無責任賛歌
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| 2007年01月08日(月) |
実体のある祝日ってあまりないけれど/映画『デスノート the Last name』 |
成人の日って廃止した方がいいんじゃないかと内心、本気で思ってるんだけれども、別に成人式ではしゃぎすぎてタイホされる馬鹿が続出してるからじゃないのね。 「成人」ってのは「通過儀礼」なんだから、ただ休日にすりゃそれでいいってもんじゃないのよ、文化的には。 敵の部族の首取ってこい、なんてことは言えないにしても、パンジーさせるくらいのことしなけりゃ意味ないんじゃないのか。 日本の「初冠」だって「裳着」だってさ、しっかり性的な意味があるわけだしさ(笑)。
またまた、例の短大生遺体切断事件の続報について。 妹がなんかAVに出ていたとか何とか、ネットでは騒がれているようだが、大手の新聞には一切記載がない。 ニュースソースをいちいち調べるのも面倒なので、事実かどうか確認はしてないが、妹の写真を見るとまあ、それらしくはある。こういうのにそそられる男ってのもいるんだろうね。
このあたりのニュースを根拠に、相変わらず被害者の妹を悪し様にののしってる連中もいるようだが、兄のイカレた心理に自分も同調してることに気が付いてないのだねえ。 つまり、妹を非難する人間たちは、無意識のうちに「こういう妹を自分も犯して切断したい」という願望を抱いているのである。はっきり「犯罪者予備軍」と言ったっていいのだが、そういう連中がかなりの数いるみたいなんだよねえ。何かすぐ側にもいるみたいなんで、正直、気色悪い。 魑魅魍魎の百鬼夜行だね。
事件の報道当初は、妹は兄とヤッてたのかヤッてなかったのかよくわかんないから、それによって兄の心理の分析は変わるなあと思ってたんだけれども、どうも「先を越された嫉妬」みたいな感じになってきて、ますます卑俗化してきた。 ただの情痴事件じゃん、という当初の私の予想がますます裏付けられているわけだけれども、妙な「意味」を付与したがるエセ識者もやたら出てくるんだろうなあ。 それも鬱陶しいことだけど、そういう時代なんだから仕方がない。
映画『デスノート the Last name』。 以前見てるんだけど、知り合いが「まだ見てない」と言うので、付き合いで見る。
キネ旬とかで、「ノートに書くだけで人を殺せるという安易さがいやだ」とか書いてた評論家がいたけれども、原作はそういう安易な殺人者を糾弾してるマンガだからなあ(笑)。 そんなことよりも、私は原作のライトが人が言うほどには天才的なキャラクターだとは思えないので、後半、かなりサスペンス色が薄められたと残念に思っているのである。
キラを「ただの殺人鬼」と糾弾するのは簡単である。実際にキラは罪のない者だって殺しているから。キラの論理に従えば、「犯罪のない新世界」を作るために真っ先に殺さなければならないのはキラ自身、ということになる。 その矛盾が原作マンガでは結局、解消されなかったからね。ライトが後半、どんどん馬鹿になっていったから。
私としては、ラストのどんでん返しも含めて、Lを好演した松山ケンイチに注目するとかなり好意的にこの映画を見ているのだけれど、ライトの馬鹿さ加減が映画でも解消されなかったことと、リュークやレムのCGがあまりにCGCGしていることとがあって、どうしても「よかったよ」とは言いにくいのである。 ミサミサも戸田恵里香はイメージに近かったかな。女の子を撮らせると、一見うまいようで実はへたくそな金子修介監督にしては、今回はなかなか上出来な演出をしていたと思う。 西村冴子の上原さくらや、片瀬那奈の高田清美も華があってよし。って、ホントに私ゃ女の子中心で映画見てるなあ(苦笑)。
2006年01月08日(日) 「懐かしい」だけでも泣けるけど/映画『銀色の髪のアギト』&『ALWAYS 三丁目の夕日』 2005年01月08日(土) 夢見る頃は過ぎてるか?/映画『悦楽共犯者』ほか 2003年01月08日(水) 肉食ったのよ〜肉食ったのよ〜肉食ったのよ〜(エコー)/『なんてっ探偵アイドル』11巻(北崎拓)ほか 2002年01月08日(火) ココロはいつもすれ違い/『女王の百年密室』(森博嗣・スズキユカ) 2001年01月08日(月) 成人の日スペ……じゃないよ
| 2007年01月07日(日) |
いつでも時代は狂っている/舞台『みんな昔はリーだった 〜EXIT FROM THE DRAGON〜』 |
情痴事件を話題にすると、軒並みキーワード検索してくる人が増えるのはどう感想を述べればいいものやら(苦笑)。 私としては、なんでこんなくだらん事件を話題にしているかと言うと、事件の分析は前提に過ぎず、その程度の基本的分析すらできない、あるいはしようとしないマスコミや「世間」の偽善性を問題にしているのである。 事件の本質を見抜けない、あるいは見ようとしない人間は、いじめを傍観してるのと同じく、婉曲的な犯罪の加担者、協力者なんだよ、ということを告発してるの。 何度も書いてる通り、馬鹿は馬鹿であるだけで罪悪である。ただ、馬鹿は死ななきゃ治らねえから、その罪を引き受ける覚悟だきゃしとかなきゃなんねえだろ、その程度の自覚は持てよ、自分だけが例外でマトモだなんて傲慢な態度を取ってんじゃねえ、みんな馬鹿野郎様なんだよ、と言ってるの。 こんな「分かりきった」ありふれた犯罪自体に、私ゃたいして興味はありません。
だから、そこの妹に劣情を催しててどうしたらいいのか困ってる君、そんなこたあ私の知ったこっちゃないから、妹を犯すなり、その前に首くくって死ぬなり、自由にしてちょうだいね。
福岡市民会館で、舞台『みんな昔はリーだった 〜EXIT FROM THE DRAGON〜』を見る。
作・演出 後藤ひろひと 出演 堀内 健 池田成志 京野ことみ 伊藤正之 後藤ひろひと 竹下宏太郎 瀬川 亮 熊井幸平 松角洋平 板尾創路
ストーリー 少年が一人、公園のベンチに座り、空を仰いでいる。 そこに現れる一人の男。遠慮がちにベンチの隣に座り、少年に話しかける。彼は少年の叔父だった。 甥の中学生の龍彦(熊井幸平)は、彼女に髪型がみっともないという理由で振られ、むしゃくしゃして母親に怒鳴り散らして、家を飛び出してしまったのだ。 フツーの人とはちょっと違っていて、かなりうざったい叔父さん(板尾創路)は、弱気になっている龍彦に絡んできて、根掘り葉掘り母親を怒鳴った理由を聞きだそうとする。 龍彦は思わず、「僕の髪型かっこ悪い?」と言ってしまう。 その問いをきっかけに、叔父さんの長い長い話が始まった。
そんなにも昔でもない昔、天狗は出ないけれども、「龍」が出てくる話を。 男のかっこよさは男が決めていた時代のことを。
1970年代、ブルース・リーの全てをなぞり、彼になりきることで、男の生き方の美学を学ぼうとしていた4人の中学生、よっと(堀内 健)・河田(池田成志)・たっけさん(竹下宏太郎)・桑島(伊藤正之)。 ブルース・リー映画に欠かせないヒロイン、ノラ・ミャオの名前で呼ばれる少女・佐々木(京野ことみ)もいる。 そこへ、海外から一人の少年が転校して来た。ブルース・リーを知らない男、ひろゆき(瀬川 亮)。
「だめゆき」と仇名されることになる彼の存在が、5人を思わぬ事態へと巻き込んでいく……。
前説で、本編中に鬼警部・百目鬼國彦役で登場する松角洋平さんが現れて、携帯電話の電源を切ってください、と挨拶をするのだが、毎回、他の出演者から、「何か芸をしながら挨拶せよ」との「指令」が出されるのだそうな。 もちろん、その指令は封書で渡されるので、松角さん当人には舞台に立つまでその内容は知らされない。 今日は池田成志君の「駄々っ子になれ」との指令。松角さん、「はっきり言っていじめです」と言いながら、「電源切ってくださーい!」と地団太を踏む。 仰々しく「百目鬼」なんて役名が付いているけれども、この刑事、本編中には1シーンしか登場しないセリフのない役である。チラシに名前も載ってないチョイ役の人にこういう前説をさせるのは、脚本演出の後藤さんのイタズラであり優しさだろう。 実際、このあとにアナウンスで観劇の注意は流れるので、前説は特に要らないのである。
観劇の注意もなかなか笑かしてもらえた。この芝居、観劇中は「ジャッキー・チェンのことは思い出さないで下さい」とのことである。思い出していいのは、「ジミー・ウォン、ノラ・ミャオ、ブルース・リャン、倉田保昭、ホイ三兄弟」とからしい。劇場では小さな笑いが起こっていたが、このあたりの名前に反応できる客はあまり多くはなかったようだ(苦笑)。 ノラ・ミャオは本編中にもヒロインの仇名として登場する。言うまでもなく、『ドラゴン怒りの鉄拳』『ドラゴンへの道』などのヒロインだが、演じた京野ことみに似ているかと言われれば、藤原紀香よりは似ている、という程度である。ノラ・ミャオをリアルタイムで記憶している世代も今は40半ばだろう。脚本の後藤さんにしたところで、お兄さんがリーファンではなかったら、ノラ・ミャオへの思い入れを描けたかどうか。
けれども芝居が面白かったのは実はこの前説までである(笑)。
作品自体は「みんな昔はリーだった」というよりは「みんな昔はすわしんじだった」とでも言えばいいような怪作である(すわしんじも誰だか知らない人、多いだろうがもう説明はしない)。 ともかく、当時のあの「異常」と言うしかないブルース・リー・ブームを知らない人にとっては、意味不明に見えてしまうのではないか。
「みんな」と題されてはいるが、1973、4年ごろ、ブルース・リーにかぶれた少年たちは、軒並み馬鹿か不良だった。 本編中でも、まともに「武道家」としてのリーを尊敬し、カンフー(実際には截拳道<ジークンドー>)を学ぼうとする少年は一人しかいない。あとは、リーの怪鳥音やポーズを表面だけなぞって、リーを知らない少年を相手に暴力を振るい、いじめを行っていたどうしようもないやつばかりであった。
リーのカッコよさが、それを真似ることで、少年たちに心理的ないじめを正当化させてしまっていたのがあの時代である。 現代、いじめ自殺を教育機関が手をこまねいて放置しているのと同様、あの時代も全国に巻き起こったいじめの嵐に対して、学校は何一つ有効な手立てを取ることができないでいた。
物語はあの時代の「現実」を見事に活写する。 劇中でもそうしていじめられる「だめゆき」という少年が登場する。 周囲のリー・ブームに乗ろうとし、リーを知らないがゆえに乗り切れず、ヒロインの少女と仲がいいために友達からいじめられ続けるだめゆき。 彼は「ブルース・リーって、力が強ければ弱い者いじめをしてもいいって教えてるの!?」。と泣き叫ぶが、あの当時、いじめに逢っていた少年たちはみな、そう思っていたことだろう。私もそうだ(笑)。
