無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年11月28日(日) 「地雷」がいっぱい(^_^;)

 結局、カトウ君は車の中で寝たようである。全く、部屋が狭くて申し訳ない。これで本番前にやたら人が泊まりに来た日には、どこに寝てもらうってんだろう。休日まる一日使って部屋の大片付けでもしない限り、無理な相談だと思うんだが。

 練習日はたいてい昼から参加しているのだが、今日は朝から来てくれと頼まれる。正直な話、体力的にまる一日練習に付き合うのはかなりキツイのだが、早目に小道具作りを始めないといけないというから、否とは言えない。ペース配分は勝手にやらしてもらうしかなさそうだ。
 私が作んなきゃなんないのは小道具というよりは「ハリガミ」なのだが、墨で字を書くので、これが乾くのに半日はかかる。それで朝から顔を出すことにしたわけなのだが、作業自体は小一時間もすれば終わってしまうので、あとは肉練やダンスが終わるまで、私はやることがない(^_^;)。仕方なく、隅っこに寝転んで(つか、テーブルの下にジャマにならないように隠れて)、通しが始まるまで待つことにする。

 本日の参加者、桜雅嬢、カトウ君、鴉丸嬢、草野嬢、下村嬢、其ノ他君、冨田嬢、細川嬢、穂稀嬢、よしひと嬢、しげに私。
 本来、今日は黒子役の全員集合日だったのだが、肝心の黒子頭役のラクーンドッグさんが都合で休み。ほかにも圭人さん、ケイ&綾乃の学生コンビも試験中ということで欠席。鴉丸嬢も来てはいるのだが、体調がよくないとのことでダンスはパス。あまり集まりがよくないのである。つか、ヘタすりゃあと集合できるのは本番直前か? せっかくダンスコーチとして富田嬢に来て頂いているのに、いささか申し訳ない感じだ。
 概ねみんな振り付け自体はなんとか覚えちゃいるのだが、まだまだ音楽に合わせるのがせいいっぱいの状態。富田嬢が「みんな、演技するつもりで踊ってる!?」と檄を飛ばすが、それに答えられるだけの余裕がないのが見ていて痛々しい。特に風邪気味のカトウ君はボロボロで、顔には生気がないし、動きはダンスというよりタコ踊りである。いや、これ、『死霊の盆踊り』じゃないんだから(^_^;)。おかげで後半は富田嬢に殆どマンツーマンで指導を受けることになった。回数を重ねるうちにだんだん動きはよくなってきたから、本番までにはなんとか形はできるとは思うけれど、カトウ君だけでなく、しげも鴉丸嬢も、日によって演技の浮き沈みが激しいのがネックになっている感じだ。もちっとリラックスしてやってもらったほうがいいんだけどなあ。

 テーブルの下で休んでいる間に、みんなの雑談が聞こえてくる。
 『ハウルの動く城』、見ている人も多くて、結構誉めてる様子である。しげは先日も「宮崎駿の癖があまりなくて素直に見られて満足した」ってなことを言ってたのだが、その「癖がない」点が「宮崎駿も落ちた」ということを証明しているので、私はあまり素直に誉めたくはないのである。そりゃ、凡百のクソアニメに比べりゃ出来がいいのは歴然としてるのだが、不朽の名作かって言われると「馬鹿を言うな」と反駁したくなる。恋愛についても戦争についても殆ど直観描写ばかりでドラマツルギーを考察した気配がなく、おかげで見事なくらいに中身が「何もない」映画になってしまっているのだが、だからこそあの映画は評価が二分してしまうと言える。つまり、「何もない」からこそ、逆に「何かある」ように錯覚させられてしてしまうわけだ。それを果たして評価すべきかどうか、未だに私は悩んでいる。どんなに無意味な映像だろうと、それがそれとして存在さえしていれば、「映画」は成り立っちゃうっていうことも真実には違いないんである。
 でもだからって面白くはないのよ、新しいものは何もないから。
 ところがもう、富田嬢も「最高だ」とか喋ってるし、ここで「どこがどう?」なんて水を差すようなことはとても言える雰囲気ではない。おかげでかなり長いことテーブルの下から表に出られなかった(^_^;)。

 ひと通りダンスが終わって、時計はもう3時を回り、ようやく演技を見る。ファーストシーンから通しでどこまで行けるか見てみたのだけれど、完璧とまではいかないまでも、セリフそのものは当然入ってなければいけないはずなのに、10分ほどでもう抜けまくり。それ以上は継続のしようがない状況だったので、そこで中断する。正直、もう少し強く言ってでも詰めていくべきかどうか悩んだのだが、主役3人が3人とも、ダメ出しして伸びるタイプではないので、ある程度以上は本人たちの自覚に任せる以外に方法はないのである。

 練習が終わって、解散後、カトウ君、草野嬢、よしひと嬢、しげに私で、箱崎の「ゆめたうん」で食事。
 オムライスの店に入ったのだが、しげがまた料理を食べ残したので、ポテトの山をみんなでつつくハメになる。だから食べ切れないなら最初からサラダとか頼めって。
 脈絡もないお喋りをしているうちに、話が『笑の大学』のことに触れて、舞台版のDVDを借りていたカトウ君が、「面白かった!」と激誉め。私も嬉しくて、「舞台見ちゃうと、映画が全然つまんないんだよ!」と映画版を貶す。
 ところがあとでしげから聞いて知ったのだが、草野さん、映画の方の『笑の大学』を見ていて、かなり面白がっていたそうなのである。あいたた、また余計なところで水を差しちゃったか、とアタマを抱えてしまったが、だからと言ってつまんないものを面白いなどと嘘をつく気にもなれないので、これもどうにも仕方がないことなのであった。

 
 血液型性格判断を特集したテレビ番組の影響で、子供たちの間にイジメが起こってるのだそうな。
 具体的には、『決定!これが日本のベスト100』(テレビ朝日系)、『発掘!あるある大事典2』(フジテレビ系)などで、血液型性格判断の特集があって、「嫌いな血液型、相性が悪い血液型などのランク付けをする」「タレントが『B型はいい加減』『AB型は二重人格』などと言い合う」「保育園児を血液型別に行動観察する」などの内容が放送されたということである。
 能見正比古以来、血液型性格診断の本は多分何百冊、何千冊と書かれてきてると思うが、マトモに科学的に研究をした本は恐らく皆無だろう。私も何冊か読んだことはあるが、「初めに答えありき」で、予め「○型の人の性格はこう」と想定した性格にムリヤリ有名人、芸能人を当てはめていってるいい加減なものばかりだった。「A型はマジメタイプ」とよく言われるが、ほかの血液型はみんな不真面目だってことか。マジメなB型、O型、AB型の人もいくらでもいるのに、全く失礼千万な話である。
 血液型と性格との間に相関関係があるなんて、一度だって証明されたことはないのに(あるなら見せてみろ)、それがいかにも科学的常識であるかのように錯覚させられているのはいったいどうしたことなのか。
 なんだかねー、それだけやっぱり現代人がどうやって他人とのコミュニケーションを取ったらいいかわかんなくて、安易な方法に逃げてるって気がしてねー、ちったあ人を見る努力ってものをしてみたら? と悪態の一つもつきたくなるのよねー。
 今までの日記にも書いたことがあるが、「血液型」というから勘違いされるんで、これ、ただの「免疫型」なのである(だから「血液の流れていない」髪の毛からでも「血液型」は判別できる)。言ってみれば、単なる「体質」にすぎないので、こんなもんで人間の性格を判断することがどれだけいい加減かは、例えば、「デブはおおらかな性格」「ヤセは神経質」って決めつけに根拠がないのと同様だと言えば、容易に首肯して頂けるだろう。
 「占い」とかはさ、あくまで「遊び」として楽しむ範囲に留めておかないと、場合によっては身を滅ぼす危険だってあるんだからね。

2002年11月28日(木) 再爆走�ぁ新�をとっては/『恋愛出世絵巻 えん×むす』1巻(瀬口たかひろ)/『ウルトラマン画報』上巻
2001年11月28日(水) ひと月早いぞ誕生日/DVD『キカイダー01』第1巻/『マジンカイザー』2巻ほか
2000年11月28日(火) 〆切はゴムのように延びる(^o^)/『蟲師』1巻(漆原友紀)ほか


2004年11月27日(土) お客が来ても樽の中。

 公演が近づいてきたこともあり、週末はお泊り客が増えてきているが、本日は夕方から下村嬢が来訪の予定。深夜にはカトウ君も来るとのことである。それで、また本だのDVDだので散らかりつつある居間を少し整理して行く。
 テレビの前に未整理のDVDがひと山になっていたので、ラベルを付けて棚の隙間に詰めこんで行く。その過程で、自然、居間の中央にいったんDVDや本を寄せていくので、一時的に足の踏み場がなくなってしまう。それを見てしげが「何、散らかしよるん!」と怒るのだが、じゃあ、しげが片付けをしてくれるかというと全然そんなことはないのである。やっぱりディオゲネス症候群なのかね(樽のディオゲネスは自分の住んでいる樽の中を散らかしてないと落ちつかなかったそうな)。

 だいたい、結婚当初は私もヒマを見つけては本の整理をしていたので、ここまで部屋が腐海化することもなかったのだが、私が片付けるはしからしげが散らかしまくり、その癖あとはほったらかし、読んだ本を適当にあちこち放り出したまま片付けようとはしなかった。いくら叱ってもしげは口先でだけ「ちゃんとする」と言うだけで、一向に改善しようとはしなかったので、私もだんだん徒労感に苛まれくたびれはてて、いつしか整理することを放棄してしまったのである。
 以来、本は乱雑に積み重ねられたままである。
 これもしげに人並の記憶力がからきしないせいなのだが、あの阿呆はいったん本などを取り出して半日もすると、それがどこにあったかわからなくなり、元に戻せなくなるのである(これが誇張でないことは、以前の日記でしげに「記憶実験」を試みたことがあるのをご存知の方には納得していただけるだろう)。

 一事が万事その調子で家事をしないしげだが、それでも客が頻繁に訪ねて来る状況だったりすると、少しは何とかしなきゃなんないなあ、という気持ちにはなっていた。……数年前までは。
 以前、よしひと嬢が泊まりに来るときにはあのしげでさえも、かなり気を入れて掃除をしてはいたのである。けれど三十路にさしかかろうかというころから、自分が「素敵な奥さん」になることは永久にムリ、と勝手に悟ってくれたらしい。洗濯ものを溜めまくって風呂場への通路を塞いで、風呂を使えなくても平気、という状態にしておいて平然とするくらいに、だらしなくなってしまっていたのである。
 カネを払えば少しは家事をするかと、去年あたりは給料制でしげに家事をさせていた。ところが今度は本人が「家事をした」夢を見て(あるいは錯覚して)、それを現実と取り違えて給料を請求するようになったので、これも結果として効果はなかった。自分がサボれる方向に都合よくアタマがイカレてくれるのだから、全くありがたいことである(←この「ありがたい」は本来の意味での「有り難い」ということね)。
 結局、しげに家事をさせるには、いちいち側に付き添ってやって、「あれをしろ、これをしろ」と命令するしかない。でもそれでは家事の分業なんて成り立たない。まっとうな家族関係が送れないどころか、しげと付き合うだけの体力が私にはもうなくなってしまった。自分が綿のように疲れ果てているのを感じるばかりである。

 それでもここんとこ、劇団のみんなから(特にカトウ君から)「少しは家事をしたらどうだ」と責められていることもあってか、しげも少しは家事をするようになった。けれどそれも所詮は「少しは」のレベルでしかない。世間では、2、3週間に1回、洗濯をしたり、ゴミを捨てたりするのを「家事」とは言わない。しげは「なんで人んちのことにいちいち口出しされなきゃなんないんだよう」とブー垂れているが、「ウチ」というものが成り立ってないのにそんな口を利く方がよっぽどフザケているのである。

 今日は珍しくもお客さんが来るんだからと、昼間から台所を片付けていたしげだったが、それもただ食器を洗っていただけである。しげにとってはそれでも大労働したつもりになれているのだから、能天気なことだ。日頃はこの程度のことも全然やらないで寝てばかりなんだから、これで履歴書に「主婦」と書きこむのは強心臓にも程があろう。
 小一時間も働かないうちに気力が尽きて居間で布団にくるまりだしたから、こりゃどうせほかのところには手は回っていないだろうな、と思ってトイレを覗いてみたら案の定であった。ペーパーの芯は散乱しているし、便器の中は具体的に描写したくもない。
 「トイレくらい掃除しろよ!」と寝かけたしげを叩き起こしてむりやりもうひと仕事させた。しかし、風呂場までは結局片付けられないままだった。
 夕方、下村嬢が来て、「ごめん、風呂は使えないんだ」と告げたら、「そう思って、ちゃんと入って来ました」と言う。こういう気遣いを客にさせるのは全く申し訳なくて、顔から火が出る思いなのだが、胃に穴が空く状況になっている現在、私にはもうしげをフォローする元気も体力もない。勘弁して頂くしかないのである。

 しげと下村嬢と、リンガーハットで食事。
 しげ、「海鮮かきちゃんぽん」を注文するが、牡蠣を嫌って私のスナックちゃんぽんの上に乗せてくる。しかも食いきれずに残りを私に寄越すのである。だったらどうして最初から「スナックちゃんぽん」を頼まないかな(-_-;)。
 食事のあと、3人でカラオケに行こう、という話になる。先日、下村嬢が劇団の掲示板の方に「カラオケ行きたい」旨、書き込んでいたことがあったので、それを思いだしたのである。カトウ君もからだが空いているなら誘おう、ということで、しげと下村嬢、カトウ君にメールを打つ。その返事が、「いやあ、そんなにみんなボクの歌が聞きたいのかい?」という熱気バサラみたいな内容だったので、下村嬢、「なんでコイツ、こんなに自意識過剰なの!?」と激怒する。
 確かに言葉だけを見れば「ボクってモテモテさん?」みたいな自意識過剰な態度に見えなくもないが、カトウ君だって気がある相手に対してならこういう返事は寄越さないはずである。だとすれば逆にこの冗談は間接的に「あなたには何の気もありませんからね」と主張していることになるわけである。もちろん、実際に下村嬢に対してカトウ君が全く気がないことはハッキリしているのだから、実に正直な態度ではあるのだが、女性に対して正直過ぎるというのもそれはそれでムズカシイ問題を孕んではいるのである。かと言って、八方美人的な態度を取ったり、いかにも気がありそうな素振りを見せるのはもっと問題をこじらせることにもなりかねない。じゃあどうすりゃいいのかということであるが、男女の間柄は友人どうしだろうが恋人どうしだろうが、何をどうやったってこじれるしかないのだから、悩むだけムダなんだな(^O^)。

 結局、カラオケには3人で。
 いつもアニソンばかり歌っているので、今日はあえてアニソンを外して選曲するが、そうすると私の知ってる曲は70年代でストップしてしまう。具体的には沢田研二の『危険なふたり』とか、いしだあゆみの『ブルーライト・ヨコハマ』とかになっちゃうのだ。こういうのを小学校の帰り道で口ずさんでたんだから、なんかヤなガキだったのだな、私は。下村嬢、「アニソン歌わないんですか?」と不満そうだったので、それじゃあ、ということで『ケ・セラ・セラ』を歌う。これだって立派にアニソンだからな。
 下村嬢は『美しさは罪』を歌ってほしかったみたいだが、それ、もうなん度も歌ったし。あまり同じ歌ばかり歌うと、しげがいやがるんで、仕方がないのである。

 帰宅して、カトウ君に「もう帰ってきたから、今からウチに来ていいよ」とメールを打たせる。そしたら「今までどこかに出かけてたんですか?」と返事。下村嬢、「こいつ、自分が来ないとカラオケには出かけないと思ってたのかよ!?」とますます激怒する。
 さて、カトウ君がそこまで思い上がっていたとは思いにくいし、ただ単にボケてただけじゃないかとは思うのだが、ともあれ、下村嬢の中におけるカトウ君の株は著しく下落してしまったようである。それはそれでまあ、別の問題は起きずにすみそうだから、安心できる面はあるのだが。

 ややあって、カトウ君来訪。「今日はちゃんと明日の練習の準備をします」と宣言して、小道具作りなど始める。DVD鑑賞は公演が終わるまでガマン、ということだが、しげはどうやらいずれ、とっ散らかっているDVDやCD、ゲームなどの整理もカトウ君にさせたい意向のようだ。……だからお前が散らかさなきゃ、整理はちゃんとできるんだってば。
 準備を一通り済ませて、しげとカトウ君は、階下に降りてエレベーター前のロビーで演技の練習。もう12時を回ってはいるが、ロビーにはかえって人がいないので、練習にちょうどいいそうな。いや、12時過ぎでも人通りはあると思うけどなあ。うちのマンション、夜の仕事のひとも結構いるし。
 けれど、こちらもそれに付き合うだけの体力はない。というか、しげたちが下に降りて行く前に私はもう、椅子の上で舟を漕いでいた。下村嬢はマンガ持って隣室で就寝。結局、しげとカトウ君は半徹夜状態だったようだが、しげもこれだけ体力が続くなら、やっぱりちっとは家事をしてほしいものである。

 余談だが、しげは「我修院達也」と「若人あきら」が同一人物だと初めて知ったそうな。
 もちろん『ハウル』のパンフレットで我修院達也の写真を見ているのだから、そのとき気がついてもよさそうなものだが、しげはあほだから、「どうしてこの人は、こんなに若人あきらに似ているんだろう」と首を傾げてただけだったそうである。
 だから本人なんだって(-_-;)。

2002年11月27日(水) 再爆走��/鬼が笑っちゃってひきつけ起こして寝る話/『燃えよペン』(島本和彦)ほか
2001年11月27日(火) 癒されたいの?(-_-;)/DVD『ウルトラQ』6・7巻/『ギャラクシー・クエスト』
2000年11月27日(月) 活字の本が読み進まない/『カスミ伝△(さんかく)』1巻(唐沢なをき)ほか


2004年11月26日(金) みんなみうらじゅんが大好き/DVD『マダムと泥棒』/『トップをねらえ2!』1巻

 金曜日は定例のしげの通院の日。
 最近は院長先生の勧めで、デイケアにも参加するようになっているので、週に2、3日、多い時には連日通っている。
 けれど、デイケアは中身によっては必ずしも楽しくはないらしい。運動が好きだからスポーツの日にはウキウキして出かけているのだが、患者さんどうしでディスカッションしなきゃなんないときは、かなりつらい思いもしているようである。コミュニケーションが取れない人たちばかり集まっているのだから、そこで討論させても話がまるで進まない。それでイライラしてたまらないと言うのだ。けれどしげ自身、コミュニケーションが取れる人間ではないので、その場をなんとかできるわけではないのである。
 その場にはもちろん指導する立場の先生も当然いらっしゃるわけで、話が滞りそうになったり、あらぬ方向に向かいそうになったら、適宜リードしては下さってはいるようである。けれどしげの不満は、「やたら仕切ろうってやつがいるんだけど、ウザくて」という発言から察するに、ある患者さんの存在自体にあるようなので(~_~;)、結局そのグループにいるだけで神経が逆撫でされてしまうことになるのである。
 「ねえ、教えて。院長先生は、オレに『修行』をさせたいのか?」と私に向かって詰問してくるのだが、そんなこと言われたって私だって返答のしようがない。院長先生は「素の自分にならずに、芝居をするつもりで振る舞いなさい」と助言されているそうだから、その通り「演技」すればいいと思うのだが。つか「素の自分」なんてものがあると考えているとすれば、しげは演技者としてはまだまだ未熟者だということになってしまうのであるが。

 今日は通常の通院だったので、院長先生およびカウンセラーの方との面談。
 いつもの習慣で、しげは待ち時間に読む本を持っていっていたのだが、それが今日はみうらじゅんの『とんまつりJAPAN』。院長先生、しげが手にしたそれを見るなり、「おっ、みうらじゅんですね」とビビッと反応したとか。そればかりか、カウンセラーの先生も「みうらじゅんですね」、看護婦さんも「みうらじゅんですね」。
 しげ、「なんでこの病院、こんなに『みうじゅん度』高いんだ!」と困惑してしまったようだが、ある意味いかにも神経科らしいって気もする。少なくとも病院全員が「見沢知廉」ファンだとか、「相田みつを」ファンだとか、そういうところよりはずっと信頼できそうだと思うが、どうか。
 それより私は、しげが「みうらじゅん」を「みうじゅん」と省略する方がなんか許せないけどな。つか、それ、一文字減らしただけじゃん。それで省略になってんのかよって。


 帰りは一応しげに迎えに来てはもらったものの、急に仕事関係の本を物色せねばならなくなったので、博多駅で落としてもらうことにする。しげに付き合うかどうか尋ねたのだが、仕事があるので少しでも仮眠を取ると言って一足先に帰った。
 本を何冊かと、予約しておいたDVDを何本か購入。先日買ったDVDも含めて、かなり量が溜まってきているので、帰宅して、片っ端から見ることにする。

 DVD『マダムと泥棒』。
 先ごろトム・ハンクス主演でリメイクされた『レディキラーズ』のオリジナル版である。これまでずっと見る機会を逸していたのだが、ようやく見られた。
 旧版と新版、どちらが上かというのは一長一短があって一概にどっちがとは決め付けがたい。キャストだけ見れば、急坂ではピーター・セラーズとハーバート・ロムの“クルーゾー&ドレフュス”コンビの初共演が見られるわけで、その点だけでもどうしてもポイントが高くなってしまうわけだが。
 もちろん、「教授」役のアレック・ギネスの怪演は必見。思うにあの不気味なメイク、多分にドラキュラかノスフェラトゥを意識してるんじゃないかな。いや、そのメイクを見て「アッ!」と思ったのだが、これ、『空飛ぶモンティ・パイソン』のオープニング・アニメに登場する三白眼のおっさんなのだ! 念のため、スチールで確認してみたけれど、ほぼ間違いないと思う。本編アニメでもちょくちょく登場しては切られたり踏まれたりしてるんだけど、テリー・ギリアム、ギネス御大をこんな風におちょくっていたとは今更ながらその度胸には感服である。まあ、これは余談。

 DVD『トップをねらえ2!』1巻。
 これまでのガイナックスが培ってきたノウハウを全てこの一作に叩き込んだって印象。ガイナファンでなくても、いや、SFファンならばこの一本を見逃しちゃなんねえ、と断言したってかまわないくらいの快作だった。なんとなれば「SF」というのは常識の反転、既成概念の破壊、永遠のアンチテーゼをもって世界を再構築する面白さにこそその真価があるからである。……いやね、「萌え」ってキーワードがSF作品のタームとして機能するとは思いもよりませんでしたよ。って、そこに一番「SFマインド」を感じたんかい(^_^;)。ノノは当然、「回顧趣味」でこの「萌え」って単語を使ってるんだろうなあ。
 もちろん、オタク向けのエンタテインメントを作らせたら右に出るもののないガイナ作品であるから、SFファンでなくても楽しめる要素はテンコ盛りである。“お姉さま”ラルクがチビで短髪でソバカスの黒人とはなかなか意表を突いているが、これがまたノノと対比してちゃんと“お姉さま”に見えてくるから、前作の設定を踏襲しつつも裏切る部分もあり、しかしそれが決して的を外しているわけではなく、実にツボを押さえているのである。言わば、「心地よい裏切り」。ラスト10分のスタンピード、もはや呆気に取られるしかない「宇宙空間での“生身の”イナズマキック」のショックと来たら、何をか言わんやの大歓喜である。
 ……つて、でもやっぱりこういうのを喜んじゃうのって、オタクだってことなんだろうなあ。


 歌手の本田美奈子が実は改名していた、というニュース。
 今は「本田美奈子.」になってるんだって。
 「え? どこが改名してるの?」と首を傾げた人は、「子」の後ろをよーく見ましょう。ほら、小さく「.」(ドット)が付いてるでしょ?
 ご本人の弁によれば、「ドットを付けると画数が31画になり、開運のために変えました。いつでも歌手として人として女性として輝いていたいのでドットを付けました」ということらしい。なんだ、やっぱり占いか、とちょっとガッカリした人も多かろう。特にアイドル時代の本田美奈子を知ってる人にとっては。当時、プロダクションの言い付け通りに歌い踊るだけの“お人形さん”ばかりだったアイドル界にあって、自己主張のできるタイプに見られていた本田美奈子にはちょっとカリスマ的な人気があったのである。だから今の彼女が。単純に「迷信に引っかかりやすい女」というだけでなく、自分の意志、判断を放棄したような“他力本願的なもの”に引っかかってしまうとは、幻滅以外のなにものでもないのである
 名前そのものを変えるのはよく聞く話であるが、テンやらマルやら、「記号」を付けるってのはあまり例がない。やはりフツーの感覚の持ち主ではないのかなあ、とちょっと腰が引けてしまう。
 過去の例を考えてみても、パッと思いつくのは大友柳太朗が「友」に「、」を付けて「大友`柳太郎」にしたり、藤岡弘が「流されないで立ち止まって自分を見つめる、という覚悟と『いまだ完成せず』の意味も込めて」と「藤岡弘、」にしたりと、これくらいしか思いつくものがない(「モーニング娘。」は最初からマルが付いてたから例に挙げない)。あと、それに近い例と言えば「石森章太郎→石ノ森章太郎」くらいか。石森さんはともかく、大友さんも藤岡さんも、発音自体は変わってないので、改名した事実に全く気付いていない人も多く、何のための改名だかよく分からないきらいがある。本田美奈子の改名も、あまり浸透しないんじゃなかろうか。新聞、雑誌の記事やパンフレットなど、印刷物ではしょっちゅう忘れられると思うんだがなあ。
 ちなみに、その生命判断、当たってるかどうか、適当な姓名判断のサイトで調べてみた。

〔改名前〕
天格(10) ● 凶 家系的運勢を表します。
人格(14) ● 凶 性格や人柄を表します。
地格(20) ● 凶 個人の運勢を表します。
総格(30) △ 半吉 総合的運勢を表します。
外格(16) ◎ 大吉 その人の印象を表します。
●総合的な運勢
浮き沈みの激しい面がありますが、たくましく障害を乗り越えて行く底力を持っています。そのために、ひとつひとつの困難に忍耐強くぶつかっていけば、道も開けてきます。心根がやさしい面も持ち合わせているので、努力を続ければ実っていくことでしょう

〔改名後〕
天格(10) ● 凶 家系的運勢を表します。
人格(14) ● 凶 性格や人柄を表します。
地格(21) ○ 吉 個人の運勢を表します。
総格(31) ○ 吉 総合的運勢を表します。
外格(17) △ 半吉 その人の印象を表します。
●総合的な運勢
先祖からの徳を受けているので、才知に長けていながら、温厚で弱者にやさしい心配りのできる人柄の良さを備えており、周囲からの信用と信頼が絶大です。家庭を大切にして、幸福な人生をおくることでしょう。

 まあ、総合的にはちょっとはよくなったって感じか? でも芸能活動を続けていくなら、もとの名前の方がよかったような気も(^_^;)。

2002年11月26日(火) 再爆走�◆森�げなくても広がるリング/『低俗霊DAYDREAM』4巻(奥瀬サキ・目黒三吉)
2001年11月26日(月) そろそろこの日記タイトルにも飽きてきてるんだけど/『社会派くんがゆく!』(唐沢俊一・村崎百郎)ほか
2000年11月26日(日) オタアミが出て来た日/第3回オタクアミーゴス・IN・九州


2004年11月25日(木) ヤクザと一緒の二日間/DVD『CASSHERN』

 しげの具合があまり芳しくない。
 朝、寝起きが悪いのはいつものこととしても、迎えに来るときも、メールを入れただけでは返事がなく、携帯に三度、自宅電話に二度電話を入れて、ようやく電話口に出るのだが、「もひもひ? ふいべ、いべ、あばちゃ」と何言ってんだか全然分からない。
 しばらくパートの仕事を休んでた埋め合わせか、昨日から二日続けての8時間労働、多少は疲れてるんだとは思うけれども、それにしたって家事はやっぱり手をつけず、家では殆ど寝て暮らしてるんだから、結局は日頃の運動不足のツケが溜まっているだけである。
 助手席に座っていて、機嫌がいいときには白石冬美か横山智佐のような甲高い声で喋りまくられ、機嫌が悪いときには森山周一郎か中田譲治のようなドスの利いた声で、広島ヤクザのように難癖つけられるのだから、どっちにしたってひたすら鬱陶しいだけなのだが、この二日は中田譲治の声しか聞いていないのである。私が暗く沈んだ気分になるのもご理解頂けよう。
 「食事はどうする?」と聞いても、機嫌がいい時には優柔不断でなかなか決まらないのだが、今日は「なんか買って帰りたいけど、めんどくせえからガストで食う」とあっさり決まる。いつもの、「どこにしようかなあ、えーとえーと」ってのもイライラさせられるのだが、こう投げやりに決められるのもあまり楽しくない。
 しげ、食欲もないのか、ハンバーグを頼んだだけでご飯は食べず。ダイエットしてるつもりなのかもしれないが、だったら肉も避けなきゃならんはずで、しげには珍しく「メシだってどうでもいい」という気分なのだろう。いつもはお喋りしたり本読んだりして長っ尻な我々なのだが、今日はメシを食い終わったらさっさと引き上げた。ぶすくれてるしげと真向かいでメシ食っても、美味くもなんともないのである。


