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2006年09月07日(木) 部落解放運動と “華族”制度の成立から廃止まで

図書

『戦後日本(第5巻)占領と戦後改革 過去の清算 』
『戦後日本(第5巻)占領と戦後改革 過去の清算 』
著者:尹 健次 (ユン コォンチャ)
出版社:岩波書店
サイズ:全集・双書/275p
発行年月:2005年09月

一 「帝国臣民」から「日本国民」へより

「明治政府はその成立か早々から版籍奉還・廃藩置県などで、天皇と皇族を除く封建的身分制の解体を推し進め、旧支配身分相互間にあった支配・被支配の関係を消滅させて、全人民の天皇への臣従という新たな体制づくりをはじめた。封建領主制は廃止され、公家と領主は華族、諸士は士族、農工商穢多非人はすべて平民とされ、身分制の人別帳にかわって住居主義の戸籍制度が導入された。・・・一八八四年(明治一七)の華族令によって、社会的な特権身分として存在していた華族が政治的特権を回復したのみならず、維新の功臣も爵位の授与によって華族に列せられる道が開かれた。この華族は「皇室の藩屏」とされ、天皇家・皇族の婚姻対象、通婚範囲として重きをなしたが、同時に来るべき議会開設に際して貴族院議員として勅任され、華族世襲財産法によって経済的特権も保証される天皇制国家と一体の貴族身分であった。」(P24)



四 日本敗戦と「国民」概念の再構成より

「なお『草案要綱』の段階では、『華族ノ地位ハ現存ノ者ノ生存中ニ限リ之ヲ認ムル』と条件つきで華族制度の廃止が謳われていたが、これはその全廃を求める部落解放運動等の要望もあり、『改正草案』作成の段階で削除され、華族その他貴族の身分は廃絶された。

 ただGHQは、『沖縄独立論』は別にして、『アイヌ独立論(自治論)』や部落解放運動に一定の理解は示していたが、その認識は必ずしも十分なものではなく、憲法改正の過程でもアイヌや被差別部落について何ら特別な明文規定はなされなかった。」(P47)


「ここで人権問題とも関連して、一般に全国六〇〇〇部落、三〇〇万人とも言われた被差別部落について述べるなら、日本政府は一九四六年三月の次官通達で、それまで細々と続けてきた同和事業の打ち切りを宣言している。
 その根拠には、差別問題は政府や国民の課題であるというよりは、むしろ部落の側に差別の原因があり、解放運動の差別糾弾闘争がかえって差別意識の拡散要因になっているとする認識があるが、それは憲法に規定された基本的人権の思想を広めていけば差別は無くなっていくとする論理の倒錯であった。
 そうした日本政府の認識は、一九五一年にGHQをつうじて国連に提出された『日本のマイノリティ』というレポートにもそのまま反映されていた。
 つまりこのレポートは、一九四八年の国連世界人権宣言の採択と関連して、国連事務総長が各国政府にたいして各国の差別状況についての報告を求めたことにたいする回答であり、このとき日本の部落問題がはじめて国連に伝えられることになった。
 しかし、日本政府はこの時も、部落民は少数民族と言われるような意味でのマイノリティではなく、同じ国民のなかの問題であると断りながら、やはり同じように部落の側にこそ問題があるとの立場を強調した。
 しかも日本では、アイヌや在日朝鮮人は日本人と同様に扱われてきて何の問題もあり得ず、日本居はマイノリティへの差別問題は存在しないというのが、国連にたいする報告の骨子であった。
 けれども、実際には、アイヌが明治以来の北海道旧土人法その他で過酷な同化政策にさらされ、固有の文化・言語まで根こそぎ奪われる民族的マイノリティとして存在していることは疑いようのない事実であり、米軍政下にあった沖縄人ともども、厳しい被差別的状況を強いられていたことは否定しようもない。
 むしろ部落差別や民族差別の存在を否定する日本政府の姿勢こそ大きな問題であり、それが社会的差別の事態改善を大幅に遅らせていくことになった。」(P55)
