もちろん、ブルース・リーの映画は普通のヒーローものであり、いじめ助長の意図などは何もないのだが、月光仮面のマネをして高所から飛び降りて怪我をする子どもが続出した(とされるが本当かどうかは疑わしい)昔から、精神的に未熟な少年たちにとっては、ドラマの背景に流れるテーマとか思想とかいうものは自分に無関係な夾雑物に過ぎないのだ。それが「現実」というものである。
この物語が「甘い」のは、そうしたいじめの冷徹な現実を描いていながら、それでもだめゆきにリーへの憧れを捨てさせなかった点である。 ブルース・リーの時代を知らない世代にとっては、だめゆきがそこまで心情を吐露していながら、なぜリーのあとを継ぐような行動を取ろうとするのか、ピンと来ないのではなかろうか。それを納得させるだけの描写が不十分なのは、脚本がその時代のアイテムやキーワードを並べ立てるだけに終始し、だめゆきの精神的葛藤と時代との関わりを描ききれていないせいである。
ブームというものは、「なぜそれがそのときそこまで流行ってしまったのか」、後の時代の人間には全く理解できないほどに「断絶」を生み出してしまうものである。天地真理がなぜ白雪姫とまで呼ばれ、一世を風靡できたのか、現代人に説明ができる人間がいるだろうか。 ブルース・リーも同じである。通り一遍の説明では、あの大ブームの理由をとても納得はさせられないだろう。そのブームの陰で、さっさとこんなくだらんブームは過ぎ去ってほしいと願っていた少年たちもまた多数いたという事実も。
2006年01月07日(土) まだまだ書き足りないが/舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』 2005年01月07日(金) キネ旬ベストテン発表/『3年B組金八先生 新春スペシャル』ほか 2003年01月07日(火) 顔のない時代、歌のない時代/『全日本ミス・コンビニ選手権』(堂高しげる)ほか 2002年01月07日(月) 食い放題に泣く女/『エンジェル・ハート』2巻(北条司)ほか 2001年01月07日(日) ああ、あと三日休みが欲しい(贅沢)/アニメ『人狼』ほか
| 2007年01月06日(土) |
去勢された人々/映画『パプリカ』 |
切断遺体:頭髪、胸部など切り取る http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070106k0000m040161000c.html
> 東京都渋谷区の歯科医、武藤衛さん(62)方で長女の短大生、亜澄(あずみ)さん(20)の切断遺体が見つかった事件で、亜澄さんの遺体から頭髪と胸部、下腹部が切り取られていたことが分かった。死体損壊容疑で逮捕された次兄の予備校生、勇貴容疑者(21)は胸部などについて「流し台のディスポーザー(生ごみ処理機)で処分した」と供述している。性別などの判別を困難にする工作と取れる半面、激しい恨みを示す行為ともみられ、警視庁捜査1課は理由を追及している。(後略)
連日、この事件についてばかり書いているようだが、毎日のように新事実が発覚しているので仕方がない。前日の日記でも予感していたことが当たった形になっているが、やっぱりこの兄、妹の一部分を切り取ってたねー。 「流し台のディスポーザーで処分した」というのはまず間違いなくウソだろう。妹さんの一部は現在、兄の立派なウンコとなり果てた、そういうことである。
ここまでの状況が判明すれば、これが「なじられてカッとなって衝動的に殺した」事件などではないということは馬鹿でも理解できると思うのだが、新聞が未だに慎重すぎるほど慎重に、「性別をごまかすためか」とか「激しい恨みか」とか、あえて一番思いつきやすい想像を避けているのは失笑ものである。どんなにきれいごとで済まそうとしても、事件の陰惨さは隠しようもないことだと思うのだが。 小学生じゃあるまいし、チチやナニを切り取っただけで性別がごまかせるなんて思うか? ただの恨みでその部分だけ切り取るか? 兄妹でなければ、こんな遠回しな表現はしないと思うが、近親相姦のタブーがこんな形で現れるというのも現代人のモラルのいびつさを象徴しているように思える。 このニュース、毎日新聞以外にはどこにも掲載されていないようだ。ガセという可能性もあるけれど、他社は報道を控えたんじゃないかね。
ニュースは子供も見る。だから控えた。そういう言い訳も成り立ちはするのだが、それが表現の規制の本当の理由ではないということは、この国に長く住んでいる人間ならば当然、気が付くことだろう。 即ち我々は、社会的に去勢されているのである。
去勢された社会の、去勢された人々によって作られる報道は、性に関する事件については、自然、「捏造」にならざるを得ない。 いつものように無意味な「動機探し」は今回も識者とやらを中心に行われることだろうが、それとても肝心な部分は適当に回避され、「心の闇」という便利な表現の中に収束されていくのだろう。
しかし我々は認識すべきである。ゲームや同人誌等でも、兄妹相姦ものは巷に溢れかえっている。別に識域下の問題に還元せずとも、我々は兄妹が血縁である以前に生物学的な男女であることを充分に知っているのだ。これは人間の暗部ではない。人間の本質である。 これを唾棄すべきものとして目を背けることは誤りである。タブーのために表には現れていないが、近親相姦は現実には案外頻繁に起きている出来事なのだ(どうして私がそんなふうに断言できるかということについては追求しないように。答えはしないから)。 あなたがそれを身近に感じていないとしたら、それはただの僥倖なのである。信じないというのなら、それはあなたの勝手である。
あなたは兄だろうか、妹だろうか、あるいは兄妹の親だろうか。そのいずれかであるならば例外はない。みなさんの間に肉体関係が結ばれていないとしたら、それは、単に文化的慣習によってそれが回避されているというだけのことに過ぎない。 父親が娘を犯さないのは、息子が母親を犯さないのは、兄が妹を犯さないのは、それが「家族」なのだという概念の元に抑圧されているからである。即ち、家族は家族であるだけで常に崩壊の方向に向かう要素を内包させているのだ。 その事実を前提としない「家族復活論」がいかに現実性に乏しいか。きれいごとの報道に単純に誘導されない知性を我々は取り戻さねばならないと思う。そうでなければ、我々はいつまで経っても去勢されたまま、未熟な性を持て余し、コントロールできないまま暴発を待つだけの危険な社会の中で生き続けていかねばならなくなるのである。
シネリーブル博多駅で、映画『パプリカ』。
原作 筒井康隆/監督 今 敏/脚本 水上清資、今 敏/キャラクターデザイン 安藤雅司/美術 池 信孝/音楽 平沢 進/制作 マッドハウス/製作 パプリカ製作委員会 (マッドハウス, ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント)/配給 ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント
声の出演 林原めぐみ(パプリカ/千葉敦子)、江守 徹(乾精次郎)、堀勝之祐(島寅太郎)、古谷 徹(時田浩作)、大塚明夫(粉川利美)、山寺宏一(小山内守雄)、田中秀幸(あいつ)、こおろぎさとみ(日本人形)、阪口大助(氷室 啓)、岩田光央(津村保志)、愛河里花子(柿本信枝)、太田真一郎(レポーター)、ふくまつ進紗(奇術師)、川瀬晶子(ウェイトレス)、泉久実子(アナウンス)、勝 杏里(研究員)、宮下栄治(所員)、三戸耕三 (ピエロ)、筒井康隆(玖珂)、今 敏(陣内)
ストーリー パプリカ/千葉敦子は、天才科学者時田の発明した、夢を共有する装置DCミニを使用するサイコセラピスト。 ある日、そのDCミニが研究所から盗まれてしまい、それを悪用して他人の夢に強制介入して悪夢を見せるという事件が発生するようになる。 犯人の正体は、目的は。そしてこの終わり無き悪夢から抜け出す方法は……。
『富豪刑事デラックス』『時をかける少女』『日本以外全部沈没』、そして『パプリカ』と、昨年は「筒井康隆イヤー」と言ってもいいくらいの筒井作品の映像化は大盛況で、これなら筒井さんも生活は安泰であったろうとホッとしている。 なんせ筒井さん、何年か前のエッセイに「生活水準を維持するためには俳優を続けるしかない」旨のことを書いてらっしゃいましたからねー。筒井作品が読まれないなんてことは、格差社会よりも北朝鮮危機よりも憂慮すべき事態だと、本気で思ってる次第なんですよ。 若い連中で、「活字なんてつまんない」とか糞馬鹿なこと言ってるやつは吐いて捨てるほどいるのだ。もう、はっきりと「お前ら人間じゃねえ。どーぶつだ」と言ってやった方がいいんじゃないか。それが言えないのは大人が自信なくして現実逃避してるだけだと思うぞ。
それはさておき、『パプリカ』である。 サイコダイブを題材にしたSF作品は数多いが、妄想ツンデレ(笑)少女が精神治療を行うって設定のものはそう多くはないと思う。『GS美神 極楽大作戦!』にも似たようなエピソードがあったが、『パプリカ』とどっちが先だったろうか。 筒井SFのヒロインと言えば、真っ先に思い浮かぶのが『家族八景』『七瀬ふたたび』『エディプスの恋人』の火田七瀬だが、パプリカのキャラクターは間違いなくその延長線上にある。 テレパス七瀬は男性の意識、無意識を覗き、精神破壊を行うが、これは逆説的な「癒し」であった。七瀬シリーズ書かれた時代は、精神治療が一般化していなかったから、七瀬は強制的に男性の心に入り込まざるを得なかったわけだが、パプリカは違う。 パプリカは既に男性から求められている。男性の好む容姿を持ち、ツンデレ属性まで持ち合わせ、ストレートに患者を夢の中でカウンセリングして抑圧を開放し、癒しを与える。男はパプリカの意のままだ。 しかも物語の中で、最終的に癒されるのは典型的なデブオタ・時田である。 これではちょっとオタクに媚びすぎてるんじゃないかという気もしないでもないが、つまりは世の男性はそれくらい、現実の女に幻想を持てなくなってしまっているということなのだろう。 オタク的コミュニケーション不全は、自意識を過剰に拡大させ、妄想を肥大化させる。その結果、理想の女性像は現実と極端に乖離し、もはや自らの妄想の中でしか性的快楽を得られなくなる。工夫がないくらい単純に、幼児退行を起こし、パプリカになでなでしてもらうことを求めることになるのだ。 物語の中で、「夢の女」という泉鏡花の小説のタイトルが漏らされる。パプリカは、まさに理想のアニマとして、オタク男子の夢を叶えるためにそこにいるのである。
そう考えると、この声優のキャスティングは実に興味深い。 究極のオタク・時田は古谷徹だ。アムロ・レイがメカオタだったことを覚えているアニメファンは多かろう。時田の夢の中の仮の姿はブリキのロボットであったが、いっそのことガンダムもどきのモビルスーツにしてしまえばよかったのにと、本気で思った。時田の幼児性を考えれば、その方が自然ではないだろうか。 そしてパプリカは林原“アヤナミ”めぐみである。その符合についてはもう説明するまでもない。彼女は今回、再び「巨大化」してくれたが、巨大女フリークのフェティシストたちは、「あの爽快なシーン」にきっと狂喜したことであろう。江守徹、もって瞑すべし(笑)。
