はじめに
・・・日本共産党宮本一派と部落解放同盟との対立は 一九六五年に出された内閣同対審答申の評価論争に始まり、特に一九六九年三月におこった矢田教育差別事件以後 悪化の一途をたどり、一九七〇年に正常化連なる分裂組織をデッチ上げるにいたって決定的となった。日共宮本一派は「糾弾は暴力だ」とか「解同朝田派は暴力利権屋集団だ」などとデマ攻撃をエスカレートさせ、一般市民の差別意識を煽動し、部落と一般市民との分裂を策動し、また「窓口一本化は憲法違反だ」と称して闘うものの論理=団結を破壊し、ことごとく部落解放同盟の理論にケチをつけてきた。特に一九七四年一一月に八鹿高校差別教育事件を仕組んで以来、部落解放同盟の組織そのものを否定し、阪本清一郎や北原泰作、更には自民党や全日本同和会などと野合し、一九七五年九月二十一日には「国民融合をめざす部落問題全国協議会」なる融和団体を結成するにいたった。
このような 現在の日共宮本一派の進めている「国民融合」路線なるものの教育分野における理論が 前述の小林栄三論文なのである。
われわれは、この小林論文は、これまでの日共宮本一派の同和教育論の一つの集約であり 特に今日の日本共産党を代表する教育「理論家」の手になるものだけに 注目しなければならないと考える。・・・
小林理論の特徴
・・・小林論文は、今日の教育破壊の元凶が政府・自民党の反動文教政策であることを全く免罪し すべて部落解放同盟の責任になすりつけ・・・差別と選別の反動文教政策を強行する政府・自民党への批判の欠落した「理論」なるものの正体は・・・部落解放同盟の「解放教育」は反教育的であるとして 三点にわたる「批判」を展開している。即ち、
� 媛鯤�教育”こそが民主主義教育の”原点”で”部落解放運動の課題を欠落した民主教育は 似て非なる民主主義教育”だとする、いわゆる「原点」論はあやまりである。
��部落排外主義にもとづいて部落民以外はすべて差別者だと決めつける「原罪論」、「つぐない論」により、教師は差別者だとしてその指導性を否定する教師=敵論。
��”部落差別の現実に学べ”、”運動と教育を切り離して解放教育は確立できない”として教師、父母に連帯を強要し 部落解放同盟の担い手をつくるというイデオロギーを持ち込む”偏向教育”である、
というものである。
・・・ここでは水平社創立以来五十余年にわたって闘い続けてきた部落解放運動の歴史と伝統や、全国同和教育研究協議会(全同教)に結集して営々と積み上げられてきた戦後の同和教育運動の成果が、こともあろうに政府、自民党の手口と同じく「偏向教育反対」の名の下に否定されているのである。・・・
〜運動と教育の結合は解放教育運動の出発点〜
○全同教結成の出発点
一九五三年五月、
「人間が人間を差別している。われわれはそのもっとも代表的な姿を同和問題に見る。民主教育は個人の自由、平等、人権価値の尊厳を基準とする教育である。もし個人の自由が奪われ、人格が無視され、甚だしく傷つけられるような実態が存在するならば、民主教育はか敢然としてこの事態にとりくみ、これと闘う教育でなければならない」
という趣意書を掲げて 全国同和教育研究協議会(全同教)が発足した。
それは自然に生まれたのではなく、一九五一年の京都オールロマンス事件糾弾闘争、和歌山県西川県議差別事件糾弾闘争、一九五二年六月の広島県吉和中学差別事件糾弾闘争を教師自らが経験する中で、同和教育は観念的なものではなく、部落差別の現実を深くみつめ、部落の子どもたちの教育を受ける機会均等を保障し、高めていくものとしてとらえられ、教育行政の差別性を追及していく運動として 質的な転換を行う中から生まれたものである。同和教育運動は 全同教の結成経過が端的に示すごとく 部落解放運動と結合する中で生まれ、勤評闘争、学テ反対闘争、義務教育無償闘争、越境闘争、教育条件改善闘争、教育内容創造の闘い等々と発展してきたのである。
いみじくもこの間の事情を日本共産党の中西義雄氏(正常化連事務局長)は『部落の歴史と解放運動』(部落問題研究所編、一九六九年刊)の中で次のようにのべている。
「この時期(注 昭和三十年代)において、とくにのべておかなければならないのは 教育労働者による同和教育運動が 部落解放運動と結びついて発展してきたことである。
