪悪な心を植え付ける毒薬」と批判しているというが、それは違う。人間はもともと邪悪なのだ。だからこそ「デスノート」の意味を、それを手にしたものが実感できるようにためしてあげなければならないと思う。こういう注釈をノートに書いておいたらいかがだろうか。
 「このノートに名前を書いたからと言って、本当に人が死ぬわけではありません。ただし、万が一、本当に死んだ人が出たとしても、当社とこのノートには何の関係もなく、一切の責任を負いません。殺したのはあなた本人の力です」と。
 インターネットの書き込みには、「そうして過剰反応するから中国には斬新な感覚が育たないのだ」などの声が続出しているそうな。別に「呪い」とか「死のノート」なんてアイデアは斬新でも何でもなかろうに(『デスノート』が面白いのは基本アイデアではなくてあくまでドラマ展開である)、そんなことも分からないから中国には斬新な感覚が育たないのであろう。
 さて、改めてみなさんに問いたいが、もし『デスノート』が実在していてそれを手に入れたとしたら、あなたは本当にそこに誰かの名前を書きますか?

2004年01月29日(木) 長いようだが、前に比べりゃあっさりしてます。
2003年01月29日(水) 雪がとっても白いから/『あひるの王子さま』5巻(森永あい)
2002年01月29日(火) 休み過ぎだって自覚はあるのよ。一応。/DVD『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』/『西岸良平名作集 蜃気郎�供戮曚�
2001年01月29日(月) 癒し癒され恋焦がれ。/アニメ『地球防衛企業ダイ・ガード』13巻ほか


2005年01月28日(金) 映画をイデオロギーのみで見てしまうことの愚/映画『パッチギ!』

 なんとか週末まで凌いだが、今日はしげの方がダウン。迎えに来る元気がないというので一人で帰る。あとで一緒に映画でも見るか、と誘ったが、それも断わられた。また心のバランスが崩れて夕べは一睡もできなかったそうだから、今日は昼から寝込んでしまっているのである。でも眠れなくて次の日眠り込んでるんだったら、やっぱり眠っているわけで別に不眠症ってわけじゃないと思うんだが、これって心のバランスよりからだのバランスの問題じゃないのか。


 博多駅、シネリープル博多で、映画『パッチギ!』。
 タイトルの「パッチギ」はハングルで「頭突き」のこと。朝鮮人にとって頭突きはなんかアイデンティティーに関わる文化なのか? よく知らんけど。

 在日朝鮮人を題材として扱っているとなると、その批評はどうしても「思想」がらみで語られてしまうことが多い。Yahoo掲示板の批評、感想の中には絶賛もあれば罵倒もあるが、罵倒の殆どが「思想」がらみの発言であった。脚本だの演技だの演出だのについての批判が出て来ないあたり、通常の映画の鑑賞とは全然違った捉えられ方をしている。それはこの映画にとってはかなり不幸なことである。

 正直な話、私も見る前は露骨なプロパガンダ映画になってたらどうしよう、と危惧していたのだ。実際に見てみると、確かに日本の過去の罪を糾弾する描写が若干ありはしたものの、しつこく感じるほどのものではなかった。この程度の映画を思想的に偏向している映画であるかのように非難するのは、神経過敏に過ぎまいか。映画も含めて全ての芸術活動が時代の産物である以上は、政治と全く無縁であることは不可能ではあるが、かと言って、「政治のみ」で穿った見方をしていいってものでもない。絶賛も罵倒もこの映画に関して批評している人間は、著しくその精神のバランスを崩しているように思う。
 もちろん、「なんで北朝鮮の肩ばっかり持ちやがるんだ」という意見が出てくるのは理として分からなくはない。私も映画を見ていて一瞬眉を顰めたのは、ヒロイン(在日朝鮮人)が主人公(日本人)に「ふたりがいつか結婚するとして……あなた、朝鮮人になれる?」というセリフだった。聞いた瞬間だけではあるが、「相手を自分に合わせることだけ考えて、おまえは日本人になる気はないのかよ」と突っ込みたくなったわけである。けれど、現実問題として在日朝鮮人の方から日本人になることは周囲から「迎合」と見なされるので、簡単には言えないという事情も分かりはする。それにこれは、民族としてのアイデンティティの問題でもある。プロポーズされているのは自分の方なのだから、ここで「私も日本人だったらいいのに」なんてセリフを言ったとしたら、あまりにリアリティに欠けるというものだ。
 「在日朝鮮人はどうして帰化しないのか?」という疑問は、短絡的というよりもパトリオティズム(自国に対する誇り)が理解できないゆえのもので、そういうセリフを口にする人は、「日本は実質アメリカの属国なんだからさっさとアメリカの州の中に入れてもらえばいいんだ」と言われても怒りもしないのだろう。いや、そう言われて腹が立つっていうんだったら、朝鮮人に対しても同様のセリフは言っちゃいかんだろう。他人の傲慢には憤っても自分の傲慢は見逃すというのでは人間としての格が低過ぎるというものである。

 でもほかにも見ていて「なに言ってやがる」と思ったシーンはあった。
 登場人物の一人(在日朝鮮人)が事故で死んだあと、葬式の席で遺族たちが、主人公(日本人)に強制連行の話を持ち出し、涙を流しながら「帰れ」と怒りをぶつける場面である。
 この映画の時代設定は1968年、作中で語られることはないが、当時既に北朝鮮による日本人の拉致は行われ始めていた。我々観客は、当然、そのことを知った上でこの映画を見ているのだが、井筒監督、そういう観客の心理状態まで考えずにこのシーンを撮影したのではないかと訝んでしまう。
 在日朝鮮人でも拉致に加担していた人間、工作員のスパイ活動に密かに協力していた人間もいたはずで、それは葬式に集まっていた人々の中にも混じっていたのではないか、どうしてもそのように感じてしまうのだ。となると、「あんたたち日本人は何も知らん」と、笹山高史が切々と「強制連行」という“過去”の日本人の非道をなじる言葉も、言葉通りに素直には受け取れない。「拉致」という“現在”の北朝鮮人の犯罪を隠蔽しようとしているかのように聞こえてしまうのだ。また、連行の問題についても全てのケースが「強制」だったとは言いきれまい(逆に全て「強制ではなかった」と断定するのも強弁に過ぎるが)。
 更に言えば、確かに死んだ在日の人物は日本人との抗争の最中に命を落としたのであるが、直接の死因は不慮の事故なのであって、日本人に殺されたわけではない(だから警察も動かない)。遺族が主人公に恨みをぶつけるのはお門違いなのである。笹山高史さん、すばらしい演技を見せてくれているんだけど、見てるこちらは「いや、それ違うって」と突っ込まざるをえないのであった。

 けれど、だからと言ってこの映画の「全体」が親北朝鮮に傾いているかと言うと、それもまた違うのであって、先述した「葬式の席で主人公が遺族になじられる」シーンは、実は映画の構成上では「旧世代の無理解」として描かれている。
 主人公は、朝鮮学校の少女に恋をして、自分も在日朝鮮人の人たちの気持ちがわかるようになりたいと思っている。そんなときに知ったのが放送禁止歌『イムジン河』だった。主人公は南北分断の悲劇を歌った歌を、日本と朝鮮の間に生まれた深い溝を悲しむ歌として受けとめ、歌うようになる。その気持ちに打たれたからこそ、少女も、また少女の兄や仲間たちも次第に主人公に心を開いていくのだが、親たちの世代はいつまでも「過去の亡霊」に囚われたままだ。だから自分たちの主張はするが、他人の言葉は一切聞き入れようとしない。
 そんな彼らに、ヒロインの少女は『イムジン河』をラジオで歌う主人公の声を聞かせる。これは、いつまでも「強制連行」に拘り、日本人に心を開こうとしない在日の人々に対する痛烈な批判である。朝鮮人自らが朝鮮人批判をするこの描写をして、「北朝鮮寄りの姿勢」とどうして言えるだろうか。
 朝鮮人を批判するためには、まず朝鮮人が何を言っているのか、それを描かなければならない。だから朝鮮人の「強制連行」について在日の人々が語る描写は必須だろう。しかし、それが結果的には日本人、朝鮮人の間の溝を深める原因になっていることを井筒監督はちゃんと描いている。そこまで見なければ、この映画を見たことにはならない。“問題は旧世代の朝鮮人の偏狭さにこそあるのだ”。
 これだけ明確に「朝鮮人批判」を行っている映画がなぜ正反対に受けとられてしまうのか、そんな観客・批評家を「映画をマトモに見てねえバカだから」と言いきることも可能ではあるが(先入観が眼を曇らせている可能性もあろう)、それだけでもない。そこには映画自体が持っている「ディテールの魔力」が根底にある。
 『ファインディング・ニモ』が「自然を大切に」というメッセージを強く持つ映画であったのにも関わらず、公開後クマノミの乱獲が始まった、という報道を耳にした人は多かろう。観客は映画から「メッセージを受け取ろう」と思って見に行くわけではない。だから全体の構成とか物語とかテーマとか、そういうものよりも印象深い部分的な要素に強く影響を受ける。「クマノミかわいそう」よりも「クマノミかわいい」の感情の方が勝ってしまうことになる。この映画の場合も、笹野さんの名演などがあまりに際だっているので、「映画全体としての主張もそこにある」と勘違いしてしまいそうになるのだ。映画が描いていくのは殆ど「若い世代のケンカの日常」ばかりなのだが、困ったことに、若手俳優が束になっても笹野さん一人の演技に叶わないのである。かと言って、ヘタな役者にあえてこの役を振るわけにもいかない。カメラもその名演に惹き込まれて笹野さんの顔をどアップで映しだしてるからよくないんだが、笹野さんのセリフに「説得力」が生じてしまうのはいかんせんどうにもならない。ともかく映画のディテールにのみ拘って全体を顧みない批評が批評としての意味を持つか、いささか精神のバランスを崩している方はちっとは落ちついて映画を見て頂きたいとだけは言っておきたい。極端な賞賛も非難も、どちらもこの映画の本質を見誤っている点では同じなのだ。
 朝鮮高校と地元の高校との抗争、というのは全国各地で起こっていた現象であって、その根底に過去の歴史が関わっていたことは否定しないが、それが全てでもない。言っちゃなんだが現実のケンカなんて、相手が朝鮮人か日本人かというのは殆ど気にしていないか、あるいはケンカを正当化するための後づけのリクツをくっつけただけで、実際には表層的かつ衝動的な「あいつ気にくわねえ」といった程度の、不良同士の低レベルなものである。この映画でも、若者同士のケンカは殆どそういう形で描かれている。だからたとえ主人公とヒロインが恋に落ちても、グループ同士の抗争が解決されるわけではない。『ロミオとジュリエット』のように、お互いが過ちを認めて最後は仲良くなりました、メデタシメデタシという安易な結末ではないのだ。井筒監督がこの映画を北朝鮮プロパガンダ映画、反日映画として作ろうとしたのなら、こんな結末には絶対にしないだろう。
 「全体」としてはこの映画、お互いの間にどんな問題があろうと、恋したいものは恋をする、政治とか歴史とか知らねえよ、という能天気なまでの「青春映画」である。それをムリヤリ政治の場に引き出して批評しようというのは、八百屋に向かってなんで肉売ってねえんだと文句をつけるくらいの難癖である。
 井筒監督自身は、今の日本の政治に対していろいろ不満は持っているのだろうが、少なくともそれを映画の中にストレートに出すことはしていない。映画をエンタテインメントとして構成する際に、自分の思想の修正も行っていることは明らかである。「オレたち大人は日ごろ、過去の歴史がどうの、現在の政治がどうのと言ってるけど、映画を見にきたお前ら若いヤツラはそんなん気にせんと、好きに楽しんでてええんやで」とでも言いたげなように物語は爽やかだ。井筒監督に対して何か個人的に恨みがある人は、直接、監督に会って文句をつけて頂きたいもので、個人に対する中傷と、映画の批評とを混同させないで頂きたいものである。

 ……とまあ、『パッチギ!』を擁護するような言い方を長々と連ねはしたが、だからと言ってこれが面白い映画だったかというと、そうでもないんのが困ったことで(^_^;)。
 井筒監督は生真面目なくらいセオリー通りのホンの映画を作る人で、しかもその基本にあるのはベッタベタでコッテコテな大阪的人情喜劇である。全体的にソツはないのだが、地味で垢抜けていなくて、ケレン味や意外性の面白さは感じられない。それでも前作『ゲロッパ!』の場合は、西田敏行のジェームス・ブラウンというよくも悪くもものすごいものを見せてくれたのにひっくり返っちゃったのであるが、それ対して、今回はあまりに大人しすぎる。不良同士のケンカも何度も繰り返されると迫力が落ちる。せいぜいオダギリジョーを見ながら「坂崎幸之助」って昔はこんなことしてたのかなあ、と面白がれるくらいか。


 映画館を出て、電源を切っておいた携帯を見るとしげから着信あり。
 何の用事かと思ってかけてみると、か細い寂しげな声で「どこにおると?」聞いてくる。
 「映画に行くって言っとったやんか」
 「連絡がつかんけん、事故かと思った」
 どうも寝惚けていて、映画に行く前に電話でやり取りしていたことをキレイサッパリ忘れてしまっていたらしい。連絡取った意味がないのである。
 あまりに寂しそうな声を出していたので、お土産にマクドナルドのハンバーガーを買っていってやった。なんかまた期間限定でダブルたまごバーガーとかいうのが発売されていて、こないだから「たまごたまご」とうるさかったのであった。


 日記を復活してほぼ一ヶ月、けれどその前の休止期間がかなり長かったので、もう読んでる人も少なくなってるんじゃないかと思っていたのだが、アクセス記録を見てみると一日百人は覗きにきていらっしゃるようで、ありがたい限りである(同一パソコンからのアクセスは再カウントされないので、ホントに百人以上の人が来られているのだ)。
 と言いながらその大半はGoogle検索の通りすがりさんである。ここ一週間くらいでなんだかなあ、と思うのは、「真野裕子」でアクセスしてくる人がやたら多いことで、一日十件くらい来るのである。
 でもそんなんで来られても、ご提供できる情報なんで全然ない。つかあると思って来てるのかよ。「レイクサイド」でも「役所広司」でも「薬師丸ひろ子」でも、全く1件のアクセスもないってのに、毎日毎日なぜか「真野裕子」「真野裕子」「真野裕子」である。
 ……まあ、あれでしょうね、『レイクサイドマーダーケース』で被害者役を演じて、美しいヌードも披露されているから、興味を持たれた方が「眞野裕子って誰?」ってことでなんかちょっとでも情報がないかと躍起になって探されておられるのでしょうが、ご苦労様なことでありんす。
 もしかしてもしかして、一億分の一か十億分の一くらいの確率で、眞野裕子さん本人が、自分の出演した映画の評判を知りたくて片っ端から調べているという可能性もないわけではないが、ない話であろう。
 ……でももしホントにホントにそうだったら面白いから、メッセージを書いとこう。「眞野さーん、あなたのおっぱい、私が今までに見てきたヌードの中でも5本の指に入るほど形がよくってお美しいおっぱいでしたよー(^o^)」。
 さあ、みんなも眞野さんのおっぱい拝みに『レイクサイド』見に行こう!
 ……あ、前回はついうっかり「真野」って書いてたけど、正確には「眞野裕子」でした。旧字体だったんですね。誠に申し訳ありません。

2004年01月28日(水) 何となくな再開。
2003年01月28日(火) 肉は飲みこめ!/『トレイル・オブ・ピンクパンサー』/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN ランバ・ラル編 �機Ν供戞憤舵�良和)ほか
2002年01月28日(月) 多分、しょっちゅう見ている夢/『おせん』其之三(きくち正太)/『END ZONE』1巻(えんどコイチ)ほか
2001年01月28日(日) 宴のあと


2005年01月27日(木) 世界の中心で「サイテー」と言える映画/ドラマ『富豪刑事』第3回「密室の富豪刑事」ほか

 一昨日の日記に一部誤りがあったので訂正。
 2004年度のサイテー映画を『週刊文春』が発表したって記事だけれど、「文春ラズベリー賞」と書いたのは間違い。正式には「文春きいちご賞」。本家ラズベリー賞をもとにしてるのでとっちがえたのだね。申し訳ありませんでした。m(__;)m
 それから私はてっきりこれは「『週刊文春』の読者投票」によって決められると思いこんでいたのだが、「映画記者、評論家、20人の投票により決定される」とのことだった。これもどうもすみません。m(;∇;)m
 となると、一人一人はある程度の数の映画は見てただろうと思われるけれども、1位の『デビルマン』は当確として、2位以下については「もっとひどいのなかったか?」とちょっと首を傾げたくはなる。『セカチュー』におまえら感動したのか? 『スチームポーイ』は? 『IZO』は? 『華氏911』がないってことは「文春」はマイケル・ムーア派か? 
 もっとも、ダントツで『デビルマン』が得票して、他作品はちょぼちょぼでこういう結果が出た、という可能性もありそうだ。八位以下の三作『2046』『キューティーハニー』『リディック』は同点8位のようだから。順位だけじゃなくて、得点数まで発表してくれるといいんだがな。
 『デビルマン』の受賞理由は「出演者があまりにもダイコン」。納得だけれども、海外サイトのIMDbでの外人さんの評価を見てみると、「原作知らないで見たけど、結構おもしろかった」という意見もある。やっぱ、日本語の「ああ、オレ、デーモンになっちゃったよ」「サタンだからな」のインパクトの強さは伝わらないんだね。逆に言えば、外国映画を見る時にはある程度であろうとその国の言葉が理解できなきゃ、マットウな評価はできないということなんである。
 昨日見た『メリー・ポピンズ』のメイキングで、ディック・バン・ダイクが「批評家たちからは『コックニー訛りがヘタな役者』って言われちゃったよ」と笑ってその「訛り損ねているシーン」を紹介しているのだが、改めて聞いてもどうヘタだかわかんないのであった(^_^;)。ピーター・セラーズみたいに“room”を“leum”みたいに発音してくれるとまだ全然違うって分かるんだけどね。
 さて、『デビルマン』のDVDもいよいよ発売されるけれども、さすがにこれを買う勇気は私にはない。みんなで見て笑おうと思っても笑えねーもん。CSで流れるのを待って録画するよ。誰かこいつをスペシャル・エディションで買おうってツワモノはいないか?


 薬がまあまあ効いてるのか、とりあえず咳と鼻水は昨日よりはマシ。
 なんとか一日仕事をこなせました。


 木曜ドラマ『富豪刑事』第3回「密室の富豪刑事」。
 ミステリドラマについて批評する際はネタバレ厳禁が鉄則なので、どこがどうよくないのか具体的に書けない場合も多く、ホトホト苦労してしまうのだが、今回はありがたいことにハナから犯人だけはバラしてある。かと言って純粋な倒叙物でもないので、トリックまでは明かせないのだ。ちょっと遠回しな表現になるのはご勘弁頂きたい。

 鋳造会社の火災で社長の宮本(中山克巳)が死んだ。焼畑署は、宮本の商売敵・江草竜男(橋本さとし)、幸男(佐藤二朗)、正男(濱本康輔)の三兄弟を犯人だと目星をつけるが、いかんせん証拠がない。富豪刑事・美和子(深田恭子)は、5年前にも江草兄弟の商売敵の社長が焼死していたことを知り、もう一度商売敵を作ってやれば、彼らは同じ手口で犯行を繰り替えすに違いないと提案する。
 美和子は祖父・喜久右衛門(夏八木勲)の財産で会社を設立して、自ら社長になりすます。江草兄弟には署の刑事たちが張り付き、猿渡刑事(鈴木一真)がかつて世話になった元警官・松平(螢雪次朗)が警備員として雇われ、準備は万全に見えた。予想した通り、急成長した美和子の「ありす鋳造」に江草兄弟は押しかけてくるが、いったんは美和子を脅迫しかけていながら、部屋の間取りを見るとなぜか素直に引き下がっていく。江草兄弟は、松平の顔を見ると破顔して近づいていった……。
 一方、兄弟を尾行していた布引(寺島進)、西島(載寧龍二)は、彼らが真空ポンプのようなものを隠して運び出す姿を目撃する。

 これも原作付きのエピソードで、骨組はしっかりしている。ゲスト俳優も多彩で、犯人たちのほかにも、「ありす鋳造」の社員たちで佐々木勝彦、上田耕一、奥村公延と特撮映画でもお馴染みの渋い役者さんがずんどこ出て来るのだからたまらない。みなさんいい味出してるけれど、特に上田さんが入札に勝利して江草兄弟に向かって見せる微笑のかっこよさはもう最高! ストップモーションで見せてくれる演出は臭いけれども、上田さんになら許せる。オジサンが活躍するドラマは須らく傑作となるのである。……と言いたいんだけれど、全体としての印象はやっぱりつまらない。前二話と同様、刑事たちがあまりに間抜け過ぎるので、笑えるどころかシラケてしまって、結局はマイナスの効果しか生んでいない。筒井康隆のスラップスティックな味を体現できないなら、かえってシリアスに演じてくれた方がまだ見られるものになるんじゃないか。要するに、演出がコメディと一人よがりの悪ふざけとを混同しているのである。視聴者に宴会のオヤジギャグレベルの芝居しか見せられてないことに気がついてないのかねえ。
 ミステリとして見た場合も、役者の演技、脚本、演出、全て雑なので、チャチさばかりが目立って仕方がない。犯人たちが「トリックがバレても俺たちが犯人だって断定する証拠はない」なんて言ってるけど、そうかあ? アレとかアレとか、物的証拠がいくらでも見つかると思うけどなあ。さらに言えば第二の「口封じ」殺人の情けなさ。あんな小学生向けの学習雑誌の推理クイズコーナーにしか出て来ないようなバカトリックをよくも堂々と使えたものだ。……つか、ホントにオレが小学生のときに考えたトリックと全くおんなじだったよ(^_^;)。つまりは誰でも思いつく幼稚なトリック(と言葉にするのも恥ずかしい)なんで、あんなのに引っかかるバカ刑事なんて、世界中探したっていねーって。
 それからフカキョン、またちょっと太り出してないか。ウエストがかなり怪しくなりだしてるから、ちゃんとマネージャが付いて食品管理もしてあげろよ。


 第77回米アカデミー賞の候補作が昨26日に発表されたけれど、日本未公開の作品が多いので、大賞についてはなんとも言いようがないのだが、ちょっと気になったのは、外国語映画賞と長編アニメーション賞である。
 日本の『誰も知らない』と中国の『LOVERS』が洩れたのは仕方がないだろう。どちらも個々の役者の演技としては輝いてはいても、映画全体としては世界的な普遍性を持った映画ではない。ただそれは決して両作にとって汚点となることではない。『誰も』も『LOVERS』も、それぞれの国の文化風土を踏まえてこそ感銘を受ける性格を持った映画なのであって、普遍性だけが映画の価値ではないからだ。黒澤明の「映画は世界の言語だ」は理想論に過ぎない。
 長編アニメーション賞での『イノセンス』のノミネートはハナから期待してはいなかった。反キリスト教的世界観に彩られたあの映画をアメリカが受け入れるはずがないのである。ノミネートされた『Mr.インクレディブル』や『シュレック2』が『イノセンス』より上かと言うと、そんなことはないのであって、両作とも悪い映画ではないが、予定調和で成り立っている点では新鮮味はない。やはり「アメリカ人好み」という特徴は如実に現れているわけで、所詮アカデミー賞はアメリカの国内賞に過ぎない。カンヌ、ベネチア、ベルリンと並び賞するのは間違ってるよなあとずっと思ってるんだが。


 『ゲゲゲの鬼太郎』が堤幸彦の監督で実写映画化だって。
 キャストは未定だが、松竹の久松猛朗常務は「イメージだと鬼太郎は堂本剛君、目玉親父はさすがにCG」とコメントしたとか。……鬼太郎って10歳って設定なんだけど。ハットリくんの香取慎吾って例があるから、その辺はどうでもいいのか。
 もう去年までで腐るほど(で腐ってたし)マンガの実写化は見てきたし、『鬼太郎』の場合はテレビで既に二度実写化されているから、もう驚きはしない。
 前二作の出来を見て知ってるだけに「またかよ止めろ」と言いたくはなるけれども、まあ何が出来ても『デビルマン』よりはマシだろうからいいや。どんどんココロが広くなってきてるなあ(^o^)。

 ちなみに前二作の実写化のスタッフ・キャストは以下の通り。

1『月曜ドラマランド ゲゲゲの鬼太郎』
 1985年8月5日 フジテレビ系 午後7時30分〜9時放映 
 ■スタッフ■
 原作 水木しげる/企画 前川和也・吉川進/脚本 山崎晴哉/撮影 瀬尾脩/美術 北郷久典/音楽 馬飼野康二/監督 小林義明/製作 東映=フジテレビ
 ■キャスト■
 六浦 誠(鬼太郎)/水木しげる(霊界郵便配達夫)/竹中直人(ねずみ男)/田の中勇(目玉親父の声)/赤星昇一郎(子なき爺)/由利 徹(砂かけ婆)/増岡 弘(一反木綿の声)/奏 暎花(関 京子)/石山律雄(京子の父)/木村有里(京子の母)/夏樹陽子(ぬらりひょん)/佐渡 稔 (吸血鬼エリート)/うえだ峻(あみきり)/汐路 章(おっかむろ)/高橋利通(生命接着係)/桑原たけし(ぬらりひょんの声)/西尾 徳(おっかむろ・あみきりの声)

2『妖怪奇伝 ゲゲゲの鬼太郎 魔笛エロイムエッサイム』
 日本ビデオ発売 1987年7月/55分
 ■スタッフ■
 原作 水木しげる/脚本 大原清秀/音楽 馬飼野康二/SFX 矢島信男/特殊造型 レインボー造型企画/監督 小林義明/製作 東映ビデオ
 ■キャスト■
 和田求由(鬼太郎)/加瀬悦孝(悪魔くん)/うえだ峻(ネズミ男)/若林麻由美(桜子)/汐路 章(ぬらりひょん)/不破万作(子泣きじじい)/奥村公延(砂かけ婆)/市川 勇/余貴美子/吉田 淳/水木しげる/田の中勇(目玉おやじの声)

 今見ると、結構なキャストなんだよなあ。
 夏樹陽子はぬらりひょんの着ぐるみを着てたわけではなくて、変身した姿が「女」だったってこと。資料によっては「女ぬらりひょん」と書かれているものもあるけれど、別にぬらりひょんにオスメスがあるわけではない。竹中直人のネズミ男は珍品だった。竹中さんなら今でもネズミ男やってくれそうな気がするから、堤監督。オファーしてみないかな。ただ、頭をムリにトンガラすのはもう止めてほしい(^_^;)。
 うえだ峻さん、汐路章さんが両作ともに出演されていたのには今気付いた。うえださんのネズミ男は覚えてたんだけど。うえださん、今度の劇場版にも出演してくださらないかな。そしたら、“鬼太郎実写版俳優”の称号を勝ち取れるんだが。……別に勝ち取りたくはないかな(^_^;)。


 さてまたまた来たよのスパムメール。
 URLのアドレスがまたまた似ている。だから少しは「芸」見せろって。

〉絵里
〉私でもいいですか?

〉今まで我慢してたけどあなたの書き込み見てからやっぱ
〉このままじゃいけないと思ってメール書きました。
〉あまり男の人と経験してないけどいいですか?
〉それでも良ければ掲示板にきてください☆
〉これが最初で最後のチャンスだと思って待ってます。
〉絵里
〉http://************/~bobobo/secret.php?pr=333777
〉写メ見てからでも会うの決めていいです。
〉会って後悔して欲しくないから写メと私の簡単なプロフ載せとくのでみて下さい。

 「絵理」と言われてすぐに思い出すのは『軽井沢シンドローム』の。……って古いなあ。そう言えば新作はまだ続いてるんかな。チェックしてないけど。
 「このままじゃいけない」というのは早見優が『零戦燃ゆ』で言ってたセリフ。……って別に懐かしネタを探したってしょうがないんだが。
 えー、「あまり男の人と経験してない」女の人は、こんな“カムヒヤー”なメールを送り付けたりしません。だからも少し芸を磨きましょう。


 まだコトバについての話題とか、しげの妄想日記のことについての補足とか、書こうかと思ってたことはあったけどこのへんで。口述筆記者でも雇わないと、読んだ本、見た映画、考えたこと、とても全部は書ききれないんだが、そこまで苦労してまで書く気力は持ってないので悪しからず。

2003年01月27日(月) 歴代1位?/『グランサー』1巻(長谷川裕一)/『寄生獣 完全版』1・2巻(岩明均)/『アンナさんのおまめ』1巻(鈴木由美子)ほか
2002年01月27日(日) 寝ててもDVDだけは見る(^_^;)/アニメ『コメットさん』第43回(最終回)/DVD『マジンカイザー』3巻/『キカイダー01』3巻ほか
2001年01月27日(土) 祭りの前


2005年01月26日(水) チャボなんぞ知らん。/DVD『メリー・ポピンズ スペシャル・エディション』ほか

 総合病院で検査。
 というか、精密検査が受けられるかどうか、レントゲンとかの検査。病気持ちはそういうところから始めないといけないので面倒臭いことこの上ない。半日かかって一応、「悪い“ガス”も出てないみたいだし、検査は可能なようです」という結果。なんか“ガス”が出てたら検査できないのか。つか“ガス”ってなんの“ガス”よ。
 ともかく精密検査は受けられることになったけれども、またまたケツカメラを入れられるのである。昨日も今日も医者から指突っ込まれちまったし、ホモでもねえのにケツばっかやられまくりでいいのか、オレ。「気持ち悪くなったら中止しますからね」と先生は仰っていたが、気持ちよかったらどうしよう(T∇T)。
 次回また半日かけて検査しなきゃならなくなったんだけれど、入院ってことにならなきゃいいなあ。血便がどうか痔でありますように。……って痔になることを期待する心理ってのもどうにかしてるよなあ。


 水曜日は出かけることが多くて久しく見ていなかった『トリビアの泉』。もしかしたら半年くらい見てなかったが、これが面白い。いや、ネタのレベルとか、演出のダサさとか、そんなのは全然変化しちゃいないんだが、こちらの意識が変わってるんだね。もう映画『デビルマン』見たあとなら何見ても許せちゃうってやつだね(^o^)。
 スーパーバイザーの唐沢俊一さんが、以前、『トリビアの泉』に間違いが多いことを指摘されて、「テレビで語られていることを本当だと信じちゃいけない」とトンチンカンな答弁をしていたが(それはただの原則論で、具体的な問題の指摘にまで敷衍していいものじゃない。第一、この番組のコンセプトは“おもしろけりゃいい”からといって「デタラメ」まで許しちゃいかんものだろう。痩せても枯れても「知識」番組なんだから。製作に関わっている人がこういう放言をしちゃよくないよなあ)、番組のコーナーで「ガセビアの泉」というのができていたのには笑った。番組に送られてきたネタの中にはガセも多くて、それを検証して「正す」ものである。今日は「爪楊枝の溝は折って楊枝置きにするため」というガセビアを、製造している会社に尋ねに行って、「アレはただの飾り」と回答してもらっていた。「デタラメでいい」と強弁していたのが明らかに方向転換されているわけで、よっぽど非難が強かったんだろう。「ズボン」の語源説についても「いくつかの説のどれか」なんて曖昧なことを言わずに明確に「履くとき『ズボン』という音がするから」という説が正しいと“真実”に拘っていた。
 ここにきてようやく、雑学ブームが一般化したことで、「検証番組」が増えて俗説が駆逐されていく風潮が生まれてきたようである。そこまでいかないと雑学は「面白い」レベルにまでは到達しない。「ウソでもおもしろけりゃいい」という感覚はある意味必要だと思うけれど、それもTPOを考えないと、誰かに被害を与えることはあるし、つまらないだけに堕する。マトモな批評ではない根も葉もないウワサやデマが、人の立場を危うくすることはよくある。
 人を騙す快感に酔い痴れちゃってる人は(オヤジギャグ飛ばすやつに多いよな)、自分がどれだけシラケルこと、あるいは“危険なこと”を言っているのか気がつかないから、回りのトモダチが「それギャグになってないよ」と言ってやる必要があると思う。でないと自分も「被害」に巻き込まれかねないぞ。


 ホームページ移転、少しずつ進めてはいるが、どうも一月中には終りそうにない。つか、うまくいかーん(T∇T)。ニフティの契約、2月まで延長したので、まだもちっとだけ間がありはするのだが。しげの劇団ホームページの移転はほぼ終わっているので、手が空いたら手伝ってもらおうっと。

 さて、その新しい劇団ホームページ、既にしげ、加藤くん、穂稀嬢、桜雅嬢、よしひと嬢のプロフィール、日記が新規登録、どいつもこいつもオタクなことばかり書き散らしている。それは毎日楽しく読ませて頂いているのだが(更新いい加減な人もいるが)、今日(1/26)のしげの日記を読んでのけぞった。

> 夫が、以前我が家に連れ込んでいた女の飼っていた「チャボ」が、我が家の開かずの部屋となっているところで増殖。
> そして、押入れの天袋で死屍累々。悲鳴を上げる。
> 恐怖!

