人権�牋貽�100質��
〆よろしければ、相互リンクをお願いします。


2003年01月27日(月) 姫だるまの女性差別問題1952〜1980


☆☆買春
☆1952-10-12 遊郭設置に反対 山口県で(婦人民主新聞)

「山口県玖珂郡玖珂町では九月三十日夜の町民大会に千数百名があつまり、遊郭設置反対、町政の民主化を決議しました。
玖珂郡一体が昨年のルース台風で相当の被害を受け、その災害復旧工事に5千名の日雇い労働者が集まったのに対し、玖珂町の有力者が労働者慰安と称して遊郭設置運動を起こし工事に着手しました。
そこで地元婦人会、青年団が遊郭反対運動を起こし、ボスに対抗して立ち上がったもので、なりゆきが注目されています」

☆2003-01-14 09:20(アサヒ・コム)

山口県玖珂(くが)町教委が町民を対象に実施した「人権問題に関するアンケート」で、心身障害者や「同和地区の人」との結婚についての意識を尋ねていたことがわかった。町教委は町民から「差別や偏見を助長する質問で、不適切」との指摘を受け、13日までにアンケートの中止と用紙の回収を決めた。
 町教委によると、アンケートは昨年12月、人権教育の新たな指針を作るために、無作為に抽出した20歳以上の男女計1000人を対象に、実施された。無記名で今月末までに回答するように求めていた。
 問題の質問は、「人権の個別的な課題について」の項目のひとつ。「次のような人(心身障害者、外国人、感染症患者、罪や非行を犯した人、同和地区の人)との結婚についてお聞きします」とある。
 回答者が既婚なら自分の子ども、未婚なら本人が、その立場の人と結婚する場合の対応を尋ねたもので、既婚の場合は「子どもの意志を尊重する」「家族や親戚(しんせき)の者が反対なら認めない」「誰が何と言っても絶対に反対する」など5つの選択肢から選ぶ。未婚の場合も同様に「自分の意志を貫き結婚する」「家族や親戚の者が絶対反対なら仕方なく結婚をあきらめる」などの4通りの回答が用意されている。
 このアンケートに対し、町民の男性が「列挙された人たちに対する差別や偏見を助長する質問で適切ではない」と抗議。町教委は県教委と相談し、10日に中止と用紙の回収を決定した。担当職員が「質問事項に不適切な項目が含まれていた」とする謝罪文を持って各家庭を回り、ほぼ回収し終えたという。町教委の伊藤卓男・教育次長は「具体的にどの質問が不適切だったかは言えないが、一部質問に配慮が足りなかった。深く反省し心からおわびしたい」と話している。

☆     様
>
>  1月に中止・回収いたしました「人権問題に関するアンケート調査」について、貴
> 重なご意見をお寄せいただき、ありがとうございました。
>  また、不快な思いをさせてしまいましたことに対し、心より深くお詫びを申し上げ
> ます。
>  さて、玖珂町教育委員会は、今日において、いまだにある差別や偏見を根絶するた
> めにも、反省の上にたち、平成15年5月9日に再アンケート「手をつなぐもみの木
> アンケート」を実施し、改めて強い意志をもって、人権問題に取り組んでまいりま
> す。
>  大変遅くなり申し訳ありませんが、詳細につきましては、玖珂町ホームページに掲
> 載しておりますので、ぜひ、ご覧いただきますよう、宜しくお願いいたします。
>                       玖珂町教育委員会社会教育課


☆1953-09-06
労働省婦人少年局の世論調査

1953-03-14〜03-30実施 全国四十都市の二十歳〜五十九歳までの男女三千名に面接調査

・遊郭に似た場所にいる売春婦をどう思いますか。
 同情的二九% 反感的四四% どちらともいえぬ四% 何とも感じない(不明)二三%
・どうしてそのような商売に入ったと思いますか。
 生活難、経済的理由五三%、家庭の不和、敗戦の結果七%、生活難、その他四%(以上社会的原因六四%)個人的動機一三% どちらともいえぬ三% 個人的、社会的両方一三% 不明七%
・どういう事情にもせよそういうことをするのは悪いことと思いますか。
 罪悪である七八% 悪いことではない九% 仕方がない三% 一概に言えぬ七% 不明三%
・男の人がそういう所で女遊びをすることをどう思いますか。
 悪いことではない七% 何ともいえない一六% 悪い七六% 不明一%
・妻帯者がゆくのはどうか。独身者でも悪いと思いますか。
 誰が行っても悪くはない一% やむおえぬ場合もある四六% 絶対悪い五二% 不明一%
・男の女遊びをなぜ悪いと思いますか。
 家庭不和二九% 性病の伝染三十% 金の浪費一二% 堕落不良化の原因一一% 犯罪の原因五% 女の人格の冒涜二% 道徳上一四% 風紀上五% その他七% 不明一三%
・業者をどう思いますか。
 悪くない一一% 商売だから仕方ない一四% 悪い七〇% 不明五%
・遊郭に似たような場所は社会にとって必要ですか。
 必要二七% ある程度必要二五% 不必要三八%
・必要という人にその理由。
 男の本能慰安一六% 女性の保護一九% 風紀秩序の維持四% その他五% 不明八%
・なくなるかどうか別としてなくしたいと思いますか。
 あったほうがよい一七% 何ともいえぬ一四% なくしたい六九%
・なくすることができると思いますか。
 できる一〇% 少なくできる四五% 何ともいえぬ五% できぬ四% 不明五% 何ともいえぬ一四% あった方がよい一七%
・必要と弊害と両方考えて、の社会であった方がよいと思うか。
 よい三五% 何ともいえぬ一四% ないほうがよい四五% 不明四%
・なくすためにどうすればよいと思うか(なくすことができるという人)。
 取り締まれ三一% 一定地域営業規格の厳正化九% 男女の自覚、教養を高める二一% 職を与え生活を保護する一七% その他一一% 不明二一%
・法律で禁止するのをどう思いますか。
 賛成三七% 反対三七% 不明二六%
・外人相手の女をどう思いますか。
 同情的四三% 反感六〇% どちらともいえぬ二% 不明一三% 知らない四%
・そういう女たちのために起こる弊害。
 性病の伝染六% 混血児の出生一〇% 風紀、道徳の低下一九% 子どもの教育に悪い三三% 年頃の青年、娘に悪影響二一% 劣等感四% その他三% 不明一八% 弊害なし四% 外人相手の女をしらぬ四%
・そういう女がいなければ困りますか。
 困る三七%(一般婦女子に危害三十% 家宅侵入等四% 土地が寂れる二% その他一%)何となく困る五% 不明一六% 知らない四% 困らない三八%
・そういう弊害を避けるためどうしたらよいですか。基地の風紀問題の対策は。
 駐留軍の撤退一五% 本国から女を連れて来い三% その他三%(以上駐留軍への希望)人目につかぬよう二四% 取締の強化一二% 厚生の道を与えよ一〇% 本人の自覚、反省六% 学校、家庭での青少年の不良化の防止六% その他五% 知らない四%