『パプリカ』は徹頭徹尾、男性論理によって成立しているSFである。女性から見れば「男ってこんなに幼稚なのか」と驚かれるかもしれないが、深層意識まで大人である男などは存在しない。男はみんな死ぬまでマザコンである。 女性もまた、男の正体はこんなものだと諦観して、白馬の王子様などいないと理解してもらいたいものだ。
七瀬シリーズで男性の単純な欲望を描いたように、『パプリカ』も男の幼稚な夢を描き出す。 その潔さが小気味よい。男もまた、自分の正体や弱点が暴き出されてしまったことに腹など立てず、幼稚でもデブでもオタでも、天才でさえあれば、たまにはいい女をゲットできると夢想していればよい。 つまり、天才でないあなたは、ナベブタで妥協することである。 ……そういうお話なんですよ、『パプリカ』は(笑)。
2005年01月06日(木) 触んなきゃできない演技指導なんてない/『金魚屋古書店』1巻(吉崎せいむ)ほか 2003年01月06日(月) 食えないモノを食う話/『名探偵コナン 揺れる警視庁1200万人の人質』/『ジャイアントロボ誕生編』(伊達憲星・冨士原昌幸)ほか 2002年01月06日(日) 言えない話と男の優しさと英語落語と/『西岸良平名作集 蜃気郎』1巻(西岸良平)ほか 2001年01月06日(土) ああ、今日は土曜か。今気づいた(^_^;)。/映画『ビッグムービー』
| 2007年01月05日(金) |
動機は藪の中に/映画『リトル・ミス・サンシャイン』/映画『こまねこ』/ドラマ『悪魔が来りて笛を吹く』 |
> 不仲の兄・妹、家でも無言のにらみ合い…短大生殺害 > http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070106ic01.htm
> 妹になじられた後…自室で木刀とひも準備、冷静な犯行 > http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070106i101.htm
東京都渋谷区の歯科医師長女短大生バラバラ殺人事件の続報である(まだどんな名称になるか分からないので、適当な呼び方をしているが、諒とせられたい)。
昨日の日記ではこの兄妹の間柄にかなり淫靡な関係もあったのではないかと想像していたが、その可能性は薄れたようだ。妹はかなり兄を嫌っていたように思える。 となればこの事件は、逆に兄の妹に対する満たされぬ欲情の爆発、という可能性の方が高くなってしまったわけで、身もフタもない言い方をしてしまえば、これはもう、童貞君の、しかも精神的に去勢されているがゆえの、身近な異性に対する「性的暴発」以外の何物でもない。 妹がアイドル志望でブログまで持っていたというのならなおさらだ。妹と没交渉であったことが、かえって妹への幻想を培ってしまったのだと言える。もしかしたらこの兄、妹の一部を文字通り食ってたりしてないか。
生物学的な本能として判断するなら、近親婚は決して異常なことでも何でもない。最も身近な異性に対して性的関心を抱くことは、ごく自然なことだからである。人間社会においてそれが回避されているのは、優生学的な問題(科学的には全く根拠のないことなのだが、なぜか未だに近親婚は奇形が生まれると盲信している人間が多数いる)や宗教的タブーがあるからというよりも、裏も表も知っている身内に対して、幻想を抱きようもないという「文化習慣的な要因」の方が大きいように思う。 世の中に「お兄ちゃん……」とモジモジしながら甘えてくるような萌え要素満載の妹なんて実在しないのだ。
しかしニュースはあくまでこの事件から情痴的要素を排除して報道しようと努めている。その結果、逆に矛盾だらけの表現が目立つことになる。「頭にきてやってしまった」犯行について「冷静な犯行」と強調しようとするあたりなどがそうだが、性的犯行は得てして冷静な行動となって現れるものだ。 送検中の兄の顔がようやくテレビで流れるようになったが、あの「イッちゃってる目」を見れば、事件の本質は誰の目にも瞭然であろう。マスコミだけがなぜかオタオタしているのである。
しかし、ネットでは「兄をバカにする妹は殺されて当然だ」みたいな発言も見受けられるようで、これには笑ってしまった。妹に幻想を持っている御仁は、結構身近におられるようなのである。
シネリーブル博多駅で、映画『リトル・ミス・サンシャイン』。
監督 ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス/プロデューサー デイヴィッド・T・フレンドリー、マーク・タートルトーブ、ピーター・サラフ/脚本 マイケル・アーント/音楽 マイケル・ダナ/撮影 ティム・サーステッド/美術 カリーナ・イワノフ/編集 パメラ・マーティン
出演 グレッグ・キニア/トニ・コレット/スティーヴ・カレル/ポール・ダノ/アビゲイル・ブレスリン/アラン・アーキン
<ストーリー> アリゾナ州に住むフーヴァー一家は、家族それぞれに問題を抱え崩壊寸前。 父親のリチャード(グレッグ・キニア)は独自の「9段階成功法」を振りかざして、“負け組”を否定している。そんな父親に反抗する長男ドウェーン(ポール・ダノ)はニーチェの超人思想に被れて沈黙を続けている。9歳の妹オリーヴ(アビゲイル・ブレスリン)は、自分の体型では入賞はとうてい無理なミスコン優勝を夢見ている。ヘロイン常習者の祖父(アラン・アーキン)は勝手に言いたい放題。さらにはそこへゲイで彼氏に振られて自殺未遂を起こした伯父フランク(スティーヴ・カレル)まで加わる始末。ママのシェリル(トニ・コレット)の孤軍奮闘も虚しく家族はバラバラ状態だ。 そんな時、オリーヴに念願の美少女コンテスト出場のチャンスが訪れる。そこで一家は旅費節約のため、オンボロ・ミニバスに家族全員で乗り込み、はるばる開催地のカリフォルニア目指して出発するのだが……。
製作費はたった800万ドルのインディペンデント映画。 マニアなキャスティングではあるけれども、一般的に客を呼べる有名スターは一人もいない。 ところが、そんな映画が、『スーパーマン・リターンズ』『パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト』などの超大作を蹴散らして5千万ドルを売り上げる大ヒット、諸外国の映画祭でも絶賛の嵐、となれば、日本の批評家もまたこぞってこういう映画を誉め上げるのである。 けれども、そこが「落とし穴」というもので、「地味な映画を賞賛するのが通」みたいなのは逆にスノッブなのね。映画を実際に見てみりゃ分かるけれども、駄作とまでは言わないけれども、「この程度で絶賛するか?」って程度の小品だよ、これ。
いわゆるウェルメイドなシチュエーションコメディであると同時にロード・ムービーでもあるんだけれども、ビリー・ワイルダーほどに粋なわけじゃない。ニール・サイモンほどにイカレているわけでもない。ごくごく小粒。 ワイルダーなら設定にムリがあっても、笑わせてくれるんだけれども、そういう芸達者は、アメリカでも払底しているのかもしれない。コメディアンをあえて外して、「ナチュラルな演技」がふれこみの普通の役者を起用した(アラン・アーキンやスティーヴ・カレルなどのセカンド・シティ出身者もいるが、彼らにも普通の演技をさせている)。 そこがあちらでは賞賛されているようだけれども、そもそも設定自体が「ありえない」のだから、ナチュラルじゃ逆効果なのではないか。だって、実際、見た印象は、「ムリのある話で、しかも爽快感がない」としか言いようがないのだ。
冒頭で「いかにフーヴァー一家がバラバラか」を紹介する描写をパンフの解説で誉めていたけれども、こんな「絵に描いたようにバラバラ」な家族を「自然な演技」で見せても、かえって不自然さが目立つ。 自分の立案した成功法を出版したがってるオヤジってのは実在するかもしれない。 ヘロイン中毒の爺さんも世の中にはたくさんいるだろう。 ニーチェに被れて無言の行を続けるイカレた若者も滅多にいるとは思えないがいないとも言えない。 ミスコン狂いの母娘なら、いくらでもいそうだ。 彼氏に振られたゲイで、しかもプルースト研究家というのは突飛だが、普通の家族の中に一人、そんなヘンなのが混じってるっていうのなら納得もする。 問題は、「こんなおかしなやつらが全て集まってる家族なんてありえない」ということだ。
ストーリーは彼ら家族が幾多のトラブルを乗り越えてカリフォルニアにたどり着くまでを描くが、このトラブル一つ一つの乗り越え方がまた、毎回「ウソくさい」のである。
ラストが取って付けたように家族そろって仲良しになりました、で終わるのも拍子抜けだ。 せめて日本の『逆噴射家族』のようにハチャメチャなことをしてくれるんだったら気が抜けるまでには至らなかったと思うんだけれども。
続けてシネリーブルで、『こま撮りえいが こまねこ』
原作・監督・キャラクターデザイン 合田経郎/アニメーター 峰岸裕和、大向とき子、野原三奈 音楽 Aikamachi+nagie/Vocal いいのまさし/エンディングテーマ:solita『123』
声の出演 瀧澤京香、若林航平、小林通孝
<ストーリー> 「こまちゃん」は、こま撮り(8ミリ撮影のアニメーション)が大好きなネコの女の子。 彼女を主人公に、五つの物語が綴られます。
1.「こまねこ はじめのいっぽ」 こまちゃんはこま撮りするネコなので、今日も一生懸命にこま撮りをしています。ストーリーを考えて、絵コンテを描き、お人形や背景も作って、さあ!8ミリカメラで撮影を開始するのですが・・・。ハエが飛んできてアクシデント発生!こまちゃんは無事、撮影できるのでしょうか?
2.「カメラのれんしゅう」 お気に入りの8ミリカメラで野原の撮影をするこまちゃん。撮影に夢中なこまちゃんに、幽霊がいたずらしようと、こっそり忍び寄ってきます。
3.「こまとラジボー」 壊れたラジオの修理にやってきた、ラジボーとラジパパ。ラジボーは機械いじりが大好きな男の子。こまちゃんに、素敵なお友達ができました。 4.「ラジボーのたたかい」 ラジボーは飛行機のラジコンで鳥とたたかいます。あの手この手を使うのですが、なかなかやっつけられません。あきらめて鳥と仲直りするラジボーですが・・・。
5.「ほんとうのともだち」
ある日、ピクニックに出かけたこまちゃんは、雪男と遭遇してしまいます。最初はびっくりしておうちに逃げかえりますが、失くしたお人形をおうちまで届けてくれた雪男にどうしてもあいたいと思うこまちゃん。 はたして、こまちゃんは雪男に会えるのでしょうか?そして雪男の正体とは?