 読んでビックリした人もいると思うが、これはしげの見た「夢」である。現実の話ではない。なのにヒトっ言も「これは夢です」って書かないんだもんなあ。
 しげが夢と現実の区別がつかなくなるのはしょっちゅうで、この夢を見たあとも、起き抜けに「あんた、この部屋の中に入っとったやろ!」と責めたてて来たのである。「開かずの部屋」というのは、以前、うちで宴会をするために部屋を片付けた時に、しげが入口に本を積み上げてしまった部屋のことで、壁抜け男でもなきゃ中に入れるはずがないのだ。
 「どうやったらこの部屋に入れるんだよ。だいたいオレ、浮気なんてしたことないだろうが」
 「そうだった。アンタ、浮気しないヒトだった」
 「浮気しないことが悪いんかい。それにチャボってなんだ、チャボって。事件記者か」
……いや、昔、水谷豊主演の『事件記者チャボ!』ってドラマがあったんですよ。
 こういうやりとりをしたあとだから、当然しげもこれが夢だということはハッキリと認識していたのだが、それを日記に書くときに全然注釈をつけないというのはどういう神経か。頭がイカレてるやつのことだから、その理由を問い質したところで全く無意味なのは分かっちゃいたのだが、一応「なに考えてるんだ」と聞いてはみた。案の定、しげはにやつくだけで返事をしない。つまりは確信犯なのである。
 しげが問題を起こすのは、要するにヘンなことを言って「構ってほしい」だけなのである。構ってほしいならそれを素直に言えばいいのに、必ずこんなヒネクレた手段を取る。他人に対して優位に立ちたいという欲望だけは強いから、自分が悪い、自分がバカだ、自分が間違っていたとは絶対に認めたがらない。他人をダシにしてからかったり、わざと意味不明な文章をつづって相手を混乱させるという卑劣な手段を取るのだ。これまでも何万遍、「普通に文章を書け、それが読む人に対する礼儀だ」と口を酸っぱくして注意してきたのだが、性格が腐っているから聞いたタメシがない。しげの日記にはこれからもこの手の妄想、意味不明な文章が散見すると思うが、読まれた方はいちいち相手にしないでいただきたい。しげのバカは一生直らんのだ。
 でもなあ、もう充分しげの性格知り抜いてると思ってた鴉丸嬢から、しげに「死屍累々ってどうしたの!?」と問い合わせのメールが入ったそうだ。しげは「アレは夢」と返事したそうだが、しげは内心、「わあい、引っかかった引っかかった」と喜んでるのだ。鴉丸さん、4月1日じゃないんだから、ここは怒っていいとこだよ。それとも分かっててしげに「構ってあげた」の? バカに同情しちゃダメだって。
 トラブルメーカーの自覚がないやつはこれだから困るのだが、しげは私の方こそトラブルメーカーのように言うのである。どの口で言うか。おまえの不適切発言の尻拭いをどれだけやらされた(あるいは、しきれなかった)と思ってんだ、このどぐされは。(^_^メ)


 「現実と夢の区別がつかない」と言えば、一昨日発表された次のニュース。
 長崎県佐世保市の小6女児殺害事件を受けて、長崎県教育委員会が県内の小中学生を対象にして、「生と死のイメージ」に関する意識調査を実施した。加害女児(12)の少年審判の決定が、女児の特性について「自己の経験や共感に基づく『死のイメージ』が希薄」と位置付けたことを受けて行われたもので、対象者は県内公立校の小学4年と6年、中学2年の計約3600人。抽出方法としてはほぼ妥当な数字だと言える。
 衝撃的だったのは次の質問に対する回答。
 「死んだ人が生き返ると思いますか」との問いに「はい」と回答した子供たちが、小学4年では14・7%、小学6年では13・1%、中学2年18・5%。だいたい500人以上の子供が「死んでも生き返られる」と考えたということになるのだろうか。
 私は「アンケート」にはある種の誘導尋問的な性質が必ずつきまとうと考えているので、その結果にはあまり信用を置いていない。それが子供を対象にしたものだとしたらなおさらである。例えば、大人であっても「人間は死んでも生き返られると思いますか?」と聞かれた場合、“それがどういう相手からどういう意図で発せられた質問か”そのときの状況判断によっては回答の仕方が変わるはずだ。親や兄弟、親しい身内を亡くしたばかりの遺族から「ねえ、人って死んだらやっぱり消えてなくなるのかなあ」と泣きながら聞かれたとしたら、「きっとこの空のどこかから君のことを見ていてくれてるよ」なんて言って慰めることはあるだろう(もちろん「人は死んだらそれまでさ」とあえて現実を突きつけて故人を忘れさせる場合もあるだろうが)。質問の意図を読めない、状況判断が未分化である子供たちだと、そういう場合もひっくるめて「死んだ人が生き返る? あるよ」と答えてしまうケースは充分ありえるのである。
 理由として挙げられた筆頭の回答は、「テレビや映画などで見たことがあるから」で29・2%、「ゲームでリセットできるから」が7・2%だが、これは子供たちが現実と夢の区別が付いていないかどうかの証明には全くなっていない。回答した子供たちが「テレビやゲームでは人は生き返るけれど、現実の人間は生き返らないよ」と判断している可能性もあるからである。……あのね、こういう質問で浮き彫りにされることはね、子供たちに「現実と非現実の区別がついているかどうか」じゃなくてね、「質問の意図が理解できているのか」、「他人の話を理解しようと務める能力が低下しているんじゃないか」っていう「学習能力」のほうになっちゃうのよ。質問の仕方は充分精査しないといけないんだけど、今回はそれがかなり雑だね。
 例えば質問の頭に「現実に」と付けて、こう質問してみたら、回答の内容もかなり変わってくるのではないか。「現実問題として、人間が死んで生き返ることがあると思いますか、次の中から選びなさい。1、絶対にない 2、滅多にないがたまにはある 3、あると聞いたことはあるが信じられない 4、信じられないが、あったらいいと思う 5、しょっちゅうあるし、自分もきっと生き返られると思う」
 大人に聞いても1より3、あるいは4を選ぶ人は多いと思うが、だからと言って「現実と夢の区別が付いていない」と判断されはしないだろう。それどころか1と回答すれば「夢がない」「冷血漢」と判断されかねない。子供たちも4の場合を含めて「ある」と答えた可能性もあるのである。その証拠に、自由記述では「人は死んでも心の中で生きている」「医学や科学が進歩すれば、生き返ることも可能」などの意見もあった。問題はあるが「脳死を人の死と認めない」立場の人間なら、後者の回答であってもおかしくないとも言える。
 中2の生徒に「殺人や傷害での罰や法律制度を知っているか」と聞いたところ、47%が「知らない」と答えた、という結果については「夢と現実」問題とは何の関係もない。単純な知識の問題で、「知らない」と答えたからと言って、生徒たちに「判断力がない」と即断することもできない。「法律は知らないが、人を殺すことはよくない」と考えている子供たちだっていて当然だろう。さらに言えば、大人だって、本当に「知っている」かどうか疑問だ。あなたは「どの程度の殺人なら死刑になると法的判断を明確に示せるか?」と質問されて「具体的に答えられるだろうか?
 新聞の「社会科の授業で裁判制度を教えるが、刑罰や社会的責任について教える機会はない」というコメントも、現代の子供たちが教育の場で常識的な判断を培うことができなくなっているというイメージを読者に与えるようにミスリードしている。
 子供たちの回答に問題が全くないとは言わない。「夢と現実の区別がついていない」「生と死のイメージが希薄」という分析は眉唾ではあるが、「質問の意図が正確に受け取れない」「自分の回答がどのように受け取られるか想定できていない」という、“学力不足”と“コミュニケーション不全”の問題は歴としてあるからだ。その点で「親は子供のことをちゃんと理解してコミュニケーションを図っているのか」と批判するのならば納得はできる。しかし、この「お互いの気持ちが伝わり合わない」問題は、単純に親と子の会話を増やせば解決するようなものではない。
 「夢と現実」の問題ならば、「サンタクロースって本当にいるの?」「いないんだよ」でケリが付く。しかし、「信仰や思想、人間はなぜ“虚構”を生み出し、それにすがろうとするのか」を子供に理解させることは極めて困難で、親も学校もそこからは常に眼を背けてきた。現代の日本人が子供はおろか大人でもコミュニケーション不全に陥っているのは、根本的にはそこに原因がある。みんな、「相手と共同幻想を共有できるとは限らない」時代に生きているという自覚がないから、自らの信じる「正義」やら「主張」やらをぶつける形でしか相手と接することができず、その結果、「拒絶」ないしは「対立」しか生み出さなくなっているのである。しかし、そんな個人間での拒絶や対立が生じても、総体としての社会は機能するように、組織を、自治体を、急激に肥大化させていったのが戦後の日本ではなかったか。そのツケがここに来てあちこちで吹き出しているのではないのか。
 「親と子のコミュニケーションを密に」と言いつつ、「ゆとり教育を見直せ」と言い、その二つの意見に矛盾があることに気がつかない。いや、子供に「ゆとり」を与えると同時に親にも「ゆとり」を与えなければ無意味であったということに気がつかなかった大馬鹿野郎な施策に対して「改善を」と言うのであれば、最も効果的な解決方法は、子供の勉強時間を元に戻して増やすことではなくて、親の勤務時間を減らして、家庭にいて子供と接する時間を増やすことではないのかね(ともう何度も言ってるんだが)。そんなことは非現実的だという批判をしたい人もいるだろうが、知ったこっちゃない。それができなきゃ(そして親にその決意と覚悟がなきゃ)、子供の学力はこれからもどんどん下がっていくだろうし、非行だってどんどん増えていくだけだ。子供の残虐な犯罪の下地を作っているのは、「親が家庭にいないサラリーマン社会、共働き社会の増大によるものだ」ってこと、みんな気付いてて無視してるんだろう? そこから眼を背ける気なら仕方がない。あとは「増え続ける少年の凶悪犯罪を社会が受け入れる覚悟」「自分がいつか子供から殺される可能性を親が受け入れる覚悟」をして頂くしかあるまいよ。覚悟がなくても現実はそうなるだけなんだが。
 

 さてまた来ちゃったよのスパムメールだけれど、文面は変わったが、引き込もうとしてるサイトのURLは似ている。足がつかないように、刻々とURLを変えてるってことなのかな。全く違ったものに変えてないのは、面倒臭かったからか。そういう手抜きばっかやってるからマトモな文面も作れないのであろう。

> 幸
> 今でも?

> まだセフレ募集してますか?私も今探しててメールしたんですが・・・
> 今年30になる8歳児のママしてます。今の旦那と付き合って
> 直ぐに子供できちゃったからあまり遊んでなかったんです。
> 今まで子供の面倒見ないといけなかったから我慢してたんですが
> ようやく一人になる時間も増えました。もっと男の人と遊びたいし
> エッチもしたいです。できればあなたとそんな関係になりたい。。。
> 私のセフレになって下さい。一日10万円お渡しします。その代わり
> 私とは秘密の関係で居て欲しいんです。
> 私はあなたと体だけの関係を望んでいます。約束守って頂けるなら
> http://www.xxx-*********/~totoro/secret.php?pr=777888
> の掲示板に来てください。会う日と時間決めたいです。
> 名前は幸です。場所は私がそちらに行きます。
> 無料登録なのであなたに迷惑はかけません。

 しげの夢じゃ浮気男にされてしまうし、どこの誰かも分からんやつには「セフレ募集中」のレッテル張られるし、なんか脱力。世の中には独身の変態でホントにセフレがほしい男もごちゃまんといるから、そっちに回ってくれ。ただいくら彼らが女に飢えてるからとは言え、こんなメール、相手にしないとは思うが。


 DVD『メリー・ポピンズ スペシャル・エディション』。
 別に大地真央に勧められたわけではなく、この映画は昔から大好きだったので購入。お前、ディズニー嫌いじゃなかったのかと言われそうだが、私がつまんねえと思うのは「ディズニーアニメ」なんであって実写は別。それにそもそもP.L.トラヴァースの原作のファンなのである(原作での表記は『メアリー・ポピンズ』)。……ああ、大丈夫、今日は長ったらしいウンチクは語らないから(^o^)。
 ディズニーチャンネルなどでも流れているから、買うかどうかは迷ったのだが、やはり3時間に及ぶ充実した映像特典に惹かれた。
 メイキングやゲームなどは定番だが、特筆すべきは、リチャード・シャーマンが演奏する未発表曲『チンパンズー』と、このスペシャルエディションのために製作された“続編”『王様と猫』だろう(原作は『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』)。40年ぶりに同じ役に挑むジュリー・アンドリュース、さすがにもう70歳になろうというお年では往年と同じイメージでは見られない。けれども4、50歳くらいには見えるくらいに若い。たとえ『メリー・ポピンズ』と名乗らなくても、もう歌は歌えなくなっているとしても、それでも彼女はやはりメリー・ポピンズなのである。

2003年01月26日(日) 短いほど分らない話/DVD『帰ってきたウルトラマン』4巻/『プリンセスチュチュ』2巻ほか
2002年01月26日(土) 食事中には読まないで下さい。/『ラーゼフォン』1巻(百瀬武昭)/『増量・誰も知らない名言集』(リリー・フランキー)ほか
2001年01月26日(金) 夢の通い路


2005年01月25日(火) げほぐほがほ/『第4回日本オタク大賞』後編ほか

 「めぐみ」からのメールがまた来やがったぞ。しかもまたURLを変えてだ。
 ……あのね、そんなに精子がほしいならね、ネットでエッチの相手を探さなくても、病院に相談すればいくらでも手段を教えてくれますよ(+_+)。

 体調もとに戻らず、仕事休んで病院に行く。薬もらって一日寝て過ごす。
 DVDレコーダーの修理ができたとの連絡が入ったのですぐに持ってきてもらう。一応調子はよくなったようだが、保証書をなくしていたので、ちょいと費用がかかった。悔しいがいたし方がない。
 夜、父から気分のよくない電話あり。親戚から1300万円貸してくれと頼まれたというのだ。しかもなんでそんな借金ができたのかは教えないというのだ。「そんな申し出は断って、親戚と縁を切れ」と返事する。
 箇条書き的な文章で素っ気がなくて申し訳ないが、疲れているのである。諒とせられよ。


 DVD『じゃりン子チエ』(劇場版)。
 「ジブリがいっぱいコレクション」からこれまで出るとはちょいとビックリ。高畑勲監督の隠れた名作であるが、別に公開当初は全然隠れちゃいなかった。「えっ、高畑監督、『チエ』の監督もしてたの?」と驚く若い人も多いが、単にモノシラズなだけである。でも、1981年製作ということはもう24年も前の作品である。私なんぞ、劇場公開時、いきなりゲタが『スター・ウォーズ』のスター・デストロイヤーのように飛んでくるオープニングに場内が大爆笑していたのを昨日のことのようにはっきり思い出せるというのに。昭和は遠くなりにけりというか、『チエ』の世界は81年よりもさらに10年くらいは昔の感覚だから、今の人が見てどれくらい共感できるものか。
 しかし話題作りのためとは言え、声の出演に非声優、関西喜劇人をこれだけ使ってしかもほぼ成功していると言える作品は珍しい。
  中山千夏(チエ)、西川のりお(テツ)、上方よしお(ミツル)、芦屋雁之助(社長)、三林京子(ヨシ江)、京唄子(おバァ)、鳳啓助(おジィ)、桂三枝(花井渉)、笑福亭仁鶴(花井拳骨)、島田紳助(マサル)、松本竜介(シゲオ)、オール阪神・巨人(テツの仲間)、ザ・ぼんち(カルメラ兄弟)、横山やすし(アントニオ/アントニオ・ジュニア)、西川きよし(小鉄)。……名前を並べたのを見てるだけでもクラクラしてきそうだ。この映画を見たことない人、ちょっと見たくなりませんか? 紳助・竜介のように、小学生の声をアテさせていてムリなものもあったが、総じて漫才師たちの「声の演技」がいかにハイレベルかを証明してくれたという点でも貴重なアニメなのである。……しかしもう3人も亡くなった方がいらっしゃるんだと思うとそぞろ寂しい。
 この劇場版が好評を博して、テレビ版でも中山千夏、のりお・よしおは続いて起用された。西川のりおは本職の漫才よりテツの演技で歴史に残ると言ってもいいくらい堂に入った演技である。オープニングでウグイスが「ホーホケキョ」と鳴いているのも声アテは西川のりおだけれど、これは当時の彼の持ちネタ。こういうことも今の若い人には解説しないと分かんないね。同様に分かりにくくなってるネタは、オール阪神演じるテツの友達が、テツに殴られて「キタロー!」と叫ぶシーン。これも阪神の当時の持ちネタだった「鬼太郎の親父の声マネ」なんだけど、それを知らないとてっきり田ノ中勇さんが出演していると錯覚するかもしれない。


 MONDO21で、『第4回日本オタク大賞』。
 後半の盛りあがりはやっぱり『DEVILMAN』に『ゴジラ FINAL WARS』になるか(^o^)。
 どうして『DEVILMAN』があそこまでひどい映画になったか、裏事情もいろいろ語られていたけれども、「那須博之監督は社長とゴルフ仲間で、その関係で監督に起用された」とか「もともと監督は肉体アクション映画として作る予定だったのが、東映アニメーションが『俺たちも参加させろ』と横ヤリを入れてきたので製作現場がゴタゴタした」とか、そう聞いても「それだけかよあの映画の問題は」と思ってしまう。
 こないだ、大学センター試験の国語問題が、第一学習社の教科書に載ってた大岡信の文章と全く同じだった、という事件の時にも思ったことだが、一つの作業にそれこそ数え切れないほどの人間が関係しているというのに、「誰も何とかできなかったのか」と腹立たしくなる。何ともできなかったんだろうけれども。
 はっきり言うが、センター試験だって、200人以上の人間が問題をチェックしているのである。それで「気付かなかった」なんてことがあるわきゃないんで、結局「チェックなんかしなかった」やつ、「ミスには気付いたけど、“そのことを指摘すると内部で誰かが責任を取らなきゃならなくなる”と思って見逃した」やつがいるはずなのである。外部に指摘されて問題化するよりゃいいだろう、と仰る人は、「組織」というものを知らない人だ。外部からの指摘なら、責任の所在をウヤムヤにして誰も処分されないですむ可能性の方が高いのよ(-_-;)。
 『DEVILMAN』の場合も、脚本が何人もの人間を経て改稿されまくったそうだが、それでできたのがアレなら、途中で「もうオレは知らんもんね」とみんなで投げまくったのだと判断するしかない。那須博之監督、現在どんな心境でいることか。
 『ゴジラ FINAL WARS』についてはドリー・尾崎氏の「北村龍平殺したらあ」発言で大いに溜飲が下がる。いや、実際、アレの監督が北村龍平で、余計なことさえ言わなければ誰もあの映画に腹立てやしないのだ。ゴジラファンはもう30年も昔からゴジラの「いじめる?」も「シェー」も「幸せだなあ」もその他もろもろの眼も当てられない映画を許してきたのである。それを考えれば、『FINAL WARS』は面白い部類に充分入る。けれど、あれを「ハリウッド映画に比肩する大作」なんて監督が嘯いてるから「ふざけんなボケ」ということになるのである。あまつさえ、ドリー氏の「なぜジェット・ジャガーが出ないんですか?」の質問に対して「オレの映画の世界観に合わないから」とはなんだ。ジェット・ジャガーだってメガロだってショッキラスだって大ダコだって出て全然おかしくないだろうがよ。『怪獣総進撃』のリメイクなら、ちゃんとバランもバラゴンもファイヤードラゴンも出してやれよ。つか、敵が宇宙人ならどうしてドゴラが出ないんだよ。
 間違っちゃいけないが、『FINAL WARS』は分別のあるいい大人が見る映画じゃない。『冬ソナ』見てヨン様ヨン様言ってるおばはんとか『セカチュー』→『イマアイ』→『東京タワー』と流れていってるような恋愛中毒症とは縁もゆかりもない映画である。あれを楽しめるのは、「怪獣だいすき!」な子供か、大人になっても幼児性引きずってる馬鹿なオタクだけである。「大人の鑑賞にも堪えうる」なんて口が裂けても言うつもりはない。私は「幼児性」の部分であれを大いに楽しんだのだ。だから、普通の大人にあれを勧めようとはこれっぽっちも思わない。北村龍平はもっともっと叩かれなきゃいけないと思う。自分の資質が「大人の映画」には全く向いていないことを知って、その上で堂々と「子供向け映画」を作れば、誰も文句は言わなくなると思う。
 ……おっと、やっぱりこの手のオタクネタになると、ついうっかりムダ話が増えちゃうなあ。あとは賞の結果にだけ触れとこうと思うけれども、唐沢俊一さんが個人賞で『ベルヴィル・ランデブー』を挙げておられたことには狂喜してしまったが、「一部のマニアには『これはすごい』と評判」とか「私しか賞を挙げようという人はいないだろうから」と仰っていたのにはフクザツな心境。そうなんだよなあ、本当に“一部”の人間しか評価しようとしてないんだよなあ。いくら私が「あれは面白いぞ!」と言っても、私の周りは殆ど無反応。「それ、なに?」ってなものである。オタクの浸透と拡散がいくら進んでいるとは言っても、「自分の見知っている範囲のものしか面白いと思わない」偏狭な態度はいくらなんでも悲しすぎる。もちっとみんな映画見ようよ(+_;)。
 ちなみに、『オタク大賞』では「フランス映画だけれど、製作は殆どカナダで行われた」とコメントされてましたが、正確にはオーストラリアです。シルヴァン・ショメ監督本人が広島アニメフェスティバルでそう言ってたので。
 大賞の「擬人化ブーム」については、かなり昔からありはしたけれども、昨年はそれが一般化した、ということ。鶴岡法斎氏が「“鉄道”“擬人化”でググってみてくださいよ、すごいものが見られますから!」と仰っていたが、確かに(^_^;)。
 ……このあたりはまだおとなしい方かな。→ http://rail-g.net/rail-g/rail-g.html
 「びんちょうタン」をその代表に、と言われると「ええっ、そんなのが?」と首を傾げる人もいるだろうが、「ほかに大賞を挙げるものが見当たらないから」という消極的受賞だし、本当にオタクの浸透と拡散は激しいから、もうこれからは万人が納得する大賞というのはまず生まれないだろうと思われる。私にしてみれば、マンガだろうがアニメ、特撮、ゲーム、なんであろうと、そこに“SF(スコシ・フシギくらいの意味に捉えてください)”的要素が感じられないと面白くは感じないので(つか、昔のオタクはみんなそうだった)、もう「萌え」系の作品には付いていけない(と言いつつ『まほらば』見てるけど)。
 『アニメージュ』と『宇宙船』の2誌を読んでる若い人だって、今は絶滅してしまってんだろうなあ(T∇T)。
 

『DEVILMAN』については、今週の『週刊文春』で、最低映画ワースト10「文春ラズベリー賞」の堂々1位を獲得している。まあ、全てのサイテー賞で1位は当然だろうけれど。

 1 デビルマン(那須博之監督)
 2 CASSHERN(紀里谷和明監督)
 3 海猫(森田芳光監督)
 4 ハウルの動く城(宮崎駿監督)
 5 ヴィレッジ(M・ナイト・シャマラン監督)
 6 ゴジラ FINAL WARS(北村龍平監督)
 7 サンダーバード(ジョナサン・フレークス監督)
 8 2046(ウォン・カーウァイ監督)
   キューティーハニー(庵野秀明監督)
   リディック(デヴィッド・トゥーヒー監督)

 1位を除くと、映画そのものよりも、監督に対する反感のほうが強いようにも思うが(例えば『ハウル』を貶したくなる気持ちは分かるが、かと言って、「ワースト」に入れてよいかどうかということになると逆に躊躇してしまう。部分的には「世界最高の技術」と絶賛すべきところは多々あるからだ)、世間の反応はこんなものなのだろう。こういう読者投票もあまりアテになるものではなくて、そもそも国民が平均して一年に一本も映画を見ない状況では、『ハウル』しか見てなくてそれをワーストに投票した、ということも充分ありえるのである。だからたいして客が入ったわけでもないのにワーストに名を連ねている『キューティハニー』がいかに世間から嫌われていたかが分かるのだが、オタク間での映画の評価は必ずしも悪くなかったってのになあ(T∇T)。

2003年01月25日(土) 海馬って記憶中枢のことだよ/DVD『ガリバーの宇宙旅行』/『わんわん忠臣蔵』/『あずまんが大王』三年生(完結)ほか
2002年01月25日(金) 遊び倒す病人夫婦。バカである。/映画『修羅雪姫』
2001年01月25日(木) 思い出したが私は電話恐怖症だった/映画『アヴァロン』ほか


2005年01月24日(月) ぐほげほがほ/『第4回日本オタク大賞』前編

 故障中のDVDレコーダー、連絡があるにはあったんだけれど、「27日になります」とのこと。「一週間で」ってのウソじゃん! この間、録画し損なう番組がどれだけあるか。おかげで「あとで見りゃいいや」って番組が減って、毎日テレビの前に張りつきになっちゃってるんで、体力も消耗気味なのである。……なら見るなよ、オレ。

 昨日から風邪気味だったんだけど、今日は鼻水と咳が止まらなくなる。それでも週明けなのでいきなり休むとまた巨大な迷惑をあつちこっちにかけてしまいかねないので、頑張って出勤。けど、仕事が終わった時点でヘタレた。今もこの日記書きながら、がほげほぐほ、と咳してゲロ戻しているのである。そういうわけで、今日も読んだ本や映画のかなりを省略。話題がどんどん少なくなるなあ。


 MONDO21で『第4回日本オタク大賞』前編。
 現在のようにオタクの浸透と拡散が続いている状況の中で、たとえ“面白半分”であろうとも「オタク大賞」を選ぶというのはかなり至難のワザであろうと思う。何が選ばれても、「なんでそんなのが?」と疑義を呈する人間は(しかもヒステリックに)いくらでも現れるだろうと思われるからだ。
 実際、岡田斗司夫さん、唐沢俊一さん、氷川竜介さんほか、審査員の方々をして「あいつらオタクのメインストリートなんか歩いてないじゃないか」とか「まだまだ薄い」「ダメダメ」とこき下ろし、非難しているWEBサイトも散見している。けれども、「じゃあ、何がオタクのメインストリートで、何をどこまで知っていれば『こいつは濃い』と評価されるのか」と聞き返せば、それに答えられる人間など、誰もいないに違いない。出演者の方々は口々に「20年以上前からオタクを世間に認知させようとしてきたが、いざ認知されてよかったかと言うと、『悪いことをしている』快感がなくなった」「オタクの敷居を高くして、誰も入って来れないようにしたい」「オレたちはドブネズミでいいんだ」「『げんしけん』みたいなのがオタクだっていう見方もあるしね」などと喋っているのは、オタクとしての立ち位置がみなさん揃って「微妙」になってしまっているからである。「オタクの定義とは?」ってなヌルいことやらなくて、もう定義も呼称もどうでもいいじゃないの、という気すらしてくる。
 いちいちこの番組についてコメントしてたらキリがないから、いくつかピックアップするだけにしとくけれど、今回初めて聞いて驚いたのは、岡田斗司夫さんの「『DEATH NOTE(デスノート)』の原作者の“大場つぐみ”って、ガモウひろしだよ」発言。岡田さんは何しろ根っからの大坂人だから、人を喜ばせるためならホントもウソも無関係ってなところがあって、情報のかなりを割り引いて聞かなきゃならない部分はあるのだけれど、こうしてデンパに乗せたってことは、「もうバラシちゃっていいよな」ってなホントにホントの事実なのかもしれない。周りのみなさんも「それはただのウワサ」と否定はしなかったし。イメージとしては『とっても!ラッキーマン』と『デスノート』とではギャップがありすぎてちょっと信じがたくはあるのだが、みなさんの話によれば、“大場つぐみ”という名前は、ジャンプのアンケート競争で巻末ボロページに回されるマンガを編集部が“大×組(おお×ぐみ)”と呼んでいたところからつけたのだとか(こちらは「確証がない」とコメントが付いたが)。ガモウさんが「どうせこんな連載すぐ打ち切られるだろう」と斜に構えて付けたペンネームだとしたら、なるほど、いかにもそれらしくはある。
 まあ「現れる秘密は必ず現れる」のが自然の流れだから、いつかは分からないけれど、待ってりゃそのうち真相は公式に発表されるでしょ。私としては特に『ラッキーマン』と『デスノート』を見比べてそこに何かの共通点があるのではないかなんてしちめんどくさい分析をするつもりはない。つか、誰も要請しないように(^_^;)。
 オタク大賞の収録自体は1月8日なので、ネット上ではもう殆ど確定的な事実のように語られているけれど、こういうムーブメントを起こして早く集英社に真相をゲロさせようって算段なのかな、岡田さんは。。
 あと、「びんちょうタン」(参照→http://k-tai3.com/file/bincho2.jpg)の元ネタである「備長炭」はみんな「びんちょうたん」と読んでるけれど(ヘタすりゃ売ってる店がそう読んでる)、それは誤りで「びんちょうずみ」が正解だからね。けれど、oogle検索すると「びんちょうずみ」の千倍も「びんちょうたん」が多いのな。漢字変換も「びんちょうたん」と打ちこまないとできないし。ここまで誤読が多いと、いずれ「びんちょうたん」も正式の読みとして公式に認めざるを得ない日も近いとは思うけれど、学校のテストとかではまだペケ扱いなので、気を付けようね。


 来月2月26日に放送予定のテレビ朝日の『土曜ワイド劇場』、『明智小五郎vs金田一耕助』になることが正式に発表。これ、同タイトルの芦辺拓の小説とは何の関係もない完全オリジナルなんだそうな。一応、芦辺さんにタイトル借用の義理立てしなくていいのかなあ……って言う前に、乱歩と正史のご遺族に了解は取ったんだろうか。そんなの常識だろう、と言われそうだけれど、『金田一少年の事件簿』のように「無断」ってこともあるからねえ。
 役者がまた、明智小五郎が松岡昌宏で、金田一耕助が長瀬智也という、これもまた期待していいんだか悪いんだか分からない布陣。まあ、お二人のファンの方は嬉しいんだろうけれど、ドラマとして面白くなるかどうかは期待薄かなあ。


 なんか立て続けに同内容のスパムメールが来てるんだけど、よく見ると文面は同じなのに、アドレスや呼びこもうとしてるURLは違っているのである。以下の二つを比較して見て頂きたい。

[A]
〉めぐみ
〉お願い。。。
〉Sun 01/23/2005 18:06:21 JST
〉真剣なお願いがあります。貴方の精子をください!子供が出来なくて困ってます。
〉絶対迷惑はかけませんので中出ししてください。一回10万円で、
〉妊娠できたら50万円お礼として払います。詳しくはすぐに連絡先を教えます。
〉出来れば本日中に返事をください。
〉いちよプロフィールも載せておきますね。
〉29歳、157cm-45kg、スリーサイズ《88・60・87》写メ有ります。
〉引き受けて頂けるならここに登録してもらえますか?
〉掲示板で待ってます。名前はめぐみです。
〉http://pink.jp.*******/secret.php?pr=777888
〉お互いの事は知らない方が後々いいと思うし、
〉妊娠した後は連絡を取り合いたくないので
〉ここを利用する事にしました。


[B]
〉めぐみ lovely_********@alpha-net.ne.jp
〉真剣なお願い
〉Mon 01/24/2005 02:24:15 JST

〉真剣なお願いがあります。貴方の精子をください!子供が出来なくて困ってます。
〉絶対迷惑はかけませんので中出ししてください。一回10万円で、
〉妊娠できたら50万円お礼として払います。詳しくはすぐに連絡先を教えます。
〉出来れば本日中に返事をください。
〉いちよプロフィールも載せておきますね。
〉29歳、157cm-45kg、スリーサイズ《88・60・87》写メ有ります。
〉引き受けて頂けるならここに登録してもらえますか?
〉掲示板で待ってます。名前はめぐみです。
〉http://pink.jp.*******/secret.php?pr=klklkl
〉お互いの事は知らない方が後々いいと思うし、
〉妊娠した後は連絡を取り合いたくないので
〉ここを利用する事にしました。

 タイトル、ただの「お願い」だったのが「真剣なお願い」に変わったのがミソか(何がミソなんだよ)。
 これはつまり、あちこちの「その手のサイト」が同時に、どこぞの「メール作製業者」に文面を依頼したら、その業者が手を抜いて「同じ文面」をそれぞれのサイトに教えたってことなんだろうな。サイトの連中も詐欺師だが、メール作製業者もとんだ悪党である。さてさて、こういう猿どもに騙される連中ってのは、どれだけ猿度が高いんだろうね。
 え? この「めぐみさん」が本当に精子を望んでいて、あちこちのサイトに登録してる可能性はって? あるか、ぼけえ(~_~;)。
 このメール、しげのパソコンにも届いてたんだけど、「……答えられーん!」と絶叫してたぞ(^o^)。

