管理人日記
管理人

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■ ゴミ

実家が諸事情により、家を新築して引っ越すことになったので荷物の片付けをしている。

本来だったら嫁に行った私は自分の物を全て片付けなくてはならないのだが、そこは物持ちすぎる私…どうにもならないので実家に置きっぱなしにさせてもらっていた。しかし、今度はそうはいかない。ある程度は処分しなくてはいけない。

しかも10代半ばころからろくな生活をしておらず、加えて物を捨てるのがキライで溜め込む性格だったため、随分と懐かしいものが大量に出てきてしまった。

10代はマンガ家を目指していたので自分で書いてたマンガ。そして大量のマンガ本。バナナフィッシュ、湘爆、怪奇雑誌「ムー」どんどん売り払うが、やはり「名探偵カゲマン」は捨てられない。でもまだ在庫500冊以上はある…処分しなきゃ。孔雀王も売ろうか検討中。

それは本田恭章の切り抜き…うう、捨てられない。でもな〜って、結局とりおき。

エレキギター2本とベース、そしてフォークギター、キーボード2本(コレとは別に今自分の家にはギター2本とキーボード、システムエフェクターと宅録用のリズムマシーンのDR-5くんがある)。

このエレキギターは、一本はもらいもので、昔の職場でメタル兄ちゃんだった人が自分で作ったもんだ。しかし赤や黄色の配線コードが外に出たままで、夏の暑い日にうっかり弾くと感電するという、やまだかまちになれるような代物だ。捨てよう。つーか、もらうな。

そして一本はスタジオの日にチャリに乗って急いでいて、私の変わりに元チャリに轢かれてしまい、音がくもーーーーんという感じになってしまったもんだ。ようするに壊れちゃったんだな。捨てよう。つーか、もっと早く捨てても良かったのでは?

そしてギターケースを見ると「SHAMS」というステッカーが。これは昔友人がスタッフやってたバンドで、タレントのちはるの旦那が昔やってたパンクバンドのステッカーだ。おお、懐かしすぎる。

KENZI&THE TRIPSのポスターも大量に出てきた。ガスタンクのポスターもごっそりと…そう私はKENZIのファンでファンクラブにも入っていたことがある(恥)。今はナンデKENZIだったの?って感じだが、曲は結構今でも好きだ。KENZI以前のバンド、スマロ子時代も名曲はたくさんあるし。♪愛さなきゃ〜よかったよぅ〜♪POPな曲に歌詞はしみじみってやつで○。

メジャーデビューした高校の先輩のポスターも出てきた。今どうしてるんたろな。

そして我らがSOLBITの安井氏と塚田氏が昔やっていたバンド、つれづれ草の写真やファンの作ってる冊子も出てきた。感慨深いな〜。これはとっとこう。

…なんて実際には懐かしがってる時間もなく、どんどん捨てては片付けた。考えないで片付けたのに8日間もかかってしまった。ゴミは45リットル袋で15個以上出た。私ってゴミの中で生活していたのね…ヨヨヨと悲しくなった。

反省・反省・深く反省。これからは物を捨てる人になろう!と。

んで、今はフジテレビの「牡丹と薔薇」を見てます(本当に反省しているのか?)。


2002年01月01日(火)

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■ お母ちゃんは酔っ払いたい


というわけで、私SOLBITホームページの管理人をしております。これから私もVocal安井氏同様、日記を書かせて頂きますので宜しくお願いします。

 さて、私は今年の2月に長男を出産しました。それまでの生活ってえのが、お酒を中心に自分を回していました。その次にネット。ネットで某「先行者開発プロジェクト」なんかで人型汎用機を操るネットゲームをし、その控え室という名のチャットルームで、おそらく中学生や高校生にいじめられたりして(笑)ね。

