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〆よろしければ、相互リンクをお願いします。


2005年09月14日(水) 「内側」から見た部落解放同盟




 いつか、部落と部落外の通婚カップルの方たちと「どんな子育てしてますか?」と駄弁るコミュを立ち上げたいと思い、最近『部落 子ども』を検索ワードにあちこちブログを見てまわっています(ココとかhttp://www.google.co.jp/search?hl=ja&inlang=ja&domains=diary.ne.jp&q=%E9%83%A8%E8%90%BD%E3%80%80%E4%BA%BA%E6%A8%A9&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&sitesearch=diary.ne.jp、ココとかhttp://blogsearch.plaza.rakuten.co.jp/search?qt=%C9%F4%CD%EE%A1%A1%BB%D2%A4%C9%A4%E2&submit=%B8%A1%BA%F7&rg=1&rf=1&limit_url=ね)。
 すると、一般の方々が『解放同盟』をはじめ、他の差別に反対する大衆団体、宗教団体を「悪」と言われているサイトも検索に上がってくることがあり、一応読ませていただいています。
 ワタシは、書かれている内容を見て、本音ではうざったいと感じたことがあります(書かれた人のことはどうこう思わないのです)。
 これは、『解放同盟』を「外側」から見た情報のみに基づいて書かれているな。これは、中高年の人たちが「最近の若い母親、女子高生はなっとらん」と言うのとどう違うのだろう。これは、ワタシが論客だったら、この方を相手にすることはないな、などなどです。

 ワタシはワタシで、学生時代に、少しばかり解放同盟の支部でバイトをしていた経験があるのです。今もそこの支部の人たちとの付き合いがあります。
 それで、ワタシは「内側」から見た解放同盟について、情報を流していこうと思い立ちました。
 まずは、以下に、過去の「子育ち日記」に書いたことを引っ張り出してきました。
 


■2002/03/30 (土) 終業式

 ・・・Tさんは高校卒業後 専門学校へ通うも 結局中退し 当時はまだまだフラフラしているところがあった。
が、一方で部落問題関連の本などは時々読んでおり アルバイトで地元近くの解放同盟の支部の子ども会の指導にもあたっていた。
この時、子どもたちのしなやかな感性に触れ Tさん自身も成長していった。
 Tさんの献身性が 支部の人たちの目にとまり Tさんは続いて 高校生、大学生の友の会の指導者に抜擢されることになった。
 あるとき、Tさんは行きつけのスナックで一人の方と知り合う。
 その方は 部落出身者ではないが 差別をなくすにはどうしたらいいかについて 自分より真剣に考えているように彼は感じた。
 そして、差別をなくす地道な取り組みへの献身性が 人選の基準であるならば 部落出身者以外の人が 支部の高いポストにつくことがあってもおかしくないと Tさんは感じた。
 この方とTさんは結婚し、結婚後も彼女の影響を受けて ますます解放同盟の支部で献身的に働く。
 ある時 支部から 県教育委員会の同和地区出身者採用枠に Tさんを推薦したいとの話がおりてくる。Tさんは突然の話に「全然自信はない」と当惑したが、「自分を推薦してくれた支部を信じるしかない」と 最後には承諾する。
 (ふぅ、あついあつい、頭 冷やして寝よ) 



■2002/06/23 (日) Love Love Coffee

 ・・・あの「ハーフではなくダブルだっつーの」の
 第一提唱者(今は解放同盟支部長さん)に ばったり出くわしました。
 児童公園で掌を怪我した子に 念入り消毒&絆創膏貼りをしておられる最中で
 お声は 掛けられなかったケド
 傷口手当ての 取り巻き童たちの中に 
 5人きょうだいダブルっちの 3番目クンが居て
 母を 昔のニックネームで呼んでくれたそうデス。(親同士がいまだ使用してい るのを ここの子は 又聞きして使ってますカラ)

 作業中、「夕涼み会」会長(5人ダブルっちの母)が
 みんなにコーヒーを入れてくれて
 このへんは 変わってないなぁと母は つくづく思ったトカ。
 
 彼女と現夫との(ここらでは)有名な、なれそめ話に
 それは 彼女が 大友会長をしていた真冬、現夫(部落外)が
 「外回りから帰ってきた人に コーヒー入れて」
 と 忙しい彼女に言い、
 言われた彼女の方も 
 「このヒトは 女性差別で言っているのではない」と
 感じていた・・・というエピソードなんですト。
 
