無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年09月04日(土) 血の海の涙

 早朝から「シネテリエ天神」で、今日から公開の映画『バレエ・カンパニー』を見る。
 いつものようにせっかちなしげにせっつかれて時間より30分も早めに着いてしまったので、コンビニで焼き肉お握りとフライドチキンを一本買って、映画館の前の道端で、花壇の煉瓦の上に座って食べる。往来で何だかみっともないように思われるかもしれないが、場所が親不幸通りだから、大して違和感はない。夜になればもっと小汚い連中がところ狭しとジベタリングしている場所なのである。
 「シネテリエ」も、名前とは裏腹に、ビルの地下に潜らないと行けない秘密クラブのような雰囲気のたたたずまいなのだが、上演開始を待って並んでいる客がなぜかみんなデブ。しげが「今日はデブの日?」とか言うが、じゃあオレたちはデブじゃないんか、と苦笑する。
 ロバート・アルトマン監督と言っても『M★A★S★H』のころからの映画ファンもさほど多くはなかろうし、バレエ映画という内容を考えてみてもそうそうヒットする映画ではなかろうと思っていたが、初日の第1回目なので、ある程度はお客さんが入っている。座席数60席の小劇場で、40人ほどだけれど。
 映画はもう、バレエ好きな人でなきゃ、ちょっと辛かろうな、と思うくらいに全編ひたすらバレエ、バレエ、バレエ、それのみで、『アラベスク』とか『テレプシコーラ』とかを期待して見に行くとそのドラマの余りのなさに困惑するのではないか、といった印象。もちろん、それがアルトマン監督の「ねらい」なので、考えてみたら『M★A★S★H』だって、設定はあるもののこれといった明確な「筋」はないのであった。そう考えると、幕間の楽屋裏を時折“ツナギ”として見せるだけで、ただひたすら舞台上のバレエの美しさを追ったこの映画、皮肉も諷刺も韜晦も何もないにも関わらず、やはりアルトマンらしい映画と言えるだろう。
 いや、バレエシーンは眠くて仕方なかったんですが(^_^;)。でもしげはたっぷりバレエが見られてご満悦なのでした。
 映画を見終わってロビーに出ると、そこにこないだ広島アニフェスで見た『ベルヴィル・ランデブー』のチラシが貼られてあって、驚く。思わず館員の人に「この映画、いつ来るんですか?」と聞いたが、「来るとは思うんですけど未定で」と言われてしまう。こういうのって、たいてい朝一とかレイトでってことになりかねないんだよなあ(T.T)。
 東京にお住まいの方、このフランスアニメの傑作、来年の正月に新宿のテアトルタイムズスクエアでしかやらないので、ぜひお見逃しなく。
 http://www.klockworx.com/belleville/

 そのあと、父の店に寄って散髪。もう2ヶ月近く伸ばしっぱなしで、髪の薄いのはごまかせるとしても、さすがに襟足から鬢のあたり、もしゃもしゃした状態なのはかなりみっともなくて、これで御通夜に行けるものではない。
 しげは夜仕事なので、昼間のうちに寝ておくように帰らせる。家にはもう飲み物がなかったので、帰り道、水だけ「レッドキャベツ」で汲んでおいてくれるように頼んでおいたのだが、実は頼んだ5秒後には忘れられていたのであった。あとで思うに、ここからケチはつき始めていたのである。

 喪服に着替えて博多駅へ。
 お通夜は夜からだが、時計はまだ昼を回ったばかりなので、かなり時間がある。紀伊國屋で立ち読みなどして、時間を潰す。
 驚いたのは新刊コーナーの平積みに、例のイラクの人質三馬鹿の著書が、3種類揃って並んでいたことであった。あの目がイッちゃってた学生さんの本なんて二種類もあったが、立ち読みしてみたら、「結局ぼくはイラクに行って人質になって返って来ただけで、イラクの現状も何もわかりませんでした」というもの。だから「馬鹿」って言われてんのに、その「何もない」内容を記録にして本を出すのは馬鹿の二乗ではないのかな。「市民団体のみなさん、ありがとう」って謝辞を送ってるあたり、いくら「自分は政治活動家ではない」と言い訳したところで、信用されるものではないのである。
 でもなあ、政府が「自己責任論」をぶち上げて自分たちの責任まで三馬鹿に押しつけようとしたおかげで、かえって同情票があの三馬鹿に集まっちゃったしな。こうして三者三様の本を出して儲けようって政治屋どもに口実を与えてしまったのは政策の大失敗だったと思うのである。……なんかね、あのムーミン女がね、解放された途端に日本の参事官に対して「どうして自衛隊は撤退しないんですか? イラクの人たちにとっては自衛隊は占領軍なんですよ! それがどうして分からないんですか!?」って食ってかかったって書いてあったけどね、その主張が「テロリストの主張と同じ」だということがどうして分からないんですかね?(~_~;)
 2、3時間うろついて、買ったのは大場つぐみ・小畑健の『DEATH NOTE』3巻のみ。3巻あたりでどう展開させていくかが一つの山になると思ったけど、「第2のキラ」登場とは見事。『金田一少年』に始まるミステリマンガの流行の中で、唯一自前のミステリマンガを持ち得なかった「少年ジャンプ」がようやく生み出した作品がこれだけの傑作になるとは、全く「ジャンプ侮りがたし」だ。折り返しの原作者のコメント見ると、相当なミステリファンみたいだけれど、『金田一』や『コナン』のような「本格もの」に追従しないで、『ルパン対ホームズ』の現代的再生を図ったのが成功した理由の一つだろう。これからの展開、どうなるか予想もつかないのが楽しい(言っちゃなんだがもう『ワンピース』なんか「予想のつく」話の再生産で飽きているのである)。鍵はLがデスノートの存在にいかにして気付くかだけれど、そこに至るまで更にひと波瀾もふた波瀾もあってほしいね。ああ、くそ、単行本でまとめて読みたいものだから、雑誌は立ち読みしないようにしてたけど、どうにも先が知りたくて、またジャンプ立ち読みしたくなっちゃったぞ、困ったなあ。


