2002年出産:のびのび一人っ子の母: KKの短い日記 

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2005年02月25日(金) オークション終了。



他県に旅行に行ったとき、その土地の新聞(○○日報、とか)を見るのが好きでした。

ときには土産に持ち帰ったり(父ゆずりのクセ)。

見なれない地名や、そこの生活ぶりがそこはかとなく新聞から感じ取ることができる気がして。

ワタシだけでしょうか。




さて先日、オークションでとある品物を売る事ができました。

終了直後から郵送用の箱を出し、包みはじめるKK。善は急げ。

あ。

せっかくだから地元紙を梱包材がわりにしてつめてみようか・・という気になりました。

地元の大きな楽しいニュース見出しを目立つように・・・いそいそ。



ガムテープで封をして・・・ヨーシ、梱包バッチリです!







直後、オークションの落札者から連絡が。





『すぐ近くに住んでいるので、直接取りに伺ってもよろしいでしょうか?』








・・・・・箱のまま渡しました。

 


2005年02月23日(水) 最後の授業。

ちょっとイレギュラー更新が重なっちゃいました。今週はこれで更新しません(おいおい)。

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あかさたなさん、ウチは月の歌が変わる度、毎回のように「○○は?」と聞いてきます。その度に「もう飽きちゃったんだって」「へえ〜」で終わるんですが、ヤバいですかね?(言う方も納得する方も)

うぇいさん、ずっと見ててもらえたんですか。嬉しいです!体操のおにいさんは十二年ですってね〜。「その前の人から見てたよ」っていう子ども(←子どもか?)の方が怪しい。っていうか前の人って誰?

かざるさん、そうですか〜。ワタシの巡回先はなぜかほとんどこの話題にふれていないんですよ。って、巡回先の種類が違うんでしょうね・・・(どんな種類なんだ!)さよなら畳っていいですね〜(笑)。

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先日チラ見したタウン誌に載っていたQ&A。

Q「公園デビューのコツを教えて下さい」
A「自分の子どもの名前をまぜながら話をすると、他のお母さんたちに名前を覚えてもらえますよ」

・・・そんな不気味なことできるか。

別に覚えてもらえなくてもよかったのに、ウチは何だか簡単に印象づけられました。
春と秋しか公園に行かない(気候のいいときだけ:まるっきりKKの勝手だ)という印象薄い親子だったんですが。
もしホントに覚えてもらいたかったら真似してください。

「公園グッズに名前を大書」

これに限ります。
バケツだろーが熊手だろーが、アイスのスプーンにいたるまで名前を書いたKKを

さあ、ケチと呼びなさい。

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「最後の授業」(ドーデ作)というお話を知ってますか?
昭和初期から1980年代まで教科書の常連だった短編小説なんですけど・・・KKも習った記憶があります。


ざっと覚えてるだけのあらすじ。間違ってたらごめんなさい。


普仏戦争でフランスが敗北し、アルザス・ロレーヌ地方がドイツ領となったときのお話。
ある日のアルザス地方。
フランス語の先生が「私が授業をするのはこれが最後です。ここではドイツ語だけを教えるように命令されたのです」と言う。淡々と授業はすすむ。
最後に、先生は大きな文字で黒板に「フランスばんざい(Vive la France:ビブ ラ フランス)!!」と書き、授業を終える。



ところがこの話には事実誤認が指摘されたそうです。
「アルザスでは当時、フランス語なんか話しちゃいなかった」
っていうことで。

あらー・・・。





えーと、それがどうとか言いたいわけじゃありません、実は。





KKがある日、学校に行ったらですね、あったんですよ。

誰かが黒板に




「Vive la France!!」



ってデッカク書いた文字が。


2005年02月18日(金) 欽ちゃんの仮装大賞。


先日ふと考えました。

欽ちゃんの仮装大賞・・・・に出るのって、面白そうじゃありません?

