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〆よろしければ、相互リンクをお願いします。


2006年08月18日(金) 「戦意高揚」映画


『ぼくらはアジアで戦争をした』
『ぼくらはアジアで戦争をした』 教科書に書かれなかった戦争 3
内海 愛子:著 
版元:梨の木舎
A5判 224ページ 上製
奥付の初版発行年月:1986年08月


陸軍が「戦意高揚映画」を作らせたのには、植民地支配している国々に抵抗運動を起こさせ、日本にある古い大砲や銃を売りつける目的もあったようですね。
売るには、それらの武器の操縦の仕方や構造を教える「訓練映画」が必要であり、武器や兵器のトリセツとしても「戦意高揚映画」は作られたということです。



『戦ふ兵隊』
1939年/65分/東宝/監督=亀井文夫/撮影=三木茂・瀬川順一
 映画監督が、昭和13年中国武漢攻略作戦に従軍して、陸軍省の
後援で取材撮影したドキュメント作品。

『戦ふ兵隊』のイメージ



※『戦ふ兵隊』のシーンの一部をご紹介します

 「(中国の農民が)三拝九拝して、道祖神に祈る」ところから映画は始ります。

 「焼きはらわれる中国の民家」
 「焼き払われる我が家を悲しげに見つめる中国の農民」
 「家を焼きはらわれた子どもたち」

(そこへ、日の丸をはためかせた戦車がやってくるので、これは「侵略」を撮られたのだと気づきます)

 
 「どこまで続くぬかるみぞ・・・」

(兵隊の日常は、泥んこ道を黙々と命ぜられるままに歩いてばかりいるか、飯盒メシを食うくらいかなのです)

 「マラリアに患った兵隊は、真夏なのに外套を着て、ブルブル震えながら乾燥野菜汁をつくっている」

 「妻が子どもたちの写真を送ったとき、夫はすでに戦死していた」

 日本兵「商売は?」
 捕虜「百姓」
 日本兵「子供は?」
 捕虜「二人」
 日本兵「帰りたいか?」
 捕虜「帰りたい」
 
(みんなに似たもの同士が戦っている現実を考えてもらうために、内地の人びとに「帰りたい」というメッセージを伝えるために、銃後の人びとに「早く戦争が終わってほしい」という願いを呼び戻すために、撮られたシーンの一つなのです)
 

 「置き去りにされた馬が、ドーッと倒れる。戦力にならないものは全てすてていく」
 「房だけでの軍旗でも、軍旗は守りぬかなければならないものだった」
 
 街の防衛のために張りめぐらした有刺鉄線に 菜っ葉が乾されてあり、そばで、子どもがどこかで拾ってきた子犬を抱いてカメラ目線で立っている。

(中国人民のバイタリティと対比的に、疲れている日本兵を登場させて、映画は終わるのです)


   表現の  自由あたへられてなほ  主張せぬわれ  自信喪失    (ひめつち)



links
亀井文夫特集(TOPページは山形国際ドキュメンタリー映画祭2007)

爆弾三勇士(スライドショーの画像もお見逃し無くご覧くださいね)

※YAHOOトッピックス『太平洋戦争』



2006年08月12日(土) 在日 韓国  朝鮮人 原爆 被爆  戦後 補償 大学 入学資格

図書紹介��


『偏見と差別』 ヒロシマそして被爆朝鮮人
平岡敬/未来社/1981発行/


「だが彼らに被爆朝鮮人の問題を話す時、私は例えば原水禁世界大会で被爆者の苦悩を外国代表に訴えるようには無邪気になれない。『世界唯一の原爆被災国』という決まり文句を聞きなれた私たちは、長い時間被爆朝鮮人の問題を忘れ去っていたではないか。それと同時に“大日本帝国”の歴史も。」











図書紹介��
『靖国神社』 せめぎあう〈戦没者追悼〉のゆくえ
『靖国神社』 せめぎあう〈戦没者追悼〉のゆくえ
著者:赤沢史朗
出版社:岩波書店
サイズ:単行本/269p
発行年月:2005年07月