 帰宅して、マンガ読んだり、DVDで『CASSHERN』を見たり。マンガの感想は量も多いし書いてたらキリがなくなるので、省略。
 紀里谷監督のコメンタリーを聞いていると、前半はかなり無駄なセリフを省き、余計なシーンもカットして、たとえ説明不足になっても映像で見せていこうとする意欲があったことが確認できる。整合性がなくっても、勢いで見せているので退屈はしないのだ。
 ところがまあ、後半になるとそういった「刈り込み」がされなくなり、極めて幼児的な「反戦意識」が前面に出てしまうる。もちろん、紀里谷監督の「オトナの事情でこの映画を作ってはいない。今、言わなきゃならないことは子供の気持ちに戻って、『戦争はいやだ』と主張することだ」という気持ちは伝わってくるし、それ自体否定しようとは思わない。「結局、長いものには巻かれなきゃなんないし、日本だって石油欲しいし、某国の問題もあるからねえ」という「オトナの思考」に対して、紀里谷監督が怒りを覚え、そんな単純かつ短絡的な思考に賛同できるかと、異を唱えたくなった気持ちにも充分共感できるのである。
 しかし、「大人の理屈」を批判する資格が「純粋な子供」にならある、と紀里谷監督が判断しているのだって、やはり単純思考にほかならない。「ダメだからダメ」ってのは、おもちゃを買ってもらえなかった子供が「ヤだったらヤだ」と駄々をこねてるのと少しも変わりない。そういうピュアな気持ちが届く相手は、同じピュアな人だけなのだ。「反戦」を本気で唱えるのであるなら、ピュアなだけではそれこそ「ダメ」だろう。そこには「戦争屋」どもを翻意させられるだけのエネルギー、そして説得力や駆け引きもなければならないが、『CASSHERN』はそれを「祈り」だけで済ましてしまっている。……結局、オチは『ゴジラ』(1954)ですか(-_-;)。でも、「祈り」も届かず、第2、第3のゴジラが生まれるから『ゴジラ』は名作たりえたんだけど、『CASSHERN』は紀里谷監督の中で自己完結しちゃったからねえ(+_+)。
 紀里谷監督の意図に反して、この映画でカッコよく見えるのは、復讐の権化と化したブライキングボスであり、私欲のためにマッドサイエンティストと化した東博士である。「許しあうことが必要だった」なんて言って昇天するCASSHERNなど、はいはい、勝手に逝ってなさい、ってなもんで、イラクの人質レベルの馬鹿にしか見えない。海外版は再編集されるようだけれども、ラスト30分は大巾カットしてほしいなあ。「メッセージ」はドラマ終わらせるための方便として機能してりゃそれで充分、というか、そうしないとこの映画、鬱陶しいばかりで、かえって「好戦的な気分」にさせられちゃうと思うよ。
 ……ああ、その点でこれ、『華氏911』によく似てるね(^o^)。



 気がついたら大相撲九州場所が始まっていたが(^o^)。
 私の相撲への関心は千代の富士で途絶えてしまっているので(古いな)、かつての若貴時代だって土俵外のスキャンダルの方が面白かったし、朝青龍がどうとかいう話題だって、相撲自体には何の興味もない。だってさあ、見ていて心動かされるものがないんだもん。それこそ名横綱と言われる力士たち、大鵬とか北の海とか千代の富士の相撲には、「この強さはいったい何なんだ!」って驚きがあったんだけどなあ。いや、たまに私もニュースで朝青龍の相撲を見かけることあるけどね、今のファンって、あんな腰の座ってない相撲見てワクワクしてるんかね?(私が見た取組がたまたまそんなのだったのかもしれないが)
 だから今場所も、「ああ、大鵬親方、これで引退かあ」と、昭和30年代、40年代に子供だった世代にしか分からない感慨はあるものの、取組自体を見たいという気は起こらないのである。思い返すと、私は子供のころ(幼稚園のころだと思う)、九州場所の祝賀会に出席して当時現役だった太鵬さんに抱っこしてもらったことがあるのだが、「強いお相撲さんに抱っこしてもらえると、その子は丈夫に育つ」って習わしも、今は廃れてやしないかなあ。自分が子供だったら、あるいは自分の息子を、朝青龍に抱っこしてもらいたいって感覚の持ち主、どれくらいいるんだろう。なんか、「あんな若僧に抱っこしてもらっても、あまりご利益なさそうだ」って気がしないか?
 そんな寂しさを感じていたところに次のようなニュース。
 九州場所名物のちゃんこ鍋と言えば、あの『美味しんぼ』にも紹介されていた「アラ鍋」(「アラ」とは、料理したあとに残った肉の切れ端や骨の「アラ」ではなくて、そういう名前の魚。関東では「クエ」と呼ぶそうな)であるが、各相撲部屋のちゃんこ番の若手はもう包丁裁きも味付けも全然ダメになってしまっていて、アラ鍋が作られなくなっていると言うのである。せっかくタニマチから差し入れされたアラも、豚肉とかとごった煮にされてしまうとか。ともかく今の力士の注文は、自分のカラダを作ることになど興味はなく、ただひたすら「肉、肉、肉」だそうな。ハンバーガーしか食わないからだじゃ、贅肉は付いても筋肉は付かんだろう。今の相撲が全般的にまるで強そうに見えないのは、こうした食生活の変化も原因にあることはまず間違いのない事実だろう。
 いやまあ、私だってアラなんて高い魚、自宅で食ったことなんてありゃしないのだが、「九州は魚が美味い」というのは、味ばかりでなくその栄養価も含めて我々の自負でもある。「肉の方がいいよ」なんて言って笑ってる情けない力士など、誰が応援なんてしてやるものか、という気になるのも仕方のないことなのだ。
 それでもさすがに朝青龍は、差し入れのアラ鍋を食べて、「こっち(博多)は食べ物がうまいな。力士はやっぱり、食欲だ。体もよく動く」と上機嫌で話していたそうな。なんだかんだで横綱は(つか、高砂部屋は)、相撲取りとしてのからだ作りに注意を払っているということなのだろう。別に私は格別のナショナリストでもなんでもないが、魚料理は少ないであろうモンゴル出身の力士に「味」の意味が理解できていて、日本人力士がそれを忘れてしまっているって事実を突きつけられてしまうと、おまえら国技に従事してるって意識があるんかい、って思いもつい抱いてしまうのである。

2002年11月25日(月) 再爆走� 真深造録燭鹵罅拭悒優海硫Α截慨�(小野敏洋)/『獣星記ギルステイン』4巻(完結/酒井直行・田巻久雄)ほか
2001年11月25日(日) オタアミ承前/『すごいけど変な人×13』(唐沢俊一・ソルボンヌK子)/DVD『金田一耕助の冒険』ほか
2000年11月25日(土) 希ウィッチィズ/安藤希トーク&サイン会


2004年11月24日(水) 一億聡婦女子化

 職場の女の子たちに、「『ハウル』もう見た?」と聞いてみる。
 その場にいた3人中、2人が「見ましたあ!」「てゆーか、昨日見に行ったばっかりだしい!」と声を上げる。やっぱ、若い子は「てゆーか」に「だしい」ですねえ(^_^;)。
 いやもう、若い子のエネルギーにはオジサンは全然付いてけないんだけれども、それでも公開直後に見に行くくらいの情熱はまだまだあるのだ、と内心自分を慰めてみる。……思い出したが、昨日、KBCシネマの窓口で受付のあんちゃんに「ご夫婦でどちらかが50歳以上だと割り引きになりますが」と言われちまったな。白髪が異様に増えちゃってるから、自分でも「老けたなあ」とは思ってるんだけれども。これが「カンロクが付いた」ってんじゃなくて、単に「くたびれた」ってだけなのが情けないのである。
 それはそうと、映画の感想を聞いてみると、おおむね満足しているようである。「ああいう終わり方するとは思ってなかったんでビックリしたよ」と言ったら、「そうそう!」とか笑って頷いていたから、別に不満はないようだ。ネットとかでは「あんな終わり方はないぞ!」ってな意見も結構見受けられたのであるが。
 実際、貶そうと思えばいくらでも貶せるし、特に持ち上げなきゃならんとも思わないのだが、たとえば物語の整合性の無さなんか、今更指摘したってしょうがないんだよね。そんなの昔からだから。
 既に「国民映画」とまで言われているようだけれども、「意味も分からないのに、みんな、ともかく見に行かなきゃならないという気分にさせられている」という点ではまさに国民映画と言えるだろうねえ。前回の『千と千尋』が娼婦の物語だったとすると、今回の『ハウル』は従軍慰安婦か銃後の貞女(正反対に見えて、この二者は男にとっては同質のものである)の物語ってことになりかねないんだけれど、そういう因循な男尊女卑映画を女性のみなさんがこぞって褒め称えててもいいのかねえ。まあ、男が美形ならオシトヤカにお仕えするのもムベなるかなのではあるが。


 今日も9時まで残業。
 当然帰宅は10時過ぎになってしまうわけで、日記なんか書くヒマはない……つか、すぐに寝たのでネタは無いのである。悪しからず。

2002年11月24日(日) サベツとの長き闘い……はまだまだ続くよ(-_-;)/DVD『アクション仮面VSハイグレ魔王』/DVD『あずまんが大王【2年生】ほか
2001年11月24日(土) オタクアミーゴス in 九州 2001
2000年11月24日(金) ハートブレイク/舞台『人間風車』


2004年11月23日(火) ヒミツのハカセちゃん/映画『父、帰る』

 記憶が既にさだかではないが、確か『オバケのQ太郎』かなんかのエピソードで、正ちゃんが「今日は『勤労感謝の日』だから、ママのお手伝いもしなくていいんだ」とか言って、サボろうとして叱れる、って話があった気がする。
 もともとこの祝日は戦前の「新嘗祭」を引き継いだもので、つまりは五穀豊穣を神に感謝するわけだから、別に働かなくていいという日ではないわけだ。
 労働も特にしてないガキンチョどもは、今、こうして毎日メシが食える喜びを感謝して、今日くらいはお父さんお母さんの代わりに家事を手伝ってやるくらいのことはしてもいいと思うんだけど、昔はいくらでもいたそういう健気な子供って、現代じゃもう絶滅してないかね。
 ウチの仕事に家事にサボりまくりの被保護者は今日が何の日かも全然知らんと思う。期待したところで仕方がないと思いながらも、奇跡が起こって「あなた、今日のおかずは○○よ♪」とか言って、料理運んできてくれたらなあとか夢想したりもするのだが、まあ、夢想どころか妄想だろう。ううう(T∇T)。


 休日でゆっくり出来るかと思っていたら、昼からしげがハカセ(穂稀嬢)を連れて来た。
 芝居の小道具の製作の手伝いをさせるためなのだが、だから人を家に呼ぶ前に部屋は片付けておけよって(-_-;)。居間いっぱいに模造紙広げたりするもんだから、脇を通ることも至難の技、あまつさえトイレの前にシーツを広げてその上に絵の具塗ったくって、「踏むと付くよ」って、おまえらはトイレに全然行かんつもりか(+_+)。こっちは最近また血糖値が上がって来て、頻尿になりつつあるってのによう。
 それでも3時くらいには作業もひと区切りついて、穂稀嬢を車で送っていく。
 今度の芝居には「黒子」が多数登場するのだが、その衣裳用の端ギレを買いに布屋に寄る。もっとも私は眼が悪いので見立てはできない。ただ付き添ってるだけなので、ちと寂しい。
 そのあと、用事があるという穂稀嬢を某所まで送る。
 「今日はこれから○○○○○○○んだね」とからかったら、穂稀嬢、「いえ、あの、その」としどろもどろになった。うら若いムスメを冷やかして喜ぶとは、中年オヤジはこれだからいけない。でも、困ったことに穂稀嬢って、非常識を寒天で固めて脳ミソとすげ替えたような天然キャラなので、いくらイジッても全然罪悪感を覚えないのである。そうかー、ここが穂稀嬢の○○○が○○○○○○○○○かあ。なんと○○○○○○○○○○○○○○○○○じゃん!
 まあねー、別に悪いことしてる訳じゃなし、どこで誰と会うのか、別に隠さんでもよかろうとは思うのだが、こういうことは温かく見守るのがよろしかろうと思うので、あえてヒトと場所は秘するのである。……ってバレバレやがな(#^_^#)。


 そのあと天神に回って、KBCシネマで映画『父、帰る』。
 しげがやたら見たがっていたけれども、一日一回の上映で、しかも早朝興行が多かったので、これまで見る機会を逸していた。それが今週になって夕方5時からの上映に切り替わったので、ようやく見に行けるようになったのである。
 ロシア映画を見ることはそうそうないので(これまで見た映画の中でパッと思いつくのは『戦艦ポチョムキン』『イワン雷帝』『惑星ソラリス』くらいのものである)、日本映画などとはかなり肌触りが違うだろうなあ、もしかしたらすごくつまんないんじゃないかなあ、と心配していたのだが、それは杞憂であった。それどころかこれ、脳天をぶん殴られたと感じるくらいにトンデモナイ映画であったのである。
 描写は実にリアルであり、凝ったアングルもなければコケオドシのモンタージュやフラッシュバックもない。もちろんCGなんかも一切使っていない。カメラは淡々と出来事を追いかけていくだけである。しかし、映画を見終わって気付くことは、物語が何も語ってはいないという衝撃の事実なのだ。
 母子家庭の兄弟のところに、ある日突然、父が帰ってくる。父は兄弟を旅に連れだし、ある無人島へ渡る。兄弟は突然の闖入者である父の存在をどう受け入れてよいか分らず困惑するが、父は島で事故にあって死んでしまう。
 ……で。物語は終わりである。「呆気に取られる」とはこういうことを言うのだろう。父は失踪していた間、どこで何をしてきたのか、今、家族のもとに帰ってきたのには何か訳があるのか、いや、そもそもこの男は本当に兄弟の父だったのか、全て説明されないまま映画は終わる。そこに「出来事」はあるが、「意味」や「説明」は一切ない。普通そういう映画は「不条理劇」と呼ばれるものだが、描写がリアルなだけに、監督が観客を翻弄するためにそんなことをしたとは感じられないのだ。おかげで、我々はこの映画をどう受けとっていいか、困惑の中に置かれたまま、映画館の外に放り出されてしまうことになるのである。
 けれど、やたら過剰な説明ばかり語られて「この映画はこう受けとってください、それ以外の解釈は困ります!」と言った類の押しつけがましい映画が多い中で、この「潔さ」はむしろ小気味よい。「なんじゃこりゃ?」と腹を立てるお客さんもいるだろうが、私やしげはこういう映画の方が好きである。
 ……だからなんだろうなあ、自分たちで作る芝居がやたら説明不足になるのは(役者が文句つけるんで、改稿するとすぐ説明的になっちゃうんだけど)。


 帰りに「ヤマダ電器」に寄ってパソコンコーナーに。
 私もそろそろノートパソコンを買わないと、仕事にかなり支障を来たしつつある。一応、職場にもパソコン置いてあるんだけど、これが方が古いのかメンテまるでやってないのか、ともかくやたらフリーズしまくってるのだ。けれど、デジタルテレビ買っちゃったこともあって、今すぐには買えない。つか、ヘタすりゃ来年の夏まで買えない。DVDボックスとか買うの、少し控えりゃなんとかなるんだけど、今見とかないとなあというのが最近やたら出まくってるし。『風と共に去りぬ』ボックスとか、『ザッツ・エンタテインメント』ボックスとか、私に死ねと言ってるようなものである。


 昨22日、『華氏911』のマイケル・ムーア監督が、オンライン映画雑誌 “Film Threat. Com”の「Frigid 50(寒い50人)」でトップに選ばれたというニュース。
 もともとこのサイトは、エンターテインメント業界に対して批判的なところだそうだが、この「Frigid 50」の主旨は、「面白みに欠け、興ざめの著名人」を挙げることにあるという。だとすると、ムーア監督がワーストに選ばれた理由は、政治的な批判というより、その「人間的な態度」にありそうだ。選考理由が「あまりに巨大なエゴ」というのも、納得できることである。
 おそらくは、お上品な映画を作ったって世間の注目は浴びない、とにもかくにも自分の主張を聞いてもらうためには「宣伝」が先だとムーアは判断しているのだろう。そのこと自体は必ずしも間違いとは言いきれない。しかし、『ボウリング・フォー・コロンバイン』のチャールトン・ヘストンへの失礼極まりないアポなし取材や、『華氏』での我田引水かつ恣意的な情報操作はあまりに度を越している。こうなると世間の見方は「反発」の方が強くなってしまう。選挙後のムーアの奇異かつ余裕のない発言を聞くだにつけ、からかいの対象になっているのはブッシュよりもむしろムーアの方になりつつあるようにすら思える。ムーアはさらに『華氏911・2』を企画しているそうだけれども、ひとり、山のてっぺんでヒステリックにアジ演説ぶつような、お寒い映画になっちまわないだろうか。ミシマかい(-_-;)。ギャグって「高踏派」じゃなきゃ作れないものだと思うんだけどね。
 ちなみに第2位は、ハル・ベリー。アカデミー賞女優だってのに、『ゴシカ』『キャットウーマン』がなんだかなあ、な出来だったからだそうだが、それと『Xメン3』のストーム役を蹴ったことも理由になってるんじゃないかな。ステイタスが上がったと思って天狗になってんじゃねえ。それで出た映画があれかよ、という反発。いまからでもおそくないから、『3』にもちゃんと出ます、ギャラ低くてもいいから、とはっきり表明したらどうかねえ。それだけでも「株」はかなり上がると思うけど。

2002年11月23日(土) 江川卓>○○○/CD『ちょんまげ天国』/DVD『ハレのちグゥ』4巻/『ほしのこえ』/『オトナ帝国の逆襲』
2001年11月23日(金) 純情エロさん/オタクアミーゴス前夜祭
2000年11月23日(木) 勤労感謝の日スペシャル/『超オタク』(岡田斗司夫)ほか


2004年11月22日(月) 『ハウルの動く城』動く!/夏目義徳『クロザクロ』1巻

 『ハウルの動く城』の初日、二日目の動員&興行収入が、邦画史上最高となったとか。動員は約110万5000人、興収14・8億円。洋画の最高収入『マトリックス リローデッド』の22億2000万円には及ばないが、ロングランがまず確実、リピーターも望める『ハウル』が今後さまざまな記録を塗り変えて行くであろうことは容易に想像がつく。最終的に400億円は行っちゃうんじゃないかな。既に50カ国からのオファーがあり、アメリカ公開版は『モンスターズ・インク』のピート・ドクター監督が監修を務めることになっている。公開間もないというのに既に「留まるところを知らない」雰囲気ができあがりつつある感じだ。
 でも、昨日のダイヤモンドシティでの観客の様子を見る限りではそんなにヒットしてたって印象はない。レイトショーではあったけれども、なんたって半分くらいしか席が埋まってなかったのである。もっともあそこはもともと交通アクセスがやたら悪いとこだし、なんたって場末だし、ここでのヒット状況だけで全体はとても測れはしないのだけれども(場末と言ったが、それでもおととい山口の湯田温泉で見かけた、ラーメンの金龍の上が映画館になってたうらぶれぶりよりは何十倍も立派なのである)。
 福岡近辺にお住まいのみなさま、ゆったりと『ハウル』をご覧になりたいのなら、ダイヤモンドシティのワーナーマイカル福岡ルクルにどうぞお越しを(^o^)。
 映画のヒット自体はめでたい限りなのだが、心配なのはこれからのジブリの動向である。何と言っても宮崎監督はもう63歳だ。既に次回作の準備に入っているとは言うが、1作仕上げるのにどうしても2、3年はかかる以上、あと長編映画が作れるとしても、年齢的に3、4本が限界ではなかろうか。『ハウル』の出来を見る限り、失礼ながらちょっとボケも始まってる可能性だってある。これまで同様、宮崎駿におんぶにだっこで、後進を育てていけないのならば、やがてジブリ製作の作品にだってその魅力に陰りが見えてくるのは自明の理だと思う。
 もっとも、先日、アニマックスの『広島国際アニメーションフェスティバル』の特番に出演していた高畑勲監督が、「我々は長編アニメを作ることで観客と向きあってきたが、世界各国の短編をこうして一度に見られた経験は大変おもしろかった」旨の発言をしていたから、スタジオジブリもこれから短編を製作するようになるかもしれない。これまでにも『そらいろのたね』とか、三鷹の森ジブリ美術館でしか公開してない『めいとこねこバス
』、『くじらとり』、『コロの大さんぽ』などを製作しているのだから、決して不可能ではないと思うのだが。いっそのことテレビシリーズを立ちあげてくれると嬉しいんだがなあ。
 毎週、ジブリの新作がテレビで見られるなんて、すばらしいとは思いませんか?


 休日の合間に一日だけ出勤するのもかえって疲れる感じである。
 山口行きに練習に映画と、やはりかなりカラダを酷使していたのだろう、朝目覚められずに10分ほど遅刻。しげもカラダが動かなかったので、タクシーで出勤しようとしたのだが、朝の時間帯、うちの近所のタクシー会社、たいてい車が出払っているので、なかなか捕まらなかったのだ。
 遅れてきたので、「大丈夫ですか?」と同僚がやたら心配してくれる。何しろうちの職場、60人とちょっとの小ぢんまりとした所帯だってのに、現段階で5人も病気休業者が出ているのである。ここで私まで倒れたら、仕事がどれだけ滞るか、見当もつかないのである。特にトンガリさん関係(^_^;)。
 そのトンガリさん、今日の会議でも同席はしていたものの、ずっと背中を向けたままで声をかけても返事をしようともしなかった。もう何をか言わんやであるが、もはやどうしてこの人がクビにもならずに仕事を続けられているのか、七不思議の域に入りつつあるのである。


 しげの舞台衣装やら靴やらを探しにキャナルシティへ。しげは「スポーツオーソリティー」へ直行したが、私は「福家書店」へ。しげから「何もそんなに時間を短縮しようとしなくても」と言われたが、舞台用の衣裳なら担当は鴉丸嬢だから、私は一緒にいても意味はない。「これどうかな?」と聞かれても返答のしようがないのだ。
 福家書店で本を物色しながら待っていたら、しげが青い顔をしてやってきた。かなり気分が悪そうだったので、映画を見ようかと言っていた約束はキャンセルすることにする。「仕事場にお土産を持って行く。ここんとこずっと休んでて迷惑かけてるから」と言うので、「ラ・ブーン」に回るが、しげが目当てにしていた『どこでもいっしょ』のショップが潰れてしまっていた。仕方なくNHKグッズの店に回るが、しげは「オレの好きな店がどんどんなくなっていく」とショックを受けていたようである。キャナルシティはミッフィーグッズの店もなくなってしまっていたが、ホントに繁盛しているのだろうか。

 帰宅して、「チャンネルNECO」で漫然と『気になる嫁さん』や『このこ誰の子?』、『テニス少女夢伝説』『ファイヤーマン』『ゲートキーパーズ21』など。いちいち感想書いてはいられないけれど、懐かしの大映ドラマ、どれを見ても同じに見えるにもかかわらず目が惹きつけられてしまうのはなぜなんだろう。出て来るアイドル、殆ど2線級のブス子ちゃんばかりだというのに(山口百恵は例外中の例外だったのである)。
 DVDで北野武版『座頭市』など見返しながら就寝。


 読んだ本の感想、小説もマンガもなかなか書けないが、一冊だけ。
 夏目義徳『クロザクロ』1巻(少年サンデーコミックス)。
 ベースはやっぱり『デビルマン』なのは、人間のさらに上位の存在としての「悪魔」を設定し、「食物連鎖」のネタを出してきていることからも察せられるのだが、悪魔の種子にとり憑かれた主人公が、もとのからだに戻るためにハンターの少女に正体を隠して近づくシチュエーションに新味がある。家族や知人が食料としての「肉」としてしか見えなくなっていくのもスリルがあっていい。多分その「食料」を人間から悪魔へとすりかえていくことで主人公が助かる道を探っていこうという展開になると思うのだが、さて、「救いのあるデビルマン」となりえるかどうか。『トガリ』のときよりずっと絵も上手くなってきているので、今後の期待も大。ぜひ長く続いてほしいものである。

2002年11月22日(金) 最上の味と最低の映画/映画『恋に唄えば』/『ブラックジャックによろしく』3巻(佐藤秀峰)
2001年11月22日(木) 親の死にメよりアニメ/アニメ『ナジカ電撃作戦』MISSION 007/『MISTERジパング』7巻(椎名高志)ほか
2000年11月22日(水) 今日は眠かった……イツモのことだけど/『ルパン三世カルト2001』ほか