☆1956-05-27 やっと成立 これからが問題

昭和二二年以来提出され続けた売春防止法が 五回の流産ののちに今国会でやっと成立しました(三一年5月成立、三三年四月一日施行)・・・この日は中山マサ、市川房枝・・・氏ら国会議員が与野党問わず出席、・・・講師として神崎清、平林たい子氏らも・・・

☆1958-02-09 消える赤線地帯 玉の井の表情

四月からの売春防止法の完全実施に伴い 長い間の公娼制度がいよいよ消え去ることになりました・・・東京では吉原が一月一日から紅灯を消したのを始め、新宿、玉の井などの赤線では・・・二月いっぱいで事実上閉店してしまう模様です・・・

☆1959-01-25 ザル法実施されて一年 売春防止法の盲点をつく

・第一線の苦心 電信柱の数よりも多い街娼 亭主はヒモというのが多い 家さえあれば立ち直れる人も 相談所行きは検挙者の一割
・新しい問題点 白線化した現実に手を打て
・売春法の盲点 予算が少なすぎる(単純売春も防止すべき 心理性格まで直せる予算を 転落防止費はゼロに等しい ぜひほしい地域社会の協力

☆1960-09-25 ザル法といわれながらも 売春防止法実施されて二年 成果もチョッピリ 目立つ「こじき売春」増加

・「こじき売春」・・・お茶屋のの開業が復活し、貧困に負けた女たちが亭主ならぬヒモと結びつき、暴力沙汰も伴って・・・
・もぐり売春  ・・・旅館の許可制は公衆衛生面のみで規定され、一旦許可されれば内部改造、あやしげな営業が・・・
・変貌する元遊郭 京都中書島・・・全国で珍しい例として、学生下宿への集団的転業・・・将来は住宅街に変わっていくのではないかと思われている・・・

☆1969-04-25 第二の赤線 トルコ風呂 一億円投資しても二年で元とれる

売春防止法の立法化に活躍した日本基督教婦人矯風会が個室追放の運動に立ち上がっている・・・むずかしい個室廃止・・・風俗営業取締法で廃止するか 売春防止法の改正に託すか

☆1972-08-18 健在、赤線・青線・白線 売春問題を考え直す

・・・性病の蔓延を恐れて地図上を赤線で囲んだのが「赤線地区」の由来です。赤線のまわりに業務内容は同じで、飲食店の許可だけで自然発生的にできたのが青線。そのまわりに、あまり金をもたない、こぼれおちた男たちを相手にできた街娼の街が白線(主に山谷)です。・・・三八婦人団体が何度出しても流産、それでも世論の高まりにおされて「こぼれる水を受け止めるバケツさえないザル法」として現行の「売春防止法」を可決しました。・・・売春の規定は「不特定多数の相手にお金をもらって性交すること」ですが、「防止法」であって「禁止法」ではないのが抜け穴です・・法を作った政府の意見では「めいめいが良心に応じて守ってゆく、高度の道徳性を備えた倫理立法」だそうです。・・男女両罰ではなく、相手になった男を罰することは認めていません。・・・もっとも大きな穴は売春をやめた場合、生活の保障がない、更生の決めてがないということです。

☆1980-07-11 観光買春めぐりアンケート
〜買春観光に出かける日本人、またそれを容認する日本の妻たちはいったいこのことをどう考えているのかという相手国からの問いかけに答えて

「アジアの女たちの会」1980-01〜03実施 回答数二百十七人(うち男性百二十九人女性八十八人)

・あなた自身はこうした夜の観光についてどうお考えですか

別に問題にすることではない(男32%女20%)よくないことだ(男63%女73%)回答なし(男5%女7%)

・買春観光について次の批判・感想がありますがあなたの意見に近いものは

男性の楽しみだから仕方がない(男9%女2%)アジアの国は貧しいので身を売る女がいてそれを買う男がいてもいい(男8%女2%)日本では売春が禁止されているから男が外国へ出て行くのだ(男10%女5%)日本では女性と遊ぶのにお金がかかるが外国は安くてよい(男5%女1%)日本の中で遊ぶのと違って後くされがないからよい(男9%女13%)男の付き合いでいく場合は仕方がない(男7%女6%)外貨のむだ使いである(男6%女8%)性病が日本に入ってくるのが心配だ(男9%女16%)反日感情を煽るおそれがあるから自粛してほしい(男34%女35%)他国の人々を蔑視し搾取する行為であり許せない(男37%女44%)その他(男17%女22%)