2003年01月24日(金) そのうち隔離されるかな/アニメ『ユキの太陽』(宮崎駿)/『カルト王』(唐沢俊一)
2002年01月24日(木) オタクのハマリ道/アニメ『七人のナナ』第3話/『山本弘のハマリもの』(山本弘)ほか
2001年01月24日(水) せがた三四郎、落つ。/映画『疾風! 鞍馬天狗』


2005年01月23日(日) 時事ネタまでは手が回りません/映画『レイクサイドマーダーケース』ほか

 DVDを食ったまま修理に出したDVDレコーダー、昨日帰ってくるはずが音沙汰なし。
 どうなってるんだとサービスセンターに連絡してみたけれど、「よく分かりません」という返事。「分かんない」って、あーたねえ。修理に時間がかかってるなら、連絡の一本くらい入れてくれてもよかろうに、と愚痴ったら、電話口に出たねーちゃんも平謝りに謝る。イジメが目的じゃないからこちらも明日は必ず連絡入れて下さいよ、と頼んで電話を置いたけれど、言っちゃなんだがソ○ーの修理屋、以前もそうだったけれどアフターケアが今イチ杜撰なんだよなあ。ウチはしげが○ニー信者なのでほかんとこに頼むわけにはいかないのである。今やいい加減な仕事してるとネットですぐ叩かれる時代になっちゃったんだから、基本的な仕事はちゃんとしてもらいたいものである。


 今日も朝からテレビと映画と本三昧だったけれど、とても全部は書ききれないので一部だけ御紹介。
 ニュースの類の感想はもう全てカットせざるをえないけれど、悪しからず。最近は「暗いニュースリンク」とかも見てて、面白がってるんだけどね。
 http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/
 アメリカ合衆国の新国務長官となるコンドリーザ・ライスは「津波災害は米国にとって素晴らしい機会」とかほざいてるらしいぞ。

 『仮面ライダー剣』、一応飛び飛びでは見ていて今日の最終回も見はしたんだけれど、やっぱりよく分からない部分も多いのでコメントは避ける。来週からの『響鬼』は予告編だけ見るとなんかギャグっぽかったけど、ライダーでギャグ飛ばしてもズレちゃってファンから白けられるってのは、これまでのシリーズで経験済みだと思ってたんだけどねえ。


 DVD『下妻物語』を今日はコメンタリー付きで再見。
 監督、深田恭子、土屋アンナのお三方だが、素の喋りだと深田恭子と土屋アンナの喋り方がよく似ていて、気を付けないと間違えてしまう。つまりは二人とも“普通の女の子”なので、映画はやっぱり演技なのである。当たり前だが。土屋アンナが「これ見たら、みんなアンナのこと元ヤンだって思うよねー」と自分でシミジミとしていたのがおかしかった。樹木希林さんのことを「カッコつけてる女の人は多いけど、本当にカッコイイ人」と言ってた点も好感度高し。いい子だぞアンナちゃん……って、もうハタチにして一児のママなんだねえ。これもコメンタリー聞いて知った驚きの真実。
 CGっぽいところが意外に生撮り、ということも分かって、これもビックリ。地上15メートルくらいのところに女の子が吊るされるシーンがあるが、あれ、合成じゃなくてほんとに吊るしてたんである。女の子は怖がりもしないで喜んでたというのだからなかなか根性座っている。次の映画出演があるならこの子もチェックしておきたいのだが、いかんせん、名前が分からないのであった(^_^;)。


 夜になって、キャナルシティまでお出かけ。だもんで今週は『義経』を見逃したけれど、まあ、土曜日の再放送で見られるしな。いや、期待はもうあまりしてないんで、見るかどうかはわからんけど。
 AMCで映画『レイクサイドマーダーケース』。
 ミステリ映画を作ることはつくづく難しいと思う。それが「本格ミステリ」の場合は特に。犯人の心理とか、トリックの整合性とか、観客へのフェアプレイ精神とか、それらのバランスを取ってなおかつ傑作に仕上げることなど、殆ど不可能に近いんじゃないかと思うくらいである。けれど本作はそれに果敢にも挑戦し、ある程度は成功している。ミステリ慣れしてる人なら開巻5分、あるヒントとなる映像から「真犯人はコイツなんだろうな」と“殺人事件が起きる前に”分かってしまうと思うが、多分一般の観客の1/3くらいはその映像がさりげないために、ついうっかりと見逃してしまうと思われるからだ。
 少なくとも今日、見に来ていた観客はかなりみんな騙されてたみたいで、見終わったあとなんか悪態ついてた人もいました(^_^;)。ミステリファンにとってはワザとらしいくらいなんですけどね。
 もちろん上質のミステリの条件とは、たとえ犯人が分かっていても二度、三度と見返すことができなければならないことで、なぜコイツがこのときこういう態度を取ったのか、なるほどこういうことだったのかと頷きながら見ることができなければならないのである。その点でも、本作は役者陣の演技力が実に発揮されていて見応えのある出来映えである。役所広司、薬師丸ひろ子、柄本明、黒田福美、真野裕子、鶴見慎吾、杉田かおる、豊川悦司、みなさん実にスキがない。失礼ながらこの中には役者としてどうかなあと思ってた方もいらっしゃるのだが、なんとまあこんなに上手い役者さんだったとは! と今回は目からウロコである。えーっと、これもトリックに関わることなので誰がどうだとは言いませんが、ぜひその方の細かい表情まで堪能していただきたいのである。
 そういったディテールに凝っている映画の場合は、一回見ただけでは、あの映像この映像、役者の演技にどういう意味があったのか、などということがすぐには分からないので、特にトリックにみごとに騙されて真犯人が見抜けなかった観客の方は二度見ることをオススメしたい。これくらいはヒントとして言っとくけど、さっきも書いた通り、“事件が起きる前に”既にヒントとなる映像は「仕掛けられている」のである。
 ……二度見てもよく分からなかった方は、そうですねえ、多分あまりミステリ慣れしていらっしゃらないんでしょうから、“かなりミステリ好きな方”と一緒に見に行って、説明してもらって下さい。
 例えば、今日劇場でも、見終わったあと「証拠になる吸殻を片付けたのは誰だったんだ?」とか首を捻ってた人がいたけれど、そんなの「真犯人」に決まってるんで(^_^;)。ちゃんとヒントになるセリフがある人物から語られているのに、そのことに気づいてないのだが、ミステリファンでない人というのはこの程度なんだろうなと思う(何度も言ってるが、これは「慣れ」の問題なので、犯人に気付かなかった人をバカにしているわけではない)。結末も映画は“暗示”で終わっているけれど、当然、このあとの展開はこうしてこうなって、というのは全て読めるのである。
 全体としては実によくできていて、100点満点中、70点くらいは差し上げたい。もっとも、いささか饒舌な部分もあってそこがやや気に入らないのだが、具体的にどこがどう悪いのか、それを語るには真犯人が誰だかバラサなきゃいけないので、これも残念ながら具体的には書けないのである。ミステリは作る方も大変だろうが、感想を書くのも難しい。映画を見た人、こっそりメールで感想言いあいましょうよ(^_^;)。

2003年01月23日(木) アニメの実写企画って……/『ロケットマン』4巻(加藤元浩)/『はじめてわかる国語』(清水義範)ほか
2002年01月23日(水) 風邪まで引いちゃったよ、どうすりゃいいんだ/『西洋骨董洋菓子店』1〜3巻(よしながふみ)ほか
2001年01月23日(火) ハードな日/『時の果てのフェブラリー』(山本弘)


2005年01月22日(土) だから日記書いてる時間なんてないんだってば/DVD『下妻物語 スペシャル・エディション』ほか

 休日なので、DVDで映画見たり本読んだり。
 全部はとても書ききれないけど、一応一部だけ。

 DVD『下妻物語 スペシャル・エディション』。
 昨年、「見ときゃよかったかなあ」と心残りであった映画の一本だけれど、結局買ってみることに。しかも売れ残りの初回限定版買っちまったぜ。これでクソつまんなかったら6000円ドブに捨てたも同じだよなあと思っていたら、これがまあ実に堂々としたコメディの快作で、あっちこっちのベストテンで好評を得たのも充分頷けるのである。いやねえ、オタクとしてはねえ、劇中に挿入されるスタジオ4℃制作のアニメーション見るためだけでも見とかなきゃならなかったんだねえ。ああ、去年のうちに見ていれば、絶対キネ旬ベストテンの読者投票に入れていたのに!(+_;)
 ドラマは細部に至るまで目が行き届いていて、海外からのオファーも多いということだれど、これならかなりな評判を呼ぶんじゃないかと期待したくなる。「JUSCO」ネタがアチラの人たちに通じるかどうかは知らないけど(^_^;)。
 「下妻のジャスコはスーパーなんてもんじゃねーの。なんだってある。何もかも揃ってる。東京のパルコ以上だ!」……外人さん、信じたりしてな(^o^)。

 ロリータ街道まっしぐらの竜ケ崎桃子(深田恭子)は、新しい服を買う資金を調達するために、テキ屋の親父がでっちあげたバッタモンのベルサ○チ製品をネットで売りさばく。それを買いに現れたのがレディースの白百合イチゴ(土屋アンナ)。気が合ったのか合わないのか、なぜかつるむようになった二人だが、イチゴが「伝説の刺繍屋エンマを探しに代官山に行きたい」と言い出したときから、運命の糸車はカラカラと回り始めたのであった。

 ……ってそんなたいそうな話じゃないけど、他愛無い話をどれだけオモシロクできるか、コメディの成否はそこにかかっている。ファーストシーンをいきなり「終わり」で始めるセンスから、ウンコだのゲロだの屁だのの下品ギャグをカット割りのテンポのよさで全然下品に見せない編集の手腕まで、この映画はコメディ史上「画期的」と言ってもいいくらい、「手抜き」の部分が見当たらないのだ(ズッカー映画や『オースティン・パワーズ』の下品ギャグが笑えないのはテンポが悪いから)。いやあ、誉め出したらキリがなさそうだからやめとくけど、笑ったあとでジンと来て、その「ジン」の部分もしつこくなくて適度なのがいい。素材はダサいけど作りは粋。全体を通して言えるのはそういうことだ。
 「素材」と言えば主演の深田恭子だけれど、日韓合作ドラマ『フレンズ』やら映画『陰陽師�供戮里海蹐脇鷭泥▲瓦睫槊�つ激太りで、ちょっとアレはないだろうって感じでなんかパッとしなかった。それが、この映画でのフカキョンはまさに「フカキョン」、充分魅力的なのだ。ある程度はダイエットしたんだろうけれど、見てくれはいかにもロリータフリフリのブリッコで、“お人形さん”っぽくて、これならなかなかかわいい。滑舌も今回は悪くない。まさに“素材”を活かした設定、と言えるだろうが、その根っこにある性格が実は「兵庫県尼崎出身」のヤンキーってのが、ラストの大爆発に至る伏線として生きてるんである。……そうかそうか、関西人は老若男女、全てヤンキーなんだ。さすが犯罪発生率日本一、関西には一生涯住みたくはないものである(あと、尾崎豊のファンにだけは絶対なりたくないな)。同時にフカキョンに『富豪刑事』みたいなお嬢様役はムリなんだってことも分かるね。
 第26回ヨコハマ映画祭では、作品賞・監督賞・主演女優賞(深田恭子)・助演女優賞(樹木希林)・最優秀新人賞(土屋アンナ)と、殆どの賞を総ナメ。主演はもちろん、助演の樹木希林にちゃんと注目してくれてるのが嬉しいね。いやあ、樹木さんの無意味なアイパッチが最高! 去年は樹木さん、『半落ち』やら『IZO』やら、映画の出来はともかく、いい演技ばかり披露してたんだなあ。不世出の役者さんなんだから、ガンにも負けず、今後もたくさん映画に出てほしい。あとの助演陣は殆どチョイ役出演だけれど、阿部サダヲ、生瀬勝久、本田博太郎、荒川良々、みんな印象に残るギャグシーンを演じてくれている。「最近、笑ってない人に」って惹句も伊達ではないのだ。ああ、ホント、劇場で観客の反応見ながら見たかったぞ! ……今度加藤くんに映画館の様子がどうだったか聞いてみようかな。
 あと、特典映像の『一角獣発恋ものがたり』もファンには必見ですよ。


 マンガ、あだち充『KATSU!』15巻。
 『H2』ドラマ化、『タッチ』映画化と、ちょっとした“あだち充”ブームだけれど、まさに今現在連載中の『KATSU!』にはアニメ化の話とかも全然来てないのかな。15巻になっても話があまり進んでないから、というのはあまり理由にならない。『H2』だって『タッチ』だって、原作連載中にアニメ化されてるし。野球もの以外のあだちマンガが殆ど映像化されてないことを考えると、あだち充ファンって本当はたいしていないのかとなんだか寂しい気分になる。『虹色とうがらし』なんかもっと人気出てもよかったと思うんだけどね。あだちさん自身にもそういう思いがあるのか、『KATSU』のマンガの中に何度も『虹色とうがらし』のコミックスの宣伝が入ってるのがなんと言うか、もの寂しいと言うか。でも『KATSU』がアニメにならない一番の理由は、話が今一つ盛りあがってないからだろうねえ。ライバルがライバルとして機能しないでコロコロ変わるし。紀本なんか、いつの間にかイロモノになり下がってるもんなあ。今巻では活樹をなんとしても自分の翔拳ジムに入れたい南条理子の権謀術数が炸裂して、一見、活樹と香月の仲を脅かすように見えはするんだけれど、この理子のキャラが今一つ弱くて、紀本同様、数巻でリタイアしちゃうんじゃないかって気配が濃厚。あだちさんのストイックさはキャラ全般に渡って影響を及ぼしているので、どうしてもドロドロな人間関係にはならないのである。だから本当は長編よりも短編の方があだちさんの資質としては合ってると思うのである。

 イダタツヒコ『美女で野獣』6巻。
 女子高生による地下キャットファイトマンガ、定期的に新キャラ導入しながら6巻まで来ましたねえ。強いキャラが出れば出る分、主役のアカネがどんどん弱っちくなっちゃってるのはいささか問題としても、ストーリーはどんどん面白くなってきてはいるから、10巻くらいは続いてほしいものだ。つかさー、前巻あたりから鬼首流と八津墓流の争いに加えて、鬼首流自体も分裂抗争し始めてどんどん話が広がって来てるんだれど、これで収集が付くんかいなとちょっと心配。お気楽格闘マンガのままでもよかったと思うんだけどねえ。いや、お気楽な部分はちゃんと残っていくだろうけれど。
 新キャラの美音、いきなりアカネの脱糞(^_^;)写真を撮っちゃうあたり、かなりイカレたキャラっぽいけど、まさかホントにスカトロマニア? いや、リリカはバイだし、アイリーンはどうやら記憶喪失してる間に別のものも喪失してるみたいだし、ギャグマンガのくせに設定自体はやたらハードなんだけどね。でも、これだけイカレたキャラが続出していると、その程度の設定ではキャラの山の中に埋没しちゃうんでもう一つ二つは裏設定がほしいところなんである。アニメ化する際にはキャラが多い方が便利だろうけれどね(ならねーって)。

2003年01月22日(水) 役者が名前を出すということ/DVD『You Are The Top 〜今宵の君〜』/『一番湯のカナタ』3巻(完結/椎名高志)ほか
2002年01月22日(火) 探偵小説の終焉/渡辺啓助『亡霊の情熱』/『サトラレ』1巻(佐藤マコト)
2001年01月22日(月) 月曜の朝は仕事に行きたくないのよ/『キノの旅3』(時雨沢恵一)


2005年01月21日(金) やっと週末/映画『ネバーランド』ほか

 残業で退社が七時半。
 しげと合流して、ダイヤモンドシティへ映画を見に行く。今年もようやく映画鑑賞が軌道に乗り出したな。
 晩飯は寿司屋で一緒にしたが、そのあとの買い物は別行動。私はいつもの通り「フタバ図書」でマンガの買いこみ。
 しげはキャナルでもダイヤモンドシティでも「チャイハネ」に入り浸っていて、こないだからアクセサリーや服などがどんどん増えている。どうも何かに「目覚め」ちゃったみたいなのだが、いったいどこへ突っ走っていくのか、若干心配ではある。まあ、似合わないブランドものにハマるよりはマシだが。


 映画『ネバーランド』。
 『ピーター・パン』シリーズの作者、ジェームズ・マシュー・バリ。彼が戯曲『ピーター・パン』を生み出すきっかけになったデイヴィズ家との関わりを描いたもので、いわゆる「バックステージもの」ってことになるわけだが、史実に取材してはいても、物語自体はかなり脚色されているらしい。例えば、映画ではバリの戯曲は『ピーター・パン』以外は当たらなかったように描かれているが、そんなことはなくて、『小牧師』『屋敷町通り』『天晴れクライトン』など、どれも大ヒットを飛ばしている。
 原作はアラン・ニー作の戯曲『THE MAN WHO WAS PETER PAN(ピーター・パンだった男)』。残念ながら邦訳されていないので未読。だもんで、映画と内容にどのような違いがあるかは分からない。けれど、バリの人生全てを描くのではなく、あくまでデイヴィズ家との関わりを持った一時期にのみ物語を絞って人物、場所が整理されている点など、いかにも元は戯曲っぽいな、という気はする。けれど、現実と空想が錯綜するシーンなどはもちろん映画でしかできないことで、単なる舞台の引き移しになっていないことは確かである。似たような演出は同じく舞台の映画化である『笑の大学』でも見られたが、『ネバーランド』の方がはるかに洗練されている。彼我の差はやはり監督の才能の違いなんだろう。
 ピータ・パンとウェンディの関係や、ネバーランドについての解釈も、ディズニーアニメのように飛んだり撥ねたりするだけの、ファンタジーの表面的な楽しさだけを追及したものではなく、バリの事故死した兄がいる場所、そしてシルヴィア・デイヴィス夫人が旅だって行く先、すなわち「死後の世界」であることを明確に打ち出している。ピーター・パンが大人になれないのは死んでいるからだ。必然的に生きているウェンディは、ピーターを置いて先に大人になっていく。しかし、現実ではそれが反転し、全く逆の現象が起きている。バリは兄にもシルヴィアにも置いてきぼりを食らわされて、この世に取り残されてしまっているのだ。
 バリ(ジョニー・デップ)が、シルヴィアの母(ジュリー・クリスティ!)に向かって「彼女がいなくなってしまうなんて……」と言って俯いたその表情に、萩尾望都『ポーの一族』のラストでオズワルドが「みんな、みんな、私を置いていった!」と叫んでいたシーンがオーバーラップした。“残されたものの悲しみ”を乗り越えるところから人生は始まる。その悲しみからいつまでも癒されることのなかったバリは、だからこそ「永遠に大人になれないピーター・パン」だったのだ。
 まとまりのいい映画ではあるが、見終わって切ないというよりはやり切れない印象、後味の悪さのようなものも感じてしまうのは、「本を開けば、そこに母さんがいる」とピーターに語るバリの姿を見ても、彼が本心からそれを言っていないことが伝わるからだ。バリとピーターがベンチで寄り添う姿、それもつかの間の幻想に過ぎない。そして、映画を見終わって、観客である我々も、彼等に置いてきぼりを食わされてしまっていることに気付くからなのだ。
 ……で、イアン・ハートが演じるコナン・ドイルがどこかに出てたそうだけれど、いったいどこに?(バリとドイルは協力して合作劇『ジェイン・アニイ』を書いた仲である)


 松井今朝子『大江戸亀奉行日記』。
上野不忍池に昔から住んでいたイシガメたちと、上方から侵攻してきたクサガメに、アメリカ産のミドリガメとが三つ巴の大戦争、と、設定だけを聞くと『ウォーターシップダウンのうさぎたち』か『ひげよ、さらば』か、どっちにしろ動物に譬えた壮大なロマンをイメージしてしまう。けれど、何しろ大活字でやたらイラストが入るものだから、中身は実に薄い。30分かからずに読めてしまうって、絵本じゃないんだから(-_-;)。
 好戦的な石亀慎太郎とかフェミニストの亀野千鶴子とか出してこれでユーモアだ諷刺だとかいうのもどうだかなあ。もともと作者にそんなたいそうな小説を書く意図自体がなかったんだろうけど、それにしてたってみんなが戦争に倦み疲れたところで亀奉行が一喝したらそれで再び平和に、というのはなんだか映画『ハウルの動く城』みたいで、いくらなんでも終わらせ方が安易過ぎないか。イラストがカワイイと言えばカワイイかってのがせいぜいの見所ですかね。

2003年01月21日(火) 「アニメ」ってだけで通じるアメリカ人、どれだけいるんだ/『モーツァルトは子守唄を歌わない』4巻(完結/森雅裕・有栖川るい)ほか
2002年01月21日(月) 妻の寝相と丈夫な膀胱/『夜と星の向こう』(今市子)ほか
2001年01月21日(日) 日曜の夜は出たくないのに/『トガリ』(夏目義徳)1巻ほか


2005年01月20日(木) 類友な話/ドラマ『富豪刑事』第二回ほか

 職場の同僚で、映画好きの方がいらっしゃるのだが、昨日『カンフーハッスル』を見に行ったのは、この方から「もう笑えて泣けてサイコーですよ!」と勧められていたこともあったのである。でも私が実際に見た感想は「そこそこ」。映画を見た以上は、この方に感想を「報告」するのは義務であろう。けれども、そこで迷ってしまったのは、「いや、それなりでしたよ?」ということを、正直に言うべきかどうかということだった。
 別段、淀川長治を気取っているわけではないが、私は「どんな映画にも誉めるところはある」と思っているので、よっぽどクソつまらない限りはたいていの映画は面白く見られる。『カンフーハッスル』だって、キラ星のごとく輝いているシーンは随所にある。凡百のクソ映画群に比べれば充分「面白かった」と言えるのだ。ただやっぱり全体の作りが雑な点は否めず、シーンとシーンの繋がりがドラマチックな高揚感を味わわせてくれるまでには至っていない。「すっげえ面白かったぜ!」ってのと「まあ、いいんじゃない?」ってのとは、どちらも「面白い」の部類に入りはしても、映画の出来という点ではレベルが全然違うのである。基本的には「つまんない」と思ったものを、「面白い」だなんて、私には口が裂けても言えないことである。
 というわけで融通がきかねえなあと自分でも思いはするのだけれど、正直に「まあまあでしたね」と伝えてみた。もちろん、誉めるところもあるが、ここがこう欠点だと思う、と具体的に指摘したのである。てっきりガックリされはしないかと心配していたのだがさにあらず。その方、「なるほど、わかりますよ」と頷いてくださった。偏狭、尊大、狷介で底の浅い人間にはイヤというほど出会ってきているので、もしそうだったらどうしよう、とビクついていたのは全くの杞憂であったのだ。
 映画の批評が人によって千差万別であるのは、すべての人間に個別の「文化」があるからである。すなわち、自分がどういう立場で、かつどういう視点で映画を見るかということは、その人が生まれ育った風土や習俗、知識や経験、社会的な立場などによって左右されざるを得ない、ということである。ゆえに、厳密に言うなら、人と人とが「感想を完全に共有する」ことは不可能だ。だからこそ、他人の意見が自分のそれと違っていても楽しめるのであるし、また「一人一人の違い」をこそ楽しまねばならないし、自分の好きな作品が貶されたからと言って憤慨激昂するというのは、他人とのコミュニケーションを根本的に否定しているのと何ら変わりがないのである。「角を立てない」ことを人間関係の美徳のように称揚してきたのは「和を以て尊しとなす」の完璧な誤解で、現実にはお互いの内心の憎悪を増大させる効果しかない。人生には、最終的には相手を傷つけ自分も傷つく覚悟の上で「腹を割って」話すしかない場合のほうが圧倒的に多い。たかが映画の感想の話で何を大袈裟な、と言われるかも知れないが、そのたかが映画の話程度のことでキレる単細胞なのかどうか、ということもこちらが正直に話してみないと分からないことなんでね。
 ただまあ、気をよくした下さったのはいいけれど、これから先、その方が映画を見るたびに私に感想を求めて来はしないかなあとちょっと心配になる。私だって全ての映画を網羅して見ているわけではないのだ。……と思っていたら、帰宅して夜、その方からいきなり電話があった。「藤原さん、チャウ・シンチーの『北京より愛をこめて』という映画が深夜テレビであるんですが、これ、面白いですか?」。……だから見たことありませんてば(^_^;)。
 しげから、「アンタってヘンな人ばかり知り合いが増えるね」と言われてしまったが、その筆頭はおまえだ。

 夜、しげのところによしひと嬢から連絡がある。
 実は何ヶ月か前、長らくの苛酷な労働条件と胡散臭い体質に堪えかねて会社に辞表を叩きつけていた彼女であったのだが、このたびメデタク別の会社に再就職が決まったそうだ。今時の不況を思えば転職の決断はなかなか勇気が必要だったろう。よくぞ思い切ったものだと感心したが、その時の態度が「すぱーん」としていて、実に威勢よくって、清々しかったのである。結果的に吉と出たからよかったという見方もできようが、やはり、「女は度胸」だよなあと思う。
 でも、次の職場もまた「すぱーん」と辞めるようにならないように頑張ってね。
 

 山田真哉『女子大生会計士の事件簿』。
 そんなに面白くなかったので、感想は簡単に。美人会計士が仕事上で遭遇する事件を解くって短編集だけど、会計士の仕事内容をビジネスマンに知ってもらおうというコンセプトなので、小説としての深みはゼロ。
 でもそれは作者自身断わっていることなので、「文芸書」として売ろうとしてる角川が悪いやな。単行本のときにはちゃんと「ビジネス書」のコーナーに置いてあったというしね。マンガにもなってるそうだけど、やっぱり「学習マンガ」になってるのかなあ。

 木曜ドラマ『富豪刑事』第二回「美術館の富豪刑事」。
 今回は原作にないオリジナルかな。前回も原作アリにもかかわらず、かなりひどいアレンジだったが、オリジナルとなるともう眼も当てられないくらいの讃嘆たる出来。
 見てる最中から「なんだこれは」とアタマを抱えたくなるくらいにショボかったので、どこのどぐされ野郎が書いた脚本だと思ったら、『トリック』の蒔田光治だった。よりによってなんてやつに書かせるか……と思ったら、プロデューサーも蒔田さんなんだな。笑うっきゃねえな。一応、原作が好きで企画を立てて、筒井さんに頭を下げてドラマ化を了解させて、ウキウキして自分でも脚本を書いて、という経緯なんだろうけれど、こういうのを典型的な「身のほど知らず」と言うのだよ。
 もうこんなヘタレ脚本ならストーリーもトリックも犯人もバラシたいくらいなのだが、一応ルールは守って書かない。でもドラマ見なくてもゲストの配役表見れば、誰が真犯人なのか、誰でも分かるよな。さて、次のうち誰でしょう?
 三井隆信(七瀬美術館の館長)……岡田眞澄
 大槻厚夫(七瀬美術館の職員)……伊藤正之
 今村信一(七瀬美術館の職員)……蒲生純一
 関口久志(七瀬美術館の職員)……松澤一之
 ……だからよう、これだけは言わせてもらうけどよう、“ドラマの初め5分でどんなストーリーになってどんなトリックが仕掛けられて犯人が誰かすぐに視聴者にバレてしまう”土曜ワイド以下の脚本を「最上のミステリー」なんて宣伝するな、ボケエ!(`□´) !
 好きな役者さんもたくさん出てるんで続けて見てるけど、その演技力がこれくらい発揮されてないドラマも珍しいぞ。西岡徳馬、山下真司以下、刑事があそこまで間抜けだと、いくらリアル志向のドラマじゃないと言い訳してもシラケルだけなのである。それから深田恭子、ミスキャストなのは今更言っても仕方がないけれど、せめて滑舌くらいは練習しようよ。「みっしちゅさちゅじん」じゃねえだろがよ(T∇T)。 


 続けて『H2』第2話。
 先週は第1回を見逃してたけれど、あだち充の原作はセリフがスラスラ出るくらい読んでるから、ストーリーに付いてけないということはないんだな(^o^)。
 第2話を見る限り、シチュエーションもセリフも原作をかなり忠実で、ちゃんと原作を尊重している姿勢が見えて嬉しい。野田(中尾明慶)が柳校長(竜雷太)に「お前の息子を誘拐した。千川高校に野球部を作れ」とキョーハクして、校長が「分かった。作る」と“即答”するその“間”、これがあだち充のあだち充らしいところで好きなのだが、これもちゃんといい間で映像化してくれている。あだち充をラブコメでやわいマンガだと思い込んでるアンチも多いと思うが、その本質はすごくストイックでハードで潔いのだ。それがこういう“間”に現れてるんだけど、いやしくもマンガファンを自称する人間なら、そういうところを読みとってほしいなと思うんである。
 全体の雰囲気も危惧していたほどに悪くはない。原作がマンガだから実写化する際は普通にシリアスなドラマにすることはできず、どうしても人間描写にムリが生じる部分はあるのだが、懐かしの『月曜ドラマランド』ほどにカリカチュアし過ぎてはいないので、マンガ原作の実写化に反対な人にもある程度は受け入れられるだろうという印象だ(柳沢慎吾が出てるあたりは『ドラマランド』へのオマージュがあるのかもしれないが)。
 比呂(山田孝之)と英雄(田中幸太朗)、主役二人の演技も臭過ぎなくて爽やかな印象で好感が持てる。春華(石原さとみ)とひかり(市川由衣)に至っては、よくぞ原作のイメージをここまで実感させてくれたものだと歓喜の拍手を送りたい。いや、厳密に見れば決して原作のイメージ通りではないのだが、役者の熱心さが伝わってきて、これはこれで一つの「春華」だし「ひかり」だなあと思わせてくれているのである。『わたしのグランパ』の石原さとみも良かったけど、今度の石原さとみもいいなあ(* ̄∇ ̄*)。

2003年01月20日(月) 貴乃花引退/『探偵学園Q』8巻(天樹征丸・さとうふみや)/『魔法遣いに大切なこと』1巻(山田典枝・よしづきくみち)ほか
2002年01月20日(日) それでもアニメだけは見る/DVD『名探偵ポワロ エンドハウスの怪事件』/『フルーツバスケット』3・4巻(高屋奈月)ほか
2001年01月20日(土) 英雄、果つる島/映画『アヴァロン』ほか


2005年01月19日(水) 平日は早寝がしたい/映画『カンフーハッスル』

 夕べ、映画見た後、日記を書き終わったのが2時過ぎ。
 くたびれて起きたら朝の8時。もう慌てた慌てた。なんとかしげに車すっ飛ばしてもらって、始業時間には間にあったけれど、平日はやっぱり日記書く余裕なんてないと実感した(^_^;)。もうトシヨリだから夜更かしはからだに響くのである。と言うわけで、今日こそは日記を短めに書くぞ。読書の感想も省略。

 例によって例のごとく、トンガリさん、今日も小さいトラブルから大きなトラブルまで、ヤバ過ぎてここにはとても具体的には書けないことを、二、三件、立て続けにやらかしてくれて、ほとほと対応に窮する事態に陥っている。全く、どうしてたった一日であんなことやこんなことまでしでかせるというのだ。困り果ててまたまた支店長に相談したのだが、相変わらずのノラリクラリである。
 いくら本人とやりあっても、すべて知らぬ存ぜぬで押し通されるものだから埒があかない。何度も何度も上司に「何とかしてくれ」と頼んでも少しも動いてくれない。そんな恨みが溜まりに溜まっているので、支店長の「善処します」の言葉が政治家の空約束と同じようにしか聞こえないのだ。だから私が言いたいのはねえ、アンタがトンガリさんをどうにかする気がないんだったら、もう私をあの人の担当から外してくれってことなんだってば。あの人のトラブルの責任をこっちにまで回されて共倒れするのは真っ平ご免なんだって。
 ……明日が見えないなあ。

 今日はAMCはレディースデイでしげは千円、私も招待券があったので、映画『カンフーハッスル』をようやく見る。
 『キネ旬』の評論家連中の評価がやたら高かったけれど、普通に映画として見ようと思ったら筋立てはデタラメ、キャラクターの始末のつけ方はいい加減で、とても誉められたシロモノではない。それはまあ、盗作を恐れて脚本を作れず行き当たり場当たりで映画を撮ってかなきゃならない香港映画の宿命のようなものだから、批判するのはかわいそうではあるのだけれど、それにしてもラスト近くになるまで主役がいったい誰なんだが判然としないようじゃ、マトモにドラマとしては評価のしようもないのである。だって周星馳、中盤殆ど出番ないんだから(^_^;)。
 アイデアとしても、『少林サッカー』はまだ「拳法」と「サッカー」の合体、というムチャクチャをやらかしてくれた分、面白くはあったのだけど、今度は普通なくらい普通なんだものなあ。もちろんそれは昔なつかしのカンフー映画に対するオマージュだから、当然ではあるんだけれど。

 でも客席、レディースデイのおかげで女性客ばっかりだったんだけれど、登場人物がヘンな動きしただけで、みんなうるさいくらいに笑うんだよねえ。なんであんなに笑いの沸点が低いんだ? そのくせ、会話のギャグやパロディじゃ全然笑わないんだから、アタマの程度は知れるのであった。我々の背後にいた二人連れとか、見終わった後、「なんかこれ、すごくない? でも(時間が)長くない? 千円も払いたくな〜い。試写会のほうがよかったー」とか言ってたしなあ。
 ああ、でも初めからバカ映画を楽しむつもりで見に行くなら、場面場面は楽しいから別に損した気分にはならなくてすむと思いますよ。


 映画の後、しげも私も機嫌が悪くなって、些細なことで口論。「今の若いもんはコミュニケーションのための言葉を知らない」「トシヨリが若い人の文化に馴染めなくなってるだけでしょ」てなもんだから、不毛なだけなのである。でも不毛だということがわかっていながらあえて言いあってるのだから、話をどう帰着させるかということも見当はついているのである。でも、そこにたどりつくまでに車の中で3時間もかけるこたあなかったな(^_^;)。てゆーかあ、明日に疲れを残しちゃダメじゃん、って感じぃ?

