今夜の月は怖いくらいに美しく大きい
手を伸ばせば掴めてしまいそうなくらい
月の三丁目に住んでいるうさぎさんと通信しようとするが
惜しくも「電波の届かないところに・・・」なんてアナウンスが流れたり
とにかく月に魅了されて
頬をなでる冷たい春の風がおとなしく耳元でうなる
なにか
どこか
いつか
私が行くべき場所があるのか
きっと、きっと
どこかに遠くても近くても
私の存在する意義がひっそりと隠れているはず
今はまだみつけられていないけれど
うさぎさんからヒントをもらうため
明日も通信に励む
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2005年03月25日(金) |
お忙しいところ恐れ入ります。 |
毎日バイトで電話をかけてたら自分の携帯で電話するときもコール数を数える癖がついてしまった。何かへのカウントアップ。
「どこか遠くへ消えてしまいたい」なんて思ってはいるものの、そんなの非現実的で、出来たとしてもまた、そこで悩むのがオチなんだろう。「どーせ・・・」が癖になっている最近、何かの良い兆候なのか、サクサクといつの間にか願っていたことが現実になっている。確かにそれなりに努力と我慢はしたのだけれど、一気に実現すると恐怖心を抱いてしまうのが、過度の自信のなさからくるもの。この前の情熱大陸で角田光代がピックアップされていたのだけれど、彼女も母親に褒められたことのない環境から「過度の自信のなさ」を背負っていた。すごく共感できた。けれど彼女はそれを「自分の良さ」に感じ取れていることに羨ましく思った。やはり大きな成功は人に少しづつでも、着実に自信を与えるのだろうか。私は本当に自分に自信がない。いくら他人に褒められても怯えてしまう。というより、恥ずかしくなってしまうのだ。褒められ慣れていないから。「自信のなさ」が大きな壁となって、何度となく前に進めなくなったこともある。
自信に溢れている人間を見ていると、嫉妬する反面、とても羨ましい。自分もこうなりたい、と思うが、ここまで生きてきて埋められた記憶や習慣、自分の観念を簡単に変えることは、もはや無理に近い。もう、この自信のなさは「無意識」という硬い殻の中に閉じこめられてしまい、茹でられた卵状態であるため、もう生の卵には戻ることはできないのだ。いかにそのゆで卵を調理するかがこれからの私の腕の見せ所なのかもしれない。サラダにしようか。それとも味付け卵にしてラーメンの上にでも乗っかってやろうか。そんな人生プランもありなのかも。
なんだか偉そうな言葉が口からポンポンでるけど、私はそんなに悟った人間だったっけ?もうちょっと謙虚に生きてみてもいいんじゃないか?私の言葉はどういう風に受け止められて、その相手にどんな影響を与えてきたのだろうか。無責任な言葉と無意味な言葉。何も残さないのかもしれないけれど、受け止める側にしたら大きな意味を持つこともある。要するに捉え方次第。有意義な時間と無二の友達。これで人生の半分ほどは埋められる。すべてをひっくるめて私が存在する。楽しいことも苦しいことも、「その瞬間」だけのもの。天国か地獄か、やっぱり捉え方次第。
いっちょでっかいことやってみたいね。 そろそろ準備始めましょうか?
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2005年03月09日(水) |
Hidden Mind |
あなた(世間)を拒絶しているわけではない。 今わたしにあなたは刺激が強すぎるだけ。 もうちょっと免疫が必要なのよ。 全てが悪いわけではないの。 ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい。
どこからともなく ふっとあたしの中の「あたし」が現れる。 彼女はとても冷たく、排他的で、悲しいくらい悲観主義。 夢想家なのか現実を見すぎなのか。 すべてをあきらめて、開き直って受け入れようとする。 なのに捨てきれない夢や理想を高く高く掲げようとする。 完璧主義がゆえの廃人予備軍。
このままではわたしの周り人間を幻滅させるだけ。 幻滅?そもそもわたしはどういう存在だったわけ? そんなの自分ではわからないのに 何故、幻滅させるなんて言えるの? いつもプレッシャーや「"ワタシ"像」を裏切らないように そんなこと全く感じてなんかないのよ、なんて振りしながら 生きてきたんじゃないの?わたしは?