2004年11月21日(日) さようならドラえもん/『ハウルの動く城』

 アニメ『ドラえもん』の声優が来春を機に聡入れ替えとか。
 主役五人、ということだから、大山のぶ代、小原乃梨子、野村道子、肝付兼太、たてかべ和也の諸氏が全て入れ替わる、ということなのだろう。ずいぶん思いきったことをやろうとしているが、役者さんたちの意向で行われたことではないのではないか。
 役者は、一つの役柄が定着することを嫌ってシリーズものから離れる人と、当たり役を得られたことをありがたいと思って大事にしていくタイプの人との両極に分かれる場合が多いが、『ドラえもん』の役者さんたちは、これまでの「死ぬまでやりたい」的な発言から考える限り、後者だと思われるからである。もっとも、大山さんと小原さんはプライベートでは実はすごく仲が悪いというから、対立が決定的になって、やってられなくなったという可能性もなきにしもあらずだが、これは根拠になっている話というのがアテレコのときに大山さんと小原さんの席が端と端に離されているという、なんともあやふやなものなので、所詮はウワサの域を出ないことである。
 やはり一番可能性があるのは、テレビ局か製作会社の意向だと思う。彼らの念頭には、『ルパン三世』での山田康雄→栗田貫一、『サザエさん』での高橋和枝→富永みーなといった、“役者の病気、死去による交代”を避けたいということがあったのではなかろうか。声だけの演技である声優の仕事は、顔出しの役者に比べればその「老い」があまり感じられないですむが、それにだって限界はある。10年、20年が過ぎれば、なだらかな変化ではあるが、声の張りはやはり落ちていく。気がついたときには、こりゃいくらなんでも子供の声には聞こえない、という事態に陥ってしまう。ハッキリ言ってしまえば、もう七、八年くらい前から、特に大山さんの声に「張り」が失われていた。別に『ハリスの旋風』の石田国松や『サザエさん』の初代カツオあたりまで遡ってその声を想起しなくても、『ドラえもん』の初期と今とでは、まるで別人のように「衰え」が見え(聞こえ)ているのである。
 テレビ朝日やシンエイが、『ドラえもん』を単に「昭和を代表するマンガ・アニメ」として位置付けるのでなく、永久に続けていこう(それこそドラえもんがやってきた23世紀を越えてまで)という覚悟でいるのならば、声優の交代は必須だろう。誰か一人を変えるよりは、全員、というのは賢明な判断であるとすら思える。今思い返せば、ここ数年の主題歌歌手の度重なる変更も、今回の措置の「布石」だったのではないか。
 しかし、個人的な感情でものを言うならば、藤子・F・不二雄作品は、その殆どが懐かしい昭和の風景と不可分のものである。『ドラえもん』が愛され続けることは一見、嬉しいことのように見えるかもしれないが、同時に「時代を越えて」愛され続けることがそんなにいいことなんだろうか、という疑念も生じてしまうのである。実際、『ドラえもん』以降の藤子マンガが、それ以前のものと比べると、「昭和の匂い」がかなり希薄になっていることに嘆きを覚える人も多い。これを「ノスタルジア」の一言で片付けてしまう人もいるが、それは少し違うのではないか。
 藤子さんのもう一つの代表作、『オバケのQ太郎』が二度まではともかく、三度目のリメイクに堪えられなかった理由は、正太やゴジラ、子供たちの主たる遊び場であった「空地」(「公園」すら身近ではなかった時代なのだ)が、既に現代の子供たちにとっては生活の主体ではなくなってしまっていたという事実も大きいと思われる。それに比べると、『ドラえもん』の場合、たとえ作中に登場してはいても、「空地に土管のある風景」は既に単なる背景以上の意味はなくなってしまっていたので、そういった「昭和の風景」にさほど拘らずにすむ分、まだ「延命」が可能だったと言えよう(『オバQ』にはあった子供グループどうしでの「空地の取り合い」ネタが、『ドラえもん』にはない)。
 逆に駄菓子屋や卓袱台のある風景など、原作以上に「昭和の遺物」をやたらと取り込んで映像化した映画『がんばれ! ジャイアン』の方が、現在の「ドラえもん世界」の中では奇妙に異質に見えてしまうことになった。デパートの家具売り場にもう昔風の卓袱台は売っていない。「平成の子供たち」にとって、あの映画はまるで「時代劇」のように見えていたことだろう。畳の部屋はかろうじて残っているものの、『ドラえもん』シリーズから昭和の匂いのする小道具は少しずつ、確実に排除されていっているのである。
 だが、それでも私は、いくら時代が変わっていくものだとは言え、パソコンやケータイを使うようなのび太たちを見たいとは思わない。初期にはなかったテレビゲームをのび太たちは競ってするようになった。これから先も『ドラえもん』が続いていくとすれば、いずれ作品中にそういうものはどんどん登場していくだろう。けれどそれは私にとっての『ドラえもん』では、いや、既に藤子マンガですらないのである。そこに私たちが感じていた「生活」が存在していないからである。
 パパの会社を覗きに行ったり、親子げんかの果てに家出をしたり、親子の絆を描くエピソードも多かった『オバQ』に比べ、『ドラえもん』でのパパとママはあまりにキャラクターが弱く、のび太との関わりなどないに等しい(食卓で新聞を読んでいるパパ、のび太を勉強のことで叱るママ、といったステロタイプ以外のイメージを思い浮かべられる人がどれだけいるだろうか?)。実は声優の交代は今回が初めてではなく、初代パパであった加藤正之氏が死去し、現在の中庸助氏に変わっているのだが、それがいったいいつからなのか、とっさに答えられる人がどれだけいるだろう(お二人の声質は決して似てはいないので、よく見ている人ならすぐに気がつくのだが、多分、大半の視聴者が「聞き逃していた」に違いない)。親子・家族関係そのものが変質し、希薄になってしまっている現代に、何と見事に合致していることか。
 この一事をもってしても、『ドラえもん』が巷間言われているような「生活密着型」の作品ではなく、そこから遊離しようとして作られてきた作品であることが分かる。『オバQ』は日常生活の中に「異物」が混じりこむことによって起こる騒動を描いたものであったが(つまり基本は「国際結婚もの」と同じ。ベクトルが「内側」に向いているので、開放感を与えることを目的とする映画には向かない)、『ドラえもん』は日常の存在を非日常に連れ出す作品であるのだ(ベクトルが「外側」に向いているから、映画化しやすい)。
 『ドラえもん』の「生活感覚」は、これから時代の流れによって変質していくものとして次々と設定しなおされていくのだろう。それはもはや私たちの世代が好きだった「時代を象徴する作品」としてのそれではない(まあ、それを言い出せば私は最初の富田耕生版『ドラえもん』のほうが好きで、大山のぶ代の声には未だに慣れないのだが)。今回の声優交代は、単純なリニューアル、という意味だけではなく、「昭和の切り捨て」という意味も持つことになるだろう。恐らくは今回も「イメージが変わるのはイヤ」程度のことで批判する浅薄なファンはボウフラか糞蝿のようにワラワラと涌いてくるだろうが、自分が固執しているものの意味に思いを馳せるだけの心の余裕もない彼らを見ていると、時代の断絶を感じさせる分、かえって寂しく思わないではいられないのである。
 あのね、もう君たちは“『ドラえもん』から”見放されているんだよ。オールドタイプにドラえもんとひみつ道具を共有できる資格は、もうないのさ。


 しげは朝から練習、前半はダンス中心で演出の出番はないので、私の方は朝寝。
 午前中、2週間ぶりに亀の水槽の水換え。こないだの3週間よりはましだが、やはり中がかなり臭くなっている。底に敷いている石も3ヶ月ほどで変えなきゃならんという話であるが、もう軽く3ヶ月越えてるんと違うかな。洗うだけでは持たないのである。
 そのあとすぐに、練習に行くつもりだったけれど、横になったらそのまま疲れて寝てしまった。3時を過ぎて穂稀嬢から連絡が入り、慌ててタクシーを拾い、素っ飛んで行く。
 パピオに着くと、玄関ロビーに其ノ他君と鴉丸嬢がいる。休憩中かと思っていたら、「今さあ、カトウとしげさんが大ゲンカしてて、居たたまれなくなって逃げてきたの」と言うのである。まあ取っ組み合いの喧嘩をしているとは思わないが、何ごとかと聞いてみると、要するにしげがアドリブかますんで、カトウ君がセリフのきっかけが掴めず、口論になってるらしい。
 「しげさんはさ、『ああ』とか『ええ』とか相槌打つところをね、『セリフを言うのイヤだから、態度で見て判断してくれ』って言うんだけど、カトウは『そんなのわかんないから、セリフを入れてくれ』って言うわけ。そしたらしげさんが『100パー入れればいいんだろ、そうするよっ!』て反発するもんだから、カトウが『そんなことを言いたいんじゃない』って言い合いになって……」
 ああ、またしげのヒスが原因か。
 もともと脚本にひんぱんに相槌のセリフを入れているのは、しげのリアクション能力が著しく低いからだ。これは日常生活でも私の言葉に無反応なことが多く、普通の人間に分かるようなリアクションが取れないでいるのだから、それを演技でやろうと思ったってできるものではないのである。本人はちゃんとリアクションしてるつもりでも、カラダは全く動いていず、そのことを指摘しても自分では動いてるつもりだからどう改善すればいいかわからず、キョトンとしている。つまり、ココロとカラダが乖離しているのに、その自覚ができてないのだ。
 そりゃ、表情の変化やちょっとした仕草だけでリアクションできて、しかも相手の次の演技を引き出せるだけのことができたら立派なのだが、そんなテクニックはしげにはない。セリフに気持ちを込めるだけで精一杯のくせに、「自分にはこんなこともできる」と思いあがっているのである。でなきゃ、何でその程度のことで口論になるのか、理由がわからない。
 「まあ、討論するのは基本的には悪いこっちゃないな」と言って、練習場に向かうが、あくまで「基本的に」なのであって、ヒステリックなものどうしの先が見えない討論など、やるだけ無意味だ。しげのヒステリーは、一度ドツボにハマるとセルフコントロールが全くできなくなる性質のものなので、マトモに相手をしてはただひたすら疲れるだけ、その先には不毛な荒野か砂漠が広がっているだけだ。
 場合によってはしげを一時的に追い出してアタマを冷やさせるか、練習自体、中止せねばならんかと思いながら中に入ってみると、確かにしげ、カトウ君、それにラクーンドッグさんも交えて何か言い合ってはいるが、激昂している雰囲気ではない。どうやら「山」は越えていたようである。取り合えずホッとしはしたが、それでもまだ余燼はあるようなので、打ち合わせの範囲内で会話が進んでるのなら仲裁に入るまでもないかと、こちらはこちらで小道具作りにいそしむ。
 ところがいつまで経ってもしげもカトウ君もボソボソと喋りあってるだけで、立ち稽古に入る様子がない。さすがに痺れを切らせて、「一部通しくらいはやらんのかね?」と水を向ける。そこでようやく動き始めたが、時間はもう5時。結局2シーンほどしか見られなかった(-_-;)。
 こないだ腫れ物の手術をしたばかりのカトウ君がまだ万全ではないので、動きの間が悪いのは仕方がない。それよりも鴉丸嬢が、声量はともかくしげに対して「腰が引けている」のが目立っていて、ここがちょっと困りものである。気持ちの上でしげに負けているので、それがどうしても演技に出てしまっているのだ。しげはテンパると周囲に対して意固地になるばかりか苛立ちをストレートに他人にぶつけてしまうので、気の弱い人にとっては少なからず恐怖の対象ですらあるのだが、実は全て去勢を張っているだけである。何も怖がる必要などないのだが、そんなのにも怯えてしまうところが、鴉丸嬢の気持ちの優しさがかえって裏目に出ているところだろう。
 しげには「芝居を本気でやりたいならヒステリーは絶対起こすな。起こしたらオレはその時点ですぐに抜ける」と約束し、毎回その約束が破られているのだが、つまりはしげの記憶力、学習能力は皆無なのである。今回はしげがどんなにウソをつこうが最後まで見てやろうと決心して臨んでいるので、今更抜ける気はないが、こんなバカを配役してていいものかどうか。その件については、こないだもみんなに聞いたのだが、結局しげを降ろすことに反対はなかった。だからみんなもこのしげの理不尽な言動には付き合ってもらうしかないのである。これからもっとひどくなると思うんで、どうかご覚悟を。

 解散したあと、しげと私はダイヤモンドシティへ。芝居の衣装を探したいと言うので、しげはジャスコへ、私はフタバ図書で本を物色。そのあと待ち合わせをして、ロッテリアで晩飯。二人とも卵バーガーにフライドチキンを頼んだのだが、クジが当たってエビバーガーがついてくる。飲み物が足りず、コーラにアイスティーをそれぞれ注文。腹がたぷたプになったあとで気がついたが、別にクジが当たったからって無理に食べなくなてもよかったのである。でも、一度身に着いた貧乏症はなかなか抜けるものではない。

 今日こそは『ハウルの動く城』を見ようと思ってワーナーマイカルの前で時間を待っていたら、桜雅嬢とばったり出くわす。さっき車で彼女の家まで送ったばかりだったのだが、どうしたのかと言うと「ママとケンカして家出してきちゃった」とか。何やってんだか。
 結局一緒に『ハウル』を見ることにする。私たちは既にチケットを買っていたのだが、指定席なので、桜雅嬢とは離れてしまう。私のチケットを彼女に譲って、私は桜雅嬢のチケットを貰うことにする。全国では行列も出来ているという『ハウル』だが、さすがは場末のダイヤモンドシティ、会場の半分しか席が埋まっていない。指定席にする意味がないな(^_^;)。これがキャナルシティか天神東宝だったらこうはいかなかったろう。場末だが設備はいいから、以前の粕屋東のワーナー同様、ここはいつでもゆったり座れる「穴場」になりそうだ。けどレイトショーで見ることにしたんで結局前売り券が一枚余ってしまっている。でも全国共通券を買っといたのは正解だった。休日に天神に出かけることがあったら、そちらでもう1回見る機会もあるだろう。1年間くらいはロングランしてるだろうから(^o^)。

 さて映画『ハウルの動く城』であるが、普通に面白くて普通につまんない映画であった。
 なんかそれ以外の感想が思い浮かばないが、アニメーションテクニックだけは相変わらず上手すぎるほどに上手いのだ。扉の開け閉めの何げない動きにすら「筋肉の収縮と重み」が表現できているし、浮遊シーン、飛翔シーンの「風」の表現はまさしく世界最高峰だろう。カンヌにおけるオゼッラ賞は当然だと言える。
 しかし、キャラクターの描写が適当なのはここんとこの宮崎映画の共通点で、荒地の魔女の扱いの杜撰さには呆れ返るほどだ。だいたいハウルが結局臆病者なのか凛々しいのか、ソフィーがいたから頑張れたのか庇護者として自立しているのか最後までどっちつかずなままなのはどういうわけか。いったいかっこいいんだか悪いんだか全然わからないのである。ソフィーの様々な変身も特に一本スジの通ったものではなく、このシーンはよいが、「ここで若返るのはヘンだ」というシーンもいくつかあり、「いい加減」と言わざるをえない。これは近代的なファンタジーというよりも前近代的なメルヘンに近い。要するに脚本を書かずに絵コンテから入る宮崎さんらしく、そのシーンごとでのイメージを優先したために起きた破綻なのだろう。ラストの唐突な終わり方も、「結局この話は何の話だったのよ?」と首を傾げてしまうものだ。ともかくストーリーの整合性のなさを指摘し出したらキリがないのである。
 けれどだからこそアニメーションとしての表現力は傑出しているとも言えるわけで、ストーリーがデタラメでも、「絵」や「動き」、演出の間などでとにもかくにも2時間を全く退屈させない。だから誉めようと思えばどこまでも誉めることはできるのだ。いつもながらの鬱陶しい「反戦」メッセージがないわけではないが、これもメルヘンという寓意のオブラートに包まれているためにかなり露骨であるにもかかわらず、鼻白む感じがない。しかしそうなるとこれまでの宮崎さん独特の「力技でねじ伏せる演出」も影を顰めているわけで、小林信彦が「枯れた」と感じたのもなるほど、と思えるのである。全く誉めていいんだか貶していいんだか、始末に困る出来映えだ。
 声優については、声を聞く前から非難の声が高かった木村拓也であるが(聞きもしないで文句をつけることがどれだけバカか気付いていない)、普通の声優に比べて全く遜色がなかった。声に艶はあるし、声優ブームとやらのせいでもう名前も覚えきれないほどの新人声優が輩出しているが、あんなのに比べれば数段上なのは間違いない。仮に「この声は私には受けつけられませんでした」という意見があったとしても、そんなのただのキムタク嫌いの偏見だよ、と一蹴してしまえるほどの好演である。それよりもベテラン倍賞千恵子に10代の少女の声を演じさせていることの方がよっぽど苦しかった。でもそれだって貶すほどのものではない。総体的に声優に関しては成功の部類に入ると思えるし、「どうして声優専門の役者を起用しないのだ」といった類の批判の声は、結局は難癖にしかなっていないことがこれでまた一つ証明できたと言えよう。
 ……でもね、一見、貶してるように見えるかもしれないけどね、それは宮崎駿のレベルがもともと高いからなんであって、例えば大友“ただのでぶ”克洋の『スチームボーイ』に比べればもう百倍も出来がいいんですよ。

2002年11月21日(木) 爆走��/薨去と逝去/『名探偵コナン』39巻(青山剛昌)/『一番湯のカナタ』2巻(椎名高志)
2001年11月21日(水) 乗った人より馬が丸顔/アニメ『ヒカルの碁』第7局/『カスミン』1巻(あもい潤)ほか
2000年11月21日(火) 酒飲みには常識なのかも/『入院対策雑学ノート』(ソルボンヌK子)


2004年11月20日(土) ワガママも見て見ぬふり/フィリップ・ジャンティ・カンパニー『バニッシング・ポイント』。

 『ハウルの動く城』が今日から公開。
 前作『千と千尋の神隠し』の全国336スクリーンを上回る455スクリーンでの公開は、日本映画としては『踊る大捜査線2』を抜いて最大規模とか。「宮崎駿ブランド」を信頼しての公開なんだろうけれど、これでコケたらおおごとだろうなあ。
 でも、ストーリーは破綻しまくり、キャラに命はなくて、殆ど消化不良な出来映えだった『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』にだって客は集まったんだから、もう「宮崎駿監督作」には出来のよしあしに関わらず、客が来るシステムになっちゃってるんだろう。
 アニメーターとしてなら『太陽の王子ホルスの大冒険』あたりから、監督としてなら『ルパン三世(第1シリーズ)』から(もっとも放映当時は名前を隠していたが)リアルタイムで付き合ってきた古いファンとしては、宮崎さんが「みんなの宮崎さん」になったからと言って、それでファンをやめてしまうような狭量な態度は取りたくないので、もちろん初日に見に行くつもりで、前売券も買い、朝から行列に並ぶつもりで準備万端整えていたのである。
 ところがやっぱりしげが全然起きて来ない(-_-;)。
 「二日連続で映画を見にいくのはキツイ」としげが言うので、昨日は映画に行くのを諦めて、早めに寝たのである。なのに、8時間が過ぎ、充分睡眠時間は足りてるだろうに、「きつい。行きたくない。寝る」とワガママこきゃあがるのである。もちろん体調がどうとかなんて理由は全部嘘っぱちに決まっていて、客がたくさん込み合っているところになんぞ行きたくない、というのがホンネだろう。
 このしげの「いきなり気が変わる」癖に私はこれまでに何百回も(誇張ではない)振り回されてきているのだが、医者にかかるようになって少しは収まってきたかなあ、と安心しかかっていたこの悪癖が、最近また目立ち始めている。病院でもあまり自分の起こしたトラブルについてきちんと説明はしてないようだし、本気で自分の病気を治す気あるのかと疑わしくもなるのだ。
 『ハウル』自体は、早めに見に行きたいことは行きたいのだけれど、別に初日の一番である必要はない(だいたい早めに行きたがるのは、パンフレットを買い損なわないためである)。姑息なウソをついたり、ワガママを押し通そうとしたり、自分の都合で他人を振り回すことに何の痛痒も感じないその卑怯な根性が腹立たしいのだ。
 しげの脳天に一発、拳骨を食らわせたくなるが、ここはぐっとガマンをする。ヘタに叱ってヒステリーを起こされたら、今晩予定している山口行き(芝居の鑑賞)まで「もう行かん」とか言い出して中止になりかねない。もう私は、しげの性格を何とかしてやりたいなんて愛情もとうの昔に尽きてしまっているし、そもそもしげにつき合う気力、体力、ともになくなってしまっている。バカ相手に不毛な会話で時間を潰すのはもうたくさんだ。
 というわけで、私もフテ寝。一応、夜まで体力が温存できるから、それはそれでいいかな、と気を取りなおすこともできるのだけれど、そう言えばしげはきっと「なんだ。だったら行かなくて正解じゃん」と自分のズルを棚に上げて自己正当化するようなことを言うに決まっているからまた腹が立つのである。お医者さん、このしげの腐れた根性、治してください(+_;)。


 結局しげが起きてきたのは3時。出かける寸前である。また14、5時間も寝腐った計算になるが、これで「忙しくてヒマがない」とか「疲れた」とか言ってるのを信用しろと言っても、まるで説得力がないのだ。
 博多駅までバス、駅弁を買って新幹線に乗りこむ。
 しげは駅弁好きのくせに、卵焼きや唐揚げなんか好きなものだけ食べて、漬け物、酢の物、サバの皮、エビ、煮豆などは食い残して、私に押しつけて来る。こういう好き嫌いを私が一番嫌うと知っていてわざとやるのだから、これはもう、私に怒れと言っているようなものだ。ふきのとうを残していたので、「野菜を残すな。食え」と言って箸でつまんで口元に押しつける。しげは「なんか付いてる」と嫌がったが、それはただの繊維。ウムを言わせず食わせる。
 しげの好き嫌いについて私が叱ると、本人はいつも必ず「食べられないわけじゃないよ」と言い訳をするのだが、食べさせないと絶対に食べないのだから、そんなのはウソである。単に嫌いなだけなのに、ウソをついてまで食べようとしないから余計に腹が立つのだが、いくら注意しても好き嫌いを治そうともせず、見え透いたウソを十年以上もつき続けているのだから、しげのこうした性格破綻はもうどうにも治りようがないのかもしれない。
 出されたものを美味しく食べられないイヤな性格の人間と同席したって、メシがうまく食べられるはずがない。私はしょっちゅう食事をしながら本を読むのだが、それは「お前と話しながらメシ食ったってうまくない」という意志表示なのである。普通の会席では私は本を読んだりしないのだ(たまにすることもあるが、それはやっぱり嫌いなやつと同席したときである)。しげが本を読んでそっぽ向いてる私に対して怒るのはお門違いである。食事しながら会話してほしけりゃ出されたものはきちんと食え。食えないなら最初から注文するな。

 新山口駅で乗り換え、山口線で湯田温泉まで。到着したのは5時過ぎ。ここから会場の広島芸術情報センターまでは3キロほど。芝居の始まる7時までは2時間弱あるので、当初はバスかタクシーを使おうと思っていたのだが、結局、歩いて行くことにする。
 温泉街だけあって、道の両端に温泉宿やホテルが立ち並んでいる。しげは公演のパンフレットに使える風景はないかとあちこち写真を撮りまくり。途中の公園で中原中也の句碑があったので、その前でしげの記念写真を撮る。「句碑だけ撮ればいいじゃん」としげは言うのだが、それじゃただの絵葉書だっつーの。記念写真の意味がないじゃん。
 あちこちに「足湯」が沸いていて、観光案内図には公衆トイレみたいにあそこここと載っている。概ねどこの足湯も畳一、二畳程度の横長のスペースに東屋風の屋根がついている。吹き抜けになっているところもあればガラス戸で仕切られているところもある。ちょうどくるぶしの上まで浸かる程度のお湯が張ってあって、ここにタダで入れる仕組みになっているのだ。
 最近、足が臭いことを気にしているしげ、早速入ってみる。開湯の由来として、その昔、怪我をした白狐が温泉に浸かってその傷を癒していたという伝説があって、どの足湯にも狐の像が祭られている。その狐の像の前でまた記念写真を一枚。残念ながらしげが像の横に並んでも「湯煙温泉と美女」という風情にはまるでならず、狐と狸の呉越同舟、といった塩梅。
 しげは熱がっていたが、私にはちょうどいい湯加減であった。観光客以外にも、ご近所さんがしょっちゅう利用しているようで、どこも入れ替わり立ち代わり、いろんな人が入っていた。十年くらい以前にここに来たことがあつたはずなのだが、そのときは足湯に入ったかどうか忘れた。時間の余裕があったので今回はゆっくりと浸かれたが、靴と靴下を脱いで入るだけだからすごく気軽でこれはなかなかいい。残念ながら夜になると今一つ風紀がよろしくない雰囲気があって、わざわざ遠方から来て楽しめる温泉地とは言いがたいのだが、近場に住んでいる人にとってはそれこそ都なんだろう。

 土産を買ったり、夜の公園でブランコに乗ったり(^_^;)して時間をつぶし、6時過ぎに会場へ。
 山口情報芸術センター、パッと見た感じは、面積だけは広いものの横長の建物が長屋かプレハブっぽくて、なんだか場末の放送局みたいである。芝居小屋としてはどうかという印象だったが、中に入ってみると、客席にかなり急な勾配が付けられていて後方座席でも舞台が見えないということはない。舞台には奥行きもあり、照明はずっと暗いままで、袖がそのまま客席に繋がっているかのように見え、狭い空間を広く見せる工夫がされている。
 今日の公演はフランスのフィリップ・ジャンティ・カンパニーによるライブ・パフォーマンス『バニッシング・ポイント』。
 待ち合いのロビーでは、スクリーンに舞台の一部を抜粋して上映していたので、携帯のカメラで何葉か撮る。歪んだ映像しか撮れなかったが、会場内は当然撮影禁止なので、これでガマンするしかないのである。
 テレビも設置してあって、そこでは昨日の『ニュース23』に出演していたフィリップ・ジャンティその人が筑紫哲也のインタビューに答えていた。「日本の文楽に影響を受けた」ことも告白。特に、筑紫哲也の「タイトルの『消失点』とは、公演を続けてきて限界に来たということでしょうか?」という質問に対して、ジャンティ氏が「人に必ずある自殺願望を想像していたのかもしれませんね」と答えていたのが印象的だった。

 この世界でも最先端、最高峰にあると思われる舞台をナマで、しかも日本で見られることの至福は、とても生半可な言葉では表現できないが、今回の芝居も変幻自在、レインコートの男女たちが、海底人が、鳥が、鳥籠の中の老人の生首が、人形の貴婦人たちが、小人が、巨人が、現れては消え、ただひとつの消失点に向けて疾走して行く。
 不条理なシチュエーションとナンセンスなギャグが交錯し、役者たちはマイムともダンスともつかぬパフォーマンスを繰り広げる。難解なようだが、それでも「演技のうねり」は観客を忘我の地平へと案内していく。紛れもなく、これまで見た全演劇のトップクラスに位置する舞台だった。

 余韻に浸りながら帰途につく。電車もバスも最終で、帰り着いたのは12時過ぎ。芝居のチケット代より、交通費の方がかかってしまったが、これだけのものが見られるのならば、そのくらいのおカネを使っても全然損した気分にはならないのだった。

2002年11月20日(水) 爆走��/反戦映画ベスト5/『スパイラルアライブ』1巻(城平京・水野英多)/『新・ゴーマニズム宣言』12巻(小林よしのり)ほか
2001年11月20日(火) オタアミに行くぞオタアミに行くぞオタアミに……/『COMAGOMA』1巻(森下裕美)/『おさんぽ大王』1巻(須藤真澄)ほか
2000年11月20日(月) 通勤だけで力を使い果たしてる日々/『薔薇の木に薔薇の花咲く』(いしかわじゅん)ほか


2004年11月19日(金) 好きに焼けるから「お好み焼き」って言うんだよ。

 今日もなんとか定時の退出。先週からずっと残業あれこれこなしてきてたんで、少しは早めに帰れる日もあるのである。

 仕事関係で資料を探さにゃならなかったので、しげに頼んで博多駅の紀伊國屋に寄ってもらう。「駐車場代がかかるからなあ、ヨドバシに停めるんじゃダメ?」というので、先にヨドバシカメラで食事をすることに。
 しげ、さんざん迷った末にようやく決めたのが、お好み焼きの店。入った途端、出会いがしらに目が合ったウェイトレスさんが、偶然、知り合いの女の子だった。お互いに「わあ」と声を上げたのがハモッてしまったのがおかしかった。数年ぶりの再会で、もちろんそこでウェイトレスをしていたことなど知りもしなかったのだが、若い女性というものはこういう久しぶりの邂逅なんてシチュエーションでは、たいてい見た目がかなり変わっているものである(要するにケバくなっている)。ところがこの子は見事なくらいに変わっていない。化粧っ気のカケラもないと言うか少しも色っぽくなっていないと言うか(^_^;)。もっとも、お好み焼き屋で化粧が濃いのも問題だろうけれど。いや、実際、お好み焼き屋のバイトが似合う感じの女の子なのよ。
 どこのお好み焼き屋でもそうだが、席には目の前に鉄板があって、そこで頼んだお好み焼きを実際に焼いて食べる仕組みである。ウェイトレスさんが「店の者が全部焼きますから」と言うので、焼き上がるまでクイモノを目の前にしていながら「おあずけ」状態にさせられているのだが、これがせっかちなしげにはガマンしきれなかった模様。「ここにはもう二度と来ない!」とブンムクレだが、お好み焼き屋というものはどこでもこういうものなので、これはしげの言いがかりというものである。つかさー、店員さんが待ちきれないんだったら、どうして自分で焼こうとしなかったかね? 困ったやっちゃ。
 ヨドバシは、レシートで2時間分、駐車場代がタダになるので、確かにオトクなようなのだが、考えてみればそこで時間を潰した分、紀伊國屋に寄っていられる時間が短縮されてしまうことになるので、結局は損をしてしまっていたのだった。ぼんやりしていたので、まんまとしげに騙されてしまった格好である。
 そのまま出て行くのももったいないので、DVD−Rを買い込む。そのあとようやく紀伊國屋に回って資料集め。ついでに本を何冊か買って、予約しといたDVDも買う。


 帰宅して、買ってきたDVDなど次々と鑑賞。
 ついに手に入れたビリー・ワイルダーボックス、『シャーロック・ホームズの冒険 特別編』、てっきり「半分にカットされた」残りのフィルムが発見されたのだろうかと期待していたのだが、残念ながらそれはごく一部で、特典映像として一部が収録されていただけであった。フィルムのない部分はスチールとスクリプトを流してお茶を濁している(しかも英語だから読めねえよ)。これではとても「完全版」とは呼べないが、それでもこれが現存する最良の状態なのである。この映画を評価しようと思えば、やはりこの「失われた部分」を想定した上でなければ語りえないだろう。
 この映画でマイクロフト・ホームズ(ホームズの兄)を演じたクリストファー・リーのインタビューが収録されているのがファンにとっては大サービス。「ホームズ兄弟両方を演じた経験があるのは私だけだ」と嘯き、「この映画で自分は転機を得た。未だに私を一つの役でしか評価しない人間はこの映画を見ろ。そして映画界から去れ」とまで言い切っている。でも、確かにドラキュラ伯爵よりもこのマイクロフト・ホームズやスカラマンガ、最近ではドゥークー伯の方がずっとクリストファー・リーの演技力は発揮されているとは思うのである。まあ、日本でも渥美清を「寅さん」でしか知らないエセ映画ファンは腐るほどいるけど、でも所詮、一般の観客にとって、映画はその程度の軽さでしか見られていないし、他の芸術に比べると価値の数段低いものだとバカにされているのだ。ああ、映画の地位向上はいったいいつの日か。

