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〆よろしければ、相互リンクをお願いします。


2006年10月31日(火) 再審無罪者に対するテレビでの名誉毀損人権救済申立事件(日弁連)

10.31寺尾裁判長 「無期懲役」 判決 32ヶ年糾弾


1974年10月31日、東京高裁・寺尾裁判長が「無期懲役」という判決を下してから32年が過ぎました。事件発生から43年ですが、その間石川一雄は無実を叫び続け、今も裁判のやり直しを求めて訴え続けています。2006年5月23日、石川一雄は第3次の再審請求を東京高裁に申し立てました。
(石川 早智子さんの10.31メッセージ:真実を闇に葬ることはできない 第三次再審請求審では絶対法廷闘争に!より)

狭山事件の再審を求める市民集会をはじめ、■狭山第3次再審をかちとる豊中行動、■10・30 狭山徳島県内集会など各地で集会や署名活動が展開されています。
石川一雄さんに再審の道が開かれ、一刻も早く無罪判決がおりますよう、一人でも多くの人に狭山事件のことを伝えたいと思います。


さて、
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』にて立川談志さんと、免田事件が、以下のようにリンクしていました。
(免田事件はご存知のように戦後、死刑判決が確定して再審で無罪になった第一号の事件です。)




立川談志さん

7代目立川 談志(1936年1月2日 - )は、1960年代以降の落語界を代表する噺家(落語家)の一人である。・・・
1971年に参議院議員選挙に無所属で初当選。・・・参議院選挙では当時の全国区で50人中50位の最下位当選だったが、その際のインタビューで「寄席でも選挙でも、真打は最後に上がるもんだ」という落語家らしい言葉を残す。・・・
ラジオ番組において免田事件の元死刑囚に対し「ぜったいやってないわけないんだよね」と話し、これが問題となり後で謝罪した。・・・



免田事件

・・・その後 無罪が確定されたにもかかわらず、その後の免田に対する批判が続いた。・・・また落語家立川談志がラジオ番組において「ぜったいやってないわけないんだよね」と話し、謝罪する事件が起きた。・・・


Wiki (ウィキ) とは


それから、日弁連ホームページに“1991年5月7日 再審無罪者に対する名誉毀損人権救済申立事件(警告)”という事件が取り上げられていました。そこからの転載です。

【1991年5月7日 落語家T宛警告】
著明な落語家がテレビの番組の中で再審無罪者の名誉を毀損する発言をしたことについて、落語家に対しては今後名誉毀損をしないように警告をし、テレビ会社に対しては名誉回復のため相当な訂正・謝罪の放送をするように勧告並びに今後は企画段階で慎重な検討を行う等の要望を行った事例。


 日弁連 人権侵犯申立事件 警告・勧告・要望例集
つづいて、『日弁連 人権侵犯申立事件 警告・勧告・要望例集 第5巻(1988〜2004年度』)第5巻(1988〜2004年度』)その六“個人・近隣による侵害”1“再審無罪者に対するテレビでの名誉毀損人権救済申立事件(警告・勧告並びに要望)”からの抜粋は、以下の通りでした。 

警告
 貴殿が、一九八九年六月一日未明、テレビC放送番組「E」において、いわゆる「J再審事件」について、「J事件のJっつうのはね・・・(中略)・・・昔の法務大臣に聞きましたよ、『やってねえわけねえんだ』・・・つったな。・・・(中略)嘘じゃないよ『やってねえわけねえんだ、証拠がねぇんだ』ーつうんだな」との内容の発言をした行為は、・・・刑法二三〇条の名誉毀損に該当する行為であり、かつ、・・・一九八三年七月一五日、・・・・再審無罪判決が・・・「被告人にはアリバイが成立する・・・」としている事実にも反する内容であって、・・・同人の名誉を深く傷つけ、その人権を侵害する行為であるといわざるをえません。(頁六二一)





「立川談志の世相講談」はコチラ




つまり、「やってねえわけねえんだ」と発言したのは、「落語家T」ではなく「昔の法務大臣」だったということですよね。
 Wikiでは、ついでに“昔の法務大臣”名もリンクされるべき・・・と言うのは思い上がりですが、いつかリンクさせることができたらいいなと思います(よかったらご協力くださいね)。
 

番組名は、言わずと知れたTV朝日の深夜番組「プレステージ」ですね(遠い目〜)。



談志さまは「暴露」ではなく、「告発」という手順を踏むことは、当時としては難しかったのだろうか・・・。

おのれに降りかからぬ「冤罪」の苦しみも、表現(芸術・芸能)によって伝えぬく天才落語家であってほしいです。



『日弁連 人権侵犯申立事件 警告・勧告・要望例集 第5巻(1988〜2004年度』)

その六“個人・近隣による侵害”
1“再審無罪者に対するテレビでの名誉毀損人権救済申立事件(警告・勧告並びに要望)”


・・・再審公判における最終陳述は以下のとおりである。

「私は絶対無罪であります。検察官は私が苦しさのあまり泣き泣き署名したうその自白調書を盾に、『自白したから犯人だ』と決めつけ、私に対し、三〇数年前と同じく、再度死刑を求刑しました。私は、本当に残念で悔しくてなりません。私は死刑が確定したその日から、他の死刑囚と一緒に、死の恐怖に日夜苦しみ、もがき、明け暮れました。しかし、この死刑という恐ろしい死の宣告がどう考えても納得いかず、このため毎日苦悶、問答し、寝食も取れぬ日が続き、この間、昨日まで共にいた死刑囚はつぎつぎに処刑されて逝きました。私の神経はいびりたち(いらだつこと)、手足は硬直し、背中には冷たい汗が絶えませんでした。
 この恐怖生活の中で、無実を晴らす方法を探し、苦労している折、ふとした機会に、再審の手続きがあることを知り、それからというものは、その一筋の光明を求め、再審に取り組んできました。
 しかし、法律は無情で、幾度再審を請求してもすべて棄却され、そのたびに死の恐怖は日増しに襲い、その恐ろしさに狂いもがき、生活を乱し、特別視察扱いを受けることもたびたびでした。この折、キリストの教えに導かれ、祈りの日々に点訳奉仕を日課に加え、無実を晴らすため再審を続けています時、再審開始決定に浴しましたが、これもつかの間でした。再び絶望につき落とされました。
 自分の生命も欲しいが、真実はもっと欲しい。このころ裁判するには弁護費が必要なことから、無理を申し出たことがあって、面会に来た父親が『おれもこの通りだから動かぬ。お前もむなしかろうが、これを最後にしてくれ、家族も諦めている』というその姿は、老け込み、痛々しいさまに、腸がちぎれる思いがしました。
 そのうえ、頼みにしていた証拠品まで紛失され、万策つきている時に弁護人権課の救援を受けることができて、今日にいたりました。
 私の三四年間は、死刑の恐怖に怖えながら、生命のある限り、無実の汚名だけは晴らしたいの一念の闘いでした。しかし、これだけは信じてください。『私は無実です。これは真実です』。」 

・・・こうした中でなされた本件申立にかかる名誉毀損行為は不特定多数の視聴者に対する、元参議院議員、元政務次官という職にあった者の発言であるうえ、元法務大臣からの情報の引用という形をとっただけにその影響は大であり、到底できない意味をもつ。・・・(頁六二九)



関連リンクです。
私の生い立ちと訴え
“「狭山事件を考える市民の集い」(99年1月3日)石川一雄” より


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