はっきり言って自他ともに認めるヤバイ生活の人間だったんですねー

それが、やはりお母ちゃんになるとそうもいきません。

記憶がなくなるまで飲んだ記憶はここ1年以上は無し。酒でのカロリー摂取量が異常に多かったのか、妊娠中は酒を飲まないでいたら、つわりとの相乗効果でみるみる痩せていくというシマツ。

いつになったらお酒をたらふく飲めるのだろう?とオムツ変えしながら考えていたら同じ境遇の先輩の漫画があった。

西原理恵子師匠だ。(漫画家、代表作「ぼくんち」「鳥頭紀行」)

彼女は考えぬいた挙句、素晴らしいことを実践しているらしい。それは

「子供を寝かしつけるときに、絵本を読んであげながら酒を飲むそして酔う」

ということだった。ぐりとぐらが大吟醸の、違う絵本は焼酎のにおいになっているようだ。そしてさらにつまみにイカなんか持ち込んで、清潔なはずの子供部屋が、今日も安居酒屋のにおい(笑)だって。

おお、みんな苦労してんだなー

でも、お母ちゃんは酔っ払いたいんだよなー

そんな話に感心しつつ、今日もギャンギャンぐずる息子を寝かしつけていると、いつのまにか自分が寝かしつけられてしまうという毎日を送っています…


2003年06月20日(金)

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■ 放浪の海外

近頃SARSとか、戦争とかで放浪系の海外の旅がしづらい状況になっていると思う。しかし、それは大変残念なことだ。やっぱりこれだけ情報があるし、ABロードなんかのガイドブックもあるけど、それでもショッキングなことはたくさんあるし、人生のこやしになると思う。

私は海外旅行デビューは25歳と遅かったのだが、それからは年に3回以上は海外に入り浸りになった。あれはいい経験だったなーと今でも思うし、自分の子供にも(心配だけど)バンバンいかせたい。(でもやっぱ、心配…ううう〜)

 最初は日本の悪いところなんかがわかり、海外それぞれなんていいところがあるんだろう!なんてことばかり考えてしまう。しかし、これでもか!とえらい目にあいながら日本のいいところが心底わかったりする。闇雲に海外に憧れるだけではなくなってくるんだなー。

 イタリアで大泥酔したことがある。しかもリストランテで(ちょい高級なレストラン)ここのオーナーがアルマーニの背広着て趣味で弾き語りをしながら各テーブルを回ってたんだけど、そのクラシックギターを奪い取って私がロックなナンバーを大熱唱。なぜか大受けして赤ワインが大デカンタにふるまわれたのさ。

 サーブしてくれる兄ちゃんとかと大騒ぎして飲んでたら、23時過ぎ。海外であまり遅くまで出歩くのは危険なので、帰ろうとしたら腰が立たない。しこたま酔ってしたまったのだ。そんなことにお構いなく兄ちゃんたちは、これからディスコに行こう!などとのたまうではないか。振り切って帰途につく。なんとか歩いたのだが…

 道がまっすぐに見えない。日本でもこれだけ酔うことはないぞ〜ってぐらいの酔っ払いレベル。後は気づいたらペンショーネの風呂に漬かっていた。しかも悪いことに明日は帰国。どうにかしてでも空港にまで自力でいかなくてはならない。

風呂から上がって部屋を見ると、チョコレートの山が!!そう、イタリアではその日、バレンタインデーだったのだが(日本でもそうだ)、私も寂しかったのだろうか、それとも土産にでもしようと思ったのだろうか??
記憶にない大量のチョコレートと、それを買った近所のバール(喫茶&コンビ二みたいなもん)のレシート。あああ、もう思い出しても恥ずかしいよ。

その後なんとか次の日空港にたどり着き、飛行機に乗れたが、成田に到着と同時にゲロ。出る出る出る出る。ホント飲みすぎさん!テヘ。

しかしあんなに泥酔してフラフラしてたのがイタリアだったからまだ良かったが、これが東南アジアだったら、と思うと今でもぞっとする。気をつけなくちゃね!
 