 そのあと、『トップをねらえ!』ボックスに、横山光輝追悼記念再発売の『ジャイアント・ロボ 地球が静止する日』1・2巻。それぞれ以前のDVDよりも映像、音声ともに向上しての再発売。こうなると、DVD発売の初期の頃、LDをすぐにDVDに切り替えなくてよかったかなあ、と思う。いや、両方ともLDはしっかり買っちゃったからねえ。
 『トップ』では若き日の日高のり子さん、佐久間レイさん、渕崎ゆり子さんのお姿も見られたし(みなさんアイドル離脱組だなあ(^_^;))、『ロボ』は山口勝平さん、島本須美さん、片山一良さん、山下明彦さんのコメンタリーが楽しくて、まあ買って満足なのである。……ああ、『ロボ』が千葉耕市さんの声優としての遺作だったのだなあ(>_<、)。


 『デリカテッセン』の(つか『エイリアン4』の)ジャン=ピエール・ジュネ監督が、新作“A Very Long Engagement”に対して、フランス政府が「この映画はアメリカ資本の提供を受けている。従ってフランス映画とは認められない」として補助金の交付を拒絶した件を受けて、訴訟を起こすことにしたというニュース。
 私は、フランスは映画に対して最も理解ある国で、文化的にも最先端にあると信じていた時期が長かったので、今回のこのいささか「せこい」処置に対しては落胆を覚えてしまった。それで行くなら、黒澤明の『乱』は監督もスタッフもキャストも全て日本人だが、資本だけはフランスである。あれはフランス映画ってことになるのか(実際当時はその点でモメて、いくつかの日本の映画賞では選考対象から外されもした)。映画がグローバル化している現在、こういう「合作」は数多く生まれているが、ある程度以上の率である国の人間が関わっていれば、その国の映画として見なしていいくらいの自由さがあってもいいんじゃなかろうか。『トラ!トラ!トラ!』のような映画なら、日本・海外の両方でダブル・ノミネートされたっていいと思うのである。
 ジュネ監督は、反面、誰もが「アメリカ映画」だと思っている『アレキサンダー』について、フランス政府が自国の公的資金援助を受け取っているために「フランス映画」と主張していることを皮肉って、「オリヴァー・ストーンの『アレキサンダー』はフランス映画だ。監督の母親はフランス人だし、ポスト・プロダクションもフランスで行われた。何の問題も無い。しかし、フランスで撮影し、フランスの俳優が出演した僕の作品はフランス映画じゃないと言うんだ。信じられるかい?」と語ったとか。もっともな疑問だと思うけど、結局フランス至上主義の政府が、いささか「アメリカ寄り」したと見られるジュネ監督に対して「いやがらせ」をしたってのが本当のところじゃないのかねえ。政府のやることはやっぱりなんかセコイのである。

2002年11月19日(火) 爆走�─織凜.螢▲鵐函Ε魯譽襯筺�○(^-^)o♪/『スパイラル 推理の絆』4〜7巻(城平京・水野英多)ほか
2001年11月19日(月) 「“ブラック”ユーモア」って言葉も差別表現だってさ/LD『道場寺・火宅』/『Q.E.D. 証明終了』11巻(加藤元浩)ほか
2000年11月19日(日) 約束は果たしたよ、こうたろうくん/『キッド・ピストルズの慢心』(山口雅也)ほか


2004年11月18日(木) 更新遅らせたくないのであっという間に書いた日記(^_^;)。

 会議が2連チャンで、今日も残業。
 そのうちひとつは、トンガリさんも出席した会議なのだが、こないだまでサボりまくっていたので、上からキツイ命令があって、一応出席はしていた。ところが椅子に座っているだけで一言も喋らない、身動きもしない、一時間の会議中、結局無言のまま通して、何もしなかったのである。要するに「あなたたちとは話はしたくありません」という意志表示なのだろうが、会議の内容が分かってなきゃ、今後の仕事にも支障を来すというのに、どうするつもりなのだろうか。いや、どうするつもりもなくて、またぞろミスだらけの仕事をしまくって、その尻拭いをこちらに押しつけるつもりなのか。単に何も考えてないだけの可能性も高いが。

 もう一つの会議は、予定していた時間よりも短時間で終了。それほど残業せずに済んだので、しげに連絡を入れて待ち合わせ。食事をどうするか聞いたのだが、いつもの優柔不断でなかなか決められず、また口げんかになる。映画もついでに見ようかとダイヤモンドシティに行ったのだが、結局は食事をしただけで帰宅。気が合わない時はとことん気が合わないもんだ。


 夜は、DVDをいくつか見返しながら、日記など更新しようとがんばって書く。
 『天空の城ラピュタ』を英語版で見返すが、外国を舞台にしているにもかかわらず英語のセリフがどうも画面に合っていない印象。主役のパズーの声が日本人が聞いても「からっぺた」で、しかも少年の声に全く聞こえないのが一番痛い。
 シータやドーラ、ムスカとか脇はすごくいいのになあ、と思っていたのだが、この3人、それぞれ演じているのはアンナ・パキン、クロリス・リーチマン、マーク・ハミルである。そりゃ上手いのは当たり前だわ(^_^;)。パズーだけ『最終絶叫計画』のジェームズ・ヴァン・ダー・ビークと、役者の格が下がっちゃってるのだが、その差がはっきり現れてる感じ。なんでこんなイビツなキャスティングしたのかなあ。

 そのあと『シティボーイズライブ ウルトラシオシオハイミナール』を見る。
 今思えばこれはシティボーイズと脚本演出の三木聡さんが組んだ最後の作品だった。このあと、シティボーイズのライブは、この次の『ラ・ハッスルきのこショー』まではなんとか“持った”のだが、脚本家の若返ったにもかかわらず、かつてのギャグの拡大再生産のような気の抜けたギャグと、メンバーの老化が相俟って、徐々に失速していくのである。
 初期の頃の思いきりトンガってたギャグをかましてくれていた時代が懐かしい。

2002年11月18日(月) 爆走�А人獣量瓦�も……(-_-;)/『エンジェル・ハート』5巻(北条司)
2001年11月18日(日) 休日満喫テレビ三昧/『パワーパフガールズ』第46回/『サイボーグ009』第6話ほか
2000年11月18日(土) 今年はコンサートで眠らなかったぞ/福岡シンフォニック合唱団コンサート


2004年11月17日(水) Everybody "moe"Somebody

 日記の更新が遅れると、どうしても読んだ本やマンガの感想を書くのをカットせざるを得なくなってしまうのだが、ニュース関連についても、なかなか触れられなくなってしまう。朝方、ニュースで、横田めぐみさんの生前の写真三葉が公開されているのを見たのだが、アタマの中に四百字詰め原稿用紙にして五十枚分くらいの思いがドッと流れていったが、とてもそんなのを文章化する気力も体力もない。
 ただ、めぐみさんの最終的な消息に関して、もし本当に亡くなっているのならその死因は何なのか、ご家族の気持ちを考えればなかなか口にはできないが、多分これこれこういうことだろうなと大半の日本人が想像していることがあると思う。言い返ればそれを語れない事態がいつまで経っても解消されないから、日本人のイライラは募っているわけだ。そして、北朝鮮にしてみれば、自らの立場を危うくする予想が容易につく以上、真実が広報を通して語られることもないであろう、と我々は感じている。
 だから、これもまた公言はしにくいのだが、やはり大半の日本人は問題を解決するためには経済制裁とかヤワなこと言ってんじゃなくて、結局アレしかなかんべよ、と感じていると思うのである(2ちゃんねるあたりではしょっちゅう書かれてるだろうけど)。
 ニュースは金正日総書記の肖像画があちこちで外された、とかいう報道も流していたが、さてこれで日本人がずっと「待ち望んでいた」事態が加速化するのかどうか、いろいろと憶測はするけれども、やっぱりそれも原稿用紙100枚ほどになりそうなので、ちょっと書けないのである(^_^;)。


 今日は定時に仕事を終えられたので、間に合うか心配だったテレビドラマが見られた。メシも今日は外食せずに、コンビニで弁当を買って済ませる。
 ドラマというのは石原慎太郎原作の『弟』の5夜連続放映の第一夜で、実は原作小説はまだ読んでいないのだが、ちょうど関川夏央の『昭和が明るかったころ』(文春文庫)を読んだところで、弟・石原裕次郎に対する見方を変えなきゃならないかな、とちょっと思い始めたところだったので、見てみることにしたのである(多少ヒドイ言い方にはなるが、私は「石原裕次郎がデブになった」ことが日本映画の衰退にかなり悪影響を与えていると思っているのである)。あと、欽ちゃんの久しぶりの役者演技が気になって(^o^)。
 こういう「半生ドラマ」というのはどうしてもダイジェスト的になってしまって、つまらなくなるのが常であるが、それを回避するために、まず絶対やっちやいけないことがある。ドラマをちょっとでも書いた経験がある人ならすぐにピンと来るだろうと思うが、それは「ナレーションを入れない」ということだ。シーンとシーンとの時間が飛ぶことが多いから、シロウトの脚本家はその間の断絶を埋めようとしてナレーションを入れたがるのだが、そのことで映像がセリフに従属する形になり、ドラマがドラマとして機能せず、ただの「説明」になってしまう。たとえ時間が飛ぼうと、映像の演出で「見せる」ことを考えるのが本当の脚本家であるべきなのだが、そんな脚本家などテレビ界ではごく少数である。どうせ失敗してるだろうなと思って見てみたら、やっぱりその通り。役者の演技もまるで演出で生かされてはおらず、実につまらない出来だった。けれど、一応、今日の第一夜を録画しとしまったので、次回も録ってみようかとは思う。
 あ、欽ちゃんはやっぱり欽ちゃんでしたね(^_^;)。


 「2004ユーキャン流行語大賞」にノミネートされた60語の中に、いくつかオタク関係の用語が混じっていたという話題。
 ここんとこ「流行語大賞」に選ばれる語って、そんなのいつ流行ったんだって印象の言葉が多かった。「価値観の多様化」と言えば聞こえはいいけれど、要するに世代、生活環境、男女、思想など、個人差が激しくなっているもんで、時代そのものを象徴するような言葉を絞れなくなってるってことだろう。オタク用語が中に入ったっていうのも、オタクが認知されたと言うよりも、オタク的な要素が一般に広く薄く拡散したただけって気がする。
 候補に上がったのが「メイド・コスプレ」「アキバ系」「萌え」ってことだけれども、「なんで今更これが」って印象と同時に「これで今年の流行語を代表させるっていうのはどうか」という両方の疑念が生じてしまう。
 まず「メイド・コスプレ」ってセットの仕方、記事にも書いてあったけど、「メイドのコスプレ」のことなのか、「メイドとコスプレ」のことなのか、よく分からない。オタクならこんな使い方しないだろうから、選定した人間もあやふやな情報で何となく選んだんじゃないかっていう感じだ。「アキバ系」だって東京中心で、全国規模な用語じゃないし、これを流行語と言っていいものなのかどうか。
 唯一「萌え」ってのがかなり男女、年齢差をある程度は越えて、広範囲に渡って使用されるようになっているから、これなら「流行語」と称してもいいように思えるが、実は「萌え」の概念も数年前と比べると全く変質してきている。ナンシー関あたりが気持ち悪がってたころのようなオタク特有の感情移入の仕方と違っていて、「好き」と置換可能なくらいに薄く使われるようになっているのが実体である。だからこそ、10代の、特にオタクではない男の子女の子が普通に抵抗感なく「○○○○萌え」と使えるようになっているのだ。私などは未だに椎名へきるあたりに「萌え萌え〜!」とか言ってた気色悪い風景の印象が強いから、聞くたびに「引いて」しまうのだが、もう若い子はこんな「重ね語」は使わず語尾も上げず、「萌え」と簡単に使っている。こうなるとこれはもう「オタク用語」とは言えず、今後かなり長く生き残っていく可能性も否定はできない。いや、もしかしたらそのうちこれがもともとオタク用語であったことすら忘れられ、10年後くらいの広辞苑には「萌え」の項が立てられているかもしれないのだ。でもそれは「コトバ」自体に浸透力があるかどうかの問題なのであって、痛いオタクまでが「自分の存在と力が社会的に認知されつつある」と判断するのは大いなる勘違いだと言えよう。『トリビアの泉』が受ける現代、今や一般人はみな「ウスいオタク」なのであって、「濃い(と自称するだけで、もうそんな存在はあり得ない)オタク」との溝は、実はかえって深く広くなっていると言えるのである。
 大賞の発表は12月1日だそうだけれど、どんな結果が出ても多分、?マークが頭上を飛び交うことは間違いないところだろう。


 フィリップ・K・ディックの映画化がまた一本。短編『ゴールデン・マン』を『トータル・リコール』のゲイリー・ゴールドマンが脚色、『007/ダイ・アナザー・デイ』のリー・タマホリが監督する予定の『ネクスト』で、主演はニコラス・ケイジ。ハリウッド映画ファンならばまあ期待とかしちゃうのかもしれないけれど、ディックファン、SFファンからは見事に総スカンくらいそうな布陣である。実際、見たいと思うかよ、そこのSFファン。
 ディックがこれほど人気原作者になるとは、とても20年前には考えられなかった事態だけれど、SFファンの目から見れば最初の『ブレードランナー』を除いて駄作凡作を積み重ねてきた20年でもあったわけで、それにまた一本が加わっても、ファンは「もうやめてよ」か、もっと白けた顔で「どうにでもしな」で終わってしまうような気がしてならない。いやもう前回の『ペイ・チェック』が既にそんな扱い受けてたし。
 これも前項の「オタク」の話と重なるが、「SFファン」というものもとうに絶滅しているのであって、“センス・オブ・ワンダー”なんて、若い「自称SFファン」に語っても、もう何のことやら分からない。客は別に映画にSFを求めちゃいないのである。
 ディックがたびたび映像化されるのも、別に製作者がSFとしての面白さを狙っているわけではなくて、CGを使った架空の世界を描くほうが、今や製作費の面でも集客力の面でも有利だし、ちょっとばかし「文明風刺」だの「科学批判」だの、映画をちょっとばかし“高尚”に見せかけられる味付けもできてオトクだ、って考えてるだけのことじゃなかろうか。『マトリックス』シリーズと言い、アシモフ原作と呼称する『アイ、ロボット』と言い、それらの映画が割りに「見られる」作品に仕上がっている分だけ、かえってそういうスノッブな「臭さ」がプンプンと匂って来るのである。本来ディックはまさにそういう社会をこそ批判をしていたのだから、観客から見ると何をお手盛りで映画作ってやがるんだ、と嘆息するしかないのである。

 私はもう最近はウタダの帯に乗せられた若い連中が、「『アルジャーノンに花束を』ってSFなんですか?」とか言ってるの聞くたびに「もうSFファンは増えなくていい」と痛感してしまっていて、だから「SFとはなんぞや」なんて語る気も全く起こらなくなっている。語ったところで、共通するフィールドがあまりに違いすぎるので、会話が成立しないのだ。
 「確かに『ゴジラ』や『ガンダム』は狭義のSFとは言えないね」なんて言おうものなら、「でもSFだろうとSFでなかろうと、おもしろけりゃいいんじゃないですか?」とかいうトンチンカンな答えを返されてしまうこともしばしばだ。だから今はよう、そういう「虚構の本質」について語ってたわけじゃないだろうが。なんで話の次元をズラしたことにお前は気付かないのか? 日本人のディベート下手というのはこういうところにも現れているんだけど、何が始末に悪いって、デタラメな論理を組みたててる本人に「それはデタラメなんですよ」と説明しても、何がデタラメなのか理解する修養を積んでないから、そのデタラメさに全く気がつかないのである。これも日本の国語教育が幼稚極まりないせいであろうが、高校段階で論理学を取り込むくらいのことは本来やらなきゃならないことじゃないのか。
 「SFとは分野のことではなくて要素である」というのはSF論を語る上での前提である。これが理解できていないと、たとえば、「『ゴジラ』は『200万年前に海棲爬虫類から陸上獣類に移行する過程の生物』という設定がSFではないが、そこに人類文明の誕生を寓意として盛りこんでいる点でSFである」と説明しても、コンニャク問答にしか聞こえない。「全ての小説・映画はSFであり、また同時にSFではない」というのも事実なのだが、そこで表面的なパラドックスに引っかかってしまって、「じゃあ、SFを語ることに意味なんかないんじゃん」と誇らしげに嘯くヤカラには永久にSFが何かなど理解できるはずもない。最初からSFをバカにしてる連中に、どうしていちいち「SFとは」なんて語ってやらなきゃならないのか。
 で、そういう連中が堂々と「SF映画」を撮ったりしてやがるから情けないのである。

2002年11月17日(日) 爆走�Α秦管堯崗錙弩従櫃世辰�(^_^;)/『柳生十兵衛死す』4・5巻(山田風太郎・石川賢)/『巨人獣』1・2巻(石川球太)ほか
2001年11月17日(土) 多分愛してるんだろう/『料理少年Kタロー』第7話/『カスミン』第7話
2000年11月17日(金) 一日一ドジ女房/東野英心死す。


2004年11月16日(火) 麗しのナターシャ r(^^;)

 劇団のホームページの日記で、昨日「ガスト」でやった「負け犬ランキング」の結果を記したところ、見事1位に輝いた(負け犬の1位ではなく、勝ち犬の1位である)カトウ君から、早速「喜び」の書きこみがあった。厳密には喜んでるのかどうか、いささかフクザツな心境も感じられはするのだが。
 こちらの日記だけご覧になっている方は、カトウ君がいかに楽しいキャラクターの持ち主であるがご存知ないと思われるので、本人の了解を取った上で、その文章をご紹介しようと思う(^o^)。

〉結局誰からも愛を注がれなかったカトウは「人間なんか誰も信じない!」と金儲けに走り巨万の富を築く。
〉だが彼は築いた富を誰と分かち合うでもなく、ひたすら自らの私利私欲のために消費してゆく。
〉使っても使っても無くならない財産、日々年老いてゆくカトウ。
〉物欲の限りを尽くしたカトウは、やがて一人の女性と出会う。
〉カトウはこの時すでに70歳、女性は24歳である。
〉女性はカトウの住む豪邸に住み込みで働く家政婦だった。
〉ある日の朝のこと、朝食をとろうと階下に降りたカトウは、食堂で一人の家政婦がうずくまって泣いているのを見つける。
〉「…どうしたのかね?」
〉見ると、家政婦はどうやら食器を落として割ってしまったらしい。
〉「皿のひとつ割ったくらいで泣くことはないだろう。構うことはない、さぁ食事にしよう」
〉カトウは他の家政婦に割れた食器を片付けるように命令するが、うずくまって泣いていた家政婦は食器の破片を握り締めてカトウにこう言い放つ。
〉「このお皿は、私がご主人様の誕生日に差し上げたものです!ご主人様にとってはただのお皿でも、わたくしにとっては大切な思い出の品ですわ!」

〉カトウは自分の放った言葉を後悔した、同時に、何か毒気のようなものが身体からすぅっと抜けてゆくような気がした。
〉「…君、名前はなんといったかね…」
〉「…ナターシャ、でございます。」

〉主人に対して感情的になってしまったことを悔いてか、ナターシャは萎縮した瞳でカトウを見つめた。
〉時間が止まった。
〉久しく忘れていた感情だった。
〉これは、恋、なのだな。

〉「ナターシャ、かけらをこっちにおよこし。さっきはすまなかった。この皿は大切にしよう。そうだ、ナターシャ。できれば皿を新調したい、そこで君にひとつお願いがあるのだが…」
〉「はい、なんでございましょう?」
〉「君に、選んでもらいたい。私の皿だ。私は君の選んだ皿で心地良く食事をとりたいのだ。君の思いやりも生きる糧とできるように。」
〉「もったいないお言葉です…」

〉だが、これは肺を患い生死の境を彷徨うカトウが、今はの際に見た幻だったのです。
見て下さい、この幸せそうな死に顔。
〉あなたは
〉こんな風に死ねますか?  (C)漫☆画太郎

 いやあもう、なんたって「ナターシャ」ですよ(^o^)。どっから出て来たその名前。実はカトウ君、「ロシア女萌え」だったのか? 確かにカトウ君のキャラ見てると、ドストエフスキーの『罪と罰』とか読んでたら、思いっきり、ソーニャにハマッちゃいそうだもんなあ(文芸大作のように思われてるが、あれは充分「ソーニャ萌え」が成立する小説だと思う)。
 あえて「家政婦」を「メイド」と書かないあたり、一生懸命オタク臭さを消そうと努力しているあとが見受けられるけれど、どうしたって「時間が止まった」とか「恋、なのだな」(「、」付けてるところがポイント高し)のあたりで、隠そうとしても隠しきれない“本性”が現れてしまってますね(^o^)。うん、すごいぞカトウ君、これだけ妄想全開なら、君にも脚本が書ける! 実際、恥とか自分とか捨てないと、脚本って書けないものだから。普通であたり前のセリフ書いたって、そんなもんドラマにもなんにもなりゃしない。「君の思いやりも生きる糧とできるように」。うん、気に入ったぞこのセリフ。今度の芝居の中で、どこでもいいからアドリブでこのセリフ入れちゃおう! 相手役からシカトされるかもしれないけど(^_^;)。
 でも、私も寝惚けてたり浮かれてたり、脳内麻薬が出っぱなしの時は、似たようなセリフを書いちゃうときあるからなあ。実は今回の脚本でも恥ずかしげもないセリフを書いてる箇所があったんだけど、結局、役者がうまく言えなくて全部ボツになりました。
 本気で恋を語れなくて人生が送れるか! そうだよね、カトウ君♪


 昼メシ抜きの残業で、ぶっくたびれた一日。
 仕事がようやくひと区切りしたのが9時。今日はしげも仕事だと言うので、一人寂しく帰るつもりだったのだが、職場を出た途端にしげから電話がかかって来る。なんかまた寂しくなって仕事をサボったらしい。「迎えに行こうか?」と、いかにも私を気遣うような口ぶりではあるが、実のところは「会いたいよう」なのである。さびしんぼうのくせに、それを素直に口にできずに気取って見せるからいつまで経っても自分と向き合うことができないのだが、そういう思惑をすっかり見透かされてるってのに、なおも去勢を張ろうとしてるのはいったいどういう心理なんだろうかね。

2002年11月16日(土) バカとバカによるバカ論/舞台『WAHAHA本舗全体公演・大福祭』
2001年11月16日(金) 若葉マークはどこへ行く/歌劇『さまよえるオランダ人』(ドイツ・ザクセン=アンハルト歌劇場)ほか
2000年11月16日(木) 風邪がまだ治らんがな


2004年11月15日(月) 勘違いの悲喜劇

 全然休んだ気がしないままお仕事初めの月曜日。
 昼飯食うヒマもないくらい忙しいのだが、今週も何日か残業しなきゃならない日があることが分かっているので、今日は早く帰ることにする。
 迎えに来たしげの携帯に連絡を入れたら、聞こえてきた声が穂稀嬢のものだったので驚いた。ラクーンドッグさんがダンスを覚えたいというので、どこぞで練習していたそうなのである。穂稀嬢はそれに付き合わされたものか。
 しげには保険証を更新するために総務まで届けてくれるようにも頼んでいたのだが、窓口には穂稀嬢を行かせたそうである。そういうことで人を使うもんじゃないんだが、そう言ったって、何がいけないのかしげには全然わかんないのである。
 しかし、ppのメンバーと街中を行動している時、たまに職場の関係者とばったり出会うことがあるのだが、そのたびに私と連れ立ってる女性が違うものだから、妙な誤解をされることがある。もちろん女房と一緒の時が圧倒的に多いのだが、なぜか女房のことを女房だと認識してはもらえない。よしひと嬢としげと私だとよしひと嬢が、鴉丸嬢としげと私だと鴉丸嬢が私の妻だと間違われるのである。それくらいしげには大人らしいところと言うか、生活臭さというものが感じられない。もちっと落ちついた雰囲気を身につけてもらわないと、今度は穂稀嬢が私の何かだと勘違いされかねない。そういう勘違いを「わざとしたがる」腐れた人間も世間にゃ結構な数いるんだからよ。でもそれってしげには永久に無理な相談なのかも。

 穂稀嬢を送ったあと、夕食は近所の「ガスト」で。
 いつものディスプレイで、「男脳・女脳」を判断する占いがあったので、しげと二人でやってみたら、しげは男度49%、女度51%の“中性脳”、これはいかにもなるほどな結果であったが、問題なのは私の診断である。なんと、男度3%、女度97%のほぼ完全“女脳”(^_^;)。
 何だか「あなたはオカマです」と言われたみたいだが、別に私は男が好きなわけではない。好きなのはあくまで「女」だ(力説するとかえって変態っぽいが)。
 でもこういう結果が出ることは予測ができていて、もともと女だらけの家庭で育っているので、判断基準が殆ど女性のそれに偏っているのである。男の浮気が許せなかったり、「女性は家にあるべき」的なモノイイに反発を感じたりするのも、私が「女脳」の持ち主だからなのかもしれない。だからと言って、女性の権利を主張すると見せかけてワガママこいてるだけの浅薄なフェミニズム運動もいけすかないのである。確かにこういうことをいちいち口にするのって、男はあまりやらないね。
 そのあと、「負け犬ランキング」ってのに、ppのメンバーの名前と性別、年齢をインプットしてみると、次のような結果に。

【恋愛の負け犬】
1、其ノ他大勢 251点
2、しげ。   233点
3、藤原敬之  211点
4、鴉丸 誠  211点
5、加藤八十六 149点
6、信也(C−1)126点

【センスの負け犬】
1、加藤八十六 182点
2、藤原敬之  174点
3、其ノ他大勢 174点
4、鴉丸 誠  174点
5、しげ。   167点
6、信也(C−1)140点

【お金の負け犬】
1、加藤八十六 248点
2、信也(C−1)206点
3、其ノ他大勢 200点
4、しげ。   173点
5、藤原敬之  160点
6、鴉丸 誠  160点

【人づきあいの負け犬】
1、加藤八十六 237点
2、藤原敬之  158点
3、其ノ他大勢 158点
4、鴉丸 誠  158点
5、信也(C−1)144点
6、しげ。   112点

【運勢の負け犬】
1、しげ。   171点
2、其ノ他大勢 148点
3、加藤八十六 146点
4、藤原敬之  107点
5、鴉丸 誠  107点
6、信也(C−1)103点

☆【総合の負け犬】
1、加藤八十六 962点
2、其ノ他大勢 931点
3、しげ。   856点
4、藤原敬之  810点
5、鴉丸 誠  810点
6、信也(C−1)719点
 
 最初は三つしか診断ができなくて、そのときは総合ランキングが1、其ノ他、2、藤原、3、鴉丸、4、しげ、5、加藤、6、信也、の順だったのだが、全部の診断結果を電卓で無理矢理総合したらこういう結果になった。恋愛ポイントが著しく低いにもかかわらず、カトウ君が堂々の1位である。
 要するに「姓名判断」だから、科学的根拠は全くないのだが、それでも加藤君が「カネ」と「人付き合い」で他から抜きん出たりしてる結果が妙に現実とクロスオーバーしていて楽しい。貢ぐために懸命に稼ぎそうだもんなあ、加藤君。
 哀れを極めているのが信也君であるが、思えらく、彼のご両親は、姓名判断なんか何も考えずに名前を付けたのではなかろうか。できればこんな結果など何の意味もないと笑い飛ばしていただければいいと思うのだが、それにしてもどうしてこう占いというものは現実と類似して見えるものなのか(^_^;)。いや、私もカネや運には恵まれてないこと、自覚してますって。
 

 帰宅後、日本映画専門チャンネルで『妖しいメロディの美女』、『福耳』と続けて見て寝る。


 来年3月に公演予定の森光子主演の舞台、『放浪記』の製作発表が行われたが、初演時から菊田一夫を演じていた故・小鹿番の後任は、斎藤晴彦になったとのこと。小鹿番ほどに生き写しとはいくまいが、これはこれで味のある配役である。番さんが出ないのなら、もう見る機会はないかなあと思っていたけれども、もういっぺんくらい見てみたいという気になってきた。四月には博多座にも来るのだけれども、もうしげは付き合っちゃくれないかもなあ。
 ライバル女優の日夏京子役には池内淳子。この役、なんたって森光子に対抗しなきゃならないんだから、誰がどんなに熱演しようと、どうしても“分が悪い”のだけども、池内さんなら“いい線”行くのではないか。昔見た時の加茂さくらとか前回の樫山文枝はちょっとばかり“負けてた”もんね。それにしても池内淳子ももう70歳、かつての“日本のお母さん”もすっかり“おばあちゃん”ってトシになってしまった。いや、若い人はもう『細うで繁盛記』の存在も知らんかもしれない。そのくせ妙に偏ったオタクだと、「ああ、新東宝のB級映画に出てた女優さんね」とかハンパな知識だけはあったりするのである。そういう人には、「池内淳子が相手役なら」って感覚は全く分からないだろう。
 いや、そんなことを言いだしたら、森光子はもう84歳なんである。これで20代も演じるんだから舞台は魔物であるが、再三再四語ってきたように、『放浪記』の白眉はそのラストシーンにある。確かに前半の森光子はコメディエンヌとしての実力も存分に発揮して、緩急自在な“泣き笑い”の名演を見せてくれるのだが、死の影漂う“静かなる凄惨”とも呼ぶべきラストシーンは、「林芙美子」という役に存在感、実体感を与えている以上に“森光子”という一個の実存を観客に見せつけ、忘れられないものにしている。森光子と同時代に生きられたことは芝居好きにとってはまさに至福なのである。
 まだ『放浪記』を見たことがないって人は、最後列でもいいから、オペラグラス持って見にいきなさい。今のうちに。


 俳優の荻島真一氏が、今月11日に、胆管がんのために死去していた。享年58。
 万年青年のイメージがあった荻島氏だが、土曜ワイド劇場のようなミステリーものでは結構犯人役も演じていた。2枚目なのに犯人、という意外性を演出していたと考えられるが、しょっちゅう起用されていると、意外でもなんでもなくなってしまう。なんだか適当に使われているようで、見ていてちょっと侘しかった。
 古谷一行が金田一耕助を演じたテレビシリーズ『横溝正史シリーズ�供“�つ墓村』では主役の多治見辰也を演じていたが、何度も映像化された中で、最終的に辰也が被害者となったトンデモない結末になって視聴者を驚かせたのは、この荻島氏のバージョンのみであった。
 胆管ガンという病気は、早期発見が非常に難しいそうである。黄疸が発見された時にはもう手遅れであることが多いそうだが、定期検診をきちんと受けていても、超音波検査で胆管の検査まではしないことが多いそうだ。荻島氏の場合も、検診を受けていたにもかかわらず発見しそこなったのが死去の原因であるらしい。私もしょっちゅう誤診、手術ミスされまくりなのでヒトゴトではないのだが、医療ミスがしょっちゅうニュースになってるってのに、管理態勢とか全然改善されてないんとちゃうか。訃報を聞くたびに、自分の死期もまた近づいてきてるように思えて、気分がよくない。

2002年11月15日(金) 爆走�ァ拭愼芦菎舂Α拌茖渦�
2001年11月15日(木) お客様は皆の衆です/『真・無責任艦長タイラー�の瑳�編』(吉岡平)ほか
2000年11月15日(水) みんな妄想の中に生きているのね/『リアル国家論』(教育資料出版会)


2004年11月14日(日) 美しさは罪……何のことなんでしょう(^o^)

 今日は「シーメイト」で練習の日。
 と言っても昼からの予定なので、朝早く起きる必要はないのだが、トシヨリは自然に目覚めてしまうものである。テレビで朝の番組を見ようかとも思ったが、夕べはしげもよしひと嬢も結構夜更かししていたので(と言っても本を読んでただけであるが)、まだ起きてこない。テレビをつけたらうるさいだろうと、ずっとパソコンで日記など書いて過ごす。
 メールチェックをしていると、ここんとこお見かけしなかったスパムメールが。

〉差出人: 真奈美
〉題名: 無理?

