無責任賛歌
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| 2006年12月31日(日) |
2006年私的映画ベストテン1 |
大晦日だが、我々夫婦にとっては、17回目の結婚記念日である。 まだ離婚してないが、熟年離婚ってのもあるからなかなか油断がならないのだな(笑)。
記念日だからと言って、何か大げさなことをするわけではない。 本当はスペースワールドに行って引田天功のマジックショーを見ようかとか、USJに泊まり込みで行こうかとか、計画はあったのだが、しげ。が全部「金がかかる」と蹴りやがった。 引田天功は父も行きたがっていたので、ヨメのワガママに家族が押し切られた形である。 父もいつ倒れるか分からない状態だし、しげ。の主張も一理も二理もあるのだが、想い出は作ってやりたいんだが、興奮してショーを見ながら倒れられてもまたそれはそれで困るのだ。 こういう判断は難しい。
結局、父は初日の出を拝みに熊本へ、我々は志免炭鉱竪坑櫓のライトアップを見に、別行動を取ることになった。
志免に向かう途中、ネットの知り合いの女性の店に寄る。 某地域SNSの常連さんなのだが、個性的なところがある人なので、人気もあるが反発も多い。 地域SNSは顔見知りになる率も高く、参加人数も5000人弱と少ないので、仲良くなればかなり親密に交際できるが、いったん仲違いすると、とらぶるがあちこちに波及する。 それやこれやで、彼女の周辺でも、「派閥」が生まれてしまっていて、彼女を追い出すの追い出さないの、いったん退会したアンチ派が仲間を引き連れてきて再入会、アンチ行動を繰り返すなど、フクザツな状況になっているのだ。
バカじゃね?
と誰もが思うだろう、というのが「私の常識」であるが、「ネットの常識」はそうではない模様である。 いや、これはもうネットのせいとか、そういうことではなくなっているのだろう。ともかく自我肥大を起こしている人間が増えていて、「自分と違う意見の人間は全て敵対者」としか認識できなくなっているのである。
ワークショップで、「悪口言い合えるのが幸せ」と森田さんが言われていたことがよく分かる。 それなりに親しく無遠慮なことでも結構言ってしまえる友人・知人がいないわけではないが、本気で遠慮なくモノが言える相手なんて、もう私にはしげ。しか残っていないのだ。オヤジも本気でモノ言ったら泣くし。
今にして思うが、私がしげ。のことを「バカ」とか「知恵遅れ」とか「寄生虫」とか「ゴクツブシ」とか「フランケン」とか「西田敏行」とか散々悪口を書き散らし、何度も家を追い出していたことに対して、「そんなこと言うなんてひどい」と噛みついてきた人々は、本気で人と関わりあったことがない不幸な人たちだったのだと思う。 その人たちには、私もまたしげ。からひどい目に会っているのだという想像が全く働かなかったのだろう。 別に私ら夫婦が幸せかどうかは分からないが、少なくともその人たちよりはマシなのだろうとは思える。
そんなわけで、私は親しくなれば親しくなるほど、相手に対する口が悪くなる傾向がありますが、一応、念のために言っておけば、私が「馬鹿」と呼ぶのは本人の「行動」に限定されるものだけで、例えば相手の容姿(チビとかデブとかハゲとかブスとか)について悪口を言うことは殆どありません。 「誰かに似てる」という言い方をすることはありますが、これはあえて言ってます。誰かに似てることを気にする人間の方が、その誰かの容姿に対して差別的な見方をしているということですから、その人の心の程度が知れるのです。 何が「私はオンリーワンよ、誰にも似てないわ」だ。それって、ただの傲慢なのにね。 ちなみにしげ。は落第(笑)。
あのSNSも、最初はよかったのにねえ、と愚痴をこぼしながら、年越しそばを注文して食べる。 手打ちそばで実に美味かったが、しげ。はその女性が高校生の子供もいるのに、大晦日に家に帰れないというのはよくないんじゃないかとお節介な心配をしているのであった。
宇美八幡を冷やかして、竪坑櫓へ。 確かにライトアップはされていたが、ナントカ城みたいなものではそもそもない、薄汚れた「廃墟」だから、雰囲気は「幽霊さん、いらっしゃーい」ってなものでしかないのであった。もともと心霊スポットとしても有名なんだよねー。 周囲に客もぽつぽつとしかいない。しかも広場に車を乗り入れようとしたら、警備員に追い出された。 こんな辺鄙なところに、近所の者以外に誰が歩いてくるか。 観光の目玉にするつもりがあるのかないのか、まるで分からないのである。 ま、確かに廃墟ファンにしか魅力は分かるまいが。
そう言えば、『百合星人ナオコサン』というマンガにも志免炭鉱、紹介されてたな(笑)。あのマンガにはこの櫓のフィギュアが出ているように描かれていたが、多分そんなものは実在しない(笑)。
それからあと、キャナルシティに向かって、今年最後の映画を滑りこみで見る。 映画は桃井かおり主演・脚本・監督の『無花果の顔』。 一年の最後にこれだけの映画を見られたのは実にシアワセだった。
今年は、ろくろく日記が書けなかったので、ここで一気に去年封切りの映画で見たやつの感想を書いちゃおうと思う。 点数付けが好きじゃないのにあえて付けたのは、一言コメントだけじゃさすがに評価してるのかしてないのか曖昧に見える作品もあるなあと思ったので。 映画は公開順に並べた。まずは日本映画編。
【日本映画】
『銀色の髪のアギト』(45点) 作画だけのGONZO、今回も脚本はヘタレ。 『輪廻』(62点) やや奇を衒い過ぎ。優香の熱演は買い。 『THE有頂天ホテル』(33点) ギャグが作り過ぎで白けるばかり。こんなのをウェルメイドなんて呼ぶな。 『ギミー・ヘブン』(64点) SFミステリーとしては上々。宮崎あおいは熱演だがミスキャスト。ロリキャラじゃダメでしょ。 『コアラ課長』(42点) おバカな点は買うが間伸びすぎ。 『博士の愛した数式』(84点) 寺尾聰、向かうところ敵なし。授業のシーンも秀逸。 『天使』(35点) 深田恭子に喋らせなかったのは吉。けれどそもそも天使って柄じゃない。 『たべるきしない』(65点) 綾瀬はるかのPVに見えるが、ちゃんと映画している。 『ブラックキス』(59点) 手塚眞はヘンだ。そこを好くか嫌うかは趣味の問題。 『最終兵器彼女』(5点) CGだけはちょっとおおっと言った。前田亜季ファンでも萌えようがない。 『スキージャンプ・ペア 〜Road to TORINO 2006〜』(71点) 間抜けぶりはいいんだけど、新作の猪木の部分のテンションがいまいちなのが惜しい。 『転がれ!たま子』(48点) ヘンでも、センスがないとね。 『ケータイ刑事 THE MOVIE バベルの塔の秘密 〜銭形姉妹への挑戦状』(56点) 宮崎あおいも出てればねー。堀北真希と夏帆が可愛いからそれでいいや。 『サイレン』(58点) 雰囲気はいいけど、冒頭でトリックがバレバレなのはちょっとねー。 『県庁の星』(67点) 定番な展開だけど、酒井和歌子がシビアな役を演じた点がポイント高し。 『ドラえもん のび太の恐竜2006』(87点) 前作を作画、脚本の上でも凌駕。藤本さんの生前に見てほしかった。 『機動戦士Zガンダム�掘 柔韻慮歹阿楼Α宗戞�86点) トミノ演出はウェットに見えても実は乾いている。ラストの変更は実は変更ではない。 『ONE PIECE(ワンピース)THE MOVIE カラクリ城のメカ巨兵』(53点) 誰だ、イナガキに声優させたのは。話も作画も昨年よりダウン。 『かもめ食堂』(92点) キャラクターと役者の理想的な出会い。フィンランドの空気もよし。 『超劇場版ケロロ軍曹』(57点) ポケモンもデジモンもケロロも、プラレス三四郎以来、進歩がない。 『まじめにふまじめかいけつゾロリ なぞのお宝大さくせん』(79点) 定番でも『カリ城』パターンはまだ生きてるかな。 『真救世主伝説・北斗の拳 ラオウ伝 純愛の章』(61点) 原哲夫キャラの中に北条司キャラが混じる違和感が笑えてよし。バカ話だから感動はしないよ。 『子ぎつねヘレン』(41点) キツネはかわいかったねー。 『寝ずの番』(90点) 原作と役者の力で高得点。映像編集にあともう一つテンポがあれば。 『立喰師列伝』(92点) 見返すほどに味が出る。歴史を語ること自体を馬鹿にする悪意は最高。 『名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌(レクイエム)』(13点) えーと、どんな話だったっけ? ミステリーとしても糞だけど、年々テンポが悪くなるのはどうにかして。 『映画クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!』(84点) 前半のホラー演出がかなりよかったんで、後半の失速が悔やまれる。 『チェケラッチョ!』(62点) 少年が主人公だけれど構造は少女マンガ。KONISHIKIが美味しい。 『小さき勇者たち 〜ガメラ〜』(60点) 冒頭シーンはよかったんだけどねー。 『LIMIT OF LOVE 海猿』(23点) 『逆境ナイン』の監督さんだから、もしかしたらバカ映画として撮ってるのかも知れない。