悪ノリしそうな家族であれば、KNが大きくなったころ応募してもいいのになーと思ったKKです。

(実際にはそういうの、KT・KNともに激しくイヤがりそうです)




以下想像:



規定票に達せず、落選の「ヒュ〜ルルルル〜〜〜〜」という効果音のあと。



欽ちゃん「あれ・・・あれえ〜〜〜?いい演技してたのにねえ〜!ねぇお母さん。こっちはお嬢さん?」

KK「そうです〜」(落胆を押し隠し、照れ笑い)

KN「・・・・(ムッツリと出てくる)」

欽ちゃん「今日は2人で来たの?」

KK「(困り顔で)・・いえ・・ウチの人もいるんですが・・・」

欽ちゃん(見まわして呼ぶ)「え?お父さん?オトウサーン!?」




セットの後ろからKTしぶしぶ出てくるが、顔はまっくろに塗られ体は江頭2:50のようないでたち。


欽ちゃん「ああ〜お父さんそんなとこにいたの!寒いのにこんな格好で頑張ったのにねえ〜〜!!」



・・・ピ




一票入るが、それでも規定には遠く及ばない。








一体何の仮装をしたんだか。


2005年02月15日(火) あのヒロシじゃなくってね。



大河ドラマ「義経」のOPを眺めながら、KKが何の気なしにつぶやきました。

「へー、阿部寛も出るんだ」




   KN ピクリ。




大声で  「猫ひろし!ねっこひーろし!ねっこひーろし!」



えええーと呆然とするKK。


「ねっこひーろし・・・・(静かになる)・・・生クリーム・・・生クリーム・・・」



KKドキドキしつつ展開を見守ります。






「残念!!」






・・・ちがうだろ。




猫ひろし知らない人ごめんなさい

 


2005年02月11日(金) ●父の七回忌。

今回はマジメな日記です。


___________


今日は七回忌の法要。

KKとイモートMがまだ独身時代の1999年2月、父が急死しました。



ひょうきん者の父の外見は、さだまさしさんと東京03と横山やすしさんの中間(わかります?)。

関西弁ではありませんが、性格やしゃべり方は明石家さんまさん似でした。

ハハとのなれそめなんておかしなもんです。

懸賞ハガキと、出さないつもりのデート申し込みハガキを間違えて投函したそうで。

「子ぼんのう」を絵に描いたらウチの父・・・というほど、KK姉妹は可愛がってもらいました。

ちょっぴり怖いハハと、何しても許してくれる父(まあときどきガツンと叱られましたが)。

こんな生活が永遠に続くような気がしていたんですよねえ。



悪性リンパ腫という難病ではありましたが一応治療に成功した段階にあり、一時退院の許可が下りる前に突然の急変。

「あとひとつき・・・だって」。ハハに聞かされ呆然としたのが2月8日。

でも、ひとつきどころか一週間ももちませんでした。



2月10日の昼、電話で危篤状態になったとの連絡を受け、職場から病院に駆け付けたKK。

交通機関の関係で、病室にはKKが一番に到着しました。

無菌ベッドの中で静かに横たわる父。

取り繕って「やっほー、来たよ」と明るめに声をかけました。

意外にも父の意識はハッキリしていて、弱々しくKKにこう言いました。

「死んだ方がマシ・・・なーんてなあ・・・」

とーちゃんてば・・・冗談言ってるつもり?



ゴメン言えないけど死んじゃうんだよ!ホントに死んじゃうんだよ!!