監督の合田経郎氏は、NHKの人気キャラクター「どーもくん」の生みの親。 あの人形アニメーションの「あたたかさ」をご存知の方には、その素晴らしさについて今更、何の説明も必要としないだろう。 上映時間がわずか1時間、これであの愛らしいこまねことお別れかと思うと、それだけで胸が切なくなる。 合田氏のアニメーション技術の素晴らしさは、人形アニメにはありがちな「動きのぎこちなさ」、これが非常に小さいことだ。人形の骨格がしっかりしていることと、ぬいぐるみ人形の質のよさ、それももちろんあるだろうが、やはりその動きの「演技指導」が細密でブレが少ないことが一番の理由だろう。 その技術は、アードマンスタジオの『ウォレストグルミット』を越えている。はっきりと「世界第一級」と呼んでいいと思う。
当然のことながら、その技術を支えているのは、監督以下アニメーターたちの「真心」だ。 こまちゃんは可愛らしいだけのネコちゃんではない。こま撮りアニメを作ることにはとことん凝っている(キャラクターのももいろちゃんとはいいろくんはこまちゃんが心を込めて作ったおかげで、動けるようになってしまった。けれどもこまちゃんの気持ちを汲んで、あくまでこま撮りさせてあげるのである)。
つまりみなさん、こまちゃんは立派な「腐女子」なんですよ(笑)。 ラジボーはメカマニアだし、いぬ子ちゃんは……。はいそうです。アレです(笑)。
フツーの子供とはちょっと誓ったところのある子供たち、こまちゃんを動かしているアニメーターたちは、子供時代の自分たちに――そして今のフツーと違った趣味を持っている子供たちに向けて――。 「君は、ここにいていいんだよ」と声をかけてくれている。 これでジンと来ないオタクはいないだろう。
ああ、しまったなあ、去年のうちにこの映画を見られていたら、「キネ旬」の読者投票ベストテンに、この映画を入れるのだったのに。 昨年の私の日本映画ベスト5は、1.『鉄コン筋クリート』、2.『時を書ける少女』、3.『こまねこ』、4.『かもめ食堂』、5.『立喰師列伝』と変更します。 5本中、4本がアニメになってしまいましたが、あと『パプリカ』を見たら、それも入ってくるかも……。
昨年は邦画自体も活況を呈したけれども、アニメもまた、秀作を次から次へと送り出してきていたのである。
ドラマ『金曜プレステージ 悪魔が来りて笛を吹く』。
原作 横溝正史/脚本 佐藤嗣麻子/演出 星護/音楽 佐橋俊彦 出演 稲垣吾郎(金田一耕助)、国仲涼子(椿美禰子)、成宮寛貴(三島東太郎)、伊武雅刀(目賀重亮)、螢雪次朗(玉虫利彦)、銀粉蝶(河村駒子)、高橋真唯(河村小夜子)、小日向文世(横溝正史)、野波麻帆(菊江)、浜丘麻矢(お種)、浜田晃(玉虫公丸)、渡部豪太(玉虫一彦)、塩見三省(橘署長)、秋吉久美子(椿秋子)、榎木孝明(椿英輔) 稲垣吾郎の金田一耕助シリーズも『犬神家の一族』『八つ墓村』『女王蜂』に続いて第四弾。 金田一役者が代わるたびに、イメージがどうこう言われるのだが、稲垣吾郎はいささか若すぎるものの、金田一のこまっしゃくれた感じはよく出していると思う。あのマントひらりはちょっとやめてほしいが。 冒頭で米兵から「Batman!」と呼ばれるのは、原作の『蝙蝠と蛞蝓』を知っている者にはクスリとくるネタだ。
さて、ドラマの内容の方になるが、原作のトリックに重大なミスがあることは、横溝正史自身が告白している有名な話。多少は触れないことには説明が続けられないので、ちょっとだけ触れると、フルートに関するトリックである。 実はこれまでの『悪魔』の映画、ドラマ化においては、このトリックにミスがあるために、一度も映像化されたことがなかった。 このミスについては、原作者自身が改稿を考えていたのだが、残念ながら横溝正史には音楽に関する知識がないために(息子の亮一さんはフルート奏者なんだから、協力してやればよかったのに)放置されたままだった。 従って、『悪魔が来りて笛を吹く』というタイトル自体が一つのトリックになっているにもかかわらず、映像は常に「メイントリック不在」のまま、つまりは「不完全版」のまま、映像化され続けていたのである。
脚本の佐藤嗣麻子は、これまでのシリーズでも、原作のエッセンスを充分に引き出した脚本を書いてきた。正直、テレビドラマという時間の枠がなくて、映画という枠であったなら、これまでの横溝映像化の中で最高傑作と言ってよいほどの出来栄えになっただろうと思われるものばかりなのである。 今回もそれを期待してみたところ、まさに横溝ファンの意を得たかのように、このトリックミスが修正されていたのである。 何人か原作の登場人物が省略されていたり、密室トリックがなくなっていたり、原作の改変はかなりあるが、それでもこのメイントリックが初めて修正されたという点で、今回のドラマ化を高く評価しないわけにはいかないだろう。 省略された密室トリックも、正直、『本陣殺人事件』に比べればチャチとしか言いようがないものである。もしあと30分、尺があれば、この密室トリックも何とかグレードアップすることができたのではないかと思うと、やはりテレビという枠の狭さが残念に思えてならないのだ。
2005年01月05日(水) 年賀状のことなど/『パディントン発4時50分』(石川森彦)ほか 2003年01月05日(日) インド人にビックリ/『膨張する事件』(とり・みき)/『バンパイヤ/ロックの巻/バンパイヤ革命の巻』(完結/手塚治虫)ほか 2002年01月05日(土) 食って寝て食って歌って/ドラマ『エスパー魔美』第1話/『ピグマリオ』7巻(和田慎二) 2001年01月05日(金) やっぱウチはカカア天下か
| 2007年01月04日(木) |
インモラルの剥奪/映画『劇場版 BLEACH MEMORIES OF NOBODY』/ドラマ『佐賀のがばいばあちゃん』 |
> <切断遺体>殺害された女子短大生の兄を逮捕 > http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070104-00000098-mai-soci
> 東京都渋谷区の歯科医、武藤衛(まもる)さん(62)宅で長女の短大生、亜澄(あずみ)さん(20)の切断遺体が見つかった事件で、警視庁捜査1課と代々木署は4日、兄の予備校生、勇貴(ゆうき)容疑者(21)を死体損壊容疑で逮捕した。「妹から『夢がない』となじられ、かっとなって殺した」と殺害も認めている。(後略)
さて、久方ぶりのいかにもな猟奇事件である。
テレビのニュースでは、殺害された妹さんの写真ばかりを流していて、犯人の兄の写真は全然写されない。これも加害者の人権に配慮して、という措置なのかどうかは知らないが、こういう報道のされ方では、勢い、「兄に殺害される要素が妹にはあったのかどうか」という関心を喚起する形にならざるを得ない。 要するに、兄は妹に近親相姦的熱情を抱いていて、その発露として殺害に至ったのだろうか、という関心なのだが(はい、今回、かなり内容、どぎつくなりますよ。キレイゴトだけがお好きな方は読むのをご遠慮ください)、妹さんの顔を拝見する限り、まあ、私の好みではない。
いや、私の好みじゃないからと言って、兄が妹に熱情を抱いていなかったとは言えないことは当然である。 少なくとも「頭部、両肩、腹部、両足などを関節部分で十数個に切断」という行為を、性衝動の発露でないと見ることの方が難しかろう。 兄は「『私には夢があるけど、勇君(勇貴容疑者)には夢がないね』となじられ、頭にきて殺した」と供述しているそうだが、それをそのまま鵜呑みにはできない。 ここまで「丹念に」切断しているのは、遺体を隠す意図があったと言うより、切断という行為それ自体に兄の関心が向いていたと判断する方が妥当だからである。
死体をポリ袋に入れてクローゼットや物入れに隠したまま放置、予備校の合宿に参加していたというのも、死体隠匿の意志が希薄であったことを感じさせる。 何やら臭気がすることについて、親には言い訳をしていたようだが、発覚しないと考えていたとしたら、兄の理性に信頼を置くわけにはいかない。 死体をあとで捨てるつもりだったというよりは、帰宅してなお腐敗した妹の死体がそこにあり、「愛するものが腐っていく状態を鑑賞したい」という衝動を抑えることができなかったのではないかと見た方が、ずっと自然なのである。
ニュースはこの典型的な猟奇事件を、なんとか穏便に報道しようとしてか、「『夢がない』となじられた」点ばかりを強調しようとしているが、兄にとって、夢のあるなしは実際にはどうでもいいことであったろう。 妹に対して常日頃嗜虐的欲情を抱いていながら、その思いを果たせず悶々としていたところに、逆に妹の言によって被虐的立場に立たされようとしたことに対する衝動的な反発が、兄をして凶行に及ばせたと見れば、兄の一連の不可解な行動は全て納得がいくのである。 あるいは。
これほど明瞭な変態的猟奇事件が、ただの兄妹間の諍いのように、あるいは過剰な教育による強迫観念の爆発であるかのように「矮小化」されて報道される事態の方に、私は憂慮を覚えるものである。 性の開放が進んでいるように見えながら、全体主義的なモラルの無意識的な強要はこの社会に蔓延している。ホモセクシャルはやはりカミングアウトすれば何らかの形で迫害を受けるし、サディストやマゾヒストはその伴侶を求めるのには特定の会員制の秘密クラブを利用するほかはないだろう。 相手を殺してしまえば確かにそれは犯罪なのだが、性愛の究極の形が殺人に行き着くことは決して珍しいことではない。恋愛至上主義を信奉していながら、法律的にはともかく、心情的には陵辱を嫌悪し、情痴殺人を否定するというのは、とんでもない矛盾なのである。 もっと端的に言ってしまえば、殺意を伴わない性愛は性愛として機能しているとは言えないのだ。相手を傷つけるということは、傷つける資格を自分が相手に対して有している、即ち相手がまさしく「自分のものである」と認識するための具体的な行為なのだから。 もちろん、実際に殺害という行為に走れば、この愛は結末を迎えてしまう。殺したくとも殺せない、このアンビバレンツの中で、男女は自らの性愛を育てていくしかないのである。
殺害された妹は果たして処女であったか否か、そのことを兄は知っていたか否か、いや、先ほどはつい書くことを控えてしまったが、この二人の間に既に近親相姦が成立していたか否か、そこがこの事件を読み解く重大な鍵となろう。 しかし、兄がそれを告白するかどうかは分からないし、告白したとしてもそれが報道されるかどうかは分からない。 いや、既に兄は何かの告白をしていて、全てを報道できないがために、あの「なじられた云々」という何とも腑に落ちない動機だけが強調されているのかもしれない。
確実に言えることは、兄は妹を切断している間中ずっと、快感に打ち震えていただろうということである。 「死体をバラバラにする」とは、どういう行為なのか。それは人体の人形化である。パーツ化である。人形とは即ち愛玩物である。そして人形に魂を吹き込むことができるのは、その人形の「主人」だけである。 兄は妹の主人になりたかった。妹を自分の自由にしたかった。だから妹はバラバラにされなければならなかった。バラバラ殺人という行為が、兄のそういった意志を象徴しているのだ。 “そんな行為を妹に対して行えた者は自分以外にいない”。 この認識は処女を犯した男に共通する快感と同種のものである。即ち、このバラバラ殺人は、妹に対する兄の独占欲を満たすことになったに違いないのである。
誤解を招くかもしれないことを承知であえて書くが、この事件は、兄にとって、「ハッピーエンド」であった可能性すらある。 妹は果たして兄の自分に対する欲情に気付いていたかどうか。 いや、もしも二人の間に交情があったと仮定すれば、妹の「自分には夢があるが、兄には夢がない」という問い掛けは、全く別の意味すら持ってくる。これはもしや、妹の、兄からの決別宣言ではなかったか。 兄は、妹の別離を、まさに命を懸けて阻止したのである。 これは私の個人的な妄想とは言えない。「死体を切断する」という行為に性的意味があることはこれまでのバラバラ殺人事件で常に分析されてきたことである。今回だけが例外であるとどうして言えるだろうか。 人間を理解しようとする者なら、その行為の異常性がどう分析できるかは、常に意識しておかなければならないことだろう。
あなたが真に恋人から愛されているという自覚があるなら、やはりいつかは殺されるかもしれない可能性があるのだと覚悟する必要があるだろう。 愛とはそれくらい激烈なものなのである。
ひと昔前なら、居酒屋などでテレビを見ながら、客同士でこの事件を話題にするとしたら、開口一番、誰かが「この兄ちゃん、妹とヤッてたんかな?」と口にしていたことであろう。 しかし果たして現代はどうだろう。「ひどい犯罪もあったもんだねえ」で終わるか、下手をすれば「兄が妹を殺すなんて世も末だねえ、信じられない」などという「常軌を逸した」発言すら出てくるかもしれない。 たとえそれが犯罪であったとしても、人間の性愛の可能性を簡単に否定するような社会は、決して健全には機能しない。去勢された社会だと言ってもいい。しかし、全ての性愛は基本的にインモラルなものなのである。 即ち、インモラルな話題を口にできるということは、それだけモラルが形骸化しておらず、ちゃんと機能していることの逆証明になるのだ。表面的なモラルにすがりたい人々が多いということは、実質的にはインモラルを助長することにしかならない。 「差別をなくそう」というスローガンが差別を増大化させるのと同じ現象が、性愛に関しても起きているのである。
某SNSで、この事件が話題になっていたが(そこにいる人がここも読んでいることを承知の上で書くが)、やはりというか、誰も兄妹の心理までは踏み込めず、新聞報道の誘導に引っかかって「夢がないのがいけないのかどうか」みたいな暢気な話題に終始していた。 SNSは「仲間うち」の世界であるから、“そういう視点での会話”が行われていれば、“それ以外の視点での会話”は荒らし行為にしかならない。 楽しい会話を邪魔するつもりは毛頭ないので、放置しておこうかとも思ったのだが、その暢気ぶりは前述した通り、人間の可能性を否定することに繋がる可能性すらあったので、遠回しに認識の甘さを指摘しておいた。 遠回しすぎて、気付かれなかったかもしれないけれど。
今日が仕事初め。 やらなきゃならない仕事は実はたくさんあるのだが、休みボケが続いているので、適当にこなして、定時に退出。 どうせ次に出勤する時は早起きして行くので、時間の余裕はあるだろう。多分。
仕事と知らない父から、夕方電話がかかってくる。 「散髪でもせんかと思って電話ばかけたとやけどな」 父は今日まで仕事休みだが、世間はみんな働き始めているのですよ(苦笑)。 仕事を引けてから妻と合流、父と食事をする。 「脳梗塞からこっち、客が十分の一に減ったなあ」と嘆息する父。 しかし、ということは倒れる前は父は私の数倍、稼いでいた計算になる。 それだけ稼いでてその殆どを散財してたんだから、どれだけ遊んでたか、ということになろうかと思うが。
父と分かれて、妻とダイヤモンドシティへ。 映画『劇場版 BLEACH(ブリーチ) MEMORIES OF NOBODY』。
原作 久保帯人/監督 阿部記之/脚本 十川誠志/キャラクターデザイン 工藤昌史/音楽 鷺巣詩郎/主題歌 Aqua Timez「千の夜をこえて
出演 森田成一/折笠富美子/伊藤健太郎/置鮎龍太郎/朴璐美/三木眞一郎/立木文彦/石川英郎/塚田正昭/川上とも子/大塚明夫/中尾隆聖/櫻井孝宏/西凛太朗/松谷彼哉/望月久代/檜山修之/福山潤/奥田啓人/斉木美帆/梁田清之/本田貴子/松岡由貴/安元洋貴/杉山紀彰/真殿光昭/森川智之/瀬那歩美/釘宮理恵/小阪友覇/松本大/安田大サーカス/森下千里/斎藤千和/江原正士
ストーリー
黒崎一護の前に死神少女・茜雫(センナ)が現れる。 空座町(からくらちょう)を舞台に大量発生した認識不能の霊生物・欠魂(ブランク)。 尸魂界(ソウル・ソサエティ)の空に映し出される“現世の街”。 巌龍(ガンリュウ)率いる闇の勢力・ダークワンたちの恐るべき謀略が動き始める。 世界の崩壊まで残り1時間。 一護は、この世界を守りきることができるのか? そして明かされる茜雫との関係とは?
