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〆よろしければ、相互リンクをお願いします。


2002年04月17日(水) 姫だるまの部落問題2001

(相互リンクサイト「人権(同和教育)のページ」に 結婚差別で非情にお悩みの方が来ておられます。これはその方への書き込み文です。関心のある方はのぞいて下さい。http://homepage1.nifty.com/hiroshi127/top.html)

 うさこさん、始めまして。Hiroshi先生、お久しぶりです。
 miki mamaと申します。人権メッセージ読ませていただきました。
 
 うさこさん、ご両親は現在 部落に対する差別、偏見を全部 うさこさんにぶつけておられる状態ですか?

 ワタシもかつて うさこさんと同じ立場にあり、たちまち消化不良を起こしてしまいました。
 ワタシは 部落出身者と結婚して10年、部落問題サークルと関わってからだと足掛け20年になりますが いまだ 親、きょうだいの差別、偏見に対しては 未消化のものでいっぱいです(苦笑)。

 さて、うさこさんのご両親、ご家族が 具体的にどういう理由で うさこさんのご結婚を反対しておられるのか よく把握できていないもとでの 書き込みであることをあらかじめお詫びしておきますね。
 
 ワタシの母親の場合は ワタシが部落出身者と結婚することを「独身の弟の結婚に差し障る、姉が婚家から離縁を言い渡される、姉弟の仕事の上での昇進に差し障る」といった理由で反対しておりました。
 
 事実、ワタシの弟は結婚式当日、カーテン一枚隔てた親族控え室で 隣の相手方親族から「反対」の声を聞きました(筒抜けですから当たり前ですね)。が、その理由は ワタシの結婚(部落差別)にあるのではなく 弟が母子家庭であるため(母子家庭差別)でした。
 
 一方、ワタシの姉は 昇進試験に合格しておきながら ○○代理という肩書きから おそらく一生抜け切れません。が、その原因は ワタシの結婚(部落差別)にあるのではなく 民間企業の女性差別でした。
 
 その他、姉は離縁していますが 原因は夫の浮気で、弟は 転職組ですが 原因は過労でした。

 つまり、うさこさんのご両親がもし 結婚・就職などで うさこさんのごきょうだいが不利益を受けることを 何より危惧されているご様子でしたら、反対すべきはうさこさんのご結婚ではなく 女性差別や母子家庭差別、過労死等の問題であると ワタシは思います。

 それから、「部落問題と関わって 性格が悪くなった?」とは ワタシも言われました(苦笑)。
 
 意見が対立していても うさこさんは 最低限の家族らしい会話が消えないよう 配慮されておられれば それでいいのではないかと ワタシは思います。
 手始めに、同居の家族の方に
 「いま、ちょっと消化不良気味だから(差別・偏見が)食べられないの。もう少し待って」
 と 言ってみてください。
 ご家族は うさこさんに おかゆを作らずにはおられないと思いますよ。
 こんな時こそ 家族のきずなを 確かめ合えるといですね。
  
 消化不良を起こされた時は 少しぐらいなら整腸剤を持ち合わせているつもりですので よろしかったらまたお話し聞かせてくださいね。
 
2002年04月08日(月) 「ダブルを起こすな」論批判の必要性について

 部落と部落外夫婦から生まれた子ども(ダブル)に対し、「無理に 子に 差別される立場であることを教え込むな」という考え方があります。
 部落外側の配偶者の身内(親・きょうだい・親戚)に そういった「寝た子を起こすな」的な意見が 根深いのは事実です。
 一方で、部落外側配偶者に それに同調しない人々が少なくないことも事実です。

 一人の人間の中に 部落差別を受ける立場と差別を受けない立場の両方があるのは 自然なことであり、いずれか一方を恥じたり隠したりせずに、その両方を尊重して生きることを ワタシは「ダブル」の親として望みます。

 「ある部落と部落外夫婦の裁判離婚〜差別しなかった証し」の奥様(以下「妻」と記載)もその一人です。
 二人が恋愛したこと、部落外側の親が結婚差別をしなかったこと、部落外側が 部落問題に対する教養を身につけていたことから この夫婦に「ダブル」は生まれてきました。
 
 そのため、部落と部落外夫婦の在り方として、たとえ離婚した間柄であっても、子どもの中にある両方の立場が尊重できるためには 夫婦は 子どもの前でお互いを悪く言うようなことは避けなければいけないと 妻側は強くお考えです。
 
 よって いつ子どもの目に触れるとも知れないこのようなサイトも 妻自身は 立ち上げるお気持ちは 当初から持っておられませんでした。

 第三者であるワタシが ご無理申し上げて サイト運営に関わらせていただきました。
 
 妻は 裁判でも、事前に部落側の親・親戚の不正・不法行為を知らされていたら 自分の性格として この結婚はなかったと はっきり言われる方です。妻の人格が 曇りなくお伝えできることを目指したいと思います。
 
 

  