図書紹介��
『遺族と戦後』
著者:田中伸尚
出版社:岩波書店
サイズ:新書/246p
発行年月:1995年07月




在日韓国人の戦傷者

 一九九一年初め「湾岸戦争」のさなか、ふたりの在日韓国人戦傷者が、遺族等援護法による国家補償から除かれていることは不当である、として法的手段をとった。・・・ふたりはいずれも日本の軍属として徴用され、石は一九四四年五月、ウォッゼ島(マーシャル群島)にて米軍機の機銃掃射をうけ、右腕切断などの重症を負った。・・・ほかにも、石より少しあとに障害年金の申請を埼玉県を通じておこなった陳成一(一九一九年生。四五年四月バリクパパン沖[現インドネシア]を航行中、米軍機の攻撃をうけ、左足を三分の一残して切断)・・・

 原告の陳成一は、判決直前の五月一四日、持病のぜんそくが悪化し、呼吸不全のため他界した。享年七五歳だった。
 石成基の受けた戦傷の程度は「第三項症」(数字が小さいほど重い)に該当するが、同じ戦傷を受けた日本人は、一九五二年の援護法制定から九三年度末までに、障害年金が累計で五七七〇万円、それに「扶養加給額」および「妻に対する特別給付金」を加えると、総額で六一五〇万円弱の支給を受けている。“国籍条項”がいかに大きいかわかろう。

(�狭餡箸楼簑欧砲匹κ篏�したか  3 戦後補償における国籍差別より)

関連Links













図書紹介��

『戦後日本(第5巻)占領と戦後改革 過去の清算 』
『戦後日本(第5巻)占領と戦後改革 過去の清算 』
著者:尹 健次 (ユン コォンチャ)
出版社:岩波書店
サイズ:全集・双書/275p
発行年月:2005年09月


「もとより『総司令部案』の第十六条には内外人平等の原則が謳われていたが、当時法制局第一部長ついで次長としてマッカーサー司令部との折衝に当った佐藤達夫は、交渉の過程で『国籍起源』のみならず、第十六条の外国人の権利条項そのものを削除したことを得々と語っている(『日本国憲法成立史』第三巻)。その結果、日本国憲法は『天皇』とそれを支える『国民』だけを規定するものとなり、外国人は明文規定のない『非国民』として事実上排除されてしまうことになった。当然、旧植民地出身者を正当に処遇する法的規定はなんら存在せず、『国籍』にとらわれない『市民』という概念も無く、『外国人』はただ出入国管理法制の枠組みのなかで、『公正な管理』の対象とされていくことになった。」(P53)


「日本国憲法は今日に至るまで、国民主権、戦争放棄、基本的人権の尊重を柱とする『平和憲法』であると評価されがちのものであるが、その評価が妥当であるか否かは、戦前『日本臣民』とされ、多大な犠牲を強いられた旧植民地出身者がいかに処遇されたかということと関連して検証されるべきものである。歴史の規定性からするかぎり、日本政府が被占領下における憲法制定過程において旧植民地出身者を人権保障の対象から巧妙に排除する手立てをとったことからして、日本国憲法は世界につうじる『平和憲法』の名に値しないというのが真実である。・・・」(P50)

「こうしてみるとき、現行の日本国憲法が(一)天皇制の存続、(二)植民地支配・戦争責任の自覚・反省の欠如、(三)旧植民地出身者の在日アジア人を『外国人』として憲法の枠組みから除外する、という基本的特徴をもっていることは明らかである。・・・」(P53)















図書紹介��
『戦後日本(第1巻)占領と戦後改革 世界史のなかの一九四五年』
『戦後日本(第1巻)占領と戦後改革 世界史のなかの一九四五年』 
著者:中村政則
出版社:岩波書店
サイズ:全集・双書/278p
発行年月:2005年05月








図書紹介��


『不可侵不可被侵』 松本治一郎対談集 部落解放新書
著者:松本治一郎
出版社:解放出版社
サイズ:新書/328p
発行年月:1977年03月






図書紹介��
『在日外国人 法の壁,心の溝』
『在日外国人 法の壁,心の溝』
新版 岩波新書 新赤版 370
著者/訳者名 田中宏/著
出版社名 岩波書店
発行年月 1995年01月
【目次】
序章 アジア人留学生との出会い/1 在日外国人はいま/2 「帝国臣民」から「外国人」へ/3 指紋の押捺/4 援護から除かれた戦争犠牲者/5 差別撤廃への挑戦/6 「黒船」となったインドシナ難民/7 国際国家のかけ声のもとで(大学への入学資格/門戸を閉ざす国立大学/留学生一〇万人計画/一九九三年の現状/就学生の急増/日本語学校と上海事件/「かわいそうな」留学生)/8 外国人労働者と日本/終章 ともに生きる社会へ