ジャンプアニメはジャンプアニメというだけで貶せる欠点があるが、それにはもう今更触れても仕方がないような気もしている。 宝塚の舞台に「なんで女が男役やってるんだよ」と突っ込むようなもので、どうしてジャンプマンガは話が全部「天下一武闘会」になるんだ、と腹を立てたところで、「それがセオリーだ」と言われれば反論のしようもない。
しかしそれで話が面白くなっているのならばともかくも、とてもそうは思えないのだから、劇場版の時くらい、「もう何度も見たことのあるパターン」やら「聞いたことのあるセリフ」を連発するのはそろそろやめてほしいものだ。 「俺は絶対あいつを助け出す!」と主人公が叫んで、ヒロインを助け出せなければこれはただのバカである。こんなセリフは、予定調和のドラマを説明する意味でしかない。黙って行動しろ、くらいのことは言いたくなる。
いや、そもそも物語の骨格自体がふにゃふにゃで、人物造形もへろへろだ。 尸魂界と現世の崩壊に、茜雫の存在が関わっているのだろうということはすぐに分かる。 しかし、この茜雫が、自分の存在の曖昧さについてさほど悩みもしていないのがそもそも不自然だ。「複数の生前」を記憶していながらアイデンティティ・クライシスも起こさずに享楽的に過ごせるというのは、ただのバカではないのか。ヒロインに感情移入させる具体的な演出が一切見られない。 一護の茜雫への思い入れがどうしてああまで高まるのか、その描写も不十分なので、観客は完全に物語の展開に置いてけぼりになる。作画は頑張っているが、一度、置いていかれて白けてしまった心を高揚させるにまでは至らない。
ともかく、登場人物が多すぎるのだ。劇場版ということでオールスターキャストを揃えなければならなかったのだろうが、無駄な描写を増やすばかりである。 所詮はジャンプファンのイベント映画に過ぎない。まともなドラマとしての評価は下しようがないのである。
それにしてもタイトルが既にネタバレになってるってのはどういうことかね。 茜雫が登場したら、すぐに正体分かっちゃうじゃん……と思っていたけれど、ネットで調べてみたら、「サブタイトルの意味は最後に分かります」とか書いてる人、結構いるんでやんの。 ……もうちょっと読解力持てよなー(苦笑)。
帰宅して、ドラマ『佐賀のがばいばあちゃん』。
泉ピン子のばあちゃんは、当然のことながら映画版の吉行和子よりも島田洋七のおばあちゃんに似ている。と言うか、吉行和子は演技がまずいわけじゃないんだけれども、ばあちゃんにしてはきれい過ぎるのだね。 「泉ピン子もばあちゃんやるようになったんやね」としげ。が感嘆していたが、相応な年齢だろう。佐賀弁もそう不自然ではなかったし、映画よりもこちらの方が決定版、ということになるのではなかろうか。 ラストで主人公の駆け落ち編的なエピソードが挿入されたので、続編も作られそうな気配である。
それにしても原作が同じとは言え、映画とテレビドラマと、内容が殆ど同じであったのには驚いた。 いや、セリフや演出、場合によっては画面の構図まで似通っているシーンがやたらあったのだ。リメイクというよりは、殆ど「キャストを変えた撮り直し」といった印象で、『犬神家の一族』を彷彿とさせたが、一応、実話なんだから、へたに変えようがなかった、ということもあるのだろう。
けれど、英語について「私は日本人だから外国のことは知りません」、歴史について「過去のことには拘りません」という言い訳、いつの時代からあるんだろうね。この伝統だけは成績の悪い生徒の先輩後輩間で、脈々と受け継がれているような気がする。
2005年01月04日(火) 2004年度映画勝手にベストテン 2003年01月04日(土) めかなんて、こどもだからわかんないや/『眠狂四郎』6巻(柴田錬三郎・柳川喜弘)/『ああ探偵事務所』2巻(関崎俊三) 2002年01月04日(金) 消えた眼鏡と毒ガスと入浴シーンと/『テレビ「水戸黄門」のすべて』(齋藤憲彦・井筒清次) 2001年01月04日(木) ああ、つい映画見てると作業が進まん/『快傑ライオン丸』1巻(一峰大二)ほか
| 2007年01月03日(水) |
アクシデンタル・カメラマン/舞台『戸惑いの日曜日』/『もやしもん』4巻(石川雅之)/『月蝕領映画館』(中井英夫) |
今日もしげ。はパソコンと悪戦苦闘。 こりゃ、買い物も映画も、週末までは無理だなーと、またまた今日もテレビとDVDの寝正月。
見ている最中に眠くなるので、なかなか全部見通せなかったラーメンズBOX『椿』『鯨』『零の箱式』『雀』を見る。初期ラーメンズ、今見ると決して面白いアイデアばかりではない。演技も硬くて今ひとつ。 けれども客はたいして面白くもないギャグに笑っている。これでよくこの二人、思い上がって潰れなかったものだ。 昨年の『ALICE』がかなり面白かっただけに、その軌跡を後追いしてみたのだが、役者が上手くなっていく過程を辿れたという意味では、高い買い物ではなかったと思える。
時代劇専門チャンネルで、映画『大奥』の初日舞台挨拶の再放送。 去年の12月23日に放送されたものだ。
絵島(江島)事件についてのウンチクでもあるかなと期待して見てみたが、話は殆ど出演者へのインタビューだった。そりゃそうか。 絵島事件については、おおざっぱなことしか知らないので、この機会にいくつか本を漁ってみたのだが、史実はただの情痴事件で、当然、映画や舞台のような近代的な純愛話ではない。大奥内での権力争い、老中側用人も絡んだ陰謀事件のように描かれることも多いが、それにしちゃ史実の絵島の放埓ぶりがあまりにうかつ過ぎるので、どうかな、という気がするのである。
映画が史実に依拠しないのは仕方がない。現代人の感覚からすれば、そのまんま映像化するには人間関係が奔放に過ぎる。けれどまあ、大奥に入って総支配まで勤める女が実は処女というのはいくら何でもムリがありすぎで、もしかして今時のオタク向けの萌え要素まで狙ったのかと、穿った見方もしたくなる。
仲間由紀恵がインタビューに答えて「純粋な人としてみなさんの中に入っていけばいいんだなと思いました」と答えていたが、それをさほど違和感なく、堂々と演じられているという意味では彼女は貴重な清純派なのである。つか、ここまで来たら、もう一生、清純派で行くしかないんじゃないか。 若手の女優さんで、こういう「一生清純派」で行きそうなのは、あとはやはり長澤まさみくらいしかいないので、マジメに注目しちゃいるのである。
WOWOWで、舞台『アパッチ砦の攻防より「戸惑いの日曜日」』。
作・三谷幸喜 演出・佐藤B作 出演 佐藤B作/あめくみちこ/細川ふみえ/中澤裕子/小島慶四郎/西郷輝彦/角間進/佐渡稔/市川勇/小林十市/山本ふじこ/小林美江/市瀬理都子/斉藤レイ
§ストーリー§ 舞台は高級マンション「フォートネス・アパッチ301号」。 ここは4日間前まで、鏑木研四郎(佐藤B作)が住んでいたが、借金まみれのため手放していた。 しかし、娘のちよみ(中澤裕子)から、婚約者の堤君(小林十市)を紹介したいと言われ、情けない姿みせたくない彼は、ちょっとだけ部屋を借りることにする。 現在の持ち主、鴨田巌(西郷輝彦)の奥さん(細川ふみえ)が、たまたま電気屋(小島慶四郎)に配線を依頼しているのを見て、その電気屋になりすまして、侵入。まんまと娘のちよみをだます。あとは婚約者の堤君をだませればだいじょうぶ。 ところが、ちよみが堤君を迎えに行っている間に、本当の住人である鴨田がやって来てしまう。さらにちよみが、鏑木の離婚した前妻(あめくみちこ)やら、堤君の両親(角間進・市瀬理都子)までマンションに呼んでしまい、大パニック。その上、本当の電気屋に、鴨田の妻の浮気相手の不動産屋(佐渡稔)、鏑木の現同棲相手のビビアン(小林美江)までやってきて、ひっちゃかめっちゃか。 絶体絶命、どうする、鏑木研四郎!?