☆1795-11-07 買わなかった観光買春「キーセン体験記」
〜韓国の女たちが貧しいために観光客を相手にする「キーセン観光」

・ホテルは日本人だらけ
「ひとついいことを教えましょうか。わたしやわたしの友人たちはキーセン観光に反対で・・・斡旋をやめたらDホテルのイメージアップになりますよ」「初めてそういう考えがあることを教えてもらいました。感謝します。求められもしないのに斡旋するようなことはやめます」
・ヤリテ婆さんと話して
「日本の男でしょ。信じられないね」「金で女を買うようなことはしないことにしているんだ。韓国にもリブがあってチマ・パラム(スカートの風)というらしいね。日本にもあって・・・俺共鳴してるんだ」「日本もアメリカ並だね。もっと詳しく聞かせてよ」・・・「今度の韓国旅行も友人の女性が一緒なんだ」「うらやましいねえ。韓国もそうなるといいねえ」
・ショートタイム六〇〇円
「あんた、なぜ私を買ってくれないの」「あなたは綺麗だけど、買春は反対なんだ」「日本の女がうらやましいね」「いい恋人と新しい仕事が見つかるといいね」
・通訳をしてあげた日本人客(男性、30歳、大分出身)が
「観光案内人に斡旋されて五千ウォン(約三千円)で買ったんだ」「それじゃ彼女の手には二千ウォンくらいしかわたらないだろうな」・・・「あの女、可哀想だな」「彼女、日本語はどうだった」「全然ダメでつまんなかった。やりゃいいってもんじゃないな」「そりゃそうだよ。だから女は金で買わないで口説くもんなんだ。韓国語覚えた方がもてるぞ・・・おそらく彼女たちは内心では買春する男を軽蔑しているんだろうな」(T)

☆1977-06-24 トルコ嬢の手記
売春防止法の制定から二十一年がたったが、売春そのものは潜在化し、形を変え生き続けている。
「・・・なお驚いたことは、年一回県内のトルコ嬢が集まる総会に、保守党の代議士から祝電が来る。招かれた医者はどうしたら性病にかからぬか説明し、警察からさえも挨拶があり、大学の先生方までお話をする・・・」
「・・・全世界の不幸がすべて自分の上にあるわけではない・・・誰でも九つの苦しみや悲しみがあっても、一つの幸福が欲しいと思っている・・・物・物・物のあふれたこの国ではまた、他の国にある貧しさから来るのとは別の、中学生から主婦に至るまであっけらかんと売春行為を行っている・・・しだいに金がすべての世界の中にどっぷりと浸かり・・・何かが間違っているとしたら、この社会全体ではないのか・・・しかし今日は失ったすべてのものにかけても、自分の道を見つけたいと思いつづけた」



2003年01月23日(木) 森田益子さん 議会でこき下ろす��

☆平成十二年 
不十分極まりない仕事保障へも 一般住民から 誹謗中傷があることに対して

しかし、仕事保障でございますが、全く具体性がない。例えば私は、この高知公園は昭和二十四年失業対策事業が行われて、それ以来半世紀、ちょうど半世紀、五十年有余、同和地区の者があそこの清掃をさせていただきました。饗宴乱舞、花見の真っ盛りにも、あの残飯を集めたり、そしてあのちりを集めたり、屈辱的なと思われるぐらいしんどい仕事でございましたけれども、甘んじて五十年、半世紀やらせてもらいました。それから、果樹試験場のあの何町歩もある農作業もお手伝いさせてもらいました。それから、時には溝の掃除も……。一般の人から見れば失対へ一族の中で入ったということが屈辱きわまりないような感覚があったときに、同和地区の人はあの失業対策事業の手帳をもらったとき、私を含めどれだけの安定した喜びを感じたことか。いわば一般の人にとったら一番恥ずかしい状態が、同和地区の私たちにとったら最上の喜びでございました。
 そして、本当に屈辱的なと思われるあの公園の掃除もさしてもらいましたが、失業対策事業が一応終止符を打たれるや否や、その前後から一般の企業に競争入札でやる。市場主義の原理に基づいておるとは思いますけれども、半世紀にわたって私たちにさせてくれた仕事は、そういう状態。そして、緊急雇用対策も行われましたけれども、あなたたちのあの商工労働部の態度、これはこの場で言うもいまいましいような態度を終始されました。これは、それぞれが胸に手を当てたらわかると思います。私は、もう思い余って知事に直訴さえしましたね。
 本当に仕事保障を、底辺の人の仕事保障をと思うときに、そのときでも、最初は、持ってきたのは上部機関へ対して企業を紹介してくれというものでした。そして、その企業が受けたのを丸投げしてもろうたら違法です、明らかに。それが一貫した商工労働部の私たちに対する仕打ちだったように思われてなりません。本当に、緊急雇用対策でも、高知市あたりはかなり本当の意味での緊急雇用、底辺の人の緊急雇用に多くの金を使っていただきました。そらあ県がむだ遣いをしたとは言いません。けれども、そこらあたりは私は本当に欠落しておると思います。
 そして、私は第一問で質問し抜かっておりましたが、ヘルパーの労働条件です。この間も、大学のシンポジウムでどっかの施設長さんが言われたときに、ヘルパーはたった一割ぐらいが常用雇いでしょうと、あとは全部と言うてえいぐらい登録ヘルパー。しかも、時給八百円というのが業界の相場のように聞きます。それで本当にそんな労働賃金でお年寄りの人権を守る、お年寄りを本当に心から優しく、そしてしかもこのヘルパーの仕事が天職に、私は死ぬるまで、あるいは体の続く限りお年寄りのお世話をしたいという気持ちがわいてくるでしょうか。そのことをこの前の新聞も、厚生省と労働省とが速やかな実態調査が必要だという新聞を見ました。ああ、省の方もお気づきになったなと思うた。
 ところが、まだ現時点でもあなたのところは掌握をしていない。大変驚きました。なかなか業者がその実態は言ってくれない。けれども、私はあなたのところの課長さんが来てもいつでも明らかにその実態を見せ、賃金の実態もボーナスの実態も退職引当金までつけゆうという実態をお見せして、納得してもらったと思います。私はそのときでも、モード・アバンセの社長が、これは高橋さん、聞いちょってもらいたい。八十五万円もの理事長手当を取りゆうかと思うたら、労働者には日に五千円ぐらいの支給しかしていない。そういうのが本当の仕事保障になったのか。私は、本当にそういう人たちの仕事保障をするということは、働かぬ者はめっそう取ったらいかぬと思うちょります。
 私はこの前にも言いましたように、介護保険のやさしいグループの理事長です。ただの一銭も理事長手当はいただいておりません。働く者、ヘルパーについては、私は日本一の優遇措置をとったと思うています。年末手当も出します、退職引当金も入れます。こういう指導をあなた方がされぬところに、物の考え方がややもすると企業一辺倒になっちゅう。大体、福祉でそれほど金をもうける企業にろくなものはないと思うちょります、私は。福祉は福祉の精神を徹頭徹尾持つべきだというのが私たちの本当の願いです。その点では、あなたに問うても、これは恐らく調べていないということですので言い捨てで終わりますけれども、早急に調査をしていただきたいということをお願いして二問を終わります。