各々、抜粋文を少しずつ補足していきたいとおもいます。




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2006年08月10日(木) 2006年 61回 広島 長崎 平和宣言 小泉首相あいさつ (全文)


広島原爆の日:広島平和宣言(全文)
 
◇「世界」と連帯、核の呪い絶て

 放射線、熱線、爆風、そしてその相乗作用が現世(げんせ)の地獄を作り出してから61年−−悪魔に魅入られ核兵器の奴隷と化した国の数はいや増し、人類は今、全(すべ)ての国が奴隷となるか、全ての国が自由となるかの岐路に立たされています。それはまた、都市が、その中でも特に罪のない子どもたちが、核兵器の攻撃目標であり続けて良いのか、と問うことでもあります。

 一点の曇りもなく答は明らかです。世界を核兵器から解放する道筋も、これまでの61年間が明確に示しています。

 被爆者たちは、死を選んだとしても誰も非難できない地獄から、生と未来に向かっての歩みを始めました。心身を苛(さいな)む傷病苦を乗り越えて自らの体験を語り続け、あらゆる差別や誹謗(ひぼう)・中傷を撥(は)ね返して「他の誰にもこんな思いをさせてはならない」と訴え続けてきたのです。その声は、心ある世界の市民に広がり力強い大合唱になりつつあります。

 「核兵器の持つ唯一の役割は廃絶されることにある」がその基調です。しかし、世界政治のリーダーたちはその声を無視し続けています。10年前、世界市民の創造力と活動が勝ち取った国際司法裁判所による勧告的意見は、彼らの蒙(もう)を啓(ひら)き真実に目を向けさせるために、極めて有効な手段となるはずでした。

 国際司法裁判所は、「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に反する」との判断を下した上で、「全ての国家には、全ての局面において核軍縮につながる交渉を、誠実に行い完了させる義務がある」と述べているからです。

 核保有国が率先して、誠実にこの義務を果していれば、既に核兵器は廃絶されていたはずです。しかし、この10年間、多くの国々、そして市民もこの義務を真正面からは受け止めませんでした。私たちはそうした反省の上に立って、加盟都市が1403に増えた平和市長会議と共に、核軍縮に向けた「誠実な交渉義務」を果すよう求めるキャンペーン(Good Faith Challenge)を「2020ビジョン(核兵器廃絶のための緊急行動)」の第二期の出発点として位置付け展開します。さらに核保有国に対して都市を核攻撃の目標にしないよう求める「都市を攻撃目標にするな(Cities Are Not Targets)プロジェクト」に、取り組みます。

 核兵器は都市を壊滅させることを目的とした非人道的かつ非合法な兵器です。私たちの目的は、これまで都市を人質として利用してきた「核抑止論」そして「核の傘」の虚妄を暴き、人道的・合法的な立場から市民の生存権を守ることにあります。

 この取り組みの先頭を切っているのは、米国の1139都市が加盟する全米市長会議です。本年6月の総会で同会議は、自国を含む核保有国に対して核攻撃の標的から都市を外すことを求める決議を採択しました。

 迷える羊たちを核兵器による呪いから解き放ち、世界に核兵器からの自由をもたらす責任は今や、私たち世界の市民と都市にあります。岩をも通す固い意志と燃えるような情熱を持って私たちが目覚め起(た)つ時が来たのです。

 日本国政府には、被爆者や市民の代弁者として、核保有国に対して「核兵器廃絶に向けた誠実な交渉義務を果せ」と迫る、世界的運動を展開するよう要請します。そのためにも世界に誇るべき平和憲法を順守し、さらに「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め高齢化した被爆者の実態に即した人間本位の温かい援護策を充実するよう求めます。

 未(いま)だに氏名さえ分らぬ多くの死没者の霊安かれと、今年改めて、「氏名不詳者多数」の言葉を添えた名簿を慰霊碑に奉納しました。全ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に哀悼の誠を捧(ささ)げ、人類の未来の安寧を祈って合掌致します。

 2006年8月6日

 広島市長 秋葉忠利

毎日新聞 2006年8月7日 東京朝刊http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060807ddm007040038000c.html





広島原爆の日:小泉首相あいさつ(全文)
 今から61年前の今日、原子爆弾の投下により、十数万ともいわれる尊い命が一瞬にして失われ、この広島の地は廃虚と化しました。