それなら70点なんだけどねー。 『明日の記憶』(49点) 渡辺謙、この映画では評判ほどに上手くはない。てゆーか、濃すぎ。話も深みがない。 『間宮兄弟』(89点) 本間姉妹(沢尻エリカ・北川景子)が70点分(笑) 『雪に願うこと』(43点) 馬が40点分。感動ものはもうちょっとウマく作ってよ。この程度でも騙される客や評論家は質が低い。 『嫌われ松子の一生』(83点) ミステリー色は薄れたけれども、コメディとして仕立てた演出はなかなか。中谷美紀でなくてもよかった気はするが。 『水霊 ミズチ』(44点) ホラーは女の子をもっときれいに撮らないと。渡部篤郎、ムダ死に(苦笑)。 『花よりもなほ』(85点) もう少しエピソードを切り取ってテンポをよくしてほしかったけれど、市井ものでオリジナルでこれだけ密度が高い時代劇は近年でも出色。 『佐賀のがばいばあちゃん』(42点) 吉行和子の役じゃないよ。カメオ出演がやたら多いのもかえって興醒め。 『トリック劇場版2』(31点) バカ映画なのは最初から分かってるけど、同じトリックを毎回使い回すのはなぜ? 『初恋』(86点) 宮崎あおいが三億円事件の犯人なんて無理だろうと思って見てみたらやっぱり無理があったけれど(笑)、あの時代を回顧する切なさは伝わってくる。 『猫目小僧』(69点) CGなんかくそくらえの精神が小気味よい。これで無駄なカットがもうちょっと少なかったらよかったのに。 『タイヨウのうた』(40点) YUIの歌が上手いような下手なような、と微妙なラインなのが難しいところ。 『デスノート(前編)』(55点) リュークのCGに違和感を覚えない人がいるのが信じられない。ラストの改変を酷評する人もいるが、悪くはないよ。 『着信アリ Final』(32点) シリーズ化する必要があったのかなあ。堀北真希がよかったのはホント『AIWAYS 三丁目の夕日』だけだったねー。 『ブレイブストーリー』(43点) 作画だけだよGONZOは。って、毎回同じ批評(苦笑)。 『ゆれる』(88点) 裁判ものだと思うと肩透かしだけれど、香川照之が最高にいい。 『笑う大天使(ミカエル)』(11点) 伊勢谷勇介は殿下っぽかったけど、あとのキャストと監督が総崩れ。せっかく広川太一郎さんが復活されたのに……。 『日本沈没』(79点) 日本が沈没しなくても、あの展開ならOK。主役二人の演技力不足がかなり痛い。丹波哲郎さんの遺作になってしまいました……(涙)。 『ラブ★コン』(81点) バカをやるならここまでやんなきゃダメです。田中要次、温水洋一、畑正憲、谷原章介、彼らの怪演に主役二人が負けてないのもすごい。 『時をかける少女』(95点) 青春ものだから素晴らしいのではない。運命の冷徹さが背景にあるSFだから素晴らしいのです。 『ハチミツとクローバー』(83点) マンガの映像化の理想的な映像化の一つ。原作のマンガチックな部分を剥ぎ取ったのが吉。中の美術が「らしい」のにも高得点。 『神の左手悪魔の右手』(37点) 金子修介は女の子を撮るのが下手だ。 『蟻の兵隊』(58点) 戦争を語るドキュメンタリーとしてはまだまだ甘い。 『ゲド戦記』(44点) ジブリの汚点。これに感動したなんてやつは映画とアニメを一万本見てきてから出直せ。 『劇場版 仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE』(52点) テレビシリーズを無視したパラレルな設定や、SFをやろうとした意欲は買いたい。けれどSFにし損なった。残念。 『轟轟戦隊ボウケンジャー THE MOVIE 最強のプレシャス』(47点) 星井七瀬が美味しい役。倉田のアニイが老いてしまったのが悲しい。 『紙屋悦子の青春』(85点) 演劇をそのまま映画にしても映画にはならない。なのにそれをあえてした。そこから逆に浮かび上がったものがある。そういう実験作。 『ラフ』(47点) 長澤まさみには本当はそんなに人気はないと思う。マスコミと小林信彦画が煽ってるだけで(笑)。 『親指さがし』(47点) 結末が意外でも何でもないのがちょっとねー。人数限定だと真犯人あいつしかいないじゃん。 『日本以外全部沈没』(51点) かなり原作に忠実。となるとバカ映画の河崎監督にはちょっと荷が重すぎたか。ニッポン音頭は長すぎ。 『バックダンサーズ!』(57点) 定番の展開を持たせるためには、キャラ設定にもうちょっと工夫がほしい。陣内孝則の熱演がいいだけにねー。 『LOFT ロフト』(60点) 『世にも奇妙な物語』の一編としてコンパクトに見られればかなり高得点だったんだけど……。あと安達祐実がねー、無理があってねー(笑)。 『ヅラ刑事』(71点) 昨年は河崎実イヤーだったけれど、これが一番の傑作。でもやっぱり歌が長い。 『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』(43点) ファンは感涙すると思うでしょう。けれど見てみたら「こんなもったいない使い方しやがって!」でしたよ。篠田三郎、出てやれよ! 『出口のない海』(22点) 脚本家さん、時代考証に合ったセリフを書こうね。 『フラガール』(44点) 役者はみんないいんだけどねー、脚色が定番に過ぎて、リアリティが全然なくなっちゃった。これを外国に出すのかよって。 『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』(77点) こういうバカ映画を正しく評価できないのが評論家の未熟なのです。 『アタゴオルは猫の森』(57点) CGで作る意味なし。つか、ゲームレベルで出来悪いもん。ヒデコは可愛かったけど。 『地下鉄(メトロ)に乗って』(37点) だからSFセンスのないやつにSFを作らせるな。 『木更津キャッツアイ ワールドシリーズ』(80点) シリーズろくろく見てなかったんで、まさかこれがミステリー映画だとは思わなかった。見事に騙されました。 『デスノート the Last name』(76点) Lとミサミサだけでここまでの高得点。ライトは所詮バカだから、藤原竜也でもよかったとも言える。それと鹿賀さん、ヒゲ付けて四季喋りはやめて。 『手紙』(29点) 感動させようと設定に懲りすぎると外しちゃうという典型。 『アジアンタムブルー』(59点) 感動させようと設定に懲りすぎると笑えちゃうという典型。笑える分だけ手紙より上。 『暗いところで待ち合わせ』(81点) 昔、「どれだけバカなトリックを思い付けるか」というアソビを大学でやってたけど、まさにこれはものすごいバカトリック。ここまで笑かしてくれたらもう大満足です。 『武士の一分』(80点) ギリギリ80点。でもそれは原作者が時代小説家としては二流なせい。あのラストじゃ、「出来レース」にしか見えません。役者がみんないいので何とか持ってる。 『映画 ふたりはプリキュア Splash Star チクタク危機一髪!』(40点) 劇場版なんだから、もう少し脚本を練りましょうよ。 『デジモンセイバーズ THE MOVIE 究極パワー!バーストモード発動!!』(43点) デジモンもレベルが落ちたなあ……。 『犬神家の一族』(60点) 前作はつまんない原作のつまんない映像化だった。殆ど昔のままだから、高得点は上げようがないけれど、石坂浩二がかなりしょぼくれてきて原作の金田一に近づいてきたのでそこは評価。 『鉄コン筋クリート』(97点) アニメはここまで来ました。「意味分からん」と仰る方は、表現に意味があると勘違いしている人なんだよねー。つまり馬鹿ってこと。 『大奥』(73点) バカ映画はバカ映画としてちゃんと評価しよう。だから時代劇に近代的な恋愛観が持ち込まれたり、『風とともに去りぬ』みたいなおおげさなメロドラマが持ち込まれても、笑って楽しめばいいの。 『無花果の顔』(90点) 正常と異常との境にある日常。それをカメラが冷徹に見つめる。これは傑作。 『TOKYO LOOP』(74点) こういう短編アニメのオムニバスには出来不出来があるので、点数が付けにくい。しりあがり寿さんの作品だけなら85点くらい挙げてもいいんだけど。
ペスト20を並べると以下の通り。 これでキネ旬のベストテンにも送るつもりである。 【日本映画】 1.『鉄コン筋クリート』(97点) 2.『時をかける少女』(95点) 3.『かもめ食堂』(92点) 4.『立喰師列伝』(92点) 5.『無花果の顔』(90点) 6.『寝ずの番』(90点) 7.『間宮兄弟』(89点) 8.『ゆれる』(88点) 9.『ドラえもん のび太の恐竜2006』(87点) 10.『機動戦士Zガンダム�掘 柔韻慮歹阿楼Α宗戞�86点) 11.『初恋』(86点) 12.『紙屋悦子の青春』(85点) 13.『花よりもなほ』(85点) 14.『映画クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!』(84点) 15.『博士の愛した数式』(84点) 16.『嫌われ松子の一生』(83点) 17.『ハチミツとクローバー』(83点) 18.『暗いところで待ち合わせ』(81点) 19.『ラブ★コン』(81点) 20.『木更津キャッツアイ ワールドシリーズ』(80点) 次点『武士の一分』(80点)