☆平成十三年
同和事業、解放同盟の取り組みが県全体を潤している事実を見ようとしない日本共産党に対して

それから、ある一部の人たちは、この間の臨時議会でも、部落解放同盟があたかも百害あって一利ないようなことをこの場でも言われました。私はね、涙が出るぐらい腹立たしさを感じました。昭和36年でした、思い浮かべたら。その前から同和対策審議会の設置を国会では決められながらも、委員すら出されませんでしたが、昭和36年、台風の中を西は大月の果てから東は東洋町の果てから、今のように車ではございません、一歩一歩歩いて、そして請願、陳情をやりました。その年にようやく国は同和対策審議会の委員を任命してくれました。それから4年の歳月をかけてようやく答申が出された。そしてまた4年かかって特別措置法が出された。
 そして、昭和44年から平成11年まででも、県下に5,380億円という国からの事業がおりてきました。皆さん御承知のとおり、高知県の経済は公共事業依存型の経済が大きく左右してきたと思っています。この5,300億円、それで県は405億円、市町村が133億円の負担しか要っていない。このことがどれほど高知県の景気を浮上させたか、それから公共の財産をどれほどつくったか。私はね、高知市でございますけれども、1,400億円といういろいろな事業がありました。悲しいかな土建業は小さい土建業がだんだんありますけれども、建築屋さんというのはたった1人しか指名を受けるような建築屋さんはいません。土建業は土方の経験にのっとって小さい請負を始めたでしょう。けれども、建築となるとそうはいきません。だから、建築でもうけたという人は1人もおらんわけです。景気浮上にどんなにつながってきたか、私はこれは知事に見解を聞きたい。今度のがでね、これほどの差別を拡大していった。私は、あなたならもう少し価値のある見解も出してほしかったと思います。
 それから私はね、見直すときにもあなたに直訴をしました。そしたら、あなたは「本当に、そんな経過を聞くことも、そんな詳しい実情を聞くことも今回が初めてです。本当にありがとうございました」と言われました。私は感激しました、あなたにありがとうございましたと頭を下げていただいて、「たびたび来てこんな事情を話してください」と。それからまだもう一度、私たちの老人が会いたい、300人ぐらいがあなたに陳情したいと言うたときも快くうちの隣保館へ出てきてくれて、そのときに刻々そのお年寄りたちは自分たちの差別の貧乏の中での苦しい生活実態を訴えました。年金のないことも訴えました。その当時の日本共産党は国民年金を掛けることに絶対組織的反対だったがゆえに、全日労に所属されている人の大半は、八、九割までは年金を掛けませんでした。そのことを訴えると、「僕は年金が部落のお年寄りにないということを、今初めて知りました」とあなたはおっしゃった。そんな生活の苦しい中でも、私たちは人間の血を引き裂かれるような差別を受けても、人間としてとうとい解放運動を一貫してやってきたと思う。
 一部の人に不心得があった。私はね、私の四十四、五年の解放同盟の専従になってからでも、私の組織でも、その今言われゆう人たちの党籍を持った人が物すごい不正をしました。これは事実です。そのときは党籍を持ったまま、ある議会の議長になりました。それがでかでかとその新聞、機関紙に出されました。けれども多額の横領をして、そのときの村長がうちの事務所へ来て、「あの子は吸血児だ。おらの血を死ぬまで吸い抜かれるので、おらも覚悟をした。だから、あれとおらと刺し違える。おらも入ることを覚悟だ」と言いました。そのとき、小路貞次郎さんがちょっと話してみるきにということで話しました。それで、やがてその人は追放されていきました。こんな人が県下に私が知ったばあでも5人おります。だから、幾ら−−−−−であっても神様でない限り、金やいろいろな誘惑はあったことを私は知っております。確かにうちの中でも、そういう一部の人たちが出たのも承知をしております。あたかもそれが解放運動全体が人類に害を及ぼすようなことをされたけれども、それでもあなたを高く評価する。私は、これはだれのための見直しかと疑いたいぐらい腹立たしさを感じてなりません。差別事件もそうやって後を絶ちません。
 それから、これは去年のことです。私に手紙が来ました。これははがきでしたけれども、小さい字だったので拡大しました。「前略 酷暑の折、森田先生におかれましては、ますますの御活躍と存じます。先日も先生御推薦の方に投票いたしました。さて、本日お手紙させていただきましたのは、結婚における出身地差別を受けたからです。相手は安芸市に住む公立小学校の」だれだれ教師とはっきり書いてございます、「という人です。何でも安芸市では◯◯家は名家であり、よつの血は入れんと両親も言われているそうですが、このお父さんという方も公立校の校長会の方だった」という手紙が来ました。これ全部読み上げると時間かかりますけれども、私はそういうことを知事はどうお考えになっておるか。
 これほどの5,380億円、道路もふえました、公共の建物も建ちました。私はね、この運動の核になったのは、自信を持って言えるのは、部落解放同盟が核でした。それから皆さんね、行政6団体の方たちの同意も得、あるいは共闘の皆さんのお力添えもしながら、最後まで反対をされたのは共産党の皆さんでしたけれども、私たちは懸命にこの制度をつくり上げた。私はその見解についても、解放同盟に対する評価も改めてあなたに聞きたい。私はこんなことを言われたらね、これはまこと大変ですよ。こればっかり言いよったち長うなりますけんど……。

☆チャイちゃんメールからも!