だから少々日本で酔ったところで皆さん、大目に見てね、と思う私でした。海外の話はこれからもまた書きます。


2003年06月21日(土)

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■ ヤンママ

妊娠後期に切迫早産で入院していた。全く動けないし、赤ちゃんは今にも出てきちゃいそうだし、ホントに参った。

しかし入院生活自体はケッコウ面白いもんだった。

6人部屋でみんな妊婦さん、私と同じように切迫早産や、胎盤の異常、双子なので管理入院しているとか。でもみんな子供が生まれれば健康に戻るので悲壮感もなく、ただただ女子寮といったところの按配だった。

 入院してその夜、みなの年齢がわかった。28歳のママが二人、後は21歳、20歳、19歳、そして一番の姉さんなのは34歳の私であった。おお、これが噂のヤンママ!!彼女らの話に耳を傾ける(盗み聞きとも言う)。

 「21歳で3人目の子供なのー、結婚してからほとんど妊娠してるのー」
 
 「だんなも同い年の20歳。仕事?アルバイトでパチンコ屋。金がないから彼の親と同居!むかつくのよねッ!」

このあたりの話は、まあ、ほほえましいというか、ふむふむって感じだったんだけど、19歳のKちゃんの話には仰天した。

 「私は19歳。私のママは34歳なの」

ほ??ほえええ〜〜〜〜???ママの15歳の時の子供???私とママが同い年だよっ!

いやーびっくりした!

よくよく聴くとね、Kちゃんのママは、フィリピ―ナだったのでした。フィリピンではこのぐらいの年で子供を産むんだって。

しかもこのKちゃんはどんなとこで育ってきたのか、今度は”前のお父さん”の話を始めた。
前のお父さんの家に行ったら、いきなり犬にがっぷり噛み付かれたんだって。で泣いてたら家に入れといわれ、遊んでいたらご飯の時間になったそうだ。で、素敵な焼肉が出た。

「お父さん、このお肉おいしいね」

Kちゃんが言うと、お父さんが

「うん、そうだろう。それはおまえにさっき噛み付いた犬だからな」

と言ったそうだ。Kちゃんは自分に噛み付いた犬を食ったそうだ。どんなお父さんなんだ。わからん。

しかもこのKちゃん、ものすごくかわいくて痩せているのに、旦那さんはデブでさえないけど優しそうな人だった。

産み月もKちゃんと近くてKちゃんのほうが先に退院していった。そのとき、Kちゃん産んだばかりなのにお腹がぺっちゃんこ。普通は体重やたるんだ腹は半年ぐらいかけてやっとこさ戻すのに、Kちゃんはお見事、ピチピチのスリムジーンズをお履きになっていた。みんながたまげた。

「やっぱ、若いうちに何にも考えないで産んじゃうのって体型戻るのも早いし、いいのかもしれない」

そうみんなで言い合った。あ、Kちゃんの赤ちゃんは男の子で、クオーター顔っていうの?凛々しくとてもかっこよかったんだよ。ま、旦那さんにはあんまり似てなかったね。しかしこの19,20,21歳のヤンママたちの話にはすっかりおばちゃんになってしまった私でした。

2003年06月22日(日)