 ……やっぱりちょっと長くなった? でも読んだ本の感想とか、ホントに省略しまくってんだけどな。

2003年01月19日(日) S(エス)の悲劇/DVD『みんなのいえ』/『ブレーメン�供截幹�(川原泉)
2002年01月19日(土) ハルオ再び/『ルパン三世 公式magagine』3号(モンキー・パンチ責任編集)ほか
2001年01月19日(金) DESERT MOON/『パタリロ!』(魔夜峰央)71巻ほか


2005年01月18日(火) 第59回毎日映画コンクール発表/映画『スーパーサイズ・ミー』ほか

 今日も本は小説も雑誌もマンガも何冊も読んだんだけど、感想書く時間ないです。映画見に行ったんで、その感想書くだけで時間が取られちゃうのよ。最近、日記が物足りないとお感じの方もいらっしゃいましょうが、これが精一杯ですんで、ご了承下さい。
 そう言えば昨日も書ききれなかったけれど、初めてアニメ『ブラック・ジャック』を見ました。いやはやアニメファンの間で話題に上らないのも当然だなあという出来でしたねえ。いや、駄作とまでは言わないけれども、かといってすごく優れてるとまでは言えないような、なんかすげえ「それなり」感と言うか(なんかうまく言えん)。今回のキャラデザインは手塚治虫の絵に一番近い、とか言われてたけど、どうなんでしょうね。ピノコは確かにそんな感じかなあ、と思わないでもないけど(神村幸子さん作画のエンディングは秀逸)、ブラック・ジャックはどうだかねえ。なんか“甘過ぎる”気がしませんか? 力有武(ハナのでかいオッサンね)も微妙に似てなかったなあ。


 仕事ではまたちょっとトンガリさんとの間にトラブルがあったのだが、もうあまり書く気がしない(^_^;)。ここまで来ると、バカをほっといてる上司の方がバカなんじゃないかって気になってくるし。そのあたりのドタバタで、少しばかり残業。いつものようにしげが駐車場に迎えに来てたんだけど、20分ほど待たせた。最近しげはココロが落ちつかなくて、30分くらい早めに迎えに来るので、残業すると、1時間くらい待たせてしまうのである。申し訳ないけど、トラブルは予測できないしなあ。

 帰りの車の中で、映画の話などをしながら、ふとしげに「『スーパーサイズ・ミー』も始まってるねえ」と言ったら、「それなに?」と聞いてきたので、あらすじを説明する。
 ここんとこ、映画に誘ってもなかなか乗って来なかったしげが、話を聞いた途端に「それ面白そうだね」と興味を示した。ココロとカラダのバランスが崩れて、「人に会うだけで気分が悪くなる」とまで口にするようになっていたので、少しでも外に出たいという意志を示したことはいい徴候である。まだまだ孤独感から脱しきれてはいないが、夕食もここんとこ毎日ちゃんと作ってくれてはいるので(雑炊ばかりだが)、少しずつだが生活のリズムを整えられるようになってはいる。
 帰宅して、早速ネットで予告編を見たしげ、「今から見にいこうか?」と言い出した。いきなりではあるが、ここで「明日にしようよ」と言えばしげのまた気が殺がれるかもしれないし、私も2、3日前よりはまあまあ元気ではあったので(血便は止まってないが)、動ける時に動くのが一番だ、と判断した。映画館のホームページを見ると、「ファーストフード割り引きあり」とある。ハンバーガーなどを買って、それを窓口で見せれば300円割引するという、なんだかよく分らないキャンペーンである。けれど、下らないから面白い。こういうキャンペーンは大好きなので、私も乗り気になる。時間を調べるとちょうど最終回に間に合いそうなので、食べかけていた夕食を中断して天神まで出かけることにした。


 シネテリエ天神で映画『スーパーサイズ・ミー』。
 30分ほど早めに着いたが、ロビーで待ってるお客さんたちが、みんなファーストフードを食っている。ちゃんとキャンペーンを見てきているのだなあ(^o^)。こういう珍しくも楽しい風景は、やはり劇場通いをしなければ見ることができない。
 映画は、ドキュメンタリーとしての撮り方は、奇妙なくらい『華氏911』とよく似ていた。監督自身が「体当たり」の取材をするやり方、時折つまらないギャグアニメーションを挿入して諷刺する手法、いや、そもそも「初めに結論ありき」で、情報を好き勝手に取捨選択して、都合のよい結論に持って行こうとするスタイルとか、『華氏』に酷似していると言ってもいいのだ。
 にも関わらず、『華氏』がどうにも退屈で、マイケル・ムーアの“私が正義だ”面を見ていると鼻白む思いすら抱いたのに対して、本作のモーガン・スパーロック監督に対して怒りを全くと言っていいほど覚えないのはなぜなのか。それはもう、ひとえにこの人がひたすらバカだからなのだね。もちろん、これは愛すべきバカなのだ。
 だいたい、どこの世界に「ファーストフードが健康に悪い」ことを証明するために、「マクドナルドハンバーガーだけを食って1ヶ月過ごす」なんて実験をするやつがいるか。もちろん、結果は分かりきっていて、監督は11キロ太って、病人になってしまうのである。
 監督がそんなバカな実験をすることになったのは、ある裁判がきっかけである。ハンバーガーばっかり食べて太ってしまった女の子二人が、マクドナルドを訴えた。「私たちが太ったのはマクドナルドのせいです!」。もちろん、こんなバカな訴えは裁判長の「食い過ぎたアンタらが悪い」の一言で結審。けれど、マクドナルドが「太り過ぎと当社の食品との間に因果関係はない」と答弁で断定したことが、この裁判記録を見た監督のアタマにカチンと来た。訴え自体は難癖だったとしても、そんな「消費者の栄養問題なんか知りませんよ、私らはカネがもうかりゃいいんです」なんて態度はないじゃないか、という怒り。かくして、監督は自ら「スーパーサイズになろう」と、ファーストフード生活を始めたのである。……しかし驚いたのは、1ヶ月過ごすどころか、わずか五日で血糖値やら血圧やらが一気に正常値から異常値になっちゃうところだね。日本とアメリカとでは多分、バーガーのサイズも違うとは思うが、やっぱ、健康に悪いのは歴然としてるのである。
 もう笑っていいやら悲しんでいいやらの展開になるのは、20日を過ぎたあたりから。監督が医者を訪ねてこう訴える。
 「前は食べると気分が悪くなってたんですが、今は食べると気持ちいいんです」
 「それは中毒です」
 はい、“ハンバーガーでも食べ過ぎると中毒になる”んですよ。ファーストフードにばかり通ってる学生諸君、一日、二日、ハンバーガーを食べないでいると、気分が落ちつかない、なんてことになってませんか?
 この映画の一番オバカなところは、「そんな実験せんでも、ファーストフードがからだに悪いことはわかっとる」、すなわち、人体実験のデータとしては貴重であるかもしれないが、一般人から見れば監督の所業はただの「無駄」でしかない点だ。しかし、こういった“どうでもいいこと”に熱中する人間の「美しさ」を賞揚できない人間は、実は人間の本質を知らないのである。実験が終わった時、監督の恋人も友達も声を一つにして言う。「彼はいいやつだがクレイジーだ」。そう、人間の本質は狂気なのだ。我々一般人は、理性やら常識やらといったものが邪魔をして、内なる狂気をどうしても発露できない。それをこの監督はまさに「カラダを張って」我々の代わりにやってくれたのである。どうして感謝の拍手を贈らずにいられるだろうか。
 だから、この映画を見たからといって、明日からファーストフードに行くのを続けるか止めるか、悩む必要はない。タバコや酒と同じく、「する人はするし、しない人はしない」、それも初めから分かりきっていることだからだ。


 第59回(04年)毎日映画コンクール各賞が発表。マニアの方にはいちいち説明するまでもないことだけれど、何十年も前からアニメーションをちゃんと映画作品として評価してきた殆ど唯一と言っていい賞がこれなんですね。

 ■日本映画大賞 『血と骨』
 ■日本映画優秀賞 『誰も知らない』
 ■監督賞 黒木和雄(『美しい夏キリシマ』/『父と暮せば』)
 ■男優主演賞 ビートたけし(『血と骨』)
 ■女優主演賞 深田恭子(『下妻物語』)
 ■田中絹代賞 淡路恵子
 ■脚本賞 荒井晴彦(『ヴァイブレータ』)
 ■男優助演賞 オダギリジョー(『血と骨』/『この世の外へ クラブ進駐軍』)
 ■女優助演賞 田畑智子(『隠し剣 鬼の爪』/『血と骨』)
 ■スポニチグランプリ新人賞 上野樹里(『チルソクの夏』/『スウィングガールズ』)土屋アンナ(『下妻物語』/『茶の味』)柳楽優弥(『誰も知らない』)
 ■外国映画ベストワン賞 『ミスティック・リバー』
 ■撮影賞 鈴木一博(『ヴァイブレータ』/『機関車先生』/『ガールフレンド』/『ココロとカラダ』)
 ■美術賞 桑島十和子(『下妻物語』)
 ■音楽賞 日野皓正(『透光の樹』)
 ■録音賞 弦巻裕(『誰も知らない』)
 ■技術賞(照明) 熊谷秀夫(『透光の樹』)
 ■記録文化映画賞 ◆長編=『わたしの季節』 ◆短編=『螺鈿−北村昭斎のわざ−』
 ■日本映画ファン賞 『ハウルの動く城』
 ■外国映画ファン賞 『2046』
 ■アニメーション映画賞 『雲のむこう、約束の場所』
 ■大藤信郎賞 『マインド・ゲーム』
 ■特別賞 双葉十三郎 故・三橋達也 
 ■宣伝賞 ◆最優秀賞=UIP(『シービスケット』) ◆優秀賞=ワーナー・ブラザース映画(『ラストサムライ』)/20世紀FOX(『デイ・アフター・トゥモロー』)

 アニメーション映画賞に『雲のむこう、約束の場所』、大藤信郎賞に『マインドゲーム』と、昨年私の特にお気に入りだった2本が選ばれたことには、もう思いきり快哉を叫びたい気分である。年初めにはオシイがオオトモがミヤザキが、という話題だったのが、結局作品として評価されたのは「新人」の作品ばかりであったというのは実に痛快。つか感涙。
 だからもう、世間の婦女子が「ハガレンが種が」といくら騒いでいようが、もう私は何も言いませんよ。これだけオタクの趣味が細分化しちゃうと、オタクのメインフィールドがいったいどこにあるのかということを問うこと自体、無意味になってしまってるからね。「オタクなら見てて当然だろう」なんてモノイイはもう通用しない時代なのだねえ。
 でも、私ゃこれからもハガレンや種も見れば、ミヤザキもオシイも見る。日本アニメが一番だ、みたいな狭量な発言をするつもりもないし、商業アニメと実験アニメ、アートアニメとかの間にある垣根も考えない。映画だろうがテレビアニメだろうが、CGだろうが手描きだろうが、なんでも見たその上で誉めたり貶したりするからね。つまり、すべてのアニメを差別せずに見て行くっていうこと。それが普通に作品を評価するときの「基本」なんだから。
 私自身はオタクと呼ばれようがマニアと呼ばれようが、そんな「他称」はどうでもいいのだけれど(そこまでの知識はないんだけどねえ)、ともかく“見もしないで批判する”ような、作品評価の基本もわかってない馬鹿ったれな「自称オタク」たちと、いっしょくたにされたくはないからね。

 しかし、こうあちこちで『下妻物語』の評価が高いと、やっぱりDVDで買うべきかどうか本気で悩む。ちょっとしたらCSで流れるってことも、わかっちゃいるんだがなあ。

2003年01月18日(土) 『青空侍』2冠目!/『イリヤッド 入谷堂見聞録』1巻(東周斎雅楽・魚戸おさむ)ほか
2002年01月18日(金) バンパイアの夜/『ビッグマックプリーズ!!』(小屋一平)/『光の島』1巻(尾瀬あきら)ほか
2001年01月18日(木) はな゛がつま゛ってくるしい/アニメ『ジャックと豆の木』ほか


2005年01月17日(月) 十周年の、祈念の日に/マンガ『ラブやん』(田丸浩史)1巻ほか

 阪神・淡路大震災からちょうど10年。
 職場で、正午に黙祷を捧げるように指令が出る。去年はこういうのをやった記憶がないから、10周年だということでの特別措置なのだろう。次は20年後ということか。毎年やらないと意味がないような気もするが。ゲンバクだってハイセンだって、もう60年も経っちまえば夏が来ても巷で話題にすることは少なくなる。戦後生まれが戦前生まれの人口を上まった、と報道されたことすら遠い昔となり、歴史の記憶の風化はもはや止めようもない。
 それでも阪神・淡路大震災についてどうしても寂しく思いを馳せてしまうのには、理由が二つある。一つは震災で家をなくした人が福岡に引っ越してきて、知り合いになったこと。テレビを通してしか震災を見ていない私にとって、「家は震災でなくなりました」と言った時の彼女の凍りついたような表情が、唯一私が震災の恐怖を肌で感じたように思えた瞬間であった。
 もう一つはちょうど10年前、母が死んだことだ。1995年という年は一年中、世の中に暗いイメージが蔓延していた。あの時の母は、大阪に親戚や友人がいたこともあって、無事を確認するまでかなり心に疲労を感じていたようだ。震災のほかにも、オウム真理教事件が起きたのがこの年だった。ジャイアンツファンの母にとっては原辰徳の引退も大ショックだったろう。そういった出来事の数々が心労となり積もり積もって、母の命を短くしたようにも思う。未来への希望が見えない時代にいきなり行ってしまった母のことを思うと、私は何度も暗澹たる気分にさせられたものだったが、その後の10年の更に暗い歴史を思うと、あのときこの世を去った母はまだ幸せだったのかもしれないとすら感じてしまう。阪神大震災の教訓は、今、新潟中越地震では生かされているのかどうか。
 テレビの特集記事で、「震災はまだ終わっていない」と呟くご老人の姿や、復興はしたものの客足が2割も減ってしまった商店街、再開発された街の陰で未だに空地のままになっている土地などが映し出されている。今はまだあれから10年、災害の爪あとは具体的な形であちこちに残っているし、こういう番組を通してあの時の記憶が反復されてもいる。震災を経験しなかった人々の心にも、震災の後に生まれてきた子供たちにも、何か響くものはあるだろう。しかし、更に10年を経過したらどうなるか。
 10年が経ち、1億の日本人がその時の記憶を忘れ、更に10年の後には、今の記憶もまた忘却の彼方に消えて行く。それは避けられないことではある。しかし、ほんのひと握りの人々が、10年前の、20年前の記憶を一生忘れずに受け継いでいくことも確かだと思う。仮にあの空地に再び建物が建って、100人中99人が、そこがなんの土地だったか忘れてしまうようになったとしても、あとの一人がそこに立って、「ああ、ここはあのときの……」と、過去の幻を見出すことだろう。歴史とは、実はそういう「たった1人」によってのみ、語り継がれていくものなのである。

 しげが「そういえば」と言った。
 「10年前は○○さんとまだ付き合いがあったね(○○さんというのは、例の中傷葉書ばら撒きのホモオタさんのことである)」
 「もう、そんなになるかな」
 「阪神大震災の時、○○さん、『大阪人は行いが悪いから天罰が当たったんだ』と言ってたの思い出したよ」
 「そんなこと言ってたか。……そのころからイカレてたんだなあ」
 言われて私も思い出したが、ホモオタさんは、あちこちで地震、台風などの災害があるたびに「天罰だ」と言い、その災害は「自分が起こした」と嘯いていたのである。他人を恨むあまり、自分を神のように優れた特殊な存在だと思いこむことでしか、精神を保てなくなっていたのだろう。
 先月もホモオタさんは中傷メールをバラ撒いて、何やら注意を受けたような話である。注意だけかい(-_-;)。
 イカレてるだけじゃなくて犯罪スレスレの行為を行っている人間だと会社も承知しているはずなのに、大っぴらに処分することもできずに大事に大事に飼っているんだから、世の中やっぱりどんどん悪くなっているのである。


 マンガ、田丸浩史『ラブやん』1巻。
 しげが古本屋で買って来たので読む。「前々から買おうかどうか迷ってた」そうだが、私も買おうかどうか迷ってたのである。買って正解。こういう下品で下らないだけのマンガは大好きだ。ジャンプ系の人気マンガとかね、ガロ系のゲージツマンガとかね、まあそういうのばかりじゃなくてひたすらアホなだけのマンガというものもないと、マンガの裾野は広がっていかないのよ。ストーリー解説もこんなのなら簡単にできる。
 「キューピットの『ラブやん』は、カズフサくん(恋人ナシ暦25年)の片想いを成就させようとやって来ましたが、彼はオタクでロリでプーだったのでムリでした(てへ)」。
 天使が来るとなりゃあ、ヒロインたるその天使とイチャツクのが常道だろうに、主役をロリにしたところが秀逸。天使に目もくれずに小学生一直線のカズフサくん、まあ今時の風潮考えたら、こんなアブナい主人公いつ打ち切りにあってもおかしかないが(路上でチン○ほっくり出してんじゃねえよ)、マンガなんだから、そのスジの方は目くじら立てないでいただきたいものである。


 『テアトロ』2月号、巻頭の「今月のベストスリー」に、舞台『ピローマン』(出演 高橋克実、山崎一、中山祐一朗、近藤芳正/作 マーティン・マクドナー/演出 長塚圭史)の江原吉博氏による批評が掲載されていて、これがもう手放しの大絶賛である。
 私もしげも先々月に福岡公演を見ていて、「これぞ演劇!」と大感動したのだったが、映画にしろ舞台にしろ、見る人によって評価は変わるものだから、自分たちが見て面白いと思っていても、それが劇評でケチョンケチョンに貶されていると(それが必ずしも的外れなものでなければ)、やはり「自分の見方もまだまだだなあ」としょげてしまうのである。
 逆に、「そう、そこなんだよ!」というところを誉めてあると、これはもう同士を得たようなものである。

〉「作家は、智恵遅れの兄から殺人事件は自分の作品を真似てやったことと告白され、せびるその兄に童話を語って寝かしつけた後、顔に枕を押し付けて窒息死させ、すべての殺人は自分の仕業だと刑事に申し出る。兄が犯人と知ってから作家が兄に聞かせる童話の語り聞かせは客席に染み入るようだ。作家役の高橋克実と知恵遅れの兄を演じる山崎一の意気がぴったりあっている」(原文ママ)

 そうなんだよ、客席に染み入ってたんだよ! と、ひと月半前の記憶が鮮明に蘇える。『ピローマン』は昨年見た演劇のベストワンであり、これまで見た演劇の中でも上位に位置するほどの素晴らしさだった。あまりに感動したために、劇中劇である童話をワープロで打ち直して、職場の若い子たちに「これ読んでよ」とムリヤリ読ませてしまったくらいである(^_^;)。しげなどは、出演者の近藤芳正さんのホームページのBBSに感動の書き込みまでしてしまった。我々の有頂天ぶりがどれくらいのものか、お分かり頂けるだろうか。
 なんにせよ、こういう素晴らしい芝居を今年も何本見られるか、丹念にチェックしないと、最近はいい芝居はチケットが完売するのが早くて、見逃してしまうことも多いのである。ケラリーノ・サンドロビッチさんの『消失』も、蜷川幸雄の『ロミオとジュリエット』も北九州公演、チケット取れなかったものなあ(+_;)。


 第62回ゴールデン・グローブ賞の授賞式が16日開催され、各賞が発表された。
 アカデミー賞の前哨戦、あるいはアカデミー賞よりも実質的な価値があると評価する向きも多いGG賞であるから、興味は津々なのであるが、残念ながら殆どが日本では公開待ち、あるいは未公開である。

 ◆映画ドラマ部門
  ■作品賞 「アビエイター」("The Aviator")
  ■主演男優賞 レオナルド・ディカプリオ(「アビエイター」)
  ■主演女優賞 ヒラリー・スワンク("Million Dollar Baby")
 ◆映画ミュージカル・コメディ部門
  ■作品賞 "Sideways"
  ■主演男優賞 ジェイミー・フォックス(「レイ」)
  ■主演女優賞 アネット・ベニング("Being Julia")
 ◆共通
  ■監督賞 クリント・イーストウッド("Million Dollar Baby")
  ■脚本賞 アレキサンダー・ペイン、ジム・テイラー("Sideways")
  ■助演男優賞 クライヴ・オーウェン("Closer")
  ■助演女優賞 ナタリー・ポートマン("Closer")
  ■作曲賞 ハワード・ショア(「アビエイター」)
  ■主題歌賞 "Old Habits Die Hard" / ミック・ジャガー、デヴィッド・A・スチュワート("Alfie")
  ■外国語映画賞 「海を飛ぶ夢」("The Sea Inside")
 ◆テレビドラマシリーズ部門
  ■作品賞 "Nip/Tuck"(2003年-)
  ■主演男優賞 イアン・マクシェイン("Deadwood",2004年-)
  ■主演女優賞 マリスカ・ハージティ("Law & Order: Special Victims Unit",1999年-)
 ◆ミュージカル・コメディシリーズ部門
  ■作品賞 "Desperate Housewives"(2004年-)
  ■主演男優賞 ジェイソン・ベイトマン("Arrested Development",2003年-)
  ■主演女優賞 テリー・ハッチャー("Desperate Housewives",2004年-)
 ◆ミニシリーズ・TV映画部門
  ■作品賞 「ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方」("The Life and Death of Peter Sellers")
  ■主演男優賞 ジェフリー・ラッシュ(「ライフ・イズ・コメディ!」)
  ■主演女優賞 グレン・クローズ("The Lion in Winter")
  ■助演男優賞 ウィリアム・シャトナー("Boston Legal")
  ■助演女優賞 アンジェリカ・ヒューストン("Iron Jawed Angels")

 下馬評通り、『アビエイター』の評価が高い。ヘタに『タイタニック』なんぞに出たために、ミーハーなバカ女のファンがついて、役者としてはかえって損してしまったディカプリオだけれども、この人の演技力が並々ならないことは『ギルバート・グレイプ』のころからご覧になっていれば、納得できることである。言わばディカプリオは“ようやく”本来の評価を取り戻した形になったわけで、『アビエイター』を見るのが楽しみになってきた。
 このリスト見て初めて知ったけど、日本では劇場公開予定の『ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方』、もともとテレビ映画だったんだね。東京じゃもう公開ずみらしいけれど、福岡にはまだ来てない。つか来るのか。これを見ずしてどうしてセラーズファンが名乗れようかってなくらいに期待してるんだけどなあ。
 さて、これでアカデミー賞の方は概ね『アビエイター』『Million Dollar Baby』『Sideways』の3本に絞られた形になったわけだけれども、勝手な想像ながら『Million Dollar Baby』に票が集まるんじゃないかな。『アビエイター』がGGを取ったことで、差異化を図ろうとする会員もいるだろうし、何より昨年、クリント・イーストウッド監督には『ミスティック・リバー』に賞を与え損なった経緯があるからね。もちろんこれは映画本編を全く見てない憶測なので、アテにしたりしないように。

2003年01月17日(金) 言語作用としての2ちゃんジャーゴン/『POPEE THE PERFORMER ポピー ザ ぱフォーマー』(増田龍治・増田若子)ほか
2002年01月17日(木) 部屋の中を歩けるようになったよん(それが普通だってば)/アニメ『七人のナナ』第2話/『クレヨンしんちゃん』31巻(臼井儀人)ほか
2001年01月17日(水) 雪が溶けて川になって流れていきます/『これから』(夏目房之介)ほか


2005年01月16日(日) まだ匂う(^_^;)/マンガ『名探偵コナン』(青山剛昌)48巻ほか

 一月も半ばを過ぎたというのに、今年は封切映画を1本も見に行っていない。
 まあ、今年に入って既にテレビやDVDでもう50本くらいは映画を見ているから、「映画が見たい〜!」と叫び出したくなるほどの飢餓感はないのだけれども、封切映画はやはり劇場で見ないと落ちつかない。『カンフーハッスル』も『ネバーランド』も『五線譜のラブレター』も『約三十の嘘』も見損なってるってのに。
 今日こそは映画に行こうと思っていたのだが、結局、やっぱりしげが「具合が悪い」と言うので行けず。しげのココロとカラダのバランス、まだうまく取れてないのである。しげの仕事の方はどうやら細々ながらも続けていくことになったようだけれど、辞めずにホッとした気持ちと、続けなきゃならないのかとストレスを感じてる気持ちと、内心の葛藤があるようである。
 ムダな悩みばっか抱えてるなあと感じるのは、端から見れば傲慢で思いやりがない、と叱られそうだけれど、自分でコントロールできないものを外からやいのやいのいってもどうにもなりゃせんのだな。

 朝方はムリでも、夕方くらいから外出できないかと考えていたのだが、今度は私の方が具合が悪くなった。
 昨年の脱糞事件以来、我が家にはそこはかとない香りが未だに一部で漂っているのだが(-_-;)、それにやられたらしく、頭痛が激しくなる(いや、普段はちゃんと「匂いのモト」は遮断してんだけど、時々「洩れる」のよ)。
 実を言うと、もう3週間くらい、血便も止まらないのだ。医者に行けよとまたみんなから言われそうだけれど、二月の末に芝居を見に上京する予定なので、今入院するわけにはいかないのである。それに原因が職場のストレスだってのは解ってるから、元凶のアノヒトがどうにかならんことには入院したって元の黙阿弥になるのは目に見えてるもんね。
 だもんで、今日も映画は取り止め。DVD見たりテレビ見たり本読んだりで過ごす。


 NHKで『名探偵ポワロとマープル/パディントン発4時50分�◆戞�
 アニメオリジナルキャラのメイベルが、原作のルーシーと入れ替わっているのはコミック版と同じ。この改変を許せないとお感じの視聴者もいらっしゃるようだが、そんなのは瑣末的な問題に過ぎないんで、ミステリーとしてもアニメとしてもタル過ぎることの方が問題なのである。死体が見つかって容疑者勢ぞろいの回だけれど、キャラクターに魅力のないことと言ったらねえ。犯人の迷彩にもなんにもなりゃせんがな。

 NHK大河ドラマ『義経』第二回。
 脚本は第1回にもまして陳腐、これならまだ時代考証無視をハナから決めこんでた『新選組!』のほうがマシだったぞ。
 平時子の松坂慶子ってのはどうなるかなあと危惧してたのだけれど、案の定の大根演技。この人くらい役の幅の狭い人はいなくて、蓮っ葉なねーちゃんかおばさん以外はまるで似合わない。口跡がはっきりしているのがかえって仇になっていて、どうにも演技演技して見えるのである。今回も夫・清盛が源氏の女にウツツを抜かしていることに嫉妬して激怒するという役どころだけれど、自分の身分すら忘れて憤怒に身もだえする演技には程遠い取り澄ました猿芝居。これでは清盛が常盤を手放す気になった心理的葛藤があったようにはとても見えない。「オレのすることに口を出すな!」で終われそうなもんじゃん。前回と言い、清盛を女の情にすぐ動揺し流される人物として描くんじゃ、渡哲也を起用した意味がないでしょうよ。
 とりあえずあと何回かは続けて見てみようと思うけれど、そのあとはどうしましょうかね。CSで今『太平記』を再放送してるけれど、こっちのほうがよっぽど画面に緊張感があって面白いぞ。


 マンガ、青山剛昌『名探偵コナン』48巻。
 もうすぐ50巻か。『少年サンデー』連載作品としてはもちろんダントツの巻数なんだけれど、そんなに続いてるって感じがしないのは、未だに内容が新鮮なせいか(皮肉だ)。
 今回も「ミステリーでこれはやっちゃいけない」ネタが満載で、どこから突っ込んでいいものやら。『コナン』に関してはネタバラシはしても構わないと思ってるので言うけどさ、「死んだと思っていた男が実は生きていて、ずっと屋敷に潜んで暮していた」「犯人は双子で、そっくりな弟と時々入れ替わっていた」ってよう、私ゃ目が点になってアゴが外れて椅子からずり落ちて屁こいてクック・ロビン音頭踊っちゃいましたよ(懐かしいね)。なんでこのネタやっちゃいけないのか(ドラマ『トリック』ですら「やっちゃいけない」と言ってたくらいだぞ)よくわかんない人は、そもそもミステリーを楽しむ資格のない人だから、好きなだけ「コナンくん萌え〜」しちゃっててください。
 まあこういう最低のアホトリックを堂々と使ってるくらいだから、それだけネタに詰まってるってことなんだよね。もう50巻の区切りいいところで終わったらどうだろうかね。

2003年01月16日(木) 階段の怪談……f(^_^; スンマセン/『自殺』(柳美里)ほか
2002年01月16日(水) どんぶりめしがいっぱい/『パワーパフガールズ<DCコミックス版>』1巻(クレイグ・マクラッケン)ほか
2001年01月16日(火) 雪の白樺並木、夕日が映える/『風の歌うたい』(吉田秋生)


2005年01月15日(土) 意見の違いはあるものだけど/マンガ『隠密剣士』(かわのいちろう)3巻ほか

 休日なので映画に行くつもりだったが、いつものようにしげが愚図る。
 今日、夕方からラクーンドッグさんの練習に参加するので、朝から映画はキツイ、というのである。まあ、明日も休みだし、今日慌てて出かける必要もないかと、私は私で一日ゆっくり過ごすことにする。
 亀の水槽、芝居の公演やら体調不良やらいろいろあって、実はひと月くらい放置していた。さすがに水が半透明になり、亀がちょっと泳いだだけでフンが巻き起こるようになっていたので、風呂場に持っていってともかく思いきり洗う。なんとポンプの中のフィルターが、ゴミを吸い過ぎて溶けてしまっていた。こういう汚い水の中でも、玄武と竜宮、兵器の平左で暮していたのだから、かなり厳しい環境でも亀たちは生きていけるものなのだろう。捨てられた亀たちが生態系を破壊するはずである。
 玄武も竜宮もかなり大きくなって来た。玄武に比べて育ちの遅かった竜宮も、まあまあ見劣りがしないほどには大きくなった。水槽が狭苦しく感じ始めたので、水を余計に入れる。背伸びをしたりバタバタ泳がないと息が吸えないが、こうしないと筋肉が弱って岩場にも上がれなくなりそうなのである。


 DVDの修理にソニーの人が訪問。でも結局この場で修理することはできず、持ち帰りとなった。一週間はかかるそうで、その間、番組録画は不可能である。これ、以前もDVD食っちゃったことあったんだけど、そもそも欠陥商品なんじゃないかなあ。
 DVDデッキを取り外したまま、アンテナを接続せずに帰ろうとされたので、「コードの接続までお願いします」と頼む。こういうのはこちらから言うものじゃないと思うんだけど。

 DVDで『ナイル殺人事件』『クリスタル殺人事件』、続けて見る。何度も見た映画だけれども、定期的に見返したくなるのである。クリスティーの映像化作品で一番好きなのは『オリエント急行殺人事件』だけれど、これがなぜかまだDVDになっていない(LDは買ったが)。まあ代用品ということで『地中海殺人事件』も含めてよく見返してるんだけれど、『オリエント』に比べるとどうしても出来が落ちるんだよねえ。
 『クリスタル』を見ていたら、エリザベス・テーラーが劇中劇で演じる女王の相手役で、五代目OO7のピアース・ブロスナンが出ていた。劇場公開時は気付かなかったが、『レミントン・スティール』で売り出す以前、ノン・クレジットでの出演じゃあ、無理もない。ファンの間では有名だったようだが。


 マンガ、かわのいちろう『隠密剣士』3巻。
 「甲賀五忍衆の章」最終話及び、「風摩一族の章」序章を収録。
 江戸城宝蔵から北条家の秘宝“風雷”の鏡が奪われる。それは二百年前、徳川家康によって滅ぼされた風摩一族が復活し、幕府転覆を狙って、隠された軍資金の探索に乗りだしたのであった。老中松平定信は、早速隠密剣士・秋草新太郎に使命を下すが、そこへ忽然と現れたのが、関節、筋肉を自在に収縮させ、変身する能力を持った風摩一族の頭領・十代目風摩小太郎であった……。

