小晦日。曇り空であったが風がなく暖かさを感じる。
小晦日は「こつごもり」と読むのだそうだ。
無学にも程がありつい先ほど知ったばかりである。
お向かいの奥さんに蕪を頂き千枚漬けを作った。
家族は誰も食べず私一人が好んで食べている。
こんなに美味しいものはないと思うが無理強いは出来ない。
朝のうちに夫と買い物に行っただけで後はまた殆ど寝て過ごす。
特に買う物はないと思っていたのだが結構買ってしまった。
帰宅するなり早速玄関にお正月飾りをした。
娘が床の間のある和室を片付けてくれており大助かりである。
しかし鏡餅は買って来ておらずすっかり手抜きとなった。
和室はずっと娘達の物置状態となっていたので最初から諦めていたのだ。
せめて干支の置物をして新年を迎えたいものだ。
床の間に置いてあったあやちゃんのランドセルが消えていた。
娘が押し入れに仕舞ったのかもしれないが何とも複雑な気持ちになる。
来春には卒業だがおそらく卒業式に出席することはないだろう。
3時には目覚め自室に籠り昨年と一昨年の12月の日記を読み返していた。
あんなこともあったこんなこともあったと懐かしくてならない。
特に一昨年の日記にはまだ川仕事をしていた頃の私達が居た。
今年は廃業を決めたので尚更のこと感慨深く思い出される。
40年以上も続けて来た家業であった。夫婦の歴史と云っても良いだろう。
読み始めたら夢中になり今年一年の日記も読みたかったが
夕刻となってしまい明日に持ち越すことにする。
どんな一年だったのかこの目で確かめて見なくてはいけない。
書くことに必死だった一年だったが報われることはなかったのか。
詩はこれでもかと仕打ちを受け踏みにじられたように思う。
短歌も同じくで新聞に投稿してもことごとく落選であった。
けれどもSNSのおかげでどれほど救われたことだろうか。
絶望ばかりではない希望の光が確かに射し込んでいたように思う。
捨てる神あれば拾う神ありと云っても過言ではないだろう。
この日記もずっと読み続けてくれている人達のおかげで書くことが出来た。
毎日必ず投票ボタンを押してくれ人がいてとても励みに思っている。
日常のあれこれもそうして光に恵まれることが出来たのだ。
命はとても心細くてならないが生きている限りと改めて思う。
「私を忘れないで」その一言に尽きるだろう。
四万十川のほとりでひっそりと生きている名もない草であった。
その草を見つけてくれ触れてくれた恩ほど掛け替えのないものはない。
私の日々が少しでも心に響きますようにと願って止まない。
毎年のことですが小晦日をもって一年の最後の日記とさせて頂きます。
毎日欠かさず読んで下さった皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
決して明るいことばかりではなかった一年ですが
どうか心穏やかに清々しい新年をお迎え下さい。
どうもありがとうございました。
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