 夕方、北九州行きの電車に乗って、よしひとさんのお父さんのお通夜へ。
 長居をすると自分の方が泣きたくなってしまうので、ご挨拶だけして帰る。また落ちついたら、お線香を上げに行こうと思う。


 帰り道は、少し雨がぱらついていた。傘を持ってきてはいなかったので、少し濡れる。何となく寒気がして、喉が無性に乾いていた。
 しげにお通夜が終わったことの報告と、水を汲んでくれたかどうかの確認の電話を入れたが、しげの返事は「あ、忘れた」。こういうヤツだとわかっちゃいるけど、平然と言われるとやっぱり腹が立つ。なんでこうまで馬鹿が治らんかな。治らんから馬鹿なんだろうけれど。
 「なんか風邪引いたかどうかわからんけど、具合が悪いんよ。今からでも間に合うやろうから、仕事行く前に水だけでも汲んできといて」と頼むと、しげ「分かった」とヒトコトだけでブツッと電話を切る。こういう切り方をしたときは、返事とは裏腹で、たいてい面倒臭がって行く気がないのだ。
 疲れて帰宅して、冷蔵庫を覗いてみたが、案の上、水は汲んできていない。頼まれたことを忘れたなら忘れたで、もう一度やり直そうととすればいいのに、ほんの少しの手間すら惜しむ悪癖、未だに治らないのである。
 水は仕方なく水道水をそのまま飲んだ。そのあと、ともかく腹が減っていたので、ソバを作って食べた。
 からだを休めようと風呂に入ろうとすると、湯船が血のように真っ赤である。いや、まさしく血の海で、昨日のしげの生理のあとだったのである。あれだけ「洗っとけよ!」と言っといたのに、やっぱり洗い流さずに放置していたのだ。あの糞しげはどこまで人を愚弄するか。気がついたら、涙が流れて止まらなくなっていた。
 このままではとても風呂に入れないので、栓を抜くと、そこにしげの血塊がどろどろとぬたくっている。それを見た途端、吐き気を催して吐いた。自分の吐瀉物も一緒に洗い流して、湯桶を洗って新しくお湯を張ったが、その間ずっと吐き気が収まらない。こうして風呂をきれいにしても、明日になればまたしげは湯舟を真っ赤にして平気な顔でいるのである。それを考えると情けなくてやる瀬なくて、風呂から上がって寝床に入っても涙が止まらなかった。
 こういう人間だと知った上で伴侶にしたのは他ならぬ私だから、自業自得ではあるのだが、人とは少しは成長するものだと期待はしていたのである。「反省する」と口だけでも言われれば、信じてあげたくはなるわな。そこにつけこんで実際には全く反省しないのだから、しげの性格、かなり腐っていのである。……その腐った性格、最近になるほどどんどん悪化してきているようなんだけど、時々私の目の前がブラックアウトしちゃうのは、単に目が悪くなってるだけなのか、絶望の帳がちらついてるのか、いったいどっちなんでしょ(T.T)。

2003年09月04日(木) また誤読する人はいるかもしれないが/『福岡口福案内 地元の美食家が自腹で調査』(口福倶楽部代表ヤマトモ)
2001年09月04日(火) 虚構としての自分/『マンガと著作権 〜パロディと引用と同人誌と〜』(米沢嘉博監修)
2000年09月04日(月) また一つ悪いウワサが……?/『マンガ夜話vol.9 陰陽師・ガラスの仮面』


2004年09月03日(金) 悲しい知らせ

 久しぶりに妙ちくりんな夢を見る。
 しげと映画に行く約束をして、映画館の前まで行くのだが、急にしげが倒れて、「私のことは構わないからあなただけ一人で映画を見て」と青息吐息で言い残し、救急車に乗せられて運ばれて行く。けれどもチケットが一枚余っているので、一人で見るのももったいないと、鴉丸嬢を誘ってみたのだが、「今、三頭身だからダメなの」と断られた。三頭身ならしょうがないよな、と一人で映画を見たのだが、よく考えてみたら、三頭身だとどうして映画が見られないのか、理由がよくわからない。つか、あの子は時々三頭身になってるのか。ちなみにその時に見にいった映画は『ダイ・ハード』だった。


 忙しさが倍増中。
 ここしばらく、炎天下での仕事が続いているので、体力の消耗がいつになく激しい。さらにもう二つ三つ、並行してやらなきゃならない仕事も控えているので、それの準備も重なって、休憩するヒマもない。昼飯だって食ってないんだからね。
 だいたいこの時期になると決まっていきなり倒れてリタイア、という人が増えるのだが、既に今年も同僚が一人入院していて、肩代わりの仕事を頼まれたところなのである。そもそもウチの職場、安月給のわりに労働条件が苛酷だってこと、も少し上の連中にも考えてもらいたいものなんだがね。この6年間、労働時間は変化してないのに給料上がってるどころか減ってんだからな。余計なところに予算使ってるの切り詰めれば、もちっと人件費上げられると思うんだが、なんか余り工夫してるような様子見られないしなあ。
 いや、私の給料増やせとは言わないから、新しい人あと三人雇ってよ(+_;)。