〉真奈美です。
〉待ってたけど返事が無いって事は無理なお願いでした?
〉お礼は本当に一回10万円で、妊娠できたら50万円払いますし、
〉絶対迷惑はかけませんので中出ししてください。
〉本当に子供が出来なくて困ってます。
〉詳しくはすぐに連絡先を教えますので話だけでも聞いてくれませんか?
〉私に少しでも可能性があるなら今から掲示板に来て欲しいの。
〉貴方の事、まだ待ってるから。

 これまでのスパムメールもあの手この手、相手を引っかけようと苦しい言い訳を考え出してたものだったけれど、今回のはちょっと腹が立った。
 「子供ができない」ってことはつまり何かね、不妊女性を装ってるってことかね。現実に世の中に子供ができなくて苦しんでる女性もいるというのに、わけの分からん有料サイトにおびき寄せるために、そういう女性の存在まで利用するのかよ、こいつらは( ̄△ ̄#) 。
 残念ながら日本の不妊治療はまだまだ遅れていると言わざるを得ない。国内では代理母が認められないために、海外で手術を受ける女性だっている。諸事情でそれもできず、泣く泣く諦めている女性だってたくさんいることだろう。そういう人たちの気持ちをちょっとでも思い浮かべたら、こういう汚らしいスパムメールは作れるものではない。これまでのスパムメールの作り手に対しては「バカだなあ」としか思っていなかったが、こいつは糞野郎だ。
 送り主はうちのサイトなんて覗いちゃいないだろうけれど、もし見てたら、猛省を促したい。関係者が複数で、中に少しでも人間の心が残ってるやつがいたなら、このメールを考えだしたヤツを殴れ。そしてこんな外道な商売から足を洗わせろ。それから、こんな糞メールに反応して本気にするようなやつがいたら(殆どいないだろうけど)、そいつも糞だ。人間やめろ。……なんかちょっとどころじゃなく怒ってるな、おれ。
 こういうヤカラはもともとモラルとか思いやりとか、そういうものを持ち合わせていない人種だろうから、これくらい非道なことをやらかしてもおかしくはないのだが、今回のはあまりにあんまりだった。こういうバカは放置してりゃいいと思ってたけど、うまく取り締まる方法はないのかって気になってきたね。


 カトウ君が病気で参加できなくなったので、急遽C−1君に車を出してもらうことにして、鴉丸嬢、細川嬢はそちらに乗りこむ手筈。其ノ他くんは一人で、あとのメンツはしげの車でシーメイトに向かう。
 穂稀嬢はうちの近所から直通の送迎バスが出ているので、当然それに乗って向かうものだと思っていたが、「荷物が多いので、車に乗せてくれ」とのこと。何をそんなにたいそうなものがあるのか、と思っていたら、「荷物」とはアイロン台であった。まあ確かに爺ちゃん婆ちゃんがいっぱい乗りこんでるバスにアイロン台を持ちこむわけにはいくまい。
 シーメイトには11時半に到着。遅れて其ノ他君たちもやってきたが、車で送ってきたはずのC−1君は、顔も見せずに帰ってしまった。挨拶くらいしてもよかろうに、忙しかったのか遠慮してたのか。

 カトウ君がいないので、前半は演技よりもウラの打ち合わせが中心になる。
 その間、私が関わることはあまりない。できれば「撮影」を早めにしてほしかったのだが、なかなかそういう話が出ない。
 痺れを切らせて「今日は撮影はするの?」としげに聞いたら、「なに? やる気マンマン?」とからかわれた。私がせっついたのは、時間が経ってしまうと、「ヒゲ」が伸びてしまってマズイことになると思ったからである。実際、そう言ったのだが、「いいよ伸びたほうが」とか言い返されてしまったので、こいつはやっぱり肝心なところで芝居のセンスがねえなあ、とガックリした。笑いを取るための「写真」ではあるけれど、やりすぎるとかえって白ける。ギャグには「抑え」も必要だってことは、しげも気付いてないわけじゃないと思うのだが、ワルノリするとそのことを忘れてどんどんつまんなくなるのが悪い癖である。それって酔っぱらった中年オヤジの下品ギャグとレベル変わらんぞ。
 人がマジメなときに限って、しげはこうしておちゃらけることが多い。だから「遊びでやってんじゃないんだよ!」としょっちゅう怒鳴られてしまう。まあ今回は怒鳴りはしなかったけれど、制作だし演出なんだから、のぼせあがって周囲が見えなくなるのは極力避けてもらいたい。
 しようがないので、夕方までは本を読んだりして過ごす。

 夕方、休憩に入る前になって、ようやく「撮影」の準備に。
 今回の芝居、私は出演しないのだが、ある扮装をして「写真」で登場する予定なのである。どんな扮装なのかはまだ公演前なのでヒミツなのだが、あまり気味のいいものではないので、読者のみなさんは知りたがらないように。
 メイクをしてくれた鴉丸嬢、「けいちんにメイクをする日が来るとは思わなかった」と溜め息をついていたが、そんなしみじみと言われたってなあ。これだって演技なんだから、やれと言われりゃ何でもやるがね。
 意外と時間がかかって、仕上がりまで30分。眼鏡は外しているので、鏡を見せられてもどんな顔になっているかは全く分からない(裸眼だと0.01を切っているのである)。もっとも見えないほうがポーズを取るには度胸がつく。
 ポーズを取った途端に、穂稀嬢、細川嬢、みんなこぞってバチバチと写真を撮りまくる。そんなん撮ってどうするんだと思うが、穂稀嬢、嬉々として「こんな珍しいもの、一生ものじゃないですか!」と言って笑っている。一生、保存しとくつもりか、こんなの。
しげは撮った写真をカトウ君にもメールで送っていたようだったが、こんなの見て病気が悪化しないかと心配である。少なくとも寝覚めが悪くなることだけは間違いないと思うが。

 休憩、食事、風呂のあと、ようやく立ち稽古。
 ノリの悪いセリフをカットしたり、言いやすい形に変えていくが、それでもなかなかテンポがよくならない。カトウ君の代理は其ノ他君が務めて、3人でのシーンはそれほど悪くないのだが、しげと鴉丸嬢の二人のシーンになると、途端に「かけあい」に齟齬が生じる。鴉丸嬢のセリフがまだよく入ってなくて間が空いてしまうのも原因なのだが、役自体、どあ捉えていいのか掴めていないらしいのである。よしひと嬢も「そのままでいいんだよ」とアドバイスするのだが、ドツボにハマッたのか、だんだん幼児化して身動きが取れなくなっていくのである。
 一応、演出としての仕事を果たさにゃならんかと思い、形から入るのは難しそうだったので、まずは気持ちを作ってもらおうと考える。其ノ他君に鴉丸嬢の側に座ってもらい、「其ノ他君に優しくするつもりで手を動かしてみて」と指示する。いつもは無意識で行っているであろう行為を、気持ちと動きを一致させることで演技として意識化し再現できるようにすることを目的とした、演技の基本練習である。
 ところが鴉丸嬢、逆に硬直して、全く動けなくなってしまった。もしかして照れくさくて動けなくなってしまったのか、いや、そんな殊勝な性格してたっけ、それともシモねたバンバンおっけーなフリして鴉丸嬢のココロはすこぶるおとめちっくであったのだろうか、と訝んでいたら、突然、鴉丸嬢、其ノ他君に向かって謝り出した。
 「ごめんなさい! 今まで一度も大勢に『優しく』したことありませんでしたっ! 私、自分が楽しむことしか考えてませんっ!」
 ……全員大爆笑。
 こういう正直でウラオモテのないところが鴉丸嬢の魅力なので、それを演技でもまんま出してくれればなんの問題もないのだけれど、そのことに気づいてくれるかどうか。そうそう笑ってばかりもいられないので、鴉丸嬢には一度アタマをマッサラにしてもらって、演技プランを立て直していただく必要がありそうである。次回までの宿題。


 帰りはどしゃぶりの雨。
 C−1君に車で迎えに来てもらうことにして、鴉丸嬢、桜雅嬢、穂稀嬢はそちらの車で。細川嬢とよしひと嬢はしげの車でお送り。細川嬢には舞台のイメージイラストを依頼してお別れ。
 もう時間も遅くなって、北九州までの電車の時間もはっきりしなかったので、よしひと嬢はご自宅までお送りする。
 よしひと嬢は先日カトウ君に送ってもらったとき、オタク話に熱中していて通を間違えたそうだが、「いったい何の話をしてたの?」と聞いたところ、「責め受けの話ですよ」と即答されてしまった。だからそれ、全然分からないって(-_-;)。
 帰り道は私も疲れて車中で眠ってしまったが、しげはその間ずっと、「ロンとヤスのどっちが責めか」を一人でブツブツつぶやいて考えていたそうである。だからアタマおかしいって(-_-;)。


 帰りしな、穂稀嬢が「紀宮の結婚が決まったそうですよ?」と言う。
 それはまあそれだけのことなのだが、続けて「あの『宮』ってのは何なんですか? 名字なんですか? 名字ならどうしてみんな同じ一族で違ってるんですか?」と聞いてきたので、一瞬、絶句した。
 天皇家には名字はないこと、あれは「宮号」と言って天皇の一族であることを示すものであることなどを説明するが、なんだか脱力してしまった。こういうのは別に天皇信奉者でなくても小学校の頃に親や年配の人に聞いて自然に知ってるものだと思いこんでいたのだが、これも「トシヨリの常識、ワカモノの非常識」の一例なのだろう。いやもう、ほんとに何が常識なんだか全然分かりませんね。

2002年11月14日(木) 爆走�ぁ振絛船灰鵐機璽函拭愍个い鮑遒襦‐緤�芸能笑いの放送史』(澤田隆治)
2001年11月14日(水) 『千と千尋』新記録!/アニメ『ヒカルの碁」第6局/ドラマ『死者の木霊』
2000年11月14日(火) 年7回は風邪引いてるな、私/『まどろみ消去』(森博嗣)ほか


2004年11月13日(土) 10万ヒット!(  ゜ ▽ ゜ ;)

 今週も休日出勤。
 ここんとこ、休日が月イチくらいしかないような気がするのは気のせいか。気のせいなんだけど。日曜練習があるからそんな気がしてるだけなんだよな。でも疲れが溜まってて、まるで休んだ気がしないのは気のせいではなくて事実なのである。
 まあね、一応ね、半日出勤して二千円くらいは時給が出るからね、トンガリさんの後始末と違ってタダ働きじゃないんだけどさ、学生アルバイト並の時給って、貰ってもなんだかかえって侘しくてよう(>_<、)。……なんて文句を付けるのは贅沢で、貰えるだけいいのかもしれないけど。

 ちょうど仕事が終わったとき、しげから電話が入った。デジタルテレビが届いたという連絡である。迎えに来てもらう予定ではなかったのだが、バスと地下鉄を乗り継いで帰ると2時間はかかるので、結局、職場の近くまで車で来てもらって帰宅する。
 布団に寝転がってウトウトしかけていたら、突然、携帯の着メロが「手〜をにぎれ、せ〜いぎ〜のみっかつたっ♪」と鳴り始める。えーっと、この着メロ、誰のに設定してたっけ。と開いてみたら、東京のグータロウ君からであった。内容は「10万ヒット取り損ねた!」。
 昨日開いた時には99600くらいだったから、一日100カウントくらい行くとして、10万ヒットはてっきり明後日くらいになるかと思っていたら、なんだか一気に3、400カウントくらい行っちゃったことになる。キリ番ヒットを狙った人でもいたのだろうか。申告はなかったから、結局、踏んだのは通りすがりさんだろうけれど。
 パソコンを開いてみると、カウンターは100010だった。
 じゅうまん。口にしてみてもまだ実感が涌かない。感無量、というには程遠い感じである。このうち自分で踏んだのはどれくらいだろうか。ほかの9万の殆どが、通りすがりの、顔の見えないROMさんばかりであろう。どういう方が、どんな考えで私の日記を読まれているのか、それは分からない。掲示板に書き込んだり、メールを送ってくださる方はごく一部なのだが、どういうわけだかそういう方々は奇特にもこの毒吐き日記を誉めてくださることが多い。けれど、ほかのROMさんたちが同様に感じているとは限らない。読んで気分を害したということもきっとあると思うのだが、これまで文句を付けてきた人はごく少数であったし、それも私の文章を誤読、勘違いしたものが殆どだった。そのあたりを説明すれば、たいていはそのまま収まってしまったものである。
 荒らしや粘着系の人物の横行など、ほかの掲示板ではよく起こっているトラブルが、スパムの類を除けば、殆ど起きなかったことは、もちろん私のような無名人に文句つけたって始まらない、と考えた人が大半であったからだろうが、それにしても殆どノントラブルでここまで来たという事実が、かえって不思議ですらあるのだ。
 訪問者の方々が、私の日記をどのように感じているのか分からないからと言って、そのことを不安に感じているわけではない。もともと私の視力の届く範囲はほんの数センチもない。全ては霧の中に沈んでいるようなものである。霧の向こうに誰がいるのか皆目見当がつかないのは現実でもそうだ。
 だから、顔が見えない人に対する恐怖感というものは私にはない。ないというよりは、顔の見える人と、見えない人との間に、差を感じないのである。たとえ顔は見えなくてもネットの向こうにいるのが人間であることは間違いがないので、そういう人たちに対して恐怖を感じるとすれば、それは人間そのものに恐れを感じるのと同じになってしまうだろう。

 届いた液晶デジタルテレビ、今までの28型から32型になって画面は見易くなったし、薄型になったので台の上にスペースができてものも置きやすくなった。反面、つまづいたら壊してしまいそうでちょっと怖い。
 ためしにDVD『キル・ビル vol.2』をかけてみたら、劇場で見たときよりもユマ・サーマンの目尻の小ジワが目立って見えてしまい、見えるのも善し悪しだと思ってしまった。


 明日の練習に参加するよしひと嬢を迎えに、博多駅まで行く。
 夕食は「豊竹」で酒盛り。と言ってもしげは運転しなけりゃならないし、私は酒を全く受けつけないので(病気のせいだけでなく、もともと全く飲めないのである)、飲むのはよしひと嬢だけである。焼き鳥盛り合わせ、刺身盛り合わせ、鶏もも肉、さがり、シーザーサラダ、エビマヨネーズ、蓮根団子、餃子スープ、土手焼きと、ガンガン注文して飲み食い。
 3人だけでよくも食ったものだと思われるだろうが、天然塩を使ったまろやかな辛さ、炭火焼き、ともかくどの料理も頗るつきの美味さなのである。
 興にに乗って会話も弾む、というよりはどんどん悪乗りしてくる。オタクどうしのディスコミュニケーションについてマジメに話していたつもりが、いつのまにか話が淫靡な方向に流れていく。「『責め受け』って、オレわかんないよ」とつい私が言っちゃったのが悪かったのだが。
 「たとえば、『笑の大学』だと、役所と、稲垣、どっちが責めだと思いますか?」
 「うーん、役所?」
 「違うんですよ、稲垣なんですよ」
 「どうして? 役所の方が年上なのに」
 「固い役所を崩して責めるのがいいんですよ」
 「……分からない」
 「分かられても困ります。じゃあ、『踊る大捜査線』だと、織田、柳葉、どっちが責めでしょう?」
 「……柳葉?」
 「織田ですよ!」
 「だからわかんないってば!」
 よしひと嬢はカトウ君ともこんな話ばかりしていたそうだが、こういうのは私のいわゆるオタク話とはかなりイメージ違うんだけどなあ(-_-;)。


 夜は11時から10万ヒット記念「思えば遠くへ来たもんだ」チャット。
 時間帯が時間帯だし、誰も来てくれないかと思ったけれど、グータロウ君、お久しぶりの鍋屋造物さん、初参加の千春さんと、4人で楽しくお話できた。でも指は昔ほど動かなくなっているので、応対はなかなか大変。やはり1万ヒットごとに1回くらいしか開けないのである。

2002年11月13日(水) 爆走��/『若者の法則』(香山リカ)/DVD『刑事コロンボ さらば提督/ルーサン警部の犯罪』
2001年11月13日(火) また書く原稿が増えそう(^_^;)。/『時をきざむ潮』(藤本泉)ほか
2000年11月13日(月) 泣いてるようだが怒っているのです/『藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版』4巻


2004年11月12日(金) アラファ〜ト私がぁ、夢のぉくぅにぃ〜♪

 アラファト議長死去にからんで、メディアでは今後のパレスチナ情勢に関してあれやこれやの“予測”が飛び交っているが、平和ボケな私は相変わらず不謹慎に「対岸の火事」を決めこんでいるんで、どうなろうと知ったこっちゃない。世の中、そこに関わる人間の数が多ければ多いほど、いいことはいい方向へ、悪いことは悪い方向へ放っておいても転がっていくものである。プロの意見だろうとシロウトの意見だろうと、所詮は一面的かつあやふやなものにしかならない。地震予測と同じくらい、アテにゃならんのだ。アタマを悩ませれば悩ませるほどかえって混乱し洗脳されやすくなるものだから、誰と限定はしないけれどもプロ気取りのみなさんは特に気をつけましょうね。
 そんな不毛なニュースの中で唯一笑えたのは、以前『進め! 電波少年』でアラファト議長にアポなし取材を試みた松本明子の事務所のコメント。
 「(議長の政治的立場から)万が一でも、別の勢力ににらまれたら…。コメントは控えたい」
 それだけでアラファト寄りを表明してるのと同じでんがな(^o^)。本気でノーコメントで通したいのなら、取材事態に応じない、という態度を貫けなくてどうするかね。このへんの踏ん張りが利かないところが、あの番組がジリ貧になっていった原因だと思うけど。まあ、別に続いてほしかった番組でもなかったけどね。
 確かに予測不可能な世の中であるから、仮にあの松本明子が「アラファト万歳! シャ○○の○○野郎!」とか発言したとして、イスラエルがあの松本明子の発言力の大きさを危惧し、モサドに命じてあの松本明子を抹殺しようとする可能性も0.00001%くらいはあるかもしれない。そうなってしまったら、なんたってあの松本明子だから確かに悲しむべき事態ではあるんだけれども、どうしたって笑っちゃうのである。あの松本明子だから。ほかにすることがあるだろう、イスラエルって(^_^;)。
 ネット上の発言とかも、全世界に配信されてるわけだから、確かにメディアはグローバルに肥大化しているわけである。何の気なしに発言したことがどこでどう誰に影響を与えているか予測できない。「北京の蝶」の譬えは必ずしも杞憂ではなく、そのモノイイについて、細心の注意を払ったとしても、必ずしも滑稽だとは言いきれないのかもしれない。
 しかし、例えば私が「アラファト死んで○○○○(伏字にしているのは何か危険を感じそうしているのではなくて何の感慨もないからである)」と発言して、自分の身を案じたとしたら、「お前、何様のつもり」と思われないだろうか。「ブッシュ○○○○!」と叫んでどこぞが私の暗殺計画を練るに違いないとビクビクしてたら「被害妄想」と言われないだろうか。いや、実際、「あなたはもうネットでは有名人なんですから、発言には気をつけて」とか言ったことある人、昔いたのよ。しかも複数(+_+)。誰がいつ有名人になったかねえ。お世辞のつもりもあるのかもしれんが、こういうお世辞で喜ぶたぐいの人間と見られたんかねえ(-_-;)。本気でそう忠告してくれたんだとしたら、ネット依存っつーか、妄想に取り付かれてるのはそちらの方のほうだと思うのだが(「ネットは私にとっては道具じゃなくて生活なんです」とか気色悪いことを堂々と言ってたし)。
 平和ボケでのほほんとしている人間よりも、「情報」を過信しすぎていることに気づいてない人間のほうが私にはよっぽど「危ないやつ」に思えるのだが、そこんとこどうなんでしょうね。この発言も地雷踏んでるか(^o^)。
 まあともかく今言えることは、「松本明子、心配ない心配ない」(^o^)。


 年末が近づいてきて、各部署で備品の確認が行われている。
 要するに「以前購入したあの機械はちゃんと動いてるか、補修の必要はないか、紛失してるものはないか」ってな調査なのだが、なぜかその仕事が私のところに回ってきた。いや、確認しなきゃならないことだとは思うが、私の役職上、そんな雑事まで担当しなきゃならないイワレはないのである。当然そういうのは総務とか管理関係の部署の人間が我々のところに「直接調べに来る」のがスジだと思うのだが、なんでその調査自体を依頼してくるのか。極端な話、私がウソを報告したらどうするのか(^_^;)。
 おかしいなあ、と思って書類をよく読んでみたら、私に関する調査じゃなくて、トンガリさんの備品に関する調査であった。ああ、つまりそういうことなのね(~_~;)。
 総務の連中もトンガリさんに関わりあいになりたくないのはわかるけれども、だからってこちらに押しつけてくるなよなあ、よっぽどこっちがヒマだとでも思ってるのかよ、とちょっと憤りかけたが、もはや「トンガリさん担当は私」という常識ができあがってしまっているので文句を言ってもどうしようもないのである。実質、監査役じゃん(-_-;)。
 四の五の言っても仕方がなさそうなので、トンガリさんが部屋を空けてるうちに忍びこんで道具のチェックを行ってみた。なんだか空き巣泥棒みたいだが、トンガリさんは勤務中もしょっちゅうどこかに雲隠れして部屋にいないことが多いので、調べる方としては楽である。それだけこの人仕事してないってことなんだがなあ。
 いちいち道具を確認してみて分かったことだが、この人、会社にやたら私物を持ちこんできているのである。「健康足踏み器」とかあの「手に持ってブンブン振るやつ」とか。でっかいビニールボールもあったんだけど、これも健康器具みたいだ。そんなに健康に不安があるなら、いっそのこと辞めてくれりゃいいのに。まあねえ、別に社則で私物持ちこみを禁止しているわけではないから、服務規定違反とは言えないのだけれどもねえ、そういうルールがないってのは、別に規定しなくてもこんな私物持ちこむようなバカがいないからであってねえ……。規定作ったほうがよかないか。
 調査の結果、他の部署の備品で、本来トンガリさんの部屋にあっちゃいけないものもいくつか見つかりました。誰が持ちこんだのかは知りませんが、報告はいたします。ここまでやってやったんだからあとの処置くらい、総務はちゃんとやれよな(⌒―⌒メ)。


 週末が来て、ようやく少し休めるなあと思ったが、明日も休日出勤なのであった。今日は早めに帰って寝ておこうと思ったが、仕事帰りについ博多駅の紀伊國屋に寄ってしまったら、予約していたDVDがドッと来ていた。手持ちの金だけではとても全部は買いきれなかったので、半分ほどだけ頂いて帰ることにする。
 けれどつい『プリンス&プリンセス』とか『劇場版じゃりん子チエ』とか劇場版『キューティーハニー』とか『ビリー・ワイルダーボックス』とか予約・取り寄せをしてしまったので、年末もかなり出物が出ることになってしまったのだった。テレビも買うのに大丈夫かよ(-_-;)。


 スタジオジブリが新しいファッションブランド「仕立屋スタジオジブリ」を立ち上げるんだと。グッズ類もどんどん増やしてるけど、ファッションにまで進出ですか。これまでにもエプロンとかネクタイとか、一部では衣類を扱っちゃいたけれども(私もトトロやアシタカのネクタイは持っている)、あくまでグッズの範囲を出なかったから、「ブランド」と言ってるってことは、完全にオリジナルなデザインの服を扱うってことなのかね。『紅の豚』のポルコ・ロッソがイメージモデルだって言うけれども、単純にポルコのマークが入ってるだけのポロシャツとか、そういうのだったら購買力をそそらないと思うけどねえ。かと言って「これで君もサンになれる!」なんてコスプレイヤーのためにどーぶつの骨の帽子売られても困るが。
 これもジブリの「迷走」みたいな気がするけど、やっぱりアレですかね、そろそろ御大も映画が撮れてあと2、3作が限度だろうから、これもいわゆる「先行投資」ってやつなんですかね。そういうので成功した例って、あまり聞かないんだけれども。

2002年11月12日(火) 爆走�◆拭愼�本の古都はなぜ空襲を免れたか』(吉田守男)
2001年11月12日(月) だからアメリカは戦争好きなだけだってば/『ザリガニマン』(北野勇作)
2000年11月12日(日) せめて漢字くらいは……


2004年11月11日(木) ホームページ消失!?(°°;))