どれが本当の自分なのかもわからなくなってきている。 「わたし」はどこに行ったの?探さなくちゃ。 でもどこを?どうやって? わたしはここにいるじゃない! けど「わたし」はここにいないの? 誰かが呼んだら出てくるかもしれないし 誰が呼んでも出てこないのかも。 深い深い森の中でどこかのお姫様のように眠っているのかも。 それとも魔女に魔法をかけられて動けないのか。
わからないワカラナイわからないわからないわからないわからない さみしいさみしいさみしいさみしいサミシイさみしいさみしいさみしい こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいコワイこわいこわい くるしいくるしいくるしいクルシイくるしいくるしいくるしいくるしい
永遠と続く妄想の中で生きていけるのは生身の人間ではなく妄想の人間だけなのだ。
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2005年03月06日(日) |
われおもう ゆえに われあり |
冬になると鬱になりやすいのは何故なのか。曇りの日が続くから?寒さが身に沁みるから?悲しい記憶が蘇るから?どこにもない答えをみつけようとしているから?バスの中から眺める風景。夜の闇にマンションの家や看板のネオンが明るさを灯す。明かりの数だけ人々の生活が存在し、脳細胞の数よりも多くの人間の人生が存在する。その中に私の人生も含まれる。私は私として生きていかなければならない。苦しくても悲しくても。楽しいことも幸せなことも力いっぱい感じなければならない。それが命の営み。
心から笑ったのはいつなのか思い出せないくらい笑っていない。なぜなら分厚い鉄の扉が私の心を頑なに閉ざしてしまっているから。涙も出ない。笑えもしない。楽しむことを忘れ、生きがいを失っている。自分が生きていてもしょうがないのではないかと思い始める。完全に鬱の傾向。ここまで落ちたのも久しぶりかもしれない。けれどそんな時期であることは自分でもわかっている。周期的にくるものだとはわかっていても抜け出すのに時間がかかってしまう。冬だから?
みんなはみんなの悩みで苦しんで、私も私の悩みで苦しんでいる。辛いのは同じなのに、ワガママな性格が共感を求めてしまう。こんなに弱い自分が嫌いでさらに自己嫌悪に陥る。許しを請うでもないが、なにかに頼りたいのだ。頼れるものは自分だけと今まで思ってきたせいか、頼り方や甘え方がわからないのだ。そう、素直じゃないからかわいくない。素直になれない。素直になりたい。けど怖い。自分をさらけ出すのが怖い。本当の自分を見られて相手に嫌われたり、拒否されることが怖いのだ。昔のトラウマのせいだろうか。
どこかに消えてしまいたい。なにも考えずにすむ楽園と言われるような場所へ。不満の塊を捨て去って、裸になって、リセットできるのならば、全てをなくしてもいいから楽園に行きたい。私に「全て」と言えるようなものがあるならばの話しだけれど。このままみんなの記憶から綺麗に消えてしまえたら、どんなに楽だろう。痛いくらいの悲しみに打ちひしがれるだろうけど。 苦痛を伴う幸せを望むか、何も得ることのできない楽園を選ぶか。そんな選択権もないのに、何を迷っている。本当に阿呆な私。
暗い暗い闇の中。
君が私を見つけてくれるのならば、
何時間でも、何百年でも待つよ。
君が私の存在を愛してくれるなら。
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あたしにとってこの日記は重い。そう重い。想いがつまりすぎて重いのだ。しばらくストレスやら何やらわけのわからないものに日々の余裕を毟り取られ、自分から逃げていた。逃げて逃げて。逃げるから何も始まらなくて。そんな悪循環。だから久しぶりにこの日記=自分に向き合ってみることにした。こうやってパソコンの画面に一人で静かに向き合っていると色々と落ち着いて考えられる。東京の家にはあたしの部屋すらないから一人の空間がまったく存在しないのだ。かなりの苦痛。というか、生き地獄くらい言ってしまえる。でも向き合ったからといって今、思い当たることもない。何も考えられない。何もわからない。別に逃げているわけではないのだけれど逃げてるのかも?とにかく書きたくても何を書いたらいいのかわからない状況といえばいいのかもしれない。そんな感じ。
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