2002年12月31日(火) あまりノロケてるって受け取らないようにね(^_^;)/『エクセル・サーガ』10巻(六道神士)/『永井豪作品全書』ほか 2001年12月31日(月) 40歳のロンゲ……髪薄いってのに/『読者は踊る』(斎藤美奈子)ほか 2000年12月31日(日) 20世紀の終わりの夜に……/『算盤が恋を語る話』(江戸川乱歩)ほか
| 2006年12月06日(水) |
小倉ワークショップ余燼/第1回演劇研究会『笑の大学』 |
今年10月に行われた、イッセー尾形の作り方小倉ワークショップ。 心理学者の吉村順子先生のレポートが、イッセー尾形ブログに掲載された(12月5日付)。 これだけのイベントがあったのだから、参加者の一人である以上は、この「無責任」の方にもレポートを掲載すればよかったのだが(しげ。からもせっつかれてたし)、先々月はまだ心の準備が整っていなかったのである。 ミクシィのコミュニティに簡単に書きつづったレポートがあるにはあるが、さてそれをそのままここに転載しても、雰囲気の違いに戸惑う方もいらっしゃるだろうから、それは控える。
吉村先生のレポートを引用しながら、覚書程度のことを書いてみようと思う。 http://issey-ogata.jugem.jp/?eid=365#sequel(引用元)
〉 遠くになり近くになり、どこかで祭り囃子の太鼓の練習が聞こえる、それがぴったり芝居にはまりました。 〉 新生児室に流れるお母さんの拍動の音、それに同調することで、一人一人が同じ根っこを持ちながらも、こんなにも違って見えるということ。30人の日常ではとても濃いショッパーズたち。それが、水墨画のような芝居を作りました。
森田先生は、「祇園太鼓を打てる人はいない?」と参加者に聞いてみたのだが、残念ながら皆無。 男性の参加者が少ないし、生粋の小倉っ子ばかりというわけではなかったので、これは仕方がない。ただ、無法松のイメージばかりで北九州を捉えられても困る男性も多かろうと思うので、岡田さんの静かな太鼓は、遠雷のように舞台を彩っていて、これはこれでよかったと思う。「水墨画」とは言い得て妙。 本物の祇園太鼓を聞こうと思ったら、中村有志さんを呼んでこないとね(笑)。
「笑い講」 > ダリの格好したいんちき笑い教ボランティアのイッセー尾形に言われるままに、大声で笑い声を上げていきます。 > で、イッセーも観客もあっけにとられます。おとなしい顔のまま前に進み出た人物は、腰に手をあててあっはっはとやりだすと、表には普段表れない、見事な大物笑いを続出させるのです。
笑ったうちの一人が私です(笑)。 本番当日にいきなり登場することになり、イッセーさんから「地上の人々を見下すように」と言われて、その指示どおりにやってみたつもり。でも直後に「意外な笑いでした」とイッセーさんに突っ込まれた。 腰に手を当てるのをうまくできなかったのは、練習の時に私が上がってしまって失敗したのを、森田さんが「そのまま使おう」と言って採用されたもの。ちょっとしたネタを森田さんは鋭く見逃さない。 人の恥を無理やり晒させているとも言えるが(苦笑)。
「嫁と姑」 > 大きなぼうやのような息子、袴をはいて堂々とした体躯が目立ちます。おふくろ、新米炊くのうまいなあ。と隣に座った和服女性に言います。嫁は歯をせせりながら、テレビの前にごろ寝。
嫁役のSさんの「しーっ、しーっ」という歯をせせる音が大好きでした(笑)。 Sさんは喋り出せば立て板に水でアドリブのセリフが言える人なのだが、森田さんはここではあえてセリフを殆ど抑えさせた。 息子役のTさんは失礼ながら外見がデクノボーなので(そう見えるってだけで実態ではないので誤解なきよう)、実際にこの家を支えているのは、例え家事なんかしてなさそうであっても、今寝転がってるSさんなのである。 小倉はやはり女が強い(笑)。
「次長の詩集」 > 二人で昼休み。微妙な男女の仲なのか。体を外側に傾けている女の肩に手を回します。そしていうことは、会社の同僚の悪口。二人して、微妙な関係性を保つために会社での噂話を使うことにしたみたいです。どうも、もっとも盛り上がるのは次長の話。そこに本当に間が悪く当人の次長が割り込みます。すっかり態度をかえて次長を持ち上げる男の持ち出すのは、次長のふんどしコレクションの話題。
お調子者の社員を演じたのは、本当はマジメなんだろうけれども決してそうは見えない後のサノ氏。はまり役である。交流会で、森田さんが笑いながら「誰か止めろよ」とダメ出ししたフンドシ話は、もちろんアドリブ。 観客も「いつまで続くんだこれ」とタメイキをついたと思うが、ようやくLisa嬢が切ってくれてホッとした。シロウトを舞台にあげることの是非は観客の判断に委ねられているが、その判断の境界がこのスケッチにあったように思う。 「完成度」という観点に立てばもちろんこのスケッチは失敗だろう。しかしそもそも演劇に「完成」などというものはありえるのか、という疑問もまた湧く。 サノ氏のフンドシ話には誰しもウンザリしたと思う。しかしそのウンザリは石を投げたくなるようなウンザリだったろうか。同じくウンザリしているLisa嬢と観客は見事に同調してはいなかったか。そしてLisa嬢のカウンターパンチを期待してはいなかったか。 それが観客による演劇の「補完」ということなのではないかと思う。 もっとも、私は練習日に見たタイトルどおりの「次長の詩集」のネタの方が好きではあった。Lisa嬢の震える声の「お母さん」の詩の朗読は(やはりこれもアドリブ)、温かいような寒いような微妙な雰囲気を漂わせていたし、そのロマンチックなんだかぶっきらぼうなんだかよく分からない詩を書いたのが仏頂面の草莽の志士詩であるのだから、これは笑えた。 いきなりの変更は、本番前日の森田さんのダメ出しで「詩集は面白くないなあ」と言われた結果だ。急遽サノ氏のアドリブで「次長のフンドシ」になってしまったのだから、森田さんの「止めろよ」も、シロウトにいきなりのレベルアップを要求しといてそれかよ、である(苦笑)。
「自衛隊タクシー」 > 泣く娘をとつとつと慰めるお父さん。得意の四文字熟語を引用するのですが、そのうち、熟語を披露することにうっかり夢中になりかけます。タクシー運転手として、もらいすぎたお金を届けに行ったエピソードを話しだすお父さん。どう関係があるのかわからないけど、娘はありがとう、ありがとうと感謝します。なおも泣き続ける娘に、お父さん「空が泣いたら雨が降る、山がなくときゃ水が出る♪」と歌いだします。
これも好きなスケッチの一つ(と言って嫌いなスケッチはないのだが)。 ともかくKさんのキャラクターは強烈だ。森田さんの「余計なことをしなければ名優に見える」という指摘もよく分かる。シロウトとプロの最大の違いは演技を抑制できるかどうか、間が取れるかどうかなのだろうが、Kさんの場合は抑制しているのか間が取れているのか、そんなことを超越してあるがままでそこにいる。 ここまでくれば、別に名優に見えなくてもKさんはKさんでいてよいと思える。 娘が泣いているのも、果たして本当に心配しているのかどうか分からない。どうもこのムスメ、何かいかがわしいことに関わったか、関わったと誤解されているかのどちらかなのだが、お父さんは娘を慰めるつもりで自分語りしているうちに、当初の目的を忘れてしまっているようなのだ。 娘は「ありがとう」と口にするが、何がありがとうなんだかよく分からない。 このあたりから、「現実の中の不条理劇」という様相がこの発表会に漂い出す。
「おじいちゃんうるさい!!」 > なんとか孫の会話に割って入ろうとして、全部阻止されるじいちゃん。でもじいちゃんはめげません。じいちゃんうるさい、と言い続ける孫娘。じいちゃんいることで、このわがままそうな姉妹がとても仲良しにやってるのです。まったく会話にならないのに、じいちゃんはしきりに姉妹にはなしかけます。3人ともにうれしそうに見えてくるから不思議です。
おじいちゃんのYさん、この方のマイペースは、地も舞台も変わりない。 会場大爆笑のスケッチだったが、実は私はじり子さんが「じいちゃんうるさい」と口にするたびに舞台の袖で涙ぐんでいた。 その口の効きように腹を立てていたからではない。「3人ともにうれしそうに見えてくる」、まさにその通りで、爺ちゃんがいて、孫がいて、その孫がじいちゃんに「うるさい」と平気で言える家庭。それが羨ましかったからである。 「家族」の姿が見失われている現代、このワークショップに私たちが森田雄三&イッセー尾形に罵倒されながらも集まってくるのは、失われた家族の絆を追い求めているからなのかという気がしてくる。
「だんなの悪口」 > 泣く直子。慰めるピンクの服の太った女性。ここでも、慰める女性は自分の過去の話を淡々とします。確かに相当不幸かも。そこへ、ピンク女性の夫が帰ってくる。マッキュンと呼ばれる夫と、直子の間に親しげな空気が流れてきて、だるまのように前を向いたままのピンク女性のまゆがじょじょに上がってくると、その表情の豊かさに、みとれてしまいます。もしかしたら、この二人はキャサリンと呼ばれるピンク女性のこの表情を見たさに、こんなやりとりをはじめたのでしょうか。たぶんそうなんじゃないかな。3人のせりふの間のよさが場面を支えていました。