 しげの鬱が治って、なんとか仕事に復帰することになったことは最近の日記にも書いたことだが、以前ほどの苛酷なスケジュールではなくなったことは、私にとっても、ありがたいことである。おかげで私の仕事帰りに、車で迎えに来てもらいやすくなったのだ。何度か書いてるけど、ともかく今の職場、交通の便が悪くて家まで直行で帰れない。車だと二十分の距離を、バスと地下鉄を乗り継いで1時間半かけて帰るのは、気力体力ともにかなり消耗するのである。
 定時に駐車場で待ち構えていたしげに、今週で終わる映画もあるので、何か見に行くかどうか聞くと、「明日は仕事だし、明後日は練習だから今日はウチで寝る」と言う。それでも買い物だけはしたいと言うので、ダイヤモンドシティに向かうことにした。
 「買い物って何を買うんだ?」
 「新しいストラップとねー、あとねー……」
 ところが、ダイヤモンドシティを目指している途中で、しげの携帯が鳴った。
 よしひと嬢のお父さんが亡くなられたという知らせだった。
 もう10年以上昔のことになるが、しげも私も、よしひと嬢のお父さんには随分お世話になったことがあるのだ。そのころのしげはかなり貧乏で、私にもよく「タカリ」に来ていたのだが、私だってそんなに裕福なわけではない。特に独身のオタクは食費削ってでもマンガなどに金を費やしているものであるから、しげにしょっちゅう奢ってやる余裕はなかった(つか、当時はそんな義理なかったはずなんだがなあ)。
 で、しげがよく食事を奢ってもらっていたのがよしひと嬢のお宅だったのである。当時、しげとよしひと嬢とは演劇活動を通して知り合った先輩、後輩の間柄ではあった。しかし、だからと言って、人間、際限なく他人に甘えていいものでもなく、そこには何か節度というものがあって然るべきだと思うのだが、しげにはそんなものはカケラもなかった。よしひと嬢のお宅に何の屈託もなく押し掛けて行って寝泊りし、上げ膳据え膳、衣服の世話まで含めてまさに「衣食住」をあちらのご家族から世話をしていただいていたのだから、厚かましいにもほどがあるのである。しげの寄生虫性格はこのころから堂々としたものだったのだが、それを文句一つ言わず、優しく受け入れていたのだから、よしひと嬢を含め、ご家族のご寛容、心の優しさ温かさ深さにはただひたすらに感嘆するほかはない。これはもう、義理人情を云々せずとも、何がなくともしげがお悔やみに行かないというのは、到底お天道さんの許すところではないのである。
 けれどしげはなんだかオロオロして、渋面を作っている。
 「お通夜は明日? じゃあ、一緒に行くか?」と聞いたら、しげはベソをかいて、
 「どうしよう、明日は仕事だよ」と言う。なるほど、確かに仕事に復帰したばかりで「また休みます」なんて話は通るものではあるまい。これだから簡単に鬱になどなるもんじゃないのである。
 「オレはちょうど休みだから、明日、行ってくるよ。お通夜の時間と場所は?」
 「あ、聞き忘れた」
 全く、義理のある相手に対して後足で砂かけてるようなものである。仕方なく私の方から折り返しよしひと嬢に連絡を入れて、お通夜の時間と場所を確認する。そのあと、しげに、「出入りがあるから、ストラップはナシな」と言ったら、また渋面を作られた。
 結局ダイヤモンドシティでは、しげの職場へのお詫びのお菓子、それと香典袋を買っただけで帰る。


 帰宅して、風呂に入っていると、しげが何やら赤黒い塊を洗面器にぶちこんで来た。
 続けて、「ケツが真っ赤〜♪」と笑いながら自分も裸になって湯舟に飛び込んできたが、塊の正体はしげの汚れたパンツであった。
「なんだよ、お前、生理か」
「うん、パンツ見てビックリ。もうだだ洩れ♪」
「喜んで言うな! しかも人がフロに入ってるのに、ケツ汚したまま来るか、普通!」
 と、怒鳴ってみても、もう入ってしまったあとではどうしようもないのである。
 私のほうが慌てて外に出て、「あと、ちゃんと風呂の栓を抜いて風呂桶洗っとけよ!」と言い置いたが、普通、女性ってものは生理の時は風呂の外で身体を洗うだけで、湯舟にはあまり浸からないものじゃないのだろうか。しげはそのあたり全く気にせずにお湯を血だらけにするばかりか、その湯を換えもせずにまた翌日もそのまた翌日も入ろうとするのである。いくらやめろと言っても聞かない。こういうところもまたしげの狂っているところなのだが、いくら狂っているからと言って、自分で気持ち悪くはないのだろうか。どうにも理解し難いのである。
 おかげで生理中のしげはいつも生臭くて近寄りたくもないんだけど、周囲の人間は気づいていないんかなあ。気付いてて知らんふりしてくれてるのかなあ。とするとこれもまたしげが周囲に迷惑かけまくってることの一つということになるんだけど、いい加減で「無自覚の迷惑」、少しは自意識に上らせてほしいのである。それとも脳にシワがないから意識も全てツルンとすべってやがるのか。


