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2005年08月09日(火) 被爆  西成の加古さん


被爆  西成の加古さん
☆1962-08-5(婦人民主新聞)

長崎の爆心地から0.2キロの所で被爆しました。硝子の破片が背中に三百五十個も突き刺さったんです。四十七歳の時でした・・・二十二年に男の子が生まれました。妻は子どもを産むとまもなく洗面器一杯の内臓のようなものを吐いて死にました。むつきの世話から一人でして育てました。印刷外交に歩くにも幼児の手を引いてつれて歩きました。大阪へ来たのが二十九年。その頃から、糖尿病、腎炎、貧血、それに低血圧です。この一月に突然倒れて意識不明になりました。・・・毎週月金曜に日赤、水木に大阪市立大学病院、火土に市立病院、去年は白内障、今度は心臓の裏側にも故障・・・今年の二月どうしても入院になり、息子を里子に出しましたが、一週間後に息子が病院に逃げてきました。その晩、息子を私のベッドの上に寝かせ親一人子一人の絆に私は一晩泣き明かしました。・・・すぐ近くの関西線の線路の上に夜中に子どもと一緒に座りに行ったことも度々あります。子どもが家に帰ろうと言って手を引っ張りますので死ぬのをやめて帰りました。
(死ばかりみつめていた加古さんが)せめて子どもが中学を卒業するまでは、どんなにしても生きていなければと思うようになりました。衰弱していますので病院に通うだけでも精一杯ですが、私と同じような被爆者が次々と頼ってきますので、私の経験を生かしてできるかぎりその人たちの相談相手になってあげたいと思いました。その間だけは自分の病気のことを忘れます(この日も被爆者二名を励ましに行った帰り)。

☆1962-09-30

・・・加古さんは何人かの被爆者の訪問を受け、病院、保険所、福祉事務所に交渉して無料通院、入院、手術の世話、めんどうな手続きなど一切の世話をみてあげておられます。・・・加古さんが特に感激したのは洋子さんの手紙です。
「私は大阪に住んでいます。母が婦人民主新聞をとっていることからおじさんおことがわかりました。前々から人々に奉仕したいと思っておりました。今私は夏休みに入っているので近所の子どもたちと一緒に家のあたりを掃除しています。これも勤労奉仕です。この夏休みにうんといいことをしたいと思います。中に入っているお金はほんの少しですが、なにかのたしにしてください。これからもお手紙をときどきお書きします。きをおとさないでがんばってください。加古一義おじさんへ」

「お手紙頂きました。これほど率直な感銘を受けたのは初めてでもあり心温まりました。ところが、病院の院長様も感銘され・・・先生は家の子どもにも一覧させて尊い心を反映したいと言っておられました。そして闘病生活する患者には何十本もの注射にも優る文意に精神的に大きな効果があると話されました・・・洋子様、お願いですからお金は送らないで学校の教材に使ってください。私は婦人民主クラブから十分にして頂いておりますから・・・できましたら旭区の住所を教えてください。」

☆1963-04-21 加古さんの活躍実る 大阪で被爆者懇談会

三月二十四日午前十一時、大阪西成区信光寺会場に五百名・・・壇上の青年の肩に千羽鶴のレイが掛けられ拍手に次ぐ拍手。青年は中村順君といい五歳の時被爆、両親はじめ家族みな死に、たったひとり施設で成長し、やっと働けるようになった時に原爆症が。今年の冬、西成の行路病者の収容所に呻吟していたのを加古さんに救われ、今は市立今宮市民病院に入院中という・・・

