ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年05月20日(火) おかげさん

晴れたり曇ったり。ほぼ真夏日の気温となり蒸し暑さを感じる。

全国的にも真夏日の処が多く山梨では34℃を超えたようだ。

まだ5月のこと。異常気象としか思えない暑さである。

これから梅雨の季節となるが梅雨が明ければ猛暑となることだろう。

まだ先の事と思っていても季節はどんどん進んでいく。

職場もとうとう冷房無しではいられなくなった。

一度頼ってしまうと毎日となりまた光熱費に頭を悩ますことになるだろう。

それは我が家も同じであるが今のところ扇風機で凌げている。



大口の支払いがある日だったが思いがけずに大口の振込入金があった。

何と助かったことだろう。大船に乗ったような気分になる。

おかげで取引先に迷惑を掛けずに済み肩の荷が一気に下りていた。

何とかなるものなのだ。前途を悲観してはならないと思う。

義父には報告しなかったが元々何も知らないのでその必要はなかった。

かつての母がそうだったようにお金の苦労は全て私が背負うしかない。


工場の仕事は順調に見えて実は大きな難題を抱えている。

同僚が幾日も手掛けた大型車の修理が台無しになってしまったのだ。

最悪の場合はエンジンを交換せねばならず莫大な修理代となるだろう。

もう同僚はお手上げ状態となり義父が後始末をすることになった。

義父が社長の顔になっている。何と頼もしいことだろうか。


同僚の胃痛は少し治まったようだが今日も元気が無かった。

日頃からの気の弱さが祟っているとしか思えない。

もう60歳を過ぎており憐れでならなかった。

もしかしたら仕事を辞めたくなっているのかもしれないが

それだけは何としても考え直してもらわねばならない。

一人でも欠けたら会社は即刻に潰れてしまうだろう。

皆がぎりぎりの瀬戸際にいる。それを限界に繋げてはならないのだ。



今日も4時に帰宅。直ぐにばたんきゅうと寝転んでいた。

大相撲を観ていたつもりだったがうたた寝をしていたようだ。

夕飯は素麺ではなく「ひやむぎ」にしてみた。

桃色や緑の麺が混ざっており何だか子供のように嬉しい。

素麺では味わえないような懐かしさがあった。

おそらく子供の頃に母がよく茹でてくれたのだろう。

記憶は曖昧であるが母と暮らした日々が確かにあったのだ。


母は死んでしまったが毎日私と一緒に仕事をしている。

思いがけない事がある度に母のおかげだなと思う。

今日もそうだった。きっと母が助けてくれたのに違いない。

魂は強い。魂は負けない。魂は生きているのだと思う。


※以下今朝の詩


          うさぎ

      片方の耳を失ったのは
      いつのことだったのか
      もう忘れてしまったが
      真夜中に疼く時がある

      ずきずきとそれは叫び
      命も心細くなるばかり

      確かに聴こえているのは
      囁くような風の声である
      いつの間にか春ではなく
      夏の風が吹き抜けていた

      過ぎたことなどもう
      どうだっていいのだ

      草の原を駆けていく
      若い緑の真っ只中を

      どれ程の疼きであっても
      生きてさえいればと思う










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