 玄武亀吉君であるが、どうもその成長の早さからすると、女だったようである。既に大きさは竜宮亀太郎君の1.5倍。女の毒気にあてられたのか、竜宮くんが一向にエサを食わなくなってしまったので、これはまずいと玄武嬢の方を小さめの別の水槽に移し換えてみたのだが、竜宮君の元気、すぐには回復しないようである。亀って飼い方簡単と言われてるわりになかなか繊細なところもあるようだ。
 とりあえず、「玄武亀吉」という名前は、「玄武亀代」に変更します。で、やっぱりオトコだったってことになったら、また改名かな(^_^;)。

2003年09月03日(水) 不明を恥じるハナシ/『ビートのディシプリン』SIDE2(上遠野浩平)
2001年09月03日(月) 変わるわよ♪ ……何がだよ/アニメ『こみっくパーティー』第1話ほか
2000年09月03日(日) 警察も役所/『ら抜きの殺意』(永井愛)ほか


2004年09月02日(木) 孤独な狂気の果てには

 90000HITはグータロウくんがゲットしてしまいました。……狙ってたかな?(^o^)
 この分のペースだと、100000HITは来年の2、3月くらいかな? さすがになんかちょっとしたイベントでもしなきゃならないかなと思わないでもないのだが、またぞろ推理クイズとかも芸がないしなあ。いや、ホントは書きかけの小説、なんとか仕上げてね、解決編の直前で「読者への挑戦状」でも付けようかと思ったんだけれども、これがもう、書くヒマなくって(~_~;)。正月休みが充分取れたらいいんだけどねえ。

 またぞろ『華氏911』の話題で恐縮なのだが、YafooのBBSを覗いてみると、マイケル・ムーア絶対礼賛の意見ってのはやっぱり少ない。情報操作を受けてるアメリカ人ならあの映画を見て「オレたちはブッシュに騙されてたんだ!」と憤るかもしれないけれど、日本人はたいてい「何を今更」って思ってんだよね。新しい切り口とか、そういうものが何もない。
 逆に、何がなんでも「ムーア万歳!」を唱えたい人は、ブッシュ批判の根拠の薄弱さや恣意的な編集、突撃取材のいやらしさなど、問題点を指摘した書きこみに対して、知らんふりを決めこむか、「映画の出来よりも、内容を見て!」と叫ぶかしかしない。いやねえ、みんな内容もちゃんと見て「つまんない」って言ってる人が殆どなのに、何をトンチンカンなこと言ってんだろうね。結局はムーア批判に対して反論もマトモにできずに話を逸らそうとしてるだけなんだけど(それは町山智浩さんですらそうだ)、そこを突っ込まれてもますますヒス起こすだけだし、洗脳されちゃってる人には何を言ってもムダって典型になっちゃってる。
 ムーア批判をしてる人だって、別にブッシュを擁護しようという人ばかりではない(というか、ブッシュをより批判している人の方が圧倒的に多い)。ムーアの批判の仕方が、逆にブッシュの立場を肯定し、強固にしかねないからこそ、「やり方間違えてるだろう」と文句をつけているのである。念を押すのもこれを最後にしておきたいけどね、ブッシュの、というよりアメリカの尻馬に乗らなきゃ生きていけない日本人が、“本気で”アメリカ批判をしようと思うのなら、アメリカの支配を脱却しても「やっていける」という根拠を示さなきゃ意味ないの。アメリカと手を切ったら中東の石油はどうするのか、防衛はどうするのか、それ考えてからモノ言おうよってね。
 全く、狭い物差しでしかモノを見られないというのはお気楽なことで結構でござんすねえ。


 トンガリさんに関するまたまた黒いウワサを聞く。
 まあ、又聞きであって私自身が直接確認したわけではないから、どういう「ウワサ」であるのか、具体的なことはここには書かないけれども、もしそれが事実だとしたら、どう考えても処分の対象となるのが当然の「不祥事」なのである。
 どうしてそんな重大な問題が放置されたままなのか、私には理解しがたい。だからこそ逆に、そんなことはただの「ウワサ」に過ぎないのかもしれない、とも思う。けれども、確実に言えることが一つだけあって、そこまでトンガリさんを嫌っている人がやたらあちこちにいるということである。
 見るからにアタマのネジが緩んでいる方である。挨拶一つできなくて、機嫌が悪いときは相手を完全無視することもしばしば、そのくせ唐突に話題を振ってくるし、いったん喋り始めるとそのモノイイは主語や目的語が明確でなく、ただダラダラクドクドと無意味な言葉が垂れ流されるばかりで何が言いたいのか結局分からず、こちらが問い返すとヒステリーを起こして逃げ出すありさま、逆にそういう状況だったからこそトンガリさんには同情せざるをえなかったし、その奇矯な行動を見てもなお、なんとかフォローできないものかとあれこれと便宜を図ってもきた。それがかえってトンガリさんの逆恨みを買うことすらあった。それでも私の対応のほうが悪かったのかも、と反省したことすらあった。けれど結局、誰の、どんな尽力だって、トンガリさんには全く通じないものだ、というだけのことだったのだ。
 今やうちの職場にトンガリさんの味方は誰一人いない。その「黒いウワサ」を私に教えてくれた人は、最後に残っていたトンガリさんの唯一の友達だったのである。ついにその人からもトンガリさんは見捨てられてしまったのだ。
 単に狂っているだけなら罪ではないと思う。けれどその狂ったアタマで不正を働けばそれはやはり罪だ。相変わらず、トンガリさんの目は宙を泳いでいて、どこを見ているか分からない。だんだん私も「この人辞めてほしいなあ」じゃなくて、「辞めさせるべきなんじゃないか」という気にすらなってきたのだが、いくら訴えても未だに上司は何の対処もしない。つまり、仕事上のお付き合いはまだまだ続きますよ、ということなのである。なんでやねん。なんだか本当に誰ぞの弱み握ってるんじゃないかって気がしてきたよ。
 尿に糖がまた出たって、そりゃストレス溜まるのも当たり前だっつーの。