同和教育は戦前にあった。しかし戦前の同和教育、融和教育は 融和運動の一環として部落民自身の闘いをおさえる目的をもって
”天皇の赤子である八千万同胞が一和しなければならない”
という精神修養、修身の補助教育のようなものであり、管制教育の枠の中に閉じ込められ、教育労働者の運動と切り離されていたのである」
・・・これに対して小林論文は・・・こともあろうに内閣同対審答申の否定面というべき「教育の中立性」論を盾にして・・・かつてあれほど部落解放同盟の「同対審答申完全実施」の闘いを口汚なくののしり、その闘いに水を差し「答申は毒まんじゅうである」とか「答申は否定面だらけである」といっていた日本共産党が 今度はこともあろうに周知の答申の否定面を積極的にもちあげ 部落解放教育を攻撃するのである。・・・
全同教結成以来、部落解放をめざす教育運動は「教育の中立性」の名のもとに民主的成果を弾圧し 同和教育を管制道徳教育=融和教育にすりかえようとする政府、自民党の策動と対決し 教育における具体的な差別の事実を明らかにする中で現実に行われている教育は「中立」ではなく まさしく差別教育でありこのような教育における差別と具体的に闘うことなしには 部落差別をなくす教育の課題は実現できないということを実証してきたのである。
この点については彼らの僚友である小川太朗氏が明確に答えてくれる。・・・
「今日の学校は このような(注 立身出世主義による)階級的な教育を肯定するか、あるいはそれを否定して抵抗の闘いをすすめるかの二者択一を迫られている。その時に 同対審答申はこのような階級教育を肯定し、その体制の中に部落の子どもを”市民”として平等な資格で投入して 激烈な競争の勝者としての可能性を開いて行くことを”中心課題”とすべきなのであろうか。・・・
水平社以来の部落解放教育と戦後の同和教育とは これとは全く異なる見地を打ち出してきている。第一に 水平社の差別糾弾の闘い自身の中で 部落のおとなもこどもも 自らの力で自らを解放しようとする部落民としての自覚と誇りに目覚めてきた。・・・
第四に 部落子ども会や高校生の部落研サークルの学習の中から またそれらの地域をこえた交流の中から 子どもたちの部落解放に対する見通しと確信が育ってくる。・・・これも”政治的運動や社会運動”に類するものと見られ ”教育の中立性”を危うくするものであるとして圧迫されがちであるが むしろ 日本の民主主義はこうした次の世代の成長の行く手に 明るく輝いていると見るべきではないか」・・・
「部落民以外はすべて差別者だと規定し、部落排外主義に基づく暴力的糾弾により 学校教育へ介入している」という歪んだ認識から「教育の中立性」を守れとする小林論文は、小川氏の所論が正しく指摘している通り 教育の階級性を理解しえない非科学的な理論であり、差別糾弾闘争の意義をゆがめ、解放教育運動をはじめとする民主主義教育運動の歴史と伝統に真っ向から対決するものであり、政府、自民党の教育論と同類のものである。
かつて日本共産党を前衛と仰ぎ奮闘していた小川太郎氏も 小林論文に象徴されるような今日の日本共産党の自堕落ぶりに 草場の陰で無念の涙を流しておられることであろう。
三 解放教育(同和教育)と民主主義教育の概念について
○同和教育(解放教育)の概念の成立過程
・・・小林論文は・・・同和教育を 部落問題の知識を教えることと 部落の子どもたちを直接対象とする教育実践(補充学級、促進指導等)のみに限定しようとしている。・・・
戦後の同和教育運動も、当初は 憲法で法の前の平等がうたわれた以上 憲法理念を普及すれば差別は徐々になくなるとの認識から 極めて観念的な人権尊重教育から出発したが レッドパージ等による部落解放運動への弾圧強化や あいつぐ教育現場での差別事件の中から 差別との具体的な闘いの必要性が認識され、部落解放運動との結合の方向性が打ち出され、今日まで発展してきたのである。
全同教が創立された当時、すでに日教組を中心として憲法理念を普及、徹底することをめざす民主主義教育が提唱され、実践されていた。そして本来ならば 憲法理念を実現するこの民主主義教育の実践が 部落差別をはじめ あらゆる差別を解消するはずであった。しかし現実には 部落差別事件はあとをたたず、あまつさえ 民主主義教育を体現しているはずの教師が 部落差別事件を引き起こした事実(その端的な例が一九五七年広島県吉和中学差別事件)の中から 部落の子どもたちと真剣に教育実践を取り組んでいる多くの民主的な教師が中心となって