 これも昨日の日記に書き忘れてたこと。
 映画を見にキャナルシティに行ったとき、「チャイハネ」の横を通ったら、しげが急に立ちどまって、コートにじっと見入って動かなくなった。こういうときしげは素直に「これほしい」とも「これ買って」とも言わない。アイフルの子犬のように、ただ哀願のまなざしで(こちらにすら向けずにただひたすら商品を)見つめるばかりである。
 「なんだ、これほしいの?」
 「そりゃ、ほしいけど?」
 この「けど」のあとに省略された言葉が本来どんなものなのか、見当が付くだけにちょっと腹は立つのだが、ありがたいことに今日のフトコロは暖かい。
 「じゃあ買おうか?」
 「いいと? 高いよ?」
 確かに、私がこの5年くらいで使った服代(下着含む)を合わせたくらいはするのだが、しげにだってめったに服を買ってやったりしたことはないのだから、たまには大盤振る舞いである。色を選ばせて(私は色弱なので見立てはできない)、しげが「緑」と称するもの(私には灰色にしか見えない)を買ったのだが、なんだか一気に機嫌がよくなる。帰宅して、「見て見て似合う?」と少女のようにニコニコして見せびらかすのだ。いつも仏頂面が基本のしげにしては珍しい。
 これは母の株券売ったおカネで買ったものだから、ある意味、母からしげへの最後のプレゼントだと言えなくもない。喜んでもらえたのなら、母も嬉しかろう。


 今日は久方ぶりに定時に帰れたんだけれど、パソコンを立ち上げてホームページを更新しようとしたら、なぜか「送信エラー」の表示が出る。慌ててトップページを開いてみると、画面は真っ白。まさかデータが消えた!? と焦りまくってヘルプで調べたり、Q&Aを検索してみたりするが、一向に原因が分からない。「半角で入力してませんか?」とか「アドレスが間違ってませんか?」とか、書かれてた質問に従っていちいち確認はするのだけれども、全然問題はないのである。
 悪戦苦闘すること3時間、どうにも原因がつかめず、ふと、データ容量が足りないのかな、とも思ったが、いや、それはこないだ拡張したばかりだし……、とますますアタマが混乱して来る。しげに問いただしても、もう睡眠薬飲んでコテンキューなので埒が空かない。もしかしたらと念のためにビルダーの空き容量を調べてみたら、こないだ拡張したはずのものが、昔のままになっていた。「何で!?」と思ったが、もう原因はこれしかか考えられない。藁にもすがるつもりで容量を変更して、もう一度送信してみたら、今度はうまくいった。なんだか無駄な努力を延々やらされてた気分になってドッと疲れが押し寄せる。しかし、拡張したはずのデータがなぜもとのままだったのか、それは状況が改善された今に至るも謎なのである。

 何だかんだで疲れたので、読んだ本の感想とかコマゴマしたことは省略。時間の余裕があれば、週末の日記にまとめて書くかも。

2002年11月11日(月) 爆走� 織▲縫瓠悖丕稗腺裡蓮拌莪賚叩拭愡�代劇マガジン』vol.1
2001年11月11日(日) 日記・日記・日記/アニメ『サイボーグ009』第5話/『八犬伝』13巻(碧也ぴんく)ほか
2000年11月11日(土) 今日はなんだかイタイ話ばかり/『ZERO』(冬目景)ほか


2004年11月10日(水) チャット再開?/映画『キャット・ウーマン』

 日記のカウンターがいよいよ10万に近づいております。
 これまでの1万、2万と違って、なんたって10万! なので、大々的に何かイベントでもやりたいところなのですが、今んところ大したことが思いつきません。新しいコンテンツを立てようかって気は前々からあるんですけれども、最近息切れが激しいから(^_^;)。
 このままのペースで行けば、多分、休日中か週明けくらいには10万ヒットは達成できるんじゃないかと思いますが、とりあえず久方ぶりにチャットを再開しようと思ってます。題して「思えば遠くへ来たもんだチャット」f(^^;) 。
 予定は11月13日(土)の夜11時から2時間程度。1回こっきりの再開のつもりですので、数少ない読者のみなさま、ぜひこの機会をご利用くださいますようお願い申し上げます。なんか文句言いたい人もいるだろうし(~_~;)。今まで1度もチャット参加はおろか、掲示板書きこみもしたことのない劇団メンバーのみんなも、来てくれると嬉しいんだけれどもね。
 あ、あまりに久しぶりなので、入り方が分らない方へ。日記の上の「ホームページ」からトップページに行ってもらって、そのあと、ずーっと下までスクロールしてもらうと、「おしゃべりリスの鍋煮込み 〜chatterer's room〜」ってとこがあります。そこから入ってくださいませ。イチゲンさんも大歓迎だけれど、時間的に誰も来ない可能性も大かな(^_^;)。
 あと、10万ヒットの記念品も一応用意してはいます。某作家さんのサイン本とかですが。カウンターにご注目いただいて、「踏んだぞ〜!」ってご申告と一緒に、メールでご住所を教えていただければ、ひと月以内くらいにはお送りいたします。どうせ通りすがりさんが踏むんだろうけれどさっ(`-´)。


 昨日の日記に書き忘れていたこと。
 映画に行く前にヤマダ電器に寄って、ついにテレビを修理に出すことにした。
 いや修理もそうだけど、もう思いきってソニーのデジタルチューナー内臓液晶テレビ買っちゃうことにしました。いずれ買わなきゃならないものだし、自分では忘れていたけれども、ヤマダの特別会員になっていたので、修理費がタダ、新しいテレビを買っても、ポイントが付くので10万円の値引きになるのである。テレビが届くのは土曜日になるとか。
 これまでの28型よりひとまわりでかい32型になるので、この本とDVDがひしめき合ってる狭い部屋ではちょっと場所取りにひと苦労しそうではあるのだが、ある程度デカい画面でないと、目が悪いんで何が映ってるかよく分からんのである。これでデジタル放送も録画できることになれば、見たい番組がまた一気に増えることになるが、とても見る時間が捻出できるものではない。在宅の仕事だったらまだ楽なんだろうけど、サラリーマンはそうもいかないのである。
 なんだかね、誰ぞの仕事を肩代わりしさえしなけりゃね、もちっと時間はできると思うんだけれどもね(-_-;)。


 今日はなんとか定時に仕事を終えることができたので、しげと待ち合わせをしてキャナルシティで映画『キャット・ウーマン』を見る。お客さんは結構いっぱい、昨日の『80デイズ』はかなり閑散としていて寂しい限りであったが、本国では大コケしたという『キャット・ウーマン』、日本ではそこそこヒットはしてるのかも。
 事前情報では主演のハル・ベリーがミスキャストとか言われていたようだったが、『バットマン』本編とは関わりがない、という作りであったし、私はあれはあれで悪くないと思う。日本も外国も、思い入れが強い人にしてみれば、オリジナルイメージとちょっとでも違えば「許せん!」ということになるのだろうが、そもそもキャット・ウーマンにオリジナルイメージなんかあるのか。原作キャラとこれまでのキャットウーマン女優とを比較して見ればわかるが、そのスタイルも性格も千差万別と言っていいくらい違うけどね。
 でも今回のキャット・ウーマン、そもそも何者だかよくわからん、という点ではキャラ設定を失敗はしているのである。別に女怪盗ってわけでもないし(本能に駈られて宝石盗んじゃうけど、正気に戻るとちゃんと返しに行ってるのである)。自分を殺した企業に復讐を果たし、「女は男に支配される存在ではない」って嘯くまではいいけれど、じゃあ、そのあと夜の街を徘徊して、あんたはこれから何をしたいのか、っていう点になると、結局何も描かれないまま終わってしまうのである。こりゃ確かに拍子抜けだ。あとやっぱリキャットウーマンのコスチュームが魅力的に感じられないのも痛い。
 『ヴィドック』のピトフ監督、今回は特に高画質の映像を目指したわけではなかったようだが、アングルや編集には凝ったシーンが見受けられはするものの、もう一つ、夜の街の神秘さを演出するまでには至っていない。CGと実写を連続させる技術は見事だが、映像効果として評価できるかというとそうでもない。エジプシャン・マウの精を受けて蘇えるんだから、もっと眩惑的なムードを漂わせてもよかったと思うんだけどね。そのへんは『猫の家』のシーンあたリでちょっとだけ感じさせはしてくれたけれど。

2002年11月10日(日) 永遠という名の魔女/『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』40話/『ギャラリーフェイク』26巻(細野不二彦)
2001年11月10日(土) AIQ機動!……いや、とっくにしてるんだけども/『不死身探偵オルロック』(G=ヒコロウ)ほか
2000年11月10日(金) 今日は本読みすぎて感想書ききれない/『クトゥルー怪異録』(佐野史郎ほか)ほか


2004年11月09日(火) 『笑の大学』余燼/映画『80デイズ』

 映画版『笑の大学』を見て以来、しげの機嫌が頗る悪い。『キネマ旬報』の映画評を読んで(評者によって賛否は分かれている)、「ねえ、あとで弁償するから、この雑誌、破いていい?」と来たもんだ。「鬱憤晴らしたいなら外で叫んでこい!」とどやしつけたけど。私もエンディングロール見ながら石投げつけたくなったから、気持ちは分からないでもないのだが。
 『笑の大学』は、劇団のメンツで一緒に見に行こうかという計画があったのだが、スケジュールが合わずに結局断念した。でもツアーを組まなくて正解だったかなと思う。
 大人数で映画を見に行けば、当然、一人一人の意見の違いが生ずる場合だってある。そこで自由にモノが言えなかったら、そもそも一緒に映画を見に行く意味なんてないと思うのだが、中に頭でっかちなヤツが混じっていると、往々にして次のようなしたくもない応酬が行われたりするのである。
 「今日の映画、すっごい素敵でしたね! 私、大感動しちゃいました!」
 「そうかあ? 脚本は穴だらけだし、演出は陳腐で退屈、役者の演技に至っては素人以下で、見てて吐き気がしたけど」
 「ひ、ひ、ひどい! 私は面白かったのに、それを貶すなんてヒドイ!」
 「思ったこと言ってるだけじゃんかよ。何が悪いんだよ」
 「あの映画の素晴らしさが分からないなんて、アナタは人として何かが欠けてます! ええそうですともアナタは人間じゃありません、ケダモノですゲドウですアクマです!」
 「なんでそこまで言われなきゃなんないんだよ! つまらなかったものを無理して誉める方がどうかしてるだろ!?」
 「そんなにイヤなら初めから見に来なきゃいいじゃないですか!」
 「見る前からつまらないかどうかなんて決められるか! 時空を捻じ曲げた難癖つけてんじゃねえ!」
 ……こういう理不尽な目にあった人、たくさんいらっしゃるでしょうね。ホントによう、この手の「イヤなら見るな」って屁理屈が通ると思ってる野糞野郎どもがごちゃまんといるからねえ。場合によっては、映画を作ったスタッフとかがこんなこと言ったりするんだよ、情けねえ。だったら「見ろ」って宣伝してんじゃねえや。公共に提示されたものなら、批判を受けることだってあり得るんだから、それにいちいち怒るくらいなら、ハナから映画なんぞ作るなって。
 私ゃ自分が面白く思った映画を貶されても「視点が違うからしゃあないなあ」で終わるんだけれども、世の中、「自分の判断が絶対」って信じてる人間がやたらいるのだ。今更ながらだけれども、一応、注をつけておくとね、そういう「自己中」野郎と、そうでない人間との簡単な見分け方はね、「自分の判断を貶されて、怒るか怒らないか」なの。「貶されたら怒るのは当たり前じゃん!」と仰る御仁は、その時点で世間的には「あほ」だと判別されるので、ご注意ね。でもね、悲しいことに、そういう「あほ」の数も昔に比べていやになるほど増えちゃってるんでね、いくら私が「いちいち怒るな」って言ってもね、「バカにされたら怒って当たり前だ!」と堂々と主張するようなとっちゃんぼうや、全然減らないのよ。だって、そういうやつらほど群れなしてお互いを認知しあってるから、いつまで経っても自分が世間に迷惑撒き散らしてる存在なのか気がつかないままなのね。筒井康隆の『農協月へ行く』を想起して貰えれば私がどういう連中のことを指して言ってるか分かると思うけど、そういうのを「猿山の猿」って言うのよ。
 うちの劇団のメンバーにそこまでお軽いアタマの持ち主がいるとは思わないけれども、意見の相違はやはりあろうと思うのだ。特に舞台版を見たことがなくて、映画版だけを見た人だと、「面白い」部分も確かに残っちゃいるので、あれを「傑作」と勘違いしてしまう可能性だって大なのである。ネットでも舞台を見ている人の批評で映画版を称賛しているものは殆ど見かけないのだが、舞台未体験者に向かって、あの映画がいかに舞台を映画に移し変える際に失敗しまくっているか、口が酸っぱくなるくらい唾を飛ばして説明したところで、ピンと来ることはないんじゃないかという危惧がある。だとしたら私が言えることは「ともかく舞台の方を見てよ」しかないのだが、DVDも販売されてはいないし、私がエアチェックしたビデオを貸してあげるしか手はない。……でもそれって「押しつけ」になっちゃうんだよなあ。そこまでして舞台版を見てほしいかというと、それほどまでには舞台版も評価しちゃいないんでねえ。三谷さんの舞台で見せるのなら、まだ『出口なし!』の方が面白かったし、そっちの方を見せたいと思うのである。まあ、結局、映画見たあと、たいして会話が弾むわけでもないやな、と思えるので、みんなで見に行かなくてよかったかなあ、と思う次第なのである。


 今日も仕事がちょっと遅くなって、しげとの待ち合わせが6時半。
 朝方、「今日は6時は過ぎるよ」と伝えておいたのだが、聞いたそばから忘れていたしげ、4時に職場に着いていた。2時間半駐車場で待ちぼうけしていた勘定になるが、これは私のせいではない。なのに「聞いたことなんて、忘れるに決まってるやろ!? 『何時になる』ってメールで送ってよ!」なんて言うのである。理不尽にも程があるというものだ。だったら自分でメモしとけよなあ(-_-;)。
 だいたいのうたりんなしげは、今日、なぜ待ち合わせをしていたかまで忘れていたのである。
 「……さあ、帰るか」
 「帰るって、映画はどうする?」
 「なんか見るのあったっけ?」
 「お前、昨日『80デイズ』見るって言ってたろう!」
 「ああ、そうだった! よく覚えてたね」
 「自分から言ってたこと忘れるな!」
 しかも、待ちくたびれてやたら寂しくなったのか、車に乗ってる間、「ねえ、オレのこと好き?」とか言って絡んでくるし(運転しているのでホントに絡んでは来ない)。
 「ねえ、オレのこと今でも好き?」
 「別にオレは変わらないよ」
 「別れてもやっぱり好き?」
 「別れたいのかよ、お前は」
 「別れることになったらだよう」
 「オレの方から別れるつもりはないから、仮定の話はできんな。別れるとしたらお前がほかのやつを好きになった場合だけど、そのときはオレがお前のことを好きかどうかなんて関係なくないじゃん」
 「その時も、アンタはオレを引きとめんっちゃろ?」
 「うん」
 「ドラマがなくてつまんない〜」
 「無理矢理ドラマにするな! お前がオレと別れたくなったらそれでおしまいってだけだから、楽だろ?」
 「楽じゃないよ。離婚には絶対エネルギーが要るよ。ハンコ押すだけでも大変だし」
 「どう大変なんだよ」
 「旧姓のハンコ作るのがめんどくさい」
 ……それが理由かい(-_-;)。しげの話にマトモに乗ると必ず疲れたオチがつくのだが、平日の、しかも週明け間もない頃にこれをやられると一週間がすごく長く感じられてしまうので、やめてほしいのである。って、平日に付き合わなきゃいいんだけどねえ。そうもいかないしねえ。

 キャナルシティに着いて、しげに今度の公演の美術セットの模型を見せてもらう。模型と言っても紙製の簡単なものではあるが、イメージが伝わるものであればそれで充分である。製作したのは細川嬢。
 最近、彼女の株は我々の間でぐんぐん上がっていて、しげなどは次回公演の美術も頼めたら頼みたい、と言ってるほどなのだが、実際モデルを見てみると、簡素な中に機能とデザインの調和が取れていて、なかなか見事なものである。なるほど、プロを目指してるだけのことはあるなあ。会場のアクロスは円形舞台なので、その舞台構造を生かした袖幕の引き方も難しかろうと考えていたのだが、その問題点があるアイデアで美しくクリアーされていたのだ。全く感服。
 ただ、模型だとどうしても布の質感が分からないので、イメージイラストを描いてもらえればよかったか。実際にセッティングを担当するのは其ノ他君だから、その方がイメージを伝えやすいと思うのである。


 映画『80デイズ』、これまで何度も映像化されてきたジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』のリメイクであるが、ほぼジャッキー・チェン演じるパスパルトゥーが主役のアクション映画といってよく、ハリウッド製のジャッキー映画としては『ラッシュアワー』や『上海ヌーン』シリーズよりもアクション度において満足度は高い。なんたって後半に至るまで殆ど追っかけに次ぐ追っかけ、アクションに次ぐアクションなんだから、ジャッキーファンとしてはようやくハリウッド映画でもジャッキーの真骨頂を見せてくれた! と嬉しくなるばかりである。いやまさか、『酔拳』とまでリンクしてくるとはビックリ(ただし、ウォン・フェイフォンを演じるのはジャッキーではなく、サモ・ハン。……太り過ぎだって! よく動いてるけど)。
 どうして見るからに中国人であるジャッキーがフランス人であるパスパルトゥーを演じられるのかと疑問に思っていたのだが、フォッグ氏には「こう見えてもフランス人です」と正体を隠してウソをついていたのであった。って信じるなよフォッグ氏!(^_^;) 
 こういう無理矢理ギャグは好き嫌いが分かれるだろうが、エリック・アイドル主演の『ナンズ・オン・ザ・ラン』にも同様に、アイドルが「ぼくってインド人じゃなかったの!?」とショックを受ける無理矢理なギャグがあって、こういう“パイソン風”の笑いは大好きなのである。ジョン・クリーズがカメオ出演していたのは、監督のオマージュもあると見た。
 ただ、ジャッキーが前面に出た分だけ、原作のゴージャスな世界旅行記としての印象は薄れてしまっているので、原作ファンには不満かもしれない。ヨコハマにも立ち寄らないし、未見の方にご注意しておくが、あくまで「ジャッキー映画」を楽しむ感覚で見に行かれたらよろしかろう。


 作家の南條範夫氏が、10月30日に肺炎のため死去していたことが判明、享年96。
 この人についても書き出したらキリがない。映像化された作品がやはり親しみ深く、『武士道残酷物語』『元禄太平記』『月影兵庫』『からみ合い』などがすぐに思い浮かぶ。もっとも原作をかなり換骨奪胎したものが多いんだけど。
 近衛十四郎の『素浪人月影兵庫』が、あまりに原作とかけ離れた内容になってしまって、原作者からクレームがつき、途中から「顔は同じだけれども全くの別人」という設定で『素浪人花山大吉』というタイトルになったのは有名(このシリーズも今の若い人たちに見てもらいたいんだよなあ)。大衆作家に括られてはいても、社会派的な作品を数多く書いており、その映像化に関しても一家言があったのだと思われる。『元禄太平記』は数ある忠臣蔵小説の中でも、「敵方」である柳沢保明(後の吉保)を中心に描いた点で、私の最も好きな作品であった。ドラマの石坂浩二も酷薄でよかったなあ。

2002年11月09日(土) 探偵って卑下しなきゃならない商売なのかね/映画『トリック 劇場版』
2001年11月09日(金) いちまんななせんえんの幸福/『GUN BLAZE WEST』2・3巻(和月伸宏)ほか
2000年11月09日(木) だって猿なんだもん/『グーグーだって猫である』(大島弓子)ほか


2004年11月08日(月) 最後のお小遣い/映画『笑の大学』

 母が私名義で買っていた株券がようやく売れる。これまで書類手続きがいろいろと煩雑で伸び伸びになっていたものだが、もちろんバブル崩壊後の株価の下落を受けて、買値よりかなり減殺してはいるが、それでもちょっとしたお小遣い程度のおかねは手に入った。母から貰う最後の小遣いである。何か記念になるものでも買いたいようにも思うが、とりあえずはテレビの修理代に回す予定。何ヶ月か前にイカレて画面が映らなくなっていたウチのテレビ、実はまだ修理に出していなかったのである(^_^;)。じゃあこれまでどうやってテレビを見ていたかと言うと、お風呂テレビに電波飛ばして、それで見ていたのですね。
 デジタルテレビを買おうかって話もあったんだけれども(それで映るようになるCSチャンネルもあるし)、それはそれで次のボーナスのときに考えることにしたのである。今月から来月にかけては、うちはちょっとだけ裕福になるかな。この間に東京行きの資金を溜めとかないと。
 この日記読んでると、旅行だの上京だのDVDだのと、やたら遊んでやがるなあ、という印象を持たれて、我が家には無尽蔵に財産があるように錯覚してる人がいるかもしれないが、もちろん、んなわきゃあない。結構あれやこれやとやりくりはしているのである。ちなみにこの数年、私はTシャツ以外の新しい服なんて買ったことがないぞ。スーツなんて一気に数万ふっとぶようなもん、誰が買うか。誰かヘンな柄のTシャツとかあったら恵んでくれ(^o^)。


 残業で退社が8時。遅くなると伝えてはいたのだが、しげは駐車場で小一時間待たされる。6時に予定されていた会議の始まりが同僚の都合で遅れて、結局7時からになってしまったせいである。しげとは9時から映画を見ようと約束していたのだが、もう時間はギリギリ。当然しげはブスくれている。けれど、昔ほどにはヒステリーは起こさなくなっているので、ケンカして結局映画を見損なう、といったような事態に陥ることは避けられている。こちらもできるだけ仕事を早めに終わらせようと努力はしているので、そのあたりの事情を鑑みて、気遣ってくれるくらいの心の余裕が生まれているのなら、しげも少しは成長していると言えるかもしれない。単に面倒臭がりなのが進行しただけって可能性も否定できないが。

 場所は久しぶりの大野城サティ。レストランに入ってゆっくり晩飯を食うほどの時間の余裕すらないので、回転寿司の店に入り、十五分ほどで7、8皿を平らげる。そのあと、ワーナーマイカルで映画『笑の大学』を鑑賞。
 ……いやねえ、舞台版を先に見てるってこともあるけど、演劇を映像化する際に「やっちゃいけないヘボ演出」をこれだけやりまくって地雷踏んでる映画は見たことないよ。監督の星護、ドシロウトよりヒドイ。「密室劇」だからこその面白さを、やたら外に出して流れを途絶えさせる(『12人の怒れる男』の爪の垢でも煎じて飲めよ)、無駄なカットが多すぎて終始退屈、役者に意味不明な演技はつける、これ以上ないってくらいにヒド過ぎる演出なのである。稲垣、役所の役者二人も脚本がまるで読めていず、トンチンカンな演技をしまくっている。どこをどう取っても「最悪」で、誉めようがないのだ(小松政夫さんの「さるまた失敬」が見られたのは嬉しかったけど)。ともかくあの陳腐でつまんない幕ギレ! 舞台を見てない人が、映画で初めてあれを見て、「これが真の『笑の大学』だ」なんて思ったとしたら、こんな悲しいことはない。舞台版は映画の100倍は面白いんだよう!
 舞台版だって、実は大傑作とは言えない。脚本家の三谷さんの時代考証の甘さは目立つし、劇中劇がアチャラカになりきれていないという大欠点があるのだ。けれど、それでも近藤芳正さんの汗まみれの熱演で、そういう弱点がかなりカバーされていた。稲垣には到底ムリなことで、力不足も甚だしい。あの、「演技してますよ」的なクサイ小芝居の連続にはとても耐え切れん!(T∇T) 結果として、「笑いの起こらない喜劇」が出来上がってしまっているが、見せられる方は苦痛でしかない。ああ、なんで戯曲を戯曲のままにしておいてくれなかったかな。
 文句を付け出したら一昼夜はかかりそうなのでやめとくが、ある意味、映画『デビルマン』よりもむかっ腹の立った映画であった。つか、見終わったあと、マジでスクリーンに石投げつけたくなったよ。

 帰宅して、“口直し”に舞台版の『笑の大学』を見ながら寝る。ああ、近藤さんはやっぱりいいよなあ。

2002年11月08日(金) ウチもベストカップルだと言われることはあるが(-_-;)/『アフター0 著者再編集版』7・8巻(岡崎二郎)
2001年11月08日(木) エロに偏見はありません/『伊賀の影丸 邪鬼秘帳の巻(上)』(横山光輝)
2000年11月08日(水) チンジャオロースって漢字変換できねー/『家出のすすめ』(寺山修司)


2004年11月07日(日) 一面のボブ・サップ/永井豪『天空之狗』1巻

 夕べは加藤君とよしひと嬢がお泊り。練習の打ち合わせやらオタク話やらに花が咲いたが、ちょっとジェネレーションギャップを感じてしまったのは、加藤君が「『うる星やつら』、見たことないんですよ」と漏らしていたこと。ああ、20代前半だと当然そうだよなあ、とリクツでは納得できるのだが、自分が遠いところまで来てしまったような気にさせられてしまって、いささかショックではある。「平野文さんが“萌えキャラ”やってたってことですよね?」という発言にもダブルショックである。『うる星やつら』放映当時の80年代には、もちろん「萌え」なんてキーワードは存在していなかったのだが、今なら「ラムちゃん萌え〜」とか堂々と口にするやつらがいても全然おかしくはない。その事実と、まさにラムが「萌えキャラ」の元祖であったことを確認せざるをえないショックである。
 私は「萌え」という単語の表現力の薄さにかなり拒否反応を抱いていたのだが、もうたいていのオタクの間ではこれは完全に一般語化している。オタク間のディスコミュニケーションを埋める方法はないものかと日々ツラツラと考えてはいるのだが、何だか逆に城の外堀ばかり埋められているような気がしてならない。「そんな言葉使うな」とは言えんし、かと言って、「それは違うだろう」と感じている言葉を自主的に使う気にはなれない。
 今の若い世代の人たちも、次の世代の人たちが新しい言葉を使い出したら恐らくは珍妙に感じるに違いないのだから、自分たちの言葉だつて「絶対ではない」ことに気付いて、少しは「世代を越えた普遍的な言葉」がないものかどうか、考察してみるくらいのことはしてほしいものなのだが。


 朝方、寝惚けたしげが「ボブ・サップが邪魔〜」と何度も寝言を言っていた。なんだかまた変な夢を見たらしい(あとで聞いたのだが、部屋中がボブ・サップで埋め尽くされる夢だったとか。……なんじゃそりゃ)。寝言と言っても、半分目覚めちゃいるので、しげはみんなに聞こえるようにわざと口にしているのである。
 先に起きていた加藤君は、しげの寝言を聞いたことがなかったので「何言ってんだ?」とばかりに目を丸くしていたが、朝っぱらからアタマを混乱させられて、いい迷惑であったろう。半覚醒状態でしげがわけのわからぬことを口走るのはしげの「構ってほしい症候群」の表れである。私はもう聞くだに疲れて何を聞いてもリアクションを取らなくなってしまっているので、ここんとこおかしな寝言はあまり聞かなくなっていたのだが、人が増えた途端にこの始末である。自分に関わってほしいあまりに、他人を混乱に陥れようとするのは悪い癖だとそれこそ口を酸っぱくして言い続けてきたのだが、これも全然治らない。精神がハイになればなるほど、ウケ狙いのつもりでイカレた言動を繰り返すが、度を越しゃ鬱陶しいだけである。だからもちっと心のコントロールをしてほしいものなのだが、公演が日一日と近づいてきるせいもあって、そのバランスがかなり崩れてきているのだろう。ちょっとゆっくり寝かしてやんなきゃならんかなあ、とも思うのだが、今だって充分過ぎるくらいしげは寝ているのである。これ以上寝かせてたら、ほんとに「メシ食って寝る」だけの生活になってしまうので、それも困る。アタマの痛い日々はやっぱり続くのだなあ。


