| 2026年11月01日(日) |
ちいさなことの積み重ね |
穏やかな晴天。気温も20℃を超えていたようだ。
とうとう11月となり「霜月」の字を見ただけで冬を感じる。
やがて木枯らしが吹き始め霜の朝も訪れることだろう。
夏物の衣料をやっと仕舞い秋物の衣料を出した。
冬物はまだ早いが直ぐに着れるように手近に置く。
お布団も干したかったが億劫でならない。
夫の手を借りなければ布団を抱えることも出来なかった。
その夫も腰痛が酷く歩くのがやっとの日々が続いている。
義妹が入院であったが今日は姪っ子夫婦が送って行った。
まあちゃんが行くのでめいちゃんも一緒に行く。
何処かに寄り道をしているのかまだ帰って来ていない。
明日は手術の予定で夫と義弟が行くことになった。
簡単な手術らしいが心臓なのでやはり心配である。
お昼に大盛チャンポンを平らげ午後はひたすら寝るばかり。
2時に一度起きたがまた直ぐに寝てしまった。
「おい、もう5時になるぞ」と夫に起こされやっと起きる。
急いで洗濯物を畳む。日曜日は私の役目であった。
何と気忙しいことだろう。夕食の支度もしなければならない。
娘がシチューを作ってくれた。今季初でとても美味しい。
孫達もきっと喜ぶことだろう。
6時になるともうすっかり日が暮れ外は真っ暗になる。
いかにも11月らしい夕暮れ時であった。
娘達はめいちゃんの帰りを待っていて夕食も食べない。
「しんしん」と音が聞こえるように静まり返っている。
中高時代の友人の誕生日であったが電話もしなかった。
時々メールが届いていたが一切返信をしておらず
後ろめたい気持ちもあった。
もう70歳である。「おめでとう」どころではあるまい。
友人は熟年離婚をし独り暮らしをしている。
どんなにか寂しい事だろうと思うばかりであった。
私も来月には70歳になるが家族に恵まれ幸せなことである。
老いの「節目」にも思うが残り少ない人生を思う。
生きたい欲ばかりでそれも愚かなことなのかもしれない。
心細く不安でならないが命を抱きしめながら過ごすしかないだろう。
思い起こせば波乱万丈な人生であったが「だからこそ」と思う。
自分で選んだ人生ならば最後まで守り抜かねばならない。
ちいさなことの積み重ね。それがきっと「仕合せ」なのだろう。
※以下今朝の詩
臆病
おそるおそるであった 何と臆病なことだろう
花ばかりではあるまい だからと云って 草ばかりとも限らない
空が鏡であるならば 在りのままの姿を映す
自己憐憫はもうよそう 惨めな気持ちに蓋をする
例えみずぼらしい姿でも 微笑むことが出来るだろう
胸を張れないのなら 抱きしめてやればいい
やがて扉が開く時が来る 一歩踏み出せば強くなる
季節はゆっくりと冬に向かう
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