……という基本ストーリーは、初演時から変わらず。 初演はナマで見ているので、当時のパンフレットも持っているのだけれども、もともとこの芝居、『みんなのいえ』の原型脚本だったのである。 それがうまくまとまらずに、わずか一週間で全面書きなおし、公演三日前にようやく脚本が完成したという曰くつきの「やっつけ芝居」なのだ。 にもかかわらずここまでの完成度、と誉めることもできなくはないが、やはり他の三谷作品に比べると、無理が生じていたり納得が行かない部分も多々あったのが初演版だった。
それが、このタイトルも変えた再々演版、それらの不満がかなり改善されているのである。 鏑木がマンションに居残ろうとするムリはどうしようもない。それがなければこのコメディ自体が成立しないから。 けれども、鏑木=の佐藤B作のいい加減さがキャラクターとしてより強調されることで、「それくらいあほなことをこいつなら仕出かしそうだ」というリアリティが増している。 そして、初演版では娘たちは鏑木に騙されっぱなしだったのが、最後に全ての真相を鏑木が告白する形に変更されている。ここが私も初演版で一番引っかかっていたことで、「いずれバレることじゃん、始末が付いてない」と腑に落ちない点であった。 カタルシスの点で言っても、今回の結末の方が順当で、三谷さんも昔に比べて「大人になった」ということなのだろう。 新登場のビビアンのキャラクターも、出るべくしてようやく出た、という印象だ。オチはこうなるだろうなと見えてしまうけれども、そこはご愛敬。鴨田の役も、これまでの石井愃一、伊東四朗両氏には申し訳ないが、若妻にかまってやらない傲慢さでは、西郷輝彦が一番似合っている。
正直、三谷幸喜は最近、レベルが落ちてきていたので、新作にあまり期待はしなくなっていたのだが、こういう「改作の上手さ」を見る限り、まだまだやるな、と認識を改める必要があると思えるのである。 ああ、また買わなきゃならないDVDが増えちまった。
夜になって、またまた志免炭鉱竪坑櫓まで出向く。 と言っても今度はただの見物ではなくて、イッセー尾形ワークショップ仲間と一緒に製作中の自主映画の撮影のためだ。 私は探偵の役で、あちこちを徘徊するという設定。もっとも撮影するのは私の後ろ姿とか手元とかシルエットだけで、顔は映さない。探偵には顔がないのである(笑)。
で、ライトアップされたここ志免炭鉱にもやってきているのだが、なんでやってきているのかは演じている私にも分からない(笑)。 脚本なし、イメージ優先のかなり適当な作りの自主映画なので、どんなものになるのかは監督の私にも予測はつかないのである。 てゆーか、先読みのできる映画はつまんないなー、と思ってつくっているので、これでいいのである。
予測不可能というのは実際に予測不可能が起きることで、櫓の回りを歩いているところをしげ。に撮影させている最中にアクシデントは起きた。
櫓のわきに7、8メートルほどの高さのボタ山がある。その上に登って、櫓を見上げているカットを撮ってもらおうと思って、私は先に駆け登った。勾配は急なところだと40度ほどはある。勾配というよりは崖に近い。 中年とは言え、私も体力がなくなっているわけではないから、助走をつけてそこを一気に駆け登った。その後、下にいるしげ。に向かって、もっと緩い勾配の方を指差して、そちらから回ってくるように言った。
ところがしげ。は、何を勘違いしたのか、私のあとを、カメラを持ったまま走って追ってきたのだ。 私より若くても、しげ。の持続力は私以下である。それでも数メートル程度の高さの山なら、しげ。の脚力でも充分に登り切れたろう。脚力がなくても足場がよければ何とかなったかもしれない。 しかし、敵はボタ山である。雨が降ってなくても足場は何となくぬるい。しげ。はあと数メートルというところで崖に足を取られて腹ばいになった。そしてそのままズルズルと落ち、山の途中で引っかかってしまった。
「助けてー」 情けない声が聞こえる。 「あっちへ回れって言ったのに、なんで言うこと聞かないんだよ」 「だって見えなかったんだもん」 かと言って、今見えてる目の前の崖が登れそうかどうか、判断くらいしてほしいものだが。 まるでマンガかCMのように、私が手を伸ばして引き上げてやったのだが、撮った映像はあとで見ると、テレビのドッキリ映像のように、目算を失ったカメラがあえなく夜空を写していたのだった。 さてこのカット、状況によっては使えるだろうか。
ボタ山の上に登りきったところで、いざ撮影再開、と思ったところに、向こうから子供が登ってきた。 こんな夜に近所の子供だろうかと声をかけてみると、「パトロールにお父さんと来ています」と言う。 さてはさっきのしげ。の「助けてー」の声を聞き付けてきたらしい。 とんだゲスト出演者が現れてしまったが、ことによるとこの子との会話も映画のブリッジにそのまま使えるだろうかと考える。 探偵は一人、というつもりだったが、カメラマンが随伴、という設定にしてもいいかもしれない。
晩飯は「庄屋」でマクロビ膳。 私はよく知らなかったのだが、マクロビってのはマクロビオテックの略で、穀類や野菜を中心とした食事のことを指すらしい。中身は玄米ご飯にけんちん汁、湯葉に山菜といったもの。以前も同じメニューがあったけれど、そのときは確か「湯葉御膳」とか何とか言う単純な名称だったと思う。 要するに日本の伝統料理なのだが、こんなふうに新しい言葉で紹介されるとなんだか新発見っぽく聞こえるっていうんで、メニューを一新したのだろう。 味は悪くないが、980円という値段はちょっと高い。流行ものは高く売ろうって腹か。でもおかずの量もたいしたことないし、せめて780円くらいで商売してほしいものだと真剣に思う。
マンガ『もやしもん』4巻(石川雅之)。
限定版は悩んだ末、買わず。フィギュア付き買うと小うるさいやつが近くにいるもんで。 でもどこの店でも完売なようで、好きなマンガが人気呼んでるのを見ると嬉しい。『のだめ』人気もいささか作用してるかもしれないが(二ノ宮さんがホントに作画協力してるよ)。
主人公が影薄いとか言われているけれども、キャラクターはちゃんと立ってるからいいの。 あの、「菌が見える」能力について、誇るでもなく嫌がりすぎもしないところが、イヤミじゃなくていいんだからさ。 特に今巻は、魔女っ子ものにはつきものの「魔法が使えなくなっちゃった!どうしよう!」という展開で(いや、『もやしもん』は魔女っ子ものじゃないけどな)、しかもそれがやはり『もやしもん』らしく、意外な原因と、恋愛ドラマになりそうなならないような微妙で絶妙なバランスのなだらかな盛り上がりとで、まったりと魅せてくれるのだ。
……まあ、こう遠回しに書いてても何のことやら未読の方にはよく分からないだろうけれど、ネットとかで内容を調べる前にやっぱりゲンブツを手に取って読んでもらいたいのである。 農学的なウンチクが好きな方には、樹教授のお話をどうぞ。今回の題目は「ウンコから火薬を作る話」。『もやしもん』は教養マンガでもあるのです(笑)。
『中井英夫全集12「月蝕領映画館」』(創元ライブラリ)。
『虚無への供物』はミステリファンにとっては「これを読まずしてミステリファンを名乗るな」的なバイブルであるが、その人が大の映画ファンであったということは非常に嬉しいことである。 と同時に、中井氏の映画エッセイが、この一冊しか残されていないことに無念もまた覚える。どうしようもない駄文で各種雑誌の紙面を汚しているプロもどきは腐るほどいるからだ。
鈴木清順の『陽炎座』を評するのに、原作となった泉鏡花の短編が、公表されている『陽炎座』『春昼』『春昼後刻』のほかに『酸漿(ほおずき)』も含まれているだろう、と指摘しているのはまさに慧眼で、ただの感想ならばいざ知らず、映画「批評」にはこのような教養が絶対に必要になるのである。 清順監督からは、中井氏に「何かシナリオ書いてよ」との依頼があったそうで、これが実現していたらどんなに心を躍らされたことか、中井脚本による『カポネ大いに泣く』や『ピストルオペラ』が、いや、清順版『虚無への供物』が見られたかもしれないと思うと、氏の早世を悔やむばかりである。
横溝正史原作の『悪霊島』『蔵の中』についての批評などは辛辣で(まあ、あの二作を誉める人間はどうかしているのだが)、前者が清水邦夫脚本・篠田正浩監督という中井氏の知人の作品であるにもかかわらず「どうにもならない」と切って捨てているのが、映画に対する氏の愛情を感じさせて読者としては嬉しいのである。
知人が作ってるからと言って、批評に手加減を加えるエセ批評家はいくらでもいる。こういう文章を読めば、ああ、この人は批評家として信頼できるなあと思える。友達をなくそうが、親類縁者に縁を切られようが、批評家は孤高を貫かなければいけない義務があるのだ。その代わり、いざ自分が映画制作者の立場になろうとすると、スタッフが揃わないということにもなるんだけどね。 映画制作者と批評家とは、二速のわらじが履けない最たるものだと言える。
中井氏の批評は、1982年当時のものであるが、現在読み返してみても決して古びてはいない。それどころか、その先見の明、慧眼に舌を巻くこともしばしばである。 ウォルフガング・ペーターゼン監督の出世作『Uボート』であるが、私は10代のころに見たこの映画をかなり高く評価していたのだが、中井氏は「型どおりの展開で呆れた」「ご都合主義」「筋立てが安直すぎる」とコテンパンである。 当時、私が中井氏のこの批評を読んでいたら、中井氏も映画を見る目がないなどと思い上がったことを考えたかもしれないが、この後のペーターゼン監督の諸作、『ネバーエンディング・ストーリー』から『エアフォース・ワン』や『ポセイドン』に至るまで、ハリウッド規格の安直な映画を量産している状況を鑑みれば、不明だったのは私の方だったと痛感することになっただろう。
意見を同じくする映画については、嬉しくもなる。 ポール・グリモーの『やぶにらみの暴君』を「主人公をただの暴君には描いていない」と賞賛しながら、「後半がつまらない」とダメ出しする。 私が見ているのは改作された『王と鳥』の方だが、実際、私が好きなのも前半なのである。ちょうど先日の日記でこの映画について「後半、主人公が変わる意味が分からない」と書いたばかりだったので、この符合には小躍りしたくなった。
紹介されている映画についていちいちまた私の感想を付け加えていてはキリがない。 印象批評に過ぎると思われる文もないではないが、連載エッセイで紙数が限られている性質上、致し方のない面もあるだろう。 少なくとも、読むに値しない映画評ではない。 惜しむらくは当時の氏が既に病弱であったために、見損なった映画も多々あることである。『エレファントマン』などをどうこきおろしてくれるか、読んでみたかった。
2005年01月03日(月) 相変わらずの正月/映画『0011ナポレオン・ソロ/罠を張れ』ほか 2003年01月03日(金) 日記書いたことしか記憶にないな/『ヘウレーカ』(岩明均)ほか 2002年01月03日(木) 貧乳の夢と鬱と別れのシミュレーションと/『ドラマ愛の詩スペシャル キテレツ』/『本気のしるし』4巻(星里もちる) 2001年01月03日(水) 初夢。……初夢だってば/『雲竜奔馬』5巻(みなもとたろう)ほか
| 2007年01月02日(火) |
寝正月でもマンガは読む/『辣韮の皮 萌えろ!杜の宮高校漫画研究部』5巻(阿部川キネコ) |
連日、しげ。は先般行われた「イッセー尾形(抜き)ワークショップ・福岡夜市」公演のビデオテープの編集に追われている。