・・・そしてその後の道徳の時間に、同和問題とは別に、人の嫌がる仕事をしている人は立派である理由を教えられました。「この方がおられないとゴミはどうなりますか。トイレはどんな状態になりますか」に始まり、最後は子どもがそれぞれ、親の職業を誇らしげに宣言して終わりました。出だしなどは私はちっとも記憶にないのです。つまり意図するところがわからなかったからでしょう。当時の私の心境としては、そういう立派な方を知らないし、親戚も従事していないし、両親には医者になるように言われているし・・・といった感じでパニックに陥りました。そして、自分も嫌がる事をできる人になって、立派な人と言われたいと偏った考えを持ちました。
そして、今思えばあの時発言した子どもはみな同和地区出身者だったと思うのです。学習会に行っていたという理由でそう判断しているわけですが。私があの頃にもし帰れたら、「他の職業に従事したらすばらしくないのか!他の職のすごいところも話し合えよ!その中の職でないと話が違うだろ!」と言いたいです。

☆以下は ちゃいチャンに調べてもろうた

平成12年  6月 定例会(第256回)-07月04日−03号
P.84 ◆ 三十三番(森田益子君)
下のほう
同和地区のそういう劣悪な貧乏な家の女の子に生まれろうと思う自分の意思はこれっぽっ
ちも働いておりません。それが現実に失業対策事業、高知県下で六千人も行きよりまし
た。そのうちの九割までが同和地区の人でしたよ。そのまた八割から九割までが女でし
た。
 私も二十五年間そこで、高知公園のあの観光の目玉であるところで、みんなが饗宴乱舞
と戯れる中で清掃もしました。そして、道路の清掃もしました。そのときに、一般の人も
多少はまじりましたが、それは一族の中で恥のような感覚でした。しかし、私たちは失業
対策事業に入ったことが、生まれて初めて安定した仕事でした。しかも、その失業対策事
業にも、主たる家計の担当者でなければ入れない。部落のように一度もまともな就職をし
たことのない慢性失業者は、本法による失業者とは認定してもらえませんでしたよ。だか
ら、他から見たら非常に部落の人はすこい−−土佐弁では言うたらへらこいというから、
と思われたでしょう。私は夫を肺結核じゃというてだまして入りました。そして家出をし
たという人もありました。それから偽装離婚さえしました。そうやってでも就業せざるを
得なかった。この実態を知っちょったら、私はこれを、日本の今のこれほど経済的にも豊
かになって、たくさんの公的資金をそんな要らぬところへつぎ込む金があるなら、私はあ
なた方がなぜもっと強力にこの谷間の人たちに目を向けていただけないであろうか。

平成12年  6月 定例会(第256回)-07月04日−03号
P.76 ◆ 三十三番(森田益子君)2/3のとこほど
私は「ふくしステーションやさしいグループ」という法人組織をつくりました。名に恥じ
ないような人権、福祉を大事にする優しい事業所として新たに参入しました。そして、今
一生懸命……。それには単にヘルパーをボランティア的に扱う、ほとんどの業者は一時間
八百円ぐらいの低賃金で使っておるようですけれども

略

最後

 私は、時にはあんたんくの課長にも言いました。ペナルティーをかけられればかけてみ
なさいと。私は不当な金を取ってペナルティーをかけられるがと違いますよと。うちの一
割に近いもうけを、私たちの犠牲でいわばともに助け合うという、決して私は理事長手当
十円ももらいやあせぬきにね。経営ができます。一般の八兆円をなんなんとする福祉産業
を金もうけとして参入した人たちとは違います。けれども、社会福祉法人には特別の恩典
がありますね。社協でさえ、介護保険は引き合いに合わぬからというて撤退しましたね。
だんだん撤退したところがある。それをあえて解放運動の観点で人権と福祉を守るために
は、あなたが常々言われる改革じゃと思うちょります、私は運動の改革じゃと思うちょり
ます。行政への依存から、自力自闘で創造して新たな解放運動へ私は入っていったと、こ
んなにみずから自負をしております。
 だから、もうけは度外視です。とにかくお年寄りを大事にしてほしい。それかといっ
て、ヘルパーも優良なヘルパーを育成しようと思えば、安賃じゃ使えません。もちろん、
ボーナスも出さないけません。年休も与えないけません。そうでしょう。けれども、やれ
ます、事業体が利潤を追求しなかったら。その理解ができぬ、その県のあり方、やみ金融
ではこれほど批難ごうごうと出るのを、一般対策だったら私はこればあ怒りませんぜよ
と。おまさんが好きなように貸したらえい。けれど、それもそうはいかぬ、おまさんの銭
を貸すがじゃないき、県民が納めた税金です。そうでしょう。けれども、私はほかの人よ
りも腹が立つのは、同和問題の解決としてあの金を貸したと言われるがに腹が立つがで
す。それは新聞記者が言うとおり、何があれが同和対策ならと。そうでしょう。今南国に
中国の人か知らぬが十七名おるばあ、佐賀なんかでも四十人の中で同和地区の人はたった
四名しかおりませんよ。私は怒りに燃えておれぬ。
 そして、私たちが本当の解放運動として介護保険へ入った。けれども、そうでしょう。
あなたとは直接関係がないとしても、この高齢者時代を食い物にした厚生省の事務次官も
おったでしょう、岡光さんも。彩グループと結託して不正きわまりないことをして、つい
にお縄をちょうだいされたでしょう。けれど、それとは違う。私はむしろ知事の言われ
る、行政に依拠する同和行政から、やっぱり自分たちが努力をせないかぬ。それで、あな
たちょいちょい言われますね、私はそれを肝に銘じてこの道へ入った。だから、くどいよ
うなけれど、あなたに今回は、私は原稿も何も書きません。その点では信頼をしているか
らこそ、部長にも聞かぬ。あなたにお聞きをしたい。
 それから、女の部長が初めて、高知県政始まって初めてでしょう。めっそう女子同士で
あの人をしでるも忍びないきに、おまさんには、なかなかどう言うたち切り戻し、どう言
うたち切り戻しする能力を持っちゅうき、ほんであえて知事一人に質問を集中しました。



平成13年 12月 定例会(第264回)-12月14日−03号
P.93 ◆ 33番(森田益子君)
なかほどかな

昭和24年に緊急失業対策法という法律・・・
私はその早々から失業者として認定されて、失業対策事業で働きました。二十何年間働き
ました。そのときの矛盾は、部落のように慢性的な失業者、一度も定職についたことのな
い失業者は本法による失業者ではないという規定がございました。だから、それぞれ知恵
を働かせて偽装離婚して入った人もありますし、私は愛した夫と離婚というわけにはいか
んので、病気と偽って入ることができました。けれども、今度の場合でも、私はその担当
課長に「その認定というのはどうするぞね」と。「それに困っちょります。非常に厳しい
内示のようです。それらの安定所へ行く以外にないろう。安定所はパンクします」。