てめえの女房が出ていると、どうも客観的に語れないのだが(苦笑)。 やたらお誉め頂いて恐縮なのだが、私としてはしげ。を見るたびに「こいつならもっと自然に、かつ面白く出来ろよなあ」と思ってしまうわけで、けれどもそれは、それだけ才能を買っているということになるわけで、ミビイキが入ってるんじゃないかと言われるとそうかもしれないと悩むことになるのである。 実際、しげ。は「うちのダンナ、おならが臭いの」と悪口を言うネタをイッセーさんに「そのキャラに下品なギャグは似合わない」とダメ出しされたそうで、キャラ作りが最初から成功していたわけではないのである。 しげ。は最後まで、「モスラの歌がどうしてそんなに受けたのか分からない」と言っていた。実は私もよく分からない(笑)。このスケッチを冷静に見るには、DVDで再見する以外にないだろうと思っている。
「病棟のうわさ話」 > ここでも、白衣の男性と事務員は女医の悪口でお互いの関係を暖めています。選ばれているのは、強烈にうわさ話しても大丈夫なくらい強烈なキャラクターです。 > もちろん、強烈キャラの女医さん登場です。3人になって、次の人のうわさになりますが、どうも当の女医さんよりは格が下らしく、話がはずみません。なぜか、立ち上がって歌いだす女医さん。お追従というのも、盛り上がるらしく、二人は勢いを盛り返します。
苦言を呈することになるが、これは練習段階の方が圧倒的に面白かったスケッチ。 内容は悪くない。にくまるさんやなつさんのツッコミも練習の時は笑いを誘っていた。それが本番で空回りしたのはなぜか。 ご当人も承知だろうが、あきこさんのキャラクターが弱くなってしまったためだ。特に、「プレイバック」の謳いだし、これが繰り返すたびに弱くなっていったのだ。 人前でいきなり意味もなくモモエちゃんになりきるような強烈なキャラクターだからこそ、悪口が生きる。気弱なキャラクターが見えてしまった時点で、舞台に寂しさが漂ってしまった。 あきこさんもそれを感じていたからこそ、博多ワークショップでは奇跡の起死回生を図ることになる。もちろん、そこには森田さんの徹底的なダメ出しがあった。 だからこそ言えるのだが、一回や二回の失敗なんかどうだっていい。舞台が面白いかつまらないかなんてどうだっていい。そこに立っているのはドシロウトなのだ。たとえどんなに練習を積もうと、逆にプロになってはいけないのだ。 イッセーさんが私に「自信満々でやっても面白くないよ。しろうとが不安でたまらないけれども一生懸命やる。それが面白いんだから」と言った。 あきこさんも博多ではただ一生懸命にやった。だからこそ輝いた。 そのための試金石として、この小倉の舞台はとても意義のあるものだったと思う。
「やくざ団地」 > 着飾った女性二人。第三者の悪口でここでも盛り上がるかとおもいきや、ここでは、二人の関係は作れません。聞いているおとなしい女性は同意することができないのです。悪口に同調しない人がこのテーマでしょうか。当の女性が登場し、自分の悪口の残り香をかぎつけます。衣装がはっきりしていて、真ん中の同調できない女性をはさみ、まっ白のチャイナドレス、と真っ赤なワンピース。間の女性にお互いの悪口を吹き込みます。
これも練習の時の方が面白かったスケッチ。 悪口を言い合う二人を姉妹とする落ちは説明的で、それを付ける必要はなかったのではないかと思う。ただ、それを付けざるをえなかったのは、月子さん、ポアレさんの二人が、あともうちょっとのところでヤクザの女房に見えなかったせいだろう。 練習の時には初めての組み合わせで緊張感が漂っていたのだが、それが本番では薄れた印象だった。
「悪かったのはだれ?」 > ここでは、対立している学校の職員の間にとんちんかんなだめ先生が入ってきます。少しも仲裁しようなんて色は見せずに、♪仕事おさめだ正月ちかい、みんなで仲良くてんぷらそばたべよ♪と第九の節で歌います。家庭の愚痴は楽しげです。足がくさいといわれても、カレーが1週間続いても、校長にだめだしされても、先生は楽しそうです。真剣に対立していた二人はだんだんばかげた気分になってきて・・・。ここでも仲直りは第3者の悪口を交換することです。
自分が出ているとやはり客観的には判断しづらい。 吉村先生に「だめ先生」と見てもらったのはありがたいが、裏設定としては、他地方から転勤していて小倉に馴染めず、ふてくされているというつもりだったのである。だから小倉弁を喋れない。ワークショップではなぜかセンセイ役ばかりを振られているが、知り合いの教師をモデルにしてある。 森田先生からは「あと一日あればね」とダメ出しを頂いたが、実際、やったあとで、最初の二人のやりとりはもうちょっと長めにやってもよかったよな、とか、最後は三人の大合唱でもよかったよな、とか思う。 爪楊枝をくわえるのも思いついたが、それはやりすぎだったろう。
「舞踊教室」 > ダンス教室です。半パンの男性をはさんで、中年の女性二人が先生の悪口を言っています。とりを飾るにふさわしく、ダンスの先生は本当にアクの強い人物のようです。それにしても、ここでの見せ場はダンス生徒の女性が、超高速で悪口やら追従やら繰り出す様子です。先生が登場して、うっとりナルシスチックなせりふを口にするのに、がんがん合いの手入れていきます。うっとりするような掛け合いに、日本の悪口は文化だったんだってわかります。
先生役の方は本当にダンスをされているので、練習時に披露したダンスは素晴らしいものだった。 生徒役の人たちがそれを真似できたらよかったのだが、さすがに数日の練習ではそれは不可能で、本番ではかなり簡略化されてしまったのが惜しい。 悪口を言われるキャラクターはやはりより個性的でなければならないから、ダンスも本格的であったほうがいい。 先生に一番可愛がられている生徒が一番トッポイ感じの男性で、ダンスもへたくそ、というのが笑える。そういった演劇的なし掛けがかなりあるスケッチだったので、シロウトには難しい芝居なのだが、かと言ってこれをプロでやったら面白くなるかと言うとそれも違うだろう、ということが感じられるのである。 特に男性役の朝日新聞さん、これはシロウト以外の誰にもできないキャラクターだったろう。
> 共通に悪口言い合える対象のいる職場は平和です。そして、芝居っていうのは、どんなに秘密でも悪口でもいじわるでも、観客に見せるってことが、結局陰湿なものを公明正大なものへと転化してしまう力を持っています。WSで、普段やらないことを大声でやってみて、参加者がはればれするのも、芝居の力が大きいでしょう。
悪口が決して陰湿なものではない、いや、陰湿な悪口であっても、「聞こえよがし」な悪口は、相手が「強者」であれば、決して「いじめ」には繋がらない。 悪口を単純な正義感で否定し封印するのは、逆に陰湿な感情を発散させないままに人間関係を継続させることになる。それは果たして健全なことだろうか? 悪口ですぐに「傷ついた」とのたまう御仁が世の中にはたんといらっしゃる。被害者意識が強くなりすぎるあまり、「あいつは私を傷つけた」とヒステリックに吹聴する。「何もそこまで言わなくてもよかろう」と周りが思っても、自意識過剰に陥っているので聞く耳を持たない。意識的にか無意識的にか、騒ぎ立てることで、自分を逆に社会的強者の立場に転換しようとしている。 こういう人物がごろごろ現れるようになれば、悪口文化は滅びる。いや、かなり滅びてしまっていると言っていいだろう。このワークショップは、失われつつある文化の再生を図ろうとしている、そしてだからこそ一般人の、プロでないシロウトが参加することに意義を見出している、私にはそのように思えるのである。
> 今回の小倉は三者関係を見事にとりあげたんだなと思いました。ここではおもしろいことに二者の関係はそれほど重要なものとして描かれません。そりゃそうです。二人でいるときは楽しいとか楽とか当たり前すぎます。 むしろ、三人目がいることでできあがる二者の関係を堂々と取り上げたことがおもしろい。いじめって、この3人目を弱い人にすることですよね。でも、小倉ではふてぶてしい3人目がどんどんやってきました。これは、なんというか現代のヒーローなんだと思います。
私もその「3人目」を演じたわけだが、果たして「ヒーロー」に見えたのだろうか。
夜、ワークショップ仲間のHさんと待ち合わせて、しげ。と三人でSGcafeへ。 SGでのイベントには何度も参加しているが、私の主催としては初の試みで、演劇研究会を開くのである。 teruさんとネットでやりとりしているうちに、何となくそんな感じになってしまった。
俎上に乗せるのは、舞台版『笑の大学』(1998再演版)。 三谷幸喜作・山田和也演出、西村雅彦・近藤芳正出演の、映画化もされた傑作喜劇だが、映画版よりも舞台番の方が圧倒的に面白い。 ただ、誰か批評家も言っていたことだが、これを三谷幸喜の喜劇に対する決意表明と見るのはどうか。劇中劇がそこまでの傑作には仕上がっていないことが、その批評の根拠になっていると思う。面白い作品ではあるが、過大評価で神棚に祭りあげるようなまねはしたくないのである。 これはもう、何度も日記には書いてきたことなので、それ以上の感想は省略。