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■ 学級委員


 私は31歳のとき学生になった。それも一年間も。都立職業訓練校だったので、失業保険をもらいながら学生という贅沢なもので、なかなか堕落しきった一年であった。

 私のクラスは、年齢は19歳のコから34歳の主婦までさまざまな、しかし何かしら人生に挫折した30人。大挫折した人もかなりいた。

×イチで子供がいる若い兄ちゃん(彼とはすぐに大喧嘩の末、まあまあ仲良しに)、登校拒否の上転校したら交通事故で頭を惹かれ、それでも人生食ってかなければならないので入校した兄ちゃん、
中国残留孤児の二世で一家そろって帰国したものの人生上手くいかず入校したお父さん(私と同い年)、
法政大学の6年生とダブルスクール、バイトもバリバリしすぎ、しかも天性のマイペースでどっちの学校も卒業できなくなりそうだったゲームおたくや、
韓国籍で心臓が悪く、高校もグレて辞め、雀荘でバイトしていたがこのままではいけないので入校した天才プログラマー、
知能指数はぴか一なのに実家が極貧、大学中退後いろんな人にだまされこのままではヤバイので入校した学校の主席、
関西系で2ちゃねんる槍玉の常連の大問題会社で営業所長までいた挙句、身体を壊して辞めた女(これは私だ)

などなどなど…まだたくさんこんな経歴の人ばっかの非常に濃ゆいクラス。しかも皆さん(会社員を過去していた人を除き)マイペースというか、人の言うことなんか聞かないという問題のある方ばかりで、なんともステキな10年ぶりの学生生活が始まった。

 で象徴的なのは、投票と先生(都の公務員ね)の指名でなぜか私が学級委員になってしまった。

学級委員…もう忘れかけたようなこの響き(笑)まさか31歳になってこんなもんやるとは、いやはや、人生ってわからん。私がこんなもんやるんだからどんな学園生活かわかるでしょう。

遠足はビール工場見学。見学もそこそこにビールがぶ飲み。あの♪なーんーかー得したな〜のCMでおなじみのとこに行ったのね。私の独断で。おいしかったー。

授業が半日の日は新宿まで出て、焼肉やで昼まっから飲み会。カラオケまで終わってもまだ17時という(笑)ありさま。
企業見学の後でも上野のモツ煮屋台で昼の2時からその辺の日雇い労務者と、怪しい自称社長におごってもらい酒を飲んで、パチンコ屋で私はゲロっぱきで倒れて運ばれたり、もうホントにろくなことをしてない。

しかし当時の仲間とはいい関係というか、みんなそれぞれ結構まともな会社に就職した(最大大手とか有名バンドのマネージャーとか)のでこれからもお友達でいたい、って感じかなあ。はははっ。

この学校内で起こった普通じゃない事件や、クラスメイトなんかについてもまた書くので請うご期待!


2003年06月23日(月)

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■ ハロハロ サチィ〜コ

以前、婦人服の販売をやっていた。この話も10年くらい前のその仕事場での友人のお話である。

 お友達の幸子ちゃんは沖縄出身で、沖縄時代からの友人と二人で住んでいた。

幸子ちゃんは普通のおしゃべりな女のこといったタイプの人だったが、ルームメイトのサユリちゃんはどっちかっつーと地味、太めな外見で男性関係にはあまり浮いた話の無い人まじめな人であった。仕事は確か薬剤師をしてたと思う。

幸子ちゃんは普通に彼氏もいて、少々の外泊なんかも日常的にしていたのだが、ルームメイトサユリちゃんは、そんなことは全く無く、幸子ちゃんはサユリちゃん寂しいのではないかなーと気にしていた。

そんな二人暮しも6年目になる頃、突如サユリちゃんが外泊を連続し始めた。
事件か?何かあったかと心配してた幸子ちゃんだったが、もしかしたら…男か?と思い、今度帰ってきたら聞こう!と決意、そしてその夜サユリちゃんは帰ってきた。

玄関に迎えにでた幸子ちゃんは、
「サユリちゃん、もしかしたら彼氏できたの?」
と尋ねると、そうだとの返事。そして、実は今連れてきてるというじゃありませんか!幸子ちゃんは喜んで挨拶をしようとして、サユリちゃんの後ろから出てきた人を見た。この地味なサユリちゃんの彼氏はどんな人だろう?
彼は挨拶した