 私たちの解放も もっと攻撃的に 今年こそは





2003年01月21日(火) 平和1962〜1970

被爆  西成の加古さん
☆1962-08-5(婦人民主新聞)

長崎の爆心地から0.2キロの所で被爆しました。硝子の破片が背中に三百五十個も突き刺さったんです。四十七歳の時でした・・・二十二年に男の子が生まれました。妻は子どもを産むとまもなく洗面器一杯の内臓のようなものを吐いて死にました。むつきの世話から一人でして育てました。印刷外交に歩くにも幼児の手を引いてつれて歩きました。大阪へ来たのが二十九年。その頃から、糖尿病、腎炎、貧血、それに低血圧です。この一月に突然倒れて意識不明になりました。・・・毎週月金曜に日赤、水木に大阪市立大学病院、火土に市立病院、去年は白内障、今度は心臓の裏側にも故障・・・今年の二月どうしても入院になり、息子を里子に出しましたが、一週間後に息子が病院に逃げてきました。その晩、息子を私のベッドの上に寝かせ親一人子一人の絆に私は一晩泣き明かしました。・・・すぐ近くの関西線の線路の上に夜中に子どもと一緒に座りに行ったことも度々あります。子どもが家に帰ろうと言って手を引っ張りますので死ぬのをやめて帰りました。
(死ばかりみつめていた加古さんが)せめて子どもが中学を卒業するまでは、どんなにしても生きていなければと思うようになりました。衰弱していますので病院に通うだけでも精一杯ですが、私と同じような被爆者が次々と頼ってきますので、私の経験を生かしてできるかぎりその人たちの相談相手になってあげたいと思いました。その間だけは自分の病気のことを忘れます(この日も被爆者二名を励ましに行った帰り)。

☆1962-09-30

・・・加古さんは何人かの被爆者の訪問を受け、病院、保険所、福祉事務所に交渉して無料通院、入院、手術の世話、めんどうな手続きなど一切の世話をみてあげておられます。・・・加古さんが特に感激したのは洋子さんの手紙です。
「私は大阪に住んでいます。母が婦人民主新聞をとっていることからおじさんおことがわかりました。前々から人々に奉仕したいと思っておりました。今私は夏休みに入っているので近所の子どもたちと一緒に家のあたりを掃除しています。これも勤労奉仕です。この夏休みにうんといいことをしたいと思います。中に入っているお金はほんの少しですが、なにかのたしにしてください。これからもお手紙をときどきお書きします。きをおとさないでがんばってください。加古一義おじさんへ」

「お手紙頂きました。これほど率直な感銘を受けたのは初めてでもあり心温まりました。ところが、病院の院長様も感銘され・・・先生は家の子どもにも一覧させて尊い心を反映したいと言っておられました。そして闘病生活する患者には何十本もの注射にも優る文意に精神的に大きな効果があると話されました・・・洋子様、お願いですからお金は送らないで学校の教材に使ってください。私は婦人民主クラブから十分にして頂いておりますから・・・できましたら旭区の住所を教えてください。」

☆1963-04-21 加古さんの活躍実る 大阪で被爆者懇談会

三月二十四日午前十一時、大阪西成区信光寺会場に五百名・・・壇上の青年の肩に千羽鶴のレイが掛けられ拍手に次ぐ拍手。青年は中村順君といい五歳の時被爆、両親はじめ家族みな死に、たったひとり施設で成長し、やっと働けるようになった時に原爆症が。今年の冬、西成の行路病者の収容所に呻吟していたのを加古さんに救われ、今は市立今宮市民病院に入院中という・・・

☆1963-08-04 被爆者相談コーナー開く 加古さんの協力で

・・・一人息子の一彦君が今年中学を卒業し、さる繊維問屋に住込みで就職、夜間高校に進学したのを機会に・・・


☆1964-08-02 どうしたらよいか被爆女性の現状 加古さんが訴え

 同じ女性の隠れた問題を 婦人民主クラブで取り上げ、男性の理解に訴え、女性の立場にご指導くださることを 私の名で訴えます。
�”埣任防老貍鼻�肝機能障害、腎臓障害、出血性素因などの疾病があるため、家庭も暗く離婚訴訟中の人や離婚成立して働いてはならない体を無理して働く・・・�⇔ズЦ紂�被爆者であることを隠して再婚、密かに治療をしておられる方の心の苦しみ・・・�NズГ気譴道弔靴討�た子どもを想い、夜となく昼となく・・・�と鑁�の女性で治療もせず、看護婦をしている人が大阪に十七名、独身でビル清掃会社に働いている人もあり、詳しく聞きましたが結婚、離婚をした他の女性の余りにも悲惨な経験を見聞して、独身生活を続けている・・�セ綾集涅个凌佑波鑁�者ゆえに結婚はもとより一人の縁故もなく水商売をしている・・・

☆1965-01-24 大阪被爆者相談コーナー 他の団体も協力

☆1965-08-01
加古一義さん(68)後遺症の身で被爆者相談 妻にも382個の硝子が

・・・妻は産後の肥立ちが悪く、内臓ようの吐物をバケツ一杯に吐いて 四ヶ月の男児をおいて ついに死去。子どもが小学校に入学するまで暑い日も寒い日も幼子の手を引いて外交に回る苦労。帰れば食事から洗濯衣服の繕いまで一日一日がホットする間もありませんでした・・・私の病状も次第に悪化、遂に働くこともできずどん底生活に落ち込んでしまいました・・・息子も無事中学を卒業して就職でき、私は被爆者相談コーナーという目標を与えていただき・・・何よりも私の生き甲斐であります。死ぬまで私はこの仕事を続ける決心であります。私は今、脊椎骨、腰骨歯ギン軟化症、眼底は両眼とも犯され、脊椎変形症で脊骨に枝を生じ、内臓は肝臓をはじめ全部犯されています。