 (熱いコーヒーを ごちそうさまでした、ふぅふぅ)


■2002/06/25 (火) 続・星影のワルツ

 星の見えない晩が続いていますが、
 
  別れることは つらいけど
  仕方がないんだ 君のため
  別れに星影の ワルツをうたおう・・・

 とは ボクが生まれる30年前に大ヒットした曲です

 
 「結婚差別の歌であります」と、高知県議会議事録で森田益子さんもご紹介されている。

 それだけ、切ないけれど 部落の一青年の 元カノに寄せる 嘘偽りのない気持ちなのだ。

 「あとから生まれてくるということは
 歌の続きを書くということや」とは、ボクが通う「同和」保育所の解放同盟の支部長さんのコトバだ。


※プロフィール
森田 益子さん
1924年、高知市生まれ
1959年、部落解放運動に加わる
1975年、高知市議に社会党から立候補、トップ当選。
以来、市議を四期勤める。
1976年から部落解放同盟高知市連絡協議会議長をつとめる。
1978年〜1979年、部落解放同盟中央執行委員婦人対策部長
1989年〜2003年3月3日、高知県議会議員(現在無所属)
 



■2002/09/08 (日) 夜ダブ

 そうそう、

 ボクの「ダブルっち」は
 愛称みたいなものと思ってください。うん。
 
(20世紀後半は「ハーフではなくダブル」なる
 アメラジアンの人たちの運動が起ったが、
 解放同盟支部内では ボクのような子どもを
 旧態依然 ジョークで「ハーフ」と言いあっていた。
 解放同盟のT書記長さんが「部落問題だけやっていていいのか」と
 部落解放学生連合協議会夏期講座や講演などの席でいつもいつも一人で言って回り
 「ダブル」は浸透したんだ)。

 21世紀感覚だと
 「ダブルっち」と「純ブラ」の区別をことさら強調すると
 「子どもを序列化、優劣付けしてるみたいだよ」って
 やんわり たしなめられたりしますね。



■2002/11/24 (日) 人を最後まで見捨てないが原点だから

 ・・・こちらでは、かつての解放同盟支部長さんの刊行物「最後のひとりの立場に」が ハハの超お勧め本ですわ、てか。
 ボクは それを読んだら 思うんかな。
 部落解放運動のめざすものは あらゆる差別の「減った」世の中だなんて言う人は差別にあった人が あと何人になったら「減った」というのだろう、と。
 部落解放運動のめざすものは あらゆる差別の「無い」世の中だと掲げ続ける意味は 別の次元にあって 差別にあった人を 最後の一人まで切らない(見捨てない)という意味なんだって。
 人を切るか 切らないかの次元で 話している。
 差別はなくなるか なくならないかの次元で 話しているわけではなく
 (社会学的には、人は 他者を排除することによってアイデンティティーを保つというね)。
 そこさえきちんと押さえていれば「めざすものは 差別の減った世の中にしておきなさい」と、他人が口をそろえて言っても ボクは 惑わされないのかもねぃ。
 ったく、どうしてこの本、図書館に置かないんだ。(ハイ、注文してみまふ)
 
 差別にあって助けが必要な人は 最後の一人まで切らないという意味なので、ここの解放同盟の支部の活動も 見ている範囲では 昔も今も 子どもを守る仕事が ちゃんと中心に据えられていると思う。
 差別にあって助けが必要でない大人はいるかもしれないが 子どもは いないからだ。
 親がしょっちゅう 蒸発するある兄弟は 朝 寝過ごすので、学校を欠席しがち。
 身寄りは オジイチャンがいるにはいるのだけれど。
 早速、支部の大人や大学生 出動して、起こしに行き始めた。
 子どもは、何とか 一人で起きられるようになったと 思ったら またしばらくして 学校を休みだして の繰り返し。
 はたで見ていても 兄弟がちゃんと登校するか角で 支部の人と学生が 車の中から見張っているというなかなか 大変な業務だった。
 ハハも その子のピアノの先生をどうよとみんなに持ち上げられ しばらく 児童館のピアノ開けて 兄弟と 交流持てた(←いいとこ取り)