 本日、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げます。

 また、今なお被爆の後遺症に苦しんでいる方々に、心からお見舞い申し上げます。

 政府は、被爆者の方々に対して、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策を充実させてきました。昨年秋からは、在外の被爆者の方々が我が国の在外公館を通じて手当の申請ができるよう制度改正を行ったところです。今後とも、被爆者の方々の実情を踏まえた諸施策を誠心誠意推進してまいります。

 広島は、焦土から立ち上がり、国際平和文化都市として、大きく成長しています。今日まで、広島の復興と発展に尽力された多くの皆様に心から敬意を表します。

 私は内閣総理大臣として、平成13年以来過去5回ずつ、広島と長崎の両方の犠牲者に対する慰霊・平和祈念式典に参列してまいりました。

 我が国は人類史上唯一の被爆国として、その経験を国際社会に語り継いでいく責任があります。

 広島、長崎の悲劇は、いずこにおいても再び繰り返されてはならないとの決意の下、我が国は、戦後61年の間、不戦の誓いを体現し実行してきました。私は、ここ広島において、本日の式典に臨み、犠牲者の御霊と広島市民の皆様の前で、今後とも、憲法の平和条項を順守し、非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立ち続けることを改めてお誓い申し上げます。

 終わりに、犠牲となった方々の御冥福と、被爆者並びに御遺族の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展をお祈り申し上げます。

 平成18年8月6日

 内閣総理大臣

 小泉純一郎

毎日新聞 2006年8月7日 東京朝刊http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/heiwa/archive/news/2006/20060807ddm007040041000c.html






長崎原爆の日:長崎平和宣言(全文)

 「人間は、いったい何をしているのか」

 被爆から61年目を迎えた今、ここ長崎では怒りといらだちの声が渦巻いています。

 1945年8月9日11時2分、長崎は一発の原子爆弾で壊滅し、一瞬にして、7万4000人の人々が亡くなり、7万5000人が傷つきました。人々は、強烈な熱線に焼かれ、すさまじい爆風で吹き飛ばされ、恐るべき放射線を身体に浴び、現在も多くの被爆者が後障害に苦しんでいます。生活や夢を奪われた方々の無念の叫びを、忘れることはできません。

 しかし、いまだに世界には、人類を滅亡させる約3万発もの核兵器が存在しています。

 10年前、国際司法裁判所は、核兵器による威嚇と使用は一般的に国際法に違反するとして、国際社会に核廃絶の努力を強く促しました。

 6年前、国連において、核保有国は核の拡散を防ぐだけではなく、核兵器そのものの廃絶を明確に約束しました。

 核兵器は、無差別に多数の人間を殺りくする兵器であり、その廃絶は人間が絶対に実現すべき課題です。

 昨年、189カ国が加盟する核不拡散条約の再検討会議が、成果もなく閉幕し、その後も進展はありません。

 核保有国は、核軍縮に真摯(しんし)に取り組もうとせず、中でも米国は、インドの核兵器開発を黙認して、原子力技術の協力体制を築きつつあります。一方で、核兵器保有を宣言した北朝鮮は、我が国をはじめ世界の平和と安全を脅かしています。また、すでに保有しているパキスタンや、事実上の保有国と言われているイスラエルや、イランの核開発疑惑など、世界の核不拡散体制は崩壊の危機に直面しています。

 核兵器の威力に頼ろうとする国々は、今こそ、被爆者をはじめ、平和を願う人々の声に謙虚に耳を傾け、核兵器の全廃に向けて、核軍縮と核不拡散に誠実に取り組むべきです。

 また、核兵器は科学者の協力なしには開発できません。科学者は、自分の国のためだけではなく、人類全体の運命と自らの責任を自覚して、核兵器の開発を拒むべきです。

 繰り返して日本政府に訴えます。被爆国の政府として、再び悲惨な戦争が起こることのないよう、歴史の反省のうえにたって、憲法の平和理念を守り、非核三原則の法制化と北東アジアの非核兵器地帯化に取り組んでください。さらに、高齢化が進む国内外の被爆者の援護の充実を求めます。

 61年もの間、被爆者は自らの悲惨な体験を語り伝えてきました。ケロイドが残る皮膚をあえて隠すことなく、思い出したくない悲惨な体験を語り続ける被爆者の姿は、平和を求める取り組みの原点です。その声は世界に広がり、長崎を最後の被爆地にしようとする活動は、人々の深い共感を呼んでいます。