とりあえず集まったみなさんが、舞台の楽しさについて歓談してくださったのが嬉しい。
次回は1月10日(水)『12人の優しい日本人』の予定。
2002年12月06日(金) 頑張れ爆走� 紳萋鷁麁�本オタク大賞/『SとMの世界』1巻(ビーパパス・さいとうちほ)/『井戸の中の悪魔』(篠田真由美・秋月杏子) 2001年12月06日(木) 他人の日記ネタ。Aさんすみません(^_^;)/『ナジカ電撃作戦』MISSION 009/『韃靼タイフーン』2巻(安彦良和)ほか 2000年12月06日(水) 人は年6回風邪を引く/『冒険配達ノート ふまじめな天使』(赤川次郎)
| 2006年12月05日(火) |
熱い日々そのいち/DVD『姑獲鳥の夏』 |
SGcafeで、夕方から実相寺昭雄追悼の研究会。 しげ。は自宅に『マンドラゴラの降る沼』のDVDが届くというので欠席。 今日は常連の委員長も欠席で、私とdaigo氏、マスターの三人のちょっと寂しい研究会となった。 その分、濃い話にはなったけれど。
DVDは『姑獲鳥の夏』。 今、見返してみても、あの長大な原作を決してダイジェストでなく、よく映像化しているものと感心するし、ミステリーとしてもかなりフェアである。 メイントリックのアンフェア論争は私にとってはアンフェアでも何でもなく、むしろ原作でも気になっていたのは「本物の」超能力者・榎木津で、これがミスディレクションだろうかという疑問は初見の人にはやはり首を捻るところだろう。 これが通常のミステリーではなくて、SFミステリーなのだということを納得させるのにやや時間が掛かるのがネックではある。
daigo氏との演劇談義は楽しかったが、書いてる時間がない(苦笑)。
2002年12月05日(木) 数年前までは忘年会なんて殆どしなかったなあ/『時代小説英雄列伝 銭形平次』(野村胡堂) 2001年12月05日(水) おばさんのタイホ/『おさんぽ大王』2巻(須藤真澄)ほか 2000年12月05日(火) NOT THAT IT MATTERS/アニメ『鉄腕アトム・ミドロが沼の巻』
| 2006年12月04日(月) |
よく分からないリクツ/アニメ『DEATH NOTE』第7話「曇天」 |
あるSNSで知り合った女性(とりあえずAさんとしておく)から、メールが来た。 内容は「申し訳ないが、自分の日記にコメントを付けるのを控えてほしい」というものだった。
さて、なにかAさんの気を悪くさせるようなことを書いたのかしらんと思いながら、身に覚えもないので、問合せのメールを送ってみたら、すぐに返事が来た。 「自分の好きな人が、あなたのことを嫌っているので、あなたが書き込みをするとその人が書き込みしてくれなくなるから」というものだった(その私を嫌っている人の名前は書かれていない)。
えらい、迂遠な理由だなとは思ったが、その「私を嫌っている人」というのが誰だか分からない以上は、何とも対応の取りようがない。 一応、あの人ではないかという見当が付きはするが、断定はできない。もしもその人だとすると、少しばかり絡み屋さんというか難癖付けるのが好きな人と言うか、つまりはいささか被害妄想の気味のある人なので、正直、あまり関わりあいにならない方が無難なのである。
で、やんわりと、「ご迷惑なら、コメントと言わず、お付き合い自体を控えても構いません」とメールを送ったら、「友達づきあいはやめたくない、期間限定でコメントを付けないでもらいたいだけだ」と来た。
何なんだろうね? これは。
まあ、その私を嫌ってる人が私がコメントを付けているのが気に要らないという心情は分からないでもない。 要するに嫉妬だろう。 幼稚ではあるが、恋した者の心の暴走は止められるものでもない(笑)。 ただ、それならスッパリこちらとの関係を切っちゃったって別に構わないとも思うのだが(言っとくがヘンな関係は全くないからね)、そうしちゃうと「自分がひどい人になる」と分かっているから、それもできないのだろう。
つまりはみんな「いい人」でいたいのである。
いい人でいたいのなら、何もないふりをするくらいのオトナな対応が取れないものかとも思うのだが、それはその人たちにとっては自分を偽る行為ということになってしまうのであろう。
こういう私の関知しないところでややこしいことをされていると、実際面倒で仕方がないのだけれど、何かもう、私は慣れました(笑)。
世の中は変人で成り立っているのである。
ドラマ『のだめカンタービレ』やアニメ『ブルーラグーン』ほか、テレビを漫然と。 感想を書くのは、『DEATH NOTE』だけでカンベンしてください(苦笑)。
『DEATH NOTE』第7話「曇天」。 東京とは三週間遅れの放送なので、ようやく美空ナオミがライトによって葬られる。 アニメにして見ればやはりこの原作の、ドラマとしての弱さはかなり露呈してしまう。何しろ今回、「動き」としてはライトとナオミは、30分間、歩いて会話を交わしているだけなのだ。ナオミからいかにして本名を聞きだし、デスノートに書くか。実際、そのアイデアはそれほど上等なものではない。
映画版前編では、今回の話を更に膨らませて「動きのあるエピソード」としてクライマックスに持ってきていたが、そうしないと、そのままの映像化ではここがダレ場になってしまうのである。
レイ・ペンバーを殺した時には、先にバスジャック事件があり、地下鉄を利用したりと、画面上の工夫もし易かったろうが、今回は映画のように原作を大胆に脚色するわけにもいかなかったろうから、演出上の苦労は並大抵ではなかったろうと思われる。 作画に力を入れることと、イメージショットをところどころに挿入することで、ドラマの弱さをかなりカバーしてはいるが、死刑台のイメージをナオミに重ねる演出は、いささか「やり過ぎ」の感がある。
説明的なイメージは、かえって視聴者の想像力を減退させてしまいかねないのだ。 雪の中に溶けるように消えていくだけで充分だったと思うけどね。
2002年12月04日(水) 殺伐とした日々/『文章読本さん江』(斎藤美奈子) 2001年12月04日(火) 「ピー」って口で言わんでも/『ワンピース』21巻(尾田栄一郎)/『うまんが』1巻(新井理恵)ほか 2000年12月04日(月) 仕事休んでマンガ三昧(^_^;)/映画『戦場のメリークリスマス』ほか
| 2006年12月03日(日) |
人の心が芽生える時/映画『007 カジノ・ロワイヤル』( |
ちょっとまた一日の予定に追われつつある今日この頃。 『無責任』の更新はどうしてこう時間がかかるかね。 以前に比べれば文章はかなり短くなってると思うんだが、やっぱ以前ほどには指が効かなくなってるせいか。
シティボーイズの今年の舞台、『マンドラゴラの降る沼』のDVDを注文する。 ここ数年、若い人たちと組んできたシティボーイズだけれども、申し訳ないけれども、お三方のパワーに拮抗できる方はいらっしゃらなかった。 それが今回は、中村有志、いとうせいこう、銀粉蝶さんという超ベテラン(失礼)な方々とタッグを組んでいるのだ。北九州芸術劇場まで2回も見に行ってしまったが、これは『真空報告官大運動会』、『ら・ハッスルきのこショー』以来の傑作スケッチの連続なんである。 まさかこれが最後のともしびだとは思いたくないが、これを越える舞台はそうそう作れないような気がする。私がこのDVDを買わないはずがないのだね(笑)。
薬を飲み続けているが、抜いた親知らずのあとがぷっくらと腫れている。疼いているわけではないから、大丈夫だとは思うが、何となくな不安は残る。 我慢のできない痛みの中で、歯痛は最たるものだと言うが、精神のバランスは確実に崩れる。 こういうときはただじっとして寝ていたい気分なのだが、休日はたいていイベントが入っているのである。 自分で入れたイベントだから、文句をどこに持っていきようもないんだけど。
志免町のシーメイトにて、『万能グローブ ガラパゴスダイナモス 番外公演vol.3 「レモン・サイダー・バカンス〜リコシェ編〜」』(作・演出 川口大樹)を観劇。 川口さんからSNSでお誘いを受けた上、無料公演だから、内容について文句は言いたくはないのだが、途中までは見ていてかなり疲れた。
喫茶店「カフェ・リコシェ」は、近くに出来たメイドカフェに客を取られて、閑古鳥が鳴いている。 女オーナー・まっこは、かなり気が立っているのだが、ウェイターの大林とウェイトレスのアカネは店のことよりも、別の問題で頭を悩ませている。 大林は、少女マンガ家を夢見ていて、自分の原稿が応募に間に合うかハラハラしているし、アカネは騙されて売りつけられた招き猫の代金50万円をどうしたら取り戻せるかと思案中だ。 そこに常連客の一志橋が、なにやら運び屋を頼まれたからと、謎のトランクを持ち込んできたところから、ドラマは転がって行く……。
のだけれど、転がるまでの喫茶店の中でのやりとりが長いのだ。 後半、マンガ原稿と契約書の取り違えの流れや、招き猫がどんどん増えるギャグなどがなかなかテンポがよかっただけに、過剰なセリフでかえってテンポを落としてしまった前半が惜しい。 そこんとこを刈り込んで、後半、事態をもうちょっと混乱させたら、かなり出来のいいシチュエーションコメディになるんじゃないかと思うんだけど……。 少なくとも、箸にも棒にもかからないというほどではない。無料でなくても、1500円なら文句はないところだろう。三谷幸喜レベルで5000円が取れるのだから、もう一息だ。
