ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年07月04日(金) オクラの花

午後7時。外気温30℃昼間の暑さがまだ居座っているようだ。

厳しい暑さが続いており今日は36℃を超えていたらしい。

大気が不安定なせいか不快な程の蒸し暑さであった。

明日は今日よりも暑くなるらしく「七夕猛暑」のニュースが流れる。



今朝は洗濯物を干しに庭に出るとオクラの花が咲き始めていた。

クリーム色の可愛らしい蕾である。何とも嬉しくてならない。

出勤前にもう一度見ると花が開いており思わず歓声を上げる。

娘が種から育てたオクラであった。狭いプランターでのこと

実が成ればまるで奇跡のように思える。

家庭菜園とまでは行かないが野菜を育てるのは楽しいものであった。




義父の胃痛を心配しながら山里の職場に向かう。

田んぼには行っていないようで居室から物音が聞こえていた。

早朝から仕事をしていたのか車検の書類を書き終えている。

後は私が書類を整えれば完了であった。


9時過ぎには事務所に顔を見せてくれたがとてもしんどそう。

幸い胃痛は治まっていたが一気に疲れが出てしまったのだろう。

それでも「行かねばならず」と消毒の準備をしていた。

そうしたら同じ米農家の友人から電話があり訪ねて来るらしい。

「やっぱ今日は休もうか」と心を決めてくれたようだった。


30分程して友人が訪れ「米談義」が始まる。

「捕らぬ狸の皮算用」も始まり聞いていても面白い。

とにかく百円でも高くお米を買い取って貰わなければならない。

まだ稲刈りも済んでいないのに皮算用は膨らむばかりであった。

挙句には小泉大臣の悪口が始まり「ろくなもんじゃない」と宣う。

消費者の味方ばかりして米農家をないがしろにしていると云う。

私も同感であった。お米はそもそも貴重な物であるべきだと思う。

戦中戦後の食糧難を知らない国民も多いと思うが

お米は一粒でも無駄にしてはいけない貴重な主食だったのだ。


話は延々と続き昼食も摂らないまま2時まで続いた。

義父も久しぶりに話せて嬉しかったのか上機嫌である。

今日は良き骨休みとなり私もほっと嬉しかった。


2時半に退社。華金でもあり心が浮き立つようである。

終末はゆっくりと休みまた来週から頑張ろうと思う。


帰宅してまた直ぐに横になり5時前まで寝ていた。

娘は今日も機嫌が良く肩を並べて夕食の支度をする。

オクラの花の話をしたら娘も嬉しそうに微笑んでいた。

実が成ったらもっと大喜びすることだろう。



午後8時。もうすっかり夜の帳が下りている。

母の遺影を見ればにこにこと微笑んでおりほっとせずにはいられない。

父と母の遺影はさすがに並べることが出来ず離してあるが

私にとっては紛れもなく両親であり大切な存在であった。


「お母ちゃんお疲れ」「お父ちゃん有難う」と手を合わせて眠る。

この世に存在しなくても魂は永遠だと信じて止まない。


※以下今朝の詩


    タイムライン

 窓を開ければ
 生温い外気が忍び込んで来る

 夜明けが少しだけ遅くなったようだ
 時計の秒針は規則正しく回り続けて
 一分でも早く朝を知らせようとする

 タイムラインの一番最初に
 「父が息を引き取りました」と
 その一行が痛ましくてならない
 掛ける言葉も見つからないまま
 ただじっと夜が明けるのを待つ

 永遠の命など在りはしないが
 失ってしまうその現実が辛い
 受け止めるにはあまりにも
 重すぎる結果ではないだろうか

 薄っすらと夜が明け始めた
 暗闇が遠ざかるのを見ている

 どれほどの光だろうか
 どれほどの青だろうか


 < 過去  INDEX  


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加