図書


『不可侵不可被侵』 松本治一郎対談集 部落解放新書
著者:松本治一郎
出版社:解放出版社
サイズ:新書/328p
発行年月:1977年03月



年表より
1887(明20年)6・18 生誕

1924(大13年)3・3
全国水平社大会第三回大会で、「徳川家一門に対する辞爵勧告」を提案し、実行委員長となる。

「実をいえば、われわれは徳川一家のみを対象にしたのではなかった。天皇、華族等のいわゆる貴族搾取階級全体に対して抗議したのである。・・・身分の低い卑しいものがあるから、崇められるべき、身分の高いものがわかるのであり、天皇その他をあがめさせるためには、ぜひ賎しいものをつくっておかねばならないということである。」

1924(大13年)7・17
「徳川暗殺未遂」容疑で、警視庁、福岡署に逮捕され、ただちに東京へ護送される。

「当時の支配階級は、うな燎原の火の如く全国に燃え拡がった水平社運動に怖れを抱き、・・・スパイ政策をまずとりあげたわけである。」

「彼は看守を制して途中の青い芝生に勝手に寝ころび筆者に“そこを通るのは高津君だろう。すこし日向ぼっこして行きたまえ”と声をかける大胆さであった。もし彼を役人が乱暴に扱っているとでも外部に伝わったら、たちまち何十人、何百人の水平社の動詞が所長に押しかけるかもしれないという空気だった。彼はそれだけの尊敬と思慕とを一身に受け、同時に支配階級からは怖れられ、狙われていたのである。」


1936(昭11年)5・20
衆議院特別議会で広田内閣に対し、「華族制度改正に関する質問」 を行う。・・・

「大正十三年の第三回全国水平社大会で、徳川家一門に対する辞爵勧告の件が決議され、そのことからついに、徳川暗殺陰謀事件がでっちあげられたのであるが、そのため、私が下獄するに至った経過については『徳川一門への辞爵勧告問題』として詳しく述べられている。
これはいうまでもなく、日本の封建制度のもっとも端的な象徴である華族制度に対して、水平社が打ち上げた最初の抗議であったのである。・・・
この問題にこめられた部落民の憤激が、ついに衆議院議政壇上で、私を通じて政府につめよらせたわけである。
昭和十一年というと、『日華事変』の始まるその前年である。・・・新聞世論はこれを積極的にとりあげようとはしなかった。したがって、私を通じてなされた水平社の議会闘争は、ほとんど世に知られていないと思う。」


1947(昭22年)5・20
初代参院副議長(一二七票)に選出され、型破りの挨拶が反響をよぶ。

「・・・私の記憶がまちがっていなければ今より十年前、私が衆議院に『貴族院および華族制度廃止に関する質問書』を提出いたしたのであります。
十年後の今日は、貴族院および華族制度は追放せられたのであります。(拍手)すなわち新憲法第十四条において、すべて国民は法の下に平等である。人種・信条・性別・社会的身分または門地により、政治的・経済的・社会的関係において差別を受けない、華族制度その他貴族の制度はこれを認めないと謳っておるのであります。・・・」






2006年09月02日(土) 富田林市人権教育推進協議会 機関紙第182号「にんげん」(2006年8月1日発行)



「にじいろホッ8色の虹トラインについて」





Anno JOb Logに、その一部がご紹介されていたので。


富田林市人権教育推進協議会 機関紙第182号「にんげん」(2006年8月1日発行)


いろんなイロがまじって いろんなイロでなりたっているにじ 
いろんなイロがあるからこそ にじってきれいなんですよね 
ひともみんな同じイロではなくてもいいんですよね 
同性のひとを好きになっても 
反対の性になっても 
女の人や男の人のどちらかにならなくてもいいのです 
いろんな性のありかたがあってステキなにじができあがります 
あなたのありのままのイロがもっとかがやけるよう 
社会がもっとイロのステキさにきづけるよう
「にじいろホットライン」をはじめました 