 一般の人びとと解放同盟の人びとの間の溝が、少しでも埋まりますようにと、オヤとして(個人的にも)願うばかりです。
 



 
☆ 



2005年09月12日(月) ヨーロッパ中世の被差別民


ヨーロッパ中世の被差別民


『自分のなかに歴史を読む』(阿部謹也氏)を読んでのまとめと感想です


 ある種の職業についている人たちへの「賤視」から差別(被差別民)は生まれたに違いないけれども、現代の差別(差別する人たちの心)は、いちいち「賤視」までさかのぼって出発してはいないのですよね(何も考えずに差別していて、いわば、底が浅い)。あらためて、人を「賤視」することと、人を差別することは、別次元の問題だと思うのだけれど、賤視を理解することは、なぜ人は差別するのかを知ることではあるんですよね。だから、他人事ではすましたくない、すまされたくないなあ・・・というわけで、あいかわらず勉強させてもらっています。



 例えば、社長が平社員を軽んずるということがあったとして、それは人間としての差別にはなるかもしれないが、賤視とはいえません。
 賤視は、身分の上下関係の中で起こるものなのではなく、ただ軽んずることでもなく、畏怖という感情が根底にあって、それが屈折して賤視に転化してゆくのです。
 それで、特定の職業に従事する人びとが、身分を構成しえない人びととして、恐れられながら賤視されたわけです。
 これは、「差別はいけない」とただ連発するだけでは見えてこないことではあると思います。そして、こういう心の構造を分析していくことによって、現代においてなくすべきものの正体をつかむことができるような気がします。




 人と人との関係は、歴史社会学的にはモノを媒介にする関係と、目に見えない絆で結ばれた関係とから成り立っているということです(後にヨーロッパ社会では神との「契約」による関係が入ってきます。一方、日本は、むしろ特定の宗教と関係を持たないほうが良いとされています)。
 目に見えない絆は、愛や信仰、掟や思想、音楽などをいうようですが、(目に見える)モノは=大地や風土、動物や植物、食物や道具などをいうようです。大地や風土、動物や植物は「モノを媒介」に当たるんでしたか。「目に見えない絆」というか、心で愛でるという印象が強かったです。まずはヘンなところで感心してしまいました。


 ヨーロッパにロマやユダヤ人以外にも被差別民がいました。でも、文明の落とし子であるという西洋の学問では、文明の立場に立つと、被差別民はあってはならない存在として無視されてきました(民俗学や文学のような、文化の次元にも目を注ぐ学問においては、早くから被差別民が登場していました)。日本でも被差別民は長い間無視されていました。



死刑執行人、捕吏(ほり)、墓掘り人、塔守(とうもり)、夜警、浴場主、外科医、理髪師、森番、木の根売り、亜麻布織工、粉挽き、皮剥ぎ、犬皮なめし工、家畜を去勢する人、道路清掃人、煙突掃除人、陶工、煉瓦工、乞食と乞食取締り、遍歴芸人、遍歴楽師、英雄叙事詩の歌手、収税吏(しゅうぜいり)、ロマ、マジョルカ島のクエタス(洗礼を受けたユダヤ人)バスクの籠など



 一一、二世紀頃、村落共同体が二〇戸以上の集落として形成されるようになると村が一つの小宇宙として意識されるようになりました。
 浴場は水浴から公衆浴場へと変わり、大きな火を扱うというので、浴場主は大宇宙を相手にする職業ととらえられていました。
 理髪師と外科医は、たいてい浴場主が兼ねていて、人体という小宇宙に手を加える立場でもあるので、小宇宙と大宇宙の狭間に位置するととらえられていました。
 粉挽きは大宇宙の現象である川の流れを調整する(得意な能力を要する)仕事として、死刑執行人は、人間を小宇宙から大宇宙へと移行させる職業として、遍歴芸人は定住せず小宇宙と小宇宙の間を遍歴するがゆえに大宇宙に属する人間として見られていました。



 これらの人びとの職業は、おおまかにいえば、死、彼岸、死者供養、生、エロス、豊穣、動物、大地、火、水などと関わるものでした。
 これらは中世の人びとにとっては大宇宙に属するものでもありました(古代、中世の人びとの関係を頭におきながらこの問題を考えようとするときは、現在の私たちがもっている「常識」はいったん捨ててしまわなければ理解できません)。
 それで、これらの人びとは、中世中ごろまではみな(大宇宙を相手に仕事をする)異能力者として畏怖される存在でした。誰もそれらの仕事が賤しいものだとは考えていませんでした。
 ではなぜ彼らは、一三、四世紀頃より、賤民として差別され、賤視されることになっていったのでしょうか。