「これまでの民主主義教育は 部落差別を除外したものではないか」、
「部落差別の現実を無視した民主主義教育が 真の民主主義を実現する教育といえるのか」
という真剣な反省がおこった。・・・
一方、部落解放運動の高まりの中で、一九六五年八月には内閣同対審答申が出され 一九六九年七月には 同和対策事業特別措置法が制定されるにおよび、政府や地方自治体行政も同和教育に取り組みだした。
しかし、政府の同和教育行政は「教育の中立性を確保する」ことを口実に これまでの差別教育に目をつぶり さらにそれを徹底させようとするものであり、戦前の融和主義教育と本質を一にするものであるため、部落解放運動や同和教育運動にたずさわっている教師たちの側からは 真に部落の完全解放をめざす教育を実現していこうと「解放教育」という言葉を強調してきたのである。
「解放教育」の理念とその実践は、同和教育運動の正しい教訓と遺産を引き継ぎ、官制同和教育=融和主義と対決し、部落解放を実現するための教育の課題を明らかにしようとするものである。このように同和教育、解放教育」の概念とその運動は、民主主義教育の具体的な内容を問い、抽象的なスローガンではなく、具体的な真理とその実現をめざすものとして成立し、発展してきたのである(参考 『解放教育』第一号一九七一年七月刊)
○解放教育(同和教育)と民主主義教育
・・・一般に抽象的な真理(一般)は存在しない。真理はつねに具体的である。
ブルジョワジーは「自由、平等、博愛」のスローガンの下に民主主義を宣言し、資本主義社会は民主主義社会であり 理性の王国であると宣言した。
しかし現実の資本主義社会は搾取を基礎に 貧困と抑圧と差別の渦巻いている社会であり 民主主義はただ形式的にのみ保障されているにすぎず、
「自由」とはブルジョワジーにとっての自由であり 搾取の自由であり
「平等」とは法の前の平等、形式的な平等であり 現実の不平等に目をつぶるものであり
「博愛」とは ブルジョワジーの非人間的搾取を覆い隠すための見せかけのものにすりかえる 差別社会なのである。・・・
小林論文は 民主主義教育と同和教育の関係を 全体と部分の関係として捉え・・・あたかも個別的真理の寄せ集めが全体的真理としての民主主義教育であるかのように 主張している。
民主主義教育の課題は 同和教育・障害児教育・僻地教育等々に限定されることなく 複雑な現実的諸条件に応じて際限も無く多数存在する。しかし これらの個別的実践の総体として 民主主義教育があるのではなく、まさにその個別的実践の中にこそ 民主主義教育が貫徹している。・・・
・・・小林論文は 同和教育を民主主義教育と対立させ 特殊な部分的なものとすることにより 解放教育運動の歴史性とその成果を否定し、民主主義教育そのものを抽象的なものにしてしまうのである。
自主的民主的同和教育論の本質
・・・部落解放教育運動は一九六〇年後半から大きく前進した。そのテコとなったのは越境入学反対闘争・矢田教育差別事件・解放教育読本「にんげん」の成立である。
一九六七年松原市において部落解放同盟を中心に越境入学反対闘争がおこり、六八年には全大阪で闘いが進められた。当時 越境は現在の教育体制の下では「必要悪」とさえとらえられ、ターミナル近くの大阪市内有名中学では七割以上の越境入学者をかかえていた。このことは、差別と選別の教育体制を隠蔽し、部落差別を助長していた。「越境は差別だ」ととらえ、教師とともに闘う中で教育委員会に越境の違法性・差別性を認めさせ、越境根絶のための行政措置を確約させた。更に越境を合理化する部落の学校の悪い教育条件を放置してきた差別教育行政を批判し、教育諸条件を飛躍的に高める闘いを展開し、新しい校舎建設、特別加配教員の獲得、三〇人学級の実現などを勝ち取っていった。
しかし、日本共産党の教師をはじめ多くの現場の教師は越境反対闘争に冷淡であり、「越境反対は緊急の課題ではない」としてサボった。このような教師の差別性を鋭く告発したのが 一九六九年三月におこった矢田教育差別事件である。
...そして一九七〇年四月の解放教育読本「にんげん」が全大阪府下の小中学校に無償配布されるにおよび、教育内容の民主的編成と 解放教育を担いうる教師の資質が改めて問われた。