 本年10月、第3回「核兵器廃絶−地球市民集会ナガサキ」が開催されます。過去と未来をつなぐ平和の担い手として、世代と国境を超えて、共に語り合おうではありませんか。しっかりと手を結び、さらに力強い核兵器廃絶と平和のネットワークを、ここ長崎から世界に広げていきましょう。

 被爆者の願いを受け継ぐ人々の共感と連帯が、より大きな力となり、必ずや核兵器のない平和な世界を実現させるものと確信しています。

 最後に、無念の思いを抱いて亡くなられた方々の御霊(みたま)の平安を祈り、この2006年を再出発の年とすることを決意し、恒久平和の実現に力を尽くすことを宣言します。

2006年(平成18年)8月9日

長崎市長 伊藤一長

毎日新聞 2006年8月10日 東京朝刊http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/heiwa/news/20060810ddm007040051000c.html





長崎原爆の日:小泉首相あいさつ(全文)
 今から61年前の今日、原子爆弾の投下により、7万人ともいわれる尊い命が一瞬にして失われ、この長崎の地は廃虚と化しました。

 本日、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠をささげます。

 また、今なお被爆の後遺症に苦しんでいる方々に、心からお見舞い申し上げます。

 政府は、被爆者の方々に対して、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策を充実させてきました。昨年秋からは、在外の被爆者の方々が我が国の在外公館を通じて手当の申請ができるよう制度改正を行ったところです。今後とも、被爆者の方々の実情を踏まえた諸施策を誠心誠意推進してまいります。

 長崎は、焦土から立ち上がり、歴史がいきづく観光都市として、大きく成長しています。今日まで、長崎の復興と発展に尽力された多くの皆様に心から敬意を表します。

 私は内閣総理大臣として、平成13年以来毎年、長崎と広島の両方の犠牲者に対する慰霊・平和祈念式典に参列してまいりました。

 我が国は、人類史上唯一の被爆国として、その経験を国際社会に語り継いでいく責任があります。

 長崎、広島の悲劇は、いずこにおいても再び繰り返されてはならないとの決意の下、我が国は、戦後61年の間、不戦の誓いを実現し実行してきました。私は、ここ長崎において、本日の式典に臨み、犠牲者の御霊と長崎市民の皆様の前で、今後とも、憲法の平和条項を順守し、非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立ち続けることを改めてお誓い申し上げます。

 終わりに、犠牲となった方々のご冥福と、被爆者並びにご遺族の今後のご多幸、そして長崎市の一層の発展をお祈り申し上げます。

 平成18年8月9日

 内閣総理大臣

 小泉純一郎

毎日新聞 2006年8月10日 東京朝刊 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/heiwa/news/20060810ddm007040054000c.html




http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060807ddm007040042000c.html



広島原爆の日:こども代表 平和への誓い(全文)



 昭和20年(1945年)8月6日、午前8時15分。一瞬にして広島の街は何もかも破壊されました。原子爆弾は、高温と爆風で人々をおそい、さらに死の放射能で街を汚染していきました。そして、その年の終わりまでに約14万人もの命が失われました。14万の夢や希望、未来が奪われ、数え切れないほどの悲しみが生まれたのです。

 平成17年(2005年)11月22日(※)。私たちの身近なところで、とても悲しい、辛(つら)い事件が起きました。その事件によって、私たちが当たり前だと思っていた日常は壊れてしまいました。好きな友だちとおしゃべりしながら登下校したり、一人で外へ出ることもできなくなりました。そして、私たちは事件を通して、一つの命の重みを知りました。

 この時奪われた命も、原子爆弾や戦争で奪われた多くの命も同じ命です。一つの命について考えることは、多くの命について考えることにつながります。命は自分のものだけでなく、家族のものであり、その人を必要としている人のものでもあるのです。

 「平和」とは一体何でしょうか。

 争いや戦争がないこと。いじめや暴力、犯罪、貧困、飢餓がないこと。

 安心して学校へ行くこと、勉強すること、遊ぶこと、食べること。

 今、私たちが当たり前のように過ごしているこうした日常も「平和」なのです。

 世界中のどこの国も「平和」であるために、今必要なことは、自分の考えを伝えること、相手の考えを受け入れること、つまりお互いの心を開くことです。人間は言葉をもっています。心を開けば対話も生まれ、対話があれば争いも起きないはずです。