 大宇宙と小宇宙の図式で説明できる現象は、日本にも多く見られます。いいかえれば、一一、二世紀以前のヨーロッパの人間関係は、現在までの日本と非常によく似た社会関係(モノを媒介とする関係と、見えない絆に媒介された関係)を結んでいました。
 しかし、ヨーロッパでは、この二つの宇宙をキリスト教が公的に否定し、一元化しました。それによって死と彼岸における救いを媒介にした、新しい人間関係が形成されました(このあたりは後日くわしく)。
 そして、社会的には葬られながら、心の底で恐れを抱いている人びとが現実に共同体を担う仕事をしているという奇妙な関係が成立しました。被差別民は、以上のような心的構造のなかで成立しました。


 ※補足

 一一、二世紀以前の中世の人びとは、家を単位とする小宇宙の中で暮らしており、家の幸・不幸、人間の運・不運、病気や不作、戦争や災害などのすべては、家の外に広がる大宇宙(森や川、海や山、野原、天空と地下の世界)からやってくると考えられていた。二つの宇宙という世界の構図があった。
 それが、キリスト教が社会の下層にまで普及すると、病気も不幸も不運も、災害や戦争、不作なども、みな神の摂理の結果として説明されることになった。
 
 人びとは公の場ではキリスト教の説く一つの宇宙を信じて行動しなければならなかったが、日々の生活の中では古代以来の大宇宙に対する畏怖の念を消し去ることはできなかった。
 しかし、キリスト教はゲルマン人の文化よりも高度な地中海文明として登場したことと、キリスト教の本質が愛でもあったことと、貧しい者、虐げられた者に人類史上最も積極的な価値を見出し普遍性があったこととにより、人びとはやがてキリスト教の説く一つの宇宙を信ずるようになっていった。
 現実には、キリスト教は、改宗か死かが迫られるようにして普及していった(アイスランドではキリスト教に改宗しない者は大量に虐殺された)。

 中世の人びとにとって、生はつかの間で死は身近なものだった。中世を通じて人びとの平均寿命は三〇歳くらいであり、市門の外にはいつも犯罪者の死体が吊り下がっており、市場には行き倒れの人の死体がしばしば見られた。
 だから、現世において善行を積み死後に天国で救われることを夢見た。そして、かつては個人と個人、人間と神々の間の互酬関係しかなかったのが、キリスト教とともに教会という権力が入ってきた。
 やがて、教会だけでなく、都市や国家までが個々人の来世での救いのために何らかの役割を果たすという機能をひきうけるようになっていった。
 こうして、個人と個人の間の関係に、絶対的な価値としての救いの問題が介入し、それが教会という権力と、国家や都市という制度によって支えられているという新しい人間関係が成立した。


 人と人との関係で「契約」はどこの社会でもあります。でも、一一、二世紀以後のヨーロッパにおいては、その契約を破った場合、彼岸において地獄に落ち、永遠の苦しみを味わうことになるという条件がつけられたのでした(この条件そのものは時代と共に徐々に薄まってきますが、ひとたびこのような条件が成立した社会は、人間関係が合理的で予見しやすくなり、社会の行動力を高め、その文化を全世界に広げていくようになりました)。
 このような関係が生まれてきたことで、そこに大きな軋轢が生じ、その最大のものが、新たに差別され賤視される人間が生まれたということでした。

 現在の日本とヨーロッパでは、モノに対して関係の結び方が違い、ここを考える中で、被差別民の成立の問題に突き当たったわけでした。



小まとめ
 著書の中に、「(ヨーロッパ中世社会における差別の問題は)今の私たちには容易に解らない心理のなかで起こった現象なのですが、現在の私たちのなかにも人を差別しようとする意識はありますから、私たち自身の中にある差別する心を分析してゆくことによって、ある程度は差別の構造を知るきっかけを手にすることができます」とありました。
 
 
 『自分の”ものさし”には差別意識という文字はない』というのは思い込みに過ぎない場合が多いとは、わが身を振り返ってよく思うことでした。反省。
 学者の研究が生かされず、差別意識を「いけません」と「やめましょう」とあたりまえのことを啓発することで差別をなくそうとした(ように見える)日本の状況は、まずは自分の家族や友人たちとの間から変わっていかなければと確信したしだいです。


つ


づ


く



2005年09月11日(日) 「障害」者差別に基づく冤罪事件「野田事件」



冤罪事件(1979年9月11日発生)
本当は僕が殺したんじゃねぇもの〜野田事件24年目の真実  


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