2002年04月03日(水) このままでは子どもに親の世代と同じことをしてしまうのではないか

「部落と部落外夫婦の裁判離婚〜差別しなかった証し〜」の妻の話では、夫は初めて親に「部落」について尋ねられた時「学校に聞け」と言われたといいます。
 それについて夫は「親は部落問題に疎いから」と 親をかばったそうです。夫がその後、学校でどのような同和教育を受けられたのかはわかっていません。
 
 また、妻に 夫が初めて出身を告げた内容は 部落差別によって自分は親はこんなつらい思いをしたというお話が中心だったそうです。
 妻は 自身が受けた同和教育を振り返り その当時から思ってきたこととして 同情はしない、部落出身者としての誇りも話して欲しいというふうに答えたそうです。その後の話し合いで 夫は 妻は(部落問題について)自分よりよくわかっている気がすると言っていたそうです。

 離婚裁判での尋問で、夫は「自分は部落だから 子どもを引き取れば 子どもが差別されるから 妻が引き取るのがふさわしい。わかっているのにそれができない」と答弁しました。
 妻は 夫の言い分は 「部落」を引き合いに出すことで 関係者の同情をひき 裁判で優位に立てると考えているように見えたといいます。

 被差別者は 社会的弱者ですから、旦那様に「部落」を語ることで相手を黙らせたい、優位に立ちたいという気持ちが働いていた事実があったとしても それは責められません。
 しかし 解放運動の精神でもうたわれているように やはり差別をなくす一番よい方法は「入り口は広く 出口は一つに」です。
 差別をなくすために 夫は「部落」について親と友人と話したいという気持ちを取り戻し、相手を黙らせるためではなく 話し合うために やはり入り口の鍵を 自身で開けていかねばならないと ワタシは考えます。
 
 このままでは 夫は子どもに対しても 「部落」について問われた時 親の世代と同じことをしてしまう、言ってしまう気がします。



2002年04月02日(火) 同和教育にお世話になったワタシ

 H14・3月で同和対策事業は法切れを迎えましたが、ワタシの身近なところでは 部落解放センターが人権文化センターに名称を変え、同和保育所においては入所基準が厳しいものに変わりました。
 同和教育に熱心な先生、学校に対する風当たりも 今後変わっていくと思います。

 同和教育が義務付けされていた時代、自らのことや親・地域周辺について 語れば聞いてもらえる環境(クラス、地域)に居た ある部落出身学生らは、それを「温室」と呼んでいました。
 
 ワタシは同和教育を受けていませんが 彼らの話からその様子はうかがい知れ「温室」は 家庭や かつてのクラスでは得られないぬくもりを部落問題に求めたワタシにとっても 居心地のよいものになりました。
 
 実際には、「温室」を体験していない人との人間関係には 無関心と無理解(ねたみ差別、逆差別、寝た子を起こすな等)が蔓延り、そのギャップは 各人で埋めるしかありません。
 
 しかし まわりの友人は誰も「同和教育は不要」だとは言っていないようです。
 
 ワタシも それらにお世話になったと認める勇気を 持ち続けたいと思います。

2002年05月05日(日) 「同和」という用語のおこりについて

 明治初期の「解放令」以降、部落問題に関する事業や 地区の名称には(事業や運動が進むにつれ)、様々な呼称が発生し、使われてきました

 ワタシが部落研に所属していた当時(1980年代)でも、
 会員たちは ワタシも含めて、「部落」ではなく「同和」とやむ終えずレジメ等に書く時は カギ括弧「 」を付けて使用し、
 交流の場では 普段使用している「部落研」の略称をあらため「部落解放研究会」の正式名称で名乗る(「部落問題研究会」と区別する意味合いがありました)等のことがありました
 
 本来は、「 」を付けようが、どのような呼称を用いようが、大事なのは なかみであると考えるべきでしょう。
 また、そんなことはどうだっていいのだと言い切ることが、運動の幅を広げていくのでしょう。

 よって、ここでは、先に述べた「同和」という用語のおこりについて、歴史的に押さえておくことにとどめようと思います。

 政府が始めて同和事業費を計上した時(1920年/大正9)、使用された「部落改善費」という言葉を例にとって見ていくと、
 それは水平運動のおこりにより、「特殊部落」の呼称が差別的に使用されていることが糾弾の対象になるのに伴い、「地方改善費」という呼称が登場し、それに取って変わられました。

 一方で、大日本同情融和会(1903)等の部落改善団体が 明治後期から「融和」という呼称を使用していました。
 政府は この「融和」という呼称も 「地方改善」という呼称と併用して「融和問題」、「融和教育」などと 公的に使用を始めました(大正末から昭和期)。
 
 やがて、昭和天皇の即位に際して「群臣百官ニ賜ハリタル勅語」(1926年12月28日)の下記の文中よりとった「同和」に変わり、天皇にゆかりをもつ官製語として「同和」が使われ、今日に至ります。
 
 

 「・・・人心ソレ同シク民風ソレ和シ汎ク一視同仁ノ化ヲ宣へ永ク四海同胞ノ誼ヲ敦クセンコトヲ是レ朕カ・・・」
 
部落問題から見た他の人権問題

 同和対策事業の期限切れ後、今後のあり方として この国は 同和問題を人権問題へと一括していくことを提唱しました。
 それはともかく、口約束に終わらないことを願います。