 帰宅してWOWOWで映画『怪人二十面相』(1954・松竹版)三部作を見る。
 これが二十面相シリーズの最初の映画化だけれども、原作の『怪人二十面相』『少年探偵団』の筋を、概ねなぞってはいる。もっとも原作が発表されて20年近く経っているために、戦後の状勢に合わせて二十面相が狙うものが原子力開発の設計図ということに改変されている(そのくせ、二十面相はあとで「実は別にそんなものほしくはなかった」と述懐するのだからヘンな話である)。
 まあ、低予算の添え物映画なので、お世辞にも出来がいいとは言えないシロモノ。二十面相の素顔が太い眉にメバリが入って右頬にでっかいホクロって、いったいどういうセンスなんだろね。しかもこの二十面相、明智小五郎に変装してもちゃんとホクロは残っているのである。なんじゃそりゃ。
 でも、ワキの役者はすごくいいんだよねえ、羽柴博士に山形勲、大鳥宝石店の主人に日守新一、中村警部なんて、須賀不二男だよ! なんて役者のムダ使い。つくづく低予算なのが惜しまれることである。
 見終わった途端に、東京のグータロウ君からメールがある。「『怪人二十面相』見たぞ!」……同じときに同じようなの見てんじゃないよ、もう(^_^;)。


 作家・種村季弘氏が8月29日、胃がんのため死去。享年71。
 澁澤龍彦さんも、松田修先生も亡くなって、ついに種村さんまで。
 幻想文学、異端文学を評価してくれていた「大家」が、これでもう殆どいなくなってしまった。
 悲しい。

2003年09月02日(火) 頼むから朝だけは送ってくれ/映画『大学の若大将』/『ハレグゥ』1巻&『アストロベリー』1巻(金田一蓮十郎)ほか
2001年09月02日(日) 風が痛いから?/『新天地無用! 魎皇鬼』1巻(奥田ひとし)ほか
2000年09月02日(土) 山本正之・あ・ごーごー