 若い人にはもうわかんないだろうけれど、これ、昔、超人気番組だったテレビシリーズのコミカライズなんですね。主演は『月光仮面』も演じていた大瀬康一。
 「霧の遁兵衛」が演者であった牧冬吉さんそっくりに描かれてあったので、「風摩小太郎」も天津敏さんそっくりに描いてくれるかと思ったらそうはならなかった。もう昔見たっきりなので、風摩小太郎がどんな設定だったか忘れてるけど、ここまでバケモノめいた能力は持ってなかったような。マンガとしては面白いんだけど、天津敏ファンとしては、もうちょっとリアルにしてほしかったかな。
 天津敏について詳しく知りたい人は、マンガ家中田雅喜さんのホームページを参照あれ。もうすぐ「天津敏本」も出されるようです。
http://homepage1.nifty.com/bikenshi/niosibikenshi.html


 古舘伊知郎司会の『おしゃれカンケイ』が3月いっぱいで終了とか。
 時々見る程度ではあったが、昔から古館さんの“芸としての”トークが好きだったので、これがなくなっちゃうともうライブ以外に見るものがなくなってしまうのである。放送開始からほぼ10年が経っているので、区切りがいいと言えば言えるのだけれど、理由はやっぱり「『報道ステーション』に専念するため」なのだろうなあ。あれの古館さんは操り人形のようで全然好きになれないのだが。やっぱサンライズ新聞に洗脳されてるのかな(+_+)。
 古館さん自身がどんな思想の持ち主であろうと、私ゃあの人の「話芸」が好きなのだから「それはそれ」でこれまでは気にしないでいられていたのだが、その活動を『報道ステーション』1本に絞ってしまうというのは芸能人としてはどうなんだろうね。だって、『報ステ』だって永久に続くわけではないでしょうに。10年後か20年後か、『報ステ』が終わったあと、古館さんがまた「こちらがわ」に戻ってきてくれるのか、それが心配なのである。
 せめて年1回やってたトークライブは続けてほしいんだけど。それも政治色の濃い喋りになっちゃったら悲しいなあ。


 ネットを散策していたら、『はれときどきぶた』の矢玉四郎氏が、『Mr.インクレディブル』をケチョンケチョンに貶していた。「日本人は米国の陰謀に完全にはまっている」とまで言い切っているのだから、相当な怒りようである。でもその批判の仕方がどうも難癖に近いのが気になってしまう。

> まず、構想は「スパイキッズ」のパクリ。父母姉弟のスパイ一家を、ヒーロー一家にしただけ。

 「親の危難を子供が助ける」パターンは別に『スパイキッズ』が元祖というわけではない。ちょうどCSで『タイムボカン』の再放送やってるけど、これもそのパターンだしなあ。これをパクリと言い出したら、映画に子供を出すことすらできなくなる。第一、『インクレ』の主役はあくまで父さんの方なんで、子供たちは『スパイキッズ』ほどには活躍してないんだが。
 『ウエスト・サイド物語』を『ロミオとジュリエット』のパクリと言えるかどうか。『用心棒』を『赤い収穫』のパクリと言えるかどうか。「本歌取り」と「剽窃」をいっしょくたにしちゃいかんという問題もここにはある。

> 敵の武器として丸い鉄の固まりが出てでてくるが、例えば「ロボコップ」を見たひとには、間抜けな鉄くずにしか見えない。何の目新しい工夫もない。ユーモアもスパイキッズのほうがはるかに上。

 『ロボコップ』の敵ロボットは階段も降りられない鉄クズだったけどなあ(^_^;)。いったい両者の何をどう比較してるのかが、よく分からない。外見上のデザインのことを言ってるのかなあ? そもそもモデルアニメーションとCGアニメーションのデザインを単純比較するのはどうかと思うよ。CGの場合、単純明快なデザインにした方が動かしやすいからこそあんな球形のデザインにしたんだと思うけど。
 それに、敵が「マヌケな鉄クズ」だからこそヒーローが倒す醍醐味があるんで、逆にかっこいいロボットにしちゃマズイでしょ。『ガンダム』のザクやらグフだって、『キャシャーン』のツメロボだって、敵ロボットはたいていずんぐりむっくりしてるもんだけどね。ユーモアに関しては『スパイキッズ』のどこがどう上なのか、説明が何もないから判断のしようもない。主観だけでもの言ってないか? 矢玉さん。

> しかも、ヒーローが壊した物は国が弁償するなどと、いかにも米国、そのオヤジキャラも薄汚い。全体に米国の宣伝。ヒーローをブッシュに、敵方をイラクにおきかえると、実にわかりやすい。ブッシュにごますりの主人公も頭悪そうな映画。

 ブラッド・バード監督が「ベトナム戦争以前のアメリカ」(アメリカの正義が正義として信じられていた頃のアメリカ)にノスタルジーを感じているのは前作『アイアン・ジャイアント』で既に判明している事実。これを現在のブッシュに単純に重ね合わせることはできない。どちらかといえば、「今のアメリカはどうして昔のような『正義』を信じられなくなったのか?」と問いかけている部分の方が大きいだろう。つまり、「昔のアメリカは清く正しい「正義」を行っていたが、今の『正義』はニセモノだ」と感じているということである。バード監督に問題があるとすれば、まさにそういう「勘違い」にあるのであって、結局世の中をよくしていくものは「正義」しかないという「観念」に拘ってしまっている点だ。
 だから、「『正義』は常に為政者によって都合よく解釈されるもので、それで世の中が善くなるわけではない」「アメリカにそもそも正義なんてものがあったのか」などと批判することはできるのだが、そうであれば、これはバード監督の作品だけの問題ではなくなる。その場合、『スーパーマン』も『スパイダーマン』も全てのアメリカ製ヒーローを否定しなければ筋は通らない。それこそ『スパイキッズ』だって「アメリカの正義」を体現しているのである。翻って、日本のヒーローものだって、日本人の観念としての正義を体現しているのだから、「日本の宣伝」で、誰ぞにゴマすってることになりゃしないか。でもそんな批判の仕方は、黒澤明の『七人の侍』を「再軍備映画」と批判し、『用心棒』を「荒唐無稽なヒーローものに堕した」と批判した映画ヒョーロンカと同じく、ただの難癖である。
 私は、『Mr.インクレディブル』は、『アイアン・ジャイアント』に比べて、かなり普遍的に面白くなっていると思う。前作では、「要らなくなった兵器」であるアイアン・ジャイアントについて、「では、『兵器』はなぜ生み出されなければならなかったのか?」「『戦後』も兵器は必要ではないのか?」と監督が考えたのか、兵器の存在自体をジャイアントに「自己犠牲」させることで無批判に肯定している部分があって、それゆえに今一つ好きになれなかった。けれど、今回の『Mr.インクレディブル』では、そこに一定の「抑制」がかかっている。ヒーローたちの超能力は「諸刃の剣」であって、人を助けもするが、傷つけもする。どちらかと言うと超能力の「危険性」の方が強調されているからこそ、事件が終わったあと、彼らはまた日常に戻り、長男はかけっこでもその力を発揮させないのである。これを、口ではイラクに政権を渡すと言いつつ、実質的に占領統治を続けているブッシュと重ね合わせるのはチト無理があるのではないか。

> もっとヨーロッパ、中南米、中国、アジア映画を。韓国映画を見ることをおすすめする。創作者としての勢いがある。

 「アメリカ映画だけを見るな」というのはその通りではあるけれど、別に創作者としての勢いがあるかないかということではなくて、作品を評価するのに偏向しちゃいかんということだからね。矢玉さんの言い方だと、久米田康治が聞いたら「上に立ったモノイイ」ってからかいそうだなあ(^o^)。「日本人がなくした魂がある」的な言い方だものなあ。
 矢玉さんの作品は好きなんだけれども、こういうコリクツで映画を見てほしくはないね。ちょっとばかしガックリである。

2003年01月15日(水) アレももう幻の名作/『ふたつのスピカ』3巻(柳沼行)/『定廻り同心 最後の謎解き』(笹沢左保)
2002年01月15日(火) チュパカブラってなんだよ/『機動戦士ガンダム ジ・オリジン ―激闘編― SECTION �機伸供�
2001年01月15日(月) 雪は降る、貴女は来ない/『ウルトラマン対仮面ライダー』(池田憲章・高橋信之)


2005年01月14日(金) エスパーにはなれません/マンガ『西の善き魔女』1、2巻(荻原規子・桃川春日子)ほか

 昨日の日記を読み返してみて、自分の女房に対してあまりに冷淡な書き方をしているかなあと思ったので、ちょっとだけ補足説明しておく。
 情緒不安定に陥っているしげの身を心配しないで、「オレの身が持たねえ」とか「車のローンはオレが払うのか」とか、自分のことばかり気にしているように書いているが、それはしげの身を心配したところでキリがないからである。
 しげの身を本気で案じていたら、私は仕事に出かけることもできない。しげのホンネは私とずっと一緒にいたいのである。あるいは自分が不安に陥った時には、どんなに遠く離れていても“それと察知して”飛んで帰ってきてほしいのである。あるいは私の分身がもう一人いて、一緒にいてほしいのだ。困ったことに、妄想としか言えないこれらの願望を、しげは半分本気で期待しているのだ。
 もちろんエスパーならぬ私にそんなことはできようはずもないので、私がどんなに優しく接しようと、しげにとっては「つれない態度」としか受け取られないのである。つれないどころか「甘やかし過ぎてんじゃないか」って回りからは見られてるんだけれどもねえ。しげのアタマがイカレた状態のときに喋ったことは、あとになって落ちついたときに聞き糾してみると、「オレそんなこと言ったっけ?」と本人が忘れちゃってることも多いので、ほったらかしとくのが吉なのである。


 夜中に何度かトイレに起きはしたが、ここ1、2週間のうちでは一番ゆっくりと眠れた。
 体調が優れずに〆切過ぎても片付いてなかった原稿があったんだけれども、半日かけて仕上げる。ちょうど印刷所の人が原稿を取りに来たと連絡の入った3秒前に完成。これまでにもいろんな綱渡りを経験してきはしたが、今回がマジで一番ヤバかった(つか、第1次シメキリと第2次シメキリはぶっちこいてるんで、印刷所さんの表情はかなり苦しげではあったのだが)。
 以前ほどに指は動かなくなっているので、400字詰めで10枚ちょっとの原稿を打つだけでも5時間くらいはかかってしまう。それでも手を抜けないのは、本職のほうでのこの仕事、意外なほどに人の眼に止まって読んでもらっているからなのだ。私はその都度好き勝手なことを書いてるだけなのだが、あとになって聞いてみると、私の書いた原稿を読んだ人が陰で私の便宜を図ってくれたことが結構あるのである。カラダ弱くてしょっちゅう仕事休んでる私が、今の職を曲がりなりにも続けてられているのは、もしかしたら私の文章のおかげもあるのかもしれない。そう考えると、つい一生懸命書いてしまうのだが、気を入れて書いた文章ほど自分ではつまらなく思えてしまうのは、いったいどういうことなんでしょうかねえ。


 今日はしげの通院の日であったのだが、仕事を辞める話を先生に相談してみたか聞いてみた。
 「相談じゃなくて報告しただけだけど」
 「で、返事は?」
 「別に?」
 「反応なし?」
 「ないよ。だって『仕事辞めるな』とか言えないじゃん」
 別にそういう返事を期待したわけではないのだけれど、本職の先生が患者の変化に対してどう対応するかは気になるじゃないの。先日しげが自殺を考えた時も「引いてた」そうだし、話を聞く限りではあまり「先生」らしい態度でいるようには感じられないのである。「薬は飲み過ぎないように」くらいの注意はちゃんとしてくれてるとは思うけれども。

 故障したDVDレコーダーの修理を依頼に「ヤマダ電器」へ。
 窓口で「いらっしゃいませ」とお辞儀する店員さんを見たら、昔馴染みの女の子だった。その昔、その子と、ある男の子との仲をちょっと取り持ってあげたようなこともあったので、その後どうしているかと時々思い出して気になってはいたのであるが、意外と身近にいたものである。名札を見ると名字は変わっていない。あれから7〜8年は経っているので、まだ彼氏と付き合っているのか別れたのか、微妙な年月であるが、いくら気になるとは言ってもいきなり「今はどうしてる?」とは聞けない。まあ聞かなくてもいいことではあるが。明日出張修理をしてもらうように依頼だけして帰るが、彼女がついタメ口になりそうなのが気になった。いくら旧知の間柄とは言っても、今は店員さんと客なんだからさあ(^_^;)。

 晩飯は鶏肉の雑炊。「家事ちゃんとやるから」の約束通り、洗濯もしていたようである。しげの約束はいつも最初の数日は守られるのだが、これまではたいてい三日坊主に終わっていた。さてこれがいつまで続くものやら。
 DVDデッキがこわれてるので、なんかテレビを見る気が起こらず、夜はマンガなど読んで過ごす。


 『特撮エース』��007。
 巻頭は新連載、矢吹豪のマンガ、『Sh15uya(シブヤフィフティーン)』。マンガのほうはヘタではないがよくあるオタ系の絵でもう一つ魅力がない。ただ、トーンの使用を抑え気味にして黒と白のコントラストをつけようとしているのはいい感じだ。意欲は伝わってくるので、今後化けてくれるといいかな。ドラマの方の特集記事を見ると、こちらもなかなか面白そうなんだけれど(女の子はそう好みではないが)、これ、福岡じゃ放送してないんだよね。ちょっと待てば「テレ朝チャンネル」に流れるだろうとは思うけれど、特撮のイチオシ新番組が(『響鬼』は置いとくとして)、全国放送じゃないってどういうこっちゃねん。特撮・アニメ番組に関しては今は「冬」とまではいかないまでも「秋」な時代なんだなあと思うのである。
 『とりが見た!』で、とり・みきさんが『ゴジラFW』について「10人が見て、5人が10点で残り半分が0点つける映画」と評していたのは言い得て妙。「個人的には『こういうふうにだけはしないでくれ』という要素だけで作られている作品」と批判しつつも、「力及ばず6点くらいで終わっている映画より見れちゃう部分がある。真逆のベクトルながら8点のパワーはある」と評価されている。
 実際、私もあれの評価には苦しんでるのだ。バカ映画が好きな人や、「ミニラ」が許せる人(^o^)、映画としての完成度とかそんなことはどうでもよくて「怪獣がいっぱい出てくるイベント」を楽しめる人なら、あれで充分楽しめるとは思う。私もそういう部分を楽しまなかったわけではないのだが、逆を言えば「いい大人がマジメに見ておもしろがれるもんじゃねえ」というのも事実なんである。ツッコミ入れ出したら全編入れまくれるから、たとえ怪獣映画嫌いのしげでも、連れていっていれば多分笑って楽しんでくれたとは思う。
 けれどねえ、なんかねえ、ゴジラを笑われる様子を見るのは私にはもうツライのよ。それだったらまだ思いっきり「なにこれ?」と貶してもらったほうが、「いや、これにはこれでいいところが」と弁護のしようもあるのだけれど。ああ、でもそれもあのバカ監督を擁護する形になっちゃうんだよなあ。全くどうすりゃいいんだか。


 マンガ、荻原規子原作、桃川春日子作画『西の善き魔女』1、2巻。
 一応、児童文学の研究を専門にしていた以上は荻原規子の小説もひと通り読んどかなきゃならないところなんだが、実はまだどれも未読。和製ファンタジーって、なんかとっつきにくくって(言い訳)。
 コミック版が出てたのに先日やっと気付いたので読んでみたのだけれど、ファンタジーはファンタジーだけれども少女マンガの要素がかなり強い。

 グラール王国の辺境、セラフィールドに住む少女フィリエルは、自分はごく平凡な農家の娘だと思っていた。母を幼い頃に亡くした彼女は、偏屈な天文学者の父、ディー博士とも別れて暮しており、彼の弟子の少年ルーンだけが唯一の友達だった。ある時、父から母の形見の首飾りを渡されたフィリエルは、ルアルゴー伯爵家のパーティにその首飾りをつけて参加する。しかしそれが彼女を大きな運命の渦に巻き込むことになるとは、そのときの彼女は知る由もなかった。フィリエルの母は、かつて異端の研究にいそしんだディー博士と恋に落ち、自らの身分を捨て追放された王女エディリーンだったのだ……。

 過去を知らぬ、運命の血を引く少女とそれを取り巻く人々の三角関係などなど、登場人物がカタカナ名前であることを気にせずに物語の要素だけを見ていけば、なんだか昼メロか往年の大映ドラマを見ているようである。もちろんこれはこのマンガを貶しているわけではなくて、充分面白く、ドラマチックにできあがっているということなのであるが、普通のファンタジーを期待して読むと、何となくカタスカシを味わうことにはなる。
 いやまあねえ、ファンタジーだって恋物語が出てくるものは多いけど、もうちょっと世界そのものの運命がキャラクターの一人一人にのしかかってくるものだからねえ。ある異世界を構築するってことは、そこに住む人々の文化、習俗、思想まで、細部に渡って作りあげなきゃならないんだけれど、一人一人のキャラクターの妙なストイックさに、どこか日本人的な好みが混じりこんでいるように見えるのである。だからこその「和製」ファンタジーなのだろうけれど。
 いや、普通の読者はもう、それがファンタジーかどうかってこととか気にせずに読んでるのか。「おもしろけりゃそれでいい」ってことなのかも知れないけれど、最近はどのマンガを見ても「ある一つの形式で語られるからこその面白さ」ってものはどんどんないがしろにされてるよな、実際。

2003年01月14日(火) ある「B級」監督の死/『風雲児たち ワイド版』9巻(みなもと太郎)/『復活! 大人まんが』(夏目房之介・呉智英編)ほか
2002年01月14日(月) 原作と映画の間/映画『走れメロス』/『朱色の研究 夕陽丘殺人事件』(有栖川有栖・麻々原絵里依)ほか
2001年01月14日(日) 雪の断章/アニメ『ポール・グリモー短編集〜ターニングテーブル〜』


2005年01月13日(木) 壊れゆく女/アニメ『ああっ女神さまっ』第1話ほか

 仕事から帰宅してひと寝入り、2時、3時に起きてアニメ見るという習慣ができつつあるな。毎日続けてたら確実に体調壊しそうだけれども。
 夕べ(つか早朝)は、キッズステーションで『仙界伝 封神演義』第2回、TBSチャンネルで『ああっ女神さまっ』第1話を見る。『封神』は原作もそうだったけど、キャラクターがやたら饒舌なのが気になる。一応は歴史モノだから仕方がないと言えばそうなんだれど、説明的なセリフばかりで、ドラマが今イチ盛り上がらない。主要キャラクターがまだ本格的に絡んでないせいもあるだろうけれど。
 『女神さま』、スタッフ、キャストとも、かつてのOVAシリーズと同一であるにも関わらず、殆ど「仕切り直し」といっていいくらいにグレードアップされているので驚いた。前のシリーズもかなりハイクオリティなアニメーションだったけれど、キャラクターデザインを現在の藤島庸介の絵柄に合わせて全面的にリライトし、恐らくは作画枚数もかなりかけている(まあ、1話から手を抜くわけにも行くまいが)。
 森里蛍一の日常を1話かけてじっくりと描き、その人間性を視聴者に印象付けさせることで「なぜ女神たちが彼のもとに集ったのか」、その理由を納得させようとする演出は、なかなかに成功している。なんたって蛍一とベルダンディーが出会うところでようやく1話が終わるのだ。「ただの“萌え”アニメなんか作りたくない」というスタッフの気概が伝わってくるようだ。
 思うに、原作の『女神さま』は、当初キャラクターたちの細かい設定は殆ど考えられてなかったのだと思われる。はっきり言っちゃえば、本当に「優しい女神様が側にいてくれたら」という男の妄想を満たすだけのマンガだったのだ。それが、連載が長期化し、アニメ化され、また同様の後追いマンガが増えるに連れて、「元祖」として他作品との差別化を図らなければならなくなった。身もフタもない言い方をすれば、「もう少し中身を何とかしようよ」ということである。おかげで劇場版などは「真実の愛とは何か」ってな命題をドーンと出してしまい、もちろん観客の納得できるような結末を用意できるわけもなく、かえって薄っぺらな作品にしてしまっていた。
 今回のテレビシリーズは、言ってみれば「敗者復活戦」である。思わせぶりなナレーションを鼻につくと感じる人もいるだろうが、今後シリアスとギャグのバランスがうまく取れればまあ面白いものになっていくのではないか。


 朝方、しげは「具合が悪い」と言って、職場まで送ってくれなかった。
 昨日はゆっくり寝たはずだから、何をそう具合が悪いのか、聞いてみたら、「2錠飲めばいい精神安定剤を10錠飲んだら気分が悪くなった」と言う。
 「なんでそんなバカなことしたんだよ!」
 「だって気分が落ちつかないんだもん。それくらい飲めば効くかと思って」
 「処方を守らなきゃ薬は効かないって常識だろうが!」
 ……と怒ったところで、飲んでしまったものはもう手遅れだ。しげもマトモな精神状態のときだったらそんなバカなマネはしなかっただろうが、マトモな精神状態ではないからやっちまったのである。睡眠薬を飲み過ぎなかっただけマシだったかもしれないが、こんなことがしょっちゅう続いたりしたらこっちの身が持たない。どうすりゃいいんだか。

 しげは、夕方になってまだ終業時間にもならない時点で「迎えに行ってもいい?」とメールを送って来た。半日経ってもまだ情緒不安定な状態が続いているらしい。
 車に乗り込んで、「晩飯はどうする?」と聞いたら、しげ、「作ったよ」と言う。
「晩飯を?」
「いいや?」
「今『作った』って言ったじゃないか!」
「うん」
「だから、お前が食事を作ったんだろ?」
「いいや?」
「どっちなんだよ!」
なんだか支離滅裂で訳が分からなかったが、よくよく問い質してみると「食事を作りはしたが、私の作る料理でイヤではなかったか?」と言いたいのであった。「いいや?」は「NO」ではなくて「嫌」だったのだな。……も少しイントネーションをハッキリさせてくれ。
 それにしてもあれほど家事を嫌っていたしげがいったいどうした風の吹きまわしかと訳を聞いてみると、「仕事辞めていい?」と切り出してきた。
 正月からこっち、しげはかなり精神的に追いつめられていて、一時は自殺すら考えたほどであった。もちろんイカレたアタマで考える自殺であるから、「風呂場にギロチン台を設置しよう」なんてシュールなものである。自殺の動機だって、これといったきっかけがあったわけではなく、ただ「ぼんやりとした不安」があるばかりである。ここのところ、仕事に出るのが苦痛で仕方がないと言っていた。
 確かに朝夕の私の送り迎えに病院通い、それに仕事もとなると、からだが持たないというのも分かりはする。「家事はちゃんとするから」と言うので、「それなら無理して続けなくてもいいよ」と言う。ただそうなるとしげが自分で働いて払う予定だった車のローン、残りは全部私が支払うことになるわけである。ちょっと小遣いを減らさなきゃならなくなるのは痛い。まあ、DVD買うのを2、3枚控えればそれで充分なんだけど。


 テレビドラマ『富豪刑事』第1回「富豪刑事の囮」。
 原作はSF作家筒井康隆の、傑作と評判のミステリー。考えて見たらこれだけ「絵」になる小説が今まで映像化されてこなかったのもフシギだが、やっぱり「予算がかかる」と思われて敬遠されてきたのかな? かといって今回の映像化もそんなに金かけてるようには見えないけど。
 その記念すべき第1回の放送は、原作の第1話をベースに、五億円強奪事件の犯人を探すために「犯人が大金を使わざるを得なくなるような工作をする 富豪刑事」という展開。ストーリー自体はまあまあ原作に忠実に作っている(容疑者が原作の4人から2人に減らされてるけど)のだけれど、肝心なところで失敗しているのが残念。
 主人公「神戸大助(かんべ・だいすけ)」をドラマでは女性に変更、「神戸美和子(みわこ)」としたまでは面白いアレンジだと思ったが、いかんせん、演じるのが深田恭子では大富豪の雰囲気など出ようはずもない。富豪の「おっとリ」と天然の「ばか」とはムードがまるで違う。時効のことをうっかり忘れてしまい、「あと三日で解決できるのか?!」と怒鳴られて「さあ?」と困ったように首を傾げるのではただのバカである。ここは「根拠のない自信」くらいは持って「大丈夫ですわよ、おほほほほ!」くらいの態度を取ってほしかった。パーティを開くアイデアも自分で捻り出さなくてはねえ。あまつさえ真犯人に殺されかけるんだから、どこがいったい名探偵なのやら。ヒロインは危難に会わなければならない、なんて陳腐なことを考えたんだったら、『富豪刑事』を原作に選ぶなって。

 『富豪刑事』を録画している最中に、突然DVDプレーヤーがストップ。リモコンをいくら操作しても、DVDが中から出なくなってしまった。
 おかげで『H2』の第1回も録画するつもりが見逃す。つかこれ、修理に出したらどれくらい時間がかかるんだ。その間見逃す映画やアニメが何本になるか。こういう時のためにもう一台DVDレコーダーを買っておくべきかとも思うのだが、もう次に買うなら次世代DVDの趨勢が決まってからって気もするし、これもまた悩みどころなのである。

2003年01月13日(月) またまた風邪悪化/『別冊宝島Real まれに見るバカ女』/『宇宙をぼくの手の上に』(山本弘)ほか
2002年01月13日(日) カメラ小僧にご用心/DVD『エコエコアザラク』/『ななか6/17』5巻(八神健)ほか
2001年01月13日(土) 正月の半ばに/『天才伝説 横山やすし』(小林信彦)


2005年01月12日(水) 芝居の時間は終わらない/ドラマ『松本清張特別企画 黒い画集 紐』ほか

 最近生活のリズムが狂ってきているので、夕べは日記も書かずに10時くらいには寝たのだが、そしたら今度は午前1時に目が覚めてしまった。しょうがないのでそれから日記書き。ちょうど「キッズステーション」でアニメ『仙界伝 封神演義』第1回が始まっていたのでそれも見る。これ、本放送の時は早朝だったので殆ど見られなかったんだよね。
 スタジオディーン制作で、西村純二監督と来れば、まあそこそこの出来だろうと予測はつくが、言い換えればそこそこ以上は期待できないとも言える。第1回を見た感じでは、「そこそこのちょっと上」くらいは行っていたけれど、まあ、50話続けるのは苦しいかなあ、という印象だった。データを調べてみると、やっぱり26話で終了である。予定通りなのか打ち切りなのかは分らないが、この分だと原作全部は消化しきれてなかったんだろうなあ。
 原作コミックでは殆ど無表情だった申公豹に微妙に表情を付けていたのは面白かったが、石田彰の声がそれに合っていない。ヘタな役者さんじゃないから、これ多分線録りだったんだろうな(^_^;)。


 それからまたひと寝入りして出勤。二度寝したせいで、午後になるまで調子が出ず。
 しげは朝は何とか起きて送ってくれたが、体調が悪く、迎えには来れず。仕事も休みを取った由。コンビニでお土産に弁当を買って帰るが、いつもは弁当を手渡すなり猛然と食い尽くすしげが、いったんは弁当を受け取ったものの、ぐたっとしてそのまままた寝てしまった。本当に具合が悪いんだなあとは思うが、寝過ぎてるせいじゃないかとも思う。夕べも寝てたし昼も寝てたんだから。

 TVQで「女と愛とミステリー」枠で、『松本清張特別企画 黒い画集 紐』を見る。これがまた単発ドラマとしては久々に見ごたえのある傑作。アリバイトリックはそうたいしたことはないのだが、ともかく役者がいいので不自然さがないのである。
 主演に余貴美子というのが渋いくらいに渋過ぎるのだが、だからこその重厚感。ラストシーン近くはねえ……結構泣けるんですよ。なんか見ててさあ、イメージが内藤剛志が私に、余貴美子がしげに重なってきちゃってさあ(ドラマ見た人はビビらないように)。いや、あそこまでは行かないと思いますが(^_^;)。
 松本清張原作なら、これくらいの芸達者を使ってくれと言いたくなるのは、先日の『黒皮の手帳』の米倉涼子の演技がなんともふやけた出来だったから。やっぱり「ホン」と「役者」ですよ、ドラマは。
 今回、脇を固めているのも、大地康雄、真野響子、石橋蓮司、萩原流行、山田純大、小沢真珠、田中隆三、根岸季衣と演技派ばかりだ。難を言えば、刑事役の大地康雄の演技にどうしても「鬼貫」が混じっちゃうところくらいか。みんな地味っちゃ地味なんだが、トシヨリにはこれくらいのキャストの方が心惹かれるのである。
 今日のドラマを見逃したミステリファン、かなり損しましたぞ。


 私が所属しているP.P.Produceの劇団活動の休止については、「今後どうなるのか」と心配してくださった方も結構いらっしゃった。ちょっと注釈付けとくけど、未だに私が代表だと思ってらっしゃる方、私はとうの昔に代表から降ろされとりますので。代表も主宰もしげに移って、さらに現在は「休眠」状態であるので、今後は誰が代表になってもいいって形にシフトしている。けれどこれでP.P.Produceの演劇活動が完全にストップすることになるとは考えていなかった。なんとなれば、“あのしげが”芝居から完全に脱却し縁を切ることになるなんて、これっぽっちも思っちゃいなかったからである。
 しげはここんとこ、公演を打つたびに機嫌が悪くなっていた。スタッフにしろキャストにしろ、ともかく要領の悪い連中が揃っていて、マトモに芝居が作れないからである。もちろんしげ自身、セリフ覚えは悪いわ役どころはつかめないわ物忘れはひどいわヒステリーをしょっちゅう起こしてセルフコントロールはできないわで、足引っ張ってばかりだったのだが、じゃあ他のメンバーがしげ以上に芝居に本気で取り組んでたかというとそんなことはないのである。結局、P.P.Produceは何のために人が集まっているのか、目的が茫漠とした、「芝居をするために芝居をしている」ような本末転倒な状態にあった。これではいっぺん全てをマッサラな状態にして、それでも芝居を「本気でやりたい」という人とだけ一緒に芝居を作っていきたいとしげが考えたのもムリはないのである。
 だから、今でもしげが「やってみたい」芝居の企画はいくつもある。ダンス中心の芝居が作れないかとも言っていた。それらの一つ一つが全て具体的に成立するかどうか、現段階ではあくまで未定なので、詳細は語れないのだが、昨日も「××××ってのはどう?」と相談されているのである。
 しげは脚本は書けないが(常識がないからである)、最初の設定だけだけなら思わず膝を打つような面白いアイデアを出せる。昨日聞かされたネタも、聞いた途端に私のアタマの中で奔流のように脚本の構成とディテールが浮かんできて、実現できればかなり面白い芝居になることが予測できた。下手に大言壮語していると自分で自分の足元を掬いかねないのだが、少なくとも橋×二十×や鴻×尚×(今のダレたもんしか書けなくなった)よりは“見られる”脚本を書けるよなあとは思う(謙虚に言ってますよ)。となると、あとはスタッフとキャストの問題になってくるのだ(-_-;)。
 しげからアイデアを聞かされた段階で既に問題が生じてるんだが、これ、キャストにかなりな人数を要するのだ。しかもアテ書きが殆どできない。だから、役者として参加するつもりならあまり生半可な気持ちで取り組んでもらいたくはないのだ。セリフをどこまで自分のものにしてかつ膨らませることができるか、挑戦してもらわなければならない。「所詮シロウトだしー」なんて言い訳はしてほしくないのである。かと言って、クソマジメにしゃっちょこばって「やらせていただきます!」なんて熱血に取り組んでもらっても成立しない芝居なので、そのあたりの兼ね合いが難しい。つまり、役者として「努力」は必要だが、そこに「余裕」がなきゃならないということなのだ。単純に「芝居を作る」ことよりも、「面白いものを作る」姿勢が必要だ、と思ってもらえればいい。
 演技をするに当たっては、これまでの自分の「殻」を一つ破ってやろう、という気持ちを持ってもらいたいと思う。それくらい今度の脚本は面白くなりそうだ。でもどんなに「おもしろい」脚本であっても、「やりたい」人が集まんなきゃどうにもならない。……なんつーかねえ、ハッキリ言っちゃってさ、私ももう、「やってみたいけどー、自信ないしー」とか「何が言いたいんだかよく分かんないー」なんてヌルイ返事、聞きたくもないのよ。だもんで、こっちから積極的に声かけようって気にならないの。
 とりあえずは脚本をあげて、それから実現に向けて動き出すことになるから半年は準備期間が要る。で、キャストが本気で取り組むなら、セリフ覚えに立ち稽古に、3、4ヶ月程度で充分モノになるはずだ。P.P.Produceのみなさん、やる気ありますか?


 なんだか毎日スパムが来るなあ。今度は「もう既に知り合い」を偽装したメール。

> **********@kje.biglobe.ne.jp
> これであってますか?