見終わったあと、交流会があったので、川口さんに挨拶。 よければ今度のイッセー尾形(抜き)公演にもどうぞいらっしゃってください、と宣伝をする。
その間、しげ。が遠巻きにして川口さんに挨拶をしようとしなかったので、どういうわけかをあとで聞いたら、「ネットで今見た芝居を貶そうと思ったから、仲良くするのはやめた」と言ったので、どやしつける。 貶すことを目的として人と交わらないというのは本末転倒もはなはだしい。
私がここで芝居や映画を批判しているのは、「批評を行う」ことを前提としているため、結果的に知り合いの舞台であろうが批判する時は批判することになっているだけだ。そのことで疎まれることがあったとしてもそれは仕方のないことと覚悟している。それに、見る人が見ればこれがただの悪口ではなく、視点を明らかにした批評であることは理解できるはずである。
しげ。がやろうとしていたことは、批評とはほど遠い、ただのこきおろしである。人との交わりを疎かにしている人間に、何の批評ができるものか。
どやしつけたらどやしつけたで、今度は「じゃあ、これからもう一切映画の感想とかも書かん」と言うのである。それも全くの勘違いだ。私はしげ。に批評を書くなと言っているわけではない。何かを批評するためには、先に人として守らなければならないことがあると言っているのだが、いつまで経ってもこいつにはそういう人を思いやる心が芽生えない。 私はもう、諦めた方がいいかという気持ちになりつつあるのである。
父と待ち合わせをして、キャナルシティで映画『OO7 カジノ・ロワイヤル』を見る。
『007 カジノ・ロワイヤル』(CASINO ROYALE/2006/アメリカ・イギリス・チェコ・ドイツ映画 144分)
原作:イアン・フレミング 監督:マーティン・キャンベル 出演:ダニエル・クレイグ、エヴァ・グリーン、マッツ・ミケルセン、ジュディ・デンチ、ジャンカルロ・ジャンニーニ ほか 字幕翻訳:戸田奈津子 主題歌:クリス・コーネル 「ユー・ノー・マイ・ネイム」(ユニバーサルミュージック) 【解説】 > 過去4作にわたってジェームズ・ボンドを演じてきたピアース・ブロスナンに代わり、新たに抜擢されたダニエル・クレイグ扮する6代目ボンドが初登場するシリーズ通算21作目。イアン・フレミングによる原作シリーズの原点『カジノ・ロワイヤル』を、本家シリーズとしては初の映画化。“007”として初めての過酷なミッションに挑む若きジェームズ・ボンドの活躍と“運命の女”との切ない恋の行方を描く。監督は「007/ゴールデンアイ」「マスク・オブ・ゾロ」のマーティン・キャンベル。 > 殺しのライセンス“00(ダブル・オー)”を取得するため、昇格最後の条件である2件の殺害を実行したジェームズ・ボンドは見事ダブル・オーの称号を得る。そして最初の任務は、世界中のテロリストを資金面で支える男、ル・シッフルの資金を絶つこと。まずはマダガスカルで爆弾所有の男を追い、バハマ、マイアミでは武器売人と航空機爆破の阻止に奔走し、やがてル・シッフルに辿り着くボンド。すると、ル・シッフルがモンテネグロの“カジノ・ロワイヤル”で大勝負に出ることが明らかとなり、ボンドは更なる陰謀を阻止せんと現地へ向かうのだった。しかし、そんな彼のもとには、財務省からお目付役として美女ヴェスパー・リンドが送り込まれる。最初は彼女に対して懐疑的だったボンドだが、危険を共にする中で次第に心惹かれていく…。
故アルバート・ブロッコリの名がタイトルの前に流れ、久方ぶりに「原作」としてイアン・フレミングの名前が紹介されると、否が応でも興奮する。 パロディ版『カジノ・ロワイヤル(1968)』も好きだが、本家本元、スパイ小説の元祖としての原作の映画化を望んでいたOO7ファンは、決して少なくはないはずだ。 しかし、原作は既に50年も前の作品である。当然、現代を舞台にした映画として製作するには、数々の設定変更が必要となる。パロディ版にも登場していた宿敵・ソ連のスメルシュは本作には登場しない。 ル・シッフルもフランス人ではなく国籍不明で、彼を背後で操るテロリスト・グループにも具体的な名称ない(どうせアラブ系だろうけど)。 しかし、ではこの映画が原作を無残にずたずたにしてしまっているかというと、決してそうではないのだ。
ジェームズ・ボンドとル・シッフルとのトランプ勝負の心理戦、ル・シッフルの復讐(拷問の仕方もほぼ原作通りだ!)、そして意外な結末……。 映画は更にもう一つの結末を加えて、「OO7誕生」を印象付けるが、その展開は、これまでの映画化以上に、原作に忠実と言えるものである。即ち、原作がそうであったように、これはダシール・ハメットに始まるハードボイルド・ミステリーの系譜に連なるスパイ・ミステリーの傑作だということだ。
ミステリーである以上、具体的な結末を語るわけにはいかないが、本作でのジェームズ・ボンドは、荒唐無稽なスパイ・ヒーローではない。特殊開発された新兵器を使うわけでもないし、宇宙に飛び出してSFまがいの決闘を繰り広げるわけでもないし、女と見ればコマさずにはおれないニヤケた色情狂でもない。 一個の「人間」なのである。 原作がそうであったように、スパイ稼業に嫌気がさし、OOナンバーを取得したばかりだと言うのに、ヴェスパーと結婚することを決意する、そんな弱い人間なのである。
これまでのアクション・ヒーローとしてのOO7シリーズに馴れていた向きには、今回のボンドはいささか情けなく、青臭いようにすら映るかもしれない。 しかし、これこそが原点のOO7なのだ。
我々は初めてジェームズ・ボンドがどんな男であったのかを知る。そう、まさに彼は「男」であったのである。
できれば、ヴェスパーとの濃厚なラブシーンが見たかったところだけれど、それはナシ。R指定にならないように気を使ったのかな(苦笑)。
2002年12月03日(火) 余裕のない日。いつもかも。/DVD『アードマン・コレクション2』 2001年12月03日(月) 平和だねえ。/『蒼い時』『華々しき鼻血』(エドワード・ゴーリー)ほか 2000年12月03日(日) この日記も歴史の証言/映画『エクソシスト2』ほか
| 2006年12月02日(土) |
イッセー尾形ワークショップ交流会に寄せて |
昼まで泥のように眠る。 昨日からの歯の疼きが気になっていたからでもあるが、痛み止めを余計に飲んでいても、やはり何かの拍子でずきんと来るのだ。歯を根こそぎ一本抜き取ったのだが当然ではあろうが、縫った糸の端か舌にチクチク当たるのを感じていると、やっぱり今度の医者もヤブなんじゃないかという気がしてくる。 ともかくヤブ率高いんだよね、福岡は。
それでも昨日食事ができなかった復讐戦ということで、夜は、イッセー尾形ワークショップin博多の仲間たちとの交流会に出かける。 ワークショップに参加するのも別にこれが初めてではないのだが、他のメンツもよく語っているように、終了後もこうして仲間が集まるというのは、奇妙を通り越して、こいつらアタマがおかしいんじゃないか(笑)とすら感じてしまう。
あれだけ森田雄三氏、イッセー尾形氏にダメ出しされ、罵倒されているというのに、もしかして全員マゾなのか?とか。もちろん私もその一員ということになってしまうのだが。
一番若い参加者の女の子から、「大人になったら叱られることがないから、それが気持ちいいんじゃないですか?」と言われたが、案外そんなものかもしれない。
生活共同体の中で、自分の役割と人生が一致していた過去の大人と違って、社会の中で根拠も基盤もなく、責任だけを強要される現代人は、加齢はしていてもそれは形だけの大人に過ぎず、「オトナ」とカタカナ表記しなきゃならないようになってしまっている。 だから大人が諍いを始めると、子ども以上にみっともないことになってしまいがちだ。実際、「この人は大人だなあ」と感じる人間に出会うことなど、滅多にあるものじゃない。 イヤなことがあればさっさと退散してしまえるネット社会などはなおさらで、これまでどれだけイカレた連中に絡まれたか、数えるのも面倒になってきた。 申し訳ないことだが、私の日記を読んでいろいろ問合せを受けることも多いのだが、知り合い以外のイチゲンさんを相手にしなくなっているのはそういうわけである。
ワークショップの仲間たちもまた、それまでに全く出会ったことのない人たちばかりである。 なのに、どうしてまた合おうという気になれるのか。 なぜこんな「同窓会」を作れてしまうのか。 誰かが、この仲間たちは「戦友」なのだと言った。では私たちはいったい何と戦ったのか。イッセー尾形とか、森田雄三とか。 多分そうではなく、「擬似大人にしかなれなかった自分たち自身」とである。
森田氏が「大家族」をテーマにしたのは何のためか。 時代を現代ではなく昭和にし、方言を復活させたのは何のためか。 我々が失ってしまったものを取り戻すことが可能かどうか、それを試されているのだ。 映画ではノスタルジーに浸るだけで終わる。しかし、このワークショップでは、過去を再現し、それを「体験」できる。 そこに我々は「生きている」実感を覚えたのではないか。 だから我々は「終わらない」のである。シロウトばかりの集団が、新たなコミュニティを作れるのである。 「叱られるのがイヤだ」と不参加だった知り合いが何人かいたが、まあ確かにリアルに生きることから背を向けてるところがある連中ではあった。もったいない話である。