なんだか一度データが吹っ飛んだとかで、一からやり直し、パソコンの前で悪戦苦闘を繰り返している。 その関係で、家事はもっぱら私の仕事となる。 日頃、しげ。自身が家事なんてろくにやりゃしないのに、こういう時は私にお鉢が回ってくるのだ。 全く不公平な話だと思うが、こちらはパソコンでの映像編集なんてろくろくできないので仕方がないのである。
昨日も雑煮を作ったのだが、うっかり餅を溶かしてしまったので、今日は餅はなし。 鶏肉にちくわ、小エビ、ほうれん草、白菜、えのきという、正月の雑煮と言うよりはただのごった煮汁だけれど、これ、全部しげ。の好物をぶち込んだだけなのだ。 もともと好き嫌いの激しいしげ。は餅は入れても食べようとしない。 鶏の味の染みたつゆで、餅なしのほうがその味も生きるようなので、どんぶり二杯をペロリと平らげた。 ……人に作ってもらう飯は美味いよな、と横目で見る。
しげ。がそんな調子なので、今日はお出かけもなし。 映画ぐらいには行きたいと思ったが、こちらも多少疲れが溜まっていたようで、寝起きがよくない。横になるとすぐに眠くなる。 もともと親戚づきあいもしないので、年始周りやらお年玉やらと、散財しなきゃならない義理もない。 寝正月を決め込むことにして、テレビQの『忠臣蔵 瑤泉院の陰謀』をダラダラと見る。
赤穂事件の首謀者は、実は浅野内匠頭の未亡人・瑤泉院であったとする異色作、というのが売りだけれども、ドラマの作り方自体に何か変化球があるわけではない。 タイトルで語られるほど瑤泉院が権謀術数を駆使するというほどでもない。主演の稲森いずみは美人だけれども、大河『義経』に出演した時ほどに魅力は感じられなかった。 大石が北大路欣也で、柳沢が高橋英樹じゃ、所詮は一昔前の大仰な時代劇で、知的な雰囲気なんて流れようもないのである。
続けて、DVDで買ったばかりの『ラブ★コン』を見る。 身長159センチの男の子と、身長170センチの女の子の凸凹コンビのドタバタラブコメ、であるが、原作にないいかれたギャグに私もしげ。もすっかりやられてしまって、DVDまで買うことになった。 落ち着いてテレビで見ると、やはり原作依拠のラブコメ部分が他愛なさ過ぎて、見ていてつらい。やはり南海キャンディーズやオール阪神巨人を始め、田中要次や温水洋一、畑正憲ら、原作に登場しないキャラクターたちの怪演がたいして盛り上がりのない恋愛ドラマに緩急を付けてくれているのである。
特に、温水洋一は本編で原作を「甘っちょろい恋愛話」と切って捨てるなど、原作ファンが激怒しそうなセリフを連発してくれただけでなく、特典映像のミニドラマにまで出演して掉尾を飾ってくれた。 封入パンフレットにカレンダーが付いていて、6月9日が「胸キュンの日」となっていた。冗談かと思っていたら、これ、わざわざ日本記念日協会に申請して、本当に認定を受けているんだそうだ。別に休日になるのでないなら、なんでもありなんだね。
マンガ『辣韮の皮 萌えろ!杜の宮高校漫画研究部』5巻(阿部川キネコ)
名ドキッさ(誤変換ですが面白かったのでそのままにしときます。「メイド喫茶」ね)にまだ一度も行ったことがありませんが、一般人もちょろっと覗いてるようだと聞くと、かえって今更行ってもねー、と興味をなくして下りますフジワラです(笑)。
さて、このマンガについて語り出せばまたキリがないので、どうしたらいいのか迷ってると言うか、正月早々なんてマンガを読んでるんだと言われそうだけれども、実際、これは「コミックGUM」を毎月買って、その都度寸評した方がいいかもという気さえしてしまうくらい、『げんしけん』なきあとの現代オタク事情活写マンガとして貴重な存在だよなあとしみじみ泣き笑いつつ(ある意味泣けるのよこれ)はまりこんで読んでるのである。
そうかー、今時はもう、年代が上がってきてるから、あの手の方々は「腐女子」じゃなくて「貴腐人」や「主腐」になってるのだね(笑)。 ちなみに「貴腐」とは、「白ワイン用品種のブドウが、果皮へのボトリティス・シネレア(Botrytis cinerea) という菌(カビ)の感染によって糖度が高まり、芳香を持つ現象」のことで、貴腐ブドウから造られたワイン「貴腐ワイン」は腐敗したように見える外見からは想像できないような極甘口なデザートワインとして珍重されているそうな。 オタク女子の自称としてはちょっとよ過ぎるんじゃないかと思うけどねー。謙遜も自嘲もしてないじゃん。 どの程度世間に浸透してるのかと思ってGoogle検索してみたけど……。浸透してるよ、おい(苦笑)。 まあ、アキバ系の男子も「A-BOY」とか言ってるイタさとどっこいどっこいじゃあるんだろうけど。呼称をどう変えようがイタイもんはイタイ。
そういったオタクのイタさと、それを自覚しつつもその冥府魔道から逃れられない煩悶と諦観と開き直り(笑)ぶりを描いたマンガがどれだけ長続きするものだろうかと思っていたけれども、なんと7巻までは続いてしまうそうな。 描かれたネタが全部分かるオタクばかりが読んでるとは思えないし、それだけ売れているということは、一般人もある程度は読んでるんだろーねー。ネタなんてよく分からなくても、「今時のオタクってどんなの?」とかいう興味なんだろうか。実際、どういう感想を抱くのか聞いてみたいもんだ。 いやね、一応、恋愛要素はあるし、一般人の興味もあるようなら、ドラマ化してもいいんじゃないかと思うんだけど、どうだろね? そんときゃ、牧ちゃんには戸田恵理香をお願いしたい(←単にコスプレが見たいだけだな)。
まあ、実際にはドラマ化したらドラマ化したで、オタクの監修が入らないとかなりイタイものになるとは思うけれどもね。 確かに、オタクの浸透と拡散は既に一つの社会現象であって、例えば「萌え」なんて単語は、アクセントが一般人とオタクとで多少の差異はあっても、ほぼ共通認識を得られた言葉になってはいる。マンガのように、「アクセントは『え』にあるんだよ!」こうなるとと叫ぶ必要はないと思いはするのだ。 けれども、具体的なネタは全て現在進行形なもので、これからドラマ化したら既に「種ガン」ネタは使えないし、そもそも版権の関係でドラマ化は殆ど無理だってことは分かるんだけどね。
けれども、いかにオタク的なものが表面では浸透していようと、一般人との間に絶対的な「壁」は存在するのだ。いや、その「壁」を感じるからこそ、濃いか薄いかの個人差はあっても、自分が紛れもなくオタクであることの認識が可能になるのである。 「そうだよ私は『ドオタク』だよ!」と叫ばなければならない煩悶もまたこのマンガには描かれているので、それがこのマンガが「オタクの考現学」としてもっと評価されていいと思う理由なのである。
個人的にはコスプレイヤーの牧ちゃんが、バン・ボグートになってるコマがあったので「へええ」と感心してしまった。ホントにそんなことしてるやつがいるかどうかは知らないけど、趣味が実にいいよね♪
あと、「オタク映画」の基本として、『未来世紀ブラジル』『シベリア超特急』『戦艦ポチョムキン』『やぶにらみの暴君』とかが紹介されてたけど、こんなのは私でも持ってる基本中の基本映画なので(作中、新寺ははっきりと「基本」と言っている)、そこの一般人の自称映画ファン、年間に50本程度映画を見に行ってる程度で「オレ、結構映画好きなんすよ、オタクっスかねえ」とか笑って言うな。首もぐぞ。
2003年01月02日(木) 仕事なんぞしたくもないわ/『しゃべくり探偵の四季』(黒崎緑)/『<映画の見方>がわかる本』(町山智浩)ほか 2002年01月02日(水) オタアミビデオと平成生まれと夜のドライブと/『ナジカ電撃作戦』FINAL MISSION/『名探偵ポワロ 白昼の悪魔』ほか 2001年01月02日(火) 眠い一日/ドラマ『不思議の国のアリス』ほか
| 2007年01月01日(月) |
2006年私的映画ベストテン2/『相棒 バベルの塔』 |
続けて外国映画。
【外国映画】
『ホテル・ルワンダ』(76点) カメラがかなりドキュメンタリータッチで撮ってるのに、役者の芝居が臭い。 『僕のニューヨークライフ』(70点) 役者がみんな役柄をこなしきれていない印象。ウディ・アレンですらも。 『レジェンド・オブ・ゾロ』(57点) 二作目でもう中年化して息切れか……。 『フライトプラン』(78点) トリックに穴はあるし犯人もすぐ分かるけど、ジョディ・フォスターの熱演はなかなか。 『単騎、千里を走る』(61点) 中国に佇む健さんは絵になる。でもあちらの役者さんの方が自然な演技で「格上」に見えちゃうのは……。 『オリバー・ツイスト』(81点) オリバーが運命に翻弄されるばかりで能動的でないのは、原作者のペシミズムによるものだけれども、それを現代にあえて映像化するポランスキー監督の冷たさが美しくも寂しい。 『シャークボーイ&マグマガール 3−D』(21点) 立体映画は基本的に全てバカ映画。もっと開き直ってほしいもんだ。 『ミュンヘン』(77点) スピルバーグがかなり自分の中の甘さを払拭した。ただ、モサドはもっと冷徹で優秀なんで、これがスピルバーグの限界だとも言える。 『クラッシュ』(90点) 運命の皮肉。ミステリーが描くものは、人間ドラマではなくて、もっと大きなもの。人間の点景は、そのための道具に過ぎないのだ。 『PROMISE 無極』(55点) 早走りのCGには笑えたけれど、それがドラマを盛り上げるほどには至らなかった。 『ナイト・オブ・ザ・スカイ』(40点) あー、飛行機速いねー。 『ダイヤモンド・イン・パラダイス』(43点) 怪盗ものにしてはスカッとしない。 『ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女』(73点) 『指輪物語』と比べてどうこうと言われるけれど、そもそも読者対象の年齢が違うんだから。 『ブロークバック・マウンテン』(80点) なんであの二人がホモに走ったかというと、素養があったからなんだろうね。いきなりなんで驚いたけど。 『力道山』(52点) 力道山の日本語がもう少し上手かったらなー。ジャイアント馬場やアントニオ猪木が登場しないのは問題があるからかな。 『エミリー・ローズ』(55点) ホラーかと思ったら裁判劇。ああそうですか。 『イーオン・フラックス』(41点) かなり期待してたのに、中身はSFとしては古臭い。展開もたるくてねー。 『ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!』(90点) シリーズの最高傑作ではないし、長編化したために間延びはしたけど、それでもこれだけ密度の高いアイデア満載のアニメは、ディズニーには絶対作れないんだよねー。 『SPILIT』(50点) 実話の映像化にしてはドラマチックすぎるのはハリウッド映画の悪いクセだけれど、ジェット・リーもその轍を踏んだ。 『THE MYTH/神話』(49点) いや、大作感はあるんだけど、過去と現在の交錯のさせ方、あれを生身の人間で(しかもワイヤーワークで)やるのは無理だ。ちゃっちくなるだけ。 『南極物語』(42点) 犬が案外死なない。しかもキャラクターが人間的に過ぎる。日本映画のハリウッドリメイクが失敗に終わるのは、アメリカ人の映画作りそのものがウソ臭いからなのか。 『サウンド・オブ・サンダー』(11点) 原作読んで出直せ。 『大統領のカウントダウン』(52点) ロシアがアクション映画を撮るとこうなるという典型。予算をばかばか使ってるわりに印象は地味。 『ナイト・ウォッチ/NOCHNOI DOZOR』(54点) ロシアがSF映画を撮ると……。ファンタジーだかSFだか分かんなくなるのは、SF自体が何だかよく分かってないからなのかな。 『ファイヤー・ウォール』(57点) 知的なミステリーでいくのかと思ったら、最後はやっぱりバイオレンスで解決。ハリソン・フォードだし。 