�◆崋�主的民主的同和教育」論の本質
・・・第二に・・・このことを端的に示したのが一九七三年の大阪市社会同和教育指導員をめぐる橋本せつ子問題である。部落子ども会の指導者として不適格であるとして 研修を指令された橋本せつ子は 自己の立場を弁明するために次のように主張した。
「私への不当業務変更の理由は、”矢田問題”を差別と認めないからです」
「私は子どもたちが将来、解放の担い手として立派な人間に育つことを願ってはいますが それは本人自らが決める問題であり まして同盟員になる子どもを育てているのではありません」
・・・「子どもたちが将来、解放の担い手として立派な人間に育つこと」は 橋本のように単なる願いではなく、説得と納得に基づいて目的意識的に追究することであり、教師の指導性が求められることである。ところが橋本は「それは本人自らが決める問題であり」とその指導を放棄しているのである。
第三に、「自主的民主的同和教育」論は、セクト的利害に基づくエゴイズムの主張である。
そのセクト性を端的に示したのが一九七四年末に引き起こされた八鹿高校差別教育事件である。八鹿高校において 部落出身生徒十七名と一般地区生徒四名の計二十一名が 部落解放研究会を組織し 学校側に公認することを要求したのに対し 日本共産党の教師たちはすでに部落研があるという口実で生徒の自主活動を弾圧した。日本共産党は口では「児童・生徒の自主的な活動を奨励する」といいながら「部落解放同盟などの学外の団体から指導されている『解放研』などについては 学内における生徒の自主活動ではない」(小林論文)として否定するのである。そこには彼らのセクト的認識以外の何者もなく 判断の基準は 彼らのセクト的利害・エゴなのである。
そして、八鹿高校において部落研(そこには部落の生徒は一人もいなく、一度入部した者もすぐに退部してしまっている)がありながら、部落出身生徒たちが中心となって解放研を組織していったという事実は、八鹿高校の同和教育の実態を明らかにしている。つまり、「自主的民主的同和教育」論に基づく八鹿高校の教育実践は 部落解放運動の担い手を作ること、変革の主体を尊重することよりは 自分たちの方針に従えという「同化の教育」であり、融和教育そのものなのである。だからこそ、地域の部落解放運動の高まりの中で目ざめてきた生徒たちが部落研を拒否し 部落研の組織化に立ち上がったのである。
以上のように、「自主的民主的同和教育」論は、
第一に 部落解放運動からの「自主性」をとなえ、部落解放教育運動の歴史と伝統を拒否し、その妨害者となることを直接的にはめざすものであり、
第二に 物事を判断する際の真理の基準が何かということを教えることを拒否し、教師の指導性を放棄するアナーキズムの理論と実践であり、
第三に 自己のセクト的利害(エゴ)のために真理をゆがめ 他を排撃するセクト主義(エゴイズム)の理論と実践である。
そして、このような日本共産党の誤りは、単に部落解放教育運動においてだけでなく、今日の政府・自民党の反動教育政策に対する根本的な認識の誤り、教育の階級性の無視、無理解として存在している。
��今日の日本共産党の教育論の本質
赤旗論文(一九七四年八月二十五日付け)の「新しい問題提起」とその実践は 結局のところ「父母」、「国民」の名のもとに教師のストライキを攻撃し、反動勢力の攻撃の前に労働者階級を武装解除するストライキ否定論に事実上おちいり、教育の中立性に対する幻想と教育内容の闘いにおける無条件降伏を提唱する階級協調主義に他ならない。
五 最後に
・・・現在、部落解放運動は大きな転機を迎えているといわれている。それは これまでの教育条件整備を中心とした闘いから 中教審路線と厳しく対決する教育内容の民主的改革の闘いへという、より質的に高い局面を迎えているということである。そこでは 中教審路線や小林論文の主張する「教育の中立性」論の幻想をうちやぶる政府独占の「期待される人間像」と厳しく対決し 部落解放を担いうる人間づくりがめざされている。
本論は 部落解放運動の発展に役立ちたいと願って書いた小論であるが 理論的未熟のため 誤りや不十分点も存在するかもしれない。先輩・同僚諸氏の率直な批判を期待するものである。