 しげたちが練習に出かけたあと、久しぶりに亀の水槽の掃除。
 ここ最近、バタバタと忙しくて、2週間くらい放っておいたら、中がかなり臭くなっていた。風呂場で敷き石を何度も繰り返し洗っても、匂いがまるで落ちない。小1時間かけて、どうやらこうやら水替えが終わったが、指先には亀臭ささが染み付いている。それどころか、部屋中に亀っぽい匂いが漂っているのが分かるくらいだった。
 クーラーを空気清浄に切り替えてフル回転させるが、あまり効果が上がらない。動物を飼う際、こまめな清掃は不可欠であると知っちゃいたけど、ついサボったのが災いした。一週間に一度は水替えしたいのだが、来週は来週で土曜出勤、日曜フル練習の予定なのである。時間の余裕がほしい。

 疲れて、ウトウトしていたところに、父から電話。寝惚け声で返事をしたら、「夜更かししようとや?」と勘繰られる。
 「別に?」
 「具合悪いとや」
 「そうでもないけど」
 私の要領が得ないので、父はいささか苛立ったらしく、詰問口調で「お前、今日が何の日か知っとうや」と聞いてきた。
 言われて、ああ、そうか、今日は母の命日だったな、と思い出したが、父の試すような口調が気に入らなかったので、知らんぷりを決めこんでこう言った。「何の日って?」
 「お母さんの命日やろうが」
 「それは知ってるけど何?」
 昔ながらの頑固者の父親に対して、こんなしらばっくれたような口のきき方をするもんじゃないとわかっちゃいるのだが、私も父の血を引いているので、機嫌が悪くなるとストレートに口答えしてしまうのである。もちろん、途端に「墓参りに行かんか!」とどやしつけられた。もっともである。
 父は仕事で今日は出かけられない。一人で行けということなので、練習に出かける前に菩提寺に回ることにした。何回忌というわけでもなく、特に法要が予定されているわけでもないので、線香をあげて手を合わせただけだが、盆と命日にはこうして拝んでるわけだから、たまにはこの世に化けて出て来てもいいようなものだが。
 そう言えば、ひと月くらい前に母親の夢を見た。帰りの電車の中で偶然乗り合わせたのだが、お袋は、乗客を見まわして「あれはみんなヤクザだから気をつけなさいよ」と忠告してくれたのだった。今んとこヤクザに絡まれるような事態には陥ってはいないので、特に正夢だったということはなさそうである。生前、さんざん賭け事ばかりしてたんだから、どうせならたから9時をどこで買ったら当たるかとか、そんな予言くらいしてほしいものである。

 かなり遅れたが、3時にパピオに回る。今日の参加者は、らぶきち(桜雅嬢)、加藤君、鴉丸嬢、其ノ他君、細川嬢、ハカセ(穂稀嬢)、よしひと嬢。
 とりあえず練習には参加できたのだが、ほとんどが美術や衣装の打ち合わせばかりで、役者の演技を見ることは殆どできなかった。劇中、しげが突き飛ばされてコケるシーンがあるのだが、そのコケ方にダメ出しをしたくらいである。しげにはバレエの足癖がついていて、コケたときにどうしても片足が上がるのだが、そんなコケ方をする一般人はいない(^_^;)。ともかくしげには妙な癖が付きすぎていて、それを矯正するのがひと苦労なのである。
 あと、加藤君には英語のセリフを練習するように指示。何しろいかにも日本人でござい、という発音なのである。台本にはフランス語のセリフもあって、そこの発音も矯正してあげたいのだが、そこまで詰めることができるかどうか。まあ、あえて日本語風の発音で軽い笑いを取る、という手もなくはないのだが、それはどちらかというとしげが負うべき役回りなので、ここのところは加藤君にぜひともかっこよく決めてもらいたいのである。
 演出補のよしひと嬢も来ていることでもあるし、鴉丸嬢の演技も見たかったのだが、彼女の描く衣装案がまだ間に合っておらず、芝居に参加できない。見たところ、かなりテンパッている感じで、ちょっと「危うい」雰囲気も漂っているのだが、あまりムリはしないでもらいたい。だいたいこの子も頗る美人で素材がいいのに、どういうわけだか自分に対してかなりなコンプレックスを持っていて、毎回うまくできないと思いこんでいるのである。基本は問題ないんで、他の役者とのバランスを調整するだけで充分なんだけどなあ。
 公演が近づいて来ているせいだろう、テンパってきているのは実は鴉丸嬢だけではない。今日はもともとパンフレットの案を出し合う予定になっていたはずなのに、私が「もう打ち合わせはしたの?」とその話を切り出すまで、みんな完全に失念していた。
 結局、練習時間内にパンフの打ち合わせは出来ず、ダイヤモンドシティに回って、そこのフードコートで夕食を食いながらみんなでパンフの打ち合わせをした。これも今月中にはラフをあげねばならない。やんなきゃならないことは目白押しであるから、多少テンパってくるのは仕方がないのだが、一人のヒステリーが連鎖して、メンバー全員に伝播してしまうと始末に負えなくなる。適度なガス抜きは必要なので、芝居の話抜きの飲み会とかもいいとは思うが、となると途端に私は参加できなくなるのが悲しい。下戸はどうしたって野暮ってことになるのである。

 帰宅してパソコンをやろうと思ったが、しげに取られて諦める。こうして日記の更新は少しずつ遅れていくのである。


 マンガ、永井豪『天空之狗』1巻。
 すいません、永井豪はもう「義理」で買ってます(-_-;)。『ハレンチ学園』以来、『凄ノ王』あたりまで、幼少年期をほとんど永井豪漬けで暮らしてきた身にしてみれば、現在の形骸化した永井さんのマンガを読みつづけれるのは苦痛ですらある。これも『ドロロンえん魔くん』以来の本格的“妖怪退治もの”だけど、まるでワクワクするところがない。ひょっとこやカマイタチの薀蓄は別にいいからさ、エロでもグロでも伝奇性でも、ちゃんとドラマで見せてほしいんだけどなあ。
 『ハニー』にしろ『デビルマン』にしろ、旧作のリメイクはやたらあるけれども、新作の映像化が殆ど見られないのは、やっぱり永井さんの創作力が落ちているからだ。もう一度『イヤハヤ南友』みたいな破天荒なギャグマンガ、描いてほしいんだけどなあ。


 マンガ、大島永遠『女子高生』1巻。
 先日、出張先の某所で見つけて、読んでみたくなったので買った。こういう本が置いてあるところに出入りしているなんて、私の本職はいったい何なのでしょう(^_^;)。「水泳部は垂れ流し」ネタには大笑い。女子校に限らず、共学でもそういうことってありそうな気はするが、とても同窓生の女性に「うちの高校はどうだった?」とは怖くて聞けないのである(^_^;)。

2002年11月07日(木) 吉野作造と鞍馬天狗/『トリック・ザ・コミック』(堤幸彦・蒔田光治・林誠人・西川淳)/『トラマガ』vol.2ほか
2001年11月07日(水) 暗号解読/アニメ『ヒカルの碁』第五局/「西原理恵子のご託宣ポストカード」ほか
2000年11月07日(火) 昔の映画も見よう……/『笑わない数学者』(森博嗣)


2004年11月06日(土) マイケル・ムーアの遠吠え/時雨沢恵一『キノの旅�次�

 真夜中にしげがいきなり部屋の模様替え。
 私は寝ていて気付かなかったのだが、しげは仕事から帰って来て、夜通しずっとこれにかかりっきりになっていたらしい。窓のあたりに積み上げられていた本の山を移動させて場所を空け、これまで隣に並んでた私としげのパソコン机を向かい合わせにしていた。しげは「個室だ個室だ」と喜んでいるけれども、隣にいられると鬱陶しいってことなのかね。
 周辺の棚なんかも一切合財移動である。机の上にあった荷物の類も片付けられたりしていたので、かなりな重労働だったと思うのだが、一人でよくもやれたものである。まあ、模様替えをすること自体に特に反対はしないのだけれども、私に全く何の相談もなくいきなりやられたのにはちょっとカチンと来た。しげが突発的に何かを思い立つのは今に始まったことではないが、たいていそれはトラブルの種になるからである。
 案の定、あれはどこへやった、これはどこに片付けたと、紛失物が続出。だからどうして記憶力ないのに一気に何でもかんでも片付けようとするかな。毎日少しずつやるんならこんなこともなかろうに。一番困ったのは薬をどっかにやられてしまったことである。一種類は床に落ちてたのを私が見つけたのだが、もう一つが見つからない。しげに聞いても「気がつかなかった」である。気がつかなかったですむか、ばかたれが。
 しげをどやしつけて、薬局まで薬を買いに行かせる。せっかくの連休だけれども、朝から気分が悪い。

 休日出勤がやたら多かったので、久しぶりにゆっくり休んでる気がする。
 のんべんだらりとテレビで『マーメイドメロディー ぴちぴちピッチ ピュア』『ロックマンエグゼ ストリーム』『ケロロ軍曹』と続けて見る。
 『ロックマン』のゲストキャラ、ドジで冴えない眼鏡っ娘OL・ユイを演じていたのが『プリンセスチュチュ』の加藤奈々絵さん。久しぶりにあのアヒル声を聞けたなあ。ちゃんと仕事をされていてよかったよかった。こういう個性的な声の人が伸びていってくれると嬉しい。
 『ケロロ軍曹』は動物達を兵士に変える光線銃のエピソード。ほぼ原作通りで、特段の改変はない。ネコの変身姿が一瞬だったのも原作のまんまで、ちょっともったいなかったけれど。夏美、鈍感なとこはやっぱりヒロインとしては今一つ魅力に欠けると思うんだけれど、なぜかマンガやアニメでは鈍感キャラの方が受けるというのは、やっぱりオタクには深くくらいトラウマがあるのかね。

 午前中のうちにレッド・キャベツに行って、水を汲む。
 帰宅してしげに親子丼を作ってやる。そのあと亀の水槽を洗うつもりだったけれど、一週間の疲れが溜まっていたらしく、眠りこむ。
 起きて日本映画専門チャンネルで、映画『天国にいちばん近い島』と『福耳』を続けて見る。まあ、『天国』は今見るといろんな意味でツライ。『福耳』は初見だったけれど、なかなかの佳作だった。幽霊の田中邦衛にカラダを乗っ取られたという設定の宮藤官九郎、一所懸命田中邦衛演技をしてるのがおかしい。決してうまくはないんだけれど、顔が全然主役顔じゃなくて間が抜けているので、何となくフラがあるのである。主役よりも脇の爺さん婆さんたち、谷啓や坂上次郎、千石規子といった連中が実にいい味を出している。録画すりゃよかったかな。
 夜はチャンネルNECOで『タッチ』一挙放送。三部作の映画にテレビスペシャル2本もくっ付けて。映画の方はともかく、テレビスペシャル2本は、昔一回だけ見て、ずっと心の中で封印していたのだけれど、封印したままにしといてよかったかも(^_^;)。というわけで感想は特に言わない。


 明日の練習に向けて、加藤君とよしひと嬢がお泊まりに来る。
 しげも今日は仕事が7時〜10時と短いので、帰宅して3人で台本読み。声の調子や演技の間はかなりよくなってきているのだけれど、加藤くん、まだ時々セリフが抜けるぞ。アドリブが出せるようになったのは急成長だけれど、本番では使えないアドリブばかりだから、やっぱセリフは覚えるように。


 読んだ本、時雨沢恵一『キノの旅�次 �the Beautiful World―』。
 実を言うと私は、キノ本人よりも師匠のエピソードの方が好きだ。やっぱ女性は凛々しく強く、「したたか」でなきゃねえ。第1話での暴れっぷりを読んで満足してしまったので(目次カラーイラストも師匠だ!)、メインエピソードの『救われた国』の印象が薄かった。久しぶりのシズ様との再会、しかも美少女キャラも登場ってのにねえ。


 さて、以下の文はマイケル・ムーアのホームページに掲載された「敗戦の弁」を要約したもの。( )内は、米選挙に興味なんてないであろう、しげその他の人に向けての注です(^o^)。

「『リストカットしないための17の理由』
1.ブッシュはもう2度と大統領に立候補できない。
 (知ってる人は多いと思うが、米大統領は法律で三選はできない)
2.ブッシュは辛うじて勝てたにすぎない。
  (前回からずっと不正疑惑はつきまとっている)
3.ケリーに投票した者は若者層が多かった。
 (未来に希望が持てると言いたいらしい)
4.アメリカ人の大半は「アメリカは間違った方向に進んでいる」「イラク戦争は戦う意義がない」と思っている。
  (でもブッシュが勝っちゃうんだよね。ムーアは「それがアメリカの不思議なところさ」とおちゃらけているけど)
5.上院では共和党は60議席に達しなかったから、フィルバスター戦術は有効である。
  (牛歩戦術みたいに長い演説で審議を遅らせること。『華氏911』でもやってたね。これも言うまでもないが、ブッシュは共和党、ケリーは民主党である)
6.ミシガンほか、北東部の州ではケリーが勝ったところが多い。西海岸もハワイも。
  (田舎はいざ知らず、リベラルな土地はちゃんと真実を分かっている、と言いたいのである)
7.オハイオ州がバカなのは仕方がない。
  (不正疑惑のある電子投票機を製作しているディーボルド社の本社はオハイオ州にある)
8.ブッシュに投票した88% は白人だが、50年後には少数派になる。
  (どうだかなあ?)
9.ゲイどうしの結婚が禁じられた州が増えたおかげで、御祝儀代が浮くようになった。
  (もちろんこれは皮肉で言ってるのだね。マイケル・ムーアはゲイ差別には反対である)
10. 下院に5人の黒人議員が増えた。
11.コロラド州ではクアーズ・ビールのCEOが上院議員に落選した。
 (社長のピーター・クアーズは、ゲイどうしの結婚を禁止するための憲法改正を支持していた)
12.おかげで「ブッシュ・ガールズ」は健在だ。
 (ポルノ規制が厳しいブッシュ政権への反対を表明して、ポルノ女優たちが自分のブッシュ〔茂み〕を剃って、「ノーモアブッシュ」を訴えている)
13.各州の立法府では、民主党が多数派となった議会が三つ増えた。
14.ブッシュはもう任期を消化するだけだ。残りの4年、ケネバンクポートの牧場で永遠の金曜日のように過ごすだろう。
  (メイン州ケネバンクポートにはブッシュ家の別荘がある。ハリウッド・セレブたちの豪華な別荘や、ギャラリー、アンティークショップ、お洒落なイタリアンレストランなどもあるアメリカ人にとって、憧れの海岸リゾート地だとか)
15. ブッシュは次のどちらかのシナリオを選択する。
 (A) 選挙に勝った以上、もはやキリスト教原理主義者に媚を売らなくなる。
 (B) 逆に再選で傲慢になり、ヘマをやらかす。共和党もブッシュを降ろすしかなくなるだろう。
  ((A)は殆ど希望的な観測で、ムーア本人も信じちゃいないだろう。となると(B)の「ヘマ」がどれほど世界にとって大迷惑なものか、想像するだに恐ろしいが、当然、これもむーあは充分想定した上で皮肉を放っている)
16. 選挙権のある2億人のうち、ブッシュに投票したのは5千8百50万票。ケリー5千5百万票との票差はたった350万票で、この程度の惜敗に落胆する必要はない。希望を持て。
17. ケリー5千5百万票の得票数は、レーガンやブッシュ父や(民主党右派の)クリントンやゴアより多い。こんなに多数のアメリカ人がリベラル派に乗り換えたのは画期的だ。2008年の選挙を見よ。」

 実際に「不正」が行われたどうかは正直分からない。
 選挙結果が僅差だった場合、やたら「不正」を訴えたがる連中は多いが、少なくとも露骨にそう主張しないだけ、ムーアの敗戦の弁は潔いとは言える。けれど、やっぱりジャン=リュック・ゴダールが指摘した「ムーアが考えているほどブッシュはバカではない。このブッシュ攻撃は相手を利するだけだ」という言葉が結局は正鵠を射ていた以上、ムーアの弁を「引かれものの小唄」としか受け取らない人も多かろうと思う。
 何度も書いている通り、ムーアの『華氏911』その他のブッシュ批判は、今更指摘されるまでもなく、誰もが先刻御承知のことである。ブッシュが標的をビン・ラディンからフセインにスライドさせた時も、イラクは大量破壊兵器を隠し持っていると主張したときも、それをマトモに信じた人間がどれだけいるというのだろう。アメリカも日本も、それが見え透いた「ウソ」だと承知した上で、自分たちの利益のためにあえて騙されて乗っかったのだ。だから、いくら「ブッシュに騙されるな」というキャンペーンを張られたところで、「騙されてるわけじゃない」としか返事のしようがない。「組織」に所属していれば保身のために不正と分かっていても、それを受け入れなきゃならないことだってあるというのに、それを真っ向から「不正をしていて良心に恥はないのか」と糾弾されても、我々は沈黙をもって答えるしかないのである。それが悔しくないわけではない。悔しいがどうすればいいのか。「選挙に行け?」それで何かが変わるわけでもないことが分かっているから、憤懣やる方ないのではないか。
 町山智浩氏は、日記中にメリーランド大学での調査を引用して、「ブッシュ支持者の72%が『イラクには大量破壊兵器が存在した』と誤解している。ブッシュ政権が『間違いだった』と公式に認めた現在でもだ。ブッシュ支持者の75パーセントがブッシュ政権の公式発表を聞いていないことになる。さらに、ブッシュ支持者の75%が『イラクがアルカイダのテロに関わっていた』と考えている。アメリカ政府の国家調査委員会が公式に『イラクとテロは無関係』と認定した今でもだ。しかもブッシュ支持者の55%が『調査委員会はイラクとアルカイダの関係を認めた』と逆に信じている」と、アメリカ人の無知を批判している。さて、それがおおむね事実であるとしても、中にはやはり「分かっちゃいるけどあえて知らぬフリをした」人間もかなりいるのではないか。どこの世界に、「私は悪いことと知っていて、あえて悪いことをしています」などと正直に告白する人間がいるだろうか。「イラクには大量破壊兵器がない? ブッシュも認めた? それがどうした。それでも大量破壊兵器はあったんだよ」そう嘯く人間など、腐るほどいておかしくはないのである。そういう連中を「愚か」であると言い切ることは簡単であるが、そういう「愚かな連中」を相手にしなければならないことを充分に想定しなかったムーアの“読みの浅さ”が結果としてブッシュを利することになったのではないか。『華氏911』の退屈さは、結局、アメリカ国民の良心に訴えようとしたムーアの「一人よがり」に起因したものだったと言えそうである。

2002年11月06日(水) あのころ/『コミック1970』
2001年11月06日(火) 10年ぶりのスプラッタ/『西原理恵子の人生一年生』(西原理恵子)ほか
2000年11月06日(月) 別に国際化したいわけでもなし/『大人の国イギリスと子どもの国日本』(マークス寿子)


2004年11月05日(金) 灯台下暗しと大正デモクラシーって似てるね(c.きたろう)/『キム・ポッシブル:タイムトラベル』

 しげは今日の午前中、細川嬢と公演会場のアクロス福岡に、照明その他の打ち合わせに出かけていた。メールで「担当さんに親切にしてもらえた」旨、連絡が入っていたから、準備は上々だったのだろう。
 細川嬢には照明だけでなく、全体美術も担当して頂くことになっているので、かなり仕事の負担は大きいのだが、話に聞くところによると、デザイン方面の仕事を目指しているそうで、本格的に取り組んでくれているそうである。先日見せてもらった照明プランもなかなかのものであったし、全く頼もしい限りなのであるが、そうなるとその分欲も出てきてしまって、演出上の要求も今まで以上にしたくなる。愚痴を言うわけではないが、スタッフ不足、キャスト不足だと、必然的にあのプランも諦める、これも諦めると妥協しなきゃなんなくなることも多いので、恐る恐るではあっても「こんなこと言っても大丈夫かな?」と思える状況は嬉しいしありがたいのだ。途端に「こんな演出はどうかあんな演出はどうか」とアイデアがいろいろ浮かんでくるのだから、やはり芝居にスタッフの熱意とやる気は必要不可欠なのである。
 アクロスの担当者さんに、舞台専門の布や衣料を販売している会社があると聞いたというので、仕事帰りにしげと寄ってみる。なんと自宅から目と鼻の先、車で5分とかからぬ距離の場所にあった。てゆーか、いつも買い物してる「ポプラ」のハス向かいにあるし。「灯台下暗し」とはこのことである(~_~;)。事務所自体はもう締まっていたので、しげは「そのうち昼間覗いてみる」と言う。アクロスは円形劇場なので、役者のデハケが難しい。幕を吊るして袖を作る予定だそうで、細川嬢にもデザインを考えてもらっているとか。いかにも幕を下げました、という感じじゃなくて、それが一つのデザインとして機能しているような感じにしてもらえるといいなあ。いや、実際これまで「美術」はうちの劇団のネックになっていたので、そこが補強できるというのはまさしく朗報なのである。


 帰宅して、日本映画専門チャンネルで録画しておいた映画『黒蜥蜴』を見る。
 京マチ子・大木実主演の大映版だが、ミュージカル仕立てになっているので、珍品扱いされることも多い。けれど、それはもともとこれが江戸川乱歩の原作からの直接の映画化ではなくて、三島由紀夫脚色の舞台の映画化であるからで、セリフや演技の臭さは同じ戯曲をもとに映画化した丸山(美輪)明宏・木村功主演の松竹版でも“違和感”はあったのだ。これをバカ映画扱いするなら、『サウンド・オブ・ミュージック』も『ウエスト・サイド物語』もバカ映画である。なんでもかんでも我田引水的に面白がろうとする風潮に乗っかると、映画の本質を見失いかねない。この映画を批判するなら、舞台劇を映像化する際のポイントを外している点、京マチ子はともかく、大木実や川口浩あたりの役者の「舞台演技」が今一つ板に付いていない点や、カット割りやカメラワークに切れがない点とかを指摘した方がいいんじゃないかと思うんだけどな。ミュージカルの映像化には「空間」が撮れていることが必須なのだが、それが不充分なのである。

 ディズニーチャンネルで『キム・ポッシブル:タイムトラベル』。
 昨年放映されたテレビスペシャルの長編。こういうのはたいてい主役の過去とかが明かされたりするものだが、まさに定番通り。ドクター・ドラッケン&シーゴー、ダフ・キリガン、モンキー・フィストの3悪プラス1が手を組んで過去にタイムスリップ、4歳児のキムを苛める展開。このとき3悪が自分たちも幼稚園児に変身するのがこいつらのおおマヌケなところ。大人のままで苛めるか殺せばいいのに、そんなこと思いつけないのである。助手の身に甘んじているホンモノの悪・シーゴー姉さんだけが歯噛みしてるのだけれども、これが伏線となって後半の展開に関わっていく構成がうまい。やっぱり悪役の中での一番人気はクール・ビューティーなシーゴー姉さんなのだなあ(* ̄∇ ̄*)。
 ちなみに4歳児のキムの声優は『アイ・アム・サム』の天才子役ダコタ・ファニング。ホントに売れっ子なんだなあ。ほかに、ルーファス3000の声に『スター・トレック/ネクストジェネレーション』シリーズのウォーフ少佐役のマイケル・ドーン、ロンの父ちゃんになんと『マッシュ』のエリオット・グールドという豪華キャスト。ディズニーがこのシリーズに思いっきり力入れてるのが分かるのだが、でももう手描きアニメは作らないって言ってるんだよなあ。新作が4シーズンも作られてるんだから、決して人気がないわけじゃないはずなんだけど、もったいない話である。それともテレビアニメだけは継続して作ってくれるのかね?


 アメリカ、映画芸術科学アカデミーは昨11月4日、第77回アカデミー賞最優秀アニメーション映画賞部門のエントリー作品を発表。でも、この中で実際にノミネートされるのは3作品。『ハウル』は公開が間に合わなかったみたいだけど、『スチームボーイ』はどうなったのかな(^o^)。
 今んとこのノミネート11作品は以下の通り。

“Clifford's Really Big Movie”
『イノセンス』
“Home on the Range”
『Mr.インクレディブル』
“The Legend of Buddha”
『ポーラー・エクスプレス』
『シュレック2』
『シャーク・テイル』
“Sky Blue”
“The SpongeBob SquarePants Movie”
“Teacher's Pet”

 『イノセンス』と『シュレック2』以外は未見だから憶測でしかものは言えないけれど、『イノセンス』のノミニーは難しいんちゃうかな。アメリカ、まだまだアニメ後進国だから。「ある程度のヒット作品であること」が暗黙のうちに賞の条件になってる面があるし、相変わらず「アニメは子供のもの」って意識のほうが支配的だからね。
 考えてみたら、長編アニメーションそのものを国際的にマトモに評価するイベント自体がすごく少ないんである。ベルリン、ベネチア、カンヌはアニメーション部門を設けてるわけじゃないし(だからこそ宮崎駿監督の受賞はものすごいことであるのだが)。ASIFAは短編専門だからなあ。
 だからアカデミー賞が権威であるかのように錯覚されがちだけれど、去年も今敏監督の『千年女優』『東京ゴッドファーザーズ』が結局ノミニーから外されたことを考えると(まあどっちも欠陥の多い作品ではあったが、かと言って『ファインディング・ニモ』に負けるほどのものではない)、結局はアニメーションの何をどう評価するかって指標がアメリカ人の中に形成されてないなとしか感じられないのである。まあそれ言い出しゃ、「萌えアニメ」しか見ない日本のアニメファンとか、アニメファンの名に値しないと言われちゃいそうだが。


 「おれおれ詐欺」の9月の被害額が、約29億円となり、1カ月間の被害としては6月から4カ月連続で過去最悪を更新したんだと。
 東京都調布市では、6人もの男が入れ代わり立ち代わり電話口に現れるという、最多登場人物記録の事件もあったとか。その内訳は「息子(加害者)」「警察官」「弁護士」「司法書士」「女の子の弁護士」「保険会社の社員」。これだけ出てくりゃ、かえってこういう連中が電話口だけでコトを済まそうとしてることに疑問を感じてもよさそうなものだが、引っかかるやつはどうしたって引っかかっちまうんだろうなあ。
 「おれおれ詐欺」が一向に収まらないのは、以前も書いたと思うが準備に手間がかからない、足がつきにくい、ということの他に、「罪悪感をあまり感じない」ということも確実にあると思うんである。ここまで簡単に騙される人間がいるなら、「騙される方が悪い」という自己正当化の方向に感覚をスライドさせる卑劣漢が続出したっておかしかない。私もいっぺんしげに試してみようかって欲求に駆られて仕方がないのである(私は間違っても電話で泣いて助けを呼ぶなんてことはしないってわかってるだろうから絶対バレるが)。
 思うんだけど、防衛手段としては、もはや「みだりに電話を取らない」とかまで思いきるしかないんじゃないか。家族や知人などの個人的な連絡は全て携帯を通すようにして、自宅の電話は基本的に使わない。どうせヨソから掛かってくるのはほとんどセールスだ(^o^)。そこまでしなくても、ナンバーディスプレイを設置するだけで殆どのイタズラ電話は無視できる。非通知や表示圏外の電話はすべて取らなきゃいいんだからね。「うちは自営業で仕事の電話と自宅の電話、同じだからそれできない」というお宅は無理して2台電話を持とう。ともかく犯罪を防止する一番の方法は「犯罪者よりリコウになる」しかないのだ。
 うちにかつて「おれおれ詐欺」が掛かってきたことがあるかどうかわからない。うちもホモオタさんがイタズラ電話かけまくって以来、ナンバーディスプレイを入れることにしたので、知合い以外からは電話取らないようになってるのである。つかもともとしげは電話自体取ろうとしないから(^_^;)。
 休日の昼間とか、よく電話はかかってるんだけどね。

2002年11月05日(火) バラエティに芸はない/『ガンダムエーススペシャル』/『カラダで感じる源氏物語』(大塚ひかり)
2001年11月05日(月) 行かなかった博覧祭/『陽だまりの樹』1〜7巻(手塚治虫)ほか
2000年11月05日(日) 「小鹿のバンビは」って歌は日本版だけ/アニメ『バンビ』ほか


2004年11月04日(木) だから日記書く時間なんてないんだってば。

 残業で帰宅が10時。今日も『黒皮の手帖』を見損なう。まあ、ヨネクラのファンってわけでもないし、それほど執着しちゃいないのだが。
 こういうやたらめったら忙しい日が多いもんで、日記がなかなか書けないのである。今日も職場じゃいろいろと楽しいトラブルは起きていたのだけれど、遠回しに書く余裕もない。短くて恐縮だけれどもご了承いただきたい。