2004年09月01日(水) 『華氏911』余燼

 昨日に引き続き、今日はいきなり500人近くのお客さんが来られました。いやもう、カウンターが回る回る。九万ヒットが間近だけれど、この分だと、またキリ番ゲットは通りすがりさんだろうなあ。毎回粗品を用意して、そのたびにムダになってるのがちょっと寂しいのである。
 話題が『華氏911』に関することだから、気がついたら名塚さんとこ以外にもいくつかのBBSとかにリンクが貼られているのだけれど、自分の文章が賛否両論の俎上に乗せられるというのもフシギな気分である。それだけ『華氏』が喚起した問題が多数の人々の琴線に触れたのだろうけれども、いくつか私の文章に疑義を呈している人の文章を読んで首を捻りたくなるのは、ブッシュが大統領を辞めれば歴史が変わるかもしれないとユメを見ている人が意外に多いということだ。……変わるかよ、アメリカが(~_~;)。それはマイケル・ムーアだって、映画の中で「ゴアだったらイラク戦争は回避できたのか?」と疑問符付きでしか言えなかったことなんだけどねえ。あの国が「定期的に戦争を起こさなければやっていけない国」だということは、別に私が言わんでも、いろんな人がこの「五十年以上に渡って」言い続けていることである。いちいち日記にそのあたりの話を全部書いてる余裕はないので、例えば参考までにC・ダグラス・ラミスの『なぜアメリカはこんなに戦争をするのか』あたりでも読んでみてちょ。
 これはまあ言っちゃなんだが、映画評論家の町山智浩さんが6月25日の日記で、マイケル・ムーア礼賛しちゃった影響が大きいのだと思う。
 「そもそも映画としての評価など関係あるかね?」と言って『華氏』が政治的プロパガンダ映画であることを全肯定し、「ムーアの目的はいい映画を作ることでも、公平なジャーナリズムでもない。ブッシュを一刻も早く止めさせること、少しでも無駄な犠牲を減らすことなのだ」と持ち上げる。更にはムーアへの賛同者をイイ気分にさせるために「でも、もしかしたら、一人の男が作ったたった一本の映画が大統領の暴挙を止めることができるかもしれないのだ。一本の映画が、何百何千という人の命を救うかもしれないのだ。歴史上、多くの宗教家や哲学家や芸術家やロックミュージシャンが戦争に反対してきたが、実際に止めることに成功した人はどれほどいるのだろうか? でも、もしかしたらそれが初めて実現するかもしれないのだ」とまで言い切る。
 けど、その肝心のマイケル・ムーア自身がパルムドール受賞後のインタビューに答えて、「くれぐれも言っておくけど、『華氏911』は政治声明じゃないんだ。他の娯楽映画のように映画館で2時間、楽しんでもらいたいんだ。僕が映画制作をスタートする段階で最初に考えることは、自分自身が金曜の夜に観に行きたくなるようなものを作りたいということ。(中略)そしてその何時間後、何日後、何週間後もその映画の話をしてくれるような楽しい映画を作りたいんだ」って言ってるのは何なんだろうね? タランティーノだって、「政治は受賞に何の関係もない」って言ってたけど。
 もちろん、ウソをついているのはマイケル・ムーアの方である。あれが政治映画でないはずはなかろうが。言っとくが私は政治映画がダメだなんて言うつもりは全くない。町山さんのような立場で、ムーアを支持する姿勢は決して間違っちゃいないと思う。私だってブッシュは大嫌いだから、「本当に」アメリカの戦争を批判した映画になら、いくらだって賛同はしたい。
 けれど、明らかな政治映画をなぜ政治映画でないと韜晦する人間に、どんな信用を置けというのだろうか。ムーアのその言質はただの「逃げ」ではないのか。ムーアさんよ、ブッシュを「本気で」批判する気があるのなら、そういう覚悟のない態度を取ってていいのか?
 笑ってしまうのは、私のムーア批判に対して、「批判するのは簡単だけど」とか掲示板に書いてた人がいたことである。ムーアがそもそもブッシュを簡単に批判してるけど、それはどうなるのかね。
 第一問題は大統領のクビのすげ替えでどうにかなることではない。イラク戦争はブッシュが大統領にならずとも、確実に起こったろう。たとえ911以前にテロの危険がゴアに報告されていたとしても、やはり彼は動かなかったと断言できる。なぜなら、CIAやFBIから報告される「その手の」レポートは、彼らが職務を遂行していることを証明するために「定期的に」行われるもので、殆ど信憑性がないものと判断され、たいていは反古にされているからだ。で、実際に9割9分が根拠のないニセ情報である。それをテロリストたちは知っていたからこそ、911のテロは成功したのだ。問題は、そういうテロに対して無防備なシステムを作ったアメリカという国そのものにあるということにどうして気付かないか。
 アメリカは思い上がったヤクザ国家でしかない。歴史上、侵略国家でなかったことなどない。自分がお山の大将、百獣の王だと思っているから、まさかネズミに食いつかれるとは思っていないし、食いつかれたらどんなに小さな敵でも激昂して踏み潰さずにはいられない。もしも、敵の姿が見えなくなれば、誰でもいいから敵に仕立てあげて潰してみせるくらいのことはする。ブッシュでなくともだ。
 いや、そもそも日本人なら、朝鮮戦争で、ベトナム戦争で、「基地」として使われてきた歴史的過程を知っていれば、大統領が誰であろうと、アメリカは同じことをやり続けるのだということを理解していておかしくないはずなのに、なぜ今更ムーアの甘言にうかうかと乗せられるのか。
 ムーアは決して「アメリカよ、これ以上戦争をするな」と言いたいわけではない。彼は戦争自体を否定などしていない。反戦主義者などではないのだ。よく映画を見ていれば分かることだが、彼は「もしもブッシュが真剣にビン・ラディンを追っていたら」ブッシュに対して「NO」とは言わなかった、と主張しているのだ。これは、もし、空爆の標的がサウジアラビアであったなら、そこで「テロリストの巻き添えを食らって」サウジの無辜の民衆がいくら死のうと構わない、と言っているに等しい。もし、上院議員たちが自分の息子を兵士として送る署名にサインしたら、ムーアは果たしてどう反応したか? もちろん、サインする議員なんていないだろうと予測してそういう方法を取ったのは明白だが、もし何人かでもいたら、彼らに対してバンザイをしなければならなくなるのではないか? いや、一人だけ、戦場に自分の息子を送った上院議員がいたが、なぜかムーアは彼を取材しなかった。そりゃそうだ。そこで「あなたはエライ」とでも言おうものなら、自分が好戦家であることがバレるからである。アメリカが「正義の戦争」を行っていると納得すれば、ムーアはただちに「戦争賛成」を唱えるだろう。勘違いしてはいけない。ムーアもまた「バカでマヌケなアメリカ人」なのである。
 結局ムーアは、「ブッシュ、テメエの戦争に俺たちを巻き込むな」と言ってるだけだから、我々だって、「ムーア、お前個人のリクツに日本人まで巻きこむな」と主張して何が悪かろうか。私が言いたいのは、アメリカを批判するなら、ムーアみたいな胡散臭いヤツの尻馬に乗らずに、「自分の言葉で」批判しろよ、ということなのである。
 まあ、批判したって何が変わるわけでもないから悔しいんだけどな。その悔しさを「緩和」させてくれた気にさせてるだけだから、あの映画、ゴダールから馬鹿にされるんだよ。