> 改めてはじめまして♪ゆかだけどアドこれでいいんですよね?
> もうすぐ約束の日が来るけどどんな格好で来るか教えてもらっていいですか?
> 私は白のブーツで上はニットの青系かな?じゃあ仕事がんばってね♪

 「アドこれでいいんですよね?」が間違いメールを演出したつもりで、作りがワザとらし過ぎてバレバレ。当然、不特定多数にバラ撒かれているので、Google検索すると、結構な数がヒットする。「『改めてはじめまして』って日本語として合ってるのか?」ってツッコミもあったな(^o^)。まあ、これ以前に「ゆか」さんと誰ぞとの間にあったやりとりの内容如何によってはこういう表現もあり得るでしょう。そんなやり取りなんて存在しないんでしょうが。
 「引っかかる人がいるかも」とコメントしてた人もいたけど、これだけやたらスパムメールが氾濫してると、騙される可能性はどんどん低くなってると思うけどね。偶然にもホントに「ゆか」という名前の人と会う約束してた人なら別だが。

2003年01月12日(日) ヤマさんが見ていた/DVD『パニックルーム』/『快傑! 鈴鳴高校探偵部』1〜3巻(日下部拓海)ほか
2002年01月12日(土) 寝(られ)る場所そろそろ作らんとな/『仮面ライダー激闘ファイル』(岩佐陽一)/DVD『本陣殺人事件』ほか
2001年01月12日(金) 一陽来復


2005年01月11日(火) 夜更かしでヘロヘロ/アニメ『ギャラリーフェイク』第1話

 今日からまた仕事だと言うのに、昨晩はつい夜更かし、新番アニメを2本、続けて見てしまった。
 どちらもテレビQ(テレビ東京系)で、『ギャラリー・フェイク』と『まほらば』。
 原作が好きなだけに『ギャラリーフェイク』にはちょっと期待していたのだけれども、脚本、作画、演出全てにおいて凡庸。細野さんの絵自体、かなり“揺らぎ”のある腺で出来ているので、アニメーションにするにはなかなかムズカシイところがあるのだが(その描線をうまく活かせていたのは劇場版『GUGUガンモ』くらいのものだった)、危惧していた通り、整理された線は動かず固く、キャラクターをいやにのっぺりとしたものにしてしまっている。つかさー、サラが可愛くないんだよ(-_-;)。「なんだお前、“サラ萌え”だったのか」と突っ込まれそうだけれど、『どっきりドクター』(もちろん原作のほうね)の頃から私ゃ細野さんの描く女の子が好きだったんだから、ハンパなアニメリライトじゃ許せるもんじゃないのよ。
 原作とは順序を変えて、第1話に『贋作画廊の男』(フジタがメトロポリタン美術館のキュレーター(学芸員)を辞めた経緯が紹介されるエピソード)を持って来たのはキャラクターを視聴者に理解してもらう手段として妥当ではあるけれど、特に面白いアレンジでもない。そのフジタの悪漢ぶりを印象付けるためにだろうか、オークションでモネの「積み藁」を競り落とすための資金を、原作ではサラのポケットマネーから出していたのをフジタの裏金に変更したのは自然ではあるけれどもやはりつまらない。「第1話」としての体裁を整えたために、サラの見せ場を消しちゃったし。あれじゃサラはただの「付き添いの女の子」にしか見えない。スタッフは分かってやってるんだろうけれど、たいした演出効果があるわけでもない点に気付いてないようだし、所詮は頭でっかちで自分たちだけ悦に入ってるだけなんである。
 ……なんかねー、『ギャラフェ』にやたら腹立ったせいでねー、次の『まほらば』がすっげえ面白く感じちゃってさあ。いやもうオレ、こういう美少女がワンサカ出るだけの男のリビドー全開なアニメはもういいやって気になってるんだけれど(と言いつつ、『くじびきアンバランス』目当てで『げんしけん』のDVDBOX買ったのどこのどいつだ)。


 正味、3時間ほどしか寝てないので、仕事中はかなり疲れる。訪問客が約束の時間に遅れて来たんで残業にもなっちゃったし。
 帰宅して、本読んだり映画見たり。感想は書く余裕ありません(^_^;)。


さて、またしてもスパムメールブロックをすり抜けてきた迷惑メールだけれど、文面見たら以前送られて来たものと全く同じものであった。

> 藤堂理沙
> 初めまして、理沙です。こんにちわ

 「初めまして」じゃないよ、前にもメール送っておきながら忘れちゃったのね? しくしく。でも「こんにちは」を「こんにちは」って書くような無知無教養な方だから記憶力がないのも仕方ないわね(^o^)。

> はじめまして。藤堂理沙といいます。27歳です。
> あなたのプロフィールを見たところお近くにお住まいのようでしたし、楽しくお付き合いできる方を探しててメールしました。

 確かにプロフィール載せちゃいるけどね、やはりここで「私も福岡なんですよ」とか書かないと相手は騙せませんて。いったい何千何万通送ってるのか知らないけど、コピーの限界は、いくらキャラクターを作りこんだつもりでいても、肝心なところで具体性に欠けてるからとても実在してるとは思えない点だわね。

〉正直に自己紹介させていただきますと理沙は結婚暦3年の主婦なんです。。。

 「結婚暦」ってコトバは自分で作ったの? 「結婚“歴”」ってコトバならあるけど。でもその場合は「自分が過去に何度結婚したか」という意味を表すんで、数え方も「1回」「2回」。「結婚して今年で3年が経つ」と言いたいのなら「結婚3年目(本当は4年目かも)」と言えばいいだけの話。難しいコトバを使おうとしてヘンな言い回しになっちゃうのって、小学生によくあるね。

> お恥ずかしい話、セックスレスで身体がなんとなく寂しというか不安で。

 「寂し」。いきなり古語を使い始めましたよ(^o^)。
 なんかあとはいちいち突っ込むのがめんどくさくなったのでテキトーに読み飛ばして下さい。

> いきなり不快にさせてしまったらごめんなさい。
> でも・・・本当に悩んでいるのです。
> 暇とお金は余裕があります。
> 一晩だけでもご一緒してくれたら・・・あなたにステキな夜をプレゼント出来るような気がします。
> もちろん、その気があったらですけれども。。。
> 性格はタレントの梨花に似ているとよく言われますが、あそこまでは騒がしくない女だと思ってます。
> 好きな事は料理(特に煮物)と、ドライブ、温泉めぐり。
> 仕事は化粧品やダイエット商品を販売している会社でカタログの編集をやっています。
> 気を張らずにリラックスした関係でいられて、秘密厳守なお付き合いが出来ることがこちらの希望です。
> こんな私ですがデートに連れ出してもらえませんか。
> 働いてますが時間の都合はつけやすいと思います。
> 車でお迎えにも行けますので♪
〉よかったらお返事くださいね。

 だから相手の名前をヒトコトも呼ばないメールなんて信用されないってば。つかよー、私の日記をホントに読んでる人間なら、こんなんに反応するはずないって分かるよなー。まだセールスウーマンのほうが「○○さんだからこそお声をおかけしたんです」とか、少しは工夫して喋るぞ。同じ文面のメールをばら撒くだけなんて、詐欺も手間をかけずにラクしようというのは、詐欺道も地に落ちたものである(そんなんナイって)。

2003年01月11日(土) 妊娠来たかと鸛に問えば/『今日も映画日和』(和田誠・川本三郎・瀬戸川猛資)/『ワイルダーならどうする?』(キャメロン・クロウ)
2002年01月11日(金) 先陣争い雪隠の役/『雪の峠・剣の舞』(岩明均)ほか
2001年01月11日(木) 一週間が長いなあ/映画『ノース 小さな旅人』


2005年01月10日(月) 橋本幸治監督、死去/舞台『エデンの南』ほか

 昨日放送されて、録画しておいたNHK『深夜劇場へようこそ』枠の舞台『エデンの南』を見る。
 橋本二十四脚本、山田和也演出という、つまりは昨日見たばかりの『大騒動の小さな家』と同じコンビの作品なのだが、キャストも西村雅彦、雛形あきこ、高橋ひとみ、袴田吉彦、渡辺哲と、殆ど同じである。『エデン』は2002年の公演で、以前もテレビ放送されている。となるとこの芝居、かなり評判を呼んで、その流れで『大騒動』も製作されたとおぼしい。……けれどやっぱり『エデン』もそんなに面白くはないのである。
 嵐で潰れたリンゴ園の従業員たちが、新生活を探して南に旅に出る、そこまでの設定は強引ではあるけれども面白くはある。けれど、行く先々でバイトをしながら新生活に飛びこもうとして飛びこめずに終わるその過程、これが『大騒動』同様、やたらセリフが饒舌なだけでたいした事件もなく退屈で仕方がない。脚本が面白くなりそうで面白くならない、役者の未熟な演技の方が目につく点まで同じなのである。
 思うに、この『エデン』が「そこそこには面白かった」のがよくなかったのではないか。舞台を評価する場合、必ずしも演劇としての完成度が高くなくても、そこに「これから伸びる」要素が感じられれば、期待度を含めて誉めることはよくある。『エデン』も、設定だけなら「面白くなりそう」なのだ。そこを誉められて、脚本、演出、キャストが「勘違い」してしまったのではないか。「このままでいいのだ」と。
 『大騒動』は『エデン』から一歩も先に出るものではなかった。昨日の芝居のラストで、「『大騒動の小さな家2』に続く」とテロップが流れたが、本気で『2』を作るつもりなら、「設定だけでは芝居はできない」ことを誰か橋本さんや山田さんに言ってやる必要があるのではないか。でないと、山田さんが解説で語っていた理想、「芝居が観客を育て、観客が芝居を育てる」状況など、百年経っても生まれようがないと思うのである。

 夕方から寝ていたしげを起こしてお出かけ。
 「ヤマダ電器」でDVDの予約をして、「牛角」で食事。それからキャナルシティへ。
 先日の公演の手伝いをして頂いた富田さん、堤さんの劇団「改FREE’S」の第3回公演を見に行ったのだが、困ったもんで、今回もある事情で公演タイトルや内容を紹介できないらしい(^_^;)。ある程度は具体的なことを書かないと、感想も批評のしようもない。せいぜい「面白いところもあった」くらいしか書けないのである。今後も公演があればぜひ見に行きたいし(公演中、堤さんには流し目頂いたし)、具体的なことが書けるような状況を作って頂きたいものなのだが。


 帰宅して、カートゥーンネットワークで『魔探偵ロキ』『LAST EXILE』の第二話。すごくいい出来とまでは言わないけれども、この2本はそれなりに見続けて行けそうである。本も何冊か読んだが、また長くなるので省略。だから一日にあった出来事を全て書いてくことなんて不可能なんだってば。


 映画監督の橋本幸治氏が、昨9日、心疾患のため死去、享年68。
 つい先日、NHK『さらばゴジラ』に出演されているのを拝見したばかりだった。いつごろ撮影されたものかは分からないが、あれが最後のインタビューだったのか。
 長い助監督生活を経て、『さよならジュピター』で監督昇進、1984年版『ゴジラ』にも抜擢されたにもかかわらず、番組では「『ゴジラ』を最後に引退を決意した」旨のことが語られていた。『ジュピター』も『ゴジラ’84』も、作品としての評価は決して高くない(と言うより誉めてる批評を見たことがない)。ファンの間ではてっきり映画の不出来の責任を取らされて、「干された」のだろうと想像していたのだが、実際には橋本さん自ら、身を処していたのだった。その心情は詳しく紹介されなかったが、推して知るべしというところだろうか。
 オタクアミーゴスの公演で唐沢俊一さんが橋本監督について紹介していたエピソードだが、「『さよならジュピター』を監督していたとき、製作総指揮の小松左京が主題歌を×曲も入れようとしたのを橋本監督がなんとか4曲にまで減らした。そのことだけでこの監督はたいした人だと思った」(×の数字は6から9くらいまで随時変わる)ということである。古くからのSF・特撮ファンなら先刻ご承知だろうが、「日本初の本格的SF映画」と銘打ったあの映画の中で、松任谷由美と杉田二郎のなんともふやけたニューミュージックがやたら流れて、当時の観客に滂沱の涙を流させたのである(もちろん感動の涙などではない)。
 特に、ジュピター教団の教祖役の杉田二郎(今見ると例のグ○氏にソックリである)が、可愛がっていたイルカの「ジュピター」が死んでしまって悲しみの余り即興で作った「さよならジュピター」、これがもう空前絶後の駄曲なのだ(あのタイトルの「ジュピター」って、木星のことじゃなくてイルカのことだったんですよ、奥さん!)。「きみはー、とてもー、おおきーくてー」なんて腐れた歌詞を聞かせられて、内心「やめてー!」と悲鳴を上げていた観客は当時ごちゃまんといたはずだ。……今でも劇場の雰囲気を覚えているが、「オレたちは今こここに座ってなんでこんな映画見せられてるんだろう?」という脱力感が一面に漂っていた。
 もちろん『ジュピター』のどうしょうもないところはそんな「歌」程度のものではないのだが、諸悪の根源は小松左京御大にあったと言えなくもない(なんたって、テレビ番組に出た時、「この映画の見所は?」と司会者に聞かれて、「無重力セックス!」「……ほかの見所は?」「無重力セックス!」と答えたヒトである)。けれど、『ゴジラ』の出来が結局アレで、しかもエンディングでザ・スターシスターズというなんやよう分からん外国人女性グループに『GODZILLA(愛のテーマ)』を歌わせて、再度ファンを脱力させたことを考えると、やはり橋本監督にも何か「ズレ」があったことは否めないと思うのである。
 監督になった時期も悪かったのかもしれない。実際に、映画を殆ど自社製作しなくなっていた当時の東宝(今でもそうだが)では、映画製作に当たって監督として立てることができたのは橋本監督以外にいなかった。しかも『ジュピター』も『ゴジラ』も自分で企画を立てて作りたいものを作ったわけではない。結局、この二作だけでは「橋本監督はどういう映画監督だったのか」、分析することは困難なのである。
 橋本監督は東宝に監督としての生命を殺されてしまったのだろうか。そう考えると、『ジュピター』も『ゴジラ』も、駄作と言うよりも「兵どもが夢の跡」、刀折れ矢尽きた悲しい遺骸として見えてくる。『ゴジラ』のラストシーンで、首相役の小林桂樹はゴジラの死に涙を流す。いったい何の涙なのか、当時の観客は脈絡の分からぬその涙に失笑し、あるいは大笑いした。私も失笑したその一人であったのだが、その後の十数本に及ぶ愚作の歴史を思うにつけ、今はもうあのシーンを見て笑うことはできなくなった。今思うに、あれは橋本監督自身の涙だったのかもしれない。

2003年01月10日(金) また仕事休みました/『ドラゴンボール完全版』1・2巻(鳥山明)/『プリティフェイス』2巻(叶恭弘)ほか
2002年01月10日(木) ヒメ様ご出座/アニメ『七人のナナ』第1話/『トランジスタにヴィーナス』3巻(竹本泉)ほか
2001年01月10日(水) 史上最悪の日/アニメ『プロジェクトA子』


2005年01月09日(日) 今年も毎月芝居が見たい/舞台『大騒動の小さな家』ほか

 夕べも夜更かししてテレビを見ていたので(高橋源一郎さんと松尾貴史さんの『本屋平積みプロジェクト』は面白かった)、午前6時から午後1時くらいまでは爆睡。しげは珍しくも昼間仕事なので、11時には職場に向かって行ったようである。出掛けに声は掛けられていたようだけれども、寝惚けていたので余り記憶に残ってない。
 「ちゃんと起きてきいよ」
 「1時過ぎには起きるよ」と会話したような気もするが、ウロオボエ。
 しげの職場で待ち合わせというのは珍しいが、今日は夕方から北九州へ芝居を見に行く予定なのである。しげの仕事が終わって、すぐに特急で行かないと開演時間に間に合わない。だったら最初から仕事休みを取っておけばいいようなものだが、シフトの関係でどうしても出勤せざるを得なかったらしい。
 寒風吹き荒ぶ中、しげの店の前でしげの着替えを待つ。お出かけだと言うので、しげはかなリ「気合い」の入った服(例の「チャイハネ」で買ったヒンディーな服である)を準備していて、やたら時間がかかる。
 結局、20分ほど待たされたが、風邪を引かなくてホントによかった(←イヤミ)。でも「随分待った?」と聞かれると、その場では「10分くらいだよ」とつい少なめに言ってしまうのであった。ここでバラしてしまっているから意味ないが。
 出てきたしげに「忘れ物してないか?」と聞いたら「うん!」と即答する。でも実は腕輪とか指輪とか、アクセサリーを付けるのを全部忘れていたのであった。条件反射でしか返事してないことが明白である。

 博多駅からソニックつばめに乗って、小倉まで。
 駅の構内から街中まで、新成人の和服着たねーちゃんたちがやたら闊歩しているが、みんなとてもハタチには見えないくらい化粧がケバイ。特にマツゲが濃くって、すれ違いざまに瞬きされると、突風が起きるほどである(ウソ)。ハタチしかいないはずなのに、どう見ても「お前30だろう」ってのがゴロゴロいたので、「なんでみんな化粧が濃いんだ」と呟いたら、しげが「自分じゃやってないでしょ、着付けのときにして貰ってるんだよ」と言う。するってえと、これが今の流行ってわけなのかねえ。なんか『薔薇の葬列』のピーターみたいで、70年代に逆行した感じだったのだが。それともこれが小倉の風土なのか。

 会場の「リバーウォーク北九州芸術劇場」までは15分ほど歩き。しげはブーツまでハイヒールで決めているので、早歩きができない。うまく特急に乗れて時間に余裕があったので問題はなかったが、もしも一本遅れていれば、走れないしげを抱えて、私か走っていかなきゃならないところであった(できねえって)。
 開場まで30分ほど間があったので、福家書店で時間つぶし。ちょうど映画パンフレットのコーナーが特設されていたので、ふと覗いてみると、『モンティ・パイソン・アンド・ナウ』『モンティ・パイソン・ホーリー・グレイル』のパンフレットが! 迷わず購入したが、いくらしたかはちょっとここには書きたくないのである(^_^;)。でも、偶然の配剤にはひたすら感謝。

 中ホールにて、舞台『大騒動の小さな家』。
 橋本二十四脚本、山田和也演出のオリジナルシチュエーションコメディで、出演は西村雅彦、安達祐実、高橋ひとみ、雛形あきこ、袴田吉彦、TAKE2(Wキャストで今日は東貴博)、モロ諸岡。
 前に来たときも思ったが、ここの劇場は実にいい。壁の作りがいいんだろうが、反響が少なく音の通りがよくてセリフも聞き易いし、音楽もうるさくない。客席のカーブも適度で、最後部席でも舞台が間近に見える。カーテンコールでモロ諸岡さんがやっぱり「すばらしい」と誉めてたが、これは外交辞令じゃないだろう。福岡でもこのくらいの劇場がありゃいいんだがなあ。市民会館もメルパルクホールもイマイチなんだよなあ。
 会場は女性客多し。芝居好きの定連さんよりは、好きな役者さんが出てるから来てみた、という感じの人々が多いような印象。上演中もみんなよく笑ってたし。
 ……というのも、私たち夫婦はかなり退屈してしまったからである。未来から母親に会いに娘がタイムトラベルしてやってくるという設定、もういい加減手垢が付きすぎているが、これはこれでアレンジのしようでどうにでも面白くすることはできる。ところが、ここで事件らしい事件が全く起こらないのだ。タイトルの「大騒動」なんてカケラもない、普通の日常がダラダラと過ぎていって、やがて娘は未来に帰る。いくつか小さなトラブルはあるが、芝居が盛りあがるほどではない。ただそれだけの何の葛藤もないドラマをどう面白がれというのか。
 別に私たち夫婦が芝居見巧者だとは思わないが、余りにも古色蒼然とした設定、ドラマツルギーの基本も分かってない展開、ぬるい演出が連続すれば、苦痛ですらある。役者さんはそれなりに頑張ってるんだけれども、そもそも脚本がどうしょうもないので、ノリようがない。……はずなのに、やたらゲラゲラ笑ってる人もいるんだよなあ。よく言われてることなんだけれど、今の観客、ホントに笑いすぎなのだ。どう見てもつまんない芝居になぜ笑うのか、「カネ払ってんだから笑わなきゃ損」とでも思ってるんだろうか。

 私もしげも、無口で劇場を後にする。
 いい芝居を見ると二人ともやたら饒舌になるのだが、つまんないとお互いの顔色を伺って、「どちらが先に口火を切るか」と慎重になるのである。まかり間違って、「面白い」なんて言われたらどうしよう、と不安になるのだ(^_^;)。
 誘惑に負けたのは今日はしげの方で、「面白かった?」と聞かれたので、「今イチ……、今二……今三くらいかなあ」と答えた。
 「役者がもっとよければねえ」と溜め息をつくしげ。
 「役者の問題よりそもそも脚本が悪いよ。キャラクター同士に何の葛藤もないんだもん。娘がタイムトラベルしてやって来るんだったら、普通、それを引きとめるタイムパトロールとか出てくるもんだろう。受け入れるほうだって何であんなに簡単に未来人だってことを信じて受け入れるんだよ」
 「西村雅彦や安達祐実にそんな演技はムリだよ」
 「演技の幅が狭いのは分かるから、役に合わせて脚本書き換えればいいんだよ。西村さんなんて、いてもいなくてもいいキャラになってたじゃないか」
 「……オレ、高橋ひとみさんは好きなんだけどねえ」
 「オレも、モロ師岡さんは好きなんだけどねえ」
 これが今年初の芝居観劇だと思うと……二人でタメイキ(+_+)。

 ハイヒールブーツのせいで、しげの足がかなりヤバくなっていた。小倉駅からリバーウォークまでの15分の距離がやはり響いたのだろう。福岡のキャナルシティよりも面積としては広そうでおシャレな店も多く、劇場も映画館もあるので、いい環境なのだけれども、駅から遠いのがちょっとネックである。
 靴屋に寄って新しいブーツを買って履き換えさせると、しげ、「足がこんなに軽くなった!」と言って喜ぶ。財布も軽くなったので、私はちょっと悲しかったが(+_;)。


 帰宅して、テレビでNHK大河ドラマ『義経』の第一回。
 デキゴトの結構はもう決まっているのだから、後はドラマとしてどう膨らませるのか、歴史の隙間にいかに作者の想像を加えていくか、そこが大河ドラマの面白さなのだが(だから前回の『新選組!』は「史実を歪め過ぎ」と批判はあったけれども、面白い部類だったとは思う)、一回目を見た限りでは、どうもノリがよくない。
 平治の乱のラストから始めて、義朝の遺児たちの行き先が決まるまでで1話使うというのは余りにのんびりしているけれども、にもかかわらずドラマが「濃く」なっている印象が少ない。義朝の死などダイジェスト的にしか描かれないし、ナレーションは説明的でうるさいばかり。何より、清盛に渡哲也を配し、いったん重厚に「頼朝は死罪」と言わせておきながら、それを翻意させたのが白石加世子のお徳婆さんによる「親子の情愛」についての説得だった、というのは、いささか「甘過ぎ」なのではないか。そうでなければ現代人の共感を得ないとの脚本家の判断なのだろうけれども。「甘い」というより「ぬるい」時代劇が多い中(それは映画でも同じで、『たそがれ清兵衛』も『隠し剣鬼の爪』も、悪い出来ではないのだけれど、時代劇として見るとやはりぬるいのである)、大河ドラマくらいはもう少し硬派に作って欲しいと思うのだが。


 マンガ、和田慎二『スケバン刑事』(完全版)5巻。『炎の記憶』『紅椿奪回』の二編を完全収録。
 第2部開始で、サキは実は生きてました、という展開。昔読んだときも「無理あるよなあ」と思ったけれど、読み返してもやっぱリ印象は変わらないな。つまんないのになんでこう何度も読み返しちゃうんだろう、と自分でも疑問に思ってたんだけど、一応これも「ミステリマンガ」だったからなんだなあ、と今になって気が付いた。いや、昔はホントにミステリマンガって少なかったんで、「ナツキは本当にサキなのか?」とか、「紅椿はいったい誰に誘拐されているのか?」とか、ミエミエの「謎」でも惹かれてたんだよねえ。……いや、本気でミステリマンガを期待する人には勧めませんとも。一応“トリックには触れないけれども”、紅椿が実は……ってんなら、「だったら最初から………かい!」とごく当然な疑問が浮かんじゃうのよ。
 2代目スケバン刑事の吉村美鈴も今巻から登場だけれども、これが後のテレビシリーズの『スケバン刑事�供戞忰掘戮鮑遒詆�線になっていたのであった。ってホントかい(^_^;)。
 あと、若い人への蛇足な解説、「メイキング」にある第2部の前の「コケた連載」というのは、『ピグマリオ』第1部のことね。あれも結局は隠れファンがいて熱烈なプッシュがあり(80年代の一時期、某マンガ専門誌には「『ピグマリオ』再開祈願」のファンレターがやたら載っていた)連載再開、結局は完結させたんだから、和田さん、今頃愚痴言わなくてもいいと思うなあ。


 映画評論家の小森和子さんが、昨8日、呼吸不全のため死去。享年95。
 この十年ほどはパーキンソン氏病を患って殆ど寝たきりの状態で、殆ど公の場には出てこなかったので、若い人には馴染みが薄いとは思うが、戦後の映画“解説”者として代表者を挙げるなら、淀川長治さん、水野晴郎さん、そして小森さんということになる。このお三方に共通している点は、テレビに出た時には決して「評論」を行わなかった、ということだろう。そして、それぞれに「決め台詞」を持っていた。その点、解説者として出演しても言っちゃ悪いが基本的に「地味」で、時にはカラクチの評論までしていた荻昌弘さんとは全くスタンスが違っていた(でも私は荻さんが一番好きだった)。
 「批判される=つまらない=映画を見に行かない」「誉められる=面白い=映画を見に行く」と短絡的な思考でしか映画を見ない人が圧倒的に多い日本では、まずは自分のキャラクターを作って「売る」、そしてともかくその映画のいいところを探して誉める、という方法を取らざるを得なかったことは理解できなくはない(まあ、私も映画の感想を書いてるときにはそうしている面はある)。宣伝係である以上、提灯持ちを務めなければならない事情があっただけではないのだろうと思いはする。しかしそれにしても「恋愛」にだけスポットを当てたような小森さんの解説の仕方は、テレビを見ていて余り好ましくは感じられなかった。映画の見方が余りにも狭いのである。特に晩年、ハリウッドスターの誰々と寝た云々をやたら口にするようになってからは、その老残を晒した不気味なキャラクターの印象の方が先行するようになってしまった。
 映画解説者は、文芸評論家に比べるとなぜか異端な人々が輩出する傾向がある。フリークスが受容されやすいのが映画界だマスコミなのだ、と言われるとそうなのかもしれないが、それにしてもおすぎが映画評論家の代表のように思われている現在をも視野に入れると、そういう「流れ」ができていることが逆に映画の魅力を伝える方向をかえって歪めてしまった面もあるのではないか、と疑義を提したくはなる。彼らの存在はキャッチーではあったが、語られた言葉が信頼に足るものではないことも多く(感想文の域を出ない)、「この人たちに誉められても、面白そうに思えないなあ」と感じることも多かったからだ。「決まり文句」も逆効果で、淀川さんの「サイナラ、サイナラ、サイナラ」はともかく、水野さんの「いやあ、映画ってホントにすばらしいですね」と小森さんの「来週も、モアベターよ」は、つまらない解説を聞かされた後では特に「どこがすばらしゅうて何がベターなんや」と突っ込みたくなった。同様の思いをしていた人も多かったのではないか。
 「試写室で寝てばかりいる」と批判されていたこともある(江口寿史が『なんとかなるでショ!』の中でからかっていた)。「日本の映画評論をオカマと婆さんがダメにした」と堂々と書かれたこともあった。ワルクチを言われても、その活動に何か実があったならそれを撥ね返すこともできたと思うのだが、いかんせん、それらの批判はたいてい当たっていた。小森さんが表舞台から去って行ったのは病気のためだけではなかったと思う。
 新聞記事には「おばちゃまの死で映画界は大きな財産を失った」と書いているものもある。それは確かにそうだとは思う。ある意味、小森さんの存在は映画というもののデタラメさ、胡散臭さ、どこかヘンでキッチュな、抜群に楽しくてそれでいて悲しい、ありとあらゆるものがごちゃまぜになった闇鍋のような面白さを体現していた。映画は基本的に「異形」なのである。しかし、小森さんの活動はその「異形」を自らのものとして観客が受容し、どんなヘンなものでも愛せるようになるところまでには至らなかったのではなかろうか。結局、小森さんは一般の映画ファンにとっては遠い存在でしかなく、ただの「見世物」でしかなかったのである。
 空疎な言葉はもう要らないと思う。見せかけだけで人を引く「解説」は無益だと思う。これから映画を「解説」していく人は、たとえ身に異端のマントを纏っていても、その語る言葉には映画の光と影を切り開く鋭利なナイフを感じさせてほしいと思う。それが本当の意味で小森さんの衣鉢を継ぐことにならないだろうか。

2003年01月09日(木) 革命児の帰還/『ヒカルの碁』20巻(ほったゆみ・小畑健)/『ななか6/17』9巻(八神健)/『パタリロ西遊記』5巻(魔夜峰央)
2002年01月09日(水) 多分初雪/映画『大菩薩峠』(岡本喜八監督版)ほか
2001年01月09日(火) 仕事初め


2005年01月08日(土) 夢見る頃は過ぎてるか?/映画『悦楽共犯者』ほか

 早朝(つか午前3時)、加藤君が公演の時に預けっぱなしにしといた荷物を取りに来る。仕事が終わるのがこの時間なので仕方ないのだが、考えてみたらうちの劇団、昼夜逆転の生活送ってる人間がやたら多いんだな。
 こないだの公演のアンケートを見せると、なんだか複雑な表情。
 「『もっと本格的にダンスをやればよかったのに』って、教えてくれた人は本格的だったけど、本格的にできなかったんだよう」と泣きを言う。
 本人はpppの日記の方でも「自分は努力をしない」とかやたら卑下しているのだが、別に練習をサボっていたわけではない。いや、確かに要領が悪くてすぐに練習に入れないし出された指示はすぐに忘れるし、サボってるように見えはするのだが、練習中の加藤君はプレッシャーでイッパイイッパイだったのだ。そのあたりはここ数ヶ月の日記の迷走ぶりを見れば充分察せられよう。演技を誉められてるアンケートだってあったのだから、あまり自分のことを悪く捉えすぎないでほしいものである。
 しげなんてアンケートを読んで、「普通に誉められててつまんない」とまで言ってるのである。それはそれでゴーマンな態度であまりよかぁないんだが。
 しげ、加藤君に先日「チャイハネ」で買った福袋の「余り」をお裾分け。つか本当に要らないものばかりを押しつけてるんだよな。例の「グル人形」もあったが、加藤君、「これは売れ残りますよねえ」とか言って、でもちゃんと受け取るのである。「これ、ボインさんなら欲しがりますよ」とか言ってたが、いくら珍しいもの好きの細川さんだとて、さすがに松本智津夫を部屋に飾るような悪趣味はないと思うがなあ。
 ……「悪趣味」でふと思い出したが、芝居で使った私の女装姿をプリントしたTシャツ、あれ、今、誰が持ってるんだ。あんなゲテモノ、さっさと破棄してくれた方が言いと思うが。……まさか加藤君まだ着てたりしてないだろうな(画像データだけはあるので、見たい人はネットに晒さないという条件さえ守ってくれればお送りしますよ。って、見せたいんかい)。
 しげ、こないだ録画したばかりの『機動戦士ガンダムOO80 ポケットの中の戦争』を加藤君に見せたがるが、時間がないということでほどなく辞去。仕事が終わってくたびれてるところに、さらに2時間半のフィルムマラソンは辛かろう。またの機会もないじゃなし、今すぐに無理強いすることはないのである。しげはどうやら感動屋の加藤君ならきっとボロボロ泣くだろう、それを見たいと思っているようであるが、どっちかって言うとあれは見終わったあと「しんみり」するほうじゃなかろうか。