 そして、自分だけでなく他の人のことを思いやること、みんなと仲良くすることも「平和」のためにできることです。

 私たちはこれまで、祖父母や被爆者の方から体験を聞いたり、「平和」について学習したりする中で、原爆や戦争のことについて学んできました。しかし、まだまだ知らないことがたくさんあります。これからもヒロシマで起きた事実に学び、それを伝えていかなければなりません。

 私たちは、命を大切にし、精一杯生きることを誓います。

 私たちヒロシマのこどもは世界中の国々や人々との間の架け橋となり、「平和」の扉を開くために一歩一歩、歩み続けていくことを誓います。

 平成18年(2006年)8月6日

 こども代表

 広島市立南観音小学校6年

 新谷望

 広島市立楽々園小学校6年

 スミス・アンジェリア

 ※広島市で小学1年の木下あいりちゃん(当時7歳)が下校途中に殺害された事件の日です。

毎日新聞 2006年8月7日 東京朝刊






自分への比較整理資料としてまとめています。

関連リンク
ながさき原爆被爆対策ウェブサイト

『60年目の証言』戦争を語り継ぐプロジェクト60





書籍



『世界史のなかの一九四五年』 戦後日本 占領と戦後改革〈第1巻〉http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9979495162
岩波書店 (2005-05-11出版)・中村 政則・天川 晃・尹 健次《ユン コォンチャ》・五十嵐 武士【編】


『過去の清算』 戦後日本 占領と戦後改革〈第5巻〉http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9979909153
岩波書店 (2005-09-09出版)・中村 政則・天川 晃・尹 健次《ユン コォンチャ》・五十嵐 武士【編】

『遺族と戦後』 http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/43/0/4303990.html
田中 伸尚,田中 宏,波田 永実■1995年7月20日


『不可侵不可被侵』 松本治一郎対談集
松本治一郎(1887〜1966)〔著〕解放出版社 1977.3 部落解放新書 



2006年08月07日(月) 加害者であつた日本についての歴史認識を学ぶ


図書紹介��
『朝日新聞社説にみる戦後』
著者:8.15を読む会
出版社:洋泉社
サイズ:単行本/153p
発行年月:1989年08月

※朝日新聞 昭和51(1976)年8月15日の紙面より転記。
【31回目の8.15】

 満州の奉天で、憲兵伍長でした。軍需工場のスパイ取締りが任務でしたが、ずいぶん荒っぽいことをやりました。とにかく、疑いがかかった中国人は、すべて殺しましたからね。証拠があろうと、なかろうと、釈放すれば、日本軍の取り調べ方が、外に漏れてしまうので。私は当時二十二歳。軍の命令だからと割り切っていました。

 終戦と同時に、すぐ軍から逃亡して、名前も変え、一般居留民の中にもぐり込みました。元憲兵とわかれば、その場で銃殺されますからね。早く日本へ帰らなければ、と女子どもや病人の付き添い人になりました。引き揚げのとき、有利だと知ったからです。首尾よく、二十一年六月の引き揚げ第一号で、無事、帰国できました。

 正直言って、こんな話、三人の息子、娘に、これまでしゃべったこと、一度もありません。

 東京都・世田谷区 会社役員(五三)

 お子さんが駄目でも、お孫さんに話してください。それによって、親はあとの責任をとろうとします。それは、加害者であった日本についての歴史認識を学ぶことにつながります。


※朝日新聞 昭和61(1986)年8月15日の紙面より転記。
【安らかになど眠りたもうな】

 八月の風がキビの葉末をさやさや鳴らす。ああ、おまえがささやいている。あの年の五月、最後の徴集年次の現役兵となったおまえ。いや、兵とも呼べない十九歳のおまえが迎えた八月の払暁、鉄と爆薬のあらしの中に散った。
 海を渡る風に乗って、おまえの声は私に何を伝えるのか。にいさん----とおまえが語りかけるのは、学窓から戦場までのつかの間の人生に、なお断ち切れなかった明日への夢か。国と共に滅びることを決意した日の、迷いか恐れかためらいか。それとも、尽きることのない嘆きか恨みか憤りか。
 今おまえは「靖国」などにはいない。おまえは「英霊」などではない。関東軍の最下級の一員として、もしかしたら非道の悪業を犯すことになったかもしれない。まぎれもないアジアの侵略者だったのだから。
 おまえは異国の凍土のはてにほっておかれるのがいいのだ。できるだけみじめに、できるだけむごたらしく。安らかに眠ったりするな。夢も破れがちな浅い眠りの中に、私にささやき続けよ。そうすれば、せめて身内の者だけでも、おまえの無残な死と無念とを思い出す。おまえの恨みと怒りを思い出す。
 あれから四十年余を生きて、はや老い始めた私は、今年もおまえのささやきに耳をかたむける。人間の大事なことを忘れずにいるために。