 コンテンツに書こうと思ってたこと、かなり吐き出しちゃったなあ。でもまだキチンと論証してない部分も多いけど。
 そんなに文句があるなら、ヤフーの掲示板あたりに行って、自分の意見書きこんだらどうだ、とか言われることもあるのだが、私ゃ自分の意見を人に押しつける気は毛頭ないので、そういうことはしません。意見書きこんで流すだけならいいんだけど、ああいうとこって、必ず反論のレスつけなきゃ気がすまない御仁がいるからねえ。
 そもそも私は、ディベートの習慣のない日本人に建設的な論争はほぼ不可能だろうと考えている。論争というものはある一定の共有されたフィールドの上でしか成立しないものなのだけれど、日常会話でだって、たいていの場合、そのフィールドをズラされちゃうことが多い。それを私は「話の次元が違うよ」と説明するのだけれど、この「次元」とか「レベル」という言葉がまた、勝手に「アタマの出来が違う」と相手に誤解されて「オレをバカにするのか!」とキレられてしまう。これはちゃんとした論理学用語で、単に「場」の違いを表してるに過ぎなくて、別に知能とは関係ない。別にこの言葉を知らなくても、文脈から「別にバカにして言った言葉ではない」ということも分かるはずなのだけど、ここで腹を立てる人は結局、「筋道立てて話すこと」「相手と意思を疎通させようとすること」自体、まるで理解できてないことが露呈されるので、「ああ、この人とは会話ができないのだなあ」ということが察せられるのである。
 何が悲しいって、この経験、しげとの間で起こることが一番多いんだよな。他人だったら適当に話を合わせて会話を打ちきっちゃうんだけれど、しげとではそうもいかない。だから「どこがどうズレているのか」説明してやんなきゃならなくなる。やたらムダな会話になっちゃうと言うか、ヘタしたら徹夜で語り合ったりすることもあるのよ。からだ持ちませんて(T∇T)。
 えーと、そういった体力気力の問題がありますので、一部、私の文章に不快を感じられたサイトの方、私は別に怒ってもいないし、そちらに乗りこんでいって荒らしたりする気もありません。どうぞ、ご心配なく。


 毎月1日は「映画の日」なので、仕事がハケてからしげに誘われて、「ダイヤモンドシティ」に行く。
 もうさすがに混んじゃいないだろう、と『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』を見たけど、お話まるで『ドラえもん』でしたね。ハリーがますますのび太に見えてくることったら。まあお話は可もなく不可もなく。オトナがみんな無能揃いってのは、いくらハリーたちを活躍させるためとは言え、ちょっとワザトラし過ぎるなあとは思ったけれども。まあ、ハーマイオニーが相変わらず可愛かったから、イイかな。グーで殴るとこ、最高(^o^)。
 校長先生がマイケル・ガンボンに変わったので、先生たちが「メグレ警視と心理探偵フィッツとドーラ・チャールストンの名探偵共演だ!」と喜んでたんだけど、何のことかよくわかんないでしょうね。すみません。

 予告編で、ロバート・ゼメキス監督の『ポーラー・エクスプレス』が流れたんだけれど、これ、『ジュマンジ』のクリス・ヴァン・オールズバーグの絵本『急行「北極号」』の映画化なのだね。けれど、見て驚いたのはてっきり実写映画化されるものだと思っていたら、全編CG映画になっていた。
 ゼメキス監督は先日来日して、「絵本の油絵があまりにも美しかったので、その質感をスクリーンでも生かすためにはCGでやるしかなかった」とか言ってたけど、オールズバーグをバカにしてるのか? CG使ったってあの質感は再現できないよ。なんかもう「CG使わなきゃ」って信仰がアメリカの映画人の中にはできあがっちゃってるんかね。「11月に皆さんが本作をご覧になれば絶対納得するはず」とも言ってたそうだけど、既に予告編であのいかにもCGな気持ち悪い動きを見せられて「つまんなそう」としか思えなくなっちゃったんだけど。「油絵をアニメにすることが不可能じゃない」ことは、『老人と海』などでも証明されている。要は手間隙を惜しむかどうか、なんだけど、ハリウッドは最近、惜しむことしかしないもんな。
 ピクサーの新作、『Mr.インクレディブル』も全然つまんなそうなんだけど、どうしようかなあ。

2003年09月01日(月) 「じゃないですか」って言ってる人が多いじゃないですか/映画『用心棒』/『呪恩2』(清水崇・MEIMU)ほか
2001年09月01日(土) 加藤夏季補完計画(笑)/『スペオペ宙学』(永井豪)ほか
2000年09月01日(金) 食って寝るだけの毎日も今日まで/ドラマ『横溝正史シリーズ・本陣殺人事件』ほか


2004年08月31日(火) 夢語りは現実語り

 一日50人から80人くらいのご来客数で細々と続いております当ホームページでありますが、どういうわけだか今日は150人以上の方がお見えになりました。こんなのはいつぞやの長崎佐世保小6殺人事件のことを日記に書いて以来のことであります。
 もしかしてまた2ち○んねるにでもリンク貼られたかな〜とか思って見てみたら、全然違っておりました。いや全く失礼な想像をしてしまったのですが、私のこの日記を「お気に入り」に登録して下さっている名塚元哉さんが、ホームページのほうにもリンクを貼って下さって、そこからアクセスしてきたお客さんがいらっしゃってたのでした。
 名塚さんの「あんた何様?日記」は、政治、芸能、スポーツ、事件と、扱う話題も実に豊富で、私のこんな拙い日記よりも何倍も読み応えがあって、エンピツでもトップクラスの人気サイトなのですが、何を勘違いなされたか、こんな唐変木な私の日記をどこかしら面白がって下さっているらしい(腹を立ててる面もあるかもしれませんが)。いやまあ、過大評価も甚だしいというか、全く汗顔の至りであります。おそらく、今日来てくださったお客さんも、「なんだ。たいした日記じゃねえし、コンテンツも面白くねえ」と、1、2週間もしたら覗きに来なくなって、また静かなサイトに戻るとは思いますが、わざわざリンクしていただいたことには心から感謝しております。この場を借りて名塚さんにお礼申し上げます。