☆1963-08-04 被爆者相談コーナー開く 加古さんの協力で

・・・一人息子の一彦君が今年中学を卒業し、さる繊維問屋に住込みで就職、夜間高校に進学したのを機会に・・・


☆1964-08-02 どうしたらよいか被爆女性の現状 加古さんが訴え

 同じ女性の隠れた問題を 婦人民主クラブで取り上げ、男性の理解に訴え、女性の立場にご指導くださることを 私の名で訴えます。
�”埣任防老貍鼻�肝機能障害、腎臓障害、出血性素因などの疾病があるため、家庭も暗く離婚訴訟中の人や離婚成立して働いてはならない体を無理して働く・・・�⇔ズЦ紂�被爆者であることを隠して再婚、密かに治療をしておられる方の心の苦しみ・・・�NズГ気譴道弔靴討�た子どもを想い、夜となく昼となく・・・�と鑁�の女性で治療もせず、看護婦をしている人が大阪に十七名、独身でビル清掃会社に働いている人もあり、詳しく聞きましたが結婚、離婚をした他の女性の余りにも悲惨な経験を見聞して、独身生活を続けている・・�セ綾集涅个凌佑波鑁�者ゆえに結婚はもとより一人の縁故もなく水商売をしている・・・

☆1965-01-24 大阪被爆者相談コーナー 他の団体も協力

☆1965-08-01
加古一義さん(68)後遺症の身で被爆者相談 妻にも382個の硝子が

・・・妻は産後の肥立ちが悪く、内臓ようの吐物をバケツ一杯に吐いて 四ヶ月の男児をおいて ついに死去。子どもが小学校に入学するまで暑い日も寒い日も幼子の手を引いて外交に回る苦労。帰れば食事から洗濯衣服の繕いまで一日一日がホットする間もありませんでした・・・私の病状も次第に悪化、遂に働くこともできずどん底生活に落ち込んでしまいました・・・息子も無事中学を卒業して就職でき、私は被爆者相談コーナーという目標を与えていただき・・・何よりも私の生き甲斐であります。死ぬまで私はこの仕事を続ける決心であります。私は今、脊椎骨、腰骨歯ギン軟化症、眼底は両眼とも犯され、脊椎変形症で脊骨に枝を生じ、内臓は肝臓をはじめ全部犯されています。

☆1968-03-31
精密検査者は八五% 被爆者相談コーナー 加古一義さんから

・・・府医務課の呼び出しに応じない人も、私の呼び出しには応じてくださり・・・全国平均は三%なのに・・・無給の奉仕でした。厳寒中の行事で、十日ほど前に突然病状悪化、三時間余り意識不明・・・個々の被爆者に指導支援する人はなかなかありませんので、無理してすべてに対処しています。
今度の発作で私自身、今年中の生存はむずかしいのではないか、と予感していますが、いささかの悔いもありません。・・・御厚志ありがとうございました。三月十八日 加古一義

☆1968-12-13 被爆者相談コーナーの活動 1879人と歩く

今相談コーナーを頼っておられる人は大阪府、市で千八百七十九名おり・・・私は最近右耳が中耳炎になり内科被爆が原因で手術をしても効き目はなく・・・また全身の関節を侵され歩行が困難になり、肝機能障害、肝硬変の前兆まで出てきました。今年中という内科の先生の言葉でしたが今日までは生きられました。・・・本当に愛情と犠牲を持つ人を役職員にと話し合い・・・
加古一義
(大阪府西成区山王町二−五九)


☆1970-11-20 児童雑誌 被爆者を怪獣で売り出す マンガにテレビで もう二年間も

「被爆者が体にケロイドを持っているからといって怪獣扱いするのはおかしい」と最初に疑問を出した女子中学生は東京世田谷区に住む中島ゆかりさん(一三)。お父さんは東京都原爆被害者団体協議会の専門委員。「ちきゅうの こどものちがほしい。○○○せいじんは おそろしいきゅうけつかいじゅうだ。たたかえ、●●●。○○○せいじんに まけるな。よいこを わるいかいじゅうからまもるのだっ」という説明までついている子供向け絵本。「回答期限の十七日を過ぎているんですが」「十七日までの回答をどうのこうのっていうようなお話しなんですか」「被爆者に対してどう考えられているのですか」「差別教育とかねそういう意識を拡大再生産しっとかいうふうなことは毛頭ないのです。そういうことになると結局、言論の自由とかねそういうふうな問題っていうものとも関係してくると思うんですよね。その民主的なルールのね、逆行低現象をかもし出すんじゃないかと思うんですよ」

 被爆で生き残った人々の苦しみが まだあがなわれていないもとで 被爆の体験を風化、退廃させてしまっていた我々を象徴するような一事件だったと思います。
 


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