我々は本当の大人になりたいのだ。多分。 あ、しゃぶしゃぶ鍋はうまかったよ♪
2002年12月02日(月) いつか見殺しにされる予兆/DVD『助太刀屋助六』/DVD『真夜中まで』 2001年12月02日(日) ナンビョーY子さんのHP/『新世紀エヴァンゲリオン』7巻(貞本義行)ほか 2000年12月02日(土) 『BLOOD』=『プロジェクトA子』?/アニメ『BLOOD THE LAST VAMPIRE』
| 2006年12月01日(金) |
名探偵Lの軌跡/映画『手紙』 |
作曲家の宮内国郎氏の死去に、昨日の実相寺昭雄氏の死去に続いて衝撃を受ける。
> 宮内国郎さん74歳(みやうち・くにお=作曲家)27日、大腸がんのため死去。葬儀は近親者で行う。自宅は東京都狛江市岩戸南1の5の2。喪主は長男俊郎(としろう)さん。 > 「ウルトラQ」「ウルトラマン」など特撮テレビ番組や映画の主題歌作曲を中心に活躍した。 > (毎日新聞) - 11月30日23時14分更新
どの記事も、昨日の実相寺監督以上にそっけない。 せめて映画音楽の代表作と言える『ガス人間第一号』に触れてくれてもよかったのではないかと思うと悲しい。
> 今度の主役は“L”、映画・デスノート“外伝”上演決定! > 今度は「L」が主役−。映画「デスノート」のスピンオフ作品が製作されることが11月30日、決まった。6月公開の「デスノート」、公開中の「デスノート the last name」で俳優、松山ケンイチ(21)扮する謎の天才「L」が想像以上の人気キャラクターとなったため、原作にはないストーリーが掘り起こされることになった。平成20年公開の予定。 > 大人気映画の脇役が、前例のない早さで“独り立ち”を果たす。 > 「デスノート」では、松山演じる「L」は藤原竜也(26)扮する主人公、夜神月(ライト)のライバル役。名前を書かれた相手が死ぬという不思議なノートを手に、世直しを目論む月と、月の犯行を暴こうとするLの壮絶な頭脳戦が話題を呼んだ。 > 世界的に有名な天才探偵でありながら、奇妙な風貌というアンバランスなLのキャラクターが思わぬ大人気となり、難役に挑んだ松山も一気にブレークした。 > スピンオフ作品は、現在のところ、Lが主役ということ以外はすべて白紙の状態。タイトルも未定。「デスノート」以前のエピソードが中心になるとみられるが、月との絡みの有無などはすべて謎のままだ。 > 松山は「前編、後編で自分なりにLという役をやり切ったと思っていたのですが、撮影から3カ月たち、まだ何かやれたのでは? という思いが沸いてきました」と再チャレンジへの意欲を見せている。 > 来年のクランクインに向けて「次は主人公ということもあって、周りがプレッシャーをかけてくると思うので、それを思うと重圧を感じてしまいそうです」と気を引き締めている。 > 原作漫画「DEATH NOTE」は累計2300万部の大ベストセラー。映画「デスノート」は興収28億5000万円に達し、ハリウッドを含む海外数十社からリメークのオファーが殺到している。11月に公開された後編「−the last name」は同40億円を突破するなどさらに勢いを増している。 > 空前のデスノートブームが、公開中の映画の続編発表という異例の展開につながった。松山=Lがさらなる旋風を巻き起こすのか、大注目だ。 > (サンケイスポーツ) - 12月1日8時1分更新
映画『デスノート』前・後編については、原作ファンから喧しい批判も寄せられていたようだが、殆どが自分の持っているイメージと映画のイメージとの乖離に起因する感情的な悪口で、一顧だにする価値もないものばかりであった。 中にはプロのライターと称する人間までが「原作のライトは映画の藤原竜也ような馬鹿じゃない」などという記事を書いていたが、これなどは原作に対する過大評価の最たるものだろう。夜神月(ライト)は、第一話から「自分だけが天才だ」と思い上がっている馬鹿者で、最終的な敗者となることは予測できていた。 通常の少年マンガで、「私は神だ」などと嘯く人間が勝者になった例などない。『デスノート』も少年ジャンプのマンガの一つに過ぎないということを考えれば、僭越な人間に罰が下されることは自明の理だったのである。 『デスノート』の最大の失敗は、人気が出たために連載が長期化し、途中で本来は勝利者になるはずだったLを死なせざるを得なかった点であろう。 金子修介監督が、『デスノート the last name』において、「本来、このような終わり方をさせたかったのではないか」という含みの結末を新たに用意したのは、蓋し、慧眼であったと言えるのである。
本来、Lはライトに敗れるはずがなかった。 そう考えれば、『デスノート』の本来の主役がライトであるかLであるか、問うまでもないことだ。 時系列は逆転するが、Lの活躍するミステリーが制作されることは大いに喜ばしいことである。考えてみれば、テレビドラマでは名探偵を主役としたシリーズは数多く作られているものの、現在、映画で定期的に制作されている作品は、『名探偵コナン』のみなのである。 実相寺昭雄監督が明智小五郎を『屋根裏の散歩者』『D坂の殺人事件』『鏡地獄』と三作まで製作したが、残念なことに鬼籍に入られた。『姑獲鳥の夏』の京極堂はシリーズにはならなかったし、30年ぶりに市川崑監督によってリメイクされる金田一耕助ものの『犬神家の一族』は、シリーズ復活とは言いがたい。Lのシリーズ化は快挙と言っていいのである。
願わくば、原作者の大場つぐみ本人の手によってLの物語が語られ、小畑健のマンガ版も復活、ということにならないだろうかと期待しているのだが、そうすれば探偵ものではサンデーの『コナン』、マガジンの『Q.E.D.』の後塵を拝することになっていたジャンプが、ようやくライバルに拮抗することのできるキャラクターを生み出したことになると言えると思うが、どうだろうか。
平日ではあるが、定例の通院の日である。 体重は80キロを切っているのに、このところ血糖値の推移が思わしくない。 70キロ台で体重が定着すると、またじわじわと血糖値が上昇していくようなのだ。ならば更に体重を減らしていかねばならないわけで、どこまで節食していけばいいのか分からない。 食事を抜くのはかえってよくないと言われるが、断食以外に方法がないのではないかという気もしてくる。 わがランゲルハウス・アイランドは、インスリンの供給を疎かにしているわけでは決してない。丸一日絶食しても、運動を長時間行っても、体が血糖値を100以下に戻せないくらいに基盤が弱っているのである。 このまま緩やかに死に至る病に取り憑かれているのかと吐息を漏らすしかないのである。
今日は、もう長いこと痛み続けていた親知らずを一本抜いた。 虫歯でぼろぼろになっていたので簡単には抜けず、歯をタテに真っ二つに裂いて引っこ抜くという荒療治だった。 奇妙なことにこの虫歯、ワークショップ前から痛みだしていたのに、その練習期間には痛みがウソのようにぴたりと治まり、ワークショップ終了と同時にまた痛み始めたのである。 イッセー尾形&森田雄三のワークショップは、歯痛にも効く(笑)。
今日は妻も通院の日。 お互い、病院を引けたあと待ち合わせて、映画の日、1000円興行ということで、夜はキャナルシティへ。 映画『手紙』を見る。
『手紙』 (2006/ギャガ・コミュニケーションズ/121分) 【スタッフ・キャスト】 監督 生野慈朗/脚本 安倍照雄・清水友佳子/原作 東野圭吾 出演 山田孝之・玉山鉄二・沢尻エリカ・吹石一恵・尾上寛之・吹越満・風間杜夫・杉浦直樹
【ストーリー】 > 工場で働く20歳の武島直貴は、職場の人間ともまるで打ち解けず、人目を避けるように暮らしていた。 > それというのも唯一の家族である兄・剛志が、直貴の学費欲しさに盗みに入った邸宅で老婆を殺してしまったからだった。 > 兄が罪を犯したのは、自分のせいだ。そう自責する直貴は、せめてもの償いにと服役中の兄から届く手紙に丁寧な返事を書き続けていた。 > そんなある日、更生した元服役囚と出会った直貴は、一度はあきらめたお笑い芸人の夢に再び挑戦しようと決意する……。
> 06年直木賞を受賞した東野圭吾の社会派小説を、「3年B組金八先生」や「愛していると言ってくれ」など数々のヒットドラマを手掛けてきた生野慈朗が映画化。 > 01年夏から02年秋まで朝日新聞日曜版で連載された原作は、犯罪者の家族に突き付けられる厳しい現実という衝撃的で重いテーマが、大きな反響を呼んだ。 > 出演は、兄が殺人者だという現実にもがき苦しむ主人公に山田孝之、弟を思うあまり強盗殺人を犯してしまった兄に玉山鉄二、そして主人公に大きな愛を傾ける工場の同僚役に沢尻エリカと、まさに若手実力派揃い。 > なかでも出場こそ少ないが、真に迫った玉山の演技が強烈な印象を残す。映画版には、原作になかった感動のラストシーンが用意されているのでお楽しみに!