■ にじいろホットライン

●セクシュアル・マイノリティの人たちの電話相談『にじいろホットライン』
 子どもから高齢の方まで、セクシュアル・マイノリティに関することで悩んでいる
ご本人やその周囲の方なら、どなたでも無料でご利用できます。
 自分のこと。家族や恋人、学校や会社とのことなど、お悩みのことをなんでもお聴きします。相談員はひみつを守り、あなたにとってよい方向に進むよう、一緒に考えていきます。お気軽にお電話くださいませ☆

●相談例
 「自分の性別に悩んでいる・・・」「同性を好きになるっておかしい?」「理解してくれる人がいなくて・・・学校に行きたくない」「子どもが同性愛者みたい。どう理解したらいいのか・・・」「同じようなことで悩んでいる仲間に会いたいけど、どこにいったらいい?」などなど


※日時:第1金曜日・・・10:00〜17:00
    第3金曜日・・・14:00〜21:00
     (11月3日はお休みで、11月10日に実施します。)
※電話番号:0721−20−0285
※連絡・問い合わせ:富田林市人権教育推進協議会
          Tel:0721−20−0285
          Mail:tayousei_tondabayashi@yahoo.co.jp


■シリーズ連載1「性同一性障害」と子ども
〜多様性の社会へ〜

 「性同一性障害」という言葉は、最近マスコミなどでも数多く取り上げられるようになってきました。2003年には、テレビドラマ「3年B組金八先生」でも取り上げられ、2004年には「性同一性障害特例法」が成立。つい最近も「性同一性障害」と診断された子どもが「女児」として、学校生活を送ることを認められたとして大きく取り上げられました。
 認知は進んできたものの、性別に違和感を持つ当事者自身の苦悩やこの問題での予断や偏見による差別・社会の障害はまだまだ残っています。
 例えば、「性同一性障害」は、「心と体の性が異なる人」とよく報道され、ホルモン療法や性別適合手術(いわゆる性転換)をして、完璧な女性/男性になることをめざしている人と思われがちです。
 しかし、ホルモン療法のみ、精神療法のみ、反対の性の服装のみを希望する人等、「性同一性障害」にも多様なものがあります。また、「性同一性障害」に限らず、診断を受けていない、または診断に囚われないが性別に違和感をもつ人は多くいます。
 よく「同性が好きだから性別を移行するのでは?」と聞かれることがありますが、自分の性別・性器への違和感によって性別を移行するのです。もちろん、性別に違和感がある人の中にも同性愛の人は存在しています。女性から男性に移行して、男性と交際するという人もいます。それぞれが多様で、多様性を尊重する姿勢が求められています。
 また、性別違和をもつ子どもをとりまく社会の障害を考えてみましょう。性別違和をもつ子どもの不登校経験率は、32%(あべメンタルクリニック 1999)。日本の小、中学生全体での不登校率が1%(文科省 2004)と比較しても、大きな差があります。学校での強固な男女区分(例:制服・体育の授業など)や、先生や友だちからの偏見・いじめなどもその要因です。以前、取材で、「女の子のような男の子」がいじめられていることを知りながら、それを止めないどころか「俺も(その子が)気持ち悪い」と平然と語る先生の実例を聞くこともあったほど、差別は横行しています。
 ある子どもは、先生になりたいという夢を持ち、学校に行きたいけれども希望する性の制服に変更許可してくれないために、不登校せざるを得ない状態にあることを語ってくれました。その一方で、本人の希望する性の制服、希望する名前での呼称、ゴム印、名札の作成などをしている学校も存在します。その学校に通う「性同一性障害」の子どもは、「勉強する気になった」と活き活きと語っていたことを思い出します。
 「性同一性障害」とは、本人がいかにこの問題を「受容するか」ではなく、いかに社会が性別を移行するひとたちを受け入れるか、強いては「男」・「女」という仕組みのみでよかったのか、を考える機会を与えてくれていると思います。

(この連載は、にじいろホットライン担当の栄留里美さんにお願いして3回のシリーズで連載します。)


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