秋田市 黒羽幸司 予備校教師(六二)



図書紹介��
『教科書に書かれなかった戦争PART26』

『教科書に書かれなかった戦争 PART26』
著者:和田春樹
出版社:梨の木舎
サイズ:単行本/180p
発行年月:1996年11月

※田辺誠社会党委員長が太平洋戦争開戦の日に行った演説より抜粋
謝罪と補償、そして決意----柳条湖から六〇年、パールハーバーから五〇年〔一九九一・一二・八〕


 先の大戦において、戦地で、沖縄で、そして空襲や原爆によって三〇〇万人を超える日本人が犠牲になりました。さらに、死を免れたものの、無数の人々が空襲の恐怖におびえ、軍国主義の下で精神的自由を奪われてきたのであります。私はこうした人びとの運命に対して深い悲しみをおぼえるものです。同時に、その数をはるかに上回る二〇〇〇万人以上といわれるアジア太平洋各国の犠牲者、連合軍の軍人の犠牲者に対して、心から謝罪と哀悼の気持ちを表すものです。さらに、日本軍国主義の行為によって、苦痛を強いられた、すべての人々に対しても謝罪しなければなりません。

 日本軍の侵略によって、南京、シンガポール、マニラなど各地で生じた虐殺行為で犠牲になった人びと。

 日本で、また戦地で徴用され、重労働の末に死んでいった中国、韓国・朝鮮の人びと、そして賃金ももらえず戦後使い捨てにされた中国、韓国・朝鮮の人びと。

 女子挺身隊の名の下に戦地に送られ、兵士のなぐさみものにされた韓国・朝鮮、中国の女性たち。

 日本軍人・軍属として徴兵され死傷した韓国・朝鮮、台湾の人びと。そして捕虜虐待などを理由に戦後BC級戦犯として処刑されたり、懲役刑を受けた韓国・朝鮮の人びと。

 広島・長崎の原爆投下の犠牲になった韓国・朝鮮人、中国人、連合国軍捕虜、そしてヒバクシャとして長い苦しみを背負わされた韓国・朝鮮人、連合国軍捕虜の人びと。

 強制労働でサハリンに連行され、戦後置き去りにされた韓国・朝鮮の人びと。

 日韓併合に抗議して三・一独立運動に立ち上がり、殺され、傷つき、投獄された韓国・朝鮮の人びと。

 韓国・朝鮮、台湾において氏名を奪われ、宗教を強要された人びと。

 日本軍の不当なパールハーバー奇襲攻撃で命を奪われ、傷ついたアメリカの人びと。

 日本軍の捕虜となり、強制労働、拷問などにさらされたアメリカ、カナダ、イギリス、オランダ、オーストラリア、ニュージーランドなど連合国軍捕虜、とりわけ泰緬鉄道建設、バターン死の行進で死んでいった捕虜の人びと。

 日本、中国で人体実験の材料にされた中国の人びと、連合国軍捕虜の人びと。

 日本軍によって、ロームシャとして使い捨てにされたインドネシア、シンガポール、マレーシア、ミャンマーなどの人びと。

 日本軍へのコメ供出による食料不足で餓死したベトナムの人びと。

 マーシャル群島など太平洋の島々で日本軍に徴用され、傷つき、殺された人びと。

 チモール島で、日本軍に虐殺されたチモール、ポルトガルの人びと。

 日本軍の蛮行に立ち上がって傷つき屍れた中国、韓国・朝鮮、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ミャンマーの勇気ある人びと。