泣き顔をごまかすのが辛くて辛くて。



ハハとKK、イモートの三人が病室にそろってしまったらさすがに父も気づいてしまうでしょう。

なので、KKとイモートMは偶然来合わせたふりをしてハハは父から見えないところで待機。

夕方からハハと交代することにして、KKとMは父に挨拶をしました。

「じゃあまた来るね!ばいばーい」

その頃から親戚がやってきて、ロビーで過ごすKKとMの気を紛らわせてくれました。

母方の伯父伯母がほぼ勢ぞろい(ハハは8人兄弟末子:ちなみに父は6人兄弟)したのを見て、父の長兄が

「H(父の名)は人気があったんだなあ・・・」とつぶやきました。

ええ。正確にはパシリでしたけどね(笑)。喜んでやってました。



ロビーで泊まっていたんですが、いよいよモルヒネが投与されるということで、KKとMは深夜こっそり病室に。

ベッドの父にばれないように看護師さんの協力を得て、床を這うようにして個室の奥まで進みます。

付き添っているハハは、父との会話をそれとなくKK姉妹の方に誘導しました。

「KKは最近どうなんだろうね、今つきあってるKTさんと(一度父母に会わせてます)」

「まあ、あの子は大丈夫だろ。それよりMはなあ・・・」

・・・・。

といった調子で、全ての話題がMの心配ばかりになっていくんですよ。

とーちゃん、あたしは?あたしはあ??・・・まあ・・・いいけどさあ・・・。



ていうかM、反省しろ。



一夜明けると、もう父の意識は夢の中でした。

何とも楽しそうな、朦朧とした会話ばかり。こんなに楽しそうならKKももし危篤になったら

サッサとモルヒネを投与してもらおうと思ったくらい。

それでもついには昏睡状態に。

KKが呼吸を楽にしてあげようと枕をずらしたのをキッカケのように、呼吸の間隔が長くなって・・・。

全く「起きない眠り」のような最期でした。



KKとMが父を呼んで泣く声は、きっと病棟の廊下中にひびいていたことでしょう。

後で、ロビーにいた伯母が「かわいそうで聞いていられなかった」と言っていましたから。

同じ病気の方がいっぱい入院してらっしゃるのに。

御見舞いの人もたくさん来ていたでしょうに。

気遣いできなくて本当にごめんなさい。



1月に55才になったばかりの父、たった半年の入院生活でした。



父の亡くなった後、仕事やお金のことで(遺産がもらえたとかでは全くない)ハハ、KK、イモートの女所帯は

やっぱりナメられて大変な目にあいました。

入院から葬式、後の処理までハハがほとんど一人で背負って苦労をしたんですが、そのハハを支えたのは

KKでもMでも親戚でもありません。

チームメイトです。



KKが、

ハハたちはスポーツやってるはずなのになんで全員太ってるのか、としばしば思ったことや

専業主婦のハハが滅多にイチニチ家にいたことがない、と不満だったことや

我が家がたまり場になって、学校から帰宅したら相撲部屋みたいになっていて驚いたこと。




反省。




もう6年経つんですね。

KKが結婚して2才の子どもがいるなんて、父は驚いているでしょう。

あいかわらずイモートMの心配をしてるでしょうねえ。

孫KNの読む般若心経は聞こえるでしょうか。

KTの浪費をいい加減にしろと言ってやってください。

KKの作る飯は下手でも何でもありがたーく食え、とも。

年賀状100枚来て、何で切手シート1枚なんでしょう父ちゃん。

今年の年末ジャンボこそよろしくお願いします。

それではまた。





 父上さま





              一 休





うそうそ
 


2005年02月08日(火) 浪費家。

ともかよさん、そうそう、そうですよね〜。二人目なんてそんなもんですよね〜・・・って、KNは最初の子だっちゅーの!という突っ込みは自分で入れときます、すみませーん!

あらちゃん、実はあの写真は別人で・・・って、そんなワケないでしょうが〜!あれでもKTの小さい頃にそっくりなのでKNもそのうち・・・あああ・・・成長しないでほしい。

たらさん、お忙しいのにわざわざありがとうございます。でも実はまたダメなんですよ〜!でもですね、イレギュラーに訪問する方法を開発しましたので日記は読ませてもらってます。

_________________



帰りがけ。

玄関に転がっているでかい段ボールや大量の梱包材を見て、

ママ友たちが心得顔で言いました。





「KTさん、またハデに何か買ったね(ニヤニヤ)」




・・・・ハイ(震えるこぶしを握りながら)。




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