「ハロハロ サチィ〜コ!」

…イラン人だった。

まじめなサユリちゃんが、よりによって…

しかし余りにインパクトのあるこの挨拶、彼女らの気も知らず職場みんなで大爆笑!いやいや申し訳なかったね〜

で、ほどなくこのイラン人の彼氏がしょっちゅう泊まりにくるようになってしまい、サユリちゃんがいないときにも彼は隣の部屋にいたりするという状態。
サユリちゃんがいなくても、このイラン人の彼はりんごなんかを切って

「サチィ〜コ、ユー、リンゴハンブンタベルゥ?」

と(爆笑)聞いてくれるようにまでなってしまった。

しかしただでさえイラン人だし、いい人か悪い人かもわからないしこの生活に限界を感じた幸子ちゃんはこの家を引っ越すことを決める。

引っ越したら引っ越したで、6年も一緒に住んでた友達とも思い出の家とも別れたため幸子ちゃんは重度の寂しい病になってしまい、

「やっぱり、イラン人でもいいから部屋に人がいたほうがいい」

などと言い出すシマツ…結局私が新しい男を紹介して、上手くいき、同棲を始めたのだが気になるのはそのサユリちゃんとイラン人の彼氏のことだ。今はどうしてんだろうね?私の実家周辺でもフィリピ―ナと結婚した同級生が数人いるが、幸せな国際結婚をしてるといいねえ〜♪(いいのか?)。


2003年06月29日(日)

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■ ザク哀歌


ベビーカーを引き引き公園を散歩していると、ふと目の前にランドセルを背負った小学生がいた。
ランドセルの色はカーキ色。それはガンダムのモビルスーツ、ザクの色である。

ザクというモビルスーツの主な技は「体当たり」…

シャアやらアムロやらハマーン・カーン、キラ・ヤマトなんか主役級の人物は派手なモビルスーツに乗りこなし、ビームサーベルやら空中戦も使いこなすのに、ただの一兵隊にすぎないザクは技が体当たりが一番強い攻撃だし、その戦いの前線において真っ先に死んでゆく。

将棋の駒で言ったら「歩」、戦で言ったら「歩兵」。大変無力なのだが、歩兵なくしては戦争自体がなりたたないし、戦争物での多々のドラマは生まれない。
大人になった今、いかにその他大勢という存在が社会に必要かわかってきている。

「小学生の君よ、その君の背負うランドセルと同じ色のモビルスーツにどれほどの大きなドラマがあると思うかい?」

…などと、気が付けば眉間にしわをよせ、小学生を見つめながら妄想するが、これを小学生本人に話したとしたらただのアブナイオバハンである。いかんいかんとまたひたすらベビーカーを転がしていく。

 いや〜、大型汎用機のドラマが好きでねー。
ガンダムのオンラインゲームができるんだって!やはり一年戦争(ファーストガンダム)の設定で各個人がジオンと連邦にわかれてひたすら戦うものらしい。

少年時代にガンダムが好きだった今やおっさんたちも参加できるんだぜ!で、何のMSで出撃するかって言うとね、昔はやはりガンダムに乗りたいとか、ゴックがいいとかあっただろうけど己を知った今は断然ザクの一歩兵として参戦したいという方が抜群に多いらしい。

いい話じゃないか〜

何しろ自分の生活のすぐ横に今でもガンダム話が転がってるもんでね、常に世界に起こったことをガンダムに例えて考えてしまいます。

今放送している「ガンダムSEED」観てますかな?
最初はつまんねーとか思ってたけど、あのロリコン、エヴァっぽいなーに慣れてくるとけっこう面白い。今は毎週一般人やら一歩兵がドンどこ死んでいきます。かなりひどい話になってるよ。カリスマ性とか、セリフの輝きはやはり富野ガンダムにはかなわないようですが、なかなか頑張ってますよ。

でもガンダムを観たことがない!って人はまず、機動戦士ガンダムの�機↓供↓靴�ら観ましょう。ここから全てが始まります(ま、ザンボット3とかでもいいんだけどね)。そして私と語りあいましょうねっ。


2003年06月30日(月)
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