 9月に入ればまた少し忙しくなるので、今のうちに準備できる仕事をちゃちゃっと片付けておく。
 しげは今日も鬱で仕事休みなので(一応近々復帰の予定だが)、帰りは迎えに来てもらって、「庄屋」で食事。しげはステーキ丼、私は椿山寺御膳。天ぷらも頼んだが、エビ天はしげのもの。
 料理を待ってる間、新聞を広げてみて、アテネ五輪の終了のニュースなど、漫然と見る。日本のメダルラッシュとか、マラソンに乱入とか、ドーピングとかいろいろあったらしいけれども、スポーツそのものは嫌いじゃないが、周囲やマスコミの騒ぎっぷりが好きになれないので、テレビも殆ど見ていない。所詮、オリンピックったって、政治ゲームだし。
 それでも日本の選手の多くが、「国の威信」とか背負わずにのびのびと参加してきてた雰囲気だったのがよかったかなあと思う。メダル取れなくても明るい顔してるし、これなら東京オリンピックの円谷選手のような悲劇は起こらないだろう。高橋尚子選手の問題に関する陸連のメンツ主義を見ていると、まだまだ悲劇の火種が完全に消えたわけじゃないとは思うけれど、選手の気分の方が変わっていけば、オリンピックに出ようが出まいが、「スポーツが好き」でいいんじゃないかってことで、周囲の圧力や偏見なんかはねのけていけるだろう。
 けど、どこの国とは言わんけど、「参加することに意義がある」って言葉、タテマエだとしても守ろうとする姿勢くらいは見せたらどうかね。


 帰宅して、コンテンツの原稿など少し書いていたが、睡魔に襲われて、10時前には布団に倒れこんでしまう。こう早寝だと、明日は早起きか、と思っていたら、それから9時間まるまる眠りこけてしまったのだった。疲れがまた溜まりやすい感じになって来たのかなあ。


 演劇関係のシゴトなどをしていれば、知り合いにマンガ家とかアニメーターとか、少しはできる。たまにそういう人から「ウラ」事情などを聞いたりすると、まあ、夢だけ持って世の中渡って行くわけにはいかないよな、ということは分かる。しかし同時に思うことは、醜くて世知辛いはずの「そういう世界」にいながら、なお「夢を語る」ことができるという「現実」は何なのだろうか、ということだ。
 現役アニメーターである石田敦子さんが『ヤングキングアワーズ』に連載しているマンガ『アニメがお仕事!』がようやく1巻にまとまった。部数余り出てねえんじゃないかってくらいに本屋で見かけないが、ようやく福家書店で1冊だけ見つけた。読む人によっては絵柄に好き嫌いはあるかもしれないけれど、アニメに「夢」を持っている人、あるいは持った過去のある人にとって、これは必読の書だろう。
 読んだマンガの感想、コンテンツになかなか挙げられないでいるが、これだけは簡単にでもこの日記に書いておきたい。薄給・重労働は常識、周囲のアニメに対する偏見は強く、夢破れて転職していく若手が後を断たないアニメーターの世界で、なおかつ「仕事を続けて来た」石田さんの、これは紛れもない「戦いの記録」である。フィクションという形は借りていても、そこに描かれていたような「いやがらせ」はきっとあったのだ。それでも石田さんは「アニメーターをやめなかった」のだ。
 この「現実」は何よりも強い。賢しらだった皮肉屋は「夢だけじゃ食っていけねえんだよ」と言うが、威張ってそんな口を利くヤツは、たいてい、夢を実現させる能力もない自分を現実主義者に見せかけて韜晦しているだけの愚かで卑屈な猿である。こういう言い方をすると、すぐ勘違いする馬鹿が出てくるのだが、私は「現実を見るな」と言いたいわけではなくて、「現実主義を逃げ口上にするな」と言いたいのである。陳腐な言い方だが、挫折する前に何かそれなりの「努力」はしたのかそいつは。何度も挫折を味わい、挫けそうになりながらも歯を食いしばって、自分の「夢」を実現したヤツだって、世の中にはいくらでもいるのだ。そういう人間に対して、口を開けば「もう少し現実を見ろよ」としか言えないヤツは、それこそ自分の狭い世界の中の現実しか見ていない、愚か者である。さらに広い世界から見れば、彼らの語る「現実」とやらのほうが、儚い「幻」でしかない場合も多い。全く、夢を見てるのはどっちの方なんだか。
 もちろん、努力もしねえで「夢」だけ語ってる馬鹿だってたくさんいるけれど、少なくとも人に知られずとも日々研鑚を怠らないアニメーターの卵諸君にとって、いや、ささやかでも自分の夢を決して忘れないでいる若い人たちにとって、このマンガはきっと勇気と力を与えてくれると思うのである。
 ……だから部数もっと出そうよ、少年画報社さんよ。

2003年08月31日(日) 充実の休日。シャレかい/映画『乱れからくり』/『チキンパーティー』1巻(金田一蓮十郎)/『よつばと!』1巻(あずまきよひこ)ほか
2001年08月31日(金) おたくはセールス電話、おおくありませんか?/DVD『スペースカウボーイ 特別編』ほか
2000年08月31日(木) 耳掻きしてたら血が出た……/『心理試験』(江戸川乱歩)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)