『プロデューサーズ』(72点) 元ネタがかなりいいんだけど、名曲が少ないのがちょっとネック。 『ナニー・マクフィーの魔法のステッキ』(64点) 子供向けファンタジーとしてはまあまあの佳作。教育臭が漂ってるのは鼻につくけど。原作はかなりキャラが違うらしい。 『Vフォー・ヴェンデッタ』(69点) ダークな雰囲気はいいが、設定に無理があり過ぎ。特に後半のあるトリックについては「そんなやつはいねえ」って突っ込み入れたくなった。 『アイス・エイジ2』(67点) CGもかなり自然になったけど、でもやっぱり人形臭い。「絶滅するの?」のギャグ、動物好きでなくても笑えない。 『アンダーワールド:エボリューション』(49点) なんか人間以外の世界でいろいろドラマは起こってるみたいですが、的なお話。結局はエロなのねー。 『ブロークン・フラワーズ』(90点) オチがないのはこれが『羅生門』だからで問題なし。一応、「推理」は披露されてるんだから、これは立派なミステリーなのだ。 『グッドナイト&グッドラック』(92点) エド・マローのテレビ批判演説でドラマを挟む演出が秀逸。浅薄に聞こえもする演説が、あの構成で意味を持ってくる。 『ピンクパンサー』(56点) オープニングアニメ、どんどんつまらなくなるね。シリーズ後期よりはマシだけれど、クルーゾー警部の魅力はスティーブ・マーティンをもってしても再現できず。 『ダ・ヴィンチ・コード』(79点) かなりの大作だけれど、ダ・ヴィンチの絵を出すまでもなく、メイントリックも犯人もバレバレなのがミステリーとしては減点。70点はオドレイ・トトゥの魅力のおかげ(笑)。 『夢駆ける馬ドリーマー』(68点) 今年は午年かってくらいに馬映画が多かったけれども、実話を元にしたとは思えないご都合主義の展開。60点はダコタ・ファニングの可愛らしさに対して。 『GOAL!』(30点) 実話を元にしたとは(以下略)。出てくるのが男ばっかりなので、点数はこんなもん。 『ポセイドン』(46点) 特撮もよくなってるのにねー。リメイクされて、新しい感動が前作を上回ってる部分が殆どないのがどうにも。 『カーズ』(80点) 脚本はすごくよくできてる。CGの違和感が少ないのも、キャラが動物じゃなくて機械だから。けれども車を主役にする必要はない話。ムダに出来がいいとはこのこと。 『ローズ・イン・タイドランド』(51点) 『ブラザーズ・グリム』よりはテリー・ギリアムらしいけれど、なんだか『裸のランチ』っぽくなっちゃったような。 『M:�顱Л掘戞�63点) 馬鹿馬鹿しい点では一番オリジナルシリーズに近い。トム・クルーズのカッコつけはいつも通り鼻につくけど。 『ハイジ』(57点) ダイジェスト。キャストはイメージ通りなんだけどねー。 『王と鳥』(85点) オリジナルの『やぶにらみの暴君』を見ていない以上は、これで点数を付けるしかない。暴君が入れ替わってしまう展開のみ疑問。 『太陽』(95点) 歴史も物語もそこにはなく、「昭和天皇」がいて語り、生活をするだけ。物語を作るのは観客なのだ。 『ユナイテット93』(90点) 本当は何があったのかは分からない。けれども確かにこうだったろうと思えるリアリティがある。 『スーパーマン リターンズ』(72点) クリストファー・リーブに捧げられている作りになっているのはいいのだけれど、ロイスがねー、ああなっててねー、話が生臭い。 『マッチポイント』(83点) どんでん返しのオチの見事さから言っても、1時間くらいに纏めた方が小気味よいミステリーになったと思う。スカーレット・ヨハンソンが脱ぎそうで脱がないので減点(笑)。 『マイアミ・バイス』(70点) オリジナルシリーズの陽気さは影を潜めて、シリアスに。でもおかげで地味になっちゃった。 『グエムル ―漢江(ハンガン)の怪物―』(62点) 特撮がよくて、最初はかなり期待したけど、後半、展開がかなり雑に。マジメに作ってるから、バカ映画にもなりきれない。 『アガサ・クリスティーの奥さまは名探偵』(78点) トミーとタペンスがフランス人になると年とっててもちょっとエロいのがお笑い。犯人とトリックはクリスティーに慣れてる人にはすぐ分かる。 『ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFT』(70点) ニッポン勘違い映画としてはかなり笑える。でも北川景子の出番が殆どなかったので減点。 『カポーティ』(91点) 本物のカポーティの映像を見たことがある者には驚異的なそっくりぶり。『アラバマ物語』をさらっと批判するあたりも「らしい」。 『ブラック・ダリア』(59点) もちろん実際の事件は解決していないわけだけれども、こうであったとはとても思えない結末。これは原作者が悪いんだろうね。 『父親たちの星条旗』(45点) 単体だとアメリカの視点の甘さが目立って、どうしてもこの点数にしかならない。『硫黄島』と合わせると90点。 『トンマッコルへようこそ』(67点) キャラクター造形が単純で、ファンタジーと見なしても無理がある。アニメならキャラクターは象徴だからその違和感はないのだけれど。カン・ヘジョンの可愛らしさで60点。 『ホステル』(31点) 三池崇史がチョイ役出演。何か腑抜けたスプラッタホラー。 『上海の伯爵夫人』(77点) これもキャラクターがかなり単純化されているけれど、主役が盲目という設定が、物語が平板化することをかなり救っている。 『unknown/アンノウン』(32点) そこにいる全ての人間が記憶喪失、という設定は面白いのに、ラストの真実が無理あり過ぎ。 『トゥモロー・ワールド』(27点) SF設定を生かしてない。寓話をやりたいのなら、戦闘シーンは余計。 『OO7/カジノ・ロワイヤル』(94点) まさか21作目にしてOO7最高傑作が生まれようとは。心理戦をセリフや説明に頼らず、映像で見せているのも、ミステリーが「真実がただ一つではない」ことを語るものだと分かっている点も高ポイント。 『硫黄島からの手紙』(58点) 歴史を役者が演じるとどうしても作りものめいてしまうので、単体だとどうしてもこの点数。けれども『星条旗』と合わせると、日米の演技・演出の違いがそれだけで一つの文化の差の象徴となって現れてくる。二本セットで90点。 『王の男』(81点) 王の幼稚ぶり、男の妖艶さも含めて、物語も演技も演出も映画よりも舞台向きだと思うが、ドラマの脳密さには圧倒される。
全部で142本か。 アニフェスとかで見た映画も含めれば、見た新作映画は何とか150本を越えているので、一般人レベルなら一応、それなりに映画を見られた年だとは言えるが、映画ファンとしてはたいしたことない。 見損なってる映画はこれの5倍あるのだ。
【外国映画】 1.『太陽』(95点) 2.『OO7/カジノ・ロワイヤル』(94点) 3.『グッドナイト&グッドラック』(92点) 4.『カポーティ』(91点) 5.『ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!』(90点) 6.『クラッシュ』(90点) 7.『ブロークン・フラワーズ』(90点) 8.『ユナイテット93』(90点) 9.『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(90点) 10.『王と鳥』(85点) 11.『マッチポイント』(83点) 12.『王の男』(81点) 13.『オリバー・ツイスト』(81点) 14.『カーズ』(80点) 15.『ブロークバック・マウンテン』(80点) 16.『ダ・ヴィンチ・コード』(79点) 17.『アガサ・クリスティーの奥さまは名探偵』(78点) 18.『フライトプラン』(78点) 19.『上海の伯爵夫人』(77点) 20.『ミュンヘン』(77点) 次点1『ホテル・ルワンダ』(76点) 次点2『ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女』(73点)
洋画だけ次点を二つ挙げたのは、『星条旗』『硫黄島』を日本と数えると、次点が繰り上がるから。 ……しかし疲れた……。 更に本とマンガでベスト書けとは言わないで。 リストをチェックするだけで死にます。
初詣はいつもの日吉神社。 田舎の小さな神社なのに元旦になった途端に参拝客の長蛇の列。 地方共同体はまだちょっとは生きているか。 札を買って買えるが、確か去年までは1000円ちょうどだったと思うが、今年は1200円になっている。 カミサマも値上げしないとやってけないらしい(苦笑)。
ひと寝入りして、早朝からキャナルシティで初映画。 『ふたりはプリキュア』と『デジモン』の二本立てだったが、これがつまんない出来で、しげ。がすっかり立腹する。 ハシゴする予定が、すぐに帰宅。
それでもムーミンカフェの福袋を買ってくれたのだから感謝せねばならないかもしれないようなそうでもないような。
昼寝したあと、夜はもう出かけず。 漫然とテレビで『かくし芸大会』を久しぶりに見る。 チャっプリンやエノケンの未公開映画を発掘、という設定で、有象無象な芸人が下手糞にも程があるタップやら何やらを自慢げに披露している。 日本のバラエティもここまでひどくなってるとはね。 ドリフ以降、日本のコメディは確かに死んだのだと実感。 『相棒元日スペシャル/バベルの塔〜史上最悪のカウントダウン!爆破予告ホテルの罠』。 2時間半の長尺なので、今回はなかなか見応えがある。 いくつかのどんでん返しも定番で、充分予測はつくけれども、やはり水谷豊以下の役者陣の熱演で見せてくれる。
大みそか。右京(水谷豊)と薫(寺脇康文)は、小野田(岸部一徳)に、衆議院議員の富永(冨家規政)のパーティーに強引に連れていかれる。 富永は都市化再開発計画の急進派で、脅迫や殺害予告などを受けていた。犯人は左翼過激派の梶(杉本哲太)らしく、小野田は右京らをボディーガードにと富永に紹介される。 富永も危険を感じており、元刑事の楓(大塚寧々)を雇っていた。 右京は楓の様子から富永との結婚が近いことを察知。楓の娘(佐々木麻緒)もうれしそうだと言うと、楓は照れながらも婚約を認める。 会場に楓の別れた夫、拓郎(遠藤章造)が現れる。プレゼントを持ってきたという拓郎を楓は追い返す。 ところが、楓の娘が会場から消えてしまう。 拓郎の仕業かと思われたが、誘拐犯から楓に富永殺害の指示が下された……。
ゲストでは、狙撃手役の寺島進がなかなか美味しい。ただ、アレも一つの手だけれど、やはり運に左右されている感がしてしまうので、徹頭徹尾、水谷豊の推理で結末をつけてほしかったという気もしてしまう。派手さはなくなるけどね。 ヒロインの大塚寧々も美しさが際立つが、素晴らしかったのが誘拐された娘役の天才少女・佐々木麻緒ちゃん。 声の出せない役を表情だけで見事に演じ切った。『ウルトラマンマックス』『火垂るの墓』以降、ちゃんとキャリアを積んでいることにホッとした。
2006年01月01日(日) 17万ヒット!/映画『キング・コング』&『乱歩地獄』 2003年01月01日(水) オタク夫婦は新年に何を買ったか/映画『狂った果実』/映画『幕末太陽傅』/『おせん』其之五(きくち正太)ほか 2002年01月01日(火) ぬかるみとミッフィと腐れた餃子と/映画『スパイキッズ』/『降魔法輪』(さとうふみや)ほか 2001年01月01日(月) 2001年元旦スペシャル
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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