☆1968-03-31
精密検査者は八五% 被爆者相談コーナー 加古一義さんから

・・・府医務課の呼び出しに応じない人も、私の呼び出しには応じてくださり・・・全国平均は三%なのに・・・無給の奉仕でした。厳寒中の行事で、十日ほど前に突然病状悪化、三時間余り意識不明・・・個々の被爆者に指導支援する人はなかなかありませんので、無理してすべてに対処しています。
今度の発作で私自身、今年中の生存はむずかしいのではないか、と予感していますが、いささかの悔いもありません。・・・御厚志ありがとうございました。三月十八日 加古一義

☆1968-12-13 被爆者相談コーナーの活動 1879人と歩く

今相談コーナーを頼っておられる人は大阪府、市で千八百七十九名おり・・・私は最近右耳が中耳炎になり内科被爆が原因で手術をしても効き目はなく・・・また全身の関節を侵され歩行が困難になり、肝機能障害、肝硬変の前兆まで出てきました。今年中という内科の先生の言葉でしたが今日までは生きられました。・・・本当に愛情と犠牲を持つ人を役職員にと話し合い・・・
加古一義
(大阪府西成区山王町二−五九)


☆1970-11-20 児童雑誌 被爆者を怪獣で売り出す マンガにテレビで もう二年間も

「被爆者が体にケロイドを持っているからといって怪獣扱いするのはおかしい」と最初に疑問を出した女子中学生は東京世田谷区に住む中島ゆかりさん(一三)。お父さんは東京都原爆被害者団体協議会の専門委員。「ちきゅうの こどものちがほしい。○○○せいじんは おそろしいきゅうけつかいじゅうだ。たたかえ、●●●。○○○せいじんに まけるな。よいこを わるいかいじゅうからまもるのだっ」という説明までついている子供向け絵本。「回答期限の十七日を過ぎているんですが」「十七日までの回答をどうのこうのっていうようなお話しなんですか」「被爆者に対してどう考えられているのですか」「差別教育とかねそういう意識を拡大再生産しっとかいうふうなことは毛頭ないのです。そういうことになると結局、言論の自由とかねそういうふうな問題っていうものとも関係してくると思うんですよね。その民主的なルールのね、逆行低現象をかもし出すんじゃないかと思うんですよ」

 被爆で生き残った人々の苦しみが まだあがなわれていないもとで 被爆の体験を風化、退廃させてしまっていた我々を象徴するような一事件だったと思います。
 



2003年01月10日(金) 姫だるまの冤罪事件1950〜1963

☆かわいい訴え 松川事件 四つの坊や(1950-04-08/婦人民主新聞)

幕合に松川事件の家族武田やす子ちゃん(四つ)が”うちのおとうちゃんはれっしゃてんぷくはいたしておりませんから はやくかえしてください。みなさんおねがいします”
静まり返った観客席からは啜り泣きの声が聞こえ公判闘争後救援資金として一千一百円余が集められた

☆裁判長を励ましてください 松川事件武田被告のお母さん(1950-10-07)

松川事件の被告として死刑を求刑されていた武田久さん(三二)のお母さんシモさん(六〇)”・・・武田死刑というのを聞いて思わず「無実のものが死刑とは不当だ。私は武田の母だ」と怒鳴ったら 他の家族の人たちも口をそろえて「私のむすこも無罪です」「ヒトゴロシ」と叫びだしました。・・・裁判長さんのところにもお願いに行って「正しい被告だと思えばこそこの一年を夢中で闘ってきました。ぜひ公正な裁判を」と頼んだらニコニコして聞いてくれました。みなさんからも長尾裁判長さんにハガキを出して激励して頂きとう存じます」

☆むじつの弟があわれ ほんとがほんとで通じる世界を!(1951-03-11)

・・・私も家庭内にては経済的、精神的の大きな圧迫を受け、末の弟は肺結核にて入院しました。・・・一九五〇年一月末には、末の弟もただ一人の兄の無実を信じ「しっかり闘ってくれ」とただ一言残し、冷たい雨の夜この世を去りました。・・・何かのまちがいではあるまいか。まさか裁判官が良心を失うわけもあるまいと自分の耳を疑うほどでした。しかしこれは現実なのです。私はあまりの憤激に涙さえ出ませんでした。・・・一九五一年一月 花井はつ江 毛沢東主席 宋慶齢女子 御許に
(松川事件は国外の反響が大きく、ことに中国では副主席宋慶齢女子をはじめ婦人団体労働組合からたくさんの抗議、激励がよせられた)



☆一老婆が松川被告へ寄付 どうぞ大切ないのちをむだにしませんように(1953-10-11)

”・・・仙台市宮城高裁鈴木裁判長様 どうぞとうとい生命をお守りください。そうして正しくさいばんなさってたすけてあげて下さい。切に切にお願い申し上げます。どうぞとうとい生命をむだにしませんようにおねがい申し上げます。私は力のないばばで御座いますが じっとしてはいられないような気が致しますが、力の無いばばでは致し方なく、この中に弐千円入れてありますれば誠に勝手ながら・・・松川事件の方々どうぞおからだを御大切にお心を大きくしっかりと生き抜いてください。ばばもかげながら祈って居ります ばばより”

☆子ゆえに泣く松川被告の妻 無実を訴えて九年間(1958-10-26)

太田澄子さん(三七)
・・・なりふりかまわずカラカラ笑っています。これでも人にかくれてなんぼ泣いたかしらね。それも子どものことばかり・・・第一審の判決「無期懲役」の意味を理解できない子どもたちが、ラジオニュースで「おいらの父ちゃんは帰ってくる」と躍り上がって喜んだと聞いたとき「子どもたちをこんな苦しい目に合わせて」と初めて本気の怒りが湧いたのです。・・・初めて青森の街頭に立ったとき、いくらしゃべろうと思ってもしゃべれず 涙をぽろぽろこぼして黙って立っていました。その晩は 解ってもらうために出てきたのになんでしゃべれないかと眠れませんでした。・・・長男の昭君は十歳、雅子ちゃんは七歳、公則君は四歳でした。・・・友だちには「列車を転覆させたやつの子どもだ」といじめられても「母ちゃんにゆったって心配かけっから」と黙って我慢しているのでした。人からその話を聞いたときも泣かずにはいられませんでした。・・・