 まだ未明ではあったが、もうコバラがすいていたので、近所まで外出。コンビニで軽食を買って、「ビッグ・コミック・オリジナル」を立ち読みする。
 浦沢直樹の『PLUTO プルートウ』、アトムに続いてウラン、中村捜査課長、田鷲警視、名前だけだけれどもお茶の水博士も登場。
 それぞれ浦沢直樹キャラとしてリライトされていながら、元のキャラの「匂い」をちゃんとさせているのには舌を巻く。そうかあ、ウランは「お下げ」だったか。単純なトンガリアタマだとアトムとの差異化が図りにくいよなあと思っていたので、このアイデアは実に秀逸。人とロボットを瞬時に見分けられるって設定、原作にはあったかな? こういうこまっしゃくれた女の子がスッと「一番怖がっているのはお兄ちゃん」なんて言うんだから、これはなかなかに怖い。田鷲警視の鼻も実に「適度」だし、この分だとお茶の水博士のデザインを期待できそうである。
 オリジナルの田鷲“警部”が「警視」になっているのは、実際の警察機構のシステムに合わせた結果だろう。中村課長も肩書きが警部なので、なんで警部が二人揃って事件に当たってるんだと、そこは原作のいい加減なところだったから。細かいところまでよく目を配ってるんである。
 そしてついに登場のアブーラ博士ならぬアブラー博士。我々はどうしても「アブーラ」と発音してしまいたくなるが、これは本当は浦沢さんが書いてる通り、「アブラー」と発音する方が原音に近いらしい。このへんもチェックが細かいのである(若い人にはわかんないだろうけれど、これ、「ABRACADABRA(我が願いを叶えよ)」ってヒブリ語の呪文から取ってるんである)。黒幕のチョチ・チョチ・アババ(これも若い人は知らないようだけれども、赤ちゃんをあやす言葉)三世はどう変更されるのだろうか(^o^)。原作通り、彼がプルートゥを作ったということなのか、そこはまだ判然としないけれども、どうやら彼の設定はロボットではなくてサイボーグということらしい。ということは、1巻でビルからビルへと飛び移っていた「人間」の正体は……? 結末が原作と同様のものになるのなら、この「半人間」という設定はかなり「効いて」来ると思われる。ラストに出てきたエヴァもどきはさてついに登場したプルートウなのかどうか? 月イチ連載というのはホントに待ち遠しいなあ。

 ひと寝入りした後、DVD『悦楽共犯者』を見る。
 スチール・アニメーション作家、ヤン・シュワンクマイエルの実写&アニメの秀作。……とはいうものの、なんたってシュールレアリスムの巨匠であるから、意味は何だかよく分からないのであった(^o^)。でも分からないけれど面白い。「人間は自らの快楽のためなら何でもする。それこそどんな異常な行為でも」ってのがコンセプトなんだろうと推測はできるのだが、パンを丸めて団子にして鼻に太いストロー突っ込んでそれで吸い上げるって、これ、快楽を追及してるのか(^_^;)。
 でも、そういうナンセンスがシュワンクマイエルの真骨頂なので、これを面白がれないと彼のどの作品も楽しめないのである。その意味でシュワンクマイエルも「観客を選ぶ作家」だと言えるだろう。けれど、こんなナンセンスまでも自在に描けることがアニメーションが本質的に持っている表現力なのだ。アニメの底の深さを知るには格好の作家さんなんだけれど、最近は新作の話を聞かない。日本に輸入されてないだけだとは思うけれども、こういう人の存在を知らずして「日本のアニメは世界一」とか嘯いてたら、それはあまりに無知で無恥だということになろうかと思う。

 後は長くなりそうなので簡単に。
 日本映画専門チャンネルで『燃える秋』。
 真野響子が一番美しかった頃の、社会派の巨匠小林正樹監督によるペルシャロケもけばけばしい一大恋愛ロマンだけれども、あまりに浮世離れしすぎていて、全体的に何だかヘンな映画なのであった。
 WOWOWで舞台『夜叉が池』。
 泉鏡花原作、長塚圭史脚本、三池崇史演出と、なんだかすごい布陣だが、これも個性と個性がぶつかり合って、かなりヘンな舞台になっていた。田畑智子の妖しい美しさと丹波哲郎の怪しい女装のコントラストがスバラシイ。きたろうさんが出てくると舞台が突然コントになってしまうのも面白い。


 夕方、まだ寝こいてたしげを起こして食事に誘う。
 寝起きなせいか、しげ、気分が悪くて食欲がない。「今日は出かけないつもりだったのに」とブチブチ文句を言う。
 「でも外出しないと食料がないよ」
 「オレは弁当買ってるもん」
 「オレのはいいのかよ!?」
 こないだから体調崩してたのがまだ続いてたのかもしれないが、それにしてもやっぱり自分のことしか考えないヤツである。「しーじゃっく」までムリヤリ車を運転させて、回転寿司。私は十数皿、しげは五皿ほど。いつもはしげも十数皿をペロリと平らげるので、やはり体調が悪いのである。
 これは長いこと外出してもいられないなあと思って、すぐに帰宅した。
 ところがしげ、家に帰りついた途端に今度はいきなり「ダイヤモンドシティに行く」と言い出した。ついさっきまで「外出したくない」とか言ってたのに、どうしたのかと思って聞いてみると、「明日履いてく靴を買いたい」と言うのである。本当は昨日、買い物に出かける予定だったのだが、やはり出かける寸前になって「眠い」と言って取り止めていたのである。ホントに思いつきで行動するやつである。おかげで昨日は『カンフーハッスル』を見損ねてしまったのだ。まあ過ぎたことに文句を付けても仕方がないので、付き合ってダイヤモンドシティに出かけることにする。時間はもう7時。
 しげが靴を買ってる間に、私は本屋回り。
 小1時間ほどで合流できるかと思っていたら、1時間経っても2時間経ってもしげからの連絡がない。こちらから電話をしても無反応。ようやく会えた時は9時を回っていた。
「靴一つ選ぶのに何してたんだよ?」
「『チャイハネ』でアクセサリーも買ってたんだよ。オレが買い物したらこれくらい時間がかかるって言ってたろ?」
 言ってたことは言ってたが、こうなるとやっぱりしげの買い物には付き合いきれないのである。


 なんだかんだと貶しながらも結局殆どの劇場版を見てしまっている『ONE PIECE』だけれども、3月5日公開の新作『ONE PIECE(ワンピース) オマツリ男爵と秘密の島』の主題歌を氣志團が歌うことになったとか。
 でもその主題歌のタイトルが『夢見る頃を過ぎても』だと聞いて「おいおい」と思った人も多いと思う。いや、“こういう例”はもう日本の音楽シーンでは腐るほど前例があることなので、今更指摘したところで何がどう変わるわけでもないのだが、“既成曲のタイトルを堂々とパクって平然としてる神経”に少しは腹を立ててもいいんじゃないか。
 説明するのも野暮だけれども、『夢見る頃を過ぎても』というのは、オスカー・ハマースタイン二世作詞、シグムント・ロンバーグ作曲のジャズの名曲で、原タイトルは“When I Grow Too Old To Dream”。いろんな人がカバーしているが、確かうちにもナット・キング・コールのがあったように思う。映画『わが心に君深く』でも歌われているそうだが、こちらは未見。

 We have been gay, going our way
 Life has been beautiful, we have been young
 After you've gone, life will go on
 Like an old song we have sung

 When I grow too old to dream
 I'll have you to remember
 When I grow too old to dream
 Your love will live in my heart

 So, kiss me my sweet
 And so let us part
 And when I grow too old to dream
 That kiss will live in my heart

 And when I grow too old to dream
 Your love will live in my heart

 だいたいの歌詞の内容は、「僕たちはずっと一緒だった。けれど君が行ってしまった後も人生は続いて行く。僕が夢を見るには年を取り過ぎてしまっても、きっと君のことは忘れない。どんなに年を取ろうと、君の愛は僕の心に生き続ける。だから、キスをして。そのキスが僕の心に生き続けていくだろうから」という感じ。
 氣志團がオリジナル曲にオマージュを捧げているとは思いにくいし(つか、原曲があることを知ってるかどうかすら疑問)、どんな曲かまだ未聴だけれども、多分オリジナルとは似ても似つかないものになってるのではなかろうか。オリジナルは歌詞からも分かる通り、トシヨリの歌だし。
 つまり今回の曲は、「どこかで聞いたことある言葉でイイ感じだから使っちゃえ」ってな感じで、単にタイトルをパクっただけなんじゃないか、という気がしてならないのである。表現ジャンルの違うところでタイトルを流用するのはまだしもオマージュとして認められなくもないのだが(我々の世代はどうしても吉田秋生のマンガを思い出してしまう)、同じ音楽ジャンルでタイトルを使われてしまうのは、時と場合によっては混乱を生じる場合もあるので、迷惑ですらある。
 「『夢見る頃を過ぎても』、いい曲だよねえ」「ああ、氣志團の?」なんて言われちゃうとガックリくるのである。
 この手の経験は腐るほどしていて、私が経験した最初の例は「『時の過ぎ行くままに』、名曲だよねえ」「私もジュリー大好き!」というものであった(直前まで『カサブランカ』の話をしていたのだから、沢田研次のそれじゃないと気づいてほしいものだ)。

 既に見る前からミソが付いてしまった印象の今回の劇場版だけれども、考えて見れば、『ワンピース』に「氣志團」というのは実に似合っている。海賊マンガのフリしてるけれども、あれ、本質はただの「ヤンキーマンガ」だからな(^o^)。
 ヤンキーマンガを見分けるのは簡単で、例えば、一見温厚で陽気に見えるキャラクターが、友人が危険にあった途端に、「ああ?」とか言ってギロッと目を剥いて怒りを露わにしたら、それは性根がヤンキーなマンガなのである(非ヤンキーマンガは、そんな場合でも「ああ?」とは言わない)。キャラクターの友情の厚さを表現しているように見せかけてはいるけれども、実態は単にキレてるだけなので、人物に感情移入が出来ない。逆を言えば、ルフィの「ああ?」に全く不快感を抱かない人は、ヤン血がかなり濃いと思われるので、私には近づかないで頂きたい。でもしげもしょっちゅう「ああ?」って言ってるなあ(^_^;)。

 「不良マンガ」自体は『男一匹ガキ大将』の時代からその系譜は途絶えることなく連綿と続いている。さらにそのルーツを辿れば、国定忠治とかの任侠もの、ヤクザものまで遡ることもできる。主人公はあくまで世間の道から外れたアウトローであって、そのマイノリティとしての孤独が読者の共感を呼び、全体としてはピカレスクロマンとしての面白さがあるというのが本質なのである。
 つまり、ヤクザもヤンキーも、決して「オモテ」の存在になっちゃいけないものなのだ。座頭市が「ヤクザがお天道さまの下を堂々と歩くようになっちゃおしめえだ」と言ってる通り、アウトローが堂々とヒーローを演じて世間の喝采を受けていては、物語自体が破綻してしまう。
 昔の不良マンガでは、主人公はたいてい孤独だったし(つか、不良マンガに限らず、「孤独」であることはヒーローの条件ですらある)、このセオリーを逸脱するものは少なかったのだが、それが変質していったのがきうちかずひろの『ビー・バップ・ハイスクール』や吉田聡の『湘南爆走族』あたりからだった。あれらのマンガあたりから主人公たちは能天気で、かつひたすら馬鹿になっていき、何の心理的挫折も経験することなく、周囲にそのままの存在で受容されるようになっていった。空虚な内容で、主人公の苦労も経験も成長もないマンガであるにもかかわらず、それが受けたというのは、読者が、苦労も経験も成長もしない自分自身を主人公たちに重ね合わせて自己肯定ができたからである。「オレってバカだけどそれでいいんだ!」って感じか。バカだって努力しなくていいってわけじゃないんだけれども、そこに気がつかないのがバカのバカたる所以である。あるいは「オレ、こいつらほどのバカじゃなくてよかった」という優越感を感じているのかもしれない。
 『ワンピース』のクルーの中で、その登場の時点から「孤独」を身にまとっていたのはウソップ、チョッパーくらいのもので(だからこの二人は好きなんだが)、あとはギリギリ、ナミとニコ・ロビンがそれに続くくらいのものである。ゾロなんて「孤高の剣士」なんて紹介されることも多いが、どこをどう見たらアイツが孤高なのか(だからこそ前作『呪われた聖剣』ではゾロをルフィたちとムリヤリ引き離して「孤独」を演出するしかなかった)。ほかのキャラクターが敵に破れることはあり得ても、ルフィとゾロにだけは、それはない(負けても必ず雪辱を果たす)。しかし、そのような「恵まれたヒーロー」であるのは「真っ直ぐなヒーロー」にこそふさわしいのであって、「ヤンキー」がそれやっちゃ、「暴力振るって何が悪い」と開き直って、そんな自分たちの傲慢な態度を読者にも強要しているのに等しい。
 『ワンピース』がどんどんつまらなくなっているのは、麦わら海賊団にオタズネモノとしての悲壮感が全くないからである。舞台での国定忠治も底抜けに明るかったが、最後に激烈な死が待っていたことを忘れてはならない(私ゃ『ワンピース』をきちんと終わらせるためにはルフィを死なせる以外に方法がないと思うんだけど、そこまで考えてるかねえ、尾田さん。『七人の侍』のファンだと表明しているのなら、そこまで計算して物語を書いていく必要があると思うんだけれども)。

 今度の映画版の監督は細田守さんに代わるそうだから、そのあたり少しはマトモな映画になるかなあとちょっと期待はしたいのだが、すっかり手垢のついた物語に新しい血を注ぎこむことができるかどうか、不安も残る。どっちにしろ、ゲンブツを見てみなきゃ判断は下せないから、見に行こうと思ってはいるけれども。
 も一つ気になるのは、公式ホームページ覗いてみたら、トップページに細田さんの名前が全く紹介されてなかったことである。監督交代は結構な事件だと思うのだけれど、そのことが全く紹介されていのはどういうわけかな。監督の名前を気にするのなんてオタクだけで、氣志團の方がネームバリューが上ってか。でも『ワンピース』の場合、氣志團の起用だってどれだけ集客力に寄与するか疑問なんだけど。それとも小学生に氣志團ファンって多いのか?(それを言えば前回の中村獅童と久本雅美の起用もなんだかよくわからなかったなア)

2003年01月08日(水) 肉食ったのよ〜肉食ったのよ〜肉食ったのよ〜(エコー)/『なんてっ探偵アイドル』11巻(北崎拓)ほか
2002年01月08日(火) ココロはいつもすれ違い/『女王の百年密室』(森博嗣・スズキユカ)
2001年01月08日(月) 成人の日スペ……じゃないよ


2005年01月07日(金) キネ旬ベストテン発表/『3年B組金八先生 新春スペシャル』ほか

 早朝、しげの帰宅を待ってガストに食事に出かける。
 まだ午前の4時だが、私も仕事が早出なので、それまでの時間つぶしのつもりでプラスeの端末で遊んでいたら、なんと『スキージャンプ・ペア』の新作が公開されていた(『スキージャンプ・ペア』を知らない人はここのサイトを参照のこと。とっても楽しいCGアニメです。→http://www.page.sannet.ne.jp/masm/index.html)。
 「HALCALI編」と題された3ジャンプで、ハルカとユカリの女子高生ペアが、二人揃ってスキージャンプ、空中でスキューバダイビングして泳いだり尻相撲したり。しかも正選手をふっ飛ばしての乱入だから日本の女子高生恐るべし。
 オフィシャルDVDは1、2巻とも買ってるんだけど、この「HALCALI編」もDVDが出てるみたいだ。今度給料が出たら絶対買おう(^o^)。


 昨日よりは体調はよくなってきているのだが、まだ本調子ではない。仕事の合間にも、トイレにしょっちゅう行きたくなって困った。大事を取って、今日も半ドンで帰宅することにする。
 コンビニで買った弁当を食べて、あとはゆっくり休む。本を読みかけたが、疲れていたらしく、すぐに寝入ってしまって夜まで目覚めず。寝ている間、DVDの予約を仕掛けていたのだが、どうもディスクの調子がおかしくて、うまく録画が出来ない。通常の録画はできるのに、予約録画を仕掛けると、なぜかいきなりアタマでストップしてしまっていた。おかげで田中絹代監督の『お吟さま』を録り損ねる。無念。


 『3年B組金八先生 新春スペシャル』。
 今日だけ2時間枠なのは、上戸彩をゲストに迎えたためなのだろうが、テレビシリーズの流れの中にいきなり別のエピソードをぶちこんでいる形になっているので、話の流れがぶつ切りな印象。
 上戸彩は性同一性障碍の少女(心は男)を演じているのだが、『インストール』の時よりもずっといい表情をしている。山口百恵にちょっと面差しが似ていて、影を感じさせるところがあるので、こういうフクザツな役の方が似合っているのだろう。「男」としての演技もなかなかのものだったし、何より男性ホルモンを打とうとする直前の不安感を、実にそれらしく演じていたのがよかった。武田鉄矢の“いかにも”な説教はどうしてもドラマに始末を付けるためのご都合主義にしか見えなかったけれども。
 『金八先生』シリーズを今一つ好きになれないのは、第1シリーズの「15歳の母」のころからずっと、リアルで深刻な問題を扱っているように見せかけていながら、結局は「優しい気持ちが人の心を救う」的な理想主義で物語を締めくくる場合がやたら多かったからだ。今回も「虐待」という重い問題を扱いながら、やはり母と子の間には「絆」があるような“救いのある”形で終わらせている。
 けれど、現実はもっと厳しい場合だってあるのではなかろうか。親子間にほんのわずかな愛情すらない場合だってあると思う。
 脚本家が本気で「現代の中学生の現実」に則ったドラマを作りたいのなら、例えば「佐世保小六殺人」のような事件だって取り上げなけりゃウソだと思うが。 


  あとはミステリチャンネルで『心理探偵フィッツ』第1話『過去のない殺人者』前編。これは後編まで見ないとコメントのしようがないね。


 キネマ旬報が、昨6日、2004年の邦画、洋画のベストテンを発表した。
 例によって、見損なってた映画の方が多いので、私個人のベストテンともかなり内容が違う。後ろにマルを付けているのが私が見ている映画だ。

【邦画】
1.「誰も知らない」(是枝裕和監督) ○
2.「血と骨」(崔洋一監督)
3.「下妻物語」(中島哲也監督)
4.「父と暮せば」(黒木和雄監督)
5.「隠し剣 鬼の爪」(山田洋次監督) ○
6.「理由」(大林宣彦監督) ○
7.「スウィングガールズ」(矢口史靖監督) ○
8.「ニワトリはハダシだ」(森崎東監督)
9.「チルソクの夏」(佐々部清監督)
10.「透光の樹」(根岸吉太郎監督)
【洋画】
1.「ミスティック・リバー」("Mystic River",クリント・イーストウッド監督) ○
2.「殺人の追憶」("Memories of murder",ポン・ジュノ監督)
3.「父、帰る」("The Return",アンドレイ・ズビャギンツェフ監督) ○
4.「オアシス」("Oasis",イ・チャンドン監督)
5.「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」("The Lord of the Rings: The Return of the King",ピーター・ジャクソン監督) ○
6.「オールド・ボーイ」("Oldboy",パク・チャンウク監督)
7.「モーターサイクル・ダイアリーズ」("The Motorcycle Diaries",ヴァルテル・サレス監督)
8.「シービスケット」("Seabiscuit",ゲイリー・ロス監督)
9.「春夏秋冬そして春」("Spring, Summer, Fall, Winter... and Spring",キム・キドク監督)
10.「ビッグ・フィッシュ」("Big Fish",ティム・バートン監督) ○
【個人賞】
■監督賞 崔洋一 (「血と骨」)
■脚本賞 崔洋一、鄭義信 (「血と骨」)
■主演女優賞 宮沢りえ(「父と暮せば」)
■主演男優賞 ビートたけし(「血と骨」)
■助演女優賞 YOU(「誰も知らない」)
■助演男優賞 オダギリジョー(「血と骨」)
■新人女優賞 土屋アンナ(「下妻物語」)
■新人男優賞 柳楽優弥(「誰も知らない」)
■ 外国映画監督賞 クリント・イーストウッド(「ミスティック・リバー」)

 日本映画は『誰も知らない』『父と暮せば』『下妻物語』『血と骨』の4本の争いといった印象で、そのうち『誰も知らない』1本しか見ていない現状では、このベストテンにどれだけ妥当性があるのか批判のしようもないのだが、予告編を見て好きになれそうにないと判断した『血と骨』を除けば、あとの2本を見損なってしまったのは痛恨の極みである。2本ともしげを何度となく誘ったのだけれども、全然興味を示してくれなかった。しげの映画に対するアンテナの感度がいかに悪いか、そのおかげでこれまでにもたくさんの名作を見逃すことも多くて、毎年悩まされているのである。だいたい仮にも「演劇人」を名乗っていながら井上ひさしの『父と暮せば』を見逃すというのは大馬鹿である。舞台版だってあいつは見ようとしなかったのだからなあ。
 先日の日記にも書いたことだが、悲しいことに一般人がどんなに頑張って映画を見に行っても、年間80本から100本程度が限界である。これでは到底ベストテンなんて選べるものではない。けれど、『キネ旬』の評論家たちにしたところで、せいぜい200本から300本程度しか映画を見てはいないと白状しているのだから、実はこのベストテンにだってたいした意味はないのだ。文化庁メディア部門のアニメーション賞を受賞した『マインドゲーム』がベストテンにも入ってないことを考えても、相変わらず『キネ旬』の選考委員の大半がアニメーションに対して偏見を持っていることが明白である。プロを僭称するエセ評論家の投票の集計に、あまり過大な価値を求めちゃいけないだろう。
 『誰も知らない』がカンヌで主演男優賞を取っていなかったら多分ベストワンになることはなかっただろうし、洋画で『ミスティック・リバー』がベストワンになったのは、アカデミー賞が『ロード・オブ・ザ・リング』一色になってしまったことに対する反発があったろうと推察される。所詮、ヒョーロンカの選ぶベストテンなんて、誰ぞの顔色を伺いながらの政治的産物に過ぎない。
 そんなのに比べれば、他人の批評なんぞ気にせずに選んだ自分のベストテンの方がまだしも訴える力があるように思えるのだが、だからと言って、例えば『盲獣VS一寸法師』を万人に勧める気はないので、そこは勘違いなさらぬよう(^_^;)。

2003年01月07日(火) 顔のない時代、歌のない時代/『全日本ミス・コンビニ選手権』(堂高しげる)ほか
2002年01月07日(月) 食い放題に泣く女/『エンジェル・ハート』2巻(北条司)ほか
2001年01月07日(日)  ああ、あと三日休みが欲しい(贅沢)/アニメ『人狼』ほか


2005年01月06日(木) 触んなきゃできない演技指導なんてない/『金魚屋古書店』1巻(吉崎せいむ)ほか

 昨日に続いて、下痢、咳が止まらず、仕事休み。明日は何とか出勤しないとなあ。
 そんなわけで、今日もテレビ見て本読んで寝て過ごす1日だったのだけれども、感想全部書いてたらキリないので簡単に。

 昨日(つか今朝)WOWOWで再放送してた『伊東四朗一座 熱海迷宮事件』を録画して再見。前に録画してたのはアナログ放送分だったので、今回はデジタルで。何がどう変わってるのかは実はよく分かってないのだが。
 ギャグはかなり古く、それは実はあえてそうしていることなのだけれども、今の若い人が見るのにはかなりつらい部分がないだろうか。いや、ギャグの古さと言うよりは、三宅裕司のセリフ回しのヘタクソさがギャグの古さを際立たせているのである。もうかなり前から私は三宅裕司はコメディやる以前に役者の勉強した方がいいんじゃないかと思ってるんだけれども、ホントにいつまで経っても芝居が上達しない人である。伊東四朗の使い方にしても、三谷幸喜の方がはるかに上手い。

 デジタル放送に切り替えたおかげで見られるようになったテレ朝チャンネルで、『家政婦は見た2 エリート家庭の浮気の秘密 “みだれて…”』を放映。
 第1作だった『熱い空気』は松本清張原作なので、実質上のシリーズ第1作はこの『2』の方になる。市原悦子の「石崎秋子」という役名もこの第2作から(第1作のときは「河野信子」)。でもそのフォーマットはちゃんと松本清張の原作に則っていて、家政婦が覗き見た事実のウラに更にもう一つの真実があったというミステリー的どんでん返し、また、最後に覗き見の罰として手痛いしっぺ返しを家政婦が受ける結末も第1作と共通していることなので、『2』以降の作品にもちゃんと原案者としての清張さんの名前をあげとかなきゃいけないんじゃないかと思う。
 今じゃとてもやれないだろうが、働き先の中学生と石崎秋子が妖しい関係になりかけるというのは、そう言えば市原悦子って、昔は“そういう役”が多かったんだよなあと感慨深い。娘役で、初代「地球防衛少女イコちゃん」の磯崎亜紀子が出演しているのもポイント高し。って金沢碧や梶芽衣子のラブシーンよりそっちの方に目が行っちゃうってのは、昨今の世情を考えるとチトマズイか(^_^;)。

 夜はWOWOWの蜷川幸雄特週で、『魔性の夏』と『嗤う伊右衛門』の2本。
 舞台の蜷川さんの、その場の空気を凍らせるような演出も、映像だとそこまでは行かない。そこそこ出来がいいだけに、「この程度の作品で蜷川幸雄を評価してもらっちゃ困る」との思いがどうしてもしてしまうのである。総じて舞台演出家の映像作品は、舞台と比べると数段落ちるものになってしまっているが、蜷川さんはもっとすごいものを作れるはずだから、せめてもう1、2本は映画を作ってほしいと思ってるんだけれども。


 マンガ、吉崎せいむ『金魚屋古書店』1巻。
 第1巻だけれども、『金魚屋古書店出納帳』シリーズ2巻の続編。実在のマンガを題材にして、マンガへの熱い思いを語るこのシリーズ、好きは好きなんだけれども、「今の若い人はここに紹介してるマンガの殆どを知らないんだろうなあ」と思うと寂しくもなるのである。『ビリー・パック』などは私が生まれる前のマンガだが、それでも復刻や雑誌掲載などで一部を読んだことはあるし、我々の世代までの人間の多くが過去の作品だって渉猟することに何の苦労も感じてなかったんだが。
 つかねえ、このマンガで紹介してるマンガって、「知る人ぞ知る」ようなマニアックなものじゃなくて、60年代〜80年代に生きてた一般人なら誰でも読んでたような超有名なマンガばかりで、オタク臭いのは殆どないんだから、今の人だって、少しは昔のマンガに目を向けてもらいたいと思うのだが。21世紀に入って、『Dr.スランプ』を読んだことがない若い人がゴマンといるって事実がもう悲しくて仕方がないのである。
 特におススメなのは、『お江戸でござる』の杉浦日向子女史による『百日紅』。画狂老人葛飾北斎と、その娘お栄の日常を描いた、表面上は静かな、しかしその内面は愛憎渦巻いているトンデモない傑作。マンガ家志望の人なら、一度は読んでおくべきマンガである。

 マンガ、駒井悠『そんな奴ぁいねえ!』10巻。しげが惰性で買ってるマンガなんで特に感想はなし。キャラクターの区別がつきにくい4コマは見ててツライ。



 アメリカの映画TV情報サイト“Zap2it”が、先月31日、2004年のベスト映画とワースト映画を発表している。以下はそのリストだけれど、これもやはり日本人の感覚とはかなり差異があるのであった。

Zap2it's Best of 2004 List
1. "Phantom of the Opera" 『オペラ座の怪人』
2. "Kinsey"
3. "Finding Neverland"『ネバーランド』
4. "Motorcycle Diaries" 『モーターサイクル・ダイアリーズ』
5. "Eternal Sunshine of the Spotless Mind"『エターナル・サンシャイン』
6. "Hotel Rwanda"
7. "The Merchant of Venice"『ヴェニスの商人』
8. "The Incredibles"『Mr.インクレディブル』
9. "The Aviator"『アビエイター』
10. "Alexander" 『アレキサンダー』

Zap2it's Worst of the Year List
From the most to the least offensive--
1. "Around the World in 80 Days"『80デイズ』
2. "Brown Bunny"『ブラウン・バニー』
3. "Yu-Gi-Oh!" 『遊戯王』
4. "Welcome to Mooseport"
5. "Alfie"
6. "Twentynine Palms"
7. "Laws of Attraction"
8. "Soul Plane"
9. "The Forgotten"
10. "A Love Song for Bobby Long"

 さすがにワーストには日本未公開のものが多いね。ベストも今年日本公開のものが多いから、これからが楽しみといところだろうか。
 ファン投票によるものなので、批評家賞であるゴールデングローブ賞のノミネート作品ともかなりズレがある。特に『オペラ座の怪人』などはその乖離が激しい。批評家からは散々酷評されているので、見に行くかどうか迷ってしまうのである。
 『80デイズ』がワースト、というのは、ジャッキー・チェンが主演になっていることの反発が強かったのではなかろうか。確かにどこから見ても中国人のジャッキーにフランス人のパスパルトゥーを演じさせるというのはムリがあるし、ヴェルヌの原作を無視して設定を改変、中国のシーンを大幅に増やしたことに腹を立てた人もいただろうことは予想はつくが、だからと言ってワーストに置くことはない。第一、中国でのカンフーシーンはジャッキー自身は撮影することを渋っていたのだ。ワースト評価に人種偏見の匂いを感じ取るのは穿ちすぎだろうか。


 巷のニュースに関して、最近はあまりコメントはして来なかったけれど、気になるのがいくつかあったのでコメント。
 女優志望の中学三年の女の子に、「演技指導」と偽って、ワイセツ行為をしたとして、劇団「テアトル・ド・パラード」主宰の演出家、三村創こと岩窪多摩緒と芸能プロダクション「銀の船」経営、宮沢久美子の二容疑者が逮捕された。取り調べに対して、二人はあくまで「演技の指導だった」と容疑を否認しているそうだけれども、被害者の女の子には「これからする行為は他言しない」という内容の同意書に署名させてたそうだから、公明正大に演技指導してるんだったら、そんな念書を書かせる必要はなかったはずである。だいたい、「ベッドに寝かせ、下着を脱がせて胸を触った」「足を開かせて……」なんて演技指導があってたまるか。
 私も演劇関係者のハシクレであるから、世間一般の人が「演出家とかが演技指導の名のもとに女の子のカラダに触ることって多いんじゃないか」とか誤解したらいけないということで注釈を付けさせて頂く。
 確かに、指導者が演技者の腹筋の様子を見るために、発声中の役者の腹やワキに触れるということはある。姿勢が悪ければ、肩や背中を押したりして矯正させることもないわけではない。しかし、それは練習着の上から行えることで、裸にする必要は全くない(それどころか裸にすれば触らなくても腹が動いてるかどうかは見て分かるってば)。別に指導者が触らなくても、腹筋の動きは役者自身が自分で手を当てて確認することができるものだし、たとえ初心者で自分の腹筋が動いているかどうかよく分からない場合であっても、オトコに触ってもらわなきゃならないものではないのだ。他の女性の劇団員に確認してもらえばよいことなのに、その「テアトルなんたら」には女性劇団員が一人もいなかったとでも言うのであろうか。姿勢の矯正の指示などは口頭で充分で、いわんや胸を触ったり足を開かせたり、なんて演技指導はありえない。
 ネットでもう少し情報を調べてみると、そもそもこの劇団の存在そのものがかなり胡散臭い存在であったことが分かる。結成が2003年1月とそう昔ではないのだが、第1回公演の時点で既にトラブルを起こしている。代表世話人に迎えたある女優さんと演劇に関する方向性の違いから袂を分かっているのだが、ホームページ(現在は閉鎖)上ではその女優さんが未だに劇団に所属しているかのように写真を無断で掲載し続けていたのである。どうやら「代表世話人」という肩書きもその女優さんにとっては予想外のことで、劇団の指導も2ヶ月に1回程度、発声指導をしに行っていただけで、三村容疑者ともここ一年ほどは全く音信不通の状態だったようだ。
 小さな劇団の主宰者が、劇団存続のためのハク付けとして、有名人の威を借りたくなった心情も分らないではないのだが、役者や劇団自体に実力、あるいはそれを要請しようという基盤がなければ、結局は何をどうしたところで「未来」は生まれない。客を呼ぶための努力を否定するわけではないが、自らの表現者としての意義を忘れ、劇団の存続自体を目的としてしまうのは本末転倒である。いったい「テアトルなんたら」には、演劇を通して自分たちを表現したい何があったというのだろう。劇団を隠れ蓑にワイセツ行為をしたかったただけじゃないのか。
 「芸のためなら女房も泣かす」ではないが、役者、必ずしも道徳者であるとは限らない。「浮気は芸のコヤシ」というような不道徳を賞揚する感覚を残している役者は今でも決して少なくはない。具体的な人名を挙げることは避けるが、浮気事件が発覚して、マスコミに吊るし上げられた途端に堂々と開き直ってそう主張していたアノ俳優、コノ俳優を想起していただきたいのだ。だが、果たして彼らは、本気で自分の芸を磨くためにあえて不道徳に身を置いていたのだろうか? 私にはとてもそうは思えないのだが。
 ハッキリ言うが、役者本人が道徳的な人間かそうでないか、そんなことと彼の演技とは何の関係もない。演技は役者の「想像」の産物である。極端な話、童貞の男が百戦錬磨のプレイボーイを、男漁りの女が処女を演じられなければ、それは到底「演技」として認められない。『藤十郎の恋』はヘタな役者の言い訳に過ぎないのだ。
 そんな演技の基本も分らない役者モドキが跋扈している現実を思えば、残念ながら今回の事件が氷山の一角に過ぎない可能性も否定はできない。軽いセクハラなら、あちこちの劇団で起こっているのかもしれない。弱小劇団の主宰者が「私に逆らうと役に付けないよ」なんて言って脅迫するのは何様のつもりってなもので笑止ではあるが、本当に有名な俳優から強要されたら、断われないで泣き寝入りしてしまう例はありえることなのではなかろうか。多分、そういう連中から見れば、今回の事件も「女の子に触りたきゃフーゾクでガマンしときゃよかったのに」程度の感覚で捉えられてしまっているんじゃないかと、暗澹たる気分になる。
 多くの役者が、自分の仕事をスケベエを正当化し行使するために利用しているのなら、また世間もそのように役者全体を見ているのなら、こんなに腹立たしいことはない。誓って言うが、ウチの劇団じゃこんなことは全くないぞ。女から男への逆セクハラはやたらあってるような気もするが(^_^;)。