私は東野圭吾の小説は、それほど高く買ってはいないのだが(宮部みゆき程度がそれよりちょっと下)、なぜか映画化率・ドラマ化率が高いことに疑問を抱いている。どれもこれも、設定はかなりシリアスなのに、結末のつけ方がいずれも甘いからだ。 原作は未読なので、あのラストシーンが原作に比べて感動的なのかどうか分からない。しかし少なくとも、これを「泣ける映画」と言うのなら、日本人の涙腺はだだ漏れ状態で、どこの映画館も床が水浸しで困った事態になることだろう。それくらい、この映画の「泣かせ力」は白々しい。
そもそも今時、「貧乏」をテーマにした物語自体にリアリティがない。 兄が弟の進学のために泥棒を働くというのがただの馬鹿で同情の余地がないし、うっかり出くわしたその家の老婆を誤って刺し殺す展開も取ってつけたようで、脚本家の頭の悪さを感じるばかりである。 ましてや、兄が逃げ遅れたわけが、「甘栗を見つけてそれを弟に持っていってやろうと思ったため(でも実は弟は甘栗が好きではなくて、それは兄の勘違いだった)」というのは、観客を笑わせたいのかと訝るしかない。確かに私は失笑した。 そこまでするほどの貧乏だったかと言うと、兄が服役したあと、弟は独りで自活できるようになるし、もともとの設定自体が矛盾だらけで、ドラマになかなか乗れない。兄弟を取り巻く環境の深刻さが少しも伝わってこないのである。
それから「犯罪者の兄を持った」弟の受難の日々が始まるのだが、これも描写がストレートすぎて、かえって切実感に乏しい。なにしろ弟が転職する先々で必ずチクリ屋が存在していて、そのたびに弟は兄を恨む、という流れが繰り返されるのである。いくら現代が情報化社会とは言え、そこまで情報通のヒマ人がどこにでもいるというのは主人公を追いつめるのが目的とは言え、「作り過ぎ」の謗りを受けても仕方がない。 まともな脚本家なら、弟の恐怖を、実際に追われていく物理的な描写よりも、「いつ素性がばれるか」という心理的な表現の方に絞って描くだろうし、実際の差別はもっと陰険で巧妙である。親切めかして実はじわじわと真綿で締められるような逼塞感を与えていくもので、だから簡単には抵抗できないものなのだ。ストレートな差別なんて、差別と分かるだけ、抵抗のしようもある。抵抗できない差別が実は一番厄介なのだが、この映画はそんな繊細で重苦しい描写は極力避けて通っている。 切実感が弱い分、主人公の苛立ちは、ただの「甘え」にしか観客には映らない。手を差し伸べる人々の行為を袖にするのも、ただの馬鹿にしか映らず、共感も同情も覚えない。 だからこれでどうして観客が泣けるのか疑問に思うのだが、劇場ではあっちでもこっちでも啜り泣きが聞こえるのである。まあ、「泣ける映画」だと聞いて、泣きたい気分の人間が観れば、この程度の三文ドラマでも充分に泣けるのだろう。『ALWAYS 三丁目の夕日』と言い、日本人の感動の質もすっかり安っぽくなってしまったものだ。
どこぞのテレビ番組で、沢尻エリカのナチュラルな演技が素晴らしいと監督が絶賛していたのを見たが、特に目立ったよさというものもない。同世代の女優の中でも際立った美人なだけに、使い勝手がかえって難しいのはシロウトの私にも分かるが、食堂の給仕時代、美容師時代、主婦の時代と、三段階の変化を見せるうち、最も魅力的だったのは一番「汚されて」いた給仕時代だった。 時間が経つに連れて魅力が半減して行くというのは、ヒロインを美しく見せることに監督が不得手であることを露呈してしまっているということである。 その点でもあまりこの映画を評価する気にはなれないのだが、ネットなどではやっぱり「感動した」「涙が止まらなかった」などの感想が引きも切らないのである。今年観た映画の中でも三本の指に入るくらいのワーストなんだが、世の中、ウンコを観ても泣けるハエなみの脳しか持たない連中はゴロゴロ転がっているのである。 ちょっとそのへんにとっちらかしとかないで、ゴミ業者が回収してくれないものだろうか(笑)。
SGcafeで、12月の誕生日の常連客を祝っていただけるということで、私と女性がもう一人、招待を受ける。 妻は「あんたの誕生日だし、招待と言ってもお金払うわけじゃん」とボイコット。 客の中には私を気に入らないと思っている人もいて、参列しないとわざわざ店主にメールを送りつけたやつもいるとかで、あまり嬉しい気分にはなれない。普通、そこまでわざとらしいいやがらせをするかね。しかも当人がなぜ私をそこまで嫌っているのか、私には皆目見当がつかないのだ。何か私の「押し付けがましい」態度が嫌いだと言うのだが、その人にいちいち絡んだことなど私には身に覚えがなく、私の方が一方的に絡まれてばかりだった。ちょっと異常なところがある人なのである。 だいたいにおいて、私を嫌う人間は自意識過剰で被害妄想的な人間ばかりなので、嫌われても特に支障は来さないのだけれども、アタマのおかしな人間がどこにでもここにでもいるというのは、気が休まらないことも多い。 多少アタマがイカレていたとしても、それなりに社会生活は送っていなきゃならないんだろうから、もうちょっと世間知というものを知ろうよ、と、愚痴の一つくらいは叩きたくもなるのである。
かてて加えて、抜歯直後のために食事は一切できない状態である。 本当は金冠かぶせてもらうだけのつもりが予想外の展開だったので、参加するだけ意味がなくなってしまったのだが、今日いきなりのドタキャンというのは、さすがにお祝いに駆けつけてくださる方々をソデにはできない。 実際、顔を出してみると、みなさんプレゼントを用意されていて、恐縮することしきりだった。
しかし、アヤムゴレン、ナシゴレン、ミーゴレンと、次々とならベラ蹴るインドネシア料理の数々を前に、ウーロン茶だけを飲み続ける2時間というのは、かなり寂しいものだった。 間が悪い時は悪くなるものである。
2002年12月01日(日) もう今年は風邪なんか引かないと思ってたのに/『バンパイヤ トッペイの巻』(手塚治虫) 2001年12月01日(土) ご生誕。/DVD『ラ・ハッスルきのこショー』 2000年12月01日(金) エクソシスト=悪魔じゃないよ/映画『エクソシスト ディレクターズカット版』
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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