 そして、日本軍国主義によって命を奪われ、身体を損ない、心に傷を負い、家族を失い、財産を奪われたその他の無数の人びと。







図書紹介��
『従軍慰安婦のはなし』
『従軍慰安婦のはなし』著者:西野留美子 挿絵:伊勢英子 
歴史を後世にどう伝えるか

西野:「従軍慰安婦」制度の本質を見ていくとき、女性の人権はことごとく踏みにじられ、破壊されたわけですけれども、じゃあ軍人であった男性の人権は守られていたのかというと、そうじゃあないと思うんですね。性の支配は「慰安婦」であった女性と軍人の両方にあったと。そしてそれは戦争遂行という大きな目的のなかで、皇軍兵士の宿命というか天皇の軍隊の洗礼というか、まず一兵卒の人権というものは削りとられるところから始った。戦争のなかにあっても守られなければならなかった不可侵の権利である人権、これが両者において侵され剥奪されたという側面が「従軍慰安婦」政策にはあるのだというところも同時にみていきたいと思うのですが。

吉見:あの戦争で日本人は三一〇万人以上が戦死し、たくさんの財産が失われました。しかしその陰にはそれを何倍も上回るような多くのアジアの人びとの犠牲ももたらしたということがあります。そういう大きな犠牲をもたらしていったい何を手に入れたのかということです。そうしたことを考えるには、戦争の全体像を見ないと分からない。日本人がいかにひどい目にあったのかということだけではなくて、日本の戦争でアジアの人びとがどんなにひどい目にあったのかということもみる必要がある。つまり全体として見なければ再発防止はできないと思いますし、他のアジアの人びとと本当の信頼関係は築けないと思いますね。目を背けたくなる事実であってもきちんと学んでいくということが必要なんじゃないかと思いますね。









2006年08月06日(日) 村山談話(平成7年8月15日)

1993/8/15   細川首相が全国戦没者追悼式でアジア諸国の戦争犠牲者と遺族に哀悼の意、歴代首相として初
1993/8/23  細川首相が「日本が発動したあの戦争は、侵略戦争であり、誤りだったと思う」と公開の席上で侵略を認める、歴代首相として初



村山内閣総理大臣談話


「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
平成7(1995)年8月15日
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html


 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。





内閣総理大臣談話
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2005/08/15danwa.html


 私は、終戦六十年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。

 先の大戦では、三百万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。

 また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。

 戦後我が国は、国民の不断の努力と多くの国々の支援により廃墟から立ち上がり、サンフランシスコ平和条約を受け入れて国際社会への復帰の第一歩を踏み出しました。いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました。

 我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の六十年であります。

 我が国にあっては、戦後生まれの世代が人口の七割を超えています。日本国民はひとしく、自らの体験や平和を志向する教育を通じて、国際平和を心から希求しています。今世界各地で青年海外協力隊などの多くの日本人が平和と人道支援のために活躍し、現地の人々から信頼と高い評価を受けています。また、アジア諸国との間でもかつてないほど経済、文化等幅広い分野での交流が深まっています。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。

 国際社会は今、途上国の開発や貧困の克服、地球環境の保全、大量破壊兵器不拡散、テロの防止・根絶などかつては想像もできなかったような複雑かつ困難な課題に直面しています。我が国は、世界平和に貢献するために、不戦の誓いを堅持し、唯一の被爆国としての体験や戦後六十年の歩みを踏まえ、国際社会の責任ある一員としての役割を積極的に果たしていく考えです。

 戦後六十年という節目のこの年に、平和を愛する我が国は、志を同じくするすべての国々とともに人類全体の平和と繁栄を実現するため全力を尽くすことを改めて表明いたします。




平成十七(2005)年八月十五日
内閣総理大臣  小泉 純一郎





、「三百万余」(日本国籍)
*軍人・軍属の戦没者役二一〇万人
*準軍属の戦没者役二〇万人
*一般邦人八〇万人(戦災五〇万人、外地三〇万人)
計約三一〇万人
『戦傷病者戦没者遺族援護法等の一部を改正する法律案 参考資料』
 戦後補償 約四〇兆円

※アジアの死者 二〇〇〇万人 戦後補償 約一兆円





参考文献
『遺族と戦後』
■ 田中 伸尚,田中 宏,波田 永実
■岩波新書
■定価 663円(本体 631円 + 税5%)
■1995年7月20日

日本の国内外で多くの人命が失われ,遺族を生み出した半世紀前の戦争.だが,戦禍をうけた民間人をはじめとして軍人・軍属でも国籍の有無によって補償されないという状況が,いまも続いている.その歴史的・政治的背景を鋭く検証しつつ,遺族会のみならず,さまざまな世代の遺族による多様な国家観,宗教観,そして生き方を描き出す.





後々の(自分用の)比較検討資料です。


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