鈴木八重子さん(三八)
・・・「調べればわかることだから、すぐ帰ってくるよ」と建てかけた家の門から信さんを送り出してから、人生はがらりと引っ繰り返りました。・・・死刑判決のニュースが流れ、三年生の信行君はどうしているだろうと受け持ちの先生は教室の入り口まで来ました。信行君は宿題を無心に黒板に写していました。先生はそのまま何も言えず職員室に引き返してしまいました。・・・「子どもの大切な父ちゃんを死なせてたまっか」二人の息子をおばあちゃんにあずけて外まわりばかりしてもいられないと二九年の十一月、自宅で昆布巻屋を始めました。・・・

☆全員無罪 渦巻く喜び(1961-08-13)

・・・「勝った!ありがとう!よかった!」と言葉にならぬ言葉をはいて手を振り、何度も頭を下げる被告の家族たち。「よいしょ、よいしょ、勝った、勝った」とたまりねて胴上げを始める若い青年たち。高裁前に繰り広げられる歓喜の群集の光景に、電車から降りた三人連れのおばあさんが足をとめ、話を聞いて「まあそうかね、おっ母さんら、そらうれしかろうよ」と一緒に目頭をふいていました。

☆松川事件 事件の概要

 1949年8月17日午前3時過ぎ、東北線の松川駅−金谷川駅間で上り列車が脱線転覆し、乗務員3名が死亡した。捜査当局は解雇反対および工場閉鎖反対等の闘争中であった国鉄労働組合員および東芝松川工場の労働者の犯行とみて次々と逮捕、合計20名が起訴された。

 第一審の福島地裁は、検察側の主張をほぼ認めた形で、5名を「死刑」、5名を「無期懲役」、10名を有期の懲役とし、全員有罪の判決を下した。

 控訴審の仙台高裁は、一部を否認し3名の無実を認めたが、他の17名に関しては死刑4名を含む有罪判決であった。

 「無実の者を殺すな」という大衆的裁判批判の盛り上がりもある中、最高裁は謀議存在の事実認定に疑問を呈し、また重要なアリバイに関するメモの証拠価値を認め、原判決を破棄し仙台高裁に差し戻した。

 差し戻し審の仙台高裁は”全員無罪”、検察側による再上告も最高裁が棄却し確定となった。

略歴

*********************************************************
1949. 8.17---列車脱線転覆で乗務員3名死亡
9.10---赤間さん逮捕される
9.19---菊池さん逮捕される(後日一旦釈放)
9.22---鈴木さん・本田さん・佐藤一さん・阿部さん
・二宮さん・高橋さん・浜崎さん逮捕される
10. 4---杉浦さん・太田さん・佐藤代治さん・小林さん
・大内さん逮捕される
10. 8---菊池さん再逮捕される
10.17---二階堂武夫さん・二階堂園子さん逮捕される
10.21---武田さん・斉藤さん・岡田さん・加藤さん
逮捕される
1951.12. 6---第一審判決(福島地裁)・・・ 全員有罪(詳細下記)
1953.12.22---控訴審判決(仙台高裁)・・・ 17名有罪 (詳細下記)
1959. 8.10---上告審判決(最高裁) ・・・ 高裁へ差し戻し
1961. 8. 8---差戻審判決(仙台高裁) ・・・ 全員無罪
1963. 9.19---第2次上告審判決(最高裁)・・・ 検察側の上告を棄却
*********************************************************


 個人別判決詳細 
                       
          第一審判決  控訴審判決  差戻審判決
                           
 鈴木 信 さん   死刑     死刑     無罪
 本田 昇 さん   死刑     死刑     無罪
 杉浦三郎 さん   死刑     死刑     無罪
 佐藤 一 さん   死刑     死刑     無罪
 阿部市次 さん   死刑     無期懲役   無罪
 二宮 豊 さん   無期懲役   無期懲役   無罪
 高橋晴雄 さん   無期懲役   懲役15年   無罪
 太田省次 さん   無期懲役   懲役15年   無罪
 赤間勝美 さん   無期懲役   懲役13年   無罪
 武田 久 さん   無期懲役   無罪     ----
 斎藤 千 さん   懲役15年   無罪     ----
 岡田十良松さん   懲役12年   無罪     ----
 浜崎二雄 さん   懲役12年   懲役10年   無罪
 加藤謙三 さん   懲役12年   懲役10年   無罪
 佐藤代治 さん   懲役10年   懲役10年   無罪
 二階堂武夫さん   懲役10年   懲役7年   無罪
 小林源三郎さん   懲役7年   懲役7年   無罪
 菊池 武 さん   懲役7年   懲役7年   無罪
 大内昭三 さん   懲役7年   懲役7年   無罪
 二階堂園子さん   懲役3年6月 懲役3年6月 無罪


☆男性と松川事件

元被告 赤間勝美さん 吾子よ、朗らかに(1963-09-22)

十七人が十四年目に青天白日となった。その間 数億の金がかかった。日本の裁判は実に金がかかる。松川事件元被告の赤間勝美さんは、差し戻し判決の年に生まれた子どもに克朗と名づけられた。誰よりも朗らかな人になってほしいと思ったからだ。二十歳から33歳までの年齢を自分が過ごしたような恐ろしいことのない世の中をつくりたい、こんな目に決してあわせたくないと子どもの顔を見るたび思われた。

作家 廣津和郎氏 物事リクツが通るようにしたいんだ(1956-09-09)

「物質的援助がいちばん大切」と言い続けて、著書「松川裁判」の印税の半分、講演の謝礼全額、その他有形無形のものを寄付。「この国には本当のことにぶつからないで、とことんまでつきつめず、すぐ落語のオチをつけて片付けてしまう習慣がある。一生懸命に大真面目に考え、真っ向きってものを言えばわかる世界があるんだ。・・・人間は強制収容所のようなこともやるが、そうでない面もある・・・」


 < 一つ前の日記  目次  次へ>


ミンク [MAIL]

My追加