2003年01月06日(月) 食えないモノを食う話/『名探偵コナン 揺れる警視庁1200万人の人質』/『ジャイアントロボ誕生編』(伊達憲星・冨士原昌幸)ほか
2002年01月06日(日) 言えない話と男の優しさと英語落語と/『西岸良平名作集 蜃気郎』1巻(西岸良平)ほか
2001年01月06日(土) ああ、今日は土曜か。今気づいた(^_^;)。/映画『ビッグムービー』


2005年01月05日(水) 年賀状のことなど/『パディントン発4時50分』(石川森彦)ほか

 昨日のベストテンの見方が分かりにくい、というご指摘を受けたので、補足説明。
 1、2、3、4、……と順位を着けたのが、私の「個人的なベスト」です。隣の☆印は、「普通の人が見たらこうじゃないかな」という「類推」なので、私自身の評価とは言えません。こういう☆をつけておかないと、1位2位の映画を「誰が見ても面白い」映画だと私がオススメしているように勘違いされてしまいかねない、と危惧したのであります。
 だから、私自身の評価が高くても(個人的には好きでも)、「これを普通の人が見たらつまんないよなあ」と思える映画の☆評価は低くしてますし、私は全然つまらなくても、「でも一般の人はこういう映画見て受けるんだろうな」と想像できる作品の☆評価は高くしているわけです。前者の代表例は『盲獣VS一寸法師』で、後者の代表は『ファインディング・ニモ』だったりします。
 『盲獣VS一寸法師』なんて、「江戸川乱歩の“クソつまらないところ”が大好きだ」ってヘンなファンじゃなきゃ、2時間の映画を見てる間、ただひたすら苦痛なだけでしょう。しげはこの映画見たあと、「やっぱり、おもしろくないものを無理しておもしろいように思いこもうとするのはやめた」って言ってました(-_-;)。


 正月からこっち、しげがまた落ちこんでいる。
 「あんたんとこに友達からメールや電話、あった?」と聞くので、「まあ、何人かからは」と答えたら急にしょげて、「オレんとこには1件もないよ。オレやっぱり友達いないんだ」とか言い出すのである。年賀状の数も少ないので、なおいっそう元気がないようである。
 もともと私自身が年賀状のやり取りも「気が向いたらする」程度で、コミュニケーションのためのツールとしてはたいして重きを置いていない。というのも、実は10年くらい前までは、仕事上の理由もあって、人並に何100通と書いてはいたのだが、年末の忙しい時期に一枚一枚丁寧に宛名書きしてイラストも描いて、なんてことをしていると、年寄るごとに体力気力がまるでおっつかなくなってきたのである。かと言って全部印刷で同じものを送るような手抜きをする気にはなれなかったので、この10年くらいは、例年、受け取った人にお返しするくらいでゴマカシていた。職場関係でそれはマズイんじゃないかと最初はちょっとおっかなびっくりではあったが、こちらの体調を察して下さる方も多かったので、人間関係がその程度のことで崩れることはなかった。つか、年賀状ごときで人生が左右されてたまるか、という気分である。
 メールに至っては、もともと頻繁にやりとりしてる相手自体が殆どいないので、来ないほうが自然である。しげの場合もそれは似たような状況で、「便利だから」と私に携帯を無理やり買わせたくせに、特に用事がなけりゃ、メールを送ろうともしない。職場の送り迎えの連絡を私からする方が多くて、その返事も「行く」「着いた」の一言で、味も素っ気もない。しげとメールのやり取りをした経験のある人なら先刻ご承知だろうが、およそ「メールし合う醍醐味」というものがないのだ。だいたい本人が「業務用連絡以外、する気ないし」と表明しているのである。
 だからこそ、あけおめメールが来なくたって、別に気にもしちゃいないだろうと思っていたのだが、しげはどうやら、イマドキの「メールが来ないと落ちつかない」症候群に罹っちゃってたようだ。つかさー、オレ、正月からこっち、しげが「メールのやり取り」してるのを何回か目撃してるんだけど、それでどうして「メールが来ない」と言ってるのか、それがよく分からないのである。記憶力、ますます減退してるのか。


 咳と頻尿と下痢が激しかったので、仕事初めではあったが、午前中で帰宅。
 しげもカラダを壊していて、今日は送りも迎えもしてもらえなかった。夫婦揃って、半日寝込んで過ごす。
 食事は帰りに買ってきたコンビニ弁当。和風幕の内とヒレカツを買ってきて、「どっちがいい?」としげに聞いたのだが、迷わずヒレカツを選んだ。だからどうしてそう、「肉」に執着するかな(-_-;)。
 しげがカラダを壊しがちなのは、食生活の杜撰さを初めとして、生活のリズムが乱れているのが理由なのは分かっている。栄養バランスの取れた食事、適度な運動など、改善の手段はいくらでもあるのに、「ただひたすら寝る」ことだけで凌ごうとしているから、体調が悪化することはあっても好転するわきゃない。
 そのくせ、しげは私の屁が臭いと言って、「肉食うな、野菜食え」と言うのだ。だからさあ、どうして肉しか食わない自分の屁が臭くないと思えるのかね。私は寝ている間、しげの寝屁の被害にあって死にそうな目に会ったことが幾度となくあるのだが。
 しげは「家事もして、病院にも通って、仕事もしてたらカラダが持たないよ」としょっちゅう愚痴を言っているのだが、ちゃんと通ってるのは病院くらいで、家事は殆どしないし仕事もよく休んでいる。そんな状況で「疲れた疲れた」と言われても、「身のほど知らずが何を言うか」と返すしかないのである。文句言いたいなら野菜と果物食って日光に当たってから言え。


 DVDを続けて3本、『ミス・マープル パディントン発4時50分』『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!栄光のヤキニクロード』『ハーヴェイ』。脈絡は全くない。

 ジョーン・ヒックソン主演版の『パディントン』はかなり前に購入していて未見のままだった(テレビ放送時に見てはいる)。改めて見る気になったのは、先日買ったコミック版の『NHKアニメ劇場 アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル2 パディントン発4時50分』(石川森彦)を読んで、原作とちょっと違っているところがあったような気がしていたので、テレビ実写版で確認してみようと思ったのだ。だったら原作小説を読みゃいいのだが、それは山のに中に沈んでしまっていたので、仕方がないのである(いつものことですいません)。
 結論から言うと、コミック版の方は、第1巻の『ABC殺人事件』がへなちょこな出来でガックリだったのに比べて、かなり手慣れた描きぶりになっていて、読みやすかった。実写版よりもコミック版のほうが犯人のトリックの描写としては「偶然に頼っていない」点で明らかに優れている。石川さんの絵がチト地味でマンガとしての魅力に欠ける面はあるが、少なくともアニメのように「アヒル」を出してない分、良心的な執筆姿勢だと言えるだろう。原作で重要な役割を示す家政婦・ルーシー・アイレスバロウを、アニメオリジナルキャラのメイベル・ウェストに置き換えたアレンジも悪くない。
 じゃあ、テレビ版がダメかというとそこまでのことはない。ジョーン・ヒックソンのミス・マープルはもちろんのこと、役者がそれぞれの役を的確に演じていて飽きさせない。原作を先に読んでいるので犯人もトリックも先刻承知なのだが、それでも「ああ、このへんはうまく演じてるなあ」と感心する部分があった。
 スラック警部を演じたデヴィッド・ホロビッチは日本では馴染みがないが、実に上手い。『書斎の死体』に続いての出演だが、「何でこんな婆さんに捜査を引っ掻き回されなきゃならんのか」と苦虫を潰した表情が「かわいらしい」のである。名探偵の引き立て役の警部は単に馬鹿じゃダメなんで、これは理想的なワトソン役の一人と言えるだろう。

 『ヤキニクロード』と『ハーヴェイ』はどちらも再見。『ヤキニク』は感想書き出したら長くなるので、省略。
 『ハーヴェイ』を初めて見たのはもう十年くらい前になると思うけれども、原作が舞台なだけに、この「仕掛け」はいかにも舞台向きだ。それは「主人公にしか見えない身長6フィートのウサギ」を相手にマイム演技をする面白さだけにあるのではなく、そのウサギか果たして本当に実在するのか否か、そこを曖昧にしているのがミソなのである。不世出のパントマイマー、マルセル・マルソーは、自らの演技で「そこにあるように見えるもの」を瞬時にして別のものに「変えて」見せるが、本作の主役、ジェームズ・スチュアートは、映画的「仕掛け」で「ハーヴェイ」を空想の産物から実在のものへと変換させる。方法は違うが、「現実と空想の境界を反転させ、観客の固定観念を破壊する」ことに演劇の本質を見ている点では同質である。
 このネタは演劇人なら1回は使ってみたくなるのだが、実は私も昔ある芝居で応用して使っている。つか、使った時には『ハーヴェイ』が元ネタだとは気付かなかったのだが(だって当時はまだこの映画を見たことなかった)、あとで「あ! この映画、オレの書いたアレと同じじゃん!」と驚いたのである。
 マネをしたわけではないが、演技の基本が「マイム」にある点を踏まえて、そこに「応用」を持ちこむとと、どうしても似通ったアイデアになっちゃうのである。そのとき自分の書いた脚本が面白かったかどうか、という点であるが、「不思議な雰囲気が面白かった」というお褒めの言葉を頂きはした。つか、私の書く芝居は自分ではどんなにエンタテインメントにしたつもりでいても、いつだって「不思議」ないしは「よく分からない」って言われちゃうんだよね。それは先日の公演もそうで、ギャグと歌で繋いだだけの芝居のつもりだつたのに、アンケートではやっぱり「不思議」ないしは「よく分らない」と言われちゃってたのである(^_^;)。

2003年01月05日(日) インド人にビックリ/『膨張する事件』(とり・みき)/『バンパイヤ/ロックの巻/バンパイヤ革命の巻』(完結/手塚治虫)ほか
2002年01月05日(土) 食って寝て食って歌って/ドラマ『エスパー魔美』第1話/『ピグマリオ』7巻(和田慎二)
2001年01月05日(金) やっぱウチはカカア天下か


2005年01月04日(火) 2004年度映画勝手にベストテン

 正月は連続放送が多いけけども、午前0時からはキッズステーションで『げんしけん』一挙放送を見る。DVD予約してるから、別に見なくてもいいんだけど、ついまとめて見る機会があると見入ってしまうのである。作画も演出もイマイチなんだけど。
 ひと寝入りして起きて、アニマックスで映画『犬夜叉 鏡の中の夢幻城』。こちらもまた、特に感想言わなきゃなんないほどの出来でなし。作画はまあまあなんだけれど、ありきたりの展開、ありきたりのセリフで、いささかゲンナリ。
 「犬夜叉〜!」「かごめ〜!」って繰り返し呼び合うだけの脚本、ちったあ何とかしようって気にならなかったのかね。


 正月二日、三日と働いてたしげがようやく休みを取れたので、昼過ぎからキャナルシティまで買い物に出掛ける。途中、対向車とすれ違ったときに、ガードレールにぶつかって、前輪のカバーのところがかなりへこんでしまった。「運転席からは傷は見えないから気にしない」とか言ってたが、そのあと「保険利くのに保険使わなかったらモッタイナイかな」とか「ウラから叩いたら元に戻らないかな」とか言ってたので、内心、すごく気にしているのである。素直に修繕するしかないんと違うかな。
 福袋を買うのが毎年の恒例なのだが、しげのお気にいりのミッフィーの店もトロの店も、バタバタと閉店してしまっている。目指すのはもう「チャイハネ」しかないのだが、もう三が日は過ぎているし、「福袋あるかなあ」としげは心配していた。店に着いてみると、なんとたった一個だけ、狙いすましたように残っていた。
 福袋の表には、「アクセサリーなど」と書いてある。インドなアクセサリーがどんなものか、ちょっと想像するのが怖かったが、しげは屈託なく福袋をレジに持って行く。私にしてみれば「闇鍋」感覚だ。新しい服も買ってご機嫌のしげ、帰宅して早速福袋を空けたのだ。途端に「いやああああ!」とズタ袋を引き裂くような悲鳴(^_^;)。中から真っ先に出てきたのは、妖しい人形の置きモノ。どれくらい妖しいかって、あのオウム真理教の麻原彰光こと松本智津夫ソックリなのである。つまりこれ、「グル」の人形なんだろうけれど、売りモノになるかどうか、わかんないのかねえ。まあだからこそ福袋に詰めこまれちゃったのだろうけれども。
 それでもスカーフやら帽子やら茶碗やら、それなりに使えそうなものはいろいろ入っていたので、総体としては損しちゃいない感じだけれども、なんだか「恐るべしチャイハネ」といった初買い物であった。


 『キネマ旬報』の2004年度読者選出ベストテンのシメキリが明日なので、慌てて昨年見た封切映画映画をカウントしてみた。ハガキに書けるのは十位までだけれども、一応、見た映画に全部順位を付けてみた。
 映画祭やリバイバルの映画も見ているので、実際には劇場で百本以上見てはいるのだが、そういうのは選考対象にならない(『ラスト・サムライ』『ファインディング・ニモ』などは昨年公開されて今年まで続映していたので、これも本当は選考対象にならない)。封切映画だけに絞って、表にしてみたのが以下のものである。
 一般人のわりにはかなり劇場に足を運んでいるほうだとは思うが、それでも「おまえにベストを選べるほどの資格があるのか」と問われれば、返答のしようもない。スケジュールの都合がうまく合わなくて見られなかった映画で、もし見ていれば、ベストテンに入れたくなるかもしれない映画がかなりあるからである。日本映画では『バーバー吉野』『下妻物語』『茶の味』『父と暮らせば』、外国映画では『シービスケット』『殺人の追憶』『コールドマウンテン』『パッション』『白いカラス』『モンスター』『コラテラル』『オールドポーイ』あたりを見損ねた。また、昨年公開だけれども、まだロードショー公開中で福岡に来ていない『約三十の嘘』などもある。
 『キネ旬』の読者投票に応募する人の中には、全国各地域の映画ファンクラブに入会している人も多いだろう。私以上に年間200本、300本と見ている人もたくさんいらっしゃるだろうが、それでも昨年公開の映画を全て網羅して見たという人は少ないに違いない。邦画・洋画を合わせて、700本近くあるのである。1日2本ずつ見ていかないととてもおっつかない数字だ。一般人どころか、映画評論家だって、そう簡単にクリアできる数字ではない(事実、年間に200本程度しか映画を見ない“自称映画評論家”は腐るほどいるのである。それでプロを名乗るなと言いたい)。
 そういう状況であれば、ベストテンを選ぶ行為自体、そもそも無意味である。それでもこういうベストテンがしょっちゅう行われるのは、これが「お祭り」として定着しているのと、集計結果はともかく、選定する個々人の「趣味」を読んで楽しめるからだろう。日記の更新ができなくて、触れることができなかった映画も多いので、おおざっぱではあるが、レンタルやテレビで見るときのご参考になればということで、リストを作ってみた。
 ただし、私個人の趣味で選んだベストテンであるから、当然のごとくかなり「偏り」がある。ミステリーファンなら面白いだろうが、そうでない人には見るのがいささかキツイだろう、とか、そんな作品もある。というわけで、タイトルの後ろに「ごく普通に映画を見るのが好きな人」用のホシを付けてみた。これで「私は面白かったけど、ほかの人はどうか分からんよ」「私には全然つまんなかったけど、世間じゃこういうノリの映画がウケるんだろうね」なんて、私と世間との感覚のズレ(^_^;)を察して頂けたら、長々と批評書く代わりになるかと思う。

☆☆☆☆☆ …… 多分、かなりの人が見て満足する出来。わんだほー!
☆☆☆☆★ …… 上質のエンタテインメント。騙されたと思って見てみて!
☆☆☆★★ …… 面白いけど、好みが分かれるかな。内容を事前に調べておこう!。
☆☆★★★ …… 趣味の世界。合わない人には全然つまらない。
☆★★★★ …… かなり退屈。どうしても見たいなら、止めないけど。
★★★★★ …… こんなクソ映画を見て、人生の貴重な時間を無駄にしてはいけません! (`□´)

あと、太字にしたのは「ワースト」。ご意見その他ありましたら、掲示板の方へどうぞ(^o^)。

〔日本映画〕
1『マインド・ゲーム』   ☆☆☆★★
2『盲獣VS一寸法師』  ☆★★★★
3『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ! 夕陽のカスカベボーイズ』 ☆☆☆☆★
4『イノセンス』       ☆☆☆★★
5『レディ・ジョーカー』  ☆☆☆☆★
6『いかレスラー』     ☆☆☆★★
7『誰も知らない』     ☆☆☆☆★
8『キューティーハニー』 ☆☆☆★★
9『雲のむこう、約束の場所』  ☆☆☆★★
10『ラブドガン』       ☆☆★★★
11『スウィングガールズ』 ☆☆☆☆☆
12『恋の門』        ☆☆☆★★
13『花とアリス』      ☆☆☆★★
14『半落ち』        ☆☆☆☆★
15『理由』          ☆☆☆☆★
16『CASSHERN』   ☆☆☆★★
17『隠し剣 鬼の爪』   ☆☆☆☆★
18『ULTRAMAN』    ☆☆☆★★
19『着信アリ』       ☆☆☆☆★
20『嗤う伊右衛門』    ☆☆☆☆★
21『ゼブラーマン』     ☆☆★★★
22『丹下左膳 百万両の壺』 ☆☆☆★★
23『伝説のワニ ジェイク』☆☆★★★
24『インストール』     ☆☆★★★
25『ワンピース めざせ! 海賊野球王』 ☆☆★★★ 
26『ハウルの動く城』   ☆☆★★★
27『ゴジラ FINAL WARS』 ☆★★★★
28『名探偵コナン 銀翼の奇術師(マジシャン)』 ☆★★★★
29『ワンピース 呪われた聖剣』 ☆☆★★★
30『IZO』         ★★★★★
31『アップルシード』   ☆☆☆★★
32『世界の中心で、愛をさけぶ』 ☆☆☆★★
33『スチームボーイ』   ☆★★★★
34『笑の大学』      ☆☆☆★★
35『デビルマン』     ★★★★★



〔外国映画〕
1『岸辺のふたり(ファーザー・アンド・ドーター)』 ☆☆☆☆☆
2『ベルヴィル・ランデブー』 ☆☆☆★★
3『ドッグヴィル』       ☆☆★★★
4『父、帰る』          ☆☆★★★
5『Mr.インクレディブル』  ☆☆☆☆★
6『プリンス&プリンセス』  ☆☆☆★★
7『ミスティック・リバー』   ☆☆☆☆★
8『箪笥』            ☆☆★★★
9『真珠の耳飾りの少女』  ☆☆★★★
10『ロスト・イン・トランスレーション』  ☆☆★★★
11『ターミナル』        ☆☆☆☆☆
12『カレンダー・ガールズ』  ☆☆☆☆★
13『レディ・キラーズ』     ☆☆☆★★
14『ビッグ・フィッシュ』    ☆☆☆★★
15『LOVERS』        ☆☆★★★
16『フォーチュン・クッキー』 ☆☆☆☆★
17『スクール・オブ・ロック』  ☆☆☆☆★
18『キル・ビルvol.2』     ☆★★★★
19『真実のマレーネ・ディートリッヒ』   ☆☆★★★
20『バレエ・カンパニー』   ☆☆★★★
21『80デイズ』         ☆☆☆☆★
22『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』 ☆☆☆★★
23『シュレック2』        ☆☆☆☆★
24『テキサス・チェーンソー』☆☆☆★★
25『ファインディング・ニモ』  ☆☆☆☆☆
26『アイ、ロボット』       ☆☆☆★★
27『スパイダーマン2』     ☆☆☆★★
28『メダリオン』         ☆☆☆★★
29『バレット モンク』     ☆☆☆★★
30『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』 ☆☆☆☆★
31『トロイ』           ☆☆☆★★
32『ポーラー・エクスプレス』 ☆☆★★★
33『スイミング・プール』    ☆★★★★
34『ツイステッド』       ☆★★★★
35『ヴィレッジ』         ☆☆☆★★
36『ピーター・パン』      ☆☆★★★
37『ゴシカ』           ☆☆★★★
38『キャットウーマン』    ☆☆☆★★
39『ルーニー・テューンズ バック・イン・アクション』 ☆☆☆★★
40『マイ・ボディガード』   ☆★★★★
41『21グラム』        ☆☆★★★
42『キング・アーサー』   ☆☆★★★
43『シークレット・ウィンドウ』☆☆★★★
44『ゴッド・ディーバ』    ☆★★★★
45『ラスト・サムライ』    ☆☆☆★★
46『ペイチェック 消された記憶』  ☆☆★★★
47『サンダーバード』     ☆☆☆★★
48『華氏911』        ☆☆☆★★


 私も『ハウルの動く城』をかなり低く見積もっているし、世間でもかなり「つまらない」という意見が散見しているのだが、既に観客動員数は、公開された昨年11月20日から今年1月2日までの44日間で、1000万人を突破しているそうな。一月半で、日本人の十人に一人くらいが見ている計算になるねえ。実際、知り合いでもかなりの人がもう「一度は」見ているのである。これから先、東宝も一年くらいはロングラン上映するだろうし、リピーターも当然出ようから、前作『千と千尋の神隠し』の動員数2340万人、興行収入304億円の日本記録を更新する可能性も充分にある。正直、「あんな“空っぽ“な映画のどこがそんなによかったんだ」と思ってしまうけれどもね。
 でも、「空っぽ」だからこそ、観客がいくらでも想像力で物語を補完できるとも言える。斎藤環のように「ストーリーや整合性についての諸問題については、本作の圧倒的なまでの楽しさと、観ることの快楽の前には問題にもならない」(『キネマ旬報』12月下旬号)なんて、本作に数多の根本的欠陥があるにもかかわらず、そこからあえて「目を逸らす」ような、批評にもなってない、愚劣な感想文が垂れ流されている始末だ。もうこれは単に「宮崎駿ブランド」にみんなが群がってるだけにしか思えない。たとえどんなに「つまんないよ」と人から言われても、いったんは見てみないと気持ちが落ちつかない、そしてともかく「誉めなきゃいけない」思い込みに支配されてしまっているのだろう。まるで一時期の紅白歌合戦だ。……その『紅白』は史上最悪の視聴率で、39%だったとか。国民番組はなくなったけれど、国民映画は生まれてるってことか。
 けれど、そんなふうに「意味もなく」自分の映画が享受されることに一番苦々しい思いをしてるのは宮崎さん本人じゃないかと思うけどなあ。思いついたシーンから前後の脈略なく絵コンテを切って、あとでむりやりストーリーの辻褄合わせるのは最近の宮崎監督のやり方だけれど、今回の『ハウル』はその「辻褄合わせ」にかなり失敗していること、誰の目にも明らかだと思うんだが。だいたい宮崎監督自身が、「城の中身を作ること考えてなかった」「魔法で何でも解決していいのか」と悩んだ末、最後は「投げちゃった」ことを告白してるんである。てなきゃ、あんなにふざけた結末にゃならないよ(^o^)。
 もしかしたら宮崎監督は、「映画をマトモに見ようともせずに、無条件で自分を誉めるブランド志向のファン」を自ら裏切ろうとしてるんじゃなかろうか。穿った見方かもしれないが、そうとでも思わなければ、あんないい加減な映画を作った理由がわからないのである。もしそうだとしたら、『ハウル』を誉めること自体、大馬鹿野郎の烙印を押されることになりかねないので、ヒョーロンカの方々は、今回、いささか注意が必要じゃなかろうかと思うんだけど、どうでしょうかねえ。斎藤環の場合はもともと評論家としてのランクなんて無いも同然だったから、今更何の傷も付かないだろうけれども。

2003年01月04日(土) めかなんて、こどもだからわかんないや/『眠狂四郎』6巻(柴田錬三郎・柳川喜弘)/『ああ探偵事務所』2巻(関崎俊三)
2002年01月04日(金) 消えた眼鏡と毒ガスと入浴シーンと/『テレビ「水戸黄門」のすべて』(齋藤憲彦・井筒清次)
2001年01月04日(木) ああ、つい映画見てると作業が進まん/『快傑ライオン丸』1巻(一峰大二)ほか


2005年01月03日(月) 相変わらずの正月/映画『0011ナポレオン・ソロ/罠を張れ』ほか

 ひと月ちょっとのご無沙汰でした。友人から久しぶりに電話があって、「11月から日記止まってるぞ」とせっつかれたので、ちょっとがんばって再開することにしました。やっぱり、ちょっと間が空いちゃうとねー、もともと自堕落な性格してるもんだから、人から言われなきゃ、なかなか動き出せるものではないのですよ。
 年度末で仕事は忙しい上に、劇団の公演が重なってたし、体調も最悪で、血便垂れ流すわ脱糞するわで、とても日記書いてる余裕が無かった(つか、自分が生きてるのが不思議だわ)のだけれど、ちょびちょびと劇団ホームページの方には近況報告を書いてはいたので、だいたいのところはそちらを参照して頂ければ幸いです。休眠中のこれまでのひと月ちょっと分の日記は、気が向いたらアップするかもしれません。そう言ってて、できたタメシがないけどねえ(^_^;)。
 近々、ブロバイダを変更することになったので、タイトルも含めて、ホームページの全面リニューアルを予定しています。メールアドレスも変わりますが、小ぢんまりとやってくつもりなので、特にリンク張ったりして宣伝するつもりはありません。新しいアドレスを知りたい方は、今のうちにメールで当方にお問い合せ願います。
 このエンピツ日記はそのまま継続しますが、タイトルは変えようと思ってるので、何かいいアイデアがあったら、これもメールで連絡していたただけたら嬉しいです。


 体調悪いんで、外出せずにずっと在宅。しげの調子がよければ出かける約束だったのだが、私の方が寝込んでしまった。風呂に入ったり、寝たり、ヒゲ抜いたり、テレビ見たりの一日。

 昨晩から、ムービープラスで『0011/ナポレオン・ソロ』の劇場版全8作品の一挙放送(60年代のもののみで、80年代の『帰って来たナポレオン・ソロ』は含まず)をウトウトしながら見る。午前0時から午後2時までだから、14時間耐久レースである。ホントに体調悪いのか、オレ(^_^;)。
 このテレビシリーズが放映されてたのは私が小学校の低学年のころだったのだが、キャラクターとアバンタイトル以外、ストーリーやディテールは殆ど覚えてない。劇場版も何度かテレビ放送されてたはずだが、いったいどれを見ていてどれを見ていなかったのやら、記憶はゴチャゴチャである。けれどこうして立て続けに見返してみると、ソロが車に乗り込むシーンとか、「ああ、このシーン、見覚えあるなあ」と思い出せてしまうのだから、相当好きで見ていたことは間違いない。
 ともかく主役のロバート・ボーンがカッコよくって大好きだったのだ。ボーンが悪役で出演しているというだけで、あの愚作『スーパーマン�掘‥纏劼陵弸鼻戮眤膣況磴靴討い燭里世�ら、かなり入れこんでいたのである。最近はボーンもロクでもないB級映画にばかり出ているようで悲しい。
 第1作『罠を張れ(TO TRAP A SPY)』は、テレビシリーズに先駆けたパイロット・フィルムで、レオ・G・キャロル演じるウェイバリー課長も出てこなければ、相棒のデビッド・マッカラム演じるイリヤ・クリヤキンの出番も殆どない。けれどシンプルなだけに、このシリーズが初めはどのような作品を目指していたかがよく分かるのである。テレビシリーズ原タイトルが“The Man from U.N.C.L.E(「アンクル」から来た男)”である通り、これは単に秘密組織のエージェントの活躍を描くものだけではなく、ソロが“我々一般人の生活に介入してくる身近さ”を狙っていたのだ。なんたってこの第1作、今や敵スパイ組織の幹部となっている男にソロが近づくために、かつてその男の恋人ではあったが、現在は「ただの主婦」にすぎないヒロインを、頼み込んで無理やりスパイに仕立ててしまうのである。でもよう、いくら要人暗殺の危機を回避するためだからってさあ、「今日から君もスパイだよ。さあ、素敵なドレスを着せてあげよう」って言われただけですぐにその気になっちゃうってヒロインもどうなんだかなあ。
 ご承知の方も多かろうが、このナポレオン・ソロというキャラクターのクリエートには、本家スパイもの『OO7』シリーズの原作者イアン・フレミングも一枚噛んでいる。なんとなく展開が原作版『私を愛したスパイ』に似ているのは、そのあたり、関係があるのかもしれない(『ナポレオン・ソロ2』には、2代目ボンド、ジョージ・レイゼンビーもゲスト出演している)。
 2作目以降については感想書いてたらキリないので省略。ゲストに私の好きなモーリス・エヴァンス(『奥様は魔女』のサマンサのパパ!)や、シリアス役者時代のレスリー・ニールセンとか出てて、そのあたりをチェックしていくだけでも楽しい。『OO7は二度死ぬ』のミスター・オオサト(シマダ・テル)がスケベな首相役で出てたのには笑った。


 2時からは日本映画専門チャンネルで『名もなく貧しく美しく』『父と子 続・名もなく貧しく美しく』。続編を見るのは初めてだったけれども、いやはや、すっげえショック受けちゃいましたよ。
 1作目は小林桂樹と高峰秀子の聾唖者同士の夫婦が戦後の貧乏と社会の差別に対して健気に戦って行くというヒューマンな物語で、ラストは高峰秀子が交通事故で死んでしまうというお涙頂戴な展開で締めくくられている。それが、続編になると、主役は二人の間にできた息子・北大路欣也(こちらは健常者)に移って、彼の縁談が物語の中心に据えられる。親が聾唖者であるということで差別を受けて、息子はなかなか結婚できないのだが、聾唖者の娘・内藤洋子との結婚がようやくまとまりかける。ところが彼女にはやはり聾唖者の恋人・田村亮がいた。ここで小林桂樹は、息子の結婚を成立させるために、亮と洋子の二人に「聾唖者同士の結婚は必ず聾唖者を生む」と嘘を吹きこむのだ。亮と洋子は絶望して自殺を図る。すんでのところで命は助かるのだが、怒った欣也は父親を殺そうとする。そのときの欣也のセリフがすごい。「あなたは五十年間、本当は人間を憎んで来たんだ! その醜い顔! それがあなたの本当の顔だ!」
 ……えーっと、これ、『名もなく貧しく“美しく”』じゃなかったのかなー(^_^;)。なんつーか、2作目で1作目のコンセプトを全否定するってのもスゴ過ぎる。でも、人間の現実ってこういうもんなんだよね。差別を受けた人間が心の痛みを知って、差別をしなくなるとは限らない。逆に他者を恨み、自己保身に走り、より差別的な行動を取ることだってある。この二作、決して正編だけを見て評価しちゃなんないだろう。ある意味、「大破綻」な映画なんだが。


 7時半から、NHK総合で『大化の改新』。
 NHKの古代史ドラマで、脚本が池端俊策で、何か期待できるわけではなかったけれども、飛鳥人がショルダーバッグで学校通ってるって、今じゃ許せる範疇なのかよ。
 いやまあ、あまりに昔過ぎて、当時の風俗、言語でドラマが作れないのは分かっちゃいるけどさ、登場人物たちの「大国“唐”には大義がない」とか、妙にイラク戦争に重ね合わせたような言動とか、蘇我入鹿の暗殺劇を殆ど無批判に礼賛して天皇中心の律令政治が平和国家の礎になったような結末とか、なんか脚本家の政治的意図が透けて見えちゃうもので、どうにも胡散臭くて楽しめない。物語は入鹿を殺したところで終わってるけど、史実ではそのあと中大兄と鎌足は、仲間だった倉山田石川麻呂も殺してるのだ。権謀術数な歴史はずっと続いてるんである。

 あとはカートゥーンネットワークで『魔探偵ロキ』と『LAST EXILE』の第1話。DVD『みんなのうた 笑顔』と、映画・アニメ三昧の一日でした。休日はいつもか。

2003年01月03日(金) 日記書いたことしか記憶にないな/『ヘウレーカ』(岩明均)ほか
2002年01月03日(木) 貧乳の夢と鬱と別れのシミュレーションと/『ドラマ愛の詩スペシャル キテレツ』/『本気のしるし』4巻(星里もちる)
2001年01月03日(水) 初夢。……初夢だってば/『雲竜奔馬』5巻(みなもとたろう)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)