 米大統領選挙、大方の予想通り、ブッシュ大統領が再選。
 自衛隊撤退の問題に関しては、選挙以前からケリーが勝てば即時撤退が可能だ、いや、ブッシュが勝った方が撤退の時期がはかれる、などなど、両陣営の賛同者が全く正反対のことを言っていた。日本に関わりが深いような煽りはやたら世間に溢れてるが、飛びかってる情報は所詮どれもアジである。そんなのに左右されて、日常生活がおろそかにならんよう気をつけましょうね。
 てなわけでとりあえずはマイケル・ムーアのコメントが出るのを待とう。町山さんはすでに選挙前から自己弁護に走ってたけど。

2002年11月04日(月) 勲章って文学賞じゃないでしょ?/舞台『父歸る』(見てないけど)/『鉄人』1・2巻(矢作俊彦・落合尚之)
2001年11月04日(日) デリケートにナビして/映画『紅い眼鏡』/アニメ『ターザン』/アニメ『サイボーグ009』第4話ほか
2000年11月04日(土) まさかあの人があんな人だなんて……


2004年11月03日(水) 女になって出直せよ/『DEATH NOTE(デスノート)』4巻

 こんな夢を見た(夢の話だからね。絶対に勘違いしないように)。

 よしひと嬢が引っ越しすることになった。
 それで私としげは、その手伝いに行くことになったのだが、その引っ越し先というのがとんでもないことに、総合アミューズメントパークになっているのである。しかもまだ建設途中で、あっちこっちに鉄パイプの骨組みが見えている。よしひとさん、なんてところに引っ越してんだ、と思ったが、手伝いに来た以上は逃げられない。しかも今日は肝心のよしひとさんが都合で来られないのだ。私としげだけで引っ越しは片付けなければならない。
 覚悟を決めて入口から入ろうとしたのだが、受付でなんだかやたら身体中ぴかぴかとネオンみたいに光るコスチュームを付けたねーちゃんに、「ここは女の子しか入れません」と制止されてしまった。
 「引っ越しの手伝いなんで入らないといけないんですよ」
 「規則ですからダメです」
 受付嬢はニベもない。そばで見ていたしげが「しかたないわね。えいっ!」と、急に魔法のステッキを振った。途端に私はハカセ(穂稀嬢)と身体と魂が入れ替わってしまった。思わず「ああ、オレ、ハカセになっちゃったよお!」と頭をかかえた(よく考えれば、頭をかかえなきゃなんないのは、身体を乗っ取られたハカセの方だと目覚めたあとで気付いた)。
 けれどこれで一応、問題はクリアーできたので、パークの中に入る。よしひと嬢の引っ越し先は何階か上なので、そこまでエレベーターかエスカレーターで上っていかなければならないのだが、やたらでかいパークなのに、入口がすごく狭くて、大人一人すら通れない。ハカセになっていなければ、もとの私だと確実に詰まってしまうくらい狭いのである。エレベーターとは言うものの、水圧で押し上げるダスターシュートみたいな構造になっていて、一人しか乗れない。しげ、そそくさとその中に入り込んで横たわり、どうすりゃいいんだかとおろおろしている私を尻目に、「あんた、これの乗り方も知らないの? 遅れてるう!」と言って、水飛沫を上げながらシュイン、と軽やかな音を立てて、先に上って行ってしまった(ダスターシュートなのになぜ上に昇れるのだろうか)。
 仕方なく私は横の狭くて細い鉄製の螺旋階段を、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』のしんちゃんのように、必死で昇るハメになってしまった。
 7階まで昇って、体力が尽き、もうダメだ、これから先はエレベーターで行こう、とそこの階で降りた。実はちゃんとした普通の、20人くらいは軽く乗れる大きなエレベーターもあったのである(だったら最初からそのエレベーターを使えばいいじゃん)、
 そこは帝国劇場のようなフロアで(つか内装はまんま帝劇で、当然舞台もあった)、森繁久彌のサインも売っていたのだが、もちろん今は引っ越しが優先されるので、そんなもんを買っているわけにはいかない。第一、今の私は身も心もハカセになっているので、モリシゲのサインなんぞ欲しくもないのである。
 「遅れちゃう、遅れちゃう」と言いながら、エレベーターに乗りこもうとしたら、しげがそこから降りてきた。「あんたがあんまり遅いから、もう一回来てやったよ。さあ、あっちから昇ろう」と言って、別の場所に無理やり連れて行く。「あの、そのエレベーターで昇ればよいのでは?」とハカセ口調で反駁するが、しげは聞く耳持たない。「下りのエレベーターが昇ってくるの待つより、こっちのほうが早いよ」とむりやり私の手を引いていくのである。いつもの私ならともかく、今はハカセになっているので、私はしげに抗う力もないのだ。
 と、客がやたら並んでいる行列に並ばされたのだが、それ、エレベーターに乗ろうとする行列じゃなくて、ウォータースライダーの並びだった。「これ、下に降りちゃうじゃん!」と慌てたが、時既に遅し。もう後ろにも人がたくさん並んでいて、どうにも逃げられない。しかたなく、しげと一緒にウォータースライダーに乗ったのだが、しげ、ずぶ濡れになりなから「きゃははははは」と笑って喜んでいる。要するにこいつ、遊びたかっただけなのだ。
 「どうするんですか、ずぶ濡れになっちゃったじゃないですか!」とやはりハカセ口調の私がしげに文句を言うと、しげ、「だいじょーぶ。ちゃんと乾かすところあるから」と言って、また別のフロアにま連れて行く。
 そこはいくつものエスカレーターが風船のようにつやつややとしたオブジェと明滅するネオンに囲まれた幻想的な空間で、しげはその一つに乗れと言うのである。私が躊躇していると、しげ、嬉しそうに「怖いの?」と問いかけてくる。もちろん、今の私はハカセなので、怖くて仕方がないのだ。しかし、このまま立ち往生しているわけにもいかない。よく見るとエスカレーターの隣にはあのダスターシュートがまたあって、しげはまたそれに乗ってサッサと昇って行きそうな気配なのである。
 意を決して、エスカレーターに乗りこんだ途端、四方のオブジェがゆらゆらと揺れながら私に迫ってきた。
 「イマカラ、アナタヲ、ケンエキシマス」
 どこかから、無機質な機械音のアナウンスが聞こえてくる。それと同時にプシューッ!と音がして、なんだかねばねばした液体が全身に浴びせかけられる。身体を乾かすどころか、余計に濡らしているじゃないか、と思ったが、どうやらこれは消毒液らしい。なんか病気持ってたのかハカセのからだ。
 ともかくそのあとようやく身体を乾かしてもらえた。そのままエスカレーターを昇っていくと温風が吹くのと同時にでっかい羽毛が迫って来て、私のからだを優しく撫でてくれたのである。ようやく頂上が見えてきて、例のネオンのコスプレのねーちゃんたちが出口付近に並んでいて、「いらっしゃいませ〜!」とニコヤカに迎えてくれる。
 やれやれ、これでやっと降りられる、とホッとしていると、ねーちゃんの一人が突然、「はい、見事にカップル成立でーす!」と言って、手に持った鐘をガランガランと打ち鳴らした。
 「え?」と思う間もなく、私の(ハカセの)からだはポン、と投げ出されて、ベッドだかイスだかよくわかんない、プラスチックの器のようなものの中に放り込まれた。ハッと気付くと、隣には禿げた中年のオヤジがニヤニヤしながらこっちを見つめているのである(男子禁制じゃなかったのかよ)。どこかで見た顔だ、と思ったら作家の田中芳樹にそっくりなのだ。
 「かかかか、かっぷるせいりつって、どどどど、どういうことですか?!」と目をシロクロさせている私にお構いなく、田中芳樹もどきは私に熱い視線を向けてくる。いや、今確かに私はハカセの身体の中に入っているからオンナになっているのだけれども、心はやはり私でオトコなのであって、カップルなんぞとんでもないのであって、と言いたいのだが、身体が震えて声も出ない。回りのねーちゃんは、「どうしたんですか? ここは“そういうところ”なんですよ?」と私を責め立てる。ふと向こうを見ると、しげもやはり中年のオヤジに迫られてるんだけれど、それがなんかいい雰囲気になっていて、まんざらでもない顔をしているのである。
 アンニャロメと思った瞬間、ようやく身体が動いて、私は外に飛び出した。よく見るとそこは野球ドームで、あちこちに出口がある。引っ越しの手伝いはどこへやら、私はほうほうの体で、そこから逃げ出したのであった。

 この夢には続きがあって、実はこの場所、よしひとさんの引っ越し先でもなんでもないのであった。道理でよしひとさんの姿が見えなかったわけである(それ以前に、アミューズメントパークに引っ越しするわけがない)。
 翌日、今度はホントによしひとさんの引っ越し先にしげと出かけていったのだが(夢のフシギなところで、しげがあの後中年オヤジとどうなったかについては、私は全然気にしていない)、そこはまだ骨組みだけで、まだ家自体、建ってはいなかった。ジャングルジムのような鉄骨の横の敷地では、水道がまだ完備されていないのか、地面から水が幾筋も噴水のように吹き出ている。
 そのへんの石に座って鼻歌なんぞ歌っていたよしひと嬢を見つけて、私は昨日のいきさつを逐一語って聞かせた。「ふーん、そんなおもしろいことがあったんだ」と、よしひと嬢はまるで他人事である。
 おもむろによしひと嬢がつぶやいた。
 「で、あなたはけいちんさんなの? ハカセなの? どっち?」
 私はハッと気付いた。私は未だにハカセの身体の中にいたのだ。
 「どっちって……。どっちなんでしょう?」
 私にも私が私なのかハカセなのか分からなくなっていた。ふと、背後に気配を感じて後ろを振り向くと、ジャングルジムの上に、誰かが座っている。確かに知っている顔なのだが、誰だか分からない。鴉丸嬢でもなければカトウ君でもない。男か女かすら、判然としないのである。
 “誰か”は、ホースを持っていた。怒っているような、無表情のような、どっちともつかない顔で、ホースの口を私に向ける。水流がほとばしり、私を打った。
 「やめて、やめて」
 水流は止まらない。私の全身が滝に包まれた。しげもよしひと嬢も、にやにやと笑うばかりで私を助けてはくれない。バチがあたったのだ、という顔つきで、私を嘲笑っているのだ。
 ばち? 何のばちか? ハカセのからだを乗っ取ってしまったこと?
 でもそれは、そもそもしげのやらかしたことじゃないか!
 しかしその私の反論はしげには届かなかった。私の身体は水流の中で、とうの昔に消え去ってしまっていたからである。

 そこでようやく目覚めた。
 夢はたいてい見た直後に忘れちゃうのだが、これは知った顔がたくさん出たせいもあったのか、珍しくも鮮明に覚えていた。
 オチはなんだかホラーっぽくなってしまったが、目が覚めてふと気になったのは私の魂がハカセの身体に入っていた間、ハカセの魂はどこに行っていたのか、ということである。それを想像すると、ハカセが気の毒でならない。つか、シツレイ千万な夢見るよなあ、オレも。


 全体集合の練習日ではないのだけれども、朝からカラダの空いてる者を集めての公演の練習。
 香椎のジャスコの屋上駐車場で、加藤くん、細川嬢、よしひと嬢と合流。人がいないのはいいけれど、風は強いわ雨はときおりパラつくわでめっちゃ寒い。初めは外で演技してもらって様子を見るつもりだったのだけれど、しげも加藤くんも「たまらんごつなって」(^o^)、車の中に避難、本読み中心の練習になった。
 しげの「セリフが上ずる」クセはかなり治ってはきているのだけど、それでもまだ喋りが「普通の人」っぽくない。こないだの練習の日に見学者の方が来られたとき、しげはずいぶん恐縮して、たどたどしく控え目に喋っていたのだが、例えばあんな感じで演技をしてくれればいいのである。それが興奮するとヤンキー口調になったり広島ヤクザ風になったりするので、かなり細かく修正を入れてかねばならないのである。一つカンを掴んでくれれば、かなりいい線まで行くとは思うのだが。
 細川嬢は、かなり詳しく照明プランを立てて来てくれていた。会場のアクロスに提出する見取り図のほかに、脚本に合わせた各画面ごとの照明設定図を十数枚、照明の位置から色合いから考案して描いて来てくれていたのである。脚本段階ではとてもそこまで計算に入れてはいられなかったので(つか、色弱で色彩感覚がないので、設定のしようがないのである)、実にありがたい。
 演劇関係者でも、こういう一見地味に思える裏方の仕事をいやがる人もいたりするのだが、細川嬢、「いえ、おもしろいです」と言ってくれる。なんだか今回の公演はホントにいい子が集まってるなあ。
 細川嬢は午前中で引き上げて、あとは3時ごろまで練習と打ち合わせ。
 加藤くんは、先日脚本を改訂して付け足した部分の覚えがまだまだ。「明後日までに覚えといてね♪」とダメ出しする。
 加藤くんは、先日、見学者の方に誉められた途端に演技の固さがひょいと取れたので、どうやら誉められて伸びるタイプのようだ。ところが私は、男は滅多に誉めない(なんか男が男を誉めるのに抵抗あるのよ)。加藤くんにしてみれば相性の悪い演出家、というより、努力の芽を摘むよくない演出家ということになろう。そのことは申し訳ないと思っているので、あまりキツイことは言わないように気をつけようと心に決めちゃいたのだが、つい口が滑ってしまうのである。でもよしひと嬢の寸鉄ヒトを刺すヒトコトには敵わないからなあ(^o^)。


 帰宅した途端にしげは爆睡。今日もよしひと嬢から「しげさんって、けいちんさんの日記読むといつも寝てるみたいなんだけど」と言われていたが、ホントに寝てばかりいるのである。でもお握り作ってやって、「食うか?」と声をかけると、そのときだけ起きて食って、また寝るのである。これで家事なんぞできるわけないわなあ(T∇T)。


 ディズニーがアニメーションの老舗としての意地をかけて日本のテレビアニメに対抗すべく送り出したという専らの噂の『キム・ポッシブル』をディズニーチャンネルでようやく見る。
 女子高生が正義のヒーローとしてマッド・サイエンティストの魔の手から平和を守る、という設定はありふれているけれど、これまでのディズニー制作のテレビシリーズ、例えば『リトル・マーメイド』だの『アラジン』だのと言った、毒にも薬にもならないような作品に比べると、かなり『バットマン』風というか『パワーパフガールズ』風な味付けがしてあって、なかなか「見られる」。キャラクターの絵柄もそれほどアメコミアメコミしてないので、拒否反応は起こらない。
 今回のエピソードは、キムの親友、マヌケなロンが、ある発明のおかげで数学の天才少年になってしまって大騒動(実はホントに天才になってたのはペットのモグラのルーファス)、というお話。なんか『アルジャーノンに花束を』っぽいけれども、オチがちょっとひねってある。ディズニーがこういう“おちょくり”をするのは珍しい。なりふり構ってられないのかな(^o^)。主役のキムより、マッド・サイエンティストの助手のね〜ちゃんがせくしいでなかなかいいから、これから時々チェックしてみようと思う。DVDは3話収録の単品が1巻のみ発売中とか。
 その後引き続きディズニーチャンネルで『メリー・ポピンズ』を再見。これ見たおかげで、「ディズニーはアニメより実写の方が出来がいい」と認識した記念の一本だけど、うっかり録画し損ねた。これもそのうちDVDを手に入れたい一本。


 マンガ、大場つぐみ原作・小畑健漫画『DEATH NOTE(デスノート)』4巻。
 第2のキラ・ミサの登場で、ライトとLの推理合戦がまた更に複雑化し、陳腐な表現ではあるけれども、まさに「息をも吐かせぬ展開」と形容するしかないくらいにハラハラドキドキの連続となった第4巻。短絡的に殺人を繰り返してきたライトが、ここにきて最も抹殺したいLとミサを殺せない、という皮肉な演出を作者が仕掛けてきたのが実に小気味いい。アタマが切れるが故にLはキラの魔の手から逃れ得ている反面、ミサは“愛”という名の愚かさに捕らわれているが故に“守られる”結果となった。こういう両極端な形での「絆」もあり得るのが人間界の不思議かつ面白いところ。
 これだけ“濃い”マンガを読まされると、薄っぺらな「絆」しか描けていない最近の『ワンピース』とか、つまんなくて読めなくなっちゃうのである。……ああ、このマンガ、ホントに『“裏”ワンピース』になってるんだなあ。

 マンガ、明日賀じゅん『ティム・バートン ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』。
 ミュージカルシーンを絵にするのはかなり難しかったと思うし、決して成功しているとも言えないのだが、実に誠実に映画をコミカライズしようとしている姿勢は好感が持てる。けれど、正直、映画の面白さには遠く及ばない。
 ティム・バートンの毒々しいイラストのまま、マンガに移し変えるのは日本の読者には拒絶反応があるだろうという判断での少女マンガ家さんの起用なのだろうけれど、それは結局バートンの“味”を殺すことになる。線は確かにキレイだけれど、マンガは映画と筋が同じだけの別モノなのだ。表紙のイラストは映画のポスターのものがそのまま使われていて本編の絵柄とは全然違うので、御注意。

2002年11月03日(日) 妻にはナイショ(^_^;)/映画『OUT』/『プリティフェイス』1巻(叶恭弘)ほか
2001年11月03日(土) 10000HIT!o(^▽^)o /映画『エボリューション』/『電脳なをさん4』(唐沢なをき)ほか
2000年11月03日(金) 文化の日スペシャル/映画『マン・オン・ザ・ムーン』ほか


2004年11月02日(火) 会議は怒る/アニメ『岩窟王』第1回

 連日、会議会議でひと休憩するヒマもない。冗談ではなく昼メシを食う時間、散歩する時間もないのである。
 でもって、今日の会議にもトンガリさんは欠席。おかげで会議はトンガリさん罵倒大会と化した。ともかく仕事サボって欠勤しまくっているのだから、迷惑かけてるのは私に対してだけではない。挨拶しても無視された、イヤミを言われた程度は軽いもの、仕事を妨害されたのイヤガラセをされたの、何らかの形で社員全員が被害を受けているのである。当然のごとくに文句が続出しているのだが、だったらどうしてそんな無能な社員を辞めさせられないのか、という疑問が生じるのもまた当然の帰結である。
 それは確かに首を傾げざるを得ないフシギのように見えるが、そのへんの「カラクリ」はこういうことであろう。つまりトンガリさんを訴追してしまえば、上司の「管理不行届き」もまた同時に批判の俎上に乗せられることは必然なわけで、すなわちウエのヒトたちは自分たちに累が及ぶことを何としても避けたいのであろう。コトナカレ主義も全くここに極まれりである。下っ端どうしの会議で「クビにせえ」と息巻いたところで、何の解決にも至らない。もう私の心はすっかり乾いていて、流す涙とてないのだが、気がついたら苦笑いをしたまま口が凍りついていた。最近はもうチックすら起こらないのである。
 今日の会議で、部長が「今だから言うけどね」と私に耳打ちした。
 昨年の人事異動の際、私を引いてくれる部署は他にもいくつもあったらしい。それが結局、現在の部署に配属になったのは、部長の「ぜひに」との強い引きがあったからだ、というのである。
 「君がいないと、うちは回らないから」とはありがたい言葉ではあるのだが、ウスウス予想はしていた通り、やはり私は「トンガリさん対策」として呼ばれていたのである。私みたいな病気持ちで要領悪くって意地っぱりな人間が評価してもらえるというのは汗顔の至りではあるのだが、喜んでいいものやら悲しんでいいものやら。
 けれど同僚の一人が「トンガリさんをこのまま放置しておいて、なにかとりかえしのつかない問題が起きたときにはどうするんですか」と言った時にはその場の全員が黙りこんでしまった。いっそのこと、そういう「事態」が起きてくれた方が、今のように鬱陶しくて沈滞した状況が打破できていいように思うのだが。


 アニマックスで夜11時からアニメ『岩窟王』の第一回。
 タイトルを『モンテ・クリスト伯』としなかったセンス、『ベルサイユのばら』もどきにならぬためにSFとして製作した見識、その豪華絢爛かつ眩惑的な美術はブラボーなのだが、いかんせん第一回目にもかかわらずキャラクターに魅力がない。こういうアニメこそ、アニメアニメした発声の声優を避けて、「役者」を使ってほしいと思うんだけれど。モンテ・クリスト伯がいくら凄んでも、「ギロロ伍長、なに気取ってんだ」としか聞こえないんだもん。演技の質、ちょっとは変えようよ。


 日記休んでる間にも、映画や芝居を見に劇場までしげしげと足を運んではいたのだが、中には「なんじゃこりゃ?」な映画にもどうしても当たってしまうのである。ようやく福岡で公開された『盲獣VS一寸法師』、貶す人は多いが、もともと乱歩の原作自体がデタラメで、そのデタラメさこそが乱歩の魅力なんで、これはもう賞賛に値する出来映えなのである。それに引き換え、スティーブン・キング原作『シークレット・ウィンドウ』のフヌケた出来とかは退屈に堪える2時間だったりするのだが、「どうせダメなんだろうな、でもあまりに人が貶してるから、ちょっとだけでも誉めるところがありゃあなあ」と思って見に行った映画が本当にどうしようもないと、暗澹たる気分になってしまうのである。
 で、その映画ってのはもう予想された方もおられようが、あの『デビルマン』なのである(^_^;)。いやもう、くどくど内容については言わない。今まで私が見て「最低だ」と思った映画は、たとえば『プロ野球を10倍楽しく見る方法』とか『片翼だけの天使』だったりするのだが、それらを軽く凌駕した。いや、未見の方はぜひご覧ください。世に駄作は数あれど、万人が等しく「駄作」と呼べるシロモノはそう滅多にあるもんじゃない。これはもう貴重品であります。
 久しぶりに「eiga.com.」のサイトを覗いてみたら、『デビルマン』のアンケートコーナーが作られていて、これがまた大笑いなのである。(データは11/2現在)

【Q1】早速ご覧になった方、最も頑張っていたキャストは誰でしたか?
もちろん主役の伊崎兄弟による体当たり慟哭演技  171 ( 10% )
酒井彩名と渋谷飛鳥の脱・アイドル演技      211 ( 12% )
宇崎竜童と阿木燿子の泣けるリアルな夫婦愛    103 ( 6% )
冨永愛の肉体アクション&羽毛コスプレ      181 ( 11% )
(多分)役作りをせず撮影に臨んだボブ・サップ  1047 ( 61% )

【Q2】作品のキー・パーソンになったスタッフは誰だと思いますか?
監督脚本の那須博之・真知子夫妻         367 ( 21% )
デビルマンをデザインした寺田克也        205 ( 12% )
CGで新境地に挑んだ東映アニメーション     80 ( 5% )
「北京原人」「ひかる源氏物語」そして本作を生んだ東映=テレビ朝日  481 ( 28% )
「A」のイニシャルの入ったあのTシャツを作った衣裳スタッフ     576 ( 34% )

【Q3】「けっこう仮面」「キューティーハニー」そして本作と映画化連発となった永井豪。彼にとってこの1年は?
最高の1年だった! 72 ( 4% )
オリンピックには感動した! 96 ( 6% )
台風に地震に大変な年だ! 476 ( 27% )
いま、プロ野球が熱い! 129 ( 7% )
映画なんか嫌いだ! 958 ( 55% )

 いや、うまかったねえ、ボブ・サップ(^o^)。
 しかし、アンケート製作者がそもそも映画を完全にバカにしてるんだもんなあ。ひでえ話だけれど、当然の反応でしょうね。

2002年11月02日(土) トイレはなが〜いお友達/映画『ザ・リング』/DVD『北京原人の逆襲』
2001年11月02日(金) スカートの下のお花畑/『HUNTER×HUNTER』13巻(冨樫義博)/『20世紀少年』7巻(浦沢直樹)ほか
2000年11月02日(木) 部屋片付けてたらあちこちから○○が……/『古館伊知郎トークブルース・お経』


2004年11月01日(月) とりあえずの再開。でも本の感想まではとても(^_^;)。

 かなり長い間、日記を書くのを休んでしまっていたので、とうに忘れ去られているんじゃないかと思っていたのだが、最近、あちこちから「再開まだですか?」と催促されるようになった。全く有り難いことで、同時に恐縮である。
 ずっと休んでいたのはともかく忙しいのと体調悪いのとがダブルパンチで襲っていたからである。仕事終わって本読んだり映画見たり、そのあと日記つけ、というのがそれまでのパターンだったのだが、だいたいこれが12時。ここんとこぶっくたびれてて、10時にはもう意識が飛んでることもしばしば、下痢になったり便秘になったり、指先は痺れる目はくらむ、血便も出まくりだけれど仕事は休めないわで、とても日記書く時間が作れない。やたら他人の仕事の肩代わりをすることも多くて(トンガリさんのものばかりではない)、休日出勤もしょっちゅう、休日すら日記書きに当てられなかったのである。
 今とて別に忙しくなくなったわけではないのだが、たまには近況報告でもしないと申し訳ないという気分になって、ちょっと書いているだけである。明日からはまたどうなることやらわからないので、休んでた分の日記も含めて、完全再開できるかどうかは保証の限りではない。あまり期待しないでお待ちいただきたいのである。


 土曜が出張、日曜がまる一日練習という状況で、しかも今朝は早朝出勤。カラダもそうだが、脳がうまく動いてくれない。夜中しょっちゅうトイレに起きてしまうので、睡眠も不充分な感じがする。実際には合計して7、8時間は寝ているので、寝足りてないはずはないのだが。
 朝刊のニュースはイラクでの香田さん殺害が大見出し。職場でもあちこちでスズメたちがピーチクパーチク、日々の挨拶がわりに話題に上っている。決して明るいニュースではないのだが、同僚たちの雰囲気は必ずしも沈鬱ではない。みんな「今度はホントに殺されるだろうな」と予測はしていたし、既に「自業自得」という認識が蔓延してしまっているので、身内でもない限り、同情の言葉を紡ぎようがないのである。もちろん、一番悪いのがテロリストたちであることはみなさん認識していらっしゃるので、「自衛隊撤退せよ」なんてアホな意見は誰からも出てこない。これが現在の日本人のごく常識的な反応というものだろう。
 それにしても、これほど人間一人の命が同情されない事態そのものは、決して「平和」な社会を前提としたものではない。現在、我々はまさに「銃後」にあるのだ。ヘイタイさんが戦っている最中に、何の立場も持っていない一介の庶民が、物見遊山で(理由はあったと主張する向きもあろうが、そんなものは考慮されるものではない)戦場に向かったら、そりゃ巻き添えくらって死ぬのも当然なわけで、まったくもってドアホウだとしか言いようがないのであるが、そもそも今の日本を「銃後」にしてしまったのはどこのどいつだ、ということを考えると、単純に香田さんを責める気にはなれんのである。
 いつぞやの三馬鹿と違って、香田さんには政治的意図もなさそうだし、批判の対象たりえる「公人」ではない。ましてや遺族に対する批判や誹謗中傷は、言語道断なことではないのか。……と言ったところで、そもそも今の日本人に「公人」と「私人」の区別が付けられるのかって問題もあるんだけどね。

 臨時の仕事がまたまた入るはずだったのだが、今日になっても全く連絡がない。忙しいのは誰も同じなので、忘れられているのだろうと思って問い合わせてみたら、やはりその通りであった(~_~;)。一瞬、知らんふりしてバックれてやろうかとも思ったが、そうもいかない。慌てて準備をする。
 ほかにもあの仕事この仕事と、やたら連絡不徹底な事態が立て続けで、まる一日あっちこっち振りまわされててんてこまい。残業に残業が重なって、しげに迎えに来てもらったにもかかわらず、帰宅は結局9時。それからしげに親子丼とスパムお握りを作ってやって、DVDで『ウルトラQ』4巻(『キアラ』『ウニトローダの恩返し』収録)を見ていたらそのまま落ちた。
 そんなこんなでバタバタしてるので、読んだ本の感想まで書いてる余裕はないのである。いや、今日読んだのは『スレイヤーズすぺしゃる』の新刊だから、書かなきゃならんほどのものではないのだが。
 日記休んでると、読書量自体は増えるんだけどねえ(´。`;)。

2002年11月01日(金) そう言えば「丹」ってのも何だか知らない/舞台『空飛ぶ雲の上団五郎一座 アチャラカ再誕生』/『聞く猿』(ナンシー関)ほか
2001年11月01日(木) ヒミツな情報/アニメ『ナジカ電撃作戦』4話/『クラダルマ』5・6巻(柴田昌弘)
2000年11月01日(水) 夢で他の女と会うのも浮気なんて言うなよ/『文鳥』(夏目漱石)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)