 献身的な解放運動関係者は、人権問題の一つである在日コリアン問題を 部落問題から見た時、まだある「帰化すればよい」といったおくれた意識に対して、強引にではなく論議を尽くして、「部落民は 部落民のままで解放される」という解放運動の精神から反対していく立場に立たせていただくでしょう。

 部落問題から見た障害者問題では、「自立のための援助」を正々堂々と求めさせていただくでしょう。

 部落問題から見た女性差別の問題では、就職差別、暴力という人権侵害に対してそれを絶対になくしていくよう働きかけさせていただくでしょう。

 部落問題から見たセクシャル・マイノリティーの問題では、話しあいの重要性以前の問題として この国に 制度としての同姓婚を支える基盤が育っていないことを問題視させていただくでしょう。
  
 部落問題から見た学校教育におけるいじめの問題では、違い、生き方の多様性を認めることが今なぜ必要かを 過去の歴史を踏まえて訴えさせていただくでしょう。
 
 なべて被差別の痛みを知る者は この国が賛美する人権問題の「一括」論議を 「個別」の論議よりも 労多きものへと 高めていくでしょう。

 「一括は個別よりも労多し」と気づいたあとでも この国は逃げずに 様々な意見に耳を傾けていってほしいと思います。
 
 ご意見、ご助言お聞かせくださいネ。

⊃≒≠
「同和」教育・人権教育・「障害」児教育の関係は、
 歴史的蓄積量?でいえば、「同和」教育(1950年代「きょうもあのこが机にいない」)→「同和」教育の視点で取り組んだ「障害」児教育(1979〜「養護学校義務化はあかんねん」)→人権教育(1995前後〜「国連人権教育の10年」)で、
 人権<「障害」<「同和」ですね。それはさておき(笑)、
人権教育の視点で取り組まれる「同和」教育のことを、とりあえず
人権⊃「同和」
とすると、ここではとり決めまして(笑)、同様に
「同和」教育の視点で取り組んだ「障害」児教育を
「同和」⊃「障害」、
人権教育の視点で取り組んだ「障害」児教育を
人権⊃「障害」
とするとします。
「同和」(1950〜)と 人権⊃「同和」(1990〜)の違いは、
「差別を見抜き、差別を許さず、差別と闘う子どもを育てる」目的(反差別)と
「一八歳時点で多様な進路を主体的、自覚的に選択できる子どもを育てる」目的(自己実現)の、どちらに力点を置くかの違いです。
「同和」⊃「障害」と 人権⊃「障害」の違いは、
「『障害』者問題を差別問題ととらえる」視点と
「『障害』を個性ととらえ、福祉・ボランティアの対象ととらえる」視点の、どちらに力点を置くかの違いです。
 重度の知的「障害」者、情緒「障害」者は、「反差別の核」とは位置づけられますが、「自己実現の主体」との位置づけは難しいだろうと思われます。
 つまり、「同和」⊃「障害」は、重度の知的「障害」者、情緒「障害」者を対象に含みますが、
人権⊃「障害」は、軽度の知的「障害」者、情緒「障害」者を対象としています(重度の彼らのことが欠落しています)。
 「同和」→ 人権⊃「同和」になることによって、学校教育の中から、重度の知的「障害」者、情緒「障害」者が落ちこぼされる問題が出てくるといえます。
 実際のところは、どうなんだろう?
 ご参考ください。
「解放教育から人権教育への変化と障害児教育」





2002年05月13日(月) 歴史教育

 歴史が歴史として 取り上げられるまでには、時間的なズレのほかに、国や社会、地域、学校、家庭、個人間のズレがあることを 見逃してはならないと思います。 
 少なくとも 教育の分野では、日本の戦後歴史は 同一の問題でも 取り上げる側の利害によって その取り上げ方は異なってきたということが言えると思います。
  
 現在の日本で進行している教育上の問題は非常に複雑多様で、一文献や一報道だけではその全容を把握することはできませんが、過去に、村尾次郎「社会科教科書における歴史教材」(1963)という文部省の定期刊行物の中で「靖国神社のこと」も出ないような教科書は「国および国民の自主的な立場を正しく身につけるような教科書」ではない、平和的すぎると攻撃され、同様に防衛庁の高山岩男「民主主義の二、三の問題点」(1963)で憲法の平和条項と民主条項が公然と攻撃され、教科書検定では その線にそった強引な訂正が要求されていった歴史がありました。
 
 個人がズレを自覚していき、寝た子は起きることが、部落問題で言えば 水平運動の歴史が立証済みです。
 ワタシには、部落解放運動をはじめとする様々な人権擁護運動の歴史を「学校や地域で取り上げてほしい」、「どのように取り上げたらよいか考えてほしい」と提言することが、地味ではあるけれども、個人が歴史に参加する行為の一つだと言えると思うのです。


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